*A toiklet and a bathroom in one single room!
●意識のちがい(Toiket and Bathroom)
In western world they have, in most cases, a bathroom and a toilet in one single room. It may be a serious problem for us, Japanese. What shall we do if someone comes in when I am sitting on a toilet. Why do they have a toilet and a bathroom in one single room?
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いくら欧米化が進んでも、またいくら
アメリカやオーストラリアの家がすてきと思っても、
どうしても、納得できないものがある。
あのトイレである。
欧米では、バスルームとトイレが同じ部屋にある。
ほとんどの家庭では、そうである。
バスルームへ入っているときも、落ち着かない。
トイレを使っているときも、落ち着かない。
だれかがシャワーを浴びているとき、便意を
もよおしたら、どうすればよいのか。
反対のばあいでもよい。
シャワーを浴びているとき、となりでだれかが
用を足したら、どうすればよいのか。
これは日本人にとっては、大問題である。
実際、向こうで生活していると、そういう場面に、
よく出くわす。
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意識のちがいというより、生活、文化、風習のちがいは、ときとして、私たちを驚かす。教育の世界でも、しばしば経験する。それについてはたびたび書いてきたので、ここでは省略する※。
要するに、私たちがもっている意識にしても、常識にしても、けっして世界の標準でもなければ、基準でもないということ。ときには、世界の標準や基準と、大きくかけ離れていることもあるということ。
最近でも、こんなことに驚いた。
今、マスコミの世界では、毒入りギョーザ事件が、大きく騒がれている。それについて今朝(08年2月7日)の新聞報道によれば、どうやら製造過程で、だれかが故意に農薬を混入したということらしい。
しかし当初から、だれしも、そう思っていた。思っていたが、だれも、この日本ではそれを口にする人はいなかった。万にひとつの可能性でも残っているなら、そういったことを軽々に口にすべきではない。ひょっとしたら、日本人のだれかが混入したかもしれない……。
が、である。当の中国では、「日本人陰謀説」が、流されているという。つまり「中国の発展に嫉妬した日本人が、中国をおとしめるため、しくんだ陰謀である」(新聞報道)と。
しかしそんな(陰謀)など、ありえない。ありえないということなら、日本人なら、みな、わかる。日本にもワルはいるが、そういった陰謀(?)を仕組ほどのワルはいない。つまりここに意識の大きなズレがある。
が、問題は、どうしてそれほどまでに大きな意識のズレがこうした問題で、起きるかということ。もちろんそうした背景には、過去の歴史や、それから生まれる悶々とした反日感情がある。それが被害妄想につながり、それがさらに「陰謀」という言葉を生み出した(?)。
話が大きく脱線してしまったので、もとに戻す。
私たちはいつも、私の意識を疑う。国際というレベルの話はもちろんのこと、地域、さらには個人というレベルの話も、である。風習や文化にいたっては、なおさらである。だからといって、それを否定したり、排斥せよということではない。
私たちは自らを疑うことによって、つぎのステップに進むことができる。言いかえると、自分を疑うことを知らない人は、つぎのステップに進むことはできない。つまり進歩など、もとから望むべくもない。
ところでトイレの話だが、こんな話も伝わってきている。2年ほど前、私の家に寝泊まりしたオーストラリア人だが、こうメールで書いてきた。「今度、家を新築することになったが、ヒロシの家のように、トイレとバスルームを2つに分けた」と。
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