*Fishery Basic Law in Japan
●水産物自給率(Fishery Basic Law)
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少し前、燃料費高騰により、全国の
漁船、約20万隻が、操業を停止した。
ストライキに打って出た。
「採算が合わなくなったから、政府が
燃料費を補填(ほてん)しろ」と。
常識で考えれば、こんなおかしな話は
ない。
そこで私なりに調べてみたら、やはり
日本の水産業も、政府の補助金漬けに
なっているのがわかった。
その根拠となっているのが、1999年
12月に制定された、「水産基本法」。
これによって政府は、「漁業生産の現象と自給率
の低下、従業者の減少と高齢化」の問題
を解決しようとした。
「水産物の安定供給の確保と水産業の
健全な発展を図るという基本的理念の
もと、漁業のみならず、加工・流通などの
関連産業も含めた水産業全体の振興を
図る」と。
その結果、
(1) 自給率目標を盛り込んだ水産基本計画の
策定。
(2) 水産資源の管理と持続的利用。
(3) 担い手育成、漁業経営支援。
(4) 漁村、水産基盤整備などの施策が、
矢継ぎ早に、実行に移された(以上、参考、
IMIDAS 2005)。
2000年の段階で、水産物自給率は、
約53%。
それをこの計画によって、2012年までに、
魚介類で、66%にまで高めようというもの
だった。
それ自体は、悪いことではない。
食糧の自給率を高めることは、国の政策として
柱にすべきことがらである。
では、現状ははどうか?
2005年……57%
2006年……59%(農水省資料、2007年)
が、「自給率があがった」と思うのは、
ちょっと待ってほしい。
水産物自給率は、「水産物消費に占める国産水産物の割合であるが、算式的には、生産から輸入超過を引いて、在庫変動を加味した上で、消費量で割って計算される」(社会実情データ実録)とのこと。
つまり消費量が減れば経るほど、自給率は高くなる
ということになる。
が、ご存知のように、このところ魚類を
食べる人たちが、少なくなってきた。
2001年をピークに、水産物(=魚介類)
の消費量は、約8800トンから、2006年の
7300トンへと、減少している(同)。
同じように生産量、輸入量も、減少傾向にある。
私自身は、魚派で、肉類は、ほとんど口にしない。
だからこういう統計を見ると、「では、いったい、
日本人は何を食べているのか」と、ふと考えて
しまう。
もちろんその分だけ、日本人の食生活が、
ますます欧米化していることを意味する。
で、その分だけ、先にも書いたように、
水産物自給率は、高くなる。
ひょっとしたら、2012年までに、66%
を達成できるかもしれない。
しかしこうした基本法に基づく、補助金行政は、
まさに両刃の剣。
一方で水産業を支えることになるかもしれないが、
それから生まれる弊害もある。
いわゆる(依存性)の問題である。
水産業については知らないが、農業分野に
おいては、今や補助金なくして、農業そのものが
成り立たない。
と、同時に、農家の人たちは、補助金をアテにして、
自助努力をしなくなってしまった。
以前書いた、このあたりのミカン農家についての
原稿をここに載せる。
もともとは日本人の職業意識について書いた
原稿である。
やや趣旨が脱線するかもしれないが、許して
ほしい。
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【日本の農業+教育事情】
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横浜に住む友人のM氏が、山荘に泊まりながら、こんな話をしてくれた。
それに私見も加えながら、メモとして、ここに記録する。
M氏は、日本でも最大手の食品会社の部長という重職を経て、
今は、東京にあるT社の事業開発室の室長をしている。
東京都内に流通する果物の60%は、彼の管轄下にあるという。
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● 山荘で
山荘の周辺は、少し前までは、豊かなミカン畑に包まれていた。しかしここ5~10年のあいだ、減反につづく減反で、そのミカン畑が、どんどんと姿を消した。
理由は、この静岡県のばあい、(1)産地競争に負けた、(2)ミカンの消費量が減少した、(3)農業従業者が高齢化した、それに(4)外国からの輸入ミカンとの価格競争に負けた。加えて、この静岡県の人たちには、「どうしても農業をしなければならない」という切実感がない。
とくにこの浜松市は、農業都市というよりは、工業都市。それなりに栄えている。「農業がだめなら、工場で働けばいい」という考え方をする。
