*Aug 11th 2008
【8月11日】(月曜日)
Aug 11th Monday 2008
My wife and I have been to “Nyu-kasa-yama” mountain.
●リカルド
++++++++++++++++++
メルボルン大学のIH カレッジにいたとき、しばらくすると、隣の部屋に
「リカルド」という名前の学生が入居してきた。
「ベネズエラの石油王の息子」というような、紹介を受けた。
背の高い、いかにもスペイン系の男という感じだった。
(ついでに、アルジェリアから来ていた、レミという名前の男もいた。
彼もまた、石油王の息子と呼ばれていた。)
当時、私をのぞいて、オーストラリアあたりまで私費で留学してくる
学生というのは、そのレベルの、超の上に超がつく、金持ちばかりだった。
で、最近、ベネズエラの歴史に興味をもつようになった。
リカルドのこともあった。
で、当時の名簿で、本名を調べてみると、リカルド・ビエテ(Viete)
ということがわかった。
住所は、カラカス Axxxxx 10xxとなっていた。
今ごろはどうしているのか。
ベネズエラは、1970年以来、政変につづく政変で、当時からの糸は、ズタズタに
切れた。
だから今は、どうなっているかわからない。
今、よく覚えているのは、私が日本へ帰ると告げた日のこと。
リカルドは、あの大きな体で、私を包んだ。
何度も握手を繰り返した。
今、生きていれば、私と同じ、60歳くらいになっているはず。
Hiroshi Hayashi++++++++Aug 07++++++++++はやし浩司
● バスの中で……
++++++++++++++++++H.Hayashi
今、この原稿は、バスの中で書いている。
「入笠湿原」というところに向かっている。
諏訪湖(すわこ)を回るということだから、長野県の
どこかでだろう。
目的は、湿原散策。
2時間ほど、歩く。
つまり健康増進のため。
体力維持のため。
プラス、景色がすばらしければ、なおよい。
ところで「入笠」は、どう読むのか?
「いるかさ?」「にゅうかさ?」。
そのうちわかるだろう。
++++++++++++++++++H.Hayashi
私はもともと怠け者だから、何か必然性を感じないと、体を動かさない。
2,3度、スポーツジムとかスイミングクラブに通ったりしたこともあるが、
結局は、長続きしなかった。
散歩にしてもそうで、目的もなく、そのあたりを歩けと言われても、私にはできない。
だから、こういう旅行は、ありがたい。
……というより、旅行はワイフの趣味。
私のワイフは、若いときから、活動的。
「旅行が大好き」と、公言してはばからない。
一方、私は、旅行は、あまり好きではない。
仕事であちこちへ行くのは、それなりに楽しい。
が、今は、ワイフに主導されて、月に2、3度は、あちこちを旅行している。
で、今日は、入笠湿原。
ゴンドラに乗るのも、楽しみ。
その旅行だが、ここ10年ほどは、ほとんど国内旅行。
飛行機恐怖症の私には、海外旅行は、つらい。
息子がJ社でパイロットをしているおかげで、航空券がただで自由に手に入る。
にもかかわらず、旅行は、国内だけ。
バスか電車だけ。
言うまでもなく、気分転換には、旅行がいちばんよい。
が、それだけではない。
そのつど、サビつき始めた脳みそが、活性化する。
視野も広くなる。
ところどころにかいま見る家を見ながら、「ああいう家にも、さまざまなドラマがあるの
だろうな」とか思う。
そう思うだけで、自分の家のドラマが、よりしっかりとした輪郭をもって見えるように
なる。
そう、流行というのは、風景を楽しむためにするのではない。
その風景にとけ込んでいる人々を見るためにする。
そこにとけ込んでいるドラマを知るためにする。
また、それが楽しい。
(付記)
「入笠山」とは、「にゅうかさ・やま」と読むのだそうだ。
標高1955メートル前後の山だという。
「清里の反対側」と、ガイドさんは言った。
「南アルプスをはさんで、反対側」という意味か?
すいぶんと遠いところへ行くらしい。
……スヤスヤ……
この間、約1時間半ほど、私は眠った。
++++++++++++++++++H.Hayashi
● HP2133
今、バスの中で使っているパソコンは、HP2133。
バッテリーが2本ついて、計7時間前後の作業ができる。
今までいろいろなパソコンを使ったが、どれも半年を待たないで、
バッテリーが使えなくなってしまった。
いつもパソコンに装着して使っていたのが、まずかった。
正しくは、「使う直前になって装着するのがよい」そうだ。
知らなかった。
が、今は、7時間も使える!
