Education in Front-Line and Essays by Hiroshi Hayashi (はやし浩司)

(Mr.) Hiroshi Hayashi, a professional writer who has written more than 30 his own books on Education, Chinese Medical science and Religion in Japan. My web-site is: http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/ Please don't hesitate to visit my web-site, which is always welcome!!

Wednesday, May 06, 2009

*Over-Controlles Society

●日本に希望はあるのか?(Can we share hopes in Japan?)
(超管理社会)

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資格と規則で、がんじがらめ。
何をするにも、許可だの認可だのが必要。
地方の小さな町で、観光ガイドをするにも必要。
祭りにさえ、自由に出られない。
服装から持ち物まで決められ、許可証まで必要。
こんな国で生きていこうと思ったら、
小さく、狭い世界で、閉じこもるしかない。

ここまで書いて、以前、こんなことを
書いたことがある。

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●日本は超管理型社会

 最近の中学生たちは、尾崎豊をもうすでに知らない。そこで私はこの歌を説明したあと、中学生たちに「夢」を語ってもらった。私が「君たちの夢は何か」と聞くと、まず一人の中学生(中2女子)がこう言った。「ない」と。

「おとなになってからしたいことはないのか」と聞くと、「それもない」と。「どうして?」と聞くと、「どうせ実現しないから」と。もう1人の中学生(中2男子)は、「それよりもお金がほしい」と言った。そこで私が、「では、今ここに1億円があったとする。それが君のお金になったらどうする?」と聞くと、こう言った。

「毎日、机の上に置いてながめている」と。ほかに5人の中学生がいたが、皆、ほぼ同じ意見だった。今の子どもたちは、自分の将来について、明るい展望をもてなくなっているとみてよい。このことは内閣府の「青少年の生活と意識に関する基本調査」(2001年)でもわかる。

 15~17歳の若者でみたとき、「日本の将来の見とおしが、よくなっている」と答えたのが、41・8%、「悪くなっている」と答えたのが、46・6%だそうだ。

●超の上に「超」がつく管理社会

 日本の社会は、アメリカと比べても、超の上に「超」がつく超管理社会。アメリカのリトルロック(アーカンソー州の州都)という町の近くでタクシーに乗ったときのこと(01年4月)。タクシーにはメーターはついていなかった。料金は乗る前に、運転手と話しあって決める。しかも運転してくれたのは、いつも運転手をしている女性の夫だった。「今日は妻は、ほかの予約で来られないから……」と。

 社会は管理されればされるほど、それを管理する側にとっては便利な世界かもしれないが、一方ですき間をつぶす。そのすき間がなくなった分だけ、息苦しい社会になる。息苦しいだけならまだしも、社会から生きる活力そのものを奪う。尾崎豊の「卒業」は、そういう超管理社会に対する、若者の抗議の歌と考えてよい。

(参考)

●新聞の投書より

 ただ一般世間の人の、生徒の服装に対する目には、まだまだきびしいものがある。中日新聞が、「生徒の服装の乱れ」についてどう思うかという投書コーナーをもうけたところ、一一人の人からいろいろな投書が寄せられていた(2001年8月静岡県版)。それをまとめると、次のようであった。

女子学生の服装の乱れに猛反発     ……8人
やや理解を示しつつも大反発      ……3人
こうした女子高校生に理解を示した人  ……0人

投書の内容は次のようなものであった。

☆「短いスカート、何か対処法を」……学校の校則はどうなっている? きびしく取り締まってほしい。(65歳主婦)
☆「学校の現状に歯がゆい」……人に迷惑をかけなければ何をしてもよいのか。誠意と愛情をもって、周囲の者が注意すべき。(40歳女性)
☆「同じ立場でもあきれる」……恥ずかしくないかっこうをしなさい。あきれるばかり。(16歳女子高校生)
☆「過激なミニは、健康面でも問題」……思春期の女性に、ふさわしくない。(61歳女性)

●学校教育法の改正

 校内暴力に関して、学校教育法が2001年、次のように改定された(第26条)。
 次のような性行不良行為が繰り返しあり、他の児童の教育に妨げがあると認められるときは、その児童に出席停止を命ずることができる。

一、 他の児童に傷害、心身の苦痛または財産上の損失を与える行為。
二、 職員に傷害または心身の苦痛を与える行為。
三、 施設または設備を損壊する行為。
四、 授業その他の教育活動の実施を妨げる行為、と。

文部科学省による学校管理は、ますますきびしくなりつつある。

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 新聞社への投書の中で、16歳の少女が、「同じ立場でもあきれる。恥ずかしくないかっこうをしなさい。あきれるばかり」と書いている点が、気になる。が、私に言わせれば、こういう優等生のほうに、あきれる。「恥ずかしくないかっこうって何か」と。「まただれに対して、恥ずかしくあってはいけないのか」と。

 顔のある子どもは、その顔を大切にすればよい。幸せな子どもだ。しかし顔のない子どもは、どうやって生きていけばよいのか。

 あえて告白しよう。最近、……といっても、この5、6年のことだが、私はあのホームレスの人たちを見ると、言いようのない親近感を覚える。ときどき話しかけて、冗談を言いあうこともある。そのホームレスの人たちというのは、その少女の感覚からすれば、「恥ずかしい部類の人間」ということになる。

 しかしどうしてそういう人たちが、恥ずかしいのか。多分、その投書を書いた少女は、そういうホームレスの人たちを見ると、あきれるのだろう。もしそうなら、どうして、その少女は、あきれるのか。私には、よく理解できない。

 そう、私は、子どもたちを教えながらも、その優等生が、嫌い。ぞっとするほど、大嫌い。以前、こんな原稿も書いたことがある。それを掲載しておく。少し話が脱線するが、許してほしい。

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【世間体】

●世間体で生きる人たち

 世間体を、おかしいほど、気にする人たちがいる。何かにつけて、「世間が……」「世間が……」という。

 子どもの成長過程でも、ある時期、子どもは、家族という束縛、さらには社会という束縛から離れて、自立を求めるようになる。これを「個人化」という。

 世間体を気にする人は、何らかの理由で、その個人化の遅れた人とみてよい。あるいは個人化そのものを、確立することができなかった人とみてよい。

 心理学の世界にも、「コア(核)・アイデンティティ」という言葉がある。わかりやすく言えば、自分らしさ(アイデンティティ)の核(コア)をいう。このコア・アイデンティティをいかに確立するかも、子育ての場では、大きなテーマである。

 個人化イコール、コア・アイデンティティの確立とみてよい。

 その世間体を気にする人は、常に、自分が他人にどう見られているか、どう思われているかを気にする。あるいはどうすれば、他人によい人に見られるか、よい人に思われるかを気にする。

 子どもで言えば、仮面をかぶる。あるいは俗にいう、『ぶりっ子』と呼ばれる子どもが、このタイプの子どもである。他人の視線を気にしたとたん、別人のように行動し始める。

 少し前、ある中学生とこんな議論をしたことがある。私が、「道路を歩いていたら、サイフが落ちているのがわかった。あなたはどうするか?」という質問をしたときのこと。その中学生は、臆面もなく、こう言った。

 「交番へ届けます!」と。

 そこですかさず、私は、その中学生にこう言った。

 「君は、そういうふうに言えば、先生がほめるとでも思ったのか」「先生が喜ぶとでも思ったのか」と。

 そしてつづいて、こう叱った。「サイフを拾ったら、うれしいと思わないのか。そのサイフをほしいと思わないのか」と。

 するとその中学生は、またこう言った。「そんなことをすれば、サイフを落した人が困ります」と。

私「では聞くが、君は、サイフを落して、困ったことがあるのか?」
中学生「ないです」
私「落したこともない君が、どうしてサイフを落して困っている人の気持ちがわかるのか」
中「じゃあ、先生は、そのサイフをどうしろと言うのですか?」
私「ぼくは、そういうふうに、自分を偽って、きれいごとを言うのが、嫌いだ。ほしかったら、ほしいと言えばよい。サイフを、もらってしまうなら、『もらうよ』と言えばよい。その上で、そのサイフをどうすればいいかを、考えればいい。議論も、そこから始まる」と。

 (仮に、その子どもが、「ぼく、もらっちゃうよ」とでも言ってくれれば、そこから議論が始まるということ。「それはいけないよ」とか。私は、それを言った。決して、「もらってしまえ」と言っているのではない。誤解のないように!)

 こうして子どもは、人は、自分を偽ることを覚える。そしてそれがどこかで、他人の目を気にした生きザマをつくる。言うまでもなく、他人の目を気にすればするほど、個人化が遅れる。「私は私」という生き方が、できなくなる。
 
 いろいろな母親がいた。

 「うちは本家です。ですから息子には、それなりの大学へ入ってもらわねば、なりません」

 「近所の人に、『うちの娘は、国立大学へ入ります』と言ってしまった。だからうちの娘には、国立大学へ入ってもらわねば困ります」ほか。

 しかしこれは子どもの問題というより、私たち自身の問題である。

●他人の視線

 だれもいない、山の中で、ゴミを拾って歩いてみよう。私も、ときどきそうしている。

 大きな袋と、カニばさみをもって歩く。そしてゴミ(空き缶や、農薬の入っていたビニール袋など)を拾って、袋に入れる。

 そのとき、遠くから、一台の車がやってきたとする。地元の農家の人が運転する、軽トラックだ。

 そのときのこと。私の心の中で、複雑な心理的変化が起きるのがわかる。

 「私は、いいことをしている。ゴミを拾っている私を見て、農家の人は、私に対して、いい印象をもつにちがいない」と、瞬間だが、まず、そう考える。

 しかしそのあとすぐに、「何も、私は、そのために、ゴミを拾っているのではない。かえってわざとらしく思われるのもいやだ」とか、「せっかく、純粋なボランティア精神で、ゴミを集めているのに、何だかじゃまされるみたいでいやだ」とか、これまた瞬間だが、思いなおす。

 そして最後に、「だれの目も気にしないで、私は私がすべきことをすればいい」というふうに考えて、自分を納得させる。

 こうした現象は、日常的に経験する。こんなこともあった。

 Nさん(40歳、母親)は、自分の息子(小5)を、虐待していた。そのことを私は、その周囲の人たちから聞いて、知っていた。

 が、ある日のこと。Nさんの息子が、足を骨折して入院した。原因は、どうやら母親の虐待らしい。……ということで、病院へ見舞いに行ってみると、ベッドの横に、その母親が座っていた。

 私は、しばらくNさんと話をしたが、Nさんは、始終、柔和な笑みを欠かさなかった。そればかりか、時折、体を起こして座っている息子の背中を、わざとらしく撫でてみせたり、骨折していない別の足のほうを、マッサージしてみせたりしていた。
代理ミュンヒハウゼン症候群によるものとまでは断言できないが、それに近かった。

 息子のほうは、それをとくに喜ぶといったふうでもなく、無視したように、無表情のままだった。

 Nさんは、明らかに、私の視線を気にして、そうしていたようである。
 
 ……というような例は、多い。このNさんのような話は別にして、だれしも、ある程度は、他人の視線を気にする。気にするのはしかたないことかもしれない。気にしながら、自分であって自分でない行動を、する。

 それが悪いというのではない。他人の視線を感じながら、自分の行動を律するということは、よくある。が、程度というものがある。つまりその程度を超えて、私を見失ってしまってはいけない。

 私も、少し前まで、家の近くのゴミ集めをするとき、いつもどこかで他人の目を気にしていたように思う。しかし今は、できるだけだれもいない日を選んで、ゴミ集めをするようにしている。他人の視線が、わずらわしいからだ。

 たとえばゴミ集めをしていて、だれかが通りかかったりすると、わざと、それをやめてしまう。他人の視線が、やはり、わずらわしいからだ。

 ……と考えてみると、私自身も、結構、他人の視線を気にしている、つまり、世間体を気にしている人間ということがわかる。

●世間体を気にする人たち
 
 世間体を気にする人には、一定の特徴がある。

その中でも、第一の特徴といえば、相対的な幸福観、相対的な価値観である。

 このタイプの人は、「となりの人より、いい生活をしているから、自分は幸福」「となりの人より悪い生活をしているから、自分は不幸」というような考え方をする。

 そのため、他人の幸福をことさらねたんでみたり、反対に、他人の不幸を、ことさら喜んでみせたりする。

 20年ほど前だが、こんなことがあった。

 Gさん(女性、母親)が、私のところにやってきて、こう言った。「Xさんは、かわいそうですね。本当にかわいそうですね。いえね、あのXさんの息子さん(中2)が、今度、万引きをして、補導されてしまったようですよ。私、Xさんが、かわいそうでなりません」と。

 Gさんは、一見、Xさんに同情しながら、その実、何も、同情などしていない。同情したフリをしながら、Xさんの息子が万引きしたのを、みなに、言いふらしていた!

 GさんとXさんは、ライバル関係にあった。が、Gさんは、別れぎわ、私にこう言った。

 「先生、この話は、どうか、内緒にしておいてくださいよ。Xさんが、かわいそうですから。Gさんは、ひとり息子に、すべてをかけているような人ですから……」と。

●作られる世間体

 こうした世間体は、いつごろ、どういう形で作られるのか? それを教えてくれた事件にこういうことがあった。

 ある日のこと。教え子だった、S君(高校3年生)が、私の家に遊びにきて、こう言った。(今まで、この話を何度か書いたことがある。そのときは、アルファベットで、「M大学」「H大学」と、伏せ字にしたが、今回は、あえて実名を書く。)

 S君は、しばらくすると、私にこう聞いた。

 「先生、明治大学と、法政大学、どっちがかっこいいですかね?」と。

私「かっこいいって?」
S「どっちの大学の名前のほうが、かっこいいですかね?」
私「有名……ということか?」
S「そう。結婚式の披露宴でのこともありますからね」と。

 まだ恋人もいないような高校生が、結婚式での見てくれを気にしていた!

私「あのね、そういうふうにして、大学を選ぶのはよくないよ」
S「どうしてですか?」
私「かっこいいとか、よくないとか、そういう問題ではない」
S「でもね、披露宴で、『明治大学を卒業した』というのと、『法政大学を卒業した』というのは、ちがうような気がします。先生なら、どちらが、バリューがあると思いますか」
私「……」と。

 このS君だけではないが、私は、結論として、こうした生きザマは、親から受ける影響が大きいのではないかと思う。

 親、とくに母親が、世間体を気にした生きザマをもっていると、その子どもも、やはり世間体を気にした生きザマを求めるようになる。(あるいはその反動から、かえって世間体を否定するようになるかもしれないが……。)

 生きザマというのは、そういうもので、無意識のまま、親から子へと、代々と引き継がれる。S君の母親は、まさに世間体だけで生きているような人だった。

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 これからますます、「顔」が問題になってくる。それともほとんどの人たちは、老齢になるとともに、その顔を、放棄してしまうのか。これから先、私自身がどう変化していくか、それを静かに観察してみたい。
(はやし浩司 個人化 アイデンティティ コアアイデンティティ コア・アイデンティティ 顔 顔のない子供 ペルソナ 仮面 はやし浩司 代理ミュンヒハウゼン 超管理社会 
はやし浩司 タクシー 白タク)

*To My Son,E

【K子さんとE市へ】

●家族を迎える

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三男が、嫁さん(「嫁さん」という言い方には、どうも抵抗を感ずるが……)、
その嫁さんを連れて、今、帰郷している。
明るい性格のさっぱりした女性だが、どこかで無理をしていないか、少し心配。
私が嫁さんの立場なら、半日で、激しい片頭痛に襲われるだろう。
どうか気を遣わないで、我が家では気楽に過ごしてほしい。
言いかえると、私たちも気を遣わない。
ありのまま。
言いたいことを言い、したいことをしている。
それが最善の迎え方(?)。

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●家の女?

私たちはともかくも、相手の親は、さぞかしさみしい思いをしていることと思う。
ワイフから聞いた話しでは、嫁さんの実姉も、結婚が決まったとか。
つまり2人つづけて、結婚する。

今どき「家を出る」とか、「嫁ぐ」とか、そういう言い方をするのは好きではない。
同じように「嫁さん」という言い方にも、どこか抵抗を覚える。
「嫁」とは、「家の女」という意味。
私は、そういう発想そのものに、生理的な抵抗感を覚える。
どうして1人の人間が、「家の女」?

ほかに呼び方はないのだろうか。
二男の妻?
二男の奥さん?
二男の連れ添い?
二男のワイフ?

