*Volunteer Activities
●ボランティア精神・段階論(Regarding Volunteer activities)
何らかのボランティア活動を始めると、ふつうでは経験しない、心の変化を感ずる。その変化を段階的に考えてみた。
【第一段階・とまどい】
たいていは、何らかのきっかけでボランティア活動を始める。だれかの指導によることもある。仕事や趣味の延長で始めることもある。
「何となくしている」と言った感じで、始まることが多い。同時に、やり始めたころは、他人の目が気になる。少し油断をすると、「してやっている」「してあげている」という思いにとりつかれる。
【第二段階・快感】
他人が喜ぶのを想像することは、楽しい。実際、喜ぶかどうかは、別にして、想像するだけで、楽しい。
しかしそういう思いをしたことがない人には、それはわからない。あるいはなかなかこの第二段階まで、くることができない。
が、一度、どこかでそれを経験すると、別のボランティア活動をしても、意外と簡単に、この段階まで、くることができる。思考プロセスが、できあがっているためと考えられる。
【第三段階・葛藤】
しばらくつづけていると、「何のために?」「どうして?」という疑問がわいてくる。みながみな、活動を正当に評価してくれるわけではない。
草を好意で刈っていたら、そこへ見知らぬ他人がやってきて、「もっときれいに刈れ」と言われるようなことは、この世界ではよくある。
その相手も、何らかのボランティア活動をしていたというのなら、まだ納得できるが、そうでない人のほうが、多い。そういう人たちの、心ない言動で、キズついたりする。
【第四段階・無我】
意識しないまま、つまりボランティア活動をしているという意識がないまま、自然な形で、そうした活動ができるようになる。
何も考えず、何も求めず、何もキズつかず、無私の状態で、それができるようになる。それ自体が、生活の一部になる。
以上、私の憶測も含めて、段階論を書いてみた。私自身、何か大きなボランティア活動をしているわけではない。あえて言えば、電話相談、講演会、子育て相談などが、そうした活動の一部ということになる。
ただ講演会というと、多額の報酬を想像する人も多いと思うが、それは中央で活躍する有名人の話。
いかに少ない額かは、近くのPTAの役員の人たちに聞いてみるとよい。もし金額のことを考えるなら、講演会の講師を務める人など、いないだろう。私は、講演を、ボランティア活動の一つと考えながら、している。
電話相談や子育て相談は、もちろん無料である。
しかしそうした活動についても、あれこれ文句を言ってくる人がいる。ときどき、やりきれなくなるときがある。
理由の一つとして、こうしたボランティア活動そのものが、日本の社会に定着していないこと。つぎに、それをしている人が、まだまだ少数派であること。ボランティア活動をしている人を、お人好しのバカと見る風潮さえある。
こうした日本人の意識を変えないかぎり、日本人全体は、成長しないと、私は思う。
しかし、ボランティア活動には、その活動を超えた、何かがある。たとえて言うなら、ボランティア活動をしていない人は、小さな画用紙の中で、絵を描いているようなもの。が、ボランティア活動をしている人は、その画用紙をかぎりなく大きくすることができる。
このことは、あなたの近所に住む、高齢者たちを見ればわかる。
自分のことしかしない。自分のことしかできない。自分勝手でわがままな高齢者を見ていると、その(小ささ)に驚くことがある。
一方、地元の世話役などになり、無私で活動している高齢者を見ると、反対にその(大きさ)に驚くことがある。私がここでいう「画用紙」というのは、そういう意味である。
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