Education in Front-Line and Essays by Hiroshi Hayashi (はやし浩司)

(Mr.) Hiroshi Hayashi, a professional writer who has written more than 30 his own books on Education, Chinese Medical science and Religion in Japan. My web-site is: http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/ Please don't hesitate to visit my web-site, which is always welcome!!

Sunday, November 23, 2008

*Hideyo Noguchi's Mother

【野口英世の母】

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親子の間の依存性を考えるテーマとして、
野口英世の母をあげてみます。

02年に書いた原稿です。
どこか過激かな(?)と思う部分も
ないわけではありませんが、
もう一度、ここに掲載してみます。

野口英世の母は、ほんとうにすばらしい
母親であったのか?

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●母シカの手紙

 2004年に新千円札が発行されるという。それに、野口英世の肖像がのるという。そういう人物の母親を批判するのも、勇気がいることだが、しかし……。

 野口英世が、アメリカで研究生活をしているとき、母シカは、野口英世にあてて、こんな手紙を書いている。

 「おまイの しせにわ みなたまけました……(中略)……はやくきてくたされ いつくるトおせてくたされ わてもねむられません」(1912年(明治四五年)1月23日)(福島県耶麻郡猪苗代町・「野口英世記念館パンフレット」より)

 この母シカの手紙について、「野口英世の母が書いた手紙はあまりにも有名で、母が子を思う気持ちがにじみ出た素晴らしい手紙として広く知られています」(新鶴村役場・企画開発課パンフ)というのが、おおかたの見方である。母シカは、同じ手紙の中で、「わたしも、こころぼそくありまする。どうかはやくかえってくだされ……かえってくだされ」と懇願している。
 これに対して、野口英世は、1912年2月22日に返事を書いている。「シカの家の窮状や帰国の要請に対して、英世としてはすぐにも帰国したいが、世界の野口となって日本やアメリカを代表している立場にあるのでそれもかなわないが、家の窮状を解決することなどを切々と書いています」(福島県耶麻郡猪苗代町・野口英世記念館)ということだそうだ。

 ここが重要なところだから、もう一度、野口英世と母シカのやり取りを整理してみよう。

 アメリカで研究生活をしている野口英世に、母シカは、(1)そのさみしさに耐えかねて、手紙を書いた。内容は、(2)生活の窮状を訴え、(3)早く帰ってきてくれと懇願するものであった。

 それに対して野口英世は返事を書いて、(1)「日本とアメリカを代表する立場だから、すぐには帰れない」、(2)「帰ったら、窮状を打開するため、何とかする」と、答えている。

しかし、だ。いくらそういう時代だったとはいえ、またそういう状況だったとはいえ、親が子どもに、こんな手紙など書くものだろうか。それがわからなければ、反対の立場で考えてみればよい。あなたのところにある日、あなたの母親から手紙が届いた。それには切々と、家の窮状を訴え、ついで「帰ってきてくれ」と書いてあったとする。もしあなたがこんな手紙を手にしたら、あなたはきっと自分の研究も、落ちついてできなくなってしまうかもしれない。

●ベタベタの依存心

 日本人は子育てをしながら、無意識のうちにも、子どもに恩を着せてしまう。「産んでやった」「育ててやった」と。一方、子どもは子どもで、やはり無意識のうちにも、「産んでもらった」「育ててもらった」と、恩を着せられる。たがいにベタベタの依存心で、もちつもたれつの関係になる。そういう子育てを評して、あるアメリカ人の教育家は、こう言った。「日本人ほど、子どもに依存心をもたせることに無頓着な民族はいない」と。

 そこでもう一度、母シカの手紙を読んでみよう。母シカは、「いつ帰ってくるか、教えてください。私は夜も眠られない。心細いので、早く帰ってきてください。早く帰ってきてください」と。

 この手紙から感ずる母シカは、人生の先輩者である親というより、子離れできない、未熟な親でしかない。親としての尊厳もなければ、自覚もない。母シカがそのとき、病気か何かで伏せっていたのならまだしも、母シカがそうであったという記録はどこにもない。事実、野口英世記念館には、野口英世がそのあと帰国後にとった写真が飾ってあるが、いっしょに写っている母シカは、どこから見ても元気そうである。

 ……と書くと、猛反発を買うかもしれない。先にも書いたように、「母が子を思う気持ちがにじみ出た素晴らしい手紙」というのが、日本の通説になっているからである。いや、私も昔、学生のころ、この話を何かの本で読んだときには、涙をこぼした。しかし今、自分が親になってみると、この考え方は変わった。それを話す前に、自分のことを書いておく。

