Education in Front-Line and Essays by Hiroshi Hayashi (はやし浩司)

(Mr.) Hiroshi Hayashi, a professional writer who has written more than 30 his own books on Education, Chinese Medical science and Religion in Japan. My web-site is: http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/ Please don't hesitate to visit my web-site, which is always welcome!!

Tuesday, August 31, 2010

●虚しさについて

【雑感】(9月1日)「虚しさ」をテーマに

●老いる

 老いることは、たしかにさみしい。
失ったもの、去っていった人たち、なくした時間などなど。
そういった思い出が、波打ち際にヒタヒタと打ち寄せる波のようにやってきては、
また去っていく。

 さみしいと言えば、さみしい。
さみしくないと書けば、嘘になる。
しかしそのさみしさに、時として、酔いしれる。
静かに時の流れの中に身を置き、ふと涙ぐむ。
それが老いるということではないか。

 ときどきあのときの、あの人は今ごろ、どうしているだろうと思う。
元気でいるだろうか。
それとも、もう亡くなっているだろうか。
確かめる方法がないわけではない。
しかしそれを確かめたところで、どうなる?
そのあと何をする?

●虚しさ

 定年後の再就職という言葉もある。
しかし定年後の再就職というのは、若いときの就職とは、本質的にちがう。
もしだれかが私にこう言ったとしよう。
「一生懸命がんばってください。10年後は、課長になってもらいます」と。

 しかしそんな申し出に応ずる人はいない。
課長職に魅力を感ずる人はいない。
またその目的のためにがんばる人もいない。
私たちはすでに、その虚しさというのを、いやというほど知っている。

 ただ私のばあい、その虚しさを、オーストラリアで学生をしていたころ知った。
当時の日本は、まさに高度成長期。
だれもが迷わず大企業を選択し、出世を夢見て、企業戦士としてがんばった。
当時の日本で、つまり日本の若者たちの中で、その虚しさを知っている人は、
いったいどれくらいいただろうか。

●教育学博士?

 ところで昨日、アグネス・チャンというタレントについて書いた。
肩書は「教育学博士」ということになっているが、教育学の博士?
(教育学だぞ!)
何度かテレビで講演をしているのを聞いたことがあるが、私は何も得るものはなかった。
専門用語もまったくと言ってよいほど、口から出てこなかった。

たとえば日本では、「○○大学教育学部教授」という肩書を使う人はいる。
しかし「教育学博士」という肩書を使う人はいない。
が、その博士?
私よりはるかに高い立場にいる人ということになる。
私よりはるかに高い見識と学識のある人ということになる。

 ああいうタレントが、(いくら肩書きがそうであっても、私は学者とは認めない)、
教育者として活躍しているのを見ると、いつもある種の虚しさを覚える。
恐らくその虚しさは、アフリカやアジアのへき地でボランティア活動をしている人が
感ずる、それと同じではないか。
ああいう一部のはねあがった人たちが、底辺でまじめにがんばっている人たちの心を、
平気で踏みにじる。

 難民救済活動?
アフリカの難民救済活動?
ふつうの常識のある人なら、そんなおこがましいことはとてもできない。

●偽善

 生きることには、いつも連続性がある。
その人がその人になるには、その土台に過去とのつながりがある。
それを連続性という。

 たとえば教育学博士であるにしても、日本ユニセフの親善大使であるにしても、
そこに至る過去があるはず。
つまり積み重ねがあるはず。
さらに言えば、その周辺に、心理学でいうところの役割形成があるはず。
つまりその人らしい、(それらしさ)があるはず。

たとえば大学の教壇に立って、教育者を教育したという経験、あるいは街中のホーム
レスの人たちの食事をしたという経験。
さらに言えば、学校の先生たちを指導しているという経験、(子どもたちを教えている
という経験でもよい)、あるいは孤児を預かって世話をしているという経験。
それがここでいう(それらしさ)。
そういうものをいっさい省略して、いきなり「王手!」は、ない。

 が、中には、(アグネス・チャンがそうというわけではないが)、善意ある人たちから
金をまきあげ、貧しい人たちを利用して、自分の利益や名声につなげていく人もいる。
私の恩師の松下哲子(のりこ)先生(幼稚園元園長)は、いつもこう言っていた。
「林さん(=私)、悪人の餌(えさ)にだけは、なってはいけませんよ」と。
悪人の餌になることは、自分で悪事をすることより、悪いことという。
その餌に、私たちはなっていないか?

一度、アグネス・チャンという人を観察しながら、私たちはそれを冷静に見つめなおして
みる必要がある。

 また雑誌や写真雑誌の報道によると、同じ日本ユニセフの重鎮であるKT氏は、
写真撮影のときだけ、やせ細った難民の子を抱きあげ、そのあとすぐ体中を消毒して
いたという。
もしこれが事実とするなら、これほどまでに悪意に満ちた偽善はない!

●30兆円

 つい1か月ほど、「砂漠に水をまくようなもの」と書いた。
案の定、政府の対策は、何ら効果をもたらさなかった。
もたらさなかったばかりか、かえって円高を誘導してしまった。
某新聞は今朝になって、「焼け石に水だった」と書いている。

 私のようなド素人にもわかるようなことが、どうして日銀の総裁や政府の指導者
たちに、わからないのだろう。
30兆円もバラまけば、その後遺症はかならずあとになって出てくる。
そのときが、心配。
へたをすれば、ハイパーインフレ!
日本経済の崩壊は、可能性の問題ではない。
時間の問題。
それが秒読み段階に入った。

 日本と中国は2010年になって、16%以上も株価をさげている。
注視すべきは、その中国。
バブル経済が音をたてて崩れ始めている。
その威力は、ドバイショックの1000倍以上と言われている(某経済誌)。

 また今年になって、6~7年も書きつづけてきた『日韓経済戦争』の記事を
停止した。
「今さら、何を!」と言った状態になってしまった。
この虚しさ。
脱力感。

 イルボネ(日本人)よ、もう少し外の世界を見ろ!
緊張感をもて!
このままでは、日本は本当に沈没してしまうぞ!

●JAL問題

 JAL問題は、日本の官僚社会の縮図。
そう思って、日本の官僚社会を見ればよい。

 今の日本にとって重要なことは、JAL並みに、日本の官僚社会を破綻させること。
公務員の数を、半減、もしくは3分の1にすること。
人件費を減らし、無駄を省くこと。

 日本という国そのものが、JALと同じ問題をかかえている。
「一度日本経済を破綻させるしかない」と考えるのではなく、「破綻する前に、やるべき
ことはやる」。
それが官僚社会の破綻。
……というか、行政改革の大断行。
ふつうの「改革」では、だめ。
「破綻」に近い、「改革」。
それにはちゃんとした理由がある。

 今のまま日本経済が破綻したら、イのいちばんに復活するのも、また官僚社会という
こと。
敗戦直後の日本を見れば、それがわかる。
あの文部省にしても、敗戦と同時にクビになった役人は1人もいない。
もっとも早く、きちんとした給料を受け取ったのは、ほかならぬ役人たちであった。
次回もそうなる。

●民主党の小沢一郎

 民主党が、解党か沈没かという瀬戸際に立たされている。
仮に小沢一郎が党首になり、総理大臣になったら……。
現在、小沢一郎の支持率は、15%前後。
たったの15%前後。

「私が党首になれば、支持率は回復する」というようなことを言っている。
そうかな?
そうなるかな?
小沢一郎は、現実検証能力を完全に失っている。
つまり外から見た自分の姿が、わからなくなっている。
これは日本人の私たちにとっても、たいへん悲しむべきことと考えてよい。
そういう人物が総理大臣に就任したら、それこそ日本はメチャメチャになってしまう。

 なお小沢一郎は、どこかの講演で、尊敬すべき人物として織田信長をあげている。
中日新聞8月26日(2010)は、つぎのように報道している。

『……講演の中で尊敬する人物として、ふだんはあまり挙げたことのない好戦的な
織田信長に言及したのも、不気味といえば不気味』と。

 アノネ、織田信長は、民衆のために立ちあがった人でも、また日本の民主主義を
求めて立ちあがった人でもないノ!
ただの餓鬼。
権力の亡者。
『世界の暴君』という本があるが、その中でも1、2を争う暴君。
そういう頭の狂った人を尊敬して、どうする?

 ……ということで、「虚しさ」についての原稿はおしまい。
今朝のテーマは、「虚しさ」。
本当にこの世の中、考えれば考えるほど、虚しさばかりが襲ってくる。
まじめに生きるのが、バカバカしくなる。

 が、がんばるしかない。
今朝もメールで相談が、3通も届いている。
まずそれから返事を書こう。

 今日から9月1日。
2010年9月1日。
気温は早くも26度。
今日も30度を超えそう。
おはようございます。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW はやし浩司 日本ユニセフ アグネスチャン アグネス・チャン 霊感商法 教育学博士 小沢一郎 民主党 はやし浩司 JAL問題)


Hiroshi Hayashi++++++++Sep. 2010+++++++++はやし浩司

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子育て最前線の育児論byはやし浩司   10年 9月 1日
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2010年9月1日  第1407号になりました!

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【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【老後の私たちの生活】

●韓国=日本、日本=韓国

++++++++++++++++

国際的な視点から見れば、日本と
韓国は双子。
双子のようによく似ている。
日本人がデンマークとオランダを
区別できないように、世界の人もまた
日本と韓国を区別できない。

外観ばかりではない。
中身もよく似ている。
今朝の朝鮮N報に、気になる記事が
2つ載っていた。
ひとつは、親の学歴が子どもの学歴、
成績、収入に影響を与えるというもの。

もうひとつは、韓国でも高齢者の
貧困問題が、顕在化してきたということ。

一部を抜粋して、ここに掲載する。

+++++++++++以下、朝鮮N報より抜粋、転載++++++++++

●親の学歴(以下、朝鮮N報より一部、転載)

 ……子どもの修能試験の成績やTOEICの点数、就職後の給与水準は、保護者の学歴や経
済力などによってどれほど格差が生じているのだろうか。取材班はこの点について、韓国
開発研究院のキム・ヒサム研究員に分析を依頼した。キム研究員は、農山漁村以外の地域
に住む勤労者世帯5000世帯を対象に、保護者の学歴や経済力などの指標ごとに、子どもの
修能試験の成績、TOEICの点数、就職後の初任給の水準を算出した。

 その結果、大学に入学するための第一関門となる修能試験の成績は、保護者の学歴など
によって差が生じていることが分かった。両親とも大卒の場合、子どもの修能試験の平均
点は256.2点で、両親とも高卒以下の場合(236.4点)に比べ19.8点高い結果となった。

 保護者の学歴や経済力などによる差が最も大きかったのは、就職に必須とされるTOEIC
の点数だった。世帯所得が100万ウォン(約7万1000円)増えるにつれ、子どものTOEIC
の点数は21点ずつ高くなった。また、両親とも大卒の場合、子どものTOEICの平均点は
741.9点となり、両親とも高卒以下の場合(667.6点)に比べ74.3点高い結果となった。

 こうした英語力における格差は結局、子どもが就職した後の賃金にも結び付いている。
両親とも大卒の場合、初任給の平均は202万9009ウォン(約14万4700円)である一方、
両親とも高卒以下の場合は、156万4458ウォン(約11万1600円)にとどまった。
(朝鮮N報・2010/8/3)

●貧困化する高齢者

 韓国の高齢者の35.1%が貧困状態にあることが分かった。

 国民年金研究院のソク・サンフン研究員が2日、「年金フォーラム」夏号に発表した報告
書によると、昨年、韓国の高齢者の35.1%が、最低生計費(二人家族の場合、1カ月86万
ウォン=約6万3500円)に満たない貧困層に属していた。

 これは、昨年の韓国全体の人口に占める貧困率(14.1%)の2.5倍以上だ。高齢者世帯の
貧困率は、2006年には30%だったが、07年には31%、08年には32.5%と、毎年増加の一
途をたどってきた。

 2008年から、老齢基礎年金の制度が施行されたが、これが高齢者の貧困状態を緩和する
効果はまだ限定的だという。

 老齢基礎年金は、65歳以上の高齢者のうち、低所得層に属する70%の人たちに対し、一
人暮らしの場合は最高で月9万ウォン(約6650円)、夫婦の場合は最高14万4000ウォン
(約1万1000円)=ともに2010年8月現在=の年金を支給する制度だ。
(朝鮮N報・2010/8/3)

+++++++++以上、朝鮮N報より、抜粋転載+++++++++++

●深刻な社会問題

 「韓国も、いろいろたいへんだな」と、私は思った。
2つの記事を読んで、身につまされた。
とくに高齢者の35%が、1か月の最低生活費が、6万3500円以下の貧困層に
属しているという記事には、ぞっとするような恐怖感さえ覚えた。
この額は、私がこの先支給される、国民年金額とほぼ同じ!
しかし現実問題として、6万3500円で生活していくのは、不可能。
財産を切り売りし、貯金を取り崩して、生きていくしかない。
が、それとて何年もつことか?

 たまたま昨日も、30年来の友人であるS氏と電話で話した。
私と同年齢。
昭和22年生まれの団塊の世代。
S氏は、市の職員を定年(60歳)まで勤め、昨年まで公的機関で働いていた。
で、今は、それまでの趣味を生かし、農園業を営んでいる。
たまたまS氏の妻が、農業資格をもっていたこともあり、農地を安く手に入れること
ができた。

「いいですね。まさに悠々自適の老後生活ですね」と言うと、S氏はどこか
うれしそうだった。
つまりS氏は若いころから、現在の生活を目標にし、生きてきた。
「目標にしてきた」というよりは、今という将来を見据えながら、仕事をしてきた。
だから2人の息子がいるが、必要以上に学費は出さなかった。
自分たちの老後の資金を確実に蓄えながら、質素に生きてきた。

 一方、この私は、そのときどきを無我夢中で生きてきた。
将来のことなど、ほとんど考えなかった。
「何とかなるだろう」とは思っていたが、そこまで。
収入のほとんどを、息子たちの学費として使ってしまった。
つまり典型的な親バカ!

 だから今は、こう言うようにしている。

「息子や娘に、勉強しろなんて、言ってはいけませんよ。
言えば言うほど、あとあと、責任を取らされます。
息子や娘が、『大学へ行かさせてください』と3度頭をさげるまで、学費など、
出してはいけませんよ」と。

●高学歴

 その一方で、(高学歴の親ほど)→(収入が多く)→(子どもの学費にお金がかけられる)
→(そのため子どもも高学歴)になる。
その結果が、朝鮮N報の1つめの記事ということになる。
 
 が、こんな調査結果もある。

++++++++++以下、内閣府、平成21年調査より++++++++++

●第8回世界青年意識調査より

(将来、親のめんどうをみるか?)

年老いた親を養うことの意識は、欧米に比べ、日・韓で弱い。

●年老いた親を養うことについてどう思うか

『どんなことをしてでも親を養う』(1)

イギリス66.0%、
アメリカ63.5%、
フランス50.8%、
韓国35.2%、
日本28.3%

●将来、子どもにめんどうをみてもらいたいか?

自分の子どもに老後の面倒をみてもらいたい日本の青年は5割弱で、韓国に次いで低い。

●「自分の子どもに老後の面倒をみてもらいたい」と思うか
『そう思う』(2)

イギリス70.1%、
アメリカ67.5%、
フランス62.3%、
日本47.2%、
韓国41.2%

++++++++++以上、内閣府、平成21年調査より++++++++++

●親のめんどう

 「将来どんなことをしてでも親のめんどうをみる」と答えた若者は、日本人の
ばあい、28・3%しかしない。
たいていは「経済的に余裕があれば……」という条件をつけている。
しかし「経済的余裕」とは何か。
みな、それぞれに目一杯の生活をしている。
経済的余裕がある人など、いない。
言い替えると、「親のめんどうはみない」ということになる。

 が、その一方で、「将来は子どもにめんどうをみてもらいたい」と。
上記(1)と(2)の数字をよく見比べてみてほしい。

 イギリス、アメリカ、フランスの若者たちの意識は、それぞれ拮抗(きっこう)
している。
「親の面倒はみる」「だから私たちもみてほしい」と。
が、日本のばあいは、かなり内容がちがう。

「親の面倒はみない」「しかし子どもには、めんどうをみてほしい」と。
つまり自分勝手。

 もう一度、上述、「28・3%」という数字と、「47・2%」という数字を
よく見比べてみてほしい。
これがそこにある「現実」ということになる。
だから私は言う。

『3度、頭をさげさせろ!』と。
私のばあい、息子たちには、それをさせなかった。

●ワイフの意見

 ただ残念なのは、この点については、私とワイフとでは、大きく意見がちがう
ということ。
ワイフは、「これでよかった」と、いつも言っている。
私が「ぼくは親バカだったよ」と言うたびに、「あなたが勝手にしたことでしょ!」と
言い返す。

 そうかもしれない。
そうでないかもしれない。
ワイフには、自分で働いたという経験がない。
実社会のきびしさを知らない。
これからの老後の資金についても、「お金は天から降ってくるもの」と思いこんでいる(?)。
だから、率直に言って、話にならない。

 が、私はちがう。
だから友人のS氏には、こう言った。
「ぼくは死ぬまで仕事ですよ」と。
あとはできれば、ピンポク。
その前日までピンピンと働いて、その日、ポックリと死ぬ。

私「ピンポクできれば、御の字ですよ」
S「そうですかア? 私はがんで死ぬほうがいいなア」
私「どうして?」
S「そのほうが時間をかけて、身の回りの整理ができるから……」と。

 同じように生きてきた世代だが、考え方は、人それぞれ。
みな、ちがう。
そう思いながら、私は電話を切った。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 
BW はやし浩司 総理府 青年意識調査 将来親の面倒をみるか 親のめんどう 老後
の親のめんどう はやし浩司 内閣府 意識調査)

 
Hiroshi Hayashi+++++++Aug. 2010++++++はやし浩司

【重い心】

私のばあいの解決法

+++++++++++++++++++++

このところ生きていることに、(重さ)を感ずる
ようになった。
「石を引きずるよう」とか、「足が重い」というのでは
ない。
それとは少し意味がちがう。
生きていることに、ある種の負担感を覚えるように
なった。

+++++++++++++++++++++

●10年

 「生きなければ・・・」という思いは強い。
が、その一方で、「同じことを繰り返して、何になるのか?」という
思いが、心をふさぐ。
たとえばどこかのだれかが、私にこう言ったとする。
「うちの会社へ来なさい。10年がんばれば、課長にしてあげる」と。

 今の私なら、いくら生活に困っていても、即座に、その申し出を断る
だろう。
そんなところで、10年も過ごしたくない。
若いころならともかくも、これからの10年は、金の砂時計のようなもの。
刻一刻と、「命」は短くなっていく。
金銭的な尺度で、その価値を測ることはできない。
それに・・・。
「課長になったところで、それがどうなのか?」と。

●回顧性

 が、その一方で、「このままでいいのか」「何かできるはず」
という思いも、これまた強い。
人生に対する悔恨の念も生まれつつある。
「あのとき、ああすればよかった」「こうすればよかった」と。

 若いころは、前しか見なかった。
「見えなかった」と書くほうが正確かもしれない。
だから失敗をしても、「取り返せばいい」とか、「やり直そう」とか、
そんなふうに考えた。
またそんなふうに考えることによって、失敗を乗り越えることができた。
が、今は、ちがう。
ちがうから、どうしても過去を振り返ってしまう。

 心理学の世界でも、老齢期になればなるほど、回顧性が強くなると
教える。
「回顧性」といっても、過去をただ懐かしむというのではない。
そこには当然、「悔恨の念」も含まれる。
それには理由がある。

●気力

 気力は、体力に比例する。
東洋医学(漢方)では、気力と体力を区別しない。
つまり若いころは、精神のもろさを、気力でカバーすることができた。
何かつらいことや、さみしいことがあっても、気力でそれを乗り越える
ことができた。
が、気力が弱くなると、精神のもろさが、そのまま表に出てきてしまう。
そのため私のように、もともと落ち込みやすい人間は、ふとしたことで
すぐ落ち込んでしまう。
しかもその回数、程度が、加齢とともに、多くなり、深くなってきた。

 が、何よりもこわいのは、気力の陰に隠れていた邪悪な人間性が、
そのまま表に出てきてしまうこと。
このことは、近くの老人を観察してみるとよくわかる。

●脳みその底の穴

 精神的な進歩は、何歳まで期待できるか?
いろいろな説があるが、生活が定型化すると、そこで進歩は止まる。
そう考えてよい。
ものの考え方が保守的になり、さらにひどくなると、殻の中に閉じこもるよう
になる。
が、それだけではない。
進歩が止まると、その瞬間から、脳みその底に穴があいたような状態に
なる。
知恵や知識が、どんどんと外にこぼれ出て行く。
つまりその時点から、進歩は止まるどころか退化する。
健康論に似ている。
究極の健康法がないのと同じように、究極の精神鍛錬法というのはない。
日常の運動をやめたとたん、その人の健康は、下り坂に向かう。

●現状維持

 だからただ精進あるのみ、ということになる。
死ぬまで運動。
死ぬまで学習。
が、いくらそれがわかっていても、このところそういう自分に疲れを
覚えるようになった。
それが冒頭に書いた、(重さ)につながる。

「だからそれがどうしたの?」と自問したとき、その答がはね返って
こない。
現状維持だけで精一杯。
だったら、この先、このまま生きていてどうなるのか、と。
ものごとを、そういうふうに考えてしまう。

●もうひとつの問題

 実は、私にはもうひとつ問題がある。
(表の私)とは別に、心の中にもうひとり、(抑圧された私)がいる。
この(抑圧された私)が、ときどき顔を出して、別人格になって現れる。
(表の私)を私Aとし、(抑圧された私)を私Bとする。

 私Aと私Bは、性格が正反対。
私Aは、さみしがり屋で孤独。
私Bは、自信に満ち溢れ(?)、孤独に強い。
ときとばあいに応じて、私Aが私Bになったり、私Bが私Aになったり
する。

・・・というか、自分で自分を使い分ける。
何かいやなことがつづくと、私は私Bになる。
心の中で、割り切ってしまう。
そういう点では、冷酷になる。

 が、本来の私は、私A。
自分でもそれがよくわかっている。
わかっているから、私Bであったときの自分を、よく後悔する。
「どうしてあんなことを、したのか!」と。

●束縛感

 では、どうすればいいか?
本来なら、自分にまつわる「糸」を取り外すのがよい。
子育ても終わった。
親の最期もみたし、実家にもケリをつけた。
「人」としてやるべきことは、すべてした。
が、いまだに束縛感を覚える。
その束縛感も、(重さ)につながっている。

 が、自由がよいかというと、そうでもない。
私の中には、私Aがいる。
その私Aが、迷う。
自由を求めながら、ではひとり(=独り)で生きていかれるかというと、
どうもその自信がない。
ないから、妥協する。

●あきらめ

 妥協は常に寛容を要求する。
「妥協」というのは、基本的に「自分をねじ曲げること」を意味する。
一方、「寛容」というのは、基本的に「相手を受け入れること」を意味する。
方向は逆だが、中身はよく似ている。

 ・・・ここまでを中学2年生のNさんに話したら、Nさんはこう言った。
「どちらも、あきらめることね」と。
鋭いことを言う。
しかしそれには多大なエネルギーを必要とする。
ふつうの人なら、それほど長くは耐えられない。
それに妥協するにせよ、寛容であるにせよ、そこにいたるには、長くて
苦しい人生経験が必要。
言葉の問題ではない。
つまり口先だけで、できることではない。

●総決算

 結局は私が感じている(重さ)というのは、人生の総決算としての
(重さ)をいう。
このところよく、「私の人生は何だったのか」とよく考える。
が、いつも答がない。
「何かをした」という実感がない。
ないまままた同じことを繰り返す。
「これではよくない」と思いつつ、一日が終わってみると、やはり同じ。
それが日々に、水垢(みずあか)のように、心の中にたまっていく。

 このやるせなさ。
この無力感。
だからといって、未来は暗いまま。

●死への希望?

