Education in Front-Line and Essays by Hiroshi Hayashi (はやし浩司)

(Mr.) Hiroshi Hayashi, a professional writer who has written more than 30 his own books on Education, Chinese Medical science and Religion in Japan. My web-site is: http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/ Please don't hesitate to visit my web-site, which is always welcome!!

Monday, January 31, 2011

●かん黙児

●BLOGタイトル最前線の子育て論byはやし浩司




●はやし浩司 2011-02-01

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朝、普段着のまま、ランニングをする。
白い朝の光線、春草のかすかな匂いの
混ざった冷気、
それを頬で感じながら、ヒタヒタと走る。

しばらく走ると、目の下から、一番汗。
それがスーッと下に流れた。
時折、自動車が風を切って、走り抜ける。
乾いた風が、体をあおる。

少し前、同じようなランニングをしたとき、
ひざを傷めた。
それを心配しながら、かかとをあげないよう、
すり足で走る。

途中、待ち合わせ場所に来ると、ワイフが
そこにいた。
「早かったわね」とワイフ。
「うん、今朝は走った」と私。
車に乗ると、ドカッと汗が噴き出した。
時計を見ると、40分。
今日一日の運動量の、半分をこなした。

+++++++++++++++++


【かん黙児&過敏児】


悪循環から抜け出る法(身勝手を捨てろ!)
教師が子育ての宿命を感ずるとき


●かん黙児の子ども


 かん黙児の子ども(年長女児)がいた。症状は一進一退。少しよくなると親は無理をす
る。その無理がまた、症状を悪化させる。私はその子どもを一年間にわたって、指導した。
指導といっても、母親と一緒に、教室の中に座ってもらっていただけだが、それでも、結
構、神経をつかう。疲れる。このタイプの子どもは、神経が繊細で、乱暴な指導がなじま
ない。が、その年の年末になり、就学前の健康診断を受けることになった。が、その母親
が考えたことは、「いかにして、その健康診断をくぐり抜けるか」ということ。そしてその
あと、私にこう相談してきた。「心理療法士にかかっていると言えば、学校でも、ふつう学
級に入れてもらえます。ですから心理療法士にかかることにしました。ついては先生(私)
のところにもいると、パニックになってしまいますので、今日限りでやめます」と。「何が
パニックになるのですか」と私が聞くと、「指導者が二人では、私の頭が混乱します」と。


●経過は一年単位でみる


 かん黙児に限らず、子どもの情緒障害は、より症状が重くなってはじめて、前の症状が
軽かったことに気づく。あとはその繰り返し。私が「三か月は何も言ってはいけません。
何も手伝ってはいけません。子どもと視線を合わせてもいけません」と言った。が、親に
は一か月でも長い。一週間でも長い。そういう気持ちはわかるが、私の目を盗んでは、子
どもにちょっかいを出す。一度親子の間にパイプ(依存心)ができてしまうと、それを切
るのは、たいへん難しい。情緒障害は、半年、あるいは一年単位でみる。「半年前とくらべ
て、どうだったか」「一年前は、どうだったか」と。一か月や二か月で、症状が改善すると
いうことは、ありえない。が、親にはそれもわからない。最初の段階で、無理をする。時
に強く叱ったり、怒ったりする。あるいは太いパイプを作ってしまう。初期の段階で、つ
まり症状が軽い段階で、それに気づき、適切な処置をすれば、「障害」という言葉を使うこ
ともないまま終わる。が、私はその母親の話を聞いたとき、別のことを考えていた。


●「そんな冷たいこと言わないでください!」


 はじめて母親がその子どもを連れてきたとき、私はその瞬間にその子どもがかん黙児と
わかった。母親も、それを気づいていたはずだ。しかし母親は、それを懸命に隠しながら、
「音楽教室ではふつうです」「幼稚園ではふつうです」と言っていた。それが今度は、「心
理療法士にかかっていると言えば、学校でも、ふつう学級に入れてもらえます」と。母親
自身が、子どもを受け入れていない。そういう状態になってもまだ、メンツにこだわって
いる。もうこうなると、私に指導できることは何もない。私が「わかりました。ご自分で
判断なさってください」と言うと、母親は突然取り乱して、こう叫んだ。「そんな冷たいこ
と言わないでください! 私を突き放すようなことを言わないでください!」と。


●親は自分で失敗して気づく


 子どもの情緒障害の原因のほとんどは、家庭にある。親を責めているのではない。たい
ていの親は、その知識がないまま、それを「よかれ」と思って無理をする。この無理が、
症状を悪化させる。それはまさに泥沼の悪循環。そして気がついたときには、にっちもさ
っちもいかない状態になっている。つまり親自身が自分で失敗して、その失敗に気づくし
かない。確かに冷たい言い方だが、子育てというのはそういうもの。子育てには、そうい
う宿命が、いつもついて回る。


(参考)


●かん黙児


 かん黙児……家の中などではふつうに話したり騒いだりすることはできても、場面が変
わると貝殻を閉ざしたかのように、かん黙してしまう子どもを、かん黙児という。通常の
学習環境での指導が困難なかん黙児は、小学生で一〇〇〇人中、四人(〇・三八%)、中学
生で一〇〇〇人中、三人(〇・二九%)と言われているが、実際にはその傾向のある子ど
もまで含めると、二〇人に一人以上は経験する。


 ある特定の場面になるとかん黙するタイプ(場面かん黙)と、場面に関係なくかん黙す
る、全かん黙に分けて考えるが、ほかにある特定の条件が重なるとかん黙してしまうタイ
プの子どもや、気分的な要素に左右されてかん黙してしまう子どももいる。順に子どもを
当てて意見を述べさせるようなとき、ふとしたきっかけでかん黙してしまうなど。


 一般的には無言を守り対人関係を避けることにより、自分の保身をはかるために、子ど
もはかん黙すると考えられている。これを防衛機制という。幼稚園や保育園へ入園したと
きをきっかけとして発症することが多く、過度の身体的緊張がその背景にあると言われて
いる。


 かん黙状態になると、体をこわばらせる、視線をそらす(あるいはじっと相手をみつめ
る)、口をキッと結ぶ。あるいは反対に柔和な笑みを浮かべたまま、かん黙する子どももい
る。心と感情表現が遊離したために起こる現象と考えるとわかりやすい。


かん黙児の指導で難しいのは、親にその理解がないこと。幼稚園などでその症状が出たり
すると、たいていの親は、「先生の指導が悪い」「集団に慣れていないため」「友だちづきあ
いがヘタ」とか言う。「内弁慶なだけ」と言う人もいる。そして子どもに向かっては、「話
しなさい」「どうしてハキハキしないの!」と叱る。しかし子どものかん黙は、脳の機能障
害によるもので、子どもの力ではどうにもならない。またそういう前提で対処しなければ
ならない。


Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司


神経質な子どもに対処する法(性質を見ぬけ!)
子どもが神経質になるとき


●敏感(神経質)な子ども 


 A子さん(年長児)は、見るからに繊細な感じのする子どもだった。人前に出るとオド
オドし、その上、恥ずかしがり屋だった。母親はそういうA子さんをはがゆく思っていた。
そして私に、「何とかもっとハキハキする子どもにならないものか」と相談してきた。


 心理反応が過剰な子どもを、敏感児という。ふつう「神経質な子」というときは、この
敏感児をいうが、その程度がさらに超えた子どもを、過敏児という。敏感児と過敏児を合
わせると、全体の約三〇%の子どもが、そうであるとみる。一般的には、精神的過敏児と
身体的過敏児に分けて考える。心に反応が現れる子どもを、精神的過敏児。アレルギーや
腹痛、頭痛、下痢、便秘など、身体に反応が現れる子どもを、身体的過敏児という。A子
さんは、まさにその精神的過敏児だった。


●過敏児


 このタイプの子どもは、(1)感受性と反応性が強く、デリケートな印象を与える。おと
なの指示に対して、ピリピリと反応するため、痛々しく感じたりする。(2)耐久性にもろ
く、ちょっとしたことで泣き出したり、キズついたりしやすい。(3)過敏であるがために、
環境になじまず、不適応を起こしやすい。集団生活になじめないのも、その一つ。そのた
め体質的疾患(自家中毒、ぜん息、じんましん)や、神経症を併発しやすい。(4)症状は、
一過性、反復性など、定型がない。そのときは何でもなく、あとになってから症状が出る
こともある(参考、高木俊一郎氏)。A子さんのケースでも、A子さんは原因不明の発熱に
悩まされていた。


●子どもを認め、受け入れる


 結論から先に言えば、敏感児であるにせよ、鈍感児であるにせよ、それは子どもがもっ
て生まれた性質であり、なおそうと思っても、なおるものではないということ。無理をす
ればかえって逆効果。症状が重くなってしまう。が、悪いことばかりではない。敏感児に
ついて言えば、その繊細な感覚のため、芸術やある特殊な分野で、並はずれた才能を見せ
ることがある。ほかの子どもなら見落としてしまうようなことでも、しっかりと見ること
ができる。ただ精神的な疲労に弱く、日中、ほんの一〇数分でも緊張させると、それだけ
で神経疲れを起こしてしまう。一般的には集団行動や社会行動が苦手なので、そういう前
提で理解してあげる。


●一見鈍感児なのだが……


 ……というようなことは、教育心理学の辞典にも書いてある。が、こんなタイプの子ど
ももいる。見た目には鈍感児(いわゆる「フーテンの寅さん」タイプ)だが、たいへん繊
細な感覚をもった子どもである。つい油断して冗談を言い合っていたりすると、思わぬと
ころでその子どもの心にキズをつけてしまう。ワイワイとふざけているから、「ママのおっ
ぱいを飲んでいるなら、ふざけていていい」と言ったりすると、家へ帰ってから、親に、「先
生にバカにされた」と泣いてみせたりする。このタイプの子どもは、繊細な感覚をもちつ
つも、それを茶化すことにより、その場をごまかそうとする。心の防御作用と言えるもの
で、表面的にはヘラヘラしていても、心はいつも緊張状態にある。先生の一言が思わぬ方
向へと進み、大事件となるのは、たいていこのタイプと言ってよい。その子ども(年長児)
のときも、夜になってから、親から猛烈な抗議の電話がかかってきた。「母親のおっぱいを
飲んでいるとかいないとか、そういうことで息子に恥をかかせるとは、どういうことです
か!」と。敏感かどうかということは、必ずしも外見からだけではわからない。


(参考)
●過敏児と鈍感児


 過敏児と対照的な位置にいるのが、鈍感児(知的な意味で、鈍感というのではない)。ふ
つうこの両者は対比して考える。


(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 
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敏感児)


Hiroshi Hayashi+++++++JAN. 2011++++++はやし浩司・林浩司

Sunday, January 30, 2011

●さようなら、名倉智道先生!

●1月31日朝記

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昨日、NG先生の奥さんと、私とワイフ、
3人で食事をしてきた。
場所は、いつかいっしょに行ったことがある、
「浜名湖・オーベルジュ・キャトルセゾン」。
広い窓の下に浜名湖を見下ろすことができる、
「すてきな」レストラン。
「すてきな」という、どこか女性的な表現に
ぴったりのレストラン。
静かで、上品で、まるで中世の城を思わせるような
雰囲気。

NG先生は、昨年の暮れ、12月1日に亡くなった。
あまりにも突然の死だった。
いつものように日課をこなし、いつものように
医院へ……と。
そこでそのまま亡くなってしまった。
そのNG先生が、そのレストランを紹介してくれた。
覚えにくい名前だが、一度行ったら、忘れることの
できないレストラン。
それが「浜名湖・オーベルジュ・キャトルセゾン」。

私とワイフは、奥さんをなぐさめるつもりで、
奥さんを誘った。
奥さんはあれこれ都合をつけ、私たちの申し出を
快く受けてくれた。

+++++++++++++++++++

●NG先生

 話はつきなかった。
奥さんの話を聞きながら、そのつど私はNG先生の、あの静かな笑顔を思い浮かべていた。
私にとっては、もっとも大切な理解者だった。
短いエッセーでも、文の向こうにある私の心を読み取ってくれた。
たわいもない旅行記。
そんな旅行記でも、NG先生は、ていねいに読んでくれた。
感想文を届けてくれた。
「さぞかし、つらい旅行だったようですね」と。

 それが私にとって、うれしかった。
そのため毎回、「これは……」と思うエッセーをメールで送った。
NG先生は、かならず返事をくれた。
そのNG先生がいなくなってしまった。
心に穴が開いてしまった。

 私はNG先生の訃報を聞くと、そのまま家を出てしまった。
何時間も、家のあたりを徘徊した。
私は子どものときから、そうしている。
何かさみしいことや、つらいことがあると、決まって徘徊した。
その夜もそうだった。
その夜も家に帰ったのは、午前3時ごろ。
足が痛くなって、歩けなくなってしまった。
コンビニから電話をかけ、ワイフに車で迎えに来てもらった。

●NG先生

 人はなぜ、やさしくなれるか?
やさしさは、どこから生まれるか?
その答をNG先生は、よく知っていた。

幼いころより、苦労の連続。
「不運」というには、あまりにも過酷な人生。
そういう人生を通して、NG先生は、心の中に無数のポケットを作っていった。
そのポケットが、NG先生をやさしくし、あの深い人間性はそこから生まれていた。

 ……いつだったか、こんな相談があった。
まだ知り合って、間もないころのことだった。

「私の知人に不幸な女性がいましてね……」と。
その手紙には、その女性の不幸な生い立ちと、心の病が長々と書かれていた。
私はその手紙を読んで、あまりにもありえない境遇に驚いた。
が、それは事実だった。
やがて少しずつわかったことだが、それはNG先生自身のことだった。

 奥さんは、NG先生のことを、断片的に話してくれた。
それが私の頭の中で、ジグソーパズルのようにつながっていった。
NG先生の過去が、そして現在が、頭の中で浮かびあがってきた。
話の途中で、ワイフが奥さんにこう言った。

「先生が亡くなられたと聞いたとき、主人は、へんになってしまったのですよ」と。

●死

 私は基本的には、それがだれの死であれ、「死」を認めない。
たとえその人の葬式に出たとしても、認めない。
それはただの儀式。
その人は、いつもどこかで生きている。
ただ、「会えないだけ」。

 だれでも、事情によって、数か月、あるいは数年、あるいは数十年、会えない
ことはある。
それと同じ。
同じと思うことで、私は人の死を見送ってきた。

 だからNG先生の奥さんからメールが入っても、私はいつものように「NG先生奥様へ」
という書き出して返事を書いていた。
「NG先生は、そこにいる」と。

 それはそのまま私の死生観でもある。
私はいつもワイフにこう言っている。
「私が死んでも、だれにも知らせなくていい」と。
親戚、友人はもちろん、息子たちにも、知らせなくていい、と。
いつか、どこかで、だれかが「あの林は?」と聞いたとき、そのとき死んでいたと
わかればよい。

 さらに言えば、10年前に死んだ人も、50年前に死んだ人も同じ。
明日、死ぬ人も、20年後に死ぬ人も同じ。
この宇宙という時間枠で見れば、100年や200年、瞬時の、そのまた瞬時。
誤差にもならない。
こんな文章を書いている私だって、つぎの瞬間には、この世から煙となって消える。
 
●肩身

 奥さんを家に送り届けると、奥さんがこう言った。
「渡したいものがありますから、寄ってください」と。

 気遣いを感じたので、私は遠慮したかった。
が、どういうわけか、私はそれに素直に応じてしまった。
「NG先生の論文集を、HPにまとめて掲載したい」という思いがあった。
それをどこでどう頼むか、その糸口をさがしていた。
しかしそれはあまりにも、恐れ多い。

 奥さんは玄関前にある客間へ通してくれた。
私はそこでNG先生の遺骨を見た。
座って手を合わせた。

 「80歳まで元気でがんばりましょう」と、つい先日、誓いあったばかり。
学年は1級上だったが、年齢は、私と同じ。
享年、63歳だった。

奥さんは「主人は、先生のこと(=私)を尊敬していました」と言ってくれた。
それに答えて、ワイフがかわりにこう言ってくれた。
「主人(=私)も、先生(=NG先生)を尊敬していました」と。

 と、そのとき、奥さんが一着の服を私にうしろからかけ、こう言った。
「主人の肩身です。どうか、これを着てください」と。

 奥さんはサイズを気にしていた。
が、サイズなど、問題ではない。
「どうしてサイズが……!」と。
そう思った瞬間、目から涙があふれ出た。
止めどもなく、涙があふれ出た。
そのとき私ははじめて、NG先生の「死」を認めた。
自分の中の死生観が、サラサラと粉のように崩れていくのを感じた。

●帰りに

 ワイフがこう言った。
「あなたにとって、大切な人だったのね」と。
私はただ「うん」と。

そう、大切な人だった。
どこかの部屋に、こんな色紙が飾ってあった。

 「たったひとりでも、あなたをわかってくれる人がいたら、それでいい」と。
たしか「みつを」という署名があった。
人は、その「たったひとり」を探し求めて、人生という荒野をさまよい歩く。
とぼとぼと、あてどもなく、さまよい歩く。

 が、その「ひとり」の人がいなくなってしまったら……。
残された人は、どう生きていけばよいのか。
やっとわかりあえた、……わかりあえそうになったそのときに、NG先生は去って
しまった。
約束の80歳までに、まだ17年もあった。
それを思ったとき、また涙があふれ出した。

 ……いちばん最後のメールで、こんなことを言い合った。
「ぼくは、この先、小さな小さな希望を見つけ、その希望に向かって生きていきます」と。
すかさずNG先生から返事が届いた。
「私もそうです」と。

NG先生は、そのとき絶滅種になっている植物の探索をしていた。
「未発見のシダを見つけるのが、私の希望です」とも。

 NG先生へ

 11年間、ありがとうございました。
最後に奥さんに手紙を見せていただいて驚きました。

 先生と講演先の学校で知り合ったのが、平成11年12月1日、水曜日。
先生が亡くなったのは、平成22年12月1日、水曜日。
これは偶然なのでしょうか?


Hiroshi Hayashi+++++++JAN. 2011++++++はやし浩司・林浩司

●子どもを非行から守るために

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子育て最前線の育児論byはやし浩司   2011年 1月 31日
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【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【子どもを非行から守る法】

●時事・雑感(Yahoo Newsより)


●性描写漫画の規制条例が成立(東京都)(注※1)


 石原都知事が言っているように、こんなことは、当たり前。
石原都知事は、こう言った。「当たり前。日本人の良識だ。
子どもにあんなものを見せられるのか」と。


ただし今となっては、焼け石に水。
手遅れ。
子どもたちの世界は、さらにその先に進んでいる。
漫画やアニメではなく、そのものズバリのDVDを見ている。


 また近くに高校があるが、日暮れ時になると、目のやり場に困る。
高校生たちが、木陰の隅のあちこちで抱き合っている。
少し前までは、まだ隠れながらしていた。
が、今は、堂々というか、車のライトに照らされても、平気。


 で、その話を、ある中学校教師(中高一貫校)に話すと、こう言った。
「ここ数年、さらに低年齢化してますよ」と。
驚いていると、「放課後なんか、使われていない部屋や道具置き場は、ラブホテル
みたいです」とも。
ほとんどの男子高校生は、コンドームを持ち歩いている。
携帯電話と同じ。
必携品。
「何も今さら……」というのが、私の実感。


 こうした規制は、20年近く前、「PT」という女子向き雑誌が、
国会で問題になったとき、しておくべきだった。
が、これに対して、いくつかの団体が、猛反発。
「表現の自由、言論の自由の侵害」「捜索活動を萎縮させる」と。


 しかしこういうのを、表現の自由とは言わない。
言論の自由を盾に取って守らなければならない、自由でもない。
むしろ逆。
表現の自由とか、言論の自由とか、そういう言葉を使って、自分たちの
醜い商業主義をカモフラージュしているだけ。


 日本には、モラル、哲学、宗教がない。
ないから、法律で規制するしかない。
たとえば援助交際にしても、話題にのぼらなくなったのは、それがなくなったからでは
ない。
あまりにも日常的になり過ぎたからにほかならない。
それがわからなければ、その時間帯(夕暮れ時)に、コンビニをのぞいてみること。
コンビニが待ち合わせ場所になっている。
携帯電話を片手に、女子中学生や高校生が、あやしげな車につぎつぎと乗り込んでいく。


 世界でも、ここまで退廃した国は、そうはない。


+++++++++++++以下、Yahoo Newsより++++++++++++


(注※1)【性描写漫画の規制条例が成立】=付帯決議で「慎重な運用を」


 過激な性描写のある漫画やアニメの販売規制を目的に、東京都が12月議会に提出してい
た青少年健全育成条例改正案が、15日の都議会本会議で民主、自民、公明各党の賛成多数
により可決、成立した。ただ、「創作活動を萎縮させる」との指摘もあるため、条例の慎重
な運用を求める付帯決議も行った。条例は来年7月1日までに施行される。共産党と生活
者ネットワーク・みらいは反対した。


+++++++++++++以上、Yahoo Newsより++++++++++++


●では、どうすれなよいか


 こうした風潮を改めるには、つまりあなたの子どもをこうした風潮から守るためには、
方法は、ただひとつ。
子どもに心の抵抗力をつける。
方法は簡単。
子どもに夢と希望をもたせ、その先に目標をもたせる。


 わかりやすく言えば、子どもが好きなことをできる環境を用意する。
それについては、何度も書いてきたので、その原稿を、このあとに添付する。
が、残念なことに、現在の教育環境は、子どものもつ多様性に答えるしくみになって
いない。
「学校以外に道はなく、学校を離れて、夢や希望を育てる方法もない」。
どうして欧米がみなしているように、教育を自由化しないのか。
多様な教育方法を認めないのか。
たとえばドイツやフランスでは、子どもたちはみな、クラブに通っている。
いろいろなクラブがある。
英数国社理のような基本科目は、学校で教えればよい。
しかしそれ以外の科目は、民間に任せればよい。


 私が言う「自由化」というのは、それをいう。
何も学校を解体せよと言っているのではない。


+++++++++++++++


心の抵抗力について書いた
原稿をさがしてみました。
2007年10月に書いた原稿です。


+++++++++++++++


【心を支える、3つの物語】
2006年5月期、講演レジュメ(要旨)より


●私が「私」であるためには、3つの柱が必要です。


(1)(したいこと)を、現実に(している)という実感、つまりは自我の同一性
(2)「いつも、私は、私でいられる」という連続性、一貫性
(3)他者との関係で、いつも良好な人間関係をもつことができるという社会性。


+++++++++++++++++++


  「したいことをする」という姿勢の中から、夢や希望、それに目標が生まれます。自
分の描いた自己概念と、現実の自分が一致している。それが「私」でいるための第一条件
ですね。
  つぎに、どんなばあいも、私は、自分でいられる。動じない。それが「私」というこ
とになります。
  また「私」は、いつも、社会というカガミの中で、映し出されます。そもそも社会性
をもたない「私」は、私ではないということです。
  今回は、これら3つの柱を中心に、時間が許すかぎり、私の個人的な過去もふまえて、
子どもの心を伸ばす、3つの物語を、みなさんに、お伝えしたいです。どうか、よろしく
お願いします。


+++++++++++++++++


【意外とシンプルな、心をはぐくむメカニズム】


●(自分のしたいことをする)……それが子ども自身を伸ばす原動力となります。
●(したいこと)をしている子どもは、生き生きとしています。夢や希望もそこから生まれ、
その先には、目標が生まれます。
●子どもを守るのは、子ども自身の中の、(心の抵抗力)です。目的がしっかりしている子
どもは、その抵抗力も強くなります。

 
***************************


●同一性の危機(1)


万引き、自転車盗、薬物濫用、暴走、家庭内暴力、校内暴力、性非行、無断外泊、いじめ
を、非行という(会津若松警察書)。子どもは、(自分のしたいこと)と、(現実にしている
こと)の間に遊離感を覚えたとき、無意識のうちにも、その距離を、縮めようとする。子
どもの耐性にもよるが、それが一定の限界(個人差は当然ある)を超えたとき、子どもの
自我の同一性は、危機に立たされる。


