Education in Front-Line and Essays by Hiroshi Hayashi (はやし浩司)

(Mr.) Hiroshi Hayashi, a professional writer who has written more than 30 his own books on Education, Chinese Medical science and Religion in Japan. My web-site is: http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/ Please don't hesitate to visit my web-site, which is always welcome!!

Tuesday, November 30, 2010

●ピカソの絵画と窃盗疑惑

●ピカソの未公開作品(訪問ヘルパーによる窃盗事件)

++++++++++++++++++++++

ピカソの未公開作品が、大量に見つかった。
産経NEWSは、つぎのように伝える。
読みやすくするため、記事に番号を入れた。

+++++++++++++以下、産経NEWSより+++++++++++++

(1)現代芸術の巨匠パブロ・ピカソ(1881~1973年)の、これまで存在すら知られていなかった作品を含む絵画など計271作品がこのほどフランス南東部で発見された。作品の価値は総額で6千万ユーロ(約66億円)を上回ると目されている。29日付フランス紙リベラシオンが伝えた。

(2)見つかったのは、ピカソが1900~32年に制作した作品。少なくとも175点は未公開で、うち97点は存在が知られていなかった作品という。キュビスムのコラージュや「青の時代」の水彩画、最初の妻であるオルガの肖像、リトグラフ、デッサンなどが含まれていた。

(3)作品を所有していたのは、アルプ・マリティム県に住むピエール・ルゲネック氏(71)。ルゲネック氏は、晩年南仏に住んでいたピカソの家に警報装置などを設置した電気技師で、今年1月以降、ピカソの息子らに「作品が真作であることを証明してほしい」などと依頼する書簡を送っていた。

(4)息子ら相続人は9月、大量の作品を隠匿していたとして同氏を捜査当局に告訴。作品は文化遺産の不正取引を取り締まる当局が10月に押収した。

(5)ルゲネック氏は一時拘束されて取り調べを受けたが「作品はピカソや夫人から譲渡されたもの」と無実を主張。同氏の夫人も「私たちは泥棒ではない」とヌーベル・オプセルバトゥール誌(電子版)に反論している。(共同)

+++++++++++++以上、産経NEWSより+++++++++++++

●接点

 この記事で重要なのは、ピカソとルゲネック氏との接点。
ピカソは、1973年に没している。
ルゲネック氏は、晩年ピカソが住んだとされる南仏のピカソの家の警報装置工事を
請け負っている。
現在71歳ということだから、ピカソが没したとき、34歳前後ということになる。
警報装置工事を請け負ったのは、さらにその前、つまりルゲネック氏がもっと若かった
ころのことということになる。

ルゲネック氏は、一事拘束され、取り調べを受けたが、「作品はピカソや夫人から譲渡
されたもの」と、無実を主張しているという。
たがいにどういう関係だったかはわからない。
しかしいくら知り合いとはいえ、他人であるルゲネック氏に、271もの作品を譲渡
したとは常識では考えられない。
しかもルゲネック氏は、警報装置の電気工事で、ピカソの邸宅にあがりこんでいる。
その気になれば、警報装置をいかにょうにも、操作できる立場にあった。

 が、どうであれ、……つまりピカソが本当に譲渡した可能性もないわけではない。
が、この事件とは別に、こんな疑惑を以前から抱いている。
ことの発端は、ある男性(56歳)の話である。

●窃盗するニセ介護士(訪問ヘルパー)

 ある男性をX氏(56歳)とする。
現在は浜松市に住んでいる。
実家は、浜松市から車で1時間半ほどのM村。
その村に、89歳になる母親が、ひとりで住んでいた。
が、いよいよということで、X氏は母親を浜松市へ呼び寄せた。
在宅介護などを受けていたが、その1年後に他界。

 X氏は同じく浜松市に住んでいる弟氏といっしょに、自宅の整理のため、M村の実家に
戻った。
ところが、である。
実家は、まさにもぬけのカラ。
薬箱はあっても、薬はなし。
切手帳はあっても、切手はなし。
古銭帳はあっても、古銭はなし。
引き出物などでもらった小物類は、箱だけが残っていて、中身はすべて消えていた。

「母はたんす預金派だったのですが、現金らしい現金は1円も残っていませでした」と。

 で、近所の人に話を聞くと、実家から数百メートルほど離れたところに、1人の女性が
夫と住んでいて、その女性がときどきやってきて(週に1度くらい)、母親の世話をして
いたという。
近所の人は、施設から派遣されたヘルパーの女性とばかり、思っていたという。
が、さらに話を聞くと、無資格の、いわゆる「ボランティアさん」ということがわかった。
つまりその女性は、ヘルパーのフリをしたわけではないが、ときどき介護するフリをしな
がら、その女性の家にあがりこんでいた。

 で、X氏が、その女性の家に行った。
「生前、母が世話になったそうでありがとうございます」と。
女性は、明るい笑顔を満面に浮かべながら、こう答えたという。
「いいお母さんでしたよ。やさしくて、穏やかで。ときどきいろいろな仕事を頼まれ
ましたので、車を走らせたこともあります」と。

 X氏は、こう言った。
「ペラペラと、こちらが聞きもしないうちから、あれをしてやった、これをしてやったと、
恩着せがましいことをつぎつぎと並べました」と。

●訪問介護制度の盲点

 私自身も、似たような経験をしている。
どこのだれとは書けないが、その疑いは濃厚である。
しかし確たる証拠があるわけではない。
ないから、相手の言いなりになるしかない。
X氏も、こう言っていた。

「世話をすべき私たちが世話をしなかったという負い目もあったため、強く出ることも
できませでした」と。

 しかしみなさん、私はあえて声を大にして言う。
あの訪問介護制度という制度は、高齢者にとって、本当に安全なのか、と。
こう書くと、まじめに職務をこなしている訪問介護士の人たちは不愉快に思うかも
しれない。
しかし「盲点」というか、「欠陥」は、確かにある。

 現在訪問介護制度は、ひとつの施設から継続的にヘルパーが派遣されるように
なっている。
しかも1名が、原則。
そのヘルパーが、ふつう平均して2~4年程度、継続して、介護が必要な高齢者の家に
入る。
身のまわりの世話を繰り返す。
高齢者といっても、判断力がかなり鈍った高齢者である。
「介護」とは言うが、一歩、道を踏み外せば、「?」。

●訪問介護制度の改善

 訪問介護制度は、欧米でも常識化している。
自活できない高齢者をみるには、すぐれた制度である。
しかし盲点がないわけではない。
実際、この種の事件が多発している。
ちなみに、Googleで、「訪問介護士 窃盗」で検索してみたら、何と
8800件余りもヒットした。
こまかい事件となると、日常茶飯事といってよいほど多い。

 が、逆の事件も起きている。
無実のヘルパーに対して、窃盗したと騒ぎたてる高齢者も少なくない。
「ヘルパーが金を盗んだ!」と。
そこで改善策としては、

(1)長期ヘルパーを避ける。(長くても数か月単位で、派遣ヘルパーを替える。)
(2)ヘルパーを1人制ではなく、複数制にする。

 判断力のない高齢者の自宅に、単独でヘルパーを送り込むという制度そのものに
欠陥がある。
人を疑えということではないが、みながみな、善人とはかぎらない。
家人が隠しカメラを設置し、ヘルパーの窃盗を証明した事件さえある。

●ピカソの絵画

 話を戻す。

 高齢者から金品を盗むのは、幼児から金品を盗むより、はるかに簡単。
(幼児は金品と言えるようなものをもっていないが……。)
ルゲネック氏がそうだったと書いているのではない。
これから先、フランスの警察は、そのあたりを鋭意、捜査することになるだろう。
しかしルゲネック氏の言葉は、じゅうぶん、疑ってみる必要がある。
晩年のピカソがどういう状態だったかは、私は知らない。
しかし92歳で没しているところからして、仮に「譲渡」だたっとしても、ピカソには
まともな判断力はなかったとみるべき。

 はたして「譲渡」だったのか。
それとも「窃盗」だったのか。
どちらであるにせよ、この問題は、そのまま私たちの老後の問題と結びついている。
けっして他人の世間話ですませてはいけない。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW はやし浩司 訪問ヘルパー 訪問介護制度 問題点 欠陥 盲点 はやし浩司 ピカソの絵画 ヘルパーの窃盗 介護士の窃盗事件)


Hiroshi Hayashi++++Dec. 2010++++++はやし浩司・林浩司

●緊急提言、北朝鮮問題に関して

●はやし浩司 2010-12-01

●地球外生命体? NASA「宇宙生物学上の発見」発表へ

●日本経済新聞社のHPに、こんな記事が載っていた。

++++++++++以下、日経NEWSより++++++++++++++++++++

 米航空宇宙局(NASA)は29日、「地球外生命体の証拠の探索に影響するであろう宇宙生物学上の発見」について、米東部時間の12月2日午後2時(日本時間同3日午前4時)に記者会見することを明らかにした。ワシントンのNASA本部で会見すると同時に、その様子をインターネットで中継するという。

++++++++++以上、日経NEWSより++++++++++++++++++++

●何だろう?

 NASAが?
今ごろ?

 こうした「公表」には、2つの意図が隠されている。

(1)いよいよ隠しおおせなくなったから。
(2)つぎのウソをつくための、下準備。

 NASAが今まで、「地球外生命体」の存在について、さんざん事実を隠してきたことは、あるいは、ウソをついてきたことは、周知の事実。
少し前、日本が月探査衛星の『かぐや』を打ち上げたときも、搭載するカメラの解像度を、
「さげろ」と日本に要求してきた。

それに応じて、日本は、1000万画素から、その約半分の画素まで、わざわざ解像度を
さげたという話も聞いている。
今どき、1000万画素など、ふつうのデジタルカメラでも常識。
「月には何か、見られたら都合が悪いものがあるのだろうか?」と、私も勘ぐった。
そのNASAが、日本時間で3日午前4時に記者会見をするという。

 何だろう?
期待半分、懐疑半分。

「月の中には、宇宙人が住んでいます」というような話なら楽しい。
それとも反対に、「もうすぐ宇宙人が、地球を攻撃してきます」かもしれない。

 12月3日(日本時間)は、何か記念すべき日になるかもしれない。


Hiroshi Hayashi++++Dec. 2010++++++はやし浩司・林浩司

●今日から12月(2010年)

 昨日は、朝、30分、ルームウォーカーの上で歩いた。
仕事に行くとき、4キロを歩いた。
仕事から帰ってくるときは、自転車。
1日の運動量としては、標準的。

 今朝も起きると、10分、リークウォーカーの上で歩いた。
いつもは30分だかが、今朝はやや疲れ気味。
昨日、昼飯に食べた魚が、生焼けだった。
夕方まで、吐き気。
ドクターをしている親に相談すると、「ゲボで出しなさい」と。
しかしすでに数時間以上たっていた。

 ムカムカする胃をなだめながら、やっとの思いで帰宅。
消化薬を2服ものんだせいか、今朝は反対に、逆流性食道炎ぽい。
胃の入り口あたりで、不快感が停留している。

 12月初日というのに、冴えない。


Hiroshi Hayashi++++Dec. 2010++++++はやし浩司・林浩司

【朝鮮半島問題を考えるに当たって】

●意識と平和

 かつてインドのネール元首相は、こう書いた。

『ある国が平和であるためには、他
国の平和もまた保障されねばならない。
この狭い、相互に結合した世界にあっては、
戦争も、自由も、平和も、すべて
たがいに連動している』(「一つの世界をめざして」)と。

●意識のちがい?

 ひとつの「戦争」をながめるとき、意識によって、その見方は180度、異なる。
たとえば中国人は、つぎのように考えている(人民日報・注※1)。

韓半島で絶えず危機が起きているのはどの国のせいか、という質問に対し、

米国が55.6%で最も多く、
韓国=10.3%、
北朝鮮=9.0%、
日本=4.6%などの順だった
(中国7大都市で行われた1306人を対象に実施したという世論調査)

 つまり中国人の過半数は、「朝鮮半島で絶えず危機が起きているのは、アメリカの
せい」と考えている。
これに対して、「北朝鮮」と答えている中国人は、9・9%に過ぎない!
さらに「日本に責任がある」と答えている中国人が、4・6%もいることには驚かされる。

 これが意識のちがいである。

●日本が、4・6%?

 人民日報の調査結果をみたとき、まず、2つのことが頭に浮かんだ。

 ひとつは「意識」というのは、「国家」によって作られるものということ。
もうひとつは、「意識」のちがいが、「戦争」の原動力となるということ。
それにもうひとつ、付け加えれば、「意識」というのは、常に疑って考える必要が
あるということ。
もちろんその中には、日本人の私たちがもっている「意識」も含まれる。
私たちの意識は、本当に正しいのか?

 たとえば日本人の私たちなら、「韓半島で絶えず危機が起きているのはどの国のせいか」
と聞かれれば、まずまちがいなく、「北朝鮮」と答えるであろう。
「アメリカ」「韓国」の名前をあげる人は少ない。
「日本」の名前をあげる人は、さらに少ない。
が、ひょっとしたら、それはまちがっているのかもしれない。
私たちはともすれば、富者の論理だけで、ものを考える。
貧者の論理(注※2)には、耳を傾けない。

 が、それはともかくも、この調査結果を基礎に置くと、最近の中国の動きが、
よく理解できる。
数日前、中国は突然、6か国協議の開催を、日米韓+ロシアに呼びかけた。
昨日も、2度目の呼びかけをした。

 「中国はやるだけのことはやったという体面づくりをしている」というのが、西側、
つまり私たちのおおかたの見方。
しかしそういう見方そのものも、この調査結果を見ると、吹き飛んでしまう。
言い替えると、この「意識のちがい」こそが、戦争の原因ということになる。
言うまでもなく、たがいの意識が乖離(かいり)すればするほど、戦争の危機は増大し、
ひとたび起これば、より悲惨なものになる。

 今が、その状況ということになる。

●参考:注※1 韓国「東亜日報」より(以下、東亜日報より転載)

「空母、ジョージワシントンの黄海(西海)進入は、中国に対する警告だ」

中国共産党機関紙「人民日報」の国際版姉妹紙である環球時報が11月29日、再びジョージワシントンの軍事演習への参加に反対した。
同紙は、哨戒艦「天安(チョナン)艦」沈没事件後、行われた7月の韓米合同軍事演習にも、「ジョージ・ワシントンの参加は、大勢の中国人を憤らせる」など刺激的な記事で、反対世論を主導した。
26日は、北朝鮮に対し、「渇きを癒そうと毒薬を飲むな」と忠告したが、再び同盟国かばいに乗り出している。

同紙は、「中国世論の強い反対にも関わらず、米国がジョージ・ワシントンを28日、黄海に進入させ、中国人を大変不安がらせている」と主張した。
同紙は、合同軍事演習が行われる海域は、山東半島から170海里離れているところで、国連海洋法で排他的経済水域(EEZ)を200海里と定めていることに照らせば、米空母が中国EEZ内に入ることもありうることを明らかにした。
しかし、合同演習海域である格列飛列島周辺は、忠清南道泰安(チュンチョンナムド・テアン)から27海里離れているところだ。

同紙は同日また、中国7大都市で行われた1306人を対象に実施したという世論調査で、韓半島で絶えず危機が起きているのはどの国のせいか、という質問に対し、米国が55.6%で最も多く、韓国=10.3%、北朝鮮=9.0%、日本=4.6%などの順だったと伝えた。

青華大学・国際情報研究中心の李希光主任が同日付の環球時報に投稿した「北朝鮮は中国の1級中核利益」と題した寄稿で、「いかなる国であれ、北朝鮮に対し、戦火を起こせば、これは中国に対する挑戦であり、宣戦布告だ」と主張した。
李主任は19世紀の韓半島の甲午年の日清戦争により、日本の海軍が西海(ソヘ)に侵入したことを例に挙げ、韓半島安定は東北3省の安定、ひいては、中国の安定と直決されるという論理を展開した。
李主任は、「朝鮮半島の南北間平和維持のためには、『独立的な北朝鮮』が中国と韓米との間で緩衝役割を果たさなければならない」と主張した。

一方、社説は、「南北や米国を問わず、誰もが戦争を願わないだろうが、今の危機状況は奇怪な方式で、戦争に近づいている状態だ」とした上で、「戦争を願わなければ、戦争が怖くないように振舞うのはやめるべきだ」と書いた。

(以上、韓国、東亜日報より転載)

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●参考、注※2「貧者の論理」

【貧者の論理】
+++++++++++++++++++

近代経済学が、なぜ、世情に合わないか。
国際政治学でも、よい。
近代経済学は、世情を捉えるのに、ことごとく失敗している。
理屈どおりには、いかない。
理論どおりにも、進まない。
そこで経済学者たちは、頭を悩ます。
国際政治は混乱する。
それもそのはず。
経済学者たちには、(こういうふうに大上段に
構えて、ものを書くのも気が引けるが)、
貧者には貧者の論理というものがある。
貧者の論理は、理屈や理論どおりには、動かない。
そのことがまったく、わかっていない。

貧困が、嫉妬、ひがみ、ねたみ、うらみ、いじけを生む。
それらが複雑に屈折し、絶望、虚無主義につながる。
善悪の基準そのものも、ちがう。
リッチな世界では重犯罪でも、貧者の世界では
ただの(遊び)。
窃盗にしても、貧者の世界では、窃盗されるほうが、
悪いとなる。
この(ちがい)が、経済学者が考える経済理論を、
根底からくつがえす。
国際政治学にしても、そうだ。
きれいごとだけでは、国際政治は動かない。
つまり数字や理屈で考える常識では、理解不能。
いくら想像力を豊かにしても、貧者の論理は、その
向こうにある。

+++++++++++++++++++++

●観光事業

 たまたまこんな事例がある。

 韓国側の1民間企業が主体となって、K国への観光事業を始めた。
その1民間企業にとっては、メリットは大きい。
K国内での観光事業を、独占的に展開できる。
一方、K国側は、観光客の落とす現金で、潤う。

 が、その観光事業は、現在、中断している。
理由は、観光客の射殺事件。
K国側は、その事件について、正式に謝罪をしていない。
補償もしていない。
事件の調査すら、韓国側にさせていない。

 韓国政府が、観光事業を中断させるのは、当然である。
 が、これに対して、1民間企業である観光会社の社長が、K国まで行って、直談判。
社長と、K国の幹部とは、何やら深い関係にあるらしい。
これに対して、K国側は、「観光事業を再開してほしい」と。

 その返答を受けて、社長は意気揚々と韓国へ帰ってきた。
が、韓国政府の反応は、こうだ。

「国としての正式の回答ではないので、政府としては、何とも返事をしかねる」と。
これにK国が、反発した。

 そのときのニュースが、これ(時事通信11月25日)。
『朝鮮中央通信は25日、中断しているK国の金剛山と開城での観光事業について、韓国の玄仁沢統一相を、名指しで批判する朝鮮アジア太平洋平和委員会報道官談話を伝えた。談話は南北間の観光事業について、「南朝鮮(韓国)当局が、対決の目的に悪用し、阻もうとしている」と主張した』と。

 とくに「?」なのが、「韓国当局が、対決の目的に悪用し」という部分。

●貧者の論理

 どうして、悪用なのか?
この理解不能の部分に、実は、貧者の論理が働いている。
貧者は、「援助してもらうのが、当然」と考える。
援助してもらうことについて、感謝の念は、最初から、ない。
だからその援助が止められることを、「悪用」ととらえる。

 誤解がないように書いておくが、「観光事業」とはいうものの、その中身は、「援助」。
道路整備から観光バス、宿泊施設の建設まで、韓国側で提供している。
わずかな距離の観光だが、その費用は、10~30万円。
韓国側の観光客は、法外な費用を払って観光する。

一方、K国側にとっては、そのまま貴重な外貨の収入源となる。
それを韓国側が、取りやめた。
それをK国は、「悪用」という。

●3年前の原稿より

 こうした貧者の論理を理解するためには、一度、あなた自身を貧者の立場に置いて
みる必要がある。

それについては、以前にも書いたので、そのまま紹介する。
日付は、06年の10月となっている。

Hiroshi Hayashi++++はやし浩司

●K国の核実験宣言

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K国が、核実験をすると、
公式に発表した。
だれにも相手にされなくなると、
悪あがきしてみせる。
「ならず者」の典型的な
行動パターンである。

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 とうとうというか、ついに、K国が、核実験を公式に宣言した。「アメリカの反共和国(反
北朝鮮)孤立圧殺策動が限界点を越えた状況にあって、われわれはこれ以上、傍観してい
るわけにはいかない」(10月3日・K国外務省)というのが、その理由だそうだ。

 アメリカが悪い。だから核実験をするのだ、と。

 とんでもない意見に聞こえるかもしれないが、貧者には貧者の論理(※)というものが
ある。その日の食べ物に困っている人にしてみれば、腹いっぱい、おいしいものを食べて
いる人を見ただけで、腹がたつもの。それはわかる。しかしそれを考慮に入れても、K国
のこの言い分には、(?)マークが、何個も並ぶ。

 が、もし核実験をすれば、それで本当に、K国は、おしまい。おしまいの、おしまい。
あとは自己崩壊するしかない。つまりK国は、現在、そこまで追いつめられている。K国
というより、金xxによる独裁政権は、そこまで追いつめられている。

 日本としては、金xx独裁政権を、自己崩壊させるのが、もっとも好ましいシナリオと
いうことになる。拉致問題も、それで解決する。

 しかし、問題は、韓国。いまだに、「同胞、同胞」と、K国にすりよっている。どこか演
歌的? どこか浪曲的? あのN大統領は、「北朝鮮の核は一理がある」とさえ言ったこと
がある。最近にいたっては、「K国が核実験をしても、戦時作戦統制権の単独行使には影響
しない」とまで言い切っている。「K国が核事件をしても、アメリカ軍は、必要ない」と。

 天下のおバカ大統領である。K国が核兵器をもてば、韓国内の軍隊は、すべて「紙くず」
(朝鮮N報)と化す。にもかかわらず、そういうことが、まるでわかっていない。あるい
はそのうち、「K国をここまで追いこんだのは、アメリカだ。日本だ」と言い出すかもしれ
ない。

 何度も書くが、K国の金xxは、もう(まとも)ではない。はっきり言えば、狂ってい
る。そういう人間を相手に、まともな議論などしても意味はない。金xxの言動を、いち
いち分析しても意味はない。真意はどうの、目的はどうのと、論じても意味はない。

 私たち日本人は、そういう前提で、K国問題を考え、K国の核開発問題を考える。K国
が自己崩壊すれば、韓国や中国は困るかもしれない。が、今の段階では、そんなことは日
本の知ったことではない。そういうのを、私たちの世界では、「自業自得」という。

 それにしても、とうとうここまで来たか……というのが、今の私の実感である。
 
【貧者の論理】(※)

 若いころ、オーストラリアの大学で、ある教授が口にした言葉である。名前は忘れたが、
その教授は、『貧困による公害(Pollution by Poverty)』という言葉を使った。

 つまり貧者には貧者の論理というものがあり、その論理を忘れて貧者を語ることはでき
ないというものだった。

 たとえば1人の金持ちと、1人の貧者がいたとする。金持ちは、自分が豊かであること
を、見せつけるともなく、見せつける。そして貧者に向かって、こう言う。「君も、ぼくの
ようになりたかったら、努力しなさい」と。

 金持ちは、貧者に努力の大切さを教えたつもりかもしれないが、貧者は、そうはとらな
い。貧者は、やがてその金持ちを、ねたむようになる。そしてこう思うようになる。「お前
たちのような人間がいるから、オレたちは貧しいのだ」と。

 そのよい例が、現在のK国である。

 情報が遮断(しゃだん)されていることもあるが、K国の人たちは、だれも、自分たち
の指導者がまちがっているとは思っていない。とくに金xxを取りまく人たちは、そうで
ある。

 西側の豊かさを見聞きするたびに、それをうらやましいと思う前に、「西側が、オレたち
の発展をじゃまするから、オレたちは貧しいのだ」と考える。豊かな生活といっても、その実感そのものがない。

 そのため貧者は、貧者であるがゆえに、屈折したものの考え方をする。そしてそのため、
貧者の世界では、勝者の論理は、ことごとく否定される。「核兵器を拡散させたら、世界は
たいへんなことになる」と説くのは、勝者の論理である。貧者は貧者で、別の論理で考え
る。そしてこう言う。

 「自分たちは核兵器をもっていて、何てことを言うのだ!」と。「第三世界」という言葉
も、そういう過程で生まれた。

 こうして勝者と貧者は、あらゆる場面で、ことごとく対立する。おおざっぱに言えば、
それがアメリカ流民主主義が、その世界でしか通用しないという理由でもある。さらにお
おざっぱに言えば、西側の経済論理が、その世界でしか通用しないという理由でもある。
 こうした貧者の論理にメスを入れ、それを解き明かそうとする努力も、いろいろな場面
でなされている。が、そのどれも結局は中途半端で終わってしまうのは、いつも勝者が勝
者の立場で、貧者を論ずるからである。

(06年10月4日記)

++++++++++++++++++++

07年にも、同じような原稿を書いていた。
こうして原稿を拾い出してみると、私は
ちょうど2年ごとに、同じことを考えて
いるのがわかる。
どうでもよいことだが・・・。
内容が一部、重複するが、許してほしい。

Hiroshi Hayashi++++はやし浩司

●今日・あれこれ

+++++++++++++++

K国は、K国で開発したミサイルを、
イランで実験していたという。
そのイランは、ウランの濃縮を加速
させているという。
K国とイラン。水面下で、深く、結
びついている。

+++++++++++++++

●貧者の論理

 貧者には、貧者の論理というものがある。(私はよく知っているぞ!)

