Education in Front-Line and Essays by Hiroshi Hayashi (はやし浩司)

(Mr.) Hiroshi Hayashi, a professional writer who has written more than 30 his own books on Education, Chinese Medical science and Religion in Japan. My web-site is: http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/ Please don't hesitate to visit my web-site, which is always welcome!!

Tuesday, April 29, 2008

*April 30th, 2008

●サブプライム問題(農林中金のばあい)(Norinchuikin Bank)

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農林中央金庫のサブプライム問題関連の
損失が、当初の予想の400億円を超え、
1000億円前後にまでふくらむ見通し
という。

読売新聞、4月30日号は、つぎのよう
に伝える。

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(読売新聞、4月30日)

 『農林中央金庫が2008年3月期決算でサブプライムローン関連損失が1000億円前後に拡大する見通しであることが29日、明らかになった。

 農林中金は農業関連の融資が伸び悩んだため、積極的な海外投資を進め、2007年9月末時点で、サブプライム関連商品の残高が5000億円に達し、関連損失として約400億円を計上していた。

 昨秋以降も国際金融市場の混乱が続き、証券化商品がさらに値下がりしたため、サブプライム関連損失は半年間で2倍強に膨らむ見通しだ。サブプライム問題の影響による株式市況の悪化を受け、保有株の大幅な減損処理も避けられないと見られる』と。

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この記事を読んで、最初に、「?」と思ったのが、
どうして農林中央金庫なのか、ということ。

資本金は、1兆5000億円程度。
農林中金のHPには、つぎのようにある。

「※出資は、すべて民間(会員および優先出資者)から受け入れて
おり、政府出資や公的資金の注入は受けていません」と。

そして会員として、つぎのような団体をあげている。

「農業協同組合(JA)、漁業協同組合(JF)、森林組合(森組)、およびそれらの連合会、その他の農林水産業者の協同組織等のうち、農林中央金庫に出資している団体。(平成19年3月31日現在 4445団体)」と。

わかりやすく言えば、農林中金というのは、
日本の農業、林業、漁業の、総元締め的な銀行ということになる。

しかしどうしてそういう銀行が、海外へ投資をつづけ、
(日本国内にではなく、海外へ、だぞ!)、
今回、サブプライム問題で、1000億円前後の損失を
出すことになったのか?

「農業関連の融資が伸び悩んだため」、海外へ積極的に
投資をつづけたと、新聞記事にはある(読売新聞)。

さらに読売新聞によると、「5000億円程度」を出資し、
損失が、「1000億円前後」という。

しかし……?

アメリカなどでは、サブプライム関連商品(証券類)は、
その価値が10分の1以下になっているという。

はたして1000億円程度の損失で、ほんとうに
すむのか? 資本金の約3分の1の、5000億円も
投資していたというのも、メチャメチャ。

さらに言えば、「政府出資や公的資金の注入は
受けていません」とあるが、会員の中には、
農業協同組合(JA)、漁業協同組合(JF)、森林組合(森組)などが、
ズラリと名前を連ねている。

どれも政府出資や公的資金の注入を、ジャブジャブに
受けている団体である。
そういう団体の総元締め的な銀行が、「受けていません」と!

なんだかよくわからない。
以前から、どこか「?」と思っていた農林中金だが、
これでますます、わけがわからなくなってきた。

この先は、もう少し経済雑誌でも読んでから、
書いてみたい。


Hiroshi Hayashi++++++++APR.08++++++++++はやし浩司

●ボケ防止(To prevent the Senility)
It is our custom to see films almost every week to prevent the senility. My wife and I went to a theater to see “Next” yesterday.

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昨日、ワイフと、ニコラス・ケイジ
主演の『NEXT』を見てきた。

少しだが、ピーター・フォークが、
脇役で顔を出した。

歩くのもおぼつかない……といった
ふうだった。
演技だったのか、それともほんとうに
そうなのかは、わからない。

『刑事コロンボ』の時代から、私は
彼のファン。
ピーター・フォークの姿を見て、
年月の流れを、強く感じた。

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『NEXT』の星は、3つの★★★。
先週は、『FIXER』を見た。
こちらは、よく見ていないと、内容が
よく理解できないということで、
星は、2つの★★。

『FIXER』のほうは、日本語字幕
(翻訳)が、まずいのでは?

主語の省略が多く、映画を見ながら、
そのつど、「だれが?」ということを
考えなければならなかった。

しかしどちらも、ボケ防止には、よい。
頭の回転を速くしないと、理解できない。
あえて言うと、

『NEXT』……理解の難易度は、3。
『FIXER』……理解の難易度は、4。

映画館から出るとき、ワイフとこんな
会話をした。

「週に1度は、映画を見て、脳みそを
鍛えよう」
「そうね」と。

ついでに最近見た映画の、私の評価。

『NO COUNTRY』……★
『マイ・ブルーベリー・ナイツ』……星、ゼロ。
ともに理解の難易度は、1。

話をもとにもどす。

肉体の健康を維持するために、スポーツジムに
通う人は多い。
そこで同じように、脳みその健康を維持する
ために、映画鑑賞というのは、どうだろう?

家庭で鑑賞するという方法もあるが、
やはり映画は、劇場で見る方がよい。
迫力がある分だけ、脳みそがより強く
刺激される。

そのためには、難易度の高い映画ほどよい。
へたくそな翻訳なら、なおよい(?)。

今度から映画館も、こんなコマーシャルを
流したらどうか。

「ボケ防止のために、映画館で、映画を!」と。

しかしその前に、ほんとうに効果があるか、
それを、何らかの形で証明しなければならない。

もしよかったら、私たち夫婦が、その実験台に
なってもよい。
毎週、映画のただ券をくれたら、喜んで
協力する。

「週に1回程度映画を見ている人は、認知症に
なる確率が、そうでない人より、20%低い」とか、
何とか。

そんな数字が具体的に出てきたら、みな、こぞって
映画館に足を運ぶようになるだろう。

東宝シネマさん、どうか、ご一考を!

*Children who matters to himself before he understands something

●言葉を反復する子ども(子どものひとり言)

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こちらの言ったことが、即座には
理解できず、いちいちそれを反復
する子どもがいる。

たとえば、

「りんごが3個ありました。
また4個、買ってきました。
あわせていくつですか?」と
質問すると、

「りんごが3個……。また4個
……」と。

そしてこちらの言った言葉を、あたかも
頭の中で反芻(はんすう)するかの
ように、少し考えた様子を見せた
あと、
「……3足す4で、7だあ」と
言ったりする。

様子を観察してみると、言葉そのものが、
即座には、大脳で処理されていかない
といったふう。

算数の問題にかぎらない。

何かの指示を与えても、同じように
反復する。

私「机の上の分度器を片づけて、
それを箱に入れてください」
子「分度器……、箱……」と。

高学年になるからといって、症状が
消えるわけではない。

私「1・5分というのは、何分と何秒の
ことかな」
子「1・5分……だからあ、ええと、……」と。

脳のどの部分に、どのような問題(失礼!)
があるのかは、私にはわからない。
しかし(音声で得た情報を処理する段階)で、
何か問題があるということは、推察される。

そのため、学習能力に影響が出る。
全体に反応が鈍く、その分だけ、時間が
かかる。

似たような症状に、何でも、ものごとを
音声化する子どもがいる。

それについては、以前に書いた原稿が
あるので、そのまま、紹介する。

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●子どものひとり言(内言)

 「5歳の子ども(女児)のひとり言が多いです。意味のないひとり言です。どうしたらいいですか」(滋賀県・Rさん)という相談をもらった。

 子ども(乳幼児)が発する言葉は、大きく、つぎの2つに分けて考える。

(1) 自分の思考をまとめるために使う言葉。これを内言(ないげん)という。
(2) 他人に、自分の考えや意思を表示するための言葉。これを外言(がいげん)という。

 たとえばクレヨンが、机の下に落ちたとき、「アッ、クレヨンが落ちた。ぼく、拾うよ」というのが、内言。先生や、親に向かって、「落ちたから、拾って」と言うのが、外言ということになる。

 こうした内言は、おとなのばあいは、口に出さないで使うが、幼児のばあい、ある時期、それを音声として、口に出して言うことがある。一般的には4歳くらいがピークで、5、6歳で内言は、無声化すると言われている。

 が、子どもによっては、内言の音声化が、その時期を過ぎても残ることがある。

 そこで5歳前後になってからも、無意味なひとり言が多いようであれば、「口を閉じて考えようね」と、指導する。

 この音声化が残ると、子どものものの考え方に影響を与えることがある。子ども自身がその言葉に左右されてしまい、瞬間的で、機敏な考え方ができなくなる。どこかまだるっこい、のんびりとした、ものの考え方をするようになる。

 もしRさんの子どもが、つぎのような話し方をしていたら、「口を閉じて、考えようね」と、指導してみてほしい。

 「これからお食事。それが終わったら、私、これからお外に行こう」(行動の内言)
 「どちらの花がきれいかな。白かな、赤かな……?」(迷いの内言)
 「お花を、○○さんに、もっていくと、どうなるかな。喜ぶかな」(思考の内言)
 「風が吹いた……カーテンが揺れた……お日様が光っている……」(描写の内言)

 ピアジェは、こうした内言のうち、集団内で使うものを、「集団内独語」と呼んでいる。他人の反応を気にしていないという点で、自己中心的なものととらえている。

 しかし実際には、言葉の発達の時期に、よく見られる現象で、内言イコール、自己中心性の表れとは、私は思わない。

 Rさんの子どもは4歳ということだから、そろそろ、「口を閉じて考えようね」と指導すべきころかもしれない。この時期を過ぎて、クセとして定着すると、ここにも書いたように、思考力そのものが、影響を受けることがある。

 ほかにひとり言としては、つぎのようなものがある。

(1) 自閉傾向のあるひとり言……こちらからの話しかけには、まったく応じない。1人2役、3役のひとり言を言うこともある。

(2) ADHD児のひとり言……騒々しく、おさえがきかない。ひとり言というより、勝手に、かつ一方的に、こちらに話しかけてくるといったふう。

(3) 内閉児、萎縮児のひとり言……元気なく、ボソボソと、自分に話しかけるように言う。グズグズ言うこともある。

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言葉を反復する子どもは、内言という
幼児期のクセが、そのまま残ったとも
考えられる。

相手の言ったことを反復しながら、
自分の考えを、まとめようとする。

しかしさらによく観察してみると、
ひとり言をやめさせてしまうと、問題の
意味そのものが、理解できなくなって
しまう。

私「りんごが5個あって、2個食べました。
残りは、いくつかな?」
子「りんごがア……」
私「口を閉じて考えようね」
子「……? 5個でしょ……?」
私「口を閉じて、考えようね」
子「……? ……?」と。

全体としてみると、10人に1人前後の
割合で、見られる。
年齢には関係なく、小学生でも、中学生でも、
ほぼ同じ割合で、見られる。

で、指導法ということになるが、脳の
機能そのものに問題があるように推察される
ため、注意したり、叱ったりしても意味はない。
またそれで(なおる)という問題ではないように思う。

その子どもは、そういう子どもであると
認めた上で、つまりそういう前提で、指導
する。
軽く注意はしても、あとは子どものリズム
に任せるしかない。

その言葉が適切であるかどうかは知らないが、
私は、このタイプの子どもを、「反復児」
と呼んでいる。

同じような内容だが、以前書いた
記録を、そのまま掲載する。

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●言葉を反復する子ども 

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いちいちこちらの言った言葉を
反復する子どもがいる。

反復しないと、こちらの言った
ことが、理解できないといった
ふう。

原因は、脳の中で、情報の伝達が
適切になされないためではないか。

教えていると、そんな印象をもつ。

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 そのつど、こちらの言った言葉を、いちいち言葉を反復する子どもがいる。年齢を問わない。たとえば先生との間では、こんな会話をする。

私「うさぎさんが、6匹いました。そこで……」
子「うさぎさんが、6匹?」
私「そうだよ、6匹だよ」
子「6匹、ね」
私「そこで、みんなに、帽子を1個ずつあげることにしました」

子「みんなに……?」「帽子……?」
私「そうだよ。みんなに、帽子だよ」
子「何個ずつあげるの?」
私「1個ずつだよ」
子「1個ずつ?」と。

 もう少し年齢が大きくなると、言葉の混乱が起きることがある。

私「1リットルのガソリンで、10キロ走る車があります」
子「何んだったけ? 10リットルで、1キロ?」
私「そうじゃなくて、1リットルのガソリンで、10キロ走る車だよ」
子「1リットルの車で、10キロ走る、ガソリン?」
私「そうじゃなくて、1リットルで……」と。

 このタイプの子どもは、少なくない。私の経験では、10人中、1人前後、みられる。特徴としては、つぎのような点が観察される。

(1)こちらの言ったことがすぐ言葉として、理解できない。
(2)そのためこちらの言ったことを、そのつど、オウム返しに反復する。
(3)こちらの言った言葉に、すぐ反応することができない。
(4)全体に、軽度もしくは、かなりの学習遅進性が見られることが多い、など。

 私の印象としては、音声として入った情報を、そのまま理解することができず、それを理解するため、もう一度、自分の言葉として反復しているかのように見える。あるいは音声として入った情報が、脳の中の適切な部分で、適切に処理できず、そのままどこかへ消えてしまうかのように見えることもある。脳の中における情報の伝達に問題があるためと考えられる。

 このタイプの子どもは、もちろん叱ったり、注意したりして指導しても、意味がない。またその症状は、幼児期からみられ、中学生になっても残ることが多い。脳の機能的な問題がからんでいると考えるのが正しい。

 ほかに、こんな会話をしたこともある。相手は、小2の子どもである。

私「帰るとき、スリッパを並べておいてね」
子「帰るとき?」
私「そうだよ。帰るときだよ」
子「スリッパをどうするの?」
私「スリッパを並べるんだよ」
子「スリッパを並べるの?」
私「そうだよ」
子「帰るとき、スリッパを並べるんだね、わかった」と。

 このタイプの子どもは、今のところ、そういうタイプの子どもであると認めた上で、根気よく指導するしかほかに、方法がないように思われる。

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Monday, April 28, 2008

Can you solve this Math Problem?

●脳トレ問題(2)(Brain Working)
From A village which locates at the upper river, to B village which locates at the down river, it takes 6 hours by boat. From B village to A village, it takes 8 hours. Then how many hours will it take a raft from A village to B village?

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【問】

川上にあるA村から、川下にあるB村まで、
船で6時間、かかる。
川下にあるB村から、川上にあるA村まで、
同じ船で、8時間、かかる。
いかだで、A村からB村まで下るとすると、
何時間、かかるか。
(いかだは、流れのまま、進むものとする。)

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これは入試問題ではないが、最近の傾向としては、
この種の問題がふえてきた。

(できる・できない)というよりも、その子どもが
どのように、どの程度考えたかを、見る。

そのため、消しゴムを使うのを禁止する学校も、
ふえてきた。
メモを残させるために、である。

とてもよいことだと思う。

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方程式を使えば、簡単にできる。
A村からB村までの距離を、(k)とする。
船の速さを、(x)、川の流れの速さを、(a)とする。

……こうして解いて、答は、48時間。

しかし残念ながら、この問題は、小6用。
方程式は使えない。

中に、6x8=48で、48時間と答える人も
いるかもしれないが、数学的な理由づけがないから、
いくら答が正しくても、まちがい。

さて、どうやって解いたらよいのか?

脳トレの開始!

(1) 静水では、その船は、同じ距離を、7時間で行けることになる。
(2) 川の流れに乗れば、マイナス1時間。川の流れにさからえば、プラス1時間。
(3) ……ウム……?
(4) やはり、A村からB村までの距離を、(k)とするしかない。
(5) k÷(x+a)=6  k÷(x―a)=8
(6) どうしても、方程式になってしまう!
(7) となると、この問題は、方程式でしか解けないということを証明しなければ
ならない。
(8) さあ、どうするか?

これからサイクリングにでかける。
佐鳴湖を一周する。
その間に考えよう。

では、みなさん、おはようございます!

The Exaggerated Nationalism

●今日・あれこれ(4月28日)(April 28th, French Friends came to my office)
We have to be careful about the exaggerated nationalism, which is now often seen among Chinese people. The exaggerated nationalism often causes a heavy war.
(誇張された民族主義に警戒しよう!)

フランスの友人が、息子さんを2人連れて、
私の教室へ、遊びに来てくれた。

フランスのブルターニュというところから
やってきた。
観光用のパンフレットを見せてもらったが、
どのページも、夢の中の世界のよう。
「いいところですね」の連発。

で、2週間ほど前から、フランス語の
特訓を始めたが、覚えても、覚えても、
そのまま忘れてしまう。

別れるとき、やっと、「オーフォア」と言える
ようになった。
それも、息子さんたちに教えられて……。

フランス語は、発音がむずかしい。
とくに「r」の発音がむずかしい。
鼻から息を抜きながら、「フ」と発音する。
「ブルターニュ」にしても、
「BRETAGNE」と書いて、「ブルターニュ」と
発音する。

再開を約束して、昼過ぎに別れる。

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Sさん、またおいでください!
今度は、たまたま二男夫婦たちが日本へ
来るため、ゆっくり話をする機会を
つくれませんでした。

どうか、お許しください。

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●フランス語

今、どこの国の言語を学びたいかと聞かれたら、
私は、「フランス語」と答えるだろう。
ドイツ語も中国語も、学生時代にかじったが、
身につかなかった。
そこで「フランス語を」と考えたが、そこで
時間切れ。
以来、そのままになってしまった。

で、今回、先にも書いたように、自分なりに
時間を見つけて、せめて簡単な会話くらいはと
思ったが、やはりだめだった。

その国の言葉というのは、その国で、その
状況の中で学んで、はじめて身につく。
本の中のカタカナを読んだくらいで、
身につくはずもない。

プラス、脳みその働きも、かなり悪くなっている。
今回、改めて、それを実感した。

●国際結婚

国際結婚がどんどんとふえている。
ふえているというより、当たり前になりつつある。
すばらしいことだと思う。

私の従兄弟(いとこ)の娘さんも、アメリカ人と
結婚した。
30年来の友人も、中国の女性と結婚した。
5、6年前に、フィリッピンの女性と結婚した
友人もいる。
年齢は、30歳くらい離れていた。
今では、そんな結婚も、珍しくない。
ないが、そのときは、少なからず、嫉妬した。

奥さんが、まるでモデルのように、顔立ちの
整った、美しい人だった。

で、みんな、うまくやっている。

が、それを迎える親のほうはどうかというと、
心境は、やや複雑。
私の二男にしても、会えるのは、1、2年に一度。
今は、インターネットもある。
スカイプ(テレビ電話)もある。
が、どこか、さみしい。
だから「やや複雑」。

「複雑」というのには、「心配」という意味も
含まれる?

まあ、その分、身近にいる外国の人たちに、親切にする。
回りまわって、そういう(やさしさ)が、二男の
ところに伝わる。
そんな気がする。

今どき、「日本人だ」「外国人だ」と言っているほうが、
おかしい。

●人種差別

40年前には、国際結婚というのは、
ほとんど考えられなかった。

オーストラリアにしても、当時は白豪主義。
「ホワイト・ポリシー」というのがあった。

白人以外は、みな、第2級人種ということに
なっていた。
「セコンド・クラス・ピープル」という。

白人以外の人と結婚した白人も、第2級人種
ということになった。
第2級人種になると、いろいろな差別を
受けた。

だから、アジア人と結婚する白人は少なかった。
当人たちはともかくも、親たちが、反対した。

が、そのうち、アジア人の女性と結婚する
オーストラリア人男性が急増した。

そういう人たちが、ホワイト・ポリシーに反発した。
それだけではないが、やがてこのホワイト・ポリシーは
廃棄された。

そういうこともあって、私がオーストラリアに
いたころは、アジア人の私は、まったくと言ってよいほど、
女性にもてなかった。

背も低かった。
顔立ちも悪く、見栄えもよくなかった。
あの人口300万人(当時)のメルボルン市ですら、
日本人の留学生は、私、1人だけ。
後見人と呼ばれる、それなりの身元保証人がないと、
正規の留学すらできなかった。

珍しいというより、奇異な目で見られた。

それが今では、日本人の男性が、オーストラリア人の
女性を連れ立って、堂々と街中を歩くようになった。
「時代が変わった」というだけでは説明できない。
あまりにも、大きな変化である。

「友人」とうときと、「恋愛、結婚」というときには、
その間には、越えがたいほど、大きな壁がある。
その「壁」が、たいへん低くなった。

私の二男にしても、アメリカ人の女性と結婚すると
言ったとき、「よく、相手の両親が許してくれたな」と、
むしろ、私は、そちらのほうに驚いた。

いくら人種差別がなくなったとはいえ、二男が住んで
いるのは、アメリカの南部。
州庁舎の前には、いまだに南軍の旗がひらめいている。

あのあたりでは、黄色人種は、黒人より、下に見られている。

が、ともかくも、結婚してしまった。

●血の交流

日本人は、たいへん不幸なことに、長い間、他民族との
血の交流をしてこなかった。

そのため骨相学的には、日本民族は、特異な(?)
骨相をもつようになってしまった。

が、それだけではない。

思想そのものまで、ゆがんでしまった。
称して、「極東アジアの島国根性」。

いまどき、世界で、「男だから……」「長男だから……」と、
安っぽい『ダカラ論』をふりかざしているのは、
世界広しといえども、この日本くらいなもの。

中には、そういう『ダカラ論』をふりかざして、「これが
日本が誇るべき民族意識」とか、「国の品格である」
とか説いている人さえいる。

今でも、この日本を見ながら、「奇異」という言葉を
使う欧米人は、多い。
それがわからなければ、欧米の映画に出てくる日本人を
見てみることだ。

どこか、へん?
どこか、おかしい?

