Education in Front-Line and Essays by Hiroshi Hayashi (はやし浩司)

(Mr.) Hiroshi Hayashi, a professional writer who has written more than 30 his own books on Education, Chinese Medical science and Religion in Japan. My web-site is: http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/ Please don't hesitate to visit my web-site, which is always welcome!!

Saturday, June 30, 2012

子どものやる気論byはやし浩司

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子育て最前線の育児論byはやし浩司   2012年 7月 9日
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【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【子どものやる気論】について(2012/05/13改)

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

今週、N市で、講演をする。
その原稿が、やっとできた。

……といっても、このまま話すのではない。
当日の雰囲気を見て、前後を入れ替えながら話す。
結論についても、同じ。
当時、主催者の方との話しあいの中で、決める。
私にとって、講演というのは、そういうもの。
原稿通りには、話さない。……話せない。

雰囲気を見ながら、笑いを入れたり、エピソードをふやしたりする。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●「遊びが子どもの仕事」(中日新聞発表済み) 

「人生で必要な知識はすべて砂場で学んだ」を書いたのはフルグラムだが、それは当たらずとも、はずれてもいない。
「当たらず」というのは、向こうでいう砂場というのは、日本でいう街中の公園ほどの大きさがある。
オーストラリアではその砂場にしても、木のクズを敷き詰めているところもある。
日本でいう砂場、つまりネコのウンチと小便の入りまざった砂場を想像しないほうがよい。
また「はずれていない」というのは、子どもというのは、必要な知識を、たいていは学校の教室の外で身につける。
実はこの私がそうだった。

 私は子どものころ毎日、真っ暗になるまで近くの寺の境内で遊んでいた。
今でいう帰宅拒否の症状もあったのかもしれない。
それはそれとして、私はその寺で多くのことを学んだ。
けんかのし方はもちろん、ほとんどの遊びもそうだ。
性教育もそこで学んだ。

 ……もっとも、それがわかるようになったのは、こういう教育論を書き始めてからだ。
それまでは私の過去はただの過去。
自分という人間がどういう人間であるかもよくわからなかった。
いわんや、自分という人間が、あの寺の境内でできたなどとは思ってもみなかった。
しかしやはり私という人間は、あの寺の境内でできた。

 ざっと思い出しても、いじめもあったし、意地悪もあった。
縄張りもあったし、いがみあいもあった。
おもしろいと思うのは、その寺の境内を中心とした社会が、ほかの社会と完全に隔離されていたということ。
たとえば私たちは山をはさんで隣り村の子どもたちと戦争状態にあった。
山ででくわしたら最後。
石を投げ合ったり、とっくみあいのけんかをした。
相手をつかまえればリンチもしたし、つかまればリンチもされた。

しかし学校で会うと、まったくふつうの仲間。
あいさつをして笑いあうような相手ではないが、しかし互いに知らぬ相手ではない。
目と目であいさつぐらいはした。
つまり寺の境内とそれを包む山は、スポーツでいう競技場のようなものではなかったか。競技場の外で争っても意味がない。
つまり私たちは「遊び」(?)を通して、知らず知らずのうちに社会で必要なルールを学んでいた。が、それだけにはとどまらない。

 寺の境内にはひとつの秩序があった。
子どもどうしの上下関係があった。
けんかの強い子どもや、遊びのうまい子どもが当然尊敬された。
そして私たちはそれに従った。
親分、子分の関係もできたし、私たちはいくら乱暴はしても、女の子や年下の子どもには手を出さなかった。

仲間意識もあった。
仲間がリンチを受けたら、すかさず山へ入り、報復合戦をしたりした。
しかしそれは日本というより、そのまま人間社会そのものの縮図でもあった。
だから今、世界で起きている紛争や事件をみても、私のばあい心のどこかで私の子ども時代とそれを結びつけて、簡単に理解することができる。

もし私が学校だけで知識を学んでいたとしたら、こうまですんなりとは理解できなかっただろう。
だから私の立場で言えば、こういうことになる。
「私は人生で必要な知識と経験はすべて寺の境内で学んだ」と。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●子どものいたずら

 ふつう頭のよい子どもは、発想が豊かで、おもしろい。
パンをくりぬいて、トンネル遊び。スリッパをひもでつないで、電車ごっこなど。
時計を水の入ったコップに入れて遊んでいた子ども(小3)がいた。

母親が「どうしてそんなことをするの?」と聞いたら、「防水と書いてあるから、その実験をしているのだ」と。

ただし同じいたずらでも、コンセントに粘土をつめる。
絵の具を溶かして、車にかけるなどのいたずらは、好ましいものではない。
善悪の判断にうとい子どもは、とんでもないいたずらをする。

 その頭をよくするという話で思いだしたが、チューイングガムをかむと頭がよくなるという説がある。
アメリカの「サイエンス」という雑誌に、そういう論文が紹介された。
で、この話をすると、ある母親が、「では」と言って、ほとんど毎日、自分の子どもにガムをかませた。しかもそれを年長児のときから、数年間続けた。
で、その結果だが、その子どもは本当に、頭がよくなってしまった。
この方法は、どこかぼんやりしていて、何かにつけておくれがちの子どもに、特に効果がある。……と思う。

 また年長児で、ずばぬけて国語力のある女の子がいた。
作文力だけをみたら、小学校の3、4年生以上の力があったと思う。
で、その秘訣を母親に聞いたら、こう教えてくれた。「赤ちゃんのときから、毎日本を読んで、それをテープに録音して、聴かせていました」と。
母親の趣味は、ドライブ。
外出するたびに、そのテープを聴かせていた。

 今回は、バラバラな話を書いてしまったが、もう一つ、バラバラになりついでに、こんな話もある。
子どもの運動能力の基本は、敏しょう性によって決まる。
その敏しょう性。

一人、ドッジボールの得意な子ども(年長男児)がいた。
その子どもは、とにかくすばしっこかった。
で、母親にその理由を聞くと、「赤ちゃんのときから、はだしで育てました。
雨の日もはだしだったため、近所の人に白い目で見られたこともあります」とのこと。
子どもを将来、運動の得意な子どもにしたかったら、できるだけはだしで育てるとよい。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●笑い(笑いの科学と効能)

 ついでに、「笑い」について。
何度も書いてきたので、ネットでさがし、その一部を紹介する。
 私は、幼児を教えるとき、何よりも、「笑い」を大切にしている。
ときには、50分のレッスンの間、ずっと笑いっぱなしにさせることもある。

 最近の研究では、「笑いは、心のジョギング」(小田晋、「イミダス」05年度版)とまで言われるようになった。

 「質問紙法で、ユーモアのセンスを評定すると、ユーモアの感覚があり、よく笑う人は、ストレス状況下でも、抑うつ度の上昇と、免疫力の低下が抑制されることがわかっている。

 たとえば糖尿病患者や大学生に、退屈な講義を聞かせたあとには、血糖値は上昇するが、
3時間の漫才を聞かせたあとでは、とくに糖尿病患者では、血糖値の上昇を阻害することがわかってきた」(国際科学研究財団・村上・筑波大学名誉教授)と。

 がん患者についても、笑いのシャワーをあびせると、血液中の免疫機能をつかさどる、NK細胞が、活性化することもわかっている(同)。

 子どももそうで、笑えば、子どもは、伸びる。
前向きな学習態度も、そこから生まれる。
「なおす」という言葉は、安易には使えないが、軽い情緒障害や精神障害なら、そのままなおってしまう。

 私は、そういう経験を、何度もしている。

 大声で、ゲラゲラ笑う。
たったそれだけのことだが、子どもの心は、まっすぐに伸びていくということ。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

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Hiroshi Hayashi+++++++Jan. 2012++++++はやし浩司・林浩司

●ほめることの重要性byはやし浩司

+++++++++++++++++

ほめることの重要性については、
繰り返し書いてきた。
『子どもはほめて伸ばせ』が、私の
持論にもなっている。
あちこちの本の中でも、そう書いた。
このほどその効果が、アカデミック
な立場で、証明された。
その記事を、そのままここに、
記録用として、保存させてもらう。

+++++++++++++++++

++++++++以下、ヤフー・ニュース(2010年3月)より++++++++

 親にほめられたり、やさしい言葉をかけられた乳幼児ほど、主体性や思いやりなど社会適応力の高い子に育つことが、3年以上に及ぶ科学技術振興機構の調査で分かった。
父親の育児参加も同様の効果があった。
「ほめる育児」の利点が長期調査で示されたのは初という。
東京都で27日午後に開かれる応用脳科学研究会で発表する。

 調査は、大阪府と三重県の親子約400組を対象に、生後4カ月の赤ちゃんが3歳半になる09年まで追跡。
親については、子とのかかわり方などをアンケートと行動観察で調べた。
子に対しては、親に自分から働きかける「主体性」、親にほほ笑み返す「共感性」など5分野30項目で評価した。

 その結果、1歳半以降の行動観察で、親によくほめられた乳幼児は、ほめられない乳幼児に比べ、3歳半まで社会適応力が高い状態を保つ子が約2倍いることが分かった。
また、ほめる以外に、目をしっかり見つめる▽一緒に歌ったり、リズムに合わせて体を揺らす▽たたかない▽生活習慣を整える▽一緒に本を読んだり出かける--などが社会適応力を高める傾向があった。

 一方、父親が1歳半から2歳半に継続して育児参加すると、そうでない親子に比べ、2歳半の時点で社会適応力が1.8倍高いことも判明した。
母親の育児負担感が低かったり、育児の相談相手がいる場合も子の社会適応力が高くなった。

 調査を主導した安梅勅江(あんめときえ)・筑波大教授(発達心理学)は「経験として知られていたことを、科学的に明らかにできた。
成果を親と子双方の支援に生かしたい」と話す。【須田桃子】

++++++++以上、ヤフー・ニュース(2010年3月)より++++++++

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++++++++++++++++++++

●2007年4月の原稿より

【子どもを伸ばす】

●やる気論

 人にやる気を起こさせるものに、二つある。
一つは、自我の追求。もう一つは、絶壁(ぜっぺき)性。

 大脳生理学の分野では、人のやる気は、大脳辺縁系の中にある、帯状回という組織が、重要なカギを握っているとされている(伊藤正男氏)。
が、問題は、何がその帯状回を刺激するか、だ。
そこで私は、ここで(1)自我の追求と、(2)絶壁性をあげる。

 自我の追求というのは、自己的利益の追求ということになる。
ビジネスマンがビジネスをとおして利潤を追求するというのが、もっともわかりやすい例ということになる。
科学者にとっては、名誉、政治家にとっては、地位、あるいは芸術家にとっては、評価ということになるのか。
こう決めてかかることは危険なことかもしれないが、わかりやすく言えば、そういうことになる。
こうした自己的利益の追求が、原動力となって、その人の帯状回(あくまでも伊藤氏の説に従えばということだが)を刺激する。

 しかしこれだけでは足りない。
人間は追いつめられてはじめて、やる気を発揮する。
これを私は「絶壁性」と呼んでいる。
つまり崖っぷちに立たされるという危機感があって、人ははじめてやる気を出す。
たとえば生活が安定し、来月の生活も、さらに来年の生活も変わりなく保障されるというような状態では、やる気は生まれない。
「明日はどうなるかわからない」「来月はどうなるかわからない」という、切羽つまった思いがあるから、人はがんばる。
が、それがなければ、そうでない。

 さて私のこと。私がなぜ、こうして毎日、文を書いているかといえば、結局は、この二
つに集約される。
「その先に何があるかを知りたい」というのは、立派な我欲である。
ただ私のばあい、名誉や地位はほとんど関係ない。
とくにインターネットに原稿を載せても、利益はほとんど、ない。
ふつうの人の我欲とは、少し内容が違うが、ともかくも、その自我が原動力になっていることはまちがいない。

 つぎに絶壁性だが、これはもうはっきりしている。
私のように、まったく保障のワクの外で生きている人間にとっては、病気や事故が一番、恐ろしい。
明日、病気か事故で倒れれば、それでおしまい。
そういう危機感があるから、健康や安全に最大限の注意を払う。

毎日、自転車で体を鍛えているのも、そのひとつということになる。
あるいは必要最低限の生活をしながら、余力をいつも未来のためにとっておく。
そういう生活態度も、そういう危機感の中から生まれた。
もしこの絶壁性がなかったら、私はこうまでがんばらないだろうと思う。

 そこで子どものこと。
子どものやる気がよく話題になるが、要は、いかにすれば、その我欲の追求性を子どもに自覚させ、ほどよい危機感をもたせるか、ということ。
順に考えてみよう。

(自我の追求)

 教育の世界では、(1)動機づけ、(2)忍耐性(努力)、(3)達成感という、三つの段
階に分けて、子どもを導く。
英語国では、「灯をともして、引き出せ」という。
幼児期にとくに大切なのは、動機づけである。
この動機づけがうまくいけば、あとは子ども自身が、自らの力で伸びる。英語流の言い方をすれば、『種をまいて、引き出す』の要領である。

 忍耐力は、いやなことをする力のことをいう。
そのためには、『子どもは使えば使うほどいい子』と覚えておくとよい。
多くの日本人は、「子どもにいい思いをさせること」「子どもに楽をさせること」が、「子どもをかわいがること」「親子のキズナ(きずな)を太くするコツ」と考えている。
しかしこれは誤解。まったくの誤解。

 3つ目に、達成感。
「やりとげた」という思いが、子どもをつぎに前向きに引っぱっていく原動力となる。
もっとも効果的な方法は、それを前向きに評価し、ほめること。

(絶壁性)

 酸素もエサも自動的に与えられ、水温も調整されたような水槽のような世界では、子ど
もは伸びない。
子どもを伸ばすためには、ある程度の危機感をもたせる。
(しかし危機感をもた
せすぎると、今度は失敗する。)日本では、受験勉強がそれにあたるが、しかし問題も多い。

 そこでどうすれば、子どもがその危機感を自覚するか、だ。
しかし残念ながら、ここま
で飽食とぜいたくが蔓延(まんえん)すると、その危機感をもたせること自体、むずかしい。
仮に生活の質を落としたりすると、子どもは、それを不満に転化させてしまう。
子ど
もの心をコントロールするのは、そういう意味でもむずかしい。

 とこかくも、子どものみならず、人は追いつめられてはじめて自分の力を奮い立たせる。
E君という子どもだが、こんなことがあった。

 小学六年のとき、何かの会で、スピーチをすることになった。
そのときのE君は、はたから見ても、かわいそうなくらい緊張したという。
数日前から不眠症になり、当日は朝食もとらず、会場へでかけていった。
で、結果は、結構、自分でも満足するようなできだったらしい。
それ以後、度胸がついたというか、自信をもったというか、児童会長(小学校)や、生徒会長(中学校)、文化祭実行委員長(高校)を、総ナメにしながら、大きくなっていった。
そのときどきは、親としてつらいときもあるが、子どもをある程度、その絶壁に立たせるというのは、子どもを伸ばすためには大切なことではないか。

 つきつめれば、子どもを伸ばすということは、いかにしてやる気を引き出すかということ。
その一言につきる。この問題は、これから先、もう少し煮つめてみたい。

Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

●生きがいを決めるのは、帯状回?

 脳の中に、辺縁系と呼ばれる古い脳がある。
脳のこの部分は、人間が原始動物であったときからあるものらしい。
イヌやネコにも、たいへんよく似た脳がある。

その辺縁系の中に、帯状回とか扁桃体と呼ばれるところがある。
最近の研究によれば、どうやら人間の「やる気」に、これらの帯状回や扁桃体が関係していることがわかってきた(伊藤正男氏)。

 たとえば人にほめられたりとすると、人は快感を覚える。
反対にみなの前でけなされたりすると、不快感を覚える。
その快感や不快感を覚えるのが、扁桃体だそうだ。その快感や不快感を受けて、大脳連合野の新皮質部が、満足したり、満足しなかったりする。

一方、その扁桃体の感覚を受けて、「やる気」を命令するのが、帯状回だそうだ(同氏)。
やる気があれば、ものごとは前に進み、それに楽しい。しかしいやいやにしていれば、何をするのも苦痛になる。

 これは脳のメカニズムの話だが、現象的にも、この説には合理性がある。
たとえば他人にやさしくしたり、親切にしたりすると、心地よい響きがする。
しかし反対に、他人をいじめたり、意地悪したりすると、後味が悪い。
この感覚は、きわめて原始的なもので、つまりは理屈では説明できないような感覚である。
しかしそういう感覚を、人間がまだ原始動物のときからもっていたと考えるのは、進化論から考えても正しい。
もし人間が、もともと邪悪な感覚をもっていたら、たとえば仲間を殺しても、平気でいられるような感覚をもっていたら、とっくの昔に絶滅していたはずである。

 こうした快感や不快感を受けて、つぎに大脳連合野の新皮質部が判断をくだす。
新皮質部というのは、いわゆる知的な活動をする部分である。
たとえば正直に生きたとする。
すると、そのあとすがすがしい気分になる。
このすがすがしい気分は、扁桃体によるものだが、それを受けて、新皮質部が、「もっと正直に生きよう」「どうすれば正直に生きられるか」とか考える。
そしてそれをもとに、自分を律したり、行動の中身を決めたりする。

 そしていよいよ帯状回の出番である。
帯状回は、こうした扁桃体の感覚や、新皮質部の判断を受けて、やる気を引き起こす。
「もっとやろう」とか、「やってやろう」とか、そういう前向きな姿勢を生み出す。
そしてそういう感覚が、反対にまた新皮質部に働きかけ、思考や行動を活発にしたりする。

●私のばあい

 さて私のこと。
こうしてマガジンを発行することによって、読者の数がふえるということは、ひょっとしたら、それだけ役にたっているということになる。
(中には、「コノヤロー」と怒っている人もいるかもしれないが……。)

さらに読者の方や、講演に来てくれた人から、礼状などが届いたりすると、どういうわ
けだか、それがうれしい。
そのうれしさが、私の脳(新皮質部)を刺激し、脳細胞を活発化する。
そしてそれが私のやる気を引き起こす。
そしてそのやる気が、ますますこう
してマガジンを発行しようという意欲に結びついてくる。
が、読者が減ったり、ふえなかったりすると、扁桃体が活動せず、つづいて新皮質部の機能が低下する。そしてそれが帯状回の機能を低下させる。

 何とも理屈っぽい話になってしまったが、こうして考えることによって、同時に、子どものやる気を考えることができる。
よく「子どもにはプラスの暗示をかけろ」「子どもはほめて伸ばせ」「子どもは前向きに伸ばせ」というが、なぜそうなのかということは、脳の機能そのものが、そうなっているからである。

 さてさて私のマガジンのこと。
私のばあい、「やる気」というレベルを超えて、「やらなければならない」という気持ちが強い。では、その気持ちは、どこから生まれてくるのか。
ここでいう「やる気論」だけでは説明できない。
どこか絶壁に立たされたかのような緊張感がある。
では、その緊張感はどこから生まれるのか。

●ほどよいストレスが、その人を伸ばす

 ある種のストレスが加えられると、副腎髄質からアドレナリンの分泌が始まる。
このア
ドレナリンが、心拍を高め、脳や筋肉の活動を高める。
そして脳や筋肉により多くの酸素を送りこみ、危急の行動を可能にする。
こうしたストレス反応が過剰になることは、決して好ましいことではない。
そうした状態が長く続くと、副腎機能が亢進し、免疫機能の低下や低体温などの、さまざまの弊害が現れてくる。
しかし一方で、ほどよいストレスが、全体の機能を高めることも事実で、要は、そのストレスの内容と量ということになる。

 たとえば同じ「追われる」といっても、借金取りに借金の催促をされながら、毎月5万円を返済するのと、家を建てるため、毎月5万円ずつ貯金するのとでは、気持ちはまるで違う。
子どもの成績でいうなら、いつも100点を取っていた子どもが80点を取るのと、いつも50点しか取れなかった子どもが、80点を取るのとでは、同じ80点でも、子どものよって、感じ方はまったく違う。

私のばあい、マガジンの読者の数が、やっと100人を超えたときのうれしさを忘れることができない一方、450人から445人に減ったときのさみしさも忘れることができない。
100人を超えたときには、モリモリとやる気が起きてきた。
しかし445人に減ったときは、そのやる気を支えるだけで精一杯だった。

●子どものやる気

 子どものやる気も同じに考えてよい。そのやる気を引き出すためには、子どもにある程度の緊張感を与える。
しかしその緊張感は、子ども自身が、その内部から沸き起こるような緊張感でなければならない。
私のばあい、「自分の時間が、どんどん短くなってきているように感ずる。
ひょっとしたら、明日にでも死の宣告を受けるかもしれない。
あるいは交通事故にあうかもしれない」というのが、ほどよく自分に作用しているのではないかと思う。

 人は、何らかの使命を自分に課し、そしてその使命感で、自分で自分にムチを打って、前に進むものか。
そうした努力も一方でしないと、結局はやる気もしぼんでしまう。
ただパンと水だけを与えられ、「がんばれ」と言われても、がんばれるものではない。
今、こうして自分のマガジンを発行しながら、私はそんなことを考えている。

Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

●私とは何か

 「私」とは何かと考える。どこからどこまでが私で、どこからどこまでが私ではないかと。
よく「私の手」とか、「私の顔」とか言うが、その手にしても、顔にしても、本当に「私」なのか。
手に生える一本の毛にしても、私には、それを自分でつくったという覚え(意識)がない。あるはずもない。

ただ顔については、長い間の生き様が、そこに反映されることはある。
だから、「私の顔」と言えなくもない。
しかしほかの部分はどうなのか。あるいは心は。
あるいは思想は。

 たとえば私は今、こうしてものを書いている。
しかしなぜ書くかといえば、それがわからない。
多分私の中にひそむ、貪欲さや闘争心が、そうさせているのかもしれない。
それはサッカー選手が、サッカーの試合をするのに似ている。
本人は自分の意思で動いていると思っているかもしれないが、実際には、その選手は「私」であって「私」でないものに、動かされているだけ? 

