Education in Front-Line and Essays by Hiroshi Hayashi (はやし浩司)

(Mr.) Hiroshi Hayashi, a professional writer who has written more than 30 his own books on Education, Chinese Medical science and Religion in Japan. My web-site is: http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/ Please don't hesitate to visit my web-site, which is always welcome!!

Saturday, May 31, 2008

*Eels of Hamamatsu

●浜松から一言!

(浜松のうなぎ)

+++++++++++++++++

浜松産のうなぎについて。
現在、浜松産のうなぎというのは、
私が知るかぎり、「ほとんど、ない」。

私が現在の浜松市のI町に移り住んできたのは、
32年前。
そのころは、このあたりにも、養鰻業者の養殖池が、
いたるところにあった。

が、現在は、そのほとんどは、荒れ果てたまま、
放置されている。
(中には、目立たないところで、養鰻業を
営んでいる人もいるかもしれないが……。)

ウソだと思うなら、新幹線の窓から、
外をながめてみたらよい。
浜松駅を出て数分もすると、左右にその
荒れ果てた養鰻池を見ることができるはず。

現在、この浜松ですら、売られているうなぎは、
中国産、台湾産、もしくは愛知県の三河産
であったりする。

浜名湖でとれる天然のうなぎは、量そのものが
少ない。
あるいは私たち庶民の口には、入らない!

さらにこんな事実もある。

佐鳴湖といえば、全国でも毎年、ワースト2に
選ばれるほど、汚れた湖だが、意外なことに、
天然のうなぎが、たいへんよくとれる。

一晩に、10~20キロほども収穫できるそうだ。

「臭くて食べられないでしょう」と私が
声をかけると、その業者は、こう言って笑った。

「2、3日も真水の中に入れておけば、ニオイは
消えますよ」と。

そういううなぎが、「天然うなぎ」として、どこかで
流通している(?)。

ご注意!

が、こんなニュースが、TBSニュースにのっていた。

++++++++++以下、TBSニュースより++++++++++

 仙台市内のホテルに入る日本料理店が、台湾産のウナギを使ったうな重を「静岡・浜名湖産」と誤って表示し、客に提供していたことがわかりました。

 誤った産地を表示していたのは、JR仙台駅前の「M仙台」に入る日本料理店「H瀬」です。

 H瀬は、仙台市内の納入業者から仕入れた台湾産のウナギの白焼きを使用したうな重を、「静岡・浜名湖産」と誤って表示し、2006年10月から5月28日までに、昼食メニューや持ち帰り用として1580食を販売していました。28日に客から指摘を受けて翌29日に誤りを確認し、その日から販売を停止していました。

 原因について、M仙台は、H瀬の発注担当者が「静岡・浜名湖産」と思い込み確認を怠ったためと釈明していて、故意に産地を偽装する意図はなかったと説明しています。(31日23:05)

+++++++++++以上、TBSニュースより++++++++++

私はこの記事を読んで、思わず、笑ってしまった。(ゴメン!)

*A groundless rumor of Kim's Death

●謎の報道

++++++++++++++++++

朝鮮N報の英語版のほうに、つぎのような
記事が載っていた。
(日本語版のほうには、掲載なし。)

まず、それをそのまま紹介する。
先週(5月末)のある日、金xx死亡説が、
世界中をかけめぐった。

そのニュースで、日本の株価は上昇、
韓国の株価は、さがった。

金xxのその死亡説について、
そのニュースの出所が、謎、という内容のもの。

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++++++++++以下、朝鮮N報、英語版より転載++++++++++++++

South Korean authorities are trying to discover the source of dubious Internet rumors that North Korean leader Kim Jong-il is dead, which first emerged in South Korea on Monday and spread even to China. Intelligence authorities and the Ministry of Unification officially denied the rumors as groundless, and they were proved false when North Korea's state-run Korean Central Broadcasting Station reported on Monday night that Kim had inspected a military unit.

Quoting a source with "an information network inside the North Korean military", a report posted on a South Korean Internet portal on Wednesday afternoon claimed that Kim was assassinated in an attack on the road between Pyongyang and Anak County, Hwanghae Province around 7 to 8 p.m. on Monday. The Ministry of Unification dismissed this rumor as well, and the report was pulled from the portal on Thursday.

An intelligence official said, "Rumors about Kim's death or serious illness emerge every so often, but the persistency of the latest rumors is peculiar. We're trying to find their source, but we're having trouble because they are unfounded." Another official said that other groundless rumors are also circulating which claim that the rumors about Kim's death were aimed at deflecting attention from the controversy over U.S. beef imports.

South Korea's foreign exchange market and the Japanese stock market reacted differently to the rumors of Kim's death. The Seoul market gave more weight to the fact that they were unfounded, while the Japanese market seemed to give them some credence.

The won strengthened for a third consecutive day on the Seoul foreign exchange market on Thursday, climbing W6.70 to close at W1030.30 to the U.S. dollar, a three-week high. Had the rumors been believed, the won would likely have weakened on worries of a costly war or national unification.

In contrast, the Nikkei stock average rose 3.03 percent on Thursday, ending up 415.03 points at 14,124.47. Quoting traders and fund managers, Reuters reported that Japanese stocks rose as rumors of Kim's death circulated Thursday morning.

+++++++++++++以上、朝鮮N報、英語版より転載+++++++++++

脳みその体操のため、この英文を翻訳してみる。

『韓国政府筋は、K国の金xxが脂肪したというインターネットに流れたニュース源の究明を試みている。当ニュースは、月曜日(5月26日)に最初に韓国で流され、中国へと広がった。

情報当局と統一部は、公式的には、そのデマには根拠がないと否定している。そしてそのニュースは、K国の朝鮮中央放送局が、月曜日の夜、軍事施設を検問したというニュースによって、ニセと証明された。

K国内部の情報ネットワークがニュース源であるとし、水曜日(5月28日)の韓国インターネット・ポータルに、次のようなレポートが投函された。つまり、金xxが、ピョンヤンからハンガエ、アナク郡へ行く途中の道で、月曜日(5月26日)の7時から8時までの間に、攻撃され、暗殺された、と。統一部長官も、このウワサを、流した。が、このニュースは、木曜日(5月29日)に、ポータル・サイトから消された。

情報部の高官は、「金xxの死もしくは深刻な病気のデマは、しばしば流れる。しかし今回のデマは、特異である。我々はニュースの発生源を見つけようと試みている。が、それが見つけられないというトラブルに見舞われている」と述べている。もう1人の高官は、他の根もないデマは、金xxの死が、アメリカの牛肉輸入論争から注意をひくことを目的として流布されたと述べている。

韓国の外国為替と、日本の株式市場は、金xxの死のデマに、異なった反応を見せた。ソウル市場は、ニュース源が見つからなかったということにウエートを置き、日本の市場は、それが信じられるものとした。

韓国ウォンは、韓国外為市場で、木曜日(5月29日)、3日間連続で、ウォン高になり、この3週間ぶりに、1ドル1030ウォン(6・70ウォンのウォン高)となった。もしそのデマが信じられていたなら、戦争もしくは、統一への不安から、ウォンは、弱くなっていただろう。

これに反して、日経市場は、木曜日(5月29日)に、平均3・03パーセント上昇し、415円高の1万4000円を示した。ロイター電によれば、トレーダー、ファウンド・マネージャーは、木曜日(5月29日)の朝、金xxの死のデマが流されたとき、日本の株価は上昇したと報告している』(以上、朝鮮N報記事の翻訳)。

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このところ英語を日本語に翻訳するとき、おかしな疲れを感ずるようになった。
(英文だけを読むのなら、それほど疲れを感じないのだが……。)

日本語は左脳、英語は右脳。
その両者をつなぐのが、「脳梁(のうりょう)」。
脳梁というのは、高圧電線のようなものと考えるとわかりやすい。
その脳梁の働きが、悪くなったように感ずる。
ともかくも、この英文を訳すとき、辞書で意味を確かめたのは、「credence」という単語だけ。
今のところ、右脳の働きは、まだだいじょうぶなようだ。
そのうち、脳みその働きが衰えてくるかもしれない(?)。

しかしあの田丸謙二先生は、昨年の春(2007)、アメリカの化学教育の本を、一冊翻訳出版している。
そういう人もいるから、希望を捨ててはいけない。
そう、自分に今、言って聞かせる。

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(あとがき)

ヒル氏は、結局は、あの独裁者に、よいように弄(もてあそ)ばれただけ。
おまけに時間と援助を与えてしまった。
ついでに日米関係を破壊してしまった。

「私が解決してみせる」と、アジアに乗り込んできたまではよかったが、アメリカ流合理主義は、ことこの極東アジアでは、通用しない。
とくにあのK国には、通用しない。

ヒル氏を見ていると、悪しきアメリカ人をそのまま代表しているかのようにさえ思える。
「自分たちは正しい」と思うのはヒル氏の勝手だが、それを「自分たちだけが正しい」と置きかえてしまう。
そしてその返す刀で、「君たちはまちがっている」と切り込んでくる。

なぜアメリカがベトナム戦争で敗北し、イラクで苦戦しているか。
アメリカ人も、もう少し謙虚になったらよい。

が、悲しいかな、日本にはそれだけの外交能力はない。
ないから、今しばらくは、ヒル氏のうしろを、静かについていくしかない。
しかし、「既存核兵器を不問にしたまま、K国を核保有国として認める」という動きには、断固、反対しなければならない。

もしヒル氏が、自己の名声獲得のため、こうした動きに同調するようであれば、そのときは、日本は、6か国協議からの離脱、日米関係の見直しまで、踏み込まなければならない。
この日本にも、譲れない最後の一線というものがある。
(2008年6月1日記)

*Mr. C. Hill & Ms. C Rice, we, the Japanese, are angry!

(To U.S. Vice-Secretary of State, Mr. C. Hill, and U.S. Secretary of State C. Rice:)

*This is our serious warning from the Japanese to U.S. Vice-Secretary of State, Mr. C. Hill, as well as U.S. Secretary of State C. Rice: We, the Japanese, in no way agree to your process of disarmament of North Korean’s nuclear weapons, the process like that way as you do now with North Korea! Mr. C. Hill seems to work only for his own honor and Mr. C. Hill should know that you are called widely in Asia, Mr. Kim Jon-Hill. We, the Japanese, are very much angry with you. Both of you have just given the tyrant money and time. We hope you listen to their sad voices of ordinary North Koreans and aloso our angry voices of the Japanese.

●核兵器と核物質は、不問?

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日本としては、絶対に容認できない。
また容認してはならない。

K国の既存核兵器と既存核物質については、
不問だと!

とんでもない話である。

アメリカのワシントン・ポストでさえ、つぎの
ように、C・ヒル氏を批判している。

「彼は大変有能な交渉人だが、その一方、
英雄になろうとしてメディアにしばしば露出する
貪欲(どんよく)な人物だと見ることもできる」
(指摘、朝鮮N報翻訳・08年5月29日)と。

もう少し前後の記事を読んでみよう。
そこには、こうある。

+++++++++以下、朝鮮N報より転載++++++++++++

(ワシントン・ポスト紙は)、これからの外交分野での最も大きな関心は、ヒル次官補が北朝鮮の核問題に関する交渉を成功させるのか、彼の失敗を望む政府高官の一派からの攻撃をどのように防ぐのか、という点であると述べている。

ヒル次官補は、北朝鮮に譲歩を重ねるという理由から、北朝鮮の金正日(キム・ジョンイル)総書記の名前をもじって「キム・ジョンヒル」と呼ばれることもあった。

6カ国協議の米国副代表として活動しているビクター・チャ氏(元国家安全保障会議アジア担当局長)はヒル次官補について、「彼は大変有能な交渉人だが、その一方、英雄になろうとしてメディアにしばしば露出する貪欲(どんよく)な人物だと見ることもできる」と評価した。

+++++++++++以上、朝鮮N報より、転載+++++++++

率直に言えば、まさに(とんでもない外交官)である。

わかりやすく説明しよう。

C・ヒル氏は、

(1) すでにジャンク(ガラクタ)となった、ヨンビョンの核開発関連施設について、「爆破ショー」を演出してみせようとしている。

(2) 既存の核兵器、核物質については、不問。これに応じて、K国は、「自国を、核保有国として認めろ」と、アメリカに迫っている(5月30日)。

(3) 少なくとも、5月25日前後まで、日本の拉致問題について、K国と真剣に話しあった形跡は、ゼロ。むしろ事実は逆で、K国を財政的に援助するため、日本を利用しようとしている。

ワシントン・ポスト紙の記事には、つぎのようにある。

+++++++++++以下、朝鮮N報より転載++++++++++++

北朝鮮の核問題について話し合う6カ国協議の米国首席代表を務めているクリストファー・ヒル国務次官補。米紙ワシントン・ポストは5月26日付(08年)の記事で、ヒル次官補は中間クラスの公務員であるにもかかわらず、米国の北朝鮮政策を対峙(たいじ)から対話へと180度転換させ有名人となったと報じた。

 同紙は「米国の対北朝鮮政策の転換を操った中間クラスの公務員」というタイトルの特集記事で、ヒル次官補が過去3年間疲れも見せずに進めてきた北朝鮮の核問題に関する交渉が、任期切れ間近のブッシュ大統領の外交政策の中で最も大きな希望として浮かび上がっていると評価した。

 同紙の評価では、ブッシュ大統領とコンドリーザ・ライス国務長官に対し、北朝鮮が隠しているプルトニウムの問題に集中するよう説得し、濃縮ウランを含むほかの問題は副次的なものとしたことは、ヒル次官補最大の「クーデター」だった。

また、2005年にブッシュ大統領の任期2期目が始まってからも、現職にとどまると分かるや、「北朝鮮に行かせてくれれば交渉を妥決させる」としてライス長官を説得したのも、彼の業績だった。

 同紙によれば、ブッシュ大統領のヒル次官補に対する信任は格別だ。次官補級でありながらブッシュ大統領やディック・チェイニー副大統領、スティーブン・ハドリー大統領補佐官(国家安全保障担当)の朝食会に出席したのは異例のことで、時にはブッシュ大統領と1対1で話を交わすこともあった。

 ヒル次官補は公開行事やメディアを巧みに利用することで国際的な人物になった、と同紙は分析した。また、ドイツのアンゲラ・メルケル首相と並び、国際関係に大きな影響を及ぼした人物が受賞する、英国チャタム・ハウス賞の候補にも挙がっている。

++++++++++++以上、朝鮮N報より転載++++++++++

この記事を、要約してみる。

(1)ヒル次官補は中間クラスの公務員であるにもかかわらず、米国の北朝鮮政策を対峙(たいじ)から対話へと180度転換させ有名人となったと報じた。

(2)北朝鮮が隠しているプルトニウムの問題に集中するよう説得し、濃縮ウランを含むほかの問題は副次的なものとしたことは、ヒル次官補最大の「クーデター」だった。

(3)2005年にブッシュ大統領の任期2期目が始まってからも、現職にとどまると分かるや、「北朝鮮に行かせてくれれば交渉を妥決させる」としてライス長官を説得したのも、彼の業績だった。

 この記事の中で、とくに気になるのは、「濃縮ウランを含むほかの問題は副次的なものとしたことは、ヒル次官補最大の「クーデター」だった」という部分。

 「ほかの問題」というのは、たとえば既存核兵器、ならびにシリアへの核移転問題を含む。つまりヒル氏は、なりふり構わず、アメリカの国益だけを優先させ、表では、「6か国協議を重要視する」と言いながら、裏では、K国と直接交渉を繰りかえしていた。

 それを助けたのは、もちろん金大中元韓国大統領であり、ノ前韓国大統領である。

となると一連のC・ヒル氏の目的は、何か?

ワシントン・ポスト紙の記事には、こうある。

「ドイツのアンゲラ・メルケル首相と並び、国際関係に大きな影響を及ぼした人物が受賞する英国チャタム・ハウス賞の候補にも挙がっている」と。(ナルホド!)

もしCヒル氏の思惑どおり、ことが運んだら、この日本はどうなる?

(1) K国は、核保有国となり、以後、日本は、K国の核兵器の存在にビクビクしながら、K国の言うなりにならなければならない。

(2) 仮に米朝平和条約(=不可侵条約)が結ばれたら、その時点で、日米安保条約は、死文化する。つまりK国は、自由勝手に、日本に対して戦争をしかけることができるようになる。K国の最大の目標は、ここにある。

(3) 拉致問題は、未解決のまま。そんな人物が、『チャタム・ハウス賞』だって!?

 何度も繰りかえすが、あの独裁者は、核兵器をぜったいに放棄しない。核兵器あっての、金xxである。核兵器が、恐怖政治の本尊になっている。が、ひとりノー天気なヒル氏は、アメリカ流合理主義だけで、問題を解決しようとした。またその手法に、しがみついている。

 日本やほかの国々が、今まで、いかにだまされてきたかを考えれば、ヒル氏も、少しは自分のしていることの愚かさに、気づくはず。

同じく朝鮮N報には、こんな記事が載っている(5月29日)。そのまま紹介させてもらう。私たち日本人も、一度は、この記事を、じっくりと読んでみる必要がある。ヒル氏のしている愚かさが、少しは理解できるはず。

 K国の1人の政府高官が、決死の思いで、朝鮮N報に送ってきた手紙である。

+++++++++++以下、朝鮮N報より転載+++++++++++++++

この手紙は出張で中国に渡った北朝鮮高官が在中同胞を通じて朝鮮日報社に自分の心境を綴った手紙をファックスで送ってきたものです。自分の身の安全のため、身元はもちろん、筆跡が明らかになる手紙の写本も公開しないよう要請しました/編集者。

 私は現在、北朝鮮の重要機関で働くものです。身の危険のため、具体的な身元を明かすことができません。ご了承ください。

 私が危険を覚悟して朝鮮日報読者の皆さんに手紙を書く理由は、韓国政府の対北政策と北朝鮮寄り勢力の行動があまりにも嘆かわしく、民族の将来のために、言うべきことは言おうと思ったからです。

 ご存知のように、北朝鮮人民たちは1995~1998年のいわゆる 「苦難の行軍」当時、300万人が餓死し、120万人が流浪するようになってから、もはや未練も愛情もなくなりました。

 ただ残ったものと言えば、金正日(キム・ジョンイル)に対する深い憎悪だけです。

 現在、北朝鮮内部には公開することはできませんが、多くの反政府勢力が存在しており、時が来れば民族反逆者 金正日を処断し新しい国家を建設するエリートたちが徐徐に育成されております。志のある同志らがこのことに参加しています。

 私たちは1990年代の「苦難の行軍」当時、金正日を崩せる絶好のチャンスだと思いました。何故なら、金正日が混乱な体制を維持するため、罪のない人々を次から次へと銃殺し、管理所(政治犯収容所)送りにするなど無慈悲に人民を弾圧したからです。

 人民の怨声が高くなると、反抗の気運もまた高くなるのは歴史の真理と言えます。「苦難の行軍」当時、政治、経済、文化、国防を問わず、収拾がつかないほど瓦解し、多くの人民が中国へと発ちました。

 私たちは当時、より多くの人民が北朝鮮を脱出し中国に渡ることを願い、国際社会は金正日の首をもっと強く締め付けてくれるよう願いました。もし、このような状況が現実になっていたなら、いくら残忍な金正日政権でも堪えることができず、崩壊したはずだと思います。

 しかし、南朝鮮政府と国際社会の金正日政権に対する支援で、北朝鮮の反政府勢力は再び苛酷な試練を強いられています。中国へと脱出した数十万もの哀れな脱北者が北朝鮮で連れ戻され公開処刑場で、また保衛部の監獄や管理所で命を失いました。

 どれだけ多い脱北者が北朝鮮に連れ戻され、悲惨な死を迎えたことか、考えるだけで怒りを抑えることができません。それに、南朝鮮政府は金正日に何の借りを作ったのか、継続して金正日を支援しています。

 これまで北朝鮮に流れ込んだドルと支援物資がどのように使われたか、具体的に明かすこともできますが、止めておきます。人民の食生活にはまったく関心のない金正日政権が、外部の支援を人民のためにではなく、自分の政権を維持するためだけに使い切っていることは明らかであるため、このことを是非とも強調したいと思うだけです。

 南朝鮮ではまるで、金正日政権が変化したかのように、しきりに金正日を美化しようとする動きがあるようです。そこで、 「苦難の行軍」 以後の北朝鮮の変化を手短に申し上げます。

 2002年7月に取られた「経済管理改善」措置は、市場の物価を現実化し、事実上有名無実となった配給制と供給制を廃止するほか、人民に対する国家の責任を個人の責任に転嫁したこと以外、特別な内容はありません。

