Education in Front-Line and Essays by Hiroshi Hayashi (はやし浩司)

(Mr.) Hiroshi Hayashi, a professional writer who has written more than 30 his own books on Education, Chinese Medical science and Religion in Japan. My web-site is: http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/ Please don't hesitate to visit my web-site, which is always welcome!!

Wednesday, March 11, 2009

*Magazine(2)

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 彡彡人ミミ      彡彡彡彡彡
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 子育て最前線の育児論byはやし浩司 
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★★★★★★★★★★HTML版★★★★★★★★★★★

メルマガ(6万3000誌)の中で、2008年度、メルマガ・オブ・ザ・イヤーに
選ばれました!

【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【子どもと笑い】

●笑うと健康」裏づけ(組織刺激され血行増進)

 笑うと、血液の流れがよくなるそうだ。それだけではないと思うが、「笑うこと」には、
不思議な力がある。それは私自身が、幼児教育の場で、日常的に実感していることでもあ
る。

今度、アメリカ・メリーランドのマイケル・ミラー医師らが、こんな発表をした。

いわく、「血管の内側にある組織が刺激を受けて、血液の流れがよくなることが、調査で明
らかになった。『笑いは健康にいい』との説が医学的にも裏づけられた形だ。なぜ笑うとこ
の組織が活性化されるのかまでは突きとめられなかったが、同医師は『ストレスからくる
血行障害のリスク、減らすことができる』と、笑いの効用を力説している」と。 
(時事通信・05年3月15日 )

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教室での笑いについては、たびたび、書いてきた。

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●笑えば、伸びる

 言いたいことを、言う。したいことを、する。これが幼児教室の基本である。おさえる
のは、簡単。その時期がきたら、少しずつ、しめていけばよい。

 今週は、(数)をテーマにした(月曜日クラス)。

 この時期は、(教えよう)(教えてやろう)という気持ちは、控えめに。大切なことは、
子ども自身が、数を好きになること。数を、楽しいと思うようになること。が、それ以上
に、大切なことは、子どもが、自信をもつこと。決して、おとなの優位性をおしつけては
いけない。

 7個のリンゴを、わざとまちがえて数えてみせる。すると子どもたちは、「ちがう、7個
だ!」と叫ぶ。そこで改めて、数えてみせる。そして「ああ、7個だったのかあ?」と、
とぼけてみせる。

 が、その日は、それですんだわけではない。さらに、私を責めた子どもがいた。「あんた、
先生でしょ!」と。そこで私は、こう言ってやった。

 「君、まだ幼稚園児だろ。だったら、そんなにしっかりと勉強しなくていい。もっと、
ぼんやりと勉強しなさい。あのね、幼稚園児というのは、指をしゃぶって、おしりからプ
リプリと、出しながら勉強するものだよ。わかっている?」と。

 すると子どもたちが、ワイワイと反発した。しかしその反発こそが、私のねらいでもあ
る。

 「あのね、わかっていないな。勉強なんてものはね、適当にやればいいの。そんなにし
っかりやると、頭がへんになるよ!」と。

 すると子どもたちは、「ちがう、ちがう」と叫ぶ。つまりそうやって、子どもを、こちら
のペースにのせながら、指導していく。あとは、子ども自身がもつ、伸びる力に任せれば
よい。

 だいたいにおいて、子どもというのは、伸ばそうと思っても伸びるものではない。大切
なことは、子ども自身がもつエネルギーを、うまく利用すること。それをうまく利用すれ
ば、子どもは、伸びる。

 さて、子どもを明るい子どもにするには、方法は、一つしかない。つまり、笑わせる。
大声で、笑わせる。それにまさる方法はない。だから私の教室では、子どもを笑わせるこ
とを、何よりも大切にしている。1時間なら1時間、笑わせぱなしにすることも、珍しく
ない。

 笑うことにより、子どもの心は、開放される。前向きな、学習態度も、そこから生まれ
る。『笑えば、伸びる』、それが私の、この39年間でつかんだ、幼児教育の真髄である。

【追記】

 最近の研究では、ストレスと免疫系の関係などが指摘されているが、それと反対に、「笑
い」には、不思議な力が隠されている。これから先、大脳生理学の分野で、少しずつ、そ
の「力」が解明されていくだろうと思う。

