Education in Front-Line and Essays by Hiroshi Hayashi (はやし浩司)

(Mr.) Hiroshi Hayashi, a professional writer who has written more than 30 his own books on Education, Chinese Medical science and Religion in Japan. My web-site is: http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/ Please don't hesitate to visit my web-site, which is always welcome!!

Friday, June 06, 2008

*How to accept the death

●「最高の人生の見つけ方」(The Bucket List)

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ジャック・ニコルソン、モーガン・フリーマン
主演の、『最高の人生の見つけ方』を見てきた。

よかった。

星は4つの、★★★★。

一語ずつ、セリフに、重みが感じられた。
その(重み)が、ズシリ、ズシリと、
心に響いた。

「余命、6か月、一生分、笑う」という
サブタイトルもよい。

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ともに「余命、6か月」と宣告された2人の老人。
ジャック・ニコルソンは、80数歳、
モーガン・フリーマンは、66歳という役ではなかったか?
(記憶による数字なので、まちがっているかもしれない。)

その2人が、意気投合。
最後にしたいこと、し残したことをするため、旅に出る……。

スカイダイビングをしたり、カーチェイスをしたり……。
ピラミッドにも登る、タージマハールも見る、エベレストにも登る……。
で、最後は、一番大切なことをして、この世を去る……。

超億万長者だが、いつも孤独という、ジャック・ニコルソン。
貧しいが、暖かい家族に恵まれている、モーガン・フリーマン。
そのあたりの設定は、(できすぎ)といった感じがしないでもなかった。

が、何といっても、セリフがよかった。
それぞれのセリフに重みがあった。
その(重み)が、そのつど、ズシリ、ズシリと、私の心に響いた。

何度も書いてきたが、「老後になったら、すべきことをさがして、
そのすべきことをする」。
「したいことをする」のではない。
「すべきことをする」。

が、いよいよ末期になったら……。
そのヒントは、モーガン・フリーマンが演じて見せてくれた。
最後の最後まで、誠実さを貫き、家族を大切にする。
結局は、私たちは、そこへ行き着くのではないか。

劇場から出てくるとき、ワイフにこう言った。
「今度、DVDが出たら、また、見よう」と。

劇場では、セリフをメモすることはできない。
DVDなら、それができる。
それで、ワイフにそう言った。

なお映画の中に、「キューブラー・ロスの死の受容段階論」が出てきた。
その段階論について、簡単におさらいをしておきたい。

●キューブラー・ロスの死の受容段階論(「発達心理学」山下冨美代著、ナツメ社より)

(第1期) 否認……病気であることを告知され、大きなショックを受けたのち、自分の病気は死ぬほど重いものではないと否認しようとする。

(第2期) 怒り……否認の段階を経て、怒りの反応が現れる。その対象は、神や周囲の健康な人、家族で、医療スタッフに対する不平不満としても生ずる。

(第3期) 取り引き……回復の見込みが薄いことを自覚すると、神や医者、家族と取り引きを試みる。祈ることでの延命や、死の代償として、何かを望む。

(第4期) 抑うつ……死期が近づくと、この世と別れる悲しみで、抑うつ状態になる。

(第5期) 受容……最後は平静な境地に至という。運命に身を任せ、運命に従い、生命の終わりを静かに受け入れる。(以上、同書より)

私はまだ幸いにも、「死を受容する」というような大病を患ったことがない。
ないので、軽々に、「死の受容段階論」を論ずることはできない。

しかし反対の立場で、こんな経験をしている。

若いころ、たいへん仲のよい友人がいた。Mさん(男性)といって、当時31歳だった。
そのMさんだが、ある日、ショッピングセンターの中で、ばったりと出会った。
そのときのこと。
私は、Mさんの、あまりにもよそよそしい態度に驚いた。
声をかけても、半ば、私を無視するような態度をしてみせた。
瞬間、私は、「何か、悪いことでもしたのかな?」と、自分を疑った。

あとで聞いたら、そのときMさんは、すでに、末期ガンで、ホスピスに入院していたという。

同じようなことを、最近、別の友人(享年、60歳、男性)でも、経験した。
その友人は、ごく最近、亡くなったが、その友人と出会ったときも、そうだった。
その友人も、同じように、よそよそしい態度をしてみせた。
そして同じように、瞬間、私は、「何か、悪いことでもしたのかな?」と自分を疑った。

こうした(よそよそしさ)は、末期にある人に共通して見られる現象なのかもしれない。
キューブラー・ロスの「段階論」による、第2期の(怒りの段階)?
(怒りの段階)になると、「健康に人に対する怒りが現れる」(同書)とある。
それが転じて、(よそよそしくなる)?

私にはよくわからないが、そういうふうにも解釈できなくはない。
あるいは、死の恐怖と闘うだけで精一杯という状態になるのかもしれない。

●キューブラー・ロスの死の受容段階論・補足

私は今まで、身近で、何人かの人たちの末期を見てきた。
そういう人たちが私に見せた様子を、ここに書きとめておきたい。

(第1期) 否認……たとえばガンと宣告されたり、ガンの手術を受けたりすると、たいていの人は、「私のは軽かった」「まだ小さいうちに切り取ったから、安心」「本当に、がんだったかどうか、あやしいものだ」とか言う。

(第2期) 怒り……病院へ通いながらも、「あの医師は、不親切だ」「あの病院は、ちゃんと検査してくれない」「看護士の対応のし方が悪い」などと、不平、不満を並べる。

(第3期) 取り引き……この時期、それまで休んでいた信仰を再開したり、教会や寺を回るようになる人が多い。私の知人の中には、それまで、まったくの無神論者だったが、カトリックのクリスチャンになった人もいる。

(第4期) 抑うつ……第4期に抑うつ状態になるというよりは、全体として、抑うつ状態になるのでは? 見舞いに行ったりすると、妙に元気で、明るく振る舞う人も少なくない。これは抑うつ状態を隠そうとするための、演技ではないか。

(第5期) 受容……このころになると、「私はガンです。余命は、あまりありません」と、手紙に書いてきたりする。数年前だが、35年ほどつきあった医師の友人から、「正月まで生きているかどうかわかりませんから、年賀状を今のうちに出しておきます」という手紙をもらったことがある。私の義父も、死の直前は、毎日ベッドの上で正座して、瞑想にふけっていた。死を受容するということは、そういうことか。

私も、やがてすぐ、死を迎えるようになる。
映画『最高の人生の見つけ方』の中では、どこか茶化しながら、「お前は、怒りの段階だ」などと言っていたセリフがあったように思う。
私も、同じ人間だから、同じような段階を経て、やがて死を迎えることになるだろう。
ただ願わくは、そのとき、後悔するような生き方だけは、今、したくない。
できれば、(第1期)~(第4期)はできるだけ早くすまして、(第5期)の状態になりたい。
それができるかどうか、今のところ、まったく自信はないが……。

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