 商売をするためには自由を与えなければなりませんが、現在北朝鮮には個人商売は存在しません。月1万~3万ウォンを稼げる人は当局の許可を得て商売をしますが、そんな能力のない大多数の勤労者は統制の中、配給も月給もまともにもらえないけれど、職場生活を続けなければなりません。

 最近北朝鮮では 「南朝鮮の連続ドラマ」ブームが起き、各家ごとに家宅捜査が行われ、出退勤の統制もさらに強化されました。個人農業が可能になるのではないか、ほんの少しの期待もありましたが、それも今やうやむやになった状態です。

 今年7月、協同農場の土地を機関と企業所に分けるという話が流れましたが、まだ実行されていません。個人が山を開墾して作った田畑に限り、300坪まで農業を許容しており、それ以上の土地に対しては国家が管理するようになりました。

 もちろん、死に物狂いで対抗する住民たちが政府の統制にもかかわらず、数千坪の田畑を管理することもあります。しかし、土地使用料で税金を払ってしまえば残るものがなく、人民の怨声は高まるばかりです。

 田畑を耕している人たちは、それでも餓死しない程度の農業を営み、自給している人々だと言えます。農民たちは秋になれば軍糧だとして米を奪われ、幹部らにも奪われてしまうと残るものがないため、今はちゃっかりしています。

 各自、泥棒になりきって食糧を確保しない限り飢え死にしてしまうため、農民らはみな盗賊になってしまっています。

 だから、秋になれば協同農場の土地は中身のないしいなばかりが転がっています。黄海道の今年の作況が少しは改善されたと言いますが、人民軍の軍糧を去年よりさらに多く持っていかれたため、早くから農民の怨声が聞こえています。

 最近は人民軍も飢えるほど、再び食糧難が深刻になっています。人民たちは人民軍を「暴れん坊軍隊」、「やくざ」、「盗賊軍隊」、「討伐軍」(日帝当時の討伐隊に例えた言葉)と呼んでおり、まともに食べられず栄養失調に悩まされるという意味から「栄失軍」(栄養失調軍隊)と呼んだりします。

 毎日のように民家を襲い、人を殴ったりするため、軍隊に対する苦情が後を絶ちません。飢えで、人民軍の綱紀は崩壊寸前です。

 北朝鮮はますます救いようのない腐敗国家に転落し、さらに滅亡の加速度がかかっている状態と言えます。金正日は何とか政権を維持するため、処刑や拷問など苛酷な刑罰をさらに強化しており、脱北者に対する処罰も、最近は極めて厳しくなっています。国際社会の世論のため、公開処刑はあまり行っていません。

 外部の情報に対する人民の関心が高まり、南朝鮮でどんなことが起きているのか、高官らはすべて知り尽くしています。今や中間級の幹部や若者たちまでもが、米国のラジオ・フリー・アジア(RFA)を聞いて情報を拾得しています。誰が金正日を助けており、誰が北朝鮮の自由と人権のために戦っているのか、私たちはすべて知っています。

 より多くの人民が中国に脱出し金正日と対抗しなければなりませんが、現在中国と韓国政府が脱北者を粗末に扱い、彼らの救出にまったく関心がないということを、すでにずいぶん前から知っていました。

 このような情勢であるため、北朝鮮人民たちは逃げることもできない悽惨な状況に置かれ、飢え死にするか、暴力により死ぬ日だけを待っています。

 そのため、現在韓国政府の対北政策に対して北朝鮮の志のある高官らと反政府勢力は非常に不満を抱いており、南韓政府に対する憎悪はさらに深まっています。

 もはや、金正日は行き場がありません。今金正日を好きな北朝鮮人民は誰一人いないと断言します。無知な人民軍を立て、人民を銃や刀で弾圧していますが、もはや彼の運も尽きたと思います。

 人民軍の親兄弟も飢え死にしています。人間として、考えられる頭があるなら、どうやってこの状態を正常だと言えますでしょうか。

 わが民族が困難に陥った時、私たちが兄弟だと信じている南朝鮮人民たちが金正日政権を崩壊し、北朝鮮人民に自由と解放を与えるためにはどうすべきか、ここまで話せば、お分かりになるはずだと思います。

 開城(ケソン)工団は金正日の足りない外貨を稼ぐための 「窓口」と見ると正確です。金鋼山観光も同じです。金正日は南朝鮮の金が必要であり、南北交流は金正日にどれだけの金が入って来るかによって、すなわち 「将軍様」の満足度によって変わるでしょう。

 金をたくさん与えれば、南北関係は良くなり、そうではなければその反対になるでしょう。厳密に言えば、北朝鮮との関係ではなく、金正日との関係と言うのが正しいでしょう。

 もはや、金正日の首を締めなくては、これ以上北朝鮮人民の不幸を防ぐことはできません。人民軍を解体させ、保衛部を弱化させるためには、金が入ってくるのを阻止すべきです。

 米国と日本、南朝鮮が力を合わせて金正日を圧迫すれば、崩壊するか、改革、開放をするか、彼も選択するでしょう。

 重ねてお願いします。北朝鮮の人民たちが今どれだけ惨めに、奴隷のような暮しをしているのか、推し量ってください。金正日を助ける人は後日、必ず北朝鮮人民たちが正義の審判を行うことでしょう。

 ありがとうございました。

++++++++++++以上、朝鮮N報より転載+++++++++++++

こうしたヒル氏の、きわめて独善的な動きに対して、さすがのライス国務長官も危機感をいだいたのか、ライス氏は、つぎのようにコメント発表している(5月30日)。

+++++++++++++以下、朝鮮N報より転載++++++++++++++++

The United States has made it clear it will reserve its decision whether to remove North Korea from its list of terrorist countries until it is satisfied that it fully understands North Korea’s nuclear programs.
In a recent interview with the Weekly Standard, U.S. Secretary of State Condoleezza Rice was asked whether it is possible for North Korea to be struck off the list even if it does not explicitly admit nuclear cooperation with Syria. Rice said, “What we're doing is we want to look at -- take a look at the totality of the nuclear (question). So, I'm not going to make any judgments until we … know where we are on these issues.”
Rice stressed there are other ways to put sanctions on North Korea if necessary, even if it is struck from the list and the Trading With the Enemy Act, and added the U.S. does not blindly trust the North Korean regime just because it is minded to strike it from the list. “I think there’s some … misunderstanding,” she said. “Nobody believes that this is a regime that you can believe. Let me just start by saying I have not lost my understanding of the North Korean regime.”
On the same day, Stephen Hadley, President Bush's national security adviser, reiterated the U.S. wants “a Korean Peninsula that is, once again, free of nuclear weapons." He called for responsible action from North Korea, saying Pyongyang “must fulfill its other obligations -- including a full declaration of its nuclear programs that is complete, correct and verifiable, dismantlement of its plutonium production infrastructure, (and) abandonment of any alternate route for producing nuclear weapons material.”

 核リストの申告や核拡散疑惑の解消など北朝鮮の核プログラムの全貌を把握するまでは、テロ支援国家解除に対する判断を留保するとの立場を米国が明らかにした。

 コンドリーザ・ライス米国務長官は最近、「ウイークリー・スタンダード」誌とのインタビューで、北朝鮮のテロ支援国家解除と関連し「北朝鮮の核プログラムの全貌を把握中で、北朝鮮の核申告がどこまで終わっているのか把握できるまでは判断を留保する」と語った。ライス長官は「北朝鮮がシリアとの核協力を認めていない状況で、テロ支援国家からの解除が可能か」という質問に対し、このように答えた。

 また、テロ支援国家および敵性国貿易法の解除と関連し、「誤って理解されている部分がある。(解除)されるとしても、対北制裁を続けることができる手段はいくらでもある」と強調した。続いて「北朝鮮政権は信じられない政権だということを多くの人が知っている」と話した。

 一方、スティーブン・ハドリー大統領補佐官(国家安全保障問題担当)も同日、「米国は韓半島(朝鮮半島)の非核化を願っている。北朝鮮は核プログラムに対して完全で正確に検証することができる申告をしなければならないし、核兵器を生産するための代案もすべてあきらめなければならない」と主張した。

++++++++++++++以上、朝鮮N報より転載+++++++++++++

ライス国務長官は、「北朝鮮の核プログラムの全貌を把握中で、北朝鮮の核申告がどこまで終わっているのか把握できるまでは判断を留保する」と。

当然のことではないか!

ヒル氏がここで舵を切らないようであれば、日本は、6か国協議からの離脱、ならびに日米間関係の終焉をも覚悟する。ことは、きわめて重大な局面を迎えつつある。


Hiroshi Hayashi++++++++Jun.08++++++++++はやし浩司

Friday, May 30, 2008

What is the Education for Children?

特集・教育の原点

【子どもの中の子ども】

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子どもを見て、教育してはいけない。
教育するときは、子どもの中の子どもを見て、する。

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●乳幼児の記憶

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子どもの中の子どもとは、何か?
それについて話す前に、乳幼児の
記憶について書いた原稿を
読んでほしい。

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「乳幼児にも記憶がある」と題して、こんな興味ある報告がなされている(ニューズウィーク誌・2000年12月)。

 「以前は、乳幼児期の記憶が消滅するのは、記憶が植えつけられていないためと考えられていた。だが、今では、記憶はされているが、取り出せなくなっただけと考えられている」(ワシントン大学、A・メルツォフ、発達心理学者)と。

 これまでは記憶は脳の中の海馬という組織に大きく関係し、乳幼児はその海馬が未発達なため記憶は残らないとされてきた。現在でも、比較的短い間の記憶は海馬が担当し、長期にわたる記憶は、大脳連合野に蓄えられると考えられている(新井康允氏ほか)。しかしメルツォフらの研究によれば、海馬でも記憶されるが、その記憶は外に取り出せないだけということになる。

 現象的にはメルツォフの説には、妥当性がある。たとえば幼児期に親に連れられて行った場所に、再び立ったようなとき、「どこかで見たような景色だ」と思うようなことはよくある。これは記憶として取り出すことはできないが、心のどこかが覚えているために起きる現象と考えるとわかりやすい。

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わかりやすく言えば、あの乳幼児ですらも、
着々と記憶をたくわえ、「私」を作る
準備をしているということ。

やがてその「私」が、私の意思すらも、
ウラから操るようになる。

では、「私の意思」とは何か?

それについて書いた原稿が
つぎのもの。

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●意思

 最近の研究では、「自分の意思」ですらも、実は、脳の中で、作られるものだということがわかってきた(澤口俊之氏「したたかな脳」日本文芸社)。

 たとえばテーブルの上に、ミカンがあったとしよう。するとあなたは、そのミカンに手をのばし、それを取って食べようとする。

 そのとき、あなたは、こう思う。「私は自分の意思で、ミカンを食べることを決めた」と。

 が、実は、そうではなく、「ミカンを食べよう」という意思すらも、脳の中で、先に作られ、あなたは、その命令に従って、行動しているだけ、という。詳しくは、「したたかな脳」の中に書いてあるが、意思を決める前に、すでに脳の中では別の活動が始まっているというのだ。

たとえばある人が、何らかの意思決定をしようとする。すると、その意思決定がされる前に、すでに脳の別のところから、「そういうふうに決定しないさい」という命令がくだされるという。

 (かなり大ざっぱな要約なので、不正確かもしれないが、簡単に言えば、そういうことになる。)

 そういう点でも、最近の脳科学の進歩は、ものすごい! 脳の中を走り回る、かすかな電気信号や、化学物質の変化すらも、機能MRIや、PETなどによって、外から、計数的にとらえてしまう。

 ……となると、「意思」とは何かということになってしまう。さらに「私」とは、何かということになってしまう。

 ……で、たった今、ワイフが、階下から、「あなた、食事にする?」と声をかけてくれた。私は、あいまいな返事で、「いいよ」と答えた。

 やがて私は、おもむろに立ちあがって、階下の食堂へおりていく。そのとき私は、こう思うだろう。「これは私の意思だ。私の意思で、食堂へおりていくのだ」と。

 しかし実際には、(澤口氏の意見によれば)、そうではなくて、「下へおりていって、食事をする」という命令が、すでに脳の別のところで作られていて、私は、それにただ従っているだけということになる。

 ……と考えていくと、「私」が、ますますわからなくなる。そこで私は、あえて、その「私」に、さからってみることにする。私の意思とは、反対の行動をしてみる。が、その「反対の行動をしてみよう」という意識すら、私の意識ではなくなってしまう(?)。

 「私」とは何か?

 ここで思い当たるのが、「超自我」という言葉である。「自我」には、自我を超えた自我がある。わかりやすく言えば、無意識の世界から、自分をコントロールする自分ということか。

 このことは、皮肉なことに、50歳を過ぎてみるとわかる。

 50歳を過ぎると、急速に、性欲の働きが鈍くなる。性欲のコントロールから解放されるといってもよい。すると、若いころの「私」が、性欲にいかに支配されていたかが、よくわかるようになる。

 たとえば街を歩く若い女性が、精一杯の化粧をし、ファッショナブルな服装で身を包んでいたとする。その若い女性は、恐らく、「自分の意思でそうしている」と思っているにちがいない。

 しかし50歳を過ぎてくると、そういう若い女性でも、つまりは男性をひきつけるために、性欲の支配下でそうしているだけということがわかってくる。女性だけではない。男性だって、そうだ。女性を抱きたい。セックスしたいという思いが、心のどこかにあって、それがその男性を動かす原動力になることは多い。もちろん、無意識のうちに、である。

 「私」という人間は、いつも私を越えた私によって、行動のみならず、思考すらもコントロールされている。

 ……と考えていくと、今の私は何かということになる。少なくとも、私は、自分の意思で、この原稿を書いていると思っている。だれかに命令されているわけでもない。澤口氏の本は読んだが、参考にしただけ。大半の部分は、自分の意思で書いている(?)。

 が、その意思すらも、実は、脳の別の部分が、命令しているだけとしたら……。
 
 考えれば考えるほど、複雑怪奇な世界に入っていくのがわかる。「私の意識」すらも、何かの命令によって決まっているとしたら、「私」とは、何か。それがわからなくなってしまう。

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そこでひとつの例として、「子どもの
やる気」について考えてみたい。

子どものやる気は、どこから生まれるのか。
またそのやる気を引き出すためには、
どうしたらよいのか。

少し話が脱線するが、「私の中の私を知る」
ためにも、どうか、読んでみてほしい。

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●子どものやる気

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子どもからやる気を引き出すには
そうしたらよいか?

そのカギをにぎるのが、扁桃体と
いう組織だそうだ!

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 人間には、「好き」「嫌い」の感情がある。この感情をコントロールしているのが、脳の中の辺縁系にある扁桃体(へんとうたい)という組織である。

 この扁桃体に、何かの情報が送りこまれてくると、動物は、(もちろん人間も)、それが自分にとって好ましいものか、どうかを、判断する。そして好ましいと判断すると、モルヒネ様の物質を分泌して、脳の中を甘い陶酔感で満たす。

たとえば他人にやさしくしたりすると、そのあと、なんとも言えないような心地よさに包まれる。それはそういった作用による(「脳のしくみ」新井康允)。が、それだけではないようだ。こんな実験がある(「したたかな脳」・澤口としゆき)。

 サルにヘビを見せると、サルは、パニック状態になる。が、そのサルから扁桃体を切除してしまうと、サルは、ヘビをこわがらなくなるというのだ。

 つまり好き・嫌いも、その人の意識をこえた、その奥で、脳が勝手に判断しているというわけである。

 そこで問題は、自分の意思で、好きなものを嫌いなものに変えたり、反対に、嫌いなものを好きなものに変えることができるかということ。これについては、澤口氏は、「脳が勝手に決めてしまうから、(できない)」というようなことを書いている。つまりは、一度、そうした感情ができてしまうと、簡単には変えられないということになる。

 そこで重要なのが、はじめの一歩。つまりは、第一印象が、重要ということになる。

 最初に、好ましい印象をもてば、以後、扁桃体は、それ以後、それに対して好ましい反応を示すようになる。そうでなければ、そうでない。たとえば幼児が、はじめて、音楽教室を訪れたとしよう。

 そのとき先生のやさしい笑顔が印象に残れば、その幼児は、音楽に対して、好印象をもつようになる。しかしキリキリとした神経質な顔が印象に残れば、音楽に対して、悪い印象をもつようになる。

 あとの判断は、扁桃体がする。よい印象が重なれば、良循環となってますます、その子どもは、音楽が好きになるかもしれない。反対に、悪い印象が重なれば、悪循環となって、ますますその子どもは、音楽を嫌いになるかもしれない。

 心理学の世界にも、「好子」「嫌子」という言葉がある。「強化の原理」「弱化の原理」という言葉もある。

 つまり、「好きだ」という前向きの思いが、ますます子どもをして、前向きに伸ばしていく。反対に、「いやだ」という思いが心のどこかにあると、ものごとから逃げ腰になってしまい、努力の割には、効果があがらないということになる。

 このことも、実は、大脳生理学の分野で、証明されている。

 何か好きなことを、前向きにしていると、脳内から、(カテコールアミン)という物質が分泌される。そしてそれがやる気を起こすという。澤口の本をもう少しくわしく読んでみよう。

 このカテコールアミンには、(1)ノルアドレナリンと、(2)ドーパミンの2種類があるという。

 ノルアドレナリンは、注意力や集中力を高める役割を担(にな)っている。ドーパミンにも、同じような作用があるという。

 「たとえば、サルが学習行動を、じょうずに、かつ一生懸命行っているとき、ノンアドレナリンを分泌するニューロンの活動が高まっていることが確認されています」(同P59)とのこと。

 わかりやすく言えば、好きなことを一生懸命しているときは、注意力や集中力が高まるということ。

 そこで……というわけでもないが、幼児に何かの(学習)をさせるときは、(どれだけ覚えたか)とか、(どれだけできるようになったか)とかいうことではなく、その幼児が、(どれだけ楽しんだかどうか)だけをみて、レッスンを進めていく。

 これはたいへん重要なことである。

 というのも、先に書いたように、一度、扁桃体が、その判断を決めてしまうと、その扁桃体が、いわば無意識の世界から、その子どもの(心)をコントロールするようになると考えてよい。「好きなものは、好き」「嫌いなものは、嫌い」と。

 実際、たとえば、小学1、2年生までに、子どもを勉強嫌いにしてしまうと、それ以後、その子どもが勉強を好きになるということは、まず、ない。本人の意思というよりは、その向こうにある隠された意思によって、勉強から逃げてしまうからである。

 たとえば私は、子どもに何かを教えるとき、「笑えば伸びる」を最大のモットーにしている。何かを覚えさせたり、できるようにさせるのが、目的ではない。楽しませる。笑わせる。そういう印象の中から、子どもたちは、自分の力で、前向きに伸びていく。その力が芽生えていくのを、静かに待つ。

 (このあたりが、なかなか理解してもらえなくて、私としては歯がゆい思いをすることがある。多くの親たちは、文字や数、英語を教え、それができるようにすることを、幼児教育と考えている。が、これは誤解というより、危険なまちがいと言ってよい。)

 しかしカテコールアミンとは何か?

 それは生き生きと、顔を輝かせて作業している幼児の顔を見ればわかる。顔を輝かせているその物質が、カテコールアミンである。私は、勝手に、そう解釈している。
(はやし浩司 子供のやる気 子どものやる気 カテコールアミン 扁桃体)

【補記】

 一度、勉強から逃げ腰になると、以後、その子どもが、勉強を好きになることはまずない。(……と言い切るのは、たいへん失礼かもしれないが、むずかしいのは事実。家庭教育のリズムそのものを変えなければならない。が、それがむずかしい。)

 それにはいくつか、理由がある。

 勉強のほうが、子どもを追いかけてくるからである。しかもつぎつぎと追いかけてくる。借金にたとえて言うなら、返済をすます前に、つぎの借金の返済が迫ってくるようなもの。

 あるいは家庭教育のリズムそのものに、問題があることが多い。少しでも子どもがやる気を見せたりすると、親が、「もっと……」「うちの子は、やはり、やればできる……」と、子どもを追いたてたりする。子どもの視点で、子どもの心を考えるという姿勢そのものがない。

 本来なら、一度子どもがそういう状態になったら、思い切って、学年をさげるのがよい。しかしこの日本では、そうはいかない。「学年をさげてみましょうか」と提案しただけで、たいていの親は、パニック状態になってしまう。

 かくして、その子どもが、再び、勉強が好きになることはまずない。
(はやし浩司 やる気のない子ども 勉強を好きにさせる 勉強嫌い)

【補記】

 子どもが、こうした症状(無気力、無関心、集中力の欠如)を見せたら、できるだけ早い時期に、それに気づき、対処するのがよい。

 私の経験では、症状にもよるが、小学3年以上だと、たいへんむずかしい。内心では「勉強はあきらめて、ほかの分野で力を伸ばしたほうがよい」と思うことがある。そのほうが、その子どもにとっても、幸福なことかもしれない。

 しかしそれ以前だったら、子どもを楽しませるという方法で、対処できる。あとは少しでも伸びる姿勢を見せたら、こまめに、かつ、すかさず、ほめる。ほめながら、伸ばす。

 大切なことは、この時期までに、子どものやる気や、伸びる芽を、つぶしてしまわないということ。

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では、「私」とは何か?
その中心核にあるのが、「性的エネルギー」(フロイト)
ということになる。
「生的エネルギー」(ユング)でもよい。

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● 生(なま)のエネルギー(Raw Energy from Hypothalamus)
In the middle of the brain, there is hypothalamus, which is estimated as the center of the brain. This part of the brain shows the directions of other parts of the brain. But it is not all. I understand the hypothalamus is the source of life itself.

