Education in Front-Line and Essays by Hiroshi Hayashi (はやし浩司)

(Mr.) Hiroshi Hayashi, a professional writer who has written more than 30 his own books on Education, Chinese Medical science and Religion in Japan. My web-site is: http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/ Please don't hesitate to visit my web-site, which is always welcome!!

Saturday, March 31, 2012

田丸謙二先生と語るbyはやし浩司 (はやし浩司 2012-03-31)

【鎌倉へ】(田丸謙二先生に会う)(死刑廃止論・国歌論・愛国心byはやし浩司)

●3月30日(金曜日)自宅にて

(1)


(2)



Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

 昼前に、山荘に到着。
その前に、ショッピングセンターに寄り、野菜の苗を仕入れる。
ナス、トマト、それにキュウリ。
それぞれ2苗ずつ。

山荘では、雑草を刈ろうと思ったが、あいにくの強風。
空が白くかすむほど、杉の花粉が舞っていた。

 ワイフは、苦しそうだった。
私も、そのうち鼻と喉が、痛くなりだした。
やることもなく、(何もできなく)、そのまま1~2時間を、過ごす。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●畑仕事

 自宅に帰り、畑に苗を植える。
1つずつ、ていねいに植える。
まわりを風よけでおおう。
これが結構、重労働。
下半身には自信がある。
しかし上半身は、めったに使わない。
20~30分も畑を耕していると、全身に汗がにじみ出てきた。

 これで6畝(うね)、作ったことになる。
ネギが、2畝。
レタスが、2畝。
ワケギが、1畝。
それに今回の野菜が、1畝。

 小さな畑だが、これで夏の終わりまで、いろいろな作物を収穫することができる。

●モクレン

 山荘のほうでは、モクレンが満開だった。
桜と花桃の花は、4分咲きといったところ。
4月に入ったら、一斉に咲き出すはず。

 そうそう、今日も、ハッサクの収穫をした。
全部で、50個ほど、収穫した。
これからが山荘の季節。
4月の終わりになると、ホトトギスが鳴きだす。
野生のジャスミンが、山荘のまわりを、甘い香りで包む。
野イチゴも、そのころ収穫できる。

 1週ごとに、山荘の様子は、大きく変わる。
楽しいというより、それがうれしい。

●義兄

 今夜は、義兄の家で、夜を過ごした。
先ほど、自宅に戻った。
時計をみると、午後10時を少し回っていた。

 その義兄が、こんな話をした。
「浜松でも、下町の土地が、売れないそうだ。
反対に、高台の土地に、売り物がないそうだ」と。

 少し説明しよう。

 浜松市という町は、下町と高台に分かれている。
太平洋沿いからつづき、海抜数メートル地帯を、「下町」という。
そこからなだらかな坂になり、北に向かって、山の手へとつづく。
山の手になる地帯を、「高台」という。
その高台は複雑に入り組んでいて、やがて三方原台地へとつづく。

義「6メートル程度の津波が来たら、下町は全滅だよ」
私「新幹線の線路が、防波堤になってくれると言っている人もいます」
義「あんなのは、簡単に乗り越えるよ」と。

 道理で……というか、この1年、不動産屋が、よく我が家へ来る。
DMもよく届く。
「売り土地はありませんか?」と。

私「下町の土地の価格は、さがっているんですか?」
義「そう、同じ面積なら、2分の1程度にまで、なっている」
私「2分の1?」
義「R町の人が土地を売り、浜北区のほうへ引っ越した。売ったお金で、土地を買ったら、土地の広さが2分の1になったと、こぼしていたよ」
私「じゃあ、高台のほうは、価格があがっているんですか?」
義「それほどあがっていない。が、何しろ、売る人がいない」と。

 3・11大震災の影響は、こんなところにまで及んでいる。

●日は替わって、今日は、3月31日(土曜日)

 今日は、これから鎌倉に向かう。
田丸謙二先生に、会いに行ってくる。
約束の時刻は、3時。

 朝起きると、雨がはげしくガラス窓を叩いていた。
「まずいな……」と思った。
が、予定を変えるわけにはいかない。

 そのあと今夜は、平塚のホテルに一泊。
鎌倉から、江ノ電沿線上のどこかに……と思っていたが、あいにく、どこも満員。
春休みの土曜日。
今ごろの鎌倉は、足の踏み場もないほど、混雑しているはず。
ということで、平塚になった。

●高台

 私は岐阜県の山の中、育ち。
それもあって(?)、平地にある土地は、どうも落ち着かない。
また道路と同じ高さの家も、落ち着かない。
……ということで、現在住んでいる土地を買い求めた。

 入野町の中でも、西のはずれにある高台。
さらに家を建てるとき、40センチ~150センチほど、土地を盛りあげた。
盛りあげたのには、理由がある。

 私の実家は、道路と同じ高さの平坦地にあった。
いつ自動車が飛び込んできても、おかしくない。
そんな敷地だった。
それが、私には、こわかった。
角にある一本の柱が折れただけで、私の家は、そのまま崩れてしまう。

 だから私は土地を盛りあげた。
が、ワイフにはそれが理解できなかったよう。
当時、さかんに、私にこう聞いた。
「どうして、盛りあげるの?」と。

 ワイフは、平地にある家に生まれ育った。
つまり感覚というのは、そういうもの。
平地が好きな人もいれば、山の手が好きな人もいる。
人や車の出入りがしやすいから……という理由で、平地が好きな人もいれば、私のように、わざわざ土地を盛りあげる人もいる。

 人は、それぞれの思いをもって、家を建てる。
こういうばあい、「人間だから……」という共通項は、ない。
人、それぞれ。

●スピアマンの2因子説

 そう言えば、知能にも、「2因子説」がある。
「因子」という言葉(概念)を最初に使ったのは、スピアマンという学者だが、こういうこと。

 1つは、生まれながらにもっている(g因子)。
もうひとつは、後天的に身につける(s因子)。
人間(子ども)の知能は、この2つの因子で、構成される、と。

わかりやすく言えば、(g因子)というのは、遺伝的に受け継いだ因子、(s因子)というのは、環境要因によって決定される因子ということになる。

 が、何もこれは、知能因子だけの話ではない。

 だれしも、「静かで、落ち着いた場所に、家を建てたい」と思っている。
これは、(g意識)ということになる。
が、そのあと、人は、自分の経験に応じて、それぞれが自分の家を思い描く。
これは、(s意識)ということになる。

 マンション風の家がよいと思う人もいれば、一戸建ての家のほうがよいと思う人もいる。
平地にある家のほうがよいと思う人もいれば、高台にある家のほうがよいと思う人もいる。
つまり、人それぞれ。
言い換えると、人間(子ども)の知能も、人、それぞれ。

●新幹線の中で

 新幹線に乗ると、電光ニュースに、こんなニュースが流れてきた。
「死刑存廃について、有識者の会議を……」と。

 死刑制度など、廃止すればよい。
それが文明国の常識。

もともと「刑」には、2つの意味がある。
ひとつは、本人に対する懲罰としての刑。
もうひとつは、世間一般に対する、見せしめとしての刑。
その両面から考えても、死刑には、それを支持するだけの根拠がない。

 で、もうひとつの残された問題。
それが被害者遺族に対する、心のケアと補償の問題。
それは国家的施策として、対処する。

 以前、書いた、私の死刑廃止論をここに掲載する。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司
 
+++++++++++++++++

●死刑廃止論(2007年9月記)

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

死刑制度に、死刑制度としての
意味があるかどうかというと、
それは疑わしい。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●犯罪性の認識

 たとえば死刑に値するような犯罪を犯している最中に、その犯罪者は、「死刑」という刑罰の重大性を認識しているかどうかというと、答はNO。
ふつうの状態であれば、「こんなことをすれば死刑になるかもしれない」という思いが、犯罪行為に走るのを、思いとどまらせる。

 しかしふつうの状態でないから、ふつうでないことをしてしまう。
それが「犯罪」。

言うまでもなく、刑罰には、2面性がある。

ひとつは、本人に対する、罰としての「刑」。Aという悪いことをしたら、A罪。Bという悪いことをしたら、B罪というように、あらかじめ決めておく。
わかりやすく言えば、「これこれ、こういう悪いことをしたら、それなりの責任を取ってもらいますよ」という意味。

 もうひとつは、世間一般に対する、見せしめとしての「刑」。
これによって、犯罪の発生を予防する。
わかりやすく言えば、世間一般に対して、「これこれ、こういう悪いことをしたら、こうなりますよと教える」という意味。

死刑には、見せしめとしての意味はあっても、当の本人(=主体)を抹殺してしまうという点で、罰とての「刑」の意味はない。
罰を与えたとたん、その犯罪者は、この世から消えていなくなってしまう。

 そこで改めて、この問題の原点について考えてみる。

「公」としての組織体、つまり「国」に、見せしめとして、1人の人間を抹殺する権限はあるのか。

わかりやすい例で考えてみよう。

 ひとりの男が、窃盗をしたとする。
その男に対して、「窃盗は悪いことだ」「その窃盗をしたのは、右手」ということで、右手を切断したとする。
そうした行為が、果たして刑罰として、許されるものかどうかということ。

このばあいは、(1)罰としての刑と、(2)見せしめとしての刑の、双方がまだ成り立つ。
本人は、右手を切られて、何かと不自由することだろう。
また多くの人は、右手を切り取られた人を見て、「窃盗するということは恐ろしいことだ」と知る。

 しかし死刑のばあいは、脳みそも含めて、体そのものを(切り取る)行為に等しい。
右手を切り取るという行為自体、ほとんどの人は、残酷な行為と考える。「いくらなんでも、それはひどい」と。
だったら、肉体全体は、どうなのかということになる。

 そこで最高裁は、ひとつの基準をもうけた。
最高裁が83年に定めた「永山基準」というのが、それ。
それによれば、つぎのようにある。

(1) 犯罪の罪質
(2) 動機
(3) 殺害の手段方法の執拗性、連続性
(4) 結果の重大性、ことに殺害された被害者の数
(5) 遺族の被害感情
(6) 社会的影響
(7) 犯人の年齢
(8) 前科
(9) 犯行後の情状

 これらの「情状を併せ考察したとき、その罪責が誠に重大で、罪刑の均衡の見地からも、一般予防の見地からも、極刑がやむをえないと認められるばあいは、死刑の選択も許される」(永山基準)と。

 が、最近の傾向としては、この基準が拡大解釈、つまり、基準がゆるやかに適応されるようになってきている。
つまり死刑判決が、乱発される傾向にある。
犯罪そのものが凶悪化しているという理由もある。

 しかし繰りかえすが、罰すべき(主体)を残しておいてこそ、刑罰は刑罰としての意味をもつ。
罰すべき(主体)を消してしまったのでは、刑罰は刑罰としての意味を失ってしまう。

 中には、「死という恐怖感を味あわせること自体、社会が与えることができる最大の罰である」と説く人がいる。

 しかしほんとうに、そうか。
反対に、「死ねば、楽になる」と考える人だっているかもしれない。
たとえば今の私にしても、若いころとはずいぶんと、「死」に対する考え方が変わってきた。
「疲れ」を感じたようなとき、「このまま死ねば楽になるのだろうか」と、ふと思うことがある。
ヨボヨボになって、みなに、迷惑をかけるようになったら、それ以上に長生きをしたいとは思わない。

 反対に生きているから、刑が軽いということにもならない。
死刑に値する凶悪犯であるならなおさら、生かしながら、罪の重さで苦しませる。
刑罰としては、そちらのほうがずっと重い。

 さらに中には、短絡的に、「悪いヤツは、生かしておいてもしかたない」と考える人もいるかもしれない。
しかしそれこそまさに、幼稚的発想。
思考力がまだじゅうぶん発達していない子どもが、ゲームの中で使う言葉である。

 が、もうひとつ、死刑には、重大な問題がある。

 K国のような独裁国家、言いかえると、国民がすべての権限をひとりの独裁者に付託したような国なら、いざ知らず。
日本のような民主主義国家において、「公」としての組織体、つまり「国」に、見せしめとして、1人の人間を抹殺する権限はあるのかということ。

 独裁国家では、死刑にするのは、独裁者個人である。
しかし民主主義国家では、死刑にするのは、国民1人ひとりである。
つまり私たち自身が、その人を殺すことになる。
私や、あなたが、だ。
もしあなたが「国のやることだから、私には関係ない」と考えているなら、それこそ、民主主義の放棄ということになる。

 こうして考えていくと、死刑を肯定する理由が、どこからも浮かんでこない。
ゆいいつ残るとすれば、(5)の遺族の被害感情である。

 その犯罪者によって、人生そのものが、大きく狂ってしまうこともある。
愛する人を奪われ、深い悲しみのどん底にたたき落とされる人もいる。
犯罪者を殺したいほど憎く思うこともあるだろう。
あるいは「国が殺してくれなければ、私が殺す」と思う人もいるかもしれない。

 そうした被害者の救済は、どうするかという問題は残る。
が、それこそ国が考えるべき問題ではないだろうか。
金銭的な被害はもちろんのこと、精神的苦痛、悲しみ、怒り、そうした心情を、私たちみなが、力を合わせて、救済していく。
それとも犯罪者を抹殺したところで、その人は、救済されるとでもいうのだろうか。

 さらに言えば、これは暴論に聞こえるかもしれないが、犯罪者といっても、ふつうの人と、紙一重のちがいでしかない。
どこかで人生の歯車が狂い、狂ったまま、自分の意思とは無関係に、深みにはまってしまう。
私たちが生きているこの社会では、善と悪の間に、明確な一線を入れることすら、むずかしい。

 ……長い間、私なりに死刑について考えてきたが、このあたりが、私の結論ということになる。

つまり死刑について、これからは、明確にその廃止を訴えていきたい。

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Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●同窓会

 高校の同窓会に出させてもらう。
コースは、その前日に、郡上八幡に行く。
市内の吉田屋で一泊。
朝、郡上八幡を出る。
午後の同窓会にださせてもらったあと、岐路につく。

 吉田屋は、一度は泊まってみたいと思っていた旅館。
郡上八幡へ行く機会は、ときどきあった。
そのたびにそう思った。
が、泊まる機会がなかった。

●郡上八幡

 ……ということで、郡上八幡には、思い出が多い。
郷里の美濃市からは、車でも1時間ほど。
今は高速道路ができたから、もっと早く行ける。
その郡上八幡。
郡上八幡といえば、盆踊り。
『♪かわさき(郡上踊り)』は、とくに名を知られている。
『♪郡上のなア~、八幡~ン』と歌う、あの歌である。

 今でも、つまり故郷を離れて46年になるが、郡上踊りを聞くたびに、ジンとあのころの自分が戻ってくる。
飾り気のない素朴な民謡だが、名曲中の名曲。
一応、私も岐阜県人。
人並みには、郡上踊りを歌うことができる。



 ……今、高校時代の友人の三輪政則君(実名)を思い出した。
その三輪政則君がはじめて運転免許を手にしたとき、いっしょに郡上八幡までドライブをした。
そのとき彼は、早稲田大学に通っていた。
中学時代は、よきライバルで、2年間、学年の1位、2位を争った。

 ライバルといっても、親友だった。
期末試験などでは、休み時間を利用し、よく解答の交換をした。
(私も結構、ワルだった。)
三輪君が学年1位になると私が喜び、私が学年1位になると、三輪君が喜んだ。
そういう仲だった。

 で、その郡上八幡へ行く途中、私が少し運転した。
暗い夜道だった。
が、しばらく走ると、後ろから、回転ライトをつけた車が近づいてきた。
私はあわてて車を、泥脇に止めた。
パトカーと思った。
が、それは工事用の車だった。

 ほっとしたのも束の間、見ると車は、崖すれすれのところに停車していた。
ガードレールはなかった。
あのまま崖から落ちていれば、今の私は、い・な・い。

 ……それが今でも、大きなトラウマになっている。
悪夢の中にも、よく出てくる。
以来、車の運転ができなくなってしまった。
今でも、運転免許証はもっていない。
そのときが、私にとって、最初で最後の運転だった。

 その三輪政則君、今、この原稿を読んだら、一度、連絡してほしい。
郷里へ帰るたびに、また今でもあちこちをさがしてみるが、見当たらない。
元気か?

●藤沢

 小田原から在来線に乗り換え、藤沢に向かう。
その藤沢には、こんな奇怪な思い出がある。
事実をそのまま話す。

 G社(出版社)に、TZさんという女性の編集者がいた。
その少し前、TZさんは、G社を退職し、そのときは、独立して、出版の手伝いをしていた。
で、何かのことで、私は、そのTZさんに仕事を依頼した。

 そのときのこと。
2、3度、藤沢のマンションで、TZさんに会った。
TZさんは、本の出版について、快く承諾してくれた。
原稿も送った。

 が、そんなある日。
日にちは確かではないが、12月に入って間もないころのことだった。
突然、TZさんから電話があった。
いつもと変わらない、元気な声だった。
こう言った。
「はやしさん、悪いんだけど、仕事を引き受けられなくなったわ。
少し、体を悪くして……」と。

 ていねいな言い方だった。
私は、それに納得し、電話を切った。

 が、それから2、3か月後の、春先のころのこと。
TZさんは、大腸がんで亡くなった。
突然の訃報だった。

 で、その葬儀の席でのこと。
TZさんの無二の同僚だったNN氏に、そのことを話すと、NN氏は、吐き捨てるようにこう言った。
「はやしさん、そんなこと、ありえませんよ」と。

 NN氏は、こう言った。
「そのときすでにNNさんは、昏睡状態で、電話などかけられるような状態ではなかった」と。

 私は驚いた。
NN氏も、驚いた。
しかしたしかに電話はあった。
いつもと変わらない元気な声だった。

 で、私とワイフの結論は、こうだ。

 そういう状態だったが、たまたまそのとき意識を取り戻した。
そのとき、電話をかけてくれたのでは、と。

TZさん……辻村房子さん。(実名、「つじ」は、「土・ハ・土」に、「しんにょう」の「逵」。)
NN氏……中野満月氏。(実名)

●田丸謙二先生

 現在、扇が谷(鎌倉)の家は、改築中。
その間だけということで、田丸謙二先生は、鎌倉市の近くの、(住所は鎌倉市xxx)、Sという有料老人ホームに身を寄せている。

 午後3時、ちょうどにそこに着いた。

 元気そうだった。
うれしかった。
ビデオカメラを机の上に置いたが、田丸謙二先生は気にすることもなく、あれこれ話してくれた。

 そのときの様子は、YOUTUBEにそのままUPしておく。
私は田丸謙二先生の一言半句、聞き漏らすまいと、懸命に耳を傾けた。
田丸謙二先生は、私の人生の先輩であると同時に、恩師でもある。
この42年間、いつも私は、田丸謙二先生のあとを見ながら、ひよこのように、追いかけてきた。

 その田丸謙二先生が、そこにいた。

 夕食は、老人ホームの食堂で、みなといっしょに食べた。
薄味の卵丼ぶりだった。
おいしかった。

●ホテル・サンライフガーデン(平塚)

 帰りが遅くなりそうだったので、予定通り、平塚のホテルに泊まった。
「ホテル・サンライフガーデン」。
ホテルというよりは、結婚式場。
重厚な感じがしたが、星は、3つの★★★。

 料金が高い。
東京料金。
素泊まりで、1万3000円(2名分)。 
平塚の駅からも遠い。
送迎バスで、20分ほど。

 「土曜日の夜だからしかたない」ということで、泊まった。
が、後悔、80%。
三島まで行き、そこでドーミーインに泊まればよかった。
あそこなら大浴場がある。

 ホテル全体は、コの字型になっていて、窓の外には、その中庭が見える。
南米や南欧へ行くとよく見かける、ホテル様式である。
イギリスのグラマースクールも、似たような建て方をする。
私たちの部屋は、その中庭に面している。

 ここは5回だが、左下の4階では、ちょうど結婚式が終わるところだった。
新郎と新婦が、花束を手に、列席者と別れを告げているところだった。

 また反対側の数階下は、レストランになっているらしい。
何組かの男女が、四角いテーブルを囲んで、食事をしている。
……先ほど、その1組と目が合ったので、手を振ってやった。
が、私を見て笑っているだけで、返答はなかった。

●都会

 藤沢、平塚……。
神奈川県とはいうが、大都会。
東京そのもの。
料金も、東京そのもの。

 サービスといっても、形だけ。
心など、探しても、ない。
このあたりに住んでいる人には、それがわからないかもしれない。
しかし私のような田舎者には、それがよくわかる。
言葉にも、共鳴感というより、共鳴性がない。

 藤沢の駅で電車を待っているとき、私はワイフにこう聞いた。
「こんなところに、住みたいと思うか?」と。
ワイフは、こう言った。
「たまに遊びに来るにはいいけど、住みたくないわ」と。

 あまりにも予想通りの答だった。
だから私は、返事もしなかった。

●田丸謙二先生との話

 そのつど田丸謙二先生は、私に意見を求めた。
が、何よりも、私が言いたかったことは、つぎのこと。

 国際触媒学会のときもそうだったが、今回の化学会に年会のときも、そうだった。
2000人(フランス・パリ)とか、8000~9000人(東京三田)とかの科学者が集まった。
にもかかわらず、日本のマスコミは、1行も、また1秒も、それについて報じなかった。
田丸謙二先生も、こう言った。

「新聞を読んでも、何もおもしろくありません」と。
「もし福島第一原発事故がなかったら、今ごろはどんな記事が載っているのでしょうね」とも。

 同じように、田丸謙二先生は、こう言った。

 田丸謙二先生の父親の、田丸節郎氏は、まさに日本の科学界の黎明期に活躍した。
今の日本が、その地位を築くことができたのも、田丸節郎氏の力によるところが大きい。
たとえば東京工業大学にしても、田丸節郎氏が設立したと言っても過言ではない。
ベルリン大学に対して、ベルリン工科大学があった。
それをまね、東京大学に対して、東京工業大学を設立した。

が、そうした功績を知っている人は少ない。
功績を知らないだけではない。
そうした先駆者たちに感謝の念をもっている人は、少ない。
みな、そこにそれがあるのが当たり前……といったふう。
「敬老」という言葉そのものが、今、死語化している。
が、これでは、先駆者たちの苦労が、浮かばれない。

 どこかのドラ息子やドラ娘が、親の苦労も知らないで、大学を出たと威張っているようなもの。
「私は自分で努力して、大学へ入ったのだ」と。

 私は田丸謙二先生の話を聞きながら、そんなことを考えた。

●田丸節郎

 理化学研究所の、主任研究員の名簿がある(1922年)。
そのまま紹介する。

『駒込本所以外の各帝国大学に研究室を置くのも自由とし、理研からの研究費で研究員を採用し研究を実施した。

長岡半太郎、
池田菊苗、
鈴木梅太郎、
本多光太郎、
真島利行、
和田猪三郎、
片山正夫、
大河内正敏、
田丸節郎、
喜多源逸、
鯨井恒太郎、
高嶺俊夫、
飯盛里安、
西川正治の、14研究室発足』と。

 そうそうたる名前が並んでいる。
言い換えると、当時は、こうした学者を称える社会的風土がまだ、日本にはあった。
現在、こうした人たちの名前を、私が知っていること自体が、その証拠ということになる。
が、今は、どうか?

 先にも書いたように、「1行」も、「1秒」も、報道されない。
サポーターのいない、野原で、サッカーの試合をするのと同じ。
選手たちも、やる気をなくすだろう。
なくして、当然。

 田丸謙二先生は、こんなことも話してくれた。

「現在ね、(東大で教授をしていた)仲間たちがね、みんな、シンガポールへ行っているよ」と。
東大を退官したあと、そういった教授たちの多くが、シンガポールの大学や研究所へ、迎えられているという。
私たちは、こうした事実を、どう理解すべきなのか。
あるいはこういう事実を、いったい、どれほど多くの人たちが知っているか。

●田丸謙二先生より

 田丸謙二先生からメールが入った。

『林様:今日は本当に有難うございました。
わざわざ遠くからお二人で来て頂き、大変に楽しく、貴重な話を沢山聞かせて頂き、厚く御礼申し上げます。
大変によい勉強になりました。

「反世代」の若者たちが、わが国を如何に変えて行くのか切実な問題だと思います。
近頃日本が世界のトップグループから消え去って行く話をよく聞かせられるだけに、深刻な気が致します。

今お働き盛りの貴君だけに心からご活躍を祈念いたします。
健康には充分に気をつけて大いに頑張って下さい。
期待をしています。
田丸謙二』

 89歳になっても、天下国家を論じ、日本の未来を心配し、案じている。
それが田丸謙二先生。

 田丸謙二先生を前にすると、自分がかぎりなく小さく見えてくる。

●ホテル・サンライフガーデン

……ワイフが、どこか退屈そう。
「何かしたいか?」と聞くと、「おなか、すかない?」と。
「コンビニへでも行ってこようか?」と聞くと、「あなたは?」と。

 ……コンビニへ行ってくることにした。

(休憩)

●就寝

 ワイフはいつものように、コンビニで、チューハイを買った。
あとは酒のつまみを、少し。

 寝る前に、田丸謙二先生から、追伸が届いていた。

『林様:今日のお話について、例えば「日本はこれでいいのか?」位の題で本をお書きになったら如何でしょうか。
ベストセラーになります。
頑張って下さい。
田丸謙二』と。

【はやし浩司より、田丸謙二先生へ】

田丸謙二先生へ

こんばんは!