欧米の人たちは、そういう目で、日本を見ている。

世界的に見れば、フィリッピンの人たちのほうが、
よっぽど国際性に富んでいる。
1970年代の当時ですら、マナーも、社交のし方も、
日本人の私たちより、ずっと洗練されていた。

こうした民族性を打破するためには、他民族と
血の交流をするしかない。

……といっても、もちろん簡単なことではない。

たとえば現在、この浜松市には、約3万人の外国人が
住んでいる。
住人の20人に約1人が、外国人ということになる。
しかし、たがいの間には、厚い壁がある。
言葉の壁、習慣の壁、文化、風習の壁などなど。
ときどき、日本人との間で、トラブルが起きることもある。

「南米の人たちと、もっと仲良くなりましょう」と
言ったところで、簡単なことではない。

日本人と南米の人たちとの恋愛や結婚の話が話題になるように
なるのは、まだまだ先の話。
10年とか20年の年月が必要かもしれない。

●EUはなぜ統合できたか

フランスの友人は、こう言った。

「ブルターニュ地方は、避暑地としてもよく知られている。
ドイツ人やイギリス人の別荘が、あちこちにある」と。

つまり、ドイツ人やイギリス人が、自由にやってきて、
ブルターニュというフランスに住んでいる、と。

このアジアでは、まだそこまでは考えられない。
同じような例が、ないわけではないが、
「自由」とまではいかない。

しかしもしそういうことが、この日本でも
自由になされるようになったら、「国」に対する
考え方も、大きく変わるのではないか。

今どき、「薩摩出身だ」「長州出身だ」と言っている人はいない。
同じように、近い将来、「日本出身だ」「中国出身だ」と
言う人はいなくなる。

そうなれば、このアジアも、大連合できるかもしれない。

そのためにも、つまりそういう未来像を描きながら、
今、私たちがすべきことがあるとするなら、
それは偏狭な民族主義と戦うこと。

「国の品格」を問題にするなら、その国家を
超えたところで、日本を考える。
「日本だから……」とか、「日本人だから……」と
気負うことはない。

日本も中国もない。韓国も、ない。
私たちはみな、同じ、アジア人。

そういう視点で、日本の未来を考える。

フランスの友人が帰ったあと、私は、そんなことを考えた。

Sunday, April 27, 2008

*My G-son and G-daughter, Sage & Mae

家族.jpg
誠司 満5歳8か月、芽衣 満2歳 (08年4月)

誠司0804-満5歳8か月.jpg

*Parents are everything for sons and daughters to obey

●田んぼの中の水鳥(A water bird in the rice field)
My mother often said to me, “I have raised up you”, or “I have brought you into this world”. But one day I rejected it, shouting, “When did I ask you to bring me up here?”

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信号待ちで車を止めたとき、
田んぼの中に、大きな水鳥が
いるのを知った。

私がそちらを見ると、水鳥も、
こちらを見ていた。

サギの一種だと思う。
細い首をこちらに向けたまま、
じっとそこに立っていた。

+++++++++++++++++

私の母は、ことあるごとに、私に
こう言った。

「産んでやった」「育ててやった」と。

大学へ入ると、「学費を出してやっている」
「お父ちゃんに感謝しろよ」「J(=兄)に感謝しろよ」と。

それこそ耳にタコができるほど、それを
言って聞かされた。

それで私が、高校1年か、2年生になった
ときのこと。
私は、ついにキレた。
ある日、私は、こう叫んだ。

「だれが、お前に産んでくれと頼んだア!」と。

そう、だれが産んでくれと頼んだ?
たしかに私は生まれた。
が、だからといって、そのことで、
親に感謝しろと言われても困る。

親は親で、勝手に私を産んだだけではないのか。

……というようなことを、私は、水鳥を見ながら
思い出した。

水鳥は、そこにいる。
それほどよい環境に住んでいるとも思われない。
農薬の影響で、餌も、少なくなったにちがいない。

その水鳥のことは知らないが、
季節に応じて、極地方から東南アジアまで、
旅をするのも、いるそうだ。

水鳥にしてみれば、(生きること)イコール、
(苦労の連続)ということになる。

車が動き出したとき、私は、ワイフにこう言った。

私「あの水鳥たちは、何のために生きているのかねえ?」
ワ「そうねえ……」
私「生きていても、苦労の連続で、楽しみなんか、ほとんどないと思う」
ワ「空からの美しい景色を楽しむということは、ないのかしら?」
私「どうだろう? そんな余裕はないかもしれないよ」

ワ「だったら、自然の中で生かされているだけ?」
私「ぼくは、そう思う。ゆいいつの楽しみと言えば、交尾をして、
雛(ひな)を育てることかな?」
ワ「しかし、それだって、苦労のひとつよ」
私「そこなんだよな。本能の命ずるまま、交尾して、雛をかえしているだけ?」
ワ「でも、水鳥は水鳥で、それでハッピーなのかもしれないわよ」と。

この世に生まれたからといって、よいことなど、数えるほどもない。
一見華やかに見える恋愛にしても、それにつづく苦労のはじまりでしかない。
まさに生まれてから、死ぬまで、苦労の連続。
もっとはっきり言えば、私たち人間にしても、死ぬことができないから、
生きているだけ?
生かされているだけ?

水鳥と私たち人間は、どこがどうちがうというのか。

母は、「産んでやった、(だから私に感謝しろ)」と、私に言いたかったのだ。
「育ててやった、(だから私に感謝しろ)」と、私に言いたかったのだ。

戦後のあの混乱期ということもあった。
今になってみると、母の気持ちを理解できなくはない。
母は母なりに、苦労もあったのだろう。
しかしこと(私)について見れば、私は、望んでこの世に生まれたわけではない。
そもそも(私)という主体すら、なかった。

たまたま生まれてみたら、私が人間であったというに過ぎない。
はやし浩司という名前の、人間であったにすぎない。

言いかえると、その(私)が、水鳥であったとしても、何ら、おかしくない。
私と水鳥の間には、一見、越えがたい距離があるようで、その実、距離など、ない。

私「あの水鳥も、死ぬこともできず、ただ生かされているだけかもしれないね」
ワ「生まれた以上、生きていくしかないって、ことよね」
私「そう。とにかく、生きていくしかない。いつか、死ぬときがくるまで、ね」
ワ「子どもたちは、どうかしら? この世に生まれてきて、よかったと思っている
かしら?」
私「そういうふうに、思ってくれれば、うれしいけどね」と。

が、だからといって、生きることが無駄であるとか、生きていても、
虚(むな)しいだけとか、そんなことを言っているのではない。

大切なのは、生き方。
その生きざま。

私自身は、この世に生まれてきて、よかったと思っている。
とくにこれといって、よいことはあまりなかったが、しかし今日まで、
無事、こうして生きてこられただけでも、ありがたい。

ワ「結局は、あなたがいつも言っている、『私論』に行き着くのね」
私「そうなんだよな。あの水鳥は、自分では、『私は私』と思って
いるかもしれない。危険が迫れば、飛んで逃げる。しかしその実、
どこにも、『私』がない」
ワ「あの水鳥が、人間に向かって踊り始めたら、おもしろいわね」
私「そう。もしそんなことをすれば、全国のニュースになるよ」
ワ「そのとき、あの水鳥は、『私』をつかんだことになるのよね」と。

「私をつかんだ」というよりは、「私らしい生き方の第一歩を
踏み出した」というほうが、正しい。

ワ「でも、あなたのお母さんって、どうして、そういう言い方をしたのかしら?」
私「G県の人たちは、ほかの県の人たちと、少しちがうよ。Mという、親絶対教の発祥の
地にもなっている」
ワ「静岡県では、そんなことを口にする人は、少ないわよ」
私「ぼくも、聞いたことがない……。G県には、それだけ民族的な土着性が
残っているということかな。人の交流も少ないし……」と。

私も自分の息子たちに、同じような言葉を言いそうになったことはある。
息子たちが、私に生意気な態度を示したときだ。
しかし私は、言わなかった。

むしろ事実は逆で、私は息子たちに感謝している。
息子たちは、いつも私に生きる希望を与えてくれた。
生きる目標を作ってくれた。
私にとっては、生きがいそのものだった。
もし息子たちがいなければ、私は、こうまでがんばらなかったと思う。
がんばることもできなかった。

ついでに言えば、息子たちががんばっている姿を見ることで、
私は、自分の命を、つぎの世代にバトンタッチすることができる。
(死の恐怖)すら、それで和らげることができる。

そうそう私が、母にはじめて反発したとき、母は、狂った
ように泣き叫び、こう言った。

「バチ当たり! お前はだれのおかげで、ここまで
大きくなれたア! その恩を忘れるな!」と。

それは母の言葉というよりは、母自身も、そういう言葉を、
さんざん聞かされて育ったにちがいない。
そういう環境の中で生まれ、育った。
母にしてみれば、きわめて常識的な
言葉にすぎなかったということになる。

私「あの水鳥の親は、そんなバカなことは言わないね」
ワ「言わないわよ」
私「やるべきことをやって、雛たちを空へ放つ」
ワ「それが子育ての原点なのね」
私「ぼくは、そう思う。ハハハ」
ワ「ハハハ」と。

……それにしても、美しい水鳥だった。

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子育ての原点について
書いた原稿です。
(中日新聞経済済み)

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●家族の真の喜び
   
 親子とは名ばかり。会話もなければ、交流もない。廊下ですれ違っても、互いに顔をそむける。怒りたくても、相手は我が子。できが悪ければ悪いほど、親は深い挫折感を覚える。

「私はダメな親だ」と思っているうちに、「私はダメな人間だ」と思ってしまうようになる。が、近所の人には、「おかげでよい大学へ入りました」と喜んでみせる。今、そんな親子がふえている。

いや、そういう親はまだ幸せなほうだ。夢も希望もことごとくつぶされると、親は、「生きていてくれるだけでいい」とか、あるいは「人様に迷惑さえかけなければいい」とか願うようになる。

 「子どものころ、手をつないでピアノ教室へ通ったのが夢みたいです」と言った父親がいた。「あのころはディズニーランドへ行くと言っただけで、私の体に抱きついてきたものです」と言った父親もいた。

が、どこかでその歯車が狂う。狂って、最初は小さな亀裂だが、やがてそれが大きくなり、そして互いの間を断絶する。そうなったとき、大半の親は、「どうして?」と言ったまま、口をつぐんでしまう。

 法句経にこんな話がのっている。ある日釈迦のところへ一人の男がやってきて、こうたずねる。「釈迦よ、私はもうすぐ死ぬ。死ぬのがこわい。どうすればこの死の恐怖から逃れることができるか」と。それに答えて釈迦は、こう言う。「明日のないことを嘆くな。今日まで生きてきたことを喜べ、感謝せよ」と。

私も一度、脳腫瘍を疑われて死を覚悟したことがある。そのとき私は、この釈迦の言葉で救われた。そういう言葉を子育てにあてはめるのもどうかと思うが、そういうふうに苦しんでいる親をみると、私はこう言うことにしている。「今まで子育てをしながら、じゅうぶん人生を楽しんだではないですか。それ以上、何を望むのですか」と。

 子育てもいつか、子どもの巣立ちで終わる。しかしその巣立ちは必ずしも、美しいものばかりではない。憎しみあい、ののしりあいながら別れていく親子は、いくらでもいる。しかしそれでも巣立ちは巣立ち。親は子どもの踏み台になりながらも、じっとそれに耐えるしかない。

親がせいぜいできることといえば、いつか帰ってくるかもしれない子どものために、いつもドアをあけ、部屋を掃除しておくことでしかない。私の恩師の故松下哲子先生は手記の中にこう書いている。

「子どもはいつか古里に帰ってくる。そのときは、親はもうこの世にいないかもしれない。が、それでも子どもは古里に帰ってくる。決して帰り道を閉ざしてはいけない」と。

 今、本当に子育てそのものが混迷している。イギリスの哲学者でもあり、ノーベル文学賞受賞者でもあるバートランド・ラッセル(一八七二~一九七〇)は、こう書き残している。

「子どもたちに尊敬されると同時に、子どもたちを尊敬し、必要なだけの訓練は施すけれど、決して程度をこえないことを知っている、そんな両親たちのみが、家族の真の喜びを与えられる」と。

こういう家庭づくりに成功している親子は、この日本に、今、いったいどれほどいるだろうか。

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ついでに一言。

親風、叔父風、年長風、そのどれも、
吹かせば吹かすほど、
人間関係は疎遠になる。

親子であれば、そこに
大きなキレツを入れる。

以下、4年前(04年)に
書いた原稿です。

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【親・絶対教】

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「親は絶対」と思っている人は、多いですね。
これを私は、勝手に、親・絶対教と呼んでいます。
どこかカルト的だから、宗教になぞらえました。

今夜は、それについて考えてみます。

まだ、未完成な原稿ですが、これから先、この原稿を
土台にして、親のあり方を考えていきたいと
思っています。

          6月27日

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●親が絶対!

 あなたは、親に産んでもらったのです。
 その恩は、忘れてはいけません。
 親があったからこそ、今、あなたがいるのです。

 産んでもらっただけではなく、育ててもらいました。
 学校にも通わせてもらいました。
 言葉が話せるようになったのも、あなたの親のおかげです。

 親の恩は、山より高く、海よりも深いものです。
 その恩を決して忘れてはいけません。
 親は、あなたにとって、絶対的な存在なのです。

 ……というのが、親・絶対教の考え方の基本になっている。

●カルト

 親・絶対教というのは、根が深い。親から子へと、代々と引き継がれている。しかも、その人が乳幼児のときから、徹底的に、叩きこまれている。叩きこまれるというより、脳の奥深くに、しみこまされている。青年期になってから、何かの宗教に走るのとは、わけがちがう。

 そもそも「基底」そのものものが、ちがう。

 子どもは、母親の胎内で、10か月近く宿る。生まれたあとも、母親の乳を得て、成長する。何もしなくても、つまり放っておいても、子どもは、親・絶対教にハマりやすい。あるいはほんの少しの指導で、子どもは、そのまま親・絶対教の信者となっていく。

 が、親・絶対教には、もともと根拠などない。「産んでやった」という言葉を口にする親は多い。しかしそれはあくまでも結果でしかない。生まれる予定の子どもが、幽霊か何かの姿で、親の前に出てきて、「私を産んでくれ」と頼んだというのなら、話は別。しかしそういうことはありえない。

 少し話が飛躍してしまったが、親・絶対教の基底には、「親がいたから、子どもが生まれた」という概念がある。親あっての、子どもということになる。その概念が基礎になって、親は子どもに向かって、「産んでやった」「育ててやった」と言うようになる。

 それを受けて子どもは、「産んでいただきました」「育てていただきました」と言うようになる。「恩」「孝行」という概念も、そこから生まれる。

●親は、絶対!

 親・絶対教の信者たちは、子どもが親にさからうことを許さない。口答えなど、もってのほか。親自身が、子どもは、親のために犠牲になって当然、と考える。そして自分のために犠牲になっている、あるいは献身的につくす子どもをみながら、「親孝行のいい息子(娘)」と、それを誇る。

 いろいろな例がある。

 父親が、脳内出血で倒れた夜、九州に住んでいたKさん(女性、その父親の長女)は、神奈川県の実家の近くにある病院まで、電車でかけつけた。

 で、夜の9時ごろ、完全看護ということもあり、またほかにとくにすることもなかったので、Kさんは、実家に帰って、その夜は、そこで泊まった。

 が、それについて、妹の義理の父親(義理の父親だぞ!)が、激怒した。あとで、Kさんにこう言ったという。「娘なら、その夜は、寝ずの看病をすべきだ。自分が死んでも、病院にとどまって、父親の容態を心配するのが、娘の務めではないのか!」と。

 この言葉に、Kさんは、ひどく傷ついた。そして数か月たった今も、その言葉に苦しんでいる。

 もう一つ、こんな例がある。一人娘が、嫁いで家を出たことについて、その母親は、「娘は、親を捨てた」「家をメチャメチャにした」と騒いだという。「こんなことでは、近所の人たちに恥ずかしくて、外も歩けない」と。

 そうした親の心情は、常人には、理解できない。その理解できないところが、どこかカルト的である。親・絶対教には、そういう側面がある。

●子が先か、親が先か

 親・絶対教では、「親あっての、子ども」と考える。

 これに対して、実存主義的な立場では、つぎのように考える。

 「私は生まれた」「生まれてみたら、そこに親がいた」「私がいるから、親を認識できる」と。あくまでも「私」という視点を中心にして、親をみる。
 
 親を見る方向が、まったく逆。だから、ものの考え方も、180度、変ってくる。

 たとえば今度は、自分の子どもをみるばあいでも、親・絶対教の人たちは、「産んでやった」「育ててやった」と言う。しかし実存主義的な考え方をする人は、「お前のおかげで、人生を楽しく過ごすことができた」「有意義に過ごすことができた」というふうに、考える。子育てそのものを、自分のためととらえる。

 こうしたちがいは、結局は、親が先か、子どもが先かという議論に集約される。さらにもう少し言うなら、「産んでやった」と言う親は、心のどこかに、ある種の犠牲心をともなう?

たとえばNさんは、どこか不本意な結婚をした。俗にいう「腹いせ婚」というのかもしれない。好きな男性がほかにいたが、その男性が結婚してしまった。それで、今の夫と、結婚した。

そして、今の子どもが生まれた。その子どもどこか不本意な子どもだった。生まれたときから、何かにつけて発育が遅れた。Nさんには、当然のことながら、子育てが重荷だった。子どもを好きになれなかった。

そのNさんは、そんなわけで、子どもには、いつも、「産んでやった」「育ててやった」と言うようになった。その背景にあるのは、「私が、子どものために犠牲になってやった」という思いである。

 しかし親にとっても、子どもにとっても、それほど、不幸な関係はない。……と、私は思うが、ここで一つのカベにぶつかる。

 親が、親・絶対教の信者であり、その子どももまた、親・絶対教であれば、その親子関係は、それなりにうまくいくということ。子どもに犠牲を求めて平気な親と、親のために平気で犠牲になる子ども。こうした関係でも、親子関係は、それなりにうまく、いく。

 問題は、たとえば結婚などにより、そういう親子関係をもつ、夫なり、妻の間に、他人が入ってくるばあいである。

●夫婦のキレツ

 ある男性(55歳)は、こう言った。「私には、10歳、年上の姉がいます。しかしその姉は、はやし先生が言うところの、親・絶対教の信者なのですね。父は今でも、元気で生きていますが、父の批判をしただけで、狂ったように、反論します。『お父さんの悪口を言う人は、たとえ弟でも許さない』とです」と。

 兄弟ならまだしも、夫婦でも、こうした問題をかかえている人は多い。

 よくある例は、夫が、親・絶対教で、妻が、そうでないケース。ある女性(40歳くらい)は、昔、こう言った。

 「私が夫の母親(義理の母親)と少しでも対立しようものなら、私の夫は、私に向って、こう言います。『ぼくの母とうまくできないようなら、お前のほうが、この家を出て行け』とです。妻の私より、母のほうが大切だというのですね」と。

 今でこそ少なくなったが、少し前まで、農家に嫁いだ嫁というのは、嫁というより、家政婦に近いものであった。ある女性(70歳くらい)は、こう言った。

 「私なんか、今の家に嫁いできたときは、召使いのようなものでした。夫の姉たちにすら、あごで使われました」と。

●親・絶対教の特徴

 親・絶対教の人たちが決まってもちだすのが、「先祖」という言葉である。そしてそれがそのまま、先祖崇拝につながっていく。親、つまり親の親、さらにその親は、絶対という考え方が、積もりにつもって、「先祖崇拝」へと進む。

 先祖あっての子孫と考えるわけである。どこか、アメリカのインディアン的? アフリカの土着民的? 

 しかし本当のことを言えば、それは先祖のためというよりは、自分自身のためである。自分という親自身を絶対化するために、また絶対化してほしいがために、親・絶対教の信者たちは、先祖という言葉をよく使う。

 ある男性(60歳くらい)は、いつも息子や息子の嫁たちに向って、こう言っている。「今の若いものたちは、先祖を粗末にする!」と。

 その男性がいうところの先祖というのは、結局は、自分自身のことをいう。まさか「自分を大切にしろ」とは、言えない。だから、少し的をはずして、「先祖」という言葉を使う。

 こうした例は、このH市でも見られる。21世紀にもなった今。しかも人口が60万人もいる、大都市でも、である。

中には、先祖崇拝を、教育理念の根幹に置いている評論家もいる。さらにこれは本当にあった話だが、(こうして断らねばならないほど、ありえない話に思われるかもしれないが……)、こんなことがあった。

 ある日の午後、一人の女性が、私の教室に飛びこんできて、こう叫んだ。「あんたは、先祖を粗末にしているようだが、そういう教育者は、教育者と失格である。あちこちで講演活動をしているようだが、即刻、そういった活動をやめなさい」と。

 まだ30歳そこそこの女性だったから、私は、むしろ、そちらのほうに驚いた。彼女もまた、親・絶対教の信者であった。

 しかしこうした言い方は、どこか卑怯(失礼!)ではないのか。

 数年前、ある寺で、説法を聞いたときのこと、終わりがけに、その寺の住職が私たちのこう言った。

 「お志(こころざし)のある方は、どうか仏様を供養(くよう)してください」と。その寺では、「供養」というのは、「お布施」つまり、マネーのことをいう。まさか「自分に金を出せ」とは言えない。だから、(自分)を、(仏様)に、(お金)を、(供養)に置きかえて、そう言う。

 親・絶対教の信者たちが、息子や娘に向って、「お前たちのかわりにご先祖様を祭ってやるからな」と言いつつ、金を取る言い方に、よく似ている。

 実際、ある母親は、息子の財産を横取りして、使いこんでしまった。それについてその息子が、泣きながら抗議すると、その母親は、こう言い放ったという。

 「親が、先祖を守るため、自分の息子の金を使って。何が悪い!」と。

 世の中には、そういう親もいる。

●親・絶対教信者との戦い

 「戦い」といっても、その戦いは、やめたほうがよい。それはまさしく、カルト教団の信者との戦いに似ている。親・絶対教が、その人の哲学的信条になっていることが多く、戦うといっても容易ではない。

 それこそ、10年単位の戦いということになる。

 先にも書いたように、親・絶対教の信者であっても、それなりにハッピーな人たちに向って、「あなたはおかしい」とか、「まちがっている」などと言っても、意味はない。

 人、それぞれ。

 それに仮に、戦ったとしても、結局は、その人からハシゴをはずすことで終わってしまう。「あなたはまちがっている」と言う以上は、それにかわる新しい思想を用意してやらねばならない。ハシゴだけはずして、あとは知りませんでは、通らない。

 しかしその新しい思想を用意してやるのは、簡単なことではない。その人に、それだけの学習意欲があれば、まだ話は別だが、そうでないときは、そうでない。時間もかかる。

 だから、そういう人たちは、そういう人たちで、そっとしておいてあげるのも、私たちの役目ということになる。

たとえば、私の生まれ故郷には、親・絶対教の信者たちが多い。そのほかの考え方ができない……というより、そのほかの考え方をしたことがない人たちばかりである。そういう世界で、私一人だけが反目しても、意味はない。へたに反目すれば、反対に、私のほうがはじき飛ばされてしまう。

 まさにカルト。その団結力には、ものすごいものがある。

 つまり、この問題は、冒頭にも書いたように、それくらい、「根」が深い。

 で、この文章を読んでいるあなたはともかくも、あなたの夫(妻)や、親(義理の親)たちが、親・絶対教であるときも、今、しばらくは、それに同調するしかない。私が言う「10年単位の戦い」というのは、そういう意味である。