産地競争というのは、この静岡県は、愛媛県、熊本県との競争のことをいう。ミカンは暖かい地方から先に、出荷される。静岡県のミカンは、季節がら、どうしても出荷が遅れる。遅れた分だけ、価格がさがる。だからどうしても価格競争に負ける。
ミカンの消費量が減ったのは、それだけミカンを食べなくなったということ。「皮をむくのがめんどう」と言う人さえいる。皮をむくことで、「手が汚れる(?)からいやだ」という人さえいる。
農業従事者の高齢化の問題もある。ミカン栽培は、基本的には、重労働。ほとんどのミカン畑は中間山地にある。斜面の登りおりが、高齢化した農業従事者には、きつい。
最後に、このところ、外国からの輸入が急増している。あのオーストラリアからでさえ、温州(うんしゅう)ミカンを輸入しているという。
そこで、静岡県のミカン産業は、どうしたらよいのかということになる。
● 外国との競争
オーストラリアでのミカン栽培は、そもそも規模がちがう。大農園で、大規模に栽培する。しかも労働者は、中国人やベトナム人を使っている。もともと日本にミカンに勝ち目はない。
本来なら日本も、その時期には、外国人労働者を入れて、生産費用を安くすべきだった。しかし日本の農業、なかんずく農林省のグローバル化が遅れた。遅れたばかりか、むしろ、逆にグローバル化に背を向けた。が、それだけではない。
現在の農業は、まさに補助金づけ。それはそれで必要な制度だったかもしれないが、この半世紀で、日本の農家は、自立するきびしさを、忘れてしまった。
このあたりの農家の人たちでさえ、顔をあわせると、どうすれば補助金を手に入れることができるか、そればかりを話しあっている。
ここでは省略するが、農家の補助金づけには、目にあまるものがある。農協(JA)という機関が、その補助金の、たれ流し機関になっていると言っても、過言ではない。が、それ以上に、もう一つ、深刻な問題がある。
実は農業に従事する人たちの、レベルの問題がある。M氏は、「おおっぴらには言えないが、しかしグローバルなものの考え方ができる人が、あまりにも少ない」(失礼! もちろん知的レベルとか人格的レベルのことを言っているのではない。誤解のないように!)と。それを話す前に、こんなことがあった。
● レベルのちがい?
私が学生で、オーストラリアにいたころ、私は、休暇になると、友人の牧場に招待された。そこでのこと。友人の父親は、夕食後、私たちに、チェロを演奏して聞かせてくれた。彼の妻、つまり友人の母親は、アデレード大学の学士号を取得していた。
私は、「農業をする人は、そういう人たち」という、偏見と誤解をもっていた。だから、この友人の両親の「質」の高さには驚いた。接客マナーは、日本の領事館の外交官より、なめらかで、優雅だった!
これには、本当に、驚いた!
つまりこうした学識の高さというのが、オーストラリアの農業を支えている。が、とても残念なことだが、日本には、それがない。(最近、若い農業経営者の中には、グローバルなものの見方ができる人がふえてきているが……。)
一方、この日本では、M氏の話によれば、戦前には、大学の農学部門にも、きわめてすぐれた研究者がいたという。しかし戦後、経済優先の社会風潮の中で、農学部門には目もくれず、優秀な人材ほど、ほかの部門に流れてしまった。
このことは、大卒の就職先についても、言える。
私が学生のころでさえ、地方に残った若者たちは、負け組と考えられていた。その中でも、農業を継いだ若者たちは、さらに負け組と考えられていた。たいへん失礼な言い方だとは思うが、事実は事実。当時は、だれもが、そう考えていた。M氏は、さらにつづけてこう言った。
「農繁期には、中国や東南アジアから、季節労働者を呼び、仕事を手伝ってもらえばよい。農業を大規模化するため、産業化、工業化すればよい。
しかしそういうグローバルなものの見方や、経営的な考え方をすることができる人が、この世界には、いない。それがこの日本の農業の、最大の問題だ」と。
● おかしな身分制度
ところで江戸時代には、士農工商という身分制度があった。江戸時代の昔には、農業従事者は、武士についで2番目の地位にあったという。それがどういうものであったかは、ただ頭の中で想像するだけしかない。しかしまったく想像できないかといえば、そうでもない。
私が、子どものころでさえ、「?」と思ったことがある。
私の実家は、自転車屋。士農工商の中でも、一番、下ということになる。それについて私は、子どもながら、「どうして商人が、農家の人より下」と思ったのを覚えている。
もちろん仕事に上下はない。あるはずもない。ないのだが、しかし私が子どものころには、はっきりとした意識として、それがあった。「農業をする人は、商業をする人よりも、下」と。
こうした社会的な偏見というか、意識の中で、日本の農業は、国際化の波に乗り遅れてしまった。今の日本の農業は、国からそのつどカンフル注射を受けながら、かろうじて生きながらえているといった感じになってしまった。それが実情である。