同じように私も、こうしてものを書いているが、私であって私でないものに動かされているだけかもしれない。
となると、ますますわからなくなる。私とは何か。

 もう少しわかりやすい例で考えてみよう。映画『タイタニック』に出てくる、ジャックとローズを思い浮かべてみよう。
彼らは電撃に打たれるような恋をして、そして結ばれる。
そして数日のうちに、あの運命の日を迎える。

 その事件が、あの映画の柱になっていて、それによって起こる悲劇が、多くの観客の心をとらえた。
それはわかるが、あのジャックとローズにしても、もとはといえば、本能に翻弄(ほんろう)されただけかもしれない。
電撃的な恋そのものにしても、本人たちの意思というよりは、その意思すらも支配する、本能によって引き起こされたと考えられる。

いや、だいたい男と女の関係は、すべてそうであると考えてよい。
つまりジャックにし
てもローズにしても、「私は私」と思ってそうしたかもしれないが、実はそうではなく、もっと別の力によって、そのように動かされただけということになる。
このことは、子どもたちを観察してみると、わかる。

 幼児期、だいたい満四歳半から五歳半にかけて、子どもは、大きく変化する。
この時期は、乳幼児から少年、少女期への移行期と考えるとわかりやすい。
この時期をすぎると、子どもは急に生意気になる。
人格の「核」形成がすすみ、教える側からみても、「この子はこういう子だ」という、とらえどころができてくる。
そのころから自意識による記憶も残るようになる。
(それ以前の子どもには、自意識による記憶は残らないとされる。
これは脳の中の、辺縁系にある海馬という組織が、まだ未発達のためと言われている。)

 で、その時期にあわせて、もちろん個人差や、程度の差はあるが、もろもろの、いわゆるふつうの人間がもっている感情や、行動パターンができてくる。
ここに書いた、貪欲さや闘争心も、それに含まれる。
嫉妬心(しっとしん)や猜疑心(さいぎしん)も含まれる。

子ども、一人ひとりは、「私は私だ」と思って、そうしているかもしれないが、もう少し高い視点から見ると、どの子どもも、それほど変わらない。
ある一定のワクの中で動いている。
もちろん方向性が違うということはある。
ある子どもは、作文で、あるいは別の子どもは、運動で、というように、そうした貪欲さや闘争心を、昇華させていく。
反対に中には、昇華できないで、くじけたり、いじけたり、さらには心をゆがめる子どももいる。
しかし全体としてみれば、やはり人間というハバの中で、そうしているにすぎない。

 となると、私は、どうなのか。
私は今、こうしてものを書いているが、それとて、結局はそのハバの中で踊らされているだけなのか。
もっと言えば、私は私だと思っているが、本当に私は私なのか。
もしそうだとするなら、どこからどこまでが私で、どこから先が私ではないのか。

 ……実のところ、この問題は、すでに今朝から数時間も考えている。
ムダにした原稿も、もう一〇枚(1600字x10枚)以上になる。
どうやら、私はたいへんな問題にぶつかってしまったようだ。
手ごわいというか、そう簡単には結論が出ないような気がする。
これから先、ゆっくりと時間をかけて、この問題と取り組んでみたい。

Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司


【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●世代間意識

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

対世代間意識について、考えてみる。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●団塊の世代

世代によって、他の世代に対する意識は、大きくちがう。
称して「対世代間意識」。
簡単に言えば、「世代間意識」。

 ……といっても、共通の意識として、確立しているわけではない。
あくまでも大ざっぱな意識。
個人差もあるだろう。
強く意識している人もいるだろうし、まったく意識していない人もいるだろう。
それにこうした意識というのは、「相手」と対峙したとき、輪郭(りんかく)を現す。
それまでは、意識として意識されることは、まず、ない。

たとえば私たち団塊の世代は、「日本の経済を発展させたのは私たち」という意識をもっている。
意識的にそう思いながら、生きてきたわけではない。
ただがむしゃらに、働いた。
一社懸命。
企業戦士。
その結果として、日本の経済は、一時は、世界第二位と呼ばれるほどまでに、発展した。

 そういう私たちに向かって、誰かが、「老害論」を口にしたとする。
とたん、先に書いた、世代間意識が顔を出す。
「ちょっと、待て!」と。
つまりそういう前提として、ここに書く、私の「世代間意識」を読んでほしい。

 で、こうした意識は、世代によってちがう。
順に考えてみる。

●尾崎豊世代

私たち団塊の世代(昭和22年~、1947年~生まれ)と、その子ども、つまり団塊ジュニアの間の世代を、私は「尾崎豊世代」と呼んでいる。
尾崎豊が、あの「♪卒業」を歌ったとき、私は大きな衝撃を覚えた。

「♪夜の校舎、窓ガラス、壊して回った……」と。

1985年1月21日に、CBSソニーから発売になっている。

 私たちの世代は、「70年安保闘争」(1970年の日米安保反対闘争)を経験している。
中身と言えば、「祭り」。
意味がよくわかっていて、闘争に加わったわけではない。
ただ体をがんじがらめに縛りつけているクサリから、自らを解放したかった。
それが安保闘争に、つながった。

しかしそれでも「反権力」が、大義名分になっていた。
が、尾崎豊は、「反世代」を、「♪卒業」の中に織り込んだ。
「反権力」から、「反世代」へ。

 もう一度、「世代」を、ここにまとめてみる。

(1) 団塊の世代
(2) 尾崎豊世代
(3) 団塊ジュニア世代

●飽食とぜいたく

 が、これは私には、理解しがたいことであった。
というのも、尾崎豊世代といえば、日本のみならず、世界でも類見ないほどの、飽食とぜいたくを経験した世代である。
彼らが生まれ育った環境は、まさにバブル経済の真っ最中。
生まれるとすぐ、祖父母がやってきた。
もちろん父親も、かけつけた。
それこそ、手をかけられ、時間をかけられ、金をかけられて育てられた。
親というより、社会に対して、感謝して当然の世代。
その世代が、上の世代に対して、反旗を翻(ひるがえ)した。

 ……というふうに、しばらく考えていた。
が、そのうち、尾崎豊世代が、まったく別の考え方をしているのがわかった。
むしろ私たち団塊の世代を、「敵」と考えているのがわかった。
「敵」は、「かたき」と読む。
「バブル経済を食いつぶし、日本を崩壊させた世代」と。

 それがわからなければ、ネットであちこちをサーフィンしてみればよい。
尾崎豊世代が、どのような目で、団塊の世代を見ているか、それを知ればよい。
というのも、こうした意識は、調査しようにも、それ自体が、調査になじまない。
年齢層をしぼり、「あなたは団塊の世代をどう思っていますか?」という調査そのものが、できない。
仮にそういう調査をしても、そこから浮かび上がってくる「回答」そのものに、意味がない。

●窓ガラスを壊す

 あのバブル経済をどうとらえるかによって、意識は、大きく変わる。
ここにも書いたように、180度変わることもある。
が、その前に、幼児期、少年少女期に、どのような環境で生まれ育ったかによっても、大きく変わる。

 私たちの時代は、たとえば、あの戦後の大混乱期から始まっている。
「ひもじい」という言葉が、消えたことがなかった。
毎日、腹をすかせていた。
私はよく「ボットン便所」という言葉を使う。
この言葉ほど、あの時代の、あの生活を象徴する言葉は、ほかにない。

 が、尾崎豊世代は、ちがう。
木造の校舎は姿を消し、今に見る鉄筋の校舎になった。

風が吹くたびに、天井からダニが雨のように降ってくる校舎を知らない。
急いで走れば、廊下がめくれ、木片が足に突き刺さる校舎を知らない。
気温が下がれば、みなで石炭を運び、ストーブを焚くような校舎を知らない。

 だから平気で(?)、「♪窓ガラス、壊して回った」(「卒業」)となる。
が、私たちの時代には、だれかが窓ガラスを割ったりすると、そこには紙が張られた。
もちろん不注意によるものだが……。
夏場はそれでよいとしても、冬場は、たまらない。
体を縮め、ガタガタと震えた。
「窓ガラスを壊す」という発想そのものが、なかった。

●戦中派世代

 そんな話をある男性(80歳)に話すと、こう言った。
が、その返事は、まったく予想外の、内容だった。
驚いた。
その男性は、こう言った。

 「オレたちだって、そう思っているよ」と。
つまり「私たち団塊の世代を、敵(かたき)と思っているよ」と。

 「バブル世代というのはね、オレたちが命がけで敷いたレールの上で、のうのうと生きてきた連中だろ。
オレたちの苦労を知らない」と。

 それには、もう一つ、理由がある。
なぜ、80歳の男性、つまり戦中派の人たちが、バブル世代を「敵」とみるか、それには、もう一つ、理由がある。
「反射的敵意」とでも書くべきか。

つまり私たち団塊の世代は、団塊の世代で、ことあるごとに、戦中派世代を批判してきた。
「バカな戦争をしたから、オレたちは、苦労したのだ」と。
「はじめから、勝てるわけがない。
そんな戦争をあの連中は起こし、日本を最後には、焼け野原にした」と。

 結果的に日本は戦争に負けた。
だからこそ、戦中派世代に対する反感は増大した。
と、同時に、戦中派世代は、口をつぐんだ。

私「どうして、ぼくたちが敵なんですか」
男「だって、お前たちは、戦争を知らないだろ」
私「知らない……」
男「命がけで国を守ったという経験もない連中が、偉そうなこと言うなよ」と。

 で、その男性は、最後にこう言った。

「団塊の世代は、生意気だ」と。

もう一度、「世代」を、ここにまとめてみる。

(1) 戦中派世代
(2) 団塊の世代
(3) 尾崎豊世代
(4) 団塊ジュニア世代

●団塊ジュニア世代

 では、団塊ジュニアの世代は、どうか。
それにはすでに明確な答が出されつつある。
私たちの世代以上をさして、「老害」と。

少し前は、「粗大ゴミ」とか、「ジジババ有害論」とかいう言葉も、あった。
が、今は、老害。
老害論が、堂々と論じられている。
若者たちのサイトでは、老人は、「1匹、2匹……」と、「匹単位」で呼ばれている。

 それには理由がある。
これは年金族全体を含めてでの話だが、「老人は社会の富を食いつぶしている」と。
で、その一方で、「老後の親のめんどうをみる」と考える若者が、どんどんと減っている。
20%前後(総理府、内閣府)。
世界でも最低水準。

 その理由について、ある男性(元高校教師、長野県在住)は、こう言った。
「年金制度ですよ。年金制度が原因ですよ」と。

私「どうして?」
男「子どもたちの世代からみるとですね、親父(母)には、年金がある。
だから、めんどうをみなくてもいい。
そうなるんですよ」
私「……親のめんどうと、年金がどう結びつくのですか」
男「つまりね、今の若い人たちは、親のめんどうも、金(マネー)という尺度でしかみていないのですよ」
私「ひとりで生活できるなら、それでいいだろ……というわけですか」
男「そうだね。そんなわけで、長野(北信)では、若者はどんどんと去っていきます。
一度去ったら、もう戻ってきませんよ。
私も、娘とは、20年以上も会っていません」と。

 年金?
が、その根底にあるのは、金(マネー)。
金権教に毒された、日本の社会。
日本人。
「親の恩も、遺産しだい」。
それが転じて、「年金」と。

 内閣府(総理府)の調査によれば、若者たちはこう答えている。
「経済的に余裕があれば、親のめんどうをみる」と。
が、現実に、経済的に余裕のある若者はいない。
みな、目一杯の生活をしている。

●孤独死、無縁死

 孤独死、無縁死のニュースが、ない日はない。
というか、今では、ニュースにもならない。
そのうちすぐ、約60%の人たちが、孤独死、無縁死を迎えるという。

 ここでいう「老害」という言葉の結果として、そうなる。
私がその子どもなら、つまり自分の親が、孤独死をしたり、無縁死をしたりしたら、罪の意識で、死ぬまで苦しむだろう。
が、団塊ジュニア世代以下には、それもない。
罪の意識すら、覚えない。

 こんな話を聞いた。

 岐阜県の下呂町と言えば、温泉街。
その温泉街で、40年にわたり独り暮らしをしていた男性がいた。
あるホテルで、飯炊きの仕事をしていた。
その男性が、ある朝、ホテルの従業員が訪ねてみると、死んでいた。
孤独死である。

 そこでその隣人があれこれ調べ、やっとのことで、親戚をさがした。
結果、四国に2人の息子が住んでいることがわかった。
で、電話をすると、こう答えたという。
「私たちは父とは縁を切りました」
「もう親子ではありませんから」と。

 親が息子と縁を切ったのではない。
息子の方が、親と縁を切った。
団塊の私たちには、(私には?)、信じられないような話だが、これも現実。

 だから葬儀は、その隣人と、ホテルでいっしょに働いていた人、数人で執り行ったという。
遺骨は、その町のある寺に無縁仏として葬られたという。

●意識

 意識というのは、かくもちがう。
私のもっている意識と、あなたのもっている意識もちがう。
世代がちがえば、なおさら。
国がちがえば、さらに、ちがう。
時代が変われば、さらにさらに、ちがう。

さて、あなたはどんな意識をもっているだろうか。
ここでは、枝葉を切り落とし、幹だけを書いた。
あくまでも「大ざっぱな話」(冒頭)である。

が、そこで重要なことは、それがどんな意識であれ、
(1)まず相手の意識を認めること。
(2)自分の意識を基準に、ものを考えてはいけないということ。
(3)その上で、それぞれの人に合わせて、ものを考え、自分の意見を述べること。

 言い換えると、私たちがもっている意識というのは、人によって、みな、ちがう。
生まれ育った環境、時代、国によっても、ちがう。
そういう前提で、考える。

●見返り

 どうであるにせよ、対世代間意識というのは、常に若い人たちのほうが、有利。
強い。
古今東西、老人組が若者組に勝ったという、そのためしがない。
体力、気力、知力……どれをとっても、勝ち目はない。
老人組は、ただ静かに去るのみ。

 ただ、こうは思う。
私たちが作ろうとした未来は、こんな未来ではなかった、と。
たとえば先に、私は、私たちの世代は、ひもじさとの戦いだったと書いた。
事実、その通りで、私たちは、いつも腹をすかしていた。
だから背も低い。
私のばあい、両ひざに、大きな骨のこぶを作っている。
これは栄養失調が原因である。

 だから子どもたち(息子たち)には、ひもじい思いだけはさせたくなかった。
またその一方で、結婚前から、収入の半分は実家へ送った。
経済的負担感というより、社会的負担感には、相当なものがあった。
だから子どもたち(息子たち)には、そういう負担感を味あわせたくなかった。

 が、今は、それが180度、逆転した。
へたにそんな話を子どもたち(息子たち)に話そうものなら、逆に攻撃される。
「見返りを求める方が、おかしい」と。

 これも意識のちがいということになる。
そう言われた私たちといえば、ただ黙るしかない。
反論のしようが、ない。

●最後に

 さて、ここでは(4)の団塊ジュニア世代まで書いた。
つづく(5)の世代は、どのような意識をもつのか。
団塊ジュニア世代のもつ意識と、どのようにちがっていくのか。

 ひとつ言えることは、日本の子どもたちから、野生臭が消えたこと。
ナヨナヨしているというか、おとなしい。
言われたことはするが、それ以上はしない。
昔でいう、ガッツ精神が消えた。
リーダーも消えた。
日本の大学生たちが、就職先としてナンバーワンにあげているのが、公務員というのも、たいへん気になる※。

これからのテーマのひとつとして、静かに観察してみたい。

(注※……2012年4月入社 就職活動学生の意識調査よると、人気就職先、公務員が2年連続首位。
知名度・充実した福利厚生など安心できる"堅実"なイメージの企業が上位に。Leggenda)

(はやし浩司 教育 林 浩司 林浩司 Hiroshi Hayashi 幼児教育 教育評論 幼児教育評論 はやし浩司 意識論 意識とは 団塊の世代 戦中派の意識 団塊ジュニアの意識 はやし浩司 世代間意識闘争 対世代間意識)


Hiroshi Hayashi+++++++May. 2012++++++はやし浩司・林浩司
 
dousoukai


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【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【山荘にて】(はやし浩司 2012-05-12)

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

浜松の凧祭りで、真っ黒に日焼けしてきた中学生がいた。
鼻の先は、かさぶたができたように、皮がめくれていた。
目も、真っ赤だった。

「どうして日焼け止めクリームを使わなかったのか!」と叱ると、「使っていた」と。
日焼け止めクリームを使っても、そこまで日焼けする。
自殺行為そのもの。

以前、中日新聞に発表した原稿を探してみる。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●紫外線対策を早急に

 今どき野外活動か何かで、まっ赤に日焼けするなどということは、自殺的行為と言ってもよい。
中には、皮膚が赤むけになるほど、日焼けする子どももいる。
無頓着といえば、無頓着。無頓着すぎる。
国立がんセンターの山本医師も、『海外旅行に行って、肌を焼いているのは、日本人の若者ぐらいです。
海外の皮膚がん研究者からは、「いったい日本は、どうなっているのだ?」と質問されることさえあります。
専門家にしてみれば、日本の若者がこぞって肌を焼く行為は、自ら命を縮めているに等しい行為なのです』(日経BP)と述べている。

 紫外線で皮膚が傷つくわけだが、オゾンが10%の割合で減りつづけると、皮膚がんは、26%ふえ、紫外線が2%ふえると、皮膚がんは、3%ふえるとういう(UNEP99年)。
実際、オーストラリアでは、1992年までの7年間だけをみても、皮膚がんによる死亡件数が、毎年10%ずつふえている。
日光性角皮症や白内障も急増している。
しかも深刻なことに、20代、30代の若者たちの皮膚がんが、急増しているということ。
そこでオーストラリアでは、その季節になると、紫外線情報を流し、子どもたちに紫外線防止用の帽子とサングラスの着用を義務づけている。
が、この日本では野放し。オーストラリアの友人は、こう言った。
「何も対策を講じていない? 信じられない」と。
ちなみに北極についても、1997年には、すでに30%も減少している。

●破壊される環境

日本の気象庁の調査によると、南極大陸のオゾンホールは、1980年には、面積がほとんど0だったものが、1985年から90年にかけて南極大陸とほぼ同じ大きさになり、2000年には、それが南極大陸の面積のほぼ2倍にまで拡大しているという。
北極についても、1997年には、すでに30%も減少している。

 さらに2000年に入ってからは、地球温暖化の影響で、成層圏の水分や温度が変化。
極地方には、不気味なピンク色の雲が出現し、02年には、オゾンホールは、とうとうオーストラリアのタスマニアまで拡大。
「上空オゾン層はさらに破壊、急拡大している」(NASA)という。

●疑わしきは罰する

 法律の世界では、「疑わしきは、罰せず」という。
しかし教育の世界では、「疑わしきは、罰する」。
子どもの世界は、先手、先手で守ってこそ、はじめて守ることができる。
害が具体的に出るようになってからでは、遅い。
たとえばここに書いた紫外線の問題にしても、警報が出たら、外出をひかえる。
過度な日焼けはさせない。紫外線防止用の帽子、サングラス、長そでのシャツ、長ズボン着用させる。
サンスクリーンクリームを皮膚に塗るなど、あなたが親としてすべきことは多い。

Hiroshi Hayashi+++++++May. 2012++++++はやし浩司・林浩司

●山荘

 昨夜遅く、山荘へやってきた。
着いたのが、午後11時ごろ。
一息ついたころ、ワイフは、DVDを見始めた。
『幸せの行方』

 が、途中で、ギブアップ。
できすぎというか、テンポがのろかった。
昔の日本映画のよう。

 私はそれよりも、ギリシャの動きのほうが、気になった。
30分ごとに、二転、三転……。
連立政権ができるのか、できないのか……。
そのつどオセロ・ゲームのように、白黒がはげしく反転する。

●ゆるんだゴム

 ギリシャを一言で表現すれば、「ゆるんだゴム」。
ギリシャというより、ギリシャ人。
人心がゆるんでしまった。
漢字では「緩んだ」と書く。

 たいした働きもせず、権利の王国の中で、あぐらをかいてしまった。
が、EU連邦が突きつけた要求は、「財政を切り詰め、もっと働け」。
そうでなくても、景気は最悪。
どん底。
財政を切り詰めるということは、自ら首を絞めるようなもの。

