Education in Front-Line and Essays by Hiroshi Hayashi (はやし浩司)

(Mr.) Hiroshi Hayashi, a professional writer who has written more than 30 his own books on Education, Chinese Medical science and Religion in Japan. My web-site is: http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/ Please don't hesitate to visit my web-site, which is always welcome!!

Monday, June 30, 2008

*Slaves of Desires

【100倍論】

●年長から小学二、三年にできる金銭感覚
 子どもの金銭感覚は、年長から小学二、三年にかけて完成する。この時期できる金銭感覚は、おとなのそれとほぼ同じとみてよい。が、それだけではない。子どもはお金で自分の欲望を満足させる、その満足のさせ方まで覚えてしまう。これがこわい。

●一〇〇倍論
 そこでこの時期は、子どもに買い与えるものは、一〇〇倍にして考えるとよい。一〇〇円のものなら、一〇〇倍して、一万円。一〇〇〇円のものなら、一〇〇倍して、一〇万円と。つまりこの時期、一〇〇円のものから得る満足感は、おとなが一万円のものを買ったときの満足感と同じということ。そういう満足感になれた子どもは、やがて一〇〇円や一〇〇〇円のものでは満足しなくなる。中学生になれば、一万円、一〇万円。さらに高校生や大学生になれば、一〇万円、一〇〇万円となる。あなたにそれだけの財力があれば話は別だが、そうでなければ子どもに安易にものを買い与えることは、やめたほうがよい。

●やがてあなたの手に負えなくなる
子どもに手をかければかけるほど、それは親の愛のあかしと考える人がいる。あるいは高価であればあるほど、子どもは感謝するはずと考える人がいる。しかしこれはまったくの誤解。あるいは実際には、逆効果。一時的には感謝するかもしれないが、それはあくまでも一時的。子どもはさらに高価なものを求めるようになる。そうなればなったで、やがてあなたの子どもはあなたの手に負えなくなる。

先日もテレビを見ていたら、こんなシーンが飛び込んできた。何でもその朝発売になるゲームソフトを手に入れるために、六〇歳前後の女性がゲームソフト屋の前に並んでいるというのだ。しかも徹夜で! そこでレポーターが、「どうしてですか」と聞くと、その女性はこう答えた。「かわいい孫のためです」と。その番組の中は、その女性(祖母)と、子ども(孫)がいる家庭を同時に中継していたが、子ども(孫)は、こう言っていた。「おばあちゃん、がんばって。ありがとう」と。

●この話はどこかおかしい
 一見、何でもないほほえましい光景に見えるが、この話はどこかおかしい。つまり一人の祖母が、孫(小学五年生くらい)のゲームを買うために、前の晩から毛布持参でゲーム屋の前に並んでいるというのだ。その女性にしてみれば、孫の歓心を買うために、寒空のもと、毛布持参で並んでいるのだろうが、そうした苦労を小学生の子どもが理解できるかどうか疑わしい。感謝するかどうかということになると、さらに疑わしい。苦労などというものは、同じような苦労した人だけに理解できる。その孫にすれば、その女性は、「ただのやさしい、お人よしのおばあちゃん」にすぎないのではないのか。

●釣竿を買ってあげるより、魚を釣りに行け
 イギリスの教育格言に、『釣竿を買ってあげるより、一緒に魚を釣りに行け』というのがある。子どもの心をつかみたかったら、釣竿を買ってあげるより、子どもと魚釣りに行けという意味だが、これはまさに子育ての核心をついた格言である。少し前、どこかの自動車のコマーシャルにもあったが、子どもにとって大切なのは、「モノより思い出」。この思い出が親子のきずなを太くする。

●モノに固執する国民性
日本人ほど、モノに執着する国民も、これまた少ない。アメリカ人でもイギリス人でも、そしてオーストラリア人も、彼らは驚くほど生活は質素である。少し前、オーストラリアへ行ったとき、友人がくれたみやげは、石にペインティングしたものだった。それには、「友情の一里塚(マイル・ストーン)」と書いてあった。日本人がもっているモノ意識と、彼らがもっているモノ意識は、本質的な部分で違う。そしてそれが親子関係にそのまま反映される。

 さてクリスマス。さて誕生日。あなたは親として、あるいは祖父母として、子どもや孫にどんなプレゼントを買い与えているだろうか。ここでちょっとだけ自分の姿勢を振りかってみてほしい。(中日新聞掲載済み)
(030716)

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物欲によって、破壊される
親子関係について……

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●バラバラになる親子

 Aさんは会社のリストラで職をなくした。企業診断士の資格をもっていたので、市内のマンションを借りてコンサルタント事務所を開いた。が、折からの不況で、すぐ仕事は行きづまってしまった。しかしそれが悲劇の始まりだった。

 まず大学一年生になったばかりの長女が、Aさんを責めた。「大学だけは出してもらう。あんたに責任をとってもらう」と。次に二女もそれに加わり、「お父さんが勝手なことばかりしているから、こうなったのだ」と。本来ならここで母親が間に入って、父と娘たちの調整をしなければならないのだが、その母親まで、「生活ができない」と言って、家を飛び出してしまった。家族といっても、一度歯車が狂うと、どこまでも狂う。狂ってバラバラになってしまう。Aさんはこう言った。「妻の家出のことで助けを求めたとき、長女に『自業自得でしょ』と言われました。そのときは背筋が凍る思いがしました」と。

 Aさんは何とか親戚中からお金をかき集めて、長女の学費を工面した。が、そういう苦労などどこ吹く風。長女は妻が身を寄せている三重県の実家へは帰るものの、Aさんのところには寄りつかなくなってしまった。仕送りが遅れたりすると、長女から矢の催促が届くという。

 こう書くとAさんをだらしない男のように思う人もいるかもしれないが、ごくふつうの、しかも典型的なまじめ型人間。日本人の何割かが、彼のような人物といってもよい。人一倍家族思いで、また家族のためならどんな苦労もいとわない。Aさんはこう言う。「朝早く仕事にでかけ、いつも帰るのは真夜中。家族はそれで満足してくれていると思っていました。しかし妻も娘たちも、自分とはまったく違ったとらえ方をしていたのですね」と。
 そのAさんは今は、二女の進学問題で悩んでいる。「お金がないから……」と言いかけると、次女は「今ごろそういうことを言われても困る」と。「そういう話は前もって言ってもらわなければ困る」とも。

 イギリスの格言に、『子どもに釣り竿を買ってあげるより、一緒に釣りに行け』というのがある。親というのは、子どもに何かものを買ってあげることで、親としての義務を果たしたかのように思うかもしれない。が、それでは子どもの心をつかむことはできない。子どもの心をつかみたかったら、「釣りに行け」と。何でもないことのようだが、親子の意識のズレはこうして始まる。「してあげた」と思う親。それを「当たり前」と思う子ども。そしてそのズレが無数に積み重なって、Aさんのようになる。いつか気がついてみたら、家族の心がバラバラになっていた、と。ついでに一言。

 私たち戦後の団塊世代は、あのひもじさを知っている。だから子どもたちには、そのひもじい思いをさせたくないとがんばってきた。結果、今の子どもたちは、「ひもじい」という言葉の意味そのものすら知らない。しかしそれが今、あちこちの家庭で裏目に出ようとしている。Aさんの家庭もそんな家庭だが、皮肉と言えば、これほど皮肉なことはない。
(中日新聞掲載済み)

*Mother who blame Others

●他責型ママ、自責型ママ

母親にも他責型と自責型がある。

たとえば自分の子どもに何か問題を発見したようなとき、
即座に、「子どもを何とかしよう」と考えるのが、他責型。

一方、「自分の育て方に問題がある」と考えて、いつもその
責任を自分に求めるのが、自責型。

子育てでは、自責型ママのほうがよい。
また自責型ママの子どもは、それほど大きな問題を起こさない。

さらに最近では、「子どもは家族の代表にすぎない」、だから
「子どもに何か問題があったら、それは家族全体の問題」と
考えるようになってきた。

たとえば子どもに、ドラ息子症状が現われてきたとする。
わがままで、自分勝手。享楽的で、感情的。
自己中心性が強くなり、他者との協調性が失われる・・・。

それを母親に、それとなく指摘すると、即座に、「子どもをなおそう」と
考えるのが、他責型ママということになる。
「では、どこの病院へ行けばいいのですか?」と私に聞いた親もいた。
他責型ママほど、自分は完成された母親であり、自分には
問題がないと考える。

それだけ自己中心性が強いから、子どもの心がわからない。
わからないから、ますます悪循環の世界に入ってしまう。

これに対して自責型ママは、自分に責任を求める。
だから会話のし方そのものが、ちがってくる。

「そういう子どもにしたのは、自分自身」と考えて、
それまでの子育てのあり方を反省したり、見なおしたりする。
だから悪循環に陥ることもなく、子どもも、そのまま
よい方向に向かう。

……ということで、こんな例がある。

私の知人だが、3人の息子をもっている人がいる。
その3人だが、3人も、高校を退学させられている。
長男は、無免許でバイクを運転して、警察に逮捕された。
二男は、同じく無免許で車を運転していて、事故を起こした。
(このとき同乗していた高校生が、軽いけがをしている。)
三男は、ガールフレンドを妊娠させてしまった。
(相手の親は、「強姦だった」と主張した。)

3人のうち、1人くらいなら・・・、というケースは多い。
しかし3人とも・・・、というケースは少ない。
その母親は、「子どもたちが悪い」といつも言っていた。
しかしその遠因は、実は、母親自身にあった。

かなりわがままな女性で、他人の話など、ほとんど聞かなかった。
ここでいう他責型ママ。
学校の教師が何かをアドバイスしても、いつも即座に反論ばかり
していた。

「うちでは、ふつうです」「ほかの子にそそのかされただけです」と。

だからいつしか、教師のほうが、その母親を敬遠するようになった。
・ ・・ということが重なって、3人も、退学させられてしまった。

そこでクエスチョン。

あなたは他責型か、それとも自責型か?

こと子育てにおいては、つねに自責を心がけたらよい。
子どもに何か問題が起きたら、それは自分の問題、家族の問題と考える。
そういう姿勢が、子どもを、結局は守るということになる。

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●他責型と自責型

たとえばテーブルの上にあったコップを落として、そのコップを割ったとする。
そのとき、すかさず、「だれ、こんなところにコップを置いたのは!」と、
責任を他人に求めるのが、他責型。

だれかがその人の不注意を指摘したりすると、即座に反論する。
「私は、手がすべっただけ」
「だれだって、ときには、失敗することもあるでしょ」と。

一方、自責型は、他人がコップを落として割っても、「ごめん、ごめん、
私がこんなところにコップを置いたのがいけなかった」と、即座に、自分に責任を求める。

そのコップを落とした人が、「ごめん」とあやまっても、「いいの、あなたは
誤らなくても・・・。私が悪いんだから」と言ったりする。

ただし、他責型が悪く、自責型がよいとも、言えない。
一般論から言うと、他責型ママは、他人に責任を転嫁するのがうまく、
うつ病にはならない。・・・なりにくい。
一方、自責型ママは、いつも自分を責める分だけ、うつ病になりやすい。

他責型は楽天的。
そこに大きな問題があっても、それに気づかないこともある。

自責型は、ものごとを深刻にとらえがち。
ささいなことを、針小棒大に考えて、悩んだり苦しんだりする。
神経質になったり、過干渉、過関心になったりしやすい。
こうしたちがいが、子育てに反映されることもある。

(はやし浩司 自責型ママ 他責型ママ 他責人間 自責人間)

*Why Children have strong Desire to get

●物欲のメカニズム

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子どもの物欲を満たすのは、慎重に。
それに慣れた子どもは、さらに強い
刺激を求めて、やがて物欲の奴隷に
なる。

子どもの心をモノで釣るようなことは
してはいけない。

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孫の誠司を、あちこちに連れていってみて、驚いた。
ショッピングセンターにも連れて行った。
みやげもの屋にも連れて行った。
コンビニにも連れて行った。
もちろんおもちゃ屋にも、連れて行った。
しかしどこへ連れて行っても、モノをほしがらない。

ただその場で、手に取ってみるだけ。
「ほしい」とか、「買って」とか、言わない。
で、私のほうが、「買ってあげようか?」と声をかけるのだが、
だまっているだけ。
つまり、そういう習慣そのものが、ない。
まったく、ない!
日本の子どもなら、「あれ、買って!」「これ、買って!」と言いそうな
場面でも、そういうことは、いっさい、口にしない。

これは息子の影響というより、嫁のデニーズの影響と思われる。
何回か、デニーズと誠司の買い物に、同行したことがある。
そういうときでも、デニーズと誠司は、そういう会話をいっさい、しない。
「必要なものは買う。しかしそれ以外のものは、いっさい買わない」。
そういう姿勢が徹底している。
つまり先にも書いたように、そういう習慣そのものが、ない。

そういう一例だけをみて、こう判断するのも危険なことかもしれない。
しかし『物欲というのは、習慣によって作られる』。

が、この日本では、モノで子どもの心を買うという習慣が、日常化している。
子どものほしがるものを先に予想して、それを買い与える親は少なくない。
またそれをすることによって、親子の絆(きずな)は太くなると考える。

しかし実際には、逆効果。
感謝されるとしても、一時的。
つぎに今度は、子どものほうから、それを請求してくるようになる。
が、それですまない。

物欲というのは、それを満たせば満たすほど、エスカレートする。
脳の中では、つぎのようなメカニズムが働くためと考えてよい。

何か目新しいものを見たとき、脳の中で、「ほしい」という欲求が生まれる。
(このときすでに条件反射行動(=条件づけ反応)が起きているとみる。)
視床下部あたりから脳に向かって、強力なシグナルが送られる。
それに応じて、ドーパミン(ホルモン)が放出される。
そのドーパミンが、線条体を刺激する。

「この刺激は強烈で、このとき線条体は、『目的達成に向けた行動を起こせ』
というメッセージを受けとる。この刺激は強力で、意志の力だけでこの
衝動を克服するのは、非常に難しい」(K・ローットワイラー・オゼッリほか、
「サイエンス」)という。

喫煙者がタバコの煙をかいだり、アルコール依存症の人が、酒の臭いを
かいだときと同じような現象が、脳の中で起こる。

とたん、子どもは(おとなも)、そのモノを強烈にほしがるようになる。
それはふつうの反応ではない。
ふつうでないことは、たとえばタバコをやめられない人や、酒をやめられない
人のことを考えてみればよい。

しかしこのとき、ドーパミンの働きを打ち消そうという働きも、同時に発生する。
これを大脳生理学の世界では、「フィードバック」と呼んでいる。
つまり、感覚がマヒしてくる。
マヒしてくるから、つぎのときは、さらに強い刺激を求めるようになる。

(実際には、「薬物依存患者などは、線条体に見られる(D2ドーパミン受容体)
の数が少ないのがふつう。……これはおそらく、麻薬などを何度も摂取するたびに
繰りかえされるドーパミンの急増を、脳が何らかの形で相殺しようとしている
のだろう」(同、K・ローットワイラー・オゼッリほか)とのこと。)

こうして物欲は、かぎりなくエスカレートしていく。

だから、子どもにモノを買い与えるのは、最小限にしたほうがよい。
できれば、そういう習慣は、やめたほうがよい。

わかりやすく言えば、一度、物欲にとらわれた子ども(人)は、
それを断ち切るのは容易なことではない。
ばあいによっては、物欲の奴隷となる。
ちょうど喫煙者がタバコの奴隷になり、アルコール依存症の人が、アルコール
の奴隷になるように、だ。

だから、先にも書いたように、モノを買い与えても、感謝するのは
そのときだけ、ということになる。

が、さらに恐ろしいことは、つぎのステップで起こる。

こうした欲望の奴隷になった子ども(人)は、それが満たされないとわかると、
パニック状態になる。
狂乱状態になることもある。

ときどきショッピングセンターなどで、「あれ、買ってエ!」と、泣き叫ぶ
子どもを見かけるが、それもその一例ということになる。

「実際には逆効果」というのは、そういう意味である。

で、だからといって誠司が理想的というわけではない。
現代という社会は、物欲を中心になりたっている。
その物欲が、経済活動の原動力にもなっている。

もし現代という社会で、物欲を否定してしまったら、
社会そのものが、崩壊してしまう。
子ども(人)の立場でいうなら、社会そのものに同化できなく
なってしまう。

「欲しい」という意欲があるからこそ、そこから勤労意欲が生まれる。
だから「ある程度は・・・」ということになる。
ある程度の物欲は必要だし、そのための教育(?)も必要ということになる。
が、あくまでも「ある程度」。
その「程度」を超えたとき、その子どもは、かぎりなくドラ息子化する。

結果として、結局は苦労するのは、その子ども自身ということになる。

それだけは、注意したほうがよい。

(補記)

ドーパミン……快楽追求行動を調整している神経伝達物質
条件づけ反応……報酬と喜びに関連する脳の刺激に対する反応。これによって
       条件づけ反応が生じ、その環境に身を置いただけで、反応が起こる
       ようになる(以上、日経「サイエンス」07-12、p54) 

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 Hiroshi Hayashi education essayist writer Japanese essayist はやし浩司 物欲 物欲のメカニズム 子どもの物欲 子供の物欲 線条体 ドーパミン受容体 視床下部)

Sunday, June 29, 2008

*The Economy Crisis in South Korea

●なぜ、今、ウォン安? (危機的状況の韓国経済)
(The Second Crisis is now attacking South Korea)

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世界的に、現在、ドル安。
だから日本円も、それにつられて、円高。
半年前には、1ドル=120円前後だった。
それが今日現在は、106円前後。
それはわかる。

が、韓国のウォンは、半年前には
1ドル=900ウォン前後だった。
が、今日現在は、1044円ウォン!

どうして韓国のウォンだけが、世界の
流れに対して逆行しているのか?

理由は簡単。
ドルの価値がさがる以上に、ウォンが売られている。

朝鮮N報は、つぎのように伝える(6月30日)。

『原油高のショックで韓国経済が全体的に難局に直面する中、外国人投資家による韓国株式市場での売り越し規模が4兆ウォン(約4100億円)を超えた。

 年初来の外国人による売り越し規模は27日時点で17兆4570億ウォン(約1兆7920億円)に膨らんだ。このまま推移すれば、1992年の株式市場開放以降最高だった昨年の24兆7117億ウォン(約2兆5360億円)を超えるのは確実だ。

 さらに6月の貿易収支は20日までの暫定集計で50億ドル(約5320億円)の赤字となり、韓国経済の困難が増大している』と。

わかるかな?

外国人投資家たちが、ウォンを売って、ウォン以外の
外貨に交換している。
ウォンが必要以上に売られているから、ウォン安。
つまり韓国を見捨て始めている!

具体的には、今年になってから、170億ドル(約1兆
8000億円)もの株式を、売り越している(朝鮮N報)。

その結果、どうなる?

朝鮮N報は、『雪だるま式に膨らむ、貿易赤字』と出して
つぎのように伝えている(同、6月30日)。

『原油高で原油の輸入単価が上昇し、貿易収支は通貨危機当時の1997年(85億ドル〈現在のレートで約9000億円〉の赤字)以降初めて赤字に転落する見通しだ。年初来6月20日までの貿易赤字は106億9694万ドル(約1兆1380億円)に膨らんだ。政府は当初、今年の貿易収支を130億ドル(約1兆3800万円)の黒字と予測していた』と。

つまり当初韓国政府は、08年度は、130億ドルの黒字を予想していた。
それが一転して、08年度は、6月末までだけで、107億ドルの赤字!
このまま赤字が膨らめば、朝鮮N報が伝えるように、「雪だるま式に」、貿易赤字は
増大する。

……が悪いことは重なる。

現在、韓国では、アメリカ産牛肉問題で、国内情勢が
きわめて不安定になっている。
「今のところだいじょうぶ」と、韓国政府はがんばっているが、
その異常さは、ふつうではない。

恐らく外国人投資家たちも、そう見ている。
現在の韓国に、積極的に投資する外国人投資家は、いない。
この先、外国人投資家の逃避はつづく。

ますますウォン安になる。
貿易赤字が膨らむ。

あとは、想像するだけでも、ゾッとする。
第2のデフォルト(=国家破綻)が、ここまで現実化してくると、
その言葉を書くのも、恐ろしい。

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 Hiroshi Hayashi education essayist writer Japanese essayist 韓国経済 危機的状況の韓国 デフォルト 国家破綻 債務不履行)

*The Road that leads you to Old Men

●認知症への道

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昨日、地元のバス会社が運営する
Bツアーを利用して、滋賀県まで
行ってきた。

で、バスに乗ったとたん、ムッと
するような悪臭!
強烈な悪臭!
……ニンニクと酒の臭い!

私たちは、西インターというところで
バスに乗り込んだが、それまで
そのバスは、あちこちで乗客を
集めながら、1時間ほど、走っている。

乗客の中に、ニンニクを食べた人が
いたらしい。
加えてバスの中には、すでに酒
(日本酒や焼酎)を飲んでいる人もいた!

幸い、私たちの席は、最後部。
席につくと、すぐ窓をあけた。

しかしそれにしても、すごい悪臭!

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●内側の人格

加齢とともに、内側に潜んでいた人間性が、そのまま
表に出てくるようになる。

若いときは、気力で、それをごまかすことができる。
それらしい人物に、振る舞うことができる。

しかし加齢とともに、その気力が弱くなる。
そのため、ここに書いたように、内側に潜んでいた人間性が、
そのまま表に出てくるようになる。

バスの乗客のうち、55~60歳くらいの人が、3~6人。
ほとんどの人は、70~75歳前後の人たちだった。

7~8割の人は、静かな会話をしていたが、そうでない人たちもいた。
ギャーギャー、ワハハ、ケタケタ……と。

おまけに冒頭に書いたように、ニンニクと酒の臭い。
臭いというより、強烈な悪臭!
プラス、乗ったときは気づかなかったが、加齢臭!

そういう人たちを見ながら、私は改めて、こう考えた。

「人は、ある日突然、老人になるのではない。
少しずつ、時間をかけて、老人になる」と。

それはそのとおりで、だれもこの説を疑う人はいない。

が、ここでいう「老人」というのは、「認知症の老人」のことをいう。
つまりバスの中の人たちは、ケア・センターにいる老人と、
若い人たちの、ちょうど、中間あたりにいるということになる。
(あるいは半分、ケア・センターに足を踏み入れている?)

中には、すでにヘベレケに酔っぱらっている男性(75歳くらい)もいた。
そういう男性が、呂律(ろれつ)の回らない言い方で大声で話す。

「ヤーヤー、事故だヤー」
「ありゃあ、死んでるわナ~」
「事故だヤー、事故だヤー」と。

見ると、路肩に、2台、壊れた自動車が停まっていた。

私とワイフは、耳にイヤホーンを押し込んで、目を閉じた。

●近未来の私たち

そういう老人を見ながら、けっして笑ってはいけない。
直前に座っていた老人(70歳くらい)は、人間というよりは、
サルのような感じがした。
キョロキョロとせわしなくあたりを、見回しながら、そのつど、
意味のないことを口にしていた。

しかし、そういう老人は、私たち自身の、近未来の姿でもある。
私たち自身が、やがて、好むと好まざるとにかかわらず、
そのサルのような感じの人間になる。

私はその老人を、ななめうしろから見ながら、「では、どうすれば
そういう老人にならないですむか」を考えた。

私「あの人たちは、本を読むだろうか?」
ワ「読まないわよ」
私「じゃあ、音楽を聴くだろうか?」
ワ「聴かないわよ、きっと」
私「じゃあ、映画館で映画を見るだろうか?」
ワ「それは、ぜったいに、ありえないわよ」と。

子どもたちと接しているとき、ときどき(距離)を感ずることがある。
「こういう話をしても、理解できないだろうな」と。

そういうときは、話の方向性だけを話して、そでですます。
やがて子供自身が、私の話したことを起点にして、自分で
考えるようになる。

しかし相手が老人のばあいには、それがない。
(距離)というより、(絶望感)に近いものを感ずる。
「こういう話をしても、無駄」と。

つまりその未来性がないことが、老人の特徴ということになる。
が、さらに運の悪いことがつづく。

そういう老人を見ながら、若い人たちは、この私たち夫婦まで、
その老人の仲間に押し込んでしまう。
そのときのバスガイドも、そうだった。
雰囲気で、それがわかった。

ガイドといっても、低劣な話を、ペラペラと口にしているだけ。
それが間断なく、つづく。
加えて昨日は、帰りのバスの中では、またまたあのビデオ。
「釣りバカ日誌」。

もうこれであのビデオは、3回目!
しかも同じビデオ!
大音響!
それを私たちを老人だと思って、(たしかに老人だが……)、
天井からガンガンと流す。

Bツアーで旅行するときは、騒音軽減防止つきのイヤホンは、
必需品。

●進む、社会の高齢化

そのうち、3人に1人が、満65歳以上の老人になる。
予想ではない。
計算上、確実にそうなる。

しかし、これは深刻な問題である。
もしバスの中にいるような老人が、巷(ちまた)にあふれるように
なったら、そのとき若い人たちは、私たち老人を、どんな目で
見るようになるだろうか。

あたりかまわず、ニンニクの臭いを吐きだし、酒を飲む。
それにあの独特の加齢臭。

そう、加齢臭にしても、自分では、それがわからない。
そういう老人たちが、観光バスから外に出て、旅館に入る。
映画館に入る。
レストランに入る。

やがてニンニクの臭いを発している老人が、どの人かわかった。
トイレで、横に並んだとき、それがわかった。
たぶん、横にいる妻にうながされたのだろう。
始終、マスクを口にかけていた。
しかしニンニクに臭いは、マスクで防げるようなものではない。

老人問題というと、老人の側からしか考えない。
しかし若い人たちの立場から、つまり「どうすれば若い人たちに
嫌われないですむか」という立場でも、考える必要がある。

でないと、前から書いているように、私たちはそのうち、
社会の粗大ゴミになってしまう!
つまり私たちは若い人たちに、絶望感を覚えさせてはいけない!