どれもどこかに封建主義的な臭いを感ずる。
「~~の」という言い方そのものが、おかしい。
嫁さんは、「モノ」ではない。
で、あえて言えば、(英語式に)「二男のワイフ」がいちばん私は好きだが、
しかしそういう言い方をする人は、この日本では少ない。

●今は静観

二男が結婚し、今度、三男が結婚した。
私にとっては、2人目ということで、どこかサバサバしている。
「サバサバ」というのは、どこか事務的?
だからといって、「どうでもいい」ということではない。
これは子どもの入学と似ている。

最初の子どものときは、あれこれと気を使うものだが、2人目となると、心に余裕が
できる。
その余裕が、サバサバした感じを作る。
つまり大切なのは、「結婚」というその(時点)ではなく、この先のプロセス。
わかりやすく言えば、結婚するのは簡単。
「好きだ」「好きよ」で、結婚できる。
しかしこれから先が、たいへん。
その(たいへんさ)を知っているから、その心配の方が先に来てしまう。
「何とか、うまくやってほしい」と願うだけ。
つまり親が介入できることは、そこまで。
あとは本人たちの問題。

もちろん何か問題が起きれば、私もワイフも、身を投げ打ってでも助ける。
(少しおおげさかな?)
しかし今は静観するしかない。
「ま、どうぞ、ご勝手に」と。

●さみしさ

こうして息子たちは、巣だっていく。
「いつかは……」と覚悟はしていたが、これほどまでにさみしいものとは思っていな
かった。
息子たちが去っていくのが、さみしいのではない。
いや、それもあるが、私自身が、用なしになっていくのが、さみしい。
この先、私たちを待っているのは、老後。
ちょうどベンチの席をつぎの人に明け渡すように、私たちは席を譲らねばならない。
この地球に住める人間の数にも限界がある。

やがて三男夫婦も、子どもをもうけるだろう。
そのとき私たちがこの世界にのさばっていたら、子どもたち、つまり孫たちの座る
席がなくなってしまう。

私たちのほうが先に腰をあげ、「さあ、どうぞ!」と言ってあげねばならない。
が、その先、私たちの座る場所がない。
それがツンとしたさみしさとなって、心を包む。

●気楽に

三男夫婦を見ながら、「では、私たちができることは何だろう」と、しばしば考える。
第一にしてあげられることは、私の家を、「羽を休める場所として提供する」こと。
この先、いろいろなことがあるだろう。
そのとき三男夫婦も、疲れ、ときには羽を休めたくなるだろう。
そういうときは、我が家へ帰ってきて羽を休めればよい。

しかし……。

我が家は、それにふさわしい家なのだろうか。
三男夫婦は、私の家にやってきて、羽を休めることができるのだろうか。

実のところ、自信がない。
三男夫婦は、ある種の義務感を覚えて、私の家に帰郷した。
何もない家だから、楽しいはずはない。
私もワイフも、あまり楽しい人間ではない。

ま、オーストラリア流でいけば、何もしないことこそ、よいのかもしれない。
三男夫婦が、したいことができるようにしてやる。
何も考えず、ただひたすら気楽に!

●まねごと

ひとつだけ三男夫婦を見ていて学んだことがある。
仲のよいカップルを見ていると、こちらまで照れくさくなる。
三男は、嫁さんにラブラブ。
嫁さんも、三男を、好きで好きでたまらないといったふう。
並んで座っていても、たがいに体が自然に傾いていく。
いつの間にか、寄り添っている。

そういう姿を見ていると、私の方まで気が若くなる。
思わずワイフの手を握ったりする。
「お前ら、若いものに負けてたまるか!」という競争心からかもしれない。
あるいは「私たちも私たちなりに、人生を楽しもう」という思いがあるからかも
しれない。

どうであるにせよ、何もラブラブは、若い人たちだけの特権ではない。
私たちは私たち。
ハハハ。
どうせ勝ち目のない戦いだが、せめてまねごとだけはしてみたい。
ハハハ。

●だいじょうぶかな?

しかしおかしなもので、三男は三男。
幼いころのあの三男。
「あいつが、本当に結婚するのだろうか」と、いまだに信じられない。
そんな思いが残っているから、どこか不安。
どこか心配。

で、そのつど三男の心を確かめるのだが、私の若いころより、ずっとしっかりしている。
それをやはりそのつど確かめながら、自分を納得させる。
「だいじょうぶかな?」「これならだいじょうぶ」と。
そんな会話を、心の中でザワザワと繰り返す。

●親は脇役

しかしそれは私たちの気持ち。
相手の両親は、もっとさみしい思いをしているはず。
それを思うと、なんとかしなければと思う。
なにかよい方法はないものか……。

しかしその一方で、私たち夫婦にしても、できることはほとんどない。
結婚は、あくまでも当事者の問題。
三男夫婦の考えに従うしかない。
三男夫婦が、「こうしてくれ」と言えば、それに従う。
「ああしてくれ」と言えば、それに従う。

これは私たち夫婦もそうだったが、夫婦の絆のほうが、親子の絆より、はるかに
太く、しっかりとしたものになる。
親というのは、いつも脇役でしかない。
また脇役で甘んじるしかない。

繰り返しになるが、私たちは(去りゆく者)。

●プロセス

結婚は、プロセス。
これから先、ゆっくりと時間をかけて、少しずつ、人間関係を作っていけばよい。
ワーワー騒いで、急速に接近したところで、それほど意味はない。
嫁さんにしても、少しずつ時間をかけて、人間関係を作ればよい。
1年とか、2年とか……。
その時点、時点で、静かに過去を振り返りながら、地盤を固めていく。

その結果として、10年後がやってくる。
20年後がやってくる。

そのときは、私たち夫婦も、ボケてしまって、何もわからなくなるかもしれないが、
そのときはそのとき。
私たちの時代は終わった。
生まれてくる孫にしても、それほど長く、顔を見ることはできないだろう。
せいぜい、孫が、中学生か高校生になるころまで。
いや、そのころまで生きていられれば、御の字。

この先、この世界を生きていくのは、三男たち。
三男の家族たち。
今の私たち夫婦を見れば、それがわかる。
今では、家族と言っても、私とワイフだけ。

●結婚式

ふつう息子が結婚したというと、何かの達成感があるものではないかと思っていた。
しかしそんな達成感など、どこにもない。
「子どもを育て上げた」という充実感もない。

先にも書いたように、結婚は、プロセス。
どこかの標識を過ぎたからといって、それで旅が終わるわけではない。
簡単に言えば、結婚式をすませたからといって、それで終わるわけではない。

……しかし、三男夫婦は、結婚式をどう考えているのだろう。
いろいろと考えているようだが、イマイチ、「?」。
まあ、そのうち何かの連絡があるだろう。
私の方から、あれこれと言うのは、私のやり方ではない。
三男が責任をもって、自分たちのしたいようにすればよい。
私たち夫婦は、それに従うだけ。

やりたければやればよい。
やりたくなければ、やらなくてもよい。

私は前から、「相手の両親の意向だけを大切にしろ」と、三男には教えてきた。
私たちのほうは、どうでもよい。
だいたい、偉そうなことは、言えない。

私たち夫婦は、お金がなくて、結婚式すら、していない。
10万円の貯金がやっとできたときで、今のワイフに、「このお金で結婚式をするか、
それとも香港へいっしょに旅行するか」と聞いたときのこと。

ワイフは「香港へ行きたい」と。
それで2人で、香港へ行った。
それでおしまい。

そんな私がどうして三男に、「立派な結婚式をしろ」と言うことができるのか。

●金食い虫

どうであるにせよ、この先、三男夫婦が、幸福な家庭を築くことこそ、大切。
形ではない、中身。
中身だけを考えて、一歩、一歩、前に進めばよい。
結果はあとからついてくる。
あせらなくても、ついてくる。

最後まで見届けることは、私たち夫婦には、もうできない。

そうそう、三男について心配なこと。

昔から私は、「口臭男」と呼んでいた。
歯を磨かない。
そのためいつも口臭がしていた。
それを指摘すると、いつも三男は怒った。
口臭だけは、自分で気がつかない。
(そう言えば、おとといも、歯垢の臭いがプンとしたぞ!)

それに金遣いが荒い。
私とワイフは、内々では、三男を、「あの金食い虫」と呼んでいた。
交際費、つまり友人のためなら、惜しみなく(多分?)、金を」使う。
だから嫁さんには、こう言った。

「給料は、あなたがしっかりと管理するんですよ」と。
そうすれば三男も、少しは、おとなしくなるだろう。

●負けないぞ!

浜松には3泊して、明日、千葉へ帰るという。
また長い空白期間が生まれる。
しかしそんなことは気にしない。
私は私で、明日からまた私の生活を始める。

映画も見るぞ!
運動もするぞ!
仕事もするぞ!
原稿も書くぞ!
講演もするぞ!

だれにも遠慮しない。
ジジ臭い生き方など、まっぴらごめん。
一応70歳まで働くと心に決めているが、そこで仕事をやめるわけではない。
余力があれば、80歳までだって、現役で仕事をしてやる!

……そのとき、三男は47歳。
嫁さんは、45歳。
そのころ、三男夫婦は、幸福になっていればよい。
それを見届けられたら、御の字。
あとに思い残すことは、何もない。

そんなわけで、幸福宣言!

お前も幸福になれ!
私たちも、負けずに幸福になる!

負けないぞ!
……とまあ、力んでみたところで、今日はここまで。
ま、いつでも、戻っておいで、
待っているよ。
(2009年5月6日)

*May 6th 2009 My Diary

●5月6日

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この数日間、軽い虚脱感に襲われている。
日々の生活が、それほど変化したというわけではない。
何か大きな問題があるというわけでもない。
しかしどこか虚しい。
けだるい。
「これでいいのか?」という思い。
「こんなことをしていていいのか?」という思い。
それがよどんだ池に浮かぶ、メタンガスのように、
ポカン、ポカンと、水面に浮かびあがってくる。

5月に入ってから、そんなわけで原稿をあまり
書いていない。
本来なら、今ごろは、6月5日号の電子マガジンの編集を
していなければならない。
(マガジンは、いつも1か月先の分を、配信予約をしている。)
しかしまだ6月号には、手をつけていない。
(そんなわけで、この原稿は、6月1日号用
ということになる。)

マガジンの読者がふえなくなって、もう数か月になる。
私のワイフですら、このところ、私のマガジンを
あまり読んでいない。

BLOGのほうの原稿も書いているが、こちらも、
原稿をアプロードしなくなったとたん、ガクンと
読者数が減る。
ここ数日は、合計でも1日あたり、1000件程度。
アクセス数が低迷している。
(それ以前は、多いときは、合計で、5000件~。)
アクセス数がふえるのはうれしい。
が、毎日、何かに追い立てられているような感じ。
気が抜けない。
それが少し、負担になってきた?
……というより、少し疲れを覚えるようになってきた。

なぜだろう……?、と考えながら、こうした
心の状況を記録しておくことは、将来の自分の
ためにも、また同じような状態にある人たちの
ためにも役に立つのではないか。

こうした虚脱感は、多かれ少なかれ、だれしも、
そのつど日常的に経験するもの。
けっして私だけに起きていることではない。

++++++++++++++++++++++

●原因

原因のひとつとして、手を広げ過ぎた?
あれこれやりすぎた?
2月に入ってから、「BW公開教室」を手がけるようになった。
毎日、教室の様子をビデオの収め、それをYOU・TUBEにUPLOADする。
教室での作業は、ビデオカメラのスイッチを入れたり切ったりするだけ。
編集にも、それほど時間はかからない。
YOU・TUBEにUPLOADするときに、時間がかかるが、ただぼんやりと
待っているわけではない。
ほかのパソコンを使って、別の作業をする。
だから時間的ロスは、それほどないはず。

どうしてだろう?

あるいは仕事が忙しくなりすぎた?
昨年度より、量的には、1・x~x倍になった。
しかしこれとて、若いときの量にくらべたら、何でもない。
その分だけ、体力と気力が低下した?

こういう世相だから、仕事があるだけでも、御の字。
こういう年齢だから、仕事ができるだけも、御の字。
健康で仕事ができるだけでも、御の字。
家族がいるだけでも、御の字。

が、何よりも大きな理由は、このところ目標がはっきりしないからではないか。
「何のために」という部分がない。
さらに言えば、「だからそれがどうしたの?」という質問に対して、答えがない。
いくら書いても、孤独感が癒されるわけではない。
もちろん収入につながるわけでもない。
何かしら、壮大な(お人好し)をしている感じ。
バカなことをしている感じ。
その(感じ)から、自分を解き放つことができない。

いや、ボランティアならボランティアでもよい。
しかし私がしているボランティア活動には、ギャラリーがいない。
他人の視線を感ずることもなければ、拍手を受けることもない。
あるとすれば、日々のアクセス数だけ。
数字だけ。
それにだからといって、みながみな、好意的に読んでくれているというわけではない。
中には、私のアイディアをどんどんと盗んでいる人もいる。
盗んで本にしている人もいる。
一般の人にはわからないかもしれないが、私にはそれがわかる。

というのも、育児書というのは、ひとつの哲学書でもある。
その哲学、もっと言えば、育児哲学というのは、そうは一致しない。
書いた人によって、大きな違いが出てくる。
出てきて、当然。
が、その育児哲学が一致している本が、別のところで数百万部も売れていたりする。
おかしなことだが、相手も、利口な人だと思う。
それなりの肩書もある。
しっぽをつかまれるようなことはしないだろう。

あるいは別のライターが書いて、その人の名前で出しているのかもしれない。
この世界では、よくある話である。
そういうのを知るたびに、ガクン、ガクンと、やる気がうせる。

今がそのときかもしれない。

ときどき「一気に、すべてのHPを閉鎖しようか」とも考える。
「とりあえず、電子マガジンを休刊にしようか」とも。
こんなお人好しをつづけていて、何になるのか。
だれが評価してくれるのか。

孤独……。
本当に孤独……。

……しかしここはがんばるしかない。
読者のため……などという、きれいごとは言わない。
私は、私自身のために書く。
だれのためではない。
私自身のため、である。

『我らが目的は、成功することではない。
失敗にめげず、前に進むことである』(スティーブンソン)と。

●気分転換

こういうときは何かの気分転換をするのがよい。
自分でも、それがよくわかっている。
そのこともあって、ここ数日は、私が料理をしている。
コツは、ぐんと腹が減った状態で、料理をすること。
たまたま三男夫婦が遊びに来ているので、それなりに結構、楽しかった。

で、今日の目標。
(1)朝風呂に入る。
(2)床屋へ行く。
(3)三男と嫁の両親のために、なにかみやげを用意する。
(4)ワイフと1万歩を目標に、散歩する。
(5)昨夜の夕食の様子を、YOU・TUBEにUPLOADする。
そして
(6)何とか、今日中に、電子マガジン6月1日号の配信予約を入れる。

虚脱感というのは、吹き寄せる風のようなもの。
こちらがふんばれば、何とかもちこたえることができる。
こちらが弱気になれば、そのまま体ごと吹き飛ばされる。
あとは気力の問題。

がんばるしかない!
とにかく、がんばるしかない!

大切なことは、人に期待をしないこと。
甘い幻想を抱かないこと。
期待を抱けば、裏切られる。

「だれかが何かをしてくれるだろう」という甘い期待をもたないこと。
私は私。
それを貫く。
とくにこういう状態のときは、前に向って、一歩、足を踏み出す。

……ということで、5月6日が始まった。
みなさん、おはようございます。
(5月6日、午前6時10分記)


Hiroshi Hayashi++++++++May. 09+++++++++はやし浩司

Tuesday, May 05, 2009

*May 6th 2009

.  mQQQm            
. Q ⌒ ⌒ Q  ♪♪♪……  
.QQ ∩ ∩ QQ         
. m\ ▽ /m 彡彡ミミ    
.  /~~~\  ⌒ ⌒     
. みなさん、   o o β       
.こんにちは!  (″ ▽ ゛)○  
.        =∞=  // 
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子育て最前線の育児論byはやし浩司   09年 5月 6日
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★★★HTML版★★★
HTML(カラー・写真版)を用意しました。
どうか、お楽しみください。(↓をクリックしてみてください。)
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http://bwhayashi2.fc2web.com/page005.html

メルマガ(6万3000誌)の中で、2008年度、メルマガ・オブ・ザ・イヤーに
選ばれました!

