Education in Front-Line and Essays by Hiroshi Hayashi (はやし浩司)

(Mr.) Hiroshi Hayashi, a professional writer who has written more than 30 his own books on Education, Chinese Medical science and Religion in Japan. My web-site is: http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/ Please don't hesitate to visit my web-site, which is always welcome!!

Thursday, September 30, 2010

●ハンディキャッピング

●「オレも年だから……」(老齢期のハンディ・キャッピング)

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同じ仲間でも、ことあるごとに、
「私も年だから……」と言う人がいる。
「この年になったから、もう1人前の
ことはできない」と。

こういうのを心理学では、「セルフ・
ハンディキャッピング」という。
自分からハンディがあることを先に言い、
できないことを前もって、自己弁護する。
人の同情を買うときも、同じように言う
ことがある。

もう何十年も前の話だが、私が電話する
たびに、1人の叔母はこう言った。
「オバチャンも、年だからねエ……」と。
「高齢者になったから、何とかしてほしい」と。

で、今でもその叔母は健在である。
年齢を逆算すると、その叔母は当時は50代。
私自身の50代を振り返っても、私は
そういうような言い方をしたことがない。
(同情を買いたくても、買う相手がいない
こともあるが……。)

で、ここでいう「セルフ・ハンディキャッピング」
というのは、あくまでも自己弁解、自己弁護の
ために使うことをいう。
先手を打って、自分にはハンディがあることを、
強調する。
たとえばテニスに試合前に、「いやあ、最近、
不眠症になってねエ」とか言うのが、それ。

試合に負けても、それは自分の実力のせいではない。
不眠症のせい、と。

これも老人心理のひとつかもしれない。
加齢とともに、こうした言い方が多くなる。
実のところ、この私もふと油断したようなとき、
似たようなことを言うようになった。
瞬間「まずい!」とは思うが、先に口から
出てしまう。

++++++++++++++++++

●生き様の後退性

 生き様が後退的になると、前を見ることよりも、うしろを見ることのほうが、
多くなる。
心理学の世界では、「回顧性」「展望性」という言葉を使って、それを説明する。
55歳前後で、回顧性と展望性が交差するとも言われている。
55歳を過ぎるころから、未来を見るよりも、過去を見ることのほうが多くなる。
冒険よりも保身を好み、革新よりも保守を求めるようになる。

 もちろん若々しく生きるためには、つねに前を見て生きた方がよい。
言い替えると、老後は、(この言葉が好きな人はいないと思うが……)、常に
後退性との闘いということになる。
いかに後退性と闘っていくか。
老後の生き様は、それで決まってくる。

●後退性

 後退性といっても、中身は様々。
先に書いたように、年齢を自己弁護、自己弁解のために使うのも、そのひとつ。
体力的にはそうであっても、ほかの面ではそうであってはいけない。
またそうである必要は、まったくない。
いわんやセルフ・ハンディキャッピングのために、年齢を口実にしてはいけない。

 実は数日前もこんなことがあった。
高校3年生のA子さんが、学校の宿題を出し、「先生、これね……」と言った。
数学の問題だった。
それを見てほぼ反射運動的に私は、こう言ってしまった。
「今朝、旅館の温泉に入ってね……」と。

 そのとき私はかなり体力を消耗したような状態になっていた。
その少し前から、ほどよい睡魔が繰り返し私を襲っていた。
つまり私はそう言うことによって、「その問題を解けないかもしれない」という布石を
したことになる。

●展望性

 そんなこともあって、私は来年度は挑戦的に生きることにした。
いくつかの目標を立てた。
何も「年だから……」という理由で、遠慮することはない。
遠慮してはいけない。
遠慮する必要もない。

 その計画は、今から立てなければならない。
(具体的な内容は、企業秘密!)
その準備にとりかかった。

 今も仕事はたいへんだが、20代のころよりは私を取り巻く環境は、ずっと
よくなっている。
あのころは未熟で未経験だった。
何を書いても、また何を訴えても、だれも相手にしてくれなかった。
が、今はちがう。
相手が親でも、平気で説教できるようになった。
親もまた、耳を傾けてくれる。
こんなチャンスはまたとない。

 が、「敵」は、私自身だけではない。

●郷里の身内

 数日前も、あるいとこから電話がかかってきた。
私が法事で手を抜いていることや、実家の近隣の人たちの葬儀に顔を出さないこと
について、身内の人たちが悪く言っている、と。

 弁解するつもりはないが、(というのもそれこそ生き様の問題だから)、そういうのを
回顧性という。
法事とか、葬儀とか……。
そういうことだけが、一生の一大事と思い込んでいる!
高校を卒業して以来、実家の近隣の人たちとの交際はない。
それに実家は、昨年売却した。

 また法事については、今はそんなことで心を煩わせたくない。
身内の人たちは、ことあるごとに、「実家」「本家」「林家」という言葉を使う。
墓参りのことをとやかく言う人もいる。
しかし墓参りをしないことで、バチが当たるのは、この私。
私のことは心配しないで、どうか放っておいてほしい!
……というのは言い過ぎ。
世間には世間のしきたりというものがある。
私は何も、そのしきたりまで否定しているわけではない。

 が、私は死ぬまで……ギリギリまで前だけを見て生きていく。
55歳前後で展望性と回顧性が交差するというが、それは死ぬ間際でよい。
死ぬ間際になったら、過去を振り返り、法事もし、墓参りもする。
寺にあとの始末を、きちんと頼む。

●賢者の言葉

 で、こういうふうに迷ったときは、いつも世界の賢者たちがどう考えているか、
それを知るとよい。
私はういつもそうしている。

What is life? We are born, we live a little and we die.
EB White、"Charlotte's Web "
人生って何か? 私たちは生まれ、少しだけ生き、そして死ぬ。

To live is so startling it leaves little time for anything else.
Emily Dickinson
生きることは、驚くべきことだ。それは生きること以外に、ほとんど時間を残さない。
(=生きることで精一杯)。

People's whole lives do pass in front of their eyes before they die. The process is called 'living'.
Terry Pratchett、 "The Last Continent"
人々の全人生は、彼らが死ぬ前に目の前を通り過ぎる。その「過程」を「生きている」という。

Life is one big road with lots of signs. So when you riding through the ruts, don't complicate your mind. Flee from hate, mischief and jealousy. Don't bury your thoughts, put your vision to reality . Wake up and live!
Bob Marley、 In Music、Bob Marley
人生というのは、たくさんの看板の立った道のようなもの。そんなわけでわだち(車の跡)を走っているときは、心をわずらわせないこと。憎しみ、悪戯や嫉妬から逃げろ。自分の思想を埋めるな。計画を現実のものにせよ。目を覚まして、生きろ!

Life is very interesting, if you make mistakes.
Georges Carpentier、 In Humanity
人生というのは、まちがいを犯すからおもしろい。

Life is raw material. We are artisans. We can sculpt our existence into something beautiful, or debase it into ugliness. It's in our hands.
Cathy Better, In Art/The Artist
人生というのは、ナマの材料。私たちは芸術家。それを彫って美しいものにすることもできる。醜いものにすることもできる。それは私たちの手にかかっている。

Life is a mystery, not a problem to be solved
Albert Einstein、In Mystery
人生は神秘。解こうとして解けるような問題ではない。

●人生は60歳から

 ワイフはときどき、こう言う。
「私は50歳になって、はじめて人生が何であるかわかったような気がする」と。
で、私も最近、こう思う。
「人生は60歳から始まるのではないか」と。

 若い人たちにこういう話をしても信じないかもしれない。
しかし事実だから、話す。

 パソコン雑誌などにも、ときどき若い女性のヌード写真のようなものが載っている。
ああいうものを見て、「美しい」と思うのは、若い人たちだけ。
私はすぐそういった女性の顔を見る。
その奥にある知性をさがす。
が、どれもバカ面(ずら)、アホ面(ずら)、化粧バカ。
脳みそのひとかけらも感じない。
とたんそういった女性の肉体が、ただの脂肪の塊に見えてくる。

 同時にそういったまやかしの(美しさ)に踊らされ、惑わされた自分を思い出す。
が、60歳を過ぎた今はそれがない。
以前、「性欲からの解放」という原稿を書いたことがある。
人は性欲から解放されてはじめて、それまでの自分がいかに性欲の奴隷であったかを知る。
60歳になって、私たちは独立を勝ち取る。
だから「60歳」となる。
「人生は60歳から始まるのではないか」となる。

●人生の無駄

 だからこそ、ここは前向きに生きる。
やっと自分を取り戻した。
自分が自分らしくなった。
自分の「輪郭」が、はっきりしてきた。
どうしてそんなすばらしい人生を、過去のために振り向けなければならないのか。
が、それこそ時間の無駄。
人生の無駄。

 ……ということで、「年だから……」というハンディキャッピングは、若い人こそ、それを自覚して使うべき。
「私はまだ若いですから……」と。
さらに言えば、若さこそ恥ずべきことであって、自慢すべきことではない。
若い人ほど、人生に謙虚になったらよい。
謙虚にならなければ、人生は、門を開かない。
少なくとも何も老人が使うべき言葉ではない。

 私たちは今まで、堂々と生きてきた。
これからも生きていく。
顔にシワがふえ、体はたるんできたが、それは私のせいではない。
DNAのせいである。
何も恥ずべきことではない。

 だから……今朝も自分の心に誓う。
「私は、『年だから……』という、情けない言葉は使わない」と。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW はやし浩司 ハンディキャッピング ハンディ・キャッピング 自己弁護 自己擁護 自己弁解 回顧性と展望性 展望性と回顧性 老人の心理 老齢期の生き様論)


Hiroshi Hayashi+++++++Oct. 2010++++++はやし浩司・林 浩司

●感情のコントロールと理性

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休みます。

【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●感情のコントロール

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感情のコントロールは、前頭の連合野が管理して
いる。
理性の府。
感情のコントロールができる人は、それだけ
人格の完成度が高いということになる。
が、この暑さ。
何かにつけ、イライラしやすい。
爆発しやすい。
つまりその分、セロトニン(脳間伝達物質)の
分泌が、旺盛になっている?
その前に暑さと、セロトニンの分泌とは、
関係があるのか。
たとえば暑いから、どうしてもアイスを食べたり、
甘味ジュースを飲んだりする。
それがインシュリンの分泌を促し、セロトニンの
分泌を促す。
結果として、キレやすくなる。

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●葬儀で大泣きした女性

 先日、ある葬儀に出たら、いざ出棺となったとき、人目もはばからずギャーギャーと
大泣きをした女性がいた。
年齢は65歳くらいか。
その女性の兄の葬儀だった。
その泣き方が、ふつうでないというか、異常だった。
みながなだめたが、5分以上は泣きつづけていた。
静かな会場だったので、よけいに目立った。

 感情のコントロールができない人というのは、そういう人をいう。
つまりそれだけ大泣きしたのだから、さぞショックだったのだろうと思ったが、その
あとの三日目の食事会のときには、ケロッとしていた。
むしろ快活に、はしゃいでいるようにも見えた。
大声で笑い、冗談まで言い合っていた。

 このタイプの人は、思慮深さがなく、また言ってよいことと悪いことの判断ができない。
その場の感情に溺れて、感情のおもむくまま、思いついたことを口にする。
愚痴、批判、悪口、中傷……まさに、何でもござれ。

●感情のコントロール

 かく言う私とて、偉そうなことは書けない。
私自身も、感情のコントロールに苦労する。
他人に対しては、めったに取り乱すことはないが、ワイフに対しては、そうでない。
そのままの自分を、ぶつけてしまう。
だから夫婦喧嘩ばかり……。

 自分でもそれがよくわかっているから、まず食事面で気をつけるようにしている。

(1)カルシュウム、マグネシウム、カリウム(海産物)の多い食生活に心がける。
とくにカルシュウム。
ときに錠剤で補う。

(2)甘い食品を避ける。
一時的に甘い食品を多量に口にすると、インシュリンが分泌され、それが血糖値を
さげる。
さげたまま、さらにさげるから、結果的に低血糖状態になる。
低血糖状態になると、精神がきわめて不安定になりやすい。
イライラしたり、怒りっぽくなったりする。
集中力もなくなる。
とくに夏の暑いときは注意する。

 言い忘れたが、カルシュウム剤は、戦前までは精神安定剤として使われていた。
「どうもこのところ精神が不安定」と思っている人は、カルシュウム分の多い食生活
に心がけてみたらよい。
子どもについても、そうである。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hay
ashi 林浩司 BW はやし浩司 感情のコントロール キレやすい キレやすい子
ども)

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以前書いた原稿を、添付します。

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●キレる子どもの相談

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数年前、キレる子どもについて、
ある母親から、こんな相談が届いて
いる。

そのとき書いた原稿をそのまま
ここに紹介する。

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●小食で困ったら、冷蔵庫をカラに

 体重15キロの子どもが、缶ジュースを1本飲むということは、体重60キロのおとな
が、四本飲む量に等しい。いくらおとなでも、缶ジュースを4本は飲めない。飲めば飲ん
だで、腹の中がガボガボになってしまう。アイスやソフトクリームもそうだ。子どもの顔
よりも大きなソフトクリームを1個子どもに食べさせておきながら、「うちの子は小食で困
っています」は、ない。

 突発的にキーキー声をはりあげて、興奮状態になる子どもは少なくない。このタイプの
子どもでまず疑ってみるべきは、低血糖。

一度に甘い食品(精製された白砂糖の多い食品)を大量に与えると、その血糖値をさげよ
うとインスリンが大量に分泌される。が、血糖値がさがっても、さらに血中に残ったイン
スリンが、必要以上に血糖値をさげてしまう。

つまりこれが甘い食品を大量にとることによる低血糖のメカニズムだが、一度こういう状
態になると、脳の抑制命令が変調をきたす。そしてここに書いたように、突発的に興奮状
態になって大声をあげたり、暴れたりする。

このタイプの子どもは、興奮してくるとなめらかな動きがなくなり、カミソリでものを切
るように、スパスパした動きになることが知られている。アメリカで「過剰行動児」とし
て、20年ほど前に話題になったことがある。

日本でもこの分野の研究者は多い(岩手大学名誉教授の大澤氏ほか)。そこでもしあなたの
子どもにそういう症状が見られたら、一度砂糖断ちをしてみるとよい。効果がなくて、ダ
メもと。一周間も続けると、子どものによってはウソのように静かに落ち着く。

  話がそれたが、子どもの小食で悩んでいる親は多い。「食が細い」「好き嫌いがはげし
い」「食事がのろい」など。幼稚園児についていうなら、全体の約50%が、この問題で悩
んでいる。で、もしそうなら、一度冷蔵庫をカラにしてみる。お菓子やスナック菓子類は、
思いきって捨てる。「もったいない」という思いが、つぎからのムダ買いを止める力になる。
そして子どもが食事の間に口にできるものを一掃する。子どもの小食で悩んでいる親とい
うのは、たいてい無意識のうちにも、間食を黙認しているケースが多い。もしそうなら、
間食はいっさい、やめる。

(小食児へのアドバイス)

(1)ここに書いたように、冷蔵庫をカラにし、菓子類はすべて避ける。
(2)甘い食品(精製された白砂糖の多い食品)を断つ。
(3)カルシウム、マグネシウム分の多い食生活にこころがける。
(4)日中、汗をかかせるようにする。

 ただ小食といっても、家庭によって基準がちがうので、その基準も考えること。ふつう
の家庭よりも多い食物を与えながら、「少ない」と悩んでいるケースもある。子どもが健康
なら、小食(?)でも問題はないとみる。

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以前、同じような相談を受けたことがあります。
もっと年齢の大きなお子さんについてのものでしたが……。
それについて、書いた原稿を添付します。
あくまでも参考資料の一つとして、考えてください。

++++++++++++++++++++++++

●島根県のUYさんより

はじめまして。
HPをよく拝見させて頂いています。

娘の事を相談させていただきたく、メールをしています。
娘は5歳半になる年中児で、下に3歳半の妹がいます。

小さい頃から動作の一つ一つが乱暴で、よくグズリ、キーキー興奮しては些細な事で泣く
子でした。

それは今でも続いており、集中が長く続かず、こだわりも他の子供よりも深い気がします。
話も目を見て心を落ち着けてゆっくり会話をする事が出来ません。

真剣な話をしながら足の先を神経質に動かしたり、手を振ったりして、とても聞いている
態度には見えません。

走りまわるほどの多動ではありませんが、落ち着いて、じっとしていることが出来ないよ
うです。

そのせいか、話し言葉も五歳にしては表現力がないと思われます。
物の説明はとても難解で、結局何を言っているのか分からない事も多々あります。

私自身、過関心であったと思います。
気をつけているつもりですが、やはり完全には治っていません。
今、言葉の方は『おかあさん、牛乳!』や、『あの冷たいやつ!』というような言い方につ
いては、それでは分からないという事を伝える様にしています。

できるだけ言葉で説明をさせるようにしています。これは少しは効果があるようです。
また食生活ではカルシウムとマグネシウム、そして甘いものには気をつけています。
食べ物の好き嫌いは全くありません。

そこで私の相談ですが、もっとしっかり人の話を聞けるようになってほしいと思っていま
す。

心を落ち着かせることが出来るようになるのは、やはり親の過干渉や過関心と関係がある
のでしょうか。

また些細な事(お茶を飲むときのグラスの柄が妹の方がかわいい柄っだった、公園から帰
りたくない等)で、泣き叫んだりするのは情緒不安定ということで、過干渉の結果なので
しょうか。

泣き叫ぶときは、『そーかー、嫌だったのね。』と、私は一応話を聞くようにはしています
が、私が折れる事はありません。

その事でかえって、泣き叫ぶ機会を増やして、また長引かせている気もするのですが。。。

そしてテーブルの上でオセロなどのゲーム中に、意味も無く飛び上がったりしてテーブル
をゆらしてゲームを台無しにしたりする(無意識にやってしまうようです)ような乱雑な
動作はどのようにすれば良いのか、深く悩んでいます。『静かに落ち着いて、意識を集中さ
せて動く』ことが出来ないのはやはり干渉のしすぎだったのでしょうか。
自分自信がんばっているつもりですが、時々更に悪化させているのではないかと不安に成
ります。

できましたら,アドバイスをいただけますでしょうか。宜しくお願い致します。

【UYさんへ、はやし浩司より】

 メール、ありがとうございました。原因と対処法をいろいろ考える前に、大前提として、
「今すぐ、なおそう」と思っても、なおらないということです。またなおそうと思う必要
もありません。こう書くと、「エエッ!」と思われるかもしれませんが、この問題だけは、
子どもにその自覚がない以上、なおるはずもないのです。

 UYさんのお子さんが、ここに書いた子どもと同じというわけではありませんが、つぎ
の原稿は、少し前に私が書いたものです。まず、その原稿を先に、読んでいただけたらと
思います。

+++++++++++++++++
 
●汝(なんじ)自身を知れ

「汝自身を知れ」と言ったのはキロン(スパルタ・7賢人の1人)だが、自分を知ること
は難しい。こんなことがあった。

 小学生のころ、かなり問題児だった子ども(中2男児)がいた。どこがどう問題児だっ
たかは、ここに書けない。書けないが、その子どもにある日、それとなくこう聞いてみた。

「君は、学校の先生たちにかなりめんどうをかけたようだが、それを覚えているか」と。
するとその子どもは、こう言った。「ぼくは何も悪くなかった。先生は何でもぼくを目のか
たきにして、ぼくを怒った」と。私はその子どもを前にして、しばらく考えこんでしまっ
た。いや、その子どものことではない。自分のことというか、自分を知ることの難しさを
思い知らされたからだ。

ある日1人の母親が私のところにきて、こう言った。「学校の先生が、席決めのとき、『好
きな子どうし、並んですわってよい』と言った。しかしうちの子(小1男児)のように、
友だちのいない子はどうしたらいいのか。配慮に欠ける発言だ。これから学校へ抗議に行
くから、一緒に行ってほしい」と。

もちろん私は断ったが、問題は席決めことではない。その子どもにはチックもあったし、
軽いが吃音(どもり)もあった。神経質な家庭環境が原因だが、「なぜ友だちがいないか」
ということのほうこそ、問題ではないのか。その親がすべきことは、抗議ではなく、その
相談だ。

話はそれたが、自分であって自分である部分はともかくも、問題は自分であって自分でな
い部分だ。ほとんどの人は、その自分であって自分でない部分に気がつくことがないまま、
それに振り回される。よい例が育児拒否であり、虐待だ。

このタイプの親たちは、なぜそういうことをするかということに迷いを抱きながらも、も
っと大きな「裏の力」に操られてしまう。あるいは心のどこかで「してはいけない」と思
いつつ、それにブレーキをかけることができない。「自分であって自分でない部分」のこと
を、「心のゆがみ」というが、そのゆがみに動かされてしまう。ひがむ、いじける、ひねく
れる、すねる、すさむ、つっぱる、ふてくされる、こもる、ぐずるなど。自分の中にこう
したゆがみを感じたら、それは自分であって自分でない部分とみてよい。

それに気づくことが、自分を知る第一歩である。まずいのは、そういう自分に気づくこと
なく、いつまでも自分でない自分に振り回されることである。そしていつも同じ失敗を繰
り返すことである。

+++++++++++++++

 おとなですら、自分のことを知るのはむずかしい。いわんや、子どもをやということに
なります。ですからUYさんが、お子さんに向かって、「静かにしなさい」「落ち着きなさ
い」と言っても、子どもにその自覚がない以上、子どもの立場からしたら、どうしようも
ないのです。

 意識には、大きく分けて(1)潜在意識と、(2)自意識(自己意識)があります※。潜
在意識というのは、意識できない世界のことです。自意識というのは、自分で自覚できる
意識のことです。いろいろな説がありますが、教育的には、小学3、4年生を境に、急速
にこの自意識が育ってきます。つまり自分を客観的に見ることができるようになると同時
に、その自分を、自分でコントロールすることができるようになるわけです。

 幼児期にいろいろな問題ある子どもでも、この自意識をうまく利用すると、それを子ど
も自らの意識で、なおすことができます。言いかえると、それ以前の子どもには、その自
意識を期待しても、無理です。たとえば「静かにしなさい」と親がいくら言っても、子ど
も自身は、自分ではそれがわからないのだから、どうしようもありません。UYさんのケ
ースを順に考えてみましょう。

●小さい頃から動作の一つ一つが乱暴で、よくグズリ、キーキー興奮しては些細な事で泣く
子でした。
●それは今でも続いており、集中が長く続かず、こだわりも他の子供よりも深い気がします。
●話も目を見て心を落ち着けてゆっくり会話をする事が出来ません。
●真剣な話をしながら足の先を神経質に動かしたり、手を振ったりして、とても聞いている
態度には見えません。
●走りまわるほどの多動ではありませんが、落ち着いて、じっとしていることが出来ないよ
うです。
●そのせいか、話し言葉も5歳にしては表現力がないと思われます。

 これらの問題点を指摘しても、当然のことですが、満5歳の子どもに、理解できるはず
もありません。こういうケースで。「キーキー興奮してはだめ」「こだわっては、だめ」「落
ち着いて会話しなさい」「じっとしていなさい」「しっかりと言葉を話しなさい」と言った
ところで、ムダというものです。

たとえば細かい多動性について、最近では、脳の微細障害説、機能障害説、右脳乱舞説、
ホルモン変調説、脳の仰天説、セロトニン過剰分泌説など、ざっと思い浮かんだものだけ
でも、いろいろあります。

されにさらに環境的な要因、たとえば下の子が生まれたことによる、赤ちゃんがえり、欲
求不満、かんしゃく発作などもからんでいるかもしれません。またUYさんのメールによ
ると、かなり神経質な子育てが日常化していたようで、それによる過干渉、過関心、心配
先行型の子育てなども影響しているかもしれません。こうして考え出したら、それこそ数
かぎりなく、話が出てきてしまいます。

 では、どうするか? 原因はどうであれ、今の症状がどうであれ、今の段階では、「なお
そう」とか、「あれが問題」「これが問題」と考えるのではなく、あくまでも幼児期によく
見られる一過性の問題ととらえ、あまり深刻にならないようにしたらよいと思います。

むしろ問題は、そのことではなく、この時期、親が子どものある部分の問題を、拡大視す
ることによって、子どものほかのよい面をつぶしてしまうことです。とくに「あれがダメ」
「これがダメ」という指導が日常化しますと、子どもは、自信をなくしてしまいます。生
きザマそのものが、マイナス型になることもあります。

 私も幼児を35年もみてきました。若いころは、こうした問題のある子どもを、何とか
なおしてやろうと、四苦八苦したものです。しかしそうして苦労したところで、意味はな
いのですね。子どもというのは、時期がくれば、何ごともなかったかのように、自然にな
おっていく。

UYさんのお子さんについても、お子さんの自意識が育ってくる、小学3、4年生を境に、
症状は急速に収まってくるものと思われます。自分で判断して、自分の言動をコントロー
ルするようになるからです。「こういうことをすれば、みんなに嫌われる」「みんなに迷惑
をかける」、あるいは「もっとかっこよくしたい」「みんなに認められたい」と。

 ですから、ここはあせらず、言うべきことは言いながらも、今の状態を今以上悪くしな
いことだけを考えながら、その時期を待たれたらどうでしょうか。すでにUYさんは、U
Yさんができることを、すべてなさっておられます。母親としては、満点です。どうか自
信をもってください。私のHPを読んでくださったということだけでも、UYさんは、す
ばらしい母親です。(保証します!)

