Education in Front-Line and Essays by Hiroshi Hayashi (はやし浩司)

(Mr.) Hiroshi Hayashi, a professional writer who has written more than 30 his own books on Education, Chinese Medical science and Religion in Japan. My web-site is: http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/ Please don't hesitate to visit my web-site, which is always welcome!!

Wednesday, October 22, 2008

*Oct 23rd 2008

●マガジンが、10日遅れ

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この10日間、忙しかった。
本当に忙しかった。
自分の時間など、ほとんど、なかった。
母の葬儀が終わるまで、緊張の連続。
何がなんだかわからないまま、過ぎて
しまった。
が、終わったとたん、どっと疲労感。
虚脱感。
プラス無気力感。
それが2日もつづいた。

で、今日になって、やっと、ほっと一息。
体の調子も、もどってきた。

見ると、マガジンの発行が、10日も
遅れているのがわかった。
本来なら、今ごろは、11月24日号の
発行予約を入れていなければならない。

しかし実際には、先ほど、やっと11月
14日号を入れたところ。

どうしよう?

まあ、ここはがんばるしかない!

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●今朝の新聞から

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今度、静岡県にも空港ができることになった。
それについて今朝の新聞は、つぎのように
伝える。

「3月開港、遅れる公算」と。
理由は、滑走路先に、高さ制限を超える立ち木が
残っているため、という。

空港建設反対派の人たちが、立ち木を残した。

そのため「滑走路の一部は、当面使用せず、
暫定的な運用で開港に踏み切ることにした」(同紙)とか。
そのための工事費が、プラス1億円!

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つづいて3面を読むと、全体に、県の対応を批判する記事が目立つ。
「こういう問題が起きることがわかっていたのに、先送りしてきた県は悪い」と。
見出しには「県は隠ぺい体質」とある。
つまりこういう問題が起きることがわかっていたのに、「1年も前から、県は
(同紙)隠していた」、と。

●民主主義とは何か?

こういう記事を読むと、ではいったい、民主主義とは何か、改めて考えさせられる。
「私権とは何か」というテーマでもよい。

実は私も、空港建設についての是非を問われたとき、「反対」の意見を書いていた。
建設反対の署名もした。
もう10年以上も前のことである。

しかしそれから10年以上。
かなり強引なやり方ではあったが、空港建設は決まり、工事が始まった。
そして空港は、新聞記事にもあるように、開港間近にまで完成した。

が、たった40本前後のひのきが障害となって、「3月開港、遅れる公算」と。

これは私個人の意見だが、私は空港建設には反対した。
しかしそれは、「できるだけ税金の無駄遣いはやめてほしい」という気持ちを
こめてそうした。
が、「何がなんでも、反対」という意味で、そうしたのではない。

多少強引なやり方ではあったものの、県議会という議会で決まった以上、今度は
反対に、私たちにはその議決に従う義務が生まれる。
もちろん多数決には、欠陥がある。
ときに多数決の陰に隠れて、弱者や少数派の人たちの利益がふみにじられる。
その弱者や少数派の人たちの利益をいかに保護するかで、民主主義の熟成度は決まる。

しかしこと、(立ち木)については、この論理は当てはまらない。

40本前後の立ち木について言えば、「それほどまでにして、守らなければ
ならない木なのか」ということになる。
仮に伐採したところで、だれが、どこで、どのような不利益をこうむるという
のか。

空港建設に反対する人の気持ちもわからないわけではないが、ここまでくると、
「反対のための反対」、もっと率直に言えば、(いやがらせ)にしか思えない。
さらに言えば、弱者や少数派に与えられた特権が、逆に悪用されている(?)。
そんな印象すらもってしまう。

たとえば約40本の立ち木を守っている人たちが、ほかの世界でも、自然保護
運動か何かをしていて、その一環として、立ち木を守っているという話なら、
私にも理解できる。
しかし新聞記事を読むかぎり、そういう話は浮かびあがってこない。

で、同じような問題が、あの成田空港にもある。……あった。
しかし開港から40年。
成田空港は、いまだに暫定開港という状態にある。

では、民主主義とは何か?

