Education in Front-Line and Essays by Hiroshi Hayashi (はやし浩司)

(Mr.) Hiroshi Hayashi, a professional writer who has written more than 30 his own books on Education, Chinese Medical science and Religion in Japan. My web-site is: http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/ Please don't hesitate to visit my web-site, which is always welcome!!

Sunday, August 31, 2008

*We like you, Shingo Yamashiro!

●8月30日(土曜日)

●山城新伍のこと(がんばれ、山城新伍!)

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昨日、俳優の山城新伍のことを書いた。
若い人たちは知らないかもしれないが、団塊の世代につづく、つぎの世代の人たちの間では、絶大な人気があった。
『白馬童子』という名前を知らない人はいない。

実は私も、山城新伍のファン。
飾り気のない、あの毒舌が好きだった。
ちょっと、(あるいは、かなり)、スケベぽい俳優だったが、憎めなかった。

その山城新伍は、現在、特別養護老人ホームに入居しているという。
69歳という。
糖尿病の悪化で、体が不自由になったらしい。
「週刊B春」誌によれば、悪化し始めたのは、離婚問題がこじれた10年ほど前からという。
逆算すると、現在の私の年齢ということになる。
だから、よけいに山城新伍のことが気になる。

どうしてだろう?
どうしてこうも、気になるのだろう?

山城新伍という俳優は、世俗的な見方をすれば、大成功者(?)ということになる。
収入にしても、私たち庶民とは、2桁はちがう。(……と思う。)
ああいう人たちは、私たちが1万円稼ぐような場面で、100万円単位のお金を稼ぐ。
交友関係も広い。
そういう大成功者でも、現在は、「昔のマネージャーと弟氏が、2か月に一度くらい面会に来る程度」(同誌)という。
本人もリハビリをつづけているとはいうが、「治る見込みもない」「そっとしておいてほしい」(同誌)とのこと。

ファンの1人としては、「がんばって復帰してほしい」ということになるが、同時に、「長い間、ごくろうさん」という気持ちもある。

山城新伍とは比較にならないが、現在の山城新伍の姿は、10年後、あるいは20年後の私自身の姿いうことになる。

その山城新伍のことを思い浮かべながら、「人生って、こういうものかなあ」と思う。
「こういうものであったいいのかなあ」とも思う。
言いかえると、「人生って、何なのか」とも。

あるいはこうは考えられないだろうか。

山城新伍の人生を、誕生のときと今のときを、一本の線でつなぐなら、その間の人生は幻のようなもの、と。
ひょっとしたら、私たちは、この光と、分子の織り成す世界で、踊らされているだけかもしれない。
もともと価値のないものを価値あるものと信じ、価値のあるものを、価値のないものと思い込んでいる。
マスコミの世界では、とくにそうだ。

こうした世界を、「夢」と表現する人も多い。
日蓮もそう言ったし、織田信長も、そう言った。
実体があるようで、その実、実体がない。
「私」にしても、どこからどこまで私で、またどこから先が私でないかも、わからない。

が、意識そのものがズレているから、それにすら気づくこともない。
だからといって、山城新伍の人生が無駄だったとか、そういうことを
言っているのではない。
私たち自身もまた、程度の差こそあれ、山城新伍と同じことをしているということ。

山城新伍は、私よりもはるかにダイナミックな人生を歩んできた。
しかし老後を迎えた今、そこに待っていたのは、『恍惚の世界』だった。
有吉佐和子の言葉を借りるまでもなく、こんな皮肉なことがあるのだろうか。
「長い人生を営々と歩んで来て、その果てに老もうが待ち受けているとしたら、人間は何のために生きたことになるのだろう」(有吉佐和子「恍惚の人」)と。

では、どうすればよいのか。
どうすれば「夢」を夢と気づき、どうすればその「夢」から自分を
解放することができるか。

それについては、私は、「ゴールのない旅のようなもの」と思っている。
老後はだれしも避けられないものであり、夢から自分を解放することはできない。
が、老後になっても、何かの希望をもち、その希望に向かって生きていくことができる。

ゴールできないからといって、あきらめてはいけない。
つねに旅をすることこそ、重要。
けっして立ち止まってはいけない。
死ぬまで、歩きつづける。

釈迦はそれを『精進』という言葉を使って説明した。
それは健康論に似ている。
究極の健康論などというものは、ない。
日々に努力をしてはじめて、健康というのは維持できる。
その努力をやめたとたん、健康は下り坂に向かう。

で、私自身は、『怪傑ハリマオ』や、『月光仮面』の世代である。
『鉄腕アトム』や、『鉄人28号』、さらには『赤胴鈴之助』の世代である。
しかしその結果、今の私があるとしても、あの世界は、「夢」だったのかもしれない。

山城新伍にしても、そうだ。
『白馬童子』で世に出たが、その流れの中で、踊らされただけ。
むしろ現在の山城新伍のほうが、(本物)かもしれない。

週刊B春誌によれば、こうある。

「……こちらではどんな生活をされているのですか」という質問に対して、「週末なんかは、みんなでパーティをやったりね。まあ、楽しいってことはないけれど、皆さんと明るく交流はしていますよ。ここでは『山城新伍がいる』なんて言う人は、だれもおらんから。ここが終(つい)の棲家(すみか)ですよ」と。