 ……という状態に追い込まれたら、ふつうなら働くしかない。
汗水を流すしかない。
が、そうはいかない。
そうはいかないのが、人心。
平たく言えば、怠(なま)け心。

●退職後

 こうした心は、退職してみると、よくわかる。
(私のばあい、まだ現役で働いているが、それでもよくわかる。)
仕事というのは、一度、離れると、元に戻すのは、たいへん。
むずかしい。
中には、拒絶反応を示す人もいる。
「働くのは、もう、こりごり」と。

 だからこの先、定年退職を迎える人も、こう考えたらよい。
何らかの形で、またどんな形でもよいから、仕事にしがみつく、と。
老後と言っても、平均、20年もある。

「心」だけではない。
「体」もそうなる。
「気力」もそうなる。
「働こう」という気力も、消える。

 で、一度そうなったら、ゴムは、もう元には戻らない。
だからしがみつく。

●つぶし(=転職)

 この日本でも、公務員だった人は、民間企業では、働けない。
……というか、むずかしい。
まれに民間企業で働いている人もいるが、それは例外。
よい例が、教員(学校の先生)。
昔から「教員はつぶし(=転職)がきかない」と言われる。
長い間、公的な機関(=公立学校)で教員をしていると、それ以外の仕事ができなくなる。そういう意味で、そう言った。

 「先生だったから……」という理由で、塾の先生くらいはできるだろうと一般の人は考えるかもしれない。
が、実際には不可能。
私立幼稚園でも、むずかしい。
多くは退職後、園長職で迎えられるが、長続きしない。
このあたり(浜松市)でも、たいてい1~2年で、再退職していく。

 公務員の天下りがいろいろ問題になっている。
しかし天下り先しか、行くところがないも、これまた事実。

●公務員国家
 
 あまりよいたとえではないかもしれない。
しかし現在のギリシャの状態は、国全体がお役所と考えてよいのでは?
直接には知らないが、あちこちのニュースを総合すると、そんな印象をもつ。
適当に働き、あとは裏通りで、バックギャモンでもしながら遊んで暮らす。
お金は、いくらでも天から降ってくる……。

 ギリシャ人の公務員率は、34%(2008年・ILO)という。
ドイツ、イギリスと、それほどちがわない。
が、なぜ、問題なのかといえば、「高待遇」。
給料が高い。
高い分だけ、負担が大きい。
だから「緊縮せよ」(ドイツ・メルケル首相)と。

 が、そうは簡単にはいかない。
いかないという意味で、日本の例を先に書いてみた。
つまり「ゆるんだゴムは、元には戻らない」。

●ギリシャ危機

 今朝(5月12日)、ギリシャは、さらに混迷の度を増しつつある。
(流れ)からすると、ギリシャは、EUから離脱し、国家破綻するしかない。
いくらカンフル注射を施したとしても、時間の問題。
問題は、そのあと。

 が、ここで大きく意見が、2つに分かれる。

(1) それほど大きな問題にはならず、EUは安定化に向け、収束する。
(2) 連鎖反応が起き、ポルトガル、アイルランド、スペイン、イタリアに飛び火する。

 あのリーマンブラザーズのときも、当初、2つの見方があった。
結果的に、連鎖反応が起き、ドミノ倒しのドミノのように、世界が大混乱に陥った。

では、ギリシャはどうか?
EU全体から見れば、経済規模は、2%。
その2%が、世界をどう動かすか。
楽観論、悲観論が、複雑に交錯している。
が、ここでも「ゆるんだゴム」論が登場する。

 ひとりがんばっているのは、ドイツだけ。
あとはみな、ゆるんだゴムのようになっている。
今は何とか、ユーロの威信を前に、世界中から金(マネー)を集め、食いつないでいる。
が、それもいつまでもつか、わからない。
(日本は、おバカだから、一生懸命、貢いでいるが……。)
どこかで小さな力が加われば、ドミノは一気に倒れる。
それがいつ始まっても、おかしくない。

●戦略的国家視点

 日本の「円」のためには、ユーロの暴落は、日本にとっては、好ましい。
中国の「元」の暴落も、好ましい。
相対的に「円」の地位が高くなる。

 札というのは、絵画と同じ。
大量生産できるリトグラフ(石版画)でもよい。
価値が高まれば高まるほど、高く売れる。

 だから日本が、EUとユーロの防衛に手を貸すのは、一時的には日本の利益になるかもしれない。
が、長期的、つまり戦略的に見れば、損。
現に、今、ドル、ユーロ、元、日本……と、日本の円の地位は、さがりつづけている。
またアメリカは、そういった戦略的な視点から、今回もIMFへの出資を見送った。
(日本はおバカだから、600億ドル、つまり5兆円も出資した。2012年4月。)

 その状態で、あとは円を増刷すればよい。
ズルいといえば、ズルい。
しかしそれくらいのことなら、どこの国でもしている。
日本の現状を一言で表現するなら、お人好しのおバカ。
オホホ、オホホ……と、世界の野人たちとつきあっている。

 だから私は、こう言いたい。

「Japan, be ambitious! (日本よ、野性的に生きろ!)」と。

●17・5%?

 が、ここで問題が終わるわけではない。
「つぎは、日本」と言われている。
日本は最後のババを引かされた上、奈落の底に叩き落とされる。

 日本政府は、日本の公務員数は、17・5%(2008年、ILO)と公表している。
が、こんな数字を信ずる日本人は、いない。
日本には、旧三公社五現業から始まる、準公務員がいる。
天下り先となると、数えるのも不可能なほど、多い。
文科省という1省だけでも、2000団体近くもある。
(2000年ごろ、私が調査したところでは、約1750団体。)
もちろんそうした機関で働くのは、公務員ではない。
一応、民間人?

 先日もJR岐阜駅で、トイレに入った。
清掃している女性がいたので、「あなたは公務員ですか」と聞くと、「そうです」と。
(正確には、「公益財団法人清掃公社職員」という。)
つづいて今度は、名鉄の岐阜駅で清掃している人を見かけたので、同じ質問をぶつけてみた。

 名鉄岐阜駅では、名鉄系列の子会社の職員が、清掃業務を行っているということだった。
で、さらに詳しく聞くと、名鉄岐阜駅と、JR岐阜駅の間にある各施設は、3社が分割して行っているという。
(残りの1社については、不明。)
距離にすれば、歩いて5分もない。

名鉄岐阜駅の職員は、最後にこう言った。
「私たちの給料は、ほかのところの半分程度です」と(以上、伝聞なので、内容は不正確)。

 こうした現実をさておいて、「日本の公務員数は少ない」は、ない。

 ……今なら、まだ間に合う?
日本がギリシャ化してからでは、遅い。
私は心底、日本の将来を、心配する。


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相対的幸福感

●今日から2012年7月

【2012年の折り返し点で考える】

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

2012年も、今日が折り返し点。
今日から7月1日(日曜日)。
時刻は午前5時15分。
ひんやりとした森の冷気が心地よい。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●心の反 面性

 心には常に、反面性がある。
わかりやすいのが、泥棒。
昔から『泥棒の家は、戸締りが厳重』という。
自分が泥棒だから、泥棒に入られるのが、気になる。
戸締りが厳重になる。

 似たような例だが、『女遊びをしている人ほど、自分の娘に厳しい』というのもある。
先日も、「娘には、門限だけは、しっかりと守らせています」と言った男性がいた。
娘といっても、28歳。
28歳の娘に門限?

 もう少しわかりやすい例では、世間体を気にする人ほど、他人の生活が気になる。
幸福感も相対的なもので、他人より幸福なら、自分は幸福と思う。
他人より、そうでないなら、そうでないと思う。
こんな例もある。

 私の知りあいに、健康であることを、ことさら強調する男性(80歳くらい)がいる。
会うたびに、健康の話をする。
自慢話をする。
「無病息災が第一だよ」などと言ったりする。
(「息災」というのは、仏の力で、災いを取り除くことをいう。転じて「健康」の意。)

 が、80歳を過ぎれば、無病という人は、ほとんどいない。
その人が自分の健康を自慢するのは、その人の勝手。
が、聞く人によっては、イヤミ。
当の本人には、それがわからない。
問題は、なぜ、健康であることを自慢するか。

 このタイプの男性は、「長生きをする人イコール、人生の勝者」と考えている。
ことあるごとに、それを話題にする。
そういった話題に、会話を引き込む。
たとえば「あいつは、Y会社で取締役までしたが、70歳で死んだ。意味ないよ」と。

 こういうのを年齢中心主義という。
老人が陥りやすいので、老人性・年齢中心主義という。
命そのものを損得とからめて考える。
元公務員にこのタイプの人間が多いのは、年金を無視することができない。
「長く生きれば生きるほど、得」と考える。
そう言えば、こんな女性がいた。

 テレビ画面に向かって、堂々とこう言っていた。
「父ちゃん(=その女性の夫)が、がんばってくれたおかげで、娘の家が建ちました」と。

 その「父ちゃん」は、何かの大病を患ったらしい。
しかし1~2年ほど、寝たきりの状態だった。
生死の境をさまよった。
その間に入った年金で、「娘の家が建った」と。

 人の心も、欲に毒されると、そこまで言うようになる。
なお先の男性(=健康を自慢する男性)は、個人の不動産屋を営んでいたこともある。
私にこう言った。
「ぼくはね、新聞を開くと、まっさきに死亡通知欄を見るよ」と。
人が死ぬと、不動産が真っ先に動く。
それはわかるが、同時に彼は、他人の死を確認しながら、それを自分の喜びにつなげる。

 念のため申し添えるなら、私は死亡通知欄なるものは、見たことがない。
その男性も「本当ですか?」と驚いていたが、見たことがない。
(内心では、ああいう欄はやめたらとよいと思っている。
欧米では反対に、子どもの誕生や、結婚などを載せている。)

●幸福度

 幸福度というのは、「尺度」を切り離したところで、決まる。
何かのBLOGに書いてあったが、「老後の幸福度というのは、夫婦の円満度で決まる」と。
それに安あがり。
一理ある。

 劇場で映画を見る。
夫婦(シルバー料金)で、2000円(1人、1000円)。
帰りに回転寿司で、寿司を食べる。
1000円(2人で10皿)。
計、3000円で、結構、ハッピーな気持ちになれる(某BLOG)。
 
●金持ち

 が、この日本では、金持ちほど成功者。
金持ちほど住む世界が広い。
金持ちほど人格者、と。
そういう人生観に毒されている人は、多い。
あの高度成長期の中で、それなりに成功した人ほど、そういう人生観をもちやすい。
が、事実は、逆。

 金(マネー)というのは、中身と言えば、欲望の化身。
金に毒された人ほど、実際には、住む世界が狭く、低俗。
ブランド品を身に着け、それでもって「私はすばらしい」と思いこむ。
心はさみしい。
人間関係もさみしい。
さらに人生そのものからも、回り道をする。
回り道をしたまま、人生の迷路、つまり袋小路に入ってしまう。
大切なものを失いながら、その失っているという自覚そのものがない。

●誰が永遠に生きたいか?

 大切なのは、中身。
何をしてきたかという中身。
人生の長短ではない。
長短で、幸福感は決まらない。
逆に、こういう曲もある。
「♪だれが永遠に生きたいと思うか(Who wants to live forever?)」と。
つまり永遠に生きたところで、それがどうしたのか、と。
有名な曲だから、YOUTUBEにも収録されている。
サラ・ブライトマンの歌で、どうぞ!

 

 ……と書くのも、私もそろそろ死を覚悟する年齢になった。
「できるだけ健康でいたい」とは思うが、「長生きをしたい」とは思わない。
長生きをすればするほど、みなに迷惑をかける。
が、それよりも恐ろしいのが、孤独。
私には、その孤独に耐える力はない。
自分でも、それがよくわかっている。
ときどきこんなささやきも聞こえてくる。
悪魔のささやきである。

「死を待つくらいなら、自分で死を選べ」と。

 ……というか、それが私の人生観の基本にもなっている。
川で魚ととるときも、私には「釣る」ということができない。
モリを手に握り、川の中に飛び込んでいく。
それで突いて魚をとる。
それが私の生き様でもあった。

 その私がどうして死を待たねばならないのか。
その状況にならなければわからないが、私はいさぎよく、死ぬ。……死にたい。

●誤差の範囲

 こうして考えてみると、すでに私の人生の結果は、出ている。
この先、いくらジタバタしても、それは誤差をほんの少しだけ、補正するだけ。
その程度の意味しかない。
今まで何もできなかった私が、この先、何ができるというのか。

 たとえば今、ある出版社と、本の出版の話を進めている。
若いころなら、それだけで私は燃えあがった。
が、今の私は冷めたまま。
「今さら……」という気持ちが、どうしても先に立ってしまう。
数年前、あるラジオ局(横浜のR・日本)で、講演を収録したときも、そう言われた。
「この世界(マスコミの世界)では、50歳までに決まります」と。

 つまり50歳までに、どれだけ有名人になっているかどうかで、その人の価値は決まる、と。
60歳を過ぎた私では、講演にしても、聞く人もいないだろう、と。
もっとも、そんなことは他人に言われなくても、自分でもよくわかっている。
その「今さら……」という部分が、先に書いた「誤差の範囲」ということになる。

●真・善・美

 人は何を求めて生きているか。
それで人生の目的も意味も決まる。

 真・善・美という言葉もあるが、それを追求できる人は、ごく一部。
大半の人は、生きていくだけで精一杯。
仮に求めたとしても、さらに大半の人は、その途中で、頓挫(とんざ)する。
ほどほどのところで、ほどほどの人生を終える。
あとは自己満足。
自分で自分を、さみしく慰める。
さらに言えば、見ざる、聞かざる、言わず。

 へたに見たり、聞いたり、言えば、かえって自己否定に世界に落ち込んでしまう。
まちがいを知る。
能力の限界を知る。
話しても、だれにも相手にされない。
「自分のしてきたことは、この程度のことだったのか」と知ることくらい、恐ろしいことはない。

私のばあい、「真・善・美」のうちの「真」ということになるが、この先、何百年がんばっても、その片鱗にさえ手が届かないだろう。
だから目を閉じ、耳を閉じ、口を閉じる。

 ……ほどほどのところで、あきらめる。
その程度のところで満足し、まわりを見ない。

●残りの6か月

 とはいえ、2012年は終わったわけではない。
まだ6か月、ある。
半分、ある。

 とりあえずしなければならないことは、健康の回復。
脚を痛めたおかげで、運動不足になってしまった。
その影響で、自分の体が重くてしかたない。
眠くてしかたない。
脳みそのほうも、調子がよいのは、こうした早朝だけ。
朝食を食べるころには、もうぼんやりとしてくる。

●ボケ

 こわいのは認知症。
ボケ。
すでにその兆候は現れてきている(?)。
集中力がつづかない。
言葉を忘れる。
以前はこういうことはなかったが、たとえば10年ほど前に書いた自分の原稿を読みなおしてみる。
そのとき、「ヘッ、こんなこと書いたのか?」と思うことが、このところ、ときどきある。
文はたしかに私のものだが、中身を忘れてしまっている(?)。

 こういった現象は、脳みその一部が、ドミノ倒しのドミノのように、崩れ落ちたことを意味する。
というのも、文というのは、常に過去に書いた文の上に、上書きしていく。
今、こうして書いている文にしても、過去に書いた文を基礎としている。
どこかでつながっている。

が、今までは、そういうことはなかった。
どんな文でも、私の文かどうかは、即座に判断できた。
現在に至るまで、その(つながり)が残っている。

 その(つながり)が消えたということは、一連の基礎まで消えたことを意味する。
が、これほど恐ろしいことはない。
ある朝、起きてみたら、それまで5本あった指が、4本になっている。
それくらいの衝撃はある。

 で、そういうときは、自分の文を何度も読み返してみる。
現在の自分とどうつながっているかを確認する。
そのときはじめて、こう思う。
「ああ、これは私の書いた文だ」と。

 ……これも認知症の症状のひとつかもしれない。
過去が、どんどんとどこかへ流れ落ちていく。
忘れるというよりは、抜けたように落ちていく。

 言い換えると、残り6か月とはいうが、現状維持だけで精一杯。
それができれば御の字。
新しい発見など、10日に1度もない。
進歩など、もう期待できない。
だから自分にこう言って聞かせる。

「がんばるしかない」と。
そう、それが今の私の口癖になっている。
がんばるしかない。

 ……とりあえず、今日の目標。
運動2単位。
(1単位は40分。)
それでも調子が戻るまでに、2週間はかかる。
今までの経験では、そう。

 何ともグチぽいエッセーになってしまった。
7月の初日だから、もう少しまともな文を書きたかった。
読んでくれた人が、元気になるような文を書きたかった。
どこか湿っぽくなってしまったのは、天気のせい(?)。
外は曇天。
小雨が降っているかもしれない。
網戸越しに見る、森の木々が、まるで絵画のように美しい。

 今日も、がんばるしかない!
2012-07-01朝記

(追記)

 まったく今日の話には関係ないが、この6月10日ごろに発売された、ソニーのRX100というデジタルカメラ。
あれはすごいね。
昨日、近くの大型店で、触れさせてもらったが、ちがいがズシンとわかった。
値段がまだ、5万円以上もするので、おいそれとは買えないが、それにしてもすごい。
このボーナス期を過ぎれば、多少、値段もさがるはず。
ビデオカメラのPJ760Vといい、このところソニーは、すばらしい製品をつづけて出している。
がんばれ、ソニー!

 ところで、私はここ数年、パソコンはTOSHIBA、カメラ類はソニーと決めている。


Hiroshi Hayashi+++++++July. 2012++++++はやし浩司・林浩司

Friday, June 29, 2012

2万人のデモのもつ意味

【矛盾だらけの日本の国家行政】はやし浩司 2012-06-30

●運動不足

 数日前、重い荷物をもって、1キロ前後、歩いた。
内心、「まずいな」と思ったが、すでに歩き出していた。
で、1キロ近くも、歩いた。
重さは、合計で、15キロ前後はあっただろうか。

 その直後から、右足のひざが痛み出した。
歩くときに、キリリと、痛みが走る。
が、以前にも同じような症状があった。
だからそのうち治るだろうと思っていた。
「こういうときは無理をしない」と。

 その「無理をしない」という部分で、運動不足になってしまった。
具体的には、この数日間、何も運動をしていない。
自転車にも乗っていない。
おかげで、今朝は、起きたすぐから体がだるい。
頭の中も、ぼんやり。
使い物にならない。

 が、だからといって、だらしない生活は禁物。
……ということで、今朝も、こうしてパソコンの前に座った。

●税金

 税金が高いのには驚いた。
住民税もあがっている。
あるサイトには、こうあった。
「11か月分の給料で、1年を生きるようなもの」と。

 その一方で、こんなニュースも載っていた。
何でもあの東京電力には、社員専用の病院があるとか。
社員とOBだけが、利用できるそうだ。
もちろん院内は、がらがら。
ベッド数も、110床近くあるのだが、約20床しか使われていないとか。

p1m
写真で見てもわかるように、かなり大きな病院である。
たったひとつの、1企業のために!

『「資産価値は約120億円以上ある。
(都は)国有化される以上、売却して還元するべきだ」などと要求しました。
都によりますと、東京電力病院は、東電の社員とOB専用の病院で、113床のうち約20床しか使われていないということです。
東電の勝俣会長は、売却を検討する考えを示しました』(某ニュースサイト)と。

 が、こうした専用施設は、何も東京電力にかぎったことではない。
国家公務員の専用施設、地方公務員の専用施設、さらには、財団や公団の専用施設など。
銀行ならびに、大企業と呼ばれる企業は、おしなべて、みなもっている。
その中には、専用の宿泊施設も含まれる。

 しかしどうして?

 常識で考えてみよう。
現在、こうした関連機関で働く人は、それでよい。
しかしそういう人たちの子ども、さらに孫はどうなのか、と。
子どもや孫も、そうした機関で働けるようになれば、それはそれでよい。
世襲的に、そういった施設を利用することができる。
が、そうでなければ、そうでない。

 長い目で見れば、つまり世代を超えた長い目で見れば、みなが等しく使える施設にしておいたほうがよい。
言い換えると、こうした専用施設を作るということは、その組織の人間が、それだけ自己中心的であることを示す。
つまり人格の完成度は低い。

 もっとも日本人は、もとから平等意識が乏しい民族である。
不平等であることを、もとから受け入れてしまっている。
NHKの大河ドラマを例にあげるまでもない。
水戸黄門のような、あんなバカげた番組ですら、いまだに視聴率20%前後というのも驚きである。
「何が、葵の紋章だ!」……というのは、書き過ぎ。
それはよくわかっている。
しかしその延長線上に、東京電力の専用病院がある。

 ご存知の方も多いと思う。
東京電力が所有する、超豪華専用保養施設は、全国に散らばっている。
で、あの福島第一原発事故のあと、そうした施設を、被災者の人たちに開放したらどうかという話もあった。
が、それ以後、今に至るまで、そういった話は、聞いていない。

 なお、東京電力の無駄遣いを指摘した東京都を、ほめてばかりいてはいけない。
東京都は、「病院」については問題にした。
が、「保養施設」については、不問。
それもそのはず。
東京都だって、保養施設を箱根、那須などにもっている。
「東京都職員共済組合施設」というのが、それ。
へたに保養施設を問題にすれば、まさにやぶヘビ!

