Education in Front-Line and Essays by Hiroshi Hayashi (はやし浩司)

(Mr.) Hiroshi Hayashi, a professional writer who has written more than 30 his own books on Education, Chinese Medical science and Religion in Japan. My web-site is: http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/ Please don't hesitate to visit my web-site, which is always welcome!!

Wednesday, February 20, 2008

*Care Service for old men

●介護(Care Service)
The other day my mother was carried to a hospital abd received a medical check. But it was just a check. They did not pay any attention to what my mother complains about her condition. As the number of old men and women grows, we can receive less and less care service in the future. Now is just the beginning of the tragedy.

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団塊世代よ、
これからの老後は、ますます
きびしくなるぞ!

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先日、母が、救急車で病院へ運ばれた。
幸い、検査の結果、なにごともなかった。が、そこでのこと。
病院側の、あまりに、無神経な対応に、驚いた。

脳梗塞の疑いがあるということで、センターは、救急車を呼んでくれた。
そのこともあって、病院では、検査は、脳梗塞に関するものだけ。
脳のCTスキャンを撮影しただけ。
で、その心配がないとわかると、「何ともありません」と。
母は、そのまま、返された。
ふつうのタクシー、で!

ワイフが、寝台つきのタクシーを呼んでくださいと頼んだが、
「今の時間は、あいていません」と。

現に、右半身に力が入らない。
まっすぐ体を立てて座っていることができない。
食欲がなく、体の随所の痛みを訴えている。

そういう母の症状には、一顧もしない。
要するに、「どうでもいい」という姿勢。それが、見え見え。

「老人医療というのは、そういうものかな?」とは思ったが、
それにしても……?

母には、命あるかぎり、できるだけ長く生きていてほしい。
母には、つらい毎日かもしれないが、それでも、私はそう思う。
しかし現実は、そうは甘くない。

今、母が入居しているセンターにしても、入院治療が必要になった
ときには、出なければならない。
看護師は何人かいるが、医師はいない。

そんな話を、知人(60歳、女性)にすると、その女性はこう言った。

「そんなの、まだいいほうですよ。
うちの父のときは、『もう平均寿命を過ぎていますから』といって、
満足な検査すらしてもらえませんでした。

認知症になった母のときは、『私の病院では、治る見込みのある
患者さんを治療します』と言われました」と。

つまり「治る見込みのない患者は、治療しない」と。

こう書くからといって、病院や医師を責めてはいけない。
これが現実だということ。
そしてその現実は、年を追うごとに、ますますきびしくなってきている。
現在の介護制度を見て、「私たちも同じような介護を受けられるはず」と
あなたが思っているとしたら、とんでもないまちがい。

私たちは、やがてゴミのように、捨てられる?
そんな時代が、すぐそこまで来ている。

ところでその母のことだが、会うたびに、「帰りたい」と言う。
「どこへ?」と聞くと、「(郷里の)K村へ」と。

何度か連れて行くことも考えたが、今の母には、無理。
中型の寝台つきのバスのような車を借りれば、何とか可能だが、
そういうバスはあるのか?

もっとも、今の今でも、母は恵まれている。
三食は、母の健康に合わせて、献立されている。
一年を通して、室温は一定。
24時間態勢で、手厚いケアを受けられる。

そういう母を見ながら、私とワイフは、いつもこう言い合う。

「ぼくたちがああなったときは、とてもこんな介護サービスは
受けられないよね」と。

やがてそのときがくるだろう。
そのときは、静かに死を受け入れる。
いや、これは母のことではない。
私自身のことだ。

現実がどうであれ、そういう現実をつくったのは、ほかならぬ、
この私たちなのだ。
文句を言うほうが、おかしい。