これからは本の時代でもないように感じます。
浜松の田舎から見ていると、いつもそこに「東京」という関所があります。
その関所を通らなければ、世界の人の目に触れることはない。

が、今は、インターネットがその関所を取っ払ってくれました。
いきなり外国へ、直接、原稿を送ることができます。
日本語であっても、すぐそのまま全世界の言葉に翻訳できます。
(英語で出しているBLOGも、ひとつあります。)

もちろん本も大切ですが、(収入という意味では)、私はもうものを書くことで、お金を儲けようという気はありません。
世界中をひっかきまわしてやりたい……それだけです。

事実、こうしてBLOGに原稿を発表していると、どこかのポータルサイト、あるいはニュースサイトが、原稿をそのまま取り上げてくれることがあります。
とたん、アクセス数が、1日で、数万件となることもあります。
すごいことだと思います。

まさに第二の産業革命を、私たちは身をもって、体験しているわけです。

で、ひとつだけ、生意気な意見を!
先生の文章を読んでいて、いつも気になるのは、こんなことです。
今では、ネットに文章を書くときは、余白や、空白部を気にしてはいけません。
たとえばこの文章がそうですが、余白がカスカウですね。
それでいいのです。

紙に文字を印刷していた時代には、「紙がもったいない」ということで、ぎっしりと文字を詰めて書いたものです。
今は、余白がいくらあっても、ただです。
ですから、余白を思いきって、多くする。
改行を多くする。
そのほうが今風になり、文章がずっと読みやすくなります。
たとえば、こんな感じです。

先生の文章を借りて、少し、手直ししてみます。

+++++++++++田丸謙二先生の原稿+++++++++++++++++

(先生のもとの原稿)

私が大学を出たのは終戦の翌年で文字通り「どん底の時代」でした。大学院に進学して研究テーマを頂きに、鮫島実三郎先生のところに伺いましたら、一言「触媒をおやりになったら如何でしょうか」と言われました。しかし当時鮫島研究室にも化学教室にも触媒の研究をしている人は誰もいなく、自分一人で考えねばなりません。終戦から余り月日も経っていないので外国の文献も入って来ず、戦前の古い資料に基づいて研究というものは何をすればいいのか、一人で苦しみぬいたとても辛い五ヶ月間でした。Pd触媒によるアセチレンの水素添加反応を選びましたが、実験をしながら自分は何か間違いをしていないか、もっといい発展がないだろうか、常に真剣に自問自答した体験は非常に苦しかったのですが大変に貴重な体験で、結果も面白く、研究の楽しさを学びました。(その数年後に出版され
たEmmettが編集したCatalysisという本に私の結果が3ページにわたり引用された。当時誰も知らなかった面白いことだったのである。全くの幸運であった。)   


(私が改変した原稿)

 私が大学を出たのは終戦の翌年で文字通り「どん底の時代」でした。
大学院に進学して研究テーマを頂きに、鮫島実三郎先生のところに伺いました。
そうしたら、一言「触媒をおやりになったら如何でしょうか」と言われました。

 しかし当時鮫島研究室にも化学教室にも触媒の研究をしている人は誰もいなく、自分一人で考えねばなりません。
終戦から余り月日も経っていないので、外国の文献も入って来ず、戦前の古い資料に基づいて研究というものは何をすればいいのか、一人で苦しみぬきました。
とても辛い五ヶ月間でした。

 Pd触媒によるアセチレンの水素添加反応を選びましたが、実験をしながら自分は何か間違いをしていないか、もっといい発展がないだろうか、常に真剣に自問自答した体験は、非常に苦しいものでした。

が、大変に貴重な体験で、結果も面白く、研究の楽しさを学びました。

(その数年後に出版されたEmmettが編集したCatalysisという本に私の結果が3ページにわたり引用された。
当時誰も知らなかった面白いことだったのである。
全くの幸運であった。)  

++++++++++++++++++++++++

ねっ、読みやすいでしょ!
紙に書くのではありませんから、こんなふうに、余白をぐんと多くして、書けばいいのです。
ご参考までに!!!

はやし浩司

*************************** 

●4月1日

 教師の姿勢が、問題になっている。
国歌斉唱のとき、歌った、歌わないとか。(2012年4月)

『大阪府の松井一郎知事は1日、府立学校の卒業式で国歌斉唱時に起立斉唱しなかった教職員について、「入学式でも同一人物が同じ行動をとった場合、現場から外すべきだ」との認識を記者団に示した』(MSN・ニュース)とか。

 2005年に書いた原稿を添付する。
なおこの中で、「愛国心(ペイトリアチズム)」について、これは私個人が、ギリシャ語、さらにはラテン語と調べて、知ったことである。
そののち、どこかの政治評論家が、断りもなく、この部分を盗用した。
さらにどこかの政党党首も、盗用した。
2005年という、年号が、何よりも、その証拠である。
こういう盗用は、本当に、謹んでほしい。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●若者の意識

 財団法人日本青少年研究所(東京・新宿)が、高校生の意識調査をした。昨年(04)9月から12月にかけて、3か国35の高校で行い、3649人が回答した。

★国歌・国旗について

 「自分の国に誇りを持っているか」との設問に、「強く持っている」「やや持っている」と答えた日本の高校生は、あわせて51%と、米中両国に比べ目立って低かった。

国旗、国歌を「誇らしい」と思う割合も、米中両国の半分以下。
「国歌を歌えるか」との質問には、「歌える」と答えた日本の高校生は、66%にとどまり、三人に一人は、「少し歌える」「ほとんど歌えない」と答えるなど、国旗国歌に抵抗感を植えつける自虐的教育(報告書の言葉)の影響を懸念させる結果となった。

 こうした意識は国旗国歌への敬意などに表れ、「学校の式典で国歌吹奏や国旗掲揚されるとき、起立して威儀を正すか」との質問に、「起立して威儀を正す」と答えた日本人高校生は、米中の半分以下の30%。

38%は「どちらでもよいことで、特別な態度はとらない」と答え、国際的な儀典の場で、日本の若者の非礼が、批判を受ける下地となっていることをうかがわせた。

★将来、意欲について

 将来への希望を問う設問では、「将来は輝いている」「まあよいほうだが最高ではない」と答えた割合は中国が80%と最も高く、日本は54%で最も悲観的であることがわかった。

さらに、勉強については「平日、学校以外でほとんど勉強しない」が45%(米15%、中8%)、「授業中、よく寝たり、ぼうっとしたりする」も73%(米49%、中29%)と、学習意欲も米中に比べて明らかに低いことが裏づけられた。

 生活面では「若いときはその時を楽しむべきだ」と答えた高校生の割合も、三カ国で最も高かった。

★恋愛、家族について

 恋愛観では「純粋な恋愛をしたい」と考える割合は、九割と日本が最も高かった。
しかし、結婚後「家族のために犠牲になりたくない」も日本がトップ。
将来「どんなことをしても親の面倒をみたい」は三カ国で最も低く、逆に「経済的な支援をするが、介護は他人に頼みたい」が18%と、米国9%、中国12%を大きく上回った。

(以上、報告書のまま)

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 いろいろ反論したいことはあるが、日本の高校生の実像を表していることは、事実。
で、こうした事実を並べて、財団法人日本青少年研究所(東京・新宿)は、つぎのように結論づけている。

 『日本の高校生たちについて、「純愛で結婚したいが、家族の犠牲にはなりたくない。親の面倒は、金で他人に見てもらいたいという自己中心的な恋愛観・家族観が浮かんでいる」』と。
(はやし浩司 日本 青少年 青少年意識 高校生 意識 意識調査 国旗 国歌 はやし浩司 若者の意識 自己中心的な恋愛観 恋愛至上主義 はやし浩司 高校生の意識)

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

●国旗、国歌について

 国旗はともかくも、国歌について言えば、それを歌うから愛国心があり、歌わないから愛国心がないというふうに、決めつけてほしくない。

 私は、(あなたもそうだろうが……)、外国で、日本を思うときは、別の歌を歌う。
「ふるさと」であり、「赤とんぼ」である。

●自虐的教育について

 この日本では、自国の歴史を冷静に反省することを、「自虐的教育」という。
右翼的思想の人が、左翼的傾向のある教育を批判するとき、好んで使う言葉である。

 「どうして?」と思うだけで、あとがつづかない。

●親のめんどう

 それだけ日本人の親子は、関係が、希薄ということ。
親自身が、無意識のうちにも、親子の関係を破壊している。
そういう事実に気づいていない。

 子どもの夢、希望、目的をいっしょに、考え育てるというよりは、「勉強しなさい」「いい高校に入りなさい」という、短絡的な教育観が、親子の関係を破壊していることに、いまだに、ほとんどの親は気づいていない。

 「子どもが自己中心的だから」という結論は、どうかと思う。
こういうところで、自己中心的という言葉を、安易に使ってほしくない。
家族の形態そのものも、ここ半世紀で大きく変わった。

ここに表れた「経済的な支援をするが、介護は他人に頼みたいが、18%」という数字は、数年前の調査結果と、ほとんどちがっていない。

 よりよい親子関係を育てるためには、(ほどよい親)(暖かい無視)に心がける。

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

最前線の子育て論byはやし浩司(605)

●BRIC‘s レポート

 最近経済界で話題になっているキーワードに、「BRIC‘s レポート」というのがある。

 ゴールドマン・サックス証券会社が発表した、経済レポートをいう(03年10月)。

B……Brazil(ブラジル)
R……Russsia(ロシア)
I……India(インド)
C……China(中国)を、まとめて、「BRIC‘s」という。

 同レポートによれば、2050年ごろには、これらBRIC‘sの4か国だけで、現在の日本、アメリカ、ドイツ、フランス、イギリス、イタリアの総合計を、経済規模で、上回るようになるという。

 そしてその結果、世界のGDPは、上から順に、

(1) 中国
(2) アメリカ
(3) インド
(4) 日本
(5) ブラジル
(6) ロシアの順になるという。つまり日本は、4位に転落するという。

 こうした国々をながめてみると、これからの日本が相手にすべき国は、どこか、すぐわかるはず。

 アメリカ、インド、ブラジルの3か国である。
とくに注目したいのが、インドとブラジルである。
これら2国は、日本との関係も深く、親日的である。
最近ある公的機関を定年退職したが、ニューデリーに住んでいる、友人のマヘシュワリ君は、大の日本びいき。
メールをくれるたびに、「どうしてインドへ来ないのか?」と聞いてくる。

 日本よ、日本人よ、どうしてもっと、インドやブラジルに目を向けないのか?

 中国や韓国など、もう相手にしてはいけない。
必要なことはするが、限度を、しっかりとわきまえる。
仲よくはするが、反日感情については、無視。
そして余裕があるなら、インドやブラジルに目を向けるべきである。

 そのインドも、昔は借金国。
しかし世界銀行やアジア開発銀行などからの借金の30億ドルを、2002年度までに完済している。
(韓国などは、先のデフォルトのとき、550億ドルも、日本が中心になって援助したが、感謝の「カ」の字もない! 中国などは、いまだに日本の無償援助をよこせと、がんばっている!)

 私が日本のK首相なら、イの一番に、インド、つづいてブラジルを回る。
もう一か国つけ加えるなら、オーストラリアも回る。
オーストラリア人の親日性は、日本のK首相が、イラク派兵を頼んだときに、証明された。

 オーストラリアは、日本の自衛隊を守るために、オーストラリア兵を、イラクへ派遣してくれた(05・3月)。
どうして、そういう国を、もっと大切にしないのか!

 あえてけんかをすることはないが、日本を嫌い、日本人を軽蔑している国々と、頭をさげてまで、仲よくすることはない。
それよりも今、重要なことは、50年先を見越して、日本の立場を、より強固にしていくことである。

 ちなみに、「インドの人口は10億人。
国土は日本の9倍。南アジア最大の軍事大国だが、同時にアジア有数の親日国家でもある。
そのインドが資本市場を急速に自由化させ、中国にかわって、世界の工場となるシナリオが、日々高まってきた。

インドの昨年第四・四半期(10月ー12月)のGDP成長率は、中国を抜いて、堂々の10・4%だった」(宮崎正弘レポート)。

 そのインドに、中国が目を向けないはずがない。
少し前まで、仲が悪いと思われていたが、ここ1、2年で、中印貿易高は、日印貿易高を、とうとう追いこしてしまった。
が、それだけでは、ない。
それを猛烈に追いあげているのが、実は、韓国である。

 この分野でも、日本は、完全に出遅れている。
さらに最近の、中国や韓国の合言葉はただ一つ。「日本を、極東の島国から、太平洋の奈落の底にたたき落せ」である。
うわべはともかくも、K国が、核ミサイルを、東京にうちこんだとき、それを一番喜ぶのは、中国であり、韓国なのである。

 現実の国際政治というのは、そういうものだし、現実的でない国際政治というのは、意味をもたない。

 もちろんそんなことを、K国にさせてはならない。(させてたまるものか!)

 そこで日本としては、6か国協議に見切りをつけて、K国の核問題を、国連安保理に付託するしかない。
(中国や韓国は、それを警戒している。
そしてそういう動きを見越して、韓国は、日韓関係の整理をし始めている。)

 話がそれたが、S県の県議会が、「竹島の日」を、こういう微妙なときに定める真意が、私には理解できない。
国際性のなさというか、まあ、何というか。
S県の「S」は、「島」という漢字をあてる。
こうした島国根性こそが、日本の将来の足かせになっている。

 2050年という、45年後には、私は、もう生きていない。
しかしそのとき、世界はどうなっているか。
それを示しているのが、ここにあげたBRIC‘s レポートということになる。

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

さらに、以前書いた原稿を2作。
日付は2002年になっているが、実際には、さらにその数年前に書いた原稿と思う。
ここに書いたことは、今の今も、少しもブレていない。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●「公」について(What is “Public”?)

 以前、教育改革国民会議は、つぎのような報告書を、中央教育審議会に送った。

いわく「自分自身を律し、他人を思いやり、自然を愛し、個人の力を超えたものに対する畏敬(いけい)の念をもち、伝統文化や社会規範を尊重し、郷土や国を愛する心や態度を育てるとともに、社会生活に必要な基本的知識や教養を身につけることを、教育の基礎に位置づける」と。

 こうした教育改革国民会議の流れに沿って、教育基本法の見なおしに取り組む中央教育審議会は、〇二年一〇月一七日、中間報告案を公表した。
それによれば、「国や社会など、『公』に主体的に参画する意識や、態度を涵養(かんよう)することが大切」とある。

 一読するだけで頭が痛くなるような文章だが、ここに出てくる「涵養(かんよう)」とは何か。
日本語大辞典(講談社)によれば、「知識や見識をゆっくりと身につけること」とある。
が、それにしても、抽象的な文章である。
実は、ここに大きな落とし穴がある。
こうした審議会などで答申される文章は、抽象的であればあるほど、よい文章とされる。
そのほうが、官僚たちにとっては、まことにもって都合がよい。
解釈のし方によっては、どのようにも解釈できるということは、結局は、自分たちの思いどおりに、答申を料理できる。好き勝手なことができる。

 しかし否定的なことばかりを言っていてはいけないので、もう少し、内容を吟味してみよう。

 だいたいこの日本では、「国を守れ」「国を守れ」と声高に叫ぶ人ほど、国の恩恵を受けている人と考えてよい。
お寺の僧侶が、信徒に向かって、「仏様を供養してください」と言うのに似ている。
具体的には、「金を出せ」と。
しかし仏様がお金を使うわけではない。
実際に使うのは、僧侶。
まさか「自分に金を出せ」とは言えないから、どこか間接的な言い方をする。
要するに「私たちを守れ」と言っている。

 もちろん私は愛国心を否定しているのではない。
しかし愛「国」心と、そこに「国」という文字を入れるから、どうもすなおになれない。
この日本では、国というと、体制を意味する。
戦前の日本や、今の北朝鮮をみれば、その意味がわかるはず。
「民」は、いつも「国」の道具でしかなかった。

 そこで欧米ではどうかというと、たとえば英語では、「patriotism」という。
もともとは、ラテン語の「パトリオータ(父なる大地を愛する人)」という語に由来する。
日本語では、「愛国心」と訳すが、中身はまるで違う。
この単語に、あえて日本語訳をつけるとしたら、「愛郷心」「愛土心」となる。
「愛国心」というと反発する人もいるかもしれないが、「愛郷心」という言葉に反発する人はいない。

 そこで気になるのは、「国や社会など、『公』に主体的に参画する意識や、態度を涵養(かんよう)することが大切」と答申した、中教審の中間報告案。

 しかしご存知のように、今、日本人の中で、もっとも公共心のない人たちといえば、皮肉なことに、公務員と呼ばれる人たちではないのか。
H市の市役所に三〇年勤めるK市(五四歳)も私にこう言った。
「公僕心? そんなもの、絶対にありませんよ。私が保証しますよ」と。

とくに長年、公務員を経験した人ほどそうで、権限にしがみつく一方、管轄外のことはいっさいしない。
情報だけをしっかりと握って、それを自分たちの地位を守るために利用している。
そういう姿勢が身につくから、ますます公僕心が薄れる。
恐らく戦争になれば、イの一番に逃げ出すのが、官僚を中心とする公務員ではないのか。
そんなことは、先の戦争で実証ずみ。
ソ連が戦争に参画してきたとき、あの満州から、イの一番に逃げてきたのは、軍属と官僚だった。

 私たちにとって大切なことは、まずこの国や社会が、私たちのものであると実感することである。
もっとわかりやすく言えば、国あっての民ではなく、民あっての国であるという意識をもつことである。
とくに日本は民主主義を標榜(ひょうぼう)するのだから、これは当然のことではないのか。
そういう意識があってはじめて、私たちの中に、愛郷心が生まれる。
「国や社会など、『公』に主体的に参画する意識」というのは、そこから生まれる。

 これについて、教育刷新委員会(委員長、安倍能成・元文部大臣)では、「本当に公に使える人間をつくるには、個人を一度確立できるような段階を経なければならない。
それが今まで、日本に欠けていたのではないか」(哲学者、務台理作氏)という意見が大勢をしめたという(読売新聞)。
私もそう思う。
まったく同感である。
言いかえると、「個人」が確立しないまま、「公」が先行すると、またあの戦時中に逆もどりしてしまう。
あるいは日本が、あの北朝鮮のような国にならないともかぎらない。
それだけは何としても、避けなければならない。

 再び台頭する復古主義。
どこか軍国主義の臭いすらする。
教育の世界でも今、極右勢力が、力を伸ばし始めている。
S県では、武士道を教育の柱にしようとする教師集団さえ生まれた。
それを避けるためにも、私たちは早急に、務台氏がいう「個人の確立」を目ざさねばならない。
このマガジンでも、これからも積極的に、この問題については考えていきたい。
(02-11-4)

(読者のみなさんへ)
 みなさんがそれぞれの立場で、民主主義を声を高くして叫べば、この日本は確実によくなります。みんなで、子孫のために、すばらしい国をつくりましょう!

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 Hiroshi Hayashi education essayist writer Japanese essayist 公僕意識 公教育 道徳教育 パトリオータ はやし浩司 公と民 はやし浩司 愛国心 愛国心とは)

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

★国歌……何度も書くが、どうして「国歌」にそれほどまでに、こだわるのか。
こだわらなければならないのか。
私には、その理由が、よくわからない。

 国歌でなくても、長唄でも小唄でも、能の謡(うたい)でもよい。
詩の朗読でもよい。
国歌を歌ったからといって、愛国心があるということにはならない。
国家を歌わないからといって、愛国心がないということにもならない。

 加えて、日本の「君が代」には、問題がある。
ないとは言わせない。どうして主権在民の民主主義国家で、天皇をたたえる歌が、国歌なのか。
いや、こう書くからといって、何も「君が代」に反対しているわけではない。

 それでもいいという国民が過半数を超えているなら、それはそれでいいと思う。
それも民主主義。
みんなで話しあって決めたことは、みんなで従う。私も従う。

 ただ公教育の先生が、公的な立場で、個人的な実力行使をするのは、許されない。
国歌斉唱に反対するなら、公的な立場を離れ、個人的な意見として発表すべきである。
それはたとえて言うなら、子どもの親が、どんな犯罪者でも、その子どもを差別してはいけないという論理に通ずる。

 公的な人間は、公的な人間としての立場をわきまえて行動する。
私的な主義主張は、公的な立場を離れてるす。公教育というのは、そういうものである。

 数週間前も、1億円という巨額なワイロを受け取りながら、その責任を部下におしつけて逃げてしまった元総理大臣がいた。
「覚えていません」と。

 私はともかくも、一般の人たちや、そして子どもたちは、そういう政治家を見ながら、そういう政治家たちが言うところの愛国心というものが、どういうものであるかを知る。
愛国心をぶちこわしているかどうかということになれば、そういう政治家のほうが、よほど、ぶちこわしていることになるのではないのか。

【補記】

 「君が代を歌え」と迫る政府。
それはどこかカルト的? 一方、「君が代は歌わない」とがんばる先生たち。
それもどこかカルト的?

 この話をワイフにしたら、ワイフは、こう言った。
「そういうのを逆カルトというんじゃ、ない?」と。

 おもしろいネーミングである。
カルトに対して、逆カルト。
ナルホド!

 似たような例は、多い。
……というより、私自身も経験している。

 ある時期、私は、カルト教団と呼ばれる宗教団体に、猛烈な反発を感じた。
何冊か、本も書いた。
そのときのこと。
そのカルト教団については、何もかも否定、また否定。
まさに『坊主憎ければ、袈裟(けさ)まで憎い』の心境になってしまった。

 しかし、カルト教団だから、「悪」と考えてはいけない。
しかしそれに気づくまでに、何年もかかった。
「悪いのは指導者であって、信者ではない」と。
 
 そのときの私の心理が、いわゆる「逆カルト」ということになる。
心の余裕というか、ゆとりをなくす。
車の運転でいえば、「遊び」の部分をなくす。
ものの考え方が、どこかギクシャクしてくる。

 私などは、もともと、どこかいいかげんな人間。
だから、心の中では、「?」と思っていても、そのときになったら、ちゃんと相手に合わせる。
たとえば卒業式や入学式では、みなといっしょに、大声で、国歌を歌う。歌ってすます。
主義主張は、人並み以上にはあると思うが、しかし卒業式や入学式の場で、主義主張にこだわる必要はない。
たかが「歌」ではないか。

 いくら酒は飲めないといっても、グラスを勧められたら、一応口だけはつけて、「乾杯!」と言いかえす。
それがここでいう「遊び」である。「心のゆとり」である。

 ……と書いて、私は九州の隠れキリシタンの話を思い出した。
九州の日出藩(ひじはん)の踏み絵がよく知られている。

 たとえば豊前国小倉藩の家臣、加賀山隼人は、キリシタンであったという理由で、処刑されている。
こんな話が伝わっている(「日本耶蘇教会年報」)。

 加賀山隼人の娘が、父親の隼人に、「父上、何も、裁きを受けず、大罪を犯した訳でもなく、ただ、キリスタンなるが故の死罪、外で執行されるに及ばず。
我等にとりても、此の家が一番好都合でありませぬか」と。
つまり、「ただキリスト教徒というだけで、処刑なんて、おかしいでしょう。
私たちにとって、この家の幸福が、一番、大切ではないですか」と。

それに答えて、「ならぬ。かの救世主・耶蘇基督(キリスト)は罪なき身を以って、エルサレムの城門外に二人のあさましき兇徒(きょうと)の間に置かれ、公衆の面前で死なんと欲したではないか。
我もまた、公衆の面前で汚辱を受けつつ死を熱望するなり」と。
つまり、「あのイエスも、信仰を守るため、公衆の面前で処刑にあっているではないか。
私も、それを希望する」と。

 この話は、その筋の世界では、「美談」として、もてはやされている。
「命がけの信仰」として、たたえられている。
しかし私は、こういう話に、どうしても、ついていけない。
信仰心と、盲目的な忠誠心を、どこかで混同しているのではないか?

 ……と書くと、猛烈な反発を買いそうだが、いくら信仰をしても、自分を見失ってはいけない。
命までかけて、信仰をしてはいけない。
信仰をしながらも、自分の心にブレーキをかける。
そのブレーキをかける部分が「私」である。

いいか、キリストは、自分の信念で処刑に甘んじた。
信者は、信念といっても、(脳注入された信念)である。
誤解してはいけない。

 キリストの立場で考えてみれば、それがわかる。

 彼自身は、公衆の面前で処刑された。
しかしキリストは、すべての民の原罪を背負って、処刑された。
決して、「自分の信者に、同じことをせよ」と、見本を見せたわけではない。
いつだったか、私は、「キリストも教師ではなかったか?」という文章を書いた。

 それをここに再掲載しておく。

++++++++++++++++++++++++++++

【神や仏も教育者だと思うとき】 

●仏壇でサンタクロースに……?

