Education in Front-Line and Essays by Hiroshi Hayashi (はやし浩司)

(Mr.) Hiroshi Hayashi, a professional writer who has written more than 30 his own books on Education, Chinese Medical science and Religion in Japan. My web-site is: http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/ Please don't hesitate to visit my web-site, which is always welcome!!

Monday, February 28, 2011

●オーストラリアへ(1)

【年長児に、展開図を教えてみる】(実験教室byはやし浩司)2011-02-28

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(1)

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(2)

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(3)

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(4)

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Hiroshi Hayashi+++++++Feb. 2011++++++はやし浩司・林浩司

【心は、オーストラリアに】

●青春時代

 青春時代が、人生の入り口?
青春時代が、人生のスターティング・ポイントと、だれが言ったか。
とんでもない!
これはウソ。
青春時代は、人生のスターティング・ポイントなどではない。
人生のゴールそのもの。

 人は青春時代という門をくぐって、おとなの世界に飛び込む。
それはその通りだが、青春時代は、いつも私たちの行く道を照らす。
丘の上に立つ灯台のようなもの。
私たちはその灯台の照らす道に沿って、前に進むだけ。
行けども行けども、その先にあるのは、あの青春時代。

●戦後のあのドサクサ

 とくに私は、戦後のあのドサクサの時代に、生まれ育った。
教育の「キ」のない時代だった。
親たちも食べていくだけで精一杯。
貧しいには貧しかった。

少し前のベトナム。
現在のアフガニスタン。
あるいはベトナムやタイでもよい。

そういう国々を見れば、それがわかる。
そういう国々を見ると、私は子どものころの日本を思い出す。
当時の日本と、それほどちがわない。
が、それほどちがわないことは、今になってわかること。
そのときはわからなかった。
貧しいのが当時は、当たり前。
私だけではない。
みな、そうだった。

● 拾ったお金

すべてをあの時代の責任にすることはできない。
しかし私たちは、よい意味で、たくましく、悪い意味で、小ずるかった。
またそうでないと生きていかれなかった。
たとえば道路にお金が落ちていたとする。
そういうお金は、先に見つけた者のもの。
あるいは走って駆け寄り、先に手にした者のもの。
だれが交番などに、届けただろうか。

 だから今でも、私は子どもたちにこう教えながら、心のどこかで違和感を覚える。
「拾ったお金は、交番に届けよう」と。

 そういう私が、自分の人生の中で、かろうじて、ほんとうにかろうじて、
道を踏み外さなかったのは、あの灯台があったから。
青春時代という、あの灯台があったから。
「私は最高の教育を受けた」という、その誇り。
それが私の道を照らしてくれた。

●1日が1年

 ほとんどの宗教は、「聖地」というのをもっている。
心のより所。
冒(おか)してはいけない、神聖な場所。
もし私にも聖地というものがある。
それがまぎれもなく、あのカレッジ。
「241 ローヤル・パレード インターナショナル・ハウス」。
私はそこで、毎日、1日を1年のように長く感じながら生きた。

 ある夜のこと。
一日が終わり、ベッドに身を横たえたとき、こう思った。
「まだ、たった3か月しかたっていないのか!」と。
私には、それまでの3か月が、何十年も長く感じた。
けっして、誇張しているのではない。
大げさに書いているのでもない。
本当に、そう感じた。

 私は石川県の金沢市にある金沢大学を出た。
そこで私は4年間を過ごした。
が、たった数日で、私は4年分の思い出を作った。
本当にそう感じた。

 そしてベッドから天井を見上げ、こう思った。
「まだこんな生活が、9か月も続くのか!」と。

 そんな自分が、うれしくてたまらなかった。

●自由

 すべてが珍しかった。
まだ日本には、綿棒もバンドエイドもなかった。
買い物にしても、そうだ。
オーストラリア人は、オレンジを袋単位で買っていた。
今では、日本のどこでも見られる光景だが、日本人の私には信じられなかった。
私たちの時代には、一個買いが常識だった。
私たちは、ミカンにせよ、リンゴにせよ、一個、いくらで買っていた。

 が、何よりも驚いたのは、男女の関係だった。
大学の構内でも、男女が手をつないで歩き、ときどき抱き合って、接吻をしていた。
金沢大学では、見たこともない光景だった。

 すべてが珍しく、すべてが驚きだった。
そのひとつひとつが、私の脳に、強烈な印象を残した。

 私はオーストラリアで、生まれてはじめて「自由」というものを知った。
見せかけの自由ではない。
作られた自由でもない。
本物の自由である。
オーストラリアには、それがあった。
同時に、日本には、それがなかった。
その落差には、ものすごいものがあった。

●豊かな生活

 オーストラリアは豊かな国だった。
1970年代は、そうだった。
世界でも1、2位を争っていた。
そういうオーストラリアを、オーストラリア人自ら、「ラッキーカントリー」と
呼んでいた。
「それほど働かなくても、豊かな生活ができる」と。

 今でこそ、どこの家にもDVDの再生装置があり、大画面で映画を観ることができる。
が、私が友人の家で、映画『アラビアのロレンス』を観たときには、仰天した。
「自宅で、映画を観ている!」と。
当時の日本人には、想像もつかない生活だった。

●ガーデン・シティ

 が、それだけではない。
私がいた当時のメルボルン市は、世界でももっとも温暖で、住みやすい都市として
知られていた。
常に偏東風が吹き、夏と冬の気温差も、日本よりはるかに小さかった。
町の3分の1が、公園とも言われていた。
が、3分の1というと、町の中に公園があるというよりは、公園の中に町がある。
そういった感じになる。
だから今でも、メルボルン市のことを、「ガーデン・シティ」という。
車のナンバープレートにも、そう書いてある。

●トロイ・ドナフュー

 今回、オーストラリアへ行くのは、そのあと、はじめてではない。
そのあと、何回か行っている。
が、今回はちがう。
意味がちがう。
私は、ワイフを連れていく。
「何だ、そんなことか!」と思う人もいるかもしれない。
しかし私にとっては、聖地。
心の聖地。

 友人の取り計らいで、今回は、そのインターナショナル・ハウスに泊まる。
当時は、(現在もそうだろうが)、世界各国からノーベル賞級の学者たちが来ると、
決まってその中にある、ゲストハウスに泊まった。
珍しい人物では、トロイ・ドナフューという映画俳優もいた。
背が高いというより、恐ろしく足の長い男だった。
『ルート66』というテレビ番組に出ていた。

 ランチを食べているとき、みながトロイ・ドナフューを見て、こう言った。
「あいつ、トロイ・ドナフューではないか?」と。
そこで仲間の1人が声をかけてみると、「Yes!」と。
彼はあっさりと、それを認めた。

 今度は、私がそのゲストハウスに泊まる。
ちょうど42年という歳月を経て、今度は、私がそのゲストハウスに泊まる。

●王子や皇太子

 インターナショナル・ハウスは、不思議なカレッジだった。
どのフロアにも、世界中から集まった王子や皇太子たちがいた。
が、慣れというのは、恐ろしい。
私はそこに住んだときから、一度も、彼らの立場を意識したことはない。
相手も、ごくふつうの学生として、私たちと過ごした。

 ただ「金持ちだな」と感じたことは、よくある。
中には、いつもパリッとしたスーツを着ていた男もいた。
あるいはいつも、数人の「友」に囲まれていた男もいた。
私はその男の「友」と思っていたが、あとになって、その国の大使館から
派遣された護衛官と知った。

 そのことは、別の『世にも不思議な留学記』に書いた。

●私1人、だけ

 一方、オーストラリア人たちは、ごくふつうの学生ばかりだった。
それなりに頭のよい学生たちだったが、卒業後の進路は、当時の日本人とは、
それほど違わなかった。
ただ当時から、(今でもそうだが)、日本人がもっているような「大企業意識」
というのは、なかった。
オーストラリアでは、個人プレーが基本。
子どものときから、「独立心」を徹底的に叩き込まれている。

 言い忘れたが、カレッジには、200人の学生がいた。
内、100人が、各国からの留学生。
内、100人が、オーストラリア人だった。
日本人の留学生は、私1人だけ。
300万人とも言われたメルボルン市全体でも、私1人だけ。
そういう時代だった。

 当時の為替レートは、1ドルが400円。
大卒の初任給がやっと、5万円という時代である。
そのレートで計算してみると、農家の年間収入は、1200万円から1500万円にも
なった。
月額にすると、100~150万円!
日本人の私には、信じられない金額だった。

●北朝鮮

 ……この話が理解できない人は、こんな計算をしてみればよい。
あの北朝鮮では、労働者の平均給与は、4000~5000ウォンだそうだ。
現在、じゃがいも10キロが、1000~2000ウォン(2011年2月)。
じゃがいもを、20キロ買っただけで、給料が消えてしまう。
その4000ウォンを、アメリカドルに換算すると、実勢レートで、2~3ドルにも
ならない。
日本円で、200~300円。
(月給が、だぞ!)

 日本とオーストラリア。
現在の北朝鮮ほどではないが、しかしその間には、はっきりとした「差」があった。
カレッジの一室に、乾燥装置(ビルの1階から最上階まで、いつも温風が、
吹き上がっている)なるものもあった。
それを見たとき、その「差」を強く感じた。
生活の質そのものが、日本人のそれとは、まったく違っていた。

●便器のフタの上で、便!

 その一方で、こんな話もある。
コロンボ計画というのが、あった。
アフリカの貧しい国々の学生を、先進国で学ばせるという計画だった。
そのコロンボ計画でハウスに来ていた留学生も、何人かいた。
しかしこの学生が、しばしばトラブルを引き起こした。

 たとえば便器のフタの上で大便をする。
大便のあと、便を流さないで、出てくる。
だからトイレには、いつもこう書いてあった。

「Flash after each use(使ったあとは、洗え)!」と。

 中には、オーストラリアの生活になじめず、部屋に引きこもってしまうのもいた。
日本も貧しかったが、アフリカの国々は、さらに貧しかった。

●遠くて遠い国

 が、そんな私でも、日本がここまで豊かになるとは、夢にも思っていなかった。
当時書いた日記には、こうあった。

「50年たっても、日本はオーストラリアに追いつけないだろう」と。

しかしその日本は、その後20年を待たずして、オーストラリアを追い抜いた。
今度は、その日本を、シンガポールが追い抜いた。……これは余談。
相対的に、オーストラリアの地位はさがった。

 今では、オーストラリアへ行っても、私が感じたような「差」を見る人はいない。
日本がオーストラリアぽくなったというよりは、オーストラリアのほうが、
日本ぽくなった。
そんな場面にも、よく出会う。

●修学旅行にオーストラリア

 日本人の高校生が、修学旅行で、オーストラリアへ行く。
何百人単位という大人数で行く。
信じられないというより、そういう話を聞くたびに、「本当に、あの国へ?」と
思ってしまう。

 私には遠くて、遠い国だった。
今でも、その感覚は残っている。
そう、あのオーストラリアを去るとき、私はこう思った。
「二度と、オーストラリアへ来ることはないだろうな」と。

●グーグル・アース

 話はぐんと21世紀の現在に飛ぶ。
最近では、グーグル・アースというサービスを使うと、一瞬にして、世界中、
どこへでも「行く」ことができる。
住所を打ち込めばよい。
するとその地域の家々が、まるで数十メートルの高さから見るように見える。

 私はそれを使い始めたとき、一番先に、インターナショナル・ハウスをさがした。
もう4、5年前のことだろうか。
そのときは解像度もそれほどよくなかった。
ぼんやりとした建物でしかなかった。
それでもそれを見たとき、目頭が熱くなり、ついで涙がこぼれた。

 で、さらに解像度があがった。
さらに鮮明な画像で、ハウスを見ることができる。
夢の中でしか見ることがなかった、ハウス。
それが今では、居ながらにして、パソコンの世界で見ることができる。
それがよいことなのか、どうかは私にはわからない。

●聖地

 こんな簡単に、過去を見ることができるようになると、ありがたみが消えてしまう。
言うなれば、聖地の奥の奥まで、見えてしまう。
だからときどき、こう思う。
「こんなサービスなど、ないほうがいい」と。
夢の中で、探し回るほうが、聖地らしい。
実際、私は若いころ、そういう夢をよく見た。

 そこにハウスがあるはずなのだが、なかなかたどりつけない。
やっとたどりついたと思ったら、また別の場所。
そんな夢だった。

 ……そんなとき、私はいつも夢の中で、涙をこぼしていた。

●決定

 私は30歳になる少し前、飛行機事故を経験している。
あのままあの飛行機が、あと100~200メートル先に進んでいたら、
私は死んでいただろう。
そういう事故だった。

 以来、飛行機恐怖症になってしまった。
飛行機に乗ることはできるが、旅先で、不眠症になってしまう。
その不眠症に苦しむ。
それもあって、飛行機に乗るのは、特別のばあいだけ。
が、今回はちがう。
その前に、胃ガン検診を受けた。
2センチ大の腫瘍が見つかった。
ドクターは、1~2センチと言った。

 で、生体検査。
結果がわかるまで、1週間かかると、ドクターは言った。
その1週間。
いろいろ考えた。
死を身近に感じた。
結果は、シロ。
Group1。
その結果が出たとき、決めた。
ワイフをオーストラリアへ連れていってやろう、と。

●結婚

 こんな話もある。
オーストラリアの友人が、こんな内容のメールをくれた。
娘の1人が、結婚することを決意したという。
そのきっかけが、今回の、ニュージーランド地震。
多くの日本人も犠牲になった。

 そのとき友人の娘のボーイフレンドも、たまたま仕事で、クライスト・チャーチ
にいた。
かなりあぶなかったらしい。
で、「2人は、結婚することにした」と。

 私もそのボーイフレンドに会ったことがある。
それから3年。
別れたり、くっついたり。
それを繰り返していた。
が、その地震で、友人の娘は、本気でそのボーイフレンドを心配したらしい。
俗な言い方をすれば、それで自分の愛を確認したらしい(?)。
友人のメールでは、そこまでは書いてなかった。
しかし私はそう解釈した。

 だから返事には、こう書いた。
「ぼくも同じ。ぼくには、2人の気持ちが、よく理解できる」と。

●緊張

 しかしやはり緊張してしまう。
どういうわけか、緊張してしまう。
大きな会場で、講演をする前の気分に似ている。
「あれもしなければならない」「これもしなければならない」と。
そんなことばかりを考える。

 「飛行機はタクシーより安全」と、人は言う。
しかし私にとって飛行機とは、棺桶のようなもの。
閉ざされた、狭い空間。
金属のかたまり。
それが弾丸にように空を飛ぶ。

 今までもそうだった。
が、今回は、ワイフも行く。
だから余計にしっかりと書く。
私は飛行機に乗る前には、かならず、遺書を書く。
遺書を、しっかりと書く。
ひとつだけちがうことがあるとすれば、遺書の相手。
「今度は死ぬときは、いっしょだからね」とワイフに言う。
ワイフはそれを聞いて笑う。

(つづく)


Hiroshi Hayashi+++++++Feb. 2011++++++はやし浩司・林浩司

Sunday, February 27, 2011

●育児のための心理学




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 子育て最前線の育児論byはやし浩司      2月   28日号
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【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●1月8日(仕事初め)

+++++++++++++++++

今日から「仕事初め」。
「始め」とも書く。
どちらでもよいが、私は「仕事始め」と
書くのが好き。
「今日から始まったぞ」という意味。

で、気合いを入れて、スタート。
まずまずの出来。
子どもを連れて帰る母親たちの様子を
見て、そう判断する。
親たちの満足そうな表情(?)が、うれしい。

+++++++++++++++++

●ネチネチした話し方

 ある母親から、今日、こんな相談があった。
その子どもは中学生になる。
が、いまだに、赤ちゃんぽい話し方をする。
ネチネチとした、甘えるような言い方である。
構音障害が、とくにあるというのでもない。
私も気にはなっていたが、しかし相手が中学生のばあい、指導が難しい。
本人に自覚があれば、まだ何とかなる。
自覚がないと、指導が難しい。

 言い忘れたが、その子どもは女子。
上に姉がいる。
姉が赤ちゃん返りを起こすことはあるが、妹が赤ちゃん返りを起こすのは珍しい。
たとえば、こんな話し方をする。

「キニョウ~ウ(昨日)~、ウマウマ(=ママ)と、ショッピング、シェンター(=セン
ター)へ、行ってキィタア(=来た)ノウ~」と。
 
 よく「メリ-・クリスマス」を、「ウメリー・クリスモ~ス」と発音する女性がいる。
コンビニやレストランで、よくそういう話し方を耳にする。
が、それともちがう。

 デレーとした言い方で、思わず、私ですらこう言いたくなるときがある。
「君ねえ、中学生にもなったのだから、きちんとした話し方はできないの?」と。

●原因?

 原因はよくわからない。
先にも書いたように、赤ちゃん返りを起こした子どもの話し方によく似ている。
しかしその子どもは、妹。
(赤ちゃん返りは、ふつう下の子が生まれたことが原因で、上の子に症状が現れる。)

依存性がたいへん強く、情緒的に不安定、もしくは精神的に未発達な子どもによく
見られる。
人格の完成度は、きわめて低い。
善悪の判断の(けじめ)が、あいまい。
自分で考えて行動するというよりは、いつも他人のあとを追いかける。
知恵の発達も全体にみると、遅れている。
が、それでいて、行動派。
動きも活発で、すばやい。
俗に言う「甘えん坊」ということになる。

 が、本人にその自覚があるかというと、疑わしい。
それがその子どもの言い方として、定着してしまっている。
またそういう言い方をするのが、「かわいい言い方」と誤解している(?)。

●相談

 母親の話では、父親がその子どもを溺愛したという。
ベタベタの関係だったという。
仕事がら、父親とその子どもがいっしょにいる時間が長かった。
その間中、父親は、片時もその子どもを放さなかった。
中学生になった今でも、いつもいっしょに入浴しているという。

 こういうケースのばあい、子どものほうより、父親のほうに原因があるとみる。
子離れできない父親。
子どもが代償的過保護の道具になっている。
つまり自分の心の隙間を埋めるための道具になっている。
が、私はその父親を、よく知っている。
ときどき参観に来て、うしろで見ている。

 顔つきはいかめしく、チャンパラ映画に出てくる侍のような風格すらある。
が、母親にせよ、父親にせよ、外からの様子だけで判断してはいけない。
むしろ外の世界では、まったく反対の「我」を演ずることが多い。
これを「反動形成」という。

 が、こういうケースのばあい、もうひとつの問題がある。
この世界には、「内政不干渉」という大原則がある。
言い方をまちがえると、家庭騒動の原因となる。
それは私のすべきことではない。
わかっていても、知らぬフリ。
また言ったところで、どうにもならない。
それぞれの家庭には、それぞれの事情があり、歴史がある。
それに触れることは、タブー。
タブー中のタブー。

●結論

 結局は「話し方がおかしい」だけ。
またそのレベルの問題。
「かわいい」と言えば、「かわいい」。
私に話しかけるときも、デレーっと、体をよじらせてくる。
最近の女子は、みな、男っぽい。
そういう中では、目立つ。

しかしそれが好ましい人間像かどうかというと、そうとは言えない。
人格の完成度と、話し方は連動している。
人格の完成度の高い女性(男性でもそうだが……)は、それなりの話し方をする。
キリッとした、メリハリのある話し方をする。

 もう1人、私の知り合いにそういう話し方をする女性(40歳くらい)がいる。
今度会ったとき、その女性の心を観察してみる。
このつづきは、またそのあとに書いてみたい。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 
BW はやし浩司 ネチネチとした言い方をする女性 デレーッとした話し方をする 甘
えん坊 話し方と人格の完成度)

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●子どもを知る心理学(1)

【子どもを知る心理学】 by はやし浩司


●心の別室

 子どもというのは、(おとなもそうだが)、何かいやなことがあると、それを心の中に別
室を作り、そこに押し込むことによって、その場をやり過ごそうとする。こうした現象を
心理学の世界では、「抑圧」という言葉を使って説明する。が、この抑圧された不満や不平、
うっぷんは、時と場合に応じて、爆発する。「オレがこうなったのは、お前のせいだ!」と。
心の別室には、時間という概念が働かない。また楽しい思い出によって、上書きされると
いうこともない。だから20年、30年を経ても、そのときの自分がよみがえる。それこ
そ70歳を過ぎた老人夫婦が、若い日のことを理由に、喧嘩することも珍しくない。要す
るに、子どもには心の別室を作らせないこと。そのつど適当なガス抜きをする。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●「偉い」を廃語に

 何をもって、「偉い」というのか。「偉い人」とは、どういう人を言うのか。地位か、名
誉か、財力か。英語では「respected man」という。「尊敬される人」という意味である。
が、そのときは、地位や名誉、財力は関係ない。マザーテレサをひきあいに出すまでもな
い。が、この日本ではいまだに、「偉い」という言葉が、のさばっている。とくに政治の世
界では、のさばっている。今では少なくなったが、大臣という肩書きをもった瞬間から、
胸を張り、ふんぞり返って歩く政治家は少なくない。傍から見るとバカげている。悪しき
封建主義時代の亡霊そのもの。が、当の本人はそうは思っていない。「偉い」という言葉を
廃語にしよう。そして子どもたちには、こう言おう。「人に尊敬される人になりなさい」と。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●摂取理論

 初対面での印象が、いかに大切なものであるか。それについて、今さら、書くまでもな
い。

 幼児のばあいは、とくにそうで、そのときその幼児がもった第一印象で、そのあとのそ
の子どもの、伸び方が、まったくちがうということは、よくある。

 よい例として、集団恐怖症、対人恐怖症、さらには、かん黙症などがある。

 こうした症状は、はじめて保育園なり、幼稚園へつれていったその日をきっかけとして、
発症することが多い。そして一度、発症すると、無理をすればするほど、逆効果。かえっ
て症状をこじらせてしまう。

 幼児の心は、そういう意味では、きわめてデリケートにできている。親や教師は、「集団
生活になれていないだけ」とか、「しばらく集団生活をすれば、なおるはず」と、安易に考
えるが、そんな簡単な問題ではない。

 集団のもつ威圧力というか、恐怖感というのは、相当なもの。私もよく経験している。
今でも、ときどき仕事などで東京へ行く機会があるが、あの東京駅の雑踏には、いまだに
なれることができない。自分の歩くスピードで歩くことすら、許されない。おまけにあの
ラッシュアワー!

