Education in Front-Line and Essays by Hiroshi Hayashi (はやし浩司)

(Mr.) Hiroshi Hayashi, a professional writer who has written more than 30 his own books on Education, Chinese Medical science and Religion in Japan. My web-site is: http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/ Please don't hesitate to visit my web-site, which is always welcome!!

Saturday, July 31, 2010

●金権教





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 子育て最前線の育児論byはやし浩司      8月   30日号
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【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

休みます。

【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【金権教からの脱出】(Is Money Everything?)

++++++++++++++++

教育と営利行為は共存しうるか。
医療と営利行為は共存しうるか。
芸術と営利行為は共存しうるか。
宗教と営利行為は共存しうるか。

答は、どれも「NO!」のはず。
強欲さの追求と、「心」の追求は
両立しえない。
営利行為を捨て去ったところに、
教育、医療、宗教は存在する。
が、現代社会では、それが奇妙に
共存している。
つまり矛盾が矛盾とわからないまま、
共存している。

営利行為でなくてもよい。
名声、名誉、地位、肩書き……。
本来、共存しえないものが、共存
している。

まずそのおかしさに気づく。
それが私やあなたの「心」を守る、
第一歩!
「心の豊かさ」を守る、第一歩。

++++++++++++++++

●つぶれる心

受験競争を経験させると、子どもの心は確実につぶれる。
ものの考え方が、功利的、打算的になり、ドライになる。
心の余裕をなくす。
もっと平たく言えば、人間が本来もっている温もりをなくす。
割り切り方がすばやくなり、一度割り切ると、そのまま心は、氷のように冷たくなる。

理由は簡単。

 子どもは親の「心」を、そのまま受け継ぐ。
親自身が、受験競争というものはそういうものと、考えている。
その底流では、ドロドロとした醜い欲得が、渦を巻いている。
それがそのまま親の心となり、子どもの心となる。
つまり親が子どもの心をつぶす。
つぶしながら、つぶしているという意識さえない。
ほとんどの親は、「子どものため」と考えている。
一方、子どもは、やりたくもない受験競争を強いられる。
被害者意識をもつ。

 受験競争でうまくいく子どもは、全体の何割もいない。
大半は、その過程で傷つき、脱落していく。

●親の不安や心配につけこんだ、金儲け

だからいくら親ががんばっても、子どもは、感謝などしない。
ぜったいにしない。
仮に目的の(?)学校へ進学できたとしても、感謝などしない。
「お父さん、お母さんが励ましてくれたから、合格できた」などとは、ぜったいに
思わない。
親にもしないが、ついでに、進学塾にもしない。
進学塾の講師にもしない。
当然と言えば、当然。

 「教育」とは名ばかり。
親の不安や心配につけこんだ、金儲け。
それが進学塾の実態。
そんなことは、小学生にだってわかる。

●「二度としたくない」

ある進学塾の講師は、こう言った。
その道、35年のベテランである。
「私など、ただの一度も元生徒の結婚式に呼ばれたことはありません」と。
苦笑いしながら、「苦労に苦労を重ねた生徒ですら、去るときは、ハイ、サヨナラです」と。

また別の男性は、45歳くらいまで予備校の講師をしていた。
45歳のとき、ベンチャー企業を興し、その経営者になった。
その男性も、その直後、こう言っていた。
「予備校の講師など、二度としたくないね」と。
道に唾(つば)を吐きかけんばかりの言い方だった。

で、私の話になる。

●進学塾の講師

私も予備校や補習塾で、講師をした経験がある。
20代から30代のはじめにかけてのころのことである。
幼稚園での仕事が終わると、夜遅くまで、講師として働いた。

ひとつの予備校の経営者は、いつもこう言っていた。
「親を信じてはいけない」と。
つまり割り切って仕事をしろ、と。
それが口癖だった。

そのときはその意味が、よくわからなかった。
が、今は、よくわかる。
この世界、お人好しは、通用しない。
善意も通用しない。
ただいつも一方的に裏切られるだけ。
たとえばX補習塾で働いていたころ、こんなことがあった。

●A子さん(中2)の例

 その補習塾では、とくにがんばった子どもや、経済的な理由のある子どものばあい、
月謝を、程度に応じて免除していた。
(当時は、月謝という形で、毎月現金で受領していた。)

 A子さん(中2女子)も、そんな生徒の1人だった。
塾長のはからいで、その生徒の月謝は、4分の1になっていた。
そのA子さんが、ある日、どこかの進学塾の宿題をもってきた。
私が「それは何?」と聞くと、「Y塾の宿題!」と。

 私は驚いた。
A子さんの親には、とてもそんな余裕はないはず。
そこで少し遠回りな言い方で、話を聞いてみた。
A子さんは、こう言った。
「ここでの月謝が浮いた分で、Y塾にも通えるようになった」と。

●塾経営

 塾が自動販売機にたとえられる時代があった。
今は、ファースト・フード店にたとえられる。
大規模になり、チェーン化した。
送迎時のあいさつの仕方、三者面談の内容、仕方、
話の進め方など、すべてがマニュアル化されている。
「塾は掃除!」と説く塾長もいる。
「塾は清潔で明るくしろ」と。

 外観が美しい分だけ、中身は醜いということか。
それとも中身の醜さをごまかすため、外観を美しくするのか。
どうであれこんな世界で、思春期前夜、思春期を過ごす子どもたちこそ、あわれ。
悲劇。
プラス残酷!

受験競争を通して、人生の骨格を組みあげてしまう。
冒頭に書いたように心をつぶされながらも、それを意識することもない。 
たとえばこの時期、親の希望には際限がない。
よい例が不登校。

●際限のない親の希望

 子どもがやっとのことで、午前中だけ学校に通えるようになったとする。
しかもほんの1、2時間。
しかしそこまで子どもをもってくるのが、たいへん。
長い時間がかかる。
が、すぐ親は、こう言い出す。
「何とか給食だけでも・・・」と。
あるいは「午後の勉強も・・・」と。

 進学校にしてもそうだ。
何とかC中学に入れそうになると、親は、「せめてB中学に・・・」と言い出す。
そのB中学が射程圏に入ってくると、今度は「何とかA中学に・・・」となる。

 それに塾教師が振り回される。
が、ひとつだけ忘れてはいけない。
「子どもこそ、被害者」と。
それに振り回される子どもこそ、被害者。

 子どもの心は無視。
子どもの希望も無視。
親はそれを正しいことと信じて、子どもに押しつける。
「学歴信仰」というのは、立派なカルト。
学校神話に基づく、立派なカルト。
子どもは子どもで、それを客観的に判断する経験もない。
抵抗する力もない。
だまって親に従う。
従いながら、心をつぶす。

●心と近代化

 「人の心」と「近代化」は、反比例の関係にある。
それとも人の心が、そこまで金(マネー)に毒されてしまったと考えるべきなのか。
さらに言えば、経済は発展した。
経済学も発展した。
しかし経済と「人の心」の関係について、それを論じた人はいない。
(私は論じているぞ!)
いないばかりか、経済を論ずる人ですら、毒されてしまっている。
脳のCPU(中央演算装置)の問題。

・・・話が大きく脱線した。
しかしこうした変化は、子どもたちを成長段階を追いながら観察してみるとよくわかる。
小学校の低学年のときは、心のやさしかった子どもでも、受験競争を経験したとたん、
人が変わる。
夏休みの間の特訓教室のようなものに通っただけで、大きく変化する子どももいる。
親は「やっと自覚ができたようです」と喜ぶ。
しかしその一方で、もっと大切なものを子どもは失う。
親は、それに気づかない。
それもそのはず。
親自身も、子どものころ、その大切なものを失っている。

●日本のビジネスマン

もう少しわかりやすい例をあげよう。
こんなことがあった。

 オーストラリアで学生だったときのこと。
私はことあるごとに、日本へ帰ったら商社マンとして働くことを自慢していた。
それしか自慢するものがなかった。
が、ある日のこと。
仲がよくなり始めていたオーストラリア人の友人が、私にこう言った。
「ヒロシ、そんなこと、自慢するのをよせ」と。
理由を聞くと、「君は知らないかもしれないが、日本の商社マン(ビジネスマン)は、
オーストラリアでは軽蔑されている」と。

 はっきりと「despised(軽蔑されている)」という言葉を使った。
この言葉は、かなりきつい響きをもつ。
で、理由を聞くと、こう話してくれた。

●何でも「金(マネー)」

 ある日、日本の商社マンがその友人の家に招かれて、やってきたときのこと。
オーストラリアでは少し親しくなると、たがいに食事に招待しあうという習慣がある。
(欧米では、どこでもそうだが……。)
その食事が終わったとき。
商社マンはおもむろにカバンの中から、何かを取り出して、「これを買わないか?」と、
言い出した。
そのものは忘れたが、繊維製品か何かだった。
が、その友人の父親はそれには興味を示さなかった。
そこで「NO!」と答えると、商社マンは今度はべつのものを取り出したという。
今度はカメラか何かだった。
が、それが何であるかどうかは、この際、どうでもよい。
それを買わないかと、言い出したという。

 友人の父親はすっかり不愉快になった。
ひとつのものをいらないと言うと、別のものを出す。
それもいらないと言うと、さらに別のものを出す。
そういう日本の商社マンの態度が許せなかった。

 が、私はこの話を聞いたとき、「どうして?」と思ってしまった。
日本の商社マンとして、その商社マンは当然のことをしただけ。
日本からわざわざ50万円近い旅費をかけて、やってきた。
当時の水準からすると、大卒の初任給の10か月分の給料である。
「ごちそうさま」で帰るわけにはいかない。

 私がその商社マンだったら、同じことをしただろう。
だから「どうして?」と。
そのときは、ごく自然に、私はそう考えた。

●それから30年後

 それから30年あまり。
今度は私が逆の体験をすることになった。

 ある日のこと。
高校時代の友人から、突然、電話がかかってきた。
「ぜひ、一度、会いたい」と。
高校時代には、それほど親しくはなかった。
しかし私には高校時代の友人に、「友人」と呼べるような友人は、ほかにいない。
そのこともあって、ていねいにその友人を招いた。

 が、1夜、私の家に泊まった朝のこと。
居間にいるとその友人は、かばんから、10個くらいの瓶を取り出した。
サプリメント商品、つまり健康食品の入った瓶だった。
「これを買わないか?」「仲間に入らないか?」と。
話を聞くと、ネズミ講方式で利益がふえるという。
私はそれを聞いて、心底がっかりした。
がっかりして、「君は、最初からこれが目的で、ぼくに近づいてきたのか」と聞いた。
彼は強くそれを否定した。
しかし彼の意図は見え見えだった。

●無数の意識

 私はそのとき、オーストラリアの友人の父親の気持ちが、はじめて理解できた。
なぜあのとき、友人の父親は不愉快になったか。
それが理解できた。
つまりそれが「意識の差」ということになる。

 お金に毒されているときは、脳そのものが毒されているから、それに気づくことはない。
しかし一歩退いて、別の世界からそれをのぞいてみると、それに気づくことができる。

 これはほんの一例だが、こうした無数のこまかい「意識」が集合して、「毒される」
という状態になる。
が、何度も書くが、毒された人は、それに気づくことはない。
脳のCPU(中央演算装置)そのものが毒されている。

 よい例が、C国製品。

●目覚まし時計

 ところで私は最近、小型ビデオカメラ付きの目覚まし時計を買った。
あのC国製。
パソコン雑誌に紹介されていたので、信用して買った。
しかしこれがとんでもない粗悪品。

SDカードを挿入することになっているが、それがうまく入らない。
セットがむずかしい。
うまくいかない。
電源を入れなおすたびに、時刻が初期設定に戻ってしまう。
おまけに説明書の日本語が、めちゃめちゃ。

 が、外から見た「形」だけは、それらしくできている。
どこかの国でできた目覚まし時計のデザインを、そのまま使っている?
私はその目覚まし時計を見ながら、こう考えた。
「C国の人たちは、こんな製品を輸出して、自分たちに恥じないのだろうか」と。
もっとも国全体がそうなっているから、それに気づくことはない。
もちろん恥じることもない。
「無数のこまかい意識が集合されている」というのは、そういうことをいう。
 
●日本の俳優

 もうひとつ話が少し脱線する。

 私とワイフはよく映画を観に行く。
「東宝シネマ」という映画館で、洋画と邦画を、半々くらいの割合で上映している。
邦画はほとんど見ないが、予告編はよく見る。
その邦画。
ひとつの特徴がある。

 邦画に出てくる若い俳優たちが、どの人も、頭はキレるが、人間的な深みがない。
またそういう演技をするのが、「映画」とでも思っているかのようでもある。
自然ぽさがないのはしかたないとしても、日本の俳優たちがもつあの独特の(冷たさ)は、
いったい、どこから来るのか?

 もちろん『送り人』のような、すばらしい映画もある。
が、その『送り人』にしても、私はどこかにあの独特の(冷たさ)を感ずる。
田舎の人たちの温もりを描いているはずなのに、スクリーンのすぐ向こうに、受験生的な、
あの独特の(冷たさ)を感ずる。

 おそらく俳優自身はそれに気づいていないだろう。
ここでいう「受験生的」というのは、「他人をかき分けて競争に勝ち抜いた」という意味。そう解釈してもらってよい。

●子どもの世界でも

 子どもの世界では、それがもっとはっきりと表われる。

 同じ小学6年生でも、心の温かさを感ずる子どももいれば、そうでない子どももいる。
冷たい子どもは、どこまでも冷たい。
ぞっとするほど、冷たい。
頭の中は受験勉強だけ。
あるいは何かの検定試験のことだけ。
バッグの中は、その種の参考書と問題集だけ。
余計なことは、いっさいしない。
もちろんそれなりに勉強はできるが、その先がない。

 簡単に説明すれば、親の温かい愛情をたっぷりと受けて育った子どもは、心が温かく
なる。
そうでない子どもは、そうでない。
つまり子どもの心の温もりは、親の育て方……というよりは、世代連鎖。
親から子へと伝えられる。
それによって決まる。
ふつう心の冷たい子どもの親は、心が冷たい。
心の温かい子どもの親は、心が温かい。

 だから心の冷たい子どもを見つけ、その親に向かって、「あなたの子どもは心が冷たい
ですよ」と忠告しても意味はない。
親自身が、それを理解できない。
また言ったところで、どうにもならない。
思春期を過ぎて、心の冷たい人間がその後、温かくなるということは、ありえない。
さらに言えば、一度つぶれた心は、元には戻らない。

●幻想

 この日本では、親たちは、「勉強しろ」「勉強しろ」と子どもを追い立てる。
それはそれでしかたのないことかもしれない。
日本人には日本人独特の身分意識がある。
現在は、それが学歴意識に置き換わった。

 が、これだけはよく覚えておくとよい。
それを言えば言うほど、今度は、親がその責任を取らされる。
子どもたちは「高校へ行くのは当たり前」「大学へ行くのは当たり前」と考えるようになる。
中には、「親がうるさいから、大学へ行ってやる」と言う子どもさえいる。
(これは本当の話だぞ!)

 その結果どうなるか?
親は親で、淡い期待をもつかもしれない。
「いつか親に感謝し、よい親子関係を築くことができるはず」と。
中には「老後のめんどうをみてもらえるかもしれない」と思う人だっているかもしれない。
しかしそれはまったくの幻想。

●月謝袋を詰め先で……

 あえて統計をとるまでもない。
この世界の常識として、「一度、都会の大学を出た子どもは、親のところには戻らない」。
戻らないばかりか、その多くは子どものほうから、親子の絆を断ち切ってしまう。
それもそのはず。
親は子どものためと思って、(本当は自分の不安や心配を子どもにぶつけているだけなの
だが)、「勉強しろ」と言う。
が、言われたほうの子どもは、それによって追いつめられる。
少なくとも「親は自分のことを心配して、そう言ってくれる」などとは、思わない。
進学塾の講師にしても、そうだ。

 へたに「君の将来のためだ」と言っても、子どもは、その先を読んでしまう。
「金儲けのためだろ?」と。
私も実際、そう言われたことがある。
月謝袋を爪先でポンとはじき、「あんたのほしいのは、これだろ!」と私に言った、高校生
がいた。

 皮肉なことに、心のつぶれた学生ほど、成績がよい。
そのままよい(?)大学に進学していく。
社会のリーダーとなっていく。
そして一方で、ドロドロしたおとなの世界の裏を、そのまま見抜く。

●幼児から高校3年生まで

 ずいぶんと否定的なことばかり書いてきた。
読者の方にインパクトを与えるため、やや過激な言い方で書いてきた。
しかし私はこの原稿を、警告の念をこめて書いた。
というのも私は、幼児(年少児)から高校3年生までの子どもを、1日というサイクル
の中で教えている。
40年来、そうしている。
幼児から高校3年生といえば、15年間である。

 そういうサイクルの中で、子どもたちの心の変化を、毎日のように見ている。
が、その「変化」というのは、心理学でいうところの変化とは、少し違ったものである。
たとえばここに書いた(冷たさ)というのは、思春期の反抗期とは異質のものである。
「心がつぶれる」と言っても、その診断方法もなければ、基準もない。
もちろん病名もない。

また心が冷たいからといって、それが何かの障害につながるということでもない。
むしろこの世界は、そういう心が冷たい人たちにとって、住みやすい世界になっている。
そういう人たちほど、社会のリーダーとなり、裕福な生活を送っている。

●最後に……

 最後になるが、今、私はこんなふうに考える。
近代社会は、はたして人間の心を豊かにしたか、と。
「近代社会」というのは言い過ぎかもしれない。
私が書いているのは、受験競争の弊害のひとつにすぎないのかもしれない。
さらに「競争」は不可欠というのなら、方法論の問題ということになる。
つまり子どもの教育法がおかしい。
あるいは日本人がもつ意識が、おかしい。

 どうであれ、このままではこの日本はますます狂っていく。
言うまでなくその国や社会の熟成度は、いかに弱者にやさしいかで決まる。
が、この日本は、それに逆行しているばかりか、さらに「格差」を広げつつある。
入り口で受験競争に勝ち抜いた子どもは、その後、安泰した裕福な生活を送ることが
できる。
そうでない子どもは、そうでない。

 心のつぶれた、冷たい子どもたちが、社会のリーダーとなっていく。
そんな社会を、私たちはけっして目指してはいけない。

 ……ということで、あなたも一度でよいから、自分の身の回りを見渡してみてほしい。
経済的に豊かな人も、またそうでない人も。
そして一度でよいから、こう考えてみてほしい。
「これでいいのか?」と。
たったそれだけのことだが、それが種となって、いつかやがてあなたの心にも、(人間
らしい心)が戻ってくる。
子どもの見方も変わってくる。
けっして貪欲さの奴隷になっていはいけない。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 
BW はやし浩司 心のつぶれた子 金権教 つぶれる心 冷たい心 心の冷たい子ども 
受験競争の弊害)

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

2008年の3月に書いた原稿を
添付します。
これもかなり過激な原稿です。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●「金権教」というカルト(Money is Everything.)

++++++++++++++++++++++

Most of us believe that money is everything, some consciously and some unconsciously.
But it is a kind of cult (or sect), or we would know it when we are involved in it. So I ca
ll It “Money-ism”, or “Money Cult”.

++++++++++++++++++++++

●カルト

私はカルト(狂信的な信仰)とは無縁と
思っている人でも、ちょっと、待ってほしい。
そういう人でも、無数のカルトを信仰している。

学歴信仰に始まって、親絶対教、学校神話、男尊女卑思想、
家父長意識、民族主義に国粋主義などなど。

人は、ひとつのことを信仰することによって、思考を放棄することができる。
それは同時に、たいへん甘美な世界でもある。

思考、つまり(考えること)には、いつもある種の苦痛がともなう。
難解な数学の問題を前にしたときのことを、思い浮かべてみればよい。
カルトを信仰することによって、その苦痛から、自らを解放することができる。
過去や世俗的習慣を踏襲するのも、そのひとつ。
「昔はこうだった」「みなは、こうしている」と。

●金権教

金権教について、考えてみたい。
……といっても、どんなカルトでもそうだが、
その中にいる人には、自分のおかしさがわからない。

そのおかしさを知るためには、一度、そのカルトの外に出てみなければならない。
あるいは、やめてみる。
長い間、カルト信仰をしてきたある女性(当時、45歳くらい)は、こう言った。

「退会してみて、はじめて、おかしさがわかった」と。

金権教もそうである。

●中国では

たまたま現在、隣の中国が、20年前、30年前の日本を再現している。
何もかも、マネー、マネー、一色。
少し前だが、こんな話を、何かの雑誌で読んだことがある。

あるところで、1人の少年が川に落ちて、溺れた。
少年の母親は、まわりの人に、助けを求めた。
狂乱状態だったという。
それを見ていた一人の男性が、こう言ったという。
「~~元、出せ。そしたら助けてやる」と。
金額は、忘れた。

戦後の日本も、ひどかった。
が、しかしそこまでは、ひどくなかった。
(……と信じたい。似たような話はあるが……。)
それにしても、溺れる子どもを横目に、金額交渉とは!