CDも、30~40枚分、収録した。
ゲームも、いくつか入れた。
ひまなときは、それで楽しめる。
● ガイドさん
今日のガイドさん(あえて、~さん付けで呼ばせてもらう)は、最高だった。
8月11日(月曜日)、「入笠山コース」のガイドさんである。
名前を杉本さんと言った。
Bツアーにも、すばらしいガイドさんが、いる。
そこで私のガイド論。
(1) 中にはハイオクターブで、キャンキャンしゃべるガイドがいる。
うるさいのなんのといったら、ない。居眠りさえできない。
(2) 中には同じ話を何度も、繰り返すガイドがいる。
脳に飛来する情報を、口にしているだけ。
しかも情報の内容が安っぽい。
「日本のみやげもの、ナンバー・ワンは、~~」
「ほら、交通事故です」
「バイキングって、時間が決まっているんですよね」とか、など。
(3) ひどいのになると、マイクを使って、最前列付近の客と個人的な
会話をするのがいる。「携帯電話は遠慮してくれ」と言いながら、自分では
携帯電話以上の騒音をがなりたてている。
(4) ガイドの中には、定番以下の安っぽい話しかしないのがいる。
たとえば滋賀県が近づくと、必ずといってよいほど、「養老の滝」の話をするとか、など。
私などは、その話を、もう何十回も聞いた。
が、今日のガイドさんは、話し方も落ち着いていて、内容も専門的。
ときどき私は話を聞きながら、居眠りもしたが(失礼!)、それがかえって気持ちよかった。
まさに「おとなのガイドさん」だった。
見ると、今日の客の中には、外国人もいた。
専門書を読んでいる人もいた。
目を閉じてイヤホンで、音楽を聴いている人もいた。
田舎のおばちゃんたちがいなかったのも幸いした。
いつもだったら、かならずといってよいほど、そういうおばちゃんたちがいて、
ワイワイ、ギャーギャー、ゲラゲラと騒ぐ。
Bツアーを、今年も、すでに10数回以上利用させて
もらっている。
このあたりでは「遠鉄Bツアー」という。
その中でも、今日のガイドさんは、最高。
星は5つ。★★★★★。
【Bツアーの方へ】
先日、担当者の方といろいろ話させていただきましたが、
私の意見が、即、実行されたのは、たいへんうれしかったです。
(1) ガイドさんが、マイクでガンガンとしゃべるのではなく、
各席を回りながら、小さな声で、それぞれの客の意向を確かめてくれた。
この気配りが、うれしかった!
(2) お茶の配膳が、従来の2回から、4~5回にふえた。
(3) 余計なガイドがほとんどなく、ノートなどを見ながら、専門的なことを
話してくれた。安心して話が、聞けた。
(4) ガイドさんの言い方が、始終、ていねいで、敬語の使い方が正しかった。
(中には、やたらと「お」「ご」をつけるガイドさんがいるが……。)
(5) 2~3人、客の中に、大きな声でしゃべる人がいたようだが、今回は、ガイド
さんが、じょうずに注意してくれたよう。(いつもは、私が注意していた。)
(6) 帰りのバスの中で、定番の「釣りバカ日誌」を見せられなかったのには、ほっと
した。(ガイドさんの口から、「釣りバカ日誌」の名前が出たときには、ドキッとし
たが……。「今日は『釣りバカ日誌』はやめます。静かにお休みください」と言った。
(7) 私の聴力は悪い(左耳が難聴)が、それでも、スピーカーの音が、抑え気味
だったのは、うれしかった。いつもだったら、キャンキャンと若い女性の声が、
耳障りだった。しかもボリュームは、最大!
が、今回は、こうした問題をすべてクリア。
客たちは、みな、静かな様子で、旅の疲れをほぐしていたようだ。
(帰りのバスの中では、東名に入るまで、60~70%の人たちが眠っていた。
東名へ入ってからは、目を覚ました人が多かったが……。)
ガイドさんは、そのつど必要なことを言ってくれたが、低音で、居眠りを妨げる
といったこともなかった。
あえて言うなら、いきなりマイクの音が飛び出すのではなく、飛行機の中でのように、
軽い低音のチャイム音を先に流してからにしてくれるとよい。
「ポン……○○サービス・エリアにやってきました」とか、など。(これはぜいたくか?)