 そういえば、数日前、映画評論家のX氏が自殺した。
日本テレビの11PMという番組の中で、映画評論をしていた。
スタジオのそでで、ときどき彼の評論を聞いたことがある。
が、年齢を聞いて、驚いた。
まだ66歳だったという。
当時は、私よりずいぶんと年上と思っていた。
「いろいろあったんだろうな」と思ったところで、思考停止。
「明日はわが身かな?」と思う。

 だからときどきこう思う。
「この重みから逃れるには、死ぬしかないのか」と。
まだ(重み)が小さいからよいようなものの、これが耐えられないほど
までに大きくなったら・・・。
私だって、「死ねば楽になれる」と思うようになるかもしれない。

●希死願望 

 毎年、自殺者が3万人を超えている。
そのうち40%以上が、40~50代の中高年層という。
最近は、60歳以上の自殺者がふえている。

 こうした自殺者についていうなら、これはあくまでも私の経験だが、2人の自分が、
心の中で葛藤する。
「生きなければ」と考える自分。
「楽になりたい」という自分。

こうした2つのエネルギーが真正面からぶつかったとき、行動が自暴自棄になる。
私のばあいは、無謀とわかっていても、炎天下、10キロ、20キロの道のりを
歩いたりする。
歩くことによって、2人の自分を忘れようとする。
が、この程度ならまだ軽症。
ひどくなると、明らかな自傷行為に走るようになる。
それが最終的には、自殺につながっていく?

●解決法

 ともあれ(重み)を感じたら、気分転換あるのみ。
気分転換をして、気分を晴らす。
「重い」「重い」と思っていると、かえってそれがどんどんと重くなってしまう。
またそう思ったところで、何も問題は解決しない。
へたをすれば、そのまま(うつ状態)に。

 旅行、温泉、買い物、人に会う……。
いろいろ考える。
「どれをするか?」という問題ではない。
片っ端から、すべてをする。

 ということで昨日(8月4日)は、30年来の知人の家で、数時間を過ごさせて
もらった。
それから孫の誠司に、DS・LLを買ってやった。
おとといの夜は、ドライブの途中でビジネスホテルに一泊した。
今の時期だと、2人で5800円(朝食付き)で泊まれる。
……などなど。
が、いちばん効果的なのは、子ども(生徒)たちと、ワイワイと騒ぐこと。
その瞬間、気分がカラッと変わる。

 どうであるにせよ、ともかくも、私は生きていかねばならない。
今までも、ずっとそうしてきた。
これからもそうする。
ということで、今日も始まった。
2010年8月5日、午前6時25分。
これから朝風呂に入る。


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●今朝、あれこれ(8月1日)Aug 1st 2010

●だまされた人(Those who are cheated.) 

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だまされた人は、幸いなるかな。
損をした人は、幸いなるかな。
裏切られた人は、幸いなるかな。
それによって失った以上のものを、
心の中に蓄えることができる。

が、それにはひとつ、重要な条件がある。

だまされても、損をしても、
裏切られても、相手憎んではいけない。
恨んでもいけない。
ある賢者は、こう言った。

『人を憎む人は、ネズミを追い出す
のに、家に火をつけるようなもの』と。
解釈の仕方はいろいろあるだろう。
それよりも大切なことは、豊かな
人間性を失うことなく、前に向かって
生きていくこと。

憎んだり、恨んだりすれば、生き様が
どうしても後ろ向きになる。
その分だけ、「命」を損する。
その「損」は、金銭的尺度では、
計ることはできない。

++++++++++++++++

●中学生

 昨日、コンビニの前で、プリンターのインクセットが盗まれた。
盗んだのは、横に自転車を並べていた中学生だった。
私がトイレへ入る瞬間、私と視線が合った。
どこか不自然な目つきだった。
「?」と思ったが、私は何も考えずそのままトイレへ。
その間に、私の自転車のかごの中から、インクセットを盗んだ。
トイレから戻ってみると、それが消えていた。
値段は5000円前後。

 インクセットなどというものは、プリンターによって、みなちがう。
盗んだからといって、すぐ使えるものではない。
瞬間、頭にカチンときたが、つぎの瞬間、「あんなもの盗んでどうするのだろう」と思った。
「どこかで換金するつもりなのだろうか」とも。

●結果

 心の貧しい人は、どこにでもいる。
子どもの中にもいる。
ここに書いた中学生も、その1人。

まだ人生の入り口にも立っていなような子どもが、人の目を盗んで、ものをかすめる。
一度ゆがんだ心をもとに戻すのは、たいへん。
たいへんというより、不可能。
その子どもはこの先、「得をした」と思いつつ、それ以上のものを、失っていく。
損得論を金銭的価値だけで考えてはいけない。
心の世界で、考える。

おそらく死ぬまで、その中学生は自分の愚かさに気づくこともないだろう。
回り道に回り道を重ね、悶々とした気分で、自分の人生を終えるだろう。
私の周辺にも、似たような老人は多い。
結果として、そうなった老人は多い。

●回り道

 人生の真理などというものは、そんな遠くにあるのではない。
私たちの身の回りにあって、私たちに見つけてもらうのを、静かに待っている。
ウソをつかない。
ルールを守る。
たったそれだけのこと。
その日々の積み重ねが、月となり、年となり、やがてその人の人格となる。 

 もちろんその反対もある。
私はここで「回り道」という言葉を使った。
人生も永遠なら、多少の回り道も許される。
しかし人生には、限りがある。
一度回り道をすると、それを取り戻すのに、何倍もの時間と労力を無駄にする。
回り道が大きければ、取り戻す間もなく、この世を去る。
そういうことにもなりかねない。

●2つの心がけ

 ところで私は、つぎの2つのことに心がけている。
「心がける」ということは、言い換えると、私の精神的弱点ということになる。

(1)愚痴を言わない。
(2)ものごとにこだわらない。

 愚痴(Complain)も、こだわりも、うつ病を含む、もろもろの精神疾患の主症状である。
アメリカの精神医学会では、そう定義づけている。
つまり最近の私はささいなことにこだわり、愚痴をこぼすことが多くなった。
が、自分ではそれがわからない。
脳のCPU(中央演算装置)の問題だから、自分で気づくのはむずかしい。
うつ病にしても、病識のある人はまだ症状は軽い。
「私はなんともない!」とがんばる人ほど、あぶない。

 だから愚痴を言わない。
ものごとにこだわらない、となる。

●人を選ぶ

 話を戻す。

 「回り道をしない」という生き方の中には、「人を選ぶ」という意味も含まれる。
というのも60年も生きてくると、その人の生き様は決まってくる。
言うなれば化石のように、脳の中で固まってくる。
よほどの人でないかぎり、たがいに感化しあい、浄化しあうということは、ありえない。

 たとえばそこに小ずるい人がいたとする。
小ずるいと、そこに「小」という文字を入れるが、小ずるい人ほど、性質(たち)が悪い。
堂々とワルを重ねる人のほうが、まだつきあいやすい。
わかりやすい。
善悪の節目をよく心得ている。

 が、小ずるい人には、その節目がない。
善人のフリをして、ワルを重ねる。
あるいはその意識すら、ない。
だからそういう人とつきあっても、得るものは何もない。
ないばかりか、大きな回り道をすることになりかねない。

 『50歳を過ぎたら、つきあう人を選ぶ』。
これはとても重要なことである。

●金の貸し借り

 金銭的尺度という言葉で思いついた。
もしあなたが、その人と良好な人間関係を保ちたいと願っているなら、金(マネー)の
貸し借りはしてはいけない。
貸しても、借りても、それ以後、うまくいくというケースは、10に1つもない。
だから私は、若いときからこうしている。

 金(マネー)にかぎらず、モノの貸し借りはしない。
ローンにしても、ツケにしても、1週間以内に完済する。
まただれかが金(マネー)を借りに来たときは、相手によって、2分の1から
10分の1を、与える。
たとえば100万円を借りに来たときは、10~20万円を与え、「返さなくてもいい」
と、はっきりと言う、など。

 貸してあげたからといって、相手は、決してそれを恩には思わない。
返済がとどこおれば、なおさらである。
たいていそのまま人間関係は、終わる。
相手のほうが、理由にもならない理由をこじつけて、遠ざかっていく。

●8月1日

 冒頭で、こう書いた。

「だまされた人は、幸いなるかな。
損をした人は、幸いなるかな。
裏切られた人は、幸いなるかな。
それによって失った以上のものを、
心の中に蓄えることができる」と。

 言い替えると、人をだましたり、裏切った人は、それなりに得をしたと思うかも
しれない。
しかしその一方で、もっと大切なものを失っていく。
そしてその失ったものは、生涯にわたって、取り返すことはできない。
そこに残るのは、悪臭漂う、腐敗した人間性。
あの中学生の末路は、そうなる。

 さて、今日から8月。
暑い日がつづく。
がんばろう。
がんばるしかない。
で、今月の目標。

『日々に精進あるのみ!』だ!


Hiroshi Hayashi+++++++Aug. 2010++++++はやし浩司

●孤独

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時事通信にこんな興味ある記事が載っていた。
いわく……

『家族や友人、隣人に恵まれた高齢者は、孤独な高齢者に比べ、生き延びる確率が1.5倍
も高いと、米ブリガムヤング大などの研究チームが2日までに米オンライン科学誌プロス・
メディシンに発表した。孤独であることは、アルコール依存症やたばこを1日15本吸うの
と同じぐらい健康に悪いという。

 この研究は、世界で過去に行われた148種類、計約30万8900人を対象とする長期調査
をまとめて分析し直した成果。調査期間が平均7年半で、対象者の平均年齢は約64歳。男
女ほぼ半々で、地域別では北米51%、欧州37%、アジア11%、オーストラリア1%だった。

 研究チームは、人付き合いがある方が生存率が1.5倍高いというのは、けんかばかりし
ているような人間関係も含んでのことと指摘。日常的に人付き合いがあることは、心理面
だけでなく、体の健康に直接メリットがあるという』(以上、時事通信、2010-8-2)。 

+++++++++++++++++

●疑問

 この調査結果を見て、最初に感じた疑問は、「生き延びる確率」。
「生き延びる確率」とは何か。

また「対象者の平均年齢は、約64歳」だったという点。
この2つを並べて考えてみると、いろいろに解釈できる。
できるが、どうも釈然としない。

 つまり「調査期間(7年半)の間に、死んだ人と生き延びた人を調べたら……」という
ことらしい(?)。
孤独が老人の精神生活によくないことは、常識的に考えても納得できる。
また精神生活が貧弱になると、健康生活も貧弱になる。
運動もサボるようになる。
それ以上に、生活から緊張感が消える。
これがもろもろの病気を呼び込む。

 平たく言えば、「この7年半の間に、孤独だった人ほど、より多く死んだ」ということか。
「孤独な人のほうが、そうでない人よりも、1・5倍も死亡率が高い」(?)。
しかし「64歳」という年齢も気になる。
私は現在62歳。
もうすぐ63歳。
私の年齢は、世間では、そういう年齢に見られているらしい。
生存率?
活躍率や健康率ではなく、生存率?
つまり「死ぬのが当たり前」という前提で、考えられている。
イヤ~ナ感じ!
こんな調査をするくらいなら、反対に「前向きに生きる人の生存率」を調べてほしい。
そのほうが、私たちには、役に立つ。
励みにもなる。

Hiroshi Hayashi+++++++Aug. 2010++++++はやし浩司

●半夏厚朴湯(ハンゲコウボク湯)と水野伝一東大元薬学部長

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ハンゲコウボク湯を毎夜、寝る前に
服用するようになって、もう13年になる。
一度、田丸謙二先生(東大元総長補佐、
元理学部長)が私の家に来てくれたとき、
「林君(=私)も、のみなさいよ」と
先生に言われたのが、きっかけだった。

服用といっても、耳かき一杯程度で
じゅうぶん、とか。
一袋あれば、私たち夫婦でも、1~2
週間はもつ。
ごく微量でよい。

田丸謙二先生と、東大の元薬学部長を
していた水野伝一氏とは、同じ鎌倉に
住み、鎌倉テニスクラブのメンバーだった
という。
(現在は、水野氏は老齢のため、離脱。
田丸先生が前会長を務めていた。)
天皇陛下も当時、ときどきそのクラブで
テニスをしている。

前置きはこれくらいにして、ハンゲコウボク湯には、
強力な抗ガン作用があるという。
何かの研究をしているとき、水野氏はそれを
発見したという。
以来、鎌倉テニスクラブのメンバーの中に、
「ハンゲコウボク湯信者」なるものが、続々と
生まれたという(以上、田丸先生談)。

以下は、どうか参考程度に、自己責任で判断、
服用してほしい。
あくまでも医師もしくは、薬剤師と相談して
服用してほしい。

もともとハンゲコウボク湯というのは、
胃腸薬、あるいは女性の精神安定薬として
知られている。
ごくありふれた漢方薬である。
漢方薬局へ行けば、どこでも売っている。

が、ここで登場するのが、丸山ワクチンを
開発した、丸山千里博士である。
水野伝一氏と丸山千里博士とは深い関係にある。
丸山ワクチン開発史をかいま読むと、ところ
どころに水野伝一氏の名前が出てくる。
ともにがんの免疫療法の研究者であった。

が、ここで疑問。
丸山ワクチンのことは知らないが、
ハンゲコウボク湯については、先にも書いた
ように、ごく微量でよいとのこと。
「耳かきいっぱい程度でよい」という。
1グラムの1000万分の1、あるいは
1億分の1でもよい、と。
「耳かき一杯」というのは、それだけでも
たいへんな量ということになる。

なぜか。

つまりこれらのワクチンや薬は、がんに
直接作用して、がんを治すのではないという
こと。
脳(脳下垂体)を刺激して、人間が本来もつ
免疫作用を引き起こす。
「ほんの微量でいい」という理由は、こんな
ところにある。
一般の抗ガン性をもつ薬剤とは、治療メカニズム
そのものがちがう。

ということで、すでに13年。
今のところ私もワイフも、がんにはなっていない。
この先のことはわからないが、「信仰」には、
別のパワーがある。
「私たちはがんにはならない」という確信が、
私たちをどこかで元気にしている。
(もちろん油断するのもよくないが……。)

以上、久しぶりに田丸謙二先生のことを
書いたので、この原稿をこれから先生に送る。
前回のメールでは、「近くドイツへ行く」と
あったので、今ごろはドイツかもしれない。
今年は、空中窒素の固定化を成し遂げた
ハーバー博士の~~祭があるという。
その席に、田丸謙二先生が招かれているという。

すばらしいことだと思う。
2010/08/02


+++++++++++++++++++

●田丸謙二先生より

林様:メール有難うございました。唯田丸謙二について間違いがあります。もう(テニス
クラブの)会長でもないし、テニスクラブもまだ五十何年くらい、最古でもないし水野先
生が理研と関係したのも初耳、などなど。但し現在の会長は彼の父親も兄弟も、六十二、
三で胃ガンで亡くなっていますが、彼はハンゲコウボクトウを信じて毎日服用し七十過ぎ
の現在も元気です。私も今でもちょいちょい気休めに飲んでいますが、私の弟子の一人は、
あれは間違いであると言っていました。専門家の中では信じられていないみたい。
くれぐれもお元気で。
田丸謙二


Hiroshi Hayashi+++++++Aug. 2010++++++はやし浩司

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Monday, August 30, 2010

●アグネス・チャンという教育学博士

●アグネス・チャン. vs. 霊感商法(by大槻義彦氏)

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ホメオパシーについての情報を集めていたら、
今度は、アグネス・Cに関する
霊感商法疑惑問題が出てきた。

『しまねこ』さんのBLOGから、まず
その突破口を開いてみたい。

++++++++以下『しまねこ』さんのBLOG

●今度は霊感商法の疑い:アグネス・C

『「今度はアグネス・Cを叩きますよ!」
大槻教授に公言されちゃったアグネス・Cなんだけど、
パワーストンで霊感商法をやってるらしい
自らは豪邸に生活しながら、他人の金で
貧しい人々の救済をつづけるアグネス・C。

贅沢をするなと言うつもりはないが、偽善はいけない。
他人の金で手柄を自分の物にしている。

そんなわかりやすい偽善者のアグネス・Cの関係者が
詐欺まがいの商法をやってる疑いがもたれている。

この動画では、
アグネスCのアグネス大学の動画を
youtubeに投稿していたアグネス大学の関係者が、
怪しいパワーストーンを売っていた事実が告発されている。
現在問題のyoutubeの動画は削除済みである。
(抜粋)

●Yさんの日記より

うっはー。こりゃこりゃ。
折しも、ホメオパシーが俎上にあげられてる今、
いろんな所に飛び火しそうですね。

ホメオパシーに関しては、
劇的に効いたと言う人から直に話を聞いているので、
(たしかぜんそくだったか)
完全否定は出来ませんわ。

そういや今朝、「花まる」のVTRだかで
美輪明宏さんがチラッと江原さんの話をしてたけど、
今はどうなってんのかね?
まだ仲良しなんだろうか。

(以上、『しまねこ』さんのBLOGより)

++++++++以上『しまねこ』HPより++++++


●大槻義彦氏のコメント

++++++++++++以下、大槻義彦のHPより転載++++++++++++

既に皆様もご存知のとおり、アグネス Cは自分の写真を載せ、宣伝に努める販売会社Cズ(CHAN'S)で『健康食品』や『開運グッズ』を販売している。
その一つがなんと、『風水 パワーストーン』というものだ。『あなたの下降運勢を上昇にかえる』『開運パワー』というわけ。

このパワーストーンとやら、色とりどりで『水色は仕事運』が開け、『青は出世運』『ピンクは恋愛運』(笑)、『黄色は健康運』が開けるのだという。
『このストーンを手首に巻いておれば、この手首から運を呼び込む』のだそうだ。
つまり、アグネス Cの販売するこのような開運グッズは毎度毎度、性懲りもなく繰り返される霊感商法そのものではないか。

『黄色のパワーストーンを身につけておれば健康運が向いてくる』というのは、『この壺を買えば体の具合がよくなる』『この掛け軸を家に飾れば病気もよくなる』と売りつけるオカルト宗教団体と変わりがない。はっきりとした霊感商法である。

アグネスもカナダの大学を出たと公言している(正式の大学名は私には分からないし、正式の卒業であったのかも分からない)のだから、『腕首に黄色の石を巻けば体がよくなり、病気も改善する』という科学的、医学的理由を説明する責任がある。なぜ黄色かも。
もっといかがわしいのは、『五色霊芝』の販売がある。

このサプリメント(漢方薬?)は高価で1万8千円もする。『中国では古来より健康を維持する』妙薬として用いられたもの、とのふれこみ。『βグルカン』『有機ゲルマニウム』を含み、様々な病気に適応されるというのだ。

『現代の社会における環境汚染、加工食品の害、さまざまなストレスに適応される』とも説明されている。
『中国古代からの妙薬』だと?それがどうして『現代の環境汚染、加工食品の害』にあてはまるのか?そもそも霊芝というが、これはその辺に生える『マンネンタケ』のことではないか。マンネンタケは食用に適さない。毒キノコではないが、食用は不向きなだけでなく誤用は危険なのだ。

食用には適さなくても漢方薬としての効果はあるのではないか。
ところが、漢方薬について調べると、『正式の漢方では霊芝を含む処方はない』と明記されているではないか。抗がん作用についても、その他の病気治療効果についても『ヒトへの臨床報告は公には認められていない』となっている。まして、出血傾向の副作用、低血圧の副作用、末梢神経障害、尿路障害、腎障害などの副作用も指摘されている(一部、国立健康・栄養研究所)。

このようなことで、国民生活センターは『霊芝、とくに有機ゲルマニウムは貧血やガンに効くという薬効を否定、薬事法に抵触する可能性』を指摘している。
『アグネス大学入学案内』によると、『日本ユニセフ協会大使として貧しい人々の救済を続けるアグネス Cのような立派な人間になりたい方は入学を』と勧誘している。
私から言わせれば、『貧しい人々の救済と見せかけて、霊感商法をやり、薬事法抵触も疑われるものを販売するような人間になりたい方は入学を』と、なってしまうかも。

++++++++++++以上、大槻義彦のHPより転載++++++++++++

●アグネス・C

 私も「教育学博士」という肩書きが気になって、アグネス・Cについては
調べさせてもらったことがある。
大槻義彦氏は疑っているようだが、(私も疑ったが)、アグネス・Cは、経歴どおりの
大学を卒業している。
(アメリカでは、学位取得者には通し番号がつけられ、即座に検索できるようになって
いる。)

が、どんな論文を書いて、「博士号」を取ったかについては、わからない。
たしか「日米~~子育て比較」(記憶によるもの)に関する論文だったと思う。
ただし欧米では、論文審査だけで博士号を取得することが可能。
その大学に在学しているかどうかは、関係ない。

 が、どこかおかしい。
アメリカの教育事情とはちがい、アグネス・Cは、少女時代に日本へ移住してきている。
その少女が、最終的にはJ大学の英文科(東京)を卒業するなどということは、当時の
日本の常識ではありえない。
中学や高校はどうしたのか?
それとも高卒でなくても、大学へ入れたのか?
その間、アグネス・Cは、歌手生活が忙しく、勉強どころではなかったはず。
そういう女性が、今、「教育学博士」?
それで調べさせてもらった。

●偽善

 『しまねこ』さん(静岡県在住)は、こう端的に指摘している。


『……自らは豪邸に生活しながら、他人の金で
貧しい人々の救済をつづけるアグネス・C。

贅沢をするなと言うつもりはないが、偽善はいけない。
他人の金で手柄を自分の物にしている』と。

 善行にせよ、善行に基づくボランティア活動にせよ、そこに至る過程には、それなりの
「積み重ね」がある。
あるいは「周囲環境」というのがある。

 たとえば若いときから、ホームレスの人の世話をしてきたとか、孤児の世話をしてきた
とか、など。
そういうものが(積み重なって)、ユニセフとか何とか運動へとつながっていく。
難民救済運動へとつながっていく。

 しかしそういう(積み重ね)もなく、また(周辺環境)もなく、いきなり「王手!」は
ない。
そんなことは、ほんの少し冷静になってみれば、わかること。
『しまねこ』さんは、「偽善」という言葉を使っているが、欧米人ならみな、まちがいなく、
こうした行為を「偽善」と位置づけるだろう。
貧しい人たちを、食い物にしている。
つまり悪人以下の悪人。
それが偽善を行う偽善者ということになる。

●大槻義久氏のHPへの投稿と、そのコメント

++++++++++++以下、大槻義彦のHPより転載++++++++++++

読者の方から、下記のメールをいただきました。


▼読者の方からのメール
------------------------------
大槻先生

はじめまして○○と申します。
先生のブログにて、アグネスCに関する言及を拝見し、非常に感銘受け筆を執りました。

C氏は二重三重の極めて強固な権力の防壁によって守られた、「アンタッチャブルな悪の要塞」の様な人物です。
彼女の周りには、中国共産党、S学会、日本ユニセフ、そしてそれら団体と蜜月関係にある大手マスコミ各社が防壁を作り、彼女に対するネガティブな論を全てシャットアウトしている様に見えます。

そのような人物に対して敵対的な論を、公人(先生はそう呼ぶにふさわしい知名度と影響力を持たれています)が表明するのは、ある意味非常に勇気のいることです。
敢えてそれを実行された先生は、文字通り信念の人であり、私にとって正義の人なのです。
さて、アグネスC。

彼女のウサン臭さは、正に、「叩けば叩くほど埃が立つ」状態であり、言動と行動の不一致、矛盾点の羅列には事欠きません。
例えば、彼女の代名詞である慈善活動。
彼女がそれほどまでに私腹よりも公を重視する人物であれば、なぜ講演料130万を取り(つまり金を出せる団体以外ではしゃべらないと公言しているに等しい)、かつ下記のような豪邸を建てねばならないのか?

