Education in Front-Line and Essays by Hiroshi Hayashi (はやし浩司)

(Mr.) Hiroshi Hayashi, a professional writer who has written more than 30 his own books on Education, Chinese Medical science and Religion in Japan. My web-site is: http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/ Please don't hesitate to visit my web-site, which is always welcome!!

Thursday, November 27, 2008

*Short Essays on Nov.28th

●資本主義

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38度線のすぐ北側に、開城工業団地
と呼ばれる工業団地がある。
韓国資本で建設された工業団地で、現在
数万人程度の北朝鮮の労働者が、そこで
働いている。

賃金は、日本円に換算して、月額1~2
万円程度という。

同じような労働環境なのだろうが、この日本では
その約15~20倍程度の賃金が支払われている。

単純に考えれば、不公平きわまりない……
ということになる。
(何も北朝鮮の労働者のために言っている
のではない。誤解のないように!)

しかしこれが資本主義の論理である。
日本では、1~2万円の給料では、とても
生活できない。
最低でも、20万円前後は必要である。
生活のレベルそのものが、ちがう。
が、逆の立場に立たされてみると、その
不公平感が怒りに変わるときもある。

その(怒り)を、アメリカへ行ったとき、
私は、アメリカの家を見て、感じた。

広さ、大きさはもとより、豪華さがちがった。
今にして思うと、それが今回のサブプライム・
ローン問題へとつながっていったわけだが、
ごくふつうの大卒の銀行マンでも、映画『ホーム・
アローン』に出てくるような大邸宅に住んでいたり
する。

ふつうの邸宅ではない。
玄関そのものが、ギャラリーのようになっている。
広さは、20畳前後はある。
地下にピンポンなどを楽しむ運動部屋、それに
客室などを備えた、豪華な家である。

私は近くにいたワイフに、こう言った。
「こんなお金があるなら、日本が買い支えているドルを、
少しは使わせてくれればいい」と。

日本が貯(た)めに貯めこんだドル建て外貨は、
言うなれば、塩漬けにされたアメリカ国債のようなもの。
当時(02年)、そのうちのたった5%を使っただけで、
つまり他の通貨に交換しただけで、アメリカ経済は
崩壊すると言われていた。
(結果的に見ると、そのころ崩壊していたほが、
こうまで傷口を大きくしないですんだのかも
しれない……。)

逆に言うと、アメリカ人たちは、日本人と
同じ労働環境の中で、少なくとも4、5倍程度の
給料を手にしていることになる。
その分だけ、よい生活をしていることになる。
(「4、5倍というのは、あくまでも家を見た
感じでの話だが……。)

この三者、つまり北朝鮮と日本、日本とアメリカを
並べてみると、資本主義の論理がよくわかる。
簡単に言えば、強い通貨をもっている国は、強い。
そうでない国は、そうでない。
仮に、今、1ドルが10円程度であったら、
どうだろうか。
日本は世界中から富を買いあさり、アメリカ人たち
が住んでいたような家を、日本中に建てることが
できる。

働く必要はない。
すべて外国への借金ですますことができる。
お金がなくなれば、印刷機を回せばよい。
世界中が、喜んでそれを貯めこんでくれる。

何といっても、1ドルが10円!
ガソリンだって、税金分をのぞけば、1リッター
あたり、現在の10分の1、つまり、
6円前後で買うことができる。
超大型車に乗っても、ガソリン代を気にする
必要はない。

一方、北朝鮮の札は、紙くず同然と言われている。
国際社会では、まったく通用しない。
為替レートそのものが、存在しない。
だから冒頭に書いたように、月額1~2万円程度の
給料ということになる。
が、この額にしても、北朝鮮では、破格の給料という。
平均的労働者の1か月の給料は、日本円に換算して、
1000円前後、あるいはそれ以下と言われている。

そこで強い通貨をもった国は、その通貨の価値を
維持しようとする。
強ければ強いほど、世界がそれを貯めこんでくれる。
が、この(強さ)を失ったとき、その国の経済は、崩壊する。
現在のアメリカが、その国ということになる。
日本もEUも、その国ということになる。

一方、弱い通貨をもった国は、相対的に(損)が、
大きくなる。

が、この問題は、ここで終わらない。
そのままその国の政情不安へとつながる。
タイの国際空港がデモ隊に占拠された。
インドでは連続爆破事件が起きた。
この1~2日だけを見ても、こんなニュースが、
縦つづけに、つづいている(08・11・27)。

