Education in Front-Line and Essays by Hiroshi Hayashi (はやし浩司)

(Mr.) Hiroshi Hayashi, a professional writer who has written more than 30 his own books on Education, Chinese Medical science and Religion in Japan. My web-site is: http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/ Please don't hesitate to visit my web-site, which is always welcome!!

Wednesday, August 27, 2008

*My Home Town

●故郷(My Home Town, M-city, Gifu-pref.)

++++++++++++++++++H.Hayashi

私の故郷については、たびたび書いてきた。
悪口ばかり書いてきた。
が、だからといって、それは私の個人的な意見。
どこまでも個人的な意見。

いつだったからある週刊誌で、日本でいちばん住みやすい町として、
私の故郷が選ばれたことがある。

そのときは「そんなバカな!」と思ったが、冷静になって見つめなおしてみると、
そうかもしれない。
よい町かもしれない。
ほとんどの人は、M町は、すばらしい町と思っている。
それはそれとして、尊重しなければならない。
私のもっている意見のほうが、おかしい(?)。

私には、そうではなかったというだけ。
たとえば私は、いつもあの町には、息苦しさを覚えていた。
低いが四方を山に囲まれ、小さな家々が軒を並べていた。
古い因習や文化も色濃く残っていた。

そこに住む人たちは、明らかに進歩的というよりも保守的、
新しいものよりも、古いものを大切にしていた。
が、何よりも私にとって不愉快だったのは、M町の人たちが、
自分たちこそが、世界の中心にいるような考え方をしていたこと。

外の世界から異文化が入ってくるのを、何よりも嫌った(?)。

こんなことがあった。

歌手に野口五郎という人がいる。
本名を佐藤Y氏という。
野口五郎の実家は、私の家からも歩いて5分足らず。
伯父の家からは、目と鼻の先。
歩いて数十メートルというところであった。

その野口五郎が、一躍、日本の大歌手になったとき、私はそれを
たいへん喜んだ。
彼の兄とは、中学時代、いっしょにコーラス部で歌を歌っていたこともある。

その当時のこと。
ときどきM町へ帰ると、町の様子は一変していた。
町中が若い女性たちで、ごったがえしていた。
野口五郎の町や生家を一目見ようという、ファンの人たちだった。

が、驚いたことに、いちばん反応を示さなかったのが、実はM町の
人たちだった。
私が市長なら、イのいちばんに野口五郎に、町興しのために働いてもらっただろう。
しかしM町の人たちは、不思議なほど冷静だった。
むしろ反対に、野口五郎に対して、「出て行った人間」というレッテルを張っている人も
いた。
あのM町では、昔から、「出て行った人間」を、半ば軽蔑する。
何しろここにも書いたように、M町は世界の中心!
私はM町のもつ、閉鎖性、独善性、うぬぼれ意識に驚いた。
(今でも野口五郎にまつわる銅像はおろか、その記録さえ、
町の中には、まったく残っていない!)

さらにしばらくすると、今度は海部(かいふ)という名前の首相が誕生した。
海部首相の妻は、私の実家の近くの、薬局の娘だった。
その弟とは、子どものころ、よくいっしょに遊んだ。
そのときも、同じような経験をした。
そして同じように思った。

「M町の人たちは、世界を見ようともしない」
「小さな井戸の中だけで生きている」と。

……またまたM町の悪口を書いてしまったが、
死んだ兄のことで、あれこれと事務手続きが必要になった。
それで今日、故郷のM町へ行ってきた。

++++++++++++++++++H.Hayashi

兄の貯金通帳に、○○円の残があった。
葬儀費用として引き出すためには、1か月以内に、
手続きをすまさねばならない。
それでM町へ行ってきた。

今、この原稿は、帰りの電車の中で書いている。
名鉄電車、新岐阜発、豊橋行き。
ワイフは先ほどから、頭痛がするといって、目を閉じている。

そのM町。
いつ来ても、いやな町だ(ごめん!)。
一応観光地ということになっているが、町全体が、
暗く沈んでいる(ごめん!)。
帰りに少し時間があったので、町中のレストランで、
xx定食なるものを食べた。

しかし、まずかった(ごめん!)。
とくにx肉が、生(なま)調理ぽかった。
値段も高い。……というより、一人前。
やる気なさそうな年配の女性が、ずっと鼻先の脂汗を指で
こすっていた。
テーブルも、手垢で汚れていた。
きざんだキャベツの横に、ひとつかみのマカロニが置いてあったが、
一口食べただけで、ゲーッ!

