Education in Front-Line and Essays by Hiroshi Hayashi (はやし浩司)

(Mr.) Hiroshi Hayashi, a professional writer who has written more than 30 his own books on Education, Chinese Medical science and Religion in Japan. My web-site is: http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/ Please don't hesitate to visit my web-site, which is always welcome!!

Sunday, August 31, 2008

*Senail Experiment

●擬似認知症

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今日、おもしろい実験をしてみた。
称して、「擬似認知症」。

記憶障害というのが、どういうものか
それが私にも、わかった。

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近所に、よくしゃべる女性がいる。
悪い人ではないが、話し始めると、止まらない。
その女性が、台所へおりていくと、そこにいた。
ワイフと楽しそうに会話をしていた。
お茶を飲みながら、少し離れたところに座った。

ほんとうはすぐ書斎へ戻りたかったが、その
女性に呼びとめられた。

そのときのこと。
はじめはその女性といくつか言葉を交わした。
が、そのあと私は目を閉じて、心の中で、歌を
歌い始めた。

「♪アメージング・グレイス」である。
50~60%は歌えるが、あとは
懸命に思い出しながら歌った。
もちろん口は動かさなかった。

そのとき私はその女性が何を話しているか、
よく理解できた。
そのつど、「そうだな」とか、「なるほど」と
思った。

しかし、だ。
そのあと、おもしろい現象が起きた。

その女性はそのまま帰ったが、私は私が心の中で
歌を歌っていたとき、その女性がどんな話をしたか、
まったく、思い出せなかった。

私「あのね、ぼくね、あの人が話をしているとき、
ずっと心の中で、歌を歌っていたよ」
ワ「わかっていたわ。あなた足で、リズムをとっていたから」
私「それでね、そのときは、その女性がどんな話をしていたか
よくわかったはずなんだけど、どんな話をしたか、今、
まったく思い出せないんだよ」と。

記憶というのは、(記銘)→(保持)→(想起)という3つの
プロセスを経て、脳の中に記憶として残る。
(記銘)というのは、「書き込み」のこと。
(保持)というのは、「保存する能力」のこと。
(想起)というのは、「思い出す能力」のこと。

たとえば私たちは乳幼児期の記憶について、思い出すことができない。
が、だからといって、記憶がないわけではない。
このばあい、(記銘)と(保持)はしているが、(想起)することはできないだけ。
つまり記憶はどこかに残っているのだが、それを記憶として取り出す
ことができない。

そこで今回の実験。
私はその女性が話をしている間、心の中で歌を歌っていた。
歌詞はうろ覚えだったから、懸命に思い出しながら、
それを歌っていた。

その女性の話は、私の脳には届いていた。
だからそのときは、その女性がどんな話をしているか、理解できた。
しかし私は歌を歌うことで、脳の中にその女性の話を刻まなかった。
脳の立場でいうなら、(記銘)が、阻害された。

だからその女性が帰ったあと、その女性がどんな話をしたか、
思い出せなかった。
この現象は、認知症の患者に起こる記憶障害とよく似ている(?)。

ワ「どんな話をしたのか、覚えていないの?」
私「思い出せない・・・」
ワ「あの人の叔父の話をしていたのよ。あの人の叔父がね、イタリアへ
行ってきたんだって」
私「そんな話をしていたの・・・」と。

そこで同じ実験を、今度は、ビデオを見ながらしてみた。
古いビデオを見ながら、私は、心の中で、歌を歌ってみた。
今度はよく知っている、「♪サウンド・オブ・サイレンス」にしてみた。

が、これはうまくいかなかった。
映画の字幕を読んでいたためだと思う。

つぎにワイフが何かを勝手に話し始めたときに、してみた。
夕食のあとのことだった。
私はまた心の中で、歌を歌ってみた。
「♪アメージング・グレイス」にしてみた。
そしてあの女性のときのように、目を閉じて、そうしてみた。

ワイフが何を話しているかは、理解できた。
そのときは、「そうだな」とか、「フ~ン」とか、思った。
しかししばらくしてから、ワイフの話したことを思い出そうと
してみたときのこと。
私は何も覚えていないことを知った。

実験、成功!