 たとえばあなたが日々に生活に困り、今日の食べ物すらままならない生活をしていたと
する。子どもは腹をすかせて、泣いている。午後には、借金取りがやってくる。

 そういうとき、あなたの隣人は高級車を乗り回し、豪勢な買い物をしている。見ると車
の後部座席には、夕食の食材が、どっさり!

 そういう隣人を見て、あなたはうらやましいと思うだろうか。その隣人を、すばらしい
人と思うだろうか。が、実際には、そうではない。

 ここで貧者の論理が働く。貧者は、こう考える。「お前たちが富を独り占めにするから、
オレたちは貧しいのだ」と。

 が、そういう声は隣人には届かない。その隣人は、あなたに向かってこう言う。「あなた
も一生懸命、働きなさい。働けば、いい生活ができます」と。

 しかしあなたはそれに反発する。反発するだけではない。怒りすら覚える。隣人のアド
バイスは、こう言っているように聞こえる。「あなたが貧しいのは、あなたがなまけている
からだ」と。

 そうではない! この日本では、ほんのわずかでも、チャンスをつかんだ人だけが成功
する。そうでない人は、そうでない。それは個人の力というよりも、(流れ)の中で決まる。
あせればあせるほど、深みにはまり、ますます身動きが取れなくなってしまう。そういう
人は多い。

●富者の論理

 K国を理解するときは、この貧者の論理を念頭に置かねばならない。食糧はない。原油
もない。いろいろ経済政策を試みてはみるが、どれも、うまくいかない。失敗の連続。

 つまり相手の立場で、ものを見る。K国から見たら、この日本はどう見えるかというこ
と。このことは、日本に住んでいる、在日K国人と言われている人たちを見ればわかる。

 彼らは日本に住み、日本のことをたいへんよく知っている。同時に、K国のことも、た
いへんよく知っている。本来なら……というより、常識的に考えれば、K国の政治体制が
おかしいと、だれしも思うはず。しかし彼らは、そうは思っていない。日本の繁栄ぶりを
見ながらも、こう思っている。「この日本が繁栄しているのは、私たちが犠牲になったから
だ」「今も犠牲になっているからだ」と。

 貧者の論理がまちがっているというのではない。しかし富者の論理だけでものを考える
と、失敗する。そのよい例が、経済学である。

 ほとんどの近代経済学は、その富者の論理だけで成り立っている。国際政治にしても、
そうだ。大きく見れば、アメリカのイラク政策、イラン政策、さらにはK国政策も、アメ
リカという富者の論理ばかりが先行している。だからいつも限界にぶつかる。あるところ
までは正当性をもつが、それを乗り越えることができない。いつもそこで第三世界の反撃
をくらう。

●加工される貧者の論理

 だからといって、K国の核開発やミサイル開発を容認せよというわけではない。こうし
た貧者の論理を当てはめても、とうてい理解できないほど、K国の論理は、常軌を逸して
いる。むしろ貧者の論理を、逆手(さかて)に取って、自分たちを正当化している。

 そこで今度は、イランでのミサイル発射実験である。K国は、自国で開発した長距離ミ
サイルを、イランで実験していたという(5月16日)。

 日本にとっては、とんでもないニュースである。が、ここでもやはり貧者の論理が働く。
この日本でも、かつてこう言ったニュースキャスターがいた。当時は夜のニュース番組を
代表するキャスターだった。

 K国の核開発問題に触れながら、こう言った。「何、言っているんですか。アメリカだっ
て、核兵器をもっているではありませんか!」と。どこか吐き捨てるような言い方だった。
つまり、「核兵器を思う存分もっているアメリカが、K国の核兵器開発を問題にするのはお
かしい」と。

 しかし忘れてならないのは、K国の核兵器開発は、「日本向け」のもの。かねてから、K
国の政府高官たちは、そう繰り返し述べている。「韓国向け」ではない。もちろん「中国向
け」でもない。「アメリカ向け」という説もあるが、アメリカに対しては、「脅し」にすぎ
ない。

 私はこの発言にあきれて、即座にテレビ局に抗議の電話を入れた。あのA新聞社の系列
のA放送である。「拉致問題は、日本政府のデッチあげ」と主張してやまなかった、あのA
新聞社である。

 貧者の論理は貧者の論理でも、富者によって加工された貧者の論理である。

●経済制裁

 そういうK国に対して、経済制裁は、当然のことである。もっとわかりやすく言えば、
私たちは、目下、戦争状態にある。かつて「戦争は政治の延長である」と言った政治家が
いたが、戦争といっても、ある日、突然、始まるものではない。それまでの(くすぶり)
があって、ある日、ボッと火が燃えあがる。

 わかりやすく言えば、すでに戦争は始まっているということ。私たちがなすべきことは、
K国というよりも、K国の体制を崩壊させること。独裁政権であるがゆえに、ほかに方法
はない。

 が、この経済制裁を、つぎつぎと骨抜きにしているのが、ほかならぬK国の隣国の韓国
である。それについてはすでにたびたび書いてきたので、ここでは省略するが、今度は、
米中韓Kの、4か国首脳会議を画策している。南北首脳会談も画策している。もっとも4
か国首脳会議については、アメリカが異議を唱えたため、韓国政府は、「6か国協議の枠内
での4か国首脳会議」(5月16日)と、言いなおしている。

 どうであるにせよ、現在の韓国は、イコール、K国と考えてよい。つまりこの日本は、
韓国とも、すでに戦争状態にあるとみるべきである。

●東京に核兵器が!

 いろいろな意見がある。「原爆の1発や2発、(東京に落ちても)、どうということはない」
という意見もある。どこかの科学者が、ある雑誌で、堂々とそういう意見を披露していた(雑誌「S」)。

 あるいは「K国には、核開発をする能力はない」と主張している学者も多い。

 しかしそのK国が、どうやら水面下で、イランと結びついているのがわかってきた。K
国はミサイル技術を提供し、イランは、核開発技術を提供する。……となると、今までの
図式が総崩れとなる。「K国、一国だけなら……」と考えていた人も多いかと思うが、それ
がグローバルな問題へと、ここで一気に拡大する。

 中東問題もからんでくる。米中、米ロ問題もからんでくる。もしそうなれば、(現実にそ
うなりつつあるが……)、それこそまさにK国の思うツボ。国際社会の混乱を引き寄せなが
ら、つぎに一気に、日本をおどしにかかってくるはず。

 そのとき、アメリカとの間に、相互不可侵条約のようなものであれば、仮にK国が日本
を攻撃しても、アメリカはK国に対して、手も足も出せない。日本は日本で、憲法9条に
制約されて、防衛に徹するしかない。

 たとえば仮に今、東京でK国の核兵器が爆発しても、日本は、それに対してK国に反撃
することもできない。もちろん今は、日本は、アメリカの核の傘のもとにあるから、一応、
アメリカがK国に反撃してくれることになっている。

 しかしそのアメリカにしても、自国を犠牲にしてまでも、日本を守ってくれるだろうか。
そんな疑問もないわけではない。

●ではどうするか?

 日本にとっての最良のシナリオは、K国が自己崩壊すること。これはK国の人たちのた
めでもある。あのFさん(韓国へ亡命したK国の元政府高官)や、韓国に脱北した人たち
も、みな、そう言っている。

 が、これに猛烈に反対しているのが、韓国政府であり、中国政府ということになる。と
くに韓国のN大統領の論理は、貧者の論理の上に成り立っている。

 「朝鮮半島が南北に分断されたのは、アメリカのせい」「しかも、こうした悲劇の基礎を
作ったのは日本」と。

 それが反米、反日運動の原点にもなっている。加えて、(1)「日本ごときに韓国が蹂躙
(じゅうりん)された」という憎しみ、(2)独立を自分たちの力でなしえなかったという
不完全燃焼感(以上、M氏談)もある。

 以上を考えていくと、私たち日本人がなすべきことは、ただひとつ。現在の日韓経済戦
争に勝利することである。わかりやすく言えば、韓国経済をたたきつぶす。

 ……こう書くと、かなり過激な意見に聞こえるかもしれないが、日本はそうでなくても、
向こう(=韓国)は、その気で、日本の常に挑戦をいどんできている。それがわからなけ
れば、韓国の中央N報、朝鮮N報、東亜N報の各紙を、ほんの少しでもよいから目を通し
てみることだ。

 「日本に勝った」「日本に負けた」の記事が、連日のように、トップ記事として並んでい
る。

 ……何はともあれ、東京とのど真ん中で、たった1発でも、核兵器が爆発してからでは、
遅いのである。それだけは忘れてはならない。

(07年5月17日記)

Hiroshi Hayashi++++はやし浩司

●母のこと

 「貧者の論理」というと、特別の人だけがもつ論理に考えるかもしれない。
しかし実際には、そうでない。
私だって、あなただって、その立場になれば、もつ。
私の母だって、そうだ。……そうだった。

 私は結婚する前から、実家に住む母に、収入の約半分を仕送りしてきた。
今のワイフと結婚するときも、それを条件として、ワイフと結婚した。
だからワイフは、以後、20年以上、何ひとつ不平や不満を言わず、それをつづけてくれた。

 が、一度(保護)(依存)の関係ができると、それを断ち切るのは容易なことではない。
最初は感謝されるが、1~2年もすると、それが当たり前になり、さらに1~2年もすると、今度は相手側から請求されるようになる。

 仕送りの額を減らしたり、遅らせたりすると、かえって相手の反感を買ってしまう。
私の母のばあいは、泣き落とし戦術というか、そのつど、メソメソと泣き言を言ってきた。
兄もそうだった。

何かほしいものがあると、「~~がないで困る」「~~が壊れた」と電話をかけてきた。
こうして冷蔵庫、ステレオ、テレビなどなど。
コンロまで、別枠で、私が買って与えるようになってしまった。

 そんなある日、私は私の山荘へ母と兄を招待した。
山荘といっても、小さな山を買い、6年かかって、造成した土地である。
毎週土日に、ワイフと2人で、工事をした。
家だけは、地元の建築会社に建ててもらった。

 その山荘を見て、母は、こう言った。
「どうせ建てるなら、M町(実家のある町)に建ててくれればよかった」
「そうすれば、私が使えた」と。

 私の夢がかなったことを、母は喜んでくれるものとばかり思っていた。
が、母には、母の論理があった。

「親孝行をするのが、先。息子であるお前が、親よりいい生活をするのは許せない」と。
そうは言わなかったが、私には、そう聞こえた。

 だからといって、母を責めているのではない。
母は母で、貧者の論理で、ものを考えていた。

●机上の空論

 貧者の論理は、人間が原罪的にもつ(欲望)と深くからんでいる。
そのためにひとたび扱い方をまちがえると、その論理に毒されてしまう。
正常な判断力、思考力すら、見失ってしまう。

 これは人間性の問題というよりは、油断の問題と考えてよい。
つまり人は、いつもどこかで、(保護)(依存)の関係を保ちながら、他の人と交わっている。

それが複雑にからみあっている。
保護している人も、べつの場面では、だれかに依存している。
依存している人も、べつの場面では、だれかを保護している。

 が、ひとたびどこかで油断すると、そうした関係が、貧者の論理に毒されるようになる。
嫉妬、ひがみ、ねたみ、うらみ、いじけが、その人の心をゆがめる。
心そのものがゆがむため、自分でそれに気づくことは、まずない。
その一例が、現在のK国ということになる。

 韓国側が、観光事業を止めたことを、「被害」と、受け止める。
そして観光事業を再開しないことを、「悪用」と、とらえる。
韓国政府は先に、トウモロコシ1万トンの援助を申し出た。
それについても、「少なすぎる?」という理由で、K国側は、受け取りすら拒否している。

 私たち日本人からすると、「どこまでいじけるか?」ということになる。
しかし彼らは、けっして自分たちが、いじけているとは思っていない。
それが正当な行為と信じ切っている。
貧者の論理に毒されると、そういうものの考え方をするようになる。

 で、冒頭の話になる。
 経済学にもいろいろある。
そのつどいろいろな学者が自説を披露する。
しかしこと経済については、(国際外交もそうだが)、理論どおりには機能しない。
「援助してやったから、貧しい国の人たちは、感謝しているはず」
「~~億ドル、渡したから、これで国の再建はできるはず」と。
しかしこうした論理は、貧しい国の人たちには、通用しない。
彼らには、彼らを支える論理がある。
それが、「貧者の論理」ということになる。
言い換えると、貧者の論理にメスを入れないかぎり、経済学も、国際政治学も、いつまでたっても机上の空論で終わってしまう。

 私は、それを書きたかった。

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW はやし浩司 貧者の論理 ゆがんだ心 歪んだ心 嫉妬 ひがみ いじけ 恨み)

Hiroshi Hayashi++++++++Nov.09+++++++++はやし浩司

●36億円!

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もちろん私の中にも、貧者の論理が
巣くっている。
「36億円」という数字をみたとき、
それを感じた。

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●ケタはずれ

 あまりにもケタはずれなので、驚いた。
鳩山首相の資金管理団体「友愛政経懇話会」をめぐる、政治資金収支報告書の
虚偽記載問題に関して、驚くなかれ、鳩山首相の実母が、自己名義の口座から、
何と計約36億円を引き出し、現金化していたという。
36億円だぞ。

 新聞などの報道によれば、「現金化された資金の一部が、首相の政治資金に
充てられた可能性もあるとみて、東京地検特捜部が、慎重に調べている」(C新聞)
とのこと。

 今のところ、「首相への貸付金なら、法的な問題は生じない」とし、「悪質ではない」
という理由で、直接の担当者については、在宅起訴程度ですませる予定という。

●悪意性はない?

 親子の間だから、多少の金銭の動きはあるだろう。
政治活動ともなれば、なおさら。
しかしその額が、問題。
約36億円!
つい先日、民主党のOZ党首の、3億円の献金が問題になった。
そのあと、自民党のAS前首相の、2億5000万円の機密費が問題になった。
しかし36億円というのは、1桁、桁がちがう。

 その36億円について、「貸付金なら問題はない」「悪質性はない」とは!
いくらそうであっても、貧者は、それでは納得しない。

●消えた36億円

 それにしても興味深いのは、つぎの2点。
(1) 36億円という巨額の資金は、どこへ消えたのか。
(2) 貸付金とはいうものの、そんな借金を、この先、どうやって返済するのか。

 この先、その中身は特捜部の捜査によって、少しずつ明らかになるだろう。
しかしいろいろな見方ができる。

 ひとつは、母親から鳩山総理大臣に対する、生前贈与。
毎月、小口に分けて送金したということから、それが疑われる。
だから鳩山総理大臣は、政治資金に使ったというよりは、自分の(財産)として、
それをプールした可能性も、なくはない。

 仮に政治資金として使われたとするなら、それによって利益を受けた人もいるはず。
どこに、どのように使われたのか。
考えれば考えるほど、疑惑がわいてくる。

●貧者のひがみ

 週に1回、温泉街にある温泉に行く。
1回の入浴料金は、1000円。
ゆかたを借りると、プラス300円。
たいてい帰りには、回転寿司の店に寄って、一皿100円の寿司を食べる。
あるいは全国チェーンのラーメン店に寄る。
計、2000円。
夫婦で遊んでも、4000円。

 計算するのもバカ臭いから、数字を並べてみる。
温泉+回転寿司            4000円
鳩山首相のポケットマネー 3600000000円

 「0」の数だけ並べ比べても、それがわかるはず。
 それでも、まあ、自分としては、リッチなほうっだと思っている。
好きなことを、予算を考えないでできる。
(たいした予算ではないが……。)

 しかしそれでも、36億円という金額は、想像できない。
しかも新聞報道によれば、毎月5000万円。
それを6年間!

●論理という非論理

 いつの間にか、この日本は、こんなバカげた国になってしまった。
こういう話を耳にするたびに、(まじめ)さが、この国から色あせていく。
つまり自分のしていることが、バカ臭くなっていく。

 もう少しわかりやすい例で説明しよう。

 あなたには3人の子どもがいる。
みんな、腹をすかせている。
電気代もガス代も、節約しなければ、生活できない。
そんな中、隣の家を見ると、煌々と明かりがついている。
垣間見る台所には、食べ物が山のようになっている。
 そんなとき、だれかがあなたにこう言ったとする。
「この世は、より働くものが、よりよい生活ができる。
そうでないものは、そうでない」と。

 あなたはその論理に、素直に納得するだろうか。

●毎月5000万円、6年間!

 そういう人が、日本の総理大臣をしている!
私はこの事実が、許せない。
たとえばあのK国では、首都のP市に住む人だけが、それなりによい生活が
できるという。
P市に住めるというだけで、特権階級。
一方、地方では、09年の秋になってから、餓死者が出始めているという。

 そういう話を聞くと、私たちは、こう思う。
「何て、バカげた国なんだろう」と。
しかしそういう国を、だれが笑うことができるのか。
笑うことができないだけではない。
結局は、私たち日本人も笑われている。

 いくら「悪意性はない」と言っても、そんな論理は、まともな世界では通用しない。
はっきり言えば、狂っている。

一国の首相の母親が、毎月5000万円だと!
それを6年間も!

●退陣あるのみ

 何が、民主主義だ。
民主党だ。
名前を聞いて、あきれる。
民主主義の本質を、根底からひっくり返している。
民主主義そのものを、否定している。
これほどまでの不平等を、自ら放置し、容認するばかりか、その不平等の上に、
どっかりと腰をすえている。

 36億円というポケットマネーは、そういうお金。
どうしてそういう人物が、日本の首相でありえるのか。
日本の首相で、いてよいのか。

 自民党のあのAS前首相には、うんざり。
がっかり。
その上、鳩山首相まで!
いったい、私たちは何を信じたらよいのか。

 最後に一言。

 この問題は、「悪意性がない」とか、あるとかいう問題ではない。
私たちが今感じている、このやりようのない(怒り)。
それが、問題。
挫折感。
失望感。
それが、問題。

 昨日の世論調査によれば、民主党の支持率こそ、50~60%前後だそうだが、
鳩山首相個人への支持率は、10%前後しかないという。
当然のことだ。

あのAS前首相の支持率より低くなったことを、忘れてはいけない。
 「民主党」のために、鳩山首相、ならびに、OZ氏は、即刻退陣したらよい。
がんばればがんばるほど、民主党に与えるダメージは、大きくなる。
日本の民主主義は、後退する。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

【世界の賢者・戦争に関する格言集】by はやし浩司(09年4月8日版)

++++++++++++++++++

勇ましい好戦論ばかりが、聞こえてくる。
しかしそれを唱える人にかぎって、自分では
戦争に行こうとしない。

人、とくに若い人たちに向って、「戦え、戦え」
と言いながら、自分では、奥の座敷でそれを
見物している。

愚かな核武装論にしても、そうだ。
もし日本が核武装するなら、一撃で、中国全土、
あるいはロシア全土を廃墟にできるほどの数の
核兵器をもたねばならない。

が、それができないというのであれば、
(できるわけがないのだが……)、
最初からもつのをやめるべきだ。

日本の平和と安全を守りたいなら、まず、
相手に脅威を与えないこと。

かつてあのインドのネール首相は、こう言った。

『ある国が平和であるためには、他
国の平和もまた保障されねばならない。
この狭い、相互に結合した世界にあっては、
戦争も、自由も、平和も、すべて
たがいに連動している』(「一つの世界をめざして」)と。

では、どうすべきか。

今、世界中が、国際化し始めている。
恩師の田丸先生は、こう教えてくれた。

「中国の若い男女を見ていると、日本の男女と
どこも区別がつかなくなってきています。
情報化がたがいに進めば、やがて中国も日本も
なくなりますよ」と。

私たちがめざすべき未来の世界は、けっして
対立する世界であってはいけない。
仮に為政者たちが対立しても、中身の人間が
同じになれば、やがて戦争は必然的に消滅する。

私たちがめざすべき世界は、そういう世界をいう。

戦争について、考えてみたい。

+++++++++++++++++++


●戦争について

Allow the President to invade a neighboring nation, whenever he shall deem it necessary
to repel an invasion, and you allow him to do so, whenever he may choose to say he
deems it necessary for such a purpose -- and you allow him to make war at pleasure.
If today, he should choose to say he thinks it necessary to invade Canada, to prevent
the British from invading us, how could you stop him? You may say to him, 'I see no
probability of the British invading us' but he will say to you, 'Be silent; I see
it, if you don't.'" -
Abraham Lincoln(A・リンカーン)
すべての大統領に、彼が侵略を追い払うためにそれが必要と思うなら、隣国を侵略するこ
とを許せ。またその目的のためにそれが必要だというのなら、隣国を侵略することを許せ。
そして大統領が望むまま戦争することを許せ。もし今日、英国がわれわれを侵略すること
を防ぐため、カナダを侵略するのが必要という判断を大統領が下したのなら、だれが彼を
止めることができるのか? あなたは「英国が我々を侵略する可能性はありません」と言
うかもしれないが、私は、こう言うだろう。「黙っていろ。もしあなたがわからないなら、
私がそれを知る」と。