 小学一年生のときのことだった。
私はクリスマスのプレゼントに、赤いブルドーザーのおもちゃが、ほしくてほしくてたまらなかった。
母に聞くと、「サンタクロースに頼め」と。
そこで私は、仏壇の前で手をあわせて祈った。
仏壇の前で、サンタクロースに祈るというのもおかしな話だが、私にはそれしか思いつかなかった。

 かく言う私だが、無心論者と言う割には、結構、信仰深いところもあった。
年始の初詣は欠かしたことはないし、仏事もそれなりに大切にしてきた。
が、それが一転するできごとがあった。
ある英語塾で講師をしていたときのこと。
高校生の前で『サダコ(禎子)』(広島平和公園の中にある、「原爆の子の像」のモデルとなった少女)という本を、読んで訳していたときのことだ。
私は一行読むごとに涙があふれ、まともにその本を読むことができなかった。

そのとき以来、私は神や仏に願い事をするのをやめた。
「私より何万倍も、神や仏の力を必要としている人がいる。
私より何万倍も真剣に、神や仏に祈った人がいる」と。
いや、何かの願い事をしようと思っても、そういう人たちに申し訳なくて、できなくなってしまった。

●身勝手な祈り

 「奇跡」という言葉がある。
しかし奇跡などそう起こるはずもないし、いわんや私のような人間に起こることなどありえない。
「願いごと」にしてもそうだ。
「クジが当たりますように」とか、「商売が繁盛しますように」とか。
そんなふうに祈る人は多いが、しかしそんなことにいちいち手を貸す神や仏など、いるはずがない。
いたとしたらインチキだ。

一方、今、小学生たちの間で、占いやおまじないが流行している。
携帯電話の運勢占いコーナーには、一日一〇〇万件近いアクセスがあるという(テレビ報道)。
どうせその程度の人が、でまかせで作っているコーナーなのだろうが、それにしても一日一〇〇万件とは!

あの『ドラえもん』の中には、「どこでも電話」というのが登場する。
今からたった二五年前には、「ありえない電話」だったのが、今では幼児だって持っている。
奇跡といえば、よっぽどこちらのほうが奇跡だ。
その奇跡のような携帯電話を使って、「運勢占い」とは……? 

人間の理性というのは、文明が発達すればするほど、退化するものなのか。
話はそれたが、こんな子ども(小五男児)がいた。
窓の外をじっと見つめていたので、「何をしているのだ」と聞くと、こう言った。
「先生、ぼくは超能力がほしい。超能力があれば、あのビルを吹っ飛ばすことができる!」と。

●難解な仏教論も教育者の目で見ると

 ところで難解な仏教論も、教育にあてはめて考えてみると、突然わかりやすくなることがある。
たとえば親鸞の『回向論』。

『(善人は浄土へ行ける。)いわんや悪人をや』という、あの回向論である。

これを仏教的に解釈すると、「念仏を唱えるにしても、信心をするにしても、それは仏の命令によってしているにすぎない。
だから信心しているものには、真実はなく、悪や虚偽に包まれてはいても、仏から真実を与えられているから、浄土へ行ける……」(大日本百科事典・石田瑞麿氏)となる。

 しかしこれでは意味がわからない。
こうした解釈を読んでいると、何がなんだかさっぱりわからなくなる。
宗教哲学者の悪いクセだ。読んだ人を、言葉の煙で包んでしまう。
(実際には、説明している本人にすら、意味がわかっていないのではないか? 失礼!)

要するに親鸞が言わんとしていることは、「善人が浄土へ行けるのは当たり前のことではないか。
悪人が念仏を唱えるから、そこに信仰の意味がある。つまりそういう人ほど、浄土へ行ける」と。
しかしそれでもまだよくわからない。

 そこでこう考えたらどうだろうか。
「頭のよい子どもが、テストでよい点をとるのは当たり前のことではないか。
頭のよくない子どもが、よい点をとるところに意味がある。
つまりそういう子どもこそ、ほめられるべきだ」と。
もう少し別のたとえで言えば、こうなる。

「問題のない子どもを教育するのは、簡単なことだ。
そういうのは教育とは言わない。
問題のある子どもを教育するから、そこに教育の意味がある。またそれを教育という」と。
私にはこんな経験がある。

●バカげた地獄論

 ずいぶんと昔のことだが、私はある宗教教団を批判する記事を、ある雑誌に書いた。
その教団の指導書に、こんなことが書いてあったからだ。
いわく、「この宗教を否定する者は、無間地獄に落ちる。他宗教を信じている者ほど、身体障害者が多いのは、そのためだ」(R宗機関誌)と。
こんな文章を、身体に障害のある人が読んだら、どう思うだろうか。
あるいはその教団には、身体に障害のある人はいないとでもいうのだろうか。

が、その直後からあやしげな人たちが私の近辺に出没し、私の悪口を言いふらすようになった。
「今に、あの家族は、地獄へ落ちる」と。
こういうものの考え方は、明らかにまちがっている。
他人が地獄へ落ちそうだったら、その人が地獄へ落ちないように祈ってやることこそ、彼らが言うところの慈悲ではないのか。

私だっていつも、批判されている。
子どもたちにさえ、批判されている。
中には「バカヤロー」と悪態をついて教室を出ていく子どももいる。
しかしそういうときでも、私は「この子は苦労するだろうな」とは思っても、「苦労すればいい」とは思わない。
神や仏ではない私だって、それくらいのことは考える。
いわんや神や仏をや。

批判されたくらいで、いちいちその批判した人を地獄へ落とすようなら、それはもう神や仏ではない。
悪魔だ。
だいたいにおいて、地獄とは何か? 
子育てで失敗したり、問題のある子どもをもつということが地獄なのか。
しかしそれは地獄でも何でもない。
教育者の目を通して見ると、そんなことまでわかる。

●キリストも釈迦も教育者?

 そこで私は、ときどきこう思う。
キリストにせよ釈迦にせよ、もともとは教師ではなかったか、と。
ここに書いたように、教師の立場で、聖書を読んだり、経典を読んだりすると、意外とよく理解できる。

さらに一歩進んで、神や仏の気持ちが理解できることがある。
たとえば「先生、先生……」と、すり寄ってくる子どもがいる。
しかしそういうとき私は、「自分でしなさい」と突き放す。
「何とかいい成績をとらせてください」と言ってきたときもそうだ。
いちいち子どもの願いごとをかなえてやっていたら、その子どもはドラ息子になるだけ。
自分で努力することをやめてしまう。
そうなればなったで、かえってその子どものためにならない。
人間全体についても同じ。

スーパーパワーで病気を治したり、国を治めたりしたら、人間は自ら努力することをやめてしまう。
医学も政治学もそこでストップしてしまう。
それはまずい。しかしそう考えるのは、まさに神や仏の心境と言ってもよい。

 そうそうあのクリスマス。
朝起きてみると、そこにあったのは、赤いブルドーザーではなく、赤い自動車だった。
私は子どもながらに、「神様もいいかげんだな」と思ったのを、今でもはっきりと覚えている。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●田丸謙二先生より(4月1日2012年)

『林様:メール有難うございました。
とても興味深く拝読しました。
私にとっては新しい情報ですが、貴君の原稿を何十万の人が読むと言いますがそれだけの人が本当に読んでいる保証があるのでしょうか。
読むことは出来るかもしれませんが、本当に興味を持って読む人が一人もいないということはあり得ないのでしょうか。
その原稿に対してどんな形でどのくらいの収入があるのでしょうか。
本当に興味を持って読んでいる人は何人いるのでしょうか。
どうしたらそれが解るのでしょうか。
確かに現在は「本の時代ではない」かもしれませんが、それだけに出版社たちは、一人でも多くの読者があるような、興味があって有意義な本を出す苦労をしているはずです。
貴君の書かれる原稿がその中に入らない理由が何かあるのでしょうか。
「ものを書いてお金を儲けようという気はない」のも結構ですが、皆が読みたがる立派で社会のために重要な原稿を書けば、本屋は見逃さずに本にしたがるものではないでしょうか。
何故その部類に貴君の原稿が入らないのでしょうか。
これは「浜松」だとか「東京」とかという問題を越えたことではないでしょうか。
何もよく知らないで申して申し訳ないのですが、ファンの一人として、そういう点についてご説明していただければ幸いです。
くれぐれもお元気で。
田丸謙二』(2012-04-01)

【はやし浩司より、田丸謙二先生へ】

 先生が言われる通りです。
「アクセス数」というのは、あくまでも「アクセス数」です。
本屋での立ち読みのようなものです。
チラッと見て、ポイ。
それを「アクセス数」と言います。

 ですから、アクセスした人イコール、読者ということではありません。
興味本位、あるいは、中には反感をもちながら、アクセスしてくる人も多いはずです。
ですから、「毎月50万アクセス」と言っても、中身は、薄いです。

 が、その一方で、電子マガジンの読者、BLOGの購読者、さらには定期発行物の登録会員など、明らかに私の「読者」と考えてよい人も、います。
そういう人は、現在、合計で、2000人前後、います。
私は、そういう読者を、たいへん大切にしています。

 で、その中間の人たちは、どうか?
それについては、私にもわかりません。
好意的に読んでくれる人もいるでしょうし、逆に、反感を覚えながら読んでくれる人もいるでしょう。
しかし何よりも大切なことは、(人の目に触れること)です。

 で、本について。

 ご存知のように、私は20代の初めから、「本=書籍」について、いろいろな形で、関わってきました。
ゴーストライターもしてきました。
しかし私の世界では、本というのは、「商品」でしかありませんでした。
出版社にしても、まず(売る)ことを考えます。
そうした傾向が強くなったのは、1990年前後からからではないでしょうか。
大手の出版社でも、編集部より、販売部のほうの力が大きくなりました。
編集部がOKを出しても、販売部のほうで、STOPがかかるということは、この世界では、よくあることです。
不況が、それに拍車をかけました。

出版業界全体の市場は、1996年をピークに約25%減少しており、多くの企業が業績悪化に苦しんでいます(Diamond on Line)。

私も30冊近い本を出してきましたが、1990年ごろから、印税も、売れた本の分だけ。
しかも半年から1年後払いというのが、常識になってきました。
つまり「本は儲からない」。
端的に言えば、時代が、変わったということです。
で、「本」に対する幻想が、このころから崩れ始めました。

また現在、よく売れる本の著者というのは、マスコミ、とくにテレビへの露出度で決まります。
出版社も、そのことをよく知っています。
だから逆に、こう言われます。
「林さんも、東京へ出て、テレビに出てくださいよ」と、です。

 が、それでも私は(売れる本)に心がけてきました。
また私は20代~30代は、市販の教材作りの仕事をしてきました。
教材ですから、まさに(商品)です。

 で、本に話を戻します。
本でも、テレビでも、編集者、あるいはディレクターの意向が強く働きます。
意向に反したりすると、ボツになるか、2度目がありません。
とくに私のような、地位、肩書のない人間のばあいは、そうです。
「どこの馬の骨?」というところから、企画が始まります。
そういう意味では、私は、ドン底を、這って生きてきました。
(先生とは、立場が、180度違うということを、どうか、ご理解ください。)

 で、そういう自分が、つくづくいやになりました。
あちこちに尻尾を振り、自分の魂を削りながらものを書くという作業が、です。
で、2001年ごろに書いた本を最後に、原稿は、すべてネットで公開することにしたわけです。
無料です。

 ……この「無料」というところに意味があります。
無私無欲、です。
そのかわり、書きたいことを、そのまま、書く。
だれにも媚を売らず、だれにも遠慮せず、です。
私を受け入れてくれる人がいれば、それはそれでよし。
しかしそうでなければ、それもまたよし。

 こんな男性がいます。
もと小学校の教師です。
今年90歳近い男性です。

 毎月、「植物観察会※」なるものをしています。
雨の日もしています。
もちろん無料です。

 で、その男性ですが、雨の日も、待ち合わせ場所で待っています。
が、だれも来ない日もあるそうです。
そういときは、ある程度待ち、そのまま家に帰っていきます。

 無私無欲だからこそ、そういうことができるのですね。
もし、功利、打算が入ったら、そういうことはできません。
つまりね、私はそういった生き方の中に、自分の老後のあり方を見つけたというわけです。

 ……こうして無私無欲で、ものを書く。
実際のところ、アクセス数は、ただの数字に過ぎません。
山の上から、空に向かって叫ぶようなもので、読者の顔はまったく、見えません。
実感など、さらにありません。
インターネットの世界は、そこが不思議な世界です。
パソコンというのは、実体のあるモノですが、その画面の向こうは、まさに仮想現実の世界です。

 だからインターネット上で、「読者」を論じても、あまり意味はありません。
ただの情報、です。

 しかし私は、こう考えます。
だからこそ、そこは「私」を超えた、人間の世界、と。

 仮にチラッと見て、ポイであっても、一部は、それを見た人の脳に残る。
それが集合され、やがて人間全体へと伝わっていきます。
「はやし浩司」という個人の名声にこだわれば、「本」が有効です。
また「本」でなければなりません。

 しかしどうせ死ねば、私は、この宇宙もろとも、消えてなくなるわけです。
生まれる前の状態に戻り、億年のその億倍の、「虚」という無の世界に戻るわけです。
だからこそ、私はこう考えます。

 何も本にこだわる必要はないのでは……と。

 ……もうすぐ、浜松に着きます。
(現在、新幹線の中です。
つづきは、またあとで書きます。)

 それにもう一つ。

 私は現在、毎日、50~100枚の原稿を書いています。
単行本であれば、たいてい120~140枚で、1冊の本になります。
ですから単行本になおせば、毎月、少なくとも、3~4冊の本を書いていることになります。

 しかしご存知のように、本というのは、本当に、めんどうです。
出版社とのやりとりだけで、うんざりします。
ていねいな出版社になると、校正だけで、数往復します。
それよりも、私にとって大切なことは、こうしてものを書き、すべてを発表していくことです。
多少荒っぽくても、「生」の自分をさらけ出す。
またそのほうが、「影響力」もあります。
それができるのは、やはりインターネットです。

 まだまだ信頼性もなく、玉成混交の世界ですが、やがて淘汰され、洗練されていくものと思います。
私はそれを信じていますし、もうこの流れを止めることは、だれにもできないと思います。

 で、私の場合ですが、「本」はよく買います。
週に、5~6冊、雑誌や単行本を買います。
しかしそのほとんどは、「資料」として使える本です。
「著者」という著者が書いた本ではなく、「資料」です。
それをもとに、考えて書くのは、あくまでも私。
その主導権だけは、だれにも渡したくありません。

 では、今、掛川の駅を出ましたので、一度、ここでメールを送っておきます。

はやし浩司

(2012年3月31日、鎌倉にて、田丸謙二先生に会う。)

平塚市・サンライズホテルに一泊する。


Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

(注※……2009年6月に書いた原稿より)

●無料の植物観察会

昨日、講演をさせてもらった、S小学校の校長から、こんな話を聞いた。なんでもその老人は、今年84歳になるという。
元、小学校の教師。毎月、一回、植物観察会を開いているという。
無料で開いているという。

日時と集合場所が、毎月、決まっている。
が、集まる会員と人数は、そのつどちがうらしい。
雨の日などは、ゼロになることもあるという。
が、その老人は休むということをしない。
雨の中で、会員が来るのをじっと待っているという。そして時刻になっても、だれも来ないと、それを確かめたあと、その場を離れて、家に帰る、と。
 
その話を聞いて、「すばらしい」と思う前に、私自身の近未来の目標を示してもらったようで、うれしかった。
「私もそうしたい」と。

●老後の生きがい

 私自身もそうだったが、(老後の生きがい)について、みな、あまりにも安易に考えすぎ
ている。
「安易」というより、「何も考えていない」。

 「老後になったら、休む」とか、「遊ぶ」とか言う人は多い。
しかし「遊べ」と言われても、遊べるものではない。
「休め」と言われても、休めるものではない。
だいたいた、遊んだからといって、それがどうなのか? 
休んだからといって、それがどうなのか? 
私たちが求めているのは、その先。「だからそれがどうしたの?」という部分。
つまり、(生きがい)。

 もしそれがないようだったら、私のように死ぬまで仕事をするということになる。
仕事をつづけることによって、老後になるのを、先送りすることができる。
が、仕事がいやなのではない。
仕事ができるということも、喜びなのだ。
その(喜び)を絶やさないようにする。

 目が見える。音が聞こえる。
ものを考えることができる。体が動く。
……それらすべてが集合されて、(生きる喜び)につながる。

●自分との戦い

 その老人の気持ちが、痛いほど、私にはよく理解できる。
その老人にしてみれば、それが(生きがい)なのだ。
雨の日に、ひとりで、どこかで待つのはつらいことだろう……と、あなたは思うかもしれない。
「なんら得にもならないようなことをして、何になるだろう」と思う人もいるかもしれない。
しかしその老人は、そういう世俗的な同情など、とっくの昔に超越している。
そこらのインチキ・タレントが、名声を利用して開くチャリィティ・コンサートとは、中身がちがう。
心の入れ方がちがう。
(みなさんも、ああした偽善にだまされてはいけない!)

 その老人にしてみれば、参加者が来ても、また来なくても、かまわない。
たった1人でもよい。
多ければ多いほど、やりがいはあるだろう。しかし(やりがい)イコール、(生きがい)ということでもない。
つまりそれは他者のためではない。自分自身のため。
老後の生きがいというのは、つまるところ、(自分自身の生きがい)。
それとの戦いということになる。

●統合性は、無私無欲で……

 まだその芽は、小さいかもしれない。
しかしその心は、私も大切にしたい。

何度も書くが、「老後の統合性」は、無私無欲でなければならない。
そこに欲得がからん
だとたん、統合性は意味を失い、霧散する。
仮にその老人が会費なるものを徴収して、観察会を開いていたとしたら、どうだろうか。
最初のうちは、ボランティア(=無料奉仕)のつもりで始めても、そこに生活がからんできたとたん、(つもり)が(つもり)でなくなってしまう。
「今日は1人しか来なかった……」という思いは、そのまま落胆につながる。
「雨の中で待っていたのに、だれも来なかった。みな、恩知らず」と思うようになったら、おしまい。

 だったら、最初から、無私無欲でなければならない。
またそうでないと、つづかない。
こうした活動は途切れたとたん、そこで終わってしまう。
生きがいも、そこで消えてしまう。
つまりそれがいやだったら、最初から無私無欲でやる。
何も考えず、無私無欲でやる。

 もちろん私にもいくつかの夢がある。
そのひとつは、「子育て相談会」。
今まで積み重ねてきた経験と知恵を、若い親たちに伝えたい。
もちろん無料で。
もちろん損得を考えることなく。
そうした計画は立てている。

 今は、インターネットを利用して、その(まねごと)のようなことをしている。
しかしそれもやがて限界に来るはず。
無私無欲とは言いながら、いつもどこかで、何かの(得)を考えている。
アクセス数がふえれば、うれしい。
ふえなければ、とたんにやる気を失う。
つまりそれだけ私の心が不純であることを示す。

 もっとも仕事ができるといっても、あと8年。
70歳まで。
そのころまでに、私の統合性を確立したい。
少しずつだが、その目標に向かって、進みたい。そしていつか……。

 どこかの会場で、ひとりでポツンと、来るか来ないかわからない親を待つ。
そして時間が来て、だれも来なくても、そんなことは気にせず、鼻歌でも歌いながら、会場を片づける。
そんな日が来ればよい。そんな日が来るのを目標にしたい。

(注)統合性の確立……(やるべきこと)と(現実に自分がしていること)を一致させることをいう(エリクソン)。

(はやし浩司 教育 林 浩司 林浩司 Hiroshi Hayashi 幼児教育 教育評論 幼児教育評論 はやし浩司 植物観察会 老後の生きがい 統合性 小田原 サンライズホテルにて)


Hiroshi Hayashi+++++++April. 2012++++++はやし浩司・林浩司


 



Friday, March 30, 2012

●ある相談から





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【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●2月24日(講演で、東京へ)

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

今、新幹線の中。
東京へ向かう。
虎の門近くにある、海洋船舶ビル。
そこで講演。

ワイフも同行。
「行きたいか?」と声をかけると、「うん」と。
「あんな家で、ひとりでボーッとしているのもつらいだろ?」と言うと、「うん」と。

まさに二人三脚。
2人で1人前。

たった今、講演の資料を読みなおしたところ。
ほっと一息ついたとき、静岡に着いた。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●自転車屋

 数日前、近くのショッピングセンターへ行った。
驚いた。
驚いて、そのまま絶句。

 それまでも、100~200台前後の自転車を並べていた。
そのコーナーが、2倍近く、広くなった。
数も、300~400台!

 私の実家も自転車を売っていた。
新車が10~15台。
中古車が10~15台。
私が生まれ育った町では、それでもふつうの自転車屋だった。

 が、そのうち40台近い自転車を並べて売る店ができた。
その店が、私には、大きく、立派な店に見えた。
が、それが今では、300~400台。
関連グッズも、ズラリと並んでいる。

 ……その自転車を見ているうちに、どういうわけか、悲しくなってきた。
すぐにも涙がこぼれそうだった。
だれかに叩きのめされたかのような、無力感。
敗北感。
それがつらかった。

「親父(おやじ)が生きていたら、これを見ただけで、絶望しただろうな」と。

 押し黙ったまま歩いていると、ワイフがこう言った。
「もう、あなたの家は、ないのだから……」と。

 ワイフは、私を慰めたつもりかもしれない。
が、そんな言葉で、慰められるようなものではない。
「自転車」には、私の祖父や父、兄の血が流れている。
今の今も、私の体の中には、その血が流れている。

 ……もし、今、私が自転車屋を経営していたら、かならずカタキを取ってやる。
敵が500台なら、私は1000台、並べてやる。
ショッピングセンターを出るまで、私はそんなことを考えていた。
 
●ザマーミロ、ヘッジファンド!

 ヘッジファンド、ハゲタカ!
数日前も、そう書いた。
そのヘッジファンド。

 ヘッジファンドは、その国の国債を買い入れるときは、ふつう、同時に保険をかける。
CDS※というのがそれ。
万が一、国債が紙くずになったとしても、その保険がかけてあれば、それでカバーできる。
(実際には、もう少し複雑。
が、おおざっぱに言えば、そういうこと。)

 ふつう国が国家破綻(デフォルト)に向かうときは、国債は額面を割る。
額面が、たとえば100万円の国債でも、90万円とかになる。
価格がさがった国債を、保険をかけながら、さらに買いつづける。
破綻が近づけば近づくほど、国債は安くなる。

 こうしてその国が破綻するのを、待つ。
破綻すれば、国債は紙くず。
が、保険がかけてあれば、額面どおり、元金は保証される。
こうしてヘッジファンドは、莫大な利益を得る。
2000年のはじめ、アルゼンチンが破綻したときもそうだった。

(注※……CDS商品について)
『クレジット・デフォルト・スワップ (Credit default swap、CDS) とは、クレジットデリバティブの一種で、債権自体を移転することなく信用リスクのみを移転する取引である。最も取引が盛んなクレジットデリバティブのひとつ。銀行の自己資本比率を高める対策の一環としても利用される』(以上、ウィキペディア百科事典)と。

●ギリシャ

 ギリシャは、刻一刻と、金融危機が悪化しつつあった。
国家破綻は、時間の問題だった。
が、こういうときこそ、ヘッジファンドの出番。
破綻を見越して、国債を買いつづける。
各国の金融機関がもっているギリシャ国債を、安く買いたたく。

 で、デフォルト(債務不履行=国家破綻)ともなれば、そのときこそ、ヘッジファンドの出番。
元金は、CDFで保証されている。
額面通りの金額を、それぞれの銀行から受け取ればよい。
……という手はずだった。
が、ここで思わぬ誤算!

●ザマーミロ!

 各国の銀行団、つまり民間債権者たちは、約54%の債務削減に応じてしまった※。
わかりやすく言えば、借金の帳消し。
「うちは1億円の貸金がありますが、半額だけでも返してもらえれば結構です」と。

 銀行としても、ヘッジファンドに満額の保証金を支払うくらいなら、そのほうが安くすむ。
仮に50%分の損をしても、50%分は、返ってくる。
プラス、保証金は支払わなくても、すむ。

 が、ヘッジファンドにとっては、おもしろくない。
日に日に、保証金が積み重なっていく。
が、私は、こう書きたい。

ザマーミロ!、と。

 お金(マネー)というのは、コツコツと汗水流して働いて得るもの。
そのお金(マネー)を商品にし、巨額の利益をあげるヘッジファンド。
狂っている。
いくら資本主義の世界とはいえ、こんなことが許されてよいはずがない。

 今ごろ、ヘッジファンド・ハゲタカ集団は、地団駄(じだんだ)踏んで、悔しがっているにちがいない。
54%も貸し金を棒引きにされた上、保証金も手に入らない。
だから、もう一度。
ザマーミロ!