ともかくも、Bツアーを利用するになって40年近く。
はじめて、おとなの、静かな旅を経験することができた。
ガイドさんは、さかんに「何も説明しなくすみません」と謝っていたが、「沈黙の
価値」は、「おしゃべりの情報」とは比較にならないほど、尊い。
杉本さん、ありがとう!
あなたは今までで、最高のガイドさんです。
● 長野県
長野県に住んでいる人は、そうは思っていないかもしれない。
私の友人の1人は、会うたびに、「長野から(ほかの県へ)出たい」と言う。
そう言う人もいるが、しかし私は、長野県は、すばらしい県だと思う。
一時は、長野県で、温泉旅館を開くことを夢見たことさえある。
実際、地元の不動産屋に、手ごろな物件をさがしてもらったことがある。
同じ山岳地方でも、岐阜県というと、どこか暗い(失礼!)。
低い山々に囲まれて、どこへ行っても、息苦しい。
が、長野県というと、全体が高原のようになっている。
山々がなだらかに開け、明るい。
その向こうに、美しい山脈が連なっている。
奥行きが深く、スケール感そのものが、ちがう。
私は岐阜県人だが、どちらに住むかと聞かれれば、私なら迷わず、長野県を選ぶ。
そういうことも関係しているのか、長野県ではいろいろな工業が発展した。
一方、岐阜県のほうは、これといって目立った産業は、ほとんどない。
先日も兄の葬儀のとき、岐阜の山奥に住むいとこたちが集まってくれた。
しかしたがいの会話を横で聞いていて、少なからず、驚いた。
長老がどうの、村のしきたりがどうのと、まるでアメリカ・インディアンの
話を聞いているような錯覚にとらわれた。
「今どき、こういう世界が現実にあるのか?」と。
内容は、ダム工事にからんで、補償金の分配で、村の人たちがもめているという。
それについて、1人のいとこが、「昔なら、村の長老が一喝して、それで話が
すんだ」と。
(いまどき、「長老」という言葉が飛び出すところが、おそろしい!)
しかしこれでは岐阜県の、とくに岐阜県の山間部の発展は、望みようもない。
岐阜県のその地域が発展するためには、「よそ者」意識を捨て、都会と同化すること。
地域エゴにしがみついているかぎり、未来はない。
私はその会話を聞きながら、体中がしめつけられるような圧迫感を覚えた。
長野県も、内部では同じような問題をかかえているかもしれない。
しかし見た感じでは、岐阜県よりも、ずっと開けている。
観光地のセンスも、都会的。
若者たちの活動的な姿も、目立つ。
今回訪れた、富士見高原にしても、冬場はスキー場、夏の今は、マウンテンバイク
に乗った若者たちや、パラグライダーで遊ぶ若者たちで、にぎわっていた。
ゴンドラも、楽しかった。
どうして岐阜県のほうでは、それができないのか。
ひとつには岐阜県のほうは人の出入りが少ないということ。
その分だけ、保守的ということ。
こんな話がある。
その人は40歳前後で、岐阜県のS村に移り住んできた。
そこで酒屋を始めた。
仕事が軌道に乗ったら、都会(名古屋市)に住む家族を呼び寄せるつもりだった。
が、店を始めて1年になっても、客はゼロ。
値段も都会のスーパー並にしたが、それでもゼロ。
理由はすぐわかった。
村には、もう一軒、昔からの酒屋があった。
その酒屋の主人が、その村の「長老」だった。
村の人たちは、その長老に遠慮して、その人の酒屋で酒を買うことができなかった。
結局、その男性は、2年で酒屋を閉め、そのあとしばらく地元の建築会社で
再就職したあと、また都会にもどってしまった。
彼の家族はその村に移り住むことはなかった。
「田舎に住むのはむずかしい」というのは、そういうことをいう。
とくに岐阜県の山間部では、むずかしい。
(教訓)「田舎暮らし」という言葉にあこがれて、安易に田舎に引っ越すと、
やけどをするぞ!
田舎の人たちは、私たちが考えているほど、甘くない!
