Education in Front-Line and Essays by Hiroshi Hayashi (はやし浩司)

(Mr.) Hiroshi Hayashi, a professional writer who has written more than 30 his own books on Education, Chinese Medical science and Religion in Japan. My web-site is: http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/ Please don't hesitate to visit my web-site, which is always welcome!!

Tuesday, November 25, 2008

*nervous Children

悪循環から抜け出る法(身勝手を捨てろ!)
教師が子育ての宿命を感ずるとき
●かん黙児の子ども
 かん黙児の子ども(年長女児)がいた。症状は一進一退。少しよくなると親は無理をする。その無理がまた、症状を悪化させる。私はその子どもを一年間にわたって、指導した。指導といっても、母親と一緒に、教室の中に座ってもらっていただけだが、それでも、結構、神経をつかう。疲れる。このタイプの子どもは、神経が繊細で、乱暴な指導がなじまない。が、その年の年末になり、就学前の健康診断を受けることになった。が、その母親が考えたことは、「いかにして、その健康診断をくぐり抜けるか」ということ。そしてそのあと、私にこう相談してきた。「心理療法士にかかっていると言えば、学校でも、ふつう学級に入れてもらえます。ですから心理療法士にかかることにしました。ついては先生(私)のところにもいると、パニックになってしまいますので、今日限りでやめます」と。「何がパニックになるのですか」と私が聞くと、「指導者が二人では、私の頭が混乱します」と。
●経過は一年単位でみる
 かん黙児に限らず、子どもの情緒障害は、より症状が重くなってはじめて、前の症状が軽かったことに気づく。あとはその繰り返し。私が「三か月は何も言ってはいけません。何も手伝ってはいけません。子どもと視線を合わせてもいけません」と言った。が、親には一か月でも長い。一週間でも長い。そういう気持ちはわかるが、私の目を盗んでは、子どもにちょっかいを出す。一度親子の間にパイプ(依存心)ができてしまうと、それを切るのは、たいへん難しい。情緒障害は、半年、あるいは一年単位でみる。「半年前とくらべて、どうだったか」「一年前は、どうだったか」と。一か月や二か月で、症状が改善するということは、ありえない。が、親にはそれもわからない。最初の段階で、無理をする。時に強く叱ったり、怒ったりする。あるいは太いパイプを作ってしまう。初期の段階で、つまり症状が軽い段階で、それに気づき、適切な処置をすれば、「障害」という言葉を使うこともないまま終わる。が、私はその母親の話を聞いたとき、別のことを考えていた。
●「そんな冷たいこと言わないでください!」
 はじめて母親がその子どもを連れてきたとき、私はその瞬間にその子どもがかん黙児とわかった。母親も、それを気づいていたはずだ。しかし母親は、それを懸命に隠しながら、「音楽教室ではふつうです」「幼稚園ではふつうです」と言っていた。それが今度は、「心理療法士にかかっていると言えば、学校でも、ふつう学級に入れてもらえます」と。母親自身が、子どもを受け入れていない。そういう状態になってもまだ、メンツにこだわっている。もうこうなると、私に指導できることは何もない。私が「わかりました。ご自分で判断なさってください」と言うと、母親は突然取り乱して、こう叫んだ。「そんな冷たいこと言わないでください! 私を突き放すようなことを言わないでください!」と。
●親は自分で失敗して気づく
 子どもの情緒障害の原因のほとんどは、家庭にある。親を責めているのではない。たいていの親は、その知識がないまま、それを「よかれ」と思って無理をする。この無理が、症状を悪化させる。それはまさに泥沼の悪循環。そして気がついたときには、にっちもさっちもいかない状態になっている。つまり親自身が自分で失敗して、その失敗に気づくしかない。確かに冷たい言い方だが、子育てというのはそういうもの。子育てには、そういう宿命が、いつもついて回る。