彼女の主張に従えば、「その装飾物1つで、何万人もの子供たちが救われる」のではないでしょうか?
そもそも日本ユニセフ自体が、ユニセフとは別の一般団体であり、募金から25%はね、その資金でマスコミからの天下り役員の給料や、自社ビルを建てているのは有名な話です。

また彼女は政治活動にも熱心ですが、それを中国国内で展開しているとは聞いたことがありません。
必ずこの日本でのみ規制強化関連の法案成立に熱心です。
規制強化に対する考え方そのものは、個々人の自由なので否定しませんが、彼女の場合、常に、「時と場合を選ぶ」のが、非常に胡散臭く見える。

その上、大槻先生おっしゃられる、オカルト流布による洗脳、それから派生するカネと権力の流れにまで勢力を増しているとなると、もはやカルト教団の教祖そのものです。
奴の弱者商法に騙される善良な被害者を増やさぬよう、白黒ハッキリつける人が必要になります。

その一翼を先生が担ってくださるのなら、私は感謝しても感謝しきれません。
日本全国の声なき声も、必ず先生を応援していると確信しております。
陰ながら応援しております。
お体にお気をつけてお過ごしください。

------------------------------
▼大槻からの回答
------------------------------

アグネス Cの霊感商法批判をした途端、新聞社・通信社の取材で急に騒がしくなりました。
しかし、アグネス側は即座に対応、霊感商品は売り場から撤去したそうです。私としては、ささやかな成果だったと思っていますが、また何をやりだすか、注意深く看視していく必要があると思っています。

彼女の背景に『中国共産党、S学会、大手マスコミ』がある、とのご指摘ですが、この意味は明瞭ではありません。彼女はキリスト教信者である、と自分を紹介している(私への私信)のですが、そうだとすると中国共産党やS学会と密接な関係にあるとは思えません。

私は、科学者・教育者として、世にはびこる迷信・オカルト・不正義などを批判・排除していき、子供の教育や社会の進歩を目指す活動をしてきました。しかし、それ以外の個人的な思想・信条・哲学を槍玉にあげたことはありません。

アグネス Cがどのような社会活動・宗教活動をしようと、それは個人の人格にも関したことですから、批判は控えます。

++++++++++++以上、大槻義彦のHPより転載++++++++++++

Sunday, August 29, 2010

●マガジン8-30号より





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 彡彡人ミミ      彡彡彡彡彡
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q 0―0 MMMMM ∩ ∩ MM m
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 子育て最前線の育児論byはやし浩司      8月   30日号
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【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

休みます。

【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【金権教からの脱出】(Is Money Everything?)

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教育と営利行為は共存しうるか。
医療と営利行為は共存しうるか。
芸術と営利行為は共存しうるか。
宗教と営利行為は共存しうるか。

答は、どれも「NO!」のはず。
強欲さの追求と、「心」の追求は
両立しえない。
営利行為を捨て去ったところに、
教育、医療、宗教は存在する。
が、現代社会では、それが奇妙に
共存している。
つまり矛盾が矛盾とわからないまま、
共存している。

営利行為でなくてもよい。
名声、名誉、地位、肩書き……。
本来、共存しえないものが、共存
している。

まずそのおかしさに気づく。
それが私やあなたの「心」を守る、
第一歩!
「心の豊かさ」を守る、第一歩。

++++++++++++++++

●つぶれる心

受験競争を経験させると、子どもの心は確実につぶれる。
ものの考え方が、功利的、打算的になり、ドライになる。
心の余裕をなくす。
もっと平たく言えば、人間が本来もっている温もりをなくす。
割り切り方がすばやくなり、一度割り切ると、そのまま心は、氷のように冷たくなる。

理由は簡単。

 子どもは親の「心」を、そのまま受け継ぐ。
親自身が、受験競争というものはそういうものと、考えている。
その底流では、ドロドロとした醜い欲得が、渦を巻いている。
それがそのまま親の心となり、子どもの心となる。
つまり親が子どもの心をつぶす。
つぶしながら、つぶしているという意識さえない。
ほとんどの親は、「子どものため」と考えている。
一方、子どもは、やりたくもない受験競争を強いられる。
被害者意識をもつ。

 受験競争でうまくいく子どもは、全体の何割もいない。
大半は、その過程で傷つき、脱落していく。

●親の不安や心配につけこんだ、金儲け

だからいくら親ががんばっても、子どもは、感謝などしない。
ぜったいにしない。
仮に目的の(?)学校へ進学できたとしても、感謝などしない。
「お父さん、お母さんが励ましてくれたから、合格できた」などとは、ぜったいに
思わない。
親にもしないが、ついでに、進学塾にもしない。
進学塾の講師にもしない。
当然と言えば、当然。

 「教育」とは名ばかり。
親の不安や心配につけこんだ、金儲け。
それが進学塾の実態。
そんなことは、小学生にだってわかる。

●「二度としたくない」

ある進学塾の講師は、こう言った。
その道、35年のベテランである。
「私など、ただの一度も元生徒の結婚式に呼ばれたことはありません」と。
苦笑いしながら、「苦労に苦労を重ねた生徒ですら、去るときは、ハイ、サヨナラです」と。

また別の男性は、45歳くらいまで予備校の講師をしていた。
45歳のとき、ベンチャー企業を興し、その経営者になった。
その男性も、その直後、こう言っていた。
「予備校の講師など、二度としたくないね」と。
道に唾(つば)を吐きかけんばかりの言い方だった。

で、私の話になる。

●進学塾の講師

私も予備校や補習塾で、講師をした経験がある。
20代から30代のはじめにかけてのころのことである。
幼稚園での仕事が終わると、夜遅くまで、講師として働いた。

ひとつの予備校の経営者は、いつもこう言っていた。
「親を信じてはいけない」と。
つまり割り切って仕事をしろ、と。
それが口癖だった。

そのときはその意味が、よくわからなかった。
が、今は、よくわかる。
この世界、お人好しは、通用しない。
善意も通用しない。
ただいつも一方的に裏切られるだけ。
たとえばX補習塾で働いていたころ、こんなことがあった。

●A子さん(中2)の例

 その補習塾では、とくにがんばった子どもや、経済的な理由のある子どものばあい、
月謝を、程度に応じて免除していた。
(当時は、月謝という形で、毎月現金で受領していた。)

 A子さん(中2女子)も、そんな生徒の1人だった。
塾長のはからいで、その生徒の月謝は、4分の1になっていた。
そのA子さんが、ある日、どこかの進学塾の宿題をもってきた。
私が「それは何?」と聞くと、「Y塾の宿題!」と。

 私は驚いた。
A子さんの親には、とてもそんな余裕はないはず。
そこで少し遠回りな言い方で、話を聞いてみた。
A子さんは、こう言った。
「ここでの月謝が浮いた分で、Y塾にも通えるようになった」と。

●塾経営

 塾が自動販売機にたとえられる時代があった。
今は、ファースト・フード店にたとえられる。
大規模になり、チェーン化した。
送迎時のあいさつの仕方、三者面談の内容、仕方、
話の進め方など、すべてがマニュアル化されている。
「塾は掃除!」と説く塾長もいる。
「塾は清潔で明るくしろ」と。

 外観が美しい分だけ、中身は醜いということか。
それとも中身の醜さをごまかすため、外観を美しくするのか。
どうであれこんな世界で、思春期前夜、思春期を過ごす子どもたちこそ、あわれ。
悲劇。
プラス残酷!

受験競争を通して、人生の骨格を組みあげてしまう。
冒頭に書いたように心をつぶされながらも、それを意識することもない。 
たとえばこの時期、親の希望には際限がない。
よい例が不登校。

●際限のない親の希望

 子どもがやっとのことで、午前中だけ学校に通えるようになったとする。
しかもほんの1、2時間。
しかしそこまで子どもをもってくるのが、たいへん。
長い時間がかかる。
が、すぐ親は、こう言い出す。
「何とか給食だけでも・・・」と。
あるいは「午後の勉強も・・・」と。

 進学校にしてもそうだ。
何とかC中学に入れそうになると、親は、「せめてB中学に・・・」と言い出す。
そのB中学が射程圏に入ってくると、今度は「何とかA中学に・・・」となる。

 それに塾教師が振り回される。
が、ひとつだけ忘れてはいけない。
「子どもこそ、被害者」と。
それに振り回される子どもこそ、被害者。

 子どもの心は無視。
子どもの希望も無視。
親はそれを正しいことと信じて、子どもに押しつける。
「学歴信仰」というのは、立派なカルト。
学校神話に基づく、立派なカルト。
子どもは子どもで、それを客観的に判断する経験もない。
抵抗する力もない。
だまって親に従う。
従いながら、心をつぶす。

●心と近代化

 「人の心」と「近代化」は、反比例の関係にある。
それとも人の心が、そこまで金(マネー)に毒されてしまったと考えるべきなのか。
さらに言えば、経済は発展した。
経済学も発展した。
しかし経済と「人の心」の関係について、それを論じた人はいない。
(私は論じているぞ!)
いないばかりか、経済を論ずる人ですら、毒されてしまっている。
脳のCPU(中央演算装置)の問題。

・・・話が大きく脱線した。
しかしこうした変化は、子どもたちを成長段階を追いながら観察してみるとよくわかる。
小学校の低学年のときは、心のやさしかった子どもでも、受験競争を経験したとたん、
人が変わる。
夏休みの間の特訓教室のようなものに通っただけで、大きく変化する子どももいる。
親は「やっと自覚ができたようです」と喜ぶ。
しかしその一方で、もっと大切なものを子どもは失う。
親は、それに気づかない。
それもそのはず。
親自身も、子どものころ、その大切なものを失っている。

●日本のビジネスマン

もう少しわかりやすい例をあげよう。
こんなことがあった。

 オーストラリアで学生だったときのこと。
私はことあるごとに、日本へ帰ったら商社マンとして働くことを自慢していた。
それしか自慢するものがなかった。
が、ある日のこと。
仲がよくなり始めていたオーストラリア人の友人が、私にこう言った。
「ヒロシ、そんなこと、自慢するのをよせ」と。
理由を聞くと、「君は知らないかもしれないが、日本の商社マン(ビジネスマン)は、
オーストラリアでは軽蔑されている」と。

 はっきりと「despised(軽蔑されている)」という言葉を使った。
この言葉は、かなりきつい響きをもつ。
で、理由を聞くと、こう話してくれた。

●何でも「金(マネー)」

 ある日、日本の商社マンがその友人の家に招かれて、やってきたときのこと。
オーストラリアでは少し親しくなると、たがいに食事に招待しあうという習慣がある。
(欧米では、どこでもそうだが……。)
その食事が終わったとき。
商社マンはおもむろにカバンの中から、何かを取り出して、「これを買わないか?」と、
言い出した。
そのものは忘れたが、繊維製品か何かだった。
が、その友人の父親はそれには興味を示さなかった。
そこで「NO!」と答えると、商社マンは今度はべつのものを取り出したという。
今度はカメラか何かだった。
が、それが何であるかどうかは、この際、どうでもよい。
それを買わないかと、言い出したという。

 友人の父親はすっかり不愉快になった。
ひとつのものをいらないと言うと、別のものを出す。
それもいらないと言うと、さらに別のものを出す。
そういう日本の商社マンの態度が許せなかった。

 が、私はこの話を聞いたとき、「どうして?」と思ってしまった。
日本の商社マンとして、その商社マンは当然のことをしただけ。
日本からわざわざ50万円近い旅費をかけて、やってきた。
当時の水準からすると、大卒の初任給の10か月分の給料である。
「ごちそうさま」で帰るわけにはいかない。

 私がその商社マンだったら、同じことをしただろう。
だから「どうして?」と。
そのときは、ごく自然に、私はそう考えた。

●それから30年後

 それから30年あまり。
今度は私が逆の体験をすることになった。

 ある日のこと。
高校時代の友人から、突然、電話がかかってきた。
「ぜひ、一度、会いたい」と。
高校時代には、それほど親しくはなかった。
しかし私には高校時代の友人に、「友人」と呼べるような友人は、ほかにいない。
そのこともあって、ていねいにその友人を招いた。

 が、1夜、私の家に泊まった朝のこと。
居間にいるとその友人は、かばんから、10個くらいの瓶を取り出した。
サプリメント商品、つまり健康食品の入った瓶だった。
「これを買わないか?」「仲間に入らないか?」と。
話を聞くと、ネズミ講方式で利益がふえるという。
私はそれを聞いて、心底がっかりした。
がっかりして、「君は、最初からこれが目的で、ぼくに近づいてきたのか」と聞いた。
彼は強くそれを否定した。
しかし彼の意図は見え見えだった。

●無数の意識

 私はそのとき、オーストラリアの友人の父親の気持ちが、はじめて理解できた。
なぜあのとき、友人の父親は不愉快になったか。
それが理解できた。
つまりそれが「意識の差」ということになる。

 お金に毒されているときは、脳そのものが毒されているから、それに気づくことはない。
しかし一歩退いて、別の世界からそれをのぞいてみると、それに気づくことができる。

 これはほんの一例だが、こうした無数のこまかい「意識」が集合して、「毒される」
という状態になる。
が、何度も書くが、毒された人は、それに気づくことはない。
脳のCPU(中央演算装置)そのものが毒されている。

 よい例が、C国製品。

●目覚まし時計

 ところで私は最近、小型ビデオカメラ付きの目覚まし時計を買った。
あのC国製。
パソコン雑誌に紹介されていたので、信用して買った。
しかしこれがとんでもない粗悪品。

SDカードを挿入することになっているが、それがうまく入らない。
セットがむずかしい。
うまくいかない。
電源を入れなおすたびに、時刻が初期設定に戻ってしまう。
おまけに説明書の日本語が、めちゃめちゃ。

 が、外から見た「形」だけは、それらしくできている。
どこかの国でできた目覚まし時計のデザインを、そのまま使っている?
私はその目覚まし時計を見ながら、こう考えた。
「C国の人たちは、こんな製品を輸出して、自分たちに恥じないのだろうか」と。
もっとも国全体がそうなっているから、それに気づくことはない。
もちろん恥じることもない。
「無数のこまかい意識が集合されている」というのは、そういうことをいう。
 
●日本の俳優

 もうひとつ話が少し脱線する。

 私とワイフはよく映画を観に行く。
「東宝シネマ」という映画館で、洋画と邦画を、半々くらいの割合で上映している。
邦画はほとんど見ないが、予告編はよく見る。
その邦画。
ひとつの特徴がある。

 邦画に出てくる若い俳優たちが、どの人も、頭はキレるが、人間的な深みがない。
またそういう演技をするのが、「映画」とでも思っているかのようでもある。
自然ぽさがないのはしかたないとしても、日本の俳優たちがもつあの独特の(冷たさ)は、
いったい、どこから来るのか?

 もちろん『送り人』のような、すばらしい映画もある。
が、その『送り人』にしても、私はどこかにあの独特の(冷たさ)を感ずる。
田舎の人たちの温もりを描いているはずなのに、スクリーンのすぐ向こうに、受験生的な、
あの独特の(冷たさ)を感ずる。

 おそらく俳優自身はそれに気づいていないだろう。
ここでいう「受験生的」というのは、「他人をかき分けて競争に勝ち抜いた」という意味。そう解釈してもらってよい。

●子どもの世界でも

 子どもの世界では、それがもっとはっきりと表われる。

 同じ小学6年生でも、心の温かさを感ずる子どももいれば、そうでない子どももいる。
冷たい子どもは、どこまでも冷たい。
ぞっとするほど、冷たい。
頭の中は受験勉強だけ。
あるいは何かの検定試験のことだけ。
バッグの中は、その種の参考書と問題集だけ。
余計なことは、いっさいしない。
もちろんそれなりに勉強はできるが、その先がない。

 簡単に説明すれば、親の温かい愛情をたっぷりと受けて育った子どもは、心が温かく
なる。
そうでない子どもは、そうでない。
つまり子どもの心の温もりは、親の育て方……というよりは、世代連鎖。
親から子へと伝えられる。
それによって決まる。
ふつう心の冷たい子どもの親は、心が冷たい。
心の温かい子どもの親は、心が温かい。

 だから心の冷たい子どもを見つけ、その親に向かって、「あなたの子どもは心が冷たい
ですよ」と忠告しても意味はない。
親自身が、それを理解できない。
また言ったところで、どうにもならない。
思春期を過ぎて、心の冷たい人間がその後、温かくなるということは、ありえない。
さらに言えば、一度つぶれた心は、元には戻らない。

●幻想

 この日本では、親たちは、「勉強しろ」「勉強しろ」と子どもを追い立てる。
それはそれでしかたのないことかもしれない。
日本人には日本人独特の身分意識がある。
現在は、それが学歴意識に置き換わった。

 が、これだけはよく覚えておくとよい。
それを言えば言うほど、今度は、親がその責任を取らされる。
子どもたちは「高校へ行くのは当たり前」「大学へ行くのは当たり前」と考えるようになる。
中には、「親がうるさいから、大学へ行ってやる」と言う子どもさえいる。
(これは本当の話だぞ!)

 その結果どうなるか?
親は親で、淡い期待をもつかもしれない。
「いつか親に感謝し、よい親子関係を築くことができるはず」と。
中には「老後のめんどうをみてもらえるかもしれない」と思う人だっているかもしれない。
しかしそれはまったくの幻想。

●月謝袋を詰め先で……

 あえて統計をとるまでもない。
この世界の常識として、「一度、都会の大学を出た子どもは、親のところには戻らない」。
戻らないばかりか、その多くは子どものほうから、親子の絆を断ち切ってしまう。
それもそのはず。
親は子どものためと思って、(本当は自分の不安や心配を子どもにぶつけているだけなの
だが)、「勉強しろ」と言う。
が、言われたほうの子どもは、それによって追いつめられる。
少なくとも「親は自分のことを心配して、そう言ってくれる」などとは、思わない。
進学塾の講師にしても、そうだ。

 へたに「君の将来のためだ」と言っても、子どもは、その先を読んでしまう。
「金儲けのためだろ?」と。
私も実際、そう言われたことがある。
月謝袋を爪先でポンとはじき、「あんたのほしいのは、これだろ!」と私に言った、高校生
がいた。

 皮肉なことに、心のつぶれた学生ほど、成績がよい。
そのままよい(?)大学に進学していく。
社会のリーダーとなっていく。
そして一方で、ドロドロしたおとなの世界の裏を、そのまま見抜く。

●幼児から高校3年生まで

 ずいぶんと否定的なことばかり書いてきた。
読者の方にインパクトを与えるため、やや過激な言い方で書いてきた。
しかし私はこの原稿を、警告の念をこめて書いた。
というのも私は、幼児(年少児)から高校3年生までの子どもを、1日というサイクル
の中で教えている。
40年来、そうしている。
幼児から高校3年生といえば、15年間である。

 そういうサイクルの中で、子どもたちの心の変化を、毎日のように見ている。
が、その「変化」というのは、心理学でいうところの変化とは、少し違ったものである。
たとえばここに書いた(冷たさ)というのは、思春期の反抗期とは異質のものである。
「心がつぶれる」と言っても、その診断方法もなければ、基準もない。
もちろん病名もない。

また心が冷たいからといって、それが何かの障害につながるということでもない。
むしろこの世界は、そういう心が冷たい人たちにとって、住みやすい世界になっている。
そういう人たちほど、社会のリーダーとなり、裕福な生活を送っている。

●最後に……

 最後になるが、今、私はこんなふうに考える。
近代社会は、はたして人間の心を豊かにしたか、と。
「近代社会」というのは言い過ぎかもしれない。
私が書いているのは、受験競争の弊害のひとつにすぎないのかもしれない。
さらに「競争」は不可欠というのなら、方法論の問題ということになる。
つまり子どもの教育法がおかしい。
あるいは日本人がもつ意識が、おかしい。

 どうであれ、このままではこの日本はますます狂っていく。
言うまでなくその国や社会の熟成度は、いかに弱者にやさしいかで決まる。
が、この日本は、それに逆行しているばかりか、さらに「格差」を広げつつある。
入り口で受験競争に勝ち抜いた子どもは、その後、安泰した裕福な生活を送ることが
できる。
そうでない子どもは、そうでない。

 心のつぶれた、冷たい子どもたちが、社会のリーダーとなっていく。
そんな社会を、私たちはけっして目指してはいけない。

 ……ということで、あなたも一度でよいから、自分の身の回りを見渡してみてほしい。
経済的に豊かな人も、またそうでない人も。
そして一度でよいから、こう考えてみてほしい。
「これでいいのか?」と。
たったそれだけのことだが、それが種となって、いつかやがてあなたの心にも、(人間
らしい心)が戻ってくる。
子どもの見方も変わってくる。
けっして貪欲さの奴隷になっていはいけない。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 
BW はやし浩司 心のつぶれた子 金権教 つぶれる心 冷たい心 心の冷たい子ども 
受験競争の弊害)

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

2008年の3月に書いた原稿を
添付します。
これもかなり過激な原稿です。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●「金権教」というカルト(Money is Everything.)

++++++++++++++++++++++

Most of us believe that money is everything, some consciously and some unconsciously.
But it is a kind of cult (or sect), or we would know it when we are involved in it. So I ca
ll It “Money-ism”, or “Money Cult”.

++++++++++++++++++++++

●カルト

私はカルト(狂信的な信仰)とは無縁と
思っている人でも、ちょっと、待ってほしい。
そういう人でも、無数のカルトを信仰している。

学歴信仰に始まって、親絶対教、学校神話、男尊女卑思想、
家父長意識、民族主義に国粋主義などなど。

人は、ひとつのことを信仰することによって、思考を放棄することができる。
それは同時に、たいへん甘美な世界でもある。

思考、つまり(考えること)には、いつもある種の苦痛がともなう。
難解な数学の問題を前にしたときのことを、思い浮かべてみればよい。
カルトを信仰することによって、その苦痛から、自らを解放することができる。
過去や世俗的習慣を踏襲するのも、そのひとつ。
「昔はこうだった」「みなは、こうしている」と。

●金権教

金権教について、考えてみたい。
……といっても、どんなカルトでもそうだが、
その中にいる人には、自分のおかしさがわからない。

そのおかしさを知るためには、一度、そのカルトの外に出てみなければならない。
あるいは、やめてみる。
長い間、カルト信仰をしてきたある女性(当時、45歳くらい)は、こう言った。

「退会してみて、はじめて、おかしさがわかった」と。

金権教もそうである。

●中国では

たまたま現在、隣の中国が、20年前、30年前の日本を再現している。
何もかも、マネー、マネー、一色。
少し前だが、こんな話を、何かの雑誌で読んだことがある。

あるところで、1人の少年が川に落ちて、溺れた。
少年の母親は、まわりの人に、助けを求めた。
狂乱状態だったという。
それを見ていた一人の男性が、こう言ったという。
「~~元、出せ。そしたら助けてやる」と。
金額は、忘れた。

戦後の日本も、ひどかった。
が、しかしそこまでは、ひどくなかった。
(……と信じたい。似たような話はあるが……。)
それにしても、溺れる子どもを横目に、金額交渉とは!