貧しい国の中でも、さらに隅へと追いやられた
人たちが、そのエネルギーを爆発させる。
この先しばらく、つまり現在の経済的混乱が
落ち着くまで、こうした事件は、つぎつぎと
起こるだろう。

この極東アジアも、おかしい(?)。
とくに北朝鮮の動きが、おかしい(?)。

資本主義の論理は、たしかに矛盾だらけ。
それはわかるが、しかし今、ここでそれを問題にしても
意味はない。
とにかくアメリカには、再起してもらわねばならない。
日本も、がんばらなくてはいけない。
EUにしても、そうだ。

そうでないと、世界は、ほんとうにメチャメチャに
なってしまう。

(参考資料・以下、産経ニュースより)

2000年8月、北朝鮮の金xx総書記と韓国の現代グループの故TM会長が経済特別区「開城工業団地」開発で合意、03年3月に着工された。第一段階として、韓国土地公社と現代峨山が、総額2200億ウォン(約270億円)を投じ、07年までに100万坪(330万平方メートル)を工業用地として開発、繊維、衣類、電気、電子など韓国企業約250社を誘致する予定。12年には800万坪の工業団地と周辺の新都市など総計2000万坪を開発、2000社、70万人の大規模団地を造る。(産経ニュース・06年6月版より)


Hiroshi Hayashi++++++++NOV 08++++++++++はやし浩司

●過緊張

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目覚まし時計が鳴る前に目を覚ますような
人は、過緊張の状態にあるという。
「過緊張」という言葉は、今日、はじめて
知った。
それを知って、私はかなり、ショックを
受けた。
私はむしろ、それを自慢にしていた。
「ぼくには目覚まし時計は、必要ない」と。

一方、ワイフはどうかというと、これまた
のんきな性格で、いつも目覚まし時計が
鳴ってから、目を覚ます。
(ときどき寝過ごしてしまうこともある。)

過緊張は、神経症、不眠症などの不適応障害の
原因となりやすいという(某・ニュース・サイト)。
つまり悲しむべきことであって、自慢にするよう
なことではない、と。

子どもの世界には、過保護、過干渉、過関心という
のはある。
しかしそれにしても、過緊張とは……?

ほかに過心配、過不安、過依存、過嫉妬などなど。
いろいろ考えられる。
(しかしどういうとき、「過剰~~」といい、どういうとき
「過~~」というのか? 過保護とはいうが、過剰保護
とはいわない。過剰行動とはいうが、過行動とはいわない。)

要するに、人間というのは、のんびりと生きたほうが
よいということらしい。
万事、適当。
「まっ、いいじゃないか」という(いいかげんさ)が、
心に風を通す。

しかしこれは子育ての大鉄則でもある。
いつだったか、私は『まじめ5割、いいかげんさ5割』
という子育て格言を考えたことがある。

たとえば子どもを叱るときも、最後の最後まで
追いつめてはいけない。
あるところまできたら、さっと手を引く。
ものを教えるときも、そうだ。
子どもがそれを望んでいないのなら、適当なところで、
適当にやってすます。
こういうとき細かいことを言い過ぎると、子どもは
やる気そのものをなくしてしまう。

で、私のケース。

私は講演するときも、時間通り、ぴったりで
終わるのを得意としている。
講演をしながらも、別の脳みそで、時間を
計りながら、話す。
これは私の特技のようなもの。

しかしどうやら、それもまずいということらしい。
では、どうすればよいのか。
「過緊張」という言葉は、今日、はじめて知った。
つまりこの言葉をよく読むと、程度の問題という
ことがわかる。

「緊張するのは悪くない。しかしそれも度を超すと
よくない」と。

たとえば目覚ましをかけても、その目覚ましが
気になって熟睡できないとか、など。
そうなればそれを過緊張という。

ついでながら言うと、アルツハイマー病などになると、
時間の感覚がわからなくなるという。
ある著名な大学教授だが、講演などを予定よりも
はるかに早く終わってしまったり、
反対に時間を無視して話したりしていた。
それがその病気の初期症状だったということが、
あとになってわかったという。
そういうこともある。

だから目覚ましが鳴る前に目が覚めるといっても、
だからといって、それが悪いことだというふうには、
考えないほうがよい。

適度なストレスは、生活のスパイスとも言われている。
そのストレスがほどよい緊張感をもたらす。
それと同じように考えてよいのではないか。


●消えゆく自転車店

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街から1軒、また1軒と自転車店が消えていく。
かろうじて開いている店にしても、元気がない。
冬場になると、どの店も戸を閉めて、北風を
しのいでいる。