●自分の子どもに対して……

 参考になるかどうかはわからないが、私は、自分の子どもたちを育てながら、「産んでやった」とか、「育ててやった」とか、そういうふうに考えたことは一度もない。いや、ときどき、子どもたちが生意気な態度を見せたとき、そういうふうに、ふと思うことはある。

 しかし少なくとも、子どもたちに向かって、言葉として、それを言ったことはない。

 「お前たちのおかげで、人生が楽しかったよ」と言うことはある。「つらいときも、がんばることができたよ」と言うことはある。「お前たちのために、80歳まで、がんばってみるよ」と言うことはある。しかし、そこまで。

 子どもたちがまだ幼いころ、私は毎日、何かのおもちゃを買って帰るのが、日課になっていた。そういうとき、自転車のカゴの中の箱や袋を見ながら、どれだけ家路を急いだことか。

 そして家に帰ると、3人の子どもたちが、「パパ、お帰り!」と叫んで、玄関まで走ってきてくれた。飛びついてきてくれた。

 それに今でも、子どもたちがいなければ、私は、こうまで、がんばらなかったと思う。寒い夜も、なぜ自転車に乗って体を鍛えるかといえば、子どもたちがいるからにほかならない。

 そういう子どもたちに向かって、どうして「育ててやった」という言葉が出てくるのか? 私はむしろ逆で、子どもたちに感謝しこそすれ、恩を着せるなどということは、ありえない。

 今も、たまたま三男が、オーストラリアから帰ってきている。そういう三男が、夜、昼となく、ダラダラと体を休めているのを見ると、「これでいいのだ」と思う。

 私たち夫婦が、親としてなすべきことは、そういう場所を用意することでしかない。「疲れたら、いつでも家にもどっておいで。家にもどって、羽を休めなよ」と。

 そして子どもたちの前では、カラ元気をふりしぼって、明るく振るまって見せる。

●対等の人間関係をめざして

 親であるという、『デアル論』に決して、甘えてはいけない。

 親であるということは、それ自体、たいへんきびしいことである。そのきびしさを忘れたら、親は親でなくなってしまう。

 いつかあなたという親も、子どもに、人間として評価されるときがやってくる。対等の人間として、だ。

 そういうときのために、あなたはあなたで、自分をみがかねばならない。みがいて、子どもの前で、それを示すことができるようにしておかなければならない。

 結論から先に言えば、そういう意味でも、親・絶対教の信者たちは、どこか、ずるい。「親は絶対である」という考え方を、子どもに押しつけて、自分は、その努力から逃げてしまう。自ら成長することを、避けてしまう。

 昔、私のオーストラリアの友人は、こう言った。

 「ヒロシ、親には三つの役目がある。一つは、子どもの前を歩く。ガイドとして。もう一つは、子どものうしろを歩く。保護者(プロテクター)として。そしてもう一つは、子どもの横を歩く。子どもの友として」と。

 親・絶対教の親たちは、この中の一番目と二番目は得意。しかし三番目がとくに、苦手。友として、子どもの横に立つことができない。だから子どもの心をつかめない。そして多くのばあい、よき親子関係をつくるのに、失敗する。

 そうならないためにも、親・絶対教というのは、害こそあれ、よいことは、何もない。

【追記】

 親・絶対教の信者というのは、それだけ自己中心的なものの見方をする人と考えてよい。子どもを自分の(モノ)というふうに、とらえる。そういう意味では、精神の完成度の低い人とみる。

 たとえば乳幼児は、自己中心的なものの考え方をすることが、よく知られている。そして不思議なことがあったり、自分には理解できないことがあったりすると、すべて親のせいにする。

 こうした乳幼児特有の心理状態を、「幼児の人工論」という。

 子どもは親によって作られるという考え方は、まさにその人工論の延長線上にあると考えてよい。つまり親・絶対教の人たちは、こうした幼稚な自己中心性を残したまま、おとなになったと考えられる。

 そこでこう考えたらどうだろうか。

 子どもといっても、私という人間を超えた、大きな生命の流れの中で、生まれる、と。

 私もあるとき、自分の子どもの手先を見つめながら、「この子どもたちは、私をこえた、もっと大きな生命の流れの中で、作られた」と感じたことがある。

 「親が子どもをつくるとは言うが、私には、指一本、つくったという自覚がない」と。

 私がしたことと言えば、ワイフとセックスをして、その一しずくを、ワイフの体内に射精しただけである。ワイフにしても、自分の意思を超えた、はるかに大きな力によって、子どもを宿し、そして出産した。

 そういうことを考えていくと、「親が子どもを作る」などという話は、どこかへ吹っ飛んでしまう。

 たしかに子どもは、あなたという親から生まれる。しかし生まれると同時に、子どもといえでも、一人の独立した人間である。現実には、なかなかそう思うのも簡単なことではないが、しかし心のどこかでいつも、そういうものの考えた方をすることは、大切なことではないのか。

【補足】

 だからといって、親を粗末にしてよいとか、大切にしなくてよいと言っているのではない。どうか、誤解しないでほしい。

 私がここで言いたいのは、あなたがあなたの親に対して、どう思うおうとも、それはあなたの勝手ということ。あなたが親・絶対教の信者であっても、まったくかまわない。

 重要なことは、あなたがあなたの子どもに、その親・絶対教を押しつけてはいけないこと。強要してはいけないこと。私は、それが結論として、言いたかった。
(はやし浩司 親絶対教 親は絶対 乳幼児の人工論 人工論)

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以前、こんな原稿を書いたことがあります。
内容が少しダブりますが、どうか、参考に
してください。

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●かわいい子、かわいがる

 日本語で、「子どもをかわいがる」と言うときは、「子どもにいい思いをさせること」「子どもに楽をさせること」を意味する。

一方、日本語で「かわいい子ども」と言うときは、「親にベタベタと甘える子ども」を意味する。反対に親を親とも思わないような子どもを、「かわいげのない子ども」と言う。地方によっては、独立心の旺盛な子どもを、「鬼っ子」として嫌う。

 この「かわいい」という単語を、英語の中にさがしてみたが、それにあたる単語すらない。あえて言うなら、「チャーミング」「キュート」ということになるが、これは「容姿がかわいい」という意味であって、ここでいう日本語の「かわいい」とは、ニュアンスが違う。もっともこんなことは、調べるまでもない。「かわいがる」にせよ、「かわいい」にせよ、日本という風土の中で生まれた、日本独特の言葉と考えてよい。

 ところでこんな母親(七六歳)がいるという。横浜市に住む読者から届いたものだが、内容を、まとめると、こうなる。

 その男性(四三歳)は、その母親(七六歳)に溺愛されて育ったという。だからある時期までは、ベタベタの親子関係で、それなりにうまくいっていた。が、いつしか不協和音が目立つようになった。きっかけは、結婚だったという。

 その男性が自分でフィアンセを見つけ、結婚を宣言したときのこと。もちろん母親に報告したのだが、その母親は、息子の結婚の話を聞いて、「くやしくて、くやしくて、その夜は泣き明かした」(男性の伯父の言葉)そうだ。

そしてことあるごとに、「息子は、横浜の嫁に取られてしまいました」「親なんて、さみしいものですわ」「息子なんて、育てるもんじゃない」と言い始めたという。

 それでもその男性は、ことあるごとに、母親を大切にした。が、やがて自分のマザコン性に気づくときがやってきた。と、いうより、一つの事件が起きた。いきさつはともかくも、そのときその男性は、「母親を取るか、妻を取るか」という、択一に迫られた。

結果、その男性は、妻を取ったのだが、母親は、とたんその男性を、面と向かって、ののしり始めたというのだ。「親を粗末にする子どもは、地獄へ落ちるからな」とか、「親の悪口を言う息子とは、縁を切るからな」とか。その前には、「あんな嫁、離婚してしまえ」と、何度も電話がかかってきたという。

 その母親が、口グセのように使っていた言葉が、「かわいがる」であった。その男性に対しては、「あれだけかわいがってやったのに、恩知らず」と。「かわいい」という言葉は、そういうふうにも使われる。

 その男性は、こう言う。

「私はたしかに溺愛されました。しかし母が言う『かわいがってやった』というのは、そういう意味です。しかし結局は、それは母自身の自己満足のためではなかったかと思うのです。

たとえば今でも、『孫はかわいい』とよく言いますが、その実、私の子どものためには、ただの一度も遊戯会にも、遠足にも来てくれたことがありません。母にしてみれば、『おばあちゃん、おばあちゃん』と子どもたちが甘えるときだけ、かわいいのです。

たとえば長男は、あまり母(=祖母)が好きではないようです。あまり母には、甘えません。だから母は、長男のことを、何かにつけて、よく批判します。私の子どもに対する母の態度を見ていると、『ああ、私も、同じようにされたのだな』ということが、よくわかります」と。

 さて、あなたは、「かわいい子ども」という言葉を聞いたとき、そこにどんな子どもを思い浮かべるだろうか。子どもらしいしぐさのある子どもだろうか。表情が、愛くるしい子どもだろうか。それとも、親にベタベタと甘える子どもだろうか。一度だけ、自問してみるとよい。
(02-12-30)

● 独立の気力な者は、人に依頼して悪事をなすことあり。(福沢諭吉「学問のすゝめ」)

+++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

●親風、親像、親意識

 親は、どこまで親であるべきか。また親であるべきでないか。

 「私は親だ」というのを、親意識という。この親意識には、二種類ある。善玉親意識と、悪玉親意識である。

 「私は親だから、しっかりと子どもを育てよう」というのは、善玉親意識。しかし「私は親だから、子どもは、親に従うべき」と、親風を吹かすのは、悪玉親意識。悪玉親意識が強ければ強いほど、(子どもがそれを受け入れればよいが、そうでなければ)、親子の間は、ギクシャクしてくる。

 ここでいう「親像」というのは、親としての素養と考えればよい。人は、自分が親に育てられたという経験があってはじめて、自分が親になったとき、子育てができる。そういう意味では、子育てができる、できないは、本能ではなく、学習によって決まる。その身についた素養を、親像という。

 この親像が満足にない人は、子育てをしていても、どこかギクシャクしてくる。あるいは「いい親であろう」「いい家庭をつくろう」という気負いばかりが強くなる。一般論として、極端に甘い親、反対に極端にきびしい親というのは、親像のない親とみる。不幸にして不幸な家庭に育った親ほど、その親像がない。あるいは親像が、ゆがんでいる。

 ……というような話は、前にも書いたので、ここでは話を一歩、先に進める。

 どんな親であっても、親は親。だいたいにおいて、完ぺきな親など、いない。それぞれがそれぞれの立場で、懸命に生きている。そしてそれぞれの立場で、懸命に、子育てをしている。その「懸命さ」を少しでも感じたら、他人がとやかく言ってはいけない。また言う必要はない。

 ただその先で、親は、賢い親と、そうでない親に分かれる。(こういう言い方も、たいへん失礼な言い方になるかもしれないが……。)私の言葉ではない。法句経の中に、こんな一節がある。

『もし愚者にして愚かなりと知らば、すなわち賢者なり。愚者にして賢者と思える者こそ、愚者というべし』と。つまり「私はバカな親だ」「不完全で、未熟な親だ」と謙虚になれる親ほど、賢い親だということ。そうでない親ほど、そうでないということ。

 一般論として、悪玉親意識の強い人ほど、他人の言葉に耳を傾けない。子どもの言うことにも、耳を傾けない。「私は正しい」と思う一方で、「相手はまちがっている」と切りかえす。

子どもが親に向かって反論でもしようものなら、「何だ、親に向かって!」とそれを押さえつけてしまう。ものの考え方が、何かにつけて、権威主義的。いつも頭の中で、「親だから」「子どもだから」という、上下関係を意識している。

 もっとも、子どもがそれに納得しているなら、それはそれでよい。要は、どんな形であれ、またどんな親子であれ、たがいにうまくいけばよい。しかし今のように、価値観の変動期というか、混乱期というか、こういう時代になると、親と子が、うまくいっているケースは、本当に少ない。

一見うまくいっているように見える親子でも、「うまくいっている」と思っているのは、親だけというケースも、多い。たいていどこの家庭でも、旧世代的な考え方をする親と、それを受け入れることができない子どもの間で、さまざまな摩擦(まさつ)が起きている。

 では、どうするか? こういうときは、親が、子どもたちの声に耳を傾けるしかない。いつの時代でも、価値観の変動は、若い世代から始まる。そして旧世代と新生代が対立したとき、旧世代が勝ったためしは、一度もない。言いかえると、賢い親というのは、バカな親のフリをしながら、子どもの声に耳を傾ける親ということになる。

 親として自分の限界を認めるのは、つらいこと。しかし気負うことはない。もっと言えば、「私は親だ」と思う必要など、どこにもない。冒頭に書いたように、「どこまで親であるべきか」とか、「どこまで親であるべきではないか」ということなど、考えなくてもよい。無論、親風を吹かしたり、悪玉親意識をもったりする必要もない。ひとりの友として、子どもを受け入れ、あとは自然体で考えればよい。

 なお「親像」に関しては、それ自体が大きなテーマなので、また別の機会に考える。

*Short Essays on April 26th

【今日のこと】(4月26日)(April 26th 2008)

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今日、以前からほしかったデジタルカメラを
買った。

Y店で3万4000円弱だったが、K店では、
2万6800円。
1GBのメモリーとケース、それに三脚がついて、
2万6800円。

即、購入!

ワイン・レッドの光沢が美しい。
C社の、EX-S10。
日本で今、一番、薄いデジタルカメラ。

明日、あちこちを撮影してみよう。
楽しみだ。

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●会話(North Korea)

私が、「今日は、何も書かなかった」と言うと、ワイフは、
「K国のことでも書いたら・・・」と。

私「K国のこと・・・? どうせ、だれも関心なんか、もってくれないよ」
ワ「そんなことないわよ。読んでくれる人もいるわよ」
私「そう・・・?」と。

K国・・・。
あの金xxは、核兵器を放棄しない。
するわけがない。
理由は明白だ。

核兵器をもっているからこそ、K国は、K国。
世界に相手にしてもらえる。
恐怖政治の本尊にもなっている。

もし核兵器を手放したら、K国は、ただの貧乏国。
アメリカは、「核兵器を手放したら、援助する」と言っている。
しかしK国にとっては、それも困る。
世界から援助が、ドッと入ってきたら、K国は、どうなる?

もしK国の人たちが世界のことを知ったら、そのまま金xx体制は
崩壊する。

核兵器を放棄することもできない。
さりとて、門戸を開くこともできない。

が、ひとりノー天気というか、お人好しなのが、あのヒル氏。
アメリカ式の合理主義だけで、米朝問題を解決しようとしている。
わかりやすく言えば、(YES・NO)で成り立った、契約主義。
それだけで問題を解決しようとしている。
しかしそんなやり方は、K国には通用しない。

それにもうひとつ。

ヒル氏のような、育ちのよい政治家には、そうでない人たちの
ゆがんだ魂が理解できない。
ひとついじけるたびに、新しい人格が生まれる。
それが、もとからあった人格を、タマネギの皮のように包む。
金xxの魂は、今、そのタマネギの皮のようになっている。
二重、三重どころか、五重、六重になっている。
簡単には理解できない。
だからといって、金xxの肩をもつ気持ちは、毛頭ない。

加えて金xxは、まともではない。
そんな相手と、まともな交渉を重ねるほうが、おかしい。
たった一晩で、それまでの方針を、180度変えることも珍しくない。

私「今さら、引くに引けなくなってしまったんだろうね」
ワ「前のボルトン氏(前国連大使)と、同じことをしている」
私「そうだ。そしてやがて、気づく。自分が愚かだったとね」と。

ボルトン前国務長官がヒル氏を批判したとき、ヒル氏は、こう言い切った。
「すでに退職した人の意見など、意味がない」と。

結局、ヒル氏は、金xxに、時間稼ぎをさせただけ。
その間、金xxは、シリアで、核兵器工場の建設に手を貸していた。

ワ「どうして、ヒル氏は、こうまでがんばるのかしら?」
私「ノ大統領(韓国の前大統領)に、洗脳されたのだろう」
ワ「洗脳?」
私「そう・・・。ノ大統領は、こう考えていた。朝鮮が分断されたのは、
アメリカとソ連のせいだ。韓国も、K国も、その犠牲者にすぎないとね」
ワ「ヒル氏も、そう考えているの?」
私「基本的には、それに近い考え方をしている」と。

しかしそれも時間の問題。
やがてヒル氏は、自分のまちがいに気がつくだろう。

ヒル氏が相手にしているのは、社会主義者でも、共産主義者でもない。
ただの頭のおかしい、独裁者。

今の今も、その独裁者のもとで、何十万、何百万という人たちが餓死しよう
としている。
もちろんその中には、日本から拉致された被害者たちも含まれている。

今、すべきことは、K国を自己崩壊させること。
安楽死でもよい。
それがわからなければ、もう一度、自問してみたらよい。

「国民を餓死させてでも体制を守ろうという国が、まともか」と。

では、どうするか?

K国は、人権問題だけを先頭に、攻めて、攻めて、攻めまくる。
人権問題だけでよい。
核兵器も、核開発も、それにともなう制裁問題も、つぎのつぎ。

わかりやすく言えば、核兵器や核開発、それにともなう制裁問題という(悪魔)は、
相手にしない。
(善)だけを追求する。
(善)の力だけを信ずる。
そうすれば、K国は、かならず自己崩壊する。

・ ・・というのは、少し甘いかもしれないが、日本はもっと、
人権問題を先頭に立てて戦うべきではないのか。
アメリカのうしろに隠れて、コソコソとついて歩くだけが、日本のやり方ではない。

中には、「日本には暗い過去があるから、偉そうなことは言えない」と
思っている人もいるかもしれない。

しかしそれはまちがっている。
どうして日本は、いつまでも暗い過去を引きずらなければならないのか。
暗い過去にこだわって、静かにしていなければならないのか。

それがわからなければ、100年後、200年後に視点を置いて、
今の日本を見つめてみればよい。

そのとき、そこに何が残っているか。
それをほんの少しだけ想像してみたらよい。
たとえ今は、効果がなくても、それがそのときの未来を明るく照らし出す。

答は、おのずと出てくることと思う。


はやし浩司++++++++++++++++++++++Hiroshi Hayashi

●コジュケイ(Kojukei-bird)

山荘の朝は、コジュケイの鳴き声で始まる。
「チョット・コイ、チョット・コイ、チョット・コイ」と。

10年ほど前までは、キジがよく鳴いた。
しかし今は、コジュケイ。

大きさはウズラほどの鳥だという。
しかし私は、その姿を見たことがない。
いや、ときどきウズラのような鳥を見かけることはあるが、
それがコジュケイかどうかは、知らない。
このあたりには、野生のウズラも、住んでいる。

今は、4月の末。
もう少しすると、ホトトギスの鳴き声が聞こえるようになる。
里におりていたウグイスも、戻ってくるはず。

これから夏にかけて、山の住人たちは、めまぐるしく変わっていく。

・・・それにしても、静かな朝だ。
空はうす曇り。
その雲を通して、あわい光が、障子の窓をやさしく照らす。
風もない。

「あとで除草剤をまこう」と、ふと、今、そんなことを考える。
ところどこに雑草が生え、その背丈が、10センチほどになっている。
近く、息子夫婦と、それに孫たちがやってくる。

あとは・・・。
今朝は、頭の中も、どこかぼんやりとしている。
いつもならいろいろなことが、頭の中に浮かんでくるのだが、それもない。
けだるいというより、まだ眠い。

昨夜は、午前12時過ぎまで、起きていた。
が、今朝は、6時前に、目がさめた。
さめる直前、夢の中に、渥美清(映画俳優)が出てきた。

たった今、ワイフがコップにお茶を入れて、私のところに届けてくれた。
「家に帰ったら、昼寝をしよう」と声をかけると、「うん」と。

カラスが一羽、鳴きだした。
コジュケイの声は、もう聞こえない。
遠くの山々からは、白いモヤが、まっすぐ上に向かって、あがっていく。

のどかな、どこまでものどかな朝だ。
4月27日、日曜日。

みなさん、おはようございます。


+++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

●デジタルカメラ(New Digital Camera)

今週の「週刊アスキー」誌によると、
デジタルカメラ部門での、売れ筋ランキングは、つぎのようになっている。(5/6日号)

1位・・・パナソニックの、LUMIX FX-35
2位・・・オリンパスの、u1020。
3位・・・富士フィルムの、Z100fd。
4位・・・カシオの、EX-S10
5位・・・富士フィルムの、F100fd。

オリンパスの、u1020というのは、正しくは「μ1020」。
しかしこの文字は、たぶん、BLOGにアプロードする際、拒否されるはず。
(やってみなければ、わからないが・・・。)

昨日買った、私のカメラは、第4位の、EX-S10。
たしか先週までは、第3位ではなかったか?
今まで、ずっとLUMIXを使ってきた。
「デジタルカメラはパナソニック」と決めていた。
パナソニック社のブレ防止機能には、捨てがたい魅力がある。

が、今回、カシオの、EX-S10を手にしたとき、その(薄さ)に
感動した。
「これなら名刺入れのように、ポケットに入れて、もち運べる」と。
とたん、いつもの物欲がムラムラと湧き起こった。

で、待つこと、約1か月。
「3万円以下になったら買おう」と心に決めていた。

今、そのカメラが手元にある。
指先でいじっているだけで、気持ちよい。
心が落ち着く。

おお・・・!

今、窓から明るい日差しが差し込んできた!
さあ、撮影タイム!

これから外の景色を、パチパチと撮ってくる。
(私のデジタルカメラは、すべて、パチパチという音が出るように
設定してあるのだ!)


++++++++++++++++++++++はやし浩司

●脳の老化(Brains that are getting rusted)

+++++++++++++++++

60歳のときは、だいじょうぶでも、
70歳になると、わからない。

70歳のときは、だいじょうぶでも、
80歳になると、わからない。

脳の老化というのは、そういうもの。

しかもある日突然、悪くなるというものでもない。
徐々に、ほんとうに徐々に、悪くなる。

『♪サウンド・オブ・サイレンス』の歌詞を
借りるなら、「がん細胞が成長するように」、
静かに、ほんとうに静かに、悪くなる。

だから、ほとんどの人は、自分の脳が
老化していることにさえ、気づかない。
「私はふつうだ」「まともだ」と思っているうちに、
どんどんと悪くなっていく。

さらにその(差)は、相対的なもの。

90歳の老人を見ながら、「ボケたなあ」と
思っている人でも、また別の人から見れば
「ボケたなあ」と思われているかもしれない。

が、これはけっして、他人の問題ではない。
私自身の問題でもある。

この先、私の脳が、今以上によくなるという
ことは、考えられない。

現状維持すら、むずかしい。
あるいは、どうすれば、現状維持ができるのか?