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●私の実験教室「BW教室」

 幼児を教えるようになって、35年になる。この間、私は4つのことを、守った。(1)
すべて授業は公開し、親の参観をいつでも自由にした。(2)教材はすべて手作り。市販の
教材は、いっさい使わなかった。(3)同じ授業をしなかった。(4)新聞広告、チラシ広
告など、宣伝をしなかった。

 まず(1)授業の公開は、口で言うほど、楽なことではない。公開することによって、
教える側は、手が抜けなくなる。教育というのは、手をかけようと思えばいくらでもかけ
られる。しかし手を抜こうと思えば、いくらでも抜ける。それこそプリントを配って、そ
れだけですますこともできる。そこが教育のこわいところだが、楽でない理由は、それだ
けではない。

 授業を公開すれば、同時に子どもの問題点や能力が、そのまま他人にわかってしまう。
とくにこのころの時期というのは、親たちが神経質になっている時期でもあり、子どもど
うしのささいなトラブルが大きな問題に発展することも珍しくない。教える側の私は、そ
ういうとき、トコトン神経をすり減らす。

 (2)の教材についてだが、私は一方で、無数の市販教材の制作にかかわってきた。し
かしそういう市販教材を、親たちに買わせたことは一度もない。授業で使ったこともない。
出版社から割引価格で仕入れて、親たちに買わせれば、それなりの利益もあったのだろう
が、結果として振り返ってみても、私はそういうことはしなかった。本もたくさん出版し
たが、売るにしても、希望者の親のみ。しかも仕入れ値より安い値段で売ってきた。

(3)の「同じ授業をしない」については、二つの意味がある。年間を通して同じ授業を
しないという意味と、もう一つは、毎年、同じ授業をしないという意味である。

この10年は、何かと忙しく、時間がないため、年度ごとに同じ授業をするようになった
部分もあるが、それでもできるだけ内容を変えるようにしている。ただその年の授業の中
では、年間をとおして同じ授業をしない。これには、さらに二つの意味がある。

 そういう形で子どもの心をひきつけておくということ。同じ授業をすれば、子どもはす
ぐあきる。もう一つは、そうすることによって、子どもの知能を、あらゆる方向から刺激
することができる。

 最後に(4)の宣伝については、こうしてインターネットで紹介すること自体、宣伝と
いうことになるので、偉そうなことは言えない。それに毎年、親どうしの口コミ宣伝だけ
というのも、実のところ限界がある。

ある年などは、1年間、生徒(年中児)はたったの3人のままだった。例年だと、親がほ
かの親を誘ってくれたりして、生徒が少しずつふえるのだが、その年はどういうわけだか
ふえなかった。

 私の実験教室の名前は、「BW(ビーダブル)教室」という。「ブレイン・ワーク(知能
ワーク)」の頭文字をとって、「BW」とした。「実験」という名前をつけたのは、ある時期、
大きな問題のある子どもだけを、私の方から頼んで、(そのため当然無料だったが)、来て
もらったことによる。

私の教室は、いつも子どもたちの笑い声であふれている。「笑えば伸びる」が、私の教育モ
ットーになっている。その中でも得意なのは、満四・五歳から満五・五歳までの、年中児
である。興味のある人は、一度訪れてみてほしい。ほかではまねできない、独自の教育を
実践している。


【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【自尊教育】(前篇)(つづきは、次回です。)

【自尊教育】

++++++++++++++++

東京都教育委員会は、今度、自尊教育を始めるそうです。
どんな教育を考えているのかは知りませんが、しかし自尊教育ほど、
簡単なものはありません。
「ほめる」。
たったそれだけのことで、子どもは、自分に対して肯定的な
評価をくだすようになります。

が、そうでない子どもが多い。
発達心理学的に言えば、「自我の同一性(アイデンティティ)」の
構築に失敗したということになります。

さらに最近では、それが大脳生理学の分野でも、証明されています。
そのカギを握るのが、辺縁系にある、扁桃核(扁桃体)ということに
なります。
「教育」でできる……というよりは、これは「家庭」の問題かな。
さらに言えば、幼児期から少年少女期への移行期(4・5~5・5歳)
における指導が重要ということになります。