(注※……ヘッジファンド)
Bloombergは、つぎのように伝える。
CDSが発生するかどうか、目下、きわめて微妙な段階ということらしい。

『2月24日(ブルームバーグ):ギリシャ政府が同国債保有者に債務交換を強制する集団行動条項(CAC)を発動すれば、想定元本32億ドル(約2600億円)相当のギリシャ債を保証するクレジット・デフォルト・スワップ(CDS)の決済が発生する可能性がある。

 ギリシャ政府は24日、投資家が保有するギリシャ債の新発債への交換を正式提案した。民間債権者は額面の53.5%を減免することに合意している。国際スワップデリバティブ協会(ISDA)の規則によれば、CACが発動されるとCDSの決済が起こる。

 米証券保管振替機関(DTCC)によると、ギリシャ債を保証するCDSの残高は17日時点で合計4263枚』(Bloomberg 2-24)と。

●ポルトガル

 もっともギリシャが、これで安泰かというと、それはどうか?
言うなれば、今回の救済策は、延命措置。
ギリシャの金融危機が、これで終わったとは、だれも思っていない。
そればかりか、今度は、ポルトガルもおかしくなり始めた。
一難去って、また一難。
それを繰り返している間に、EUは、奈落の底へと落ちていく。

●東京

 東京での講演(S&G財団)が終わった。
今は、帰りの電車の中。
先ほど、夕食の弁当を食べ終えたところ。

 正直に告白する。
今度ほど、東京を怖く思ったことはない。
今朝も、地震の夢を見た。
3年以内に、70%の確率……そんな予報も出ている。
会場から、新橋駅まで歩いたが、気が気ではなかった。
100メートル歩くごとに、「ここで地震が起きたら……」と、そんなことばかり考えていた。

 私は君子ではないが、『君子、危うきに近寄らず』。
3・11大震災(2011)以来、はじめての東京。
それ以前と何も変わらず、東京は元気だった。

●男性

 今日の講演会は、それぞれの地域で、指導員として活躍している人たちのものだった。
自動販売機のところで知りあった男性は、岩手県から来ていた。
その町の教育委員会の人だった。

 そのこともあって、……つまりほとんどが男性ということもあって、反応は鈍かった。
「笑ってくれるかな?」と思って話しても、ムッツリ、ダンマリ……。
そういう点では、話しにくかった。
が、それにも慣れた。
男性というのは、そういうもの。

●新富士

 新幹線は、たった今、新富士に着いた。
あれほど込んでいた車内も、今はガラガラ。
うしろの席に座った若い男性が、ボソボソと何やら話しあっている。
内容はわからないが、ときどきフフフ……、ハハハ……と笑っている。

 会社の同僚か、何かなのだろう。
勝ち誇ったような、自信たっぷりの声。
「私にも、ああいうときがあったなア」と。

遠い昔……というより、今の「私」とは、切り離された昔のような気がする。
うしろで話している若い男性と、私の間に、連続性がない。
言い換えると、うしろの男性が、別人種の人たちのように思えてくる。
宇宙人でもよい。

●前原誠司vs産経新聞

 前原誠司氏(民主党)と産経新聞が、喧嘩している。
ロイターは、つぎのように伝える。

 『民主党の前原誠司政調会長は23日、産経新聞の報道内容に問題があるとして、産経新聞記者の記者会見出席を拒否した。
他の報道機関が拒否理由を求めたのに対し、前原氏は「人をおとしめるための悪口、ペンの暴力の類いが続き受容限度を超えた。
記者に批判する権利はあるが、事実に基づかなければならない」と答えた。
会見場所に産経の記者がいたため、前原氏は隣室に移動して会見』(ロイター)と。

 そうであっても、またそうでなくても、これはまずい!
いくら気に入らなくても、特定の新聞社の記者を締め出すのは、まずい。
私だったら、「サンケイ(K)」というのは、「臭い、汚い、奇怪のことですか?」とやり返してやる。
あるいは、こうでもよい。

 「英語では、ありがとうは、サンキュー。結構ですは、サンケー?、ですね」と。

 私自身は、産経新聞にとくに、反感をもっているわけではない。(誤解のないように!)
が、前原誠司氏の発言は、報道の自由の観点からして、好ましくない。
身の回りにイエス・マンばかり置くようになったら、それは独裁政治の第一歩と考えてよい。

 そう言えば、昔、佐藤栄作元首相が、同じようにして、記者会見をボイコットしたことがあった。
「新聞記者は、みな、出ていけ」と。
まことにもって、見苦しい事件だった。

 で、民主党という党が、どもよくわからない。
民主とは名ばかり。
独裁的で、心が狭い。
産経新聞など相手にせず、もっと大きな敵に向かって、その矛先を向けたらどうか。

●学力

 読売新聞にこんな記事が載っていた。
いつもの記事なので、私は驚かない。
しかし今、日本の子どもの学力は、ここまで低下している。

+++++++++++++以下、読売新聞より++++++++++++++

●「平均」の意味、大学生の24%が理解せず

 大学生の24%が「平均」の意味を正しく理解していないなど、基礎的な数学力、論理力に大きな課題があることが、日本数学会が実施した初の「大学生数学基本調査」で明らかになった。

 理系学生やセンター入試で数学を受験した大学生も多数含まれており、入試のあり方も問われそうだ。

 調査は昨年4月から7月にかけ、国公立大から私立大まで48大学で実施。
主に入学直後の学生5934人が協力した。
調査では小中学校で学ぶ内容を中心に、論理的な文章の読解や記述力、基本的な作図力を問う5問が出題された。

 その結果、全問正答した学生は、わずか1・2%だった。
「偶数と奇数を足すとなぜ奇数になるか」を論理的に説明させる中3レベルの問題の正答率は19・1%。
小6で学ぶ「平均」についても、求め方は分かるが、「平均より身長が高い生徒と低い生徒は同じ数いる」などの正誤については誤答が目立ち、中堅私大では半数が誤答だった。

+++++++++++++以上、読売新聞より++++++++++++++  CM

 この記事を読んで、私は、こう思った。
「小学1年生(小学1年生だぞ!)でも、理解できるのに!」と。

 それを疑う人は、つぎのビデオを見てほしい。
実際、私が小学1年生に、平均を教えたときのものである(2012年1月)。









 子どもの学力が低下したというよりは、学校のもつ教育力が低下した。
そう考える方が、正しい。
「やるべきことはやります。しかしそれ以上のことはやりません」と。
が、教師を責めてはいけない。
教師自身が、規則、制約で、体中が、がんじがらめに縛られている。
身動きが取れない。

 もう40年前の話。
こんなことがあった。

 ある小学校(東京都)で、OHP(大型の投影機械)教育を始めた教師がいた。
私の友人の弟氏だった。
小学4年生の教室で、それを使った。
地図を何枚か重ねていくというものだった。
最初は道→川や橋→家→……、と。

当時としては、画期的な教育法だった。
弟氏は、本まで書いた。
が、それに「待った」をかけたのが、ほかならぬその学校の校長だった。
いわく「ひとつのクラスだけが、飛びぬけた教育をするのは、不公平になる」と。

 ほかの教室の親たちが騒いだこともある。
「どうしてうちの子どもの教室では、してもらえないのか!」と。

 以後、その弟氏は、OHPを使った指導をあきらめてしまった。
ここに書いた友人というのは、当時、主婦と生活社で編集長をしていた、井上清氏である。
この話が事実であることを保証するため、あえて井上清氏の名前をあげさせてもらった。

 ……今、学校教育に求められているのは、「自由」と「責任」。
この2つが両立しないかぎり、これからも子どもの学力低下は、つづく。

●浜松

 新幹線は、まもなく、浜松駅に到着する。
今日のエッセーは、ここまで。

(はやし浩司 教育 林 浩司 林浩司 Hiroshi Hayashi 幼児教育 教育評論 幼児教育評論 はやし浩司 OHP教育 平均値 学力低下 はやし浩司 OHP 平均値がわからない大学生 CDS ギリシャ金融危機 はやし浩司 平均 平均値 小学生でもわかる平均値 平均 はやし浩司 BW教室での実践)

(追記)翌朝(25日)、主催者の方から、メールが届いていた。
今回も、みじめな気持で、会場を去った。
できは、最悪。
早口で、一方的に、まくしたてただけ。
気分はよくなかった。

が、メールを読んで、ほんの少しだけ、気分が安らいだ。

++++++++++++++++++++++++++

はやし様

昨日は大変貴重なご講演をいただき、誠にありがとうございました。

参加者からはとても勉強になった、初めて知る内容が多く新鮮で内容が分かりやすかったとの声が多かったです。

今後ともお付き合いができればと思っております。

奥様にもお越しいただき、誠にありがとうございました。よろしくお伝え下さい。

この度は大変お忙しいところ、ありがとうございました。

B&G財団 HD

+++++++++++++++++++++++++++
Hiroshi Hayashi+++++++Feb. 2012++++++はやし浩司・林浩司


【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【読者の方より、相談】

●離婚後の問題

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

N氏(男性)は、現在、1人の女性(以下、Aさん)と同棲している。
その女性(Aさん)は、1年ほど前、別の男性と離婚。
N氏は、その女性(Aさん)との婚姻届は、まだ出していない。
現在、N氏は、その女性(Aさん)と、同棲中。

そのAさんには、元夫の間にできた、1人の子どもがいる。
現在、7歳。
今は、N氏、そのAさん、それに7歳の子どもと、いっしょに暮らしている。

離婚した相手の男性(元夫)は、「2週間に1回1泊2日の面会をさせろ」と言っている。
そのため、Aさんは、元夫にときどき、子どもを会わせている。

が、元夫は、子どもの歓心を買うため、高価なプレゼントを与えたりしている。
歯をみがかせないこともあるという。
N氏としては、こうした関係をできるだけ早く、すっきりしたい、……ということらしい。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●N氏よりの相談(原文のまま)

『子供が6歳の時、両親が離婚。
(4歳の時から両親は一言も話さなくなっていたそうです。)
離婚後すぐ私と彼女は知り合って交際するようになり、離婚後半年で私と、彼女、彼女の子供と3人で暮らす様になり、1年がたとうとしています

【 お問い合せ内容(2500字以内で……)それ以上のときは、掲示板(相談コーナー)へお書きください。 】:

いつも子育てにとても参考にさせてもらっています。
上記の様な複雑な状況で3人で生活しています。
同棲して1年で、結婚を考えていますが、以下の様な問題があります。

?結婚の話をすると、夫婦で建てた時の家のローンを、半分払えと言われる可能性が高い為、様子を見ている。

?離婚した時、元夫から「2週間に1回1泊2日の面会をさせろ」と言われており、今はそれを持続している。

離婚直後は嫌がっていたが、子供は父親を今はとても慕っており、面会後「寂しい」と泣くことも時折ある。

父親は面会時はつきっきりで遊んであげていて、とても子供に優しい。
3,4か月に1回はゲームのソフト等、子供が喜ぶ高額なおもちゃを買ってあげている。
離婚前はそこまで遊ぶことも、ゲームを買うこともなかったようです。

?子供は3歳ころまで言葉を話すのが遅く、特殊学校に行っていた。
幼稚園も特殊学級に入れる様言われたが、普通の学校に行った途端、せきを切った様に発語する様になった。
今まだ目を合わせて話せず、又、新しい環境になじむのがとても苦手。
普通だがかなり怖がりで、自分の慣れたもの以外に慣れるのが苦手な子。

彼女と元夫はかなり仲が悪く、話ができないので手紙でやりとりをしています。
彼女が夫に何か提案をしても罵倒する返事しか返ってこないので話し合いをして子育てを協力しあう雰囲気はありません。

(例えば面会時にいつも歯磨きをしていなかったので歯磨きをお願いしたら、お前の育て方が悪いとありました。
元夫は彼女以外の人には人当たりよくしているそうです。)

私は結婚をしたいのですが、例えばバレンタインデーに父親にこったチョコレートをあげようとする等、違いを見せられると冷静であろうとするのですが辛い時があります。
又、私は私なりの教育を考えて実践しています。

例えば何時間でも家でゲームをして良い決まりだったのを、ゲームの時間を決める、本を読まなかった子に、夜寝る前に本を読んで聞かせている等ですが、面会のたびに違う家の、子供にとっては心地良いルールに戻され返ってきたり、2つの家の価値観が違いすぎて子供が困惑している時があります。

できれば結婚後は面会頻度を2カ月に1回、泊りは夏休み、冬休みのみにしたいのですが、子供の心理上はそれがどうなのか、アドバイスを頂ければと想います。
又、父親から遠方になるのに、引っ越ししようかとも考えています。
よろしくお願い致します。
私とその子供との関係は、良い方だと思います。
子供も「今のお父さんと出会えて良かった」と言っている様です。
ただまだ彼に馴染んでもらうには時間がかかると思っていて、待つつもりでいます』(以上、N氏の相談)。

●未練

 結婚の仕方は、いろいろある。
同じように離婚の仕方も、これまたいろいろある。
みながみな、(さわやかに)というわけにはいかない。
たいていは、(ドロドロ)。
私の知人(58歳)は、離婚調停で、3年も費やした。
財産分離に時間がかかった。

 以前、こう書いたことがある。
「離婚を覚悟するなら、未練を徹底的に消してからにしたらよい」と。
未練が残ると、離婚も、ドロドロしたものになりやすい。

 その未練。
その第一が、子どもがいれば、子どもということになる。
離婚したという「敗北感」「屈辱感」「挫折感」「失敗感」、さらに「世間体」や「見栄、メンツ」などなど。
こうしたものが、複雑にからんでくる。
もちろん相手への思い、不本意な別れなどもある。
「未練」というのは、そういう意味でも、一筋縄ではいかない。

●元夫

 N氏からの相談を読んでいると、元夫の、その「未練」を強く感ずる。
Aさんの心はともかくも、元夫は、その未練の中でもがいている。
子どもへの思いもあるだろうが、むしろ子どもを理由にし、Aさんとの接触を求めている。
独り残された元夫にすれば、「では、私はどうすればいのだ」ということになる。
相談の内容からすると、Aさんのほうが、やや強引な形で、離婚したという印象をもつ。

 そのあたりの心理、つまり元夫の気持ちを理解しないと、今の状態は、しばらくつづく。
が、口で言うほど、これは簡単なことではない。
仏教でも、四苦八苦のひとつに、『怨憎会苦(おんぞうえく)』『愛離別苦(あいりべつく)』をあげている。
人間が人間であるがゆえに、苦しむ(苦)をいう。
まさに身を引き裂くような苦しみをいう。

 怨憎会苦について書いた原稿を探してみる。
怨憎会苦の苦しみを、理解してほしい。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●怨憎会苦(2008年8月19日付)

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●魔性との闘い(怨憎会苦)
(To meet with someone whom you feel hatred is a matter of pain.
In often cases it becomes a heavy burden to torture you.)

 仏教には、「怨憎会苦(おんぞうえく)」という言葉がある。
生老病死の四苦に並んで、八苦のひとつになっている。
「いやな人と会う苦しみ」という意味である。
が、ここでいう「怨憎」とは、「魔性をもった人」とも解釈できる。
会うだけで、相手の魔性が、そのままこちらへ伝わってきてしまう。
自分の理性や知性が、こなごなに破壊されてしまう。
そんな危機感すら、覚える。

 で、こちらは会いたくないと思うのだが、相手のほうからからんでくる。
からんできては、自分勝手なことを、一方的に言う。

 そこで「無視」という方法を選ぶが、それにはものすごいエネルギーを
消耗する。
相手が身内であれば、なおさらである。

 A氏の父親が、2年前に他界した。
数億円の財産(主に土地)を残した。
その財産をめぐって、A氏(長男)と、ほかの3人の姉妹が、争った。
毎月のように、ときに毎週のように、言い争う声が近所中に聞こえたという。

 A氏夫婦が父親のめんどうをみてきたのだが、それについて姉妹たちは、
「じゅうぶんな介護をしなかった」「親を施設に入れようとした」などと、
言いがかりをつけた。
A氏の父親は、死ぬ直前、かなり認知症が進んでいた。
そういうこともあって、そのつど娘たちに、「この家は、お前にやる」とか、
「あの土地は、お前にやる」とか言った。
娘たちは、その言葉を理由に、「この家は、私のもの」とか、
「あの土地は、私のもの」と騒いだ。

 A氏は、美術雑誌に評論を書くような知的な人物である。
一方、娘たちは、そのレベルの女性たちではなかった。
あとになってA氏は、こう言う。

 「途中から妹たちの夫まで騒動に加わってきて、『テメエ』『このヤロー』という
話になってしまいました。で、私が、この問題は、私たち兄弟のもので、
あなたには遺産相続権はありません。つまり部外者ですと説明するのですが、
そういう道理すら、通じませんでした」と。

 娘の夫の1人は、こう言ったという。
「(義父が)、オレの女房(=妹)に、『あの土地をお前(=妹)にやる』と言った話は、
オレもちゃんと横で聞いた。オレが証人だ」と。

 A氏は、姉妹たちに会うたびに、神経をすり減らした。
・・・と書くと、「どこにでもあるような話」と思う人もいるかもしれない。
が、当事者であるA氏が受けた心的な苦痛は、言葉では説明しがたい。

 A氏の妻もこう言った。
「(妹の1人から)、嫁(=A氏の妻)が、父親のめんどうをちゃんとみていなかったと
言われたときには、怒れるよりも先に、涙が出てきました」と。

 まさに怨憎会苦。
その苦しみは、経験したものでないとわからない。
「家事が何も手につかなくなってしまいました」とも。

 「妹たちは、金の亡者になった餓鬼、そのものでした。
そばにいるだけで、自分がつくりあげた文化性が、こなごなに破壊されていくように
感じました。
気がついてみると、自分もその餓鬼になっていました。
とくに次女夫婦がひどかったです。
ペラペラと一方的に自分の意見をまくしたて、こちらの言い分には、まったく耳を
貸そうとさえしませんでした。
次女も、認知症が始まっていたのかもしれません」と。

 A氏の経験は、何も特別なものではない。
今の今も、親の遺産相続問題がこじれて、兄弟姉妹が争っているケースとなると、
ゴマンとある。
かりに片づいたとしても、それをきっかけに、兄弟姉妹が絶縁してしまったケースと
なると、もっと多い。
さらに最近では、離婚問題がこじれ、財産分与でもめる元夫婦もふえている。
みな、怨憎会苦の苦しみを、味わっている。

 恐らく釈迦の時代にはなかったタイプの「怨憎会苦」と考えてよい。
経典の中には、金銭(マネー)にからんだ話が出ているところもあるが、釈迦の時代には、
貨幣はなかった。
この日本でも、貨幣が一般世間に流通するようになったのは、江戸時代の中ごろと
言われている。

 今では、マネーが、怨憎会苦の原因になることが多い。
つまり人間そのものが、マネーの奴隷になりながら、それにすら気がついていない。

では、どうするか?

 釈迦は、「精進」という言葉を使った。
日々に精進あるのみ。
つまり常に心の準備を整えておくということ。
そういう場に落とされても、その場に翻弄されないように、自分を強くしておくしかない。
が、それはけっして、むずかしいことではない。

 音楽を聴いたり、映画を楽しんだり、文化、芸術に親しんだり・・・。
もちろん本を読んだり、文を書いたり・・・。
自分の世界を、できるだけ広くしておく。
その努力だけは、怠ってはいけない。
そういう素養が基礎としてしっかりしていれば、こうした騒動に巻きこまれても、
「餓鬼」になることはない。
自分を最後のところで、守ることができる。
(これは私の努力目標でもある。)
(2008年8月19日付)

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●Aさん(女性)

 Aさんにとっても、つらい毎日にちがいない。
本来なら、家庭裁判所で、家事調停を申し込むのがよい。
手続きは簡単で、家庭裁判所に出向き、調停の申し立てをすればよい。
あとは、その日に双方が会い、調停委員の前で、アドバイスを受けながら、結論を出す。
元夫の、子どもとの面会権も、そのとき決めることもできる。

 Aさんに落ち度がなければ、子どもの養育費、慰謝料なども請求できる(はず。)
養育費の額などは、相手側の収入などにより、調停委員が査定してくれる。
家事調停で裁決されたことは、本裁判の判決と同じ法的効力をもつ。
たとえば養育費が滞ったばあいなどは、即、執行猶予付きの支払い命令書を相手側に、裁判所名で送付することができる。

 ……というのが法的手続きということになるが、実際には、「家庭裁判所で……」というケースは、少ない。
離婚というより、離婚に至る経緯の中で、人間関係は、すでにこなごな(=ドロドロ)に破壊されている。
たがいに感情的になっているから、冷静な話し合いも、むずかしい。

●N氏

 やはりキーパーソンは、相談者である、N氏自身ということになる。
相手の元夫がそれに応ずるかどうかはわからないが、(私の予想によれば、会うだろうと思うが)、Nさん自身が、相手の元夫と会ってみるのが、いちばんよい。

 ……というのも、私にも、似たような経験が何度か、あった。
一度は、暴力団がらみの事件に巻き込まれたことがある。
知りあった男性が、「アパートをさがしてほしい」と言った。
そこで知人のアパートを紹介した。
が、その男性が、暴力団の組員だった。
知らなかった。

 で、家賃は払わない、ほかの組員たちも同居するようになった……、ということで、アパートの所有者、つまり知人が、責任を取ってほしいと泣きついてきた。
そこで私は、直接、その暴力団の事務所に乗り込むことにした。

 あらかじめ電話をかけると、「命が惜しくなかったら、来い」と。

 が、私は、子どものころから気が小さいくせに、そういうときになると、肝っ玉が座ってしまう。
私は、単身、その事務所に乗り込んでいった。

 ……中央にデスクが置いてあり、左右のソファに、それぞれ3~4人ずつの男が座っていた。
生きた心地はしなかった。
が、私は、こう切り出した。

 「アパート代の未納分を払い、今月中に、アパートを引き払ってほしい。私の言いたいのはそれだけだ」と。

 私はそのとき、30歳前だったと思う。
が、組長の言葉は、意外なものだった。
こう言った。

「お前の度胸に負けた。来るとは思っていなかった。お前の言うとおりにする」と。

●元夫の苦しみ

 相手の元夫も、苦しんでいる。
私は、そう感ずる。
相手の元夫も、先に書いた未練の中で、もがいている。
だからNさんが、「会いたい。会って一度、話しあいたい」と言えば、応じてくるはず。

 最高の解決策は、Nさんが、相手の元夫に会うこと。
何も隠さず、正々堂々と、誠心誠意、相手の元夫の立場に立って、会う。
相手の元夫の気持ちを聞くだけでも、相手の元夫の心は、収まるはず。
が、それでも話しあいがつかないようであれば、こう提案すればよい。

「私の力ではどうにもならないから、一度、家事調停をしてみませんか」と。
(家事調停の仕方などは、簡易裁判所の窓口へ行けば、ていねに教えてくれる。)

 Nさんも、不愉快だろう。
相手の元夫も、もやもやしているだろう。
しかしその間にあって、いちばん苦しんでいるのが、Aさんということになる。
この先、Aさんとの結婚を真剣に考えているなら、Nさんが、間に立つのがいちばん、よい。

●子ども(7歳)のこと

 私の印象では、相手の元夫は、子どもには、あまりこだわっていないと思う。
ていねいに話しあえば、相手の元夫も、納得するはず。
つまり相手の元夫が求めているのは、不完全燃焼感というか、敗北感への償い。
「このままでは、あまりにも自分がみじめではないか」と。

 が、NさんやSさんも、同じように苦しんでいることがわかれば、またそうした誠意があることがわかれば、相手の元夫も納得するはず。

 子どもが、緘黙症を示したのも、離婚劇というより、離婚騒動が原因と考えてよい。
「騒動」が、子どもの心を、つぶした?

 あとは、前向きに生きていく。
少し時間がかかるかもしれないが、時間が解決してくれる。
みな、その程度の(キズ)を背負っている。
キズのない人はいない。

 「これも人生」「あれも人生」と、割り切る。
私たち夫婦も、そうしている。
いろいろあったし、現在進行形で、今もある。
完ぺきな人生は、ない。
みな、ボロボロ。
だったら、ボロボロを前提として、生きる。
まさに『時は心の癒し人』。
私はいつもそう考えている。

 最後に、この正月に書いた、抱負をここに転載する。
その前に……。
勇気を出し、相手の元夫に会ってみること。
それですべてが解決するはず。
相手の元夫の立場で、会う。
「あなたのつらい気持ちもよくわかります」と。
歯磨きくらいのことで、けっして相手の元夫を責めてはいけない。
虫歯になれば、歯科医院へ行けばよい。

高価なプレゼントくらいで、相手を責めてはいけない。
「喜んでいますよ」と。
そう言えばよい。

 Nさん、あとは、あなたの勇気だけ。
運命というのは、そういうもの。
逃げ腰になると、運命は、キバをむいて、あなたに襲いかかってきますよ。

(以上、推敲なしで、このまま返信しますので、誤字脱字は、お許し下さい。)

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●2012年のはじめに

【生きる目的と意味、そしてその生き様】
(はやし浩司 2012ー01-01)


●前向きに生きる

 前向きに生きるということは、簡単に言えば、過去を引きずらないということ。
そのためには、つぎの7つを守る。

(1)失ったものを、嘆かない。
(2)去った人を、追わない。
(3)ないものを、ねだらない。
(4)亡くなった人を、思わない。
(5)過去を、くやまない。
(6)失敗を、気にしない。
(7)自分の不幸を、数えない。

 が、それだけでは足りない。
生き様そのものを変える。
自分に対しては、つぎの3つを守る。

(1)あるがままの自分を認める。
(2)負けを認める。
(3)今を原点として、生きる。

 人間は、希望さえあれば、生きていくことができる。
が、希望は、だれにでもある。

今、ここに生きている、そのこと自体が、希望。
目が見える、音が聞こえる、風を感ずることができる……それが希望。
人と心を通わせることができる、ものを考えることができる……それが希望。

その希望は、自ら創り出すもの。
待っていても、やってこない。
日々の弛(たゆ)まない鍛練こそが、希望を生む。
肉体の健康、しかり。
精神の健康、しかり。

 他人に対しては、つぎの5つを守る。

(1)人を、恨んではいけない。
(2)人を、ねたんではいけない。
(3)人に、ねだったり、甘えてはいけない。
(4)人を、うらやましがってはいけない。
(5)人に、へつらい、自分を裏切ってはいけない。

 さらに老後の、しっかりとした設計図をもつ。
そのためには、つぎの4つを守る。

(1)私は私と割り切り、自分を他人と比較しない。
(2)年齢という数字を、気にしない。
(3)最後の最後まで、居直って生きる。
(4)孤独死、無縁死を、恐れない。

 あとは日々、平穏を旨とし、取り越し苦労にヌカ喜びをしない。
時の流れの中に身を置き、その流れに身を任す。
命は、そのまま天に任す。

 朝、起きたときに、やるべきことがある人は、幸福と思え。
今日1日、今週1週間、今月1か月、今年1年、やるべきことがある人は、幸福と思え。 
それを「真の幸福」という。

 前向きに生きるというのは、そういうことをいう。
さあ、あなたも勇気を出し、足を一歩、前に踏み出そう。
明るい未来に向かって、まっすぐ歩こう!

