Education in Front-Line and Essays by Hiroshi Hayashi (はやし浩司)

(Mr.) Hiroshi Hayashi, a professional writer who has written more than 30 his own books on Education, Chinese Medical science and Religion in Japan. My web-site is: http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/ Please don't hesitate to visit my web-site, which is always welcome!!

Tuesday, September 30, 2008

*Short Essays on Oct 1st

●不愉快な手紙

++++++++++++++++++

兄の49日の法要も無事すみ、葬儀に
参列してくれた人たちに、一品を添えて、
あいさつの手紙を出した。
「香典返し」というのである。
それについて、Fさんという女性(85歳
くらいか?)から、手紙が届いた。

++++++++++++++++++

Fさんという女性は、母の親しい友人であったらしい。
名前だけは、ときどき耳にした。
1、 2度、会った記憶はあるが、顔までは思い浮かばない。
その女性から、香典返しに対して、返事が届いた。
が、その手紙を読んで、言いようのない不快感に包まれた。

いわく、
「お母さんを大切にしてあげてください」
「毎日でも、見舞いに行ってやってください」
「甘いものが好きだったようなので、~~を買ってあげてください」
「私は見舞いに行けませんので、かわりに行ってあげてください」
「くれぐれもよろしくお伝えください」
「私も介護で苦労したので、経験がありますが、あなたの姉さんは
たいへん苦労されましたよ」などなど。

一読すると、母のことを心配して、そう書いてきたようにもみえる。
姉のことをほめたたえているようにもみえる。
しかしその一方で、あたかも私が何もしていないかのようにも読める。
Fさんという女性は、私が地元にいないというだけで、そう思っているのだろう。
それはわかるが、親しい人からならともかくも、私はFさんという人を、ほとんど
知らない。
こういうのを、私たちの世界では、「内政干渉」という。
もう少し端的に言えば、「いらぬ節介」。

岐阜のあの地方では、こうした権威主義がいまだにのさばっている。
たった1~2歳年上というだけで、年長風を吹かす人は、いくらでもいる。
相手が年下というだけで、平気で説教をしてくる。
Fさんにしても、友人の息子というだけで、「子分」か何かのように思っているのだろう。
が、どうもそれだけではないようだ。
私はその手紙を読んで、「ベタベタの依存性」を感じた。
反対に言えば、独立心の旺盛な人は、こういう手紙を書かない。
たとえ親しくても、こういう内政干渉はしない。

というのも、(依存性)や(独立心)には、双方向性がある。

よくある例が、依存性の強い子ども。
親は、「甘えん坊で困ります」とこぼすが、そういう甘えん坊にしているのは、親自身。
さらに言えば、自分自身が(甘えん坊)だから、子どもの依存性に気がつかない。
子どもの依存性に、どうしても甘くなる。
甘えてくる子どもに対して、表面的には、「いやね」「困っています」と言いながら、
そういう子どもを「いい子」「かわいい子」と許してしまう。
だから子どもはますます依存性をもつようになる。

さてFさんという女性。
私なりの返事を書こうと思ったが、やめた。
そういう女性を相手にしたところで、得るものは何もない。
それに母の友人は友人。
いろいろ世話になったのかもしれない。

が、一方、独立心の旺盛な人は、相手を、同じように独立した人とみる。
相手の立場を、独立した人として、尊重する。
たとえばこういうケースでも、「それぞれの家庭には、それぞれの事情があるのだろう」
とか、「それぞれの家の人は、それぞれにがんばっているのだろう」と考えて、それで
すます。

相手から相談でもあれば話は別だが、内政干渉など、もってのほか!

そうそう先日、ある冠婚葬祭についての本を読んでいたら、こんなことが書いて
あった。
「冠婚葬祭には、横ヤリはつきもの。
あれこれうるさく言ってくる人が、かならず1人や2人はいる。
しかし金(マネー)を出さない人の意見は、無視すればいい」と。

まったく、同感である。

だれだって口を出すことくらいなら、できる。
しかし金(マネー)を出す人は少ない。
ほとんど、いない。
だから私たちの世界では、こう言う。
『口を出すなら、金を出せ』と。
独立心の旺盛な人ほど、そう言う。
言い換えると、『金を出さないなら、黙っていろ』となる。

で、私は母に万が一のことがあっても、葬儀は質素なものにするつもりでいる。
「質素」ということは、「質素」。
費用を安くすますという意味ではない。
無駄な見えや体裁は、とりつくろわないという意味。
が、そういう葬儀をすると、干渉してくる人たちがいるはず。
すでに「親の葬儀は、借金をしてでも、(派手に)やれ」と言ってきた人がいる。
しかし私は、私。
喪主になるのは、私。
私は私のやり方でやる。

僧侶による読経については、すでに郷里の寺の住職に、こちらへ来てしてもらうよう、
頼んである。
住職も、こころよく承諾してくれた。
が、それ以上に、葬儀に、何が必要なのか。

「形」だけの人間関係には、もう、うんざり。
「形」だけの葬儀にも、もう、うんざり。
形だけ整えて、それをすませば、それでよいというのか。
人間の命は、もっと厳粛なもの。
日本の葬儀には、その(厳粛さ)そのものが、欠けている。
よく誤解されるが、派手な葬儀であればあるほどよいと考えるのは、バカげている。

Fさんという女性がどんな人か、実際のところ、私は知らない。
郷里では、たいへんな哲学者なのかもしれない。
しかし一片でも良識のある人なら、見知らぬ相手に対して、こんな手紙は書かない。
書けない。

私はワイフにこう言って、手紙を手紙入れにしまった。
「まあ、いいほうに解釈しよう。Fさんという女性は、心のやさしい人と」と。

もしFさん、あなたが、このエッセーを読んで不愉快に思ったら、こう思ってほしい。
あなたが不愉快に思った以上に、はやし浩司は、不愉快に思った、と。

(今日のこのエッセーは、少しきびしいかな?)