The pioneers of a warless world are the youth that refuse military service.
Albert Einstein(A・アインシュタイン)

戦争のない世界における囚人は、軍役を拒否する若者たちである。


A country cannot simultaneously prepare and prevent war.
Albert Einstein(A・アインシュタイン)

国というのは、戦争を準備することと、戦争を防ぐことは、同時にはできないものである。


Never has there been a good war or a bad peace
Benjamin Franklin(B・フランクリン)

今だかって、よい戦争もなければ、悪い戦争もなかった。


Every gun that is made, every warship launched, every rocket fired signifies, in the
final sense, a theft from those who hunger and are not fed, those who are cold and
not clothed.
Dwight D. Eisenhower(D・D・アイゼンハウワー)

どんな銃であれ、戦艦であれ、ロケットであれ、つまるところ、それらは、食物を与えら
れず飢えている人から、ものを盗むようなもの。衣服がなく、寒さに震えている人から、
ものを盗むようなもの。


We have to face the fact that either all of us are going to die together or we are
going to learn to live together and if we are to live together we have to talk.
Eleanor Roosevelt(E・ルーズベルト)

私たちは、つぎの事実に直面しなければならない。私たちみなは、いっしょに死ぬか、で
なければ、いっしょに生きるかのどちらかである。もしいっしょに生きるならば、まずた
がいに対話をしなければならない。


●恐れについて

Taking a new step, uttering a new word, is what people fear most.
Dostoyevsky(ドストエフスキィ)

新しい行動に出ること、新しい言葉を発すること……それが人々がもっとも恐れることだ。


Without fear and illness, I could never have accomplished all I have.
Edvard Munch

恐れと病気がなかったら、私は今私がもっとているものすべてを完遂できなかっただろう。


If someone betrays you once it is their fault, if someone betrays you twice it is your
fault.
Elenor Roosevelt (E・ルーズベルト)

誰かが1度、あなたを裏切ったら、それは彼らの責任だ。しかしもしあなたが2度裏切ら
れたとするなら、それはあなたの責任だ。


To suffering there is a limit; to fearing, none.
Francis Bacon(F・ベーコン)

苦しみに対しては、制限がある。しかし恐れることには、制限はない。


I must not fear. Fear is the mind-killer. Fear is the little-death that brings total
obliteration. I will face my fear. I will permit it to pass over me and through me. And
when it has gone past I will turn the inner eye to see its path. Where the fear has gone
there will be nothing. Only I will remain."
Frank Herbert, Dune ―Bene Gesserit Litany Against Fear

私は恐れてはならない。恐れは、心を殺す。恐れは小さな死であり、それはすべてを忘れ
させる。私は恐れに立ち向かうだろう。私はそれを私の中を通過するのを許すだろう。そ
してそれが過ぎ去ったとき、それが通り過ぎた道を見るため、心の中の目に振り向く。恐
れが去ったとき、そこには何もない。ただ私が残っているだけ。


The fear of aesthetics is the first symptom of powerlessness.
Fyodor Dostoevsky, "Crime and Punishment"(F.ドストエフスキィ・「罪と罰」)

美の哲学としての恐れは、無力の同意語である。


One of the things which danger does to you after a time is -, well, to kill emotion. I don't
think I shall ever feel anything again except fear. None of us can hate anymore - or love.
Graham Greene ―The Confidential Agent (1939)

危険というものをしばらく経験したあとにやってくるものの一つは、感情を失うというこ
と。恐れ以外に再び何も感じないだろう。だれもなにも恨むこともなければ、愛すること
もない。


War is an ugly thing, but not the ugliest of things. The decayed and degraded state of
moral and patriotic feeling which thinks that nothing is worth war is much worse. The
person who has nothing for which he is willing to fight, nothing which is more
important than his own personal safety, is a miserable creature and has no chance of
being free unless made and kept so by the exertions of better men than himself.
John Stuart Mill(J・S・ミル)

戦争は醜いもの。が、もっとも醜いものではない。道徳や愛郷心が腐敗し、堕落すれば、
何も価値がないと思うようになり、それが戦争をさらに悪くする。喜んで戦うべきものを
もたない人、つまり己の安全のみ以上に、大切なものをもたない人は、あわれな生き物で
あり、もし、今以上によりよい自分になるためにそうしているのでないというならば、自
由の感覚を味わうことはない。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW はやし浩司 戦争の論理 意識の乖離 意識のちがいと戦争の原因)


Hiroshi Hayashi++++Dec. 2010++++++はやし浩司・林浩司

●子育ては本能ではなく、学習である

●子育ては本能ではなく、学習である

 子育ては本能でなく、学習である。
つまり人は、自分が親に育てられたという経験があってはじめて、
今度は自分が親になったとき、自然な形で子育てができる。
そうでなければ、そうでない。

 つまり「子育て本能」というのは、高度に知的な動物であれば
あるほど、「ない」。
たとえば人工飼育された動物は、自分では子育てができない。
とくに人間においては、そうである(※1)。

そればかりではない。
乳幼児期は、心の育成という意味では、たいへん重要な時期である。
2000年に入ってから、「ミューチュアル・アタッチメント
(mutual attachment)」という言葉が聞かれるようになった。
母子関係というと、母親側からの乳幼児への一方的な働きかけのみと
考えられている。
しかし実際には、乳幼児側からも、母親に対して働きかけがあることが
最近の研究でわかってきた(※2)。

 この時期に母親の濃密な愛情を経験していない子どもは、そののち、
さまざまな問題を引き起こすことがわかっている。
「基本的不信関係」(※3)もそのひとつ。

 つまり子どもというのは、(あなた自身もそうであったが)、絶対的な
さらけ出しと、絶対的な受け入れ、この2つを基盤として、その上に、
基本的信頼関係を構築する。
「絶対的なさらけ出し」というのは、「どんなことをしても、自分は
許される」という、子ども側の安心感をいう。
「絶対的な受け入れ」というのは、「乳幼児がどんなことをしても、
子どもを受け入れる」という、親側の包容力をいう。

 この基本的信頼関係の構築の失敗すると、基本的不信関係、さらには、
心の開けない子ども、さらには、将来的に親像のない親になる危険性が
高くなる。

人格的にもさまざまな問題を引き起こすことが、わかっている。
ホスピタリズム(※4)も、その一つ。
「施設病」と訳されている。
が、「施設児」、あるいは「施設障害児」と訳すべきか。
わかりやすく言えば、人間的な温もりを喪失した子ども(おとな)になる。
表情の貧弱な子どもになることも、指摘されている。
が、問題は、ここで止まらない。

 先にも書いたように、子ども(人)は、自分が親によって育てられた
という経験(=学習)が体にしみこんでいてはじめて、自分が親になった
とき、自然な形で、子育てができる。

ただ「育てられた」というだけでは、足りない。
濃密な親子関係、とくに濃密な母子関係が重要である。

「子育ては本能ではなく、学習」というのは、そういう意味。
わかりやすく言えば、(しみこみ)。
その(しみこみ)がなければ、自分が親になったとき、自分で子育てが
できなくなる。

 振り返ってみると、現在の親たちが乳幼児のころというのは、日本は
高度成長の真っ最中。
多くの親たちは仕事に忙しく、子どもにじゅうぶんな、つまり濃密な
愛情を注ぐだけの余裕がなかった。
0歳から保育園へ預ける親も少なくなかった。

 そうした子どもが現在、親になり、子育て(?)をしている。
しかしその内容は、かなりいびつなものと考えてよい。
端的に言えば、自分で子育てができない親がふえている。
その結果として、0歳から、保育園は入園させ、子どもを施設に預けて
しまう……。
みながみな、そうというわけではないかもしれない。
共働きをしなければ、生活できないという家庭も多い。
しかし「自分で子育てができない親がふえている」のも、事実。

 さらに一歩踏み込んで、自分の子どもを愛せないと悩んでいる母親も
多い。
8~10%の母親がそうである。
マターナル・デプリベイション(Maternal Deprivation)(母性愛欠乏)
(※5)という言葉も生まれた。

 そこで、子ども園。

 待機児童の多さばかりが問題になる。
しかし実際には、母親の育児負担の軽減としての子ども園。
さらには育児ができない母親たちの、救援施設としての子ども園。
そういう性格も併せもっている。

 私たち日本人は、この繁栄の中で、得たものも多いが、しかし失った
ものも多い。
そのひとつが「家族の絆」ということになる。
「親子関係の濃密さ」と言い替えてもよい。
たとえば欧米では、(今でも)、子育ては権利であると考える親は多い。
義務ではなく、権利である。
その権利が奪われそうになると、彼らはそれに対して、きわめて鋭敏に
反応する。

 が、この日本では、どうか?

 子ども園構想も大切だが、しかし日本の将来を考えるなら、子育ては、
親自身がする。
それが基本である。
その上で、補助的機関として、子ども園を利用する。
その姿勢を忘れてはならない。
もしこんなことを繰り返していたら、日本の乳幼児はやがて、施設のみで
人工飼育されるようになる。
そこで飼育された子どもが、親になり、さらに自分の子どもを施設のみで
人工飼育するようになる。

 その結果、この日本はどうなるか。
それを少しでも頭の中で想像してみたらよい。
そこにあるのは、心の冷たい人間だけが住む、乾いた砂漠のような世界。
そのうしろで寒々とした風が、枯れ葉を舞いあげている……。

 目の前に見える、立派なビルや道路、家や車を見ながら、それでもあなたは、
「この日本は豊かになった」と思うだろうか。……思えるだろうか。

++++++++++++++

(※1)(※2)(※3)(※4)
(※5)について、原稿を添付します。

++++++++++++++

(※1)

●親が子育てできなくなるとき 

●親像のない親たち

 「娘を抱いていても、どの程度抱けばいいのか、不安でならない」と訴えた父親がいた。「子どもがそこにいても、どうやってかわいがればいいのか、それがわからない」と訴えた父親もいた。

あるいは子どもにまったく無関心な母親や、子どもを育てようという気力そのものがない母親すらいた。また二歳の孫に、ものを投げつけた祖父もいた。このタイプの人は、不幸にして不幸な家庭を経験し、「子育て」というものがどういうものかわかっていない。つまりいわゆる「親像」のない人とみる。

●チンパンジーのアイ

 ところで愛知県の犬山市にある京都大学霊長類研究所には、アイという名前のたいへん頭のよいチンパンジーがいる。人間と会話もできるという。もっとも会話といっても、スイッチを押しながら、会話をするわけだが、そのチンパンジーが九八年の夏、一度妊娠したことがある。が、そのとき研究員の人が心配したのは、妊娠のことではない。「はたしてアイに、子育てができるかどうか」(新聞報道)だった。

人工飼育された動物は、ふつう自分では子育てができない。チンパンジーのような、頭のよい動物はなおさらで、中には自分の子どもを見て、逃げ回るのもいるという。いわんや、人間をや。

●子育ては学習によってできる

 子育ては、本能ではなく、学習によってできるようになる。つまり「育てられた」という体験があってはじめて、自分でも子育てができるようになる。しかしその「体験」が、何らかの理由で十分でないと、ここでいう「親像のない親」になる危険性がある。……と言っても、今、これ以上のことを書くのは、この日本ではタブー。いろいろな団体から、猛烈な抗議が殺到する。

先日もある新聞で、「離婚家庭の子どもは離婚率が高い」というような記事を書いただけでその翌日、一〇本以上の電話が届いた。「離婚についての偏見を助長する」「離婚家庭の子どもがかわいそう」「離婚家庭の子どもは幸せな結婚はできないのか」など。「離婚家庭を差別する発言で許せない」というのもあった。私は何も離婚が悪いとか、離婚家庭の子どもが不幸になると書いたのではない。離婚が離婚として問題になるのは、それにともなう家庭騒動である。この家庭騒動が子どもに深刻な影響を与える。そのことを主に書いた。たいへんデリケートな問題であることは認めるが、しかし事実は事実として、冷静に見なければならない。

●原因に気づくだけでよい

 これらの問題は、自分の中に潜む「原因」に気づくだけでも、その半分以上は解決したとみるからである。つまり「私にはそういう問題がある」と気づくだけでも、問題の半分は解決したとみる。それに人間は、チンパンジーとも違う。たとえ自分の家庭が不完全であっても、隣や親類の家族を見ながら、自分の中に「親像」をつくることもできる。ある人は早くに父親をなくしたが、叔父を自分の父親にみたてて、父親像を自分の中につくった。また別の人は、ある作家に傾倒して、その作家の作品を通して、やはり自分の父親像をつくった。

●幸福な家庭を築くために

 ……と書いたところで、この問題を、子どもの側から考えてみよう。するとこうなる。もしあなたが、あなたの子どもに将来、心豊かで温かい家庭を築いてほしいと願っているなら、あなたは今、あなたの子どもに、そういう家庭がどういうものであるかを、見せておかねばならない。いや、見せるだけではたりない。しっかりと体にしみこませておく。そういう体験があってはじめて、あなたの子どもは、自分が親になったとき、自然な子育てができるようになる。
と言っても、これは口で言うほど、簡単なことではない。頭の中ではわかっていても、なかなかできない。だからこれはあくまでも、子育てをする上での、一つの努力目標と考えてほしい。

(付記)

●なぜアイは子育てができるか

 一般論として、人工飼育された動物は、自分では子育てができない。子育ての「情報」そのものが脳にインプットされていないからである。このことは本文の中に書いたが、そのアイが再び妊娠し、無事出産。そして今、子育てをしているという(二〇〇一年春)。これについて、つまりアイが子育てができる理由について、アイは妊娠したときから、ビデオを見せられたり、ぬいぐるみのチンパンジーを与えられたりして、子育ての練習をしたからだと説明されている(報道)。しかしどうもそうではないようだ。

アイは確かに人工飼育されたチンパンジーだが、人工飼育といっても、アイは人間によって、まさに人間の子どもとして育てられている。アイは人工飼育というワクを超えて、子育ての情報をじゅうぶんに与えられている。それが今、アイが、子育てができる本当の理由ではないのか。

(参考)

●虐待について 

 社会福祉法人「子どもの虐待防止センター」の実態調査によると、母親の五人に一人は、「子育てに協力してもらえる人がいない」と感じ、家事や育児の面で夫に不満を感じている母親は、不満のない母親に比べ、「虐待あり」が、三倍になっていることがわかった(有効回答五〇〇人・二〇〇〇年)。

 また東京都精神医学総合研究所の妹尾栄一氏は、虐待の診断基準を作成し、虐待の度合を数字で示している。妹尾氏は、「食事を与えない」「ふろに入れたり、下着をかえたりしない」などの一七項目を作成し、それぞれについて、「まったくない……〇点」「ときどきある……一点」「しばしばある……二点」の三段階で親の回答を求め、虐待度を調べた。その結果、「虐待あり」が、有効回答(四九四人)のうちの九%、「虐待傾向」が、三〇%、「虐待なし」が、六一%であった。この結果からみると、約四〇%弱の母親が、虐待もしくは虐待に近い行為をしているのがわかる。

 一方、自分の子どもを「気が合わない」と感じている母親は、七%。そしてその大半が何らかの形で虐待していることもわかったという(同、総合研究所調査)。「愛情面で自分の母親とのきずなが弱かった母親ほど、虐待に走る傾向があり、虐待の世代連鎖もうかがえる」とも。

●ふえる虐待

 なお厚生省が全国の児童相談所で調べたところ、母親による児童虐待が、一九九八年までの八年間だけでも、約六倍強にふえていることがわかった。(二〇〇〇年度には、一万七七二五件、前年度の一・五倍。この一〇年間で一六倍。)

 虐待の内訳は、相談、通告を受けた六九三二件のうち、身体的暴行が三六七三件(五三%)でもっとも多く、食事を与えないなどの育児拒否が、二一〇九件(三〇・四%)、差別的、攻撃的言動による心理的虐待が六五〇件など。虐待を与える親は、実父が一九一〇件、実母が三八二一件で、全体の八二・七%。また虐待を受けたのは小学生がもっとも多く、二五三七件。三歳から就学前までが、一八六七件、三歳未満が一二三五件で、全体の八一・三%となっている。

Hiroshi Hayashi++++Nov. 2010++++++はやし浩司・林浩司

(※2)ミューチュアル・アタッチメント

【新生児の謎】

●人間の脳の大きさは、母体の産道(骨盤)の大きさに比例する

+++++++++++++++++

進化の過程で、人間の脳は、より
大きくなってきた。

350万年前の猿人(アウストラロピテクス) ……約 375cc
190万年前の原人(ホモハビリス)     ……約 750cc
150万年前の人間の祖先(ホモエレクゥス) ……約 950cc
25万年前の人間、現代人(ホモサピュエンス)……約1500cc
(現代人の平均的脳容積           ……約1600cc)
(参考、チンパンジーの脳容量……約350~400cc)
(出典:別冊日経サイエンス、「るい・NETWORK」)

+++++++++++++++++

胎児は母体の産道(骨盤の間)をくぐり抜けて、生まれる。
そのときもし胎児の頭の大きさが、産道よりも大きければ、胎児は、母胎の産道をくぐり抜けることができない。

だから『人間の脳の大きさは、母体の産道の大きさに比例する』。

胎児の頭が大きくなればなるほど、母体の産道の直径は大きくなければならない。
もし胎児が産道をくぐり抜けることができなければ、胎児が死ぬか、反対に母親が死ぬかのどちらかになる。
が、反対に、母体の産道が大きくなればなるほど、胎児の頭も大きくなるかといえば、それは言えない。

たとえば人間以外のほかの動物のばあい、頭よりも体のほうが大きい。
またその多くは、2体以上の子どもを出産する。
頭の大きさが問題になることは、ない。
つまりほかの動物のばあい、母体の産道の大きさは、頭というより、体の大きさによって決まる。(その反対でもよいが……)。

が、人間だけは、いびつなまでに、頭だけが大きい。
なぜか?

●頭を大きくするために

人間の脳を、今以上に大きくするためには、母体の産道を大きくするか、胎児そのものを、人工胎盤で育てるしかない。
よくSF映画の中にも、そういうシーンが出てくる。
大きな水槽の中で、胎児が人工飼育(?)されているシーンである。

水槽の中に胎児が浮かび、へその緒は、水槽外の栄養補給装置とつながっている。

この方法であれば、胎児は何の制約も受けず、自分の頭、つまり脳を大きくすることができる。いくら大きくなっても、出産時の問題は起きない。

「あれはSF映画の中の話」と思う人もいるかもしれないが、現在の科学技術だけをもってしても、けっして、不可能ではない。
現在でも、一度体外に取り出した女性の卵子に、人工授精させ、再び母体に戻すという方法は、ごくふつうのこととしてなされている。
あと50~100年もすれば、こうした方法、つまり人工胎盤を用いた育児法が、ごくふつうのこととしてなされるようになるかもしれない。

●2つの問題

が、ここで2つの問題が起きる。
厳密には、3つの問題ということになるが、3つ目は、このつぎに書く。

ひとつは、こうして生まれた子どもは、頭が大きくなった分だけ、つぎの代からは、自然分娩による出産がむずかしくなるだろうということ。
代を重ねれば重ねるほど、むずかしくなるかもしれない。

「ぼくは人工胎盤で生まれたから、ぼくの子どもも、人工胎盤で育てる」と。
そう主張する子どもがふえることも考えられる。

もうひとつの問題は、『頭が大きくなればなるほど、脳の活動は鈍くなる』ということ。

脳というのは、コンピュータの構造に似ている。
とはいうものの、シナプス間の信号伝達は、電気的信号ではなく、化学反応によってなされる。
この(化学反応)という部分で、脳は大きくなればなるほど、信号伝達の速度が遅くなる。
言いかえると、脳は小さければ小さいほど、信号伝達の速度が速い。
このことは昆虫などの小動物を見ればわかる。
こうした小動物は、知的活動は別として、人間には考えられないような速い動きをしてみせる。

つまり頭を大きくすることによって、より高度な知的活動ができるようになる反面、たとえば運動能力をともなう作業的な活動になると、かえって遅くなってしまう可能性がある。
歩くときも、ノソノソとした動きになるかしれない。
ひょっとしたら、頭の反応も鈍くなるかもしれない。

これら2つの問題は、克服できない問題ではない。
が、もうひとつ、深刻な問題がある。

●豊かな感情は人間の財産

人工胎盤で育てられた子どもは、はたして人間的な感情をもつだろうか?

豊かな感情は、安定した母子関係の中ではぐくまれる……というのが、現在の常識である。
とくに生後直後から、満2歳前後までに、その子どもの感情、つまり情緒的発達は完成される。

しかし胎児のばあいは、どうだろうか。
胎児は母親の母体内にいる間、母親の愛情を感ずることはないのだろうか。

が、これについては、「感じている」と考えるのが、自然である。
最近の研究によれば、誕生直後の新生児ですら、実は母親に向かって(働きかけ)を行っていることがわかってきた。
たとえば新生児は新生児で、本能的な部分で、自らの(かわいさ)を演出することによって、親の愛情を自分に引きつけようとする。
つまり新生児の側からも、働きかけがあるということになる。
それまでは、たとえば愛情表現にしても、母親から新生児への一方的なものと考えられてきた。
「母親から新生児への働きかけはあっても、新生児からの働きかけはない」と。

母親から新生児へ、新生児から母親へ。
こうした相互の(働きかけ)を、「ミューチュアル・アタッチメント(Mutual Attachment)」という。

が、その「ミューチュアル・アタッチメント」が、誕生直後から始まると考えるのには、無理がある。
あらゆる生物は、もちろん人間もだが、その成長過程において、連続性を維持しながら成長する。
誕生と同時に、突然、「ミューチュアル・アタッチメント」が始まるというわけではない。
胎児は胎児であるときから、「ミューチュアル・アタッチメント」は始めていると考えるのが、自然である。

となると、人工胎盤のばあい、胎児は、その「ミューチュアル・アタッチメント」が、できないということになる。
人工胎盤の中の胎児は、暗くて冷たい、孤独な世界でもがき、苦しむということになる。
いくら働きかけをしても、それに応えてくれる母親は、そこにいない!

