Education in Front-Line and Essays by Hiroshi Hayashi (はやし浩司)

(Mr.) Hiroshi Hayashi, a professional writer who has written more than 30 his own books on Education, Chinese Medical science and Religion in Japan. My web-site is: http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/ Please don't hesitate to visit my web-site, which is always welcome!!

Sunday, April 27, 2008

*Short Essays on April 26th

【今日のこと】(4月26日)(April 26th 2008)

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今日、以前からほしかったデジタルカメラを
買った。

Y店で3万4000円弱だったが、K店では、
2万6800円。
1GBのメモリーとケース、それに三脚がついて、
2万6800円。

即、購入!

ワイン・レッドの光沢が美しい。
C社の、EX-S10。
日本で今、一番、薄いデジタルカメラ。

明日、あちこちを撮影してみよう。
楽しみだ。

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●会話(North Korea)

私が、「今日は、何も書かなかった」と言うと、ワイフは、
「K国のことでも書いたら・・・」と。

私「K国のこと・・・? どうせ、だれも関心なんか、もってくれないよ」
ワ「そんなことないわよ。読んでくれる人もいるわよ」
私「そう・・・?」と。

K国・・・。
あの金xxは、核兵器を放棄しない。
するわけがない。
理由は明白だ。

核兵器をもっているからこそ、K国は、K国。
世界に相手にしてもらえる。
恐怖政治の本尊にもなっている。

もし核兵器を手放したら、K国は、ただの貧乏国。
アメリカは、「核兵器を手放したら、援助する」と言っている。
しかしK国にとっては、それも困る。
世界から援助が、ドッと入ってきたら、K国は、どうなる?

もしK国の人たちが世界のことを知ったら、そのまま金xx体制は
崩壊する。

核兵器を放棄することもできない。
さりとて、門戸を開くこともできない。

が、ひとりノー天気というか、お人好しなのが、あのヒル氏。
アメリカ式の合理主義だけで、米朝問題を解決しようとしている。
わかりやすく言えば、(YES・NO)で成り立った、契約主義。
それだけで問題を解決しようとしている。
しかしそんなやり方は、K国には通用しない。

それにもうひとつ。

ヒル氏のような、育ちのよい政治家には、そうでない人たちの
ゆがんだ魂が理解できない。
ひとついじけるたびに、新しい人格が生まれる。
それが、もとからあった人格を、タマネギの皮のように包む。
金xxの魂は、今、そのタマネギの皮のようになっている。
二重、三重どころか、五重、六重になっている。
簡単には理解できない。
だからといって、金xxの肩をもつ気持ちは、毛頭ない。

加えて金xxは、まともではない。
そんな相手と、まともな交渉を重ねるほうが、おかしい。
たった一晩で、それまでの方針を、180度変えることも珍しくない。

私「今さら、引くに引けなくなってしまったんだろうね」
ワ「前のボルトン氏(前国連大使)と、同じことをしている」
私「そうだ。そしてやがて、気づく。自分が愚かだったとね」と。

ボルトン前国務長官がヒル氏を批判したとき、ヒル氏は、こう言い切った。
「すでに退職した人の意見など、意味がない」と。

結局、ヒル氏は、金xxに、時間稼ぎをさせただけ。
その間、金xxは、シリアで、核兵器工場の建設に手を貸していた。

ワ「どうして、ヒル氏は、こうまでがんばるのかしら?」
私「ノ大統領(韓国の前大統領)に、洗脳されたのだろう」
ワ「洗脳?」
私「そう・・・。ノ大統領は、こう考えていた。朝鮮が分断されたのは、
アメリカとソ連のせいだ。韓国も、K国も、その犠牲者にすぎないとね」
ワ「ヒル氏も、そう考えているの?」
私「基本的には、それに近い考え方をしている」と。

しかしそれも時間の問題。
やがてヒル氏は、自分のまちがいに気がつくだろう。

ヒル氏が相手にしているのは、社会主義者でも、共産主義者でもない。
ただの頭のおかしい、独裁者。

今の今も、その独裁者のもとで、何十万、何百万という人たちが餓死しよう
としている。
もちろんその中には、日本から拉致された被害者たちも含まれている。

今、すべきことは、K国を自己崩壊させること。
安楽死でもよい。
それがわからなければ、もう一度、自問してみたらよい。

「国民を餓死させてでも体制を守ろうという国が、まともか」と。

では、どうするか?