それにこんな問題もある。

頭のボケた人と、話していても、おもしろくない
ということ。
第一、 会話にならない。
ときどきセンターにいる母を見舞うが、
会話らしい会話など、できない。

私ができることといえば、じっと、横に座って
いるだけ。
あとは時計を見ながら、そのまま帰ってくるだけ。

が、これも、けっして、他人の問題ではない。
私自身の問題でもある。

たとえばだれかが、私と話していて、「林と
話していても、つまらない」と思ったとする。
そういうとき、私は、それに気づくことが
できるのだろうか。

この先、そういうケースは、多くなる。
とくに若い人、さらには、子どもたち(生徒たち)
は、そう思うようになるかもしれない。

現に私の兄は、70歳を待たずして、ボケてしまった。
その下の姉も、このところ、少しおかしい?
順番からいけば、つぎは、この私ということになる。
あるいはすでにボケ始めているのかも?

が、まだつづく。

肉体の老化は、わかりやすい。
脳の老化も、それなりに、まだわかりやすい。
しかしわかりにくいのが、精神の老化。

たとえば気力や精神力が弱くなるにつれて、
判断能力や、現実検証能力、さらには問題の処理能力
が、並行して弱くなってくる。
正義感も弱くなる。問題意識も弱くなる。

しかし弱くなりながら、それに気づくということは、
まず、ない。
症状としては、めんどうに感ずるようになる?

先日も、今年70歳くらいになる元教師という人に
会った。
若いころは、教育の世界では、かなり活躍した人である。
しかしそんな人でも、今は、こう言う。

「そういうときもありましたねエ~」と。

それも、私自身の近未来像かもしれない。

では、どうすればよいのか。

(1) 頭は使って使って、使いまくる。
(2) 新しいことに興味をもちつづける。
(3) 子どもたちを相手に、常に脳トレに心がける。

つまるところ、そういうことになる。


Hiroshi Hayashi++++++++APR.08++++++++++はやし浩司

● 君が為(た)め……(I have never regretted about my life, but now the life itself is getting shorter.)

++++++++++++++++++

最近、久しぶりに、百人一首を読んだ。
その中のひとつが、このところ、ずっと
気になっている。
どういうわけか、気になっている。

そのときは、それほど強く感じなかったが、
今は、ちがう。

日を追うごとに、私の心の中で、それが
勝手にどんどんとふくらんできた。

どうしてだろう?

もう一度、その短歌を読みなおしてみる。

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【藤原義孝(ふじわらのよしたか)】

君が為め
惜しからざりし
命さへ
長くもがなと
おもひけるかな

(百人一首より)

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あなたのためなら、捨てても惜しくないと
思っていた命だが、その命も、それほど
長くないと、このところ思うようになってきた。

++++++++++++++++++++

若いときはよい。
今日、失敗しても、明日がある。
その明日にがんばればよい。
それで取り返せる。

人生をノートにたとえるなら、
ノートは分厚く、余白も多い。
1枚や2枚、あるいは10枚や
20枚、書き損じても、「損じた」
という意識すら残らない。

しかし今は、ちがう。

いくら自分に「明日があるではないか」と
言い聞かせても、その言葉そのものが、
夏の日の陽炎(かげろう)のように、
そのままどこかへ消えてしまう。

たとえば若いころ、
私の母は、私の家に遊びに来ては、
そのつど、ごっそりとお金を
もって帰っていった。

当時は、そういう時代だったし、
私の母は、そういう人だった。
が、そのたびに私はこう思った。

「来月があるではないか。
来月、またがんばろう」と。

かえってそういう母の行為が、
私の生きるバネにもなった。

「10万円取られれば、20万円
取り返せばいい」
「100万円取られれば、200万円
取り返せばいい」と。

しかし歳を取ると、そういう気力
そのものが、弱くなる。

がんばりようにも、がんばりようがない。
体力もつづかない。

もちろん藤原義孝の短歌は、
そんな俗っぽいことを
歌ったものではない。

藤原義孝は、自分の命について、
もっと言えば、愛するだれかのために、
その短歌を歌った。

「長くもがなと おもひけるかな」と。

で、今日、自転車に乗りながら、
こんなことを考えた。

「こうして健康で、自転車に乗れる
だけでも、すばらしいことでは
ないか」
「青い空、心地よい風、白い雲……。
それを肌で感ずることができるだけでも、
すばらしいことではないか」と。

と、そのとき、藤原義孝の短歌が、
頭の中を横切った。

「長くもがなと おもいけるかな」と。

かなりペシミステックな(悲観的な)
……というより感傷的な思いかもしれないが、
そう思った。

「こうして健康でいられる時期も、
それほど長くはないかもしれない」と。

言うなれば、

「家族の為め
 惜しからざりし
 命さへ
 長くもがなと
 おもひけるかな」ということか。

……とまあ、このところ、
何かにつけて弱気になってきている。

視床下部あたりから出ている
シグナルが、弱くなっている。
そのため辺縁系にある帯状回あたり
の機能が弱くなっている?

私は勝手にそう解釈している。
が、うつ状態になると、さらにそれが
加速される?

そんなわけで、昨夜は、ワイフと
映画を見に行ってきた。

タイトルは、『フィクサー』。

よく見ていないと、意味がわからなくなる。
そんな映画だった。
が、ボケ防止には、よい。

結構、おもしろかった。

しかし映画館から出るとき、再び、あの短歌。

『長くもがなと おもひけるかな』と。

Thursday, April 24, 2008

*Mother Complex

【マザーコンプレックス】

●依存と愛情(Mother Complex)

+++++++++++++++++

「マザコン」というと、男性だけにある
特異な現象と思っている人は多い。

しかし女性にも、マザコンの人は
いくらでもいる。
同性というだけで、目立たない。

これについては、何度も書いてきた。
ここでは、さらにもう一歩、話を進めて
みたい。

これには男性も女性も関係ないが、
母親にベタベタと甘えているからといって、
それだけ、母親への愛情が深いかという
と、そういうことはない。

マザコン性というのは、母親への依存性を
いう。
依存性イコール、愛情の深さではない。

よくあるケースは、それまではマザコンで
あった女性が、母親が認知症になったとたん、
母親への虐待し始めるというもの。

依存できなくなったときが、縁の切れ目(?)
ということか。

もちろん、中には、そのままの状態で、見た目には
良好な(?)人間関係をつづける親子もいる。
しかしそういうケースは、少ない。

つまりマザコンタイプの人は、常に「理想の
女性像(マドンナ)」を、母親に求める。
母親は、常に、その理想の女性でなければ
ならない。

が、母親がその期待(?)に応えられなく
なったとき、マザコンタイプの人は、それを
すなおに受け入れることができない。
あるいはそれを許すことができない。

たいてい、その段階で、はげしく葛藤する。

ある女性(60歳くらい)は、自分の母親が
認知症になりつつある段階で、そのつど、
パニック状態になってしまった。

母親が、就寝中に尿を漏らしただけで、親戚中に
電話をかけたりした。

「お母さんが、オシッコを漏らしたア~!」と。

が、先にも書いたように、依存性イコール、愛情の
深さではない。

たとえば夫婦についても、そうで、配偶者に
強い依存性があるからといって、つまり見た目には
ベタベタに仲のよい夫婦に見えたとしても、
たがいに深い愛情があるとはかぎらない。

言うまでもなく、「愛」というのは、どこまで
相手を「許して忘れるか」、その度量の深さで決まる。
つまりその分だけ、愛には、常に孤独と苦しみが
ともなう。

さらに言えば、愛には熟成期間が必要。
たがいに困苦を乗り越え、その結果として、
人は「愛」を自覚することができるようになる。

一方、依存性は、その人自身の情緒的欠陥、精神的
未熟性に起因する。
情緒的欠陥、精神的未熟性をカバーするために、
相手、つまり母親(父親、配偶者)に依存する。

「母親に依存する」ということと、「母親を愛する」
ということは、まったく異質なものである。

このことは子どもの世界を見れば、よくわかる。

親に依存している子どもは多いが、親を愛している
子どもというのは、皆無とみてよい。
あっても、「思いやり」程度。
たとえば病気になった親を、看病するとか、など。
年少の子どもであれば、なおさらである。

子どもが「愛」を自覚するのは、思春期前夜から
思春期にかけてである。

また話は少しそれるが、よく「マザコン男性ほど、
離婚率が高い」と、言われる。
それもそのはずで、つまりその分だけ、マザコン男性は、
配偶者に、理想の女性(マドンナ)像を求めすぎる。
あるいは押しつけすぎる。
それが夫婦の間に、キレツを入れる。

さらにマザコンタイプの人ほど、自分がマザコン的で
あることを正当化したり、ごまかすため、
母親を、ことさら美化する傾向が強い。

(ファザコンも同じように考えてよい。)

「私の親を批判したり、悪口言ったりするヤツは、
たとえ女房、子どもでも許せない」と息巻くのは、
たいていこのタイプの男性と考えてよい。
(男性にかぎらない。女性でもよい。)

話をもどす。

人間関係、とくに親子関係、夫婦関係を見るときは、
この(依存)と(愛情)に焦点をあてて考えて
みるとよい。

また別の人間関係が見えてくるはず。

+++++++++++++++++++

以前書いた原稿を添付します。

+++++++++++++++++++

●マザコンの果てにあるもの

++++++++++++++++

マザコンについて、補記します。

++++++++++++++++

 子どもをでき愛する親は、少なくない。しかしでき愛は、(愛)ではない。自分の心のすき間を埋めるために、親は、子どもをでき愛する。自分の情緒的不安定さや、精神的欠陥を補うために、子どもを利用する。つまりは、でき愛の愛は、愛もどきの、愛。代償的愛ともいう。

 これについては、何度も書いてきたので、ここでは、省略する。

 でき愛する親というのは、そもそも、依存性の強い親とみる。つまりそれだけ自立心が弱い。で、その結果として、自分の子どもがもつ依存性に、どうしても、甘くなる。このタイプの親は、自分にベタベタ甘えてくれる子どもイコール、かわいい子イコール、いい子と考えやすい。

 そのため自分にベタベタ甘えるように、子どもを、しむける。無意識のまま、そうする。こうしてたがいに、ベタベタの人間関係をつくる。

 いわゆるマザコンと呼ばれる人は、こういう親子関係の中で生まれる。いくつかの特徴がある。

 子どもをでき愛する親というのは、でき愛をもって、親の深い愛と誤解しやすい。でき愛ぶりを、堂々と、人の前で、誇示する親さえいる。

 つぎにでき愛する親というのは、親子の間に、カベがない。ベタベタというか、ドロドロしている。自分イコール、子ども、子どもイコール、自分という、強い意識をもつ。ある母親は、私にこう言った。

 「息子(年中児)が、友だちとけんかをしていると、その中に割りこんでいって、相手の子どもをなぐりつけたくなります。その衝動をおさえるのに、苦労します」と。

 本来なら、こうした母子間のでき愛を防ぐのは、父親の役目ということになる。しかし概して言えば、でき愛する母親の家庭では、その父親の存在感が薄い。父親がいるかいないかわからないといった、状態。

 で、さらに、マザコンというと、母親と息子の関係を想像しがちだが、実は、娘でも、マザコンになるケースは少なくない。むしろ、息子より多いと考えてよい。しかも、息子がマザコンになるよりも、さらに深刻なマザコンになるケースが多い。

 ただ、目だたないだけである。たとえば40歳の息子が、実家へ帰って、70歳の母親といっしょに、風呂に入ったりすると、それだけで大事件(?)になる。が、それが40歳の娘であったりすると、むしろほほえましい光景と、とらえられる。こうした誤解と偏見が、娘のマザコン性を見逃してしまう。

 ……というようなことも、何度も書いてきたので、ここでは、もう少し、先まで考えてみたい。

 冒頭にも書いたように、でき愛は(愛)ではない。したがって、それから生まれるマザコン性もまた、愛ではない。

 子どもをでき愛する親というのは、無私の愛で子どもを愛するのではない。いつも、心のどこかで、その見返りを求める。

 ある母親は、自分の息子が、結婚して横浜に住むようになったことについて、「嫁に息子を取られた」と、みなに訴えた。そしてあちこちへ電話をかけて、「悔しい、悔しい」と、泣きながら、自分の胸の内を訴えた。

 で、今度は、その反対。

 親にでき愛された子どもは、息子にせよ、娘にせよ、親に対して、ベタベタの依存性をもつ。その依存性が、その子どもの自立をはばむ。

 よく誤解されるが、一人前の生活をしているから、自立心があるということにはならない。マザコンであるかどうかというのは、もっと言えば、親に依存性がもっているかどうかというのは、心の奥の内側の問題である。外からは、わからない。

 一流会社のバリバリ社員でも、またいかめしい顔をした暴力団の親分でも、マザコンの人はいくらでもいる。

 で、このマザコン性は、いわば脳のCPU(中央演算装置)の問題だから、本人自身が、それに気づくことは少ない。……というより、まず、ない。だれかが、その人のマザコン性を指摘したりすると、こう答えたりする。

 「私の母は、それほどまでにすばらしい人だからです」「私の母は、世の人のためのカサになれと教えてくれました」と。

 つまりマザコンの人は、息子であるにせよ、娘であるにせよ、親に幻想をいだき、親を絶対視しやすい。美化する。親絶対教の信者になることも少なくない。つまり、自分のマザコン性を、正当化するために、そうする。

 で、その分だけ、親を愛しているかというと、そうでもない。でき愛で愛された子どももまた、同じような代償的愛をもって、それを(親への深い愛)と、誤解しやすい。

 本来なら、子どもは、小学3、4年生ごろ(満10歳前後)で、親離れをする。また親は親で、子どもが中学生くらいになったら、子離れをする。こうしてともに、自立の道を歩み始める。

 が、何らかの理由や原因で、(多くは、親側の情緒的、精神的問題)、その分離がままならなくなることがある。そのため、ここでいうベタベタの人間関係を、そのまま、つづけてしまう。

 で、たいていは、その結末は、悲劇的なものとなりやすい。

 80歳をすぎて、やや頭のボケた母親に向って、「しっかりしろ」と、怒りつづけていた息子(50歳くらい)がいた。

 マザコンの息子や娘にしてみれば、母親は絶対的な存在である。宗教にたとえるなら、本尊のようなもの。その本尊に疑いをいだくということは、それまでの自分の生きザマを否定することに等しい。

 だからマザコンであった人ほど、母親が晩年を迎えるころになると、はげしく葛藤する。マザコンの息子にせよ、娘にせよ、親は、ボケてはならないのである。親は、悪人であってはならないのである。また自分の母親が見苦しい姿をさらけ出すことを、マザコンタイプの人は、許すことができない。

 そして母親が死んだとする。依存性が強ければ強いほど、その衝撃もまた、大きい。それこそ、毎晩、空をみあげながら、「おふくろさんよ、おふくろさ~ん」と、泣き叫ぶようになる。

 さらにマザコンタイプの男性ほど、結婚相手として、自分の母親の代用としての妻を求めるようになる。そのため、離婚率も高くなる。浮気率も高くなるという調査結果もある。ある男性(映画監督)は、雑誌の中で、臆面もなく、こう書いている。

 「私は、永遠のマドンナを求めて、女性から女性へと、渡り歩いています」「男というのは、そういうものです」と。(自分がそうだからといって、そう、勝手に決めてもらっては、困るが……。)自ら、「私は、マザコンです」ということを、告白しているようなものである。

 子育ての目的は、子どもをよき家庭人として自立させること。子どもをマザコンにして、よいことは、何もない。
(はやし浩司 マザコン 息子のマザコン 娘のマザコン 代償的愛 親の美化 偶像化)

【補記】

【マザコンの問題点】

(親側の問題)

(1)情緒的未熟性、精神的欠陥があることが多い。
(2)その時期に、子離れができず、子どもへの依存性を強める。
(3)生活の困苦、夫婦関係の崩壊などが引き金となり、でき愛に走りやすい。
(4)子どもを、自分の心のすき間を埋めるための所有物のように考える。
(5)親自身が自立できない。子育てをしながら、つねに、その見返りを求める。
(6)父親不在家庭。父親がいても、父親の影が薄い。
(7)でき愛をもって、親の深い愛と誤解しやすい。
(8)親子の間にカベがない。子どもがバカにされたりすると、自分がバカにされたかのように、それに猛烈に反発したり、怒ったりする。
(9)息子の嫁との間が、険悪になりやすい。このタイプの親にとっては、嫁は、息子を奪った極悪人ということになる。

(息子側の問題)

(1)親に強度の依存性をもつ。50歳をすぎても、「母ちゃん、母ちゃん」と親中心の生活環境をつくる。
(2)親絶対教の信者となり、親を絶対視する。親を美化し、親に幻想をもちやすい。
(3)結婚しても、妻よりも、母親を優先する。妻に、「私とお母さんと、どちらが大切なのよ」と聞かれると、「母親だ」と答えたりする。
(4)妻に、いつも、母親代わりとしての、偶像(マドンナ性)を求める。
(5)そのため、マザコン男性は離婚しやすく、浮気しやすい。
(6)妻と結婚するに際して、「親孝行」を条件にすることが多い。つまり妻ですらも、親のめんどうをみる、家政婦のように考える傾向が強い。

(娘側の問題)

(1)異常なマザコン性があっても、周囲のものでさえ、それに気づくことが少ない。
(2)母親を絶対視し、母親への批判、中傷などを許さない。
(3)親絶対教の信者であり、とくに、母親を、仏様か、神様のように、崇拝する。
(4)母親への犠牲心を、いとわない。夫よりも、自分の生活よりも、母親の生活を大切にする。
(5)母親のまちがった行為を、許さない。人間的な寛容度が低い。母親を自分と同じ人間(女性)と見ることができない。
(6)全体として、ブレーキが働かないため、マザコンになる息子より、症状が、深刻で重い。
(はやし浩司 マザコン マザコンの問題点 娘のマザコン マザコン息子 マザコン娘)

Economic Power of Japan

●世界のGDP(国内総生産)

【日本の経済力】(Economic Power of Japan)
Japan is ranked as No. 2 after USA, according to IMF report.

++++++++++++++++++++

GDP(国内総生産)を話題にする人は少ない。

しかし私が学生だったころには、そうでは
なかった。

連日……とまではいかなかったにせよ、
私たちは、よくその言葉を口にした。
GDPは、日本の(力)を測り知る、
重要な指数だった。

(当時は、GNP(国民総生産)という
言葉のほうが、よく使われたが……。)

私たちはその数字を知り、少なからず、
励まされた。

07年度のIMF版GDPが公表された。

それによると、

第1位 アメリカ……13兆8440億ドル
第2位 日本  …… 4兆3840億ドル
第3位 ドイツ …… 3兆3220億ドル
第4位 中国  …… 3兆2510億ドル
第5位 イギリス…… 2兆7730億ドル
……
第12位 インド ……1兆990億ドル
第13位 韓国  …… 9570億ドル、だそうだ。
(以上、IMF基準による。)

GDPの数値は、IBRD版(国際復興開発
銀行版)と、IMF版がある。為替レートを
どのように算定するかで、微妙なちがいが
出てくる。

こと07年について言えば、(あるいは07年まで
と書くべきか……)、日本は、よくがんばっている。
この順位は、そのまま、日本の経済力の強さを
表している。

……と言いたいが、日本の置かれている立場は、
実際には、年々、きびしくなっている。

「日本の国際収支は、原油価格の高騰や、
IT(情報技術)関連輸出の急減少がたたって、
貿易収支は、対前年度比で、マイナス32%にまで
落ちこんでいる」(02年・日経テレコン)。

今も基本的には、その状況はつづいている。
わかりやすく言えば、肝心の(貿易)が、弱体化
しているということ。
日本の町角から、町工場がどんどんと減っている
現状をみれば、それがわかる。

で、不気味なのは、中国とインド、それにブラジル。
中国が日本を追い抜くのは、すでに時間の問題と
されている。

インドやブラジルが、それにつづく。

韓国も、一時は、第11位につけたが、ロシアと
インドに敗れ、現在は、第13位。
GDPは、約1兆ドル。
日本の人口の3分の1程度ということを考慮に
入れるなら、韓国も、それなりにがんばっている
ということになる。

では、08年度は、どうなるか?

GDPの数値はもちろん、順位も、大きく変化
するはず。

原油高、ドル安、円高。

そこで直近の国際収支(経常収支)について調べてみる。
国際収支といっても、

(1) 貿易収支(輸出入によるもの)
(2) サービス収支(輸送、旅行、通信、建設、金融、特許の使用料など)
(3) 所得収支(国境を越えた雇用者報酬)
(4) 経常移転収支(政府間の無償資金援助など)
(5) 資本収支(資産、負債の受け取りなど)
(6) 投資収支(国境を越えた直接投資など)
(7) その他の資本収支に、分けられる。

この中で重要なのは、(1)の貿易収支と、(5)の資本収支。
特筆すべきことは、日本が稼ぐ外貨の
約半分は、(5)の資本収支によるものということ。

わかりやすく言えば、日本は、モノの貿易で稼ぐよりも、
利息で稼いでいるということ。
つまり今、現在の日本は、世界の銀行、もしくはサラ金
国家として、成り立っているということ。

が、ここで誤解してはいけないことがある。

「外貨準備高」という言葉がある。
よく「国の貯金」にたとえられる。
しかし外貨というのは、国の中央銀行が為替の
急激な変動に備えるもので、それが多いからと
いっても、あまり意味がない。

いうなれば、「目減りする一方のタンス預金」
のようなもの。

稼いだ外貨は、外国に再投資してこそ、はじめて
意味をもつ。
とくに戦略に使ってこそ、意味をもつ。

たとえば中国は、貿易で稼いだ外貨を、サブプライム
問題で弱体化したアメリカに向けて、猛烈に再投資
し始めている。

(今までは、おおまかに言えば、世界では、資金は
つぎのように流れていた。

EU→アメリカ
EU→日本
日本→アメリカ、であった。

今度は、そこに中国が加わってきた。

中国→アメリカ、と。)

つまり中国は、現在の混乱を利用して、
アメリカを乗っ取ろうとしている。
そういう動きが、現在、水面下で、活発に
行われている。

油断するな、日本!
負けるな、日本!