心もマネーに毒されると、人は、そこまで言うようになる。
そのおかしさは、日本人の私たちには、よくわかる。
しかし当の中国の人たちには、わからない。

●信者たち

こうした「金と権力がすべて」という世界を、金権教という。
かなり宗教的な色彩が濃いから、「金権教」と呼ぶ。

その金権教の信者は、少なくない。

医師、弁護士に始まって、教師、役人、職人、はては牧師に僧侶にいたるまで。
職種に、関係ない。

しかし自分が金権教の信者であることに気づいている人は、少ない。
が、それを知る方法が、ないわけではない。

(1)金銭的な利益のある仕事だけをする。利益第一主義。
(2)金銭的に損な仕事はしない。ボランティア活動をしない。
(3)貧しい人を、いつも(下)に見る。人の価値を財産で決める。
(4)損得勘定に敏感である。計算高い。
(5)とくに損をしたとき、過剰なまでに反応する。落胆する。
(6)「信じられるのは、金だけ」を、よく口にする。
(7)仕事(=金儲け)中心主義で、家族、家庭を犠牲にしても平気。
(8)周囲の人間を、平気で利用する。その分だけ、いつも孤独。

これらの項目のうち、ほぼすべてが当てはまれば、金権教の信者と考えてよい。
もちろん程度の差もあるが……。

が、その金権教も、やがていつか、行きづまる。
短期的には、事業が失敗したとき。
長期的には、加齢による事業の縮小など。
そういったとき、マネーという本尊が、(イワシの頭)だったことを、思い知らされる。

●ここが始まり

カルトがこわいのは、ここから。
それを信じている間は、カルトは、その人を側面から支える。
生きる目標になることもある。
しかしそれを疑ったとたん、その人は、その内部から崩壊する。
「自己否定」という言葉があるが、それに近い状態になる。
「私は、何だったのか」と。
それまでの人生が無意味だったことを、思い知らされる。
とたん、大混乱に陥る。

こういうケースのばあい、つぎの2つから、進むべき道を選ぶ。

(1)そのまま金権教に固執する。
(2)新たな価値観を模索する。

このどちらでもないとなると、そこで待っているのは、「破滅」。
自殺という手段を取る人もいるが、それは論外。

こういうケースがある。

●のめり込む信者

あるところに、手かざしで、病気を治すと教えている教団があった。
「手かざし」というのは、患部に手をかざして、病気を治すことをいう。
N氏夫婦は、その教団の熱心な信者だった。
で、あるとき、N氏の長男が、腹痛を訴えた。
(あとで盲腸炎だったということがわかったが……。)
N氏は、長男を病院へ連れていかなかった。
手かざしで治してみせると、がんばった。
しかし長男は、そのまま死んでしまった。
いや、最後の最後のところで、病院へ運ばれたが、そのときは手遅れだった。

こういうケースのばあい、「私たちの信仰はまちがっていました」と認めることは、
自分の子どもを、自分たちで殺してしまったことを認めることに等しい。

実際、N氏夫婦は、そのあと、ますますその信仰にのめりこんでいった。
またそれしか進むべき道がなかった。

……金権教にも、似たようなケースがある。
これは金権教で破滅した、ある男性の話である。

●K氏のケース

K氏は、昔からの資産家の二男だった。
長男の兄と2人で、事業を起こした。
建売を専門とする、建築会社だった。
高度成長期の、あの波に乗り、事業はトントン拍子で拡大した。
K氏は、有頂天になった。
毎晩、札束を切りながら、豪遊に豪遊を重ねた。

が、そのころから兄(=長男)との折りあいが悪くなった。
利益の配分をめぐっての、争いがつづいた。

そこで会社を2分することにした。
建設部門を兄が、不動産部門を二男のK氏が引き継いだ。

が、とたん、あのバブル経済がはじけた。
K氏は破産。
無一文になった。

その後、1年ほどの期間があったが、私が再びK氏の消息を聞いたときには、
K氏は、精神病院に長期入院しているということだった。
その1年間に、何があったか、それを想像するのは難しくない。
妻とは離婚。2人の娘がいたが、2人とも兄の家に引き取られていた。
人伝えに聞くところによると、「想像を絶する、家庭内騒動がつづいた」とのこと。

金権教の信者の末路(失礼!)は、あわれ。
マネーの切れ目が、人生の終わり。
そうなる。

●意識の問題

が、これは、何も特別な人たちだけの問題ではない。
先にも書いたように、「程度の差」こそあれ、みなの問題と考えてよい。
ほとんどの人が、それを信じている。
「信じている」という意識がないまま、信じている。

私自身もそうだったし、今もそうかもしれない。
いつも心のどこかで、それと戦っている。

しかし金権教は、カルト。
宗教で教えるような教義など、どこにもない。
つまりは、人間が本能的にもつ(欲望)と深く、からみあっている。
欲望そのものかもしれない。
だから余計に、タチが悪い。

しかし、これだけは言える。
マネーで幸福は買えない。
しかしマネーがないと、人は、不幸になる。
それはわかる。
が、その一方で、マネーに毒されると、人生そのものを棒に振る。
仮に金持ちのまま終わったとしても、だ。

一度、勇気を出して、自分の心の中をのぞいてみるとよい。

+++++++++++++++++

以前書いた原稿を、1作、掲載します。
日付は、06年4月になっています。
ちょうど2年前に書いた原稿ということになります。

+++++++++++++++++

【金銭的価値観】

●損の哲学

++++++++++++++++++

私の大嫌いなテレビ番組に、
「○○お宝XX鑑定団」というのがある。

私は、あれほど、人間の心をもてあそび、
そしてゆがめる番組はないと思う。

が、この日本では、その番組が、
人気番組になっている。

つまり、日本人の、そして人間の心は、
そこまで、狂っている!

+++++++++++++++++++

●失った鑑賞能力

 ものの価値を、金銭的尺度でしかみないというのは、人間にとって、たいへん悲しむべ
きことである。ものならまだしも、それが芸術的作品や、さらには人間の心にまでおよん
だら、さらに悲しむべきことである。

 テレビの人気番組の中に、「○○お宝XX鑑定団」というのがある。いろいろな人たちが、
それぞれの家庭に眠る「お宝?」なるものを持ちだし、その金銭的価値を判断するという
番組である。

 ご存知の方が多いと思うが、その「もの」は、実に多岐にわたる。芸術家による芸術作
品から、著名人の遺品まで。はては骨董品から、手紙、おもちゃまで。まさに何でもござ
れ! が、私には、苦い経験がある。

●絵画の価値

 私は子どものころから絵が好きだった。高校生になるころまで、絵を描くのが得意だっ
た。そのころまでは、賞という賞を、ひとり占めにしていた。だからというわけでもない
が、おとなになると、つまり金銭的な余裕ができると、いろいろな絵画を買い集めるよう
になった。それはある意味で、私にとっては、自然な成り行きだった。

 最初は、シャガール(フランスの画家)から始まった。つぎにビュフェ、そしてミロ、
カトラン、ピカソ……とつづいた。

 が、そのうち、自分が、絵画の価値を、金銭的な尺度でしか見ていないのに気がついた。
このリトグラフは、XX万円。サインがあるからYY万円。そして高価な絵画(リトグラ
フ)ほど、よい絵であり、価値があると思いこむようになった。

 しかしこれはとんでもないまちがいだった。

●画商

 だいたいそういった値段といったものは、間に入る画商やプロモーターの手腕によって
決まる。中身ではない。で、さらにそのうち、日本では有名でも、現地のフランスでは、
ほとんど知られていない画家もいることがわかった。つまり、日本でいう絵画の価値は、
この日本でのみ通用する、作られた価値であることを知った。

 つまり画商たちは、フランスでそこそこの絵を描く画家の絵を買い集め、それを日本で、
うまく宣伝に乗せて、高く売る。「フランスで有名な画家だ」「○○賞をとった画家だ」と
か、何とか宣伝して、高く売る。そういうことが、この世界では、当時も、そして今も、
ごく当たり前のようになされている。

 が、同時にバブル経済がはじけ、私は、大損をするハメに!

 そういううらみがある。そのうらみは、大きい。

 その絵画の価値は、その人自身の感性が決めること。しかし一度、毒気にさらされた心
というのは、そうは簡単に、もどらない。私は今でも、ふと油断をすると、絵画の価値を、
値段を見て決めてしまう。さらに反対に、内心では、「すばらしい」と思っても、その値段
が安かったりすると、その絵画から目をそらしてしまう。

 私は、こうして絵画に対する、鑑賞能力を失ってしまった。

●損をすることの重要さ 

 お金がなければ、人は、不幸になる。貧困になると、心がゆがむこともある。しかしお
金では、決して、幸福は買えない。豊かな心は、買えない。

 それにいくらがんばっても、人生には、限りがある。限界がある。終着点がある。

 そういう限界状況の中で、私たちが、いかに幸福に、かつ心豊かに生きるかということ
は、それ自体が、人生、最大の命題といってもよい。

 そのお金だが、お金というのは、損をして、はじめて、お金のもつ無価値性がわかる。
もちろん損をした直後というのは、それなりに腹立たしい気分になる。しかし損に損を重
ねていくと、やがて、お金では、幸福は買えないということを、実感として理解できるよ
うになる。ときに、その人の心を豊かにする。よい例が、ボランティア活動である。

 損か得かという判断をするなら、あのボランティア活動ほど、損なものはない。しかし
そのボランティア活動をつづけることで、自分の心の中に豊かさが生まれる。

 反対に、損をしない人たちを見ればよい。いつも金銭的価値に左右され、「お金……」「お
金……」と生きている人たちである。

 そういう人たちは、どこかギスギスしている。どこか浅い。どこかつまらない。

●お金に毒された社会

 話をもとに戻すが、では(豊かさ)と何かというと、それが今、わかりにくくなってし
まっている。とくに戦後の高度成長期に入って、それがさらにわかりにくくなってしまっ
た。

 その第一の原因は、言うまでもなく、(お金)にある。つまり人間は、とくに日本人は、
ものにおよばず、心の価値まで、金銭的尺度で判断するようになってしまった。そしてそ
の幸福感も、相対的なもので、「隣人より、よい生活をしているから幸福」「隣人より、小
さな車に乗っているから、貧乏」というような考え方を、日常的に、ごくふつうにするよ
うになってしまった。

 それはちょうど、高価な絵画を見ながら、「これはすごい絵だ」と思うのに、似ている。
反対に、安い絵画を見ながら、「これはつまらない絵だ」と思うのに、似ている。人がもつ
幸福感まで、金銭的な尺度で判断してしまう。

 そのひとつの現れが、あのテレビ番組である。もちろんそのテレビ番組に責任があるわ
けではない。が、それを支える人たち、イコール、視聴者がいるから、それは人気番組と
なる。

 が、相乗効果というのも否定できない。日本人がもつ貪欲さというものが、テレビ番組
によって、さらに相乗的に倍化するということも、ありえなことではない。つまりこうし
て日本人の心は、ますます毒されていく。

司会者「では、ハウ・マッチ?」
電光板xxxxxxx
司会者「340万円!」と。

 ああいう番組を、何ら疑問ももたないまま、毎週、見つづけていたら、その人の心はど
うなるか? それをほんの少しでも想像してみればよい。つまり、それが私が、あのテレ
ビ番組が嫌いな理由でもある。

●昔は……

 今のように、この日本で、貨幣が流通するようになったのは、江戸時代の中期ごろと言
われている。が、それは実に素朴な貨幣経済社会だったと言える。戦後のことだが、その
ときでさえも、田舎へ行くと、まだ、盆暮れ払いというのが、ごくふつうに行われていた。

 それが今のような、お金万能主義というか、絶対主義の日本になってしまった。そして
何ら恥じることなく、ああした番組が、堂々と、この日本で大手を振って歩くようになっ
てしまった。意識というのはそういうものかもしれないが、全体が毒され、自分が毒され
ると、自分がもっている意識がどのようなものであるかさえわからなくなってしまう。そ
して本来、価値のないものを価値あるものと思いこみ、価値のないものを、価値あるもの
と思いこむ。そして結局は、自分の感性のみならず、限られた人生そのものを、無駄にす
る。

 だから、とてもおかしなことだが、本当におかしなことだが、この日本では、そしてこ
の世界では、損をすることによって、人は、人間は、心豊かな人間になることができる。

 損をする人は、幸いなるかな、である。
(はやし浩司 損の哲学 ボランティア精神 はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 
幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW はやし浩司 金権教 お金万能主義
子どもと心 受験競争の弊害 受験競争 意識 はやし浩司 受験カルト はやし浩司 
家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 
Hiroshi Hayashi education essayist writer Japanese essayist 金権教 金万能主義 カル
ト)


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

休みます。

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●人間の脳みそ





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【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●人間の脳みそ

+++++++++++++++

「エンケファリン」「エンドロフィン」で、
私が書いた原稿を検索してみました。

同じく2007年に書いた原稿を
掲載します。

+++++++++++++++

●3層構造

 人間の脳みそは、大きく、外から3層に分かれている(P・D・マクリーン※)。

(1)最表層部……新ほ乳類脳(新皮質部)
(2)中層部  ……旧ほ乳類脳(大脳辺縁系)
(3)中心部  ……は虫類類脳(脊髄や中脳) 

 このうちの(1)新ほ乳類脳というのは、「感覚情報の処理、精密な運動制御、創造的活
動、遺伝的制約を超えた自由な活動」(同)を司る。

 つぎの(2)旧ほ乳類脳というのは、「喜怒哀楽と記憶、定型的なは虫類的働きを柔軟に
する」(同)を司る。

 一番中心部にある(3)は虫類脳というのは、「呼吸や生殖、闘争や支配など、個体と種
の保存に関わる機能」(同)を司る。

 P・D・マクリーンの説によれば、人間の脳みそは、(は虫類脳)の上に、(旧ほ類脳)
→(新ほ乳類脳)が重なるようにして、進化してきたということになる。

 この説は、たいへんおもしろい。この説を逆にとらえると、太古の人間(人間というよ
り、は虫類のような生物)には、喜怒哀楽の情や記憶がなかったということになる。喜怒
哀楽の情や記憶は、旧ほ乳類脳が司る。

 さらに人間は頭がよいとされるが、そのことと、私たちがいうところの(人間性)とは、
別の問題であるということになる。人間の知的活動は、新ほ乳類脳が司る。

 さらに私たちが「本能的」と呼んでいる活動のほとんどは、人間の脳みその中心部にあ
る、は虫類脳が司っていることがわかる。考えてみれば、これは当然である。あらゆる生
物は、その起源において、個体と種の保存を最優先にした。もしそうでなければ、その生
物は一代で、絶滅していたということになる。

 P・D・マクリーンは、そのは虫類脳の機能に、「闘争や支配」を加えた。言いかえると、闘争心や支配心の強い人は、それだけ原始的な人ということになる(?)。

 そこで最近、にわかに注目され始めたのが、(2)の旧ほ乳類脳と呼ばれる「大脳辺縁系」。
たとえば喜怒哀楽の情は扁桃核(扁桃体)、記憶は海馬、やる気などは帯状回が司るという
ところまで、最近の研究でわかってきた。

 たとえば何かよいことをすると、大脳の新皮質部から信号が送られ、扁桃核は、その内
部で、エンドロフィンやエンケファリンなどのモルヒネ様の物質を分泌する。これが脳内
に放出され、脳を心地よい陶酔感を生む。これが「善なる感情」の基本になる。

 が、ここでひとつの問題が起きる。「心地よい陶酔感」イコール、「善」ではないという
こと。

 たとえば1人の銀行強盗がいたとする。その強盗が、数千万円もの大金を、手に入れた
とする。

 そうした情報も扁桃核に送られ、そこで心地よい陶酔感を生むということも考えられる。
強盗に問題があるとするなら、馬券を当てた人でもよい。その心地よい陶酔感は、たとえ
ばサッカー選手が、みごとなゴールを決めたときと同じと考えてよい。つまり「心地よい
陶酔感」イコール、「善」ということにはならない。

 さらにP・D・マクリーンの説によれば、(頭のよさ)と(人間的な感情)、さらに(動
物的な本能)とは、別物ということになる。

 このことも、現実に起きていることを例にあげると、「なるほど」と合点がいく。たとえ
ば少し前、テレビで経済解説をするようなどこかの教授が、手鏡で、女性のスカートの中
をのぞいて逮捕されるという事件があった。

 その教授のばあい、新ほ乳脳の発達もすぐれていたが、同時に、は虫類脳の働きも活発だったということになる。

 さらに……。どちらがどちらを支配しているかという問題もある。

 P・D・マクリーンの説に従えば、(は虫類脳)→(旧ほ乳脳)→(新ほ乳脳)の順に、
は虫類脳は旧ほ乳脳を支配し、旧ほ乳脳は新ほ乳脳を支配しているということになる。こ
れも臨床的に(?)考えると、納得がいく。

 たとえば性欲(=は虫類脳)にしても、理性(=新ほ乳脳)で支配するのは、不可能と
考えてよい。ある程度のコントロールはできるかもしれないが、それには限界がある。言
いかえると、生殖、つまり個体と種の保存にかかわる本能は、それほどまでに強力である
ということ。

 だから教師によるハレンチ事件にしても、あとを絶たない。

 しかし「不可能」と言い切ってこのエッセーを結んだのでは、エッセーとしての意味を
失う。そこで私なりにどうすればよいかということを考えてみる。方法がないわけではな
い。

 ひとつは、生殖、ならびに個体と種の保存についての本能は、そのまま自然な形で、表
に出していくという方法。食事をするとき、それを隠す人はいない。それに罪悪感を覚え
る人もいない。生殖も同じように考えていく。深い意味を、考えない。もっと言えば、生
殖イコール、排泄と考えていく。

 もうひとつは、自分の中の(本能)に気づく。そのメカニズムがわかれば、それを自分
でコントロールすることができるようになる。メカニズムがわからないから、本能に振り
回される。

 は虫類脳は頭の中にあるわけだから、それを消すことはできない。できないというより、
このは虫類脳があるからこそ、人間の世界では、さまざまなドラマが生まれる。そのドラ
マが、人間の世界を楽しいものにする。

 前にも書いたが、あの映画『タイタニック』にしても、ジャックとローズがいなければ、
ただの船の沈没映画で終わってしまっていただろう。

 さいごに、こういうことも言える。人間を、どの部分の脳みその働きが強いかによって、
大きく3つのタイプに分類することができるのでは……?