●夢・希望・目的(2)


夢・希望・目的は、子どもを伸ばす、三種の神器。これら夢・希望・目的は、(自分のした
いこと)と、(現実にしていること)が一致しているとき、あるいは、そこに一体感がある
とき、そこから生まれる。「ぼくはサッカー選手になる」「私はケーキ屋さんになる」と。
そしてサッカーの練習をしたり、ケーキを自分で焼いてみたりする。「プロの選手になる」
とか、「パン屋さんになる」とかいう目的は、そこから生まれる。


●子どもの忍耐力(3)


同一性が危機に立たされると、子どもは、それを修復しようとする。(自分のしたいこと)
を、別のものに置きかえたり、(現実にしていること)を、修正しようとしたりする。ある
いは「したくないが、がんばってやってみよう」と考えたりする。ここで登場するのが、
忍耐力ということになる。子どもにとって、忍耐力とは、(いやなことをする力)をいう。
この忍耐力は、幼児期までに、ほぼ完成される。


●同一性の崩壊(4)


同一性を支えきれなくなると、そこで同一性の崩壊が始まる。子ども自身、自分が何をし
たいか、わからなくなってしまう。また何をしてよいのか、わからなくなってしまう。「私
は何だ」「私はだれだ」と。「私はどこへ行けばよいのか」「何をすればよいのか」と。それ
は「混乱」というような、なまやさしいものではない。まさに「自己の崩壊」とも言うべ
きもの。当然、子どもは、目的を見失う。


●顔のない自分(5)


同一性が崩壊すると、いわゆる(顔のない自分)になる。で、このとき、子どもは、大き
く分けて、二つの道へと進む。(1)自分の顔をつくるため、攻撃的かつ暴力的になる(攻
撃型)。(2)顔のない自分のまま、引きこもったり、カラに閉じこもったりする(逃避型)。
ほかに、同情型、依存型、服従型をとる子どももいる。顔のない自分は、最悪のケースで
は、そのまま自己否定(=自殺)へとつながってしまう。


●校内暴力(6)


暴力的な子どもに向かって、「そんなことをすれば、君がみなに嫌われるだけだよ」と諭(さ
と)しても、意味はない。その子どもは、みなに嫌われ、怖れられることで、(自分の顔)
をつくろうとする。(顔のない自分)よりは、(顔のある自分)を選ぶ、。だからみなが、恐
れれば、怖れるほど、その子どもにとっては、居心地のよい世界となる。攻撃型の子ども
の心理的のメカニズムは、こうして説明される。


●子どもの自殺(7)


おとなは、生きるのがいやになって、その結果として、自殺を選ぶ。しかし子どものばあ
いは、(顔のない自分)に耐えきれず、自殺を選ぶ。自殺することによって、(自分の顔)
を主張する。近年ふえているリストカットも、同じように説明できる。リストカットする
ことで、自分を主張し、他人からの注目(同情、あわれみなど)を得ようとする。「贖罪(し
ょくざい)のために、リストカットする」と説く学者もいる(稲富正治氏ほか)。


●自虐的攻撃性(8)


攻撃型といっても、2つのタイプがある。外に向って攻撃的になる(校内暴力)と、内に
向って攻撃的になる(ガリ勉、猛練習)タイプ。「勉強しかしない」「勉強しかできない」「朝
から寝るまで勉強」というタイプは、後者ということになる。決して、勉強を楽しんでい
るのではない。「勉強」という場で、(自分の顔)をつくろうとしていると考えるとわかり
やすい。近年、有名になったスポーツ選手の中には、このタイプの人は少なくない。


●自我の同一性(9)
 

(子どもがしたがっている)ことに、静かに耳を傾ける。そしてそれができるように、子
どもの環境を整えていく。そうすることで、子どもは、(自分のしたいこと)と、(自分が
していること)を一致させることができる。これを「自我の同一性」という。この両者が
一致している子どもは、夢や希望もあり、当然、目的もあるから、見た目にも、落ちつい
ていて、どっしりとしている。抵抗力もあるから、誘惑にも強い。


●心の抵抗力(10)


「私は~~をしたい」「ぼくは~~する」と、目的と方向性をしっかりともっている子ども
は、心の抵抗力も強い。外部からの誘惑があっても、それをはねのける。小学校の高学年
から中学校にかけては、その誘惑が、激増する。そうした誘惑をはね返していく。が、同
一性が崩壊している子どもは、生きザマが、せつな的、享楽的になるため、悪からの誘い
があると、スーッとその世界に入ってしまう。


●夢や希望を育てる(11)


たとえば子どもが、「花屋さんになりたい」と言ったとする。そのとき重要なことは、親は、
それに答えて、「そうね、花屋さんはすてきね」「明日、球根を買ってきて、育ててみまし
ょうか」「お花の図鑑を買ってきましょうか」と、子どもの夢や希望を、育ててやること。
が、たいていの親は、この段階で、子どもの夢や希望を、つぶしてしまう。そしてこう言
う。「花屋さんも、いいけど、ちゃんと漢字も覚えてね」と。


●子どもを伸ばす三種の神器(12)


子どもを伸ばす、三種の神器が、夢、目的、希望。しかし今、夢のない子どもがふえた。
中学生だと、ほとんどが、夢をもっていない。また「明日は、きっといいことがある」と
思って、一日を終える子どもは、男子30%、女子35%にすぎない(「日本社会子ども学
会」、全国の小学生3226人を対象に、04年度調査)。子どもの夢を大切に、それを伸
ばすのは、親の義務と、心得る。


●役割混乱(13)


子どもは、成長するにつれて、心の充実をはかる。これを内面化というが、そのとき同時
に、「自分らしさ」を形成していく。「花屋さんになりたい」と言った子どもは、いつの間
にか、自分の周囲に、それらしさを作っていく。これを「役割形成」という。子どもを伸
ばすコツは、その役割形成を、じょうずに育てていく。それを破壊すると、子どもは、「役
割混乱」を起こし、精神的にも、情緒的にも、たいへん不安定になり、混乱する。


●思考プロセス(回路)(14)


しかし重要なのは、「思考プロセス」。幼いときは、「花屋さんになりたい」と思ってがんば
っていた子どもが、年齢とともに、今度は、「看護婦さんになりたい」と言うかもしれない。
しかし幼いときに、花屋さんになりたいと思ってがんばっていた道筋、あるいは思考プロ
セスは、そのまま残る。その道筋に、花屋さんにかわって、今度は、看護婦が、そこへ入
る。中身はかわるかもしれないが、今度は、子どもは、看護婦さんになるために、がんば
り始める。


●進学校と受験勉強(15)


たいへんよく誤解されるが、「いい高校」「いい大学」へ入ることは、一昔前までは、目的
になりえたが、今は、そういう時代ではない。学歴の権威を支える、権威主義社会そのも
のが崩壊してしまった。親は、旧態依然の考え方で、「いい大学へ入ることが目的」と考え
やすいが、子どもにとっては、それは、ここでいう目的ではない。「受験が近いから、(好
きな)サッカーをやめて、受験塾へ行きなさい」と子どもを追うことで、親は子どもの夢
をつぶす。「つぶしている」という意識すらないまま……。


●これからはプロの時代(16)


これからはプロが生き残る時代。オールマイティなジェネラリストより、一芸にひいでた
プロのほうが、尊重される。大手のT自動車の面接試験でも、学歴不問。そのかわり、「君
は何ができるか?」と聞かれる時代になってきている。大切なことは、子どもが、生き生
きと、自分の人生を歩んでいくこと。そのためにも、子どもの一芸を大切にする。「これだ
けは、だれにも負けない」というものを、子どもの中につくる。それが将来、子どもを伸
ばす。


●大学生の問題(17)


現在、ほとんどの高校生は、入れる大学の入れる学部という視点で、大学や学部を選んで
いる。もともと、勉強する目的すらもっていない。そのため、入学すると同時に、無気力
になってしまったり、遊びに夢中になってしまう大学生が多い。燃え尽きてしまったり、
荷おろし症候群といって、いわゆる心が宙ぶらりんになってしまう子どもも多い。当然、
誘惑にも弱くなる。


●自我の同一性と役割形成(18)


子どもをまっすぐ伸ばすためには、(子どもがしたがっていること)を、(現在しているこ
と)に一致させていく。そしてそれを励まし、伸ばす。親の価値観だけで、「それはつまら
ない仕事」「そんなことは意味がない」などと、言ってはいけない。繰りかえすが、子ども
が、「お花屋さんになりたい」と言ったら、すかさず、「それはすてきね」と言ってあげる。
こういう育児姿勢が、子どもを、まっすぐ伸ばす基礎をつくる。


(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司●
同一性の危機●夢・希望・目的●子どもの忍耐力●同一性の崩壊●顔のない自分●校内暴力●子
どもの自殺●自虐的攻撃性●自我の同一性●心の抵抗力●夢や希望を育てる●子どもを伸ばす
三種の神器●役割混乱●思考プロセス(回路)●進学校と受験勉強●これからはプロの時代●
大学生の問題●自我の同一性と役割形成)
(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 
BW はやし浩司 心の抵抗力 子どもを非行から守る法 子どもの心を守る。)


【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

休みます。

【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□


●はやし浩司 2010-12-16

●寒い

++++++++++++++++++

今朝も、ふとんの中で、1時間ほど、
時間をつぶした。
寒かった。
が、ほんのりと外が明るくなったころ、
ふとんから飛び出した。
時計を見ると、すでに午前7時。
そのままウォーキングマシンへ。

このところ朝は、30分と決めている。
が、30分も運動すると、体中が汗ばむ。
ついで額から汗が吹き出る。

そうそう今朝は、その前にハナ(犬)に、
牛乳を温めて与えた。
白内障が進んでいるためか、目が白い。
が、そこは猟犬。
嗅覚だけはすぐれている。
庭に肉団子を数個放り投げてやると、
臭いだけで、それを見つけて食べる。
すごいね!

+++++++++++++++++

●日課

 パソコンに電源を入れながら、まず目薬をさす。
3種類、いつも用意してある。
どれがどれというわけではないが、色もちょうど3種類。
ライオン社のスマイル40(緑)、ロート社のクールEX(青)、滋賀県製薬会社の
B12(赤)。
その日の気分に応じて、使い分けている。

(ところで「滋賀県製薬会社」という会社名は、いいのかな?
こういうケースで、民間の一会社が、「県」という文字を入れるのは、たしか禁止のはず?
公的機関と誤解される。
あるいは紛らわしい?)

 そのあとメールに目を通して、返事を書く。
今朝はアメリカに住む二男と、オーストラリアの友人からの2通。
それがすむと、ニュースに目を通す。
昨日のアクセス数を調べる。

 おもむろに原稿を書き始めるのは、そのあと。
今朝は、東京都が可決した、性描写漫画の規制条例についての原稿をまとめた。

●「滋賀県」

 原稿を書き終え、一服したところで、「滋賀県製薬会社」なる会社に電話を入れてみた。
その前にインターネットを使って調べてみると、「昭和18年設立」とあった。
そのころから、その会社は、「滋賀県」と、「県」の文字を入れていたのだろうか?

 電話を入れると、女性が応答してくれた。
「県という文字を入れるのは、静岡県ではきびしく規制されていますが、滋賀県では
だいじょうなのでしょうか」と聞いた。
それについてその女性は、「私にはわかりません」「折り返し、わかるものに電話させます」
と。
それで終わってしまった。

 昭和18年には、規制が甘かったのかもしれない。
しかしこんなことは、現在は、許されない。
たとえば「静岡県運送会社」という会社があったとする。
名前を聞いたら、だれでも、静岡県という県が運営している公的な運送会社と思って
しまう。
「浜松市幼児教室」でもよい。
名前だけを見たら、「市」が運営している幼児教室と思ってしまう。

 電話をくれるということだから、もう少し待ってみる。

●朝食のとき

 朝食のときワイフと、名古屋市議会のゴタゴタ劇が話題になった。
新聞を読んでも、内容がよくわからない。
市長と市議会が、はげしく対立しているらしい。
少し前、名古屋市民も、すごい市長を選んだものと、感心していた。
何しろ、名古屋弁、丸出し。
名古屋市民の代表ということはよくわかる。
が、それも度を超すと、イヤミに聞こえる。

市民向けにはそれでよいとしても、外の世界、つまり全国に向けては、やはり
きちんとした標準語を使ってほしい。
テレビカメラが向けられたようなとき、など。

 オーストラリアの政治家なども、内の世界ではオーストラリア英語を使う。
しかし公的な場では、きちんとしたクイーンズ英語を使う。
それが知性の証(あかし)にもなっている。

 日本の政治家も、外国人にマイクを向けられたら、英語で答えたらよい。
それがその政治家の知性ということになる。

 今回の名古屋市のゴタゴタ劇の内容については、私にはよくわからない。
どうしてこうまでこじれてしまったのだろう。
あとでゆっくりと、それについて調べてみたい。

●東京と名古屋

 私が住む浜松市は、東京よりも、名古屋に近い。
浜松市から名古屋市まで、直線距離で、80キロ。
浜松市から東京都まで、直線距離で、210キロ。
グーグル・アースのスケール(ものさし)を使って調べてみた。

 が、浜松市は、東京都の文化圏に入る。
東京のほうばかり、目が向いている。
だから「東京から来た」というだけで、何でもかんでもありがたがる。
悲しき田舎根性かな。

 一方、「名古屋から来た」といったときには、ほとんど相手にされない。
浜松市に昔から住んでいる人には、それがわからないかもしれない。
しかし私のように、岐阜県という、名古屋市の文化圏から来たものには、それがよく
わかる。

 たとえば転勤族の人たちにしても、そうだ。
東京から来た人は、いつも浜松市を「田舎」(=下)に見る。
あの片山S氏(浜松市選出の国会議員)にしても、私たちを「田舎者」(雑誌「諸君」)
と呼んだ。
つまり、威張っている。

 こういうのを中央集権意識という。
奈良時代の昔から、日本人は、その中央集権意識が、骨のズイまで叩き込まれている。
列車にしても、方向によって、「上り列車」とか「下り列車」とかいう。
こういうバカげた言い方は、もうやめにしたらよい。
何も東京だけが日本ではない。
東京人だけが、文化人でもない。
おかしな上下意識が、こんなところにも、はびこっている。

(追記)

 たった今、滋賀県製薬会社という会社から電話が入った。
いわく、「昭和18年という戦時中から、この名前を使っている。
滋賀県とは、関係ありません。
滋賀県から行政指導が入ったということもありません」と。

 ……ということで、では、みなさん、おはようございます。
今日の予定。
ワイフと、午後に歩いて教室に向かう。
運動のため。
ほかに、大きな予定はなし。


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Saturday, January 29, 2011

●沼津へ向かう

【沼津市での講演会】

●沼津へ

 夜行列車で沼津へ向かう。
今夜は沼津で一泊。
明日の講演会に備える。
地域の学校の先生たちが、集まってくれる。
予定では300人とのこと。

 が、出だしが決まらない。
どこから切り出そうか。
今、そんなことを考える。
……というより、私のばあい、いつもその場の雰囲気で決める。
壇上に立ったその瞬間、その瞬間に、決める。

●夜行列車

 「新幹線にすればよかった」と、先ほどワイフにこぼした。
夜行列車といっても、通勤列車。
客が一列に対峙して座る。
どうも落ち着かない。
横を見ると、ワイフはすでに本を開き、それを読んでいる。

 さっそく客の観察を始める。
これは私のいつものクセ。

反対側左から、40歳くらいの女性。
60歳くらいの女性。
真ん前は、50歳くらいの男性。
この男性は単行本を片手で持ち上げて、それを読んでいる。
5~6人をおいて、若いカップルが一組。
女のほうが、ペチャクチャと何やら話しつづけている。

●乗客

 列車は各駅停車。
そのつど駅に止まり、そのつど冬の冷気が足元に流れてくる。
あとは間断なくつづく電気モーターの音と、ガタンガタンという車輪の音。
軽い眠気が繰り返し私を襲う。

 そう言えば、斜め右前の男が気になる。
65歳くらいか。
浅黒い顔色をし、ときどき小さな魔法瓶に口をつけて、何やら飲んでいる。
職業は何だろう。

……たった今、その男が読んでいる本の表紙が見えた。
パソコン用めがねをかけているので、大きな文字しか見えない。
それには「台湾」とあった。
旅行案内の本か?
右脇に大きな黒いバッグ。
ワイフに「表紙に何と書いてある?」と聞くと、「食べ物の本みたい……」と。

●隣人 

 事務所の隣人が、入院しているという。
それほど親しくはないが、気になる。
穏やかで、誠実な人だ。
ときどき「何か手伝いましょうか?」と声をかけたことがある。
パソコンのことなら、多少の知識がある。
が、相手にしてもらえなかった。
隣人はいつもパソコンを前に、何かをしていた。

 が、見舞いに行くほど、親しくはない。
突然行くのも、好ましくない。
相手の都合もあるだろう。
大家さんの話では、げっそりと痩せていたという。
書き忘れたが、入院してもう1か月になるという。
検査入院とかで、入院した。
それが1か月?

●伯父の他界

 数日前、伯父が他界した。
おととい、香典を届けた。
岐阜の山奥で、峠を越えたら、一面の雪景色。
久しぶりの雪景色。
その美しさに、思わず声をあげた。

 母方の兄弟が13人。
父方の兄弟が5人。
私には18x2=36人のオジやオバがいた。
が、今は、もう2、3人になってしまった。
さみしいというより、「つぎは私たち……」。
そんなふうに考える。
ワイフも、「順番ね」と言った。

 伯父は、自宅のふとんの中で横になっていた。
若いころは色白だった。
大柄な人だった。
が、そこに見た伯父は、小さく、顔色も土色だった。
表情も、別人のようだった。

●封建主義

 その伯父。
よい意味でも、そうでない意味でも、昔の武士のような人だった。
私はいつもその伯父を通して、江戸時代を見ていた。
家父長意識が強く、家意識も強かった。
ものの考え方も権威主義的で、上下意識も強かった。
もちろんプライドも高かった。
封建時代というより、封建主義のかたまりのような人だった。

嫁いできた伯母などは、最初の10年ほどは、「女中」のような存在だった。
妻というよりは、「女中」。
みな、そう言っていた。

 ……あの封建時代を礼賛する人も多い。
「武士道こそ日本の……」と説く人も多い。
しかし封建時代の、「負の側面」を語ることなしに、一方的に武士道なるものを
礼賛してはいけない。
平たく言えば、「人間」を語ることなしで、武士道を語ってはいけない。

●前の男

 列車は掛川を過ぎた。
静岡までの半分の距離を過ぎた。
斜め右側の若いカップルは、相変わらず、ペチャクチャと話しつづけている。
その横の男は、本を読むのをやめ、今は、両手をコートのポケットに入れ、
眼を閉じている。
横には、大きな黒いバッグ。
 
 大きなバッグである。
通勤用ではなさそう。
どこかへ行くのだろうか。
それとも帰ってきたのだろうか。
頬は、ブルドックの顔のように垂れ下がっている。

●文を書く

 この列車は鈍行列車ということになる。
が、私は嫌いではない。
1~2時間の距離なら、いつも鈍行列車を利用する。
こうして列車の中で、文を書くのは楽しい。
新幹線だと、それができない。
……というか、落ち着かない。

 時間はたっぷりとある。
そう言えば、あのカップルが、先ほどの駅で降りた。
とたん、夜行列車独特の静けさが、車内に充満した。
みな、目を閉じて黙りこくっている。
聞こえるのは、車掌の声、笛の音、それに客が動かす荷物の音。

 ……またまたあの眠気。
もしこうしてキーボードを叩いていなかったら、私は眠っていただろう。
横を見ると、ワイフも目を閉じて眠っている?

●OFF

 たった今、ぐるりとあたりを見回した。
そのとき、斜め前の男と、視線が合ってしまった。
気がつかなかったが、向こうは先ほどから私のほうを見ていたらしい。
私は会釈する間も取らず、目をそらした。
そらしながら、左手で首筋をかいた。

 人間というのは、不思議な生き物だ。
こういう世界では、すべての人を、OFFにしてしまう。
人間を人間と見ない。
記憶にも残さない。
記憶にも刻まない。

 相手の男もそうだろう。
私をどう見たかはわからないが、見ると同時に、忘れているはず。
大脳生理学の本によれば、数分の1秒程度で、忘れてしまうそうだ。
でないと、脳みそは記憶だらけになってしまう。
パンクしてしまう。
この文を読んでいるあなたにしても、そうだ。
読んだ先から、内容を忘れていく。
それでよい。

●空想

 では、どうすればよいのか。
どうすれば、この瞬間を、脳に刻むことができるのか。
またこの文を読んでいる読者のみなさんの脳に、どうすればこの文を刻むことが
できるのか。

 何かの事件があれば、それでよい。
それを書けばよい。
何かないか……?

 そう、こんな話はどうか。
実はこの夜行列車は、今日死んだ人を、黄泉(よみ)の国へ運ぶ、死人列車。
昔、そんなようなテレビ映画があった。
「ミステリーゾーン(ツワイトライトゾーン)」というのが、それだった。

 が、列車の中の客たちは、自分が死んでいることに気がついていない。
いつもの自分と思っている。

 あるいは火星に向かう宇宙船でもよい。
ただの宇宙船では退屈するだろう.
そこでわざと夜行列車風に作り変える。
この列車の中の人たちは、みな、それなりの科学者。
外の景色も、作り物。
しかし速度は、秒速数万キロ!  
 
●乗り換え

 この列車は、静岡で乗り換え。
乗り換えて、沼津に向かう。
同じ静岡県なのに、結構、遠い。
少し尻が痛くなってきた。
この一週間、運動量をふやした。
筋肉痛が、あちこちに残る。

 ……それにしても、腹が減った。
沼津で何かを食べる。
それが楽しみ。

 明日は講演のあと、主催者の人たちが、昼食を用意してくれるとか。
先日、電話で「生ものでいいですか?」と聞いてきた。
沼津といえば、魚。
サシミ類なら、毎日でもよい。
私の大先祖は、肉食の魚だった!
楽しみ。
空腹なときは、とくに楽しみ。

●真剣勝負

 私にとって講演というのは、まさに真剣勝負。
集まる人の数には、左右されない。
関係ない。
10人でも、500人でも同じ。
まったく同じ。
「手を抜かない」というよりは、どこでも同じ。
真剣勝負。

 ……といっても、このところ心配なのは、気力。
気力がつづかない。
気力がつづかないと、途中で何を話しているか、わからなくなる。
脱線しても、話を元にもどすことができなくなる。
それが心配。

 だから講演の朝は、食事を抜く。
腹をからっぽにしておかないと、脳みそのほうに血が回らなくなる。
私は低血圧症。
上が110、下が60~70前後。
長生きはできるそうだが、その分、ボケやすい、とか。

 それに中には、同じ話をする人もいるとか。
私のばあいは、いつもちがった話をする。
会場ごとに、ちがった話をする。
で、明日の話は、やはり新家族主義から入る。

●新家族主義

 家族主義もよいが、行き過ぎはよくない。
現在は、その家族主義が行き過ぎている。
「仕事より家族」と言うのは結構だが、貧乏の恐ろしさを知った上でなら、それもよい。
貧乏の恐ろしさを知らないまま、「家族のほうが……」というのは、おかしい。

 たしかにお金では幸福は買えない。
が、お金がなければ、確実に不幸になる。
また多くの親は、子どもに楽しい思いをさせること、あるいは楽をさせることが、
親の愛の証(あかし)と考えている。
親の絆もそれで太くなる、と。

 しかしこれは誤解。
まったくの誤解。
子どもを「よい子」にしたければ、(「よい子」の定義もむずかしいが……)、
子どもには苦労をさせる。
その苦労が、子ども自身を育てる。

●苦労

 が、苦労といっても、二種類、ある。
自分のための苦労と、他人のための苦労。
(1)利己的苦労と、(2)利他的苦労。
よく「私は受験勉強で苦労しました」と言う人がいる。
しかしそれは自分のための苦労。

 子どもは、(おとなもそうだが……)、他人のために苦労を重ねて、自分の人格を
磨くことができる。
できれば無私無欲。
忍耐力も、それで育つ。

 これも誤解がないように、ここではっきりと書いておきたい。
子どもにとっての忍耐力というのは、(おとなにとってもそうだが……)、「いやなことを
する能力」をいう。
たとえばためしにあなたの子どもに、トイレ掃除でもさせてみればよい。
何の抵抗もなく、自然にそれができれば、すばらしい子どもということになる。
つまりそういう「力」は、苦労によって育つ。
「自分のための苦労」ではない。
「他人のための苦労」で育つ。

 ……反対に、よく「うちの子はサッカーだと一日中しています。忍耐力はあるはずです。
そういう力を、勉強面でも伸ばしたい」という親がいる。
しかしそんな力は、ここでいう忍耐力ではない。
自分のために苦労しているだけ。
好きなことをしているだけ。

 親としてはつらいところだが、……というのも、日本人は骨のズイまで、日本人独特
の育児観がしみこんでいる。
そういう常識を変えるのは、容易なことではない。
たとえばニュージーランドでは、学校から帰宅したあと、子どもたちは家事の手伝いを
日課としている。
夕食までの時間が、その時間。
その間に、親の指示に従い、自分の役割を果たす。
私が「学校の宿題があるときは、どうするのか?」と聞くと、その大学生はあっさりと、
こう言った。
「夕食後だ」と。

 それが彼らの常識。

●見返り?