ただもう一つ注意してみたらよいと思うのは、たとえばテレビやテレビゲームに夢中にな
っているようなら、少し遠ざけたほうがよいと思います。このメールの終わりに、私が最
近書いた原稿(中日新聞発表済み)を、張りつけておきます。どうか参考にしてください。

 で、今度はUYさん自身へのアドバイスですが、どうか自分を責めないでください。「過
関心ではないか?」「過干渉ではないか?」と。

 そういうふうに悩むこと自体、すでにUYさんは、過関心ママでも、過干渉ママでもあ
りません。この問題だけは、それに気づくだけで、すでにほとんど解決したとみます。ほ
とんどの人は、それに気づかないまま、むしろ「私はふつうだ」と思い込んで、一方で、
過関心や過干渉を繰りかえします。UYさんにあえていうなら、子育てに疲れて、やや育
児ノイローゼ気味なのかもしれません。ご主人の協力は得られませんか? 少し子育てを
分担してもらったほうがよいかもしれません。

 最後に「そしてテーブルの上でオセロなどのゲーム中に、意味も無く飛び上がったりし
てテーブルをゆらしてゲームを台無しにしたりする(無意識にやってしまうようです)よ
うな乱雑な動作はどのようにすれば良いのか、深く悩んでいます。『静かに落ち着いて、意
識を集中させて動く』ことが出来ないのはやはり干渉のしすぎだったのでしょうか」とい
う部分についてですが、こう考えてみてください。

 私の経験では、症状的には、小学1年生ぐらいをピークにして、そのあと急速に収まっ
ていきます。そういう点では、これから先、体力がつき、行動半径も広くなってきますか
ら、見た目には、症状ははげしくなるかもしれません。UYさんが悩まれるお気持ちはよ
くわかりますが、一方で、UYさんの力ではどうにもならない部分の問題であることも事
実です。

ですから、愛情の糸だけは切らないようにして、言うべきことは言い、あとはあきらめま
す。コツは、完ぺきな子どもを求めないこと。満点の子どもを求めないこと。ここで愛情
の糸を切らないというのは、子どもの側から見て、「切られた」と思わせいないことです。

それを感じると、今度は、子どもの心そのものが、ゆがんでしまいます。が、それでも暴
れたら……。私のばあいは、教室の生徒がそういう症状を見せたら、抱き込んでしまいま
す。叱ったり、威圧感を与えたり、あるいは恐怖心を与えてはいけません。あくまでも愛
情を基本に指導します。それだけを忘れなければ、あとは何をしてもよいのです。あまり
神経質にならず、気楽に構えてください。

 約束します。UYさんの問題は、お子さんが小学3、4年生になるころには、消えてい
ます。ウソだと思うなら、このメールをコピーして、アルバムか何かにはさんでおいてく
ださい。そして、四、五年後に読み返してみてください。「林の言うとおりだった」と、そ
のときわかってくださると確信しています。もっとも、それまでの間に、いろいろあるで
しょうが、そこは、クレヨンしんちゃんの母親(みさえさん)の心意気でがんばってくだ
さい。コミックにVOL1~10くらいを一度、読まれるといいですよ。テレビのアニメ
は、コミックにくらべると、作為的です。

 また何かあればメールをください。なおこのメールは、小生のマガジンの2-25号に
掲載しますが、どうかお許しください。転載の許可など、お願いします。ご都合の悪い点
があれば、至急、お知らせください。
(030217)

※ ……これに対して、「自己意識」「感覚運動的意識」「生物的意識」の三つに分けて考え
る考え方もある。「感覚的運動意識」というのは、見たり聞いたりする意識のこと。「生物
的意識」というのは、生物としての意識をいう。いわゆる「気を失う」というのは、生物
的意識がなくなった状態をいう。このうち自己意識があるのは、人間だけと言われている。
この自己意識は、四歳くらいから芽生え始め、三〇歳くらいで完成するといわれている(静
岡大学・郷式徹助教授「ファミリス」03・3月号)。

++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

【YK様へ(2)】

 食生活がどうなっているのか、私にはわかりませんが、まず試してみるべきことは、(1)
食生活の改善、です。

 ここにも書いたように、MG、CA、Kの多い食生活(自然海産物中心の献立)に切り
かえてみてください。

 精製された白砂糖を多く含む食品は、避けます。(与えると意識しなくても、今では、あ
りとあらゆる食品に含まれています。幼児のばあい、2歳児でしたら、1日、10グラム
前後でじゅうぶんです。)

 感情の起伏がはげしく、手にあまるようなら、一度、小児科を訪れてみられてはいかが
でしょうか。以前とちがい、最近では、すぐれた薬も開発されています。(薬を使うときは、
慎重にしますが、そのあたりのことは、よくドクターと相談して決めてください。)

 食生活の改善……徹底してするのが、コツです。アイス、ソフト、乳酸飲料などは、避
けます。徹底してすれば、1、2週間ほどで、効果が現われてきます。

 同じようなケースを、もう一つ、思い出しました。その原稿を添付します。少し古い原
稿なので、先に書いたことと、内容が少し異なるかもしれませんが、異なっている部分に
ついては、先に書いたほうを、優先してください。

++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

【栄養学の分野からの考察】

●過剰行動性のある子ども

 もう二〇年以上も前だが、アメリカで「過剰行動性のある子ども」(ヒュー・パワーズ・
小児栄養学)が、話題になったことがある。ささいなことがきっかけで、突発的に過剰な
行動に出るタイプの子どもである。

日本では、このタイプの子どもはほとんど話題にならなかったが、中学生によるナイフの
殺傷事件が続いたとき、その原因の一つとして、マスコミでこの過剰行動性が取りあげら
れたことがある(九八年)。日本でも岩手大学の大沢博名誉教授や大分大学の飯野節夫教授
らが、この分野の研究者として知られている。

●砂糖づけのH君(年中児)

 私の印象に残っている男児にH君(年中児)という子どもがいた。最初、Hさん(母親)
は私にこう相談してきた。「(息子の)部屋の中がクモの巣のようです。どうしたらいいで
しょうか」と。

話を聞くと、息子のH君の部屋がごちゃごちゃというより、足の踏み場もないほど散乱し
ていて、その様子がふつうではないというのだ。が、それだけならまだしも、それを母親
が注意すると、H君は突発的に暴れたり、泣き叫んだりするという。始終、こきざみに動
き回るという多動性も気になると母親は言った。私の教室でも突発的に、耳をつんざくよ
うな金切り声をあげ、興奮状態になることも珍しくなかった。そして一度そういう状態に
なると、手がつけられなくなった。私はその異常な興奮性から、H君は過剰行動児と判断
した。

 ただ申し添えるなら、教育の現場では、それが学校であろうが塾であろうが、子どもを
診断したり、診断名をくだすことはありえない。第一に診断基準が確立していないし、治
療や治療方法を用意しないまま診断したり、診断名をくだしたりすることは許されない。
仮にその子どもが過剰行動児をわかったところで、それは教える側の内心の問題であり、
親から質問されてもそれを口にすることは許されない。

診断については、診断基準や治療方法、あるいは指導施設が確立しているケース(たとえ
ば自閉症児やかん黙児)では、専門のドクターを紹介することはあっても、その段階で止
める。この過剰行動児についてもそうで、内心では過剰行動児を疑っても、親に向かって、
「あなたの子どもは過剰行動児です」と告げることは、実際にはありえない。教師として
すべきことは、知っていても知らぬフリをしながら、その次の段階の「指導」を開始する
ことである。
 
●原因は食生活?

ヒュー・パワーズは、「脳内の血糖値の変動がはげしいと、神経機能が乱れ、情緒不安にな
り、ホルモン機能にも影響し、ひいては子どもの健康、学習、行動に障害があらわれる」
という。メカニズムは、こうだ。ゆっくりと血糖値があがる場合には、それに応じてインスリンが徐々に分泌される。しかし一時的に多量の砂糖(特に精製された白砂糖)をとる
と、多量の、つまり必要とされる量以上の量のインスリンが分泌され、結果として、子ど
もを低血糖児の状態にしてしまうという(大沢)。

そして(1)イライラする。機嫌がいいかと思うと、突然怒りだす、(2)無気力、(3)
疲れやすい、(4)(体が)震える、(5)頭痛など低血糖児特有の症状が出てくるという(朝
日新聞九八年2・12)。これらの症状は、たとえば小児糖尿病で砂糖断ちをしている子ど
もにも共通してみられる症状でもある。私も一度、ある子ども(小児糖尿病患者)を病院
に見舞ったとき、看護婦からそういう報告を受けたことがある。

 こうした突発的な行動については、次のように説明されている。つまり脳からは常に相
反する二つの命令が出ている。行動命令と抑制命令である。たとえば手でものをつかむと
き、「つかめ」という行動命令と、「つかむな」という抑制命令が同時に出る。

この二つの命令がバランスよく調和して、人間はスムーズな動きをすることができる。し
かし低血糖になると、このうちの抑制命令のほうが阻害され、動きがカミソリでスパスパ
とものを切るような動きになる。先のH君の場合は、こまかい作業をさせると、震えると
いうよりは、手が勝手に小刻みに動いてしまい、それができなかった。また抑制命令が阻
害されると、感情のコントロールもできなくなり、一度激怒すると、際限なく怒りが増幅
される。そして結果として、それがキレる状態になる。

●恐ろしいカルシウム不足

 砂糖のとり過ぎは、子どもの心と体に深刻な影響を与えるが、それだけではない。砂糖
をとり過ぎると、カルシウム不足を引き起こす。

糖分の摂取が、体内のカルシウムを奪い、虫歯の原因になることはよく知られている。体
内のブドウ糖は炭酸ガスと水に分解され、その炭酸ガスが、血液に酸性にする。その酸性
化した血液を中和しようと、骨の中のカルシウムが、溶け出るためと考えるとわかりやす
い。

体内のカルシウムの98%は、骨に蓄積されている。そのカルシウムが不足すると、「(1)
脳の発育が不良になったり、(2)脳神経細胞の興奮性を亢進したり、(3)精神疲労をし
やすくまた回復が遅くなるなどの症状が現われる」(片瀬淡氏「カルシウムの医学」)とい
う。わかりやすく言えば、カルシウムが不足すると、知恵の発達が遅れ、興奮しやすく、
また精神疲労を起こしやすいというのだ。甘い食品を大量に摂取していると、このカルシ
ウム不足を引き起こす。

++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

●生化学者ミラー博士らの実験

 精製されてない白砂糖を、日常的に多量に摂取すると、インスリンの分泌が、脳間伝達
物質であるセロトニンの分泌をうながし、それが子どもの異常行動を引き起こすという。
アメリカの生化学者のミラーは、次のように説召している。

 「脳内のセロトニンという(脳間伝達)ニューロンから脳細胞に情報を伝達するという、
神経中枢に重要な役割をはたしているが、セロトニンが多すぎると、逆に毒性をもつ」(「マ
ザーリング」八一年(7)号)と。日本でも、自閉症や子どもの暴力、無気力などさまざ
まな子どもによる問題行動が、食物と関係しているという研究がなされている。ちなみに、
食品に含まれている白砂糖の量は、次のようになっている。

製品名             一個分の量    糖分の量         
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー        
 ヨーグルト    【森永乳業】     90ml  9・6g         
 伊達巻き       【紀文】     39g  11・8g         
 ミートボール   【石井食品】 1パック120g  9・0g         
 いちごジャム   【雪印食品】  大さじ30g  19・7g         
 オレンジエード【キリンビール】    250ml  9・2g         
 コカコーラ              250ml 24・1g         
 ショートケーキ    【市販】  一個100g  28・6g         
 アイス      【雪印乳業】  一個170ml  7・2g         
 オレンジムース  【カルピス】     38g   8・7g         
 プリン      【協同乳業】  一個100g  14・2g         
 グリコキャラメル【江崎グリコ】   4粒20g   8・1g         
 どら焼き       【市販】   一個70g  25g          
 クリームソーダ    【外食】  一杯      26g           
 ホットケーキ     【外食】  一個      27g          
 フルーツヨーグルト【協同乳業】    100g  10・9g         
 みかんの缶詰   【雪印食品】    118g  15・3g         
 お好み焼き   【永谷園食品】  一箱240g  15・0g         
 セルシーチョコ 【江崎グリコ】   3粒14g   5・5g         
 練りようかん     【市販】  一切れ56g  30・8g         
 チョコパフェ     【市販】  一杯      24・0g       

●砂糖は白い麻薬

 H君の母親はこう言った。「祖母(父親の実母)の趣味が、ジャムづくりで、毎週ビンに
入ったジャムを届けてくれます。うちでは、それを食べなければもったいないということ
で、パンや紅茶など、あらゆるものにつけて食べています」と。

私はH君の食生活が、かなりゆがんだものと知り、とりあえず「砂糖断ち」をするよう進
言した。が、異変はその直後から起きた。幼稚園から帰ったH君が、冷蔵庫を足げりにし
ながら、「ビスケットがほしい、ビスケットがほしい」と泣き叫んだというのだ。母親は「麻
薬患者の禁断症状のようで、恐ろしかった」と話してくれた。が、それから数日後。今度
はH君が一転、無気力状態になってしまったという。私がH君に会ったのは、ちょうど一
週間後のことだったが、H君はまるで別人のようになっていた。ボーッとして、反応がま
るでなかった。母親はそういうH君を横目で見ながら、「もう一度、ジャムを食べさせまし
ょうか」と言ったが、私はそれに反対した。

●カルシウムは紳士をつくる

 戦前までは、カルシウムは、精神安定剤として使われていた。こういう事実もあって、
イギリスでは、「カルシウムは紳士をつくる」と言われている。子どもの落ち着きなさをど
こかで感じたら、砂糖断ちをする一方、カルシウムやマグネシウムなど、ミネラル分の多
い食生活にこころがける。私の経験では、幼児の場合、それだけで、しかも一週間という
短期間で、ほとんどの子どもが見違えるほど落ち着くのがわかっている。

川島四郎氏(桜美林大学元教授)も、「ヒステリーやノイローゼ患者の場合、カルシウムを
投与するだけでなおる」(「マザーリング」八一年(7)号)と述べている。効果がなくて
も、ダメもと。そうでなくても、缶ジュース一本を子どもに買い与えて、「うちの子は小食
で困ります」は、ない。体重15キロ前後の子どもに、缶ジュースを一本与えるというこ
とは、体重60キロの人が、4本飲む量に等しい。おとなでも缶ジュースを四本は飲めな
いし、飲めば飲んだで、腹の中がガボガボになってしまう。

 なお問題となるのは、精製された白砂糖をいう。どうしても甘味料ということであれば、
精製されていない黒砂糖をすすめる。黒砂糖には、天然のミネラル分がほどよく配合され
ていて、ここでいう弊害はない。
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司
 過剰行動児 セロトニン悪玉説 キレる子供の原因 キレる子どもの原因 切れる子供
 原因 キレる子ども 原因 原因物質)


Hiroshi Hayashi++++++++Sep. 2010+++++++++はやし浩司

【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●9月5日(日曜日)

++++++++++++++++++

朝の涼しさを感じて、少しほっとした。
寝心地はよくなかったが、ぐっすりと眠ることが
できた。
今週1週間は、まだきびしい残暑がつづくという。
それを知って、「あと1週間……」と、自分に
言い聞かせる。

9月5日、日曜日。
これから友人をJR浜松駅まで迎えに行く。

++++++++++++++++++

●旅の終わりに

 人生を旅にたとえる人は、多い。
しかしそれは結果としてわかることであって、「今」が旅の途中とわかる人はいない。
それぞれがそれぞれの「今」を懸命に生きている。
まわりにあるはずの景色すら、目に入らない。

 が、古い友人に出会うと、それがよくわかる。
「あのときが、人生の出発点だった」と。
私はデニス君のビーチハウス(別荘)で、3か月を過ごした。
留学生活の終わりごろで、私はそこからメルボルンにある大学へ通った。
遠い昔のできごとであるにもかかわらず、思い出はまったく色あせていない。
静かに目を閉じれば、あの日のあの光景が、つい先頃のできごとのように目に
浮かんでくる。

●年年有魚(余)

 デニス君は、北京での学会のあと、日本へ立ち寄ってくれた。
そのこともあって、昨夜温泉へ行くとき、こんな話をした。
「ヒロシ、君は、『年年有魚』という言葉を知っているか?
『魚』と『余裕』の『余』は、同じ発音なんだ。
つまりね、年々、魚がふえる、つまり年々、余裕がふえるという意味なんだ」と。

 中国語には、ちがった文字を同じ発音で表わすことが多い。
これを「諧音語」という。
つまりありきたりの言葉の中に、別の意味を含ませて、縁起をかつぐ。

デ「ふつうは3匹の魚を丸で囲んで、それを表す」
私「3匹か?」
デ「3匹だ」
私「フーン、中国文化は、奥が深いからね」と。

●「諧音」

 私たち日本人にとっては、漢字は中国から来たものということになっている。
またその程度の敬意で、終わってしまう。
しかし当の中国人は、漢字はその向う……つまり超自然の世界から来たものと
思っている。
だから漢字に、超自然的な神秘性、つまり「縁起」をかつぐことが多い。
反対に言えば、縁起の悪い漢字を嫌う。

 日本でも正月に、「豆」を食べる習慣がある。
「豆(マメ)」には、「元気」という意味がある。
つまり「元気になるために、豆を食べる」。

で、中国では、たとえその漢字そのものの意味はよくても、「諧音語」で別の悪い意味
をもつ漢字とつながると、その漢字を避ける。
よく知られた例が、果物の「梨」と「離」。
梨と離は、「諧音語」。
だから「夫婦が2人で梨を分けて食べることは、縁起が悪い」とされる。

●縁起

 で、デニス君は、『年年有魚』を日本では、何というかと聞いた。
しかしいくら頭の中をさがしても、それに該当することわざが浮かんでこない。
あえて言うなら、「亀の甲より年の功(劫)かな」と。
「長年の経験には、それなりの価値がある」という意味である。
が、それともちがう。
言い忘れたが、『年年有魚(余)』というのは、毎年、魚がふえるように、生活に余裕が
生まれるという意味である。

 たいした意味ではないが、それが「縁起」ということになる。
中国人は、『年年有魚』と言いながら、縁起をかつぐ。

私「縁起というのは、日本では迷信ということになっている」
デ「……」
私「ただ中国人は、縁起をたいへん大切にする。漢字にこだわる」と。

●縁起

 先にも書いたように、漢字に対して、中国人は日本人とちがった感覚をもっている。
縁起のよい漢字を使えば、「福が来る」と信じている。
縁起の悪い漢字を使えば、「禍(災い)が来る」と信じている。
だから中国人とつきあうときは、漢字の使い方に注意しなければならない。
「ただの文字」と思ってはいけない。

 が、迷信は迷信。
「縁起」というのは、まさにそれに当たる。

デ「ヒロシは、迷信を信ずるか?」
私「まったく、信じない」
デ「……」
私「まったく信じないから、縁起というものを考えたことがない」と。

 もともと「縁起」というのは、仏教用語で、本来は「縁起生起」をいう。

「……一切の事物は固定的な実体をもたず、さまざまな原因や条件が寄り集まって
成立していること。仏教の根本思想。因縁、因果」
「社寺などの由来または霊験などの伝説。またそれを記したもの」
「吉凶の前兆(きざし)」(以上、Casio Ex-Word)とある。

 縁起イコール、迷信と考えて、頭から否定するのも、どうやらまちがっているようだ。

●会話

 学生のころは毎晩のようにデニスとこうして議論した。
彼は北京大学に留学したあと、中国人の女性(同じメルボルン大学の学生)と
結婚した。
以後、モナーシュ大学の図書館で司書をしながら、中国語の権威者としても知られている。
私とはまったくの畑違いの人物ということになるが、それだけに会話をしていても、
おもしろい。

 実のところ、『年年有魚』という言葉は、デニスに聞くまで、知らなかった。
よい勉強になった。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 
BW はやし浩司 年年有魚 諧音 縁起 中国語)


Hiroshi Hayashi++++++++Sep. 2010+++++++++はやし浩司

●親友の接待

+++++++++++++++++++

理由は、よくわからない。
わからないが、このところ、「私」自身が、
大きく変化している。
そんな感じがする。

ほんの数年前までは、友人が、2か月とか
3か月、私の家にホームステイしても、
どうということはなかった。
毎日の生活を、いつもと同じように繰り返す
ことができた。

が、今回は、少し感じがちがう。
自分でもそれがよくわかる。
気疲れしやすいというか、重い負担感を覚える。
40年来の友人である。
気心も、よくわかっている。
その間に、たがいに何度も行き来している。
が、それでもいつもと感じがちがう。
今日は午後になって、偏頭痛まで起きた。
なぜだろう?

