Education in Front-Line and Essays by Hiroshi Hayashi (はやし浩司)

(Mr.) Hiroshi Hayashi, a professional writer who has written more than 30 his own books on Education, Chinese Medical science and Religion in Japan. My web-site is: http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/ Please don't hesitate to visit my web-site, which is always welcome!!

Wednesday, November 30, 2011

●マガジン(12-1日号)

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凸/Σ▽乃q ・ ・ p ̄Σ▽乃 ̄` /
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 子育て最前線の育児論byはやし浩司   11年12月 1日号臨時
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2011年月8日1日現在……1552号
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【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

休みます。

【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●老人心理(前向きに生きるvs後ろ向きに生きる)

+++++++++++++++++

老人は、老人独特のものの考え方をする。
先の見えない死生観が、ものの考え方に
大きな影響を与える。
が、その考え方を大きく、2つに分けると、
つぎのようになる。

(1)開放型(前向き型)
(2)閉塞型(後ろ向き型)

+++++++++++++++++

●年金で家?

 少し前、ある老人(男性)が死んだ。
2年近い、苦しい闘病生活のあとに、死んだ。
何かの難病だったと記憶している。

 その様子を、あるテレビ局が取材した。
レポーターが話しかけると、老人の妻が、こう言った。

「2年もがんばってくれたおかげで、娘の家が建ちました」(某テレビ局)と。

 つまり2年間生き延びてくれた。
その分の年金で、娘のために家を建てることができた、と。

 この話は以前にも書いた。

 私のBLOGに、その話を書いた(2009年9月)。
その記事をそのまま紹介する。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

【損得論】

●損と得

++++++++++++++++++

60歳をすぎて、「損と得」についての考え方が、大きく変わってきた。
「損とは何か」「得とは何か」と。
それをしみじみと(?)、心の中で思いやりながら、
「老人になるというのは、こういうことなのか」と思う。
「老人」といっても、使い古された、老いぼれた人のことではない。
少し照れくさいが、「円熟した人」をいう。

++++++++++++++++++

●何が損か

 この世の中で、「損かどうか」を考えること自体、バカげている。
どんなにあがいても、「死」というもので、私たちは、すべてを失う。
この宇宙もろとも、すべてを失う。
「死」を考えたら、それほどまでの「大きな損」はない。
たとえばあなたが地球上の、ありとあらゆる土地を自分のものにしたとする。
北極から南極まで。
一坪残らず、だ。
が、死んだとたん、すべてを失う。
つまり「死」にまさる(?)、損はない。

 これには、自分の死も、相手の死もない。
そのため「死」をそこに感ずるようになると、日常的に
経験する損など、何でもない。
損とは感じなくなる。

●「金で命は買えん」

 たとえば私の友人の中には、数か月で、数億円も稼いだ人がいた。
その友人は、数年前、死んだ。
莫大な財産を残したが、死んだとたん、「彼の人生は何だったのか?」
となってしまった。

私の母ですら、死ぬ直前、こう言っていた。
「金(=マネー)で命は、買えん」と。
あれほどまで、お金に執着していた母ですら、そう言った。

●得

 一方、「得」と思うことも多くなった。
昨日も、秋の空を見たときも、そう思った。
澄んだ水色の空で、白い筋雲が、幾重にも重なって流れていた。
それを見て、「ああ、生きていてよかった」と思った。

 ただ「損」とちがって、「得」という感覚は、実感しにくい。
大きな青い空を見たからといって、大きく得をしたとは思わない。
反対に、小さな花を見たからといって、大きな青い空を見たときに感ずるそれに、
劣るということはない。

 もちろん私も、金権教にかなり毒されている面もあるから、お金は嫌いではない。
たいていのばあい、金銭的な価値に置き換えて、ものの損得を考える。
たとえば予定外の収入があったりすると、「得した」と思う。
しかし同時に、そこにある種の虚しさを覚えるようになったのも事実。
「だから、それがどうしたの?」と。

●長生き

 では、長生きはどうか?
長生きをすればするほど、得なのか、と。
が、これについても、最近は、こう考える。
「それが無駄な生き方なら、長生きしても、意味はない」と。

 「生きることが無駄」と言っているのではない。
「どうせ生きるなら、最後の最後まで、意味のある生き方をしたい」と
いう意味で、そう言う。
もちろん、できれば、長生きしたい。
たった一度しかない人生だから、それは当然のこと。
問題は、どうしたら、意味のある人生にすることができるか、ということ。

●今のままで、よいのか

 未来は現在の延長線上にある。
とするなら、今の生き方が、未来の生き方になる。
となると、「今のままでいいのか」となる。
今、意味のある人生を送っていない私が、この先、意味のある人生を
送れるようになるということは、ありえない。

 言い換えると、今の生き方そのものが、大切ということになる。
「今日」という「今」ではなく、「この瞬間」における「今」ということになる。
「私は、この瞬間において、意味のある生き方をしているのか」と。

●命の換算

 この話は前にも書いたので恐縮だが、テレビでこんな人を紹介していた。
ある男性だが、何かの病気で、2年近い闘病生活のあと亡くなった。
その男性について、妻である女性が、こう言った。

 「がんばって生きてくれたおかげで、娘の家が建ちました」と。

 つまり夫であるその男性が、死の病床にありながらも、がんばって生きて
くれたので、その年金で、娘のための家を建てることができた、と。

 私はその話を聞いたとき、「夫の命まで、金銭的な価値に置き換えて
考える人もいるのだなあ」と、驚いた。
まあ、本音を言えば、だれだってそう考えるときがある。
私もあるとき、ふと、こう思ったことがある。

「1年、長生きをして、1年、仕事がつづけられたら、○○○万円、
得をすることになる」と。
しかしこの考え方は、まちがっている。
もしこんな考え方が正しいというなら、私は自分の命すら、金銭的な
価値に置き換えてしまっていることになる。

 仕事ができること自体が、喜びなのだ。
収入があるとすれば、それはあとからついてくるもの。
生きる目的として、収入があるわけではない。

●奇跡

 さらに言えば、アインシュタインも言っているように、「この世に生まれた
ことだけでも、奇跡」ということになる。
(あなた)という人間が生まれるについても、そのとき1億個以上の精子が1個の
卵子にたどりつけず、死んでいる。

 もしそのとき、隣の1個の精子が、あなたにかわって卵子にたどりついていたら、
あなたという人間は、この世には存在しない。
そのことは、二卵性双生児(一卵性双生児でもよいが)を見れば、わかる。
外の世界から見れば、(あなた)かもしれないが、それはけっして、(あなた)
ではない。
他人が見れば、(あなた)そっくりの(あなた)かもしれないが、けっして、
(あなた)ではない。

 つまり私たちは、この世にいるということだけ、この大宇宙を手にしたのと
同じくらい、大きな得をしたことになる。

●統合性の確立

 若いときは、生きること自体に、ある種の義務感を覚えた。
子育ての最中は、とくにそうだった。
働くことによって収入を得る。
その収入で、家族を支える。

 しかし今は、それがない。
どこか気が抜けたビールのようになってしまった。
生きる目的というか、心の緊張感が、なくなってしまった。
「がんばって生きる」とは言っても、何のためにがんばればよいのか。

 そこで登場するのが、「統合性」ということになる。
(自分がすべきこと)と、(現実のしていること)を一致させていく。
それを「統合性の確立」というが、この確立に失敗すると、老後も、みじめで
あわれなものになる。
くだらない世間話にうつつを抜かし、自分を見失ってしまう。
そんなオジチャン、オバチャンなら、いくらでもいる。
あるいは明日も今日と同じという人生を繰り返しながら、時間そのものを無駄に
してしまう。

 が、その統合性の確立には、ひとつの条件がある。
無私、無欲でなければならない。
功利、打算が入ったとたん、統合性は霧散する。
こんな話を、ある小学校の校長から聞いた。

●植物観察会

 ある男性(80歳くらい)は、長い間、高校で理科の教師をしていた。
その男性が、今は、毎月、植物観察会を開いている。
もちろん無料。

 で、雨の日でも集合場所にやってきて、だれかが来るのを待っているという。
そしてだれも来ないとわかると、そのまま、また家に帰っていくという。

 その男性にとっては、植物観察会が生きがいになっている。
参加者が多くても、またゼロでも構わない。
大切なことは、その(生きがい)を絶やさないこと。

 が、もしその男性が、有料で植物観察会をしていたら、どうだろうか。
月謝を計算し、収入をあてにしていたら、どうだろうか。
生徒数がふえることばかり考えていたら、どうだろうか。
同じ植物観察会も、内容のちがったものになっているにちがいない。
つまり、無私、無欲でしているから、その男性の行動には意味がある。
「統合性の確立」というのは、それをいう。

●変化

 損か、得か?
それを考えるとき、これだけは忘れてはいけない。
今、ここに生きていること自体、たいへんな得をしているということ。
それを基本に考えれば、日常生活で起こるさまざまな損など、損の中に入らない。

 そして損ということになれば、「死」ほど、大きな損はない。
それを基本に考えれば、日常生活で起こるさまざまな損など、損の中に入らない。

 つまり生まれたこと自体、大きな得。
死ぬこと自体、大きな損。
私たちは、その得と損の間の世界で、ささいな損得に惑わされながら生きている・

 ・・・というようなふうに、このところ考えることが多くなった。
私自身が「死」に近づいたせいなのか。
それとも「生」の意味が少しはわかるようになったせいなのか。
どうであるにせよ、「損と得」について、私の考え方が大きく変わってきた。
この先のことはわからないが、人は老人になると、みな、そう考えるようになるのか。
それとも、私だけのことなのか。
どうであるにせよ、今は、自分の中で起こりつつある変化を、静かに見守りたい。

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW はやし浩司 老後 損得論 損か得か 自己の統合性 統合性の確
立 2年の闘病生活 おかげで 娘の家 建った)

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●「1円も渡したくない」

 冒頭にあげた老人の話は、原稿の内容からして、2009年の9月より、さらに以前の
話ということになる。
それはともかくも、その妻の言葉は、老人心理をうまく表現していて、たいへん興味深い。
というのも、このタイプの老人は、たいへん多い。

 たとえば、ある老人は、1か月でも長生きをすれば得と考えている。
その分だけ、年金が余計に入るからという。

 また別の老人は、反対にそれまでもっていた土地(実家の跡地)を、市に寄付してしま
った。
その土地は、現在、「記念公園」になっている。
理由を聞くと、「息子や娘には、1円も渡したくないから」と。

 一見、正反対の老人のようにみえるが、中身は同じ。
ものの考え方が、後ろ向き。
つまり閉塞型。

 が、こんな話は、どうだろう。

●失う

 ある老人(75歳くらい)は、マラソンが趣味。
若いころは、いろいろな大会に出ては、賞を取っていた。
そのこともあって、今でも、毎朝、1~2時間ほど、走っている。

 で、こういう話を聞くと、みなこう思う。
「健康のために走っている」「すばらしい老人」と。
しかしその老人のばあいは、中身が、かなりちがう。

 その老人は、失うことを恐れて走っている。
つまり「走れなくなること」を恐れて、走っている。
わかるかな?

 その中身は、金持ちが金(マネー)を失うのを恐れる心理と、同じ。
……と書いても、一般の人には、なかなか理解できないかもしれない。

●優越感

 その老人にとっては、「走れる」ということが、ステータスになっていた。
ちょうど金持ちが、貧しい人を見下すように、それでもって、いつも不健康な人を見下し
ていた。
そしてその分だけ、優越感に浸(ひた)っていた。
「あいつは、もう歩けなくなった」とか、「あいつはもう車いすに乗っている」とか。

 その優越感を守るために、毎朝、走っていた。

●老人心理

 もちろん、みながみな、そうであるというわけではない。
またそうした損得感や優越感を、「悪」と決めつけて考えるのも、正しくない。
年金を1か月でも長くもらうために長生きするのも、人生。
優越感を保つために、毎朝走るのも、これまた人生。
人は、それぞれの人生を、それぞれの思いをもって生きる。

 が、先にも書いたように、老人の心理というのは、若い人たちが考えているより、はる
かに複雑。
年季が入っている分だけ、複雑。
一筋縄では理解できない。
……というようなことを、年々、より強く感ずるようになった。

●開放型

 では、開放型の老人は、どうか?
それについては、ワイフが今夜、散歩の途中で、私に聞いた。
「どこで見分けるの?」と。

私「簡単だよ」
ワ「どこ?」
私「そのあとに、……だからそれがどうしたの?、という言葉をつなげてみるとわかる」
ワ「どういうこと?」
私「いいか、たとえば毎朝ランニングしている老人がいたとする。そういう老人に、『だか
ら、それがどうしたの?』という疑問を、そのままぶつけてみればいい。前向きに生きて
いる老人のばあい、答が直接、はね返ってくる。そうでなければそうでない」と。

 話が、入り組んできたので、話題を少し変える。

●Nothing(虚無)!

 イラクのフセイン大統領は死刑になった。
エジプトのムバラク大統領は、失脚した。
もっとも悲劇的だったのは、リビアのカダフィ大佐。
最後は下水管の中で発見され、射殺された。

 『すべてをもつ者は、すべてを恐れる』という。
あるいは『すべてをもつものは、失うことを恐れる』でもよい。
へたに余計なものをもっているから、失うことを恐れる。
何も独裁者だけの話ではない。
ある女性(70歳)の口癖は、いつも同じ。
「そんなことすれば、貯金が減る」と。

 貯金に異常なこだわりをみせている。

 つまり人生も、(もの)と考える。
(もの)と考え、失うことを恐れる。
(反対に、長生きすることを得と考える。)
そういう人は、万事において、生き方が後ろ向き。
表面的な様子にだまされてはいけない。

 一方、数は少ないが、「命」を別の人たちに還元しながら生きている人もいる。
そういう人たちは、(失うこと)を恐れない。
自分の命すらも、他人に捧げてしまう。
そういう人を、ここでいう「開放型の人」という。
(ネーミングがあまりよくないかもしれないが、ほかによい言葉を思いつかなかったので、
「開放型」とした。)

 それを知るために、私は「……だから、それがどうしたの?」という言葉を思いついた。

 カダフィ大佐が、すべての権力を手に入れた……だから、それがどうしたの?、と。

 そう問いかけてみると、カダフィ大佐のばあい、そのあとに、何も残らないのがわかる。
つまり、Nothing(虚無)!

●「……だからそれがどうしたの?」

 わかりやすく言えば、生きる意味を、常に他人と結びつけていくのを、開放型という。
反対に自己満足のためだけに生きている人を、閉塞型という。
どちらがよいかといえば、開放型がよいに決まっている。
が、自分を開放型にするのは、並大抵の努力では、できない。
つまりそこらの、(私も含めての話だが)、凡人には無理。
ほとんどの人は、その一歩も二歩も手前で、その先に進むことをあきらめてしまう。
が、そうであってはいけない。

 そこでひとつのヒント。
何かを言ったり、したりしたら、すかさず、「だからそれがどうしたの?」と自問してみれ
ばよい。
前向きに生きているときには、そのとたん、ズシリとした答が返ってくる。
が、そうでないときは、そうでない。
スーッとそのまま答がどこかへ消えてしまう。

 たとえば……。
新しい車を買った……だからそれがどうしたの?
今夜はおいしいものを食べた……だからそれがどうしたの?
息子がよい大学へ入った……だからそれがどうしたの?、と。
 
 ……しかしこれについては、以前にも書いたことがある。
原稿をさがしてみる。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

書いた日付はわからないが、No.600となっているから、
10年ほど前(2000年ごろ)に書いた原稿ということになる。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

最前線の子育て論byはやし浩司(600)

●「xxxx」を読んで……

 どういうわけか、ポロッと、古い本が、出てきた。「アレッ」と思って表紙を見ると、2
0年ほど前に買った、単行本(新書版)だった。
タイトルは、「xxxx」。

 そのときは、1ページごとに、頭をハンマーでたたかれるような衝撃を受けた。
著者は、ST。
今まで気づかなかったが、M大学の元学長だったそうだ。
奥付を読みながら、ふと、「今でも生きているのだろうか?」と思った。

 ほぼ20年ぶりに、その本を読みなおす。「感動よ、再び……」と思って、読みなおす。
が、読めば読むほど、「そうかなあ?」と思ってみたり、「私なら、こう書くのに……」と
思ってみたりする。

 奥付から計算すると、ST氏が、60歳くらいのときに、書いた本ということになる。
当時は、週刊誌にも連載記事を書くなど、よく知られた評論家だった。
そのST氏の書いたことに、「?」をもつようになったのは、それだけ私に、「私」ができ
たためか。
それとも、私に、「クセ」ができたためか。

 本の内容より、そうした自分自身の変化のほうを知ることが楽しい。
その本は、いわば、私の心のカガミのようなもの。
20年ほど前の私の心を、その中に、映(うつ)し出してくれる。

 このところ、ヒマさえあれば、その本ばかり、読んでいる。

(追記)ST氏のことを、ヤフーで検索してみたが、同姓同名が多くて、消息を知ること
ができなかった。
多分、もう亡くなってしまったのかもしれない。

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

●目的

 目的のない人生は、地図の上で、右往左往するようなもの。
へたをすれば、同じ場所を、ぐるぐると回るだけ、ということになりかねない。
 
 そこで、目的ということになる。
この目的が、その人を、前にひっぱっていく。進むべき、方向を決める。
が、ここで注意しなければ、ならないことがある。
つまり「だからそれがどうしたの?」という部分がないまま、我欲を追求する。
それは、ここでいう「目的」ではない。

 たとえば、おいしい料理を食べる。
 たとえば、すばらしい高級車に乗る。
 たとえば、きれいな服を着る。

 そのとき、ほんの一言でよいから、自分に問うてみる。
「だから、それがどうしたの?」と。

 ほとんどの人は、その時点で、がく然とするはず。
それもそのはず、ほとんどの人は、ほとんどの時間を、目的など考えないで、過ごしてい
る。
「ただそうしたいから、そうしているだけ」「ただ、そうできるから、そうしているだけ」
と。

 それが悪いというわけではない。
「生きる」ということは、そうした日常生活の積み重ねの上に、成りたっている。
が、それでは、満足できない。
そこで私たちは、その中から、自分の目的をさがし始める。もう少し、順を追って、説明
してみよう。

 たとえばA氏は、車に、関心があった。
そしていつか、ドイツのBxx車を買いたいと願っていた。

 そこでA氏は、いつもより懸命に働き、そしてお金をためた。
ためて、念願のBxx車を手に入れた。

 つまりA氏は、Bxxを買うことを目的とした。
それで働いて、その車を手に入れた。A氏にすれば、A氏の目的を達成したことになる。
その車は、A氏のものになった。

 が、この段階で、もしA氏が、自分に、「だからどうしたの?」と、問うてみたとしたら、
どうなるだろうか。

 毎日、ワックスをかけて、ピカピカにみがくのが楽しい。
 毎日、近くの行楽地を走ってみるのが、楽しい。
 毎日、知人や友人を助手席に座らせて、ドライブするのが、楽しい。

 それはわかる。しかし、それがどうしたの?