 となると、明日の講演は、このあたりから話したい。
今どき、高校生はもちろん、大学生でも、親に感謝しながら学校へ通っている子どもは、
さがさなければならないほど、少ない。
実際には、いない。
中に、お金を受け取るときだけ、「ありがとう」と言う子どももいる。
が、それだけ。
親がへたに何かを期待(?)しようものなら、すかさず子どものほうが、こう反論する。
「あんた(=親父)は、見返りを求めて子育てをしてきたのか!」と。
子どものほうに、親が叱られる時代である。
また今どきの子どもたちは、それを「干渉」という言葉で表現する。

 「将来、親のめんどうをみる」などと考えている若者は、30%もいない!

●沼津東急ホテル

 沼津は、沼津東急ホテルで一泊。
食事はまだだったので、歩いて100メートルほどのところにあった居酒屋で夕食。
「さえ丸おじさんの店」。

サスガ!

さすが沼津。
私は、カンパチの頭(かしら)焼き。
ワイフは、サシミの5点盛り。
新鮮で、おいしかった。
私もワイフも、大満足。

●エジプト騒乱

 部屋に帰ると、午後11時のニュース。
九州の新燃岳の火山爆発。
全国的なインフルエンザの流行。
エジプトの騒乱。
断片的なニュースが、横にあるテレビから流れてくる。
今日も、あちこちでいろいろなことがあったらしい。

 ……そのエジプト。

先進国は今、自国の経済を守るために、「札」を大増刷している。
世界中が、インフレの荒波にさらされている。
が、当の先進国は、それでよい。
インフレを吸収するだけの余力をもっている。
たとえばアメリカドルにしても、いくら印刷しても、それをほしがる国がある。
自国の通貨よりも、アメリカドルのほうをほしがる国のほうが多いのではないか。
しかしエジプトの通貨は、どうか?

本来なら、同じ割合だけ札を増刷して、アメリカドルに対抗したい。
しかしエジプトの通貨など、だれもほしがらない。
つまりそうしたしわ寄せが、中進国以下に集まり始めている。

不況と高い失業率。
物価の高騰と食料不足。
そのひとつが、エジプトの騒乱となって表面化した。
この先、世界情勢は、ますます混沌としてくる。

●1月29日

 今朝は、よく眠れなかった。
朝、4時に、目が覚めた。
エアコンのせいか、空気がカラカラに乾燥。
目が覚めたとき、喉もカラカラだった。

 冷蔵庫から、スポーツドリンクを取り出して飲む。
ワイフも半分、飲む。
再び電灯を消し、目を閉じる。

 ……頭の中で、巨大な宇宙船を想像する。
円筒形の宇宙船である。
直径は、数100キロ以上、長さは、数1000キロ以上。
実際、それに近いUFOが、土星の環(輪)付近で見つかっている。
「どんなUFOだろう?」と想像する。

 ……いつも眠れない夜は、そんなことを考える。
いつもなら、そのまま眠ってしまう。
が、今朝は反対に、かえって頭が冴えてしまった。

●円筒形の宇宙船

 円筒形の宇宙船。
居住区は、円筒の内側に張りつくように位置する。
もちろん人工の山や海もある。
球体の表面に張りつく地球と、ちょうど逆ということになる。
宇宙船は、ゆっくりと回転する。
その遠心力を利用し、人工重力を生み出す。

 直径が100キロ以上もあるから、空のかなたに、別の都市群が見える。
もちろん地球上と同じような大気の気流もあり、天候も日々に変化する。
空を飛行機が飛び交い、海には船も浮かぶ。
中央にはプラズマ太陽。
それが24時間単位で、明るくなったり、暗くなったりする。

 この程度の大きさがあれば、1億人から数億人ほどの人たちが、居住できる。
で、今朝はこんなことを考えた。

 円筒形の宇宙船は、ゆっくりと回転する。
そのとき回転する方向と逆に、同じ速度で走る列車があったとする。
理屈で考えれば、遠心力はそれによって相殺されることになる。
つまり無重力状態になる。
となると、その列車は、そのまま宙に浮かぶことになる。
……浮かぶことになるのか?

 そんなことを考えていたら、かえって頭が冴えてしまった。

●さらに10兆円?

 現状のままでは、2、3年後には、赤字国債がさらに10兆円ほどふえるという。
寝る前に見たテレビで、解説者がそう言っていた。
これは、もうメチャメチャな額と言ってよい。
わかりやすく言えば、月給40万円しかない人が、毎月90万円近い生活費を使って
いることになる。
差し引き50万円は、借金。
その借金が、さらに10万円増える。

 ただ救いなのは、息子や娘のできがよく、資産を1000万円近くもっていること。
いざとなったら、息子や娘の預貯金を食いつぶせばよい。
一家の親父は、そんなことを考え、借金のことなど、どこ吹く風。
今月も庭の改造や、離れの改築に忙しい……。

 バカげているが、だれもそれを止めることができない。
本来なら親父の小遣いを減らし、道楽をやめさせる。
経済学者たちは、みなこう言っている。
「日本経済の破綻は可能性の問題ではなく、時間の問題」と。

●行政改革

 ここまで来たら、行政改革、つまり官僚制度の是正を断行するしかない。
わかりやすく言えば、公務員数の削減と公務員の給料の削減。
ボーナスにしても、公務員の人たちには、年4回も支払われている。
夏と冬の通常のボーナスのほか、年2回の「調整金」という名目のボーナス。
恩給にしても、「転籍特権」という特権がある。
その人が死んでも、家族は、それ以後も年金を受け取ることができる。
つまりそういう特権が無数に積み重ねあげられ、現在の公務員社会を作っている。

……いったいいくらの給料が支払われているのか。
支払われていないのか、それを正確に知る人は少ない。
が、計算方法がないわけではない。

 総人件費を、総公務員数で割るという方法がある。
いろいろな計算がなされている。
が、それとて、よくわからない。
複雑に入り組んでいる。

 で、昨日、政府は、公務員の給料を総じて2割削減するということを言い出した。
当然のことである。
が、O県のばあい、以前、5%(たったの5%だぞ)削減すると首長が提案しただけで、
大騒動になった。
提案は、そのままつぶされてしまった。

 さて、どうなることやら。
が、このままでは日本の経済は、確実に破綻する。
ある評論家はテレビ報道の中で、「残りの猶予期間は、ここ1、2年です」と言っていた。
それを過ぎると、赤字国債の買い手が見つからない。
つまり国家破綻!

 それぞれの公務員の人に責任があるわけではない。
が、ここまで丸々に肥大化した公務員社会。
そこにメスを入れないかぎり、日本に明日はない。

●会場へ

 会場へは、迎えの車で。
朝食は抜いた。
そうでなくても、眠い。
ここで食事をしたら、本当に眠ってしまう。
一度、そういうヘマをしたことがある。
昼に出された寿司を食べてしまった。
講演は、そのあと。
その講演の途中で、瞬間だが、コクリと眠ってしまった。
以来、講演の前には、食事をしないことにした。

 が、寒いせいか、今朝は、呂律(ろれつ)がよく回らない。
たとえば「きょう(今日)」というのを、「ケウ」などと言ってしまう。
こういうときは、発声練習をする。
脳と口の筋肉をシンクロナイズさせる。
合唱団員のとき、よくした。

 ……あるいは脳の微細脳梗塞が始まっているのかも?
血栓性の脳梗塞。
心配。
本来なら30分でもジョギングできればよい。
脳の回転がよくなる。
が、その時間もなさそう。
今朝はこれからこのまま会場へ。
あと30分。
チェックアウトをすませ、ロビーで待つ。

それでは、みなさん、おはようございます。
(2011年1月29日)


Hiroshi Hayashi+++++++JAN. 2011++++++はやし浩司・林浩司

●ボケとグチ論




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 子育て最前線の育児論byはやし浩司      2月   4日号
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【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●ウソと小細工

++++++++++++++++

私は、「ウソ」に対して、過剰とも
言えるような反応を示す。
心の中に大きなトラウマがある。
それが反射運動的に激怒となって、
外に現れる。

小細工にしても、そう。
私の心は、同じように反応する。
それが小細工とわかったとたん、
その人への信頼感は、その瞬間、
粉々に壊れる。

ウソと小細工。
見た目には大きく違うが、中身は
同じ。

ウソつきは、小細工が好き。
小細工をする人は、ウソが好き。

++++++++++++++++

●小細工

 小細工をする人は、繰り返し、小細工をする。
小細工しながら、生きている。
思考回路が、そうなっている。
だからそれが悪いこととは、思わない。
ごく日常的な行為として、それができる。
平たく言えば、一事が万事。

 だれがそうとは言わない。
しかしこのタイプの人は、あなたの周囲にも、1人や2人はいるはず。
こまかいことに神経をつかい、それでもって相手を、自分の思い通りに動かそうと
する。

少し前に観た映画に、『君に読む物語』(The Notebook)というのがあった。
その中で、ボーイフレンドは、ガールフレンドに毎日手紙を書く。
が、ガールフレンドの母親が、その手紙をそのつど握りつぶしてしまう。
これも小細工。
そういうことが平気でできる人というのは、心がかなり壊れた人とみてよい。

●壊れた心

 心というのは、一度壊れると、もとに戻すのがむずかしい。
一生、不可能ではないかとさえ、思う。
たとえば一度、人間らしい心を失ってしまった人、など。
そういう意味では、幼児期、少年期は、たいへん重要な時期と考えてよい。
この時期の子どもの心は、たいへん傷つきやすい。

 当然のことながら、穏やかで、静かで、心豊かな環境で育てるのがよい。
もちろん両親の暖かい愛情も重要。

 が、意外と甘く見過ごされてしまうのが、赤ちゃん返り。
下の子どもが生まれると、上の子どもにさまざまな変化が現れることがある。
そのひとつが、赤ちゃん返り。
嫉妬という、きわめて原始的な感情がからんでいるだけに、基本的な部分で人間性
そのものをゆがめる。
嫉妬がからむと、人間は、(動物の世界でも似たような現象が数多く報告されているが)、
相手を殺すというところまでする。

 そういう事例を、数多く、私は見聞きしている。

 だから「心」というのは、作るものではなく、壊さないようにするもの。
そういう意味では、私は性善説を支持する。

 人間は本来、みな、やさしくて穏やかな心をもっている。
が、それが何らかの理由で壊れ、そして心をゆがめていく。
たとえば「悪人」とか、「犯罪者」という言葉がある。

 しかし悪人も善人も、大きくちがうようで、それほどちがわない。
紙一重というか、どこかで歯車が狂っただけ。
最初は小さな狂いだったかもしれないが、それが時間とともに大きくなる。
大きくなって、悪人は悪人になり、犯罪者は犯罪者になる。

 少し前、法務省の依頼で、40分x2本の、受刑者用の講演テープを作った。
横浜のラジオ局で収録した。
そのあと全国の刑務所に配布された。
そのときも、そういう話をした。

 そこで重要なことは、まず自分を知ること。
その第一歩が、自分の幼児期を知ること。
「私」を知ることは、すべてそこから始まる。
その方法については、すでに何度も書いてきた。

 話がそれたが、ウソをつく。
小細工を重ねる。
こうした症状も、「壊れた心」という視点に立ってみると、よく理解できる。
繰り返しになるが、「子どもの心は壊さない」。
これは子育てにおける、もっとも重要なポイントということになる。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司
 BW はやし浩司 小細工 ウソ 嘘 子育ての要 壊れた心)


Hiroshi Hayashi++++Dec. 2010++++++はやし浩司・林浩司

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●Happy Learners


BW子どもクラブbyはやし浩司
浜松・Japan


●2010年の終わりに……(年長児、5-6歳のみなさん)2010-12-20


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Hiroshi Hayashi++++Dec. 2010++++++はやし浩司・林浩司

●12月20日、夜記

++++++++++++++++

PSPを使っての将棋は、連戦連勝。
しかし画面が小さく、私には見づらい。
根を詰めて指していると、すぐ頭が痛くなる。
これはどういう理由によるものなのか。

だからそのつど1試合が、限度。
間に1時間以上の休憩が必要。
・・・というより、将棋ばかりしている暇はない。
楽しいが、そこまで。

++++++++++++++++

●失聴

 左の耳が聞こえなくなって、もう20年以上になる。
「突発性~~」という病名が使われ始めたころのことである。
正月も近いというある夜、左耳が焼けるように痛くなった。
熱もあった。
それが一昼夜つづいた。
いろいろな薬をのんだ。
扁桃腺か風邪かと思った。
が、その熱が冷めたとき、左耳は聴力を失っていた。

 で、左耳というのは、右脳に直結している。
身体の神経と脳の神経は、左右逆に交差している。
その右脳は、音楽やグラフフィックなど、アナログ的な働きを得意とする。
一方左脳は、論理や分析、言語や計算などの、デジタル的な働きを得意とする。
だから芸術家には、左利きが多いとよく言われる。
一方、作家や数学者には、右利きが多いとよく言われる。
もっともこの日本では、以前は、左利きは全体の5%前後と言われていた。
左利きは、嫌われていた。
左利きの子どもは、無理に矯正された。
が、実際には、左利きにしても、人類の約5%が、左利きといわれている
(日本人は3~4%)。
原因は、どちらか一方の大脳が優位にたっているという大脳半球優位説。
親からの遺伝という遺伝説。
生活習慣によって決まるという生活習慣説などがある。

 それはともかくも、左耳を失聴してから、ステレオ音楽がわからなくなった。
音の方向もわからなくなった。
教えていて困るのが、これ。
幼児の声は、みな、よく似ている。
口の動きをみて、その子どもがしゃべっていると知る。
が、もっと困ることがある。

 たとえば一方向から、親の声と子どもの声が、耳に入ったとする。
こういうばあい、頭の中で、音を分離できない。
できないから、親の声と子どもの声が、混ざって聞こえる。
あるいは講演会の席などで、だれかが質問したとする。
そのとき講演会の外を走る車の音と、質問の声がまざって聞こえる。
つまり大きい音に小さい音が、負けてしまう。
質問した人の声が小さいと、声を聞き取れなくなる。

●右脳vs左脳

 さらに論理的に考えると、こうなる。
左耳が聞こえないということは、右脳に直接信号が届かないということになる(?)。
音楽を理解する中枢は、その右脳にある。
が、私は音楽が好きだし、よく聞く。
しばらく聞いていると、よい気分になる。
脳の中で、モルヒネ系のホルモンが分泌されるためと考えられる。
つまり左耳からの信号はなくても、右脳はちゃんと機能している(?)。

 大脳生理学の専門家が聞いたら、「おい、林、それはちがうよ」と言う
かもしれない。
右脳に音楽を司る中枢があるといっても、理解するのは脳の別の部分かも
しれない。
それに右耳から入った信号でも、右脳に届くということもあるかもしれない。
右脳と左脳は、脳梁(のうりょう)と呼ばれる、神経の太い束でつながっている。
左脳に入った信号が、右脳に伝わるということは、じゅうぶん考えられる。
さらに脳には、補完作用というのがある。
たとえば左脳がダメージを受け、言語中枢に支障が出たようなばあい、訓練に
よって右脳がそれをカバーする、など。
さらに最近の研究によれば、女性のばあい、右脳にも言語中枢があるという。
だから女性には、おしゃべりの人が多い、とか。
つまり脳というのは、私たちが考えるよりはるかに柔軟性や適応性がある。

 わかりやすく言えば、脳は使えば使うほど、よくなるということ。
そればかりか、失われた機能まで、回復することもあるという。
これも何かの本で、読んだことがある。
(本といっても、ちゃんとした研究論文だぞ!)

●ボケ

 一方、使わなければ、どうなるか?
・・・というより、50歳も過ぎると、脳の底に穴が開いたような状態になる。
それまで脳の中にあった知識や知恵が、どんどんと下へとこぼれ落ちていく。
みごとなほど(?)、下へとこぼれ落ちていく。
それが自分でも、実感として、よくわかるようになる。
つまり放っておいたら、バカになるだけ。

 それを防ぐためには、2つの方法がある。
(1) 頭をよく使う。(いろいろな刺激を多方面から与える。)
(2) 失われた分以上に、新しい知恵や知識を脳の中に叩き込む。

 これは私という人間の素人判断。
が、ときとしてボケは、その向こうで始まることがある。
血栓性の脳梗塞や、アルツハイマー病など。
こうなるとお手上げ。
言い換えると、自分ではどうしようもない。
その恐ろしさは、左耳を失聴した私にはよくわかる。
どんなに努力しても、一度切れた神経は、つながらない。
こうした状態が、脳全体で起こる。

●相手にされない

 ボケになると、人に相手にされなくなる。
それがさみしい。
たとえば私たちでも、相手がボケているとわかると、相手にしない。
適当にあしらって、それですます。
「どうせボケた人の言うことだから・・・」と。
言い換えると、自分がボケになると、相手は私を適当にあしらって、
それですますようになる。
相手にされなくなる。

 もっともボケた本人は、それに気づかない。
このことはボケた人と話していると、よくわかる。
「頭のほうは、だいじょうぶですか?」などと言おうものなら、即座に、こんな
返事が返ってくる。
「私は、だいじょうぶです。どこも悪くありません!」と。
アルツハイマー病の初期段階の人ほど、猛烈に反発するという。
取り繕(つくろ)いや、辻褄(つじつま)あわせ、弁解や言い訳が多くなるという。
何かの本で、そう読んだことがある。

 が、それも限度を超えると、つまり本人があきらめてしまうのか、
ボケは急速に進む。
もっともそうなれば、自分がボケていることさえ、わからなくなる。

●メガネ店で

 メガネ店では、補聴器も売っている。
補聴器といっても、ただ音を大きくするだけのものから、耳の状態に合わせて、
きめこまかく調整して使うものまである。
後者のばあい、耳鼻科の医師と相談して使うのがよい。

 それはそれとして、先日、骨振動系の補聴器を貸してもらい、試してみた。
ボリュームは最大。
わずかだったが、左耳でも音を聞くことができた。
そのときのこと。
音がすばらしく奥行きのあるものに聞こえた。
絵画にたとえるなら、それまで白黒だったものが天然色になったような
気分だった。

 けっして大げさなことを書いているのではない。
本当にそう感じた。
と、同時に「私は損をしている」と思った。
美しい音でも、その10分の1も味わっていない。

●相対的

 賢明な人は、それを失う前にその価値を知る。
そうでない人は、それを失ってはじめて、その価値を知る。
健康というのは、そういうもの。
しかし脳の健康には、それが当てはまらない。
失ったことにすら気がつかない。
気がつかなくても、生きていくうえにおいては、ほとんど支障がない。
ボケた人はボケた人なりに、何とか生きていく。
しかもボケというのは、相対的なもの。
私やあなたにしても、若くて聡明な人たちから見れば、ボケて見える。

●今日もがんばろう!

 今は、PSPを使って、脳トレをしている。
PSPの将棋(D3パブリシャー社「The将棋」)では、
レベル20まで難度を調整できる。
で、昨夜ふとんの中で、そのレベル20に挑戦してみた。
結果は、私の負け。
このゲーム機器で遊んで、はじめて負けた。
(もっともPSPのほうでは、そのつど30秒も思考を繰り返す。
私は、5秒以内の速攻。
これは負けたことの言い訳か?)

 ……しかし今朝は、脳がよく働かない。
目の前に、処理しなければならない書類が、4~5通、ある。
が、どれから手を付けようか……?
何かにつけて、投げやり。
迷っている間に、時間ばかりが過ぎていく。
やはり頭の働きが、悪くなったのか?