●職業観の是正
もう一つ、話が脱線するが、今でも、おかしな職業観をもっている人は、少なくない。私も、そうした職業観に、いやというほど、苦しめられた。
私が「幼稚園で働いている」と話したとき、高校時代の担任のT氏は、こう言った。「林、お前だけは、わけのわからない仕事をしているな」と。
近所のS氏も、酒の勢いを借りて、私にこう言ったことがある。「君は、学生運動か何かをしていて、どうせロクな仕事にありつけなかったのだろう」と。
私の母でさえ、「幼稚園の先生になる」と話したとき、「浩ちゃん、あんたは道を誤ったア」と、電話口の向こうで、泣き崩れてしまった。
そういう時代だったし、今でも、そうした亡霊は、この日本にはびこっている。いないとは言わせない。つまりそういう亡霊が、私が子どものころには、もっと強くはびこっていた。農業従事者を「下」に見たのは、そういう亡霊のなせるわざだった。
が、もう、そういう時代ではない。またそういう時代であってはいけない。大卒のバリバリの学士が、ミカン畑を経営しても、何もおかしくない。仕事で山から帰ってきたあと、ワイングラスを片手に、モーツアルトの曲を聞いても、何もおかしくない。
●結論
私は、M氏の話に耳を傾けながら、これは農業だけの問題ではない。静岡県だけの問題でもない。日本人が、広くかかえる問題であると知った。もちろん教育の問題とも、関連している。さらにその先では、日本独特の学歴社会とも結びついている。
が、今、日本は、大きな歴史的転機(ターニング・ポイント)を迎えつつある。それはまさに「革命」と言ってよいほどの、転機である。
出世主義の崩壊。権威の崩壊。それにかわって、実力主義の台頭。
そこであなた自身は、どうか、一度、あなた自身の心に、こう問いかけてみてほしい。
「おかしな職業による上下意識をもっていないか」と。
もしそうなら、さらに自分自身にこう問いかけてみてほしい。
「本当に、その意識は正しいものであり、絶対的なものか」と。その問いかけが、日本中に広がったとき、日本は、確実に変る。
(040509)
【追記】
その人がもつ職業観というのは、恐らく思春期までにつくられるのではないか。職業観というよりは、職業の上下観である。
この日本には、(上の仕事)と、(下の仕事)がある。どの仕事が(上)で、どの仕事が(下)とは書けないが、日本人のあなたなら、それをよく知っているはず。
こうした職業の上下観は、一度、その人の中でつくられると、それを変えるのは、容易なことではない。心境の大きな変化がないかぎり、そのまま一生の間、つづく。
もっともこの問題は、あくまでも個人的なものだから、その人がそれでよいと言うのなら、それまでのこと。しかしだからといって、その価値観を、つぎの世代に押しつけてはいけない。
さてここでクエスチョン。
もしあなたの子どもが、あなたが(下)と思っている仕事をしたいと言い出したら、そのとき、あなたは何と言うだろうか。そのことを、少しだけ、あなたの頭の中で、想像してみてほしい。
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先ほども書いたように、これは農業の話。
おそらく水産業でも、同じようなことが
起きているはず。
そのひとつの証拠が、「燃料費の高騰を
補填せよ」という、そのストライキに
集約されている。
もしこんな論理がまかり通るなら、
トラック業者だって、タクシー業者だって、
同じストライキができるはず。
「ガソリン代があがったから、ガソリン代を
補填せよ」と。
「農業や漁業は別」と考える人もいる
かもしれないが、その分だけ、値段を
あげるという方法もないわけではない。
が、それについても、「値段をあげれば
外国から安い水産物が入ってきて、
日本の水産業は深刻な打撃を受ける」と
反論する人がいる。
しかし現実に、洋上取り引き(公海上で
外国の漁船から、直接魚介類を買う)が、
日常化している今、何が輸入か、という
ことになる。
私は「補填(ほてん)」という言葉を
聞いたとき、即座に、ドラ息子症候群の
ひとつを思い出した。
成績がさがった子どもが、ある日、
学校に向かってこう言う。
「成績がさがったのは、クーラーの
ない教室で、勉強させられたからだ。
その分だけ、得点を加算せよ」と。
話が飛躍したが、私が受けた印象は
それに近い。
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 Hiroshi Hayashi education essayist writer Japanese essayist 水産資源 水産基本法 日本の水産業)
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