 私は昔、M物産という会社に勤めていたが、その会社をやめる直接のきっかけになった
のが、あのラッシュアワーである。

 私は、毎朝、H電鉄の満員電車で、伊丹から、塚本へ出て、大阪の中ノ島にある会社に
通勤した。たまたまオーストラリアから帰ってきたばかりで、どうにもこうにも、あのラ
ッシュアワーには、がまんならなかった。それはもう、男どうしが、顔をすりあわせるよ
うな混雑ぶりだった。
 
 もちろん、子どもにもよるが、つまり集団の中にすぐ溶けこめる子どももいるし、そう
でない子どももいるが、あくまでもその子どもの視点で、ものを考えること。

 たとえば入園する前には、あらかじめ、その場所を見学させたり、子どもに見せておい
たりするとよい。そのとき、あらかじめ、集団に対する、心構えを話しておく。いわば病
気の予防接種のように、子どもの心の中に、免疫力をつけておく。こうしておくと、子ど
もは、いきなり集団を見せつけられたときよりは、そのショックをやわらげることができ
る。

こうした一連の心理作用は、「接種理論」という理論で、説明される。

 また子どもが悪い印象をもったときも、大人の一方的な意見を押しつけてはいけない。
「そうだよね」「あなたの気持ちよくわかる」「お母さんも、そう思う」と、子どもの立場
で、子どもの心になりきって、考える。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●パブリック・コミットメント

 まず外の世界に向かって、宣言する。宣言することによって、自分を縛る。これを「パ
ブリック・コミットメント」という。たとえば禁酒、禁煙。「酒をやめました」「タバコを
ためました」と、みなに言う。できるだけ大声で、多くの人に言う。そうすることによっ
て、自分の行動を厳格化する。多くの人に伝わっているから、簡単に約束を破るわけには
いかない。子どもの世界について言うなら、子どもにそれを言わせる。言わせることによ
って、子どもが自らを縛るように仕向ける。ただし無理強いはいけない。当然のことであ
る。あるいは子どもの名前が載った新聞や本などを、大切に切り抜いて張る。そしてこう
宣言する。「あなたはすばらしい子」と。これもパブリック・コミットメントのひとつとい
うことになる。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●プラトー

 子どもに英語を教えてみると、ある程度までは、ぐんぐんと伸びる。が、やがてそれが
停滞する時期にやってくる。この「停滞期」を「プラトー」と呼ぶ。子どもの発達段階に
おいては、よく見られる現象である。たとえば単語にしても、教えても教えても、先に教
えたことを忘れてしまう。進歩が止まってしまう、など。こういうとき親も教師もあせり
がちになるが、けっしてあせってはいけない。こういう時期がしばらくつづいたあと、(英
語のばあい、1~3年)、時間数をふやしたりすると、殻を破ったようにまた伸び始める。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●気負い

 不幸にして不幸な家庭に育った親ほど、「いい親になろう」「いい家庭を作ろう」という
気負いが強くなる。この気負いが子育てをゆがめる。どこかぎこちなくなる。極端にきび
しい親、極端に甘い親などは、たいていこのタイプの親と考えてよい。一方、心豊かで愛
情にあふれた家庭で育った親は、自然な形で子育てができる。自然な形での「親像」が身
についているからである。だから子育てをするときは、子育てをしながら、その子どもの
中で、「親像」がどのように育っているかを観察しながらするとよい。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●ピーターパン・シンドローム

 おとなになりきれないおとな。そうした人がもつ症状を総称して、ピーターパン・シン
ドローム(症候群)と呼ぶ。退行的なものの考え方(幼児性の持続)、人格の未完成など。
強圧的な環境、たとえば親の過関心、過干渉が日常的につづくと、子どもは自ら考えて行
動することができず、ここでいうピーターパン・シンドロームに陥りやすい。行動や言動
が、その年齢に比して、子どもぽくなる一方、善悪の判断がうとくなり、とんでもないこ
と、たとえばコンセントに粘土をつめたりするなどの常識外れなことをする。近所のおと
なの人に、通りすがり、「大きな鼻の穴!」と叫んだ子ども(小2男児)もいた。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●子どもの「顔」

 子どもは何らかの形で、自分の「顔」をもちたがる。思春期においては、なおさら。た
てば勉強のできない子どもは、スポーツで。スポーツのできない子どもは、たとえばツッ
パリで、と。だから暴力的な子どもに、「あなたがそんなことをすれば、みんなに嫌われる
のよ」と諭しても、意味はない。それがその子どもの「顔」ということになる。ありはひ
ょうきんなことを言ったりしたりして、ほかの子どもたちを笑わせる子どももいる。わざ
と失敗したり、ヘマをしたりする子どももいる。それぞれの子どもには、それぞれの顔が
ある。その「顔」をつぶしてはいけない。子どもは糸の切れた凧のようになる。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●共依存

 酒に酔って暴れる夫。殴られても蹴られても、そういう夫に尽くす妻。典型的な共依存
関係である。妻に依存することで、自分の立場を確保する夫。依存されることで、自分の
立場を確保する妻。妻を殴ったり蹴ったりすることで、妻の従順性を確かめる夫。殴られ
たり蹴られたりすることに耐えながら、夫への従順性を証明しようとする妻。たがいに依
存しあいながら、自分を支える。傍から見ると何とも痛ましい夫婦関係だが、親子の間で
もときとして、同じことが起きることもある。家庭内暴力を繰り返す息子と親の関係。ニ
ートとなり家の中に引きこもる子どもと親の関係。子どもを突き放すことができない。親
自身も、無意識のうちに子どもに依存しているからである。

(補記)

●共依存

依存症にも、いろいろある。よく知られているのが、アルコール依存症や、パチンコ依存
症など。

もちろん、人間が人間に依存することもある。さしずめ、私などは、「ワイフ依存症」(?)。

しかしその依存関係が、ふつうでなくなるときがある。それを「共依存」という。典型的
な例としては、つぎのようなものがある。

夫は、酒グセが悪く、妻に暴力を振るう。仕事はしない。何かいやなことがあると、妻に
怒鳴り散らす。しかし決定的なところまでは、しない。妻の寛容度の限界をよく知ってい
て、その寸前でやめる。(それ以上すれば、本当に、妻は家を出ていってしまう。)

それに、いつも、暴力を振るっているのではない。日ごろは、やさしい夫といった感じ。
サービス精神も旺盛。ときに、「オレも、悪い男だ。お前のようないい女房をもちながら、
苦労ばかりかけている」と、謝ったりする。

一方妻は、妻で、「この人は、私なしでは生きていかれない。私は、この人には必要なのだ。
だからこの人のめんどうをみるのは、私の努め」と、夫の世話をする。

こうして夫は、妻にめんどうをかけることで、依存し、妻は、そういう夫のめんどうをみ
ることで、依存する。

ある妻は、夫が働かないから、朝早くに家を出る。そして夜、遅く帰ってくる。子どもは
いない。その妻が、毎朝、夫の昼食まで用意して家を出かけるという。そして仕事から帰
ってくるときは、必ず、夕食の材料を買って帰るという。

それを知った知人が、「そこまでする必要はないわよ」「ほっておきなさいよ」とアドバイ
スした。しかしその妻には、聞く耳がなかった。そうすることが、妻の努めと思いこんで
いるようなところがあった。

つまり、その妻は、自分の苦労を、自分でつくっていたことになる。本来なら、夫に、依
存性をもたせないように、少しずつ手を抜くとか、自分でできることは、夫にさせるとい
ったことが必要だった。当然、離婚し、独立を考えてもよいような状態だった。

が、もし、夫が、自分で何でもするようになってしまったら……。夫は、自分から離れて
いってしまうかもしれない。そんな不安感があった。だから無意識のうちにも、妻は、夫
に、依存心をもたせ、自分の立場を守っていた。

ところで一般論として、乳幼児期に、はげしい夫婦げんかを見て育った子どもは、心に大
きなキズを負うことが知られている。「子どもらしい子ども時代を過ごせなかったというこ
とで、アダルト・チェルドレンになる可能性が高くなるという」(松原達哉「臨床心理学」
ナツメ社)。

「(夫婦げんかの多い家庭で育った子どもは)、子どもの人格形成に大きな影響を与えます。
このような家庭環境で育った子どもは、自分の評価が著しく低い上、見捨てられるのでは
ないかという不安感が強く、強迫行動や、親と同じような依存症に陥るという特徴があり
ます。

子ども時代の自由を、じゅうぶんに味わえずに成長し、早くおとなのようなものわかりの
よさを見につけてしまい、自分の存在を他者の評価の中に見いだそうとする人を、『アダル
ト・チェルドレン』と呼んでいます」(稲富正治「臨床心理学」日本文芸社)と。

ここでいう共依存の基本には、たがいにおとなになりきれない、アダルト・チェルドレン
依存症とも考えられなくはない。もちろん夫婦喧嘩だけで、アダルト・チェルドレンにな
るわけではない。ほかにも、育児拒否、家庭崩壊、親の冷淡、無視、育児放棄などによっ
ても、ここでいうような症状は現れる。

で、「見捨てられるのではないかという不安感」が強い夫が、なぜ妻に暴力を振るうのか……
という疑問をもつ人がいるかもしれない。

理由は、簡単。このタイプの夫は、妻に暴力を振るいながら、妻の自分への忠誠心、犠牲
心、貢献心、服従性を、そのつど、確認しているのである。

一方、妻は妻で、自分が頼られることによって、自分の存在感を、作り出そうとしている。
世間的にも、献身的なすばらしい妻と評価されることが多い。だからますます、夫に依存
するようになる。

こうして、人間どうしが、たがいに依存しあうという関係が生まれる。これが「共依存」
であるが、しかしもちろん、この関係は、夫婦だけにはかぎらない。

親子、兄弟の間でも、生まれやすい。他人との関係においても、生まれやすい。

生活力もなく、遊びつづける親。それを心配して、めんどうをみつづける子ども(娘、息
子)。親子のケースでは、親側が、たくみに子どもの心をあやつるということが多い。わざ
と、弱々しい母親を演じてみせるなど。

娘が心配して、実家の母に電話をすると、「心配しなくてもいい。お母さん(=私)は、先
週買ってきた、イモを食べているから……」と。

その母親は、「心配するな」と言いつつ、その一方で、娘に心配をかけることで、娘に依存
していたことになる。こういう例は多い。

息子や娘のいる前では、わざとヨロヨロと歩いてみせたり、元気なさそうに、伏せってみ
せたりするなど。前にも書いたが、ある女性は、ある日、駅の構内で、友人たちとスタス
タと歩いている自分の母親を見て、自分の目を疑ってしまったという。

その前日、実家で母親を訪れると、その女性の母親は、壁につくられた手すりにつかまり
ながら、今にも倒れそうな様子で歩いていたからである。その同じ母親が、その翌日には、
友人たちとスタスタと歩いていた!

その女性は、つぎのようなメールをくれた。

「母は、わざと、私に心配をかけさせるために、そういうふうに、歩いていたのですね」
と。

いわゆる自立できない親は、そこまでする。「自立」の問題は、何も、子どもだけの問題で
はない。言いかえると、今の今でも、精神的にも、自立できていない親は、ゴマンといる。
決して珍しくない。


で、その先は……。

今度は息子や娘側の問題ということになるが、依存性の強い親をもつと、たいていは、子
ども自身も、依存性の強い子どもになる。マザコンと呼ばれる子どもが、その一例である。

そのマザコンという言葉を聞くと、たいていの人は、男児、もしくは男性のマザコンを想
像するが、実際には、女児、女性のマザコンもすくなくない。むしろ、女児、女性のマザ
コンのほうが、男性のそれより、強烈であることが知られている。

女性どうしであるため、目立たないだけ、ということになる。母と成人した息子がいっし
ょに風呂に入れば、話題になるが、母と成人した娘がいっしょに風呂に入っても、それほ
ど、話題にはならない。

こうして親子の間にも、「共依存」が生まれる。

このつづきは、また別の機会に考えてみたい。
(はやし浩司 共依存 アダルトチェルドレン アダルト チェルドレン 依存性 マザ
コン 女性のマザコン 自立 自立できない子供 相互依存 はやし浩司 DV 夫の暴
力 ドメスティックバイオレンス 家庭内暴力 夫の暴力行為)

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●心の反射運動

 1970年のころの話。オーストラリアでは、レストランでもどこでも、あとにつづく
人がいると、その人はその人のためにドアを開けて待つ。それが当時の常識だったし、ど
こでもみなが、した。こういうのを「心の反射運動」という。つまりさりげない行為が、
相手の心をとらえたり、心を和ませたりする。またそれができる人(親)ほど、よい人(親)
ということになる。自己中心的な人ほど、心の反射運動が鈍いということになる。反対に
いつも相手の立場でものを考えたり、行動する人ほど、心の反射運動がすぐれた人という
ことになる。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●権威主義

 親の権威主義は、百害あって一利なし。が、遠く、江戸時代の昔には、「家制度」もあり、
そのため家父長の権威が何よりも、重んじられた。親は問答無用式に子どもに向かって、
親に従うよう求められた。が、時代が変わった。それに応じて、親子の平等意識、さらに
は対等意識が芽生えた。「親だから……」とか、「子だから……」という『ダカラ論』が通
用しなくなった。また最近の若い人たちに向かって、ダカラ論を振りかざしても、意味は
ない。反発を受けるか、さもなければ、親子の間に大きな亀裂を入れることになる。権威
主義の親ほど、子育てで失敗しやすい。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●親の優位性

 親の優位性を押しつけすぎると、子どもは未来像を描けなくなり、自分の将来に大きな
不安を抱くようになる。思春期において、自我の確立に失敗することもある。赤ちゃん返
りならぬ、幼児返りを起こすこともある。これは子どもにとって、たいへん不幸なことと
考えてよい。おとなは、(もちろん教師も)、ときには子どもにわざと負けてみる。それに
よって、つまり子どもはおとなの優位性を破ったことによって、自信をもつ。私もときど
き幼児を相手にプロレスをする。わざと負けてみせる。とたん、その子どもの表情や様子
が大きく変わる。そういう方法で、子どもに自信をつけさせる。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●ライナスの毛布

 私は幼児のころ(小学1、2年生ごろまで)、貝殻を指先でいじっているのが好きだった。
とくに眠りにつくときにそうだった。こうした子ども特有の現象を、「ライナスの毛布」と
呼ぶ。毛布の端を口でなめたり、指先でいじる子どもは多い。子どもは自分の心を落ち着
かせるため、指先の刺激を求める。それによって脳の中である種の反応を引き起こす。モ
ルヒネ系(エンドロフィン、エンケファリン)の分泌を促すという説もある。さらにこの
方法は、老人のボケ防止にも役立つという説もある。ともかくも、子どもがある特定のモ
ノ(毛布や貝殻、やや大きくなって、ぬいぐるみなど)にこだわっても、それを「おかし
な行為」と決めつけ、禁止してはいけない。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●代償的愛(代償的過保護)

 過保護には、その背景に「愛」がある。その愛の欠落した過保護を、「代償的過保護」と
いう。子どものことを愛しているのではない。子どもを自分の支配下において、自分の思
い通りにしたいだけ。その代償的過保護の原点になっているのが、代償的愛。いわば「愛
もどきの愛」。自分勝手で、わがままな愛。この愛の特徴は、(1)親はそれでもって、親
の深い愛と誤解しているということ。(2)何かのことでつまずくと、一転して、「憎悪」
の念に変わりやすいということ。真の愛というのは、無私の愛をいう。「息子(娘)に裏切
られた」と騒いでいる親は、一度、この代償的愛を疑ってみるとよい。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●上下関係

 日本語には、上下関係を作る言葉が多い。「兄・弟」「姉・妹」というのが、それ。「長男・
二男・三男」というのもある。親はこうして無意識のうちにも、子どもたちの世界に序列
をもちこむ。そしてその上下関係に従って、「あなたはお兄ちゃんだから……」とか、「あ
なたはお姉ちゃんだから……」とか言って、『ダカラ論』で子どもを縛る。が、ダカラ論に
は根拠がないばかりか、その子どもにとって重荷になり、その子どもを苦しめることにも
なりかねない。なお、兄弟姉妹の間で、名前(序列ではなく、名前)で呼び合っている兄
弟姉妹は、そうでない兄弟姉妹より仲がよい。「お兄ちゃん」ではなく、「ミキ君」、「お姉
さん」ではなく、「光ちゃん」と呼ぶなど。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●ツァイガルニック効果

 ほっとした瞬間、自分のすべきことを忘れてしまう。これを『ツアィガルニック効果』
と呼ぶ。記憶を持続(保持)するためには、ある程度の緊張感が必要である。(メモによっ
て残すという方法もあるが……。)その緊張感がゆるみ、「何だったけ?」となる。このこ
とはよく将棋を指しているときに、経験する。「もう勝った」と思った瞬間、へんなところ
から「角」が飛び出してきて、飛車を取られたりする。「勝った」と思った瞬間、心の中に
スキができる。そのため、そういうヘマが多くなる。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●子育て愛憎劇

 自分の娘に、「死んでも、お前をのろってやる」と言った母親がいた。「墓場で、お前が
不幸になるのを楽しみにしている」とも。これはワイフの友人の話である。で、昔から愛
と憎しみは、紙一重という。愛が深ければ深いほど(?)、それが転ずると、今度は憎しみ
に変わる。が、それにはたいへんなエネルギーを消耗する。ある賢人は、こう言った。『人
を憎むのは、ネズミを追い出すのに、家に火をつけるようなもの』と。そのため愛にせよ、
憎しみにせよ、それほど長くつづくと、心身が疲れきってしまう。まさに底なしの消耗戦。
時に人間性まで狂う。だから「家に火をつけるようなもの」と。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●幸福論

 賢い人は、そのものの価値を失う前に気づき、そうでない人は、失ってから気づく。健
康しかり、青春時代しかり、そして子どものよさ、またしかり。子どもの問題であれこれ
悩む前に、その子どものもつ「良さ」に気づき、ほどほどのところで満足する。「もっと…」
とか、「さらに…」と思っていると、子どもも疲れるが、あなたも疲れる。同じように、幸
福にしても、そんなに遠くにあるわけではない。あなたのすぐそばにある。すぐそばにあ
って、あなたに見つけてもらうのを、じっと待っている。「私は不幸だ」と思っている人は、
一度、静かに自分の身の回りを見直してみるとよい。「今、ここに生きている」ということ
が、どんなにすばらしいことか、あなたにも、それがわかるはず。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●コンフリクト(葛藤)

 人は常に葛藤しながら、生きている。葛藤のない人生はない。たとえばいろいろなケー
スがある。(1)一等賞が当たった。自転車かパン製造機がもらえる。そういうときは、ど
ちらをもらおうかで、悩む(++)。(2)あるいは高原へ旅行に行きたいが、花粉症が心
配と、悩むこともある(+-)。(3)さらに罰ゲームで、みなの前で歌を歌うか、それと
も顔に墨を塗られるかを迫られることもある(――)。(4)またこういうのもある。険し
いイバラ道を渡らなければ、食物にあるつけないようなケース(-+)。人は常にこのコン
フリクトを繰り返しながら、生きている。詳しくは、「はやし浩司 コンフリクト」で検索
をかけてみてほしい。

(補記)

●コンフリクト(葛藤)

+++++++++++++++

人はいつも、心の中で葛藤(コンフリクト)を
繰りかえしながら、生きている。

+++++++++++++++

 二つのことがらから、一つの選択を迫られたようなとき、心の中では、葛藤(コンフリ
クト)が起きる。これがストレスの原因(ストレッサー)になる。

 コンフリクトには、(1)接近型、(2)回避型、(3)接近・回避型の3つがあるとされ
る。

 たとえば、旅行クーポン券が、手に入った。一枚は、3泊4日のグアム旅行。もう一枚
は、2泊3日のカナダ旅行。どちらも行きたい。しかし日が重なってしまった。どうした
らいいか。

 このばあい、グアム旅行も、カナダ旅行も、その人にとっては、正の方向から、ひきつ
けていることになる。そのため、葛藤(コンフリクト)する。これを(1)の接近型とい
う。

 反対に、借金がたまってしまった。取立て屋に追われている。取立て屋に追われるのも
いやだが、さりとて、自己破産の宣告もしたくない。どうしたらいいか。

 このばあいは、取り立て屋の恐怖も、自己破産も、その人にとっては、負の方向から、
ひきつける。そのため、葛藤(コンフリクト)する。これを(2)の逃避型という。

 また、グアム旅行のクーポン券が手に入ったが、このところ、体の調子がよくない。行
けば、さらに体の調子が悪くなるかもしれない。どうしたらいいのか……と悩むのが、(3)
の接近・回避型ということになる。「ステーキは食べたい」「しかし食べると、コレステロ
ール値があがってしまう」と悩むのも、接近・回避型ということになる。

 正の方からと、負の方からの、両方から、その人を、ひきつける。そのため、葛藤(コ
ンフリクト)する。

 ……というような話は、心理学の本にも書いてある。

 では、実際には、どうか?