●私のこと

 私は23、4歳のときから、収入の約半分を、岐阜県の実家に仕送りしてきた。今のワイフといっしょに生活するようになったころも、毎月3万円の仕送りを欠かしたことがない。大卒の初任給が6~7万円という時代だった。が、それだけではない。

母は私のところへ遊びにきては、そのつど私からお金を受け取っていった。長男が生まれたときも、母は私たちの住むアパートにやってきて、当時のお金で20万円近くをもって帰った。母にしてみれば、それは子どもとしての当然の行為だった。(だからといって、母を責めているのではない。それが当時の常識だったし、私もその常識にしばられて、だれに命令されるわけでもなく、自らそうしていた。)

しかしそれは同時に、私にとっては、過大な負担だった。私が27歳ごろのときから、実家での法事の費用なども、すべて私が負担するようになった。ハンパな額ではない。土地柄、そういう行事だけは、派手にする。たいていは近所の料亭を借りきってする。その額が、20~30万円。そのたびに、私は貯金通帳がカラになったのを覚えている。

 そういう母の、……というより、当時の常識は、いったい、どこからきたのか。これについてはまた別のところで考えることにして、私はそれから生ずる、経済的重圧感というよりは、社会的重圧感に、いやというほど、苦しめられた。「子どもは親のめんどうをみるのは当たり前」「子どもは先祖を供養するのは当たり前」「親は絶対」「親に心配かける子どもは、親不孝者」などなど。

私の母が、私に直接、それを求めたということはない。ないが、間接的にいつも私はその重圧感を感じていた。たとえば当時のおとなたちは、日常的につぎのような話し方をしていた。「あそこの息子は、親不孝の、ひどい息子だ。正月に遊びにきても、親に小遣いすら渡さなかった」「あそこの息子は、親孝行のいい息子だ。今度、親の家を建て替えてやったそうだ」と。それは、今から思えば、まるで真綿で首をジワジワとしめるようなやり方だった。

 こういう自分の経験から、私は、自分が親になった今、自分の息子たちにだけは、私が感じた重圧感だけは感じさせたくないと思うようになった。よく「林は、親孝行を否定するのか」とか言う人がいある。「あなたはそれでも日本人ですか」と言ってきた女性もいた。しかしこれは誤解である。誤解であることをわかってほしかったから、私の過去を正直に書いた。
 
●本当にすばらしい手紙?

 で、野口英世の母シカについて。私の常識がおかしいのか、どんな角度から母シカの手紙を読んでも、私はその手紙が、「母が子を思う気持ちがにじみ出た素晴らしい手紙」とは、思えない。そればかりか、親ならこんなことを書くべきではないとさえ、思い始めている。そこでもう一度、母シカの気持ちを察してみることにする。

 母シカは野口英世を、それこそ女手ひとつで懸命に育てた。当時は、私が子どものころよりもはるかに、封建意識の強い時代だった。しかも福島県の山村である。恐らく母シカは、「子どもが親のめんどうをみるのは当たり前」と、無意識であるにせよ、強くそれを思っていたに違いない。

だから親もとを離れて、アメリカで暮らす野口英世そのものを理解できなかったのだろう。文字の読み書きもできなかったというから、野口英世の仕事がどういうものかさえ、理解できなかったかもしれない。一方、野口英世は野口英世で、それを裏返す形で、「子どもが親のめんどうをみるのは当たり前」と感じていたに違いない。野口英世が母シカにあてた手紙は、まさにそうした板ばさみの状態の中から生まれたと考えられる。

 どうも、奥歯にものがはさまったような言い方になってしまった。本当のところ、こうした評論のし方は、私のやり方ではない。しかし野口英世という、日本を代表する偉人の、その母親を批判するということは、慎重の上にも、慎重でなければならない。現に今、その母シカをたたえる団体が存在している。母シカを批判するということは、そうした人たちの神経を逆なですることにもなる。だからここでは、私は結論として、つぎのようにしか、書けない。

 私が母シカなら、野口英世には、こう書いた。「帰ってくるな。どんなことがあっても、帰ってくるな。仕事を成就するまでは帰ってくるな。家の心配などしなくてもいい。親孝行など考えなくてもいい。私は私で元気でやるから、心配するな」と。それが無理なら、「元気か?」と様子を聞くだけの手紙でもよかった。あるいはあなたなら、どんな手紙を書くだろうか。一度母シカの気持ちになって考えてみてほしい。
(02-8-2)

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司
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