仮に100歩譲って、何とか情緒面の問題を克服して誕生したとしても、今度は、そういう子どもに対して、卵子の提供者でしかない母親が、母親としてのじゅうぶんな愛情を感ずることができるかどうかという問題もある。

母親は10か月という長い期間、自分の胎内で子どもを育てるうちに、母親としての愛情を自覚する。
あるいは出産の苦しみをとおして、その愛情を倍加させる。
もちろん夫の役割も無視できない。
妻の出産を喜ぶ夫。
そういう姿を見て、母親である妻は、さらに子どもへの愛情を倍加させる。

こうしたプロセスを省略した子どもが、はたして、感情豊かな子どもに成長するかどうかということになると、あ・や・し・い。

●人間の脳

ところで進化の過程で、人間の脳は、より大きくなってきたと言われている。

ちなみに、猿人、原人、旧人、新人、現代人の脳容積はつぎのようになっている。

350万年前の猿人(アウストラロピテクス) ……約 375cc
190万年前の原人(ホモハビリス)     ……約 750cc
150万年前の人間の祖先(ホモエレクトゥス)……約 950cc
25万年前の人間、現代人(ホモサピュエンス)……約1500cc
(現代人の平均的脳容積           ……約1600cc)
(参考、チンパンジーの脳容積……約350~400cc)
(出典:別冊日経サイエンス、「るい・NETWORK」)

ここで私は、「進化」という言葉を使ったが、実のところ現代人の祖先というのは、定かではない。
ただ言えることは、人間(ヒト)は、猿(サル)から進化したのではないということ。
反対に、たとえばチンパンジーにしても、やがて人間のように進化するということは、ありえない。
人間は、人間。
猿は、猿。
それぞれが、完成された個体である。

もちろん人間がここまで進化する過程の中では、猿人→原人→旧人→新人のそれぞれの段階で、無数の新種が生まれ、そして絶滅していった。
たとえばよく知られた例として、ネアンデルタール人がいる。
ネアンデルタール人は、人間の祖先であるホモサピエンスとそれほど能力的には差がなかったものの、今から1万数千年前に、絶滅している。

●未熟化する新生児

仮に産道の大きさはそのままで、胎児の頭だけが大きくなったら、どうなるか。
先にも書いたように、胎児は、母親の産道をくぐり抜けることができなくなる。
そうなれば母体である母親が死ぬか、胎児が死ぬかの、どちらかしかない。

が、ほかに方法がないわけではない。

胎児の頭がまだ、産道をくぐり抜けることができる大きさの段階で、出産するという方法である。
つまり新生児としては未熟だが、その段階で母体から離され、そのあと、母体の外で育てる。
現に新生児の体重は、3200グラム弱(平均)とされているが、(平均体重は、この10年、年々減少傾向にあるが……)、その1か月後には、体重は、約1・5倍に増加する。
2か月で2倍になる新生児も少なくない。

つまり人間の子どもの出産は、きわめて微妙な時期を選んでなされることが、これでわかる。
もし出産時が、1か月早ければ、新生児は、特別な介護なくしては生きていくことすらむずかしい。
一方、もし1か月遅ければ、体重が増加し、ついで頭も大きくなり、出産そのものがむずかしくなる。

ちょうどよいころに、ちょうどよい、……というギリギリのところで母親は子どもを出産する。子どもは、うまく産道をくぐり抜ける。

が、疑問は、残る。

なぜ人間だけが、こうまで未熟な状態で、母体から生まれるのか、という疑問である。
新生児のばあい、少なくとも生後6か月まで、保護者による手厚い保護がないかぎり、自分で生きていくことはおろか、動き回ることすら、できない。

●進化論への疑問

ここにも書いたように、人間は人間として、今に見る人間に進化した。
「今の今も進化しつづけている」と説く人もいるが、反対に、「同時に退化しつづけている」と説く人もいる。

突然変異というのは、まさに両刃の剣。
突然変異によって進化することもあるが、それまでの重要な遺伝子を喪失することもある。
つまり進化と退化は、相互に関連し合いながら、同時進行的に進むと考えてよい。

が、それはさておき、人間が今に見る人間になるについて、「ダーウィン的な進化論では説明できない進化」と説く学者も少なくない。

進化論の世界では、「10万年に1回の、ささいな変化」でも、「突然変異」とみるのだそうだ。
が、こと人間に関していえば、ほぼ20万年単位で「大・突然変異」を繰りかえし、今に見る人間になった。

たとえば「人類の祖先は、420万年前からずっと二足歩行していたにもかかわらず、350万年前の猿人の脳容量は、ほとんどチンパンジーと変わっていない」(「るい・NETWORK・生物史」)そうだ。

「二足歩行するようになったから、脳容積が大きくなった」という従来の常識にも、よくよく考えてみればおかしいということになる。

そこで現われたのが、「作為説」。
「つまり人間は、その進化の過程で、何ものかによって、作為的に改良された」という説である。

この説を説く学者も少なくない。

『……スミソニアン協会の著名な生物学者オースチン・H・クラーク氏は、進化論についてこう述べています。

「人間が下等な生命形態から、段階的に発達してきたという証拠はない。いかなる形においても人間をサルに関連づけるものは何もない。人間は突然に、今日と同じ形で出現した」』(指摘:「宇宙GOGO」HPより)と。

「なぜ人間だけが、こうまで未熟な状態で、母体から生まれるのか」という疑問についても、未熟なまま生まれるというように、だれかによって操作されたとも、考えられなくはない。

そのだれかとは、だれか?

このあたりから、話が、SF的になる。
あるいはどこか宗教的になる。
実際、こうした説に基づいて活動しているカルト教団もある。
だから私の話は、ここまで。

この先のことは、皆さんの判断に任せるが、UFOが存在し、当然、宇宙人が存在するというこになれば、私たち人間が、その宇宙人によって何らかの(作為的な改良)を受けたことがあるのではないかと考えても、おかしくない。

とくに(脳)については、そうである。
なぜ私たちの脳は、こうまで飛躍的に進化してしまったのか?
わずか5500年以前には、私たちは火の使い方すら知らない新石器人間であったことを考えるなら、この疑いは大きくなることはあっても、小さくなることはない。

(注)自分で読み返しても、稚拙な内容の文章だと思う。
文章もへたくそだし、つっこみも甘い。
が、私はここを出発点として、さらにこの問題について、考えてみたい。

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 Hiroshi Hayashi education essayist writer Japanese essayist 産道 胎児の大きさ 胎児の頭 人間の脳)

Hiroshi Hayashi++++Nov. 2010++++++はやし浩司・林浩司

(※3)基本的信頼関係

【基本的不信関係】

+++++++++++++++++++++++

私は子どものころから、心の開けない人間だった。
今も、そうだ。

+++++++++++++++++++++++

●基本的信頼関係

 0歳期に、母親との信頼関係の構築に失敗すると、
子どもは、いわゆる(心の開けない子ども)になる。
こうした状態を、「基本的不信関係」と呼ぶ。
が、基本的不信関係の恐ろしさは、これにとどまらない。
一度、基本的信頼関係の構築に失敗すると、その後遺症は、
一生にわたってつづく。
修復するのは不可能とまでは言い切れないが、自然の状態で、
修復されることは、まずない。

●絶対的なさらけ出し

 (絶対的なさらけ出し)と、(絶対的な受け入れ)。
この2つの上に、基本的信頼関係は、構築される。
「絶対的」というのは、「疑うこともない」という意味。

 「私は親の前で、どんなことでもできる」というのが、
絶対的なさらけ出し。
「子どもがどんなことをしても許す」というのが、
絶対的な受け入れ。
それは、親側に子どもを全幅に包み込む愛情があって、
はじめて可能。

●不幸にして・・・

 が、不幸にして、不幸な家庭に育った子どもは、
少なくない。
家庭不和、育児拒否、家庭騒動、経済問題、無視、冷淡など。
親にしても、「子育てどころではない」となる。
こういう環境で育つと、子どもは、基本的信頼関係の
構築をすることができなくなる。
一見、愛想はよくなるが、それは子ども本来の姿ではない。
中に、「うちの子は、人見知りも、後追いもしませんでした」と
言う親がいる。
どこか自慢げに言う人もいるが、それは自慢すべきような
話ではない。

 良好な家庭環境で育てば、子どもは1歳7か月前後まで、
他人には警戒し、自分の親が見えなくなると、後を追いかけたり
する。

●孤独という無間地獄

 「人を信じられない」というのは、たいへん不幸なことである。
「信じられない」だけでは、すまない。
それと引き換えに、「孤独」を背負う。
その孤独が、こわい。
どうこわいかは、仏教でも、「無間の孤独地獄」と表現している
ことからも、わかる。
キリスト教でも、「愛」を横軸とするなら、「魂の解放」、つまり、
「渇き(=孤独)」からの解放を縦軸としている。
(これは私の勝手な解釈によるものだから、まちがっていたら、
ごめん。)

 実のところ、この私がそうである。

●父と母

 私は不幸にして、不幸な家庭に育った。
家庭教育の「か」の字もないような、家庭だった。
戦後直後のドサクサ期ということもあった。
父は、傷痍軍人として帰国。
やがて酒に溺れるようになった。
母は、虚栄心が強く、わがままで自分勝手だった。
その上、みな、食べていくだけで、精一杯という
時代だった。

 基本的信頼関係など、もとから望むべくもない。
私が生来的にもつ不安感、焦燥感は、すでにそのころから
始まっていたとみるべき。

●シッポ

 子どものころの私を知る人たちは、みな、こう言う。
「浩司は、明るくて、朗らかな子だった」と。
しかしそう言われるたびに、私は大きな違和感を覚える。
私はだれにでもシッポを振るような子どもだった。
相手に合わせて、おじょうずを言ったり、うまく取り入ったり
した。

 が、けっして相手を信用しなかった。
いつも私の心の中には、別の目があって、その目で相手を
ながめていた。
「この人の目的は何か」
「この人は、私をどう利用しようとしているのか」
「私は、この人をどう利用したらいいのか」
「あるいは、利用価値はあるのか」と。

●4つのパターン
 
 基本的信頼関係の構築に失敗すると、ふつう、つぎの
4つのタイプの子ども(人間)になると言われている。

(1) 攻撃型(ツッパル)
(2) 服従型(親分肌の子どもに徹底的に服従する)
(3) 依存型(ベタベタと甘える)
(4) 同情型(わざと弱々しさを演じて同情を集める)

 が、何も子どもにかぎらない。
一度、こうした傾向が子ども時代(思春期前夜から思春期)に
現れると、その症状は、一生、つづく。
それがその人の、性格的ベースになる。

●不安と焦燥感

 私が基本的に、淋しがり屋なのは、基本的不信関係に起因
している。
が、それだけではない。
先にも書いたように、常に襲いくる不安と焦燥感。
この2つの間で、いまだに苦しんでいる。

 わかっていても、どうすることもできない。
「だれかを信じたい」という思いは強いが、信ずるほど、
心を開くことができない。
いつも一歩、その手前で、相手を疑ってしまう。
そして裏切られることを恐れ、裏切られる前に、相手を
裏切ってしまう。
裏切ることはないにしても、裏切られることに、強い
警戒心をいだく。

●シッポを振る

 そのため、基本的不信関係の人は、心がもろく、傷つき
やすい。
「私は私」と、デンと構えることができない。
わかりやすく言えば、ガタガタ。
「シッポを振る」というのは、そういうことをいう。

 孤独でさみしいから、人の中に入っていく。
しかし自分をさらけ出すことができない。
だから疲れる。
精神疲労を、起こしやすい。
で、家に帰ってきて、「もう、いやだ~ア」と、声をはりあげる。

 ショーペンハウエルという学者は、それを『2匹のヤマアラシ』
という言葉を使って説明した。

●2匹のヤマアラシ

 ある寒い夜のこと。
2匹のヤマアラシが、たがいによりそって、暖をとることにした。
しかし近づきすぎると、たがいの針が痛い。
離れると、寒い。
そこで2匹のヤマアラシは、一晩中、近づいたり、離れたりを
繰り返していた。

 基本的不信関係にある人の、心理状態を、たくみに説明している。
このタイプの人は、(孤独)と(精神疲労)の間を、行ったり、
来たりする。
が、それだけではない。

●孤独の世界

 「人を信じたい」と思う。
しかし信じられない。
信じられそうになると、それがこわくて、自ら逃げてしまう。
自分のほうから、ぶち壊してしまうこともある。
「本当の私を知ったら、みんな逃げていく」と。

 愛についてもそうだ。
「人を愛したい」と思う。
しかし愛せない。
愛されそうになると、それがこわくて、自ら逃げてしまう。
自分のほうから、ぶち壊してしまうこともある。
「本当の私を知ったら、みんな逃げていく」と。

 こうして自らを、ますます孤独の世界へと追いやっていく。

●基底不安

 もうひとつの特徴は、いつ果てるともなくつづく、悶々と
した不安感。
「基底不安」ともいう。

 もっともその不安感を強く覚えたのは、子どものころ。
おとなになるにつれて、原発的な不安感は消え、姿を
変えた。

 たとえば長い休暇を手にしたとする。
長いといっても、1~2週間である。
そういうとき私は、遊ぶことに対して、おかしな罪悪感を
覚える。
「遊んでいてはいけないのだ」という罪悪感である。
人は、そういう私を批評して、「貧乏性」という。

 だから私のばあい、利益があるとかないとか、
そういうことには関係なく、働いていたほうが、気が楽。
何かをしていないと、落ち着かない。

●悪夢

 もうひとつは、悪夢。
悪夢といっても、怪獣が出てくるとか、悪魔が出てくる
とかいうものではない。
何かに乗り遅れるという夢である。

 たとえばどこかの旅行地に行っている。
飛行機に乗る時刻が迫っている。
空港まで行くリムジンは、ホテルの前で待っている。
しかし部屋の中は、散らかったまま……。
急いで片付けているのだが、すでにバスはそこにいない。

 内容はさまざまだが、基本的な部分は同じ。
こうした夢を、ほとんど毎朝のように見る。

●世代連鎖

 話を戻す。 
さらに言えば、その人が基本的不信関係の人であっても、
それはその人の範囲での問題ということになる。
不幸な過去について、その人に責任があるわけではない。
しかしあくまでも、その人、個人の問題。

 それに私の世代でいうなら、みな、そうだった。
「戦争」というのは、そういうもの。
人心そのものを荒廃させる。
あの時代、まともな家庭環境で育った人のほうが、少ない。

 が、この基本的不信関係は、きわめて世代連鎖しやすい。
親から子へと伝わりやすい。
親が心を閉じていて、どうして子が、心を開ける子どもに
なるだろうか。
夫婦関係についても、同じ。
夫が心を閉じていて、どうして妻が、心を開ける妻に
なるだろうか。
友人関係や、近隣関係、さらには親類関係にしても同じ。
この問題には、そういう深刻な側面が含まれる。

●私たちの子育て

 私のばあいも、結婚はしたものの、妻にさえ、心を
開くことができなかった。
妻も、4歳くらいのときに、母親をなくしている。
ともにいびつな家庭環境で、生まれ育った。

 だから今にして思えば、私たちのした子育ては、どこか
いびつだった。
子育ての情報そのものが、脳の中に、インプットされて
いなかった。
おまけに、私たちを指導してくれる人さえ、近くにいなかった。
暗闇の中を、手探りで、子育てをしているようなものだった。

 私は(仕事の虫)となって、夢中で仕事をした。
家庭を顧みなかった。
ワイフのほうはどうかは知らないが、全体としてもみても、
平均的な母親よりは、愛情が希薄だったと思う。
3人の子どもたちは、日常的に愛情飢餓の状態に置かれた。

●母自身も犠牲者(?)

 先ほど、世代連鎖のことを書いた。
実のところ、私が基本的不信関係に陥ったのは、私の母との
関係だけ、というふうに考えるには、無理がある。

 このことは最近になって、いとこたちと話すことで知った。
当人たちは、それに気づいているかどうかは知らないが、いとこの
中には、私と同じような症状で苦しんでいる人が多い。
つまり私の母自身も、心の開けない人だった。
虚栄心が強かったのも、そのひとつということになる。

 同じように、いとこたちの中にも、心の開けない人がいる。
そういう人を知ることによって、私の母自身も、その前の
世代から、世代連鎖を経て、あのような母になったことがわかる。
こんなことがあった。

●ある知人

 あるいとこと、いっしょに食事をしたときのこと。
当時私は、入眠導入剤というのを、のんでいた。
いわゆる「眠り薬」である。
ときどき眠り損ねると、夜中の2時、3時まで、眠られない
ことがある。
それでそういう薬を、医師に処方してもらった。

 で、その話をして、ふと薬を見せると、そのいとこは、
その薬名を、さっとメモに書き写していた。
イヤ~ナ気分だった。
何かを調べられているような気分だった。

 実のところ、そのいとこも、愛想はよいが、だれにも
心を許さないタイプの男だった。
ただ私とのちがいは、私にはそれがわかったが、その
知人には、それがわからなかったということ。
もちろん「基本的不信関係」という言葉すら、知らないだろう。

●オーストラリア

 私が「心を開く」ということを知ったのは、オーストラリアへ
渡ってからのこと。
オーストラリア人というのは、総じて、心がオープン。
戦勝国として、戦後、きわめて恵まれた国で、みな生まれ育った。
当時は、世界でも1、2を争うほど、豊かな国だった。

 たとえば映画館などでも、静かに映画を観ているような客は
いない。
画面に反応して、声を張り上げたり、手を叩いたりして観ていた。
海辺へ行けば、みな、素っ裸で、泳いだ。
男も、女もない。
そういうオーストラリア人と接するうちに、私は、心を開くことが
どういうことかを知った。
そのせいか、今でも、個人的な悩みや苦しみは、相手がオーストラリア
人だと、話せる。
日本人だと、話せない。

 あるいは今でも、相手がオーストラリア人とわかったとたん、
10年来、20年来の友人のように、話しかけていくことが
できる。

●私の教室では・・・

 今、多くの幼児を教えさせてもらっている。
で、あのピアジェも、人間は、2度、作りかえるチャンスが
あるというようなことを説いている。
一回目は、1・5歳~2歳前後※。
しかしこれは私の専門外。

 もう1度は、4~5歳※にかけての時期。
(※年齢は、記憶によるものなので、不正確。)
これについては、私も納得する。

この時期に適切な指導をすれば、心の開けない子どもでも、心を
開くことができるようになる。
子ども自身が、大きく変化する。

 もちろんそんなことは親には言わない。
言っても理解されないだろう。
しかし私はそういう子どもを知ると、猛烈な指導意欲が
わいてくる。
それは自分自身との闘いのようなもの。
そしてこう思う。
「ぼくが直して(治して)やろう!」と。

 不幸にして不幸な家庭に生まれ育ち、(けっして
見た目の裕福さにだまされてはいけない)、心が
開けなくなった子どもは、多い。
そういう子どもを見かけると、とても他人ごとのように
思えなくなる。

●知っているのは、私だけ

 もちろん子ども自身も、それに気がつくことはない。
仮に開けるようになったとしても、私のおかげで
そうなったとは、思わない。
ただ自分が味わった不幸、現在進行形でつづいている
不幸だけは、経験させたくない。
そういう思いが、強く働く。

 方法は、簡単。
大声でゲラゲラと笑わせる。
言いたいことを言わせる。
心の状態と表情を一致させる。

 が、この時期を逃したら・・・。
この問題にも臨界期のようなものがあって、それ以後、
心を開くようになるのは、たいへんむずかしい。

●終わりに・・・

 ほとんどの人は、「私は私」と思っている。
しかしその「私」は、けっして私ではない。
繰り返しになるが、私のばあいも、日々に襲いくる不安感と
焦燥感。
いまだにそれに苦しんでいる。
人を信じられない孤独感を、どうしようもないでいる。

 が、それが本当の「私」かというと、そうは思いたくない。
そういう「私」は、環境の中で、作られた「私」でしかない。
私は、作られた「私」にあやつられているだけ。

 ……ということで、ここでの結論。

●結論

 まず、そういう「私」であることを知ること。
そういう「私」で知った上で、そういう「私」と、うまくつきあうこと。
直そうとおもって、直るものではない。
直そうともがけばもがくほど、深みにはまってしまう。

この問題は、本能に近い部分にまで、刻み込まれている。
また前頭連合野の理性で、コントロールできるような問題もない。
だから、あとは、うまくつきあっていくしかない。
つまり居直る。
「私は、こういう私」と居直る。

 だれしもこの程度の十字架の、1本や2本を背負っている。
十字架を背負っていない人はいない。
まずいのは、そういう「私」がいることに気づかず、それに振り回される
こと。
同じ失敗を繰り返すこと。

このエッセーが、あなたの中の「私」を発見するための手がかりになれば、
うれしい。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW はやし浩司 基本的信頼関係 基本的不信関係 ショーペンハウエル 2匹のヤマアラシ 私探し はやし浩司 私とは 心を開く 幼児教育 解放 心の解放 はやし浩司)

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以前書いた原稿を、1作、
添付します。
内容がダブりますが、お許しください。

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【基本的信頼関係】



信頼関係は、母子の間で、はぐくまれる。



絶対的な(さらけ出し)と、絶対的な(受け入れ)。「絶対的」というのは、「疑いをいだかない」という意味である。こうした相互の関係が、その子ども(人)の、信頼関係の基本となる。



 つまり子ども(人)は、母親との間でつくりあげた信頼関係を基本に、その関係を、先生、友人、さらには夫(妻)、子どもへと応用していくことができる。だから母親との間で構築される信頼関係を、「基本的信頼関係」と呼ぶ。



 が、母子との間で、信頼関係を結ぶことに失敗した子どもは、その反対に、「基本的不信関係」に陥(おちい)る。いわゆる「不安」を基底とした、生きザマになる。そしてこうして生まれた不安を、「基底不安」という。



 こういう状態になると、その子ども(人)は、何をしても不安だという状態になる。遊んでいても、仕事をしていても、その不安感から逃れることができない。その不安感は、生活のあらゆる部分に、およぶ。おとなになり、結婚してからも、消えることはない。夫婦関係はもちろんのこと、親子関係においても、である。



 こうして、たとえば母親について言うなら、いわゆる不安先行型、心配先行型の子育てをしやすくなる。



●基底不安



 親が子育てをしてい不安になるのは、親の勝手だが、ほとんどのばあい、親は、その不安や心配を、そのまま子どもにぶつけてしまう。



 しかし問題は、そのぶつけることというより、親にその自覚がないことである。ほとんどの親は、不安であることや、心配していることを、「ふつうのこと」と思い、そして不安や心配になっても、「それは子どものため」と思いこむ。



 が、本当の問題は、そのつぎに起こる。



 こうした母子との間で、基本的信頼関係の構築に失敗した子どももまた、不安を基底とした生きザマをするようになるということ。



 こうして親から子どもへと、生きザマが連鎖するが、こうした連鎖を、「世代連鎖」、あるいは「世代伝播(でんぱ)」という。



 ある中学生(女子)は、夏休み前に、夏休み後の、実力テストの心配をしていた。私は、「そんな先のことは心配しなくていい」と言ったが、もちろんそう言ったところで、その中学生には、説得力はない。その中学生にしてみれば、そうして心配するのは、ごく自然なことなのである。

(はやし浩司 基本的信頼関係 基底不安)





●人間関係を結べない子ども(人)



人間関係をうまく結ぶことができない子どもは、自分の孤独を解消し、自分にとって居心地のよい世界をつくろうとする。その結果、大きく分けて、つぎの四つのタイプに分かれる。



(1)攻撃型……威圧や暴力によって、相手を威嚇(いかく)したりして、自分にとって、居心地のよい環境をつくろうとする。

(2)依存型……ベタベタと甘えることによって、自分にとって居心地のよい環境をつくろうとする。

(3)服従型……だれかに徹底的に服従することによって、自分にとって居心地のよい環境をつくろうとする。

(4)同情型……か弱い自分を演ずることにより、みなから「どうしたの?」「だいじょうぶ?」と同情してもらうことにより、自分にとって、居心地のよい世界をつくろうとする。



それぞれに(プラス型)と、(マイナス型)がある。たとえば攻撃型の子どもも、プラス型(他人に対して攻撃的になる)と、マイナス型(自虐的に勉強したり、運動をしたりするなど、自分に対して攻撃的になる)に分けられる。



 スポーツ選手の中にも、子どものころ、自虐的な練習をして、有名になった人は多い。このタイプの人は、「スポーツを楽しむ」というより、メチャメチャな練習をすることで、自分にとって、居心地のよい世界をつくろうとしたと考えられる。