++++++++++++++++++++

●柔軟性(フレキシビリティ)

 ここ1、2年、急速に柔軟性が失われていくのを感ずる。
臨機応変にその場に対処できない。
ひとつの計画を立てると、それに固執するようになった。
つまり以前は、もう少しいいかげんな人間だった。
その場、その場で、平気で計画を変更した。
が、今は、それができない?
これも脳の老化現象のひとつ?

 友人は日本へ来てから、別棟の部屋に寝泊まりしている。
とくに世話がかかるわけではない。
もともと独立心の旺盛な友人で、ひとりであちこちに出かけたりする。
彼なりにここでの生活を楽しんでいる。
が、それでも気疲れを起こす。
「食事はどうしよう?」「どこへ連れていけばいいのか?」「洗濯はしているだろうか?」
などなど。
いつもそのことが頭から離れない。

●気疲れ
 
 今までとちがう点がひとつある。
それは今度の出会いが、最後になるかもしれないという閉そく感である。
手術はうまくいったとは言っているが、友人は今年、大病を患った。
だからよけいに私は、気を遣ってしまう。
今までのような気楽さが、ない。
それから生まれる気負いが、私を疲れさせる。

「おいしいものを食べさせてやろう」とか、「楽しい思いをさせてやろう」とか、
そんなことばかりを、考える。
友人は友人で、それが反対にわかるのか、どこか他人行儀な態度を見せる。
欧米人を家に迎えるときには、やりたいようにさせてやる。
それが最善の接待方法である。
よくわかっているが、今回は、どうしてもあれこれと干渉してしまう。

 それにもうひとつの理由は、この暑さ。
体の方がバテてしまっている。
ときどき軽いめまいがする。
何かにつけ、疲れやすい。
慢性的な睡眠不足症状もつづいている。
その友人がどうこうというのではなく、そういう状態のとき、人を接待するのも、
たいへん。
本来なら、仕事以外のときは、家の中でゴロゴロしている。
いや、今日は、仕事中に、ウトウトと眠ってしまった。
体力も、気力も、たしかに弱くなっている。

●接待の限界

 ワイフはこう言った。
「これからは無理かもね」と。
つまり会うとしても、長くて半日。
あるいは数時間。
どこかのレストランか、ホテルで会う。
宿泊までしてもらうというのには、無理がある。

 このことは反対に、私たちがだれかの家を訪問するときも、そうだ。
会うとしても、長くて半日。
あるいは数時間。
それ以上は、相手に大きな負担を与えるので、遠慮する。
若いときならともかくも、相手が60歳を過ぎていたら、遠慮する。
夫はともかくも、妻の方が、たいへん。
寝食の世話からすべて、いっさいがっさい、気を遣わなければならない。
相手が欧米人なら、まだよい。
あれこれ、家事を負担してくれる。
が、相手が日本人だと、そうはいかない。

●日本人

 「客人」とし来た日本人は、何もしない。
本当に何もしない。
つまり何も手伝ってくれない。
いつもどこかでデンと座っているだけ。
「上げ膳、据え膳」という言葉があるが、それだけではすまない。
風呂の世話から、寝具の世話などなど。
動き回るのは、私と妻。

 私も山荘をもったころは、毎週のようにいろいろな友人を呼んだ。
しかしそのうち、疲れるようになった。
せっかくの土日なのだが、それが終わるころには、ヘトヘトになってしまった。
ということで、今は、客人を、ほとんど招待しない。
……というか、体力的な限界もあって、招待できない。
内心では申し訳ないと思いつつ、駅前のレストランで会って、それで別れるように
している。

●やはり暑さのせい?

 これもひとつの変化かもしれない。
老後になればなるほど、交際の範囲が、狭く、淡白になっていく。
これは息子や娘たちとの交際についても、言える。
私のばあい、息子たちには、ほとんど気を遣わない。
しかし嫁となると、そうはいかない。
気を遣う。
孫がいれば、なおさら。

 最初から同居していれば、こういうこともないのだろう。
またこれは「慣れ」の問題。
毎週のように行き来していれば、それなりの対処もできる。
しかし私たちのようなばあい、やはり疲れる。
で、そのことをワイフに問うと、ワイフも同じようなことを言った。
「これからは、どこかのホテルに泊まってもらうようにしたら」と。

 実のところ、泊めてもらう側の私にしても、同じことが言える。
あれこれ気を遣うよりは、どこかのホテルに泊まったほうがよい。
好きな時刻に寝て、好きな時刻に起きる。
好きな料理を食べる。
どこか心さみしい感じがしないわけでもないが、つまりそれだけ心のほうが、
柔軟性(フレキシビリティ)を失っていることを意味する。

 ……いや、やはりこれは暑さのせいかもしれない。
もう少し気候のよいときだったら、こうも疲れないはず。
このところの暑さは異常!
本当に暑い!
心身が、二重、三重にバテてしまっている。
だからよけいに柔軟性を失ってしまった……ようだ。


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Wednesday, September 29, 2010

●過干渉児 過関心児 (親の前で萎縮する子ども)

●西浦温泉・吉良吉田(竜宮ホテル・RYUGU HOTEL)

+++++++++++++++++

2010年9月x日。

今夜は西浦温泉にやってきた。
今年に入って、3度目。
今回は竜宮ホテルという
ホテルに一泊。

道沿いのホテルだが、それをのぞけば、
すべて「優良」。
サービスよし、接客態度よし、清潔度満点、
部屋よし、部屋からの眺望満点。
こういうよいホテルにめぐりあうと、ほっとする。
「日本もいい国だなあ」と。

「道沿いのホテル」と書いたが、道を横切れば、そのまま海浜へ。
その先は散歩道へとつづいている。
私とワイフはその散歩道の途中にあるベンチに座って、
しばしのときを過ごした。

++++++++++++++++++

●シーズンオフ

 私たちはできるだけシーズンをはずして、あちこちの旅館に泊まる。
ホテルや旅館には悪いが、混雑したホテルや旅館は、好まない。
かといって、閑散とし、どこかカビ臭いホテルや旅館もいや・・・。

 各階ごとに、煎茶を香として炊いていた。
その香りが心をなごませる。
大浴場を出たところでは、こぶ茶のサービスもあった。

どうやらこのホテルは本気らしい。
その本気さが、ズズーンとしみ込んでくる。
料金も手ごろで、それを換算するなら、星は4つの★★★★。
もう少し暑いときにくれば、目の前の砂場で泳ぐこともできた。
(もちろん泳ぐようなことはしないが・・・。)

●団体客

 が、大浴場の下足置き場を見て、びっくり。
スリッパが、30~40個も並んでいた。
浴室内から、ワイワイガヤガヤ・・・。
聞くと、団体客。
年齢はみな、70歳前後。 
同じ愛知県のA市からやってきた、カラオケ愛好会の人たちという。

 不思議なもので、そういう人たちの間に立つと、自分が青年のように
若く見える。
体格も、ぐんとたくましい。
年齢というのは、相対的なもの。
改めてアインシュタインの相対性理論(?)を思い浮かべる。
(関係ないかな?)

 私は日ごろ、子どもたちの世界にいる。
だからよけいに自分のことをジー様と思う。
しかしまだまだ・・・。
まだまだ若い!

●昼神温泉

 こういう温泉地へ来て、別の温泉の話をするのも失礼なこと。
しかしこの11月に、長野県の昼神温泉に一泊する。
(ワイフには、「死神温泉」と、内々では言っている。ごめん!)
先日、早めの予約をすませた。
紅葉の季節に重なる。
土日はすでにどこも予約で満員。
ぎりぎりセーフ!

 楽しみ。
こんなことは若いころは考えもしなかった。
紅葉を見るために、わざわざ長野まで・・・!
どこかジジ臭い。
ババ臭い。

 昼神温泉のみなさん、どうかよろしく。

 で、どうして昼神温泉へ行く気になったか?
それには短くて、どうでもよい話がある。

 1か月ほど前のこと。
駅前の路地を歩いていたら、遠鉄電車のガード下で、
昼神温泉観光協会の人たちが、温泉の案内をしていた。
そこで出会った女性が、たいへん親切だった。
年齢は私と同じくらい?
気が合った。
いくつか特産品を買うと、安くしてくれた上、ほかの特産品を
おまけにつけてくれた。
そのやさしさ。
温もり。
「秋には紅葉がきれいですよ」と言われ、そのままその気になってしまった。
「今度は昼神温泉に・・・」と。

私はそういう点では、きわめて単純+素直。

●夕食待ち

 今は夕食待ち。
時刻は5時30分。
ワイフは横でビデオを見ている。
私はこうしてキーボードのキーを叩いている。
私にとっては、至極の時。
心配なのは、もうすぐバッテリーが切れるかもしれないということ。
今見たら、「残り29%」と出た。
このパソコン(TOSHIBA・UX)は、バッテリーのもちが、
あまりよくない。
時間にすれば、残り30分ほど?

 ・・・実はその通り。
電源コードをもってくるのを、忘れてしまった。
ワイフがビデオを見終わったら、アダプターを貸してもらうつもり。
ワイフのパソコンは、TOSHIBAのMX。
同じ19V(出力)。
「パソコンはTOSHIBAのダイナブック」と決めていたのがよかった。
こういうところで、相互に使える。
つまり互換性がある。

●日中経済戦争

 昨日と今日、「日中経済戦争」というタイトルで、原稿を書いた。
経済論を書くのは久しぶり。
(ド素人の経済論だから、信頼性はまったくないが・・・。)
昨年までは、「日韓経済戦争」というタイトルで書いていた。
10年近く書いていた。
しかし率直に、どうでもよくなってしまった。
こと日韓経済戦争に関して言えば、日本の負け。
韓国政府のしたたかさには、舌を巻く。
国際外交では、日本のはるか上を行く。
何か重要案件があると、すかさず特使を飛ばす。
調整する。
そういうネットワークを、世界中に張り巡らせている。
「日本海の呼称問題」にしても、そうだ。
世界中の国々の、政府のみならず、主だった地図会社にまで
特使を派遣する。
そういった徹底ぶりが、すごい!
そのうち日本海は、「東海」と呼ばれるようになるだろう。

 一方、日本はそういう韓国の動きを指をくわえて見ているだけ。
万事、事なかれ主義。
小さな世界に閉じこもり、ひとり静かにしている(?)。

 その日中経済戦争。
今日になって中国政府は、「レアメタルの輸出禁止措置を解いた」。
世界中の反発を感じたのだろう。
しかし時、すでに遅し。
世界中が中国を疑惑の目で見始めている。
とくにヨーロッパ。
イランの核兵器開発問題で、内心ではイライラしていた。
「中国は、どこかおかしい?」と、みな思っていた。
今度の尖閣諸島事件が、それに火をつけた。

 私が日本の総理大臣だったら、すかさず世界中に特使を送る。
中国のチンピラ行為を、世界に訴える。
自分から船を当てておいて、「おい、テメエ、このヤロー!」は、ない!

●23%

 バッテリーが「残り23%」になった。
食事まで、あと15分。
もつかな?
残り10%くらいになると、自動的にシャットダウンする。
たぶんそういう設定になっている。
こまめに(CTRL・キー)+(S・キー)を押し、そのつど
原稿をSAVEする。

ハラハラ・・・。

 ところで今、ワイフが見ているビデオは、『オールド・ドッグ』。
ロビン・ウィリアムズとジョン・トラボルタの共演作。
ペラペラと調子のよい会話がつづく。
意味のない娯楽映画。
「おもしろいか?」と聞くと、「まあまあね」と。
これはワイフ一流の、負け惜しみ。
つまり「おもしろくない」ということ。

それにしてもどうしてワイフはああまで、映画が好きなのだろう。
私も嫌いではないが、ワイフほど、好きではない。

●19%

 今見たら、「残り19%」と表示された。
何かせかされているような気分になってきた。
気持ちばかりあせって、落ち着いてものを考えられない。
こういうときは、何を書くべきなのか。

 ・・・先ほど、9階にある露天風呂に入ってきた。
今夜は10時まで入れるとか。
もう一度、あとで入ってみるつもり。
三河湾を一望できる。

 言い忘れたが、この西浦温泉では、「温泉」という名前が
ついているが、実は、温泉は枯渇してしまったそうだ。
つまり「沸かし湯」。
効能の但し書きのところには、「準温泉」とある。
「準温泉」とは、何か。
こんなことを書くと、西浦温泉の人たちに叱られるかもしれない。
しかしその分、料理がよい。
サービスがよい。
今年になってから、銀波荘、ホテル・キラカン(吉良観光ホテル)などに泊まったが、
ハズレなし。

(たった今、食事を終えて帰ってきたところ。)

●食事 

 ワイフは再び、大浴場に。
「頭を洗いたいから・・・」と言って、出て行った。
私はこうして部屋に残り、キーボードを叩く。

 料理のことを書かなかったが、料理もほぼ満点。
大満足。
伊勢海老一匹、あわび一個、金目鯛一匹、それにうなぎ飯などなど。
それらがほどよく調理されていた。
「ほどよく」というのは、自然の味をうまく残して、という意味。
おいしかった。
またまた食べ過ぎてしまった。

ア~ア。

明日からまたダイエット開始。
いつもこの繰り返し。
愚かな繰り返し。

●就寝前 

 今日も終わった。
あわただしい一日だった。
しかし楽しかった。

 ところで世の中には、時間の使い方のうまい人と、そうでない人がいる。
先日、夕刻に静岡駅で知人と別れるとき、その知人はこう言った。
「これから伊東(伊豆半島)まで行ってくるよ」と。
愛人が、伊東で待っているらしい。
で、一晩を伊東で過ごして、翌日の早朝には東京へ戻る。
いつものように仕事をする。
私にはとてもまねできない芸当である。
同じ24時間を、ふつうの人たちより何倍も濃密に(?)、生きている。

 その時間の使い方が、加齢とともに、ゆるくなる。
認知症の人などは、1年をそれこそ1日のようにして生きる。
そういうことを考えると、人生というのは、使い方の問題。
同じ人生でも使い方によっては、何倍も長くなる。
そうでなければ、そうでない。

 ただ誤解してはけないのは、(忙しいこと)イコール、(密度が濃い)という
ことではない。
忙しいといっても、単純な行動を繰り返していたのでは、意味はない。
が、「では意味のある人生とは何か」と聞かれると、それがよくわからない。
たとえばこうして今夜は西浦温泉に一泊するが、「だからそれがどうしたの?」と
聞かれると、返答に困る。
「楽しかった」で、終わってしまう。

●帰りの電車の中で

 竜宮ホテルは、最後まで、私たちの期待を裏切らなかった。
どの人も親切だった。
駅(吉良吉田駅)で別れるときも、送ってくれた若い男性が、
深々と頭をさげてくれた。
言うなれば旅館も、パソコンと同じ。
こまかいところで不満が重なると、「よくなかった」となる。
が、そのつど満足すると、「よかった」となる。
その満足感が、気持ちを緩める。

 ところで竜宮ホテルでは、いたるところに相田みつをの一筆書きが、
飾ってあった。
従業員の人に「何か関係があるのですか」と聞くと、「社長の好みです」と。
竜宮ホテルに泊まることがあったら、読んでみたらよい。
ロビーの横には、陳列室まで設けてある。

 電車はもうすぐ蒲郡駅に着く。
「がまごおり」と読む。
私は子どものころ、毎年夏になると、この町へ、町内会の遠足でよく来た。
どこで泳いだかは覚えていないが、このあたりの海辺だった。
記憶に残っているのは、砂浜だけ。
あとはどこかで見た、古ぼけた写真のよう。
どれが自分かさえ、よくわからない。
打ち寄せる波も、記憶の中では、静かに止まっている。

 ・・・以上、西浦温泉にて。
三河国定公園内。
朝のラッシュアワーと重なってしまった。
車内が急に混んできた。
たった今、「つぎは終点、蒲郡」という車内アナウンスが流れた。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW はやし浩司 西浦温泉 竜宮ホテル RYUGUU HOTEL 吉良吉田 蒲郡)


Hiroshi Hayashi++++++Sep 2010++++++はやし浩司

●親の前で固まる子ども

今週は2つの経験をした。
その子どもに問題があるというのではない。
子どものプライバシーを暴露するというのでもない。
こういうことはよくある。
あるから、あえて公表する。
つまり親がそばにいると、固まってしまう子どもである。
そういう子どもが、実際にはいる。
10人に1人(幼児園児~小学低学年児)はいる。
程度の差もあるが、症状が軽い子どもも含めると、もっと多い。
言い換えると、親をまったく気にしない子どものほうが少ないかもしれない。

【A子さん(年中児)のケース】

 母親が参観しているだけで、元気がない。
覇気もない。
暗く沈んだまま、憂うつそうな表情をしている。
みながはしゃぐときも、チラチラと視線を母親のほうに送る。
そのまま黙ってしまう。

 そういうA子さんを見て、母親はそれ以上に暗い表情をして見せる。
私も当初は、A子さんというのは、そういう子どもと思っていた。
が、ある日のこと。
何かの用事があって、母親がレッスンを参観できないと言った。
母親はどこか心配そうだった。
「ひとりでだいじょうぶでしょうか?」と。
私も自信がなかった。
「たぶん、だいじょうぶですよ」とだけ答えた。

 A子さんは下の子ども(妹)が生まれてから、軽い赤ちゃん返りに
よる症状も見られた。
親の姿が見えなくなるだけで、ギャーッと泣き叫んで、あとを
追いかける子どももいる。
その心配があった。

 が、その日のA子さんは、見違えるほど、明るかった。
表情も生き生きとしていた。
みなが笑うときも、いっしょになって、大声で笑った。
ゲラゲラと笑った。
私はほっとした。

【B君(小2)のケース】

 その日は休日レッスンだった。
いつもは母親が参観に来ていた。
が、その日は、父親が参観に来た。
母親は妹を連れて、外で待っていた。
そのときのこと。

 B君は、最初からコチンコチンに固まっていた。
緊張感に包まれているといったふうだった。
なめらかな動作も、いつもの笑顔もなかった。
レッスンを進めていった。
が、途中で何かのことで、B君がつまずいた。
私はいつものように、隣の子どもに順を回した。
とたん、B君が大粒の涙をこぼした。
声は出さなかった。
それを見て、助手役をしているワイフに視線を送ると、
ワイフがすぐB君の横に座った。
いろいろ慰めた。
が、それからもB君はかたまったままだった。

 あとで母親と話す機会があった。
母親はこう言った。
「きっと父親にいいところを見せようと、緊張したのね」と。

●視線

 視線には、人を刺す力がある。
今でこそ慣れたが、若いときは私もその視線に苦しんだ。
レッスンの間中、母親たちの視線が容赦なく、私の体を貫いた。
子どもたちを教えていて疲れるということはなかった。
親の視線に、疲れた。

 中には、ものすごい視線の母親もいた。
いくら笑顔を作っていても、視線は別。
それが映画『スターウォーズ』の中に出てくるような光線銃のように、
ズキ~ン、ズキ~ンと私の心を貫いた。

 教えにくかった。
それだけではない。
そういう母親が1人でもいると、クラスの雰囲気そのものが変わってしまう。
ほかの父母たちまで、(当時はほとんど、母親たちだったが)、緊張して
しまう。
さらに2~3か月ならともかくも、それが半年もつづいたりすると、
その緊張感に耐え切れず、教室をやめていく母親もいた。

 私もそのクラスになるたびに、重い気持ちに包まれた。

●親子のリズム

 原因は親と子の不協和音ということになる。
親子のリズムが合っていない。
さらにその原因はというと、親の過干渉、過関心がある。
子どもへの不信感、子育てへの不安感が、形を変えて、過干渉や過関心へと
つながっていく。

 親を責めているのではない。
長男、長女というのは、そういうもの。
はじめての子どもということで、親も神経質になりやすい。
最初は小さな亀裂。
それが年を追うごとに、大きくなる。
親は子どもの一挙手一動が気になる。
子どもはそうした視線を、そのつど気にする。

●母因性萎縮児
 
 どこかの評論家が、先に「母原性」という言葉を使った。
だから私は「母因性」という。
意味は同じ。
つまり母親が原因で、(もちろん父親というケースもあるが)、子どもが
萎縮してしまうというケースは多い。
中には、まったく別人のように変化する子どももいる。

 以前にも書いたが、ある医院でこんな少年(中学生)に出会ったことがある。
その少年は毎週、何かの薬を取りにやってくる。
母親がいないときは、看護士さんと冗談を言い合うほど、快活な
少年である。
が、母親がそばにいるときは、まったくの別人。
毎回、薬の数を窓口で確認するのだが、母親がいると薬の数すら数えない。
もじもじいているだけ。
それを見て母親が、せかす。
「早くしなさい!」
「ちゃんと数えなさい!」と。

●あくまでも一面

 だから・・・というわけでもないが、子どもの姿を見たとしても、
それが子どものすべてと思ってはいけない。
ある一面にすぎない。
ここに書いたAさん、B君、それに病院で見かけた少年にしても、それぞれ
別の世界では別の顔をもっている。

 もちろんその反対のケースもある。
親の前ではおとなしく、従順。
プラス優等生。
しかし外の世界では、陰湿ないじめを繰り返したりする、など。
ある中学生(男子)は、祭のとき酒を飲んで、補導された。
親は「うちの子は、友だちにそそのかされただけ」と言い張っていたが、
あとで調べみたら、その子どもが主犯格だった・・・というようなケースも
多い。

●では、どうするか

 この世界には「好意の返報性」という言葉がある。
英語では、『相手はあなたが相手を思うように、あなたのことを思う』という。

子どもというのは、(おとなもそうだが)、自分を信じてくれる
人の前では、自分のよい面を見せようとする。
そういう性質を利用して、子どもを伸ばす。

 私もどんなにその子どもに問題があったとしても、初対面のときに、
それを打ち消すようにしている。
「この子はいい子」「すばらしい子」と、思いなおすようにしている。
そうすることで、まず自分の心をだます。
作り変える。

 こうすることによって、子どもの表情も明るくなるが、同時に教えるの
も楽しくなる。
子どもを教えるときの第一の鉄則。
それは教える側も、楽しむ。
その楽しさの中に、子どもを巻き込んでいく。

●終わりに・・・

 A子さんは、このあとしばらくして、私の教室を去っていった。
B君は、幸いにも母親がそれを理解してくれて、明るく笑い飛ばしてくれた。
病院で出会ったその少年については、こんなエピソードがある。

 たまたまワイフがその医院にいたときのこと。
少年の母親もそのとき、そこにいた。
その母親に向かって、医院の医師がこう言って怒鳴っていたという。

「お母さん、あなたが横でごちゃごちゃ言ったら、息子さんは何も
言えないでしょ。少し黙っていなさい!」と。

 その話を聞いて、私も「その通り」と思った。
またそういう言葉も、医師だからこそ言える。
立場が強い。
私の世界では、親がそれに自分で気づくまで、じっと待っているしかない。
いつか親のほうから質問があったとき、それとなくその話をする。