 昨日、子ども(生徒、小3)たちと、こんな会話をした。

私「おとなになったら、何になりたい?」
A「野球の選手」
私「野球の選手になって、どうする?」
A「有名になって、お金を稼ぐ」

私「お金を稼いで、どうする?」
A[ほしいものを買う]
私「ほしいものを買って、どうする?」
A「(ほしいものが、手に入れば)、うれしい」と。

 しかしそれで心の満足は得られるのだろうか。
……と考えたが、それは言わなかった。

私「がんばって、野球の選手になれよ。応援するよ」と。

 つまり、こうした我欲の追求は、「目的」ではない。
たとえば織田信長。
今でも、織田信長を信奉する政治家や、実業家は多い。
それはわかる。信長自身は、毛利遠征の途上に逗留した本能寺(京都市)で、家臣の明智
光秀に襲われ、自害した。
そのため彼がめざした、天下統一が、何であったのかは、今では、知ることができない。

 私の印象では、ただがむしゃらに、殺戮(さつりく)、平定を繰りかえしただけの人物で
はなかったかと思う。
信長が、商工業者に、楽市、楽座の朱印状を与え、経済を活性化させたとか、関所を廃止
して、流通を自由にしたとかいうのは、あくまでも、自分の野望を完成させるためにした、
その結果でしかない。

 信長が、日本人全体の、安寧(あんねい)と、幸福を考えて、天下統一をめざしたかと
いうと、そういうことは、ありえない。
いくら歴史書を読んでも、そういう意図が、浮かびあがってこない。

 つまり信長も、結局は、明智光秀に自害を迫られるまで、「だからそれがどうなの?」と
いう部分のないまま、生きたことになる。

 そこで再び、目的論ということになる。

 つまり私たちが「目的」としていることは、実は、目的ではなく、手段にすぎないとい
うこと。
そこに気づけば、これらの問題は、解決する。

 「Bxxの車を買う」「野球の選手になる」「天下を自分のものにする」というのは、実
は、目的にたどりつくための手段にすぎない。

 では、目的は何かということになる。

 たとえばあのアンネ・フランクは、当時、ただの少女でありながら、こう、看破(かん
ぱ)している。

 We all live with the objective of being happy; our lives are all different and yet
the same.
 (私たちは、みな、幸福になるという目的をもって、生きるのよ。みんなの生活は、み
な、ちがうけど、目的は、同じよ、と。

 つまり、「幸福になるのが、目的」と。

 今朝は、ここまでしか書けないが、ギリシャの劇作家のソフォクレスは、こう書き残し
ている。

 知恵のみが、幸福の最高の部分である。(Wisdom is the supreme part of happiness. )
と。 

 モノや金ではない。知恵である、と。

 私は、このソフォクレスの言葉を、信じたい。
この原稿のしめくくりとして、そしてあえて(?)、自分をなぐさめるために。

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

●真・善・美

 教育に目標があるとするなら、未来に向かって、真・善・美を後退させないこと。
その基盤と方向性を、子どもたちの世界に、残しておくこと。

 今すぐは、無理である。無理であることは、自分の過去を知れば、わかる。
若い人たちは、真・善・美を、そこらにころがる小石か、さもなければ、空気のように思
っている。
その価値がわからないどころか、その価値すら、否定する。

 しかしやがて、その、真・善・美に、気がつくときが、かならずやってくる。
そしてその価値にひれ伏し、それまでの自分の過去にわびるときがやってくる。

 そのとき、その子ども(子どもというよりは、人)が、その基盤と方向性をもっていれ
ばよし。そうでなければ、その子どもは、まさに路頭に迷うことになる。

 「私は何のために生きてきたのか?」と。

 そしてやがて、その人は、真・善・美を、自ら、追求し始める。
そのときを予想しながら、子どもの中に、その基盤と方向性を残しておくこと。
それが教育の目標。

+++++++++++++++++++++++++++

【補記】

 真・善・美の追求について、私は、それに気づくのが、あまりにも遅すぎた。
ものを書き始めたのが、40歳前後。
それまでは実用的な本ばかりを書いてきたが、「私」を書くようになったのは、そのあとで
ある。

 現在、私は57歳だが、本当に、遅すぎた。
どうしてもっと早く、自分の愚かさに気づかなかったのか。
どうしてもっと早く、真・善・美の追求を始めなかったのか。

 今となっては、ただただ悔やまれる。
本当に悔やまれる。
もっと早くスタートしていれば、頭の働きだって、まだよかったはず。
どこかボケかけたような状態で、そしてこれから先、ますますボケていくような状態で、
私に何が発見できるというのか。

 これは決して、おおげさに言っているのではない。
本心から、そう思っている。

 だからもし、この文章を読んでいる人の中で、若い人がいるなら、どうかどうか、真・
善・美の追求を、今から始めてほしい。
30代でも、20代でも、早すぎるということはない。

 今となっては、出てくるのは、ため息ばかり。
どんな本に目を通しても、出てくるのは、ため息ばかり。
「こんなにも、私の知らないことがあったのか」とである。
と、同時に、「後悔」のもつ恐ろしさを、私は、今、いやと言うほど、思い知らされている。

★読者のみなさんへ、

 つまらないことや、くだらないことで、時間をムダにしてはいけませんよ。
時間や健康、それに脳ミソの働きには、かぎりがあります。
余計なお節介かもしれませんが……。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●これからの老人像

 もう答は出たようなもの。

 老人はけっして老人臭くなってはいけない。
後ろ向きになってはいけない。
そういう意味で、老人心理を知るひとつのヒントとして、ここで老人論を考えてみた。
あくまでも私自身の努力目標のひとつとして。

 明日こそは、その目標に、少しでも近づいてみよう……ということで、今夜はここまで。
ワイフが横へ来て、「寝よう」「寝よう」と言っている。
高貴な哲学者にでもなったような気分だったが、それが消えた。

 私のワイフは、どうしてこうまで俗っぽいのか?


Hiroshi Hayashi++++++Nov. 2011++++++はやし浩司・林浩司

【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【LibreOfficeとMSのWordの互換性について】

(1)Wordで作成した文書を、(W)とする。
LibreOfficeで作成した文書を、(L)とする。

 (L)で、(O)の文書を開くことについては、問題ない。
が、そのあと、こんな問題が起きた。

 (O)で編集し、保存をかける。
いつもの作業である。
そのとき、(元の書式で保存するか)(O)の書式で保存するかをたずねてくる。
そこで(元の書式)を選択し、保存をかける。

(2)つぎに一旦、LibreOfficeを終了し、今度は、Wordを立ち上げる。
先ほど編集した文書を開こうとすると、ほかの文書まですべて、LibreOffice
形式で保存されていることがわかった。

 ゾーッ!

その状態で、先ほどの文書を開いてみると、たとえば文書の色(私は目を疲れさせないよ
う、背景の色を、薄いブルーかグリーンに設定している)が、その色が消えている。
つまり白地になってしまっている。
ページ番号が消えている。
ほかに、ネットから引用した文書の文字間がバラバラになってしまっている。

 以上の不都合が、あれこれと起きているのがわかった。
つまりいくら互換性があるからといっても、完ぺきではない。
(W)にするか、(L)にするか。
やはりどちらか一方に、統一したほうがよい。

 で、「今はやはり、ワードを使おう」ということで、ワードにしたいが、先ほども書いた
ように、ワードで開くと、文字間がばらばらになってしまったりする。
(今のところ、ワード上では、元に戻すことができないでいる。)
背景の色を変えることができない。
(何か、方法があるのかもしれないが、今のところ、どうしたらよいかわからない。
……たった今、いろいろ試してみたら、(書式)→(ページ)→(背景)で、背景色を変え
ることができることがわかった。
ただし文字部だけで、白い枠が外側にできてしまう。
こうなると、明暗度が際だってしまい、かえって目が疲れるのではないか。)

 しばらく試行錯誤がつづきそう。
パソコンが1~2台の人ならまだよい。
私のように、常時5~6台使っている人や、1~2年ごとにパソコンを買い換えている人
にとっては、そのつど2万円前後のソフトを購入しなければならないというのは、つらい。
やはり少しずつ、LibreOfficeに乗り換えていくのが賢明なのかもしれない。


Hiroshi Hayashi++++++Nov. 2011++++++はやし浩司・林浩司

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Tuesday, November 29, 2011

●心の抵抗力(子どもを非行から守るために)

●11月30日朝記

++++++++++++++++++

今朝は、8時半起き。
昨夜は久しぶりに、睡眠導入剤というのをのんだ。
1錠ものむと、頭がおかしくなるので、いつも4分の1とか、
8分の1とかにして、のんでいる。
それでも朝まで、ぐっすりと眠れる。
「頭がおかしくなる」というのは、起きがけに、夢とも現実とも
区別のつかない夢を見ることをいう。

今日の講演は、午後7時から。
それで睡眠導入剤をのんだ。

++++++++++++++++++

●講演レジュメ(概要)

 おととい、今夜の講演のレジュメ(概要)ができた。
「やっと……」という感じ。

……といっても、講演の「柱」のみ。
あとは、その場の雰囲気で決める。
私にとって講演というのは、そういうもの。

中にしっかりとした原稿を用意する人もいる。
私も何度か、それを試したことがある。
しかしそれでは聴衆の心をつかむことができない。

 ザワついてきたなと感じたら、さっと話題を切りかえる。
そんな芸当も、講演では必要になる。
それに今日は、夜の講演ということで、父親も多いはず。
そういうときは、父親用の話も用意する。
年配の人が多いときは、年配の方用の話も用意する。
それぞれの分量は、そのとき決める。

 が、この浜松市では、今年最後の講演会。
力んではいけない。
気合いを入れすぎてもいけない。
普段着で普段話をするつもりで、講演をする。
それが肝心だが、このサワサワとした緊張感は、どうしたものか。
「最後の講演会」という部分で、かなり緊張しているよう。
自分でもそれがよくわかる。

 午後からは、運動を2単位こなし、夜に備える。

●酷評

 YOUTUBEのほうに、ときどき、辛らつな酷評が書き込まれる。
昨日も、同じ女性から、3通も書き込まれた。
pxxxx04という女性からのものだった。
匿名だから、何とでも書ける。

 が、待ったア!

 匿名といっても、その気になれば、その女性を特定することは簡単。
まずその「pxxxx04」で検索をかける。
同じハンドルネームをあちこちで使っていることが多い。
検索をかけると、やはり同じハンドルネームで、4~5本のBLOGを発行しているのがわかった。
そのうちのひとつには、プロフィール欄のところに、「45歳」「女性」とあった。
BLOGのタイトルは、『~~ママの~~日記』。

 いくつか記事を読むと、その中に地名が書いてある。
それでおおよその住所がわかる。
「先日、近くの~~庭園へ行ってきました」とか。

さらに記事の内容から、ある特殊な花の栽培に興味をもっているのがわかった。
あとは、その地名と、その花の名前で検索をかければよい。
案の定、その花の専門BLOGに、その女性とのやり取りが書き込まれていた。

 こうして私はその女性が、「X県Y町に住んでいる、MR」と、実名(名字)まで知ることができた。
時間にすれば、5分もかからなかった。

 が、それでも相手がわからないときは、特殊なフリーソフトを使う。
それを使うと、IP番号から、その人の住んでいる住所を、町名程度まで特定できる。
この方法はきわめて簡単で、ドラク→コピー→張りつけ→Enterキーで、すんでしまう。
その方法でも、「X県Y町」という地名が出てきた。
(フリーソフトは雑誌などに紹介されている。)

 だから返事には、こう書いた。

「幼児教育歴42年になる者です。
きびしいご意見ありがとうございました。
はやし浩司」と。

 「教育歴42年」とわざわざ書いたのは、書き込みに「どこのド・シロートか知らないが、偉そうなこと、ヌカスナ」とあったから。

 ……ということで、不愉快な書き込みに悩んでいる人も多いかと思う。
そういうときは、ここに書いたことを参考に、相手を調べてみたらよい。
どこに住んでいる人間かがわかるだけでも、気が楽になる。
(=不気味さが、消える。)

また匿名で書き込みをすれば、正体はバレないはずと考えている人もいるかもしれない。
が、今では、かなりのところまで特定できる。
ものを書くなら堂々と、実名を公表して書いたらよい。
(私は、そうしているぞ!)

●復習

 講演の話に戻る。

 今夜の講演では、(1)善悪論、(2)共鳴性、それに(3)もうひとつの話をすることになっている。
が、(3)の部分で、つぎの2つのうちのどちらにするかで、迷っている。
(1)自我の同一性にするか、(2)心の抵抗力にするか。

 どちらも似たような話だが、切り口がまったく逆。
どちらにしようか。

 過去に書いた原稿をさがしてみる。

++++++++++++++++++はやし浩司

2007年に書いた原稿が見つかった。

++++++++++++++++++はやし浩司

【子どもを非行から守る法】

●時事・雑感(Yahoo Newsより)


●性描写漫画の規制条例が成立(東京都)(注※1)


 石原都知事が言っているように、こんなことは、当たり前。
石原都知事は、こう言った。「当たり前。日本人の良識だ。
子どもにあんなものを見せられるのか」と。


ただし今となっては、焼け石に水。
手遅れ。
子どもたちの世界は、さらにその先に進んでいる。
漫画やアニメではなく、そのものズバリのDVDを見ている。


 また近くに高校があるが、日暮れ時になると、目のやり場に困る。
高校生たちが、木陰の隅のあちこちで抱き合っている。
少し前までは、まだ隠れながらしていた。
が、今は、堂々というか、車のライトに照らされても、平気。


 で、その話を、ある中学校教師(中高一貫校)に話すと、こう言った。
「ここ数年、さらに低年齢化してますよ」と。
驚いていると、「放課後なんか、使われていない部屋や道具置き場は、ラブホテル
みたいです」とも。
ほとんどの男子高校生は、コンドームを持ち歩いている。
携帯電話と同じ。
必携品。
「何も今さら……」というのが、私の実感。


 こうした規制は、20年近く前、「PT」という女子向き雑誌が、
国会で問題になったとき、しておくべきだった。
が、これに対して、いくつかの団体が、猛反発。
「表現の自由、言論の自由の侵害」「捜索活動を萎縮させる」と。


 しかしこういうのを、表現の自由とは言わない。
言論の自由を盾に取って守らなければならない、自由でもない。
むしろ逆。
表現の自由とか、言論の自由とか、そういう言葉を使って、自分たちの
醜い商業主義をカモフラージュしているだけ。


 日本には、モラル、哲学、宗教がない。
ないから、法律で規制するしかない。
たとえば援助交際にしても、話題にのぼらなくなったのは、それがなくなったからでは
ない。
あまりにも日常的になり過ぎたからにほかならない。
それがわからなければ、その時間帯(夕暮れ時)に、コンビニをのぞいてみること。
コンビニが待ち合わせ場所になっている。
携帯電話を片手に、女子中学生や高校生が、あやしげな車につぎつぎと乗り込んでいく。


 世界でも、ここまで退廃した国は、そうはない。


+++++++++++++以下、Yahoo Newsより++++++++++++


(注※1)【性描写漫画の規制条例が成立】=付帯決議で「慎重な運用を」


 過激な性描写のある漫画やアニメの販売規制を目的に、東京都が12月議会に提出してい
た青少年健全育成条例改正案が、15日の都議会本会議で民主、自民、公明各党の賛成多数
により可決、成立した。ただ、「創作活動を萎縮させる」との指摘もあるため、条例の慎重
な運用を求める付帯決議も行った。条例は来年7月1日までに施行される。共産党と生活
者ネットワーク・みらいは反対した。


+++++++++++++以上、Yahoo Newsより++++++++++++


●では、どうすれなよいか


 こうした風潮を改めるには、つまりあなたの子どもをこうした風潮から守るためには、
方法は、ただひとつ。
子どもに心の抵抗力をつける。
方法は簡単。
子どもに夢と希望をもたせ、その先に目標をもたせる。


 わかりやすく言えば、子どもが好きなことをできる環境を用意する。
それについては、何度も書いてきたので、その原稿を、このあとに添付する。
が、残念なことに、現在の教育環境は、子どものもつ多様性に答えるしくみになって
いない。
「学校以外に道はなく、学校を離れて、夢や希望を育てる方法もない」。
どうして欧米がみなしているように、教育を自由化しないのか。
多様な教育方法を認めないのか。
たとえばドイツやフランスでは、子どもたちはみな、クラブに通っている。
いろいろなクラブがある。
英数国社理のような基本科目は、学校で教えればよい。
しかしそれ以外の科目は、民間に任せればよい。


 私が言う「自由化」というのは、それをいう。
何も学校を解体せよと言っているのではない。


+++++++++++++++


心の抵抗力について書いた
原稿をさがしてみました。
2006年に、当時の講演用に
書いた原稿です。


+++++++++++++++


【心を支える、3つの物語】


●私が「私」であるためには、3つの柱が必要です。


(1)(したいこと)を、現実に(している)という実感、つまりは自我の同一性
(2)「いつも、私は、私でいられる」という連続性、一貫性
(3)他者との関係で、いつも良好な人間関係をもつことができるという社会性。


+++++++++++++++++++


  「したいことをする」という姿勢の中から、夢や希望、それに目標が生まれます。自
分の描いた自己概念と、現実の自分が一致している。それが「私」でいるための第一条件
ですね。
  つぎに、どんなばあいも、私は、自分でいられる。動じない。それが「私」というこ
とになります。
  また「私」は、いつも、社会というカガミの中で、映し出されます。そもそも社会性
をもたない「私」は、私ではないということです。
  今回は、これら3つの柱を中心に、時間が許すかぎり、私の個人的な過去もふまえて、
子どもの心を伸ばす、3つの物語を、みなさんに、お伝えしたいです。どうか、よろしく
お願いします。


+++++++++++++++++


【意外とシンプルな、心をはぐくむメカニズム】


●(自分のしたいことをする)……それが子ども自身を伸ばす原動力となります。
●(したいこと)をしている子どもは、生き生きとしています。夢や希望もそこから生まれ、
その先には、目標が生まれます。
●子どもを守るのは、子ども自身の中の、(心の抵抗力)です。目的がしっかりしている子
どもは、その抵抗力も強くなります。

 
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●同一性の危機(1)


万引き、自転車盗、薬物濫用、暴走、家庭内暴力、校内暴力、性非行、無断外泊、いじめ
を、非行という(会津若松警察書)。子どもは、(自分のしたいこと)と、(現実にしている
こと)の間に遊離感を覚えたとき、無意識のうちにも、その距離を、縮めようとする。子
どもの耐性にもよるが、それが一定の限界(個人差は当然ある)を超えたとき、子どもの
自我の同一性は、危機に立たされる。


●夢・希望・目的(2)


夢・希望・目的は、子どもを伸ばす、三種の神器。これら夢・希望・目的は、(自分のした
いこと)と、(現実にしていること)が一致しているとき、あるいは、そこに一体感がある
とき、そこから生まれる。「ぼくはサッカー選手になる」「私はケーキ屋さんになる」と。
そしてサッカーの練習をしたり、ケーキを自分で焼いてみたりする。「プロの選手になる」
とか、「パン屋さんになる」とかいう目的は、そこから生まれる。


●子どもの忍耐力(3)


同一性が危機に立たされると、子どもは、それを修復しようとする。(自分のしたいこと)
を、別のものに置きかえたり、(現実にしていること)を、修正しようとしたりする。ある
いは「したくないが、がんばってやってみよう」と考えたりする。ここで登場するのが、
忍耐力ということになる。子どもにとって、忍耐力とは、(いやなことをする力)をいう。
この忍耐力は、幼児期までに、ほぼ完成される。


●同一性の崩壊(4)


同一性を支えきれなくなると、そこで同一性の崩壊が始まる。子ども自身、自分が何をし
たいか、わからなくなってしまう。また何をしてよいのか、わからなくなってしまう。「私
は何だ」「私はだれだ」と。「私はどこへ行けばよいのか」「何をすればよいのか」と。それ
は「混乱」というような、なまやさしいものではない。まさに「自己の崩壊」とも言うべ
きもの。当然、子どもは、目的を見失う。


●顔のない自分(5)


同一性が崩壊すると、いわゆる(顔のない自分)になる。で、このとき、子どもは、大き
く分けて、二つの道へと進む。(1)自分の顔をつくるため、攻撃的かつ暴力的になる(攻
撃型)。(2)顔のない自分のまま、引きこもったり、カラに閉じこもったりする(逃避型)。
ほかに、同情型、依存型、服従型をとる子どももいる。顔のない自分は、最悪のケースで
は、そのまま自己否定(=自殺)へとつながってしまう。


●校内暴力(6)


暴力的な子どもに向かって、「そんなことをすれば、君がみなに嫌われるだけだよ」と諭(さ
と)しても、意味はない。その子どもは、みなに嫌われ、怖れられることで、(自分の顔)
をつくろうとする。(顔のない自分)よりは、(顔のある自分)を選ぶ、。だからみなが、恐
れれば、怖れるほど、その子どもにとっては、居心地のよい世界となる。攻撃型の子ども
の心理的のメカニズムは、こうして説明される。


●子どもの自殺(7)


おとなは、生きるのがいやになって、その結果として、自殺を選ぶ。しかし子どものばあ
いは、(顔のない自分)に耐えきれず、自殺を選ぶ。自殺することによって、(自分の顔)
を主張する。近年ふえているリストカットも、同じように説明できる。リストカットする
ことで、自分を主張し、他人からの注目(同情、あわれみなど)を得ようとする。「贖罪(し
ょくざい)のために、リストカットする」と説く学者もいる(稲富正治氏ほか)。


●自虐的攻撃性(8)


攻撃型といっても、2つのタイプがある。外に向って攻撃的になる(校内暴力)と、内に
向って攻撃的になる(ガリ勉、猛練習)タイプ。「勉強しかしない」「勉強しかできない」「朝
から寝るまで勉強」というタイプは、後者ということになる。決して、勉強を楽しんでい
るのではない。「勉強」という場で、(自分の顔)をつくろうとしていると考えるとわかり
やすい。近年、有名になったスポーツ選手の中には、このタイプの人は少なくない。


●自我の同一性(9)
 

(子どもがしたがっている)ことに、静かに耳を傾ける。そしてそれができるように、子
どもの環境を整えていく。そうすることで、子どもは、(自分のしたいこと)と、(自分が
していること)を一致させることができる。これを「自我の同一性」という。この両者が
一致している子どもは、夢や希望もあり、当然、目的もあるから、見た目にも、落ちつい
ていて、どっしりとしている。抵抗力もあるから、誘惑にも強い。


●心の抵抗力(10)


