Education in Front-Line and Essays by Hiroshi Hayashi (はやし浩司)

(Mr.) Hiroshi Hayashi, a professional writer who has written more than 30 his own books on Education, Chinese Medical science and Religion in Japan. My web-site is: http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/ Please don't hesitate to visit my web-site, which is always welcome!!

Tuesday, May 31, 2011

●6月1日、朝記

●6月1日

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●消えた2時間

 今日は7時起き。
よく眠った。
頭痛もなし。

 ……先週は、軽い頭痛がつづいた。
朝方、いつも頭が重かった。
それが毎日、昼ごろまでつづいた。
おかしな神経痛もあった。
左耳の下から脳を突き抜けるような神経痛。
偏頭痛(?)と判断しかねているうちに、週末になって風邪の症状が出てきた。
くしゃみと発熱。
市販の風邪薬をのんだ。
頭痛も消えた。
風邪だった。
よかった。

 で、今朝も、いつもの日課。
起きるとすぐ、ウォーキングマシンに。
30分もすると、全身から汗が噴き出す。
それが気持ちよい。

そのまま書斎へ。
パソコンに電源を入れる。

……

 時刻は……ギョッ!
現在、時刻は午前9時!

メールを読み、ニュースサイトに目を通した。
いくつかの原稿をBLOGにアップした。
それだけで、午前9時!

2時間は、どこへ消えたのか?

++++++++++++++++++++++++++++++++++

●時間がない!

 週末にK市で某大会がある。
その大会の記念講演の講師を務める。
今は、その準備。
準備といっても、私のばあい、体調を整えること。
運動量をふやすこと。
食事の量を減らすこと。
眠った脳みそでは、講演はできない。
が、この緊張感がたまらない。
楽しい。

 ところで先週、ワイフと映画を観に行ったときのこと。
映画館は、市内のZ・シティというショッピングセンターの
中にある。
その地下街を通ったときのこと。
明らかに私と同年齢、あるいは私より若いと思われる
男たちが、ぼんやりとした様子で、椅子に座っていた。
3、4人もいた。

それなりの服装はしていたが、緊張感がなかった。
うつろな目つきで、空(くう)を見つめていた。
私はそれを見て、ドキッとした。
ドキッとして、口を閉じてしまった。

ワ「どうしたの?」
私「……」と。

 明日は我が身。
明らかに退職者たちだった。
仕事もなく、かといって、家の中では粗大ゴミ(?)。
行くところもなく、そういうところで時間をつぶす。
もちろん遊ぶお金もない。

 ……エスカレーターに乗って1階へ出ると、
そこにも小さなたまり場があった。
が、そのたまり場にも、2、3人!

私「これから先、ああいう人たちがふえるだろうね」
ワ「そうね」と。

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●パソコン

 パソコンを相手に仕事をしている人なら、異論はないだろう。
パソコンというのは、「時間を食う」。
たいした仕事はしていないのに、時間ばかり過ぎていく。
パソコンというのは、そういうもの。

 数日前も、マガジンの過去版を整理した。
6月1日(2011年)で、1526号を数えた。
2001年6月、創刊。
以来、ちょうど10年。
コピーして張りつけていくだけの単純作業。

 朝から作業を始め、ホッと一息ついたのが、午後3時。
1日仕事になってしまった。
……ということで、今の今も、時間が足りなくて、困っている。
やりたいことは山のようにある。
書きたいことは山のようにある。
が、その時間がない!
時間が足りない!
忙しくはないが、時間が足りない!

 ……だからといって、ショッピングセンターで無意味に時間を
つぶす人を、どうこう言っているのではない。
先にも書いたように、「明日は我が身」。
「私はああいう人たちとはちがう」と思うのは、その人の勝手。
しかしどこもちがわない。
ちがわないというより、中身は同じ。
言うなれば、今の私は「包装紙」のようなもの。
包装紙をはがしたら、中身は同じ。

 ただ、そうはなりたくないと思い、懸命にふんばっている。
がんばっているというより、ふんばっている。
もしその気力が途絶えたら、私も明日からショッピングセンターで
時間をつぶすようになる。
そういう自分をよく知っているから、ふんばるしかない。

 ……おとといも、静岡県教育委員会の担当者の方が、講演の仕事を回してくれた。
そのときのこと。
いつもなら「ありがとうございます」で終わる電話だった。
が、思わず私は「生きがい」という言葉を使ってしまった。
「いつも、生きがい、ありがとうございます」と。

 ……ということで、この先、死ぬまでハラハラとした人生がつづきそう。
肉体の健康、精神の健康、心の健康、それに脳みその健康。
が、何よりも大切なのは、「気力」。
前に向かって生きるという気力。
いつまでつづくかわからないが、とにかくつづけるしかない。

 で、そのあとは、ピンポク。
願わくは、ピンポク。
前日までピンピンしていて、その翌朝、ポックリと逝く。

 しかしみなさん、誤解してはいけない。

 ああしてショッピングセンターで、ぼんやりと時間をつぶしている人たちは、
本当は苦しんでいる。
けっして、したくて、そうしているのではない。
もちろん楽しんでいるのでもない。
苦しんでいる。
その苦しみがほんの少しでも理解できたら、けっして責めたり、バカにしてはいけない。
なぜなら、明日は、それがあなたの姿。
あなた自身の姿。
それを忘れてはいけない。


Hiroshi Hayashi+++++++June. 2011++++++はやし浩司・林浩司

●電子マガジン(6-1)老後

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 子育て最前線の育児論byはやし浩司   11年   6月   1日号
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2011年月2日2日現在……1475号
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【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

小学1年生(6)歳児に、大きな数を教えてみる。

1、10、100、1000、10000・・・(一、十、百、千、万・・・)

●種まきレッスン

 私はこうした一連のレッスンを、「種まきレッスン」と呼んでいる。
「教える」というよりは、「種まき」。
「種」として、子どもの脳の中に、まいておく。
そのときは、すぐ効果が現れなくても、それがしばらくすると、別の形で
現れてくる。
あるいは学校などで、その学習をしたとき、理解するのを助ける。
だから「種まき」。

重要なコツは、「楽しませること」。
具体的には、笑わせ、心を開放させること。
「楽しかった」という思い出が、やがて子どもを前向きに引っ張っていくように
なる。

【小1(6歳児)はどこまでできるか?】BW教室byはやし浩司 2011・5月


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(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 
BW はやし浩司 2011-05-10)

Hiroshi Hayashi+++++++May. 2011++++++はやし浩司・林浩司

はやし浩司先生へ

ご無沙汰しております。
長崎県のKHです。
浜松からこちらに引っ越してから、もう3年になります。

本日は、小学5年生の息子の事でご相談したい事がありましてメールいたします。

担任の先生の事です。
4月に新学期が始まりました。担任はこの春、日本から新しくいらした30代後半の女性
です。

初日、学校の様子を聞くと、「先生こわい~」とのこと。

とにかくよく怒るようです。クラスに一人、口の達者な男の子がいて、特にその子が怒ら
れているようです。

先生の怒り方をまねして教えてくれるのですが、その怒り方が乱暴なのに驚きました。
「テメエらそれでも5年生かよ!!」「(上記の男の子に向かって)テメエのようなヤツが
いるから授業が進まないんだよ」「お前らアホか」などなど。言う事を聞かない子の腕を引
っ張って、引きずって廊下に出したり、胸をつかんだりもするそうです。先生の意にそわ
ない事を言ったり、したりすると、すぐに黒板を叩いたりするとも言います。

同じクラスのお母さんたちに聞くと、私が息子から聞いた事と同じような事を聞いていま
した。ただ、私たち母親は、子供からの話だけで、実際の様子を見たり、聞いたりしてい
ません。


毎日「学校はどうだった?」と聞くといつも怒った先生の様子ばかり話します。

1か月がすぎました。先生の様子は変わらないようです。怒られていない子までが怖がっ
て萎縮してしまっています。こんな事言ったらきっと怒られる、こんな事やったら怒られ
る、といった感じです。息子も最近はひどくイラついています。

先生のいいところは?と聞いても、考えつかないようです。

この春、その先生は他県から転入してきました。4月が始業式。慣れない土地で、生活も
仕事も一から、という事で大変なのだろうと思ってはいるのですが、毎日毎日息子から先
生の愚痴を聞いているうちに異常なものを感じ始めています。

学年主任の先生がいらっしゃいます。
その先生に相談を……という父兄もいます。

もう少し様子を見るべきなのでしょうか?

長崎県、KH(母親)より。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●KHさんへ

 こんにちは!

 この種の問題は、(1)けっして、単独行動をしないこと。
(2)まわりの人が動き出すまで、静観する、です。

 間に子どもがいるため、ここは慎重に!
もちろんあなたの子どもに直接的な被害(?)があれば、話は別です。
しかし今の状況では、様子をみるのが、最善かと思います。
またみなといっしょに行動に出るときには、一気に出る、です。
校長、もしくは副校長に直接談判することも、覚悟してください。

 実のところ、友人(58歳、現在小学校長)も、似たような問題をかかえ、
悩んでいます。
明らかに「不適格教師」なのですが、知人の指導に従わないばかりか、何か
指導めいたことを口にすると、猛烈に反発し、手がつけられなくなるとのこと。
教師の世界は、ふつうの会社における人間関係とは、かなりちがった部分があることを、
知っておかれるとよいでしょう。
校長といえども、人事権はありません。
学年主任といっても、年功序列型で、持ち回り的な存在です。
つまり親たちが騒いでも、何か犯罪行為でもなければ、ただの「騒ぎ」で終わって
しまうということ。
あるいは転校という形で、うやむやに終わってしまうということ、です。

 もっともその程度の「こわい先生」は、私たちが子どものころは、どこにでもいました。
毎日、剣道で使う竹刀(しない)をもって、学校へ来ていた教師(中学英語)もいました。
そういう点では、私たち団塊の世代は、たくましく育てられています。

 一方、この静岡県では、今では生徒に何かを命令する先生はいません。
「~~しませんか?」(提案型)、「~~してくれませんか?」(依頼型)の言い方が、
一般化しています。
掃除でも、昔のように、「掃除しなさい!」と言う先生は、いません。
それがよいことなのか、どうか、私にはわかりません。
(私自身は、そういう言い方をしませんので……。)

 こうしたトラブルを避けるため、本来なら、アメリカのように複数の教師で指導に
あたるようにするのが望ましいですね。
アメリカでは、クラスの教師+インターン(学生)+当番の親の3人で指導するのが、
一般化しています(小学低学年)。
オーストラリアでも、教師と当番の親の2人で指導するのが一般化しています(南
オーストラリア州・小学低学年)。

 ともかくも、今は、様子を見てください。
子どもが過度に萎縮し、神経症のような症状が出てきたら、またメールをください。
なおほかの親から、相談があっても、よき聞き役に徹すること。
「私もそう思う」などと言ってしまうと、今度はあなたの言った言葉として、学校中に
広がってしまいます。
それが理由で学校にいられなくなってしまった親も、います。

 つまりこの問題は、それくらいデリケートな問題ということです。
繰り返しますが、間に子どもがいるため、行動、言動は慎重に!

 では、今日はこれで失礼します。

 浜松の放射線量も、徐々にふえています。
心配です。

はやし浩司


【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

休みます。

【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●たったの5・24マイクロシーベルトだって(?)

++++++++++++++++++++

25年前にメルトダウンを経験した
ロシアのチェルノブイリ。
その周囲30キロは、今でも「立ち入り禁止
区域」になっている。

誤解があるといけないので、正確に
記事を転載させてもらう。

+++++++++++以下、JIJICOM++++++++++++++

……炉心溶融事故が起きた原発4号機。コンクリート製の「石棺」で覆われているが、近
づくと放射線量計が毎時5.24マイクロシーベルトを表示し、「ピッピー」と警告音が鳴
り続けた。通常の50倍を超える放射線量だ。

●放射線量と人体への影響

 「石棺内部には溶解した核燃料が約180トン残っているが、放射能が外部に漏れない
よう新たなシェルターを建設する国際プロジェクトが開始された」。原発の周囲30キロの
立ち入り規制区域管理局のハロシャ局長は記者団との会見でこう強調した。
 事故直後に建設された石棺は老朽化が進んでおり、放射能漏れの懸念がある。このため、
欧州連合(EU)や日本などの支援で新シェルター建設が計画され、昨年から基礎工事が
始まった。

+++++++++++以上、JIJICOM++++++++++++++

●たったの5・24マイクロシーベルト

 本当のところ、「シーベルト」という単位を聞いても、私には何もわからない。
センチとかグラムとか、そういう単位がもつ実感が、わいてこない。

 が、あのチェルノブイリでは、今でも5・24マイクロシーベルトの放射線量が
観測されるという。

「5・24マイクロシーベルト」?
「たったの5・24マイクロシーベルト」?
福島県では、校庭利用の基準は、毎時3・8マイクロシーベルトだそうだ(注※)。
つまり3・8マイクロシーベルト以下になれば、校庭の使用が許可される。
5・24と3・8。
その差は、たったの1・4!

 日本で聞いている数値と、あまりにもかけ離れているような気がする。
今では「マイクロシーベルト」と聞いて、驚く人はいない。
その1000倍の「ミリシーベルト」という単位が、ふつうになりつつある。

 が、ロシアのチェルノブイリでは、たった5・24マイクロシーベルトで、
「周囲30キロが、今でも立ち入り禁止区域」になっているという。
もしそんな基準をこの日本に当てはめたら、やがてこの日本は、全土が、
立ち入り禁止区域になってしまう。

 放射性物質というのは、拡散される時期が長ければ長いほど、そこで積算される。
毎日、0・1マイクロシーベルトでも、体内で蓄積されれば、10日で、
1マイクロシーベルトになる。
もちろん地中にしみこんだり、水とまざって流れていく分もあるだろう。
しかし基本的には、「溜まっていく」。

 さらにおかしなことに、毎日の放射線量はそれほどでもないはずなのに、
昨日(5月12日)、神奈川県の茶から、基準値を超える放射線が観測された。
いったい、こういう現象を、どう理解したらよいのか。

(毎日、文科省は、各地で観測された最大放射線量をネット上で、公開している。
それによれば、東海地方では、おおむね0・04~0・05マイクロシーベルトで、
「平常値」となっている。

神奈川県も「平常値」のはず?)

平たく言えば、日本は、今、たいへんなときにある。
その存亡の危機の崖っぷちに立たされていると言っても過言ではない。
不測の事態が不測の事態を呼ぶ。
さらに「想定外」のことが、連続して起こる。
今は、そういう状態。

●鈍化する感覚

 それにしても、日々に感覚が鈍化していくのには、驚かされる。
私自身ですら、「メルトダウン」の恐ろしさは、よく知っていたはず。
チェルノブイリ事故のときは、体が震えた。
しかし今、それがこの日本で起きている。
明日には、その影響が、この静岡県にまで及んでくるかもしれない。
しかし今は、それがない。
つまり緊張感がない。
緊迫感もない。
ニュースを見ながら、「コンクリートで塞げばいい」などと、のんきなことを言っている。

 つまりこうして、(現実)と(感覚)が遊離していく。
「ミリシーベルト」くらいでは、驚かない。
現に今、「5・24マイクロシーベルト」と聞いて、「たったの?」と思っている。

 しかし現実は、重い。
5マイクローシーベルトと言えば、静岡県で観測されている放射線量の約100倍。
25年たった今でも、チェルノブイリでは観測されているという。
周囲30キロが立ち入り禁止区域になっているという。

 そこで重要なことは、この緊張感を失わないこと。
失ったとたん、油断が生まれる。
事故が拡大する。

 あのとき、みな、こう思ったはず。
「原発なんて、もうこりごり」と。
しかしもうすでに、産経新聞などは、原発必要悪論を堂々と論じ始めている。
この変わり身の速さこそが、危険。
心配。
油断こそ、禁物ということになる。

(2011年5月14日夜記)

(注※)(日本経済新聞より)

文部科学省は13日、福島第1原子力発電所事故を受けて屋外活動を制限していた福島市立
渡利中学校で実施した放射線量調査で、校庭利用の基準である毎時3.8マイクロシーベルト
を12日に続いて下回ったと発表した。屋外活動の制限対象になった13校・園すべてで基
準を下回ったことになる。制限解除の対象になるが、同省は放射線量が比較的高い学校な
どの調査を続ける。


Hiroshi Hayashi+++++++May. 2011++++++はやし浩司・林浩司

●短い瞬間

 オーストラリアの友人のR君が、「作者不詳」として、こんな詩を送ってくれた。訳は、
私が感じたまま、つまり原文を読んで感じたまま、直感でつけた。どうか「誤訳」と、笑
わないでほしい。

I read of a man who stood to speak
At the funeral of a friend
He referred to the dates on her tombstone
From the beginning to the end.

友の葬式の日、皆の前で、
私は、追悼の言葉を述べた男の話を読んだことがある。
その男は、その女性の、生まれた日と、
死んだ日について、話した。

He noted that first came her date of birth
And spoke the following date with tears,
But he said what mattered most of all
Was the dash between those years.

その男は、彼女が生まれた日付を言った。
そして涙ながらに、つづく死んだ日付について話した。
しかし、誕生と死の間の
その時の流れの、何と短いことよ。

For that dash represents all the time
That she spent alive on earth...
And now only those who loved her
Know what that little line is worth.

その日付から日付までが、すべての時を表し、
彼女が、この地上で生きたことを示す。
いまや彼女を愛した人たちのみが、
その一行に、彼女のすべての価値を知る。

For it matters not how much we own;
The cars ... the house ... the cash,
What matters is how we live and love
And how we spend the dash.

どれだけ私たちがもっているか。
車や、家や、お金にせよ、そんなことは問題ではない。
大切なことは、いかに生きて、いかに愛して、
その短い瞬間を、どう過ごしたか、だ。

So think about it long and hard
Are there things you'd like to change?
For you never know how much time is left,
That can still be rearranged.

だから深く、静かに考えてみたらよい。
あなたには、変えたいものがあるか、と。
残された時間は、あまりにも少ない。
やりなおしがきくのは、今しかない。

If we could just slow down enough
To consider what's true and real,
And always try to understand
The way other people feel.

何が真実で、何が本物か、それを考えるために、
ほんの少しだけ時間をスローダウンすしてみるがよい。
そしていつも、ほかの人たちの感じ方を
理解してみるがよい。

And be less quick to anger,
And show appreciation more
And love the people in our lives
Like we'd never loved before.

怒りを鎮めよ、
もっと人に愛を示せ、
私たちの人生の中の人々をもっと愛せよ、
私たちが愛されたことがないほどまでに人を、愛せよ。

If we treat others with respect
And more often wear a smile...
Remembering that this special dash
Might only last a little while.