 たとえば私は、最近、こんな経験をした。

 ある人から、本の代筆を頼まれた。その人は、「私の人生論をまとめたい」と言った。知
らない人ではなかったので、最初は、安易な気持ちで、それを引き受けた。

 が、実際、書き始めると、たいへんな苦痛に、襲われた。代筆といっても、どうしても、
そこに私の思想が、混入してしまう。文体も、私のものである。私はその人の原稿をまと
めながら、何かしら、娼婦になったような気分になった。

 お金のために体を売る、あの娼婦である。

 そのとき、私は、(3)の接近・逃避型のコンフリクトを経験したことになる。お金はほ
しい。しかし魂は、売りたくない、と。が、実際には、コンフリクトと言うような、たや
すいものではなかった。心がバラバラになるような恐怖感に近かった。心というより、頭
の中が、バラバラになるような感じがした。

 あたかも自分の中に、別々の2人の人間がいて、けんかしあうような状態である。

 それはたいへんなストレスで、結局、その仕事は、途中でやめてしまった。つまりここ
でいうコンフリクト(葛藤)というのは、そういうものをいう。

 ほかにも、いろいろある。

 たとえば講演などをしていると、私の話など聞かないで、ペチャペチャと、おしゃべり
している人がいる。

 本人たちは、私がそれに気づかないと思っているかもしれないが、講師からは、それが
実によくわかる。本当に、よくわかる。

 そういうとき、「そのまま話しつづければいい」という思いと、「気になってしかたない」
という思いが、頭の中で、衝突する。とたん、ものすごく神経をつかうようになる。実際、
そういう講演会が終わると、そうでないときよりも、何倍も強く、どっと疲れが、襲って
くる。

 自分でもそれがよくわかっているから、ますます、気になる。

 そこで、私のばあい、そういうふうにペチャペチャとおしゃべりする人がいたら、その
場で、やさしく、ニンマリと、注意することにしている。「すみませんが、おしゃべりをひ
かえてくださいね」と。

 そうすることで、講演会のあとの疲労感を軽減するようにしている。これはあくまでも、
余談だが……。

【補記】

 ストレスの原因(ストレッサー)を感じたら、あまりがまんしないで、ありのままを、
すなおに言ったらよい。そのほうが、自分のためにもなるし、相手のためにもなる。

 ここに書いたように、最近は、公演中にペチャペチャと話している人を見たら、私は、
できるだけ早く、注意するようにしている。本当は、「さっさと、出て行け!」と叫びたい
が、そこまでは言わない。

 で、おもしろいと思うのは、もともと私の話など、聞いていないから、数度、注意して
も、知らぬ顔をして、ペチャペチャと話しつづけている。そこで私も、その人たちが気が
つくまで、数度、あるいは何度も、注意する。が、それでも気がつかない。

 すると、まわりの人たちが、そのおしゃべりをしている人のほうを、にらむ。おしゃべ
りしている人は、どうして自分たちがにらまれているかわからないといった表情を見せる。

 このとき私は、改めて、言う。「すみませんが、少し、静かにしていてくださいね」と。

 しかし、本音を一言。だれかの講演に行って、私語をつづけるようなら、外に出たらよ
い。迷惑といえば、迷惑。失礼といえば、失礼。これは講演を聞きに来た人の、最低限、
守るべき、マナーのように思う。

 もっとも、私の講演のように、つまらない講演なら、しかたないが……。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 
BW はやし浩司 コンフリクト 葛藤 葛藤の中身 親子の葛藤 夫婦の葛藤)

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司



【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【家族とは何か?】(ネバネバ社会の復活)

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今日も始まった。
がんばろう。
今夜は、弁天島にあるK旅館で会食会。
それ以外は、とくに予定なし。

++++++++++++++++++

●パサパサ家族vsネチネチ家族

 少し前、パサパサ家族について書いた。
パサパサになったパンのような家族を、「パサパサ家族」という。
手で持った先から、パサパサの粉のようになって、飛び散る。
粘着性が、まるでない。
だから「パサパサ家族」。

 これに対して、家族の絆が濃密で、ネチネチした家族を、「ネチネチ家族」という。
私が生まれ育った家族が、そうだった。
何かにつけ、ネチネチしていた。
息苦しいほど、ネチネチしていた。

が、今は、パサパサ。
夫婦関係も、パサパサ。
親子関係も、パサパサ。

 が、この「パサパサ」「ネチネチ」は、地域社会、さらには国にも当てはまる。
パサパサ社会vsネチネチ社会。
パサパサ国家vsネチネチ国家。

 ネチネチ家族で生まれ育った私には、パサパサ家族というのが、どういものか、
それがよくわかる。
しかしパサパサ家族の人には、それがわからない。
パサパサ家族しか知らない。

●恋愛ごっこから結婚ごっこ

 最近の若い人たちを見ていると、「恋愛こそ、すべて」という考え方をしているのが、
よくわかる。
まるで一生の大事ごとのように考えている。

 私たちの時代にも、恋愛ごっこというのは、あるにはあった。
しかしいざ結婚となると、大きなブレーキが働いた。
両親や親戚との関係。
仕事や収入との関係。
年齢も大きな問題となった。
そういった関係や問題の中で、自分の恋愛にブレーキをかけた。
私も、大学時代の恋人とは、それが理由で別れた。
が、今は、それがない。

 恋愛ごっこは、そのまま結婚ごっこになり、ついで子育てごっこになっていく。
生活感がない。
昔風に言えば、地に足がついていない。
後先のことを考えず、(ごっこ)に走ってしまう。

●幻想

 が、口では偉そうなことを言う。
苦労を知らない。
貧乏を知らない。
貧乏の恐ろしさを、知らない。
今に見る富と繁栄は、天から降ってきたものと思う。
だからこう言う。
「仕事より、家族の方が大切」と。

 これについては、私は反論しない。
私もそう思っている。
しかしそれはあくまでも、仕事第一主義への反省として、そう思っているだけ。
私たちの世代は、仕事を第一に考える余り、家族を犠牲にした。
犠牲にしすぎた。
その反動として、私も「家族主義」を唱えた。
が、それが今は、行きすぎてしまった(?)。

 つまり今の若い人たちからは、(仕事)という部分が欠けてしまっている。
それがわからなければ、自分の年齢に、30とか40を足してみたらよい。
そのとき自分がどうなっているか、ほんの少しだけ、頭の中で想像してみればよい。
中には「私たちの親子関係は絶対」「死ぬまで良好な親子関係をつづける」と
思っている人もいる。
しかしそれは幻想。
まったくの幻想。

●勝ち組vs負け組

 現在、老人社会は、大きく2つのグループに分かれる。
勝ち組と負け組である。
「日本の論点・2011」(文藝春秋社刊)によれば、(1)元公務員、(2)蓄財に成功
した老人を、「勝ち組(既得権益者)」と言うそうだ。
そうでない人は、負け組。

 勝ち組の人たちは、リッチで豊かな老後を、何不自由なく暮らすことができる。
負け組の人たちは……?
この部分については、あまり書きたくない。
書けば書くほど、さみしくなる。

 ともあれ、自分の将来がどうなっているか、ほんの少しだけ、頭の中で想像してみたら
よい。
あなたは勝ち組となって残るのか、それとも負け組となって残るのか。
それを分けるのが、「仕事」ということになる。

 で、私は数多くの「勝ち組」という人たちを見てきた。
私のまわりにも、そういう人たちがいる。
そういう人たちは、(公務員をのぞいて)、すでに30歳くらいのとき、勝敗を決めている。
少なくとも40歳を過ぎて、勝ち組になる人はいない。
50歳を過ぎて、勝ち組になる人は、さらにいない。
30歳になった今、「明日も今日と同じ」という人生を歩んでいる人が、勝ち組に残る
確率は、きわめて低い。

 これは健康論に似ている。

●健康論

 健康であるかどうかは、運動する習慣をもっているかどうかで決まる。
30歳前後までに、その習慣を作りあげた人は、60歳を過ぎても健康。
そうでない人は、そうでない。

 たとえばA氏は、20代のはじめから夕方ジョギングをしている。
B氏は、週に2回、道場に通い、柔道をしている。
Cさんは、テニスの大会に毎年、出場している。

 つまりそうした習慣をもっている人は、60歳を過ぎても健康。
そしてそれは30歳前後のその人の生活姿勢を見れば、わかる。
つまりこの時期、その人の方向性が決まる。
若いことをよいことに、のんべんダラリの生活をしていれば、60歳はない。

 言い添えると、タバコは害にこそなれ、よいことは何もない。
中にヘビースモーカーの人でも、健康(?)な人はいるには、いる。
しかし60歳を過ぎて、健康な人はほとんどいない。
がんや脳疾患、心臓疾患で亡くなった仲間の大半は、そのヘビースモーカーだった。

 話が脱線したが、勝ち組になるか、負け組になるか。
それも30歳くらいまでに決まる。
その方向性を作った人は、勝ち組。
そうでない人は、負け組。
「明日こそ、何とかなるだろう」「明日があるさ」と慰めながら生きている人に、
明日はない。

●幸福はお金では買えないが……

 何度も書くが、たしかに幸福はお金では買えない。
しかしお金がなければ、その人は確実に不幸になる。
心も貧しくなる。
それが「現実」。
「ごっこ」には、その現実感がない。
つまり「生活感」がない。

 そうでなくても、世界中の人たちが、そのパイを取り合って競争している。
熾烈な競争である。
今の世の中、10年単位で変わっていく。

 「仕事より家族の方が大切」と説くのは結構なこと。
しかしそれはある程度、……というか、方向性をしっかりと作った人が使う言葉。
少ない収入で、生活費を切り詰め、ピーピーと言っている人が使う言葉ではない。
それこそ、「何を偉そうに!」となる。

 で、最後の頼みの綱が、「家族の絆(きずな)」ということになる。
この絆さえあれば、まだ何とかなる。
しかしその絆さえ、このところ、音をたてて崩れ始めている。

●パサパサになる人間関係

 いくらあなたが「私の子どもたちはだいじょうぶ」と思っていても、それは幻想。
「私たちの親子関係は安泰」と思っていても、それは幻想。
子どもを包む環境を「海」にたとえるなら、あなたの親子関係は「川」程度の意味
しかない。

 やがて子どもたちは巣立っていく。
そのとき海へ解き放たれる。
とたん、海のもつ「力」にそのまま染まっていく。
ひとつの例をあげて考えてみよう。

 10年ほど前、私の家の近くに、静岡県でも最大級とも言われるショッピングセンター
がオープンした。
そのあと1~2年は何とか持ちこたえたが、近隣の商店街はつぎつぎと、シャッターを
下ろしていった。
私自身は、田舎町の商店街で生まれ育ったから、そういった商店街のもつ粘着性をよく
知っている。
ネチネチというか、ベタベタ。
私の父にしても、自転車屋を経営していたが、自分で縄張りを決め、その外での仕事を
自粛していた。
そういう(温もり)が、まだ随所に残っていた。

 が、今はちがう。
パサパサというか、サラサラ。
人間関係も希薄になった。
そういう世界、つまり「海」に染まるうちに、当然、ものの考え方も影響を受ける。
現在のあなた自身を見れば、それがわかるはず。
平たく言えば、「親の恩も遺産次第」となる。

 ……というのは書き過ぎとしても、今では『子、大学生、親貧乏盛り』という。
爪に灯をともしながら、親は子どもの学費を工面する。
老後の資金を食いつぶす。
が、子どもはどうかというと、社会人になったとたん、ハイ、さようなら!

●これからの老後

 貧困の時代から、高度成長期へ。
バブル経済期から、衰退期へ。
この日本は大きく激動した。
が、意識というのは、そうは簡単には変わらない。
アインシュタインも言っているように、ほとんどの人は18歳くらいまでに、その
意識(常識)を完成させる。
その意識を死ぬまで、もちつづける。
多少の修正はあるだろうが、あくまでも「修正」。

 が、それぞれの世代のもつ意識は、10年単位で変わっていく。
ついていくのは不可能。
理解するのさえ、難しい。
今では親子関係ですら、パサパサと切っていく若い人は、珍しくない。
「ON/OFF人間」というのは、そういう人たちを指す。

が、私たちのような旧世代の者にとっては、ここに書いたように、理解するのさえ、
難しい。
それこそ心臓を2つに裂くような苦しみを経験しなければならない。
「どうでもなれ!」という思いと、「しかしそれでも親子は親子」という思いの中で、
悶絶する。
が、これもやがて一巡する。
決別する。

 で、パサパサ家族で生まれ育って子どもは、さらにパサパサ家族を作っていく。
そういう意識もないまま、またそれがどういうものであるかさえわからないまま、
パサパサ家族を作っていく。
が、こうなるともう私の知ったことではない。
「あとは野となれ、山となれ!」。

 つまりそこまで割り切らないと、若い人たちを私たちの世代から切り離すことは
できない。
自分の老後さえ、見つめることができない。
私たちがいくらネチネチ家族を望んだとしても、若い人たちは、それを「干渉?」と
捕える。
自分ひとりで母親の産道をくぐりぬけ、社会人になったつもりでいる。
オメデタイというか、バカげている。
自分で自分のクビを絞めるようなことを、平気でしている。

●ネバネバ社会の復活

 名古屋に住む友人夫妻は、近隣の人たちと旅行会を結成している。
毎月会合を開き、定期的にあちこちを旅行している。
すばらしい会である。

 で、私もそれに触発されて、近隣の人たちに話しかけてみた。
みな、好意的に反応してくれた。
近く、第1回目の会合をもつことになっている。
会の内容については未定だが、それはこれからの話し合いを通して決める。
つまり「ネバネバ社会の復活」である。

といっても、それですべての問題が解決するわけではない。
しかしこのままでよいとは、だれも思っていない。
このままでは、日本の社会そのものまでパサパサになってしまう。
現に今、「老人はゴミ」と考える若い人たちが、ふえている。
ウソだと思うなら、たまには2チャンネルで、若い人たちがどんな会話を交わしているか、
それを読んでみたらよい。

 恐らくこの傾向はさらに強くなることはあっても、弱くなることはないだろう。
介護問題にしても、医療問題にしても、私たちの老後のあり方に直結している。
ならば私たちは私たちで、ネバネバ社会を自ら守るしかない。
私たちは私たちの豊かな老後を、自ら守るしかない。
それがここに書いた、「会」ということになる。

 その結果はまた近く報告できると思う。

********************************

【月末会のお知らせ】

 先日、話させていただきましたように、私たちの近隣でも、何かの「会」を
もちたいと思います。
称して「月末会」(仮称)。
月末に一番近い金曜日の夜を、とりあえずその日にどうかと思っています。
最初は、みなでお茶を飲む程度(あるいは自己紹介程度)でよいのではないかと
思っています。
時間帯は、午後8時~9時ごろで、いかがでしょうか。
つごうの悪い方は、またお知らせください。
みなで、話し合って決めたいと願っています。

 で、会のメンバーについてですが、名古屋に住む友人夫妻のばあい、5組(10人)
で運営しているそうです。
一度、機会があれば、浜松の方へ招待して、会の内容を話してもらうつもりでいます。
すでに10年ほど、つづけているそうです。

メンバーについては、それぞれのメンバーが、とくに親しい人を呼んでくるという
方法がよいかと思います。
そのほうが居心地もよいですし、メンバーに上下関係を作らなくてもすみます。

 いろいろ考えていますが、「継続することが大切」とか。
いかがでしょうか。

 第一回目の会合は、1月xx日(金曜日)、午後8時~9時でいかがでしょうか。
私の自宅へおいでくだされば、うれしく思います。
会合場所は、持ち回り制がよいのではないかと思います。

 いかがでしょうか?
ぜひ、おいでください。

                        林 浩司
                          晃子

【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【2011年1月9日】

●ファーザーコンプレックス

2、3日前、ファザコン(ファーザーコンプレックス)について書いた。
それについて、相談フォームのほうにメールが寄せられた。
「うちの上さん(=妻)がそうで・・・」と。
「父親(=義父)とのよからぬ関係を疑っています」とも。
(転載不許可ということなので、以下、要約。)

 その男性は、結婚して3年目になるという。
子どもも1人(男児)がいる。
で、その男性の妻のファザコンを疑い始めたのは、分娩のときだった。
それまでは何かにつけ、よく気がつく父親程度としか思っていなかった。
引越しの手伝いに来てくれたり、日曜日には、車を洗いに来てくれたりなど。
しかし出産当日、分娩室に入ってくると言って、きかなかったという。

 で、異変を感じたのは、家族旅行のとき。
宿泊先の温泉で、父親が家族風呂を頼んでくれた。
その男性は、自分たちへの気遣いと感謝した。
が、驚いたことに、夫婦と子どもの3人で風呂へ入ろうとしていると、
何と、父親まで入ってきたという。
妻の様子を見ても、とくにいやがるふうでもない。
その男性は不快だったので、父親には遠慮してもらいたかった。
が、そのときすでに遅し。
妻と父親は並んで湯船の中に!

 その夜妻がその男性にこう言ったという。
まったく悪びれた様子もなく、シャーシャーと、
「あなたと結婚する前まで、いつも父と入浴していたのよ」と。

 ガクン!(男性の言葉)

 母親が息子を溺愛する。
その結果、マザコン男性が生まれる。
その反対に、父親が娘を溺愛する。
その結果、ファザコン女性が生まれる。
症状、タイプはちがうが、基本的には、中身は同じ。

 どこかゆがんだ家族関係だが、今どき、マザコンにせよ、ファザコンにせよ、
珍しくない。

●火星のUFO

 昨日は、土星の輪(環)について書いた。
書いたが、専門家たちは、すでにはるか遠くまで調べている。
私の出番はない。
そう感じたので、筆を汚しただけで書くのをやめた。

 が、同時に火星上空に浮かぶUFOの写真を発見した。
そのUFOだが、私とワイフが、35年前に見たUFOとまったく同じ
形をしていた。
「ハア~~」と言ったきり、息が止まった。

私とワイフが見たUFOは、イラストにした。
そしてそれからほぼ20年後。
その夜のことは、そのまま中日新聞にコラムとして書かせてもらった。
イラストもそのまま載せた。

 私が火星上空のUFOをまねてイラストを描いたのではない。
火星上空のUFOを、NASAが捕らえたのは、そのずっと後。

 私は(ワイフも)、あの夜見たものが何であったのか、ずっと考えてきた。
新聞にコラムを発表すると、「私も同じものを見た」という人も、何人か現れた。
しかし「見ただけ」。
何ともつかみどころのない話である。
またそれ以上、進展のしようが、ない。
話の進めようが、ない。
ただ、見ただけ!

 しかし火星上空を浮遊する(?)UFOは、たしかに私が見たUFOと
形が似ている。
似ているというより、同じ。
細部の角の形まで、同じ。
驚いたというより、やっと巡りあえたという喜びのほうが強かった。

(今まで、目の錯覚だったとか、飛行機だったとか言った、みなさんへ)

 私はウソをつかないぞ!
ウソまで書いて、自分のコラムを汚(けが)したくない。
私を疑うなら、NASAが公表した、火星上空を浮遊する(?)UFO
の写真を見ろ!
それが何であるか説明した上で、私の書いた記事を否定しろ!

 もう一度、2枚の写真と絵を並べてここに掲載しておく。
上が火星上空を浮遊する(?)UFO。
下が、私たちが見たUFO。

(注)火星上空を浮遊するUFOについて、「これはレンズ上のゴミ」と思う人も
いるかもしれない。
私のワイフもそう言った。
しかしそれについては、そばにいた長男が、即座に反論した。
「NASAの火星探査機のカメラに、ゴミなど、つかないよ!」と。
それにレンズ上のゴミなら、焦点距離がまったくちがう。
黒くぼやけるはず。
一度、自分のもっているデジカメで確かめてみるとよい。

width="480" height="640" alt="●火星上のUFO.jpg">

width="907" height="1215" alt="img126.jpg">

●オーストラリア

 近く、オーストラリアへワイフと行ってくる。
それについて、私はJ・ライン(航空機)を利用するつもりでいた。
私とて、日本人。
日本の飛行機に乗りたい。
が、昨日、J社の労働組合機関誌を読んで、やめた。
ネットサーフィンをしているとき、それを見つけた。
J社は目下、経営再建中。
労使問題で、社内はゴチャゴチャ。

 その新聞には、こうあった。

「……不具合があっても、要領よく見なかったことにすること
も可能ですが、出発遅れや欠航の可能性があっても、見つけた
不具合は直す整備士としての良心がなければ安全運航は守れません」
(「W」より抜粋)と。

 念のため、もう一度、しっかりと読みなおしてみてほしい。
その上で、つぎに進んでほしい。

 私はこの文を読んでゾッとした。
中学生程度の読解力があるなら、理由はわかるはず。
裏を返して言うと、こうなる。
「へたに(整備員を)整理解雇したら、手抜きをするぞ。
適当に整備をすませて、それですますぞ」と。

 こういうのを「恫喝(どうかつ)」という。
まさに恫喝。
だからJ社・ラインの飛行機を利用するのは、やめた。
やはりカンタス航空にする。
カンタス航空は、戦後一度も、航空機事故を起こしていない。
(=事故による死者を出していない。)

 J社の社員の気持ちも、よくわかる。
解雇がいかにつらいものかも、よくわかる。
しかしこんなことを社内機関誌に書くようでは、おしまい。
読み方によっては、「手を抜こう」「適当にやろう」と、仲間に
呼びかけているともとれる。
まことにもって、常識ハズレ!

機関誌の終わりには、こうある。
『それは社員の中に浸透していきます』と。

ここでいう(それは)とは、何か?
中学生でも、こう書くだろう。
「手抜き整備」と。
恐ろしい!
だからJ社の飛行機を利用するのは、やめた!