(1)新ほ乳脳型人間
(2)旧ほ乳脳型人間
(3)は虫類脳人間、と。

 どのタイプがどうかということについては、今さら、ここに書くまでもない。大切なこ
とは、この3つの脳が、それぞれバランスを保ちながら、ほどよく協調しあうということ。
またそういう人を、より人間的な人という。

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 
新ほ乳脳 新哺乳脳 旧哺乳脳 爬虫類脳 P・D・マクリーン 大脳新皮質部 辺縁系
 脳幹 脊髄 中脳)

※P・D・マクリーン……アメリカの脳生理学者(「発達心理学」、ナツメ社)


Hiroshi Hayashi++++++++Sep 07++++++++++はやし浩司

●知識と思考

+++++++++++

知識と思考は、まったく
異質のものである。

そのことは、一匹の
ハチを見ればわかる。

ハチにはハチの知識がある。
特異ですぐれた知識である。

がそれがあるからといって、
ハチに思考力があるという
ことにはならない。

+++++++++++

 知識は、記憶の量によって決まる。その記憶は、大脳生理学の分野では、長期記憶と短
期記憶、さらにそのタイプによって、認知記憶と手続記憶に分類される。

認知記憶というのは、過去に見た景色や本の内容を記憶することをいい、手続記憶という
のは、ピアノをうまく弾くなどの、いわゆる体が覚えた記憶をいう。条件反射もこれに含まれる。

で、それぞれの記憶は、脳の中でも、それぞれの部分が分担している。たとえば長期記憶
は大脳連合野(連合野といっても、たいへん広い)、短期記憶は海馬、さらに手続記憶は
「体の運動」として小脳を中心とした神経回路で形成される(以上、「脳のしくみ」(日本
実業出版社)参考、新井康允氏)。

 でそれぞれの記憶が有機的につながり、それが知識となる。もっとも記憶された情報だ
けでは、価値がない。その情報をいかに臨機応変に、かつ必要に応じて取り出すかが問題
によって、その価値が決まる。

たとえばAさんが、あなたにボールを投げつけたとする。そのときAさんがAさんである
と認識するのは、側頭連合野。ボールを認識するのも、側頭連合野。しかしボールが近づ
いてくるのを判断するのは、頭頂葉連合野ということになる。

これらが瞬時に相互に機能しあって、「Aさんがボールを投げた。このままでは顔に当た
る。
あぶないから手で受け止めろ」ということになって、人は手でそれを受け止める。しかし
この段階で、手で受け止めることができない人は、危険を感じ、体をよける。

この危険を察知するのは、前頭葉と大脳辺縁系。体を条件反射的に動かすのは、小脳とい
うことになる。人は行動をしながら、そのつど、「Aさん」「ボール」「危険」などという記
憶を呼び起こしながら、それを脳の中で有機的に結びつける。

 こうしたメカニズムは、比較的わかりやすい。しかし問題は、「思考」である。一般論と
して、思考は大脳連合野でなされるというが、脳の中でも連合野は大部分を占める。

で、最近の研究では、その連合野の中でも、「新・新皮質部」で思考がなされるということ
がわかってきた(伊藤正男氏)。伊藤氏の「思考システム」によれば、大脳新皮質部の「新・
新皮質」というところで思考がなされるが、それには、帯状回(動機づけ)、海馬(記憶)、
扁桃体(価値判断)なども総合的に作用するという。

 少し回りくどい言い方になったが、要するに大脳生理学の分野でも、「知識」と「思考」
は別のものであるということ。まったく別とはいえないが、少なくとも、知識の量が多い
から思考能力が高いとか、反対に思考能力が高いから、知識の量が多いということにはな
らない。

もっと言えば、たとえば一人の園児が掛け算の九九をペラペラと言ったとしても、算数が
できる子どもということにはならないということ。いわんや頭がよいとか、賢い子どもと
いうことにはならない。そのことを説明したくて、あえて大脳生理学の本をここでひも解
いてみた。(2007年9月記)

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 
思考知識 思考力)


Hiroshi Hayashi+++++++July. 2010++++++はやし浩司


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●本音(被害意識と妄想性)

+++++++++++++++++++++++++++++

韓国の政府高官がこう発言した。
「(そんなに北朝鮮がいいのなら)、以北(北朝鮮)に行って暮らせ」と。
「政府高官」とあるが、中央N報は名前を明かしていない。
またこうした発言を、「卑劣な発言」と位置づけている。
誤解があるといけないので、記事をそのまま紹介させてもらう。

+++++++++++++以下、中央N報より++++++++++++++

政府高位当局者が「(進歩性向の)若者たちが軍部独裁と争って民主主義を支持し、独裁
政権を崩すことはほめたたえながら、北朝鮮独裁に対しては(なぜ)一言も言わないのか」
と発言した。

この高位当局者は先週、ベトナム・ハノイ出張中、北朝鮮の追加挑発可能性に対する記者
たちの質問を受け「ずっと北朝鮮に攻撃されながらも、どうか大目に見てくれと北朝鮮に
言わなければならないのか」と問い返した後、「若者らが“戦争なのか平和なのか”につい
て“ハンナラ党を取れば戦争、民主党を取れば平和”と言うようなそんな精神状態で国は
維持できない」とこのように言った。

また「(進歩性向の)若者たちが(北朝鮮が)そんなにいいなら金正日のもとへ行って“首
領”と暮らさなくてはならないわけで、民主主義の良いことはすべて享受しながら北朝鮮
を擁護するのか」と述べた。

また「国としてのメンツがあって、威信があって、品格がなければならないのに、どう
して民主主義の良いことはすべて享受しながら北朝鮮の擁護をするのか。以北に行って暮
らせ」と発言した。

+++++++++++++以上、中央N報より++++++++++++++

●天安艦事件は、韓国とアメリカのでっちあげ?

 現在の現在も、先の「天安艦爆破事件は、韓国政府とアメリカが共謀ででっちあげた
事件である」と考えている若い人が多いのには、驚かされる。
日本での話ではない。
韓国国内での話である。
さらにそういう人たちの論理によれば、「仮に北朝鮮がしたにしても、北朝鮮はそう
せざるをえない状況に追い込まれただけ」と。
つまり北朝鮮は、やむにやまれず、ああした行為に出た、と。

 仮にそうであるにしても、つまり「やむにやまれず」であったとしても、それで死んだ
60数名弱の兵士はどうなるのか。
そうした兵士の命をどう考えているのか。

●屈折した心 

 韓国の人たちの屈折した心は、私も経験している。
UNESCOの交換学生として韓国へ渡ったときのこと。
私たちは連日、韓国の学生たちの攻撃の矢面に立たされた。

 そんなある日のこと。
テグ大学の屋上で、私はひとり体を休めていた。
屋上からは、テグの町が一望できた。
が、そこへ向こうから1人の学生が私に向かって歩いてきた。
私は「こんなところでも議論か!」と身を構えた。
その学生は、ついその寸前まで、私にはげしい罵声を浴びせかけていた学生だった。
が、その学生はこう言った。

「ぼくは日本へ留学したいが、君はその方法を知らないか?」と。

 日本や日本人への嫌悪と好感、排斥とあこがれ、拒否と受諾……。
そうした屈折した心理が、その1人の学生の中だけでも渦を巻いていた。
それが今でも、つづいている?
私はこの記事を読んだとき、それを感じた。

●本音
 
 中央N報は、一方の読者に気兼ねして(?)、「卑劣な発言」という見出しを
かかげている。
あるいは中央N報は、左寄り?
たとえて言うなら、この日本で、「拉致問題は、日本政府のでっちあげ」と主張する
ようなもの。
かつての朝日新聞は、ことあるごとにそう主張していたが、それくらい私にはバカげて
見える。

 しかし本音を言えば、その政府高官どおりということになる。
被害意識も妄想性をもつと、とんでもない意見に変身する。
その政府高官は、こう述べている。

(1)「(進歩性向の)若者たちが軍部独裁と争って民主主義を支持し、独裁政権を崩すこ
とはほめたたえながら、北朝鮮独裁に対しては(なぜ)一言も言わないのか」

(2)「ずっと北朝鮮に攻撃されながらも、どうか大目に見てくれと北朝鮮に言わなければ
ならないのか」

(3)「(進歩性向の)若者たちが(北朝鮮が)そんなにいいなら金正日のもとへ行って“首
領”と暮らさなくてはならないわけで、民主主義の良いことはすべて享受しながら北朝鮮
を擁護するのか」と。
 
 その上で、「(そんなに北朝鮮がいいのなら)、以北(北朝鮮)に行って暮らせ」と。

●この日本でも……

 この日本でもときどき似たような論理に出会うときがある。
(あるいは子育ての場でも、経験するときがある。)

 私も自分の息子につぎのように言われたときには、心底、がっかりした。
私が「ぼくたちは子どものころ、毎日腹をすかせていた。戦後の混乱期で、食べるものさ
え満足になかった」と。

 息子の1人はこう言った。
「そんなのはパパらの責任だろ。戦争を勝手に起こしたのだから、自業自得」と。

 「自業自得」という言葉を使った。
が、だからといって、息子を責めているのではない。
私も若いころ、自分の父親や祖父に対して、同じように考えていた。
戦時中の苦労話を聞かされるたびに、そう思った。

 以来、そのつど、そしていつも、この問題を考えている。
「本当にそうだろうか?」と。
息子たちは息子たちで、私という父親の苦労の上で生きてきた。
「貧乏が何よりもこわかった」。
が、息子たちはみな、こう言う。
「パパは、仕事ばかりしていて、家族を大切にしてくれなかった」と。

●「卑劣な発言」

 「卑劣な発言」とまでは言い切れないのではないか?
韓国国内で自由主義貿易体制の恩恵を思う存分受けながら、一方で、その体制を自ら
否定する。
否定するだけならまだしも、自分たちに攻撃をしかけてくる北朝鮮を擁護する。

 この論理は、「家族のために」とがんばって仕事をする私に向かって、「家族を大切に
しない」と迫る息子たちの論理と、どこか似ている。
先日も長男が似たような論理をふりかざしたので、私はキレた。
「そんなにぼくのことが嫌いなら、この家を出て行けばいい」と。

 こういう発言が、果たして「卑劣な発言」ということになるのか。
つまり韓国が内発的にもつ(おかしさ)は、この1点に集約される。

 (自国の軍艦が攻撃された)→(60名近い兵士が死んだ)→(北朝鮮の魚雷に
よるものという判断を政府がくだした)。

 それについて「北朝鮮がしたという証拠はない」とか、「そこまで追い込んだ韓国政府
が悪い」とか、など。

 この点、私たちは日本政府を信用しているから、たとえば横田Mさんの遺骨が偽物と
判定されたときも、それを疑う人はだれもいなかった。
が、韓国の人たちの中には、それを疑う人がいる。
いるだけではない。
多い。
次期政権は、そうした勢力が韓国を担うかもしれない。

 つまりここに韓国のもつ本当の(恐ろしさ)がある。
もっと言えば、韓国の人たちがもつ(屈折したものの考え方)の(恐ろしさ)がある。
もしこんな論理がこの極東アジアで振り回されたら、それこそ日本はそのまま韓国と
戦争状態になる。

●終わりに……

 この先のことをここに書くのは、差し控えたい。
その政府高官は、本音を言った。
それが若者たちを怒らせている。
ここまでで、この原稿を書くのを止めておきたい。
暴論は暴論。
それはたしかなのだから……。


Hiroshi Hayashi+++++++July. 2010++++++はやし浩司

【思いつくまま】

●顔

 顔の形はその民族が生まれ育った環境によって、決まるそうだ。
たとえば寒い地方に住む民族は、長い進化の過程を経て、凹凸の少ない
顔になったという。
それによって熱の発散を少なくする。

 一方、熱帯地方に住む民族は、熱の発散を多くするため、凹凸のはげしい
顔になったという。
また鼻の形、鼻の穴にしても、寒い地方に住む民族は、鼻が長く(高く)なり、
鼻の穴も小さくなったという。
冷たい空気を長くて細い鼻の中を通すことによって、暖めるためだそうだ。
一方、熱帯地方に住む民族は、反対に鼻が短く(低く)なったという。

 さらに鼻の穴の向きにしても、寒い地方に住む民族は、下向きになり、
熱帯地方に住む民族は、上向きになったという。

 さらに肌の色。
寒い地方に住んでいるから白くなったのではなく、白い肌になり、それによって
紫外線の吸収をよくするためだったそうだ。
一方、熱帯地方に住む民族は、メラニン色素が発達し、黒くなった。
当然のことながら、寒い地方に住む民族は、毛深い。
熱帯地方に住む民族は、毛が薄い。
同じアジア人でも、漢民族は、ほとんど体毛がないことでよく知られている。
わかりやすく言えば、腕や足は、ツルツル。

 ・・・ところで私の顔は凹凸が少なく、鼻の穴が大きい。
それに鼻が低い。
鼻の穴は上を向いている。
肌色はふつう。
体毛は薄いがある。
ということは、私の先祖は、やはり南方系ということになる。
遠い昔、南方の熱帯地方からやってきた。
「そうかなあ」と思ったところで、この話はおしまい。
「顔」の話をするのは、教育の世界では、タブー。
子どもの前で、顔の話をするのは、さらにタブー。

●最近のUFO

 最近のUFOは、雲の形をしていることが多いという。
あるいは雲にまぎれて、地球へやってくるとか。
そんな話を知っていたので、今日、巨大な入道雲を見たときには、驚いた。
上部先端部が、きれいな真円形を保っていた。
「UFOかも?」とじっと見つめたが、やはりただの雲だった。
透明感があって、その向こうに薄い青空が見えた。

 UFOについては、その存在をまったく信じていない人も多い。
超常現象といって、霊(スピリット)と同列に置いている。
(とても残念なことだが……。)
しかし私は信じている。
私とワイフは、巨大なUFOを目撃している。
(私ひとりだけが見たのなら、私はずっと黙っていただろう。)
「く」の字型のUFOだった。
死ぬまでに、あの正体を知りたい。
あれは何だったのか?
 
●反面教師

 ところでそのUFO。
私とワイフは、その話を二男に何度かしたことがある。
しかし二男は、そのつど、私たちの話をまったく信じなかった。
「何かの見まちがい」とか、「UFOは存在しない」とか言った。
「言った」というよりは、吐き捨てた。

ふつうなら、(「ふつうなら」という言い方は慎重に使いたいが)、
両親が「見た」と言ったら、その息子である二男は多少なりとも、
私たちの話を信じてくれてもよさそうなもの。
しかし二男は、最後の最後まで鼻先で笑うだけで、まったく信じようとも
しなかった。

 で、そのことから私は、私たちと二男の間には、埋めがたい距離があること
を知った。
思想的、さらに哲学的なことになれば、さらに二男は私たちから一歩退いて
見ているにちがいない。
何を言っても否定的。
つまりたとえば今、私がこうしてものを書いていることについても、二男は、
まったく相手にしないだろう。
将来にわたって、私の文章を読むこともないだろう。
「聞く耳をもたない」というのは、二男のような人間をいう。

が、だからといって、それが悪いというのではない。
たとえば戦後の民主化運動の中で、婦人参政権と地位向上のために闘った
人にFという女性がいる。
実名を書けば、その名を知らない人はいない。
そのFの息子氏も、日本を代表する教育者だが、彼は母親とは正反対の
思想を展開している。
(「正反対」というのは、私の主観的な判断にすぎないが・・・。)
武士道を信奉し、英語教育不要論を主張している。
いわく「恥を教えれば、学校からいじめはなくなる」と。

 親子でも正反対の思想をもつようになることは、けっして珍しくない。
それが問題というのではない。
親はつねに教師であり、同時に反面教師である。
親は親。
息子は息子。

私の二男にしても、私たち夫婦は、その反面教師ということになる。
(とくに私は反面教師ということになる。)
親としてはさみしいところだが、約60%の中学生や高校生は、「親のように
はなりたくない」と答えている。
「親と同じように考えろ」「親の意見に合わせろ」というほうが、無理。
今は、そういう時代ではない。

●地球温暖化(Global Warming)

 地球規模の気候異変がつづいている。
岐阜県の多治見市では、連日39度前後の気温がつづいている。
それについては今朝(7月26日)も書いた。
このアジアでも中国南部の大雨、北朝鮮の大雨などが報告されている。
地球温暖化という言葉が声高に叫ばれるようになって、もう10年以上になる。
今ではそれを疑う人は、いない。
地球温暖化は、確実に、かつ急速に進んでいる。
私はしかし「温暖化」という言葉は好きではない。
子どもたちにこの言葉を使うと、子どもたちはそれをよいことのように思ってしまう。
「温暖化になるなら、いい」とか、「冬も暖かくなるならいい」とか、とんでもないことを
言い出す。

 だから私は「地球火星化」という言葉を使う。
そのほうがわかりやすいし、具体性がある。
インパクトも強い。

 そう、地球は現在、火星化しつつある。
やがてこの地球はどうなるか。
それは現在の火星を見ればわかる。
つまりああなる。

●自業自得

 が、私は地球が火星化するのは、しかたのないことだと思う。
それこそまさに自業自得。
しかし本当の問題はそのことではなく、その過程で、人間は自ら地獄を
経験するということ。
滅亡するとしても、静かには滅亡しない。
ありとあらゆる地獄を経験する。
それが人間。

 つまり生きることには常に(傲慢さ)が伴う。
生きていること自体が、傲慢と言い切ってもよい。
その傲慢さが、人間・・・というより、その惑星で栄えた知的生物を自ら滅ぼす。
火星が現在のような火星になったのは、かつてそこに住んでいた知的生物に
よるものという説すらある。
現在の私たちと同じように環境を破壊した。
その結果として、火星は、現在のような火星になった。
ただ不幸なことに、大気の層が地球より、ずっと薄かった。
そのため温暖化が、現在の地球よりはるかに早く進んでしまった。

●断念

 もっと身近な話をしよう。
今年の3月、私とワイフはオーストラリアへ行くつもりだった。
が、いろいろあって、断念。
それについて、オーストラリアの友人から、こんなメールが届いた。
「君が来るのを待っていたら、日本とオーストラリアに、橋が先にできて
しまう」と。

 申し訳ない気持ちになった。
しかし今の私には、2~3週間の休暇など、夢のまた夢。
忙しいからではない。
体質的にできない。
それについて友人に、つぎのような返事を書いた。

Dear Bob,

Thank you very much for your mail and I feel really sorry that
I have disappointed you since I broke the promise to visit you this
March.
I, however, think I’d better write a little bit about myself.

I don’t think that you may understand me if I write like this;

I was born in 1947 just after the war.
It is very hard, I suppose, for you to imagine how it was like in Japan, in those days.
In a word we were very poor and most of the families had no time and money to look
after their children enough.
I was one of them and moreover I had been raised up in a very poor families.
“Poor” is here, I mean that, my father and mother had no love to each other and always
argued with violence.
My father was a sick in mind since he was shot in the war in Taiwan and he had a deep
trauma.
He drank strong Sake almost every few days and broke things and hit my mother.

Then I became very nervous and I became afraid of poorness more than anything.
It may seems to be strange to you if I say I feel more nervous when I am not working.
But this is true.
I work hard not because I want to get more money but to ease my mind.
So I have had worked and worked.
And I had had no holidays longer than 10 days in the past.
When I was young (abt. In thirties), I had only one day-off per month.
You may think I am sick.
I think I am sick in mind.
Then I say it is very difficult for me to have a long holiday to visit your country as you
offered.

Anyway, mate, thank you very much for your kind offer to invite me to your home.
I shall try again to make a plan to do so before you construct a long bridge between
two countries.
Thanks again!

Hiroshi

 要するに、私は貧乏性。
貧乏に対して、強迫観念をもっている。
その原因は、戦後のあの貧しい時代にある。
私は子どものころ、貧乏が何よりもこわかった。
それが大きなトラウマになった。

 だから私は社会に出ると、バカみたいに働いた。
30代のころは、休みは月に1日だけということもつづいた。
もちろんそのため、私は家族を犠牲にした。
そのつもりはなかったが、というのも私自身は、家族のためにそうしている
と信じていたので、結果的にみると、そうなっていた。
今になって息子たちは、そういう私を責める。
しかしほかに方法はなかった。
あるいは私は当時、どうすればよかったのか。
「貧乏でもいい。家族がみな楽しければ・・・」と考えて、働くのをやめればよかったの
か。

 しかし同時に私に言わせれば、今の若い人たちは、貧乏というものを知らない。
貧乏の本当の恐ろしさを知らない。
「ひもじい」という言葉の意味すら知らない。
今に見る日本の繁栄ぶりを見て、日本は戦前から、そして戦時中も戦後もそうだったと思
っている。
が、そう思うのは、まちがっている。
日本は本当に焼け野原になった。
どう焼け野原になったかは、ほんの少しだけ謙虚な気持ちで当時の記録映画などを観てみ
ればわかるはず。

 私たちが生まれ育った時代というのは、そういう時代だった。

●繁栄

 だからときどきこう思う。
こんなことがあってよいとは思わないが、もう一度日本もどん底へ叩き落とされてみれば
よい、と。
そうすれば今の若い人たちも、少しは目が覚めるのではないか。
私たちの時代がどういう時代であったかを、理解できるのではないか。
今の若い人たちは、あまりにも(傲慢)すぎる。
・・・と書くのは、書きすぎ。
それはわかっているが、一方で日本の繁栄を謳歌しながら、その繁栄の意味すら理解して
いない。
平和にしても、繁栄にしても、そこにある空気と同じように考えている。

●自業自得

 やはりまた愚痴ぽくなってしまった。
どうしてもこういう話題になると、愚痴ぽくなってしまう。
言うなれば、年寄りの愚痴。
かく言う私だって、戦争を直接経験しているわけではない。
あの戦争の犠牲者と言いながら、本当に犠牲になった人たちの上で、のうのうと
生きている。
「私にもトラウマがある」とは言っても、父が台湾で受けた貫通銃創によるものと
比べたら、何でもない。
ひょっとしたら父だって、私の兄や姉のことだけを考えて戦場で戦ったのかもしれない。
その父が、日本へ帰ってきたら、日本は焼け野原。
そういう父に向かって、「自業自得」などという残酷な言葉を、だれが使えるだろうか。

 つまりかく言う私だって、父の気持ちを本当に理解していたかどうかとなると、
疑わしい。
実のところ理解していない。
あるいは父だって、こう言いたかったのかもしれない。
「オレたちは、お前たちのために戦ったのだ!」と。
「負けたからといって、どうしてそれを無駄だったと言うのか!」と。

「戦後」だって、その父たちの犠牲の上に成り立っている。

●犠牲心

 親はだれだって、いつもある程度の犠牲心をもって、子育てをしている。
犠牲心のない人はいない。
程度の差はあるが、ない人はいない。
「無私の愛」は理想かもしれないが、そこまで自分を昇華できる親は少ない。
また期待してはいけない。

 一方で子どもが私たち親に生きがいを与えてくれるのも、事実。
子どものできがよくても、また悪くても、親はそれを心のバネとして生きる。
もし子どもがいなければ、私たち親は、こうまではがんばらなかっただろう。
子どもがいたからこそ、歯をくしばりがんばることができる。
適当なところで自分にブレーキをかけ、そこで心を休めてしまったはず。

 つまり私たちは、(犠牲心)と(生きがい)という絶妙なバランスの中で、日々の
子育てを繰り返す。
だからこういうことは言える。

「私は子育てで自分の人生を犠牲にしてしまいました」と言う人に出会うと、私は
すかさずこう思う。
「本当にそうだったのか?」と。

一方、「子育てが生きがい」と言う人に出会うと、私はすかさずこう思う。
「それはおやめなさい!」と。

 大切なことは、私たちは私たちとして、自分の人生を生きる。
子育ては生活の重要な一部かもしれないが、けっして、すべてではない。
また(すべて)にしてはいけない。

 犠牲心をもてばもつほど、子どもにとっては、それはいつか(負担)に変化する。
親がもつ(生きがい)にしても、そうだ。
それによって一方的にキズつくのは、親の側ということになる。


Hiroshi Hayashi+++++++July. 2010++++++はやし浩司

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【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●悲しい相談

+++++++++++++++++

ある雑誌に、こんな相談が載っていた。
(私のところに届いた相談ではない。念のため。)

いわく、「私には義理の兄が1人いる。
未婚で独身。
生まれつき体が弱い。
現在は、義理の父親(=夫の父親)と同居している。
その義理の父親が、先日、会ったら私にこう言った。

『私(=義理の父親)が死んだら、息子(=義理の兄)
のめんどうをみてほしい』と。

が、私だって2人の子どもの世話だけで、精一杯。
経済的余裕もない。
義理の兄の世話や、介護をする余裕など、どこにもない。
どうしたらいいか」と。

++++++++++++++++++

●「余裕がない」?

