*What is the Devils?
●悪魔論
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ものの本によれば、悪魔というのは、
情け容赦なく、相手を苦しめるという。
たとえば悪魔が、A氏ならA氏を苦しめよう
としたとする。
そういうとき、悪魔は、A氏には直接、
手をくだすようなことはしない。
(最終的には、A氏にも、手をくだすが……。)
まずA氏にとって、最愛の人、たとえば妻や
子どもに手をかける。
が、そのとき、情け容赦しない。
妻を殺したり、子を自殺に追い込んだりする。
A氏を生きたまま、苦しめる。
つまり悪魔というのは、相手を精神的に
追いつめるのを目的とする。
で、そのとき、A氏が自分の境涯をのろい、
ついで自ら破滅の道を選ぶなら、それこそ
悪魔の思うつぼ。
悪魔はますますキバをむいて、その人に
襲いかかってくる。
ここで重要なことは、悪魔は、A氏を苦しめる
にあたって、直接的な理由は、問題としない。
理由がなくても、(遠因はあるのだろうが)、
悪魔はA氏ならA氏を、苦しめにかかる。
では、その悪魔からの攻撃をさけるには、
どうしたらよいのか。
ものの本によれば、まず悪魔の正体を知る
ことだそうだ。
そして運命を受け入れ、自分の周辺を「愛」で
満たすことだそうだ。
そうすれば、悪魔は、向こうのほうから、
シッポを巻いて逃げていく。
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善悪論の果てにあるもの。
それが「悪魔論」である。
悪魔といっても、映画に出てくるような実体のある存在ではない。
もし悪魔の存在が認識できるとすれば、あくまでも、それは結果。
「結果的にみて、そうだった」とわかるに過ぎない。
……というようなことが、あるものの本に書いてあった。
しかしまったくの空想かというと、そうでもないような気がする。
私たちの心の中には、いつも善と悪が同居している。
善人、悪人といっても、バランスの問題でしかない。
善の割合の大きい人を、善人という。
悪の割合の大きい人を、悪人という。
しかしその「悪」が、その人の思いも知らないところで膨張し、「悪魔」となって、
その人を襲うことがある。
たとえば世の中には、常識では考えられないような不幸な人がいる。
家族がいる。
家系がある。
ただ誤解してはいけないのは、そのものの本によれば、悪魔というのは、
その人の財産や名誉や地位には、目もくれないそうだ。
あくまでもその人に、精神的なダメージを与えるのを、目的とする。
たとえば私たちが最大の敵とする(孤独)についても、財産や名誉や地位などと
いったものは、まったくの無力でしかない。
悪魔も、それを熟知している。
だから目もくれない。
そこで「愛」ということになるのだそうだが、しかし人間には、もうひとつ、
重要な武器が用意されている。
悪魔と戦うための武器である。
それが「英知(Wisdom)」ということになる。
たとえばここに、常識では考えられないような不幸な家系があったとする。
兄弟姉妹の家族に、例外なく、若くして自殺したり、不慮の災難で死んだ人がいる。
しかしこういうケースでも、心理学的な立場で分析していくと、ある共通した
事実が浮かび上がってくることがある。
結果(果)には、かならず原因(因)がある。
それをていねいにほぐしていくと、その先に、「では、どうすればよいか」ということが
見えてくる。
それが(英知)である。
ここでいう(ものの本)というのは、かなり宗教的な色彩の濃い本である。
ときどきその類の映画の中に、登場することがある。
言いかえると、そうした(ものの本)というのは、人間にじゅうぶんな英知が備わって
いないときに書かれたものと考えられなくもない。
が、今は、ちがう。
私たちは、自ら考えることによって、自分の足で立ち上がることを覚えた。
学んだ。
悪魔論の中身まで、読み取ることができるようになった。
……ということで、悪魔論の話はここまで。
もし今、あなたや、あなたの家族や兄弟姉妹が、得体の知れない不幸に見舞われて
いるとするなら、ここに書いたことを参考にしてみてほしい。
運命は、暖かく、愛情をもって受け入れる。
それだけで、悪魔は、向こうからシッポを巻いて、逃げていく!
つまり悪魔は、恐ろしいこともするが、そのくせ、小心で、気が小さく、臆病。
何ら、恐れることはない。
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 Hiroshi Hayashi education essayist writer Japanese essayist 悪魔 悪魔論)
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