「私は~~をしたい」「ぼくは~~する」と、目的と方向性をしっかりともっている子ども
は、心の抵抗力も強い。外部からの誘惑があっても、それをはねのける。小学校の高学年
から中学校にかけては、その誘惑が、激増する。そうした誘惑をはね返していく。が、同
一性が崩壊している子どもは、生きザマが、せつな的、享楽的になるため、悪からの誘い
があると、スーッとその世界に入ってしまう。


●夢や希望を育てる(11)


たとえば子どもが、「花屋さんになりたい」と言ったとする。そのとき重要なことは、親は、
それに答えて、「そうね、花屋さんはすてきね」「明日、球根を買ってきて、育ててみまし
ょうか」「お花の図鑑を買ってきましょうか」と、子どもの夢や希望を、育ててやること。
が、たいていの親は、この段階で、子どもの夢や希望を、つぶしてしまう。そしてこう言
う。「花屋さんも、いいけど、ちゃんと漢字も覚えてね」と。


●子どもを伸ばす三種の神器(12)


子どもを伸ばす、三種の神器が、夢、目的、希望。しかし今、夢のない子どもがふえた。
中学生だと、ほとんどが、夢をもっていない。また「明日は、きっといいことがある」と
思って、一日を終える子どもは、男子30%、女子35%にすぎない(「日本社会子ども学
会」、全国の小学生3226人を対象に、04年度調査)。子どもの夢を大切に、それを伸
ばすのは、親の義務と、心得る。


●役割混乱(13)


子どもは、成長するにつれて、心の充実をはかる。これを内面化というが、そのとき同時
に、「自分らしさ」を形成していく。「花屋さんになりたい」と言った子どもは、いつの間
にか、自分の周囲に、それらしさを作っていく。これを「役割形成」という。子どもを伸
ばすコツは、その役割形成を、じょうずに育てていく。それを破壊すると、子どもは、「役
割混乱」を起こし、精神的にも、情緒的にも、たいへん不安定になり、混乱する。


●思考プロセス(回路)(14)


しかし重要なのは、「思考プロセス」。幼いときは、「花屋さんになりたい」と思ってがんば
っていた子どもが、年齢とともに、今度は、「看護婦さんになりたい」と言うかもしれない。
しかし幼いときに、花屋さんになりたいと思ってがんばっていた道筋、あるいは思考プロ
セスは、そのまま残る。その道筋に、花屋さんにかわって、今度は、看護婦が、そこへ入
る。中身はかわるかもしれないが、今度は、子どもは、看護婦さんになるために、がんば
り始める。


●進学校と受験勉強(15)


たいへんよく誤解されるが、「いい高校」「いい大学」へ入ることは、一昔前までは、目的
になりえたが、今は、そういう時代ではない。学歴の権威を支える、権威主義社会そのも
のが崩壊してしまった。親は、旧態依然の考え方で、「いい大学へ入ることが目的」と考え
やすいが、子どもにとっては、それは、ここでいう目的ではない。「受験が近いから、(好
きな)サッカーをやめて、受験塾へ行きなさい」と子どもを追うことで、親は子どもの夢
をつぶす。「つぶしている」という意識すらないまま……。


●これからはプロの時代(16)


これからはプロが生き残る時代。オールマイティなジェネラリストより、一芸にひいでた
プロのほうが、尊重される。大手のT自動車の面接試験でも、学歴不問。そのかわり、「君
は何ができるか?」と聞かれる時代になってきている。大切なことは、子どもが、生き生
きと、自分の人生を歩んでいくこと。そのためにも、子どもの一芸を大切にする。「これだ
けは、だれにも負けない」というものを、子どもの中につくる。それが将来、子どもを伸
ばす。


●大学生の問題(17)


現在、ほとんどの高校生は、入れる大学の入れる学部という視点で、大学や学部を選んで
いる。もともと、勉強する目的すらもっていない。そのため、入学すると同時に、無気力
になってしまったり、遊びに夢中になってしまう大学生が多い。燃え尽きてしまったり、
荷おろし症候群といって、いわゆる心が宙ぶらりんになってしまう子どもも多い。当然、
誘惑にも弱くなる。


●自我の同一性と役割形成(18)


子どもをまっすぐ伸ばすためには、(子どもがしたがっていること)を、(現在しているこ
と)に一致させていく。そしてそれを励まし、伸ばす。親の価値観だけで、「それはつまら
ない仕事」「そんなことは意味がない」などと、言ってはいけない。繰りかえすが、子ども
が、「お花屋さんになりたい」と言ったら、すかさず、「それはすてきね」と言ってあげる。
こういう育児姿勢が、子どもを、まっすぐ伸ばす基礎をつくる。


(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司●
同一性の危機●夢・希望・目的●子どもの忍耐力●同一性の崩壊●顔のない自分●校内暴力●子
どもの自殺●自虐的攻撃性●自我の同一性●心の抵抗力●夢や希望を育てる●子どもを伸ばす
三種の神器●役割混乱●思考プロセス(回路)●進学校と受験勉強●これからはプロの時代●
大学生の問題●自我の同一性と役割形成 心の抵抗力 自我の同一性)
(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 
BW はやし浩司 心の抵抗力 子どもを非行から守る法 子どもの心を守る。)

++++++++++++++++++はやし浩司

●心の抵抗力

 心にも抵抗力がある。
その抵抗力が弱くなると、子どものばあい、一義的には、非行に走りやすくなる。
言い換えると、非行から子どもを守るためには、心の抵抗力を強くすればよい。

 つまり講演の切り口を、(1)「子どもを伸ばすこんな方法」にするか、(2)「子どもを非行から守る、こんな方法」にするか。
3番目の話が、どうしても決まらない。

 どちらにしようか……?
それは講演会場の雰囲気で決めるしかない。

 これから運動を2単位(40分x2)、こなしてくる。

2011/11/30記


Hiroshi Hayashi++++++Nov. 2011++++++はやし浩司・林浩司

Monday, November 28, 2011

●闇路に迷う愚痴人間(2)

●闇路に迷う愚痴人間(はやし浩司 2011-11-29朝記)

+++++++++++++++++

「闇路に迷う愚痴人間」。
まさにその通り。
「愚痴」というのは、「法を知らない愚かな」という意味。
「法」とは、すなわち、「仏法」をいう。
つまり私のこと。

+++++++++++++++++

●週刊現代を読む

 昨日、夕食のあと、空き時間があった。
『週刊現代』(2011・12・10)を読む。
改めて、60歳以上の人たちが置かれた立場のきびしさを実感する。

うすうすわかってはいたが、具体的な数字で示されると、衝撃も大きい。
働くといっても、60歳以上の人には、満足な仕事すらない。
ほんの少し前には、少子化による労働力不足が叫ばれた。
が、今は、仕事そのものがない。
働きたくても、また働かなければならなくても、仕事そのものがない。

●ターニング・ポイント

 円高から、円安へ。
そのあとこの日本は、一気にハイパーインフレの時代へと突入する。
そのターニング・ポイントはいつか。

 その目安となるのが、日本国債の応札倍率と利回り。
国債の利回りが、急激に上昇し始めたとき、あるいは上昇したときが、あぶない。
先日のドイツのように応札倍率が、1倍に満たないとき、つまり「札割れ」したときも、あぶない。
そのとたん……というより、その瞬間から、日本は一気に円安に向かう。

●札が紙くずに

 日本の国家債務が、1000兆円。
地方債務を含めれば、その額は、もっとふくらむ。
国家税収(=収入)が40兆円余りだから、その25倍ということになる。
たとえて言うなら、年収が400万円の人が、1億円の借金を抱えているに等しい。

 見た目には豊かでも、中身はガタガタ。
が、私はこの数字を逆に読む。
「日本は、実際には、25年前に逆戻りしてもおかしくない」と。 
つまり2011-25=1986年。
1986年だぞ!
それ以後の日本は、まさに砂上の上に築いた楼閣のようなもの。
わかりやすく言えば、1986年以後築いた財産などは、すべて失っても文句は言えない。

●1986年(昭和61年)

 1986年という年は、どんな年だったのか。
講談社の「20世紀全記録」によれば、つぎのようにある。

1月……「チャレンジャー」爆発……砕かれた宇宙開発の夢、7人、全員死ぬ
2月……「ピープルズパワー」……マルコス追放
3月……(とくに目立ったニュースなし。)
4月……ハレー彗星接近、そしてあの「チェルノブイリ原子力発電所・爆発!」
5月……チャールズ英皇太子、ダイアナ妃と来日
6月……(とくに目立ったニュースなし。)
7月……ワールドカップ・アルゼンチン優勝……マラドーナの5人抜き
8月……タイタニック号を撮影、円高1ドルが152円に
9月……(とくに目立ったニュースなし。)
10月……第10回、アジア大会、ソウルで開催
11月……レーガン・ゴルバチョフのレイキャビク会談失敗、三原山209年ぶり噴火
12月……数十年ぶり、ヨーロッパ全土に大寒波襲来

 「チェルノブイリ原子力発電所・爆発」と書いたとき、心底、ドキッとした。
それから25年。
この日本でも、同じことが起きた!

●精神

 しかし60歳以上の人には、さらにきびしい現実が待ち構えている。
仕事だけが問題ではない。
どう精神的に自分を支えていくか……。
実は、こちらの問題のほうが、大きく、かつ深刻。

 たとえて言うなら、目的地のわからない暗い夜道を歩くようなもの。
その先に待っているのは、断崖絶壁。
それでも死ぬこともできず、ただひたすら歩きつづける。
そういう中で、自分をどう精神的に支えていくか。

●IMFへの出資比率

 昨日、IMFについて書いた。
「日本は大口出資者なのに、ディレクター(理事)のメンバーに加えられていないのはおかしい」と。

 そこで調べてみた。
「大口」(ウィキペディア百科事典)とは、何か。
「間違いだらけの金融知識」サイトにそれが、あった。

 ……2010年11月5日の理事会で、IMFは新しい出資比率の改定を承認した。
この承認案は2012年の発効を目指しており、また、出資金総額も7557億ドル(約61兆円)にほぼ倍増される予定。
背景には、ギリシャやウクライナなどへの金融支援によって、資金基盤の増強が急務であることがあげられている。(以上「間違いだらけの金融知識」より)

(以下、出資比率、単位は(%))

1位  米国   17.407
2位  日本   6.464
3位  中国   6.394
4位  ドイツ  5.586
5位  フランス 4.227
6位  英国   4.227
7位  イタリア 3.161
(以下、つづく)

 日本の出資率は、6・464%。
出資金は、61兆円x0・06464=3・94兆円となる。
「今回の増資による出資金は約2兆円」(同サイト)とある。

 その後、それだけの出資金を支払ったかどうかは知らない。
(たぶん、日本のことだから、支払ったにちがいないが……。)
「お金がない」と言いながら、どうして日本は外国では、こんなに気前がいいのだろう。
数週間前には、野田首相は、東南アジアで2兆円もばらまいてきた。

●お金

 お金で人を助けてはいけない。
助けた方は、「相手は感謝しているはず」と考えがち。
しかしその相手は、その場だけ。
ばあいによっては、逆恨みされる。
「返せ」と言えば、そのとき人間関係は終わる。
が、それだけではない。

 一度、保護・依存の関係ができると、それを断ち切るのは容易なことではない。
助けてもらうほうは、いつまでも、それを当然ととらえる。
国際関係を見ていると、それがよくわかる。
あの3・11大震災のときも、民間の義援金の話は耳にした。
とくに台湾からの義援金は、突出していた。
しかしどこかの国が、国として復興費用を支援してくれたという話は聞いていない。

 日本は、今まで何をしてきたのか。
そのつどそれぞれの国で、1兆円単位のお金をばらまいてきた。
受け取る方は「Thank You」と言うかもしれない。
しかしいつもそのままで終わってしまう。

●親子でも

 親子でも、お金の貸し借りはしてはいけない。
息子や娘のほうは、必要になるたびに、こう言う。
「就職したら返すから」「給料があがったら返すから」と。
が、いまだかって、そういう息子や娘が、親にお金を返したという話も聞いたことがない。

 で、親がいよいよ生活に困るようになって、息子や娘にこう言う。
「そろそろ少し返してくれないか?」と。
とたん息子や娘の態度が豹変する。
「家でも土地でも、売ればいい」と。
「お父さんには年金があるだろ」と、息子に直接言われた知人もいる。
さらに「お前は見返りを求めて、オレたちを育ててきたのか」と、息子に怒鳴られた知人もいる。

 今、親子の関係も、ここまで希薄になっている。

●どうでもなれ!

 現世に執着するかぎり、私たちはこの闇路から抜け出ることはできない。
抜け出るためには、執着、あるいは執着心を捨てなければならない。
執着があるから、迷い、悩み、苦しむ。
が、ひとたび執着を捨ててしまえば、前の道が、パッと明るくなる。
わかりやすく言えば、「どうでもなれ!」と宣言すればよい。
自分の命すらも、この宇宙という大自然界に託す。

 ……とまあ、口で言うのは簡単なこと。
しかし実際、そこまで割り切らないと、この複雑怪奇な世界では、楽しく生きていくことはできない。
「どうでもなれ!」と。

●闇路に迷う愚痴人間

 今日も闇路に迷う。
明日も闇路に迷う。
今までも闇路に迷ってばかり。
いつになったら、執着から解放され、安穏の世界に入ることができるのだろう。
そこにある「現実」を前にすると、かけ声ばかりで、前に進まない。

 「とりあえずすべきことは……」と考えたとき、思いつくのは「生活」のことばかり。

「この原稿を書くのが終わったら、30分、運動をしよう」
「今日は胃の調子がよくないから、節食しよう」
「明後日からの教材の準備を始めよう」
「為替の様子を見て、現金を現物資産に交換してこよう」
「AさんとBさんに、暮れの付け届けを送ろう」
「年賀状のデザインを考えよう」などなど。

 『六趣輪廻(りんね)』に振り回されながら、それに抵抗する術(すべ)もない。
こんな私には安穏の世界など、夢のまた夢。
ドロドロした現実の中で、今日もこうして生きていく。
ア~ア!

 では、みなさん、おはようございます。
こうして私は、すでに1時間も、命を無駄にしてしまった。
もう一度、ア~ア!


Hiroshi Hayashi++++++Nov. 2011++++++はやし浩司・林浩司

●講演会の案内byはやし浩司

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【浜松市内、今年度最後の講演会のお知らせ】

浜北区、浜北文化センターにて

11月30日(水曜日)
午後6:30開場
午後7:00~8:30(講演時間)

『こうすれば子どもは伸びる、3つの簡単な方法』

主催:浜北区・健全育成会
対象:小中学生をおもちのご家族の方

入場は無料、どなたでも参加できます。

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Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●ULTRABOOK TOSHIBA R631/28D

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ACER社とSUSAS社、それにTOSHIBA社。
これら3社から、ULTRABOOKが、出そろった。
3社3様。
が、私は、カタログで、私はTOSHIBAのR631に、決めていた。
そのR631が、11月11日(本日)、発売になった。

駅前のB店に行くと、それが並んでいた。
他の2社と比較すると、やや値段が高いかなと感じた。
「Office/Home & Business2010」が、付属しているということもある。
が、私は日本人。
迷ったら、日本製。
それにノートパソコンは、TOSHIBA製と決めている。

ただ発売当日に購入というのも、どうかと思った。
1~2か月もすると、値段が、数万円程度は安くなる。
が、それまで待ちきれない。
・・・ということで、購入。

今、そのR631で、この文章を打っている。

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●R631

 一度自分のモノになったら、批評はしない。
批評すれば、自分がさみしくなる。
よくても悪くても、この先、いっしょにつきあうしかない。
私のほうが、パソコンに慣れる。
自分に「これはよいパソコン」と、繰り返し言って聞かせる。
それしかない。

 そのR631。
よいパソコンだ。
ENTERキーが大きいのが、二重丸。
バッテリーのもちも、9時間(実測でも7時間程度)。
それだけあれば、ほぼ一日中、使える。
が、何よりもすばらしいのは、起動が速いこと。
電源を入れて、10秒ほどで、デスクトップ画面が現れる。
SSD(ハードディスクの代わりにSDを使ったパソコン)のすごさを、改めて実感する。

●欲望

 で、その欲望。
欲望をすべて「悪」と決めつけてはいけない。
欲望そのものは、生きるエネルギーと直結している。
そのことは、生きる力をなくした老人を見れば、よくわかる。
私の母がそうだった。

 元気なころは、ちぎり絵に没頭していた。
一日中、部屋にこもって、作品と取り組んでいた。

 が、晩年の母は、ちぎり絵にまったく関心を示さなくなっていた。
私が材料や道具を用意して置いてみたが、手も触れようとしなかった。
生きる意欲そのものを失っていた。

 もう1人、こんな人がいた。
車が好きで、元気なころは、つぎつぎと新型の車に乗り換えていた。
が、あるときから、パタンと、・・・本当にパタンと、車に興味を示さなくなってしまった。
何かの大病を患ったときのことだった。
その人はそのあと、しばらくして、亡くなってしまった。

 だから・・・。
たとえば、(ものが欲しい)という欲求が生まれたら、(あくまでも60歳以上の人についての話だが)、それを消さないようにする。
しばらく放っておくと、その欲望そのものが消えてしまう。
どうでもよくなってしまう。

●自己投資

 が、こうなると、時間との勝負。
私が早くくたばるか、欲望が早くくたばるか・・・?
平均余命まで、あと15年。
何とかそれまでは、元気で過ごしたい。
そのためにも、欲望を大切にしたい。

 ずいぶんと身勝手な、かつ手前味噌的な意見だが、今の私は、そう思う。
だから家に、ノートパソコンがいくらゴロゴロしていても、新しいパソコンを買う。
もう少し専門的な表現を借りるなら、自己投資。
脳みその健康のためには、自己投資を怠らない。
命はお金では買えない。
が、お金で命を延ばすことはできる。 
だから、自己投資!

●条件反射 

 物欲そのものは、線条体に、受容体を作りやすい。
つまり条件反射が起きやすくなる。
ニコチン中毒やアルコール中毒と同じ。
新製品のカタログを見ているだけで、ググーッとそのモノがほしくなる。
これはまさしく条件反射。
若い男性が、女性のヌードを見たときのようなもの。
性欲本能は、(本能)で、ここでいう(条件反射)とは異質のものかもしれない。
しかし性欲も、扱い方によっては、受容体を形成しやすい。

 たとえば女性の下着を見ただけで、(それも汚れた下着のほうがよいそうだ)、ググーッと性欲を覚えるなど。
だから欲望といっても、善玉と悪玉とに分ける必要がある。
どこでどうこの両者を区別するかについては、むずかしい。
しかし基本的には、欲望イコール、(生きる原動力)と考えてよい。
もちろん犯罪性をともなう、反社会的行為は別である。

●甘い陶酔感

 ・・・今のところ、R631が、たいへん気に入っている。
キーボードが打ちやすい。
画面も13・3インチ(ワイド)ある。
それに軽い!
驚くほど、軽い!

 部屋の中を持ち歩いても、苦にならない。
それにもうひとつ、大発見。
欲望をじょうずに満たすと、脳の中に、モルヒネ様のホルモンが分泌される。
それが脳内を、甘い陶酔感(=満足感)で満たす。

 その結果、買うまでは軽い頭痛があったが、それが消えた。
反対に欲望を抑え込むと、ストレスが増大する。
それが脳内ストレスを引き起こす。
サイトカインという悪玉ホルモンを分泌する。

 このサイトカインには注意したほうがよい。
最悪のばあいには、体の免疫機能に作用して、免疫力そのものを弱めてしまう。

●結果論

 これは結果論。
冒頭に書いたように、私は3つパソコンの中から、どれにするか、それに迷った。
が、もっとも値段が高く、性能もよいTOSHIBA製のパソコンを選んだ。
しばらく使ってみると、それが心地よい喜びとなって返ってきた。
「いちばん気に入ったパソコンを手にした」という喜びである。

 こういうときは、いちばんよい機種を手にするのがよい。
二番手、三番手をもつと、かならず飽きる。
後悔する。
飽きて、結局は一番手が、またほしくなる。
ミニパソコンが出始めたころ、私はそれで失敗した。
つぎつぎと新製品が出たこともある。
気がついたときには、5~6台のパソコンがテーブルの上に並んでいた。
もっとも当時は、それをもらい受けてくれる息子たちが近くにいたからよかった。
が、そういう失敗は、二度と繰り返したくない。
多少、値段は高くても、一番手、つまり本命をねらう。
だから昔の人は、こう言った。

『安物買いの、銭(ぜに)失い』と。

 ただし一言。
パソコンだけは、いくら使わなくなっても、自分で処分する。
リカバリーしてから渡すという方法もないわけではない。
しかしめんどう。
削除したファイルでも、プロの手にかかると、簡単に生き返ってしまうそうだ。

●ワイフとの仕事

 さて、そろそろ今年1年間を振り返るときが、やってきた。
早いもので、もう11月の中旬。
あっという間の1年だった。

 で、この1年間を振り返ってみて、ひとつよいことがあった。
ワイフのこと。
ワイフが私の仕事を手伝ってくれるようになって、もう4~5年になる。
当初は、ためらっていたが、今は、自分のほうから手伝ってくれるようになった。
親や子どもたち(=生徒たち)とのつながりができたこともある。
それがワイフなりの(生き甲斐)になってきた。

 が、それだけではない。
私の仕事は、孤独との闘いだった。
その孤独を、ワイフが共有してくれるようになった。

 たとえば若いころ、大切に思っていた生徒が退会したとする。
私はつらくて、それをワイフに話すことができなかった。
1~2か月もして、「実は・・・」と。

が、今は、ワイフはそれを目の前で見ている。
私が思うのと同じくらい、それをつらく思ってくれる。
それだけでも、私の心は軽くなる。

 ・・・若いころは、ワイフにはそれが理解できなかったらしい。
私がそのつらさを、八つ当たりという形でワイフにぶつけたりした。
すると、ワイフはいつもこう言った。
「あなたは仕事のことしか考えていない!」と。
それが私を、さらに孤独のドン底へと、叩き落とした。

●すごい国!

