Education in Front-Line and Essays by Hiroshi Hayashi (はやし浩司)

(Mr.) Hiroshi Hayashi, a professional writer who has written more than 30 his own books on Education, Chinese Medical science and Religion in Japan. My web-site is: http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/ Please don't hesitate to visit my web-site, which is always welcome!!

Wednesday, March 11, 2009

*Magazine(1)

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 彡彡人ミミ      彡彡彡彡彡

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 子育て最前線の育児論byはやし浩司     

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メルマガ(6万3000誌)の中で、2008年度、メルマガ・オブ・ザ・イヤーに

選ばれました!

【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●子どもへの禁止命令 

 

 「~~をしてはダメ」「~~はやめなさい」というのを、禁止命令という。この禁止命令

が多ければ多いほど、「育て方」がヘタということになる。イギリスの格言にも、『無能な

教師ほど、規則を好む』というのがある。家庭でいうなら、「無能な親ほど、命令が多い」

(失礼!)ということになる。

 私も子どもたちを教えながら、この禁止命令は、できるだけ使わないようにしている。

たとえば「立っていてはダメ」というときは、「パンツにウンチがついているなら、立って

いていい」。「騒ぐな」というときは、「ママのオッパイを飲んでいるなら、しゃべっていい」

と言うなど。また指しゃぶりをしている子どもには、「おいしそうだね。先生にも、その指

をしゃぶらせてくれないか?」と声をかける。禁止命令が多いと、どうしても会話がトゲ

トゲしくなる。そしてそのトゲトゲしくなった分だけ、子どもは心を閉ざす。

 一方、ユーモアは、子どもの心を開く。「笑えば伸びる」というのが私の持論だが、それ

だけではない。心を開いた子どもは、前向きに伸びる。イギリスにも、『楽しく学ぶ子ども

は、もっとも学ぶ』(Happy Learners Learn Best)というのがある。

心が緊張すると、それだけ大脳の活動が制限されるということか。私は勝手にそう解釈し

ているが、そういう意味でも、「緊張」は避けたほうがよい。禁止命令は、どうしてもその

緊張感を生み出す。

 一方、これは予断だが、ユーモアの通ずる子どもは、概して伸びる。それだけ思考の融

通性があるということになる。俗にいう、「頭のやわらかい子ども」は、そのユーモアが通

ずる。以前、年長児のクラスで、こんなジョークを言ったことがある。

 「アルゼンチンの(サッカーの)サポーターには、女の人はいないんだって」と私が言

うと、子どもたちが「どうして?」と聞いた。そこで私は、「だってアル・ゼン・チン!、

でしょう」と言ったのだが、言ったあと、「このジュークはまだ無理だったかな」と思った。

で、子どもたちを見ると、しかし一人だけ、ニヤニヤと笑っている子どもがいた。それか

らもう四年になるが、(というのも、この話は前回のワールドカップのとき、日本対アルゼ

ンチンの試合のときに考えたジョーク)、その子どもは、今、飛び級で二年上の子どもと一

緒に勉強している。反対に、頭のかたい子どもは、どうしても伸び悩む。

 もしあなたに禁止命令が多いなら、一度、あなたの会話術をみがいたほうがよい。

 