 2人の子どもが中学生というから、まだ若い母親にちがいない。
年齢は40歳くらいか?
そんな若い母親が、「どうしたらいいか?」と。

 私はその相談を読んだとき、「これが現実なのだろうな」と思った。
同時に、そのとき感じた心のさみしさを、どうすることもできなかった。
私のばあい、ものごとをどうしても、その父親の立場で考えてしまう。
書き忘れたが、父親は70歳で、大病を患い、手術。
現在療養中。
そんな父親が息子の行く末を案じて、もう1人の息子のあとの世話を、嫁に頼んだ。
父親としても、さぞかしつらかったことだろう。
こういう言葉は、追い詰められなければ、口から出てこない。
が、それに対して、その女性は、「余裕がない」と。

●私のばあい

 実のところ私のワイフも兄(=私の実兄)の介護を、いやがった。
が、それには理由がある。

兄にはおかしな性癖があって、私の目を盗んでは、ワイフの下着をいじったり、あるいは
ワイフに抱きついたりした。
ワイフが入浴しているときには、「部屋をまちがえた」と言っては、風呂場へ入ったりした。
いつしかワイフは兄におびえるようになった。

 だから兄は3か月私の家にいたが、私は兄とワイフをぜったいに2人きりにはしなかっ
た。
そういう苦労はあったが、「余裕がない」という理由は、考えたことはない。
「私たちが面倒をみるしかない」と、私もワイフも割り切っていた。

●「ハイ、さようなら!」

 それにしても……?
最近の若い母親たちは、少しおかしい?
毎週のように夫の実家に出かけていき、夫の実母(85歳くらい)から、小遣いを
もらっている母親すらいる。
(母親に小遣いをあげるのではない。年老いた母親から嫁が小遣いをもらっている!)

 つまり私たちの世代がもっている(常識)では考えられないようなことを、平気で
する。
みながみなそうではないが、しかしそういう母親がふえている。
「結婚」というものを、「家族の輪」の中で考えない。
「自分たちだけの世界」ことしか考えない。

 もちろんそこには親の姿はない。
兄弟の姿はない。
どこまでもセルフィッシュ(身勝手)。
「姿」という言葉が理解できないなら、「苦労」という言葉に置き換えてもよい。
多くの親たちは、それこそ爪に火を灯すように学費を送る。
食べるものを食べないで、学費を送る。
しかし肝心の子どもは、親の苦労など、どこ吹く風。
専門書の1冊も買わない。
買うのはマンガ本ばかり。

 その結果、就職、結婚。
そのとたん、「ハイ、さようなら!」。

●さみしい心

 私は冒頭にあげた相談を読んだとき、改めて意識の変化を感じた。
それがよいとか悪いとか言う前に、日本人の意識そのものが変わってしまった。
言うなれば「心」を見失ってしまった。
それが「どうしたらいいか」という言葉に集約されている。
つまりその母親は、義兄のめんどうをみたくない。
そのためには、どうしたらいいか、と。
それだけの内容である。

 もし私がこんな相談を受けたら、言い方も変えるだろう。
別の言い方をするだろう。
しかし私は、こう書きたい。

 「あなたの夫への愛情があるなら、あなたの義兄をその延長線上に置きなさい。
その絆(きずな)さえしっかりしていれば、あとは自然と、なるようになっていきます。
水が低いところを求めて流れていくように、時間が解決してくれます。
先のことは、クヨクヨ考えないこと。
みなが助けてくれますよ」と。

 しかしこんな回答など、その母親には、何ら役にもたたないだろう。
心はすでに乾ききっている。
湿らす力もない。
だからこそ、私はワイフにこう言った。
「何とも悲しい相談だね」と。
 

Hiroshi Hayashi+++++++July. 2010++++++はやし浩司

【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【外国から観た日本】

++++++++++++++++++

イギリスの「Quote Site」(World of Quotes)
では、世界中の格言を紹介している。
もちろんその中には日本のものもあり、105編
近くが載っている。
それらを読んでみて、「こんな格言、あったかなあ?」と
思わないものもないわけではない。
(これはたぶんに私の知識不足によるものかも
しれないが……。)

もちろん、「ああ、あれだな」と、わかるのもある。
たとえば『あばたもえくぼ』は、つぎのように訳されて
いる。

「A man in love mistakes a pimple for a dimple.」

全部は紹介しきれないので、アルファベット順に最初の部分
をいくつか紹介する。

+++++++++++++++++++++++

●日本語の格言に学ぶ、私、日本人(欧米人から見た日本人像)

A fog cannot be dispelled by a fan.
Source: (Japanese)
『霧は、うちわでは追い払えない』。

……どういう意味なのか?
元となった格言は、何なのか?
そこで英語サイト調べてみる。

「Answer Com(疑問に答えるサイト)」には、つぎのようにある。

「Short answer: fog is just a cloud that has lost altitude. Long answer: Because the
humidity has reached more than 100% and the water starts to appear as vapour. You
will also find that every outdoor……」と。
つまり「霧というのは、高いところを見えなくする雲のようなもの。
つまり湿度も100%に達すると、水も水蒸気になる。
つまり……」と。

外国人は、このばあいの「Fog(霧)」を、「湿気」と解釈しているようである。
が、そんなことなら日本人は、わざわざ格言にはしない。
あえて日本流に解釈すれば、『うわさは、うちはでは追い払えない』とか、『人の心は
うちわでは消せない』とか、そういうことになる。

日本語で「霧」というときは、「疑い」「黒いうわさ」「心のモヤモヤ」などを意味する。

さらに今風に言えば、いくら小沢さん(民主党前幹事長)が、「私は関係ありません」と
言っても、国民はだれもそう思っていない。
「小沢さん、うちわ(=権勢)でいくら払っても、霧は消えませんよ」と。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

A good husband is healthy and absent.
Source: (Japanese)
『よい夫というのは、健康で、そばにいない夫』。

この格言はどこかで聞いたことがある。
『亭主……』とか、言う。
何だったか?
『亭主健康で、留守がいい』だったか?

要するに、家事にはあれこれ口を出さない夫ほど、よい夫という意味。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

A good Jack makes a good Jill.
Source: (Japanese)
『よい夫はよい妻を作る』。

つまり妻は、夫しだい?
もちろんその逆もある。
若いときは、それがわからない。
しかし夫婦生活を何十年もつづけていると、それがわかるようになる。
夫は妻に作られ、妻は夫に作られる。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

A good sword is the one left in its scabbard.
Source: (Japanese)
『よい剣はさやに納められた剣』。

剣などというものは、できるなら使わないほうがよい。
使わないまま、しまっておいたほうがよい。
剣というのは、そういうもの。
だから『さやに納められた剣ほど、よい剣』となる。

聖書(マタイ伝)の中にも、こうある。

「剣をさやに納めなさい。剣を取る者は皆、剣で滅びる。 わたしが父にお願いできないと
でも思うのか。お願いすれば、父は十二軍団以上の天使を今すぐ送ってくださるであろう。
しかしそれでは、必ずこうなると書かれている聖書の言葉がどうして実現されよう。」(マタ
イ26:52~54)

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

A man in love mistakes a pimple for a dimple.
Source: (Japanese)
『あばたもえくぼ』。

これについては、今さら説明するまでもない。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

A mended lid to a cracked pan.
Source: (Japanese)
『割れたなべに、修理された蓋(ふた)』。

『割れ鍋に綴じ蓋』のことか?
「江戸のいろはカルタのひとつ」(語源由来辞典サイト)とある。
つまり夫婦というのは、長年いっしょに暮らしていると、たがいに似てくるという意味。
あるいはたがいに補完しあうという意味か?

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

ほかにもいろいろあるが、ここでは紹介だけにとどめておく。
ただひとつだけ気になるのは、いちばん末尾にある、「Knowledge without wisdom is a load
of books on the back of an ass.」 という格言。
直訳すると『知恵のない知識は、ケツの穴に積まれた本』となる。

元の日本語は、何か?
要するに、知識というのは知恵(知性、智慧)によって使われてはじめて意味をもつ。
「もの知り」と「賢い人」は、基本的な部分で、一線を画す。
これを読んだとき、「日本人もよくわかっているではないか」と、半分感心し、半分、
うれしくなった。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司(以下、格言をそのまま。)

A pig used to dirt turns its nose up at rice.
Source: (Japanese)
『ほこりに慣れたブタは、鼻を米に向ける』

A round egg can be made square according to how you cut it; words would be harsh
according to how you speak them.
Source: (Japanese)
『丸い卵も切り方によって四角くなる。言葉も話かたによって、きつくなる』

A single arrow is easily broken, but not ten in a bundle.
Source: (Japanese)
『1本の矢は折れやすい。10本束ねれば、折れにくい』

Adversity is the foundation of virtue.
Source: (Japanese)
『難儀は美徳の源泉』

Afraid of his own shadow.
Source: (Japanese)
『自分の影を恐れる』

After victory, tighten your helmet chord.
Source: (Japanese)
『勝って兜の緒を締めろ』

All married women are not wives.
Source: (Japanese)
『結婚しているからといって、その女性が妻とはかぎらない』

An excess of courtesy is discourtesy.
Source: (Japanese)
『過ぎたる親切は、かえって失礼』

An eye for an eye, and a tooth for a tooth.
Source: (Japanese)
『目には目を、歯には歯を』

Bad and good are intertwined like rope.
Source: (Japanese)
『よいも悪いも、縄のように編み合わさっているもの』

Beat your wife on the wedding day, and your married life will be happy.
Source: (Japanese)
『結婚式に、妻を叩け。そうすればあなたの結婚生活は幸福なものになるだろう』

Better go without medicine than call in an unskilled physician.
Source: (Japanese)
『ヤブ医者を呼ぶくらいなら、薬なしですませ』

Darkness reigns at the foot of the lighthouse.
Source: (Japanese)
『灯台、元暗し』
(注:このばあいの灯台は、ローソクを灯す灯台のこと。
岬に立つ灯台ではない。)

Deceive the rich and powerful if you will, but don't insult them.
Source: (Japanese)
『したいなら金持ちで力のあるものをだませ。しかし彼らを侮辱してはいけない』

Deceiving a deceiver is no knavery.
Source: (Japanese)
『詐欺師をだますのは、詐欺ではない』

Don't stay long when the husband is not at home.
Source: (Japanese)
『夫が家にいないなら、長居はするな』

Even a sheet of paper has two sides.
Source: (Japanese)
『一枚の紙にすら、両面がある』

Even a thief takes ten years to learn his trade.
Source: (Japanese)
『こそ泥でも、修行に10年かかる』

Fall seven times, stand up eight.
Source: (Japanese)
『七転び、八起き』

Fast Ripe, Fast Rotten.
Source: (Japanese)
『早く熟して、早く腐る』

First the man takes a drink, then the drink takes a drink, then the drink takes the man.
Source: (Japanese)
『最初は(酒を)飲む。つづいて飲み続ける。そのあとは、(酒に)飲まされる』

Forgiving the unrepentant is like drawing pictures on water.
Source: (Japanese)
『後悔していない人間を許すのは、水の上に絵を描くようなもの』

Getting money is like digging with a needle. Spending it is like water soaking into the
sand.
Source: (Japanese)
『金を儲けるのは、針で穴を掘るようなもの。しかしそれを使うのは、砂にしみこんでい
く水のようなもの』

If a man be great, even his dog will wear a proud look.
Source: (Japanese)
『その人が立派なら、彼の犬もまた威厳をもつ』

If a man deceive me once, shame on him; if he deceive me twice, shame on me.
Source: (Japanese)
『もし人が私を1度だましたのなら、彼を軽蔑せよ。しかし2度だましたのなら、
自分に恥じろ』

If man has no tea in him, he is incapable of understanding truth and beauty.
Source: (Japanese)
『茶の心がないなら、彼は、真理と美のわからない人だ』

If money be not thy servant, it will be thy master.
Source: (Japanese)
『お金があなたの奴隷でないなら、それはあなたの主人だ』

If one man praises you, a thousand will repeat the praise.
Source: (Japanese)
『1人があなたをほめるなら、1000人がその賞賛を繰り返すだろう』

If the father is a frog, the son will be a frog.
Source: (Japanese)
『カエルの子は、カエル』

If you believe everything you read, better not read.
Source: (Japanese)
『読んだことを何でも信じてしまうなら、読まないほうがよい』

If you understand everything, you must be misinformed.
Source: (Japanese)
『もしあなたがすべてを理解するなら、あなたはまちがって教えられている』

If you want a thing done well, do it yourself.
Source: (Japanese)
『ものごとをうまくしてほしいと願うなら、自分でせよ』

It is a beggar's pride that he is not a thief.
Source: (Japanese)
『乞食でも、自分はこそ泥ではないというプライドをもっている』

Knowledge without wisdom is a load of books on the back of an ass.
Source: (Japanese)
『知恵のない知識は、ケツの穴に積まれた本』

●終わりに……

 こうして並べて読んでみると、その向こうに、欧米人の目を通して見た日本人の「像」
が浮びあがってくる。
たいへん興味深い。
2010/07/24


Hiroshi Hayashi+++++++July. 2010++++++はやし浩司

【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●7月26日(プリウス効果)

++++++++++++++++++

このところ暑い。
猛暑。
岐阜県の多治見市では、連日39度前後の気温がつづいている。
今日あたり、どこかで40度を超えるのでは……。
40度?
私たちが子どものころには、考えられなかった気温である。

そう言えば、昨日も、一日中救急車サイレンの音がどこかで鳴っていた。
暑くなると、老人の死亡者が急にふえる。
火葬場も、3~5日待ちになる。

で、私たちは山荘へ。
避難?
疎開?
標高150~160メートル。
たったそれだけの高度だが、ゴロンと横になり、扇風機の風をあてているるだけで、
結構、涼しい。
それに昨日は、今年はじめて、水風呂に入った。
昔は「行水」と言った。
気持ちよかった。

が、見ると背丈ほどまでに大きくなったアジサイが、葉をみな、垂らしていた。
この暑さで、枯れ始めた?
あわてて水をまく。

土手の草を刈るつもりだったが、中止。
10年ほど前だが、一度、同じことをして日射病になったことがある。
直後はげしいめまいと、吐き気。
そのときは私はすぐ頭から水をかけ、車の中に入り、冷房をガンガンとかけた。
幸いにも半時間ほどで症状は消えた。
が、油断は禁物。
この10年間で、体力もかなり弱っているはず。

で、山荘で一眠りしたあと、帰宅。
帰るころには、アジサイの葉がピンと伸びていた。
よかった!

夜は、ワイフとハヤシライスを半分ずつ食べた。

++++++++++++++++

●プリウス効果?

 おとといまで、TOYOTAのビッツ(小型車)に乗っていた。
そのおととい、車をプリウスに替えた。
とたんいくつかの変化が起きた。

 ビッツに乗っていたころは……。

 信号待ちで、少しモタモタしていると、うしろからすぐクラクションを鳴らされた。
追い越し禁止車線でも、平気で追い越された。
制限速度などというものは、ただの数字?
その速度で走っていると、車をぴったりとうしろにつけられ、よくいやがらせをされた。
夜などはライトを遠目(アップ)にされるといういやがらせも、よくあった。
おまけに横道から平気で私たちの車の前に割り込んでくる……。

 ところがプリウスに替えたとたん、それがなくなった。
信号待ちでモタモタしていても、うしろからクラクションを鳴らされることもない。
制限速度でゆっくり走っていても、みな、うしろを静かについてくる。
今のところ、横道から割り込んできた車は、ない。

●ハロー効果

 人は、相手を見かけで判断する。
心理学の世界でもすでに証明された事実だが、こういうのを「ハロー効果」という。

 以前、こんな原稿を書いた。
麻生首相が誕生するころのことだから、つまり2007年に書いた原稿ということになる。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●ハロー効果

++++++++++++

心理学の世界には、「ハロー効果」
という言葉がある。

要するに、美人、美男子は、得、
ということ。もっとはっきり言えば、
人も、外見で、その中身の価値が
判断されるということ。

外見のよい人は、聡明で、精神力も
強じんで、なおかつ性格もよいと判断
されやすい。人格者と見られることも
多い。

一方、そうでない人は、そうでない。

++++++++++++

●A首相誕生

 昔、「男は、一にマスク、二にマスク、三に親の財産」と言った、女子高校生がいた。そ
こで私が、「心はどうするの?」「心が大切だよ」と言うと、そこに居合わせた女子高校生
が、みな、こう言った。

 「マスクのいい男は、心もいいに決まっているじゃん」と。

 マスク……つまり、顔のこと。

 昨日(9月12日)、安倍首相が、突然辞任を申し出た。健康問題も含めて、いろいろあ
ったらしい。政界の内情をよく知る人は、「クーデターだ」などとも言っている。

 で、つぎの総理大臣は、あのA氏になりそうである。もしそうなら、クーデターの仕掛
け人は、A氏自身ということになる。

 心理学の世界には、「ハロー効果」という言葉がある。「ハロー」というのは、「後光」の
こと。「光背効果」と呼ぶ人もいる。つまり外見のよい人は、それだけ中身もよいと判断さ
れやすいということ。そうでない人は、そうでない。

 その第一が、マスク(顔)であり、身長であるという。それはたしかにそうで、安倍首
相(まだ首相なので……)と、A幹事長(まだ幹事長なので)を、比較してみれば、それ
がわかる。

 いかにも育ちのよさを感じさせる安倍首相。一方、いつもにがり虫をかみつぶしたよう
な顔をしているA氏。2人の人物が私たちに与える印象は、まるでちがう。

 が、これが偏見かというと、どうもそうとも言い切れないらしい。

 渋谷昌三氏の「心理学」(西東社)によれば、「美人は子どものころからまわりの人にか
わいがられ、素直な性格に育つ」とある。

 さらに「(教授に)魅力的であると評価された学生ほど、学業の成績がよいということも
わかっている」とか。また「大統領の候補者のばあい、背が高い候補者ほど有利」「背が高
い社員のほうが、1割程度、給料が高い」というデータもあるとか。

 この「ハロー効果」を、まったく無視することもできないようだ。私のワイフも、「あの
A氏が、次期総理だってエ」と、どこかがっかりしたような言い方で、そう言った。これ
はあくまでも見た感じだが、そのA氏を見ていると、「美人は子どものころからまわりの人
にかわいがられ、素直な性格に育つ」の、ちょうど反対のことが起きているのではないか
とさえ、思われる。

 マスクは、お世辞にも、よいとは言えない。背も低い。つまりそれが積み重なって、あ
の独特の「にがり虫をかみつぶしたような顔」になったのではないか。もしそうだとする
なら、性格も、かなりゆがんでいる? 実際、A氏の発言は、どこかおかしい。

 Y神社問題についても、「天皇が行けばよい」とか、あるいは、憲法改正についても、「天
皇を元首に」とか述べている。イラクのアメリカ軍を揶揄(やゆ)して、「ドンパチ」と表
現したこともある。最近でも、公の場で、「ロシア」と「ソ連」を言いまちがえている。右
寄りというよりは、極右的。

 だいじょうぶか、日本?、と書いたところで、この話は、おしまい。日本という国が、
どんどんとおかしな方向に進んでいるような気がしてならない。自衛隊のインド洋上での
燃料補給についても、民主党は、「反対」「中止」で勢いづいている。