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おおざっぱに言えば、こうだ。
(あるいは、はやし浩司の仮説とでも、思ってもらえばよい。)

脳の奥深くに視床下部というところがある。

視床下部は、いわば脳全体の指令センターと考えるとわかりやすい。
会社にたとえるなら、取締役会のようなもの。
そこで会社の方針や、営業の方向が決定される。

たとえば最近の研究によれば、視床下部の中の弓状核(ARC)が、人間の食欲を
コントロールしていることがわかってきた(ハーバード大学・J・S・フライヤーほか)。
満腹中枢も摂食中枢も、この部分にあるという。

たとえば脳梗塞か何かで、この部分が損傷を受けると、損傷を受けた位置によって、
太ったり、やせたりするという(同)。

ほかにも視床下部は、生存に不可欠な行動、つまり成長や繁殖に関する行動を、
コントロールしていることがわかっている。

が、それだけではない。

コントロールしているというよりは、常に強力なシグナルを、
脳の各部に発しているのではないかと、私は考えている。
「生きろ!」「生きろ!」と。
これを「生(なま)のエネルギー」とする。
つまり、この生のエネルギーが(欲望の根源)ということになる。(仮説1)

フロイトが説いた(イド)、つまり「性的エネルギー」、さらには、ユングが説いた、
「生的エネルギー」は、この視床下部から生まれる。(仮説2)

こうした欲望は、人間が生存していく上で、欠かせない。
言いかえると、こうした強力な欲望があるからこそ、人間は、生きていくことができる。
繁殖を繰りかえすことが、できる。
そうでなければ、人間は、(もちろんほかのあらゆる動物は)、絶滅していたことになる。
こうしたエネルギー(仏教的に言えば、「煩悩」)を、悪と決めてかかってはいけない。

しかしそのままでは、人間は、まさに野獣そのもの。
一次的には、辺縁系でフィルターにかけられる。
二次的には、大脳の前頭前野でこうした欲望は、コントロールされる。(仮説3)

性欲を例にあげて考えてみよう。

女性の美しい裸体を見たとき、男性の視床下部は、猛烈なシグナルを外に向かって、
発する。
脳全体が、いわば、興奮状態になる。
(実際には、脳の中にある「線状体」という領域で、ドーパミンがふえることが、
確認されている。)

その信号を真っ先に受けとめるのが、辺縁系の中にある、「帯状回」と呼ばれている
組織である。

もろもろの「やる気」は、そこから生まれる。
もし、何らかの事故で、この帯状回が損傷を受けたりすると、やる気そのものを喪失する。
たとえばアルツハイマー病の患者は、この部分の血流が著しく低下することが、
わかっている。

で、その(やる気)が、その男性を動かす。
もう少し正確に言えば、視床下部から送られてきた信号の中身を、フィルターにかける。
そしてその中から、目的にかなったものを選び、つぎの(やる気)へとつなげていく。
「セックスしたい」と。

それ以前に、条件づけされていれば、こうした反応は、即座に起こる。
性欲のほか、食欲などの快楽刺激については、とくにそうである。
パブロフの条件反射論を例にあげるまでもない。

しかしそれに「待った!」をかけるのが、大脳の前頭前野。
前頭前野は、人間の理性のコントロール・センターということになる。
会社にたとえるなら、取締役会の決定を監視する、監査役ということになる。

「相手の了解もなしに、女性に抱きついては、いけない」
「こんなところで、セックスをしてはいけない」と。

しかし前頭前野のコントロールする力は、それほど強くない。
(これも取締役会と監査役の関係に似ている?
いくら監査役ががんばっても、取締役会のほうで何か決まれば、
それに従うしかない。)

(理性)と(欲望)が、対立したときには、たいてい理性のほうが、負ける。
依存性ができているばあいには、なおさらである。
タバコ依存症、アルコール依存症などが、そうである。
タバコ依存症の人は、タバコの臭いをかいただけで、即座に、自分も吸いたくなる。

つまり、ここに人間の(弱さ)の原点がある。
(悪)の原点といってもよい。

さらに皮肉なことに、視床下部からの強力な信号は、言うなれば「生(なま)の信号」。
その生の信号は、さまざまな姿に形を変える。(仮説4)

(生きる力)の強い人は、それだけまた、(欲望)の力も強い。
昔から『英雄、色を好む』というが、英雄になるような、生命力の強い人は、
それだけ性欲も強いということになる。

地位や名誉もあり、人の上に立つような政治家が、ワイロに手を染めるのも、
その一例かもしれない。

つまり相対的に理性によるコントロールの力が弱くなる分だけ、欲望に負けやすく、
悪の道に走りやすいということになる。

もちろん(欲望)イコール、(性欲)ではない。
(あのフロイトは、「性的エネルギー」という言葉を使って、性欲を、心理学の中心に
置いたが……。)

ここにも書いたように、生の信号は、さまざまな姿に変える。
その過程で、さまざまなバリエーションをともなって、その人を動かす。

スポーツ選手がスポーツでがんばるのも、また研究者が、研究で
がんばるのも、そのバリエーションのひとつということになる。
さらに言えば、女性が化粧をしたり、身なりを気にしたり、美しい服を着たがるのも、
そのバリエーションのひとつということになる。

ほかにも清涼飲料会社のC社が、それまでのズン胴の形をした瓶から、
なまめかしい女性の形をした瓶に、形を変えただけで、
現在のC社のような大会社になったという話は、よく知られている。
あるいは映画にしても、ビデオにしても、現在のインターネットにしても、
それらが急速に普及した背景に、性的エネルギーがあったという説もある。

話がこみ入ってきたので、ここで私の仮説を、チャート化してみる。

(視床下部から発せられる、強力な生のシグナル)
      ↓
(一次的に辺縁系各部で、フィルターにかけられる)
      ↓
(二次的に大脳の前頭前野で、コントロールされる)

こう考えていくと、人間の行動の原理がどういうものであるか、それがよくわかる。
わかるだけではなく、ではどうすれば人間の行動をコントロールすることができるか、
それもよくわかる。

が、ここで、「それがわかったから、どうなの?」と思う人もいるかもしれない。
しかし自分の心というのは、わかっているのと、わからないのでは、対処のし方が、
まるでちがう。

たとえば食欲を例にあげて、考えてみよう。

たとえば血中の血糖値がさがったとする。
(実際には、食物の分解物であるグルコースや、インスリンなどの消化器系ホルモン
などが、食欲中枢を刺激する。)
すると視床下部は、それを敏感に関知して、「ものを食べろ!」というシグナルを
発する。
食欲は、人間の生存そのものに関する欲望であるだけに、そのシグナルも強力である。

そのシグナルに応じて、脳全体が、さまざまな生理反応を起こす。
「今、運動をすると、エネルギー消費がはげしくなる。だから動くな」
「脂肪内のたくわえられたエネルギーを放出しろ」
「性欲など、当座の生命活動に必要ないものは、抑制しろ」と。

しかしレストラン街までの距離は、かなりある。
遠くても、そこへ行くしかない。
あなたは辺縁系の中にある帯状回の命ずるまま、前に向かって歩き出した。

そしてレストラン街まで、やってきた。
そこには何軒かの店があった。
1軒は、値段は安いが、衛生状態があまりよくなさそうな店。それに、まずそう?
もう1軒は。値段が高く、自分が食べたいものを並べている。

ここであなたは前頭前野を使って、あれこれ考える。

「安い店で、とにかく腹をいっぱいにしようか」
「それとも、お金を出して、おいしいものを食べようか」と。

つまりそのつど、「これは視床下部からの命令だ」「帯状回の命令だ」、さらには、
「今、前頭前野が、あれこれ判断をくだそうとしている」と、知ることができる。
それがわかれば、わかった分だけ、自分をコントロールしやすくなる。

もちろん性欲についても同じ。

……こうして、あなたは(私も)、自分の中にあって、自分でないものを、
適確により分けることができる、イコール、より自分が何であるかを知ることが、
できる。

まずいのは、視床下部の命ずるまま、それに振り回されること。
手鏡を使って、女性のスカートの下をのぞいてみたり、トイレにビデオカメラを
設置してみたりする。
当の本人は、「自分の意思で、したい」と思って、それをしているつもりなのかも
しれないが、実際には、自分であって、自分でないものに、振り回されているだけ。

それがわかれば、そういう自分を、理性の力で、よりコントロールしやすくなる。

以上、ここに書いたことは、あくまでも私のおおざっぱな仮説によるものである。
しかし自分をよりよく知るためには、たいへん役に立つと思う。

一度、この仮説を利用して、自分の心の中をのぞいてみてはどうだろうか?

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 Hiroshi Hayashi education essayist writer Japanese essayist 視床下部 辺縁系 やる気)

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では、いよいよ核心?

「私」とは何か。
また教育の世界では、「私」をどう考えたら
よいのか。

私は、ひとつの仮説を考えた。

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●仮説(Hypothesis)
In the middle of the brain, there may be a center which gives orders to the whole brains. The limbic system filters these orders to the one, which may be understood by other brains. Then brains give orders to each part of the body. The orders are controlled by the frontal part of the brain. This is my hypothesis. …sorry about my improper use of words )

+++++++++++++++++

電車の中。
春うららかな、白い光。
その白い光の中で、1人の若い女性が
化粧を始めた。
小さな鏡をのぞきこみ、
口紅を塗っていた。

私はその光景を見ながら、
ふと、こう思った。

「彼女は、自分の意思で化粧をしているのか?」と。

私がその女性にそう聞けば、100%、その女性は、
こう答えるにちがいない。

「もちろん、そうです。私の意思で、化粧をしています」と。

しかしほんとうに、そうか?
そう言い切ってよいのか?

ひょっとしたら、その女性は、
「私でない、私」によって、操られているだけ。

+++++++++++++++

昨日、新しい仮説を組み立てた。
人間の生命と行動に関する仮説ということになる。
それについては、昨日、書いた。

仮説(1)

人間の脳みその奥深くに、(生命力)の中枢となるような部分がある。
最近の研究によれば、視床下部あたりにそれがあるらしいということが、わかってきた。
視床下部というは、脳みその、ちょうど中心部にある。

仮説(2)

その(生命力の根源)となるような部分から、脳みそ全体に、常に、
強力なシグナルが発せられている。
「生きろ!」「生きろ!」と。

生命維持に欠かせない、たとえば食欲、生存欲、性欲、支配欲、闘争欲などが、
そのシグナルに含まれる。

これらのシグナルは、きわめて漠然としたもので、私は、「生(なま)の
エネルギー」と呼んでいる。

仮説(3)

この生のエネルギーは、一次的には、辺縁系という組織で、フィルターに
かけられる。
つまり漠然としたエネルギーが、ある程度、形をともなったシグナルへと
変換される。

やる気を司る帯状回、善悪の判断を司る扁桃核、記憶を司る海馬などが、
辺縁系を構成する。

つまりこの辺縁系で一度フィルターにかけられた生のエネルギーは、志向性を
もったエネルギーへと、変換される。
このエネルギーを、私は、「志向性エネルギー」と呼んでいる。

仮説(4)

この志向性エネルギーは、大脳へと送信され、そこで人間の思考や行動を決定する。
ただそのままでは、人間は野獣的な行動を繰りかえすことになる。
そこで大脳の前頭前野が、志向性エネルギーをコントロールする。
この前頭前野は、人間の脳のばあい、全体の28%も占めるほど、大きな
ものである。

以上が、私の仮説である。

具体的に考えてみよう。

たとえばしばらく食べ物を口にしていないでいたとする。
が、そのままでは、エネルギー不足になってしまう。
自動車にたとえるなら、ガス欠状態になってしまう。

具体的には、血中の血糖値がさがる。
それを視床下部のセンサーが感知する。
「このままでは、ガス欠になってしまうぞ」
「死んでしまうぞ」と。

そこで視床下部は、さまざまな、生のシグナルを中心部から外に向かって発する。
そのシグナルを、一次的には、視床下部を包む辺縁系が、整理する。
(これはあくまでも、仮説。こうした機能を受けもつ器官は、ほかに
あるかもしれない。)

「食事行動を取れ」
「運動量を減らせ」
「脂肪細胞内の脂肪を放出せよ」と。

その命令に従って、脳みそは、具体的に何をするかを決定する。
その判断を具体的にするのが、前頭前野ということになる。
前頭前野は、脳みそからの命令を、分析、判断する。

「店から盗んで食べろ」「いや、それをしてはいけない」
「あのリンゴを食べろ」「いや、あのリンゴは腐っている」
「近くのレストランへ行こう」「それがいい」と。

そしてその分析と判断に応じて、人間は、つぎの行動を決める。

これは食欲についての仮説だが、性欲、さらには生存欲、支配欲、所有欲
についても、同じように考えることができる。

こうした仮説を立てるメリットは、いくつか、ある。

その(1)……「私」の中から、「私であって私である部分」と、
「私であって私でない部分」を、分けて考えることができるようになる。

たとえば性欲で考えてみよう。

男性のばあい、(女性も同じだろうと思うが)、射精(オルガスムス)の
前とあととでは、異性観が、まったくちがう。
180度変わることも珍しくない。

たとえば射精する前に、男性には、女性の肉体は、狂おしいほどまでに魅力的に見える。
女性の性器にしても、一晩中でもなめていたいような衝動にかられることもある。
しかしひとたび射精してしまうと、そこにあるのは、ただの肉体。
女性器を目の前にして、「どうしてこんなものを、なめたかったのだろう」とさえ思う。

つまり射精前、男性は、性欲というエネルギーに支配されるまま、「私で
あって私でない」部分に、操られていたことになる。

では、どこからどこまでが「私」であり、どこから先が、「私であって
私でない」部分かということになる。

私の仮説を応用することによって、それを区別し、知ることができるようになる。

こうして(2)「私であって私である」部分と、「私であって私でない」部分を
分けることによって、つぎに、「私」の追求が、より楽になる。
さらに踏み込んで考えてみよう。

たとえばここに1人の女性がいる。

朝、起きると、シャワーを浴びたあと、毎日1~2時間ほどもかけて化粧をする。
その化粧が終わると、洋服ダンスから、何枚かの衣服を取りだし、そのときの自分に
合ったものを選ぶ。
装飾品を身につけ、香水を吹きかける……。

こうした一連の行為は、実のところ「私であって私でない」部分が、
その女性をウラから操っているために、なされるものと考えられる。

もちろんその女性には、その意識はない。化粧をしながらも、「化粧を
するのは、私の意思によるもの」と思っている。
いわんや本能によって操られているなどとは、けっして、思っていない。

しかしやはり、その女性は、女性内部の、「私であって私でない」部分に操られている。
それを意識することはないかもしれないが、操られるまま、化粧をしている。

++++++++++++++++++

こう考えていくと、「私」の中に、「私であって私」という部分は、
きわめて少ないということがわかってくる。

たいはんは、「私であって私でない」部分ということになる。
あえて言うなら、若い女性が口紅を塗りながら、「春らしいピンク色にしようか、
それとも若々しい赤色にしようか?」と悩む部分に、かろうじて「私」があることに
なる。

しかしその程度のことを、「私」とはたして言ってよいのだろうか?
「ピンク色にしようか、赤色にしようか」と悩む部分だけが、「私」というのも、
少しさみしい気がする。

さらにたとえばこの私を見てみたばあい、私という人間は、こうして
懸命にものを考え、文章を書いている。

この「私」とて、生存欲に支配されて、ものを書いているだけなのかもしれない。
つまり、私の脳みその中心部から発せられる、生のエネルギーに操られているだけ?
……と考えていくと、「私」というものが、ますますわからなくなってくる。

しかしこれが、「私」を知るための第一歩。
私はやっと、その(ふもと)にたどりついたような気がする。

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 Hiroshi Hayashi education essayist writer Japanese essayist 私論 私で会って私でない部分 視床下部 大脳前頭前野)

++++++++++++++++

教育の世界では、表面的な子どもだけを
見て、教育してはいけない。

教師のひとつひとつの行動、言動が、
どのように子どもの中に形成されていくか。
それを観察しながら、教育する。

あるいは反対に、その子どもが、その
子ども自身の中の、どのような「私」に
コントロールされているか、それを
的確に判断しながら、教育する。

それが教育の原点ということになる。

++++++++++++++++

【私とは?】(What is “Me”?)
At last I have come to an conclusion or I just feel it that I have come. Here is what I have found in these ten years.

●いよいよ核心?

++++++++++++++++++

「私」の中には、(私であって、私でない部分)と、
(私であって、私である部分)がある。

大半の「私」は、(私であって、私でない部分)と
考えてよい。

食事をするのも、眠るのも、仕事をするのも、
また恋をして、結婚して、子どもをもうけるのも、
結局は、視床下部の奥深くから発せられる、強力な
シグナルによって、そう操作されているだけ。
それを「本能」と呼ぶなら、本能という名称でも、
構わない。

では、(私であって、私である部分)は、どこに
あるのか。

実は、こうしたシグナルに逆らうところに、
「私」がある。

こんな例で考えてみよう。

毎年、その時期になると、私の家の庭には、2羽の
ドバトがやってくる。
巣をつくり、雛(ひな)をかえす。

そのときのこと。
ドバトは、たいてい2羽の雛をかえす。
が、そのうち雛が大きくなると、
より強い雛が、より弱い雛を、巣から押し出して、
下へ落としてしまう。

つまり1羽だけが、生き残る。
(たまに2羽とも生き残ることがあるが……。)

雛は、雛なりに、生存をかけて、もう一羽の
雛を、巣から落とす。

が、それはその雛自身の意思というよりは、
雛自身の、生まれもった、本能によるものと
考えるのが正しい。

もしその雛が、人間と会話ができるなら、
きっとこんなふうに言うにちがいない。

私「君は、どうして、もう一羽の雛を、巣から
落としたのだ?」
雛「親が、エサをじゅうぶんにくれないからだ」
私「君の意思で、そうしたのか?」
雛「もちろん。やむをえず、私は、そうした」と。

が、雛は、自分の意思で、そうしたのではない。
もう少し正確には、これはあくまでも私の
仮説だが、こうなる。

「生きたい」という強力なシグナルが、雛の
視床下部から発せられる。
そのシグナルは、雛の辺縁系と呼ばれる部分で、
「形」のあるシグナルに変換される。
このばあい、「嫉妬」という感情に変換される。

つまりそこで2羽の雛は、たがいに嫉妬し、
巣の中で、闘争を開始する。
「出て行け!」「お前こそ、出て行け!」と。

結果的に、より力の強い雛が、弱い雛を、巣から
追い出して、落とす。
落とされた雛は、野犬などに襲われて、そのまま死ぬ。

わかりやすく言えば、雛は、こうした一連の行為を
しながら、(私であって、私でない部分)に操られた
だけということになる。

では、その雛が、(私であって私である部分)をつかむ
ためには、どうすればよいのか。

ここから先は、人間を例にあげて考えてみよう。

2人の人がいる。
砂漠かどこか、それに近いところを歩いていた。
2人も、もう数日間、何も食べていない。
空腹である。

で、2人が歩いていると、目の前に、パンが一個、
落ちていた。
1人分の空腹感を満たすにも足りない量である。

もしそのとき、2人が、一個のパンを取りあって、
喧嘩を始めれば、それはドバトの雛のした行為と
同じということになる。

基本的には、視床下部から発せられたシグナルに
操られただけ、ということになる。

が、2人の人は、こう話しあった。

「仲よく、分けて食べよう」
「いや、ぼくはいいから、君のほうが、食べろよ」
「そんなわけにはいかない。君のほうが、体も細いし、
元気がない……」と。

もう、おわかりのことと思う。
(私であって、私である部分)というのは、
(私であって、私でない部分)を、否定した
部分にあるということ。

もっとわかりやすく言えば、先に書いた、「本能」を
否定したところに、「私」がある。

さらに言えば、一度(私であって、私でない部分)から、
抜けでたところに、「私」がある。

その究極的なものは何かと問われれば、それが「愛」
であり、「慈悲」ということになる!