【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【前回からのつづきです】

++++++++++++++++++++

自我の同一性(アイデンティティ)の構築に失敗すると、

いろいろな場面で、不適応症状を示すようになります。

「こんはずではない」「これは私のしたいことではない」と。

それが進むと、自我の不一致が起こり、さらに進むと、

自我の崩壊が始まります。

最悪のばあいは、無気力症候群に襲われ、ニタニタと

意味のない笑いだけを浮かべながら生活する、など。

では、どうすればよいのでしょうか。

自我の同一性を確立するためには、どうすればよいのでしょうか。

それが「私らしく生きる」ということになります。

つぎの原稿がそれですが、一部、内容がダブりますが、

許してください。

++++++++++++++++++++

●私らしく生きるために……

●不適応障害

 「私は私」と、自分に自信をもって、生活している人は、いったい、どれだけいるだろ

うか。実際には、少ないのでは……。

+++++++++++++++++

 「私は、こうでなければならない」「こうであるべきだ」という輪郭(りんかく)を、「自

己概念」という。

 しかし、現実には、そうはいかない。いかないことが多い。現実の自分は、自分が描く

理想像とは、ほど遠い。そういうことはよくある。

 その現実の自分を、「現実自己」という。

 この(自己概念)と(現実自己)が、一致していれば、その人は、「私は私」と、自分を

確信することができる。自分の道を、進むべき道として、自信をもって、進むことができ

る。そうでなければ、そうでない。

不安定な自分をかかえ、そのつど、道に迷ったり、悩んだりする。が、それだけではす

まない。心の状態も、きわめて不安定になる。

++++++++++++++++++

 Aさん(女性)は、財産家の両親をもつ、夫のB氏と結婚したつもりだった。B氏の両

親は、その地域でも、昔からの土地持ちという話を聞いていた。

 が、実際には、B家は、借金だらけ。しかも大半の土地は、すでに他人のものになって

いた。ここでAさんの夢は、大きく崩れた。

 Aさんは、B氏の夫として、そして良家の奥様として、優雅な生活を設計していた。と

たん、つまり、そういう現実を目の前につきつけられたとき、Aさんの情緒は、きわめて

不安定になった。

 良家の奥様にもなりきれず、さりとて、商家のおかみさんにも、なりきれず……。

 毎晩のように、夫と、はげしい夫婦げんかを繰りかえした。

 ……というような例は、多い。似たようなケースは、子どもの世界でも、よく起こる。

 (こうでなければならない自分=自己概念)と(現実の自分=現実自己)。その両者がう

まくかみあえば、それなりに、子どもというのは、落ちついた様子を見せる。

 しかし(こうでなければならない自分)と(現実の自分)が、大きく食い違ったとき、

そこで不適応症状が現れる。

 不適応症状として代表的なものが、心の緊張感である。心はいつも緊張した状態になり、

ささいなことで、カッとなって暴れたり、反対に、極度に落ちこんだりするようになる。

 私も、高校2年から3年にかけて、進学指導の担任教師に、強引に、文科系の学部へと、

進学先を強引に変えられてしまったことがある。それまでは、工学部の建築学科を志望し

ていたのだが、それが、文学部へ。大転身である!