ほかの人を敬うなら、
そしてもっと微笑むなら、
この短い瞬間は、もう少しだけ、
長くつづくだろう。

So when your eulogy's been read
With your life's actions to rehash...
Would you be proud of the things they say
About how you spent your Dash?
(Author Unknown)

あなたを作り変えるなら、いつか、あなたの葬儀で、
あなたの賛美が読まれるとき、
彼らが口にすることを、あなたは誇りに思うだろう。
あなたがその短い瞬間をどう過ごしたかについて……。
(作者不詳)


Hiroshi Hayashi+++++++May. 2011++++++はやし浩司・林浩司

【日本人の依存性と従順性】

++++++++++++++++++

毎年、5月3、4、5日に、浜松祭りが
催される。
東海地方でも、最大級の祭りである。
例年だと、50万人以上もの、観光客が集まる。

が、今年は3・11大震災が理由で、中止。
浜松市長の鶴の一声で、それが決まった。
表向きの理由は、「謹慎」。
が、本当の理由は、「安全管理」。
「安全管理ができないから、中止」
(中止通達書)と。

県の機動隊員ほか多数の警察官が、東北へ
駆り出されている。
そのため「じゅうぶんな安全管理ができない」と
いうことらしい。

++++++++++++++++++

●40年前

 40年前の浜松祭りは、おもしろかった。
本当におもしろかった。
このあたりの人たちの言葉を借りるなら、「血が騒いだ」。
町内ごとの練(ね)り(「練り隊」)が、随所で、別の練りと衝突した。
そのたびに怒号と衝突音。
旗ざおで殴りあう音、悲鳴。
その上には、汗が湯気になり、白いモヤが漂った。
もちろん、けが人も出た。
救急車も走り回った。
が、今は、そのころと比べると、まるでウサギの行進。
祭りの世話役の指示に従い、整然と並んで歩くだけ。
全員、提灯を手に持っている。
またそれをもたないと、祭りに参加できない。
練りの衝突そのものが、ありえない。

 だから私はこう言う。
「浜松祭りは、参加するもの。見るものではない」と。
参加してはじめて、おもしろい。
見ているだけなら、何もおもしろくない。

●自己責任

 「自己責任」という言葉がある。
この日本では、すでに死後になっている言葉である。
上はジー様から、下は赤ん坊まで、みな、キバを抜かれてしまった。
ことあるごとに、みな、こう言う。
「国が……」「国が……」と。

 言うまでもなく、「自由」と「依存」は、相克(そうこく)関係にある。
自由であろうとすればするほど、他者への依存性は低くなる。
依然性が高くなればなるほど、自由の幅はせばめられる。

また「自由」は「独立」に、「依存」は「隷属」に、それぞれつながる。
さらに言えば、自由は、常に不完全性をともなう。
「あいまい性」と言い替えてもよい。
たとえば管理された社会には、自由はない。
最近(11年4月)、私はこんな経験をした。

 メルボルン市(オーストラリア)で、オーバーランド号という列車に乗った。
アデレード行きの長距離列車である。
で、その列車が、メルボルンから1時間半ほどのところにある、ジーロンという町
に着いた。
予定より、20分も早く着いた。
そのとき車内アナウンスが流れた。
「20分早く着いた。ここで客が17人乗ることになっている。
その客を待つ」と。

 しばらくすると、何人かの客が、プラットフォームを歩いていくのが見えた。
それがその17人の客だった。
その直後、また車内アナウンス。
「客が乗ったので、出発します」と。

 ご存知のように、日本では、ぜったいにありえない光景である。
私はその「不完全性」に、たまらないほどの「自由」を覚えた。

●3・11大震災

 あの3・11大震災のときのこと。
あれだけの震災にありながらも、この日本では、暴動が起きなかった。
略奪も起きなかった。
壊れたコンビニからでさえ、ものを盗む人もいなかった。
店員がいるところでは、客はちゃんとお金を払ってものを買った。
しかも店員は、むしろ安い価格で、客にものを売ったという。

 被災者たちが身を寄せた避難所でも、そうだった。
みな、整然と並んで、「秩序」を守った。
「上」からの指示に従った。
用意された場所に身を置き、用意されたものを口にした。
それを見た外国の特派員たちは、みな、例外なく驚嘆の声をあげた。
「日本人は、すばらしい!」と。
私の40年来の友人(日本人)も、こう言った。
「あれこそが、日本人が本来的にもつ美徳」と。

 たしかにそうかもしれない。
私も、そう思った。
しかしそうでないかもしれない。
少しひねくれたものの見方をしてみる。

 ひとつには、被害の大きさが、あまりにも「想定外」だった。
想像を絶する心理状態。
そういう心理状態を、「想定内」にある心理学で分析することはできない。
私たちは、「絶望」というものがどういうものであるかさえ、知らない。
絶望のどん底で、人がどのようにものを考え、行動するか。
想像することはできても、それを知ることは不可能。

 3・11大震災で被災した人たちの心理状態を、私たちがどうこう分析
することはできない。
失礼というより、あまりにも恐れ多い。
ただ私たちができることは、そういう人たちを見て、そういうものかなと
思う程度。
家族、家、職場、地域を失った人たち。
別の見方をすれば、暴動を起こしたり、ものを略奪するほどのエネルギーさえ
残っていなかった。
そういうふうにも、考えられなくはない。

●あえて……

 が、ひとつだけあえて口をはさむとしたら、こういうことも言える。
本当にそれが日本人が本来的にもつ美徳のひとつかというと、私はそうではない
ような気がする。
「気がする」というだけで、断言しているわけではない。
たとえば当時、どの避難所でも、みな、こう言った。
「国が……」「国が……」と。
「国が何とかしてくれるべき」と。
それを聞いたとき、私はこう思った。
「ひょっとしたら、日本人は、本物の自由知らないのではないか」と。

 不完全性を認めない。
あいまいさを認めない。
そのため独立性を失い、自己責任という言葉を忘れてしまった。

 そこで短絡的に、私はこう結びつける。
日本人は、あまりにも長くつづいた官僚制度の中で、「国」の中に、「己(おのれ)」
を埋没させてしまった。
その結果、「国」というより、体制に隷属的になってしまった。
人とはずれたことをすることに、罪悪感を覚え、その一方で、「出る釘を
容赦なく叩いた」。

 その結果が、今では」ないか、と。

●サンケイスポーツ

 ところで数日前、こんな記事が、サンケイスポーツに載っていた(HPより)

+++++++++++以下、サンケイスポーツ+++++++++++++

●「自己責任」に住民らがキレた。

東京電力福島第1原発から半径20キロ以内の立ち入りが禁止されている「警戒区域」に
自宅がある住民の、初めての一時帰宅が10日、始まった。
第1陣はK村の54世帯92人。

帰宅直前に説明会が開かれたが、国側が「自己責任で立ち入る」とする同意書に署名を求
めると、住民らは「責任を押しつける気か!!」と怒りを爆発させた。(以上、
サンケイスポーツ)

+++++++++++以上、サンケイスポーツ+++++++++++++

●国の同意書

 ことのいきさつは、こうらしい。

(1)住民たちの、一時帰宅が「認められた」。
(2)住民たちの、一時帰宅が「始まった」。
(3)国側が「自己責任で立ち入る」という同意書に署名を求めた。
(4)これに住人たちが、反発した。
(5)「責任を押しつける気か!!」と。 

 先ほども書いたように、被災者の人たちの気持ちは、被災者たちにしかわからない。
「想定内」の世界に住んでいる私たちが、とやかく言うのは、許されない。
またそれはたいへん危険なことでもある。
私たちがすべきことは、まず被災者の人たちの声に耳を傾ける。
それを受け入れ、納得する。
その上で、自分の意見を添える。

 が、ここで国側から「自己責任」という言葉が出てきたことに注目してほしい。
「国」といっても、「役人=官僚」のことをいう。
つまり国側の言い分は、こうだ。

 「行くのは自由だが、その結果、あとあとどんな放射線障害による症状が
現れても、私たちには責任はありませんよ」と。
あるいはこういうことかもしれない。
「自分で考えて行動し、その結果についての責任は自分で取りなさいよ」と。

●放射線障害

 こと放射線障害については、「しきい値」というのは、ない。
あるはずもない。
「しきい値」というのは、「これ以下なら、安全」という基準をいう。
ごく微量でも、放射線は放射線。
危険であることには、変わりはない。
宝くじを例にあげ、考えてみればよい。

 1本買っただけで当たる人もいれば、100本買っても、当たらない人もいる。
「量」の問題ではなく、「確率」の問題。
もうひとつ付け足すなら、「時間の問題」。
放射線をたくさん浴びれば浴びるほど、晩発性の放射線障害が現れる確率は
高くなる。
障害が現れる時間も、早くなる。
「~~シーベルト以下なら安全」とか、「~~時間以内なら安全」と言うのは、
まったくのナンセンス。
1年以内に症状が現れなくても、10年後に、現れるということもある。

 そんなことは、常識。
逆に言うと、被災者の方には失礼な言い方になるかもしれないが、これだけは、
許可を求めるとか、求めないとかという問題ではない。
「許可」という言葉そのものが、なじまない。

一方、国側にしても、「認める」とか、「認めない」とかという問題ではない。
そんな権限は、たとえ国にもない。
ないにもかかわらず、「認める」という言葉を使うから、話がおかしくなる。
が、「認める」という言葉を使ってしまった。
言い換えると、「国が責任を負う」ということを宣言してしまった。
が、これでは困る。

●積算される放射性物質

 放射線の値が高い地域に足を踏み入れれば、危険に決まっている。
浴びる放射線の量にもよるが、それよりもこわいのが、放射線物質。
空中に漂う、放射線物質。
放射線物質は、たとえば微粒子の形で、呼吸や飲食物とともに、体内に取り込まれる。
蓄積される。
それが内部被爆を誘発する。
これがこわい。

 だからというわけでもないが、政府(原子力保安院)やNHKの解説委員の言う
言葉を信用してはいけない。
ときどき彼らは、たとえばこう言う。
「この値は、1時間、放射線を浴びたとしても、胸のレントゲンを1枚、撮った程度の
量です」と。

 バカめ!

 1時間に1枚ということは、1日に、24枚。
1年で……?
放射線物質を吸い込んでいれば、それが内部被爆として、10年単位でつづく。
20年単位でつづく。
(これに対して、X線でレントゲンを撮るのを、外部被爆という。
が、外部被爆は、一時的なもの。)

 つまり、そういうゴマカシが多すぎる。
ゴマカシが多いから、国民も、「国」を信じなくなる。

●国の責任

 危険だったら、「危険」と言えばよい。
あとの判断は、被災地の人たちに任せればよい。
被災地の人たちにしても、「国」に「自己責任」という言葉をつきつけられる前に、
「自己」を考えたらよい。

 つまり同意書を求める国も国なら、それを求められて怒る住民も住民ということになる。
「責任論」ということになれば、日本中のどこにいても、また同意書があっても、
なくても、その因果関係がはっきりすれば、責任を追及すればよい。

 同意書があるからといって、国は責任を逃れることはできない。
同意書を書いたからといって、責任の追及を放棄したわけではない。

 禁止区域に入っても、(「立ち入り禁止区域」という言葉は、まだ使われていないが)、
また入っていなくても、責任論は、国はまぬがれない。
反対に、禁止区域外にいたとしても、障害が現れ、因果関係がはっきりすれば、国は
責任を取らなければならない。
たとえ「想定外」であっても、だ。

●ショック!

 ところで今日(5月13日)、こんなショックなことがあった。
ネットの報道によれば、小田原市産のお茶が、出荷停止処分になった。
規定値を超えた放射性物質が検出されたためという。

 小田原市といえば、神奈川県。
東京都より、静岡県側に近い。
予想はしていたが、かくも早く、やってくるとは思っていなかった。
言い換えると、すでに千葉県全域、東京都全域は、放射性物質に汚染されている。
常識で考えれば、そうなる。

福島第一原発から小田原市まで、280キロ、
福島第一原発から私が住む浜松市まで、408キロ(グーグルアース上で測定)。
ちなみに、福島第一原発から東京までは、210キロ。
この浜松市が汚染されるのは、もはや時間の問題。
福島第一原発の状況は、日増しに悪化する一方。
この先も、放射性物質は、絶え間なく、たれ流される。

 すでに東京都の地価は、10%程度、下落し始めたという。
「バブル崩壊」という言葉を使う人もいるが、実際には、東京都に住む人たちが、
東京都を離れ始めた。
私はそう解釈する。

 ……ところで今日から、中部電力御前崎原子力発電所が停止措置に入った。
それに対して、どこかのノー天気な市長は、交付金が少なくなると心配していた。
バカめ!

 今に牧之原(御前崎を取り囲む茶の産地)のお茶も、出荷停止になる。
これも時間の問題。
そうなったとき、その市長は、何と言うのだろう。

●どうすればいいか

 私なら、数キロ離れたところに、巨大な穴を掘る。
日本の土木機械を総動員してでも、そうする。
そこに発電所で出る汚水をパイプで引き込む。

 この際、地下水が汚染されるとか、そんなこまかい手順を心配しているばあいではない。
緊急事態である。

 つぎにメルトダウンを予想し、(すでにメルトダウンしているが)、数十万トンの
コンクリートと、数百台のユンボやブルドーザーを用意する。
当然、東京都の首都機能を、名古屋や大阪に移す。
ものごとは先手、先手で、対策を練る。
またそうであってこそ、はじめて「対策」ということになる。

 「水位計を調べてみたら、原子炉はすでにメルトダウンしていました」(1号機)では、
話にならない。
報道によれば、対策を練るのは、これからという。
生ぬるいというか、まるで「うさぎの行進」。
こんなことを繰り返していたら、本当に、この日本は終わってしまう。

●自由

 自由とは、もともと「自らに由る」という意味である。
自分で考え、自分で行動し、自分で責任を取る。
それを「自由」という。

 よく日本は自由な国と言う。
しかしこの日本では、アホな人たちがアホなことをする自由は、ある。
が、本物の自由があるかというと、私はそうは思わない。
あるとしても「しくまれた自由」(尾崎豊「卒業」)。
しくまれた自由を自由と錯覚し、その中でうさぎの行進をしているだけ。
今の今も、そうだ。
「祭をやめます」と言われれば、何も文句も言わず、それに従う。
従うだけ。

 どうじて庶民の祭を、役人のご都合主義によって、中止しなければならないのか。
そのあたりから、日本人は、「自由」というものを考えなおす必要がある。
あるいは自分に問いかけてみる必要がある。

 「果たして私たちは、自由なのか」と。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 
BW はやし浩司 自由論 浜松祭 中止 福島第一原発事故 放射線 放射線被害)


Hiroshi Hayashi+++++++May. 2011++++++はやし浩司・林浩司

●老後、それぞれの生き方

ある女性。
今年60歳。
現在、北海道M町の有料老人ホームに住んでいる。
名前を、Yさんとしておく。
そのYさん、ときどき旅行に出かける。
先月は、浜松へやってきた。
四国へ行く途中ということだった。

有料老人ホームといっても、そこに住んでいるのは健康な老人ばかり。
仕事をつづけている人も多い。
またその有料老人ホームには、ゲストルームというのもある。
友人が客として、泊まることもできるという。
言うなれば、自活式のホテルのようなもの。
「老人ホーム」という名前から受ける、ジジババ臭さはどこにもない。
Yさんは、そう言う。

●新しい生き方

 新しい生き方を模索している老人は、多い。
そういう人がふえてきた。
今までの老人観を自ら打ち破り、自分なりの生き方を模索する。
実行する。
Yさんは、こう言う。
「一応生活の基盤をそこに置き、あとはあちこちを旅行して回っています」と。

 友人は、日本中にいるという。
中にはネットで知り合った人もいる。
また1人の友人ができると、友人の紹介からまたべつの友人ができる。
そうして自分の住む世界が、広がっていく。

 もちろん仕事もしている。
詳しくは聞かなかったが、週に3日ほど。
時間は、合計で、週に10時間ほど。
書き忘れたが、夫とは、5年前に死別。
そのとき得た遺産が、生活資金の基盤になっている。

●不良老人

 老後に「形」はない。
大切なのは、自分流に生きること。
他人の目を気にしないで、生きること。
私は私、あなたはあなた。
今は、そういう時代になりつつある。

 で、私たち夫婦はといえば、自称、「不良老人」。
いつも不良老人を目指している。
なにごとにつけ、不良ぽく生きる。
時間に縛られない。
「らしさ」に縛られない。
見栄、体裁、世間体は気にしない。
が、何よりも大切にしているのが、計画性のない生活。
そのときしたいことは、その瞬間に決める。

 「不良老人」と書いたが、実は、私たち夫婦は、若いときから、そうしてきた。
若いときは「不良夫婦」。
その私たちが、そのまま今の年齢になった。
ただし自分では、自分を「老人」とは思っていない。
思っていないが、「不良老人」と呼んでいる。
つまりこれも、ひとつの生き方。

●将来のこと

 「先はどうなるか?」と。
以前は、よく考えた。
55歳を過ぎたころのことではなかったか。
ものを買うときも、どこかでブレーキが働いた。
「どうせ無駄になる」と。
が、今は、かなりちがう。
おかしなことに、このところ年を重ねるごとに、あまり考えなくなった。
たとえば仕事にしても、50代のころより、積極的になってきた。
今の今も、新しいことにチャレンジしている。

 「今度は子どもたち(=生徒たち)に、確率論を教えてみよう」とか、
そういうことだが、それを考えていると楽しい。

●変化
 
 「老後は規則正しい生活をするといい」と説く人は多い。
東洋医学でもそう教える。
あるいは「老後になったら、コンパクトな生活に心がけるといい」と説く人もいる。
いろいろな考え方がある。
またそれぞれの人は、人生の集大成として、老後の生き方を定める。

 が、私のばあい、(あくまでも現時点での話だが)、「変化」を大切にしている。
つねに生活に変化をもたらす。
さらに言えば、「緊張感」。
緊張感の持続に心がけている。

 これも若いときからの習慣かもしれない。
趣味にしても、周期的に変化する。
数か月単位で変化する。
だからほとんどのことは、経験した。
50歳を過ぎてからは、パソコンを主体とした趣味になった。
が、それでもその合間を縫って、いろいろなことをしている。
今は、温泉旅行。
それが楽しい。

●今、したいこと

 先日、オーストラリアへ行ったとき、メルボルンからアデレードまで、
「オーバーランド号」という列車に乗った。
そのとき案内してくれた友人(オーストラリア人)が、もっとすごい列車があると
話してくれた。

 北の端にあるダーウィンから、南の端にあるアデレードまで走る、縦断鉄道がある、と。
そのときは、フ~ンという感じでその話を聞いていた。
が、それから1か月。
日増しに、その列車に乗りたくなってきた。
ワイフに話す回数も、ふえてきた。
「なあ、x月に乗ってみないか?」と。

 今のところワイフは、あまり乗り気ではない。
二男が住むインデアナポリス(USA)に行きたがっている。
孫にも会いたいらしい。
しかし私は、その列車に乗りたい。
あるいは、この際、その2つとも実行してみるという手もある。

●山荘で

 ……といっても、実は、今朝は少し調子が悪い。
山荘へ来る前、途中の店で、カツ丼を食べた。
閉店間際の、午後10時ごろだった。
そのせいか、朝起きたとき、胃が少し痛かった。
しばらくうつ伏せに寝ていたら、楽になった。
大きな病気でないことは、わかっている。
2か月前に、胃カメラを飲んで検査している。
が、心配。

 若いときとちがって、そういう無理はできなくなった。
精神はともかくも、肉体のほうは、正直。
年齢相応に弱っていく。
変化を、あまり好まない。
たとえば一晩、徹夜をすると、その後遺症は数日、残る。

 で、今朝は、朝食抜き。
たぶん昼食も抜く。
あるいは軽く食べて、すます。

●うつ病

 知人(女性)でうつ病になってしまった人がいる。
かなり重症らしい。
一日中、だれとも会わず、部屋の奥で寝ているという。
窓を開けるのもいやがるとか。
夜も電気をつけない。

 年齢は80歳くらい?
若いときは活発な人で、宗教団体にしても、3つも4つも、掛け持ちで信仰していた。
「神様に悪い人はいない」というのが、その人の口癖だった。

 が、だれでもうつ病になる。
私だって、なる。
あなただって、なる。
心の病気。

 今朝、ワイフとその人の話になった。
「どうしてああなってしまったのか」という話をしているうちに、「どうすれば、
ああならないですむか」という話になった。

 うつ病といっても、基本的には、脳の機能障害。
脳ホルモンの分泌が、変調して、人は、うつ病になる。
慢性的なストレス、つまり心配ごとや悩みは、よくない。
それが脳ホルモンの分泌に、変調をきたす。

 老後は、ほがらかに、楽しく生きるのがよい。
……ということで、最初の話になった。

 どこかの有料老人ホームに籍を置き、そこを拠点に、好き勝手なことをする。
それもひとつの生き方。
ワイフはこう言う。

「そのうち気力も弱くなってくるから、今のうちに準備しなくちゃあ」と。

 老後には、そういう問題もある。
つまり「気力」。

●気力

 こうしてものを書くにも、気力が必要。
「書きたい」と思う気力。
それがないと、ものは書けない。
が、その原動力といえば、「怒り」。
私のばあいは、「怒り」。

 たとえば昨日は、夕食を食べたあと、浜岡原子力発電所についての原稿を書いた。
「怒り」があったから、一気に書けた。
言うなれば、私の正義感に火がついた。
が、もしそれがなかったら、ただの世間話程度の原稿で終わってしまったかもしれない。

 ただ誤解してほしくないのは、「怒り」といっても、感情的な「怒り」をいうのではない。
論理的な「怒り」。
それが爆発して、やがて原稿につながっていく。

●昨夜の「怒り」

 実は、昨夜は、それについては書かなかった。
しかしどうも、あの世界は、胡散(うさん)臭い。
阪神大震災のときも、こんなことがあった。

 あの大震災のときのこと。
どこかの高速道路の橋けたが折れて、倒れた。
それについてルポを書いていた友人がいた。
明らかに手抜き工事が原因だった。
が、その原稿を書き始めて間もなくのころ、その友人が行方不明になってしまった。

 最初にそれに気づいたのは、京都で出版社に勤めている、X氏だった。
そのX氏から問い合わせがあった。
「○○さんを知らないか?」と。

 X氏は、こう言った。
「○○さんは、消されたかもしれない」と。

 この日本では、巨大利権団体を攻撃した原稿を書くと、命の危険にさらされる。
宗教団体、ゼネコン、政治団体などなど。
とくに政治結社は、こわい。
X氏は、それを言った。
で、私たちがあれこれ心配していると、1年後、またひょっこりと○○さんが現れた。
理由を聞くと、こう言った。
「暴力団の連中に、追いかけまわされましてね」と。

 日本に言論の自由があると思っているのは、日本人だけ。
あたりさわりのない、バカなことを書いている間は、よい。
しかし一線を越えると、とたん、攻撃の嵐にさらされる。
私も何度か、経験した。

 つまり今回の福島第一原発、さらには御前崎原子力発電所について、私は何か、
胡散臭いものを感じている。
本当にそうとは言い切れないが、その向こうに巨大な利権団体がうごめいている。
この日本を食い物にしている。

 そういう点でも、今回の管直人首相の発言は、たいへん勇気のいるものだった。
表にこそ出てはこないが、今ごろは、電力会社のみならず、官僚、ゼネコンの猛攻撃に
さらされているにちがいない。
だからこそ、私たちが立ち上がる必要がある。
管直人首相を、裏で支える必要がある。

 この世界には、「御用学者」というのがいる。
同じように、「御用ライター」というのもいる。
巨大利権団体の意向に沿った記事を書かせ、世論を自分たちの都合のよいように誘導
していく。

法外な原稿料を払い、ライターを懐柔するという方法が一般的。
半端な原稿料ではない。
原稿1本で、ふつうの人の年収分の原稿料を払う(「週刊現代」)。
こうして「御用ライター」を育成していく。

 昨夜は、久しぶりに、その「怒り」を覚えた。

●団塊の世代

 が、その一方で、ときどきこう思う。
「私たち団塊の世代ががんばらなくて、ほかのだれががんばるか」と。
「怒り」といっても、私のためではない。
世のため、人のため。
……というのは、大げさかもしれない。
しかしそういう自負心もないわけではない。

 ……ということで今朝も始まった。
時は2011年5月13日。
雨戸を開けると、まだどこかに淡さを残した森の木々が、やさしく風に揺れていた。
その向こうには幾重にも重なった森の木々、そして水色の空。
先ほど、ワイフが窓も開けた。
ひんやりとした春の乾いた風が、サーッと吹き込んできた。

 今日の計画……。
連休中は家で静かにしていた。
が、これからが私の出番。
がんばろう!