それを書く前に、産経新聞の記事から抜粋させてもらいます。

+++++++++++++以下、産経新聞・090310++++++++++

 日本の子供たちは自分が嫌い-。東京都教育委員会が公立の小中学生、都立高校生を対
象に「自尊感情」について調査したところ、中高生の5~6割が「自分」を好意的にとら
えていないことが10日、分かった。日本の子供たちの自尊感情の低さはこれまでも指摘
されてきたが、自治体レベルで大規模な調査が行われたのは初めて。都教委は現状を深刻
に受け止め、「自分の存在や価値を積極的に肯定できる子供を育てる」とし、4月から小学
校で試験的に“自尊教育”を実施する。

 都教委は昨年11~12月、都内の小学生4030人、中学生2855人、高校生58
55人を対象に、自尊感情や自己肯定感をテーマにしたアンケートを行った。 

 調査結果によると、中学生では「自分のことが好きだ」との問いに、「そう思わない」「ど
ちらかというとそう思わない」と否定的に回答した割合が、中1=57%、中2=61%、
中3=52%に上り、全学年で「そう思う」「どちらかというとそう思う」と肯定的に答え
た割合を上回った。高校生でも否定的な考えが目立ち、高1=56%、高2=53%、高
3=47%だった。

 小学生では、小1の84%が肯定的な回答をしたが、学年が上がるにつれてその割合は
低下し、小6では59%となっている。

 このほか、国内外の青少年の意識などを調査・研究している財団法人「日本青少年研究
所」の国際調査(平成14年)でも「私は他の人々に劣らず価値のある人間である」との
問いに「よくあてはまる」と回答した中学生が、アメリカ51・8%、中国49・3%だ
ったのに比べ、日本は8・8%と極端に低かった。

+++++++++++++以上、産経新聞・090310++++++++++

数字が並んでいるので、整理させてもらう。

中学生
「自分のことが好きだ」
「そう思わない」「どちらかというとそう思わない」と答えた子ども
中1……57%、
中2……61%
中3……52%

高校生でも否定的な考えが目立ち、高1……56%
高2……53%
高3……47%

小学生では、小1……84%が肯定的な回答をしたが、学年が上がるにつれてその割合は
低下し、小6では59%となっている。

++++++++++++++++++

以上の数字をまとめると、こうなります。
小学1年生では、84%が、「肯定的だが」、学年が進むと、小学6年生では、それが
59%に低下する。
さらに中学生になると、50%台、高校生になると、40%台に低下するということ。

しかしこの数字を見て私が驚いたのは、小学1年生で、84%しかいないということ。
「小学1年生で、もう84%!」と。
その入口にいる子どもですら、肯定的に自分をとらえている子どもが、84%しかいない
ということに注目してください。

しかし「自尊教育」ほど、簡単なものはないのです。
順に説明してみましょう。

+++++++++++++++++++

「私はこうありたい」「こうあるべき」という(像)を、
「自己概念」といいます。
おとなだけではなく、子どももみな、この自己概念を
描きながら生きています。

それに対して、そこに(現実の自分)がいます。
これを「現実自己」といいます。

この両者が一致した状態を、「自我の同一性が確立した状態」と
いいます。
このタイプのおとなは、(もちろん子どもも)、
外界からの誘惑に対しても、強い抵抗力を示します。
もちろん、自尊感情も強く、現実感覚もしっかりと
しています。

それについて書いたのが、つぎの原稿です。
少し余計なことも書いていますが、どうか
がまんして読んでください。


++++++++++++++++++++

●自我の同一性(アイデンティティ)の確立

●世間的自己

 少し前、(自己概念)と(現実自己)について、書いた。「自分は、こうあるべきだとい
う私」を(自己概念)といい、「現実の私」を(現実自己)という。

 これら二つが近接していれば、その人は、落ちついた状態で、自分の道を進むことがで
きる。しかしこれら二つが遊離し、さらに、その間に超えがたいほどの距離感が生まれる
と、その人の精神状態は、きわめて不安定になる。劣等感も、そこから生まれる(フロイ
ト)。

 たとえば青年時代というのは、(こうであるべき自分)を描く一方、(そうでない自分)
を知り、その葛藤に(かっとう)に苦しむ時代といってもよい。

 そこで多くの若者は、(そうであるべき自分)に向って、努力する。がんばる。劣等感が
あれば、それを克服しようとする。しかしその(そうであるべき自分)が、あまりにもか
け離れていて、手が届かないとわかると、そこで大きな挫折(ざせつ)感を覚える。

