Education in Front-Line and Essays by Hiroshi Hayashi (はやし浩司)

(Mr.) Hiroshi Hayashi, a professional writer who has written more than 30 his own books on Education, Chinese Medical science and Religion in Japan. My web-site is: http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/ Please don't hesitate to visit my web-site, which is always welcome!!

Wednesday, February 20, 2008

*How to spend our long vacation after retirement?

●大人旅(「GD」3月号より)(Long Vacation after Retirement)
Some enjoy a long vacation after they retire from their work. Some visit whole cities of Japan and others visit whole peninsulas of Japan. But what for? We have something that we should do, which is different from what we would like to do. To think about what we should do is a key point in which we can live after we retire from the work.

定年退職をしたあと、長期の旅行にでかける人がふえているという。
「GD」(3月号)に、その特集記事が載っていた(P188)。

読んでおもしろかった。楽しかった。しかしそのあと、「私には
できないな」と思ってしまった。なぜだろう?

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大人旅……いろいろなキーワードをたよりに、自分流の大旅行を
する。たとえば全国の「裸祭り」を旅する、全国の「市」を旅する、
全国の「岬」を旅する、など。

全国に裸祭りは、160か所もあるそうだ。
市については、651市。
岬については、2900以上。

さらに国際的な大人旅をしている人も、紹介されていた。

ヨーロッパの全国々(33か国)、アメリカの州都すべて(48州)
を旅した人、など。

「フ~ン」と思ったり、「ヘ~エ」と思ったり。

しかしそのあと、つまり読み終えたあと、「私には、とてもできないな」
と思ってしまった。それにかなり辛辣な意見に思う人もいるかもしれないが、
こうも感じた。

大人旅もけっこうだが、「だからといって、それがどうしたの?」(ゴメン!)と。

こう書くからといって、大人旅をするのがどうとか、それをして
いる人について、どうこう言うつもりはない。
そんな失礼なことを言うつもりはない。

そういう大人旅を経験した人は、その分だけ、スケールの大きな人物に
なるのかもしれない。
そこは私の知らない、未知の世界。
実際、そういうふうに変化した人の話も載っていた。

しかし同じ立場にある(私)に当てはめてみたばあい、
「私には、とてもできないな」と思ってしまった。

人生は、人、それぞれ。それぞれが何かの生きがいを見つけ、
それぞれが自分流の生き方をすればよい。しかし私が感じた
空しさは、何か?

ある男性の話が紹介されていた。

「……T県警の元警視は、退職後の無為徒食の日々にうんざり
しながらも、八方ふさがりの状態から抜け出せないでいた。
しだいに気力も失われ、屍(しかばね)のようになっていく。
その日が限界に達したのであろう。ある日突然、『カネがなくても、
テントがあれば、日本一周も不可能ではない』と思い立った……」と。

「無為徒食」とはいうが、私などは、死ぬまで働かねばならない。
「うらやましい」とは思わないが、「ぜいたくな話だな」と思った。
「カネ」の話になれば、私には、もっと、カネがない!

それに日本一周の旅といっても、個人的な享楽の追求でしかないのでは?
そのときは自分を忘れることができるかもしれない。
が、それが終わったあと、その人は、どうなるのだろう?
達成感は、あるのだろうか?

退職後……私たちはどう生きたらよいのか? 何に生きがいを
求めたらよいのか? それについては、心理学の世界では、
統合性の確立こそ重要であると説く。

つまり(すべきこと)を見出し、それを(現実にする)。
それを一致させていく。それを「統合性の確立」という。
(したいこと)をするのは、統合性の確立ではない。
では、その(すべきこと)とは、何か? 

去年(07年)の9月に書いた原稿を、読みなおしてみる。

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●老後が不安?

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数日前の新聞(中日新聞)に、
「70%近い人たちが、老後に不安を
覚えている」というような記事が
載っていた。

あまりにも当然と思われる内容だったので、
むしろそちらのほうに驚いた。

「不安か、不安でないか」と聞かれれば、
だれだって「不安」と答える。不安で
ない人などいない。

もし「不安でない」と答える人がいたとする
なら、よほど恵まれた人か、それとも
何も考えないノー天気な人と、思って
よい。

あるいは、バリバリと仕事をこなしている
若い人?
 
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 介護施設の職員は、はっきりとは言わない。言わないが、介護度によって、介護施設では、フロアが分けられている。たとえば要介護度4前後の人は、1階の西、要介護度4~5の人は、1階の東、要介護度5の人は、2階の西、さらに重度の人は、2階の東、と。

 母は、一番重度の人たちが集まる、2階の東にいる。同じ部屋の隅には、鼻から管(くだ)を通して、一日中眠っている人もいる。

 介護施設で見る老人たちの姿は、そのまま私たち自身の近未来図である。私たちは段階的に老化し、そして最終的に、死を迎える。

私「君たちは、幼稚園(ヨーチエン)か? ぼくは、もうすぐ要支援(ヨーシエン)だ」
子「先生、ヨーシエンではなくて、ヨーチエンだよ」
私「フーン。でね、幼稚園が終わったら、どこへ行くの?」
子「小学校だよ」
私「ぼくは、要介護(ヨーカイゴ)学校だよ」