Wednesday, April 23, 2008

*On a Spring Night

●春の夜

++++++++++++++++++++

このところ、楽しい話が、あまり思い浮かばない。
気分が晴れない。
で、そのかわり、ワイフとは、いつもバカ話ばかりしている。
が、その範囲。

バカ話は、バカ話。

さあて、どうしたものか。
どうしよう。

実は、今、10年以上も前に買った古いパソコンで、
この原稿を書いている。
キーが指になじんでいて、とても打ちやすい。
指がキーに触れているだけで、心地よい。

文字を打っていないときも、やさしく指先で、
キーをこする。
この感触が、たまらない。

子どもの(ものいじり)と同じ。
それとも(指しゃぶり)?
いじっているだけで、心が休まる。

私は子どものころから、いつも何かをいじっていた。
情緒が、不安定だったのかもしれない。
ものをいじることで、その刺激が脳のある部分に伝わり、
そこでモルヒネ様の物質が、放出される。
それが脳を、心地よい状態にする。
情緒を安定させる。

・・・たった今、ワイフと、脳梗塞の話をした。
「あなた、気をつけてよ」と、ワイフは言った。
「うん」と、私は答えた。

しばらく、しゃべったあと、今度は、認知症とうつ病の話になった。
認知症とうつ病は、ペアでやってくることが多いそうだ。
どっちが本病で、どっちが標病なのか、よくわからないことが多い。

「本病」「標病」というのは、東洋医学の言い方。
「本病」というのは、「本(もと)になる病気」、標病というのは、
「付属して起こる病気」という意味。
つまり認知症からうつ病になる人もいるし、
うつ病から認知症になる人もいる。

ワ「その人がそういう病気とわかっていればいいけど、わからないときが困るわ」
私「周囲の人たちが、それに振り回されるからね」
ワ「その人の言葉で、キズつくこともあるわ」
私「そうだね」と。

ところでワイフの知人に、このところ、共に、どこかおかしいという夫婦がいるという。
夫のほうは、認知症ぎみ?
妻のほうは、うつ病ぎみ?
夫婦ともどもだから、ちょっとたいへん?
近隣の人たちとのトラブルも、このところ絶えない。

ときどき奥さんの言葉を真に受けた夫が、近所の家の人のうちに、怒鳴り込んで
くることもあるという。

「お前は、うちの家内のサイフから、金を抜き取ったそうだな」とか。

こういうとき、近くに子どもでもいれば、まだよい。
しかし不幸なことに、その夫婦には、子どもがいない。

いつもその夫婦のことが話題になると、「どうするんだろ?」
「どうするのかねえ?」という会話で終わってしまう。

私「あのね、うつ状態になると、ささいなことがペタッと頭に張りついて
それが取れなくなる。悶々と、そのことばかり悩むようになる」
ワ「気分を変えることはできないの?」
私「それができれば、簡単なんだけどね。それができないからつらい。妄想というか、
被害妄想ばかり強くなるからね」

ワ「ところで、認知症からうつ病になった人と、うつ病から認知症になった人は、
どこでどう見分けるのかしら?」
私「いろいろ調べてみたけど、専門のドクターでも、むずかしいそうだ」
ワ「認知症とうつ病は、やはりペアでやってくるということかしら?」
私「病識(=自分が病気だという自覚)があれば、わかりやすいんだろうけどね・・・」
ワ「そうね・・・」と。

またまた暗い話になってしまった。
こういう文ばかり書くということは、私自身が、かなりうつ状態ということになる。
気をつけよう!

ところで今日の午後、新しいデジタルカメラを買いに行った。
ねらっているのは、C社のSxx。
値段は、3万4850円。
「3万円なら買う」と言ったが、店員は、「NO!」と言って、どこかへ消えてしまった。
買うのは、もう少し、先に延ばすことにした。

あとは、とくに書くことはなし。

もう少し原稿を書いて、静かに眠ることにする。
時刻は、午後10時40分。

アーカンソー州では、午前8時40分。
カルフォルニア州では、午前6時40分。

アメリカに住んでいる息子たちのことを、あれこれと思いやる。
「もう起きて、仕事に出かけただろうか」
「そろそろ起きるころだろうか」と。
それが今は、何よりも、楽しい。

++++++++++++++++++++++++++

●今週は、すでに5単位

今日は水曜日。
月曜日、火曜日、水曜日の3日間だけで、すでに5単位も、運動をした。
1単位は、40分間程度のサイクリングをいう。

おかげで太ももの付け根あたりに、鈍痛。
鈍痛といっても、心地よい。

明日からも、がんばろう。
とにかく、こうなったら、健康を維持するしかない。
「こうなったら・・・」というのは、つまり、「いろいろあるから」
という意味。
深い意味は、ない。

ところで昨日、小6の子どもたちと、百人一首の暗記競争をした。
みなに3首ずつ渡し、3首、早く暗記したほうが勝ちというゲームだった。

結果は、ダントツに私の勝ち。
10~15分ほど時間をかけて、みな、何とかソラで言えるようになった。

理由がある。

私は、学生のころ、古文が得意だった。
百人一首を、ときどき読んだ経験もある。

つぎに私は、和歌の内容を理解しながら、暗記する。
一方、子どもたちは、意味もわからず、(音)だけで暗記しようとする。
これでは勝負にならない。

昨日私が暗記したのは、つぎの3つ。

(1) 春過ぎて、夏きにけらし、白妙の、衣ほすてふ、天の橋立
(2) 君がため、惜しからざりし命でも、xxxx
(3) 愛xxxxx

昨日は、スラスラと暗記できたが、1日たってみると、記憶しているのは、
この程度。(そのため、短歌の内容は、不正確。ごめん!)

この中の、とくに(2)の「君がためなら・・・」というのが、気にいった。
内容は、「君のためなら命も惜しくないと思っていたが、その命も、短くなってきた」
というもの。

繰りかえし読んでいるうちに、ジンときた。

(3)番目の「愛・・・」は、忘れてしまった。

つまり、私の脳みそは、まだまだ健康と判断してよいのでは・・・?
こういう競争で、子どもたちに負けるようになったら、おしまい。
今の仕事は、やめるしかない。

で、そのあと、今度は、算数の問題で、競争してみた。
何かの問題集をランダムに開き、「さあ、やってみよう!」と。

こんな問題だった。

【問い】(制限時間は10分)

10キロ離れたA町とB町から、同時に、A君がA町からB町に向かって、
またB君がB町からA町に向かって歩き始めた。
A君とB君は、25分後に、道で出会った。
で、A君は、B町に着くと、今度はA町に向かって歩き始めた。
B君は、A町に着くと、今度はB町に向かって歩き始めた。
A君とB君は、A町から2000メートルのところで出会った。

A君とB君の分速を求めなさい。
ただし方程式は使ってはいけません。

+++++++++++++++++++

今のところ、この程度の問題なら、スラスラと解ける。
解き方の説明もできる。
(ヒント:分速の比を求める。Aの速度と、Bの速度比は、
1000+8000:10000+2000=18:12=3:2。
それから求めて、A、Bの分速は、240メートル、160メートル。)

つまり私はこうして自分なりのやり方で、脳みそを鍛えている。
正直に告白すれば、仕事を利用しながら、脳トレをしている。


●畑仕事

庭先に、小さな畑がある。
全体で、10坪程度。
その中に、土を盛りあげて、畑を作っている。

そこで今、レタス、ナス、キュウリ、シシトウ、枝豆、ネギなどを育てている。
が、トウモロコシの生育が、あまりよくない。
発芽率も、20%以下?
そう言えば、枝豆の発芽率も、その程度。

これら2つの種は、あるところのある店で買ったもの。
多分、古い種だったのだろう。
ワイフは「古い種でも、ちゃんと発芽する」と言うが、私は、そうは思わない。
飲食物には、賞味期限というものが記載してある。
「種」にも、それと同じようなものを、表示したらよい。

今度からは、ちゃんと、裏側に記載されている数字をよく見てから種を買うことに
しよう。


●ディズニー・シー

今度、家族全員で、ディズニー・シーへ行くことにした。
息子と、息子夫婦、それに私とワイフ、プラス2人の孫たち。
計7人。

アメリカにいる三男がいないのが残念だが、私にとっては、生涯、最高にすばらしい
日になりそう。

で、その「ディズニー・シー」だが、かなり広い会場ということがわかった。
ネットで検索してみたら、「ディズニーランド」と同じくらいの広さがある。
旅行社の人が、「1日では、回れませんよ」と言ったが、納得。

息子は、「ディズニーランドは、子供向け。ディズニー・シーは、大人向け」と
言った。

孫たちには悪いが、ますますその日が楽しみになった。
ディズニーランドへ行くのは、15年ぶり?
ディズニー・シーへは、もちろん、今回がはじめて。


●認知症

先ほど書いた、「このところ、共にどこかおかしいという夫婦がいる」という
話だが、ワイフがこんなことを思い出した。

ワイフの友人が、何かの会費を、相手の妻に預けたという。
金額は、4~5万円だったという。

が、1週間たっても、会のほうへ、会費が未納のままになっていた。
そこでワイフの友人が、相手の妻のほうへ、「どうなっていますか?」と聞くと、
相手の妻は、「青い封筒に入れて、しまってあります。明日、会のほうへ
納入します」と。

が、さらに1週間ほどたったが、会費は納入されていないままだった。
そこでワイフの友人が、「どうなっていますか?」と電話を入れると、相手の
妻は、こう言ったという。

「私、そんなお金は、知りません!」と。

ワイフの友人は、驚いたというより、背筋にゾーッと、寒気のようなものを
感じたという。

私「で、その会費はどうしたの?」
ワ「たぶん、私の友人が負担したのじゃないかしら。そこまでは話を聞いていないから」
私「だんな(=相手の夫)は、どうなの?」
ワ「一見、まともそうに見えるらしいけど、こわいからだれも近寄らないそうよ」と。


●シャドウ論

親から子へと伝わるものは、多い。
その中でも、何がこわいかといって、シャドウ(ユング)ほど、こわいものはない。
親が心の隅に隠しもっている(邪悪な部分、つまりシャドウ)が、子どもにそっくり
そのまま伝わってしまう。

親子というのは、そういうもの。

こんな例がある。
例といっても、いくつかの話をまとめたものだが、こういうこと。

あるところに、小ずるい母親がいた。
やることなすこと、まさに小ずるく、小ずるさの塊(かたまり)のような人だった。
が、世間では、「仏様」と呼ばれていた。

その母親に、一人の娘がいた。
その娘は、そういう母親に反発した。
ときに猛烈な親子喧嘩もしたという。

で、母親は、15年ほど前に、他界。
今、その娘は、70歳前後になる。

が、周囲の人たちの評判を聞いて驚いた。
その娘が、母親そっくりの人間になっていた。
やることなすこと、まさに小ずるさの塊のようになっていた。

ワ「娘は、母親を反面教師としなかったのかしら?」
私「反面教師のこわいところは、そこにある」
ワ「どういうこと?」
私「反面教師を気にして、批判ばかりしていると、結局自分も、いつか、その
反面教師と同じ人間になってしまう・・・」

ワ「じゃあ、どうずればいいの?」
私「反面教師にするならするで、その相手以上のものを、自分の中で同時に作り
あげなければいけない。でないと、結局は、反面教師の毒気のようなものに、
自分が巻き込まれてしまう」と。

こういう例は多い。
あなたとあなたの親の関係にも、それかもしれない。
あるいは一歩退いて、あなたの親と、その親(祖父母)の関係が、そうかもしれない。

要するに、親は、仮面(ペルソナ)をかぶらないということ。
仮面をかぶることはあっても、脱ぐときはちゃんと、脱ぐ。
この操作を忘れると、「ペルソナ人間」になってしまう。

あなた自身は、それでよいとしても、子どもに与える影響は、甚大である。

ワ「ありのまま生きるということね」
私「同時に、自分をみがきながらね」
ワ「むずかしそう・・・」
私「それが簡単なんだよ。日ごろから、ウソをつかない。約束は守る。この2つだけを
守ればいい。日々の積み重ねが、その人の人格になる」と。

歳をとると、こうした現象が、あちこちで見られるようになる。
今、まだ若い人は、そのときを、楽しみ(?)にしておいたらよい。


●ストレス

精神的なストレスは、体によくない。
それが長くつづけば、つづくほど、精神がむしばまれる。
体調も、おかしくなる。
免疫細胞の能力が低下するから、病気にもかかりやすくなる。

しかしこの世の中で、ストレスと無縁のまま生きることは、むずかしい。
こちらにそのつもりはなくても、向こう側から、やってくることがある。
否応(いやおう)なしに、何かのトラブルに巻き込まれることもある。

そういう意味でも、生きることは、それ自体、何かとわずらわしい。
わずらわしいが、その(わずらわしさ)こそが、今、私はここにいて、
ここに生きているという証(あかし)。

「ストレスを楽しむ」というには、無理かもしれない。
が、ストレスとは、じょうずにつきあう。
うまくつきあえば、その分だけ、賢くなれる。
(悩む)こと自体、(考えること)に直結する。
それまで見えてこなかった部分まで、見えてくるようになる。

が、まずいのは堂々巡り。
堂々巡りに入ると、そのままうつ状態に落ち込んでしまう。
そして一度うつ状態になると、自分の殻(から)から、抜け出られなく
なってしまう。

あとはこの悪循環。

では、どうするか?

私のばあい、

(1) うつ状態になったら、「これはほんとうの私ではない」と、自分によく言って
聞かせる。
(2) 重要な判断などは、控える。そのつどワイフにアドバイスを求める。
(3) ハーブ系の安定剤を服用する。カルシウム剤も、私には効果的。
(4) よく眠る。
(5) あとは教室の子どもたちと、ワイワイと騒ぐ。

たいていそれで、治る。
そうそう、ストレスの原因が、人間関係にあるときは、相手を、サルか犬、
あるいはイノシシと思うようにする。
(言葉はきついが、それくらいにまで思わないと、ストレスから解放される
ことはない。)

頭の中で、それを空想する。
「あいつは、サルだ」「あいつは、イノシシだ」と。

そしてその相手から、遠ざかる。つまり相手にしない。
反論したり、弁解したり、言い争うのは、タブー。
「負けるが勝ち」と念じて、あとは、時の流れに、身を任す。

『時は心のいやし薬』と考える。
『時は心のいやし人』でも、よい。

・・・そろそろ12時になってきた。
ここらで、書くのをやめる。

みなさん、おやすみなさい!


(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 Hiroshi Hayashi education essayist writer Japanese essayist)

Tuesday, April 22, 2008

*Monthly Salary of Workers in North Korea *Nation-wide Test of School Children's Ability of Lerning

【ニュースを読む】(K国の労働者の月給、学力調査)

●K国の労働者の月給(Monthly Salary of workers in North Korea)

+++++++++++++++++

ニュースを読む。
が、おもしろいことに気づいた。

同じようなニュースなのだが、
日によって、読みたい内容が変化する。

これは私だけの現象なのか。

それとも、みなに共通した現象なのか。

また内容についても、ときに、部分的な
ことが気になることがある。

たとえば今朝(4月23日)の毎日新聞は、
K国の窮状ぶりを伝えている。

何でも「大卒医師や教員が生活苦を理由に
退職して、商売に励んでいる」(毎日新聞)という
ことらしい。

が、その中の一文が気になった。
こうある。

「K国では、経済改革により価格統制を緩和した結果、
物価は急上昇し、1キロ0.08ウォン
(1ウォンは実質推定0.038円)だったコメは、
1200ウォンにも高騰。だが、一般労働者の月給は、
2000ウォン程度に引き上げられるにとどまり、
コメを2キロ買えばなくなる状態だ」(同)と。

たったの2キロ!

こういう数字を見ると、あれこれ計算してみたくなる。

私の悪いクセだ。

たとえば……。

一般労働者の月給が、2000ウォン。
米1キロの値段が1200ウォンということだから、1か月の
月給で、約1・7キロしか、米が買えないというと
いうことになる。

それはわかる。
しかし、そのあとが、よくわからない。
こうある。

「1キロ0.08ウォン(1ウォンは実質推定0.038円)
だったコメは、1200ウォンにも高騰」と。

これは、何かのまちがいではないか?

米1キロの値段が、0・08ウォンから、1200ウォンに
なったということは、単純に計算しても、値段が1万5000倍に
なったということになる。

1万5000倍だぞ!

つぎに「実質推定0・038円」という部分。
K国の1ウォンは、0・038円だという。

そこでもう一度、計算してみる。

日本では、米は、1キロあたり、平均して、500円前後。
つまり米、1・7キロということは、500x1・7=850円という
ことになる。

K国の労働者の月給は、米で見るかぎり、日本円で850円
ということになる。

しかし一方で、「1ウォンは、実質推定0・038円」という。
この数字で計算してみると、

2000x0・038=76(円)ということになる。

つまり米で計算してみると、K国の労働者の月給は、850円。
しかし実質レートで計算してみると、76円。

850円!
76円!

それほどちがわないが、しかしどうしてこういう(ちがい)が
生ずるのか?

「?????」。

どこか計算のし方が、まちがっているのだろうか?
まあ、それだけ米の価格だけが、高騰しているということらしい。

それにしても、すごい!

++++++++++++++++以下、毎日新聞+++++++++++++++++

大卒の女性医師や教員も本業を捨て自営業へ……。経済危機が続くK国で、高学歴女性が国から十分な給料をもらえず、職場放棄の末に露天商などの商売に走っている実態がK国朝鮮労働党の内部資料で明らかになった。K国では経済改革実施(02年)以後、物価が急上昇したのに給与の引き上げ幅が小さく、公務員らが自営業に流れる深刻な事態が生まれている。

 文書は党中央委が昨年10月に作成。それによると、K国各地で週6日、各種の日用品を扱う市場が合法的に運営され、「物売り」を希望する住民が殺到している。市場周辺だけでなく、住宅地域にも露店が拡大して「社会秩序と規律をひどく乱している」という。

 党指導部が強く懸念しているのは、商売人の大多数が就労適齢期の女性という点。「特に胸が痛む」例として、大卒医師や教員が生活苦を理由に退職して商売に励んでいる実態を紹介し、これらの行為を「本分を放棄して商売に走るのは初歩的な良心と義理を欠く行為」と非難している。

 K国では昨年後半、適齢期女性が市場で商売することを禁止する規定が出されたとされる。

 K国の政権に近い関係者は「国家経営の音楽学校に勤めるより、自宅でこっそり音楽教室を開いた方が何倍もの収入になるというのが実情だ。党指導部も深刻に受け止めている」と解説する。

 K国では経済改革により価格統制を緩和した結果、物価は急上昇し、1キロ0.08ウォン(1ウォンは実質推定0.038円)だったコメは1200ウォンにも高騰。だが、一般労働者の月給は2000ウォン程度に引き上げられるにとどまり、コメを2キロ買えばなくなる状態だ。

 文書はこのほか、金欲しさからの違法行為にも言及。「毒性物質を含む食料品を売る」「(韓国製品を販売し)敵に対する幻想を広めている」などと批判しながら「不正腐敗行為が度を越し、非常に厳しい段階に及んでいる」とも警告している。

++++++++++++++以上、毎日新聞 0804234+++++++++++

●学力調査テスト(School Test in Japan)

++++++++++++++++++

昨日、全国で、一斉に学力テストが
実施された(4月22日)。

産経新聞の記事をそのまま紹介させて
もらう。

+++++++++++++以下、産経新聞+++++++++++++++

 「全然明るい」は正しい? 福沢諭吉の身長は? ……。小6と中3の児童生徒を対象に22日に行われた全国学力テストでは、学力を実生活に活用する力を意識した出題傾向が強まった。文部科学省は昨年と出題の領域や分量に大きな変更はないとしたが、基本的な知識を問う「A問題」で、学校生活を題材にした出題が目立ち、PISA(OECDによる学習到達度調査)型の学力を求める姿勢が一層浮き彫りになった。

 算数・数学では小6のA問題で、「約150平方センチ」の面積について(1)切手(2)年賀はがき(3)教科書の表紙(4)教室の床-の選択肢から選ぶ四択問題を出題(正解は(2))。センチメートルという単位について肌身で理解しているかを調べた。

 中3のB問題(活用)では、「明治期の文豪、樋口一葉の身長が140センチ台であることが判明した」との新聞記事を引き合いに、慶応義塾創設者の福沢諭吉の身長を出題。上腕骨の長さから身長を推定する数式を活用させつつ、数学が意外な(謎)を解いてくれる一面をアピールした。

 国語では、中3のB問題で、若者の間では肯定表現として使われることが多い「全然」の使い方に関するリポートを出題。「全然明るい」という表現の賛否について、いずれかの立場に立たせて理由を説明させる約100字の“ミニ小論文で言葉に対する感度をはかった。

 一方、前回誤答が多かった問題の類題も。昨年の小6算数では「底辺×高さ」の公式で求められる平行四辺形の面積について、斜辺の数値など不要な情報を加えつつ、別の長方形の面積と比較させると、正答率が18%と低かった。今回は底辺、高さのほかに斜辺の数値を示す単純な問題で、理解の正確さを調べた。

 文科省によると、四十数年前の全国調査や近年の抽出調査と同一の問題が全教科で計25問出題されており、結果が注目されそうだ。

+++++++++++++以上、産経新聞+++++++++++++++

●もの知りから、考える子どもへ

教育全体の傾向としては、(もの知りな子ども)から、(考える子ども)と、
教育の目標そのものが、シフトしている。

しかしこれは(変化)ではなく、(欧米化)である。
もっと言えば、(世界に合わせた、標準化)ということ。
日本の教育は、あまりにもゆがんでいた。

今後、この傾向は加速されることはあっても、減速されることはない。
たいへんよいことだと歓迎する。

ところで「明治期の文豪、樋口一葉の身長が140センチ台であることが判明した」
(学力テスト)という。

低い?