「今どき、こういうレストランがあるんだね」と、小声でワイフが言った。
しかしそのM町では、何もかもがそう。
40年前から、時計は止まったまま。
町はそれでよいとしても、そこに住む人たちの意識は、どうなのか。
それを想像したとき、正直言って、ゾーッとした(ごめん!)。

もし私が、あのままM町に住んでいたら、私は、今ごろは、
あの町の人たちと同じになっていただろう。
今の私とはまったくちがった生き方をしていただろう。
考え方にしても、そうだ。
ゾーッとしたのは、そこに今とはまったく別の自分を想像したからにほかならない。

それこそあの年配の女性のように、客の前で、鼻先の脂汗を指で
こすりながら、それを何とも思わないような人生を送っているに
ちがいない(ごめん!)。

「食」を売るというのなら、それなりのプロ根性をもたねばならない。
スーパーで買ってきたようなxxを、電子レンジで温めただけ。
あるいは作り置きしていたxxを、サッと、調理しなおしただけ。
私には、そんな感じがした。

だいたい、こうしたxx定食屋で、xxを店の奥の、客の見えないところで
調理するというところが、おかしい。
M町の人たちは、それでだませるとしても、私をだますことはできない。

「古い町」と言えば聞こえはまだよいが、中身は、未成熟なまま。
進歩をそこで止めてしまっている。
世界を知らない人というのは、そういう人たちをいう。

もちろんM町には、M町としての、よい面もある。
それは知っている。
のんびりと余生を過ごすには、よい町かもしれない。
しかし私はまだまだ前向きに生きていきたい。
だからワイフには、先ほど、こう言った。

「ぼくは死んでも、この町にはもどりたくない」と。

……とまあ、ひどいことを書いてしまったが、M町がこれから
発展するためには、どうしたらよいか、それを考えてみたい。

●M町のために

観光地として生き残りたいのなら、一度、滋賀県の長浜の町を見てきたらよい。
長浜の町では、若い人たちが、率先して町興しに取り組んでいる。
が、M町には、それがない。
若い人たちの「力」を感じないばかりか、反対に長老たちの「古臭さ」ばかりが目立つ。
「古い町」イコール、「老人の町」であってはいけない。

それに問題なのは、交通アクセスの問題。

長浜のばあいは、JR長浜駅のすぐそば。
若い人たちが、大阪や京都から電車で、ゾロゾロとやってくる。
そして一通り遊んだあとは、またゾロゾロと帰っていく。
同じような光景を、京都の嵐山でも見た。

が、M町のばあいは、岐阜からでも、車で30~40分はかかってしまう。
奥に、郡上八幡、さらにその奥に白川郷がある。
ひるがの高原もある。
隣には、「刃物の町」と知られる、関市がひかえている。
しかし郡上八幡と比較しても、観光地としては、見劣りがする。
つまり中途半端。

おまけに人を集めるための「目玉」がない。
同じ和紙の町で人を集めている山口県の萩市は、森鴎外の故郷としても、知られている。
森鴎外の生家がそのまま残っている。

この中途半端さをなくすためには、徹底した差別化をしなければならない。
が、そのためには、アイデアが必要。
町の人たちに江戸時代や明治時代の衣装を着てもらうとか、ちょんまげを結ってもらうとか。
刀をさして酒を飲む武士の姿があってもよい。
そうした衣装を、町は希望者に、無料で貸し出す……。

それにM町は「和紙の町」ということになっているが、何も和紙にこだわる必要はない。
長浜のばあい、町の中心部にあるのは、ガラス工芸館である。
ひょうたんだけを売っている店もある。
和紙だけで、人を集めるのは、魅力不足というより、不可能。
若い人たちは、和紙にたいして、ほとんどなじみがない。

惜しまれるのは、「チンチン電車」と呼ばれる、あの路面電車を廃止したこと。
今、もしあのチンチン電車が、旧M駅から、市内に向かって、数百メートルだけでも走っていたら、今ごろは、全国から観光客が押し寄せているかもしれない。
岐阜市ですら、チンチン電車を廃止してしまったのだから……。

さらに言えば、やっとやってきた観光客にしても、お金を使う場所がない。
つまり町の中に、お金を落としていかない。
先ほども書いたように、「和紙」だけでは、若い人は集まらない。

古い町並みも結構だが、そこに若い人たちの息吹がなければ、ただの古い町で終わってしまう。

今日もM町の中を、歩いてみた。
どの店も、客もなく、静まりかえっていた。
通りに、人影さえ見られなかった。
もちろん町を見て歩く観光客は、私たち2人をのぞけば、ゼロ。
ほとんどの商店は、シャッターをおろしたまま。
観光地としての「やる気」を、まったく感じなかった。

「どうして野口五郎の歌碑がないのだ!」と叫んだところで、M町の話はおしまい。
野口五郎とは比較にならないが、私自身も、「町を出た人間」。
私などのような者の意見に耳を傾けるような人は、M町にはいない。