 ……というのは、心理学の世界でも常識だが、しかしこれだけでは、青年時代の若者の
心理を、じゅうぶんに説明できない。

 そこで私は、「世間の人の目から見た私」という意味で、(自己概念)と(現実自己)に
ほかに、3つ目に、(世間的自己)を付け加える。

 「私は世俗的他人からどのように評価されているか」と、自分自身を客観的に判断する
ことを、(世間的自己)という。具体的に考えてみよう。

+++++++++++++++++

 A子さん(19歳)は、子どものころから、音楽家の家で育ち、持ち前の才能を生かし
て、音楽学校に進学した。いつかは父親のような音楽家になりたいと考えていた。

 しかしこのところ、大きなスランプ状態に、陥(おち)いっている。自分より経験の浅
い後輩より、技術的に、劣っていると感じ始めたからだ。「私がみなに、チヤホヤされるの
は、父親のせいだ。私自身には、それほどの才能がないのではないか?」と。

 ここで、「父親のような音楽家になりたい」というのは、いわば(自己概念)ということ
になる。しかし「それほどの才能がない」というのは、(現実自己)ということになる。

 しかしAさんは、ここでつぎの行動に出る。自分の父親の名前を前面に出し、その娘で
あることを、音楽学校の内外で、誇示し始めた。つまり自分を取り囲む、世間的な評価を
うまく利用して、自分を生かそうと考えた。「私は、あの○○音楽家の娘よ」と。

 これは私がここでいう(世間的自己)である。

+++++++++++++++++++

 少し話がわかりにくくなってきたので、もう少しかみくだいて説明してみよう。

 世の中には、世間体ばかりを気にして生きている人は、少なくない。見栄、メンツに、
異常なまでに、こだわる。名誉や地位、肩書きにこだわる人も、同じように考えてよい。
自分の生きザマがどこにあるかさえわからない。いつも他人の目ばかりを気にしている。

 「私は、世間の人にどう思われているか」「どうすれば、他人に、いい人に思われるか」
と。

 そのためこのタイプの人は、自分がよい人間に見られることだけに、細心の注意を払う
ようになる。表と裏を巧みに使い分け、ついで、仮面をかぶるようになる。(しかし本人自
身は、その仮面をかぶっていることに、気づいていないことが多い。)

 これは極端なケースだが、こういう人のばあい、その人の心理状態は、(自己概念)と(現
実自己)だけは、説明できなくなる。そもそも(自己)がないからである。

++++++++++++++++++++

 そこで(私)というものを考えてみる。

 (私)には、たしかに、「こうでありたいと願っている私」がいる。しかし「現実の私は
こうだということを知っている私」もいる。で、その一方で、「世間の人の目を意識した私」
もいる。

 これが(自己概念)(現実自己)、そして(世間的自己)ということになる。私たちは、
この三者のはざまで、(私)というものを認識する。もちろん程度の差はある。世間を気に
してばかりしている人もいれば、世間のことなど、まったく気にしない人もいる。

 しかしこの世間体というのは、一度それを気にし始めると、どこまでも気になる。へた
をすれば、底なしの世間体地獄へと落ちていく。世間体には、そういう魔性がある。気が
ついてみたら、自分がどこにもないということにもなりかねない。

 中学生や高校生を見ていると、そういう場面に、よく出あう。

 もう15年ほど前のことだが、ある日、1人の男子高校生が私のところへやってきて、
こう聞いた。

 「先生、東京のM大学(私立)と、H大学(私立)とでは、どっちが、カッコいいでし
ょうかね。(結婚式での)披露宴でのこともありますから」と。

 まだ恋人もいないような高校生が、披露宴での見てくれを心配していた。つまりその高
校生は、「何かを学びたい」と思って、受験勉強をしていたわけではない。実際には、勉強
など、ほとんどしていなかった。その一方で、現実の自分に気がついていたわけでもない。

 学力もなかったから、だれでも入れるような、M大学とH大学を選び、そのどちらにす
るかで悩んでいた。つまりこれが、(世間的自己)である。

+++++++++++++++++++++++

 これら(自己概念)(現実自己)(世間的自己)の三者は、ちょうど、三角形の関係にあ
る。

 (自己概念)も(自己評価)も、それほど高くないのに、偶然とチャンスに恵まれ、(世
間的自己)だけが、特異に高くなってしまうということは、よくある。ちょっとしたテレ
ビドラマに出ただけで、超有名人になった人とか、本やCDが、爆発的に売れた人などが、
それにあたる。