 もちろんこの原稿を読んでくれた、あなたは別。
一度、この原稿をヒントに、あなたの子どもはどうか反省してみてほしい。

●付記

 この世界では、「うちの子のことは、私がいちばんよく知っている」と豪語
する親ほど、自分の子どものことを知らない。
とくに過干渉ママと言われる親ほどそうで、子どもの心まで勝手に作って
しまう。

私、子どもに向かって、「夏休みにどこかへ行ってきた?」
母親、会話に割り込んできて、「・・・行ったでしょ。おじいちゃんの家に
行ったでしょ!」
私、再び子どもに向かって、「そう、それはよかったね。楽しかった?」
母親、再び会話に割り込んできて、「・・・楽しかったでしょ。だったら
どうして楽しかったと言わないの! ちゃんと言いなさい!」
私、「・・・」と。

 こういうケースは、多い。
日本人のばあい、とくに多い。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW はやし浩司 親の前で固まる子ども 母因性萎縮児 母原性萎縮児 親の視線 過干渉児 過関心児 親の過干渉)


Hiroshi Hayashi++++++Sep 2010++++++はやし浩司

Tuesday, September 28, 2010

●日中経済戦争(2)

【日中経済戦争】(2)(2010-9-29)

+++++++++++++++++

尖閣諸島事件で、中国はかえって
自ら、醜態をさらけ出した。
それが国際世論の反応である。

とくにヨーロッパでの風当たりが強い。
イランの核開発問題に関しては、
中国はことごとく欧米に非協力的な
態度をとり続けてきた。
それがここにきて、急速に「中国は
まともでない」という認識に変わりつつある。

+++++++++++++++++

●住宅バブル

 もうだれの目にも疑いようがないほど、中国の住宅バブルはひどい。
メチャメチャというか、デタラメ。
どうひどいかは、連日報道されているとおり。

 で、問題は、その金(マネー)の出所。
直接的には個人投資家によるものとされる。
が、さらにその元をたどると、その裏に銀行がいる。
この春ごろから中央政府は銀行融資の規制を始めたが、焼け石に水。
というか、本気で規制をかけたら、たいへんなことになる。
地方財政そのものが、住宅投資で潤っている。

 で、さらに銀行融資の金は、どこから出ているか?
言うまでもなく、海外からの投資資金。
本来ならそうした投資資金は、設備投資などに向かわねばならない。
が、その資金が、住宅バブルへと回されている。
しかしそれだけでは中国の住宅バブルは説明できない。
「異常」というより、異常をはるかに、通り越している。
つまりここに中国のかかえる特殊性がある。

●拝金主義
 
 中国人のもつ拝金主義には、これまたものすごいものがある。
日本の金権教も、中国人の拝金主義と比べたら、足下にも及ばない。
「マネーがすべてあるよ」と。

 が、なぜこうまで中国人は、拝金主義に走るのか。
ほかに彼らが心のより所とすべき「主義」はないのか。
その謎を解く鍵が、実は「中国」という国そのものにある。
中国という国は、私たち日本人が考える「国」とは、中身がちがう。
そのため概念もちがう。
多民族国家というよりは、言うなれば中央政府が武力で抑え込んだ、寄せ集め国家。
チベットを見れば、それがわかる。
今回の尖閣諸島事件は、はからずもその一端を世界に露呈した。
つまり北京周辺の中国人は別として、一歩そこから離れた中国人には「国」意識はない。
中央政府による武力統制がゆるめば、そのままバラバラになってしまう。
だから、「信じられるのはマネーだけ」となる。

 言い替えると、「中国、恐れるに足りず」。

 ここで住宅バブルがはじければ……それは可能性の問題ではなく、すでに
時間の問題だが、中国経済は未曾有の混乱状態に陥る。
が、それだけではすまない。
拝金主義者たちがマネーを失ったら、どうなるか?
中国の至る所で、暴動を起こすだろう。
その矛先を中央政府に向けるだろう。
中国共産党という一党独裁体制に向かう。

 実は、これが中国政府がもっとも恐れているシナリオである。
だから中国政府は、打つ手なし。
住宅バブルを本気で抑え込むこともできない。
かといって、元高に誘導することもできない。
そんなことをしたら、とたん、外資が一斉に逃げてしまう。
で、せっかく元安を利用して外資(借金)を呼び込んでも、民衆レベルにマネーが
回ったとき、それがそのままタンス預金として眠ってしまう。

 現在中国人の貯蓄率は、40%弱と言われている。
これほどまでの経済成長(?)をつづけながら、中国人自身は、自国の経済発展を
信用していない。
本来なら好景気に踊って、市中で札束が乱舞してもよいような状況である。
それがタンス預金!
個人消費につながっていかない!

●高まる不平、不満

 数日前にも書いたが、中国のジニ係数は、すでに0・5を超えていると言われている。
また同じく書いたが、先進国における0・5と、中国のような国における0・5は、
同じ「0・5」でも意味がちがう。
(それについても、数日前に書いたとおり。)

 上位10%の人は、超リッチな生活を楽しむことができる一方、4分の3前後の
人は、家(マンション)をもつことはもちろん、その日の食費すらも、じゅうぶん
稼ぐことができないでいる。

 さらに悪いことに、先に書いた拝金主義が医療機関はもちろん、末端の政府機関に
まで、はびこり始めている。
マネーをもっている人は、治療を受けられる。
政府サービスを受けられる。
が、貧しい人たちは、そうした社会の外にはじき飛ばされる。
それが不平、不満となり、うねりとなり、中国社会を動かし始めている。

 上海万博で沸き立っている(?)中国だが、その中身はきわめて脆弱。
大都市には豪華なマンションのビルが立ち並ぶ。
しかしその大半は、空きや家。
投資のために建てられた空き家。
つまり中身は、からっぽ。

 今回の尖閣諸島事件は、そうした民衆の、(中国には「人民」はいても、「国民」は
いないとよく言われるので、ここでは「民衆」としておく)、不平、不満を外に
そらすために、中央政府が作りあげた事件とも言えなくもない。
そう、まさに、「今」というこのときに、今回の事件が起きた!

●レア・メタル(泥土)問題

 中国政府は、レア・メタルに関して対日輸出を停止した。
公式には「停止した」とは言っていない。
しかし事実上、停止した。
(公式にそれをしたとなると、国際的に袋だたきにあう。)

 が、恐れるに足りず。

 これだけ経済がグローバル化してくると、対一国だけに輸出規制をかけても、
意味はない。
たとえば昔、私がある商社にいたころ、こんなことがあった。

 日本からの洪水のように押し寄せる繊維製品に、アメリカが音を上げた。
そこでアメリカ政府は、日本からの輸入に規制をかけた。
が、日本の商社はそんな規制など、どこ吹く風。
そのころサンフランシスコに向かっていた輸送船を、太平洋上ですべてUターン。
そのままオランダのアムステルダムへ。

 その輸送船がアムステルダムへ着くころには、すでにオランダ・XX会社が
設立されている。
つまりオランダ・XXを一度経由することによって、今度は「オランダ製(ものは
日本製のまま)」として、ニューヨーク港で陸揚げ。
繊維規制など、日本の商社は、こうして無力化してしまった。

 ずるいと言えば、ずるい。
しかし朝飯前。
こんなことができないようであれば、「総合商社」の名が泣く。
もし私が今、商社マンなら、即座にフィリッピンにレアメタルの加工工場を開く。
その加工工場に、中国のレアメタル(泥土)を輸入させる。
相手がフィリッピンなら、中国も規制できない。
日本はゆっくりと、そのあとフィリッピン製のレアメタルを、フィリッピンから
輸入すればよい。

 相手は中国。
フェアプレイなど、通用しない。
フェアプレイなど、考えなくてもよい。

●墓穴

 尖閣諸島周辺が、がぜん緊張してきた。
日本の巡視船と中国の哨戒船が、一触即発の状態で向かい合っている。
しかしここは音無の構え。
けっして相手のワナにはまってはいけない。
じっとがまんのとき。
感情的になり、先に手を出した方が負け。

 日本はあとは粛々と事務的に、ことを運んでいけばよい。
なおこの話を昨日、ある中学生(2年男子)に話したら、彼はこう言った。
「アメリカが助けてくれるよ」と。

 しかしアメリカは、そんな甘い国ではない。
頼りにしたとたん、中国以上のキバをむいて、日本に襲いかかってくる。
(今のアメリカは、傷を負ったオオカミのような状態。気をつけるべし。)
だからここは冷静に。
ただひたすら冷静に。
中国が騒げば騒ぐほど、中国は自ら墓穴を掘る。
すでに東南アジア諸国が、日本と連携して、中国包囲網を敷くという構想も
生まれつつある。
孤立するのは中国。
損をするのは中国。
が、それだけではない。

 冒頭の話にもどる。
それが引き金となって、中国のバブル経済が崩壊するかもしれない。
日本ももちろん大きな影響を受ける。
それはそれとして覚悟しておかなければならない。
しかしこれはまさに「戦争」。
「経済戦争」という「戦争」。
勝つか負けるか。
無傷のまま戦争に勝つことはできない。
またそんなムシのよい話は、通用しない。

がんばれ、日本!
負けるな、日本!
ひるむな、管さん!
2010/09/29記

(注)時間の関係で、未推敲のままの荒っぽい文章で、ごめん!


Hiroshi Hayashi+++++++Sep. 2010++++++はやし浩司

●地球温暖化  ●虚しさについて





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子育て最前線の育児論byはやし浩司   2010年 9月 29日
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【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

(9月1日)の相談より
【O県のRTさんより、はやし浩司へ】

以前にも息子の件でご相談させていただきました。
以前の相談内容です。
息子は現在、中学2年生、14歳です。↓

中学に入ってから登校する時、偶然同じ学年の子と会っても挨拶もせず避けるように行っ
てします。
学校では積極的に自分から動くことはなく、授業中もうつむいていることが多い、という
ことです。
息子は周りを気にするあまり、自分が見えていない。主人と話すときも自信がなさそうな
小さな声でボソボソ話したり、黙り込んでしまいます。
人の話をCと聞いて、自分の考えを人に伝えることが苦手なように 思えます。

あれから1年…
今回の相談なんですが…
担任の先生やクラスも変わって少しですが、自分を出せるようになってきたと思います。

今から実家に帰るという時に、息子の部屋からを女子の水着・体操服がでてきたんです。
私は訳が分からず、真っ先に主人に言いました。主人も信じられない顔していました。
主人は息子を2階の部屋に呼び2人きりで話をして、その後は、みんなで実家に帰りまし
たが気分はずっと落ちこんでいる状態です。
私の実家にもよる予定でしたが、急きょ、主人と息子だけ先に家に帰ることになり私と娘
だけ実家に寄りました。

家に帰ってからの主人と息子の様子を聞きました。
まず、その持ち物は好きな女の子のものだということ。
忘れ物を取りに教室へ行ったときに、見つけて誰もいなかったから盗ってしまったこと。
後で先生の方から持ち物が無くなったが知らないかとクラス全員に聞いたが黙っていたこ
と。
主人はかなりのショックで息子に対してどう接したらいいのか悩んで、仕事も手に付かな
いといった状態です。

その日は息子の部屋をすべて見て押し入れの中からはアダルト系のマンガも出てきて、そ
れは友達から借りたのがきっかけで自分で買うようになったようです。
とにかく、マンガやゲームなどすべて部屋から出して部屋をすっきりキレいにして、過去
のことは忘れて、これからは生まれ変わった気持ちで頑張っていこうと約束しました。

それから半月たちましたが、部屋にはマンガが転がり、夏休みの宿題も結局進まず主人が
徹夜で手伝い、ギリギリ終わらせたのですが、息子本人は焦りもなく、主人に対しても何
も言わず学校に行きました。
自分の思いを出すのが苦手で、宿題も読書感想文など自分の考えをまとめる宿題は一切手
に付かない状態で主人が考える始末。

夏休みの部活中にも携帯を持って行ったことで呼び出され、ガラスを割って(ドアに鍵が
かかってたので窓から入ろうとして手で押したら割れた)、呼び出され、もうどうしていい
のか……勉強も苦手意識が強く、積極的にできません。
来年は受験も控え心配です。

このままでは自分の意見や気持ちも言えない。
それが原因で大人になって悪い方向にいかないか。
心配で仕方ありません。

今の息子の気持ちを前向きにポジティブに子供らしく向けるにはどうすればいいのでしょ
うか。
主人や息子のために私は何ができるのでしょうか。

どうか内容はわからないようにお願いいたします。

わがままを言って申し訳ありません。

よろしくお願いいたします。

【はやし浩司よりRTさんへ】

 「役割混乱」という言葉を知っていますか。
RTさん、あなたの子ども(U君としておきます)は、今、自分らしさをつかもうと必死
でもがいています。
が、それができない。
何をしても、親(=あなた)に頭から否定されてしまう。
あなたのメールを読んだとき、いちばんドキッとしたのは、つぎの部分です。

『……とにかく、マンガやゲームなどすべて部屋から出して、部屋をすっきりキレいにし
て、過去のことは忘れて、これからは生まれ変わった気持ちで頑張っていこうと約束しま
した』と。

 あなたはU君の住む世界を、粉々に破壊しています。
気がついていますか?
悪玉親意識(=親風)が強すぎるというか、ふつうの常識では考えられない行為です。
だれが、「すべて部屋から出した」のですか?
だれが、「部屋をすっきりした」のですか?
「過去のことをわすれて……」とは、どういうことですか?
「生まれ変わった気持ち」とは、どういうことですか?

 あなたは一方的に、自分の(わがまま)をU君に押しつけているだけ。
私にはU君の悲鳴が聞こえてきます。
悲鳴です。
が、それも言えない。
口に出すこともできない。
言えないほどまでに、あなたはU君を押さえつけてしまっている。
異常な過干渉と過関心。

加えて異常なまでの過保護。
『……夏休みの宿題も結局進まず主人が徹夜で手伝い、ギリギリ終わらせた』という部分
が、それです。
中学2年生の子どもが、親に手伝ってもらって、宿題を終わらせた?
U君のほうが助けを求めてきたのですか?
もしそうなら、それでよし。
しかし実際には、あなたがU君の宿題の進ちょく状況を調べ、終わらせたのではないです
か。
もしそうなら、生まれ変わるべきは、U君のほうではなく、あなたのほうです。
くだらない親意識は捨てなさい。
学歴信仰は捨てなさい。
U君をひとりの人間として認め、U君の立場に立って、U君の苦しみや悲しみを理解しな
さい。

いちばん悲しい思いをしているのは、U君です。
アダルト漫画すら、自由に読めない。
あなたには男子の生理が理解できないようですね。
「男」は、「女」ではありませんよ。
私も中学2年生くらいのときから、その種の本を読みあさっていました。
が、あなたは「女」の立場だけで、「男」を理解しようとしている。
あなたはそれに気づいていますか?
こんな状態になりながらも、『勉強も苦手意識が強く、積極的にできません。来年は受験も
控え心配です』とは?

 こうした問題には、必ず2番底、3番底があります。
今が最悪ではなく、さらに最悪な状態になって、「まだ以前のほうがよかった」とわかるの
です。
U君はすでに2番底から3番底へ向かっています。
へたをすれば、4番底へ!
覇気のない、ナヨナヨとした、つまり社会人として自立できない人間になってしまいます
よ。

 あなたのメールを読んでいると、私の母を思い出します。
私の母が、あなたそっくりだったからです。
だから私の兄は、生涯、母の奴隷のような人生を送ってしまいました。
母は「J(=私の兄)は、生まれつきああだ」を口癖にしていましたが、生まれたときか
ら、子どもの性格がわかる親などいません。

 この問題は、『ポジティブに子供らしく向けるにはどうすればいいのでしょうか』という
ような生易しい問題ではありません。
今より状況を悪くしないことだけを考えなさい!
なおす方法など、あるわけないでしょ。
U君を今のようなU君にしたのは、あなた自身だからです。

 盗みは悪いことですが、女性の水着や体操服に興味をもつのは、自然なことです。
中学2年生ですよ!
女性に興味をもち始めたことを、喜びなさい。
それが原動力となって、もろもろの「性的エネルギー」、つまり「生きる活力」へとつなが
っていくのです。
フロイトやユングの学説に、一度は目を通してみてください。
(「はやし浩司 性的エネルギー」で検索をかけてみてください。)
それともあなたは、U君を牧師か何かにでもするつもりですか。
私がU君なら、一日も、あなたのそばにいたくないですよ。
(だから私は郷里から飛び出すことばかり、考えていましたが……。)
力で抑え込んだところで、無意味です。
一方的な「約束」で、どうこうなるような問題ではないからです。
またどこかで水着や体操服を盗んでくるだけです。

 それにはっきり言いましょう。
あなたはU君を愛してはいない。
愛しているフリをしているだけ。
U君を自分の支配下において、あなたのロボットにしたいだけ。
自分の不安や心配を解消するための道具として、U君を利用しているだけ。
こういうのを、「代償的過保護」といいます。
「はやし浩司 代償的過保護」で検索してくだされば、いくつか原稿を読んでいただける
はずです。
つまりはストーカーと同じ、身勝手な愛。

 率直に言って、ここまで家庭教育が失敗していると、手のつけようがないです。
恐らくあなたがU君を妊娠したときから、そして生まれたときから、すでに親子のリズム
が狂いっぱなし、狂っていた。
その結果が今です。
もしすべきことがあるとすれば、(1)すべてをあきらめて、(2)U君をあなたの呪縛か
ら解き放ってやること。
今は自我の形成、さらには自我の同一性の確立に、たいへん重要な時期です。
U君が何をしたいのか、それを理解し、その方向にU君が進めるような環境づくりをして
あげることです。
が、それとて、1年単位の時間が必要です。
私の印象では、それもむずかしいのでは心配しています。
「生まれ変わるべき」は、あなた自身だからです。
あなたには、それができますか?
できないなら、いつまでも親風を吹かしていないで、あきらめなさい。
それがU君に伝わったとき、U君ははじめて、一歩、足を前へ踏み出すことができるので
す。

 ともかくも、あなたの「否定的な育児姿勢」。
「何をしてもだめ」と。
これがすべての元凶です。
その上で、「勉強だけはせよ」と。
U君の苦しみや悲しみには、いっさい耳を傾けない。
あなたは本当に、「親」と言えるのですか!

(1) 子どもの部屋には入ってはいけません。
入って、勝手にあれこれ調べてはいけません。
(2) 男子の「性」の問題は、父親に任せなさい。
女性のあなたが出る幕ではありません。
(3) 受験勉強は、なるようにしかなりません。
U君に任せて、自然の流れの中に、U君を置いてあげなさい。
(4) 学校での様子をあれこれ聞き出すような、スパイ行為はやめなさい。
U君のほうから相談でもあれば話が別ですが、いちいちそれを知り、U君を叱った
ところで意味はありません。
かえってU君を、自我の崩壊へと導くだけです。
中学2年生といえば、おとなですよ。
あなた自身も、そうだったでしょ。
何よりも重要なことは、U君を1人の人間として認め、U君の横に立ってやること
です。
親としてではなく、「友」として、です。

 「まだ間に合います」などという気休めを言うのも、疲れました。
ともかくも今は、「これ以上、状態を悪くしないこと」だけを考えて対処してください。
「ポジティブ」などと、おこがましいことは考えないこと。
そのときがきたら、子どもは、自ら必ずポジティブになります。
「そのとき」というのは、「自分の進むべき道を見つけたとき」という意味です。

 そのときは、あなたは子どもを信じ、子どもをうしろから支えてやります。
私も三井物産という会社をやめ、幼稚園の講師になるといったとき、母は電話口の向こう
で泣き崩れていまいました。
「浩C(=私)、あんたは道を誤ったア!」と。
そういう母親にだけは、なってはいけませんよ!

 きびしい意見を書きましたが、多くの親は、子どもに何か問題が起きると、子どもをな
おそうとします。
しかし子どもは、「家族の代表」に過ぎません。
今は、そういう考え方をします。
そういう視点で、U君の問題をもう一度、考えなおしてみてください。

 いいですか、親が子どもを育てるのではないですよ。
こうした問題をかかえ、それを乗り越えることによって、親が成長するのです。
つまり子どもが親を育てているのです。
今、U君は、あなたを懸命に育てようとしています。
だからあなたはもっと謙虚になって、U君に負けを認めなさい。
「お母さんが悪かったわ」と。
「ごめんね」と、すなおにあなたが言えたとき、U君はあなたに心を開くでしょう。
それができたら、またメールをください。
それができなければ、私ではなく、だれかほかの人に相談してください。
では、また。

はやし浩司
浜松市


Hiroshi Hayashi++++++++Sep. 2010+++++++++はやし浩司

●雑感(9月3日)

●床屋

 おととい、床屋に行ってきた。
いつもひげ剃りは断っている。
感染症がうつされたら、たまらない。
一応、カミソリはそのつど消毒、殺菌することになっているらしい(県の衛生部)。
しかし最近の床屋は、どこもいいかげん。
前の人に使ったカミソリを、そのまま使っている。

 が、おとといは断るのを忘れてしまった。
散髪が終わると、そのままひげ剃りに……。
ア~ア!
が、油断は禁物。
車に乗るとすぐ、エタノールで顔を消毒。
そのときはわからなかったが、けっこう、あちこちで目には見えない切り傷を
作られていた。
その部分で、エタノールが、シカシカと肌にしみる。
床屋はそのつど、粉状の止血剤をまぶしたり、熱いタオルで顔を押さえたりする。
しかしそれで安心してはいけない。

 HIV(エイズ)にせよ、肝炎にせよ、こうして人から人へと感染していく。
言い換えると、床屋でのひげ剃りは、今はもう必要ない。
とくに子どもには、必要ない。
もしそれでも……というのなら、床屋も医院なみの消毒設備を備えるべき。
つまりそれくらいの衛生意識を床屋もしっかりと、もつべき。

(1) 子どもが床屋へ行くときは、店主に、「ひげ剃りはしないでほしい」と、
はっきりと言うこと。

(2) 順番を待っているようなとき、カミソリをどのように消毒しているか、よく
観察すること。
あぶない店(?)では、ひげ剃りをしっかりと断ること。 


Hiroshi Hayashi++++++++Sep. 2010+++++++++はやし浩司

●BW教室(数の勉強)「幼児教育とは」

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幼児を教えるときのコツは、子どものもつ
リズムに合わせて、テンポの速いレッスンを
展開すること。
ダラダラとしたとたん、子どもの集中力が
失われる。
で、今週は、「数の学習」。
この数の学習で大切なことは、つねに刺激を
与えつづけ、子どもの頭を熱くすること。
冷やさない。
いろいろな角度から、子どもの頭を刺激する。
子どもの学習能力は、おとなのそれより
何倍も速い。
すぐ先を読むようになる。
思考をパターン化する。
そのためつねに意外性を用意し、思考が
パターン化するのを防ぐ。
同時に「数は楽しい」という印象づくりを
しっかりとする。
そのために、教える側の私が楽しむ。
楽しめば、子どもも楽しむ。
その「楽しさ」が重要。
こうした指導を幼児期にしておけば、あとは
子どもは子ども自身のもつ力で、自分で
伸びていく。
それが幼児教育。

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【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【第三の選択】

●猛暑

暑い!
本当に暑い!
今日は昼寝をしただけで、気分が悪くなってしまった。
軽い熱中症にかかったらしい。
軽い頭痛と吐き気。

 私は子どものころは、暑さには強かった。
というより、夏の暑さが好きだった。
夏が近づいてくると、それだけでワクワクした。
そんな私だったが、今年の夏は、身にこたえる。
8月の気温にしても、平年より2~3度高かったという。
その暑さが今日もつづいている。

が、その前にみなさん、「平年」という言葉にだまされてはいけない。
平年というのは、過去30年間の平均気温をいう。
10年ごとに過去30年間の平均をとり、それを「平年」という。
だからたとえば、50年ごとに平均気温が10度ずつあがっても、
「平年より2~3度高い」で終わってしまうこともある。
仮にこの先、同じような夏が30年もつづけば、それが「平年並み」となる。

だから地球温暖化(火星化)にしても、50年前と比べてどうなのか。
100年前と比べてどうなのか。
そういう比較をしてみて、はじめてわかること。
たとえば私の子ども時代。
ちょうど50年前。
昨年は「冷夏」だったという。
しかしそれでも、私が子どものころの夏よりは、暑かった。
気温が30度を超えるのは、毎年梅雨が明けてから。
7月15~20日前後。
それに当時の夏は短かった。
8月15日の盆を過ぎるころには、冷気を含んだ秋風が吹き始めた。
川の水は冷たく、足を入れることもできなかった。
私たちは土手の上から、どこかものほしげに川面(かわも)をながめた。
それが夏の終わりだった。

●たった10年で!