「愛」の深さは、「どこまで、相手を許し、忘れるか」、その
度量の深さで、決まる。

「慈悲」については、英語で、「as you like」と訳した
人がいる。
けだし名訳! 「あなたのいいように」という意味である。
つまり「慈悲」の深さは、どこまで相手の立場で、「相手に
いいようにしてやる」か、その度量の深さで、決まる。

たとえば殺したいほど、憎い相手が、そこにいる。
しかしそこで相手を殺してしまえば、あなたは、
視床下部から発せられるシグナルに操られただけ、
ということになる。

が、そこであなたは、あなた自身の(私であって、
私でない部分)と闘う。闘って、その相手を、
許して忘れたとする。
相手の安穏を第一に考えて、行動したとする。
つまりその相手を、愛や慈悲で包んだとする。

そのときあなたは、(私であって、私である部分)を、
手にしたことになる!

「私」とは何か?

つまるところ、(私であって、私でない部分)を否定し、
その反対のことをするのが、「私」ということになる。

もちろん、人間は生きていかねばならない。
視床下部から発せられるシグナルを、すべて否定したのでは
生きていかれない。

しかし、そのシグナルの奴隷になってはいけない。
シグナルの命ずるまま、行動してはいけない。
闘って、闘って、闘いぬく。
その闘うところに、「私」がある。
そのあとに残るのが、「私」ということになる。

繰りかえすが、その究極的なものが、「愛」であり、
「慈悲」ということになる!

さらに言えば、「私」とは、「愛」であり、「慈悲」
ということになる。

言いかえると、「愛」や「慈悲」の中に、(私であって、
私である部分)が存在する、ということになる!

+++++++++++++++++

【補記】

ここに書いたのは、私の仮説に基づいた、ひとつの意見のすぎない。
しかし、おぼろげならも、やっと私は、「私」にたどりついた。
「私」とは何か、その糸口をつかんだ。
長い道のりだった。
遠い道のりだった。
書いた原稿は、数万枚!

ここまでたどりつくために、ほぼ10年の月日を費やした。
(10年だぞ!)

先ほど、ドライブをしながら、ワイフにこの仮説について説明した。
ワイフは、そのつど、私の仮説に同意してくれた。

で、それを説明し終えたとき、私の口から、長い、ため息が出た。
ホ~~~~~ッ、と。
うれしかった。
涙がこぼれた。

この先は、私の仮説を、もう少し、心理学、大脳生理学、教育論の
3つの分野から、同時に掘りさげ、補強してみたい。

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 Hiroshi Hayashi education essayist writer Japanese essayist 私とは 私論 愛 慈悲 愛論 慈悲論 仮説 視床下部 辺縁系 はやし浩司の私論 教育の原点)


Hiroshi Hayashi++++++++May.08++++++++++はやし浩司

●言語能力

 ついでに、澤口俊之氏は、「言語能力こそが重要」と説く(「したたかな脳」日本文芸社)。

 私も、そう思う。

 言語能力のあるなしで、その人の知性を決める。「ヒトとサルの違いは、この言語能力のあるなしである」(同書)という。

 私も、そう思う。

 つまりその言語能力を喪失したら、ヒトは、ヒトでなくなってしまう。ただのサルになってしまう。

 が、最近、その言語能力のない人が、ふえてきた。いろいろな原因が考えられているが、要するに、人間、なかんずく日本人が、それだけ「バカ」(養老孟子)になってきたということか。

 先日も、コンビニで立ってレジがすむのを待っていたら、前に立っていた母親が、自分の子どもに向かって、こう叫んでいたという。

 「テメエ、騒ぐと、ぶっ殺されるぞオ!」と。

 これは、ある小学校の校長先生が話してくれたエピソードである。服装や、かっこうはともかくも、その母親の頭の中は、サル同然ということになる。

 つまりは思考能力ということになるのだろうが、それを決定づけているのが、大脳の中でも前頭連合野である。最近の研究によれば、この前頭連合野が、「人格、理性と深いかかわりがあることがわかってきました」(同書、P34)という。

 その前頭連合野の発達のカギを握るのが、ここでいう言語能力である。しかもその発達時期には、「適齢期」というものがある。言語能力は、ある時期に発達し始め、そしてある時期がくると、発達を停止してしまう。「停止」という言い方には語弊があるが、ともかくも、ある時期に、適切にその能力を伸ばさないと、それ以後、伸びるといことは、あまりない。

 それを「適齢期」という。

 私の経験では、子どもの、論理的な思考能力が急速に発達し始めるのは、満4・5歳から5・5歳と、わかっている。この時期に、適切な指導をすれば、子どもは、論理的に考えることができる子どもになるし、そうでなければ、そうでない。

 この時期を逸して、たとえば小学2年生や3年生になってから、それに気がついても、もう遅い。遅いというより、その子どものものの考え方として、定着してしまう。一度、定着した思考プロセスを修正、訂正するのは、容易なことではない。

 で、言語能力については、何歳から何歳までということは、私にはわからない。わからないが、その基礎は、言葉の発達とともに、小学生のころから、大学生のころまでに完成されるのではないか。

 この時期までに、ものを考え、言語として、それを表現する。そういう能力を養っておく必要がある。

 澤口氏は、「日本人の脳の未熟化が進んでいる」(同書、P130)と、警告しているが、このことは、決して笑いごとではすまされない。
(はやし浩司 言語能力 大脳 前頭連合野 適齢期 (はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 Hiroshi Hayashi education essayist writer Japanese essayist メルツオフ メルツォフ 乳幼児の記憶 視床下部 辺縁系 扁桃核 扁桃体 カテコールアミン はやし浩司)

*they sell vegetables at convenient stores!

●妙なこと?(A strange thing is happening)

++++++++++++++++++

HPを公開していて、妙なことに気がついた。
こういうことだ。

HPには、いろいろなページがある。
それらのページについて、たとえば、
(Bページ)(Cページ)へ進むには、
かならず、(Aページ)を通過しなければ
ならないところがある。

(Aページ)から分岐して、(Bページ)
(Cページ)へと進む。
そのようにリンクしてある。

ところが、である。

それぞれのページにアクセスカウンターを
設置してあるのだが、その数字が、合わない。

たとえば日によって、(Aページ)……300人、
(Bページ)……400人、
(Cページ)……500人となったりする。

この世界には、「ユニーク・アクセス」とか
「トータル・アクセス」とかいう言葉がある。

ユニーク・アクセスというのは、重複集計しない
アクセス数のこと。
トータル・アクセスというのは、重複集計した
アクセス数のこと。

だから1人の人が、1日に、10回私のHPを
訪問してくれたとすると、
ユニーク・アクセスは、「1」とカウントされる。
トータル・アクセスは、「10」とカウントされる。

それはわかる。

しかしそれにしても、数字が合わない。
どうしてだろう?
遊園地にたとえるなら、入場者が300人しか
いないのに、コースターに乗った人が、400人、
お化け屋敷に入った人が、500人、ということになる。

考えられるのは、(Aページ)を飛び越して、
(Bページ)や(Cページ)に、ハイパー・
ジャンプしてくるケース。

が、それにしても、数字が合わない?
今朝は、そんなことを、いちばんに考えた。
まったく、どうでもよいことだが……。


●コンビニで野菜?(They have started selling vegetables at convenient stores)

このところ、コンビニで野菜を売っているのを、見かける。
設置場所はまだ小さいが、一応、一通り、品数はそろっている。

その野菜を見ながら、「やったね!」と、私は感心している。
つまりそれを実行したのが、友人のMK君だからである。

UNESCOの交換学生で、いっしょに韓国に渡った仲間である。
そのM君が、その構想を、数年前から練っていた。
ときどき私の家に遊びに来て、「コンビニで野菜を売ってみたい」
「東京都で実験的に販売を開始した」「全国に広げたい」と。

で、今は、この浜松市でも、コンビニで野菜が売られるようになった。
MK君は、現在、東京のT青果KKに勤めている。

みなさんも、もしコンビニで野菜を見かけたら、こう思ってほしい。
あのはやし浩司の友人が、それを実行した、と。

MK君、おめでとうございます! 

*Are we religious people? *Alzheimer's disease

●宗教を信じていない人、72%(72% of the Japanese do not have any religion)
According to the result of a research done by Yomiuri Newspaper, 72% of the Japanese do not have any religion. But on the other hand 54% of us believe that we eill be reborn in another world after the death.

読売新聞社が、このほど、こんな興味ある調査結果を
公表した(08年5月30日)。

そのまま紹介させてもらう。

+++++++++++以下、読売新聞より転載+++++++++++++

読売新聞社が17、18日に実施した年間連続調査「日本人」で、何かの宗教を信じている人は26%にとどまり、信じていない人が72%に上ることがわかった。

 ただ、宗派などを特定しない幅広い意識としての宗教心について聞いたところ、「日本人は宗教心が薄い」と思う人が45%、薄いとは思わない人が49%と見方が大きく割れた。また、先祖を敬う気持ちを持っている人は94%に達し、「自然の中に人間の力を超えた何かを感じることがある」という人も、56%と多数を占めた。

 多くの日本人は、特定の宗派からは距離を置くものの、人知を超えた何ものかに対する敬虔(けいけん)さを大切に考える傾向が強いようだ。

 調査は「宗教観」をテーマに面接方式で実施した。

 死んだ人の魂については、「生まれ変わる」が30%で最も多く、「別の世界に行く」24%、「消滅する」18%がこれに続いた。

++++++++++++以上、読売新聞++++++++++++++++

もう一度、数字を整理しておく。

何かの宗教を信じている人……26%
信じていない人     ……72%

先祖を敬う気持ちをもっている人……94%
自然の中に神秘的な力を感ずる人……56%

死んだら生まれ変わると信じている人 ……30%
死んだら別の世界へ行くと信じている人……24%
消滅すると思っている人       ……18%

これらの数字を見て、いろいろ考える。
中には、私のように、「自分が納得できる宗教があれば、
信じたい」と思っている人も多いはず。
そういう人たちの数が、今回の調査の中では、把握されて
いない。

つぎに、「死んだら……」についてだが、やはり私のように、
「わからない」と思っている人も、多いはず。

私はいつもこう考えている。

「あの世があるかどうかは、私にはわからない。
だから今は、あの世はないという前提で生きている。

それは宝くじのようなもの。

当たるか当たらないかわからないものをアテにして、
車を買ったり、家を買ったりする人はいない。

当たれば、もうけもの。
同じように、死んだあと、あの世があれば、もうけもの」と。

ただ「先祖を敬う気持ちをもっている人」が、94%も
いることには、驚いた。

こういう調査結果で注意しなければならないのは、
「先祖を敬う気持ちがあるか」「ないか」と択一的に質問されれば、
「ない」と答える人はいないだろう。(……少ない。)
だから「ある」のほうに、答えてしまうだろうということ。

さらに言えば、「先祖」の意味が、よくわからない。
個人的な先祖なのか、民族的な先祖なのか?
面接方式で調査したということだが、そのあたりの説明をきちんと
したのだろうか?

また「宗教を信じている」にしても、程度の問題がある。
バリバリの活動員となって、信者獲得のために狂奔している人も
いれば、ときどき墓参りする程度の人もいる。

日本では、どこかの宗教団体に属している人のことを、「宗教を
信じている人」と考える傾向が強い。

「死後の世界」についても、最近のスピリチュアル・ブームにのって、
「死後の世界はある」と考える人がふえているのも事実。
「スピリチュアル」というのは、「霊」のこと。

「死んだら生まれ変わる」「死んだら別の世界へ行く」を足すと、
30%+24%で、54%になる。

これらの数字を並べてみると、日本人の大半は、
宗教は信じていないが、死後の世界は信じている」ということになる。
「死後の世界を信ずる」というのは、立派な宗教だと私は
思うのだが……。

それにしても、ブームの力は、すごい!


●調子が悪い(I ate too much a few days ago and since then….)

++++++++++++++++++

数日前、市内のレストランで、
腹いっぱいの料理を食べた。
いつもの2倍近い、量だった。

その直後、ほんの数分だが、吐き気を
催した。
ズボンをゆるめたら、吐き気は収まったが、
はじめての経験だった。

が、それから今日まで、どうも胃の調子が
おかしい。
食欲はあるのだが、少し食べると、すぐ
胸焼けをしてしまう。
(実際には、どういう症状を「胸焼け」という
のか、私は知らないが・・・。
胃液が食道あたりまで逆流している感じ。
何となく、そのあたりが焼けるような
感じがする。)

で、今日は、朝食のみ。
あとは市販の胃薬を飲む。
それについても、いつもなら、「S」という
漢方製剤の胃薬を、1本飲めば治るのだが、
今日は、そうでない。

「???」

要するに、腹をしめつけるのは、よくないということか?
プラス、食べすぎは、禁物。
『腹、八分』と昔から言うが、私の年代になると、
『腹、六、七分』がよい。

(追記)

幸い、今朝起きてみると、不快感は、消えていた。
ワイフが「どう?」と聞いたので、「軽い風邪だった
かもしれない」と答えた。(5月31日)

++++++++++++++++++++++

●ワイフのジーパン(My wife’s Jeans)

まちがえて、ワイフのジーパンをはいてしまった。
途中で気がついたが、「ままよ」と思って、はいてしまった。

が、はけた!

見ると、プチプチ。
パンパン。

「ハハハ、はけたよ」と笑って見せると、ワイフが、
「延びてしまうから、やめてよ!」と。

が、そのままワイフのジーパンをはくことにした。
が、すぐ、問題が起きた。

女性用のジーパンはそうできているのだろう。
チャックが、上のほうについている。
そのため小便のとき、アレが、すなおに出てこない。
無理に引き出すと、首をつったような状態になる。

しかたないので、小便のときは、子どもがするように、
ズボンを一度、さげてする。

「やはり、お前のジーパンは、いらない」と言うと、
ワイフは、「それ、見ろ!」と言わんばかりに、
私をにらんだ。

だから私は、こう言ってやった。

「お前のジーパンのチャックに、ぼくのチンチンを
通してやった。今日は開通式だ。ハハハ」と。


+++++++++++++++++++++

●アルツハイマー病(Alzheimer's disease)
One of my readers sent me an E-mail, saying about her elder sister about the disease.

先週、アルツハイマー病についての原稿を
いくつか書いた。
それについて、読者の方から、メールが届いた。
転載許可はまだもらっていないので、おおまかな内容だけを
紹介する。

何でもその方の姉(今年66歳)の様子も、このところ
少しおかしいという。
数日前のことを、すっかりというより、「スッポリ」と
忘れてしまうということがあるらしい。

昨晩の夕食に何を食べたかを忘れるというのは、
よくあること。
それがアルツハイマー病になると、夕食を食べたこと自体、
つまり「エピソード」そのものを、忘れてしまう。

それについて、その方が姉に指摘すると、姉は
烈火のごとく怒り出すという。

で、その方が言うには、こうだ。

「自分では、かなり知的な人間と思っているようです。
アルツハイマー病にも詳しいようです。
そのため、自分がその病気であると疑われるのを、極度に
警戒しているようです。
だから何かあると、すぐ、つじつま合わせをしようとします。
こうした(つじつま合わせ)は、アルツハイマー病の
特徴のひとつと、何かの本で読んだことがあります。

姉のことが心配です」と。

知的な人は、アルツハイマー病になると、自分の異変が、
自分でもわかるそうだ。
そのためそのつど、混乱状態になる。
はげしい自己嫌悪と恐怖から、激怒したり、自己嫌悪に
陥ったりする。

そのため他人に対しては、それを悟られないように警戒する。
つじつま合わせというのは、そのためのものらしい。

たとえばその方の姉が、電話で、だれかの名前を忘れて
しまったとする。
が、そのとき、その姉は、「忘れた」ということを悟られない
ように、あれこれ口実を並べたり、別の話題に切り替えたり
するという。

私も少しは、この病気について、詳しくなったようだ。

(追記)
井原康夫氏の『アルツハイマー病にならない』の中にも、
つぎのようにある。

『病気が始まったばかりの段階では、患者さんは、たとえば
答を思い出せなくても、とっさに話を作ったり、うまくその
場を取りつくろい、その場をしのいだりするので、(これを、
「取りつくろいじょうず」「場合せ反応」などと、呼んでいます)、
家族から、あらかじめ、正解を聞いておく必要があります』(P56)
と。

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 
Hiroshi Hayashi education essayist writer Japanese essayist アルツハイマー病
取り繕い上手 場合せ反応 取りつくろい上手 場あわせ反応 取りつくろい上手 エピソード記憶 エピソード記憶障害)

(補記)
アルツハイマー病になると、学習能力が著しく劣ってくるようになるそうだ(同書)。
わかりやすく言うと、新しいことを学んだり、それを身につけることができなくなる?

だったら、新しいことを積極的に学んだり、身につけたりするよう努力すれば、
アルツハイマー病を防げるかというと、どうも、そうでもないらしい。

アルツハイマー病というのは、脳が器質的に変化する病気。
コンピュータにたとえるなら、部品が欠落していくようなものだから、
本人の努力では、どうにもならない。
つまりここが、この病気の恐ろしいところということになる。

Thursday, May 29, 2008

*Social Security Fee to Children in Japan

●子どもをもつ家庭を、もっと保護すべし!(More Security to Families who have Children)
The apanese government pays much less money to those families who have children at home. According to the statistics done by OECD, the money paid to those families is abt only 0.6% of GDP. On the contrary most of the social security fee has been paid to ex-public workers, medical organizations and aged people.

++++++++++++++++++

たとえば……。

子ども1人につき、月額8万円の補助を!
月額4万円でもよい。
子どもが満6歳から18歳まで、親の所得に
関係なく、一律、支給する。

が、現実は、かなりちがう。

この日本では、子育て世帯への所得再配分は、
アメリカと並んで、ほとんどゼロに等しい。
(世界の社会政策の動向・OECD版)

「毎年88兆円(05年)もの社会保障費の
約80%は、年金、医療、介護など、高齢者
に向けられている。子ども向けは、4兆円に
すぎない」(東洋経済・5/17、08)そうだ。
とくに年金への支出が、す・ご・い!

その日になると、郵便局の窓口には、
ズラリと老人たちが並び、100万円
の札束を、わしづかみにして受け取っている。
(年金は、3か月分ずつ支給される。)

1人ひとりの元公務員の人に責任があるわけでは
ないが、そういう姿を見て、カッと体が熱くなるのは
私だけではあるまい。

で、この数字を見て、怒らない人は、いない。
つまり社会保障費、88兆円(これだけでも
国家税収の約2倍)のうち、子ども向けは、
たったの4兆円!

言いかえると、その分、親への負担が大きい
ということ。

日本では『子ども大学生、親、貧乏盛り』という。
私が考えた格言だが、子ども2人が大学へ通う
ようになると、それだけで大半の家庭の経済は
パンクする!

こうした(矛盾)は、大学生を見ればわかる。
欧米などでは、親のスネをかじって大学へ
通う大学生など、皆無に等しい。
奨学金を得るか、自ら借金をして、大学へ
通う。
そういう制度が、すでに確立している。

もっともアメリカなどでは、落第は当たり前。
アメリカの高校生の卒業率は、51%(07)
だそうだ(同誌)。

こうした(きびしさ)を、どう判断するか。
それについては、別のところで考えるとして
こんなバカげた福祉国家はそうはない。
東洋経済誌は、「日本は、中福祉国家」と評している。

ちなみに、デンマーク、スウェーデン、フランス
では、対GDP比で、約3~4%もの社会保障費
を、子育て世帯に分配している。
が、この日本では、たったの0・6%前後(00年)。

冒頭で、月額8万円と書いたが、満6歳から18歳まで、
約1200万人の子どもに、月に8万円ずつ
支給したとしても、その額は、年間……

8万円x1200万人x12か月=11・52兆円
にすぎない。
4万円なら、約6兆円ですむ。
さらにその半分の2万円なら、たったの3兆円ですむ。

「補償費をどう使うか」という問題もあるが、
そんなことは、親に任せればよい。
親が、国にかわって、未来の日本人を育てている。
親が自分のために使ったところで、それはそれで
しかたのないこと。

また「一律」にするのは、その分だけ、行政を
簡素化するため。
所得に余裕がある人も、またない人も、一律。
担当する公務員の数も、最低限ですむ。
現に欧米では、そうしている。

……以上、やや暴論的に書いたが、とにかく、
現在の制度は、おかしい。
まちがっている。
それだけは確か!