(参考)
●かん黙児
 かん黙児……家の中などではふつうに話したり騒いだりすることはできても、場面が変わると貝殻を閉ざしたかのように、かん黙してしまう子どもを、かん黙児という。通常の学習環境での指導が困難なかん黙児は、小学生で一〇〇〇人中、四人(〇・三八%)、中学生で一〇〇〇人中、三人(〇・二九%)と言われているが、実際にはその傾向のある子どもまで含めると、二〇人に一人以上は経験する。
 ある特定の場面になるとかん黙するタイプ(場面かん黙)と、場面に関係なくかん黙する、全かん黙に分けて考えるが、ほかにある特定の条件が重なるとかん黙してしまうタイプの子どもや、気分的な要素に左右されてかん黙してしまう子どももいる。順に子どもを当てて意見を述べさせるようなとき、ふとしたきっかけでかん黙してしまうなど。
 一般的には無言を守り対人関係を避けることにより、自分の保身をはかるために、子どもはかん黙すると考えられている。これを防衛機制という。幼稚園や保育園へ入園したときをきっかけとして発症することが多く、過度の身体的緊張がその背景にあると言われている。
 かん黙状態になると、体をこわばらせる、視線をそらす(あるいはじっと相手をみつめる)、口をキッと結ぶ。あるいは反対に柔和な笑みを浮かべたまま、かん黙する子どももいる。心と感情表現が遊離したために起こる現象と考えるとわかりやすい。
かん黙児の指導で難しいのは、親にその理解がないこと。幼稚園などでその症状が出たりすると、たいていの親は、「先生の指導が悪い」「集団に慣れていないため」「友だちづきあいがヘタ」とか言う。「内弁慶なだけ」と言う人もいる。そして子どもに向かっては、「話しなさい」「どうしてハキハキしないの!」と叱る。しかし子どものかん黙は、脳の機能障害によるもので、子どもの力ではどうにもならない。またそういう前提で対処しなければならない。


神経質な子どもに対処する法(性質を見ぬけ!)
子どもが神経質になるとき
●敏感(神経質)な子ども 
 A子さん(年長児)は、見るからに繊細な感じのする子どもだった。人前に出るとオドオドし、その上、恥ずかしがり屋だった。母親はそういうA子さんをはがゆく思っていた。そして私に、「何とかもっとハキハキする子どもにならないものか」と相談してきた。
 心理反応が過剰な子どもを、敏感児という。ふつう「神経質な子」というときは、この敏感児をいうが、その程度がさらに超えた子どもを、過敏児という。敏感児と過敏児を合わせると、全体の約三〇%の子どもが、そうであるとみる。一般的には、精神的過敏児と身体的過敏児に分けて考える。心に反応が現れる子どもを、精神的過敏児。アレルギーや腹痛、頭痛、下痢、便秘など、身体に反応が現れる子どもを、身体的過敏児という。A子さんは、まさにその精神的過敏児だった。
●過敏児
 このタイプの子どもは、①感受性と反応性が強く、デリケートな印象を与える。おとなの指示に対して、ピリピリと反応するため、痛々しく感じたりする。②耐久性にもろく、ちょっとしたことで泣き出したり、キズついたりしやすい。③過敏であるがために、環境になじまず、不適応を起こしやすい。集団生活になじめないのも、その一つ。そのため体質的疾患(自家中毒、ぜん息、じんましん)や、神経症を併発しやすい。④症状は、一過性、反復性など、定型がない。そのときは何でもなく、あとになってから症状が出ることもある(参考、高木俊一郎氏)。A子さんのケースでも、A子さんは原因不明の発熱に悩まされていた。
●子どもを認め、受け入れる
 結論から先に言えば、敏感児であるにせよ、鈍感児であるにせよ、それは子どもがもって生まれた性質であり、なおそうと思っても、なおるものではないということ。無理をすればかえって逆効果。症状が重くなってしまう。が、悪いことばかりではない。敏感児について言えば、その繊細な感覚のため、芸術やある特殊な分野で、並はずれた才能を見せることがある。ほかの子どもなら見落としてしまうようなことでも、しっかりと見ることができる。ただ精神的な疲労に弱く、日中、ほんの一〇数分でも緊張させると、それだけで神経疲れを起こしてしまう。一般的には集団行動や社会行動が苦手なので、そういう前提で理解してあげる。
●一見鈍感児なのだが……
 ……というようなことは、教育心理学の辞典にも書いてある。が、こんなタイプの子どももいる。見た目には鈍感児(いわゆる「フーテンの寅さん」タイプ)だが、たいへん繊細な感覚をもった子どもである。つい油断して冗談を言い合っていたりすると、思わぬところでその子どもの心にキズをつけてしまう。ワイワイとふざけているから、「ママのおっぱいを飲んでいるなら、ふざけていていい」と言ったりすると、家へ帰ってから、親に、「先生にバカにされた」と泣いてみせたりする。このタイプの子どもは、繊細な感覚をもちつつも、それを茶化すことにより、その場をごまかそうとする。心の防御作用と言えるもので、表面的にはヘラヘラしていても、心はいつも緊張状態にある。先生の一言が思わぬ方向へと進み、大事件となるのは、たいていこのタイプと言ってよい。その子ども(年長児)のときも、夜になってから、親から猛烈な抗議の電話がかかってきた。「母親のおっぱいを飲んでいるとかいないとか、そういうことで息子に恥をかかせるとは、どういうことですか!」と。敏感かどうかということは、必ずしも外見からだけではわからない。

(参考)
●過敏児と鈍感児
 過敏児と対照的な位置にいるのが、鈍感児(知的な意味で、鈍感というのではない)。ふつうこの両者は対比して考える。