 もちろん、あの3・11大震災もあった。
あの震災が、日本という国を、根底からひっくり返した。
今も、その状態がつづいている。
電話でだれと話しても、みな不安そうにこう言う。
「この先、この日本はどうなるんでしょう?」と。

 どうにもならない。
なるようにしか、ならない。
ただこう思うときもある。
「日本って、すごい国なんだなあ」と。
こんな状況になっても、見た目には、びくともしない。
円高をどうこう言う人もいるが、こんな大災難の中にあっても、円高!?

 アメリカをはじめ、世界中が、通貨安競争を繰り広げた。
日本だけは、しなかった。
自制した。
(本当は、アメリカの圧力で、できなかったのだが・・・。)
その結果が今。
この先のことはわからないが、世界中が大恐慌に見舞われている中、日本だけは何とか持ちこたえている。
(・・・と言っても、経済の動きは、そんな単純なものではない。
日本が円高なのは、ヘッジファンドが、この先日本経済が崩壊するのを先読みしているからにすぎない。
そう説く経済学者もいる。)

●緊張感

 経済の話は、もうやめよう。
憂うつになるだけ。
こうした金融危機は、いつなんどき、自分たちの身に降りかかってくるか、わかったものではない。
とんでもないところから、突然、始まる。
ギリシャ、ギリシャと騒いでいたら、今度はキプロス、イタリア。
イタリア、イタリアと騒いでいたら、今度はオーストリア、ベルギー。
さらに今度は、フランス、それにベルギー・・・。
それらがそのまま、さらなる恐慌へとつながっていく。

 それにしても、このピンと張りつめたようなこの緊張感。
息が抜けない。
これはどうしたものか。
が、人間は、こうした緊張感に弱い。
それほど長く、もたない。
そのときが、こわい。

●バツをつけると怒る子ども

 数日前、こんなことがあった。
小学高学年の子ども(生徒)だった。
その子どものテストを採点しているとき、当然のことだが、まちがえたところに赤ペンで正しい答を書いてやった。
それを見て、その子どもはパニック状態になってしまった。

 体中を緊張させ、恐ろしいほどの形相で、私をにらみ返した。
大声で泣きたいのを、必死でがまんしているといったふうだった。
それをワイフがうしろで見ていて、あとでこう言った。
「きっと悔しかったのね」と。

 が、その子どもは悔しくて、そうなったのではない。
簡単に言えば、かんしゃく発作を起こした。
それ以前の問題として、軽いアスペルガー症候群、あるいは自己愛者的な症状も見られる。
心が閉じているから、そうなる。
つまりその分だけ、心に余裕がない。
その場で、ハハハと笑ってすますことができない。

 そういう性質を私もよく知っていたから、ていねいな言い方で、採点をした。
それでもそうなった。

●儀式

 新しいパソコンを買うと、最初の数晩は、枕元に置いて寝る。
またその前後には、指をキーボードに慣れさせる。
キーボードを指でこする。
これが私の儀式。
新しいパソコンを買ったときの、儀式。

 指先の神経は、脳細胞のどこかに直結している。
指先の神経を刺激していると、やがて甘ったるい陶酔感が脳に満ちてくる。
モルヒネ様のホルモン(エンケファリンやエンドロフィン)が分泌されるためと言われている。
また古来より中国では、モノをいじることによって、ボケを防止しているそうだ。
そういう効果もあるらしい。

 ともかくも、指がキーボードに慣れるまで、少し時間がかかる。
やがてキーの表面が、指でこすれてピカピカになるころには、ブラインド・タッチができるようになる。

 大のおとな(ジー様)が、パソコンを枕元に置いて寝るというのも、おかしな話に聞こえるかもしれない。
しかしこの習慣だけは、私が子どものころから変わっていない。
何か欲しいものを手に入れたときは、枕元に置いて寝た。
おそらく、死ぬまで変わらないだろう。

●光るキーボード

 今回買ったパソコンは、キーボードが光る。
闇の中でも、文章を書くことができる。
いつか映画『トロン』の中で見たようなパソコンである。
横でそれを見たワイフがこう言った。
「不思議なパソコンね」と。

 これがなかなか重宝。
車の中でもパソコンを使える。
枕元の電気を消したあとでも、パソコンを使える。
が、こんなに便利なものとは、知らなかった。
一度使ったら、後戻りできない。
光るキーボードは、そういう機能と考えてよい。
つぎにまたパソコンを買うときは、光るキーボード付のパソコン・・・ということになりそう。
 
●柿

 家に帰ると、従姉から柿が届いていた。
岐阜の柿である。
大きくて、色があざやかに輝いていた。

 すぐ礼の電話を入れた。
私より1歳、年上の従姉だが、元気そうだった。

●浜北文化センターでの講演

 今度、11月30日(水曜日)に、浜松市浜北区にある、文化センターで講演をすることになった。
浜松市内では、今年最後の講演会である。
主催者の先生に電話を入れて確かめると、「一般参加もOK」とのこと。

 もしこの文章を読み、時間がある人は、どうか聞きにきてほしい。
自信はないが・・・というのも、いつも失敗ばかりしているので・・・今度こそ、最高の講演をしてみたい。
真剣勝負。
開場は、午後6時30分。
講演時間は7:00~8:30ということになっている。

 演題は『思春期前夜から思春期の子どもの心と発達』『こうすれば伸びる3つの方法』。

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11月30日(水曜日)
浜北文化センター、午後7:00~より
参加費、無料

主催:浜北区・健全育成会

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●就寝

 先のところまで書いて、今まで、数時間。
とくに何かをしたわけではないが、時間だけ、過ぎてしまった。
時計を見ると、午後11時30分。
もうそんな時刻!

 ふとんの中で半分体を起こし、今、この文章を書いている。
光るキーボードが美しい。
・・・ふと見ると、ワイフがすでにイビキをかいている。
ほんの5分前まで、まだ起きていた。

 私も眠い。
しかしいつまでもこうして、文章を書いていたい。
本当のことを言えば、こうしてキーボードに触れていたい。
超薄型パソコンということで、ストローク(キーの深さ)は浅いが、じゅうぶんなクリック感はある。
パチパチというより、ひざの上で、トントン、パタパタと鳴る。
(「パタパタ」というのは、ENTER・KEYを叩いたときの音。)
それが心地よい。

 ・・・とはいえ、もう私も眠らなくてはいけない。

●午前5時(2011ー11ー12)

 今朝は午前5時に目が覚めた。
トイレに行き、そのまま居間へ。
軽い偏頭痛があったので、Z剤を半分に割ってのむ。
熟睡していても痛いのが、偏頭痛。
その偏頭痛のせいで、寝起きに、いやな夢を見た。

 どうしてだろう?
つまりどうして偏頭痛なのだろう。
このところ精神状態は、悪くない。
日々が楽しく、それなりに満足している。
ワイフとも仲がよい。
神経を使うということもない。

●原稿依頼

 自動車技術会(公益社団法人)から、原稿依頼をもらった。
その機関誌に、6P(ページ)の原稿を書かせてもらうことになった。
年に1度の機関誌という。

 前もって打診はあったが、依頼書を見て仰天。
20P近い企画案内と、原稿の体裁についての注意書きがあった。
ワイフにそれを見せると、「すごい企画書ね」と。

日本の自動車会社が共同して発行する機関誌という。
私もこうして原稿を書くようになって40年。
しかしここまで「すごい!」企画書は、見たことがない。
たいていは、「○○字x○○行」ですんでしまう。

 原稿は完成しているので、再度推敲し、来週中には相手方へ届けたい。

●レッツノート

 今日は土曜日。
とくに予定はない。
会う人もいない。

 ・・・こうしてR631を叩いていると、12年ほど前に使っていた、TOSHIBAのダイナブックSSと、PANASONICのレッツノートを思い出す。

 ダイナブックSSは当時としては、超薄型のパソコンだった。
23万円ほどもした。
ボロボロになるまで使い倒した。
(本当にボロボロになった。)

 レッツノートも薄型だったが、キーボードが平たく、ツルツルしていた。
その感触が、このR631と同じ。
どちらも愛用のパソコンだったが、両方とも、1~2か月で故障。
とくにレッツノートは、それ以後、4、5回も修理に出した。
CDドライブが着脱式になっていて、本体との相性がたいへん悪かった。
当時は、一度修理に出すと、戻ってくるまで、1か月以上もかかった。

 そんなこともあり、レッツノートは、それ以後、一度も買っていない。

●狂乱状態

 今朝はまだニュースに目を通していない。
見たいが、心のどこかでブレーキが働いている。
目まぐるしいというより、狂乱状態。

 先にも書いたように、ギリシャがあぶないと思っていたら、今度はイタリア。
その前にキプロスがおかしくなった。
同時に、ベルギー、オーストリア、フランスまで……。
今度は、ハンガリー?
なぜか?
少し、視野を広げてみると、それがよくわかる。

 ・・・つまり地中海の上(北)と下(南)。
距離はそれほど離れていないが、生活レベルがあまりにも、ちがいすぎる。

同じ人間が、同じように働いている。
しかし「上」の人たちは、それほど働いてもいないのに、優雅な生活を楽しんでいる。
一方、「下」の人たちは、働けど働けど、極貧状態。
「南北格差」という言葉がある。
しかしこれほどまでにひどい「格差」のある地域は、ほかにない。
ヨーロッパだけ。

 今、その格差が縮み始めている。
そう考えると、EUの狂乱状態が、よく理解できる。
必死でユーロの「力」を守ろうとする、EU。
それをよしとしない、新興勢力。
激震に激震を重ねながら、ユーロも、やがて、ごくふつうの通貨になっていく。

 ついでにアメリカのドルも、日本の円も・・・。

●破壊主義

 が、だからといって、そのまま享楽主義に走ることは、正しくない。
もしそれぞれの人が享楽主義、つまり自分だけがその場を楽しめばよいと考えるようになったら、それこそ、世界はおしまい。
欲望だけが、むき出しになってしまう。

 人間は頭がよい分だけ、教育の仕方をまちがえると、たいへん。
欲望がぶつかりあうと、破壊主義が生まれる。
破壊主義は、そのまま戦争につながってしまう。
何としても、それだけは避けなければならない。

●人間の価値

 とは言っても、そこには「現実」がある。
生きていかねばならない。
そのためには、ある程度の収入を確保しなければならない。

 ・・・これについては、がんばるしかない。
それぞれの個人が、それぞれの立場で、がんばるしかない。
どこまでがんばれるか、本当のところ自信はないが、がんばるしかない。

ただひとつ気になっているのは、「命」の価値が、年々、たいへん軽くなりつつあること。
私にしても、(そしてこの文章を読んでいるあなたにしても)、死ねば、骨から灰になり、そのまま消えてなくなってしまう。
数年もすれば、身内の人にすらも、忘れられてしまうだろう。
人と人のつながりが、家族の中においても、希薄になってきている。
つまり(つながり)イコール、(人間の価値)と考えてよい。
その価値が低下し始めている。

 今では隣人が亡くなっても、「ああ、そう」で終わってしまう。
その人が老齢であれば、なおさら。

●仕事

 私はまだラッキーなほう。
仕事がある。
が、老後を考えると、暗たんたる気持ちになる。
年金というと、国民年金だけ。
「何もないよりはマシ」という金額だが、この先、猛烈なインフレが待ち構えている。
「タクシーの初乗りが、1万円」と。
そんな時代に、6万5000円前後の年金をもらって、どうする?
どうなる?

 貯金ゼロの家庭が、全体の30%以上もあるという。
60歳の定年退職時においてですら、約50~60%。
気がついてみたら、子どもの学費で使い果たしてしまったという人も多い。

 だから死ぬまで働くしかない。
が、それを「不幸」と、とらえてはいけない。
少なくとも、私は不幸とは思っていない。

●講演活動

 たとえば講演にしても、それがあるからこそ、生活の中に緊張感が生まれる。
1週間ほど前から、体調を整える。
運動量をふやす。
食事に気をつける。

 ここ4~5年は、講演旅行をかねて、ワイフとその先で、できるだけ一泊するようにしている。
それがまた楽しい。
雑誌「President」の最新号の中にも、こう書いてあった。

 『心の豊かさは収入の額ではない。お金の使い方で決まる』(記憶)と。

 映画を観て、帰りに回転寿司を食べる。
それだけでハッピーになれる人は、いくらでもいる。

●アンチ・ウィルスソフト

 偏頭痛は収まったが、何かした頭がフア~ッと浮いたような状態。
薬の副作用と思われる。
要するに、偏頭痛薬というのは、基本的には血管収縮剤。
緩んだ血管を、収縮させる。
今が、その状態?

 ・・・しかし今、EUは、どういう状況なのだろう。
気にはなる。
が、このR631は、まだネットにはつながっていない。
アンチ・ウィルスソフトをどうしようか、まだ結論が出ていない。
市販(有料)のものもあるが、雑誌などによれば、マイクロソフト社から、無料のアンチ・ウィルスソフトが配布されているという。
「Microsoft Security Essentials」というのが、それ。
有料版に近い、ウィルス検出能力があるという。
ほかにも、「AVG Anti-Virus Free Edition 2012」というのもある。

 どうしようか?
この世界では、無料イコール、無責任。
アンチ・ウィルスソフトだけは、しっかりとしたものをインストールしたい。
ネットに接続するのは、そのあと。

●天高く……

 今、雨戸を開け、今日、はじめて空を見た。
「天高く・・・」というのは、こういう空のことを言うらしい。
昨夜までの雨模様は収まり、そこには水色のさわやかな空が広がっていた。

 こういう朝は、筋雲が美しい。
それが幾重にも連なり、まるで長い髪の女性が、髪を風になびかせているかのようにも見える。
先ほど雨戸を開けたとき、サーッと冷気を含んだ風が部屋の中に入ってきた。
さわやかな朝。

GOOD MORNING!

 しばし空の美しさに、見とれる。

●ニュース

 もう一台のノートパソコンで、いくつかのニュース・サイトを開いてみた。
今では新聞よりも先に、(もちろんテレビよりも先に)、ニュースはネットで読む。
新聞は、その確認用。

 一方、まったく意味のないのが、テレビのニュース。
ウソこそ言わないが、本当のことも言わない。
これだけ情報が氾濫してくると、私たちはその向こうにある、隠された意図というものまで読み取ることができるようになる。
テレビは、たしかに私たちの心を、巧みに操っている。
それがわかるようになる。

●ニュース

 NYダウは、259ドル高。
EU市場も、落ち着いているよう。
Bloombergによれば、「EUに楽観論、広がる」とある。
が、「よかった!」とは、私は思わない。
明日のことは、わからない。
こんなことで一喜一憂していたら、それこそ気がヘンになる。

 取り越し苦労に、ヌカ喜び。
むしろ気になったのは、アメリカ・サンフランシスコ連銀のウィリアムズ総裁が、つぎのように発言したこと(Bloomberg)。
「新たな資産バブルが形成される、著しいリスクがある」と。
それもそのはず。

 これだけ市中に、お金(マネー)をばらまけば、そのあと世界はどうなるか。
そんなことは、私のような者でも、よくわかる。
ウィリアムズ総裁は、「それが暴走したときが、こわい」と。

●朝風呂

 今朝は朝風呂になりそう。
朝風呂といっても、昨夜、風呂に入るのをサボった。
それで朝風呂になりそう。
ワイフがタブに湯を入れ始めた。

 ・・・こうしてR631の処女航海は、無事すんだ。
使い勝手は、たいへんよい。
当初、キーの縦幅がやや狭いのが気になった。
が、打ち始めてみると、それはすぐ解消した。
巨大なENTERキーにも、すぐ慣れた。
叩くたびに、パタパタという音がするのは、許容範囲。
愛嬌。
今までの周辺機器が、そのまま使えるのもよい。
(他社のUltra bookは、接続コネクターが必要。)

 ただ色が、あまりよくない。
「色はシルバー」とあるが、実際には、ダーク・シルバー。
イメージが暗い。
悪い。
これはTOSHIBA製のパソコンすべてに共通している点だが、どこか事務機器ぽい。
オシャレ感に乏しい。
が、パソコンは事務機器ではない。
愛用品。
心の通う愛用品。
もっていて楽しい・・・というパソコンにしてほしい。

 しかしこれで現役のTOSHIBA・ダイナブックは、計5台になった。

(はやし浩司 2011-11-12朝記)


Hiroshi Hayashi+++++++Nov. 2011++++++はやし浩司・林浩司

【幼児に、言葉としての英語をどう教えるか】(実践教育)

●会話ではなく、言葉。言葉としての英語を、幼児にどう教えるか。それが今回のレッスンの目的です。もちろん相手は幼児ですから、「文法」を教えても意味はありませんね。……ということで、今回のレッスンを考えてみました。結果はまずまずでした。

(1)


(2)


(3)


(4)



(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW はやし浩司 幼児教室 育児 教育論 Japan はやし浩司 言葉としての英語をどう教えるか 英語教育 幼児の英語教育 はやし浩司 言葉教育 幼児教育 英語の文法 言葉)


Hiroshi Hayashi++++++Nov. 2011++++++はやし浩司・林浩司

Sunday, November 27, 2011

●イタリア救済のために、IMFが62兆円準備?

●11月28日(月曜日)・アメリカのEU支配戦略

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今朝(11月28日)のニュースを読んで驚いた。
IMFが、イタリアの金融危機を救済するため、
6000億ユーロ、つまり約62兆円の支援を
準備しているという。

62兆円!

ブルームバーグは、つぎのように伝えている。

『国際通貨基金(IMF)はイタリアの債務危機が悪化した場合に備えて、6000億ユーロ(約62兆円)の支援を準備している、と同国紙スタンパが伝えた。情報源には言及していない。
(中略)
 同紙によると、金利は4-5%で、融資額は4000億~6000億ユーロとなる公算がある』と。

 もしこれが事実とするなら、Good Newsとまでは言わないが、世界の金融恐慌も、これで一息つくはず。

 ……しかし、IMFに、そんなお金があるのか?
そのお金は、だれのものなのか?

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●IMF

 ウィキペディア百科事典には、つぎのようにある(抜粋)。
今朝は、IMFの勉強から始める。

+++++++++++以下、ウィキペディア百科事典より+++++++++++++

●IMF

 英語: International Monetary Fund、IMF)は、通貨と為替相場の安定化を目的とした国際連合の専門機関。
本部はアメリカ合衆国のワシントンD.C.。
2007年1月現在の加盟国は185ヶ国。

●managing director

 「managing director(一般に専務理事と訳される)」は、理事会の議長と国際通貨基金の代表を務める。
国際通貨基金の専務理事には欧州出身者、世界銀行の総裁には米国出身者が選出されるのが暗黙の了解になっている。

●問題点

 日本の場合、大口出資国で有る等の立場から財務官僚が多く出向しており、融資が行われていないにもかかわらず、「消費税を上げるべきだ」等のIMFの討議内容の報道がなされる。

 これは、IMFの正式発表ではなく、財務官僚が出向者を使い、さも、まるで、IMFが全体がその様に述べているかのように見せ、自分たちの都合の良いようにマスコミを通じ国内世論を操作する道具にしている。

+++++++++++以上、ウィキペディア百科事典より+++++++++++++

●貸し倒れ?

 わかりやすく言えば、IMFは、Bank of Banks(銀行の中の銀行)ということになる。
『各国の中央銀行の取りまとめ役のような役割を負う』(ウィキペディア百科事典)とある。

 が、気になるのは、「総裁には米国出身者が選出」という部分と、「日本が大口出資者である」という点。
つまりIMFがイタリアを救済するということは、アメリカと日本が救済するというに等しい。
その額、62兆円!