ほとんどの親たちは、こうこぼしている。
「こんなに子育てに、お金がかかるとは思っても
みなかった!」と。

こうした声に耳を傾けないようであれば、日本の
未来に、希望はない。
少子化はますます、進む!
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 Hiroshi Hayashi education essayist writer Japanese essayist 日本の社会保障費 教育費 子育て支援 少子化)

*Poor Life

●生活の貧困化

++++++++++++++++++++

認知症(アルツハイマー病を含む)になると、
「生活が貧困化する」(「アルツハイマー病にならない」
井原康夫著)
という。

たいへん興味をひく言葉である。

「貧困化」といっても、金銭的に貧しくなったり、
ケチになることではない。

生活の豊かさが、消えるということ。
つまり認知症になると、四季を楽しんだり、
芸術をたしなんだり、おしゃれをしたりするということが、
減るということ。

言いかえると、生活の豊かさというのは何かという
ことになれば、その逆ということになる。

私たちは日常の生活を通して、つねに、その豊かさを
求める。
その豊かさが、私たちをより幅の広い人間にする。

さらに言いかえると、豊かにすることが、認知症を
予防するということにもなるのではないか?

そういうことも考えながら、私たちは、努めて、
日々の生活を豊かにしなければならない。
「努めて」というのは、「多少、無理をしてでも」という
意味である。

++++++++++++++++++++++++

ワイフの知人に、ひとり、たいへん心配な人がいる。
年齢を聞くと、今年、まだ63歳だという。
女性である。

数年前に夫を病気で亡くしてからというもの、
それまでの趣味を、ほとんど、やめてしまった。
近くの公民館で、週2回、バドミントンもしていたが、
それもやめてしまった。

さらに、ワイフの話では、「歌も歌わなくなってしまった」
という。

私「歌を歌わない、ってどういうこと?」
ワ「どんな歌が好き?、と声をかけても、
歌えないとか言って、話に乗ってこないのよ」と。

こう書くと、静かで穏やかな女性を想像するかも
しれないが、そうではない。
ワイフが何かのまちがいを指摘したりすると、ヒステリック
な声をあげて、反論してくるという。

先日も、こんなことがあった。

電話で話をしているとき、その女性が、「F市にある、
バラ園のバラはきれいだそうよ」と言ったそうだ。

ワイフは、それを電話機の横にあるメモ帳に書きとめた。
で、しばらく話をしたあと、ワイフが、「じゃあ、今度、
いっしょにF市のバラ園に行きませんか」と言うと、
その女性は、突然、パニック状態になってしまったという。

女「私は、F市だなんて、言っていません。S市です!」
ワ「でも、先ほど、F市と、おっしゃったではないですか?」
女「言っていません。S市は、私の母の実家のある町です。
私がまちがえるはずはありません」
ワ「どちらでもいいですが、じゃあ、S市ですね?」
女「私はF市だなんて、言っていません!!」と。

その女性は、電話口の向こうで、ギャーギャーと泣きわめく
ように、大声で叫んでいたという。

先の本によれば、アルツハイマー病でも、似たような
症状が現れるという。
「ささいなミスを指摘されたりする、激怒する」と。
(だからといって、その女性が、アルツハイマー病
ということではないが・・・。)

しかし心の豊かさがないことだけは、事実。
ふつうなら、こうした会話では、「あら、そう。ごめん。
まちがえたかも・・・」で終わる。
が、その豊かさなくなると、ささいなことにこだわり、
それを針小棒大にして、騒ぐ。

心を豊かにするということには、「おおらかに生きる」という
意味も含まれる。

では、どうするか?

(1) 人との接触を欠かさない。
(2) 音楽や絵画を楽しむ。
(3) 外出、旅行をふやす。

が、何よりも大切なのは、いつも新鮮な刺激を用意する
ということ。
その努力を怠ってはいけない。
日々の生活の中に、つねに変化を求めていく。

これは私自身の努力目標でもある。
がんばります! 
がんばりましょう!

(付記)渡辺謙の『明日への記憶』を見てから、アルツハイマー病
という病気が、気になるようになった。
ワイフの話を聞いたあと、今夜、2度目を見た。
いろいろ考えさせられた。
生きることにまつわる悲哀感を、ひしひしと感じた。


はやし浩司++++++++++++++++++++++Hiroshi Hayashi

●おばあちゃんのリボン

++++++++++++++++

今週は、「家族」というテーマで、
レッスンを進めた。

年長児になると、「お父さんのお父さんが、
祖父」というところまで、理解できる
ようになる。

さらに進むと、「お母さんのお姉さんが、
おばさん」というとことまで、理解できる
ようになる。

人間関係を、頭の中で整理することができる。
で、そのレッスンの中でのこと。

家族の一覧図を見せた。

「祖父母、両親、兄、姉、(私)、弟、妹」の
図である。

以前、祖父と祖母が、どちらがどちらかわからない
と言った子どもがいたので、私は、(おばあちゃんの
顔)に、リボンをつけた。

それがまずかった。

Yさん(年長児)が、こう言った。
「おばあちゃんは、リボンをつけない!」と。

私「おばあちゃんだって、リボンをつけるよ」
Y「つけないよ! おねえさんが、つけるよ」
私「そんなことないよ。今は、そういう時代じゃ、ないよ。
おばあちゃんだって、リボンをつけるよ」
Yさんと、そのほかの子どもたちも、「つけない」「つけない」の
大合唱!

しかたないので、レッスンの途中で、私はリボンを消した。

私「じゃあ、どうやって、おじいちゃんとおばあちゃんを
見分けるの?」
子「知らない・・・」
私「おばあちゃんは、どうすればいいのか?」と。

そこで私は妙案を思いついた。

おばあさんの額に、赤い丸を描いた。

子「何、それ?」
私「うめぼし」
子「どうして、うめぼし?」
私「昔のおばあちゃんは、みな、額に梅干をつけたの」
子「・・・」
私「トクホンでもいい・・・」と。

参観に来ていた母親たちが、それを見て、腹を
かかえて笑っていた。
子どもたちは、そういう母親を見ながら、
けげんそうな顔をしていた。

ついでながら・・・。

「お父さん」は、「おと・う・さん」
「お母さん」は、「おか・あ・さん」
「お兄さん」は、「おに・い・さん」
「お姉さん」は、「おね・え・さん」
「弟」は、「おと・う・と」
「妹」は、「いも・う・と」と、それぞれ表記する。

手をパンパンとたたきながら、指導するとよい。
さらについでに、カタカナでは、それぞれ
長音を、「―」で表記する。

「お父さん」は、「オトーサン」ほか。

今週のレッスンでは、ここまで指導した。
(08年5月)


はやし浩司++++++++++++++++++++++Hiroshi Hayashi

●孫

HPやマガジンのほうでは、孫の誠司の写真を
たくさん紹介している。
それについて、かえって、目障(ざわ)りに
思っている人が、いるかもしれない。

私「だれだって、自分の孫はかわいく見えるのものだよ」
ワ「そうよ」
私「誠司は、ぼくたちには、かわいい孫だが、他人が
見たら、おかしな顔に見えるかもしれない」
ワ「・・・そうかしら?」
私「そんなものだよ」と。

HPにせよ、マガジンにせよ、孫の誠司が生まれたころ、
創刊した。
そのときから、誠司の写真を、載せるようにした。
今では、私のHP全体が、誠司のアルバム集のようになっている。
だから今さら、誠司の写真を取りはずすわけにはいかない。

私「どうしようか?」
ワ「そうねエ~。少しずつ、減らしたら・・・」
私「そうだなア~」と。

いつか誠司がおとなになったとき、私のHPを見るかもしれない。
そのとき、私のHPを見ながら、自分のアルバムを見るように
思ってくれればよい。

これは私から誠司への、時空を超えた、プレゼントと
いうことになる。

To: Sage Hayashi

Please come here and enjoy your photos when you grow up.
When you see them, Akiko & I may not be in this world anymore.
But you are here and our hearts are here, too.

林誠司へ

いつかお前がおとなになったら、ここへ来て、写真を
楽しんでください。お前がそれを見るとき、晃子と
私は、この世界には、いないかもしれない。しかしお前は
ここにいて、私たちの心も、ここにあるよ。

Wednesday, May 28, 2008

*Stephen Hawking's "The Universe in a Nutshell"

●S・ホーキング博士著『ホーキング・未来を語る』を読む

+++++++++++++++++

S・ホーキング博士は、人間と宇宙人が
遭遇する確率は、ほとんどないと、
断言している(「ホーキング・未来を語る」
ソフトバンク刊)。

人類の歴史は、たかだか、200万年。
ビッグ・バンから現在までは、150億年。
宇宙に知的生命体がいるとしても、人類
の歴史は、星のまばたき程度の長さでしか
ない。
その瞬間に、宇宙人が人間と遭遇するということは、
「ありえない」ということらしい。

が、もし、視点を変えて、宇宙人が人間を
知的生物に改良したと考えたら、どうだろう。
とたん、S・ホーキング博士のこの意見は、
それこそブラック・ホールの片隅に
吹き飛んでしまう。

その可能性は、ないわけではない。

S・ホーキング博士自身も、こう書いている。
「いずれヒトの遺伝子工学は始まるだろう」
(P222)と。

望むとか、望まないとか、そういうことに関係なく、
だれかが始めてしまうだろう、と。
わかりやすく言えば、人間自身が、遺伝子工学を
使って、人間そのものを、作り変えてしまう
だろう、と。

さらに「脳神経系に電子デバイスを移植する
ことによって、全言語やこの本の内容と
いった完全な情報パッケージや、増強型
メモリーを人は得ることができるだろう」
(P223)とも。

こうなると、「教育」も必要なくなってしまうのでは?
情報を詰めこんだチップを、脳の中に直接
移植すればよい。
それでその子ども(人)は、百科事典、数万冊分の
知識を、自分のものとすることができる。

で、人間が今のままの人間である間は、人間は
宇宙へ飛び出すことはできないそうだ。
そのためにも人間を改良する必要があると
いうことらしい。

ただしここでいう人間は、現在の人間とは
「ほとんど類似性をもたない」人間になる
という。

「類似性をもたない」ということは、昆虫や
魚ほどもちがった人間になるということらしい。
となると、そういう人間を、はたして「人間」と
呼んでよいものかどうか、という問題も起きる。

それはともかくも、私たち人間自身が、どこかの
宇宙人によって改良されたと考えるのは、
けっして、荒唐無稽な話でもないようだ。

●理性と知性

S・ホーキング博士の意見に、もう少し耳を
傾けてみよう。
S・ホーキング博士は、こう書いている。

「人間の脳の大きさは、女性の産道の大きさに
よって決まる」(要約)と。

つまり女性の産道以上に、直径の大きな頭を
もつ子どもは、生まれないということ。
そこで頭の大きな子どもを作るために、
「赤ん坊を、体外で、生み育てる」(P226)
という方法があるそうだ。
しかもそれは「100年以内に可能になる」と。

が、ここでまたまた問題が生ずる。

脳を大きくすればするほど、人間はより理性的に
なるが、しかし脳の中の信号を伝える伝達物質の
速度には、変わらない。
つまり頭が大きくなればなるほど、頭の回転が
遅くなる。

そこで人間は、択一を迫られる。

脳を大きくして、理性的な人間にするか、
あるいは小さくして、頭の回転の速い人間に
するか。

S・ホーキング博士は、「同時に、ふたつをもった
人間にはなれません」(P226)と書いている。

●人間の改良

「遺伝子工学」という言葉が聞かれるようになったのは、
今から、40年ほど前のことである。
当時はまだ、どこかSF的な感じすらした。

それが今では、その遺伝子工学を使って、新種の農作物を
作るところまできている。
驚くべき進歩と言ってもよい。
S・ホーキング博士がいうように、100年を待たずして、
人間の改良が、始まるかもしれない。

寿命を延ばす。
知的能力を伸ばす。
病気に強い肉体に作り変える。
気候の変動に強い人間に改良する、などなど。

理想的な(?)容姿をもった子どもが、
つぎつぎと生まれるかもしれない。

が、ここでも新たな問題が生まれる。
「心」はどうするか、という問題である。

S・ホーキング博士は、どんなすぐれた
コンピュータでも、(今のところ)、ミミズの
脳みそ程度の能力しかないと書いている。
「コンピュータが知的活動ができるように
なるのは、ずっと先」(要約)ということ
らしい。

で、それはわかるが、(心)はどうするか。

たとえば(私)という個人をながめて
みても、無数の(過去)をひきずりながら、
その上に、(私)がいることがわかる。

恐怖症、多重人格性、回避性障害、パニック
障害などなど。
かろうじて一定のワクの内に「私」という自分を収めて
いるが、無数のドラマも、そこから生まれる。
泣いたり、笑ったり、怒ったり、悩んだり……。

さらにつけ足せば、(心)というのは、濃密な
親子関係の中で、はぐくまれる。

もし体外で、人間が生み、育てられるように
なったら、その人間は、温室で、水耕栽培される
野菜のようになってしまうのでは(?)。

仮に誕生してからも、人工的に育てられるとなると、
そうして育てられた人間は、画一的で、(心)の
ない人間になってしまう可能性がある。

もしそうなら、そんな人間が、仮に宇宙へ飛び出した
としても、それがどういう意味をもつというのか
ということになる。

だったら、はじめから、ボイジャーのように、
金属でできた、機械的な宇宙船を宇宙へ送ったほうが
マシということになる。

●進化?

S・ホーキング博士は、「進化」を前提として、人間
の未来を考えている。
過去から現在まで、人間は絶え間なく進化してきた。
だから、これからも進化しつづける、と。

しかし本当にそうだろうか?
そう考えて、よいのだろうか?

たとえば1995年に、シシリー宣言※というのが
出されている。

その中で、人間が排出する、内分泌かく乱物質、
つまり通称「環境ホルモン」が、人間の体に深刻な
影響をおよぼし始めていることが問題となった。

生殖器への影響もさることながら、脳にも、である。
「微細障害説」という言葉も生まれた。
つまり外からは把握できないが、こうした物質が、
脳に微細な障害を与え始めているという。

つまりDNAが、仮に1年に、1ビットの
割合で進化した(S・ホーキング博士)としても、
その数万倍、あるいは数十万倍の速さで、DNAが、
破壊されていくということも考えられる。

もちろん生殖器に与える影響も、深刻である。
それについては、たびたび問題になっているので、
ここでは省略するが、そのうち人間も、生殖能力を
失ってしまうかもしれない。

●自滅プログラム

S・ホーキング博士は、人類と宇宙人が遭遇できないのは、
確率的にありえないからだというようなことを書いている。

150億年という宇宙の歴史からすると、200万年という
人類の歴史は、瞬間にすぎない。
そこで200万年を150億年で割ってみる。
すると人類の歴史は、宇宙の歴史の中でも、1万5000分
の2に過ぎないということになる。

宇宙人が、1万5000回、地球を訪れたとしても、
人類を見るのは、そのうちのたった1回にすぎないという
ことになる。
(この計算は、単純すぎるが……。)

さらに人間が人間らしくなったのは、ここ数万年のこと。
歴史を残すようになったのは、ここ1万年のこと。

S・ホーキング博士が言うように、たしかに確率的には
ありえない。

しかしこうは考えられないだろうか?

どんな知的動物であっても、その進化の過程で、「無知
プログラム」が働き、自滅する、と。

よい例が、火星である。

最近の調査結果によると、火星にもかつては、海があり、
陸もあったそうだ。
ひょっとしたら、そこには、知的生物もいたそうだ。
その可能性は、きわめて高い。
が、その知的生物が、現在の人間と同じように、化石燃料
のようなものを燃やし、温暖化を招いてしまった。

結果、火星は、不毛の惑星へと化してしまった。
火星は地球よりも小さいから、温暖化は、はるかに
早く進んでしまった。

つまり、理性、つまり思考的知的能力が、
知識、つまり情報的知的能力に、
追いつくことができなかった。

仮に宇宙人がいるとしても、知的に(?)なったとたん、
自滅プログラムが働き始める。
その寿命は、短い。
数万年、あるいは数十万年にまたがって生き延びる
知的な宇宙人は、(いない)ということになる。

●思考的知的能力vs情報的知的能力

S・ホーキング博士は、脳が大きくなればなるほど、
人間は知的(理性的)にはなるが、その分、頭の回転は
遅くなると、説く。

一方、脳が小さくなればなるほど、頭の回転は速く
なるが、その分、より知的(理性的)ではなくなると説く。

『ホーキング・未来を語る』は、翻訳本なので、原書では
どんな英語を使っていたのかは、わからない。
しかしこのままでは、誤解が生ずる。

S・ホーキング博士が言う、「知的」というのは、
「理性」のことなのか、「頭の回転」のことなのか。

たとえば英語で、「smart」と言えば、「頭が切れる」を
意味する。
「wise」と言えば、「賢い」を意味する。

おそらくS・ホーキング博士は、「脳が小さくなれば、
smartになり、大きくなれば、wiseになる」と
言いたかったのでは?

日本語のほうでは、頭の切れる人も、賢い人も、区別なく、
「知的な人」という。

しかし問題は、その先である。

少し話がわかりにくくなってきたので、わかりやすく
説明しよう。

たとえば、子どもがピストルをもったとしよう。
本物のピストルである。

子どもでも、ほんの少し使い方を教えれば、ピストルを
使うことができるようになる。

その使い方を覚える能力が、「情報的知的能力」ということになる。
一方、ピストルは、たいへん危険な凶器である。
当然、使い方を考えないとたいへんなことになる。
その考える力、つまりコントロールする力が、
「思考的知的能力」ということになる。

つまり「進化」というときは、これら両者が、同時進行
の形で進化しなければならない。
そうでないと、子どもは、ピストルをバンバンと撃ち、
多くの人を殺してしまう、ということになりかねない。

が、現実はどうかというと、「情報的知的能力」が、
「思考的知的能力」に先行している。
原子爆弾にしても、先端技術にしても、そうだ。
現在、深刻な問題になりつつある、地球温暖化(火星化)
の問題にしても、そうだ。

身近な例では、「携帯電話」がある。
昨今、子どもに携帯電話をもたせてもよいかどうかという
ことが、国をあげて、問題になっている。

携帯電話という文明の利器を手にしながら、それを
正しく使う能力をもちあわせていない。

これらすべての問題は、結局は、(思考的知的能力)が、
(情報的知的能力)に追いついていないことが原因で
起こっている。

つまり私たち人間が、子どもがピストルをもつようなことを、
平気でしている。
つまり、それがここでいう、「自滅プログラム」を引き起こす。

わかりやすく言えば、人類が宇宙人と遭遇できないのは、
S・ホーキング博士が言うように、確率的にありえない
からではなく、進化する生物が共通してもつ、この
自滅プログラムによるものではないかということ。

人間どうしが起こすであろう核戦争を、例にあげるまでもない。

●宇宙人

そんなわけで、仮に宇宙人がいるとするなら、その
宇宙人は、つぎのような条件を兼ね備えているはずである。

(1)思考的知的能力が、常に情報的知的能力より、すぐれている。

わかりやすく言えば、理性のほうが、知性よりすぐれている
ということ。
さらにわかりやすく言えば、欲望を、つねにコントロールする
能力をもっているということ。
さらにさらにわかりやすく言えば、きわめて温厚で、穏やかな
性質をもっているということ。

(注:S・ホーキング博士は、本の中では、「理性ある人間」
という意味で、「知的生物」という言葉を使っている。)

しかしそれでは(進化)と矛盾する。

進化は、闘争の中で、はぐくまれる。
「便利なものがほしい」という欲望が、情報的知的能力を
刺激し、それが新しい製品を生み出す。

が、もし、そういう欲望がないとするなら、その時点で、
情報知的能力の進化は、停止する。

言いかえると、S・ホーキング博士が説くところの「進化」には、
すでに「自滅プログラム」が組み込まれていることになる。
進化イコール、自滅への道と考えてもよい。

地球温暖化(火星化)によって、自滅するかもしれない。
あるいは超高度な兵器(核兵器)によって、自滅するかもしれない。

そう、私たち人間は、子どもがピストルをもつようなことを
平気でしながら、それを理性的にコントロールする能力を、
じゅうぶんにもちあわせていない。

●人間が宇宙人になるとき

S・ホーキング博士は、人間が宇宙へ飛び出すためには、
人間を遺伝子工学によって、改良しなければならないと説く。

「それがよいか悪いかということではなく、だれかが
(改良を)始めてしまうだろう」(要約)と。

しかし(改良)には、つねに、2つの側面がある。
S・ホーキング博士のような、性善説に立てば、人間は
よりよい方向に向かって、進化していくことになる。

しかし(改良)は、つねに(改悪)をともなう。

たとえばサイボーグのような、凶悪な兵士型人間が
生まれたら、どうなるのか?
またそういう兵士が、欲望に任せて、地球征服をもくろんだら、
どうなるのか?