 その時点で、私は、それまで描いていた人生設計を、すべて、ご破算にしなければなら

ななかった。私は、あのときの苦しみを、今でも、忘れない。

……ということで、典型的な例で、考えてみよう。

 Cさん(中2.女子)は、子どものころから、蝶よ、花よと、目一杯、甘やかされて育

てられた。夏休みや冬休みになると、毎年のように家族とともに、海外旅行を繰りかえし

た。

 が、容姿はあまりよくなかった。学校でも、ほとんどといってよいほど、目だたない存

在だった。その上、学業の成績も、かんばしくなかった。で、そんなとき、その学校でも、

進学指導の三者面談が、始まった。

 最初に指導の担任が示した学校は、Cさんの希望とは、ほど遠い、Dランクの学校だっ

た。「今の成績では、ここしか入るところがない」と、言われた。Cさんは、Cさんなりに、

がんばっているつもりだった。が、同席した母親は、そのあとCさんを、はげしく叱った。

 それまでにも、親子の間に、大きなモヤモヤ(確執)があったのかもしれない。その数

日後、Cさんは塾の帰りにコンビニに寄り、門限を破った。そしてあとは、お決まりの非

行コース。

 (夜遊び)→(外泊)→(家出)と。

 中学3年生になるころには、Cさんは、何人かの男とセックスまでするようになってい

た。こうなると、もう勉強どころではなくなる。かろうじて学校には通っていたが、授業

中でも、先生に叱られたりすると、プイと、外に出ていってしまうこともある。

 このCさんのケースでも、(Cさんが子どものころから夢見ていた自分の将来)と、(現

実の自分)との間が、大きく食い違っているのがわかる。この際、その理由や原因など、

どうでもよい。ともかくも、食い違ってしまった。

 ここで、心理学でいう、(不適応障害)が始まる。

 「私はすばらしい人間のはずだ」と、思いこむCさん。しかし現実には、だれも、すば

らしいとは思ってくれない。

 「本当の私は、そんな家出を繰りかえすような、できそこないではないはず」と、自分

を否定するCさん。しかし現実には、ズルズルと、自分の望む方向とは別の方向に入って

いてしまう。

 こうなると、Cさんの生活そのものが、何がなんだかわからなくなってしまう。それは

たとえて言うなら、毎日、サラ金の借金取りに追い立てられる、多重債務者のようなもの

ではないか。

 一日とて、安心して、落ちついた日を過ごすことができなくなる。

 当然のことながら、Cさんも、ささいなことで、カッとキレやすくなった。今ではもう、

父親ですら、Cさんには何も言えない状態だという。

日本語には、『地に足のついた生活』という言葉がある。これを子どもの世界について言

いかえると、子どもは、その地についた子どもにしなければならない。(こうでなければ

ならない自分)と(現実の自分)が一致した子どもにしなければならない。

 得てして、親の高望み、過剰期待は、この両者を遊離させる。そして結局は、子どもの

心をバラバラにしてしまう。大切なことは、あるがままの子どもを認め、そのあるがまま

に育てていくということ。子どもの側の立場でいうなら、子どもがいつも自分らしさを保

っている状態をいう。

 具体的には、「もっとがんばれ!」ではなく、「あなたは、よくがんばっている。無理を

しなくていい」という育て方をいう。

子どもの不適応障害を、決して軽く考えてはいけない。

+++++++++++++++++++++

 「私らしく生きる……」「私は私」と言うためには、まず、その前提として、(こうでな

ければならない自分=自己概念)と(現実の自分=現実自己)、その両者を、うまくかみあ

わせなければならない。

 簡単な方法としては、まず、自分のしたいことをする、ということ。その中から、生き

がいを見つけ、その目標に向って、進んでいくということ。

 子どもも、またしかり。子どものしたいこと、つまり夢や希望によく耳を傾け、その夢

や希望にそって、子どもに目的をもたせていく。子どもを伸ばすということは、そういう

ことをいう。

(はやし浩司 子どもの不適応障害 子どもの不適応障害 現実自己 自己概念)

(注)役割混乱による、不適応障害も、少なくない。



++++++++++++++++++++++

子どもの自尊感情を育てるためには、どうしたらよいか?

もうそろそろその輪郭が見えてきたことと思います。

しかしこれは何も、子どもだけの問題ではありませんね。

私たちおとなも、実は、自尊感情のあるなしで、

毎日、悩み、もがいているのです。

もう一度、自己概念について考えてみたいと思います。

++++++++++++++++++++++

●自己概念

 「自分は、人にどう思われているか」「他人から見たら、自分は、どう見えるか」「どん

な人間に思われているか」。そういった自分自身の輪郭(りんかく)が、自己概念というこ

とになる。

 この自己概念は、正確であればあるほどよい。

 しかし人間というのは、身勝手なもの。自分では、自分のよい面しか、見ようとしない。

悪い面については、目を閉じる。あるいは人のせいにする。

 一方、他人というのは、その人の悪い面を見ながら、その人を判断する。そのため(自

分がそうであると思っている)姿と、(他人がそうであると思っている)姿とは、大きくズ

レる。

 こんなことがあった。

 ワイフの父親(私の義父)の法事でのこと。ワイフの兄弟たちが、私にこう言った。

 「浩司(私)さん、晃子(私のワイフ)だから、あんたの妻が務まったのよ」と。

 つまり私のワイフのような、辛抱(しんぼう)強い女性だったから、私のような短気な

夫の妻として、いることができた。ほかの女性だったら、とっくの昔に離婚していた、と。

 事実、その通りだから、反論のしようがない。

 で、そのあとのこと。私はすかさず、こう言った。「どんな女性でも、ぼくの妻になれば、

すばらしい女性になりますよ」と。

 ここで自己概念という言葉が、出てくる。

 私は、私のことを「すばらしい男性」と思っている。(当然だ!)だから「私のそばにい

れば、どんな女性でも、すばらしい女性になる」と。そういう思いで、そう言った。

 しかしワイフの兄弟たちは、そうではなかった。私のそばで苦労をしているワイフの姿

しか、知らない。だから「苦労をさせられたから、すばらしい女性になった」と。だから、

笑った。そしてその意識の違いがわかったから、私も笑った。

 みんないい人たちだ。だからみんな、大声で、笑った。

 ……という話からもわかるように、自己概念ほど、いいかげんなものはない。そこで、

私たちはいつも、その自己概念を、他人の目の中で、修正しなければならない。「他人の目

を気にせよ」というのではない。「他人から見たら、自分はどう見えるか」、それをいつも

正確にとらえていく必要があるということ。

 その自己概念が、狂えば狂うほど、その人は、他人の世界から、遊離してしまう。

 その遊離する原因としては、つぎのようなものがある。

(1) 自己過大評価……だれかに親切にしてやったとすると、それを過大に評価する。

(2) 責任転嫁……失敗したりすると、自分の責任というよりは、他人のせいにする。

(3) 自己盲目化……自分の欠点には、目を閉じる。自分のよい面だけを見ようとする。

(4) 自己孤立化……居心地のよい世界だけで住もうとする。そのため孤立化しやすい。

(5) 脳の老化……他者に対する関心度や繊細度が弱くなってくる。ボケも含まれる。

 しかしこの自己概念を正確にもつ方法がある。それは他人の心の中に一度、自分を置き、

その他人の目を通して、自分の姿を見るという方法である。

 たとえばある人と対峙してすわったようなとき、その人の心の中に一度、自分を置いて

みる。そして「今、どんなふうに見えるだろうか」と、頭の中で想像してみる。意外と簡

単なので、少し訓練すれば、だれにでもできるようになる。

 もちろん家庭という場でも、この自己概念は、たいへん重要である。

 あなたは夫(妻)から見て、どんな妻(夫)だろうか。さらに、あなたは、子どもから

見て、どんな母親(父親)だろうか。それを正確に知るのは、夫婦断絶、親子断絶を防ぐ

ためにも、重要なことである。

 ひょっとしたら、あなたは「よき妻(夫)であり、よき母親(父親)である」と、思い

こんでいるだけかもしれない。どうか、ご注意!