K国は、人権問題だけを先頭に、攻めて、攻めて、攻めまくる。
人権問題だけでよい。
核兵器も、核開発も、それにともなう制裁問題も、つぎのつぎ。

わかりやすく言えば、核兵器や核開発、それにともなう制裁問題という(悪魔)は、
相手にしない。
(善)だけを追求する。
(善)の力だけを信ずる。
そうすれば、K国は、かならず自己崩壊する。

・ ・・というのは、少し甘いかもしれないが、日本はもっと、
人権問題を先頭に立てて戦うべきではないのか。
アメリカのうしろに隠れて、コソコソとついて歩くだけが、日本のやり方ではない。

中には、「日本には暗い過去があるから、偉そうなことは言えない」と
思っている人もいるかもしれない。

しかしそれはまちがっている。
どうして日本は、いつまでも暗い過去を引きずらなければならないのか。
暗い過去にこだわって、静かにしていなければならないのか。

それがわからなければ、100年後、200年後に視点を置いて、
今の日本を見つめてみればよい。

そのとき、そこに何が残っているか。
それをほんの少しだけ想像してみたらよい。
たとえ今は、効果がなくても、それがそのときの未来を明るく照らし出す。

答は、おのずと出てくることと思う。


はやし浩司++++++++++++++++++++++Hiroshi Hayashi

●コジュケイ(Kojukei-bird)

山荘の朝は、コジュケイの鳴き声で始まる。
「チョット・コイ、チョット・コイ、チョット・コイ」と。

10年ほど前までは、キジがよく鳴いた。
しかし今は、コジュケイ。

大きさはウズラほどの鳥だという。
しかし私は、その姿を見たことがない。
いや、ときどきウズラのような鳥を見かけることはあるが、
それがコジュケイかどうかは、知らない。
このあたりには、野生のウズラも、住んでいる。

今は、4月の末。
もう少しすると、ホトトギスの鳴き声が聞こえるようになる。
里におりていたウグイスも、戻ってくるはず。

これから夏にかけて、山の住人たちは、めまぐるしく変わっていく。

・・・それにしても、静かな朝だ。
空はうす曇り。
その雲を通して、あわい光が、障子の窓をやさしく照らす。
風もない。

「あとで除草剤をまこう」と、ふと、今、そんなことを考える。
ところどこに雑草が生え、その背丈が、10センチほどになっている。
近く、息子夫婦と、それに孫たちがやってくる。

あとは・・・。
今朝は、頭の中も、どこかぼんやりとしている。
いつもならいろいろなことが、頭の中に浮かんでくるのだが、それもない。
けだるいというより、まだ眠い。

昨夜は、午前12時過ぎまで、起きていた。
が、今朝は、6時前に、目がさめた。
さめる直前、夢の中に、渥美清(映画俳優)が出てきた。

たった今、ワイフがコップにお茶を入れて、私のところに届けてくれた。
「家に帰ったら、昼寝をしよう」と声をかけると、「うん」と。

カラスが一羽、鳴きだした。
コジュケイの声は、もう聞こえない。
遠くの山々からは、白いモヤが、まっすぐ上に向かって、あがっていく。

のどかな、どこまでものどかな朝だ。
4月27日、日曜日。

みなさん、おはようございます。


+++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

●デジタルカメラ(New Digital Camera)

今週の「週刊アスキー」誌によると、
デジタルカメラ部門での、売れ筋ランキングは、つぎのようになっている。(5/6日号)