 『心を解き放てば、体はあとからついてくる』(アメリカの格言)。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司
 
●人を恨まない

 H・フォスディック(Henry Fosdick)はこう言った。

 『Hating people is like burning down your house to kill a rat.
人を恨むというのは、ネズミを殺すために、家を燃やすようなものだ』と。

 人を恨んではいけない。
恨めば恨むほど、心が小さくなり、そこでよどむ。
よどんで心が腐る。
だからこう言う。

『人を恨むというのは、ネズミを殺すために、家を燃やすようなものだ』と。

 解釈の仕方は、いろいろあるだろう。
しかし簡単に言えば、(ネズミ)は(恨みの念)、(家)は、もちろん(心)をいう。
(人生)でもよい。
ネズミを追い出すために、家に火をつける人はいない。
もったいないというより、バカげている。
人を恨めば、人生を棒に振る。
「人を恨む」というのは、つまりそれくらいバカげている。

 が、それでも恨みが消えないときは、どうするか。

●真の自由

 過去を引きずったとたん、人生は監獄になる。
が、だれしも、恨み、つらみはある。
失ったことを嘆き、不運を悔やむ。
が、そういうときは、それから逃げてはいけない。
とことん、恨め。
とことん、憎め。
とことん、過去を悔やめ。
身がボロボロになるまで、恨め、憎め、過去を悔やめ。
恨んで恨んで、憎んで憎んで、悔やみたいだけ悔やめ。
自分を燃やし尽くせ。

 すべてのエネルギーを燃やし尽くしたとき、あなたはその先に、恐ろしく静かな世界を見る。
それはあなたの魂が解放された、無の世界。
そのときあなたは、はじめて、真の自由を知る。

●運命

 今、あなたが苦しんでいるなら、幸いと思え。
あなたが悲しんでいるなら、幸いと思え。
あなたは今、まさに真理のドアを叩いている。
そのドアの向こうでは、真理が、あなたがドアを開いてくれるのを待っている。
息を潜(ひそ)め、静かに待っている。

 大切なことは、苦しみや悲しみから、逃れようとしないこと。
逃れようとしたとたん、運命はキバをむいて、あなたに襲いかかってくる。
が、あなたが苦しみや悲しみに、真正面から立ち向かえば、運命はシッポをまいて、向こうから退散していく。

 方法は簡単。
あるがままを、そのまま受け入れる。
そこに運命があるなら、その運命をそのまま受け入れる。

 書き忘れたが、あなたにはあなたを取り巻く、無数の糸がある。
家族の糸、地域の糸、生い立ちの糸、仕事の糸、才能や能力の糸……。
そういった糸が、ときとして、あなたの進むべき道を決めてしまう。
それを私は、「運命」という。

 もちろん闘うことができる運命であれば、それと闘う。
「逃げろ」という意味ではない。
闘う。
ふんばる。
そこに人間の生きる価値があり、美しさがある。

 が、どうにもならない運命というものもある。
もしそうであれば、負けを認める。
受け入れる。
とたん、あなたはそこに真理が待っていることを知る。

●2012年01月01日

 さあ、ともあれ、2012年は始まった!

 友よ、仲間よ、力を合わせて、前に向かって歩こう。

 馬鹿は、相手にしない。
愚か者は、相手にしない。
欲望の奴隷となり、道を見失った人間は、相手にしない。
どうせ、その程度の、つまらない人生しか歩めない。
そんな愚劣な人間のために、時間を無駄にしてはいけない。

 私たちはそういう人を、憐れんでやろう!

 人生は山登りに、似ている。
下から見れば、低い山でも、登ってみると、意外と遠くまで見渡せる。
それと同じ。
あなたが勇気を出し、山に登れば、下にいる人間が、さらに小さく見える。

 あなたは前だけを見て、前に向かって進めばよい。
ただひたすら前に向かって、進めばよい。
それですべての問題が、解決する。

(はやし浩司 2012-01-01記)


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【悪徳企業・悪徳教材会社】(ブラック企業の話)

●放射線測定器

 今日、放射線測定器を買った。
エステー社製。
日本製。
7700円。
「Air Counter S」(商品名)。
ガンマ線しか測れない。
が、それでじゅうぶん。

 昨日、東京へ行ったとき、不安でならなかった。
だから、今日、あわてて買った。

 それをもって、あちこちを調べた。
道路の上、植え込みの中、ついでに車の中、ほか。
全体に、毎時0・05μシーベルト~。
場所によっては、0・15μシーベルト~を示すところもあった。
枯草が堆積したようなところほど、高い数値を示した。
放射性物質も、そういうところで堆積される。
このことは前もって知っていたので、冷静に受け止めることができた。

 いろいろなものの上にも、直接置いて、測定してみた。
ほとんどのものは、0・05~0・10μシーベルトの範囲だった。
ただひとつ、パック入りのオレンジ・ジュースの上では、0・19μシーベルトの値が出たのには、驚いた。
そのオレンジ・ジュースは、そのまま捨てた。

 以後、ずっと、首にかけて、使っている。
そのつど、測定している。

●ブラック企業(「ブラック企業の真実」・彩図社)

 今日、「ブラック企業」という言葉を知った。
薄汚い仕事のことかと思ったが、そうではない。
新入社員の立場で、就職してはいけない職種を、「ブラック企業」というらしい。
入社したら最後、骨のズイまでしゃぶられ、最後には身も心もボロボロにされた上、放り出される。
たいていみな、うつ病などの病気になるという。
そういう会社を、ブラック企業という。

 で、そのひとつに、パソコン教室があるという(「ブラック企業の真実」・彩図社)。
生徒の上達度に合わせ、つぎつぎと(より高度なクラス)へ、生徒を移動させていく。
もちろんそのつど、月謝もあがる。
そういう方式で、パソコン教室は、生徒から月謝をむしり取る。
 
 インストラクターには、そのノルマが課せられる。
が、良心の呵責に耐えられないインストラクターもいる。
そういうインストラクターが、上司からひどい仕打ちを受ける。

 もちろんすべてのパソコン教室がそうというわけではない。
しかしパソコン教室にかぎらず、このタイプの教室は、幼児教室にもある。

●ブラック教室

 周1回のレッスンで、生徒を集める。
が、しばらくすると、親にこう言う。
「子どもには適齢期があります。今、音楽教育をしておかないと、手遅れになりますよ」と。
「受験」とか「合格」とかいう言葉を、それにまぶせる。
親は、催眠術か何かに、かかったかのようになる。
教師の言いなりになる。

 こうして、「英語教室……」「体操教室……」「算数教室……」と。
気がついたときには、週に5日、子どもはその教室に通うようになる。

 これをブラック教室と言わずして、何と言う?

●悪徳教材会社

 さらにひどいのが、教材会社。
15年ほど前、S・スタディという教材会社が、市内で事務所を構えた。
大通りに面した、ビルの6階だった。

 ……この話は、当時、原稿として記録した記憶がある。
原稿を探してみる。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

私はその教材会社の説明会に、
ワイフといっしょに出かけた。
つぎの記事が、それである。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●悪徳化する学習産業

++++++++++++++

法外な教材を売りつける教材会社は少なくない。

そういう会社が、あなたの弱みを、虎視眈々とねらっている。

++++++++++++++

 ある教材会社の主催する説明会。
予定では九時三〇分から始まるはずだったが、黒板には、「一〇時から」と書いてある。
しばらく待っていると、席についた母親(?)の間からヒソヒソと会話が聞こえてくる。

「お宅のお子さんは、どこを受験なさいますの」「ご主人の出身大学はどこですか」と。
サクラである。
主催者がもぐりこませたサクラである。こういう女性が、さかんに受験の話を始める。
母親は受験や学歴の話になると、とたんにヒステリックになる。
しかしそれこそが、その教材会社のねらいなのだ。

 また別の進学塾の説明会。
豪華なホテルの集会ルーム。
深々としたジュータン。
漂うコーヒーの香り。
そこでは説明会に先だって、三〇分間以上もビデオを見せる。内容は、(勉強している子ども)→(受験シーン)→(合否発表の日)→(合格して喜ぶ子どもと、不合格で泣き崩れる母子の姿)。しかも(不合格で泣き崩れる母子の姿)が、延々と一〇分間近くも続く!

 ビデオを見ている母親の雰囲気が、異様なものになる。しかしそれこそが、その進学塾のねらいなのだ。

 話は変わるがカルト教団と呼ばれる宗教団体がある。
どこのどの団体だとは書けないが、あやしげな「教え」や「力」を売りものにして、結局は信者から金品を巻きあげる。
このカルト教団が、同じような手法を使う。
まず「地球が滅ぶ」「人類が滅亡する」「悪魔がおりてくる」などと言って信者を不安にする。「あなたはやがて大病になる」と脅すこともある。
そしてそのあと、「ここで信仰をすれば救われます」などと教えたりする。
人間は不安になると、正常な判断力をなくす。そしてあとは教団の言いなりになってしまう。

 その教材会社では、中学生で、年間一二〇万円の教材を親に売りつけていたし、その進学塾では、「入試直前特訓コース」と称して、二〇日間の講習会料として五〇万円をとっていた。
特にこの進学塾には、不愉快な思い出がある。
知人から「教育研修会に来ないか」という誘いを受けたので行ってみたら、研修会ではなく、父母を対象にした説明会だった。
しかも私たちのために来賓席まで用意してあった。私は会の途中で、「用事があるから」と言って席を立ったが、あのとき感じた胸クソの悪さは、いまだに消えない。

 教育には表の顔と、裏の顔がある。
それはそれとして、裏の顔の元凶は何かと言えば、それは「不安」ではないか。
「子どもの将来が心配だ」「子どもはこの社会でちゃんとやっていけるかしら」「人並みの生活ができるかしら」「何だかんだといって日本では、人は学歴によって判断される」など。
こうした不安がある以上、裏の顔はハバをきかすし、一方親は、年間一二〇万円の教材費を払ったり、五〇円の講習料を払ったりする。
しかしこういう親にしても日本の教育そのものがもつ矛盾の、その犠牲者にすぎない。
一体、だれがそういう親を笑うことができるだろうか。

 ただ私がここで言えることは、「皆さん、気をつけてくださいよ」という程度のことでしかない。
こうした教材会社や進学塾は、決して例外ではないし、あなたの周囲にもいくらでもある。それだけのことだ。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

が、この種の悪徳教材会社は、後を絶たない。
摘発されるたびに、会社名を変える。
教材にしても、表紙だけ、張り替える。
数年前も、浜松市内で、ある教材会社が摘発された。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●80万円の教材 

 高額な教材を売りつける教材会社がある。
悪徳商法として、ネットでも叩かれている。
これについて、少し書いておきたい。
方式はこうだ。

 「一式、80万円。中学3年分の教材」。
そんな教材を売りつける。
80万円の中には、テキスト代はもちろんのこと、FAXによる添削、電話相談料が
含まれている。
で、80万円を、3年分の36か月で割ると、月額約2万2000円となる。

ワークブックということなら、自分で書店で選んだ方がよい。
ワークブックには、「相性」というのがある。
その相性が合わないと、高価な教材と共に、「勉強心中」ということにもなりかねない。
「勉強心中」というのは、教材が負担で、方向転換できず、そのまま教材と共に、
勉強ができなくなってしまうことをいう。

 大切なのは、「達成感」。
その達成感が、子どもに自信をつけさせ、子どもを伸ばす原動力となる。

 それはともかく、月に1冊、1000円のワークブックをこなすだけでも、たいへんな
こと。
それを考えただけでも、2万2000円というのは、メチャメチャな額といってよい。
が、買う人は買う。
子どもにやらせる。

●私の経験

 私もある時期、市販の教材づくりに命をかけた。
毎晩、2時、3時まで、ワークブックの原案を考えた。
そんなある日、奇妙な仕事が飛び込んできた。

 大手出版社のX社からのものだった。
「都内の小学校の入試問題集を制作してほしい」という依頼だった。
わたしは即断で、それを承諾した。

 で、しばらくすると、ダンボール箱に入った資料が、ドサッと送られてきた。
過去問題に関する資料である。
全部で、40校あまりあった。
が、傾向はどれも似たようなもの。
たがいに隣の小学校の入試問題を見ながら、自分の学校の入試問題を制作していた。
それが私にも、よくわかった。
つまり私には、楽な仕事だった。

●別会社

 が、「?」と思われるような申し入れが、つづいた。
まずその教材は、「X社」の名前では売らない。
書店にも並ばない。
もちろん「はやし浩司」の名前は入れない、と。
そのかわり、高額な制作料を支払う、と。
私には、どういうことか理解できなかった。
が、やがてわかった。

 X社は、ダミーの子会社(販売会社)を立ち上げた。
その子会社名で、セールスマンを雇った。
そのセールスマンに、訪問販売の形で、教材を売らせた。
あとで聞いたら、40校あまりの問題集を、1セット、200万円で売っていた!
この金額には驚いた。
当時はバブル経済、華やかりしころで、200万円でも、飛ぶように売れた。

 が、この方式、つまり親会社がダミー会社を立ち上げ、自分の名前をけがさないように、悪徳商法を繰り返すという方式は、けっして珍しいものではなかった。
さらにあくどい販売会社となると、倒産した教材制作会社の教材群をまとめて買い上げ、それを再製本し、同じ方式で売っているところもあった。
(今も、それがふつうのやり方になっている。)

 昨年(09年)も、この浜松で、悪徳教材会社が摘発された。
同じような手口で、親をだまし、高額な教材を売りつけていた。
が、刑法上の罪は軽い。
表紙だけを取り替えて、また別の販売会社を立ち上げる。
社長(=責任者)は、そのつど、別の人物にすえ替える。

 いろいろな教材を手がけてきたが、これほどまでに後味の悪い仕事はなかった。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

先にあげたS・スタディについて、
直接書いた原稿が見つかった。
そのまま紹介する。
日付は、2006年11月9日になっているが、
この事件そのものは、それよりずっと前のことだったと記憶している。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●悪徳商法

 数日前、関西に住む、ある女性から電話がかかってきた。
3人の子どもをもつ母親だった。いわく、「右脳教育の教材を買ってしまったが、解約したい。どうすればいいか」と。

 値段を聞いて、ビックリ! 1セット、50万円だという。

 「幼児のころ、右脳教育をしておかないと、科学者にはなれません」「あなたのお子さんも、辞書を一冊、丸暗記できるようになります」「あの卓球のIチャンも、利用していました」などなど。
そのセールスマンは、そう言ったという。

 それで50万円の教材を購入することに!

 バカめ! いや、その母親がバカと言っているのではない。
そのセールスマンが、バカ! 右脳教育の「ウ」の字も知らないで、右脳教育の教材を売りさばいている。

 私の近くにも、「S」という、これまた「?」な教材販売会社がある。
月4回の家庭教師こみで、年間、120~130万円の費用を取っている。
教材販売会社なのだが、家庭教師をセットにしているところがミソ。

 つまり教材を解約しようとすると、「うちの教材は、あくまでも家庭教師の補助教材です」と言って逃げる。
家庭教師を解約しようとすると、「家庭教師はサービスとして派遣しています。教材費実費はいただきます」と言って逃げる。

 私の生徒の親も、何人か、その被害にあっている。

 どうか、みなさん、お気をつけください!

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●補記

 実は、この話には、つづきがある。

 名古屋市に、XXという教材出版会社がある。
表向きは、「教材出版会社」。
一応、表では、まともな看板をかかげている。
教材説明会などに顔を出すと、その会社のコーナーも、ちゃんとある。

 が、その子会社が、ここにあげた「S・スタディ」(当時)。
(名前は摘発されるたびに、変える。)
その手口は、先に書いた。
「教材」と「家庭教師」をセットにして、親に売りつける。

 で、09年にも、浜松市で摘発された。
そのときもこう言っていた(報道、記憶)。

 「うちは家庭教師を年間契約で雇います。途中解約のばあいは、当然、その解約料を負担していただけいます」と。

 報道でそれを知ったときは、こう思った。
「うまいこと、言うなア」と。

 家庭教師といっても、学生アルバイト。
解約など、いつだってできるはず。
それに家庭教師を解約し、解約料がかかったという話は聞いたことがない。
が、私が書きたいのは、このことではない。
こんなことがあった。

●知人の息子

 ある日、遠い親戚にあたるKさん(女性)から、電話がかかってきた。
「浜松へ行くから、ちょっと寄っていいか」と。
私は即座に、それに応じた。

 が、会ってみると、30歳前後の息子氏がそばにいた。
3人で食事をともにしたが、話すことは、教育のことばかり。
「?」と思っていると、やがておもむろに、名刺を差し出した。
その名刺に、先にあげた「XX教材会社」の名前があった。

 私は、とたん身構えた。
息子氏がついてきた理由が、それでわかった。
が、それについては言わなかった。
Kさん自身も、恐らく息子氏の勤める会社の内情を知らなかったのでないか。
ふつうの出版会社と思っていたらしい。

 で、それで別れた。
そのまま縁を切ったつもりだった。
が、それからもたびたび、息子氏のほうから連絡があった。
「会いたい」「また遊びに行っていいか」「浜松へ行く用事ができたから……」と。

 私の住む世界では、そういう人とつきあうのは、たいへんまずい。
知りあうのも、まずい。
どこでどう利用されるか、わかったものではない。
で、そのつど、断るのに苦労した。
まったくの他人ではなかった。
それだけに苦労した。

●悪徳商売

 ブラック企業……。
教育の世界とて、例外ではない。
ということで、このエッセーを書いた。
みなさんの参考になればうれしい。

 そろそろ就寝タイム。
では、おやすみなさい!

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW はやし浩司 幼児教室 育児 教育論 Japan はやし浩司 ブラック企業 悪徳商法 悪徳教材 はやし浩司 悪徳教材屋 受験産業 S・スタディ S・スタデイ はやし浩司 悪徳教材会社)


Hiroshi Hayashi+++++++Feb. 2012++++++はやし浩司・林浩司
 

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Thursday, March 29, 2012

●美容整形という背徳

【美容整形という、背徳】(はやし浩司 2012-03-29夜記)

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

伊勢志摩→名古屋から帰ったのが、夕刻。
しばらくしてから夕食。
そのままコタツの中で、居眠り。
居眠りといっても、3時間。
寝過ぎた。

先ほどワイフは、先に床に入った。
現在時刻は午後11時。
「ぼくは、あとから寝るから……」と言い、そのまま書斎へ。
5月の講演のレジュメを、主催者の方から書き直すように言われている。
ついでに、中日ショッパー用の原稿も。
「専門的すぎてわかりにくい」とのこと。

書き直すのは、めんどうではない。
その気になれば、10分程度ですむ。
(ショッパーの記事の方は、全面的に書き改める。)
が、私のばあい、(その気)になるまでが、たいへん。
どうしても、後回しになってしまう。
若いころからの、私の悪いクセ。

「原稿は、いつも1回勝負!」と。
いつもそう決めている。
2回目を書くエネルギーがあったら、別のことを書きたい。
不完全でもよいではないか。
それがそのときの「私」なら、それも「私」。
私は「私」のままを書く。

消しゴムで消して直すなどという人生観は、私には、もとからない。
だから子どもたち(=生徒たち)にも、よくこう言う。
「まちがえたら、そのままにしておきなさい。
一本、線を引けばいい。
新しい答は、その下に書けばいい」と。

が、たまに、それまで書いた原稿を、何かの手違いで削除してしまうことがある。
コンピューターというのは、それがこわい。
一度、削除すると、跡形もなく、「虚」になってしまう。

そういうときは、つぎの2つの中から、1つを選ぶ。

(1)さらによい原稿を書く。
(2)あきらめて、別のことを書く。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●整形手術

 今日、こんなことがあった。
名古屋から、豊橋までは、名鉄。
豊橋から浜松までは、JRの在来線。
座席は通勤列車用に、両側、一列に並んでいる。
その電車の中でのこと。

 隣に、見た感じ、新婚旅行帰りの若い男女が座った。
おそろいの大きなバッグが、通路側に並べてあった。

 しばらくすると、私の左横にいた女性が、居眠りを始めた。
その向こうの男性は、そのときには、すでに熟睡モード。
左側の女性は、顔を男性のほうに傾けるようにしていた。
私の位置からは、女性の顔を下から見あげたような状態になる。
が、その顔を見て、ドキッとした。

 ほんの3~4ミリだが、その女性は、目を開けたまま眠っていた。
そんなことができるのかと思い、数度、私は見直した。
最後は、まじまじと見た。

 見ると二重まぶたの溝が、先の方で一度途切れている。
かすかだが、端のところに手術痕も残っている。
その目の中で、眼球が、ゆっくりと左右に揺れていた。
私は、それを見て、ドキッとした。

 二重まぶたの手術で、目を大きくした。
それはわかる。
が、そのため眠ったとき、目が閉じなくなってしまった?
もしこんな状態が長くつづけば、角膜が乾燥し、角膜が傷つく。
そんなことは、素人の私にも、よくわかる。
だからふつう目は、常に涙を出し、角膜を潤す。
目がまばたくのも、そのため。
が、その目が、たとえ3~4ミリとはいえ、開いたまま……。
だいじょうぶなのだろうか。
私は右隣に座っているワイフに小声で、こう言った。

私「ぼくのねえ……隣の女性ね、目を開けたまま眠っているよ」
ワ「……みたいね……整形手術で、上まぶたを引き上げたせいじゃないかしら」
私「目にはよくないよ……」
ワ「でも今じゃ、みんなしてるわよ」と。

●二重まぶた

 ネットで、二重まぶた手術の後遺症について、調べてみた。

Seesaaの「広告BLOG」には、つぎのような後遺症が列挙してあった。

『(1) 術後のハレがひどかった。
 
(2) 目がチクチクして、違和感がする。
 
(3) すぐに二重が取れてしまった。
 
(4) 点止めなので、二重のラインの仕上がりが、カーテンのようにハシのほうが下がってしまった。

(5) 普段は気にならないが、まぶたをおさえると目がゴロゴる。

(6) 術後、目が少し引きつったままになってしまった。

(7) 二重のラインが不自然で、あまりきれいではない。

(8) 再手術をしても、またすぐに二重が取れてしまった。

(9) 目を閉じると、点状のくぼみが残っているので、手術を受けたのが他人にすぐわかる。

(10) 二重のラインが途中でとぎれている。

(11) 術後は、しばらくコンタクトレンズがはめられなかった。

(12) 術後、まぶたにシコリができてしまった。

(13) 手術後、気がかわってもとにもどそうとしたが、糸をそのままぬくことができず、もとにもどせなかった。

(14) 手術をする際、まぶたをひっくり返して麻酔の注射をされるので、とても痛く怖かった。

(15) 眼科で診察をうけると、まぶたの裏側に糸が見えているので、眼科の先生に二重まぶたの手術を受けたのが、バレてしまった』(以上、Seesaa Blogより)と。

 が、この中には、「目が閉じなくなってしまった」というのはない。

 そこでさらに検索を繰り返してみると、それはあった。

●目が閉じられない

 ある女性が、ある眼科医の相談コーナーのページに、それについて相談している。
それに対し、N医師(HPの管理者)は、つぎのように答えている。

『多分脂肪も取っているでしょうし、皮膚も余裕が無いということですと、修正は難しいでしょうし、元の一重に戻す事はさらに無理だと思います。
目を閉じれない位ですし、どうしてもということであれば植皮をして、皮膚を植え二重を狭くしていくしか方法は無いでしょう』と。

 失敗と断言してよいかどうかは、わからない。
しかし二重まぶたの手術をして、目が閉じられなくなってしまった女性(男性も?)、結構、多いようだ。

 が、私が書きたいのは、このことではない。

●内面世界の積み重ね

 ありのままをさらけ出して生きるのは、むずかしい。
ありのままをさらけ出して生きるためには、その前に「私」がなければならない。
「私」がないまま、さらけ出したら、それは裸で街を歩くようなもの。
「衣服で飾れ」ということではない。
ここでいう「私」というのは、内面世界の積み重ねをいう。
その積み重ねが、心の衣服となり、その人を美しくする。
その積み重ねが、むずかしい。

 たとえば女性の美しさ。

 以前、アメリカのある空港で、1人の若い女性を見かけた。
白人だった。
年齢は25歳前後だったと思う。
その女性は、大きなノートパソコンに向かい、一心不乱にキーボードを叩いていた。
直接顔を見たわけではない。
が、体全体が、知的な緊張感に包まれていた。
それがその女性を、美しく輝かせていた。

 が、この日本では、「女性の美」が、ますます軽薄になっていくように感ずる。
最近では、つけまつげが流行している(?)。
中には1センチほどもある、長いつけまつげをしている女性もいる。
私には、それが、お化けというより、タヌキのようにしか見えない。
いや、タヌキだって、あんなアホなことはしない。

 が、女性がそうした化粧をするのは、それを「かわいい」と思う男性がいるからである。
つまりそういう女性が多いということは、男性もまた、それにふさわしい男性になりつつあることを示す。

 美容整形であろうが、プチ整形であろうが、それをするのは本人の自由。
(以下、「整形」とする。)
しかしその一方で、内面世界の積み重ねを忘れたら、それこそ顔は、絵を描くための、ただのキャンバスになってしまう。
が、私は、もう一歩踏み込んで、こんなことを考える。

 もしあなたの恋人なり、妻が、整形を繰り返していたとしたら……。
あなたは、それに耐えられるだろうか?
それでもあなたは、そういう相手を、自分の友人、もしくは妻として迎え入れることができるだろうか?