Hiroshi Hayashi++++++++++++++++++++++はやし浩司

●10月1日

今日から10月1日。
しかし数日前から、急に寒くなった。
で、さっそく私は長袖のシャツにセーターを着た。
それを見て、一人の女子中学生がこう言った。
「先生、もう、冬服を着ているの?」と。

見ると当人は、半そでのシャツ一枚で、ガタガタと震えているではないか。

私「あのなあ、寒かったら、セーターを着ればいいの」
女「でも、冬になったら、どうするの?」
私「この上に、革ジャンでも着ればいい」と。

実は、私は寒いのが苦手。
(最近は、暑いのも苦手になったが……。)
気温に応じて、季節にかまわず、衣服で体温を調整している。
「夏だから夏服」「冬だから冬服」と決めてかかるほうが、おかしい。

とは言っても、今日から10月1日。
日本では、「衣替えの日」と呼んでいる。
堂々と冬服が着られるのがうれしい。


Hiroshi Hayashi++++++++++++++++++++++はやし浩司

●大恐慌

今朝の新聞の一面に、「(世界的な)大恐慌」という文字が並んでいた(中日新聞)。
銀行の連鎖倒産が始まり、つづいて企業の連鎖倒産、縮小、失業者の増大が始まる
という。
すでに不動産業界は、どしゃ降りの不景気。
しかし「待ったア!」。

「日本はだいじょうぶ」とまでは書けないが、「日本は、波はかぶるかもしれないが、
ズブ濡れにはならない」。
20年前にバブル経済が崩壊したときから、日本は、賢くなった。
昨年までアメリカや中国がバブル経済に踊ったときでも、日本だけは、「ミニ・バブル」
の範囲で、それを収めた。
現に今、ヨーロッパやロシアでも、大銀行がつぎつぎと国有化される中、いまだ、日本の
銀行で国有化の話が出ているのは、一行もない。

日本の借金も高額だが、しかし日本は、外国からは、金を借りていない。
借金といっても、親が息子や娘に借りるような、いわば身内の借金。
しかも政府には、1000兆円近い国有財産がある。
国民も1000兆円近い、金融財産をもっている。

では、なぜ今、アメリカの経済が、ころんだのか?
むずかしい話はさておき、そんなことは、アメリカの家を見ればすぐわかる。

アメリカでは銀行の中堅サラリーマンですら、日本では考えられないような大豪邸に
住んでいる。
映画『ホーム・アローン』に出てくるような、大豪邸である。
私もアメリカでそれを見たとき、こう思った。

「アメリカ人がこんないい生活できるのは、日本のような国が、せっこらせっこらと、
アメリカのドルを買い支えているからだ」と。

すでに10年近くも前から、アメリカのドル札は、紙くず同然になりつつあった。

一方、産業はどうか?
基本的には、アメリカの産業構造は、ブラジルの産業構造と同じとみてよい。
そのことも、アメリカのホテルに泊まってみると、よくわかる。
由緒ある、一流ホテルでもよい。

広い部屋に、豪華な調度品。
しかしよく見ると、アメリカ製のものは、何もない。
テレビは台湾製、電気器具類は中国製、毛布、シーツも中国製などなど。
かろうじて家具だけはアメリカ製だが、裏から見て、びっくり!
クロゼットにしても、表には豪華な彫刻(?)などがほどこしてあるが、裏から見ると、
ベニヤ板をたたきつけたよう。

それを見て私は、ワイフにこう言った。
「こんな家具は、日本だったら、売れないね」と。

アメリカがアメリカなのは、軍需産業(=軍事力)と映画産業、それにコンピュータの
ソフト産業があるからである。
それをのぞけば、ただの農業国。
そういう国が、基軸通貨であることをよいことに、双子の赤字をものともせず、ドル
紙幣を世界中にバラまいてきた。
その結果が今である。

ドルの価値が半減、もしくはそれ以下になるかもしれない。
その分だけ、日本の海外資産も半減、もしくはそれ以下になるかもしれない。
が、恐慌には巻き込まれない。
というのも、日本の銀行には、不良債権は、ほとんど残っていない。
個人負債もほとんどない。
心配なのは、証券会社などを通して海外投資をしてきた個人投資家たちである。
こういった人たちは、今年末までに、数10兆円近い損失を出すかもしれない。
しかしそれとて、少し言葉はきついが、自業自得。

ではどうするか?

この世界には、「ふんばり勝ち」という言葉がある。
最後までふんばったほうが、勝ち。
とりあえず、韓国には、自由主義貿易圏から退散してもらう。
つづいて中国にも、退散してもらう。
日本は最後の最後まで、手持ちの金融資産をしっかりと握り、ふんばる。
あとの結果は、世界に任せればよい。

日本は今回の「大恐慌」をきっかけに、世界の金融王国として、躍り出ればよい。
日本があえて手を出さなくても、そうなる。
(この意見は、少し過激かな?)