心もマネーに毒されると、人は、そこまで言うようになる。
そのおかしさは、日本人の私たちには、よくわかる。
しかし当の中国の人たちには、わからない。

●信者たち

こうした「金と権力がすべて」という世界を、金権教という。
かなり宗教的な色彩が濃いから、「金権教」と呼ぶ。

その金権教の信者は、少なくない。

医師、弁護士に始まって、教師、役人、職人、はては牧師に僧侶にいたるまで。
職種に、関係ない。

しかし自分が金権教の信者であることに気づいている人は、少ない。
が、それを知る方法が、ないわけではない。

(1)金銭的な利益のある仕事だけをする。利益第一主義。
(2)金銭的に損な仕事はしない。ボランティア活動をしない。
(3)貧しい人を、いつも(下)に見る。人の価値を財産で決める。
(4)損得勘定に敏感である。計算高い。
(5)とくに損をしたとき、過剰なまでに反応する。落胆する。
(6)「信じられるのは、金だけ」を、よく口にする。
(7)仕事(=金儲け)中心主義で、家族、家庭を犠牲にしても平気。
(8)周囲の人間を、平気で利用する。その分だけ、いつも孤独。

これらの項目のうち、ほぼすべてが当てはまれば、金権教の信者と考えてよい。
もちろん程度の差もあるが……。

が、その金権教も、やがていつか、行きづまる。
短期的には、事業が失敗したとき。
長期的には、加齢による事業の縮小など。
そういったとき、マネーという本尊が、(イワシの頭)だったことを、思い知らされる。

●ここが始まり

カルトがこわいのは、ここから。
それを信じている間は、カルトは、その人を側面から支える。
生きる目標になることもある。
しかしそれを疑ったとたん、その人は、その内部から崩壊する。
「自己否定」という言葉があるが、それに近い状態になる。
「私は、何だったのか」と。
それまでの人生が無意味だったことを、思い知らされる。
とたん、大混乱に陥る。

こういうケースのばあい、つぎの2つから、進むべき道を選ぶ。

(1)そのまま金権教に固執する。
(2)新たな価値観を模索する。

このどちらでもないとなると、そこで待っているのは、「破滅」。
自殺という手段を取る人もいるが、それは論外。

こういうケースがある。

●のめり込む信者

あるところに、手かざしで、病気を治すと教えている教団があった。
「手かざし」というのは、患部に手をかざして、病気を治すことをいう。
N氏夫婦は、その教団の熱心な信者だった。
で、あるとき、N氏の長男が、腹痛を訴えた。
(あとで盲腸炎だったということがわかったが……。)
N氏は、長男を病院へ連れていかなかった。
手かざしで治してみせると、がんばった。
しかし長男は、そのまま死んでしまった。
いや、最後の最後のところで、病院へ運ばれたが、そのときは手遅れだった。

こういうケースのばあい、「私たちの信仰はまちがっていました」と認めることは、
自分の子どもを、自分たちで殺してしまったことを認めることに等しい。

実際、N氏夫婦は、そのあと、ますますその信仰にのめりこんでいった。
またそれしか進むべき道がなかった。

……金権教にも、似たようなケースがある。
これは金権教で破滅した、ある男性の話である。

●K氏のケース

K氏は、昔からの資産家の二男だった。
長男の兄と2人で、事業を起こした。
建売を専門とする、建築会社だった。
高度成長期の、あの波に乗り、事業はトントン拍子で拡大した。
K氏は、有頂天になった。
毎晩、札束を切りながら、豪遊に豪遊を重ねた。

が、そのころから兄(=長男)との折りあいが悪くなった。
利益の配分をめぐっての、争いがつづいた。

そこで会社を2分することにした。
建設部門を兄が、不動産部門を二男のK氏が引き継いだ。

が、とたん、あのバブル経済がはじけた。
K氏は破産。
無一文になった。

その後、1年ほどの期間があったが、私が再びK氏の消息を聞いたときには、
K氏は、精神病院に長期入院しているということだった。
その1年間に、何があったか、それを想像するのは難しくない。
妻とは離婚。2人の娘がいたが、2人とも兄の家に引き取られていた。
人伝えに聞くところによると、「想像を絶する、家庭内騒動がつづいた」とのこと。

金権教の信者の末路(失礼!)は、あわれ。
マネーの切れ目が、人生の終わり。
そうなる。

●意識の問題

が、これは、何も特別な人たちだけの問題ではない。
先にも書いたように、「程度の差」こそあれ、みなの問題と考えてよい。
ほとんどの人が、それを信じている。
「信じている」という意識がないまま、信じている。

私自身もそうだったし、今もそうかもしれない。
いつも心のどこかで、それと戦っている。

しかし金権教は、カルト。
宗教で教えるような教義など、どこにもない。
つまりは、人間が本能的にもつ(欲望)と深く、からみあっている。
欲望そのものかもしれない。
だから余計に、タチが悪い。

しかし、これだけは言える。
マネーで幸福は買えない。
しかしマネーがないと、人は、不幸になる。
それはわかる。
が、その一方で、マネーに毒されると、人生そのものを棒に振る。
仮に金持ちのまま終わったとしても、だ。

一度、勇気を出して、自分の心の中をのぞいてみるとよい。

+++++++++++++++++

以前書いた原稿を、1作、掲載します。
日付は、06年4月になっています。
ちょうど2年前に書いた原稿ということになります。

+++++++++++++++++

【金銭的価値観】

●損の哲学

++++++++++++++++++

私の大嫌いなテレビ番組に、
「○○お宝XX鑑定団」というのがある。

私は、あれほど、人間の心をもてあそび、
そしてゆがめる番組はないと思う。

が、この日本では、その番組が、
人気番組になっている。

つまり、日本人の、そして人間の心は、
そこまで、狂っている!

+++++++++++++++++++

●失った鑑賞能力

 ものの価値を、金銭的尺度でしかみないというのは、人間にとって、たいへん悲しむべ
きことである。ものならまだしも、それが芸術的作品や、さらには人間の心にまでおよん
だら、さらに悲しむべきことである。

 テレビの人気番組の中に、「○○お宝XX鑑定団」というのがある。いろいろな人たちが、
それぞれの家庭に眠る「お宝?」なるものを持ちだし、その金銭的価値を判断するという
番組である。

 ご存知の方が多いと思うが、その「もの」は、実に多岐にわたる。芸術家による芸術作
品から、著名人の遺品まで。はては骨董品から、手紙、おもちゃまで。まさに何でもござ
れ! が、私には、苦い経験がある。

●絵画の価値

 私は子どものころから絵が好きだった。高校生になるころまで、絵を描くのが得意だっ
た。そのころまでは、賞という賞を、ひとり占めにしていた。だからというわけでもない
が、おとなになると、つまり金銭的な余裕ができると、いろいろな絵画を買い集めるよう
になった。それはある意味で、私にとっては、自然な成り行きだった。

 最初は、シャガール(フランスの画家)から始まった。つぎにビュフェ、そしてミロ、
カトラン、ピカソ……とつづいた。

 が、そのうち、自分が、絵画の価値を、金銭的な尺度でしか見ていないのに気がついた。
このリトグラフは、XX万円。サインがあるからYY万円。そして高価な絵画(リトグラ
フ)ほど、よい絵であり、価値があると思いこむようになった。

 しかしこれはとんでもないまちがいだった。

●画商

 だいたいそういった値段といったものは、間に入る画商やプロモーターの手腕によって
決まる。中身ではない。で、さらにそのうち、日本では有名でも、現地のフランスでは、
ほとんど知られていない画家もいることがわかった。つまり、日本でいう絵画の価値は、
この日本でのみ通用する、作られた価値であることを知った。

 つまり画商たちは、フランスでそこそこの絵を描く画家の絵を買い集め、それを日本で、
うまく宣伝に乗せて、高く売る。「フランスで有名な画家だ」「○○賞をとった画家だ」と
か、何とか宣伝して、高く売る。そういうことが、この世界では、当時も、そして今も、
ごく当たり前のようになされている。

 が、同時にバブル経済がはじけ、私は、大損をするハメに!

 そういううらみがある。そのうらみは、大きい。

 その絵画の価値は、その人自身の感性が決めること。しかし一度、毒気にさらされた心
というのは、そうは簡単に、もどらない。私は今でも、ふと油断をすると、絵画の価値を、
値段を見て決めてしまう。さらに反対に、内心では、「すばらしい」と思っても、その値段
が安かったりすると、その絵画から目をそらしてしまう。

 私は、こうして絵画に対する、鑑賞能力を失ってしまった。

●損をすることの重要さ 

 お金がなければ、人は、不幸になる。貧困になると、心がゆがむこともある。しかしお
金では、決して、幸福は買えない。豊かな心は、買えない。

 それにいくらがんばっても、人生には、限りがある。限界がある。終着点がある。

 そういう限界状況の中で、私たちが、いかに幸福に、かつ心豊かに生きるかということ
は、それ自体が、人生、最大の命題といってもよい。

 そのお金だが、お金というのは、損をして、はじめて、お金のもつ無価値性がわかる。
もちろん損をした直後というのは、それなりに腹立たしい気分になる。しかし損に損を重
ねていくと、やがて、お金では、幸福は買えないということを、実感として理解できるよ
うになる。ときに、その人の心を豊かにする。よい例が、ボランティア活動である。

 損か得かという判断をするなら、あのボランティア活動ほど、損なものはない。しかし
そのボランティア活動をつづけることで、自分の心の中に豊かさが生まれる。

 反対に、損をしない人たちを見ればよい。いつも金銭的価値に左右され、「お金……」「お
金……」と生きている人たちである。

 そういう人たちは、どこかギスギスしている。どこか浅い。どこかつまらない。

●お金に毒された社会

 話をもとに戻すが、では(豊かさ)と何かというと、それが今、わかりにくくなってし
まっている。とくに戦後の高度成長期に入って、それがさらにわかりにくくなってしまっ
た。

 その第一の原因は、言うまでもなく、(お金)にある。つまり人間は、とくに日本人は、
ものにおよばず、心の価値まで、金銭的尺度で判断するようになってしまった。そしてそ
の幸福感も、相対的なもので、「隣人より、よい生活をしているから幸福」「隣人より、小
さな車に乗っているから、貧乏」というような考え方を、日常的に、ごくふつうにするよ
うになってしまった。

 それはちょうど、高価な絵画を見ながら、「これはすごい絵だ」と思うのに、似ている。
反対に、安い絵画を見ながら、「これはつまらない絵だ」と思うのに、似ている。人がもつ
幸福感まで、金銭的な尺度で判断してしまう。

 そのひとつの現れが、あのテレビ番組である。もちろんそのテレビ番組に責任があるわ
けではない。が、それを支える人たち、イコール、視聴者がいるから、それは人気番組と
なる。

 が、相乗効果というのも否定できない。日本人がもつ貪欲さというものが、テレビ番組
によって、さらに相乗的に倍化するということも、ありえなことではない。つまりこうし
て日本人の心は、ますます毒されていく。

司会者「では、ハウ・マッチ?」
電光板xxxxxxx
司会者「340万円!」と。

 ああいう番組を、何ら疑問ももたないまま、毎週、見つづけていたら、その人の心はど
うなるか? それをほんの少しでも想像してみればよい。つまり、それが私が、あのテレ
ビ番組が嫌いな理由でもある。

●昔は……

 今のように、この日本で、貨幣が流通するようになったのは、江戸時代の中期ごろと言
われている。が、それは実に素朴な貨幣経済社会だったと言える。戦後のことだが、その
ときでさえも、田舎へ行くと、まだ、盆暮れ払いというのが、ごくふつうに行われていた。

 それが今のような、お金万能主義というか、絶対主義の日本になってしまった。そして
何ら恥じることなく、ああした番組が、堂々と、この日本で大手を振って歩くようになっ
てしまった。意識というのはそういうものかもしれないが、全体が毒され、自分が毒され
ると、自分がもっている意識がどのようなものであるかさえわからなくなってしまう。そ
して本来、価値のないものを価値あるものと思いこみ、価値のないものを、価値あるもの
と思いこむ。そして結局は、自分の感性のみならず、限られた人生そのものを、無駄にす
る。

 だから、とてもおかしなことだが、本当におかしなことだが、この日本では、そしてこ
の世界では、損をすることによって、人は、人間は、心豊かな人間になることができる。

 損をする人は、幸いなるかな、である。
(はやし浩司 損の哲学 ボランティア精神 はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 
幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW はやし浩司 金権教 お金万能主義
子どもと心 受験競争の弊害 受験競争 意識 はやし浩司 受験カルト はやし浩司 
家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 
Hiroshi Hayashi education essayist writer Japanese essayist 金権教 金万能主義 カル
ト)


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●ホメオパシー(改)






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子育て最前線の育児論byはやし浩司   10年 9月 24日
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【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【代替医療】ホメオパシーについて考える前に

●まず先入観を捨てる

 あなたは「ホメオパシー」なる治療法をどう思うか。
まず先入観を捨ててみる。
その上で、この問題を考えて見る。

●ホメオパシー

+++++++++++++++++

少し遠巻き……とういうか、外堀を
先に埋めるような書き方をするが、
許してほしい。

今、「ホメオパシー」と呼ばれる、
いわゆる代替医療行為(?)が、
問題になっている。
どこかの助産婦が、新生児の頭蓋内出血
予防に必要とされる、ビタミンKを
投与させず、1人の女児を死亡させる
という事件も起きている。

実は私は、(私の不勉強によるものだが)、
今日の今日まで、その言葉を知らなかった。
「ホメオパシーって何?」と、ワイフに
問いただしたほど。

だから先に、思いついたことを書いてみる。
ホメオパシーについて書く前に、信仰とは
何か。
そのあたりからかんがえてみたい。

+++++++++++++++++

●ルルドの奇跡

フランスにルルドという聖地がある。
奇跡を起こす聖地として、知られている。
毎年熱心なキリスト教の信者たちが、たくさん訪れている。
実際、何かの病気が治ってしまった人がいるという。
そのうちの66人は、「奇跡」と認定されているという。

ある人のHPでは、旅行記としてつぎのように紹介している。

『ルルドは1858年、洞窟に聖母マリアが出現、マリアが告げたところから水が湧き、
その水に浸かったり飲んだりすると難病が治り、瀕死の子供が助 かったことからカトリッ
クの聖地となった。年間500万人が訪れる世界最大の聖地は300ヘクタールの広大な
聖域に聖堂や教会、病院、宿泊施設を備えている。今回の旅はルルドに3連泊、パリに2
泊のゆったりとした旅程。疲労が少ないように配慮された。

「ルルドは大変優れたシステムの癒しの場です。重病人は駅に迎えを頼むこともできます。
車椅子の方や難病の方はもちろん、ベットから起きられない方もボランティアが何人もか
かって持ち上げ泉の水にザボンと浸けてくれるんです。我々も全員沐浴させていただきま
した。シスターは、ある参加者ががんだとわかると抱きしめて祝福してくれました。それ
も感動的でした。

お世話してくれるシスターやボランティアの方、街全体が病人の気持ちをわかってくれて
いる感じがします。ここでは病人が主役なんです。日本ではがん患者は近隣や仕事関係、
家族にまで『元気にみせなきゃ』と気を使う。でもここでは病人で大丈夫だし、カトリッ
クでなくてもひとりで天に祈れます。そんな癒しの場が日本にもあればと思います。ルル
ドの癒しのサポートシステムはぜひ、医療関係者に知ってもらいたい』(逸見晴恵氏HPよ
り、一部抜粋)と。

●信仰とは

 若いころ、ある寺にいたら、朝早く1人の信者がやってきた。
いわく、「今朝は、お礼参りにやってきました」と。
話を聞くと、孫娘の肺炎が治ったという。
一時は危篤状態に陥ったという。
その信者は、仏壇に現金の入った封筒を置き、何度も祈りなおしていた。
私はその姿を見て、こう思った。
「肺炎を治したのは、寺ではなく病院だ」と。

 が、こんな理屈は信者には通らない。
こんな話もある。

 ある女性の夫が交通事故で死んでしまった。
そのあとその女性に、3000万円の保険金が支払われた。
それについてその女性は、「3000万円も手に入ったのは、この信仰をしていた
おかげ」と。
そこでその女性は、うち1000万円を寺に寄付してしまった。
その寺では、1000万円以上の寄付をする信者を、「4桁会員」と呼んで、
特別な立場に置いていた。

 まだ、わからない?

 では、もうひとつの話をしよう。
ある宗教団体では、念力で病気を治すと教えている。
で、その団体の信者の息子が、ある重い病気にかかった。
病院へ連れて行けば治った病気だったという。
しかし親は病院へは連れて行かなかった。
念力で病気を治すとがんばって、一晩中、息子の枕元で祈った。
が、その甲斐もなく、息子は死んでしまった。

 ふつうなら、つまりふつうの常識のある親なら、その信仰から遠ざかる。
が、その親はますますその信仰に、のめりこんでいった。
「私たちの信仰が足りなかったから」と。

 もっとも自分たちの過ちを認めたら、自分たちが息子を殺してしまった
ことになる。
親としては、それを認めることはできない。

●心の救済

 医学では、人の心を救うことはできない。
病気を治すことはできるが、人の心を救うことはできない。
そのことは、あなた自身がいちばんよく知っているはず。

 だから年間500万人の人が訪れ、たった66人の人にしか奇跡が起きなかった
としても、人々は、ルルドに心の救済を求める。
あるいは夫が交通事故で死んでも、3000万円の保険金が入ったとしても、
その女性は、「信仰のおかげ」と、それを喜ぶ。

 さらに言えば、自分たちの信仰のせいで、息子が死んでしまったとしても、
その親は後悔しない。
「後悔」という部屋のドアをしっかりと、閉じてしまう。
「心」というのは、いつも常識の向こうの世界で動く。
だから常識で理解できないからといって、こうした事例を頭から否定してはいけない。
「科学」にしても、そうだ。

●丸山ワクチン

 「丸山ワクチン」というワクチンがある。
当初、あのワクチンは、「ただの水」と酷評された。
「だからいくら注射しても、がんには効かない」と。
多くの科学者や医師が、その使用に反対した。

 が、そのあとも丸山ワクチンでがんが治ったという人が続出した。
脳腫瘍が消えてしまった人もいる。
そこでいろいろ調べてみると、丸山ワクチンが、人間が本来的にもつ
免疫機構を刺激することがわかってきた。
そのスイッチとなる部分は、脳下垂体にあるという(伝聞)。
その結果、免疫機構が働き出す(伝聞)。
わかりやすく言えば、丸山ワクチンが免疫機構を目覚めさせるということになる。
だから、ほんの少量でよいということらしい(伝聞)。
一説によれば、数千万分の1ミリグラムとか、あるいはもう1桁多い、一億分の
1ミリグラムでもよいとか(伝聞)。
(このあたりの話は、あくまでも参考として読んでほしい。
内容は不正確。)

 つまり丸山ワクチンががん細胞を攻撃するのではなく、免疫機構を目覚めさせ、
その結果としてがんが治るということらしい(伝聞)。
人体の機構はそれほどまでに複雑で、かつ未解明な部分が多い。
だから「科学的に・・・」という理由だけで、それを否定したり、あるいは肯定した
りしてはいけない。
とくに「科学性がないから、エセ」という考えることには、私は疑問をもつように
なった。

「科学性」というときは、現在の時点までの科学的レベルを基準にする。
が、既知の分野より、未知の分野のほうがはるかに多い。
「科学性がない」というのは、あくまでも「既知の分野」で証明された科学性に
すぎない。
よい例が、鍼灸治療でいうところの「針治療」がある。
漢方薬治療でもよい。

 私が子どものころには、和漢、つまり日本の東洋医学は「完全に」と言っても
過言でないほど、社会の隅に追いやられていた。
「迷信」というよりは、迷信としても相手にされていなかった。

●ホメオパシー

 そこで今、話題になっている「ホメオパシー」。
信仰なのか、信仰でないのか。
科学性はあるのか、ないのか。
考え方の基本は、こうである。

 「植物や動物、鉱物などを希釈した水を染みこませた砂糖玉を飲む療法」(中日新聞)
と。
科学性ということになると、根拠はない。
日本医学会の高久会長は、「科学的にはまったく無意味だ。根拠のないことの広がりには
危機感をもたざるをえない」(同)と述べている。
「エセ科学」と断言する学者も多い。
が、私はそうとも言い切れないのではないかと考える。

私はひとつの判断基準として、「経過時間」をあげる。
つまりもしエセなら、その歴史的経緯の中で、とっくの昔に消えてなくなって
いるはず、と。
それが100年単位でつづいているというのなら、それを見る私たちは、もう
少し謙虚になってもよいのではないか。
ホメオパシーについても、約200年の歴史があるという。
(だからといって、ホメオパシーを肯定しているのではない。誤解のないように!)

 よい例が、先にあげた鍼灸である。
「針治療」である。
繰り返すが、あの針治療にしても、ほんの40年前には、エセ科学と位置づけられていた。
公然とそれを口にする人はいなかったが、そう考えられていた。
またそれを施す人たちのほとんどは、身体に障害をもつ人たちであった。
が、それがとんでもないまちがいだったということは、現在の状況を見ればわかる。

●毒蛇研究所

 丸山ワクチンについて書いているとき、こんなことを思い出した。
それに私には、もうひとつ、こんな経験がある。

 ブラジルのサンパウロ市公害に、「毒蛇研究所」という、恐ろしい研究所がある。
その研究所を訪れたときのこと。
案内をしてくれた所長がこんな話をしてくれた。
1975年ごろのことで、そういうものの考え方をする研究者は、日本には
いなかった。
つまり「毒を薄めると、薬になる」と。
(反対に、薬を濃くすると、毒になる。)

 そこでその研究所では、毒蛇から毒を採取し、それを何千倍とか、何万倍とかに
薄めて、薬として使用している、と。

 今度の「ホメオパシー」の発想は、どこかあの毒蛇研究所の所長が言った発想と
似ている。
あるいはどこかでつながっている?

●研究会?