 労働新聞の一部を、そのままここに転載する。

『……私たち日本航空ユニオンは、整備職が中心の組合です
が、この秋以降の管財人・支援機構の不誠実な発言に大き
な不安と、危機感を持ちます。

航空機の整備の仕事は、絶対にウソをつかず、誠実で
なければ成り立ちません。不具合があっても、要領よく
見なかったことにすることも可能ですが、出発遅れや欠
航の可能性があっても、見つけた不具合は直す整備士と
しての良心がなければ安全運航は守れません。

その航空会社の経営者(管財人・支援機構)が、その
場その場を取り繕う形だけの行動を取り、目的(人員削
減)のためには心にも無い発言を平気ですれば、それは
社員の中に浸透していきます』(J社機関誌「W」
10-12-09日号)より。

詳しくは、以下に。

http://www.bekkoame.ne.jp/~jcau/wing229.pdf


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●場面かん黙児(改)

【場面かん黙児】(改)

●場面かん黙児

+++++++++++++++++

家の中では、ふつうに話したり、
騒いだりすることができる。
しかし家を一歩出ると、場面に応じて、
かん黙(緘黙)してしまう。
たとえば幼稚園や、おけいこ塾などでは
貝殻を閉ざしたかのように、まったく
話さない、など。
体が固くなるタイプの子どもと、柔和な、
意味のわからない笑みを浮かべるタイプの
子どもに分けて考えることができる。

このタイプの子どもを、「かん黙児」
「場面かん黙児」という。
少し経験のある教師なら、簡単に
見分けることができる。

もちろん診断名を口にするのは、
タブー中のタブー。
できることと言えば、「一度、専門の先生に
相談してみてはどうですか?」と提案する程度の
ことでしかない。

が、このかん黙児の指導でむずかしいのは、
本人の問題よりも、家族、とくに
母親に、その理解がないこと。
家の中ではふつうに話すため、それに
気づかない。
気づかないばかりか、「先生が悪い」
「ほかの子どもに圧倒される」などと言って、
他人の責任にしてしまう。
中には、「お前がうちの子を萎縮させて
しまった!」と、先生に抗議していく
親もいる。

さらに……。
本来なら、発症直後、つまり乳幼児の
ときに適切な指導をし、そうした症状
から子どもを、取り出してあげねば
ならない。

(「取り出す」という表現は、私が考えた。
「取り出す」「引き出す」という言い方の
ほうが、「治す」「直す」という言い方より、
事実に近い。)

もっとも簡単な方法は、ほかの子どもたち
といっしょに、ドッと笑わせる。
私はこの方法で、かん黙児(もちろん
親や子どもには、診断名を告げることは
ない)を、なおしている。

が、それすらも理解できない。
親は「話せて当たり前」と考える。
そしてよくしゃべる子どもを、「騒がしい
子ども」として、遠ざけてしまう。
あるいは「できの悪い子ども」として、
遠ざけてしまう。
子どもを見る基準そのものがちがう。

さらにこんなことも……。
せっかく本人が話しても、(最初の
ころは、蚊の鳴くような小さな声だが)、
子どもに向かって、「どうして、あなたは
大きな声で話せないの!」と叱ったりする。

この一撃が、ますます症状を重くする。
が、話はさらに先につづく。

先にも書いたように、乳幼児期に
それに気づき、適切な指導をすれば、
症状は、ほかの子どもと区別ができないほど
まで、改善する。
が、その乳幼児期に、無理をしたりする
ことによって、症状がこじれてしまう。
複合的な症状となってしまう。

が、そのときでも親はそれに気づかない。
そこで私がそれとなく問題点を指摘すると、
たいていの親は、こう言う。

「わかっていたら、どうしてもっと
早く教えてくれなかったのですか!」と。

が、こんな逆の例もある。
A子さん(年長児)はかん黙児だった。
半年くらい、教室では何も話さなかった。
が、それを過ぎると、やっと少し声が
出るようになった。
そのときのこと。
母親がレッスンのあと、私にこう言った。

母「うちの子は、ああいう子でしょ」
私「はあ……」
母「先生、かん黙症って、ご存知ですか?」
私「はあ……」
母「来週、就学前検診があります。
そのとき、どうすれば、ああいう子という
ことがわからないですむでしょうか?」
私「はあ……」と。

教える側は、いつも親の身勝手に(=無知)に
振り回される。
そのたびに、大きな挫折感を覚える。

もちろん親自身がそれに気づいていればよい。
そこから指導が始まる。

+++++++++++++++++

【場面かん黙児】


●恐怖症は心の発熱

 先日私は、交通事故で、危うく死にかけた。九死に一生とは、まさにあのこと。今、こうして文を書いているのが、不思議なくらいだ。が、それはそれとして、そのあと、妙な現象が現れた。夜、自転車に乗っていたのだが、すれ違う自動車が、すべて私に向かって走ってくるように感じたのだ。私は少し走っては自転車からおり、少し走ってはまた、自転車からおりた。こわかった……。恐怖症である。

子どもはふとしたきっかけで、この恐怖症になりやすい。たとえば以前、「学校の怪談」というドラマがはやったことがある。そのとき「小学校へ行きたくない」と言う園児が続出した。これは単なる恐怖心だが、それが高じて、精神面、身体面に影響が出ることがある。それが恐怖症だが、この恐怖症は子どもの場合、何に対して恐怖心をだくかによって、ふつう、次の三つに分けて考える。

 【対人(集団)恐怖症】子ども、特に幼児のばあい、新しい人の出会いや環境に、ある程度の警戒心を持つことは、むしろ正常な反応とみる。知恵の発達がおくれぎみの子どもや、注意力が欠如している子どもほど、周囲に対して、無警戒、無とんちゃくで、はじめて行ったような場所でも、我が物顔で騒いだりする。が、反対にその警戒心が、一定の限度を超えると、人前に出ると、声が出なくなる(失語症)、顔が赤くなる(赤面症)、冷や汗をかく、幼稚園や学校がこわくて行けなくなる(不登校)などの症状が現れる。

 【場面恐怖症】その場面になると、極度の緊張状態になることをいう。エレベーターに乗れない(閉所恐怖症)、鉄棒に登れない(高所恐怖症)などがある。私も子どものころ、暗いトイレがこわくて、用を足すことができなかった。そのせいかどうかは知らないが、今でもトンネルなどに入ったりすると、ぞっとするような恐怖感を覚える。

 【そのほかの恐怖症】動物や虫をこわがる(動物恐怖症)、手の汚れやにおいを嫌う(疑惑症)、先のとがったものをこわがる(先端恐怖症)などもある。ペットの死をきっかけに死を極端にこわがるようになった子ども(年長男児)もいた。

 子ども自身の力でコントロールできないから、恐怖症という。そのため説教したり、しかっても意味がない。一般に「心」の問題は、一年単位、二年単位で考える。子どもの立場で、子どもの視点で、子どもの心を考える。無理な誘動や強引な押し付けは、タブー。無理をすればするほど、逆効果。ますます子どもは物事をこわがるようになる。いわば心が熱を出したと思い、できるだけそのことを忘れさせるような環境を用意する。

症状だけをみると、神経症と区別がつきにくい。私の場合も、その事故から数日間は、車の速度が五十キロ前後を超えると、目が回るような状態になってしまった。「気のせいだ」とは分かっていても、あとで見ると、手のひらがびっしょりと汗をかいていた。恐怖症というのはそういうもので、自分の理性や道理ではどうにもならない。そういう前提で、子どもの恐怖症に対処する。

++++++++++++++++++++

●子どもの心

●茨城県のWさんより……

 茨城県のWさん(現在四〇歳、母親)から、娘のかん黙についての、相談をもらった。それについて、考えてみたい。

「現在八月で満六歳になった、一人娘のいる四〇歳の主婦です。

数年前、私の母の介護のため 娘(当時、三歳)を保育園に入園させました。
三か月間泣き、四か月間給食を、一切食べませんでした。

そのうち嫌がらず行けるようになりましたが、約半年後くらいから、あまりにも
嫌がるので休ませようとしましたが、園の方は、「必ず連れて来るように」とのこと。
で、一か月間、泣いているのを抱えて連れて行きました。

そのうち様子がおかしくなり(長くなるので内容は省略します)、 
そのあと、保育園から幼稚園に、転園しました。

ここでも三日目から嫌がり 休ませ 小児精神科に連れて行くと、「場面かん黙」との診断。
その時から、各週に箱庭療法と、二か月に一度カウンセリングを受けています。

ドクターは、私と娘との三人のカウンセリングでは 「娘の話す内容、態度を見る限
り、私との適度な距離がとれているので、私から離れられない、幼稚園に行けないと
は考えられない」と言っています。

昨年は休園させましたが、幼稚園の先生の協力と理解のもと、行事など、本人
の興味のある時だけ、私と一緒に参加させてもらい、今年の四月に、年長組になったの
をきっかけに、本人が「毎日行く」と言って、登園するようになりました。
(ほかの子どもたちとは一切話さず、関わりも、なかなかもてないようです)

お弁当は持っていけず、基本的には昼までに、降園していますが、出席シールだけ
貼って帰ったりと、その日に応じて臨機応変にしています。
最近は、部屋の前の靴箱から、なかなか教室に入れません。

私は本人の納得するまで、つまり子どもが、
帰っていいよと言うまで、その場で待っています。
時には降園までそこで待つときもあります。 
私はこれでいいと思っていますが、これでいいのでしょうか?
昨年と比べると、別人のように良い方向に変わっています。

今一番困っているのが、田舎なので年配の方との関わりが多く、なかなか理解されず
「この子は、おかしな子やな」、と娘に聞こえるように言われます。
その時の対処法に困っています。

かばうようなことを言うと私が責められ、それを見て、娘は大泣きします。
こっそり、「何にも悪いことはないよ。今で充分ですよ」と言っても大泣き。
かといって、知らぬ顔で済ますと、傷ついてしまうようで、それも心配です。

みなにからかわれることもあるようです。

絵日記を見ると、 

『いちりんしゃにのれるようになったよ 
いっしょうけんめいれんしゅうして 
のれるようになったよ 
でも どうして あのこはのれないんだろう』

と書いていました。

そんな、心のやさしい子です。
何かアドバイス頂ければ幸いです。

    茨城県M町、Wより」

●Wさんの問題

 一〇年ほど前までは、「学校へ行けない」というのが、大きな問題だった。が、今では、「幼稚園へ行けない」というのが、問題になり始めている。それも、三歳や四歳の子どもが、である。

Wさんの問題を考える前に、「どうして三歳や四歳の子どもが、幼稚園へ行かねばならないのか」「行く必要があるのか」「行かなければ、何が問題なのか」ということを、考えなければならない。

あるいはあと二〇年もすると、二歳や三歳の子どもについて、同じような相談をもらうようになるのかもしれない。「どうしてうちの子は、保育園へ行けないのでしょうか」と。

 Wさん自身が、「保育園は、行かねばならないところ」「幼稚園は、行かねばならないところ」という、固定観念をもちすぎているところが、気になる。

 私は正直に告白するが、幼稚園にせよ、保育園にせよ、行くとしても、適当に行けばよいと考えている。「適当」という言い方には、語弊があるかもしれないが、この時期は、あくまでも、家庭教育が主体であること。それを忘れてはならない。

 ずいぶんと昔のことだが、ある幼稚園の先生方の研究発表会に、顔を出したことがある。全員、女性。男は、私一人だけだった。

 一人の女性教師が、誇らしげに、包丁の使い方を教えているという報告をしていた。「私は、ダイコンを切るとき、本物の包丁を使わせています」と。

 で、そのあと、意見を求められた。が、私は、思わず、こう言ってしまった。「そんなことは、家庭で、母親が教えればいいことです」と。

 会場が、シーンとなってしまったのを覚えている。

●小学校の問題が、幼稚園で 

 Wさんは、こう書いている。「あまりにも嫌がるので休ませようとしましたが、園の方は、「必ず連れて来るように」とのこと。で、一か月間、泣いているのを抱えて連れて行きました」と。

 当時、その子どもは、三歳である。たったの三歳である。あるいは、あなたは三歳の子どもが、どういう子どもであるか、知っているだろうか?

 いくら保育園の先生が、「必ず連れてくるように」と言っても、一か月もの間、泣いている子どもを抱えて連れていってよいものだろうか。Wさんには悪いが、私はこのメールを読んで、この部分で、いたたまれない気持になった。

 もちろんだからといって、Wさんを、責めているのではない。Wさんも書いているように、「母の介護」という、やむにやまれぬ事情があった。それにWさんは、それが子どものために、よかれと思って、そうした。そういうWさんを、だれも責めることはできない。

 私が問題としたいことは、Wさんをそのように動かした、背景というか、社会的な常識である。

 私がこの世界に入ったときは、幼稚園教育も、二年、もしくは一年がふつうだった。浜松市内でも、幼稚園(保育園)へ行かないまま、小学校へ入学する子どもも、五%はいた。

 それが三年保育となり、さらに保育園自身も、「預かる保育」から、「教える保育」へと変身している。

 こういう流れの中で、三〇年前には、小学校で起きていた現象が、幼稚園でも起きるようになった。たとえば今では、不登校ならぬ、不登園の問題が、あちこちの幼稚園で起きている。Wさんの問題は、まさにその一つということになる。

●もっと、おおらかに! 
 
 はっきり言えば、子どもが、そこまで嫌がるなら、幼稚園や保育園へ、行く必要はない。まったく、ない。

 少し前まで、(今でも、そう言う先生はいるが……)、幼稚園を休んだりすると、「遅れます」とか、「甘やかしてはダメです」と、親を叱る先生がいた。

 しかしいったい、何から、子どもが遅れるのか? 心が風邪をひいて、病んでいる子どもを、保護して、どうして、甘やかしたことになるのか?

 乳幼児期は、家庭教育が基本である。これは、動かしがたい事実である。この時期、子どもは、「家庭」について学ぶ。学ぶというより、それを体にしみこませる。

 夫婦とは何か。父親や母親とは何か。そして家族とは、何か、と。家族が助けあい、守りあい、励ましあい、教えあう姿を、子どもは、体の中にしみこませる。このしみこみがあってはじめて、自分がつぎに親になったとき、自然な形で、子育てができる。

 それにかわるものを、幼稚園や保育園で、どうやって教えることができるというのか。ものごとは、常識で考えてほしい。

 だからといって、幼児教育を否定しているのではない。しかし幼児教育には、幼児教育として、すべきことが山のようにある。包丁の使い方をい教えるのが、幼児教育ではない。ダイコンの切り方を教えるのが、幼児教育ではない。

 現にオーストラリアでは、週三日制の幼稚園もある。少し都会から離れた地域では、週一回のスクーリングだけというところもある。あるいは、アメリカでは、親同士が、交互に子どもを預かりあいながら、保育をしているところもある。

 幼児教育は、幼稚園、あるいは保育園で、と、構えるほうが、おかしい。今、この「おかしさ」がわからないほどまで、日本人の心は、道からはずれてしまっている。

● かん黙児?

Wさんの子どもを、ドクターが、どのようにみて診断したのか、私は知らない。しかしその前提として、かん黙児の診断は、しばらく子どもを指導してみないと、できない。

 ドクターの前で、黙ったからといって、すぐかん黙児ということにはならない。ただ単に緊張していただけかもしれないし、あるいは対人恐怖症、もしくは、集団恐怖症だったかもしれない。

 私は診断名をつけて、診断をくだすことはできないが、しかしかん黙児かどうかを判断することくらいなら、できる。が、そのときでも、数日間にわたって、子どもを指導、観察してみて、はじめてわかることであって、一、二度、対面したくらいで、わかるようなことではない。そのドクターは、どうやって、「場面かん黙」と判断したのだろうか。

 このWさんのメールを読むかぎり、無理な隔離が原因で起きた、妄想性をともなった、集団恐怖症ではないかと思う。……思うだけで、何ともいえないが、それがさらにこじれて、学校恐怖症(幼稚園恐怖症)になったのではないかと思う。

 もっとも恐怖症がこじれて、カラにこもるということは、子どものばあい、よくある。かん黙も、何かの恐怖体験がきっかけで起こることは、よく知られている。かん黙することにより、自分がキズつくのを防ごうとする。これを心理学の世界では、防衛機制という。

 しかしもしそうなら、なおさら、無理をしてはいけない。無理をすればするほど、症状がこじれ、立ちなおりが遅れる。子どもの立場で、子どもの心をていねいにみながら、対処する。

 保育園の先生が、「必ず連れてくるように」と言ったというが、私には、とんでもない暴言に聞こえる。あるいは別に何か、先生には先生なりの、理由があったのかもしれない。この点については、よくわからない。

 なお場面かん黙については、つぎのようなポイントを見て判断するとよい。

●かん黙児

(1) ふとしたこと、あるいは、特定の場面になると、貝殻を閉ざしたかのように、口を閉じ、黙ってしまう。集団教育の場に入れられたようなとき、そのショックからかん黙することが多い。防衛規制のひとつと考えられている。

(2) 気が許せる人(限られた親や兄弟、友人など)と、気が許せる場所(家)では、ごくふつうに会話をすることができる。むしろ多弁であることが多い。


(3) かん黙している間、心と表情が遊離したかのようになり、何を考えているか、わからなくなる。柔和な意味のわからない笑みを浮かべて、ニンマリとしつづけることもある。
反対に「話してごらん」と促すと、体をこわばらせてしまう子どももいる。

(4) かん黙しているとき、心は緊張状態にある。表情に、だまされてはいけない。ささいなことで興奮したり、激怒したり、取り乱したりする。私は、(親の了解を得た上で)、そっと抱いてみることにしている。心を許さない分だけ、体をこわばらせる。炊き心地が悪い。反対に抱かれるようだと、症状も軽く、立ちなおりは、早い。

 詳しくは、「はやし浩司のサイト」の「かん黙児」を参照してほしい。

 で、こうした症状がみられたら、軽重もあるが、とにかく、無理をしないこと。そういう子どもと認めた上で、半年単位で、症状の推移をみる。一度、かん黙症と診断されると、その症状は、数年単位でつづく。が、小学校に入学するころから、症状は、軽減し、ほとんどの子どもは、小学三、四年生くらいを境に、何ごともなかったかのように、立ちなおっていく。

 ある子ども(幼稚園児)は、毎朝、幼稚園の先生が、歩いて迎えにきたが、三年間、ただの一度もあいさつをしなかった。その子どものばあいは、先生と、視線を合わせようとすらしなかった。視線をそらすという、横視現象は、このタイプの子どもによく見られる症状の一つである。(あるいはじっと相手の視線をのぞきこんだまま、緘黙する。)

 しかしかん黙症の子どもの、本当の問題は、親にある。家の中では、何も問題がないため、幼稚園や保育園での様子を見て、「指導が悪い」「先生が、うちの子を、そういう子どもにした」などと言う。私も、何度か、経験している。

 子ども自身では、どうにもならない問題と考える。いわんや、子どもを説教したり、叱っても意味はない。

 子どもが自分で自分を客観的に判断できるようになるのは、小学三年生以上とみる。この時期を過ぎると、自己意識が急速に発達して、自分で自分の姿を見ることができるようになる。そして自分で自分を、コントロールするようになる。

 かん黙児は、かん黙するというだけで、脳の働きは、ふつうか、あるいはそれ以上であることが多い。もともと繊細な感覚をもっている。だから静かに黙っているからといって、脳の活動が停止していると考えるのは、まちがいである。

 反応が少ないというだけで、ほかに問題は、ない。だから教えるべきことは教えながら、あとは「よくやったね」とほめて、しあげる。先にも書いたように、この問題は、本人自身では、どうにもならない問題なのである。
 
●Wさんへ

 メールによれば、「昨年と比べると、別人のように良い方向に変わっています」とのこと。私は、まず、ここを重要視すべきではないかと思います。

 いただいたメールの範囲によれば、かん黙症状があるにせよ、対人恐怖か、集団恐怖が、入りまざった症状ではないかと思います。一つの参考的意見として、お考えくだされば、うれしいです。

 ふつうこの年齢では、かん黙症については、「別人のように……」という変化は、ありません。その点からも、かん黙症ではなく、やはり何らかの妄想性をともなった、恐怖症が疑われます。もし恐怖症であれば、少しずつ、環境にならしていくという方法で対処します。

 私自身も、いくつかの恐怖症をもっています。閉所恐怖症。高所恐怖症など。最近では、スピード恐怖症になったこともあります。恐怖症というのはそういうもので、中味があれこれと変わることはあります。つまり「恐怖症」という入れ物ができ、そのつど、その中味が、「閉所」になったり、「高所」になったりするというわけです。

 下のお子さん(弟か妹)のことは書いてありませんが、もしいるなら、分離不安がこじれた症状も考えられます。

 どちらであるにせよ、「別人のように……」ということなら、私は、もう問題はほとんど解決しているのではないかと思います。

●最後に……

 心に深いキズを負った人は、二つのタイプに分かれます。

 そのまま他人の心のキズが理解できるようになる人。もう一つは、心のキズに鈍感になり、今度は、他人をキズつける側に回る人です。よく最悪のどん底を経験した人が、そのあと、善人と悪人に分かれるのに、似ています。

 ほかにたとえば、はげしいいじめにあった子どもが、他人にやさしくなるタイプと、今度は、自分も、いじめる側に回るタイプに分かれるのにも、似ています。

 今、Wさんのお嬢さんは、何かときびしい状況におかれていることは、「大泣き」という言葉からも、よくわかります。Wさんが、かばうと、また大泣きということですが、遠慮せず、かばってあげてください。無神経で、無理解な人たちに負けてはいけません。お嬢さん自身は、何も、悪いことはしていないのです。またどこも悪くはないのです。

 お嬢さんは、日記からもわかるように、たいへん心のやさしいお嬢さんです。回りの人に、そういう目で見られながらも、自分をもちなおしています。理由は、簡単です。あなたという親の愛情と理解を、たっぷりと受けているからです。つまりここでいう善人の道を、すでに選んでいるわけです。

 事実、『愛は万能』です。親の愛がしっかりしていれば、子どもの心がゆがむということは、ありえません。最後の最後まで、その愛をつらぬきます。具体的には、最後の最後まで、「許して、忘れます」。その度量の広さで、親の愛情の深さが決まります。

 長いトンネルに見えたかもしれませんが、もう出口は、すぐそこではないでしょうか。いろいろつらいこともあったでしょうが、そのつらさが、今のあなたを大きく成長させたはずです。このことは、もう少し先にならないとわからないかもしれませんが、やがてあなたも、いつか、それに気づくはずです。

 幸運にも、Wさんは、たいへん気が長い方のように思います。よい母親の第一の条件を、もっておられるようです。「(子どもが私に)、帰っていいよと言うまで、(いつまでも)、その場で待っています」などということは、なかなかできるものではありません。尊敬します。

 結論を言えば、今のまま、前向きに進むしかないのではないかと思います。まわりの人を理解させるのも、あるいはその流れを変えるのも、容易ではないと思います。それ以上に、ここにも書いたように、もう出口に近いと思われます。あと少しのがまんではないかと思います。いかがでしょうか?