 顔だけではない。
胸も体も……。

 私の価値観を押しつけるつもりはない。
が、私だったら、とても耐えられない。

●ハイデッガー

 女性にかぎらず、その人の本当の美しさは、懸命に生きるその生き様の中から、生まれる。
見てくれの顔や姿ではない。
生き様。

 もっともそれを理解するためには、男性の側にも、それなりの内面世界の積み重ねがなければならない。
知性、理性、道徳、哲学……、何でもよい。
そういったものを、一方で、磨いていく。
昔から、こう言う。
そう言っているのはこの私だが、「賢い人からは、愚かな人がよくわかる。が、愚かな人からは、賢い人がわからない」と。
もう少しはっきり言えばこうだ。
「利口な人からは、バカな人がよくわかる。が、バカな人からは、利口な人がわからない」と。

 解釈の仕方は、いろいろあるだろう。
つまり、整形だらけの女性を美しいと思う男性は、やはりそのレベルの男性ということ。

 さらに短絡的につぎのように言い切るのは、たいへん危険なことかもしれない。
しかしこういうことは言える。

 見てくれの顔や姿ばかりを気にし、内面世界の積み重ねを怠る人は、女性にかぎらず、男性も、その程度の人間、ということ。
ハイデッカーが説いた『ただの人(Das Mann)』というのは、そういう人間をさす。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

 2010年に、『ただの人』について
書いた原稿が見つかった。
話が脱線するが、許してほしい。

 なお、結論的に、冒頭にあげた女性について、こんな事実を付記しておく。

 ……やがて電車は浜松駅についた。
2人の男女は、たがいに起しあいながら、席を立とうとした。
と、そのとき、若い女性のほうの目を見ると、明らかに病的にまで目が充血していた。
とくに目の下あたりが、真っ赤だった。
仮に30分でも、目を開けたままにしていれば、そうなる。
あるいは私が見たときのように、常に眼球を動かしていないと、角膜が傷つく。

 その女性は、目を大きくしたいがため、整形手術を受けた。
しかし整形手術には、それがどんなものであれ、何らかの危険を伴う。
後遺症を伴うこともある。
目を開いたまま眠るというのは、どう考えても、ふつうではない。
5年や10年は、それでよいとしても、20年後、30年後に、何か大きな病気につながるかもしれない。

 なお私が見た充血と、整形手術との因果関係についてはわからない。
が、もし関係があるとするなら、そういうことを医師はしっかりと説明をしてから、手術を施すべきではないのか。

 かなり強い疑問を覚えたので、ここに記録しておく。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●『ただの人』(ハイデッガー(2009年の終わりに書いた原稿)

++++++++++++++++++

つい先日、12月になったと思っていたら、
もう今月もおしまい。
つい先日、2009年になったと思っていたら、
もう今年もおしまい。
つい先日、21世紀(2001年)になったと思っていたら、
もう2010年。

こうして日々は、容赦なく過ぎていく・・・。
過去へ過去へと、失われていく・・・。
・・・と、だれしも考える。
・・・と、だれしも考えやすい。

が、そういう考え方は、あまりにも通俗的。
長い歴史の中で、人は、そのように考えるように、
なってしまった。
つまり「数字」と「人生」を重ね合わせるようになってしまった。
が、そう考えてはいけない。
つまり「過ぎていく」と考えてはいけない。
「失っていく」と考えてはいけない。
何も過ぎていかない。
何も失っていかない。

そこにあるのは、今という「現実」。
現実があるだけ。
数字に惑わされてはいけない。
2009年だろうが、2010年だろうが、
そんなことは、私たちには関係ない。
私たちは、今という「現実」を懸命に生きる。
それだけを考えて生きる。

つまりこういうばあい、「数字」というのは、あくまでも
便宜上のものでしかない。

それがわからなければ、野に遊ぶ鳥や動物を見ればよい。
人間以外に、年や年齢を気にして生きている鳥や動物が
いるだろうか。
年齢にしても、そうだ。
気にならないと言えば、ウソになる。
しかし年や年齢という「数字」など気にしてはいけない。
気にする必要もない。
私たちは、今の今も、そこにある「現実」に向かって、
まっしぐらに進んでいく。
その上で、こう考えればよい。

「ああ、もうすぐ2010年なのか」と。

(2009年12月28日記)

++++++++++++++++++++

●年齢

 一度できあがってしまった(常識)を打ち破るのは、容易なことではない。
その個人だけの問題ではない。
その地域全体の人が、同じように考えている。
そういうところでは、なおさら容易なことではない。

たとえばG県の田舎へ行くと、今でも年長風を吹かしている人は多い。
家父長風を吹かしている人も多い
たった数歳年上というだけで、威張っている。
それがおもしろいほど、極端な形で現れる。

 こうした意識の根底にあるのが、「数字」。
年齢という数字。
言うなれば、「金持ちほど偉い」という、金権教の信者と同じ。
本来意味のないものにしがみつきながら、意味があるものと思い込んでいる。
それが意味がないものと、気がつくこともない。
またそれを認めることは、自己否定につながる。
そういう生き方そのものが、その人の哲学になっている。
だからよけいに、しがみつく。

●年齢という数字

 何歳であっても、私は私。
あなたはあなた。
今年が何年であっても、今年は今年。
今は今。
大切なのは、今、何歳かということではなく、今まで生きてきた蓄積が、私やあなたの中に、どれだけあるかどうかということ。
それがあればよし。
が、それがないなら、あなたが何歳であっても、あなたは、「ただの人」(ハイデッガー)。
数字という年齢をとることだけなら、だれにだってできる。
つまり、繰り返しになるが、「数字」には、意味がない。
まったく意味がない。
まず、私たちは、それを知る。
しっかりと肝に刻み込む。

●幻想

 ・・・こう書くと、「老人の強がり」と思う人もいるかもしれない。
しかし自分がこの年齢になってみて気がついたことがある。
老人ほど、人生の経験者」というのは、ウソ。
「人格者」というのは、さらにウソ。
まさに幻想。

地位や肩書きなどというのは、その人を飾るカラスの羽のようなもの。
イソップ物語に出てくる、あの話である。
一羽のカラスが、自分を美しく見せようと、自分の体を、いろいろな鳥の羽で飾ろうとする。
それと同じ。
自分では美しくなったつもりでいるかもしれないが、まわりの人たちは、それを見て、「バカ」と思う。
笑う。

 老人になればなるほど、愚劣になっていく人は、いくらでもいる。
またそういう人のほうが、多い。
だから私は、あえて言う。
「年齢」という「数字」には、意味はない、と。

●中身

 大切なのは、今という「現実」を、どう生きるているかということ。
今という「現実」の中で、自分がすべきことを、しっかりとしているかどうかということ。
そのために、今という「現実」を、しっかりと見据えているかどうかということ。
それには、若いも老いもない。
いくら若くても、死んだも同然。
そんな人は、いくらでもいる。
いくら年を取っていても、前向きに生きている人は、いくらでもいる。
大切なのは、中身。
中身で決まる。
その中身の追求こそが、「生きる」ということになる。

 ・・・とは言いつつ、「数字」はたしかに節目にはなる。
そのつど今の自分を、反省することはできる。
もし年数という「数字」、年齢という「数字」がなければ、生活に対する緊張感も半減する。
「数字」があるから、そこから緊張感が生まれてくる。
(もちろん何ら緊張感をもたないで生きている人も、多いが・・・。)
言うなれば、ウォーキング・マシンについているタイマーのようなもの。
タイマーがあるから、「がんばろう」という気持ちがわいてくる。
「2010年も、がんばるぞ!」と。

●今という「現実」

 ともあれ、節目としての2009年は、もうすぐ終わる。
で、振り返ってみれば、あっという間に終わった。
・・・というより、「数字」がどうであれ、私は今までどおり、前に向かって懸命に生きていく。
今という「現実」は、(今まで生きてきたこと)の結果であり、同時に、(これから生きる人生)の出発点でもある。

生物学的に言うなら、私たちは常に死に、常に生き返る。
だったら今そこにある「現実」に向かって、まっすぐに生きていく。
「過去」とか「未来」とかいう言葉に、惑わされてはいけない。
過去など、どこにも、ない。
未来など、さらにどこにも、ない。

 だから・・・。
今、できることは、今、する。
今、すべきことは、今、する。
懸命にする。

【補記】

 「数字」にこだわる人は多い。

先に書いたように、たった数歳年上というだけで、年長風を吹かしたりする。
このタイプの人は、当然のことながら、年号や年数にこだわる。
たとえばある宗教団体では、入信年月日によって、信者の上下関係が決まるという。
年齢ではない。
信仰していた年数で決まる。
だから、50歳、60歳の人が、30歳、40歳の人に、頭をさげたりする。
「信心歴が長ければ長いほど、その人は、上」というわけである。

 バカげた考え方だが、信仰の世界に入ってしまうと、それがわからない。
同じように、年長風を吹かす人もそうだ。
言うなれば、『年齢教』というカルトの信者。
「年上」というだけで、威張っている。
「年下」というだけで、「下」にみる。
偉そうに説教をしたりする。
それがおもしろいほど、極端なので、思わず笑ってしまう。
 
 このタイプの人は、当然のことながら、「長生きすればするほど、人生の勝利者」というふうに考える。
「数字」が、価値判断の基準となる。
だから幸福感も、「数字」による。
しかも相対的。
隣の人よりも、金持ちであれば、幸福。
隣の人よりも、貧乏であれば、不幸、と。
ふつうはケチで、小銭にうるさい。
そういう点では、一貫性(?)がある。

が、誤解してはいけない。 
長生きすることが無駄というのではない。
お金を稼ぐことが無駄というのではない。
しかしどちらであるにせよ、「数字」に毒されると、「人生」そのものを無駄にする。
それに気がつけば、まだよい。
ふつうはそれにすら気づかないまま、無駄にする。
そういう人は、どこまでもあわれで、かわいそうな人ということになる。
ハイデッガーの説いた、「ただの人」というのは、そういう人をいう。

+++++++++++++

「ただの人」については、
たびたび書いてきた。
つぎの原稿は2008年4月に
書いたもの。

+++++++++++++

【ただの人(das Mann)】
Along with getting old, most people is to become just a “man”, so-called “das Mann”. But nobody agree that this is the goal of our lives. We have what we should have to do toward the of the lives. Then how can we find it?

●生きているだけもありがたい

 若いときの20歳。
壮年期の終わりにやってくる60歳。
これら2つの年齢は、人生にとって、大きな節目となる年齢である。

 20歳という年齢を、人生への入り口とするなら、
60歳という年齢は、人生からの出口ということになる。
民間企業では、50歳を過ぎるころからリストラが始まり、60歳になると、ほとんどの人は退職、ということになる。
役所の人たちも、60歳を境に、それぞれの天下り先へと転職していく。

 もっとも60歳まで、無事生きてこられたというだけでも、ありがたい。
御の字。
感謝しなければならない。
すでにこの世を去った人も多い。
ざっと見ても、約5%の人が、亡くなっているのではないか。
健康や精神を病み、生きていくだけで精一杯という人も多い。
経済的に行きづまった人となると、もっと多い。

 さらにこの年齢になると、それまで隠しもってきた持病が、どんと前に出てくる。
持病だけではない。
人間性そのものも、そのまま前に出てくる。
わかりやすく言えば、化けの皮が、はがれる。

 が、それだけではない。
そのころになると、それまでの人生観を変えることなど、夢のまた夢。
小ズルイ人は、死ぬまで小ズルイ。
守銭奴は、死ぬまで守銭奴。

●老後の人間性

 よく誤解されるが、そしてほとんどの若い人たちは、そう思っているかもしれないが、歳をとれば、人間性が豊かになるというのは、ウソ。
むしろ、人間性は、後退する。

 その年齢になった私が言うのだから、まちがいない。
ただ人づきあいが、見た感じ、丸くなるということはある。
しかしそれとて、進歩してそうなるのではなく、生命力そのものが弱体化して、そうなる。
よい例が、老人ホームにいる老人たちである。
みな、穏やか過ぎるほど、穏やかな顔をしている。
だからといって、そういう老人たちが人格者などとは、だれも思わない。

 が、それだけではない。
さらに恐ろしいことがある。

●老化する脳

 そのころになると、穴のあいたバケツから水がこぼれるように、知識がどんどんと消えて行く。
年齢に比例して、その量は多くなる。
しかしそうなりながらも、その人自身は、それに気がつかない。
脳のCPU(中央演算装置)のクロック数そのものが低下するから、脳の働きが鈍くなったことすらわからない。

 先日も、どこか(?)な女性(65歳くらい)に会った。
話している内容に、一貫性がなかった。
そこで私が、「私はあなたが思っているほど、バカではないと思いますが……」と言ったときのこと。
その女性は、何を思ったか、こう叫んだ。
「私だって、バカではありません!」と。

 このように脳の機能全体が低下してくると、低下していること自体、わからなくなる。
そしてあとは加速度的に、老化だけが、どんどんと進んでいく。
脳の病気にかかれば、なおさらである。

が、それで終わるわけではない。
最後の最後に、とどめの一発がある。

生きがいの喪失である。

●統合性と生きがい

 この日本では、「庭いじりと孫の世話をすること」を、理想の老後生活と考える人は多い。
そういう理想像(?)が、いつしかできあがってしまった。
しかしそれはとんでもない、まちがい!
少なくとも、世界の常識ではない。

では、どうあるべきか?

 老後を迎えたら、(すべきこと)を見つけ、それに向かって、前に進む。
(したいこと)ではない。
(すべきこと)に向かって、前に進む。
それをエリクソンという学者は、「統合性の確立」と呼んだ。

 この統合性の確立に失敗すると、老後は、あわれでみじめなものになる。
それこそ「死の待合室」に放り込まれたような状態になる。
もっとも、この段階で、それに気づく人は、まだよいほう。
救われる。
大半の人は、死の待合室にいることさえ気づかないまま、ささいな夢や希望に、自分をつなぐ。
自分をなぐさめる。
あきらめる。

 つまらない人生を送りながら、それをつまらないとも思わない。
というのもこの問題は、あくまでも相対的なもの。

●統合性の内容

 統合性といっても、程度の差がある。
それこそマザーテレサのように、崇高な統合性を確立した人もいる。
私のように、HPの更新程度のことに、生きがいを求める人もいる。

 程度……、つまり統合性の次元は、より自分の次元が高くなってはじめて、より低い人の次元がわかるようになる。
わかりやすく言えば、次元の高い人からは、低い人がよくわかる。
しかし次元の低い人からは、次元の高い人は、わからない。
恐らく、理解もできないのではないか?
中には、「そんなことは、むだ」と否定してしまう人もいる。
先日会った、O氏(65歳)もその1人。
O氏は、こう言った。

 「あのね、林さん、総理大臣をやったような人でも、死ねばおしまいだよ。10年もすれば、みなに忘れられてしまう。残るのは、印刷された名前だけだよ」と。

「だから、人生というのは、したいことをして楽しむにかぎる」と。

しかしO氏のような生き方では、さらに何も残らない。
「生きた」という実感すら、もてないのではないか?

真理の探求を例にあげてみる。

●感動のある人生

 こんな私でも、ものを書いていて、何か新しいことを発見したときには、ゾクゾクするほど、感動する。
その感動こそが、私の生きがい。
生きがいとなって、私を支えてくれる。
研究者や芸術家なら、なおさらであろう。

 しかもそうすることによって、自分の(命)を、つぎの世代に伝えることができる。
わかりやすく言えば、自分を超えて、さらにつぎの世代の中で、生きることができる。
だから私は、O氏には悪いが、こう思った。

「かわいそうな人だ」「たったひとつしかない人生を、無駄にしている」と。

 さて、60歳。
この年齢になると、闘わなければならないものが、いくつかある。

 肉体の健康もそうだが、脳の健康も、維持しなければならない。
しかし何よりも大切なのは、統合性を確立し、その統合性に、自分を一致させていくこと。
その努力を怠ると、それこそ、そこらのオジチャン、オバチャン(失礼!)と同じ運命をたどることになる。

 繰りかえすが、ハイデガーは、軽蔑の念をこめて、そういう人たちを、「ただの人(das Mann)」と呼んだ。

「ただの人」になることだけは、何としても避けなければならない。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW はやし浩司 ハイデッガー はやし浩司 ハイデッガー ただの人 das Mann 統合性 DAS MANN)

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●カラス

 話を戻す。

 カラスはカラス。
カラスがいくらクジャクの羽をつけたところで、クジャクにはなれない。
だったら、カラスはカラスとして生きればよい。
カラスのもつ「黒」は、それ自体、美しい。
その美しさを否定し、クジャクの羽をつける。
それは即、自分の哲学の敗北を意味する。

 が、美しくなりたい(?)という若い女性を責めても、意味はない。
かわいそう。
酷!

 大切なことは、我々人生の経験組が、別の美的価値観を示してやること。
それもしないで、一方的に、若い人たちに向かって、「無駄なことをしている」と言ってはいけない。
それはたとえて言うなら、二階屋根に登った人から、ハシゴをはずすようなもの。

 が、その力は、あまりにも弱い。
たとえばテレビの影響。
連日連夜、そのタイプの女性や、それを取り巻く男性が、テレビに出てくる。
さらに今では、整形したことを隠すタレントは、まずいない。
堂々と、「こことここを整形しました」などと言ったりする。

 ものを考える力が乏しい、さらに若い人たちは、そういう人たちの影響をモロに受けてしまう。

 もちろん、みながみな、そうというわけではない。
同じ電車の中には、少数派だが、見るからに堅実そうな若い女性も、乗り合わせていた。
そういう女性を守るために、私たち老人組は、その(柱)にならなければならない。
ここに書いた原稿は、そのためのものと考えてほしい。

●終わりに……

 ただ誤解しないでほしい。
私は顔を整形することが、まちがっていると書いているのではない。
(「正しいこと」とは、絶対に思わないが……。)

しかし「整形」という行為の中に、その人の人生観が凝縮されているように思う。
見栄、体裁、メンツ、世間体を気にして生きる、そういう人生観である。
しかしこういう生き様ほど、見苦しいものは、ない。
へたをすれば、人生そのものを棒に振ることにもなりかねない。
その第一歩としての整形であるなら、これほど不幸な第一歩は、ない。

 私たちは、いつも、「私は私」と、生きる。
そういう生き様を貫く。
そこに生きる意味がある。
けっして、他人の目の中で生きてはいけない。

 ……今朝は、かなり過激な意見を書いてしまった。
このエッセーを読んで、不愉快に思う人も多いだろう。
が、それはそれとして、つまり美容整形のことは忘れ、では、人間の美しさとは何か。
この原稿をたたき台にして、それをもう一度、考えなおしてみてほしい。

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Hiroshi Hayashi+++++++March. 2012++++++はやし浩司・林浩司

●伊勢志摩・合歓の郷に一泊、はやし浩司 2012-03ー28

【伊勢志摩・合歓の郷へ】(はやし浩司 2012-03-28)

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

伊勢志摩へ向かう。
明日、私塾会名古屋支部の会合がある。
伊勢志摩へ一泊したあと、帰りに、会合に出る。
たいへんな寄り道だが、その寄り道が楽しい。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司





●浜松から名古屋へ

 JR浜松駅の近くで、1人の高校生が声をかけてくれた。
K君だった。
幼稚園のときから、小6まで、私の教室に通ってくれた。
この4月から、高校2年生になる。
うれしかった。

が、こういうときというのは、会話がつづかない。
突然でもあり、何をどう話したらよいのか、わからない。
「お母さんは、お元気ですか」「すっかり高校生らしくなったね」とか。
最後に「声をかけてくれて、ありがとう」とだけ言い、別れた。

 ほんのりと心が温まった。

●9時48分

 JR浜松駅発、9時48分の大垣行の快速に乗る。
浜松から名古屋まで直行する列車は、ほとんど、ない。
豊橋で乗り換える。
この快速は、そのまま名古屋まで行く。

 いつもは豊橋から、名鉄電車に乗る。
座席もよく、乗り心地がよい。
急ぎの用でなければ、新幹線にはめったに乗らない。
名古屋というのは、そういう距離。
近くもないが、遠くもない。

●ウォークマン

 久しぶりにウォークマン(SONY)をもってきた。
音楽を聴いている。
グレゴリアンの曲が、ほとんど収録してある。
あとは定番の映画音楽とか、モーツアルトなど。
少し前まで、そのモーツアルトを聴いていた。

●合歓の郷(ねむのさと)

 今日の予定は、この列車で、名古屋まで。
名古屋で近鉄に乗り換える。
それに乗って、伊勢志摩まで。

合歓の郷に一泊。
「合歓の郷」という名前の旅館。
温泉がすてきらしい。
楽しみ。

 夕食は、伊勢海老づくしとか。
伊勢志摩といえば、伊勢海老。
楽しみ。

●咳をする女性

 通路をはさんだ隣の女性が、はげしい咳を繰り返している。
一応、マスクはしているが……。

 私もワイフに促され、マスクを着けた。
それにしてもはげしい咳。
私たちはよいとしても、会い向かいあった人たちが、かわいそう。
1人の女性はマスクをしているが、もう1人はしていない。
軽く口を押え、窓のほうに顔をそむけている。

 ときどきその女性の横顔を見る。
が、それを気にするふうでもなく、咳を繰り返している。
少し前から、化粧を始めた。
マスクをはずした。
年齢は、35歳前後?
マスクをはずしても、当たりかまわず、咳をしている。

●豊橋へ

 白くかすんだ田園地帯がつづく。
木々は枯れ、薄黄土色。
それをやさしい朝の陽ざしが、ぼんやりと照らしている。

 何やら車内アナウンスがあったが、よく聞き取れなかった。
私はグレゴリアンの歌を聴いている。
ワイフもグレゴリアンの歌を聴いている。
左右のイヤホンを、2人で分けあって、聴いている。

 ……これも、旅。
旅のしかた。

●声がかれる

 このところ声が、かれる。
少し前、浪曲の練習をした。
私はそれが原因かと思っていた。
が、浪曲ではなかった。

 花粉の季節になり、毎朝、決まってはげしいクシャミが出る。
そのとき、のどを痛めるらしい。
今朝、それがわかった。
はげしいクシャミをしたあと、のどが痛くなった。

 で、そのあと合唱団員のときよくしていた発声練習をしてみた。
高音部になると、自分でもそれがよくわかるほど、キンキン声になる。
ふだんは、そういうことはないのだが……。

●『♪Who wants to live forever?』

 『♪だれが、永遠に生きたいだろうか?』

 グレゴリアンは、こう歌う。
『♪Who wants to live forever?』と。

 よい曲だ。
ある映画の主題曲になっていた。
が、肝心の映画のほうは、駄作。
世代を超え、たがいに戦いあうという、内容の薄いものだった。
が、曲だけが、多くの歌手に歌い継がれている。

 そう、私も永遠に生きたいとは思わない。
「……だから、それがどうしたの?」と聞かれたとき、その答がつづかない。

 が、かといって、早く死にたいというのではない。
できるだけ長生きをしたい。
が、条件がある。
健康。
健康であること。
この歌をもじると、こうなる。

『♪だれが寝たきりで、長生きしたいだろうか』と。

●横尾試算

 昨日のニュースで気になったのが、これ。
あの福島第一原発2号機で、70数シーベルトの放射線が計測されたという。
7~10シーベルトで、人間は即死すると言われている。
しかも恐ろしいことに、毎日10トン近い水を注入しているというのだが、原子炉内の水の深さは、60センチしかないという。
ほとんどの水は、高濃度に汚染されたまま、地下や海へと流れ出ているらしい。

 想像するだけでも、気が遠くなる……というより、絶望感に襲われる。
この先、こんなことが、何十年もつづく。
忘れてならないのは、2号機(出力100万W)だけでも、広島原発の数万発分の放射性物質が格納されているということ。
(100万Wの原子炉を1年間稼働させると、広島原発の2700~800発分の放射性物質が生成されるという。横尾試算※)

 先日、大江健三郎氏は、パリで、こう言った。
「40年後に(被害は)顕在化する」と。

(注※)「電気出力100万キロワットの原発を、数年運転すると、1万3600京ベクレルの放射性物質が生まれる。
その量は、広島型原爆の数千発分に相当する」と。
この世界では「京(けい)」という単位が使われる。
10の16乗をいう」(以上、横尾試算「原発事故」宝島社)と。

●自己中心性
 
 こういう話をすると、つまり「40年後」というと、こんなことを言う人がいる。

「どうせ、私はそれまで生きていませんから」と。
あるいは、老人組の人は、こう言う
「どうせ、私たちはまもなく死にますから」と。

 が、これほど冷酷かつ残酷な言葉はない。

 ……40年後でも、今日のように、青空はある。
その下では、人々が住み、生活をしている。
人間の住む世界に、「時間」も「空間」もない。
「40年後は関係ない」と言う人は、「アフリカは遠いから、いくら人が餓死しても構わない」と言うのと同じ。
つまり自分勝手。

「今さえよければ、それでいい」と言うのは、「自分だけよければ、それでいい」と言うのと同じ。
自己中心性の現れそのもの。
一見、道理をふまえているように見えるが、そんなのは、道理でも何でもない。
人格の完成度、ゼロ。
少しは自分に恥じたらよい。
あるいはその恥じる力もないほど、人間性を失っているのか?