 しかし前回の参議院議員選挙で、民主党が大勝したのは、民主党の政策に賛同したから
ではない。自民党への批判票が、民主党に回っただけにすぎない。一番、大きな問題は、
社保庁の年金問題、それに各閣僚の不適切発言。インド洋上での燃料補給は、争点にもな
っていなかった。

 それを、つまり大勝したことをよいことに、突然、奥の院から、O代表が顔を出してき
て、言いたい放題のことを言っている。言い忘れたが、A氏の印象もよくないが、O代表
の印象も、さらによくない。

 民主党が今、総力をあげてすべきことは、年金改革問題ではないのか。それもしないで
おいて、どうして今、燃料補給問題なのか。

 ハロー効果……おそらく、世界の人たちも、(無意識ではあるにせよ)、そういう効果を
感じながら、この日本を見ているにちがいない。

 だいじょうぶか、日本?、と、書いたところで、この話は、ほんとうに、おしまい。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●幸福感

 どうであるにせよ、私たちは気にしない。
ビッツであっても、プリウスであっても、私たちは私たち。
他人は他人。
他人の目は気にしない。
他人の変化など、私たちには興味はない。
つまり私たちの中身まで変わったわけではない。

 ただこういうことは言える。
昨日も音楽をかけながら、あちこちをドライブした。
そのとき覚えた満足感は、どこかで幸福感につながっている。
ゆったりとした気分。
やわらいだ雰囲気。
静かな心。
瞬間的だが、何かをやり遂げたような達成感すら覚えた。
とくにワイフのどこか得意げな様子を見たときに、それを強く感じた。

 たぶん脳内では、エンケファリン系、もしくはエンドロフィン系のホルモンが
分泌されていたのだろう。
心地よい倦怠感も覚えた。

 性能のよい新車に乗るというのは、悪いことではない。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司
 BW はやし浩司 ハロー効果 後光効果 見かけ 人は見かけで決まる 見かけ論)


Hiroshi Hayashi+++++++July. 2010++++++はやし浩司

●7月25日(プリウス・悲しい相談+日本の格言)

++++++++++++++++++++

昨日、TOYOTAのプリウスが届いた。
注文してから、3~4か月。
純白(パールホワイト)のプリウス。
ワイフは朝から、ウキウキ。
私もそれにつられて、何となく、ウキウキ。

++++++++++++++++++++

●プリウス

 私は車には、ほとんど興味がない。
あまり知らない。
……というか、まったく知らない。
しかし2年ほど前、こんな雑誌を読んだ。
「TOYOTAのプリウスvs.HONDAのインサイト」とかいうようなタイトルの
雑誌だった。
性能や価格を、ことこまかく比較していた。

 それを読み終えたとき、「次はプリウス」と心に決めた。
その雑誌でも、「プリウスの完勝!」「インサイトの完敗!」というような結論を下して
いた。

●初乗り感想

 約8年間、TOYOTAのビッツ(水色)に乗っていた。
それで不便はなかった。
が、買い換えどき。
それでプリウス。
加えてワイフの趣味は、ドライブ。

しかし今度のプリウスは、すごい!
その一言。
公称では、リッター38キロも走ることになっている。
「実際には25キロくらいですよ」と、店の若い男性は話してくれた。
25キロでも、すごい!
が、実際に走ってみると、5分間隔の瞬間燃費計算だが、それでも30キロ前後は走る。
下り坂がつづいたかなと思われる道路では、何と40キロ!

 エンジン音も静かで、まるで夢の中を走っているよう。
そんなわけで昨夜は、息子も乗せて、浜名湖を一周した。
途中で食事をしたこともあり、帰ってきたのは、午後9時ごろ。
昨日は、1日、プリウスでつぶれた。

 この8年間で、車も、すっかり様変わりした。
言い忘れたが、内装もよい。

●ナビゲーター

 車もさることながら、ナビゲーターの進歩にも、驚いた。
私としては、むしろそちらのほうに興味があった。
何といっても、それだけで超高性能のデスクトップ型パソコンが一台買える。

 最初は道路標示程度しか期待していなかった。
が、これがとんでもないまちがい。
ワンセグは常識。
DVDも観られる。
ブルーレイを使って、電話もかけられる。
もちろん目的地を入力すれば、道順まで教えてくれる。
さらに……。
30分間隔で、道路の渋滞情報まで表示してくれる。
「ヘ~エ!」と驚くこと、しきり。

 ナビゲーターと遊んでいるだけで、結構、楽しい。……楽しかった。

●ドライブ

 そんなわけで今日(25日)は、ワイフとドライブに行くことになっている。
目的地は決めない。
ワイフの体調次第。
あまり遠出はできない。
しかしそれなりのところへは、行きたい。

 それもあって、起きたとき、運動量をいつもの2倍にふやした。

(1)ルームウォーカーで、まず20分。
(2)乗馬マシンで、10分。
(3)マッサージチェアで、15分。

 1、2か月前、ルームウォーカーの上で、ジョギングをした。
ひざを高くあげて、はげしく台を叩くようにして走った。
が、それがよくなかった。

 右足の裏が、以来、歩いているときなど、時折ヒリヒリと痛むようになった。
微小骨折(?)。
5、6年前に、左足で経験している。
以来、ルームウォーカーの上では、静かに歩くようにしている。
気をつけよう!

 あとでもう一度、朝食前に、10分ほど、歩くつもり。
このところ体重がオーバー気味。

●世界の格言

 昨日、「世界の格言」についての原稿を書いた。
推敲をしないまま、BLOGにUPLOADしてしまった。
そのため、あちこち、まちがいだらけ。
先ほど読み返してみたが、どうも気分がすっきりしない。
「後味が悪い」という表現は正しくないが、それに近い。
私にとって、原稿というのは、そういうもの。

 だれに対して、というのではない。
自分に対して、後味が悪い。
電子マガジン上で発表する原稿は、いつも一度推敲したものにしている。
そんなわけで、もし読んでもらえるなら、どうか電子マガジンのほうを読んでほしい。
電子マガジンのほうでは、一度熟成させたものだけを配信するようにしている。
(「熟成」というのは、1、2日、日をおき、読みなおしてからという意味。)

 ……ということで、今朝(2010/07/25)も始まった。

(1)土手の草刈りをする。
(2)電子マガジンの発行予約を入れる。
(3)ワイフとドライブをする。

 とりあえず、これが今日の目標。

+++++++++++++++++

以下、昨日書いた原稿を直した部分。

+++++++++++++++++

【外国から観た日本】

++++++++++++++++++

イギリスの「Quote Site」(World of Quotes)
では、世界中の格言を紹介している。
もちろんその中には日本のものもあり、105編
近くが載っている。
それらを読んでみて、「こんな格言、あったかなあ?」と
思わないものもないわけではない。
(これはたぶんに私の知識不足によるものかも
しれないが……。)

もちろん、「ああ、あれだな」と、わかるのもある。
たとえば『あばたもえくぼ』は、つぎのように訳されて
いる。

「A man in love mistakes a pimple for a dimple.」

全部は紹介しきれないので、アルファベット順に最初の部分
をいくつか紹介する。

+++++++++++++++++++++++

●日本語の格言に学ぶ、私、日本人(欧米人から見た日本人像)

A fog cannot be dispelled by a fan.
Source: (Japanese)
『霧は、うちわでは追い払えない』。

……どういう意味なのか?
元となった格言は、何なのか?
そこで英語サイト調べてみる。

「Answer Com(疑問に答えるサイト)」には、つぎのようにある。

「Short answer: fog is just a cloud that has lost altitude. Long answer: Because the
humidity has reached more than 100% and the water starts to appear as vapour. You
will also find that every outdoor……」と。
つまり「霧というのは、高いところを見えなくする雲のようなもの。
つまり湿度も100%に達すると、水も水蒸気になる。
つまり……」と。

外国人は、このばあいの「Fog(霧)」を、「湿気」と解釈しているようである。
が、そんな程度のことなら日本人は、わざわざ格言にはしない。
あえて日本流に解釈すれば、『うわさは、うちはでは追い払えない』とか、『人の心は
うちわでは消せない』とか、そういうことになる。
『悪評は、うちはでは払えない』でもよい。

日本語で「霧」というときは、「疑い」「黒いうわさ」「心のモヤモヤ」などを意味する。

さらに今風に言えば、いくら小沢さん(民主党前幹事長)が、「私は関係ありません」と
言っても、国民はだれもそう思っていない。
「小沢さん、うちわ(=権勢)でいくら払っても、霧は消えませんよ」と。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

A good husband is healthy and absent.
Source: (Japanese)
『よい夫というのは、健康で、そばにいない夫』。

この格言はどこかで聞いたことがある。
『亭主……』とか、言う。
何だったか?
『亭主健康で、留守がいい』だったか?

要するに、家事にはあれこれ口を出さない夫ほど、よい夫という意味。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

A good Jack makes a good Jill.
Source: (Japanese)
『よい夫はよい妻を作る』。

つまり妻は、夫しだい?
もちろんその逆もある。
若いときは、それがわからない。
しかし夫婦生活を何十年もつづけていると、それがわかるようになる。
夫は妻に作られ、妻は夫に作られる。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

A good sword is the one left in its scabbard.
Source: (Japanese)
『よい剣はさやに納められた剣』。

剣などというものは、できるなら使わないほうがよい。
使わないまま、しまっておいたほうがよい。
剣というのは、そういうもの。
だから『さやに納められた剣ほど、よい剣』となる。

聖書(マタイ伝)の中にも、こうある。

「剣をさやに納めなさい。剣を取る者は皆、剣で滅びる。 わたしが父にお願いできないと
でも思うのか。お願いすれば、父は十二軍団以上の天使を今すぐ送ってくださるであろう。
しかしそれでは、必ずこうなると書かれている聖書の言葉がどうして実現されよう。」(マタ
イ26:52~54)


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●憎しみについて





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【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

休みます。

【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●『Hating people is like burning down your house to kill a rat ー Henry Fosdick
人を恨む(憎む)というのは、ネズミを殺すために、家を燃やすようなものだ』(H・フォ
スディック)

+++++++++++++++++++++

人を恨んではいけない。
憎んではいけない
恨めば恨むほど、心が小さくなり、そこでよどむ。
よどんで腐る。
だからこう言う。
『人を恨むというのは、ネズミを殺すために、家を燃やすようなものだ』と。

解釈の仕方はいろいろあるだろう。
しかし簡単に言えば、(ネズミ)は(恨みの念)、
(家)は、もちろん(心)をいう。
(人生)でもよい。
ネズミを追い出すために、家に火をつける人はいない。
もったいないというより、バカげている。
「人を恨む」というのは、つまりそれくらいバカげているという意味。

+++++++++++++++++++++++++

●ある女性(67歳)

 東洋医学(黄帝内経)でも、「恨みの気持ち」をきびしく戒めている(上古天真論編)。

『(健康の奥義は)、精神的にも悩みはなく、平静楽観を旨とし、自足を事とす
る』『八風(自然)の理によく順応し、世俗の習慣にみずからの趣向を無理なく適応させ、
恨み怒りの気持ちはさらにない。行動や服飾もすべて俗世間の人と異なることなく、みず
からの崇高性を表面にあらわすこともない。身体的には働きすぎず、過労に陥ることもな
く、精神的にも悩みはなく、平静楽観を旨とし、自足を事とする』と。

 恨みは、健康の大敵というわけである。
しかし恨みから逃れるのは、(あるいは晴らすのは)、容易なことではない。
妄想と重なりやすい。
「あいつのせいで、こうなった」と。

 ものの考え方も、後ろ向きになる。
ある女性(68歳)は、ことあるごとに弟氏の悪口を言いふらしていた。
口のうまい人で、悪口の言い方も、これまたうまかった。
たいていはまず自分の苦労話を並べ、そのあと弟氏が何もしてくれなかった
という話につなげる。
同情を買いながら、相手が悪いという話につなげる。
自分がしたこと、あるいは自分がしなかったことをすべて棚にあげ、ことさら自分を飾る。

 まわりの人に理由を聞くと、こう話してくれた。
「親が死んだとき、遺産の分け前をもらえなかったから」と。
が、いくら悪口を言っても、何も解決しない。
ただの腹いせ。
愚痴。
聞くほうも、疲れる。

●復讐

 恨みといえば、「四谷怪談」がある。
近くテレビでも映画が紹介されるという。
恐ろしいと言えば、あれほど恐ろしい話はない。
「四谷怪談」と聞いただけで、私は今でも背筋がぞっとする。
「四谷怪談」にまつわる思い出は多い。
子どものころ、怪談と言えば、「四谷怪談」だった。
(はかに「牡丹灯籠(ぼたんどうろう)」というのもあった。
若い人たちは知らないかもしれない。)

 「四谷怪談」のばあいは、男のエゴに振り回されたあげく、1人の女性が
毒殺される。
その女性が復讐のため、幽霊となって男を繰り返し襲う。
そのものすごさ。
執念深さ。

 子どものころ映画館に入ると、通路の脇にローソクと線香が立てられていた。
それだけで私たち子どもは、震えあがった。
そのこともあって、「恨み」イコール「復讐」というイメージが、私のばあい、
どうしても強い。
そういうイメージが焼きついてしまった。
 
 先に書いた「恨みを晴らす」というのは、「復讐して、相手をこらしめる」
という意味である。

●詐欺

 自分の人生を振り返ってみる。
こまかいことも含めると、人を恨んだことは、山のようにある。
反対に自分では気がつかなかったが、恨まれたこともたくさんあるはず。
恨んだり、恨まれたり・・・。

 しかし結論から言うと、生きていく以上、トラブルはつきもの。
恨みも生まれる。
しかし恨むなら、さっさと事務的に復讐して終わる。
「事務的に」だ。
そのために法律というものがある。
それができないなら、これまたさっさと忘れて、その問題から遠ざかる。
ぐずぐずすればするほど、その深みにはまってしまう。
身動きが取れなくなってしまう。

 こんな人がいた。

 当初、500万円くらいの私財をその不動産会社に投資した。
ついで役職を買う形で、さらに1000万円を投資した。
時は折りしも、土地バブル経済時代。
1か月で、1億円の収益をあげたこともある。
で、親から譲り受けた土地を、会社にころがしたところで、バブル経済が崩壊。
結局、元も子も失ってしまった。

 ふつうならそこで損切をした上で、会社をやめる。
が、その男性はそのあと、8年もその会社にしがみついた。
「しがみついた」というより、恨みを晴らそうとした。
土地の価格が再び暴騰するのを待った。

 で、現在はどうかというと、家も借家もすべて失い、息子氏の家に居候(いそうろう)
をしている。
今にして思うと、その男性は、(恨み)の呪縛から身をはずすことができなかった。
そういうことになる。

●心的エネルギー

 (恨み)の基底には、欲得がからんでいる。
満たされなかった欲望、中途半端に終わった欲望、裏切られた欲望など。
「四谷怪談」のお岩さんには、金銭的な欲得はなかったが、たいていは
金銭的な欲得がからんでいる。
しかし人を恨むのも、疲れる。

 私も若いころ信じていた伯父に、二束三文の荒地を、600万円という高額
で買わされたことがある。
これは事実。
そのあとも10年近くに渡って、「管理費」と称して、毎年8~10万円の
現金を支払っていた。
これも事実。
(その伯父はことあるごとに、私のほうを、「たわけ坊主(=郷里の言葉で、バカ坊主)」
と呼んでいる。)

 が、それから35年。
つまり数年前、その土地が、70万円で売れた。
値段にすれば10分の1ということになる。
が、おかげで私は自分の中に巣食っていた(恨み)と決別することができた。
それを思えば、530万円の損失など、何でもない。
・・・というほど、(恨み)というのは、精神を腐らす。
心の壁にぺったりと張りついて、いつ晴れるともなく、悶々とした気分にする。

●『人を恨むというのは、ネズミを殺すために、家を燃やすようなものだ』

 私はこの言葉を知ったとき、「そうだった!」と確信した。 
『人を恨むというのは、ネズミを殺すために、家を燃やすようなものだ』と。
心を腐らすくらいなら、損は損として早くその損とは決別する。
決別して忘れる。
忘れて、一歩前に進む。
でないと、それこそ「家に火をつける」ようなことになってしまう。
つまり人生そのものを、無駄にしてしまう。
人生も無限なら、それもよいだろう。
しかし人生には限りがある。
その人生は、お金では買えない。

 実のところ私も、この7か月間、大きな恨みを覚えていた。
理由はともあれ、先にも書いたように、人を恨むのも疲れる。
甚大なエネルギーを消耗する。
だから自ら、恨むのをやめようと努力した。
が、そうは簡単に消えない。
時折、心をふさいだ。
不愉快な気分になった。

 しかし「家に火をつけるようなもの」とはっきり言われて、自分の心に
けじめをつけることができた。
とたん心が軽くなった。
恨みが消えたわけではないが、消える方向に向かって、心がまっすぐ動き出した。
それが実感として、自分でもよくわかる。

 最後にこの言葉を書き残したHenry Fosdickという人は、どんな人なのか。
たいへん興味をもったので、調べてみた。

●Henry Fosdick

英米では、その名前を知らない人がないほど、著名な作家だった。
こんな言葉も残している。

The tragedy of war is that it uses man's best to do man's worst.
(戦争の悲劇は、人間がもつ最善のものを、最悪のために使うところにある。)

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 
BW はやし浩司 恨み 恨み論 人を恨む ネズミを追い出す 家に火をつける)


Hiroshi Hayashi++++++July 2010++++++はやし浩司

●老後の健康論

●慣れないことはするな

 老後が近づいてくると、みな、それぞれの健康法を考える。たいていはそれまでの健康
法を延長する。が、中には、新しい方法を試みる人がいる。私もそうだった。とたん私の
ばあい、足の指先を痛めた。夜中にジョギングをしたときのことだった。一方、サイクリ
ングには自信がある。今でも高校生たちと競争したりする。20代のときからつづけてい
るため、そのためにどうこうなることはない。要するに、慣れないことはするな。


●体重は平均体重x0・8

 平均体重というのは、若い人を基準にしている。老人は無視。そこで老人の平均体重は、
若い人の平均体重x0・8くらいが、よい。「0・8」という数字はあいまいなものだが、
経験的には正しい。70歳を過ぎても、スタスタと歩いている人に、太っている人はいな
い。みな、細身。見たところ、平均体重の「0・8」程度。だから「0・8」。


●腰とひざ

 老化は腰とひざから始まる。腰を痛める・・・。ひざを痛める・・・。それがそのまま
持病となって定着する。定着したまま、じわじわと健康を蝕(むしば)んでいく。そのた
めにも、自分の歩き方を一度、客観的に見てみるとよい。鏡に映してみるという方法もあ
る。私のばあいは、ビデオカメラに映してみて、歩き方のおかしさを知った。ひざを痛め
るのは、時間の問題?


●昼寝(朝寝坊)

 昼寝は健康にもよいそうだが、最近の研究によれば、ボケ防止にもなるという。ただし
長く眠るのはよくないそうだ。時間にすれば、15~30分程度とか。また私たち夫婦の
ばあい、朝は起きたいときに起きる。目覚まし時計とは無縁。ずいぶんとだらしない生活
に思う人もいるかもしれないが、結婚したときから、そういう生活をしている。


●「食べたら損ねる」を口ぐせに

 食物を前にしたら、「食べたら損ねる」を心の中で念ずる。「食べなければ損」と思った
ら、それこそ悪魔のささやき。食べすぎてよいことは、何もない。料理でも「味」が大切。
味だけ味わって、そこでやめる。とくに戦後生まれの私たちは、食べ物にこだわる。・・・
こだわりやすい。だからこそ「食べたら損ねる」を口ぐせに。


Hiroshi Hayashi+++++++July. 2010++++++はやし浩司

●釈迦が説いた自由論

++++++++++++++++

釈迦はクシナガラの郊外、シャーラ
(沙羅)樹の林の中で、最後の教え
を説いたという(仏教聖典)。

弟子たちよ、おまえたちは、おのおの、
自らを灯火(ともしび)とし、
自らをよりどころとせよ、
他を頼りとしてはいけない。

この"法"を灯火とし、よりどころと
せよ。他の教えをよりどころとしては
いけない。

++++++++++++++++

●自由

 「自由」という言葉がある。この言葉は、もともとは、「自(みずか)ラニ由(よ)ル」、
あるいは「自ラニ由ラセル」という意味である。

 つまり、(自分で考え)、(自分で行動し)、(自分で責任を取る)ことを、「自由」という。

 釈迦は、仏教聖典(仏教伝道協会発行)によれば、最後に、まさにその「自由」につい
て説いたことになる。

 ついでながら、私が知るかぎり、釈迦が、「前世」とか「来世」とか、そんなことを説い
た形跡は、どこにもない。あるとすれば、釈迦滅後、数百年を経て書かれた経典の中だけ
である。そうした経典は、ヒンズー教の影響を、モロに受けている。

 それはともかくも、釈迦は、つぎのようにつづける。

『わが身をみては、その汚れを思って、
貪(むさぼ)らず、苦しみも楽しみも、
ともに苦しみの因(もと)であると思って、
ふけらず、わが心を観(み)ては、その
中に「我」はないと思い、それらに
迷ってはならない。そうすれば、すべての
苦しみを断つことができる。
わたしがこの世を去った後も、このように
教えを守るならば、これこそわたしの
まことの弟子である』と。

●煩悩(ぼんのう)

 釈迦によれば、私たちの心というのは、基本的には、「汚れている」ということになる。
だから、その汚れた心のまま、「貪ってはならない」と。つまり貪欲になってはいけない、
と。もっとわかりやすく言えば、情欲の命ずるまま、貪欲になってはいけない、と。

 そしてそれを受けて、『苦しみも楽しみも、ともに苦しみの因であると思って、それにふ
けってはいけない』と。

 同じようなことが、東洋医学のバイブルとも言われる、(黄帝内経・素問・上古天真論篇)
の中にも書いてある。「(健康の奥義は)、精神的にも悩みはなく、平静楽観を旨とし、自足
を事とする」と。

 つまり「楽しいから」といって、享楽的に、それにふけってはいけないということ。そ
れはそのとおりで、1人の人の(楽しみ)は、どこか別のところで、別の人の(苦しみ)
の上に成り立っていることが多い。あるいは享楽的に生きれば生きるほど、その反動は、
かならず、自分自身にやってくる。

またつぎの『わが心を観(み)ては、その中に「我」はないと思い、それらに迷ってはな
らない』の部分は、フロイトのリピドー論を重ねてみると、意味がよくわかる。

 私たちを根源的な部分で動かしているのは、リピドー、つまり性的エネルギーである。
さらにつっこんで言えば、「子孫存続本能」ということになる。もちろん私たちはそれだけ
で生きているわけではないが、しかし私たちの日常的な行動すべては、どこかでその本能
と結びついている。

 それがわからなければ、ほかの動物や植物をみればよい。私たち人間も、その一部でし
かない。

●どこまでが「私」?