そこで重要なのは、やはり「思考的知的能力」という
ことになる。
わかりやすく言えば、「理性」ということになる。
その理性を、どうすれば、発達させることができるか。
つまり、その理性なくして、人間は、宇宙へ飛び出すことは
できない。
また飛び出すことも、ないだろう。

●爆発的な人間の進化

「進化」といっても、ここ1万年ほどの間に人類が
見せた進化には、驚くべきものがある。

それこそこの1万年の間に、それまでサルと区別
ができなかったヒトが、現在のような人間になって
しまった。

S・ホーキング博士は、「ヒトDNAが、生物的進化
によって更新される現在の割合は、1年で1ビットです」
「ヒトDNAがもっている情報量は、30巻におよぶ
百科事典に相当します」(P221)と書いている。

ただしヒトとサルのちがいは、「ロマンス小説のペーパー
ブック1冊分のちがいでしかない」とも。

ともかくも、ここ1万年の進化(進歩と書くべきか)には、
すさまじいものがある。
「1年で1ビット」(S・ホーキング博士)という進化では、
とても説明できない。

もっともS・ホーキング博士自身も、「ここ8000年の
変化は、DNAの増加によるものではなく、文字の発明に
より、情報の伝達が進んだから」(要約)と説いている。

どちらにせよ、ここ1万年の人類の変化は、「爆発的」という
に等しい。

このことは、反対の立場で考えてみればよい。

あなたはこれから先、1万年のうちに、チンパンジーを教育して、
そのチンパンジーを、現在の人間と同じレベルまで、その
知的能力(S・ホーキング)を、高めることができるだろうか。

答は、「NO!」のはず。

●人間が生き残るために

S・ホーキング博士の『ホーキング・未来を語る』を読んで、
私は、別のことを考えていた。

S・ホーキング博士は、先にも書いたように、性善説にもとづき、
かつ自身の恵まれた過去を基礎に、バラ色の未来像について
語っている。

しかし私は、「どうすれば、人類は未来に渡って、生き残る
ことができるか」、それについて考えていた。

もし今のように、情報的知的能力を、思考的知的能力に
優先させるような状況がつづけば、(ほぼまちがいなく、
つづくだろうが……)、人類には未来は、ない。

最先端技術を、惜しげもなく武器に応用し、その武器を
用いて、戦争を繰りかえす。
その結果は、もうここに書くまでもない。

地球温暖化(火星化)にしても、そうだ。
ひとつの問題を解決するよりも先に、つぎつぎと新しい
問題が生まれている。
化石燃料の消費を減らそうにも、それを減らすことさえ、
ままならない。

が、生き残るためには、何よりもまず、思考的知的能力を、
進化させなければならない。
もちろんここでいう進化というのは、DNAによる進化ではない。
私たち自身が、自ら思考力を高め、情報的知的能力を、
コントロールできるようにする。
そういう「進化」である。
「進化」という言葉に語弊があるなら、「進歩」でもよい。

それをしないで、欲望だけを野放しにすれば、人類は、確実に
滅亡する。
人類のみならず、地球上のありとあらゆる生物は、滅亡する。

●結論

私は、個人的には、宇宙人は、私たちのきわめて
近いところにいると信じている。

私とワイフは、とても人間の乗り物と思えないような
巨大なUFOを目撃している。

それについてはたびたび書いてきたので、ここでは
省略する。
省略するが、こういう話になると、どうしても、あの夜の
話にもどってしまう。

「私たちが見たものは、何だったのか?」と。

……あるいは、ひょっとしたら、私たち地球人は、
火星人の子孫かもしれない。
ただのSF的空想だが、その可能性がまったくないとも
言い切れない。

その本を読みながら、そんなことも考えた。

『ホーキング・未来を語る』は、すぐれた本である。
一読を、お勧めする。

(注※)シシリー宣言

●シシリー宣言

1995年11月、イタリアのシシリー島のエリゼに集まった18名の学者が、緊急宣言を
行った。これがシシリー宣言である。

その内容は「衝撃的なもの」(グリーンピース・JAPAN)なものであった。いわく、「これら(環境の中に日常的に存在する)化学物質による影響は、生殖系だけではなく、行動的、および身体的異常、さらには精神にも及ぶ。

これは、知的能力および社会的適応性の低下、環境の要求に対する反応性の障害となってあらわれる可能性がある」と。つまり環境ホルモンが、人間の行動にまで影響を与えるというのだ。が、これで驚いていてはいけない。シシリー宣言は、さらにこう続ける。

「環境ホルモンは、脳の発達を阻害する。神経行動に異常を起こす。衝動的な暴力・自殺を引き起こす。奇妙な行動を引き起こす。多動症を引き起こす。IQが低下する。人類は50年間の間に5ポイントIQが低下した。人類の生殖能力と脳が侵されたら滅ぶしかない」と。ここでいう「社会性適応性の低下」というのは、具体的には、「不登校やいじめ、校内暴力、非行、犯罪のことをさす」(「シシリー宣言」・グリーンピース・JAPAN)のだそうだ。

この事実を裏づけるかのように、マウスによる実験だが、ビスワエノールAのように、環境ホ
ルモンの中には、母親の胎盤、さらに胎児の脳関門という二重の防御を突破して、胎児の脳
に侵入するものもあるという。つまりこれらの環境ホルモンが、「脳そのものの発達を損傷す
る」(船瀬俊介氏「環境ドラッグ」より)という。

*Stephen Hawking's "The Universe in a Nutshell"

●S・ホーキング博士著『ホーキング・未来を語る』を読む

+++++++++++++++++

S・ホーキング博士は、人間と宇宙人が
遭遇する確率は、ほとんどないと、
断言している(「ホーキング・未来を語る」
ソフトバンク刊)。

人類の歴史は、たかだか、200万年。
ビッグ・バンから現在までは、150億年。
宇宙に知的生命体がいるとしても、人類
の歴史は、星のまばたき程度の長さでしか
ない。
その瞬間に、宇宙人が人間と遭遇するということは、
「ありえない」ということらしい。

が、もし、視点を変えて、宇宙人が人間を
知的生物に改良したと考えたら、どうだろう。
とたん、S・ホーキング博士のこの意見は、
それこそブラック・ホールの片隅に
吹き飛んでしまう。

その可能性は、ないわけではない。

S・ホーキング博士自身も、こう書いている。
「いずれヒトの遺伝子工学は始まるだろう」
(P222)と。

望むとか、望まないとか、そういうことに関係なく、
だれかが始めてしまうだろう、と。
わかりやすく言えば、人間自身が、遺伝子工学を
使って、人間そのものを、作り変えてしまう
だろう、と。

さらに「脳神経系に電子デバイスを移植する
ことによって、全言語やこの本の内容と
いった完全な情報パッケージや、増強型
メモリーを人は得ることができるだろう」
(P223)とも。

こうなると、「教育」も必要なくなってしまうのでは?
情報を詰めこんだチップを、脳の中に直接
移植すればよい。
それでその子ども(人)は、百科事典、数万冊分の
知識を、自分のものとすることができる。

で、人間が今のままの人間である間は、人間は
宇宙へ飛び出すことはできないそうだ。
そのためにも人間を改良する必要があると
いうことらしい。

ただしここでいう人間は、現在の人間とは
「ほとんど類似性をもたない」人間になる
という。

「類似性をもたない」ということは、昆虫や
魚ほどもちがった人間になるということらしい。
となると、そういう人間を、はたして「人間」と
呼んでよいものかどうか、という問題も起きる。

それはともかくも、私たち人間自身が、どこかの
宇宙人によって改良されたと考えるのは、
けっして、荒唐無稽な話でもないようだ。

●理性と知性

S・ホーキング博士の意見に、もう少し耳を
傾けてみよう。
S・ホーキング博士は、こう書いている。

「人間の脳の大きさは、女性の産道の大きさに
よって決まる」(要約)と。

つまり女性の産道以上に、直径の大きな頭を
もつ子どもは、生まれないということ。
そこで頭の大きな子どもを作るために、
「赤ん坊を、体外で、生み育てる」(P226)
という方法があるそうだ。
しかもそれは「100年以内に可能になる」と。

が、ここでまたまた問題が生ずる。

脳を大きくすればするほど、人間はより理性的に
なるが、しかし脳の中の信号を伝える伝達物質の
速度には、変わらない。
つまり頭が大きくなればなるほど、頭の回転が
遅くなる。

そこで人間は、択一を迫られる。

脳を大きくして、理性的な人間にするか、
あるいは小さくして、頭の回転の速い人間に
するか。

S・ホーキング博士は、「同時に、ふたつをもった
人間にはなれません」(P226)と書いている。

●人間の改良

「遺伝子工学」という言葉が聞かれるようになったのは、
今から、40年ほど前のことである。
当時はまだ、どこかSF的な感じすらした。

それが今では、その遺伝子工学を使って、新種の農作物を
作るところまできている。
驚くべき進歩と言ってもよい。
S・ホーキング博士がいうように、100年を待たずして、
人間の改良が、始まるかもしれない。

寿命を延ばす。
知的能力を伸ばす。
病気に強い肉体に作り変える。
気候の変動に強い人間に改良する、などなど。

理想的な(?)容姿をもった子どもが、
つぎつぎと生まれるかもしれない。

が、ここでも新たな問題が生まれる。
「心」はどうするか、という問題である。

S・ホーキング博士は、どんなすぐれた
コンピュータでも、(今のところ)、ミミズの
脳みそ程度の能力しかないと書いている。
「コンピュータが知的活動ができるように
なるのは、ずっと先」(要約)ということ
らしい。

で、それはわかるが、(心)はどうするか。

たとえば(私)という個人をながめて
みても、無数の(過去)をひきずりながら、
その上に、(私)がいることがわかる。

恐怖症、多重人格性、回避性障害、パニック
障害などなど。
かろうじて一定のワクの内に「私」という自分を収めて
いるが、無数のドラマも、そこから生まれる。
泣いたり、笑ったり、怒ったり、悩んだり……。

さらにつけ足せば、(心)というのは、濃密な
親子関係の中で、はぐくまれる。

もし体外で、人間が生み、育てられるように
なったら、その人間は、温室で、水耕栽培される
野菜のようになってしまうのでは(?)。

仮に誕生してからも、人工的に育てられるとなると、
そうして育てられた人間は、画一的で、(心)の
ない人間になってしまう可能性がある。

もしそうなら、そんな人間が、仮に宇宙へ飛び出した
としても、それがどういう意味をもつというのか
ということになる。

だったら、はじめから、ボイジャーのように、
金属でできた、機械的な宇宙船を宇宙へ送ったほうが
マシということになる。

●進化?

S・ホーキング博士は、「進化」を前提として、人間
の未来を考えている。
過去から現在まで、人間は絶え間なく進化してきた。
だから、これからも進化しつづける、と。

しかし本当にそうだろうか?
そう考えて、よいのだろうか?

たとえば1995年に、シシリー宣言※というのが
出されている。

その中で、人間が排出する、内分泌かく乱物質、
つまり通称「環境ホルモン」が、人間の体に深刻な
影響をおよぼし始めていることが問題となった。

生殖器への影響もさることながら、脳にも、である。
「微細障害説」という言葉も生まれた。
つまり外からは把握できないが、こうした物質が、
脳に微細な障害を与え始めているという。

つまりDNAが、仮に1年に、1ビットの
割合で進化した(S・ホーキング博士)としても、
その数万倍、あるいは数十万倍の速さで、DNAが、
破壊されていくということも考えられる。

もちろん生殖器に与える影響も、深刻である。
それについては、たびたび問題になっているので、
ここでは省略するが、そのうち人間も、生殖能力を
失ってしまうかもしれない。

●自滅プログラム

S・ホーキング博士は、人類と宇宙人が遭遇できないのは、
確率的にありえないからだというようなことを書いている。

150億年という宇宙の歴史からすると、200万年という
人類の歴史は、瞬間にすぎない。
そこで200万年を150億年で割ってみる。
すると人類の歴史は、宇宙の歴史の中でも、1万5000分
の2に過ぎないということになる。

宇宙人が、1万5000回、地球を訪れたとしても、
人類を見るのは、そのうちのたった1回にすぎないという
ことになる。
(この計算は、単純すぎるが……。)

さらに人間が人間らしくなったのは、ここ数万年のこと。
歴史を残すようになったのは、ここ1万年のこと。

S・ホーキング博士が言うように、たしかに確率的には
ありえない。

しかしこうは考えられないだろうか?

どんな知的動物であっても、その進化の過程で、「無知
プログラム」が働き、自滅する、と。

よい例が、火星である。

最近の調査結果によると、火星にもかつては、海があり、
陸もあったそうだ。
ひょっとしたら、そこには、知的生物もいたそうだ。
その可能性は、きわめて高い。
が、その知的生物が、現在の人間と同じように、化石燃料
のようなものを燃やし、温暖化を招いてしまった。

結果、火星は、不毛の惑星へと化してしまった。
火星は地球よりも小さいから、温暖化は、はるかに
早く進んでしまった。

つまり、理性、つまり思考的知的能力が、
知識、つまり情報的知的能力に、
追いつくことができなかった。

仮に宇宙人がいるとしても、知的に(?)なったとたん、
自滅プログラムが働き始める。
その寿命は、短い。
数万年、あるいは数十万年にまたがって生き延びる
知的な宇宙人は、(いない)ということになる。

●思考的知的能力vs情報的知的能力

S・ホーキング博士は、脳が大きくなればなるほど、
人間は知的(理性的)にはなるが、その分、頭の回転は
遅くなると、説く。

一方、脳が小さくなればなるほど、頭の回転は速く
なるが、その分、より知的(理性的)ではなくなると説く。

『ホーキング・未来を語る』は、翻訳本なので、原書では
どんな英語を使っていたのかは、わからない。
しかしこのままでは、誤解が生ずる。

S・ホーキング博士が言う、「知的」というのは、
「理性」のことなのか、「頭の回転」のことなのか。

たとえば英語で、「smart」と言えば、「頭が切れる」を
意味する。
「wise」と言えば、「賢い」を意味する。

おそらくS・ホーキング博士は、「脳が小さくなれば、
smartになり、大きくなれば、wiseになる」と
言いたかったのでは?

日本語のほうでは、頭の切れる人も、賢い人も、区別なく、
「知的な人」という。

しかし問題は、その先である。

少し話がわかりにくくなってきたので、わかりやすく
説明しよう。

たとえば、子どもがピストルをもったとしよう。
本物のピストルである。

子どもでも、ほんの少し使い方を教えれば、ピストルを
使うことができるようになる。

その使い方を覚える能力が、「情報的知的能力」ということになる。
一方、ピストルは、たいへん危険な凶器である。
当然、使い方を考えないとたいへんなことになる。
その考える力、つまりコントロールする力が、
「思考的知的能力」ということになる。

つまり「進化」というときは、これら両者が、同時進行
の形で進化しなければならない。
そうでないと、子どもは、ピストルをバンバンと撃ち、
多くの人を殺してしまう、ということになりかねない。

が、現実はどうかというと、「情報的知的能力」が、
「思考的知的能力」に先行している。
原子爆弾にしても、先端技術にしても、そうだ。
現在、深刻な問題になりつつある、地球温暖化(火星化)
の問題にしても、そうだ。

身近な例では、「携帯電話」がある。
昨今、子どもに携帯電話をもたせてもよいかどうかという
ことが、国をあげて、問題になっている。

携帯電話という文明の利器を手にしながら、それを
正しく使う能力をもちあわせていない。

これらすべての問題は、結局は、(思考的知的能力)が、
(情報的知的能力)に追いついていないことが原因で
起こっている。

つまり私たち人間が、子どもがピストルをもつようなことを、
平気でしている。
つまり、それがここでいう、「自滅プログラム」を引き起こす。

わかりやすく言えば、人類が宇宙人と遭遇できないのは、
S・ホーキング博士が言うように、確率的にありえない
からではなく、進化する生物が共通してもつ、この
自滅プログラムによるものではないかということ。

人間どうしが起こすであろう核戦争を、例にあげるまでもない。

●宇宙人

そんなわけで、仮に宇宙人がいるとするなら、その
宇宙人は、つぎのような条件を兼ね備えているはずである。

(1)思考的知的能力が、常に情報的知的能力より、すぐれている。

わかりやすく言えば、理性のほうが、知性よりすぐれている
ということ。
さらにわかりやすく言えば、欲望を、つねにコントロールする
能力をもっているということ。
さらにさらにわかりやすく言えば、きわめて温厚で、穏やかな
性質をもっているということ。

(注:S・ホーキング博士は、本の中では、「理性ある人間」
という意味で、「知的生物」という言葉を使っている。)

しかしそれでは(進化)と矛盾する。

進化は、闘争の中で、はぐくまれる。
「便利なものがほしい」という欲望が、情報的知的能力を
刺激し、それが新しい製品を生み出す。

が、もし、そういう欲望がないとするなら、その時点で、
情報知的能力の進化は、停止する。

言いかえると、S・ホーキング博士が説くところの「進化」には、
すでに「自滅プログラム」が組み込まれていることになる。
進化イコール、自滅への道と考えてもよい。

地球温暖化(火星化)によって、自滅するかもしれない。
あるいは超高度な兵器(核兵器)によって、自滅するかもしれない。

そう、私たち人間は、子どもがピストルをもつようなことを
平気でしながら、それを理性的にコントロールする能力を、
じゅうぶんにもちあわせていない。

●人間が宇宙人になるとき

S・ホーキング博士は、人間が宇宙へ飛び出すためには、
人間を遺伝子工学によって、改良しなければならないと説く。

「それがよいか悪いかということではなく、だれかが
(改良を)始めてしまうだろう」(要約)と。

しかし(改良)には、つねに、2つの側面がある。
S・ホーキング博士のような、性善説に立てば、人間は
よりよい方向に向かって、進化していくことになる。

しかし(改良)は、つねに(改悪)をともなう。

たとえばサイボーグのような、凶悪な兵士型人間が
生まれたら、どうなるのか?
またそういう兵士が、欲望に任せて、地球征服をもくろんだら、
どうなるのか?