 果たして貸し倒れはないのか?
ウィキペディア百科事典によれば、「かつては……成果があがらない国も多く、踏み倒しも横行した」とある。
そこであれこれ対策は練られてはいるのだろうが、それにしても額がちがう。
本当に貸し倒れの心配は、ないのだろうか。
その前に、今の日本に、そんな余裕はあるのだろうか。

『財務官僚が出向者を使い、さも、まるで、IMFが全体がその様に述べているかのように見せ、自分たちの都合の良いようにマスコミを通じ国内世論を操作する道具にしている』(同)という部分も気になる。

●ネガティブ思考

 ものごとはポジティブに考えたい。
今回のIMFの動きを、Good Newsと考えたい。
これでイタリアが立ちなおれば、EUの金融危機も、ひとまず遠ざかる。
またそうであってほしい。

 が、私はどうしてもネガティブにものを考えてしまう。
その第一。
そんなことをすれば、ドイツのメルケル首相が心配しているように、モラル・ハザードを起こしてしまう。
怠惰な国が、ますます怠惰になってしまう。
それだけではない。
一度、保護=依存の関係ができると、それを断ち切ることは、容易なことではない。
もしイタリアが、「またつぎもIMFが助けてくれるさ」と考えるようになったら、さらに事態は悪化する。

 さらに言えば、救済の仕方をまちがえると、かえって逆恨みされる。
韓国の例をあげるまでもない。

●韓国の例

 ……ここで「韓国」と書いて、しかし、ピンと来た。
現在、韓国は、経済的にはアメリカの属国と化している。
銀行のほとんどは、アメリカの資本下にある。
サムスンにしても、ヒュンダイにしても、アメリカの会社と考えたほうが、わかりやすい。

 が、肝心の韓国の国民は、それに気づいていない。
「働けど、働けど、我が身楽にならず」という、つまりは国民全体が、ワーキングプアの状態にある。
つまり韓国が現在の韓国になったのは、1997年の、あの金融危機に起因している。

 ……つまり、アメリカはジャパン・マネーを利用し、今度はEU支配をもくろんでいる!

●日本は……

 しかしEUの金融危機は、何としても収めねばならない。
火事は火事でも、大きすぎる。
このままでは、火の粉が飛んでくるどころか、日本も延焼してしまう。
アメリカにしてもそうだろう。

 が、その前に重要なことは、ドイツ自身の自腹を切らせることではないのか。
IMFのメンバーを見ると、さらにその感が強くなる。
メンバーの出身国は、つぎのようになっている。

ベルギー  1名
スウェーデン2名
フランス  5名
オランダ  1名
ドイツ   1名
アメリカ  2名(総裁を除く)
スペイン  1名

 大口出資者である日本は、Managing Directorには、入っていない?
ウィキペディア百科事典によれば、そうなっている。

 つまりIMFは、EUの準付属機関と考えてよい。
どうしてそんな機関で、日本が大口出資者なのか?
たいへんネガティブな見方をすれば、こうだ。

 EUとアメリカは、日本のマネー(Japan Money)を使って、EUを救済しようとしている。
が、かたやその日本はといえば、お人好しのボンボン。
欧米に相手にしてもらえただけで、大喜び。
日本の官僚たちにしても、まさに特権階級。
日本が破産しても、食いはぐれることはない。
(戦後直後にしても、またあの3・11大震災直後にしても、官僚+役人たちだけは、満額の給料が支給されていた。
文部省(終戦直後当時)の役人にしても、クビになった役人は、1人もいない。)

●大国意識は捨てよう

 果たしてGood News なのか?
それともBad Newsなのか?
私には、わからない。

 もともと狂った世界の話だから、このままさらに狂っても、私は驚かない。
しかし今回も、最後のババを引くのは、この日本。
IMFへの出資金にしても、もとはといえば、日本が戦後、懸命に働いてためたお金。
EU(=IMF)にしても、仮に貸し倒れになっても、(そうなる可能性はきわめて高いが)、痛くもかゆくもない。

 日本よ、日本人よ、こんなお人好しは、もうやめよう。
大国意識を捨て、もう一度、原点に立ち戻り、そこからはい上がろう。
このままでは、EUよりも先に、日本が沈没してしまう。

 ……今朝の私のものの考え方は、やはりネガティブか?
ただの杞憂か?

 今日の日本の株価は、IMFの発表を受け、急上昇に転ずるはず。
ノー天気な日本、ここに極まれり。

 みなさん、おはようございます!
2011/11/28朝記。


Hiroshi Hayashi++++++Nov. 2011++++++はやし浩司・林浩司

●友だちのできない子  ●サイコパス

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子育て最前線の育児論byはやし浩司   2011年 11月 28日
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【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【ある相談を考える】

【Q】

  今年小学生になった娘が、友達が出来なくて困っています。
  自分から話しかけたり、笑ったりするのが恥ずかしくて出来ない・・・
  そうなんです。
  最近では、学校へ行きたくないと言い出しました。
  今の所、登校拒否にはなっていません。
  「友達の作り方」って、あるんでしょうか?

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

【A】

●友だち

 年齢的には、幼児期後期もすみ、児童期に入っています。
人格の核(コア)も、すでに完成しつつあるとみます。
つまり「この子は、こういう子」という(つかみどころ)ができているということ。
この時期に入ったら、鉄則はただひとつ。
「あるがままを認め、その上で、子育て(教育)を組み立てる」です。

 「友だちを作りなさい」式の人格を否定するような指導は、子どもをかえって崖っぷち
に追い込んでしまうようなことになりかねませんので、注意が必要です。
子どもの立場で、それを考えてみればよくわかるはずです。

●自己認識力

 小学1年生には、まだ自分を客観的に観察し、判断する能力はありません。
それができるようになるのは、小学3年生以上です。
「自分には友だちが多い」「少ない」とかいう、判断はできないということ。

 そんなとき親から、「もっとみんなと親しくなりなさい」などと言われても、困るのは子
どもということになります。
言い方をまちがえると、子どもは自信喪失から、自己否定、さらには心配しているような
不登校児に……ということにもなりかねません。

●人間関係は、密度

 人間関係は、密度の問題です。
その密度は、横軸を「幅」とするなら、縦軸は「深さ」ということになります。
「広く浅く」が必ずしも、理想というわけではありません。
そうでなくても、日本の学校は、昔から「すし詰め教育」と揶揄(やゆ)されています。
少なくとも欧米の基準からみれば、そうです。
たとえばオーストラリアには、「エアー・スクール」というのがあります。
無線で勉強する学校です。

 週に1度ほど、近くの学校に集まり、スクーリングを受けますが、そのときでも全学年
で、20~25人程度です。
そういうところの子どもが、どこかヘンかというと、そういうことはまったくありません。
さらにアメリカでは、ホームスクーラー(学校へ行かないで、家庭で教育を受けている子
ども)が、推定で200万人を超えています。

 そこで大切なのは、「深さ」です。

 数は少なくても、その人と深く交際する、です。

●では、どうするか

 この時期、親ができることと言えば、各論でしかありません。
イギリスでは、『馬を水場に連れていくことはできても、水を飲ませることはできない』と
教えます。
子どもを馬にたとえるのは、日本では失礼な感じがしますが、イギリスではその逆です。
それはともかくも、各論です。

 たとえば子どもの友だちを呼んで、パーティを開くとか、反対に友だちの誕生日には、
手作りのケーキを届けるとか、など。
コツは、親同士が仲よくなるつもりで、相手の子どもをその中に巻き込んでいきます。
つまりそれが「水場」ということになります。

●10人に1~2人

 実際には、集団にとけ込めない子どもというのは、10人に、1~2人(小学低学年児)
はいます。

 たいていは、心が開けない子どもというように考えて対処します。
自分の心を開放し、ワーッとその中に入っていけないわけです。
しかしこのばあいも、子どもの問題というよりは、乳幼児期の母子関係に問題があったと
みます。
発達心理学の世界では、「基本的信頼関係」という言葉を使って説明します。
つまり母子関係の不全ということになります。

 子どもというのは、絶対的なさらけ出し(=どんなことをしても許されるのだというさ
らけ出し)と、絶対的な受け入れ(=親は子どもがどんなことをしても、許すという受け
入れ)の上で、基本的な信頼関係を構築します。
「絶対的」というのは、「疑いをいだかない」という意味です。

 このタイプの子どもは、(孤独)と(集団での苦痛)の間で、はげしく葛藤します。
(おとなでも、そうです。)
(さみしいから皆の中に入る)→(しかし神経疲労を起こしやすい)を繰り返す。
こうした現象を、ショーペンハウエルという心理学者は、(哲学者ではない)、「二匹のヤマ
アラシ」という逸話を使って説明しました。

 ある寒い夜のこと。
二匹のヤマアラシは穴の中で、身を寄せ合って過ごすことにした。
しかし近づきすぎると、互いの針で痛い。
しかし離れすぎると、寒い。
一晩中、それを繰り返した……というのが、『二匹のヤマアラシ論』です。

●親の姿勢

 なおこの相談を読んで、それよりも気になったのは、親の育児姿勢です。
「子ども自身はどうなのかな?」という視点が、ないのが気になります。
子どもが「友だちがいない……」と悩んだのでいるのでしょうか。
(友だちがいる・いない)は、ひょっとしたら、親の主観的判断ではないでしょうか。
あるいはひょっとしたら、子どもは、集団生活が苦手で(=いやで)、悩んでいるのかもし
れません。

 中には、対人恐怖症であるとか、そういった心の問題(回避性障害、自閉症、緘黙症な
ど)をかかえている子どももいます。
どれにしても子ども自身では、コントロールができない問題です。

 そういった問題を取りあげることもなく、頭から「どうすればいいか」を考えるのは、
育児姿勢としては、危険です。
最近では、子どもに何か問題があったときは、「子どもは家族の代表」と考え、家族全体の
問題として考えるようになってきています。
「子どもだけ何とかしよう」と考えるのは、危険というより、無謀です。

 「なぜそうなのか?」という視点で、ものを考えます。
「なぜ、そうなったか?」でもよいでしょう。
この親は、そういう視点で、子どもの問題を考えているでしょうか。
でないとするなら、過関心、過干渉ということになります。

●不登校児

 子どもがどの程度、集団から孤立しているか。
また心の問題が、どの程度なのか。
それがわかりませんから、ここでいきなり不登校児の問題を取りあげるのは、適切ではな
いかもしれません。

 「学校へ行きたくない」と子どもが言うようであれば、親はまず聞き役に回ってあげま
す。
子どもの立場で、「そうね」「そうだよね」と言ってあげるだけでも、子どもの心は軽くな
るはずです。
まずいのは、「学校とは行かねばならないところ」と考え、親自身がもつ固定観念(古風な
常識)を子どもに押しつけることです。

 ときにはズル休みも、よいでしょう。
私は自分の子育てで、そうしました。
平日に学校をズル休みし、動物園などへ連れていくと、どこもガラガラでした。
あのとき感じた解放感は、今でも忘れることができません。

●不登校は前兆をとらえる

 ジョンソンというイギリスの学者は、不登校、つまり学校恐怖症を3期に分けて考えて
います。
前兆期、パニック期、不登校期です。

 その前兆期に、子どもはさまざまな症状を示します。
頭痛、腹痛、脚痛、下痢、嘔吐などの身体的症状、ぐずりや、ふさぎこみ、グチ、無口、
無言などの精神的症状などなど。
ほかにたとえば、食欲不振、不眠、早朝覚醒など。
こうした症状が慢性的につづくなら、要注意ということになります。

 が、もしそうでないなら、つまりただのグチとして、「学校へ行きたくない」と言うので
あれば、よく子どもの話に耳を傾けてやることで、解決するはずです。

 ついでに言うなら、本当に行きたくないときは、「行きたくない」と直接的な言い方では
なく、「友だちがいじめる」とか、「学校の先生がこわい」とかなど、別の言い方をします。
子ども自身が、(行きたくない)という気持ちと、(行かねばならない)という気持ちのは
ざまで、葛藤するからです。
つまり自分の心をごまかしたり、正当化(合理化)したりします。

この葛藤が頂点に達したとき、パニック期を迎えます。
ある朝、突然、狂人のように暴れて、学校へ行くのを拒否する、など。

●あきらめる

 で、これが結論ということになります。
「あきらめる」です。
親としてできることにも限界があります。
一方、子どもには、子どもの世界があります。
今の段階で親ができることといえば、「温かい無視」と、「求めてきたときが与えどき」程
度のことです。

 子どもが学校から、疲れて帰ってきます。
それがわかったら、家庭では、思う存分、羽を伸ばさせてあげます。
温かい無視というのは、それをいいます。

また子どもが何らかの形で、甘えてきたら、すかさず、ぐいと抱いてあげる。
たったそれだけのことですが、それで子どもは、落ち着くはずです。
「求めてきたときが与えどき」というのは、そういう意味です。

小学1年というのはそういう時期です。
言うなれば、野原を飛んでいた小鳥をカゴの中に、押し込めたような状態。
子どもにしてみれば、たいへんなストレスを感じて、当然です。

 そこで子どもはそのストレスを解消しようと、大きくわけて2つの反応を示します。

 ひとつは外放型(プラス型)。
もうひとつは、内閉型(マイナス型)。

 外放型というのは、暴れる、騒ぐ……という方法で、ストレスを発散する方法をいいま
す。
内閉型というのは、内に引きこもり、身の安全を図る方法をいいます。
相談の子どものケースは、内閉型ということになります。

 なおあまり情緒が不安定であるようなら、白砂糖を断ち、カルシウム、マグネシウム、
カリウムの多い食生活に心がけます。
わかりやすく言えば、甘い食品や、肉類の多い献立から、海産物の多い献立に切り替えま
す。
それだけで子どもは、ぐんと落ち着くはずです。
1週間ほどで効果が現れてきますので、一度、試してみてください。

 最後に、「うちの子は、まあ、こんなもの」と、割り切り、繰り返しになりますが、ある
がままを認め、その上で家庭教育を組み立てていきます。
けっしてオールマイティな子どもを求めないこと。
だれにも、得意、不得意があります。

 正直に告白しますが、私自身も集団行動が苦手です。
旅行でも、ワイフと2人だけで、のんびりとしています。
余計なことですが……。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 
BW はやし浩司 幼児教室 育児 教育論 Japan はやし浩司 集団にとけ込めない子
ども 溶け込めない子ども 友だちのいない子ども はやし浩司 友だちが少ない子ども 
神経疲労を起こしやすい子ども はやし浩司 IDOBATA こまち)


Hiroshi Hayashi++++++Nov. 2011++++++はやし浩司・林浩司

【小学1年生に、掛け算を教える】

●今週は、小1クラスでは、掛け算をテーマにレッスンを進めました。
 にぎやかなクラスで、子どもたちとワイワイやりながら、教えました。
 学級崩壊寸前のようなクラスですが、たいへん楽しかったです。

(1)



(2)



(3)



(4)



【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

サイコパス(反社会性性格)Psychopathy

+++++++++++++++++++++

【問】

 A男氏は、45歳。
2人の息子がいる。
ともに高校生。
この10年以上、仕事らしい仕事はしていない。
親の残した遺産と、妻のパートの仕事で、何とか生計を立てていた。

 が、2人の息子が高校生になったところで、家計がパンク。
医師をしている遠い親戚のNさん宅を訪ねた。
「このままでは一家心中しなければなりません。助けてください」と。
シクシクと泣きながら、土下座までしてみせた。

 見るに見かねて、その親類は、「100万円くらいなら……」といって、現金を渡した。
それが15年ほど、前。
A男氏は、「ありがとうございます」「恩は忘れません」と何度も頭をさげ、その場を去っ
ていった。

 そこでクエスチョン。
あなたは、A男氏をどのように判断するだろうか。

●サイコパス

 『私たちはどんな悪人も、少しくらいは良心を持っているだろうと信じていると思いま
す。しかし、世の中にはそんな考え方が全く通用しない「サイコパス」と呼ばれる人間が
存在しているのです』(「サイコパスとは何か」サイトより転載)と。

 この一文が、サイコパスのすべてを語っている。
診断基準として、同サイトは、つぎの7つをあげている。

(1)口達者で、一見、魅力的。
(2)同情を引こうとする。
(3)無責任で問題行動が目立つ。
(4)責められると逆ギレする。
(5)非常によくウソをつく。
(6)感情が浅く、思いやりがない。
(7)衝動的に行動する。

 「ウソがうまく、泣いても空涙」。
「言葉はよく知っていても、心に響かない」などが、大きな特徴としてあげられている(同
サイト)。

 詳しくは、
http://www.psy-nd.info/
で。

 またウィキペディア百科事典には、つぎのようにある。

++++++++++以下、ウィキペディア百科事典より++++++++++++

三省堂の大辞林によると「性格が逸脱し、そのために社会を困らせたり自らが悩むもの。
性格異常」とある。
連続強姦殺人犯、シリアルキラー(連続殺人者)や、重度のストーカー、常習的詐欺師・
放火魔、カルトの指導者の多くがサイコパスに属すると考えられている。
さらに、窃盗/万引き、ドメスティックバイオレンス、幼児虐待、非行少年グループ、資
格を剥奪された弁護士・検察官や医師、テロリスト、組織犯罪の構成員、金のためならな
んでもやる人間、悪徳実業家なども当てはまることがある。

サイコパスは社会の捕食者(プレデター)であり、生涯を通じて他人を魅了し、操り、情
け容赦なく我が道だけをいき、心を引き裂かれた人や期待を打ち砕かれた人、財産を奪わ
れ尽くした人を後に残して行く。

良心や他人に対する思いやりに全く欠けており、罪悪感も後悔の念もなく社会の規範を犯
し、人の期待を裏切り、自分勝手に欲しいものを取り、好きなように振る舞う。
その多くは刑務所内にいるが、社会に出ている者もまた多い。
その大部分は殺人を犯すことなく自分たちの業を押しつけてくる。北米には少なくとも200
万人、ニューヨークだけでも10万人のサイコパスがいると、犯罪心理学者ロバート・D・
ヘア(en:Robert D. Hareは統計的に見積っている。

++++++++++以上、ウィキペディア百科事典より++++++++++++

 ついでに「はてなキーワード」の説明文も、掲載する。

『精神病質者の意。現在サイコパスという言葉は無く、反社会性人格障害(APD)と変更さ
れている。

サイコパスの特徴は極端に自己中心的で、慢性的な嘘つきで後悔や罪悪感が無く、冷淡で
共感が無い。加えて自分の行動に責任が取れない。

多くは脳の前頭葉に問題がある可能性が高く、ホルモン異常と考えられる。
それに加えて幼少時の虐待・生育環境の劣悪が重なりサイコパスとなる可能性が高い。
8~9割のサイコパスは言語能力を司る認知機能に障害があり、通常左脳で行われる言語
処理が右脳で行われている。

一般的にサイコパスとサイコは同じ意味で捉えられている』(以上「はてな・キーワード」
より)と。

●サイコパスの自己診断

 自分がサイコパスであるかどうかは、つぎのところで自己診断できるようになっている。

http://www.psy-nd.info/diagnosis.html

興味のある人(心配な人)は、このサイトで、自己診断をしてみるとよい。

●問に対して

 冒頭の【問】を読んで、もしあなたが、「A男氏は、親戚の医師に感謝し、喜んでいる。
A男氏は、自分の家に帰り、息子たちにこう言うにちがいない。『あのNさんのおかげで、
お前たちは、高校へ通うことができる。恩を忘れるな』と。A男氏は、それからは定職に
つき、妻に毎月給料を渡すようになったはず」と答えるようなら、あなたは、ここでいう
サイコパスではない。(断定はできないが、その可能性はほとんど、ない。)

 が、サイコパスは、そうは考えない。
「しめしめ、うまくだましてやった。あのバカ医師め。まんまとオレの空涙にひっかった。
あんなヤツ、オレが土下座をすれば、イチコロよ」と。

●Nさん(医師)

 冒頭にあげた話は、実話である。
このあともたびたびA男氏は、親類の医師、つまりNさん宅を訪れている。
が、そのつど、ああでもない、こうでもないと言葉巧みに、Nさんからお金を引き出すの
に成功している。

 Nさんは、私にこう言った。
「何でも毎朝、毎晩、私の家のほうに向かって、家族全員で手を合わせて感謝していると
いうのですね。
でもね、私は仏様でも神様でもないから、そんな気味の悪いことはしなくていいって、言
ってやりました」と。

 が、A男氏の話は、すべてウソだった。
その証拠に、……というか、私はそれが証拠と考えているが、Nさんが亡くなったとき、
A男氏はもちろん、家族はだれも葬儀に来ていなかった。
「2人の息子は来ているだろう」と思って、Nさんの家族に聞いてみたが、息子も、そし
て妻も来ていなかった。
A男氏というのは、そういう人間だった。

●サイコパス

 ……だからといって、A男氏が、サイコパスというわけではない。
しかし実際に、このタイプの人は少なくない。
もう一度、先に引用した文を読んでみてほしい。

 『私たちはどんな悪人も、少しくらいは良心を持っているだろうと信じていると思いま
す。しかし、世の中にはそんな考え方が全く通用しない「サイコパス」と呼ばれる人間が
存在しているのです』(「サイコパスとは何か」サイトより転載)と。