 どうなるのか?
この先、地球は、どうなるのか?
それを考えると、ときどき足元をすくわれるような不安感に襲われる。
私たちのことはよい。
もうじゅうぶんに人生を楽しんだ。
それに……。
地球が火星化するころには、私たちはこの世にいない。

 が、子どもたちは、そうでない。
現在、5歳、6歳の子どもたちが、今の私の年齢になるころには、地球温暖化の
問題は、さらに深刻化しているはず。
忘れてならないのは、たった10年前には、科学者たちはこう言っていた。
「2100年ごろには、地球の気温は、3~4度上昇するだろう」と。
が、すでに瞬間的ではあるにせよ、2~3度も上昇している。
たった10年で!

 子どもたちを見ながら、申し訳ない気持ちになるのは、私だけだろうか。
今の今も、無力感を覚えながら、日々を何となくごまかして生きている。
そこにいる大罪から、わざと目をそむけながら、生きている。
「これではいけない」と思いつつ、結局は何もできない。
できることもない。
そのかわりデスクの横にある、カタログに目を通しながら、「つぎはどんな
パソコンを買おうか」などと考える。

 この無責任。
無感覚。
危機意識のなさ。
あるいは人間というのは、それを繰り返しながら、ますます鈍感になっていく
ものなのか。
つまり日々の日常性の中に身を隠し、脱力感とあきらめを繰り返しながら、
鈍感になっていく。

●第三の選択

 若いころ、『第三の選択』※という本を読んだ。
実際には、テレビを見て『第三の選択』という言葉を知り、そのあとあわてて、
その本を書店で求めて読んだ。

 恐ろしい本だった。
人類を救済するための方法が書かれていた。
核兵器で大気に穴をあけるとか(第一の選択)、地下に生活基盤を移すとか(第二の選択)、
そんなようなことが書いてあった。
が、結局は一部の人類だけを救済し、あとは自滅するのを待つというような内容の
本だった。
それが第三番目の選択とか。
あとになって、ただのSF小説と知ったが、それを読んだときには、あまりのリアルさに、
身が震えた。
が、それが今、可能性を超えて現実の選択になりつつある。
60億以上の人々を救うことは、不可能。
人間が生来的にもつ欲望をコントロールするのは、不可能。
それをキリスト教で「原罪」というのかどうかは知らないが、もし人間が生まれながらに
してもつ「罪」があるとするなら、欲望こそが、「原罪」ということになる。

 だったら、一部の人間だけを救い、残りの私たちはいさぎよく「死」を選択する。
人類が全滅するよりはよい。
一部の人たちが、私たち人間が生きたという証(あかし)を、未来へ残してくれる。
もしその希望すら失ってしまったら、それこそ人間は何のために生きているのかという
ことになる。

●阿鼻地獄

 が、私が本当に恐れるのは、地球の火星化ではない。
その火星化に至るプロセスの中で、人間が地獄を経験すること。
それはまさに人間を人間の燃える火で焼く、阿鼻地獄。
どんなに想像力が豊かな人でも、その阿鼻地獄までは想像できないだろう。
人間が心の内部から破壊される。
そのとき人間は悪魔と化し、人肉をむさぼるようになる。
先に書いた「原罪」には、それほどまでに恐ろしい力がある。

 ……私たちにはそれに耐える力があるか?
それを乗り越えるだけの道徳や倫理、哲学を構築することができるか?
またそれまでに間に合うか?
「絶望」という言葉に敗れてはいけない。
最期の最期まで、人間は人間らしく生きる。
それは果たして可能なのか?

●火星

 20万年前。
一説によると、火星にも豊かな海があったという。
どうやら陸もあったらしい。
川が流れた痕跡もあちこちに残っている。

 が、それがこれまた一説によると、現在の地球温暖化と同じようなことが起き、
火星は今に見るような火星になったという。
地球より小さな惑星だったこともあり、温暖化は一気に進んでしまったらしい。
原因は何であれ、地球も今、同じような運命をたどりつつある。
恐ろしいのは、その変化が、だれの目にもわかるほど、速いということ。
ジワジワ……とか、徐々に……というのではない。
世界のあちこちで、ドカン、ドカンと起きている。
まだ散発的だからよい。
こうした変化がやがて連続性を帯びたときがこわい。
ひとつのドカンが終わる前に、つぎのドカンが起きる。
それがこわい。
不測の事態が不測の事態を呼び起こし、そのとき地球は、一気に破滅へと向かう。

 よく誤解されるが、地球温暖化は、2100年に終わるわけではない。
もしここで化石燃料の使用をいっせいにやめたとしても、「温室効果」はそのまま
残る。
つまり地球の温暖化は、そのあともつづく。
2100年は何とか通り抜けることはできても、2200年にはわからない。
2200年は何とか通り抜けることはできても、2300年にはわからない。
一説によれば、そのころ地球の気温は、400度近くまで上昇するだろうと言われて
いる。
400度だぞ!

●おバカ博士

 今夜も暗い話を書いてしまった。
「今夜こそ、明るい話題を」と思ったが、やはり書いてしまった。
できれば日々の日常性の中に身を隠し、「我、関せず」と、のんびりと生きたい。
またそういうテーマにしぼって、ものを書きたい。
それにこんなことを書いても、かえって読者の皆さんを不安にするだけ。
解決方法もない。

 そう、どこかのおバカ博士のように、パワーストーンでも売って、気休めを
したほうがよいのかもしれない。
「このブレスレットを腕に巻いていれば、悪魔は退散する」とか、何とか言って。
値段は、4万5000円。
もとは中国から仕入れた、安物の宝石。
5色の宝石。

 バカバカしい……。
バカバカしいが、人間は一方で、それ以上にバカなことを毎日している。
私もしている。
あなたもしている。
その結果が、今に見る、「地球温暖化」ということになる。
だれがあのおバカ博士を、どうして笑うことができるだろうか? 

 ……ということで、兎にも角にも、「精進」あるのみ。
日々に研鑽あるのみ。

 そうそう数日前、ある従兄弟とこんな会話をした。
私の母の三回忌をどうするかと聞いてきたので、「考えていない」と答えると、
「親の三回忌をしないで、どうする!」と。
今年の夏の暑さを考えたら、三回忌どころではない。
ないが、私はこう答えた。

「近く、寺へ行って、供養してもらってきます」と。

 そう答えた自分が、限りなくバカに思えた。
情けないほど、バカに思えた。
そう、もし第4の選択肢があるとするなら、みんなバカになって、バカのまま
死ぬこと。
ひょっとしたら、そのほうがよいかもしれない……とまあ、とんでもないことを
書き始めたので、この話はここまで。

とりあえず明日は土曜日だから、「原罪」について考えてみたい。
人間が生来的にもつ「欲望」について、考えてみたい。

 では、おやすみなさい!
ワイフは、すでに床に入って寝息をたてている。

(2010年9月3日、午後11時45分。
まこの時刻になっても、首下を流れる汗がまだ止まらない!)

●不眠

 時刻は今、午前2時30分。
2時間半も、寝床でもがいていたことになる。
原因は、寝る前に飲んだ、ウーロン茶(?)。
近くのコンビニで買ってきた。
濃厚なウーロン茶だった。
それを約1リットルも飲んだ。
それで頭が冴えてしまった。

 最近は少なくなったが、ときどきこういうことがある。
眠るタイミングをはずすと、そのまま寝損ねてしまう。
今がそうだ。
「早く眠らなければ……」と思えば思うほど、頭が冴えてしまう。

 で、思い切って起きてしまった。
床から出て、居間へ。
電気をつけて、このパソコンに電源を入れた。
どうせ明日は土曜日。
……というか、すでに土曜日。
こういうときは、なるように身を任せるのがよい。
眠くなったら寝る。

●週刊誌

 そのコンビニで、ワイフが買い物をしている間、いくつかの週刊誌を
立ち読みした。
その中のひとつの週刊文春。
「世界恐慌が近い」という記事が載っていた。
現在の世界経済は、あの世界恐慌の前の状況にたいへん似ているとか。
それに民主党の党首選挙。
「小沢一郎は、強制訴追を避けるため、党首選挙に打って出た」と。
総理大臣になれば、強制訴追されないですむ。

 ……いろいろな説が交錯している。
たしかに世界の経済はおかしい。
民主党もおかしい。
どちらもつかみどころがないほど、混乱している。
ドロドロというか、グチャグチャ。
まさに一寸先は闇。
明日、何が起きてもおかしくない。

●眠くなってきた

 少し眠くなってきた。
先ほど精神安定剤を半錠と、睡眠導入薬をひとかけら口に入れた。
風はぐんと涼しくなった。
よかった。

 一説によると、人間は、2、3日くらいなら、眠らなくてもだいじょうぶだそうだ。
それよりも気をつけなければならないのは、ストレス。
「眠らなければならない」と自分を追い込むと、それがかえってストレッサーに
なってしまう。
心身によくない。
だからここは自然体で臨むのがよい。

 ウム……。
かなり眠くなってきた。
まぶたが重くなってきた。

 明日は、(といっても、今日だが……)、近くのパソコンショップへ行ってくる。
2テラバイトのハードディスクが、9000円弱で売りに出されるとか。
買うかどうか、まだ決めていない。
が、ほしい!
2テラバイトというのは、つまり2000ギガバイト!
「すごい!」の一言。
それにしてもハードディスクも安くなったものだ。
たった10年前には、10ギガのハードディスクに驚いた。
それが今では、2000ギガ!
そのチラシを見ていれば、たぶん、眠ってしまうはず。

 では、みなさん、今度こそ、本当に、おやすみなさい!

 そうそう先ほど床の中で、母の三周忌は簡素にすますと決めた。
「地蔵十王経」(=日本でできた偽経※)の言いなりにはなりたくない。
あんなのは迷信以上の迷信。
(私は自分でCと調べたぞ!)
形式的な儀式をすれば、それでよいというものでもない。
それで死者を悼むことができるというのは、どう考えても納得できない。
「墓参りだけは……」とは思うが、この暑さではどうにもならない。
もう少し涼しくなったら、考えよう。

 ……ということで、私には私なりの生き様がある。
これからはその生き様を、もっと明確な形で貫きたい。
残りの人生も少なくなってきた。
親類がどう言おうと、私の知ったことではない。
自分の生き様を確立できないような人は、世間に迎合して生きればよい。
好きなように私を批判すればよい。
 
(注※「第3の選択」Infoseek HPより)

『……米ソの間の秘密協定が疑われる中、ガーシュタイン博士はとうとう第3の選択の内
容を明らかにする。それは環境の悪化によって住めなくなる地球を捨て、人類の選ばれた
一部だけでも火星で生き延びさせるという驚くべき内容であった。(ちなみに第1は核兵器
で大気の層に穴をあけ熱を逃がす。第2は地下に生活基盤を移す。もちろん選ばれし人々
のみ)』(以上、「Infoseek HP」より。)

(注※「地蔵十王経」)

【堂々たる迷信】(初七日、四十九日の法要)

●地蔵十王経

「地蔵十王経」の由来については、ウィキペディア百科事典が、詳しく書いている。
難解な文章がつづくが、そのまま紹介させてもらう。

+++++++++++以下、ウィキペディア百科事典より++++++++++

仏教が中国に渡り、当地の道教と習合していく過程で偽経の『閻羅王授記四衆逆修生七往
生浄土経』(略称として『預修十王生七経』)が作られ、晩唐の時期に十王信仰は成立した。
また道教経典の中にも、『元始天尊説鄷都滅罪経』、『地府十王抜度儀』、『太上救苦天尊説消
愆滅罪経』という同名で同順の十王を説く経典が存在する。
『預修十王生七経』が、一般的な漢訳仏典と際立って異なっている点は、その巻首に
「成都府大聖慈寺沙門蔵川述」と記している点である。漢訳仏典という用語の通り、
たとえ偽経であったとしても、建て前として「○○代翻経三蔵△△訳」のように記すのが、漢
訳仏典の常識である。

しかし、こと「十王経」に限っては、この当たり前の点を無視しているのである。この点
が、「十王経」類の特徴である。と言うのは、後述の日本で撰せられたと考えられる『地蔵
十王経』の巻首にも、同様の記述がある。それ故、中国で撰述されたものと、長く信じら
れてきたという経緯がある。ただ、これは、『地蔵十王経』の撰者が、自作の経典の権威づ
けをしようとして、先達の『預修十王生七経』の撰述者に仮託したものと考えられている。
また、訳経の体裁を借りなかった点に関しては、本来の本経が、経典の体裁をとっておら
ず、はじめ、礼讃文や儀軌の類として制作された経緯に拠るものと考えられている。

+++++++++++以上、ウィキペディア百科事典より++++++++++

要するに、「地蔵十王経」というのは、中国でできた偽経の上に、さらに日本でできた偽経
ということ。
が、この「地蔵十王経」が、日本の葬式仏教の基本になっているから、無視できない。
たとえば私たちが葬儀のあとにする、初七日以下、四十九日の儀式など、この
「地蔵十王経」が原点になっている。

+++++++++++以下、ウィキペディア百科事典より++++++++++

死者の審理は通常七回行われる。没して後、七日ごとにそれぞれ秦広王(初七日)・初江王
(十四日)・宋帝王(二十一日)・五官王(二十八日)・閻魔王(三十五日)・変成王(四十二
日)・泰山王(四十九日)の順番で一回ずつ審理を担当する。

ただし、各審理で問題が無いと判断された場合は次の審理に回る事は無く、抜けて転生し
ていく事になるため、七回すべてやるわけではない。一般には、五七日の閻魔王が最終審
判となり、ここで死者の行方が決定される。これを引導(引接)と呼び、「引導を渡す」と
いう慣用句の語源となった。

七回の審理で決まらない場合も考慮されており、追加の審理が三回、平等王(百ヶ日忌)・
都市王(一周忌)・五道転輪王(三回忌)となる。ただし、七回で決まらない場合でも六道
のいずれかに行く事になっており、追加の審理は実質救済処置である。もしも
地獄道・餓鬼道・畜生道の三悪道に落ちていたとしても助け、修羅道・人道・天道に居た
ならば徳が積まれる仕組みとなっている。

なお、仏事の法要は大抵七日ごとに七回あるのは、審理のたびに十王に対し死者への減罪
の嘆願を行うためであり、追加の審理の三回についての追善法要は救い損ないを無くすた
めの受け皿として機能していたようだ。

現在では簡略化され通夜・告別式・初七日の後は四十九日まで法要はしない事が通例化し
ている。

+++++++++++以上、ウィキペディア百科事典より++++++++++

つまり人は死ぬと、7回の裁判を受けるという。
死後、七日ごとにそれぞれ、

(1)秦広王(初七日)
(2)初江王 (十四日)
(3)宋帝王(二十一日)
(4)五官王(二十八日)
(5)閻魔王(三十五日)
(6)変成王(四十二日)
(7)泰山王(四十九日)の順番で一回ずつ審理がされるという。

ただし、各審理で問題が無いと判断された場ばあいは、つぎの審理に回ることはなく、
抜けて転生していくことになるため、七回すべてやるわけではないという。

一般には、五十七日の閻魔王が最終審判となり、ここで死者の行方が決定される。これを
引導(引接)と呼び、「引導を渡す」という慣用句の語源となったという(参考、引用、
ウィキペディア百科事典より)。

わかりやすく言えば、最終的には、五十七目に、閻魔王が、その死者を極楽へ送るか、地
獄へ送るかを決めるという。

私たちも子どものころ、「ウソをつくと、閻魔様に、舌を抜かれるぞ」とよく、脅された。
しかしこんなのは、まさに迷信。
霊感商法でも、ここまでは言わない。
もちろん釈迦自身も、そんなことは一度も述べていない。
いないばかりか、そのルーツは、中国の道教。
道教が混在して、こうした迷信が生まれた。
極楽も地獄も、ない。
あるわけがない。
死んだ人が7回も裁きを受けるという話に至っては、迷信というより、コミック漫画的で
すらある。

法の裁きが不備であった昔ならいざ知らず、現在の今、迷信が迷信とも理解されず、葬儀
というその人最後の、もっとも重要な儀式の中で、堂々とまかり通っている。
このおかしさに、まず私たち日本人自身が気づべきである。

「法の裁きが不備であった昔」というのは、当時の人たちなら、「悪いことをしたら地獄へ
落ちる」と脅されただけで、悪事をやめたかもしれない。
そういう時代をいう。
「死」というのは、どこまでも厳粛なものである。
そういう「死」が、ウソとインチキの上で、儀式化され、僧侶たちの金儲けの道具になっ
ているとしたら、これは問題である。
このおかしさ。
そして悲しさ。

仏教を信ずるなら信ずるで、もう一度、私たちは仏教の原点に立ち戻ってみるべきではな
いだろうか。

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て 
はやし浩司 Hiroshi Hayashi education essayist writer Japanese essayist 地蔵十王経 
初七日 四十九日 法要 偽経 第3の選択 第三の選択 地球温暖化 地球火星化)


Hiroshi Hayashi+++++++Sep. 2010++++++はやし浩司

【付記】地上オゾン(光化学オキシダント濃度)

●もうひとつの地球温暖化問題

++++++++++++++++++++

2年前と、7年前に書いた原稿を、
再掲載します。

++++++++++++++++++++

●地上オゾンの恐怖(Photochemical Oxidant)
Photochemical Oxidant is to affect the growth of plants and vegetables on earth.
According to the recent research done by Agricultural Environment Technical Center of
Japan, in China the production of cereals would be dropped abt . 40%~60% by the year
of 2020.

+++++++++++++++

TK先生から、地上オゾンの話を
聞いてから、もう7、8年になる。

中国から流れてきた排気ガスが、
光化学オキシダントとなって、植物の
光合成に影響を与えるというのだ。

TK先生は、当時、すでに沖縄などでは、
20%近く収穫量が落ちているという
ような話をしてくれた。
(聞き覚えなので、この数字は不正確。)

しかしそれがますます現実味を帯びてきた。

読売新聞は、つぎのように伝える。

++++++++++以下、読売新聞++++++++++

 中国大陸からの大気によって、光化学オキシダントの濃度が上昇する
「越境汚染」問題で、日本海沿岸部のある地点のコメの収量を調べたところ、
内陸部との比較で、約1割少なくなっているとする研究結果を、
農業環境技術研究所(茨城県つくば市)が、20日、山口県で
開かれた日本農業気象学会で発表した。

 光化学オキシダントは近年、日本海の離島などで、高濃度で観測され、
昨年は新潟、大分県で注意報が発令された。
農作物の収量減少は実験から推測されてはいたが、部分的とはいえ、
実際に濃度と収量の関連が裏付けられたのは初めて。

 研究は、長谷川利拡主任研究員によるもの。品種と肥料水準は、
同一の日本海沿岸部の1地点と約30キロ内陸に入った1地点を選び、
1980年からの収量データを比較した。両地点の近くで測定された
光化学オキシダントの5~9月の平均濃度は、2001~05年の
平均では沿岸地点が0・045ppmで、内陸地点の0・031ppm
より高かった。

 濃度は沿岸、内陸ともに上昇していたが、沿岸では96~05年にかけて、
毎年、内陸部の2倍にあたる0・001ppm高くなっていた。

 両地点の玄米の1平方メートル当たりの収量は、
沿岸は80~96年は平均588グラムだったのが、
97~05年は560グラムに減った。逆に内陸では、
577グラムから609グラムに増えた。
80年代は沿岸の方が内陸よりも多かった収量が、
90年代半ばから逆転し始め、2000年以降は内陸が沿岸を常に上回った。

 沿岸では、内陸と異なり、夜になっても光化学オキシダント濃度が下がらなかった。
夜間に海からオゾンが流れ込み、昼間の高濃度を保ったとみられる。

 小林和彦東大教授(農学)によると、収量が減るのは、
光化学オキシダントの主成分であるオゾンが植物の葉の中に入り、
光合成作用を妨げるため。農作物への影響について、
中国では研究者らが「2020年には濃度が0・055ppmを超え、
大豆、トウモロコシ、小麦の収量が40~60%減少する」と推定している。

+++++++++以上、読売新聞(3月20日)+++++++++++++

とくに気になるのは、最後の部分。そこには、こうある。

「中国では研究者らが、2020年には濃度が0・055ppmを超え、
大豆、トウモロコシ、小麦の収量が40~60%減少すると推定している」と。

わかりやすく言えば、光化学オキシダント濃度(地上オゾン)がふえるため、
中国では、2020年には、大豆、トウモロコシ、小麦の収穫量が、半減する
というのだ。

しかしこれは何も、中国だけの話ではない。

読売新聞によると、すでに新潟県、大分県では、「注意報」まで発令
される状態になっているという。

今では酸性雨による木々の立ち枯れなど、珍しくも何ともない。
この日本でも、ごくふつうの景色になってしまった。

そこへ今度は、光化学オキシダント!