【このマガジンは、去る、4月5日、午前11時に配信予約を入れたものです。】

【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

休みます。

【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●脳の老化

+++++++++++++++++++

パソコンの世界には、デュアルコアとか、
クアッドコアとかいう言葉がある。
わかりやすく言えば、コンピュータに、
脳みそが、2つとか、
4つ、ついていることをいう。

実は人間も、そのときどきおいて、
いくつかの脳みそを同時に使う。
このことは講演をしているときに、よくわかる。

+++++++++++++++++++

●思考の多角性

そこには(話している私)と、(時間をみている私)がいる。

(話している私)は、そこにいる。
そのとき、(時間をみている私)は、「あと15分だ。
結論に話をもっていけ」とかいうように、私に命令くだす。

で、このことを脳の老化に当てはめてみる。
子どもの脳と比較してみると、それがよくわかる。
以下のような能力が、全般に鈍くなる。

(1)柔軟性(臨機応変に、ものごとに対処できる。)
(2)多角性(いろいろな角度から、同時に考えることができる。)
(3)俊敏性(瞬間に判断し、反応できる。)
(4)予見性(あらかじめ相手の先を読む。)

ここでいう(時間をみている私)というのは、(2)の多角性の
問題ということになる。
ひとつのことしながらも、同時に別のことを考える。
たとえば買い物に行くときも、車を運転しながら、
「ほかに必要なものはないか」と考えるなど。
それができなくなると、何かと失敗が多くなる。
ミスが多くなる。

ひとつのことしていると、頭の中は、そのことだけ、
といった状態になる。

●子どもの脳みそ

一方、子どもの脳みそは、これら4つの機能が、同時に働く。
それが速い。
テンポも速い。
切り替えも速い。
いつも、2つ、3つのことを同時に考えている。

幼児にしても、「幼児は幼稚」と考えてはいけない。
全体的に見ても、おとなの能力より、すぐれている。
無知で未経験かもしれないが、それを除けば、
おとなより、すぐれている。

こうした認識不足は、教材制作の世界で、よく見られる。

幼児向けの教材を作るとき、おとなたちは、頭の中で
幼児の姿を想像しながら作る。
そのとき、「幼児というのは、こういうものだろう」
「幼児だから、この程度だろう」と、勝手に想像しながら作る。
だからおもしろくない。
つまらない。
子どもに、あきられる。

子どものCPUのクロック数は、おとなのそれより2倍~は、速い。
つまり頭の回転が、それだけ速い。
柔軟性、多角性、俊敏性、予見性のあらゆる分野で、速い。
幼児が本来もつテンポが、どういうものか知りたかったら、
私のHPから、「BW公開教室」をのぞいてみてほしい。
それでわかるはず。

それが加齢とともに、つまりそのあたりを頂点に、退化していく。

●退化を防ぐために

では、どうすればよいのか。
私自身についても、このところ、うっかりミスが多くなった。
ときどき自分に自信がもてなくなるときがある。
だから旅行に出かけるときも、あらかじめきちんと用意しておかないと、
落ち着かない。
その日の朝になって、あわてて用意したりすると、たいてい何かを忘れる。

買い物にしても、そうだ。
そして今日も、そういう失敗をした。

●乗りまちがえた電車

今日、岐阜へ行くとき、豊橋で名鉄に乗ってしまった。
ちょうど朝のラッシュアワーで、たいへんな思いをした。
しかしそのことを、私は知っていたはず。

だからこのところ、ずっと、岐阜へ行くときは、JR線に乗っていた。
これだと、浜松から、そのまま→豊橋→岐阜へと行ける。

が、今日は、それを忘れてしまった。
ラッシュアワーの電車に飛び乗ったとき、「しまった!」と思った。
が、問題は、どうしてそれに気がつかなかったかということ。

ほんのもう少し、多角的にものを考えるクセがついていれば、
そんなことは、すぐわかったはず。
が、それがわからなかった。

……ということで、ますます自分に自信がもてなくなった。
これから先、私のコラムは、1人の人間が、徐々にボケていく、
その過程を書くことになるかもしれない。

私のコラムを読んで、「ああ、人間って、こういうふうにしてボケて
いくんだ」と思う人も出てくるかもしれない。


Hiroshi Hayashi++++++++April・09++++++++++++はやし浩司

●法事

今日、郷里で、父の33回忌をすませてきた。
「33回忌!」。
父が死んで、もう33年になる!
実際には、満32年ということか。
法事では、独特の年数の数え方をする。

たとえば母は、昨年、2008年に他界した。
今年、2009年が、一周忌。
が、もう来年、2010には、それが3回忌になる。

こうして毎年、何らかの法事がつづく。


●4月3日

帰り際、住職に、「明日はたいへんな日になるかもしれませんね」と
声をかけると、「???」というような様子。
「へたをすれば、日本が戦争になるかもしれません」と告げると、
「ああ」と言って、笑った。

私は、「みんな、のんきだなあ」と思った。
が、それは言わなかった。

しかしその半面、私が感じている、この胸騒ぎは何なのか。
「あまりにも、みな、のんきすぎる」と。

ただ日本の姿勢が、大きく変わった。
当初、「迎撃、迎撃」と叫んでいたのが、「万が一……」に変わり、
「飛翔物が日本に落ちたばあい……」に変わった。

●再び、テポドン

アメリカの代わりに、テポドンを迎撃して、何になる?
日本にとって怖いのは、テポドンではない。
ノドンである。
テポドンのことは、アメリカに任せておけばよい。

それをあの首相が、早々と「迎撃」を口にするものだから、
日本としては、引っ込みがつかなくなってしまった。
「迎撃」という言葉を使うにしても、最後の最後でよかった!

それにICBMの開発で困るのは、アメリカであって、日本ではない。
日本にとっての脅威は、ノドン。
すでに320基が、実戦配備されている。
どうしてあの首相は、頼まれもしないうちから、何でも先走って
してしまうのだろう?


Hiroshi Hayashi++++++++April・09++++++++++++はやし浩司

●電車の中で

++++++++++++++++++

豊橋からは、名鉄電車に乗った。
午前8時24分発。
いつもはプラットフォームの手前にある発券所で、
指定席を買う。
しかしここでミス。
この時間帯は、通勤客に指定席を取られ、空席はない。

しかたないので、そのまま電車に。
が、そこで、ギョーッ!
すでに客車は、満員状態。
ラッシュアワーだった。

+++++++++++++++++++++

私とワイフは、つり革と、鉄棒にそれぞれ手を延ばして、つかまった。
しばらくすると、電車は走りだした。
「まちがえたね」と言うと、「うん」とワイフ。

この時間帯のときは、JRで、浜松駅からそのまま岐阜行きに乗ったほうがよい。
わかっていたが、それをすっかり忘れていた。
これも脳の老化の始まりか?
ものごとを多角的に考えることができない。

で、その電車の中でのこと。

●空いた席

連結部に近いところは、シルバー・シートになっている。
ちょうど5人が座れるスペースがある。
そこに5人の若い男女が座っていた。
車内は、身動きもままならないほど、混雑していた。

が、2つ目の駅で、目の前の席が空いた。
「……」と思う間もなく、うしろから1人の女性がその席にカバンを置いた。
と、同時に、うしろで2人の女性が、こんなやりとりをした。

「あなた座ってよ」
「いいの、いいの」
「あなた座ってよ」
「私は立っているから、いいの」と。

●余裕のない女性

電車が動き出すと、最初にカバンを置いた女性がその席に座った。
が、始終、落ち着きなく、目を隣にやっている。
隣の席が空くのを待っているよう。
心の動きが、よくわかった。

そうして2つ目、3つ目の駅を通りすぎた。
そのあたりで、その女性が、隣の若い女性に声をかけた。
「どちらまで……」
「金山(かなやま)まで……」と。

車内は名古屋が近づくにつれて、ますます混んできた。
私たちはそこからさらに1人分、中へと押し込まれた。
むっとするような空気。
よどんだ空気。

●もう1人の女性

私はその女性を観察した。
立っているもう1人の女性のことが、よほど、気になるらしい。
ときどき小刻みに、そちらに視線を送る。
と、同時に、隣の席が空くのを待っている。

立っている女性は、親友か?
仕事仲間か?
それとも……?
2人も、年齢は40歳くらいだった。
そのときはじめて、その女性の年齢を推察した。

電車は、金山に近づいてきた。
隣の若い女性が、バッグを手に持ちなおした。
それに合わせて、その女性は、カバンを持ちなおした。
席が空いたらすかさず、カバンを置くつもりらしい。

●緊迫した一瞬(?)

私はその女性に興味をもった。
こういうとき、女性は、どんなことを考えているのだろう、と。

ときどきその女性は、目を閉じた。
しかし眠るふうでもない。
そのつど目を薄くあげ、横目で、チラチラと隣を見ていた。
そして金山……というとき、隣の若い女性が、席を離れる動作をしてみせた。
再びバッグを手に持ちなおし、コートの端をそろえた。

「立つぞ……」と思ったそのとき、もう1人、その横の女性も、席を立った。
ワイフは私のそばに立っていた。
私が「空いたよ」と声をかけると、そのままワイフは着席モードに入った。
同時に、その女性の隣の若い女性も立った。

すかさず、女性は、立っている女性に声をかけた。
「空いたから、いらっしゃい」と。
緊迫した一瞬だった。
(大げさかな?)

が、立っていた女性は、どこか迷惑そう。
ありがた迷惑といったふうだった。
軽く、押し問答が、2、3言、つづいた。

「どうぞ、どうぞ」
「はあ、いいんですよ……」と。

●並んで座る

座っていた女性は、立っていた女性に気をつかっていた。
一方、立っていた女性は、そういうふうに、気をつかわれるのが
いやといった様子だった。
が、先から座っていた女性には、それがわからない(?)。

それが私にも、よくわかった。
だから立っていた女性は、始終、座っていた女性に背を向けていた。
混んではいたが、その気になれば、位置を替えられたはず。

そのことは並んで座ったとき、わかった。
先から座っていた女性が、とたん、ペチャペチャと話し始めた。
あとから横に座った女性は、一方的に、聞き役に回った。

道理で!

のどかな光景だった。
ちょうど町のビルの頭越しに、朝の光が、差し込んでくるころ。
ペチャペチャ、ウンウン、ペチャペチャ、ウンウン……と。

ほんの5,6分で、電車は名古屋駅に着いた。
どっと客が降りた。
その女性たちも降りた。
そのあとすぐ、ガランとした静けさが、車内へ流れ込んできた。
かすかなドラマを洗い流すかのように……。

(09年4月3日記)


Hiroshi Hayashi++++++++APRIL・09++++++++++++はやし浩司

●神と悪魔

+++++++++++++++++

神が、「善」の集合体であるとするなら、
悪魔は、「悪」の集合体ということになる。

つまり人間の脳の中には、無意識のまま集合化された
部分がある(ユング)。
何10万年という長い年月を経て、進化論的に
集合された部分と考えてよい。
それが「善」の根源であり、「悪」の根源と
考えてよいのでは?

++++++++++++++++++++

が、ただの無意識かというと、そうでもない。
ときにこの無意識が「意識」として、具現化することがある。
幻聴、幻視、幻覚でもよい。
健常な人でも、「夢」という形で、それを見ることがある。
ともかくも、人間がそれを意識的にとらえることがある。
それが「神」であり、「悪魔」ということになる。

たとえば熱心な信仰者は、近くに神や、仏を感じることがあるという。
「祈っていたら、神の気配がした」とか、
「読経をしていたら、仏の慈悲に包まれた」とか、など。

これは無意識下の集合体が、意識の世界で認知されたときに起こる
現象と考えられなくもない。

で、さらに最近では一歩、研究が進み、そうした善悪を司って
いるのが、辺縁系の中の扁桃核(扁桃体)ということもわかってきた。
何かよいことをすると、それが扁桃核に伝えられ、そこでの指令に応じて、
モルヒネ様の物質が脳内に分泌される。
それが脳の中を、甘い陶酔感で満たす。
「いいことをすると、気持ちいい」という感覚は、まさに、それによって生まれる。

●性善説

人間が善か悪かということになれば、(今、ここに存在する)という
事実が、(善)の証(あかし)ということになる。
もし人間が、もともと悪であるなら、人間は、とっくの昔に絶滅していたことになる。
たとえば同類の人間を平気で殺したり、食べたりするなど。

この世では、善なるものだけが、自然淘汰の世界で、生き延びることができる。
動物にせよ、植物にせよ、それには例外はない。
言い換えると、無意識下に集合された部分は、基本的には善ということになる。
が、善だけでは生きていかれない。
種族間での闘争、個々の生存競争などなど。
そこから「悪」が生まれた。
言うなれば、心の闇の部分ということになる。

そのため人間は生きる過程の中で、常に、善と悪を戦わせている。
「よりよい自分でいよう」という欲求と、「他人を蹴落としてでも」という欲望。
この2つの欲望のはざまで、人間は、もがき、苦しむ。
が、結果として、いつも「善」が勝ち、人間は、現在に至るまで生き延びてきた。
繰り返すが、もし人間が悪なる存在であったとするなら、人間はとっくの昔に、
自然淘汰されたはずである。
で、こうした闘争は、そのほとんどは無意識下でなされるため、
人間がそれを意識することはない。

が、ここにきて、人間の性善説に対して、大きな疑問が起きてきた。
「このままでは、人類はもちろん、ありとあらゆる生物が死滅するかもしれない」
という可能性である。

さらに深刻なことに、人間は自らを、(自然)から切り離してしまった。
この地球上のありとあらゆる生物は、単独では生きていかれない。
たがいに依存しあいながら、またたがいに連鎖を保ちながら、生きている。
またそれが「善」の証(あかし)ということにもなる。

たとえばオールマイティ(全能)の動物がいたとしよう。
食物連鎖の頂点に立ち、こわいものがない。
他の動物はもちろん、あらゆる植物ですら餌として、食することができる。
もしそんな動物がいたとしたら、その動物は、やがて地球上すべてに
はびこることになり、今度は、絶滅する。
食物をすべて食べつくしてしまうからである。
人間が、そういった動物になりつつある。

●新しい自然論

「自然を大切にする」ということは、自らを、自然の一部として認め、
その中に身を置くことである。
つまり「大切にする」という(対立的)なものではなく、「自然の中で
謙虚に生きる」という、(同調的)なものである。
もっと言えば、私たちとて、「食べられる存在である」という謙虚さ。
その謙虚さを保つことをいう。

この謙虚さを忘れたとき、人間は、そのまままっしぐらに、絶滅へと向かう。
つまりそれが「悪」ということになる。
「悪魔」でもよい。

結論が飛躍するが、その反対にあるものが、「善」の根源ということになる。

(このつづきは、また別の機会に考えてみたい。)
…to be continued


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【ミサイル迎撃反対!】(4月4日、午前10時)
I am against shooting down the Missile (April 4th)

***************************

みなさん、私たちの子どもを、戦争から守りましょう。
戦争の被害者にしてはなりません!
「臆病者」と言われても、ここは、『負けるが勝ち』。
あんな国を本気で相手にしてはいけません!

***************************

●ワナ(Trap)

++++++++++++++++++++

「ほんの少しでも迎撃すれば、報復する」と
主張する、K国(中日新聞・4・4)。

一方、かなりトーンダウンさせたものの、
いまだに、「落下物は迎撃する」とがんばる、
日本政府。

時事通信は、つぎのように伝える(4・4)。

『政府は4日午前、北朝鮮による「人工衛星」名目での長距離弾道ミサイル発射に備え、
厳戒態勢に入った。「衛星」は東北地方上空を通過する可能性が高いとされるが、日本の領
土・領海に落下する場合は、ミサイル防衛(MD)システムにより初めて迎撃する方針』と。

この2つのニュースを足して読んだら、どうなるか?
日本の命運は、K国のミサイル発射実験結果に、
ゆだねられていることになる。

日本よ、日本政府よ、今ならまだ、間に合う。
迎撃ミサイルは、威嚇だけにして、発射するな。
たとえ落下物が、日本に落ちることになっても、
思いとどまれ。

笑われても、思いとどまれ。
この世界には、『負けるが勝ち』という格言さえある。

韓国の軍事専門家は、「日本が迎撃すれば、
そのあと10~20発のノドンを、K国は
発射するつもり」(韓国紙)と読んでいる。
もしそうなれば、日本とK国は、そのまま
戦闘状態に突入する。

++++++++++++++++++++

相手は、道理の通ずる国ではない。
道理のわかる国でもない。
しかも今回は、K国も本気だぞ!
そんな国を相手に、日本は心中するつもりなのか?

これはK国がしかけたワナ。
今、そのワナに、日本はまんまとかかろうとしている。
彼らは、自分の権力維持のために、自国民の
目を、外に向けさせようとしている。
標的は、もちろん、このJAPAN!

同じ韓国の軍事専門家は、「テポドンを、わざと
日本本土に向ける可能性もある」と警告している。

そうでなくても、今、日本は、孤立無援。
薄氷の上を歩くような経済運営を強いられている。
こんなとき、ドンと背中をたたかれたら、
日本は、どうなる?
ほんの少しだけ、想像力を働かせば、
だれにだってわかること。

どうしても「迎撃」ということになれば、その前に、
320基と言われる、ノドンは、どうするのか?
すでに日本全土を標的に、実戦配備についている。

もてる最高度の武器を使いたがる……。
その発想は、K国のそれと、どこもちがわない。
まるで子どもの(おもちゃ)。
しかし、1発、170億円だぞ。
システム全体で、1兆円だぞ!
いや、おもちゃで、すまないから、怖い。

今の日本は、あんな国をまともに相手にしてはいけない。
またその価値もない。
世界から笑われてもよいから、今は、がまん。
今まで、がまんしてきたではないか。

あのASO首相は、こう述べている。
「国民が被害を受けることは断固阻止しなければならない。
万全を期して対応してほしい」(IZAニュース)と。

かっこいい!
かっこよすぎる!

が、「国民」という言葉を使うなら、「国民の80%が
不支持」という現実を、ASO首相は、どう考えているのか。
本当に日本のことを考えているなら、まず、自らに恥じて、
辞任すべき。
今回の緊張状態を、まさか、自分の政権維持のために
利用しているとは思いたくはないが、どこかにその意図が、
見え隠れする。

いいのか、日本!
あんな国を本気で相手にしていいのか?
ASO総理に、命運を託していいのか?

この場に及んで、勇ましい主戦論を説く人が多いのには驚いた。
何度も繰り返すが、もしそうなら、まず、
日本人すべてにガスマスクを配布しろ。
地下シェルターを用意しろ。
320基すべてのノドンを迎撃できるようにしろ。
……などなど。

後方の備えをまったくしないで、このまま戦争に突入したら、
日本は、どうなる?
少しは頭を冷やして、ものを考えろ!

……今回ほど、こうした文章を書きながら、自分の書いたことが
的中しないことを願ったことはない。
何ごともなく、無事、終わってほしい。
私が書いたことが、すべて杞憂(きゆう)に終わってほしい。
「あのはやし浩司は、バカなことを書いていた」で、
終わってほしい。

今なら、間に合う!
ミサイル迎撃、反対!

