Education in Front-Line and Essays by Hiroshi Hayashi (はやし浩司)

(Mr.) Hiroshi Hayashi, a professional writer who has written more than 30 his own books on Education, Chinese Medical science and Religion in Japan. My web-site is: http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/ Please don't hesitate to visit my web-site, which is always welcome!!

Wednesday, October 01, 2008

*Mental Problems

【心のゆがみ】

●ゆがんだ思想

+++++++++++++++++

ものを書いていて、いちばんこわいのは、
ふと「自分の考えがゆがんでいないか」と
思うこと。

+++++++++++++++++

このことは、反対に子どもの意識を観察
してみるとわかる。

子どもによっては、小さな殻(から)に
閉じこもってしまい、不合理な思いこみをする
ことがある。

たいていは人間関係から生ずるストレスが
原因で、そうなる。

が、一度、小さな殻に入りこむと、その時から、
ものの考え方が、どこかいびつになってくる。
「人口の半分は、核兵器か何かでみな、
死ねばいい」とか、「ぼくは、火星へ移住する」とか
言い出す。

そういうとき私は、そうした不合理さに対しては、
ていねいに質問責めにすることによって、対処
することにしている。

私「核兵器で、君だって死ぬ可能性があるんだよ」
子「ぼくは、いい。地下室へ逃げる」
私「みんなも、地下室へ逃げようとするよ」
子「ぼくは、自分だけの地下室をつくる」
私「食べ物はどうするの?」……と。

こうした(療法)を、心理学の世界でも、
「認知行動療法」と呼んでいる。
不合理な考え方を、自ら気づかせ、それを是正して
いく。

が、それは子どもの世界の話。
私のようなおとなになると、第三者にそれをして
もらわなければならない。
が、それもできなければ、どうしたらよいのか?

それについては、「論理療法」というのがある。

つまりは「自分で考える」ということ。
常に論理的にものを考えるクセを身につける。
しかしそれにも限界がある。
では、どうするか?

私のばあい、たいへんラッキーなことに、毎日、
子どもたちと接する機会がある。
とくに幼児と接するのは、よい。
彼らはたとえて言うなら、まさに「天使」。
心にゆがみがない。
そういう子どもと接していると、接した瞬間、
自分の心が洗われていくように感ずる。
ゆがんだ思想が、そのまま是正されていく。
言うまでもなく、幼児の世界では、ウソやインチキは
通用しない。
ごまかしもきかない。
プラス、母親たちの監視つき(失礼!)。

私はよく「職場がストレス解消の場です」と
言うが、それはけっして誇張ではない。
このところ、それを強く感ずる。
というのも、私の年齢になると、不合理な考えを、
それを不合理とも思っていないような人が多くなる。
つまり思想的に偏(かたよ)りができ、偏屈になる。
(思想らしきものをもっている人は、まだよいほう
かもしれないが……。)

中には、過去をそのまま踏襲することが、「善」と
考えている人もいる。
この時代にあって、「先祖様」とか、「武士道」とか
言っている人は、たいていこのタイプの人と
考えてよい。

こうした考えがいかに不合理なものであるかは、
幼児に当てはめて考えてみるとわかる。
「君たちは、どこから来たの?」と聞くと、
「ぼくたちは、ママのおなかから生まれた」と
答える。

「ぼくは生まれた」という言い方に注目してほしい。
「ぼくは産んでもらった」とは、けっして、言わない。
それがものの考え方の、原点である。

武士道についても、そうだ。
あの封建時代の「負の部分」に目をくれることもなく、
一方的にそれを礼賛するのも、どうかと思う。
江戸時代においても、武士は、人口の5~7%。
残りの大半は、農民。
私たちの祖先は、その武士に虐げられた農民に
すぎなかった。

どうして今、武士道なのか?

少し脱線したが、ものを書いていて、
いちばんこわいのは、
ふと「自分の考えがゆがんでいないか」と
思うこと。

とたん、キーボードを叩く指が止まってしまう。
ゆがんだ考えなど、いくら書いても、社会の
害になることはあっても、役にたつことは
何もない。

それこそ時間の無駄。
人生の無駄。
だからものを書く。
書きながら、考える。
言うなれば、私は毎日、自分で自分を論理療法
していることになる。

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 Hiroshi Hayashi education essayist writer Japanese essayist 認知療法 論理療法 認知行動療法)


Hiroshi Hayashi++++++++Oct.08++++++++++はやし浩司

●適応障害

++++++++++++++++++

適応障害というと、何も、子どもの世界だけの
問題ではない。
おとなの世界にもある。

++++++++++++++++++

社会や環境にうまく適応できないと、そこで適応障害を起こす。
その前段階として、(1)欲求不満や葛藤を繰りかえす。
グチや取り越し苦労が多くなる。

ある女性は、認知症ぎみの実兄の世話を始めたとたん、適応障害を
起こしてしまった。
毎晩のようにあちこちに電話をかけ、ときにギャーギャーと
泣きわめきながら、自分の苦労(=グチ)を話しつづけた。
視野が極端に狭くなるのも、特徴のひとつ。
相手の都合など、まったく構わない。

