*How can we die...The Care Problem for an End
●介護問題(Care for an End)
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厚生労働省は、在宅死の割合を、
2025年までに、4割に引きあげるという
目標を上げた(08年)。
その根拠として、「国民の6割が、
病院以外での看取りを希望しているから」と。
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厚生労働省は、在宅死の割合を、2025年までに、4割に引きあげるという目標をあげた。
その根拠として、「国民の6割が、病院以外での看取りを希望しているから」と。
しかし本当に、そうか?
その一方で、こんな調査結果もある。
神奈川県保険医協会が実施した県民意識調査では、「最期まで自宅を望む」と答えた人が、1割程度にすぎなかったという(「医療介護情報CBニュース」・6月6日」)。
「青森県保険医協会が昨年行った調査でも、同様の結果が示されており、終末期医療の在り方が問われそうだ」(同、ニュース)とも。
どちらが正しいのだろう?
厚生労働省は、「6割」という。
神奈川県での県民意識調査では、「1割」という。
私自身のことで言うなら、
(1) 老後になっても、自分の息子たちには、めんどうをかけたくない。
(2) 実際問題として、親の最期を、自宅で看取るというのは、不可能。
もう少し、「医療介護情報CBニュース」を詳しく読んでみよう。
+++++++++++以下、医療介護情報CBニュースより++++++++++
神奈川県保険医協会では、脳血管疾患の終末期医療に関して、県民がどう考え、どのような不安を持っているかなどを把握するため、60歳以上を対象に意識調査を実施。3月からの約1か月間に回収できた143件を集計した。
脳血管疾患や認知症などで入院中、退院を勧告された場合に希望する療養場所については、「別のリハビリテーション病院」が39・8%、「長期療養できる医療施設」が14・6%と、医療系の施設が過半数を占めた。これに「介護施設」の12・5%を合わせると、自宅外を望む人が66・9%となった。
一方、「自宅」と答えた人は21・6%。このうち3分の1以上の人が「現在は(自宅で療養する)条件がない」とした。
また、自宅で療養中に肺炎などの疾患を併発した場合の療養場所については、「(必要な治療を受けるために)病院に入院を希望する」が、58・7%、「介護施設」が15・3%で、「(医療や介護を受けながら)最期まで自宅を望む」は12・5%にとどまった。この「最期まで自宅」という希望に関連して、実際に「自宅で看取ってくれる」と答えた人は、ゼロだった。
病院に入院することを望む人に、その理由(複数回答)を尋ねたところ、「回復の可能性があるなら、治療を受けたい」が53・5%、「自宅や施設での治療内容が不安」が45・2%に上った。
さらに、家族による自宅での看取りについては、「無理」が45・9%で、「看取ってくれる」は9%にすぎなかった。
自宅で最期まで療養する場合の課題(同)については、「家族の負担が大きすぎる」が55・9%、「(容態の)急変時の対応に不安」が49・6%、「家族の高齢化」が43・3%などだった。
在宅死については、青森県保険医協会が590人の県民を対象に実施した調査でも、脳血管疾患や認知症などで入院中、退院を勧告された場合に希望する療養場所について、「リハビリテーションができる病院」が47%、「長期療養できる医療施設」が14%と、医療系の施設が60%を超えており、「自宅」は11%だった。
+++++++++++++以上、医療介護情報CBニュース+++++++++++
数字を、少し、整理してみる。
最後の青森県保険医協会での調査結果が、わかりやすい。
それによれば、在宅死について……。
「リハビリテーションができる病院」……47%、
「長期療養できる医療施設」……14%
「自宅」……11%
となると、厚生労働省の「60%」という数字は、どこから出てきたのか。
「終末期医療に関する調査等検討会・04年度」が根拠になっているらしいが、それにしても、おかしい。
まさか、ねつ造?