 さて、本論。
長い前置きになってしまったが、「外堀」の話は、ここまで。

 で、問題なのは、「ホメオパシー」が、信仰化しているという点。
先にも書いたように、どこかの助産婦が、新生児を死亡させてしまったという
事件も起きている。
それで日本医学会でも問題になり始めた。

とくに、この日本では、医者をないがしろにするような行為や言葉にきびしい。
「治る」などという言葉は、医師でしか使えない。
「~~病に効果がある」と、病名を出すのも禁止。
「~~病が治った」というのも、禁止。

 だからこそ、こうした「治療法」を許せないのかもしれない。
自分たちの医療体系というよりは、寡占体系が崩れてしまう。
そこで「研究会」ということになった。

 今朝の中日新聞はつぎのように伝える。

+++++++++++以下、中日新聞++++++++++++

長妻昭厚生労働相は、8月25日、日本学術会議の金沢一郎会長が「ホメオパシー」と
呼ばれる代替医療の効果を否定する談話を発表したことを受け、「本当に効果があるのか
ないのか、厚労省で研究していく」と述べた。

(中略)

都内で開いた記者会見で、日本医学会の高久会長は、「日本学術会議からホメオパシーの
危険性を検討してほしいという依頼があり、科学的根拠がないと一致した」と述べた。
日本医師会の原中会長も、「科学的にはまったく無意味だ。根拠のないことの広がりには、
危機感をもたざるをえない」と強調した。

(中略)

金沢会長は24日に、「(これに頼ることで)、確実で有効な治療を受ける機会を逸する
可能性がある」との談話を発表。推進団体は反発している。

+++++++++++以上、中日新聞++++++++++++

●ハンゲコウボク湯信者

 ところで私にも、信仰(?)がある。
「ハンゲコウボク湯信者」という信仰である。
そういう私だから、当初、ホメオパシーという言葉を聞いたとき、一瞬だが、
こと「ホメオパシー」については、エセ科学とは言い切れないのではないか。
そう考えた。

そのものが効くというよりは、それが脳のある部分のスイッチをONの状態に
する。
とたんそれまで眠っていた、その病気に対する免疫機構が働き出す。
そういうことはありえる(?)。

 私が現在、毎晩眠る前に服用している「ハンゲコウボク湯」にしても、
そういう効果があるらしい。
ほんの微量(耳かきに一杯程度の量)で、がんの予防になるという。
東大の元薬学部長であった水野先生が、その効果を何かの研究の途中で偶然発見した
という。
また丸山ワクチンの開発をした、丸山氏とも親交があり、丸山氏の研究をを励ました
という記録も残っている(「丸山ワクチン」HP)。

以後、水野先生の周囲には、ハンゲコウボク湯信者が急速にふえていった。
恩師の田丸謙二先生(東大、元総長特別補佐、日本化学界元会長)もその1人で、
「林君ものんだら」と勧められて、以来12年近くのんでいる。

 が、ここから先が、信仰のおもしろいところ。
私とワイフは、その信者だが、そうして毎晩のむことによって、安心感を覚える。
「私たちはがんにならない」という安心感である。
信仰性があれば、さらに絶対的な安心感に変わる。 
あるいはそうした安心感が、免疫力を高めているのかもしれない。

 だからがん検診にしても、毎年たいへんおおまかなものしか受けていない。
しかしこれも「確実で有効な治療を受ける機会を逸する可能性がある」(金沢会長)
ということになるのだろうか。

●医療と心

 話が混乱してきた。
もう一度、整理してみる。

(1)フランスのルルドには、病気を治してもらいたいと、年間500万人もの人々が
訪れている。

(2)信仰には常識をはずれた盲目性がある。

(3)「科学性がないから……」という理由だけで、その治療法を否定するのは
危険なことである。

(4)ホメオパシーとは、いったい何なのか。

 その前に考えるべき第一の問題は、「医学で、心の救済はできるか」ということ。
このことは、自分の問題として考えてみると、わかりやすい。
話が戻るが、許してほしい。

 たとえばルルドには、毎年500万人の人たちが訪れているという。
みながみな、キリスト教を信じているわけではない。
が、そのうち奇跡によって病気が治ったと言われる人は、66人と言われている。
『このルルドで病気が治ったと自己申告をした人は、1862年以来6700人にのぼる
が、そのうち、ルルド聖地当局によって正式に奇跡と認定されたのは、たったの66人だ
けだ』(「ルルドの泉」HPより)と。

 確率から言えば、1万人に1人?
病気を治すということであれば、私の家の近くにある医療センターのほうが、はるかに
多くの人を治している。
が、毎年500万人の人たちが、救いを求めてルルドに向かう。
この日本でも、特別なツアーを組んでいる旅行社がいくつかある。
「特別」というのは、「病人の人のための」という意味である。

 「科学性」ということを言うなら、なぜ日本の医師会は、(厚労省でもよいが)、
ルルド巡りにメスを入れないのかということになる。
さらに科学性ということを言うなら、かつての「針治療」「丸山ワクチン」のときは、
どうだったのかということになる。
ただその一方で、科学を装った「ニセ科学」というのも、ある。
バランスをとるため、それについても書いておきたい。

●水からの伝言(ニセ科学)

 もちろんとんでもないエセ科学というのはある。
「水からの伝言」を例にあげるまでもない。
あれほどまでにバカげたエセ科学はない。

++++++++++++++++++++

09年7月に書いた原稿を再掲載します。

++++++++++++++++++++

●ニセ科学(pseudo science)
In Japan very strangely most of the young people believe that each man’s personal
character is decided by the blood type. It is only one of pseudo science, which widely
spread throughout Japan.

++++++++++++++++

家具屋の店員に、重い家具を搬入してもらった。
そのとき、私が「こんな家具、地震で倒れたら、たいへんだなア」と、ふと漏らすと、そ
の店員は、こう言った。
「重いから、倒れません」と。
私は、その言葉を聞いて、あっけに取られた。
血液型による性格判定についても、しかり。
つまり科学性、ゼロ!

++++++++++++++++

「Imidas、時事トレンド」の中に、こんな記事が載っていた。同志社大学教授の左
巻健男氏の書いたものだが、「人はなぜ、ニセ科学を信ずるのか?」というのが、それ。

 左巻氏は、ニセ科学として、いくつかの例をあげている。そのひとつが、マイナスイオ
ン。

(1) マイナスイオンとは、化学で学ぶ「陰イオン」ではなく、これに近いのが、大気科
学の「負イオン」である。「滝にマイナスイオンが発生している」と言うばあいには、負イ
オンだが、これが健康によいという根拠はない。

プラスイオンは「吸うと心身の状態が悪くなる」のに対して、マイナスイオンは空気を浄
化し、吸うと気持ちのイライラが解消し、ドロドロ血はサラサラに、アトピーや高血圧症
にも効き、健康にもいい」というのである。

これは「納豆ダイエット」でねつ造が発覚したテレビ番組「発掘、あるある大辞典」(フジ
テレビ系)が火付け役で、1999年から2002年にかけて、特集番組で驚くべき効能
がうたわれた。

そこから有名企業までが、マイナスイオン類似の効果をうたう商品を製品化し、エアコン、
冷蔵庫、パソコン、マッサージ機、ドライヤーや衣類、タオルなど、広範囲の商品が市場
に出されるに至った(以上、P162)、と。

 ニセ科学は、血液型による性格判定だけではなかったというわけである。電気店へ行く
と、たしかにその種のうたい文句を並べた商品は多い。私はマイナスイオンにとくにこだ
わっていたわけではないが、今度、新しく購入した冷蔵庫にも、それがあった。

 しかし左巻氏に言わせると、それもニセ科学だったとは! しかも火付け役が、あの「発
掘、あるある大辞典」だったとは! 

 左巻氏は、こうつづける。「マイナスイオン測定器でこれらを測定すると、1ccあたり、
数10万個との数値を示すが、空気の分子数とくらべると、微々たる数値にすぎないこと
に注意を要する」(同書)と。

 だからといって、つまりImidasにそう書いてあったからといって、左巻氏の意見
を全面的に信ずるのもどうか、ということにもなる。しかしここは、やはり科学者である
左巻氏の意見を尊重したい。相手が、「発掘、あるある大辞典」では、話にならない。
 左巻氏も書いているが、本当の問題は、こうしたニセ科学にあるのではなく、「人はなぜ、
ニセ科学を信ずるのか?」という部分。

 もうひとつ、こんな例をあげている。

(2) 容器に入った水に向けて、「ありがとう」と「ばかやろう」の「言葉」(文字)を書
いた紙を張り、その水を凍らせる。

すると「ありがとう」の水は、対称形の美しい六角形の結晶に成長し、「ばかやろう」の水
は、崩れた汚い形の結晶になるか、ならない。

ゆえに「水が言葉を理解する」と主張する『水からの伝言』(江本勝著)という本が話題に
なった。

水という物質が、言葉によって影響を受けるということはない(同書)、と。
 こんなアホなことは、だれにでもわかる。何も、左巻氏の説明を借りるまでもない。し
かし、だ。こんなアホな説を根拠に、教育界でも、「きれいな言葉を使いましょう」運動が
広まったという。

 理由は、「人間の体の6~7割は水だから」と。が、批判が高まると、「それに加担した
教育団体は、ホームページからその授業案を削除したが、いまもどこかで、こうした(道
徳)の授業が行われている」(同書)と。

 しかし、『水からの伝言』とは何か? 江本勝という人物は、どんな人物なのか? 少し
前、麻薬を所持していて逮捕された教育評論家がいた。彼は以前、「子どもにはナイフを持
たせろ」「親が子どもを信頼している証になる」と説いていた。

 その教育評論家は、都会で子どもたちによるナイフ殺傷事件がつづくと、いつの間にか、
自説をひっこめてしまった。私は、左巻氏の意見を読みながら、その教育評論家のことを
思い浮かべていた。

 で、さっそくヤフーの検索エンジンを使って調べてみると、それは、そこにあった。
いわく、「私たちは、水の結晶写真技術に基づいて、愛・感謝の気持ちが水を美しく変化さ
せるということを、実証してきました。水をきれいにすることにより、私たちの心身もき
れいになり、健康を取り戻し、本来持っている才能を開花することができるのです。水が
変われば世界が変わります。いっしょに波動と水の可能性を探究しましょう」(「水からの
伝言」HPより)と。

 どうやら、本気らしい。

 しかし……? 「?」マークを、1ccあたりに存在する水の分子の数ほど、つけたい。
その数は、約3x10の22乗!(ヤフー・知恵袋参照)

 数字で表してみると、こうなる。

300,0000,0000,0000,0000,0000個!

 しかし、左巻氏ではないが、どうして人は、こんな珍説を信ずるのだろう。あの占星術
にしても、そうだ。科学性は、さらに低い! ゼロどころか、ゼロにもならない!
 これも教育の欠陥といえば、それまでだが、その先には宗教があり、カルトもある。け
っして、軽く考えてはいけない。

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 
Hiroshi Hayashi education essayist writer Japanese essayist ニセ科学 非科学 納豆ダ
イエット マイナスイオン マイナス・イオン 水からの伝言 エセ科学 はやし浩司 
水からの伝言 水伝 水の結晶)

●ホメオパシーJ

 ホメオパシーJのHPでは、つぎのように説明している。

『……今から200年前にドイツの医師ハーネマンがその生涯をかけて確立させた療法で、
その起源は古代ギリシャのヒポクラテスまでさかのぼることができます。

ホメオパシーは同種療法あるいは類似療法と訳されている通り、「症状を起こすものは、そ
の症状を取り去るものになる」という「同種の法則」が根本原則になっています。

ハーネマンはこの「同種の法則」に、症状を起こすものを非常に薄めて使うことにより、体
に悪影響を与えることなく、症状だけを取っていくものとなるという「超微量の法則」を打
ち建て、安全で体にやさしく常習性を持たないホメオパシー療法を完成させました。

ホメオパシーでは症状を抑圧するのではなく、症状を出し切れるように後押しします。そ
うして初めて心身ともに健康になると考えます。 私達の心や細胞が抱える不自然なパター
ンを解放し、体の芯から健康を取り戻す自然療法、それがホメオパシーです』と。

 よくわからない……というより、「植物や動物、鉱物などを希釈した水を染みこませた砂
糖玉を飲む療法」(中日新聞)というのとは、少しちがうのではないか?
もう少し詳しく調べてみると、同団体のY氏が、朝日新聞社の記者のインタビューに
答えてつぎのように述べているのがわかった。

『……ここまで薄めると毒の物質は、事実上もう入っていないが、「薄める時によく振るこ
とで、毒のパターンが水に記憶される」と協会会長のYさんは解説する。

「自然治癒力が病気と闘っている時に現れるのが病気の症状。西洋医学は症状を緩和する
が治癒はさせない」。ホメオパシーで治せる病気は精神病から皮膚病まで多種多様で、がん
治療も可能かと聞くと、Yさんは「そうです」と力強く答えた』(朝日新聞)と。

 ……と思いつつ、「ホメオパシーJ」のHPを読んでいくと、「?」がいくつか頭の
中を横切った。

 どこかカルト化している?
そんな印象ももった。
「がん治療も可能と力強く答えた」というのは、ま・ず・い!

●レメディー

 「植物や鉱物などを高度に希釈した液体を小さな砂糖の玉」を、「レメディー」と
呼ぶらしい(同HP)。
その玉を「舌下に入れ、溶けるのを待ちます」と。
もう少し詳しく説明すると、つぎのようらしい。

『……レメディーは、舌下に入れて溶けるのを待ちます。基本的にレメディーを摂る20分
前後は、口の中に何も入れないよう指示されますが、レメディーを摂る20分前後に飲食を
すると効果がなくなるということはありません。時間的に余裕のない時は、飲食前後の20
分以内でも構いませんので、レメディーをお摂りください。

但し、コーヒーや香りの強いもの(ミントが含まれている歯磨き粉等)は、レメディーに影響
を与えることがありますので、レメディーを摂る前後20分ほどは、避けるようにしてくだ
さい。また、レメディーを摂り続ける期間中は、できるだけコーヒーを飲まないようにし
た方が賢明です。レメディーの作用を消してしまう場合もあると言われています。
メンソール、ユーカリ、樟脳などの香りが強い場所は、レメディーの保管に向いていませ
ん。

レメディーを摂る本人以外はレメディーに触れないようにしてください。レメディーに触
れると、多少触れた指からもエネルギーが入ってしまいます。しかし、緊急時や赤ちゃん・
動物等に与える場合には、かまわず自分の手に取ってすばやく口に入れてあげてください。
時間にゆとりがある場合には、スプーンなどを使ってレメディーを相手の口の中に入れて
あげるか、レメディーを水に入れて溶かし、その水を飲ませるなどの方法を取ってくださ
い』(同、HP)と。

 この中でとくに気になる部分は、『レメディーを摂る本人以外はレメディーに触れないよ
うにしてください。レメディーに触れると、多少触れた指からもエネルギーが入ってしま
います』というところ。

 レメディーに触れると、多少触れた指からも、「エネルギー」が入ってしまう、と。

 エネルギー?

 さらに「薄める時によく振ることで、毒のパターンが水に記憶される」という意見も
たいへん気になる。
毒のパターンが水に記憶される?
これなどは、まさにあの「水からの伝言」そのもの。

 またレメディーというのは、キャンディーのこと?
だったらそういうキャンディーなら、いくらでも市販されている。
いろいろなフルーツの味で作った、「森永キャンディー」というのもある。
私は子どものころ、大好物だった。
(だから虫歯だらけになってしまったが……。)
しかし「エネルギー」までは、考えなかった!

●私の印象

 私は実は、この原稿を書き始める前は、ホメオパシーに好意的というか、擁護的な
印象を抱いていた。
「200年前からあった」という、年数にも敬意を払った。
ひょっとしたら、人間が本来的にもつ免疫機構に、何らかの作用を及ぼすのではないかと
も考えた。
それに「科学性」という言葉には、両刃がある。
「科学性があるから……」といっても、すべてを信じてはいけない。
「科学性がないから……」といっても、すべてを否定してはいけない。

 しかし結論を先に言えば、やはりどうも胡散(うさん)臭い。
ホメオパシーJのHPを読めば読むほど、疑惑が強くなった。

……という程度にしか、今は書けないが、ともかくも胡散臭い。
科学性のあるなしを論ずる以前の問題のようでもある。
さらに言えば、信仰のレベルを超えて、カルト化している?
ホメオパシーについては、そんな印象ももった。

 今回は、外堀だけを埋め、この先は、もう少し様子をみてから書いてみたい。
何とも歯切れの悪い原稿で、ごめん!

 ホメオパシーは、本当に効果があるのかないのか。
その正体は何なのか。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司
 BW はやし浩司 ホメオパシー 自然治癒力 水からの伝言 ルルド 水伝 ニセ科
学 エセ科学 代替医療)


Hiroshi Hayashi+++++++Aug. 2010++++++はやし浩司※

【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●8月24日

++++++++++++++++

かわり映えのしない朝。
昨夜睡眠導入剤をのんだこともある。
時計を見ると、午前8時を過ぎていた。
たっぷりと9時間。
よく寝た。
何か寝起きに夢を見たようだが、
忘れた。

で、昨夜、義兄の家に寄った。
いろいろ話した。
その中で親子の話が出た。
「フランスでは、親子でも家の売買をする」と
話した。
つまり金の貸し借りには、親子でもシビア。
夫婦でもシビア。
オーストラリアの友人などは、夫婦で日本へ
来ても、お金を払うのはいつも夫。
夫が自分の財布からお金を払う。
夫が得た収入は夫のもの。
そういう意識がきわめて強い。

が、この日本では、私もそうだが、収入は
一度すべて妻に渡す。
だからレストランでもどこでも、勘定は
妻が払う。

そう言えば、シビアと言えば、中国人。
大陸から来た中国人。
夫の財産、妻の財産と、きびしく区別する。
その様子はまさに「他人」。
だからたとえば親子でも、そのあたりをきびしく
区別する。

親が子どもに学費を出したとする。
それはそのまま親の貸し金になり、
子どもの借金になる。

日本の常識は世界の常識ではない。
日本の常識をもとにして考えてはいけない。
たとえば話はぐんと生臭くなるが、
若いころ、こんなことがあった。
40年近くも前の話である。

友人(男、オーストラリア人)が、ガールフレンド
(女、日本人)を妊娠させてしまった。
(「妊娠させた」という言い方そのものが、
実に日本的だが・・・。)
そのときのこと。
私が「君は男だから、責任を取るべきだ」と言うと、
すかさずその友人は、こう反論した。
「妊娠したのは、女性の責任」と。

オーストラリア人の論理からすると、
「避妊をしなかった女性が悪い」となる。
意識というのはそういうもの。
私たちがもつ常識の上に成り立っている。
常識がちがえば、当然、意識もちがう。

そんな話をすると、義兄はカラカラと
笑いながら、「ここは日本だ!」と言った。
つまり日本人は日本人の考え方をすればよい、と。
そうかもしれない。
そうでないかもしれない。
というのも、今、急速に日本人がもつ常識が
変わりつつある。
それにつれて意識も変わりつつある。
夫婦でも、自分が得た収入は、それぞれのもの
と考える人が、ふえてきた。
共働きの人ほど、そういう意識が強い。
何も離婚に備えてのことではない。
たがいに収入の管理をすることによって、
出入りを厳格にするということらしい。

では親子のばあいはどうか。
昔の人は、「親のものは親のもの」
「子どものものも親のもの」という意識を
もっていた。
昔といっても、現在80歳以上の人たちの
ことを念頭に置けばよい。
だから「子どもが得た財産は、親のもの」と
考える。
私の父がそうだったし、母もそうだった。
私が母に預けていた預貯金を、母が勝手に
使ってしまったことがある。
それに私が抗議をすると、母はこう言った。
「息子のものを親が使って、何が悪い!」と。

何も母を責めているのではない。
当時は、それがこの日本の常識だった。
(若い人たちには、信じられない話かも
しれないが・・・。)

が、今はそんな考え方をする人はいない。
親の財産は親のもの。
子どもの財産は子どものもの。
つまり今は、その「過渡期」ということになる。
やがて日本人も欧米人のように、親子、夫婦の
間でも、財産を分けて考えるようになる。
世界の流れは、そういう方向に動いている。

+++++++++++++++++

●海が先か陸が先か(聖書の話)

 この地球には、海と陸がある。
恐らく・・・というより、地球が誕生したころの太古の昔には、
この地球には海しかなかったはず。
比重の重いもの(=陸)が下に沈み、比重の軽いもの(=海)が上に浮いた。
聖書の「世界の創造(The Creation of the World)」の中にもつぎのように
ある。

And God said,”Let the water under the sky be gathered to one place, and let dry ground
appear.” And it was so. God called the dry land “land”, and gathered waters he called
“seas”. And God saw that it was good.

 そして神は言った。「空の下の水をひとつの場所に集め、そして大地よ現れろ」と。
それでそうなった。神は乾いた土地を、「大地」と呼び、そして集めた水を「海」と
呼んだ。そして神はそれでよいとわかった。

 聖書の非科学性はよく話題になる。
しかし実際にはそうでなく、この一節を読んでもわかるように、海の中から大地を
作ったという話を読むと、ドキッとする。
もし地球が物理の公式どおりに誕生したなら、地球全体の地殻の厚さは同じはず。
またその上を覆う海の深さも、同じはず。
が、実際には、地殻の厚さは、大陸部で厚く、海洋部では薄い。
「水を集めた」というのは、要するに地殻の厚さを変えたということになる。

 話はそれたが、この地球では海が先に現れ、そのあと陸が現れた。

●20万年

 海が先でそのあと陸が現れた・・・。
この話を読んで、「どうでもいいことではないか」と思う人もいるかもしれない。
しかし地球のような惑星で、地球のように海と陸地をもっている惑星は、
今のところこの地球をおいてほかにない。

 実際には、ある日巨大隕石が地球に衝突し、その衝撃で地球がえぐられ、
そこに水が集まり、海になったと考えられている。
えぐられた地殻は、現在の「月」になったと考えられている。

 では、火星はどうだったのかということになる。
一説によると20万年の昔には、火星にも大陸と海があったという。
それが現在地球で起こりつつあるような温暖化が進み、火星は意味に見る
火星になったという。
ということは、火星にもかつては、知的生物がいたということになる。

「たった20万年前」という部分に注目してほしい。
太陽系の歴史(約60~70億年)と比べたら、まばたき程度のほんの一瞬。
太陽系の歴史の30万分の1に過ぎない(60億÷20万年で計算)。

 しかも、だ。
この「20万年」という数字に着目してほしい。
人類、つまり人間の祖先は、その20万年前に誕生している!

●聖書

 話がバラバラになってしまった。
これらの話と、地球温暖化の問題と結びつけるつもりはない。
しかしどうしても、結びついてしまう。
というのも、つい先日も書いたように、あの聖書という書物は、
現在の生き方を書いた書物ではなく、「終末時」における生き方を
書いた書物ではないかと、私は考えるようになった。

 この先地球は、火星化に向けてたいへんな時を迎える。
が、火星化が恐ろしいというのではない。
人間自らの行いの結果であるとするなら、受け入れるしかない。
しかしそこに至る過程の中で、私たちは地獄を経験する。
その地獄がこわい。
そこでは人間は、人間でなくなってしまう。
で、そのとき私たちはどのように生きたらよいのか。
それを示しているのが、聖書ではないか、と。

 もちろん科学書ではないから、それなりの不備はあちこちにある。
理解するのに、時間がかかる。
しかし読めば読むほど、矛盾がない。
ここに書いた、「海が先か、陸が先か」という問題にしても、聖書は「海が先だった」と
書いている。
フ~~ンと感心したので、ここにそれを記録として残しておく。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司
 BW はやし浩司 聖書 聖書の不思議 海と陸 大洋と大陸)


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●ホメオパシー(改)






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子育て最前線の育児論byはやし浩司   10年 9月 24日
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【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【代替医療】ホメオパシーについて考える前に

●まず先入観を捨てる

 あなたは「ホメオパシー」なる治療法をどう思うか。
まず先入観を捨ててみる。
その上で、この問題を考えて見る。

●ホメオパシー

+++++++++++++++++

少し遠巻き……とういうか、外堀を
先に埋めるような書き方をするが、
許してほしい。

今、「ホメオパシー」と呼ばれる、
いわゆる代替医療行為(?)が、
問題になっている。
どこかの助産婦が、新生児の頭蓋内出血
予防に必要とされる、ビタミンKを
投与させず、1人の女児を死亡させる
という事件も起きている。

実は私は、(私の不勉強によるものだが)、
今日の今日まで、その言葉を知らなかった。
「ホメオパシーって何?」と、ワイフに
問いただしたほど。

だから先に、思いついたことを書いてみる。
ホメオパシーについて書く前に、信仰とは
何か。
そのあたりからかんがえてみたい。

+++++++++++++++++

●ルルドの奇跡

フランスにルルドという聖地がある。
奇跡を起こす聖地として、知られている。
毎年熱心なキリスト教の信者たちが、たくさん訪れている。
実際、何かの病気が治ってしまった人がいるという。
そのうちの66人は、「奇跡」と認定されているという。

ある人のHPでは、旅行記としてつぎのように紹介している。

『ルルドは1858年、洞窟に聖母マリアが出現、マリアが告げたところから水が湧き、
その水に浸かったり飲んだりすると難病が治り、瀕死の子供が助 かったことからカトリッ
クの聖地となった。年間500万人が訪れる世界最大の聖地は300ヘクタールの広大な
聖域に聖堂や教会、病院、宿泊施設を備えている。今回の旅はルルドに3連泊、パリに2
泊のゆったりとした旅程。疲労が少ないように配慮された。

「ルルドは大変優れたシステムの癒しの場です。重病人は駅に迎えを頼むこともできます。
車椅子の方や難病の方はもちろん、ベットから起きられない方もボランティアが何人もか
かって持ち上げ泉の水にザボンと浸けてくれるんです。我々も全員沐浴させていただきま
した。シスターは、ある参加者ががんだとわかると抱きしめて祝福してくれました。それ
も感動的でした。

お世話してくれるシスターやボランティアの方、街全体が病人の気持ちをわかってくれて
いる感じがします。ここでは病人が主役なんです。日本ではがん患者は近隣や仕事関係、
家族にまで『元気にみせなきゃ』と気を使う。でもここでは病人で大丈夫だし、カトリッ
クでなくてもひとりで天に祈れます。そんな癒しの場が日本にもあればと思います。ルル
ドの癒しのサポートシステムはぜひ、医療関係者に知ってもらいたい』(逸見晴恵氏HPよ
り、一部抜粋)と。

●信仰とは

 若いころ、ある寺にいたら、朝早く1人の信者がやってきた。
いわく、「今朝は、お礼参りにやってきました」と。
話を聞くと、孫娘の肺炎が治ったという。
一時は危篤状態に陥ったという。
その信者は、仏壇に現金の入った封筒を置き、何度も祈りなおしていた。
私はその姿を見て、こう思った。
「肺炎を治したのは、寺ではなく病院だ」と。

 が、こんな理屈は信者には通らない。
こんな話もある。

 ある女性の夫が交通事故で死んでしまった。
そのあとその女性に、3000万円の保険金が支払われた。
それについてその女性は、「3000万円も手に入ったのは、この信仰をしていた
おかげ」と。
そこでその女性は、うち1000万円を寺に寄付してしまった。
その寺では、1000万円以上の寄付をする信者を、「4桁会員」と呼んで、
特別な立場に置いていた。

 まだ、わからない?