 釈迦は、「私たちの中には、『私』という部分は、本当はないのだ」と説いている。つま
り「私は私」と思っている部分にしても、そう思っているだけで、実際には、私ではない、
と。

 たとえば若い女性が、化粧をする。その女性は、「私は自分の意思で化粧をしている」と
思っているかもしれないが、その意思とて、作られたものにすぎない。結婚前の女性であ
れば、まさに「子孫存続」のための、その準備行動をしているにすぎない。

 実際、私の中の「私」をみつめてみると、どこからどこまでが、「私」で、どこからどこ
までが「私」でないか、それがよくわからないときがある。たとえばもうすぐ60歳とい
う、この年齢になっても、性欲は残っている。ときどきエロビデオを見たいという欲求も
わいてくる。

 しかしそう思うのは、ここでいう(私であって私でない部分)ということになる。だか
らつづく行動、たとえばエロビデオ店へ行って、見たいエロビデオを選んだり、買ったり
するのも、(私であ
って私でない部分)ということになる。

 しかしこんなことをおおっぴらに言えば、(すでにおおっぴらに言っているが)、「教育評
論家と呼ばれている男が、何を言うか!」と、非難される。だから私は、こういうことは
隠そうとする。「私は、そういうエロビデオは見ていません」というフリをする。

 「私」がかろうじてあるとすれば、その(隠そうという)部分、もしくは(フリをして
いる)部分にでしかない。

●苦しみは煩悩から

要するに、私たちが日常生活でいうところの(苦しみ)などというものは、総じてみれば、
(私であって私でない部分)から生じている。だから釈迦はこう言う。『私の中に、「我」
はないと思い、それらに迷ってはならない。そうすれば、すべての苦しみを断つことがで
きる』と。

 もう一歩先を言えば、「私は私」と思うから、そこから苦しみが生まれる。「私の財産」「私
の名誉」「私の地位」と。ならば、最初から、運命を受け入れ、それに従えばよい。へたに
「私」にこだわるから、人は苦しむ。悩む。釈迦もこう言っている。

 『……いたずらに悲しむことはやめて、
 この無常の道理に気がつき、人の世の
 真実のすがたに眼をさまさなければ
 ならない。

 変わるものを変わらせまいとするのは、
 無理な願いである。

 煩悩(ぼんのう)の賊(ぞく)は、
 常におまえたちのすきをうかがって、
 倒そうとしている。

 もしおまえたちの部屋に毒蛇が住んで
 いるのなら、その毒蛇を追い出さない
 かぎり、落ちついてその部屋で、
 眠ることはできないであろう。

 煩悩の賊は追わなければならない。
 煩悩の蛇(へび)は、出さなければ
 ならない。

 おまえたちは慎(つつし)んで、
その心を守るのがよい』(同書)

 あとは、その瞬間、瞬間を、懸命に生きること。ただひたすら懸命に生きること。それ
がどんな結果で終ろうとも、それも運命。そのときはそのときで、その運命を、静かに受
け入れれば、それでよい。

 釈迦が説いた「自由」とは、まさに「私」を求める戦いであったということになる。わ
かりやすく言えば、「私」を、「私の中の私でない部分から解放させる」。それが真の自由に
つながる、と。釈迦は、それを説いた。

++++++++++++++++

黄帝内経・素問・上古天真論篇
について書いた原稿を、添付
します。(中日新聞発表済み)

++++++++++++++++

●子育ては自然体で

 『子育ては自然体で』とは、よく言われる。しかし自然体とは、何か。それがよくわか
らない。
そこで一つのヒントだが、漢方のバイブルと言われる『黄帝内経・素問』には、こうある。
これは健康法の奥義だが、しかし子育てにもそのままあてはまる。

いわく、「八風(自然)の理によく順応し、世俗の習慣にみずからの趣向を無理なく適応さ
せ、恨み怒りの気持ちはさらにない。行動や服飾もすべて俗世間の人と異なることなく、
みずからの崇高性を表面にあらわすこともない。身体的には働きすぎず、過労に陥ること
もなく、精神的にも悩みはなく、平静楽観を旨とし、自足を事とする」(上古天真論篇)と。
難解な文章だが、これを読みかえると、こうなる。

 まず子育ては、ごくふつうであること。子育てをゆがめる三大主義に、極端主義、
スパルタ主義、完ぺき主義がある。極端主義というのは、親が「やる」と決めたら、徹底
的にさせ、「やめる」と決めたら、パッとやめさせるようなことをいう。

よくあるのは、「成績がさがったから、ゲームは禁止」などと言って、子どもの趣味を奪っ
てしまうこと。親子の間に大きなミゾをつくることになる。スパルタ主義というのは、暴
力や威圧を日常的に繰り返すことをいう。このスパルタ主義は、子どもの心を深くキズつ
ける。また完ぺき主義というのは、何でもかんでも子どもに完ぺきさを求める育て方をい
う。子どもの側からみて窮屈な家庭環境が、子どもの心をつぶす。

 次に子育ては、平静楽観を旨とする。いちいち世間の波風に合わせて動揺しない。「私は
私」「私の子どもは私の子ども」というように、心のどこかで一線を引く。

あなたの子どものできがよくても、また悪くても、そうする。が、これが難しい。親はそ
のつど、見え、メンツ、世間体。これに振り回される。そして混乱する。言いかえると、
この三つから解放されれば、子育てにまつわるほとんどの悩みは解消する。

要するに子どもへの過剰期待、過関心、過干渉は禁物。ぬか喜びも取り越し苦労もいけな
い。
「平静楽観」というのは、そういう意味だ。やりすぎてもいけない。足りなくてもいけな
い。必要なことはするが、必要以上にするのもいけない。「自足を事とする」と。実際どん
な子どもにも、自ら伸びる力は宿っている。そういう力を信じて、それを引き出す。
子育てを一言で言えば、そういうことになる。

さらに黄帝内経には、こうある。「陰陽の大原理に順応して生活すれば生存可能であり、そ
れに背馳すれば死に、順応すれば太平である」(四気調神大論篇)と。おどろおどろしい文
章だが、簡単に言えば、「自然体で子育てをすれば、子育てはうまくいくが、そうでなけれ
ば、そうでない」ということになる。

子育てもつきつめれば、健康論とどこも違わない。ともに人間が太古の昔から、その目的
として、延々と繰り返してきた営みである。不摂生をし、暴飲暴食をすれば、健康は害せ
られる。精神的に不安定な生活の中で、無理や強制をすれば、子どもの心は害せられる。
栄養過多もいけないが、栄養不足もいけない。

子どもを愛することは大切なことだが、溺愛はいけない、など。少しこじつけの感じがし
ないでもないが、健康論にからめて、教育論を考えてみた。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 
BW はやし浩司 釈迦論 釈迦の自由論 釈迦の実存主義 現実主義)


Hiroshi Hayashi+++++++July. 2010++++++はやし浩司

【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●7月22日・エアベンダー&インセプション(Inception)

+++++++++++++++++

●エアベンダー

おとといの夜、『エアーベンダー』という
映画を観てきた。
言うなればアメリカ版、『ドラゴンンボール』。
途中であくびが出るほど、つまらない映画だった。
(実際、眠りそうになった。)

おかしな屁理屈。
その連続。
かっこつけの演技。
その連続。
矛盾だらけの論理。
その連続。
CG技術はすごかったが、それだけ。
星は1つの、★。
続作があるようだが、私は観ない。

「あんな子ども(=子どもぽい論理)に世界が牛耳られたら、
それこそ世界はメチャメチャになってしまう」と、
別の心で、私はそんなことを考えた。

で、それよりも気になったのが、先週観た、
『インセプション』。
ワイフは、「もう一度、観たい」と言っている。
私もそう思っている。

●解けない謎

あの映画の中で、冒頭と最後の部分で、
ディァプリオが海(川?)の中から、はいあがってくる
シーンが出てくる。
……ということは、ディカプリオはまだ夢の世界に
いることになる。
つまり(第3の夢の世界)(第2の夢の世界)から、
(第1の夢の世界)までは戻ることができたが、
ディカプリオは、(現実世界)にはもどっていない?

(第1の夢の世界)でディカプリオたちは、
車ごと橋から落下する。
そのときディカプリオはシートベルトをしたままだった。
ほかの連中は車の中から外へ逃げたが、ディカプリオは目を
閉じていた。

あのシーンがどうも気になる。
映画の中では、それぞれの夢の世界で死ぬことによって、
その前の夢の世界に戻ることができることになっている。
(第1の夢の世界)で助かったということは、ディカプリオは
(現実世界)には戻っていないということになる。

ディカプリオは現実の世界に戻ったのか?
それとも夢の世界に残ったのか?

その謎を解く鍵が、最後のシーンに出てくるコマという
ことになる。
ディカプリオはコマを回したまま、家の外に出る……。
が、そのシーンは、残念ながら途中で切れる。

近く劇場で再公開されるということだから、もう一度、
観てくる。

+++++++++++++++++++++

●ボケ検査

 60歳以上の人は、一度、映画『インセプション』を観てみるとよい。
その理解度によって、自分のボケ度を知ることができる。

(健常者)映画の内容がスラスラと理解できる。主人公のコブ(ディカプリオ)が最後は、
どの世界にいるかが理解できる。

(ボケ度1)夢の世界から、さらに深い夢の世界に入っていく……という程度には理解で
きるが、そのつながりまでは理解できない。

(ボケ度2)何がなんだか、訳がわからない。頭の中が混乱して、映画を理解できない。最後にコブがどの世界にいるかもわからない。

●映画『インセプション』

 念のため、先週書いた原稿の一部を転載する。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

 映画『インセプション』は、つぎの段階を経て、夢の中の夢の世界、さらにはそのまた
夢の世界へと入っていく。

(1)現実の世界(飛行機747の世界)
その世界から、つぎの第1の夢の世界に入る。
これを第1夢の世界という。
壮絶なカーチェイスを繰り返す。

(2)その第1夢の世界から、つぎの第2の夢の世界に入る。
これを第2夢の世界という。
どこかのホテルで、これまた壮絶な戦闘行為を繰り返す。

(3)さらにそこでの窮地を逃れるため、ディカプリオたちは、第3の夢の世界に入る。
これを第3夢の世界という。
どこかの雪原に建つ要塞で、さらに壮絶な戦闘行為を繰り返す。

 映画『インセプション』の中では、そこまで断言していないが、私流に勝手に解釈する
と、第1夢の世界は、「前意識」の世界。
第2夢の世界は、「無意識」の世界。
第3夢の世界は、「深層無意識」の世界ということになる。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

 この中で、「前意識」「無意識」「深層無意識」という言葉を使ったが、これは私が勝手に
付け足したもの。
映画の中では、そういう言葉は出てこなかった。
ディカプリオたちが車ごと橋から落下するのは、この中でいう「第1の夢の世界」という
ことになる。

 ……となると、もうひとつ謎が出てくる。
海(川)から救い出されたディカプリオは、助けられて大きな和風の家に連れていかれる。
が、そこには、年老いた日本人のサイトー(渡辺謙)がいる。
なぜか?

 これらの夢の世界では、それぞれ(時間)の長さがちがう。
記憶によるものなので、数字は正確ではないが、こういうこと。

 (現実の世界)での1日は、(第1の夢の世界)では、1年。
(第1の夢の世界)での1日は、(第2の夢の世界)では、1年。
(第2の夢の世界)での1日は、(第3の夢の世界)では、1年。

 これによって計算すると、(現実の世界)で1日が過ぎると、(第3の夢の世界)では、
365x365x365=約5000万日=13万年が過ぎることになる。
論理的に(?)考えると、ディカプリオは(第2の夢の世界)でモタモタしている間に、
(第1の夢の世界)にいたサイトー(渡辺謙)は、すっかり老いぼれてしまったことにな
る。

 つまりコブ(ディカプリオ)も、サイトー(渡辺謙)も、(第1の夢の世界)に残った
ことになる。

 ……それとも私は、どこかで重要なシーンを見落としたのかもしれない。
サイトー(渡辺謙)に会ったとき、コブ(ディカプリオ)は死んだのか?
もしそうなら、コブ(ディカプリオ)は、(現実の世界)に戻ったことになる?

 よくわからない。
つまり私のボケ度は、(ボケ度1)に近い(ボケ度0・5)ということになる。
(ワイフは、どうやらボケ度2というところか?)

 ともかくも、映画『インセプション』は、最近観た映画の中では、『シクスセンス』『M
ATRIX』『ミラーズ』に並ぶ、おもしろい映画だった。
もう一度観て、しっかりと謎を解いてみたい!

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 
BW はやし浩司 インセプション INCEPTION 謎 謎解き)


Hiroshi Hayashi+++++++July. 2010++++++はやし浩司 

*The Independent Newspaer misuunderstands the Japanese heart
(インデペンデント紙は、日本人の心を誤解している。)

+++++++++++++++++++++

イギリスの「インデペンデント紙」は、
「犯罪者が国賓扱いを受けている」と、
日本を揶揄(やゆ)している。
しかしこれは誤解である。

+++++++++++++++++++++

●サーチナの記事より

+++++++++++++以下、サーチナの記事より++++++++++++

 1987年の大韓航空機爆破事件の実行犯、金賢姫(キム・ヒョンヒ)北朝鮮元工作員(48)
が20日未明に初来日した。今回の来日は日本政府の招聘(しょうへい)によるもので、事
件以来初の海外渡航となる。23日までの滞在中、横田めぐみさんの両親ら拉致被害者家族
と面会する。

(中略)

 このニュースは英国でも報じられている。英インディペンデント紙は「ジェット機爆破
事件の北朝鮮元工作員が日本で歓迎される」と題し、もっともありえないスパイ物語と報
じた。また、日本国籍の偽造パスポートで大韓航空機爆破を試み、一度死刑を宣告された
金元工作員は、東京の羽田空港で逮捕されなければならない。にもかかわらず、彼女の地
位は犯罪者どころか、まるで要人扱いだ、と金元工作員の待遇を疑問視している。

 英ガーディアン紙は、今回の金元工作員の訪問は、日本政府がこれまでの拉致問題に対
する怠慢からわざと注意をそらすために仕組んだパフォーマンスだと批評家が非難してい
ると報じた。金元工作員はこれまでにも被害者の家族と何度か会見しており、新しい情報
が提供されることは期待できないとみられている。

+++++++++++++以上、サーチナの記事より++++++++++++

(以下、「The Independent」紙より

Former North Korean spy who bombed jet welcomed by Japan
By David McNeill in Tokyo
Wednesday, 21 July 2010

Left, Koichi Iizuka, the son of Yaeko Taguchi, with Kim Hyon-hui in Seoul last year.
Sakie Yokota, right, with a picture of her daughter, Megumi
Bespoke Savings & Investment advicefor Expats.Qualify for Free Report.

It has all the ingredients of the most far-fetched spy story: a beautiful North Korean
woman destined to become an actress opts instead for a career in espionage. Brainwashed
to despise the North's southern neighbour, she bombs a Korean Air jet in 1987
reportedly on the direct orders of the North Korean leader Kim Jong-il, killing 115
people. When captured, she attempts to kill herself by biting into a cyanide pill
but is stopped by a guard. Her accomplice dies from the same method.

●ジェット機爆破の犯人が、日本で歓迎されている

(写真は)キムヒョンヒと一緒に写っているイイヅカ・コーイチ、メグミの両親のヨコタ
である。

キムヒョンヒは、金xxに洗脳され、直接の命令を受け、1987年航空機を爆破し、1
15人の人を殺している。
自分自身も自殺を試みている。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●イギリス人の目

 日本人は何も、「welcome」(歓迎)しているわけではない。
同情はしているが、歓迎はしていない。
キムヒョンヒ自身も、犠牲者にすぎない。
また私たち日本人がいちばん知りたいのは、拉致被害者についての情報である。
その情報を知る人物として、キムヒョンヒを日本に迎えた。
ほかに私たちは、拉致被害者の動向を知る手だてをもっていない。

 が、こうした日本の動きが、イギリス人には奇異に見えるらしい。
「どうして犯罪者を歓迎するのか?」と。

刑事訴訟法の世界にも、『罪を憎んで、人を憎まず』という格言がある。
そこまで割り切っているわけではないが、日本人の心情としては、キムヨンヒに対する
憎悪の念はゼロと断言してもよい。
むしろ日本へ来てくれたことを、感謝している。
たいへん勇気のいる決断だった。
仏教の世界には、『怨憎会苦』という言葉がある。
キムヨンヒの立場で日本へ向かうということは、そこで針のムシロに座らされることを
意味する。
苦しかっただろう。

 つまり私たちの怒りは、横田めぐみさんを拉致した、K国のトップに向かっている。
横田めぐみさんと同じレベルで、その反対側の立場にいるキムヨンヒもまた、あの狂った
独裁者の被害者にすぎない。
それがよくわかるから、キムヨンヒには怒りを覚えない。

 むしろ「日本は、あなたが思っていた国とはちがいますよ。
戦時中はともかくも、戦後の日本は変わりました」と。
それを私たちはキムヨンヒを通して、K国の人たちに伝えたい。
そういう願いがあるから、キムヨンヒを暖かく迎えている。

 以上の日本語を、一度英文に翻訳(グーグル)し、The Independentに
送付してみる。

To: the Editor of the "Independent" Newspaer

Japanese does not, "welcome" Kim Hyon-hui . We, the Japanese understand that Kim
Hyon-hui herself is aslo only a victim. Also we Japanese are most interested in the
information about abducted people. As a person who knows that information Kim
Hyon-hui was invited to Japan. Another reason why is that we have no information
sources about the abducted people by North Korea.

However, it seems to look strange to the British . "Why welcome to criminals?".
According to the criminal procedural law we say, "We hate the sin, but the people".
And we declare feelings of Hatred against her is almost zero. Or rather we feel grateful
to her that she managed to come to Japan. We are sure she needed a great decision to
come to Japan. For her Japan is the last country that she does wants to come and visit.

This means our anger heads toward the leader of North Korea, Kim Il-Jong not to her.
Yokota Megumi as well as Kim Hyon-hui are the victims of the leader.

Rather we would like to let her know that "Japan is different now from the one you knew. This is also what we would like to let North Korean people, who even now suffer from the oppression of Kim il-Jong.

