Education in Front-Line and Essays by Hiroshi Hayashi (はやし浩司)

(Mr.) Hiroshi Hayashi, a professional writer who has written more than 30 his own books on Education, Chinese Medical science and Religion in Japan. My web-site is: http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/ Please don't hesitate to visit my web-site, which is always welcome!!

Tuesday, February 19, 2008

*Depression as to my case

●うつ(Depression as to my case)

I am often depressed and feel dull. Why do people get depressed and how can we get out of the depression. This is an article about it.

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うつについて考えてみる。
考えてみるというより、私自身に
ついて書いてみる。

何を隠そう、私は、そのうつ型人間
なのだア!

ハハハ!

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●一時的な問題

「うつ」にもいろいろある。
軽いうつから、重いうつまで。

そのときどきに、うつになる人もいれば、慢性的にうつ状態の人もいる。
そういうちがいはあるが、うつのメカニズムは、それほど、複雑ではない。

こんな例で考えてみよう。

たとえば会いたくない人と、会わなければならない状況になったとする。
仏教の世界にも、『怨憎会苦(おんぞうえく)』という言葉がある。
四苦八苦のひとつにあげられている。
会いたくない人と会うというのは、それだけでも、たいへんな苦痛である。
大きなストレスとなる。

(会いたくない)という思いと、(会わなければならない)という状況の中で、
人は大きく葛藤する。

心は緊張状態に置かれる。

よく誤解されるが、情緒不安というのは、情緒そのものが不安定になることではない。
心が緊張状態に置かれることを、情緒不安という。
そういった状態のとき、不安や心配が入り込むと、それを解消しようと、
心は、一気に不安定になる。
情緒が不安定になるのは、あくまでもその(結果)である。

ささいなきっかけでそうなる。

たとえば先の例で考えるなら、会いたくない人に会わなければならないという
ような状況になると、心は、緊張状態に置かれる。
そういうとき、あなたなら、あなたの子どもが、公園でけがをして帰ってきたとする。
頭から血が出ている。
それを見て、あなたは、いつも以上に、パニック状態になる。
ふだんのあなたなら、冷静なまま、子どもを病院へ連れていくことができる。
しかしそのときは、そうでない。
ワーワーとわめき散らす。

……という状況が、一時的なものであれば、問題はない。
会いたくない相手かもしれないが、会うことで解決する。
会うことで、たがいの関係が好転するということもありえる。

が、こうした状況が、毎日のようにつづいたら、あなたはどうなるだろうか。
来る日も、来る日も、会いたくない人と、会わなければならないとしたら……。

●何もしたくない

原因はさまざまだが、うつになると、脳の機能そのものが、変調する。低下する。
脳間伝達物質が、慢性的なストレスなどが原因で、正常に機能しなくなる。
つまりやる気を喪失する。

もう少し正確には、脳間伝達物質(セロトニンやノルアドレナリン)が、情報をつぎの
神経細胞に伝達する前に、もとの細胞に、取りこまれてしまう状態になる。
結果として、神経細胞どうしの情報の伝達が、スムーズに進まなくなってしまう。
そういう状態を、「うつ状態」という。

で、私もよくうつ状態になる。
そのときどきによって、きっかけはさまざまだが、うつ状態になると、
(1)行動面と、(2)精神面に、影響が出てくる。

行動面では、体がだるくなる。行動が鈍くなる。
精神面では、何もしたくなくなる。考えるのも、めんどうになる。

もちろん人に会うのもおっくうになる。
とくに理由はないのだが、とにかく、おっくうになる。
つまりこの段階で、私は、先に書いた、(会いたくない人と会う)というのと、
同じ状況になる。

相対的に、どの人とも、会いたくなくなる。
行動面についても、同じ。

実際、(何もしたくない)という状況のとき、それをしなければならないというのは、
苦痛である。

もう少し具体的に考えてみよう。

たとえば親しかった友人が、亡くなったとする。
通夜だ、葬儀だと、それなりに忙しく、自分を忘れることができる。
が、それが一段落したとき、どっと疲れが表に出てくる。
(何もしたくない)状態になる。
だれかが話しかけても、上の空。
ぼんやりと空を見つめている。

そういうとき、だれかに会って、仕事の段取りを決めなければならなくなったとする。
本当なら、家にいて、ぼんやりとしていたい。
しかし、仕事をしなければならない。

このとき、(したくないこと)と、(しなければならないこと)の間で、葛藤する。

●心の葛藤

いつもなら(したいこと)でも、脳の機能が低下してくると、(したくないこと)になる。
いつもなら(会いたい人)でも、脳の機能が低下してくると、(会いたくない人)になる。

繰りかえすが、相対的に、したくないことをし、会いたくない人と会うのと、
同じ状況になる。

一度、こうなると、あなたは、心の中で、慢性的に葛藤するようになる。
常に、(したくないこと)と戦わねばならなくなる。
これは先にも書いたように、相当なストレスとなって、はねかえってくる。
つまり心は、常に、ある種の緊張状態に置かれる。
ピンと張りつめたような状態になる。