こうして私は、認知症の擬似体験をすることができた。

(方法)
(1) 目を閉じて、視覚的な情報を遮断すること。
(2) 相手が話しているとき、心の中で歌を歌う。あまり歌詞を知らない歌がよい。

(応用)
(1) いやな相手と話をするときは、目を閉じて、心の中で歌を歌う。
(2) 聞きたくない話を聞くときは、目を閉じて、心の中で歌を歌う。

・・・しかしこれはあくまでも実験。
実際、認知症か何かで記憶障害に悩んでいる人には、たいへん失礼な
実験かもしれない。
それはわかっている。
それにこんなことが日常的に起きている人には、たいへん深刻な
問題である。
それもわかっている。
しかしこういう実験をしてみることによって、記憶障害というのが
どういうものか、具体的に理解できる。
深刻さも理解できる。

なおこの実験のヒントをくれたのは、小学生の子どもだった。
その子どもがある日、こう教えてくれた。

「ぼくは、ママに叱られているときは、いつも心の中でポケモンの歌を
歌っている」と。
何でもそうしていると、母親に叱られても、気にならないのだそうだ。

不謹慎な応用かもしれないが、もしあなたの近くに口うるさい人が
いて、何か、小言を言い始めたら、この方法を応用してみるとよい。

記憶に残らないから、その分だけ、あとで気にしないですむ。


Hiroshi Hayashi++++++++Aug 08++++++++++はやし浩司

●北朝鮮の女スパイ

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このたび、北朝鮮の女スパイが、韓国で
逮捕された。
この日本にもたびたび、来ていたという。
与えられた任務のひとつは、脱北して
日本へ移り住んでいる人たちの住所と
名前を調べるというものだったという。
(韓国紙、報道)

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●とんでもない話!

もしこれが事実とするなら、とんでもない話である。
北朝鮮はその女スパイからの情報をもとに、北朝鮮から
逃げてきた人たちに対して、何かをするつもりだった。

中国へ逃げた人たちに対しては、拉致した上、北朝鮮へ連れ戻して
いたという事実もある。
その女スパイが関係した人たちだけでも、かなりの数になるという。

もしこんなことが実行されていたとしたら、(すでに実行された
かもしれないが)、日本は同じ過ちを繰り返すことに
なった。
日本人が北朝鮮の特殊部隊に拉致されたのは、日本政府にも責任がある。
かんたんに言えば、「日本政府がだらしないから、こういうことが起きた」。

そしてまた今度、こういう女スパイを摘発できなかったということは、
やはり、「日本政府がだらしないから」ということになる。

もちろん最大の悪は北朝鮮の金xxだが、彼の犯罪を許してしまった
日本政府にも、責任がある。
が、どうして日本政府は、こうまで甘いのか?
だらしないのか?

日本には日本の特殊な事情がある。
それはわかる。
しかし世界は、もっと別の基準で動いている。
緊張感そのものがちがう。

韓国筋の情報によると、その女スパイは、朝鮮S連の幹部とも
連絡を取りあっていたという。
(当の幹部は、「名前を使われただけ」と弁解しているが……。)
もしこれが事実なら、朝鮮S連そのものが、北朝鮮スパイ団の
中心的拠点ということになる。
(わかりきったことだが……。)

そういう団体が、堂々と日本国内で、北朝鮮から逃げてきた人たちを
拉致し、再び北朝鮮へ送り返そうとしていた。
順に考えていけば、そういうことになる。

こんなとんでもない話が、どこにある?
それにもう一言。
こんなとんでもないことに対して何もできない、だらしない国が
どこにある?

繰り返しになるが、拉致問題にしても、日本政府にも責任がある。
その責任を忘れてはいけない。

(補記)
この2~3年はないが、それ以前は、こういう記事を書くと
必ずといってよいほど、ハングル文字で書かれた抗議文が
メールで届いた。
幸いなことに、私は、朝鮮語がほとんどわからない。
さらに最近では、韓国、北朝鮮からのメールは、すべてフィルターを
かけて処理している。

「この日本が安全で自由な国だ」と、もし、あなたが思っているとしたら、
それはとんでもないまちがいである。