 さらに今朝のニュースによれば、あの大阪府だけでも、11兆円もの負債があるとか(2011年度、大阪府と大阪市の合計額)。
まあ、役人のみなさん、国民の無知、無関心をよいことに、やりたい放題。
東京電力は、ここにきてその矛盾の一角を、露呈したにすぎない。

●20万人vs2万人

 なお昨日、官邸の前で、近年にはない大規模のデモが実行された。
反原発デモである。

 で、そのデモについて、主催者側は、「参加者数は、20万人」と発表した。
一方、警備当局側(警察側)は、「2万人弱」(TBS)と発表した。
どちらが正しいのだろう。
差は、10倍もある!

 で、自分なりに調べてみた。
TBSーiでは、デモの様子を動画で配信している。
その動画を検証してみる。
ざっと見た感じ、20万人というのはおおげさ。
しかし2万人弱ということはありえない。
方法は簡単。
まず動画上で、1センチ画に何人いるかを調べる。
あとは面積に、その人数を掛ければよい。

 おおざっぱな計算だが、幅1センチで、約11人(28インチモニター上、デモの中央部でカウント)。
1平方センチメートルで、約120人。
画面上のデモの規模は、幅14センチ、縦6センチ。
その周囲は木々に覆われていて、どういう状況なのかわからない。
が、それで計算してみると、1万0080人という数字が出てきた。
警備当局側の発表の約半数ということになる?

 (警備当局側は、いつも少なめに発表する。
それでもその約半数?)

 この計算方法は、どこがまちがっているか。

(1)まちがいの第一は、デモの中央部の1センチ画で、基本人数を計算したこと。
距離が遠ざかれば、距離の2乗に比例して、人数は多くなる。
遠方部では、1センチ画で、数千人近くになる。
一方、手前では、1センチ画では、数十人前後。

 正確に人数を知るためには、上空、真上から写真撮影するしかない。
その写真をもとに、人数を計算する。
さらにデモ隊は、日本の法律では、立ち止まることを許されていない。
(今回は、「官邸前を埋め尽くした」とあり、立ち止まっているよう。)
動いているばあいは、当然、多くなる。
また先にも書いたように、周囲は木々におおわれている。
木々に隠れている人までは、数えられない。

 どうであるにせよ、この日本で、物言わぬ従順な民が立ち上がったという、その意味は大きい。
2万人でも、この日本では、超大規模!
つまりそれくらい多くの人たちが、原発再開に反対している。

 事実、この時期に、原発再開は、バカげている。
まだ事故の全容そものが、明るみになっていない。
何も解決していない。
つい数日前も、1号機で、10シーベルト以上のもの、放射線量が観測されている。
また放射線による人的被害が明らかになるのは、2013年の3月以後である。
この先、DNAや染色体に影響を受けた人たちは、何世代にもわたって、その後遺症に苦しむことになる。

 今の段階で、原発再開、反対!
つでに……

(1)年金を一元化せよ
(2)行政改革を推進し、簡素化せよ

 そう叫んだところで、ワイフが台所で、「できたわよ」と。
つまり朝食の用意ができた。2012/06/30朝記


Hiroshi Hayashi+++++++June. 2012++++++はやし浩司・林浩司

都会的優越感byはやし浩司

●都会的優越感

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

都会の人(以下、「都会人」)が、みな、そうというわけではない。
が、少なくは、ない。……と思う。
しかし意識というのは、意識しないまま作られていく。
個人が抗しきれない、大きな流れの中で作られていく。

多くの人たちは、それは「ない」と思っているかもしれない。
しかし、ある。
称して、「都会的優越感」。
ひとつの例をあげる。
この例に、反論できる、都会人はいるだろうか?

たとえば都会人が、浜松へ来るときは、かならず、こう言う。
「明日、午前10時30分着の新幹線で行きます」と。
(東名高速道路なら、「午前10時30分ごろ、浜松西インターに着きます」とか言う。)
時刻や場所が、問題というわけではない。
言外で、こう言う。
「だからその時刻に、そこへ迎えに来い」と。
当たり前のように、そう言う。

が、反対に、浜松に住む私たち地方の人(以下、「地方人」)は、どうか。
私は今までに、東京へ、何百回と足を運んだ。
しかしいまだかつて、ただの一度も、東京駅まで迎えに出てくれた人はいない。
横浜駅にしても、そうだ。
千葉駅にしても、そうだ。
私たち、悲しき地方人は、相手の玄関先まで、自分で行く。
もちろん駅から、玄関先までは、タクシーを使う。

(少し前、千葉県に住んでいる人とたがいに会うことになった。
そのときのこと。
私が「そちら(千葉)へ行きましょうか」と言ったら、その人(男性)はこう言った。
「東京までなら出て行ってもいいです」と。
わかるかな?
「行くと言っても、東京までしか行かないぞ!」と。)

こうした都会的優越感は、根底で、日本人独特の上下意識と結びついている。
興味深いのは、元都会人。
会社を定年退職したような、元都会人。
元都会人というだけで、威張っている。
(もちろん当人たちには、威張っているという意識はないだろうが……。)

私はあるとき、ある元都会人と、あるところへ旅をしたことがある。
そのときのこと。
ある地方の駅に着いた。
が、その元都会人のしたことは、電話をかけることだった。
「今、○○駅に着きました。(だから迎えに来い)」と。

私は、これには驚いた。
すぐ制した。
「タクシーで行こう」と。

で、結局、その元都会人は、相手の人をわざわざ○○駅まで、迎えに来させてしまった。
片道、車で、40~50分の距離である。
あきれるというより、その元都会人が、本当にバカに見えた。
元大会社の部長である。
現役時代の肩書が何であれ、私にはバカに見えた。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司 

●地方コンプレックス

 一方、地方人には、地方人の、地方コンプレックスというものがある。
この浜松の人にも、ある。
「東京から来た」というだけで、何でもかんでも、ありがたがる。
講演会の講師を例にあげるまでもない。

講演会を裏方で準備したことがある人なら、みな知っている。
今どき、東京から講演会の講師を呼ぶと、ワン・ステージ、100万円が相場。
もちろん全額が講師の懐(ふところ)に入るというわけではない。
3~6割が、プロモーターの手に渡る。

 講師料は、もちろんテレビの露出度で決まる。
で、一方、地方人が都会へ出たばあいは、どうか。
実際に、あった話を、正直に書く。
こんな話だ。

 数か月前、東京都のS区の担当者から、電話があった。
「○月○日、講演会の講師として来てほしい」と。

 直接、講演の話があったときは、料金の話はしない。
常識的な範囲というものがある。
それに講演というのは、どういう団体が、どういう規模で開くかが重要。
つまり(やりがい度)。
(やりがい度)で決まる。
それを感ずれば、手弁当でも行く。
講師料など、問題外。
(旅費だけは、何とかしてほしいが……。)

 で、日時は決まった。
が、そのあと、先方の担当者は、こう言った。
「旅費込みで、2万円でいいですか?」(事実)と。

 浜松と東京の往復旅費だけで、1万6000円前後。
S区まで行ったら、丸1日、仕事になる。
しかし私は引き受けた。
S区の大会のような場所での講演会である。
名誉なことである。

 で、それから数日後のこと。
同じ担当者から、また電話があった。
いわく、「で、みなが言うには、本当にその料金でいいかどうか、確かめてほしいということになりまして……」と。
つまり「本当に、旅費込みで、2万円で来てもらえるか」と。

 私は、「そう答えました」「それで結構です」と話したが、つぎの一言が、私を失望させた。
自分の中のプライドが、粉々に飛び散った。
その担当者は、こう言った。
「では、これから林先生にしてもらうかどうか、会にもちかえって相談して決めます」「先生にするかどうか、しばらくお待ちください」と。
つまり、ほかにも、何人か、候補者がいる、と。

 私は、すかさず、こう答えた。
「そういうことなら、はっきりとお断りします」「ほかの方にしてもらってください」と。

 わかるかな?
これが先に書いた、「都会的優越感」。
地方の人間を、徹底的に「下」に見ている。
悪しき、中央集権国家の亡霊である。

 以前、これに似たエッセーを書いたことがある。
NHKの「ひるどき、~~」とかという番組について、である。
その原稿を探してみる。

 2000年ごろに書いた原稿が出てきた。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●見えない過去

 あなたの、ごく日常的な生活を、できれば他人の目で観察してみてほしい。
「私は私」と決めてかかる前に、謙虚な気持ちで、観察してみてほしい。
そのとき、あなたはそれでも、「私は私」と言いきることができるだろうか。

 私たちは無数の過去をもっている。
もっているだけならまだしも、その過去に引きずりまわされている。
つまり日常的な生活というのは、あくまでもその結果でしかない。
たとえば……。

 NHKに、『ひるどき、日本』という番組があった。
司会者とタレントが、地方を訪れ、その地方の名物や名物料理を楽しむという番組であった。
私はあの番組が、どうしても好きになれなかった。
しばらく見ていると、やがて不愉快になった。
長い間、その理由がわからなかった。
が、ある日、その理由に気づいた。

 私は若いころ、あるテレビ放送局で下請けの仕事を手伝ったことがある。
そのときのこと。
「いつか、大きな仕事をさせてもらえるのではないか」「テレビの表舞台に立たせてもらえるのではないか」という期待を、私はもっていた。
そのため、犬のようにシッポを振った。
いや、まさに犬そのものだった。

 一方、テレビ局の人たちは、そういう私の「下心」を見抜いていた。
そして何だかんだと理由をつけては、この浜松へやってきた。
いわゆる「たかり」である。
私は内心ではそれと知りつつも、飲み食いの接待はもちろんのこと、さらには宿泊のめんどうまでみた。
短い期間だったが、延べにすれば、100人以上もの人を接待しただろうか。
が、結局は利用されただけ。

 あの『ひるどき、日本』を見ているとき、私は心のどこかで、あの当時の「東京人」のずうずうしさを思い出していたのかもしれない。
慣れた口調で、ぺラぺラと調子のよいことを言う。
地方の人間をおだてる。
「おしいですね」「こんなところに住んでみたいですね」「空気は新鮮で、うらやましい」と。
地方の人間は地方の人間で、その言葉に乗せられるまま、相手がNHKの人間というだけで、手厚くもてなす。
……それはまさに、自分自身の姿でもあった。

 これはほんの一例だが、私たちはそのつど、過去のわだかまりに、こだわりながら生きている。
ひょっとしたら、「私」という部分のほうが少ないのかもしれない。
趣味や好みはもちろんのこと、不安になったり、悩んだり、苦しんだりすることも、すべて、どこかで過去のこだわりにつながっている。
そこでもあなたが、心のどこかに「自分でない私」を見つけたら、それが自分の過去とどこかで結びついていないかをさぐってみるとよい。
何か、あるはずである。
私はそれを「見えない過去」と呼んでいる。
その過去に気づくことは、自分を知る、第一歩でもある。
それはある意味で、こわいことかもしれないが、勇気を出して、自分を見つめてみてほしい。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●NHKの「ひるどき、日本」

 NHKの「ひるどき、日本」では、都会からやってきた連中が、突然、民家を訪れる。
カメラを従えているから、まさにやりたい放題。
ときには、その家にあがりこみ、昼食まで、食べていく。

 で、その逆のことはあるのだろうか。
たとえば地方人の私たちが、東京へ行き、どこかの家を突然、訪問する。
訪問し、その家にあがりこむ。
食事までごちそうになり、食べて帰る。
そういうことはあるのか。

 答など、ここに改めて書くまでもない。

 ……とまあ、どこかグチぽいエッセーになってしまった。
先にも書いたように、この日本は、奈良時代の昔から中央集権国家。
中央が「上」で、地方が「下」。
それが日本人の骨のズイにまで、しみ込んでいる。
私ひとりくらいが、それに逆らっても、しかたない。
どうにもならない。

 だから、グチ。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW はやし浩司 幼児教室 育児 教育論 Japan はやし浩司 中央集権国家 都会的優越感 都会人のおごり はやし浩司 NHK ひるどき日本)


Hiroshi Hayashi+++++++June. 2012++++++はやし浩司・林浩司

【高校1年生に英語を教える】

●今夜でOさんとお別れ

はやし浩司 2012-06-29




Hiroshi Hayashi+++++++June. 2012++++++はやし浩司・林浩司

Thursday, June 28, 2012

小沢一郎にとってのマニフェスト?

●民主党マニフェスト(小沢一郎について)


Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司


国会は、小沢一郎という政治家1人のために、大混乱。
「消費税導入反対」を口実にしている。
で、改めて、民主党のマニフェストは、何だったのか。
何なのか。
それを調べてみた。


正直に言うが、消費税問題はともかくも、こんなにもたくさんのマニフェスト(選挙公約)があったとは、知らなかった。
以下が、民主党マネフェストである(2010年度・菅直人総理就任前後)。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司


+++++++++++以下、参考:日経225サイト++++++++++++


【民主党マニフェスト・2010年度】


★事業仕分けなどによって全ての特別会計の見直しを行って不要なものは廃止していくこと。
★新政策の財源については、既存予算を削減するか収入増によって捻出すること。
★消費税を含む税制改革に関しての協議を超党派にて行うこと。
★20年度までには基礎的財政収支が黒字になるようにすること。
★法人税制は簡素化を前提として、見直しを実施すること。
★中小企業向けの法人税率は引き下げをすること。
★連帯保証人制度や個人保証の廃止について見直すこと。
★自動車重量税や自動車取得税について簡素化して全体的に負担を軽減することなど。


★20年度までの平均経済成長率の名目成長率は3%、実質成長率は2%を目指すこと。
★日銀と協力して早期にデフレを克服すること。
★官民一体となり、高速や鉄道、原発や上下水道などインフラシステムについて国際的な展開ができるようにすること。
★先端医療技術をいかして国際的な医療交流の促進を行うこと。
★映像、アニメ、音楽などを通じて海外への情報発信を強化していくこと。
★幼保一元化へ向けて施設区分を撤廃すること。
★首都圏などの大都市活性化をするために「大都市圏戦略基本法」を制定すること。
★介護ロボットの実用化や再生医療支援、医療機器などのイノベーションを支援すること。


★「消えた年金」について11年度までに集中して取り組み、納めた保険料や受け取る年金額がすぐにわかる年金手帳を作る。
★年金制度を一元化して、1ヶ月7万円の最低保障年金の実現のために抜本改革を行うこと。
★後期高齢医療制度の廃止をして、13年度から新たな高齢者医療制度にしていくこと。
★診療報酬の引き上げを行うこと。
★地域の医師不足解消のため、医師を増やせるように医学部生を増やしていくこと。
★がん予防のため検診体制を強化して、肝炎治療への支援なども行う。
★ヘルパーの給与を挙げるなどして介護職の人材を確保することなどを掲げています。


★財源を確保して、現在支給されている子ども手当の1ヶ月13,000円に上積みをしていくこと。
★地域の実情によって保育園の定員増のため、子どもの医療費の負担を減らすため、給食の無償化をするためなどのサービスへ換えられるようにすること。
★出産育児一時金、不妊治療支援といった出産関係の支援策の拡充を行うこと。
★大学生や専門学生に対して希望者全てが受けることのできる奨学金制度を創ること。
★就学前の子どもに関して保育と教育の提供をしていくこと。
★少人数学級の推進をしていくことなどが掲げられています。


★日米同盟の深化、普天間基地移設問題での沖縄負担軽減へ力を尽くすこと。
★中国や韓国などアジアの国々との信頼関係構築のため「東アジア共同体」を実現すること。
★国連安全保障理事会において常任理事国入りを目指すこと、自衛隊などによる海外への対処活動を継続すること。
★北東アジア地域での非核化、北朝鮮の拉致問題解決へ全力を尽くすこと。


★参議院の定数を40ほど減らして衆議院では比例代表の定数を80ほど減らすようにしていこと。
★国会議員の歳費は日割り、国会委員長手当の見直しなどによって議員経費を削減していくこと。
★通年国会を目指すこと。
★各種公法人を廃止にして天下りをなくすこと。
★国家公務員の総人件費を削減すること。
★幹部職員の降格人事を可能として、民間登用を勧めていくことなど。


★高速道路を無料化にするとどうなるのか状況を確認しながら段階的に無料化を行っていくこと。
★農業以外にも所得補償制度を拡大していくこと、トレーサビリティーを義務付けしていくこと。
★「地産地消」を学校給食や老人ホームにて進めていくこと。
★口蹄疫の感染を阻止、全国のダム事業について検証を行う、ハブ空港の整備を行うことなど。


★再生可能エネルギーの買い取り制度の導入すること。
★スマートグリッドの開発と普及を支援すること。
★エコカーやエコ家電、エコ住宅の普及について支援していくこと。
★11年度に地球温暖化税の導入を検討していくいこと。


+++++++++++以上、参考:日経225サイト++++++++++++

●ただの口実?

 消費税導入問題は、国民全体に与える影響、生活全般に与える影響という点では、大問題である。
それはわかる。
しかしそれだけがマニフェストではない。
ないことは、ここにあげた民主党マニフェスト(2010)を見てもわかる。

 が、私の印象では、(あくまでも私個人の印象だが)、小沢一郎という政治家は、己の権勢欲実現のために、消費税を口実にしているとしか、見えない。
中身は、旧態依然の国盗り物語。
ちょうど北朝鮮が、ありもしない日本やアメリカの侵略を口実に、核武装しているのと同じ。
中身は独裁政権の維持のため。

 もし公約違反を内部で取りあげるなら、ほかにもいろいろある。
たとえば……

★参議院の定数を40ほど減らして衆議院では比例代表の定数を80ほど減らすようにしていこと。
★国会議員の歳費は日割り、国会委員長手当の見直しなどによって議員経費を削減していくこと。
★通年国会を目指すこと。
★各種公法人を廃止にして天下りをなくすこと。
★国家公務員の総人件費を削減すること。
★幹部職員の降格人事を可能として、民間登用を勧めていくことなど。

 これらのマネフェストは、いったい、どうなっているのか。
それに有権者の1人として一言。

 民主党に前回の総選挙で1票を入れた人にしても、マニフェストすべてに目を通し、賛成したからではない。
「おおかた、こんなものでよいだろう」ということで、票を入れたはず。

(当時の世相によれば、「麻生総理大臣ではだめだ」という、反自民票が民主党候補に流れた。
小沢一郎は、「民主党が支持された」とはしゃいでいたが、民主党が支持されたわけではない。
行き場を失った浮動票層が、民主党に流れた。)

 だいたい私にしても、今日はじめて、こうしてマニフェストなるものを、精読してみた。
ほかにも未達成の重要案件が、ごろごろしている。
正義の味方よろしく、「増税強行なら離党」と声を荒げなければならないほど、……というか、私はそれほどの信念を、小沢一郎の中に感じない。
最近の週刊誌によれば、小沢一郎には愛人がいた。
隠し子までいた。
「妻」という最重要の「友」ですら、平気で裏切るような男である。
そんな男なら、平気で、仲間を裏切る。
国民を裏切る。
ウソもつくだろう。
少なくとも、私は信用しない。

 どこかのBLOGで、ある政治評論家が、こう書いていた。
「今の日本の政治で、いちばん重要なことは、小沢一郎が消えることである」と。
まったく、同感である。
離党するなら、子分たちを道連れにしないで、ひとりで堂々と離党すればよい。
何人小沢一郎についてくるか。
それはあくまでも結果。

 報道によれば、何回もそれぞれの国会議員を呼びつけ、その意思を確認しているそうだ。
その見苦しさ。
おぞましさ。
2012/06/29朝記


Hiroshi Hayashi+++++++June. 2012++++++はやし浩司・林浩司

子どもは家族の代表

【BW教室】(幼児、年中児くらす)+(小2、3児の折れ線グラフの学習)

●年中児(3~4歳児)



●小1児+小2児



●小2児+小3児




Hiroshi Hayashi+++++++June. 2012++++++はやし浩司・林浩司

【上海の地下鉄の警告書】女性の服装と痴漢

●古いヤツとはお思いでしょうが……

 昔、鶴田浩二は、こう歌った。
「♪古いヤツだと、お思いでしょうが、古いヤツほど、新しいモノを欲しがるものでございいます……」と。

正確には「古いヤツだと、お思いでしょうが、古いヤツこそ、新しいモノを欲しがるものでございます。どこに新しいものがございましょう。生まれた土地は荒れ放題、今の世の中、右も左も真暗闇じゃござんせんか」(「傷だらけの人生」より)。

 で、Record Chinaに、こんな記事が載った。
いわく『こんな格好して地下鉄に乗ったら、痴漢に遭わない方がおかしいですよ。
女性の皆さん、気をつけて」。
スケスケのワンピースの女性の写真とともに、上海地下鉄の運営会社がこう呼びかけたところ、「何を着ようが私たちの勝手」と、女性2人が抗議のパフォーマンスを展開し、注目を集めている。
山東商報が伝えた。

 事の発端は20日の晩。
上海地下鉄第二運営有限公司が公式ミニブログで、痴漢防止策の一環として、「地下鉄にはオオカミが多い。
女性の皆さん、格好にはお気を付け下さい」と呼びかけた。
添付の写真に写る女性はスケスケの黒いワンピース姿。
後ろ姿だけだが、黒いブラジャーとショーツがくっきり見えている」』と。