 ……ともかくも、今日も始まった。
12月22日。
みなさん、おはようございます。


【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●ボケが始まるとき(グチ論・愚痴論)

++++++++++++++++++

今日(12月18日)、東名西インターの
少し北にある、「S」というレストランで、
遅い昼食をとった。

そのときのこと。
運悪く(?)、その席に案内されてしまった。
隣の席、つまり背側の席に、2人の女性が
座っていた。
1人は、65歳~70歳。髪の毛は根本が
白く、始末の悪いなりをしていた。
ボサボサの頭に、ヨレヨレの衣服。
この女性を、女Aとする。

もう1人は、40歳前後。
この女性を、女Bとする。
最初、2人は親子かなと思った。
似たような顔をしていた。

が、席についたとき、瞬間、「しまった!」と
思った。
耳のそばで、間断なく女Aがしゃべっていた。
ペチャペチャ、クチャクチャ……
ペチャペチャ、クチャクチャ……、と。
そのうるさいことといったら、なかった。

脳に飛来する情報を、そのまま口にしているだけ。
話の内容が、クルクルと変化していく。
愚痴につづく、愚痴。
ところどころで、わかったようなことを言う。
「人生、前向きにいきなきゃあ」と。
が、それらはすべて、だれかの受け売り。

それに対して、女Bが、適当に相づちを入れる。
女Aはさらに気をよくして、しゃべる。
……しゃべりつづけた。

私は覚悟を決めた。
どんな話をしているか、確かめてみようと。
そういう気になった。

最初は、話のストーリーがつかめず、
苦労した。
内容が理解できなかった。
話の内容が、ポンポンと飛ぶ。
つかみどころがない。
が、5分もすると、おぼろげながら、輪郭が
見えてきた。
どうやら娘のダンナの話をしているらしい。
親類の話をしているらしい。
昔の仕事の話をしているらしい。

よく誤解されるが、ペラペラとよくしゃべるから、
頭がよいということにはならない。
頭のよさは、思考力のあるなしで決まる。
思考の深さによって決まる。
頭のよい人ほど、(子どもでもそうだが)、
相手の言ったことを、一度頭の中で反すうする。
が、女Aのばあい、一方的にしゃべるだけ。
相手の話を聞かない。
聞く耳すら、ない。

私は女Aの話し方の特徴を、そこでメモした。

(1)間断なく、よくしゃべる。
(2)聞き手の意見を聞こうともしない。
(3)相手に意見を求めない。
(4)話のないようが、つぎつぎと変化する。
(5)無表情で、口先だけで話す。
(6)内容が浅い。つまり思考を反復しない。
(7)自己の優位性を、相手に押しつける。
(8)不平不満、愚痴が多い。

私は女Aの話を聞きながら、「人間は、こうして
ボケていくもの」と確信した。

++++++++++++++++++++

●不安神経障害

 愚痴は、アメリカの精神医学会(DSM)の診断基準によれば、不安神経障害の
主症状のひとつになっている。
「Complaint」を「愚痴」と訳すと、そうなる。
つまり愚痴を言うのは、それ自体、心の病気。
だから愚痴は言わない。
聞かない。
相手にしない。

ある賢人は、こう言った。
「怒ったときは愚痴を言うな。愚痴を聞いても怒るな」と。
けだし名言である。

 原稿をさがしてみたら、昨年、同じテーマについて書いたのを知った。
それをそのまま再掲載する。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●愚痴(Complaint or Grumble)

++++++++++++++++++++++++

英語と日本語を一致させることはできない。
微妙にニュアンスがちがうことが多い。
たとえば「愚痴」を、英語では、「complaint(不平・不満)」という。
しかし「愚痴」と、「complaint」は、どこかちがう?
そういうことはあるが、その「complaint」について、アメリカの精神医学会
(American Psychiatric Association)は、「不安神経障害(Anxiety Disorder)」
の主症状のひとつにあげている(DSMー4)。

愚痴をあれこれ言うこと自体、「障害(Disorder)」のひとつというわけである。
なるほど!
だから、愚痴は言わない。

APAのHPには、つぎのようにある(一部抜粋)。

In behavioral health care as in general medicine, when an individual complains of a
subjectively experienced disturbance or unpleasant perception such as pain or anxiety,
we call this a symptom. We distinguish this from a sign such as slurred speech which a

professional can observe.
(苦痛や心配ごとのような混乱や不快感について、不平、不満を訴えることを、「症状」と
いい、たとえばおどおどした態度のような、専門家でないと区別できないような症状を、「兆
候」という。)

+++++++++++++++++++++++++

●日本語

 日本語を使っているとき、ときどき、こう感ずることがある。
「日本語って、すぐれているなあ」と。
とくに(心)を表現する用語が、きわめて豊富である。

 たとえば10年ほど前から、欧米では、さかんに「attachment(アタッチメント)」
という言葉が使われるようになった。
「愛着行為(行動)」と翻訳されている。
が、これなどは、「赤ちゃん返り」の類義語と考えればよい(反論もあるだろうが……。)

 心理学で言う「固着」にしても、日本語には、「わだかまり」とか、「こだわり」とか
いう言葉がある。その類義語と考えればよい。(反論もあるだろうが……。)

 さらに日本語には、「取り越し苦労」とか、「ヌカ喜び」という言葉もある。
これなどは、まさに「不安神経障害(Anxiety Disorder)」の主症状のひとつと考えてよい。
(反論もあるだろうが……。)
精神的に不安定な人ほど、取り越し苦労とヌカ喜びを、いつも繰り返す。

 私たちは専門家ではないから、(逃げるわけではないが……)、要するに、心理学と
いっても、よりよく自分の人生を生きるための道具にすぎない。
またそういう目的のために利用すればよい。
(それでお金を稼いでいる人は別だが……。)

冒頭にあげた、愚痴(complaint)にしてもそうだ。
「愚痴を口にしたら、精神状態はふつうでない」と考えてよい。
(反論もあるだろうが……。)

●K子さん(62歳)の例

 当時、私は無料で、電話相談なるものを受け付けていた。
そんなある日、K子さんという女性から、家族の問題について、相談があった。
静かで、落ち着いた女性だった……と感じたのは、最初の1回目のときだけ。
それにつづく相談は、まさに「?」としか思えないようなものだった。

 いくつか特徴があった。

(1)一方的にしゃべるだけ。
(2)不平、不満をしゃべるだけ。
(3)「では、どうすればいいのか」という話し合いができない。
(4)ことこまかに、どうでもよいことを、しゃべるだけ。
(5)つぎの相談のときには、前の相談のことを忘れてしまっている(?)。
(6)前回の相談のときの矛盾をつくと、パニックになる。
(7)「私はすばらしい」「まちがっていない」ということを強調する。
(8)私が反論的な意見をそえると、それに猛反発する。
(9)子どもの相談といいながら、ときとして、夫や姑の話になる。
(10)そういう電話が、毎回、ときに1時間以上も、ねちねちとつづく。

 当時の私は、「愚痴を聞いてやるだけでもいいのでは」と考えて、K子さんの
言うままにしておいた。
しかしまともに聞いていると、こちらまで気が変になりそう。
そう感じたから、ときには受話器を耳からはずして、「そうですか」「そうですね」だけを
繰り返した。
一度だが、私の方から電話を切ろうとしたことがある。
とたん、K子さんは、パニック。
激怒。

「どうして私の話を聞いてくれないのですかア!」と。

●愚痴 

 「愚痴は言わない」というのは、さわやかに生きるための大鉄則。
だが、同時に、「他人の愚痴を聞かない」というのも、重要。
愚痴には、恐ろしい魔力がある。

 仏教でも、肉体の奴隷になることを、強く戒めている。
もし肉体の命ずるままに、精神が動揺したら、人間はそのまま畜生と化す。
その中でも、とくに警戒すべきものが、『貪(どん)』『瞋(しん)』『痴(ち)』。

ここでいう『痴』というのは、仏教でいうところの『愚痴(ぐち)』をいう。

 要するに、(愚かさ)が極まった状態を、『痴(ち)』といい、それが愚痴の語源に
なっている。
わかりやすく言えば、愚痴を言うこと自体、その人が愚かであることを意味する。
その(愚かさ)に接していると、接するこちら側まで、愚かになる。
だからある賢人は、こう言った。

 「怒っていたら、愚痴を言うな。愚痴を聞いても、怒るな」と。
けだし、明言である。

 ともかくも、愚痴を言うということ自体、アメリカでは、精神障害(mental disorder)
を疑われるということ。
日本では、愚痴を軽く考える傾向があるが、アメリカでは、そうでないということ。
気をつけよう。

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi
Hayashi 林浩司 BW はやし浩司 愚痴 愚痴論 complaint 不安神経障害)

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●追加

 昨年書いた原稿に、今日の経験を追加してみる。

 私は女Aよりも、女Bのほうに、興味をもった。
介護士ではない。
ヘルパーでもない。
友人や娘でもない。
これについてワイフが、あとでこう話してくれた。
「今はね、ああいうふうに老人の話を聞くだけのヘルパーさんも、いるのよ」と。

 知らなかった!

 そこでネットを使って調べてみると、つぎのようなことがわかった。
介護ヘルパーのばあい、被介護者の話をよく聞くというのも、重要な仕事のひとつに
なっているということ。
「聞いてやるだけでも、老人は安心する」と。

 ナルホド!

 また聞き役専門のヘルパーというのはいないが、ある「何でも屋」の広告には、
「老人の話し相手になる」というのもあった。
つまり孤独な老人を相手に、聞き役になる、と。
話を聞いてもらえるだけでも、孤独な老人には、助けになるらしい。
しかしその老人自身は、どうなのか?
それで満足するのか?
見知らぬ相手に、愚痴を並べて、それで救われるのか?
相手は、仕事のひとつとして、話を聞いてくれる。
が、私なら、そんな相手に、内輪の話はしない。
ふつうの思考力のある人なら、そう考える。
しかし、そういう判断力も、ない。
ないから、やはりそういう話し方をする人は、ボケ症状が始まっているとみてよいのでは。

 レストランを出てから、ワイフとこんな会話をした。

私「愚痴を言わないことだよね」
ワ「そうね」と。

 ところで私はよく愚痴をこぼす。
しかしこと私のワイフにかぎっていえば、結婚してから40年近くになるが、私は
ワイフが愚痴をこぼしたのを聞いたことがない。
つまり不安神経障害とは、それだけ無縁ということ。
うらやましい。

 で、この原稿の結論。
それは先に書いた。
つまり愚痴を口にしたら、精神状態はふつうでないと考えてよい。
あるいはボケの始まりと考えてよい。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司
BW はやし浩司 愚痴 愚痴論 愚痴は聞いても怒るな 怒ったときは愚痴を言うな
 グチ 不安神経障害(DSM))


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●映画『トロン(TRON)』

+++++++++++++++++++++++

前作を見てから、25年(?)。
前作が衝撃的だったから、期待も大きかった。
当時主流になりつつあった、レーザーディスク版も買った。
当然、何度も観た。

が、時代は変わった。
映画も変わった。

昨夜、その映画、つまり『トロン』を観てきた。
星は2つか3つの、★★+。
(かなり、がっかり!)

3D映画だったが、それほどの迫力もなかった。
先週観た『ロビンフッド』が、よかったこともある。
そちらは、星4つの、★★★★+。
久々に、「これが娯楽映画!」と言わせるような映画だった。
その反動?
感覚が鈍化したため?
今では『トロン』程度の映画なら(失礼!)、いくらでもある。
たくさん観てきた。
ワイフはこう言った。
「前宣伝が派手な映画ほど、がっかりすることが多いわ」と。

半分、同感。

+++++++++++++++++++++++

●DVD『運命のボタン、THE BOX』

 この原稿を書き始めたころ、ワイフもこたつの中で、『運命のボタン、THE BOX』
というDVDを観始めた。
劇場で上映されたとき、忙しくて見損ねた。
で、今夜になった。
私はパソコン、ワイフはDVD。
が、途中から、おもしろそうだったので、原稿を書くのをやめ、合流。
あら筋は、つぎのよう。

 宇宙の知的生命体(たぶん、火星人?)が、人間の「質」を試すという筋書き。
そのために、ボタンのついたBOX(箱)を、人間に渡す。
「押せば、100万ドルをあげる。しかし押したとき、どこかでだれかが死ぬ」と。
が、どこでだれが死ぬか、それは当人たちにもわからないという。

 その映画を観ながら、私なら、迷わず押すと思った。
100万ドルといえば、約1億円。
もともとインチキ臭い話。
押してダメもと。
第一、 そんな話は信じない。
本当に100万ドルもらえるとは、思わない。

つまり欲望vs理性ということになれば、私のばあい、欲望のほうが、はるかに強い。
こういうケースでは、理性の力で欲望をコントロールするのは、たいへんむずかしい。
で、それを見て、火星人は、人間というか人類の「質」を判断する。
いうなれば投票のようなもの。
ボタンを押す人間がより多ければ、人類を絶滅させる。
押さない人間がより多ければ、人類を存続させる、と。
(しっかりと観ていたわけではないので、このあたりの展開は不正確。)

 映画自体、少し回りくどい。
全体としてわかりにくい構成になっている。
何もそんな手のこんだ方法を使わなくても、人間の「質」を知る方法は、いくらでもある。

 ストーリーは、1組の夫婦が、そのモニター(?)に選ばれるところから始まる。

●摂氏400度

 この映画を別として、こんなことを考えてみたい。
つまり人間にはその価値があるかどうか。
地球上で存在する価値があるかどうかということ。
もしそれを判断せよと言われたら、あなたなら何と答えるだろうか。
たとえば地球温暖化が、温暖化程度ではすまなくなり、いよいよ火星化するとわかった
ときでもよい。

 人間という一種類の動物のために、そんほかのありとあらゆる動植物が、犠牲になる。
それでもあなたは、「人間は存在すべき」と判断するだろうか。
どうせ人間も絶滅するなら、ほかの動植物を存在させるためにも、早めに人間を絶滅
させたほうがよい。
私ならそう考えるし、それが常識的な判断ということになる。

が、人間は、簡単には絶滅しない。
ありとあらゆる無間地獄を経験してでも、人間は最後の最後まで生き残ろうとする。
あがく。
もがく。
最終的に、地球の平均気温が摂氏400度になっても、だ。
(摂氏で、400度だぞ!)
実は、それがこわい。

●SFファンなら、必見映画

 『BOX』の中では、火星人は人間の欲望の醜さを知り、全体として、人間を
絶滅させる方向に考えているようだ。
が、その1組の夫婦の「愛」を知り、考え方を少し改めたかな(?)というところで
映画は終わる。

 映画の撮り方をまちがえると、とんでもない映画になりそうな映画。
が、そこはアメリカ映画。
実にたくみに、かつ、俳優の名演技でカバーしていた。
お金をかけ、ていねいに制作されていたこともある。
星は『トロン』より1つ多く、3つの、★★★。
SFファンなら必見。

 で、先の話に戻る。
もしあなたにその選択が任されたら、あなたはどう判断するだろうか。
「人間は存続する価値があるか、どうか」と。

 で、同じ質問をワイフにすると、ワイフはこう言った。
「神様なら、どうするかしら?」と。

私「実は旧約聖書にも、似たような話が出てくるね。キリストにしても、最後の
晩餐のあと、そういう選択を迫られる」
ワ「キリストは、すべての人間の罪を背負って、自ら犠牲になったというわけでしょ」
私「キリスト教では、そう教える」
ワ「……私なら、どうするかしら……」
私「ぼくなら、迷わず、押すよ。ハハハ」
ワ「そうね、ハハハ」と。

●批評

 映画『BOX』では、「どこかでだれかが1人、死ぬ」という筋書きになっている。
しかしそれでは弱い。
つまり1人では、弱い。
私が製作者なら、「どこかでだれかが、一度に100人死ぬ」というような筋書きにする。
たとえばその主人公の夫婦がボタンを押したとき、近くで爆発事故が起き、ちょうど
100人が死ぬ、とか。
あるいは夫婦の年齢の数だけ、人が死ぬでもよい。
(あくまでも映画としての、話だぞ!)

 主人公の夫婦は100万ドルを手にするが、同時にそれ以後、良心の呵責に苦しむ。
そのほかの展開は、映画どおりでよい。
どこかでだれかが死ぬといっても、病気や事故で亡くなる人は多い。
「どこかでだれかが、1人死ぬ」では、直接的な因果関係を結びつけるのは、むずかしい。
つまりそのあたりの結びつけが、少し甘い。
(偉そうなことを書いて、ごめん!)

●『トロン』

 一方、『トロン』では、コンピューターの中に、人間が入る。
発想としては、最高におもしろい。
映画の中では、人間のDNAをデジタルDNA化してコンピューターの中に入るという。
そんな筋書きになっている。
が、観ているうちに、いくつかの疑問がわいてきた。
その第一が、感情の問題。

最近の脳科学によれば、感情=脳内ホルモン説が、主流になってきている。
私たちが感ずる喜怒哀楽など、もろもろの情感は、脳内ホルモンによるもの。
コンピューターの中に入った人間には、(仮に入れたとしても)、その情感があるのか。
あるとするなら、どうやってその情感を作り出すのか。

 前作を観てから、いつもどこかで私はそれについて考えてきた。
で、私の得た結論は、コンピューターの内部というのは、おそろしく冷たく、機械的
な世界ということ。
コンピューター内部で、何かしらのホルモンでも分泌されれば、話は別だが、それは
ありえない。

 このことは人間の脳を、そっくりそのままコピーしたばあいを考えてみればわかる。

たとえばあなたの脳を、そのままそっくり、1台のコンピューターにコピーできた
とする。
そのとき、そのコンピューターは、あなたそのもの。
カメラをつけ、マイクをつけ、ついでにスピーカーを取り付ければ、「あなた自身」。
見ることも、聞くことも、話すこともできる。
しかしそのコンピューターに感情があるかいなかということになれば、ない。
コンピューター内部で、どうやってホルモンを合成し、分泌するのか。

 映画『トロン』の中では、コンユーターの中であるにもかかわらず、そこに出てくる
人間は、みな、地上の人間と同じように感情をもっていた。
さらに言えば、「時間」の問題もある。

映画の中では、コンピューターの中の8年間は、地上の1秒に相当するというような
ことを言っていた(記憶により、不正確)。
それはその通りだろうと思う。
であるとするなら、コンピューターの中の父親は、どうして年を取ったのか。
悪玉のコピーされた父親は、どうして年を取らなかったのか。

 また「次元」の問題もある。
コンピューターの中は、上下、左右のない、異次元の世界のはず。
が、映画の中では、地上の様子とまったく同じ。
バイクが、地上を走るバイクと同じように、コンピューターの中を走る。

 ……とまあ、いろいろ考えながら、観た。
そういう点ではおもしろかったが、言い換えると、私自身も、前作から今日までに
観方が大きく変わったということ。
知識もふえた。
それで星は、2つということになってしまった。
『トロン』は、やはり前作だけで終わればよかった。
そのほうが、伝説的価値が残ったと思う。

●付記

 DVD『BOX』を観終えたあと、ワイフとこんな話をした。
「ぼくが映画製作者なら、『未知との遭遇』のリメイク版を作るよ」と。

ワ「どんなふうに?」
私「今度は、宇宙人側に視点を置いた映画にする」
ワ「おもしろそうね」
私「そうだよ。人間とコンタクトするかどうか、宇宙人は迷う。そのためいくつかの
実験を重ねる。反対派や、人類滅亡を主張する宇宙人と、あれこれやりあう。そういう
筋書き」
ワ「おもしろそうね」
私「だろ……」と。

 こういうバカ話は、本当に楽しい。
いつまでしていても、飽きない。
(2010年12月18日夜記)


Hiroshi Hayashi+++++++Dec. 2010++++++はやし浩司・林浩司

●韓国の人たちへ(한국 사람들에게!)

●射撃訓練を中止しろ!(사격 훈련을 중단하라!)

北朝鮮という国を、本気で相手にしてはいけない。
またその価値もない。
「勝った」「負けた」ということになれば、
韓国は、すでに勝っている。
負けているものは、何もない。

북한이라는 나라를, 진심으로 상대하지 말라.
그리고 그 가치도 없다.
"이겼다" "지는"라고하게되면,
한국은 이미 이기고있다.
지는 것은 아무것도 없다.

今、君たちがしていることは、竹島でしていることと同じではないか。
延坪島にしても、38度線が、北へ大きく迂回している。
あの島を、韓国の領土と主張するほうが、おかしい。
仮に韓国の領土であるとしても、相手は世界の最貧国。
あんな島のひとつやふたつ、与えてやれ。
早晩、自己崩壊する。
自己崩壊すれば、すべて君たちのものになる。

지금 너희들이하고있는 것은, 독도하고있는 것과 같은 것이 아닌가.
연평도해도, 38 도선이 북쪽으로 크게 우회하고있다.
그 섬을 한국 영토라고 주장하는 게 더 재미있다.
만일 한국의 영토이다해도 상대는 세계 최빈국.
저런 섬 중 하나 또는 둘, 부여해라.
조만간 자체 붕괴한다.
스스로 붕괴하면 모든 너희들의 것이된다.

それよりも私たち日本人に理解できないのは、つぎのこと。
どうして開城工業団地があるのか。
いろいろな思惑があることは、わかる。
わかるが、君たちが今、第一にすべきことは、開城工業団地の閉鎖である。

그것보다 우리 일본인에 이해할 수 없다는 다음의 것.
왜 개성 공단이있는가.
여러가지 의도가있는 것은 알고있다.
알지만, 너희들이 지금, 첫번째로해야 할 일은, 개성 공단 폐쇄이다.

一方で経済援助をしながら、他方で銃撃戦を用意する。
そのおかしさ。
矛盾。
しかしそれこそ北朝鮮の思うつぼ。
君たちは再び、北朝鮮の罠にかかろうとしている。
北朝鮮の独裁者たちは、自国民の注意を外にそらすため、戦争を口実にしている。
どうしてそんな簡単なことがわからないのか。

한편 경제 원조를하면서, 한편으로 총격전을 준비한다.
그 과자입니다.
모순.
그러나 그것 이야말로 북한 생각한 바.
너희들은 다시 북한의 덫에 걸릴까하고있다.
북한의 독재자들은 자국민의 관심을 밖으로 돌리기 위해 전쟁을 구실로하고있다.
왜 그런 간단한 것을 모르는가.

戦争というのは、一度始めたら、最後。
収拾するのに、その何倍もの時間と費用がかかる。
損害が出れば、なおさら。

전쟁이라는 것은, 한 번 시작하면 마지막.
수습하는데, 그 몇배의 시간과 비용이 소요된다.
손해가 나면 더더욱.

君たちが日本を嫌っているのは、よくわかる。
しかしその日本は、アメリカ軍の基地になっている。
佐世保にせよ、横須賀にせよ、はたまた沖縄にせよ、日本の領土だぞ。
日本が基地費用を負担している。

너희들이 일본을 싫어하고있는 것은 잘 안다.
그러나 그 일본은 미군의 기지가되고있다.
사세보이든, 요코스카이든, 혹은 오키나와에도, 일본의 영토이야.
일본이 기지 경비를 부담하고있다.

その日本が、邦人救出のための自衛隊派遣を口にしただけで、「一蹴」とは!
君たちは、2つのことを誤解している。
ひとつは、アメリカはそんな甘い国ではないということ。
日本の沖縄問題をひとつ取りあげてみれば、それがわかるはず。

그 일본이 일본인 구출을위한 자위대 파견을 입에뿐 "일축"이란!
너희들은 2 가지를 오해하고있다.
하나는 미국은 그런 달콤한 나라는 없다는 것.
일본 오키나와 문제를 하나 픽업 보면 그것을 알 것이다.

もうひとつは、日本には、朝鮮半島侵略の意図は、みじんもないこと。
戦時中はどうであれ、現在の日本という国は、そういう国。
もう少し、日本を信頼してみたらどうか。

또 하나는, 일본은 한반도 침략의 의도는 みじん도 없다.
전시는 어떻게든 현재의 일본이라는 나라는 그런 나라.
좀 더 일본을 신뢰 보면 어떨까.

今、ここで局地戦であるにせよ、戦争を始めたら、ソウルは本当に火の海になる。
仮に3日で北朝鮮を制空権を掌握できたとしても、ただではすまない。
10万人単位の、狂信的な工作員がいることを忘れるな。
貧者には貧者の論理というものがある。
彼らは、その貧者の論理にしたがって生きている。
「俺たちが貧しいのは、お前たちが富を独占しているから」と。

지금, 여기에서 국지 전에 있다고해도, 전쟁을 시작하면 서울은 정말 불바다가된다.
만일 3 일 북한을 제공 권을 장악한다고해도 단지는 미안하다.
10 만명 단위의 광신적인 공작원이있다는 것을 잊지 마라.
빈자는 빈자의 논리라는 것이있다.
그들은 그 빈자의 논리에 따라 살아있다.
"우리가 가난한 것은 너희가 부를 독점하고 있기 때문"이라고.

それよりも重要なことは、人権問題を先頭に、北朝鮮を自己崩壊に導くこと。
中国を孤立さえ、中国を動かすこと。
中国が北朝鮮を支える限り、北朝鮮は自己崩壊しない。
が、中国が動けば、北朝鮮は崩壊する。
すでにその兆候は見えている。

그것보다 중요한 것은 인권 문제를 처음으로 북한을 스스로 붕괴에지도.
중국을 고립조차도 중국을 달림.
중국이 북한을 지원하는 한 북한은 스스로 붕괴하지 않는다.
그러나 중국이 움직이는 경우에, 북한은 붕괴한다.
이미 그 징후가 보이고있다.

君たちが今日、しようとしていることは、竹島で射撃訓練をするようなもの。
実効支配というのを確立したという気持ちは、よくわかる。
しかしそんなことをしても、世界の人たちは、君たちの行為を笑うだけ。
自分たちの島でないことを、自分たちがよく知っているから、無理をする。
どうしてそんなことが、わからないのか。

너희들이 오늘하려고하는 것은, 타케시마에서 사격 훈련을하는 것.
실효 지배라는 것을 확립했다고하는 마음은 잘 안다.
그러나 그런 일을해서 세계의 사람들은 너희들의 행위를 웃을뿐.
자신들의 섬이 아니다는 것을, 자신이 잘 알고 있기 때문에 무리를한다.
왜 당신이 모르는가?

また君たちは「正義」という言葉をよく口にする。
しかし一歩離れて、この日本から見ていると、君たちも北朝鮮も同じ。
思考回路が、実によく似ている。
些細なことにこだわり、すぐ頭を熱くする。
少しでも批判されると、それに対して過剰反応する。

또한 너희들은 "정의"라는 말을 자주 입에 담는다.
그러나 한 걸음 떨어져이 일본에서 보면, 너희들도 북한도 마찬가지.
사고 회로가 정말 비슷하다.
사소한 것에 구애 즉시 머리를 뜨겁게한다.
조금이라도 비판하면 그것에 대해 지나치게 반응한다.

いいか、ここで戦争の火ぶたを切れば、一番喜ぶのは、アメリカだぞ。
アメリカの軍需産業だぞ。
君たちは、それに操られているだけ。

좋은지, 여기에서 전쟁의 포문을 끄면 가장 기뻐하는 것은 미국이야.
미국의 군수 산업이야.
너희들은 그것을 조종하고있을뿐.