 では、もうひとつの話をしよう。
ある宗教団体では、念力で病気を治すと教えている。
で、その団体の信者の息子が、ある重い病気にかかった。
病院へ連れて行けば治った病気だったという。
しかし親は病院へは連れて行かなかった。
念力で病気を治すとがんばって、一晩中、息子の枕元で祈った。
が、その甲斐もなく、息子は死んでしまった。

 ふつうなら、つまりふつうの常識のある親なら、その信仰から遠ざかる。
が、その親はますますその信仰に、のめりこんでいった。
「私たちの信仰が足りなかったから」と。

 もっとも自分たちの過ちを認めたら、自分たちが息子を殺してしまった
ことになる。
親としては、それを認めることはできない。

●心の救済

 医学では、人の心を救うことはできない。
病気を治すことはできるが、人の心を救うことはできない。
そのことは、あなた自身がいちばんよく知っているはず。

 だから年間500万人の人が訪れ、たった66人の人にしか奇跡が起きなかった
としても、人々は、ルルドに心の救済を求める。
あるいは夫が交通事故で死んでも、3000万円の保険金が入ったとしても、
その女性は、「信仰のおかげ」と、それを喜ぶ。

 さらに言えば、自分たちの信仰のせいで、息子が死んでしまったとしても、
その親は後悔しない。
「後悔」という部屋のドアをしっかりと、閉じてしまう。
「心」というのは、いつも常識の向こうの世界で動く。
だから常識で理解できないからといって、こうした事例を頭から否定してはいけない。
「科学」にしても、そうだ。

●丸山ワクチン

 「丸山ワクチン」というワクチンがある。
当初、あのワクチンは、「ただの水」と酷評された。
「だからいくら注射しても、がんには効かない」と。
多くの科学者や医師が、その使用に反対した。

 が、そのあとも丸山ワクチンでがんが治ったという人が続出した。
脳腫瘍が消えてしまった人もいる。
そこでいろいろ調べてみると、丸山ワクチンが、人間が本来的にもつ
免疫機構を刺激することがわかってきた。
そのスイッチとなる部分は、脳下垂体にあるという(伝聞)。
その結果、免疫機構が働き出す(伝聞)。
わかりやすく言えば、丸山ワクチンが免疫機構を目覚めさせるということになる。
だから、ほんの少量でよいということらしい(伝聞)。
一説によれば、数千万分の1ミリグラムとか、あるいはもう1桁多い、一億分の
1ミリグラムでもよいとか(伝聞)。
(このあたりの話は、あくまでも参考として読んでほしい。
内容は不正確。)

 つまり丸山ワクチンががん細胞を攻撃するのではなく、免疫機構を目覚めさせ、
その結果としてがんが治るということらしい(伝聞)。
人体の機構はそれほどまでに複雑で、かつ未解明な部分が多い。
だから「科学的に・・・」という理由だけで、それを否定したり、あるいは肯定した
りしてはいけない。
とくに「科学性がないから、エセ」という考えることには、私は疑問をもつように
なった。

「科学性」というときは、現在の時点までの科学的レベルを基準にする。
が、既知の分野より、未知の分野のほうがはるかに多い。
「科学性がない」というのは、あくまでも「既知の分野」で証明された科学性に
すぎない。
よい例が、鍼灸治療でいうところの「針治療」がある。
漢方薬治療でもよい。

 私が子どものころには、和漢、つまり日本の東洋医学は「完全に」と言っても
過言でないほど、社会の隅に追いやられていた。
「迷信」というよりは、迷信としても相手にされていなかった。

●ホメオパシー

 そこで今、話題になっている「ホメオパシー」。
信仰なのか、信仰でないのか。
科学性はあるのか、ないのか。
考え方の基本は、こうである。

 「植物や動物、鉱物などを希釈した水を染みこませた砂糖玉を飲む療法」(中日新聞)
と。
科学性ということになると、根拠はない。
日本医学会の高久会長は、「科学的にはまったく無意味だ。根拠のないことの広がりには
危機感をもたざるをえない」(同)と述べている。
「エセ科学」と断言する学者も多い。
が、私はそうとも言い切れないのではないかと考える。

私はひとつの判断基準として、「経過時間」をあげる。
つまりもしエセなら、その歴史的経緯の中で、とっくの昔に消えてなくなって
いるはず、と。
それが100年単位でつづいているというのなら、それを見る私たちは、もう
少し謙虚になってもよいのではないか。
ホメオパシーについても、約200年の歴史があるという。
(だからといって、ホメオパシーを肯定しているのではない。誤解のないように!)

 よい例が、先にあげた鍼灸である。
「針治療」である。
繰り返すが、あの針治療にしても、ほんの40年前には、エセ科学と位置づけられていた。
公然とそれを口にする人はいなかったが、そう考えられていた。
またそれを施す人たちのほとんどは、身体に障害をもつ人たちであった。
が、それがとんでもないまちがいだったということは、現在の状況を見ればわかる。

●毒蛇研究所

 丸山ワクチンについて書いているとき、こんなことを思い出した。
それに私には、もうひとつ、こんな経験がある。

 ブラジルのサンパウロ市公害に、「毒蛇研究所」という、恐ろしい研究所がある。
その研究所を訪れたときのこと。
案内をしてくれた所長がこんな話をしてくれた。
1975年ごろのことで、そういうものの考え方をする研究者は、日本には
いなかった。
つまり「毒を薄めると、薬になる」と。
(反対に、薬を濃くすると、毒になる。)

 そこでその研究所では、毒蛇から毒を採取し、それを何千倍とか、何万倍とかに
薄めて、薬として使用している、と。

 今度の「ホメオパシー」の発想は、どこかあの毒蛇研究所の所長が言った発想と
似ている。
あるいはどこかでつながっている?

●研究会?

 さて、本論。
長い前置きになってしまったが、「外堀」の話は、ここまで。

 で、問題なのは、「ホメオパシー」が、信仰化しているという点。
先にも書いたように、どこかの助産婦が、新生児を死亡させてしまったという
事件も起きている。
それで日本医学会でも問題になり始めた。

とくに、この日本では、医者をないがしろにするような行為や言葉にきびしい。
「治る」などという言葉は、医師でしか使えない。
「~~病に効果がある」と、病名を出すのも禁止。
「~~病が治った」というのも、禁止。

 だからこそ、こうした「治療法」を許せないのかもしれない。
自分たちの医療体系というよりは、寡占体系が崩れてしまう。
そこで「研究会」ということになった。

 今朝の中日新聞はつぎのように伝える。

+++++++++++以下、中日新聞++++++++++++

長妻昭厚生労働相は、8月25日、日本学術会議の金沢一郎会長が「ホメオパシー」と
呼ばれる代替医療の効果を否定する談話を発表したことを受け、「本当に効果があるのか
ないのか、厚労省で研究していく」と述べた。

(中略)

都内で開いた記者会見で、日本医学会の高久会長は、「日本学術会議からホメオパシーの
危険性を検討してほしいという依頼があり、科学的根拠がないと一致した」と述べた。
日本医師会の原中会長も、「科学的にはまったく無意味だ。根拠のないことの広がりには、
危機感をもたざるをえない」と強調した。

(中略)

金沢会長は24日に、「(これに頼ることで)、確実で有効な治療を受ける機会を逸する
可能性がある」との談話を発表。推進団体は反発している。

+++++++++++以上、中日新聞++++++++++++

●ハンゲコウボク湯信者

 ところで私にも、信仰(?)がある。
「ハンゲコウボク湯信者」という信仰である。
そういう私だから、当初、ホメオパシーという言葉を聞いたとき、一瞬だが、
こと「ホメオパシー」については、エセ科学とは言い切れないのではないか。
そう考えた。

そのものが効くというよりは、それが脳のある部分のスイッチをONの状態に
する。
とたんそれまで眠っていた、その病気に対する免疫機構が働き出す。
そういうことはありえる(?)。

 私が現在、毎晩眠る前に服用している「ハンゲコウボク湯」にしても、
そういう効果があるらしい。
ほんの微量(耳かきに一杯程度の量)で、がんの予防になるという。
東大の元薬学部長であった水野先生が、その効果を何かの研究の途中で偶然発見した
という。
また丸山ワクチンの開発をした、丸山氏とも親交があり、丸山氏の研究をを励ました
という記録も残っている(「丸山ワクチン」HP)。

以後、水野先生の周囲には、ハンゲコウボク湯信者が急速にふえていった。
恩師の田丸謙二先生(東大、元総長特別補佐、日本化学界元会長)もその1人で、
「林君ものんだら」と勧められて、以来12年近くのんでいる。

 が、ここから先が、信仰のおもしろいところ。
私とワイフは、その信者だが、そうして毎晩のむことによって、安心感を覚える。
「私たちはがんにならない」という安心感である。
信仰性があれば、さらに絶対的な安心感に変わる。 
あるいはそうした安心感が、免疫力を高めているのかもしれない。

 だからがん検診にしても、毎年たいへんおおまかなものしか受けていない。
しかしこれも「確実で有効な治療を受ける機会を逸する可能性がある」(金沢会長)
ということになるのだろうか。

●医療と心

 話が混乱してきた。
もう一度、整理してみる。

(1)フランスのルルドには、病気を治してもらいたいと、年間500万人もの人々が
訪れている。

(2)信仰には常識をはずれた盲目性がある。

(3)「科学性がないから……」という理由だけで、その治療法を否定するのは
危険なことである。

(4)ホメオパシーとは、いったい何なのか。

 その前に考えるべき第一の問題は、「医学で、心の救済はできるか」ということ。
このことは、自分の問題として考えてみると、わかりやすい。
話が戻るが、許してほしい。

 たとえばルルドには、毎年500万人の人たちが訪れているという。
みながみな、キリスト教を信じているわけではない。
が、そのうち奇跡によって病気が治ったと言われる人は、66人と言われている。
『このルルドで病気が治ったと自己申告をした人は、1862年以来6700人にのぼる
が、そのうち、ルルド聖地当局によって正式に奇跡と認定されたのは、たったの66人だ
けだ』(「ルルドの泉」HPより)と。

 確率から言えば、1万人に1人?
病気を治すということであれば、私の家の近くにある医療センターのほうが、はるかに
多くの人を治している。
が、毎年500万人の人たちが、救いを求めてルルドに向かう。
この日本でも、特別なツアーを組んでいる旅行社がいくつかある。
「特別」というのは、「病人の人のための」という意味である。

 「科学性」ということを言うなら、なぜ日本の医師会は、(厚労省でもよいが)、
ルルド巡りにメスを入れないのかということになる。
さらに科学性ということを言うなら、かつての「針治療」「丸山ワクチン」のときは、
どうだったのかということになる。
ただその一方で、科学を装った「ニセ科学」というのも、ある。
バランスをとるため、それについても書いておきたい。

●水からの伝言(ニセ科学)

 もちろんとんでもないエセ科学というのはある。
「水からの伝言」を例にあげるまでもない。
あれほどまでにバカげたエセ科学はない。

++++++++++++++++++++

09年7月に書いた原稿を再掲載します。

++++++++++++++++++++

●ニセ科学(pseudo science)
In Japan very strangely most of the young people believe that each man’s personal
character is decided by the blood type. It is only one of pseudo science, which widely
spread throughout Japan.

++++++++++++++++

家具屋の店員に、重い家具を搬入してもらった。
そのとき、私が「こんな家具、地震で倒れたら、たいへんだなア」と、ふと漏らすと、そ
の店員は、こう言った。
「重いから、倒れません」と。
私は、その言葉を聞いて、あっけに取られた。
血液型による性格判定についても、しかり。
つまり科学性、ゼロ!

++++++++++++++++

「Imidas、時事トレンド」の中に、こんな記事が載っていた。同志社大学教授の左
巻健男氏の書いたものだが、「人はなぜ、ニセ科学を信ずるのか?」というのが、それ。

 左巻氏は、ニセ科学として、いくつかの例をあげている。そのひとつが、マイナスイオ
ン。

(1) マイナスイオンとは、化学で学ぶ「陰イオン」ではなく、これに近いのが、大気科
学の「負イオン」である。「滝にマイナスイオンが発生している」と言うばあいには、負イ
オンだが、これが健康によいという根拠はない。

プラスイオンは「吸うと心身の状態が悪くなる」のに対して、マイナスイオンは空気を浄
化し、吸うと気持ちのイライラが解消し、ドロドロ血はサラサラに、アトピーや高血圧症
にも効き、健康にもいい」というのである。

これは「納豆ダイエット」でねつ造が発覚したテレビ番組「発掘、あるある大辞典」(フジ
テレビ系)が火付け役で、1999年から2002年にかけて、特集番組で驚くべき効能
がうたわれた。

そこから有名企業までが、マイナスイオン類似の効果をうたう商品を製品化し、エアコン、
冷蔵庫、パソコン、マッサージ機、ドライヤーや衣類、タオルなど、広範囲の商品が市場
に出されるに至った(以上、P162)、と。

 ニセ科学は、血液型による性格判定だけではなかったというわけである。電気店へ行く
と、たしかにその種のうたい文句を並べた商品は多い。私はマイナスイオンにとくにこだ
わっていたわけではないが、今度、新しく購入した冷蔵庫にも、それがあった。

 しかし左巻氏に言わせると、それもニセ科学だったとは! しかも火付け役が、あの「発
掘、あるある大辞典」だったとは! 

 左巻氏は、こうつづける。「マイナスイオン測定器でこれらを測定すると、1ccあたり、
数10万個との数値を示すが、空気の分子数とくらべると、微々たる数値にすぎないこと
に注意を要する」(同書)と。

 だからといって、つまりImidasにそう書いてあったからといって、左巻氏の意見
を全面的に信ずるのもどうか、ということにもなる。しかしここは、やはり科学者である
左巻氏の意見を尊重したい。相手が、「発掘、あるある大辞典」では、話にならない。
 左巻氏も書いているが、本当の問題は、こうしたニセ科学にあるのではなく、「人はなぜ、
ニセ科学を信ずるのか?」という部分。

 もうひとつ、こんな例をあげている。

(2) 容器に入った水に向けて、「ありがとう」と「ばかやろう」の「言葉」(文字)を書
いた紙を張り、その水を凍らせる。

すると「ありがとう」の水は、対称形の美しい六角形の結晶に成長し、「ばかやろう」の水
は、崩れた汚い形の結晶になるか、ならない。

ゆえに「水が言葉を理解する」と主張する『水からの伝言』(江本勝著)という本が話題に
なった。

水という物質が、言葉によって影響を受けるということはない(同書)、と。
 こんなアホなことは、だれにでもわかる。何も、左巻氏の説明を借りるまでもない。し
かし、だ。こんなアホな説を根拠に、教育界でも、「きれいな言葉を使いましょう」運動が
広まったという。

 理由は、「人間の体の6~7割は水だから」と。が、批判が高まると、「それに加担した
教育団体は、ホームページからその授業案を削除したが、いまもどこかで、こうした(道
徳)の授業が行われている」(同書)と。

 しかし、『水からの伝言』とは何か? 江本勝という人物は、どんな人物なのか? 少し
前、麻薬を所持していて逮捕された教育評論家がいた。彼は以前、「子どもにはナイフを持
たせろ」「親が子どもを信頼している証になる」と説いていた。

 その教育評論家は、都会で子どもたちによるナイフ殺傷事件がつづくと、いつの間にか、
自説をひっこめてしまった。私は、左巻氏の意見を読みながら、その教育評論家のことを
思い浮かべていた。

 で、さっそくヤフーの検索エンジンを使って調べてみると、それは、そこにあった。
いわく、「私たちは、水の結晶写真技術に基づいて、愛・感謝の気持ちが水を美しく変化さ
せるということを、実証してきました。水をきれいにすることにより、私たちの心身もき
れいになり、健康を取り戻し、本来持っている才能を開花することができるのです。水が
変われば世界が変わります。いっしょに波動と水の可能性を探究しましょう」(「水からの
伝言」HPより)と。

 どうやら、本気らしい。

 しかし……? 「?」マークを、1ccあたりに存在する水の分子の数ほど、つけたい。
その数は、約3x10の22乗!(ヤフー・知恵袋参照)

 数字で表してみると、こうなる。

300,0000,0000,0000,0000,0000個!

 しかし、左巻氏ではないが、どうして人は、こんな珍説を信ずるのだろう。あの占星術
にしても、そうだ。科学性は、さらに低い! ゼロどころか、ゼロにもならない!
 これも教育の欠陥といえば、それまでだが、その先には宗教があり、カルトもある。け
っして、軽く考えてはいけない。

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 
Hiroshi Hayashi education essayist writer Japanese essayist ニセ科学 非科学 納豆ダ
イエット マイナスイオン マイナス・イオン 水からの伝言 エセ科学 はやし浩司 
水からの伝言 水伝 水の結晶)

●ホメオパシーJ

 ホメオパシーJのHPでは、つぎのように説明している。

『……今から200年前にドイツの医師ハーネマンがその生涯をかけて確立させた療法で、
その起源は古代ギリシャのヒポクラテスまでさかのぼることができます。

ホメオパシーは同種療法あるいは類似療法と訳されている通り、「症状を起こすものは、そ
の症状を取り去るものになる」という「同種の法則」が根本原則になっています。

ハーネマンはこの「同種の法則」に、症状を起こすものを非常に薄めて使うことにより、体
に悪影響を与えることなく、症状だけを取っていくものとなるという「超微量の法則」を打
ち建て、安全で体にやさしく常習性を持たないホメオパシー療法を完成させました。

ホメオパシーでは症状を抑圧するのではなく、症状を出し切れるように後押しします。そ
うして初めて心身ともに健康になると考えます。 私達の心や細胞が抱える不自然なパター
ンを解放し、体の芯から健康を取り戻す自然療法、それがホメオパシーです』と。

 よくわからない……というより、「植物や動物、鉱物などを希釈した水を染みこませた砂
糖玉を飲む療法」(中日新聞)というのとは、少しちがうのではないか?
もう少し詳しく調べてみると、同団体のY氏が、朝日新聞社の記者のインタビューに
答えてつぎのように述べているのがわかった。

『……ここまで薄めると毒の物質は、事実上もう入っていないが、「薄める時によく振るこ
とで、毒のパターンが水に記憶される」と協会会長のYさんは解説する。

「自然治癒力が病気と闘っている時に現れるのが病気の症状。西洋医学は症状を緩和する
が治癒はさせない」。ホメオパシーで治せる病気は精神病から皮膚病まで多種多様で、がん
治療も可能かと聞くと、Yさんは「そうです」と力強く答えた』(朝日新聞)と。

 ……と思いつつ、「ホメオパシーJ」のHPを読んでいくと、「?」がいくつか頭の
中を横切った。

 どこかカルト化している?
そんな印象ももった。
「がん治療も可能と力強く答えた」というのは、ま・ず・い!

●レメディー

 「植物や鉱物などを高度に希釈した液体を小さな砂糖の玉」を、「レメディー」と
呼ぶらしい(同HP)。
その玉を「舌下に入れ、溶けるのを待ちます」と。
もう少し詳しく説明すると、つぎのようらしい。

『……レメディーは、舌下に入れて溶けるのを待ちます。基本的にレメディーを摂る20分
前後は、口の中に何も入れないよう指示されますが、レメディーを摂る20分前後に飲食を
すると効果がなくなるということはありません。時間的に余裕のない時は、飲食前後の20
分以内でも構いませんので、レメディーをお摂りください。

但し、コーヒーや香りの強いもの(ミントが含まれている歯磨き粉等)は、レメディーに影響
を与えることがありますので、レメディーを摂る前後20分ほどは、避けるようにしてくだ
さい。また、レメディーを摂り続ける期間中は、できるだけコーヒーを飲まないようにし
た方が賢明です。レメディーの作用を消してしまう場合もあると言われています。
メンソール、ユーカリ、樟脳などの香りが強い場所は、レメディーの保管に向いていませ
ん。

レメディーを摂る本人以外はレメディーに触れないようにしてください。レメディーに触
れると、多少触れた指からもエネルギーが入ってしまいます。しかし、緊急時や赤ちゃん・
動物等に与える場合には、かまわず自分の手に取ってすばやく口に入れてあげてください。
時間にゆとりがある場合には、スプーンなどを使ってレメディーを相手の口の中に入れて
あげるか、レメディーを水に入れて溶かし、その水を飲ませるなどの方法を取ってくださ
い』(同、HP)と。

 この中でとくに気になる部分は、『レメディーを摂る本人以外はレメディーに触れないよ
うにしてください。レメディーに触れると、多少触れた指からもエネルギーが入ってしま
います』というところ。

 レメディーに触れると、多少触れた指からも、「エネルギー」が入ってしまう、と。

 エネルギー?

 さらに「薄める時によく振ることで、毒のパターンが水に記憶される」という意見も
たいへん気になる。
毒のパターンが水に記憶される?
これなどは、まさにあの「水からの伝言」そのもの。

 またレメディーというのは、キャンディーのこと?
だったらそういうキャンディーなら、いくらでも市販されている。
いろいろなフルーツの味で作った、「森永キャンディー」というのもある。
私は子どものころ、大好物だった。
(だから虫歯だらけになってしまったが……。)
しかし「エネルギー」までは、考えなかった!

●私の印象

 私は実は、この原稿を書き始める前は、ホメオパシーに好意的というか、擁護的な
印象を抱いていた。
「200年前からあった」という、年数にも敬意を払った。
ひょっとしたら、人間が本来的にもつ免疫機構に、何らかの作用を及ぼすのではないかと
も考えた。
それに「科学性」という言葉には、両刃がある。
「科学性があるから……」といっても、すべてを信じてはいけない。
「科学性がないから……」といっても、すべてを否定してはいけない。

 しかし結論を先に言えば、やはりどうも胡散(うさん)臭い。
ホメオパシーJのHPを読めば読むほど、疑惑が強くなった。

……という程度にしか、今は書けないが、ともかくも胡散臭い。
科学性のあるなしを論ずる以前の問題のようでもある。
さらに言えば、信仰のレベルを超えて、カルト化している?
ホメオパシーについては、そんな印象ももった。

 今回は、外堀だけを埋め、この先は、もう少し様子をみてから書いてみたい。
何とも歯切れの悪い原稿で、ごめん!