【サイコパスの診断基準】(DSM-IVによる診断基準)

●Psychopathy Checklist (PCL)

1 口達者/表面的な魅力
2 過去におけるサイコパスあるいは類似の診断
3 自己中心性/自己価値の誇大的な感覚
4 退屈しやすさ/欲求不満耐性の低さ
5 病的に嘘をついたり人を騙す
6 狡猾さ/正直さの欠如
7 良心の呵責あるいは罪悪感の欠如
8 情緒の深みや感情の欠如
9 無神経/共感の欠如
10 寄生虫的な生活様式
11 短気/行動のコントロールの欠如
12 乱交的な性関係
13 幼少期からの行動上の問題
14 現実的で長期的な計画の欠如
15 衝動性
16 親として無責任な行動
17 数多くの結婚・離婚歴
18 少年時代の非行
19 保護観察あるいは執行猶予期間の再犯の危険が高い
20 自分の行動に対する責任を受け入れることができない
21 多種類の犯罪行為
22 薬物やアルコールの乱用が反社会的行動の直接の原因ではない

●注意

 このサイコパスの診断基準について、つぎのような注意書きが添えられている。

『サイコパスチェックリスト」は専門家が使う場合でも相当に複雑な臨床診断の道具であ
り、自分自身やそばにいる人をこれを使って診断してはいけない。この診断にはしっかり
した訓練と、正式な採点方法が必要である』と。

 安易な素人判断は、危険であるという意味である。

●善意の通じない人

 私のまわりにも、サイコパス(?)と思われる人は、少なくない。
あなたのまわりにも、ひょっとしたらいるかもしれない。
あるいはあなた自身が、そうかもしれない。
つまり善意の通じない人である。

 その人がサイコパスというわけではない。
しかし私もNさんに似たような経験を、いくつかしている。
「これだけのことをしてあげたのだから、相手はそれなりに感謝しているはず」と。親切
にしてあげたほうは、そう思いがちだが、このタイプの人には、そうした(お人好し)は
通用しない。
心そのものが欠けている……振り返ってみると、そんな印象をもつ。

 私の知人にMさん(女性、60歳くらい)がいる。……いた。

●Mさん(女性、60歳くらい)

 Mさんの第一の特徴をあげるなら、とにかくウソがうまいということ。
10のうち1つも、本当のことがない。
その場その場で、ペラペラと適当なウソをつく。
あまりウソが多いので、自分でも忘れてしまうよう。

 口もうまい。
近所の独居老人たちの世話をしている……みなに感謝されている……市から表彰されそう
になったが、辞退した……先週も、ある独居老人のために、一日中、車であちこちへ行っ
てやった……という話が、つぎつぎと口から出てくる。

 さらに近所の別の独居老人が死んだときには、自分が喪主になって葬儀をしてやったな
どという話もした。
しかもその内容が、詳細。
こっちらが聞きもしないのに、葬儀社との電話のやり取りまで話した。

 先にも引用したように、『言葉はよく知っていても、心に響かない』の通り。
ペラペラと話すが、真実味に欠ける。
「私は親切だ」「やさしい」とは言うが、そうした行為にあるべきはずの「温もり」が伝わ
ってこない。

 そしてあとは、お決まりの同情論。
Mさんが、実の父親の介護をするようになったときのこと。
Mさんは毎晩のように親戚中に電話をかけた。
私のところにもかかってきた。
「あれがたいへん」「これがたいへん」と。

 実際に、親の介護はたいへん。
そういう意味でMさんの気持ちを理解できなかったわけではない。
が、同時にMさんは妹氏の悪口を、あれこれと言った。
「近くに妹が住んでいるが、見舞いにも来ない」「来ても10分足らずで帰ってしまった」
などなど。
が、一度、こんなことがあった。

 私のワイフが、Mさんの妹氏のことをよく知っていた。
妹氏は、共働きで、父親の介護ができなかった。
そこでその代わりにということで、毎月10万円の現金を、Mさんに直接、届けていた。
そのことを私は知っていたので、ふとこう言ってしまった。

 「でも、妹さんもあなたと同じようにお父さんのことを心配していると思いますよ」と。

 この一言が、Mさんを激怒させた。
ふつうの激怒ではない。
錯乱状態に近い、激怒だった。
突然ギャーギャーと声を張り上げ、「あなたは他人の家族のことだと思って、勝手なことを
言う!」と。

 以来、私はMさんからの電話には、出ないことにした。

●離婚歴
 
 DSM-IVによる診断基準によれば、17番目に、「数多くの結婚・離婚歴がある」と
いう項目がある。
が、Mさん自身には、離婚歴はない。
(こうした診断基準は、あくまでも多数決的なものだから、みながみな、そうなるという
わけではない。)
しかしMさんの、2人の娘と1人の息子は、みな、離婚しているか、離婚状態にある。
離婚状態というのは、現在別居中ということ。

 Mさんの反社会的人格と、子どもたちの離婚と、どういう因果関係にあるかは、私には
わからない。
何かの影響を与えたということは、じゅうぶん、考えられる。
つまりMさんは、明らかに「温かい家庭作り」に、失敗していた。
3人の子どもたちは、そういう状態にありながらも、Mさんの家(子どもたちにとっては
実家)には、寄りつかないという。

●劣悪な家庭環境

 医学的な見地で「サイコパス」と呼ばれている人は、(子どもでもよいが)、そういう点
で、かわいそうな人とみる。
同情的な意味で、そう言うのではなく、「自分自身でもコントロールできない」という意味
で、そう言う。

原因としては、『幼少時の虐待・生育環境の劣悪が重なりサイコパスとなる可能性が高い』
(はてな・キーワード)とあることからもわかるように、乳幼児期の育児環境が第一に考
えられる。

 というのも、私が知るかぎり、サイコパスは後天的なもの。
しかも幼児期に入るころには、その傾向がはっきりしていることがあげられる。

心の冷たさだけが、強く印象に残る。
やさしくしてあげても、それがスーッとどこかへ抜けていってしまう、など。
また空想的虚言(妄言)といって、頭の中に別の世界をつくり、それに基づいて、それを
あたかも事実のように話したりする。
一見、明るく快活だが、調子がよいだけ。

 このタイプの子どもがすべてサイコパスというわけではないが、(というのも、サイコパ
スと診断されたケースはないので)、サイコパスの診断基準に照らし合わせてみると、この
タイプの子どもがなぜそうなのか、それがよく理解できる。

 ともあれこのサイコパスには、さらにいろいろな問題が隠されている。
たとえば私がよく使う『貧者の論理』『弱者の論理』『被虐待者の心理』など、総じてみる
と、(心のゆがみ)の問題と、その底辺でつながっている。

 貧者にせよ、弱者にせよ、はたまた被虐待者にせよ、サイコパスもしくは、サイコパス
的な症状を示す。
が、それについては、また別の機会に考えてみたい。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 
BW はやし浩司 幼児教室 育児 教育論 Japan はやし浩司 サイコパス 
Psychopathy サイコパス診断 診断基準 反社会性性格 人格障害 異常心理学)


Hiroshi Hayashi++++++Nov. 2011++++++はやし浩司・林浩司


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●浜名湖・弁天リゾート・The Oceanにて(2011年10月30日)

+++++++++++++++++++++++++

料金は、1泊2食付で、1人6500円。
やる気度、本気度満点。
浜名湖周辺で、イチオシのホテル。
食事も、部屋も、申し分なし。
この部屋(5階の501号室)にしても、17畳もある。

……ということで、またまたやってきた、The Ocean。
「入野町の林です」と電話で言うと、フロントの女性が、「あら、林さん?」と。

……実を言うと、このホテルの経営者は、YSさん。
YSさんの2人の子ども(兄&妹)は、私の教え子。
私は、それぞれ4~5年、教えた。
応援しないわけにはいかない。
が、そうしたひいき目を差し引いても、このホテルで文句を言う人はいない。
窓を開ければ、すぐ下に浜名湖が広がっている。

もしあなたが出張か何かで、もちろん旅行でもよいが、浜松市へと考えているなら、
The Oceanを選択肢に入れてみたらよい。
このホテルから浜松市内までは、車で20~30分。
ビジネスホテル並みの料金で、旅行気分を味わえる。
はやし浩司の保証付き。

料理もよし、風呂もよし。
一流ホテル並みの食事(バイキング)を楽しむことができる。
風呂はやや小さいかなと思うが、清潔できれい。

ただし目下人気、急上昇中。
今夜は日曜日というのに、駐車場の空きを見つけるのもむずかしいほど、混んでいた。
フロントで、「今日は混んでいますね」と声をかけると、いつもの女性が笑いながら、
こう言った。
「今日は大入りです」と。
うれしそうだった。

+++++++++++++++++++++++++++

●K楼ホテル

 このホテルは、YSさんの経営。
このホテル東側に、数軒おいて、K楼ホテルというのがある。
以前は、そこによく泊まった。
そのK楼の前経営者が、MBさんだった。
MBさんの息子氏も、私の教え子だった。
その子どもは、幼稚園のときから、小学校を卒業するまで私の教室に通ってくれた。

 が、おかしなもので、その子どものことでよく覚えているのは、教室でのことではない。
その子どもが交通事故にあったときのこと。
市内の鴨江町に自宅があり、そこから自転車で教室へ通ってきてくれていた。
途中、なだらかだが、長い坂がある。
そこで交通事故にあった。
たしか右足の骨を折ったと記憶している。
その子どもが小学3年生くらいのときのことではなかったか。

 MBさんの息子氏といえば、その事件が強烈すぎて、ほかの思い出はあまり浮かんでこ
ない。

 が、残念なことに、今は経営者が変わってしまった。

 そうそう、そのK楼ホテルでは、東京からの客を連れていくと、芸者踊りをサービスで
見せてくれた。
私はホテルや旅館で、芸者踊りを見たのは、後にも先にも、そのK楼ホテルで、だけ。
そういう世界とは、無縁の世界を生きてきた。
バーもキャバレーも、ついでにトルコ風呂も、生涯において数回しか行ったことがない。
どれも1~2回行って、それで懲りてしまった。

●教え子たち

 幼児を教えるようになって、40年以上。
浜松は大きな町だが、たいていの人のことは知っている。
直接知らなくても、人と人の間には、つながりがある。
そのつながりを、ひとつ、ふたつとつなげると、たいていふたつ目くらいで、99%の人
とつながりができてしまう。

 日本を代表する楽器メーカーや自動車メーカーの社長の子どもたち。
毎年、長者番付に名前を連ねる人の子どもたち。
ワールドカップの選手の子どもたち、などなど。
暴力団の親分の孫たちも、教えたことがある。
名前を出して恐縮だが、浜松医科大学の初代学長の息子さん、医療センターの院長の息子
さん、みな、私の教え子である。
浜松市内では、ほとんどの医院の子どもを教えた。

 が、私はそういう人脈を仕事に利用したことは、生涯において、一度もない。
またほかの生徒と区別したことも、一度もない。

●影武者

 私は自分では、「影武者」と思っている。
けっして表に出てはいけない影武者。
親たちにしても、そう考えている。
仮に目的の高校や大学へ入学したとしても、私や私の教室の名前が外に出ることはない。
だから「影武者」。

 しかしそういうニュースを耳にするたびに、「そういう子どもの方向性を作ったのは私」
と思う。
自己満足かもしれない。
しかしそれは幼児教育を知らない人の意見。
私自身は、確信をもって、そう思う。
「私が方向性を作った」と。

つまり幼児教育というのは、そういうもの。
「たった週1回で?」と思う人もいるかもしれない。
しかし教育というのは、密度の問題。
ダラダラと5日間教えるよりも、週に1時間だけ、高密度のレッスンをすればよい。
子どもは、その1時間のレッスンを「柱」にし、ほかの5日間を組み立てる。

 たとえば私の教室に入会した子どもは、例外なく、翌週のレッスンを楽しみにする。
1週間の間中、「まだか、まだか」と親に催促する。
それを「柱」という。

●宣伝

 私の教室の宣伝ばかりになったが、しかし今さら「宣伝」などということは考えていな
い。
私も64歳。
生徒が多すぎても、困る。
あと何年、今の仕事ができるのか、それさえもおぼつかない。
願わくは、ピンコロ。
ピンコロだったら、明日でも構わない。
本気で、そう思っている。

 「林も、宣伝ぽいことを書くな」とは、そんなわけで、どうか思わないでほしい。
……とはいえ、この業界も、目下大不況。
そろそろ来年度の計画を立てなければならない。
競争相手はいないが、しかしジーちゃん先生は、この世界ではあまり人気がない。
そのうち加齢臭でもするようになったら、おしまい。
自分でも、それがよくわかっている。

●縁

 ところが最近、不思議に思うことがある。
心というのは、そういう点で通いあうものなのか。
最近、多くなったのが、OBの息子や娘さんたち。
そのOBについてだが、全員、私のほうもよく覚えている人たちばかり。
というのも、生徒によっては、1年もたたずして、名前も顔も忘れてしまう人も多い。
そういう人たちは、相手のほうも、私のことを忘れてしまうらしい。

 たとえば今、来ている生徒に、T君の娘さんがいる。
そのT君は、生涯において、殴ったことがある3人の生徒のうちの1人である。
T君が中学3年生のときのことである。
勉強に対して、すっかり自信をなくしてしまい、「ぼくはもうダメだ」と。
それで私はM君を裏庭へ連れていき、頬を思いっきり殴った。
「そんな弱音を吐いてどうする!」と。

 T君の娘さんの顔を見るたび、そのときのT君の泣き顔がその上にダブる。
こうしたつながりを、仏教では、「縁」というらしい。

●35歳

 そう、縁のある人は、縁がある。
いつまでも、その人のことを覚えている。
ない人は、ない。
そのまま静かに去っていく。

 が、私も男。
子どもの母親を、「女」としてみることがある。
(最近は、それがぐんと減ってきたが……。)
その母親の中には、声をかけるのも怖いほど、美しい人がいる。
そういう人は、当然のことだが、強く印象に残る。

 これは私のきわめて個人的な感覚だが、女性がもっとも美しくなるのは、35歳前後。
が、皮肉なことに、35歳を過ぎると、女性は満開時を過ぎた花のように、急速に枯れて
いく。
具体的には、バーさん顔になる。
言い換えると、35歳の女性というのは、花火大会で言えば、花火のクライマックスを飾
るスターマインのようなもの。
ドカドカド~ンと空に咲いて、そのまま散っていく。

 これについてワイフは、「30歳よ」と反論した。
しかし男性にとって、重要なのは、色気。
30歳というと、その色気がまだ未熟。
だからやはり35歳。

●以心伝心?

 しかし当然のことながら、母親というのは、全員、人妻。
そこにどんなに美しい人がいても、たとえて言うなら、その人は、ショーウィンドウに入
っている。
見るだけで、触ることはもちろん、心を通わせることもできない。
が、私が先に「不思議」と書いたのは、その先。

不思議なことに、本当に不思議なことに、私が「美しい人だな」と思った人は、私の教室
を去ってからも、毎年、年賀状をくれたりする。

 やはりどこかで心が通いあうのかも、しれない。
以心伝心?
好意の返報性?

●肥満

 ところで最近、温泉は入るたびに、ひとつ気になることがある。
若い男でも、肥満体の人が目立つようになってきたこと。
肥満体といっても、ブヨブヨに太っているといったふう。

 先ほども2度目の入浴をすませてきたが、そこにいた男たちもそうだった。
ポテポテ……。
タプタプ……。
明らかに20代と思われる男たちである。
それでもそんなに太っている。

 先日、別の温泉で見た男などは、背は低かったが、相撲取りと思われるような太り方を
していた。
やせて、細い人となると、5~6人に1人くらい?
今は、そういう時代なのか。
やがて日本人も、メキシコ人やアメリカ人のようになるのかもしれない。

●異常(者)心理

 ところで心理学にも、表と裏がある。
光と闇と言ってもよい。
闇の心理学を「サイコパス」という。
異常(者)心理学ともいう。
つまり精神的に反社会的な人格をもった人は、ふつうの人には理解できないものの考え方
をする。
(何をもって「正常」といい、何をもって「異常」というかは、定義がむずかしい。
むずかしいというより、不可能。)

 最近買った本の中に、こんな例が紹介されていた。
(「最後のタブー」晋友社版)。

 たとえば……。

(1)ある女性がマンションの別の棟を見ていた。
そのとき、別の棟の一室で、1人の男が、1人の男性にナイフを突き刺していた。
   その女性は、殺人現場を目撃してしまった。
   「アッ!」と声を出すと、その男と目が合ってしまった。
   男は、その女性の顔をじっと見つめた。
見つめながらその男は、ゆっくりと指をさしながら、手を振った。

   (問1)なぜ、その男は、ゆっくりと手を振ったか?

(2)ある男が、1人の男性を、路上で殺した。
たまたまそこへ、別の男性が車で通りかかった。
その男は、車でやってきた男性を、外へ引きずり出すと、その男性も殺してしまっ
た。

(問2)なぜ、その男は車に乗っていた男まで殺してしまったか。

 ふつうの人は、(「ふつう」という言い方には抵抗を感ずるが)、常識的な考え方をする。
たとえば(問1)であれば、「男は、今度はお前の番だ。そこで待っていろ」と合図したと
考える(同書)。
(問2)であれば、「殺人現場を目撃されたから」と考える(同書)。

 しかし異常心理学の世界では、別の答を用意する。
つまり心のゆがんだ人(=犯罪者)は、別の考え方をする。
たとえば、つぎのように考え、つぎの行動を開始する。

(問1)「向こう側の棟から、男は、つぎにその女性を殺すため、その女性の階を、指を使
って調べている」
(問2)「逃走に使うための車を手に入れるために、車の中の男性を引き出し、殺した」

(以上、「最後のタブー」(晋友社)より)

●子どもの世界でも

 子どもでも、心がゆがみ始めると、「死」「殺」「闇」に対して、強い関心をもち始める。
とくに「死」について、独特の考え方をするようになる。
印象に残っている子ども(小4男児)に、H君がいる。

 H君は、ふだんは静かで、おとなしい子どもだった。
従順で、言われたことには素直に従った。
勉強もよくできた。

 が、ある日のこと。
私はH君のノートを見て、驚いた。
そこには血を出してもがく人間、手足がちぎれ、頭蓋骨がむき出しになっている人間など。
ぞっとするような絵が、ぎっしりと描かれていた。
頭蓋骨の絵は、細部に至るまで、精密だった。

 原因や理由はいろいろ考えられるが、それを書くのが、ここでの目的ではない。
ここではそういう子どももいる……という程度に、理解しておいてほしい。
H君の描いている絵が、あまりにも現実の(?)H君とかけ離れていたため、私は驚いた。

●ゆがんだ心

 一度ゆがんだ心というのは、元には戻らない。
そう断言するのは、危険なことかもしれない。
そうであってはいけないということで、多くの人たちが「セラピー」という形で努力して
いる。
しかし基本的には、元に戻すのは、たいへん難しい。
先にも紹介したように、それがその子ども(人)の心理の基本形を作ってしまう。

 たとえば「子どもの盗み」がある。

 多少の「盗み」は、どんな子どもでも経験する。
しかし心がゆがんだ子どもの「盗み」には、際限がない。
「このお金を盗んだら、家族が困る」というブレーキが働かない。
それこそ学校の給食費ですら、盗んで使ってしまう。
盗んだお金で、好き勝手なものを買い、自分の欲望を満足させる。

 大切なことは、そういう子ども(人)にしないこと。
親の異常な過干渉、過関心は、子どもの心をゆがめる。
イギリスの教育格言にも、『抑圧は悪魔を作る』というのがある。
慢性的な抑圧状態がつづくと、子どものものの考え方は悪魔的になる。
その延長線上に、ここに書いた「サイコパス」がある。
そう考えてよい。

 サイコパス……「性格が逸脱した、反社会的な人格のこと。
連続殺人犯、重度のストーカー、常習的詐欺師、放火魔、カルトの指導者の多くがサイコ
パスに属すると考えられる」(同書)と。

「恐怖に関する感情が抜け落ちているのが特徴」(同書)ともある。

●もう1冊

 話題を変えよう。
不気味な話は、ここまで。

 もう1冊、本を買ってきた。
「大人のクイズ」(逢沢明著・PHP文庫)というのが、それ。
昔、TK教授の「頭の体操」という本があった。
それに似た本である。

たいへんおもしろい本で、1ページごとに、「チクショー」と思いつつ、読んだ。
「チクショー」と思ったのは、まちがえたり、解けなかったりしたとき。

 2つほど、紹介させてもらう。

(問35)

 ある人が、「私の父は、私の息子です。また、私の娘は、私の母です」と言いました。
 こんなことはありうるでしょうか。

(問21)

 ある町で、6000人の人、全員について、数学の試験を実施しました。
 その結果、足の長い人ほど、よい成績を取ることがわかりました。
 足の長さと成績の間には、相関関係があると考えてよいでしょうか。