 仮に、かん黙症であっても、率直に言えば、箱庭療法程度の療法で、その症状が改善するとは、とても思われません。かん黙症について言えば、半年単位で、その症状を見守ります。

 で、このとき大切なことは、無理をして、今の症状をこじらせないこと、です。時期がくれば、大半のかん黙症は、なおっていきます。

 「時期」というのは、ここにも書いたように、小学三、四年生前後をいいます。それまでにこじらせると、かえって恐怖心をいだかせたり、自信をなくさせたりします。「あなたは、あなたですよ」という、暖かい理解が、今、大切です。子ども自身には、自分が(ふつうでない)という意識は、まったくないのですから。

 最近、「暖かい無視」という言葉が、よく使われています。お嬢さんを、暖かい愛情で包みながら、そうした症状については、無視するのが一番かと思います。だいたいにおいて、問題のない子どもなど、いないのですから、そういう視点でも、一度、おおらかに見てあげてください。

 なお、「幼稚園とは、行かねばならないところ」と考えるのは、バカげていますから、もしそのようにお考えなら、そういう考え方は、改めてください。決して、無理をしないこと。「適当に行けばいいのよ」「行きたいときに行けばいいのよ」と、です。

 ただこれから先、ふとしたきっかけで、学校などへ行きたがらないことも起こるかもしれません。それについては、私の「学校恐怖症」(はやし浩司のサイト、症状別相談)を参考にしてください。そういう兆候が見られたら、むしろ親のあなたのほうから、「今日は、学校を休んで、動物園へでも行ってみる?」と、声をかけてみてください。そういうおおらかさが、子どもの心に、風穴をあけます。

 つぎにスキンシップです。このスキンシップには、魔法の、つまりはまだ解明されていない、不思議な力があります。子どもがそれを求めてきたら、おっくうがらず、ていねいに、それに答えてあげてください。

 あとは、CA、MGの多い食生活にこころがけます。海産物を中心とした、食生活をいいます。

 またかん黙症であるにせよ、恐怖症であるにせよ、できるだけそういう状態から遠ざかるのが、賢明です。要するに、思い出させないようにするのが、コツです。あとは、その期間を、少しずつ、できるだけ長くしていきます。

 最後に、子育ては、楽しいですよ。すばらしいですよ。いろいろなことがありますが、どうかそれを前向きにとらえてください。仮にあなたのお嬢さんが、かん黙症であっても、そんなのは、何でもない問題です。先にも書きましたが、それぞれの人が、いろいろな問題をかかえています。が、こと、かん黙症については、時期がくれば、消えていく、つまりは、マイナーな問題だということです。どうか、私の言葉を信じてください。

 ついでに、できれば、私の電子マガジンをご購読ください。きっと、参考になると思います。無料です。
(031017)(2011ー02ー27改変)

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW はやし浩司 かん黙児 緘黙症 かん黙症 情緒の問題 情緒障害児 心に障害をもった子ども)


Hiroshi Hayashi+++++++Feb. 2011++++++はやし浩司・林浩司

Saturday, February 26, 2011

●場面緘黙児

●場面かん黙児

+++++++++++++++++

家の中では、ふつうに話したり、
騒いだりすることができる。
しかし家を一歩出ると、場面に応じて、
かん黙(緘黙)してしまう。
たとえば幼稚園や、おけいこ塾などでは
貝殻を閉ざしたかのように、まったく
話さない、など。
体が固くなる子どもと、柔和な、意味の
わからない笑みを浮かべる子どもとに
分けて考えることができる。

このタイプの子どもを、「かん黙児」
「場面かん黙児」という。
少し経験のある教師なら、簡単に
見分けることができる。

もちろん診断名を口にするのは、
タブー中のタブー。
できることと言えば、「一度、専門の先生に
談してみてはどうですか?」と提案する程度の
ことでしかない。

が、このかん黙児の指導でむずかしいのは、
本人の問題よりも、家族、とくに
母親に、その理解がないこと。
家の中ではふつうに話すため、それに
気づかない。
気づかないばかりか、「先生が悪い」
「ほかの子どもに圧倒される」などと言って、
他人の責任にしてしまう。
中には、「お前がうちの子を萎縮させて
しまった!」と、先生に抗議していく
親もいる。

さらに……。
本来なら、発症直後、つまり乳幼児の
ときに適切な指導をし、そうした症状
から子どもを、取り出してあげねば
ならない。

(「取り出す」という表現は、私が考えた。
「取り出す」「引き出す」という言い方の
ほうが、「治す」「直す」という言い方より、
事実に近い。)

もっとも簡単な方法は、ほかの子どもたち
といっしょに、ドッと笑わせる。
私はこの方法で、かん黙児(もちろん
親や子どもには、診断名を告げることは
ない)を、なおしている。

が、それすらも理解できない。
親は「話せて当たり前」と考える。
そしてよくしゃべる子どもを、「騒がしい
子ども」として、遠ざけてしまう。
あるいは「できの悪い子ども」として、
遠ざけてしまう。
子どもを見る基準そのものがちがう。

さらにこんなことも……。
せっかく本人が話しても、(最初の
ころは、蚊の鳴くような小さな声だが)、
子どもに向かって、「どうして、あなたは
大きな声で話せないの!」と叱ったりする。

この一撃が、ますます症状を重くする。
が、話はさらに先につづく。

先にも書いたように、乳幼児期に
それに気づき、適切な指導をすれば、
症状は、ほかの子どもと区別ができないほど
まで、改善する。
が、その乳幼児期に、無理をしたりする
ことによって、症状がこじれてしまう。
複合的な症状となってしまう。

が、そのときでも親はそれに気づかない。
そこで私がそれとなく問題点を指摘すると、
たいていの親は、こう言う。

「わかっていたら、どうしてもっと
早く教えてくれなかったのですか!」と。

教える側は、いつも親の身勝手に(=無知)に
振り回される。
そのたびに、大きな挫折感を覚える。

+++++++++++++++++

【場面かん黙児】


●恐怖症は心の発熱

 先日私は、交通事故で、危うく死にかけた。九死に一生とは、まさにあのこと。今、こうして文を書いているのが、不思議なくらいだ。が、それはそれとして、そのあと、妙な現象が現れた。夜、自転車に乗っていたのだが、すれ違う自動車が、すべて私に向かって走ってくるように感じたのだ。私は少し走っては自転車からおり、少し走ってはまた、自転車からおりた。こわかった……。恐怖症である。

子どもはふとしたきっかけで、この恐怖症になりやすい。たとえば以前、「学校の怪談」というドラマがはやったことがある。そのとき「小学校へ行きたくない」と言う園児が続出した。これは単なる恐怖心だが、それが高じて、精神面、身体面に影響が出ることがある。それが恐怖症だが、この恐怖症は子どもの場合、何に対して恐怖心をだくかによって、ふつう、次の三つに分けて考える。

 【対人(集団)恐怖症】子ども、特に幼児のばあい、新しい人の出会いや環境に、ある程度の警戒心を持つことは、むしろ正常な反応とみる。知恵の発達がおくれぎみの子どもや、注意力が欠如している子どもほど、周囲に対して、無警戒、無とんちゃくで、はじめて行ったような場所でも、我が物顔で騒いだりする。が、反対にその警戒心が、一定の限度を超えると、人前に出ると、声が出なくなる(失語症)、顔が赤くなる(赤面症)、冷や汗をかく、幼稚園や学校がこわくて行けなくなる(不登校)などの症状が現れる。

 【場面恐怖症】その場面になると、極度の緊張状態になることをいう。エレベーターに乗れない(閉所恐怖症)、鉄棒に登れない(高所恐怖症)などがある。私も子どものころ、暗いトイレがこわくて、用を足すことができなかった。そのせいかどうかは知らないが、今でもトンネルなどに入ったりすると、ぞっとするような恐怖感を覚える。

 【そのほかの恐怖症】動物や虫をこわがる(動物恐怖症)、手の汚れやにおいを嫌う(疑惑症)、先のとがったものをこわがる(先端恐怖症)などもある。ペットの死をきっかけに死を極端にこわがるようになった子ども(年長男児)もいた。

 子ども自身の力でコントロールできないから、恐怖症という。そのため説教したり、しかっても意味がない。一般に「心」の問題は、一年単位、二年単位で考える。子どもの立場で、子どもの視点で、子どもの心を考える。無理な誘動や強引な押し付けは、タブー。無理をすればするほど、逆効果。ますます子どもは物事をこわがるようになる。いわば心が熱を出したと思い、できるだけそのことを忘れさせるような環境を用意する。

症状だけをみると、神経症と区別がつきにくい。私の場合も、その事故から数日間は、車の速度が五十キロ前後を超えると、目が回るような状態になってしまった。「気のせいだ」とは分かっていても、あとで見ると、手のひらがびっしょりと汗をかいていた。恐怖症というのはそういうもので、自分の理性や道理ではどうにもならない。そういう前提で、子どもの恐怖症に対処する。

++++++++++++++++++++

●子どもの心

●茨城県のWさんより……

 茨城県のWさん(現在四〇歳、母親)から、娘のかん黙についての、相談をもらった。それについて、考えてみたい。

「現在八月で満六歳になった、一人娘のいる四〇歳の主婦です。

数年前、私の母の介護のため 娘(当時、三歳)を保育園に入園させました。
三か月間泣き、四か月間給食を、一切食べませんでした。

そのうち嫌がらず行けるようになりましたが、約半年後くらいから、あまりにも
嫌がるので休ませようとしましたが、園の方は、「必ず連れて来るように」とのこと。
で、一か月間、泣いているのを抱えて連れて行きました。

そのうち様子がおかしくなり(長くなるので内容は省略します)、 
そのあと、保育園から幼稚園に、転園しました。

ここでも三日目から嫌がり 休ませ 小児精神科に連れて行くと、「場面かん黙」との診断。
その時から、各週に箱庭療法と、二か月に一度カウンセリングを受けています。

ドクターは、私と娘との三人のカウンセリングでは 「娘の話す内容、態度を見る限
り、私との適度な距離がとれているので、私から離れられない、幼稚園に行けないと
は考えられない」と言っています。

昨年は休園させましたが、幼稚園の先生の協力と理解のもと、行事など、本人
の興味のある時だけ、私と一緒に参加させてもらい、今年の四月に、年長組になったの
をきっかけに、本人が「毎日行く」と言って、登園するようになりました。
(ほかの子どもたちとは一切話さず、関わりも、なかなかもてないようです)

お弁当は持っていけず、基本的には昼までに、降園していますが、出席シールだけ
貼って帰ったりと、その日に応じて臨機応変にしています。
最近は、部屋の前の靴箱から、なかなか教室に入れません。

私は本人の納得するまで、つまり子どもが、
帰っていいよと言うまで、その場で待っています。
時には降園までそこで待つときもあります。 
私はこれでいいと思っていますが、これでいいのでしょうか?
昨年と比べると、別人のように良い方向に変わっています。

今一番困っているのが、田舎なので年配の方との関わりが多く、なかなか理解されず
「この子は、おかしな子やな」、と娘に聞こえるように言われます。
その時の対処法に困っています。

かばうようなことを言うと私が責められ、それを見て、娘は大泣きします。
こっそり、「何にも悪いことはないよ。今で充分ですよ」と言っても大泣き。
かといって、知らぬ顔で済ますと、傷ついてしまうようで、それも心配です。

みなにからかわれることもあるようです。

絵日記を見ると、 

『いちりんしゃにのれるようになったよ 
いっしょうけんめいれんしゅうして 
のれるようになったよ 
でも どうして あのこはのれないんだろう』

と書いていました。

そんな、心のやさしい子です。
何かアドバイス頂ければ幸いです。

    茨城県M町、Wより」

●Wさんの問題

 一〇年ほど前までは、「学校へ行けない」というのが、大きな問題だった。が、今では、「幼稚園へ行けない」というのが、問題になり始めている。それも、三歳や四歳の子どもが、である。

Wさんの問題を考える前に、「どうして三歳や四歳の子どもが、幼稚園へ行かねばならないのか」「行く必要があるのか」「行かなければ、何が問題なのか」ということを、考えなければならない。

あるいはあと二〇年もすると、二歳や三歳の子どもについて、同じような相談をもらうようになるのかもしれない。「どうしてうちの子は、保育園へ行けないのでしょうか」と。

 Wさん自身が、「保育園は、行かねばならないところ」「幼稚園は、行かねばならないところ」という、固定観念をもちすぎているところが、気になる。

 私は正直に告白するが、幼稚園にせよ、保育園にせよ、行くとしても、適当に行けばよいと考えている。「適当」という言い方には、語弊があるかもしれないが、この時期は、あくまでも、家庭教育が主体であること。それを忘れてはならない。

 ずいぶんと昔のことだが、ある幼稚園の先生方の研究発表会に、顔を出したことがある。全員、女性。男は、私一人だけだった。

 一人の女性教師が、誇らしげに、包丁の使い方を教えているという報告をしていた。「私は、ダイコンを切るとき、本物の包丁を使わせています」と。

 で、そのあと、意見を求められた。が、私は、思わず、こう言ってしまった。「そんなことは、家庭で、母親が教えればいいことです」と。

 会場が、シーンとなってしまったのを覚えている。

●小学校の問題が、幼稚園で 

 Wさんは、こう書いている。「あまりにも嫌がるので休ませようとしましたが、園の方は、「必ず連れて来るように」とのこと。で、一か月間、泣いているのを抱えて連れて行きました」と。

 当時、その子どもは、三歳である。たったの三歳である。あるいは、あなたは三歳の子どもが、どういう子どもであるか、知っているだろうか?

 いくら保育園の先生が、「必ず連れてくるように」と言っても、一か月もの間、泣いている子どもを抱えて連れていってよいものだろうか。Wさんには悪いが、私はこのメールを読んで、この部分で、いたたまれない気持になった。

 もちろんだからといって、Wさんを、責めているのではない。Wさんも書いているように、「母の介護」という、やむにやまれぬ事情があった。それにWさんは、それが子どものために、よかれと思って、そうした。そういうWさんを、だれも責めることはできない。

 私が問題としたいことは、Wさんをそのように動かした、背景というか、社会的な常識である。

 私がこの世界に入ったときは、幼稚園教育も、二年、もしくは一年がふつうだった。浜松市内でも、幼稚園(保育園)へ行かないまま、小学校へ入学する子どもも、五%はいた。

 それが三年保育となり、さらに保育園自身も、「預かる保育」から、「教える保育」へと変身している。

 こういう流れの中で、三〇年前には、小学校で起きていた現象が、幼稚園でも起きるようになった。たとえば今では、不登校ならぬ、不登園の問題が、あちこちの幼稚園で起きている。Wさんの問題は、まさにその一つということになる。

●もっと、おおらかに! 
 
 はっきり言えば、子どもが、そこまで嫌がるなら、幼稚園や保育園へ、行く必要はない。まったく、ない。

 少し前まで、(今でも、そう言う先生はいるが……)、幼稚園を休んだりすると、「遅れます」とか、「甘やかしてはダメです」と、親を叱る先生がいた。

 しかしいったい、何から、子どもが遅れるのか? 心が風邪をひいて、病んでいる子どもを、保護して、どうして、甘やかしたことになるのか?

 乳幼児期は、家庭教育が基本である。これは、動かしがたい事実である。この時期、子どもは、「家庭」について学ぶ。学ぶというより、それを体にしみこませる。

 夫婦とは何か。父親や母親とは何か。そして家族とは、何か、と。家族が助けあい、守りあい、励ましあい、教えあう姿を、子どもは、体の中にしみこませる。このしみこみがあってはじめて、自分がつぎに親になったとき、自然な形で、子育てができる。

 それにかわるものを、幼稚園や保育園で、どうやって教えることができるというのか。ものごとは、常識で考えてほしい。

 だからといって、幼児教育を否定しているのではない。しかし幼児教育には、幼児教育として、すべきことが山のようにある。包丁の使い方をい教えるのが、幼児教育ではない。ダイコンの切り方を教えるのが、幼児教育ではない。

 現にオーストラリアでは、週三日制の幼稚園もある。少し都会から離れた地域では、週一回のスクーリングだけというところもある。あるいは、アメリカでは、親同士が、交互に子どもを預かりあいながら、保育をしているところもある。

 幼児教育は、幼稚園、あるいは保育園で、と、構えるほうが、おかしい。今、この「おかしさ」がわからないほどまで、日本人の心は、道からはずれてしまっている。

● かん黙児?

Wさんの子どもを、ドクターが、どのようにみて診断したのか、私は知らない。しかしその前提として、かん黙児の診断は、しばらく子どもを指導してみないと、できない。

 ドクターの前で、黙ったからといって、すぐかん黙児ということにはならない。ただ単に緊張していただけかもしれないし、あるいは対人恐怖症、もしくは、集団恐怖症だったかもしれない。

 私は診断名をつけて、診断をくだすことはできないが、しかしかん黙児かどうかを判断することくらいなら、できる。が、そのときでも、数日間にわたって、子どもを指導、観察してみて、はじめてわかることであって、一、二度、対面したくらいで、わかるようなことではない。そのドクターは、どうやって、「場面かん黙」と判断したのだろうか。

 このWさんのメールを読むかぎり、無理な隔離が原因で起きた、妄想性をともなった、集団恐怖症ではないかと思う。……思うだけで、何ともいえないが、それがさらにこじれて、学校恐怖症(幼稚園恐怖症)になったのではないかと思う。

 もっとも恐怖症がこじれて、カラにこもるということは、子どものばあい、よくある。かん黙も、何かの恐怖体験がきっかけで起こることは、よく知られている。かん黙することにより、自分がキズつくのを防ごうとする。これを心理学の世界では、防衛機制という。

 しかしもしそうなら、なおさら、無理をしてはいけない。無理をすればするほど、症状がこじれ、立ちなおりが遅れる。子どもの立場で、子どもの心をていねいにみながら、対処する。

 保育園の先生が、「必ず連れてくるように」と言ったというが、私には、とんでもない暴言に聞こえる。あるいは別に何か、先生には先生なりの、理由があったのかもしれない。この点については、よくわからない。

 なお場面かん黙については、つぎのようなポイントを見て判断するとよい。

●かん黙児

(5) ふとしたこと、あるいは、特定の場面になると、貝殻を閉ざしたかのように、口を閉じ、黙ってしまう。

(6) 気が許せる人(限られた親や兄弟、友人など)と、気が許せる場所(家)では、ごくふつうに会話をすることができる。むしろ多弁であることが多い。


(7) かん黙している間、心と表情が遊離したかのようになり、何を考えているか、わからなくなる。柔和な意味のわからない笑みを浮かべて、ニンマリとしつづけることもある。

(8) かん黙しているとき、心は緊張状態にある。表情に、だまされてはいけない。ささいなことで興奮したり、激怒したり、取り乱したりする。私は、(親の了解を得た上で)、そっと抱いてみることにしている。心を許さない分だけ、体をこわばらせる。反対に抱かれるようだと、症状も軽く、立ちなおりは、早い。

 詳しくは、「はやし浩司のサイト」の「かん黙児」を参照してほしい。

 で、こうした症状がみられたら、軽重もあるが、とにかく、無理をしないこと。そういう子どもと認めた上で、半年単位で、症状の推移をみる。一度、かん黙症と診断されると、その症状は、数年単位でつづく。が、小学校に入学するころから、症状は、軽減し、ほとんどの子どもは、小学三、四年生くらいを境に、何ごともなかったかのように、立ちなおっていく。

 ある子ども(幼稚園児)は、毎朝、幼稚園の先生が、歩いて迎えにきたが、三年間、ただの一度もあいさつをしなかった。その子どものばあいは、先生と、視線を合わせようとすらしなかった。視線をそらすという、横視現象は、このタイプの子どもによく見られる症状の一つである。

 しかしかん黙症の子どもの、本当の問題は、親にある。家の中では、何も問題がないため、幼稚園や保育園での様子を見て、「指導が悪い」「先生が、うちの子を、そういう子どもにした」などと言う。私も、何度か、経験している。

 子ども自身では、どうにもならない問題と考える。いわんや、子どもを説教したり、叱っても意味はない。

 子どもが自分で自分を客観的に判断できるようになるのは、小学三年生以上とみる。この時期を過ぎると、自己意識が急速に発達して、自分で自分の姿を見ることができるようになる。そして自分で自分を、コントロールするようになる。

 かん黙児は、かん黙するというだけで、脳の働きは、ふつうか、あるいはそれ以上であることが多い。もともと繊細な感覚をもっている。だから静かに黙っているからといって、脳の活動が停止していると考えるのは、まちがいである。

 反応が少ないというだけで、ほかに問題は、ない。だから教えるべきことは教えながら、あとは「よくやったね」とほめて、しあげる。先にも書いたように、この問題は、本人自身では、どうにもならない問題なのである。
 
●Wさんへ

 メールによれば、「昨年と比べると、別人のように良い方向に変わっています」とのこと。私は、まず、ここを重要視すべきではないかと思います。

 いただいたメールの範囲によれば、かん黙症状があるにせよ、対人恐怖か、集団恐怖が、入りまざった症状ではないかと思います。一つの参考的意見として、お考えくだされば、うれしいです。

 ふつうこの年齢では、かん黙症については、「別人のように……」という変化は、ありません。その点からも、かん黙症ではなく、やはり何らかの妄想性をともなった、恐怖症が疑われます。もし恐怖症であれば、少しずつ、環境にならしていくという方法で対処します。

 私自身も、いくつかの恐怖症をもっています。閉所恐怖症。高所恐怖症など。最近では、スピード恐怖症になったこともあります。恐怖症というのはそういうもので、中味があれこれと変わることはあります。つまり「恐怖症」という入れ物ができ、そのつど、その中味が、「閉所」になったり、「高所」になったりするというわけです。

 下のお子さん(弟か妹)のことは書いてありませんが、もしいるなら、分離不安がこじれた症状も考えられます。

 どちらであるにせよ、「別人のように……」ということなら、私は、もう問題はほとんど解決しているのではないかと思います。

●最後に……

 心に深いキズを負った人は、二つのタイプに分かれます。

 そのまま他人の心のキズが理解できるようになる人。もう一つは、心のキズに鈍感になり、今度は、他人をキズつける側に回る人です。よく最悪のどん底を経験した人が、そのあと、善人と悪人に分かれるのに、似ています。

 ほかにたとえば、はげしいいじめにあった子どもが、他人にやさしくなるタイプと、今度は、自分も、いじめる側に回るタイプに分かれるのにも、似ています。

 今、Wさんのお嬢さんは、何かときびしい状況におかれていることは、「大泣き」という言葉からも、よくわかります。Wさんが、かばうと、また大泣きということですが、遠慮せず、かばってあげてください。無神経で、無理解な人たちに負けてはいけません。お嬢さん自身は、何も、悪いことはしていないのです。またどこも悪くはないのです。

 お嬢さんは、日記からもわかるように、たいへん心のやさしいお嬢さんです。回りの人に、そういう目で見られながらも、自分をもちなおしています。理由は、簡単です。あなたという親の愛情と理解を、たっぷりと受けているからです。つまりここでいう善人の道を、すでに選んでいるわけです。

 事実、『愛は万能』です。親の愛がしっかりしていれば、子どもの心がゆがむということは、ありえません。最後の最後まで、その愛をつらぬきます。具体的には、最後の最後まで、「許して、忘れます」。その度量の広さで、親の愛情の深さが決まります。

 長いトンネルに見えたかもしれませんが、もう出口は、すぐそこではないでしょうか。いろいろつらいこともあったでしょうが、そのつらさが、今のあなたを大きく成長させたはずです。このことは、もう少し先にならないとわからないかもしれませんが、やがてあなたも、いつか、それに気づくはずです。

 幸運にも、Wさんは、たいへん気が長い方のように思います。よい母親の第一の条件を、もっておられるようです。「(子どもが私に)、帰っていいよと言うまで、(いつまでも)、その場で待っています」などということは、なかなかできるものではありません。尊敬します。

 結論を言えば、今のまま、前向きに進むしかないのではないかと思います。まわりの人を理解させるのも、あるいはその流れを変えるのも、容易ではないと思います。それ以上に、ここにも書いたように、もう出口に近いと思われます。あと少しのがまんではないかと思います。いかがでしょうか?

 仮に、かん黙症であっても、率直に言えば、箱庭療法程度の療法で、その症状が改善するとは、とても思われません。かん黙症について言えば、半年単位で、その症状を見守ります。

 で、このとき大切なことは、無理をして、今の症状をこじらせないこと、です。時期がくれば、大半のかん黙症は、なおっていきます。

 「時期」というのは、ここにも書いたように、小学三、四年生前後をいいます。それまでにこじらせると、かえって恐怖心をいだかせたり、自信をなくさせたりします。「あなたは、あなたですよ」という、暖かい理解が、今、大切です。子ども自身には、自分が(ふつうでない)という意識は、まったくないのですから。

 最近、「暖かい無視」という言葉が、よく使われています。お嬢さんを、暖かい愛情で包みながら、そうした症状については、無視するのが一番かと思います。だいたいにおいて、問題のない子どもなど、いないのですから、そういう視点でも、一度、おおらかに見てあげてください。

 なお、「幼稚園とは、行かねばならないところ」と考えるのは、バカげていますから、もしそのようにお考えなら、そういう考え方は、改めてください。決して、無理をしないこと。「適当に行けばいいのよ」「行きたいときに行けばいいのよ」と、です。

 ただこれから先、ふとしたきっかけで、学校などへ行きたがらないことも起こるかもしれません。それについては、私の「学校恐怖症」(はやし浩司のサイト、症状別相談)を参考にしてください。そういう兆候が見られたら、むしろ親のあなたのほうから、「今日は、学校を休んで、動物園へでも行ってみる?」と、声をかけてみてください。そういうおおらかさが、子どもの心に、風穴をあけます。

 つぎにスキンシップです。このスキンシップには、魔法の、つまりはまだ解明されていない、不思議な力があります。子どもがそれを求めてきたら、おっくうがらず、ていねいに、それに答えてあげてください。

 あとは、CA、MGの多い食生活にこころがけます。海産物を中心とした、食生活をいいます。

 またかん黙症であるにせよ、恐怖症であるにせよ、できるだけそういう状態から遠ざかるのが、賢明です。要するに、思い出させないようにするのが、コツです。あとは、その期間を、少しずつ、できるだけ長くしていきます。

 最後に、子育ては、楽しいですよ。すばらしいですよ。いろいろなことがありますが、どうかそれを前向きにとらえてください。仮にあなたのお嬢さんが、かん黙症であっても、そんなのは、何でもない問題です。先にも書きましたが、それぞれの人が、いろいろな問題をかかえています。が、こと、かん黙症については、時期がくれば、消えていく、つまりは、マイナーな問題だということです。どうか、私の言葉を信じてください。

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●心のポケット




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子育て最前線の育児論byはやし浩司   2011年 3月 30日
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選ばれました!