 ホメオパシーは、本当に効果があるのかないのか。
その正体は何なのか。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司
 BW はやし浩司 ホメオパシー 自然治癒力 水からの伝言 ルルド 水伝 ニセ科
学 エセ科学 代替医療)


Hiroshi Hayashi+++++++Aug. 2010++++++はやし浩司※

【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●8月24日

++++++++++++++++

かわり映えのしない朝。
昨夜睡眠導入剤をのんだこともある。
時計を見ると、午前8時を過ぎていた。
たっぷりと9時間。
よく寝た。
何か寝起きに夢を見たようだが、
忘れた。

で、昨夜、義兄の家に寄った。
いろいろ話した。
その中で親子の話が出た。
「フランスでは、親子でも家の売買をする」と
話した。
つまり金の貸し借りには、親子でもシビア。
夫婦でもシビア。
オーストラリアの友人などは、夫婦で日本へ
来ても、お金を払うのはいつも夫。
夫が自分の財布からお金を払う。
夫が得た収入は夫のもの。
そういう意識がきわめて強い。

が、この日本では、私もそうだが、収入は
一度すべて妻に渡す。
だからレストランでもどこでも、勘定は
妻が払う。

そう言えば、シビアと言えば、中国人。
大陸から来た中国人。
夫の財産、妻の財産と、きびしく区別する。
その様子はまさに「他人」。
だからたとえば親子でも、そのあたりをきびしく
区別する。

親が子どもに学費を出したとする。
それはそのまま親の貸し金になり、
子どもの借金になる。

日本の常識は世界の常識ではない。
日本の常識をもとにして考えてはいけない。
たとえば話はぐんと生臭くなるが、
若いころ、こんなことがあった。
40年近くも前の話である。

友人(男、オーストラリア人)が、ガールフレンド
(女、日本人)を妊娠させてしまった。
(「妊娠させた」という言い方そのものが、
実に日本的だが・・・。)
そのときのこと。
私が「君は男だから、責任を取るべきだ」と言うと、
すかさずその友人は、こう反論した。
「妊娠したのは、女性の責任」と。

オーストラリア人の論理からすると、
「避妊をしなかった女性が悪い」となる。
意識というのはそういうもの。
私たちがもつ常識の上に成り立っている。
常識がちがえば、当然、意識もちがう。

そんな話をすると、義兄はカラカラと
笑いながら、「ここは日本だ!」と言った。
つまり日本人は日本人の考え方をすればよい、と。
そうかもしれない。
そうでないかもしれない。
というのも、今、急速に日本人がもつ常識が
変わりつつある。
それにつれて意識も変わりつつある。
夫婦でも、自分が得た収入は、それぞれのもの
と考える人が、ふえてきた。
共働きの人ほど、そういう意識が強い。
何も離婚に備えてのことではない。
たがいに収入の管理をすることによって、
出入りを厳格にするということらしい。

では親子のばあいはどうか。
昔の人は、「親のものは親のもの」
「子どものものも親のもの」という意識を
もっていた。
昔といっても、現在80歳以上の人たちの
ことを念頭に置けばよい。
だから「子どもが得た財産は、親のもの」と
考える。
私の父がそうだったし、母もそうだった。
私が母に預けていた預貯金を、母が勝手に
使ってしまったことがある。
それに私が抗議をすると、母はこう言った。
「息子のものを親が使って、何が悪い!」と。

何も母を責めているのではない。
当時は、それがこの日本の常識だった。
(若い人たちには、信じられない話かも
しれないが・・・。)

が、今はそんな考え方をする人はいない。
親の財産は親のもの。
子どもの財産は子どものもの。
つまり今は、その「過渡期」ということになる。
やがて日本人も欧米人のように、親子、夫婦の
間でも、財産を分けて考えるようになる。
世界の流れは、そういう方向に動いている。

+++++++++++++++++

●海が先か陸が先か(聖書の話)

 この地球には、海と陸がある。
恐らく・・・というより、地球が誕生したころの太古の昔には、
この地球には海しかなかったはず。
比重の重いもの(=陸)が下に沈み、比重の軽いもの(=海)が上に浮いた。
聖書の「世界の創造(The Creation of the World)」の中にもつぎのように
ある。

And God said,”Let the water under the sky be gathered to one place, and let dry ground
appear.” And it was so. God called the dry land “land”, and gathered waters he called
“seas”. And God saw that it was good.

 そして神は言った。「空の下の水をひとつの場所に集め、そして大地よ現れろ」と。
それでそうなった。神は乾いた土地を、「大地」と呼び、そして集めた水を「海」と
呼んだ。そして神はそれでよいとわかった。

 聖書の非科学性はよく話題になる。
しかし実際にはそうでなく、この一節を読んでもわかるように、海の中から大地を
作ったという話を読むと、ドキッとする。
もし地球が物理の公式どおりに誕生したなら、地球全体の地殻の厚さは同じはず。
またその上を覆う海の深さも、同じはず。
が、実際には、地殻の厚さは、大陸部で厚く、海洋部では薄い。
「水を集めた」というのは、要するに地殻の厚さを変えたということになる。

 話はそれたが、この地球では海が先に現れ、そのあと陸が現れた。

●20万年

 海が先でそのあと陸が現れた・・・。
この話を読んで、「どうでもいいことではないか」と思う人もいるかもしれない。
しかし地球のような惑星で、地球のように海と陸地をもっている惑星は、
今のところこの地球をおいてほかにない。

 実際には、ある日巨大隕石が地球に衝突し、その衝撃で地球がえぐられ、
そこに水が集まり、海になったと考えられている。
えぐられた地殻は、現在の「月」になったと考えられている。

 では、火星はどうだったのかということになる。
一説によると20万年の昔には、火星にも大陸と海があったという。
それが現在地球で起こりつつあるような温暖化が進み、火星は意味に見る
火星になったという。
ということは、火星にもかつては、知的生物がいたということになる。

「たった20万年前」という部分に注目してほしい。
太陽系の歴史(約60~70億年)と比べたら、まばたき程度のほんの一瞬。
太陽系の歴史の30万分の1に過ぎない(60億÷20万年で計算)。

 しかも、だ。
この「20万年」という数字に着目してほしい。
人類、つまり人間の祖先は、その20万年前に誕生している!

●聖書

 話がバラバラになってしまった。
これらの話と、地球温暖化の問題と結びつけるつもりはない。
しかしどうしても、結びついてしまう。
というのも、つい先日も書いたように、あの聖書という書物は、
現在の生き方を書いた書物ではなく、「終末時」における生き方を
書いた書物ではないかと、私は考えるようになった。

 この先地球は、火星化に向けてたいへんな時を迎える。
が、火星化が恐ろしいというのではない。
人間自らの行いの結果であるとするなら、受け入れるしかない。
しかしそこに至る過程の中で、私たちは地獄を経験する。
その地獄がこわい。
そこでは人間は、人間でなくなってしまう。
で、そのとき私たちはどのように生きたらよいのか。
それを示しているのが、聖書ではないか、と。

 もちろん科学書ではないから、それなりの不備はあちこちにある。
理解するのに、時間がかかる。
しかし読めば読むほど、矛盾がない。
ここに書いた、「海が先か、陸が先か」という問題にしても、聖書は「海が先だった」と
書いている。
フ~~ンと感心したので、ここにそれを記録として残しておく。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司
 BW はやし浩司 聖書 聖書の不思議 海と陸 大洋と大陸)


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Hiroshi Hayashi+++++++Aug. 2010++++++はやし浩司

【父と子(親子断絶の問題)】

●葛藤する父子

+++++++++++++++++++++

20年ぶりか、何年かぶりに、父と子が再会する。
連絡を受けて子が病院へかけつけると、父は
臨終状態。
枕元には、思い出の品々が並んでいる……。
その中に古ぼけた一冊の本。
その本を開くと、子が子どものころに描いた絵。
それを見て子は涙を流す。
父は目で子を許す。

映画によく出てくるシーンである。
映画『送り人』の中にも、そんなようなシーンがあった。
最近見たDVDの『カイル』の中にも、そんなようなシーンがあった。

父と子、とくに父と息子は、そういう形で断絶しやすい。
私の知り合いにも、30年以上、たがいに会っていない
という父子(父親、84歳、息子50歳前後)がいる。

何かがあったのだろう……というより、その(何か)が、
引き金となってそこでそれまでの(わだかまり)が
一気に爆発する。
そしてそれが「永遠の別れ」になる。

が、たがいに悶々とした気分で、日々を過ごす。
一日とて気が晴れることはない。
それが臨終の場で、同じように爆発的に解消される。

……というのは、映画の中の話。
映画『マジソン郡の橋』の最後も、そのようなシーンで
終わっていた。
が、現実は、もう少し生々しい。

++++++++++++++++++++++

●ある補導で

 ずいぶんと前のことだが、テレビでこんなシーンを見た。
東京のK町といえば、世界に名だたる歓楽街。
その歓楽街で、深夜遅くたむろする少女たち。
ものほしそうな目つきで、通行人をながめている。
 
 そこへレポーターが、突撃取材を試みる。
「年齢は?」「住んでいることは?」「お母さんは?」と。

 それに答えて、まだあどけなさを残している少女たちが、
「中学だヨ」「ウッセーナー」「親なんて関係ネーダロ」と。

 が、レポーターは、何とか1人の少女を説得して、
名前と住所を聞き出す。
ついでに電話番号も聞きだす。

 そこでレポーターはその電話番号に、電話をする。
が、ここで意外な展開となる。
レポーターが家に電話をすると、母親が電話口に出る。
その母親が、こう言う。

「そんな子は、どうなってもいいです。知りません。
私には関係ありません」と。
(詳しい内容は、後述。)

 ここで私がもっていた「親だから……」「子だから……」
という常識が、ひっくり返る。

 そこでレポーターを携帯電話を少女に回す。
少女は、母親と直接話す。
が、話し合い始めたとたん、喧嘩。
最後に母親は、その少女(娘)にこう言う。

「うちへなんか、戻ってくるんじゃ、ないわよ」と。
つまり「あんたとはもう関係ない」と。

●親子であるが故に

 こうした事例を、極端なケースとみるか?
それとも例外的な事例とみるか?
あるいはごくありふれた事例とみるか?
程度の差もあって、統計的な数字で表すことはむずかしい。
しかし親子といっても、基本的には1対1の人間関係。
壊れるときには、壊れる。
が、それだけではない。
親子であるが故に、確執も深く、溝も大きい。

 が、ここで誤解してはいけないことがある。
こうした断絶は、ある日突然、一回の事件で起こるものではない。
そこに至るには、それまでの長い過去がある。
葛藤がある。
根が深い。
それが積もりに積もり、ある臨界点に達したとき、爆発する。
爆発して、断絶する。
だから先の番組の中で、レポーターが電話で説得したくらいで、
氷解するような問題ではない。
それで「万事、めでたし」と終わるというような問題ではない。

●面会

 映画を例にとるなら、ああした映画は、多くは若い制作者によって、
作られたものではないかということ。
つまり「子」の立場で作られたもの。
「親」の立場ではない。
そう考えてよい。

 つまり「子」というのは、「親」というより、「親」という言葉に、
かぎりない幻想とあこがれをもちやすい。
つまりそこに自分の理想像を入れ混ぜてしまう。
そして勝手に、「親は、こうあるべき」という「像」を作ってしまう。

 その結果、20年ぶりに病院で再会したとき、「親は子を許し……、
子は親を許し……」となる。
感動的なシーンだが、先にも書いたように、現実はもう少し生々しい。

 私が親なら、こう思うかもしれない。
「20年も、私を放っておいて、何を今さら……」と。
実際、そういう映画もあった。

 やはり20年ぶりくらいで子(息子)が病院へかけつけてみると、
親(父親)の方が面会を拒絶する。
「会いたくない」と。
子は病室のドアの外で、父の死を見送る。
つまり親といっても、1人の人間。
神様でも仏様でもない。
会いたくないものは、会いたくない。
親だから子どもの過ちを、すべて許すというわけではない。
またそれをしないからといって、親の愛の深さを疑ってはいけない。

●ふつうの人間

 否定的なことを書いた。
理想としては、また映画としては、親子が許し合いながら、
ハッピーエンドで終わるのがよい。
またそのほうが、感動的。

 しかしこの私も60歳を過ぎるころから、考え方が少しずつ変わってきた。
先に書いた私の知り合いの話を知ったときのこと。
父親の年齢は84歳。
息子は50歳くらいと聞いているが、詳しいことは知らない。
ひとり息子。
息子は大学を卒業すると家を飛び出し、以後、一度も家には帰っていない。
母親とはどうかということになるが、よくわからない。
父親の話によれば、母親とも連絡を取っていないようである。
言い忘れたが、母親も今年84歳になり、今は有料の老人ホームにいる。

 その父親は、当然のことながら(?)、息子の話になると
顔をそむける。
ただときどき、「あいつも早く嫁さんを見つけるといい」と言う。
またそれが口癖になっている。
が、その程度。

●幻想と現実

 で、そういう話を知ったとき、私は、こう思った。
「いつかは父子で、許し合うときがくるだろう」と。
しかし今は、ちがう。
「父のほうが、許さないだろうな」と。
最期の最期であればなおさら、もしそこで許してしまえば、
父親は自己否定をすることになってしまう。
「愛」とか「愛の深さ」とか、そんなロマンチックな話ではない。
つまりそれが現実ということ。
もし私がその知り合いなら、私は許さないまま、死ぬ。
面会に来ても、会わない。
それで地獄へ堕ちようとも、息子が作りあげた幻想とあこがれを
容認するよりはよい。

 つまり親だって、ふつうの人間。
だからこそ、許せることと許せないことがある。
息子が、(娘でもよいが)、その一線を越えたとき、「たとえ子でも
許せない」と、なる。
それはまさに自分の人生観をかけた闘いということになる。
もう一言、念を押すなら、こういうことになる。

 先に「親子の確執」という言葉を使った。
が、その確執というのは、何も、子どものほうだけの問題ではないということ。
親の方にも、ある。
親の方の確執が爆発することもある。

●ある姉・弟

 これは親子の話ではない。
姉・弟の話である。

 弟氏は生涯、定職にはつかなかった。
そのため弟氏は歯科医師の妻をしていた姉氏のところへ来ては、生活費を
受け取っていた。
弟氏には、3人の息子と娘がいたが、その学費もすべて姉が負担した。

 それに加えて弟氏は女性にだらしなく、浮気はし放題。
偽物だったがロレックスの腕時計を身につけて、夜の繁華街を遊び歩いた。
で、50歳を過ぎるころから、姉氏は、弟氏と距離を置くようになった。
それまでは言うなりにお金を出していたが、姉氏は躊躇するようになった。
とたん弟氏は、泣き落とし戦術に出るようになった。
しかも回数が減った分だけ、額がふえた。
それまでは20~50万円という少額だったが、200~500万円の
高額になった。
ときに1000万円を超えることもあった。

 そのつど弟氏は借用書を用意し、勝手に姉氏のところに置いていった。
まったく意味のない借用書だった。
姉氏もそれをよく知っていた。

 で、その姉氏が、85歳で倒れた。
再発した乳がんが、体中に転移していた。
そのときのこと。
弟氏は、何度か見舞いにきたというが、姉氏は、最期の最期まで、
弟氏には会わなかったという。
そばにいる人たちに、「X男(=弟)だけは、部屋に入れるな」と、
いつも言っていた。
「葬儀にも出てほしくない」とも。

 が、ノー天気な弟氏にはそれがわからない。
葬儀の席にやってきて、みなの前で大泣きをしてみせたという。
私はその話を聞いたとき、こう思った。
「私がYさん(=姉氏)なら、化けて出てやる!」と。

●確執

 「確執」というのは、そういうものかもしれない。
つまりたがいに平等というのではない。
多くのばあい、一方的なもの。
子が親にいだく確執。
しかし親はそれに気づかない。
反対に親が子にいだく確執。
しかし子はそれに気づかない。
気づかないまま、どちらか一方が、ある日突然爆発する。

 何も親子、兄弟にかぎらない。
夫婦の間でも、それはよく起こる。
20~30年前から「定年離婚」という言葉が、よく聞かれるようになった。
夫が定年で退職したとたん、妻のほうから離婚を申し出る。
このばあいも、夫にとっては寝耳に水……というケースがほとんどという。
妻の方はその何年も前から、離婚の準備に入る。
が、夫のほうは、それに気づかない。
気づかないまま、「私たちはいい夫婦」という幻想にしがみつく。
だから夫は、あわてる。
狼狽する。
「どうして離婚?」と。

 こうしたケースのばあい、たとえば夫(元夫)が臨終を迎えたとしても、
妻(元妻)は、その場にはかけつけないだろう。
いわんやたがいに許し合うなどということは、ありえない。
(アメリカ映画などでは、そういうシーンもよくあるが、日本では
考えられない。)

 「夫婦と親子はちがう」と言う人もいる。
たしかに母子関係、つまり母と子の関係には、特別なものがある。
しかし父子関係は、母子関係とくらべると、ずっと希薄。
「精液、ひとしずくの関係」と言ってもよい。
私がここで問題にしているのは、父子関係。
母子関係ではない。

●なぜか?

 臨終の場で息子との面会を拒絶する父親。
娘との面会でもよい。
しかしそれは息子を許せないからではない。
こういうケースのばあい、父親は自分を許せない。
つまり自分という、「親バカ」を許せない。
たとえば『許して、忘れる』という言葉がある。
しかしそれは自分以外の人に向かって使う言葉。
自分自身については、『許して、忘れる』は、使えない。
だから親はもがく。
苦しむ。
それは心を引き裂くような苦しみといってもよい。
その過程で、親は息子を消し、娘を消す。
とことん、消す。
たとえ息子にせよ、娘にせよ、どこかでのたれ死にしたところで、
何も感じない。
そこまで自分を消さないと、その苦しみから逃れることはできない。

 で、その息子にせよ、娘にせよ、それが臨終の場にやってきて、「お父さん!」と
声をかける。
そのとき父親は、「おお、お前か!」と言うことができるだろうか。

 ここから先は私の想像になる。
なるが、私なら、言えない。
息子にせよ、娘にせよ、「何を今さら……」となる。

 東京のK町でたむろしていた少女と母親の関係を、思い浮かべてみればよい。
その少女の母親は、娘の不幸を、とことん願っていた。
「そんな親がいるのか?」と思う人もいるかもしれない。
しかし現実には、いる。
こんな話を、以前、ワイフから聞いたことがある。

 実の娘に対して、「あんたが不幸になるのを、墓場の中から
見届けてやる!」と。
それを口癖にしている、実の母親がいるという。
親子関係でも、こじれると、親子であるがゆえに、そこまでこじれる。

+++++++++++++++++

原稿をさがしていたら、先のK町で
たむろしていた少女について書いた
原稿が見つかりました。

日付は、2006年の4月になって
いました。
そのまま再掲載します。

+++++++++++++++++

●幻惑からの脱出

++++++++++++++++

親子であるがゆえに生まれる、
強烈な関係。そしてそれが生まれる
束縛感。

これを心理学の世界では、「幻惑」という。
しかし実際には、そうでない親子も多い。

そうでないというのは、親子関係と
いっても、心理学の教科書どおりには
いかないケースも、あるということ。

++++++++++++++++
 
テレビ局のレポーターが、一人の少女に話しかけた。

レポーター「学校は、行っているの?」
少女「行ってない」
レ「いつから?」
少「もう、3か月になるかなア」

レ「中学生でしょう?」
少「一応ね」
レ「お父さんや、お母さんは、心配してないの?」
少「心配してないヨ~」

 東京の、あるたまり場。まわりでは、それらしき仲間が、じっと二人の会話を聞いてい
る。その少女は、埼玉県のA市から来ているという。家出をして、すでに3か月。居場所
も転々と、かえているらしい。

レ「おうちに電話してみようかしら?」
少「ハハハ、無駄よ」
レ「無駄って?」
少「だって、さア~」と。

 「家族」には、家族というひとつの、まとまりがある。そのまとまりは、ある種の束縛
をともなう。それを「家族自我群」という。しかしその束縛というか、それから生まれる
束縛感には、相当なものがある。

 たとえば親子という関係で考えてみよう。

 いくら親子関係がこじれたとしても、親子は親子……と、だれしも考える。そのだれし
も考えるところが、「家族自我群」というところになる。

 しかしさらにその関係がこじれてくると、親子は、その幻惑に苦しむようになる。こん
な例がある。

 ある父親には、生活力がなかった。バクチが好きだった。そこでその父親は、生活費が
必要になると、息子の勤める会社まで行って、小遣いをせびった。息子は、東京都内でも、
大企業のエリートサラリーマンだった。父親はそこで、息子が仕事を終えて出てくるのを
待っていた。

 息子は、そういう父親に苦しんだが、しかし父親は父親。そのつど、いくらかの生活費
を渡していた。

 多分、「お父さん、もう、かんべんしてくれよ」、「いや、今度だけだよ。すまん、すまん」
というような会話をしていたのだろうと思う。もちろん、その反対の例もある。

 ある息子(30歳)は、道楽息子で、放蕩(ほうとう)息子。仕事らしい仕事もせず、
遊びまわっていた。いつも女性問題で、両親を困らせていた。

 そういう息子でも、息子は息子。両親は、息子にせびられるまま、小遣いを渡し、新車
まで買い与えていた。

 これらの例からもわかるように、親子であるがゆえに、それが理由で、そのどちらかが
苦しむことがある。「縁を切る」という言葉もあるが、その縁というのは、簡単には切れな
い。もちろん親子関係も、それなりにうまくいっている間は、問題は、ない。むしろ親子
であるため、絆(きずな)も太くなる。が、そうでないときは、そうでない。ときには、
人格否定、自己否定にまで進んでしまう。

 ある地方では、一度、「親捨て」のレッテルを張られると、親戚づきあいはもちろんのこ
と、近所づきあいもしてもらえないという。実際には、郷里にすら帰れなくなるという。

 反対にある男性(現在、50歳くらい)は、いろいろ事情があって、実の母親の葬儀に
出ることができなかった。以後、その男性は、それを理由にして、ことあるごとに、「自分
は人間として、失格者だ」と、苦しんでいる。

 家族自我群から発生する幻惑というのは、それほどまでに強力なものである。

 が、親子の関係も、絶対的なものではない。切れるときには、切れる。行きつくところ
まで行くと、切れる。またそこまで行かないと、親であるにせよ、子どもであるにせよ、
この幻惑から、のがれることはできない。

 冒頭の少女は、何とか、レポーターに説得されて、母親に電話をすることになった。こ
れからは、私が実際、テレビで聞いた会話である。そうでない親子には信じられないよう
な会話かもしれないが、実際には、こういう親子もいる。

少女「やあ、私よ…」
母親「何よ、今ごろ、電話なんか、してきて…」
少「だからさあ、テレビ局の人に言われて…」
母「それがどうしたのよ。あんたなんか、帰ってこなくていいからね」

 その少女の話によれば、父親は、ごくふつうのサラリーマン。家庭も、どこにでもある
ような、ごくふつうのサラリーマン家庭だという。

 そこで少女にかわって、レポーターが電話に出た。

レポーター「いろいろあったとは思うのですが、お嬢さんのこと、心配じゃありませんか?」
母親「自分で勝手に、家を出ていったんですから…」
レ「そうは言ってもですねえ、家出して3か月になるというし…。まだ中学生でしょう?」
母「それがどうかしましたか? あなたには、関係のないことでしょう。どうか、私たち
のことは、ほうっておいてください」と。

 こうした幻惑から逃れる方法は、ただひとつ。相手が親であるにせよ、子どもであるに
せよ、「どうでもなれ」と、最後の最後まで、行きつくことである。もちろんそれまでに、
無数のというか、常人には理解できない葛藤というものがある。その葛藤の結果として、
行きつくところまで、行く。またそうしないと、親子の縁は切れない。

 「もう、親なんて、クソ食らえ。のたれ死んでも知るものか」「娘なんて、クソ食らえ。
どこかで殺人事件に巻きこまれても知るものか」と、そこまで行く。行かないと、この幻
惑から逃れることはできない。