●子どもの仮面



 人間関係をうまく結べない子ども(人)は、(孤立)と、(密着)を繰りかえすようになる。



 孤独だから、集団の中に入っていく。しかしその集団の中では、キズつきやすく、また相手をキズつけるのではないかと、不安になる。自分をさらけ出すことが、できない。できないから、相手が、自分をさらけ出してくると、それを受入れることができない。



 たとえば自分にとって、いやなことがあっても、はっきりと、「イヤ!」と言うことができない。一方、だれかが冗談で、その子ども(人)に、「バカ!」と言ったとする。しかしそういう言葉を、冗談と、割り切ることができない。



 そこでこのタイプの子どもは、集団の中で、仮面をかぶるようになる。いわゆる、いい子ぶるようになる。これを心理学では、「防衛機制」という。自分の心がキズつくのを防衛するために、独特の心理状態になったり、独特の行動を繰りかえすことをいう。



 子ども(人)は、一度、こういう仮面をかぶるようになると、「何を考えているかわからない子ども」という印象を与えるようになる。さらに進行すると、心の状態と、表情が、遊離するようになる。うれしいはずなのに、むずかしい顔をしてみせたり、悲しいはずなのに、ニンマリと笑ってみせるなど。



 この状態になると、一人の子ども(人)の中に、二重人格性が見られるようになることもある。さらに何か、大きなショックが加わると、人格障害に進むこともある。



●すなおな子ども論



 従順で、おとなしく、親や先生の言うことを、ハイハイと聞く子どものことを、「すなおな子ども」とは、言わない。すなおな子どもというときには、二つの意味がある。



一つは情意(心)と表情が一致しているということ。うれしいときには、うれしそうな顔をする。いやなときはいやな顔をする。



たとえば先生が、プリントを一枚渡したとする。そのとき、「またプリント! いやだな」と言う子どもがいる。一見教えにくい子どもに見えるかもしれないが、このタイプの子どものほうが「裏」がなく、実際には教えやすい。



いやなのに、ニッコリ笑って、黙って従う子どもは、その分、どこかで心をゆがめやすく、またその分、心がつかみにくい。つまり教えにくい。



 もう一つの意味は、「ゆがみ」がないということ。ひがむ、いじける、ひねくれる、すねる、すさむ、つっぱる、ふてくされる、こもる、ぐずるなど。



ゆがみというのは、その子どもであって、その子どもでない部分をいう。たとえば分離不安の子どもがいる。親の姿が見えるときには、静かに落ちついているが、親の姿が見えなくなったとたん、ギャーとものすごい声をはりあげて、親のあとを追いかけたりする。その追いかけている様子を観察すると、その子どもは子ども自身の意思というよりは、もっと別の作用によって動かされているのがわかる。それがここでいう「その子どもであって、その子どもでない部分」ということになる。



 仮面をかぶる子どもは、ここでいうすなおな子どもの、反対側の位置にいる子どもと考えるとわかりやすい。



●仮面をかぶる子どもたち



 たとえばここでいう服従型の子どもは、相手に取り入ることで、自分にとって、居心地のよい世界をつくろうとする。



 先生が、「スリッパを並べてください」と声をかけると、静かにそれに従ったりする。あるいは、いつも、どうすれば、自分がいい子に見られるかを、気にする。行動も、また先生との受け答えのしかたも、優等生的、あるいは模範的であることが多い。



先生「道路に、サイフが落ちていました。どうしますか?」

子ども「警察に届けます」

先生「ブランコを取りあって、二人の子どもがけんかをしています。どうしますか?」

子ども「そういうことをしては、ダメと言ってあげます」と。



 こうした仮面は、服従型のみならず、攻撃型の子どもにも見られる。



先生「君、今度のスポーツ大会に選手で、出てみないか?」

子ども「うっセーナア。オレは、そんなのに、興味ネーヨ」

先生「しかし、君は、そのスポーツが得意なんだろ?」

子ども「やったこと、ネーヨ」と。



 こうした仮面性は、依存型、同情型にも見られる。



●心の葛藤



 基本的信頼関係の構築に失敗した子ども(人)は、集団の中で、(孤立)と(密着)を繰りかえすようになる。



 それをうまく説明したのが、「二匹のヤマアラシ」(ショーペンハウエル)である。



 「寒い夜だった。二匹のヤマアラシは、たがいに寄り添って、体を温めようとした。しかしくっつきすぎると、たがいのハリで相手の体を傷つけてしまう。しかし離れすぎると、体が温まらない。そこで二匹のヤマアラシは、一晩中、つかず離れずを繰りかえしながら、ほどよいところで、体を温めあった」と。



 しかし孤立するにせよ、密着するにせよ、それから発生するストレス(生理的ひずみ)は、相当なものである。それ自体が、子ども(人)の心を、ゆがめることがある。



一時的には、多くは精神的、肉体的な緊張が引き金になることが多い。たとえば急激に緊張すると、副腎髄質からアドレナリンの分泌が始まり、その結果心臓がドキドキし、さらにその結果、脳や筋肉に大量の酸素が送り込まれ、脳や筋肉の活動が活発になる。



が、そのストレスが慢性的につづくと、副腎機能が亢進するばかりではなく、「食欲不振や性機能の低下、免疫機能の低下、低体温、胃潰瘍などの種々の反応が引き起こされる」(新井康允氏)という。



こうしたストレスが日常的に重なると、脳の機能そのものが変調するというのだ。たとえば子どものおねしょがある。このおねしょについても、最近では、大脳生理学の分野で、脳の機能変調説が常識になっている。つまり子どもの意思ではどうにもならない問題という前提で考える。



 こうした一連の心理的、身体的反応を、神経症と呼ぶ。慢性的なストレス状態は、さまざまな神経症による症状を、引き起こす。



●神経症から、心の問題



ここにも書いたように、心理的反応が、心身の状態に影響し、それが身体的な反応として現れた状態を、「神経症」という。



子どもの神経症、つまり、心理的な要因が原因で、精神的、身体的な面で起こる機能的障害)は、まさに千差万別。「どこかおかしい」と感じたら、この神経症を疑ってみる。



(1)精神面の神経症…恐怖症(ものごとを恐れる)、強迫症状(周囲の者には理解できないものに対して、おののく、こわがる)、不安症状(理由もなく悩む)など。

(2)身体面の神経症……夜驚症(夜中に狂人的な声をはりあげて混乱状態になる)、夜尿症、頻尿症(頻繁にトイレへ行く)、睡眠障害(寝ない、早朝覚醒、寝言)、嘔吐、下痢、便秘、発熱、喘息、頭痛、腹痛、チック、遺尿(その意識がないまま漏らす)など。一般的には精神面での神経症に先立って、身体面での神経症が起こることが多く、身体面での神経症を黄信号ととらえて警戒する。

(3)行動面の神経症……神経症が慢性化したりすると、さまざまな不適応症状となって行動面に現れてくる。不登校もその一つということになるが、その前の段階として、無気力、怠学、無関心、無感動、食欲不振、引きこもり、拒食などが断続的に起こるようになる。

●たとえば不登校



こうした子どもの心理的過反応の中で、とくに問題となっているのが、不登校の問題である。



しかし同じ不登校(school refusal)といっても、症状や様子はさまざま(※)。私の二男はひどい花粉症で、睡眠不足からか、毎年春先になると不登校を繰り返した。



が、その中でも恐怖症の症状を見せるケースを、「学校恐怖症」、行為障害に近い不登校を
「怠学(truancy)」といって区別している。これらの不登校は、症状と経過から、三つの段階に分けて考える(A・M・ジョンソン)。心気的時期、登校時パニック時期、それに自閉的時期。これに回復期を加え、もう少しわかりやすくしたのが、つぎである。

(1)前兆期……登校時刻の前になると、頭痛、腹痛、脚痛、朝寝坊、寝ぼけ、疲れ、倦怠感、吐き気、気分の悪さなどの身体的不調を訴える。症状は午前中に重く、午後に軽快し、夜になると、「明日は学校へ行くよ」などと、明るい声で答えたりする。これを症状の日内変動という。
学校へ行きたがらない理由を聞くと、「A君がいじめる」などと言ったりする。そこでA君を排除すると、今度は「B君がいじめる」と言いだしたりする。理由となる原因(ターゲット)が、そのつど移動するのが特徴。

(3)パニック期……攻撃的に登校を拒否する。親が無理に車に乗せようとしたりすると、狂ったように暴れ、それに抵抗する。が、親があきらめ、「もう今日は休んでもいい」などと言うと、一転、症状が消滅する。



ある母親は、こう言った。「学校から帰ってくる車の中では、鼻歌まで歌っていました」と。たいていの親はそのあまりの変わりように驚いて、「これが同じ子どもか」と思うことが多い。

(4)自閉期……自分のカラにこもる。特定の仲間とは遊んだりする。暴力、暴言などの攻撃的態度は減り、見た目には穏やかな状態になり、落ちつく。ただ心の緊張感は残り、どこかピリピリした感じは続く。そのため親の不用意な言葉などで、突発的に激怒したり、暴れたりすることはある(感情障害)。



この段階で回避性障害(人と会うことを避ける)、不安障害(非現実的な不安感をもつ。おののく)の症状を示すこともある。が、ふだんの生活を見る限り、ごくふつうの子どもといった感じがするため、たいていの親は、自分の子どもをどうとらえたらよいのか、わからなくなってしまうことが多い。こうした状態が、数か月から数年続く。

(4)回復期(この回復期は、筆者が加筆した)……外の世界と接触をもつようになり、少しずつ友人との交際を始めたり、外へ遊びに行くようになる。数日学校行っては休むというようなことを、断続的に繰り返したあと、やがて登校できるようになる。日に一~二時間、週に一日~二日、月に一週~二週登校できるようになり、序々にその期間が長くなる。



●前兆をいかにとらえるか

 この不登校について言えば、要はいかに(1)の前兆期をとらえ、この段階で適切な措置をとるかということ。たいていの親はひととおり病院通いをしたあと、「気のせい」と片づけて、無理をする。この無理が症状を悪化させ、(2)のパニック期を招く。



この段階でも、もし親が無理をせず、「そうね、誰だって学校へ行きたくないときもあるわよ」と言えば、その後の症状は軽くすむ。一般にこの恐怖症も含めて、子どもの心の問題は、今の状態をより悪くしないことだけを考える。なおそうと無理をすればするほど、症状はこじれる。悪化する。 


Hiroshi Hayashi++++++March.2010+++++++++はやし浩司

(※4)ホスピタリズム

 子どもの依存と、愛着は分けて考える。中には、この2つを混同している人がいる。つまりベタベタと親に甘えることを、依存。全幅に親を信頼し、心を開くのを、愛着という。子どもが依存をもつのは問題だが、愛着をもつのは、大切なこと。

 今、親にさえ心を開かない、あるいは開けない子どもがふえている。簡単な診断方法としては、抱いてみればよい。心を開いている子どもは、親に抱かれたとき、完全に力を抜いて、体そのものをべったりと、すりよせてくる。心を開いていない子どもや、開けない子どもは、親に抱かれたとき、体をこわばらせてしまう。抱く側の印象としては、何かしら丸太を抱いているような感じになる。

 その抱かれない子どもが、『臨床育児・保育研究会』(代表・汐見稔幸氏)の実態調査によると、4分の1もいるという。原因はいろいろ考えられるが、報告によれば、「抱っこバンドだ」という。

「全国各地の保育士が、預かった〇歳児を抱っこする際、以前はほとんど感じなかった『拒否、抵抗する』などの違和感のある赤ちゃんが、4分の1に及ぶことが、『臨床育児・保育研究会』(代表・汐見稔幸氏)の実態調査で判明した」(中日新聞)と。

報告によれば、抱っこした赤ちゃんの「様態」について、「手や足を先生の体に回さない」が33%いたのをはじめ、「拒否、抵抗する」「体を動かし、落ちつかない」などの反応が2割前後見られ、調査した六項目の平均で25%に達したという。また保育士らの実感として、「体が固い」「抱いてもフィットしない」などの違和感も、平均で20%の赤ちゃんから報告されたという。さらにこうした傾向の強い赤ちゃんをもつ母親から聞き取り調査をしたところ、「育児から解放されたい」「抱っこがつらい」「どうして泣くのか不安」などの意識が強いことがわかったという。また抱かれない子どもを調べたところ、その母親が、この数年、流行している「抱っこバンド」を使っているケースが、東京都内ではとくに目立ったという。

 報告した同研究会の松永静子氏(東京中野区)は、「仕事を通じ、(抱かれない子どもが)2~3割はいると実感してきたが、(抱かれない子どもがふえたのは)、新生児のスキンシップ不足や、首も座らない赤ちゃんに抱っこバンドを使うことに原因があるのでは」と話している。

 子どもは、生後7、8か月ころから、人見知りする時期に入る。一種の恐怖反応といわれているが、この時期を通して、親への愛着を深める。が、この時期、親から子への愛着が不足すると、以後、子どもの情緒はきわめて不安定になる。ホスピタリズムという現象を指摘する学者もいる。いわゆる親の愛情が不足していることが原因で、独得の症状を示すことをいう。だれにも愛想がよくなる、表情が乏しくなる、知恵の発達が遅れ気味になる、など。貧乏ゆすりなどの、独得の症状を示すこともあるという。

 一方、冒頭にも書いたように、依存は、この愛着とは区別して考える。依存性があるから、愛着性があるということにはならない。愛着性があるから、依存性があるということにはならない。が、この二つは、よく混同される。そして混同したまま、「子どもが親に依存するのは、大切なことだ」と言う人がいる。

 しかし子どもが親に依存性をもつことは、好ましいことではない。依存性が強ければ強いほど、自我の発達が遅れる。人格の「核」形成も遅れる。幼児性(年齢に比して、幼い感じがする)、退行性(目標や規則、約束が守れない)などの症状が出てくる。もともと日本人は、親子でも、たがいの依存性がきわめて強い民族である。依存しあうことが、理想の親子と考えている人もいる。たとえば昔から、日本では、親にベタベタ甘える子どもイコール、かわいい子イコール、よい子と考える。そして独立心が旺盛で、何でも自立して行動する子どもを、かわいげのない「鬼ッ子」として嫌う。

 こうしたどこかゆがんだ子育て観が、日本独特の子育ての柱になっている。言いかえると、よく「日本人は依存型民族だ」と言われるが、そういう民族性の原因は、こうした独特の子育て観にあるとみてよい。もちろんそれがすべて悪いと言うのではない。依存型社会は、ある意味で温もりのある社会である。「もちつもたれつの社会」であり、「互いになれあいの社会」でもある。しかしそれは同時に、世界の常識ではないことも事実で、この日本を一歩外へ出ると。こうした依存性は、まったく通用しない。それこそ生き馬の目を抜くような世界が待っている。そういうことも心のどこかで考えながら、日本人も自分たちの子育てを組み立てる必要があるのではないか。あくまでも一つの意見にすぎないが……。

(はやし浩司 愛着 依存 抱かれない子供 抱かれない子ども ホスピタリズム 抱っこバンド 子どもの依存性 子供の依存性 はやし浩司

Hiroshi Hayashi++++Nov. 2010++++++はやし浩司・林浩司

(※5)子どもを愛せない母親

●マターナル・デプリベイション(Maternal Deprivation)(母性愛欠乏)

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乳幼児期の母子関係の不全。
それが後々、さまざまな症状の遠因となることがある。
とくに母子関係の欠如を、「マターナル・デプリベイション」
という。

子どもというのは、心豊かな家庭環境、とくに心豊かな母子関係の
中で、心をはぐくむ。
が、母親側に何かの問題があり、本来あるべき母子関係が
築けなくなることがある。
育児拒否、ネグレクト、育児放棄、母性愛の欠落、虐待、暴行など。
また自分の子どもであっても、子どもを愛せない母親は、
8~10%いる。
こうした母親側の育児姿勢が日常化すると、子どもには独特の
症状が現れるようになる。
ホスピタリズム(施設病)に似た症状を示すと説く学者もいる(後述)。

その第一が、他者との共鳴性の欠落。
わかりやすく言えば、心の温もりを失い、心の冷たい子どもになる。
他人の心の痛みが理解できない。
相手の立場に立って、ものを考えることができない、など。
そのため年齢を重ねるについれて、自分より弱い者をいじめたり、
自分より弱い立場にある動物を、虐待したりするようになる。

さらに成人してから、心の病気となって発現することもある。
ネットを使って、そうではないかと思われる症状をもった人を、
参考までに拾ってみた(2チャンネルより)。

もちろんここにあげた人たちの症例が、マターナル・デプリベイション
が原因というわけではない。
その疑いがあると、私が思うだけの話である。

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●心の葛藤

 母子関係に悩み、葛藤している人は多い。
「親子だから……」「母親だから……」という『ダカラ論』ほど、あてにならないものはない。
またそういう前提で、この問題を考えてはいけない。
現在、人知れず、母親との関係に苦しんでいる人は多い。

++++++以下、2チャンネル投稿記事より転載+++++++

●症状(1)

【主訴、症状】自分が無価値、無意味だと思う。
漠然と怖い。
超泣く。所構わず突発的に。
睡眠障害(眠剤入れても3時間で目覚める)
母親が死ぬほど怖いし憎い(毒親で現在距離置き中)

【その他質問、追加事項】

抑うつ(っぽいと言われましたが病名はまだ)、過食嘔吐です。
大学に入るまでずっと抑圧された優等生でいざるをえなくて、それでも母親に否定され続けた。

反抗期も持てなく、完璧でないと思っている。
結婚したいヒトがいると言ったら、「これ以上親を不幸にするな」と言われ、
そこらへんくらいから将来を考えると不安になる(ネガティブな未来ばかりを想像して)ようになり 年末に仕事を失敗してから、仕事を拠り所にしていたことだろうことから(カウンセラーの言葉)自分の存在が0になったと思い全く身動きが取れなくなりました。

●症状(2)

【主訴、症状】引き篭もり。対人恐怖症。大声や物音に敏感で、緊張・恐怖・混乱・不安等を感じます。電話に出たり一人で外出できません。

母親からのモラハラと肉体的暴力、学校での虐め、母親の再婚先での連れ子虐待等から立ち直れません。フラッシュバックがよく起きます。

常に焦燥感があります。落ち着きや集中力や記憶力がなく頻繁に苛々しやすい。無心で喋り続ける妙な癖のようなものがある。

「死にたい」というよりも、寧ろ母親が憎くて殺したいと思っています。母親が死ねば解放されると信じていたりして自分でもマズイと思ってます。

普通の悪夢もありますが、憎い人間を殺す夢を見ることが多いです。
中学生の頃より酷くはないですが、フラッシュバックで気持ちが悪くなり、泣き喚いたりヒスっぽい奇声を発することもあります。これはごく稀です。

++++++以上、2チャンネル投稿記事より転載(原文のまま)+++++

●母子関係の重要性

 乳幼児期における母子関係の重要性については、何度も書いてきた。
その子どもの基本は、この時期に構築される。
基本的信頼関係もそのひとつ。

 基本的信頼関係は、その後の、その人の人間関係に大きな影響を与える。
わかりやすく言えば、基本的信頼関係がしっかりと構築できた子ども(人)は、他人に対して、心が開くことができる。
そうでない子ども(人)は、心が開けなくなる。
(詳しくは、「はやし浩司 基本的信頼関係」で検索。)

 が、それだけではない。この時期をのがすと、人間性そのものが欠落した子どもになる。
インドで見つかった、タマラ、アマラの2人のオオカミ少女を、例にあげるまでもない。
これについても、何度も書いてきた。
(詳しくは、「はやし浩司 野生児」で検索。)

 さらに最近の研究によれば、人間にも鳥類に似た、刷り込みがあることがわかってきた。
卵からふ化したあと、すぐ二足歩行する鳥類は、最初に見たもの、耳にしたものを、親と思いこむ習性がある。
それを刷り込み(インプリンティング)という。
人間にも、同じような刷り込みがあるという。
0歳から生後7か月くらいまでの間の期間をいう。
この期間を、発達心理学の世界では、「敏感期」と呼んでいる。

 が、不幸にして不幸な家庭に育った子どもは、こうした一連の母子関係の構築に失敗する。

●ホスピタリズム(施設病)

 生後直後から、何らかの理由で母親の手元を離れ、施設などで育てられた子どもには、独特の症状が現れることは、よく知られている。
こうした一連の症候群をまとめて、「ホスピタリズム(施設病)」という。

(ただしこの言葉は、私が幼児教育の世界に入った、40年前にはすでにあった。
施設、たとえば保育園などに入ったからといって、みながみな、施設病になるわけではない。
当時と現在とでは、保育に対する考え方も大きく変わり、また乳児への接し方も、変わってきた。
ホスピタリズムについても、そういうことがないよう、細心の注意が払われるようになっている。)

 ホスピタリズムの具体的な症状としては、「感情の動きが平坦になる、心が冷たい、知育の発達が遅れがちになる、貧乏ゆすりなどのクセがつきやすい」(長畑正道氏)など。
ほかにも、動作がのろい(緩慢行動)、感情表出が不安定、表情が乏しいなどの症状を示す。
これについては、以前、どこかの学校でもたれたシンポジウム用に書いた原稿があるので、それを末尾に添付しておく。
 
 マターナル・デプリベイションでも、似たような症状を示す。
が、もっとも警戒すべき症状としては、人間性の喪失。
冒頭にも書いたように、他者との共鳴性の欠落が第一にあげられる。
わかりやすく言えば、心の温もりを失い、心の冷たい子どもになる。
他人の心の痛みが理解できない。
相手の立場に立って、ものを考えることができない、など。
そのため年齢を重ねるについれて、他人をいじめたり、自分より弱い立場にある人や動物を、虐待したりするようになる。

 さらに最近の研究によれば、こうした人間性の獲得にも、「臨界期」があることがわかってきた。
先のオオカミ少女にしても、その後インド政府によって、手厚く保護され、教育をほどこされたが、最後まで、人間らしい心を取り戻すことはなかったという。
つまり臨界期を過ぎてしまうと、それ以後、(取り返し)が、たいへん難しいということ。
このことからも乳幼児期における母子関係が、いかに重要なものであるかがわかる。

●いじめの問題

 このマターナル・デプリベイションとは、直接関係ないかもしれないが、(いじめ)について、少し書いてみる。

 先に、「年齢を重ねるについれて、他人をいじめたり、自分より弱い立場にある人や動物を、虐待したりするようになる」と書いた。
このことは、たとえば年中児~年長児(4~6歳児)に、ぬいぐるみを見せてみるとわかる。
心の温もりがじゅうぶん育っている子どもは、そうしたぬいぐるみを見せると、どこかうっとりとした表情を示す。
全体の7~8割が、そうである。
が、その一方で、ぬいぐるみを見せても反応しないか、反対にキックを入れたりする子どももいる。
(キックするからといって、心の冷たい子どもということには、ならない。誤解のないように!)
しかしこの時期までに、基本的な母性愛、父性愛の基本形は決まると考えてよい。
この時期に、おだやかでやさしい心をもった子どもは、その後も、そうした温もりを維持することができる。

 もちろんこれだけで、(いじめの問題)がすべて説明できるわけではない。
またこの問題を解決すれば、(いじめの問題)がなくなるわけではない。
しかし(いじめの問題)を考えるときには、こうした問題もあるということを、頭に入れておく必要がある。
その子どもにすべての責任をかぶせるのは、かえって危険なことでもある。

 反対に、たとえば極端なケースかもしれないが、溺愛児とか過保護児と呼ばれている子どもがいる。
このタイプの子どもは、よい意味において、母親の愛情をたっぷりと受けているから、いつも満足げでおっとりした様子を示す。
人格の核(コア)形成が遅れるというマイナス面はあるが、こと(いじめ)ということに関していえば、いじめの対象になることはあっても、いじめる側に回ることはまず、ない。

●「私」はどうか?