【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●情愛論(心の暖かい子どもvs冷たい子ども)

++++++++++++++++++

基本的には、子どもの(=人の)の情愛は、
母親によって、乳幼児期に作られる。
この時期、母親の暖かい情愛に恵まれた
子ども(=人)は、暖かい情愛をもつ。
そうでなければ、そうでない。

++++++++++++++++++

●心の暖かい人vs冷たい人

 情愛の深さは、相対的なもの。
情愛の深い人には、心の冷たい人がよくわかる。
が、心の冷たい人からは、情愛の深い人が、わからない。
お人好しか、ばあいによっては、ただのバカに見える。

 その情愛の深さは、共鳴性によって決まる。
相手の悲しみや苦しみ、さみしさやつらさを、より深く共鳴できる人を、情愛の深い
人という。
が、これには個人差がある。
程度の差もある。
幅のちがいもある。

 その情愛は、母親によって、乳幼児期に作られる。

●8%!

 前もって誤解がないようにしておきたい。
「母性愛」という言葉がある。
本能に根ざした「愛」と考えている人は多い。
しかし実際の調査によると、約8%の母親(私の調査では10%の母親)は、
自分の子どもを愛することができず、人知れず、悩んでいる。
10人に1人!

母親だから……という、『ダカラ論』ほど、アテにならないものはない。
またそういうものを、頭から肯定し、すべての女性に押しつけてはいけない。
みながみな、母性愛があるわけではない。
押しつければ押しつけるほど、その女性を苦しめることになる。
「母親だから、子どもを愛しているハズ」という『ハズ論』も、同じように考える。

 それはともかくも、そういう母親をもった子ども(人)は、不幸である。
日常的に愛情飢餓の状態に置かれる。

●愛情飢餓

 が、愛情飢餓は、母親自身の愛情の欠損だけによって起こるものではない。
離婚、家庭不和、騒動、母親との死別などなど、「母性愛不在」の状態がつづくと起こる。
愛情飢餓が慢性的につづくと、子どもは飢餓感から、じゅうぶんな情操を築けなくなる。

 言うまでもなく、健全な母子関係は、(絶対的なさらけ出し)と(絶対的な受け入れ)が
基本となって育つ。
「絶対的」というのは、「疑いをいだかない」という意味。
子どもの側からみると、「どんなことをしてもいい」という安心感。
親の側からみると、「どんなことをしても許す」という寛大さ。
この両者が基盤にあって、基本的信頼関係が結ばれ、それが子どもの豊かな心作りに
つながっていく。

●ぬいぐるみ

 私がそれに最初に気づいたのは、教室の入り口に大きなクマのぬいぐるみを置いた
ときのこと。
もう20年近くも前のことだった。
子どもによって、その反応が2分されるのを知った。

 たいはんの子ども(幼児)は、ぬいぐるみを見ると、「かわいい」と言い、抱いたり、頬
ずりしたりする。
が、中には、ぬいぐるみを見ても、反応しなかったり、さらに中には、足でキックする
子どももいる。
その割合は、8対2。
つまり10人のうち、8人くらいが、好意的な反応を示し、2人くらいが拒絶的な反応
を示す。

 この現象だけをもって、情愛の深さをしることはできない。
しかしひとつの目安にはなる。

●私はどうか

 この問題は、即、私たち自身の心の問題と直結する。
つまり私(あなた)自身はどうか?
私(あなた)自身は、情愛の深い人だろうか。
それとも心の冷たい人だろうか。

 が、ここでまた別の問題にぶつかる。
これは脳の中でも、CPU(中央演算装置)の問題。
情愛の深い人にしても、またそうでない人にしても、それを客観的に知ることはできない。
自分がそうであるため、自分を基準にして考える。
自分がそうであるから、人もみな、そうであると考える。
またよほどのきっかけがないかぎり、自分がそうであることに気づかない。

●A氏の妻

 少し前、妻と離婚した知人のA氏(55歳)が、こんな話をしてくれた。
離婚のきっかけは、人間ドックを受けたときのことだったという。
肝臓に影が見つかり、がんの疑いがかけられた。
そのあとA氏は、放心状態になり、家に帰るまで涙が止まらなかったという。

 で、その夜は、なんとかやり過ごしたが、翌日の夜、絶望的な孤独感が襲った。
そこでその夜だけでもと思い、妻のベッドにもぐりこもうとした。
「助けてほしい」と。
声にもならないような声だった。
が、それに答えて、妻が、「もう寝てるんだから、静かにしてよ! 私に
何ができるのよ!」と。

 A氏はその夜は別の部屋で寝た。
はげしい孤独感を闘いながら、朝まで眠られなかった。
と、同時に、妻との離婚を決意した。

 心の冷たい人というのは、A氏の妻のような人をいう。

●受験戦争で壊れる心

 一般論として、はげしい受験戦争を経験した子ども(人)ほど、心が冷たい。
たった1か月程度、進学塾の模擬特訓を受けただけで、別人のようになってしまう。
そんな子どもも、珍しくない。
(これは本当だぞ! おおげさに書いているのではないぞ!)

当然のことながら、年少であればあるほど、影響は大きい。
親は、「勉強に対する心構えができました」と喜んでみせる。
しかし壊れた心には、気づかない。

 皮肉なことに、親自身もはげしい受験競争を経験している。
暖かい情愛を、こなごなに破壊されている。
だから自分の子どもの情愛がこなごなに破壊されても、それに気づかない。

 結果、「親の恩も遺産次第」と。
実際、そういう子どもは、多い。
そのひとつの例として、韓国や日本など、受験競争のはげしい国の子どもほど、
「将来、親のめんどうをみる」と答える子どもが少ない。
もう一度、内閣府のした調査結果をよくみてほしい。

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●第8回世界青年意識調査より


(将来、親のめんどうをみるか?)


年老いた親を養うことの意識は、欧米に比べ、日・韓で弱い。


★年老いた親を養うことについてどう思うか


『どんなことをしてでも親を養う』(1)
イギリス  66.0%、
アメリカ  63.5%、
フランス  50.8%、
韓国    35.2%、
日本    28.3%


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 すべてが受験競争が原因とは言っていない。
ほかにもいろいろ考えられる。
しかし受験競争が原因でないとは、もっと言えない。
受験競争といっても、韓国や日本では、すでに何世代にも渡って、つづいている。
それが親から子へと連鎖し、それがこうした結果となって表れている。

●子どものほうから縁を切る?

 最近多いのが、子どものほうから縁を切るケース。
その直前まで、親から金を借り放題だった子どもが、社会人となり、結婚したとたん
縁を切る。
理由など、何でもよい。
しかもたった一枚の手紙。
それにはこうある。

 「今後、いっさい、連絡をしてくるな。
私(ぼく)と連絡を取りたかったら、直接ではなく、XさんやYさんを通してしてほしい」
「これが私(ぼく)のこの30年間の結論だ」と。

 つまり子どもの側が、親に向かって、「連絡は、XさんやYさんを介してしろ」と。
自分では、どこかの社長にでもなったようなつもりでいる。
が、先にも書いたように、今、こういう子どもがふえている。

 氷のように冷たい心。
が、その冷たさもわからない。
あるいは自分では、それなりに心の暖かい、やさしい人間と思っているのかもしれない。
脳のCPUが狂っているため、自分ではそれがわからない。
わからないほどまで、心がこなごなに破壊されている。

●子どもの心を育て、守る

 ではどうするか?
もう改めてここに書くまでもない。
そのカギを握るのが、母親ということになる。
で、子どもの心は、それでできる。
あとは、それを壊さないようにする。
一度壊れた心は、二度と修復されることはない。
そう断言してよいほど、子どもには、決定的な影響を与える。
それがそのままその子どもの心として、定着する。

 最近、こんな話を聞いた。

 知人のAさんが、実の母親を介護するようになって、数日目のこと。
どこでどう情報を得たのかはしらない。
すかさず、イトコのX(女性)から、1000円にもならない菓子を送ってきたという。
それ以前から、AさんはXが、Aさんの家庭をあれこれと詮索し、うわさ話の具に
していたことは、よく知っていた。

 が、一応、「礼」はしなくてはならない。
が、Aさんにしてみれば、Xの意図は見え見え。
Aさんと家族との確執については、よく知っていたはず。
で、電話を入れると、いきなり「どう?」と。

 つまり「どんな具合か?」と。

A「いったい、これはどういうつもりですか?」
X「(あなたの)お母さんには世話になったから」と。

 心の壊れた人というのは、そういうことが平気でできる。
他人の家の不幸をのぞいては、それを楽しむ。
楽しみながら、それができる。
Xは、昔からそういう女性だったそうだが、60歳を過ぎてもそれができるところが
恐ろしい。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 
BW はやし浩司 心の冷たい人 壊れた人 情愛 情愛論 心の暖かい人)


【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【ある老人】


●金指から伊目へ


 ときどき何のために生きているか、わからなくなる。
何のために生きてきたのかも、わからなくなる。
私の人生は、何だったのか、と。


 そのときもそうだった。
健康を考えての散歩だったが、ふとこう思った。
「どうしてこんなことをしているのだろう?」と。


 そのとき私は、浜名湖に沿って歩いていた。
細江(かなさし・浜名湖の北にある田舎町)から、
伊目(いめ・浜名湖沿いにある小さな村落)へ。
そこから内陸部に向かって、左に曲がる。
広い公道で、ゆったりと歩ける歩道が気持ちよかった。
ゆるい坂だった。


 山荘へ行ったとき、「帰りは歩いてみよう」と思い立った。
半端な距離ではない。
一度、正確に測ったことがある。
片道、27キロ。
その途中でのことだった。


少し前までは、秋になると、このあたり一帯、みかんの花が咲いた。
今は、みかん畑など、さがしても見つからない。
高齢化が進み、離農する人がふえた。


風は強く冷たかったが、体の熱気と打ち消しあい、寒くはなかった。
低い雲の間から、時折、白い太陽の光が、頬を照らした。


 私はその坂を、やや歩幅を狭くしながら歩いていた。
そのとき、そう考えた。
「どうしてこんなことをしているのだろう?」と。


●長い坂


 長い坂だった。
車だと、5分前後で登りきってしまう。
が、歩くと、結構、距離がある。
それまでの疲れが、足の裏に響いてきた。
歩くたびに、ツンツンと痛い。


 と、そのとき向こう側から、1人の老人が歩いてきた。
年齢は75歳前後か。
80歳を過ぎていたかもしれない。
体が左に傾いている。
2本の脚も、左右不ぞろいで、同じように左に傾いている。
歩くたびに、体が大きく揺れる。
ヒョコタン、ヒョコタン……。
そんな歩き方だった。


瞬間、何かの病気かと思った。
が、脳梗塞の人の歩き方とは、ちがっていた。
右手には、ポリ袋に入った食料らしきものを、ひとつもっていた。


 細い顔。
彫りの深いしわ。
色も浅黒く、目は、下を向いたままだった。
私はだまって、すれちがった。


●老人


 が、その瞬間、その老人が気になった。
気になって、立ち止まり、振り返った。
老人は、相変わらず、独特の歩き方で坂をくだっていった。
「あの歩き方では、さぞかし疲れるだろうな」と。
体のどこかに不自然な力が加わる。
それが体のどこかを傷(いた)める。
あるいはどこか痛いから、それをかばいながら歩いていたのか。


 が、意外と軽そうな足さばきだった。
不自然な歩き方だったが、リズミカルだった。
私は、じっとその後ろ姿を見ていた。


が、突然、その男性が止まった。
150メートルほど行ったところのことだった。
止まると同時に、体をくるりと回すと、私のほうを見た。
すばやい動きだった。
男の鋭い視線が、そのままズバリ、私の視線をとらえた。
視線をはずす余裕がなかった。
私はそのまま棒立ちになってしまった。


 不思議な光景だった。
その老人は、私の心を見透かしたかのようだった。
「ジロジロ見るな」と。
鋭い視線だった。
そんなふうに言っているようにも、見えた。


●元気


 時間にすれば、10秒とか20秒前後ではなかったか。
私たちは、たがいを見つめあった。
が、再びその老人が体をくるりと回し、また歩き始めた。
機械的な動きだった。
それを見届けて、私も体を回した。


「あんな老人でもがんばっている」と。
「あの老人と比べたら、私など、ただの小僧。まだがんばれる」とも。
そう思った瞬間、消えかけていた元気が、ポーッとまた燃え出した。
歩幅が大きくなった。


 「とにかく私たちは生きてきたし、今も生きている。これからも生きていくしかない」。
トルストイの書いた『戦争と平和』の一節を思い出した※。
理由など、ない。
目的もない。
夢や希望など、とっくの昔に消えた。
それでも生きていく。


●坂の上


 長い坂を上りきると、今度は道は大きく右へ曲がる。
あたりにはどこにもスーパーらしきものはない。
小さな店は1つ、2つあったが、食料品店とはちがう。
「あの老人は、どこで何を買ったのだろう?」と、そんなことを考えた。
酒だったのだろうか、それともタバコだったのだろうか。
袋の中のモノは、3~4個程度だった。
 

 道はまだつづいていた。
長い道だった。
このあたりの人たちがよく使う幹線道路になっている。
数秒ごとに、乗用車が行き交った。
ときどき大型のダンプも通り抜けた。
そのたびに乾いたほこりが舞いあがった。


 相変わらず冬の冷たい風が吹いていた。
やがて私は東名高速道路のガードを抜けると、大きな四つ角へ出た。
右へ行けば、舘山寺温泉。
左へ行けば、浜松市内。
道路標識には、「市内まで10キロ」とあった。
「あと一息」と、私は自分に気合を入れた。


(注※) 生のむなしさを感ずるあまり、現実から逃避し、結局は滅びるアンドレイ公爵。
一方、人生の目的は生きることそのものにあるとして、人生を前向きにとらえ、最終的に
は幸福になるピエール。そのピエールはこう言う。『(人間の最高の幸福を手に入れるため
には)、ただひたすら進むこと。生きること。愛すること。信ずること』(第五編四節)



Hiroshi Hayashi++++++Feb 2011++++++はやし浩司(林浩司)

●生きることは書くことbyはやし浩司

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メキシコの作家の、Carlos Fuentes
は、こう言った。

Writing is a struggle against silence.

「書くことは、静寂との闘いである」と。

今の私が、そうだ。

++++++++++++++++++

●大病の宣告

大病を宣告されたら、あなたはどうするか?
あるいは、だれかに大病を打ち明けられたときでもよい。
あなたは、どう応対するか?

参考になるのが、有名人。
有名人の中には、自らマスコミに向かって大病を告白する人がいる。
「私は乳ガンです」と。

反対に、死ぬまでまったく秘密にする人がいる。
有名人でなくても、自らの大病を告白する人もいる。
人、それぞれ。
それぞれの思いの中で、告白したり、秘密にしたりする。
大病を患った人には、患った人にしかわからない心理がある。
もしあなたが健康人なら、あるいは若いなら、そういう人たちのことを
とやかく言うのは許されない。
あなたの近親者についても、そうだ。
できることと言えば、相手の気持ちを思いやり、そっとしておいてやること。
仮にそういう噂を耳にしたとしても、こちらから聞き出すようなことをしてはいけない。
それが最善。

そこで「私なら・・・」と考えてみる。
実のところ、私は過去に数回、大病の疑いをかけられた経験がある。
そのつど、私のとった行動は、完全に秘密主義。
家族でも、ワイフだけにしか話さなかった。
話したところで、どうにもならない。
あの「死を前にした不安感」は、同時に隔離感をともなう。
裸で断崖絶壁に立たされたような、隔離感である。
あるいは巨大な鉄壁に囲まれたような隔離感。
あの隔離感だけは、どうしようもない。

●心のポケット

 先に、「大病を患った人には、患った人にしかわからない心理がある」と書いた。
それが「心のポケット」ということになる。
それがある人には、相手の心がよく理解できる。
それがない人には、理解できない。
そのポケットのない人に、いくら大病の話をしても意味はない。
心のポケットにない人は、まずこう考える。
「その人がいなくなったら、自分はどうなるか?」と。
まず自分の損得を優先させる。

 実のところ若いころの私がそうだった。
そのころの私は、死とは無縁の世界に住んでいた。
だからそう考えた。
つまり人の死ですら、自分にとっての「損得論」の中で処理した。
「この人がいなくなったら、自分はどうなるのだろう?」と。
このことは、子どもたちの世界をのぞいてみると、よくわかる。
ほとんどの子どもたち(幼児、小学生)は、「老人は死ぬもの」と考えている。
「死んで当然」と。

 だからほとんどの子どもたちは、(特別なケースをのぞいて)、こう答える。
「悲しくなかった」と。
「おじいちゃん、おばあちゃんが死んだとき、悲しかったか」と聞いたときのことである。
子どもたちは、「老人は死ぬもの」という前提で、老人をみる。

 言い換えると、私が秘密主義なのは、ここに理由がある。
大病を告白して、それがどうだというのか。
何がどうなるというのか。
それが何かの役に立てばよい。
しかしそうでなければ、たいはんの人は、他人のことなら世間話としてすませてしまう。
みながみな、心のポケットをもっているわけではない。

●受諾

 私のような人間を、心気症という。
いつも死の影におびえ、ビクビクしている。
だからときどき、こう思う。
「そんなに私の命がほしければ、とっとと持って行け!」と。

 そのかわり、いつその「時」が来てもよいように、心の準備だけはしておく。
「準備」というか、「完全燃焼」。
とことん自分を燃やしつくし、あと腐れのないようにしておく。
わかりやすく言えば、悔いのない人生にしておく。
が、これがむずかしい。
むずかしいというより、できない。

 日々に決意し、日々に後悔する。
毎日が、この繰り返し。
が、どんなにがんばっても、死を避けることはできない。
キリストも、釈迦も、ムハンマドも、孔子も、みな、死んだ。
いわんや、あなたをや。
いわんや、私をや。

 つまり死はいつも、時間の問題。
が、こういうこともある。
数週間前、私ははげしい神経痛を覚え、床に倒れこんでしまったことがある。
そのとき不思議なことに、本当に不思議なことに、私は何もこわくなかった。
「ああ、これで死ねるのか」と。
そんなふうに考えた。

 心気症の私が、「ああ、これで死ねるのか」と。
私はその瞬間、死をすなおに、受け入れていた。
どうしてそういう心境になったのかは、わからない。
しかしそう考えた。

●猶予期間

 もっとも大病といっても、そこには猶予期間がある。
脳梗塞や心筋梗塞のような病気は別として、すぐ死ぬわけではない。
うまくいけば、6か月とか1年は生きられる。
その間に、何かができる。
(実際には、そんな甘いものではないが・・・。)

 それに6か月にしても、10年にしても、同じ。
同じ瞬時。
総じて言えば、60歳を過ぎたらみな、死の待合室に入る。
平均余命は80歳前後。
健康余命は、それから10年を引いた、70歳前後。
70歳を過ぎたら、病魔との闘い。
病気のない人はいない。
ダラダラとした闘いが、平均して10年、つづく。
だからときどきこう思う。

 「老人は、総じてみな、『老』という大病を患っている」と。
だから当然のことながら、加齢とともに、先に書いた心のポケットができる。
大病を患った人の気持ちが、よくわかる。
が、誤解しないでほしい。
私にしても、死ぬのがこわいのではない。
老人になるのが、こわいのではない。
こわいのは、そのプロセス。
苦痛と孤独。
それがこわい。

●これからの老後

 私はいろいろなことを書いてきた。
ありのままを書いてきた。
しかしこと「大病」ということになったら、恐らく何も書かないだろう。
書いたところで、何も役に立たない。
読む人にしても、気が重くなるだけ。
たいはんの人は、「ジーさん、バーさんは、死んで当然」と考える。
老人の死に際のグチなど、だれも聞きたくない。

 一方、死ぬ側の私にしても、人知れず、死にたい。
いつかどこかで、だれかがふと私のことを思い出す。
そしてこう思う。
「ああ、あのはやし(=私)は、死んでいたのか」と。
それでよい。
だからやはり、私なら、だれにも言わない。
秘密主義。
自信はないが、たぶん、秘密主義。

(補記)

 この肉体という乗り物は、もちろん私であって、私でない。
そのことは、自分の手のひらを見ただけでも、わかる。
私の意思で、手のひらが手のひらになったわけではない。

 が、私はその乗り物に乗っている。
ただふつうの乗り物とちがうところは、乗り物が壊れれば、「私」も死ぬと
いうこと。

 そこで「私」とは何か。
私論。
私にとって私とは、今、この見える世界、感ずる世界、その中心にいるのが、
私ということになる。
が、一歩、その私から離れてみる。
たとえばあなたなら、あなたでよい。
あなたから見た(はやし浩司)は、どうだろうか。
あなたは何を見て、(はやし浩司)という「私」を判断するだろうか。

 それが私のばあい、「文」ということになる。
「文で書かれた人間」、それが「私」ということになる。
つまり私が乗っている、この乗り物が動かなくなっても、今度は別の
乗り物に乗った(あなた)が、私を見る。
つまり「文」が残るかぎり、「私」は死なない。

平たく言えば、「私が乗っている乗り物」は、ただの乗り物。
壊れて動かなくなってしまったとしても、気にすることはない。
(気にすることも、ないだろうし・・・。)
言い換えると、私たちは乗り物が動かなくなるまでは生きている。
動かなくなれば、何もわからなくなる。
が、「私」は、ちゃんと残る。
「あなた」の中で、ちゃんと残る。

 いつだったか、私は新聞(中日新聞)のコラム(第110回、最終回)で、
「生きることは書くこと」と書いた。
その意味が、これでわかってもらえたと思う。

+++++++++++++++++

そのときの原稿です。

+++++++++++++++++

●生きることは、考えること

 毎週土曜日は、朝四時ごろ目がさめる。そうしてしばらく待っていると、配達の人が新
聞を届けてくれる。聞きなれたバイクの音だ。が、すぐには取りにいかない。いや、とき
どき、こんな意地悪なことを考える。配達の人がポストへ入れたとたん、その新聞を中か
ら引っ張ったらどうなるか、と。きっと配達の人は驚くに違いない。

 今日で「子どもの世界」は終わる。連載一〇九回。この間、二年半あまり。「混迷の時代
の子育て論」「世にも不思議な留学記」も含めると、丸四年になる。

しかし新聞にものを書くと言うのは、丘の上から天に向かってものをしゃべるようなもの。
読者の顔が見えない。反応もわからない。だから正直言って、いつも不安だった。中には
「こんなことを書いて!」と怒っている人だっているに違いない。

私はいつしか、コラムを書きながら、未踏の荒野を歩いているような気分になった。果て
のない荒野だ。孤独と言えば孤独な世界だが、それは私にとってはスリリングな世界でも
あった。書くたびに新しい荒野がその前にあった。

 よく私は「忙しいですか」と聞かれる。が、私はそういうとき、こう答える。「忙しくは
ないですが、時間がないです」と。つまらないことで時間をムダにしたりすると、「しまっ
た!」と思うことが多い。

女房は「あなたは貧乏性ね」と笑うが、私は笑えない。私にとって「生きる」ということ
は、「考える」こと。「考える」ということは、「書く」ことなのだ。私はその荒野をどこま
でも歩いてみたい。そしてその先に何があるか、知りたい。ひょっとしたら、ゴールには
行きつけないかもしれない。しかしそれでも私は歩いてみたい。そのために私に残された
時間は、あまりにも少ない。

 私のコラムが載っているかどうかは、その日の朝にならないとわからない。大きな記事
があると、私の記事ははずされる。バイクの音が遠ざかるのを確かめたあと、ゆっくりと
私は起きあがる。そして新聞をポストから取りだし、県内版を開く。私のコラムが出てい
る朝は、そのまま読み、出ていない朝は、そのまままた床にもぐる。たいていそのころに
なると横の女房も目をさます。そしていつも決まってこう言う。

「載ってる?」と。その会話も、今日でおしまい。みなさん、長い間、私のコラムをお読
みくださり、ありがとうございました。」 

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 
BW はやし浩司 中日新聞コラム 生きることは書くこと 大病の宣告)

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●心気症(2008年3月記)

●心気症

++++++++++++++++++

ささいな病気を、ことさら大げさに
考えて、心配する。不安になる。

「もしや……?!」と思って、悩む。

そういうのを「心気症」という。

何を隠そう、私がその心気症なのだア!