この日本にしても、そうだ。
朝鮮半島が有事ということにでもなれば、日本の経済も大打撃を受ける。
無事ではすまない。
仮に北朝鮮を抑え込み、解放したとしても、そのあと莫大な請求書が舞い込んでくる。

이 일본에해도 그렇다.
한반도가 유사시 사실이라도되면 일본 경제도 큰 타격을 받는다.
무사 미안하다.
만일 북한을 억눌러, 발표했다하더라도 그 후 막대한 청구서가 날아 올지

だから、ここは冷静に。
射撃訓練をしたければ、ほかの島ですればよい。
ああいう暴力国家を、本気で相手にしてはいけない。
日本には「負けるが勝ち」という諺がある。
韓国にもあるかどうかは、知らない。
つまり負けたふりをして、勝つ。
それとも君たちは、あんな国と、心中するつもりなのか。

그래서 여기는 냉정하게.
사격 훈련을하고 싶다면 다른 섬으로하면된다.
저런 폭력 국가를, 진심으로 상대하지 말라.
일본에는 "지는 게이기는 것"이라는 속담이있다.
한국에도 있는지 여부는 모른다.
즉지는 가장하여 이긴다.
아니면 너희들은 그런 나라와 자살 생각인가.

へたをすれば、何十人、何百人、あるいは何万人という人が死ぬ。
あんな小さな島のために。

だから、あえて言う。

韓国の人たちよ、射撃訓練を中止しろ!

꼭지를하면 수십 명, 수백 명 또는 수천 명이라는 사람이 죽는다.
저런 작은 섬 때문에.

그래서 감히 말한다.

한국 사람 들아, 사격 훈련을 중단하라!

2010年12月20日、朝記
2010 년 12 월 20 일 아침

++++++++以下、Yahoo News より++++++++

韓国の聯合ニュースは20日、韓国軍が同日午前にも、延(ヨン)坪(ピョン)島周辺の
黄海で海上射撃訓練を実施すると伝えた。ただし気象条件によっては午後になる可能性も
あるという。韓国軍合同参謀本部は、気象条件の良好な日を1日選んで実施するとしてお
り、訓練は1日で終了する見通し。(2010-12-20)

++++++++以上、Yahoo News より++++++++

Hiroshi Hayashi++++Dec. 2010++++++はやし浩司・林浩司

SK様へ (To Ms. SK:)

+++++++++++++++++

今朝は、こんな実験をしてみます。
ちょっとおもしろい実験です。

グーグルの翻訳サービスを利用して、一度、日本語を英語に翻訳してみます。
つぎに今度は、その英語を、日本語に翻訳してみます。
元の日本語に、どこまで戻るか。
たいへん興味があります。

言い忘れましたが、おはようございます。
NJって、どんなところか、たいへん興味をもちました。
またいつかNJの話をしてください。

では、実験、開始です。

+++++++++++++++++

こんにちは!
昨日は、忙しい1日でした。
まず起きて、草刈り。
草払い機というエンジン付きの機械で草を刈ります。
それが終わると、1時間ほど、ランニングをしました。
歩いたり、駆け足をしたりのランニングです。

それから近くの大型DIYショップへ行き、電気ストーブを購入しました。
この寒さです。
家に帰り、寝室を、和室から洋間に移動しました。
和室はすきま風が入ります。
それでそうしました。

で、夕方になり、ワイフといっしょに買い物。
土日は、私が料理をすることが多いです。
また先日、SONYの、ゲーム機を買いました。
PSPというゲーム機です。
これが結構楽しくて、今、毎日のように楽しんでいます。
で、あちこちの店で将棋のソフトがないか、さがしてみました。
が、ありました。
2000円弱でした。
即、購入。
そのソフトを相手に、今のところ、5戦5勝です。
もともと子ども相手のソフトですから、弱いです。

++++++++++++++++++++

まずここまでを翻訳してみます。
以下がその結果です。
お笑いになると思います。

++++++++++++++++++++

Hello!
Yesterday was a busy day.
Wake up first mowing.
Mow the grass with a machine equipped with aircraft engine plant pay.
When you are done, about 1 hour for running.
Walking, and running the fast lane or to.

Then go to the nearby large DIY shop and bought the electric stove.
It is this cold.
Home, the bedroom, Hazama Hiroshi moved from the tatami.
Japanese-style room is filled with drafts.
To do so.

In the evening and went shopping with my wife.
The weekend is that I cook often.
The last Sun, SONY, and bought the game.
This is a PSP game.
This is quite fun, and now enjoys a daily basis.
, And if there are any chess software in stores everywhere, I'm looking.
, But there.
Was about 2000 yen.
Immediate purchase.
Against the software, so far, and five against five wins.
The software was originally from the other children. Weak.

+++++++++++++++++

何となくわかる……という程度の英語みたいですね。
今度は、この英語を日本語に
翻訳してみます。

+++++++++++++++++

こんにちは!
昨日は忙しい一日だった。
目覚め第一草刈り。
航空機エンジン工場支払いを備えたマシンで草を刈る。
あなたが実行するために、約1時間を行っている場合。
、ウォーキング、高速車線をまたは実行している。

その後、近くの大規模なDIYショップに移動し、電気ストーブを買った。
これは寒いです。
ホーム、ベッドルーム、ハザマ浩は畳から移動。
和室は、ドラフトで満たされている。
に行ってください。

夕方とでは、妻と一緒に買い物に行きました。
週末は、私がよく料理ということです。
最後の日は、ソニー、ゲームを買った。
これは、PSPのゲームです。
これは、とても楽しいです今毎日を楽しんでいます。
どこにでも店舗内の任意のチェスのソフトウェアがあるとしたら、私が探しています。
、しかし、そこ。
約2000円だった。
即時購入。
ソフトウェアに対しては、これまでのところ、5勝に対して5。
ソフトウェアは、他の子供たちから最初にあった。弱い。

++++++++++++++++++++++

ハハハ。
以上が、結果です。
やはりこうした翻訳ソフトを使うときは、最初に、きちんとした日本語で書かないと
だめのようですね。

「私は朝、7時に起きました。
それから草刈りをしました」というようにです。
それからできるだけ文を短くするのも、コツのようです。
あまりむずかしい漢字でもだめ。
しかしひらがなで書くと、誤解されてしまう。
いろいろあります。

今朝は、ちょっとした実験をしてみました。
何かの参考になれば、うれしいです。

では、ご家族のみなさんに、よろしく!

Merry Christmas!

はやし浩司


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●ボケとグチ論




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【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●ウソと小細工

++++++++++++++++

私は、「ウソ」に対して、過剰とも
言えるような反応を示す。
心の中に大きなトラウマがある。
それが反射運動的に激怒となって、
外に現れる。

小細工にしても、そう。
私の心は、同じように反応する。
それが小細工とわかったとたん、
その人への信頼感は、その瞬間、
粉々に壊れる。

ウソと小細工。
見た目には大きく違うが、中身は
同じ。

ウソつきは、小細工が好き。
小細工をする人は、ウソが好き。

++++++++++++++++

●小細工

 小細工をする人は、繰り返し、小細工をする。
小細工しながら、生きている。
思考回路が、そうなっている。
だからそれが悪いこととは、思わない。
ごく日常的な行為として、それができる。
平たく言えば、一事が万事。

 だれがそうとは言わない。
しかしこのタイプの人は、あなたの周囲にも、1人や2人はいるはず。
こまかいことに神経をつかい、それでもって相手を、自分の思い通りに動かそうと
する。

少し前に観た映画に、『君に読む物語』(The Notebook)というのがあった。
その中で、ボーイフレンドは、ガールフレンドに毎日手紙を書く。
が、ガールフレンドの母親が、その手紙をそのつど握りつぶしてしまう。
これも小細工。
そういうことが平気でできる人というのは、心がかなり壊れた人とみてよい。

●壊れた心

 心というのは、一度壊れると、もとに戻すのがむずかしい。
一生、不可能ではないかとさえ、思う。
たとえば一度、人間らしい心を失ってしまった人、など。
そういう意味では、幼児期、少年期は、たいへん重要な時期と考えてよい。
この時期の子どもの心は、たいへん傷つきやすい。

 当然のことながら、穏やかで、静かで、心豊かな環境で育てるのがよい。
もちろん両親の暖かい愛情も重要。

 が、意外と甘く見過ごされてしまうのが、赤ちゃん返り。
下の子どもが生まれると、上の子どもにさまざまな変化が現れることがある。
そのひとつが、赤ちゃん返り。
嫉妬という、きわめて原始的な感情がからんでいるだけに、基本的な部分で人間性
そのものをゆがめる。
嫉妬がからむと、人間は、(動物の世界でも似たような現象が数多く報告されているが)、
相手を殺すというところまでする。

 そういう事例を、数多く、私は見聞きしている。

 だから「心」というのは、作るものではなく、壊さないようにするもの。
そういう意味では、私は性善説を支持する。

 人間は本来、みな、やさしくて穏やかな心をもっている。
が、それが何らかの理由で壊れ、そして心をゆがめていく。
たとえば「悪人」とか、「犯罪者」という言葉がある。

 しかし悪人も善人も、大きくちがうようで、それほどちがわない。
紙一重というか、どこかで歯車が狂っただけ。
最初は小さな狂いだったかもしれないが、それが時間とともに大きくなる。
大きくなって、悪人は悪人になり、犯罪者は犯罪者になる。

 少し前、法務省の依頼で、40分x2本の、受刑者用の講演テープを作った。
横浜のラジオ局で収録した。
そのあと全国の刑務所に配布された。
そのときも、そういう話をした。

 そこで重要なことは、まず自分を知ること。
その第一歩が、自分の幼児期を知ること。
「私」を知ることは、すべてそこから始まる。
その方法については、すでに何度も書いてきた。

 話がそれたが、ウソをつく。
小細工を重ねる。
こうした症状も、「壊れた心」という視点に立ってみると、よく理解できる。
繰り返しになるが、「子どもの心は壊さない」。
これは子育てにおける、もっとも重要なポイントということになる。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司
 BW はやし浩司 小細工 ウソ 嘘 子育ての要 壊れた心)


Hiroshi Hayashi++++Dec. 2010++++++はやし浩司・林浩司

src="http://farm5.static.flickr.com/4006/4255532084_4e04cf5858_o.jpg" width="500"
height="250" alt="●BLOGタイトル最前線の子育て論byはやし浩司" />



●Happy Learners


BW子どもクラブbyはやし浩司
浜松・Japan


●2010年の終わりに……(年長児、5-6歳のみなさん)2010-12-20


value="http://www.youtube.com/v/_2a2fcKaFjk?hl=ja&fs=1">name="allowFullScreen" value="true">value="always">src="http://www.youtube.com/v/_2a2fcKaFjk?hl=ja&fs=1"
type="application/x-shockwave-flash" allowscriptaccess="always"
allowfullscreen="true" width="425" height="344">



Hiroshi Hayashi++++Dec. 2010++++++はやし浩司・林浩司

●12月20日、夜記

++++++++++++++++

PSPを使っての将棋は、連戦連勝。
しかし画面が小さく、私には見づらい。
根を詰めて指していると、すぐ頭が痛くなる。
これはどういう理由によるものなのか。

だからそのつど1試合が、限度。
間に1時間以上の休憩が必要。
・・・というより、将棋ばかりしている暇はない。
楽しいが、そこまで。

++++++++++++++++

●失聴

 左の耳が聞こえなくなって、もう20年以上になる。
「突発性~~」という病名が使われ始めたころのことである。
正月も近いというある夜、左耳が焼けるように痛くなった。
熱もあった。
それが一昼夜つづいた。
いろいろな薬をのんだ。
扁桃腺か風邪かと思った。
が、その熱が冷めたとき、左耳は聴力を失っていた。

 で、左耳というのは、右脳に直結している。
身体の神経と脳の神経は、左右逆に交差している。
その右脳は、音楽やグラフフィックなど、アナログ的な働きを得意とする。
一方左脳は、論理や分析、言語や計算などの、デジタル的な働きを得意とする。
だから芸術家には、左利きが多いとよく言われる。
一方、作家や数学者には、右利きが多いとよく言われる。
もっともこの日本では、以前は、左利きは全体の5%前後と言われていた。
左利きは、嫌われていた。
左利きの子どもは、無理に矯正された。
が、実際には、左利きにしても、人類の約5%が、左利きといわれている
(日本人は3~4%)。
原因は、どちらか一方の大脳が優位にたっているという大脳半球優位説。
親からの遺伝という遺伝説。
生活習慣によって決まるという生活習慣説などがある。

 それはともかくも、左耳を失聴してから、ステレオ音楽がわからなくなった。
音の方向もわからなくなった。
教えていて困るのが、これ。
幼児の声は、みな、よく似ている。
口の動きをみて、その子どもがしゃべっていると知る。
が、もっと困ることがある。

 たとえば一方向から、親の声と子どもの声が、耳に入ったとする。
こういうばあい、頭の中で、音を分離できない。
できないから、親の声と子どもの声が、混ざって聞こえる。
あるいは講演会の席などで、だれかが質問したとする。
そのとき講演会の外を走る車の音と、質問の声がまざって聞こえる。
つまり大きい音に小さい音が、負けてしまう。
質問した人の声が小さいと、声を聞き取れなくなる。

●右脳vs左脳

 さらに論理的に考えると、こうなる。
左耳が聞こえないということは、右脳に直接信号が届かないということになる(?)。
音楽を理解する中枢は、その右脳にある。
が、私は音楽が好きだし、よく聞く。
しばらく聞いていると、よい気分になる。
脳の中で、モルヒネ系のホルモンが分泌されるためと考えられる。
つまり左耳からの信号はなくても、右脳はちゃんと機能している(?)。

 大脳生理学の専門家が聞いたら、「おい、林、それはちがうよ」と言う
かもしれない。
右脳に音楽を司る中枢があるといっても、理解するのは脳の別の部分かも
しれない。
それに右耳から入った信号でも、右脳に届くということもあるかもしれない。
右脳と左脳は、脳梁(のうりょう)と呼ばれる、神経の太い束でつながっている。
左脳に入った信号が、右脳に伝わるということは、じゅうぶん考えられる。
さらに脳には、補完作用というのがある。
たとえば左脳がダメージを受け、言語中枢に支障が出たようなばあい、訓練に
よって右脳がそれをカバーする、など。
さらに最近の研究によれば、女性のばあい、右脳にも言語中枢があるという。
だから女性には、おしゃべりの人が多い、とか。
つまり脳というのは、私たちが考えるよりはるかに柔軟性や適応性がある。

 わかりやすく言えば、脳は使えば使うほど、よくなるということ。
そればかりか、失われた機能まで、回復することもあるという。
これも何かの本で、読んだことがある。
(本といっても、ちゃんとした研究論文だぞ!)

●ボケ

 一方、使わなければ、どうなるか?
・・・というより、50歳も過ぎると、脳の底に穴が開いたような状態になる。
それまで脳の中にあった知識や知恵が、どんどんと下へとこぼれ落ちていく。
みごとなほど(?)、下へとこぼれ落ちていく。
それが自分でも、実感として、よくわかるようになる。
つまり放っておいたら、バカになるだけ。

 それを防ぐためには、2つの方法がある。
(1) 頭をよく使う。(いろいろな刺激を多方面から与える。)
(2) 失われた分以上に、新しい知恵や知識を脳の中に叩き込む。

 これは私という人間の素人判断。
が、ときとしてボケは、その向こうで始まることがある。
血栓性の脳梗塞や、アルツハイマー病など。
こうなるとお手上げ。
言い換えると、自分ではどうしようもない。
その恐ろしさは、左耳を失聴した私にはよくわかる。
どんなに努力しても、一度切れた神経は、つながらない。
こうした状態が、脳全体で起こる。

●相手にされない

 ボケになると、人に相手にされなくなる。
それがさみしい。
たとえば私たちでも、相手がボケているとわかると、相手にしない。
適当にあしらって、それですます。
「どうせボケた人の言うことだから・・・」と。
言い換えると、自分がボケになると、相手は私を適当にあしらって、
それですますようになる。
相手にされなくなる。

 もっともボケた本人は、それに気づかない。
このことはボケた人と話していると、よくわかる。
「頭のほうは、だいじょうぶですか?」などと言おうものなら、即座に、こんな
返事が返ってくる。
「私は、だいじょうぶです。どこも悪くありません!」と。
アルツハイマー病の初期段階の人ほど、猛烈に反発するという。
取り繕(つくろ)いや、辻褄(つじつま)あわせ、弁解や言い訳が多くなるという。
何かの本で、そう読んだことがある。

 が、それも限度を超えると、つまり本人があきらめてしまうのか、
ボケは急速に進む。
もっともそうなれば、自分がボケていることさえ、わからなくなる。

●メガネ店で

 メガネ店では、補聴器も売っている。
補聴器といっても、ただ音を大きくするだけのものから、耳の状態に合わせて、
きめこまかく調整して使うものまである。
後者のばあい、耳鼻科の医師と相談して使うのがよい。

 それはそれとして、先日、骨振動系の補聴器を貸してもらい、試してみた。
ボリュームは最大。
わずかだったが、左耳でも音を聞くことができた。
そのときのこと。
音がすばらしく奥行きのあるものに聞こえた。
絵画にたとえるなら、それまで白黒だったものが天然色になったような
気分だった。

 けっして大げさなことを書いているのではない。
本当にそう感じた。
と、同時に「私は損をしている」と思った。
美しい音でも、その10分の1も味わっていない。

●相対的

 賢明な人は、それを失う前にその価値を知る。
そうでない人は、それを失ってはじめて、その価値を知る。
健康というのは、そういうもの。
しかし脳の健康には、それが当てはまらない。
失ったことにすら気がつかない。
気がつかなくても、生きていくうえにおいては、ほとんど支障がない。
ボケた人はボケた人なりに、何とか生きていく。
しかもボケというのは、相対的なもの。
私やあなたにしても、若くて聡明な人たちから見れば、ボケて見える。

●今日もがんばろう!

 今は、PSPを使って、脳トレをしている。
PSPの将棋(D3パブリシャー社「The将棋」)では、
レベル20まで難度を調整できる。
で、昨夜ふとんの中で、そのレベル20に挑戦してみた。
結果は、私の負け。
このゲーム機器で遊んで、はじめて負けた。
(もっともPSPのほうでは、そのつど30秒も思考を繰り返す。
私は、5秒以内の速攻。
これは負けたことの言い訳か?)

 ……しかし今朝は、脳がよく働かない。
目の前に、処理しなければならない書類が、4~5通、ある。
が、どれから手を付けようか……?
何かにつけて、投げやり。
迷っている間に、時間ばかりが過ぎていく。
やはり頭の働きが、悪くなったのか?

 ……ともかくも、今日も始まった。
12月22日。
みなさん、おはようございます。


【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●ボケが始まるとき(グチ論・愚痴論)

++++++++++++++++++

今日(12月18日)、東名西インターの
少し北にある、「S」というレストランで、
遅い昼食をとった。

そのときのこと。
運悪く(?)、その席に案内されてしまった。
隣の席、つまり背側の席に、2人の女性が
座っていた。
1人は、65歳~70歳。髪の毛は根本が
白く、始末の悪いなりをしていた。
ボサボサの頭に、ヨレヨレの衣服。
この女性を、女Aとする。

もう1人は、40歳前後。
この女性を、女Bとする。
最初、2人は親子かなと思った。
似たような顔をしていた。

が、席についたとき、瞬間、「しまった!」と
思った。
耳のそばで、間断なく女Aがしゃべっていた。
ペチャペチャ、クチャクチャ……
ペチャペチャ、クチャクチャ……、と。
そのうるさいことといったら、なかった。

脳に飛来する情報を、そのまま口にしているだけ。
話の内容が、クルクルと変化していく。
愚痴につづく、愚痴。
ところどころで、わかったようなことを言う。
「人生、前向きにいきなきゃあ」と。
が、それらはすべて、だれかの受け売り。

それに対して、女Bが、適当に相づちを入れる。
女Aはさらに気をよくして、しゃべる。
……しゃべりつづけた。

私は覚悟を決めた。
どんな話をしているか、確かめてみようと。
そういう気になった。

最初は、話のストーリーがつかめず、
苦労した。
内容が理解できなかった。
話の内容が、ポンポンと飛ぶ。
つかみどころがない。
が、5分もすると、おぼろげながら、輪郭が
見えてきた。
どうやら娘のダンナの話をしているらしい。
親類の話をしているらしい。
昔の仕事の話をしているらしい。

よく誤解されるが、ペラペラとよくしゃべるから、
頭がよいということにはならない。
頭のよさは、思考力のあるなしで決まる。
思考の深さによって決まる。
頭のよい人ほど、(子どもでもそうだが)、
相手の言ったことを、一度頭の中で反すうする。
が、女Aのばあい、一方的にしゃべるだけ。
相手の話を聞かない。
聞く耳すら、ない。

私は女Aの話し方の特徴を、そこでメモした。

(1)間断なく、よくしゃべる。
(2)聞き手の意見を聞こうともしない。
(3)相手に意見を求めない。
(4)話のないようが、つぎつぎと変化する。
(5)無表情で、口先だけで話す。
(6)内容が浅い。つまり思考を反復しない。
(7)自己の優位性を、相手に押しつける。
(8)不平不満、愚痴が多い。

私は女Aの話を聞きながら、「人間は、こうして
ボケていくもの」と確信した。

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●不安神経障害

 愚痴は、アメリカの精神医学会(DSM)の診断基準によれば、不安神経障害の
主症状のひとつになっている。
「Complaint」を「愚痴」と訳すと、そうなる。
つまり愚痴を言うのは、それ自体、心の病気。
だから愚痴は言わない。
聞かない。
相手にしない。

ある賢人は、こう言った。
「怒ったときは愚痴を言うな。愚痴を聞いても怒るな」と。
けだし名言である。

 原稿をさがしてみたら、昨年、同じテーマについて書いたのを知った。
それをそのまま再掲載する。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●愚痴(Complaint or Grumble)

++++++++++++++++++++++++

英語と日本語を一致させることはできない。
微妙にニュアンスがちがうことが多い。
たとえば「愚痴」を、英語では、「complaint(不平・不満)」という。
しかし「愚痴」と、「complaint」は、どこかちがう?
そういうことはあるが、その「complaint」について、アメリカの精神医学会
(American Psychiatric Association)は、「不安神経障害(Anxiety Disorder)」
の主症状のひとつにあげている(DSMー4)。

愚痴をあれこれ言うこと自体、「障害(Disorder)」のひとつというわけである。
なるほど!
だから、愚痴は言わない。

APAのHPには、つぎのようにある(一部抜粋)。

In behavioral health care as in general medicine, when an individual complains of a
subjectively experienced disturbance or unpleasant perception such as pain or anxiety,
we call this a symptom. We distinguish this from a sign such as slurred speech which a

professional can observe.
(苦痛や心配ごとのような混乱や不快感について、不平、不満を訴えることを、「症状」と
いい、たとえばおどおどした態度のような、専門家でないと区別できないような症状を、「兆
候」という。)

+++++++++++++++++++++++++

●日本語

 日本語を使っているとき、ときどき、こう感ずることがある。
「日本語って、すぐれているなあ」と。
とくに(心)を表現する用語が、きわめて豊富である。

 たとえば10年ほど前から、欧米では、さかんに「attachment(アタッチメント)」
という言葉が使われるようになった。
「愛着行為(行動)」と翻訳されている。
が、これなどは、「赤ちゃん返り」の類義語と考えればよい(反論もあるだろうが……。)

 心理学で言う「固着」にしても、日本語には、「わだかまり」とか、「こだわり」とか
いう言葉がある。その類義語と考えればよい。(反論もあるだろうが……。)

 さらに日本語には、「取り越し苦労」とか、「ヌカ喜び」という言葉もある。
これなどは、まさに「不安神経障害(Anxiety Disorder)」の主症状のひとつと考えてよい。
(反論もあるだろうが……。)
精神的に不安定な人ほど、取り越し苦労とヌカ喜びを、いつも繰り返す。

