Education in Front-Line and Essays by Hiroshi Hayashi (はやし浩司)

(Mr.) Hiroshi Hayashi, a professional writer who has written more than 30 his own books on Education, Chinese Medical science and Religion in Japan. My web-site is: http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/ Please don't hesitate to visit my web-site, which is always welcome!!

Sunday, June 29, 2008

*The Road that leads you to Old Men

●認知症への道

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昨日、地元のバス会社が運営する
Bツアーを利用して、滋賀県まで
行ってきた。

で、バスに乗ったとたん、ムッと
するような悪臭!
強烈な悪臭!
……ニンニクと酒の臭い!

私たちは、西インターというところで
バスに乗り込んだが、それまで
そのバスは、あちこちで乗客を
集めながら、1時間ほど、走っている。

乗客の中に、ニンニクを食べた人が
いたらしい。
加えてバスの中には、すでに酒
(日本酒や焼酎)を飲んでいる人もいた!

幸い、私たちの席は、最後部。
席につくと、すぐ窓をあけた。

しかしそれにしても、すごい悪臭!

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●内側の人格

加齢とともに、内側に潜んでいた人間性が、そのまま
表に出てくるようになる。

若いときは、気力で、それをごまかすことができる。
それらしい人物に、振る舞うことができる。

しかし加齢とともに、その気力が弱くなる。
そのため、ここに書いたように、内側に潜んでいた人間性が、
そのまま表に出てくるようになる。

バスの乗客のうち、55~60歳くらいの人が、3~6人。
ほとんどの人は、70~75歳前後の人たちだった。

7~8割の人は、静かな会話をしていたが、そうでない人たちもいた。
ギャーギャー、ワハハ、ケタケタ……と。

おまけに冒頭に書いたように、ニンニクと酒の臭い。
臭いというより、強烈な悪臭!
プラス、乗ったときは気づかなかったが、加齢臭!

そういう人たちを見ながら、私は改めて、こう考えた。

「人は、ある日突然、老人になるのではない。
少しずつ、時間をかけて、老人になる」と。

それはそのとおりで、だれもこの説を疑う人はいない。

が、ここでいう「老人」というのは、「認知症の老人」のことをいう。
つまりバスの中の人たちは、ケア・センターにいる老人と、
若い人たちの、ちょうど、中間あたりにいるということになる。
(あるいは半分、ケア・センターに足を踏み入れている?)

中には、すでにヘベレケに酔っぱらっている男性(75歳くらい)もいた。
そういう男性が、呂律(ろれつ)の回らない言い方で大声で話す。

「ヤーヤー、事故だヤー」
「ありゃあ、死んでるわナ~」
「事故だヤー、事故だヤー」と。

見ると、路肩に、2台、壊れた自動車が停まっていた。

私とワイフは、耳にイヤホーンを押し込んで、目を閉じた。

●近未来の私たち

そういう老人を見ながら、けっして笑ってはいけない。
直前に座っていた老人(70歳くらい)は、人間というよりは、
サルのような感じがした。
キョロキョロとせわしなくあたりを、見回しながら、そのつど、
意味のないことを口にしていた。

しかし、そういう老人は、私たち自身の、近未来の姿でもある。
私たち自身が、やがて、好むと好まざるとにかかわらず、
そのサルのような感じの人間になる。

私はその老人を、ななめうしろから見ながら、「では、どうすれば
そういう老人にならないですむか」を考えた。

私「あの人たちは、本を読むだろうか?」
ワ「読まないわよ」
私「じゃあ、音楽を聴くだろうか?」
ワ「聴かないわよ、きっと」
私「じゃあ、映画館で映画を見るだろうか?」
ワ「それは、ぜったいに、ありえないわよ」と。

子どもたちと接しているとき、ときどき(距離)を感ずることがある。
「こういう話をしても、理解できないだろうな」と。

そういうときは、話の方向性だけを話して、そでですます。
やがて子供自身が、私の話したことを起点にして、自分で
考えるようになる。

しかし相手が老人のばあいには、それがない。
(距離)というより、(絶望感)に近いものを感ずる。
「こういう話をしても、無駄」と。

つまりその未来性がないことが、老人の特徴ということになる。
が、さらに運の悪いことがつづく。

そういう老人を見ながら、若い人たちは、この私たち夫婦まで、
その老人の仲間に押し込んでしまう。
そのときのバスガイドも、そうだった。
雰囲気で、それがわかった。

ガイドといっても、低劣な話を、ペラペラと口にしているだけ。
それが間断なく、つづく。
加えて昨日は、帰りのバスの中では、またまたあのビデオ。
「釣りバカ日誌」。

もうこれであのビデオは、3回目!
しかも同じビデオ!
大音響!
それを私たちを老人だと思って、(たしかに老人だが……)、
天井からガンガンと流す。

Bツアーで旅行するときは、騒音軽減防止つきのイヤホンは、
必需品。

●進む、社会の高齢化

そのうち、3人に1人が、満65歳以上の老人になる。
予想ではない。
計算上、確実にそうなる。

しかし、これは深刻な問題である。
もしバスの中にいるような老人が、巷(ちまた)にあふれるように
なったら、そのとき若い人たちは、私たち老人を、どんな目で
見るようになるだろうか。

あたりかまわず、ニンニクの臭いを吐きだし、酒を飲む。
それにあの独特の加齢臭。

そう、加齢臭にしても、自分では、それがわからない。
そういう老人たちが、観光バスから外に出て、旅館に入る。
映画館に入る。
レストランに入る。

やがてニンニクの臭いを発している老人が、どの人かわかった。
トイレで、横に並んだとき、それがわかった。
たぶん、横にいる妻にうながされたのだろう。
始終、マスクを口にかけていた。
しかしニンニクに臭いは、マスクで防げるようなものではない。

老人問題というと、老人の側からしか考えない。
しかし若い人たちの立場から、つまり「どうすれば若い人たちに
嫌われないですむか」という立場でも、考える必要がある。

でないと、前から書いているように、私たちはそのうち、
社会の粗大ゴミになってしまう!
つまり私たちは若い人たちに、絶望感を覚えさせてはいけない!

私たちは若い人たちに、未来を与えなければならない。
未来を語らなければならない。
自分たちの経験や知識を伝えなければならない。
そういう老人を目指さなければならない。

今回は、運悪く、おしゃべりなバスガイドに当たってしまったが、
バスガイドを責めてもしかたない。

私たち乗客が、そうされるにふさわしい老人にしか見えなかったのだ。

(付記)
●全国のみなさんへ

この浜松市は、別名、「ギョーザの町」としても知られている。
駅の売店でも、ギョーザを売っている。
最近では、街中の肉屋まで、ギョーザを売るようになった。
そのため、浜松へ来るときは、消臭剤付きのマスクを忘れずに!
駅を降りたときから、ムッとするようなニンニクの臭いがするはず。

それがいやなら、すかさず駅前のラーメン店へ飛び込み、
あなた自身もギョーザを食べること。

●嫌われない老人になるために

老人といっても、「これだけは若い人に負けない」という
一芸をもとう。
その一芸を磨こう。
その一芸を光らせよう。

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 Hiroshi Hayashi education essayist writer Japanese essayist 老人問題 加齢臭)