さらにそれに加えて隣の韓国では、中国からの黄砂による健康被害まで
報告されるようになっている。
黄砂は、大気汚染とは、直接には関係ない。
しかし(大気汚染)→(温暖化)→(砂漠化)→(黄砂の大量発生)と
つなげてみると、元凶は、やはり大気汚染ということがわかる。

不測の事態が、また別の不測の事態を生み出す。
このドミノ倒しによって、地球環境は、爆発的に悪化する。
ほんの7、8年前には、科学者の間では、ほんのうわさ話にしか過ぎなかった。
「地上オゾン」という名前すら、世間ではほとんど知られていなかった。

私が5年前に書いた原稿を載せる。日付は、03年の4月になっている。

+++++++++++++++++

●異常気象

 このところ、SARS(新型肺炎)だとか、北朝鮮問題とか、何かと世相が、騒がしい。
で、そういう騒がしさにまぎれて、おととい(4月17日)、静岡県のS町で、31・5度
という、観測史上はじまって以来という、気温を記録した。たしか昨年(02年)は、5
月末に、30度を超えたと思う。そのときも、「観測史上はじめて」という言葉を聞いたよ
うな気がする。(あいまいな記憶で、申し訳ありません。)それが今年は、去年より、約4
0日も、早まったことになる!

 私が子どものころは、30度を超えるのは、毎年梅雨あけの、7月に入ってからだった。
それがふつうだった(岐阜県)。30度を超えると、「真夏日」ということになり、川で泳
ぐのが許された。しかしそれとて、梅雨があけてからのこと。だいたい7月10~15日
過ぎのことだった。しかし今では、4月の中旬に、30度を超える!? ゾーッ!

 気象庁には、「平年並み」という言葉がある。しかしこの言葉ほど、いいかげんな言葉は
ない。気象庁がいう平年並みというのは、過去30年間の平均気温をいう。だからもし3
0年ごとに5度ずつ気温が上昇したとしても、平年並は、平年並になってしまう? 「今
年の気温は平年並みです」と。

 しかし地球温暖化は、確実に進行している。しかも予想より、はるかに早いペースで進
行している。数字の上では、この半世紀で、1度前後しか上昇していないというが、実感
は、とてもそんなものではない。気象庁は、ひょっとしたら、世界の指導者と申しあわせ
て、ウソを言っているのではないのか? ……つまりそう思ってもおかしくないほど、実
感気温とかけ離れている。

 たとえば気象庁の記録によれば、2000~02年度においてさえ、この浜松市での最
高気温は、31度前後(8月)ということになっている。しかしこんなのは、まっかなウ
ソ。昨年は、わりと涼しかったほうだが、それでも浜松市内では、連日、40度近くは、
あった。「今日の最高気温は、32度でした」などと報道されるたびに、私は温度計を見な
がら、「どこの気温のことを言っているのか?」と思った。

 しかしそれにしても、深刻な話である。地球温暖化が進めば、やがて地球は火星のよう
になると言う人もいる。今のまま温暖化が進めば、その可能性は、きわめて高い。そこま
でいかなくても、あと10年もすれば、2~3月期に、30度を超えるようになるかもし
れない。そうなれば日本の気象状態は、完全に狂う。

……と、まあ、地球温暖化の問題を考えていると、SARSや北朝鮮の問題が、小さく見
えてくるから不思議である。それにSARSや北朝鮮の問題は、まだ人間の力で何とかな
る。が、地球温暖化はそうではない。人類滅亡どころか、すべての生物が死滅する。

だから、地球温暖化を考えていると、「どう解決するか」ということよりも、「どう静かに
滅亡するか」という問題になってしまう。いや、滅亡するなら滅亡するで、かまわない。
問題は、それまでのプロセス。人間は、決して静かには滅亡しないだろう。恐らく(とい
うより、確実に)、まさに地獄を経験するに違いない。秩序やモラルは崩壊し、殺人や暴力
が、日常的に横行するようになる。略奪や殺人が、日常的に横行するようになるかもしれ
ない。知能が高い分だけ、「末期」は、悲惨(ひさん)なものになる。

 そこで人類には希望がないのかというと、方法がないわけではない。一つは宇宙へ飛び
出すという方法。もう一つは、人類がたくわえた知識や知恵を、コンピュータの形で後世
に残すという方法。地球の周辺に、何かのガスをまいて、それで太陽光線をさえぎるとい
う方法。あるいは太平洋のど真ん中で、数千発の核兵器を爆発させて、地球の大気に「穴」
をあけるという方法などがある。

どこかSF的だが、しかしすでにそういう方向で考えている科学者もいるという。いざと
なれば、方法はいくらでもある?

 しかしまあ、人間も、好き勝手なことをしたものだ。もっとも、私たちおとなは、自業
自得としての結果だから、あきらめることができるが、かわいそうなのは、子どもたちで
ある。これから先、どういう未来を経験することやら? 申し訳ないことをしたと思うの
と同時に、考えれば考えるほど、気が重くなる。たいへん悲観的なことを言うが、この問
題だけは、もうくるべきところまできたような感じがする。単純な問題ではないだけに、
どこから手をつけてよいのかさえわからない。たとえばこんなこともある。

 ところで「地上オゾン(対流圏オゾン)」という言葉を聞いたことがあるだろうか。種々
の排気ガスや煙が化学的に反応して、それが地上オゾンになるという。温室効果ガスの一
つだが、その地上オゾンが、5%ふえると、農作物が約20%減少するという※。そこで
あの北朝鮮だが、近年、農業生産が慢性的に不振状態にあるという。その原因のひとつが、
地上オゾンではないかと言われている。

もちろん韓国も影響を受けているらしい。もちろんその発生源は、中国、ロシア。日本も、
沖縄あたりに影響が出始めているという。農作物だけではない。森林も影響を受ける。そ
してその結果として、ますます地球の温暖化は進む……。あああ。
(030419……この原稿は、去る、4月19日に書いたものです。)

※……この数値は、ある科学者から直接、会話の中で聞いたもので、確たる根拠があるわ
けではありません。ただ沖縄地方における地上オゾン濃度の上昇率と、農作物の減少率が
根拠になっていると、その科学者は言っていました。(了解をもらっていないので、名前を
出すことができません。)

(注)ここでいうTK先生というのは、光合成、触媒の世界ではよく知られた、田丸謙二
先生をいいます。

+++++++++++++++++

最後に、昨日、こんなニュースが新聞に載っていた。
何でもあの火星から、塩のかたまりが、見つかったという。
しかもその塩のかたまりが、何百か所から見つかったという。

つまりかつては、火星にも海があったということ。

このことが何を意味するか?
一説によれば、火星にも人間のような知的生物がいたという。
その知的生物たちが、現在の地球人と同じように、発展とともの(?)、
火星温暖化を招いてしまったという。

もちろんこれはSF的な話でしかない。

……とまあ、いろいろ考えられるが、そこでどうだろう。
このあたりで、名前を変えてみたら……?

「地球温暖化」ではなく、「地球火星化」と。
そうすれば、もう少し、ことの深刻さを、より多くの人にわかって
もらえるようになるかもしれない。

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 
Hiroshi Hayashi education essayist writer Japanese essayist 地球温暖化 地球火星化 
光化学オキシダント 地上オゾン はやし浩司)


Hiroshi Hayashi++++++++Sep. 2010+++++++++はやし浩司


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【雑感】(9月1日)「虚しさ」をテーマに(改)

+++++++++++++++++

文章が雑だったので、推敲しなおして
みました。

+++++++++++++++++

●老いる

 老いることは、たしかにさみしい。
失ったもの、去っていった人たち、なくした時間などなど。
そういった思い出が、波打ち際にヒタヒタと打ち寄せる波のようにやってきては、
また去っていく。

 さみしいと言えば、さみしい。
さみしくないと書けば、嘘になる。
しかしそのさみしさに、時として、酔いしれる。
静かに時の流れの中に身を置き、ふと涙ぐむ。
それが老いるということではないか。

 ときどきあのときの、あの人は今ごろ、どうしているだろうと思う。
元気でいるだろうか。
それとも、もう亡くなっているだろうか。
確かめる方法がないわけではない。
しかしそれを確かめたところで、どうなる?
そのあと何をする?

●虚しさ

 定年後の再就職という言葉もある。
しかし定年後の再就職というのは、若いときの就職とは、本質的にちがう。
もしだれかが私にこう言ったとしよう。
「一生懸命がんばってください。10年後は、課長になってもらいます」と。

 しかしそんな申し出に応ずる人はいない。
課長職に魅力を感ずる人はいない。
またその目的のためにがんばる人もいない。
私たちはすでに、その虚しさというのを、いやというほど知っている。

 ただ私のばあい、その虚しさを、オーストラリアで学生をしていたころ知った。
当時の日本は、まさに高度成長期。
だれもが迷わず大企業を選択し、出世を夢見て、企業戦士としてがんばった。
当時の日本で、つまり日本の若者たちの中で、その虚しさを知っている人は、
いったいどれくらいいただろうか。

●教育学博士?

 ところで昨日、A・Cというタレントについて書いた。
肩書は「教育学博士」ということになっているが、教育学の博士?
(教育学だぞ!)
何度かテレビで講演をしているのを聞いたことがあるが、私は何も得るものはなかった。
専門用語もまったくと言ってよいほど、口から出てこなかった。

たとえば日本では、「○○大学教育学部教授」という肩書を使う人はいる。
しかし「教育学博士」という肩書を使う人はいない。
が、その博士?
私よりはるかに高い立場にいる人ということになる。
私よりはるかに高い見識と学識のある人ということになる。

 ああいうタレントが、(いくら肩書きがそうであっても、私は学者とは認めない)、
教育者として活躍しているのを見ると、いつもある種の虚しさを覚える。
恐らくその虚しさは、アフリカやアジアのへき地でボランティア活動をしている人たちが
感ずる、それと同じではないか。
ああいう一部のはねあがった人たちが、底辺でまじめにがんばっている人たちの心を、
平気で踏みにじる。

 難民救済活動?
アフリカの難民救済活動?
ふつうの常識のある人なら、そんなおこがましいことはとてもできない。

●偽善

 生きることには、いつも連続性がある。
その人がその人になるには、その土台に過去とのつながりがある。
それを連続性という。

 たとえば教育学博士であるにしても、日本ユニセフの親善大使であるにしても、
そこに至る過去があるはず。
積み重ねがあるはず。
さらに言えば、その周辺に、心理学でいうところの役割形成があるはず。
つまりその人らしい、(それらしさ)があるはず。

たとえば大学の教壇に立って、教育者を教育したとか、あるいは街中のホーム
レスの人たちの食事を世話したとか、など。
さらに言えば、学校の先生たちを指導しているとか、(子どもたちを教えている
とか)、あるいは孤児を預かって世話をしているとか、など。
そういうことでもよい。
それがここでいう(それらしさ)ということになる。
そういうものをいっさい省略して、いきなり「王手!(=博士)」は、ない。

 が、中には、(A・Cがそうというわけではないが)、善意ある人たちから
金をまきあげ、貧しい人たちを利用して、自分の利益や名声につなげていく人もいる。
私の恩師の松下哲子(のりこ)先生(幼稚園元園長)は、いつもこう言っていた。
「林さん(=私)、悪人の餌(えさ)にだけは、なってはいけませんよ」と。
悪人の餌になることは、自分で悪事をすることより、悪いことという。
その餌に、私たちはなっていないか?

一度、A・Cという人を観察しながら、私たちはそれを冷静に見つめなおして
みる必要がある。

 また雑誌や写真雑誌の報道によると、同じ日本ユニセフの重鎮であるKT氏は、
写真撮影のときだけ、やせ細った難民の子を抱きあげ、そのあとすぐ体中を消毒して
いたという。
もしこれが事実とするなら、これほどまでに悪臭に満ちた偽善はない!

●30兆円

 つい1か月ほど、「砂漠に水をまくようなもの」と書いた。
案の定、政府の対策は、何ら効果をもたらさなかった。
もたらさなかったばかりか、かえって円高を誘導してしまった。
某新聞は今朝になって、「焼け石に水だった」と書いている。

 私のようなド素人にもわかるようなことが、どうして日銀の総裁や政府の指導者
たちに、わからないのだろう。
30兆円もバラまけば、その後遺症はかならずあとになって出てくる。
そのときが、心配。
へたをすれば、ハイパーインフレ!
日本経済の崩壊は、可能性の問題ではない。
時間の問題。
それが秒読み段階に入った。

 日本と中国は2010年になって、16%以上も株価をさげている。
注視すべきは、その中国。
バブル経済が音をたてて崩れ始めている。
その威力は、ドバイショックの1000倍以上と言われている(某経済誌)。

 また今年になって、6~7年も書きつづけてきた『日韓経済戦争』の記事を
私は停止した。
「今さら、何を!」と言った状態になってしまった。
この虚しさ。
脱力感。

 イルボネ(日本人)よ、もう少し外の世界を見ろ!
緊張感をもて!
このままでは、日本は本当に沈没してしまうぞ!

●JAL問題

 JAL問題は、日本の官僚社会の縮図。
そう思って、日本の官僚社会を見ればよい。

 今の日本にとって重要なことは、JAL並みに、日本の官僚社会を破綻させること。
公務員の数を、半減、もしくは3分の1にすること。
人件費を減らし、無駄を省くこと。

 日本という国そのものが、JALと同じ問題をかかえている。
「一度日本経済を破綻させるしかない」と考えるのではなく、「破綻する前に、やるべき
ことはやる」。
それが官僚社会の破綻。
……というか、行政改革の大断行。
ふつうの「改革」では、だめ。
「破綻」に近い、「改革」。
それにはCとした理由がある。

 今のまま日本経済が破綻したら、イのいちばんに復活するのも、また官僚社会という
こと。
敗戦直後の日本を見れば、それがわかる。
あの文部省にしても、敗戦と同時にクビになった役人は1人もいない。
もっとも早く、きちんとした給料を受け取ったのは、ほかならぬ役人たちである。
次回もそうなる。

●民主党の小沢一郎

 民主党が、解党か沈没かという瀬戸際に立たされている。
仮に小沢一郎が党首になり、総理大臣になったら……。
現在、小沢一郎の支持率は、15%前後。
たったの15%前後。

「私が党首になれば、支持率は回復する」というようなことを言っている。
そうかな?
そうなるかな?
小沢一郎は、現実検証能力を完全に失っている。
つまり外から見た自分の姿が、わからなくなっている。
これは日本人の私たちにとっても、たいへん悲しむべきことと考えてよい。
そういう人物が総理大臣に就任したら、それこそ日本はメチャメチャになってしまう。

 なお小沢一郎は、どこかの講演で、尊敬すべき人物として織田信長をあげている。
中日新聞8月26日(2010)は、つぎのように報道している。

『……講演の中で尊敬する人物として、ふだんはあまり挙げたことのない好戦的な
織田信長に言及したのも、不気味といえば不気味』と。

 アノネ、織田信長は、民衆のために立ちあがった人でも、また日本の民主主義を
求めて立ちあがった人でもないノ!
ただの餓鬼。
権力の亡者。
『世界の暴君』という本があるが、その中でも1、2を争う暴君。
そういう頭の狂った人を尊敬して、どうするノ?

 ……ということで、「虚しさ」についての原稿はおしまい。
今朝のテーマは、「虚しさ」。
本当にこの世の中、考えれば考えるほど、虚しさばかりが襲ってくる。
まじめに生きるのが、バカバカしくなる。

 が、がんばるしかない。
今朝もメールでの相談が、3通も届いている。
まずそれから返事を書こう。

 今日から9月1日。
2010年9月1日。
気温は早くも26度。
今日も30度を超えそう。
おはようございます。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 
BW はやし浩司 日本ユニセフ AC A・C 霊感商法 教育学
博士 小沢一郎 民主党 はやし浩司 JAL問題)


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Sunday, September 26, 2010

●日中経済戦争(1)

【日中経済戦争】(1)

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まず敵を知る。
敵の内情を知る。
それが戦争のイロハ。
情報なくして、戦争はできない。
そこで今、中国経済がどうなっているか。
それを知る。

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●『VOICE』(以下V誌)

 V誌の「中国経済・墜落に備えよ」(10月号)は、読み応えがあった。
それを読むと、中国経済は、かなりあぶない。
「墜落」という言葉も、そこから生まれた。

 6人の識者が寄稿している。

(1)ビル・エモット氏……中国経済のキーポイントは、「インフレ」と説く。
(2)三橋貴明氏……異常な「投資依存経済」に、問題があると説く。
(3)岩本沙弓氏……バブル経済に問題があると説く。
(4)富坂聡氏……不動産バブルをどう始末するか、それで命運が決まると説く。
(5)片山修氏……中国の社会制度、商習慣に問題があると説く。
(6)何清連氏……上昇しつづける労務コストと、続発するストに問題があると説く。

 つい数日前、中国のジニ係数が、実際には5・0を超えているのでは……という記事を
どこかで読んだ。
ジニ係数……「ジニ指数」ともいう。
イタリアのコッラド・ジニによって考案された「所得分配の不公平さ」を測る指標。
これによって富の偏在性や、エネルギー消費における不平等さなどに応用される
(ウィキペディア百科事典)。

++++++++++++++++++

以前、ジニ係数について書いた
ことがある。
その原稿を掲載する。
日付は2008年となっている。
少し遠回りをするが、許してほしい。

++++++++++++++++++

【豊かさとは何か】

●相対的貧困層 

+++++++++++++

貧困かどうかということは、
相対的な満足度によって決まる。

家と車と家電製品をもっていても、
貧しい人は、貧しい。

その日、その日を生きていくだけで、
精一杯という人も、少なくない。

そこで最近では、国の豊かさを
測る尺度として、「相対的貧困率」
という言葉を使う。

+++++++++++++

 生活の豊かさは、「モノ」では決まらない。いくら家と車と家電製品をもっていても、貧しい人は、貧しい。その日、その日を生きていくだけで、精一杯という人も少なくない。

 そこで最近では、国の豊かさを測る尺度として、「相対的貧困率」という言葉を使う。わかりやすく言えば、生活に対する満足度ということになる。

 それによれば、

 メキシコ  ……20・3
 アメリカ  ……17・1
 トルコ   ……15・9
 アイルランド……15・4
 【日本】  ……15・3
 ポルトガル ……13・7
    ……
    ……
スウェーデン…… 5・3
チェコ   …… 4・3
デンマーク …… 4・3、だ、そうだ。

(OECD24か国平均……10・4)(2005年)

 日本は相対的貧困率でみるかぎり、貧しい国としては、上位5位ということになる。実際、「ワーキングプア」という言葉があることからもわかるように、この日本には、「働いても、働いても楽になれない」という人たちが、「全体の4分の1、400万世帯もある」(朝日新聞「キーワード」)そうだ。

 これらの人たちは、最低賃金や、生活保護以下の収入しか得られない人たちという。つまりその分だけ、所得格差が進んでいる。ジニ係数(ジニ指数ともいう)でみても、日本は、OECD25か国中、第10位ということになっている。ジニ係数は、所得のかたよりを測る指数と考えてよい。

 たとえば高所得者の4分の1の世帯が、全所得の4分の3を占め、残りの4分の3の人たちが、残った4分の1の所得を分けあう状態で、ジニ係数は、0・5となる。日本は、0・314(2005年)である。

 ……そういう意味では、この日本は、たしかに住みにくい国になりつつある。何をするにも、お金がかかる。どこへ行っても、お金がついて回る。まさに、マネー、マネー、マネーの国。お金がないと、それこそ、身動きができない。

 そこで知恵をしぼって、たとえば休日でも、できるだけお金を使わないですまそうとする。お弁当を用意して、無料の公園を散策したり、山歩きをしたりする。が、それでもお金がかかる。どういうわけだか、かかる。そういうしくみが、できあがってしまっている。

 言いかえると、お金を使わないですまそうと思ったら、家の中で、ゴロゴロしているしかない。しかしそういう生活を、だれも、豊かな生活とは言わない。つまり今、日本人の多くが感じている貧困感は、そういうところから生まれている(?)。

 では、どうすれば、豊かに生きられるのか? 「豊か」というより、「心豊か」と言いかえたほうがよい。

 私なりの実践法を並べてみる。

(1)家族が円満であること。これは心豊かに生きるための、第一条件。
(2)みなが、健康であること。これも心豊かに生きるための、第一条件。かりにだれかが病気であっても、それを前向きに受け入れてしまう。
(3)収入の範囲で、ほどほどの生活をする。できれば、常に最低限の生活を心がける。
(4)価値観を、(お金)から、(心)と(知恵)に移す。心の豊かさ、知恵の豊かさをもって、「豊か」と判断する。
(5)「私は私」という生き方を貫く。世間体、見栄、体裁は無視。冠婚葬祭を含めて、儀礼を廃する。

 私はとくに(4)が大切だと思う。心や知恵は、みがけばみがくほど、そうでない人が、そうでなく見えてくる。他人に対して優越感をもつことは、好ましいことではないが、しかしそのうち、愚かな人たちを相手にしなくなる。「私は私」という生きざまを貫きやすくなる。

 ……ともかくも、相対的貧困率が高いということは、けっして望ましいことではない。社会がそれだけ不安定化することになる。また国の豊かさというのは、いかに弱者にやさしいかで決まる。弱者にきびしい国というのは、それだけ未熟な国ということになる。

【付記】

●拡大する貧富の差とこれからの受験勉強

 この日本の社会では、静かに、密かに、しかし確実に、ジワジワと、貧富の差が拡大しつつある。

 このことは、工場労働者の構成を見ればわかる。

 近くのX自動車の下請けメーカーの中堅社員が、こんなことを話してくれた。

「社員といっても、何種類もいる。正社員のほか、パート社員、期間社員、アルバイト、人材派遣会社からの派遣社員などなど。

 さらに最近では、一応社員なのだが、独立した仕事だけをして帰る社員もいる」と。

 「どういう仕事ですか?」と聞くと、「たとえば会社で出す、人材募集のチラシを作ったり、社内報を作ったりする社員です。しかしこの社員は、社員というよりは、独立したアルバイトといった感じです。社会保険にも入れず、もちろんいっさいの保証はありません」と。

 手厚く保護される正社員。しかしその一方で、冷遇されるそれ以外の社員(?)たち。年俸にしても、数百万円以上もの差がある。が、「安い」だけではない。労働条件は、かえってきびしい。少しでもヘマをすると、即、クビという状態だそうだ。

 この日本では、今、確実に、貧富の差が、広がりつつある。やがてそのうち、社会問題化するのも時間の問題といってよい。数字を見てみよう。

 厚生労働省が04年6月に発表した、ジニ指数(世帯ごとの所得格差を示す)は、調査を始めた84年から、7年連続で、拡大をつづけている。

 昨年(04年)は、そのジニ指数が、0・498と、かぎりなく0・5に近づきつつある。

 0・5という数字は、高所得者の4分の1の世帯が、全所得の4分の3を占めることを意味する。残りの4分の3の人たちは、残った4分の1の所得を分けあうことになる。

 しかしこの数字を、深刻に考えている政治家は、少ない。……いない。経済界にいたっては、なおさらで、むしろ、こうした格差を歓迎しているふうですら、ある。理由がある。

 「こうした差こそが、やる気のある人にやる気を出させ、経済を活性化させる」と。

 つまり力があり、やる気のある人がいい生活をして、そうでない人が、そうでない生活をするのは、当然ではないか、と。そういう冷徹な論理である。が、どうもそれだけではないようだ。