もしあのまま私が自転車屋の店主として
残っていたら……。
今ごろは、なすすべも知らず、暗い店の
中で、悶々としていたことだろう。

それを思うと、とても人ごとに思えない。

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私の実家も自転車店だったから、そのさみしさが、
痛いほど身にしみる。
「自転車ブームだから……」とはいうものの、
商品数、サービス面において、大型店には
かなわない。

昔、祖父が時計店から帰ってきて、私にこう言った。
「浩司、うちに並べてある自転車をすべて合わせても、
時計屋の陳列に並んでいる一皿分の時計にもならない」と。
自転車というのは、陳列するにも場所をとる。
小さな店だと、20~30台を並べるのがやっと。
祖父は、それを言った。

また少し前までは、技術面で、大型店といえども、
専門店にはかなわないと言われていた。
が、それも今は昔。

ここ3~4台は、私も大型店で自転車を購入している。
商品数はもちろんのこと、サービス面、技術面でも、
個人の自転車店のそれを、はるかに超えている。
パンクの修理にしても、どこで買った自転車であっても、
気持ちよくしてくれる。
(このH市には、『他店で買った自転車については、
パンクの修理をしません』という張り紙を出して
いる自転車店もあるぞ!)

値段はどうか?

先日駅前に、ビッグXXXという、電化製品の大型店が
オープンした。
行ってみると、中で自転車まで売っていた。
安い自転車もあったが、電動アシスト車など、
中には10~30万円もする自転車も並んでいた。
それを見たとき、「ああ、もうだめだ」と思った。
電動アシスト車にしても、街の自転車店で買うよりも、
1~2割は安い。
「高級自転車は専門店で」という常識も崩れた。

ところで私が子どものころは、商売といっても、
人と人のつながりの中で、成り立っていた。
ものを売り買いしながらも、そこには(つながり)が
あった。
またその(つながり)を無視しては、商売は、
成り立たなかった。
たとえば「あの人は、いつもうちの自転車を買って
くれるから、あの人の店で、テレビを買ってやろう」と。

多少、値段がほかよりも高くても、その人の店で、
テレビを買った。

が、今は、ちがう。
かえってこうした(つながり)を、わずらわしいと
思う人がふえてきた。
実は私もその1人ということになるが、なぜか?

それだけ人との(つながり)が、煩雑(はんざつ)に
なってきたということ。
いちいち(つながり)を考えていたら、息苦しく
なってしまう。
ビジネスはビジネスとして、ドライに割り切る。
その(わかりやすさ)が、大型店にはある。

とは言え、このさみしさは、いったいどこから来るのか。
言い換えると、私が子どものころ、祖父や父が
必死になって守ろうとしていたものは、何かということ。
まさかそういうものが、無駄だったとは、私には
とても書けない。

というのも、小売店というのは、基本的には、
問屋から物を買って、客にそれを売る。
それで成り立っている。
客の立場でいうなら、その物は、安ければ安いほどよい。

自転車店がほかの小売店とちがう点は、2つある。
ひとつは、自転車には定価がないということ。
昔から、オープン価格がふつうだった。
付属品によっても、値段が大きく変わる。
客によっては、ハンドルを換えたり、サドルを換えたりする。

さらに自転車店ごとに、特約店というのをもうけて、
わざと競争できないしくみを、守っていた。

もう一つは、汚れ仕事ということ。
自転車の一部をなおしただけで、手が油でベタベタになる。
それを嫌う人は、多い。
技術職とはいうものの、率直に言えば、たいした技術ではない。
今では自転車といっても、完成品のまま、問屋から運ばれてくる。

自転車店のあり方そのものが、大きく変わった。
その変化を乗り越えた店だけが、生き残る。
そうでない店は、街から消える。
しかし現実には、生き残ることは、不可能。
仮に生き残ったとしても、さらに大きな大型店が、
その向こうで待ち構えている。

こうして街から酒屋が消え、米屋が消えた。
洋服屋も消え、たばこ屋も消えた。
文房具屋も消え、肉屋も消えた。
時計屋も消え、菓子屋も消えた。
しかしそれは同時に街の文化が消えることを意味する。

いいのか?
これでいいのか?
あるいはそれに替わる、新しい文化が、今、どこかで
生まれつつあるのか。
そしてその文化とは、いったい、どういうものなのか。
今の私には、それがわからない。
わからないが、冒頭の話に戻る。

もしあのまま私が自転車屋の店主として
残っていたら……。
今ごろは、なすすべも知らず、暗い店の
中で、悶々としていたことだろう。

それを思うと、とても他人ごとには思えない。
がんばれ、自転車店!
負けるな、自転車店!