 こうした問題を考えていると、いつも「では、私はどうなのか?」という問題がついて回る。
 「マターナル・デプリベイションという問題があるのは、わかった。では、私はどうなのか?」と。

 この文章を読んでいる人の中にも、心の温かい人もいる。
一方、心の冷たい人もいる。
が、この問題は、脳のCPU(中央演算装置)の問題だから、自分でそれを自覚するのは難しい。
心のやさしい人は、みなもそうだと思いやすい。
反対に心の冷たい人は、みなもそうだと思いやすい。
人は、いつも(自分の心)を基準として、他人をみる。

 言い換えると、とくに心の冷たい人は、自分の心の冷たさに気づくことはない。
うすうす感ずることはあっても、いつもどこかでブレーキが働いてしまう。
あるいは上辺だけは、心の温かい人を演ずることもある。
だれかの不幸話を聞いたようなとき、さも同情したかのようなフリをしてみせる。
しかしそれ以上に、相手の心の中に踏み込んでいくことができない……。

 そこで「私」を知る。
つまり「私自身は、どうなのか?」と。
私という人間は、心の温かい人間なのか。
それとも心の冷たい人間なのか、と。

 そのひとつの基準が、(いじめ)ということになる。
今、善人ぶっているあなただって、ひょっとしたら学生時代、いじめを繰り返していたかもしれない。
そこにいじめられている人がいても、見て見ぬフリをして、通り過ぎてきたかもしれない。
あるいは、あなたが自身が先頭に立って、いじめを繰り返していたかもしれない。

 そういうあなたは、じつはあなたの意思というよりは、あなたの育てられ方に原因があって、そうしていただけにすぎないということになる。

 ……と、短絡的に結びつけて考えることはできないが、その可能性も高いという意味で、この「マターナル・デプリベイション」の問題を考えてみたらよい。

 そこでもう一度、あなた自身に問いただしてみる。

「あなたという人間は、子どものころいつも、(いじめ)とは無縁の世界にいただろうか」、
それとも「いつも(いじめ)の中心にいただろうか」と。

 もし(いじめ)の中心にいたとするなら、あなたはかなり心の冷たい人間である可能性が高い。
さらに言えば、乳幼児期に、不幸にして不幸な家庭環境に育った可能性が高い。
で、その(冷たさ)ゆえに、失っているものも多いはず。
孤独で、みじめで、さみしい毎日を送っているはず。
損か得かということになれば、損に決まっている。

●では、どうするか

 心の冷たい人が、温かい人になるということは、ありえるのだろうか。
乳幼児期にできあがった(心)を、おとなになってから、作り替えることは可能なのだろうか。

私は、それはたいへんむずかしいと思う。
人格の核(コア)というのは、そういうもの。
本能に近い部分にまで刻み込まれるため、それを訂正したり、修正したりするのは、容易なことではない。
そうした変化を自分のものにする前に、人生そのものが先に終わってしまってしまうということもある。
自分を作り変えるとしても、時間がかかる。
10年単位、20年単位の時間がかかる。
が、何よりも難しいのは、そうした自分に気がつくこと。

 この問題は、先にも書いたように、脳のCPUの問題がからんでいる。
さらに加齢とともに、(心)は、あなた自身の性格や性質として、定着してしまう。
これを「性格の固定化」と、私は呼んでいる。
そうなると、自分を変えるのは、ますます難しくなる。

 では、どうすればよいか。
ひとつの方法として、これは前にも書いたが、「感動する」という方法がある。
「感動する」ことによって、「他者との共鳴性」を育てる。
わかりやすく言えば、相手の心と波長を合わせる。
絵画、音楽、文学、演劇、映画、ドラマ・・・。
何でもよい。
そこに感動するものがあれば、それに感動する。
そういう場を自ら、求めていく。
つまり感動しながら、自分の心のワクを広げていく。

 さらに最近の大脳生理学によれば、脳の中の辺縁系にある扁桃核(扁桃体)が、心の温もりに関しているという説もある。
心のやさしい人は、大脳皮質部からの信号を受けると、扁桃核が、モルヒネ様のホルモン(エンドロフィン、エンケファリン系)の分泌を促す。
それが心地よい陶酔感を引き起こす。
心の冷たい人は、そういう脳内のメカニズムそのものが、機能しないのかもしれない。
(これは私の推察。)

●まず「私」を知る

 が、それとて、まずその前に「私」を知らなければならない。
「私は冷たい人間」ということを、自覚しなければならない。
繰り返すが、この問題は脳のCPUの問題だから、自分でそれに気づくだけでもたいへん。
特別な経験をしないかぎり、不可能とさえ言える。
そのひとつの基準として、先に、(いじめ)を取り上げてみた。
ほかにも、いろいろある。

 たとえばホームレスの人が路上で寝ていたする。
冷たい冬の風が、吹き荒れている。
そういう人を見て、心を痛める人がいる。
反対に街のゴミのように思う人もいる。

 たとえば近親の中で、事業に失敗した人がいたとする。
そういうとき、何とか援助する方法はないものかと、あれこれ気をもむ人もいる。
反対に、「ザマーミロ」と笑ってすます人もいる。

 いろいろな場面を通して、「私」を評価してみたらよい。
「私という人間は、どういう人間なのか」と。
それが好ましい人間性であれば、それでよし。
もしそうでなければ、つぎに「どうしてそういう私になったか」を、考えてみればよい。

 「マターナル・デプリベイション」というと、子どもの問題と考えがちである。
しかしこの問題は、その子どもがおとなになってからも、つづく。
つまり(あなた)自身の問題ということになる。
(あなた)も、かつてはその(子ども)だった。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

日付は、2008年7月となっています。
古い原稿ですが、そのまま掲載します。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

(参考原稿)【自立と自律】

●自立と依存

++++++++++++++++

自立と依存は、相克(そうこく)関係にある。
「相克」というのは、「相対立した」という意味。
自立性の強い子どもは、依存性が弱い。
自立性の弱い子どもは、依存性が強い。

一方依存性には、相互作用がある。
たとえば子どもの依存性と、親の依存性の間には、
相互作用がある。

一方的に子どもが依存性をもつようになるわけではない。
子どもの依存性に甘い環境が、子どもの依存性を強くする。
わかりやすく言えば、子どもの依存性は、親で決まるということ。

たとえばよく「うちの子は、甘えん坊で……」とこぼす親がいる。
が、実は、そういうふうに甘えさせているのは、親自身ということになる。
たいていのばあい、親自身も、依存性が強い。

++++++++++++++++

たとえばM氏夫婦を見てみよう。
M氏が、ある日、こんな話をしてくれた。

「私の妻は、病気になったりすると、自分でさっさと病院へ行き、診察を受けたりしています。
私に病気のことを、相談することは、めったにありません。
しかし私は、病院が好きではありません。
かなり症状が悪くならないと、病院へは行きません。
だから病気へ行くときは、妻にせかされて行きます。
そんなわけで、たいていいつも妻がついてきてくれます」と。

ひとりで病院へ行く、M氏の妻。
たいへん自立心の強い女性ということになる。
一方、ひとりでは病院へ行けない夫。
たいへん自立心が弱い男性ということになる。

M氏は、こうも言った。
「妻は、6人兄弟の真ん中くらいでした。
子どものころから、何でも自分でしていたのですね。
が、私はひとり息子。
祖父母、両親に溺愛されて育ちました」と。

が、ここで誤解してはいけないのは、だからといって、M氏が依存性の強い男性と考えてはいけない。
(えてして、「自立心が弱い」というと、どこかナヨナヨして、ハキのない人を想像しがちだが……。)
M氏は、現在、小さいながらも、コンピュータを使ったデザイン事務所を経営している。

これは夫婦のばあいだが、親子となると、少し事情が変わってくる。

親子のばあい、依存性というのは相互的なもので、親の依存性が強いと、子どももまた依存性が強くなる。
たとえば「うちの子は、甘えん坊で困ります」とこぼす母親がいる。
しかしそういうふうに甘えん坊にしているのは、実は、母親自身ということになる。
母親自身も、依存性が強く、その分だけ、どうしても子どもの依存性に甘くなる。

「うちの子は、甘えん坊で困ります」と一方でこぼしながら、実は、子どもが「ママ、ママ」と自分に甘えてくるのを、その母親は喜んでいる。

あるいは(家庭の基準)そのものが、ちがうときがある。

ある家庭では、子ども(幼稚園児)に、生活のほとんどを任せている。
そればかりか、父親がサラリーマン、母親が商店を経営しているため、スーパーでの買い物など、雑務のほとんどは、その子どもの仕事ということになっている。
が、母親はいつも、こうこぼしている。
「うちの子は、何もしてくれないのですよ」と。

一方、ベタベタの親子関係を作りながら、それが「ふつう」と思っている親もいる。
T君は、現在小学6年生だが、母親といっしょに床で寝ている。
一度父親のほうから、「(そういう関係は)おかしいから、先生のほうから何とか言ってください」という相談を受けたことがある。
が、母親は、そういう関係を、(理想的な親子関係)と思っている。

だから子どもの自立を考えるときは、その基準がどこにあるかを、まず知らなければならない。
さらに言えば、こと依存性の強い子どものばあい、子どもだけを問題にしても、意味はない。
ほとんどのばあい、親自身も、依存性が強い。

そんなわけで、子どもの自立を考えたら、まず、親自身がその手本を見せるという意味で、親自身が自立する。
その結果として、子どもは、自立心の旺盛な子どもになる。

さらに言えば、この自立と依存性の問題には、民族性がからんでくることがある。
一般的には、日本人のように農耕文化圏の民族は相互依存性が強く、欧米人のように牧畜文化圏の民族は、自立心が旺盛と考えてよい。

ただ誤解していけないのは、自立心は旺盛であればあるほどよいかというと、そうでもないようだ。

オーストラリアの友人(M大教授)が、こんな話をしてくれた。

「オーストラリアの学校では、子どもの自立を第一に考えて教育する。
それはそれでよいのかもしれないが、それがオーストラリアでは、大企業が育たない理由のひとつになっている」と。

●自立と自律

自立は常に、依存性と対比して考えられるのに対して、自律は、あくまでもその人個人の、セルフ・コントロールの問題ということになる。

さらに自律心は、人格の完成度(ピーター・サロベイ、「EQ論」)を知るための、ひとつの大切なバロメーターにもなっている。

自律心の強い子どもは、それだけ人格の完成度が高いということになる。
そうでない子どもは、それだけ人格の完成度が低いということになる。
ものの考え方が、享楽的で、刹那的。
誘惑にも弱い。

その自律をコントロールするのが、脳の中でも、前頭前野ということが、最近の研究でわかってきた。
自分の思考や行動を律するための、高度な知的判断は、この前頭前野でなされる。
(反対に、この部分が、何らかの損傷を受けたりすると、人は自分を律することができなくなると言われている。)

さらに言えば、この自律心は、0歳から始まる乳児期に決定されると考えてよい。
私はこのことを、2匹の犬を飼ってみて、知った。

++++++++++++++++

それについて書いた原稿が
ありますので、紹介します。
2002年11月に書いた原稿です。

++++++++++++++++

●教育を通して自分を知る

 教育のおもしろさ。それは子どもを通して、自分自身を知るところにある。たとえば、私の家には二匹の犬がいる。一匹は捨て犬で、保健所で処分される寸前のものをもらってきた。これをA犬とする。もう一匹は愛犬家のもとで、ていねいに育てられた。生後二か月くらいしてからもらってきた。これをB犬とする。

 まずA犬。静かでおとなしい。いつも人の顔色ばかりうかがっている。私の家に来て、一二年にもなろうというのに、いまだに私たちの見ているところでは、餌を食べない。愛想はいいが、決して心を許さない。その上、ずる賢く、庭の門をあけておこうものなら、すぐ遊びに行ってしまう。そして腹が減るまで、戻ってこない。もちろん番犬にはならない。見知らぬ人が庭の中に入ってきても、シッポを振ってそれを喜ぶ。

 一方B犬は、態度が大きい。寝そべっているところに近づいても、知らぬフリをして、そのまま寝そべっている。庭で放し飼いにしているのだが、一日中、悪さばかりしている。おかげで植木鉢は全滅。小さな木はことごとく、根こそぎ抜かれてしまった。しかしその割には、人間には忠実で、門をあけておいても、外へは出ていかない。見知らぬ人が入ってこようものなら、けたたましく吠える。

●人間も犬も同じ

 ……と書いて、実は人間も犬と同じと言ったらよいのか、あるいは犬も人間と同じと言ったらよいのか、どちらにせよ同じようなことが、人間の子どもにも言える。いろいろ誤解を生ずるので、ここでは詳しく書けないが、性格というのは、一度できあがると、それ以後、なかなか変わらないということ。A犬は、人間にたとえるなら、育児拒否、無視、親の冷淡を経験した犬。心に大きなキズを負っている。

一方B犬は、愛情豊かな家庭で、ふつうに育った犬。一見、愛想は悪いが、人間に心を許すことを知っている。だから人間に甘えるときは、心底うれしそうな様子でそうする。つまり人間を信頼している。幸福か不幸かということになれば、A犬は不幸な犬だし、B犬は幸福な犬だ。人間の子どもにも同じようなことが言える。

●施設で育てられた子ども

 たとえば施設児と呼ばれる子どもがいる。生後まもなくから施設などに預けられた子どもをいう。このタイプの子どもは愛情不足が原因で、独特の症状を示すことが知られている。感情の動きが平坦になる、心が冷たい、知育の発達が遅れがちになる、貧乏ゆすりなどのクセがつきやすい(長畑正道氏)など。

が、何といっても最大の特徴は、愛想がよくなるということ。相手にへつらう、相手に合わせて自分の心を偽る、相手の顔色をうかがって行動する、など。一見、表情は明るく快活だが、そのくせ相手に心を許さない。許さない分だけ、心はさみしい。あるいは「いい人」という仮面をかぶり、無理をする。そのため精神的に疲れやすい。

●施設児的な私

実はこの私も、結構、人に愛想がよい。「あなたは商人の子どもだから」とよく言われるが、どうもそれだけではなさそうだ。相手の心に取り入るのがうまい。相手が喜ぶように、自分をごまかす。茶化す。そのくせ誰かに裏切られそうになると、先に自分のほうから離れてしまう。

つまり私は、かなり不幸な幼児期を過ごしている。当時は戦後の混乱期で、皆、そうだったと言えばそうだった。親は親で、食べていくだけで精一杯。教育の「キ」の字もない時代だった。……と書いて、ここに教育のおもしろさがある。他人の子どもを分析していくと、自分の姿が見えてくる。「私」という人間が、いつどうして今のような私になったか、それがわかってくる。私が私であって、私でない部分だ。私は施設児の問題を考えているとき、それはそのまま私自身の問題であることに気づいた。

●まず自分に気づく

 読者の皆さんの中には、不幸にして不幸な家庭に育った人も多いはずだ。家庭崩壊、家庭不和、育児拒否、親の暴力に虐待、冷淡に無視、放任、親との離別など。しかしそれが問題ではない。問題はそういう不幸な家庭で育ちながら、自分自身の心のキズに気づかないことだ。たいていの人はそれに気づかないまま、自分の中の自分でない部分に振り回されてしまう。そして同じ失敗を繰り返す。それだけではない。同じキズを今度はあなたから、あなたの子どもへと伝えてしまう。心のキズというのはそういうもので、世代から世代へと伝播しやすい。

が、しかしこの問題だけは、それに気づくだけでも、大半は解決する。私のばあいも、ゆがんだ自分自身を、別の目で客観的に見ることによって、自分をコントロールすることができるようになった。「ああ、これは本当の自分ではないぞ」「私は今、無理をしているぞ」「仮面をかぶっているぞ」「もっと相手に心を許そう」と。そのつどいろいろ考える。つまり子どもを指導しながら、結局は自分を指導する。そこに教育の本当のおもしろさがある。あなたも一度自分の心の中を旅してみるとよい。
(02-11-7)

● いつも同じパターンで、同じような失敗を繰り返すというのであれば、勇気を出して、自分の過去をのぞいてみよう。何かがあるはずである。問題はそういう過去があるということではなく、そういう過去があることに気づかないまま、それに引き回されることである。またこの問題は、それに気づくだけでも、問題のほとんどは解決したとみる。あとは時間の問題。

++++++++++++++++

心理学の世界には、「基本的信頼関係」という言葉がある。
この「基本的信頼関係」の中には、「基本的自律心」という意味も含まれる。

心豊かで、愛情をたっぷりと受けて育てられた子どもは、それだけ自律心が、強いということになる。

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Hiroshi Hayashi+++++Nov.2010+++++はやし浩司

●沖縄

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休みます。

【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【沖縄旅行】B777-300にて(後編、前回のつづき)

●夕食

 夕食は、息子を交えて、3人でとった。
国際通りの一角にある平和通り。
さらにそこから入ったところに、公設市場がある。
魚介類が生きたまま並べてある。
そこから自分の食べたい魚や貝、カニやエビを選ぶ。
それをその上の階の食堂で、料理してもらい、食べる。

 台湾や香港で、そういう店によく入ったことがある。
というか、売り場の女性をのぞいて、従業員は日本語が通じない人たちばかりだった。
私は店の女性と交渉して、3人前で6000円になるようにしてもらった。

 で、話を聞くと息子はこう言った。
「何も届いていない」と。

 私が書いたはがきも、メールも、何も届いていない、と。
???
息子は「住所がちがっていたのでは?」と数回、言った。

息子が、私のはがきやメールを無視したのではなかった。
音信が途絶えたのではなかった。
何かの理由で、行き違いになったらしい。
それを聞いて、半分、ほっとした。
心の中の塊が、スーッと消えていった。

●ロアジール・スパ・ホテル

 泊まったのは、ロアジール・スパ・ホテル。
沖縄でも最高級のホテルという。
知らなかった!
新館は2009年にオープン。
その新館。
あちこちのホテルや旅館に泊まり歩いてきたが、まあ、これほどまでに豪華な
ホテルを、私は知らない。

 昔はヒルトンホテルとか、帝国ホテルとか言った。
東京では、いつも、ホテル・ニュー・オータニに泊まった。
あのときはあのときで、すごいホテルと思った。
しかし今ではその程度のホテルなら、どこにでもある。
が、ロア・ジール・スパ・ホテルは、さらに格がちがった。
驚いた!

 チェックインも、ふつうのホテルとは、ちがった。
ロビーのソファに座りながらすます。
飲み物を口にしていると、若い女性が横にひざまづいて、横に座った。
そこで宿泊カードに記入。
それがチェックイン。

部屋に入ったとたん、ワイフはこう言った。
「こんなホテルなら、一週間でもいたい」と。

 人件費が安いのか、いたるところに職員を配置している。
そのこともあって、サービスは至れり尽くせり。
なお「ロア・ジール」というのは、フランス語で、「レジャー」という意味だそうだ。
温泉の入り口にいた、受付の女性が、そう教えてくれた。

●沖縄

 沖縄を直接目で見て、「ここが昔から日本」と思う人は、ぜったいに、いない。
首里城を見るまでもなく、沖縄はどこからどう見ても沖縄。
沖縄というより、台湾。
台湾の文化圏に入る。
もう少しワクを広げれば、中国の文化圏。
どうしてその沖縄が、日本なのか?
ふと油断すると、「ここは台湾か?」と思ってしまう。

 平たい屋根の家々。
平均月収は東京都の2分の1という。
町並みも、どこか貧しそう。

 現代の今ですら、そうなのだから、江戸時代にはもっと異国であったはず。
沖縄弁にしても、言葉はたしかに日本語だが、発音は中国語か韓国語に近い。
それについての研究は、すでにし尽くされているはず。
素人の私が言うのもおこがましいが、もちろん九州弁ともちがう。

●沖縄戦

 沖縄戦の悲惨さは、改めて書くまでもない。
つまり先の戦争では、沖縄が日本本土の防波堤として、日本の犠牲になった。
その思いが、先に書いた「反日」の底流になっている。
「ひめゆりの塔」が、その象徴ということになる。

 が、実際には、沖縄がアメリカ軍によって南北に二分されたとき、北側方面に
逃げた人たちは、ほとんどが助かったという。
南側方面に逃げた人たちは、ほとんどが犠牲になったという。
その原因の第一が、あの戦陣訓。
「生きて虜囚の……」という、アレである。
「恥の文化」を美化する人も多いが、何をもって恥というか。
まっとうな生き方をしている人に、「恥」はない。

で、有名な「バンザーイ・クリフ(バンザーイ崖)」というところも通った。
アメリカ軍に追いつめられた住民が、つぎつぎとその崖から海に身を投げた。
が、今は、木々が生い茂り、記録映画などの出てくる風景とはかなりちがう。
それをタクシーの運転手に言うと、運転手はこう教えてくれた。

「それ以前は緑豊かな土地でした。雨あられのような砲弾攻撃を受けて、このあたりは、
まったくの焼け野原になってしまったのです」と。

 戦争記念館には、不発弾の様子がそのまま展示してあった。
畳10畳ほどの範囲だけにも、不発弾が4~5発もあった。
うち一発は、250キログラム爆弾。

 不発弾というのは、そうそうあるものではない。
つまりそれだけ爆撃が激しかったことを意味する。
あるところには、こう書いてあった。

 爆破された塹壕をのぞいてみると、兵隊や女子学生のちぎれた肉体が、
岩の壁に紙のようになって張りついていた、と。

●国際通り

 国際通りを歩いて、驚いた。
店員という店員が、みな、若い。
20代前後。
活気があるといえば、それまでだが、同時にそれは若者たちの職場がないことを
意味する。
職場があれば、こんな街頭には立たない。
日本よ、日本企業よ、外国投資もよいが、少しでも愛国心が残っているなら、
沖縄に投資しろ!