そこで重要なのは、やはり「思考的知的能力」という
ことになる。
わかりやすく言えば、「理性」ということになる。
その理性を、どうすれば、発達させることができるか。
つまり、その理性なくして、人間は、宇宙へ飛び出すことは
できない。
また飛び出すことも、ないだろう。

●爆発的な人間の進化

「進化」といっても、ここ1万年ほどの間に人類が
見せた進化には、驚くべきものがある。

それこそこの1万年の間に、それまでサルと区別
ができなかったヒトが、現在のような人間になって
しまった。

S・ホーキング博士は、「ヒトDNAが、生物的進化
によって更新される現在の割合は、1年で1ビットです」
「ヒトDNAがもっている情報量は、30巻におよぶ
百科事典に相当します」(P221)と書いている。

ただしヒトとサルのちがいは、「ロマンス小説のペーパー
ブック1冊分のちがいでしかない」とも。

ともかくも、ここ1万年の進化(進歩と書くべきか)には、
すさまじいものがある。
「1年で1ビット」(S・ホーキング博士)という進化では、
とても説明できない。

もっともS・ホーキング博士自身も、「ここ8000年の
変化は、DNAの増加によるものではなく、文字の発明に
より、情報の伝達が進んだから」(要約)と説いている。

どちらにせよ、ここ1万年の人類の変化は、「爆発的」という
に等しい。

このことは、反対の立場で考えてみればよい。

あなたはこれから先、1万年のうちに、チンパンジーを教育して、
そのチンパンジーを、現在の人間と同じレベルまで、その
知的能力(S・ホーキング)を、高めることができるだろうか。

答は、「NO!」のはず。

●人間が生き残るために

S・ホーキング博士の『ホーキング・未来を語る』を読んで、
私は、別のことを考えていた。

S・ホーキング博士は、先にも書いたように、性善説にもとづき、
かつ自身の恵まれた過去を基礎に、バラ色の未来像について
語っている。

しかし私は、「どうすれば、人類は未来に渡って、生き残る
ことができるか」、それについて考えていた。

もし今のように、情報的知的能力を、思考的知的能力に
優先させるような状況がつづけば、(ほぼまちがいなく、
つづくだろうが……)、人類には未来は、ない。

最先端技術を、惜しげもなく武器に応用し、その武器を
用いて、戦争を繰りかえす。
その結果は、もうここに書くまでもない。

地球温暖化(火星化)にしても、そうだ。
ひとつの問題を解決するよりも先に、つぎつぎと新しい
問題が生まれている。
化石燃料の消費を減らそうにも、それを減らすことさえ、
ままならない。

が、生き残るためには、何よりもまず、思考的知的能力を、
進化させなければならない。
もちろんここでいう進化というのは、DNAによる進化ではない。
私たち自身が、自ら思考力を高め、情報的知的能力を、
コントロールできるようにする。
そういう「進化」である。
「進化」という言葉に語弊があるなら、「進歩」でもよい。

それをしないで、欲望だけを野放しにすれば、人類は、確実に
滅亡する。
人類のみならず、地球上のありとあらゆる生物は、滅亡する。

●結論

私は、個人的には、宇宙人は、私たちのきわめて
近いところにいると信じている。

私とワイフは、とても人間の乗り物と思えないような
巨大なUFOを目撃している。

それについてはたびたび書いてきたので、ここでは
省略する。
省略するが、こういう話になると、どうしても、あの夜の
話にもどってしまう。

「私たちが見たものは、何だったのか?」と。

……あるいは、ひょっとしたら、私たち地球人は、
火星人の子孫かもしれない。
ただのSF的空想だが、その可能性がまったくないとも
言い切れない。

その本を読みながら、そんなことも考えた。

『ホーキング・未来を語る』は、すぐれた本である。
一読を、お勧めする。

(注※)シシリー宣言

●シシリー宣言

1995年11月、イタリアのシシリー島のエリゼに集まった18名の学者が、緊急宣言を
行った。これがシシリー宣言である。

その内容は「衝撃的なもの」(グリーンピース・JAPAN)なものであった。いわく、「これら(環境の中に日常的に存在する)化学物質による影響は、生殖系だけではなく、行動的、および身体的異常、さらには精神にも及ぶ。

これは、知的能力および社会的適応性の低下、環境の要求に対する反応性の障害となってあらわれる可能性がある」と。つまり環境ホルモンが、人間の行動にまで影響を与えるというのだ。が、これで驚いていてはいけない。シシリー宣言は、さらにこう続ける。

「環境ホルモンは、脳の発達を阻害する。神経行動に異常を起こす。衝動的な暴力・自殺を引き起こす。奇妙な行動を引き起こす。多動症を引き起こす。IQが低下する。人類は50年間の間に5ポイントIQが低下した。人類の生殖能力と脳が侵されたら滅ぶしかない」と。ここでいう「社会性適応性の低下」というのは、具体的には、「不登校やいじめ、校内暴力、非行、犯罪のことをさす」(「シシリー宣言」・グリーンピース・JAPAN)のだそうだ。

この事実を裏づけるかのように、マウスによる実験だが、ビスワエノールAのように、環境ホ
ルモンの中には、母親の胎盤、さらに胎児の脳関門という二重の防御を突破して、胎児の脳
に侵入するものもあるという。つまりこれらの環境ホルモンが、「脳そのものの発達を損傷す
る」(船瀬俊介氏「環境ドラッグ」より)という。

Tuesday, May 27, 2008

*About the Care of Old Parents

●介護について(About the Care of Old Parents)

++++++++++++++++

親を含めて、肉親の介護には、
いろいろと問題がある。

実際、その介護をしてみて、,私が
感じたことを、ここに、記録として
残しておく。

++++++++++++++++

●介護は、重労働

当初から親と同居しているケースは別として、介護を必要とするようになってから、その親と同居するということは、不可能と考えてよい。またそういう前提で、介護の問題を考える。

現に欧米では、そういうケース、つまり介護を必要とするようになってから、その親と同居するというケースは、きわめて、稀(まれ)。

私も実際、母の介護をしてみて、それがわかった。母との間には、それまで、いろいろと確執はあるにはあったが、相手は、90歳の老人。介護を始めたとたん、「こんな老人を相手にしてもしかない」と思ったとたん、それまでのわだかまりは、ウソのように消えた。

母には、私たちの寝室を、与えた。風呂にもトイレにも近い。庭が見渡せるし、間取りも広い。その部屋に、ベッドとソファ類を置き、歩きやすいようにと、部屋中にパイプを設置した。そんな私でも、やがて「不可能」と感じるようになったのは、いくつか、事故が重なったからである。

「あわや!」と思われるような事故も、3回、つづいた。たまたま発見が早かったからよかったようなもの、もし発見が遅れていたら、母は確実に死んでいた。

が、私の家は、まだよいほう。母の部屋にしても、2方に広い窓(南側は、2間幅の履きだし窓)になっていた。木造だから、改変も自由にできた。
が、マンションのような鉄筋づくりだと、そうは、いかない。

●介護は、便との闘い

私はいつしか、「介護は、便との闘い」と思うようになった。
独特の加齢臭は、ファンを設置したりして、何とか軽減することができたが、問題は、やはり便だった。

日に何度か、パットを交換するのだが、日によって、母は、パットがぬれたりすると、紙おむつそのものまではずしてしまった。で、その状態で、ふとんの中で寝るから、毛布も、ふとんも、便で汚れてしまうということもあった。

それに予期せぬできごとも、つづいた。

たとえば私の家には、ハナという猟犬がいる。母とそのハナは、どういうわけか、相性が合わなかった。ハナは、母の姿を見るたびに、ワンワンと、けたたましく、吠えた。

母は、朝、4~5時ごろ、カーテンを開ける。それを見て、ハナが吠える。私たちも目を覚ます……。そこで私たちは、母の部屋を一日中、電気をつけっぱなしにし、夜、昼の区別が母にできないようにした、などなど。

……というのは、まだマイナーな問題かもしれない。

母に、無線の呼び出しベルをもたせたこともある。首にネックレスのようにして、それをかけさせた。が、母は、真夜中でも、それを押して、私たちを呼んだ。「水がほしい」「足が痛い」と。私たちが睡眠不足になってしまった。

が、これもまだ、マイナーな問題と考えてよい。

●老人にもいろいろ

介護老人といっても、私の母などは、まだよいほう。ふだんは、静かで、おとなしい。しかし老人の中には、一晩中、大声を出して暴れる老人もいる。ものを投げつけたり、暴力を振るう老人もいる。

足がじょうぶな老人だと、徘徊という問題もある。N氏は、そのとき90歳くらいだったが、裏の塀を乗り越えて、毎晩、出歩いていたそうだ。塀といっても、2メートルもあるような高い塀である。

こうなると、介護する側の疲れは、倍加する。そこへアルツハイマー病、ピック病、さらには血栓性の脳障害が加わると、さらにたいへん。介護疲れから、半年で、5~10キロも体重を減らしてしまった人もいる。

そうした事情も知らない人、あるいは介護の経験がない人は、安易に、『ダカラ論』をぶつけてくる。「何といっても、親だからねえ」とか、「何といっても、あなたは子だからねえ」と。

私も何度か、そう言われた。が、こうした『ダカラ論』ほど、その渦中にある人を苦しめる言葉はない。

繰り返すが、老人にも、いろいろある。さらにそれまで良好な親子関係であったのなら、まだ救われる。そうでない親子も、多い。そういう子は、それまでの(わだかまり)や(こだわり)とも闘わねばならない。

●ケア・センター

介護度が4とか5になったからといって、ケア・センターに入居できるというわけではない。浜松市のこのあたりでも、半年~1年の順番待ちというのが、実情である。が、順番がきたから、入れるというものでもないらしい。

ケア・センターのほうでは、直接、そういうことは公言しないが、ある程度の人選はしているようだ。わかりやすく言えば、(扱いやすい老人)を、優先的に入居させている(?)。

暴れたり、暴力を振るう老人は、当然のことながら、敬遠される。持病をもっている老人についても、そうだ。「うちには、医療設備はありませんので……」とか何とか言って、やんわりと断られる。

言い換えると、慢性的な病気をもっている老人は、それだけ入居しにくいということ。もちろん医療機関を併設しているケア・センターもあるが、数は、まだ少ない。

もちろんケア・センターでは、それなりの費用がかかる。

下は、月額6~7万円から、上は、20万円前後まで。その老人の所得や財産に応じて、額が決まる。年金がじゅうぶんある老人は、まだよい。が、私の母のように、月額2万5000円前後の老齢年金しかない老人のばあい、差額は、すべて、家族の負担となる。

くわえて治療費。

救急車で病院へ運ばれるまでは無料だが、たいていそのまま個室に入院ということになる。
そうなると費用は、1~2泊しただけで、帰りの寝台付タクシー代も含めて、3~7万円もかかる。

幸い、私たちは浜松市という大都市に住んでいるからよいようなものの、少し離れた郊外の町や村に住んでいる人は、さらにたいへん。たとえば寝台付タクシーのばあい、通常のタクシー代の約5倍の料金がかかる。

●治療拒否

私の母も、それまではたびたび、救急車で病院へ運ばれた。しかし最後のときには、担当のドクターに、こう言われた。「この先、救急車でおいでになっても、延命処置はもうしません。天寿と思ってください」と。

私はそのとき、「そういうものかなあ?」「そういうものだろうなあ?」と、自分で自分を納得させるしかなかった。

人の命は、地球よりも重いとか何とか言うが、こと介護老人について言えば、鳥の羽よりも軽い(?)。私の知人などは、病院のドクターにこう言われたという。

「うちの病院では、治る見込みのある人は治療しますが、そうでない人は、治療しません」と。

が、この問題は、何も介護老人の問題ではない。私たち自身の問題でもある。私たちも、やがて確実に、老人になる。介護老人になる。そのときもし、あなたがドクターに、「もう延命処置はしません」と言われたら、あなたはどう感ずるだろうか。

●運命は受け入れる

親の介護で苦労している人も多い。さらに兄弟姉妹の介護で苦労している人も多い。そこへ、親の財産問題、金銭問題がからんでくるというケースもある。あるいは介護費用の分担をめぐって、兄弟、姉妹が、怒鳴りあいの喧嘩をするというケースも、珍しくない。

叔父や叔母が介入してきて、問題がさらに複雑化するというケースもある。

こうなると、それまでの親子関係など、どこかへ吹っ飛んでしまう。(親の存在)そのものが、騒動の(種)となる。が、問題は、まだつづく。

いわゆる老・老介護の問題である。

平均寿命が延びたことは、よいことかもしれない。が、90歳の老人を、70歳を過ぎた息子や娘が面倒をみるというケースも少なくない。子のほうが、先に認知症になるというケースもある。もちろん双方ともに、収入は、ゼロ。責任能力も、ゼロ。

「親の介護」といっても、内容はさまざま。事情も、それぞれの家庭に応じて、複雑。それを無視して、あれこれ論じても意味はない。ないが、ひとつだけ言えることがある。それは、『運命は、受け入れる』ということ。

そこにある(現実)をすなおに受け入れていく。あるがままを認めて、受け入れていく。それを「運命」と呼ぶなら、運命でもよい。それぞれの人には、無数の糸がからんでいる。からみあって、その人の進むべき方向を決めていく。

あとは、その運命に従えばよい。

その運命に逆らうと、運命は、キバをむいて、私たちに襲いかかってくる。しかしひとたび運命を受け入れてしまえば、運命は、向こうからシッポを巻いて逃げていく。

●現状

私たちは、現在、ケア・センターの人たちに、たいへん感謝している。というのも、母がケア・センターに入居してからというもの、再びというか、それ以前よりも、気が楽になった。

自由な時間も、もどってきた。生活のリズムも、以前のそれにもどった。今は、ときどきケア・センターを見舞う程度ですむ。政治家の中には、「(こうした)施設が、姨捨(おばすて)の場になっている」と非難する人もいるが、それはどうかと思う。

もしそれが「姨捨」なら、欧米の国々では、ほとんどすべての人が、姨捨をしていることになる。むしろ現状は逆。

介護制度の貧困さを、こういう言葉でごまかそうとしているのではないか。今のような豪華な施設でなくともよいから、こうした施設を、もっともっとふやすべきと私は考える。

「子に老後のめんどうをみてもらいたい」と願っている人もいるかもしれないが、「子には迷惑をかけたくない」と願っている人は、もっと、多いはず。私たち夫婦もそうで、老後は、どこかの施設に入ることを、すでに検討し始めている。

つまり「捨てられる立場」になるわけだが、捨てられたところで、一向に構わない。ただし、それには条件がある。

●ムダに生きるか?

ケア・センターの中で生活する老人たちを見ていると、大半の人たちは、ただ生きているだけといった感じがする。毎日、うつろな目つきで、空を見つめているだけ。私の母にしても、食事のとき以外は、ひたすら眠っているだけ。

話しかけても、返事もない。あるいは、いつも「元気?」「元気?」という程度の会話しかできない。

そういう老人たちのために、国は、1人あたり、月額にして、30~40万円の税金を投入している。今は、まだよい。しかし私たち団塊の世代が、後期高齢者(75歳以上)になるころには、3人に1人が、こうした老人になる。

そのとき、私たちが、現在のような手厚い介護を受けられるかどうかということになると、答は、NO! 不可能!

そうしたことも考えると、ムダに長生きするなら、早めに死んだほうがよいということになる。いや、これは私の母のことを言っているのではない。私自身のことを言っている。

何でも東京都では、そうなると火葬場まで不足してくるという。だから火葬設備のある船、つまり火葬船を用意する計画まで、取りざたされている。

何ともさみしい話だが、これが現実である。そこに待っている現実である。

しかも恐ろしいことに、私たちにしても、いつか突然、ケア・センターの中にいるような老人になるわけではない。10年とか、20年とか、長い時間をかけて、少しずつ、ああなっていく。

つまりすでに今、私たちがその過程にいるということ。50歳とか、60歳からではない。40歳から、あるいは30歳から、その過程にいるということ。

介護の問題は、けっして、老人だけの問題ではない。

*About the Care of Old Parents

●介護について(About the Care of Old Parents)

++++++++++++++++

親を含めて、肉親の介護には、
いろいろと問題がある。

実際、その介護をしてみて、,私が
感じたことを、ここに、記録として
残しておく。

++++++++++++++++

●介護は、重労働

当初から親と同居しているケースは別として、介護を必要とするようになってから、その親と同居するということは、不可能と考えてよい。またそういう前提で、介護の問題を考える。

現に欧米では、そういうケース、つまり介護を必要とするようになってから、その親と同居するというケースは、きわめて、稀(まれ)。

私も実際、母の介護をしてみて、それがわかった。母との間には、それまで、いろいろと確執はあるにはあったが、相手は、90歳の老人。介護を始めたとたん、「こんな老人を相手にしてもしかない」と思ったとたん、それまでのわだかまりは、ウソのように消えた。

母には、私たちの寝室を、与えた。風呂にもトイレにも近い。庭が見渡せるし、間取りも広い。その部屋に、ベッドとソファ類を置き、歩きやすいようにと、部屋中にパイプを設置した。そんな私でも、やがて「不可能」と感じるようになったのは、いくつか、事故が重なったからである。

「あわや!」と思われるような事故も、3回、つづいた。たまたま発見が早かったからよかったようなもの、もし発見が遅れていたら、母は確実に死んでいた。

が、私の家は、まだよいほう。母の部屋にしても、2方に広い窓(南側は、2間幅の履きだし窓)になっていた。木造だから、改変も自由にできた。
が、マンションのような鉄筋づくりだと、そうは、いかない。

●介護は、便との闘い

私はいつしか、「介護は、便との闘い」と思うようになった。
独特の加齢臭は、ファンを設置したりして、何とか軽減することができたが、問題は、やはり便だった。

日に何度か、パットを交換するのだが、日によって、母は、パットがぬれたりすると、紙おむつそのものまではずしてしまった。で、その状態で、ふとんの中で寝るから、毛布も、ふとんも、便で汚れてしまうということもあった。

それに予期せぬできごとも、つづいた。

たとえば私の家には、ハナという猟犬がいる。母とそのハナは、どういうわけか、相性が合わなかった。ハナは、母の姿を見るたびに、ワンワンと、けたたましく、吠えた。

母は、朝、4~5時ごろ、カーテンを開ける。それを見て、ハナが吠える。私たちも目を覚ます……。そこで私たちは、母の部屋を一日中、電気をつけっぱなしにし、夜、昼の区別が母にできないようにした、などなど。

……というのは、まだマイナーな問題かもしれない。

母に、無線の呼び出しベルをもたせたこともある。首にネックレスのようにして、それをかけさせた。が、母は、真夜中でも、それを押して、私たちを呼んだ。「水がほしい」「足が痛い」と。私たちが睡眠不足になってしまった。

が、これもまだ、マイナーな問題と考えてよい。

●老人にもいろいろ

介護老人といっても、私の母などは、まだよいほう。ふだんは、静かで、おとなしい。しかし老人の中には、一晩中、大声を出して暴れる老人もいる。ものを投げつけたり、暴力を振るう老人もいる。

足がじょうぶな老人だと、徘徊という問題もある。N氏は、そのとき90歳くらいだったが、裏の塀を乗り越えて、毎晩、出歩いていたそうだ。塀といっても、2メートルもあるような高い塀である。

こうなると、介護する側の疲れは、倍加する。そこへアルツハイマー病、ピック病、さらには血栓性の脳障害が加わると、さらにたいへん。介護疲れから、半年で、5~10キロも体重を減らしてしまった人もいる。

そうした事情も知らない人、あるいは介護の経験がない人は、安易に、『ダカラ論』をぶつけてくる。「何といっても、親だからねえ」とか、「何といっても、あなたは子だからねえ」と。

私も何度か、そう言われた。が、こうした『ダカラ論』ほど、その渦中にある人を苦しめる言葉はない。

繰り返すが、老人にも、いろいろある。さらにそれまで良好な親子関係であったのなら、まだ救われる。そうでない親子も、多い。そういう子は、それまでの(わだかまり)や(こだわり)とも闘わねばならない。

●ケア・センター

介護度が4とか5になったからといって、ケア・センターに入居できるというわけではない。浜松市のこのあたりでも、半年~1年の順番待ちというのが、実情である。が、順番がきたから、入れるというものでもないらしい。

ケア・センターのほうでは、直接、そういうことは公言しないが、ある程度の人選はしているようだ。わかりやすく言えば、(扱いやすい老人)を、優先的に入居させている(?)。

暴れたり、暴力を振るう老人は、当然のことながら、敬遠される。持病をもっている老人についても、そうだ。「うちには、医療設備はありませんので……」とか何とか言って、やんわりと断られる。

言い換えると、慢性的な病気をもっている老人は、それだけ入居しにくいということ。もちろん医療機関を併設しているケア・センターもあるが、数は、まだ少ない。

もちろんケア・センターでは、それなりの費用がかかる。

下は、月額6~7万円から、上は、20万円前後まで。その老人の所得や財産に応じて、額が決まる。年金がじゅうぶんある老人は、まだよい。が、私の母のように、月額2万5000円前後の老齢年金しかない老人のばあい、差額は、すべて、家族の負担となる。

くわえて治療費。

救急車で病院へ運ばれるまでは無料だが、たいていそのまま個室に入院ということになる。
そうなると費用は、1~2泊しただけで、帰りの寝台付タクシー代も含めて、3~7万円もかかる。

幸い、私たちは浜松市という大都市に住んでいるからよいようなものの、少し離れた郊外の町や村に住んでいる人は、さらにたいへん。たとえば寝台付タクシーのばあい、通常のタクシー代の約5倍の料金がかかる。

●治療拒否

私の母も、それまではたびたび、救急車で病院へ運ばれた。しかし最後のときには、担当のドクターに、こう言われた。「この先、救急車でおいでになっても、延命処置はもうしません。天寿と思ってください」と。

私はそのとき、「そういうものかなあ?」「そういうものだろうなあ?」と、自分で自分を納得させるしかなかった。

人の命は、地球よりも重いとか何とか言うが、こと介護老人について言えば、鳥の羽よりも軽い(?)。私の知人などは、病院のドクターにこう言われたという。

「うちの病院では、治る見込みのある人は治療しますが、そうでない人は、治療しません」と。

が、この問題は、何も介護老人の問題ではない。私たち自身の問題でもある。私たちも、やがて確実に、老人になる。介護老人になる。そのときもし、あなたがドクターに、「もう延命処置はしません」と言われたら、あなたはどう感ずるだろうか。

●運命は受け入れる

親の介護で苦労している人も多い。さらに兄弟姉妹の介護で苦労している人も多い。そこへ、親の財産問題、金銭問題がからんでくるというケースもある。あるいは介護費用の分担をめぐって、兄弟、姉妹が、怒鳴りあいの喧嘩をするというケースも、珍しくない。

叔父や叔母が介入してきて、問題がさらに複雑化するというケースもある。

こうなると、それまでの親子関係など、どこかへ吹っ飛んでしまう。(親の存在)そのものが、騒動の(種)となる。が、問題は、まだつづく。

いわゆる老・老介護の問題である。

平均寿命が延びたことは、よいことかもしれない。が、90歳の老人を、70歳を過ぎた息子や娘が面倒をみるというケースも少なくない。子のほうが、先に認知症になるというケースもある。もちろん双方ともに、収入は、ゼロ。責任能力も、ゼロ。

「親の介護」といっても、内容はさまざま。事情も、それぞれの家庭に応じて、複雑。それを無視して、あれこれ論じても意味はない。ないが、ひとつだけ言えることがある。それは、『運命は、受け入れる』ということ。

そこにある(現実)をすなおに受け入れていく。あるがままを認めて、受け入れていく。それを「運命」と呼ぶなら、運命でもよい。それぞれの人には、無数の糸がからんでいる。からみあって、その人の進むべき方向を決めていく。

あとは、その運命に従えばよい。

その運命に逆らうと、運命は、キバをむいて、私たちに襲いかかってくる。しかしひとたび運命を受け入れてしまえば、運命は、向こうからシッポを巻いて逃げていく。

●現状

私たちは、現在、ケア・センターの人たちに、たいへん感謝している。というのも、母がケア・センターに入居してからというもの、再びというか、それ以前よりも、気が楽になった。

自由な時間も、もどってきた。生活のリズムも、以前のそれにもどった。今は、ときどきケア・センターを見舞う程度ですむ。政治家の中には、「(こうした)施設が、姨捨(おばすて)の場になっている」と非難する人もいるが、それはどうかと思う。

もしそれが「姨捨」なら、欧米の国々では、ほとんどすべての人が、姨捨をしていることになる。むしろ現状は逆。

介護制度の貧困さを、こういう言葉でごまかそうとしているのではないか。今のような豪華な施設でなくともよいから、こうした施設を、もっともっとふやすべきと私は考える。

「子に老後のめんどうをみてもらいたい」と願っている人もいるかもしれないが、「子には迷惑をかけたくない」と願っている人は、もっと、多いはず。私たち夫婦もそうで、老後は、どこかの施設に入ることを、すでに検討し始めている。

つまり「捨てられる立場」になるわけだが、捨てられたところで、一向に構わない。ただし、それには条件がある。

●ムダに生きるか?