 反対に(自己概念)も(自己評価)も、すばらしいのに、不運がつづき、チャンスにも
恵まれず、悶々としている人も、少なくない。大半の人が、そうかもしれない。

 さらにここにも書いたように、(自己概念)も(現実自己)も、ほとんどゼロに等しいの
に、(世間的自己)だけで生きている人も、これまた少なくない。

 理想的な形としては、この三角形が、それぞれ接近しているほうがよい。しかしこの三
角形が肥大化し、ゆがんでくると、そこでさまざまなひずみを引き起こす。ここにも書い
たように、精神は、いつも緊張状態におかれ、ささいなことがきかっけで、不安定になっ
たりする。

++++++++++++++++++++++

 そこで大切なことは、つまり親として子どもを見るとき、これら三者が、子どもの心の
中で、どのようなバランスを保っているかを知ることである。

 たとえば親の高望み、過剰期待は、子どものもつ(自己概念)を、(現実自己)から、遊
離させてしまうことに、なりかねない。子ども自身の自尊心が強すぎるのも、考えもので
ある。

 子どもは、現実の自分が、理想の自分とあまりにもかけ離れているのを知って、苦しむ
かもしれない。

 さらに(世間的自己)となると、ことは深刻である。もう20年ほど前のことだが、毎
日、近くの駅まで、母親の自動車で送り迎えしてもらっている女子高校生がいた。「近所の
人に制服を見られるのがいやだから」というのが、その理由だった。

 今でこそ、こういう極端なケースは少なくなったが、しかしなくなったわけではない。
世間体を気にしている子どもは、いくらでもいる。親となると、もっといる。子どもの能
力や方向性など、まったく、おかまいなし。ブランドだけで、学校を選ぶ。

 しかしそれは不幸の始まり。諸悪の根源、ここにありと断言してもよい。もちろん親子
関係も、そこで破壊される。

 ……と話が脱線しそうになったから、この話は、ここまで。

 そこであなた自身は、どうか。どうだったか。それを考えてみるとよい。

 あなたにはあなたの(自己概念)があるはず。一方で、(現実自己)もあるはず。その両
者は、今、うまく調和しているだろうか。もしそうなら、それでよし。しかしもしそうで
ないなら、あなたは、今、ひょっとしたら、悶々とした毎日を過ごしているかもしれない。

 と、同時に、あなたの(世間的自己)をさぐってみるとよい。「私は世間のことなど、気
にしない」というのであれば、それでよし。しかしよくても悪くても、世間的自己ばかり
を気にしていると、結局は、疲れるのは、あなた自身ということになる。

 (私)を取りもどすためにも、世間のことなど、気にしないこと。このことは、そのま
まあなたの子育てについても、言える。あなたは自分の子どものことだけを考えて、子育
てをすればよい。すべては、子どもから始まり、子どもで終わる。

 コツは、あなたが子どもに抱く(子どもの自己概念)と、子ども自身が抱く(現実自己)
を、遊離させないこと。

その力もない子どもに向かって、「もっと勉強しなさい!」「こんなことで、どうするの!」
「AA中学校へ、入るのよ!」では、結局は、苦しむのは、子ども自身ということにな
る。
(はやし浩司 現実自己 自己概念 世間的自己 世間体)


【つづきは次回……】


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●カルチャー・ショック

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今日、浜名湖を、雄踏(ゆうとう)側から
村櫛(むらくし)海岸まで
歩いてみた。
往復で、ちょうど2時間。
距離にすれば、8~10キロ。
よい運動になった。

で、その帰り道、ふと見ると、いくつかの
グループが、堤防の手前の空き地で、
サッカーをしていた。
ランニングしている人も、何人かいた。
サイクリングをしている人も、何人かいた。
今ではどこにでもある、見慣れた光景だが、
40年前には、そうではなかった。
たった、40年前、である。

