*Where does our desire come from?
●マズローの欲求段階説を参考に
【より高い人間性を求めて】(1)
今日も、昨日と同じ。明日も、今日と同じ……というのであれば、私たちは人間として生きることはできない。
そこで「より高い人間として生きるためには、どうしたらよいか」。それについて、A・H・マズローの、「欲求段階説」を参考に、考えてみる。マズローは、戦時中から、戦後にかけて活躍した、アメリカを代表する心理学者であった。アメリカの心理学会会長も歴任している。
●第1の鉄則……現実的に生きよう
しっかりと、「今」を見ながら、生きていこう。そこにあるのは、「今という現実」だけ。その現実をしっかりと見つめながら、現実的に生きていこう。
●第2の鉄則……あるがままに、世界を受けいれよう
私がここにいて、あなたがそこにいる。私が何であれ、そしてあなたが何であれ、それはそれとして、あるがままの私を認め、あなたを認めて、生きていこう。
●第3の鉄則……自然で、自由に生きよう
ごく自然に、ごくふつうの人として、当たり前に生きていこう。心と体を解き放ち、自由に生きていこう。自由にものを考えながら、生きていこう。
●第4の鉄則……他者との共鳴性を大切にしよう
いつも他人の心の中に、自分の視点を置いて、ものを考えるようにしよう。他人とのよりよい人間関係は、それ自体が、すばらしい財産と考えて、生きていこう。
●第5の鉄則……いつも新しいものを目ざそう
過去や、因習にとらわれないで、いつも新しいものに目を向け、それに挑戦していこう。新しい人たちや、新しい思想を受けいれて、それを自分のものにしていこう。
●第6の鉄則……人類全体のことを、いつも考えよう
いつも高い視野を忘れずに、地球全体のこと、人類全体のことを考えて、生きていこう。そこに問題があれば、果敢なく、それと戦っていこう。
●第7の鉄則……いつも人生を深く考えよう
考えるから人は、人。生きるということは、考えること。どんなささいなことでもよいから、それをテーマに、いつも考えながら生きていこう。
●第8の鉄則……少人数の人と、より深く交際しよう
少人数の人と、より深く交際しながら生きていこう。大切なことは、より親交を温め、より親密になること。夫であれ、妻であれ、家族であれ、そして友であれ。
●第9の鉄則……いつも自分を客観的に見よう
今、自分は、どういう人間なのか、それを客観的に見つめながら、生きていこう。方法は簡単。他人の視点の中に自分を置き、そこから見える自分を想像しながら生きていこう。
●第10の鉄則……いつも朗らかに、明るく生きよう
あなたのまわりに、いつも笑いを用意しよう。ユーモアやジョークで、あなたのまわりを明るくして生きていこう。
(はやし浩司 マズロー 欲求段階説 高い人間性)
【より高い人間性を求めて】(2)
人格論というのは、何度も書いているが、健康論に似ている。日々に体を鍛錬することによって、健康は維持できる。同じように、日々に心を鍛錬することによって、高い人間性を維持することができる。
究極の健康法がないように、究極の精神の鍛錬法などというものは、ない。立ち止まったときから、その人の健康力は衰退する。人間性は衰退する。
いつも前向きに、心と体を鍛える。しかしそれでも現状維持が、精一杯。多くの人は、加齢とともに、つまり年をとればとるほど、人間性は豊かにななっていくと誤解している。しかしそんなことはありえない。ありえないことは、自分が、その老齢のドアウェイ(玄関)に立ってみて、わかった。
ゆいいつ老齢期になって、新しく知ることと言えば、「死」である。「死の恐怖」である。つまりそれまでの人生観になかったものと言えば、「死」を原点として、ものを考える視点である。「生」へのいとおしさというか、それが、鮮明にわかるようになる。
そうした違いはあるが、しかし、加齢とともに、知力や集中力は、弱くなる。感性も鈍くなる。問題意識も洞察力も、衰える。はっきり言えば、よりノーブレインになる。
ウソだと思うなら、あなたの周囲の老人たちを見ればわかる。が、そういう老人たちが、どうであるかは、ここには書けない。書けないが、あなたの周囲には、あなたが理想と考えることができるような老人は、いったい、何人いるだろうか。
せっかくの命、せっかくの人生、それをムダに消費しているだけ。そんな老人の、何と、多いことか。あなたはそういう人生に、魅力を感ずるだろうか。はたしてそれでよいと考えるだろうか。
マズローは、「欲求段階説」を唱え、最終的には、「人間は自己実現」を目ざすと説いた。人間は、自分がもつ可能性を最大限、発揮し、より人間らしく、心豊かに生きたいと願うようになる、と。
問題は、どうすれば、より人間らしく、心豊かに生きられるか、である。そこで私はマズローの「欲求段階説」を参考に、10の鉄則をまとめてみた。
++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司
+++++著作権BYはやし浩司++++++copy right by Hiroshi Hayashi
最前線の子育て論byはやし浩司(444)
【人間らしく生きるための、10の鉄則】(マズローの「欲求段階説」を参考にして)