+++++++++++++++++++++++

私は、あのASO首相が、心配でならない。
現実の世界に生きているというよりは、劇画の世界で
生きているような人である。

アメリカのニューヨーク・タイムズ紙でさえ、
「(ASO首相は)、は、扇動的な発言からは誠実さも賢明さもうかがえない」
と酷評した人物である(毎日新聞)※。

どうか、どうか、ひとり、粋(いき)がって、
無茶なことをしないでほしい。

(注※1)アメリカのニューヨーク・タイムズは、日中関係や靖国神社参拝などをめぐる
ASOの歴史認識発言を取りあげ、「扇動的な発言からは誠実さも賢明さもうかがえない」
と批判する社説を掲載したことがある。

社説は「日本の攻撃的な外相」と題し、外相が「天皇陛下の(靖国神社)参拝が一番だ」
と述べたことや、日本の植民地支配下の台湾で教育水準があがったことを指摘した発言を
取りあげ、「一連のがくぜんとする発言により、アジアの人々の反感を買った」と批判。(以
上、毎日新聞)


Hiroshi Hayashi++++++++April. 09+++++++++はやし浩司

●逆・大本営発表

+++++++++++++++++++

午前10時、K国中央放送は、ミサイルの
発射を予告した。
「まもなく、衛星を打ち上げる」と。
そのときNHKは、こうもつづけた。
「テレビ、ラジオのニュースに注意してほしい」と。

+++++++++++++++++++

で、私は、その時刻からずっと、ラジオを
つけっぱなしにした。
が、ニュースは、それだけ
そのあとは、ただのトーク番組。
テーマは「俳句づくり」、つづいて「人生の春」。
正午になって、簡単なニュース。
が、その途中で、臨時ニュース。

ギョッとして耳を傾けると、「飛翔体が発射された」と。
しかしそれはすぐ、誤探知と、否定された。
5分後のことだった。

で、そのあともまた、トーク番組。
現在時刻は、午後2時30分。
変化なし。
K国の予告時間帯は、午後4時まで。
「ひょっとしたら、失敗?」という期待が、胸の中でふくらむ。

が、それにしても、そんなわけで、私は、午前中3時間、
午後もほぼ3時間、くだらないトーク番組を聴かされた。
平和時ならまだしも、こういう緊急時に、トーク番組とは!

私たち民衆に、不要な不安と心配を与えたくない?
それはわかるが、あまりにも平和ボケ!

インターネットの海外ニュースのほうでは、K国のみならず、
韓国の動きまで、かなり詳しく伝えられている。
K国の軍隊の動きまで、伝えられている。
が、NHKでは、トーク番組?
この違和感というか、落差に驚く。
いったい、NHKは、どういう情報網をもっているのか?
情報源は、内閣に設置された緊急連絡網のみ。
あとは迎撃ミサイルを設置した自衛隊周辺の様子だけ。
こんな報道が、どこにある?
またそのために、「テレビ、ラジオの情報に注意してほしい」は、ない!

ともかくも、日本人がここまで平和ボケしているとは、思ってもみなかった。
この緊張感のなさ。
この(ゆるみ)。
(たるみ)。

シンガポールでさえ、それぞれの家にシェルターの設置が義務付けられている。
アパートですら、設置が義務付けられている(1994年以後)。
そういった緊迫感が、この日本には、まるでない。

本来ならNHKあたりは、情勢を詳しく分析し、その裏づけとなる
情報を逐一、報道しなければならない。
一日中、臨時ニュースを流したところでおかしくない。
少なくとも、K国の軍事情勢くらいについての解説はしてほしい。

で、今は(午後2時40分)、高校野球の会長へのインタビュー番組。
それがもう40分もつづいている。
中身は、「高校生は学生が本分。文武両道でなければならない」という話。
こんなくだらない話を、長々と聞かされながら、ラジオに耳を傾ける。

……遠い昔、NHKは、大本営発表というウソ放送ばかり流していた。
が、今は、逆。
「なんでもありません」という、ナンセンス番組ばかり。
ウソではないが、何も肝心なことを話さない。
称して、「逆・大本営発表」。
平和ボケするように、NHKが率先して、国民を誘導している(?)。
どうしてこんなときに、高校野球の会長とのインタビュー番組なのか。
疑問、疑問、ただただ疑問。
こんなトーク番組を聞かせるために、「テレビ、ラジオのニュースに
注意してほしい」は、ない。

(付記)

この段階ではまだ何とも言えないが、時刻は、今、午後3時。
どうやら今日は、ミサイルの発射はないようだ。
つまり失敗(?)。
打ち上げる前に、しぼんでしまった(?)。
つまり『大山鳴動して、ネズミ一匹』(?)。
ネズミ一匹も出てこなかった。

今ごろ金xxは、顔を真っ赤にして、怒りまくっているにちがいない。
「技術者は、みな処刑!」と。

あと1時間。
どうなるんだろ?
どうするんだろ?
すでにK国内では、記念切手まで発行している。
金xxは、どうやって、自分を弁解するんだろ?
なお午後3時のNHKニュースは、こう伝えている。
「現地では、風速8~10メートルの風が吹いている」と。

どうやらK国は、今度の失敗を、風のせいにするつもりらしい。


Hiroshi Hayashi++++++++APRIL・09++++++++++++はやし浩司

●NHKのトーク番組

今日は、8時間近く、NHKラジオを聴いた。
ニュース以外は、みな、トーク番組。
その合間に、音楽。

久しぶりにラジオに耳を傾けたが、あまりのレベルの低さに驚く。
「レベル」といか、制作費がほとんどといってよいほど、かかっていない。
スタジオで、2人前後の人が、たがいに話しているだけ。
午後3時5分以後は、今度は、川柳。

全国から寄せられた川柳を、読み上げては、ゲラゲラ、キャハハハ、と。
それだけ。
その繰り返し。
つまりただの愚民番組。
こんな番組を聴いて、何になるのか?

外へ出て取材したり、あるいは地道な積み重ねをしたという番組は、ゼロ。
土曜日の午後というのに、このお粗末さ。
情報がまるで川のように流れてきて、それがそのまま通り過ぎていくだけ。
原稿の世界で言えば、(つっこみ)が、甘い。
そのときどき、ゲラゲラ、キャハハハと笑って、おしまい。
それでおしまい。

いいのか、日本!
こんなことで!


Hiroshi Hayashi++++++++April. 09+++++++++はやし浩司

●ASO首相(ミサイル迎撃、反対!)

++++++++++++++++++

得意の外交のはずだったが、ASO首相が
動けば動くほど、日本は孤立化していく。

今、日本が嫌われている。
ASO首相という首相を通して、日本が
嫌われている。

世界が日本を見るとき、世界は、国のリーダー、
つまりASO首相を通して、日本を見る。
一国のリーダーの印象が、その国全体の
印象を決めてしまうことがある。

今の今が、そのときかもしれない。

++++++++++++++++++

とても残念なことに、ASO首相の海外での評価は、きわめて低い。
見る人は、ちゃんと見ている。
今回のミサイル問題にしても、日本は、クリントン国務長官に、
完全に嫌われた。
つまり、つまはじき!

もう一度、ASO首相についての、ニューヨーク・タイムズの記事を紹介する。
ASO氏が外務大臣時代のものだが、外国人に与える印象は、おおむね、
こんなものだと思ってよい。

『……アメリカのニューヨーク・タイムズ紙は、2月13日、日中関係や靖国神社参拝な
どをめぐるASO外相の最近の歴史認識発言を取りあげ、「扇動的な発言からは誠実さも賢
明さもうかがえない」と批判する社説を掲載した。

 社説は「日本の攻撃的な外相」と題し、外相が「天皇陛下の(靖国神社)参拝が一番だ」
と述べたことや、日本の植民地支配下の台湾で教育水準があがったことを指摘した発言を
取りあげ、「一連のがくぜんとする発言により、アジアの人々の反感を買った」と批判』(以
上、毎日新聞)と。

頼まれもしないうちから、「迎撃」「迎撃」と騒ぐから、日本は引っ込みがつかなくなって
しまった。
テポドンが発射されて、いちばん困るのは、アメリカ。
ICBMは、日本には、関係ない。
すでに日本を射程に収めるノドンは、すでに実戦配備済み。
その数、320基。

「迎撃」などという、攻撃的な言葉は、最後の最後に使う。
ミサイルを配置するとしても、極秘に行う。
そんなのは、この世界の常識。
どうしてあの首相は、こうまでおバカなのか。

日本人は、「これだけのことをしてあげたのだから、相手は感謝しているハズ」
という『ハズ論』だけで動く。
しかしこんな論理は、世界では通用しない。
とくにアメリカ人には、通用しない。
まったく通用しない。
そういう感覚そのものがない。

ともかくも、明日からも、イヤ~~ナ緊張感はつづく。
どうか、どうか、ミサイルなど、迎撃しないでほしい。
たとえ日本に一部が落下してくることになっても、そのままに!
ガラクタを落とすために、1発、170億円もかける必要はない。
一式、1兆円だぞ!

ここは『負けるが、勝ち』。
おとなになって、一歩退く。
それが日本を守ることになる。

繰り返す。
相手は、まともな国ではない。
そんな国を相手に、正義を説いて、どうする?
どうなる?

ミサイル迎撃、反対!


Hiroshi Hayashi++++++++April. 09+++++++++はやし浩司

●攻撃的な産経新聞
(Don’t shoot down the Missile! If we do so, it’s the beginning of the War! North Korea is
a very very poor country. We should not start the war, even if we are said “coward”. The
important thing is that we should note let the young boys send to the war-field.)

++++++++++++++++++++++

なぜこの日本が、中国、ロシアに見放され、
ついで韓国、アメリカに見放されるか、
つぎの記事を読めば、あなたにもわかるはず。

産経新聞は、「東京発・特派員」として、きわめて攻撃的な
社説を配信した(4・4・夜)。
K国のミサイルを、断固、迎撃せよという内容のものである。

++++++++++++++++++++++

それをそのまま転載させてもらう。

*************以下、産経新聞より***************

 K国の長距離弾道ミサイル「テポドン2号」の発射が、今日以降に繰り延べされた。全
世界が注視する発射だから、金xx将軍は誰よりも緊張に震えているのだろう。もし、日
本のミサイル破壊命令でテポドン2号が迎撃されでもすれば、北の情勢は劇的に変わる可
能性を秘めている。

 9日は最高人民会議が開かれ、15日は先代の金xxの誕生日だから、発射に成功すれ
ば国威発揚の機会だが、撃墜されればメンツ丸つぶれだ。撃てども逆襲を食らっては、そ
の優劣は明らかだ。発射情報のミスに臆(おく)することはない。

 迎撃されれば、北の“首領”としての地位が揺らぎ、伝えられる後継者指名の思惑だって分
からなくなる。核も弾道ミサイル開発も、将軍様の求心力の源泉であり、威信をかけたプ
ロジェクトである。人々の飢えなど微塵(みじん)も考えず、核とミサイルにカネをつぎ
込んできた。

 だからこそ、日本による迎撃のそぶりには、さすがの将軍様も大あわてだった。朝鮮通
信がわざわざ重大報道と銘打ち、「断固たる報復攻撃を加える」だの「火の雷を浴びせる」
だのと最大限の脅しを繰り返した。あれはむしろ、迎撃回避の懇願に違いない。

 2006年のように発射から40秒で燃え尽きてしまえば技術改良の失敗であり、これ
も将軍様の権威にかかわる。まして、米国のオバマ新政権を挑発して対価を稼ごうとした
思惑がはずれる。実験に立ち会っているというイランへのミサイル技術供与も危うい。

 K国は93年に短距離のノドンを、98年にはテポドン1号を発射して飛距離を伸ばし
てきた。K国はそれ以来、一貫して米国本土に達するミサイルの研究開発と、核弾頭の搭
載を目指してきた。

 過去に、K国が日本列島上空にミサイルを通過させても、日本海に7発連射しても、日
米の報復を受けなかったから今回も遠慮なくやろうとした。K国にとっての発射実験は、
実入りよりリスクの方が大きくなければやめない。だが、ASO首相が意外や「破壊命令」
を出したから将軍様は仰天した。

 それなのに、某官房副長官は愚かにも「ピストルの弾同士が当たるのは難しい」と足を
引っ張った。敵対国に撃墜必至と思わせなければ、発射を躊躇(ちゅうちょ)する抑止に
はならない。安全保障観のない政府高官はごめんこうむる。

 中国とロシアもK国の跳ね上がりに苦虫をかみつぶしている。日本のミサイル防衛(M
D)がうまく機能して、テポドンがイージス艦や地上配備のパトリオットに撃墜されると、
実戦で「MDの有効性」が立証されてしまう。K国の核が無力化するだけでなく、確率が
限定的でも、中国の核もまた対日攻撃に使いにくい兵器になる。

 K国が譲歩するときとは、「体制崩壊」につながる経済制裁か軍事侵攻である。ゲーツ米
国防長官が先月29日の米テレビで、「外交よりも経済制裁の方が成功する」と述べている
のがそれだ。

 各国は粛々と国連安保理決議違反として国連で経済制裁を取りあげればよいのだ。K国
が報復に「6カ国協議を崩壊させる」と息巻いても、あれはすでに崩壊している。援助が
ほしければ、日米韓でも日米韓中露とでも交渉のテーブルに着けばよいだけである。

 日本にとって重要なことは、MD計画の地道な努力があったからこそ、K国の恫喝(ど
うかつ)にもパニックにならずに済んでいることだ。逆説的にいえば、北はまたも「そこ
にある危機」を日本人に気付かせてくれた。

*************以上、産経新聞より***************

以上の内容を、順に吟味してみよう。
産経新聞は、つぎのように伝える。

●撃墜されればメンツ丸つぶれだ。撃てども逆襲を食らっては、その優劣は明らかだ。発
射情報のミスに臆(おく)することはない(産経新聞)。

……迎撃ミサイルを開発したのは、日本ではなく、アメリカ。
そのアメリカから、1兆円近い、お金を出して、買っただけ。
産経新聞は、その上で、「発射情報のミスに臆するな」と説く。


●だからこそ、日本による迎撃のそぶりには、さすがの将軍様も大あわてだった。朝鮮通
信がわざわざ重大報道と銘打ち、「断固たる報復攻撃を加える」だの「火の雷を浴びせる」
だのと最大限の脅しを繰り返した。あれはむしろ、迎撃回避の懇願に違いない(産経新聞)。

……今度ばかりは、K国も本気だぞ。
日本には、その備えがあるのか。


●……だが、ASO首相が意外や「破壊命令」を出したから将軍様は仰天した(産経新聞)。

……こういう言い方は、どうかと思う。
まるで日本中が、自ら、戦争につき進んでいるよう。


●それなのに、某官房副長官は愚かにも「ピストルの弾同士が当たるのは難しい」と足を
引っ張った。敵対国に撃墜必至と思わせなければ、発射を躊躇(ちゅうちょ)する抑止に
はならない。安全保障観のない政府高官はごめんこうむる(産経新聞)。

……「安全保障観のない政府高官は、ごめんこうむる」と切り捨てるところが恐ろしい。


●中国とロシアも北の跳ね上がりに苦虫をかみつぶしている。日本のミサイル防衛(MD)
がうまく機能して、テポドンがイージス艦や地上配備のパトリオットに撃墜されると、実
戦で「MDの有効性」が立証されてしまう。北の核が無力化するだけでなく、確率が限定
的でも中国の核もまた対日攻撃に使いにくい兵器になる(産経新聞)。

……中国は、その分だけ、核ミサイルの数をふやすだけ。
迎撃ミサイルの数以上の、核ミサイルを日本へ撃ち込んでくるだろう。


●援助がほしければ、日米韓でも日米韓中露とでも交渉のテーブルに着けばよいだけであ
る(産経新聞)。

……「援助がほしければ」という言い方は、いくら私でもできない。
「日本は傲慢」と言われる理由は、こんなところにもある。


●日本にとって重要なことは、MD計画の地道な努力があったからこそ、北朝鮮の恫喝(ど
うかつ)にもパニックにならずに済んでいることだ。逆説的にいえば、北はまたも「そこ
にある危機」を日本人に気付かせてくれた(産経新聞)。

……とんでもない!
今、日本中はパニックだぞ。
日本よ、日本人よ、おとなになれ。
謙虚になれ。
マネーだけで、すべてを解決できると思うな。


++++++++++++++++++++++++

【日本人の欠陥】

●弱者の立場で

日本人は、昔から弱者の立場、被害者の立場で、ものを考えることができない。
そういう立場に立たされたことさえ、ない。
昨日も、ある男性(71歳)と、こんな議論をした。
彼らのもつ反日感情について話題になったときのこと。
その男性は、こう言った。

「君は、朝鮮半島を日本が植民地にしたというが、あそこは日本の領土だった。
つまり日本の国内問題だった。
日本に対して、反日感情をもつこと自体、おかしい」と。

で、私はこう反論した。

「それは日本側の論理。
相手の人たちは、そうは思っていない。
日本に植民地にされたと思っている。
蹂躙(じゅうりん)されたと思っている。
そこをわかってあげないと、彼らの気持ちを理解することはできない」と。

●国に優劣はない

強いか弱いかということになれば、(今は)、日本が強いに決まっている。
しかしいくら強いからといって、パワーで相手を、ねじ伏せてはいけない。
『撃てども逆襲を食らっては、その優劣は明らかだ』(産経新聞)とは?
大切なことは、「戦争はしてはいけない」ということ。
「殺し合いをしてはいけない」ということ。
避けられるものなら、避けたらよいということ。
もう一度、その原点に立ち返って、ものを考えてみてほしい。

たまたま今は、日本に経済力があるから、「優劣」という言葉を使うことができる。
もしこんな論理がまかり通るなら、10年後、あるいは20年後、今度は中国に
同じことを言われても、日本は文句を言わないこと。
また言えない。
あと6年で、日本と中国の立場は逆転する。

私はこの社説を読んではじめて、なぜ中国やロシアが、国連安保理のK国制裁に
反対の姿勢を示しているのか、その理由がわかったような気がした。

またなぜ今回のミサイル迎撃から、韓国が逃げ、アメリカが逃げたのか、その
理由がわかったような気がした。

恐らく我が国のASO首相も、同じような論陣を張り、韓国やアメリカに迫ったに
ちがいない。
これから先、どれほど多くの日本の若者たちが戦場に送られ、殺されることか。
あるいはこの日本国内で、どれほど多くの犠牲者が出ることか。

繰り返すが、戦争というのは、始めるのは簡単。
しかし終えるのは、むずかしい。
そのままズルズルと、泥沼へ……。

産経新聞の特派員は、武器をもつことだけが、安全保障と考えている。
「逆襲」「報復」とかいう言葉も並ぶ。
『安全保障観のない政府高官は、ごめんこうむる』(産経新聞)とまで!