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●ヒト科ヒト属

●5月31日(火曜日)夜記(今月も終わった!)


++++++++++++++++++++


今日で、2011年5月は、終わり。
いつもなら月末パーティ(打ち上げ式)を
ワイフとするのだが、今日はなし。
教室のドアが壊れたので、それを直して
いるうちに、パーティのことを忘れて
しまった。


ハハハ。


++++++++++++++++++++


●北朝鮮


 北朝鮮が、「韓国など相手にせず」という声明を発表した。
おかしな国だ。
だれもあんな国など、相手にしたくない。
相手にもならない。
できるならもう、日本のことなど放っておいてほしい。
忘れてほしい。
忘れて自分の国のことだけを考えて、勝手にやってほしい。
韓国にしても、そうだろう。


 武力で脅し、それがすむと今度は援助を求める。
その繰り返し。
あえて「韓国など相手にせず」と言わなくても、北朝鮮は、もとから相手にされていない。
自己認識能力ゼロの国というのは、今の北朝鮮のような国をいう。


●韓国


 韓国も思考回路は同じ。
北朝鮮と同じ。
北方領土へ国会議員を送り込んだ。
韓国政府は、「勝手に行った」と弁解したが、これはウソ。
韓国政府がビザ申請にからんでいたことが、発覚。


 日本人の国民感情としては、「何もこの時期に!」となる。
日本が混乱しているのをよいことに、竹島の実効支配を進め、北方領土に国会議員を送り込む。
イヤ~ナ国。
本当に、イヤ~ナ国。


 今に竹島(独島)どころではなくなる。
38度線以北が、ゼーンブ、中国の領土になる。
日本の知ったことではないが……。


●管首相


 民主党が割れた。
明日(6月1日)にも、内閣不信任案が提出され、議決されるかもしれない。
私は何も、民主党支持者ではないが、言いたいことは同じ。
「何も、この時期に!」。


 週刊文春(6月2日)によると、「……もはや1億円の裏献金は、真っクロ以外の何物でもない。やっぱり(小沢一郎は)万事休す」(P38)とある。
裁判傍聴記の結論として、そう書いてある。


 管首相にも問題はあるかもしれない。
しかし今は、原発事故処理に全力を傾けるとき。
管内閣以下、国民が一致団結して、この難局を乗り越えるべきとき。
煙こそ見えないが、福島第一原発からは、今の今も、モウモウと放射性物質が空中に放出されている。
そんな時期に内輪もめをしていて、どうする?
どうなる?


 ここで内閣不信任案が可決されたら、日本の政局は大混乱。
火事の真っ最中に、夫婦喧嘩に始まる離婚騒動をしているようなもの。
そんなヒマがあったら、国会議員たちよ、福島の原発事故現場へ行け!
火を消せ!
選挙のたびに、「命をかけて……」と君たちは言っているではないか。
だったら、今こそ、そのとき。
命をかけて行け。
君たちの信念を、形で示せ。


 さあ、どうだ!


●UFO


 2日前、UFOについての原稿を書いた。
反響は大きかった。
BLOGへのアクセス数で、それがわかる。


 で、今、こう考える。
もし私が宇宙人なら、(神でもよいが)、人間をどうするだろうか、と。
人間を許し、人間を宇宙人の世界に、(神の世界でもよいが)、迎え入れるだろうか、と。
もう少し具体的には、宇宙人から見た人間は、どんなふうに映るだろうか、と。


 たとえば人類全体が存亡の崖っぷちに立たされたとする。
現在、すでに崖っぷちに立たされているとみてよいが、そんなとき宇宙人は、人間を助けの来るだろうか。
神でもよい。
神は助けに来るだろうか。


 そこでいきなりこう考える。
「もし私が宇宙人なら、どう判断するだろうか」と。
あるいは「もし私が神なら、どう判断するだろうか」と。
あるいはこの文を読んでいる、あなたなら、どう判断するだろうか。


 人間である私がこう言うのもおかしいが、私が宇宙人なら、(神でもよいが)、答はかなり否定的にならざるをえない。
人間の世界では、「力」をもった人間ほど、より強欲になる。
貪欲になる。
北朝鮮の金xxを見れば、それがわかる。
民主党の小沢一郎を見れば、それがわかる。
ああいう人たちは、身の内から噴き出る、自らの醜悪さに気がついているのだろうか。


 ひょっとしたら今ごろ、この太陽系のどこかでこんな評決がなされているかもしれない。
「人間に、生存する価値、なし」と。


 「ヒト科ヒト属」という、たった1種類の生物のために、ほかの何百万種類という生物が犠牲になっている。
こんなバカげたことを、宇宙人が許すはずがない。
神が許すはずがない。


 ……という原点から、人間は、自らを反省しなければならない。
あるいは自らがもつ欠陥を改めなければならない。
宇宙人に、(あるいは神でもよいが)、叱られてからそうするのでは、あまりにも遅い。
その前に、それをする。


 たしかに私たちは何ものかによって、試されている。
宇宙人かもしれない。
神かもしれない。
しかし何ものかによって、試されている。
が、こわいのは、その結論。
もしそれが「NO!」であったら……。


 私たちはいとも簡単に、宇宙人によって、(あるいは神でもよいが)、抹殺されてしまうだろう。
たった1日かもしれない。
1時間かもしれない。
あるいは数秒かもしれない。


 もし宇宙人に、(神でもよいが)、最後の慈悲というものがあるなら、人間がそれに気づく前に、彼らは人間をこの地球から抹殺するだろう。

 ……とまあ、かなりSF的なことを書いてしまった。
これもおととい観た映画『アジャストメント』の影響かもしれない。
そう言えば、6月末に、『スーパー・エイト(SUPER 8)』という映画が封切りになる。
製作は、あのスティーブン・スピルバーグ。
楽しみ!


 では、おやすみ。
5月31日夜記


Hiroshi Hayashi+++++++May. 2011++++++はやし浩司・林浩司

Monday, May 30, 2011

●映画「アジャストメント」を観ての感想

【悪しき恋愛至上主義の弊害&社会的害毒】


●映画『アジャストメント』

++++++++++++++++++

おととい、急に思い立って、映画
『アジャストメント』を観てきた。
急に思い立ったのは、ワイフ。
「4時に間に合うから、行こう」と。

で、家を出たのが、3時10分ごろ。
映画館には、10分ほど前についた。

主演は、マット・デイモン、エミリー・ブラント。
映画そのものは、かなり期待はずれ。
星は、3つの★★★。

が、その映画を観ていて、こんなことを考えた。

++++++++++++++++++

●恋愛至上主義

 神がかった『アジャストメント・ビューロウ(調整局)』は、マット・デイモンが演ずるデイビットを、ゆくゆくは大統領にし、世界を変えようともくろむ。
調整局は、人の運命を自由に操ることができる。
しかしデイビットは、エミリー・ブラントが演ずるエリースに恋をする。

 調整局は、何とかして2人の間を裂こうとする。
さまざまな妨害工作を繰り返す。
理由は、エリースと結婚すると、デイビットは大統領になれなくなる。
そういう「運命」を、2人はかかえている。
が、2人はそうした(運命)を乗り越え、愛を誓いあう。
それを見て、つまりその愛の深さに感動して、調整局の議長(チェアマン)は、2人の運命を、2人に任す……。

 要するに『愛が全て』という映画である。
つまり恋愛至上主義映画。

●若い男女の愛は、「愛」か?

 が、若い男女の「恋愛」は、本当に「愛」と言えるのか。
またそれでもって、「すべて」と考えてよいのか。

 端的に言えば、若い男女の「恋愛」というのは、ただの熱病。
もう少しわかりやすく言えば、本能に応じて分泌される恋愛ホルモン(フェニルエチルアミン)によるもの。
そこらのスズメやハト、犬や猿の恋愛とどこもちがわない。
そういうものを見て、神(天使)は感動する。
感動して、2人を許す。
最後はハッピーエンド。
つまりその部分が、おかしい。

 「恋のホルモン」について書いた原稿をさがしてみる。
少し回り道になるが、許してほしい。

●フェニルエチルアミン(2009年5月24日記)

++++++++++++++++

脳の活動は、「ニューロン」と呼ばれる
神経細胞が司っている。
それは常識だが、しかしでは、その
神経細胞が、「心」を司っているかというと、
そうではない。

最近では、心の原点は、脳内の化学物質、
つまり脳内ホルモンであるという説が、
半ば常識化している。

私たちの心は、常に、この脳内ホルモンに
よって、影響を受け、コントロールされて
いる。
その例としてわかりやすいのが、
フェニルエチルアミンというホルモン
ということになる。
そのフェニルエチルアミンについて書いた
原稿がつぎのものである。

+++++++++++++++++

●恋愛の寿命

+++++++++++++++++

心ときめかす、恋心。しかしその恋心
にも、寿命がある。

+++++++++++++++++

 その人のことを思うと、心がときめく。すべてが華やいで見える。体まで宙に浮いたよ
うになる……。恋をすると、人は、そうなる。

 こうした現象は、脳内で分泌される、フェニルエチルアミンという物質の作用によるも
のだということが、最近の研究で、わかってきた。恋をしたときに感ずる、あの身を焦が
すような甘い陶酔感は、そのフェニルエチルアミンの作用によるもの、というわけである。
その陶酔感は、麻薬を得たときの陶酔感に似ているという人もいる。(私自身は、もちろ
ん、麻薬の作用がどういうものか、知らない。)しかしこのフェニルエチルアミン効果の
寿命は、それほど長くない。短い。

 ふつう脳内で何らかの物質が分泌されると、フィードバックといって、しばらくすると
今度は、それを打ち消す物質によって、その効果は、打ち消される。この打ち消す物質が
分泌されるからこそ、脳の中は、しばらくすると、再び、カラの状態、つまり平常の状態
が保たれる。体が、その物質に慣れてしまったら、つぎから、その物質が分泌されても、
その効果が、なくなってしまう。

しかしフェニルエチルアミンは、それが分泌されても、それを打ち消す物質は、分泌さ
れない。脳内に残ったままの状態になる。こうしてフェニルエチルアミン効果は、比較
的長くつづくことになる。が、いつまでも、つづくというわけではない。やがて脳のほ
うが、それに慣れてしまう。

 つまりフェニルエチルアミン効果は、「比較的長くつづく」といっても、限度がある。も
って、3年とか4年。あるいはそれ以下。当初の恋愛の度合にもよる。「死んでも悔いはな
い」というような、猛烈な恋愛であれば、4年くらい(?)。適当に、好きになったという
ような恋愛であれば、半年くらい(?)。(これらの年数は、私自身の経験によるもの。)

 その3年から4年が、恋愛の寿命ということにもなる。言いかえると、どんな熱烈な恋
愛をしても、3年から4年もすると、心のときめきも消え、あれほど華やいで見えた世界
も、やがて色あせて見えるようになる。もちろん、ウキウキした気分も消える。

 ……と考えると、では、結婚生活も、4年程度が限度かというと、それは正しくない。
恋愛と、結婚生活は、別。その4年の間に、その2人は、熱烈な恋愛を繰りかえし、つぎ
のステップへ進むための、心の準備を始める。

 それが出産であり、育児ということになる。一連のこうした変化をとおして、今度は、
別の新しい人間関係をつくりあげていく。それが結婚生活へとつながっていく。

 が、中には、そのフェニルエチルアミン効果による、甘い陶酔感が忘れられず、繰りか
えし、恋愛関係を結ぶ人もいる。たとえばそれが原因かどうかは別にして、よく4~5年
ごとに、離婚、再婚を繰りかえす人がいる。

 そういう人は、相手をかえることによって、そのつど甘い陶酔感を楽しんでいるのかも
しれない。

 ただここで注意しなければならないのは、このフェニルエチルアミンには、先にも書い
たように麻薬性があるということ。繰りかえせば繰りかえすほど、その効果は鈍麻し、ま
すますはげしい刺激を求めるようになる。

 男と女の関係について言うなら、ますますはげしい恋愛をもとめて、さ迷い歩くという
ことにもなりかねない。あるいは、体がそれに慣れるまでの期間が、より短くなる。はじ
めての恋のときは、フェニルエチルアミン効果が、4年間、つづいたとしても、2度目の
恋のときは、1年間。3度目の恋のときは、数か月……というようになる(?)。

 まあ、そんなわけで、恋愛は、ふつうは、若いときの一時期だけで、じゅうぶん。しか
も、はげしければはげしいほど、よい。二度も、三度も、恋愛を経験する必要はない。回
を重ねれ重ねるほど、恋も色あせてくる。

が、中には、「死ぬまで恋を繰りかえしたい」と言う人もいるが、そういう人は、このフ
ェニルエチルアミン中毒にかかっている人とも考えられる。あるいはフェニルエチルア
ミンという麻薬様の物質の虜(とりこ)になっているだけ。

 このことを私のワイフに説明すると、ワイフは、こう言った。
 「私なんか、半年くらいで、フェニルエチルアミン効果は消えたわ」と。私はそれを横
で聞きながら、「フ~ン、そんなものか」と思った。さて、みなさんは、どうか?

(はやし浩司 恋愛 恋愛の寿命 フェニルエチルアミン ドーパミン効果 麻薬性 は
やし浩司 恋の寿命 恋の命 恋愛の命 脳内ホルモン フィードバック (はやし浩司 
家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 恋のホルモン)

●恋愛至上主義

 恋愛至上主義は、まさにアメリカからもたらされた、「社会毒」と考えてよい。
今の若い人たちを見ると、それがよくわかる。
「恋こそすべて」と考えている。
また「愛があれば、すべて許される」と考えている。
それがある一定の範囲内にあれば、まだよい。
それが過激なほどまでに、行きすぎてしまっている。

が、そんなものは「愛」ではない。
脳内ホルモンの奴隷になっているだけ。
さらに言えば、本能の奴隷になっているだけ。

 ただし、それが悪いというのではない。
それが原点となって、もろもろのドラマが展開される。
人間の行動の原点にもなっている。
だからあのフロイトはこういう言葉を使った。

「性的エネルギー」。

「人間のすべての行動の原点には、性的エネルギーがある」と。

 それを補完すべく、最近の大脳生理学は、つぎのように説明する。
「子どもの気力」について書いた原稿だが、「性的エネルギー」を説明するのには、わかりやすい原稿と思う。

 またまた少し回り道をするが、許してほしい。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●子どもの気力

+++++++++++++++++++++++

最近の研究によれば、生命の根源、つまり(生きる
力)の根源は、どうやら脳の中枢部にある、視床下部
というところにあることがわかってきた(アメリカ・
サイエンス誌・2009)。

そこから脳みそ全体に、強力なシグナルが発せられ、
それが脳みそ全体の活動の根源、しいては人間の
生命活動の根源になっている(?)。

+++++++++++++++++++++++

●強力なシグナル

「強力なシグナル」と書いたが、当然、個人差がある。
シグナルの強い人もいれば、弱い人もいる。
そう考えてよいことは、特別養護老人ホームにいる
老人たちを見ればわかる。

先日も久しぶりに、母がいたホームを訪れてみたが、
その中に1人、こんな女性がいる。
年齢は今年95歳になるという。
母が1年半前に入居したときもそうだったが、そのときも、
大きな声で、看護士や介護士さんたちに向かって、こう言って
叫んでいた。
「飯(めし)は、まだかア!」
「わっち(私)は、何も食べておらんぞ!」と。

大半の女性たちは、(そこは女性専用のフロアなので)、
ぼんやりとした表情のまま、時間をつぶしている。
何割かの女性は、大きな車椅子に横になったまま、鼻からチューブを
通して、一日中、眠っている。
そういう中なので、よけいにその女性が目立つ。

恐らく視床下部からの指令を受けて、ドーパミンが大量に分泌され、
それが線条体という組織を刺激しているのだろう。
性欲、食欲など、人間の欲望は、こうして生まれる。

おなじ高齢者なのに、たとえば私の母もそうだったが、
自分の意思をはっきりと持っている人もいれば、そうでない人もいる。
このちがいこそが、シグナルの強弱ということになる。

私という素人が考えた仮説なので、あまりあてにはならないが、
しかしそう考えると、子どもの世界がよく理解できる。

●萎縮した子ども

 たとえば親の過干渉、あるいは過関心などで精神活動そのものが、
萎縮してしまった子どもがいる。
「萎縮児」とも呼ばれる。
覇気(はき)がなく、おとなしく、静か。
自我の核形成も遅れ、つかみどころがない。
何を考え、何をしたいのかも、よくわからない。
一見、従順で、人なつっこい。
好奇心も弱く、遊びといっても、ごく限られた範囲で、
同じことしかしない。
一部が萎縮しているというよりは、人格全体が萎縮している。

あるいは何らかの原因で燃え尽きてしまった子どもや、
荷をおろしたように無気力になってしまった子どもでもよい。

そういった子どもを見ていると、脳の中枢部、つまり視床下部
あたりから出るシグナルが、弱いのではないかと考えてしまう。
このばあいは、親の過干渉、過関心などで、脳の機能そのものが、
変調したと考えられる。
(本当にそうであるかどうかは、わからないが……。)

つまり私たちが俗に言う、「気力」というのは、そういうものでは
ないか。
「やる気」と言い換えてもよい。

●視床下部

 先の女性でいえば、95歳という高齢にもかかわらず、食欲だけは、
異常に旺盛。
それが好ましいことかどうかという判断は別にするとして、視床下部
あたりから出るシグナルが、人一倍強いことだけは、確か。
それがその女性の(生きる力)の根源になっている。
だからまわりの看護士や介護士さんたちは、みな、こう言う。
「こういう人は、100歳まで生きますよ」と。

実は私の母も、今年(08年)の2月ごろまでは、その女性に、
勝るとも劣らないほどの生命力をもっていた。
一個の茶菓子を取り合って、テーブルの向かい側に座っている
別の女性と、ものを投げ合って喧嘩までしていた。
が、2月ごろ、脳梗塞を起こした。
そのあと、別人のように、静かで穏やかになってしまった。
私が見たところ、生命力そのものが、その日を境に、しぼんで
しまったかのように感ずる。