●第1の鉄則……現実的に生きよう
●第2の鉄則……あるがままに、世界を受けいれよう
●第3の鉄則……自然で、自由に生きよう
●第4の鉄則……他者との共鳴性を大切にしよう
●第5の鉄則……いつも新しいものを目ざそう
●第6の鉄則……人類全体のことを、いつも考えよう
●第7の鉄則……いつも人生を深く考えよう
●第8の鉄則……少人数の人と、より深く交際しよう
●第9の鉄則……いつも自分を客観的に見よう
●第10の鉄則……いつも朗らかに、明るく生きよう
著作権BYはやし浩司++++++copy right by Hiroshi Hayashi+++++
●マズローの欲求段階説
昨日、「マズローの欲求段階説」について書いた。その中で、マズローは、現実的に生きることの重要性をあげている。
しかし現実的に生きるというのは、どういうことか。これが結構、むずかしい。そこでそういうときは、反対に、「現実的でない生き方」を考える。それを考えていくと、現実的に生きるという意味がわかってくる。
現実的でない生き方……その代表的なものに、カルト信仰がある。占い、まじないに始まって、心霊、前世、来世論などがもある。が、そういったものを、頭から否定することはできない。
ときに人間は、自分だけの力で、自分を支えることができなくことがある。その人個人というよりは、人間の力には、限界がある。
その(限界)をカバーするのが、宗教であり、信仰ということになる。
だから現実的に生きるということは、それ自体、たいへんむずかしい、ということになる。いつもその(限界)と戦わねばならない。
たとえば身近の愛する人が、死んだとする。しかしそのとき、その人の(死)を、簡単に乗り越えることができる人というのは、いったい、どれだけいるだろうか。ほとんどの人は、悲しみ、苦しむ。
いくら心の中で、疑問に思っていても、「来世なんか、ない」とがんばるより、「あの世で、また会える」と思うことのほうが、ずっと、気が楽になる。休まる。
現実的に生きる……一見、何でもないことのように見えるが、その中身は、実は、奥が、底なしに深い。
●あるがままに、生きる
ここに1組の、同性愛者がいたとする。私には、理解しがたい世界だが、現実に、そこにいる以上、それを認めるしかない。それがまちがっているとか、おかしいとか言う必要はない。言ってはならない。
と、同時に、自分自身についても、同じことが言える。
私は私。もしだれかが、そういう私を見て、「おかしい」と言ったとする。そのとき私が、それをいちいち気にしていたら、私は、その時点で分離してしまう。心理学でいう、(自己概念=自分はこうであるべきと思い描く自分)と、(現実自己=現実の自分)が、分離してしまう。
そうなると、私は、不適応障害を起こし、気がヘンになってしまうだろう。
だから、他人の言うことなど、気にしない。つまりあるがままに生きるということは、(自己概念)と、(現実自己)を、一致させることを意味する。が、それは、結局は、自分の心を守るためでもある。
私は同性愛者ではないが、仮に同性愛者であったら、「私は同性愛者だ」と外に向って、叫べばよい。叫ぶことまではしなくても、自分を否定したりしてはいけない。社会的通念(?)に反するからといって、それを「悪」と決めつけてはいけない。
私も、あるときから、世間に対して、居なおって生きるようになった。私のことを、悪く思っている人もいる。悪口を言っている人となると、さらに多い。しかし、だからといって、それがどうなのか? 私にどういう関係があるのか。
あるがままに生きるということは、いつも(自己概念)と、(現実自己)を、一致させて生きることを意味する。飾らない、ウソをつかない、偽らない……。そういう生き方をいう。
●自然で自由に生きる
不規則がよいというわけではない。しかし規則正しすぎるというのも、どうか? 行動はともかくも、思考については、とくに、そうである。
思考も硬直化してくると、それからはずれた思考ができなくなる。ものの考え方が、がんこになり、融通がきかなくなる。
しかしここで一つ、重要な問題が起きてくる。この問題、つまり思考性の問題は、脳ミソの中でも、CPU(中央演算装置)の問題であるだけに、仮にそうであっても、それに気づくことは、まず、ないということ。
つまり、どうやって、自分の思考の硬直性に、気がつくかということ。硬直した頭では、自分の硬直性に気づくことは、まず、ない。それ以外のものの考え方が、できないからだ。
そこで大切なのは、「自然で、自由にものを考える」ということ。そういう習慣を、若いときから養っていく。その(自由さ)が、思考を柔軟にする。
おかしいものは、「おかしい」と思えばよい。変なものは、「変だ」と思えばよい。反対にすばらしいものは、「すばらしい」と思えばよい。よいものは、「よい」と思えばよい。
おかしなところで、無理にがんばってはいけない。かたくなになったり、こだわったりしてはいけない。つまりは、いつも心を開き、心の動きを、自由きままに、心に任せるということ。
それが「自然で、自由に生きる」という意味になる。
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