●老化 

 このところときどき、脳みその老化を覚える。
サビついてきた。
自分でも、それがよくわかる。

 そういうときは、こういう問題に挑戦するのがよい。
そうでなくても、知識や経験、技術や知恵は、どんどんと消えていく。
集中力や思考力さえ、消えていく。

 が、中には、それにすら気づかない人も多い。
「私は利口」と、いつまでもその幻想にしがみつく。
努力しない。
そういう人は、やがてボケる。
皮肉なことに、「私はだいじょうぶ」と居直っている人ほど、あぶない。

 あの特別養護老人ホームにいる人たちにしても、なぜ自分が「特別」なのか、それに気
づいている人は少ない(?)。

 で、先の問題の答。

(問35)

 「私は、成人した娘がいる未亡人と結婚しました。
ところが、私の父が、私の義理の娘に恋をして、結婚しました。
ですから私の父は私の義理の息子になり、私の娘が私の母になりました」。
「つづいて私の娘は、男の子を産みました。
それは私の孫です。
けれども、私の娘は、私の母でもあるのです。
その男の子は私の弟でもあることになります。
だったら、その兄である私も、私自身の孫なのです」(以上、同書要約)。

 人間関係を、紙に描きながらじっくりと読んでみるとよい。

(問21)

 「町の全員というと、赤ん坊や子どもも含まれています」(同書)。

 つまり6000人の中には、赤ん坊や子どもも含まれている。
数学の問題ができないのは当たり前。
だから全体として平均化すると、足の長さと成績との間には、相関関係があるということ
になる。

 秋の夜長を過ごすには、この種の本がたいへん役に立つ。

 ただし一言。
「大人のクイズ」(逢沢明著・PHP文庫)の表紙には、「京都大学助教授」という肩書き
が載っている。
しかしこういうところに肩書きを並べるのは、「地位利用」ということで、欧米では40~
50年前からきびしく禁じられている。
(「禁じられている」ということは、「自粛」ではなく、「禁止」ということ。)
日本でも、ここ20~30年、ほとんど見かけなくなった。
が、この本には堂々と、それが載っている。

 PHPという大手の出版社が、「地位利用」という言葉を知らないはずがない。
「まだまだ日本は肩書き社会だな」と思った。
つまり「日本人は、まだまだ肩書きに弱いからな」と。
おもしろい本だが、「京都大学助教授」ともあろう人が、肩書きを並べてまで発表するよう
な内容のある本ではない。

●The Ocean

 The Oceanに泊まりながら、The Oceanの話を書かないのは、まずい?
しかしすでにこのホテルには、何度も泊まっている。
そのつど、書いていることは、同じ。

 こうしたホテルや旅館は、料金と照らし合わせて、良し悪しを判断する。
料金が高いホテルや旅館は、良いに決まっている(?)。
料金が安いホテルや旅館は、それなりに決まっている(?)。
しかしこと、このThe Oceanについて言えば、文句を言う人はいない。
料金は、このあたりのホテルや旅館の約半額。
2人で、1人分。

●気分転換
 
 気分転換というより、転地療法。
転地療法というより、転地刺激(?)。

 これはあくまでも私の老人観察によるものだが、老人が小さな世界にこもるのは、よく
ない。
こもったとたん、脳の老化は一気に進む。
「進む」というより、それまであった「種」が、急速に拡大する。
うつ病の気(け)があった人が、ひどいうつ病になるとか。
ボケ気味だった人が、本当にボケてしまうとか。

 だからあえて、外の世界に出る。
その「あえて」という部分が大切。
わかりやすく言えば、「気力」ということになる。
生きる気力を失ったら、そのまま死の待合室に、まっしぐら。

 だから老後というのは、気力との闘いということになる。
気力を、どう奮い立たせるか。

 で、私はつぎのような方法を考えている。

(1)仕事を手放さない。
大切なのは収入ではなく、仕事を中心にして回る生活感。
現実感。
緊張感。
だから最近の私は、こう考える。

 やがて収入よりも、家賃のほうが高くなる。
このまま行けば、時間の問題。
が、そのときでも、つまり赤字になっても、仕事はつづける、と。

 これには、もうひとつ、理由がある。

 私はよく「運動は、習慣の問題」と書く。
とくに私のばあいはそうで、どこかのスポーツジムへ通っても、長つづきしない。
最長で、10か月前後だった。

 しかし仕事があるからこそ、その仕事先まで、歩いたり、自転車に乗っていったりする。
途中で、「やめた」とは言えない。
どんなに寒くてても、また雨が降っていても、歩くしかない。
自転車に乗るしかない。
それが運動になる。
だから「習慣」。
運動は、習慣の問題。

 スポーツジムに通い、月謝を払うくらいなら、赤字でも仕事はつづけたほうがよい。

 その習慣があるかないかで、老後の健康は決まる。

(2)やりたいことは、即、実行

 「やりたい」というエネルギーは、「生きたい」というエネルギーと同じ。
脳の視床下部から発せられる信号に応じて、ドーパミンが分泌される。
そのドーパミンが、人間の欲望を司る。

 欲望をすべて「悪」と決めつけてはいけない。
老後は、とくに、そうである。
「旅行をしたい」
「ものがほしい」
「おいしいものを食べたい」
「人に会いたい」と。

 これらすべてが、そのまま生きる力、原動力につながる。
が、これがまた不思議なことに、あくまでも観念的な感覚だが、それをローソクの灯のよ
うに感ずることがある。

 脳の中心部にローソクがあり、そのローソクが燃えている。
強い灯ではない。
かよわく、おぼつかない。
細々とした光。

 それがときどき力を失い、消えそうになることがある。
それが自分でもよくわかる。
だから、奮い立たせる……ということになる。

 ……実は、今夜もそうで、こうしてものを書いていても、気力がつづかない。
「こんなこと書いて、何になるのだろう」とか、そんなふうに考えてしまう。
「もう一度、風呂に入って寝ようか」とも。
言うなれば、脳の中のローソクが消えかかっている。

●精力

 先日、こんなことがあった。
いつもは冗談ばかり言っている知人である。
年齢は、私と同じくらいということしておく。
その人が、私の家に来て、真顔でこう言った。
その前に、「林さん、これは真剣な話だから……」と言った。

 聞くと、今度、何でも愛人ができたという。
20歳、年下の愛人という。
で、その愛人とときどき会っているのだが、どうもあれが、うまくいかないとのこと。
そこで「どうしたらいいか?」と。

知「林さんは漢方薬に詳しいと聞いている。何か、よい薬はないか」
私「東洋医学では、自然体を大切にしている。年齢相応の変化については、問題にしてい
ない。あるとすれば、補養剤ということになる」
知「補養剤?」
私「そういうのは、いろいろある。東洋医学では、『精』というのは、栄養分をいう。食物
から得られる精微なる物質という意味。精力、精子に通ずる」と。

 ついでに言えば、私のばあいは、ニンニクが効く。
生ニンニクをすり、白いご飯に載せ、醤油を少しかけて食べる。
半日ほどで、ビンビンとしてくる。
ただしそのときは、ワイフにも、ニンニクを食べてもらう必要がある。
ともに臭いときには、ともに気にならない。

 それともうひとつ重要なことがある。
これは泌尿器科のドクターに教えてもらったことだが、あれというのは、一度刺激を与え
ると、敏感になるのだそうだ。
たとえば一度、小便を強くがまんするようなことがあると、そのあと頻尿になるとか、な
ど。

 同じように、たとえば一度ポルノグラフィック・DVDを観ると、そのあとつづけて強
い性欲を覚えるようになる。
あれが敏感になったため、そういう反応が起きると考えると、わかりやすい。
実際、若い人でも、倦怠感を乗り越えるために、その種のDVDを利用している人は多い。
「DVDをうまく利用してみたらどうか」と、私はその知人に提案してみた。

私「あとは、バイアグラかな?」
知「林さんは、使っているのか?」
私「まだ、ない。うちのワイフなんか、放っておいたら、1年でも2年でも平気というタ
イプだから……」と。

●就寝

 こうして時間だけは、過ぎていく。
ワイフは横で、今、大きなあくびをした。
ぼんやりとした時間だけは、過ぎていく。

 ……またあくびをした。
今度は小刻みに、アッアッア~、と。

 ……ということで、今日は、これでおしまい。

 今、ほしいもの。
TOSHIBAのウルトラ・ブック。
R631。
11月中旬、発売とのこと。
楽しみ。
「楽しみ」というのは、すぐには買わないということ。
ネットで追いかけると、1~2か月後には、値段が20~30%はさがる。
そのときを待って買う。

 が、それまでがまんできるか、どうか?
今の私には、自信がない。

 では、The Ocean、今夜は、ここまで!

(はやし浩司 教育 林 浩司 林浩司 Hiroshi Hayashi 幼児教育 教育評論 幼児教
育評論 はやし浩司 はやしひろし 子育て 育児論 子育て論 評論 はやし浩司 浜
松市 BW教室 BW子どもクラブ Hmamatsu-city Japan はやし浩司 サイコパス 異常心
理 異常心理学 はやし浩司 浜名湖弁天リゾート the Ocean ジ・オーシャン)


Hiroshi Hayashi+++++++OCT. 2010++++++はやし浩司・林浩司


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 はやし浩司のホームページ http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/
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●宇宙人のシッポ





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 彡彡人ミミ      彡彡彡彡彡
| ⌒ ⌒ |   MM ⌒ ⌒ MM
q 0―0 MMMMM ∩ ∩ MM m
(″ ▽ M ⌒ ⌒ M″ v ゛)/ ̄)
凸/Σ▽乃q ・ ・ p ̄Σ▽乃 ̄` /
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 子育て最前線の育児論byはやし浩司   12月 9日号
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【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

休みます。

【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●「宇宙人の存在」(はやし浩司がつかんだ、ささやかな証拠)

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 MSN・ニュースサイトに、こんな興味深い記事が載っている。

 ノーベル科学賞を受賞した、ポール・クルーグマン氏が、11月10日、自身が担当す
る米ニューヨークタイムズ紙のレギュラーコラムで、先日ホワイトハウスが宇宙人との接
触を否定した発表について、厳しく批判したというのだ。

 「Fools」「Fools」と冒頭から冗談か真剣からともかく激しい批判の口調で書
き始めている「Space:The Final Stimulus」と題して論を展開して
いる。

 「宇宙人の存在こそが、次の経済の希望になるということをわかっていないのか」と政
府を批判したという(以上、MSNニュース・サイトより)。

+++++++++++++++++++++++++++++++++++++++

●宇宙人の存在

 私は気がつかなかったが、この記事によれば、ホワイトハウスが、宇宙人との接触を否
定したらしい。
それについて、ノーベル科学賞を受賞した、ポール・クルーグマン氏が、「バカ、バカ!」
と一蹴。
その上で、「宇宙人の存在こそが、次の経済の希望になるということをわかっていないのか」
と政府を批判した、というのだ。

●希望

 宇宙人の存在は、たしかに大きな希望である。
恐ろしい宇宙人もいるそうだが、逆説的に考えるなら、そういう宇宙人は少数派。

もし宇宙人がいて、その宇宙人が邪悪で、攻撃的であったとするなら、その宇宙人はとっ
くの昔に自滅していたはず。
破滅的な兵器も、同時にもっているはず。
その兵器で、自滅していたはず。

 宇宙を自由に行き来できるような科学力をもっている宇宙人がいるとするなら、その宇
宙人は、同時に、穏やかで平和的。
そうでなければ、……たとえば人間のように半世紀ごとに大きな戦争を繰り返すような宇
宙人なら、この宇宙では生きてはいかれない。
とっくの昔に自滅していたはず。

 もしそこに宇宙人がいるとするなら、穏やかで平和的。
そういう宇宙人に接触することは、希望以外の何ものでない。

●宇宙人がいるという証拠

 それにしても不思議なのは、なぜこの場に及んでも、アメリカ政府やNASAは、宇宙
人の存在を否定するかということ。
もうここまでわかっているのだから、いいかげんに事実を認めたらよい。
繰り返しになるが、私がつかんだ、「ささやかな証拠」をここに再掲載する。

 なおここに紹介する「火星上空を飛ぶUFO」について、知人の1人は、「カメラのレン
ズについたゴミ」と評している。
が、カメラをいじったことのある人なら、みな知っている。
レンズについたゴミは、こんなふうには、写らない。

 さらにおかしなことに、その後発表された写真には、このUFOは写っていない。
消されている。
NASAはなぜ、そんな小細工ばかり、繰り返すのか?

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●宇宙人はいる!(2011年5月に書いた原稿より)


++++++++++++++++++++


「はやし浩司」という1人の、小さな人間が住む、
そのまた小さな世界。
その中で、はやし浩司ははやし浩司なりに、
宇宙人の存在を確信した。


それは私の人生の中でも、特筆すべきできごと
といってもよい。
「他人を介していない」という意味において、
また私自身が確信できるという意味において、
特筆すべきことできごとといってもよい。


小さな、そのまた小さな証明だが、しかし
それ以上の証明が、この私にできるだろうか。
組織力も、調査力もない。
どこまでも小さな私である。
あなたと同じ、小さな人間である。


何はさておき、ここに新聞のコピー(1)と、
火星で撮影された写真(2)を、並べて掲載する。


(1)の記事は、私が2000年11月25日(土)に、
中日新聞に寄稿したエッセーである。
「2000年」という年号に注意しておいてほしい。


(2)の写真は、2003年6月10日に打ち上げられた、
アメリカの火星探査機「スピリット」が、地球に
送ってきた写真である。
スピリットは、2004年1月3日に火星に到達している。
つまりこの写真は、どんなに早くて、2004年1月
3日以後に撮影されたものということになる。


この「2004年」という年号に注意しておいてほしい。
その上で、私自身が描いた新聞上のイラストと、
スピリットが送ってきた写真を見比べてみてほしい。


もし逆、つまり私が描いたイラストがスピリットが
送ってきた写真よりあとということなら、私が
スピリットの送ってきた写真を模してイラストを
描いたと疑われてもしかたない。
しかし私のほうが、先に書いている。
2000年の11月である。
スピリットがこの写真を送ってきたのは、少なくとも
2004年1月以後である。
私がスピリットの送ってきた写真を模してイラストを
描いたということは、ありえない!


つまりこれが、私という小さな人間の、ささやかな、
実にささやかな「証拠」ということになる。
「宇宙人は存在する」という、ささやかな証拠
ということになる。


+++++++++++++++


(1)


2000年月1125日発表の原稿
★2000年、私が発表したコラム


★原稿より(上、写真版の読みづらい人は、どうか下をお読みください。)


Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司


●見たぞ、UFO!(中日新聞記事より)(2000年11月)


見たものは見た。巨大なUFO、だ。
ハバが一、二キロはあった。しかも私と女房の二人で、それを見た。
見たことにはまちがいないのだが、何しろ二十五年近くも前のことで「ひょっとしたら…」
という迷いはある。が、その後、何回となく女房と確かめあったが、いつも結論は同じ。「ま
ちがいなく、あれはUFOだった」。


 その夜、私たちは、いつものようにアパートの近くを散歩していた。時刻は真夜中の一
二時を過ぎていた。そのときだ。何の気なしに空を見あげると、淡いだいだい色の丸いも
のが、並んで飛んでいるのがわかった。私は最初、それをヨタカか何かの鳥が並んで飛ん
でいるのだと思った。


そう思って、その数をゆっくりと数えはじめた。
あとで聞くと女房も同じことをしていたという。が、それを五、六個まで数えたとき、私
は背筋が凍りつくのを覚えた。
その丸いものを囲むように、夜空よりさらに黒い「く」の字型の物体がそこに現われたか
らだ。
私がヨタカだと思ったのは、その物体の窓らしきものだった。
「ああ」と声を出すと、その物体は突然速度をあげ、反対の方向に、音もなく飛び去って
いった。


 翌朝一番に浜松の航空自衛隊に電話をした。
その物体が基地のほうから飛んできたからだ。が、どの部署に電話をかけても「そういう
報告はありません」と。
もちろん私もそれがUFOとは思っていなかった。
私の知っていたUFOは、いわゆるアダムスキー型のもので、UFOに、まさかそれほど
までに巨大なものがあるとは思ってもみなかった。


が、このことを矢追純一氏(UFO研究家)に話すと、矢追氏は袋いっぱいのUFOの写
真を届けてくれた。
当時私はアルバイトで、日本テレビの「11PM」という番組の企画を手伝っていた。
矢追氏はその番組のディレクターをしていた。
あのユリ・ゲラーを日本へ連れてきた人でもある。
私と女房はその中の一枚の写真に釘づけになった。私たちが見たのと、まったく同じ形の
UFOがあったからだ。


 宇宙人がいるかいないかということになれば、私はいると思う。
人間だけが宇宙の生物と考えるのは、人間だけが地球上の生物と考えるくらい、おかしな
ことだ。
そしてその宇宙人(多分、そうなのだろうが…)が、UFOに乗って地球へやってきても
おかしくはない。
もしあの夜見たものが、目の錯覚だとか、飛行機の見まちがいだとか言う人がいたら、私
はその人と闘う。
闘っても意味がないが、闘う。私はウソを書いてまで、このコラム欄を汚したくないし、
第一ウソということになれば、私は女房の信頼を失うことになる。


 ……とまあ、教育コラムの中で、とんでもないことを書いてしまった。
この話をすると、「君は教育評論家を名乗っているのだから、そういう話はしないほうがよ
い。君の資質が疑われる」と言う人もいる。
しかし私はそういうふうにワクで判断されるのが、好きではない。文を書くといっても、
教育評論だけではない。
小説もエッセイも実用書も書く。ノンフィクションも得意な分野だ。東洋医学に関する本
も三冊書いたし、宗教論に関する本も五冊書いた。うち四冊は中国語にも翻訳されている。


そんなわけで私は、いつも「教育」というカベを超えた教育論を考えている。
たとえばこの世界では、UFOについて語るのはタブーになっている。だからこそあえて、
私はそれについて書いてみた。


Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司


イラスト拡大図(2000年11月の記事より)
★コラムの中のイラストの拡大図


d88cbd81.jpg
★火星探査機「スピリット」が送ってきた、火星上空を浮遊するUFO(2004年)


●火星上のUFO.jpg
★(UFOの拡大写真)


2004年に火星探査機「スピリット」によって撮影された火星上空のUFO
★別の本に紹介された、火星上空のUFO(「世界のUFO現象」(学研))


●宇宙人は、確かにいる!