こうした行動を総称して、「防衛機制」という。
自分の心の崩壊を防ぐための心的反応と考えるとわかりやすい。
たとえばそれらの中には、

(1) 抑圧
(2) 同一化
(3) 代償
(4) 補償
(5) 合理化
(6) 投射
(7) 逃避
(8) 退行
(9) 昇華(「臨床心理学」・松原達哉著)がある。

相手かまわずグチをこぼすというのは、(攻撃的な防衛機制)ということになる。
その女性のばあいは、遠くに住む実弟を責めつづけた。
その実弟氏はこう言った。
「姉からの電話というだけで、手が震えるようになりました。
ギャーギャーと一方的に泣きわめくだけで、会話にはなりませんでした。
そういう電話が1~2週間ごとにかかってきました」と。

この段階で対処のし方をまちがえると、そのまま何らかの精神障害を
負うことになる。
その女性にばあいは、やがてすぐ心療内科で、うつ病と診断された。

が、それも一巡すると、身体的な不調を訴えるようになる。
一連の神経症はこうして発症するが、神経症には定型がない。
「おかしな症状?」と感じたら、神経症を疑ってみるのがよい。

で、こうした問題が起きたら、原因となっている要因を排除するのが
よいのだが、それで問題が解決するとはかぎらない。

というのも、適応障害というのは、それ以前の段階で、心の病気と
深くからんでいることが多いからである。

たとえば不登校児を例にあげて考えてみる。
「A君がいじめるから、学校へ行きたくない」とある子どもが言ったとする。
親は、「不登校になった原因は、A君」と考える。
そして学校と相談して、クラスを替えをしてもらったり、A君を近くから排除
してもらったりする。
が、しばらくすると今度は、「B先生がこわい」とか、言い出す。

こうした現象を私は勝手に、『ターゲットの移動』と呼んでいる。
その子どもは自分の心を安定させるために、学校へ行きたくないのだ。
その口実に、A君の名前をあげたり、B先生の名前をあげたりする。
不登校という一見、不適応症状を示しながら、実は、学校へ行かないことで、
自分を社会に適応させようとしている。

つまり適応症状といっても、(1)継続性のものと、(2)非継続性の
ものがある。

継続性のものとなると、たとえその問題が解決したとしても、今度は別の
問題をもちだし、それについて悶々と悩んだり、苦しんだりする。
本来なら、つまり少しだけ視野を高くもてば何でもない問題はずなのに、
それを大げさに悩んだり、苦しんだりする。

ここにあげた女性のばあい、実兄が廊下で便をもらしただけで、パニック
状態になってしまったという。
そして即座に実兄に電話を入れ、「あんたがめんどうをみないから、こうなる」
と泣きわめいたという。

あとになってその実弟氏は、私にこう言った。
「ぼくの家では、家の中で2匹の犬を飼っている。いつも廊下でウンチを
するから、ぼくなら、それほど気にしないのに。
それでぼくが姉に、『犬のウンチと思えばいいのでは』と言ったら、姉は、
烈火のごとく怒りだしてしまった」と。

そこで費用は全額実弟氏もちということで、その女性は、実兄をグループホームへ
入れた。
が、今度は、そこでも……!

というようなことを繰りかえす。
つまり何らかの精神障害が基盤にあって、それから発生するもろもろの症状が、
あたかも泡のように表面にそのつど浮かんでくる。
継続性の適応障害というのは、そういうものをいう。

では、どうするか?

『文化性は、心の予防薬』と考えるのがよい。

ふだん、何ごともないようなときに、心を豊かにし、充実させていく。
音楽を聴くのもよし、美術館に足を運ぶのもよし。
本を読んだり、DVDを楽しむのよし。
こうして自分の文化性を高めていく。

だれしも、いつか、どこかで、いろいろな問題にぶつかる。
その問題にぶつかったとき、文化性の高い人は、そうした問題を、うまく処理できる。
心へのダメージを最小限に抑えることができる。
そうでない人は、そうでない。
自分の小さな殻(から)に閉じこもってしまい、そこから一歩も出られなくなってしまう。

とくに子育ても一段落したら、そうする。
そうでなくても、老後は、そうした問題が、あたかも打ち寄せる波のようにやってくる。
つぎつぎ、とだ。

だから『心の予防薬』が必要ということになる。

……ということで、今朝は、少し時間があるので、ワイフと佐鳴湖を一周してみる。
久しぶりに雨もあがり、気分は爽快!

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 Hiroshi Hayashi education essayist writer Japanese essayist 適応障害 防衛機制 不適応 不登校)