1位・・・パナソニックの、LUMIX FX-35
2位・・・オリンパスの、u1020。
3位・・・富士フィルムの、Z100fd。
4位・・・カシオの、EX-S10
5位・・・富士フィルムの、F100fd。

オリンパスの、u1020というのは、正しくは「μ1020」。
しかしこの文字は、たぶん、BLOGにアプロードする際、拒否されるはず。
(やってみなければ、わからないが・・・。)

昨日買った、私のカメラは、第4位の、EX-S10。
たしか先週までは、第3位ではなかったか?
今まで、ずっとLUMIXを使ってきた。
「デジタルカメラはパナソニック」と決めていた。
パナソニック社のブレ防止機能には、捨てがたい魅力がある。

が、今回、カシオの、EX-S10を手にしたとき、その(薄さ)に
感動した。
「これなら名刺入れのように、ポケットに入れて、もち運べる」と。
とたん、いつもの物欲がムラムラと湧き起こった。

で、待つこと、約1か月。
「3万円以下になったら買おう」と心に決めていた。

今、そのカメラが手元にある。
指先でいじっているだけで、気持ちよい。
心が落ち着く。

おお・・・!

今、窓から明るい日差しが差し込んできた!
さあ、撮影タイム!

これから外の景色を、パチパチと撮ってくる。
(私のデジタルカメラは、すべて、パチパチという音が出るように
設定してあるのだ!)


++++++++++++++++++++++はやし浩司

●脳の老化(Brains that are getting rusted)

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60歳のときは、だいじょうぶでも、
70歳になると、わからない。

70歳のときは、だいじょうぶでも、
80歳になると、わからない。

脳の老化というのは、そういうもの。

しかもある日突然、悪くなるというものでもない。
徐々に、ほんとうに徐々に、悪くなる。

『♪サウンド・オブ・サイレンス』の歌詞を
借りるなら、「がん細胞が成長するように」、
静かに、ほんとうに静かに、悪くなる。

だから、ほとんどの人は、自分の脳が
老化していることにさえ、気づかない。
「私はふつうだ」「まともだ」と思っているうちに、
どんどんと悪くなっていく。

さらにその(差)は、相対的なもの。

90歳の老人を見ながら、「ボケたなあ」と
思っている人でも、また別の人から見れば
「ボケたなあ」と思われているかもしれない。

が、これはけっして、他人の問題ではない。
私自身の問題でもある。

この先、私の脳が、今以上によくなるという
ことは、考えられない。

現状維持すら、むずかしい。
あるいは、どうすれば、現状維持ができるのか?

それにこんな問題もある。

頭のボケた人と、話していても、おもしろくない
ということ。
第一、 会話にならない。
ときどきセンターにいる母を見舞うが、
会話らしい会話など、できない。

私ができることといえば、じっと、横に座って
いるだけ。
あとは時計を見ながら、そのまま帰ってくるだけ。

が、これも、けっして、他人の問題ではない。
私自身の問題でもある。

たとえばだれかが、私と話していて、「林と
話していても、つまらない」と思ったとする。
そういうとき、私は、それに気づくことが
できるのだろうか。

この先、そういうケースは、多くなる。
とくに若い人、さらには、子どもたち(生徒たち)
は、そう思うようになるかもしれない。

現に私の兄は、70歳を待たずして、ボケてしまった。
その下の姉も、このところ、少しおかしい?
順番からいけば、つぎは、この私ということになる。
あるいはすでにボケ始めているのかも?

が、まだつづく。

肉体の老化は、わかりやすい。
脳の老化も、それなりに、まだわかりやすい。
しかしわかりにくいのが、精神の老化。

たとえば気力や精神力が弱くなるにつれて、
判断能力や、現実検証能力、さらには問題の処理能力
が、並行して弱くなってくる。
正義感も弱くなる。問題意識も弱くなる。

しかし弱くなりながら、それに気づくということは、
まず、ない。
症状としては、めんどうに感ずるようになる?