●エネルギーの根源

 こうしたことから、私たちがいうところの(気力)というのは、
脳の奥深くにある根源的な部分から生まれると考えてよい。
視床下部から発せられるシグナルならシグナルでもよい。
そのシグナルが、やがて(気力)につながっていく(?)。
(そうでないかもしれないが、ここでは、そうであるという
仮定の上で、話を進める。)
そのシグナルが強い人は、あらゆる面で旺盛な気力を示し、そうでない
人は、そうでない。

では、どうすればよいのか。

こと子どもに関していえば、子どもというのは、あるべき環境の
中で、あるべきように育てれば、自然とそういう力を発揮する。
DNAレベルで、そのようにプログラムされている。

が、ここでいう気力にしても、それをつぶすのは、簡単。
ガミガミ、ガンガンと、子どもを叱りつづければよい。
ついでに親の気分で、罵声を浴びせたり、暴力を振るったりすればよい。
無視、冷淡、育児拒否などがあれば、さらに効果的。
子どもは、確実に萎縮する。
動作そのものが、緩慢になることもある。
(あるいは同じような家庭環境であるにもかかわらず、反対に粗放化する子どももいる。
親の過干渉、過関心に抑えられてしまった子どもが萎縮児、
それに反発し、やり返した子どもが粗放児と考えるとわかりやすい。
同じような環境であるにもかかわらず、兄が萎縮し、弟が粗放化する
というケースは、多い。)

●環境

 わかりやすく言えば、(気力)を奪うのは、環境ということになる。
とくに親の接し方ということになる。
だから英語では、「教育」を、「education<educe(引き出す)」という。
つまり能力は、すべての子どもが平等にもっている。
あとはそれを(引き出すか、つぶすか)、そのちがいによって、
子どもは伸びたり、反対に萎縮したりする。
それが教育ということになる。

 なおここで「脳の機能が変調した」という言葉を使った。
これは私が使い始めた言葉だが、ひとつの例として、夜尿症(おねしょ)
がある。
本来なら睡眠中は、脳の命令によって腎臓での尿の生産が抑制される。
が、脳の機能が変調すると、その抑制に乱れが生ずる。
最近では、それが夜尿症の原因と考えられている。
だから夜尿症にしても、ここに書いた子どもの気力にしても、
(しつけ)によって、どうこうなるような問題ではない。
いわんや叱ったり、説教したりして、なおるような問題ではない。
(心の問題)というより、(大脳生理学の問題)。
そういう前提で、こうした問題を考える。

 ずいぶんと荒っぽい書き方をしてしまったが、大筋ではそれほど
まちがっていないと思う。
大切なことは、無理や強制などで、子どものやる気を奪ってしまわないこと。
一度幼児期に萎縮させてしまうと、その後遺症は一生つづくと言っても
過言ではない。

(はやし浩司 Hiroshi Hayashi 林浩司 教育 子育て 育児 評論 評論家
子どもの気力 子供の気力 子どものやる気 子供のやる気 視床下部 ドーパミン
ドーパミン効果 夜尿症 おねしょ 萎縮する子供 萎縮児 緩慢動作 緩慢行動)

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司
 
●変化する日本人

 話をもどす。

 私たちの時代には、「家族」というときには、そこに「祖父母」がいた。
「父と母」がいた。

 が、今の若い人たちが「家族」というときには、「祖父母」はもちろん、「父と母」もいない。
いるのは、自分たち「夫婦」と「子ども」だけ。
しかしこれは日本人が昔からもっていた家族観ではない。

 たとえばよく知られた本に、『きけわだつみのこえ(声)』がある。
「第二次世界大戦末期に戦没した日本の学徒兵の遺書を集めた遺稿集」(ウィキペディア百科事典)である。
その中でも、学徒兵たちは、みな、「お父さん」「お母さん」という言葉を使っている。
「お父さん、さようなら」「お母さん、ありがとう」と。
が、それが今は、「妻」や「恋人」に置き換わった。
学徒兵の残した遺書だから、それが当然かもしれないが、私の時代にあっても、それほどちがっていたわけではない。
結婚したあとも、妻や息子たち以上に、実家の父や母のことを心配した。

●デキスギ!

 ずいぶんと遠回りをしたが、映画『アジャストメント』にしても、しかり。
天使(運命を操作しているのは天使という想定になっている)にしても、最後は2人の男女の深い愛(?)に、心を打たれ、自らその場から引き下がる。
つまりデキスギ!

 最近の若い人たちは、そういう映画を観ても、違和感を覚えないだろう。
当たり前のこととして、受け入れてしまうだろう。
しかし私たちの世代はちがう。
祖父母や親たちの意向を無視して、結婚に走る……ということは、事実上、ありえなかった。
たまに駆け落ち事件というのはあるにはあったが、例外。
「事件」になるほど、例外。
さらにその一世代前はというと、見合い結婚がふつうだった。
私の父と母ににしても、2度目の見合いで結婚を決めた。

 が、それが今は、逆。
「恋愛があれば、すべてが許される」と。
親の意見など、無視。
聞く耳すら、もたない。
昔から「恋は盲目」とは言うが、盲目以上の盲目になって、恋愛から、多くは結婚へと突っ走っていく。

 が、責められるべきは、こうした風潮。
何も親の意見を聞けと言っているのではない。
「自由」にブレーキをかけろと言っているのではない。
恋愛イコール、欲望と考え、「欲望の奴隷になってはいけない」と、私は説く。
事実、脳下垂体から発せられる信号に応じて、ドーパミンが分泌される。
そのドーパミンの働きは、恋愛による反応も、また喫煙者やアルコール中毒者が見せる反応とどこもちがわない。
平たく言えば、「新しい車がほしい」と思うのも、「女性を抱きたい」と思うのも、脳内のメカニズムは、同じということ。

 つまりその原点には肉欲があり、その肉欲には中毒性があるということ。
恋愛至上主義の害は、すべてこの一点に集中される。

●愛論

 映画『アジャストメント』を観て、こうも考えた。
「神様も幼稚だな」と。

 あくまでもこの映画の中で表現されている「神」をいうが、「愛」の解釈そのものがちがう。
好いた、惚れたというのは、「愛」ではない。
(当の本人たちは、「愛」と思っているかもしれないが……。)
そんなことは、キリスト教の世界では、常識ではないのか?
が、この映画の中では、それが「主題」になっている。
だから「幼稚」。

 で、私はこう考えた。

 最近の若い人たちは、こういう映画ばかり見せつけられているから、それを「愛」と誤解し、恋愛至上主義に突っ走ってしまう、と。
言うなれば(まがいものの愛)を「愛」と思い込んでしまう。
が、繰り返すが、そんな程度の恋愛なら、そこらの犬や猫でもしている。
犬や猫でもしているような恋愛をもって、「愛」と誤解する。

 ……と書くからといって、先にも書いたように、私は何も恋愛を否定しているのではない。
それはそれですばらしい。
人生の花と言ってもよい。
私たち人間だって、もとを正せば動物。
犬や猫と、それほどちがわない。
が、恋愛至上主義に走るあまり、自分を見失ってはいけない。
欲望の奴隷になってはいけない。

 たとえば恋愛するにも、ルールがある。
「自分たちさえとければそれでいい」と考えるのは、まさにルール違反。
そんな身勝手な恋愛は、それ自体が「自己愛」。
自己中心性が凝縮した状態を、「自己愛」という。

●アメリカ映画の弊害

 アメリカ人がどんな文化をもとうが、それはアメリカ人の勝手。
しかし日本には日本の風土、文化というものがある。
優劣はない。
ないが、人間はそれでよいとしても、日本の風土、文化が、それをフォローできないとき、そこに弊害が生まれる。
たとえば冒頭に書いた、「家族」。

 古来よりこの日本では、年老いた両親は、息子や娘たちがめんどうをみることになっていた。少なくとも私たちの世代まではそうだった。
が、今はちがう。
「恋愛しました。結婚します。お父さん、お母さん、ハイ、さようなら!」と。

 老後の社会環境がシステムとして確立している欧米なら、まだそれも許される。
しかしこの日本では、そうでない。
老人たちだけが、ハシゴをはずされた状態になってしまう。
その結果が今。
独居老人、孤独死、無縁死……。
老人ホームに入るのにも、2年待ち、3年待ち……。

 「宗教心はありません。墓など不要です」と言うのは若い人たちの勝手だが、ものの価値観というのは相互に認めあってこそ、意味をもつ。
「自分たちは正しい」と思うのは、その人の勝手だが、その返す刀で、相手に向かって「あなたはまちがっている」と切り捨ててはいけない。
もちろん相手が親であっても、だ。

 が、今の若い人たちは、古い世代を平気で切り捨てる。
恋愛至上主義にしても、そうだ。
そこには親がいる。
兄弟もいる。
家族がいる。
そういうことを忘れて、それだけが「すべて」と思ってはいけない。

 映画を見終わったあと、私はこう思った。
「こういう映画ばかり観ていると、ますます恋愛至上主義者がふえるだろうな」と。
これをアメリカのたれ流す「社会毒」と言わずして、何という?

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW はやし浩司 恋愛至上主義 社会毒 はやし浩司 恋の寿命 恋愛の寿命 フェニルエチルアミン はやし浩司 フェニールエチルアミン フェニルエチルアミン 恋のホルモン 恋愛論)


Hiroshi Hayashi+++++++May. 2011++++++はやし浩司・林浩司

【反原発運動が理由で、芸能界から干される?】

●ある俳優

 ある俳優が、原発反対を唱えたところ、それが理由で、「ドラマを降板させられた」という。
その俳優は、ツイッターで、こう述べていた(現在、その文言は削除されている。)

「今日、マネージャーからmailがあった。『7月8月に予定されていたドラマですが、原発発言が問題になっており、なくなりました。』だって。マネージャーには申し訳ない事をした。僕をブッキングする為に追い続けた企画だったろうに。ごめんね」(J-cast News)と。

 反原発を唱える学者が、研究費を削られたとか、研究室から閉め出されたという話は、雑誌などで読んだことがある(「週刊現代」ほか。)
しかし一芸能人にまで、そうした「力」が及ぶというのは、私の常識では考えられない。
それがだれであるにせよ、原発推進派の「黒幕?」が、そこまで手を延ばすとは!
それこそまさに神の力(それとも悪魔の力?)。

 その俳優は、こうも書いている。

 「(反原発運動に関わると)芸能界で仕事干される」(同・4月)と。

 もしこれが事実とするなら、憲法違反に抵触する、重大な言論弾圧事件と考えてよい。
が、よくよく読むと、どうも、「?」。

●事務所側の言い分

 この俳優の発言に対して、事務所側は、「事実ではない」と否定した。

 「ところがYさん(当該、俳優)の所属事務所「S・カンパニー」では、J-Castの取材に対し、Yさんの発言を全面的に否定した」(J-Cast)と。

 事実なにか、それとも事実でないのか。
Yの発言にも、矛盾がある。
「事務所辞めました! 今日。これ以上(事務所に)迷惑かける訳いかないから」と一方で言いながら、実際にはその事務所に迷惑をかけている。
こういうのをパラドックスという。

「張り紙をするな」という張り紙をする。
「うるさい!」と言って、大声で怒鳴る。
「事務所に迷惑をかけたくない」と言って、事務所に迷惑をかける、など。

 もし本気で事務所に迷惑をかけたくないと思っていたのなら、黙って去ればよかった。

●藪の中?

 当該俳優は、問題が大きくなったのを知ってか、ツイッター上の発言を削除している。
J-Castはつぎのように伝える。

「現在、発端となった「降板」発言は消去され、見られない状態となっている。またYさんは26日深夜、「舞台終了まで、Twitterやめます」と投稿しており、「降板」の真相は藪の中だ」と。

 そう、まさに藪の中。

 Yは、反原発の姿勢を見せた。
これは事実。
が、疑問の第一はそんなことを理由に、番組を降板させられるのだろうかということ(※)。
たかがテレビ番組(失礼!)。
たかが一俳優(失礼!)。
が、そういうことがないとはいわない。

 実も昨年(2010年)、私にもこんな経験がある。

 ある教材会社から教材制作の依頼があった。
久しぶりの依頼だったから、私はかなり意気込んでいた。
が、2週間ほどすると、今度は、こう言ってきた。
「あなたの書いた『ポケモン・カルト』という本が問題になりましてね。
我が社としても、S館(出版社)にたてついてまで、仕事はできません。
そんなわけで申し訳ありませんが……」と。

 さらに宗教本(反カルト)を書いているときには、当該宗教団体から、さまざまな
いやがらせを受けた。
出版社に対しては、さまざまな工作を繰り返した。
そういうことはある。
しかし今、どうして?

 しかもSがしたことと言えば、反原発というよりは、『文部科学省前で子どもに定められた年間許容被ばく量「20ミリシーベルト」の撤回を叫んだ』(※)程度のことである。

 本当にSは、それが理由で、「干された」のか。
それとも、ただ単なる売名行為なのか。
もしそうでないというのなら、どうして自分の発言を引っ込めてしまったのか。
デモ行進するほどまでの信念は、どこへ消えたのか。
まさに藪の中。

●売名行為

 で、Yのことはよく知らない。
しかし芸能人(タレント)の中には、この種の売名行為を繰り返す人は少なくない。
Yもその1人と書いているのではない。
ただこの種の発言、つまり月光仮面的な発言は、じゅうぶん疑ってみる必要がある。
というのも、「信念」というのは、一朝一夕に、確立するものではない。
若い人ならなおさらで、そのつど迷ったり悩んだりする。
が、やがて「周囲哲学」というものが、できあがってくる。
その周囲哲学が、その人を支える。

 言い換えると、その周囲哲学が重要。

 たとえば若いころから何かのボランティア活動に専念し、たとえばホームレスの人たちに炊き出しをしてきたとか、そういうことが重なって、やがて難民救済運動へとつながっていく。
そういう経験も経歴もないようなタレントが、ある日突然、涙ながらに難民救済をテレビ画面に向かって訴え始める。
私たちはそういうインチキ(=偽善)を、いやというほど見せつけられてきた。
 
 Yについては、残念ながら、「現在、発端となった降板発言は消去され、見られない状態となっている。またYさんは26日深夜、『舞台終了まで、Twitterやめます』と投稿しており……」(J-Cast)という状態らしい。

 どうして消去したのか。
どうしてTwitterをやめたのか。
高邁な信念はどこへ消えたのか。

 当の本人がこれでは、周囲の人たちも援護できない。
腰砕けになってしまう。
真相はどうだったのか。

 Yが反原発運動に参加したため、番組を降板させられたというのは、事実だったのか。
それともYのただ単なる思い込みだったのか。
Y自身が沈黙してしまった以上、これ以上のことは、私にもわからない。

 だから「藪の中」(J-cast)。

(注※)シネマトゥディより

 Yは、27日21時半ごろのツイッターで、「事務所辞めました! 今日。これ以上迷惑かける訳いかないから。辞めるな、と社長、スタッフの皆さん何度も引き止めて下さった。最後には僕のわがままを聞いて貰いました。13年もいたS社は正義感強く情に厚い事務所。もう関係ないから事務所への電話しないでね。他の役者に迷惑かかる(原文ママ)」と報告した。

 福島第一原発で起こった原発事故のあと、「反対。って言うと、芸能界で仕事干されるんです、 御存知でした?でも言ってやります、反対!」とYは、脱原発を自身のツイッターで声高に訴え、デモに参加するなど原発反対運動を続けてきた(以上、シネマットゥデイ・5月30日より)。

(注※2)J-Castより

  「本人がツイッターで発言した内容については『事実ではない』とお答えするように、と担当者から言われています」と電話に出た女性は繰り返した」(J-Cast)と。

福島第一原発の事故以来、積極的に反原発運動に参加していた俳優のYさんが2011年5月25日、ツイッターで「原発問題発言」が原因で、「7月8月に予定されていたドラマを降板させられた」と発言した。ところが事務所は27日、Yさんの発言内容について「事実ではない」と否定した。

 話題になったのは、Yさんの以下の発言だった。

■降板の作品名などは明かさず

  「今日、マネージャーからmailがあった。『7月8月に予定されていたドラマですが、原発発言が問題になっており、なくなりました。』だって。マネージャーには申し訳ない事をした。僕をブッキングする為に追い続けた企画だったろうに。ごめんね」

 Yさんはこれまでツイッターを中心に、原発反対を繰り返し訴えている。4月には「(反原発運動に関わると)芸能界で仕事干される」と明言し、高円寺で行われた反原発デモに参加、5月23日にも福島県の父母たちとともに、文部科学省前で子どもに定められた年間許容被ばく量「20ミリシーベルト」の撤回を叫んだ。

 Yさんは「外されたドラマでも、現場には迷惑掛けられない」として具体的な作品名などは明かさなかったが、ネット上では「降板させたテレビ局、スポンサーに抗議活動を」との声も上がり、さまざまな憶測が飛び交っている。

■「舞台終了まで、Twitterやめます」

 ところがYさんの所属事務所「S・カンパニー」ではJ-CASTの取材に対し、Yさんの発言を全面的に否定した。

  「本人がツイッターで発言した内容については『事実ではない』とお答えするように、と担当者から言われています」

と電話に出た女性は繰り返した。

 現在、発端となった「降板」発言は消去され、見られない状態となっている。またYさんは26日深夜、「舞台終了まで、Twitterやめます」と投稿しており、「降板」の真相は藪の中だ(以上、J-Castより)。


Hiroshi Hayashi+++++++May. 2011++++++はやし浩司・林浩司

●オーストラリアの土地税制vs中国の土地税制

++++++++++++++++++++++++

オーストラリアの土地税制に興味がある。
オーストラリアには、「Land Valuer(土地査定人)」
と呼ばれる、専門の査定人がいて、土地家屋の
価値の査定をする。
その査定に応じて、税金が決まる。

++++++++++++++++++++++++

Dear Hiroshi,
ヒロシへ

In Australia there are "Commonwealth" (national) taxes and State taxes (eg. State of Victoria).
オーストラリアには、連邦税と州税の2つがある。
When I buy a house in Victoria I must pay a tax ("stamp duty") of 1.4% of the value.
私がビクトリア州で家を買うとき、その家の価値の1・4%分に相当する、「スタンプ税」を払う。
No need to pay when selling.
家を売るときは、払わなくてもよい。
That is a State tax.
これは「州税」。
Once I own a house I must pay annual "rates" to the local council.
家を所有するときは、地方局に、毎年「率税」を支払わなければならない。
This is partly calculated on the land value but also includes fees for garbage collection.
これは土地の価値に応じて別に計算されるが、それには、ゴミ収集の費用も含まれる。
I pay no other tax on my own home but if I own a second property then I must pay "land tax" on the second property according to the value of the property.
私はこれ以外には、税金を払っていないが、もし2番目の不動産を所有するときは、「土地税」を、その土地の価値に応じて、払わなければならない。
That is a State tax.
これは「州税」。
If my business is buying and selling properties then I will be taxed on the profit just like any other business.
もし私が不動産屋を経営しているなら、他のビジネスと同じように、所得税が課せられる。
That is a Commonwealth tax.
これは「連邦税」。
When calculating land value, the local council or the State government will use a professional land valuer.
土地の価値を計算するとき、地方局と州政府は、専門の「土地査定人」を使う。
The vlauer will decide how much the house is worth if it was sold.
土地査定人は、もしその家が売られるなら、いくらの価値があるかを査定する。
That becomes the "taxable value".
これが「課税評価価値」となる。
The valuation is fair and is usually lower than a real sale value.
課税評価価値は、公正でで、ふつう実際の売買価格よりも低い。
In my case I pay the annual "rates" to my local council.
私のばあい、毎年地方局に、「率」を払っている。
In return they arrange for garbage collection, provide various services such as a library and assistance for old people etc.
その代わり、彼らはゴミ収集をし、図書館や、老人介護などの種々のサービスを提供してくれる。
It is a bit complicated, I suppose.
少し複雑かな。
D
Dより

The government knows that owning a house is important for people and people will vote for a party which makes it easier to own a house.
政府は、家の所有は、人々にとって重要と心得ているし、人々は家を所有しやすくしてくれる正当に票を入れる。
So taxes are not too high.
だから税金は、そんなに高くない。
Owning a home is like a sacred thing for Aussies.
オーストラリア人にとっては、家をもつということは、神聖なことだ。
The difficult thing for home-owners is bank interest rates for loans.
家の所有者にとって、難しいことは、銀行からの借入金の利率ということになる。
Maybe that is more a problem than taxes.
たぶんそれのほうが、税金より大きな問題だ。
Anyway people talk about interest rates more than taxes.
オーストラリア人は、税金より、借り入れ金利のほうに関心がある。

Dより
Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●中国の土地税制について

++++++++++++++++++++

D君は、オーストラリアでも中国研究の第一人者でもある。
中国の土地税制についても教えてくれた。

++++++++++++++++++++

Dear mate,
友へ、

In China, people do not pay tax for their house but the system is different.
中国では、自分の所有する家には税金を払わない。システムが異なる。
Firstly, they can only buy a house not the land underneath.
第一に、彼らは家を買うのであり、その下の土地は買わない。
The land belongs to the government.
土地は政府に属する。
Secondly, they can only buy a house for 70 years.
第二に、彼らは70年間、家を買う。(最長限度は70年。)
So in China, a big company or corrupt official can easily push people of the land which they are living on.
それで、中国では、大きな会社や役人は、そこに住んでいる人々を容易に追い出すことができる。
When a company wants to build a factory in a village, there is a negotiation over price but the local government is in charge of everything and they can favour the powerful side.
会社が村に工場を建てるとき、価格の交渉をするが、地方政府はすべてに責任をもち、力のあるほうに味方することができる。
So many farmers sell as soon as they receive a good offer and move into a town.
それで多くの納付は、よい条件がつけば、すぐ家を売り、町へ移動する。
Eventually there will be a shortage of good farming land.
結果的に、農地が不足することになるだろう。
One day the system in China will crash down like a shaky old house.
いつか中国のこのシステムは、がたがたの古い家のように崩壊するだろう。
D
Dより


Hiroshi Hayashi+++++++May. 2011++++++はやし浩司・林浩司

【年中4歳児に、言葉のレッスン】(5月30日、2011)

年中4歳児クラスです。今週は、言葉の学習をしました。最終的に、「お話作り」までできるように指導しました。言葉は、まず正しく、話す、ですね。「ハンカチ、ハンカチ、もった?」ではなく、「あなたはハンカチをもっていますか?」と。そういう日常的な会話が、その子どもの国語力の基礎となります。

(1)



(2)



(3)



(4)



●おまけ(小3クラスの子どもたち)




Hiroshi Hayashi+++++++May. 2011++++++はやし浩司・林浩司

Sunday, May 29, 2011

●ささやかな証明、それでもUFOは存在する

●宇宙人はいる!