 その国際通り。
そこには、本土では見たこともないような商品が、ズラズラと並んでいた。
ワイフは「外国みたい」と、子どものようにはしゃいでいた。
 
●ホテルへ

 息子とは国際通りで別れた。
私とワイフはそこからタクシーに乗り、ホテルに戻った。

 温泉に入り、息抜き。
そのころから私に異変が置き始めた。
飛行機恐怖症という異変である。
体が固まり始めた。
ザワザワとした緊張感。
同時に孤独感と、虚無感。

 外国ではよく経験する。
しかしここは「日本」。
「心配ない」と、何度も自分に言い聞かせる。

●孤独

 不安と孤独は、いつもペアでやってくる。
こういう離れた土地へやってくると、私はいつも、そうなる。
不安感が孤独を呼ぶのか。
孤独が不安を呼ぶのか。
横にワイフがいるはずなのに、心の中をスースーと隙間風が吹く。
なぜだろう?
どうしてだろう?
老齢のせいだけではない。
私は若いころから、そうだった。

 横を見ると、ワイフは寝息を立てて、もう眠っていた。

●10月30日

 午前中、再び国際通りを歩いてみた。
昨夜、カメラをもってくるのを忘れた。
それで再び、国際通りへ。

 「やはり夜景のほうがよかった」と私。
昼間の国際通りも悪くはないが、異国風という点では、夜景のほうがよい。
私は国際通りを歩きながら、片っ端からデジタルカメラで写真を撮った。

●虹の川

 沖縄へ向かうときも恐ろしかった。
しかし帰るときは、もっと恐ろしかった。
ちょうどその時刻。
台風14号は、羽田にもっと接近していた。

 飛行機は大きく揺れた。
が、息子のアナウンスが、私たちを安心させた。

「落ち着いた声で、ゆっくりと話せ」と、昨夜、父親らしく(?)、指導した。
「あのな、ぼくのように飛行機恐怖症の人も多いはず。そういう人たちに安心感を
与えるような言い方をしなければいけない。若造の声で、ぺらぺらとしゃべられると、
かえって不安になる」と。

その効はあったよう。
息子は、昨日より、ずっとじょうずにアナウンスした。
静かで、落ち着いた声だった。

 ……帰る途中、私たちはこんな景色を見た。
雲海が鏡のように平らになったところへやってきた。
静かな海のようにも見えた。
そのときのこと。
その中央に、縦に虹の川が現われた。
虹の川だ。
7色の帯になった川だ。
それはこの世のものとは思われぬ光彩を放っていた。
「ほら!」と声をかけると、ワイフがワーッと歓声をあげた。
あげたまま黙ってしまった。
時間にすれば10分ほどだっただろうか。
私たちはそれが消えるまで、窓に顔をつけてそれを見守った。

 「きっと天国というのは、あんなところにちがいない」と、何度もそう思った。
「あるいは墜落する前に、神様が天国を見せてくれたのかもしれない」とも。
私は夢中で、デジタルカメラのシャッターを切った……。
(写真は、この原稿をマガジンで発表するとき、添付します。)
 
 飛行機は何度か大きく揺れたが、無事、羽田空港に着陸した。
さすがB777-300。
安定感がちがう。
それ以上に、操縦がうまかった。

●品川から浜松へ
 
 品川から京急線で、18分。
羽田がぐんと便利になった。
しかしこんなことは、40年前にしておくべきだった。
おかしなところに国際空港を作ったから、日本の航空会社は、世界の航空会社に
遅れをとってしまった。
アジアで今、ハブ空港といえば、韓国の仁川か、シンガポールのチャンギ。

 成田空港がいかに不便なところにあるかは、外国から成田空港に降り立ってみると
よくわかる。
がんばれ、羽田!
往年の栄華は無理としても、少しは取り返せるはず。

●帰宅

 無事、帰宅。
あまり楽しい旅行ではなかった。
息子に会ったときも、さみしかった。
別れたときは、もっとさみしかった。

 ワイフに、「これからは2人ぼっちだね」と言うと、「うん」と言って笑った。

「健康だ、仕事がある、家族がいるといくら自分に言って聞かせても、健康も
このところあやしくなってきた。仕事も年々、低下傾向。今では家族もバラバラ」と。
電車の中でそんな話をすると、ワイフは、こう言った。

 「だからね、あなた、私たちはね、これからは自分のしたいことをするのよ」と。

 ワイフのよい点。
いつも楽天的。
ノー天気。
ものごとを深く考えない。
「この人はいいなあ」と、すっかりバーさん顔になったワイフを横から見ながら、
そう思った。

 以上、沖縄旅行記。
おしまい。

はやし浩司 2010-10ー31記

(補記)

【息子のBLOGより】2006-10ー27

●三男のBLOGより

++++++++++++++++++

三男が、仙台の分校に移った。
パイロットとしての、最終訓練に移った。

操縦しているのは、あのキングエアー。

MSのフライト・シミュレーターにも、
その飛行機が収録されている。

文の末尾に、キングエアーの機長席に座る
友人を紹介しながら、
「このコクピットに、ようやくたどり着きました」と
ある。

++++++++++++++++++

【仙台フライト課程】

 1年と半年前、パイロットのパの字も知らなかった僕が、宮崎に来
て、最初に出会った先輩が、まさにその時、宮崎フライト課程を修了
し、仙台へ旅立とうとしていたところだった。その口から発せられる
意味不明な単語の羅列。本気で同じ国の人とは思えなかった。中には
僕よりも年下の先輩もいたが、その背中はとてつもなく大きく、遠い
ものに感じられた。そこまでたどり着く道のりが、果てしなく長く、
険しいものに感じられた。

 あれから、色んなことがあった。毎日が、これでもかと言わんばか
りに充実していた。すごい勢いで押し寄せては過ぎ去っていく知識と
経験の波にもまれ、その一つ一つを逃さぬように両手を一杯に広げ、
倒されぬよう走り続けて来た。

初めて飛んだ帯広の空。細かい修正に苦労した宮崎の空。教官に叱咤
激励され、同期と切磋琢磨し、涙を流したことも数知れず。楽しかっ
たが、決して楽な道のりではなかった。その間に垣間見た、キングエ
アと仙台の空の夢。フライトを知れば知るほど、遠くなって行くよう
な気がしていた。途方に暮れてうつむくと、そこには誰かの足跡が。
そう、あの時見た先輩たちの足跡だ。大きく見えた先輩たちも、この
細く曲がりくねった道を一歩ずつ這い上がって来たのだ。

 そして今日、僕は、空の王様、キングエアと共に再び空へ飛び上が
った。ずっと想像していただけの景色が、現実にそこに広がっていた
。コクピットに座り、シートベルトを締め操縦桿を握ると、ハンガー
の向こう側から1年前の僕が見ている気がした。あの頃の僕の憧れに
、ようやくたどり着いたのだ。先輩たちが踏み固めてくれたあの道は
、確かに、この空に続いていたのだ。

人は成長する。それを強く実感した一日だった。毎日、少しずつでも
いい。前進し続けること。小さな成長を実感し続けること。時々、何
も変わっていないじゃないかと失望することがあるかもしれない。そ
れでも、諦めないこと。そうすることで人は、自分よりも何百倍も大
きかった夢を、いつの間にか叶えることが出来る。そういう風に、出
来ているのだ。努力は必ず報われる。

 最高の教育と、経験と、思い出を、僕は今ここで得ている。一つも
取りこぼしたくない、宝石のような毎日だ。

このコクピットに、ようやくたどり着きました。

(以上、原文のまま。興味のある方は、ぜひ、息子のBLOGを訪れ
てやってみてください。私のHPのトップ画面より、E・Hayas
hiのWebsiteへ。)

Hiroshi Hayashi+++++++Oct. 2010++++++はやし浩司

********************

【ようこそハナブサ航大日記へ】

 航空大学校は、国が設置した唯一の民間パイロットの養成学校で、宮崎に本校が置かれ
ています。入学するとまずこの宮崎本校で半年間座学を行い、その後帯広分校に移って初
めて自分の手で飛行機を操縦します。

半年後、自家用レベルまで成長した訓練生たちは再び宮崎に戻り、宮崎フライト過程へと
進みます。ここでは事業用レベル、つまりプロになるための訓練を行います。半年後、宮
崎を卒業し、最終過程が行われる仙台分校へ移動、より大きな飛行機への移行訓練、及び
計器飛行証明という資格を取るための訓練に入ります。

同時にエアラインへの就職活動も始まり、卒業後はJAL,ANA,ANK,JTAなどの会社へパイ
ロットとして就職します。仙台過程も半年間行われます。

 在学期間は計2ヵ年。その間、航大生(航空大学校生)は校舎に併設された寮で、同期
や先輩・後輩たちと過ごします。部屋はすべて2人部屋。宮崎過程では先輩、後輩の組み
合わせで、それ以外は同期同士の組み合わせで寝食を共にします。校舎は空港に隣接され
ており、宮崎、帯広、仙台とも、滑走路から「航空大学校」と書かれた倉庫が見えるはず
です。同期は18人。毎年72人の募集があり、4期に分かれて4月、7月、10月、1
月にそれぞれ入学します。

 ハナブサ航大日記では、ここ航大での生活を写真を通して紹介しています。僕にとって
は初めての寮生活、同期や先輩・後輩や教官のこと、訓練の様子、空からの眺め、フライ
ト中に思ったこと、などなど。訓練は厳しく、付いていくのがやっとですが、同期と助け
合い、試験に見事合格したときの喜びは何にも替えがたいものがあります。

またどんなに訓練が大変でも、それを忘れさせてくれる美しさが空の上にはあります。そ
れを伝えたい。また、何でもない一人の人間がどのようにして一人前のパイロットになっ
ていくのか、何を考え、どう変わっていくのか。その過程を楽しんでいただければ幸いで
す。ときどき関係のないことも書きますが、ご容赦ください。どうぞ、楽しんでいってく
ださい。

 ちなみに自分は1981年生まれの今年25歳。航大へは去年の4月に入学し、現在仙
台フライト過程です。卒業まで、あと少し!


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●2005年3月・入学

 航大に入学して今日で3日目。同期は口をそろえ、まだ3日しかいないのに、もう何週
間もここにいる気がすると言う。自分もそう感じる。ここ航空大学校は、本当に厳しく、
本当にすごいところだ。

 入寮した日、先輩方から手厚い歓迎を受けた。その歓迎方法は、残念ながらある理由に
よりここで書くことはできないが、「けじめ」と「親しみ」を同時にしっかり学ぶことがで
きる、伝統的な
すばらしい儀式だった。同期たちとは時間が進むにつれ、どんどん深くなって行っている。
こんなに人と深くなれるのは、後にも先にもこれだけだと思う。みんなほんとにいい人た
ちばかりで、今までの自分、人間関係っていったい何だったんだと疑問に思うくらいだ。

 はっきり言って感動しているのだろうか。今のこの心境を語るには、もう少し時間が必
要だ。明日から授業が始まるので、今夜はもう寝よう。

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●2005年4月

 制服も来たので、同期全員でハンガーに行って写真を撮ろうということになった。ホー
ムページ用のプロフィール写真もそろそろ撮り始めたかったので、個人撮影も兼ねて一同
ばっちり決めていった。初めてのハンガー&エプロンは、まじやばくて、みんな大興奮。
やっぱみんな飛行機好きなんだね。滑走路がもう目と鼻の先で、MDやB3の離陸、着陸
にみんな釘付けになっていた。近くで見るボナンザは思った以上に大きくて、そして美し
くかっこいい。乗れるのはまだまだ先だけど、今は座学を一生懸命頑張って、「生きた知識」
をたくさん帯広に持っていこう。

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●2005年6月

航空機システムの時間に、聞きなれない飛行機の音。休み時間に外に出てみると、宮崎空
港に航空局のYS-11が来ていた。かっこいい。既に先輩が退寮されていたので、教官
にお願いして滑走路が見える側の教室に移動して授業をやってもらった。99.999%
授業に集中して、残りの0.001%でYS-11を横目でちらちら。プロペラが回り始
め、地上滑走、そして離陸・・・。ロールスロイスの音は気品があって、何かいい。

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●2005年7月

 本日昼頃、宮崎空港に政府専用機が来た。政府専用機といえば、アメリカで言ったらエ
アフォース・ワン。政府要人を乗せるための専用機なのだが、今回は首相などは乗ってい
ない。訓練のため、宮崎空港でタッチアンドゴーをし、フルストップし、そして帰ってい
った。B4のタッチアンドゴーなんて、なかなか見られるものではない。

訓練とはいえ、あの飛行機のコクピットには、日本一のパイロットが乗っていたに違いな
い。自分たちはあの飛行機を運転する機会はないだろうが(絶対とは言い切れないが)、民
間機パイロットとして、政府専用機のパイロットと同じくらい「すごい」パイロットには
なれるはず。頑張ろう!

 ちなみにコールサインは、シグナス(?)・ワンだった。中はいったいどうなっているの
だろうか。

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●2005年7月

最近、毎週のようにテストがあって、なかなかやりたいことができない。今やりたいこと
(1)ラジコンを飛ばしたい、(2)カラオケに行きたい、(3)映画を見たい(見たい映
画が5個くらいある)、(4)山に登りたい、(5)一日中同期とHALOやりたい、(6)
本を読みたい、など。HALOというのは、ネット対戦型ゲームで、広めてから3ヶ月く
らい経つが、未だに健在。熱しやすく冷めやすい1-4にしては珍しいことだ。

 いよいよ一週間を切った事業用の試験の勉強もままならず、ATCの試験やら、実験の
レポートやらが山積み。ワッペンやTシャツのデザインも考えなくちゃ。お盆休みに帰る
用の航空券も、帰りの便がまだ取れていないし、事業用が終わってもレポート、試験が3
つくらい、そして何より、プロシージャーという恐ろしい課題が首を長くして待っている。
いったい、我々に休みというものは存在するのだろうか。

・・・いや、何を甘ったれたことを言っている。同年代の人たちはもう社会に出て働いて
いるというのに、まだ社会の「しゃ」の字も知らないものが「辛い」などという言葉を口
にするなんて、おこがましい。

 クーラーのあたりすぎか、今日は一日風邪っぽかった。鼻水が止まらない。休憩時間に
寮にもどって仮眠してたら、授業に遅刻してしまった。そういえば関東には台風が来てい
るらしい。こないだ大きな地震もあったし、心配だ。

 夏休みに入って、宮崎空港には777が来るようになった。11時15分くらいに来て、
12時過ぎに飛び立っていく。こないだは777に代わって-400が来ていた。空港に不
釣合いなほどでかかった。エンジンが滑走路からはみ出ていて、普段はジェットの後流を
受けないところの地面の噴煙を巻き上げながら離陸していく姿は圧巻だった。改めて、「ジ
ャンボ」というものはすごいと感じた。

 こないだの週末にはCップの彼女さんが宮崎に遊びに来ていた。日曜の夜にみんなで飲
んで、花火をやった。

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●2005年7月

 2003年7月11日、航空大学校のビーチクラフトA36(JA4133)が、エン
ジントラブルで宮崎市内の水田に墜落した。

 搭乗していた4名は3名死亡、1名重症の事故となった。

 今日は、校内の慰霊碑「飛翔魂」に前で、慰霊祭が執り行われた。学生は全員参列し、
事故が発生した午後4時2分、1分間の黙祷を捧げたのち、献花した。

 エンジンが停止してから、墜落までの5分間、機内は壮絶としていたそうだ。眼下に猛
烈な勢いでせまってくる地面を、どんな思いで見ていたんだろう。今日の天気は曇り、風
はやや強く、蒸し暑い日だった。いろんなことを考えたが、思いを言葉にするよりも、今
日のこの空気の感じ、風の匂いを忘れないようにしようと思った。

 亡くなられた方々のご冥福を、心よりお祈り申し上げます。

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●2005年12月

目安の高度よりも若干低めでファイナルターンを開始する。滑走路と計器を交互にクロス
チェックしながら、パスが高いか低いか判断する。高度が低かったせいで、旋回開始前か
らPAPIは2RED。スロットルをちょっと足して、ピッチを指一本分くらい上げる。滑走
路が目の前に来て、ロールアウト。気温が低く、エンジン出力が増加するため、目安の出
力ではスピードが出すぎてしまう。90ノットを維持できずに、速度計は95ノット近辺
をフラフラ。気をとられてるうちに、エイミングがずれる。

 「エイミング!」

 右席から激が飛ぶ。あわててピッチとパワーを修正する。

 「何か忘れてるものはないか!?」

 ラダーだ。教官がこういう言い方をするのは、ラダーのことを言うときだ。僕はいつも
ラダーを忘れてしまう。ボールを見ると、大きく右に飛んでいる。右足にほんの少し力を
入れて、機軸をまっすぐに直す・・・。

 教官と、最後の着陸。いつもとなんら変わりのない着陸。最後だから、今までで一番う
まい着陸を見せたかった。でもやっぱりいつもと同じことを言われてしまう。そんな自分
が歯がゆくて、悔しくて、情けなくて、でもそういう感情を押し殺して、冷静に、「落ち着
け」と何度も唱えながら、僕は教官を滑走路まで連れて行く。スレショールドまで、あと
900m。

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●2005年12月

 今週は午後フライト。乗るはずだったJA4215が突然スタンバイに。原因は一本のボ
ールペン。午前にこの機体で訓練していた学生が、ボールペンを機内に落として紛失した。
そのペンが見つかるまで、僕たちはこの機体を使うことはできない。JAMCO(整備)さん
がいくら探しても見つからないので、結局飛行機の床を剥がすことに。最終的に見つかっ
たのかどうかはさだかではないが、とりあえず4216が空いていたので、訓練はそっち
で行った。

 なぜたかがボールペン一本にここまで執着するのだろうか。それにはちゃんと理由があ
る。
もしそのボールペンがラダーペダルの隙間にはまり込んでいたらどうなるか。ラダーが利
かなくなる。それ以外にも、思わぬところに入り込んで安全運航に支障をきたしかねない。
ボールペン一本くらいいいや、という甘えが、命取りになりかねないのだ。ちなみに、何
かがはまりこんでラダーが利かなくなった事件は、実際航大の訓練機で過去に起こってい
る。

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●2006年2月

 Y教官が班会を開いてくれた。Y教官は帯広分校の中で、1,2を争う厳しい教官だ。で
もその厳しさの裏側には、愛がある。当たり前のことかもしれないが、そのことを強く再
確認できた、すばらしい班会であった。

Y教官は防衛庁出身で、当時の訓練の話などをたくさん聞くことができた。教官の時代から
航空界は大きく変わってきたが、その中でも変わらないものを教官の中に見つけることが
できた。パイロットの世界を言葉で表現するにはまだ経験が浅く難しいが、独特の世界感
が確かに存在する。職人の世界であり、それでいてチームワークの世界でもあり・・・。
教官は3人の娘さんがいるが息子さんはいない。だから僕たちのことを息子のようだ、と
言ってくれた。僕もこのパイロットの世界の一員なんだなぁと実感し、嬉しくなった。

 町のK居酒屋はパイロットがよく集まるお店だ。航大の教官もよく訪れると言う。実は
この店の主人も飛行機好きで、仕事の傍ら、近くの飛行場で免許のいらないウルトラライ
トプレーンという種類の飛行機を飛ばしているんだそうだ。Y教官もよく乗りに行って、そ
の主人に「フレアが足りない」などと指導されてしまうんだそうだ(Y教官の飛行時間は1
万時間を超えている)。

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●2006年2月

 空を飛ばない人にとって、飛行機は「ただの騒音」以外何物でもない。周辺の人が一人
も不満を持っていない空港なんて、世の中にはない。飛行機が大好きな僕たちでさえ、と
きどき五月蝿く感じることがあるのだから、地上で静かな生活を送りたいと思っている人
たちにとっては、大変な被害となっているに違いない。ハエのように、手で払いのけたり、
殺虫剤を使うわけにもいかない。ストレスも溜まるだろう。

 地上の人が知っているかどうか知らないが(気づかれないようにする配慮なので、知ら
ないはずか)、僕たちはできるだけ地上の人に迷惑がかからないような飛び方に心がけてい
る。プロペラ機は回転数を落とすと音が静かになるので、対地1500ft以下ではプロ
ップをしぼる。その分、当然出力は落ちる。また、低空飛行訓練は人家のほとんどないエ
リアを選んで、そこから出ないようにしながら行っているし、もっとも、町の上は飛ばな
いようにしている。十勝管内には既に騒音注意地域が数箇所あり、その上空は通過しない
ようにしている。機長は、乗っている人のことだけを考えればいいというわけではないの
だ。

 それでも、苦情は届けられる。航法を行うためのスタート地点によく指定される町があ
って、そこの上空でぶんぶん発動(スタート)しまくっていたら、付近の牧場から牛に悪
影響が出たと苦情が入った。急遽、その町上空の低高度通過などが禁止された。

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●2006年4月

 何にもない帯広にいた頃のほうが、毎週末何か見つけて出かけていたような気がする。
帯広に比べたら何でもあるこっち(宮崎)では、金曜の夜はそれなりにでかけるものの、
土日は部屋でだらだらして、夕方くらいに後悔が始まって、焦ってイオンに行ったりする。
何かないかなぁ。暇・・・。

 宮崎はほんと天気が悪くって、先週は5日間あるうちの1日しか飛べなかった。海に近
いせいか、風の強い日が多い。おとといは45kt(時速83km以上)の風が吹き荒れ
ていた。風に向かって対気速度一定で飛んでいくと、対地速度は風の分だけ遅くなる(飛
行機は対気速度が重要)。だから、風の強い日のライン機の離陸はおもしろい。でっかい鉄
の塊が、びっくりするくらいゆっくりゆっくり上昇していく。

 飛行機の操縦を何かにたとえるとすると、何になるのだろうか。車で高速道路を一定の
速さで走りながら、誰かと重要な話を電話でしつつ、クロスワードパズルを順番に解いて
いくようなものだろうか。僕たちが上空でしていることを列挙していくと、まず諸元の維
持(スピード、高度、進路、姿勢を変わらないように止めておくこと;上昇や降下、増速・
減速のときは別)、ATC(管制機関との交信)、機位(現在地)の確認、見張り・周りの状
況把握(他の飛行機はどこを
飛んでいるのかとか、空港は今どんな状況なのかとか)、運航(経済性、効率性、安全性、
快適性、定時性)、乗客への配慮、あとは教官に怒られること、など。もちろん、これらを
同時にこなすことなんて不可能だから、優先順位をつけて、一つずつ消化していく。何か、
パズルみたいでしょ。

 こんなことを考えている間に、外はもう日が傾き始めてる。やばい、イオンにでも行か
なくちゃ!写真はFTD(シミュレーター:通称ゲーセン)。前方のスクリーンに景色が映し
出され、様々な状況(エンジンが止まったとか、ギアが出ないとか)を模擬的に作り出し
て体験することができる。

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●2006年7月

 6月が終わる。今月の飛行回数、わずか5回。時間にすると6時間ジャスト。梅雨だけ
のせいではない。

 6月最後の今日の天気は曇り。梅雨前線は北上し、九州の北半分は朝から絶望的。午後
には南側にも前線の影響が出始めるという予報だったが、今日は何が何でも飛ぶ!とSぺ
ーと固く誓い合い、種子島へのログ(飛行計画)を組む。午前10時。

 午前11時30分。ブリーフィングの準備開始。種子島空港に電話して、スポット(駐
機場)の予約を入れる。何でも、自衛隊が14時20分までスポットを占有しているらし
く、それ以降でないと駐機できないとのこと。しかたなく14時40分からスポットを予
約。出発を遅らせるしかない。こっちが到着するころに、自衛隊機が一斉に飛び立ってい
くのが見られるかもしれない。

 正午過ぎ、整備のJAMCOさんがシップの尾翼のあたりを脚立を使ってなにやら調べ
ているのが気になる。ブリーフィングの準備は整い、教官が来るまでのわずかな間に、も
う一度イメージトレーニング。ランウェイは09。高度は8500ft。あの雲を超えら
れるかな・・・観天望気のため外に出て、空を見上げる。行けそうだ。行こう。飛ぼう。

 午後12時半、帯広で尾翼のVORアンテナが脱落したという報告が入る。宮崎のシッ
プもチェックしてみたら、アンテナにひびが入っていたものが3機ほど見つかる。他のシ
ップにもチェックが入るため、僕らのシップは試験を目前に控えた先輩に回されてしまう。