(はやし浩司 自己概念)



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そこで登場するのが、『マズローの欲求段階説』です。

「私は私らしく生きたい」。

そのためには、どうすればよいのか。

ポイントは、「現実的に生きる」ということです。

この(現実性)を喪失すると、おとなも、子どもも、

非現実的な世界で生きるようになります。

昨今のスピリチュアル・ブームも、その流れの中に

あると考えてよいでしょう。

(自我の同一性の確立ができない)→(現実から逃避する)

→(非現実的な世界に生きようとする)、と。

生き方のひとつのヒントになると思いますので、

紹介します。

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【私らしく生きるための、10の鉄則】(マズローの「欲求段階説」を参考にして)

●第1の鉄則……現実的に生きよう

●第2の鉄則……あるがままに、世界を受けいれよう

●第3の鉄則……自然で、自由に生きよう

●第4の鉄則……他者との共鳴性を大切にしよう

●第5の鉄則……いつも新しいものを目ざそう

●第6の鉄則……人類全体のことを、いつも考えよう

●第7の鉄則……いつも人生を深く考えよう

●第8の鉄則……少人数の人と、より深く交際しよう

●第9の鉄則……いつも自分を客観的に見よう

●第10の鉄則……いつも朗らかに、明るく生きよう

Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

●マズローの欲求段階説

 昨日、「マズローの欲求段階説」について書いた。その中で、マズローは、現実的に生き

ることの重要性をあげている。

 しかし現実的に生きるというのは、どういうことか。これが結構、むずかしい。そこで

そういうときは、反対に、「現実的でない生き方」を考える。それを考えていくと、現実的

に生きるという意味がわかってくる。

 現実的でない生き方……その代表的なものに、カルト信仰がある。占い、まじないに始

まって、心霊、前世、来世論などがもある。が、そういったものを、頭から否定すること

はできない。

ときに人間は、自分だけの力で、自分を支えることができなくことがある。その人個人

というよりは、人間の力には、限界がある。

 その(限界)をカバーするのが、宗教であり、信仰ということになる。

 だから現実的に生きるということは、それ自体、たいへんむずかしい、ということにな

る。いつもその(限界)と戦わねばならない。

 たとえば身近の愛する人が、死んだとする。しかしそのとき、その人の(死)を、簡単

に乗り越えることができる人というのは、いったい、どれだけいるだろうか。ほとんどの

人は、悲しみ、苦しむ。

いくら心の中で、疑問に思っていても、「来世なんか、ない」とがんばるより、「あの世

で、また会える」と思うことのほうが、ずっと、気が楽になる。休まる。

 現実的に生きる……一見、何でもないことのように見えるが、その中身は、実は、奥が、

底なしに深い。

●あるがままに、生きる

 ここに1組の、同性愛者がいたとする。私には、理解しがたい世界だが、現実に、そこ

にいる以上、それを認めるしかない。それがまちがっているとか、おかしいとか言う必要

はない。言ってはならない。

 と、同時に、自分自身についても、同じことが言える。

 私は私。もしだれかが、そういう私を見て、「おかしい」と言ったとする。そのとき私が、

それをいちいち気にしていたら、私は、その時点で分離してしまう。心理学でいう、(自己

概念=自分はこうであるべきと思い描く自分)と、(現実自己=現実の自分)が、分離して

しまう。

 そうなると、私は、不適応障害を起こし、気がヘンになってしまうだろう。

 だから、他人の言うことなど、気にしない。つまりあるがままに生きるということは、(自

己概念)と、(現実自己)を、一致させることを意味する。が、それは、結局は、自分の心

を守るためでもある。

 私は同性愛者ではないが、仮に同性愛者であったら、「私は同性愛者だ」と外に向って、

叫べばよい。叫ぶことまではしなくても、自分を否定したりしてはいけない。社会的通念

(?)に反するからといって、それを「悪」と決めつけてはいけない。

 私も、あるときから、世間に対して、居なおって生きるようになった。私のことを、悪

く思っている人もいる。悪口を言っている人となると、さらに多い。しかし、だからとい

って、それがどうなのか? 私にどういう関係があるのか。

 あるがままに生きるということは、いつも(自己概念)と、(現実自己)を、一致させて