しかしそれには条件がある。
あのシンガポールでさえ、それぞれの家に、シャルターを設置している。
アパートですら、シャルターの設置を義務付けている。

が、この日本は、丸裸。
こんな状態で、K国と戦争を始めて、無事ですむはずがない。
少しは頭を冷やせ。
おとなになれ。

あんな国を相手にするな。
どこまでも貧しく、どこまでもあわれで、どこまでも悲しい国ではないか。
日本よ、日本人よ、あんな国と心中してはいけない。
日本の若者たちを、あんな国の犠牲者にしてはいけない。
日本では昔から、『触らぬ神にたたりなし』とか、『負けるが勝ち』とかいうではないか。
相手が愚かなら、笑ってすませばよい。
そういう度量をもってこそ、日本は大国である。
大国になれる。

それにしてもこういう意見を、社説として、堂々とかかげる産経新聞には驚いた。
これではまるで、主戦論。
あの東条英機が、そこに蘇(よみがえ)って返ってきたかのような感じさえする。
(09-4-4-夜、11:00PM)


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 はやし浩司のホームページ http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/
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Sunday, May 03, 2009

*The Bible of the Japanese Military Spirits

●戦陣訓

父が出征の時、携行したもの。台湾での激戦をくぐりぬけた貴重な資料です。
「生きて虜囚の辱を受けず」の言葉は、第19ページにあります。
必要な方に、お売りいたします。

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(父が出征の時、携行したもの。台湾での激戦をくぐりぬけた貴重な戦陣訓です。)

*Just one month ago we had a critical problem!

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□■□□□□□□□□□□□□□■□ ================= 
子育て最前線の育児論byはやし浩司   09年 5月 4日
□■□□□□□□□□□□□□□■□ =================
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メルマガ(6万3000誌)の中で、2008年度、メルマガ・オブ・ザ・イヤーに
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【このマガジンは、去る、4月5日、午前11時に配信予約を入れたものです。】

【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

休みます。

【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●不気味な静けさ(ミサイル迎撃、反対!)
I am against shooting down the Missile!

++++++++++++++++++

戦争というのは、いつも、脅しあいから始まる。
「お前が、こうしたら、俺たちも、こうする」
「お前が、ああしたら、俺たちも、ああする」と。

これを繰り返しながら、互いの家にガソリンを
ぶっかけあう。
あとはどこかで火がついたら、最後。
ドカーンと爆発する。
今が、その状況と考えてよい。

++++++++++++++++++

●集団性と依存性

「みんなと行動を共にしていれば、安心」「だれかが何とかしてくれる」と。
こうした集団性と依存性は、人間が本来もっている、本脳のようなものかもしれない。
日本人は、とくにその意識が強い。
魚だって、集団で行動するのは、いくらでもいる。
哺乳類動物でもいる。
サルでもいる。
人間も、その延長線上にいる。

で、私はこれから食料の買いだめに行ってくる。
予算は、○万円。
量にして、1か月分。
この先、この日本で、何が起こるかわからない。
10に1つでも、戦争の可能性があるなら、その準備だけはしておいたほうがよい。

生き残るためには、いつも集団性と依存性と闘わねばならない。
いや、恐ろしいのは、この(静けさ)。
この(静けさ)は、いったい、どこから来るのか?
つい先日、東京都のI知事は、「もっと緊張感をもつべき」と発言した。
当然である。
また常に一匹オオカミで生きてきた人物であるが故の、発言と考えてよい。

●金xxの戦略

これはあくまでも最悪のケースにおけるシナリオである。
あくまでもシナリオ。
しかし(現実)は、そこまでひっ迫している。

(1)ミサイル(K国は人工衛星と主張)の迎撃を突破口として、宣戦布告する。
(2)同時に間髪を入れず、日本の主要基地と空港を攻撃する。
(3)同時に韓国の主要基地と空港を攻撃する。
(4)同時に、100万人の陸上部隊を、一気に南下させる。

日米韓が反撃の態勢をとるまでに、1週間はかかると言われている。
その間に、金xxは、軍隊をプサンまで南下させる。
両軍が混在しあえば、アメリカ軍といえども、手を出せなくなる。
また今回は、アメリカ軍も、地上軍を派遣するようなことまでは、しないだろう。

こうした(現実)を見据えて、韓国もアメリカも、現実的なものの考え方に転向した。
「ミサイルを撃ちあげても、軍事的な制裁はしない」と。
ただ日本だけが、「自国を防衛する権利はある」と、迎撃態勢をとった。
それを受けて、アメリカのクリントン国務長官は、すかさず、「(日本を)支持する」と。

実に狡猾(こうかつ)な「支持」である。
支持といっても、裏付けのまったくない支持。
つまりカラ手形。

こんなものを信じて、日本は、迎撃に走ってはいけない。
何度も繰り返すが、日本は、あんな狂った国を、本気で相手にしてはいけない。
その価値もない。
それとも日本は、あんな国と、心中でもするつもりでいるのか。

日本がK国と交戦状態に入れば、それを喜ぶのが、ロシアであり、中国ということに
なる。
アメリカも韓国も、喜ぶ。

昨日の中央N報の社説を読んだか?
そこにはこうある。

「今こそ、現代(自動車)が、トヨタに追いつく絶好のチャンス」(3・31)と。
円高、ウォン安を利用して、「トヨタを追撃せよ」と。

迎撃態勢をとってしまった以上、もう何とも言えないが、(態勢)だけで、ここは
矛(ほこ)を収める。
情報だけ収集して、次回に備える。

●心配な、ASO首相

心配なのは、あのASO首相。
頼まれもしないうちに、アメリカまでのこのこと出かけていって、「ドル基軸通貨支持」を
表明した。
頼まれもしないうちから、韓国までのこのこと出かけていって、総額600億ドルの
スワップ協定を結んでしまった。

日本人特有の、(お人好し外交)である。
「これだけのことをしてあげたのだから、相手は感謝しているハズ」と。
しかしこんな外交政策は、世界には通用しない。
とくにアメリカ人には、通用しない。
そういう発想そのものが、ない。

本来なら、日本が、最後まで外交カードとしてもっていなければならないカードを、
相手に見せるだけならまだしも、先に与えてしまった。
こんなおバカな外交政策が、どこにある?

そして今は、クリントン国務長官の(支持?)に気をよくして、ミサイル迎撃に
突っ走っている。
「支持してくれたのだから、何かをしてくれるハズ」と。

待て、ASO首相!

まず、中身を確かめろ。
中身を見極めろ。
『ハズ論』だけで、ぜったいに日本の外交方針を決めてはいけない。

実はこの『ハズ論』にしても、つまるところ、集団性と依存性の変形とみてよい。
昔、私にこんなことを言った小学生(女児、5年生)がいた。

「明日、遠足を休む」と。

それで私が、「学校の先生に連絡したの?」と聞くと、その小学生は、こう言った。
「今日、学校を早引きしたのだから、先生はわかっていてくれるハズ」と。

●ともかくも、単独行動

これからやるべきことが、いくつかある。
食料の買いだめについては、先に書いた。
ほかに、

(1)発電機の点検(ちゃんと動くかどうか、テスト)
(2)ガソリンの買い置き
(3)通帳など、重要書類の保管(いつでも持ち出しできるようにしておく)

私はこうしていままで、一匹オオカミとして、生き延びてきた。
これからも一匹オオカミとして、生き延びてやる。

実のところ、この浜松基地もあぶない。
K国はミサイルを使うとしたら、初期の段階で、全発、使うだろう。
(残しておいても、意味はない。)
300数十発が、臨戦態勢に入っているということだから、日本本土に150発前後
とみてよい。
150発なら、当然、この浜松基地も、その中に入る。

細菌兵器にせよ、化学兵器にせよ、1発で、約20万人が死傷すると計算されている。
都会の密集地なら、もっと多くなる。

「私は田舎に住んでいるからだいじょうぶ」などと、もしあなたが考えているとしたら、
甘い。

仮に原子力発電所近辺に、ミサイルが落ちれば、そのまま発電所は、ノーコン
の状態になる。
その結果、メルトダウンを起こせば、日本中で、あのチェルノブイリで起きたのと
同じことが起きる。
福井県の原子力発電所一基が、メルトダウンを起こせば、中部地方には、人は
だれも住めなくなる。

だから繰り返す。
日本よ、日本人よ、おとなになろう。
あんな国を、本気で相手にしてはいけない。
またその価値もない。
街のチンピラに因縁をつけられても、あなたは無視するだろう。
同じように無視すればよい。

だからミサイル、迎撃反対!
(2009-4-1記)


Hiroshi Hayashi++++++++April. 09+++++++++はやし浩司

●4月1日

++++++++++++++++++

今日は、朝から頭痛。
悪寒。
それで朝風呂に入った。
が、これがよくなかった。
今度は熱が出てきた。
……ということで、昼過ぎまで、
床の中。

布団乾燥機をつけて、汗を
タラタラかいた。

あとは気力。
「ええい、ままよ!」と起きて、
庭木の枝切り。
どこかフワフワする体を
だまし、だまし、作業は終了。

夕方、食料の買い出し。
店に並んでいる缶詰類が、
いつもより少なく感じたのは、
気のせいか?

戦争になったら、みな、我も、我もと、
買い出しにくるにちがいない。

何ごともなければ、そのほうが
よいに決まっている……。

ところでまだ2009年なのに、
2010年の講演依頼が、2本、
今日、入った。

内心では、「だいじょうぶかなあ?」と
思ったが、それは言わなかった。

生きているとは思うが、脳梗塞か何かに
なっているかもしれない。
あるいは認知症か何かになって
いるかもしれない。

このところ、そんな心配が、脳を
かすめることが多くなった。

どうも自分に自信がもてない。
困ったことだ。

+++++++++++++++++

●疎開

その三男に、昨夜電話した。
「4日は、東京から離れろ」と。

日本人はよく、平和ボケしていると言われる。
三男は、とくに平和ボケしている。
あの世代は、「戦争なんてあるわけがない」と信じ込んでいる。
まさに逆カルト。
信じすぎるのもよくないが、信じすぎないのもよくない。
だから、「逆カルト」。

私がいろいろ説明しても、上(うわ)の空(?)。
しかたないので、メールで、資料を送ってやった。

まっ、それで死んでも、私のせいではない。
私はちゃんと警告したぞ!

K国の軍部たちは、あせっている。
金xxの命が長くないことを知っている。
だから、やけのやんぱちで、戦争に打って出る。
私は、そう読んだ。

4日は、私も浜松市から離れる。
この浜松市も、あぶない。
浜松の航空自衛隊には、エイワックス、早期レーダー
監視機が常駐している。


●1発で、20万人が死傷

核兵器も、化学・生物兵器も、ほぼ同じような被害をもたらす。
一般的には、ノドン一発で、約20万人の人が死傷すると言われている。
たとえば、仮に1キロトンの核兵器が、東京都内(霞が関)で炸裂したばあい、

(1)昼間であれば、4シーベルト以上の放射能を浴びて、約9万人がほぼ即死。
(2)1シーベルト以上の放射能を浴びて、15万人が、深刻な障害、後遺症を残す。
(3)風速、風向きによってもちがうが、97万人が、胎児影響など、後遺症が残すと
推計されている(高田純著、「東京に核兵器テロ」)。

ついでながら、広島へ落とされた原爆は、15キロトン。

化学・生物兵器も、ほぼ同じ程度の被害をもたらすと考えられている。
で、あのイスラエルでは、主に化学兵器を想定した訓練を、国内で頻繁に行っている。

もしK国のミサイルを迎撃するのであれば、(1)国民全員に、ガスマスクを配布する。(2)
地下シェルターを用意する。
そうした準備や用意もないまま、「ミサイル迎撃」は、ない。
あまりにも無謀、無防備。

とにかくここは、逃げるしかない。
そのとき、その日の風向きを見ながら、風上に逃げる。
部屋に閉じこもるときは、隙間をガムテープなどで、埋める。
イスラエルで配布されている冊子によると、

(1)家の中でも、窓の小さい(あるいは少ない)部屋にいる。
(2)ドアなどの隙間を、粘着テープで埋める。
(3)窓を爆風などに対して、補強する、とある。

K国が日本へ、ノドン型のミサイルを撃ち込んでくるとしたら、弾頭には、
化学兵器を積んでいると考えるべき。

その恐ろしさは、あの地下鉄サリン事件で、実証済み。

4月4日は、日本にとって、たいへんな日になりそうである。
そうならないことを願っているが、油断大敵。
つねに最悪のばあいを想定しながら、行動する。


Hiroshi Hayashi++++++++April. 09+++++++++はやし浩司

●ミサイル、迎撃、反対!
I am against shooting down the Missile from North Korea!
『But on that September day we were unprepared. We
did not grasp the magnitude of a threat that had
been gathering over time. As we detail in our report,
this was a failure of policy, management, capability,
and – above all – a failure of imagination』
Commission Report of USA)

++++++++++++++++++

「やれ、やれ、やっちまえ! ケリをつけろ!」
という意見は論外であるとしても、こんな意見も
あった。

「ミサイル迎撃反対という意見があるのには、
驚きました。あなたはミサイルが落ちてきてら、
死ねというのですか。あなたは死ぬ覚悟が
できているのですか」(女性?)と。

++++++++++++++++++

相手がまともな国であるなら、そういう意見も、
よいだろう。
通るだろう。
「驚きました」と書くのも、よい。
しかしまともでないから、私は反対する。
ここで迎撃すれば、日本とK国は、そのまま
交戦状態へと突入する。

戦争というのは、何度も書くが、始めるのは簡単。
しかし終えるのは、むずかしい。
たいへん、むずかしい。
ブッシュのイラク戦争を見れば、それがわかるはず。
仮に戦争ということにでもなれば、たとえ被害は
なくても、日本の経済は、そのまま奈落の底に。
今の今ですら、日本は、薄氷の上を歩くような国家運営を
強いられている。

わかるか?
K国は、日本を攻撃することはできても、
日本はK国を攻撃することができないのだぞ!
その武器もない。

「アメリカが何とかしてくれる」という意見もあるが、
それは甘い。
アメリカには、もうその力はない。
余力もない。
アメリカ人の立場になってみれば、それがわかるはず。
「どうして日本を守る義務が、アメリカにあるのだ」と。

で、日本は、あんな国と、心中などしてはいけない。
その価値もない。
また「正義」を説くなら、相手を選ぶ。
あんな国を相手に、正義を説いても意味はない。
「狂った犬」(アメリカ政府高官)を相手に、
正義を説いて、どうする?
どうなる?

私が「ミサイル迎撃、反対」を唱えるのは、
何もK国に味方しているからではない。
日本がどうなってもよいと考えているからでもない。
日本がたいへん危険な状況に立たされることになるから、
「反対!」と言っている。

何もテポドンだけが、K国のミサイルではない。

テポドン1、テポドン2のほかに、
最近開発したと言われている、新型IBM、
ノドン、スカッドB、スカッドCなどがある。
ノドンについては、320基。
すべてに生物・化学兵器が搭載されている。
爆弾ではない。
爆弾など積んでも意味はない。
ノドン1基で、せいぜい小さなビルを1個破壊できる程度。
320基、すべてを発射したとしても、
アメリカの戦略爆撃機12機分の搭載量にもならない。
(ノドンの弾頭は、1トン程度。B52の積載能力は、27トン。)

しかし生物・化学兵器なら、1基分で、約20万人の
人間を、殺傷できる。
それでも「迎撃!」というのなら、イスラエルのように、
国民全員に、ガスマスクを配布してからにしてほしい。
国民全員が入れる、地下シェルターを用意して
からにしてほしい。

そういうことを何もせず、ただ「迎撃!」というのは、
あまりにも危険すぎる。
無謀!
バカげている!