Hiroshi Hayashi, a Japanese reader
Hamamatsu-city, Japan

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 
BW はやし浩司 The Independent )


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Thursday, July 29, 2010

●新・甘えの構造論byはやし浩司

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子育て最前線の育児論byはやし浩司   2010年 7月 30日
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【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

休みます。

【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●保護と依存(基本的依存関係)

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「基本的信頼関係」という言葉がある。
これに対して、「基本的不信関係」という
言葉がある。
「基底不安」という言葉もある。
しかし「基本的依存関係」という言葉はない。
この言葉は、私が考えた。

+++++++++++++++++++++

●基本的依存関係

 一度、両者の間で、(保護)(依存)の関係ができると、それを是正する
のは、容易なことではない。
そのままの状態で、一生つづくことも、珍しくない。
保護する側は、常に保護する。
依存する側は、常に依存する。
母子の間では、とくにそうである。
それが基本となって、あらゆる人間関係に影響する。
だから「基本的依存関係」。

 そこで父親の役目。
父親は、母子の間に割って入り、保護と依存の関係を是正する。
イギリスでは、『子どもを産んで育てるのは母親の役目だが、狩の仕方を
教えるのは、父親の役目』と教える。
子どもを自立させ、たくましくするのは、父親の役目というわけである。

●母親の問題

 が、依存性の強い子どこというのは、いる。
その年齢にふさわしい核(コア)形成が遅れ、何かにつけ依存的で、
たくましさがない。
柔和で穏やか。
やさしくて、ひ弱。

 そういう子どもを見て、母親は、「どうすれば・・・?」と言う。
しかしそれは子どもの問題というよりは、家庭の問題。
家庭の問題と言うよりは、育児姿勢の問題。
なかんずく母親の問題。

 依存性の強い子どもは、たいてい依存性の強い母親のもとで育っている。
母親自身が自立できていない。
このため子どもの依存性に気づかない。
気づかないまま、子どもを、甘い環境で包んでしまう。
自分が甘いことにすら、気づかない。
その結果として、子どもは、依存性の強い子どもになる。

 してもらうのが、当然、と。

●D君のケース

 印象に残っている子どもに、D君(年長児)という子どもがいた。
そのD君、自分からは、何もしようとしない。
「鉛筆を出してね」と声をかけても、母親のほうを、じっと見ているだけ。
「プリントをしまって、帰るしたくをしようね」と声をかけても、
ただボーッと立っているだけ。

 で、そういうときは、その子どもが行動に移るまで、待つ。
根気よく待つ。
何度も同じことを繰り返して言う。
が、D君はそのうち、メソメソと泣き出してしまった。
たぶん家では、そうすれば、みなが飛んできて、D君のめんどうをみるの
だろう。
が、私は無視した。
が、これが参観していた母親を怒らせた。
突然、こう言って叫んだ。

「どうしてうちの子を泣かすのですか!」と。

●保護と依存

 子どもの世界だけではない。
おとなの世界でも、一度、(保護)と(依存)の関係ができると、それが
ひとつの人間関係として、固定化してしまう。
してもらうほうは、常にしてもらうことを、当然と考える。
してやるほうは、常にしてやることを、当然と考える。
が、それだけではない。

 依存性が強くなると、依存していることすら、忘れてしまう。
忘れた上で、今度は、それを請求してくるようになる。
「どうして助けてくれないのか?」と。

●意識の問題

 私も息子たちの関係において、それを経験している。
たとえば息子たちにかぎらず、今の若い人たちに、戦後の苦労話を
しても、意味はない。
たとえば私は、子どものころ、「貧乏」がこわかった。
貧乏の恐ろしさを、身をもって体験している。
近所でも、夜逃げした人は多い。
だから私は、社会へ出ると、懸命に働いた。
息子たちにだけは、貧乏を経験させたくなかった。
が、それについて、息子たちはこう言う。
「パパは、仕事ばかりしていて、ぼくたちのことを構ってくれなかった」と。

●自業自得?

 それだけではない。
20代、30代のころ、私には休日がなかった。
月に1日だけという月が、ずっとつづいた。
私は私なりに、がんばった。
しかしその(がんばった)という部分が、今の若い人たちには、理解できない。
・・・理解してもらえない。

 いつだったか、私が戦後の日本はそうだったと話したことがある。
それについて、息子の1人は、こう反論した。

「そんなのは、戦争を起こしたパパたちの責任だろ。自業自得」と。
そうかもしれない。
そうでないかもしれない。

さらに言えば、今に見る飽食の時代にしても、日本は明治の昔から
そうだったと思い込んでいる。
で、息子たちに、「ぼくたちは、食べていくだけで精一杯だった」
と言っても、息子たちには、それが理解できない。

 保護と依存の問題は、意識の問題。
その意識そのものがズレると、こういう現象が起きる。

●裏目

 今、私たちがしてきた子育てが、裏目、裏目に出始めている。
たとえば私たちは、いつも腹をすかせていた。
よく覚えているのは、学校の給食が、ごちそうだったこと。
毎日、家では見たことがないような料理が並んだ。
クリームシチューにしても、スパゲッティにしても、さらにはハンバーグにしても、
珍しかった。
(牛肉のステーキなどというものは、めったに食べられなかったぞ!)

 だから息子たちとレストランへ入り、みなでステーキを食べるたびに、
こう思った。
「よかった」と。
が、そんな思いは、子どもたちには通じない。
通じないばかりか、それを口にしたとたん、「パパは昔の話ばかりする」と、
はねのけられてしまう。
私がどんな言い方をしても、息子たちには、グチに聞こえるらしい。
あるいは「恩着せ?」。

●がむしゃらに生きてきた
 
 しかしその一方で、バカらしさを覚えるのも、これまた如何(いかん)とも
しがたい。
「私たちは、何を求めて、何のためにがんばってきたのか」と。
知人の中には、会社人間として、会社のために家族を犠牲にした人も多い。
かつてそれを知ったオーストラリアの友人は、こう言った。
「家族をバラバラにされて、何が仕事か?」と。
彼は、単身赴任を批判して、そう言った。
私がオーストラリアへ渡った、40年前のことである。

 もっともその結果として、今の日本がある。
一時は、世界第二の経済大国として、世界に君臨した。
が、基本的依存関係というのは、恐ろしい。
依存する側は、それを「当たり前」という前提で、考える。
失うことの恐ろしさを知らない。
失ったあとの、貧しい世界を知らない。
そればかりか、今度は反対に、老人たちを、じゃま扱いするように
なってきている。
 
 私たちは、今のような日本をつくるためにがんばってきたのか?
・・・というのは、言いすぎ。
本当のところ、私たちは、ただひたすら、がむしゃらに生きてきただけ。
今の中国や韓国の人たちのように、がむしゃらに生きてきただけ。
今の日本は、あくまでもその結果でしかない。

●頭をさげさせる

 総じて言えば、日本人は、保護と依存の関係に、甘い。
親をさして、「保護者」と呼ぶところにも、それが表れている。
が、それを是正する時期は、近い。

 たまたまおとといも、ある幼稚園で講演をさせてもらった。
その席でも、私はこう言った。

「子どもに、勉強しろと言ってはいけませんよ。
言えば、その責任を取らされますよ」と。

 今、親に感謝しながら高校へ通っている子どもは、皆無。
大学生でも、いない。
「行くのが当然」「親が学費を出すのは当然」と考えている。
「責任を取らされる」というのは、そういうことを言う。
だから講演では、つづけてこう言った。

 「1度は、子どもに頭をさげさせること。
2度でも、3度でもいい。
『お父さん、お母さん、勉強したいから、大学へ行かせてください』と」と。
それがなかったら、学費は、自分自身の老後のために蓄えておいたほうがよい。

●ありがた迷惑

 こうした基本的依存関係は、代々、親から子へと伝えられる。
そして親は、子どもが生まれたときから、基本的依存関係を作ってしまう。
子どもが望みもしないうちから、「そら、ピアノ教室」「そら、水泳教室」と。
親によっては、子どもに楽をさせること。
楽しい思いをさせること。
それを親の務めと考えている。

 そうそうこんな会話を、数日前、電車の中で聞いた。
ある若い母親が、別の若い母親にこう言っていった。

「あのね、うちの親ったらね、毎週のように、いろいろなものを
送ってくれるのよ。
実家が寿司屋でしょ。
だから高級魚ばかり。
そのせいで、うちの子ったら、安い魚は食べないのよ」と。

 どこか、ありがた迷惑といった感じだった。
私はそれを横で聞きながら、自分の心を支えていたつっかい棒が、
ガクリとはずれるのを感じた。
実は私も、孫たちに対して、同じことをしている。

●では、どうするか?

 私たちは私たちで、生きる。
甘い幻想や期待は、もたない。
若い世代が、「自業自得」という言葉を使うなら、この先、日本が衰退
しても、それもまた自業自得。
今の日本は、私たちの世代が作った。
同じようにこれからの未来は、今の若い世代が作っていく。

 ・・・と考えるのは、あまりにもさみしい。
そこで私は、私たちの世代に向かって、こう提言したい。

もっと若い人たちの世界に、切り込んでいこうではないか、と。
もっと存在感をアピールしていこうではないか、と。
体力や気力を使う分野では勝ち目はない。
しかしそれ以外の分野なら、まだまだ負けない。
つまりは自立した老人として、若い人たちに向かって、果敢なく
挑戦していく。

 そう、今こそ、私たちは、保護・依存の関係をぶち壊し、自立した
老人として、前に向かって進む。
堂々と、独居老人になってやろうではないか。
堂々と、孤独死を、なしとげてやろうではないか。
つまりそういう形で、私たちの生き様を、若い人たちに見せつけて
やろうではないか。

●基本的依存関係

 「基本的依存関係」という言葉を先に考えた。
が、書いているうちに、老人論になってしまった。
読んでくれた人には、申し訳ない。
つまりは、土居健郎の「甘えの構造」の焼き直し版というところか。

 つまり私が書きたいのは、日本人というのは、総じてみれば、「依存型民族」である
ということ。
そしてその原因は、親から子へと代々とつながる、育児観にあるということ。
子どもを依存型に育てながら、依存型に育てているという意識そのものが薄い。
ここでいう「基本的依存関係」というのは、そういう言葉として、理解してもらえば、
うれしい。

 それについて書いた原稿をさがしてみる。

+++++++++++++++++

今から7年近くも前に書いた原稿である。

+++++++++++++++++

【日本人の依存性】

●孫から学んだこと(What I learnt from my G-son)

孫の誠司と接して、学んだことは多い。
たとえば、誠司は、こう言う。

(のどが渇いたとき)……「何か、飲み物をもっているか?」
(風呂に入るとき)……「足がやけどする」
(おなかがすいたとき)……「グレープフルーツを食べたい」と。

同じような場面のとき、日本の子どもなら、(だから、何とかしてくれ言葉)を使う。

たとえば、

(のどが渇いたとき)……「のどがかわいたア! (だから何とかしてくれ)」
(風呂に入るとき)……「熱い! (だから何とかしてくれ)」
(おなかがすいたとき)……「腹、減ったア! (だから何とかしてくれ)」と。

こうした日本人独特の依存性は、おとなになってからも、消えない。

私の叔母のひとりは、50代のころから、いつもこう言っていた。
電話で、話を始めるたびに、
「おばちゃん(=叔母自身)も、歳を取ったからねエ~。(だから、何とかしてくれ)」と。

何も叔母を責めているのではない。
その地方では、そういう言い方が、ごくふつうの言い方となっている。
が、ときとして、イヤミに聞こえることもある。

たとえばしばらく実家に帰っていないでいたりすると、
「浩司君の家の横に、ゴミがたまっていたぞ。(だから何とかせよ)」、
「J君(=私の実兄)が、猛スピードで、坂を、自転車で走っていたぞ。(だから何とかせ
よ)」と。

「浩司君の夢を見たから」とか何とか、おかしな理由をつけて、電話をかけてくる。

一方、私が住んでいるこの浜松では、そうした言い方は、あまりしない。
とくにワイフの家族は、しない。
みな、独立心が旺盛で、それぞれが高次元な立場で、尊敬しあっている。

そんな私でも、誠司の言葉には、そのつど、驚く。
誠司は、日本語をほとんど話せない。
日本人というよりは、アメリカ人である。

いつもYES・NOをはっきりと言う。
会話は、そこから始まる。
だから何かほしいものがあったりすると、直接、「~~がほしい」などと言う。
わずか10日間ほどのつきあいだったが、そのつど、私は、こう思った。

「こんな5歳の子どもでも、日本人とは、ちがうなア~」と。

その日本人の依存性については、たびたび書いてきた。
つぎの原稿は、5年前(03年)に書いた原稿である。

++++++++++++++

●拉致(らち)問題

 昨日の記者会見で、官房長官のF氏は、さかんにこう言っていた。「日本の立場は、アメ
リカも韓国も、よくわかっていてくれるはずです」「日本の立場は、じゅうぶん説明してあ
るので、わかってくれているはずです」と。

 まさに日本という国家そのものが、依存国家とみてよい。こういう会話は、依存性の強
い人ほど、好む。

 少し前だが、こんな子ども(小五女児)がいた。「明日の遠足を休む」と言うので、「担
任の先生に連絡したのか?」と聞くと、「先生は、わかっていてくれるはず」と。

 「どうして?」と私。
 「だって、今日、おなかが痛いと、言ったから」と、子ども。
 「しかし休むなら休むで、しっかりと先生に言ったほうがいいのでは?」
 「いいの。先生は、わかっていてくれるはずだから」と。

 日本語には、「だから、何とかしてくれ言葉」というのがある。たとえばのどがかわいて
も、「水がほしい」とは言わない。「のどがかわいたア~」と言う。子どもだけではない。
ある女性(五〇歳)は、子どもや親類に電話をかけるたびに、「私も年をとったからネー」
を口ぐせにしていた。つまり、「だから、何とか、せよ」と。

 しかし国の「長」ともあろうF氏まで、そういう言い方をするとは! 「ハズ論」で動
かないのが、国際社会。少なくともアメリカ人には、通用しない。そう言えば、五、六年
前、ときの外務大臣のK氏が、あの北朝鮮に、百数十万トンもの米を援助したことがある。
そのときも、K氏は、そう言っていた。「日本も、これだけのことをしてあげたのだから、
北朝鮮も、何か答えてくれるはず」と。

 が、結果は、ゼロ。K氏は、「これで北朝鮮が何もしてくれないなら、私は責任をとる」
とまで言い切ったが、その責任をとった形跡は、どこにもない。

 こうした依存性は、親子の間にもある。

 「これだけのことをしてあげたのだから、うちの子どもは、私に感謝しているはず」「親
子の絆(パイプ)は、太くなったはず」と。つまり日本の親たちは、まず子どもに、いい
思いをさせる。ついで親としての優越性を、子どもに見せつける。「私に従えば、いいこと
がある」「私には、これだけの力がある」と。

 つまり外堀を埋めるような形で、子どもの周辺を、少しずつ、しばりあげていく。そし
て結果として、子どもに依存心をもたせ、ついで、自分も、子どもに依存していく。

 ついでに拉致問題について。

 本来なら、日本の軍隊が突入し、被害者を救出しても、おかしくない事件である。しか
しこの日本には、おかしな平和主義がはびこっている。「ことなかれ主義」を、平和主義と
誤解している人もいる。平和主義もよいが、相手が、日本を攻めてきたときには、どうす
るのか? あるいはそんなときでも、日本は、「アメリカが何とかしてくれるはず」「世界
が黙っていないはず」とでも、主張するつもりなのだろうか。

 日本政府の考え方は、甘い。本当に、甘い。「大国」としての誇りも、自覚もない。現に
今、北朝鮮のあの金XXは、核兵器の開発をしている。もちろんターゲットは、日本。韓
国やアメリカではない。この日本。本来なら、アメリカや韓国の先に立って、この問題を
解決しなければならない。しかし「ハズ論」だけで、みなのうしろをついていく?

 しかしそれにしても、北朝鮮の小さいこと、小さいこと。小細工ばかりしている。先週
も、拉致被害者の子どもたちに、手紙まで書かせている。そんな些細なことにまで、気を
配っている。あきれるより先に、ゾッとする。

私が金XXなら、拉致被害者の子どもたちを、すぐ日本へ返す。恥ずかしいか、恥ずか
しくないかということになれば、つぎからつぎへと脱北者が出ることのほうが、よほど、
恥ずかしい。金XXよ、恥を知れ!

 で、近く、六か国協議が始まる。しかしそれを望むわけではないが、この協議は、失敗
する。理由は簡単。北朝鮮は、核査察など、絶対にさせない。そんなことをすれば、金X
Xの悪行の数々が、白日のもとにさらされてしまう。一説によると、あの金XXは、すで
に数十万人以上の人を、殺害しているという。

 つぎにアメリカにしても、(安保理決議)→(経済制裁)→(金XX体制の崩壊)という
図式を、すでに描いている。中国やロシアを参加させるのは、「やれるだけのことはやって
みなさい。どうせダメだから」ということを、証明するためのものでしかない。

 日本にしても、あの金XX体制を経済援助するということは、隣の暴力団に、資金を手
渡すようなもの。そう簡単には、できない。してはならない。

 問題は中国とロシアだが、彼らにしても、日本のマネーがほしいだけ。日本に金を出さ
せ、その金で、中国やロシアのものを買わせる。あるいは今までの借金を、返済させる。
ただこの力が強ければ、皮肉なことに、六か国協議は、成功する可能性はある。しかしそ
のときは、日本は、屋台骨を数本、抜くぐらいの覚悟はしなければならない。「東京で、核
兵器が爆発するよりは、いいだろう」と。

 さらに中国人や韓国人の、反日感情には、ものすごいものがある。仲よくなりかけると、
アホな政治家が、S国神社を参拝したり、「南京虐殺はウソ」などと言っては、相手を怒ら
せている。S国神社を参拝するのに反対しているのではない。「何も、こういう時期に、あ
えてしなくてもいい」ということだ。

 どちらにせよ、今度の六か国協議は、日本にとっては、戦後、最大の山場になる。決裂
すれば、この秋には、米朝戦争が始まるかもしれない。もしそうなれば、日本も未曾有の
大惨事に巻き込まれる。日本だけが無事ということは、絶対にありえない。

 六か国協議で日本がどのような主張をするか。また世界は、どのような反応を示すか。
拉致問題もあって、目が離せない。
(030805)

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もう1作、同じような内容の原稿です。
これは4年前(04年)に書いたものです。

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●「年だから……」という言い方

7月のはじめ、豪雨が、新潟県から福井県を襲った。

今は、その雨もやっと一息つき、各地で復旧作業が始まった。連日、その模様を、テレ
ビが、ニュースとして伝えている。

 その模様を見ていたときのこと。一つ、気になったことがあった。

 何人かの老人が出てきたが、たまたまどの老人も、こう言った。

 「私ら、年ですから……」
 「年ですからね……」
 「私も、この年ですから……」と。

 つまり老齢だから、こうした復旧作業は、きびしい、と。

 実は、無意識だったが、私も、ときどき、同じ言葉を使うようになってしまった。ワイ
フに向って、「オレも、年だからなあ」とか、息子たちに向って、「パパも、年だからな」
とか。

 つまりは、私はそう言いながら、ワイフや息子たちに、依存しようとしている。甘えよ
うとしている。自分でそう言いながら、ハッと我にかえって、「いやな言い方だ」と思って
しまう。

 もちろん復旧作業にあたっている老人たちには、きびしい作業だろう。やりなれた仕事
ならまだしも、こうした仕事は、使う筋肉もちがう。何よりもたいへんなのは、「ゴロリと
横になって、体を休める場所がない」(ある老人の言葉)ということだそうだ。

 だからそういう老人たちが、つい、「年だから……」と言いたくなる気持は、よく理解で
きる。しかし……。

 この言葉は、どこか(だから何とかしてくれ言葉)に似ている?

 よく依存性の強い子どもは、「のどがかわいたア!」「おなかがすいたア!」「退屈ウ!」
と言う。その子どもは、そう言いながら、親に向って、「だから何とかしてほしい」と言っ
ている。

 同じように、「年だから……」という言葉の裏で、こうした老人たちは、「だから、何と
かしてほしい」と言っている? 私にはそう聞こえる。

 昔、私の伯母にも、そういう人がいた。電話をかけてくるたびに、「オバチャンも、年だ
からねエ……」と。

 今から逆算してみると、そのときその伯母は、まだ、50歳になったばかり。今の私の
年齢より、若い。

 そこで私は、気がついた。人はともかくも、私は、死ぬまで、その言葉を使わないぞ、
と。自信はないが、そう心に決めた。

 このマガジンを書くときも、ときどき、似たような弱音を吐くことがある。しかし弱音
は、弱音。「もう、使わないぞ」と。

 年なんか、関係ない。体が弱くなり、頭の活動はにぶるかもしれない。しかしそれは当
然のことではないか。年のせいにしてはいけない。人間には、年はない。そんな数字にふ
りまわされて、自分をごまかしては、いけない。他人をあざむいては、いけない。

 なまけた心、たるんだ体……、それは年のせいではない。

 ……ということで、今日の教訓。私の辞書から、「年だから……」という、あのどこかず
るい、どこか甘えた言い方を、消す。

 そう言えば、私のワイフなどは、そういう言葉を使ったことがない。どうしてだろう。
あとで、その理由を聞いてみよう。

【ワイフの言葉】

 「私やね、年だなんて、思っていない」と、一言。ワイフの言うことは、いつも、単純、
明快。

 今でも、20歳の娘のようなつもりでいる。……らしい。おもしろい心理だと思う。

 「それにもう一つは、だれかに何かしてほしいとか、してもらいたいとか、そういう気
持ちにはならない。自分のことは自分で何とかしようと、いつも、それしか考えていない
から」と。

 ナルホド!