++++++++++++++++++++


「はやし浩司」という1人の、小さな人間が住む、
そのまた小さな世界。
その中で、はやし浩司ははやし浩司なりに、
宇宙人の存在を確信した。


それは私の人生の中でも、特筆すべきできごと
といってもよい。
「他人を介していない」という意味において、
また私自身が確信できるという意味において、
特筆すべきことできごとといってもよい。


小さな、そのまた小さな証明だが、しかし
それ以上の証明が、この私にできるだろうか。
組織力も、調査力もない。
どこまでも小さな私である。
あなたと同じ、小さな人間である。


何はさておき、ここに新聞のコピー(1)と、
火星で撮影された写真(2)を、並べて掲載する。


(1)の記事は、私が2000年11月25日(土)に、
中日新聞に寄稿したエッセーである。
「2000年」という年号に注意しておいてほしい。


(2)の写真は、2003年6月10日に打ち上げられた、
アメリカの火星探査機「スピリット」が、地球に
送ってきた写真である。
スピリットは、2004年1月3日に火星に到達している。
つまりこの写真は、どんなに早くて、2004年1月
3日以後に撮影されたものということになる。


この「2004年」という年号に注意しておいてほしい。
その上で、私自身が描いた新聞上のイラストと、
スピリットが送ってきた写真を見比べてみてほしい。


もし逆、つまり私が描いたイラストがスピリットが
送ってきた写真よりあとということなら、私が
スピリットの送ってきた写真を模してイラストを
描いたと疑われてもしかたない。
しかし私のほうが、先に書いている。
2000年の11月である。
スピリットがこの写真を送ってきたのは、少なくとも
2004年1月以後である。
私がスピリットの送ってきた写真を模してイラストを
描いたということは、ありえない!


つまりこれが、私という小さな人間の、ささやかな、
実にささやかな「証拠」ということになる。
「宇宙人は存在する」という、ささやかな証拠
ということになる。


+++++++++++++++


(1)




2000年月1125日発表の原稿
★2000年、私が発表したコラム


★原稿より(上、写真版の読みづらい人は、どうか下をお読みください。)


Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司


●見たぞ、UFO!(中日新聞記事より)(2000年11月)


見たものは見た。巨大なUFO、だ。
ハバが一、二キロはあった。しかも私と女房の二人で、それを見た。
見たことにはまちがいないのだが、何しろ二十五年近くも前のことで「ひょっとしたら…」という迷いはある。が、その後、何回となく女房と確かめあったが、いつも結論は同じ。「まちがいなく、あれはUFOだった」。


 その夜、私たちは、いつものようにアパートの近くを散歩していた。時刻は真夜中の一二時を過ぎていた。そのときだ。何の気なしに空を見あげると、淡いだいだい色の丸いものが、並んで飛んでいるのがわかった。私は最初、それをヨタカか何かの鳥が並んで飛んでいるのだと思った。


そう思って、その数をゆっくりと数えはじめた。
あとで聞くと女房も同じことをしていたという。が、それを五、六個まで数えたとき、私は背筋が凍りつくのを覚えた。
その丸いものを囲むように、夜空よりさらに黒い「く」の字型の物体がそこに現われたからだ。
私がヨタカだと思ったのは、その物体の窓らしきものだった。
「ああ」と声を出すと、その物体は突然速度をあげ、反対の方向に、音もなく飛び去っていった。


 翌朝一番に浜松の航空自衛隊に電話をした。
その物体が基地のほうから飛んできたからだ。が、どの部署に電話をかけても「そういう報告はありません」と。
もちろん私もそれがUFOとは思っていなかった。
私の知っていたUFOは、いわゆるアダムスキー型のもので、UFOに、まさかそれほどまでに巨大なものがあるとは思ってもみなかった。


が、このことを矢追純一氏(UFO研究家)に話すと、矢追氏は袋いっぱいのUFOの写真を届けてくれた。
当時私はアルバイトで、日本テレビの「11PM」という番組の企画を手伝っていた。
矢追氏はその番組のディレクターをしていた。
あのユリ・ゲラーを日本へ連れてきた人でもある。
私と女房はその中の一枚の写真に釘づけになった。私たちが見たのと、まったく同じ形のUFOがあったからだ。


 宇宙人がいるかいないかということになれば、私はいると思う。
人間だけが宇宙の生物と考えるのは、人間だけが地球上の生物と考えるくらい、おかしなことだ。
そしてその宇宙人(多分、そうなのだろうが…)が、UFOに乗って地球へやってきてもおかしくはない。
もしあの夜見たものが、目の錯覚だとか、飛行機の見まちがいだとか言う人がいたら、私はその人と闘う。
闘っても意味がないが、闘う。私はウソを書いてまで、このコラム欄を汚したくないし、第一ウソということになれば、私は女房の信頼を失うことになる。


 ……とまあ、教育コラムの中で、とんでもないことを書いてしまった。
この話をすると、「君は教育評論家を名乗っているのだから、そういう話はしないほうがよい。君の資質が疑われる」と言う人もいる。
しかし私はそういうふうにワクで判断されるのが、好きではない。文を書くといっても、教育評論だけではない。
小説もエッセイも実用書も書く。ノンフィクションも得意な分野だ。東洋医学に関する本も三冊書いたし、宗教論に関する本も五冊書いた。うち四冊は中国語にも翻訳されている。


そんなわけで私は、いつも「教育」というカベを超えた教育論を考えている。
たとえばこの世界では、UFOについて語るのはタブーになっている。だからこそあえて、私はそれについて書いてみた。


Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司


イラスト拡大図(2000年11月の記事より)
★コラムの中のイラストの拡大図




d88cbd81.jpg
★火星探査機「スピリット」が送ってきた、火星上空を浮遊するUFO(2004年)


●火星上のUFO.jpg
★(UFOの拡大写真)





2004年に火星探査機「スピリット」によって撮影された火星上空のUFO
★別の本に紹介された、火星上空のUFO(「世界のUFO現象」(学研))


●宇宙人は、確かにいる!


 私はあの夜のことを忘れない。
あの夜、私とワイフは、UFOを見た。
が、当初、私は、それをUFOとは思わなかった。
私が聞いていたUFOは、円盤形のものをいう。
「く」の字型(ブーメラン型)のUFOなど、知るよしもなかった。
しかも、巨大だった。
天空をぐいと横切るほど、巨大だった。
新聞記事の中では、1、2キロと書いたが、実際のところ、よくわからない。
それよりも大きかったかもしれない。
あるいは小さかったかもしれない。
が、飛行機とは比較にならないほど、巨大だった。


 あの夜見たものを、もう一度、整理しておきたい。


(1)窓


 私もワイフも窓らしきものを目撃している。
大きな丸い窓(?)で、よく見ないとわからないほど、淡い橙色のものだった。
私はそれはジグザグに並んでいたように思うが、ワイフは、一直線だったと言っている。


(2)黒いシルエット


 私は黒いシルエット(輪郭)を見ているが、ワイフはよく覚えていないという。
最初はそのシルエットは見えなかった。
少しずつ黒くなって、真上にきたとき、黒いシルエットとなった。
黒いシルエットが、その背景の夜空よりも黒く、夜空に浮かびあがった。
月は出ていなかったように記憶している。


 私が記憶しているシルエットは、中日新聞紙上で発表したとおりである。
私はその形を忘れないように、当時、何かにメモした記憶がある。


(3)消え方


 私が見たそのUFOは、西の方角からゆっくりやってきて、真上に来たとき、突然
スピードをあげ、東の方角へ飛んでいった。
スーッという感じだった。
そのときのこと。
そのUFOは、遠ざかって消えるというよりは、空に溶け込むようにして
消えていった。
大きさは遠ざかるにつれて小さくなったように感じたが、そのまま透明になり、
消えていった。


 その先に白い小さな筋雲がいくつかあったように記憶している。
そのUFOは、雲の中に消えたのではない。


(4)自衛隊に電話


 その直後、私は電話帳で自衛隊基地の番号を知り、電話をかけた。
何度もかけたように記憶している。
その夜は、ほとんど一睡もせず、朝を待った。


 電話がやっとつながったのは、午前8時30分だったように記憶している。
つながった先は、たしか「管制室」だったと思う。
電話口の向こうの男性は、「そういう報告はあがっていません」とだけ、何度も
繰り返した。
私は「そんなはずはない!」と、何度も押し問答を繰り返した。
「あんな大きなものが上空を通過したのに、レーダーに映っていないはずがないだろ!」
と言った記憶がある。


(参考)(豊田ひろし氏のHPより抜粋)


『……火星の表面を移動し、水が存在した証拠を探る米航空宇宙局(NASA)の無人探査車「スピリット」が米太平洋時間3日[2004年1月]午後8時35分(日本時間4日午後1時35分)、火星に着陸、周囲の写真撮影に成功しました。


 スピリットは、火星の大気圏に時速1万9000キロ以上の高速で突入。パラシュートとロケット噴射で減速するとともに、24個のエアバッグを膨らませて本体を包み、着陸後バウンドを繰り返した末に無事停止しました。専門家が「地獄のようなもの」と呼ぶ、1400度を超す高温と接地時の激しい衝撃に耐え、探査車は生き残りました。


 スピリットは2003年6月10日MER-A 1号機によって打ち上げられ,約7ヶ月弱で火星に到着しました。


スピリットは今後約1週間かけて観測機器の機能を確認。その後約3カ月間、周囲を走り回り、カメラや試料採取装置などを使って岩石や土壌の組成を分析、水の痕跡を探ることで、生命の有無を確かめます。いままでは,すべてモノクロ写真の地上撮影でしたが,今回は地上のカラー写真もはじめて撮影しました』(豊田ひろし氏のHPより)。


Hiroshi Hayashi+++++++May. 2011++++++はやし浩司・林浩司


【電子マガジン・2008年8月号より、転載】

 
【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【月は、巨大な宇宙船か?】以下、【電子マガジン・2008年8月号より、転載】


●『月の先住者』(Secrets of our Spaceship Moon)
written by Don Wilson 昭和58年発刊、たま出版)  

++++++++++++++++++H.Hayashi

ドン・ウィルソン著、『月の先住者』という本を
読み直す。
昭和58年7月発刊、ということだから、今から約
24年前の本ということになる。
私が36歳のときである。

月にまつわる謎は多い。
その謎について書かれた本だと思えばよい。

++++++++++++++++++H.Hayashi

 ドン・ウィルソン著、『月の先住者』という本を読み直す。原題は、『Secrets of the
Spaceship Moon』である。「宇宙船、月の秘密」と訳せる。

 この本の中では、各章ごと冒頭で、月にまつわる謎を、箇条書きにしてある。

 全体では19章。339ページ。文字が小さいから、かなりボリュームのある本と思って
もらえばよい。

 その中のいくつかを紹介する。

+++++++++++

●第7章 月軌道を決定した動力

次の疑問点について考えてみたい。

○NASAは、月がなぜ地球の衛星となったかを、最大の疑問としている。
○あるノーベル科学賞受賞者の告白のように、月の起源や地球の衛星となった理由につい
○て、「どう説明してもありえない」と述べているのは、なざだろう。
○NASAの科学者が、「月は存在しないといったほうが説明しやすい」と発言した真意は?
○なぜ今日の科学者は、起源を説明できないからといって、月は存在しない、などと提議
○するのか。
○科学者の中には月を、「自然のなせる宇宙のいたずら」とし、月が地球の衛星にしては大
○きすぎると主張しているのは、なぜだろう。
○現在定説となっている、"自然捕獲説"でさえ、一般の科学者は充分に説明できないのだ
○ろうか。
○天文力学の権威者でさえ、地球の引力が月を引き寄せたことを「不可能」「とてもありえ
○ない」としているのは、なぜか。
○月の軌道が正確であるはずなのに、自然に地球の衛星となったと説明できない理由は?
○天文学者の中には、「ある力が月を地球の軌道に乗せた」という者もいる。「ある力」と
○はいったい、何なのか。
○なぜ月の公転面は、太陽とまったく同じ公転面に配置され、月食が起きる位置にあるの
○か。
○月が信じられないほど正確な位置にあるということはわかっているが、"月宇宙船説"以
○外の方法ではその理由が説明できないのは、なぜだろう。
○天文力学の知識や月計画による実際の研究成果によって、月が地球の軌道に「乗せられ」
○「操縦されている」と説明されることになるのだろうか。

++++++++以上、「月の先住者」より、転載++++++++++

 わかりやすく説明しよう。

 まず、夜の空に輝く、月を見てほしい。あの月は、地球の周囲を、(1)ほぼ真円に近い
軌道上を、回っている。
 つぎにあの月は、(2)地球から見ると、太陽とほぼ同じ大きさに見える。もちろん太陽
のほうがはるかに大きいが、(みかけの大きさ)は、ほぼ同じ。だから、皆既月食、皆既日
食を、数年おきに、世界のどこかで観測することができる。
 さらにあの月の(3)公転面は、太陽の公転面とまったく、同じである。

 ほかにも(4)月の自転周期と公転周期が、1秒の狂いもなく、一致しているというこ
ともある。だから月は、地球に対して、(月の表側)だけを見せ、いわゆる(月の裏側)を、
見せることはない。(私たちは、常に、月の表側のみを見ていることになる。)

 こうした月の存在について、現在の今も、(1)捕獲説と、(2)地球からの分離説、さ
らには(3)隕石の衝突説などが、意見を戦わせている。(最近の学説によれば、太古の昔、
地球に隕石が衝突し、その衝撃で飛び出した地球の一部が、月になったというのが、定説
になりつつある。)

 しかしこの説に従っても、なぜ月の軌道が、真円に近いのか。月の(みかけの大きさ)
が、太陽と同じなのか。さらに月の公転面が太陽の公転面と一致しているのかということ
は、説明できない。

 偶然というには、あまりにも偶然すぎるのである。

 もちろん「捕獲説」にしても、大きな矛盾がある。「太古の昔、月が遠い別の天体からや
ってきて、地球の重力によって捕獲された」という説である。しかしならばその軌道面は、
楕円形になるはず。ぜったいに、真円にはならない。

 そこで「乗せられた」という説が出てくる。
 
 太古の昔、月は、だれかによって、その位置に、「乗せられた」と。つまり月自体が、巨
大な宇宙船というわけである。

 そこでこの説を補完するのが、『月内部、空洞説』である。つづく第8章の冒頭には、つ
ぎのようにある。

++++++++++++++

 ……さらにじれったい疑問を投げかけてみよう。

○月の不思議な密度は、月が空洞であるどのような証拠になるか。
○なぜ英国天文学協会。月面課の主任を努めた、"月の権威"が、「何もかもが、月の20
○~30マイル下が空洞であると示しているようだ」と結論したのか。
○なぜ有能な第一線の科学者たちが、自然の衛星は空洞であるはずがない、という意見で
○一致しているのか。では、月が空洞だというのは、人工的だからだ、とはいえないのか。
○NASA の第一線の科学者によるアポロ計画以前の研究は、なぜ月の動きが空洞の球体み
○たいだと結論したのか。
○重力場の研究は、月が空洞であるという裏づけにはなりえないのか。なぜこの結果が驚
○くべきものなのか。
○宇宙飛行士が持ち帰った、"月の石"は、月が空洞であると、どう説明しているのか。
○人工的に作られた月面地震(月着陸船やロケットなどによる)の時、月はなぜゴングの
○ように4時間も鳴りつづけたのか。このことが、どうして空洞の球体であることを説明
○しているか。
○米国の宇宙局が、月内部が巨大な空洞であるかもしれないと、秘密裡に調査を行ったの
○は、どういう証拠があってのことだろうか。
○月の密度が一番高いのは、月面近くである(月が空洞であるという証拠)という月の研
○究(質量の中心運動)は認められなかったのか。このような科学的証拠が、宇宙船説を
○引き起こさなかったのか。
○数々の証拠がどのように"空洞の月"を証明しているのか?