私たちは若い人たちに、未来を与えなければならない。
未来を語らなければならない。
自分たちの経験や知識を伝えなければならない。
そういう老人を目指さなければならない。

今回は、運悪く、おしゃべりなバスガイドに当たってしまったが、
バスガイドを責めてもしかたない。

私たち乗客が、そうされるにふさわしい老人にしか見えなかったのだ。

(付記)
●全国のみなさんへ

この浜松市は、別名、「ギョーザの町」としても知られている。
駅の売店でも、ギョーザを売っている。
最近では、街中の肉屋まで、ギョーザを売るようになった。
そのため、浜松へ来るときは、消臭剤付きのマスクを忘れずに!
駅を降りたときから、ムッとするようなニンニクの臭いがするはず。

それがいやなら、すかさず駅前のラーメン店へ飛び込み、
あなた自身もギョーザを食べること。

●嫌われない老人になるために

老人といっても、「これだけは若い人に負けない」という
一芸をもとう。
その一芸を磨こう。
その一芸を光らせよう。

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 Hiroshi Hayashi education essayist writer Japanese essayist 老人問題 加齢臭)

The Legend made by TV Stations

●都市伝説(The Legend made by TV Stations)

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2008年5月から6月にかけて、韓国で、
常識では理解できないデモが発生した。
先週の6月26日にも、デモが発生したという。

連日、キャンドルを片手にした数万人単位の
群衆が、「アメリカ産牛肉輸入禁止」の
デモを繰り広げた。

が、やがてそれが暴徒化。
新聞社を襲撃したり、機動隊員や民間人に対して
無差別暴力を繰りかえすようになった。

その中には、多くの小中学生までもが加わっていた。
「まだ15歳なのに死んでいくしかないのか」と、将来を悲嘆する
子どもまで現われたという(朝鮮N報)。

そのため連日のデモにより、イ大統領は、
青瓦台の人事刷新、内閣改造という事態にまで追い込まれた。

当初は左派系の政治団体が、右派系の
大統領府を攻撃するために、政治的にしくまれた
デモを疑われた。

それにしても、なぜにこれほどまでに過激な(?)デモに
なってしまったのか?

「たかが……」というと、叱られるかもしれないが、
たかが牛肉問題ではないか。

「米国で米国産牛肉を食べて狂牛病に
かかった人は一人もいない」
「狂牛病が人に感染したと考えられている
変異型クロイツフェルト・ヤコブ病の発症例は、
今年に入り世界で1件もない」(朝鮮N報)
という事実があるにもかかわらず、
韓国の人たちは、デモに走った。

なぜか?

私は一連のデモ騒動についての報道を見ながら、
あのH・G・ウェルズの『宇宙戦争』を
思い浮かべていた。

「ひょっとしたら韓国の人たちは、だれかに
踊らされているだけではないのか?」と。

+++++++++++++++++

ウィキペディア百科事典には、つぎのようにある。

+++++++++++++++以下、ウィキペディア百科事典より++++++++

ラジオドラマ『宇宙戦争』(うちゅうせんそう、The War of the Worlds)は、オーソン・ウェルズが、H.・G・ ウェルズ作『宇宙戦争』を、ラジオ番組化したものである。

1938年10月30日にハロウィン特別番組として、アメリカのラジオ番組Mercury Theatre on the Airで放送された。この生放送は多くの聴取者を恐怖させ、実際の火星人侵略が進行中であると信じさせた。侵略がフィクションである旨を告げる「お断り」が何度もあったと言われるが、そのうちの1度は放送開始直後、残り2度は終了間際であったため、その間、聴取者側から見れば、混乱と恐怖のための時間が充分残っていた。

オーソン・ウェルズの翻案は、おそらく歴史上最も成功したラジオドラマ作品であろう。それは、Radio Projectの最初の研究課題のひとつとなった。

ただし、このパニックについては、疑いも持たれている。当時新興メディアであったラジオに対して警戒心をあらわにしていた新聞がことさらにバッシングを行ったことが都市伝説化したものだとする説も有力である。

+++++++++++++++以上、ウィキペディア百科事典より++++++++

デモの様子について、毎日新聞は、つぎのように伝える。

+++++++++++++以下、毎日新聞より+++++++++++++++++

【ソウル中島哲夫】韓国の米国産牛肉輸入反対デモが過激化し、機動隊と衝突するだけでなく、デモに批判的な保守系大手紙の本社を襲撃したり、取材カメラマンや一般市民に暴行するといった事例が相次ぎ始めた。

 5月に始まった一連のデモは機動隊との衝突や警察車両の破壊へと次第にエスカレート。李明博(イミョンバク)政権が米国との追加交渉を受けて牛肉輸入再開の手続きに踏み切ると、一気に過激化した。

 26日から27日にかけて、いずれも夜間にデモ隊の一部がソウル都心にある朝鮮日報、東亜日報の社屋に押しかけ、ハンマーなどで正面玄関の社名ロゴや大型回転ドアのガラスを破壊、周辺にゴミを積み上げたり汚物をまくなどした。

 朝鮮日報社屋と接続しているホテルも植木鉢や入り口のガラスを割られたうえ、ロビーに大量のゴミを投げ込まれ、職員3人はデモ隊から殴るけるの暴行を受けた。

 東亜日報カメラマンは取材中、デモ隊に引きずり回されたあげく殴られて失神、病院に運ばれた。朝鮮日報カメラマンも酒ビンを投げつけられて負傷した。

 28日付の朝鮮日報によると、ホテル被害の現場で抗議した女性市民がデモ隊に取り囲まれ、乱暴を止めようとした男性市民とともに殴られた。ホテル襲撃を主導した男を追跡し逮捕しようとした刑事も周辺のデモ隊の暴行で妨害され、容疑者は逃走した。

 デモの規模は6月10日をピークに縮小傾向にあるが、一般市民の参加激減に伴い、本気で李政権退陣を求める戦闘的メンバーの比率が増大。左派系の新聞や、政府の官業民営化方針に反発する公営や半官半民の主要放送局は「警察の過剰鎮圧」を強調するなどデモ隊に好意的な報道を続けているが、もはや「非暴力の市民デモ」とは主張しにくい状況になっている。(毎日新聞6・29)

+++++++++++++以上、毎日新聞より+++++++++++++++++

また朝鮮N報は、つぎのように伝える。

+++++++++++++++以下、朝鮮N報より+++++++++++++++

米牛肉交渉が妥結したのは4月18日のことだった。当時、韓国で「米国産牛肉を食べたら狂牛病(牛海綿状脳症〈BSE〉)になる」という都市伝説はほとんど聞かれなかった。だが、2週間も過ぎた5月2日、「まだ15歳なのに死んでいくしかないのか」と中学生や市民がキャンドル集会を始めた。

 落ち着いていた民心に火を付けたのは、4月29日に放送されたMBCの報道番組『PD手帳』の「米国産牛肉、果たして狂牛病から安全なのか」だった。これをきっかけに、テレビ局は「米国産牛=狂牛病」という認識を植え付けるような主張を「じゅうたん爆撃」のように一斉に放送した。

『PD手帳』の主張の核心は故意の歪曲(わいきょく)やねつ造だったことが白日の下にさらされたが、これらの無責任な主張はネットで増幅され、今は世界のどこにも存在しない「狂牛病騒動」を生み出した。

 MBC『ニュースデスク』では『PD手帳』放送後の三日間、米国産牛肉の危険性を取り上げた連続企画を放送し、多い日は全ニュース25項目のうち13項目をこの問題に充てた。また、所々に狂牛病でもない「へたり牛」(自力で歩けずへたり込んだ牛)の映像を挿入し、「米国産牛=狂牛病」と視聴者を洗脳した。5月4日には「へたり牛は狂牛病が疑われていたが食用と判定された」という無責任な『PD手帳』の主張を繰り返した。

 KBS『ニュース9』も多いときは全ニュース28項目のうち16項目を米国産牛肉の問題に割いた。ここでもまた、へたり牛の映像を随時流し、恐怖をあおった。「他国には輸出できない危険部位が韓国に送られる」「インスタントラーメンのスープ・薬のカプセル・化粧品も安心できない」という科学的に証明されていない話も放送した。

 KBS『時事トゥナイト』は5月5日、「今年2月に米国で“狂牛病が疑われる牛肉”6万4000トンについて過去最大のリコール(回収)があった」と報じた。だが、このリコールは狂牛病とは関係なかった。こうした誇張やうそ、都市伝説が朝の主婦向けワイドショー・芸能番組・ラジオでも次々と流された。ごく常識的だと思われる人々も米国産牛肉と聞くと顔をしかめるほどだった。

 テレビ番組はこうした報道をしながらも、「米国で米国産牛肉を食べて狂牛病にかかった人は一人もいない」という基本的かつ核心的な事実から目を背けた。申し訳程度に、韓国政府関係者の発言を1~2回取り上げただけだった。「狂牛病が人に感染したと考えられている変異型クロイツフェルト・ヤコブ病の発症例は今年に入り世界で1件もない」という事実も、テレビでは報じられなかった。

 数日前、カナダで狂牛病にかかった牛が発見されたが、カナダのどこにも狂牛病騒動は起きていない。騒動をあおるメディアがないのだ。2000年代初めに世界中を巻き込んだ狂牛病の恐怖は、このように世界のほとんどの国で合理的な線で落ち着きつつある。だが、韓国のテレビ局の暴力的なパワーは、世界のどこにもない「集団的な狂牛病の恐怖」を韓国だけに生み出した。その真の目的が何なのかについては、今後一つ一つ明らかになっていくだろう。

++++++++++++++++++

最近、キャンドル集会の規模は大きく縮小しているが、その一方で集会が一層過激さを増しているのは、「デモ専門家」といわれる彼らの割合が大きくなっていることが大きな原因と警察は分析している。

しかし、実際に過激な行為で連行されたり逮捕状が請求されているのは、そのほとんどが大学生や失業者たちだった。先月24日以降、違法に道路を占拠したり暴力デモで警察に連行された768人のうち、363人が大学生と失業者だった。

暴力行為で逮捕された6人も、失業者3人と大学生一人、日雇い労働者二人だった。警察のある関係者は「デモに参加した経験の少ない人間はすぐに連行される。

デモ専門家たちは過激な行動をとる一方で、警察による取り締りが本格的に始まる前にそのほとんどが安全な地域に逃れている」と述べた。
李吉星(イ・ギルソン)記者

+++++++++++++++以上、朝鮮N報より+++++++++++++++

朝鮮N報の記事によれば、「(テレビ局の)うそとねつ造番組が、
狂牛病騒動を引き起こした」ということらしい。

それにしても、テレビの力には、ものすごいものがある。
改めて、その「力」に驚く。……と同時に、そのお「恐ろしさ」も
覚える。

はたしてこの日本は、だいじょうぶか?

少し前に書いた原稿を紹介する。

++++++++++++++

●インチキ放送

 大阪にあるKテレビ放送局が、またまたインチキ番組を流した。「糸引き納豆は、ダイエット効果がある」(「あるある大辞典2」)という番組だった。

 たまたま私も、その番組を見た。しかしその番組は、すべてインチキだったというから、すごい! ……と同時に、静かな怒りが私の心の中に充満した。「また、やられた!」と。

 たしか番組の中では、毎日納豆を食べた人と、食べなかった人の体重を、比較していたと思う。ともに3人ずつ出演したと思う(私の記憶)。

 結果、毎日食べた人は、3キロ前後の減量に成功。そうでない人は、変化なし、と。

 しかしこれらすべてが、やらせだったとは!

 新聞報道によれば、

(1) 中性脂肪が正常値になった……実際には、測定などしていなかった。
(2) 納豆を食べた人と、食べなかった人の血液比較……架空のデータ。
(3) アメリカの大学教授の意見……別の研究者の論文を発表。
(4) 出演者の写真……まったく無関係の人たちの写真を発表、だそうだ(中日新聞)。

 とくに注意をひくのは、「日本の方々にも身近な食材で……」と、あたかも、その教授が述べたかのようなコメントを、日本語訳で流したこと。「アメリカに住む教授だから、アメリカまで、耳に届くことはないだろう」という、制作者の思惑が、よく見てとれる。

 私もだまされたという点で、このインチキ番組を見過ごすことができない。しかもそれがインチキと発覚したのは、何かの偶然によるという。つまりこうしたインチキは、氷山の一角と考えてよい。

 中日新聞は、「納豆ダイエット、ねつ造」「データ測定なし」と見出しにかかげている。しかしそれにしても、悪質! だからといって、これからも納豆を食べるのをやめるわけではないが、しかしそれを食べている自分が、アホに見えてきた。

 その番組のあと、納豆を食べながら、「納豆って、ダイエット効果があるんだよ」とワイフに話した私。そんな私に対して、だれが、どう責任を取ってくれるというのか。

(付記)

 日本人は、小ズルイね。ホント。正義なんて、子どものころから、教えていないもの。へたに正義感を燃やしたら、受験競争そのものから、はじき飛ばされてしまう。そんな体質が、こうした事件に集約されている。

+++++++++++++++

ついでにもう一作。
「ニセ科学」について書いた原稿。

+++++++++++++++

●ニセ科学(pseudo science)

In Japan very strangely most of the young people believe that each man’s personal character is decided by the blood type. It is only one of pseudo science, which widely spread throughout Japan.

++++++++++++++++

家具屋の店員に、重い家具を搬入してもらった。
そのとき、私が「こんな家具、地震で倒れたら、たいへんだなア」と、ふと漏らすと、その店員は、こう言った。
「重いから、倒れません」と。

私は、その言葉を聞いて、あっけに取られた。

血液型による性格判定についても、しかり。
つまり科学性、ゼロ!

++++++++++++++++

「Imidas、時事トレンド」の中に、こんな記事が載っていた。同志社大学教授の左巻健男氏の書いたものだが、「人はなぜ、ニセ科学を信ずるのか?」というのが、それ。

 左巻氏は、ニセ科学として、いくつかの例をあげている。そのひとつが、マイナスイオン。

(1) マイナスイオンとは、化学で学ぶ「陰イオン」ではなく、これに近いのが、大気科学の「負イオン」である。「滝にマイナスイオンが発生している」と言うばあいには、負イオンだが、これが健康によいという根拠はない。

プラスイオンは「吸うと心身の状態が悪くなる」のに対して、マイナスイオンは空気を浄化し、吸うと気持ちのイライラが解消し、ドロドロ血はサラサラに、アトピーや高血圧症にも効き、健康にもいい」というのである。

これは「納豆ダイエット」でねつ造が発覚したテレビ番組「発掘、あるある大辞典」(フジテレビ系)が火付け役で、1999年から2002年にかけて、特集番組で驚くべき効能がうたわれた。

そこから有名企業までが、マイナスイオン類似の効果をうたう商品を製品化し、エアコン、冷蔵庫、パソコン、マッサージ機、ドライヤーや衣類、タオルなど、広範囲の商品が市場に出されるに至った(以上、P162)、と。

 ニセ科学は、血液型による性格判定だけではなかったというわけである。電気店へ行くと、たしかにその種のうたい文句を並べた商品は多い。私はマイナスイオンにとくにこだわっていたわけではないが、今度、新しく購入した冷蔵庫にも、それがあった。

 しかし左巻氏に言わせると、それもニセ科学だったとは! しかも火付け役が、あの「発掘、あるある大辞典」だったとは! 

 左巻氏は、こうつづける。「マイナスイオン測定器でこれらを測定すると、1ccあたり、数10万個との数値を示すが、空気の分子数とくらべると、微々たる数値にすぎないことに注意を要する」(同書)と。

 だからといって、つまりImidasにそう書いてあったからといって、左巻氏の意見を全面的に信ずるのもどうか、ということにもなる。しかしここは、やはり科学者である左巻氏の意見を尊重したい。相手が、「発掘、あるある大辞典」では、話にならない。

 左巻氏も書いているが、本当の問題は、こうしたニセ科学にあるのではなく、「人はなぜ、
ニセ科学を信ずるのか?」という部分。

 もうひとつ、こんな例をあげている。

(2) 容器に入った水に向けて、「ありがとう」と「ばかやろう」の「言葉」(文字)を書いた紙を張り、その水を凍らせる。

すると「ありがとう」の水は、対称形の美しい六角形の結晶に成長し、「ばかやろう」の水は、崩れた汚い形の結晶になるか、ならない。

ゆえに「水が言葉を理解する」と主張する『水からの伝言』(江本勝著)という本が話題になった。

水という物質が、言葉によって影響を受けるということはない(同書)、と。

 こんなアホなことは、だれにでもわかる。何も、左巻氏の説明を借りるまでもない。しかし、だ。こんなアホな説を根拠に、教育界でも、「きれいな言葉を使いましょう」運動が広まったという。

 理由は、「人間の体の6~7割は水だから」と。が、批判が高まると、「それに加担した教育団体は、ホームページからその授業案を削除したが、いまもどこかで、こうした(道徳)の授業が行われている」(同書)と。

 しかし、『水からの伝言』とは何か? 江本勝という人物は、どんな人物なのか? 少し前、麻薬を所持していて逮捕された教育評論家がいた。彼は以前、「子どもにはナイフを持たせろ」「親が子どもを信頼している証になる」と説いていた。

 その教育評論家は、都会で子どもたちによるナイフ殺傷事件がつづくと、いつの間にか、自説をひっこめてしまった。私は、左巻氏の意見を読みながら、その教育評論家のことを思い浮かべていた。

 で、さっそくヤフーの検索エンジンを使って調べてみると、それは、そこにあった。

いわく、「私たちは、水の結晶写真技術に基づいて、愛・感謝の気持ちが水を美しく変化させるということを、実証してきました。水をきれいにすることにより、私たちの心身もきれいになり、健康を取り戻し、本来持っている才能を開花することができるのです。水が変われば世界が変わります。いっしょに波動と水の可能性を探究しましょう」(「水からの伝言」HPより)と。

 どうやら、本気らしい。

 しかし……? 「?」マークを、1ccあたりに存在する水の分子の数ほど、つけたい。その数は、約3x10の22乗!(ヤフー・知恵袋参照)

 数字で表してみると、こうなる。

300,0000,0000,0000,0000,0000個!

 しかし、左巻氏ではないが、どうして人は、こんな珍説を信ずるのだろう。あの占星術にしても、そうだ。科学性は、さらに低い! ゼロどころか、ゼロにもならない!

 これも教育の欠陥といえば、それまでだが、その先には宗教があり、カルトもある。けっして、軽く考えてはいけない。

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 Hiroshi Hayashi education essayist writer Japanese essayist ニセ科学 非科学 納豆ダイエット マイナスイオン マイナス・イオン 水からの伝言 水の結晶)

++++++++++++++++

「みんな、もっと自分の頭で考えよう」。
それがこのエッセーの結論ということになる。

……しかし今回の一連のデモ騒動を見ながら、
いちばんそれを喜んでいるのは、実は、テレビ局
自身ではないかとも思った。

改めてテレビのもつ力を、再認識した……。
うまく操れば、民衆全体を洗脳することができる。
思うがまま操ることができるようになる、と。
(実際、すでに操られているが……。)

とても恐ろしいことだが……。

*The Ability ion my Language

●『告発のとき』+言葉感覚
My ability in my language has been getting worse?

++++++++++++++++

トミー・リー・ジョーンズ主演の映画、
『告発のとき』を見てきた。

原題は『In the Valley of Elah』?

さらに原題は、『Death and Dishonor』?
『Death and Dishonor』は、雑誌・プレイボーイに
掲載されたときの原題。

「死と不名誉」という意味である。

どうであるにせよ、『告発のとき』という題名は、
おかしい?
映画の内容と一致しない?

映画を見終わったあと、「どうしてそんな題名なのか?」と思った。
そう思ったところで、私の思考は停止状態になってしまった。

(あるいは私の言葉感覚がおかしいのかもしれない。)

内容は、「アメリカで怒った実在の事件を
モデルにした人間ドラマ」(Anemo
Movie・HP)だ、そうだ。

同じHPには、つぎのようにある。

「……退役軍人(トミー・リー・ジョーンズ)の息子(ジョナサン・タッカー)は、イラクの最前線からアメリカに帰国した直後に、軍隊から脱走する。地元警察の捜査官(シャーリーズ・セロン)の助けを借りて、父は息子を探しだそうとするが、そこにはある秘密が隠されていた。真実を追い求めるにつれて、父親の知らない息子の素顔が明らかになっていく……」(同HP)と。

「秘密」といえば、秘密ということになるが、
しかし「告発」という言葉とは、どう考えても
結びつかない。

その映画を見てから、今日で3日目になるが、
いまだに、その疑問が解けないでいる。

どうして『告発のとき』なのか?
原題の『イーラの谷で』でもよかったのでは?
あるいはプレイボーイ誌に載った、『死と不名誉』でも
よかったのでは?

ただし、私がスクリーン上で見た原題(英文)は、
別のものだったように気がする。
だれかの個人名を含んだ原題だったように
記憶している。

(このあたりがあいまで、ゴメン!)

ともかくも、『告発のとき』を見てきた。
星は、3つの★★★。

よい映画だとは思うが、娯楽映画ではない。
(Anemo Movie)が解説しているように、
「人間ドラマ」。

私は基本的には、娯楽映画を好む。
劇場まで、お金を払って見に行く以上、
それなりに楽しみたい。
ハハハと笑いながら、楽しみたい。

というわけで、深刻な映画は、どうも肌に合わない。

その映画についても、全体としてみると、退廃的で、殺伐としている。
殺人、麻薬、酒、女……、と。

で、星は、3つ。
2つでもいいかな……?

私が「やっぱり、インディ・ジョーンズのほうにすればよかった」
と言うと、ワイフも、「そうね。次回の楽しみよ」と応じてくれた。

……しかしどうしてインディ・ジョーンズは、
あれほどまでにはげしい戦闘を経験しながら、
PTSD(心的外傷後ストレス障害)にならないのだろう?

屈強なアメリカ兵でも、インディ・ジョーンズの
ような経験をしたら、数日で、PTSDになってしまうだろう。
『告発のとき』の中のマイク(息子)のように……。

ついでながら、時事通信は、たまたま今日、こんな事実を
伝えている(6月30日)。

+++++++++++以下、時事通信より抜粋+++++++++++++

【ワシントン29日時事】米陸軍で昨年自殺した兵士は、前年より約13%増の115人だったことが29日、わかった。1990年以降最悪という。米主要メディアが伝えた。

 イラクやアフガニスタンでの戦いが長期化し、兵士の心的外傷後ストレス障害(PTSD)が深刻化。米国防総省内では対策が緊急の課題となっている。

 陸軍の調査では、43%が帰国後に、24%が最初の派遣で自殺していた。自殺者には州兵と予備役も含まれている。また、935人が自殺を試みた。

+++++++++++以上、時事通信より抜粋+++++++++++++

戦争は、純朴な若者を、悪魔へと変えていく。
『告発のとき』という映画は、それを私たちに
伝えたかったのだろう。

それはよくわかるが……。

++++++++++++++++

●私の言葉感覚

++++++++++++++++

私の言葉感覚がおかしいのか?
それとも、世間一般の言葉感覚の
ほうが、おかしいのか?

「言葉感覚」という話が出たので、
ついでに、こんな話も書いてみたい。

++++++++++++++++

私の言葉感覚がおかしいのか?
それとも、世間一般の言葉感覚の
ほうが、おかしいのか?

まず、つぎの文章(詩)を読んで
みてほしい。

この詩は、ある青年が、26歳
のとき、書いたものである。
そのまま紹介する。

++++++++++++++++

わたくしといふ現象は
仮定された有機交流電燈の
ひとつの青い証明です
(あらゆる透明な幽霊の複合体)
風景やみんなといっしょに
せはしくせはしく明滅しながら
いかにもたしかにともりつづける
因果交流電燈の
ひとつの古い照明です
(ひかりはたもち その電燈は失はれ)

これらは二十二箇月の
過去とかんずる方角から
紙と鉱質インクをつらね
(すべてわたしと明滅し
みんなが同時に感ずるもの)
ここまでたもちつゞけられた
かげとひかりのひとくさりづつ
そのとほりの心象スケッチです

これらについて人や銀河や修羅や海胆は
宇宙塵をたべ または空気や塩水を呼吸しながら
それぞれ新鮮な本体論もかんがへませうが
それらも畢竟こゝろのひとつの風物です
たゞたしかに記録されたこれらのけしきは
記録されたとほりのこのけしきで
それが虚無ならば虚無自身がこのとほりで
ある程度まではみんなに共通いたします
(すべてがわたしの中のみんなであるやうに
みんなのおのおののなかのすべてですから)

++++++++++++++++

失礼があってはいけないので、一字一句、誤りがないように、
私自身がタイプして転写してみた。

この詩について、ある女性は「電撃に打たれた
ような衝撃と感動を覚えた」と書き、また
別の男性は、「人と人の交流の大切さを教える
すばらしい詩」と評している。

ウィキペディア百科事典の中にも、「特筆すべきは、
作者の特異で旺盛な自然との交感力である」とある。

私は、「フ~~ン」と思っただけで、そのあとの
言葉がつづかない。

もし私の身近で、こういう詩を書く人がいたら、
私は、まずその人の脳みその状態を疑うだろう(失礼!)。
相手が中学生か高校生だったら、「C」をつけた上、
書きなおしを勧めるかもしれない。

それとも私の言葉感覚がおかしいのか?