生きることを意味する。飾らない、ウソをつかない、偽らない……。そういう生き方をい

う。



+++++++++++++++++++

では、どうすれば、私は私らしく生きることが

できるか。

子どもは、子どもらしく生きることができるか。

+++++++++++++++++++

●自然で自由に生きる

 不規則がよいというわけではない。しかし規則正しすぎるというのも、どうか? 行動

はともかくも、思考については、とくに、そうである。

思考も硬直化してくると、それからはずれた思考ができなくなる。ものの考え方が、が

んこになり、融通がきかなくなる。

 しかしここで一つ、重要な問題が起きてくる。この問題、つまり思考性の問題は、脳ミ

ソの中でも、CPU(中央演算装置)の問題であるだけに、仮にそうであっても、それに

気づくことは、まず、ないということ。

 つまり、どうやって、自分の思考の硬直性に、気がつくかということ。硬直した頭では、

自分の硬直性に気づくことは、まず、ない。それ以外のものの考え方が、できないからだ。

 そこで大切なのは、「自然で、自由にものを考える」ということ。そういう習慣を、若い

ときから養っていく。その(自由さ)が、思考を柔軟にする。

 おかしいものは、「おかしい」と思えばよい。変なものは、「変だ」と思えばよい。反対

にすばらしいものは、「すばらしい」と思えばよい。よいものは、「よい」と思えばよい。

 おかしなところで、無理にがんばってはいけない。かたくなになったり、こだわったり

してはいけない。つまりは、いつも心を開き、心の動きを、自由きままに、心に任せると

いうこと。

 それが「自然で、自由に生きる」という意味になる。

 

+++++++++++++++++++++

しかし現実には、子どもの自尊感情を

傷つけるだけではなく、破壊する親も少なくないですね。

破壊しながら、破壊しているという事実にすら、

気がついていない。

それについて書いたのが、つぎの原稿です。

+++++++++++++++++++++

● 親の希望 vs 現実の子ども

 親が、心の中で希望として描く、子ども像。これを(子ども概念)と呼ぶ。一方、そこ

には、現実の子どもがいる。それを(現実子ども)と呼ぶ。心理学でいう、(自己概念)と、

(現実自己)という言葉にならった。

 そこで私は、この(子ども概念)と(現実子ども)のほかに、もう一つ、(世間評価)を

加える。これも、(自己概念)と(現実自己)のほかに、もう一つ、(世間評価)を、加え

たことに、まねる。他人から見た子ども像ということで、「世間評価」という。

 親が、「うちの子は、こうであってほしい」と願いながら、心の中に描く、子ども像を、

(子ども概念)という。

 勉強がよくできて、スポーツマンで、よい性格をもっていて、人にも好かれる。集団の

中でもリーダーで、できれば、ハンサム。自分という親を尊敬してくれていて、親の相談

相手にもなってくれる……、と。

 しかし現実の子どもは、そうでないことが多い。問題だらけ。園でも学校でも、何かと

トラブルをよく起こす。成績もかんばしくない。できも悪い。性格もいじけているし、反

抗ばかりしている。このところ、勉強、そっちのけで、遊んでばかりいる。

 しかし子どもの姿というのは、それだけでは決まらない。親が知らない世界での評価も

ある。家の中では、ゴロゴロしているだけ。生活態度も悪い。親を親とも思わない言動。

しかしスポーツクラブでは、目だった活躍をしている、とか。

 こういうケースは、よくある。

 そこで、(子ども概念)と、(現実子ども)が、それなりに一致していれば、問題はない。

(子ども概念)と(世間評価)も、それなりに一致していれば、問題はない。しかしこの

三者が、よきにつけ、悪しきにつけ、距離を置いて、遊離すると、そこでさまざまな問題

を引き起こす。

【例1】(以下の例は、すべてフィクションです。実際にあった例ではありません。)

 ある日、小学1年生になったS君のバッグの中を見て、私は驚いた。そうでなくても、

これから先、たいへんだろうなと思っていた子どもである。今でいうLD(学習障害児)

であったかもしれない。そのバッグの中には、難解なワークブックが、ぎっしりと入って

いた。

 このケースでは、親は、S君に対して、過大な期待を抱いていたようである。そのため、

「やらせれば、できる」という信念(?)のもと、難解なワークブックを、何冊も買いそ

ろえた。そして毎日、S君が学校から帰ってくると、最低でも、2時間は、勉強を教えた。

 このS君のケースでは、ここでいう親が心の中で描く(子ども概念)と、(現実子ども)