ところが、地下鉄側のこの親切の呼び掛けが「どんな服を着ようが、個人の自由」だと多くのネットユーザーの反感を買ってしまった。
ネット上には「法律や地下鉄の法規で『スケスケの服を着てはいけない』と決まっているのか」「その理論でいけば、プールに行く男性は全員痴漢を働くということになる」「痴漢を女性の薄着のせいにするな」と批判の書き込みが殺到。
(Record Chine 2012-06-28)

●ある航空会社のコマーシャル

挑発

 つぎのコマーシャルを見てほしい。
ある航空会社のコマーシャル写真である。
中央の2人は、日本人と思われる。
それを囲む2人の男性は、現地人(ハワイ人)と思われる。

 こういう写真を、堂々と載せるところが、恐ろしい。
とくに向かって左の女性の水着は、スレスレというか、古いヤツと思われるかもしれないが、裸そのもの。
この水着で無事にすむはずがない。
まさに「挑発スタイル」。
右下には、「女子2人旅」とある。

 このコマーシャルを見て、あなたはどう思うか。
もしあなたが若い男性なら、「オレもハワイへ行こう」となるだろう。
「オンナが簡単に手に入る」と。
(女性の気持ちは、私にはわからないが……。)

両横の2人の男性は、明るく笑っている。
いやらしさは、どこにもない。
それもそのはず、欧米人は、子どものころからそういう訓練を徹底的に、受けている。
日本人のように、ニヤつくということをしない。
女性に警戒心を与えるような、ドジなことはしない。

●男の性欲

 男というのは、視覚的に刺激され、性欲を覚える。
男と女とでは、性欲中枢の位置も、大きさもちがう。
女性には何でもない行為でも、男性には、大きな刺激を与える。
そうした基本的なちがいをさておき、「どんな服を着ようが、個人の自由」は、ない。

 そこで上海地下鉄は、「地下鉄にはオオカミが多い。
女性の皆さん、格好にはお気を付け下さい」と呼びかけた。
添付の写真に写る女性は、スケスケの黒いワンピース姿。
後ろ姿だけだが、黒いブラジャーとショーツがくっきり見えている。

 これをいらぬ節介ととるか、親切ととるか。
私はあまりにも無防備な女性の衣服を見るにつけ、ふとこう思うときがある。
「女性たちは、無意識であるにせよ、男たちを挑発している」と。
つまり、この警告書を「親切」ととる。

 ミニスカートにしても、そうだ。
そんなにスカートの下をのぞかれたくなかったら、長いスカートをはけばよい。
けっして暴論を書いているのではない。
もう40年も前のことだが、(40年も前ですら)、オーストラリアの女性たちもミニスカートをはいていた。
が、下着のパンティを見せることなど、平気。
まったく平気。
隠そうともしなかった。
中には下着のパンティすら、はいていない女性もいた。
そういう女性が、平気で、あぐらをかいて座る。

 スレスレのミニスカートをはきながら、「見るな」は、ない。
もちろんカメラで撮影するのは、別問題。
それはそれ。

 なおこの記事に対して、
「法律や地下鉄の法規で『スケスケの服を着てはいけない』と決まっているのか」、
「その理論でいけば、プールに行く男性は全員痴漢を働くということになる」、
「痴漢を女性の薄着のせいにするな」という反論が届いているという。

 ハッキリ書こう。
スケスケの服は着てはいけない。
薄着が痴漢行為を誘発しているのは、事実。
どう誘発しているかは、男ならみな、知っているはず。

 またプールの男性について。
(思い)と(行為)の間には、距離がある。
性的に扇情されれば、まともな男なら、発情する。
が、行為に移すかどうかは、その男の理性の問題ということになる。
理性によるブレーキが働けば、実際に行為に移すということはしない。
そうでなければ、そうでない。
ほとんどの男は、周囲に目があるから、痴漢行為に進むということはない。
(プールのような衆目が集まるようなところで、痴漢行為を働くバカはいない!)
しかし目がなければ……。
(思い)と(行為)の間の距離は、ぐんと縮まる。
つまりこれは「理論」というほど大げさなものではなく、ただの「常識」。

●性欲中枢について

 もう一度、性欲中枢について、復習をしておきたい。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

食欲中枢と性欲中枢について書いた原稿が、
つぎのもの。
日付は、2009年7月27日になっている。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●満腹中枢と摂食中枢(男と女)(Man and Woman)

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

 脳幹に視床下部と呼ばれる部位がある。
その中に、「食欲中枢」と呼ばれる部分がある。
その食欲中枢は、満腹中枢と摂食中枢に分かれる。
満腹中枢というのは、「お腹(なか)がふくれた」ということを感じ取る部分。

摂食中枢というのは、「お腹がすいた」ということを感じ取る部分。

ここまでは私も知っていたが、最近、こんなことを知った。
女性の性欲本能、つまりSックス中枢は、このうちの満腹中枢に隣接しているという。

一方、男性の性欲本能、つまりSックス中枢は、摂食中枢に隣接しているという(「人体の不思議」日本文芸社)。

新しい考え方、ゲット!

(ネット禁止用語に抵触するため、「交尾行為」を、「Sックス」など
というように、表記します。)

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●男性と女性のちがい

 「人体の不思議」(上述)は、こう書いている。

『……一般に、女性は恋愛をすると食欲を感じなくなることがあるといわれますが、それは、このSックス中枢が活発に働くため、満腹中枢までもが満たされているからとも考えられます。
 
 男性のSックス中枢は、女性とは異なり、空腹を感ずる摂食中枢に隣接しています。
生命の危険を感ずると、男はB起してしまうといわれることもありますが、これもSックス中枢の位置に関係していそうです。

 つまり飢餓で死に直面すると、なんとしてでも種族を保存しなくては、という感情が起こるように脳がつくられているのです』と。

 しかも、だ。
第一性欲中枢(異性を求める性欲中枢)について言えば、男性のそれは、女性のそれの約2倍もの大きさがあるという。
つまりその分だけ、男性のほうが、Sックスに関して、女性より攻撃的ということになる。

 なるほど!

 で、これで今まで私が感じていた謎のいくつかが、解けた。
男性と女性の、(性)がもつ、基本的な(ちがい)といってもよい。
その理由が、わかった。

●男と女

 所詮、人間も動物。
同じというか、どこもちがわない。
動物時代からの本能(脳幹)を、しっかりと保持している。
が、こうした本能、つまり脳自体が構造的にもつ能力のままに行動したら、「人体の不思議」の中にもあるように、人間社会は、メチャメチャになってしまう。

 そこでこうした本能をコントロールするのが、大脳連合野ということになる。
(私はこの仮説を、すでに10年以上も前から、考えていたぞ!)
人間のばあい、大脳連合野の発達がとくに進んでいる。
その大脳連合野が、中心部からわき起きてくる(性欲)を、コントロールする。
それが「知性」ということになる。

 それにもし男性のみならず、女性までもが、性欲について攻撃的になったら、それこそたいへんなこと(?)になってしまう。
人間もいたるところで、交尾を始めるようになるかもしれない。

(反対に女性のように、男性までもが、受動的になってしまっても、困るが……。)
要するに、長い間の進化の過程を経て、人間も、「実にうまく」できているということになる。

●満腹中枢vs摂食中枢

 満腹感を感ずる満腹中枢。
空腹感を感ずる摂食中枢。
何かのタンクの警報機にたとえるなら、満タン警報機と、カラ警報機ということになる。
それを脳の中心部にある視床下部という部位が、担当している。
私自身も、実は、こうした機能について、「本で読んで知った」というだけの立場でしかない。
が、それにしてもおもしろい。

 が、疑問がないわけではない。

 女性のSックス中枢は、満腹中枢の隣にある。
男性のSックス中枢は、摂食中枢の隣にある。
それはわかるが、これらの両社はそれぞれ、どのように関連しあっているのか?
単純に考えれば、女性のばあいは、Sックス中枢が刺激されると、同時に満腹中枢も刺激され、満腹感が生まれるということになる。

 他方、男性のばあいは、Sックス中枢が刺激されると、同時に摂食中枢も刺激され、空腹感が生まれるということになる。

 ……あるいは、その反対なのか?
 そこで自分自身のことを振り返ってみる。
(私も「男」だぞ!)

 腹が減ったときと、満腹のときと、どちらのときのほうが、性欲をより強く感ずるか?
……というより、経験的に、Sックスしたあとなど、よく空腹感を覚えることがある。
(あるいまはげしい睡魔に襲われることも多い。)
「終わったから、食事に行こうか」というような会話を、ワイフとした記憶がある。
……あるいは、その逆かもしれない。

 ともかくもどのように影響しあっているのか、それがよくわからない。
あるいは、影響しあうといっても、そのレベルの話ではないのかもしれない。
たとえばここでいう「空腹感」というのは、「危機状態」をさすのかもしれない。
それも極限的な危機状態。
その本にも書いてあったが、生命の危機を覚えたりすると、B起することもあるそうだ。
「最後に種族を残そう」という本能が働くためらしい。

 どうであるにせよ、たいへん興味深い。
「私は私」と思って、みな、考え、行動している。
が、実際のところ、脳に操られているだけ。
それだけは確かなようだ。

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW はやし浩司 満腹中枢 摂食中枢 視床下部 はやし浩司 食欲中枢 食欲と性欲 視床下部 脳下垂体 空腹のメカニズム はやし浩司 空腹 食欲中枢と性欲 満腹中枢と性欲 男と女のちがい)

Hiroshi Hayashi+++++++March. 2012++++++はやし浩司・林浩司
Hiroshi Hayashi+++++++June. 2012++++++はやし浩司・林浩司

【ある相談より】

【 お子さんの年齢(現在の満年齢) 】:6歳(小1)
【 お子さんの性別(男・女) 】:女
【 家族構成・具体的に…… 】:
父(4年間単身赴任中)、母、娘(6歳)、息子(2歳)

【KMさんより、はやし浩司へ】

小学校1年生の娘が、5月下旬から突然一人で学校へ行けなくなりました。
きっかけは「忘れ物」。
一度登校したものの忘れ物を取りに帰宅。そのまま「ママがいい」と号泣し一人で学校へいけなくなりました。
それ以来、毎朝下駄箱まで送り、担任の先生に引き渡しています(先生に引き渡さないと上履きのまま帰宅してしまいます)。
学校では普通に過ごしているようですが、最近では帰宅した時の顔つきや態度は力なく、朝も腹痛を訴えたり、朝ご飯がのどを通らないようになってきました。

登校しぶりは幼稚園時代からもあり、大きな行事の前には精神的頻尿になりましたし、息子が生れた4か月後にも極度の頻尿になりました。
幼少期から(産まれた当初からといっても過言ではないくらい)ママから離れられない子で、また喘息もあったせいで、健康管理のため、私の管理下においていました。
どこに相談しても父親の力を借りて・・といわれますが、我が家は夫婦不仲で私は単身赴任で主人が不在なことに救われています。

が、娘は私たちの喧嘩の末、私が泣いている姿も何度もみていますし、「ママはパパとは合わない」と日ごろから言ってしまっていました。
私の責任であることはわかっています。
それでも主人と協力して、は無理です。
 でもなんとか娘を立ち直らせてあげたい、楽しい学校生活を送らせてやりたい。
なにかアドバイスをいただけないでしょうか。

(H県在住、KMより)

【はやし浩司よりKMさんへ】

 たいへんよくある問題です。
同じような相談を、もう何百回と受けました。

 原因は、基本的信頼関係の構築の失敗です。
子どもというのは、絶対的な安心感の中で、基本的信頼関係を築きます。
とくに母子関係が重要です。
「絶対的」というのは、「疑いを抱かない」という意味です。

「私はどんなことをしても、受け入れられる」という安心感です。
その安心感がもてなくなると、子どもの心は、一気に不安定になります。
KMさんのお子さんは、残念ながら、どこかでその不安感をもってしまいました。
家庭騒動が原因というよりは、KMさん自身の不安定な育児姿勢が、そうしました。
(あなたが夫にもっているだろう不安感を、子どもがそのまま受け継いでしまったというわけです。)
さらに下の子が生まれ、心、つまり情緒は、さらに不安定になりました。
今の状況は、その結果ということになります。

 では、どうするか。

 もう一度、全幅の愛情を、上の子どもに注ぐしかありません。
100%です。
子どもの側からみて、「私は完全に守られている」という安心感をもてるようにします。
子どもが何か、アクションを示してきたら、(すかさず)、ぐいと抱くなど。
(すかさず)、です。
「あとでね」とか、「ママは、今、忙しいのよ」は、禁句です。
添い寝、手つなぎ、抱っこは、いとわずします。
年齢的に、半年単位の根気と努力が必要です。
不登校問題は、あくまでも、副次的なものです。
基本的な信頼関係が構築できれば、自然と、子どもは学校へ行くようになります。

 なおこういうケースのばあい、親は、子どもに向かって、子どもを直そうとしますが、直すべきは、親の育児姿勢ということになります。
そのためにも、自分自身を、客観的に見る。
客観的に判断する。
すべては、そこから始まります。
子どもはあくまでも、「家族の代表」にすぎません。
わかりやすく言えば、家族の心を映す、カガミというわけです。

 ともかくも、今は、100%の愛情を戻す……ということを心がけてみてください。
子どもは、学校へ行くのが不安なのではない。
あなたの愛情に不安感を抱いている。

 で、今は無理をしないこと。
「ズル休み」をしながら、子どもとの人生を、おおいに楽しんでください。

 「ズル休み」について書いた原稿を添付します。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

以前書いた原稿を1作、紹介する(中日新聞掲載済み)。

+++++++++++++++++

【学校神話を打ち破る法】

常識が偏見になるとき 

●たまにはずる休みを……!

「たまには学校をズル休みさせて、動物園でも一緒に行ってきなさい」と私が言うと、たいていの人は目を白黒させて驚く。
「何てことを言うのだ!」と。多分あなたもそうだろう。しかしそれこそ世界の非常識。
あなたは明治の昔から、そう洗脳されているにすぎない。

アインシュタインは、かつてこう言った。「常識などというものは、その人が18歳のときにもった偏見のかたまりである」と。
子どもの教育を考えるときは、時にその常識を疑ってみる。たとえば……。

●日本の常識は世界の非常識

★かねばならぬという常識……アメリカにはホームスクールという制度がある。親が教材一式を自分で買い込み、親が自宅で子どもを教育するという制度である。
希望すれば、州政府が家庭教師を派遣してくれる。

日本では、不登校児のための制度と理解している人が多いが、それは誤解。
アメリカだけでも97年度には、ホームスクールの子どもが、100万人を超えた。
毎年15%前後の割合でふえ、2001年度末には200万人に達するだろうと言われている。

それを指導しているのが、「Learn in Freedom」(自由に学ぶ)という組織。
「真に自由な教育は家庭でこそできる」という理念がそこにある。

地域のホームスクーラーが合同で研修会を開いたり、遠足をしたりしている。
またこの運動は世界的な広がりをみせ、世界で約千もの大学が、こうした子どもの受け入れを表明している(LIFレポートより)。

★おけいこ塾は悪であるという常識……ドイツでは、子どもたちは学校が終わると、クラブへ通う。
早い子どもは午後1時に、遅い子どもでも3時ごろには、学校を出る。

ドイツでは、週単位(※)で学習することになっていて、帰校時刻は、子ども自身が決めることができる。
そのクラブだが、各種のスポーツクラブのほか、算数クラブや科学クラブもある。
学習クラブは学校の中にあって、たいていは無料。
学外のクラブも、月謝が1200円前後(2001年調べ)。

こうした親の負担を軽減するために、ドイツでは、子ども1人当たり、230マルク(日本円で約1万4000円)の「子どもマネー」が支払われている。
この補助金は、子どもが就職するまで、最長27歳まで支払われる(01年)。

 こうしたクラブ制度は、カナダでもオーストラリアにもあって、子どもたちは自分の趣向と特性に合わせてクラブに通う。

日本にも水泳教室やサッカークラブなどがあるが、学校外教育に対する世間の評価はまだ低い。
ついでにカナダでは、「教師は授業時間内の教育には責任をもつが、それ以外には責任をもたない」という制度が徹底している。

そのため学校側は教師の住所はもちろん、電話番号すら親には教えない。
私が「では、親が先生と連絡を取りたいときはどうするのですか」と聞いたら、その先生(バンクーバー市日本文化センターの教師Y・ムラカミ氏)はこう教えてくれた。

「そういうときは、まず親が学校に電話をします。
そしてしばらく待っていると、先生のほうから電話がかかってきます」と。

★進学率が高い学校ほどよい学校という常識……つい先日、東京の友人が、東京の私立中高一貫校の入学案内書を送ってくれた。
全部で70校近くあった。が、私はそれを見て驚いた。

どの案内書にも、例外なく、その後の大学進学先が明記してあったからだ。
別紙として、はさんであるのもあった。「○○大学、○名合格……」と(※)。
この話をオーストラリアの友人に話すと、その友人は「バカげている」と言って、はき捨てた。
そこで私が、では、オーストラリアではどういう学校をよい学校かと聞くと、こう話してくれた。

 「メルボルンの南に、ジーロン・グラマースクールという学校がある。
そこはチャールズ皇太子も学んだこともある古い学校だが、そこでは生徒一人ひとりにあわせて、学校がカリキュラムを組んでくれる。

たとえば水泳が得意な子どもは、毎日水泳ができるように。
木工が好きな子どもは、毎日木工ができるように、と。
そういう学校をよい学校という」と。
なおそのグラマースクールには入学試験はない。
子どもが生まれると、親は出生届を出すと同時にその足で学校へ行き、入学願書を出すしくみになっている。
つまり早いもの勝ち。

●そこはまさに『マトリックス』の世界

 日本がよいとか、悪いとか言っているのではない。
日本人が常識と思っているようなことでも、世界ではそうでないということもある。
それがわかってほしかった。
そこで一度、あなた自身の常識を疑ってみてほしい。あなたは学校をどうとらえているか。
学校とは何か。
教育はどうあるべきか。
さらには子育てとは何か、と。

その常識のほとんどは、少なくとも世界の常識ではない。
学校神話とはよく言ったもので、「私はカルトとは無縁」「私は常識人」と思っているあなたにしても、結局は、学校神話を信仰している。
「学校とは行かねばならないところ」「学校は絶対」と。
それはまさに映画『マトリックス』の世界と言ってもよい。
仮想の世界に住みながら、そこが仮想の世界だと気づかない。
気づかないまま、仮想の価値に振り回されている……。

●解放感は最高!

 ホームスクールは無理としても、あなたも一度子どもに、「明日は学校を休んで、お母さんと動物園へ行ってみない?」と話しかけてみたらどうだろう。
実は私も何度となくそうした。
平日に行くと、動物園もガラガラ。
あのとき感じた解放感は、今でも忘れない。
「私が子どもを教育しているのだ」という充実感すら覚える。
冒頭の話で、目を白黒させた人ほど、一度試してみるとよい。
あなたも、学校神話の呪縛から、自分を解き放つことができる。

※……1週間の間に所定の単位の学習をこなせばよいという制度。
だから月曜日には、午後3時まで学校で勉強し、火曜日は午後1時に終わるというように、自分で帰宅時刻を決めることができる。

●「自由に学ぶ」

 「自由に学ぶ」という組織が出しているパンフレットには、J・S・ミルの「自由論(On Liberty)」を引用しながら、次のようにある(K・M・バンディ)。

 「国家教育というのは、人々を、彼らが望む型にはめて、同じ人間にするためにあると考えてよい。
そしてその教育は、その時々を支配する、為政者にとって都合のよいものでしかない。
それが独裁国家であれ、宗教国家であれ、貴族政治であれ、教育は人々の心の上に専制政治を行うための手段として用いられてきている」と。

 そしてその上で、「個人が自らの選択で、自分の子どもの教育を行うということは、自由と社会的多様性を守るためにも必要」であるとし、「(こうしたホームスクールの存在は)学校教育を破壊するものだ」と言う人には、次のように反論している。

いわく、「民主主義国家においては、国が創建されるとき、政府によらない教育から教育が始まっているではないか」「反対に軍事的独裁国家では、国づくりは学校教育から始まるということを忘れてはならない」と。
 
さらに「学校で制服にしたら、犯罪率がさがった。(だから学校教育は必要だ)」という意見には、次のように反論している。
「青少年を取り巻く環境の変化により、青少年全体の犯罪率はむしろ増加している。
学校内部で犯罪が少なくなったから、それでよいと考えるのは正しくない。

学校内部で少なくなったのは、(制服によるものというよりは)、警察システムや裁判所システムの改革によるところが大きい。
青少年の犯罪については、もっと別の角度から検討すべきではないのか」と(以上、要約)。

 日本でもホームスクール(日本ではフリースクールと呼ぶことが多い)の理解者がふえている。
なお2000年度に、小中学校での不登校児は、13万4000人を超えた。
中学生では、38人に1人が、不登校児ということになる。
この数字は前年度より、4000人多い。
 
++++++++++++++++++

 世界は、ここまで進んでいる。にもかかわらず、(4)教育委員会改革だの、(5)大学9月入学だのと、そんなことを論じていること自体、バカげている。
ノーベル賞を受賞した偉い(?)先生かも知れないが、世の中には、「専門バカ」という人もいる。

 「塾を禁止して、(勉強が)できない子どものための塾だけにせよ」(野依座長)という提言にいたっては、「?」マークを、10個ほど、並べたい。
むしろ世界は、教育の自由化(=民営化)をこぞって選択している。

 カナダでは、そこらの塾が塾をたちあげるほど簡単に、学校の設立そのものを自由化している。
その学校で使う言語も、自由である。
たとえば、ヒンズー語で教える学校を作りたいと思えば、それもできる。

 (これに反して、アメリカでは、学校では英語で教育すべしというのが、原則になっている。またそういう学校しか認可されていない。)

 ドイツ、イタリアにいたっては、ここにも書いたように、「クラブ」が、教育の自由化を側面から支えている。野依座長も、もう少し、研究室から出て、世界を見てきたらどうか。
少なくとも、もう少し教育の現場をのぞいてみてから、意見を述べるべきである。

 教育再生会議のメンバーたちは、「提言がことごとく無視された」と怒りをぶちまけているが、それもしかたのないことではないかと、私は思う。

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 教育再生会議 再生会議提案 中間報告 中間報告原案 はやし浩司 ズル休み ズル休みもゆとり)2012/06/29再掲載


Hiroshi Hayashi+++++++June. 2012++++++はやし浩司・林浩司

Wednesday, June 27, 2012

日本ユニセフ協会?