 私たちは専門家ではないから、(逃げるわけではないが……)、要するに、心理学と
いっても、よりよく自分の人生を生きるための道具にすぎない。
またそういう目的のために利用すればよい。
(それでお金を稼いでいる人は別だが……。)

冒頭にあげた、愚痴(complaint)にしてもそうだ。
「愚痴を口にしたら、精神状態はふつうでない」と考えてよい。
(反論もあるだろうが……。)

●K子さん(62歳)の例

 当時、私は無料で、電話相談なるものを受け付けていた。
そんなある日、K子さんという女性から、家族の問題について、相談があった。
静かで、落ち着いた女性だった……と感じたのは、最初の1回目のときだけ。
それにつづく相談は、まさに「?」としか思えないようなものだった。

 いくつか特徴があった。

(1)一方的にしゃべるだけ。
(2)不平、不満をしゃべるだけ。
(3)「では、どうすればいいのか」という話し合いができない。
(4)ことこまかに、どうでもよいことを、しゃべるだけ。
(5)つぎの相談のときには、前の相談のことを忘れてしまっている(?)。
(6)前回の相談のときの矛盾をつくと、パニックになる。
(7)「私はすばらしい」「まちがっていない」ということを強調する。
(8)私が反論的な意見をそえると、それに猛反発する。
(9)子どもの相談といいながら、ときとして、夫や姑の話になる。
(10)そういう電話が、毎回、ときに1時間以上も、ねちねちとつづく。

 当時の私は、「愚痴を聞いてやるだけでもいいのでは」と考えて、K子さんの
言うままにしておいた。
しかしまともに聞いていると、こちらまで気が変になりそう。
そう感じたから、ときには受話器を耳からはずして、「そうですか」「そうですね」だけを
繰り返した。
一度だが、私の方から電話を切ろうとしたことがある。
とたん、K子さんは、パニック。
激怒。

「どうして私の話を聞いてくれないのですかア!」と。

●愚痴 

 「愚痴は言わない」というのは、さわやかに生きるための大鉄則。
だが、同時に、「他人の愚痴を聞かない」というのも、重要。
愚痴には、恐ろしい魔力がある。

 仏教でも、肉体の奴隷になることを、強く戒めている。
もし肉体の命ずるままに、精神が動揺したら、人間はそのまま畜生と化す。
その中でも、とくに警戒すべきものが、『貪(どん)』『瞋(しん)』『痴(ち)』。

ここでいう『痴』というのは、仏教でいうところの『愚痴(ぐち)』をいう。

 要するに、(愚かさ)が極まった状態を、『痴(ち)』といい、それが愚痴の語源に
なっている。
わかりやすく言えば、愚痴を言うこと自体、その人が愚かであることを意味する。
その(愚かさ)に接していると、接するこちら側まで、愚かになる。
だからある賢人は、こう言った。

 「怒っていたら、愚痴を言うな。愚痴を聞いても、怒るな」と。
けだし、明言である。

 ともかくも、愚痴を言うということ自体、アメリカでは、精神障害(mental disorder)
を疑われるということ。
日本では、愚痴を軽く考える傾向があるが、アメリカでは、そうでないということ。
気をつけよう。

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi
Hayashi 林浩司 BW はやし浩司 愚痴 愚痴論 complaint 不安神経障害)

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●追加

 昨年書いた原稿に、今日の経験を追加してみる。

 私は女Aよりも、女Bのほうに、興味をもった。
介護士ではない。
ヘルパーでもない。
友人や娘でもない。
これについてワイフが、あとでこう話してくれた。
「今はね、ああいうふうに老人の話を聞くだけのヘルパーさんも、いるのよ」と。

 知らなかった!

 そこでネットを使って調べてみると、つぎのようなことがわかった。
介護ヘルパーのばあい、被介護者の話をよく聞くというのも、重要な仕事のひとつに
なっているということ。
「聞いてやるだけでも、老人は安心する」と。

 ナルホド!

 また聞き役専門のヘルパーというのはいないが、ある「何でも屋」の広告には、
「老人の話し相手になる」というのもあった。
つまり孤独な老人を相手に、聞き役になる、と。
話を聞いてもらえるだけでも、孤独な老人には、助けになるらしい。
しかしその老人自身は、どうなのか?
それで満足するのか?
見知らぬ相手に、愚痴を並べて、それで救われるのか?
相手は、仕事のひとつとして、話を聞いてくれる。
が、私なら、そんな相手に、内輪の話はしない。
ふつうの思考力のある人なら、そう考える。
しかし、そういう判断力も、ない。
ないから、やはりそういう話し方をする人は、ボケ症状が始まっているとみてよいのでは。

 レストランを出てから、ワイフとこんな会話をした。

私「愚痴を言わないことだよね」
ワ「そうね」と。

 ところで私はよく愚痴をこぼす。
しかしこと私のワイフにかぎっていえば、結婚してから40年近くになるが、私は
ワイフが愚痴をこぼしたのを聞いたことがない。
つまり不安神経障害とは、それだけ無縁ということ。
うらやましい。

 で、この原稿の結論。
それは先に書いた。
つまり愚痴を口にしたら、精神状態はふつうでないと考えてよい。
あるいはボケの始まりと考えてよい。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司
BW はやし浩司 愚痴 愚痴論 愚痴は聞いても怒るな 怒ったときは愚痴を言うな
 グチ 不安神経障害(DSM))


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●映画『トロン(TRON)』

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前作を見てから、25年(?)。
前作が衝撃的だったから、期待も大きかった。
当時主流になりつつあった、レーザーディスク版も買った。
当然、何度も観た。

が、時代は変わった。
映画も変わった。

昨夜、その映画、つまり『トロン』を観てきた。
星は2つか3つの、★★+。
(かなり、がっかり!)

3D映画だったが、それほどの迫力もなかった。
先週観た『ロビンフッド』が、よかったこともある。
そちらは、星4つの、★★★★+。
久々に、「これが娯楽映画!」と言わせるような映画だった。
その反動?
感覚が鈍化したため?
今では『トロン』程度の映画なら(失礼!)、いくらでもある。
たくさん観てきた。
ワイフはこう言った。
「前宣伝が派手な映画ほど、がっかりすることが多いわ」と。

半分、同感。

+++++++++++++++++++++++

●DVD『運命のボタン、THE BOX』

 この原稿を書き始めたころ、ワイフもこたつの中で、『運命のボタン、THE BOX』
というDVDを観始めた。
劇場で上映されたとき、忙しくて見損ねた。
で、今夜になった。
私はパソコン、ワイフはDVD。
が、途中から、おもしろそうだったので、原稿を書くのをやめ、合流。
あら筋は、つぎのよう。

 宇宙の知的生命体(たぶん、火星人?)が、人間の「質」を試すという筋書き。
そのために、ボタンのついたBOX(箱)を、人間に渡す。
「押せば、100万ドルをあげる。しかし押したとき、どこかでだれかが死ぬ」と。
が、どこでだれが死ぬか、それは当人たちにもわからないという。

 その映画を観ながら、私なら、迷わず押すと思った。
100万ドルといえば、約1億円。
もともとインチキ臭い話。
押してダメもと。
第一、 そんな話は信じない。
本当に100万ドルもらえるとは、思わない。

つまり欲望vs理性ということになれば、私のばあい、欲望のほうが、はるかに強い。
こういうケースでは、理性の力で欲望をコントロールするのは、たいへんむずかしい。
で、それを見て、火星人は、人間というか人類の「質」を判断する。
いうなれば投票のようなもの。
ボタンを押す人間がより多ければ、人類を絶滅させる。
押さない人間がより多ければ、人類を存続させる、と。
(しっかりと観ていたわけではないので、このあたりの展開は不正確。)

 映画自体、少し回りくどい。
全体としてわかりにくい構成になっている。
何もそんな手のこんだ方法を使わなくても、人間の「質」を知る方法は、いくらでもある。

 ストーリーは、1組の夫婦が、そのモニター(?)に選ばれるところから始まる。

●摂氏400度

 この映画を別として、こんなことを考えてみたい。
つまり人間にはその価値があるかどうか。
地球上で存在する価値があるかどうかということ。
もしそれを判断せよと言われたら、あなたなら何と答えるだろうか。
たとえば地球温暖化が、温暖化程度ではすまなくなり、いよいよ火星化するとわかった
ときでもよい。

 人間という一種類の動物のために、そんほかのありとあらゆる動植物が、犠牲になる。
それでもあなたは、「人間は存在すべき」と判断するだろうか。
どうせ人間も絶滅するなら、ほかの動植物を存在させるためにも、早めに人間を絶滅
させたほうがよい。
私ならそう考えるし、それが常識的な判断ということになる。

が、人間は、簡単には絶滅しない。
ありとあらゆる無間地獄を経験してでも、人間は最後の最後まで生き残ろうとする。
あがく。
もがく。
最終的に、地球の平均気温が摂氏400度になっても、だ。
(摂氏で、400度だぞ!)
実は、それがこわい。

●SFファンなら、必見映画

 『BOX』の中では、火星人は人間の欲望の醜さを知り、全体として、人間を
絶滅させる方向に考えているようだ。
が、その1組の夫婦の「愛」を知り、考え方を少し改めたかな(?)というところで
映画は終わる。

 映画の撮り方をまちがえると、とんでもない映画になりそうな映画。
が、そこはアメリカ映画。
実にたくみに、かつ、俳優の名演技でカバーしていた。
お金をかけ、ていねいに制作されていたこともある。
星は『トロン』より1つ多く、3つの、★★★。
SFファンなら必見。

 で、先の話に戻る。
もしあなたにその選択が任されたら、あなたはどう判断するだろうか。
「人間は存続する価値があるか、どうか」と。

 で、同じ質問をワイフにすると、ワイフはこう言った。
「神様なら、どうするかしら?」と。

私「実は旧約聖書にも、似たような話が出てくるね。キリストにしても、最後の
晩餐のあと、そういう選択を迫られる」
ワ「キリストは、すべての人間の罪を背負って、自ら犠牲になったというわけでしょ」
私「キリスト教では、そう教える」
ワ「……私なら、どうするかしら……」
私「ぼくなら、迷わず、押すよ。ハハハ」
ワ「そうね、ハハハ」と。

●批評

 映画『BOX』では、「どこかでだれかが1人、死ぬ」という筋書きになっている。
しかしそれでは弱い。
つまり1人では、弱い。
私が製作者なら、「どこかでだれかが、一度に100人死ぬ」というような筋書きにする。
たとえばその主人公の夫婦がボタンを押したとき、近くで爆発事故が起き、ちょうど
100人が死ぬ、とか。
あるいは夫婦の年齢の数だけ、人が死ぬでもよい。
(あくまでも映画としての、話だぞ!)

 主人公の夫婦は100万ドルを手にするが、同時にそれ以後、良心の呵責に苦しむ。
そのほかの展開は、映画どおりでよい。
どこかでだれかが死ぬといっても、病気や事故で亡くなる人は多い。
「どこかでだれかが、1人死ぬ」では、直接的な因果関係を結びつけるのは、むずかしい。
つまりそのあたりの結びつけが、少し甘い。
(偉そうなことを書いて、ごめん!)

●『トロン』

 一方、『トロン』では、コンピューターの中に、人間が入る。
発想としては、最高におもしろい。
映画の中では、人間のDNAをデジタルDNA化してコンピューターの中に入るという。
そんな筋書きになっている。
が、観ているうちに、いくつかの疑問がわいてきた。
その第一が、感情の問題。

最近の脳科学によれば、感情=脳内ホルモン説が、主流になってきている。
私たちが感ずる喜怒哀楽など、もろもろの情感は、脳内ホルモンによるもの。
コンピューターの中に入った人間には、(仮に入れたとしても)、その情感があるのか。
あるとするなら、どうやってその情感を作り出すのか。

 前作を観てから、いつもどこかで私はそれについて考えてきた。
で、私の得た結論は、コンピューターの内部というのは、おそろしく冷たく、機械的
な世界ということ。
コンピューター内部で、何かしらのホルモンでも分泌されれば、話は別だが、それは
ありえない。

 このことは人間の脳を、そっくりそのままコピーしたばあいを考えてみればわかる。

たとえばあなたの脳を、そのままそっくり、1台のコンピューターにコピーできた
とする。
そのとき、そのコンピューターは、あなたそのもの。
カメラをつけ、マイクをつけ、ついでにスピーカーを取り付ければ、「あなた自身」。
見ることも、聞くことも、話すこともできる。
しかしそのコンピューターに感情があるかいなかということになれば、ない。
コンピューター内部で、どうやってホルモンを合成し、分泌するのか。

 映画『トロン』の中では、コンユーターの中であるにもかかわらず、そこに出てくる
人間は、みな、地上の人間と同じように感情をもっていた。
さらに言えば、「時間」の問題もある。

映画の中では、コンピューターの中の8年間は、地上の1秒に相当するというような
ことを言っていた(記憶により、不正確)。
それはその通りだろうと思う。
であるとするなら、コンピューターの中の父親は、どうして年を取ったのか。
悪玉のコピーされた父親は、どうして年を取らなかったのか。

 また「次元」の問題もある。
コンピューターの中は、上下、左右のない、異次元の世界のはず。
が、映画の中では、地上の様子とまったく同じ。
バイクが、地上を走るバイクと同じように、コンピューターの中を走る。

 ……とまあ、いろいろ考えながら、観た。
そういう点ではおもしろかったが、言い換えると、私自身も、前作から今日までに
観方が大きく変わったということ。
知識もふえた。
それで星は、2つということになってしまった。
『トロン』は、やはり前作だけで終わればよかった。
そのほうが、伝説的価値が残ったと思う。

●付記

 DVD『BOX』を観終えたあと、ワイフとこんな話をした。
「ぼくが映画製作者なら、『未知との遭遇』のリメイク版を作るよ」と。

ワ「どんなふうに?」
私「今度は、宇宙人側に視点を置いた映画にする」
ワ「おもしろそうね」
私「そうだよ。人間とコンタクトするかどうか、宇宙人は迷う。そのためいくつかの
実験を重ねる。反対派や、人類滅亡を主張する宇宙人と、あれこれやりあう。そういう
筋書き」
ワ「おもしろそうね」
私「だろ……」と。

 こういうバカ話は、本当に楽しい。
いつまでしていても、飽きない。
(2010年12月18日夜記)


Hiroshi Hayashi+++++++Dec. 2010++++++はやし浩司・林浩司

●韓国の人たちへ(한국 사람들에게!)

●射撃訓練を中止しろ!(사격 훈련을 중단하라!)

北朝鮮という国を、本気で相手にしてはいけない。
またその価値もない。
「勝った」「負けた」ということになれば、
韓国は、すでに勝っている。
負けているものは、何もない。

북한이라는 나라를, 진심으로 상대하지 말라.
그리고 그 가치도 없다.
"이겼다" "지는"라고하게되면,
한국은 이미 이기고있다.
지는 것은 아무것도 없다.

今、君たちがしていることは、竹島でしていることと同じではないか。
延坪島にしても、38度線が、北へ大きく迂回している。
あの島を、韓国の領土と主張するほうが、おかしい。
仮に韓国の領土であるとしても、相手は世界の最貧国。
あんな島のひとつやふたつ、与えてやれ。
早晩、自己崩壊する。
自己崩壊すれば、すべて君たちのものになる。

지금 너희들이하고있는 것은, 독도하고있는 것과 같은 것이 아닌가.
연평도해도, 38 도선이 북쪽으로 크게 우회하고있다.
그 섬을 한국 영토라고 주장하는 게 더 재미있다.
만일 한국의 영토이다해도 상대는 세계 최빈국.
저런 섬 중 하나 또는 둘, 부여해라.
조만간 자체 붕괴한다.
스스로 붕괴하면 모든 너희들의 것이된다.

それよりも私たち日本人に理解できないのは、つぎのこと。
どうして開城工業団地があるのか。
いろいろな思惑があることは、わかる。
わかるが、君たちが今、第一にすべきことは、開城工業団地の閉鎖である。

그것보다 우리 일본인에 이해할 수 없다는 다음의 것.
왜 개성 공단이있는가.
여러가지 의도가있는 것은 알고있다.
알지만, 너희들이 지금, 첫번째로해야 할 일은, 개성 공단 폐쇄이다.

一方で経済援助をしながら、他方で銃撃戦を用意する。
そのおかしさ。
矛盾。
しかしそれこそ北朝鮮の思うつぼ。
君たちは再び、北朝鮮の罠にかかろうとしている。
北朝鮮の独裁者たちは、自国民の注意を外にそらすため、戦争を口実にしている。
どうしてそんな簡単なことがわからないのか。

한편 경제 원조를하면서, 한편으로 총격전을 준비한다.
그 과자입니다.
모순.
그러나 그것 이야말로 북한 생각한 바.
너희들은 다시 북한의 덫에 걸릴까하고있다.
북한의 독재자들은 자국민의 관심을 밖으로 돌리기 위해 전쟁을 구실로하고있다.
왜 그런 간단한 것을 모르는가.

戦争というのは、一度始めたら、最後。
収拾するのに、その何倍もの時間と費用がかかる。
損害が出れば、なおさら。

전쟁이라는 것은, 한 번 시작하면 마지막.
수습하는데, 그 몇배의 시간과 비용이 소요된다.
손해가 나면 더더욱.

君たちが日本を嫌っているのは、よくわかる。
しかしその日本は、アメリカ軍の基地になっている。
佐世保にせよ、横須賀にせよ、はたまた沖縄にせよ、日本の領土だぞ。
日本が基地費用を負担している。

너희들이 일본을 싫어하고있는 것은 잘 안다.
그러나 그 일본은 미군의 기지가되고있다.
사세보이든, 요코스카이든, 혹은 오키나와에도, 일본의 영토이야.
일본이 기지 경비를 부담하고있다.

その日本が、邦人救出のための自衛隊派遣を口にしただけで、「一蹴」とは!
君たちは、2つのことを誤解している。
ひとつは、アメリカはそんな甘い国ではないということ。
日本の沖縄問題をひとつ取りあげてみれば、それがわかるはず。

그 일본이 일본인 구출을위한 자위대 파견을 입에뿐 "일축"이란!
너희들은 2 가지를 오해하고있다.
하나는 미국은 그런 달콤한 나라는 없다는 것.
일본 오키나와 문제를 하나 픽업 보면 그것을 알 것이다.

もうひとつは、日本には、朝鮮半島侵略の意図は、みじんもないこと。
戦時中はどうであれ、現在の日本という国は、そういう国。
もう少し、日本を信頼してみたらどうか。

또 하나는, 일본은 한반도 침략의 의도는 みじん도 없다.
전시는 어떻게든 현재의 일본이라는 나라는 그런 나라.
좀 더 일본을 신뢰 보면 어떨까.

今、ここで局地戦であるにせよ、戦争を始めたら、ソウルは本当に火の海になる。
仮に3日で北朝鮮を制空権を掌握できたとしても、ただではすまない。
10万人単位の、狂信的な工作員がいることを忘れるな。
貧者には貧者の論理というものがある。
彼らは、その貧者の論理にしたがって生きている。
「俺たちが貧しいのは、お前たちが富を独占しているから」と。

지금, 여기에서 국지 전에 있다고해도, 전쟁을 시작하면 서울은 정말 불바다가된다.
만일 3 일 북한을 제공 권을 장악한다고해도 단지는 미안하다.
10 만명 단위의 광신적인 공작원이있다는 것을 잊지 마라.
빈자는 빈자의 논리라는 것이있다.
그들은 그 빈자의 논리에 따라 살아있다.
"우리가 가난한 것은 너희가 부를 독점하고 있기 때문"이라고.

それよりも重要なことは、人権問題を先頭に、北朝鮮を自己崩壊に導くこと。
中国を孤立さえ、中国を動かすこと。
中国が北朝鮮を支える限り、北朝鮮は自己崩壊しない。
が、中国が動けば、北朝鮮は崩壊する。
すでにその兆候は見えている。

그것보다 중요한 것은 인권 문제를 처음으로 북한을 스스로 붕괴에지도.
중국을 고립조차도 중국을 달림.
중국이 북한을 지원하는 한 북한은 스스로 붕괴하지 않는다.
그러나 중국이 움직이는 경우에, 북한은 붕괴한다.
이미 그 징후가 보이고있다.

君たちが今日、しようとしていることは、竹島で射撃訓練をするようなもの。
実効支配というのを確立したという気持ちは、よくわかる。
しかしそんなことをしても、世界の人たちは、君たちの行為を笑うだけ。
自分たちの島でないことを、自分たちがよく知っているから、無理をする。
どうしてそんなことが、わからないのか。

너희들이 오늘하려고하는 것은, 타케시마에서 사격 훈련을하는 것.
실효 지배라는 것을 확립했다고하는 마음은 잘 안다.
그러나 그런 일을해서 세계의 사람들은 너희들의 행위를 웃을뿐.
자신들의 섬이 아니다는 것을, 자신이 잘 알고 있기 때문에 무리를한다.
왜 당신이 모르는가?

また君たちは「正義」という言葉をよく口にする。
しかし一歩離れて、この日本から見ていると、君たちも北朝鮮も同じ。
思考回路が、実によく似ている。
些細なことにこだわり、すぐ頭を熱くする。
少しでも批判されると、それに対して過剰反応する。

또한 너희들은 "정의"라는 말을 자주 입에 담는다.
그러나 한 걸음 떨어져이 일본에서 보면, 너희들도 북한도 마찬가지.
사고 회로가 정말 비슷하다.
사소한 것에 구애 즉시 머리를 뜨겁게한다.
조금이라도 비판하면 그것에 대해 지나치게 반응한다.

いいか、ここで戦争の火ぶたを切れば、一番喜ぶのは、アメリカだぞ。
アメリカの軍需産業だぞ。
君たちは、それに操られているだけ。

좋은지, 여기에서 전쟁의 포문을 끄면 가장 기뻐하는 것은 미국이야.
미국의 군수 산업이야.
너희들은 그것을 조종하고있을뿐.

この日本にしても、そうだ。
朝鮮半島が有事ということにでもなれば、日本の経済も大打撃を受ける。
無事ではすまない。
仮に北朝鮮を抑え込み、解放したとしても、そのあと莫大な請求書が舞い込んでくる。

이 일본에해도 그렇다.
한반도가 유사시 사실이라도되면 일본 경제도 큰 타격을 받는다.
무사 미안하다.
만일 북한을 억눌러, 발표했다하더라도 그 후 막대한 청구서가 날아 올지

だから、ここは冷静に。
射撃訓練をしたければ、ほかの島ですればよい。
ああいう暴力国家を、本気で相手にしてはいけない。
日本には「負けるが勝ち」という諺がある。
韓国にもあるかどうかは、知らない。
つまり負けたふりをして、勝つ。
それとも君たちは、あんな国と、心中するつもりなのか。

그래서 여기는 냉정하게.
사격 훈련을하고 싶다면 다른 섬으로하면된다.
저런 폭력 국가를, 진심으로 상대하지 말라.
일본에는 "지는 게이기는 것"이라는 속담이있다.
한국에도 있는지 여부는 모른다.
즉지는 가장하여 이긴다.
아니면 너희들은 그런 나라와 자살 생각인가.

へたをすれば、何十人、何百人、あるいは何万人という人が死ぬ。
あんな小さな島のために。

だから、あえて言う。

韓国の人たちよ、射撃訓練を中止しろ!

꼭지를하면 수십 명, 수백 명 또는 수천 명이라는 사람이 죽는다.
저런 작은 섬 때문에.

그래서 감히 말한다.

한국 사람 들아, 사격 훈련을 중단하라!