 完璧に準備されたブリーフィング卓の前で呆然とする3人。教官が入ってきて、「何かシ
ップないみたいよ~」と。拍子抜け。5~6分、立ちブリーフィング。あまり飛びたくな
いときに飛ばされて、ほんとうに飛びたいときに飛べない。その気持ちの切り替えが、パ
イロットに課せられた課題の一つなのだ。こういうこともある・・・。

 先週は別の故障でシップが2~3機足りず、キャンセルになっていたこともあった。シ
リンダーにクラックが見つかったとか、バードストライク(鳥と衝突)したとか。どうな
るんだろう、この学校・・・。でも、もうすぐ死ぬほど飛べる日々がやって来るんだろな。
地上気温、30度。8500ft上空、気温13度。とりあえずプール行こう。

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●2006年9月

前段。それは飛行機を、最初に空へ上げる人。誰よりも早く飛行機に乗り込む人。

 透き通った青い空のもとに置かれたピカピカの飛行機へ足早に向かう。目に映るのはボ
ナンザと、その向こうに広がる誘導路と滑走路、そしてそこを疾走してゆく大型旅客機だ
け。心地よい向かい風を肩で感じながら、次第に時間がゆっくりになっていくのを確かめ
る。一瞬一瞬が輝き始める。集中力が僕に呼びかける。そうだ、今日も飛ぶんだよ、と。

 どこから見ても本当に美しい機体。その表面を撫でて何かを確かめる。包み込まれるよ
うに優しく乗り込んで操縦桿を握ると、僕が飛行機の一部なのか、飛行機が僕の一部なの
かわからなくなる。そこから見える景色は、いつもと同じ景色でもあり、まったく違う景
色でもある。これは現実なのか、夢なのか。考えている間に手がひとりでに動き出す。流
れるようなプロシージャー。それはまさに音楽。飛行機が生まれ変わってゆく。

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●2006年9月

C'Kの1週間くらい前から、左目の目じりがずっと痙攣している。C'Kが終わった今でも、
それは続いていて、秋雨前線の雲に覆われたこのところの空のように、気分はどうもすっ
きりしない。

 C'K当日の朝も、空ははっきりしない雲に覆われていた。C'Kを実施するにはあまり好ま
しくない天気だが、とにかくこの日にC'Kを終わらせたかったので、最後の最後まで悩ん
だ挙句、行く決断をした。試験官との相性というものがあって、自分はI教官にぜひ見ても
らいたかった。この日以降、I教官は休みに入ってしまう予定だった。

 出題されたコースは、南回りで鹿児島。鹿児島は苦手意識が強く、できれば行きたくな
かった空港だ。C'Kの神様は本当によく見ている。大島、枕崎、鹿児島city、鹿児島空港、
坊ノ岬、都井岬、白浜。

 上がってみると、案の定コース上は雲だらけ。計画をどんどん変更し、上がっては下が
り、右に避けては左に戻り、視程の悪い中、必死に目標を探す。岬だの、駅だの、石油コ
ンビナートだの。鹿屋空港上空を通過後、エンジンフェイル(シミュレート)。『鹿屋空港
に緊急着陸します!』でケースクローズ(課題終了)。枕崎変針後、雲は一段と低く、多く
なってきて、鹿児島cityまでに2000ft、スパイラルで降下(螺旋降下)。鹿児島離陸
後は雲の袋小路に入り込み、管制圏すれすれを迷走。帰りの鹿屋上空で大雨。もうめちゃ
くちゃだった。泣きそうだった。何度ももう止めたいと思った。

 でも、頑張った。

 天気の悪い日は出来る限り飛ばないほうがいい。でも、得るものが多いのも、自信がつ
くのも、天気の悪い日だ。最後のVFRナビゲーションで今までで1、2を争う天気の悪さ
の中を飛んで、無事合格して、大きな大きな自信が身についた気がする。できればもう一
度、飛びたいと思った。

 学歴は大学中退、これといった資格のなかった僕が、事業用操縦士になった。つまり、
飛行機を操縦することによりお金を稼ぐことができるようになったということだ。総飛行
時間145時間、総着陸回数324回。短いようで、長い長い1年間だった。

 今の僕は、JISマーク付きのイスみたいなものだ。一定の安全基準を上回っただけの操縦
士。ちょっと行儀の悪い子供が座ったり、ゴツゴツしたところに設置されたりすると、ボ
キっといってしまう、まだひ弱なイスだ。『ミニマムのプロ』。I教官の講評。そう。ここが、
新しいスタートだ。

 協力してくれた同期のみんな、応援してくれたみんな、どうもありがとう。Finalも頑張
ります。

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●2006年11月

 仙台課程では、取得しなければならない資格が2つあり、それに加えエアラインへの就
職活動も並行して行われる。これが、仙台課程が大変だといわれる所以である。

 航大生だからといって、卒業後、自動的に各エアラインに就職できるわけではない。航
大のためだけの特別なスケジュールは確保されるものの、他の一般就活者と同じように、
まず4社に履歴書を送り、会社説明会に参加し、SPIや心理適性検査、そして身体検査
を受け、一般面接、役員面接を経て、ようやく内定という手はずを踏まなくてはいけない
のだ。第一志望の会社に受かる者もいれば、当然、どの会社にも縁をいただけない者もい
る。後者は、卒業後、他の航空会社に独自にアプローチをかけていかねばならない。

 つい先日、僕らの一つ上の先輩の一次内定者の発表があった。いくらパイロットの大量
退職という追い風があったとしても、やはりまだまだ思うようにいかないのが現実である
ようだ。それにしても、エアラインがいったいどういう人材を欲しているのか、いまいち
掴みにくいのが僕らの悩みどころである。

 航大の場合、最終内定前に就職がうまくいっていることを確認できる段階が、3つほど
ある。

 就職活動はまず履歴書を書くことから始まる。その後身体検査と面接が行われ、しばら
くすると何人かに再検査の通知が来る。身体検査にはお金がかかるので、再検査が来ると
いうことは、面接では合格したものと見込んでいいのだそうだ。

もちろん、身体にまったく異常がなければ、来ない場合あるが。とにかく、これが第一段
階。第二段階は、オブザーブだ。オブザーブというのは、会社が学生を何人か指名し、そ
の学生のフライトを、その会社の機長が後席から観察するというもの。当然、会社が見た
いと思う学生はほしいと思っている学生なので、オブザーブが来るということは期待して
いい証拠なのだそうだ。しかし、これはかなり緊張するらしい。

 第三段階は一次発表。これはほぼ内定と見込んでもいいらしい。その後大手2社以外の
身体検査、及び役員面接を経て、最終内定の発表となる。

 先輩を見ていて、少しずつ希望が輝いていく人と、翳っていく人がいる。その表情の違
いに、果たして3ヵ月後、自分はこのプレッシャーに耐えられるだろうかという緊張感を
覚える。夢が現実になる瞬間が近づいている。

 僕らはというと、既に履歴書は提出済み。来週はいよいよ、一週間かけての会社訪問&
身体検査に臨む。大鳥居のホテルに8連泊。航大至上初の、一人部屋である。身体検査に
向け、各自様々な取り組みをしているようだが、僕も仙台に来て約2ヶ月間、ずっと運動
を続け、結果減量に成功した。目標まで、あと少し!

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●2007年1月

 再検査、と聞くと、何だかあまりいい印象を受けないと思うが、ここ航大の就職活動に
おいては、比較的縁起のいいものとして扱われている。なぜなら、見込みのない学生に、
お金のかかる再検査をわざわざやらないだろう、というのが定説だからだ。身体検査→面
接→再検査という順番を考えれば、再検査が来たということは、少なくとも面接ではOK
だったんだなと思っても、大きな間違いではないだろう。

もちろん、身体検査が一発で受かっていれば、そもそも再検査など来ないのだけれども。
幸い、と言うべきか、僕はJ社、A社の両方から再検査の通知が来た。

 J社では心エコー検査というものを受けた。心臓にエコー(音波)を照射して、反射して
きたものを映像化する装置で、いろんな角度からぐりぐり見られた。自分の心臓を見たの
は生まれて初めてだったので、興味津々で画面を見つめていた。どこかで勉強した通り、
心室や心房、またその間の弁まではっきり見えて、僕も同じ人間なんだなぁと当たり前の
ことをしみじみ感じていた。

しばらく無言で作業を続けるドクター。心配したが、最後に『うん、いい心臓だ』と言っ
てくれたので安心した。『まぁ大丈夫でしょう』と。って、そんなこと言っていいんですか
先生。身体検査は通常、結果は本人に知らされない決まりになっている。

 それ以外にも、J社では検尿、A社では腹部エコーと採血の検査があり、これらについて
は結果は知らされなかったので、どうなっているか不安だ。でも今は、そんなことを心配
するよりもフライトに集中しなくては。2日間で両社回ったのだが、滞在時間はそれぞれ
15分くらい。それ以外はほぼホテルでくねくねしていただけなので、ゆっくり休むこと
ができた。今週末も金曜・土曜と連続ALL DAY。頑張るぞ!

+++++++++++++++++++++++++

興味のある方は、どうか、息子のBLOGをつづけて読んでください。

http://xxxxx

です。

では、よろしくお願いします。

Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

●航空大学校

++++++++++++++++++

日本には、ひとつだけだが、国立の航空大学校が
ある。今は、独立行政法人になっているが……。

テレビのトレンディドラマの影響もあって、
入試倍率は、毎年、60倍前後。

これに合格すると、2年間の合宿生活を通して、
パイロットとしての訓練を受ける。衣食住を
ともにするわけである。

が、訓練のきびしさは、ふつうではない。

そのつど技能試験、ペーパーテストがあって、
それに不合格になると、そのまま退学。留年と
いうのはない。

パイロットといっても、単発機の免許、
双発機の免許、計器飛行の免許、事業用の
免許などなどほか、飛行機ごとに免許の種類が
ちがう。

ライン機ともなると、飛行機ごとに免許の
種類がちがう。もっとも、JALやANAの
ようなライン機のパイロットになれるのは、
その中でも、10~15人に、1人とか。

健康診断でも、脳みその奥の奥まで、徹底的に
チェックされる。

で、あるとき「きびしい大学だな」と私が
言うと、息子は、こう言って笑った。

「燃料費だけでも、30分あたり、
5万円もかかるから、しかたないよ」と。
10時間も飛べば、それだけで100万円!
 
チェック試験に合格できず、退学になった
仲間もいたそうだ。ほんの少し、飛行機の
中でふざけただけで、それで退学になった仲間も
いたそうだ。

無数のドラマを残して、息子が、もうすぐ
その大学を卒業する。今は、就職試験のときだ
そうだが、どうなることやら?

結果はともあれ、息子よ、よくがんばった。
よくやった。
空が好きで好きで、たまらないらしい。


Hiroshi Hayashi++++++++以上、JAN.07++++++++++はやし浩司

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 
BW はやし浩司 沖縄旅行記 息子の初フライト 黄色い旗 はやし浩司 黄色い旗 
浜松上空 はやし浩司 2010-10ー31 林英市 林 英市)


Hiroshi Hayashi+++++++Oct. 2010++++++はやし浩司

【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

休みます。

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 はやし浩司のホームページ http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/
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このマガジンがお役にたてそうな人が、あなたのまわりにいませんか?
よろしかったら、どうか、このマガジンのことを、お友だちの方に
話していただけませんか?

よろしくお願いします。              はやし浩司
***********************************

Monday, November 29, 2010

●浜松GDホテルにて

●浜松・GDホテルに一泊

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今夜は、浜松・GDホテルに一泊。
12階のスカイラウジで書き始める。

窓が大きく開け、その向こうにはアクト・タワー。
眼下はもちろん、浜松市街。
すばらしい。
無数の星々が、漆黒の絨毯(じゅうたん)に撒き散らされたかのよう。
それが地上でまばたきもせず、銀色に光っている。
都会的な、きらびやかさ。
静寂と孤独。
それらが、みごとに溶け合わさっている。
まるで無数の宝石のよう。
その美しさに、しばし見とれる。

たった今、ピアノの弾き語りが終わったところ。
女性がいくつかのクリスマスソングを歌った。
ピアノの白いふたを音もなく閉じ、ゆっくりとした
足取りで、ラウンジを出て行った。

うしろの席で、7、8人の客が、会話ごとに
ゲラゲラ、ガハハハと笑っている。
その笑い声が、何と場違いなことよ。

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●気分転換

 このホテルへ来る前に、義兄の家に立ち寄った。
途中の店で買ったケーキを、義兄たちと4人で分けて食べた。
「今夜はGDホテルに泊まります」と言うと、「いいねえ」と。

浜松市内でも1、2を争う高級ホテル。……だった。
が、朝食付きのみなら、1人1泊5000円前後で泊まれる。
朝食なしなら、4000円前後(じゃらん経由)。
気分転換には、もってこい。
それに今日は、ささやかだが、雑誌社から原稿料が入った。
それでその気になった。

 ジジイの私がこう言うのもへんだが、……本当にへんだが、
久々に、おとなのムードを味わった。

●偏頭痛
 
 で、昨夜は最悪だった。
真夜中に、偏頭痛。
寝る前に食べたぜんざいが、悪かった(?)。
1時間ほど四転八転したあと、Z(偏頭痛薬)を2つに割ってのむ。
ワイフがふとんの下に、座布団を2枚重ねてくれた。
頭を高くしてくれた。
それがよかった。
30分もすると、痛みがスーッと消えていった。

 こういう見分け方が正しいのかどうか、知らない。
しかし風邪による頭痛は、眠っている間は忘れる。
偏頭痛は、眠っていても痛い。
それに偏頭痛をがまんして眠っていると、悪夢の連続。
悪夢といっても、不気味な悪夢。
昨夜は、目のない女性が、顔から青い血を流しながら、そこに立っていた。
今、思い出しても、ゾッとする。
 
●沽券(こけん)

 そんなわけで今日は、一日、家の中でのんびりしているつもりだった。
言うなれば病後。
11月28日、日曜日。
午前中に、電子マガジンの12月号を完成させる。
(結構、たいへんな作業だったぞ!)
午後は、軽い昼寝。
3時過ぎになって、運動もかねてワイフと2人で、大通りから佐鳴湖、
佐鳴湖から大平台団地と、ぐるりとこのあたりを一周した。
そのときワイフが、こう言った。
「今夜は、どこかへ行かない?」と。

 こういうときワイフの提案を断ると、あとがこわい。
……というか、私にも夫としての沽券(こけん)がある。
言うなれば、メンツ。
ケチなことを言うと、嫌われる。
若いころから、そういう点では気をつかう。
「どこか、ホテルに泊まろうか」と。
そう答えると、ワイフはうれしそうに笑った。

●浜松GDホテル

 浜松GDホテルには、大浴場はない。
もちろん温泉もない。
そういう楽しみはない。

若いころはよく来た。
何かにつけ、よく来た。
「GDホテルで……」と、名前を口にするだけで、ステータス。
気分がよかった。

 で、そのころは、TDさんという人が、このホテルを経営していた。
2人のお嬢さんがいたが、私の教え子ということもあった。
が、一度、倒産。
理由はよく知らないが、改築費でつまずいたと、だれかから聞いた。
そのあと、このホテルは、別の経営者の手に渡った。

 そういうこともあって、このホテルに、星をつけることはできない。
あまりにも、おこがましい。

●縁

 40年以上も住んでいると、人の世の浮き沈みがよくわかる。
「おごれる者、久しからず」とも言う。
が、その一方で、大成した人もいる。
入れ替わり立ち替わり……というか、そういう人が出てきては、また消える。
人口60万人とも、80万人ともいわれる浜松だが、たいていの人とは、
どこかでつながっている。
縁がある。
「あの人がねえ」という会話が、このところ多くなった。

 たとえば目の前には、TKというホテルもある。
そのホテルの子どもたち(兄と妹)も、私の教え子。
親たちも、よく知っている。
私が浜松へ来たころには、小さな旅館風のホテルだった。
GDホテルの陰に隠れて、目立たなかった。
が、今は、全国にチェーン・ホテルを展開している。

●浮き沈み

 こうして振り返ってみると、「歴史」とは何か、
そこまで考えてしまう。
たとえば江戸時代。
あの時代にも、浮き沈みはあったはず。
今よりは、スローテンポだったかもしれない。
今は、10~20年単位で、ものごとが変化する。
江戸時代には、それが100年単位だったかもしれない。
どうであるにせよ、そうした(変化)は、私たちに何を残したのか。
だからといって、そうした変化が無駄というのではない。
その逆。
その結果として、今の私たちがいる。
それを歴史という。

●万年倦怠期

 ところで先に、「沽券(こけん)」という言葉を使った。
「値打ち、品位、体面」という意味である。
が、60歳を過ぎた夫婦には、もうひとつ別の意味が生まれる。
過ごし方をまちがえると、「万年倦怠(けんたい)期」。
人生そのものが、どんよりとした鉛色のモヤに包まれてしまう。
だからあえて、こうして機会を見つけて、外に出る。
雰囲気を変える。

 夫婦の倦怠をどう防ぐか。
これも老後のひとつのテーマということになる。

●気力

 それに健康というのは、気力の問題。
病気に遠慮していると、ますます病気ぽくなってしまう。
そこで多少の不調程度なら、無視して行動に出る。
体を動かす。
今朝の私がそうだった。

 朝は偏頭痛に苦しんだ。
静養するかどうかは、そのときの判断。
「もうだいじょうぶ」と判断したら、あとは思い切って外へ飛び出す。
気力が病気を治してくれる。

●離婚

 オーストラリアの友人の息子が、先週、離婚した。
結婚してまだ数年。
子ども(孫)ができたばかりだった。
つい先日のメールでは、孫の写真を送ってくれた。
理由はいろいろ書いてあった。
それについては、ここには書けない。
が、これも「浮き沈み」のひとつ。
(離婚したからといって、沈んだことにはならないが……。)

 つまり、生きていく過程では、いろいろある。
私たち夫婦も、何度か離婚の危機にさらされた。
とくに今年の夏には、あぶなかった。
が、基本的には、私はワイフなしでは生きていかれない。
ワイフも、私なしでは生きていかれない。
そのつど、たがいにあきらめ、よりを戻す。

 が、若い夫婦のばあい、たがいの密着度がそれほど強くない。
積み重ねられた思い出も少ない。
そのため「あきらめる」という力が働かない。
だから簡単に離婚する。

●ホテル、旅館業界

 ところでホテル、旅館業界は、大不況のまっただ中。
そのため料金のダンピングが、はげしい。
利用者である私たちにとっては、うれしい。
が、その分、このところサービスの低下が、目立ってきた。
とくに料理が悪くなってきた。

 先週泊まった、焼津のSKホテルも、そのひとつ。
目玉はカニ一杯。
それだけ。
あとはスーパーで売っているような刺身と天ぷら。
それらをそれらしく並べて、それでおしまい。
料理らしい料理は、何もなかった。

 つまり「安かろう、悪かろう」が目立ってきた。
つまりホテル、旅館業界は今、底なしの悪循環の世界に入りつつある。
このままでは良質のホテルや旅館まで、つぶれてしまう。

●加齢臭

 部屋に戻ってから、風呂に入った。
私にとっては、2日ぶりの風呂。
このところ鼻水が出た。
「風邪かもしれない?」と思っているうちに、2日が過ぎた。
それで2日ぶり。

 一説によると、55歳前後から、加齢臭が始まるという。
この加齢臭のこわいところは、自分ではわからないこと。
そのため55歳を過ぎたら、毎晩、風呂に入るのがよい。
60歳を過ぎたら、なおさら。

 よく子ども(生徒)たちは、私にこう言う。
「先生は、ジジ臭い」と。
ヘアートニックなどの匂いを言うこともあるが、本当にジジ臭いのかも。
風呂の中でタオルをゆすぐと、体の垢(あか)が、プラプカと湯面に上ってきた。

●北朝鮮

 こうして何でもない一日は終わった。
ワイフは、ベッドからテレビのニュースを観ている。
心配なのは(?)、朝鮮半島。
しかしあの金xxは、戦争など、しない。
その度胸もない。
ありもしない外国の脅威を作りあげ、それでもって
国内を引き締めているだけ。
そのためにアメリカや韓国が利用されているだけ。

 で、今日の午後5時半。
中国が重大発表(?)なるものを行った。
内容は「12月はじめに、6か国協議を開く」というもの。

 バ~カ!

 日米韓は、即座に反応。
「何を今さら」と。
これで中国のメンツは丸つぶれ。
が、問題はなぜ、それがわかっていながら、中国はあえて重大発表
という形で、そんな提案をしたか、だ。
それに先だって、中国政府は各国の高官と協議を重ねていた。
それを通して、その雰囲気がわかっていたはず。

 が、テレビに出てきた北朝鮮専門家(?)と言われる人たちは、
トンチンカンな解説を繰り返しすのみ。
「北朝鮮は、本気のようです」
「これ以上、追い詰めない方がいい」と。

 つまり中国は、北朝鮮にせがまれて、そういう提案をしてみただけ。
中国は北朝鮮を失うこと、つまり南北が、韓国とアメリカ主導で統一
されることを、何よりも恐れている。
そんな中国を、6か国協議の議長国にしたのが、そもそものまちがい。
泥棒に、泥棒の管理をかませたようなもの。

 午後11時15分。
ニュースは終わった。
私も寝る。
おやすみ。

●翌朝(11月29日)

 このところ温泉でも、朝風呂は避けている。
どういうわけか、朝風呂に入ると、体力の消耗がはげしい。
ばあいによっては、そのあと、立ちくらみや、めまいがすることがある。

 起きて身支度を整える。
朝食は6時半からという。
時計を見ると、7時半。
そのまま2階の食堂へ。

 が、並べられた料理を見て、がっかり。
割引料金で、1500円弱。
GDホテルには悪いが、こんな朝食で、1500円は高い。
やる気ゼロ、本気ゼロという中身だった。

 私は近くに陳列してある、S社の超大型船外機(たぶん、模型?)を
ながめながら、不満感をなぐさめた。

食堂を出るとき、ワイフはこう言った。
「私たち、目が肥えているから……」と。

 先に書いた、KTホテル(ビジネスホテル)のばあい、1泊3500円前後。
朝食は無料。
品数は少ないが、それでもGDホテルの朝食よりは、よい。

 ……とまあ、悪口を書いてしまった。
しかしホテルにせよ、旅館にせよ、評価は本気度で決まる。
先月泊まった、西浦温泉の竜宮ホテルは、見栄えは質素だったが、
廊下ごとに、茶の香が立ててあった。
そういうのを見て、私たちは「本気度」を知る。

 とても残念なことだが、GDホテルでは、その本気度を
感ずることができなかった。
建物だけは、立派だが……。

●補記

 「今度は、アクトタワーに泊まってみたい」とワイフは言っている。
私も、泊まってみたい。
で、こういうのを「冥土のみやげ」という。
先日、「朝食のみ付き」で、一泊8500円前後という宣伝が新聞に
載っていた。
会員制の大浴場にも、無料で入れるという。
地元にいながら、地元のホテルや旅館のことは、あまり知らない。
死ぬまでに、一度は、堪能(たんのう)しておきたい。


Hiroshi Hayashi++++Nov. 2010++++++はやし浩司・林浩司