私が主張するのは、「彼らに開戦の口実を与えては
ならない」ということ。
日本では昔から、こう言うではないか。
『触(さわ)らぬ神に、たたりなし』と。

「ならば正義はどうなるか」と質問する人も
いるだろう。
しかし何度も繰り返すが、あんな国を相手に、
正義を説いても、意味はない。

さらに言えば、あの独裁者の思考回路は、私たち
日本人のそれとは、まったくちがうということ。

中身は、妄想のかたまり。
被害妄想という、妄想のかたまり。
かつてのスターリンそっくり!
「国が貧しいのも、みんな、日本のせい。
アメリカのせい」と。
加えて彼らの反日感情には、ものすごいものがある。
現在の今の今も、あの韓国においてですら、「K国より、
日本のほうが恐ろしい」と、考えている人のほうが
多いことを忘れてはいけない。

今、ここで日本が、ミサイルを迎撃すれば、
そのあと日本がどうなるか、それをほんの少しだけでも、
想像してみればよい。
「想像」だ。
その想像力こそが、重要。

一説によれば、(あくまでも一説だが)、
すでにこの日本には、1000人単位の、K国の
工作員が潜入しているという。
「1万人」という説もある。
それについても、きちんとした対策ができているなら、
「迎撃」もよいだろう。

さらに海岸に点在する、原子力施設の防御は、どうする?
どうなっている?
ウラン燃料加工施設などの防御は、どうする?
どうなっている?
どの一つでも破壊されたら、その周辺数百キロは、
そのまま汚染されてしまう。

で、今、ここで日本がミサイルを迎撃すれば、
ロシア、中国が喜ぶ。
つい先日、中国の高官は、こう言った。
「(日朝が開戦しても)、(遠い海の向うの話だから)、私たちには
関係ない」と。

アメリカも喜ぶ。
迎撃ミサイル1発、170億円。
10発撃てば、1700億円。
日本中に迎撃ミサイルを配備すれば、???兆円!
ゼーンブ、アメリカ製!
(実際には、その周辺装備も必要なので、
その金額は天文学的数字になる。)

が、一番喜ぶのは、韓国。
「これで日本を太平洋の海溝に沈めることができる」
(ノ前大統領)と。
先日の世論調査でも、「日本の迎撃、賛成」という人が、
大半を占めた。

何も日本のことを心配して、そう言っているのではない。
それによって、K国の敵意を、日本へかわすことができる。
つづく社説(中央N報)には、こうあった。
「現代(自動車)が、トヨタを追い落とすチャンス」と。
この社説は、「円高・ウォン安」について書いたものだが、
しかしそれが韓国の人たちの本音と考えてよい。

日本の敵(?)は、何もK国だけではない。
日本人の私たちにはその意識はなくても、
日本は、先の大戦で、そういう反日感情ができても
しかたないようなことを、してしまった。
いまだにその責任すら、日本は、公式には認めていない。
が、それはそれとして、今、ここでK国に手を
出してはいけない。
迎撃態勢の構えだけは見せても、手を出してはいけない。

あまりにも危険だから、手を出してはいけない。
だから、ミサイル迎撃、反対!

ついでに、想像力について、総務省・消防局の
HPに、こんな一文が載っていた。
そのまま引用させてもらう。

『But on that September day we were unprepared. We
did not grasp the magnitude of a threat that had
been gathering over time. As we detail in our report,
this was a failure of policy, management, capability,
and – above all – a failure of imagination.
(9・11調査委員会報告書・総務省消防庁HPより)
その9月の日、我々は侮っていた。我々は、情報はあった
が、その脅威の大きさを把握していなかった。それは、政策、
運営、能力の問題でもあったが、何よりも指摘しなくてはな
らないのは、想像力の欠如だった』と。

いろいろと考えさせられる文章である。

で、最後に、冒頭に載せた女性(?)へ、一言。

あなたの怒りもわかる。
私も怒っている。
しかしあなたが思っている以上に、
この日本のことを心配している。

仮に20万人の死傷者が出たとき、どうする?
その対策はきちんとできているのか?
それが200万人になったら、どうする?
その対策はきちんとできているのか?

「まさか、いくらなんでも、K国でも
そこまではしない」と考えているとしたら、
あなたは、甘い。
そういう(常識)が通らない国、それが
K国である。

だからこそ、私は、こう主張している。
「あんな国を、本気で相手にしてはいけない」と。
ここで相手にすれば、それこそまさに、
K国の思うつぼ。
中国、ロシアの思うつぼ。
アメリカ、韓国の思うつぼ。
そのワナにはまってはいけない!

だから、ミサイル迎撃、反対!
(09-4-2記)

(補記)
ロンドンで今開かれている、先進20か国による「金融サミット」の席で、
我が国の「おバカ首相」(週刊文春)は、「(ミサイル迎撃を韓国に)、容認してもらった」
「(アメリカに)支持してもらった」と、ひとり、はしゃいでいる。

こういう発想そのものが、恐ろしい。
まず迎撃ありきという発想が、恐ろしい。
持てる武器を、すべて使うという発想が、恐ろしい。
さらに言えば、すべてカラ手形。
「容認」にせよ、「支持」にせよ、確固たる裏付けがあるわけではない。
彼らが、(そのあと)、何をしてくれるというのか?

だいたいこの国家存亡の危機の最中に、どうして我が国の宰相が、外国にいるのか?
私が首相なら、日本に帰って陣頭指揮をとる。


Hiroshi Hayashi++++++++April. 09+++++++++はやし浩司

●ミサイル迎撃、反対!(4-2、夕方)
We never shoot down the Missile. It is a TRAP!

++++++++++++++

現在、K国、国内は、
統制がきかないほどまでに、
秩序が崩壊している。
経済も、壊滅状態。

こういう状況のとき、独裁者は、
何を考えるか?

まさに公式どおりの行動に出る。
「公式どおり」だ。

日本よ、日本人よ、その公式に
はまるな!
ワナだぞ!
彼らは戦争という突突破口を開き、
一気に国内の緊張感を高める。

現在のK国にとって、もっとも
大義名分の立つ国、それが
我が国、JAPAN。

4月2日夕刻、3つの外電が、ネットに
公開された。

この3つをじっくりと読んでほしい。

+++++++++++++++++

 【NIKKEI NET】(迎撃すれば、ただちに報復)

北朝鮮の人民軍総参謀部は2日、国際機関に「人工衛星打ち上げ」と通報した問題に関し
て「重大報道」を発表し「日本が迎撃行為を敢行すれば、我が軍隊はすでに展開している
迎撃手段のみならず、重要対象にも断固たる報復の火の雷を浴びせるだろう」と主張した。
日本が領土・領海に発射物が落下する危険に備えて迎撃態勢を整えたことをけん制する狙
いだ。

 朝鮮中央放送などの報道をラヂオプレスが伝えた。報道は「宇宙空間の平和利用は主権
国家の合法的権利で、衛星発射は正義の事業だ」と改めて強調。日本を「発射を敵対行為
と決めつけ、騒々しくわめき立てている」と非難した。さらに、米国には「被害を受けた
くなければ展開した武力を遅滞なく撤収させるべきだ」と要求、韓国にも「発射を妨害し
てはならない」と警告した。 (18:47)

【時事通信】(ミグ戦闘機、日本に向け配置)
韓国の聯合ニュースは2日、北朝鮮が長距離弾道ミサイルを発射準備中の咸鏡北道舞水端
里に近い空軍基地に、ミグ23戦闘機を配置したと報じた。日本のミサイル迎撃態勢に対抗
した動きとみられる。韓国政府筋の話として伝えた。 

【朝鮮N報】(ただちに報復する)
北朝鮮の人民軍総参謀部は2日、長距離ミサイルに転用可能なロケット(北朝鮮は人工衛
星と主張)の発射について、韓米日の対応・措置と関連、「われわれの革命武力は高度な戦
闘準備態勢を整えており、敵対勢力がわれわれの平和的な衛星に対しわずかな“迎撃”の
動きでも見せれば、直ちに正義の報復打撃戦を開始する」と主張した。

 総参謀部は「われわれの革命武力は平和的な衛星の迎撃を行う者たちに対し、断固たる
対応打撃を行う。日本が分別なくわれわれの平和的な衛星発射に対し迎撃行為を敢行した
場合、わが人民軍は容赦なく、すでに展開している(日本の)迎撃手段だけでなく、重要
対象にも断固たる報復打撃を行う」と警告した。

 総参謀部は米国について、「われわれの平和的な衛星発射と関連した自分たち(米国)の
立場を明確にしたからには、被害を受けたくなければ、現在展開している兵力を速やかに
撤収させるべきだ」と述べた。

 また韓国に対しては、「米国や日本にこび、民族の誇りであるわれわれの衛星発射を妨害
してはならない」と主張した。

++++++++++++++++++

心配なのは、あのASO首相。
肝心の経済サミットでは、またまた失言し、ドイツを怒らせてしまった(4月2日)。
それはさておき、ASO首相は、いったいどのような訓示を、防衛相に残したのか?
私は、それが心配でならない。

何度も繰り返すが、日本は、あんな国と心中するつもりなのか?
「正義」を説くなら、相手を選んで説け!
あんな国を、まともに相手にして、どうする?
どうなる?

もてる最高度の武器を、迷わず投入する。
その発想は、K国の金xxのそれと、どこもちがわない。

もし迎撃するならするで、その準備を先にしたらよい。
イスラエルのように、国民全員に防毒マスクを用意しろ。
地下シェルターを用意しろ。
迎撃ミサイルを配備するのは、そのあとだ。

K国の戦略は、少しずつ緊張を高め、日本と開戦し、
自国民の不満を、日本にそらすこと。
どうしてその意図が、わからないのか!

日本がK国と戦争状態になれば、まっさきにそれを
喜ぶのが、(喜ぶぞ!)、中国とロシア。
アメリカと韓国。

どうしてそれがわからないのか!

頭のおかしい独裁者を相手に戦争をして、どうする。
どうなる。
日本よ、日本人よ、ここは冷静に!
迎撃態勢をとってしまった以上、それについては
しかたない。
が、けっして、迎撃してはいけない。
たかが1トンにもならない弾頭ではないか。
軽自動車1台分にもならない。

そんな弾頭めがけて、1発170億円もするミサイルを、
バンバンと撃ちあげて、それでよいのか。
そのあと、320発のノドンが追いかけてくるぞ!
それぞれには、化学兵器、生物兵器が満載しているぞ!
その迎撃は、どうするのか!

頭を冷やせ、日本よ、日本人よ!

相手はチンピラ国家。
「ならず者国家」でも構わない。
因縁をつけられたら、無視。
無視するのが、最善。

もし私が金xxと同じ思考回路をもっていたら、
こう考える。

ミサイル(人工衛星でもよい)を、わざと
迎撃コースに乗せて、迎撃高度で飛ばす。
わざと日本に迎撃させる。
これで開戦の大義名分が立つ。

そこでジェット戦闘機を発進させ、緊張を高める。
ジェット戦闘機は、いわば「オトリ」。
日本側は、難なく、それを撃墜するだろう。
が、そのあと、日本にノドンの雨を降らす……。

……どうしてこんな簡単なことがわからないのか!
日本は、そのワナに、今わざわざと飛び込もうと
している。

放っておいても、崩壊→自滅する国ではないか。

で、肝心のASO首相は、日本をこれほどまでの
危険にさらしながら、現在は、イギリス。
またまたおバカな発言で、今度はドイツを
怒らせてしまった。

そんな程度の首相に、日本の命運を任せてよいのか。


Hiroshi Hayashi++++++++April. 09+++++++++はやし浩司

(追伸)【ミサイル迎撃、反対】

+++++++++++++++++++

さらに4月2日、午後8時ごろ、K国は、新たな
声明を出した。

そのまま転載する。

【NIKKEI】(日本を攻撃する!)

北朝鮮の人民軍総参謀部は2日、国際機関に「人工衛星打ち上げ」と通報した問題に関し
て「重大報道」を発表し「日本が迎撃行為を敢行すれば、我が軍隊はすでに展開している
迎撃手段のみならず、重要対象にも断固たる報復の火の雷を浴びせるだろう」と主張した。
日本が領土・領海に発射物が落下する危険に備えて迎撃態勢を整えたことをけん制する狙
いだ。

++++++++++++++++

 朝鮮中央放送などの報道をラヂオプレスが伝えた。軍総参謀部が「重大報道」を発表し
たのは初めて。報道は「宇宙空間の平和利用は主権国家の合法的権利で、衛星発射は正義
の事業だ」と改めて強調。日本を「発射を敵対行為と決めつけ、騒々しくわめき立ててい
る」と非難した。さらに、米国には「被害を受けたくなければ展開した武力を遅滞なく撤
収させるべきだ」と要求、韓国にも「発射を妨害してはならない」と警告した。 (18:47)


Hiroshi Hayashi++++++++April. 09+++++++++はやし浩司

●4月3日(我が国の首相)
The honorable Prime Minister of Japan in London

++++++++++++++++++++

肝心のASO首相は、「迎撃命令」だけ出して、
自分は、今、ロンドンに。
あの首相は、劇画か、ギャグの世界に生きているよう。
現実感が、まるでない。

80%の国民が、「やめろ!」の大合唱をしているのに、
会議(経済サミット)では、始終、意味のわからない
笑みをニタニタと浮かべているだけ。

その様子が、ネット・ニュースでつぎつぎと
配信されている。

(1)もっとも格下扱いを受ける。
(2)失言でドイツを怒らせる。
(3)ミサイル問題、空振り。

以下、IZA・ニュースより、一部を転載。

+++++++++++++++++++++

【IZAニュース】(4・2日)(もっとも格下の扱い)

G20首脳の中で、ASO首相が序列の一番低い扱いを受け、同行の政府関係者らが困惑
している。

 金融サミットでは、会議での発言順などが、(1)国家元首(2)「行政府の長」-とな
っている。行政府の長の場合は、在任期間の長い順番となっている。

記事本文の続き 麻生首相は「行政府の長」で在任期間もその中で最も短い。このため、
金融サミット関連の行事ではG20の首脳で最初に会場に入り、最後に会場を出る役目に
なった。

 やきもきする周囲に、当のASO首相は「そういうルールだから」と淡々としているが、
同行筋からは「日本はたくさん金を出しているのになぁ…」とのため息も出ている。(ロン
ドン 今堀守通)

+++++++++++++++

【IZAニュース】(4・2日)(ASO首相、失言でドイツを怒らせる)

【ロンドン=藤沢志穂子】1日付の英フィナンシャル・タイムズ(FT)のインタビュー
でASO首相が、追加の景気刺激策に消極的とされるドイツを、名指しで「批判」したこ
とが波紋を呼んでいる。

 インタビューは第2回主要20カ国・地域(G20)金融サミットでの訪英直前に東京
で行われたもの。同紙によると、ASO首相は景気刺激策の需要性について「理解してい
る国とそうでない国がある。ドイツがそれに当たる」などと発言、わざわざG20の亀裂
を表面化させたとしている。

++++++++++++++++

【IZAニュース】(ミサイル問題、空振り!)

ロンドンで開幕した第2回主要20カ国・地域(G20)金融サミット(首脳会合)は、
金融経済危機への対応策がメーンテーマだが、ASO首相(68)だけは、「K国のミサイ
ル発射問題」で孤軍奮闘を続けている。

記事本文の続き 4月1日午前(日本時間同日夕)に行われた韓国の李明博大統領(66)
との首脳会談。両首脳は、K国が「人工衛星」と称して発射しようとしている、事実上の
長距離弾道ミサイル発射が、明確な国連の安全保障理事会決議違反であり、安保理での対
応が必要との認識で一致した。さらに李大統領は、ミサイルが日本領域に落下する危険性
がある場合、自衛隊は国民を守るためにミサイル防衛(MDシステムで迎撃できるとの考
えも表明した。

 ■温度差を露呈

 麻生首相は、3月31日の記者会見でも「K国が発射を強行したら、安保理で決議の可
能性も念頭に置きつつ議論していくのは当然だ」と語っており、ロンドンサミットで、一
致結束した「国際世論」を広げたいところだった。
 だが、それは容易ではなかった。

 李大統領はロンドンサミットに先立ち、3月29日付の英紙「フィナンシャル・タイム
ズ」のインタビューで、「(自国民保護の目的を超えて)軍事的に対応することは反対だ」
と日本のミサイル迎撃を牽制(けんせい)してみせ、米国すら「(米国を標的としない限り)
何らかの対応をする用意はない」(ゲーツ国防長官)と迎撃しない方針。危機を目の前にし
た日本政府との温度差はあらわになっている


Hiroshi Hayashi++++++++April. 09+++++++++はやし浩司

●金(マネー)だけ、バラまけばよいというものではないのだが……

++++++++++++++++

だれからも相手にされない我が国のASO首相は、
せっこらせっこらと、金(マネー)だけバラまいている。
こんなことでよいのか、国際政治?

++++++++++++++++

【ロンドン=尾山宏】ASO首相は2日、第2回金融サミットの一連の会合で、アジア各
国に対する最大2兆円の政府開発援助(ODA)供与や、自ら指示した日本の追加景気対
策などを説明し、世界経済の回復に向け貢献を続ける方針を表明した。(読売新聞)

【ロンドン=藤沢志穂子】第2回主要20カ国・地域(G20)金融サミット(首脳会合)
では、世界経済の危機脱却と景気の早期回復に向け、各国トップが強い意思を打ち出した。
日本も国際通貨基金(IMF)など途上国支援のために国際機関への資金拠出で一定の存
在感を示した。しかし、肝心の国内の景気回復をめぐって課題は山積している。日本の政
府・与党は4月半ばをめどに追加経済対策を取りまとめる予定だが、どこまで実効性のあ
る対策を示せるかが今後の焦点となりそうだ。(産経新聞)


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●三男が結婚!