2010年12月20日、朝記
2010 년 12 월 20 일 아침

++++++++以下、Yahoo News より++++++++

韓国の聯合ニュースは20日、韓国軍が同日午前にも、延(ヨン)坪(ピョン)島周辺の
黄海で海上射撃訓練を実施すると伝えた。ただし気象条件によっては午後になる可能性も
あるという。韓国軍合同参謀本部は、気象条件の良好な日を1日選んで実施するとしてお
り、訓練は1日で終了する見通し。(2010-12-20)

++++++++以上、Yahoo News より++++++++

Hiroshi Hayashi++++Dec. 2010++++++はやし浩司・林浩司

SK様へ (To Ms. SK:)

+++++++++++++++++

今朝は、こんな実験をしてみます。
ちょっとおもしろい実験です。

グーグルの翻訳サービスを利用して、一度、日本語を英語に翻訳してみます。
つぎに今度は、その英語を、日本語に翻訳してみます。
元の日本語に、どこまで戻るか。
たいへん興味があります。

言い忘れましたが、おはようございます。
NJって、どんなところか、たいへん興味をもちました。
またいつかNJの話をしてください。

では、実験、開始です。

+++++++++++++++++

こんにちは!
昨日は、忙しい1日でした。
まず起きて、草刈り。
草払い機というエンジン付きの機械で草を刈ります。
それが終わると、1時間ほど、ランニングをしました。
歩いたり、駆け足をしたりのランニングです。

それから近くの大型DIYショップへ行き、電気ストーブを購入しました。
この寒さです。
家に帰り、寝室を、和室から洋間に移動しました。
和室はすきま風が入ります。
それでそうしました。

で、夕方になり、ワイフといっしょに買い物。
土日は、私が料理をすることが多いです。
また先日、SONYの、ゲーム機を買いました。
PSPというゲーム機です。
これが結構楽しくて、今、毎日のように楽しんでいます。
で、あちこちの店で将棋のソフトがないか、さがしてみました。
が、ありました。
2000円弱でした。
即、購入。
そのソフトを相手に、今のところ、5戦5勝です。
もともと子ども相手のソフトですから、弱いです。

++++++++++++++++++++

まずここまでを翻訳してみます。
以下がその結果です。
お笑いになると思います。

++++++++++++++++++++

Hello!
Yesterday was a busy day.
Wake up first mowing.
Mow the grass with a machine equipped with aircraft engine plant pay.
When you are done, about 1 hour for running.
Walking, and running the fast lane or to.

Then go to the nearby large DIY shop and bought the electric stove.
It is this cold.
Home, the bedroom, Hazama Hiroshi moved from the tatami.
Japanese-style room is filled with drafts.
To do so.

In the evening and went shopping with my wife.
The weekend is that I cook often.
The last Sun, SONY, and bought the game.
This is a PSP game.
This is quite fun, and now enjoys a daily basis.
, And if there are any chess software in stores everywhere, I'm looking.
, But there.
Was about 2000 yen.
Immediate purchase.
Against the software, so far, and five against five wins.
The software was originally from the other children. Weak.

+++++++++++++++++

何となくわかる……という程度の英語みたいですね。
今度は、この英語を日本語に
翻訳してみます。

+++++++++++++++++

こんにちは!
昨日は忙しい一日だった。
目覚め第一草刈り。
航空機エンジン工場支払いを備えたマシンで草を刈る。
あなたが実行するために、約1時間を行っている場合。
、ウォーキング、高速車線をまたは実行している。

その後、近くの大規模なDIYショップに移動し、電気ストーブを買った。
これは寒いです。
ホーム、ベッドルーム、ハザマ浩は畳から移動。
和室は、ドラフトで満たされている。
に行ってください。

夕方とでは、妻と一緒に買い物に行きました。
週末は、私がよく料理ということです。
最後の日は、ソニー、ゲームを買った。
これは、PSPのゲームです。
これは、とても楽しいです今毎日を楽しんでいます。
どこにでも店舗内の任意のチェスのソフトウェアがあるとしたら、私が探しています。
、しかし、そこ。
約2000円だった。
即時購入。
ソフトウェアに対しては、これまでのところ、5勝に対して5。
ソフトウェアは、他の子供たちから最初にあった。弱い。

++++++++++++++++++++++

ハハハ。
以上が、結果です。
やはりこうした翻訳ソフトを使うときは、最初に、きちんとした日本語で書かないと
だめのようですね。

「私は朝、7時に起きました。
それから草刈りをしました」というようにです。
それからできるだけ文を短くするのも、コツのようです。
あまりむずかしい漢字でもだめ。
しかしひらがなで書くと、誤解されてしまう。
いろいろあります。

今朝は、ちょっとした実験をしてみました。
何かの参考になれば、うれしいです。

では、ご家族のみなさんに、よろしく!

Merry Christmas!

はやし浩司


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Thursday, January 27, 2011

●孤独は心のがん細胞

●喪失の受容段階論(孤独と真理)「喪失の受容段階論」


●孤独は心のがん細胞


++++++++++++++++


喪失の内容、程度は、さまざま。
失恋、事業の失敗、健康、離婚、
子どもの巣立ち、肉親の死、配偶者の
死など。


そのつど人は、はげしい喪失感を
覚える。
ときにそれがそのまま絶望感になることもある。
襲い来る孤独感、孤立感、虚無感……。


少し前、「孤独は心のがん細胞」という
記事を書いた。
孤独をけっして軽く見てはいけない。
孤独は、心をむしばみ、やがて自らの死、
つまり自殺へと、心を導く。


が、この孤独。
闘えば闘うほど、キバをむいて
私たちに向かって襲いかかってくる。
もがけばもがくほど、孤独という糸に
からまれ、身動きが取れなくなる。


仏教でも、「無間地獄」と位置づける。
あのイエス・キリストも、孤独に
苦しんだ(マザーテレサ)。


が、受け入れてしまえば、何でもない。
孤独に身を任せ、静かにそれを受け入れる。
それで苦しみが消えるわけではない。
悲しみが消えるわけではない。
孤独であることは、苦しい。
魂が引き裂かれるほど、苦しい。
が、その苦しみを受け入れたとき、
その先に小さな光明が見えてくる。


人は、人生において2度、産道をくぐりぬける。
母胎からの産道。
そして孤独からの産道。
2度目の産道をくぐりぬけたとき、人は、
真理の世界に生まれ出ることができる。


++++++++++++++++++


●喪失


 人は、どう喪失感を受け入れていくか。
その参考となるのが、キューブラー・ロスの「死の受容段階論」。
言うまでもなく、「自分の命」を失うことを超える喪失感は、ない。
まさに死は究極の喪失感ということになる。


●死の受容段階論


 キューブラー・ロスの死の受容段階論(「発達心理学」山下冨美代著、ナツメ社より)は、つぎのような段階論をいう。


(第1期) 否認……病気であることを告知され、大きなショックを受けたのち、自分の病気は死ぬほど重いものではないと否認しようとする。


(第2期) 怒り……否認の段階を経て、怒りの反応が現れる。その対象は、神や周囲の健康な人、家族で、医療スタッフに対する不平不満としても生ずる。


(第3期) 取り引き……回復の見込みが薄いことを自覚すると、神や医者、家族と取り引きを試みる。祈ることでの延命や、死の代償として、何かを望む。


(第4期) 抑うつ……死期が近づくと、この世と別れる悲しみで、抑うつ状態になる。


(第5期) 受容……最後は平静な境地に至という。運命に身を任せ、運命に従い、生命の終わりを静かに受け入れる。(以上、同書より)


●喪失の受容段階論


 喪失感がはげしければはげしいほど、ロスの『死の受容段階論』に似た段階を経て、やがて人は喪失を受け入れるようになる。
こまかい点ではちがいはあるのだろうが、おおまかに言えば、それに近い。
順に整理してみる。


(第1期) 否認……失ったことを知り、大きなショックを受けたのち、失ってはいないと、はげしく否認する。ささいなことに希望をつなぎ、「まだ何とかなる」と思う。


(第2期) 怒り……否認の段階を経て、怒りの反応が現れる。その対象は、神や周囲の幸福そうな人、家族で、相手本人に対する不平不満としても生ずる。


(第3期) 取り引き……喪失の回復の見込みがないことを自覚すると、神や医者、家族と取り引きを試みる。祈ることでの延命や、喪失の代償として、何かを望む。


(第4期) 抑うつ……喪失感が持続的につづくと、虚無主義に陥ったり、抑うつ状態になる。


(第5期) 受容……最後は平静な境地に至る。運命に身を任せ、運命に従い、喪失による孤独感を静かに受け入れる。(以上、ロスの『死の受容段階論』を一部、改変。)


●孤独をどう受け入れていくか


 孤独というのは、闘っても意味がない。
闘う必要もないし、また人間にはそれに打ち勝つ力はない。
そこで大切なことは、居直る。
「ああ、私は孤独なんだ」と。
同時に、「みな、そうなんだ」と思えばよい。


 一見、派手な世界で愉快そうに振る舞っている人にしても、孤独でない人はいない。
みな孤独を背負っている。
あるいは孤独という氷の上を歩いている。
薄い氷。
その下では孤独が、「おいで、おいで」と手招きしている。


孤独を知らない人というのがいたら、本物のバカか、ものを考えないノーブレイン
(=脳なし人間)。
あるいは孤独をごまかして生きているだけ。
孤独から逃げているだけ。


 もちろん財力や名誉、地位、肩書き、経歴など、孤独の前では、一片の価値もない。
意味もない。
乾いた煙ほどの力もない。
孤独を癒す力など、まったくない。
もがけばもがくほど、孤独の糸がからんでくる。
身動きが取れなくなる。


 が、ひとたび孤独を受け入れれば、周りの世界は一変する。
それまで見えなかったものが、見えるようになる。
何が大切で、何がそうでないか。
何が価値があり、何がそうでないか。
言うまでもなく、私たちが探し求めている真理は、その向こうにある。


●真理探究


 財力や名誉、地位、肩書き、経歴に毒されている間は、真理など求めようもない。
そういう世界で踊っている人は、作りあげられた幻想の世界で、酔いしれているだけ。
それは一時のさみしさを紛らわすために飲む、酒のようなもの。
酒から覚めたら、その何倍もの孤独感が襲ってくる。


 言い替えると、財力や名誉、地位、肩書き、経歴にしがみつけばつくほど、その人は
孤独を前に、もがき、苦しむ。
絶望のどん底へ叩き落とされる。
「自らの死」を選択することにもなりかねない。


 が、孤独は「第二の産道」。
その産道をくぐり抜けることなしに、人は、真理の世界に入ることはできない。
もちろん「真理」は、その人によってちがう。
真理はひとつではないし、真理の向こうにまた別の真理がある。
そこは平和で、満ち足りた世界。
豊かで、おおらかな世界。
が、その世界もまた、無限のかなたへとつづく。


 方法は簡単。
孤独を受け入れる。
静かに受け入れる。
それで苦しみや悲しみが消えるわけではない。
しかしやがて、その先に、一筋の光明が見えてくる。
あとはその光明に向かって歩いていけばよい。


 ……この先のことは、私にもわからない。
ただこれだけは言える。


真理などというのは、そんなに遠くにあるものではないということ。
私やあなたのすぐそばにあって、私やあなたに見つけてもらうのを、息をひそめて
じっと待っている。


 さあ、あなたも勇気を出して、孤独の世界に身を横たえてみよう。
声に出して叫んでみよう。
「私はさみしい!」と。


(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW はやし浩司 第二の産道論 真理の探究 真理 孤独論 喪失論 喪失の受容段階論 はやし浩司 ロス 死の受容段階論 はやし浩司 孤独は心のがん細胞)



Hiroshi Hayashi+++++++JAN. 2011++++++はやし浩司・林浩司

●雑感(2011/01/28)

●金価格

 少し前まで天井知らずに見えた金価格が、この数週間、じわじわとなだらかな山をくだ
るように低下している。
が、こういう低下のしかたそのものが、不自然。
「じわじわ」というところが、不自然。
つまり巨大な力が、その裏で動いている。
つまりコントロールしている。

 「巨大な力」というのは、国家的規模の力をいう。
こうした操作をするには、それくらいの規模の力が必要。
「急激に下がりすぎても困る」……そのときは適当に(買い)を入れる。
しかし「現在のような高値で何とか売り抜けたい」……しかし下がりすぎても困る、と。
言い替えると、利食いの売りを入れながら、一方で金価格の暴落を防ぐ。
こんな芸当ができるのは、やはり「巨大な力」だけ。

 アメリカか?
それとも中国か?
現在、グラム3700円前後(田中貴金属)。
が、いつまでも下がりつづけるわけではない。
3500円くらいで底を打つはず。


●窓から小便

 みんなやっている。
男なら、みんなやっている。
窓から、小便。

 私は高校生くらいのときから、よく窓から小便をした。
前に小屋根があって、店の看板がそこに立っていた。
その看板の下あたりを、めがけて小便をした。
それには理由がある。

 ひとつは私の家は細長い家で、私の部屋は二階の一番北側。
便所は一階の一番南側にあった。
だからいつだったか、間に合わないと思ったとき、窓から外に向かってした。
もうひとつは、私は子ども(幼児)のころから、あの便所が怖かった。
ボットン便所で、いつも薄暗かった。
それに臭かった。
で、以後、それが習慣になった。

 で、今でもときどき、窓から外に向かってする。
それについてワイフが、こう言った。

ワ「あなたは窓からしているしね……」と。
私……ドキッ!、「……知っていたの?」
ワ「知っていたわよ。ずっと前から……」
私「だったら、言ってくれればいい」
ワ「言う必要もないでしょ」と。

 ナーンダ!
私だけの秘密かと思っていた。
ワイフは、とっくの昔に知っていた。

私「ぼくね、高校生のときから、していたよ」
ワ「……」
私「でね、ある夜、いつものようにそれをしたら、下の道路から声が聞こえてきたよ」
ワ「その話は、いつか、聞いたわよ」
私「そうだったか? 母親と娘だった。その娘がこう言った。『あら、お母さん、雨よ!』
って」

ワ「……かわいそう……」
私「だろ。だからそれからは、じょうずにするようになった」
ワ「じょうずにって?」
私「左右に振りながら、小出しに、うまく樋(とい)の中に流すんだよ」
ワ「今も、そうしているの?」
私「まあ、ね」と。

 立ち小便は、男の特権。
(女性でも、できなくはないらしいが……。)
尿を膀胱にいっぱいためて、一気に放出する。
あの解放感は、たまらない。

 いちばんよいのは、山の頂上から、下をめがけてする。
そういう場所を見つけて、下をめがけてする。
あの解放感は、たまらない。

●若い人たちのアイデンティティ(同一性の確立)

 私たちの世代では、権力との闘いが、ひとつのテーマになっていた。
安保闘争もそのひとつ。
政治のことは何も知らなかった。
しかし自分たちを抑えつける権力に、抵抗した。
それが私たちにとっての、安保闘争だった。

 が、つぎの世代では、世代との闘いが、ひとつのテーマになっていった。
それをわかりやすく表現したのが、尾崎豊の「卒業」。
「♪夜の校舎、窓ガラス、壊して回った」と。
あの歌の出現に、私たちは少なからず、驚いた。
その歌の向こうに見える、若者たちの猛烈な反発を感じ取ったからだ。

 で、現在はどうかというと、それが「恋愛ごっこ」。
「韓流ドラマ」の流行に、私は、それを見る。
歴史も政治も、どこかへ吹きとんでしまった。
「反日、嫌韓など、どうでもいい」と。
つまり「恋愛こそ、すべて」。

 つまり自我の同一性といっても、「だれを、どの程度好きなのか、それが問題」。
これが現在の若い人たちの「自己概念」。
そしてその人と、どうつきあっているか。
それが「現実自己」。
それが一致した状態を、今の若い人たちがいう、「自我の同一性」ということになる。

 今ではほとんどの男子高校生は、避妊具つまり、コンドームを持ち歩いている。
「放課後の部室、空き部屋はラブホテルのよう」と。
ある高校の教師はそう言った。

これをわかりやすく、チャート化してみる。

(私たちの世代) 権力との闘い
(つぎの世代)  世代との闘い(=古い世代の否定)
(現在の若者)  恋愛ごっこ

 「これでいいのか?」と思ったところで、この話はおしまい。
私たちの世代にしても、その前の世代のこととなると、ほとんど知らない。
たとえば私たちの一世代前の人たちは、国を守るためと、戦場で命を落としていった。
その数、300万人。
(日本人が殺した外国人の数も、同じく300万人。)
そういう人たちから見れば、私たちの世代は、何ともだらしない。
「何が、権力闘争だ!」となる。

 それぞれの世代は、それぞれ勝手なことをしながら、自分たちの世界を作る。
私たちの世代が正しいというわけではない。
私たちの前の世代が正しいというわけでもない。
つぎのつぎの今の世代が、正しいというわけでもない。

●運動のしすぎ

 重要な講演が近づいた。
日を追うごとに、運動量をふやした。
その結果、昨日あたりから、太ももや腰が痛くなり始めた。
ギコギコとした感じ。

 運動もやはり、ほどほどに……。

 では、今日も始まりました。
みなさん、おはようございます。
これからいつもよりやや遅い、朝食です。
1月28日 2011年
はやし浩司 2011-01-28


Hiroshi Hayashi+++++++JAN. 2011++++++はやし浩司・林 浩司

●家族論

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子育て最前線の育児論byはやし浩司   2011年 1月 28日
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【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□


【歌をみなの前で、ひとりで歌う】

何でもないことのようですが、みなの前で、ひとりで、立って歌を
歌うというのは、幼児にとっては、たいへんなことです。
またそれができる子どもは、少ないです。

で、今日は、歌を歌うというレッスンをしてみました。
みなが、「歌いたい」「歌わせろ」と言うようになるよう、指導してみました。
結果は、大成功でした。
最初は、「歌いたくない」と言っていた子どもも、中盤くらいから、「歌いたい!」と
自分から言うようになりました。
その変化を、どうかご覧ください。

なおこうして歌うことによって、子どもは、発表力、発言力を身につけていきます。
幼児のこの時期に、そういう力が一度身につくと、一生の財産になります。

またこの時期に、それができる子どもは、その後、心を開放できるようになります。
何でもないことのようですが、みなの前で、ひとりで、立って歌を
歌うというのは、幼児にとっては、とても大切なことです。

●年長児クラス(12月13日)

value="http://www.youtube.com/v/1L0gMYNj-V4?hl=ja&fs=1">name="allowFullScreen" value="true">value="always">src="http://www.youtube.com/v/1L0gMYNj-V4?hl=ja&fs=1"
type="application/x-shockwave-flash" allowscriptaccess="always"
allowfullscreen="true" width="425" height="344">




value="http://www.youtube.com/v/fYjp8EaeDik?hl=ja&fs=1">name="allowFullScreen" value="true">value="always">src="http://www.youtube.com/v/fYjp8EaeDik?hl=ja&fs=1"
type="application/x-shockwave-flash" allowscriptaccess="always"
allowfullscreen="true" width="425" height="344">




value="http://www.youtube.com/v/YK0eCkgmxhY?hl=ja&fs=1">name="allowFullScreen" value="true">value="always">src="http://www.youtube.com/v/YK0eCkgmxhY?hl=ja&fs=1"
type="application/x-shockwave-flash" allowscriptaccess="always"
allowfullscreen="true" width="425" height="344">


(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 
BW はやし浩司 幼児 独りで歌を歌う ひとりで歌を歌う 幼児の発表力 発言力)


【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●家族主義の限界(新・家族主義に向かって)What is Family for us?

++++++++++++++++++

家族主義にも条件がある。
家族主義が、ベストというわけではない。
問題がないわけではない。

「核家族」からさらには、「カプセル家族」へ。
それがさらに極限化した家族主義。
もしそれを家族主義と呼ぶなら、
家族主義など、クソ食らえ(尾崎豊)!

私が説く「家族主義」には、2つの条件が
ある。

(1)家族に、両親を加えること。
(2)「私の住む世界だけが大切」という壁を
取り払うこと。

それが家族主義ということになる。

+++++++++++++++++++

●利己主義としての、家族主義

 利己主義がワクを広げる。
その中に家族を取り込む。
多くの人たちは、その状態を、「家族主義」と誤解している。
しかしそれは家族主義ではない。
私が20年に渡って説いてきた、家族主義ではない。

 「自分だけがよければ、それでいい」と。
そこに家族が入ると、「私の家族だけがよければ、それでいい」となる。
平たく言えば、個人的な利己主義が、少しワクを広げて、家族主義になっただけ。
「家族主義」という言葉が利用されただけ。

●出世主義から家族主義へ

 当初、私は日本にはびこる出世主義を批判した。
その反対側に位置する「主義」として、「家族主義」を説いた。
とくに団塊の世代は、「家族よりも仕事」と考えた。
戦後の経済高度成長の荒波の中で、家族を犠牲にした。
が、2000年を境に、日本人の心は大きく変化した。
「サイレント革命」という名前を使った人もいる。

 「仕事より家族が大切」と考える人が、アンケート調査をするたびに、多くなった。
40%から50%に。
50%から80%に。
1年単位で、変化した。

 こうした変化は当然であるとしても、ここにきて、大きな曲がり角にやってきた。
「家族主義」が誤解され、変形した。
それが「利己主義的家族主義」ということになる。

●親不在の家族主義

 今、若者たちの中で、「将来、親のめんどうをみる」と考えている人は、驚くほど少ない。
内閣府(総理府)の調査結果を見るまでもない。
それについては何度も書いてきた。

 若い人たちがいう「家族主義」の中には、「両親」は含まれていない。
彼らが第一に考える「家族」というのは、自分たち夫婦と、その子どもたちだけの
世界をさす。
核家族からカプセル家族へ。
人間関係だけではない。
価値観も、自分たちの中だけで熟成させる。
世代から世代に連続する価値観の橋渡しをしない。
「カプセル家族」という名前は、そういうところから生まれた。

 が、これは若人たちにとっても、不幸なことである。
「私たちは古い世代とはちがう」と言いながら、古い世代がしてきた経験や、得てきた
知恵を生かさない。
そしてすべてをゼロから始めてしまう。

 私たちの世代の60%が、やがて独居老人となり、孤独死、あるいは無縁死をする。
そういう運命にある。
それはそれで構わない。
自業自得と心得る。
しかし自分たちもまた、同じ道をたどることになる。
それに気づいていない。
「私たちだけはだいじょうぶ」と。
それがいかに幻想であるかは、もう少し時間がたってみるとわかる。

●利己主義

 若い人たちがますます利己主義的になってきている。
私はそれを強く感じている。
あなたも心のどこかで、それを感じているはず。
自分のことしか考えない。
自分の利益しか考えない。
それが高じて、自分さえよければ、それでよいと考える。
またそれでもって、「個人主義」と誤解する。

 誤解がないように書いておきたい。
個人主義というのは、生き様の問題。
「私は私」と、自分の生き方を貫く。
それが個人主義。

 その「自分さえよければ、それでよい」という世界に、家族が加わる。
夫や妻、子どもが加わる。
そこで「私たち家族がよければ、それでよい」となる。
しかし繰り返すが、これは家族主義ではない。
利己主義という。
利己主義をごまかすために、家族主義という言葉を使ってはいけない。

●家制度

 昔ながらの「家制度」にどっぷりとつかっている人には、それがわからないかもしれ
ない。
しかし家制度ほど、利己主義でかたまった世界はない。
「家を守る」ということは、同時に、他者の侵入を徹底的に排除することを意味する。
「家」がもつ権限と利得にしがみつく。
「家」の一員であるかどうかで、明確な差別意識をもつ。

 中には「家制度など、残っていない」と主張する人がいる。
本当にそうか?
そう断言できるか?
あと数週間で2011年になろうという今、いまだに家制度を意識として引きずっている
人は、ゴマンといる。
私の実家がそうだった。
私の親類がそうだった。
地方の町や村へ行くと、いまだに血縁だけで動いているところは、いくらである。

 方向はまったく別かもしれないが、この家制度と、利己主義的な家族制度は、どこか
よく似ている。
自分の周囲に厚い壁を作り、その中だけで生きている。
一見、居心地のよい世界だが、その分だけ風通しが悪い。
悪い分だけ、思想が極端化しやすい。

 たとえば子どもの世界。
同じ過保護、過干渉、過関心でも、カプセル家族の中では、それが極端化しやすい。
子どもに現れる症状も、当然のことながら極端化する。

●家族主義の是正

 何ごとも「中庸」が肝心。
過ぎたるは、及ばざるがごとし。
家族主義も、度が過ぎると、かえって弊害が現れる。
その2つが、(1)世代間の断絶と、(2)極端な利己主義化。

 自己愛者といえば、個人の問題。
それが家族にもワクを広げることがある。
言うなれば、「自己愛家族」ということになる。
言い忘れたが、自己中心性が極端化した状態を、「自己愛」という。
恥ずべきことであって、何ら自慢すべきことではない。
では、どうするか。

●意識改革

 家族主義というのは、意識の問題。
それだけに、その意識を改革するのは、むずかしい。
「改革」というよりも、自分でそれに気づくまでがたいへん。
脳のCPU(中央演算装置)にかかわる問題だけに、ほとんどの人は、自分を基準にする。
つまり「私は正しい」という前提で、ものを考える。
だから気づかない。

 自分が利己主義的であるかどうか。
それを知るためには、2つの方法がある。
ひとつは、他人と比較してみる。
もうひとつは、絶え間ない自己改革を繰り返し、10年単位、20年単位で、自分を
振り返ってみる。
早ければ早いほど、よい。
若ければ若いほど、よい。
ある程度の年齢になると、自己改革そのものがむずかしくなる。
「私は正しい」と思う刀で、そうでない相手を、「まちがっている」と言って切り捨てる。
ある男性は、私にこう言った。

「無料で原稿を読ませている? 道楽でも、私にはそんなことはできません」と。

 ものを書くということは、自分の経験を切り売りするようなもの。
自分の命を削りながら、それを収入に換えていく。
が、その人は、私がそれを無私無欲でしていることに、驚いていた。

(ただし誤解がないように、断っておく。
いくら無料でも、無断転載、盗用、盗作は、ぜったいに許さない!)