もちろんこんなことを書けば、私の脳みその状態の
ほうが疑われる。

そこで再度、この詩を読みなおしてみる。
(読者のみなさんも、どうか読みなおしてみてほしい。)

私以外の人たちは、「すばらしい」「すばらしい」と
この詩を賞賛する。
が、私には、どうにもこうにも理解できない。
理解できないばかりか、読めば読むほど、
気が変になっていくようにすら感ずる。

読者のみなさんは、どうであろうか?

ということで……実は、この詩は、あの宮沢賢治
(1896~1933)が、26歳のときに書いたものである。
出典は「春と修羅」序文。

ウィキペディア百科事典には、つぎのようにある。

『詩集では制作日として(1922・4・8)という注記がある(賢治の場合、発表までの間に何度も書き直しを行う場合がほとんどであるため、第一稿を着想ないしは執筆した日付と考えられている)。また、タイトルに“mental sketch modified”という副題が付されている。なお、本詩集中の「青い槍の葉」「原体剣舞連」にも同じ副題が付いている』と。

この詩のみならず、私は同じような印象を、
あの『注文の多い料理店』を読んだときにも、もった。

『二人の若い紳士が、すっかりイギリスの兵隊のかたちをして、ぴかぴかする鉄砲をかついで、白熊のような犬を二疋つれて、だいぶ山奥の、木の葉のかさかさしたとこを、こんなことを云いながら、あるいておりました。

「ぜんたい、ここらの山は怪しからんね。鳥も獣も一疋も居やがらん。なんでも構わないから、早くタンタアーンと、やって見たいもんだなあ……」という、あの『注文の多い料理店』である。

みなは「すばらしい」「すばらしい」と絶賛する。
学校で使う教科書にも載っている。
英文のみならず、いろいろな言語に翻訳されて、世界中に紹介されている。

さらに宮沢賢治個人については、記念館もある。
作品館もある。
宮沢賢治の作品を研究する学会まである。

そういう宮沢賢治のような「国民的作家」(某HP)の
代表作に「?」マークをつけるのは、たいへん勇気の
いることである。

むしろ私のほうが、袋叩きにあってしまう。
あの『注文の多い料理店』にしても、「宮沢賢治が、
都会から来たハンターに敵意をもっていたことがわかる、
秀作」(某HP)というのが、一般的な評価である。

やはり私は、「フ~~ン」と思っただけで、そのあとの
言葉がつづかない。

もう一作、『春と修羅』より、紹介する。

+++++++++++++++

心象のはいいろはがねから
あけびのつるはくもにからまり
のばらのやぶや腐植の濕地
いちめんのいちめんの諂曲(てんごく)模様
(正午の管楽(くわんがく)よりもしげく
 琥珀のかけらがそそぐとき)
いかりのにがさまた青さ
四月の気層のひかりの底を
唾(つばき)し はぎしりゆききする
おれはひとりの修羅なのだ
(風景はなみだにゆすれ)
碎ける雲の眼路(めじ)をかぎり
 れいらうの天の海には
  聖玻璃(せいはり)(せいはり)の風が行き交ひ
   ZYPRESSEN春のいちれつ
    くろぐろと光素(エーテル)(エーテル)を吸ひ
     その暗い脚並からは
      天山の雪の稜さへひかるのに
      (かげらふの波と白い偏光)
      まことのことばはうしなはれ
     雲はちぎれてそらをとぶ
    ああかがやきの四月の底を
   はぎしり燃えてゆききする
  おれはひとりの修羅なのだ
  (玉髄の雲がながれて
   どこで啼くその春の鳥)
  日輪青くかげろへば
   修羅は樹林に交響し
    陥りくらむ天の椀から
    黒い木の群落が延び
      その枝はかなしくしげり
     すべて二重の風景を
    喪神の森の梢から
   ひらめいてとびたつからす
   (気層いよいよすみわたり
    ひのきもしんと天に立つころ)
草地の黄金をすぎてくるもの
ことなくひとのかたちのもの
けらをまとひおれを見るその農夫
ほんたうにおれが見えるのか
まばゆい気圏の海のそこに
(かなしみは青々ふかく)
ZYPRESSENしづかにゆすれ
鳥はまた青ぞらを截る
(まことのことばはここになく
 修羅のなみだはつちにふる)
あたらしくそらに息つけば
ほの白く肺はちぢまり
(このからだそらのみぢんにちらばれ)
いてふのこずえまたひかり
ZYPRESSENいよいよ黒く
雲の火ばなは降りそそぐ

++++++++++++++

一説によると、宮沢賢治自身は、生きている間は、
著作による収入は、ほとんどなかったと言われている。
彼が有名になるのは、むしろ死んだあとからのことらしい。

ウィキペディア百科事典にも、「死の直後から、
主に草野心平の尽力により、多数の作品が刊行された」とある。

どうであるにせよ、やはり私の言葉感覚のほうが、
おかしいようである。

ただ私のワイフだけは、こう言った。
「私たちは作られた虚像に振り回されているだけじゃ、ないの?」と。

そうかもしれない。
そうでないのかもしれない。

……それとも私やワイフの脳みその能力が低下したの
かもしれない。

あとの判断は、読者の皆さんに任せる。

+++++++++++++++++

●再び『告発のとき』

結論というわけでもないが、私は、どうしても
『告発のとき』というタイトルに違和感を覚えてしまう。

どうして『告発のとき』なのか?

フ~~ン。

やはり私の言葉能力のほうが、おかしいのかもしれない。
あるいは少しボケてきた?
そういう心配もあるので、よけいに気になるのかもしれない。

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 Hiroshi Hayashi education essayist writer Japanese essayist 宮沢賢治 春と修羅 注文の多い料理店 告発のとき はやし浩司 言葉感覚 言語能力 言語感覚)

Friday, June 27, 2008

*Game Addiction

●Game Addiction Similar to Autism
(ゲーム中毒は、自閉症に似ている)

+++++++++++++++++++++++

イギリス心理学学会は、つぎのような研究結果を
公表している(2008年4月3日)。

つまりビデオゲームに中毒的な兆候を見せる人は、高機能自閉症の症状に似た振る舞いを見せる、と。

++++以下、「The British Pyschological Society」HPより、要約++++++

Research presented at the British Psychological Society's Annual Conference this week suggests that people who show signs of being addicted to videogames exhibit many of the same symptoms as those with Asperger's syndrome, a form of high-functioning autism.

The University of Bolton's Dr. John Charlton and Ian Danforth of Whitman College questioned 391 gamers, focusing on the relationships (if any) between addiction, "high engagement" and personality. "Our research supports the idea that people who are heavily involved in game playing may be nearer to autistic spectrum disorders than people who have no interest in gaming," said Charlton.

ボルトン大学の研究者らによると、「過度にゲームに熱中する人は、そうでない人よりも、自閉症スペクトラムに、より近いということがわかった」という。

The more intense the gaming addiction, the more likely the subject was to display three character traits commonly associated with Asperger's: neuroticism, a lack of agreeableness, and a lack of extroversion. In other words, people who do nothing but play videogames tend to be obsessive, shy, and unpleasant. Well, duh.

たとえば(過度にゲームに熱中する人は)、アスペルガーに似た3つの症状を示す。(1)神経症、(2)同調性の欠如(a lack of agreeableness)、(3)外向性の欠如(内向性)(a lack of extroversion)。

Those afflicted with Asperger's often have trouble relating to other people, finding themselves unable to pick up on subtle social cues or understand humor. Charlton and Danforth believe that gaming addicts have similar difficulties, and find it easier to relate to games than to real people.

アスペルガーでは、他者との関わりにおいて、しばしばトラブルを起こす。たとえば微妙な問題や、ユーモアが理解できない、など。
研究者らは、ゲーム中毒の人も、同じような問題をもっていると信じている。

Charlton and Danforth aren't suggesting that gaming addiction is also a form of autism, merely that those who can't put down the controller are "nearer to the non-empathising, systemising, end of the spectrum," along with "engineers, mathematicians and computer scientists." Well, at least they're in fairly brainy company.

ゲーム中毒が自閉症を引き起こすということではない。ただゲーム中毒の人は、技師、数学者、コンピュータ科学者と並んで、他人に対して、共鳴性が欠落(the non-empathising, systemising)しやすいということ。

++++以上、「The British Pyschological Society」HPより、要約++++++

ゲーム中毒が、自閉症を引き起こすということではない。
(近年、自閉症の原因は先天的なもので、後天的な環境によるものではないという説が、定説化している。)
しかしゲームに夢中になりすぎると、自閉症スペクトラムに似た症状が現われるということらしい。
「スペクトラム(濃淡の幅)」というのは、自閉症といっても、幅が広く、症状も千差万別であることをいう。

隣の韓国では、ゲームも含めて、ネット中毒が、社会問題化している。
学校ごとにカウンセラーも配置し、子どもの指導にあたっている。
が、この日本では、いまだに野放し。
いいのか、日本!
このままで!

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 Hiroshi Hayashi education essayist writer Japanese essayist ゲーム中毒 ネット中毒 自閉症 自閉症スペクトラム)

Plagiaism Doubt in the case of Wahei Tatematsu

●盗作事件・立松W氏のばあい(Plagiarism doubt by Wahei Tatematsu)
Wahei Tatematsu, a well-known writer in Japan, plagiarized someone’s else book in 1993 and this time again. When his plagiarism was disclosed, he was crying against TV monitors, “I was forgiven (by the author)”. This is not the matter which may be forgiven or not forgiven. Whatever he is, he is such a writer on such a level.

++++++++++++++++

テレビ画面に向かって、「許してもらえました」と、
泣きじゃくっていた。
当時の立松W氏は、そういう作家だった。

盗作を、「許してもらえた」というのも、おかしな
話である。
相手に「許してもらう」とか、「許してもらえない」とか、
そういうレベルの問題ではない。

ことの発端は、『1993年に、小説「光の雨」を
文芸誌に連載中、小説が連合赤軍事件の坂口H死刑囚の
自伝的著作に、酷似していた』(毎日新聞)こと。

坂口H氏の支援者たちは、「盗用だ」と、立松W氏に、抗議した。
で、立松W氏は、坂口氏と直談判。
冒頭の謝罪会見となった。

が、それから15年。

今度は、『小説「二荒(ふたら)」(新潮社)の記述の一部が、
栃木県日光市職員、福田Kさんの著書「日光鱒釣紳士物語」
(山と渓谷社)と類似していることが分かった』(同紙)という
(08年6月27日)。

『「二荒」は、日光市を舞台に、実在の人物をモデルにした、
恋愛小説。昨年9月に刊行され、今年2月、福田さんが、
自分の本に似ていると指摘。新潮社が調査したところ、
第2章の冒頭、登場人物のせりふなどが、福田作品の
創作部分と似ていた。新潮社は「参考文献として挙げて
いたものの、参考の域を超えて使用していると判断せざるを
得ない」と、4月末に絶版を決めた』(同紙)という。

++++++++++++++

同じ盗作でも、有名な人が、無名の人の作品を盗作するというのは、
タチが悪い。
許せない。

立松W氏は、自然派作家を売り物にしているが、どこかウサン臭い。
テレビ画面に向かって泣きじゃくる、あの顔を見ながら、私は
そう感じた。

(当時の私は、泣きじゃくるという、その子どもじみた様子に
驚いたが……。)

で、今回の盗作疑惑。

今度は、日光市の職員、福田Kさんの著書から。

こうした盗作が発覚するのは、偶然に、さらに偶然が重なった
ばあいのみである。
つまりめったに発覚することはない。
言いかえると、2度も発覚したということは、立松W氏は、
かなり常習的に盗作を繰りかえしていたとみてよい。

というのも、これは(もの書き)と呼ばれる人たちの共通の心理と
言ってもよい。
自分の名誉にかけて、盗作だけはしたくないというブレーキが、常に働く。

「一度、したら、おしまい」というプレッシャーもある。
つまり私のような、まったく無名の(もの書き)ですら、
いつも心のどこかで、それを念じながら、ものを書く。

いわんや、立松W氏のような、有名な作家だったら、なおさら。
盗作すれば、発覚する可能性は、はるかに高い。

が、そのブレーキは、ない人にはない。
自分の文章であろうが、他人に文章であろうが、それを平気で
金儲けにつなげていく。

新潮社が、「参考文献として挙げていたものの、参考の域を超えて、
使用していると判断せざるを得ない」、そのため、「絶版を決めた」と
判断したほどだから、盗作と断定してよい。

が、立松W氏には、そのブレーキが働かなかった?
「たまたま今回、一度だけ」という弁解は、もう通用しない。

作家が、盗作をするというのは、教師が女子トイレをのぞき見る
ようなもの。
一方でいくら高邁な教育観を説いても、その時点で、作家生命は
終わる。

さあ、どうする、立松W氏?

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 Hiroshi Hayashi education essayist writer Japanese essayist Plagiarism doubt Wahei Tatematsu Tatematu立松和平 盗作疑惑 盗作作家)

Thursday, June 26, 2008

*The Difference of Consciousness between USA and Japan

【日本人にとっての、拉致問題】

●意識のズレ(A difference in consciousness)(To: USA Embassy of Japan)
Ms. C. Rice of the White House has apparently got a different consciousness from ours. She seems to be a very smart lady but she believes in herself too much and has no ears to listen to the voices of other world. It is OK for her to believe that she is right, but it is not OK for her to think all except her are wrong. She has not yet recognized that she has destroyed the relationship between Japan and USA. Here I’d like to explain about the difference of consciousness between two countries.

++++++++++++++

意識のちがいというのは、
相対的なもの。

こちらが相手の意識はおかしいと
思っているときは、相手もまた、こちらの
意識はおかしいと思っているもの。

大切なことは、そうした意識の
ちがいを感じたら、たがいに
認めあうこと。

それができる人を、協調性の
ある人といい、人格の完成度が
高い人という。

意識のちがいを説明する前に、
まずつぎの原稿を読んでほしい。

もうこの原稿を書いてから、
10年になる。

+++++++++++++

●忠臣蔵論

 浅野さん(浅野内匠頭・あさのたくみのかみ)が、吉良さん(吉良上野介・きらこうずけのすけ)に、どんな恨みがあったかは知らないが、ナイフ(刀)で切りかかった。傷害事件である。

が、ただの傷害事件でなかったのは、何といても、場所が悪かった。浅野さんが吉良さんに切りかかったのは、もっとも権威のある場所とされる松之大廊下。今風に言えば、国会の廊下のようなところだった。浅野さんは、即刻、守衛に取り押さえられ、逮捕、拘束。

 ここから問題である。浅野さんは、そのあと死刑(切腹)。「たかが傷害事件で死刑とは!」と、今の人ならそう思うかもしれない。しかし300年前(元禄14年、1701年)の法律では、そうなっていた。

が、ここで注意しなければならないのは、浅野さんを死刑にしたのは、吉良さんではない。浅野さんを死刑にしたのは、当時の幕府である。そしてその結果、浅野家は閉鎖(城地召しあげ)。今風に言えば、法人組織の解散ということになり、その結果、429人(藩士)の失業者が出た。

自治体の首長が死刑にあたいするような犯罪を犯したため、その自治体がつぶれた。もともと何かと問題のある自治体だった。わかりやすく言えばそういうことだが、なぜ首長の交代だけですませなかったのか? 少なくとも自治体の職員たちにまで責任をとらされることはなかった。……と、考えるのはヤボなこと。

当時の主従関係は、下の者が上の者に徹底的な忠誠を誓うことで成りたっていた。今でもその片鱗はヤクザの世界に残っている。親分だけを取り替えるなどということは、制度的にもありえなかった。

 で、いよいよ核心部分。浅野さんの子分たちは、どういうわけか吉良さんに復讐を誓い、最終的には吉良さんを暗殺した。「吉良さんが浅野さんをいじめたから、浅野さんはやむにやまれず刀を抜いたのだ」というのが、その根拠になっている(「仮名手本忠臣蔵」)。そうでもしなければ、話のつじつまが合わないからだ。

なぜなら繰り返すが、浅野さんを処刑にしたのは、吉良さんではない。幕府である。だったら、なぜ浅野さんの子分たちは、幕府に文句を言わなかったのかということになる。「死刑というのは重過ぎる」とか、「吉良が悪いのだ」とか。

もっとも当時は封建時代。幕府にたてつくということは、制度そのもの否定を意味する。自分たちが武士という超特権階級にいながら、その幕府を批判するなどということはありえない。そこで、その矛先を、吉良さんに向けた。

 ……日本人にはなじみのある物語だが、しかしオーストラリア人にはそうでなかった。一度、この話が友人の中で話題になったとき、私は彼らの質問攻めの中で、最終的には説明できなくなってしまった。ひとつには、彼らにもそういう主従関係はあるが、契約で成りたっている。つまり彼らの論理からすれば、「軽率な振るまいで、子分の職場を台なしにした浅野さん自身に、責任がある」ということになる。

 さてあなたなら、こうした疑問にどう答えるだろうか。彼らにはたいへん理解しがたい物語だが、その理解しがたいところが、そのまま日本のわかりにくさの原点にもなっている。「日本異質論」も、こんなところから生まれた。

++++++++++++

オーストラリアも、基本的には、白人の国。
しかしアメリカ人なら、もっと合理的に
ものを考えるだろう。

(1) なぜ浅野内匠頭の家臣たちは、復讐の矛先を、被害者である吉良上野介に向けたのか。

わかりやすく言えば、酒場で浅野さんが吉良さんにナイフで斬りかかった。
そのため浅野さんは、障害致傷罪で逮捕され、有罪になった。

浅野株式会社の社員たちは、吉良さんへの復讐を誓った。

(2) なぜ浅野内匠頭の家臣たちは、復讐劇へと走ったのか。

バカなことをして、逮捕されたのは、自分たちのボスである。だったら、第一義的には、ボスに、その責任を問えばよい。

つぎに死罪では罪が重すぎるというのであれば、裁判所もしくは、その上の政府に、抗議すればよい。「何がなんでも、ナイフを振り回したくらいのことで、切腹はないだろう」と。

(3) 吉良上野介を暗殺したところで、何が、どう解決するのか。

すでに浅野株式会社は、倒産している。社員たちは失業状態。そんな中、当の被害者である吉良さんを暗殺したところで、何が、どう変わるというのか。

社員たちは、浅野さんのことは早く忘れて、再就職を考えたほうがよい。

 が、この日本では、そうは考えない。とくに江戸時代の人たちは、そうは考えなかった。つまり、ここに意識のズレがある。

●アメリカ流合理主義のかたまり

 アメリカのC・ライス国務長官の一連の言動を見ていると、アメリカ合理主義のかたまりのような気がする。

 何もかも合理的なのだが、どこかピントがずれている。ときに狂信的であるようにさえ感ずる。中東問題にしてもそうだが、日本の拉致問題にしてもそうだ。

 だから、中東政策でも失敗。そして今度は、北朝鮮問題で失敗しようとしている。日本人に向かって、今ごろ「拉致問題は忘れない」は、ない。日本人の怒りというものが、どういうものか、まるでわかっていない。

 もっともC・ライス国務長官の脳みそでは、わからないだろうと思う。「自分たちの考え方がぜったい正しい」と思う、その返す刀で、「あなたがたにとっても、それがいちばん」と切りこんでくる。

 日本人には日本人の意識がある。

 ここに書いた忠臣蔵についても、合理的にものを考えれば、そうかもしれない。しかしあわせて日本には日本の歴史というものがある。それから生まれる民族意識というのも、ある。「忠臣蔵の家臣たちは、バカだった」と言われれば、日本人なら、みな、頭にカチンとくるだろう。

 アメリカ流の合理主義だけで、ものごとを考えてもらっては、困る。

 C・ライス国務長官、C・ヒル次官補の一連の言動を見ていると、では今までの日米同盟は何だったのか、と、そこまで考えてしまう。

 それほどまでに北朝鮮は重要な国なのか。譲歩に譲歩を重ね、ハードルをさげにさげてまで、国交を回復しなければならない国なのか。

 しかも最大の同盟国である日本を、裏切ってまで! 

 そういう点でも、意識のズレというのは、恐ろしい。いや、ズレがあるならあるで、しかたのないこと。C・ライス国務長官は、もう少し、日本人のもつ意識に耳を傾けてほしい。頭のよい人かもしれないが、あなたの人格の完成度は、残念ながら、きわめて低い。

+++++++++++++++

もう一作、「世にも不思議な留学記」
からの原稿を紹介します。

意識のズレについて、もう一歩
踏み込んで理解していただければ、
うれしいです。

+++++++++++++++

●珍問答

 私の部屋へは、よく客がきた。「日本語を教えてくれ」「翻訳して」など。中には、「空手を教えてくれ」「ハラキリ(切腹)の作法を教えてくれ」というのもあった。あるいは「弾丸列車(新幹線)は、時速150マイルで走るというが本当か」「日本では、競馬の馬は、コースを、オーストラリアとは逆に回る。なぜだ」と。さらに「日本人は、牛の小便を飲むというが本当か」というのもあった。話を聞くと、「カルピス」という飲料を誤解したためとわかった。カウは、「牛」、ピスは、ズバリ、「小便」という意味である。

●忠臣蔵論

 が、ある日、オリエンタルスタディズ(東洋学部)へ行くと、4、5人の学生が私を囲んで、こう聞いた。「忠臣蔵を説明してほしい」と。いわく、「浅野が吉良に切りつけた。浅野が悪い。そこで浅野は逮捕、投獄、そして切腹。ここまではわかる。しかしなぜ、浅野の部下が、吉良に復讐をしたのか」と。加害者の部下が、被害者を暗殺するというのは、どう考えても、おかしい。それに死刑を宣告したのは、吉良ではなく、時の政府(幕府)だ。刑が重過ぎるなら、時の政府に抗議すればよい。また自分たちの職場を台なしにしたのは、浅野というボスである。どうしてボスに責任を追及しないのか、と。

 私も忠臣蔵を疑ったことはないので、返答に困っていると、別の学生が、「どうして日本人は、水戸黄門に頭をさげるのか。水戸黄門が、まちがったことをしても、頭をさげるのか」と。私が、「水戸黄門は悪いことはしない」と言うと、「それはおかしい」と。

 イギリスでも、オーストラリアでも、時の権力と戦った人物が英雄ということになっている。たとえばオーストラリアには、マッド・モーガンという男がいた。体中を鉄板でおおい、たった一人で、総督府の役人と戦った男である。イギリスにも、ロビン・フッドや、ウィリアム・ウォレスという人物がいた。

●日本の単身赴任

 法学部でもこんなことが話題になった。ロー・スクールの一室で、みながお茶を飲んでいるときのこと。ブレナン法学副部長が私にこう聞いた。「日本には単身赴任(当時は、短期出張と言った。短期出張は、単身赴任が原則だった)という制度があるが、法的な規制はないのかね?」と。そこで私が「何もない」と答えると、まわりにいた学生たちまでもが、「家族がバラバラにされて、何が仕事か!」と叫んだ。

 日本の常識は、決して世界の常識ではない。しかしその常識の違いは、日本に住んでいるかぎり、絶対にわからない。が、その常識の違いを、心底、思い知らされたのは、私が日本へ帰ってきてからのことである。

●泣き崩れた母

 私がM物産という会社をやめて、幼稚園の教師になりたいと言ったときのこと、(そのときすでにM物産を退職し、教師になっていたが)、私の母は、電話口の向こうで、オイオイと泣き崩れてしまった。「恥ずかしいから、それだけはやめてくれ」「浩ちゃん、あんたは道を誤ったア~」と。

だからといって、母を責めているわけではない。母は母で、当時の常識に従って、そう言っただけだ。ただ、私は母だけは、私を信じて、私を支えてくれると思っていた。が、その一言で、私はすっかり自信をなくし、それから30歳を過ぎるまで、私は、外の世界では、幼稚園の教師をしていることを隠した。一方、中の世界では、留学していたことを隠した。どちらにせよ、話したら話したで、みな、「どうして?」と首をかしげてしまった。

 が、そのとき、つまり私が幼稚園の教師になると言ったとき、私を支えてくれたのは、ほかならぬ、オーストラリアの友人たちである。みな、「ヒロシ、よい選択だ」「すばらしい仕事だ」と。その励ましがなかったら、今の私はなかったと思う。
 
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 Hiroshi Hayashi education essayist writer Japanese essayist 意識のズレ 浅野内匠頭 吉良上野介 忠臣蔵 意識論)

*June 27th, 2008

【6月27日】(June 27th, 2008)

●引っ越し(Shifting)
Soichi started his job at the university on Monday. My classes start in
a couple of weeks. The kids like it here. Bloomington seems to be a
nice town with a lot of cultural influences.