それでは、ここでショッキングな証拠を提示することにしよう……。

++++++++以上、「月の先住者」より、転載++++++++++

 簡単に言えば、月の内部は空洞であり、おかしなことに、つまり常識に反して、月の外
郭部ほど、密度が高く、重金属でおおわれているということ。

 ……こう書くと、「月は巨大な岩石のかたまりではないか。宇宙船という(船)と考える
には、無理がある」と考える人がいるかもしれない。
仮に巨大な宇宙船であるとしても、それは映画、『スター・ウォーズ』に出てくる、デス・
スターのようなものではないか、と。

 しかし残念ながら、宇宙を航行するとき、もっとも安全な乗り物といえば、それなりの
大きさの隕石や衛星をくりぬいた船ということになる。
外壁を、厚い岩石で覆われているため、小さな隕石程度の衝突では、びくともしない。
が、何よりもすばらしいことに、危険な放射線類から、乗り組員を守ってくれる。
仮に映画『スター・トレック』に出てくる、エンタープライズ号のような宇宙船だったら、
隕石の衝突や放射線類から、乗り組み員を守ることはできない。

 では、動力源は何か。

 これも隕石や衛星をくりぬいた宇宙船であれば、方法は簡単。
緻密に計算をしながら、その上のどこかで、何かを爆発させればよい。
それでその宇宙船は、その反動によって、目的の方向に向かって、まっしぐらに進んでい
く。
もちろん宇宙船を止めるときには、その反対のことをすればよい。

 こうして考えて見ると、月が宇宙船であっても、なんらおかしくはない。
ないばかりか、実に精巧、かつ科学的に作られた乗り物ということになる。

 ちなみに月空洞説を裏付ける、ひとつの事実を紹介しよう。

 「月に人類が到達する以前解明されていたのは、『月の密度は地球の半分くらいだ』とい
うことぐらいだった。実際、月の密度は、地球の約6割だった。月の土、1立方センチメ
ートルと、地球の土1立方センチメートルでは、地球の方が、約2倍も重いということだ」
(同書、111P)と。

 言い換えると、月の内部の40%は、空洞ということになる。

+++++++++++++++

 改めて『月の先住者』を読んで、私は、ふと、こう思った。
「私はこの24年間、何をしていたのか」と。

 この地球には、いろいろな問題がある。
教育問題からはじまって、時事、環境、宗教、哲学、医学問題などなど。
しかし私たちが住む、この地球のそばに宇宙人がいて、それが月に住んでいるかもしれな
いという話については、ほとんど考えてこなかった。

 さらにとても残念なことに、この日本では、UFO問題にしても、幽霊や心霊と同格の、
「超常現象」として位置づけられている。
そのためこの日本では、「UFOを見た」というだけで、奇人、変人扱いされる。

 しかしUFOは、「科学」である。少なくとも科学的に解明されうる世界の乗り物である。
また科学の対象と考えて、なんらおかしくない。
それを一部の良識派(?)と呼ばれる科学者たちは、UFOを否定することによって、自分
たちの良識性を誇張する。
 
 が、もしいつか、(やがてその日は来るだろうが)、UFOなるものが、その姿を私たちの
前に姿を現したとき、そういった人たちは、どう自分たちの(非良識性)を弁解するのだ
ろうか。

 私とて、「見たものは見た」というだけで、どれだけ、白い目で見られたことか!
これからも、自分が納得するまで、この問題を追求してみたい。

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 
UFO 超常現象 はやし浩司 月空洞説 月宇宙船説)

(付記)

私とワイフが見たUFO と同じものを見た人が、この浜松に、2人いる。
BT氏(男性、現在54歳)と、その弟氏である。
見た時期と、飛んでくる方向はちがったが、ほとんど同型のUFOである。
私が私の見たUFOについて中日新聞に書いたのを、BT氏が読んだ。
それで知り合いになった。

そのBT氏と、今夜(7月27日)、電話で、1時間ほど、話す。
私はこう言った。

「私は、あのUFOを見て以来、ずっと、自分の中のもう一人の自分と闘わねば
なりませんでした。
『私が見たのは、幻覚だ、夢だ、見まちがいだ』と言う私自身。
しかし一方で、『見たものは見た』とがんばる私自身。
ときに、『見たものは見た』という私自身が負けそうになりましたが、そういうとき、ワイ
フが、『私も見た』と言のです。
それでまた話が、振り出しにもどってしまう……。
毎回、その繰り返し。
記憶も、時間とともに、どこか薄れてきます。
もし見たのが私ひとりだけだったら、私はもう一人の自分に負けてしまっていたかもしれ
ません。
今ごろは、『やっぱり、あれは幻覚だったのだ』と、自分を納得させてしまっていたでしょ
う。
私は死ぬまでに、何としても、あの夜に見たものが何であるか、それに決着をつけておき
たいのです」と。

BT氏についても、事情は同じ。
BT氏もこう言った。
「私も弟と2人で見ました。私も、もし私ひとりだけで見ていたら、今ごろは、『やっぱり
あれは夢だったのだ』と自分を納得させてしまっていたでしょう」と。

しかしE・ミシェル博士の言葉で、私は、救われた。
肩の荷がはずされたというか、スーッと心が軽くなるのを感じた。
と、同時に、大きな使命感のようなものを覚えた。

私ももう60歳。
世間に遠慮しなければならない年齢ではない。
書きたいことを、書く。
伝えたいことを、伝える。
私のことを、奇人だとか、変人だとか、そういうふうに思いたければ思うがよい。

……しかし、この爆発的なエネルギーはどこから生まれてくるのか。
つい先日まで、私はものを書くということそのものに、嫌気すら覚えていた。
その私が、何かに取りつかれたように、今、こうして文章をたたいている。

……で、この話とは別に、私には、こんな奇妙な体験がある。
それについて書く前に、この話に出てくる、DK君について書いておく。

DK君は、現在、オーストラリアのM大学で、教授職級の地位にいる。
そのDK君が、この2月に日本へ、娘さんといっしょに、来た。
そしてあの日のことについて、話し合った。
DK君も、あの日のことをよく覚えていた。
そしてその話になると、「ヒロシは、その話をよくするが、たしかに、あの日のことは、
理解できない」と言った。

当時の私たちは、UFOについて、ほとんど興味はなかった。
知識もなかった。
(アダムスキー型のUFOについては、俗説程度には、知っていたが……。)
いわんや、それがUFO現象と関係あるなどとは、思ってもみなかった。
「アダプション(誘拐)」という言葉にしても、それを耳にしたのは、それから
10年以上もたってからのことである。

以前書いた原稿を、そのまま紹介する。

+++++++++++++++++++

●奇妙な体験

+++++++++++++++++++

●秋の夜のロマン、UFO

●資質を疑われるから、書かないほうが……

 私は超自然現象というものを信じない。まったく信じない。信じないが、UFOだけは
別。信ずるも信じないもない。私は生涯において、三度、UFOを目撃している。一度は、
ワイフと一緒に目撃している。(あとの二度については、目撃したのは私だけだから、だれ
にも話したことがない。文として書いたこともない。ここにも書かない。)

 が、私には、こんな不思議な体験がある。結婚したとき、ワイフにだけは打ち明けたが、
こうしてものに書くのははじめて。だから前もって断っておくが、これはウソではない。
ここにはウソは書かない。こういう話は、書けば書いたで、私の評論家としての資質が疑
われる。損になることはあっても、得になることは何もない。事実、「林君も自分の仕事を
考えたら、そういうことは人には言わないほうがよいよ」とアドバイスしてくれた人もい
る。それはわかっているが、しかしあえて書く。

●不可解な体験

 オーストラリアに留学していたときのこと。あと一か月ほどで、日本へ帰るというとき
のことだった。オーストラリアの暑い夏も、終わりに近づいていた。私は友人のD君にビ
ーチハウス(海の別荘)で、最後の休暇を過ごしていた。ビーチハウスは、ローンという
港町の手前、一〇キロくらいのところにあった。避暑地として有名なところで、そのあた
りには、「グレートオーシャンロード」という名前の街道沿いに、無数の別荘が点在してい
た。

 ある日のこと。D君の母親が、サンドイッチを作ってくれた。私とD君は、そのサンド
イッチをもって、ピクニックにでかけた。「ビクトリア州の最南端にある、オッツウェイ岬
(Cape Otway)に行こう」ということになった。時刻は忘れたが、朝、ほどよい時刻に出か
けたと思う。あともう少しで、オッツウェイ岬というところで、ちょうど昼食時になった
のを覚えている。小高い山の中に入って、私たちは車の上に座って、そのサンドウィッチ
を食べた。

 そこからオッツウェイ岬までは、車で半時間もかからなかったと思う。彼らがいうブッ
シュ(やぶ=雑木林)を抜けてしばらく走ったら、オッツウェイ岬だった。

 私たちは岬へつくと、百メートルくらい先に灯台が見える位置に車を止めた。そして車
の外へ出ると、岬の先のほうへと向かって歩き出した。そのときのこと。どちらが言った
わけではないが、「記念に大地に接吻をしよう」ということになった。背丈の短い雑草が、
点々と生えているような殺風景な岬だった。ほかに見えるものといえば、灯台だけだった。
たしか、「オッツウェイ岬」「オーストラリア、最南端」というような表示だけは、どこか
にあったように思う。私たちは地面に正座してひざまづくと、そのまま体を前に倒した。
そして地面に顔をあてたのだが、そこで記憶がとだえた。

 気がつくと、ちょうど私が顔を地面から離すところだった。横を見ると、D君も地面か
ら顔を離すところだった。私とD君は、そのまま車に戻り、帰り道を急いだ。ほとんど会
話はなかったと思う。

 そのオッツウェイ岬からは、舗装された道がつづいていた。そしてほどなく、アポロベ
イという港町に着いた。港町といっても、波止場が並ぶ、小さな避暑地だった。私たちは
そのひとつのレストランに入って、ピザを食べた。日はとっくに暮れていた。まっ暗とい
ったほうが正確かもしれない。

 この話はここで終わるが、それからほぼ一週間後のこと。そのとき私とD君は、D君の
両親の住むジーロンの町の家にきていた。そこで、ベッドに入って寝る前に、私はD君に、
こう切り出した。胸の中でモヤモヤしているものを、吐き出したかった。

 「D、どうしてもわからないことがある……」
 「何だ、ヒロシ?」
 「いいか、D、あの日ぼくたちは昼食を食べたあと、オッツウェイ岬に向かったね」
 「そうだ」
 「サンドイッチを食べたあと、すぐオッツウェイ岬に向かった。時間にすれば、三〇分
もかからなかったと思う」
 「そんなものだな、ヒロシ」
 「でね、D、そのオッツウェイ岬で、同時に二人とも眠ってしまった。そんな感じだっ
た。あるいは眠ったのではないかもしれない。同時に地面に顔をつけ、同時に地面から顔
を離した。覚えているだろ?」
 「覚えている……」
 「それでだ。ぼくたちは、オッツウェイ岬から帰ってきた。そしてあのアポロベイの町
で、夕食を食べた。ぼくはそれがおかしいと思う」
 「……?」
 「だってそうだろ。オッツウェイ岬から、アポロベイまで、どんなにゆっくりと走って
も、一時間はかからない。が、アポロベイへ着いたときには、あたりはまっ暗だった。時
刻にすれば、夜の七時にはなっていた。ぼくたちは、同時にあの岬で眠ってしまったのだ
ろうか」と。

 昼過ぎにオッツウェイ岬に着いたとしても、午後一時か二時だったと思う。それ以上、
遅い時刻ではなかった。が、そこからアポロベイまで、一時間はかからない。距離にして
も、三〇キロくらいしかない。が、アポロベイに着いたときには、もうとっぷりと日が暮
れていた! どう考えても、その間の数時間、時間がとんでいる!

 私はその話をD君にしながら、背筋がどこかぞっとするのを感じた。D君も同じように
感じたらしい。さかんに、ベッドの上で、首をかしげていた。

 そのオッツウェイ岬が、UFOの有名な出没地であることは、それから数年たって、聞
いた。D君が、そのあたりで行方不明になったセスナ機の事件や、UFOが撮影された写
真などを、そのつど届けてくれた。一枚は、あるカメラマンが海に向けてとったもので、
そこには、ハバが数百メートルもあるような巨大なUFOが写っていた。ただしそのカメ
ラマンのコメントによると、写真をとったときには、それに気づかなかったという。

 さらにそれから五、六年近くたって、私たちと同じような経験をした人の話が、マスコ
ミで伝えられるようになった。いわゆる、「誘拐」(アブダクション)というのである。私
はあの日のあの経験がそれだとは思いたくないが、どうしてもあの日のできごとを、合理
的に説明することができない。

簡単に言えば、私とD君は、地面に顔をつけた瞬間、不覚にも眠ってしまったというこ
とになる。そして同時に、何らかのきっかけで起きたということになる。しかも数時間
も! しかし現実にそんなことがあるだろうか。私はその前にも、そのあとにも、一度
だって、何の記憶もないまま、瞬間に眠ってしまったことなど、ない。電車やバスの中
でもない。寝つきは悪いほうではないが、しかし瞬間に眠ってしまったようなことは、
一度もない。

 私とD君は、UFOに誘拐されたのか?

 今になってもときどきD君と、こんな話をする。「ぼくたちは、宇宙人に体を検査された
のかもね」と。考えるだけで、ぞっとするような話だが……。

●再びUFO

 ワイフとUFOを見たときの話は、前にも書いた。繰り返すが、私たちがあの夜見たも
のは、絶対に飛行機とか、そういうものではない。それに「この世のもの」でもない。飛
び去るとき、あたかも透明になるかのように、つまりそのまま夜空に溶け込むかのように
して消えていった。飛行機のように、遠ざかりながら消えたのではない。

 私はワイフとその夜、散歩をしていた。そのことはこの原稿に書いたとおりである。そ
の原稿につけ加えるなら、現れるときも、考えてみれば不可解な現れ方だった。この点に
ついては、ワイフも同意見である。つまり最初、私もワイフも、丸い窓らしきものが並ん
で飛んでいるのに気づいた。そのときは、黒い輪郭(りんかく)には気づかなかった。が、
しばらくすると、その窓を取り囲むように、ブーメラン型の黒いシルエットが浮かびあが
ってきた。そのときは、夜空に目が慣れてきたために、そう見えたのだと思ったが、今か
ら思うと、空から浮かびあがってきたのかもしれない。


Hiroshi Hayashi++++++++July 08++++++++++はやし浩司

●造反したのは、E・ミシェル博士だけではなかった!

+++++++++++++++++++

月表面のみならず、この地球上でも、
またその間の宇宙空間においてでさえも、
今までに厖大な数の、UFO目撃例が
ある。

しかしどういうわけか、NASAは、それら
すべてを否定している。

UFOに関する情報は、NASAの中でも、
極秘中の極秘、最高度のトップ・シークレット
扱いということは、容易に推察できる。
が、今回、E・ミシェル博士は、あえて、その
暴露戦術に、うって出た。

が、ほかにも、いた。

「月面に9番目に人類として足跡を残した、宇宙飛行士のジョン・アームストロングは、
月でのUFOの存在について、こう語った。『もし君が(UFOが)存在しないと思うなら、
勝ち目のない勝負をしているようなものだ』と。

また同じく宇宙飛行士のユージン・サーナンは、『UFOは、どこか他の文明から来たと信
じている』といっている」(以上、「月の先住者」)と。

E・ミシェル博士自身の言葉も、収録してある。

「月での6番目の人類となった宇宙飛行士、エドワード・ミッチェル(本書では、「ミチェ
ル」となっている)は、UFOについて、こう述べている。『UFOに関して、あとわから
ないのは、どこからやってきたのか、ということだけだ』」と。

 私は、月での不可思議現象を、ひとつずつ、検証してみたい。
が、その中でも、とくに私の注意をひいてやまないのが、『オニール橋』である。
私は子どものころ、(小学3年生前後ではあなかったかと思うが、記憶は定かではない)、
何かの博覧会で、そのオニール橋について知った。

 そこには大きなパネルで、月のクレーターからクレーターにまたがってかかる、巨大な
岩石のアーチが描かれていた。
見た感じは、大きな洞窟のような感じだった。
子どもが泥で作る、橋のようなものを想像すればよい。
が、そのオニール橋はその後、その場所から、こつ然と姿を消す。
一説によれば、巨大なUFOが、2つのクレーターの山の上にまたがって、着陸していた
ということだが、真偽のほどはわからない。

「月の先住者」のなかにも、そのオニール橋に触れた箇所がある。
それをそのまま紹介する。

「……そのころのもっとも驚くべき記事は、ニューヨーク・ヘラルド・トリビューン紙の
科学部門編集者であった、ジョン・オニール氏が、1954年に危難の海に、巨大な橋の
ような建築物が見えると発表したときだった。

 おもしろいことには、他の著名な天文学者にも各自の望遠鏡で、その橋らしきものが確
認されたことだった。ある者は、その橋は全長12マイル(約20キロ)にも達するとい
った。

 はたしてその(橋)が建築物であったのか、それとも単に自然のなせる技だったのだろ
うか。英国の有名な天文学者である、H・P・ウィルキンス博士(英国天文学協会、月面
課主任)は、BBCのラジオ番組の中で、『(橋)らしきものは、建造物のようだ』(『UF
Oの陰謀』、ドナルド・キーホー、1975)と発言した。

 さらにその番組で、『建造物とは具体的にどういうことなのですか』と質問され、『つま
り、それは技術的に作られたものだということです』と答えている。

 そしてその(橋)は地面に影を落としていて、外観もふつうの(橋)のようだと付け加
えた。
またこの月の権威者は、『橋の下に太陽光が差し込んでいるのさえ、よく見える』と述べ、
人々をびっくりさせた。

 このラジオ番組の中で、ウィルキンス博士は、この(橋)が、『自然にできたものである』
とは一度も言わないばかりか、『人工のものらしい』と、何度も述べたのだった。

 危機の海自体、かつて何度もよく観察され、研究されつくした場所だけに、以前この(橋)
が存在しなかったことは事実である。
そればかりか、この(橋)は近年になって、他の惑星の人類(?)によって建設された可
能性が大となった。

 他にも、たくさん、知的生物によって、四角形、あるいは三角形の壁状のものや、ドー
ムのようなものでさえ造られつづけ、どこからともなく現れては消えた……」(同書、P1
7~18)と。

 現在の今、そのオニール橋なるものは、存在しない。
また1954年に発見されたというのだから、私が、満7歳のときのことである。
私がどこかの博覧会で、その橋の想像図を見たのは、その直後のことということになる。

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 
UFO 月面 危機の海 オニール橋)

Hiroshi Hayashi++++++++July.08++++++++++はやし浩司

●月は、巨大なUFO?

 このところ毎晩、眠る前に、「月の先住者」(ドン・ウィルソン著・たま出版)を読んで
いる。かなり前に買った本だが、それが結構、おもしろい。なかなかよく書けている。要
するに、月には、謎が多いということ。そしてその謎を集約していくと、月は、巨大なU
FOということになる、という。

 私が子どものころには、月の危難の海というところに、オニール橋というのがあった。
オニール(ニューヨーク・ヘラルド・トリビューン紙の科学部長であったJ・J・オニー
ル)という科学者が発見したから、「オニール橋」というようになった(一九五三年七月)。
どこかの科学博覧会に行ったら、その想像図まで展示してあった。一つの峰からつぎの峰
にまたがるような、端から橋まで、二〇キロもあるような橋だったという。

 が、そんな橋が、月の上にあること自体、おかしなことだった。しかもそんな橋が、そ
れまで発見されなかったことも、おかしなことだった。それまでに、無数の天文学者が、
望遠鏡で月をのぞいていたはずである。

 しかし、最大の謎は、その後まもなく、そのオニール橋が、その場所から消えたという
こと。なぜか。その本によれば、あくまでも、その本によればの話だが、それは巨大なU
FOだったという。(ありえる!)

 そこでインターネットを使って、オニール橋を調べてみた。ヤフーの検索エンジンを使
って、「月 オニール」で検索してみると、いくつか出てきた。結局、オニール橋は、一部
の研究者の「見まちがい」ということで、公式には処理されているようだ。(残念!)

 私自身は、信じているとかいないとかいうレベルを超えて、UFOの存在は、確信して
いる。ワイフと私は、巨大なUFOを目撃している。私たちが見たのは、幅が数キロもあ
るような巨大なものだった。だからオニール橋が、巨大なUFOだったとしても、驚かな
い。

 しかしこういうのを、私たちの世界では、「ロマン」という。つまり、「夢物語」。だから
といって、どうということもないし、また何ができるということでもない。またそれを基
盤に、何かをすることもない。ただの夢物語。しかし心地よい夢を誘うには、この種の話
が、一番。おもしろい。楽しい。それはちょうど、子どもたちが、かぐや姫の話を聞いて、
夜の空に、ファンタジックな夢をはせるのと同じようなものではないか。

 興味のある人は、その本を読んでみるとよい。しかしあまりハマらないように! UF
Oの情報は、インターネットで簡単に手に入るが、そのほとんどのサイトは、どこかの狂
信的なグループ(カルト)が、運営している。じゅうぶん注意されたし。
(030702)

Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

●UFO

Have you ever seen an UFO? My wife and I did. It was a midnight after 12:00 o'clock.
We were walking in a narrow street near our flat. It was a huge one, which might be 2 or
3 kilometers in width. Of course it was not a plane. It was so huge. Then if someone asks
me if I believe in UFO's, I would say, "Yes". These days at the Parliament House of
Japan, some congressmen discuss about UFO's in the public. Does this have something
to do with "Kaguya", a Japanese moon-search rocket? Kaguya is now on the orbit of the
moon, taking photos from the space. I hope the government show us everything about
the Moon. Some scientists as well as people say that the Moon is a giant space-craft for
the aliens. Do you think so too?

+++++++++++++++++

このところ、国会議員たちが、「UFO」
という言葉を、よく口にする。

国会という、公式の場でも、この問題
が取りあげられた(07年12月)。

一応、政府見解は、「存在しない」だが、
一部の議員たちは、「信じている」、「いる
と思う」などと発言している。

こうした一連の発言は、日本が打ちあげた
月探査衛星「かぐや」と、どこかでつながって
いるのではないだろうか?

「かぐや」は、とんでもない映像を地球へ
送り届けてきた(?)。

「とんでもない」というのは、「ありえない」
という意味であり、私はそれがUFOであって
も、少しも、おかしいとは思わない。

アポロ宇宙船で、月の裏側に回ったある宇宙
飛行士は、こう言ったという。

「まるでラッシュ・アワーのように、UFO
が飛び交っている!」と。

+++++++++++++++++++

 月の内部には、巨大な空間がある。その中心部では、プラズマの人工太陽が、さんさん
と輝いている。月の内側に住む住人たちは、地球人の私たちと同じような生活をしている。

 一見、荒唐無稽(むけい)のような話だが、こうした説を信じている人は多い。科学者
の中にも、いる。たとえば私が子どものころには、月には、オニール橋※というのがあっ
た。「オニール」というのは、その橋を発見した人物の名前である。

 オニールは、ある日、望遠鏡で月を見ていたとき、斜め方向からの太陽光線を浴びて、
そこに橋のような影ができているのを発見した。それでそれを「オニール橋」と名づけた。

 私はその橋のことを、どこかの博覧会に行ったときに知った。巨大なアーチ型の橋で、
全長はたしか、20キロ近くあると聞いたのを記憶している。

 しかし、だ。今、同じところをさがしても、その橋はない。「ない」というより、「消え
た」。今にして思えば、その橋というのは、山から山へと、ちょうどそれらにまたがるよう
に着陸していたUFOではなかったかと思う。

 私自身も、巨大なUFOを目撃している。ブーメラン型のUFOである。全長が2~3
キロはあったかと思う。あるいはもっと長かったかもしれない。よく「葉巻型UFO」が
話題になるが、葉巻型UFOともなると、全長が20~30キロもあるという。

 こういう話を聞くと、月へのロマンが、かぎりなく、ふくらむ。

 月の住人たちは、どこから来たのか?
 月の住人たちは、何をしているのか?
 月の住人たちは、地球人の私たちを、どうしようとしているのか?