が、大きくかけ離れていたことになる。

【例2】

 B君は、中学1年生。勉強は嫌い。ときどき、学校もサボる。しかし小学生のときから、

少年野球クラブでは、ずっと、レギュラー(ピッチャー)を務めてきた。その地区では、

B君にまさるピッチャーはいなかった。

 年に4回開かれる、地区大会では、B君の所属するチームは、たいてい優勝した。市の

大会で、準優勝したこともある。

 しかし母親との間では、けんかが絶えなかった。「勉強しなさい!」「うるさい!」と。

あるとき、母親は、「勉強しなければ、野球チームをやめる」とまで言った。が、B君は、

その夜、家を出てしまった。B君が、6年生のときのことである。

 中学生になってから、B君は、部活に野球部を選んだ。しかしその直後、B君は、監督

の教師と衝突してしまい、そのまま野球部をやめてしまった。B君が、グレ始めたのは、

そのときからだった。

 このB君のケースでは、(子ども概念)と(現実子ども)は、それほど遊離していなかっ

たが、親が子どもに対してもっている(子ども概念)と、(世間評価)は、大きくズレてい

た。

【例3】

 私の実家は、以前は、いくつかの借家をもっていた。その中の一つは、表が駐車場で、

裏が一間だけの家になっていた。

 その借家には、父と子だけの二人が住んでいた。母親は、どうなったか知らない。が、

その子というか、高校生が、国立大学の医学部に合格した。父親は、酒に溺れる毎日だっ

たという。

 しばらくしてその父子は、その借家を出たが、私は、その話を、母から聞いて、心底、

驚いた。借家を訪れてみたが、酒のビンがいたるところに散乱していた。

 私が、「どんな子どもでしたか」と近所の人に聞くと、その人は、こう言った。「本当に

すばらしい息子さんでしたよ。毎日、父の酒を買うために、自転車で、酒屋へ通っていま

した」と。

 この父子の関係では、父親に、そもそも(子ども概念)があったかどうかは、疑わしい。

放任と無責任。しかしその子どもの(現実子ども)は、父親のもっていたであろう(子ど

も概念)を、はるかに超えていた。(世間評価)も、である。

【例4】

 新幹線をおりて、バスで、友人の家に向かうときのこと。うしろの席で、あきらかに母

と娘と思われる二人が、こんな会話を始めた。母親は、45歳くらいか。娘は、20歳そ

こそこ。母親というのは、どこかの大病院の院長を夫にもつ、女性らしい。どうやら、娘

の結婚相手をだれにするかという相談のようだった。

母親「Xさんは、いい人だけど、私大卒でしょう。出世は望めないわね」

娘「それにXさんは、もう30歳よ」

母親「Yさんは、K大学で、4年間、講師をしていたそうよ。でもね、ああいう性格だか

ら、お母さんは、薦めないわ」

娘「そうね。同じ意見よ。あの人は、私のタイプじゃないし……」

母親「Zさんは、どう? 患者さんの評判も、いいみたいだし……」

娘「そうね、一度、Zさんと、食事をしてみようかしら。でもZさんには、もう恋人がい

るかもしれないわ」と。

 話の内容はともかくも、二人の会話を聞きながら、私は、いい親子だなあと思ってしま

った。呼吸が、ピタリとあっている。

 最後のこのケースでは、母のもつ(子ども概念)と、(現実子ども)は、一致している。

大病院の後継者を、二人でだれにするか、相談している。このばあいは、(世間評価)は、

ほとんど、問題になっていない。

 ふつう、この三者が、ともに接近していれば、親子関係は、スムーズに流れる。しかし

この三者が、たがいに遊離し始めると、先に書いたように、親子関係は、ギクシャクし始

める。

 何が子どもを苦しめるかといって、親の高望み、つまり過剰期待ほど、子どもを苦しめ

るものは、ない。

 一方。その反対のこともある。すばらしい子どもをもちながら、「できが悪い」と悩んで

いる親である。こういうケースは、少ないが、しかしないわけではない。

 そこであなた自身のこと。

 あなたは今、どのような(子ども概念)をもっているだろうか。そしてその(子ども概

念)は、(現実子ども)と一致しているだろうか。もし、そうならあなたは、今、すばらし

い親子関係を築いているはず。

 が、反対に、そうでなければ、そうでない。やがて長い時間をかけて、あなたの親子関

係は、ギクシャクしたものになる。気がついてみたら、親子断絶ということにもなりかね

ない。一度、(世間評価)も参考にしながら、あなた自身のもっている(子ども概念)を、

修正してみるとよい。



++++++++++++++++++

子どもの自尊感情を育てるために、

家庭教育はどうあったらよいのか。

それについて書いたのが、つぎの

原稿です。

++++++++++++++++++

【特集・子どもの自尊感情を育てるために】

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子どもからやる気を引き出すには

そうしたらよいか?