 私はあの夜のことを忘れない。
あの夜、私とワイフは、UFOを見た。
が、当初、私は、それをUFOとは思わなかった。
私が聞いていたUFOは、円盤形のものをいう。
「く」の字型(ブーメラン型)のUFOなど、知るよしもなかった。
しかも、巨大だった。
天空をぐいと横切るほど、巨大だった。
新聞記事の中では、1、2キロと書いたが、実際のところ、よくわからない。
それよりも大きかったかもしれない。
あるいは小さかったかもしれない。
が、飛行機とは比較にならないほど、巨大だった。


 あの夜見たものを、もう一度、整理しておきたい。


(1)窓


 私もワイフも窓らしきものを目撃している。
大きな丸い窓(?)で、よく見ないとわからないほど、淡い橙色のものだった。
私はそれはジグザグに並んでいたように思うが、ワイフは、一直線だったと言っている。


(2)黒いシルエット


 私は黒いシルエット(輪郭)を見ているが、ワイフはよく覚えていないという。
最初はそのシルエットは見えなかった。
少しずつ黒くなって、真上にきたとき、黒いシルエットとなった。
黒いシルエットが、その背景の夜空よりも黒く、夜空に浮かびあがった。
月は出ていなかったように記憶している。


 私が記憶しているシルエットは、中日新聞紙上で発表したとおりである。
私はその形を忘れないように、当時、何かにメモした記憶がある。


(3)消え方


 私が見たそのUFOは、西の方角からゆっくりやってきて、真上に来たとき、突然
スピードをあげ、東の方角へ飛んでいった。
スーッという感じだった。
そのときのこと。
そのUFOは、遠ざかって消えるというよりは、空に溶け込むようにして
消えていった。
大きさは遠ざかるにつれて小さくなったように感じたが、そのまま透明になり、
消えていった。


 その先に白い小さな筋雲がいくつかあったように記憶している。
そのUFOは、雲の中に消えたのではない。


(4)自衛隊に電話


 その直後、私は電話帳で自衛隊基地の番号を知り、電話をかけた。
何度もかけたように記憶している。
その夜は、ほとんど一睡もせず、朝を待った。


 電話がやっとつながったのは、午前8時30分だったように記憶している。
つながった先は、たしか「管制室」だったと思う。
電話口の向こうの男性は、「そういう報告はあがっていません」とだけ、何度も
繰り返した。
私は「そんなはずはない!」と、何度も押し問答を繰り返した。
「あんな大きなものが上空を通過したのに、レーダーに映っていないはずがないだろ!」
と言った記憶がある。


(参考)(豊田ひろし氏のHPより抜粋)


『……火星の表面を移動し、水が存在した証拠を探る米航空宇宙局(NASA)の無人探
査車「スピリット」が米太平洋時間3日[2004年1月]午後8時35分(日本時間4日午後1
時35分)、火星に着陸、周囲の写真撮影に成功しました。


 スピリットは、火星の大気圏に時速1万9000キロ以上の高速で突入。パラシュートとロ
ケット噴射で減速するとともに、24個のエアバッグを膨らませて本体を包み、着陸後バウ
ンドを繰り返した末に無事停止しました。専門家が「地獄のようなもの」と呼ぶ、1400度
を超す高温と接地時の激しい衝撃に耐え、探査車は生き残りました。


 スピリットは2003年6月10日MER-A 1号機によって打ち上げられ,約7ヶ月弱で火星
に到着しました。


スピリットは今後約1週間かけて観測機器の機能を確認。その後約3カ月間、周囲を走り
回り、カメラや試料採取装置などを使って岩石や土壌の組成を分析、水の痕跡を探ること
で、生命の有無を確かめます。いままでは,すべてモノクロ写真の地上撮影でしたが,今回
は地上のカラー写真もはじめて撮影しました』(豊田ひろし氏のHPより)。


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●希望論(2000年ごろ書いた原稿より)

 希望にせよ、その反対側にある絶望にせよ、おおかたのものは、虚妄である。
『希望とは、めざめている夢なり』(「断片」)と言った、アリストテレス。
『絶望の虚妄なることは、まさに希望と相同じ』(「野草」)と言った、魯迅などがいる。

さらに端的に、『希望は、つねに私たちを欺く、ペテン師である。
『私のばあい、希望をなくしたとき、はじめて幸福がおとずれた』(「格言と反省」)と言っ
た、シャンフォールがいる。

 このことは、子どもたちの世界を見ているとわかる。

 もう一〇年にもなるだろうか。
「たまごっち」というわけのわからないゲームが、子どもたちの世界で流行した。
その前後に、あのポケモンブームがあり、それが最近では、遊戯王、マジギャザというカ
ードゲームに移り変わってきている。

 そういう世界で、子どもたちは、昔も今も、流行に流されるまま、一喜一憂している。
一度私が操作をまちがえて、あの(たまごっち)を殺して(?)しまったことがある。
そのときその女の子(小一)は、狂ったように泣いた。「先生が、殺してしまったア!」と。
つまりその女の子は、(たまごっち)が死んだとき、絶望のどん底に落とされたことになる。

 同じように、その反対側に、希望がある。
ある受験塾のパンフレットにはこうある。

 「努力は必ず、報われる。希望の星を、君自身の手でつかめ。○×進学塾」と。

 こうした世界を総じてながめていると、おとなの世界も、それほど違わないことが、よ
くわかる。
希望にせよ、絶望にせよ、それはまさに虚妄の世界。
それにまつわる人間たちが、勝手につくりだした虚妄にすぎない。その虚妄にハマり、と
きに希望をもったり、ときに絶望したりする。

 ……となると、希望とは何か。絶望とは何か。
もう一度、考えなおしてみる必要がある。

キリスト教には、こんな説話がある。あのノアが、大洪水に際して、神にこうたずねる。「神
よ、こうして邪悪な人々を滅ぼすくらいなら、どうして最初から、完全な人間をつくらな
かったのか」と。

それに対して、神は、こう答える。「人間に希望を与えるため」と。
 少し話はそれるが、以前、こんなエッセー(中日新聞掲載済み)を書いたので、ここに
転載する。

++++++++++++++++++++

子どもに善と悪を教えるとき

●四割の善と四割の悪 

 社会に四割の善があり、四割の悪があるなら、子どもの世界にも、四割の善があり、四
割の悪がある。

子どもの世界は、まさにおとなの世界の縮図。
おとなの世界をなおさないで、子どもの世界だけをよくしようとしても、無理。子どもが
はじめて読んだカタカナが、「ホテル」であったり、「ソープ」であったりする(「クレヨン
しんちゃん」V1)。

つまり子どもの世界をよくしたいと思ったら、社会そのものと闘う。
時として教育をする者は、子どもにはきびしく、社会には甘くなりやすい。
あるいはそういうワナにハマりやすい。
ある中学校の教師は、部活の試合で自分の生徒が負けたりすると、冬でもその生徒を、プ
ールの中に放り投げていた。

その教師はその教師の信念をもってそうしていたのだろうが、では自分自身に対してはど
うなのか。自分に対しては、そこまできびしいのか。
社会に対しては、そこまできびしいのか。
親だってそうだ。子どもに「勉強しろ」と言う親は多い。しかし自分で勉強している親は、
少ない。
________________________________________
●善悪のハバから生まれる人間のドラマ

 話がそれたが、悪があることが悪いと言っているのではない。
人間の世界が、ほかの動物たちのように、特別によい人もいないが、特別に悪い人もいな
いというような世界になってしまったら、何とつまらないことか。

言いかえると、この善悪のハバこそが、人間の世界を豊かでおもしろいものにしている。
無数のドラマも、そこから生まれる。旧約聖書についても、こんな説話が残っている。

 ノアが、「どうして人間のような(不完全な)生き物をつくったのか。
(洪水で滅ぼすくらいなら、最初から、完全な生き物にすればよかったはずだ)」と、神に
聞いたときのこと。
神はこう答えている。

「希望を与えるため」と。

もし人間がすべて天使のようになってしまったら、人間はよりよい人間になるという希望
をなくしてしまう。
つまり人間は悪いこともするが、努力によってよい人間にもなれる。
神のような人間になることもできる。旧約聖書の中の神は、「それが希望だ」と。
________________________________________
●子どもの世界だけの問題ではない

 子どもの世界に何か問題を見つけたら、それは子どもの世界だけの問題ではない。
それがわかるかわからないかは、その人の問題意識の深さにもよるが、少なくとも子ども
の世界だけをどうこうしようとしても意味がない。
たとえば少し前、援助交際が話題になったが、それが問題ではない。
問題は、そういう環境を見て見ぬふりをしているあなた自身にある。
そうでないというのなら、あなたの仲間や、近隣の人が、そういうところで遊んでいるこ
とについて、あなたはどれほどそれと闘っているだろうか。

私の知人の中には五〇歳にもなるというのに、テレクラ通いをしている男がいる。
高校生の娘もいる。
そこで私はある日、その男にこう聞いた。「君の娘が中年の男と援助交際をしていたら、君
は許せるか」と。するとその男は笑いながら、こう言った。

「うちの娘は、そういうことはしないよ。うちの娘はまともだからね」と。

私は「相手の男を許せるか」という意味で聞いたのに、その知人は、「援助交際をする女性
が悪い」と。
こういうおめでたさが積もり積もって、社会をゆがめる。子どもの世界をゆがめる。
それが問題なのだ。
________________________________________
●悪と戦って、はじめて善人

 よいことをするから善人になるのではない。
悪いことをしないから、善人というわけでもない。
悪と戦ってはじめて、人は善人になる。
そういう視点をもったとき、あなたの社会を見る目は、大きく変わる。子どもの世界も変
わる。(中日新聞投稿済み)

++++++++++++++++++++++

 このエッセーの中で、私は「善悪論」について考えた。
その中に、「希望論」を織りまぜた。それはともかくも、旧約聖書の中の神は、「もし人間
がすべて天使のようになってしまったら、人間はよりよい人間になるという希望をなくし
てしまう。
つまり人間は悪いこともするが、努力によってよい人間にもなれる。
神のような人間になることもできる。それが希望だ」と教えている。

 となると、絶望とは、その反対の状態ということになる。キリスト教では、「堕落(だら
く)」という言葉を使って、それを説明する。
もちろんこれはキリスト教の立場にそった、希望論であり、絶望論ということになる。
だからほかの世界では、また違った考え方をする。

冒頭に書いた、アリストテレスにせよ、魯迅にせよ、彼らは彼らの立場で、希望論や絶望
論を説いた。
が、私は今のところ、どういうわけか、このキリスト教で教える説話にひかれる。
「人間は、努力によって、神のような人間にもなれる。それが希望だ」と。

 もちろん私は神を知らないし、神のような人間も知らない。
だからいきなり、「そういう人間になるのが希望だ」と言われても困る。
しかし何となく、この説話は正しいような気がする。
言いかえると、キリスト教でいう希望論や絶望論に立つと、ちまたの世界の希望論や絶望
論は、たしかに「虚妄」に思えてくる。
つい先日も、私は生徒たち(小四)にこう言った。授業の前に、遊戯王のカードについて、
ワイワイと騒いでいた。

 「(遊戯王の)カードなど、何枚集めても、意味ないよ。
強いカードをもっていると、心はハッピーになるかもしれないけど、それは幻想だよ。
幻想にだまされてはいけないよ。
ゲームはゲームだから、それを楽しむのは悪いことではないけど、どこかでしっかりと線
を引かないと、時間をムダにすることになるよ。
カードなんかより、自分の時間のほうが、はるかに大切ものだよ。
それだけは、忘れてはいけないよ」と。

 まあ、言うだけのことは言ってみた。しかしだからといって、子どもたちの趣味まで否
定するのは、正しくない。
もちろん私たちおとなにしても、一方でムダなことをしながら、心を休めたり、癒(いや)
したりする。
が、それはあくまでも「趣味」。決して希望ではない。
またそれがかなわないからといって、絶望する必要もない。
大切なことは、どこかで一線を引くこと。
でないと、自分を見失うことになる。時間をムダにすることになる。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●ポール・クルーグマン氏(ノーベル科学賞受賞者)

 ポール・クルーグマン氏について、ウィキペディア百科事典には、つぎのようにある。

『ポール・クルーグマン(Paul Robin Krugman、1953年2月28日)は、アメリカの
経済学者、コラムニスト。
現在、プリンストン大学教授、ロンドン・スクール・オブ・エコノミクス教授を兼任。
1991年にジョン・ベーツ・クラーク賞、2004年にアストゥリアス皇太子賞社会科学部門、
2008年にはノーベル経済学賞を受賞した。

専門の国際経済学の分野以外でも積極的に発言しており、反ジョージ・W・ブッシュの旗
手としても知られる。

また、2008年の民主党大統領候補指名のキャンペーンでヒラリー・クリントン候補のメデ
ィケア政策を擁護し、一時的にバラク・オバマ陣営から批判が出たものの、結果的にはメ
ディケアに対してオバマ陣営が当初表明していた共和党寄りの方針を撤回させ、民主党の
本流の政策に転換させることに成功している。
ただし、この論争がしこりとなりクルーグマンは民主党の要職から外れることになった』
(以上、ウィキペディア百科事典より)と。

 ポール・クルーグマン氏については、そういう人であるということがわかった。
MSNニュースにあるように、「ノーベル科学賞」ではなく、「ノーベル経済学賞」。
そう言えば、「ノーベル科学賞」というのは、聞いたことがない。
正しくは「ノーベル経済学賞」。

 ともかくも、そういう人の発言であるだけに、たいへん興味深い。

●宇宙人はいる!

 宇宙人論では、私はかなり叩かれた。
事実、教育の世界で宇宙人を口にすると、即、変人扱いを受ける。
(ただし私は教室で、子どもたちに宇宙人の話をしたことはない。念のため。)

 「君は教育者を名乗るのだから、そういうことは口にしないほうがいい」と忠告してく
れた人もいる。
(私自身は、「教育者」を名乗ったことは、一度もないのだが……。)

 が、ここに書いたコラムのように、「見たものは、見た!」。
たったそれだけのことだが、この日本では、それすら、自由に言ったり書いたりすること
ができない。

 ……つまり、こうして一歩、一歩、アメリカ政府やNASAを追いつめていく。
彼らは、何かを隠している。
つまり何かを知っている。
それを知るのは、人類全体の「希望」でもある。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 
BW はやし浩司 幼児教室 育児 教育論 Japan はやし浩司 ノア 人間を滅ぼすく
らいなら ポール・クルーグマン はやし浩司 火星上空のUFO ブーメラン型UFO)


Hiroshi Hayashi++++++Nov. 2011++++++はやし浩司・林浩司

●時間という砂時計

++++++++++++++++++++

ワイフの老眼鏡が、合わなくなった。
老眼の度が進んでいるという。
眼科医で調べてもらうと、ドクターがそう言ったという。
そこで近くのメガネ屋へ。

大通りに出て右に曲がると、やがて橋を越える。
橋全体が高くなっていて、一瞬だが、見晴らしがよくなる。
川幅は50メートル前後はあるだろうか。
近くの佐鳴湖から浜名湖へ流れる、人工の用水である。

時は晩秋。
明るい日差しを浴びて、川面が光っていた。
が、見ると、ちょうど釣り人が、ルアーを川に投げ込むところだった。
カラフルな服を着ていた。

++++++++++++++++++++++

●人それぞれ……

 生き様は人、それぞれ。
私は私、あなたはあなた。
人は人。
しかしそれを見た瞬間、私はこう思った。
「ぼくには、できないな」と。

 ……こう書くからといって、魚釣りが、どうこう言うのではない。
また釣り人が、どうこう言うのではない。
先にも書いたように、人、それぞれ。
が、私にはできない。
そうでなくても、時間が足りない。
「忙しい」というのではない。
「時間が足りない」。

●レジュメ

 午前中は、今度浜北区の文化センターで講演をすることになった。
その資料をまとめた。
浜松市内では、今年度最後の講演会である。
総まとめ。
その日に向け、テンションを高めていく。
昨日から少しずつだが、運動量もふやした。

 そのため、つまり資料の整理のために、1~2時間ほどつぶした。
で、そのあと、もう一度、自動車G会の原稿に目を通す。
英文で要約説明文も、書かねばならない。
巻頭言で6ページ。
全世界で発行されるという。
それぞれの国の言語に翻訳されるという。
いろいろな原稿を書いてきたが、これほどまでの依頼は、はじめて。
気合いが入る。

●田丸謙二先生

 田丸謙二先生が、いかに偉大な人物であるかは、いまさらここに書くまでもない。
肩書(経歴)を並べたら、とても1枚の紙には収まらない。
その田丸謙二先生が、先日、ドイツで行われた「ハーバー記念講演会」に講師として招か
れた。
全世界から1000人近い、科学者が集まったという。
ノーベル賞受賞者も多数、いたという。

 が、何よりも驚くのは、今年、田丸謙二先生が、88歳であるということ。
常識的に見れば、ヨボヨボの老人ということになる。
その田丸先生に、自動車G会の原稿を送った。

●裸で勝負

 「田丸謙二先生へ、
今度自動車G会のために書いた原稿を送ります。
年1回発行され、全世界で配布されます。

 先生にお会いしたのが、1970年。
そのとき私は心に誓いました。
『この先生と、裸で勝負してやる』と。
先生は東大で、30代で教授になったとか。
東大でも最年少で教授になったと、先生は自慢していました。

 で、以来、42年。
先生から見れば、ヒヨコみたいかもしれませんが、いっさいの組織に属することもなく、
いっさいの肩書もなく、ここまでがんばってきました。
ぼくも、88歳までがんばってみます」と。

●魚釣り

 先にも書いたように、「とにかく時間がない」。
今の私は、その一言に尽きる。

 知りたいことは、山のようにある。
知らないことも、これまた山のようにある。
1冊の週刊誌を読んだだけでも、頭の中でバチバチと火花が飛ぶ。
だからといって、私の生き様が正しいとか、また人もそうであるべきとか、そんなふうに
考えているわけではない。
私は私。
人は人。

 が、今の私には、仮に100歩譲っても、魚釣りはできない。
食べ物に困って、その食材にということであるなら、話は別。
しかしすぐ、こう考えてしまう。
「……だから、それがどうしたの?」と。
つまり「魚を釣ったからといって、それがどうしたの?」と。

 私に当てはめてみると、その答が返ってこない。
どうしても返ってこない。

●健康余命まで、あと4年

 命は砂時計のようなもの。
「……ようなもの」ではなく、「命は砂時計」と断言してもよい。
刻一刻と、命は短くなっていく。
その心境は大病で、死を宣告された患者と同じ。
「あなたはがんです。余命はあと半年です」と宣告されれば、だれだって慌てる。
が、「あなたの寿命は、あと14年です」と言われても、慌てる人はいない。
が、どうして?

 たったの14年だぞ!
私は現在、64歳。
日本人の平均余命(男性)は、79歳前後。
もっともそれまで元気なら、まだよいほう。
その前、平均して10年間ほど、病魔と闘わねばならない。
(平均余命)から10年を引いた年齢。
これを「健康余命」という。
つまり健康でこうしてがんばれるのも、あと4年。
たったの4年だぞ!

 それを思ったら、とても魚を釣って時間をつぶす余裕などない。
少なくとも、私にはない。

●だからそれがどうしたの?

 私はよく自分に問いかける。
「だから、それがどうしたの?」と。

 そのときズシリとした答が返ってくるときもあれば、そうでないときもある。
その答がないとき、私は深い悔恨の念にとらわれる。
「時間を無駄にした」と。

 先に『命は砂時計』と書いた。
命は、砂時計の砂のように、刻一刻と、下へ落ちていく。
「砂」といっても、ただの砂ではない。
それがわからなければ、「金」に置き換えてもよい。

 若い人にしても、そうだ。
時間給はそれぞれちがうだろう。
しかし同時に、命は、1時間ごとに減っていく。
金銭で置き換えることはできない。
しかしまさに「金(ゴールド)」。
あるいは、はるかにそれ以上。

●定年退職者?

 のどかな風景。
どこにでも見られる風景。
このところ、プラス気になるのは、私の年代層の人たちが、急にふえてきたということ。
見た感じでは、定年退職者?
本当に魚釣りを楽しんでいるというよりは、暇つぶし?

 こう書くとたいへん失礼ということは、よくわかっている。
あるいは本当は、そういう人たちでも、こう叫びたいのかもしれない。
「もっと仕事をしたい」「もっと意味のあることをしたい」と。

 書き忘れたが、用水といっても、全国でも汚染度ナンバー5前後を争っている。
そんな湖から流れ出てくる用水の魚を釣って、食べる人はいない。
だとするなら、なおさら、「……だから、それがどうしたの?」となる。

●老後は孫の世話?

 が、たぶん、若い人たちはこう考えるにちがいない。
「人生も終わったのだから、ゆっくり休んだらどう?」と。

 私も若いころは、老人たちを見て、そう考えていた。
「老後は、庭いじりと孫の世話」と。

 しかし私のその年齢になった。
なってみて、こんなことがわかった。
青い空は、やはり青い空。
白い雲は、やはり白い雲。
老人組に入ったからといって、色があせてくるわけではない。
自分の髪の毛の白さにしても、顔のシワにしても、自分では見えない。
つまり心は、若いときと、何も変わっていない。

 若い人たちが、「庭いじりと孫の世話はできない」と思うのと同じように、私たちだって、
本音を言えば、それだけで時間をつぶすことはできない。
が、それよりも恐ろしいことが起きるようになる。

●底に穴のあいたバケツ

 これは推測でも何でもない。
医学的に証明された事実でもない。
しかし実感として、老人組に入ると、それがよくわかる。
つまり脳みその底に穴があいたような状態になる。
それがよくわかる。
その穴から、知識や経験、技術や能力が、どんどんと外へこぼれ出ていく。

 ほんの数か月前まで知っていたことが、消えてしまったり、ほんの数週間前までできた
ことができなくなったりする。
そんなことが連続して起きるようになる。

 ど忘れなど、日常茶飯事。
 
 それは恐怖以外の何物でもない。
が、闘う方法がないわけではない。
先に書いた田丸謙二先生は、50歳を過ぎて中国語を独学し、60歳のころ、中国の科学
院(もっとも権威のある学会)で、記念講演をしている。
もちろん中国語、で!

 そういう先生を鏡にすると、一瞬一秒、無駄にできる時間はない。
が、もしここで今、現在の状態の上にアグラをかいてしまったら……。
それこそ死の待合室にまっしぐら。
たわいもない世間話か、兄弟親類のゴシップ話。
そんな話に花を咲かせるようになる。
しかも繰り返し、繰り返し、同じ話をするようになる。

●終わりに

 だからといって、繰り返すが、魚釣りがどうのとか、それを楽しんでいる人がどうのと
か、そんなことを書いているのではない。
私は私。
あなたはあなた。
人は人。

 それぞれの人が、それぞれの人生を歩む。
大切なことは、それぞれの人がそれぞれの人の人生を認めあうこと。

わかっている!

 このエッセーを読んで、こう思っている人もいるにちがいない。
「はやし浩司もかわいそうな男だ」と。
「人生を楽しむことも知らない、あわれな男だ」と。

 しかし誤解しないでほしい。
今の私には、今の私が楽しい。
こうして日々に新しい発見をしていくことが、私には楽しい。

 ……こうして私に好き勝手なことをさせてくれるワイフに感謝しながら……。

(はやし浩司 2011―11―13日記)


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