たとえばこんなケースで考えてみよう。

受験勉強の最中(さなか)にある子どもがいる。
受験塾では、毎週のようにテストが繰りかえされる。
順位も張り出される。
その子どもなりにがんばってはいるが、成績は思うように伸びない。
その子どもは日常的に悶々とした状態になる。

そんなとき、母親が、「今度の成績は、どうだった?」と声をかけたとする。
母親は、軽いあいさつ程度のつもりでそう言う。
が、子どもは、そうではない。
その言葉を聞いて、突然、激怒する。
ふつうの激怒ではない。
狂人のような叫び声をあげながら、こう怒鳴る。
「ウッセー!」「バカヤロー!」と。

●反応

一度うつ状態になると、心はそれを解消しようと、さまざまな反応を示す。

基本的には、(何もしたくない)状態になる。
が、それをしなければならない。
それから生まれる不平不満は、妄想へとつながりやすい。

「こんなことをさせるのは、あいつが悪い」
「こんなに苦しんでいるのに、だれもわかってくれない」と。

あるいは、「こんな自分にしたのは、あいつだ」と思うこともある。

つまり(したくない)自分を棚にあげて、そういう自分を正当化しようとする。

これはある知人(女性)の例だが、母親の介護をするようになったときのこと。
毎日のように、あちこちに電話をかけ、こう言っていた。

「介護で時間が取られて、内職ができなくなった」
「町内会の仕事ができなくなった」
「送り迎えの自動車のガソリン代がかかるようになった」
「弟がいるが、何も助けてくれない」と。

要するにその知人は、介護をしたくなかった。
しかし「介護をしたくない」とは、言えない。
そこでその介護をしたくないという気持ちを正当化する(=ごまかす)ため、
こうした不平不満を、あちこちにぶつけた。

心理学の世界でも、こうした心理的反応を、「置き換え」と呼ぶ。
防衛機制(心を守るための心理的反応)のひとつである。
わかりやすく言えば、八つ当たりのこと。

●自責から他責へ、

うつを理解するためには、反対の心理状態を考えてみればよい。

たとえば(したいこと)を、している子どもを見れば、それがわかる。
したいことをしている子どもは、生き生きとしている。
輝いている。

さらにその状態が進むと、しなくてもよいようなことまで、するようになる。
他人の仕事まで引き受けたり、ばあいによっては、他人の責任まで、自分のものとする。

話は少し脱線するが、人は(子どもも)、大きく、2つのタイプに分けられる。

(1) 自責型人間と、(2)他責型人間である。

何かあるたびに、「ごめん」「ごめん」と、自分の責任にしてしまうのを、
自責型人間という。

反対に、何かあるたびに、「あなたが悪い」「私は悪くない」と、自分以外の人やものの
責任にしてしまうのを、他責型人間という。

たとえば台の上にあった花瓶を不注意で、落としたとする。
そのとき、「ごめん」とすぐあやまるタイプが、自責型人間。
「こんなところに花瓶を置いておく人が悪い」と、だれかに責任を転嫁するタイプが、
他責型人間ということになる。

他責型人間は、うつになりにくいという。
しかしひとたびうつになると、それまでは自責型人間であった人まで、
他責型人間になる。

話をもとにもどす。

生き生きと活動している子どもは、総じてみれば、自責型人間と考えてよい。
「ごめん」「ごめん」と言いながら、さらにその先を、自分でしようとする。

●私の場合

先にも書いたが、私も、しばしばうつ状態になる。
たとえば数日前もそうで、きっかけは、友人の死であった。

何とも重苦しい気分に包まれた。
何を考えても、悲観的。消極的。
加えて被害妄想だけが、どんどんとふくらむ。

原稿としてはボツにしたが、そのとき、「先細り人生」と題した原稿も書いた。
(あとで読みなおしてみて、あまりにもうつ的だったので、ボツにした。)

基本的には、「うつ型人間」と考えてよい。
ここでいう自責型か他責型かと問われれば、完全に自責型。
何があっても、まず、「ごめん!」という言葉が先に出てくる。

だからうつになりやすい。
が、うつになったとたん、今度は、他責型に変身する。
まるで自分の中に、2人の自分がいるよう。
ときに、そう思うことがある。

たいていは、ワイフに八つ当たりをする。

が、私には、すばらしい救世主がいる。
子どもたちという救世主である。

その子どもたちに接したとたん、私のばあいは、もとの私に戻ることができる。
そういう意味では、私にとっては、職場が、ストレス発散の場所になっている。

おとといも、昨日も、実は、仕事には行きたくなかった。
(行きたくない)という自分と、(行かなければならない)という自分が、私の中で、
はげしく対立した。

が、何とか、自転車にまたがり、仕事に出かけた。
とたん、いつもの私に戻ることができた。

……ということで、今のところは、かろうじて、自分を支えている。
が、いつまでつづくかわからない。
そのうちさらに症状がひどくなるかもしれない。

休みたい。休みたいが、休めば休んだで、自分がどうかなってしまいそう。
今は、そういう状態。

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みんさんも、うつには、どうか、お気をつけください。

なおWHO(世界保健機構)の統計によれば、約3~5%の人が、
うつ病の有病率だそうです。

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 Hiroshi Hayashi education essayist writer Japanese essayist うつ うつ病 うつ状態)