「腕骨の長さから身長を推定する数式」ということだから、樋口一葉が、
死亡したときの身長ということになる。

しかしだれしも、老齢になると、身長が縮む。
見た感じ、3分の2程度になる人だって、いる。
そういう事実をさておいて、「では、福沢諭吉は……?」という計算をしても、
あまり意味はないのではないか。

もう一度、問題をよく読んでみよう。

++++++++++++++以下、問題より++++++++++++++

【中学3年B】
【問題1】

桃子さんは,樋口一葉ようのおよその身長が、 上
じょう腕わん骨こつ(肩とひじの間の骨)の長さから推定された
ことを新聞記事で知り、その内容を下のようにまとめました。

桃子さんのまとめ

一葉さんの身長は140cm 台
写真や絵から身長を算出できる

明治時代に活躍した作家・樋口一葉(1872 〜1896)
の身長は140 cm 台だったことを、解剖学と郷土史の
研究者が明らかにした。

この研究者らは,樋口一葉の写真を分析し、一葉が身につ
けていた和服から、一葉の上腕骨の長さを突き止めたそうだ。
そして、男女の身長と上腕骨の長さとの関係から求めた、
明治時代の頃の成人の身長を推定する式に当てはめて、
一葉の身長を推定した。

桃子さんは,明治時代の頃の成人の身長について調べたところ、上腕骨の
長さ(cm)から身長(cm)を推定する式があることが分かりました。そして、
その式をおよその数を使って、下のように表しました。

男性の身長= 2.8 ×(上腕骨の長さ)+ 73
女性の身長= 2.5 ×(上腕骨の長さ)+ 79

(問い)

前ページの式を使って,次の(1)から(3)までの各問いに答えなさい。

(1) 桃子さんは、一万円札の肖像になっている
福沢諭吉の身長を調べることにしました。
そこで、写真を分析して、 上腕骨の長さを
約36cm と求めました。

このとき, 前ページの式を使うと、
福沢諭吉の身長は約何cm と考えられますか。
下のアからオの中から1つ選びなさい。

ア 約164cm   イ 約169cm
ウ 約174cm   エ 約179cm
オ 約184cm

(2) 明治時代の成人の女性2人について、上腕骨の長さの差が4cm のとき、
この2人の身長の差は何cm と考えられますか。2人の身長の差を求めな
さい。

上腕骨の長さの差
上腕骨の
長さの差

(3) 明治時代の成人について、上腕骨の長さの差と身長の差の関係を考えます。
男性2人の上腕骨の長さの差と女性2人の上腕骨の長さの差が同じとき、
男性2人の身長の差と女性2人の身長の差では、どちらが大きいと考えら
れますか。下のア、イの中から1つ選びなさい。また,選んだ理由を説明
しなさい。

ア 男性2人の身長の差
イ 女性2人の身長の差

【問題2】

直樹さんは、2けたの自然数と、その数の十の位の数と一の位の数を
入れかえた数の和がどんな数になるかを考えています。

21 のとき  21+12 = 33
35 のとき  35+53 = 88
47 のとき  47+74 =121
82 のとき  (        )

上で調べたことから,直樹さんは,次のことを予想しました。

直樹さんの予想

2けたの自然数と,その数の十の位の数と一の位の数を入れかえた数の和は,
11の倍数になる。

次の(1)から(3)までの各問いに答えなさい。

(1) 上の( ) に当てはまる式を書きなさい。

33 = 11 × 3
88 = 11 × 8
121 = 11 × 11

いつでも11 の倍数に
なるのかな。

+++++++++++++以上、当日の問題より+++++++++++++++

あまりほめてばかりいてはつまらない。

この【問題1】での最大の問題点は、「写真を分析して、 上腕骨の長さを
約36cm と求めました」という部分。

写真を分析すれば、上腕骨の長さがわかるのだろうか?
またどの写真を使ったのだろうか?
どうやって上腕骨の長さを知ったのだろうか?

話はそれるが、映画『ベン・ハー』の中の、チャールストン・ヘストン
は巨大な男性に見えた。
が、実際には、それほど大きな人ではなかったようだ。
映画の中では、ヘストンを撮影するときだけは、いつもカメラを下にして
写していたそうだ。

そういう技法は、映画の世界ではよく用いられる。

となると、ますますわからなくなる。
「36センチ」という数字は、いったいどこからどのようにして出てきたのだろう。

【問題2】については、3~4つの計算をして、それが11の倍数に
なったからといって、すべてがそうであると結論づけることはできない。
5つ目に、別の答が出てくるかもしれない。

5つ目も11の倍数になったからといって、6つ目はわからない……。

そこで文字式ということになるが、2けたの数字を、
(10xa+b)とおけば、簡単に証明できる。

問題そのものは、ごくありふれた問題である。
レベルとしては、(中学1年)程度。

++++++++++++++++++

こうして私は、今日もニュースを読んだ。
が、一言。

ニュースというのは、読むだけでは、
あまり意味がない。

読むだけだと、記憶に残らない。

そこで自分なりにコメントを書いてみると
よい。

そうすれば、脳みそに、ぐいと残る。
考える力も身につく。

++++++++++++++++++

(追記)

樋口一葉の上腕骨の長さは、
(140-79)÷2・5で、24・4センチということになる。

福沢諭吉は、男性だから、上腕骨の長さから、

男性の身長= 2.8 ×(上腕骨の長さ)+ 73
の計算式を使って、

36x2・8+73=173・8センチ、ということになる。

当時としては、かなり大きな人だったらしい。
またひとつ新しいことを学んだ!

*The real stupid man

【今日・あれこれ】4月22日(April 22nd 2008)
Sage and Mae are coming to Japan soon!

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これから買い物。
誠司のために、鯉のぼりを買ってくる。
芽衣のために、人形を買ってくる。

ほかにもいろいろ。

それから、誠司を連れて、ディズニーランドへ
行く予定。
その予約を、これからしてくる。
先ほど、嫁のデニーズのほうから、了解の
メールが届いた。

Sage would love to go on a
trip with you and Akiko!
Thank you so much for thinking of that!
(誠司は、旅に行きたがります。
お考えくださってありがとう)と。

そうそう、もうひとつ。
息子がデジタルカメラを壊してしまったという。
「パパのがあれば、ひとつ、ほしい」と。

バンザーイ!

私は、これで新しいのを、ひとつ買える。
つまり今使っているのを、息子に払い下げる。
そのかわり、私は私のを、また別に買う。
その口実ができた。

ワイフも「OK」と言ってくれた。

今度は、C社のデジタルカメラにする。
あの金属感がたまらない!

先日、手で触れてみたが、それだけで、
ゾクゾクした!

(もっている株の株価も、少し、あがったぞ!)

++++++++++++++++

●N県のZ寺(Someone scribbled the wall of Zenko-ji Temple in Nagano)
Those who do stupid things are call “Stupid”. Not the problem of the brain.

どこかのバカが、N県にあるZ寺に、落書きをした。

「バカなことをする人を、バカという」(「フォレスト・ガンプ」。
頭ではない。バカなことをする人を、バカという。

それについて、M君(小6)が、こう聞いた。
「先生は、どう思う?」と。

たぶん、学校の宿題か何かに、出たのだろう。
すかさず私は、こう答えた。

「世の中には、5%のバカがいる。頭ではない。
バカなことをする人を、バカという。

その5%のうち、さらに5%のバカは、大バカ。
さらにそのうちに5%は、超大バカ。

そういう超大バカが、Z寺に火をつけたんだよ」と。

(本当は、オリンピック聖火に反対しただれかが
落書きをした可能性もある。が、あえてそれについては
言わなかった。話が複雑になる。)

するとM君が、「じゃあ、どうすればいいの?」と。

私「あのね、そのために刑法という法律があるんだよ。
そういうバカは、逮捕されて、裁判にかけられて、
刑に服すればいい」
M「でも、刑務所では、カツ丼が食べられるんでしょ」
私「はあ~~?」

M「この前、テレビを見ていたら、刑事が、『白状しろ、
カツ丼食わせてやるから』と言っていたよ」
私「それは刑務所での話ではないよ。警察での取り調べの
ときの話だよ。刑務所というところは、裁判がすんで、
刑が確定した人が入るところだよ」と。

私は、(被疑者の取り調べ)→(検事調書の作成)→
(裁判)→(判決)→(刑務所)という、流れを説明して
やった。

私「取り調べのときは、まだ犯人と確定したわけでは
ない。だから、カツ丼を食べさせてもらえることもあるよ」
M、ほかの子どもたち、「カツ丼かあ。いいなあ。食べたいなあ」
私「バカなこと、言ってるんじゃない! ところでぼくは
刑務所へ入ったことがあるよ」

M「いつ?」
私「学生のとき、大学の授業でね。見学のため、中に
入ったことがある」
M「な~んだ」
私「いやなところだよ。狭くて、息苦しくて……」と。


●バカは相手にしない

ところで、そういうバカは、相手にしない。
これは人生をより豊かに生きる鉄則のようなもの。
相手にしたとたん、相手のペースに、巻き込まれて
しまう。
つまり自分も、そのバカになってしまう。
そういう点では、バカな人のもつ力には、ものすごいものがある。

「バカなことをする人を、バカという。(頭じゃない。)」と。
フォレスト・ガンプの母親が、フォレストに言った言葉で
ある。

では、そういうバカは、どうして生まれるか?

というより、その方向性は、幼児期に決まる。
つまりその子どもが、そういう人になるかどうかという
方向性は、幼児期に決まる。
反対に、幼児期の子どもをていねいに観察すれば、その
子どもが、将来、どんなおとなになるか、おおかたの
予想がつく。

幼児でも、(ここでいう)バカな子どもは、いくらでもいる。
そうでない子どもも、いる。

では、だれが、子どもをバカにするかだが、言うまでもなく
親である。

子どもは、親の、日ごろの何気ない行動を見ながら、
自分の行動規範を作りあげていく。

35年ほど前のことだが、こんな子ども(小3・男児)がいた。

「ぼくは、遊園地は、どこへでもただで入れる」と。

そこで私が「どうして?」と聞くと、その子どもは、
こう言った。

「おとなの背中のうしろに隠れて、おとなが
中へ入るとき、スーッといっしょに中に入る」と。

そこで私が、「そんなことをしたら、お父さんやお母さんに
叱られるよ」と言うと、その子どもは、臆面もなく、
こう言った。

「だって、ママが、そうしろって、言ってるもん」と。

その子どもは、その後、I市の若手経済人として活躍したが、
つい少し前、何かの偽ブランド品販売事件にからんで、警察に
逮捕されている。

警察の調べに対して、「知らなかった」と言っているそうだが、
私は、「あっ、あのときのあの子どもだ」と思っただけで、
それ以上、言葉が出てこなかった。

で、この言葉を、もう一度。

「バカなことをする人を、バカという」。


●「お金では、心は買えない」

だれかが言った。
「お金で買った忠誠心は、お金が切れたとき、消える」と。
つまり、「お金で、忠誠心は買えない」。

小銭を稼いで、得意になっている人ほど、要注意。
昔、(今でもいるそうだが……)、アジアの中の貧しい国へ行き、
小銭をばらまいて、得意になっていた日本がいた。

ある国には、日本人が橋の上から、コインをばらまくと、子どもたちが
水に潜って、それを取るという話もあった。

「お金をあげたから、相手は感謝しているはず」、あるいは
「自分は立派な人間と評価されたはず」と思いがち。
しかし事実は、逆。

当初は感謝されても、次からは、それが当たり前になり、
さらにその次からは、相手のほうから、それを要求してくるようになる。

なぜか?

貧しい人たちは、常に金持ちをうらんでいる。
日常的に、うらんでいる。あるいはねたんでいる。
だから金銭的な援助をしても、その(うらみ)で、好意を帳消しにしてしまう。
援助の額が大きければ大きいほど、また期間が長ければ長いほど、そうなる。

「お金で人の心は買えない」というのは、そういう意味である。


●しかしこれは私自身の問題

特別に訓練をした人、あるいは訓練をしている人は別として、
人もある年齢に達すると、思考がループ状態に入る。
早い人で、20歳くらいから。
遅い人でも、40歳くらいから。

10年どころか、20年、一律のものの考え方をするようになる。

こういう現象は、久しぶりに人と会ってみると、よくわかる。
中には、「この人は、30年前のまま」と思う人もいる。

が、これは何も、他人の問題ではない。
私自身の問題である。

日々に研鑽(けんさん)あるのみ。
しかしその一方で、知識や知恵は、どんどんと消えていく。
加齢とともに、それがさらに加速される。

少し前に、私ながらの方法で計算してみたが、6年で、そのときの
記憶や知識、経験の約80%が消えると思ってよい(満55歳前後)。

たとえば2002年に蓄(たくわ)えた記憶や知識、経験のうち、
2008年まで残っているのは、約20%前後ということ。

さらに6年もすると、そのうちの約20%しか、残らない。
0・2x0・2=0・04で、約4%ということになる。

(たったの4%だぞ! 今、あなたが蓄えている記憶や知識、
経験は、12年後には4%になってしまう!)

これに(年齢)というファクターが加わるから、0・02%以下に
なるといってもよい。
さらに脳の病気が加われば、……? ゾーッ! へたをすれば、ゼロ?

では、どうするか?

人は歳をとったら、なおさら、若い人たちよりも、もっと記憶や知識、
経験を補充していかねばならない。
「私は完成された人間」と思っている人がいたら、その人は、
ほんもののバカ(失礼!)と考えてよい。
そう思った瞬間から、その人の人格、人間性は、後退する。
これは健康論に似ている。

究極の健康法などというものはない。
同じように、究極の精神論などというものはない。
釈迦だって、「精進」という言葉を使って、それを説明している。

……と言いながら、私も、そのほんもののバカに向かって、
まっしぐら!

もともと素性が、それほど、よくない。
全身が化けの皮みたい?
歳を取ると、一枚ずつ、その化けの皮がはがれてくる。
だから、こわい。
だから、これは私自身の問題。

そういうことになる。

Monday, April 21, 2008

*Urine & I

●私と小便(Urine & I)
This is a short essay about me and urine.

++++++++++++++++++++++

● 前立腺ガン

私と小便のつきあいは、長い。
(当然だが……。)

その小便が、このところ別の意味をもち始めた。
きっかけは、浜松医大のO教授。
前立腺ガンの権威である。
そのO教授が、チェック・シートをメールで届けてくれた。
「60歳になったら、一度、検査してみたほうがいい」と。

たまたま知人が、その前立腺ガンになったこともある。
数か月前、その手術をした。
さらに、山荘の近くに住むU氏が、前立腺肥大とかになった。おなじく、その手術をした。
それまでは、私は、前立腺というのが、どこにあるかも知らなかった。
どんな働きをするかも、知らなかった。

しかし今では,肺がんについで、罹患率が第2位とか。
今の今も、どんどんとふえているという。
が、その割には、「おとなしいガン」(O教授)とか。
じょうずにつきあえば、それほど恐れなくてもよいということらしい。

●閉所恐怖症

私の実家は、田舎だったが、その町のほぼ中心部にあった。
自転車屋を営んでいた。
そのため家には庭がなく、トイレは、家の奥の奥、一番角の隅にあった。
薄ぐらい部屋だった。
トイレには電気はなかった。
それにボットン便所。

私は子どものころから、そのトイレに入るのがこわくてならなかった。
薄ぐらい部屋で用を足していると、壁の黒いシミが動いているかのように見えたこともある。
今から思うと、私の閉所恐怖症は、そうして生まれたのでないか。

今でも、閉ざされた、薄暗くて狭い部屋に入ると、言いようのない恐怖感を覚える。
記憶に残っているのは、大学生のとき、みなで伊豆にある土肥金山へ行ったときのこと。みなは平気で中へ中へと入っていった。
が、私は入り口のところで足がすくんでしまい、中へは入れなかった。
(当時の土肥金山は、木わくで組んだだけの、粗末なものだった。念のため。)

●立小便

そういうこともあり、私は、いつしか、立小便をすることに、喜びを感ずるようになった。……というのは、少し大げさだが、子どものころから、立小便することについてだけは、罪悪感を覚えなかった。

野原でも、道端でも、山の中でも、尿意を覚えると、あたりかまわず、シャーッとした。さらに……。

実家でも、小便は、ときどき二階の自分の部屋から外に向けてした。下が張り出しの屋根になっていて、トタンでできた看板が、そこにあった。だから通りから見られる心配はなかった。
が、こんなことがあった。

ある夜のこと。
いつものように窓を少しあけ、そこにあれを差し出し、トタンの裏側に向けて、シャーッと出した。
と、そのとき、通りから、女の子の声がした。
「あらっ、お母さん、……雨よ!」と。

私はあわてて、窓を静かに閉めた。

●多飲症?

いつごろからそうなったかは知らないが、私は、水をたくさん飲むようになった。
称して、「多飲症」?
現在の今でも、1日、冬場でも、2~3リットルは飲む。
夏場になると、4~5リットルは飲む。
具体的には、夏場には、日中だけでも、2リットル入りのペットボトルを、2本は飲む。
よく理由を聞かれるが、そういうとき私は、「血圧が低いから」と答えることにしている。

私は低血圧症で、いつも100~65前後をウロウロしている。
それと関係があるかどうかは知らないが、水分を補給していないと、頭がボーッとしてしまう。
とくに朝が苦手。
だから起きると、たてつづけに水を飲む。お茶を飲むこともある。
しかし私のばあい、水のほうが、おいしい。

●チェック・シート

O教授が送ってくれた、チェック・シートの中に、こんなのがあった。

「2:この1か月の間に、尿をしてから2時間以内に、もう一度しなくてはならないことがありましたか」と。

この設問には、困った。

先ほども書いたように、私は、多飲症。
水をよく飲む。
だから、尿も、その分だけ、よく出る。
ばあいによっては、30分間隔で、トイレへ行くこともある。

「へたに丸をつけたら、前立腺ガンにまちがえられてしまう」と思った。
思ったから、O教授にメールを書いた。

「ときに満タンにして、排尿を楽しむことがあります。
しかし1~2リットル、水を飲んでいるときは、30~60分ほど、尿意を催すことはありません。
が、そのあと一度、ドッとしたあと、今度は、20分間隔で、トイレに行きたくなります。
量はそれほどでもないのですが……」と。

それに答えてO教授が、こう教えてくれた。

「最初に満タンにしたとき、膀胱が刺激され、それ以後、少量でも、尿意を覚えるようになります。正常な現象です」と。

それを読んだとき、率直にこう思った。

「この世界も、広いな」と。

●排尿快感

私には、密かな楽しみがある。

まず、水をたてつづけに飲む。
1~2リットルは、飲む。
するとやがて、尿意を覚える。
が、すぐにはトイレにはいかない。
がまんする。
その段階で、さらに水を飲む。
1リットルとか、それくらいは飲む。
で、さらにがまんする。

そしていよいよというとき、小便をする。
ドドッとする。

それが気持ちよい。
何というか、言いようのない解放感を覚える。
開放感でもよい。
気分が爽快になる。

さらに、そうした小便は、山荘にいるときは、丘の上から、塀の上に立ち、下をめがけてする。
そのときが、最高!

あ~~~~あ、と。

一度、ワイフにこう聞いたことがある。

「こういう楽しみは、男だけのものだろうね」と。
それに答えて、ワイフは、こう言った。
「女は、そんなバカなことはしないわよ」と。

つまり女性には、立ち小便は無理?

●1リットル

教室で、「リットル」を教えるときには、決まって私は、子どもたちの前で、一気飲みをして見せる。

1リットルの「量」を、具体的に教えるためである。
しかし私には、1リットルなど、問題ではない。
子どもたちに、はやしたてられながら、1リットルをぐいぐいと飲んで見せる。

「一気!」「一気!」と。

私はわざと苦しそうにして、飲む。
子どもたちには、それが実に楽しいらしい。
で、ときには、2リットルに挑戦する。

が、2リットルは苦しい。
たいてい途中でやめる。

……ということで、子どもたちは、「リットル」という言葉を覚える。
1リットルの量を、具体的に知る。

●前立腺ガン

O教授の話によれば、「80歳以上で亡くなった人を解剖してみたら、50%の人に、前立腺ガンが見つかった」とのこと。

だから実際には、75歳を過ぎたら人には、手術はしないそうだ。
してもあまり意味がない。
先にも書いたように、もともとおとなしいガンである。
(だからといって、油断してもいけないとのこと。)
「ガン」だからと聞いて、そんなにあわてることはない。
ゆっくりと様子を見て、つぎの手を考えればよいとのこと。

しかし私は、この種の検査が苦手。
心気症でもある。
「要精密検査」という通知をもらっただけで、パニック状態になってしまう。
そういう点では、気が小さい。

O教授によるチェック・シートによれば、「尿漏れ」が、ひとつのポイントらしい。
尿漏れがあれば、何かの病気を疑ってみたほうがよい。

が、私のばあい、幸いなことに、前立腺、つまり蛇口の働きはよいようだ。
満タン状態でも、めったに漏れることはない。
しかし失敗したこともある。

以前、こんな原稿を書いたことがある。

++++++++++++++++++++

●悲劇!

++++++++++++++++

寒い日だった。私は教室の
ストーブの前で、ガタガタ
震えていた。

しかし、それが悲劇の始ま
りだった。

++++++++++++++++

 寒い日だった。天気の予報官は、「暖かくなる」と言った。が、ハズレ。雨がやむと、日没ごろから、急に冷え始めた。身の置きどころのないような寒さだった。

 このところ、肉らしい肉は、食べていない。菜食主義というわけでもないが、しかしそれに近い。生徒たちに、「君たちは、寒いか?」と聞くと、みな、「ううん」と。

 風邪の前ぶれだろうか。悪寒かもしれない。そんな気配も、あるにはあった。

私「寒くない?」
子「寒くないよ」
私「ホント?」
子「先生は、寒いの?」
私「そう、ガス欠だよ」

子「ガス欠って、何?」
私「ほら、車でも、ガソリンがないと、走らないだろ。あれと同じだよ」
子「そう、ガズ欠ね」と。

 私は、「ガス欠もしらないのか」と思ったが、黙って、ストーブの前に立った。が、寒い。少し前から、温かいお茶をつづけて飲んでいたが、少しも、体が暖まらない。と、そのとき、ワイフが、教室の中に入ってきた。「あなた、もってきたわ」と。

私「何?」
ワ「トレーナーよ。その薄着じゃ、寒いに決まっているわよ」
私「ありがたい。トレーナーかア」
ワ「これを、中に着て……」と。

 その少し前、私はワイフに電話をかけた。寒さを訴えた。ワイフは、それを知って、店で、安物だが、トレーナーを一着、買って、届けてくれた。それを、子どもたちに隠れて、炊事室で着た。上着のシャツの下とズボンの下に……。

 変わった生地でできているトレーナーだった。着たとたん、ほんわかとした温もりが、肌に伝わってきた。

私「これならいけそうだ」
ワ「あら、そう。よかったわ」と。

 残りのクラスは、2つだけ。小学校の高学年児クラスと、中学生のクラス。しかしズボンの下に、トレーナーとは! 一度、そのかっこうで失敗したことがある。

 もう10年になるだろうか。ワイフと街を歩いているとき、ワイフが突然、こう言った。「あなた、ズボンの下に、何、着ているの?」と。見ると、ズボンの下から、パジャマのすそが、外に顔を出していた。

 あわてて家を出てきたため、パジャマを脱ぐのを忘れた。そのままズボンをはいた。……とまあ、そんな失敗である。

 見ると、何となく、ズボンの下からトレーナーが見える感じ。私は座ったまま、立つこともできなかった。と、そのとき、参観の親たちが、2、3人、ゾロゾロと入ってきた。

 「まずい」と思った。女性は、こういうことに、目ざとい。

 私は、足を反対側に向けると、ズボンの下のトレーナーを上に、まくってあげた。いくら何でも、そういう姿は、母親たちには見られたくない。しかし立ったとたん、トレーナーが、下に落ちていくのがわかる。アアア……!