 が、問題は、そこまで行かないで、その幻惑の中で、悶々と苦しんでいる人が多いとい
うこと。たいへん多い。ある女性は、見るに見かねて、自分の母親のめんどうをみている。
母親は、今年、80歳を超えた。

 その女性が、こう言った。

 「近所の人に、あなたは親孝行な方ですねと言われるくらい、つらいことはない。私は、
何も、親孝行をしたくて、しているのではない。ただ見るにみかねて、そうしているだけ。
本当は、あんな母親は、早く死んでしまえばいいと、いつも思っている。だから親孝行だ
なんてほめられると、かえって、みんなに、請求されているみたいで、不愉快」と。

 あなたは、この女性の気持ちが理解できるだろうか。もしできるなら、親子の問題に、
かなり深い理解力のある人と考えてよい。

 もしあなたが今、相手が親であるにせよ、子どもであるにせよ、ここでいう幻惑に苦し
んでいるなら、方法はただひとつ。徹底的に行きつくところまで行く。そしてそのあとは
割り切って、つきあう。それしかない。

 この家族自我群による幻惑には、そういう問題が含まれる。

 で、ここまで話したら、ワイフがこう言った。

 「夫婦の間にも、同じような幻惑があるのではないかしら?」と。つまり夫婦でも、同
じような幻惑に苦しむことがあるのではないか、と。

 いくら夫婦げんかをしても、どこかで相手のことを心配する。もし心配しなければ、そ
そのとき、夫婦関係は終わる。そのまま離婚ということになる、と。

ワイフ「夫婦のばあいは、最終的には、別れることができるからね。でも、親子ではそれ
ができないでしょう。少なくとも、簡単にはできないわ。だから、よけいに、苦しむのね」
と。
私「ぼくも、そう思う。つまりそれくらい、家族自我群による幻惑は、強力なものだよ」
と。

 幻惑……今も、多くの人が、家族という(しがらみ)(重圧感)の中で苦しんでいる。し
かしそれは、どこか東洋的。どこか日本的。

 あなたという親が幻惑に苦しむのは、しかたないとしても、あなたの子どもは、この幻
惑から解放してやらねばならない。具体的には、子どもが、親離れを始める時期には、親
自身が、子どもに親離れができるように、仕向けてあげる。

 こうすることによって、将来、子どもが、その幻惑に苦しむのを防ぐ。まちがっても、
ベタベタの親子関係で、子どもをしばってはいけない。親孝行を子どもに求めたり、それ
を強要してはいけない。いつか子ども自身が自分で考えて、親孝行をするというのであれ
ば、それは子どもの問題。子どもの勝手。

 世界的にみても、日本人ほど、親子の癒着度が高い民族はそうはいない。それがよい面
に作用することもあるが、そうでないことも多い。それが本来あるべき、(人間)の姿かと
いうと、そうではないのではないか。議論もあるだろうと思うが、ここで、一度、家族自
我群というものがどういうものか、考えてみることは、決して無駄なことではないように
思う。

 先の少女について、ワイフはこう言った。「実の娘でも、そこまで言い切る母親がいるの
ね。何があったのかしら?」と。

【付記】

 心理学の世界でも、「幻惑」という言葉を使う。家族という、強力な束縛感から生まれる、
重圧感をいう。

 この重圧感は、ここにも書いたが、それで苦しんでいる人にとっては、相当なものであ
る。

 ある女性(35歳)は、その夜、たまたま事情があって、家に帰っていた。その間に、
父親が、息を引き取ってしまった。「その夜だけ、5歳になる娘のことが心配で、家に帰っ
たのですが……」と。

 そのことを、義理の父親が、はげしく責めた。「父親の死に目にも立ち会えなかったお前
は、人間として、失格者だ」「娘なら、寝ずの看病をするのが、当然だ」と。

 以来、その女性は、ずっと、そのことで悩んでいる。苦しんでいる。そう言われたこと
で、心に大きなキズを負った。

しかし、だ。その義理の父親氏は、そういう言い方をしながら、「自分のときは、そうい
うことをするな」と言いたかったのだ。家族自我群をうまく利用して、子どもをしばり
つける人が、よく用いる話法である。自分の保身のために、である。だから私は、その
女性にこう言った。

 「そんな老人の言うことなど、気にしないこと。私があなたの父親なら、こう言います
よ。『また、あの世で会おうね。ゆっくり、おいで』と」と。

 この自我群は、親・絶対教の基本意識にもなっている。つまり、カルト。それだけに、
扱い方がむずかしい。ひとつまちがえると、こちらのほうが、はじき飛ばされてしまう。
だから、適当に、妥協するところはして、そういう人たちとつきあうしかない。そういう
人たちに抵抗しても、意味はないし、この問題は、もともと、あなたや私の手に負えるよ
うな問題ではない。

 ただつぎの世代の人たちは、この家族自我群でしばってはいけない。少なくとも、子ど
もが、いつか、自我群で苦しむような下地を、つくってはいけない。

 いつか、あなたの子どもが巣立つとき、あなたは、こう言う。

 「たった一度しかない人生だから、思う存分、この広い世界を、はばたいてみなさい。
親孝行? くだらないことは考えなくていいから、前だけを見て、まっすぐ、進みなさい。
家の心配? バカなことは考えなくていいから、お前たちは、お前たちの人生を生きてい
きなさい」と。

 こうして子どもの背中をたたいてあげてこそ、親は、親としての義務を果たしたことに
なる。

 親としては、どこかさみしいかもしれないが、そのさみしさにじっと耐えるのが、親の
愛というものではないだろうか。

【付記2】

 家族自我群から生まれる幻惑を、うまく使って、親としての保身をはかる人は多い。こ
のタイプの親は、独特の言い方をする。

 わざと息子や娘の聞こえるようなところで、ほかの親孝行の息子や娘を、ほめるのも、
それ。「Aさんとこの息子は、偉いものだ。親に、今度、離れを新築してやったそうな」と
か。

 さらにそれがすすむと、親の恩を着せる。「産んでやった」「育ててやった」「大学まで、
出してやった」と。「だから、ちゃんと、恩をかえせ」と。あるいは生活や子育てで苦労し
ている姿を、「親のうしろ姿」というが、わざと、それを子どもに見せつける親もいる。

 が、それだけではない。最近、聞いた話に、こんなのがあった。

 一人の娘(50歳くらい)に、その母親(75歳くらい)が、こう言ったという。「○夫
(その母親の長男)に、バチが当たらなければいいがね」と。

 その長男は、最近、盆や暮れに、帰ってこなくなった。それをその母親は、「バチが当た
らなければいい」と。つまりそういういい方をして、息子を、責めた。

息子にバチが当たりそうだったら、だまってそれを回避してやるのが親ではないのか…
…というようなことを言っても、ヤボなこと。もっとストレートに、息子に向って、「(私
という)親の悪口を言うヤツは、地獄へ落ちるぞ」と、脅した母親もいる。

 中には、さらに、実の娘に、こう言った母親ですら、いた。この話は、ホントだぞ!

 「(私という)親をそまつにしやがって。私が死んだら、墓場で、あんたが、不幸になる
のを楽しみに見ていてやる!」と。

 もちろん大半の親子は、心豊かな親子関係を築いている。ここに書いたような親子は、
例外とまではいかないが、少数派にすぎない。が、そういう親子がいると知るだけでも、
他山の石となる。あなた自身が、よりよい親子関係を築くことができる。

 それにしても、世の中には、いろいろな親がいる。ホント!

【付記3】

 毎日、たくさんの方から、メールや相談をもらう。そしてその中には、子育てというよ
り、家族の問題についてのも、多い。

 そういう人たちのメールを読んでいると、「家族って、何だ?」と考えてしまうこともあ
る。「家族」という関係が、かえってその人を苦しめることだって、ある。

 東京都のM区に住んでいるH氏(50歳くらい)は、こう書いてきた。

 「父親の葬式が終わったときは、心底、ほっとしました。もう葬式は、こりごりです。
息子がいますが、息子には、そんな思いをさせたくありません」と。

 H氏は、葬式を問題にしていた。しかし本音は、「父親が死んでくれて、ほっとした」と
いうことか。何があったのかは、わからない。しかしそういうケースもある。

 私たちは、子であると同時に、親である。その親という立場に、決して甘えてはいけな
い。親は親として、自分の生きザマを確立していかねばならない。つまり親であるという
ことは、それくらい、きびしいことである。それを忘れてはいけない。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 
BW はやし浩司 家庭内問題 親子の葛藤 確執 親子の確執 断絶 断絶問題 父と
子 父子問題 はやし浩司 自我群 幻惑)


Hiroshi Hayashi+++++++Aug. 2010++++++はやし浩司

●子どもや孫とのつきあい

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孫と同居したがる日本人。

が、それは決して、世界の常識ではない。

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 老後になったら、子どもや孫と、どのようにつきあえばよいのか?

 内閣府が、平成12年に調査した、「高齢化問題基礎調査」によれば、子どもや孫とのつ
きあいについて、日本人は、つぎのように考えていることがわかった。

(1)子どもや孫とは、いつもいっしょに、生活ができるほうがよい。

      日本人   …… 43・5%
      アメリカ人 ……  8・7%
      スウェーデン人…… 5・0%

(2)子どもや孫とは、ときどき会って、食事や会話をするのがよい。

日本人   …… 41・8%
      アメリカ人 …… 66・2%
      スウェーデン人……64・6%

 日本人は、欧米人よりも、はるかに「子どもや孫との同居を望んでいる」。それがこの調
査結果からもわかる。一方、欧米人は、老後は老後として、(1)子どもたちの世話にはな
らず、(2)かつ自分たちの生活は生活として、楽しみたいと考えている。

 こんなところにも、日本人の依存性の問題が隠されている。長い歴史の中で、そうなっ
たとも考えられる。

 「老後は、子どもや孫に囲まれて、安楽に暮らしたい」と。

 そうそう、こんな話もある。

 このところ、その女性(48歳)の母親(79歳)の足が、急に弱くなったという。先
日も、実家へ帰って、母親といっしょに、レストランへ行ったのだが、そこでも、その母
親は、みなに抱きかかえられるようにして歩いたという。

 「10メートル足らずの距離を歩くのに、数分もかかったような感じでした」と。

 しかし、である。その娘の女性が、あることで、急用があって、実家に帰ることになっ
た。母親に連絡してから行こうと思ったが、あいにくと、連絡をとる間もなかった。

 で、電車で、駅をおりて、ビックリ!

 何とその母親が、母親の友人2人と、駅の構内をスタスタと歩いていたというのだ! 
「まるで別人かと思うような歩き方でした」と。

 が、驚いたのは、母親のほうだったかもしれない。娘のその女性がそこにいると知ると、
「しまった!」というような顔をして、突然、また、弱々しい歩き方で歩き始めたという。

 その母親は、娘のその女性の同情をかうために、その女性の前では、わざと、病弱で、
あわれな母親を演じていたというわけである。

 こういう例は、多い。本当に、多い。依存性の強い人ほど、そうで、同情をかうために、
半ば無意識のうちにも、そうする。

 しかし、みながみなではない。

 反対に、子どもの前では、虚勢を張る親も、いる。「子どもには心配をかけたくない」と
いう思いから、そうする。

 どこでそう、そうなるのか? どこでどう、そう分かれるのか?

 私などは、いくら疲れていても、ワイフや息子たちの前では、虚勢を張ってみせるほう
だから、反対に、同情をかう親の心が、理解できない。気持ちはわかるが、しかしそれで
よいとは思わない。

 ひょっとしたら、この問題も、冒頭にあげた調査結果で、説明できるのではないか。少
し脱線したような感じだが、それほど大筋から離れていないようにも、思う。


Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

●コンフリクト(葛藤)

+++++++++++++++

人はいつも、心の中で葛藤(コンフリクト)を
繰りかえしながら、生きている。

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 二つのことがらから、一つの選択を迫られたようなとき、心の中では、葛藤(コンフリ
クト)が起きる。これがストレスの原因(ストレッサー)になる。

 コンフリクトには、(1)接近型、(2)回避型、(3)接近・回避型の3つがあるとされ
る。

 たとえば、旅行クーポン券が、手に入った。一枚は、3泊4日のグアム旅行。もう一枚
は、2泊3日のカナダ旅行。どちらも行きたい。しかし日が重なってしまった。どうした
らいいか。

 このばあい、グアム旅行も、カナダ旅行も、その人にとっては、正の方向から、ひきつ
けていることになる。そのため、葛藤(コンフリクト)する。これを(1)の接近型とい
う。

 反対に、借金がたまってしまった。取立て屋に追われている。取立て屋に追われるのも
いやだが、さりとて、自己破産の宣告もしたくない。どうしたらいいか。

 このばあいは、取り立て屋の恐怖も、自己破産も、その人にとっては、負の方向から、
ひきつける。そのため、葛藤(コンフリクト)する。これを(2)の逃避型という。

 また、グアム旅行のクーポン券が手に入ったが、このところ、体の調子がよくない。行
けば、さらに体の調子が悪くなるかもしれない。どうしたらいいのか……と悩むのが、(3)
の接近・回避型ということになる。「ステーキは食べたい」「しかし食べると、コレステロ
ール値があがってしまう」と悩むのも、接近・回避型ということになる。

 正の方からと、負の方からの、両方から、その人を、ひきつける。そのため、葛藤(コ
ンフリクト)する。

 ……というような話は、心理学の本にも書いてある。

 では、実際には、どうか?

 たとえば私は、最近、こんな経験をした。

 ある人から、本の代筆を頼まれた。その人は、「私の人生論をまとめたい」と言った。知
らない人ではなかったので、最初は、安易な気持ちで、それを引き受けた。

 が、実際、書き始めると、たいへんな苦痛に、襲われた。代筆といっても、どうしても、
そこに私の思想が、混入してしまう。文体も、私のものである。私はその人の原稿をまと
めながら、何かしら、娼婦になったような気分になった。

 お金のために体を売る、あの娼婦である。

 そのとき、私は、(3)の接近・逃避型のコンフリクトを経験したことになる。お金はほ
しい。しかし魂は、売りたくない、と。が、実際には、コンフリクトと言うような、たや
すいものではなかった。心がバラバラになるような恐怖感に近かった。心というより、頭
の中が、バラバラになるような感じがした。

 あたかも自分の中に、別々の2人の人間がいて、けんかしあうような状態である。

 それはたいへんなストレスで、結局、その仕事は、途中でやめてしまった。つまりここ
でいうコンフリクト(葛藤)というのは、そういうものをいう。

 ほかにも、いろいろある。

 たとえば講演などをしていると、私の話など聞かないで、ペチャペチャと、おしゃべり
している人がいる。

 本人たちは、私がそれに気づかないと思っているかもしれないが、講師からは、それが
実によくわかる。本当に、よくわかる。

 そういうとき、「そのまま話しつづければいい」という思いと、「気になってしかたない」
という思いが、頭の中で、衝突する。とたん、ものすごく神経をつかうようになる。実際、
そういう講演会が終わると、そうでないときよりも、何倍も強く、どっと疲れが、襲って
くる。

 自分でもそれがよくわかっているから、ますます、気になる。

 そこで、私のばあい、そういうふうにペチャペチャとおしゃべりする人がいたら、その
場で、やさしく、ニンマリと、注意することにしている。「すみませんが、おしゃべりをひ
かえてくださいね」と。

 そうすることで、講演会のあとの疲労感を軽減するようにしている。これはあくまでも、
余談だが……。

【補記】

 ストレスの原因(ストレッサー)を感じたら、あまりがまんしないで、ありのままを、
すなおに言ったらよい。そのほうが、自分のためにもなるし、相手のためにもなる。

 ここに書いたように、最近は、公演中にペチャペチャと話している人を見たら、私は、
できるだけ早く、注意するようにしている。本当は、「さっさと、出て行け!」と叫びたい
が、そこまでは言わない。

 で、おもしろいと思うのは、もともと私の話など、聞いていないから、数度、注意して
も、知らぬ顔をして、ペチャペチャと話しつづけている。そこで私も、その人たちが気が
つくまで、数度、あるいは何度も、注意する。が、それでも気がつかない。

 すると、まわりの人たちが、そのおしゃべりをしている人のほうを、にらむ。おしゃべ
りしている人は、どうして自分たちがにらまれているかわからないといった表情を見せる。

 このとき私は、改めて、言う。「すみませんが、少し、静かにしていてくださいね」と。

 しかし、本音を一言。だれかの講演に行って、私語をつづけるようなら、外に出たらよ
い。迷惑といえば、迷惑。失礼といえば、失礼。これは講演を聞きに来た人の、最低限、
守るべき、マナーのように思う。

 もっとも、私の講演のように、つまらない講演なら、しかたないが……。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 
BW はやし浩司 コンフリクト 葛藤 葛藤の中身 親子の葛藤 夫婦の葛藤)


Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

●息子や娘の結婚

++++++++++++++++

息子や娘の結婚、さらには結婚式に
ついて、どのように考えたら、よいのか。

自分の息子たちのこともあり、このところ、
それについて、よく考える。

++++++++++++++++

 息子や、娘の結婚について。結婚というより、その結婚相手について。最初、息子や娘
に、その相手を紹介されたとき、親は、何というか、絶壁に立たされたかのような、孤立
感を覚える。

 これは、私だけの感覚か。

 最初に聞きたいのは、通俗的な言い方だが、どんな家庭環境に生まれ育ったかというこ
と。……ではないか?

 「まとも」という言い方は、あまり好きではないが、こと、結婚ということになると、
保守的になる。「まともな家庭環境」という言葉が、自然な形で、口から出てくる。

 もちろん結婚というのは、当人たちの問題だし、その段階で、あれこれ口を出しても、
意味がない。

 そこで、あえて聞かない。聞いたところで、どうにかなる問題ではないし、かえって取
り越し苦労をすることにもなりかえない。当人たちが、幸福になれば、それでよい。

 で、親は、そういうとき、(1)相手の家族構成、(2)相手の親たちの仕事、(3)生ま
れ育った環境が、気になる。どんな教育を受けたかということで、(4)学歴も気になる。
が、何よりも気になるのは、(5)その相手の性格、である。

 おだやかで、やさしい性格ならよい。情緒や、精神的に安定していれば、なおさら、よ
い。すなおな心であれば、さらによい。

 ……と、相手ばかりに求めてはいけない。それはよくわかっているが、どうしても、そ
れを求めてしまう。

 ただ、これは私の実感だが、女性も、25歳をすぎると、急に、いろいろなクセが身に
つくものか? 18~25歳までは、画用紙にたとえるなら、白紙。しかし25歳をすぎ
ると、いろいろな模様が、そこに現れるようになる。

 つまり計算高くなったり、攻略的になったりする。だからというわけではないが、どう
せ結婚するなら、それまでの時期に、電撃的な衝撃をたがいに受けて、結婚するのがよい。
映画『タイタニック』の中の、ジャックとローズのように、である。


●結婚式(PART2)

 数日前、結婚式について、エッセーを書いた。それについて、何人かの人たちから、コ
メントが届いている。

 「おかしい」「考えさせられた」と。1人、結婚式場で働いていたことがあるという女性
からは、こんなものも……。

 「結婚式場って、儲かるのですよ。何でも、追加料金で、すみますから」と。

 で、昨日、オーストラリアの友人の長男が、その結婚式をした。日本円で、総額、40
万円程度とのこと。それでも、豪華なほうだという。

 二男も、数年前、アメリカで結婚式をしたが、総額で、30万円程度。貸衣装などに、
10万円。教会(チャペル)と牧師さんへの費用が、10万円。そのあとの飲み食いパー
ティに、10万円程度。計、総額で、30万円弱。

 もう一度、数日前に書いた原稿を、ここに載せておく。

++++++++++++++++++

●結婚式に、350万円プラス150万円!

 知人の息子が結婚式をあげた。浜松市内の、あるホテルであげた。費用は、350万円
プラス150万円!

 これでも安いほうだそうだ。

 知人いわく、「最初、350万円と聞いていたので、その範囲ですむかと思ったていたら、
それは基本料金。テーブルクロス一つにしても、ピンからキリまであり、値段も、みな、
ちがっていた。追加料金で、150万円も取られた」と。「あんなのサギだ」とも。

 日本のみなさん、こんなバカげた風習は、もうやめよう! みんなで、1、2の3でや
めれば、それですむ。

 あんな結婚式に、どれほどの意味があるというのか。意味だけでは、ない。まったくの
ムダづかい! 新郎新婦のほうは、祝儀でその費用をまかなえると思っているかもしれな
いが、世間に甘えるのも、ほどほどにしたらよい。

 大切なのは、2人だ。中身だ。

 ……というのは、少し過激な意見かもしれない。しかしもう少し、おとなになれば、こ
うした結婚式が、いかにつまらないものか、わかるはず。聖書すら読んだこともない2人
が、にわかクリスチャンになりすまし、張りぼての教会で、ニセの祭儀をあげる。もちろ
ん牧師もニセモノ。

 (オーストラリアでは、ニセ牧師を演じて、お金を取ると、逮捕されるそうだ。)

 ワイフは、こう言った。「狭くても、みすぼらしくても、自分の家で、質素に、本当に岩
ってくれる人だけが集まって、結婚式をすればいい」と。

 私もそう思う。日本人独特の、「家」意識。それに見栄、メンツ、世間体が融合して、今
に見る、日本歌型結婚式の「形」ができた。もし、それでもハデな結婚式をしたいという
のなら、自分たちで稼いで、自分たちですればよい。

 どこまで親のスネをかじったら、気がすむのだ!

 知人の息子の結婚式の話をしながら、さらにワイフは、こう言った。「今では、祝儀も、
3万円から5万円。夫婦で出席すれば、その倍よ。みんな、そんなお金、出せないわよ」
と。

 ……と、書いたが、これはあくまでも、参考意見。かく言いながらも、私は、今まで、
数え切れないほどの結婚式に、出席してきた。それに私の息子たちはともかくも、相手の
女性の両親が、「そういう結婚式をしたい」と言えば、それに従わざるをえない。へんにが
んばっても、角が立つ。

 妥協するところは妥協しながら、あまり深く考えないで、ナーナーですますのも、処世
術の一つかもしれない。ハハハ。(ここは、笑ってごまかす。)

++++++++++++++++

【追記】

 結婚式場では、「○○家」「△△家」と、書くならわしになっている。私は、あれを見る
たびに、「結婚式って、何だろう?」と考えてしまう。

 昔の武家なら、それなりの意味もあるのだろう。そこらの町民や農民が、武家のマネを
して、どうなる? どうする? こんな伝統や文化、本当に、それが日本人の伝統や文化
なのだろうか。守らなければならないような、伝統や文化なのだろうか。

 アメリカ人の友人に、こう聞いたことがある。「どうして、アメリカには、日本のような、
結婚式のような結婚式がないのか?」と。アメリカでは、結婚する2人が、自分たちで、
ほとんどを準備する。

 すると、その女性(30歳)は、こう言った。

 「カルフォニア州の大都市なんかへ行くと、そういうビジネスもあるようだけど、アメ
リカには、定着しないでしょうね」と。

 そして結婚式と言えば、お決まりの、ヨイショ。ただ騒々しいだけの、ヨイショ。新郎、
新婦の友人たちが集まって、ギャーギャーと、騒ぐだけ。安物のバラエティ番組風。「祝う」
という意味が、ちがうのではないのか?

 いろいろ考えさせられる。

 ちなみに、私たち夫婦は、その結婚式をしていない。貯金が、当時、10万円しかなか
った。それでワイフに、「結婚式をしたいか。それとも、このお金で、香港へ行きたいか」
と聞いたら、「香港へ行きたい」と。それで、おしまい。

 毎月、収入の半分を、実家へ仕送りしている身分だった。どうして、親のスネをかじる
ことなど、できただろうか。
 
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【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

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