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●驚きの連続

私がオーストラリアへ渡ったのは、1970年。
大阪万博の開かれた年である。

毎日が、驚きの連続だった。
大学生の中には、青いボールペンを使って、青字でメモを取っている
のがいた。
日本では、「ビックス」は、菓子屋で、飴として売られていた。
が、オーストラリアでは、風邪薬だった。
私はカレッジで、乾燥機なるものを生まれてはじめて見たし、
綿棒にしても、そうだ。
ブルーベリーのジャムも、生まれてはじめて食べた。
何よりも驚いたのは、向こうの学生たちが、オレンジを袋単位で
買っていたこと。
日本では、一個売りがふつうだった。

見るもの、聞くもの、すべてが珍しかった。
そんな中、ある日、郊外の友人宅を訪れると、ちょうど土曜日
ということもあって、みなが、戸外でスポーツを楽しんでいた。
その光景を見て、私は、驚いた。
驚いたということは、それまでそういう光景を、日本では
見たことがなかった。

●今でこそ……

今でこそ、日本には、何もかもある。
青いボールペンもある。
綿棒もある。
乾燥機もある。
しかし当時のオーストラリアには、日本にはまだないものが、
山のようにあった。

「サンベイジング(Sun-Bathing)」というのも、そうだった。
まだ春先の寒い日だったが、みなが、サンベイジングに行こうと言った。
今でいう日光浴だが、私はそんな春先に、水着など来たことがない。
言われるままついていくと、海岸で、みなが、日光浴をしていた。

また別の日。
その日は雨が降っていた。
見ると一人の友人が、キャンピングの準備をしているではないか。
「どこへ行くのか?」と聞くと、「キャンプだ」と。
「雨の日に行くのか?」と聞くと、「ぼくは雨が好きだ」と。
オーストラリアは、乾燥大陸。
雨に対する感覚が、私たちのそれとは、ちがっていた。
それはわかるが、「雨の日にキャンプする」という感覚は、日本人の
私には理解できなかった。

ほかにも、ある。
女子学生でブラジャーをしているのは、いなかった。
中には、パンティをはいていないのもいた。
裸に対する感覚も、日本人のそれとは、ちがっていた。

毎日が、この連続。
日本人の私がもっている常識は、ことごとく破壊された。

●常識

で、私はそういう意味では、ラッキーだったと思う。
青年期という、かなり早い段階で、自分の常識を疑うようになった。
このことは、そのあと、日本だけに住み、日本しか知らない人たちの
それとくらべてみると、よくわかる。

私たちがもっている常識などというものは、その国の、その地方の、
その家族の中で、作られたもの。
けっして、世界の常識ではない。
が、そんなことも理解できず、いまだに、その国の、その地方の、
その家族だけにしか通用しない常識にしばられている人は、
ゴマンといる。

が、それだけではない。
それまでの常識をこなごなに破壊された私は、まったく別の常識を、
自分の中でつくりあげることができた。

「できた」というと、大げさな言い方に聞こえるかもしれないが、
今という時代からあの時代をながめると、そう思う。

●職業観

いちばん大きな影響を受けたのが、職業観ということになる。
先日、劇場で、『おくりびと』という映画を見てきた。
よい映画だった。

その中で、1人の男性(公務員)が、主人公の納棺師に向かって、
「まともな仕事をしろ」と言うシーンがあった。
主人公の妻ですら、夫が納棺師であることを知って、家を出る。
こうした職業観というのは、日本独特のもので、世界には、類はない。
日本人は、江戸時代の昔から、職業、それに地位や立場で、その人の
価値を決める。
「私はちがう」と思っている人でも、江戸時代の、あの身分制度という
亡霊を、いまだに引きずっている。

常識をこなごなにすることによって、私は、その向こうに別の常識を
見た。
だから三井物産という会社をやめて、幼稚園の講師になったときも、
まったくといってよいほど、抵抗はなかった。
「やりたいことをする」
「お金に名前はついていない」と。

●意識のちがい

が、そういう常識に縛られている人も、少なくない。
「まともな仕事論」を口にする人は、今でも多い。
しかし(まともな仕事)とは、何か?
そんなものは、今も、昔もない。

たとえば前にも書いたが、オーストラリアでは、銀行員の仕事は、
高卒の仕事ということになっていた(当時)。
日本では、大卒の仕事ということになっていた(当時)。
またオーストラリアでは、4年生の大学の工学部を出た人でないと、
ユンボやブルドーザーを動かすことができなかった(当時)。