++++++++++++++

誠司(孫)の家族が、それまでの
アーカンソー州から、今度は、
インディアナ州へと、引っ越した。

新しい住所(家)も決まったらしい。
今朝、その連絡が届いた。

新しい住所は、
インディアナ州、ブルーミングトン。

デニーズ(=嫁さん)は、2、3週間後
から、インディナ州立大学の
ロー・スクールに通い始めることになっている。

息子は、同じ大学の中で、コンピュータ
技師として働くことになっている。

……こういうことが、自由にできるところが、
すばらしい。
プラス、うらやましい。

デニースは、全額、学費を、奨学金で
まかなうという。

一方、息子は、一度は、主夫業を覚悟した。
2人の子どもが、まだ幼いからである。

そういうことも配慮してくれたのかどうかは
知らないが、大学側が、二男を雇ってくれた。
ゆるやかな勤務態勢で、子育てにも支障は、
ないそうだ。

日本的に言えば、「夫が妻のために、犠牲になる」
ということだが、息子夫婦には、そういう発想は
まったくない。

この前日本へ来たとき、息子は、こう言っていた。
「デニーズの夢をかなえさせてあげたい」と。

そのため息子は、カルフォルニアにあるグーグル社
への入社を断念した。
息子には息子の、コンピュータ技師としての
夢があった。

私の気持ちは、複雑だった。
「嫁というのは、自分の娘と考えてよいのか、
それとも、基本的には他人なのか」と。
しかし孫の誠司と、芽衣を起点にものを考えたとき、
その迷いは氷解した。

繰りかえしになるが、……こういうことが、
自由にできるところが、すばらしい。
プラス、うらやましい。

「やっぱり、アメリカだなア」と思う。

この日本で、一介の家庭の主婦が司法試験に
合格して、弁護士をめざすというようなことは、
考えられるだろうか?

しかも子育て真っ最中の主婦が!

加えてデニーズは、首席で卒業はしている
ものの、文学部出身である。

そのことを二男に確かめると、二男は、
こう教えてくれた。

「デニーズは大学でのスコア(成績)が
よかったら、合格できた」と。
しかしそれだけではないと思う。

そのデニーズについて、息子が、こんな
BLOGを書いている。

++++++++++++++

この前結婚したばかりのような気がしていたのだけど、今月でもう結婚生活6年目になる。

今日友達の家族が行っているモルモン教の教会で、「トラック・オア・トリーティング」っていう、教会の駐車場でお菓子を配るイベントがあったので、家族を連れて行ってきた。今年の誠司はカウボーイ、芽衣は数年前、誠司が嫌がって着てくれなかったスーパーマンの衣装を、「スーパーガール」ということにして無理やり着せて行くことにした。(明日のトリック・オア・トリーティングでもこの衣装にする予定。)

早めに行ったのだけど、もうすでにキャンディーがなくなりかけているトラックがあった。それを見てディニースが、「キャンディーは誠司だけもらうことにして、芽衣のはいらないわ。他の子供達がキャンディーをもらえなくなってしまうから」と言った。

僕はこういう妻が誇りに思えてならない。他人のことをまず先に思いやり、どんなにくだらない約束でも必ずそれを守る。道徳とか、誠実さとか、そういうのはいくら本を読んで考えても、誰かから話を聞いても、簡単に身に付けられるような物ではないと聞く。しかし彼女の日ごろの何気ない行動にはいつも色々教えられてばかりだ。

これからも彼女と一緒に生きていきたい。

+++++++++++++++

当初は、「アメリカ人の女性だから……」と
思ったこともないわけではない。
しかしデニーズの誠実さは、私も直接、
肌で感じている。

いつも私にワイフにこう言っている。
「あんな誠実な女性を、ぼくは知らない」と。

きっとすばらしい弁護士になることだろう。
これから2年間、きびしい勉学が待っている。

がんばれ、デニーズ!


Hiroshi Hayashi++++++++jun.08++++++++++はやし浩司

●感想(Impressions)

+++++++++++++++++++++

人はなぜ生きるか……?
私のばあい、なぜ、こうして毎日ものを書いているか……?
それは、私が今生きているという感動を、
ほかのだれかと共有するためではないか。

もしそれがなかったら、私はただの抜け殻。
死の待合室で、死を待つ、ただの老人。

+++++++++++++++++++++

昨日、家に帰ると、先日掛川市の保健センターで
した講演の感想記が届いていた。

遅い夕食を食べながら、それを読んだ。
ジンと胸が熱くなった。
うれしかった。

このところ日程が合わなくて、講演を断ることが
多くなった。
体力的な限界を感ずることもある。

そうそう、私はどんな講演でも、引き受けたときは、
その数日前から、コンディションを整えるため、
運動量をふやすことにしている。
ボンヤリとした頭では、講演はできない。

いつも真剣勝負。

感想記を届けてくれた、KSさん、ありがとう!

本当にうれしかったです。

(感想記は、HPの講演の記録のところに
掲載しておきます。)

Wednesday, June 25, 2008

*Hideyoshi & Hamamatsu-city

●秀吉と浜松(Hideyoshi & Hamamatsu)
Do you know the fact that Hamamatsu city has produced many well-known people such as Honda, Suzuki and Toyota. Tokugawa-Ieyasu once lived in this city. But few know that Hideyoshi lived here for three years when he was about 15 years old.

私が住む浜松市は、不思議な町である。
古くは徳川家康の住んだ町として知られている。
そのため浜松城は、別名、「出世城」と呼ばれている。

現在にいたっては、ホンダ、スズキ、それにトヨタの創始者は、
すべて、この浜松市周辺で生まれ育っている。

が、忘れてならない人物に、もう1人、いる。
豊臣秀吉である。

「当時、15歳だった秀吉は、生まれ故郷を飛び出して、
行商をしながら東海地方を転々としていた。

そして浜松で、松下加兵衛(かへい)と出会う。
江戸時代に書かれた『太閤記素性記』によれば、
加兵衛はそのとき、『猿かと思えば人、人かと思えば猿』
という印象を秀吉に抱いたという」(日本史・河出書房新社)
とある。

そのあとの話は省略するが、もしこのとき秀吉が加兵衛に
会っていなければ、その後の秀吉は、いなかったと
断言してもよい。

秀吉は加兵衛に、3年間奉公し、生まれ故郷の尾張に帰っていく。
つまり、秀吉も、この浜松に住んでいたことがある!

なお秀吉は天下を取ったあと、「……そこで1585年(天正13)ごろ、
秀吉は昔の恩に報いるため、加兵衛を招き、丹波国に2000石、伊勢国内に
1000石を与えた」(同書)そうだ。

秀吉と加兵衛、それに浜松とのつながりには、相当なものが
あったようだ。

……ということで、私も、この事実を、はじめて知った。

ついでながら、私を幼児教育の世界にはじめて導いてくれたのが、
恩師、故松下哲子(のりこ)先生である。
同姓であるところが、少し気になる。

フ~ン。

Tuesday, June 24, 2008

*To Ms. Rice and Mr. C. Hill

To Ms. C. Rice and Mr. C. Hill,(ライス氏とヒル氏へ)

According to this morning newspaper issued on June 26th, you mentioned that USA will not ignore the kidnappings by North Korea and will not forget about it. But should we say thank you for that?

The answer is NO! Both of you have already betrayed Japan so much and now again. Whatever you say, it sounds just vacant, since nothing has been solved by YOU. What you have done is just to give North Korea, time, money, oil and music. What did you receive? What did we receive? Mr. Fukuda, our Prime Minister of Japan has to start negotiating with G. Bush directly over these two pro-North Korean secretaries.

Ms. C. Rice and Mr. C. Hill, how much do you know about Asia and Asians? Here in Asia your American rationalism is not useful about everything. When you cancel the punishment toward North Korea, North Korea will get more reluctant to solve the problems of kidnappings. North Korea will try to cheat you again. Why can’t you know such an easy matter?

I know both of you have families inside USA, but when one of them is kidnapped by someone, what would you say? What would you do? We have been cheated by North Korea over and over again. Now you are about to be cheated too. Kim Jong Il is not such a person but only a tyrant, who have killed more than 200 thousand people inside his own country.

We. the Japanese, have been very much disappointed by USA as well as by YOU.

Hiroshi Hayashi, Hamamatsu, Japan June 25th, 2008

今朝の新聞によれば、ライス米国務長官は23日、北朝鮮の核計画の申告に伴い、同国へのテロ支援国家指定解除を近く米議会に通告することについて、「米国は日本人拉致事件を無視したり、忘れたりはしない」と述べ、北朝鮮に拉致事件の解決を迫る考えを示した。

これに対して日本は、感謝すべきなのか。
答は、「ノー」。

今まであなたがたは、さんざん日本を裏切っておきながら、今さら、こんな言葉はない。あなたがたのしたことは、北朝鮮に、時間と金と原油と、音楽を与えただけ。その結果、あなたがたは、何かを受け取ったのか? 日本は何かを受け取ったのか?

日本の福田首相は、ライス国務次官、ヒル次官補を越えて、ブッシュ大統領と直接交渉すべきである。

ライス氏、ヒル氏は、どこまでアジアのことがわかっているのか。ここアジアでは、アメリカ式の合理主義は、すべての面で有効であるとはかぎらない。もし北朝鮮への制裁を解除すれば、拉致問題は、ますます遠ざかってしまう。北朝鮮は、再び、あなたがたをだまそうとしている。どうしてこんな簡単なことがわからないのか。

この問題は、もしあなたがたの家族のだれかが、北朝鮮に誘拐されたらという視点で考えてほしい。私たちは、何度も北朝鮮にだまされた。金正日は、あなたがたの思っているような人物ではない。国内だけでも、20万人以上もの人たちを殺したという独裁者である。

私たち日本人は、あなたがたのみならず、アメリカ合衆国にたいへん失望しつつある。

*Violence of Words

●言葉の暴力

+++++++++++++++

先日、T市の教育会館で、講演を
させてもらった。
そのときのこと。

約束の時刻まで、まだ少し時間が
あったので、私とワイフは、その
あたりを歩いた。

裏手に、農業用の用水池があって、その
向こうは、新興の住宅団地になっていた。
緑の多い地域で、それ以前は、森で
あったらしい。

が、その団地に一歩、足を踏み入れて、
驚いた。
看板だらけ!

「建設反対」の旗にまざって、
「○○建設会社は、恥を知れ!」
「暴利会社、行く末は倒産!」
「地域住民は、お前たちを許さない!」と。

どうやらマンションの建設に反対している
人たちの看板らしい。

「地獄マンション」
「ここは不幸町1丁目」
「のぞき魔マンション、建設反対!」と。

さらにこんなのもあった。

「飛び降り自殺者、続出マンション!」
「呪われた死者の館(やかた)!」
「震度5で、倒壊マンション!」と。

もちろん大半は、ふつうの(?)看板。
その間にあって、ここに書いたような
手書きの看板が並んでいた。

しかしこうした看板は、ひとつまちがえば、
営業妨害になる。
それによって具体的に被害が認定されれば、
損害賠償請求事案の対象になる。

さらにマンションが完成し、入居する人たちが、
それによって精神的苦痛を味わえば、
慰謝料請求事案の対象にもなる。

地域の住民の人たちは、そういうことを
知っているのだろうか。
つまり、暴力にも二種類ある。

物理的な暴力と、言葉の暴力である。
精神的な苦痛という意味では、物理的な
暴力も、言葉の暴力も、同じ。
暴力は暴力。
こうした看板は、立派な暴力である。

私「かなり、こじれているみたいだね」
ワ「何が?」
私「住民と建設会社・・・」
ワ「そうね」
私「ここまでこじれると、あとがたいへんだね」
ワ「・・・シコリも残るでしょうね」
私「そうだね」と。

建設会社は、当然、法にのっとった手順を
踏んで、建設にとりかかっているはず。
となると、住民側の立場は、弱い。
特別な条例でもないかぎり、こうした建設を
止める手立てはない。

が、一方、こんなことも言える。
たしかに言葉の暴力だが、そういうことを
しなければならないところまで追い込まれた
住民の感情も、理解しなければならない。

こうした反対運動をするというだけでも、
かなりのエネルギーと神経を使う。
毎日、イライラしている人もいるだろう。
不眠に苦しんでいる人もいるだろう。
こうした運動から受ける精神的苦痛には、
相当なものがある。

直接的に不愉快な思いをしているのは、
住民の人たちである。

私「地域ぐるみで議会に働きかけて、環境
条例のようなものを制定してもらえばいい」
ワ「それによって、マンションの建設を
差し止めるわけね」
私「しかし、今からでは遅い。すでに一部
だが、建設が始まっているようだ。法には、遡及適用
の禁止※という大原則がある。過去にさかのぼって、
法を適用することはできない」

ワ「じゃあ、どうすればいいの?」
私「マンションを建設することによる被害を、
最小限に食い止めるしかない。たとえば8階建て
であったら、5階建てにしてもらうとか・・・」
ワ「でも、ここまでこじれていると、それも
むずかしいわね」
私「たぶん、ね」と。

しかし・・・。
言葉の暴力には、注意したほうがよい。
先にも書いたように、書き方をあやまると、
損害賠償、さらには、慰謝料請求事案の
対象になる。

看板のある家の人が、その責任を問われる。
「頼まれたから、看板を置いただけです」という
口実は、こういうケースでは、通用しない。

「看板」という手段を使って、公(おおやけ)
に向かってものを書くときには、じゅうぶん、
注意したほうがよい。

(注※)憲法39条に「何人も,実行の時に適法であった行為又は既に無罪とされた行為については刑事上の責任を問われない」と明記されている。
処罰規定を過去に遡って適用することは、一部の行政法上の手続きを除いて、原則として憲法違反ということになる。

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 Hiroshi Hayashi education essayist writer Japanese essayist 遡及適用 遡及適用の禁止 看板 言葉の暴力)

Monday, June 23, 2008

*Children who are like dolls (3)

【はやし浩司より、Vさんへ】

●代償的過保護

 親の過干渉、過関心、プラス過剰期待が、子どもをいかに苦しめるものであるか。親は、「子どものため」と思ってそうしますが、子どもにとっては、そうではないのですね。その苦しみは、苦しんだものでないと、わからないものかもしれません。

 発達心理学の世界にも、「代償的過保護」という言葉があります。一見、過保護なのだが、ふつう過保護には、それがよいものかどうかは別として、その基盤に親の愛情があります。その愛情が転じて、過保護となるわけです。が、中には、愛情のともなっていない過保護があります。それが「代償的過保護」ということになります。言うなれば、過保護もどきの過保護を、「代償的過保護」といいます。

 たとえば子どもを自分の支配下において、自分の思いどおりにしたいと思うのが、代償的過保護です。そして親自身が感ずる、不安や心配を、そのまま子どもにぶつけてしまう。

 「こんな成績で、どうするの!」「こんなことでは、A学校には、入れないでしょ!」「もっと、勉強しなさい!」と。

 その原因はといえば、親の情緒的未熟性、精神的欠陥があげられます。親自身が、心にキズをもっているケースもありますし、それ以上に多いのが、親自身が、自分の結婚生活に対して、何か、大きなわだかまりや不満をもっているケースです。

 わかりやすく言えば、満たされない夫婦生活に対する不満を、子どもにぶつけてしまう。自分の果たせなかった夢や希望を、子どもに求めてしまう。明けても暮れても、考えるのは、子どものことばかり、と。

 しかし本当に子どもの立場になって、子どもの心を理解しているかといえば、そういうことはない。結局は、自分のエゴを、子どもに押しつけているだけ。よい例が、子どもの受験競争に狂奔している母親です。(父親にも多いですが……。)

 このタイプの親は、子どもには、「あなたはやればできるはず」「こんなはずはない」「がんばりなさい」と言いつつ、自分では、ほとんど、努力しない。いつだったか、私が、そんなタイプの母親に、「では、お母さん、あなたが東大に入って見せればいいじゃないですか」と言ったことがあります。すると、その母親は、はにかみながら、こう言いました。「私は、もう終わりましたから……」と。

そして、すべてのエネルギーを、子どもに向けてしまう。それが親として、あるべき姿、もっと言えば、親の深い愛情の証(あかし)であると誤解しているからです。

●親の過剰期待

 が、何が子どもを苦しめるかといって、親の過剰期待ほど、子どもを苦しめるものはありません。子どもは、その重圧感の中で、もがき、苦しみます。それを表現したのが、イプセンの『人形の家』ですね。それについては、もう何度も書いてきましたので、ここでは省略します。子どもは子どもで、まさに「人形」のような子、つまり「人形子」になってしまいます。

 「いい子」を演ずることで、自分の立場をとりつくろうとします。しかし人形は人形。どこにも、「私」がない。だから、このタイプの子どもは、いつか、その成長段階で、自分を取りもどそうとします。「私って、何だ!」「私は、どこにいる!」「私は、どうすればいいんだ!」と。

 それはまさに、壮絶な戦いですね。親の目からすれば、子どもが突然、変化したように見えるかもしれません。そのままはげしい家庭内暴力につながることも、少なくありません。

 (反対に、親にやりこめられてしまい、生涯にわたって、ナヨナヨとした人生観をもってしまう子どももいます。異常なまでの依存性、異常なまでのマザコン性が、このタイプの子どもの特徴のひとつです。中には、40歳を過ぎても、さらに50歳を過ぎても、母親の前では、ひざに抱かれたペットのようにおとなしい男性もいます。)
 
 ……だからといって、Vさんがそうだったとか、Vさんのお母さんが、そうだったと言っているのではありません。ここに書いたのは、あくまでも、一般論です。

 ただ注意したいことは、2つあります。

●批判だけで終わらせてはいけない
 
ひとつは、Vさんは、自分の母親を見ながら、反面教師としてきたかもしれませんが、自分自身も、自分の子ども、つまりY男君に対して、同じような母親になる可能性が、たいへん高いということです。「私は、私の母親のような母親にはならない」と、いくらがんばっても、(あるいはがんばればがんばるほど)、その可能性は、たいへん高いということです。

 子育てというのは、そういう点でも、親から子へと、伝播しやすいと考えてください。今はわからないかもしれませんが、あとで気がついてみると、それがわかります。「私も、同じことをしていた」と、です。どうか、ご注意ください。

●基本的信頼関係

 もうひとつは、情緒的未熟性、精神的な欠陥の問題です。(Vさんが、そうであると言っているのではありません。誤解のないように!)

 最近の研究によれば、おとなになってからうつ病になる人のばあい、そのほとんどは、原因は、乳幼児期の育てられ方にあるということがわかってきました。とくに注目されているのが、乳幼児期のおける母子関係です。

 この時期に、(絶対的な安心感)を基盤とした、(基本的信頼関係)の構築に失敗した子どもは、不安を基底とした生き方をするようになってしまうことが知られています。「基底不安」というのがそれです。おとなになってからも、ある種の不安感が、いつもついてまわります。それがうつ病の引き金を引くというわけです。

また、ここでいう(絶対的な安心感)というのは、(絶対的なさらけ出し)と、(絶対的な受け入れ)を言います。

 「絶対的」というのは、「疑いすらもたない」という意味です。

 つまり子どもの側からみて、「どんなことをしても、許される」という、絶対的な安心感のことをいいます。これが(心)の基本になるということです。心理学の世界でも、こうして母子の間でできる信頼関係を、「基本的信頼関係」と呼んでいます。

(あくまでも、「母子」です。この点においては、父親と母親は、平等ではありません。子どもの心に決定的な影響を与えるのは、あくまでも母親です。あのフロイトも、そう言っています。)

 そのためには、子どもは、(望まれて生まれた子ども=wanted child)でなければなりません。(望まれて生まれた子ども)というのは、夫婦どうしの豊かな愛情の中で、愛情に包まれて生まれてきた子どもという意味です。

 が、そうでないケースも、多いです。たとえば(できちゃった婚)というのがありますね。「子どもができてしまったから、しかたないので結婚しよう」というのが、それです。夫婦の愛情は、二の次。だから生まれてきた子どもへの愛情は、どうしても希薄になります。

それだけですめばまだよいのですが、そのため親は親で、(とくに母親は)、子育てをしながら、そこに犠牲心を覚えるようになる。あるいは、そのまま自分の子どもを、溺愛するようになる。

●絶対的な母子関係

 「産んでやった」「育ててやった」「大学まで出してやった」を、口ぐせにする親は、たいていこのタイプの親と考えてよいです。もともと夫婦の愛情が基盤にあって生まれた子どもではないからです。

 一方、子どもは子どもで、そういう母親でも、親であると、自分の脳みその中に、本能に近い部分にまで刷りこみます。やはり最近の研究によれば、人間にも、鳥類(殻から出てすぐ二足歩行する鳥類)のような、(刷りこみ=imprinting)があることがわかってきました。これを「敏感期」と呼んでいます。

 つまり子どもは子どもで、そういう環境で育てられながらも、「産んでいただきました」「育てていただきました」「大学まで出していただきました」と言い出すようになります。

 つまり、親の子どもへの依存性が、そのまま、今度は、子どもの親への依存性へと変化するわけです。

 これがここでいう「伝播」ということになります。わかりますか?

 そしてそれは、先にも書きましたように、今度は、あなたという(親)から、あなたの(子ども)へと伝播する可能性があるということです。そういう意味では、『子育ては本能ではなく、学習』ということになります。あなたの子どもはあなたという母親を見ながら、今度は、それを自分の子育て観としてしまう!

 では、どうするか?

●「私」をつくる3つの方法

 自分の親を反面教師とするならするで、批判ばかりでは終わってはいけないということです。また今は、「仏様」(Vさん)のようであるからといって、過去の母親を、許してはいけないということです。

 あなたはあなたで、親というより、人間として、別の人格を、自分でつくりあげなければなりません。それをしないと、結局は、あなたは、自分の親のしてきたことを、そっくりそのまま、今度は、自分の子どもに繰りかえしてしまうということになりかねません。
 
そのために、方法はいくつかありますが、ひとつは、すでにVさん自身がなさっているように、(1)過去を冷静にみながら、(2)自己開示をしていくということです。わかりやすく言えば、自分を、どんどんとさらけ出していくということです。そしてその上で、(3)「私はこういう人間だ」という(私)をつくりあげていくということです。

 いろいろ事情はあったのでしょうが、またほとんどの若い母親はそうであると言っても過言ではありませんが、あなたの母親は、そういう点では、情緒的には、たいへん未熟なまま、あなたという子どもを産んでしまったということになります。(だからといって、あなたの母親を責めているのではありません。誤解のないように!)

