Education in Front-Line and Essays by Hiroshi Hayashi (はやし浩司)

(Mr.) Hiroshi Hayashi, a professional writer who has written more than 30 his own books on Education, Chinese Medical science and Religion in Japan. My web-site is: http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/ Please don't hesitate to visit my web-site, which is always welcome!!

Wednesday, August 27, 2008

*When you win, you are the Justice

【8月26日】(火曜日)

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●勝てば官軍(When you win, you are the justice)

『勝てば官軍』という。
しかし『負ければ賊軍』(?)。
「ホシノ・JAPAN」の、無様(ぶざま)な結果に、日本中ががっかり。
もともと野球というのは、スポーツというより、興行。
「力」というより、「運」に左右されやすい。
しかしここまで叩かれると、星野氏も、かわいそう……。

「北京では、選手村ではなく、最高級ホテルに宿泊。
ロクな練習もしなかった」(某ニュースサイト・解説)とか。
これに対して、当の星野氏は、「午前10時半からの試合は経験なかった」とか、
「審判もプロを出すべき」とか言って、弁解しているという(同)。
「ナイターか、空調設備のついたドームの中でしか試合をしたことがない
日本選手には、北京はきつかった」(同)ということか。

ところでオリンピックという、個人を超えた世界の大会に、「ホシノ」という個人名を
つけること自体、おかしい。
発想そのものが、権威主義的。
バカげている。
真剣みが足りない。
当の星野氏は、ベンチで立っていただけではないか。

個人名をつけるならつけるで、たとえば「イチロー・JAPAN」
「マツイ・JAPAN」と、せめて3チームぐらいはつくり、
リーグ戦をし、優勝したところを、オリンピックに出したらよい。

へたに「ホシノ」という名前をつけたものだから、裏目に出てしまった。
星野氏だけが、袋叩き……。
やっぱり、かわいそう……。


●正直な人(Honest People)

++++++++++++++++++H.Hayashi

正直な人と出会うと、気持ちがよい。
胸が、スカッとする。

少し前だが、こんな会話をしたことがある。
その人の父親が、特別養護老人センターに入居していた。
父親の年齢は、90歳だった。
その父親について、私が、「見舞いに行っていますか」と聞くと、
「もう、3か月、行ってないかなあ。いや、4か月かなあ……?」と。

見舞いに行っていないことはともかくも、そういうことを正直に言える人は、
うらやましい。
ふつうなら、(こういうケースのばあい、「ふつう」という言葉を使うのは
適切ではないかもしれないが)、少なくとも、世間体を多少なりとも気にする人は、
そういう言い方はしない。

「ええ、しばらく行っていません」とか、「ときどき行っています」とか言って、
その場をごまかす。
中には、「毎週(毎日)、行っています」などと、ウソをつく人もいる。
私は、その男性の、私にはない(?)正直さに驚いた。
驚いたというより、胸がスカッとした。

で、昨日もこんなことがあった。

その女性の実父が、アルツハイマー病になってしまったという。
年齢を聞くと、69歳という。
6年前に発病したという。

そういう話を聞くと、ツンとした緊張感が走る。
他人ごととはとても、思えない。

私「私もあぶないです」
女「先生は、だいじょうぶですよ」
私「そうですかねえ……。ときどき男と女の区別ができなくなるときがあります」
女「あら、私もそうですよ」
私「エッ、あなたもそうですか?」
女「そうなんですよ」
私「じゃあ、いっしょに風呂にはいってもだいじょうぶですね」
女「いいですね、先生。いっしょに入りましょうか」と。

もちろんたがいに冗談を言ったまで。
しかし自分の心の内を、そのままケラケラと話せる人は、すばらしい。
父親の病気は病気として、つまり病気なのだから、どうしようもない。
今では、その女性(=実の娘)の顔もわからないという。
それについては、何度も、「切ないです」と言っていたが、病気が病気だから、
あきらめるしかない。
「治療法もないそうでね」と、その女性も言っていた。。

正直に生きる。
ありのままの自分をさらけ出しながら生きる。
それは心の風通しをよくするための鉄則でもある。
もちろん何もかも、さらけ出すというのではない。
言わなくてもよいことは言わない。
しかし人は、一度、見栄、メンツ、世間体に毒されると、自分の姿を見失ってしまう。
とたん、心がよどむ。
腐る。
生き様そのものが、見苦しくなる。

さて冒頭に書いた男性だが、実はつきあうようになって、もう20年になる。
で、数日前も、こんなことがあった。

「元気?」と声をかけると、「やあ、それがね、胆石になりましてね」と。

私「胆石?」
男「痛かったですよ。本当に!」
私「そりゃあ、たいへんでしたね」
男「で、3日間、E病院で寝てましたよ」
私「E病院? どうして弟さんの病院へ行かなかったのですか?」
男「あいつは、ヤブですよ。ヤブ。あんなやつの病院へ入ったら、殺されますよ」と。