山城新伍は、与えられた世界を受け入れ、その世界で、今、懸命に生きようとしている。
ひょっとしたら、山城新伍は、その世界で、本当の「私」を発見しつつあるのかもしれない。
山城新伍という俳優が、ますます好きになった。
芸能界に復帰したら、私はまっさきに、彼を応援する。

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(補記)
まとまりのない文章で、すみません。
私もこうした問題になると、どう考えたらよいのか、よくわかりません。
仮に70歳まで元気で生きたとしても、あるいは80歳まで元気で生きたとしても、その先で待っているのは、『恍惚の世界』(有吉佐和子)。
できるだけ長く、元気で生きたいとは思ってはいますが、無益に10年、生きながらえたとして、それにどういう意味があるというのでしょうか。
20年でも、同じです。

遅かれ早かれ、どうせ老後はやってきます。

大切なのは、「長く生きる」ことではなく、「どう深く生きるか」ということなのですね。
あとはその目標に向かって生きるだけ。
がんばるだけ。
その先に何があるか、本当のところ、私にもわかりません。


Hiroshi Hayashi++++++++Aug 08++++++++++はやし浩司

●「何を言いたいのか、さっぱり、わかりません」

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先日、私のBLOG(Yブログ)に、こんなコメントが寄せられていた。
「あなたの書いている文を読んでも、意味がわかりません。何を言いたいのか、それもさっぱり、わかりません」と。

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文の感じからして、若い女性のコメントだと思う。
事実、そのとおりだから、反論の使用がない。

で、私はそのコメントを読んだあと、その女性がコメントをつけた自分の記事を読みなおしてみた。
時代は変わっても、それぞれの世代に人たちがすることは、似たようなものという内容のものだった。
たとえば流行についても、私たちは私たちの時代で、流行を追った。
今の若い人たちから見れば、かび臭い流行だったかもしれないが、それでも流行だった。
同じように、今の若い人たちが追いかけている流行にしても、つぎの世代の人たちは、同じようにいつか、かび臭く思うだろう。
つまり中身はちがっても、やっていることは同じ。
時代ごとに、みな、それを繰り返しているだけ、と。

が、その人は、それについて、「理解できない」と。

私は何度も自分の書いた文章を読みなおしながら、「どこに問題があるのだろう」と考えた。
私は自分なりに、わかりやすく、読みやすい文章を考えて書いているつもりである。
しかしそう思っているのは、私だけ(?)。
このところ頭のサエも、鈍ってきた。
その分だけ、文章がまとまらなくなってきた。

言うまでもなく、文章というのは、人に読んでもらってはじめて、命を得る。
これを段階的にチャート化すると、こうなる。

(1) 読んでもらう。
(2) 理解してもらう。
(3) 賛同してもらう。

読んでもらえるだけでも、感謝。
理解してもらえれば、うれしい。
賛同してもらうということは、ほとんど期待していない。

そこで私はこう決心した。
これからは、若い女性にももっと理解してもらえるような文章を書こう、と。
「理解できないのは、君たちのほうに原因がある」などという、高慢な気持ちはもってはいけない。

では、どうすればよいのか。

私はこの文章もそうだが、こんなことに注意している。

(1)句読点をふやしている。(2)1文ずつ、改行している。(3)1文を、できるだけ短くしている。(4)できるだけ漢字を使わないようにしている。(5)難解な言葉を、使わないようにしている、などなど。

あとは、(6)具体的なエピソードを多くし、(7)読者の人に楽しんでもらえるようにしている。

読者の人あっての、文章である。
私はそのコメントを読んで、改めて、それを肝に銘じた。


Hiroshi Hayashi++++++++Aug 08++++++++++はやし浩司

●異変? 少なくなったスズメ!

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今年、私の家の庭にやってくるスズメの数が、
激減している。

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例年だと、数10羽単位の群れが、ときに2つ、3つ
とやってくるのだが、今年は、やってきても、5、6羽。
ときおりやってきて、あとは閑散としている。

夏前には、子連れのスズメもやってきたが、それでも
10組とか20組程度?

そのため与える餌の量も、ぐんと減った。
例年だと、近くの農協で、20キロ入りの飼料が、春先から夏までに
2、3袋、必要だった。
今年はまだ、1袋が、3分の1も残っている。

「どこかで、だれかが、スズメを殺している」と、私は思っている。
だれとは言わないが、スズメを害鳥と思っている人は多い。
とくに秋の米の収穫時にはそうだろう。

それはわかるが、その時期をのぞけば、スズメは、益鳥である。
農作物に害を与える害虫を、食べてくる。

これは私の邪推かもしれないが、もしどこかでスズメを殺して
いる人がいたら、どうかそういうことはやめてほしい。

そうでなくても野鳥の住む区域が、どんどんと狭くなっている!