そのカギをにぎるのが、扁桃体と

いう組織ということになる。

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●やる気論

 人間には、「好き」「嫌い」の感情がある。この感情をコントロールしているのが、脳の

中の辺縁系にある扁桃体(へんとうたい)という組織である。

 この扁桃体に、何かの情報が送りこまれてくると、動物は、(もちろん人間も)、それが

自分にとって好ましいものか、どうかを、判断する。そして好ましいと判断すると、モル

ヒネ様の物質を分泌して、脳の中を甘い陶酔感で満たす。

たとえば他人にやさしくしたりすると、そのあと、なんとも言えないような心地よさに

包まれる。それはそういった作用による(「脳のしくみ」新井康允)。が、それだけでは

ないようだ。こんな実験がある(「したたかな脳」・澤口としゆき)。

 サルにヘビを見せると、サルは、パニック状態になる。が、そのサルから扁桃体を切除

してしまうと、サルは、ヘビをこわがらなくなるというのだ。

 つまり好き・嫌いも、その人の意識をこえた、その奥で、脳が勝手に判断しているとい

うわけである。

 そこで問題は、自分の意思で、好きなものを嫌いなものに変えたり、反対に、嫌いなも

のを好きなものに変えることができるかということ。これについては、澤口氏は、「脳が勝

手に決めてしまうから、(できない)」というようなことを書いている。つまりは、一度、

そうした感情ができてしまうと、簡単には変えられないということになる。

 そこで重要なのが、はじめの一歩。つまりは、第一印象が、重要ということになる。

 最初に、好ましい印象をもてば、以後、扁桃体は、それ以後、それに対して好ましい反

応を示すようになる。そうでなければ、そうでない。たとえば幼児が、はじめて、音楽教

室を訪れたとしよう。

 そのとき先生のやさしい笑顔が印象に残れば、その幼児は、音楽に対して、好印象をも

つようになる。しかしキリキリとした神経質な顔が印象に残れば、音楽に対して、悪い印

象をもつようになる。

 あとの判断は、扁桃体がする。よい印象が重なれば、良循環となってますます、その子

どもは、音楽が好きになるかもしれない。反対に、悪い印象が重なれば、悪循環となって、

ますますその子どもは、音楽を嫌いになるかもしれない。

 心理学の世界にも、「好子」「嫌子」という言葉がある。「強化の原理」「弱化の原理」と

いう言葉もある。

 つまり、「好きだ」という前向きの思いが、ますます子どもをして、前向きに伸ばしてい

く。反対に、「いやだ」という思いが心のどこかにあると、ものごとから逃げ腰になってし

まい、努力の割には、効果があがらないということになる。

 このことも、実は、大脳生理学の分野で、証明されている。

 何か好きなことを、前向きにしていると、脳内から、(カテコールアミン)という物質が

分泌される。そしてそれがやる気を起こすという。澤口の本をもう少しくわしく読んでみ

よう。

 このカテコールアミンには、(1)ノルアドレナリンと、(2)ドーパミンの2種類があ

るという。

 ノルアドレナリンは、注意力や集中力を高める役割を担(にな)っている。ドーパミン

にも、同じような作用があるという。

 「たとえば、サルが学習行動を、じょうずに、かつ一生懸命行っているとき、ノンアド

レナリンを分泌するニューロンの活動が高まっていることが確認されています」(同P5

9)とのこと。

 わかりやすく言えば、好きなことを一生懸命しているときは、注意力や集中力が高まる

ということ。

 そこで……というわけでもないが、幼児に何かの(学習)をさせるときは、(どれだけ覚

えたか)とか、(どれだけできるようになったか)とかいうことではなく、その幼児が、(ど

れだけ楽しんだかどうか)だけをみて、レッスンを進めていく。

 これはたいへん重要なことである。

 というのも、先に書いたように、一度、扁桃体が、その判断を決めてしまうと、その扁

桃体が、いわば無意識の世界から、その子どもの(心)をコントロールするようになると

考えてよい。「好きなものは、好き」「嫌いなものは、嫌い」と。

 実際、たとえば、小学1、2年生までに、子どもを勉強嫌いにしてしまうと、それ以後、

その子どもが勉強を好きになるということは、まず、ない。本人の意思というよりは、そ

の向こうにある隠された意思によって、勉強から逃げてしまうからである。

 たとえば私は、子どもに何かを教えるとき、「笑えば伸びる」を最大のモットーにしてい

る。何かを覚えさせたり、できるようにさせるのが、目的ではない。楽しませる。笑わせ

る。そういう印象の中から、子どもたちは、自分の力で、前向きに伸びていく。その力が

芽生えていくのを、静かに待つ。

 (このあたりが、なかなか理解してもらえなくて、私としては歯がゆい思いをすること

がある。多くの親たちは、文字や数、英語を教え、それができるようにすることを、幼児

教育と考えている。が、これは誤解というより、危険なまちがいと言ってよい。)

 しかしカテコールアミンとは何か?