 子どもから見れば、どんな母親でも、絶対的に見えるかもしれません。が、それは幻想でしかないということです。ここに書いた、(刷りこみ)によってできた幻想でしかないということです。

 それもそのはず。子どもは、母親の胎内で育ち、生まれてからも、母親の乳を受けて、大きくなります。子どもにとっては、母親は(命)そのものということになります。しかし幻想は幻想。心理学の世界では、そうした幻想から生まれる、もろもろの束縛感を、「幻惑」と呼んでいます。

 で、私もあるとき、ふと、気がつきました。自分の母親に対してです。「何だ、ただの女ではないか」とです。私も、「産んでやった」「育ててやった」という言葉を、それこそ、耳にタコができるほど、聞かされて育ちました。だからある日、こう叫びました。私が高校2年生のときのことだったと思います。

 「いつ、オレが、お前に産んでくれと頼んだア!」と。

 それが私の反抗の第一歩でした。で、今の私は、今の私になった。もしあのとき反抗していなければ、ズルズルと、マザコンタイプの子どものままに終わっただろうと思います。(もっとも、それで家族自我群がもつ重圧感から、解放されたというわけではありませんが……。)

●Vさんへ、

 ……とまあ、Vさんに関係のないことばかりを書いてしまいました。Vさんからのメールを読んでいるうちに、あれこれ思いついたので、そのまま文にした感じです。ですから、どうか、仮にお気にさわるような部分があったとしても、お許しください。

 子育てを考えるということは、そのまま自分を考えることになりますね。自分を知ることもあります。私も多くの子どもたちに接しながら、毎日、それこそいつも、「私って何だろう」「人間って何だろう」と、そんなことばかりを考えています。

 以上、何かの参考になれば、うれしいです。また原稿ができまたら、送ってください。いっしょに、(自己開示)を楽しみましょう! どうせたった一度しかない人生ですから、ね。何も、それに誰にも、遠慮することなんか、ない。

 だって、そうでしょ。私も、Vさんも、「私」である前に、1人の人間なのですから……。
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*Children who are like dolls(2)

しかし母は立派に父のパートナーとして、父の治療に徹底的につき合っています。

ひところは東京のホテルに3か月ほど暮らして、有名な先生の治療を受けていました。
けれど回復には限度があり 今は良くも悪くもならないように、
リハビリとして、朗読や華道、陶芸など様々なことにチャレンジしています。

また 現在では障害者対応の施設も多く 年に3回ほど旅行に出かけています
障害者仲間の皆様との出会いも 両親を大きく支えてくださっていると思います

で、父もあきらかな強迫性障害者です。

強迫行為といって 鍵を閉めたか、ガスの元栓は締めたか、
冷蔵庫はちゃんとしまっているか、
出かける前もふだんの生活の中でも、あまりにもしつこいこれらの行為に
私たちは障害のことは何も知らずに、へきえきしていました。

私には強迫行為はありません。
主な症状は 不安がとめどなく押し寄せて眠れないとか、そんなことです。

朝起きてまず初めに思い浮かぶことは、
今日の予定の嫌な部分です。不安が押し寄せると、過喚起を起こしてしまう。
これではちゃんとY男を育てることができないと感じたこともあります。

03年の4月 Y男が入園した直後、お願いするのならばこの先生と決めていた
先生のところへ夢中で向かっていました。

ふら~と先生の前にお伺いして、
私は「うつ病」だといわれるのを恐れていました。
 
そのために今まで躊躇して、治療を受ける勇気が無かったのです。
いま、抗うつ剤も飲んではいますが、今のお薬はとても私にあっていると感じ、
快適に過ごしています。もちろん体調の良悪によって効き目が違ったり、
沈んでしまうこともありますが……。

そこから抜け出すには散歩をしたり 本をむさぼり読んだり、
ひたすら英語で独り言を言ったり、大好きな音楽を聴いたり、
一心不乱にピアノを弾いたりしています。

自分の力で抜け出す術を身につけることができるようになってきました。
化学物質を使っての治療に、初めはとても抵抗がありましたが、
お薬で生活をよりよいものにすることができるのならば、
甘えて使ってもいいんだというふうに、解釈するようになりました。

ドクター曰く、「おばあちゃまが飲むような弱い薬よ。副作用もないゎ」と。
あれから約3年 いま、最高の組み合わせのお薬にめぐり合えました。

とにかく私は 私が過去に味わった苦しみも含めて、そして今があることに
心から感謝しているし、あの苦しみがなければ、
Y男に同じ思いをさせていたかもしれないと思うと、ぞっとします。

そのことに比べれば、今の状態など、なんということはありません。
どんな経験からも苦しみからも、そして喜びからも学ぶことは際限なく多く、
そしてすべての出会いと、想いと、天国の大切な存在たちに守られて、
私たちは あたたかな蜜月を(?)すごしています。

Y男の人生はY男が決めればいい。
どうしても辛くて何かをやめたくなったとき、
逃げるのでなく決断なのであれば私は応援します。
そしてまた 新しい道を探していけば きっときっと、
something wonderful+special for him に
出逢えると信じています。

来週のレッスンの頃はグアムで思い切りガムをかんでいる(?)と思うので、
おそらく2x日のレッスンを受けさせていただくと思います。
3時まで別の習い事があるので終わってから行くと、Y男が決めました。

x曜日は私の仕事納めの日で、見学には行かれないので、
これはとても良い機会ですし、母に付き添いで行ってもらうつもりでいます。

母は今は、仏様のような(?)穏やかな人間になり、
私の仕事のx曜日とy曜日には、両親そろって、Y男との夕食、
お風呂、カードゲームなど、とても楽しみにしてくれています。

こんな私ができた 一番の親孝行が、Y男なのかもしれません。

はやし先生にこんなにいろいろとお話できるのは、
Y男も私も、先生が好きだからです。

聞いていただきたいと思ったので、一方的に長いメールを送ってしまいましたが、
不要であればどうぞ聞き流してください。

でももし機会があれば、固有名詞を伏せて、こんな体験でこんな子供が育ち、
こんな母親になったと、はやし先生のお力で、
少女時代の私のような毎日が苦悩と苦痛で満ちていた生徒さんを、お母様を
開放して差し上げられるきっかけになったら、どんなに良いことだろうと思っております。

母は、いっそ本でも書いたら?、のんきなことを言っておりますが、
今の私にそんな時間がいったいどこにあるでしょうか。

さて夜もふけてまいりました
来週3年ぶりの国際線に乗るのに、全く準備ができておりません。
残ったworkも山済みで、何とか乗り切らなくては!
でも忙しいのが性分にあっているのでしょうか。

12月の私は毎日が楽しくて忙しくて、友達と会って力をもらったり、
このうえなく充実しています。

話の続きや枝葉はまだまだありますが、今宵はここまでとさせていただきます。
長文にお付き合いくださいましてありがとうございました。

oh! 日付が変わって、今日はY男の誕生日です
6歳だなんて! あんなに小さな赤ちゃんだったY男が、(Born on xxxx、.2000)、
今こうして育っていることを、誰よりもY男の父に感謝しています。
 
彼は本当に素晴らしい父親です。
運命が私たちを離してしまったけれど、空き箱に迷路を作ってビー玉で転がして遊んだり、
お父さんの小さい頃はこんなことをして遊んだよと話をしたり、
当たり前のことかもしれませんが、でもこんなことになってしまって今もなお、
Y男に愛情を注いでくれていることに、心から感謝しています。

それでは2x日は Y男の祖母、あのスパルタだった(笑い)私の母が、
お伺いするかと思いますが、どうぞよろしくお願いいたします。

結果として両親にはもちろん感謝しています。産んでくれたこと。育ててくれたこと。
Y男のシッターをしてくれていること。それをenjoyしてくれていること。

ps

障害のことで何かお役に立つことがあればどんなことでもお話しますので、
どうぞお声をかけてくださいませ。 

ホルモンバランスやセロトニンの分泌調整知らなかったことを多く学ぶ機会でありました。
必要な方には、詳しくお話しさせていただければ、うれしいです。

++++++++++++++

【はやし浩司より、Vさんへ】

メール、ありがとうございました。
現在、私の周囲でも、同じような問題をかかえ、悩んだり、苦しんだりしている人が、何人かいます。

またそういう人たちの力になってあげてください。

よろしくお願いします。

                       はやし浩司
++++++++++++++

【Vさんより、はやし浩司へ、追伸】

改めて自分の書いたメールを、先生がまとめてくださったものを読んでみると、
これを読んで ひとりでもいい、気持ちが楽になってくれる
お母様、お父様、生徒さんがいらしたら、どんなに良いことだろうと思います。

ただ、話の続きや枝葉はまだまだあると書いたように、
もっともっと様々なことが、私には起きました。
今回の公開に載せていただくことはなくても、
またの機会にでも広く知っていただければと思います。

大きくは二つの話題です

ひとつめ。

先生は 親への反抗で処理したという趣旨のことをおっしゃいましたね。
実は、私もそうでした。

反抗期、ひどかったと思います とくに習い事が辛くて辛くて、
ピークの小学校高学年の頃から中学2年生くらいまで、そうでした。

何を言っても、「ああいえばこういう」式で、
ねじ伏せられてしまうことがわかっていた私は、
母に直接、反抗するということが、あまりできませんでした。
 
仏頂面のままダイニングで家族と食事をしたり、無言のまま誰の顔をも見ず、
さっさと食事を済ませて、勉強部屋に逃げこんだりしました。

その仏頂面の私の唇を見て、母はこう言うのです
「右下の唇が少し上に上がってゆがんでいる。
不満のあるときはいつもそんな顔をする」と。

そして 相手が他人であれば 失礼なほどに 私の顔を、目ジーッと見る。
そんなことをされれば、だれだって、気分を悪くします。で、気分を悪くした私が、
「もういやだ。くそばばぁ」と言って、
勉強部屋へ逃げ隠れしたことがありました。

このときばかりは母も相当なショックだったのでしょう。
その日以降は、話題といえばそのことばかり。
何時間もかけてそれがどんなにいけないことか、
私に説教しようとするのです。しかし私はそれを知っていたからこそ、
そんな言葉を言ってしまったのです。

母が悲しむといけないから、お稽古を頑張らなくてはならない自分がいる半面、
母が悲しむことをして束縛されていることにたいして、ささやかな抵抗をしたかった。

もうこの世から消えてしまいたいとさえ思ったことも、何度もありました
「今度の期末試験の頃は私はもういないんだから、心配することないんだ」と、
そんなばかげたことも考えたこともあります。

母が悲しむだろうから、わざと悪い成績を取ってやろうと考え、
解答用紙にあえて正しくない答えを書いたり 空欄にしたりしたこともあります。
で、それを見て、母はがっかりし、こう言ったこともあります。
「私があなたの学年の頃は、クラスで何番にはいつも入っていた。
なぜあなたはできないの? できるはずでしょう? 
あなたはやればできるのだから言っているのよ」と。

「できるって誰が決めた? 誰が知ってるの? 私、どこまで頑張ればいいの?
今、交通事故で死んじゃったりしたら やりたいこと何にもできずに人生終わっちゃって
悔しいよ」と。
そんな会話が何度も繰り返されたと思います。

母への反抗心は、ある日、ふと薄いものへと変化してゆきました。
希望の高校に入学を果たし、あわただしく身支度をしていた春の朝のことです。
私のためにお弁当を作ってくれている、私よりも背の低い小さな母の背中が、
それを気づかせてくれました。

母も、私を育てるのは初めての経験だということ。
涙が溢れました。でも見つかるのも恥ずかしくて、
「コンタクトが合わなくて…」などとごまかしましたが、
「ひどいことしてごめんね、おかあさん」と、そう、あの時言いたかったのだと思います。
高校を卒業し、進学で実家を離れてからは、なおさら私と母の間の心の距離は縮まり、
一人暮らしが、私を成長させてくれたとも言えると思います。

「あなたは私の芸能マネージャーではないのだから、ぴったりとついてこないで。
誰と連絡を取っているのか、どんな友達とどんな話をしているのか、
50メートル先の自販機までジュースを買いに行くのに、
こっそりついてくるようなことをしないで。
まるで本当にジュースを買いに行くかどうか、確かめにきているみたいではないか」と、
そんな内容の、私にとっては、革命的手紙を渡したのは、
私が高校1年の夏ごろのことだったと思います。

そういうことがあって、母の過干渉も少しずつ薄れていったように思います。

さて もうひとつの話題

これは 今の世の中にも深く関わる重大な問題です。
母から束縛や過度の期待を受けてstressfulになった私がとった行動は、
恥ずかしくも クラスメイトへのいじめでした。

いじめの根源がこんなところにも潜んでいるのです。
もちろん私の心が弱かったので、そんな方向へ向かってしまったのは確かです。
しかし あれほどにまでのストレッサーがなければ、
子供の頃から転校生には進んで声をかけていた私が
あんなことはしなかったと言えると思います。

私自身もがき苦しんでいたけれど 人を苦しめることで憂さ晴らしをしようとは、
なんと愚かなことでしょう。

だから お父様、お母様、お子様がそんな風になってしまうほど
過度の干渉や期待、子供なりのプライベートへの介入をしないでほしい。

どこかで全く関係の無い誰かが、傷ついてしまう引き金になってしまう可能性があるから。
いまでも私は心を傷つけてしまったお友達のことを時折思い出し、
「ごめんね。今はどうか暖かくしあわせな毎日を送っていてほしいよ」
と思うことがあります。

ある女の子は ひどく私がいじめをしたのにもかかわらず、
私がいじめのターゲットになったときには、
惜しげもなく私に救いの手を差し伸べてくれました。

彼女は今、専門分野で世界的に活躍する立派な女性兼母になったと、
風の便りで聞きました。

彼女の成功を心からお祝いし、これからの活躍をも心からお祈りしています。

上記のいじめに関する文章は、同じ出来事を、違う言葉でしたが、あるテレビ番組の
「いじめについて考える」番組に、投稿したことがあります。

うまくまとめられたかわかりませんが以上になります。
もっと続きも枝葉もありますが、今日のところは、ここまでとします

先生、ありがとう。
私の話に耳を傾けてくださってありがとう。
私の気持ちを汲んで 皆さんにこんなできごとがあるということを、
知らせてくださって、ありがとう。

私は先生の尊敬に当たる人間ではとてもありませんよ。巨大リップサービスです
でも、生き方を認めていただけたことは、心から嬉しく思います。
ありがとうございました。

上記の文章の掲載についても、先生にお任せします

でもね先生、私、仲の良いお母様方には全く同じ話をしています。
「私、頭が弱いからね~ 薬の時間なのょ」なんて、
どこか冗談めかしながら。いえ、本当に大笑いしながら、どんどん話題にしています。

ですので、これを読んで あのVさんのことじゃないかな?、と思う
お母様は、少なくともK幼稚園のお母様ならなおさら、
5本の指でおさまるかどうかという気持ちです。アハハ。

でも今の私には、「そうなの、わたしのこと! スパルタ教育の話、
はやし先生にしちゃったぁ」と笑って答えることができます。

だから 気にしません。
誰かの心や命が、助かるのかもしれないのであれば、
どうぞはやし先生のお力で、きっかけ作りをして差し上げてほしいと思います。

ああ、2学期も明日でおしまい。明日じゃない、もう今日になってしまった!
まだまだ幼稚園児でいてほしいなぁ。
これからまた、どんな出会いがあるだろう。
小学生になったY男は どんな困難や挫折を味わうだろう。

けれど私は Y男へのバースデーカードにこう書き添えました。

「その手でゆめをつかみなさい。
 そのあしで ゆきたいところへどこにでもいきなさい。
 そうしておとうさんのような りっぱなひとになるのよ」と。

どこか照れくさいメッセージですが、本心です

Y男の父からも、日付指定で、カードが郵便物として届きました。
誕生日の数字を Y男の好きな迷路にイラストしてあり、
おわりのところには、「おかあさんをたいせつにしなさい」とありました。

久しぶりに声を上げて泣きながら、音楽のボリュームを大にして、
車を運転しながら仕事に向かいました。
彼という人間の子供を産んだ私は、とても幸せです。

長文を読んでくださってありがとうございました。
先にも書きましたとおり掲載については先生にお任せします。

今度は 祖母から聴いた私の心にいつもある「幸せのおどんぶり、かなしみのおどんぶり」
のお話を聞いていただきたいと思っています。

長文乱文にお付き合いくださいましてありがとうございました。

Vより。

+++++++++++++++

*Children who are like dolls (1)

●人形子(にんぎょうし)

++++++++++++++++++++

A小学校のA先生と、電話で話す。
その中で、東京のA原で起きた、凶悪事件が、
話題になった。

あの事件を起こした男性は、中学生のころまで、
非のうちどころのない、優等生であったという。
成績は優秀で、まじめで、従順で……、と。

そんな男性が、トラックを借り、通行人の中に
突っ込んでいった!
何人かの人を殺した。

そんな話をしながら、私は「人形子」という言葉を使った。

++++++++++++++++++++

ペットというよりは、人形。
そんな子どもが、10人のうち、1~2人はいる。
イプセンの『人形の家』にならって、私は「人形子
(にんぎょうし)」と呼ぶ。

できは、よい。
見た感じ、人格の完成度も高い。
ものわかりもよく、先生の指示に対しても、すなおに
従う。

やることに無駄がなく、ソツがない。
宿題もきちんとやってくる。
何か質問をしても、いつも模範解答が返ってくる。

先生「拾ったお金は、どうしますか?」
子 「交番へ届けます」
先生「自分で使ってしまう人もいますが・・・」
子 「そんなことをすれば、落とした人が困ります」と。

学習面でもすぐれている。
「あなたは家から帰ったら、何をしているの?」と
聞くと、「お母さんが買ってくれた、本を読んでいます」
などと答える。

そんなわけで、幼稚園でも学校でも、「いい子」という
評価を受ける。(・・・受けやすい。)

冒頭で、「10人のうち、1~2人はいる」と書いたが、
もちろん程度の差もある。
もし基準をさげたら、10人のうち、2~3人に
なるかもしれない。

が、反対に、「これではいけない」と思う子どもも、いる。
そういう子どもが、20人に1人とか、30人に
1人とかいる。

というのも、人形子になるには、ひとつの条件がある。
子ども自身、ある程度、できがよくなければならない。
できがよいから、親が、子どもの教育にますます
のめりこむ。

つまり子どもは、親の期待にこたえようと、ますます人形子に
なっていく。
「いい子」を演ずることによって、自分の立場を確保しよう
とする。
わかりやすく言うと、仮面をかぶる。
が、そのうち、その仮面をはずせなくなってしまう。
幼稚園や学校に教師に対しても、そうである。

こうして幼稚園の年長期を迎えるころには、独特の
雰囲気をもった子どもになる。

一口で言えば、子どもらしさそのものが、ない。
子どもっぽさを、感じない。
子どものはずなのに、妙に、おとなびている。
が、親は、そういう自分の子どもを見ながら、むしろ
できのよい子どもと思ってしまう。
反対に、そうでない子どもを、できの悪い子どもとして、
遠ざけてしまう。

親の過関心、過干渉、それに溺愛が混ぜんいったいとなって、
その子どもの世界を包む。
明けても暮れても、頭の中にあるのは、子どものことばかり。

「ゲームのような低劣なものは、家には置きません」
「うちの子は、受験勉強とは無縁の世界で育てます」
「歌は、プロの先生に指導していただいています」
「毎週、1冊は、本を読ませています」などなど。

「ある程度は、俗世間に融和させないと、お子さん
自身が、つらい思いをするのでは?」と、教師がアドバイスしても、
聞く耳、そのものをもっていない。

自ら厚いカプセルの中に入ってしまっている。
その狭い世界の中だけで、独自の教育観(?)を、
熟成させてしまっている。

「英語の先生は、ネイティブでないと困ります」
「理科教育は、何でも実験を先にしてから、教えてほしい」
「備え付けの楽器は、不潔だから、使わせないでほしい」などなど。

学校の教育についても、あれこれと注文をつけていく。

しかしこういう親が一人いるだけで、その教室の教育は
マヒしてしまう(A先生)。

では、どうするか?、・・・という問題よりも、そういう
親は、一度、先に書いた、イプセンの『人形の家』を
読んでみたらよい。

が、その程度ではすまない。
幼児期から、思春期前後まで、「いい子」で通した子どもほど、
あとがこわい。

何度も書いているが、子どもというのは、その発達段階ごとに、
昆虫がカラを脱ぐようにして、成長していく。
第一次反抗期には、第一次反抗期の子どものように、
中間反抗期には、中間反抗期の子どものように・・・。

非行が好ましいというわけではないが、非行を経験した
子どもほど、あとあと常識豊かな子どもになるということは、
この世界では常識。

(そもそも「非行」とは何か? その定義もあやしい?)

たとえば思春期前後から、はげしい家庭内暴力を繰りかえす
ようになる子どもがいる。

このタイプの子どもほど、それまで、「いい子?」だった
というケースがほとんどである。
だから子どもが家庭内暴力を繰りかえすようになると、
ほとんどの親は、泣きながら、こう叫ぶ。

「どうして?」「子どものころは、あんないい子だったのに!」と。

しかしそれは親の目から見て、「いい子?」だったにすぎない。

(以上、A先生の許可をいただき、A先生の話の内容を、
まとめさせていただきました。08年6月23日。)

++++++++++++++++++++++++

【引きこもりvs家庭内暴力】

++++++++++++++++

将来的に、引きこもったり、家庭内暴力を
起こす子どもというのは、その前の段階で、
独特の雰囲気を、もつようになる。

それについては、何度も書いてきたので、
ここでは省略する。

問題は、そういう雰囲気を感知したとき、
それをどこまで親に告げるべきか。
教師は、その問題で、悩む。

この段階では、たいていの親たちは、
「自分の子どもはできがいい」とか、
「うちの子にかぎって」とか思っている。
大半は、「私の育児のし方こそ、ぜったい」と
思っている。

思っているというよりも、信じている。
そういう親に向かって、「お宅のお子さんには
問題があります」などとは、言えない。
言ったとたん、親はパニック状態になる。
ついで、教師と親の人間関係は、終わる。

そんなわけで、たいていの教師は、「もしまちがっていたら・・・」
という迷いもあり、かたく口を閉ざす。

つまりここに書いた、人形子も、そうである。
人形子とわかっていても、それを口にするのは、
タブー中のタブー。

が、このタイプの子どもほど、思春期を迎えるころ、
はげしく豹変する。
年齢的は、12~14歳前後か。

ふつうの豹変ではない。
ある日を境に、突然、狂ったように暴れだしたりする。
「オレをこんなオレにしたのは、テメエだア!」と。

中には、豹変しないで、人形子のまま
おとなになる子どももいる。
イプセンの『人形の家』の中の主人公が、
その一例かもしれない。

そういう意味では、この時期にはげしく親に
抵抗する子どものほうが、まだマシという
ことになる。
心の内にたまったエネルギーは、できるだけ
早い時期に吐き出したほうがよい。

が、反対に引きこもるタイプの子どももいる。
よく誤解されるが、引きこもるから暴力をふるわない
ということではない。

ちょっとしたことで錯乱状態になって、暴れたりする。

そこであなたの子どもは、どうか?

あなたの前で、子どもらしく、自由に、伸び伸び
しているだろうか。
言いたいことを言い、したいことをしているだろうか。

もしそうなら、それでよし。
が、反対に、「うちの子は、できがいい」と思っているなら、
ここに書いたことを、もう一度、読みなおしてみてほしい。

子育てというのは、自分で失敗してみて(失礼!)、
はじめて失敗と気づく。
これは子育てそのものがもつ、宿命のようなものかも
しれない。

賢い親は、それに事前に気づき、そうでない親は、
失敗(失礼!)してから、それに気づく。
(「失敗」という言葉を使うのは、好きではないが・・・。)

+++++++++++++++++++++++

●「人形の子」論

+++++++++++++++++++++++

●あるお母さんからのメール

++++++++++++++++++

親から受けた子育てが原因で、
長い間、大きな心のキズに苦しんでいた
お母さんから、こんなメールが
届いています。

読者のみなさんの力になればと、
公開してくださいとのこと。
喜んで、そうさせていただきます。

お名前を、Vさん(母親)としておきます。

Vさんは、子どものころ、親からきびしい
教育としつけを受け、それが原因で、
心に大きなキズを受けてしまいました。

Vさんは、「私がしたような経験を、ほかの
子どもたちにはしてほしくない」と言っています。

本当に、そうだと思います。

最近の研究によれば、うつ病の(種)のほとんどは、
その人の乳幼児期にあるということまで、
わかってきました。

乳児期から幼児期にかけては、
(1) 心豊かで、穏やかな家庭環境、
(2) 愛情豊かで、静かな親子関係、
この2つが、とくに重要かと思います。

Vさんからのメールをお読みください。

++++++++++++++++++

【Vさんより、はやし浩司へ】

はやし先生、こんばんは!