●近鉄・名古屋駅

 近鉄・名古屋駅で、少し待ち時間がある。
12時10分発の特急「賢島」行き。
「賢島」は、「かしこじま」と読む。
旅館に電話すると、14時45分に迎えに来てくれるという。
ありがたい!

 構内で弁当とお茶を買う。
ワイフは、プラス、ビールを買う。
ワイフの家系は、酒豪が多い。
ワイフもその1人。
が、飲むのはこうして旅行のときか、寝る前だけ。

 ところで私たちはここしばらく、寝る前に養命酒をお湯に溶かして飲んでいる。
が、これが歯にはあまりよくない。
朝まで、ときに、甘い味が残る。
「このままでは、そのうち歯がボロボロになるかも?」ということで、ここ数日は、やめている。

 ……私は酒を飲めない。
そういう体質。
が、ときどき油断する。
数日前も、ワイフにつられて、チューハイ(アルコール度4%)を、コップ、半分も飲んでしまった。
おかげで、その翌日、二日酔い。
夕方まで、頭痛が消えなかった。

●近鉄電車

 「近鉄電車に乗るのは、はじめて」とワイフが、言った。
「フ~~ン」と私。
10年ほど前までは、よく講演で、近鉄電車に乗った。
あのころは、私はいつも単独行動だった。
「悪いことをしたな」と思ったが、それはワイフには、言わなかった。

 黄土色に青い帯。
近鉄電車カラー。
何か意味があるのだろう。

 そう言えば、前回、近鉄電車に乗ったときに書いたエッセーがあるはず。
あとで探してみる。

 今、構内アナウンスで、「まもなく……」と。
時計を見ると、11時57分。
そのすぐあと、電車が構内へ入ってきた。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

原稿は、すぐ見つかった。
2003年に、紀伊長島まで来ている。
駅の近くの体育館で、講演をした。

以下は、そのときの原稿。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●三重県紀伊長島町で……(2003年記)

 今日(一八日)は、紀伊長島町の教育委員会に招かれて、ここへやってきた。

 名古屋から、南紀線に乗る。
午後一時すぎの、特急。
その特急で、ちょうど二時間。
四日市、津、松阪……。
その間特急は、ずっと山間の谷を抜けるが、最初に「海が見えた!」と叫ぶところが、その紀伊長島町である。

 私は、その特急の窓から、近くの山々をながめながら、三男のことを考えていた。
いつか、三男と二人で、この紀伊半島を旅したことがある。
そのときも、「冒険旅行」だった。
私たちは、よくその冒険旅行をした。

 冒険旅行というのは、行き先を決めず、その場、その場で、行き先や、泊まるところ決める旅行のし方をいう。
お金だけを握って、旅に出る。
その旅行でのこと。

 松阪(まつさか)へ着いたときには、真夜中だった。
泊まる旅館やホテルが見つけられず、一時間近くも、あちこちをさまよい歩いた。
そんな思い出が、つぎつぎと、脳裏に浮かんでくる。

 小学四年生の三男は、心細そうに、何度も「だいじょうぶ?」と聞いた。
そのたびに私は、「いざとなったら、駅の前で寝ればいいから」と答えた。

 その三男が、今、自分の進路を大きく変えようとしている。

 三男は、地元のK高校を卒業したあと、横浜にある、横浜K大の工学部に入学した。
センター試験では、工学部2位の成績だった。

 いつか宇宙船の設計をすると意気込んで入学したものの、そのうち、自分に合わないと言い出した。
そして今度は、パイロットになると言い出した。
私は、「金メダルを捨てて、銅メダルをもらうようなものだ」と、批判した。

 しかし私も、昔、M物産という商社をやめ、幼稚園の講師になった経緯がある。
そんな親だから、三男を責めるわけにはいかない。
何かと言いたいことはあったが、しかし三男は、こう言った。

 「パパ、ぼくの夢は、パパに、本物の操縦桿を握らせてやることだよ」と。

 私は子どものころ、空にあこがれた。
パイロットになりたかった。
今でも、パソコンの画面の上で、空を飛ぶのが、私の趣味の一つになっている。
三男は、そういう私をどこかで見ていた。
私は、この言葉に、殺された。

 その言葉を聞いて、私はもう、反対することはできなかった。
いや、多少の迷いはあったが、三男は、その試験に向けて、体を鍛えた。
毎日、自転車で横浜から、羽田へ行き、羽田空港を一周したという。
春ごろには、どこかブヨブヨだった三男だが、試験が近づくころには、すっかり身がひきしまっていた。
それを知ったとき、私の迷いは、完全に消えた。

 「どうせ受けるなら、合格しろよ」と私。
 「だいじょうぶ」と三男。

 一次試験には、八〇〇人近い応募があったという。
テレビのトレンディドラマの影響が大きかったという。
三男は、二次試験にも合格した。
「定員、七〇人だけど、残ったのは、ぼくを入れて、六九人だけだった」と言った。
残りの三次試験は、面接。場所は、宮崎県。本人は、「一〇中、八、九、だいじょうぶだ」と、のんきなことを言っている。

 特急の窓から、空を見る。
白い雲が、薄水色の空をのぞかせながら、幾重にも重なっている。
あのときは、初夏のころだったが、今は、秋だ。

 私たちは松阪市を出ると、今度は、新宮(しんぐう)をめざした。
そのときのこと。
南紀線は、海沿いを走るものとばかり思っていた。
しかし窓の景色は、山また山。
内心では「どうなっているのだろう?」と思っていた。
が、突然、目の前に、パッと海が広がった。

 エメラルド色の海だった。
それに絵に描いたような海岸線が見えた。
夢の中で見るような景色だった。
私は心底、「美しい」と思った。
実は、その町が、紀伊長島町だった。
偶然か。

 で、そのあと、この紀伊長島町へ来たくて、JR名古屋の駅へ問い合わせたが、どの人も、トンチンカンなことばかり、言っていた。

私「ほら、南紀線に乗っていて、最初に海が見える町です」
J「どこでしょうね。あのあたりは、ずっと、海ですから」
私「山を抜けて、最初に、海が見える町です」
J「○○海岸でしょうかねえ。それとも、○○岬でしょうかねえ」と。

 しかしこの話は、教育委員会の担当者の方には、言わなかった。
あまりにも、できすぎた話である。
もしこの話をすれば、「林は、口のうまい男だ」と思われるかもしれない。
しかし事実は、事実。

 委員会のほうで、私のために民宿を用意してくれた。
「はま風」(長島町古里)という民宿だった。
海岸まで歩いて、数分のところ。
その民宿の中でも、一番、奥の梅乃間に通された。

 講演は七時からだった。

 私は散歩から部屋にもどって、この原稿を書き始めた。
もうすぐ、迎えの車がくる。
時刻は、六時一五分。
このつづきは、またあとで書こう。
写真もたくさんとったから、今度のマガジンは、「紀伊長島町特集」となるかもしれない。

++++++++++++++++++

【つづき……】

 たった今、遅い夕食を食べてきた。
時刻は、午後一〇時。
東長島公民館ホールでの講演は、(多分)、無事、終わった。
800人ほど、集まってくれた。

風呂に入るべきか、どうか迷っている。
このまま寝ようか……。

 近くに、古里温泉(町営)がある。
歩いて五分くらいのところ。
講演へ行く前に、散歩しながら見てきたが、朝は、午前一〇時からだという。
明日(一九日)は、七時半の特急で帰るつもりなので、その温泉には入ることはできない。

 そうそう夕食だが、おいしかった。
仲居の女の人(本当は女将さん)が、みな、親切だった。食べ終わってから、「それ、マンボウの軟骨だったのですよ」と。
私はタコの刺身かと思って、パクパクと食べてしまった。
「しまった」と思ったときには、胃の中で、松阪牛のシャブシャブと混ざってしまっていた。

 三男の話にもどるが、三男は、私がパイロットになるのを反対していると思っているらしい。
それは、そのとおり。
これから飛行機事故のニュースを聞くたびに、私は、ハラハラしなければならない。
「どうぞ、どうぞ」と、賛成するような仕事ではない。

 しかし私は、親として、友として、三男を応援するしかない。
支えるしかない。
私が幼稚園の講師になったと母に話したとき、母は、泣き崩れてしまった。
私は母だけは、私を支えてくれると思っていた。

 私には、そういう悲しい思い出がある。
だから、私の息子たちにだけは、そういう思いをさせたくない。
どんなことがあっても、私は、最後の最後まで、息子たちを支える。
ただただ、ひたすら、息子たちを信じ、支える。

 今、ふと、眠気が襲ってきた。
もう今夜は、寝たほうがよさそうだ。
ワイフに電話すると、K市K小学校のN先生から、講演の依頼が入ったとのこと。
ほかの先生からの依頼とは違う。
どんなことをしてでも、受けなければならない。
N先生は、私の恩人だ。
明日、浜松へ帰ってから、時間を調整しよう。

 静かな町だ。
静かな民宿だ。
一応、目ざまし時計はつけたが、明日は、その時刻に起きられるだろうか。
少し、心配になってきた。

 では、みなさん、おやすみなさい。

 三重県紀伊長島町、民宿「はま風」より。

 こういう季節も、すばらしいが、夏場は、近くの砂浜で泳ぐこともできる。
もう少し若ければ、「来年の夏に……」と考えるが、もうその元気はない。
こういう静かな季節のほうが、私には、合っているかも。

 教育委員会のOさん、車で送迎してくれた、Tさん、ありがとうございました。
(031118)

【補記】

 くだらないことだが、私のパソコン(NECのLaVie)は、三〇分ほどで、バッテリーがあがってしまう。
しかし、今日、名古屋からいっしょに乗った男性のパソコンは、ほぼ二時間、ずっと稼動していた。

見ると、シャープの「MURAMASA」だった。
「さすが!」と、少し、驚いた。
ねたましく思った。

 外国の電車などは、車内にコンセントがついている。
駅にも、空港のロビーにも。
日本も、そうすべきではないか。
こういう時代なのだから……。
ついでにインターネットも使えるようにしてほしい。
こういう時代なのだから……。
(一部の駅には、無線LANの設備がついたという。)

(写真を見てくださる方は、HTML版マガジンのほうを、ご覧ください。
紀伊長島町の風景の写真を載せておきました。
すばらしいところですよ。)

 もうひとつくだらないこと。

 朝起きて、身じたくを整えていると、靴下が見つからない。
そこで部屋中をさがした。
が、それでも、見つからない。
昨夜は、講演から帰ってきたあと、食事をして、そのままこの部屋で、浴衣(ゆかた)にかえた。
そのときまで、靴下は、はいていたはず。

 それにしても気味の悪い話だ。
ここは幽霊民宿?

 さらにさがした。
しかし見つからない。

 ただひとつ、心当たりがあるのは、風呂だ。
私は今朝、起きるとすぐ、風呂(温泉)に入った。
そこで、「まさか……」と思いつつ、浴室へ行ってみると……。

 「あったア!」

 しかし、どうして? 
どうして私の靴下が、脱衣場に落ちていたのか。
私は昨夜、靴下をはいたまま寝たのか? 
しかしそんなはずはない。
私は寝るときは、必ず、靴下を脱ぐ。
ただひとつの可能性は、浴衣のどこかに脱いだ靴下が、入りこんでいたこと。
だから浴衣を脱いだとき、靴下が、脱衣場に、落ちた? 
しかし、そんなことがありえるのだろうか?

 ?????と、「?」を五個並べて、この話は、おしまい。

(以上、2003年11月、紀伊長島にて)

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●紀伊半島

 紀伊長島へ来たとき、委員会の先生が、こんな話をしてくれた。

「このあたりでは、山側の人間と、海側の人間は、はっきりと分かれているのですよ」と。

 生活習慣のみならず、男女の(差)も、分かれている、と。

 山側の世界(=農業)では、女性の地位が低く、海側の世界(=漁業)では、女性の地位が高い。
(漁師という職業は、いつなんどき死ぬかわからない。だから女性の地位が高くなったとか。)
また、山側の人たちは、朝飯をしっかりと食べ、昼飯は簡単にすます。
これに対して、一方、海側の人たちは、昼飯をしっかりと食べる、とか。
これは漁師は、朝早く海に出て、昼前に海から帰ってくるためだ、そうだ。

 以上、記憶によるものなので、内容は不正確。

 で、そのとき私がこう言ったのを覚えている。

「もし、海側で育った女性が、山側で育った男性と結婚したら、たいへんなことになりますね」と。
私は冗談で言ったつもりだったが、その先生は、あっさり、「その通りです」と言って笑った。
(反対なら、うまくいくかも?)
2003年というから、もう10年近くも前の話である。
今は、事情も、大きく変わったかもしれない。

 電車は今、桑名を出たところ。
海が見え始めるのは、もっと先。
ワイフは、「まだ……?」と、言っている。

●ダイナブックR631

 前回は、シャープ製のパソコンだった。
メビウスだった。
が、今回は、TOSHIBAのダイナブック。
バッテリー切れの心配は、ない。
今も、こうして安心して、キーボードを叩いている。

 ところで今度、シャープが、台湾の会社の傘下に入ることになった。
経営不振がささやかれていたので、「とうとう……」という感じ。
こうしてまた、日本の一流メーカーが、外国へと売られていく。

(注※……MSNニュースより)
『シャープは、液晶の主力生産拠点である堺工場を守るため、外資を筆頭株主とするかつてない決断を下した。
世界的な価格下落や歴史的な円高水準、テレビ市場の先行き不透明など好材料が少ない中、“液晶のシャープ”の行方が注目される』(以上、MSN)と。

 ついでながら、こんなニュースでも、韓国では、反日感情をあおりたてるために、利用されている。
が、どうして反日?
つぎの朝鮮日報の記事を読めば、それがわかる。

『シャープ、「サムスン打倒」の鴻海と資本提携!

サムスン電子など韓国企業に押され、創業以来最悪の赤字を出していたシャープは27日、「サムスン打倒」と公言する台湾の電子機器受託製造サービス(EMS)大手、鴻海精密工業と資本提携すると発表した』(朝鮮日報)と。

 あたかもシャープが、「サムスン打倒!」のために、台湾の企業と資本提携したかのように書いてある。
韓国では、マスコミが先頭に立ち、反日感情をあおいりたてている。
こんな記事を読めば、だれだって、「日本めッ!」となる。 

●車窓の外

 車窓の外につづく、街並み。
街並みというより、都会。
「こんなところにも、多くの人が住んでいる……」と。

 ……たった今、窓の下に広い駐車場が見えた。
たくさんの車が並んでいた。
もちろんそれぞれの車には、所有者がいる。
1台1台に……。

 家にしてもそうだ。
それぞれの家に、それぞれのドラマがある。

 最近、旅行に出るたびに、そんなことをよく考える。
同時に、不思議な気持ちに襲われる。
みんな、懸命に生きている。
それが私を不思議な気持ちにさせる。

●珍説・日本人論

 窓ガラスに反射して、前の席に座っている女性の顔がよく見える。
電車が日陰に入ると、窓ガラスが鏡のようになる。
年齢は、40歳前後か。

 その女性の動きが、気になる。
相対して座っている仲間と、何やら話している。
その様子が、どこか「?」。
どこだろう?

 しばらく観察する。
が、やがてこんなことに気がついた。

 その女性は、左右、上下を見るとき、かならず顔を動かす。
眼球は、ほとんど動かさない?
顔を動かすと同時に、上半身も動かす。
それを小刻みに繰り返すから、キョロキョロというよりは、セカセカといった感じになる。
ガラス窓越しに見ているのだが、せわしなく顔や体を動かす。
落ちつかない。
が、AD・HD児の動きとも、ちがう。
どうしてだろう……?
どこがちがうのだろう……?

 が、やがてわかった。

 その女性の目は、ふつうの人以上に、細い。
一本の糸のよう。
おまけに太り気味で、下まぶたが、目を下から、押し上げている。
つまりその女性は、眼球を動かして、左右、上下を見ることができない。
(眼球の動きは、よくわからないが……。)
だから左右、上下を見るときは、その方向に向け、顔全体を動かさなければならない。
顔全体を動かすから、上半身も、それにつれて、動く。

 ナルホド!

 昔、オーストラリアの友人が、こう言った。
「日本人は、猿みたいだ」と。
欧米では、日本人は、よく猿にたとえられる。
映画『猿の惑星』も、もともとは、日本人がモデルだったそうだ。
あまりうれしくない話だが、その理由のひとつが、これ。
つまり顔全体、体全体をセカセカと動かし、あちこちを見る。
(私もそうだが……。)

 では、欧米人は、どうなのか?
それも欧米人のものの見方を思い浮かべてみると、すぐわかる。
彼らは、左右、上下を見るとき、眼球だけを動かす。
もともと目が大きいから、それができる。
だから顔全体を動かさなくてもよい。
そのため日本人のような、セカセカ感がない。

 つまり日本人が猿のようにセカセカして見えるのは、民族性というより、目の大きさが原因だった。
目が細く小さいから、ものを見るとき、顔全体を動かす。
立っているときは、体全体を動かす。
だから、セカセカして見える。
中に目が大きい人もいる。
そういう人でも、周囲の日本人の影響を受け、セカセカ動くようになる。

 これは、はやし浩司の珍説、日本人論ということになる。
しかしこんなことを調べた学者はいない(はず)。
珍説というよりは、「新説」か。

●TK先生より
 
 たった今、TK先生から、メールが届いた。
今朝送った原稿についての、批評である。

『林様: 最近書かれた原稿を拝読しました。
これはどんな人を対象にしているのかな、と思いながら読みました。
一言で言えば「おれは学があるんだよ」、「いろいろの 偉い人の意見も皆読んで知っているよ」、という感じでした。
広い知識を持っている、偉い人の書く文章です。
偉くはないけれど、もっと「我が意」を伝える「感激的な原稿」が欲しいです。
「一笑い」するなり、「涙ぐむ」なり。
いけませんか。御元気で。
TK』

 TK先生の口の悪さは、学会でも定評。
TK先生が座長になると、たいていの学者は、ビビって何も話せなくなるという。

またある時期は、日本の理科予算を決定、配分する立場にいた。
併せて論文審査もしていた。

たとえば野辺山に巨大な電波望遠鏡がある。
それが完成したとき、その祝賀会で、TK先生は、最前列に座っていた。
そのとき先生は、こう言っていた。

「いやな仕事ですよ。
研究費を削ったりすると、憎まれます。
江戸の仇(かたき)を、長崎でとられるというようなことも、よくありますから」と。

 というか、先生の肩書はともかくも、つぎの一言のほうが、TK先生の偉大さを、よく説明している。

 天皇陛下のテニス友だち。

 よく陛下は、鎌倉の先生のクラブへテニスをしに来ていた。
どこかの境内の横にある、2面しかないクラブである。
「椅子といっても、ブロックに板を渡しただけのものです」と。

 で、TK先生は、こう言った。
「陛下がクラブへ来ているときは、ヘリコプターが上空をくるくる回っていますから、すぐわかりますよ」と。

ともかくも、先生の毒舌には慣れた。
(そう言えば、私をほめてくれたことがない!)
だからこそ、私には、ありがたい。

 すかさず、私は、こんな返事を書いた。

『TK先生へ

こんにちは!

いえね、あの雑誌は、今回は、『子育て』が特集なのだそうです。
で、その巻頭で、子どもの発達について、その総論を書いてくれということで、ああいう原稿になりました。
けっして偉ぶっているわけではありません。
どうか、誤解のないように!

そのあと各論を書く学者は、東大の先生こそいませんが、みな、そういう人たちです。
その巻頭言用原稿です。

それに私は、「偉い人」ですから……。
ハハハ。

(本当は、みすぼらしい、敗者です。
負け犬です。
自分でもそれがよくわかっています。)

先生だけです。
そういうふうに、率直に言ってくれるのは……。
ぜんぜん、イヤミもないし……。
なお、あの雑誌は、全文、英訳され、世界中の販売会社に配布されるそうです。
(日本の自動車が販売されている国、すべてで、です。)

なおワイフは、こう言っています。
「文章は、あなたのほうがうまいから、先生は、ひがんでいるのよ」と、です。
ぼくもそう思います。

 また伊勢志摩に着いたら、メールを書きます』と。

●宇治山田

 電車は、今、宇治山田に着いた。
この先から、向かって左側に、海が見えるようになる。
先ほどまで、ワイフは、ウトウトと横で眠っていた。
何度か、ウ~ムという声を出したあと、車掌のアナウンスで目を覚ました。

 「これからきれいな海が見えるよ」と私。

 紀伊半島と言えば、何といっても、海。
美しい海。
ここを通るたびに、私は、こう思う。
「ここは天国」と。
心底、そう思う。

 駅の向こう、つまり海側に、小高い山が連なっているのがわかる。
あの山を越えれば、海。
海が見え始めたら、ビデオカメラの出番!

●旅

 昨日、市内の書店を訪れたら、こんなタイトルの本があった。
「ぼくが旅に出る、そのわけ」(記憶)と。

 私よりずっと若いライターの書いた本だった。
写真が、表紙を飾っていた。

 その本を見たとき、「ぼくなら……」と思った。
「ぼくなら、どんなことを書くだろうか?」と。

 表紙を見ただけで、本は開かなかった。
平積みになっていたから、よく知られた人の本なのだろう。
それにタイトルからして、旅が好きな人にちがいない。

 私も旅は、嫌いではない。
が、いつもワイフに連れられて、旅に出る。
私自身は、家で本でも読んでいた方が、楽しい。
が、それでも、同じタイトルの本を書けと言われたら、どんな本を書くだろうか?

 ……旅先で感動した話を、全体の7~8割、書く。
押しつけがましい意見ではなく、読んだ人が、「私も旅をしたい」と思うような内容にする。
残りの2~3割で、旅に人生論を結びつける。

 そう、旅のおもしろさは、名所旧跡にあるのではない。
道端の、何気なく立っている地蔵や、川面(かわも)に遊ぶ野鳥の群れの中にある。
倒れかかり、道をふさいでいる竹やぶでもよい。
曲がりくねった農家の道を、ヨタヨタと歩く老人。
そういう老人と、世間話をする。
そういうのがおもしろい。

 で、人生のおもしろさも、またしかり……と。
この話は、ちょっとできすぎかな?

●合歓の郷(ねむのさと)

 合歓の郷には、午後3時少し過ぎに着いた。
途中、雨が降った。
通り雨で、ホテル(今まで旅館と書いてきたが、ここは立派なホテル)に着くころ、ちょうどやんだ。
(和室で予約したので、私は、旅館風のホテルを想像していた。)

 部屋は、2間つづきの、豪華な間取り。
419号室。
部屋も、前もって、暖めてあった。
備品も完ぺき。
やる気度、100%。
カーテンを開けると、伊勢志摩半島が、一望できた。

これから温泉につかり、そのあとサンセット・クルージングなるものに、乗る。
夕刻を、海の上で、過ごす。

(地震が来なければいいが……。
私は心配性。)

●サンセット・クルージング

 風呂から出た。
5時10分に、迎えのバスが来るという。
それを待っている。

 幸い、青い空が見えてきた。
サンセット・クルージング。
「今日は、波が少し荒いようです」と、フロントの女性は、そう言っていた。
ワイフは、先ほどから、それを心配している。

「いいか、そういうときは、遠くの水平線を見ていればいい」と私。

 時刻は、ちょうど、5時。
「そろそろ行こうか……」ということで、このつづきは、またあとで。

●貸し切り

 33人乗りの大型クルーザーに、客は、私たち2人だけ。
つまり貸し切り!
その大型クルーザーで、英虞湾(あごわん)内を、40~50分かけて、周遊。
まるで夢の中のようだった。
つまり夢の中で、船に乗っているような気分だった。

 時は、その名のとおり、夕暮れ時(サンセット)。
ワイフも私も、言葉を失った。
ただひたすら、ぼんやりと、島々をながめた。

 その様子は、ビデオカメラに収めた。
明日、家に帰ったら、まっさきに編集し、YOUTUBEにUPする。
読者のみなさんにも、楽しんでもらおう。

●YAMAHAのつま恋

 施設全体は、掛川市にある、「つま恋」(YAMAHAリゾート・センター)に似ている。
各種のスポーツ施設や、宿泊施設が並んでいる。
作り方も、よく似ている。

 が、つま恋のほうは、東海道の要所にある。
そのため、いつ行っても、かなり混雑している。
が、ここ合歓の郷は、伊勢志摩という、本線から離れた位置にある。
が、施設そのものは、つま恋に勝るとも、劣らない。
プラス、海遊びもできる。

 さらに比較すれば、温泉は、合歓の郷のほうが、はるかによい。
つま恋は、小さくて、狭い。
加えて地元の人たちも利用しているため、私たちが行ったときには、浜松駅の構内のように混雑していた。
あとは料理だが、つま恋のバイキング料理は、地元でもイチバンと評価が高い。
さて、この合歓の郷は、どうか?