 それは生き生きと、顔を輝かせて作業している幼児の顔を見ればわかる。顔を輝かせて

いるその物質が、カテコールアミンである。私は、勝手に、そう解釈している。

(はやし浩司 子供のやる気 子どものやる気 カテコールアミン 扁桃体)

【補記】

 一度、勉強から逃げ腰になると、以後、その子どもが、勉強を好きになることはまずな

い。(……と言い切るのは、たいへん失礼かもしれないが、むずかしいのは事実。家庭教育

のリズムそのものを変えなければならない。が、それがむずかしい。)

 それにはいくつか、理由がある。

 勉強のほうが、子どもを追いかけてくるからである。しかもつぎつぎと追いかけてくる。

借金にたとえて言うなら、返済をすます前に、つぎの借金の返済が迫ってくるようなもの。

 あるいは家庭教育のリズムそのものに、問題があることが多い。少しでも子どもがやる

気を見せたりすると、親が、「もっと……」「うちの子は、やはり、やればできる……」と、

子どもを追いたてたりする。子どもの視点で、子どもの心を考えるという姿勢そのものが

ない。

 本来なら、一度子どもがそういう状態になったら、思い切って、学年をさげるのがよい。

しかしこの日本では、そうはいかない。「学年をさげてみましょうか」と提案しただけで、

たいていの親は、パニック状態になってしまう。

 かくして、その子どもが、再び、勉強が好きになることはまずない。

(はやし浩司 やる気のない子ども 勉強を好きにさせる 勉強嫌い)

【補記】

 子どもが、こうした症状(無気力、無関心、集中力の欠如)を見せたら、できるだけ早

い時期に、それに気づき、対処するのがよい。

 私の経験では、症状にもよるが、小学3年以上だと、たいへんむずかしい。内心では「勉

強はあきらめて、ほかの分野で力を伸ばしたほうがよい」と思うことがある。そのほうが、

その子どもにとっても、幸福なことかもしれない。

 しかしそれ以前だったら、子どもを楽しませるという方法で、対処できる。あとは少し

でも伸びる姿勢を見せたら、こまめに、かつ、すかさず、ほめる。ほめながら、伸ばす。

 大切なことは、この時期までに、子どものやる気や、伸びる芽を、つぶしてしまわない

ということ。



+++++++++++++++++++++++

もうおわかりのことと思います。

自尊感情とやる気は、紙にたとえるなら、表と裏のような

ものです。

自分を肯定的にとらえるところから、やる気は生れ、

そのやる気が、また自尊感情を育てていきます。

では、どうすればよいか。

ここに書いたように、「ほめる」です。

ほめて、ほめて、ほめまくる。

それだけでよいのです。

子どもは、(おとなもそうですが)、ほめることによって、

前向きな姿勢をもつようになります。

たとえば子どもがはじめて、文字らしきものを書いたら、

すかさず、ほめる。

へたでも、読めなくても、それでもほめる。

「すごいわね!」と。

そして子どもの書いたものを、一生懸命、読んであげる。

そのとき子どもの脳の中で起きる反応については、

ここに書いたとおりです。

で、こうした方向性をつくるのは、時期的には、

少年少女期に入る前、年齢的には、4・5~5・5歳まで

ということになります。

つまりこの時期までの教育が、きわめて重要だという

ことです。

小学校1年生で、「84%」しかいないことに驚いた

私の気持ちを理解していただけましたか?

言いかえると、すでにこの段階で、16%の子どもが、

自分を見失っている?

本来なら、この時期なら、100%が、そうであっても

おかしくないのです。

「ほら、音楽教室!」

「ほら、英語教室!」

「ほら、体操教室!」と、子どもを追い立てることによって、

子どもの心をつぶしていることに、じゅうぶん、注意して

ください。

今、年中児でも、ハキがなく、集団の中でも、グズグズしている

子どもが、5~6人に1人はいます。

中には、そういう子どもほど、「できのいい子ども」と誤解して

いる親さえいます。

おかしいですね。

+++++++++++++++++++++++++

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司

現実自己 自己概念 自己の同一性 自我の同一性 やる気 マズロー 欲求段階説

はやし浩司 自尊感情 ほめる 強化の原理 弱化の原理 不適応 不適応障害 

燃え尽き 無気力 現実逃避 スピリチュアル スピリチュアルブーム はやし浩司

現実逃避する若者 現実逃避する子供)



【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

休みます



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