今日はレッスン前に、少しだけしたが、私がかかえる障害のお話を聞いてくださって、
ありがとうございました。

私は 先生のEマガによる「自己開示」でいえば4~5レベルに入るほど、
まわりの人たちに、いろいろなことを話しています。

隠していなくてはならないことなど、そんなにはないし、
自分を知ってもらうことは 息子であるY男にとっても
良いことのように思ったりするからです。

先生が、私の経験を多くの人たちにお話してくださるのももちろん、歓迎です
良い例として、あるいは悪い例として、
私の経験してきたことが今、どんな風に私の人生で活かされているのか、
また、少女時代の私と同じ思いを、今まさにしている子供たちが今いるとしたら、
保護者の方に気づいていただきたいからです。

両親の教育が厳しく 過干渉で 私にとっては、長くて、辛い少女時代でした。
特に厳しかったのは母でした。しかし母だけを責めているのではありません。
母は 明治生まれの姑の前で、私たち姉妹を懸命に育て、
社会に出ても恥ずかしくない子に育てをしなくては……という使命のもとでの
思いだったわけです。

当時は今のように、相談できる機関や話を打ち明けられる相手もなく、
母も苦しんだと思います 父も相談相手にはならなかったようです。

というのも 父は自分の父親を第二次世界大戦で亡くし、
顔を見た事もないまま育ったそうです。
私は今でも、ラバウル上空を通過するときは 胸が苦しくなります。

そして実の母は 姑に父を残して 再婚して出て行ってしまったそうです。
どれほどの想像を絶する悲しみを乗り越えたでしょう。

父は曾祖母に対して異常なまでの執着心を持ち妻より子供より、曾祖母
という感じでした。

そんな生活の中で 母は私たちを厳しく育てることと、しつけることで、
自分なりのアピールをしていたのかもしれません。

また 別の観点からすると 母は私たちの子育てを、はけ口としていたかも
しれません。そのことも否定できないと思っています。

では、姉にはなぜ私のような障害が起きなかったか。

私の姉は3歳年上のキャリアウーマンですが、
何をするにも要領がよく、賢く、そして心優しく 暖かい人間で、
身内の私が言うのも恐縮ですが 尊敬しています。

母やきびしい習い事の先生がおっしゃる非道徳的な言葉ですら、
「あの人、なにいってるんだろ。私のどこまでしってるっていうの?」と
冷静な受け止め方が子供の頃からできたようです。

私はといえば、まったく正反対。

母の期待にこたえよう。今、Dropoutしてしまえば お母さんが悲しむかとか、
そんなことばかり考えていました。

生真面目で いつも良い子でいなくてはならない。いつも良い点を取らなくてはならない。
お母さんが悲しむから。クラス代表に選ばれなくてはならない。母が望むから、と。

小学校3年生のとき、サンタさんに手紙を出しました。
サンタさんの存在を信じていたころ書いた、最後の手紙だったと思います。

内容は、「お願いです プレゼントはいりません ただ習い事を全部やめさせてください」
というものでした。

サンタさんが願いをかなえてくれなかったのは、これが初めてでした。

心療内科の先生はおっしゃいました。

「あなたのお父様もお母様も 強迫性障害 の可能性がある」と。

思い当たる節はいくつもありました これは遺伝する可能性のある
障害だそうです。

今年前半は、T市にある児童心療内科まで、Y男をつれて、月に一度通っていました。
Y男のためというよりは 私が息子と、どう向きあえばよいのか、
どう育てていけばよいのか、全くわからなくなり、心は八方塞になったからです。

今思えば あの半年間の通院は 心療内科の先生に会って私がカウンセリングを受ける
私のいわば治療であったように思います。

時がたつにつれて、私は私の方法で Y男と向き合っていけばいいと思うように
なりました。

なぜなら、私はY男の母親なのだから……。

こんなシンプルな答えにたどり着くのに 随分と遠回りをしたし、
これからもしてしまうことがあるのかもしれませんが、今は 安定した気持ちで、
Y男に接しています。

父はY男がおなかにいるときに脳内出血で倒れ、現在は、右半身不随の生活をしています。
それがわかった当時は、みんな私のBabyではなく、
父の病気のことにばかり関心をもって、情緒不安定になり、
母や夫に当たったこともありました。

*Children who are like dolls

●人形子(にんぎょうし)

++++++++++++++++++++

A小学校のA先生と、電話で話す。
その中で、東京のA原で起きた、凶悪事件が、
話題になった。

あの事件を起こした男性は、中学生のころまで、
非のうちどころのない、優等生であったという。
成績は優秀で、まじめで、従順で……、と。

そんな男性が、トラックを借り、通行人の中に
突っ込んでいった!
何人かの人を殺した。

そんな話をしながら、私は「人形子」という言葉を使った。

++++++++++++++++++++

ペットというよりは、人形。
そんな子どもが、10人のうち、1~2人はいる。
イプセンの『人形の家』にならって、私は「人形子
(にんぎょうし)」と呼ぶ。

できは、よい。
見た感じ、人格の完成度も高い。
ものわかりもよく、先生の指示に対しても、すなおに
従う。

やることに無駄がなく、ソツがない。
宿題もきちんとやってくる。
何か質問をしても、いつも模範解答が返ってくる。

先生「拾ったお金は、どうしますか?」
子 「交番へ届けます」
先生「自分で使ってしまう人もいますが・・・」
子 「そんなことをすれば、落とした人が困ります」と。

学習面でもすぐれている。
「あなたは家から帰ったら、何をしているの?」と
聞くと、「お母さんが買ってくれた、本を読んでいます」
などと答える。

そんなわけで、幼稚園でも学校でも、「いい子」という
評価を受ける。(・・・受けやすい。)

冒頭で、「10人のうち、1~2人はいる」と書いたが、
もちろん程度の差もある。
もし基準をさげたら、10人のうち、2~3人に
なるかもしれない。

が、反対に、「これではいけない」と思う子どもも、いる。
そういう子どもが、20人に1人とか、30人に
1人とかいる。

というのも、人形子になるには、ひとつの条件がある。
子ども自身、ある程度、できがよくなければならない。
できがよいから、親が、子どもの教育にますます
のめりこむ。

つまり子どもは、親の期待にこたえようと、ますます人形子に
なっていく。
「いい子」を演ずることによって、自分の立場を確保しよう
とする。
わかりやすく言うと、仮面をかぶる。
が、そのうち、その仮面をはずせなくなってしまう。
幼稚園や学校に教師に対しても、そうである。

こうして幼稚園の年長期を迎えるころには、独特の
雰囲気をもった子どもになる。

一口で言えば、子どもらしさそのものが、ない。
子どもっぽさを、感じない。
子どものはずなのに、妙に、おとなびている。
が、親は、そういう自分の子どもを見ながら、むしろ
できのよい子どもと思ってしまう。
反対に、そうでない子どもを、できの悪い子どもとして、
遠ざけてしまう。

親の過関心、過干渉、それに溺愛が混ぜんいったいとなって、
その子どもの世界を包む。
明けても暮れても、頭の中にあるのは、子どものことばかり。

「ゲームのような低劣なものは、家には置きません」
「うちの子は、受験勉強とは無縁の世界で育てます」
「歌は、プロの先生に指導していただいています」
「毎週、1冊は、本を読ませています」などなど。

「ある程度は、俗世間に融和させないと、お子さん
自身が、つらい思いをするのでは?」と、教師がアドバイスしても、
聞く耳、そのものをもっていない。

自ら厚いカプセルの中に入ってしまっている。
その狭い世界の中だけで、独自の教育観(?)を、
熟成させてしまっている。

「英語の先生は、ネイティブでないと困ります」
「理科教育は、何でも実験を先にしてから、教えてほしい」
「備え付けの楽器は、不潔だから、使わせないでほしい」などなど。

学校の教育についても、あれこれと注文をつけていく。

しかしこういう親が一人いるだけで、その教室の教育は
マヒしてしまう(A先生)。

では、どうするか?、・・・という問題よりも、そういう
親は、一度、先に書いた、イプセンの『人形の家』を
読んでみたらよい。

が、その程度ではすまない。
幼児期から、思春期前後まで、「いい子」で通した子どもほど、
あとがこわい。

何度も書いているが、子どもというのは、その発達段階ごとに、
昆虫がカラを脱ぐようにして、成長していく。
第一次反抗期には、第一次反抗期の子どものように、
中間反抗期には、中間反抗期の子どものように・・・。

非行が好ましいというわけではないが、非行を経験した
子どもほど、あとあと常識豊かな子どもになるということは、
この世界では常識。

(そもそも「非行」とは何か? その定義もあやしい?)

たとえば思春期前後から、はげしい家庭内暴力を繰りかえす
ようになる子どもがいる。

このタイプの子どもほど、それまで、「いい子?」だった
というケースがほとんどである。
だから子どもが家庭内暴力を繰りかえすようになると、
ほとんどの親は、泣きながら、こう叫ぶ。

「どうして?」「子どものころは、あんないい子だったのに!」と。

しかしそれは親の目から見て、「いい子?」だったにすぎない。

(以上、A先生の許可をいただき、A先生の話の内容を、
まとめさせていただきました。08年6月23日。)

++++++++++++++++++++++++

【引きこもりvs家庭内暴力】

++++++++++++++++

将来的に、引きこもったり、家庭内暴力を
起こす子どもというのは、その前の段階で、
独特の雰囲気を、もつようになる。

それについては、何度も書いてきたので、
ここでは省略する。

問題は、そういう雰囲気を感知したとき、
それをどこまで親に告げるべきか。
教師は、その問題で、悩む。

この段階では、たいていの親たちは、
「自分の子どもはできがいい」とか、
「うちの子にかぎって」とか思っている。
大半は、「私の育児のし方こそ、ぜったい」と
思っている。

思っているというよりも、信じている。
そういう親に向かって、「お宅のお子さんには
問題があります」などとは、言えない。
言ったとたん、親はパニック状態になる。
ついで、教師と親の人間関係は、終わる。

そんなわけで、たいていの教師は、「もしまちがっていたら・・・」
という迷いもあり、かたく口を閉ざす。

つまりここに書いた、人形子も、そうである。
人形子とわかっていても、それを口にするのは、
タブー中のタブー。

が、このタイプの子どもほど、思春期を迎えるころ、
はげしく豹変する。
年齢的は、12~14歳前後か。

ふつうの豹変ではない。
ある日を境に、突然、狂ったように暴れだしたりする。
「オレをこんなオレにしたのは、テメエだア!」と。

中には、豹変しないで、人形子のまま
おとなになる子どももいる。
イプセンの『人形の家』の中の主人公が、
その一例かもしれない。

そういう意味では、この時期にはげしく親に
抵抗する子どものほうが、まだマシという
ことになる。
心の内にたまったエネルギーは、できるだけ
早い時期に吐き出したほうがよい。

が、反対に引きこもるタイプの子どももいる。
よく誤解されるが、引きこもるから暴力をふるわない
ということではない。

ちょっとしたことで錯乱状態になって、暴れたりする。

そこであなたの子どもは、どうか?

あなたの前で、子どもらしく、自由に、伸び伸び
しているだろうか。
言いたいことを言い、したいことをしているだろうか。

もしそうなら、それでよし。
が、反対に、「うちの子は、できがいい」と思っているなら、
ここに書いたことを、もう一度、読みなおしてみてほしい。

子育てというのは、自分で失敗してみて(失礼!)、
はじめて失敗と気づく。
これは子育てそのものがもつ、宿命のようなものかも
しれない。

賢い親は、それに事前に気づき、そうでない親は、
失敗(失礼!)してから、それに気づく。
(「失敗」という言葉を使うのは、好きではないが・・・。)

+++++++++++++++++++++++

●「人形の子」論

+++++++++++++++++++++++

●あるお母さんからのメール

++++++++++++++++++

親から受けた子育てが原因で、
長い間、大きな心のキズに苦しんでいた
お母さんから、こんなメールが
届いています。

読者のみなさんの力になればと、
公開してくださいとのこと。
喜んで、そうさせていただきます。

お名前を、Vさん(母親)としておきます。

Vさんは、子どものころ、親からきびしい
教育としつけを受け、それが原因で、
心に大きなキズを受けてしまいました。

Vさんは、「私がしたような経験を、ほかの
子どもたちにはしてほしくない」と言っています。

本当に、そうだと思います。

最近の研究によれば、うつ病の(種)のほとんどは、
その人の乳幼児期にあるということまで、
わかってきました。

乳児期から幼児期にかけては、
(1) 心豊かで、穏やかな家庭環境、
(2) 愛情豊かで、静かな親子関係、
この2つが、とくに重要かと思います。

Vさんからのメールをお読みください。

++++++++++++++++++

【Vさんより、はやし浩司へ】

はやし先生、こんばんは!

今日はレッスン前に、少しだけしたが、私がかかえる障害のお話を聞いてくださって、
ありがとうございました。

私は 先生のEマガによる「自己開示」でいえば4~5レベルに入るほど、
まわりの人たちに、いろいろなことを話しています。

隠していなくてはならないことなど、そんなにはないし、
自分を知ってもらうことは 息子であるY男にとっても
良いことのように思ったりするからです。

先生が、私の経験を多くの人たちにお話してくださるのももちろん、歓迎です
良い例として、あるいは悪い例として、
私の経験してきたことが今、どんな風に私の人生で活かされているのか、
また、少女時代の私と同じ思いを、今まさにしている子供たちが今いるとしたら、
保護者の方に気づいていただきたいからです。

両親の教育が厳しく 過干渉で 私にとっては、長くて、辛い少女時代でした。
特に厳しかったのは母でした。しかし母だけを責めているのではありません。
母は 明治生まれの姑の前で、私たち姉妹を懸命に育て、
社会に出ても恥ずかしくない子に育てをしなくては……という使命のもとでの
思いだったわけです。

当時は今のように、相談できる機関や話を打ち明けられる相手もなく、
母も苦しんだと思います 父も相談相手にはならなかったようです。

というのも 父は自分の父親を第二次世界大戦で亡くし、
顔を見た事もないまま育ったそうです。
私は今でも、ラバウル上空を通過するときは 胸が苦しくなります。

そして実の母は 姑に父を残して 再婚して出て行ってしまったそうです。
どれほどの想像を絶する悲しみを乗り越えたでしょう。

父は曾祖母に対して異常なまでの執着心を持ち妻より子供より、曾祖母
という感じでした。

そんな生活の中で 母は私たちを厳しく育てることと、しつけることで、
自分なりのアピールをしていたのかもしれません。

また 別の観点からすると 母は私たちの子育てを、はけ口としていたかも
しれません。そのことも否定できないと思っています。

では、姉にはなぜ私のような障害が起きなかったか。

私の姉は3歳年上のキャリアウーマンですが、
何をするにも要領がよく、賢く、そして心優しく 暖かい人間で、
身内の私が言うのも恐縮ですが 尊敬しています。

母やきびしい習い事の先生がおっしゃる非道徳的な言葉ですら、
「あの人、なにいってるんだろ。私のどこまでしってるっていうの?」と
冷静な受け止め方が子供の頃からできたようです。

私はといえば、まったく正反対。

母の期待にこたえよう。今、Dropoutしてしまえば お母さんが悲しむかとか、
そんなことばかり考えていました。

生真面目で いつも良い子でいなくてはならない。いつも良い点を取らなくてはならない。
お母さんが悲しむから。クラス代表に選ばれなくてはならない。母が望むから、と。

小学校3年生のとき、サンタさんに手紙を出しました。
サンタさんの存在を信じていたころ書いた、最後の手紙だったと思います。

内容は、「お願いです プレゼントはいりません ただ習い事を全部やめさせてください」
というものでした。

サンタさんが願いをかなえてくれなかったのは、これが初めてでした。

心療内科の先生はおっしゃいました。

「あなたのお父様もお母様も 強迫性障害 の可能性がある」と。

思い当たる節はいくつもありました これは遺伝する可能性のある
障害だそうです。

今年前半は、T市にある児童心療内科まで、Y男をつれて、月に一度通っていました。
Y男のためというよりは 私が息子と、どう向きあえばよいのか、
どう育てていけばよいのか、全くわからなくなり、心は八方塞になったからです。

今思えば あの半年間の通院は 心療内科の先生に会って私がカウンセリングを受ける
私のいわば治療であったように思います。

時がたつにつれて、私は私の方法で Y男と向き合っていけばいいと思うように
なりました。

なぜなら、私はY男の母親なのだから……。

こんなシンプルな答えにたどり着くのに 随分と遠回りをしたし、
これからもしてしまうことがあるのかもしれませんが、今は 安定した気持ちで、
Y男に接しています。

父はY男がおなかにいるときに脳内出血で倒れ、現在は、右半身不随の生活をしています。
それがわかった当時は、みんな私のBabyではなく、
父の病気のことにばかり関心をもって、情緒不安定になり、
母や夫に当たったこともありました。

しかし母は立派に父のパートナーとして、父の治療に徹底的につき合っています。

ひところは東京のホテルに3か月ほど暮らして、有名な先生の治療を受けていました。
けれど回復には限度があり 今は良くも悪くもならないように、
リハビリとして、朗読や華道、陶芸など様々なことにチャレンジしています。

また 現在では障害者対応の施設も多く 年に3回ほど旅行に出かけています
障害者仲間の皆様との出会いも 両親を大きく支えてくださっていると思います

で、父もあきらかな強迫性障害者です。

強迫行為といって 鍵を閉めたか、ガスの元栓は締めたか、
冷蔵庫はちゃんとしまっているか、
出かける前もふだんの生活の中でも、あまりにもしつこいこれらの行為に
私たちは障害のことは何も知らずに、へきえきしていました。

私には強迫行為はありません。
主な症状は 不安がとめどなく押し寄せて眠れないとか、そんなことです。

朝起きてまず初めに思い浮かぶことは、
今日の予定の嫌な部分です。不安が押し寄せると、過喚起を起こしてしまう。
これではちゃんとY男を育てることができないと感じたこともあります。

03年の4月 Y男が入園した直後、お願いするのならばこの先生と決めていた
先生のところへ夢中で向かっていました。

ふら~と先生の前にお伺いして、
私は「うつ病」だといわれるのを恐れていました。
 
そのために今まで躊躇して、治療を受ける勇気が無かったのです。
いま、抗うつ剤も飲んではいますが、今のお薬はとても私にあっていると感じ、
快適に過ごしています。もちろん体調の良悪によって効き目が違ったり、
沈んでしまうこともありますが……。

そこから抜け出すには散歩をしたり 本をむさぼり読んだり、
ひたすら英語で独り言を言ったり、大好きな音楽を聴いたり、
一心不乱にピアノを弾いたりしています。

自分の力で抜け出す術を身につけることができるようになってきました。
化学物質を使っての治療に、初めはとても抵抗がありましたが、
お薬で生活をよりよいものにすることができるのならば、
甘えて使ってもいいんだというふうに、解釈するようになりました。

ドクター曰く、「おばあちゃまが飲むような弱い薬よ。副作用もないゎ」と。
あれから約3年 いま、最高の組み合わせのお薬にめぐり合えました。

とにかく私は 私が過去に味わった苦しみも含めて、そして今があることに
心から感謝しているし、あの苦しみがなければ、
Y男に同じ思いをさせていたかもしれないと思うと、ぞっとします。

そのことに比べれば、今の状態など、なんということはありません。
どんな経験からも苦しみからも、そして喜びからも学ぶことは際限なく多く、
そしてすべての出会いと、想いと、天国の大切な存在たちに守られて、
私たちは あたたかな蜜月を(?)すごしています。

Y男の人生はY男が決めればいい。
どうしても辛くて何かをやめたくなったとき、
逃げるのでなく決断なのであれば私は応援します。
そしてまた 新しい道を探していけば きっときっと、
something wonderful+special for him に
出逢えると信じています。

来週のレッスンの頃はグアムで思い切りガムをかんでいる(?)と思うので、
おそらく2x日のレッスンを受けさせていただくと思います。
3時まで別の習い事があるので終わってから行くと、Y男が決めました。

x曜日は私の仕事納めの日で、見学には行かれないので、
これはとても良い機会ですし、母に付き添いで行ってもらうつもりでいます。

母は今は、仏様のような(?)穏やかな人間になり、
私の仕事のx曜日とy曜日には、両親そろって、Y男との夕食、
お風呂、カードゲームなど、とても楽しみにしてくれています。

こんな私ができた 一番の親孝行が、Y男なのかもしれません。

はやし先生にこんなにいろいろとお話できるのは、
Y男も私も、先生が好きだからです。

聞いていただきたいと思ったので、一方的に長いメールを送ってしまいましたが、
不要であればどうぞ聞き流してください。

でももし機会があれば、固有名詞を伏せて、こんな体験でこんな子供が育ち、
こんな母親になったと、はやし先生のお力で、
少女時代の私のような毎日が苦悩と苦痛で満ちていた生徒さんを、お母様を
開放して差し上げられるきっかけになったら、どんなに良いことだろうと思っております。

母は、いっそ本でも書いたら?、のんきなことを言っておりますが、
今の私にそんな時間がいったいどこにあるでしょうか。

さて夜もふけてまいりました
来週3年ぶりの国際線に乗るのに、全く準備ができておりません。
残ったworkも山済みで、何とか乗り切らなくては!
でも忙しいのが性分にあっているのでしょうか。

12月の私は毎日が楽しくて忙しくて、友達と会って力をもらったり、
このうえなく充実しています。

話の続きや枝葉はまだまだありますが、今宵はここまでとさせていただきます。
長文にお付き合いくださいましてありがとうございました。

oh! 日付が変わって、今日はY男の誕生日です
6歳だなんて! あんなに小さな赤ちゃんだったY男が、(Born on xxxx、.2000)、
今こうして育っていることを、誰よりもY男の父に感謝しています。
 
彼は本当に素晴らしい父親です。
運命が私たちを離してしまったけれど、空き箱に迷路を作ってビー玉で転がして遊んだり、
お父さんの小さい頃はこんなことをして遊んだよと話をしたり、
当たり前のことかもしれませんが、でもこんなことになってしまって今もなお、
Y男に愛情を注いでくれていることに、心から感謝しています。

それでは2x日は Y男の祖母、あのスパルタだった(笑い)私の母が、
お伺いするかと思いますが、どうぞよろしくお願いいたします。

結果として両親にはもちろん感謝しています。産んでくれたこと。育ててくれたこと。
Y男のシッターをしてくれていること。それをenjoyしてくれていること。

ps

障害のことで何かお役に立つことがあればどんなことでもお話しますので、
どうぞお声をかけてくださいませ。 

ホルモンバランスやセロトニンの分泌調整知らなかったことを多く学ぶ機会でありました。
必要な方には、詳しくお話しさせていただければ、うれしいです。

++++++++++++++

【はやし浩司より、Vさんへ】

メール、ありがとうございました。
現在、私の周囲でも、同じような問題をかかえ、悩んだり、苦しんだりしている人が、何人かいます。

またそういう人たちの力になってあげてください。

よろしくお願いします。

                       はやし浩司
++++++++++++++

【Vさんより、はやし浩司へ、追伸】

改めて自分の書いたメールを、先生がまとめてくださったものを読んでみると、
これを読んで ひとりでもいい、気持ちが楽になってくれる
お母様、お父様、生徒さんがいらしたら、どんなに良いことだろうと思います。

ただ、話の続きや枝葉はまだまだあると書いたように、
もっともっと様々なことが、私には起きました。
今回の公開に載せていただくことはなくても、
またの機会にでも広く知っていただければと思います。

大きくは二つの話題です

ひとつめ。

先生は 親への反抗で処理したという趣旨のことをおっしゃいましたね。
実は、私もそうでした。

反抗期、ひどかったと思います とくに習い事が辛くて辛くて、
ピークの小学校高学年の頃から中学2年生くらいまで、そうでした。

何を言っても、「ああいえばこういう」式で、
ねじ伏せられてしまうことがわかっていた私は、
母に直接、反抗するということが、あまりできませんでした。
 
仏頂面のままダイニングで家族と食事をしたり、無言のまま誰の顔をも見ず、
さっさと食事を済ませて、勉強部屋に逃げこんだりしました。

その仏頂面の私の唇を見て、母はこう言うのです
「右下の唇が少し上に上がってゆがんでいる。
不満のあるときはいつもそんな顔をする」と。

そして 相手が他人であれば 失礼なほどに 私の顔を、目ジーッと見る。
そんなことをされれば、だれだって、気分を悪くします。で、気分を悪くした私が、
「もういやだ。くそばばぁ」と言って、
勉強部屋へ逃げ隠れしたことがありました。

このときばかりは母も相当なショックだったのでしょう。
その日以降は、話題といえばそのことばかり。
何時間もかけてそれがどんなにいけないことか、
私に説教しようとするのです。しかし私はそれを知っていたからこそ、
そんな言葉を言ってしまったのです。

母が悲しむといけないから、お稽古を頑張らなくてはならない自分がいる半面、
母が悲しむことをして束縛されていることにたいして、ささやかな抵抗をしたかった。

もうこの世から消えてしまいたいとさえ思ったことも、何度もありました
「今度の期末試験の頃は私はもういないんだから、心配することないんだ」と、
そんなばかげたことも考えたこともあります。

母が悲しむだろうから、わざと悪い成績を取ってやろうと考え、
解答用紙にあえて正しくない答えを書いたり 空欄にしたりしたこともあります。
で、それを見て、母はがっかりし、こう言ったこともあります。
「私があなたの学年の頃は、クラスで何番にはいつも入っていた。
なぜあなたはできないの? できるはずでしょう? 
あなたはやればできるのだから言っているのよ」と。

「できるって誰が決めた? 誰が知ってるの? 私、どこまで頑張ればいいの?
今、交通事故で死んじゃったりしたら やりたいこと何にもできずに人生終わっちゃって
悔しいよ」と。
そんな会話が何度も繰り返されたと思います。

母への反抗心は、ある日、ふと薄いものへと変化してゆきました。
希望の高校に入学を果たし、あわただしく身支度をしていた春の朝のことです。
私のためにお弁当を作ってくれている、私よりも背の低い小さな母の背中が、
それを気づかせてくれました。

母も、私を育てるのは初めての経験だということ。
涙が溢れました。でも見つかるのも恥ずかしくて、
「コンタクトが合わなくて…」などとごまかしましたが、
「ひどいことしてごめんね、おかあさん」と、そう、あの時言いたかったのだと思います。
高校を卒業し、進学で実家を離れてからは、なおさら私と母の間の心の距離は縮まり、
一人暮らしが、私を成長させてくれたとも言えると思います。

「あなたは私の芸能マネージャーではないのだから、ぴったりとついてこないで。
誰と連絡を取っているのか、どんな友達とどんな話をしているのか、
50メートル先の自販機までジュースを買いに行くのに、
こっそりついてくるようなことをしないで。
まるで本当にジュースを買いに行くかどうか、確かめにきているみたいではないか」と、
そんな内容の、私にとっては、革命的手紙を渡したのは、
私が高校1年の夏ごろのことだったと思います。

そういうことがあって、母の過干渉も少しずつ薄れていったように思います。

さて もうひとつの話題

これは 今の世の中にも深く関わる重大な問題です。
母から束縛や過度の期待を受けてstressfulになった私がとった行動は、
恥ずかしくも クラスメイトへのいじめでした。

いじめの根源がこんなところにも潜んでいるのです。
もちろん私の心が弱かったので、そんな方向へ向かってしまったのは確かです。
しかし あれほどにまでのストレッサーがなければ、
子供の頃から転校生には進んで声をかけていた私が
あんなことはしなかったと言えると思います。

私自身もがき苦しんでいたけれど 人を苦しめることで憂さ晴らしをしようとは、
なんと愚かなことでしょう。

だから お父様、お母様、お子様がそんな風になってしまうほど
過度の干渉や期待、子供なりのプライベートへの介入をしないでほしい。

どこかで全く関係の無い誰かが、傷ついてしまう引き金になってしまう可能性があるから。
いまでも私は心を傷つけてしまったお友達のことを時折思い出し、
「ごめんね。今はどうか暖かくしあわせな毎日を送っていてほしいよ」
と思うことがあります。