● 田舎暮らし
「定年後は、田舎で暮らす」が、一時、マスコミの話題をさらったことがある。
村おこし、あるいは村の再生、過疎化対策として、脚光を浴びたこともある。
しかし現実は、どうか?
都会の人たちは、田舎へ行けば、自分たちは歓迎されると思っている。
都会人独特の優越感もある。
しかし現実は、甘くない。
いくら村役場あたりが、甘い言葉を並べても、現実に移住者が接するのは、その村の
住人たち。
役所の役人たちではない。
その村の人たちの意識が変わらないかぎり、移住しても、村の人たちとの同化はむずかしい。
たいていのばあい、そのままはじき飛ばされてしまう。
では、どうするか?
私たちのばあいもそうだったが、「同化しよう」などとは、思わないこと。
よそ者はよそ者として、その範囲で、居直ること。
またそれだけの覚悟をもつこと。
いろいろな面で、のけ者扱いを受けるが、気にしないこと。
いつだったか、こう教えてくれた人がいた。
田舎暮らしができる人は、(1)医者、(2)校長、それに(3)芸
術家(=変わり者)だそうだ。
そういう人たちは、村でも一目置かれるらしい(?)。
要するに日本も近代化されたとはいえ、中身は、極東の島国。
そこに住む私たちは、大和原住民。
まだまだ道は遠い。
●再び冠婚葬祭
日本の悪口ばかり書いたが、それがもっとも顕著に現れるのが、冠婚葬祭ということに
なる。
とくに田舎では、葬儀といっても、親族、縁者が集合する重要な儀式のひとつとなっている。
私の母についても、静かな密葬を望んでいるが、親族、縁者が、それを許してくれるかどうか。
先日他界した兄の葬儀にしても、私は家族だけの静かな葬儀を望んでいた。
しかし実際には、会館を借り切っての派手な葬儀となってしまった。
しかし、参列者は、通夜、本葬を合わせても、40人前後。
ガラガラの広い会場が、かえってうらめしく思われた。
いや、それ以上に心苦しかったのは、この不景気。
「みんな、たいへんなのに……」と思った。
香典を受けとるたびに、申し訳ない気持ちにかられた。
しかしどうして田舎の人たちは、こうまで冠婚葬祭に神経質になるのだろう。
気をつかうのだろう。
みなの動きを見ていると、人生の最重要事といった感じすらする。
死者を送るということは厳粛なことかもしれないが、もっと(心)を大切に
したい。
……こういう私の意見に賛成の人は、私がここに書いたようなことを、近くの他人に
話してみてほしい。
そういう(語りかけ)が、この日本を変える、大きな原動力となっていく。
Hiroshi Hayashi++++++++Aug 07++++++++++はやし浩司
●死
死ぬと宣告されてから、あわてて生きるか。
死ぬと宣告される前に、あわてて生きるか。
賢い人は、そのものの価値を、なくす前に気づく。
愚かな人は、そのものの価値を、なくしてから気づく。
「命」もそうで、賢い人は、その価値をなくす前に気づく。
愚かな人は、その価値をなくしてから気づく。
方法は簡単。
「今日が最後」「今が最後」と思って生きる。
明日はない。
そう自分に言い聞かせながら、生きる。
そのためにも、まず、何が大切で、何が大切でないかを、知る。
「形」ではない。
「中身」だ。
ある男性は、死の宣告をされる直前まで、過去の経歴をひけらかして生きていた。
が、死の宣告を受けたとたん、おそらく、自分には何もないことを知ったのだろう。
狼狽し、あわてふためいた。
で、その男性がしたことは、(自分さがし)。
しかし75歳を過ぎた男性に、(自分さがし)は、きつい。
「私はいったい、何をしてきたのだろう」という思いの中で、日々に悔恨と絶望の
繰りかえし。
……というような例は、多い。
ほとんどの人がみなそうではないかと思えるほど、多い。
賢い人は少ないし、賢くなることは、さらにむずかしい。
だからこそ、まだ健康なうちから、つまり死の恐怖とは無縁のうちから、
「命」の価値をしっかりと自覚しながら、生きる。
私たちには、一瞬、一秒たりとも、無駄にする時間はない。
とりあえずは、まず、それを自覚すること。
それがここでいう「賢い人」になる、第一歩である。
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