Education in Front-Line and Essays by Hiroshi Hayashi (はやし浩司)

(Mr.) Hiroshi Hayashi, a professional writer who has written more than 30 his own books on Education, Chinese Medical science and Religion in Japan. My web-site is: http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/ Please don't hesitate to visit my web-site, which is always welcome!!

Tuesday, February 19, 2008

*Confidential Relationship between parents and teachers

●信頼関係
To trsut to each other is essential between Parents and Teachers. Otherwise education itself would be collapsed.

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教育は、信頼関係で、成り立つ。
改めて、それを思い知らされる事件が
あった。
「事件」というほど、おおげさな
ものではないが……。

しかし「大切なのは、信頼関係」。

Nさん、ほんとうに、ありがとう!

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ことの発端は、こうだ。
このところ反抗期に入って、何かとうるさくなってきた。
ああ言えば、こう言う式の反論を繰りかえす。
こちらの言葉尻をつかまえ、これまたああでもない、
こうでもないと言い返す。
頭もズバぬけてよいから、かなり知能的。

N兄(小3)君のことだ。

で、おとといの夜のこと。
そのクラスは、いつも午後7時ごろまでする。
本来は、6時50分に終わるクラスである。

が、その夜は、ワイフと映画を見に行くことになっていた。
で、子どもたちにこう言った。

「今夜は、6時50分に終わらせてね。
映画を見に行くから」と。

私はこういうとき、ぜったいに、ウソはつかない。
映画を見に行くから、映画を見に行くと言った。

が、翌日、N兄君の母親から、電話があった。
「うちの子が言うには、先生は、映画を見に行くから、
今夜は10分早く終わると言った。
先生がそんなことをするはずはないから、電話を
してみた」と。

いつもは7時ごろまでしているので、その子どもは、
10分、早く終わると誤解したらしい。
もしそうなら、つまり通常のレッスンを、勝手に
短縮すれば、親のひんしゅくを買って当然である。

私が親なら、怒る。
「映画に行くために、勝手に短縮するとは、何だ」
「不謹慎だ」と。

しかしN兄君の母親は、電話をしてくれた。
これが、私と親との信頼関係である。

私「N兄君は、このところ、私の悪口ばかり言っているでしょう?」
母「反抗期ですからね」
私「私が何をしても、気に入らないみたいです」
母「うちでも、そうです」と。

ついで、N弟君(小1)の話になった。
N弟君も、今、同じクラスに来ている。

母「N弟が言うには、先生は、教えてと言っても、先生は、
知らぬ顔をしていると言っています」
私「ハア~? N弟君は、私の真横で勉強していましたから、
そんなはずはありません。私の右手が当たるところに、N弟
君のノートがありましたから……」
母「そうですよね」
私「フィクションのような気がします」と。

この時期の子どもは、平気でウソをつく。
そのウソで、親や先生を操る。
ウソが悪いわけではない。
子どもはウソをつくことで、親や先生をコントロールし、
それでもって、おとなのもつ優位性を、破壊しようとする。
自立を図る。

こんな例もある。

いつも忘れ物ばかりしてくる女の子(小4)がいた。
そこで私がその女の子にこう言った。

「今度、忘れたら、お母さんに言いつけるよ」と。

が、その女の子は、先手を打った。
家へ帰ると、母親にこう言った。
「林先生は、問題ができないと、棒で私の頭をたたく」と。

それを聞いた母親が、びっくりした。
びっくりして、私に電話をかけてきた。
その女の子は、母親がまさか電話するとまでは思っていなかったらしい。

で、その女の子のウソは、そこでバレた。

……というようなケースは、この世界では多い。
日常茶飯事と考えてよい。

で、大切なのは、信頼関係ということになる。
その信頼関係があるから、母親たちは、私に電話をしてくれる。
が、もし、その信頼関係がなければ、そこで私とその子どもたちの
関係は、終わる。

N兄君について言えば、「林は、なんて、不謹慎な男だ」ということになる。
N弟君について言えば、「ひどい教室だ」ということになる。
さらにその女の子について言えば、「とんでもない教師だ」ということになる。

では、どうするか?