ある女の子は ひどく私がいじめをしたのにもかかわらず、
私がいじめのターゲットになったときには、
惜しげもなく私に救いの手を差し伸べてくれました。

彼女は今、専門分野で世界的に活躍する立派な女性兼母になったと、
風の便りで聞きました。

彼女の成功を心からお祝いし、これからの活躍をも心からお祈りしています。

上記のいじめに関する文章は、同じ出来事を、違う言葉でしたが、あるテレビ番組の
「いじめについて考える」番組に、投稿したことがあります。

うまくまとめられたかわかりませんが以上になります。
もっと続きも枝葉もありますが、今日のところは、ここまでとします

先生、ありがとう。
私の話に耳を傾けてくださってありがとう。
私の気持ちを汲んで 皆さんにこんなできごとがあるということを、
知らせてくださって、ありがとう。

私は先生の尊敬に当たる人間ではとてもありませんよ。巨大リップサービスです
でも、生き方を認めていただけたことは、心から嬉しく思います。
ありがとうございました。

上記の文章の掲載についても、先生にお任せします

でもね先生、私、仲の良いお母様方には全く同じ話をしています。
「私、頭が弱いからね~ 薬の時間なのょ」なんて、
どこか冗談めかしながら。いえ、本当に大笑いしながら、どんどん話題にしています。

ですので、これを読んで あのVさんのことじゃないかな?、と思う
お母様は、少なくともK幼稚園のお母様ならなおさら、
5本の指でおさまるかどうかという気持ちです。アハハ。

でも今の私には、「そうなの、わたしのこと! スパルタ教育の話、
はやし先生にしちゃったぁ」と笑って答えることができます。

だから 気にしません。
誰かの心や命が、助かるのかもしれないのであれば、
どうぞはやし先生のお力で、きっかけ作りをして差し上げてほしいと思います。

ああ、2学期も明日でおしまい。明日じゃない、もう今日になってしまった!
まだまだ幼稚園児でいてほしいなぁ。
これからまた、どんな出会いがあるだろう。
小学生になったY男は どんな困難や挫折を味わうだろう。

けれど私は Y男へのバースデーカードにこう書き添えました。

「その手でゆめをつかみなさい。
 そのあしで ゆきたいところへどこにでもいきなさい。
 そうしておとうさんのような りっぱなひとになるのよ」と。

どこか照れくさいメッセージですが、本心です

Y男の父からも、日付指定で、カードが郵便物として届きました。
誕生日の数字を Y男の好きな迷路にイラストしてあり、
おわりのところには、「おかあさんをたいせつにしなさい」とありました。

久しぶりに声を上げて泣きながら、音楽のボリュームを大にして、
車を運転しながら仕事に向かいました。
彼という人間の子供を産んだ私は、とても幸せです。

長文を読んでくださってありがとうございました。
先にも書きましたとおり掲載については先生にお任せします。

今度は 祖母から聴いた私の心にいつもある「幸せのおどんぶり、かなしみのおどんぶり」
のお話を聞いていただきたいと思っています。

長文乱文にお付き合いくださいましてありがとうございました。

Vより。

+++++++++++++++


【はやし浩司より、Vさんへ】

●代償的過保護

 親の過干渉、過関心、プラス過剰期待が、子どもをいかに苦しめるものであるか。親は、「子どものため」と思ってそうしますが、子どもにとっては、そうではないのですね。その苦しみは、苦しんだものでないと、わからないものかもしれません。

 発達心理学の世界にも、「代償的過保護」という言葉があります。一見、過保護なのだが、ふつう過保護には、それがよいものかどうかは別として、その基盤に親の愛情があります。その愛情が転じて、過保護となるわけです。が、中には、愛情のともなっていない過保護があります。それが「代償的過保護」ということになります。言うなれば、過保護もどきの過保護を、「代償的過保護」といいます。

 たとえば子どもを自分の支配下において、自分の思いどおりにしたいと思うのが、代償的過保護です。そして親自身が感ずる、不安や心配を、そのまま子どもにぶつけてしまう。

 「こんな成績で、どうするの!」「こんなことでは、A学校には、入れないでしょ!」「もっと、勉強しなさい!」と。

 その原因はといえば、親の情緒的未熟性、精神的欠陥があげられます。親自身が、心にキズをもっているケースもありますし、それ以上に多いのが、親自身が、自分の結婚生活に対して、何か、大きなわだかまりや不満をもっているケースです。

 わかりやすく言えば、満たされない夫婦生活に対する不満を、子どもにぶつけてしまう。自分の果たせなかった夢や希望を、子どもに求めてしまう。明けても暮れても、考えるのは、子どものことばかり、と。

 しかし本当に子どもの立場になって、子どもの心を理解しているかといえば、そういうことはない。結局は、自分のエゴを、子どもに押しつけているだけ。よい例が、子どもの受験競争に狂奔している母親です。(父親にも多いですが……。)

 このタイプの親は、子どもには、「あなたはやればできるはず」「こんなはずはない」「がんばりなさい」と言いつつ、自分では、ほとんど、努力しない。いつだったか、私が、そんなタイプの母親に、「では、お母さん、あなたが東大に入って見せればいいじゃないですか」と言ったことがあります。すると、その母親は、はにかみながら、こう言いました。「私は、もう終わりましたから……」と。

そして、すべてのエネルギーを、子どもに向けてしまう。それが親として、あるべき姿、もっと言えば、親の深い愛情の証(あかし)であると誤解しているからです。

●親の過剰期待

 が、何が子どもを苦しめるかといって、親の過剰期待ほど、子どもを苦しめるものはありません。子どもは、その重圧感の中で、もがき、苦しみます。それを表現したのが、イプセンの『人形の家』ですね。それについては、もう何度も書いてきましたので、ここでは省略します。子どもは子どもで、まさに「人形」のような子、つまり「人形子」になってしまいます。

 「いい子」を演ずることで、自分の立場をとりつくろうとします。しかし人形は人形。どこにも、「私」がない。だから、このタイプの子どもは、いつか、その成長段階で、自分を取りもどそうとします。「私って、何だ!」「私は、どこにいる!」「私は、どうすればいいんだ!」と。

 それはまさに、壮絶な戦いですね。親の目からすれば、子どもが突然、変化したように見えるかもしれません。そのままはげしい家庭内暴力につながることも、少なくありません。

 (反対に、親にやりこめられてしまい、生涯にわたって、ナヨナヨとした人生観をもってしまう子どももいます。異常なまでの依存性、異常なまでのマザコン性が、このタイプの子どもの特徴のひとつです。中には、40歳を過ぎても、さらに50歳を過ぎても、母親の前では、ひざに抱かれたペットのようにおとなしい男性もいます。)
 
 ……だからといって、Vさんがそうだったとか、Vさんのお母さんが、そうだったと言っているのではありません。ここに書いたのは、あくまでも、一般論です。

 ただ注意したいことは、2つあります。

●批判だけで終わらせてはいけない
 
ひとつは、Vさんは、自分の母親を見ながら、反面教師としてきたかもしれませんが、自分自身も、自分の子ども、つまりY男君に対して、同じような母親になる可能性が、たいへん高いということです。「私は、私の母親のような母親にはならない」と、いくらがんばっても、(あるいはがんばればがんばるほど)、その可能性は、たいへん高いということです。

 子育てというのは、そういう点でも、親から子へと、伝播しやすいと考えてください。今はわからないかもしれませんが、あとで気がついてみると、それがわかります。「私も、同じことをしていた」と、です。どうか、ご注意ください。

●基本的信頼関係

 もうひとつは、情緒的未熟性、精神的な欠陥の問題です。(Vさんが、そうであると言っているのではありません。誤解のないように!)

 最近の研究によれば、おとなになってからうつ病になる人のばあい、そのほとんどは、原因は、乳幼児期の育てられ方にあるということがわかってきました。とくに注目されているのが、乳幼児期のおける母子関係です。

 この時期に、(絶対的な安心感)を基盤とした、(基本的信頼関係)の構築に失敗した子どもは、不安を基底とした生き方をするようになってしまうことが知られています。「基底不安」というのがそれです。おとなになってからも、ある種の不安感が、いつもついてまわります。それがうつ病の引き金を引くというわけです。

また、ここでいう(絶対的な安心感)というのは、(絶対的なさらけ出し)と、(絶対的な受け入れ)を言います。

 「絶対的」というのは、「疑いすらもたない」という意味です。

 つまり子どもの側からみて、「どんなことをしても、許される」という、絶対的な安心感のことをいいます。これが(心)の基本になるということです。心理学の世界でも、こうして母子の間でできる信頼関係を、「基本的信頼関係」と呼んでいます。

(あくまでも、「母子」です。この点においては、父親と母親は、平等ではありません。子どもの心に決定的な影響を与えるのは、あくまでも母親です。あのフロイトも、そう言っています。)

 そのためには、子どもは、(望まれて生まれた子ども=wanted child)でなければなりません。(望まれて生まれた子ども)というのは、夫婦どうしの豊かな愛情の中で、愛情に包まれて生まれてきた子どもという意味です。

 が、そうでないケースも、多いです。たとえば(できちゃった婚)というのがありますね。「子どもができてしまったから、しかたないので結婚しよう」というのが、それです。夫婦の愛情は、二の次。だから生まれてきた子どもへの愛情は、どうしても希薄になります。

それだけですめばまだよいのですが、そのため親は親で、(とくに母親は)、子育てをしながら、そこに犠牲心を覚えるようになる。あるいは、そのまま自分の子どもを、溺愛するようになる。

●絶対的な母子関係

 「産んでやった」「育ててやった」「大学まで出してやった」を、口ぐせにする親は、たいていこのタイプの親と考えてよいです。もともと夫婦の愛情が基盤にあって生まれた子どもではないからです。

 一方、子どもは子どもで、そういう母親でも、親であると、自分の脳みその中に、本能に近い部分にまで刷りこみます。やはり最近の研究によれば、人間にも、鳥類(殻から出てすぐ二足歩行する鳥類)のような、(刷りこみ=imprinting)があることがわかってきました。これを「敏感期」と呼んでいます。

 つまり子どもは子どもで、そういう環境で育てられながらも、「産んでいただきました」「育てていただきました」「大学まで出していただきました」と言い出すようになります。

 つまり、親の子どもへの依存性が、そのまま、今度は、子どもの親への依存性へと変化するわけです。

 これがここでいう「伝播」ということになります。わかりますか?

 そしてそれは、先にも書きましたように、今度は、あなたという(親)から、あなたの(子ども)へと伝播する可能性があるということです。そういう意味では、『子育ては本能ではなく、学習』ということになります。あなたの子どもはあなたという母親を見ながら、今度は、それを自分の子育て観としてしまう!

 では、どうするか?

●「私」をつくる3つの方法

 自分の親を反面教師とするならするで、批判ばかりでは終わってはいけないということです。また今は、「仏様」(Vさん)のようであるからといって、過去の母親を、許してはいけないということです。

 あなたはあなたで、親というより、人間として、別の人格を、自分でつくりあげなければなりません。それをしないと、結局は、あなたは、自分の親のしてきたことを、そっくりそのまま、今度は、自分の子どもに繰りかえしてしまうということになりかねません。
 
そのために、方法はいくつかありますが、ひとつは、すでにVさん自身がなさっているように、(1)過去を冷静にみながら、(2)自己開示をしていくということです。わかりやすく言えば、自分を、どんどんとさらけ出していくということです。そしてその上で、(3)「私はこういう人間だ」という(私)をつくりあげていくということです。

 いろいろ事情はあったのでしょうが、またほとんどの若い母親はそうであると言っても過言ではありませんが、あなたの母親は、そういう点では、情緒的には、たいへん未熟なまま、あなたという子どもを産んでしまったということになります。(だからといって、あなたの母親を責めているのではありません。誤解のないように!)

 子どもから見れば、どんな母親でも、絶対的に見えるかもしれません。が、それは幻想でしかないということです。ここに書いた、(刷りこみ)によってできた幻想でしかないということです。

 それもそのはず。子どもは、母親の胎内で育ち、生まれてからも、母親の乳を受けて、大きくなります。子どもにとっては、母親は(命)そのものということになります。しかし幻想は幻想。心理学の世界では、そうした幻想から生まれる、もろもろの束縛感を、「幻惑」と呼んでいます。

 で、私もあるとき、ふと、気がつきました。自分の母親に対してです。「何だ、ただの女ではないか」とです。私も、「産んでやった」「育ててやった」という言葉を、それこそ、耳にタコができるほど、聞かされて育ちました。だからある日、こう叫びました。私が高校2年生のときのことだったと思います。

 「いつ、オレが、お前に産んでくれと頼んだア!」と。

 それが私の反抗の第一歩でした。で、今の私は、今の私になった。もしあのとき反抗していなければ、ズルズルと、マザコンタイプの子どものままに終わっただろうと思います。(もっとも、それで家族自我群がもつ重圧感から、解放されたというわけではありませんが……。)

●Vさんへ、

 ……とまあ、Vさんに関係のないことばかりを書いてしまいました。Vさんからのメールを読んでいるうちに、あれこれ思いついたので、そのまま文にした感じです。ですから、どうか、仮にお気にさわるような部分があったとしても、お許しください。

 子育てを考えるということは、そのまま自分を考えることになりますね。自分を知ることもあります。私も多くの子どもたちに接しながら、毎日、それこそいつも、「私って何だろう」「人間って何だろう」と、そんなことばかりを考えています。

 以上、何かの参考になれば、うれしいです。また原稿ができまたら、送ってください。いっしょに、(自己開示)を楽しみましょう! どうせたった一度しかない人生ですから、ね。何も、それに誰にも、遠慮することなんか、ない。

 だって、そうでしょ。私も、Vさんも、「私」である前に、1人の人間なのですから……。
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 家族自我群 幻惑 過干渉 過関心 代償的過保護 自己開示 はやし浩司 親の過干渉 過干渉児

*Children who are like dolls

●人形子(にんぎょうし)

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A小学校のA先生と、電話で話す。
その中で、東京のA原で起きた、凶悪事件が、
話題になった。

あの事件を起こした男性は、中学生のころまで、
非のうちどころのない、優等生であったという。
成績は優秀で、まじめで、従順で……、と。

そんな男性が、トラックを借り、通行人の中に
突っ込んでいった!
何人かの人を殺した。

そんな話をしながら、私は「人形子」という言葉を使った。

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ペットというよりは、人形。
そんな子どもが、10人のうち、1~2人はいる。
イプセンの『人形の家』にならって、私は「人形子
(にんぎょうし)」と呼ぶ。

できは、よい。
見た感じ、人格の完成度も高い。
ものわかりもよく、先生の指示に対しても、すなおに
従う。

やることに無駄がなく、ソツがない。
宿題もきちんとやってくる。
何か質問をしても、いつも模範解答が返ってくる。

先生「拾ったお金は、どうしますか?」
子 「交番へ届けます」
先生「自分で使ってしまう人もいますが・・・」
子 「そんなことをすれば、落とした人が困ります」と。

学習面でもすぐれている。
「あなたは家から帰ったら、何をしているの?」と
聞くと、「お母さんが買ってくれた、本を読んでいます」
などと答える。

そんなわけで、幼稚園でも学校でも、「いい子」という
評価を受ける。(・・・受けやすい。)

冒頭で、「10人のうち、1~2人はいる」と書いたが、
もちろん程度の差もある。
もし基準をさげたら、10人のうち、2~3人に
なるかもしれない。

が、反対に、「これではいけない」と思う子どもも、いる。
そういう子どもが、20人に1人とか、30人に
1人とかいる。

というのも、人形子になるには、ひとつの条件がある。
子ども自身、ある程度、できがよくなければならない。
できがよいから、親が、子どもの教育にますます
のめりこむ。

つまり子どもは、親の期待にこたえようと、ますます人形子に
なっていく。
「いい子」を演ずることによって、自分の立場を確保しよう
とする。
わかりやすく言うと、仮面をかぶる。
が、そのうち、その仮面をはずせなくなってしまう。
幼稚園や学校に教師に対しても、そうである。

こうして幼稚園の年長期を迎えるころには、独特の
雰囲気をもった子どもになる。

一口で言えば、子どもらしさそのものが、ない。
子どもっぽさを、感じない。
子どものはずなのに、妙に、おとなびている。
が、親は、そういう自分の子どもを見ながら、むしろ
できのよい子どもと思ってしまう。
反対に、そうでない子どもを、できの悪い子どもとして、
遠ざけてしまう。

親の過関心、過干渉、それに溺愛が混ぜんいったいとなって、
その子どもの世界を包む。
明けても暮れても、頭の中にあるのは、子どものことばかり。

「ゲームのような低劣なものは、家には置きません」
「うちの子は、受験勉強とは無縁の世界で育てます」
「歌は、プロの先生に指導していただいています」
「毎週、1冊は、本を読ませています」などなど。

「ある程度は、俗世間に融和させないと、お子さん
自身が、つらい思いをするのでは?」と、教師がアドバイスしても、
聞く耳、そのものをもっていない。

自ら厚いカプセルの中に入ってしまっている。
その狭い世界の中だけで、独自の教育観(?)を、
熟成させてしまっている。

「英語の先生は、ネイティブでないと困ります」
「理科教育は、何でも実験を先にしてから、教えてほしい」
「備え付けの楽器は、不潔だから、使わせないでほしい」などなど。

学校の教育についても、あれこれと注文をつけていく。

しかしこういう親が一人いるだけで、その教室の教育は
マヒしてしまう(A先生)。

では、どうするか?、・・・という問題よりも、そういう
親は、一度、先に書いた、イプセンの『人形の家』を
読んでみたらよい。

が、その程度ではすまない。
幼児期から、思春期前後まで、「いい子」で通した子どもほど、
あとがこわい。

何度も書いているが、子どもというのは、その発達段階ごとに、
昆虫がカラを脱ぐようにして、成長していく。
第一次反抗期には、第一次反抗期の子どものように、
中間反抗期には、中間反抗期の子どものように・・・。

非行が好ましいというわけではないが、非行を経験した
子どもほど、あとあと常識豊かな子どもになるということは、
この世界では常識。

(そもそも「非行」とは何か? その定義もあやしい?)

たとえば思春期前後から、はげしい家庭内暴力を繰りかえす
ようになる子どもがいる。

このタイプの子どもほど、それまで、「いい子?」だった
というケースがほとんどである。
だから子どもが家庭内暴力を繰りかえすようになると、
ほとんどの親は、泣きながら、こう叫ぶ。

「どうして?」「子どものころは、あんないい子だったのに!」と。

しかしそれは親の目から見て、「いい子?」だったにすぎない。

(以上、A先生の許可をいただき、A先生の話の内容を、
まとめさせていただきました。08年6月23日。)

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【引きこもりvs家庭内暴力】

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将来的に、引きこもったり、家庭内暴力を
起こす子どもというのは、その前の段階で、
独特の雰囲気を、もつようになる。

それについては、何度も書いてきたので、
ここでは省略する。

問題は、そういう雰囲気を感知したとき、
それをどこまで親に告げるべきか。
教師は、その問題で、悩む。

この段階では、たいていの親たちは、
「自分の子どもはできがいい」とか、
「うちの子にかぎって」とか思っている。
大半は、「私の育児のし方こそ、ぜったい」と
思っている。

思っているというよりも、信じている。
そういう親に向かって、「お宅のお子さんには
問題があります」などとは、言えない。
言ったとたん、親はパニック状態になる。
ついで、教師と親の人間関係は、終わる。

そんなわけで、たいていの教師は、「もしまちがっていたら・・・」
という迷いもあり、かたく口を閉ざす。

つまりここに書いた、人形子も、そうである。
人形子とわかっていても、それを口にするのは、
タブー中のタブー。

が、このタイプの子どもほど、思春期を迎えるころ、
はげしく豹変する。
年齢的は、12~14歳前後か。

ふつうの豹変ではない。
ある日を境に、突然、狂ったように暴れだしたりする。
「オレをこんなオレにしたのは、テメエだア!」と。

中には、豹変しないで、人形子のまま
おとなになる子どももいる。
イプセンの『人形の家』の中の主人公が、
その一例かもしれない。

そういう意味では、この時期にはげしく親に
抵抗する子どものほうが、まだマシという
ことになる。
心の内にたまったエネルギーは、できるだけ
早い時期に吐き出したほうがよい。

が、反対に引きこもるタイプの子どももいる。
よく誤解されるが、引きこもるから暴力をふるわない
ということではない。

ちょっとしたことで錯乱状態になって、暴れたりする。

そこであなたの子どもは、どうか?

あなたの前で、子どもらしく、自由に、伸び伸び
しているだろうか。
言いたいことを言い、したいことをしているだろうか。

もしそうなら、それでよし。
が、反対に、「うちの子は、できがいい」と思っているなら、
ここに書いたことを、もう一度、読みなおしてみてほしい。

子育てというのは、自分で失敗してみて(失礼!)、
はじめて失敗と気づく。
これは子育てそのものがもつ、宿命のようなものかも
しれない。

賢い親は、それに事前に気づき、そうでない親は、
失敗(失礼!)してから、それに気づく。
(「失敗」という言葉を使うのは、好きではないが・・・。)

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●「人形の子」論

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●あるお母さんからのメール

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親から受けた子育てが原因で、
長い間、大きな心のキズに苦しんでいた
お母さんから、こんなメールが
届いています。

読者のみなさんの力になればと、
公開してくださいとのこと。
喜んで、そうさせていただきます。

お名前を、Vさん(母親)としておきます。

Vさんは、子どものころ、親からきびしい
教育としつけを受け、それが原因で、
心に大きなキズを受けてしまいました。

Vさんは、「私がしたような経験を、ほかの
子どもたちにはしてほしくない」と言っています。

本当に、そうだと思います。

最近の研究によれば、うつ病の(種)のほとんどは、
その人の乳幼児期にあるということまで、
わかってきました。

乳児期から幼児期にかけては、
(1) 心豊かで、穏やかな家庭環境、
(2) 愛情豊かで、静かな親子関係、
この2つが、とくに重要かと思います。

Vさんからのメールをお読みください。

++++++++++++++++++

【Vさんより、はやし浩司へ】

はやし先生、こんばんは!

今日はレッスン前に、少しだけしたが、私がかかえる障害のお話を聞いてくださって、
ありがとうございました。

私は 先生のEマガによる「自己開示」でいえば4~5レベルに入るほど、
まわりの人たちに、いろいろなことを話しています。

隠していなくてはならないことなど、そんなにはないし、
自分を知ってもらうことは 息子であるY男にとっても
良いことのように思ったりするからです。

先生が、私の経験を多くの人たちにお話してくださるのももちろん、歓迎です
良い例として、あるいは悪い例として、
私の経験してきたことが今、どんな風に私の人生で活かされているのか、
また、少女時代の私と同じ思いを、今まさにしている子供たちが今いるとしたら、
保護者の方に気づいていただきたいからです。

両親の教育が厳しく 過干渉で 私にとっては、長くて、辛い少女時代でした。
特に厳しかったのは母でした。しかし母だけを責めているのではありません。
母は 明治生まれの姑の前で、私たち姉妹を懸命に育て、
社会に出ても恥ずかしくない子に育てをしなくては……という使命のもとでの
思いだったわけです。

当時は今のように、相談できる機関や話を打ち明けられる相手もなく、
母も苦しんだと思います 父も相談相手にはならなかったようです。

というのも 父は自分の父親を第二次世界大戦で亡くし、
顔を見た事もないまま育ったそうです。
私は今でも、ラバウル上空を通過するときは 胸が苦しくなります。

そして実の母は 姑に父を残して 再婚して出て行ってしまったそうです。
どれほどの想像を絶する悲しみを乗り越えたでしょう。

父は曾祖母に対して異常なまでの執着心を持ち妻より子供より、曾祖母
という感じでした。

そんな生活の中で 母は私たちを厳しく育てることと、しつけることで、
自分なりのアピールをしていたのかもしれません。

また 別の観点からすると 母は私たちの子育てを、はけ口としていたかも
しれません。そのことも否定できないと思っています。

では、姉にはなぜ私のような障害が起きなかったか。

私の姉は3歳年上のキャリアウーマンですが、
何をするにも要領がよく、賢く、そして心優しく 暖かい人間で、
身内の私が言うのも恐縮ですが 尊敬しています。

母やきびしい習い事の先生がおっしゃる非道徳的な言葉ですら、
「あの人、なにいってるんだろ。私のどこまでしってるっていうの?」と
冷静な受け止め方が子供の頃からできたようです。

私はといえば、まったく正反対。

母の期待にこたえよう。今、Dropoutしてしまえば お母さんが悲しむかとか、
そんなことばかり考えていました。

生真面目で いつも良い子でいなくてはならない。いつも良い点を取らなくてはならない。
お母さんが悲しむから。クラス代表に選ばれなくてはならない。母が望むから、と。

小学校3年生のとき、サンタさんに手紙を出しました。
サンタさんの存在を信じていたころ書いた、最後の手紙だったと思います。

内容は、「お願いです プレゼントはいりません ただ習い事を全部やめさせてください」
というものでした。

サンタさんが願いをかなえてくれなかったのは、これが初めてでした。

心療内科の先生はおっしゃいました。

「あなたのお父様もお母様も 強迫性障害 の可能性がある」と。

思い当たる節はいくつもありました これは遺伝する可能性のある
障害だそうです。

今年前半は、T市にある児童心療内科まで、Y男をつれて、月に一度通っていました。
Y男のためというよりは 私が息子と、どう向きあえばよいのか、
どう育てていけばよいのか、全くわからなくなり、心は八方塞になったからです。

今思えば あの半年間の通院は 心療内科の先生に会って私がカウンセリングを受ける
私のいわば治療であったように思います。

時がたつにつれて、私は私の方法で Y男と向き合っていけばいいと思うように
なりました。

なぜなら、私はY男の母親なのだから……。

こんなシンプルな答えにたどり着くのに 随分と遠回りをしたし、
これからもしてしまうことがあるのかもしれませんが、今は 安定した気持ちで、
Y男に接しています。

父はY男がおなかにいるときに脳内出血で倒れ、現在は、右半身不随の生活をしています。
それがわかった当時は、みんな私のBabyではなく、
父の病気のことにばかり関心をもって、情緒不安定になり、
母や夫に当たったこともありました。