 「お前はいいダンナをもったな」と私が言うと、ワイフはヘラヘラと笑った。

 「そうじゃないか。オレが、苦労を全部、引き受けているからな」と私。

 ああ、これも依存性の変形か? ともかくも、私は、「年だから……」という言葉を使わ
ないことを、心に決めた。自信はないが……。

【追記】

 山荘の近くに、Kさんという男性がいる。いわゆる老人である。老人と書くのは、失礼
な言い方だが、年齢からすれば、老人ということになる。そのKさん。今年は、78歳に
なるが、今でも、現役で、山の中で仕事をしている。

 畑もあちこちにもっている。会うたびに、ヒョイヒョイと、体を動かして、農作業をし
ている。

 一方、50歳になったばかりというのに、太った体をもてあまし、ハーハーと、息も苦
しそうに歩いている人もいる。Sさんという男性である。聞くと、毎日、1、2本のビー
ルを飲み、ヒマさえあれば、ソファの上で、ゴロ寝をしているという。

 趣味は、テレビでプロ野球をみることだそうだ。

 この二人を頭の中で、単純に比較しても、やはり人間には、年はないということ。たし
かにKさんは、この10年の間に、かなりの畑を減らした。ミカン栽培もやめた。しかし
いつも、できる範囲で、仕事をしているといった感じ。決して、「年だから……」という弱
音を吐かない。

 一方、Sさんは、いつも、「年には勝てないよ」とか、「オレも、年をとってしまったよ」
と言っている。どこか生きザマが、うしろ向き。しかしそういうSさんにしたのは、Sさ
ん自身ではないのか……と、考えて、この話はここまで。

 しばらくこのテーマについて、考えてみたい。
(040723)

+++++++++++++++++++++

こうした日本人の依存性を鋭く追及したのが、
土居健郎「甘えの構造」である。

5年前(03年)に、こんな原稿を書いた。

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●依存心

 依存心の強い子どもは、独特の話し方をする。おなかがすいても、「○○を食べたい」と
は言わない。「おなかが、すいたア~」と言う。言外に、(だから何とかしろ)と、相手に
要求する。

 おとなでも、依存心の強い人はいくらでもいる。ある女性(67歳)は、だれかに電話
をするたびに、「私も、年をとったからネエ~」を口グセにしている。このばあいも、言外
に、(だから何とかしろ)と、相手に要求していることになる。

 依存性の強い人は、いつも心のどこかで、だれかに何かをしてもらうのを、待っている。
そういう生きざまが、すべての面に渡っているので、独特の考え方をするようになる。つ
い先日も、ある女性(60歳)と、北朝鮮について話しあったが、その女性は、こう言っ
た。「そのときになったら、アメリカが何とかしてくれますよ」と。

 自立した人間どうしが、助けあうのは、「助けあい」という。しかし依存心の強い人間ど
うしが、助けあうのは、「助けあい」とは言わない。「なぐさめあい」という。

一見、なごやかな世界に見えるかもしれないが、おたがいに心の弱さを、なぐさめあっ
ているだけ。

総じて言えば、日本人がもつ、独特の「邑(むら)意識」や「邑社会」というのは、そ
の依存性が結集したものとみてよい。「長いものには巻かれろ」「みんなで渡ればこわく
ない」「ほかの人と違ったことをしていると嫌われる」「世間体が悪い」「世間が笑う」な
ど。こうした世界では、好んで使われる言葉である。

 こうした依存性の強い人を見分けるのは、それほどむずかしいことではない。

●してもらうのが、当然……「してもらうのが当然」「助けてもらうのが当然」と考える。
あるいは相手を、そういう方向に誘導していく。よい人ぶったり、それを演じたり、あ
るいは同情を買ったりする。「~~してあげたから、~~してくれるハズ」「~~してあ
げたから、感謝しているハズ」と、「ハズ論」で行動することが多い。

●自分では何もしない……自分から、積極的に何かをしていくというよりは、相手が何か
をしてくれるのを、待つ。あるいは自分にとって、居心地のよい世界を好んで求める。
それ以外の世界には、同化できない。人間関係も、敵をつくらないことだけを考える。
ものごとを、ナーナーですまそうとする。

●子育てに反映される……依存性の強い人は、子どもが自分に対して依存性をもつことに、
どうしても甘くなる。そして依存性が強く、ベタベタと親に甘える子どもを、かわいい
子イコール、できのよい子と位置づける。

●親孝行を必要以上に美化する……このタイプの人は、自分の依存性(あるいはマザコン
性、ファザコン性)を正当化するため、必要以上に、親孝行を美化する。親に対して犠
牲的であればあるほど、美徳と考える。しかし脳のCPUがズレているため、自分でそ
れに気づくことは、まずない。だれかが親の批判でもしようものなら、猛烈にそれに反
発したりする。

依存性の強い社会は、ある意味で、温もりのある居心地のよい世界かもしれない。しか
し今、日本人に一番欠けている部分は何かと言われれば、「個の確立」。個人が個人とし
て確立していない。

あるいは個性的な生き方をすることを、許さない。いまだに戦前、あるいは封建時代の
全体主義的な要素を、あちこちで引きずっている。そしてこうした国民性が、外の世界
からみて、日本や日本人を、実にわかりにくいものにしている。つまりいつまでたって
も、日本人が国際人の仲間に入れない本当の理由は、ここにある。
(03-1-2)

●人情は依存性を歓迎し、義理は人々を依存的な関係に縛る。義理人情が支配的なモラル
である日本の社会は、かくして甘えの弥慢化した世界であった。(土居健郎「甘えの構造」
の一節)

+++++著作権BYはやし浩司++++copy right by Hiroshi Hayashi+++++ 
  
●日本人の依存性

 日本人が本来的にもつ依存心は、脳のCPU(中央演算装置)の問題だから、日本人が
それに気づくには、自らを一度、日本の外に置かねばならない。それはちょうどキアヌ・
リーブズが主演した映画『マトリックス』の世界に似ている。

その世界にどっぷりと住んでいるから、自分が仮想現実の世界に住んでいることにすら
気づかない……。

 子どもでもおなかがすいて、何か食べたいときでも、「食べたい」とは言わない。「おな
かがすいたア、(だから何とかしてくれ)」と言う。子どもだけではない。私の叔母などは、
もう50歳代のときから私に、「おばちゃん(自分)も、歳をとったでナ。(だから何とか
してくれ)」と言っていた。

 こうした依存性は国民的なもので、この日本では、おとなも子どもも、男も女も、社会
も国民も、それぞれが相互に依存しあっている。

こうした構造的な国民性を、「甘えの構造」と呼んだ人もいる(土居健郎)。たとえば海
外へ移住した日本人は、すぐリトル東京をつくって、相互に依存しあう。そしてそこで
生まれた子ども(二世)や孫(三世)は、いつまでたっても、自らを「日系人」と呼ん
でいる。依存性が強い分だけ、新しい社会に同化できない。

 もちろん親子関係もそうだ。この日本では親にベタベタと甘える子どもイコール、かわ
いい子とし、そのかわいい子イコール、よい子とする。

反対に独立心が旺盛で、親を親とも思わない子どもを、親不孝者とか、鬼っ子と言って
嫌う。そしてそれと同時進行の形で、親は子どもに対して、「産んでやった」「育ててや
った」と依存し、子どもは子どもで「産んでもらった」「育ててもらった」と依存する。

こうした日本人独特の国民性が、いつどのようにしてできたかについては、また別のと
ころで話すとして、しかし今、その依存性が大きく音をたてて崩れ始めている。

イタリアにいる友人が、こんなメールを送ってくれた。いわく、「ローマにやってくる日
本人は、大きく二つに分けることができる。旗を先頭にゾロゾロとやってくる日本人。
年配の人が多い。もう一つは小さなグループで好き勝手に動き回る日本人。茶髪の若者
が多い」と。

 今、この日本は、旧態の価値観から、よりグローバル化した新しい価値観への移行期に
あるとみてよい。フランス革命のような派手な革命ではないが、しかし革命というにふさ
わしいほどの転換期とみてよい。それがよいのか悪いのか、あるいはどういう社会がつぎ
にやってくるのかは別にして、今という時代は、そういう視点でみないと理解できない時
代であることも事実のようだ。

あなたの親子関係を考える一つのヒントとして、この問題を考えてみてほしい。

(はやし浩司 依存性 依存心 甘えの構造 日本人の依存性 依存 だから何とかして
くれ言葉 (はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て は
やし浩司 Hiroshi Hayashi education essayist writer Japanese essayist 依存性 日本人
の依存性 土居 甘えの構造 だから何とかしてくれ言葉 何とかしてくれ言葉 なんと
かしてくれ言葉 はやし浩司)


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●6月29日(2010)

++++++++++++++++++

昨日は、10キロを走った。
「走った」と言っても、断続的に駆け足を
したり、早足で歩いたりした。

ほかに夜、7キロを自転車で走った。
こちらは、本気で走った。

ほかにウォーキングマシンで、計40分。
プラス乗馬マシンで、計10分。

今朝も、起きるとすぐ、ウォーキングマシンの
上で、20分、歩いた。
が、気分は……、まだ眠い!

++++++++++++++++++

●睡眠時間

 最近は、早寝、遅起きに心がけている。
10時間前後の睡眠時間をとるように、心がけている。
が、どういうわけか、かえってそのほうが、眠気が残る。
今も、ときどき大きなあくびを繰り返す。
よく眠ったはずなのに……。
これはどういう理由によるものなのか?

●減量(ダイエット)

 4、5日前に体重計に乗ったら、64キロ台。
ゾーッ!
で、おとといから、ダイエット。
運動を重ねて、食事の量を減らした。
で、今朝、計ってみると、61キロ台。
よかった!

 明日は、どこかの旅館で会食。
あわび料理が出るとか。
またまた食欲との闘い。
今日は、それに備えて、食事の量を減らす。

●夢

 ところで私は、夢をよく見る。
とくに起きがけの夢は、楽しい。
何かの映画を観ているよう。
で、目が覚めたあと、よく夢の内容を、ワイフに話してやる。

 で、私の夢のおもしろいところは、奇想天外なところ。
ふだんなら、思いもつかないような内容の夢を見る。
めったに、同じ夢を見ない。
脳みその広さに、我ながら、感心する。

 今朝の夢は、太陽に、地球規模の惑星が衝突するというもの。
みなが、それぞれ飛行機を作り、地球の裏側(夜側)に逃げるという夢。
衝突によって起こる太陽風から、身を守るためである。

 ちょうど夕刻時で、太陽から猛烈なフレアが立ち上るのが見えた。
地球に到達するまでに、10分前後。
私は木製のグライダーのような飛行機に乗って、太陽とは反対側に旋回して
いくところだった。
見ると、大小さまざまな形の飛行機が、並んで飛んでいた。

 恐ろしい夢ということになるが、先にも書いたように、私にとっては、
映画のようなもの。
映画といっても、私自身が、その映画の中に入っている。

 ……やがてそんな映画ができるようになるかもしれない。
「そんな映画」というのは、映画の中で、実体験をするような映画をいう。
つまり自分自身が、主人公となって、映画の中で動き回る。

●総選挙

 総選挙が近づいてきた。
浮動票層(無党派層)の私としては、「もう一度、民主党に入れてみるか」という
気持ちになりつつある。
しかし小沢一郎が、カーテンの間から、あの不気味な顔を出すたびに、その気持ちが
引っ込んでしまう。

 「反小沢」の旗印は、ひょっとしたら、仮面?
選挙用のカモフラージュ?
どうも、よくわからない。
選挙に勝ったとたん、また小沢一郎が、したり顔で表に出てくる?
そんな心配があるから、ここは慎重にならざるをえない。

 ……数日前も駅前で、民主党の党員たちが、選挙運動をしていた。
1人の女性の応援をしていた。
で、私は運動員の1人に、「この方は、小沢派? それとも反小沢派?」と聞いた。
運動員は、「民主党には、そういう派閥はありません」と。

 その女性は、それで小沢派とわかった。
中央から、小沢一郎によって送り込まれた刺客(?)。
歩きながらワイフが、「あの人(候補者)は、小沢派よ。知らなかったの?」と。

●消費税vs公務員の給料

 このままでは日本経済は、確実に破綻する。
時間の問題。
そのために消費税のアップは避けられないものであるということは、よくわかる。
しかしそれには、条件がある。

 公務員の給料カットである。
現状では、20~25%前後のカットは、やむをえない。
給料のカットそのものに抵抗があるというのなら、諸手当のカット。
諸手当の費用が、バカにならない。
「総人件費」の抑制に、まず手をつけるべき。
その上での、消費税アップ。
そうであるなら、私たちも納得する。
そうでなければ、納得しない!

●今夜はサッカー

 今夜はサッカー、W杯。
相手は、パラグアイ。
私は、超能力とは、無縁。
予言力はない。
だからどちらが勝か、わからない。
予想はできるが、あくまでも予想。
その予想によれば、日本は当初、パラグアイの野獣的な攻撃にたじろぐが、
やがて攻勢に出て、2-1で勝つ。

 しかし11時という時間帯に問題がある。
観るべきか、観ざるべきか。
今、迷っている。
(6-29記)


Hiroshi Hayashi+教育評論++June.2010++幼児教育+はやし浩司

●五十肩

+++++++++++++++++

近くの友人が、五十肩になったという。
症状は、かなり重いという。
夜なども、痛くて寝返りが打てない、と。
そのため睡眠不足になり、日中も、
眠さが残る、と。

+++++++++++++++++

●義姉

 ワイフの話によれば、義姉(つまりワイフの姉)も、10年ほど前、五十肩に
なったという。
で、5~6年ほど、それに苦しんだという。
が、治るときは、知らぬ間に、治ってしまうという。
それで「五十肩」という(?)。

 友人と私はそれほど年齢がちがわない。
「明日は我が身」と、そういう話を聞くたびに、気が重くなる。
若いときなら、「自分でなくてよかった」と思ったかもしれない。
が、今は、順番の問題。
五十肩でなくても、何があるかわからない。
「病気は背中から、ある日、突然、やってくる」(O氏の言葉)。

●6月30日

 昨夜は、サッカーW杯、日本対パラグアイ戦を、観た。
0-0の同点のまま、延長線。
さらにPK戦。
見終わってから、どういうわけか、涙が出てきた。
すばらしい試合だった。
感動した。
負けたのは残念だが、その残念感が、あまりない。
「よくやった!」と。

 床に就いたのは、午前2時過ぎ。
ふとんの中で、ワイフとしばらく音楽を聴いた。
聴いているうちに、眠ってしまった。

●新しいソフト

 パソコン用の新しいソフトがいくつか、手に入った。
非現実的な世界を創るソフトと、写真をキュービックに加工するソフト。
あとで試してみたい。

 そう言えば、数か月前、モーフィングを試してみた。
ひとつの顔から、別の顔に、少しずつ変化していくというもの。
しかしこれは失敗。
データが重すぎて、ホームページに載せられなかった。
ひとつのモーフィングをするのに、50~100枚の写真を並べる。
写真のサイズにもよるが、1つだけで、30MBを超えてしまった。
だからあえなく、ボツ。

 そのあとマンガをいくつか作ってみた。
が、これは10作ほど作ったところで、あきてしまった。
(そう言えば、このところ、何かにつけて、あきっぽい。
これも脳の老化現象によるものか?)

●独居老人→孤独死

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この先、私たち老人は、60%が独居老人と
なり、孤独死を迎える。
発見までの平均日数は、7日とか。

これらの数字が仮に事実であるとしても、
こと私に関して言うなら、「私はそれでも構わない」。
今は、そういう心境になりつつある。

「独居」であるとしても、それを「不幸」と決めつけて
はいけない。
「孤独死」をしたからといって、それを「不幸」と
決めつけてはいけない。
大切なのは、それまでの人生。
人生の中身。

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●反省

 私は「独居老人」や「孤独死」について、「あってはならないこと」と、
決めつけて考えていた。
そしてそこに「私」を置き、それを「不幸な末路」と、決めつけて
考えていた。

 しかしこの考え方は、まちがっていた。
「60%」(この数字は、何かの雑誌で知った数字だが)の老人が
そうなるというのなら、「それがふつうの死に方」ということになる。
またそういう前提で考えれば、老後の過ごし方も、ぐんと気が楽になる。

●孤独死イコール、不幸?

・・・となると、「独居老人」イコール、「孤独」と決めつけて考える
のは、まちがっている。
若い人でも、孤独な人は、いくらでもいる。
独りで住んでいる老人でも、心豊かな人は、いくらでもいる。

 さらに「孤独死」といっても、孤独な世界で煩悶(はんもん)しながら、
死ぬとはかぎらない。
「孤独」という言葉をつけるから、話がおかしくなる。
中には、独り静かに、眠るように、かつ満足しながら死ぬ人だっているはず。
また死後、すぐ発見されないからといって、嘆くことはない。
それが古今東西、ふつうの人の、ふつうの死に方だった。

●天下老人

 だから言葉を変えればよい。
「独居老人」を、「天下老人」。
「孤独死」を、「自然死」と。

 孤独か孤独でないかということになれば、死ぬときは、みな、孤独。
「家族に見守れて・・・」というのは、そのほうがベターというだけで、
そうでなければならないということではない。
またそうであったからといって、孤独が癒されるというものでもない。
こんな話がある。

 A氏(84歳)が、臨終を迎えた。
連絡を受けて、親戚中が集まった。
総勢、30人あまり。
が、その直後、A氏は、昏睡状態から覚め、再び元気になってしまった。
で、そのあとも、(臨終)→(回復)を、数度繰り返した。
そうなると、家人も、親戚に連絡するのも、おっくうになる。
親戚も、「またか・・・!」となる。

 で、結局、最後は、A氏は、真夜中にだれにも看取られないまま、独り静かに
他界した。
これは私のワイフの伯父の話である。

●孤独感

 老人の感ずる孤独は、「孤独死」とは、切り離して考える。
孤独イコール、孤独死、孤独死イコール、孤独と考えるから、
話がおかしくなる。

 もっと平たく言えば、「死ぬ」のは、一瞬のできごと。
が、孤独、それから生ずる孤独感は、老後になってから、綿々とつづく。
途切れることはない。
今、私たちが問題とすべきは、むしろそちらのほうということになる。
もっともこれについては、「バカになって、忘れる」という方法もないわけ
ではない。
趣味三昧、旅行三昧、ぜいたく三昧・・・。
しかしこの方法は、邪道。
かえって虚しさが、増すだけ。

●生きがい

 老後を考えるということは、どの方向から考えても、行き着く目的は
ただひとつ。
「生きがい」の問題ということになる。
どう生きがいを構築するか?
その是非によって、老後の姿そのものが、変わってくる。

 それについては、「統合性」という言葉がある。
(すべきこと)を、(現実にする)。
両者が一致した状態を、統合性が確立した状態という。

 が、それには条件がある。
無私、無欲。
打算、功利が入ったとたん、統合性は、霧散する。
それに「老後になりました。明日からゴビの砂漠で、ヤナギの木を植えてきます」
というわけにはいかない。
統合性を確立するためには、その基礎づくりが必要。
20年とか30年とかいう、時間をかけた基礎づくりが必要。
エリクソンは、人生の正午と呼ばれる40歳くらいから、始めろというようなことを
教えている。
しかし40歳でも、遅い。

●夢と希望、そして目的

 自分が老人の入り口に立ってみて、気づいたことがある。
つまり老後になっても、夢と希望を失ってはいけないということ。
夢と希望があれば、何とか、生きていかれる。
夢と希望があれば、その先に目標が生まれる。
その目標が、老後に、光を灯(とも)してくれる。

 言い替えると、いかにして夢と希望をもちつづけるか。
それが重要ということになる。
たとえば今度、(まだ本決まりではないが……)、中央の大きな会場で
講演をすることになった。
そういう目標が生まれると、体力作りに心がけるようになる。
もちろん脳みその健康にも、注意を払うようになる。

 今でも講演がある日には、その数日前から、運動量を、2~3倍にふやす。
新しい情報を手に入れて、古い情報と置き換える。
そのために本を読む。
文章を書く。
こうして点つなぎのようにして、自分の人生を未来へとつないでいく。

 「そんなことをして、何になるのだろう」とか、そういう迷いはないとは言わない。
しかし迷っていても、しかたない。
ここは無私、無欲。
結果は、いつもあとからついてくる。
ついてこなくても、構わない。

 今は、そういう心境に変わりつつある。


Hiroshi Hayashi+教育評論++June.2010++幼児教育+はやし浩司

●今日で、6月は、おしまい

 2010年6月30日。
6月も、今日でおしまい。
が、過去を振り返っているヒマはない。
7月は、忙しい。
このままだと、バタバタと過ぎていくだろう。

 がんばるしかない。

 では、また


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