ただここで注意しなければならないことがある。
(1) 老人自身の立場で考えた終末医療と、その周辺の家族の立場で考えた終末医療とは、まったく別ものであるということ。
(2) 老人自身の立場で考えると、「できれば自宅で……」と思っても、「現実には無理」ということが多いということ。(希望)と(現実)の間には、大きなギャップがある。
現実の話をしよう。
京都新聞の記事をそのまま紹介させてもらう。
+++++++++++以下、京都新聞、08年5月18日+++++++
京都府保険医協会はこのほど、終末期医療と医療制度改革について高齢者を対象に行ったアンケートの結果をまとめた。半数のお年寄りが「自宅で最期を迎えるのは無理」と回答し、理由には家族の介護負担などを挙げた。また75歳以上対象の後期高齢者医療制度に対し「死ねと言われているようだ」と怒りの声が目立った。
アンケートは今年3月中旬までに、京都市内の老人福祉センター17カ所の利用者ら約1300人に配布。719人から回答があった。
「脳血管障害や認知症で入院し、日常生活が難しいまま自宅に帰るように進められた場合、どこで暮らしたいのか」との問いに、45%の人が「リハビリができる病院」と回答。「自宅に戻る」と答えた人は10%だった。
自宅以外と回答した人は、理由として「回復する可能性があるならきちんと治療がしたい」(302人)「家族に迷惑を掛けたくない」(266人)を選択した。
また家族が自宅でみとってくれると答えた人はわずか11%で、半数の人が「自宅では無理」と答えた。
アンケートの自由記述では、後期高齢者医療制度への批判が目立った。「後期高齢者という名のもとに負担を強いられることに怒りを覚える。好んで病気になるのではないのに(脳こうそくで治療中)、治療に専念することが不安でならない」との声や、配偶者や親を介護した体験から、病院を数カ月ごとに転々とすることへの不安、大病院と医院との医療の格差から在宅医療態勢への不安を訴える声などが多かった。
ほかにも、「戦争で10年も損をして、自分の親やしゅうとめは自分を犠牲にして最後まで面倒をみたけど、このごろは長生きは悪いみたい。楽に死ねる薬を国が下さい」「必要以上の人工的処置での延命は望まない。しかし、政府の医療費削減のための方針は、人間の生きる望みを断ち切る施策で容認できない」などの記述があった。
+++++++++++以上、京都新聞、08年5月18日+++++++
要約すると、「実際問題として、自宅で最期を迎えるのは無理」ということ。
このことは、私自身も、経験している。
現在、私の母と兄は、それぞれ別々の施設で、「今後、延命処置はしません」と言われるような状態にある。
母にしても、兄にしても、(とくに兄は)、生きているのも、苦しそうといったふう。
果たしてそういう状態のまま、無理に生かしておくということが、よいことなのか、悪いことなのか、私にはよくわからない。
母についても、そうで、今では、寝たきり。
寝返りもうてない状態にある。
母は、流動食を、兄は、腹部にパイプを通して、そこから食物を流し込んでいる。
しかし母にしても、兄にしても、「おとなしくて静か」という点で、まだよいほう。
中には、(そういう老人のほうが、多いそうだが……)、夜中じゅう、泣き叫んだり、わめいたりする老人もいる。
暴力をふるう老人もいる。
また「親子」といっても、内容は、さまざま。
それまで良好な関係を保ちつづける親子というのは、そうはいない。
中には、この40年間、一度も顔を合わせていないという親子もいる。
(この話は、本当だぞ! 私の知りあいの中に、そういう親子がいる。)
こういうケースのばあい、「親だから……」「子だから……」という『ダカラ論』を、そのまま当てはめることは、できない。
その『ダカラ論』によって、苦しんでいる親子も、多い。
それはともかくも、老人の世話となると、たいへん。
気が抜けないというか、心の上に、重石を置いたような状態になる。
便臭と悪臭、それとも闘わねばならない。
風通しのよい家ならまだしも、高層のマンションでは、その苦労は、倍加する。
さらに施設にいるからといっても、安心できない。
いつなんどき、緊急の電話がかかってくるか、わからない。
この私だって、一泊旅行となると、かなり気が引ける。
日帰り旅行にしても、母の容体を、そのつどたしかめてから出かけるようにしている。
そういう自分を知っているから、「実際問題として、自宅で最期を迎えるのは無理」ということになる。
またそういう苦労を知っているから、「家で最期を迎えたい」という気持ちはあっても、「子どもたちには、迷惑をかけたくない」という思いから、「最期は、病院で」となる。
なお、アメリカでは、自宅で最期を迎える人は多い。
そういう制度そのものが、整っている。
オーストラリアでは、ほとんどの人が、最期の時は、施設で迎えている。
そういう制度そのものが、整っている。
そういう制度を整えないまま、はっきり言えば、国の医療費を軽減する目的だけで、「在宅死の割合をあげる」というのであれば、私は、反対する。
なお厚生労働省は、つぎのように説明している。
「終末期医療については、厚労省の「終末期医療に関する調査等検討会」が04年にまとめた報告書で、「(看取りについて)自宅を希望している国民が約6割」と発表。これを受け、厚労省は「患者の意思を尊重した適切な終末期医療を提供する」として、25年までに自宅等での死亡割合を現在の2割から4割に引き上げることを目標に掲げている」(医療介護情報CBニュース)と。
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