●6月28日(怒りがないと、文章は書けない)


 どこか蒸し暑いが、それでも初夏の冷気を肌のどこかで感ずる日がつづいている。
ものを書くには最高の季節……と書きたいが、こういうときほど、人間は怠け者になる。
今日も義兄に会い、義兄にこう言った。
「ものを書くには、怒りが必要です」と。
このことは先にも書いた。


 事実、そのとおりで、(怒り)が、ものを書く原動力になる。
平凡は美徳だが、平凡な生活からは、何も生まれない。
ただし(怒り)といっても、個人の、つまらない人を相手にしても意味はない。
社会や政治、不公平や不平等……。
(怒り)にも、普遍性が必要。
明日になれば、ひっくり返るかもしれないような、そんな不安定なものを相手にしてもしかたない。


 その(怒り)。
たとえば今、私は「日本ユニセフ協会」に、大きな疑問(怒り)を覚えている。
昨日も、協会から、寄付金募集の書類一式が届けられた。
今日、義兄の家にも届いたという。
どこでどう、私たちの住所と名前を調べたのか。
(私は自分の住所名前は、電話帳にも出していない!)


 宗教団体であるにせよ、慈善事業団体であるにせよ、人の心を対象に募金活動を行う団体は、慎重の上に慎重に行動してほしい。
けっして人の心をもてあそんではいけない。


(難民救済)という高邁な精神と、(寄付金をダイレクトメールで募(つの)る)という低次元な行為は、矛盾する。
有名人を広告塔に仕立て、募金活動をするというのも、これまた低次元。


 そういった救済活動を、下から積み重ねてきた人が、寄付金を募るというのなら、まだ話もわかる。
が、実際には、日本ユニセフと国連のユニセフは、「密接に連絡を取りあっている」程度の、関係(ウィキペディア百科事典)という。
もちろんまったくの別組織。
詳しくは、ウィキペディア百科事典で調べてみたらよい。


 つまりわかりやすく言えば、日本ユニセフは、ただの集金団体。
募金の20~30%は、そのまま日本ユニセフの活動資金として使われている。
が、こんなおいしい話はない。
見方によっては、国連の1機関の名を語り、現金を集め、その一部(上限30%)を自分たちで使用している。
その(おいしい)という部分に、私はかねてより、胡散(うさん)臭さを覚えている。


 百歩譲っても、今の日本は、それどころではない。
3・11大震災、それにつづく原発事故……。
問題はまだ何一つ、解決していない。
放射線被害が顕在化するのは、これから。
また「難民」といっても、現在の北朝鮮を見ればわかるように、そこには政治問題が複雑にからんでいる。
金正恩政権になってからでも、すでに2万人ほどの餓死者が出ているという(報道)。
が、日本は、食糧援助を停止している。
「難民がいる。さあ、援助!」というのは、ものの考え方が、少し短絡的すぎるのではないか。


 が、私たちがもっとも心配するのは、「偽善」。
この世の中には、弱者や貧者を理由(口実)に、そういった人を利用しながら、自分の名誉や地位、さらには財力や権力に結びつけていく人がいる。
そういう偽善者の、「餌(えさ)」にだけは、なってはいけない。
日本ユニセフ協会がそうであるというのではない。
ないが、どうも内容がよくわからない。
日本ユニセフ協会の行動については、これからも注視していきたい。


封書表紙
(届いた封書)


封書、差出人となっているアドレス


アドレス+国連のユニセフマーク


アドレス+国連のユニセフマーク


i
(封書の裏面)


img572
(同封されたシール。どうしてこんな無駄遣いをするのか?)


img573
(活動資金の流れ)ここには、日本ユニセフ協会が、20~30%、自分用に使用している旨は、いっさい、説明されていない。


img574
(同じく、お金の流れ)

img576
(日本もかつて助けられた。その恩返しをしようという趣旨の説明文。)


img577
(かつて名簿の入手に関して、問題になったことがある。それでこうした断りを入れるようになったのか? 「各種の地図」とは、何か?)


img578
(会長は赤松良子氏になっている。理事には著名人がずらりと並んでいる。)


img579
(ここに示されている金額に注目してほしい。)


【以下、ウィキペディア百科事典より】


★公益財団法人日本ユニセフ協会(にほんユニセフきょうかい)は、東京都港区高輪に本部を置く日本の公益財団法人である。
英語名はthe Japan Committee for UNICEFF。
別名としてユニセフ日本委員会(ゆにせふにほんいいんかい)を用いる。
36の国と地域にある「ユニセフ国内委員会(Committee for UNICEF)」のうちの1つであり、国際連合児童基金(ユニセフ)の日本事務所ではない。


★日本ユニセフ協会が集めた寄付金等の収入は、ユニセフ本部に、その全額が送金されるのではない。
募金活動の際にその旨明記されていないことが多い点や、その用途が適切かについて議論がある。


★2007年度は、日本ユニセフ協会は176億5671万円を集め、その81%をユニセフ本部に拠出した。


【内訳】
●ユニセフ本部拠出金 15,200,000,000円(82%)
●本部業務分担金 842,114,854円(4.6%)ユニセフ本部と国内委員会が共同で行うキャンペーン分担金
●管理費(事務運営費・人件費)13,758,860円(0.1%)うち、配賦されている総額の経常費用にしめる割合約2.6%
●東日本特別会計へ 100,000,000円(0.5%)
●他事業費 2,376,674,230円(12.8%)


【他事業内訳】
●募金活動事業費 1,430,298,551円(資料、領収書の作成、郵送、決済システム維持管理、活動報告作成)
●啓発宣伝事業費 492,850,426円(世界子供白書、ユニセフ年次報告等刊行物の作成配布、ホームページ作成更新、現地報告会やセミナー、シンポジウム開催、広報・アドボカシーキャンペーン等の費用)
●グリーティングカード募金事業費365,175,207円(グリーティングカード、ユニセフグッズの頒布)
●啓発宣伝支部強化費 78,328,422円(全国26の地域組織による広報、啓発活動関係費)
●国際協力研修事業費 10,021,624円(国際協力に携わる人材育成にかかる費用)
となっている。


★名簿の流用
日本ユニセフ協会では、近年、ダイレクトメールの活用で、募金額が急増しているが、日本ユニセフ協会は、他国のユニセフ国内委員会が同手法を用いている先例があるとして、これを1993年から本格実施しているとしている。


このダイレクトメールは厳密には「日本ユニセフ協会」だけのダイレクトメールではない。
ニューヨーク国連本部から、国際連合児童基金が差出人となって発送するもので、ユニセフ事務局長と日本ユニセフ協会会長がそれぞれ日本ユニセフ協会宛の募金・献金を求めるという形式になっている。


かつて、『東京新聞』は「『地球の歩き方』読者の名簿を出版社から入手し、これを同協会が使用した」ことを報じた。
このときのダイレクトメールは同じく国連本部から送付され、ユニセフ事務局長、日本ユニセフ協会会長とともに、『地球の歩き方』の出版元の社長が共同でユニセフ募金を求めるという形をとった。


2006年末には複数の名簿業者から個人情報を買取り、苗字だけのダイレクトメールを送り、受取人からの問合せが、消費生活センターに相次いだ。
なお、日本ユニセフ協会は「宛て名については、電話帳やダイレクトメールを取り扱う会社の各種名簿を基に」送付していると説明している。
この「個人情報を本人に無断で使用したダイレクトメール」の発送は2012年6月現在も確認されている。


★協会ビルの建設
2001年6月、25億円を使って、都内でも有数の一等地である港区高輪に、協会のビル「ユニセフハウス」(地下1階、地上5階建、延床面積3,702平方メートル)を建設した。
そこで、このようなビルを建てるのが寄付金の具体的使い道の妥当性として問題にされている。

日本ユニセフ協会の説明によると、1969年度から「会館建設積立金」を計上しており、31年間で25億円が準備できたため建設したとしている。
また、建設のメリットとして「賃貸ビルを借用し続けるより、土地・建物を所有するほうが、当協会の財産として残り、かつ経費の節減にもつながる」としている。


(以上、ウィキペディア百科事典より。記事内容の責任については、以下参照)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%83%A6%E3%83%8B%E3%82%BB%E3%83%95%E5%8D%94%E4%BC%9A


Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司


 ダイレクトメールによれば、「2012年4月23日までに、9億6913万円あまりを、拠出した」とある。
一方、ウィキペディア百科事典によれば「日本ユニセフ協会は176億5671万円を集め、その81%をユニセフ本部に拠出した」(2007年)とある。
(数字が大きくちがうが、これについては、私が調べた範囲では、理由がわからない。)


単純に計算すれば、176・5億円の81%、つまり約143億円を、ユニセフ本部に拠出。
残りの19%、つまり約33億円は、日本ユニセフ協会が、自家使用したことになる。


 この33億円を多いとみると、少ないとみるか。
気になるのは、募金事業活動費。
約14億円とある(ウィキペディア百科事典)。


 ???よくわからない???


 「2012年4月23日までに、9億6913万円あまりを、拠出した」(ダイレクトメール)とあり、一方で、「募金事業活動費として約14億円」(ウィキペディア百科事典)とある。


●最大の疑問


 最大の疑問は、こうだ。


 ダイレクトメールは、国連PLAZAから届いている。
しかし現金の振込先は、「日本ユニセフ協会」になっている。
ならば、どうして、振込先を、直接、国連PLAZA宛にしないのか?


 私のところには、海外からの募金要請が、毎年多く届く。
たとえばこれは、オーストラリアのM大学から届いた募金要請書(2012)である。


img580


そこ(左上)には、募金方法として、3つの方法が示されている。


img581


(1)オンラインによる送金方法、(2)郵送による送金方法、(3)電話による送金方法。


 国(地方自治体)が窓口になり、集めた募金は、全額、国連のユニセフへ直接届けるという方法も、やろうと思えば、可能なのである。
かかる費用といえば、翻訳料程度。

●そろそろ就寝

 時刻は午前0時を過ぎた。
6月27日になった。
そろそろ就寝。

 午前中に、友人の奥さんを病院に見舞う。
もちろんドリンク剤を見舞い品に。
3箱、買って届けた。
元気そうだった。

 あとはいつもルーティーン(日常ごと)。
たいした成果もなく、今日(26日)も、終わった。
これからあちこちのニュースサイトを見て、床に就く。

では……。


Hiroshi Hayashi+++++++June. 2012++++++はやし浩司・林浩司

Tuesday, June 26, 2012

BW教室byはやし浩司

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.こんにちは!  (″ ▽ ゛)○   
.        =∞=  // 
(BW公開教室・まぐまぐプレミアム読者のみなさんへ)
   

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子育て最前線の育児論byはやし浩司   2012年 7月 6日
□■□□□□□□□□□□□□□■□ =================
★ ★★HTML版★★★
HTML(カラー・写真版)を用意しました。
どうか、お楽しみください。(↓をクリックしてみてください。)
************************

http://bwhayashi2.fc2web.com/page015.html

メルマガ(6万3000誌)の中で、2008年度、メルマガ・オブ・ザ・イヤーに
選ばれました!

【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【文字は楽しい】(BW教室より)(はやし浩司 2012-05-07)

●文字遊びを展開しました(年長児)。

 「文字は楽しい」という印象作りをしました。
文字そのものを教えるのではなく、「文字は楽しい」という意識作りです。
それをしっかりと作っておけば、子どもは、あとは、自分で伸びてくれます。
どこかで文字を見たとき、「楽しい」と思ってくれれば、しめたもの。
家に帰り、「ママ、ひらがなを教えて!」と言うように、指導してみました。

 幼児教育は、「種まき」です。
何かを教え込んでやろうと考えるのではなく、興味に灯をともし、能力を引き出す。
それが子ども自身を内部から、引っ張ります。
強化の原理とも言います。
子どもたちの楽しそうな学習風景を、お楽しみ下さい。




●小1用、小2用、小3用の教材

 今週は、「大きな数」をテーマに、小学1~3年生を指導しました。
各学年用の教材を、小4児のみなさんに、してもらいました。
「教材紹介号」です。

 子どもたちが、できる、その限界ギリギリまで教えます。
「楽しく学ぶ子は、よく学ぶ」ですね。2012/05/07
ばあいによっては、小2児でも、小3用の教材を使うこともあります。
あくまでも子ども次第です。




Hiroshi Hayashi+++++++May. 2012++++++はやし浩司・林浩司

【はやし浩司 2012-05ー11】

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

昨日は、朝4:30まで作業をしていた。
そのころ床に就いたが、朝、9時ごろ、目を覚ましてしまった。
睡眠時間は、たったの4事件前後。
「だいじょうぶだろう?」と思っていたが、夕方から、猛烈な睡魔。
レッスンの途中で、はじめて居眠りをしてしまった。
幸い、ワイフが横にいて補助してくれたからよかった。
でなければ、クビ!
(この40年間で、レッスン中に居眠りしたのは、はじめて!)
この世界も、たいへんきびしい!
居眠りをしたりすると、即、クビ!

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

【動画・BW教室の様子】

●5月10日収録

 BWの子どもたちは、全員、例外なく、元気です。
またそういう元気な子どもになるよう、指導しています。
子どもたちが元気なのは、あくまでも、その結果です。

 今回は、「どう元気か?」という面をよく見てほしいです。
やる気200%、能力全開で、子どもたちは、私に飛びかかってきます。
ものすごい迫力とパワーです。

 さあ、みなさんも、子どもたちから元気をもらいましょう。
なお私は、この日、完全に睡眠不足で、フラフラでした。
私のほうが、圧倒されてしまいました。
どうか、ビデオをみながら、お笑いください。

【年中児クラス(この4月からスタートの教室です)】




【小1~2児のクラスです】




【小2~3児のクラスです】




【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【UTさんからの相談】

 昨日、こんな相談が届いていた。
3人の子どもをもつ母親からのもの。
中の子どもが、愛情飢餓状態で、親子の関係にキレツが入りつつあるというもの。

【UTさんから、はやし浩司へ】

初めてメールにて相談させていただきます。
以前からよくホームページを読ませていただいて大変参考にさせていただいています。

現在三人の育児をしていますが、真ん中の娘についての相談です。

上の子供が3歳のときに2番目を出産しました。
一人目ときよりじっくり相手をしてあげる余裕がないまま、ミルクもよく飲んでぐっすり寝ているこでした。
いわゆる手がかからない子でしたので、割と一人で遊んでいました。
表情がとぼしく上の子供より、私も愛情がわきにくく、引っ込み思案な子でした。
私自身、今思えば私の責任が多く、もっとスキンシップをしてあげたらよかったと思っています。
さらにその下に、弟が生まれてからは、はじめての男の子で素直なかわいい子で、私自身もよくかわいがっていました。
次女も弟の面倒をよくみているようでした。

上の長女も素直で、すぐママと言って寄って来る感じで、過ごしてきました。
率直に私自身、長女と弟とは気が合うと思っていました。
次女が年中ぐらいからつめをかむくせがありましたが、そんなに気にとめていませんでした。

次女が2年生になって、学校のお友達のふでばこと下敷きを持ってきてしまいました。
すぐに長女が気づいて、お友達に電話をして返しに行きました。
その後いろいろ話しているうちに、次女が大泣きしながら、手紙を書いてくれました。

内容は、「ママは、一番は長女の姉で、2番が弟で、私のことは好きじゃないんでしょ?、とわかってるよ。
ずっと前から知ってるもん」と。

そういう内容でした。
姉には怒ってもいつも仲良しだし、弟はいつもかわいがっている。
私のことはご飯と勉強だけ教えてくれたらそれでいいです。
ママのこと大好きだよ。と
先生の言われる親の愛情に疑問を持っているように思いました。

その後、うちにお友達がきたときに、にランドセルを持ってと言って帰ってきていたと、長女から聞きました。
どうして自分でも持たないとだめでしょ、と言うと泣きながら、姉がお父さんにくつをかってもらっていたことや本を買うときも自分は1冊だったけど、姉は2冊だった、といって泣き崩れました。

母子関係が構築できないまま、それに気がつかないまま、7歳まできてしまったように感じています。
このことに気づくまでは、習い事も、現在5個していて、(3人とも習いごとがあります)、ついつい教育熱心に家で、ワークさせたりしています。

私の兄弟が近くにいて、皆、学校の出来がよく、特に、妹とは昔からライバル意識があって、妹の子供ができがいいので、プレッシャーを感じていたと思います。
すごくしかりながら、あれもしてこれもしてと強制させていました。
このままではいけないような気がしています。
習い事も減らしてその分二人っきりの時間も持てたら方がいいかなと思っていますが、具体的にどうしたらいいのかわからないでいます。

私と次女との関係はもう最初からやりなおせないのでしょうか?
自分自身も鈍感な親だったと反省しています。
よいアドバイスをいただけたら幸いに思います(佐賀県T町)。

【はやし浩司より、UTさんへ】

 子育てというのは、そういうものです。
親は日々に(やり残し感)を残し、反省する。
しかし翌朝になると、またその忙しさの中で、我を忘れる。
子育てはまさに、戦場!
その繰り返し。

 問題の芽というのは、そのときは、見えない。
「まさか……」「うちの子にかぎって……」と。
前もってわかっていれば、それなりの予防もできますが、何しろどんな問題が起きるかわからない。
子どもの問題は、無数にあり、また問題のない子どもはいない。
しかも1つや2つなら、まだよいほう。
川面の浮かぶアワのように、あちらで起き、こちらで起きる。
ときにはブクブク、ブクブクと、同時に起きる。

 子育てというのは、そういうものです。
もちろんその間にあって、子どもの心には、無数の傷がついていきます。
が、親のできることにも限界があります。
親だって、自分の生活を守るのに、精一杯。
追いかけるだけで、必死。
子どもの心を静かに見守る時間さえない。
ましてや3人も子どもがいれば、なおさらです。

 ……ということでは、返事になりませんね。

 この際「修復」ということは、考えないこと。
やがて子どもは、あなたを蹴飛ばすようにして、あなたのもとを去っていくかもしれません。
それはそれでしかたないこと。
すばらしいこと。
あとは子ども自身に任せます。
さみしい思いはしているでしょうが、やがて友を見つけ、恋人をみつけ、自ら「修復」していきます。
それを見守るのも、親、親の愛。
愛というのは、それほどまでに、さみしく、つらいものです。
あなたは自分の子どもを見るたびに、つらい思いもし、後悔をするかもしれません。
が、すでにあなたはそれに気づいている。
すばらしい母親と思います。

 ほとんどの母親は、(父親もそうですが)、子どものそうした心の変化にすら気づかないものです。
で、問題の件ですが、「泣いた」段階で、すでに問題の90%は解決しています。
いうなれば、グチ。
不平不満。
ぐいと抱き、「そうではない」ということを、語りかけるだけで、子どもは安心します。
つまり「わかっているよ?」と書きながら、母親であるあなたが、それを否定してくれるのを、待っているのです。

 で、盗みと、愛情飢餓の問題は、分けて考えます。
底流ではつながっている部分もありますが、愛情があっても、盗みをする子どもはいくらでもいます。
愛情飢餓があるからといって、盗みをするというわけでもありません。
この時期の子どもは、(盗み、うそ、悪口)を繰り返しながら、おとなに抵抗を始めます。
盗みを許せというのではありません。
ていねいに、やさしく説教しながら、それですまします。
あとは時間が解決してくれます。

(なお友だちの持ちものをもって帰ってくるというようなことは、日常茶飯事です。
それに気づいた姉(長女)のほうが、むしろ要領よく盗みをしているかもしれませんよ。
ふつうは、気がつかないものですから……。
私なら、告げ口をした、姉のほうを強くたしなめます。
「あなたが自分で、妹に注意しなさい、とです。
盗みより、告げ口のほうが、陰湿です。
価値観の相違かもしれませんが……。)

 おけいこ塾の数は、尋常ではありません。
やらせればやらせるほど、「虐待」と考えてください。
私は「間接虐待」と呼んでいます。
親はそれをよかれと思いながらしているかもしれませんが、子どもにとっては、虐待です。
もちろん効果はありません。
子どもの側からの、感謝もありません。
効果や感謝がないばかりか、親子の間に大きなキレツを入れることになります。
子どもの気持ちを、一度、確かめてみてはどうでしょうか。