多数決を原則としながらも、(弱者や少数派の意見を尊重する)→(話しあう)
→(弱者や少数派の人たちの利益や利権を保護する)という段階を経て、
(弱者や少数派の人たちも同意できるところでは同意して、多数決に従う)。

「何がなんでも反対」という態度は、「どんなことをしてでも空港を建設する」という
態度と、どこもちがわない。
力のモーメント(=方向性をもったエネルギー)は逆でも、中身は同じ。
すでにここまで空港が完成した今、空港建設反対運動はすでに空文化している。
それとも「建設反対運動」が、今度は、「飛行阻止運動」に変わったとでもいうのだろうか。

「私権」といっても、けっして絶対的なものではない。
「私権」は、同時に「公権」によって守られる。
その相互作用の中で、私権にも(制限)が加えられる。
もっとわかりやすい例で言えば、いくら自分の土地だからといって、好き勝手な
建物を建設することはできない。
反対に、たった一人でも道路建設に反対すれば、その道路全体が使えなくなって
しまう。
「私権」と「公権」は、相互に守りあうものであって、けっして対立を前提とするもので
はない。
が、仮に対立しあうようなことになれば、そのはざまで、それを調整するのが、(話しあい)
ということになる。
「補償」という方法もある。
つまりそれが民主主義の基本ルールということになる。

……しかし成田空港にせよ、静岡空港にせよ、空港問題というと、どうしてこうまで
たがいに、関係がこじれてしまうのだろう?

私たちの知らないところで、私の知らない人たちによる、別のモーメントが働いている
としか、私には考えられない。


●「世界大破局」(「ダイアモンド誌」)

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座右に、週刊ダイアモンド誌、10・11月号が
置いてある。
3~4週間前に買った雑誌である。
表紙に、「世界大破局」とある。
その文字が気になって、そのままにしておいた。

映画なら、おもしろい映画となるだろう。
『ハルマゲドン』にしても、『宇宙大戦争』にしても、
映画は映画。
『エアポートXX』にしても、映画は映画。

しかし「世界大破局」は、現実。
「おもしろい」などと、楽しんでいたら、
(そういうバカはいないと思うが)、とんでもない
ことになる。

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こんな中、「100年に一度のチャンス」とばかり、
たとえば「野村ホールディングズは、リーマン・ブラザーズの欧州、中東、アジア・
太平洋部門を飲み込んだ」(同誌)。

「今回の買収に野村が費やした資金は、アジアに2億2500万ドル、欧州は、
ほんの2ドル、わずか250億円程度で、積年の課題だった海外強化の扉をこじあけた」
(同誌)と。

さらに「三菱UFJフィナンシャルグループは、モルガン・スタンレーに最大90
億ドル(21%)を出資することで、最終合意した」(同誌)という。

一方「三井住友フィナンシャルグループは、ゴールドマン・サックスへの出資を
見送った」(同誌)という情報もあるから、野村や三菱UFJだけの動きを見て、「日本の
快進撃」と評価するわけにはいかない。
さらに底なしの損失が発生すれば、野村も三菱UFJも、道ずれ……ということにも、
なりかねない。

一見、平和でのどかに見える秋の空だが、この秋の空の下で、いったい何が起きて
いるのか?
目に見えない世界であるだけに、不気味。
不気味きわまりない。

なお「公的資金の注入」ということは、わかりやすく言えば、印刷機を回して、紙幣を
市中にバラまくことをいう。
すでにこの日本でも、2~3%のインフレが始まっていると説く学者もいる。
つまり1000万円の現金を持っている人は、すでに、20~30万円、損をしたと
いうことになる。
「現金をもっているから、安心」というわけでもなさそうだ。


Hiroshi Hayashi++++++++Oct 08++++++++++はやし浩司

●狂った世界

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たとえば野菜を作る。
半年くらいをかけて、野菜を作る。
しかし1反や2反程度の畑を耕したところで、
利益など、それほどあがるものではない。

このあたりのミカン農家でも、専業で
していても、年収が、300~400万円
もあればよいほうとのこと。
現実は、そんなもの。

しかしその一方で、スーツで身を包んだ
サラリーマンが、コンピュータの画面を
ながめながら、1億、2億のお金を、
右から左へ、左から右へと動かしている。

同じ(お金)のはずなのだが、私は
このギャップをどうしても、頭の中で
埋めることができない。

私の仕事も、基本的には、農家の人たちの
仕事と同じ。
1人、1万円前後の月謝で、子どもたちを
教えさせてもらっている。
中には1クラス、2人だけというクラスも
ある。
赤字というわけではないが、しかし好きでなければ、
とてもこんな仕事はできない。

おそらくコンピュータの画面をながめながら、
1億、2億のお金を動かしている人たちから
見れば、私はバカに見えることだろう。

しかし本当にバカなのは、どちらか。
つまり本当に狂っているのは、どちらか。

本来は裏方であるはずの、銀行や証券会社が、
逆に(表の社会)を食い物にしている。
「だから資本主義はまちがっている」とは、
今の私でも、とても言えないが、しかし
どこか、おかしい。

今日は午前中、ワイフと三男と山荘に行くことに
なっている。
そこでもう一度、資本主義についての本を、
読んでみるつもり。