++++++++++++++++++

 病気でもないのに、自分の心身のささいな変調にこだわり、苦痛を訴える症状を、心気
症という(「心理学用語辞典」・かんき出版)。

 つまりささいな病状を、ことさら大げさに考えて、あたふたと心配する。「もしや…
…!?」と思うこともある。つまり「がんではないか?」と。そういう症状を、心気症と
いう。

 「心気症」という用語があるほどだから、かなり一般的な症状と考えてよい。不安神経
症、あるいは強迫神経症の仲間と考えてよい。とくに病気と結びついた不安神経症、ある
いは強迫神経症を、「心気症」という。

 程度の差もあるのだろうが、何を隠そう、私が、その心気症なのだ。実は、数日前もあ
った!

 夜中に目が覚めると、のどが乾いたようになって、痛い。が、よく観察してみると、右
側の奥歯が痛い。ズーンとした痛み。その痛みが、のどから、上の歯のほうまで、響く。

 その奥歯は、治療して、金冠がかぶせてあるはず。指を口の中に入れて、その歯をさわ
ってみる。が、さわった感じでは、どうということはない。もっと奥のほうから痛みが骨
のほうに伝わっている。そんな感じがする。

 「風邪で、歯が痛むというようなことはあるだろうか?」と、最初は、そう考えた。し
かしそんなことはありえない。

 夜、ふとんの中で、暗い天井を見あげながら、いろいろ考える。考えては、それを打ち
消す。「しかし……。もしや……?」と。

 数年前に、脳腫瘍で死んだ、友人のことを思い浮かべる。その彼は、こう言っていた。
私が、「ぼくも、よく頭痛に悩むよ」と言うと、「林、何を、バカなことを言っているんだ!
あのな、脳腫瘍の痛さは、想像もつかん痛さだよ」と。

 どんな痛さだろうと考えながら、口の中から伝わってくる痛さに、静かに耐える。眠れ
ないほどの痛さということでもないが、しかし安眠できるような状態でもない。

 「しかし、初期症状というのもあるだろう。初期症状のときは、それほど、痛くないの
かもしれない。だんだんと痛くなって、やがて耐えきれなくなる……」「このまま、痛みが
どんどんひどくなったら、どうしよう?」と。

 横を見ると、ワイフが軽い寝息をたてていた。起こすのも悪いと思って、じっとそのま
まにしている。10分、20分……。と、そのとき、ワイフの寝息が止まった。モゾモゾ
と体を動かした。すかさず、話しかけた。

 「なあ、風邪みたいだよ……」
 「風邪……?」
 「なあ、歯が痛いよ……」
 「薬をのんだら……?」
 「うん……」と。 

 私は起きあがって、台所へ行くと、バナナとジュースをお湯に溶かしたものをもってき
た。枕元にはいつも、薬が一式、置いてある。湿布薬に頭痛薬、睡眠薬に精神安定剤、そ
のほかもろもろの漢方薬にハーブなどなど。もちろん風邪薬も置いてある。

 「どれにしようか?」
 「風邪薬にしたら?」
 「でも、歯が痛い……」
 「だったら、バッファリンがいいんじゃない?」
 「うん、……ノーシンではだめだろうか?」
 「じゃあ、それにしたら」
 「うん」と。

 私はバナナを食べながら、ジュースを飲んだ。時計を見ると、午前4時を少し回ったと
ころ。時計を見ながら、粉薬を口に入れた。

 「なあ、がんじゃないだろうか?」
 「どうしてがんなの?」
 「骨の奥が痛い……」
 「どんなふうに?」
 「ズーン、ズーンと痛い」
 「きっと虫歯よ」
 「だって、ちゃんと治療したところだよ」
 「金冠の中で、虫歯になることだってあるわよ」
 「そうかなあ……?」と。

 この世界には、骨まで腐るという、恐ろしいがんもあるそうだ。詳しい病名は知らない
が、昔、そんな病気になった女性の映画を見たことがある。私はそれかもしれないと思っ
た。思いながら、「ああ、これでぼくも死ぬ……」と思った。

 「このまま死んだら、どうしよう?」
 「死なないわよ」
 「どうして?」
 「バカねえ、虫歯で死んだ人の話なんか、聞いたことないわよ」
 「虫歯かねえ……?」
 「虫歯よ。ハーッて息を吐いてみたら」
 (ハーッ)
 「……おかしいわね、虫歯臭くないわよ」
 「だろ、虫歯じゃあ、ないよ」と。

 不安で、心臓がドキドキするのがわかった。いやな気分だ。ただほかに風邪の症状もあ
ったので、それに希望をつないだ。「風邪だ、風邪だ。これは風邪による症状だ」と。しか
し風邪で歯が痛くなったという話は、聞いたことがない。そう考えたとたん、また不安に
なった。

 で、その朝は結局、そのまま起きた。ふだんならそのまま書斎に入って原稿を書くのだ
が、そんな気は起きなかった。「まだ、やりたいことはあるのに……」「まだ、58歳じゃ、
ないか」「がんとわかっても、ぼくは治療しない。そのままオーストラリアへ行く」などと、
あれこれ考える。

 が、しばらく体を起こしていると、痛みがやわらいできた。薬がきいてきた。

 こういうとき、私のような心気症の人間は、頭の中で、2人の人間が戦うような状態に
なる。ボクシングで言えば、デス・マッチのようなもの。どちらか一方が死ぬまで、戦う。

 「風邪だ、虫歯だ! お前は、バカだ。いつもの取り越し苦労だ!」
 「何だと! 油断していると、命取りになるぞ。これはがんだ。がんの初期症状だ!」
 「前にも、似たような痛みがあったではないか。虫歯の治療のときを思い出してみろ!」
 「あったかもしれないが、その歯は、たしか神経を抜いているはず」と。

 「何でもない!」という私。「がんだ」という私。そういう2人の私が交互に現れては、
消える。おまけにのども、痛い。のどの奥に痰がからんでいる感じ。何度も、うがいを繰
りかえす。

 これは生への執着によるものか、それとも死がもたらす絶望感との戦いによるものなの
か。……わけがわからない状態で、朝を迎え、その日が始まった。

 「どう、具合は?」と、のんきな様子で、ワイフが起きてきた。「起きたら、痛みが収ま
ってきた」と私。「でしょ、心配ないわよ」とワイフ。

 そのときになって、恐る恐る、手鏡をもってきて、口の中をのぞく。「もし、大きな病変
でもあったら……」と、不安になる。心臓の鼓動が高まる。が、押しても引いても、歯は
ビクとも動かない。(動くはずもないが……。)とくに変わった様子もない。

 歯間ブラシを歯と歯の間に入れてみる。「がんなら、出血があるはずだ」と。以前、どこ
かの病院で、ドクターがそう言っていたのを思い出していた。「がんだとね、組織が破壊さ
れますから、出血があるはずです」と。

 しかし出血はなかった、が、よく見ると、金冠の下、つまり歯ぐきと、金冠の間のすき
間に、小さな薄茶色の穴が見えるではないか! 虫歯! そうだ、虫歯! 歯の側面から、
虫歯になっていた!

 とたん、安堵感で、胸のつまりが消えた。「ナーンダ、虫歯だア!!」と。

 「虫歯だよ、これは!」
 「でしょ、だったら、歯医者へ行ってきたら?」
 「うん、そうだな。風邪の様子をみてから行くよ」
 「そうね」と。

 で、その日は、歯医者へ行かなかった。昨日も、行かなかった。で、そのまま今日にな
った。時計は、午前8時、少し前。あれからも、ずっと、ズーン、ズーンとした痛みが、
ときおり、つづいている。これから行きつけの歯医者に電話をして、そこへ行くつもり。

 しかし心気症というのは、いやなもの。いつも早合点と、取り越し苦労。この繰りかえ
し。ときどきこう思う。「死神よ、そんなにぼくをいじめるなら、さっさと殺しに来い!」
と。

 が、ひとつだけ、変化がある。若いころとくらべると、「死」への恐怖感が、変わってき
たということ。若いころは、一度心気症になると、居ても立ってもおられなかったが、つ
まりそのままあわてて病院へ駆けこんだものだが、今は、ちがう。

 「勝手にしろ」という、どこか投げやりな気持ちも生まれてきた。「まあ、今まで健康に
生きてこられたのだから、文句はないだろう」と、自分をなぐさめる気持ちも生まれてき
た。多少、「死」への覚悟もできてきたということか。

 そして今。私は、改めて健康で生きている自分が、うれしい。「今日こそは、悔いのない
人生を、思う存分生きてみる」と、そんな思いさえわいてくる。心気症というのは、悪い
ばかりではないようだ。
(はやし浩司 心気症 不安神経症 強迫神経症)

【追記】

 やはり虫歯だった。金冠の中の詰め物が、欠けていたという。そこから虫歯が進んだら
しい。

 で、その治療中、正確には、麻酔をかけられ、歯科助手の若い女性が、歯の間の歯石を
取ってくれている間、不思議な経験をした。

 それはうっとりとするほど、気持ちのよいひとときだった。カリコリ、カリコリと、歯
石を削る音がする。そのたびに、その女性の胸が、頭に触れる。強いライトが、春の陽気
を思わせる。縁側で日なたぼっこをしているような気分にさせる。

 そのときだ。私の目の中に、女性のS器が、超リアルに浮かんできた。最初は、まぶた
の模様が、強いライトで、そう見えたのかと思った。しかしそのうち、それがより鮮明に
なってきた。たしかに女性のS器だった。何度も確かめたが、女性のS器だった。

 いつものような卑猥(ひわい)感は、まったく、なかった。もちろん美しいとか、美し
くないとか、そういう感じもなかった。ただどういうわけか、女性のS器が、至近距離で、
超リアルに見えてきた。どうリアルだったかということについては、ここには書けないが、
ともかくも、リアルだった。

 あるいはひょっとしたら、胎児のころの記憶が、麻酔の作用で、呼び起こされたのかも
しれない。……しかし、胎児はまだ目が見えないはず。

 麻酔のせいだろうか? それとも私に頭にときおり触れる女性の胸のせいだろうか? 
それとも強いライトのせいだろうか? 私は、半分、夢を見ていたのかもしれない。とも
かくも、それは不思議な経験だった。

 あとでそのことをワイフに話すと、ワイフも、「きっと麻酔のせいよ」と言った。そして
こう言った。「あなた、そんなことマガジンに書いてはだめよ」と。

 「しかしね、これは不思議な経験だ。だれかが書きとめておかないといけない。きっと、
同じような経験をしている人は、多いはずだよ」
 「でも、へんね。どうしてそんなものが見えたのかしら?」
 「女性だとね、きっと、ペニスか何か、そんなものが見えてくるのかもしれないね」
 「そんなこと、ないわよ。絶対に!」と。

 春は近い。そのあと家に帰ると、強い睡魔に襲われた。それはまちがいなく、かけられ
た麻酔のせいだと思う。コタツに入ると、そのままウトウトと眠ってしまった。

【補記】

●強迫神経症(こだわり)

 何かのことで不安になると、その不安が、ペッタリと頭にくついてしまう。そしてその
不安を消すために、(そんなことでは決して消せないのだが)、何か儀式的な行為を何度も
何度も繰りかえすようになる。

 子どものよく見られる、手洗いぐせ(潔癖症)も、そのひとつ。「手にばい菌がついた」
「手のばい菌が、取れない」などと言って、手を洗ってばかりいる。トイレから帰ってき
た父親に対して、「パパは、きたないからさわらないで!」と泣き叫んだ子ども(年長女児)
もいた。その子どもは、手の皮膚が破れるほどまでに、暇さえあれば、繰りかえし、石鹸
をつけて手を洗っていた。

 こうした症状を、強迫神経症という。心理学の本などによると、不安神経症のひとつに
位置づけられている。大きなちがいは、何かの儀式的行為をともなうこと。宗教の世界で
も、同じようなことを経験する。

 ある女性は、毎日3~5時間、仏壇の前に座って、念仏を唱えていた。また別の女性は、
同じように、目をさましているときは、手に数珠を握って、それを指先でクルクルと、何
やら呪文のようなものを唱えながら、回していた。そうすることによって、不安を紛らわ
しているというよりは、そういう行為そのものが、やめられないといったふうであった。
念仏を唱えていた女性は、「やめると、バチがあたって、地獄へ落ちる」と本気で信じてい
た。

 こうした症状を示す子どもの特徴としては、何かのものやことに対して、(こだわり)を
もつこと。その(こだわり)の内容は、そのときどきによって、変化することもある。母
親が、ベッドの位置をほんの少し動かしただけで、「精神状態がおかしくなってしまった」
(母親談)子ども(中学男子)もいた。

 この先のことはよくわからないが、今では、(こだわり)を和らげるための、新しい薬も
開発されているとのこと。症状があまりひどいようであれば、一度、心療内科か精神科の
ドクターに相談してみるとよい。
(はやし浩司 手洗い癖 潔癖症 強迫神経症 不安神経症 こだわり はやし浩司 子
供のこだわり)


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●崖に立たされた日本経済(2011年2月12日記)


+++++++++++++++++


「サドン・デス」という言葉がある。
スポーツの世界での言葉である。
映画にも、そういう題名のがあった。
つまり「突然死」。

日本の国家経済が破綻するとき。
それは突然、やってくる。
つまりサドン・デス。
過去の歴史の中でも、じわじわと
国家破綻した例は、一度もない。
ワーッと始まり、ワーッと終局を迎える。
それが国家破綻(=債務超過)。
「デフォルト」。


+++++++++++++++++

●日経新聞より

 まず、日本経済新聞を並べて読んでみる。(2月12日)

+++++++++++以下、日経新聞より+++++++++++


●公的債務残高


 公的債務残高の国内総生産(GDP)比率は200%超と、主要国の中では突出して高い。
S&Pはこの比率が20年半ばまで悪化し続けると予想。国と地方の基礎的財政収支を20
年度に黒字化するとの政府目標は「大規模な財政再建策が実施されない限り、達成できな
い」と分析した。

 財務省の試算によると、長期金利(新発10年物国債利回り)が1%上昇した場合、利払
い費を含む国債費は12年度に1兆円、13年度に2.5兆円、14年度に4.2兆円それぞれ増
える。

 野田佳彦財務相は格下げ発表を受け「節目、節目で財政規律を守るメッセージを出して
いくことが重要だ」と語った。(日経・1・27・2011)


Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司


●ガラガラポン


 「ずるずると債務残高が積み上がり、マクロ経済もパッとしないとなると、もう一回(格
下げを)検討せざるを得ないリスクはある。上にいくシナリオは、何らかの形で税制や年
金制度改革で政治的な妥協が図られる場合だ。日本の社会保障制度は高度成長や人口増を
前提にしたモデル。このあたりでガラガラポン(大改革)すべきだ」(日経新聞・1・30・
2011)


Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司


●217%


 「日本の公的債務残高が先進国の歴史上、最悪の水準に迫りつつあることが分かった。
国際通貨基金(IMF)によると、地方も含む一般政府の債務残高は2009年に名目
国内総生産(GDP)の217%に達し、統計で確認できる1875年以降で最悪となった。
このまま債務が増え続けると、5年程度で第2次世界大戦直後の英国を抜き、先進国史上、
最も悪い状況に陥る可能性がある」(日経新聞・2・12・2011)


+++++++++++以上、日経新聞より+++++++++++

●国家破綻

 では、いつか。
いつ日本は、破綻を迎えるか。

(1)日本政府が、予算を組めなくなったとき。
(2)国債の買い手が、つかなくなったとき。

 その時期は、この4月期と10月期と言われている。
が、その不安が市場を襲ったとき、国家破綻は、一気に起こる。
何度も書くが、日本の国家破綻は、可能性の問題ではなく、時間の問題。
確実にやってくる。

 が、救済方法がないわけではない。

(1)大増税
(2)社会保障費の大幅削減

 しかしどちらも、今の政局を見るかぎり、実現困難。
大増税をすれば、……たとえば消費税を20~50%にするとか……、そうでなくても
目下、この日本は大不況下。
経済活動は、さらに萎縮する。

 社会保障費にしても、年金の一元化すら、ままならない。
足や腰の曲がった老人が、3か月ごとに100万円の札束を手にする一方、我々のように、
63歳になった今も、1円も手にできない人も多い。
65歳からもらっても、月額6万4000円足らず!

 こういう不公平を野放しにし、何が行政改革だ!……ということになる。

 今、この日本に必要なのは、強力な内閣。
超強力な内閣。
官僚たちの不満や抵抗を、吹っ飛ばすほど力のある内閣。
しかし現状は、?????。
訳のわからない内部紛争に明け暮れている。

●札が紙くずに

 皮肉なことに、破綻するなら破綻するで、1日も早いほうがよい。
自己破産に似ている。
1日延ばしを繰り返すたびに、借金は、雪だるま式にふえていく。
そのツケは、結局は、役人をのぞく、国民にのしかかってくる。

 国債が信用力を失えば、それを大量にかかえている銀行、証券会社は、倒産する。
銀行や証券会社が倒産すれば、会社が倒産する。
(役所は倒産しない!)
人々は失業者となって、街にあふれる。
(役人は失業者にはならない!)
 株価は暴落し、ハイパーインフレが始まる。
(役人の給料だけは、物価スライド制によって、増額される。)

円は暴落し、90%以上を輸入に頼っている食料品が値上がりする。
わかりやすく言えば、「札」が紙くずと化す。
一説によると、1ドルは1000円近くまで暴落するという(某経済評論家)。
当然、原油も、現在より、12倍高騰する。
現在リッター140円前後(レギュラー)だから、単純に計算しても、
6倍の約1000円になる。
(ガソリンのばあい、約50%が税金。)

 それが起こるのは来週かもしれない。
しかし2年後ということはない。
「この1~2年以内」ということは確実。
今のままでは、もう救いようがない。

が、私のようなド素人でも、この程度のことがわかるようになった。
そういうときが、あぶない。
日本の経済は、この3月を乗り切ることはできないのではないか。
私はそう心配している。

●現物資産

 この道に詳しい友人に電話をかけてみた。
その結果、「土地、金、資源」を「現物資産」というらしい。
しかし土地については、逆に暴落する可能性もあるとか。
加えてこの日本では、すでに投資として、土地を買う人はいない。
「20年分の税金と、土地の価格は同じ」(友人談)と。
つまり20年間、土地を保有していると、土地の価格と、それに支払う税金額は同じ
になる、と。

また売れば100%、税務署に把握される。
20%~40%の所得税が課せられる。
遺産相続も楽ではない。
週刊誌情報によれば、相続税を80%にするという案も出ているとか。

また資源といっても、庭に、鉄くずを積むわけにもいかない。
そうなるとやはり「金(ゴールド)」ということになる。

 しかしこのところ、金の売買も、うるさくなってきた。
どううるさいかは、実際、自分で金の売買をしてみればわかる。
身分証明書だの、印鑑だの、そういう手続きをしないと、売買できなくなってきた。
それに常識で考えても、あんな小さな金塊が、1キロ400万円弱というのは、
おかしい。
どう考えても、おかしい。
1キロバーで、ふつうの小型車だったら、2台も買える!

 いちばんよい方法は、現在タンス預金をしている人たちが、イチ・ニのサンで、
いっせいに約半分を浪費すること。
市中に放出すること。
それで市場が活性化する。
しかしこの方法には、現実性がない。

●国家破綻
 
 みなが「あぶない」と思ったときが、あぶない。
けっして私がそれを助長しているわけではない。
しかしあぶない。

 ……ということで、現在、金(プラチナ)価格は、不気味な上昇をしつづけている。
10年ほど前には、一時、グラム1000円になったこともある。
それが今は、4000円弱。
とても手が出る価格ではない。
ないが、それでも上昇をしつづけている。

 かといって、私たちの資産は、私たち自身で守るしかない。
そこで自分なりに、いろいろと考えてみる。

(1)銀行などに預けておく現金は、必要最小限にする。
   かならず1000万円以下にしておくこと。
(2)証券会社に預けておく現金(MMFなど)も、必要最小限にする。
(3)ネット証券はどうか? ……私にはよくわからない。
   わからないから、私なら手を引く。
   倒産したとき、そのあとがめんどう。
   会社の所在地すら、はっきりしていない。
(4)売り先が確実ならよいが、そうでないなら、今は、土地に手を出してはいけない。
(5)貴金属の売買については、信用のある店でする。
   町中にある「貴金属買います」という店だと、高く売りつけられるか、安く買い
   叩かれる。
   店によっては、「鑑定料?」という料金を5~20%も取られる。

 いろいろ考えるが、以上は私というド素人の意見。
あとはみなさんご自身の判断を加味して、利用してほしい。
「はやしって、バカなこと書いている」と思ってもらってもよい。
(しかし私は、あのリーマンショックを、ほぼ1年前に予測していたぞ!)