 ともあれ、よくある問題です。
3人子どもがいると、真ん中の子どもは、愛情飢餓状態になるのは、よくあることです。
が、その分、(それが好ましいということではありませんが)、他人に愛想がよくなったり、だれかにベタベタ甘えたりするようになります。
さみしい思いをしていますが、その分だけ、たくましくなります。

 なお、過去を振り返らないこと。
子育ては、常に「今」を前提に、「今」を基盤に組み立てていきます。
7歳(小2?)ということですから、そろそろ親離れの時期にさしかかります。
その(揺り戻し)時期と考えてください。

 この時期の子どもは、赤ちゃんに戻ったり、ときに、妙におとなびた様子を見せたりしながら、つぎの思春期前夜を迎えます。
これを私は「揺り戻し」(はやし浩司)と呼んでいます。
情緒も不安定になります。

 あまり気になるようなら、いっしょに風呂に入ってあげたり、添い寝をしてあげたり、あなたのほうから、ときどきぐいと抱いてあげるだけでも、効果的です。
子どもに安心感を与えるようにするのが、コツです。

 ともあれ、数多くある子どもの問題の中でも、たいした問題ではありませんので(失礼!)、あまりおおげさに考えないこと。
子どもは傷まるけになりながら、成長していきます。
それを見守るのも、これまた親の努めです。

 今のうちに、子育てのドラマをおおいに楽しんでください。
こういう時期は、あっという間に終わりますよ!
では、

はやし浩司
2012/05/11

【UTさんからの返信】

はやし先生へ
 
 先生の丁寧なアドバイスが心にしみ、涙が出ました。
悔やんでもあのころの過ぎた時間を戻すことはできないし、今を基盤にこれから前を向いて進んで行く勇気をもらいました。

 私だけでなく、みんないろいろな悩みや葛藤を抱えながら育児をしていることもわかりました。
そんなにたいした問題ではないと言ってくださったことも救われる気持ちでいます。
そして今回のことを通して、過去の自分、そしてあたりまえのありがたさに気がつけないほど傲慢だった自分に気づかせてくれた次女に今は愛おしい気持ちでいっぱいです。

 子供はいつもどんな悪い母親であろうと、お母さんの愛情を自分に注いでくれることを貪欲に見ているのだなあと感じています。
私もそういえば、子供のころ私のことをもっと見て欲しいと思っていました。
産むのは簡単ですが、本当の母親になるのは大変なんだなあと痛感しています。

これからは、もうすこし習い事を減らして、私自身もゆとりを持って子供たちと過ごしたいと思います。
子供のためだと思って、環境を作るのは親だから、習い事に一生懸命になりすぎて、結局は親のエゴで子供を振り回すことはもうやめにしたいです。

 これからも先生のホームページを参考にさせていただきます。
先生もどうかお体を大切に無理をせず、これからもお過ごしください。
私の急なメールにもかかわらず、先生の暖かいメールに感謝しています。
本当にありがとうございました


Hiroshi Hayashi+++++++May. 2012++++++はやし浩司・林浩司

【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●無断転載

 私の原稿が、あちこちで無断転載、流用されている。
昨年は、N県の県警本部が発行するホームページで、20枚前後が流用されていた。
私の文章をバラバラに切り離し、それをつなぐという手の込んだものだった。
悪質だった。
(県警本部だって、そういうインチキなことをするぞ!)
で、電話をすると、いきなり、「証拠はあるのか!」と。

 で、電話口で双方の原稿を読み聞かせてやったが、それだけでも、1時間半以上もかかった。
……というようなことは、ときどきある。
が、今回の無断転載は、これまた悪質。
何と、コピー用紙に印刷した状態で、1500枚前後。
(印刷して、1500枚だぞ!)
その印刷と、原稿の照らし合わせのために、昨日は、午前4時半までかかった。
刑事告発するつもりでいた。

 悪質というか、この手の無断転載は、どれも悪質だが、「はやし浩司」の名前は、きれいに消されてあった。
(こういうことを意図的にするところが、恐ろしい!)
弁護士をしている学友に連絡すると、間に弁護士を置けとのアドバイス。
起きてから、市内の弁護士に連絡を取る。

が、今回も、刑事告発は、やめにした。
電話で相手の意図を問いただすと、こう言った。

「よい内容だったので、つい……」と。
すなおに無断転載を認めた。
ていねいにわびた。

どこかの同業者だった。
だから許した。

 が、さらに悪質なのもある。
間に、コピーラーター(ゴーストライター)が入って、書籍化しているのもある。
この手のライターは、文章そのものを変えると同時に、いろいろな情報を上塗りする。
素人の人が、文章を読み比べただけでは、まず、わからない。
が、その底流を流れる「哲学」は同じ。

 つまり育児論というのは、「哲学」。
その人によって、みな、ちがう。
その哲学が同じということは、ありえない。
が、その本の底流を流れる哲学が同じ?
文を読むと、その哲学が、スーッと自分の頭の中を流れていくのがわかる。
ところどころに、私がよく使う専門用語や、具体例が挿されている。
あるところでは、「宏君の背中がチョークで落書きされた」が「聡君の傘がチョークで落書きされた」になっていた。
その本は、100万部以上も売れたという。

 ズルイ学者は、こういうライターを巧みに使い、自分の名誉につなげる。
ライターは、そういう学者に寄生し、魂を売る。
金を儲ける。

●今朝は、12時間

 昨夜は、睡眠導入剤を口にした。
午後9時、就寝。
起きたのが、今朝は、9時。
12時間、眠ったことになる。
(途中、午前6時ごろ、トイレに行くため、目を覚ましたが……。)

 軽い頭痛が残った。
偏頭痛と判断したので、「Z薬」を、半分に割って、のんだ。
20~30分で、偏頭痛は、消えた。

Hiroshi Hayashi+++++++June. 2012++++++はやし浩司・林浩司

【私のメール作法】

●件名

 毎日多くのメールが届く。
そのほとんどが、スパムメール(広告を目的とした、大量配布メール)。
フィルターをかけ、かなりのメールを、「サーバーから削除」している。
が、それでも毎日200~300通のメールが、すり抜けてくる。

 スケベ・メールも多い。
もちろんウィルス入のメールもある。
2重、3重のガードをかけているが、それでも届く。

 (私のばあい、サーバー側で、有料のウィルスチェックサービスを受けている。
またパソコンごとに、ウィルスソフトをインストールしている。
パソコンは、メール用、ホームページ(ウエブサイト)用と、使い分けている。)

 が、困るのが、件名が「?」のメール。
「先日は、ありがとうございました」とか、「返事が遅れてすみません」とか、など。
そういうメールが届くと、開くべきかどうかで、しばらく考え込んでしまう。
メールアドレスに心当たりがあるからといって、安易に開いてはいけない。
悪質なスパムメールになると、その人のアドレスを勝手に盗んで使う。

 だから……。

(1)メール作法の基本として、件名には、相手方の名前、自分の名前を書くべき。

 封書だって、そうだ。
相手方の住所氏名はもちろん、自分の住所氏名を書く。
それがあるから私たちは、安心して、その封書を開くことができる。
そうでなければ、そうでない。
差し出し人の名前の書いてない封書を受け取ったら、あなたはその封書を開くだろうか。
開くにしても、かなりの勇気(迷い?)が必要。
実際には、そんな封書は、めったに、ない。

(2)できれば、件名だけで、メールの内容がわかるようにする。

 件名というのは、メールの概要と考えたほうがよい。
件名を読んだだけで、大まかな内容がわかるようにする。
そうすれば、メールを開く方も、安心してそのメールを開くことができる。

(3)感情表現を豊かに

 ここがいちばん重要だが、メールというのは、当然、「文章」。
この文章というのは、読む側の心の状態によって、どういうふうにも読める。

 たとえば読む側が、たまたま落ち込んでいるようなとき。
「お前も、馬鹿だ」と書いてあると、その一文だけで、激怒してしまう。
書いた方は、軽い気持ちでそう表現したとしても、それは通じない。
つまりこうして誤解が誤解を生み、たがいの間を決裂させる。
そういう例は、少なくない。

 つまり文章というのは、読む側の心理状態によって、赤くもなれば、青くもなる。
だから相手を批判するようなときには、とくに注意する。
あるいはそういうメールは書かない。
そういうときは、電話を使う。
電話なら、こちらの感情を、うまく伝えることができる。

 実際、私のばあい、何かの仕事の依頼などがあたったようなときは、すかさず電話を入れるようにしている。
(メールではなく、声の電話。)
相手が見知らぬ人のばあいは、さらにそうである。
声には心をつなぐ作用があるが、文章にはそれがない。
それに一度、たがいに声を聞けば、そのあとの連絡が、スムーズになる。

 以上が、私の「メール作法」ということになる。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

【日本の無駄づかい】

●お人好し外交

 先月のこと(2012年4月)、日本政府は、600億ドル(5兆円)もの大金を、IMFに追加出資した。
頼まれもしないのに、「主導権」を握った(?)。
それまでは「日本はカヤの外」。
それ以後は、チヤホヤ。
あの財務大臣の、子どものような笑顔が、それを象徴している。

 まず、そのときに書いた原稿を読んでほしい。
日付は、2012年4月22日になっている。

++++++++++++以下、4月22日

●IMF(国際通貨基金)への拠出金

 日本政府は、IMFに、600億ドルの拠出金を決めた。
報道によれば、(1)円高対策になる、(2)将来の保険金的色彩が濃いなどとある。
しかしそれにしても、600億ドルとは!

 ちなみに、アメリカはゼロ。
国別に今回の拠出国を並べてみる。

日本……600億ドル
イギリス……150億ドル
韓国……150億ドル
オーストラリア……70億ドル
シンガポール……40億ドル

 アメリカは財政難を理由に、ゼロ。
ブラジルは、「自国の地位向上が見られない」という理由で、ゼロ。

 あのね、IMFというのは、もともとは、ヨーロッパの、ヨーロッパのための機関。
そのことはIMFの理事国メンバーを見ればわかるはず。
日本は、「自国の地位向上」をめざし、600億ドルを拠出した?
が、今の日本に、そんな余裕、どこにある?

600億ドルということは、約5兆円。
日本人1人当たり、5万円(成人人口約1億人として計算)。

 もしあなたの家に、町内会の班長が回ってきて、こう言ったとする。
「今度、EUを救済することになりました。
ついては、あなたの家は3人家族ですから、15万円出してください」と。

 あなたは何も言わず、「はい」と言って、15万円、差し出すだろうか。
それとも、しぶるだろうか。
が、私なら、はっきりと断る。

 ちなみに、IMFの歴代(専務)理事(=理事長、理事国)は、つぎのようになっている。

べルギー(1946)
スウェーデン(1951)
スウェーデン(1956)
フランス(1963)
オランダ(1973)
フランス(1978)
フランス(1987)
ドイツ(2000)
アメリカ(2011)(2か月で退官)
フランス(2011)

 これを見てもわかるように、IMFは、国際機関とは、とても言い難い。
さらにウィキペディア百科事典には、つぎのようにある。
日本人としては、たいへん気になる。

『……日本の場合、大口出資国である等の立場から財務官僚が多く出向しており、融資が行われていないにもかかわらず「消費税を上げるべきだ」等のIMFの討議内容の報道がなされる。
 これは、IMFの正式発表ではなく、財務官僚が出向者を使いさも、まるで、IMFが全体がその様に述べているかのように見せ、自分たちの都合の良いようにマスコミを通じ国内世論を操作する道具にしている』(以上、ウィキペディア百科事典)と。

 そういうIMFに、600億ドル!
財務官僚のメンツを立てるために、600億ドル!

 アメリカはもっと、クールだぞ。
ユーロが崩壊すれば、アメリカ・ドルの独壇場。
ユーロは、もとは言えば、アメリカのドルに対抗して生まれたもの。
ユーロの台頭とともに、アメリカのドルは弱体化した。
ついでに日本の円も、脇に追いやられた。

 どうして今、そのユーロを助けなければならないのか。
アメリカ人なら、みな、そう考える。

 今の日本人に欠けるのは、大局に立った戦略的視野。
それに野生臭。
ドロ臭さ。
結局は、最後にババを引くのは、この日本。
日本人の私たち。

++++++++++++以上、4月22日

●閑古鳥が鳴く新東名(第二東名)

 報道によれば、(1)円高対策になる、(2)将来の保険金的色彩が濃いなどとある。
が、円高対策のためということなら、600億というのは、あまりにも弱い。
世界中が、札の印刷合戦をしている。
日本だけが、かたくなに約束を守り、優等生ぶっている。
現在の円高の最大の理由は、ここにある。

 それを「円高対策」と言うのは、あの新東名(第二東名)をさして、「渋滞緩和」と言うのと同じくらい、バカげている。
開通してから2週間目。
数日前、近くを走ってみたが、車はまばら。
閑古鳥が鳴いていた。

 あれほどまでに豪華な道路は、そうはない。
インフラ整備とはいうが、明らかに過剰。
今朝の日経新聞は、EUの現状について、つぎのように結んでいる(2012/05/07)。
最後の一文をよく読んでほしい。

 『労働市場改革の断行は難しく危険でさえある。
イタリアでは近年、労働市場改革について政府に助言していたエコノミストが2人暗殺された。
だが、そうした改革は長期的には雇用創出を拡大する唯一の道だ。

 対照的に、欧州は支出拡大で債務から抜け出すべきという意見は幻想だ。
もちろん、財政赤字削減のペースには議論の余地がある。
しかし、欧州のように多額の税金を課され、厳しく規制され、多大な債務を背負った大陸では、国費による公共事業は、どこにも行けない道をつくるだけだ』(以上、日本経済新聞)と。

 これはEUの現状を訴えた意見だが、それはそのままこの日本にも当てはまる。

 つまり「公共事業は、どこにも行けない道をつくるだけ」。

 もしあなたが新東名で浜松周辺を走る機会があったら、眼下に交差する道路を見てほしい。
どの道路も、立派。
豪華。
県道や市道もあるが、林道や農道が、縦横無尽に走っている。
たとえば三ヶ日の国民宿舎から引佐町へ抜ける道(農道)などは、片側1車線だが、そこらの高速道路より立派。
直線距離にして3キロ程度(グーグルアース上で測定)。
いつ走っても、すれちがう車さえない。
まさに「公共事業は、どこにも行けない道をつくるだけ」。

 こんなアホなことばかりしているから、国の借金はふえつづける一方!
またこんな方法で景気を刺激しようとしても、そこには限界がある。
工事中は、土建業者が潤う。
しかしそのあと、経済は、ドカッと停滞する。
その象徴が、新東名。
この先の維持費(つぎの世代に残すツケ)を考えたら、ゾッとする。

●本論

 さて本論。

 今朝の報道によれば、フランスでは左派政権(大統領)が誕生した。
ギリシャでも、与党は過半数を取れないかもしれないという(2012/05/07)。
それを先読みして、ユーロは、下落。

 何度も書くが、ギリシャを含め、EUの金融危機は、何一つ解決していない。
むしろ悪化の一途をたどっている。
そんな中、日本は、お先走り、頼まれもしないうちから、600億ドルの追加支援。
まさに大国意識。
お人好し。

 世界の経済の中心は、EUから中国、さらにはインド、ブラジル……へと、移動しつつある。
日本からも、東南アジアへと、移動しつつある。
動いてるマネーは、100兆円単位。
そんな中、5兆円程度で、その流れを変えられるはずもない。
が、日本にとっては、大金。
多くの経済学者たちが口をそろえて言っているように、「最後にババを引くのは、この日本」。

 つまり日本は、もう少し野生味を表に出し、国益第一に行動すべき。
最後に、こんなニュースもある(Yahooニュースより)。

『[東京 23日(2012年4月23日)
 ロイター] 韓国サムスングループが日本人技術者の引き抜き攻勢を強めている。
巨額の赤字に苦しむ国内電機各社による事業縮小と人員削減。
開発環境や処遇が悪化すれば優秀な技術者が自ら会社を離れても不思議はない。

(中略)

<年収10倍の提示も>

(中略)

 ある技術者に提示されたサムスンの処遇はこうだ。
役職は取締役。年収は6000万―1億円で、契約期間は3―5年。
年収とは別に、転職に伴う契約金が数千万円支払われる。
専属秘書と運転手付きの車が支給されるほか、30坪超の家具付きマンションが無償貸与される。
日本への帰省費用、家族の韓国への招待等も会社が実費負担する』(以上、Yahooニュース)と。

 日本の外では、猛烈な風が吹いている。
いいのか、日本!
このままで!

 ちなみに今朝、7日午前の東京株式市場では、日経平均株価が200円超安の9122円で取引されている。 
2012/05/07


Hiroshi Hayashi+++++++May. 2012++++++はやし浩司・林浩司

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休日パラドックス

【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

休みます。

【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

今日「休日パラドックス」という言葉を知った。
前から、体験的には知っていたが、それを定義づけた学者がいた。
納得!

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●MSNトッピクスより(2012-05ー06)

**********以下、MSNトッピクスより抜粋*********** 

 ……新しい出会いがあったり、初めての場所に出かけた休日は、あっという間に過ぎてしまう。
でも後から振り返ると、単調な平日と比べて、長い時間だったような気がすることはないだろうか?

時間が過ぎてゆくその瞬間は速いのに、後から振り返ると長いという、この休日によくある時間の感覚は「休日パラドックス」と呼ばれる。

こうした現象が起きるのは、時間に対する感覚と記憶できる行動の数が影響しているらしい。
「休日パラドックス」という呼び名を生み出したのは、心理学の講師であるクラウディア・ハモンド氏だ。
ハモンド氏は心理学の学会で、このパラドックスの仕組みを次のように説明した。

普段の生活は一般的に、単調でパターン化されているので、二週間でせいぜい6~9つのことしか記憶に残らない。

しかし、充実した休日では一日に6~9つの記憶に残る経験をする。
そのため、その瞬間はあっという間に過ぎてしまうものの、後から振り返ると記憶に残っていることが多いので、長い時間だったように感じるのだという。

**********以上、MSNトッピクスより抜粋***********

 で、調べてみると、英語の原文が見つかった。
それをそのまま紹介する。
(出典:Science & Tech ”Mail Online")
http://www.dailymail.co.uk/sciencetech/article-2132993/Why-holidays-fast-memorable.html#ixzz1suzvPiwK

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

We have all experienced it – a holiday that whizzes by at the time but, in retrospect, seems to have gone on forever. Scientists say it is all to do with how our perception of time is affected by the number of memories we form.
When we are doing something new, the hours pass quickly. But all the experiences lead to lots of memories – and when we look back, there are so many that it feels as if we were away for ages.
When we are in our normal routine, fewer memories are laid down. The days seem to drag… but fly by in retrospect.
Holidays are so memorable because of our perception of time, scientists say
The phenomenon has been called the holiday paradox by psychology lecturer Claudia Hammond. She told the British Psychological Society’s conference in London that our lives are normally so humdrum that only six to nine experiences a fortnight are worth committing to memory.
On holiday, we remember six to nine things from each day.
It is something we have all experienced: a holiday that whizzes by at the time but, in retrospect, seems to have gone on forever.
Scientists say it is all to do with our perception of time and how it is affected by the number of memories we form.