 「この世の中では、支配階級と、だまってそれに従う階級がなければ、そもそもマネー社会(=マネー資本主義)は成りたたない」という論理がある。みなが平等になり、中産階級になってしまえば、社会の活力そのものが、停止してしまうという。例がないわけではない。

 かつて私が留学していたころのオーストラリアが、そうだった(1960~70年代)。

 当時のオーストラリアでは、年俸が、確か2万2000ドル(この数字は正確ではない)を超えると、とたんに、所得税率が極端にあがるしくみになっていた。だから、みな、2万ドル分までは働くが、それ以上に働いても意味がないというように考えるようになった。

 こうして「レイジー・オージー(怠け者のオーストラリア人)」が生まれたわけだが、この制度は、オーストラリアの活力そのものまで奪ってしまった。(もともと、土地を掘れば、鉱物資源が無尽蔵に出てくるという、ラッキーな国であったことも事実である。)

 だから経済界あたりでは、むしろ、貧富の差を助長することこそ、重要であるというような考え方をする。はっきり言えば、マスター(ご主人様)がいて、それに従順に従う、スレイブ(奴隷)がいたほうが、経済の活性化のためには、つごうがよいということになる。

 だから、官僚たちは、恥ずかしげもなく、こう言う。「林さん、労働者には、金(マネー)をもたせてはいけないのですよ。金をもったとたん、働かなくなりますから。万博でも何でもいい。そういうのを開いて、労働者に金を使わせる。貯金させてはいけないのですよ」と。

 これはある官僚から、私が直接聞いた言葉である。だから万博に反対というわけではない。経済界の論理というのは、そういうもの。

 それを知ってか、知らずか、地方の貧しい人たちが、バスに乗って、万博を見にくる。マンモスの像を見て、「マンモスだ」「マンモスだ」と、喜んでみせる。そこにある種の悲しさを覚えるのは、はたして私だけであろうか。

 話がそれたが、この貧富の差が大きくなればなるほど、またまた受験競争が燃えあがる。だれしも勝ち組に入りたいと願っている。「せめて、自分の子どもだけは……」と願っている。それが子どもの受験競争に拍車をかける。

 1995年~2000年にかけて下火になってきた、いわゆる受験産業が、このところまた息を吹きかえしつつ。そんな事情の背景には、こんな事実が隠されている。

 悲しいかな、今、この日本で、「受験」に背を向けて生きられる人(子ども)は、ほとんど、いない。そしてその傾向は、これから10年、さらにはげしくなる。貧富の差がはげしくなればなるほど、なおさらである。

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 ジニ指数 ジニ係数 貧富の差 受験競争 ジニ指数)

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●ジニ係数

 話を戻す。

 「係数の範囲は0から1で、係数の値が0に近いほど格差が少ない状態で、1に近いほど格差が大きい状態であることを意味する。ちなみに、0のときには完全な「平等」、つまり皆同じ所得を得ている状態を示す」(ウィキペディア百科事典)と。

 ジニ係数の計算方法については、「日本共産党」のHPに載っていたので、そのまま転載させてもらう。

**********以下、日本共産党のHPより***********

《ジニ係数の算出方法》

 ジニ係数の算出方法は、次の手順をふんで計算します。

 (1)対象となる集団に含まれるすべての数値間の差の絶対値を合計して、平均する(これを「平均差」という)。

 (2)全体の平均値を計算する。

 (3)平均差を全体の平均値の2倍で割る(2倍で割るのは、ジニ係数を0と1の間に収めるため)。この結果がジニ係数です。

 たとえば(245万円、362万円、826万円)のジニ係数は次のようになります。
 (1)(―245-362―+―245-826―+―362-245―+―362-826―+―826-245―+―826-362―)/6
=2324/6=387.3(平均差)

 (2)(245+362+826)/3=1433/3=477.7(平均値)

 (3)387.3/(2×477.7)=0.4054

 よって、ジニ係数は、0.4054
 
(注・― ―は絶対値記号)

**********以上、日本共産党のHPより***********

●ジニ係数、0・5

 中国のジニ係数も、0・5を超えているのではないかと言われている。
先にも書いたように、0・5というのは、おおざっぱに言えば、高所得者の4分の1の世帯が、全所得の4分の3を占めることを意味する。
残りの4分の3の人たちは、残った4分の1の所得を分けあうことになる。

 たとえば10世帯の人が、1億円を稼いだとする。
ジニ係数0・5の社会では、2・5人が、7500万円を自分のものにする。
平均所得は、3000万円となる。
残りの2500万円を、7・5人の人が分け合う。
平均所得は、333万円となる。
3000万円と333万円。
その格差は、約10倍となる。

 つまりジニ係数が0・5を超えるほどになると、不公平感が増大し、社会そのものが、不安定化する。
今の日本もあぶないが、中国は、もっとあぶない。
つまりこのジニ係数には、ひとつの盲点がある。

●ジニ係数の盲点

 ウィキペディア百科事典は、こんな例をあげている。
そのまま紹介させてもらう。

『……例えば、ある高級住宅地に年収10億円の人が99人、年収1兆円の大富豪が1人いるとする。そこでこの高級住宅地に住む100人を対象にジニ係数を計算すると約0.91となり、非常に格差が大きいが、年収10億円でもかなりの高収入であり、この状態が悪いとは一概に言えない』と。

 つまり日本でいう「0・5」と、中国でいう「0・5」には、本質的なちがいがある。
不平等は不平等だが、年収333万円でも、何とかそれなりの生活を維持することができる。
年収3000万円の人を、ときに「うらやましい」と思うことはあるが、「まあ、そんなものかな」と、たいていは黙って見過ごすことができる。

 しかし中国のような発展途上にある国では、そうでない。
1人当たりの国民所得が全体的に低い国では、不平等感は相乗的に大きくなる。
今日の食費もままならない家庭が大半を占める一方で、外国製の大型車を乗り回す家庭が、その隣にある。

 中国政府がもっとも恐れている部分は、実はここにある。
アキレス腱といってもよい。
不公平感が、いつその矛先を中国共産党に向けてくるか。
ハラハラドキドキ!
あの天安門事件にしても、その不公平感が引き金となったことは、よく知られている。

●三橋貴明氏の卓見

 三橋貴明氏は、『異常な「投資依存経済」に、問題がある』と説く。
V誌の記事を読み比べたとき、氏の記事がいちばん核心をついている。
中国政府は、外国からの投資を呼び込むことで、自国の発展をつづけてきた。
(このこと自体は、すでに10年以上も前から常識だったが……。)

 一方外国は、日本のような国から金(マネー)を借り、それをいったん売り(=円安になる)、ドルに交換したあと(=ドル高になる)、中国に投資してきた。
現在、中国向けの最大投資国が、この日本であることも忘れてはいけない。

 三橋氏の意見を要約してみる。

(1)中国政府(共産党)は、「保八」(=経済成長率を8%に保つ)に固執している。
(2)が、世界経済は縮小傾向にある。
(3)そこで中国政府は、外資を呼び込むことで、8%成長率を維持しようとした。
(結果、2009年の中国のGDPにおける「投資(民間投資+公共投資)」が占める割合は、45%以上になっている。)
(4)が、国内では、そうした外資を使うとことがない。
(5)そこで中国政府は、「融資指示」という形で、銀行に各方面に融資をすように指示した。
(6)が、それを受けた銀行は、設備投資ではなく、その半分近くを、株式と不動産市場に流した。
(7)中国バブルは、こうして発生した。
(8)結果、人の住まない住宅やマンションが続出。今やその状態が、狂乱化している。
(9)が、本来ならその一方で、個人消費が伸びなければならない。
(10)しかし中国人は、本来、守銭奴(私の言葉)傾向が強い。拝金主義もその背景にある。対GDP比における個人消費率は、35・6%(09年)。欧米先進国は、約60%前後。つまり得たお金を、消費に回さず、貯蓄に回している。


 以上の結果「……こうなると、またまた政府支出(公共投資)に頼り、中国共産党政府はGDPの下支えをせざるをえなくなるだろう。
結局のところ、極端な投資(および輸出)依存で成長をつづけている中国は、先進諸国のような大衆消費社会を築くこともなく、成長の袋小路に突き当たる可能性がきわめて高い」(三橋貴明氏)と。

●具体的に……

 こうした経済論は、一家の家計にたとえてみると、理解しやすい。
(私はいつもそうしているが……。)

 あなたはバリバリの亭主関白。
一家の独裁者。
見栄っ張りで虚栄心が強い。
だから近所でもいつも大物ぶっている。
が、それを支えているのは、金(マネー)。
収入。

 あなたはいつも豪語している。
「オレの家は、繁盛している。どうだい!」と。

 が、近所はみな、景気が悪い。
思うように仕事が入ってこない。
家には7人もの子どもがいる。
みな、腹をすかせている。
しかしここで弱みを見せるわけにはいかない。
そこであなたは、隣町(=外国)から借金を重ねる。
「私に金を貸せば、儲かるあるヨ」と。

 そこで金を借り、家族に渡すが、女房がこれまた稀に見る拝金主義者。
札束を仏壇にあげたまま、使おうともしない。
子どもたちが腹をすかせ、ギャーギャーと泣いていても、知らぬ顔。
あとは離れを増築したり、通路を大理石で覆ったり……。

 が、元高にすることもできない。
元高にしたとたん、売り上げが減ってしまう。
外資も引き上げてしまう。

 そこであなたは何とか、その不満を、外に向けさせなければならない。
そこであなたは近所の人たちに、いちゃもんをつけることにした。

 通りを歩いていたら、どこかのんきな日高さん(=日本)が歩いていた。
その日高さんにわざと自分から体当たりし、こう言って怒鳴る。
「よくもテメエ、オレにぶつかりやがったな! ただですまさないあるぞ!」と。

 それを家の中で見ていた7人の子どもたちが、手を叩いて喜ぶ。
「父ちゃん、かっこいいあるね!」と。

 ……とまあ、今回の一連の事件の流れを大きく見ると、そういうことになる。

●日中経済戦争

 かくして日中経済戦争は始まった。
ルールなし。
「ない」というより、相手にはルールは通用しない。
では、どうするか。

 中国の強引さには、目に余るものがある。
しかし中国のアキレス腱をうまくつつけば、中国は明日にでも崩壊する。
たとえば現在、円高ということもあって、中国は日本への借金返済に苦しんでいる。
へたをすれば、不渡りを出しかねない。
そうでなくてもバブル経済は崩壊中。
この6月(2010年)を頂点に、住宅販売価格も下落し始めた!
あぶないのは、日本ではない。
中国である。

その中身を、これからも検証していきたい。

 負けるな、日本!
がんばれ、日本!
ついでに一言。
がんばれ、管さん!

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW はやし浩司 日中経済戦争 住宅販売価格の下落)

(注)推敲しないまま、BLOGに掲載。誤字、脱字を許してほしい。
2010/09/27記


Hiroshi Hayashi+++++++Sep. 2010++++++はやし浩司

●偽善について

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子育て最前線の育児論byはやし浩司   10年 9月 27日
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【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

休みます。

【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●勇気(2010-8-29)

+++++++++++++++++

昨日、友人が経営しているミカン畑を
訪れてみた。
ドライブの途中だった。
友人は私と同じ、昭和22年(1947年)
生まれ。
市の部長職を退職したあと、1年ほど、
どこかの団体で働いていた。
そのあと、長年の夢をかなえるため、農場主に
変身した。

1年ぶりの訪問だった。
が、ミカンの木は、かなり減っていた。
そのかわり、そこにログハウスが建っていた。
友人は、自分であちこちに山小屋を建てて、
人生を楽しんでいる。
今度で、4棟目ではないか?
1度、雑誌で紹介されたことこともある。
それを見て、ググーッと感動した。

水は、農業用水。
飲み水は、ペットボトル。
電気は近くの電柱から。
風呂は、家の外。
家の中をのぞくと、工具が整然と並べられていた。
今は屋根の工事の最中らしい。
ビニールのシートが、夏の暑い風にあおられて、
パタパタとはためいていた。

「何だ、やればできるんだ!」と思った。
生きる勇気が、腹の底からわいてきた。

友人は60歳を過ぎても、まだ意気軒昂(いき・けんこう)。
家に帰ってからさっそく、電話する。

「林さん(=私)、オレたちは、まだ若いんだよ、ナッ!」と。
大いに励まされた。

私「ぼくはね、どう生きるかよりも、どう死ぬかばかりを
考えているよ」
友「ははは、だから、ジジ臭い」
私「いや、死ぬのがこわいというのじゃないんだよ。
死に向かっていくプロセスがこわい」
友「それはそのとき、考えればいい」と。

そう、我ら、ヤング・オールド・マン、
何にも遠慮する必要はない。
だれにも遠慮する必要はない。
我らは、まだ若い。
その気になれば、1年でログハウスを建てることも
できる。

それにしても昨日ほど、一軒の家をまじまじと
見たことはなかった。
どこかの山城より、ずっと立派に見えた。
力強く見えた。

ただミカンの木が減ったのは、こういうことらしい。

友人はできるだけ農薬を使わないで、有機農法
にこだわった。
が、それが裏目に出た。
「カミキリムシにやられた」、とか。

「ミカンは難しいよ」と、その友人は笑っていた。

(補記)

うっかりしいて、カメラをもっていかなかった。
そのため新しいログハウスを、写真に収める
ことができなかった。

来週のはじめにもう一度行くことになっているので、
そのとき写真を撮る。
マガジンのほうで紹介する。
お楽しみに!

+++++++++++++++++++

●流れ

 退職をすると、みな、一様に健康運動を始めたり、日々の生きがいを求めたり
するようになる。
スポーツジムに通うようになったり、夫婦で散歩に出たりするようになったりする。
あるいは町内の世話役をしたりするようになったりする、など。
判を押したように、みな、同じことをするようになるから、おもしろい(失礼!)。
しかし(流れ)の中にないものは、長つづきしない。

 たいてい2、3年もすると、花がしぼむように、少しずつ衰退していく。
軽い事故や怪我がきっかけで、そのままやめてしまう人も多い。
昔から『泡銭(あぶくぜに)、身につかず』という。
同じように、取って付け足したようなことをしても、長つづきしない。
そこには(流れ)というのがある。
それを称して、「老後の統合性」という。
その統合性は、若いときから準備するもの。
あるいはその「芽」は、若いときから作っておくもの。
早ければ早いほど、よい。
40歳(=人生の正午)でも遅いくらい……。

●老後の統合性

 「老後の統合性」については、何度も書いてきた。
もう少し正確には、「退職後の統合性」でもよい。
退職後、(やるべきこと)をもち、その(やるべきこと)に向かって、日々を忘れる
ことができる人は、幸福な人だ。
が、それには条件がある。

 無私無欲。

 打算、功利が入ったとたん、統合性は霧散する。
が、いくら無私無欲といっても、暇つぶしや時間つぶしでは、意味がない。
かえって虚しくなるだけ。
言うまでもなく、真・善・美の追求。
そこに行き着く。
私たちがなぜここに今、生きているかといえば、真・善・美の追求にほかならない。
つまりそのために生きている。
しかもその追求は、日々の研鑽と努力のみによって、可能。
一日でも休んだら、その緊張感はその日を境にして崩れていく。

 それはちょうど健康法に似ている。
究極の健康法というのはない。
私たちがなぜ今日、健康かと言えば、昨日までの努力がそこにあるから。
そうでなくても、退職年齢になると、脳みその底に穴が開いたような状態になる。
知恵や知識、経験や技術が、そこからどんどんと、それこそ容赦なく下へこぼれ
落ちていく。

 健康については、さらにはっきりしている。
1週間もだらしない生活をしたら、とたんに足腰が動かなくなる。

●40歳になった人へ

 40歳になったら、運動をはじめなさい。
「運動」というより、「運動する習慣」を身につけなさい。
40歳になったら、無私無欲でできる(何か)を見つけなさい。
真理の探究、善の追求、美の創造……。
「これが私」と言えるものを、見つけなさい。
またその「芽」がすでにあれば、よし。
そうでなければ、今すぐ、始めなさい。

 コツは、(したいこと)をどんどん高めて、それを「目標」と言えるほどまでに、
昇華させること。
冒頭に書いた友人は、現役時代も、土日はひとりで山にこもって、ログハウスを建てて
いた。
そういう下地があったからこそ、今、生き生きと自分の人生を歩むことができる。
「退職しました。ログハウスでも建ててみるか」では、何度も書くが、長つづきしない。

 中に「子育てが生きがい」と言う人もいる。
女性(母親)に多い。
しかし子育てなど、生きがいにしてはいけない。
安っぽい家族主義に振り回されてはいけない。
私たちは親として(やるべきこと)はやる。
しかし「その限度」(バートランド・ラッセル)を忘れてはいけない。

 あなたが子どもに、自分の人生を力強く生きてほしいと願うなら、同時に、あなた
自身も、自分の人生を力強く生きる。
それが結局は、子どもを育てるということになる。

●私もがんばる! 

 今日は8月30日。
月曜日。
朝、目を覚ますと、冷気を含んださわやかな風が、カーテンを揺らしていた。
ふだんならそのまま起きて、ランニングマシンに直行。
しかしそれを見ている間に、また眠ってしまった。

 つぎに目を覚ましたのは、犬のハナが吠えたとき。
ハナは、私たちが起きるのが遅いと、一声だけだが、寝室の横に来て、「ワン!」と
吠える。
食事の催促か?
それとも私たちのことを心配してか?
どうであるにせよ、今朝は、それで起きた。
時計を見たら、午前8時。

 ランニングマシンと乗馬マシンで体を動かして、そのまま体重計に。
数日前62キロになって喜んでいたが、今朝は、何と63・5キロ!
昨日、ギョーザを食べたのが、よくなかった。

 今日の運動(予定)。
昼に、もう一度、20分のランニング。
夜になって、サイクリング。
来週は友人が、オーストラリアから来る。
楽しみ!

 今日も+今週も、がんばります!
8月30日。
月曜日。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 
BW はやし浩司 老後の統合性 退職後の統合性 生きがい 無私無欲)

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

【参考:2009年、5月の原稿より】

●自我の統合性と世代性(我々は、どう生きるべきか?)
(Do we have what we should do? If you have something that you should do, your life
after you retire from your job, would be fruitful. If not, you will despair in a miserable
age.)

+++++++++++++++++

乳児期の信頼関係の構築を、人生の
入り口とするなら、老年期の自我の
統合性は、その出口ということになる。

人は、この入り口から、人生に入り、
そしてやがて、人生の出口にたどりつく。

出口イコール、「死」ではない。
出口から出て、今度は、自分の(命)を、
つぎの世代に還元しようとする。

こうした一連の心理作用を、エリクソンという
学者は、「世代性」と呼んだ。

+++++++++++++++++

我々は何をなすべきか。
「何をしたいか」ではない。
「何をなすべきか」。

その(なすべきこと)の先に見えてくるのが、エリクソンが説いた、「世代性」である。
我々は、誕生と同時に、「生」を受ける。
が、その「生」には、限界がある。
その限界状況の中で、自分の晩年はどうあるべきかを考える。

その(どうあるべきか)という部分で、我々は、自分たちのもっている経験、知識、哲学、
倫理、道徳を、つぎの世代に伝えようとする。
つぎの世代が、よりよい人生を享受できるように努める。

それが世代性ということになる。

その条件として、私は、つぎの5つを考える。

(1)普遍性(=世界的に通用する。歴史に左右されない。)
(2)没利己性(=利己主義であってはいけない。)
(3)無私、無欲性(=私の子孫、私の財産という考え方をしない。)
(4)高邁(こうまい)性(=真・善・美の追求。)
(5)還元性(=教育を通して、後世に伝える。)

この世代性の構築に失敗すると、その人の晩年は、あわれでみじめなものになる。エリク
ソンは、「絶望」という言葉すら使っている(エリクソン「心理社会的発達理論」)。

何がこわいかといって、老年期の絶望ほど、こわいものはない。
言葉はきついが、それこそまさに、「地獄」。
「無間地獄」。

つまり自我の統合性に失敗すれば、その先で待っているものは、地獄ということになる。
来る日も、来る日も、ただ死を待つだけの人生ということになる。
健康であるとか、ないとかいうことは、問題ではない。

大切なことは、(やるべきこと)と、(現実にしていること)を一致させること。

が、その統合性は、何度も書くが、一朝一夕に確立できるものではない。
それこそ10年単位の熟成期間、あるいは準備期間が必要である。

「定年で退職しました。明日から、ゴビの砂漠で、ヤナギの木を植えてきます」というわ
けにはいかない。
またそうした行動には、意味はない。

さらに言えば、功利、打算が入ったとたん、ここでいう統合性は、そのまま霧散する。
私は、条件のひとつとして、「無私、無欲性」をあげたが、無私、無欲をクリアしないかぎ
り、統合性の確立は不可能と言ってよい。

我々は、何のために生きているのか。
どう生きるべきなのか。
その結論を出すのが、成人後期から晩年期ということになる。

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 
Hiroshi Hayashi education essayist writer Japanese essayist 人生の統合性 世代性 統
合性の確立)

(追記)

(やるべきこと)の基礎をつくる時期は、「人生の正午」(エリクソン)と言われる40歳
前後である。もちろんこの年齢にこだわる必要はない。早ければ早いほど、よい。

その時期から、先にあげた5つの条件を常に念頭に置きながら、行動を開始する。

この問題だけは、そのときになって、あわてて始めても、意味はない。
たとえばボランティア活動があるが、そういう活動をしたこともない人が、いきなりボラ
ンティア活動をしたところで、意味はない。身につかない。

……ではどうするか?、ということになるが、しかしこれは「ではどうするか?」という
問題ではない。
もしそれがわからなければ、あなたの周囲にいる老人たちを静かに観察してみればよい。

孫の世話に庭いじりをしている老人は、まだよいほうかもしれない。
中には、小銭にこだわり、守銭奴になっている人もいる。
来世に望みを託したり、宗教に走る老人もいる。
利己主義で自分勝手な老人となると、それこそゴマンといる。

しかしそういう方法では、この絶望感から逃れることはできない。
忘れることはできるかもしれないが、それで絶望感が消えるわけではない。

もしゆいいつ、この絶望感から逃れる方法があるとするなら、人間であることをやめるこ
と。
認知症か何かになって、何も考えない人間になること。
もし、それでもよいというのなら、それでもかまわない。
しかし、だれがそんな人間を、あるべき私たちの老人像と考えるだろうか。

(付記)