その男性の弟氏は、内科医師である。
浜松市の郊外で、医院を経営している。

私「ハハハ」
男「ハハハ」と。

正直に生きるということは、私のばあい、正直に書くということにつながる。
あとから読み直しても、自分を飾った文章ほど、不愉快なものはない。
日記にもならない。

しかし正直に書いた文章というのは、それだけで時を超えて自分の心にひびく。
ただし一言。

文に残すということは、危険なことでもある。
その人とわかるような内容は、極力、避けなければならない。
そのため2つの話を1つにまとめたり、あるいは他人の話を、自分の身内の
話にしたりというようなことは、よかある。
名前や場所、その人の職業についても、そうである。

しかしそれは(ウソ)ということではない。
どうか、誤解のないように!


++++++++++++++++++H.Hayashi

● 生きる美学(how to live, as to my own case)

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1か月分の収入に当たる損をしたら、
1か月、さらに健康で働けることを考えればよい。
半年分の収入に当たる損をしたら、
半年、さらに健康で働けることを考えればよい。

……というのが、私の人生哲学だった。

同じようなことだが、1万円の損をしたら、
2万円、どこかで取り返す。
10万円の損をしたら、20万円、どこかで取り返す。
そんなふうに考えたこともある。

若いときは、そんなわけで、がむしゃらに働いた。
いつだったか、ワイフが、「あなたはお金の亡者みたい」
と言ったことがある。
ワイフには、そう見えたかもしれない。

その私も、今では60歳。
この年齢になっても、損をすることはあっても、得をすることは
ほとんどない。
(「得」といっても、宝くじか何かに当たったような得をいうが……。)

だから今は、とにかく健康で、できるだけ今の仕事をつづけたいと
願っている。
いや、本当のところ、こうして健康でいられるだけで、御の字。
それ以上、何を望むのか?

考えてみれば、健康にまさる「得」はない。
そんなわけで今、いちばんこわいのは、病気。
順にあげてみる。

(1) 脳梗塞
(2) がん
(3) 認知症

成成人病も含めて、これらはみな、生活習慣病と言われている。
つまりその気になれば、防げる。
その鍵を握るのが、運動ということになる。
だから最近は、私はこう思う。

1日、しっかり運動をすれば、少なくとも明日1日は、健康でいられる、と。
1週間、しっかりと運動すれば、少なくとも来週1週間は、健康でいられる、と。
運動をしながらも、そんなわけで心のどこかに悲壮感が漂うになった。

富山県のT市に住むS君は、こう言った。
S君は、すでに5年近く、がんと闘っている。
「林君、転移が見つかったら、切ればいいんだよ。切ったときから、5年は生きられんだよ」と。

別の人は、手記の中で、こう書いている。
「どうせ死ぬなら、がんで死にたい。がんなら、すぐ死ぬということはないから、身のまわりの整理をすることができる」と。

私も最近、この考え方に同調するようになってきた。
「脳梗塞よりは、がんのほうがいいかな」と。

だから今は、こう考える。
「今日、脳梗塞やがんにならなかった。だから明日も、たぶん、脳梗塞やがんにはならないだろう」と。
今日の健康を、恐る恐る、明日に延ばしながら生きていく……。
いつだったか、『健康というのは、ゴムひものようなもの』と書いたことがある。
が、それはそういった思いをゴムひもにたとえたもの。

で、あとは、その健康を、どう使うかということ。
明日が今日の繰り返しだったら、意味はない。
来年が今年の繰り返しだったら、意味はない。
体力にせよ、知力にせよ、不可逆的に悪くなる。
今よりよくなるなどということは、ありえない。
だったら、今日できることは、今日、する。
今できることは、今、する。

たいていの人は、(私もそうだが)、「明日は何かいいことがあるだろう」
「来月は何かいいことがあるだろう」と考える。
しかし実際には、(いいこと)よりも、(悪いこと)が起きる確率のほうが高い。
だれしも長生きをしたいと思っているが、長生きすればそれでよいというものでもない。

大切なのは、「今を、どう生きるか」である。
1日は、この言葉に始まって、この言葉に終わる。
結果は気にしない。
今日1日を懸命に生きれば、明日はかならず、やってくる。
(そのとき)がきても、ジタバタしない。
(ジタバタしないという自信はないが。そのとき、できるだけ後悔しないよう、つまりやり残した思いをもたないよう、今というときを、燃焼させる。)

もし「生きる美学」というものがあるとするなら、それが私にとっての美学ということになる。

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 生きる美学 林流生きる美学)