ともかくも、今や日本経済は、存続のがけっぷちに立たされている。
その危機感だけは、しっかりともったほうがよい。
2011/02/12記


Hiroshi Hayashi+++++++Feb. 2011++++++はやし浩司・林浩司


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●反動形成





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【反動形成】2月10日(木曜日)

+++++++++++++++

今日は、木曜日。
よくわかっている。
が、木曜日は、何かと忙しい。
それもあって、木曜日になるたびに、こう思う。
「今日は、だいじょうだろうか?」と。
つまり体力がつづくだろうか、と。

昨日は、朝、30分のウォーキングをした。
午後、約3時間、外を歩いた。
歩きたくて歩いたわけではないが、ともかくも
歩いた。
計3時間30分。
運動量としては、まずまず。

そんなわけで、今は、こう思う。
「今日は、だいじょうぶ」と。

++++++++++++++

●反動形成

 「反動形成」という言葉がある。
何度かそれについて、書いた。

 要するに、本当の自分を隠し、仮面をかぶること。
よくあるのは、こんな例。

ケチな人が、そのケチを隠すために、気前のよい自分をわざとおおげさに見せたりする。
あるいは教育ママが、人には、「私は子どもに勉強しなさいと言ったことはありません」と、
ウソをついたりする。
子どもの世界でも、よく見られる。
よい兄、よい姉を演じながら、その実、裏で陰湿な弟いじめや、妹いじめを繰り返したり
する。

 本当の自分を見抜かれるのがこわく、その反動として、正反対の自分を演ずる。
たとえば内面に潜む攻撃心や、憎悪を隠すため、妙にやさしい人間を演ずるのもそれ。
「仮面(ペルソナ)」とちがうのは、「正反対」という部分。
たとえばショッピングセンターの売り子が見せる、あの笑顔は、仮面である。
仮面をかぶりながら、客にものを売る。

反動形成は、それとはちがう。
心の中に別室をつくり、その中に自分を押し込む。
これを「抑圧」というが、日常的に、心がその抑圧状態になる。
本当の自分をさらけ出したら、自分の立場そのものが、あやうくなる。
正反対の自分を演ずることによって、自分の立場を取り繕う。
意識的な行為というよりは、無意識的な行為。

●ぎこちなさ

 反動形成には、いくつかの特徴がある。
どこか不自然。
どこか変。
どこかぎこちない。

 わざとらしい言葉。
不自然な笑顔。
一貫性のない生活態度、などなど。

 ときに心の別室にたまった、不平や不満が爆発することもある。
ふつうの爆発ではない。
その瞬間、まったくの別人になる。
(……というか、そのときのほうが、その人自身のほんとうの姿ということになるのだが
……。)

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

少し前に書いた原稿を拾ってみる。
一部、ダブるが、許してほしい。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●反動形成(1)(2010年記)

 反動形成は、いろいろな場面で経験する。
よく知られた例として、長男、長女が見せる反動形成がある。
長男や長女は、下の子(弟や妹)に嫉妬しやすい。
親は、「兄も弟も、平等にかわいがっています」と言う。
しかし上の子ども(長男や長女)にしてみれば、その「平等」であることが不満。
それまで100%自分のものだった親の愛情が、半分に減った。

 そこで上の子どもは、赤ちゃんぽい自分を演出して、もう一度親の愛情を、100%、
自分のものとして取り返そうとする。
「赤ちゃん返り」というのは、そうして起こる。
本能的な部分で起こるので、叱ってなおるような問題ではない。
またそれが高じて、反対に、ときとして下の子どもに、攻撃的になることもある。
嫉妬がからんでいるだけに、陰湿かつ動物的。
下の子どもを、「殺す」ということもしかねない。

 が、それでは自分の立場がなくなる。
「あなたはお兄ちゃんでしょ(お姉ちゃんでしょ)!」と言われる。
そういう言葉で、抑圧される。
あるいは自らを抑圧する。
そこで上の子どもは、よい兄やよい姉を演ずるようになる。
「ぼくは弟(妹)が好き」などと、平然と言ったりする。
本当は弟(妹)が憎くてならないのだが、やさしくめんどうをみのよい兄(姉)を
演ずるようになる。

先にも書いたように、本能的な部分に根ざしているため、親はそれが仮面であることに気
づくことはない。
外面だけを見て、こう判断する。
「うちの子は、いい子」と。
これが「反動形成」である。

 ほかに聖職者(牧師や僧侶、教師)と呼ばれる人たちの反動形成も
よく知られている。
みなにあがめられている間に、そういう人間を、自ら作っていってしまう。
たとえばだれかが、性的な話や卑猥な話をしたりすると、ことさらそれを嫌って
見せたりする、など。
これが「反動形成」である。

 それはそれだが、そういった状態が長く続くと、仮面をかぶるようになる。
高徳者を演じているあまり、本当の自分を見失ってしまう。
が、本当の自分が消えるわけではない。
本当の自分は、心の奥に抑圧され、押し込まれる。・・・あるいは、自分を
押し込む。

本当に自分が、別のところで、別の人格となって現れることもある。
欧米では、聖職者による少年や少女に対する暴行や虐待が、問題になら
ない日がないほど、多い。
そういう形で、つまり別の形で、抑圧された自分が外に出てくる。
「反動形成」のこわいところは、ここにある。

●反動形成(2)(2009ー6記)

●もう1人の自分(反動形成)(Another Man in Me)

 自分にとって、受けいれがたい、もう1人の自分を感じたとき、その自分を抑圧するた
めに、人は、それとは正反対の自分を演ずることがある。
これを「反動形成」という。

 その中でも、とくによく知られているのが、牧師や教師による、反動形成。
たとえば、牧師や教師の中には、ことさら、Sックスの話や、露骨な話を嫌ってみせる人
がいる。(S=セ、禁止用語)

 特徴は、「ことさら」、つまり、不自然なほど、大げさな様子を見せること。
信者や生徒が、「Sックス」という言葉を口にしただけで、「オー、NO!」と大声で、叫
んでみせたりする。

 これは自分の職業観とは相容れない、許しがたい欲望を、自分の中で、抑圧しようとし
て起きる現象である。

 ほかに幼児の世界で、よく知られている反動形成の例に、弟(妹)思いの、よい兄(姉)
がいる。本当の自分は、弟や妹を、殺したいほど憎んでいるのかもしれない。
しかしそんな感情を表に出せば、自分の立場がなくなってしまう。

 そこでその兄や姉は、ことさら、人前で、よい兄や姉を演じてみせたりする。
しかしこれは意識的な行為というよりは、無意識下でする行為と考えてよい。本人に、そ
の自覚はない。

 さらに、その醜い本心を偽るために、仏様のように(できた人)を演ずる人もいる。
老人に多い。
自分自身の醜い素性を、隠すためである。このタイプの人は、何十年もかけて(ニセの自
分)をみがきあげているので、ちょっとやそっとでは、他人には、それを見抜くことがで
きない。
何十年も近くで住んでいる親類にすら、「仏様」と思いこませてしまう。

 反動形成であるかどうかは、先にも書いたように、「ことさらおおげさな」様子を見せる
かどうかで判断する。
反動形成による行為は、どこか様子が不自然で、ぎこちない。ときにサービス過剰になっ
たりする。

 本当はその客の来訪を嫌っているにもかかわらず、満面に笑顔を浮かべ、愛想よくして
みせる、など。

 こうして人は、本当の自分を抑圧するために、その反対側の自分を演ずることがよくあ
る。

 たとえば力のない政治家が、わざとふんぞりかえって歩いて見せるなど。
あるいは体の弱い子どもが、みなの前で、かえって乱暴に振る舞ったりするのも、それ。

 ほかにもいろいろな反動形成がある。

 本当は、たいへんケチな人が、豪快に、人に太っ腹なところを見せる。
 心の中では憎しみを感じている社員が、その上司に、必要以上にへつらう。
 自分に自信のない人が、わざと大型の馬力の大きな車に乗ってみせる、など。
 もう少し、その反動形成を、自分なりに、整理してみる。

(嫉妬、ねたみ)→(見えすいた親切、やさしさ)
(欲望、願望)→(見えすいた禁欲者、謙虚さ)
(悪魔性、邪悪な心)→(見えすいた善人、道徳者)
(闘争心、野心)→(見えすいた謙虚さ、温厚さ)
(ケチ、独占欲)→(見えすいた寛大さ、おおらかさ)
(劣等感、コンプレックス)→(見えすいた傲慢さ、大物)
(だらしない性格)→(見えすいた完ぺき主義者、潔癖主義)など。

 わかりやすく言えば、反動形成というのは、自分の心を偽ることをいう。中には、夫を
心の中で憎みながら、その反動として、つつしみ深く、できのよい妻を演ずることもある
そうだ。(私のワイフなどは、その1人かもしれない? ゾーッ!)

 あなたの中には、はたしてその反動形成による部分は、ないか? それを知るのも、ま
た別の自分を発見することにつながるのではないかと思う。

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi
Hayashi 林浩司 BW BW教室 はやし浩司 反動形成 仮面 ペルソナ)

(補足)

 たまたま今日、年長児のクラスで、おっぱいの話になった。
そのときのこと。
私が子どもたちに、「君たちは、おっぱいが好きか?」と聞くと、みな、おおげさな言い方
で、「嫌いだヨ~」と叫んだ。

 これも反動形成の一つと考えてよい。このころになると、子どもは「恥ずかしい」とい
う言葉の意味がわかるようになる。たとえば、赤ちゃんに見られることは、恥ずかしいこ
とと考える。だから(おっぱいが好き)イコール、(赤ちゃん)と考えて、それをあえてお
おげさに否定してみせたりする。

 しかしおっぱいが嫌いな子どもは、いない。とくに男児においては、そうだ。
が、中に、正直な子どもがいたりして、私が、「ウソをついてはダメだ」と、強くたしなめ
ると、小声で、しかも少し顔を赤らめながら、「好きだよ……」と言う子どももいるにはい
る。
しかしそういう子どもは、例外と考えてよい。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●夫婦のばあい

 よき夫、よき妻。
しかしたがいに反動形成。
内心では、憎しみあい、軽蔑しあっている……。
そういう夫婦は、少なくない。
私たち夫婦がそうかもしれないし、あなたがた夫婦も、そうかもしれない。
そういう「形」にしなければ、自分が、みじめ。
50歳とか60歳とかを過ぎ、「私たちの結婚は失敗でした」とは、とても言えない。
この年齢になると、自己否定ほど、恐ろしいものはない。
敗北感から、絶望感に発展することもある。

 だから妥協し、ほどほどのところで接点を見出し、よい夫婦を演ずる。
いっしょに映画を観に行ったり、旅行に出かけたりする。
世間体というより、ここにも書いたように、たがいに本当の自分を認めたら、夫婦という
より、自分自身が崩壊してしまう。
それがこわい。

 ……と書くと、身も蓋(ふた)もない。
しかし多かれ少なかれ、どんな人も、自分をごまかしながら生きている。
程度の差はある。
つまり反動形成は、みながしている。
していない人はいない。

ただひとり、自分をさらけ出しながら生きている女性と言えば、あの「みさえさん」。
「クレヨンしんちゃん」(コミック本、vol. 1~11前後)のママである。
私はみさえさん以外に、自分をさらけ出しながら生きている女性を知らない。
これは余談。

●さらけ出し

 そこで私自身の反動形成は何か、それを考えなおしてみる。

 たとえば、ウソとインチキ。
私はもともとウソつきで、インチキな男だった。
子どものころは、そうだった。
拾ったお金でも、交番へ届けたことは、めったにない。
(1、2度はあったように記憶しているが……。)

 それにウソつきだった。
……というか、私が住んでいた世界は、ウソが当たり前だった。
今でも、何が本当で、何がウソなのか、よくわからない。
そういう自分がいやになり、私は私なりの経験を通して、そういう世界から抜け出た。
その結果が今。
私はウソとインチキには、妥協しない。
ウソをついたり、インチキをする人を、許さない。
相手が息子でも、許さない。
自分でもときどき「過剰」と思うことがある。
ワイフもときどき、こう言う。
「もう少し妥協したら……」と。

 考えてみれば、これも反動形成。
自分の中に潜む邪悪な人間性を隠すために、(……隠すという意識はあまりないが)、
表では正反対の自分を演じてみせる。
それが長くつづいたため、それが生活態度として、定着してしまった(?)。

 が、それで邪悪な人間性が消えたわけではない。
今でも道路でサイフのようなものを拾ったりすると、頭の中が混乱する。
こんな経験がある。
2007年に書いた原稿である。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●勇気(2007年8月記)

+++++++++++++++

昨夜、コンビニの前を通ると、
小さなサイフが落ちていた。

イヤ~ナ気分だった。
私はそれを拾うと、自転車の前の
かごに入れた。

途中、信号待ちのところで、サイフを
開いてみると、何枚かのカードが
入っているのが、わかった。
住所と名前が書いてあった。

イヤ~ナ気分だった。本来なら、
そのままコンビニの店員に渡すべき
だった。

悶々とした気分。
「もらっちゃえ」と言う、自分。
「落としたヤツが悪いんだ」と言う、自分。
そんな自分が、そこにいた。

そんな自分を感じながら、家に着いた。
ワイフがそこにいて、「お帰り!」と
声をかけてくれた。

明るい声だった。

私「サイフを拾っちゃった」
ワ「どこで?」
私「あの○○のコンビニの前」
ワ「……」
私「名前と電話番号が書いているから、
そこへ電話して!」
ワ「うん」と。

あとの処理は、ワイフに任せた。
いくら入っているかは、見なかった。
知りたくもなかった。

かばんをかけて、書斎へ入るとき、
振り返ると、ワイフは、どこかへ
電話をかけていた。

よかった……。

夜、床についてから、私は、ワイフに
こう言った。

「サイフを拾うたびに、いまだに迷う。
子どものころの、あの邪悪な小ズルサ、
それが、いまだに、ぼくの心の中で生きている。

ぼくが子どものころには、拾ったお金は、
そのまま自分のものになった。

ぼくはそういう時代に生きていた」と。

+++++++++++++++

 ほかのことでは迷わない私でも、どういうわけか、拾ったお金については、そうではな
い。迷う。私が子どものころには、終戦直後ということもあって、拾ったお金は、拾った
子どものものだった。当時は、そういう時代だった。

 モラルもルールも、なかった。親たちにしても、食べていくだけで、精一杯。家庭教育
の「か」の字もないような時代だった。

 だから今でも、迷う。「返そう」という自分と、「もらっちゃえ」という自分。その2人
が、自分の中で、はげしく対立する。一度、心にしみついた(汚れ)は、そう簡単には消
えない。昨夜もそうだった。

 で、ここに書いたように、今回は、処理は、ワイフに任せた。数年前にも一度、同じよ
うにコンビニの前で拾ったことがある。そのときは、コンビニの店員に届けた。しかし今
回は、自転車のかごに入れて、もち帰ってしまった。

 つまり、このあたりに、私の善人としての限界がある。が、限界といっても、このとこ
ろ、輪郭(りんかく)が、ぼやけてきた。以前は、コンクリートの壁のようだったが、今
は、木の柵のようになった。簡単に乗り越えられる。

 おかげで、今朝は、どこかすがすがしい。さわやかな気分。心の中で、掃除機をかけた
ような気分といってもよい。それに少しだが、自分に自信がついた。

 世の中には、こわいものはいくらでもある。子どもたちは、「お化け」「幽霊」というが、
それもそうかもしれない。

 しかしほんとうにこわいのは、自分自身である。自分自身の中に潜む、邪悪な自分であ
る。この邪悪な自分に毒されると、人生そのものを無駄にしてしまう。前にも書いたが、「今、
生きている」という、その一時(いっとき)一時の時間ほど、貴重な財産はない。その財
産を、無駄にしてしまう。

 その邪悪な自分と戦うためには、勇気がいる。どういうわけだか、勇気がいる。しかし
その勇気を実感したとき、それが今度は、喜びに変わる。ここに書いた、「自信」も、そこ
から生まれる。

 「よかった!」と思ったところで、この話は、おしまい。今日(8月31日)も、始ま
った。

 みなさん、おはようございます!

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●終わりに……

 反動形成と仮面。
今日1日は、この2つをテーマに、いろいろ考えてみたい。
どうして人は(私は)、反動形成をするのか。
仮面をかぶるのか。

 では、今日は忙しいので、ここまで。
推敲しないまま、BLOGに原稿をアップする。
ごめん!

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 
BW はやし浩司 反動形成 拾ったサイフ 邪悪な自分 邪悪な私 抑圧 心の別室)


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●愛する人の死

++++++++++++++++++

NG先生が亡くなって、もう2か月が過ぎた。
早いというか、長かったというか。
NG先生の奥さんから、今朝、メールが
届いていた。
「この2か月は、あっという間でもあり、
20年にも長く感じます」と。

自分の死を受け入れるのは、むずかしい。
いわんや、愛する人の死を受け入れるのは、
さらにむずかしい。

ひしひしと迫るくる孤独感。
さみしさ。
悲しさ。
それには理由がある。

「死」を前にした孤独感は、同時に
隔離感をともなう。
いくら近くに愛する人がいて、やさしい
言葉をかけてくれても、それは心に
しみこんでこない。
「死ぬのは、私ひとり」と。

その隔離感が、そばにいる相手にもわかる。
どんなに同情しても、同情しきれない。
あるところまで入ったところで、拒絶
されてしまう。
壁がある。
その壁を乗り越えることはできない。

だから死んでいく人も孤独だが、
しかしそれを近くで見守る人は、もっと
孤独。
さみしい。
悲しい。
足下をすくわれるような空虚感。
つかんでもつかみきれない、自分の心。
怒りと絶望感。
どうしようもない、怒りと絶望感。

死んでいく人も、また残された人も、
その怒りと絶望感と闘わねばならない。

++++++++++++++++++

●老後と孤独

 老後は、孤独との闘い。
先のない袋小路で、暗闇に包まれる。
日々に肉体は衰え、経験しなかった病魔が、つぎつぎとやってくる。
心配と不安。
いや、死ぬのがこわいのではない。
死ぬまでのプロセスが、こわい。
できれば、ポックリと死にたい。

しかしほとんどの人は、そうはいかない。
大病を患えば、なおさら。
オーストラリアの友人は、こう言った。
「さみしいか?」と私が聞いたときのこと。
その友人は、ポツリと、「うれしかった」と。

 友人の妻は、がんで、2年間苦しんだ。
そのあと死んだ。
その苦しみを見ていたからこそ、友人は、そう言った。

●散歩

 NG先生の奥さんの気持ちを察するにつけ、胸が痛む。
どんなにどうがんばっても、奥さんの気持ちの中には、入れない。
そこには、先に書いた隔離感がある。
だから私にできることと言えば、そっと奥さんの心を暖かく包んでやることでしかない。
それで奥さんの気持ちがやすらぐとは、思わない。
さみしさや悲しさが、癒されるとは思わない。
しかしそれしかできない。
その歯がゆさ。

 NG先生が亡くなったと聞いた午後、私は、長い散歩に出た。
例年になく冷たい北風が、吹いていた。
乾いた北風で、道路脇の木々が、それに大きく揺れていた。

通り過ぎる人にも生彩がなかった。
ふだんならけばけばしく見える店の看板も、色彩を失っていた。
……というか、ほとんど顔をあげないで、歩いた。
ときどき前を見、あとは側溝のふたの上を歩いた。
灰色の、どこまでも灰色の、味気ない道。
その上をとぼとぼと、歩いた。

●通夜

 通夜のときも歩いた。
NG先生の自宅までは、40~50キロはある。
電車でも、4つ目の駅。
足が痛くなって、2つ目の駅で、電車に乗った。
それまで歩いた。
歩いているときだけ、私は、さみしさや悲しさを忘れることができる。
子どものころから、ずっとそうだった。
そのときも、そうだった。

 通夜の日は、さらに冷たい風が吹いていた。
身を切るような冷たさだった。
駅を下りてから、それからまた20分ほど、歩いた。
何度か、通った道。

 そう、NG先生だけだった。
NG先生だけは、私の原稿を、隅々まで読んでくれた。
一度の例外もなく、長い感想文をそのつど、送ってくれた。
NG先生という人は、そういう人だった。
そういう人を、私は失った。

 そのさみしさ。
その悲しさ。

●急死

 NG先生の死は、突然だった。
本当に、突然だった。
いつものように近くの病院へ、定期診断に行った。
注射を打ってもらった。
その直後、急変。
そのまま帰らぬ人になった。

 私はそんな死に方を、ほかに知らない。
それまで孫の世話をし、犬と散歩をしていた。
だからそれを認めろと言われても、すぐにはできなかった。
今もできない。

 ただおかしなことに、たいへんおかしなことに、私はNG先生を、うらやましく
思っている。
それを「ポックリ」と言わずして、何という。
そうでなくても、60歳を過ぎると、つぎつぎとやってくる。
経験したことのない、痛み、症状、病気……。
そのたびに「死」の影におびえ、ビクビクする。
70歳になれば、なおさらだろう。
80歳になれば、なおさらだろう。

 63歳の私ですら、ときどき、こう思う。
「もう、いいかげんにしてくれ。
命がほしいなら、さっさと持って行け!」と。

●NG先生の業績

 誤解しないでほしいのは、だからといって、死を望んでいるのではない。
死にたくない。
1回ポッキリの命。
しかし問題は、その生き方。
が、このところ、どう生きるかということよりも、どう死ぬか。
それをよく考えるようになった。

 できればこの世に生きたという証(あかし)を残したい。
かなわぬぜいたくということは、よく承知している。
しかしそれでも残したい。
その方法は、あるのか。
可能なのか。

 ……言い換えると、私がしなければならないこと。
NG先生は、教師であると同時に、学者だった。
その業績には、すばらしいものがある。
その業績をこの世に残すこと。
方法はいろいろある。
が、私ができることは、インターネット上に、先生の論文を残すこと。
このままNG先生が、この世から忘れ去られてしまうことには、耐えられない。
つまりそれが私の、NG先生との死と闘う、ゆいいつの方法ということになる。

 NG先生は、死んでいない。
まだ生きている。

 ……と力んではみたが、やはりさみしい。
このやるせなさを、どうしたらよいのか。
私は今、その怒りと絶望感と闘っている。
勝ち目のない闘いだが、がんばるしかない。


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