しかし母は立派に父のパートナーとして、父の治療に徹底的につき合っています。

ひところは東京のホテルに3か月ほど暮らして、有名な先生の治療を受けていました。
けれど回復には限度があり 今は良くも悪くもならないように、
リハビリとして、朗読や華道、陶芸など様々なことにチャレンジしています。

また 現在では障害者対応の施設も多く 年に3回ほど旅行に出かけています
障害者仲間の皆様との出会いも 両親を大きく支えてくださっていると思います

で、父もあきらかな強迫性障害者です。

強迫行為といって 鍵を閉めたか、ガスの元栓は締めたか、
冷蔵庫はちゃんとしまっているか、
出かける前もふだんの生活の中でも、あまりにもしつこいこれらの行為に
私たちは障害のことは何も知らずに、へきえきしていました。

私には強迫行為はありません。
主な症状は 不安がとめどなく押し寄せて眠れないとか、そんなことです。

朝起きてまず初めに思い浮かぶことは、
今日の予定の嫌な部分です。不安が押し寄せると、過喚起を起こしてしまう。
これではちゃんとY男を育てることができないと感じたこともあります。

03年の4月 Y男が入園した直後、お願いするのならばこの先生と決めていた
先生のところへ夢中で向かっていました。

ふら~と先生の前にお伺いして、
私は「うつ病」だといわれるのを恐れていました。
 
そのために今まで躊躇して、治療を受ける勇気が無かったのです。
いま、抗うつ剤も飲んではいますが、今のお薬はとても私にあっていると感じ、
快適に過ごしています。もちろん体調の良悪によって効き目が違ったり、
沈んでしまうこともありますが……。

そこから抜け出すには散歩をしたり 本をむさぼり読んだり、
ひたすら英語で独り言を言ったり、大好きな音楽を聴いたり、
一心不乱にピアノを弾いたりしています。

自分の力で抜け出す術を身につけることができるようになってきました。
化学物質を使っての治療に、初めはとても抵抗がありましたが、
お薬で生活をよりよいものにすることができるのならば、
甘えて使ってもいいんだというふうに、解釈するようになりました。

ドクター曰く、「おばあちゃまが飲むような弱い薬よ。副作用もないゎ」と。
あれから約3年 いま、最高の組み合わせのお薬にめぐり合えました。

とにかく私は 私が過去に味わった苦しみも含めて、そして今があることに
心から感謝しているし、あの苦しみがなければ、
Y男に同じ思いをさせていたかもしれないと思うと、ぞっとします。

そのことに比べれば、今の状態など、なんということはありません。
どんな経験からも苦しみからも、そして喜びからも学ぶことは際限なく多く、
そしてすべての出会いと、想いと、天国の大切な存在たちに守られて、
私たちは あたたかな蜜月を(?)すごしています。

Y男の人生はY男が決めればいい。
どうしても辛くて何かをやめたくなったとき、
逃げるのでなく決断なのであれば私は応援します。
そしてまた 新しい道を探していけば きっときっと、
something wonderful+special for him に
出逢えると信じています。

来週のレッスンの頃はグアムで思い切りガムをかんでいる(?)と思うので、
おそらく2x日のレッスンを受けさせていただくと思います。
3時まで別の習い事があるので終わってから行くと、Y男が決めました。

x曜日は私の仕事納めの日で、見学には行かれないので、
これはとても良い機会ですし、母に付き添いで行ってもらうつもりでいます。

母は今は、仏様のような(?)穏やかな人間になり、
私の仕事のx曜日とy曜日には、両親そろって、Y男との夕食、
お風呂、カードゲームなど、とても楽しみにしてくれています。

こんな私ができた 一番の親孝行が、Y男なのかもしれません。

はやし先生にこんなにいろいろとお話できるのは、
Y男も私も、先生が好きだからです。

聞いていただきたいと思ったので、一方的に長いメールを送ってしまいましたが、
不要であればどうぞ聞き流してください。

でももし機会があれば、固有名詞を伏せて、こんな体験でこんな子供が育ち、
こんな母親になったと、はやし先生のお力で、
少女時代の私のような毎日が苦悩と苦痛で満ちていた生徒さんを、お母様を
開放して差し上げられるきっかけになったら、どんなに良いことだろうと思っております。

母は、いっそ本でも書いたら?、のんきなことを言っておりますが、
今の私にそんな時間がいったいどこにあるでしょうか。

さて夜もふけてまいりました
来週3年ぶりの国際線に乗るのに、全く準備ができておりません。
残ったworkも山済みで、何とか乗り切らなくては!
でも忙しいのが性分にあっているのでしょうか。

12月の私は毎日が楽しくて忙しくて、友達と会って力をもらったり、
このうえなく充実しています。

話の続きや枝葉はまだまだありますが、今宵はここまでとさせていただきます。
長文にお付き合いくださいましてありがとうございました。

oh! 日付が変わって、今日はY男の誕生日です
6歳だなんて! あんなに小さな赤ちゃんだったY男が、(Born on xxxx、.2000)、
今こうして育っていることを、誰よりもY男の父に感謝しています。
 
彼は本当に素晴らしい父親です。
運命が私たちを離してしまったけれど、空き箱に迷路を作ってビー玉で転がして遊んだり、
お父さんの小さい頃はこんなことをして遊んだよと話をしたり、
当たり前のことかもしれませんが、でもこんなことになってしまって今もなお、
Y男に愛情を注いでくれていることに、心から感謝しています。

それでは2x日は Y男の祖母、あのスパルタだった(笑い)私の母が、
お伺いするかと思いますが、どうぞよろしくお願いいたします。

結果として両親にはもちろん感謝しています。産んでくれたこと。育ててくれたこと。
Y男のシッターをしてくれていること。それをenjoyしてくれていること。

ps

障害のことで何かお役に立つことがあればどんなことでもお話しますので、
どうぞお声をかけてくださいませ。 

ホルモンバランスやセロトニンの分泌調整知らなかったことを多く学ぶ機会でありました。
必要な方には、詳しくお話しさせていただければ、うれしいです。

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【はやし浩司より、Vさんへ】

メール、ありがとうございました。
現在、私の周囲でも、同じような問題をかかえ、悩んだり、苦しんだりしている人が、何人かいます。

またそういう人たちの力になってあげてください。

よろしくお願いします。

                       はやし浩司
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【Vさんより、はやし浩司へ、追伸】

改めて自分の書いたメールを、先生がまとめてくださったものを読んでみると、
これを読んで ひとりでもいい、気持ちが楽になってくれる
お母様、お父様、生徒さんがいらしたら、どんなに良いことだろうと思います。

ただ、話の続きや枝葉はまだまだあると書いたように、
もっともっと様々なことが、私には起きました。
今回の公開に載せていただくことはなくても、
またの機会にでも広く知っていただければと思います。

大きくは二つの話題です

ひとつめ。

先生は 親への反抗で処理したという趣旨のことをおっしゃいましたね。
実は、私もそうでした。

反抗期、ひどかったと思います とくに習い事が辛くて辛くて、
ピークの小学校高学年の頃から中学2年生くらいまで、そうでした。

何を言っても、「ああいえばこういう」式で、
ねじ伏せられてしまうことがわかっていた私は、
母に直接、反抗するということが、あまりできませんでした。
 
仏頂面のままダイニングで家族と食事をしたり、無言のまま誰の顔をも見ず、
さっさと食事を済ませて、勉強部屋に逃げこんだりしました。

その仏頂面の私の唇を見て、母はこう言うのです
「右下の唇が少し上に上がってゆがんでいる。
不満のあるときはいつもそんな顔をする」と。

そして 相手が他人であれば 失礼なほどに 私の顔を、目ジーッと見る。
そんなことをされれば、だれだって、気分を悪くします。で、気分を悪くした私が、
「もういやだ。くそばばぁ」と言って、
勉強部屋へ逃げ隠れしたことがありました。

このときばかりは母も相当なショックだったのでしょう。
その日以降は、話題といえばそのことばかり。
何時間もかけてそれがどんなにいけないことか、
私に説教しようとするのです。しかし私はそれを知っていたからこそ、
そんな言葉を言ってしまったのです。

母が悲しむといけないから、お稽古を頑張らなくてはならない自分がいる半面、
母が悲しむことをして束縛されていることにたいして、ささやかな抵抗をしたかった。

もうこの世から消えてしまいたいとさえ思ったことも、何度もありました
「今度の期末試験の頃は私はもういないんだから、心配することないんだ」と、
そんなばかげたことも考えたこともあります。

母が悲しむだろうから、わざと悪い成績を取ってやろうと考え、
解答用紙にあえて正しくない答えを書いたり 空欄にしたりしたこともあります。
で、それを見て、母はがっかりし、こう言ったこともあります。
「私があなたの学年の頃は、クラスで何番にはいつも入っていた。
なぜあなたはできないの? できるはずでしょう? 
あなたはやればできるのだから言っているのよ」と。

「できるって誰が決めた? 誰が知ってるの? 私、どこまで頑張ればいいの?
今、交通事故で死んじゃったりしたら やりたいこと何にもできずに人生終わっちゃって
悔しいよ」と。
そんな会話が何度も繰り返されたと思います。

母への反抗心は、ある日、ふと薄いものへと変化してゆきました。
希望の高校に入学を果たし、あわただしく身支度をしていた春の朝のことです。
私のためにお弁当を作ってくれている、私よりも背の低い小さな母の背中が、
それを気づかせてくれました。

母も、私を育てるのは初めての経験だということ。
涙が溢れました。でも見つかるのも恥ずかしくて、
「コンタクトが合わなくて…」などとごまかしましたが、
「ひどいことしてごめんね、おかあさん」と、そう、あの時言いたかったのだと思います。
高校を卒業し、進学で実家を離れてからは、なおさら私と母の間の心の距離は縮まり、
一人暮らしが、私を成長させてくれたとも言えると思います。

「あなたは私の芸能マネージャーではないのだから、ぴったりとついてこないで。
誰と連絡を取っているのか、どんな友達とどんな話をしているのか、
50メートル先の自販機までジュースを買いに行くのに、
こっそりついてくるようなことをしないで。
まるで本当にジュースを買いに行くかどうか、確かめにきているみたいではないか」と、
そんな内容の、私にとっては、革命的手紙を渡したのは、
私が高校1年の夏ごろのことだったと思います。

そういうことがあって、母の過干渉も少しずつ薄れていったように思います。

さて もうひとつの話題

これは 今の世の中にも深く関わる重大な問題です。
母から束縛や過度の期待を受けてstressfulになった私がとった行動は、
恥ずかしくも クラスメイトへのいじめでした。

いじめの根源がこんなところにも潜んでいるのです。
もちろん私の心が弱かったので、そんな方向へ向かってしまったのは確かです。
しかし あれほどにまでのストレッサーがなければ、
子供の頃から転校生には進んで声をかけていた私が
あんなことはしなかったと言えると思います。

私自身もがき苦しんでいたけれど 人を苦しめることで憂さ晴らしをしようとは、
なんと愚かなことでしょう。

だから お父様、お母様、お子様がそんな風になってしまうほど
過度の干渉や期待、子供なりのプライベートへの介入をしないでほしい。

どこかで全く関係の無い誰かが、傷ついてしまう引き金になってしまう可能性があるから。
いまでも私は心を傷つけてしまったお友達のことを時折思い出し、
「ごめんね。今はどうか暖かくしあわせな毎日を送っていてほしいよ」
と思うことがあります。

ある女の子は ひどく私がいじめをしたのにもかかわらず、
私がいじめのターゲットになったときには、
惜しげもなく私に救いの手を差し伸べてくれました。

彼女は今、専門分野で世界的に活躍する立派な女性兼母になったと、
風の便りで聞きました。

彼女の成功を心からお祝いし、これからの活躍をも心からお祈りしています。

上記のいじめに関する文章は、同じ出来事を、違う言葉でしたが、あるテレビ番組の
「いじめについて考える」番組に、投稿したことがあります。

うまくまとめられたかわかりませんが以上になります。
もっと続きも枝葉もありますが、今日のところは、ここまでとします

先生、ありがとう。
私の話に耳を傾けてくださってありがとう。
私の気持ちを汲んで 皆さんにこんなできごとがあるということを、
知らせてくださって、ありがとう。

私は先生の尊敬に当たる人間ではとてもありませんよ。巨大リップサービスです
でも、生き方を認めていただけたことは、心から嬉しく思います。
ありがとうございました。

上記の文章の掲載についても、先生にお任せします

でもね先生、私、仲の良いお母様方には全く同じ話をしています。
「私、頭が弱いからね~ 薬の時間なのょ」なんて、
どこか冗談めかしながら。いえ、本当に大笑いしながら、どんどん話題にしています。

ですので、これを読んで あのVさんのことじゃないかな?、と思う
お母様は、少なくともK幼稚園のお母様ならなおさら、
5本の指でおさまるかどうかという気持ちです。アハハ。

でも今の私には、「そうなの、わたしのこと! スパルタ教育の話、
はやし先生にしちゃったぁ」と笑って答えることができます。

だから 気にしません。
誰かの心や命が、助かるのかもしれないのであれば、
どうぞはやし先生のお力で、きっかけ作りをして差し上げてほしいと思います。

ああ、2学期も明日でおしまい。明日じゃない、もう今日になってしまった!
まだまだ幼稚園児でいてほしいなぁ。
これからまた、どんな出会いがあるだろう。
小学生になったY男は どんな困難や挫折を味わうだろう。

けれど私は Y男へのバースデーカードにこう書き添えました。

「その手でゆめをつかみなさい。
 そのあしで ゆきたいところへどこにでもいきなさい。
 そうしておとうさんのような りっぱなひとになるのよ」と。

どこか照れくさいメッセージですが、本心です

Y男の父からも、日付指定で、カードが郵便物として届きました。
誕生日の数字を Y男の好きな迷路にイラストしてあり、
おわりのところには、「おかあさんをたいせつにしなさい」とありました。

久しぶりに声を上げて泣きながら、音楽のボリュームを大にして、
車を運転しながら仕事に向かいました。
彼という人間の子供を産んだ私は、とても幸せです。

長文を読んでくださってありがとうございました。
先にも書きましたとおり掲載については先生にお任せします。

今度は 祖母から聴いた私の心にいつもある「幸せのおどんぶり、かなしみのおどんぶり」
のお話を聞いていただきたいと思っています。

長文乱文にお付き合いくださいましてありがとうございました。

Vより。

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【はやし浩司より、Vさんへ】

●代償的過保護

 親の過干渉、過関心、プラス過剰期待が、子どもをいかに苦しめるものであるか。親は、「子どものため」と思ってそうしますが、子どもにとっては、そうではないのですね。その苦しみは、苦しんだものでないと、わからないものかもしれません。

 発達心理学の世界にも、「代償的過保護」という言葉があります。一見、過保護なのだが、ふつう過保護には、それがよいものかどうかは別として、その基盤に親の愛情があります。その愛情が転じて、過保護となるわけです。が、中には、愛情のともなっていない過保護があります。それが「代償的過保護」ということになります。言うなれば、過保護もどきの過保護を、「代償的過保護」といいます。

 たとえば子どもを自分の支配下において、自分の思いどおりにしたいと思うのが、代償的過保護です。そして親自身が感ずる、不安や心配を、そのまま子どもにぶつけてしまう。

 「こんな成績で、どうするの!」「こんなことでは、A学校には、入れないでしょ!」「もっと、勉強しなさい!」と。

 その原因はといえば、親の情緒的未熟性、精神的欠陥があげられます。親自身が、心にキズをもっているケースもありますし、それ以上に多いのが、親自身が、自分の結婚生活に対して、何か、大きなわだかまりや不満をもっているケースです。

 わかりやすく言えば、満たされない夫婦生活に対する不満を、子どもにぶつけてしまう。自分の果たせなかった夢や希望を、子どもに求めてしまう。明けても暮れても、考えるのは、子どものことばかり、と。

 しかし本当に子どもの立場になって、子どもの心を理解しているかといえば、そういうことはない。結局は、自分のエゴを、子どもに押しつけているだけ。よい例が、子どもの受験競争に狂奔している母親です。(父親にも多いですが……。)

 このタイプの親は、子どもには、「あなたはやればできるはず」「こんなはずはない」「がんばりなさい」と言いつつ、自分では、ほとんど、努力しない。いつだったか、私が、そんなタイプの母親に、「では、お母さん、あなたが東大に入って見せればいいじゃないですか」と言ったことがあります。すると、その母親は、はにかみながら、こう言いました。「私は、もう終わりましたから……」と。

そして、すべてのエネルギーを、子どもに向けてしまう。それが親として、あるべき姿、もっと言えば、親の深い愛情の証(あかし)であると誤解しているからです。

●親の過剰期待

 が、何が子どもを苦しめるかといって、親の過剰期待ほど、子どもを苦しめるものはありません。子どもは、その重圧感の中で、もがき、苦しみます。それを表現したのが、イプセンの『人形の家』ですね。それについては、もう何度も書いてきましたので、ここでは省略します。子どもは子どもで、まさに「人形」のような子、つまり「人形子」になってしまいます。

 「いい子」を演ずることで、自分の立場をとりつくろうとします。しかし人形は人形。どこにも、「私」がない。だから、このタイプの子どもは、いつか、その成長段階で、自分を取りもどそうとします。「私って、何だ!」「私は、どこにいる!」「私は、どうすればいいんだ!」と。

 それはまさに、壮絶な戦いですね。親の目からすれば、子どもが突然、変化したように見えるかもしれません。そのままはげしい家庭内暴力につながることも、少なくありません。

 (反対に、親にやりこめられてしまい、生涯にわたって、ナヨナヨとした人生観をもってしまう子どももいます。異常なまでの依存性、異常なまでのマザコン性が、このタイプの子どもの特徴のひとつです。中には、40歳を過ぎても、さらに50歳を過ぎても、母親の前では、ひざに抱かれたペットのようにおとなしい男性もいます。)
 
 ……だからといって、Vさんがそうだったとか、Vさんのお母さんが、そうだったと言っているのではありません。ここに書いたのは、あくまでも、一般論です。

 ただ注意したいことは、2つあります。

●批判だけで終わらせてはいけない
 
ひとつは、Vさんは、自分の母親を見ながら、反面教師としてきたかもしれませんが、自分自身も、自分の子ども、つまりY男君に対して、同じような母親になる可能性が、たいへん高いということです。「私は、私の母親のような母親にはならない」と、いくらがんばっても、(あるいはがんばればがんばるほど)、その可能性は、たいへん高いということです。

 子育てというのは、そういう点でも、親から子へと、伝播しやすいと考えてください。今はわからないかもしれませんが、あとで気がついてみると、それがわかります。「私も、同じことをしていた」と、です。どうか、ご注意ください。

●基本的信頼関係

 もうひとつは、情緒的未熟性、精神的な欠陥の問題です。(Vさんが、そうであると言っているのではありません。誤解のないように!)

 最近の研究によれば、おとなになってからうつ病になる人のばあい、そのほとんどは、原因は、乳幼児期の育てられ方にあるということがわかってきました。とくに注目されているのが、乳幼児期のおける母子関係です。

 この時期に、(絶対的な安心感)を基盤とした、(基本的信頼関係)の構築に失敗した子どもは、不安を基底とした生き方をするようになってしまうことが知られています。「基底不安」というのがそれです。おとなになってからも、ある種の不安感が、いつもついてまわります。それがうつ病の引き金を引くというわけです。

また、ここでいう(絶対的な安心感)というのは、(絶対的なさらけ出し)と、(絶対的な受け入れ)を言います。

 「絶対的」というのは、「疑いすらもたない」という意味です。

 つまり子どもの側からみて、「どんなことをしても、許される」という、絶対的な安心感のことをいいます。これが(心)の基本になるということです。心理学の世界でも、こうして母子の間でできる信頼関係を、「基本的信頼関係」と呼んでいます。

(あくまでも、「母子」です。この点においては、父親と母親は、平等ではありません。子どもの心に決定的な影響を与えるのは、あくまでも母親です。あのフロイトも、そう言っています。)

 そのためには、子どもは、(望まれて生まれた子ども=wanted child)でなければなりません。(望まれて生まれた子ども)というのは、夫婦どうしの豊かな愛情の中で、愛情に包まれて生まれてきた子どもという意味です。

 が、そうでないケースも、多いです。たとえば(できちゃった婚)というのがありますね。「子どもができてしまったから、しかたないので結婚しよう」というのが、それです。夫婦の愛情は、二の次。だから生まれてきた子どもへの愛情は、どうしても希薄になります。

それだけですめばまだよいのですが、そのため親は親で、(とくに母親は)、子育てをしながら、そこに犠牲心を覚えるようになる。あるいは、そのまま自分の子どもを、溺愛するようになる。

●絶対的な母子関係

 「産んでやった」「育ててやった」「大学まで出してやった」を、口ぐせにする親は、たいていこのタイプの親と考えてよいです。もともと夫婦の愛情が基盤にあって生まれた子どもではないからです。

 一方、子どもは子どもで、そういう母親でも、親であると、自分の脳みその中に、本能に近い部分にまで刷りこみます。やはり最近の研究によれば、人間にも、鳥類(殻から出てすぐ二足歩行する鳥類)のような、(刷りこみ=imprinting)があることがわかってきました。これを「敏感期」と呼んでいます。

 つまり子どもは子どもで、そういう環境で育てられながらも、「産んでいただきました」「育てていただきました」「大学まで出していただきました」と言い出すようになります。

 つまり、親の子どもへの依存性が、そのまま、今度は、子どもの親への依存性へと変化するわけです。

 これがここでいう「伝播」ということになります。わかりますか?

 そしてそれは、先にも書きましたように、今度は、あなたという(親)から、あなたの(子ども)へと伝播する可能性があるということです。そういう意味では、『子育ては本能ではなく、学習』ということになります。あなたの子どもはあなたという母親を見ながら、今度は、それを自分の子育て観としてしまう!

 では、どうするか?

●「私」をつくる3つの方法

 自分の親を反面教師とするならするで、批判ばかりでは終わってはいけないということです。また今は、「仏様」(Vさん)のようであるからといって、過去の母親を、許してはいけないということです。

 あなたはあなたで、親というより、人間として、別の人格を、自分でつくりあげなければなりません。それをしないと、結局は、あなたは、自分の親のしてきたことを、そっくりそのまま、今度は、自分の子どもに繰りかえしてしまうということになりかねません。
 
そのために、方法はいくつかありますが、ひとつは、すでにVさん自身がなさっているように、(1)過去を冷静にみながら、(2)自己開示をしていくということです。わかりやすく言えば、自分を、どんどんとさらけ出していくということです。そしてその上で、(3)「私はこういう人間だ」という(私)をつくりあげていくということです。

 いろいろ事情はあったのでしょうが、またほとんどの若い母親はそうであると言っても過言ではありませんが、あなたの母親は、そういう点では、情緒的には、たいへん未熟なまま、あなたという子どもを産んでしまったということになります。(だからといって、あなたの母親を責めているのではありません。誤解のないように!)

 子どもから見れば、どんな母親でも、絶対的に見えるかもしれません。が、それは幻想でしかないということです。ここに書いた、(刷りこみ)によってできた幻想でしかないということです。

 それもそのはず。子どもは、母親の胎内で育ち、生まれてからも、母親の乳を受けて、大きくなります。子どもにとっては、母親は(命)そのものということになります。しかし幻想は幻想。心理学の世界では、そうした幻想から生まれる、もろもろの束縛感を、「幻惑」と呼んでいます。

 で、私もあるとき、ふと、気がつきました。自分の母親に対してです。「何だ、ただの女ではないか」とです。私も、「産んでやった」「育ててやった」という言葉を、それこそ、耳にタコができるほど、聞かされて育ちました。だからある日、こう叫びました。私が高校2年生のときのことだったと思います。

 「いつ、オレが、お前に産んでくれと頼んだア!」と。

 それが私の反抗の第一歩でした。で、今の私は、今の私になった。もしあのとき反抗していなければ、ズルズルと、マザコンタイプの子どものままに終わっただろうと思います。(もっとも、それで家族自我群がもつ重圧感から、解放されたというわけではありませんが……。)

●Vさんへ、

 ……とまあ、Vさんに関係のないことばかりを書いてしまいました。Vさんからのメールを読んでいるうちに、あれこれ思いついたので、そのまま文にした感じです。ですから、どうか、仮にお気にさわるような部分があったとしても、お許しください。

 子育てを考えるということは、そのまま自分を考えることになりますね。自分を知ることもあります。私も多くの子どもたちに接しながら、毎日、それこそいつも、「私って何だろう」「人間って何だろう」と、そんなことばかりを考えています。

 以上、何かの参考になれば、うれしいです。また原稿ができまたら、送ってください。いっしょに、(自己開示)を楽しみましょう! どうせたった一度しかない人生ですから、ね。何も、それに誰にも、遠慮することなんか、ない。

 だって、そうでしょ。私も、Vさんも、「私」である前に、1人の人間なのですから……。
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 家族自我群 幻惑 過干渉 過関心 代償的過保護 自己開示 はやし浩司 親の過干渉 過干渉児