 あの月をくりぬいて住むほどの宇宙人だから、かなり頭のよい人たちとみてよい。私た
ち人間より、ひょっとしたら、何千年も、何万年も進化しているかもしれない。あのUF
Oにしても、光速に近いスピードで、宇宙空間を自由自在に動き回れるという。

 私が見たUFOにしても、空にそのまま溶け込むかのようにして、消えていった・・・。

 「かぐや」は、どんな映像を送ってきているのか? その一部は、インターネット上で
も公開されているが、どれも高・高度からのものでしかない。私(=私たち)が見たいの
は、もっと低高度で撮った、倍率の高い写真である。
 
 そこには、月に住む住人たちの、その直接的な証拠が写っているかもしれない。どうか
ウソ隠しなく、(=修正しないで)、すべての写真を公開してほしい。

(注※)(月探査情報ステーションの公式HPより、転載)

オニール橋事件を振り返ってみます。1953年7月、ニューヨーク・ヘラルド・トリビ
ューン紙の科学部長であったJ・J・オニール氏は、月面の「危難の海」の西側に人工的
に作られた橋のようなものを発見したと発表しました。この橋は二つの峰をまたぐような
形で、20kmにもおよび、日没時には観測できましたが、日の出の時には見えなかった、
ということです。

同年8月、英国天文学協会の月研究部長だったH・P・ウィルキンス氏らも同じ構造を確
認したと発表しました。しかし、その後この構造は観測できなくなり、見まちがいだった
のではないかという批判が起こりました。ウィルキンス氏はその批判に抗議し、月研究部
長を辞任したそうです。

当時、オニール橋はかなりの話題を呼び、一部UFO研究家などからは巨大なUFOが一
時的に着陸していたのではという推測もされたそうです(以上、「月探査情報ステーション
の公式HP」より)。

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 
Hiroshi Hayashi education essayist writer Japanese essayist UFO オニール オニー
ル橋)

++++++++++++++++
オニール橋と並んで、私が知った
月の2つのクレーターについて。

++++++++++++++++

●月の不思議

 月の南極の写真を見ていたときのこと。ちょうど南極付近に、きれいな円形の二つのク
レーターがある。「きれいな」と書いたが、実際には、真円である。まるでコンパスで描い
たような真円である。

 そこで二つのクレーターの直径を調べてみた。パソコンの画面上での測定なので、その
点は不正確かもしれないが、それでも、一方は、3・2センチ。もう一方も、3・2セン
チ! 実際の直径は、数一〇キロはあるのもかもしれない。しかしその大きさが、ピタリ
と一致した!

 しかしこんなことが、実際、ありえるのだろうか。

 もともとこのあたりには、人工的な構造物がたくさん見られ、UFO研究家の間でも、
よく話題になるところである。実際、その二つのクレーターの周囲には、これまた謎に満
ちた影がたくさん写っている。

 そこでさらに調べてみると……というのも、おかしな言い方だが、ともかくも、あちこ
ちのサイトを開いてみると、こうした構造物があるのは、月だけではないことがわかった。
火星はもちろん、水星や、金星にもある。エウロパやエロスにもある。つまりいたるとこ
ろにある。

 こうした写真は、アメリカのNASAから漏れ出たものである。一説によると、月だけ
でも、NASAは、数一〇万枚の写真をもっているという。公開されているのは、そのう
ちの数パーセントにすぎないという。しかも、何かつごうの悪い写真は、修整されたりし
ているという。しかし、クレーターまでは、消せない。それが、ここに書いた、二つのク
レーターである。

【写真に興味のある人は、私のホームページから、(右下・ビデオであいさつ)→(動画コ
ーナー)へと進んでみてほしい。一覧表の中から、月のクレーターを選んでクリックすれ
ば、その写真を見ていただける。】

●下からの視点、上からの視点

 地球上にいて、それこそ地上のカビのような存在でしかない私。その私がはいつくばっ
て東洋医学の勉強をした。その私が、天を見あげながら、「ひょっとしたら……」と考える。

 一方、宇宙には、すでに無数のエイリアンたちがいて、惑星間を回りながら、好き勝手
なことをしている。中には、月そのものが、巨大なUFOだと主張する科学者さえいる。

 もちろん私は、宇宙から地球を見ることはできない。しかし頭の中で想像することはで
きる。そしてこれはあくまで、その想像によるものだが、もし私がエイリアンなら、人間
の改造など、何でもない。それこそ、朝飯前? 小学生が電池をつないで、モーターを回
すくらい簡単なことだ。

 この二つの視点……つまり下から天をみあげる視点と、天から人間を見る視点の二つが、
合体したとき、何となく、この問題の謎が解けるような気がする。「この問題」というのは、
まさに「人間に、約五五〇〇年前に起きた変化」ということになる。

 その五五〇〇年前を境に、先に書いたように、人間は、飛躍的に進化する。しかもその
変化は、メチャメチャ。その一つが、少し前に書いた、『黄帝内経』である。黄帝というの
は、司馬遷の「史記」の冒頭を飾る、中国の聖王だが、だからといって、黄帝内経が、黄
帝の時代に書かれたものと言っているのではない。

 中国では古来より、過去の偉人になぞらえて、自説を権威づけするという手法が、一般
的になされてきた。黄帝内経は、そうして生まれたという説もある。しかし同時期、メソ
ポタミアで起きたことが、そののち、アッシリア物語として記録され、さらにそれが母体
となって旧約聖書が生まれている。黄帝内経が、黄帝とまったく関係がないとは、私には、
どうしても思われない。

●秋の夜のロマン

 あるとき、何らかの理由で、人間が、エイリアンたちによって、改造された。今でいう、
遺伝子工学を使った方法だったかもしれない。

 そして人間は、原始人から、今でいう人間に改造された。理由はわからない。あるいは
エイリアンの気まぐれだったかもしれない。とりあえずエイリアンたちが選んだ原始人は
黄河流域に住んでいた原始人と、チグリス川、ユーフラテス川流域に住んでいた原始人で
ある。

 改造された原始人は、もうつぎの世代には、今でいう現代人とほとんど違わない知的能
力をもつようになった。そこでエイリアンたちは、人間を教育することにした。言葉を教
え、文字を教えた。証拠がないわけではない。

 中国に残る甲骨文字と、メソポタミアに残る楔形(くさびがた)文字は、たいへんよく
似ている。形だけではない。

 中国では、「帝」を、「*」(この形に似た甲骨文字)と書き、今でも「di」と発音する。
「天から来た、神」という意味である。一方、メソポタミアでは、「神」を、同じく、「*」
(この形に似た楔形文字)と書き、「dingir」と発音した。星という意味と、神とい
う意味である。メソポタミアでは、神(エホバ)は、星から来たと信じられていた。(詳し
くは、私が書いた本「目で見る漢方診断」(飛鳥新社)を読んでいただきたい。)

 つまり黄河文明でも、メソポタミア文明でも、神は「*」。発音も、同じだったというこ
と。が、これだけではない。言葉の使い方まで、同じだった。

 古代中国では、「帝堯(ぎょう)」「帝舜(しゅん)」というように、「位」を、先につけて
呼ぶならわしがあった。(今では、反対に「~~帝」とあとにつける。)メソポタミアでも、
「dingir ~~」というように、先につけて呼んでいた。(英語国などでも、位名を
先に言う。)

 こうして今に見る人間が生まれたわけだが、それがはたして人間にとって幸福なことだ
ったのかどうかということになると、私にも、よくわからない。

 知的な意味では、たしかに人間は飛躍的に進化した。しかしここでも、「だからどうな
の?」という部分がない。ないまま進化してしまった。それはたとえて言うなら、まさに
そこらのサルに知恵だけ与えたようなものである。

 わかりやすく言えば、原始的で未発達な脳の部分と、高度に知的な脳の部分が、同居す
ることになってしまった。人間は、そのとたん、きわめてアンバランスな生物になってし
まった。人間がもつ、諸悪の根源は、すべてここにある?

 ……これが私の考える、秋の大ロマンである。もちろん、ロマン。SF(科学空想)。し
かしそんなことを考えながら天の星々を見ていると、不思議な気分に襲われる。どんどん
と自分が小さくなっていく一方で、それとは反比例して、どんどんと自分が大きくなって
いく。「人間は宇宙のカビ」と思う一方で、「人間は宇宙の創造主」と思う。相矛盾した自
分が、かぎりなく自分の中で、ウズを巻く。

 あさって(二七日)も、天気がよければ、望遠鏡で、月をのぞくつもり。山荘から見る
夜空は、どこまでも明るい。
(030925)


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

(今日・あれこれ)(7月28日)

++++++++++++++++

ここ数日、UFOについて考えている。
と、同時に、「自分はとんでもないことを
書いている」という気分から、抜け出る
ことができない。

向こう岸の見えない、湖に飛び込んだ
ような気分とでも書くべきか?

つかみどろこがない。
直接、そうした問題と取り組んでいる
わけでもない。
ゆいいつの接点は、かつて、巨大なUFO
を見たことがあるというだけ。

まるで雲をつかむような話というのは、
こういうことを言うのか。

しかしこれは重大な問題と言ってもよい。

もし月が空洞で、人工的に建造された
宇宙船であるとするなら、人間の
歴史そのものがひっくり返ってしまう。
過去のありとあらゆる出来ごとが、すべて
UFO現象と関連づけて考えられるように
なるかもしれない。

そうなったときの混乱と騒動には、
想像を絶するものがある。
その前に、人間は、そうした混乱と
騒動に耐えることができるだろうか。

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Hiroshi Hayashi+++++++May. 2011++++++はやし浩司・林浩司



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【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【宇宙人は、存在する!】(改)(Aliens are definitely out there!)

Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

驚くべきニュースが、伝えられた。
時事通信、7月25日、ニューヨーク発は、
つぎのように伝える。
その記事を、そのまま紹介する。
まさに驚愕すべきニュースである。

Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

++++++++++以下、時事通信より+++++++++++++

【ニューヨーク 25日時事】米航空宇宙局(NASA)の元宇宙飛行士が英国の音楽専門ラ
ジオ局のインタビューで、政府は宇宙人の存在を隠ぺいしていると発言。米英メディアが
相次いで報じる騒ぎに発展した。

 この元宇宙飛行士は、1971年に打ち上げられたアポロ14号の元乗組員、エドガー・
ミッチェル氏(77)。

 同氏は23日の放送で、政府は過去60年にわたり宇宙人の存在を隠してきたが、「われ
われのうちの何人かは一部情報について説明を受ける幸運に浴した」と説明。宇宙人は「奇
妙で小さな人々」と呼ばれているなどと語った。(ヤフー・ニュースより転載) 

++++++++++以上、時事通信より+++++++++++++

この記事の信憑性を確かめることにした。
が、それは今日(7月25日)、オーストラリアの友人が送ってくれた情報の中に、含まれ
ていた。

それをそのまま紹介する。
訳は急いで私がつけたが、あえて、原文に忠実に訳してみた。
(荒っぽい訳なので、後日、改めて訳し直してみたい。)

++++++++++++++以下、NEW.COM.AUより+++++++++

FORMER NASA astronaut and moon-walker Dr Edgar Mitchell - a veteran of the Apollo
14 mission - has stunningly claimed aliens exist.
月面歩行者であり、元NASAのベテラン宇宙飛行士である、エドガー・ミシェル博士(ア
ポロ14号のベテラン飛行士)が、「宇宙人は存在する」と強く主張した。

And he says extra-terrestrials have visited Earth on several occasions - but the alien
contact has been repeatedly covered up by governments for six decades.
彼が言うには、外惑星人は、地球を、何度かに渡って訪問しているとのこと。しかし宇宙
人とのコンタクト(接触)は、この60年間、政府によって繰り返し、隠蔽されてきた、
という。

Dr Mitchell, 77, said during a radio interview that sources at the space agency who had
had contact with aliens described the beings as 'little people who look strange to us.'
77歳のミシェル博士は、ラジオ・インタビューの中で、宇宙人と接触したことのある宇
宙局(の係官)は、その生き物を、『ワレワレには奇妙に見える小さな人々』と表現したと
語った。

He said supposedly real-life ET's were similar to the traditional image of a small frame,
large eyes and head.
ミシェル博士は、本物のETは、小さな体の、大きな目と頭をもった、あのよく知られて
いる(=伝統的な)イメージに似ていると思っていると語った。

Chillingly, he claimed our technology is "not nearly as sophisticated" as theirs and "had
they been hostile", he warned "we would be been gone by now".
ミシェル博士は、ワレワレ人間の技術力は、彼らのものととても同程度のものではなく、「も
し彼らが敵対的であるなら、人類は、今ごろは絶滅していただろう」と、警告した。

Dr Mitchell, along with with Apollo 14 commander Alan Shepard, holds the record for
the longest ever moon walk, at nine hours and 17 minutes following their 1971 mission.
ミシェル博士は、アポロ14号のアラン・シェパード船長とともに、1971年のミッシ
ョンでは、9時間17分の最長月面歩行をしたという記録を保持している。

"I happen to have been privileged enough to be in on the fact that we've been visited on
this planet and the UFO phenomena is real," Dr Mitchell said.
ミシェル博士は、「ワレワレは宇宙人によってこの惑星を訪問され、またUFO現象は事実
であるという事実に関して、それをじゅうぶん知りうる立場にあるという特権を、私はた
またまもった」

"It's been well covered up by all our governments for the last 60 years or so, but slowly
it's leaked out and some of us have been privileged to have been briefed on some of it.
「過去60年間、私たち政府すべてによって、それは隠蔽されつづけてきた。しかし少し
ずつ、外に漏れてきた。そしてワレワレの中の何人かは、それらのいくらかの部分につい
て、述べるという特権を与えられた」

"I've been in military and intelligence circles, who know that beneath the surface of
what has been public knowledge, yes - we have been visited. Reading the papers
recently, it's been happening quite a bit."
「私は軍と情報部に属してきた。軍と情報局は、一般的に知られているその表面下で、(そ
うだとも)、ワレワレは訪問を受けていたということを知っている。最近の新聞を読めば、
それがたいへんしばしば起きてきたということがわかる」と。

Dr Mitchell, who has a Bachelor of Science degree in aeronautical engineering and a
Doctor of Science degree in Aeronautics and Astronautics claimed Roswell was real and
similar alien visits continue to be investigated.
ミシェル博士、つまり航空工学分野の科学学士号、ならびに、航空力学ならびに宇宙船学
の博士号をもっているが、ロズウェルは現実にあったと主張し、同様の宇宙人の訪問は、
調査されていると語った。

He told the astonished Kerrang! radio host Nick Margerrison: "This is really starting to
open up. I think we're headed for real disclosure and some serious organisations are
moving in that direction."
ミシェル博士は、驚いているケラング・ラジオ局のホストである、ニック・マーゲリソン
にこう語った。「これは情報開示の第一歩であり、私たちがその開示の先頭にいる。いくつ
かの重要な組織が、その方向で動きつつある」と。

Mr Margerrison said: "I thought I'd stumbled on some sort of astronaut humour but he
was absolutely serious that aliens are definitely out there and there's no debating it."
マーゲリソンは、語った。「私は宇宙船乗組員のユーモアと思ったが、(ミシェル博士は)、
まったく真剣だった。彼は宇宙人は、確実にそこにいて、議論の余地はないと語った」と。

Officials from NASA, however, were quick to play the comments down.
しかしNASAの高官はすかさず、つぎのようなコメントを発表した。

In a statement, a spokesman said: "NASA does not track UFOs. NASA is not involved in
any sort of cover up about alien life on this planet or anywhere in the universe.
その中で、スポークスマンは、「NASAは、UFOの存在を確認していない。NASAは、
この惑星上の宇宙生命体について、この惑星においても、また宇宙においても、どこでも、
いかなる隠蔽にも関与していない」。

'Dr Mitchell is a great American, but we do not share his opinions on this issue.'
「ミシェル博士は、偉大なアメリカ人だが、ワレワレ(=NASA)は、この問題につい
て、彼の意見と共にすることはない」と。

++++++++++++++++++以上、NEW.COM.AUより++++++++

+++++++++以下、オーストラリアUFO研究団体のHPより++
A RECENT spate of UFO sightings around the world has believers in a frenzy, but even
the inside scoop from a former astronaut is not enough to sway the sceptics.
Yesterday, aliens popped up in the news again as NASA sought to distance itself from
former Apollo 14 astronaut Edgar Mitchell who claimed extra-terrestrials have been
coming to visit for decades.

Dr Mitchell, 77, said governments had been covering it up for 60 years.

"I've been in military and intelligence circles, who know that beneath the surface of
what has been public knowledge, yes - we have been visited. Reading the papers
recently, it's been happening quite a bit," he said.

Dr Mitchell's former bosses were quick to distance themselves from the renewed buzz.
"NASA does not track UFOs. NASA is not involved in any sort of cover up about alien
life on this planet or anywhere in the universe," the agency said.
But the Australian Skeptics were not impressed by what Dr Mitchell - or anyone else -
thought they saw.  Skeptic spokesman Barry Williams said today the truth was closer
to home: it's all in your head, and you're wrong.
"We love mysteries and we love solving them, just look at how popular crime fiction and
crime TV shows are," Mr Williams said. "The brain needs to find answers, it can't
stand not knowing, so it comes to an explanation and quite often it's wrong."

+++++++++以下、オーストラリアUFO研究団体のHPより++

+++++++++++++++はやし浩司

しかし私はこの記事を読んだとき、肩から、スーッと力が抜けていくのを感じた。
「やはり、そうだったのだ」と。

私とワイフは、35年近くの前の夜のこと、散歩中に、巨大なUFOを目撃している。
以来、「あの夜、私たちが見たものは何だったのか」と、それをずっと考えてきた。
が、「考える」といっても、相手は、煙のような存在。
手でつかまえようとしても、いつもそのままどこかへ消えてしまう。
この35年間、その歯がゆさとの闘いだった。

しかしとうとう、告白者が現れた。
アポロ14号の元乗組員、エドガー・ミッシェル氏である。
これ以上の証言者が、ほかにいるだろうか。

しかも、60年前といえば、「1947年のロズウェル事件」と、重なる。
60年前、アメリカのロズウェルというところに、UFOが墜落している。
エドガー・ミッシェル氏がいう「60年前」と、「1947年のロズウェル事件」とを結び
つけるのは、まだ早計かもしれない。
しかしほかに結びつく話が、ない。

で、「奇妙で小さな人々」とは、どんな人々をいうのか。
ロズウェルでのUFO墜落事件では、「グレイ」とそののち呼ばれるようになった、小さな
体の宇宙人が、アメリカ軍によって収容されている。
エドガー・ミシェル氏が言うところの、「小さな人々」というのは、その「グレイ」のこと
をさすのか。

今のところ詳細は不明だが、エドガー・ミッシェル氏の勇気に、敬意を表したい。
おそらくこれからしばらくの間、エドガー・ミシェル氏は、アメリカ政府内の、そのスジに
人たちによる、猛攻撃にさらされるにちがいない。
ばあいによっては、逮捕、投獄されるかもしれない。
しかしそんなことをすれば、かえってエドガー・ミシェル氏の正当性が、証明されるよう
なもの。

……私は何度も、この記事を読みなおした。
「UFOを見た」というだけで、この日本では、奇人扱いされる。
しかし見たものは、見た。
記憶の中で、もう何千回も、反復してみたが、見たものは見た。
たったそれだけのことだが、そのつど、同時に私は、(私のワイフもそうだろうが……)、
自分の脳みそを疑わねばならなかった。

が、この記事で、私はその重圧感から、解放された。
「やはり、そうだったのか」と。

私たちがあの夜見たものは、やはりUFOだった。
宇宙人が操縦する、UFOだった。
今まで、私やワイフを奇人扱いしてきた者どもよ、悔しかったら、この記事を自分で読ん
でみることだ!