さらに私のいちばん仲がよかった友人のD君は、自ら、外交官の
仕事を蹴飛ばしてしまった。
「アメリカやイギリスなら生きたいが、残りの99%の国へは
行きたくない」と。
もともとあの国は移民国家。
「外国へ出る」という意識そのものが、日本人のそれと、180度
ちがっていた。

●偏見との闘い

日本へ帰ってきてからの私は、まず、そうした偏見と闘わねば
ならなかった。
たとえばこの浜松市では、地元の人間の価値を認めなかった(当時)。
何でも、「東京から来た」というだけで、ありがたがった。
田舎根性というか(失礼!)、目が東京のほうばかりに向いていた。
(今でも、その傾向は強いが……。)

逆に、東京の人は、地方の価値を認めていなかった(当時)。
出版社で本を出すときも、地位や肩書きのない私は苦労した。
ごく最近でも、「あなたの本を出してもいいが、○○教授の名前でなら
出してもいいが、どうか?」と打診してきた出版社があった。
40年前の当時には、そうしたインチキが、ごく当たり前のように、
なされていた。

一方、おもしろいことに、東京に住んでいる人は、何でも「外国から来た」という
だけで、ありがたがる。
最近でも、どこかの飲料水会社が、幼児教育を始めるという。
イタリアの幼児教育を、日本へもってくるという。
東京の人たちは、そういう話になら、すぐ飛びつく。

こうした中央集権意識というか、権威主義というのも、やはり日本独特のもの。
それまでの常識を、こなごなに破壊して、はじめてわかる。

●職意識

振り返ってみると、あの当時の常識を、世界の常識と思い込んだまま、
その世界だけで生きてきた人は、かわいそうだと思う。
その世界しか知らない。
そのすぐ外には、まったく別の、もっと広い世界が広がっている。
それにすら、気がつかない。
気がつかないまま、人生を、棒に振った。

たいへん失礼な言い方に聞こえるかもしれないが、多くの人は、
それすら認めようとしない。

で、最近、「職意識」という言葉を耳にすることが多くなった。
「日本人の職意識を変えよう」とか、何とか。
つまり日本人は、「仕事」というと、「就職」、つまりどこかの会社に
入ることしか考えない。
自分で独立して、何かをするということを考えない。

もちろん独立を考える人もいるにはいるが、まだまだ少数派。
いても、親の仕事を引き継ぐ程度。
だからその意識を、根本から変える。
何も大会社に就職して、そこで一生を終えるのが、あるべき人生の
姿ではない。
理想の姿でもない。
そういう人も必要かもしれないが、しかしみながみな、それに従う必要はない。

「私は私」という部分さえ確立できれば、仕事は、そのつぎにやってくる。
その結果として、就職ということもあるかもしれない。
しかし何も就職に縛られることはない。
むしろ『みなと同じことをしていると感じたら、自分が変わるべきとき』
(マーク・トゥエイン)。

あなたがどんな仕事をしていたところで、構わない。
納棺師だって、構わない。
すばらしい仕事ではないか。
もしそういうあなたを笑う人がいたら、反対に笑ってやればよい。
「じゃあ、あなたはどんな人生を歩いているのですか」と。

●再び常識論

私たちがもつ常識といっても、その時代、その時代で、作られるもの。
もちろん今の常識が、正しいというわけではない。
今の常識だって、100年後には、笑い話になるかもしれない。
しかし大切なことは、そういう笑い話になるかもしれないという前提で、
今の常識を、常に疑っていくこと。
けっしてそれを「正しいもの」と思い込んで、立ち止まってはいけない。
立ち止まったとたん、あなたは保守派に変身し、その向こうにある、
もっと広い世界を見失うことになる。

もっとも、それをよしとするなら、それもよし。
しかしそれでは、もったいない。
どうせたった一度しかない人生。
だったら、できるだけ広い世界を見る。
そのほうが楽しいし、おもしろい。

……帰りの車の中で、私とワイフは、そんな会話をした。

私「今では、みな、当たり前のように、ああしてスポーツを楽しんでいる」
ワ「40年前にもあったけど、学校の部活くらいなものだったわ」
私「そうだね。でもね、ぼくが驚いたくらいだから、当時の日本には、
なかったんだよ」
ワ「それだけ日本が豊かになったということ?」
私「そうだろうね」と。

(はやし浩司 Hiroshi Hayashi 林浩司 教育 子育て 育児 評論 評論家
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