 で、やっとのことで、そのレッスンを終えた。が、今度は、猛烈な尿意。寒いときの尿意は、これまた強烈。「したい」と思ったとたん、膀胱がはち切れそうになった。したい……。したい……。

 生徒や親たちとのあいさつもそこそこに、部屋を出ようとすると、1人の母親が、私に話しかけてきた。

母「先生、あのう……」
私(やめてくれ……)
母「少し、相談したいことがあるのですが……」
私(あとにしてくれ……)

母「○子のことですが……」
私「はい……」
母「4月からのことですが……」
私(早くしてくれ……)と。

 で、思い切って、言った。もう、もたなかった。「あのう、実は、トイレに行きたいのです。ちょっとだけいいですか」と。そう言い終わらないうちに、廊下の右にある、トイレに駆けこんだ。便器の前に立った。

 ところが、である。ズボンのチャックをあげたところまではよかったが、いくら両手でかきわけても、中が開かない! まるで、大きな鉄の扉が閉まっているような感じ。数回、かきわけたあと、気がついた。トレーナーだア!

 私は、ズボンのベルトをはずした。そしてズボンを下にさげた。同時に、トレーナーとパンツもさげた。瞬間、小便が、堰(せき)を切ったように、外へはじき飛んだ。とたんうしろから子どもの声がした。

 「先生って、そうやってオシッコをするんだア」と。見ると、その母親の娘の○子! 

私「トイレから出て行け!」
子「ハハハ」
私「セクハラだア」
子「ハハハ」と。

 小便が終わって、また教室へ。母親はそこに立って、私を待っていた。○子は、知らぬ顔して、備えつけたマンガの本を読んでいた。

 ……そのあとのことは、ここに書いても意味がない。いつもの、よくある親の相談。そしていつもの私の返事。

 きっとあとで、○子は、私のことを話しただろう。いや、話さなかったかもしれない。あの年齢になると、子どもでも、そういうことは親には話さない。あるいは、話したかもしれない。「先生って、オシッコをするとき、お尻を出してするのよ。赤ちゃんみたい」と。

 それにしても、いやな思い出を作ってしまった。どうやって弁解してよいのかわからない。それでありのままをここに書いた。○子よ、○子の母親よ、どうか、この文章を読んでくれ。口で説明したり、弁解したりするのは、私には、あまりにもつらい。

 私は、お尻を出して、小便など、しないぞ!

++++++++++++++++

もうひとつ、こんな話。
オーストラリアの友人が話してくれた
ジョークである。

++++++++++++++++

●「どうしても、だめでした」

最近、オーストラリアの友人から、こんなジョークが送られてきた。おもしろいので紹介する。日本人にもわかるジョークなので、安心して読んでほしい。

 九〇歳の老人が病院へ行くと、ドクターがこう言った。
 「精子の数を検査しますから、明日までに精子をとって、このビンの中に入れてきてください」と。

 が、その翌日、その老人がカラのビンをもって病院へやってきた。
 そこでそのドクターが「どうしたのですか?」と聞いた。
 すると、その老人はこう言った。

 「いえね、先生……
 右手でやってもだめでした。
 左手でやってもだめでした。
 それでワイフのイーボンに頼んで
 手伝ってもらったのですが、だめでした。
 イーボンが右手でやってもだめでした。
 左手でやってもだめでした。
 そこでイーボンは、入れ歯を全部はずして
 口でやってくれましたが、それでもだめでした。
 しかたないので、隣のメアリーに頼んでやってもらいました」

 ドクターは驚いて、「隣の家のメアリーに!」と聞いた。

 するとその老人は、

 「はい、そうです。メアリーも最初は右手でやってくれましたが、
 だめでした。
 左手でやってくれましたが、それでもだめでした。
 メアリーも口でやってくれましたが、だめでした。
 最後に、足の間にはさんでやってくれましたが、それでもだめでした」と。

 ドクターが目を白黒させて驚いていると、老人はこう言った。

 「でね、先生、どうやっても、このビンのフタをあけることができませんでした。
 イーボンにも、メアリーにもやってもらいましたが、
 フタをあけることができませんでした。
 それで精子をとることができませんでした」と。

+++++++++++++++

今日は、ここまで。
当たり前のように小便が出るということだけでも、ありがたいことなのですね。
しみじみと、今、そう思っています。

O先生へ、

一度、山荘へおいでください。
手作りの料理を、ごちそうします!

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 Hiroshi Hayashi education essayist writer Japanese essayist 小便 前立腺 前立腺ガン)

Sunday, April 20, 2008

This world is the Heaven itself

【4月21日】(月曜日)(April 21st, Monday)

+++++++++++++++++

昨日は、ほんとうにさわやかな一日
だった。

私とワイフは、近くの弁当屋で弁当を
買い、佐鳴湖の湖畔で、それを食べた。

その前に、浜名湖まで行こうとしたが、
大渋滞で、断念。

あちこちを回って、結局、佐鳴湖へ。

(佐鳴湖(さなるこ)というのは、
浜松市内の西にある、縦2キロ、幅
1キロの小さな湖。)

近くで、珍しくも琵琶(びわ)の
練習をしている人が2人いた。

BGMは、生演奏!、ということで、
さらに弁当がおいしかった。

+++++++++++++++++

●彼岸論(Heaven)
They say when we die, we will go to the heaven. But I think this world itself is the heaven. This means we live in the heaven!

この世(此岸)と、あの世(彼岸)。
この世があるなら、かならず、あの世もある。
この世だけが、(大宇宙)と考える方が、おかしい。

そこでもう一度、考えてみる。

「この世があの世なのか。それとも、あの世がこの世なのか」と。

この世だって、あの世から見れば、「あの世」。
あの世へ行けば、今度は、この世が、「あの世」。
どちらでもよい。

つまり、この世は、あの世。

美しい景色を見ながら、私は、そんなことを考えた。

私「あのなア、どこかメタボリックな弁天様が、半分、オッパイ出して、琵琶を弾いている……。そんなあの世へは、行きたくないよ。それに聞くところによると、あの世は、真っ白けだそうだ。つまらない世界だね」
ワ「私も、どうせ住むなら、こちらの世界のほうがいいわ」
私「だろ……。黄緑色の若葉、それに水色の空……。この世のほうが、ずっと美しい。この世のほうこそ、あの世かもしれないよ」
ワ「そうねえエ~」と。

私は最近、この世のほうが、実は、あの世ではないかと思い始めている。
あの世のほうが実は(現世)で、そこで死んだ人たちが、この世へやってくる。

たしかにこの世(此岸)は、未熟で不完全かもしれない。
が、その分だけ、楽しさにあふれている。
努力次第では、それこそ神のような人間にもなれる。

かりにあの世(彼岸)があるとしても、この世(此岸)よりすばらしいところとは、とても考えられない。

ワ「じゃあ、あの世って、どんなところ?」
私「きっと、生老病死がごちゃごちゃになった、恐ろしいところかもしれないよ」
ワ「そう……?」
私「きっとそうだよ。そこで行いのよかった人たちだけが、この世へやってくることができる。つまりこの世こそが、あの世というわけ。この世こそが、実は、天国というわけ。極楽でもいい」
ワ「フ~ン。……でもね、あの世では、永遠に生きられるということだそうよ」

私「ハハハ、そんなのは、相対的なものにすぎない。ぼくたち人間は、70~90歳まで生きられる。しかし、宇宙の時間では、3100万年分かもしれない」
ワ「じゃあ、あの世の人たちは、寿命が短いということ?」
私「かもね。自分たちは、70~90歳まで生きているつもりかもしれない。しかし、宇宙の時間では、ほんの数秒かもしれない」
ワ「わけのわからない話ね」と。

要するに、この世(此岸)こそが、天国であり、極楽であると思って生きるということ。
それが大切ということ。

あとは、個人の問題。

与えられた人生は同じでも、パチンコをしたり、野球中継を見ながら時間をつぶす人もいる。
一方、真・善・美の追求に、命を燃やす人もいる。

愚かな人は、自分たちが天国にいることも知らず、時間を無駄にする。
賢い人は、自分たちが天国にいることを知って、時間を大切にして過ごす。

どちらがどうというのではない。
あくまでも個人の問題。

ワ「じゃあ、私たちは、死んだら、どうなるの?」
私「この世がゴールだから、あの世はもうないかもよ」
ワ「あの世のあの世は、ないってことね」
私「……わからない。まあ、ないという前提で生きる。死んだとき、あの世がさらにあれば、もうけもの。死んでからのお楽しみ、というわけ」と。

大切なことは、この世(此岸)のあとに、あの世(彼岸)はないという前提で、この世を懸命に生きるということ。
あの世があると思って、この世の人生を無駄にしてはいけない。

たとえば時間の使い方にしても、使い方の問題。使い方によっては、ふつうの人の何倍も濃く生きることができる。
1日を、1年のようにして生きることができる。

反対に時間の使い方をまちがえると、1年を、1日のように生きてしまうかもしれない。
同じ「70~90年」といっても、人、それぞれということ。

どちらが損とか、得とかいうことになれば、もう結論は出ている。
あとは、懸命に生きればよい。
それだけ。
ほんとうに、それだけ。

さあ、今日も、がんばろう!

Saturday, April 19, 2008

*We think, therefore we are (1)

【生きることは考えること】(I think, therefore I am)
Why are we here? The answer is very simple. Because we think. In other words, if we don’t think, we are the same animals which live and die there in the nature.

+++++++++++++++++

生きるということは、どういう
ことなのか?

+++++++++++++++++

私たちは生きているというよりは、
生かされているだけ?

今朝、そんなことを考えた。

たとえば「見る」ということを考えてみる。

目の前には、コナラの木がある。
淡い黄緑色の葉をつけ始めた。
水色の空を背景に、春のそよ風の中で、
やさしく揺れている……。

で、「見る」ということは、コナラの木に
反射された「光」を、目が、感受している
からにほかならない。

そこで私は、ふと考える。

「どうして空気は見えないのか」と。
「窒素や酸素は、見えないのか」と。

物理学的に言えば、空気は、光をそのまま
通してしまうから、ということになる。

が、ほんとうに、そうだろうか。
そう考えてよいのだろうか。

そこで見えるということを、
こう考えなおしてみたらどうだろうか。

「もし空気を見ることができたとしたら、
人間の目は、どうなっていただろうか」と。

紫色なら紫色でもよい。
青色なら青色でもよい。
もし私たちが空気の色を見ることができた
とするなら、空気以外のものは、見えない
ことになる。

そこは紫色だけの世界。
青色だけの世界。

たとえて言うなら、土の中に住むミミズの
ようなもの。

ミミズは、土の中で、土しか見ていない。
土しか、見ることができない。
しかも光のない世界だから、そこは暗闇の
世界。

となると、ミミズの目が退化してしまった
ように、人間の目も退化してしまっていたに
ちがいない。

見えるものが空気だけでは、目としての意味はない。

が、そのままでは、困る。
空気にじゃまされて、その向こうのものが
見えないとしたら、人間は、そのつど、
種々の物体と、衝突を繰りかえすことになる。

あっちでゴツン、こっちでゴツンと……。
崖があれば、そのまま、まっさかさまに、落ちていく……。

そこで、もし、人間が空気を見ることができたとするなら、
(あるいは空気が見えるものであったとするなら)、
人間は(目)に代わるものを、進化させていたに
ちがいない。

深海に住むイルカは、超音波で、物体をさぐる
ことができるという。
あるいは、暗い洞窟に住むコウモリのようでもよい。
人間も、そういった能力を進化させたにちがいない。

しかしそうなったとするなら、今度は、コナラの木も、
ずいぶんとちがったものに見えているはず。

そこは白黒の世界? 
枝は黒い影、葉はうすい影……。

つまり「見る」ということをひとつ取りあげても、
人間にたいへんつごうよく、そのように、
できるようになったにすぎないということがわかる。

「見る」と言っても、そのように見させられて
いるだけ、ということ。

で、人間は、こう思う。

「気持ちいいな」
「やはり山の緑はいい」
「とくに春先の若葉の色がいい」
「水色の空も、美しい」と。

しかしこれについても、こう言える。

「そういうふうに思うのも、実はしくまれた
感動である」と。

というのも、太古の昔、人間は、猿に近い
動物であったという。

さらにその前は、魚に近い動物であったという。

緑が美しいと思うのは、私たちが猿であった時代の
名残かもしれない。

淡い水色の空を美しいと思うのは、私たちが
魚であった時代の名残かもしれない。

猿であった時代には、私たちは森の木々に
守られて生きた。

魚であった時代には、透明な水の中で、
餌をさがしながら生きた。

それがそのまま今、(感覚)として反映されている。

反対に、不毛の砂漠を見たり、大きな火を見たり
したとき、不安になることがある。

それも、進化の過程で、つくりあげられた(感覚)
ということになる。

つまりこうして考えていくと、(生きる)といっても、
私たちは、実は(生かされているだけ)という
ことがわかってくる。

中には、「私は生きている」「自分の力で生きている」と
思っている人もいるかもしれない。
が、実は(生かされているだけ)と。

そのことは、野原で遊ぶ小鳥たちを見ればわかる。

どの小鳥も、それぞれがてんでバラバラに、
好き勝手なことをしている。

しかし小鳥は小鳥。
その(ワク)の中でしか、生きていない。
つまり、そのワクの中で、生かされているだけ。

居心地がよいから、小鳥は、野原にいる。
餌があるから、そこで遊ぶ。

人間も、またしかり。
「私は私」と思っている人も多いが、実は、
内なる命令に、従っているだけ。
わかりやすく言えば、(ワク)の中で、
生かされているだけ。

食欲や生存欲、性欲については、今さら
説明するまでもない。

私たちの生活のほとんどは、そのバリエーションの
上に成り立っていると言っても過言ではない。

そこにレストランがあるのも、仕事をするのも、
また結婚するのも、そうだ。
もとを正せば、その向こうに、食欲があり、
生存欲があり、性欲があるからにほかならない。

となると、改めて、(生きる)とは何か、
考えてしまう。
あるいは(生きる)ということは、どういうことなのか、
考えてしまう。

……といっても、私の結論は、いつも同じ。

こうした(ワク)の外にあるものは何かと
問われれば、それは(考えること)に
ほかならない。

この(考える)ということだけは、だれにも
じゃまされない。
この(考える)という部分だけは、
(ワク)の外にある。

言いかえると、私たち人間は、考えることによって、
(ワク)の外に出ることができる。
(生きる)ということを、私たち自身のものとする
ことができる。

もっと端的に言えば、私たちは考えるからこそ、
人間ということになる。

裏を返していうと、考えない人というのは、
人間ではない、つまりそこらの動物と同じ
ということになる。
……というのは、少し言い過ぎということは
わかっている。

しかしこの視点を踏み外すと、では私たちは
何のために生きているか、それがわからなく
なってしまう。

あるいは「生きている」と思いこんで、
生きているだけということになってしまう。

朝起きて、毎日、同じことを繰りかえす。
そして同じように一日を終えて、床につく。

しかしそれでは、冒頭に書いたように、
ただ生かされているだけということになる。

それを避けるためのゆいいつの手段といえば、
(考えること)ということになる。

以前、「生きることは考えること」という題で、
こんな原稿を書いたことがある。

書いてから、すでに6、7年になるが、
今でも、その思いに変わりはない。

++++++++++++++++++

●生きることは、考えること

 毎週土曜日は、朝四時ごろ目がさめる。そうしてしばらく待っていると、配達の人が新聞を届けてくれる。聞きなれたバイクの音だ。が、すぐには取りにいかない。いや、ときどき、こんな意地悪なことを考える。配達の人がポストへ入れたとたん、その新聞を中から引っ張ったらどうなるか、と。きっと配達の人は驚くに違いない。

 今日で「子どもの世界」は終わる。連載一〇九回。この間、二年半あまり。「混迷の時代の子育て論」「世にも不思議な留学記」も含めると、丸四年になる。

しかし新聞にものを書くと言うのは、丘の上から天に向かってものをしゃべるようなもの。読者の顔が見えない。反応もわからない。だから正直言って、いつも不安だった。中には「こんなことを書いて!」と怒っている人だっているに違いない。

私はいつしか、コラムを書きながら、未踏の荒野を歩いているような気分になった。果てのない荒野だ。孤独と言えば孤独な世界だが、それは私にとってはスリリングな世界でもあった。書くたびに新しい荒野がその前にあった。

 よく私は「忙しいですか」と聞かれる。が、私はそういうとき、こう答える。「忙しくはないですが、時間がないです」と。つまらないことで時間をムダにしたりすると、「しまった!」と思うことが多い。

女房は「あなたは貧乏性ね」と笑うが、私は笑えない。私にとって「生きる」ということは、「考える」こと。「考える」ということは、「書く」ことなのだ。私はその荒野をどこまでも歩いてみたい。そしてその先に何があるか、知りたい。ひょっとしたら、ゴールには行きつけないかもしれない。しかしそれでも私は歩いてみたい。そのために私に残された時間は、あまりにも少ない。

 私のコラムが載っているかどうかは、その日の朝にならないとわからない。大きな記事があると、私の記事ははずされる。バイクの音が遠ざかるのを確かめたあと、ゆっくりと私は起きあがる。そして新聞をポストから取りだし、県内版を開く。私のコラムが出ている朝は、そのまま読み、出ていない朝は、そのまままた床にもぐる。たいていそのころになると横の女房も目をさます。そしていつも決まってこう言う。

「載ってる?」と。その会話も、今日でおしまい。みなさん、長い間、私のコラムをお読みくださり、ありがとうございました。」 

++++++++++++++++++++++

みなさんへ、

生きているって、すばらしいことですね。
これからも、そのすばらしさを、このマガジンを
とおして、追求していきたいと思います。
今回は、「おわび号」ということで、その
「生きる」について、書いてみました。

これからも、どうか、マガジンを、お読み
ください。


++++++++++++++++++

同じような内容の原稿ですが、もう一作
添付します。

++++++++++++++++++

●雑感

 六月に静岡市で講演会をもつ。私はどうしてもその講演会を、成功させたい。「成功」というのは、心残りなく、自分を出しきるということ。講演をしていて、一番、つらいのは、終わったあと、「ああ言えばよかった」「こう言えばよかった」と後悔すること。どこか中途半端なまま終わること。正直に告白するが、そういう意味では、私はいまだかって、一度とて成功したためしがない。

 それに「アメリカのある学者がこう言っています」などという、いいかげんな言い方はしたくない。言うとしても、きちんと、「マイアミ大学の、T・フィールド博士はこう言っています」という言い方をしたい。そのためにも、下調べをしっかりとしておきたい。

 ここで「静岡市」にこだわるのは、静岡県の静岡市、つまり県庁所在地だからである。同じ静岡県の中でも、浜松市で講演するのと、静岡市で講演するのとでは、意味が違う。それに私の講演では、東は大井川を越えると、とたんに集まりが悪くなる。さらにその東にある静岡市となると、もっと悪くなる。恐らく予定の半分も集まらないだろう。だからよけいに、成功させたい。

 しかし私はときどき、こう思う。講演のため、数百人もの人を前にしたときだ。「どうしてこの私がこんなところにいるのだろう?」と。それは実におかしな気分だ。「この人たちは、何を求めて、ここに来ているのだろう」と思うこともある。だから私は、来てくれた人には、思いっきり、役にたつ話をすることにしている。私利私欲という言葉があるが、講演では、「私」そのものを捨てる。かっこよくみせようとか、飾ろうという気持ちも捨てる。こういうとき政治家だったら、自分をより高く売りつけて、票に結びつけようとするだろう。が、私には、そういった目的もない。

よく主催の方が本を売ってくれると申し出てくれることもあるが、ほとんどのばあい、私のほうが、それを断っている。そういう場を利用して、本を売りつけるというのは、私のやり方ではない。

 ひとつ心配なことがある。それはこの数年、体力や気力が急速に衰えてきたこと。講演の途中で、ふと自分でも何を話しているかわからなくなるときがある。あるいは頭の中がボーッとしてきて、話し方そのものがいいかげんになることもある。言葉が浮かんでこなかったり、話そうと思っていたことを忘れてしまうこともある。こうした傾向は、これから先、ますます強くなるのでは……?

 生きている証(あかし)として、私は講演活動をつづける。私にとって生きることは考えること。考えるということは、書くこと。その結果として、私の意見に耳を傾けてくれる人がいるなら、私は自分の経験と能力を、そういう人にささげる。本当のところ、「メリット」を考えても、それは、あまりない。もちろん「仕事」にはならない。しかし以前のように、疑問をもつことは少なくなった。

三〇代のころは、「なぜ講演をするのか」「なぜしているのか」ということを、よく考えた。が、今は、それはない。そういうことは、ほとんど考えない。今は、やるべきことのひとつとして、講演活動を考えている。

どうせやがて消えてなくなる体。心。そして命。死ねば、二度と見ることもないこの世界だが、そこに生きたという証になれば、私はそれでよい。

++++++++++++++++

● このマガジンの読者の方で、静岡市周辺に住んでおられる方がいらっしゃれば、どうか、講演会においでください。まだ私が元気なうちに、私の話を聞いてください。一生懸命、みなさんの子育てで役立つ話をします!
03年6月24日(火) アイセル21 午前10時~12時
        主催  静岡市文化振興課 電話054-246-6136

(03-1-22)記

*We think, therefore we are (1)

【生きることは考えること】(I think, therefore I am)
Why are we here? The answer is very simple. Because we think. In other words, if we don’t think, we are the same animals which live and die there in the nature.

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生きるということは、どういう
ことなのか?

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私たちは生きているというよりは、
生かされているだけ?