私の教室のばあい、教室は、全回、例外なく公開している。
参観は、いつでも自由。
どのクラスも、いつもたいてい1~2人。
幼児教室では、6~8人の親たちが参観している。
親たちは、いつも私の教え方や、姿勢を見ている。

信頼関係は、そういうところから生まれる。

もちろん失敗例もある。

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●冗談は、ほどほどに

 夏の暑い日だった。幼稚園へ着いて、麦茶を飲んでいると、子どもたちがやってきて、こう聞いた。「先生、何を飲んでいるの?」と。そこで私はウイウウイと酔ったフリをしながら、「これはウィスキーと言って、命の水だよ」と。

しかしこの一言が、大問題になろうとは! 父母の間で、「あのはやしは、授業中に酒を飲んでいる」という噂(うわさ)が、たってしまった。私の耳に入るころには、当時の園長の耳にも入り、私はそれこそ、こっぴどく叱られてしまった。最近でもこんなことがあった。

 年中児でも乱暴な子どもは、乱暴だ。Kさん(五歳女児)もそうだった。「おはよう」と言いながら、その場で、私を足で蹴っ飛ばす……。そのときもそうだった。そこですかさずKさんに、私はこう言った。「ぼくは、君のような乱暴な女の子とは結婚しないからな。結婚するなら、丸山さんのような女の子がいい」と。

たまたま最前列に座っている丸山さんが、目に入った。が、それから一週間ほどたったときのこと。別の母親から、こんな話を聞いた。何でも丸山さんが、私の話を真に受けてしまったというのだ。それで「私はおとなになったら、はやし先生と結婚する」と言って、真剣に悩んでいる、と。

で、何とかしなければならないと思っていたら、そのまた数日後のこと。丸山さんの父親が、丸山さんを迎えにきていた。そこで私は父親をつかまえて、こう言った。「いやあ、先日は丸山さんに、結婚すると言ってしまいましたが、あれは冗談です。丸山さんの心をからかったみたいで、ごめんなさい」と。

私はこの道に入ってから、子どもの名前はすべて、名字で呼ぶようにしている。それがまずかった。その夜遅く、丸山さんの父親と母親が、私の自宅へ押しかけてきた。「どういうことだ!」「きちんと説明してほしい!」と。父親は、私と母親が、ただならぬ関係にあると誤解してしまった。失敗は続く。

 私はよく(虫)を食べたフリをする。(泣き虫)(怒り虫)(ジクジク虫)など。得意なのは、(オカマ虫)に(暴力団虫)。その日も怒り虫を食べたフリをして、子どもに怒ってみせた。プリントを丸めて、それで子どもたちをポンポンと叩いてみせた。が、これがいけなかった。

その夜遅く、Mさん(年長女児)の母親から電話がかかってきた。いわく、「先生は、授業中に虫を食べているそうですね。うちの娘が、気味悪がって泣いています。そういうことはやめてください。それに先生は、体罰反対ではなかったのですか。うちの娘は、何も悪いことをしていないのに、先生に叩かれたと言っています。きちんと説明してほしい」と。

 この事件のときは、説明するのに時間がかかったことといったらなかった。母親はいきりたっているため、私の話を聞かない。

私「いやあ、あれは怒り虫です。ハハハ」
母「何がおかしいのですか。笑いごとではすまされないでしょう!」
私「それを食べてみせてですね……」
母「みせた?」
私「だから、それを食べたフリをしたのです」
母「フリでも、そういうことをしてもらっては困ります。あなたは頭が、少しおかしいのではありませんか」
私「冗談です」
母「冗談で通る話と、そうでない話があるでしょ」
私「……」と。

 子どもに言う冗談には、くれぐれも気をつけましょう。
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