 しかしこうした心境に到るまでには、いろいろあった。
簡単な道ではなかった。
私は人一倍、利己主義的であった。
若いころは、お金のためにものを書いた。
それが当たり前という世界で、生きていた。

 家族にしてもそうだ。
最近になってやっと、私と世間を隔てる壁を取り払うことができるようになった。
(最近だぞ!)
そこにいる子どもたち(生徒たち)が、私の息子や娘、孫に見えるようになった。
言い替えると、意識を変えるということは、それくらいむずかしい。
アインシュタインは、常識について、「常識などというものは、その人が18歳のと
きにもった偏見のかたまりである」と言った。
その偏見を取り除くのは、さらにむずかしい。

●終わりに

 金融街で、金融ビジネスをしている人には、ボランティア活動をしている人が
バカでアホに見えるかもしれない。
しかしその一方で、ボランティア活動をしている人には、金融街で血眼(ちまなこ)に
なっている人が、バカでアホに見える。

 意識というのはそういうもの。
立場によって、相対的に変化する。
そのひとつが、家族主義ということになる。

 あなたは今、どのような家族像をもっているだろうか。
家族はどうあるべきと、考えているだろうか。
一度、ここで立ち止まって考えてみてほしい。
よりよい家族をもつために。
より太い家族の絆で結ばれるために。
(あるいは私のように失敗しないため……と書いた方が、正直なところかもしれない。)

 今朝は、家族主義について考え方を訂正してみた。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 
BW はやし浩司 家族主義 新家族主義 新・家族主義 家族主義の訂正、悪玉家族主義、
善玉家族主義)


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●クリスマス

 クリスマスが近くなってきた。
この5~6年、ワイフと2人だけで、クリスマスを祝っている。
正月も、似たようなもの。
それを今朝、ワイフに話すと、ワイフはこう言った。

「別にいいんじゃな~い。私たち、クリスチャンというわけでもないから」と。

 ワイフは、どこまでも楽天的。
うらやましい。
「2人だけというのも、さみしいね」と追い打ちをかけると、さらにこう言った。
「私の友だちなんかも、みんな、そうよ」と。

 もっともその分だけ、教室での行事が多くなる。
忙しくなる。
年末には、生徒たちを連れて、近くのレストランへ行くことにしている。

 で、スケジュールを見ると、12月24日は金曜日。
この日の最終クラスは、小4クラス。
私がいちばん大切にしているクラス。
このクラスのあとに、クリスマスパーティができる。
決定!

 私には、すばらしい友だちが、たくさんいる。
その友だちと、パーティをすればよい。
ものごとは何でも、前向きに考えよう!


Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●友情(はやし浩司 2010-12-14朝記)

++++++++++++++++++

私はひとりぼっちではなかった。
それを知ったとき、熱い涙が、とめども
なく流れた。

++++++++++++++++++

●友の死

 この広い世界で、自分の心の内を話せる友人は、私のワイフだけ。
この浜松市では、ワイフだけ。
今は、そういう状態。
学生時代からの友人の1人は、2年前に他界した。
それほど親しくはなかったが、何かにつけ、彼が近くにいるというだけで、心の支えに
なっていた。

 もう1人いたが、この12月1日(2010年)に、同じく他界した。
だれも予想すらしなかった、突然の死だった。
それまでは毎日のように、その朝に書いた原稿を、メールで送っていた。

 ほかに3人の息子たちがいるが、「心の内」を話すといっても、どうしても愚痴になって
しまう。
息子たちにしても、不愉快だろう。
老後の不安を口にしただけで、顔をそむける。
何も、めんどうをみてほしいと言っているわけではないのだが……。

●老後

 そんな中、最近ワイフがよくこう言う。
「オーストラリアへ移住しない?」と。
移住といっても、数年、あるいはもう少し長く、オーストラリアに住んでみないか、と。
ワイフ自身のためというよりは、私のことを考えてのことらしい。
このところずっと落ち込んでいる。
気分が重い。
老後のことはできるだけ考えないようにしている。
が、いつも心から離れない。
打ち寄せる渚(なぎさ)の波のように、折につけ、心を塞(ふさ)ぐ。
ザザー、ザザーと。

 それに……。
ワイフは、こう言う。
「人生も短いのだから、したいことをしましょうよ」と。
そういう話の流れの中で、「オーストラリア」という名前が浮かんできた。

●解放

 オーストラリアといっても、今は大きく変わった。
私の知っているオーストラリアは、昔のオーストラリア。
あのメルボルン市(当時の人口は300万人)にでさえ、日本人の留学生は、私、
1人だけだった。
そんな時代のオーストラリア。
が、今は、多くのアジア人たちが、ひしめくように住んでいる。
犯罪も多くなり、男性でも夜のひとり歩きは危険になったという。

私「今のオーストラリアは、ぼくが知っているオーストラリアとはちがうよ」
ワ「知っているわ」
私「向こうの人は、日本人といっても、ほかのアジア人と区別しないよ」
ワ「知っているわ」
私「それでも、お前は、オーストラリアに住みたいのか?」
ワ「……あなたのためよ」と。

 私の夢は、いつかオーストラリアに移住することだった。
しかしそれができなかった。
郷里に母と、病弱な兄がいた。
生活力が、ほとんどなかった。
が、2年前、兄が。
つづいて母が、他界した。

 私はやっと「家」から解放された。

●孤独

 私は孤独だった。
ずっと孤独だった。
今も、孤独。
「友」と呼べるような人は、ワイフしかいない。
それが不満というのではない。
私にとって老後の不安というのは、ワイフのいない世界をいう。
もしワイフが先に逝ってしまったら、私はどうなるのか。
どうしたらよいのか。

 親類といっても、面従腹背。
つきあいといっても表面的なもの。
家庭の事情を話すと、その話は、1、2週間のうちに、みなに伝わってしまう。
みながみな、私に好意的というわけではない。
いつも私が話す話は脚色され、どこかでゆがめられてしまう。
たとえばいとこの1人に、(いとこといっても、60数人のいとこがいるが)、今日、
電話で、「最近、腰がこわばることがあって、痛い」と話したとする。
すると1週間後には、別のいとこから、こんな電話が入る。
「浩司君、あんたは車椅子に乗っているのか?」と。

 言うなれば、私の親類たちは、自分を「家」という砦で囲み、その中だけで生きている。
その「ワク」から外れる者を許さない。
昔ながらの利己主義的な「家意識」。
それが亡霊となって、そのまま生きている。
つまり私が住む世界ではない。

●限界

 私とワイフが出した結論は、こうだ。
もし来年(2011年)、仕事に限界を感じたら、オーストラリアへ行こう、と。
私も来年64歳になる。
自由業に定年はないとはいうものの、しかしここ数年、限界を感ずることが多くなった。
少子化に不景気。
加えて私の教え方は、どこか古典的。
古臭い。
今の若い親たちには、受けない(?)。

私「でもね、ぼくは慎重の上に、慎重に考えたい。住んでみたが、やっぱり日本のほう
がいいというのでは、困る。若いときならまだいい。しかしこれからはやり直しがきか
ない」
ワ「……」
私「行くのは簡単なこと。しかし向こうで、ぼくは何をすればいいのかな。毎日、景色
だけを見て過ごすわけにはいかない。仕事をしたい。が、ぼくの年齢では無理」

 私はそういうとき、すぐ「死に方」を考えてしまう。
死ぬのがこわいというのではない。
死ぬまでのプロセスがこわい。
どう死ぬか。
つまり「死に方」。
それを考えると、こわい。

ワ「じゃあ、こうしたら……。つまりね、とにかく1週間だけでも行ってみるのよ。
2人で、住めるかどうか、確かめてきましょうよ」
私「そうだな。それがいいかな。それを何度か繰り返したあと、その後、どうするかを
決める……っていうことだね」
ワ「そうよ……」と。

●準備

 パスポートの準備を始めた。
が、これは第一歩……というより、ほんの一部。
ほかの国とはちがう。
ただの旅行ともちがう。
私にとってオーストラリアというのは、そういう国。
私の青春時代、そのもの。

 あの時代はたしかに私の出発点だった。
すべてがそこから始まった。
が、今、この40年を振り返ってみると、あの時代が、そのまま私のゴールになって
いるのを知る。
私の人生のすべてが、加齢とともに、そのゴールに向かい動き出している。

 ……あの時代が、つぎつぎと私の脳裏に浮かんでくる。
しかも遠い昔の日々としてではなく、つい昨日のように浮かんでくる。
「オ~イ」と声をかければ、すぐそこから返事が返ってくる。
この空の向こうには、同じ別の空があって、そこに私の青春時代がある。
私はあの世界で、1日1日を1年のようにして生きた。
ウソでも誇張でもない。
本当に、1日1日を、1年のように長く感じた。

 オーストラリアへ行くということは、いつもそうだが、私にとっては、その青春時代
に戻ることを意味する。
それなりの心の準備なくして、私にはオーストラリアへ行くことはできない。

●友情

 で、昨日、2人の友人にメールを出した。
メルボルン市に住む、D君。
それにアデレードの近郊の町に住む、R君。
軽い気持ちで、連絡した。
少なくとも、メールでは、そう書いた。
「来年X月XX日、1週間の予定で、オーストラリアへ行く」と。

 簡単な予定も書いた。
アデレードで2泊、列車の中で1泊、そしてメルボルンで2泊、と。
往復の飛行機の中で、1泊ずつ過ごす。
すかさず、返事が入った。
が、その返事を読んだとき、私の心の内から熱いものが、こみあげてくるのがわかった。
「私は、ひとりぼっちではなかった」と。

 D君は、ちょうどそのころ、中国→韓国→日本への旅行を計画していた。
「ヒロシがオーストラリアへ来るなら、それをとりやめる」と。
R君は、「小型飛行機でアウトバック(荒野)を案内する」と。
それに「アデレードからメルボルンまで、車で行こう」とも。

 40年前と何も変わっていなかった。
オーストラリアには、私を迎えてくれる人たちがいる。
それを知ったとき、大粒の涙が、とめどもなく頬を伝わった。

●「♪Rosin the Beau(ロウザン・ザ・ボー)」

 学生時代、そのD君が、こんな歌を教えてくれた。
アイルランドのドリンキング・ソング(民謡)である。
私はその歌を、全部、ソラで歌える。
が、歌の題名が長くわからなかった。

 アイルランドへ行くという人が近くにいると、いつもその人にこう頼んだ。
「もし、こんなメロディ(歌詞)をどこかで聞いたら、題名を調べてきてほしい」と。
そんなこともあって、いつだったか、SKさん(前S大学教授)が、アイルランドで
CDを何枚か買ってきてくれた。
が、その中には、その歌はなかった。

 が、簡単なことだった。
旅行の連絡をするとき、その歌のことを書いた。
「君が教えてくれた、あの歌の題名を教えてほしい」と。
するとD君が、同じメールの中でこう教えてくれた。
「♪Rosin the Beau(ロウザン・ザ・ボー)だよ」と。

 30年もさがしつづけてきた歌が、たった1日でわかった。
1日というより、一瞬!
そのあっけなさに、驚いた。
「♪Rosin the Beau(ロウザン・ザ・ボー)」!

http://www.youtube.com/watch?v=kI8bPVw3scA&feature=related

♪オレは、この世界中を旅してきた。
 今、オレは、もうひとつの世界に行く。
 オレにはわかっている。
 そこでは親友だちが、みな、待っている。
 ローザン・ザ・ボーを迎えるために。
 ローザン・ザ・ボーを迎えるために。

♪オレが死んで、バーのカウンターの
 上に置かれたら、みんなはその下から
 声が聞こえてくるのを知るだろう。
 オレにウィスキーのブタ樽をもってこい、と。
 オレとウィスキーを飲むために。
 オレとウィスキーを飲むために。

 YOUTUBEに題名を書き込むと、すぐその歌が見つかった。
「ザ・ダブリナーズ」というグループが、それを歌っていた。
2、3度、それを聴いていると、またあの涙が、とめどもなくあふれ出てきた。
いっしょに歌っていたが、声にならなかった。

 ……あのノートンの酒場で、私たちは顔を合わせると、いつもこの歌を歌っていた。
それが昨日とか、おとといとかではなく、その瞬間の現実として、よみがってきた。

 ……そういう私をワイフがどこで見ていたのかは知らない。
が、そのあと、横から私にこう言った。

「あなたには、すばらしい思い出があるのね」と。
私はためらわず、頭を小刻みに、何度も縦に振った。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司
 BW はやし浩司 ローザン・ザ・ボー Rosin the Beau Roisin the 
Bowアイルランド民謡 青春時代International House Melbourne University Australia
241 Royal Parade)

(追記、SKさんへ)

 ご無沙汰しています。
お元気ですか。
京都も寒いですか。
今朝、久しぶりにSKさんのことを書きました。
この原稿を送ります。


Hiroshi Hayashi++++Dec. 2010++++++はやし浩司・林浩司

●オーストラリア(2)

+++++++++++++++++++++

2011年、X月XX日。
ワイフと私はオーストラリアへ「行く」。
「行く」と構えるほど、私にとっては、重大事。
サケが長い回遊を経て、ふるさとの源流に
もどるようなもの。
私にとっては、オーストラリアは心の源流。

それをメールで知らせると、2人の友人から、すかさず
返事が届いた。
アデレードで2泊の予定だった。
が、2泊ではとても足りそうにない。
それにアデレードからメルボルンまでは、列車で移動する予定だった。
が、友人が言うには、車でオーストラリア大陸を縦断しよう、と。
そうなると、とても2泊では足りない。

+++++++++++++++++++++

●Rosin the Beau

 オーストラリアの友人が教えてくれた歌に、「ローザン・ザ・ボー」
というのがある。
アイルランドの民謡(drinking song)ということだが、私はその歌を
今でもソラで歌える。
しかし歌の題名がわからない。
YOUTUBEで調べてみた。
「Rosan the Ballか?」・・・ということで、調べてみたが、
うまくヒットできなかった。

 が、今日、その歌を教えてくれた友人から、返事が届いた。
正しくは、「Rosin the Beau」。
さっそくYOUTUBEで検索。
いくつかのシンガー・グループが歌っているのがわかった。
その中でも、「ザ・ダブリンズ」のが、そのままの歌い方だった。
こうした民謡は、歌手によって、アレンジの仕方がまちまち。
その歌を聴いていると、ポロポロと涙がこぼれた。
そのときの情景が、そのままそこにあった。
私はちょうど40年前に、タイムスリップした。

 それを横で見ていて、ワイフがこう言った。
「あなたには、すばらしい思い出があるのね」と。

 私は名前を教えてくれた友人に、返事を書いた。
「30年間、ぼくはこの歌をさがしつづけた。
やっとこの歌に、めぐり会えた。
ありがとう」と。

●1日が1年

 あのころの私は、1日を1年のように長く感じながら生きていた。
けっして大げさな言い方ではない。
本当に、そう感じた。
1日が終わり、ベッドに体を横たえた瞬間、そう感じた。
そんなある日のこと。
ちょうど3か月目のことだった。
私はこう思った。
「まだこの先、こんな生活が9か月もつづくのか!」と。
うれしかった。
それがたまらなく、うれしかった。

 私は留学する前、4年間、金沢の大学に通った。
そういう自分を振り返りながら、その密度のちがいに驚いた。
4年間、通ったはずなのに、その4年間の重みがどこにもない。
思い出がない。
あるにはあるが、オーストラリアでの経験があまりにも濃密すぎた。
そのため金沢での学生生活がかすんでしまった。
その感覚は、今でもそうで、青春時代というと、あの時代ばかりが光り輝く。
金沢での4年間もそうだが、さらに高校時代の3年間となると何も残っていない。
単調な生活。
スケールの小さな生活。
刺激のない生活。

「勉強」と言っても、暗記また暗記。
受験のための暗記。
あの時代には、(今でもそうだが)、自分で考えるということすら許されなかった。
疑問をもてば、なおさら。
疑問をもったとたん、「学校」というコースからはじき飛ばされてしまった。

●不思議な世界

 そうした様子は、『世にも不思議な留学記』に書いた。
地元の中日新聞と、金沢学生新聞に、あしかけ5年に渡って、連載させてもらった。
興味のある方は、ぜひ、読んでほしい。
私のホームページ(ウェブサイト)から、『世にも不思議な留学記』へと進んでもらえば
よい。

 が、時代が変わった。
今では高校の修学旅行で、オーストラリアへ行く時代になった。
私たちが学生のころには、考えられなかった。
往復の旅費(羽田・シドニー間)だけで、42、3万円。
大卒の初任給がやっと5万円を超え始めた時代である。

 私には、見るもの、聞くもの、すべてが珍しかった。
日本には綿棒すら、まだなかった。
バンドエイドもなかった。
風邪を引けば、風呂へ入ることを勧められた。
医学部の学生が部屋までやってきて、注射を打ってくれた。
こんなこともあった。

 カレッジ対抗で、演劇会をもつことになった。
大学の構内では、壁紙を張ることが、きびしく禁じられていた。
が、友だちが、「これからその案内のポスターを貼りに行く」と。
驚いてついていくと、彼らはそれを地面に貼っていた。
(地面だぞ!)

 あるいは冬の寒い日。
1人の女の子が私を、海へ誘ってくれた。
水着をもってくるように言われた。
今となっては本当かウソかよくわからないが、・・・というのも、
オーストラリア人は、この種のウソを平気でつくので、・・・名前をタマラ・ファクター
といった。
自分で、「私は、(化粧品の)マックス・ファクターの孫」と話していた。

 で、海へ行くと、・・・そういえばそこで私ははじめて、「ミート・パイ」という
パイを食べた。
オーストラリアでもっともよく食べられているパイである。
それを食べていると、彼女は、水着姿になってしまった。
泳ぐためではない。
「サン・ベイジング(日光浴)」のためだった。
・・・などなど。

言い忘れたが、冬に浜辺でサン・ベイジングなるものをするという
習慣は、当時の日本人にはなかった。
そう言えば、同じカレッジにいた友人は、冬の日でも、また雨の日でも、
金曜日の夕方になると、キャンピング道具をもって、近くの森へキャンプ
に出かけていた。
そういう習慣も、当時の日本人にはなかった。

 こうして書き出したら、キリがない。

●常識論

 アインシュタインは、常識について、「常識などというものは、その人が18歳のと
きにもった偏見のかたまりである」と言った。
たしかにそれはそうで、子どもたちにしても、綿棒を見て驚く子どもはいない。
そこにあるものを、当然のものとして、受け入れていく。
が、それは18歳ごろ、常識として脳の中で、固まる。
それ以後は、その常識に反するものを、「異質なもの」として処理しようとする。
ときにそれが脳の中で、それまでの常識とはげしく対立することもある。

 たとえば私は向こうの女子学生たちが、みなノーブラで、それこそ乳首が飛び出て
いるような状態で、薄いシャツを着ているのを見て驚いたことがある。
その(驚いた部分)というのが、私の常識ということになる。

 では、何歳くらいの子どもだったら、驚かなかっただろうか。
15歳くらいか。
16歳くらいか。
それともアインシュタインが言うように、18歳くらいだろうか。
少なくとも私は驚いた。
そのとき私は23歳だった。
ということは、やはり18歳前後ということになる。
(アインシュタインという人は、本当にすごい!)

 そのころまでに「常識」が形成される。
それがその人の意識の基盤になる。

●自由

 が、今では、高校生でも驚かない。
綿棒を見ても、バンドエイドを見ても、驚かない。
むしろそちらのほうこそ、不思議!、ということになる。
彼らもまた、生まれながらにして、そこにあるものを、当然と思い込んでいる。

 話は大きく脱線したが、私には毎日が驚きの連続だった。
が、その中でも最大の驚きといえば、彼らの「自由」に対するものの考え方だった。
彼らがもっている自由の意識は、私がもっていた意識とは、明らかに異質のもの
だった。
たとえば職業観。
たとえば家族観。
たとえば人生観。
それを知るたびに、私の頭の中で火花がバチバチと飛び散るのを感じた。

 当時の私たちは職業といえば、迷わず、大企業への就職を選んだ。
「寄らば大樹の影」。
それが常識だった。
が、オーストラリア人には、それがなかった、などなど。
私などは、友人の父親たちが、収入に応じて、つぎつぎと家を移り替えていく。
「家」に対する意識も、ちがっていた。

 また私が大学で使ったテキストには、こうあった。
「日本は、君主(Royal=天皇)官僚主義国家」と。
が、これには私は反発した。
「日本は民主主義国家だ」と。
しかしだれも相手にしてくれなかった。

 日本は奈良時代の昔から、官僚主義国家。
今の今も、官僚主義国家。
首相以下、国会議員の大半は、元官僚。
県知事の大半も、元官僚。
大都市の知事も、これまた元官僚。
40年前の日本は、さらにそうだった!

●自由の意識

 もちろんオーストラリアでの生活は、私の人生観に大きな影響を与えた。
それがよかったのか、悪かったのか。
現在の私が、その「結果」とするなら、よい面もあるし、悪い面もある。
この日本は、組織社会。
組織に属している人は、実力以上の「得」をする。
たいした努力をしなくても、「得」をする。
今の公務員たちをみれば、それがわかる。
組織に属していない人は、実力があっても、「損」をする。
努力に努力を重ねても、「損」をする。
今の商工店主の人たちをみれば、それがわかる。

 「自由」を知らない国民には、それが常識かもしれない。
しかもそうした常識は、遠く江戸時代の昔から、しっかりと日本の社会に根を
おろしている。
そう簡単には、なおらない。
この国で組織に背を向けて生きるなどということ自体、常識ハズレ。
ほとんどのばあい、生きていくことすら、むずかしい。

 が、あえて私は自由の道を選んだ。
たいへんな道だったが、私は私の生き様を貫くことができた。
その原点が、あのオーストラリアでの学生生活にある。

 人は、友だちや師、さらには社会や国から、さまざまなものを学ぶ。
何を学ぶかは、それぞれの人によってちがう。
私のばあい、「生き様」を学んだ。
一編の論文を書いたわけではない。
もしあの時代の論文があるとすれば、今の私自身ということになる。
オーストラリアという国は、私にはそういう国。
・・・というより、「オーストラリア」という国の名前には、そういう意味がある。

 「旅行に行こう」「はい、行きます」と、安易に考えることは、私にはできない。
(International House in Melbourne Univ.)

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 はやし浩司のホームページ http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/
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