三男が結婚することになった。
相手の女性は、K子さんという。
気品のある、理知的な女性である。
明るく、すなお。
私の書斎をのぞいて、「ここで
HPが生まれるのですね」と、
声をかけてくれた。
三男にしては、超・上出来!

「気品」というのは、もって生まれた
性質のようなもの。
英語で言えば、「ソフィスティケイティド」。
「洗練された」という意味。

よかった!
私はガサガサした女性が、あまり好きではない。


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.みなさん、次号で、またお会いしましょう!
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*Floods of Information

●情報の洪水(Floods of Information)

++++++++++++++++

数日前、BSアンテナを買った。
テレビ(=フル・ハイビジョン)に接続した。
NHKの視聴料金はずっと払ってきたが、一度、アンテナが
壊れ、そのままになっていた。

その間、数年間。
私は基本的には、テレビはあまり好きではない。
見るとしても、スポーツとかニュースだけ。
あとはDVD再生用。

が、久しぶりにBSを見て、驚いた。
チャンネル数だけでも、10前後ある。
その上、フル・ハイビジョン!
美しさがちがう。
ダントツにちがう。
……ということで、この数日間、テレビに釘付け。

++++++++++++++++

●考える暇

そこは情報の世界。
それが怒涛のように、飛び込んでくる。
つぎからつぎへと、立ち止まって考える暇もない。
チャンネルをあちこちに替えながら見ていると、頭の中が興奮状態になる。
自分でもそれがわかる。

そこでふと考えた。
「選んで見ないと、これはたいへんなことになる」と。

情報の量が多いからといって、それだけ知識が豊富になったということにはならない。
情報というのは、一度、頭の中で、整理されなければならない。
そのつど立ち止まり、思考という形で、脳の中に刻んでこそ、
情報は情報としての意味をもつ。
一方的に情報の洪水の中にいると、それこそ情報の渦の中に巻き込まれてしまう。
具体的には、感覚が麻痺し、思考力を失ってしまう。

たとえて言うなら、薮から棒に、何か専門的なことを質問されたばあいを想像して
みればよい。
1つ2つならまだしも、そういう質問が、4つ5つと重なった場合を想像してみればよい。
1つや2つでも、私たちは、相手の質問の内容を吟味し、ゆっくりと答える。
いいかげんなことを言うと、かえって相手に誤解を招く。
これがここでいう「考える暇」というのが、それ。

もっとわかりやすい例では、落ち着きなく、あたりをキョロキョロと見回している
子どもがいる。
キョロキョロしているから、頭がよいということにはならない。
むしろ、その逆。
キョロキョロしながら、その実、何も考えていない。
その(キョロキョロした状態)になる。

●刺激されるのは右脳だけ

順に考えてみよう。

たとえば昨夜、民放(BS)で、アメリカの自然を特集していた。
ワシントン州の景色である。
私はその美しさに息をのんだが、もしそのとき、「きれい!」「美しい!」だけで
終わってしまったら、思考力ゼロということになる。
が、テレビのほうは、思考することそのものを許してくれない。
こちらが考える間もなく、つぎからつぎへと、画面を変えていく。

空撮から水辺、花畑から森の中、さらには時間を短縮した画像へ、と。
そのつどそれを見ている私たちは、それに振り回されるだけ。
もしそのとき、私たちにできることがあるといえば、即座にそれに反応することだけ。
子どもの世界で言うなら、右脳ばかりが刺激され、それで終わってしまう。

瞬間的な判断力は必要かもしれないが、それが思考力につながるということは、
論理的に考えても、ありえない。

●バラエティ番組

そこで私たちは何かの情報を得たら、それを吟味し、思考に変換していく。
分析し、論理として組み立てていく。
が、情報の洪水の中では、それができない。
その典型的な例が、バラエティ番組と呼ばれる番組である。

けばけばしいスタジオ。
けばけばしい出演者たち。
そういう人たちが、意味のないことをギャーギャーとわめき散らしている。
そういうことをするのが、テレビ番組のあり方とでも思っているよう。
またそういうことができないと、ああした番組には出られない。

ついでながら、もう1つ、気がついたことがある。

ああした番組に出てくる人たちは、それぞれのタレントについて、よく知っている。
「●△□さんねえ……」
「XXYさんねえ……」と。

残念ながら、私はそういう名前を出されても、1人も顔が浮かんでこない。
学者の世界で言うなら、ノーベル賞を受賞した学者の名前とかになるのだろう。
つまりそういう名前を相互に口にしながら、彼らは彼らで、自分たちのステータス
を守りあっている。
またそういう名前を出されたとき、「そんな人、知らない」とでも言おうものなら、
さあ、たいへん。
みなから袋叩きにあう。

そしていつもの自慢話。
「この前、●△□さんと、ドラマをご一緒させてもらいましてね……」
「XXYさんとは、~~パーティで、一緒になりましてね……」とか。

まるでテレビという世界を中心にした、特権階級に住んでいるかのよう。
それを見ている視聴者は、指をくわえて見ているだけ。

●かけ合い漫才

話が脱線したが、ああした人たちを見ていると、「この人たちには、静かに考える
時間があるのだろうか」と思う。
が、問題は、それを見ている人たち。
私たちはそうした番組を見ながら、情報に振り回されているだけ。
そのときはそれなりに楽しくても、あとには何も残らない。
残らないばかりか、毎回見ていれば、当然、その影響を受ける。

しゃべり方やジェスチャが似てくるのはしかたないとしても、
考え方まで似てくる。

まず相手をドキッとさせるように、スレスレのことを口にする。
「お前、何や?、そんなアホづらしてエ?」と。

あたかもそう言いあうのが、親しさの表れとでも言わんばかりの言い方である。
それを数回繰りかえしたあと、かけ合い漫才のようになる。
脳の表面に飛来した情報を、ペラペラと口にする。

そこで問題点を整理すると、こうなる。

●問題点

(1) 情報の洪水(一方向的な情報の洪水)
(2) 思考力の低下(浅薄化)
(3) 情報の麻薬性(絶えず情報に接していないと落ち着かない)
(4) 禁断症状(情報が切れると、落ち着かない)

(1) 情報の洪水。

このばあいも、「だから、どうなの?」と自問してみればよい。
「それがわかったからといって、どうしたの?」と。
それだけでも情報の量は、かなり選択される。

(2)思考力の低下

これはテレビ局側のねらいとも一致する。
間断なく情報を流すと、脳みそはその間、思考停止の状態になる。
つまりカラッポ。
そのあとコマーシャルを流せば、視聴者をそのまま洗脳することができる。
が、視聴者こそ、よい迷惑。
テレビ局側に操られるまま、操られてしまう。

(3)情報の麻薬性

これは私の母や兄を観察していて気がついたことだが、見てもいないのに、
母や兄は、一日中、いつもテレビをつけっぱなしにしていた。
テレビをつけていないと、落ち着かないらしい。
「情報の麻薬性」というのは、それをいう。
が、それは同時に、視聴者の愚民化を意味する。

(考えること)には、ある種の苦痛がともなう。
情報を垂れ流すことによって、その苦痛から、身を守ることができる。

(4)禁断症状

情報に接している間は、安心感を覚える。
が、その情報が途絶えたとたん、不安になる。
こうした視聴者の心理をテレビ局側は知り尽くしている。
だから、愚劣番組を垂れ流す。

見るからにそれらしい出演者たち。
視聴者は、自分よりバカな人間がいることを知り、安心する。
この安心感こそが、テレビ文化の基本になっている。

だから……。
それが途絶えたとたん、視聴者には禁断症状が生まれる。
不安になる。
心配になる。
つまり(テレビ)は(集団)であり、その集団に身を寄せることで、
安心感を覚える。

●選択の問題

否定的な意見ばかり書いたが、だからといって、テレビそのものを否定している
わけではない。
だれの目から見ても、テレビは必要だし、功罪を説けば、「功」のほうが大きい。
だから冒頭に書いたように、これは「選択」の問題ということになる。
「いかに番組を選択して見るか」ということ。
その操作を誤ると、これも先に書いたように、「たいへんなことになる」。

テレビゲームを与えている間は、おとなしい。
しかしゲームを取りあげたとたん、禁断症状が現れる。
テレビ漬けになったおとなも、同じような症状を示す。

「選んで見ないと、これはたいへんなことになる」という意味は、
これでわかってもらえたと思う。


(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司
テレビ テレビ文化 テレビの功罪)


Hiroshi Hayashi++++++++May. 09+++++++++はやし浩司

*Essay, "Itadori River"

●岐阜県・板取村へ

++++++++++++++++++++

今、ワイフと私は、電車
に乗って、板取村へと
向かっている。

++++++++++++++++++++

●電車の中で

この原稿は、電車の中で書き始めた。
名鉄・豊橋線の中。
土曜日ということもあって、子連れの夫婦が、
前後に何組か座っている。

私は職業柄、子どもたちの顔や姿を、ジロッ、ジロッと見てしまう。
どうしても見てしまう。
長く見る必要はない。
瞬間でよい。
時間にすれば、1秒前後か。
それでわかる。

年齢から、性格、さらには問題点まで。
で、私のばあい、10年~後の姿まで、見えてくる。
「この子は、こうなって、ああなって……」と。
過去も見えてくる。
「どういう家庭環境で、どう育ったか」と。
どこかの予言者みたいな言い方をするが、これは事実。
しかしスピリチュアル(霊力)などという、インチキなものではない。
経験と知識に基づいている。

診断権こそないが、何か情緒に障害をもっている子どもにしても、
瞬間、垣間見ただけで、それがわかる。
わかるものはわかるのであって、どうしようもない。

もちろんその反対のこともある。
学校で、LD(学習障害児)と判断された子ども(小1男児)がいた。
(学校側が、それをはっきりと示したわけではないが……。)
学校側は親に、特別学級への編入を勧めていた。
が、私は「そうではないと思う」と、母親に告げた。
「~~ではないと思う」という診断なら、私にもくだせる。
で、2、3年もすると、その結果が、はっきりとしてくる。
その子どものばあいも、小学4年生になるころから、めきめきと
成績を伸ばし始めた。
現在は小学6年生だが、その学校のクラスでも、トップの成績を修めている。

……しかしそれがわずらわしいから、(子どもがわずらわしいからではない。
誤解のないように!)、本当は、こうした休日には、できるだけ子どもの
そばに、すわらないようにしている。
どうしても気になってしまう。
しかし、この席は、指定席。
車内も、ほぼまんべんなく、混んでいる。
席を移動することはできない。

●診断

ななめうしろの席のA君(小2くらい)。
度の強いメガネをかけている。
A君の遠視に気がついたのは、かなり遅かったのではないか。
年齢相応の人格の完成度に、やや欠ける。
動作が、どこか幼稚ぽい。
時折前の席に座った弟(5歳くらい)に、ちょっかいを出しているのは、
嫉妬からか。
赤ちゃん返りの後遺症も残っている。
弟の横には、母親が座っている。
それで弟の横にいる母親が気になるらしい。

……というようなことを書くのはやめよう。
今日は、一応、「旅行」。
仕事の話はなし!

+++++++++++++++++++++

【板取村・旅行記】

●生老から

「生老」……このあたりでは、「しょうろ」と読む。
その生老から、目的地の民宿「ひおき」まで、約10キロ。
生老で理髪店を営む従兄(いとこ)は、そう言った。

10キロ。
何とか歩けそう……ということで、私たちは歩き始めた。
坂道というほどでもないが、ときどきゆる~い坂道。
5月の新緑が、まぶしいばかりに美しい。
私はそのつど、風景をビデオや、カメラに収める。

●Yさん

私は従兄のYさんを、尊敬の念をこめて、いつも「Yさん」と「さんづけ」で呼んでいる。
頭がよい。
キレる。
たまたま田舎にいるが、都会に住んでいれば、超一級のドクターになっていたはず。
今とちがって、昔は自分で自分の病気を治さねばならなかった。
それで医学を独学した。

そのYさんが、自力で、囲炉裏小屋を建てた。
それを見せてもらった。
土台から屋根、部屋の造作まで、すべてひとりで作ったという。
道楽に、これ以上の道楽があるだろうか。

「ぼくも山荘を作るとき、家以外は、すべて自分たちでしました」と話したら、
うれしそうだった。
趣味を同じくするものには、相通ずるものがある。

ただし一言。
家作りにせよ、土地作りにせよ、それを作っているときが楽しい。
作り終えたとき、そこでその道楽は終わる。
今の私がそうだ。
終わったとき、また別のものを求めて、さまよい歩く……。
従兄も、同じようなことを言っていた。

●万歩計

万歩計を見ると、すでに1万1000歩になっていた。
家を出るとき、ゼロにセットしたはず。
「それほど歩いていない」と思ったが、それだけ歩いたのだろう。
ふだんなら、一日の運動量としては、じゅうぶん。
それをワイフに告げると、「今日は2万歩を超えるかも……」と言った。

私はところどころでビデオを撮ったり、写真を撮ったりした。
その間にワイフは、100メートルほど先へ。
私は急いで追いつく。
写真を撮っては、追いつく。
その繰り返し。

●門出(かどいで)から、上ヶ瀬(かみがせ)

上ヶ瀬(かみがせ)……なつかしい地名が飛び込んできた。
昔、伯父が、この街道筋で、駄菓子屋を営んでいた。
何度か遊びに来て、菓子を分けてもらったことがある。

風景は、すっかり変わっていた。
洋風の家も、ところどころに見える。
が、何と言っても、道路が立派になった。
見るとワイフは、小さなタオルで額をぬぐいながら歩いていた。
「だいじょうぶ?」と何度も声をかける。
そのつどワイフは、「だいじょうぶ……」と。
歩いてまだ20分ほどなのに、もう無口になってしまった。

で、たしか伯父の店は、その村の中心部にあったはず。
裏から外を見ると、その下に板取川が見えた。
「どこだったのかな」と思っているうちに、上ヶ瀬の村を出てしまった。

●静かな村

5月2日、土曜日。
しかしどこも閑散としていた。
みやげもの屋や、土地の名産品を売る店もいくつかあったが、
客の姿は見えなかった。
今が行楽のベスト・シーズン。
暑くもなく、寒くもなく……。

「きっと不景気だからよ」とワイフは言った。
「そうだね」と私は答えた。

行き交う車の数も、少なかった。
うす曇り。
その雲を通して、日差しは白く、まぶしかった。
春の陽光が私たちの影を、道路にしっかりと作っていた。

その私……。
背中には、大型のリュックサック。
パソコン一式、ペットボトルなど。
10キロ以上はある。
それが少しずつだが、身にこたえるようになってきた。
ズシンズシンと、太ももにひびく。

●加部から生老

話は前後するが、生老のひとつ手前の村が、加部(かべ)。
順に並べてみると、こうなる。
加部→生老→上が瀬。

その加部から杉原(すぎはら)まで、
私は子どものころから、一度は、歩いてみたいと思っていた。
加部というのは、母の実家があるところ。
母は、13人兄弟の長女として、そこで生まれ育った。

その加部から生老までは、歩いて5分くらい。
加部まで車で送ってくれた人に礼を言って、生老まで歩いた。

どうして歩いてみたいかって?
それにはこんな理由がある。

●山の向こう

私は子どものころから、この板取村へ来るたびに、母にきまってこう
聞いたという。
「あの山の向こうは、どうなっている?」と。

母もそのことをよく覚えていて、ずっとあとになって、「浩司は、うるさかった」
と、何度もそう言った。
それがいまだに記憶のどこかに残っていて、この年齢になっても、(山の向こう)の
夢をよく見る。

山の向こうには別の村があって、そこには温泉がある。
温泉には洞窟があって、みながその洞窟の中で温泉につかっている、と。
子どものころには、山の向こうには、キツネが住んでいる部落があると、
本気で私は信じていた。

しかしおとなになってから、私がよく見る夢は、こんな夢だ。

●夢

金沢から富山に抜ける。
そこから山をくだっていくと、板取川の源流にたどりつく。
(実際には、富山から板取川に入る道はないが……。)
私はその源流をくだりながら、上流から下流へと、村々を通り過ぎて、
くだっていく……。
ただの旅行の夢だが、崖の下には、コバルト色の澄んだ川が見える。
ところどころで道は細くなり、農家の軒先を歩く。
どうということのない、たわいもない夢である。

で、その夢のルーツはといえば、幼いころの私に戻る。
私には、周囲の山々が、山というよりは、緑の壁のように見えた。
だからその壁の向こうがどうなっているか、それを知りたくてたまらなかった。
それが今の夢につながっている(?)。
たぶん……?