子「ヨーカイ(妖怪)? そこはヨーカイが住んでいるの?」
私「住んでいるよ。とてもこわい学校だよ。みんなね、自分のウンチで、粘土細工をして遊んでいるよ」と。

 私が教室でよく使うギャグである。

 が、後ろ向きに考えてばかりいては、いけない。老後はだれにでもやってくる。が、それまでは、老後ではない。老後などというものは、心の戸棚の、その一番奥に押し込めておけばよい。

 大切なのは、それまでどう生きるかということ。老後について言えば、すべきことを、どう、しながら、生きるかということ。したいことではない。すべきことを、だ。これを心理学の世界では、「統合性」と呼ぶ。

 したいことをしているだけでは、やがて自ら、限界にぶつかる。これを「自由の限界」(サルトル)と呼ぶ。そこで人は、やがて自分は何をすべきかを模索し始める。そのターニングポイントは、心理学の本によれば、「人生の正午」と呼ばれる、満40歳前後だという。

 この時期から人は、その基盤と方向性を模索し始める。そしてそれから後、10年とか20年とかいう長い時間をかけて、それを熟成させる。「自己の統合性」は、青年期の「自己の同一性」とちがい、一朝一夕にできあがるものではない。熟成期間が必要である。

 が、ここから先は、人によって、みな、ちがう。

 老後を迎えて、(すべきこと)と、(現実にしていること)を一致させる人もいれば、そうでない人もいる。そのレベルも内容も、これまた人によって、みな、ちがう。しかしひとつのヒントとして、つまり老後を心豊かに生きるためのヒントとして、この統合性の問題がある。

 自己の統合性をその時期までに確立した人は、心豊かな老後を、老後と意識することなく、過ごすことができる。そうでない人は、そうでない。

 たとえば恩師のT先生は、80歳前後で、ある国際学会の長となっている。フランスで開かれた大会には、世界中から2000人もの、最先端をいく学者が集まったという。つい先日は、アメリカの化学の本を翻訳出版している。そして80数歳という年齢にありながらも、天下国家を論じ、日本の教育についてあちこちで意見を発表している。講演活動もしている。

 私たちが見習うべき老人というのは、T先生のような人をいう。生き様そのものが前向きというよりは、自己の統合性をしっかりと確立している。で、そのことを先日会ったときに、直接先生に話すと、先生は、「統合性ねエ?」と言った。

 T先生のような人にしてみれば、統合性など、ごく当たり前のことということになる。もう40年近いつきあいになるが、その40年前から、先生は、自分のすべきことを、しっかりと自覚していた。

 私がある日、「先生、食糧危機がきたら、人類はどうなるのですか?」と聞いたときのこと。当時は、地球温暖化の問題よりも、人口爆発による食糧危機のほうが深刻な問題となっていた。

 が、それに答えてT先生は、こうはっきりと断言した。「そのために私たち科学者がいるのです」と。「いざとなったら、合成タンパク質だって、できるのです」とも。

 私は20歳そこそこの学生だったが、その言葉に、感動した。視野そのものが、私の想像できないほど、広く、大きかった。たしかに食糧危機の問題は、遺伝子工学の驚異的な進歩によって、今のところ、何とかなっている。さらにT先生がめざしていた、水を水素と酸素に分解する触媒の研究にしても、かなりのところまできているという。

 もし水を触媒によって、つまり電力を使わないで分解できるようになったら、それこそ人類は、無公害のエネルギーを無尽蔵に手にすることになる。

 といっても、何度も書くが、「すべきこと」には、常に、苦労と困難がつきまとう。その苦労と困難を乗り越えることなしに、統合性の確立は、ありえない。簡単に言えば、したいことだけをして、楽な生活をしている人には、統合性など夢のまた夢。その老後もまた、あわれでみじめなものとなる。

 そこで……実は私自身も含めてだが、「老後が不安」などと言っている人は、それだけで甘い人間ということになる(失礼!)。本来なら、そんなことを考えるヒマなど、ないはず。楽天的な言い方をすれば、そのときがきたら、また、そのとき考えればよい。

 ……ということで、私は、今日もがんばる。これから熱海まで行き、夕方は、伊東市の小学校で講演をしてくる。明日も袋井市での講演会が待っている。体の調子はあまりよくないが、電車の中で眠っていけば、だいじょうぶだろう。

 2007年9月10日、みなさん、おはようございます!


林様: 「老いる」ということは「生きている」ことです。 「老いて初めて老いを経験 するのです。 若いうちは分からなかったことを。 それだけ「学ぶ」ことになるの です。 めきめき老いながら、毎日感謝です。 有り難うございました。 田丸謙二

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私たちはそのときがきたら、自分の命を、つぎの世代の人たちに
還元していく。
「還元」という言葉は、藤沢市に住むI氏がよく使っている
言葉である。すばらしい言葉である。

孫の世話と庭いじり……それだけで老後を終えてはいけない。また
そんな老後を、けっして理想の老後と思ってはいけない。

大切なのは、私たちが得た知恵と経験を、つぎの世代の人たちに
伝えていくこと。つぎの世代の人たちが、それぞれ、よりよい
人生を送ることができるようにするために、である。

それを「還元」という。

「大人旅」については、また別の機会に考えてみたい。