 夕食は、7時40分~から。
まだ少し時間がある。
それまで、こうして今日の日記を書く。

●ロメオ&ジュリエット

 たった今、立ったついでに、♪ロメオとジュリエットを独唱してみた。
本気で歌ってみた。
その少し前から、そのメロディーを、鼻歌で歌っていた。

 声は張りを失い、高い音は出なくなった。
が、これでも、元合唱団員。
その気になれば、まだ歌える?

 が、この歌を歌うと、どうしてこうまで切なくなるのか。
幸福と切なさは、同時にやってくる。
幸福であることが、切ない。
どうしてだろう。

 原稿をさがしてみる。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●マダム・バタフライ

 久しぶりに、「マダム・バタフライ」を聞いた。
ジャコモ・プッチーニのオペラである。
私はあの曲が好きで、聞き出すと何度も、繰り返し聞く。

「♪ある晴れた日に、
  遠い海の向こうに一筋の煙が見え、
  やがて白い船が港に着く……
  あの人は私をさがすわ、
  でも、私は迎えに行かない
  こんなに私を待たせたから……」

 この曲を聞くと、何とも切ない気持ちになるのは、なぜか。
遠い昔、長崎からきた女性に恋をしたことがあるからか。
色の白い、美しい人だった。
本当に美しい人だった。
その人が笑うと、一斉に太陽が輝き、一面に花が咲くようだった。
その人はいつも、春の陽光をあびて、まばゆいばかりに輝いていた。

 マダム・バタフライ、つまり蝶々夫人は、もともとは武士の娘だったが、幕末から明治にかけての混乱期に、芸者として長崎へやってくる。
そこで海軍士官のピンカートンと知り合い、結婚。
そして男児を出産。
が、ピンカートンは、アメリカへ帰る。
先の歌は、そのピンカートンを待つマダム・バタフライが歌うもの。
今さら説明など必要ないかもしれない。

 同じような悲恋物語だが、ウィリアム・シェークスピアの「ロメオとジュリエット」もすばらしい。
少しだが若いころ、セリフを一生懸命暗記したこともある。
ロメオとジュリエットがはじめてベッドで朝を迎えるとき、どちらかだったかは忘れたが、こう言う。

 「A jocund day stands tip-toe on a misty mountain-top」と。
「喜びの日が、モヤのかかった山の頂上で、つま先で立っている」と。

本来なら喜びの朝となるはずだが、その朝、見ると山の頂上にモヤにかかっている。
モヤがそのあとの二人の運命を象徴しているわけだが、私はやはりそのシーンになると、たまらないほどの切なさを覚える。

そう、オリビア・ハッセーとレナード・ホワイティングが演ずる「ロメオとジュリエット」はすばらしい。
私はあの映画を何度も見た。
ビデオももっている。
サウンドトラック版のCDももっている。
その映画の中で、若い男が、こう歌う。
ロメオとジュリエットがはじめて顔をあわせたパーティで歌われる歌だ。

 「♪若さって何?
   衝動的な炎。
乙女とは何? 
氷と欲望。
世界がその上でゆり動く……」
 
 この「ロメオとシュリエット」については、以前、「息子が恋をするとき」というエッセーを書いたので、このあとに添付しておく。

 最後にもう一つ映画の話になるが、「マジソン郡の橋」もすばらしい。
短い曲だが、映画の最後のシーンに流れる、「Do Live」(生きて)は、何度聞いてもあきない。
いつか電撃に打たれるような恋をして、身を焼き尽くすような恋をしてみたいと思う。
かなわぬ夢だが、しかしそういうロマンスだけは忘れたくない。
いつか……。
(02-10-5)※

*Romeo and Juliet

++++++++++++++++++



(Love Theme from Romeo and Juliet)

What is a youth?  Impetuous fire.  若さって、何? 燃えさかる炎。
What is a maid?  Ice and desire.  乙女って、何? 氷と欲望。
The world wags on,  世界は、その上で踊る。
A rose will bloom.... ばらは咲き、
It then will fade:  そして色あせる。
So does a youth,  若さも、また同じ。
So does the fairest maid. もっとも美しい乙女も、また同じ。
Comes a time when one sweet smile その人の甘い微笑みが
has a season for a while....  しばしの間、その季節を迎えるときがやってきた。
Then love's in love with me.  そして私と恋を恋するときがやってきた。
Some they think only to marry,  結婚だけを考える人もいる。
Others will tease and tarry.  からかうだけの人や、じらすだけの人もいる。
Mine is the very best parry.  でも私のは、あるがまま。
Cupid he rules us all.  キューピッドだけが、私たちを支配する。
Caper the cape, but sing me the song,  ケープをひらめかせ、私に歌を歌え。
Death will come soon to hush us along. やがて死が訪れ、私たちを痛めつける。
Sweeter than honey... and bitter as gall,  蜂蜜よりも甘く、胆汁と同じほど苦く、
Love is a task and it never will pall.  愛は、すべきこと、隠すことはできない。
Sweeter than honey and bitter as gall. 蜂蜜よりも甘く、胆汁と同じほど苦い。
Cupid he rules us all." キューピッドが私たちを支配する。

++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++

【息子が恋をするとき】

●息子が恋をするとき(人がもっとも人間らしくなれるとき)

 栗の木の葉が、黄色く色づくころ、息子にガールフレンドができた。
メールで、「今までの人生の中で、一番楽しい」と書いてきた。
それを女房に見せると、女房は「へええ、あの子がねえ」と笑った。
その顔を見て、私もつられて笑った。

 私もちょうど同じころ、恋をした。
しかし長くは続かなかった。
しばらく交際していると、相手の女性の母親から私の母に電話があった。
そしてこう言った。
「うちの娘は、お宅のような家の息子とつきあうような娘ではない。
娘の結婚にキズがつくから、交際をやめさせほしい」と。

相手の女性の家は、従業員30名ほどの製紙工場を経営していた。
一方私の家は、自転車屋。
「格が違う」というのだ。
この電話に母は激怒したが、私も相手の女性も気にしなかった。
が、二人には、立ちふさがる障害を乗り越える力はなかった。
ちょっとしたつまづきが、そのまま別れになってしまった。

 「♪若さって何? 衝動的な炎。乙女とは何? 氷と欲望。世界がその上でゆり動く……」と。

オリビア・ハッセーとレナード・ホワイティングが演ずる「ロメオとジュリエット」の中で、若い男がそう歌う。
たわいもない恋の物語と言えばそれまでだが、なぜその戯曲が私たちの心を打つかと言えば、そこに二人の若者の「純粋さ」を感ずるからではないのか。

私たちおとなの世界は、あまりにも偽善と虚偽にあふれている。
年俸が1億円も2億円もあるようなニュースキャスターが、「不況で生活がたいへんです」と顔をしかめてみせる。
一着数百万円もするような着物で身を飾ったタレントが、どこかの国の難民の募金を涙ながらに訴える。
暴力映画に出演し、暴言ばかり吐いているタレントが、東京都やF国政府から、日本を代表する文化人として表彰される。

もし人がもっとも人間らしくなるときがあるとすれば、電撃に打たれるような衝撃を受け、身も心も焼き尽くすような恋をするときでしかない。
それは人が人生の中で唯一つかむことができる、「真実」なのかもしれない。
そのときはじめて人は、もっとも人間らしくなれる。
もしそれがまちがっているというのなら、生きていることがまちがっていることになる。
しかしそんなことはありえない。

ロメオとジュリエットは、自らの生命力に、ただただ打ちのめされる。
そしてそれを見る観客は、その二人に心を合わせ、身を焦がす。
涙をこぼす。
しかしそれは決して、他人の恋をいとおしむ涙ではない。
過ぎ去りし私たちの、その若さへの涙だ。
あの無限に広く見えた青春時代も、過ぎ去ってみると、まるでうたかたの瞬間でしかない。
歌はこう続く。

「♪バラは咲き、そして色あせる。若さも同じ。美しき乙女も、また同じ……」と。

 相手の女性が結婚する日。
私は一日中、自分の部屋で天井を見つめ、体をこわばらせて寝ていた。
6月のむし暑い日だった。
ほんの少しでも動けば、そのまま体が爆発して、こなごなになってしまいそうだった。
ジリジリと時間が過ぎていくのを感じながら、無力感と切なさで、何度も何度も私は歯をくいしばった。

しかし今から思うと、あのときほど自分が純粋で、美しかったことはない。
そしてそれが今、たまらなくなつかしい。
私は女房にこう言った。
「相手がどんな女性でも温かく迎えてやろうね」と。
それに答えて女房は、「当然でしょ」というような顔をして笑った。
私も、また笑った。
 
Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●切なさ

 生きていること自体、切ない。
つかみどころがあるようで、ない。
「時よ止まれ」と叫んでも、時は容赦なく、去って行く。
手でつかんでも、指の間から漏れていく。
その歯がゆさ。
そのもどかしさ。
それが切なさとなって、胸をしめつける。

 失った時を嘆くのではない。
去った人を嘆くのではない。
消えて久しい、純粋さを嘆く。
情熱を嘆く。
夢や希望を嘆く。

●センチ

 話題を変える。
幸福感を味わったあとというのは、どうも心がセンチになる。
これも年の功。
幸福というのは、(幸福感でもよいが)、薄いガラス箱のように壊れやすい。
それを知っているから、切なくなる?

ところで、今の若い人たちは、「センチ」などという言葉を使うだろうか?
センチというのは、センチメンタルという意味。
英語では「sentimental」。
日本語では、「感傷的」と訳す。
「感じやすく、涙もろいさま」(Yahoo辞書)とある。

 今が、そのとき?
「話題を変える」と宣言してみたが、話が、またもとに戻ってしまった。

 ……とにかく、もうすぐ夕食。
夕食のあとは、もっと楽しい話を書いてみたい。

●TK先生からの返信

 夕食後、パソコンを立ち上げると、TK先生から、メールが届いていた。
うれしかった。
TK先生という先生は、そういう先生。
そばに感じるだけで、心が安らぐ。
あるいは先生は、相手を、先生自身がもつおおらかさで、包んでしまう。
講演にしても、そうだ。
相手が1000人でも、9000人でも、そのまま包んでしまう。
その偉大さというか、パワーは、言葉では、表現できない。

 私的なメールだから、そのまま紹介してよいものかどうか迷った。
(許可を求めたら、断られるに決まっている!)
が、若いころからTK先生は、何かよいことや、うれしいことがあると、真っ先に私に知らせてくれた。
私は私で、それを聞くのが、何よりも楽しみだった。
この42年間、ずっと、そうだった。
それがいまでも、つづいている。

……というか、田丸謙二先生が、日本という国のためになした偉業の数々。
それを知る人は少ない。

たとえばあるプロジェクトで、日本政府は、アメリカの言いなりになって、2000億円という研究費を、無駄にしそうになったことがある。
田丸謙二先生は、自費で世界各国を飛び回り、その計画を日本政府に断念させたこともある。
もちろんその逆のこともある。

TK先生の偉大さを、みなさんもぜひ知ってほしい。

『林様:
今度の日本化学会の春の年会は九千人近くの参加者があり、慶応の日吉キャンパスで行われました。
その後懇親会で乾杯の音頭を取らせられましたが、懇親会も四百人以上の盛会でした。
今度の年会の中で公開講演会があり、幾人もの講演者に混じって私も講演をさせられましたが、その公開講演会の責任者から下記のようなお褒めの言葉が来ました。

「群を抜いていい講演」、「聴き応えのある講演」、「何人もの方から非常に良かった」とか「皆さん大変に感激した」とか、私の所にも沢山のお褒めのメールや電話が来ましたが、個人的なのは「お世辞」もあると思いますが、上記のような公開講演会の責任者からのは、大体本当の言葉だと思いますので、お知らせします。

余計なことをお書きして恐縮ですが、取り敢えずご連絡致します。
くれぐれもお元気で。
TK』

●夕食

 夕食は、伊勢海老を使った、海老づくしだった。
すべてが、伊勢海老料理。
レストランの入り口には、生けすがつくってあり、20~30匹の伊勢海老が飼ってあった。
レストランを出るとき、「ああ、今夜は、これを食べたんだ」と。

●就眠

 ワイフは、もう床の中に入り、寝息をたてている。
時刻は、午後10時19分。
夕食の料理は、すばらしかった。
一級の料理と評しても、よい。
おいしかった。
とくに伊勢海老の鉄板焼きは、おいしかった。
伊勢海老というのは、もともと味が淡白で、料理の仕方をまちがえると、何を食べているのかわからなくなる。
海老のおいしさを引き出しながら、味にアクセントをつける。
並みの料理人では、まねのできない芸当である。

 さて、明日は忙しい。
一度、名古屋まで出たあと、会合に出席。
そのあと浜松に、帰る。

 では、みなさん、Have a good night!

●3月29日

 朝は、午前4時半に目が覚めた。
こうしたホテルでは、いつも、そうだ。

 で、メガネを探したが、どこにもない。
「?」と思いながら、また探した。

 が、メガネは、かけたままだった。
その少し前、トイレに起きたとき、メガネをかけたらしい。
またそのまま眠ってしまったらしい。

私も、かなりボケてきた。
こんなアホな経験は、生まれてはじめて。
メガネをかけたまま、メガネを探した。
それにしても、ドジな話!

●合歓の郷

 合歓の郷は、広大な敷地の中にある。
その一角だけで、ふつうのホテルなら、何10棟も建ってしまうだろう。
中に、貸別荘というのも、ある。
サンセット・クルージングに向こう途中、バスの運転手が、案内してくれた。
(バスの中にも、客は、私たち2人だけだった!)

そこには10~20棟、並んで建っていた。
そのあたりは、ゆるやかな丘陵になっていた。
芝生でおおわれていた。
道路も、カーブを描いていた。
それを見て、ワイフが、「オーストラリアの家みたい」と言った。

 オーストラリアでは、どこでも見られる風景である。
が、この日本では、珍しい。
平坦地を、碁盤の目のように仕切る。
家は、それぞれ、バラバラ。
洋風もあれば、和風もある。

 つまり欧米人は、全体のバランスを考え、自分の家を建てる。
日本人には、もとから、そういう発想そのものが、ない。
ある学者は、「押す文化、引く文化」という言葉を使い、日本人の特性を説明した。
あとで、その原稿を探してみる。

 ともかくも、合歓の郷は広い。
その広さを感じただけで、ほっとした安堵感を覚える。

 そうそうワイフはこうも言った。
「日本にも、こういういいところがあるのね」と。

 ここ数年、ワイフは、ことあるごとに、こう言っている。
「オーストラリアへ移住しよう」と。
そのつど、私はこう言って、ワイフをなだめる。
「もう少し日本でがんばるから、待ってよ」と。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

【押す文化vs引く文化】(2000年ごろ書いた原稿より)

●引く文化・押す文化

 日本の子どもは、消しゴムのカスを、手前に払って、机の下に落とす。
欧米の子どもは、向こう側に払って、机の上に残す。

考えてみれば、不思議なことだ。
教えなくとも、日本の子どもたちは、いつの間にかそうするようになる。
考えてみれば、日本の刀は、手前に引きながら、相手切る。
欧米の刀は、相手のほうに突き刺しながら切る。
ノコギリも、包丁もそうだ。
日本では引きながら切る。
欧米では押しながら切る。

 これを称して、日本の文化は「引く文化」、欧米の文化は「押す文化」と言った学者がいた。
そんな話を、ある友人から聞いたことがある。

たとえば「庭」。
日本では、庭をつくるとき、視点を家の中に置く。
つまり家の中に美しさを、引きこむようにして庭をつくる。
欧米は反対に、外に向かって庭をつくる。

 わかりやすく言えば、通りから見た美しさを大切にする。
何でもないようなことだが、こうした文化は、教育にも大きな影響を与えている。

 日本人は、周囲の価値を、自分の中に引きこむことを美徳とする。
内面世界の充実を大切にする。
一方、欧米では、自分の価値を、相手に訴えることを美徳とする。

 日本人はディベイト(討論)がヘタだと言われているが、そもそも国民性が違うから、しかたない。
いや、長い間の封建制度が、日本独特の国民性を作った。
自己主張をして波風を立てるよりも、ナーナーですまし、「和」をもって尊しとすると、日本人は考える。

 つまりそもそも風土そのものが、「個」を認める社会になっていない。
特に教育の世界がそうだ。
徹底した上意下達方式のもと、親も子どもも、いつもそれに従順に従っている。
文部省が「体験学習だ」と言えば、体験学習。
「ボランティア活動だ」と言えば、ボランティア活動。
いつもすべてが全国一律に動く。
親の側から、教育に注文をつけるということは、まず、ない。

 そういう意味でも、日本人は、まだあの封建制度から解放されていない。
体質も、それから生まれるものの考え方も、封建時代のままといってもよい。
言いかえると、日本の封建時代が残したマイナスの遺産は、あまりにも大きい。

 ……と悩んでもしかたない。
問題は、こうした封建体質から私たちをいかにして解放させるか、だ。
一つの方法として、あの封建時代、さらにその体質をそっくりそのまま受け継いだ明治、大正、昭和の時代を今ここで、総括するという方法がある。
歴史は歴史だからそれなりに正当に評価しなければならない。
しかし決して美化したり、茶化したり、歪曲してはならない。

 たとえば2000年のはじめ、NHKの大河ドラマにかこつけて、この静岡県で、『葵三代、徳川博』なるものが催された。
たいへんなにぎわいだったと聞いているが、しかしそういう形で、あの封建時代を美化するのはたいへん危険なことでもある。

 あの類をみないほどの、暗黒かつ恐怖政治のもとで、いかに多くの民衆が虐げられ、苦しんだか、それを忘れてはならない。
一方、徳川家康についても、その後、300年という年月をかけて、つごうの悪い事実は繰り返し抹消された。

私たちが今もつ「家康像」というのは、あくまでもその結果でしかない。つまりこうした
ことを繰り返している間は、私たちはあのマイナスの遺産から抜け出ることはない。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●旅

 旅といっても、ボケ防止のための旅というのも、ある。
旅に出るだけで、四方八方から、いろいろな刺激を受ける。
その刺激が、脳みそを、「引っかき回す」。
つまりそれまで眠っていたような部分まで、刺激する。

 脳の神経細胞の数は同じでも、使っていなかった部分を使うようになれば、その分だけ、神経細胞はふえたことになる。
広い屋敷にある古い倉庫を、居間に改造するようなもの。
たとえとしては、あまりよくないかもしれない。
しかし私には、そんな感じがする。

●英虞湾

 英虞湾は、地形が複雑。
その間に、大小、形、さまざまの島が64もあるという。
島だけではない。
無数の山々が、高くはないが、ホテルを取り囲んでいる。

 で、たった今、窓のほうを見ると、カーテンの下が白く輝いているのがわかった。
見ると、ちょうど太陽が地平線から昇るところだった。
私はバッグからカメラを取り出すと、その写真を撮った。
「ああ、あちらが東なんだ」と、そのときはじめてわかった。

 この窓から見ているかぎりでは、自分がどの位置にいるのか、わからない。
というか、私の方向感は、人並み以上にすぐれている。
見知らぬ街でも、迷子になることはめったにない。
しかしこの伊勢志摩は、ちがった。
このホテルにしても、どのあたりにあるのか、それさえわからなかった。
とくに昨日は、一度、小雨が降るほど、空が曇っていた。
方向感は狂ったままだった。

 ……これから風呂に入る。

 そうそう、このホテルの難点は、温泉までの距離が遠いということ。
一度、ホテルの外に出て、300~400メートルほど、歩かねばならない。
冬場は、つらい?
だから部屋の中にある、風呂へ。

●TK先生より

たった今、TK先生から、メールが入った

『林様:

今度こちらにお出で下さる際のことを考えたのですが、現在一時的にお世話になっている「シニア・ホーム・T」は滞在者拾四、五人の小さいところですが、私の数年後のあり方を現実的にsuggest してくれています。

半分以上が車椅子です。
「認知症」などボケている人もいます。
助けて貰わないと食事が出来ない人もいます。
歳をとることは誰でも避けられない運命ですが、どうでしょう、こちらで皆の様子を見ながらこちらで皆と一緒に私の来客として夕食を取るのは。
軽い夕食ですが、老人用の食事で、魚もよく出ますが骨は全然ない形です。
野菜も柔らかく調理されています。

貴君にはまだ二、三十年先のことでしょうが、避けられない「歳をとる」ことの参考にもなります。
夕食に行く前に、私の部屋でビールとおつまみもの位を食べてから行けば、少しは形がとれます。
街で混んでいる中で食べるより良い勉強になります。
如何でしょうか。

ついでにこちらに来る方法ですが、浜松から小田原まで新幹線で来て、小田原から東海道線で藤沢に来て進行方向左側に、「江ノ電」(江ノ島電鉄)がありますか、それに乗って20分近く、「XX」駅から三つ目に「YY」駅があり、その次が「ZZ」の駅で駅のホームの北側に駅に接するように煉瓦作りの「シニア・ホーム・T」という駅からx分のところです。

楽しみにお待ちしています。

御元気で。
TK』

●はやし浩司より、TK先生へ

TK先生へ

こんにちは!

 先生のお気遣い、ありがとうございます。
先生のご指導の通りにいたします。
ありがたいことです。
よい勉強になると思います。

 実のところ、自分の老後をよく考えます。
ホームへの入居も、現実問題になってきています。

 で、私も、数年前まで、実母と実兄の介護をしていました。
実母は、2年間、私の家にいました。
(便などの世話は、すべて私がしました。)
実兄は、3か月、私の家にいて、そのあと地元のグループホームに入りました。
実母は、そのあとは、他界するまで、ここ浜松の特養に入りました。
何かとたいへんでした。

 で、あいついで、3年前に他界。
実母、実兄が他界したとき、正直言って、ほっとしました。
(最近になって、さみしく思うことがありますが……。)

 このあたりでは、親の介護を2年すると、兄弟姉妹はバラバラになるといいます。
遺産問題も絡んできます。
わずか数百万円の遺産のことで、言い争っている兄弟姉妹は、ゴマンといます。

それでそうなります。
介護、遺産問題は、本人もたいへんですが、そのまわりの家族にとっても、深刻な問題ですね。

 で、私も、実母、実兄の介護を経験し、かなり人生観、イコール、教育観が変わりました。
それまでは、子どもは子どもで自分の人生を歩めばよいと考えていました。
が、これからはそんなわけにはいかない。
それで人生観、イコール、教育観が変わりました。

 今では、私たち老人組は、老害、さらには「ゴミ」と呼ばれています。
ネットの世界を見ると、それがよくわかります。
たとえば団塊の世代(=私たちの世代)は、若い人たちの間では、「バブル世代」と呼ばれています。
日本の経済を破壊した、「悪玉」のような存在に考えられています。
(一方、私たちは、「日本の繁栄を築いたのは、私たち」という意識が強いのですが……。)

 意識というのはそういうものかもしれません。
錯視画のようなものです。
同じ「絵」でも、見る人によって、まったく別の絵に見える。

 私が後期高齢者になるころには、孤独死、無縁死が当たり前になります。
すでに少し田舎のほうへ行くと、無住の寺がふえ、また住職がいても、慰霊碑なるものがふえています。
無縁仏を、まとめて供養するためのものです。

 で、x日は、予定どおり、3時ごろおうかがいすればよろしいでしょうか。
それとも、もっと遅い方がよろしいでしょうか。
時刻を、先生のご都合に合わせて、ご指定くだされば、そのようにいたします。

どうか、お知らせください。
ご返事、ありがとうございました。

はやし浩司

●終わりに……

 ……で、こうして自分の原稿を読み返してみる。
結構、「旅行記」、もしくは、「私にとっては、旅とは何か」になっているから、興味深い。
そのときどきに考えたことを、書きつづる。
こんな旅行記もあっても、よいのでは……。

……ということで、今回の、伊勢志摩旅行記(?)は、これでおしまい。

 今日もがんばろう!

(はやし浩司 2012-03-28 はやし浩司 英虞湾 伊勢志摩 はやし浩司 合歓の郷 ねむのさと はやし浩司 サンセット・クルージング 伊勢海老 教育 林 浩司 林浩司 Hiroshi Hayashi 幼児教育 教育評論 幼児教育評論 はやし浩司 浜松 幼児教室 はやし浩司 ロメオ ジュリエット 息子が恋をするとき はやし浩司 珍説 日本人論 日本人は、なぜセカセカして見えるか はやし浩司 TK先生 あご湾 あごわん)
はやし浩司 2012-03-29記


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