今朝、そんなことを考えた。

たとえば「見る」ということを考えてみる。

目の前には、コナラの木がある。
淡い黄緑色の葉をつけ始めた。
水色の空を背景に、春のそよ風の中で、
やさしく揺れている……。

で、「見る」ということは、コナラの木に
反射された「光」を、目が、感受している
からにほかならない。

そこで私は、ふと考える。

「どうして空気は見えないのか」と。
「窒素や酸素は、見えないのか」と。

物理学的に言えば、空気は、光をそのまま
通してしまうから、ということになる。

が、ほんとうに、そうだろうか。
そう考えてよいのだろうか。

そこで見えるということを、
こう考えなおしてみたらどうだろうか。

「もし空気を見ることができたとしたら、
人間の目は、どうなっていただろうか」と。

紫色なら紫色でもよい。
青色なら青色でもよい。
もし私たちが空気の色を見ることができた
とするなら、空気以外のものは、見えない
ことになる。

そこは紫色だけの世界。
青色だけの世界。

たとえて言うなら、土の中に住むミミズの
ようなもの。

ミミズは、土の中で、土しか見ていない。
土しか、見ることができない。
しかも光のない世界だから、そこは暗闇の
世界。

となると、ミミズの目が退化してしまった
ように、人間の目も退化してしまっていたに
ちがいない。

見えるものが空気だけでは、目としての意味はない。

が、そのままでは、困る。
空気にじゃまされて、その向こうのものが
見えないとしたら、人間は、そのつど、
種々の物体と、衝突を繰りかえすことになる。

あっちでゴツン、こっちでゴツンと……。
崖があれば、そのまま、まっさかさまに、落ちていく……。

そこで、もし、人間が空気を見ることができたとするなら、
(あるいは空気が見えるものであったとするなら)、
人間は(目)に代わるものを、進化させていたに
ちがいない。

深海に住むイルカは、超音波で、物体をさぐる
ことができるという。
あるいは、暗い洞窟に住むコウモリのようでもよい。
人間も、そういった能力を進化させたにちがいない。

しかしそうなったとするなら、今度は、コナラの木も、
ずいぶんとちがったものに見えているはず。

そこは白黒の世界? 
枝は黒い影、葉はうすい影……。

つまり「見る」ということをひとつ取りあげても、
人間にたいへんつごうよく、そのように、
できるようになったにすぎないということがわかる。

「見る」と言っても、そのように見させられて
いるだけ、ということ。

で、人間は、こう思う。

「気持ちいいな」
「やはり山の緑はいい」
「とくに春先の若葉の色がいい」
「水色の空も、美しい」と。

しかしこれについても、こう言える。

「そういうふうに思うのも、実はしくまれた
感動である」と。

というのも、太古の昔、人間は、猿に近い
動物であったという。

さらにその前は、魚に近い動物であったという。

緑が美しいと思うのは、私たちが猿であった時代の
名残かもしれない。

淡い水色の空を美しいと思うのは、私たちが
魚であった時代の名残かもしれない。

猿であった時代には、私たちは森の木々に
守られて生きた。

魚であった時代には、透明な水の中で、
餌をさがしながら生きた。

それがそのまま今、(感覚)として反映されている。

反対に、不毛の砂漠を見たり、大きな火を見たり
したとき、不安になることがある。

それも、進化の過程で、つくりあげられた(感覚)
ということになる。

つまりこうして考えていくと、(生きる)といっても、
私たちは、実は(生かされているだけ)という
ことがわかってくる。

中には、「私は生きている」「自分の力で生きている」と
思っている人もいるかもしれない。
が、実は(生かされているだけ)と。

そのことは、野原で遊ぶ小鳥たちを見ればわかる。

どの小鳥も、それぞれがてんでバラバラに、
好き勝手なことをしている。

しかし小鳥は小鳥。
その(ワク)の中でしか、生きていない。
つまり、そのワクの中で、生かされているだけ。

居心地がよいから、小鳥は、野原にいる。
餌があるから、そこで遊ぶ。

人間も、またしかり。
「私は私」と思っている人も多いが、実は、
内なる命令に、従っているだけ。
わかりやすく言えば、(ワク)の中で、
生かされているだけ。

食欲や生存欲、性欲については、今さら
説明するまでもない。

私たちの生活のほとんどは、そのバリエーションの
上に成り立っていると言っても過言ではない。

そこにレストランがあるのも、仕事をするのも、
また結婚するのも、そうだ。
もとを正せば、その向こうに、食欲があり、
生存欲があり、性欲があるからにほかならない。

となると、改めて、(生きる)とは何か、
考えてしまう。
あるいは(生きる)ということは、どういうことなのか、
考えてしまう。

……といっても、私の結論は、いつも同じ。

こうした(ワク)の外にあるものは何かと
問われれば、それは(考えること)に
ほかならない。

この(考える)ということだけは、だれにも
じゃまされない。
この(考える)という部分だけは、
(ワク)の外にある。

言いかえると、私たち人間は、考えることによって、
(ワク)の外に出ることができる。
(生きる)ということを、私たち自身のものとする
ことができる。

もっと端的に言えば、私たちは考えるからこそ、
人間ということになる。

裏を返していうと、考えない人というのは、
人間ではない、つまりそこらの動物と同じ
ということになる。
……というのは、少し言い過ぎということは
わかっている。

しかしこの視点を踏み外すと、では私たちは
何のために生きているか、それがわからなく
なってしまう。

あるいは「生きている」と思いこんで、
生きているだけということになってしまう。

朝起きて、毎日、同じことを繰りかえす。
そして同じように一日を終えて、床につく。

しかしそれでは、冒頭に書いたように、
ただ生かされているだけということになる。

それを避けるためのゆいいつの手段といえば、
(考えること)ということになる。

以前、「生きることは考えること」という題で、
こんな原稿を書いたことがある。

書いてから、すでに6、7年になるが、
今でも、その思いに変わりはない。

++++++++++++++++++

●生きることは、考えること

 毎週土曜日は、朝四時ごろ目がさめる。そうしてしばらく待っていると、配達の人が新聞を届けてくれる。聞きなれたバイクの音だ。が、すぐには取りにいかない。いや、ときどき、こんな意地悪なことを考える。配達の人がポストへ入れたとたん、その新聞を中から引っ張ったらどうなるか、と。きっと配達の人は驚くに違いない。

 今日で「子どもの世界」は終わる。連載一〇九回。この間、二年半あまり。「混迷の時代の子育て論」「世にも不思議な留学記」も含めると、丸四年になる。

しかし新聞にものを書くと言うのは、丘の上から天に向かってものをしゃべるようなもの。読者の顔が見えない。反応もわからない。だから正直言って、いつも不安だった。中には「こんなことを書いて!」と怒っている人だっているに違いない。

私はいつしか、コラムを書きながら、未踏の荒野を歩いているような気分になった。果てのない荒野だ。孤独と言えば孤独な世界だが、それは私にとってはスリリングな世界でもあった。書くたびに新しい荒野がその前にあった。

 よく私は「忙しいですか」と聞かれる。が、私はそういうとき、こう答える。「忙しくはないですが、時間がないです」と。つまらないことで時間をムダにしたりすると、「しまった!」と思うことが多い。

女房は「あなたは貧乏性ね」と笑うが、私は笑えない。私にとって「生きる」ということは、「考える」こと。「考える」ということは、「書く」ことなのだ。私はその荒野をどこまでも歩いてみたい。そしてその先に何があるか、知りたい。ひょっとしたら、ゴールには行きつけないかもしれない。しかしそれでも私は歩いてみたい。そのために私に残された時間は、あまりにも少ない。

 私のコラムが載っているかどうかは、その日の朝にならないとわからない。大きな記事があると、私の記事ははずされる。バイクの音が遠ざかるのを確かめたあと、ゆっくりと私は起きあがる。そして新聞をポストから取りだし、県内版を開く。私のコラムが出ている朝は、そのまま読み、出ていない朝は、そのまままた床にもぐる。たいていそのころになると横の女房も目をさます。そしていつも決まってこう言う。

「載ってる?」と。その会話も、今日でおしまい。みなさん、長い間、私のコラムをお読みくださり、ありがとうございました。」 

++++++++++++++++++++++

みなさんへ、

生きているって、すばらしいことですね。
これからも、そのすばらしさを、このマガジンを
とおして、追求していきたいと思います。
今回は、「おわび号」ということで、その
「生きる」について、書いてみました。

これからも、どうか、マガジンを、お読み
ください。


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同じような内容の原稿ですが、もう一作
添付します。

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●雑感

 六月に静岡市で講演会をもつ。私はどうしてもその講演会を、成功させたい。「成功」というのは、心残りなく、自分を出しきるということ。講演をしていて、一番、つらいのは、終わったあと、「ああ言えばよかった」「こう言えばよかった」と後悔すること。どこか中途半端なまま終わること。正直に告白するが、そういう意味では、私はいまだかって、一度とて成功したためしがない。

 それに「アメリカのある学者がこう言っています」などという、いいかげんな言い方はしたくない。言うとしても、きちんと、「マイアミ大学の、T・フィールド博士はこう言っています」という言い方をしたい。そのためにも、下調べをしっかりとしておきたい。

 ここで「静岡市」にこだわるのは、静岡県の静岡市、つまり県庁所在地だからである。同じ静岡県の中でも、浜松市で講演するのと、静岡市で講演するのとでは、意味が違う。それに私の講演では、東は大井川を越えると、とたんに集まりが悪くなる。さらにその東にある静岡市となると、もっと悪くなる。恐らく予定の半分も集まらないだろう。だからよけいに、成功させたい。

 しかし私はときどき、こう思う。講演のため、数百人もの人を前にしたときだ。「どうしてこの私がこんなところにいるのだろう?」と。それは実におかしな気分だ。「この人たちは、何を求めて、ここに来ているのだろう」と思うこともある。だから私は、来てくれた人には、思いっきり、役にたつ話をすることにしている。私利私欲という言葉があるが、講演では、「私」そのものを捨てる。かっこよくみせようとか、飾ろうという気持ちも捨てる。こういうとき政治家だったら、自分をより高く売りつけて、票に結びつけようとするだろう。が、私には、そういった目的もない。

よく主催の方が本を売ってくれると申し出てくれることもあるが、ほとんどのばあい、私のほうが、それを断っている。そういう場を利用して、本を売りつけるというのは、私のやり方ではない。

 ひとつ心配なことがある。それはこの数年、体力や気力が急速に衰えてきたこと。講演の途中で、ふと自分でも何を話しているかわからなくなるときがある。あるいは頭の中がボーッとしてきて、話し方そのものがいいかげんになることもある。言葉が浮かんでこなかったり、話そうと思っていたことを忘れてしまうこともある。こうした傾向は、これから先、ますます強くなるのでは……?

 生きている証(あかし)として、私は講演活動をつづける。私にとって生きることは考えること。考えるということは、書くこと。その結果として、私の意見に耳を傾けてくれる人がいるなら、私は自分の経験と能力を、そういう人にささげる。本当のところ、「メリット」を考えても、それは、あまりない。もちろん「仕事」にはならない。しかし以前のように、疑問をもつことは少なくなった。

三〇代のころは、「なぜ講演をするのか」「なぜしているのか」ということを、よく考えた。が、今は、それはない。そういうことは、ほとんど考えない。今は、やるべきことのひとつとして、講演活動を考えている。

どうせやがて消えてなくなる体。心。そして命。死ねば、二度と見ることもないこの世界だが、そこに生きたという証になれば、私はそれでよい。

++++++++++++++++

● このマガジンの読者の方で、静岡市周辺に住んでおられる方がいらっしゃれば、どうか、講演会においでください。まだ私が元気なうちに、私の話を聞いてください。一生懸命、みなさんの子育てで役立つ話をします!
03年6月24日(火) アイセル21 午前10時~12時
        主催  静岡市文化振興課 電話054-246-6136

(03-1-22)記

*We think, therefore we are

Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

●情報と思考

++++++++++++++++++++

情報と思考は、別。
もの知りな子どもイコール、頭がよいということ
にはならない。

たとえば掛け算の九九をペラペラと言ったからと
いって、その子どもは、頭がよい子どもとは言わない。
いわんや、算数ができる子どもとは、言わない。

++++++++++++++++++++

 もちろんテレビ番組の影響だが、子どもたちの世界でも、「IQサプリ」「知能サプリ」という言葉が、日常的に使われるようになった。昔でいう、「トンチ」、あるいは「ダジャレ」と考えればよい。いわゆる、脳みその体操のようなものだが、英語でいう、クイズとか、リドルも、それに含まれる。

 かたくなった脳みそを刺激するには、よい。体でいえば、今まで使ったことのない筋肉を動かすようなもの。しかし誤解してはいけないのは、そういうことができるからといって、頭がよいということには、ならない。またそういう問題で訓練をしたからといって、頭がよくなるということでもない。頭のよさは、論理性と分析力によって決まる。もっと言えば、論理性と分析力は、一応、ひらめき思考とは、区別して考える。

 そのことは、子どもの世界を見ていると、よくわかる。

 中に、つぎからつぎへと、パッパッと、言動が変化していく子どもがいる。言うことなすこと、まさに天衣無縫。ひらめきというか、勘がよいから、何かクイズのようなものを出したりすると、その場でスイスイと解いてみせたりする。

 が、そういう子どもが頭がよいかというと、そういうことはない。トンチや、ダジャレがうまい子どもイコール、頭がよいということではない。(もちろん中には、その両者をかね備えた子どももいるが……。)

 むしろ現実には、いわゆる頭のよい子どもというのは、静かで、落ちついている。どっしりとしている。私はよく、『子どもの頭のよさは、目つきを見て判断したらいい』と言う。このタイプの子どもは、目つきが鋭い。何か問題を出しても、食い入るようにそれをじっと見つめる。

 もちろんこのタイプの子どもは、知能サプリ的な問題でも、スイスイと解くことができる。が、その解き方も、論理的。理由を聞くと、ちゃんとした説明が返ってくる。

 で、私も、そういった番組を、ときどき見る。たまたま昨日(11・19)は、こんな問題が出されていた(「IQサプリ」)。

 四角い紙の真中に、小さい文字で、「つ」と書いてある。これを「失格」とするなら、「合格」は、どんな紙に、どう書けばよいか、と。

 四角い紙の真中に「つ」が書いてあるから、「四角の中に、つ」、だから、「し(つ)かく」と。

 この方法で、「合格」を表現しようとすると、五角形の中に、「う」を書けばよいということになる。「五角形の中に、(う)だから、ご(う)かく」と。

 「なるほど」と思いたいが、しかし、これは論理の問題というよりは、まさにダジャレ。こうした問題が、論理性と結びつくためには、そこに法則性がなければならない。が、その法則性は、どこにもない。その法則性がないから、こうした問題には、発展性がない。もちろん実益もない。

 たとえばこうした問題を土台にして、(形)と(最小の文字)で、言葉を表現できるようにすれば、それが論理性ということになる。

 三角と、(あ)で、「錯覚」
 四角と、(い)で、「鹿」
 五角と、(う)で、「誤解」とかなど。(少し苦しいかな……。)

 つまり、ダジャレは、どこまでもダジャレ。が、それよりも恐ろしいと思うのは、こうした意味のないダジャレが、いくら娯楽番組とはいえ、全国津々浦々に、放送されているということ。そのために、日本人の何割かが、くだらないダジャレにつきあい、時間をムダにする。言いかえると、それまでの巨大メディアを使ってまで、こんなことを全国に知らせしめる必要があるのかということ。

 ケバケバしい舞台。チャラチャラした出演者たち。その出演者たちが、意味もなく、ギャーギャーと騒いだり、笑ったりしている。知恵をみがく番組というのなら、それなりに知性を感ずる番組でなければならない。が、おかしなことに、その知性を感じない。

私は、今の今も、多くの子どもたちを見ている。そういう子どもたちと比較しても、この種の番組は、質というか、レベルが、2つも、3つも低い。つまりそれが、こうした番組のもつ限界ということになる。

【補足】

●情報と思考力

 もの知りイコール、賢い人ということにはならない。つまりその人がもつ情報量と、賢さは、必ずしも一致しない。たとえば幼稚園児が、掛け算の九九をペラペラと口にしたからといって、その子どもは、頭のよい子ということにはならない。もちろん算数のできる子ということにはならない。

 しかし長い間、この日本では、もの知りな子どもイコール、優秀な子と考えられてきた。受験勉強の内容そのものが、そうなっていた。一昔前までは、受験勉強といえば、明けても暮れても暗記、暗記また暗記の連続だった。

 さらにそれで勉強がよくできるからといって、人格的にすぐれた人物ということにはならない。もっとわかりやすく言えば、有名大学を出たからとって、人格的にすぐれた人物ということにはならない。

 しかし私が子どものころは、そうではなかった。学級委員と言えば、勉強がよくできる子どもから選ばれたりした。勉強のできない子どもが、まれに学級委員に選ばれたりすると、先生が、その選挙のやりなおしを命じたりしていた。

 話がそれたが、その子どものもつ情報量と、その子どもがもつ思考力とは、関係はない。(もちろん、中には、その両方を兼ね備えている子どももいる。あるいはその両方ともに、欠ける子どももいる。)

 そこでさらに一歩、情報と思考について、考えてみる。

 情報というのは、ただ単なる知識にすぎない。その情報が、思考と結びつくためには、その情報を、選択→加工→連続化しなければならない。最後にその情報を、論理的に組みあわせて、実生活に応用していく。それが思考である。

 これをまとめると、つぎのようになる。

(1) 情報量(情報そのものの量)
(2) 情報の選択力(必要な情報と、そうでない情報の選択)
(3) 情報の加工力(情報を別の情報に加工する力)
(4) 情報の連続性(バラバラになった情報を、たがいに結びつける)
(5) 情報の応用性(情報を、実用的なことに結びつける)

 (1)の情報量をベースとするなら、(2)~(5)が、思考力の分野ということになる。

 言うなれば、「IQサプリ」にせよ、「知能サプリ」にせよ、(1)の段階だけで、停止してしまっている。「だからどうなの?」という部分が、まるでない。ムダだとは思わないが、しかしその繰りかえしだけでは、意味がない。

 以前、こんな原稿を書いた(中日新聞発表済み)。情報と思考のちがいがわかってもらえれば、うれしい。

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●知識と思考を区別せよ!

思考と情報を混同するとき 

●人間は考えるアシである

パスカルは、『人間は考えるアシである』(パンセ)と言った。『思考が人間の偉大さをなす』とも。よく誤解されるが、「考える」ということと、頭の中の情報を加工して、外に出すというのは、別のことである。たとえばこんな会話。

A「昼に何を食べる?」
B「スパゲティはどう?」
A「いいね。どこの店にする?」
B「今度できた、角の店はどう?」
A「ああ、あそこか。そう言えば、誰かもあの店のスパゲティはおいしいと話していたな」と。

 この中でAとBは、一見考えてものをしゃべっているようにみえるが、その実、この二人は何も考えていない。脳の表層部分に蓄えられた情報を、条件に合わせて、会話として外に取り出しているにすぎない。

もう少しわかりやすい例で考えてみよう。たとえば一人の園児が掛け算の九九を、ペラペラと言ったとする。しかしだからといって、その園児は頭がよいということにはならない。算数ができるということにはならない。

●考えることには苦痛がともなう

 考えるということには、ある種の苦痛がともなう。そのためたいていの人は、無意識のうちにも、考えることを避けようとする。できるなら考えないですまそうとする。

中には考えることを他人に任せてしまう人がいる。あるカルト教団に属する信者と、こんな会話をしたことがある。私が「あなたは指導者の話を、少しは疑ってみてはどうですか」と言ったときのこと。その人はこう言った。「C先生は、何万冊もの本を読んでおられる。まちがいは、ない」と。

●人間は思考するから人間

 人間は、考えるから人間である。懸命に考えること自体に意味がある。デカルトも、『われ思う、ゆえにわれあり』(方法序説)という有名な言葉を残している。正しいとか、まちがっているとかいう判断は、それをすること自体、まちがっている。こんなことがあった。

ある朝幼稚園へ行くと、一人の園児が、わき目もふらずに穴を掘っていた。「何をしているの?」と声をかけると、「石の赤ちゃんをさがしている」と。その子どもは、石は土の中から生まれるものだと思っていた。おとなから見れば、幼稚な行為かもしれないが、その子どもは子どもなりに、懸命に考えて、そうしていた。つまりそれこそが、パスカルのいう「人間の偉大さ」なのである。

●知識と思考は別のもの

 多くの親たちは、知識と思考を混同している。混同したまま、子どもに知識を身につけさせることが教育だと誤解している。「ほら算数教室」「ほら英語教室」と。

それがムダだとは思わないが、しかしこういう教育観は、一方でもっと大切なものを犠牲にしてしまう。かえって子どもから考えるという習慣を奪ってしまう。もっと言えば、賢い子どもというのは、自分で考える力のある子どもをいう。

いくら知識があっても、自分で考える力のない子どもは、賢い子どもとは言わない。頭のよし悪しも関係ない。映画『フォレスト・ガンプ』の中でも、フォレストの母はこう言っている。「バカなことをする人のことを、バカというのよ。(頭じゃないのよ)」と。ここをまちがえると、教育の柱そのものがゆがんでくる。私はそれを心配する。

(付記)

●教育の欠陥

日本の教育の最大の欠陥は、子どもたちに考えさせないこと。明治の昔から、「詰め込み教育」が基本になっている。さらにそのルーツと言えば、寺子屋教育であり、各宗派の本山教育である。

つまり日本の教育は、徹底した上意下達方式のもと、知識を一方的に詰め込み、画一的な子どもをつくるのが基本になっている。もっと言えば「従順でもの言わぬ民」づくりが基本になっている。

戦後、日本の教育は大きく変わったとされるが、その流れは今もそれほど変わっていない。日本人の多くは、そういうのが教育であると思い込まされているが、それこそ世界の非常識。ロンドン大学の森嶋通夫名誉教授も、「日本の教育は世界で一番教え過ぎの教育である。自分で考え、自分で判断する訓練がもっとも欠如している。自分で考え、横並びでない自己判断のできる人間を育てなければ、二〇五〇年の日本は本当にダメになる」(「コウとうけん」・九八年・田丸先生指摘)と警告している。

●低俗化する夜の番組

 夜のバラエティ番組を見ていると、司会者たちがペラペラと調子のよいことをしゃべっているのがわかる。しかし彼らもまた、脳の表層部分に蓄えられた情報を、条件に合わせて、会話として外に取り出しているにすぎない。

一見考えているように見えるが、やはりその実、何も考えていない。思考というのは、本文にも書いたように、それ自体、ある種の苦痛がともなう。人によっては本当に頭が痛くなることもある。また考えたからといって、結論や答が出るとは限らない。そのため考えるだけでイライラしたり、不快になったりする人もいる。だから大半の人は、考えること自体を避けようとする。

 ただ考えるといっても、浅い深いはある。さらに同じことを繰り返して考えるということもある。私のばあいは、文を書くという方法で、できるだけ深く考えるようにしている。また文にして残すという方法で、できるだけ同じことを繰り返し考えないようにしている。

私にとって生きるということは、考えること。考えるということは、書くこと。モンテーニュ(フランスの哲学者、1533~92)も、「『考える』という言葉を聞くが、私は何か書いているときのほか、考えたことはない」(随想録)と書いている。ものを書くということには、そういう意味も含まれる。
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