統合性を確立するためのひとつの方法として、常に、自分に、「だからどうなの?」と自問
してみるという方法がある。

「おいしいものを食べた」……だから、それがどうしたの?、と。
「高級外車を買った」……だから、それがどうしたの?、と。

ところがときどき、「だからどうなの?」と自問してみたとき、ぐぐっと、跳ね返ってくる
ものを感ずるときがある。
真・善・美のどれかに接したときほど、そうかもしれない。

それがあなたが探し求めている、「使命」ということになる。

なおこの使命というのは、みな、ちがう。
人それぞれ。
その人が置かれた境遇、境涯によって、みな、ちがう。

大切なことは、自分なりの使命を見出し、それに向かって進むということ。
50歳を過ぎると、その熱意は急速に冷えてくる。
持病も出てくるし、頭の活動も鈍くなる。

60歳をすぎれば、さらにそうである。

我々に残された時間は、あまりにも少ない。
私の実感としては、40歳から始めても、遅すぎるのではないかと思う。
早ければ早いほど、よい。


Hiroshi Hayashi++++++++May. 09+++++++++はやし浩司


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●アグネス・チャンvs. 霊感商法(by大槻義彦氏)

+++++++++++++++++

ホメオパシーについての情報を集めていたら、
今度は、アグネス・Cに関する
霊感商法疑惑問題が出てきた。

『しまねこ』さんのBLOGから、まず
その突破口を開いてみたい。

++++++++以下『しまねこ』さんのBLOG

●今度は霊感商法の疑い:アグネス・C

『「今度はアグネス・Cを叩きますよ!」
大槻教授に公言されちゃったアグネス・Cなんだけど、
パワーストンで霊感商法をやってるらしい
自らは豪邸に生活しながら、他人の金で
貧しい人々の救済をつづけるアグネス・C。

贅沢をするなと言うつもりはないが、偽善はいけない。
他人の金で手柄を自分の物にしている。

そんなわかりやすい偽善者のアグネス・Cの関係者が
詐欺まがいの商法をやってる疑いがもたれている。

この動画では、
アグネスCのアグネス大学の動画を
youtubeに投稿していたアグネス大学の関係者が、
怪しいパワーストーンを売っていた事実が告発されている。
現在問題のyoutubeの動画は削除済みである。
(抜粋)

●Yさんの日記より

うっはー。こりゃこりゃ。
折しも、ホメオパシーが俎上にあげられてる今、
いろんな所に飛び火しそうですね。

ホメオパシーに関しては、
劇的に効いたと言う人から直に話を聞いているので、
(たしかぜんそくだったか)
完全否定は出来ませんわ。

そういや今朝、「花まる」のVTRだかで
美輪明宏さんがチラッと江原さんの話をしてたけど、
今はどうなってんのかね?
まだ仲良しなんだろうか。

(以上、『しまねこ』さんのBLOGより)

++++++++以上『しまねこ』HPより++++++


●大槻義彦氏のコメント

++++++++++++以下、大槻義彦のHPより転載++++++++++++

既に皆様もご存知のとおり、アグネス Cは自分の写真を載せ、宣伝に努める販売会社Cズ
(CHAN'S)で『健康食品』や『開運グッズ』を販売している。
その一つがなんと、『風水 パワーストーン』というものだ。『あなたの下降運勢を上昇にか
える』『開運パワー』というわけ。

このパワーストーンとやら、色とりどりで『水色は仕事運』が開け、『青は出世運』『ピン
クは恋愛運』(笑)、『黄色は健康運』が開けるのだという。
『このストーンを手首に巻いておれば、この手首から運を呼び込む』のだそうだ。
つまり、アグネス Cの販売するこのような開運グッズは毎度毎度、性懲りもなく繰り返さ
れる霊感商法そのものではないか。

『黄色のパワーストーンを身につけておれば健康運が向いてくる』というのは、『この壺を
買えば体の具合がよくなる』『この掛け軸を家に飾れば病気もよくなる』と売りつけるオカ
ルト宗教団体と変わりがない。はっきりとした霊感商法である。

アグネスもカナダの大学を出たと公言している(正式の大学名は私には分からないし、正
式の卒業であったのかも分からない)のだから、『腕首に黄色の石を巻けば体がよくなり、
病気も改善する』という科学的、医学的理由を説明する責任がある。なぜ黄色かも。
もっといかがわしいのは、『五色霊芝』の販売がある。

このサプリメント(漢方薬?)は高価で1万8千円もする。『中国では古来より健康を維持
する』妙薬として用いられたもの、とのふれこみ。『βグルカン』『有機ゲルマニウム』を含
み、様々な病気に適応されるというのだ。

『現代の社会における環境汚染、加工食品の害、さまざまなストレスに適応される』とも
説明されている。
『中国古代からの妙薬』だと?それがどうして『現代の環境汚染、加工食品の害』にあて
はまるのか?そもそも霊芝というが、これはその辺に生える『マンネンタケ』のことでは
ないか。マンネンタケは食用に適さない。毒キノコではないが、食用は不向きなだけでな
く誤用は危険なのだ。

食用には適さなくても漢方薬としての効果はあるのではないか。
ところが、漢方薬について調べると、『正式の漢方では霊芝を含む処方はない』と明記され
ているではないか。抗がん作用についても、その他の病気治療効果についても『ヒトへの
臨床報告は公には認められていない』となっている。まして、出血傾向の副作用、低血圧
の副作用、末梢神経障害、尿路障害、腎障害などの副作用も指摘されている(一部、国立
健康・栄養研究所)。

このようなことで、国民生活センターは『霊芝、とくに有機ゲルマニウムは貧血やガンに
効くという薬効を否定、薬事法に抵触する可能性』を指摘している。
『アグネス大学入学案内』によると、『日本ユニセフ協会大使として貧しい人々の救済を続
けるアグネス Cのような立派な人間になりたい方は入学を』と勧誘している。
私から言わせれば、『貧しい人々の救済と見せかけて、霊感商法をやり、薬事法抵触も疑わ
れるものを販売するような人間になりたい方は入学を』と、なってしまうかも。

++++++++++++以上、大槻義彦のHPより転載++++++++++++

●アグネス・C

 私も「教育学博士」という肩書きが気になって、アグネス・Cについては
調べさせてもらったことがある。
大槻義彦氏は疑っているようだが、(私も疑ったが)、アグネス・Cは、経歴どおりの
大学を卒業している。
(アメリカでは、学位取得者には通し番号がつけられ、即座に検索できるようになって
いる。)

が、どんな論文を書いて、「博士号」を取ったかについては、わからない。
たしか「日米~~子育て比較」(記憶によるもの)に関する論文だったと思う。
ただし欧米では、論文審査だけで博士号を取得することが可能。
その大学に在学しているかどうかは、関係ない。

 が、どこかおかしい。
アメリカの教育事情とはちがい、アグネス・Cは、少女時代に日本へ移住してきている。
その少女が、最終的にはJ大学の英文科(東京)を卒業するなどということは、当時の
日本の常識ではありえない。
中学や高校はどうしたのか?
それとも高卒でなくても、大学へ入れたのか?
その間、アグネス・Cは、歌手生活が忙しく、勉強どころではなかったはず。
そういう女性が、今、「教育学博士」?
それで調べさせてもらった。

●偽善

 『しまねこ』さん(静岡県在住)は、こう端的に指摘している。


『……自らは豪邸に生活しながら、他人の金で
貧しい人々の救済をつづけるアグネス・C。

贅沢をするなと言うつもりはないが、偽善はいけない。
他人の金で手柄を自分の物にしている』と。

 善行にせよ、善行に基づくボランティア活動にせよ、そこに至る過程には、それなりの
「積み重ね」がある。
あるいは「周囲環境」というのがある。

 たとえば若いときから、ホームレスの人の世話をしてきたとか、孤児の世話をしてきた
とか、など。
そういうものが(積み重なって)、ユニセフとか何とか運動へとつながっていく。
難民救済運動へとつながっていく。

 しかしそういう(積み重ね)もなく、また(周辺環境)もなく、いきなり「王手!」は
ない。
そんなことは、ほんの少し冷静になってみれば、わかること。
『しまねこ』さんは、「偽善」という言葉を使っているが、欧米人ならみな、まちがいなく、
こうした行為を「偽善」と位置づけるだろう。
貧しい人たちを、食い物にしている。
つまり悪人以下の悪人。
それが偽善を行う偽善者ということになる。

●大槻義久氏のHPへの投稿と、そのコメント

++++++++++++以下、大槻義彦のHPより転載++++++++++++

読者の方から、下記のメールをいただきました。


▼読者の方からのメール
------------------------------
大槻先生

はじめまして○○と申します。
先生のブログにて、アグネスCに関する言及を拝見し、非常に感銘受け筆を執りました。

C氏は二重三重の極めて強固な権力の防壁によって守られた、「アンタッチャブルな悪の要
塞」の様な人物です。
彼女の周りには、中国共産党、S学会、日本ユニセフ、そしてそれら団体と蜜月関係にあ
る大手マスコミ各社が防壁を作り、彼女に対するネガティブな論を全てシャットアウトし
ている様に見えます。

そのような人物に対して敵対的な論を、公人(先生はそう呼ぶにふさわしい知名度と影響
力を持たれています)が表明するのは、ある意味非常に勇気のいることです。
敢えてそれを実行された先生は、文字通り信念の人であり、私にとって正義の人なのです。
さて、アグネスC。

彼女のウサン臭さは、正に、「叩けば叩くほど埃が立つ」状態であり、言動と行動の不一致、
矛盾点の羅列には事欠きません。
例えば、彼女の代名詞である慈善活動。
彼女がそれほどまでに私腹よりも公を重視する人物であれば、なぜ講演料130万を取り
(つまり金を出せる団体以外ではしゃべらないと公言しているに等しい)、かつ下記のよう
な豪邸を建てねばならないのか?

彼女の主張に従えば、「その装飾物1つで、何万人もの子供たちが救われる」のではないで
しょうか?
そもそも日本ユニセフ自体が、ユニセフとは別の一般団体であり、募金から25%はね、
その資金でマスコミからの天下り役員の給料や、自社ビルを建てているのは有名な話です。

また彼女は政治活動にも熱心ですが、それを中国国内で展開しているとは聞いたことがあ
りません。
必ずこの日本でのみ規制強化関連の法案成立に熱心です。
規制強化に対する考え方そのものは、個々人の自由なので否定しませんが、彼女の場合、
常に、「時と場合を選ぶ」のが、非常に胡散臭く見える。

その上、大槻先生おっしゃられる、オカルト流布による洗脳、それから派生するカネと権
力の流れにまで勢力を増しているとなると、もはやカルト教団の教祖そのものです。
奴の弱者商法に騙される善良な被害者を増やさぬよう、白黒ハッキリつける人が必要にな
ります。

その一翼を先生が担ってくださるのなら、私は感謝しても感謝しきれません。
日本全国の声なき声も、必ず先生を応援していると確信しております。
陰ながら応援しております。
お体にお気をつけてお過ごしください。

------------------------------
▼大槻からの回答
------------------------------

アグネス Cの霊感商法批判をした途端、新聞社・通信社の取材で急に騒がしくなりました。
しかし、アグネス側は即座に対応、霊感商品は売り場から撤去したそうです。私としては、
ささやかな成果だったと思っていますが、また何をやりだすか、注意深く看視していく必
要があると思っています。

彼女の背景に『中国共産党、S学会、大手マスコミ』がある、とのご指摘ですが、この意
味は明瞭ではありません。彼女はキリスト教信者である、と自分を紹介している(私への
私信)のですが、そうだとすると中国共産党やS学会と密接な関係にあるとは思えません。

私は、科学者・教育者として、世にはびこる迷信・オカルト・不正義などを批判・排除し
ていき、子供の教育や社会の進歩を目指す活動をしてきました。しかし、それ以外の個人
的な思想・信条・哲学を槍玉にあげたことはありません。

アグネス Cがどのような社会活動・宗教活動をしようと、それは個人の人格にも関したこ
とですから、批判は控えます。

++++++++++++以上、大槻義彦のHPより転載++++++++++++

●日本ユニセフとは何か?

 私は知らなかった。
ユニセフと、日本ユニセフとは、別組織?
しかも日本ユニセフというのは、「一般組織」?
道理で……というか、あの団体は、そのつど著名人をうまく利用している?
その胡散(うさん)臭さは、私も感じていた。

 だれかの紹介で、ダイレクトメールが届いた。
それをきっかけに何度か寄付金を送ったことがある。
が、それ以後、毎年、私の住所、名前をあらかじめ印刷したネームカードとともに、
寄付金の募集用紙が送られてきた。
「熱心な団体だな?」とは思ったが、それにはウラ(?)があった。

 ウィキペディア百科事典には、つぎのようにある。

『……36の国と地域にある「ユニセフ国内委員会(Committee for UNICEF)」のうちの
1つであり、国際連合児童基金 (ユニセフ) の日本事務所ではない。
(ユニセフ本部(国際連合児童基金)との関係参照)』。

さらに明確に、『日本における「ユニセフ国内委員会」として[5]、世界におけるユニセフの
活動を支援するために、日本において寄付募集、広報・啓蒙活動、政策提言協力を行うこ
とを使命としている。
日本ユニセフ協会と国連ユニセフ(UNICEF)は基本的に別組織である』。

『「ユニセフ」という名称を含むが、国際連合児童基金 (ユニセフ) の日本事務
所ではない。日本ユニセフ協会はユニセフ本部と協力協定を結んでいる団体であり、
日本において民間人・民間団体・企業向けにユニセフを代表する唯一の組織である。
日本における民間協力の窓口として運営されている非政府組織であって、国連機関
ではない。ユニセフ本部は東京都内に「ユニセフ東京事務所」を設置しているが、
この事務所もユニセフ日本支部ではない』(以上、ウィキペディア百科事典より)
と。

 だんだんとわかってきたぞ!

 つまり平たく言えば、「日本ユニセフ」は、巧みに国際機関である「ユニセフ」という
名前をまぶしながら、日本人から金を集めている(?)。
そういう疑惑も浮上してきた(?)。

 日本における国際連合児童基金の出先機関は、東京都渋谷区神宮前の国連大学ビルの
中にCとある。
「国際連合児童基金東京事務所」(ユニセフ東京事務所)というのが、それ。

 『「財団法人日本ユニセフ協会と密接に協力しながら」(日本ユニセフ協会サイトによる)
各種の交渉などに当たっていることになっている。ほぼ同一の意味の言及は、ユニセフ公
式サイトにもあり、日本ユニセフ協会は、ユニセフ東京事務所の業務の一部にも関わりを
持っている」と説明している』(同)と。

 つまり「私たちはユニセフとは無関係ではない。ユニセフと『密接に協力しながら』活
動している」と。
だったらはじめから、無私無欲で、ユニセフ(本部)に協力すれば、それですむはず。

●アグネス・Cへの疑問

 「教育学博士」とは何か?
どんな論文を書いたにせよ、また書かなかったにせよ、「博士」には博士らしい言葉づかい
がある。
たとえば育児論を語っていても、言葉の端々に、それなりの専門用語が出てきたり、知見
の深さがにじみ出たりする。
が、私が知るところ、アグネス・Cには、それがない。
ときどきテレビで教育講演(育児講演)をしているのを見る。
全体的に思慮が浅いというか、どこかタレント風……?
それ以上の判断は、読者のみなさんに任せる。
一度自分の耳で聞いて、自分で判断すればよい。

 ともかくも、「教育学博士」と「霊感商法」は、結びつかない。
大槻義彦氏が指摘しているとおりである。
それが今回、問題になっている。

日本ユニセフは、どういう経緯で、アグネス・Cを親善大使に任命したのか。
その前に、彼女はどのような活動をしていて、「大使」にふさわしいと判断されたのか。
そのあたりを、一度しっかりと説明する義務があるのではないか。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 
BW はやし浩司 アグネス・チャン 大槻義久 霊感商法 日本ユニセフ ユニセフ)


Hiroshi Hayashi+++++++Aug. 2010++++++はやし浩司

●怒り(補足)

10年ほど前に書いた原稿を
再掲載します。

+++++++++++++++++

(怒り)について考えているとき、
以前、尾崎豊の「卒業」について書いた
原稿を思い出しました。

それをそのまま転載します。
(中日新聞掲載済み)

+++++++++++++++++

【若者たちが社会に反抗するとき】

●尾崎豊の「卒業」論

学校以外に学校はなく、学校を離れて道はない。そんな息苦しさを、尾崎豊は、『卒業』の
中でこう歌った。「♪……チャイムが鳴り、教室のいつもの席に座り、何に従い、従うべき
か考えていた」と。「人間は自由だ」と叫んでも、それは「♪しくまれた自由」にすぎない。
現実にはコースがあり、そのコースに逆らえば逆らったで、負け犬のレッテルを張られて
しまう。尾崎はそれを、「♪幻とリアルな気持ち」と表現した。

宇宙飛行士のM氏は、勝ち誇ったようにこう言った。「子どもたちよ、夢をもて」と。しか
し夢をもてばもったで、苦しむのは、子どもたち自身ではないのか。つまずくことすら許
されない。ほんの一部の、M氏のような人間選別をうまくくぐり抜けた人だけが、そこそ
この夢をかなえることができる。大半の子どもはその過程で、あがき、もがき、挫折する。
尾崎はこう続ける。「♪放課後街ふらつき、俺たちは風の中。孤独、瞳に浮かべ、寂しく歩
いた」と。

●若者たちの声なき反抗

 日本人は弱者の立場でものを考えるのが苦手。目が上ばかり向いている。たとえば茶パ
ツ、腰パン姿の学生を、「落ちこぼれ」と決めてかかる。しかし彼らとて精一杯、自己主張
しているだけだ。それがだめだというなら、彼らにはほかに、どんな方法があるというの
か。そういう弱者に向かって、服装を正せと言っても、無理。尾崎もこう歌う。「♪行儀よ
くまじめなんてできやしなかった」と。彼にしてみれば、それは「♪信じられぬおとなとの
争い」でもあった。

実際この世の中、偽善が満ちあふれている。年俸が二億円もあるようなニュースキャスタ
ーが、「不況で生活がたいへんです」と顔をしかめて見せる。いつもは豪華な衣装を身につ
けているテレビタレントが、別のところで、涙ながらに難民への寄金を訴える。こういう
のを見せつけられると、この私だってまじめに生きるのがバカらしくなる。そこで尾崎は
そのホコ先を、学校に向ける。「♪夜の校舎、窓ガラス壊して回った……」と。もちろん窓
ガラスを壊すという行為は、許されるべき行為ではない。が、それ以外に方法が思いつか
なかったのだろう。いや、その前にこういう若者の行為を、誰が「石もて、打てる」のか。

●CDとシングル盤だけで二〇〇万枚以上!

 この「卒業」は、空前のヒット曲になった。CDとシングル盤だけで、二〇〇万枚を超
えた(CBSソニー広報部、現在のソニーME)。「カセットになったのや、アルバムの中
に収録されたものも含めると、さらに多くなります」とのこと。この数字こそが、現代の
教育に対する、若者たちの、まさに声なき抗議とみるべきではないのか。

(付記)
●日本は超管理型社会

 最近の中学生たちは、尾崎豊をもうすでに知らない。そこで私はこの歌を説明したあと、
中学生たちに「夢」を語ってもらった。私が「君たちの夢は何か」と聞くと、まず1人の
中学生(中2女子)がこう言った。「ない」と。「おとなになってからしたいことはないの
か」と聞くと、「それもない」と。「どうして?」と聞くと、「どうせ実現しないから」と。

もう1人の中学生(中2男子)は、「それよりもお金がほしい」と言った。そこで私が、「で
は、今ここに1億円があったとする。それが君のお金になったらどうする?」と聞くと、
こう言った。「毎日、机の上に置いてながめている」と。ほかに5人の中学生がいたが、皆、
ほぼ同じ意見だった。今の子どもたちは、自分の将来について、明るい展望をもてなくな
っているとみてよい。このことは内閣府の「青少年の生活と意識に関する基本調査」(20
01年)でもわかる。

 15~17歳の若者でみたとき、「日本の将来の見とおしが、よくなっている」と答えた
のが、41・8%、「悪くなっている」と答えたのが、46・6%だそうだ。

●超の上に「超」がつく管理社会

 日本の社会は、アメリカと比べても、超の上に「超」がつく超管理社会。アメリカのリ
トルロック(アーカンソー州の州都)という町の近くでタクシーに乗ったときのこと(2
001年4月)。タクシーにはメーターはついていなかった。料金は乗る前に、運転手と話
しあって決める。しかも運転してくれたのは、いつも運転手をしている女性の夫だった。「今
日は妻は、ほかの予約で来られないから……」と。

 社会は管理されればされるほど、それを管理する側にとっては便利な世界かもしれない
が、一方ですき間をつぶす。そのすき間がなくなった分だけ、息苦しい社会になる。息苦
しいだけならまだしも、社会から生きる活力そのものを奪う。尾崎豊の「卒業」は、そう
いう超管理社会に対する、若者の抗議の歌と考えてよい。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●補足

 この中で私は、2人のタレントを批判した。
あの人とあの人である。

「・・・年俸が二億円もあるようなニュースキャスターが、『不況で生活がたいへんです』と
顔をしかめて見せる。いつもは豪華な衣装を身につけているテレビタレントが、別のとこ
ろで、涙ながらに難民への寄金を訴える」と。

 当時、こう書けば、みな、(あの人)が、だれであるかわかった。
で、この原稿を書いてから、10年。
彼らがいかに偽善者であったかは、この10年だけをみてもわかる。

たとえば難民救済活動をしていた、あの人。
その周辺部分、つまり連続性が、まるで浮かび上がってこない(?)。
その後、別の(あの人)に、活動をバトンタッチしてからは、いっさい、音沙汰なし!

 それほどまでに高徳なボランティア活動をしながら、したのは、(そのときだけ)。
最近でも、また別の(あの人)が同じようなことをしている。

 そこに至る過程の中で、たとえばホームレスの人たちのために、炊き出しをしたとか、
貧しい子どもたちを家で預かったとか、そういう経緯があればよい。
それをいきなり、アフリカの難民救済運動?
一度、ラオスで、そういった活動をしている人に会ったことがある。
当時、50歳くらいの女性だった。
もの静かな女性で、腕を白い包帯で巻いていた。
活動しているときに、けがをし、そのとき日本へ一時帰国していた。
もちろん無名の女性である。
そしてその女性がそういう活動をするようになった背景には、10年単位の歴史がある。

 が、これらの(あの人)には、周辺部分もなければ、連続性もない。
積み重ねもない。
一事が万事というか、万事が一事。
つまり偽善。
もっと言えば、難民の人に対する冒涜!
集められた基金なるものは、どこにどう消えたことやら?
(私も出したぞ!)
少なくとも、私たちは一度は疑ってみるべきではないのか。

 つまりこれが私が言う(怒り)である。
この(怒り)を忘れたら、それこそ、この世界は、闇!
・・・と思いつつ、こうして文章を叩いている。


Hiroshi Hayashi++++++++Sep. 2010+++++++++はやし浩司


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 はやし浩司のホームページ http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/
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