ケア・センターの中で生活する老人たちを見ていると、大半の人たちは、ただ生きているだけといった感じがする。毎日、うつろな目つきで、空を見つめているだけ。私の母にしても、食事のとき以外は、ひたすら眠っているだけ。

話しかけても、返事もない。あるいは、いつも「元気?」「元気?」という程度の会話しかできない。

そういう老人たちのために、国は、1人あたり、月額にして、30~40万円の税金を投入している。今は、まだよい。しかし私たち団塊の世代が、後期高齢者(75歳以上)になるころには、3人に1人が、こうした老人になる。

そのとき、私たちが、現在のような手厚い介護を受けられるかどうかということになると、答は、NO! 不可能!

そうしたことも考えると、ムダに長生きするなら、早めに死んだほうがよいということになる。いや、これは私の母のことを言っているのではない。私自身のことを言っている。

何でも東京都では、そうなると火葬場まで不足してくるという。だから火葬設備のある船、つまり火葬船を用意する計画まで、取りざたされている。

何ともさみしい話だが、これが現実である。そこに待っている現実である。

しかも恐ろしいことに、私たちにしても、いつか突然、ケア・センターの中にいるような老人になるわけではない。10年とか、20年とか、長い時間をかけて、少しずつ、ああなっていく。

つまりすでに今、私たちがその過程にいるということ。50歳とか、60歳からではない。40歳から、あるいは30歳から、その過程にいるということ。

介護の問題は、けっして、老人だけの問題ではない。

*Ramboo *Mr. C. Hill has betrayed us again!

●『ランボー・最後の戦場』

+++++++++++++++++

昨夜、仕事が終わったあと、ワイフと
『ランボー・最後の戦場』を見てきた。

シルベスター・スタローンの最新作である。
星は3つの、★★★というところか?

戦闘シーンには、迫力があった。
トム・ハンクスの『プライベート・ライアン』
にも、勝るとも劣らない迫力だった。

飛び散る肉体、吹っ飛ぶ頭、ちぎれて飛んでくる足、など。
しかし全体に、設定が甘い?
だから星は、3つ。

『ランボー』
『ランボー・怒りの脱出』
『ランボー3・怒りのアフガン』につづく、第4作と
いうことだが、「やや、あきられたかな?」という
印象をもった。

脳みその刺激にはなったが、後味は、あまり
よくなかった。

戦争は、やはり、いやだね。

++++++++++++++++

●5月28日(水曜日)
Mr. C. Hill, remember that we, the Japanese are being angry about the process you have done between US and North Korea. We know you have betrayed Japan many times in the recent past and again this time too. Do you need Japan money so much to be friends with North Korea? Then the answer of ours is only one. We say, “No!”. I feel more and more Japanese have been doubtful about what you have been doing now. Remember also that what you have been assisting is a country of the worst tyrant Kim. 

昨夜見た、深夜映画のせいか、今朝は頭の
活動が、ニ・ブ・イ。

頭の中は、ザワザワしているが、(思考)
として、それがまとまらない。

書きたい……というより、吐き出したいことは、
いくつか、ある。

今、いちばん、頭にきていることは、
K国による拉致問題。

ヒル氏と金Kの米朝会談の結果、K国は、
「数名程度の拉致被害者を日本へ返してくる」
とのこと(08年5月26日)。

官房長官は、そうした報道内容を否定して
いるが、もしこれが事実とするなら、
これほど、日本を、そして拉致被害者の
みなさんを、バカにした話もない。

ヒル氏は、日本のため……というよりは、
自国の利益と、己の名聞名利のため、
日本からマネーを出させたい。
そのための米朝会談ということらしい。

わかりやすく言えば、ヒルは、日本を売った!
「6か国協議」とは、名ばかり。
米朝会議を飾るための、追認会議でしかない。

今ごろ、ヒル氏は、金Kにこう言っているに
ちがいない。

「日本から、ちゃんと金を取ってあげるから、
ここは、私の言うことを聞きなさいよ」と。

しかし……。

既存の核兵器を不問にしたまま、現在の
K国に、ジャパン・マネーを渡すのは、
たいへんまず。

まずいというより、危険。

アメリカはそれでよいとしても、日本は、
それこそまさに、K国の思うつぼ。

いくら拉致問題が解決しても、既存核兵器を
不問にしたままなら、1円たりとも、ジャパン・
マネーをK国に渡してはならない。

どうして拉致被害国である日本が、K国に
頭をさげて、拉致被害者を返してもらわねば
ならないのか?

しかも礼金まで添えて……!

悪化の一途をたどる、日米関係。
その責任は、すべて、ヒル氏、あなたにある!


Hiroshi Hayashi++++++++May.08++++++++++はやし浩司

【無知の無知】

+++++++++++++++++

子育てに、無知はつきもの。
しかしその無知ほど、こわいものはない。

それについて書いてみた。
なお、各2行目の英文(?)は、
翻訳ソフトを使って、自動翻訳したもの。

おかしな、おかしな英語?
あくまでも、参考に!

+++++++++++++++++

子育てにおいて、無知ほど、こわいものはない。
It is not in the tough thing as much as ignorance in the child care.

「子どものことは、私がいちばんよく知っている」と豪語する親ほど、あぶない。
It is as dangerous as the parents who boast "I know a child best."

聞く耳をもっていない。
It doesn't have an ear to listen.

そのため独善の世界に陥りやすい。
It falls into the world of Germany good easily.

明らかに、チック症状を示す子ども(5歳男児)がいた。
There was a child (five years old boy) whom obviously showed tic-shaped.

ときおり、フーッ、フーッと、長いため息をもらす。
Time おり, フーッ and フーッ and a long sigh, too, らす.

たてつづけに2、3回、もらすこともある。
It has らす thing of 2, three times 【 も 】 【 it keeps putting it up 】, too.

ふつうのため息とちがうところは、喉をかすかに鳴らすこと。
Sound a throat faintly in the usually different place from the sigh.

習慣性(周期的に繰りかえす)と、定型性(まったく同じようなため息を繰りかえす)があった。
It has a habit (It is reeled periodically and hatched.), and it has fixed form-ization (The sigh which is really the same is reeled and hatched.)

チックである。
It is tic.

で、母親に、「よくため息をしますね」と、声をかけると、
When it goes and "It often has a sigh." and a voice are given to mother.

その母親は、すかさず、こう言った。
That mother didn't get hungry, and said like this.

「花粉症の後遺症による、喘息です」と。
"It is asthma by the sequela of the pollinosis."

私はドクターではないから、こういうばあい、「ああ、そうですか」と言って、引きさがるしかない。
I am correct, and say "Is it so like that?", and there is no favor さ in る if I こういう because I am not a doctor.

しかしチックは、チック。
But, tic is tic.

チックも見抜けないで、幼児教育など、できるか!
Can't you see through tic, either, and can it do the infant education?

・・・というようなケースは、多い。
・・・ There are many cases.

が、その男児は、さらに明らかに糖分の取りすぎによる、
低血糖児特有の症状も示していた。
But, to that boy, more

小刻みな運動に加えて、時折、キーッという金切り声をあげた。

母親は、「自閉症児ではないか?」と聞いたが、自閉症児ではない。

簡単な見分け方としては、抱いてみるというのがある。

自閉症児は相手に心を許さないから、
Because an autism baby doesn't trust a partner to this.

抱いても、あたかも丸太を抱いたような感じになる。
Even if it is held, it becomes a feeling which a log is just held in.

ぎこちなく、体をこわばらせたりする。
A body is sometimes made to get stiff awkwardly.

その子どもは、私が抱いてみると、うれしそうな表情を
The expression which is glad at that child when I try to hold it

してみせたあと、自分の体から力を抜いた。
After it did and it was shown, the power was removed from its body.

しかし近くに立っていた父親は、私の言うことには、半信半疑と
But, as for that father, it is suspicious of what I say

いったふうだった。
It was ふう that it said.

どこかで別の情報を聞きかじっていたにちがいない。
It listens to another information in something, and it must be bitten.

・・・ということで、この世界には、(無知)はつきもの。
This world has (ignorance) with a thing of ・・・.

無知であることを責めているのではない。
It isn't blamed for being ignorant.

だれしも親は、こと子育てについて言えば、無知を前提として、
If it gets tired but parents say about the thing child care, based on the ignorance

子育てを始める。
Child care is begun.

そこで重要なことは、どうすれば、自分の無知を、知ることが
So, if it does what, it is important, the ignorance is known

できるかということ。
The thing of whether it can be done.

子どもの問題は、結局は、ここへ行き着く。
A child's problem goes here after all and reaches.

家に帰って、そのことをワイフに話すと、ワイフはこう言った。
It came back to the house, and it was said like this that that was told to ワイフ about ワイフ.

「あの父親は、あなたより自分のほうが偉いと思っている
「 That father thinks himself greater than you.

から、だめね。
It is no good.

あなたを、ただの教師としかみていないのよ」と。
With 」 watching you only with the mere teacher.

ついでながらつけ加えると、私には30歳のはじめごろから、
When a chance is added, to me, from about a thirty-year-old beginning

自閉症児にしても、かん黙児にしても、何10例という
Several examples are said even if an autism baby is taken or かん黙 baby is taken.

子どもを、長期にわたって指導してきたという経験がある。
A child has been guided for a long time.

そういう経験が基本になっている。
Such an experience is a basis.

ADHD児やアスペルガー児にしても、そうだ。そういう言葉がまだ
Even if an ADHD baby and アスペルガー baby are taken, such a word, still

知られていないうちから、指導してきた。
It was guided from the inside where it didn't know.

当時は、ADHD児は、多動児とか、活発型自閉症児と呼ばれていた。
An ADHD baby was being called a hyperkinetic child and 活発 pattern autism baby.

アスペルガー児は、「がんこな子ども」と呼ばれ、一般的な自閉症児
アスペルガー baby is called "a cancer こな child", and he is a general autism baby.

とは区別して考えられていた。
It thought that it was distinguished.

だからもう一度、繰りかえす。
Therefore, it is reeled again and hatched.

自閉症児も見抜けないで、幼児教育など、できるか!
Can't you see through an autism baby, either, and can he do the infant education?

*Ramboo *Mr. C. Hill has betrayed us again!

●『ランボー・最後の戦場』

+++++++++++++++++

昨夜、仕事が終わったあと、ワイフと
『ランボー・最後の戦場』を見てきた。

シルベスター・スタローンの最新作である。
星は3つの、★★★というところか?

戦闘シーンには、迫力があった。
トム・ハンクスの『プライベート・ライアン』
にも、勝るとも劣らない迫力だった。

飛び散る肉体、吹っ飛ぶ頭、ちぎれて飛んでくる足、など。
しかし全体に、設定が甘い?
だから星は、3つ。

『ランボー』
『ランボー・怒りの脱出』
『ランボー3・怒りのアフガン』につづく、第4作と
いうことだが、「やや、あきられたかな?」という
印象をもった。

脳みその刺激にはなったが、後味は、あまり
よくなかった。

戦争は、やはり、いやだね。

++++++++++++++++

●5月28日(水曜日)
Mr. C. Hill, remember that we, the Japanese are being angry about the process you have done between US and North Korea. We know you have betrayed Japan many times in the recent past and again this time too. Do you need Japan money so much to be friends with North Korea? Then the answer of ours is only one. We say, “No!”. I feel more and more Japanese have been doubtful about what you have been doing now. Remember also that what you have been assisting is a country of the worst tyrant Kim. 

昨夜見た、深夜映画のせいか、今朝は頭の
活動が、ニ・ブ・イ。

頭の中は、ザワザワしているが、(思考)
として、それがまとまらない。

書きたい……というより、吐き出したいことは、
いくつか、ある。

今、いちばん、頭にきていることは、
K国による拉致問題。

ヒル氏と金Kの米朝会談の結果、K国は、
「数名程度の拉致被害者を日本へ返してくる」
とのこと(08年5月26日)。

官房長官は、そうした報道内容を否定して
いるが、もしこれが事実とするなら、
これほど、日本を、そして拉致被害者の
みなさんを、バカにした話もない。

ヒル氏は、日本のため……というよりは、
自国の利益と、己の名聞名利のため、
日本からマネーを出させたい。
そのための米朝会談ということらしい。

わかりやすく言えば、ヒルは、日本を売った!
「6か国協議」とは、名ばかり。
米朝会議を飾るための、追認会議でしかない。

今ごろ、ヒル氏は、金Kにこう言っているに
ちがいない。

「日本から、ちゃんと金を取ってあげるから、
ここは、私の言うことを聞きなさいよ」と。

しかし……。

既存の核兵器を不問にしたまま、現在の
K国に、ジャパン・マネーを渡すのは、
たいへんまず。

まずいというより、危険。

アメリカはそれでよいとしても、日本は、
それこそまさに、K国の思うつぼ。

いくら拉致問題が解決しても、既存核兵器を
不問にしたままなら、1円たりとも、ジャパン・
マネーをK国に渡してはならない。

どうして拉致被害国である日本が、K国に
頭をさげて、拉致被害者を返してもらわねば
ならないのか?

しかも礼金まで添えて……!

悪化の一途をたどる、日米関係。
その責任は、すべて、ヒル氏、あなたにある!


Hiroshi Hayashi++++++++May.08++++++++++はやし浩司

【無知の無知】

+++++++++++++++++

子育てに、無知はつきもの。
しかしその無知ほど、こわいものはない。

それについて書いてみた。
なお、各2行目の英文(?)は、
翻訳ソフトを使って、自動翻訳したもの。

おかしな、おかしな英語?
あくまでも、参考に!

+++++++++++++++++

子育てにおいて、無知ほど、こわいものはない。
It is not in the tough thing as much as ignorance in the child care.

「子どものことは、私がいちばんよく知っている」と豪語する親ほど、あぶない。
It is as dangerous as the parents who boast "I know a child best."

聞く耳をもっていない。
It doesn't have an ear to listen.

そのため独善の世界に陥りやすい。
It falls into the world of Germany good easily.

明らかに、チック症状を示す子ども(5歳男児)がいた。
There was a child (five years old boy) whom obviously showed tic-shaped.

ときおり、フーッ、フーッと、長いため息をもらす。
Time おり, フーッ and フーッ and a long sigh, too, らす.

たてつづけに2、3回、もらすこともある。
It has らす thing of 2, three times 【 も 】 【 it keeps putting it up 】, too.

ふつうのため息とちがうところは、喉をかすかに鳴らすこと。
Sound a throat faintly in the usually different place from the sigh.

習慣性(周期的に繰りかえす)と、定型性(まったく同じようなため息を繰りかえす)があった。
It has a habit (It is reeled periodically and hatched.), and it has fixed form-ization (The sigh which is really the same is reeled and hatched.)

チックである。
It is tic.

で、母親に、「よくため息をしますね」と、声をかけると、
When it goes and "It often has a sigh." and a voice are given to mother.

その母親は、すかさず、こう言った。
That mother didn't get hungry, and said like this.

「花粉症の後遺症による、喘息です」と。
"It is asthma by the sequela of the pollinosis."

私はドクターではないから、こういうばあい、「ああ、そうですか」と言って、引きさがるしかない。
I am correct, and say "Is it so like that?", and there is no favor さ in る if I こういう because I am not a doctor.

しかしチックは、チック。
But, tic is tic.

チックも見抜けないで、幼児教育など、できるか!
Can't you see through tic, either, and can it do the infant education?

・・・というようなケースは、多い。
・・・ There are many cases.

が、その男児は、さらに明らかに糖分の取りすぎによる、
低血糖児特有の症状も示していた。
But, to that boy, more

小刻みな運動に加えて、時折、キーッという金切り声をあげた。

母親は、「自閉症児ではないか?」と聞いたが、自閉症児ではない。

簡単な見分け方としては、抱いてみるというのがある。

自閉症児は相手に心を許さないから、
Because an autism baby doesn't trust a partner to this.

抱いても、あたかも丸太を抱いたような感じになる。
Even if it is held, it becomes a feeling which a log is just held in.

ぎこちなく、体をこわばらせたりする。
A body is sometimes made to get stiff awkwardly.

その子どもは、私が抱いてみると、うれしそうな表情を
The expression which is glad at that child when I try to hold it

してみせたあと、自分の体から力を抜いた。
After it did and it was shown, the power was removed from its body.

しかし近くに立っていた父親は、私の言うことには、半信半疑と
But, as for that father, it is suspicious of what I say

いったふうだった。
It was ふう that it said.

どこかで別の情報を聞きかじっていたにちがいない。
It listens to another information in something, and it must be bitten.

・・・ということで、この世界には、(無知)はつきもの。
This world has (ignorance) with a thing of ・・・.

無知であることを責めているのではない。
It isn't blamed for being ignorant.

だれしも親は、こと子育てについて言えば、無知を前提として、
If it gets tired but parents say about the thing child care, based on the ignorance

子育てを始める。
Child care is begun.

そこで重要なことは、どうすれば、自分の無知を、知ることが
So, if it does what, it is important, the ignorance is known

できるかということ。
The thing of whether it can be done.

子どもの問題は、結局は、ここへ行き着く。
A child's problem goes here after all and reaches.

家に帰って、そのことをワイフに話すと、ワイフはこう言った。
It came back to the house, and it was said like this that that was told to ワイフ about ワイフ.

「あの父親は、あなたより自分のほうが偉いと思っている
「 That father thinks himself greater than you.

から、だめね。
It is no good.

あなたを、ただの教師としかみていないのよ」と。
With 」 watching you only with the mere teacher.

ついでながらつけ加えると、私には30歳のはじめごろから、
When a chance is added, to me, from about a thirty-year-old beginning

自閉症児にしても、かん黙児にしても、何10例という
Several examples are said even if an autism baby is taken or かん黙 baby is taken.

子どもを、長期にわたって指導してきたという経験がある。
A child has been guided for a long time.

そういう経験が基本になっている。
Such an experience is a basis.

ADHD児やアスペルガー児にしても、そうだ。そういう言葉がまだ
Even if an ADHD baby and アスペルガー baby are taken, such a word, still

知られていないうちから、指導してきた。
It was guided from the inside where it didn't know.

当時は、ADHD児は、多動児とか、活発型自閉症児と呼ばれていた。
An ADHD baby was being called a hyperkinetic child and 活発 pattern autism baby.

アスペルガー児は、「がんこな子ども」と呼ばれ、一般的な自閉症児
アスペルガー baby is called "a cancer こな child", and he is a general autism baby.

とは区別して考えられていた。
It thought that it was distinguished.

だからもう一度、繰りかえす。
Therefore, it is reeled again and hatched.

自閉症児も見抜けないで、幼児教育など、できるか!
Can't you see through an autism baby, either, and can he do the infant education?