先日も、今年70歳くらいになる元教師という人に
会った。
若いころは、教育の世界では、かなり活躍した人である。
しかしそんな人でも、今は、こう言う。

「そういうときもありましたねエ~」と。

それも、私自身の近未来像かもしれない。

では、どうすればよいのか。

(1) 頭は使って使って、使いまくる。
(2) 新しいことに興味をもちつづける。
(3) 子どもたちを相手に、常に脳トレに心がける。

つまるところ、そういうことになる。


Hiroshi Hayashi++++++++APR.08++++++++++はやし浩司

● 君が為(た)め……(I have never regretted about my life, but now the life itself is getting shorter.)

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最近、久しぶりに、百人一首を読んだ。
その中のひとつが、このところ、ずっと
気になっている。
どういうわけか、気になっている。

そのときは、それほど強く感じなかったが、
今は、ちがう。

日を追うごとに、私の心の中で、それが
勝手にどんどんとふくらんできた。

どうしてだろう?

もう一度、その短歌を読みなおしてみる。

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【藤原義孝(ふじわらのよしたか)】

君が為め
惜しからざりし
命さへ
長くもがなと
おもひけるかな

(百人一首より)

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あなたのためなら、捨てても惜しくないと
思っていた命だが、その命も、それほど
長くないと、このところ思うようになってきた。

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若いときはよい。
今日、失敗しても、明日がある。
その明日にがんばればよい。
それで取り返せる。

人生をノートにたとえるなら、
ノートは分厚く、余白も多い。
1枚や2枚、あるいは10枚や
20枚、書き損じても、「損じた」
という意識すら残らない。

しかし今は、ちがう。

いくら自分に「明日があるではないか」と
言い聞かせても、その言葉そのものが、
夏の日の陽炎(かげろう)のように、
そのままどこかへ消えてしまう。

たとえば若いころ、
私の母は、私の家に遊びに来ては、
そのつど、ごっそりとお金を
もって帰っていった。

当時は、そういう時代だったし、
私の母は、そういう人だった。
が、そのたびに私はこう思った。

「来月があるではないか。
来月、またがんばろう」と。

かえってそういう母の行為が、
私の生きるバネにもなった。

「10万円取られれば、20万円
取り返せばいい」
「100万円取られれば、200万円
取り返せばいい」と。

しかし歳を取ると、そういう気力
そのものが、弱くなる。

がんばりようにも、がんばりようがない。
体力もつづかない。

もちろん藤原義孝の短歌は、
そんな俗っぽいことを
歌ったものではない。

藤原義孝は、自分の命について、
もっと言えば、愛するだれかのために、
その短歌を歌った。

「長くもがなと おもひけるかな」と。

で、今日、自転車に乗りながら、
こんなことを考えた。

「こうして健康で、自転車に乗れる
だけでも、すばらしいことでは
ないか」
「青い空、心地よい風、白い雲……。
それを肌で感ずることができるだけでも、
すばらしいことではないか」と。

と、そのとき、藤原義孝の短歌が、
頭の中を横切った。

「長くもがなと おもいけるかな」と。

かなりペシミステックな(悲観的な)
……というより感傷的な思いかもしれないが、
そう思った。

「こうして健康でいられる時期も、
それほど長くはないかもしれない」と。

言うなれば、

「家族の為め
 惜しからざりし
 命さへ
 長くもがなと
 おもひけるかな」ということか。

……とまあ、このところ、
何かにつけて弱気になってきている。

視床下部あたりから出ている
シグナルが、弱くなっている。
そのため辺縁系にある帯状回あたり
の機能が弱くなっている?

私は勝手にそう解釈している。
が、うつ状態になると、さらにそれが
加速される?

そんなわけで、昨夜は、ワイフと
映画を見に行ってきた。

タイトルは、『フィクサー』。

よく見ていないと、意味がわからなくなる。
そんな映画だった。
が、ボケ防止には、よい。

結構、おもしろかった。

しかし映画館から出るとき、再び、あの短歌。

『長くもがなと おもひけるかな』と。