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●二重過程理論

 なぜ、英文の原文を掲載するか。
それには同じMSNニュースには、つぎのようにあったから。

『……4月18日付けの『Psychological Science』に掲載されている論文には、次のように書かれている。

「直観的に考えると、使う言語にかかわらず同じ判断が行われる、もしくは、外国語で考えたほうがより体系的でない判断をしてしまうように思われるが、実際にはその反対が正しい。
つまり、外国語を使うと、意思決定をするときのバイアスが減少するのだ」

 心理学において、人間の判断は、2つの異なる思考法によって導き出されると考えられている。
ひとつは、体系的・分析的で、高度に認知的な思考法。
もうひとつは、手早く無意識的で、感情的な思考法だ。

 二重過程理論と呼ばれ、長期的な利益を勘案することができ主に大脳新皮質に司られている「理性的システム」と、即座に働き短期的な利益(主に生存・繁殖)に関わり主に大脳辺縁系に司られている「情動システム」の両方が、判断や意思決定に関わっているとされる。

 これに照らし合わせると、母国語でなく、無意識には使いこなせない言語で思考することは、認知的に負荷のかかる行為であり、脳の処理能力を奪われるため、そのような場合には、手早く短絡的な思いつきに頼る傾向が強くなるように思われる』(以上MSN)と。

●二重過程理論

 ここで重要なキーワードは、「二重過程理論」。

 人間の判断は、つぎの2つの異なる思考方法によって導き出されるという。

(1)体系的・分析的で、高度に認知的な思考法。(大脳新皮質に司られている。)
(2)手早く無意識的で、感情的な思考法。(主に大脳辺縁系に司られている。)

 何やら難しいことが書いてあるように思う人がいるかもしれない。
しかしこんなことは経験的に、当たり前のこと。

 たとえば何かの記事を読んだとする。
そのとき直感的に、「これはおかしい?」と感ずる。
これが(2)の「手早く無意識的で、感情的な思考法」ということになる。

 つぎにその直感に基づいて、自分の思考を注入し、理論化したり体系化したりする。
それが(1)の「体系的・分析的で、高度に認知的な思考法」ということになる。

 そういう意味では、先の(1)と(2)は、順序が逆のように思う。
それはさておき、(2)から(1)へ結びつけるには、それなりの経験と訓練が必要である。
(2)の能力のある人は、多い。
しかしそれを(1)の段階まで、昇華できる人は、少ない。
いわんやそれを文章にしたり、さらに読んでくれた人を納得させるには、経験と訓練が必要である。

 だれでもできるわけではない。
……という意味で、この2つの記事は、たいへん興味深い。
今まで私たちが、体験として知っていたことを、じゅうぶん、納得させてくれた。

ひとつは、記憶(=時間の長さ)というのは、密度で決まるということ。
もうひとつは、ものごとはまず直感で判断し、それを別の脳で体系化、理論化するということ。

 新しい知識、ゲット!、ということで、この話は、ここでおしまい。

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Hiroshi Hayashi+++++++May. 2012++++++はやし浩司・林浩司

【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【消息・調査】(はやし浩司 2012-05-07)

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

最近、強く、こう思うときがある。
昔出会った人たちや、私が教えた生徒たちは、今、どうなっているか、と。
それを知りたい、と。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●インターネット

 インターネットの進歩には、驚く。
インターネットを使えば、たいていのことは調べられる。
さらにグーグルアースを使えば、その人の住んでいる場所や家の様子まで調べられる。
場所によっては、「ストリート・ビュー」が使える。
周辺の様子を、車の中から見るように、知ることができる。

 たとえば「AAさんのことを知りたい」と思ったとする。
そういうときは、「AA」という名前で、検索をかければよい。
今ではその町内で発行する機関誌まで、ネットで公開されていることが多い。
それを手がかりに、AAさんの住所を絞り込むことができる。
職業もそれでわかることが多い。

 何かの活動を、公にしていれば、さらに詳しく知ることができる。
が、いつもここで、強いブレーキが働く。
「それを知ったところで、どうなのか?」と。
言うなれば、安っぽい、好奇心。
もっと平たく言えば、「のぞき見」。

●興味

 が、それでも知りたい人というには、いる。
学生時代の親友とか、恋人とか……。
が、そこまで。
消息を知ったところで、何かをしようという気はない。
「元気かなあ?」と思う程度。
が、これは好奇心ではない。
興味。
どうしてだろう?
どうして、そういうことを今になって、知りたがるのだろう?

 理由のひとつに、私自身の人生が秒読み段階に入っていることがある。
言うなれば、あと片づけの段階。
整理。
ちょうど古い骨董品を処分するように、過去のひとつずつに決着をつけておきたい。
心に踏ん切りをつけておきたい。
「糞切り」と書いてもよい。
長い「糞」をぶらさげたままでは、死ぬこともできない。

 そう思うようになった理由のひとつに、最近、こんなことがあった。

●独りよがり

 学生時代、1人のガールフレンドがいた。
美しい人だった。
半年ほど、つきあった。

私は真剣だった。
で、そのガールフレンドについて、前回、同窓会に出たとき、いろいろな話を聞いた。
結果、「ナーンダ!」となってしまった。
つまり彼女には、私のほかに何人かのボーイフレンドがいた。
私は、ただのワン・オブ・ゼム(多数の中の1人)にすぎなかった。
しかもそのガールフレンドには、本命のボーイフレンドが、ほかにちゃんといた。

 それを知ったとき、「ナーンダ!」と。

 ……私には子どものころから、そういう面がある。
思い過ごし。
思い込み。
それがはげしい。

 だからそのガールフレンドとの思い出についても、別のとらえ方をしていた。
勝手に美化し、同時に、2人の関係を悲恋化していた。
が、そのガールフレンドと言えば、私のことなど、何とも思っていなかった。
そういう私を、うるさい男と思っていた(?)。
私とは、遊びに過ぎなかった(?)。
が、その私といえば、本気になってしまった。
「さあ、たいへん!」ということで、(たぶん?)、そのガールフレンドは、あれこれ理由を並べ、私から去っていった。

 当時のいきさつをあれこれ総合すると、どうやら、そういうことになる。
私はあまりにも純朴で、そういった女性の心理を理解できなかった。

 はっきり言えば、悲劇ではなく、喜劇!
みなで、ハハハと笑っておしまい。
みなに、ハハハと笑われておしまい。
同窓会では、そうだった。

●一縷(いちる)の望み

 で、そのときは、それで終わった。
しかし数日もすると、それがジンワリと私の心の中で、大きく膨らみ始めた。
「ならば、今、どうしているか、調べてやろう」と。

 ……というのも、自分の中で、その残り火が今でもチラチラと燃えている。
青春時代の美しい(?)思い出として、ずっと大切にしてきた。
が、今回、それが粉々に破壊されてしまった。
ア~ア、という感じ。
映画『タイタニック』の中に出てくるジャックとローズの話とは、大違い。
私には、その雰囲気さえない。
それはわかっているが、それでも私は、自分の思い出に、一縷(いちる)の望みをかけていた。

 いつか通りで会ったとき、「あっ、AAさん……」「浩司さん……」とか、など。
そんな会話ができればよいと願っていた。
映画『ドクトル・ジバゴ』の1シーンのように。
(こう見えても、私はロマンチストなのだ!
もっともあの映画の中では、そういう会話もできないまま、ジバゴは心臓発作を起こし、その場で倒れてしまうが……。)

 が、今は、ちがう。
「会って、ぶん殴ってやりたい」と思っている。
「さんざん、人の心をもてあそびやがって、この野郎!」と。

●恋愛詐欺

 で、おととい、いろいろ調べてみた。
インターネットの助けを借りた。

 住所は、XX県XX町XX番地。
たまたまそのあたりを、グーグルアースのストリートビューで見ることができた。
マウスを動かせば、360度、その周辺を見回すことができる。
近所の商店とか、そういったものまでわかる。

 あとはNTTの104を使い、その商店の電話番号を調べる。
それとなくその商店に電話をかけ、相手の様子を聞く……。
……というような、姑息(こそく)なことはしない。

調べるなら、現地まで行き、堂々と、それをしたい。
ばったり顔を合わせたところで、どうということはない。
無視して、その場をやり過ごせばよい。
言うなれば、私は被害者。
恋愛詐欺の被害者。
相手のAAさんは、いやがるだろうが、それは私の知ったことではない。

 つまり私は私のやり方で、最後の、そのまた最後の残り火を消しておきたい。
残り火を残したままでは、冥土へは行けない。

●STOP

 ほかにも、それぞれの理由があって、調べてみたい人はいる。
が、「みたい」と思うだけで、そこでSTOP。
先にも書いたように、それはただの好奇心。
のぞき。
私の生活にも、思想にも、何ら役に立たない。
意味もない。

 そんな暇があったら、現在、よく知る人の過去を知ったほうがよい。
またそういう人たちを大切にしたほうがよい。
共に、人生は短い。

 ……というか、最近、「私」「他人」という垣根が、少しずつ低くなってきたように感ずる。
私と他人を区別するほうが、おかしい。
共にこの地球で、共に「現在」という時間を共有した。
言うなれば、一心同体。
その人がどんな人生を送ったにしても、その人の人生は、私のもの。
同時に、私の人生は、その人のもの。

 みなが、ひとつの坩堝(るつぼ)の中で、いっしょくたになって生きている。
それが今という時代を作っている。
それがわからなければ、江戸時代なら江戸時代という時代を思い浮かべてみればよい。
あの時代にも無数の人が生きていた。
無数のドラマがあった。
しかしそういった人の間には、垣根はない。
みな、いっしょくたになり、あの時代を作った。
私たちも、やがてすぐ、そうなる。

 ……ということで、今夜はここまで。
近く、AAさんの家の近くまで行き、AAさんの消息をたずねてみたい。
会うことはない。
ただ長くぶらさがった「糞」だけは、そのとき、その場で、しっかりと切っておきたい。
2012/05/07記


Hiroshi Hayashi+++++++May. 2012++++++はやし浩司・林浩司

Hiroshi Hayashi+++++++June. 2012++++++はやし浩司・林浩司

【ブラック・ビジネス】(はやし浩司 2012-05-06)

●宝島社

 昨夜、床に入ってから、1冊の本を読んだ。
宝島社の『ブラックビジネス』。
表紙には、「知らずにハマる、ブラックビジネス」とある。

 宝島社といえば、若いころ、よく足を運んだ。
そのころから、こうした告発本を、多く出版していた。
それもあってか、玄関が、ふつうの出版社とはちがっていた。
どこかの暴力団の襲撃を受けたこともあった。
閉鎖的というか、外部の人が、すぐには中に入れないしくみになっていた。

 が、社員の方は、たいへん親切だった。
私が持ち込んだ企画を見ながら、いろいろアドバイスをしてくれた。
出版先を探し、紹介してくれたこともある。
だから……というわけでもないが、今でも「宝島社」という社名を見ると、すぐ手が伸びる。

 奥付の住所を見ると、「千代田区1番町25」とある。
それを見ながら、「ああ、あそこが千代田区だったのか」と思う。
道路の反対側に、大火災を起こしたホテルが、当時はまだそのまま残っていた。
また帰るときは、いつも、地下鉄は、「四谷」というところで、乗った。

(たった今、グーグル・アースを使い、会社の場所を調べてみた。
が、当時とは、会社の場所がちがうように思う。
会社が大きくなって、現在の位置に移転したのか。

 さらにウィキペディア百科事典を使って調べてみると、1980年代当時は、『赤坂の(株)宝島社、発行は飯田橋の(株)JICC出版局、と別会社になっていた』とある。

 私が知っているのは、その「赤坂」のほうだった。
(それとも飯田橋のほう?)
また火災事故を起こしたのは、ホテル・ニュー・ジャパン(千代田区永田町)。
1982年に火災とあるから、私が宝島社に通っていたのは、その前後ということになる。)

 話はそれたが、『ブラックビジネス』。
読んで、こう思った。
「よくもまあ、ここまで金に毒された人たちがいるものだ」と。
まさに、あの手この手を使い、人をだます。
しかもこの本のすごいのは、(宝島社という会社はそういう出版社だが)、堂々と実名公を表しているところ。
たとえば「高島易断」。
「インチキすぎる荒稼ぎのトリック」(P41)とある。
(いいのかなあ?
こういう形で実名を出して……。)

●ブラックビジネス

 目次を並べてみる。

(1)最新振り込め詐欺事情
(2)悪徳マルチ商法は人生崩壊ゲーム
(3)高齢者をしゃぶりつくす、未公開株詐欺・通貨詐欺・押し売り
(4)”悪徳詐欺師系”占い師が語るスピリチュアル商法の闇
(5)詐欺ビジネスに変化が起きている。

(6)最新の「押し買い」事情
(7)二極化する新興の「闇金融」
(8)危険な罠だらけの競馬情報
(9)「海外投資」欲望のトラップ!
(10)催眠商法の底なし沼
(11)迷惑メール、真の目的とは

(12)被害者増加中! 民間資格商法
(13)問題山積みの開業支援ビジネス
(14)偽造サプリで今のうちに大儲け
(15)でっちあげ募金! 通称「犬詐欺」
(16)要求はどんどん過激に! 「チャイルド・ポルノ」
(17)ママサークルが、怪しい商売の温床に!?
(18)ギャル詐欺、騙されて覚える大人の世界

(19)不動産業界にはびこる、抵抗不能の搾取構造
(20)共犯ヘルパーが増殖中
(21)俺ならこの家狙って、空き巣に入る!
(22)リフォーム業界は”ウソの匠”だらけ

 どれも私たちの生活と直結している。

●リフォーム業界

 読めば読むほど、まさに人間不信になる。
「リフォーム業界」については、「悪徳業者以外を探すのが難しい」(P111)とある。
私も「リフォーム」をと考えていたので、これは参考になった。

 そのリフォーム会社。
リフォーム会社というのは、「建築業」ではないそうだ。
「解体屋」とか「産廃業者」とかが組んで、リフォーム会社を開業しているとか。
正式の図面は引けないから、客にはイラストを示して工事にかかるという。
が、自分では、しない。
工事は、それなりの仕事ができる大工に丸なげ。
たとえば1700万円のリフォームだと、1000万円分くらいが、丸々、会社の取り分。
残りの700万円が、大工に渡される実費。
リフォーム会社にしてみれば、「これほどうまい、儲け話はない」(本書)となる。

●スピチュアル商法

 「ブラックビジネス」は、11Pもさいて、「スピリチュアル商法」を解説している。
「数百円の石ころが、数万円の商品に化けるカラクリ」というのもある。
「ただの石を問屋から買い、パワーストーンとして売る」(P47)と。

 少し前、A・チャンというタレントが使った商法が、これである。
当の本人は、「事務所の人が勝手にして、私は知らなかった」と弁解しているが、それを信ずる人はいない。
A・チャンは、「A大学」という架空の大学まで設立し、資格商法にまで手を染めている。

 ともあれ、騙す方も騙す方だが、ことこのスピリチュアル商法に関して言えば、騙される方も、騙される方。
どうしてこういう馬鹿なものを信ずるのかと言いたいが、それぞれの人には、それぞれの事情というものがある。
本のなかには、占い師に手相をみてもらっている男性の写真も載っていた。
占いといえば、若い女性の趣味のようなものかと思っていたが、どうもそうでもないようだ。
事業に行き詰まった人は、それこそ「藁(わら)にもすがる」。

●若い女性

 こうしたブラックビジネスに共通しているのは、「若い女性」。
若い女性が、まず電話口に出る。
客と応対する。

「日本人は、若い女性は安心と、脳の奥まで、刷り込みがなされている」(本書)と
「若い女性が、人を騙すはずがない」と信じている人も多い。
つまりブラックビジネスを展開する、ブラック企業は、若い女性を巧みに利用する。
客(カモ)を、安心させる。

 無知ということもある。
(実際、無知だが……。)
それゆえに若い女性は、確信犯的に行動する。
「私はちゃんとしたビジネスをしている」と、信じ切っている。
だから客の方は、騙される。
言いかえると、あやしくない会社ほど、あやしいということ。
若い女性が、ソフトな言い方で電話口に出たら、まず疑ってかかる
それくらいの警戒心は必要。

 ……そう言えば、銀行にせよ、証券会社にせよ、ブラック企業に含めてもよいのではないか。
やっていることは、まさにブラックビジネス。
現金(マネー)は、神に近いか、悪魔に近いかと問われれば、悪魔のほうに、はるかに近い。
その悪の権現(ごんげん・化身)が、銀行であり、証券会社ということになる。

●老人組よ、警戒しよう!

 ともあれ、我ら、老人組は、警戒する。
この先、この種のブラックビジネスは、ふえることはあっても、減ることはない。
たとえば闇金融にしても、今では「ソフト闇金融」というのまで横行しているそうだ。
それがどういうものかは、宝島社の「ブラックビジネス」を読んでみたらよい。

 それにしてもまあ、よくもここまで考えるものだと、感心する。
……ということで、今朝は、かなり人間不信に陥っている。
ズルイ人間は、どこまでもズルイ。
だから……。

 どう生きるか。
どう死ぬか。
もうひとつ加えれば、どう自分を守るか。
老後を生きる、これが3本の柱ということになる。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW はやし浩司 ブラックビジネス ブラック企業 老人組みの生き方)


Hiroshi Hayashi+++++++May. 2012++++++はやし浩司・林浩司

●老後の住居(終の棲家と帰巣本能)

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

老後をどこで、どのように過ごすか?
ときどき、そんなことを考える。
もちろん第一の候補地は、この浜松市ということになる。
ちょうど40年+半年、住んだことになる。
しかしここは私の故郷ではない。
知り合いはいるが、知り合いという程度。
どの人も、表面的なつきあいだけ。
花にたとえるなら、私は、水耕栽培で育ったチューリップのようなもの。
「根」そのものが、地面についていない。

で、私としては、老後は、故郷の美濃市、もしくはその周辺に住みたい。
最期は、そのあたりで自分の人生を終えたい。
心のどこかで、いつも、そう考えている。

が、ワイフは、「いや」という。
美濃の町を、よほど嫌っている……らしい。
一方、この浜松は、ワイフの故郷。
7人の兄弟姉妹は、いまだ、健在。
「いや」という理由は、よくわかる。

私「もし、ぼくが美濃に戻ると言ったら、どうする?」
ワ「私は、行かないわ」
私「だったら、離婚ということになるよ」
ワ「そのときはそのとき。また考えましょう」と。

……こんな会話を、すでに何十回も繰り返してきた。
堂々巡りというか、結論は、いつもあいまい。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●夫婦

 夫婦といっても、基本的には他人。
溶け合える部分もあるが、そうでない部分も、ある。
その溶け合えない部分をどうするか。

 もちろん内容にもよる。
ワイフは熱い風呂が好き。
私は、ぬるい風呂が好き……というような部分は、どうでもよい。

しかし時として、人生観の根幹にかかわるような問題もある。
人生観、育児観、哲学など。
老後の住、つまり終の棲家(ついのすみか)もそのひとつ。
そういったもので違和感を覚えると、とたんに「他人意識」が強くなる。
「やはり他人だな」と。

●一心同体

 技術的には、同居は可能。
共助共存。
が、そのレベルを超え、一心同体となると、ことは簡単ではない。
それこそ10年、20年単位で、苦楽を共にしなければならない。
が、それには共通の基盤がなければならない。
共通の目標、共通の価値観……。

 「たがいの愛と理解で克服」などという、生やさしいものではない。
寛容と妥協、それを許す度量の広さ。
さらに平たく言えば、「あきらめ」。
結婚生活というのは、まさにその連続。
それなくして、結婚生活というのは、成り立たない。

 が、私のワイフは、「いやよ」と言う。
オーストラリアや東南アジアならよいが、私の故郷の美濃市は、「いやよ」と。
理由はよくわからないが、魚ひとつ取りあげても、口に合わないらしい。

「岐阜の魚は、ヌルヌルして、気持ち悪い」と。

 川魚というのは、そういうものなのだが……。

●夢と現実

 そこで私なりにシミュレーションをしてみる。
「はたして美濃の、あの町に住めるか」と。
つまり(夢)と(現実)の間には、大きな距離がある。
今までにも、そういう経験は、何度かしてきた。
「最期は故郷で……」と思う気持ちはあっても、現実には、それはむずかしい。

 で、先ほど私は、「水耕栽培で育ったチューリップのようなもの」と書いた。
が、故郷の美濃市となると、すでに「根」そのものを切られている。
知人、友人といっても、もちろん昔の知人、友人とは、ちがう。
考え方も、大きくちがう。
気軽にあいさつ程度のことはできるかもしれない。
が、それ以上に、彼らの世界に入り込んでいく自信はない。
ここ浜松で感ずる孤独感以上の孤独感を、覚えるかもしれない。

 だから最期は、この浜松で……となる。

●晩年の母

 ところで私の実母は、最期の2年間を、この浜松市で過ごした。
1年は、私の自宅で。
つぎの1年は、近くの特養で。

 その特養でのこと。
母はしきりに、生まれ故郷のK村に帰りたがった。
何度も私に、せがんだ。
一度、脳梗塞で倒れるまで、それはつづいた。

 そういった症状は、どの老人にも見られるらしい。
ホームのヘルパーの人たちは、こう言った。
「老人は、みな、そうですよ」と。

 ……ということは、私とて例外であるはずがない。
私も、最期に近づけば近づくほど、帰巣(きそう)本能が強くなるかもしれない。
事実、このところ、それをときどき感ずる。
「ここで死ぬのはいやだな」という思いが、そのまま「故郷で死にたい」という思いに変わる。

●老後の問題

 老後には老後の問題が、山のようにある。
これもそのひとつ。
つまりこの先、何かにつけ、じっと耐えて生きていく。
心の壁にペタリと張りついた不完全燃焼感に、じっと耐えて生きていく。
老後の住居問題だけではない。
もろもろの問題が、薄い地層のようになって、心の中に山積する。

 孤独、不安、心配、健康問題などなど。
が、どれも、自分の力では解決できない。
「命」の壁が、大きく立ちはだかる。
つまりどうしようもない。
どうしようもないから、じっと耐える。
耐えて生きるしかない。

●結論

 「老後は故郷で……」というのは、言うなれば、わがまま。
ぜいたく。
それまで、「浜松」という「地」があるだけでも、御の字。
感謝しなければならない。
というのも、そういうわがままや、ぜいたくができる人のほうが、はるかに少ない。

 反対に地元に残った人には、地元に残ったという不完全燃焼感があるかもしれない。
先日、高校の同窓会に出たときも、そう言った男性が、1人いた。
「私は生まれも育ちも、そして今まで、この美濃町を一歩も出たことがありません」と。

 自慢して、そう言ったのではない。
どこかさみしそうな言い方だった。
それを思えば、自由に、空をはばたくことができた私は、幸福だったかもしれない。

 で、その点、私のワイフは、正直な人だ。
そのままストレートに心の内を表現する。
「いやよ」と。

 それはその通りで、もし私が逆の立場だったら、やはり同じように言うだろう。
「いやだ」と。

 で、このエッセーの結論。

 老後というのは、耐えて生きるもの。
それがいやなら、できるだけ自分の心をごまかして生きる。

そういう心の操作が、加齢とともに、ますます必要になってくる。

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