●アジサイ・ロード

「ぼくは今日、自分の夢を果たしている」
「一度は、歩いてみたかった」
「これでぼくは思い残すことはない」と。

ワイフはすでに何も言わなくなっていた。
下を向いたまま、景色を楽しむという余裕もなさそう(?)。
私にはそう見えた。

ところどころに「アジサイ・ロード」という標識が立っていた。
その標識の立っている周辺には、たしかにアジサイの木があった。
残念ながら、今は、その季節ではない。

で、見ると、ひとつの標識に「岩本(いわもと)」という地名が書いてあった。
とくに思い出はないが、正月の初詣に、母と、この村のお宮様に来たことがある。
このあたりでは、神社のことを、「お宮様」という。
私が小学生くらいのことではないか。

そうそう言い忘れたが、このあたりの人たちの姓は、ほとんどが「長屋」。
だからみな、姓ではなく、名前で呼びあっている。

●長屋氏

みな「長屋氏」を名乗っているが、一族というわけではない。
戦国時代に活躍した長屋氏の子孫でもない。
明治に入ってから、みながいっせいに、「長屋」の姓を名乗るようになったという。
(その昔には、岐阜城が落城したとき、長屋なんとかの守(かみ)が、
落人(おちうど)として、この地に移りすんだという話は聞いたことがある。
不正確な話で、ごめん。)

その昔は、この街道を通る人たちから、通行料を徴収していたという。
「徴収」といえば聞こえがよいが、要するに山賊(?)。
昔それを母に言って、えらく母に叱られたことがある。
「わっち(=私)の先祖は、山賊ではねえ(=ない)!」と。

この街道を抜ければ、岐阜から福井県の大野へ、そしてそのまま
日本海へ行くことができる。
昔は福井で取れた魚や、越中富山の薬売りなどが、この道を通ったという。
日本でも秘境のひとつと言ってもよい。
途中には、落差200メートル近い渓谷がある。
さらにその先では、恐竜の化石が、つぎつぎと発見されている。

●森林

30年ほど前、私は、板取村の中の山林を購入した。
よく調べなかった私が、「ターケボー」ということになる。
ターケボーというのは、このあたりの方言で、「愚か者」という意味である。
「バカ」よりは、ニュアンスが強い。

当時の相場でも、x0万円。
それをその人を信じて、x00万円で購入してしまった。
私にとっては、信じてもおかしくない立場の人だった。
まさかのまさか。
そういう人にだまされた。

で、そのあとも、毎年、言われるまま、管理費なるものを、払っていた。
その額、8~10万円。

「枝打ちをしたから実費を払え」「下草を刈ったから実費を払え」と。
しかしこれもあとになってわかったことだが、その人は山の管理など、
何もしてくれていなかった。
またこうした管理は、森林組合に申請すれば、組合のほうで、無料でしてくれる。
そういう話も、あとから聞いた。

その森林が、30年を経て、x0万円。
30年前には、x00万円もあれば、家を新築することができた。
x00万円がx0万円!
現在のx0万円では、駐車場をつくるのも難しい。
その手続きをすませ、従兄が住む生老へとやってきた。
従兄が今回の売買では、いろいろと力になってくれた。
その礼を言いたかった。

●類は友を呼ぶ

今回の金融危機で、金融資産を100分の1にした人がいる。
1億円が、100万円。
そういう人の話を、身近で聞いていたので、x00万円くらいなら、
何でもない……と言いたいが、そうはいかない。

相手がそれだけの誠意を見せてくれれば、まだ救われる。
母にも近い人だったが、母の葬儀にも来なかった。
今回も、何も協力してくれなかった。

昔からこう言う。
(私がそう言っているだけだが……。)
『被害者はいつまでも被害を受けたことを覚えている。
しかし加害者には、その意識がない。
あってもすぐ忘れる』と。

「復讐」という言葉もあるが、それを考えるだけで、疲れる。
だから忘れるのが一番。
どうせその程度の人は、その程度の人生しか送っていない。
まさに一事が万事。
万事が一事。
いろいろ噂が耳に入っているが、板取村でも、つまはじき者とか。

さらに言えば、『類は友を呼ぶ』。
その人と親しく交際している人を、私は何人か知っている。
しかしたいへん興味深いことに、どの人も、似たような人。
小ずるくて、どこか薄汚い。

●損論

少なくともこの10年以上、私は悶々とした気分が晴れなかった。
金銭的な損失を問題にしていたわけではない。
事実、それで売れなかったら、山林は、地元の森林組合に寄付するつもりでいた。

それ以上に、信じていた人に裏切られたというのは、信じていただけにショックが大きい。
それに私は、板取の人たち以上に、この村が好きだった。
今も好きだ。

しかしこの村へ来るたびに、ムッとした不快感と闘わねばならない。
それが苦痛だった。
だからはやくスッキリしたかった。
ケリをつけたかった。
山林のことは忘れたかった。
ついでに、それを売りつけた人のことも忘れたかった。

が、悪いことばかりではない。
人は、損をすることで、より大きくなれる。
損を恐れていたら、自分の殻(から)を破ることはできない。
「損をした分だけ、またがんばればいい」と。

人は追いつめられてはじめて、つぎの手を考える。
同じように、損をすることで、より賢くなる。
ちなみに、あなたの周囲で、ケチケチしながら生きている人を見てみるとよい。
そういう人ほど、小さな世界に安住しているのがわかる。

●中切(なかぎり)

母方の兄弟が13人もいる。
そのため、このあたりには、私の従兄弟が、散らばっている。
この中切にもいる。
私たちは、「Mちゃん」と呼んでいた。
当時としては珍しい、背が高く、スラリとした人だった。
夫は長く、中切の郵便局の局長をしていた。

で、ワイフは、相変わらず黙って歩いていた。
距離がわからないから、バス停に来るたびに、バスの時刻表を見た。
朝、7時01分に、板取温泉を出るバスがある。
その時刻は知っていた。
だから、時刻表に、7時05分とあれば、板取温泉からバスで、4分の
距離ということになる。
中切りのバス停では、7時05分となっていた。

「あと4分の距離だから……」と私は言った。
ワイフはウンとだけ、うなずいた。
ワイフはすでに体力の限界を超えていた。
それが私にも、よくわかった。

●絶望

その中切を出たところに、コンビニがあった。
飲み物を買った。
で、そこの若い主人に、「板取温泉まで、あとどれくらいですか」と聞いた。
主人は、「5分……」と言った。

私「歩いていくと、どれくらいですか?」
主「5キロくらいかな……。こ1時間はかかるかな……」と。

私は、この「5キロ」という言葉を聞いて、がく然とした。
「まだ、半分しか来ていない?」「いや、そんなはずはない」と。
「もしそうなら、今までの倍の距離など、とても歩けない」と。

私ははじめて弱音を吐いた。
「従兄に助けに来てもらおうか」と。
ワイフは、その言葉にずいぶんと迷ったらしい。
「そうねえ……」と、小さな声でつぶやいた。

●なしのつぶて

私に山を売りつけた人には、何度か手紙を書いた。
しかしそのつど、返事はなかった。
その私も61歳。
そろそろ身辺の整理をしなければならない。
山林など、もっていても、どうしようもない。
そこで山林を売りに出すことにした。

しかし山林は、町中の宅地のようなわけにはいかない。
売るといっても、その方法がない。
それを扱う不動産屋もない。
しかたないので、私は新聞に、折り込み広告を入れた。
「山林を買ってくれる人はいませんか?」と。
が、この折り込み広告が、その人の逆鱗に触れたらしい。
私のことを、「浜松のターケボー」と、周囲の人たちに言っているのを知った。

「自分に恥をかかせたから、ターケボー」と。

どこまでも、あわれな人である。
心の貧しい人である。
心の髄(ずい)まで、腐っている!

●山林

素人は、そしてその土地の人間でないならば、山林などに手を出してはいけない。
「投資のつもり」と考える人がいるかもしれないが、それもやめたほうがよい。
買うとしても、何町歩単位というように、山ごと買う。
理由がある。

山そのものには、財産的価値はほとんどない。
価値があるとすれば、その上の木。
「立木(たちぎ)」という。
しかしその管理がたいへん。
木の管理もたいへんだが、隣地との境界をどう守るかもたいへん。
10年も放っておくと、境界すらわからなくなる。

加えて買うのは簡単だが、売るのがたいへん。
まず不可能と考えてよい。
山林というのは、地元の知りあいどうしが、内々で売買するのが慣わしになっている。
私はそれを知らなかった。
私はたしかに、ターケボウだった。

●あと2キロ

「もうだめだ……」と、私も思うようになった。
ワイフはひざが痛いと言った。
私も太ももが、引きつったように痛くなり始めていた。

私「きっと10キロではなかったんだよ」
ワ「……」
私「きっと15キロだっただよ」
ワ「……」
私「ぼくの夢につきあわせて、ごめんね」
ワ「毎度のことよ……」
私「うん……」と。

ビデオを撮る回数も少なくなった。
首にぶらさげたカメラが、ベルトのバックルにカチャカチャ当たる。
心の遠くで、「カメラに傷がつく」と思ったが、それをポケットにしまう
元気もなかった。

と、そのとき小さな看板が目についた。
「板取温泉まで、2キロ」と。

とたん元気がわいてきた!
あと2キロ!

「あと2キロだよ。家から、ビデオショップまでの距離だよ」と。

私たちは丘の上を歩いていた。
その向こうに、赤い大きな屋根が見えてきた。

「着いたよ!」と声をあげると、ワイフははじめてニッコリと笑った。

●板取温泉

このあたりでは、ドイツ語が公用語になっている、らしい。
少し前に通り過ぎた、板取中学校にも、ところどころにドイツ語が使われていた。
ドイツのどこかに似せて、村興(おこ)しをした(?)。
板取温泉も、そういう雰囲気を漂わせていた。

それが正解だったのか?
昔からの板取を知る私としては、違和感を覚える。
あちこちに「スイス村」という表示も見える。
しかしどうして板取が、スイス村?
雰囲気からして、カナディアン村のほうが、合っている。

和室の一部を、水色に塗り替えたような違和感である。
スイスは山の上の国。
板取は、深い谷あいの村。

しかしそれを差し引いても、板取温泉は、すばらしい。
美しい自然の中にある。
私自身は、まだ一度も入浴していないが、評判はよい。

●山の宿・ひおき(民宿)

私はこの板取村が好きだが、ここ数年は、板取村へ来るたびに、
いつもこの「ひおき」に泊っている。
板取村では、イチ押しの民宿である。
場所は、板取温泉の、川をはさんで反対側。
歩いて5分ほどのところ。

住所:岐阜県関市板取3752-1
電話:0581-57-2756

四季折々の自然を満喫できる。
1泊10500円(1名のばあい)。
手元の案内書にはそうある(09年5月)。

案内書には、「通気による冷暖対策のため、閉鎖的な客室構造とはなっていませんので、
ご了承くださいませ」とある。
そのポリシーが気に入っている。

のんびりと山間の田舎を満喫したい人には、お勧め。

●小さな村

そのひおきの主人が、私たちの部屋にやってきて、こう言った。
「山のほうは、片づきましたか?」と。

ギョッ!

この言葉には驚いた。
「どうして知っているのだろう」と。

私は折り込み広告を入れた。
それには、「浜松の林」という名前を明記した。
どうやらそれを読んだらしい。
しかしそれにしても……!

もうひとつの可能性は、以前書いた、私の旅行記を読んだ(?)。
その中で、「ひおき」の宣伝をしておいた。
今、ヤフーの検索エンジンなどを使って、「山の宿ひおき」を検索すると、
私のHPが、かなりトップのほうに出てくる。
それで私の名を知っていたのかもしれない。

もともと小さな村である。
折り込み広告にしても、全世帯で、530軒ほど。
動きが止まったような村だからこそ、その内部では、濃密な情報交換が
なされているにちがいない。

私が「実は今日、片づきました」と言うと、うれしそうに喜んでくれた。

●2万6400歩

ひおきに着いてから、万歩計を見ると、2万6400歩。
生老から民宿「ひおき」まで、1万4400歩ということになる。
私の歩幅で、1万歩で、約7・5キロ。
それで計算すると、生老から板取温泉まで、約10キロということになる。
従兄が言ったことは、やはり正しかった。

しかしそれにしてもよく歩いた。
荷物も重かった。
そのこともあって、ひおきでは、ご飯を、3杯も食べてしまった。
いつものことだが、おいしかった。
気持ちよく眠られた。
午後8時に就寝。
起きたのが午前4時。
ワイフは、午前5時。

まだキーボードがよく見えないときから、この原稿をまとめる。
今は午前5時半。
これから近くの川へ行き、ビデオと写真を撮ってくる。
家へ帰ってからの編集が楽しみ。
「どうか期待していてほしい」と、今、ふと、そう思った。

●帰りの電車の中で

帰りも名鉄電車を利用した。
一度JRへ回ったが、あまりの混雑に驚いた。
ワイフが、「名鉄にしましょう」と言った。
名鉄電車なら座席指定券が取れる。
それにシートもよい。

その電車の中。
たった今、電光掲示板に、アメリカ人の子どもに、豚インフルの疑いなし
と出た。
よかった。
昨日のニュースによれば、もう1人、名古屋市に住む人が感染の疑いがあるという。
その人はどうなったのか?

私「山が片づいて、よかったね」
ワ「そうね」
私「これから先、二度とあの家族とはつきあわないよ。
こうして悪口を書いてしまったからね」
ワ「そうね。これからは、あなた自身の板取を、心の中に作ればいいのよ」
私「そうだね」と。

窓の外は、昨日よりもさらに白く景色がかすんでいた。
春がすみ?
それとも黄砂?
ワイフも先ほどから、手帳にメモを書いている。
平和なとき。
おだやかなとき。

時刻は午前9時44分。
明日、三男の嫁さんが遊びにくる。
どこかでご馳走してやろう。
楽しみ!

電車は岡崎に着いた。
先ほど駅で買った、ういろうを、少し食べた。
おいしかった。
名古屋といえば、ういろう。
名古屋の名物。

(はやし浩司 Hiroshi Hayashi 林浩司 教育 子育て 育児 評論 評論家
はやし浩司 山の宿ひおき 山の宿・ひおき 板取 ひおき 民宿ひおき 関市
板取村 民宿 ひおき 板取温泉 岐阜県関市板取 岐阜県板取村)

YOUTUBE、板取川は、

http://www.youtube.com/watch?v=-YLl-w_rrog
http://www.youtube.com/watch?v=zUpMkDn1UBE


Hiroshi Hayashi++++++++May・09++++++++++++はやし浩司

Saturday, May 02, 2009

*Itadori-River

●春の板取は最高にすばらしかったです!

板取川へ行ってきました。
山の宿ひおきにて、一泊。
そのときのビデオです。

http://www.youtube.com/watch?v=-YLl-w_rrog

どうか、お楽しみください。

あるいは・・・




(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司
山の宿ひおき 民宿ひおき 板取 ひおき 岐阜県関市板取 板取温泉 ひおき 山の宿
ひおき)

Friday, May 01, 2009

*BW Children's Club

●国際政治

+++++++++++++++++++++

無視すればするほど、相手は、躍起(やっき)になる。
墓穴を掘る(クリントン国務長官)。

現在のK国が、それ。
今度は、「核実験をする」とか、「ミサイル実験をする」とか、
言いだした。
世界から注目されたいという気持ちはわかる。
「何とかしてほしい」という気持ちもわかる。
しかしやるべきことが、ちがう!
そんなヒマがあったら、国内生産を充実さえ、国民に
与える食糧の心配をしたらよい。

+++++++++++++++++++++

が、ここで「?」と思われるニュース。
何でも非同盟諸国会議の席で、K国支持の採択がなされたという。
聯合ニュース(5月1日)は、つぎのように伝える。

『北朝鮮外務省報道官は1日、先月30日に閉幕した非同盟諸国会議の閣僚級会議で採択
された最終文書で、これまで記載されてきた6カ国協議を含む朝鮮半島関連条項が除外さ
れ、参加国らは6カ国協議に参加しないという北朝鮮の立場に理解を示し、支持したと主
張した』と。

「非同盟諸国首脳会議」、またの名を、「中立諸国首脳会議」という。
英語では、「Nonaligned Summit Conference、Non-Aligned Movement Summit
Conference 」という。
現在120か国前後が加盟。
国連を舞台として、活躍している。
が、その席で、「K国支持の採択がなされた」という(?)。

K国外務省報道官の発表なので、まともに信じるわけにはいかないが、それにしても、
ヘン?

それはともかくも、アメリカは、現在、K国に対して「無視作戦」を展開中。
何をしても、何を言っても、相手にしない、と。
もちろん援助も、しない。
それに今は、それどころではない。
世界中が、豚インフルで、パニック状態。
「こんな忙しいときに!」というのが、私たちの率直な感想。


●YOU TUBE「BW幼児公開教室」

++++++++++++++++++

この数か月間、電子マガジンの読者が、
ほとんどふえない。
そのこともあって、電子マガジンを発行する
意欲が、日増し、月増しに減退している。

で、その一方で、やる気が出てきたのが、
YOU TUBEの「BW幼児公開教室」。
教室の様子をそのままビデオに収録し、
それをインターネット上に公開している。

今は、これが楽しい。
毎晩、仕事から帰ってくると、1時間ほどを
かけて、YOU TUBEにアップロード
している。
ビデオの編集などは、短時間でできるが、
アップロードに時間がかかる。
で、その間、ぼんやりと画面をながめたり、
別の原稿を書いたり……。
今が、そのとき。

この公開教室のほうは、当初、一日数件程度の
アクセスしかなかったが、2か月後の今、
120件前後にふえた。
(1人の人が、10回アクセスしたとしても、
1件としてカウントされる。)

しかも、数日前、フランス在住のSさんから、
「子どもたちが楽しんでいます」というメールを
もらった。

こうなると、「もう止まらない!」。

興味のある方は、ぜひおいでください。
楽しいですよ。
どこかの教材会社が作る学習教材とは、
また別の(楽しさ)があります。

http://bwhayashi.ninja-web.net/
より。


Hiroshi Hayashi++++++++May. 09+++++++++はやし浩司