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 
Hiroshi Hayashi education essayist writer Japanese essayist 宇宙人 宇宙人は存在した
 アポロ14号 エドガー・ミシェル Dr Edgar Mitchell ET ALIEN エイリア
ン ロズウェル グレイ 宇宙人 はやし浩司)

++++++++++++++++

私たちが見たUFOについて書いた
記事がつぎのものです。
地元の中日新聞に掲載してもらいました。

++++++++++++++++

●見たぞ、巨大なUFO!

 見たものは見た。巨大なUFO、だ。ハバが一、二キロはあった。しかも私と女房の二
人で、それを見た。見たことにはまちがいないのだが、何しろ二十五年近くも前のことで
「ひょっとしたら…」という迷いはある。が、その後、何回となく女房と確かめあったが、
いつも結論は同じ。「まちがいなく、あれはUFOだった」。

 その夜、私たちは、いつものようにアパートの近くを散歩していた。時刻は真夜中の十
二時を過ぎていた。そのときだ。何の気なしに空を見上げると、淡いだいだい色の丸いも
のが、並んで飛んでいるのがわかった。私は最初、それをヨタカか何かの鳥が並んで飛ん
でいるのだと思った。そう思って、その数をゆっくりと数えはじめた。

あとで聞くと女房も同じことをしていたという。が、それを五、六個まで数えたとき、私
は背筋が凍りつくのを覚えた。その丸いものを囲むように、夜空よりさらに黒い「く」の
字型の物体がそこに現れたからだ。私がヨタカだと思ったのは、その物体の窓らしきもの
だった。「ああ」と声を出すと、その物体は突然速度をあげ、反対の方向に、音もなく飛び
去っていった。

 翌朝一番に浜松の航空自衛隊に電話をした。その物体が基地のほうから飛んできたから
だ。が、どの部署に電話をかけても「そういう報告はありません」と。もちろん私もそれ
がUFOとは思っていなかった。私の知っていたUFOは、いわゆるアダムスキー型のも
ので、UFOに、まさかそれほどまでに巨大なものがあるとは思ってもみなかった。が、
このことを矢追純一氏(UFO研究家)に話すと、矢追氏は袋いっぱいのUFOの写真を
届けてくれた。

当時私はアルバイトで、日本テレビの「11PM」という番組の企画を手伝っていた。矢
追氏はその番組のディレクターをしていた。あのユリ・ゲラーを日本へ連れてきた人でも
ある。私と女房はその中の一枚の写真に釘づけになった。私たちが見たのと、まったく同
じ形のUFOがあったからだ。

 宇宙人がいるかいないかということになれば、私はいると思う。人間だけが宇宙の生物
と考えるのは、人間だけが地球上の生物と考えるくらい、おかしなことだ。そしてその
宙人(多分、そうなのだろうが…)が、UFOに乗って地球へやってきてもおかしくはな
い。

もしあの夜見たものが、目の錯覚だとか、飛行機の見まちがいだとか言う人がいたら、私
はその人と闘う。闘っても意味がないが、闘う。私はウソを書いてまで、このコラム欄を
汚したくないし、第一ウソということになれば、私は女房の信頼を失うことになる。

 …とまあ、教育コラムの中で、とんでもないことを書いてしまった。この話をすると、「君
は教育評論家を名乗っているのだから、そういう話はしないほうがよい。君の資質が疑わ
れる」と言う人もいる。しかし私はそういうふうにワクで判断されるのが、好きではない。
文を書くといっても、教育評論だけではない。小説もエッセイも実用書も書く。ノンフィ
クションも得意な分野だ。東洋医学に関する本も三冊書いたし、宗教論に関する本も五冊
書いた。うち四冊は中国語にも翻訳されている。

 そんなわけで私は、いつも「教育」というカベを超えた教育論を考えている。たとえば
この世界では、UFOについて語るのはタブーになっている。だからこそあえて、私はそ
れについて書いてみた。

(補記1)

私とワイフの見たUFOは、いわゆる「ブーメラン型」のもので、後に、アリゾナ州のフ
ェニックスで目撃されたUFOと同型のものと思われる。

しかし喜んでばかりは、いられない。
UFOが公然と語られるようになり、それを操縦する宇宙人の存在が明らかになるという
ことは、それだけ人類滅亡の危機が迫っていることを示す。

いつだったかこれについて詳しく書いたことがあるが、人類に希望があるかぎり、宇宙人
は、人類の前に姿を現すことはない。

しかしその希望がなくなったとき、宇宙人は、自らの姿を、私たち地球人の前に現すであ
ろう。
そのことは、宇宙人という外惑星人に視点を置いてみるとわかる。
近い将来、絶滅するとわかっている地球人に対して、どうして自分たちの存在を隠さなけ
ればならないのか。

言うまでもなく、地球温暖化(Global Warming)の問題は、それほどまでに深刻になりつつ
あるということ。
2100年までに、地球の平均気温は、4~6度も上昇するというが、しかし気温上昇が、
2100年で止まるわけではない。
仮にここで今、化石燃料の使用を停止したところで、その後も、不測の事態がさらなる不
測の事態を招き、地球の平均気温は、さらに上昇する。
2200年までに、さらに4~6度(この数字とて、控えめなものだが……)上昇すると
考えるのは、甘い。
一説によると、その後、地球の平均気温は、二次曲線的に上昇し、最終的には、400度
Cにまで上昇するという。

私が「地球火星化」という言葉を使うのは、そのためである。
そう、まさに地球は、火星化する。

エドガー・ミシェル博士の告白を、「希望」ととるか、それとも「絶望」ととるか。
とても残念なことだが、私は、「絶望」ととる。

(補記2)

宇宙人の存在が、ここまで確定的に断言されると、つぎに私たちは、こう考える。
「では、現在、エイリアンたちは、どこに住んでいるか」「またどんな生き物なのか」と。

これについては、すでに多くの研究家たちが、つぎのような推論をくだしている。

(1)彼らは、月などの衛星内部をくりぬいて、その中に居住している。

ほかにも、火星や木星の衛星が考えられている。
地球へ自由にやってくることからもわかるように、彼らは、すでに地球上の細菌やウィル
スに対して、免疫性をもっているか、あるいは人間の兄弟的存在であると考えてよい。

地球上で二足歩行できるということであれば、彼らが住む居住空間の重力は、この地球と
ほとんど変わらないということになる。
少なくとも、無重力状態ではないらしい。

(2)地球よりは弱い重力の世界で、そこは薄暗い空間である。

巨大な目と瞳をもっているということから、(あくまでも人間と比較しての話だが……)、
かなり暗い空間に住んでいるものと想像される。
恐らく地球の夜程度の光があれば、あたかも私たちが日中に、景色を見るように、夜の景
色を見ることができるはず。
反対に、日中は、光がまぶしくて、何も見えないかもしれない。
そのため眼球に直接張りつける、黒いサン・スクリーンのようなものを、装着している。

また頭が巨大であることから、人間のように、母体の産道を通り抜けて生まれるタイプの
生物ではないらしい。
恐らく体外受精による、人工胎盤によって育成されるタイプの生物と考えてよい。

(3)性格はきわめて温厚で、平和的である。

エドガー・ミシェル博士も述べているように、「もし彼らが人類に対して敵対的であるなら、
人類は、とっくの昔に絶滅していただろう」ということになる。
またそうであるからこそ、彼らもまた、ここまで進化するにまで、存在することができた。
仮に人間のように、好戦的で、挑発的であったとしたら、宇宙人といえども、その進化の
過程で、戦争を繰りかえし、絶滅していたはずである。

が、これから先のことはわからない。
「このまま地球人を生かしておいたら、人類どころか、地球そのものが、火星化してしま
う」とわかれば、宇宙人のほうも、遠慮していないだろう。
私の印象では、この太陽系の中で、彼らの食糧を生産できるのは、この地球だけというこ
とになる。
地球が火星化すれば、彼らとて、絶滅の危機に直面することになる。

彼らが公然とその姿を、地球人の前にさらけ出したとき、すなわちそのときこそが、地球
人の最期ということになる。

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 
Hiroshi Hayashi education essayist writer Japanese essayist エイリアン ET 宇宙
人)


Hiroshi Hayashi++++++++July.08++++++++++はやし浩司

●多治見で39度!

++++++++++++++++++H.Hayashi

今日(7月25日)、岐阜県多治見市で、最高気温39・0度を記録した。
猛烈な暑さである。
この浜松市でも、37・5度!
ちょうどその時刻に、私とワイフは、街中を歩いていた。
乾いた、肌を貫くような白い太陽光が、容赦なく天から降っていた。
「暑い」というよりは、「熱い」。
そんな感じだった。
私とワイフは、駐車しておいた車に飛び乗ると、クーラーをガンガンと
回した。

++++++++++++++++++H.Hayashi

●宇宙人(ET)の話、PART2

●人間と宇宙人

昨日、久しぶりにUFOの話を、書いた。
あえて言うなら、「夏の夜のロマン」というところか。
UFOについて書けば、かえって変人扱いされるだけ。
「君は教育評論家を名乗っているのだから、そういうことを書くのは、
やめたほうがいい」と忠告してくれた人もいた。

が、あのE・ミシェル元宇宙飛行士が、「UFO現象は、現実(real)である」
「宇宙人(ET)は存在する(real)」と断言した。

久々に、胸の内がスカッとする、ビッグ・ニュースである。

しかし問題がないわけではない。
私はかねてから、こう書いてきた。
「宇宙人がおおっぴらに、人間の前に姿を現すのは、人類最期のときである」と。
宇宙人にしても、自ら身を隠す必要がある間は、身を隠す。
少なくとも、存在を明らかにする必要がないときは、身を隠す。
あえて地球人である人間を、混乱させる必要はない。

それは自然動物園を守る、管理者の心理に共通する。
動物園内の動物は、できるだけそっとしておいてやるのがよい。
自然動物保護の世界には、『暖かい無視』という言葉さえある。
あれこれ人間が手出しするのは、最低限がよいという意味である。

しかしもし動物園の中が混乱し始めたとしたらどうだろうか。
動物たちがともに殺しあったり、施設を勝手に破壊し始めたとしたら……。
当然のことながら、自然動物園の管理者たちは、園の中に割って入り、動物たちを
隔離したり、保護したりするだろう。

それだけではない。

宇宙人にしても、この地球が、太陽系の中でも、食糧が確保できるゆいいつの惑星と
考えてよい。
一説によれば、宇宙人たちは、海草を中心とする、ヨード系の食物を口にしている
と言われている。
地球の温暖化が進んで、そうした食物の確保がむずかしくなるということになれば、
彼らにとっても、重大問題ということになる。
だまって見過ごすわけにはいかない。

●どこに住んでいるか?

すでに40年ほど前から、『月空洞説』(「月の先住者たち」)というのがあった。
旧ソ連の2人の科学者が言い出した説だが、根拠はいろいろある。
その第一は、月が体積に比して、比重が軽すぎるということ。
また月全体がまるで釣鐘のようになっていて、人工的に起こした地震波が、
いつまでも月の表面を伝わるなどの現象ガー・ミられる、など。

この月空洞説に、UFO基地説に重ね合わせてみると、今まで合点のいかなかった
ことが、頭の中ですっきりする。
ジグソーパズルをしていて、コマがぴったり重なったときのような気分である。

一方、宇宙人にしても、月の内部ほど、快適な居住空間はない。

重力は、地球の6分の1、あるいは場所によっては、それ以下。
(だから穴を掘るのも、楽?)
太陽からの有害な放射線は、月の厚い岩石が防いでくれる。
一見荒唐無稽な話に聞こえるかもしれないが、考えれば考えるほど、つじつまが
合ってくる。

事実、アポロ飛行士の中には、月のクレーターの間から出入りするUFOを
目撃した人もいるという。
さらに太古の昔、チベットには、天に使者に連れられて、月の内部の世界を見たという
伝説まで残っている。
私たちが今に見る、絵曼荼羅は、その月の内部の世界を表現したものだと説く研究家も
いる。

今の段階では、すべて風説ということになっているがUFOの存在が
確認され、宇宙人の存在が確認されれば、そのひとつひとつが、人類の
歴史をひっくり返すような(事実)となって、表に出てくる。

アメリカのNASAが心配するまでもなく、人間に与える衝撃には、はかり
しれないものがある。

●人類は、宇宙人の子孫なのか?

若いころ中国に伝わる『黄帝内経(こうていだいけい)』という本を調べているとき、
そのとほうもない科学性に驚いたことがある。
「地球は球である」「地球は虚空の宇宙を回転しながら浮かんでいる」という記述にも
出会った。
(詳しくは、私のHP上で紹介。)

宇宙人がそこにいたとするなら、当然のことながら、私たちは常に、宇宙人の監視と
指導を受けてきたと考えるのが、自然である。
(そうでないと考えるのは、その数百倍も、不自然である。)

「指導」といっても、直接的な会話によるものもあっただろうが、もう少し高度な
立場では、たとえば遺伝子操作による人間の改造も、考えられる。
直接人間の脳みその中に、情報チップを埋め込むという方法も、あるだろう。
「将来的にはそういう方法も可能になる」と、あのホーキング博士も書いている。

少なくとも、今から5500年前を境として、人類は、それまでの新石器時代から、
青銅器、鉄器時代へと、飛躍的に進化している。
このころ、黄河文明が生まれ、チグリス・ユーフラテス文明生まれた。
文字の発明も、このころと考えてよい。
で、先にあげた「黄帝内経」の「黄帝」というのは、司馬遷の「史記」の第1ページ目を
飾る黄帝である。

●超高度な文明?

宇宙人がもっている技術力は、人間のそれをはるかに超えたものと考えるのが自然である。
すでに数十世紀にわたって、このあたりの宇宙を自由に航行していたであろうということ。
それだけでも、彼らのものすごさがわかる。
私とワイフが目撃した巨大なUFOしても、頭上にきたあとは、猛スピードで、
東の空に消えていった。
まるで空に溶け込むかのように、だ。

人間が乗っている飛行機とは、比べものにならない。

一方、今、私たちが最先端の技術として手にしている、コンピュータ技術、遺伝子工学、
宇宙工学などにしても、この半世紀の歴史しかない。
おそらく宇宙人の目に映る人間は、チンパンジーか何かのようではないか。

E・ミッシェル博士が指摘するまでもなく、「もし彼らが敵対的であるなら、人類は
とっくの昔に、滅びていただろう」ということになる。
考えるだけでも恐ろしいことだが、宇宙人がその気にさえなったら、人類など、
部屋の中のハエを殺虫剤で殺すほど簡単に、殺してしまうかもしれない。

●なぜ、今なのか?

しかしなぜ、今なのか?
5500年前から人類にかかわってきたとしても、彼らはけっして、その姿を
おおっぴらに、私たちの前に現すことはなかった。
が、なぜ、今なのか?

E・ミッシェル博士は「さらに重大な開示が予定されている」と述べている。
言葉通りに解釈すれば、もっとはっきりとした証拠なり事実が示されるということに
なる。

だとすると、さらに「なぜ、今なのか?」という疑問が膨らんでくる。

が、今さら、言うまでもない。
この問題は、地球温暖化と、深くかかわりあっている。
現在考えられている対策がすべて実行されたとしても、2100年までには、日本の
気温についてだけをみても、4~5度も上昇するという。

中には、「たった4~5度?」と思う人もいるかもしれないが、4~5度もあがれば、
真冬でも、現在の夏のような気候になる。
地球温暖化の影響は、赤道付近よりも、南北の極地方、また季節で言えば、寒い冬の
ほうに、より大きく現れる。

が、そこで地球温暖化が止まるわけではない。
2100年以後も、また2200年以後も、つづく。
2300年以後もつづく。

そのとき、地球は、どうなっているか?

地球温暖化の問題よりも、私は人類の精神の荒廃のほうを危惧する。
自暴自棄になった人々が、それこそどんなことをしでかすようになるか、
私はそれを心配する。
それこそ地獄絵図そのままの世界が、そのまま具現化される。

●宇宙人の視点で……

そんなとき、もしあなたが宇宙人なら、どうするだろうか?
それをだまって見ているだろうか。
それとも、人間の世界に、積極的に介入していくだろうか。

人間の私が、自分たちの心理状態を基本に、彼らの心を推し量るのは正しくない。
彼らは、私たち人間とはまったくちがった、思考回路をもっている。
感情の中身もちがうだろう。
精神構造もちがうだろう。
ひょっとしたら、人間がもっているような、喜怒哀楽の感情はないかもしれない。
あるいは反対に、たいへん愛情深く、慈愛に満ちた生物かもしれない。

ひょっとしたら、旧約聖書の中に出てくる、「ソドムとゴモラ」のように、
一気に、人間を焼き払ってしまうかもしれない。

が、反対に、ひょっとしたら人間の愚かさを指摘し、人間を指導し、
さらには地球温暖化防止のための知識を分け与えてくれるかもしれない。
が、そこまで期待できるかどうかというと、それはむずかしい。
反対の立場で、「私たち人間は、生き延びる価値があるかどうか」ということを
考えみれば、それがわかる。

あるいは、あなたならどうだろうか。
だれかに、「あなたは生き延びる価値があるかどうか」と聞かれたら、
あなたは何と答えるだろうか。

●宇宙人の限界

が、宇宙人が、全知全能かというと、私は、そうは思わない。
絶対的な(数)、つまり人口そのものが少ないということも考えられる。
あるいは、宇宙人と呼ばれる(人)は、実は(人)ではない可能性もある。

もっとメカニックな、つまり人間が手にした人工知能のかたまりのようであるかも
しれない。

……と書くと、「あのグレイは何か?」と思う人もいるかもしれない。
あのグレイ(本物かどうかは別として)、どこか人間的な体をしている。
しかしあのグレイをもって、宇宙人とするには、少し、無理がある。
私は、親分格の宇宙人は、もっと別の場所にいるのではないかと思っている。
別の場所にいて、グレイのような手下を、ロボットのようにして使っている?

つまりこのあたりに、宇宙人のもつ力の限界がある。
「なぜ人間の前に姿を現さないのか?」という問題にしても、単純に考えれば、
「それができないから」ということになる。
その(できない)部分が、そのまま彼らの(限界)ということになる。

●事実の一端

E・ミシェル博士のような人の発言を聞いて、私は、ほっとしている。
「いつか、そういう人が現れて、真実を語ってくれるだろう」とは思っていた。
しかしその一方で、「私が生きている間に、それをしてくれるだろうか」という
不安もあった。

「間に合った」という言い方は、どこかおかしいかもしれないが、間に合った。
あの夜以来、ずっと私とワイフは考えてきた。
ときどき「夢だった」と、自分にそう思い込ませようとしたこともある。
しかし私たちの結論は、いつも同じだった。
「見たものは、見た」。

そこで私はいつしか、「自分が死ぬまでに、あの夜見たUFOの正体を知りたい」
と思うようになった。
E・ミシェル博士の発言は、その一端を、私につかませてくれたことになる。
「私は、やはり、見たのだ」と。

●心の準備

この先、E・ミシェル博士が語っているように、「さらに重大な(serious)な発表」
がつづくかどうか、今の私にはわからない。
しかしそれよりも重要なことは、そういう発表があるという前提で、私たち自身が、
それに備えて、心の準備をしておくということ。

これは映画の中の話ではない。
現実の話である。

もし宇宙人の存在が確実になったとしたら、宗教はもちろん、歴史すらも、その
根底からひっくり返ることになる。
そうした混乱に、人間は、どう対処したらよいのか。
また対処できるだけの度量はあるのか。
これはあくまでも仮定の話だが、仮に、(あくまでも仮に)、あのイエス・キリスト
ですら、宇宙人とかかわりをもっていたとしたら、それだけで、キリスト教その
ものが、ひっくり返ってしまう。

「今までの歴史は何だったのか」ということにもなるだろう。
あるいは今の今、神に救いを求めている人もいるはず。
そういう人たちは、信仰の基盤を、根元から破壊されてしまうことにもなりかねない。
この問題だけは、「宇宙人がいます」「はい、そうですか」というレベルで片づけられ
るような、単純なものではない。

夏の夜、あなたも、あの月を見ながら、そんなことを考えてみるとよい。
そこには、とてつもないほど壮大なロマンが隠されている。

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 
Hiroshi Hayashi education essayist writer Japanese essayist 壮大なロマン

【月は、巨大な宇宙船か?】以上、【電子マガジン・2008年8月号より、転載】


Hiroshi Hayashi+++++++May. 2011++++++はやし浩司・林浩司