Education in Front-Line and Essays by Hiroshi Hayashi (はやし浩司)

(Mr.) Hiroshi Hayashi, a professional writer who has written more than 30 his own books on Education, Chinese Medical science and Religion in Japan. My web-site is: http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/ Please don't hesitate to visit my web-site, which is always welcome!!

Sunday, September 30, 2012

ケチとため込み屋

★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★ ★まぐまぐプレミアの方へ、BW公開教室へは、ここからおいでください★http://hiroshihayashi4.ninja-web.net/ ★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★ ☆☆☆この電子マガジンは、購読を登録した方のみに、配信しています☆☆☆ .  mQQQm            発行人 はやし浩司(ひろし) . Q ⌒ ⌒ Q  ♪♪♪……    .QQ ∩ ∩ QQ          . m\ ▽ /m 彡彡ミミ      .  /~~~\  ⌒ ⌒       . みなさん、   o o β      .こんにちは!  (″ ▽ ゛)○    .        =∞=  //  □■□□□□□□□□□□□□□■□ =================  子育て最前線の育児論byはやし浩司   2012年 10月 2日 □■□□□□□□□□□□□□□■□ ================= メルマガ(6万3000誌)の中で、2008年度、メルマガ・オブ・ザ・イヤーに 選ばれました! 【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□ 【立ち学習】 ●時には、こうして立ったまま(=立たせたまま)学習します。  この方法のよいところは、緊張感が持続できること。  発表力、表現力を養うには、効果的であること。  中・高校生だと、居眠りをしなくなること、など。  子どもはこうした変化が、大好き・・・ということで、今日は「立ち勉強」をしてみました。 【年長児・Summer Lesson】 Hiroshi Hayashi+++++July.2012+++++はやし浩司 【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□ ●ためこみ屋(ケチ) +++++++++++++++++++++ 数日前、「ためこみ屋」と呼ばれる人について書いた。 どんどんと、自分の身のまわりに、ものをためこむ人をいう。 「ためこみ屋」というのは、私が考えた言葉ではない。 心理学の本にも出ている。 ちゃんとした言葉(?)である。 時に家中を、ものだらけにしてしまう。 ひどくなると、家の中や外を、ごみの山にしてしまう。 一般的に、ためこみ屋は、ケチである。 ためこみ屋、イコール、ケチ、ケチ、イコール、ためこみ屋と考えてよい。 が、一方的にケチかというと、そうでもない。 ときに突発的に寛大になることがある。 雰囲気にのまれて、大金を無駄にはたいたりする。 こうした現象は、排便論で説明される。 フロイト学説によれば、2~4歳の肛門期に、何かの問題があって、 そうなるという。 つまり乳幼児にとっては、便は(財産)。 その便をためるという行為が、ものをためるという行為につながる。 しかし同時に、排便の快感も味わう。 それが(突発的に寛大になる)という行為につながる。 もう少し詳しく説明すると、こうなる。 肛門期に、(1)親にきびしい排便のしつけがされた、(2)排便にたいして適切な 指導を受けなかった、(3)排便について、何らかのトラウマができた。 排便だけではない。 とくに注意したいのが、愛情問題。 たとえば下の子どもが生まれたりして、上の子どもが、愛情飢餓状態に なることがある。 親は「平等にかわいがっています」と言うが、上の子どもにしてみれば、 それまであった(愛情)が、半分に減ったことが不満なのだ。 赤ちゃん返りは、こうして起きる。 そういう経験をした子ども(人)は、生活態度が、防衛的になる。 長男、長女がケチになりやすいという現象は、こうして説明される。 が、こうした現象を知ることによって、私たちは私の中の(私)を 知る手がかりを得ることができる。 あるいはそのヒントを得ることができるようになる。 ここでは、それについて考えてみたい。 ++++++++++++++++++++ ●私の知人 私は基本的には、ケチではない。 自分で自分をケチと思ったことはない。 しかしそんな私でも、ときどき落ち込んでいるようなとき、パッと ものを衝動買いすることがある。 とたん、気分がスカッとする。 反対に、ものを衝動買いすることによって、ストレスを発散させることもある。 これも言うなれば、肛門期の名残(なごり)ということになる。 が、それが病的な状態にまで進んでしまうことがある。 だれがみても、(ふつうでないという状態)になることがある。 それがここでいう「ためこみ屋」ということになる。 私の知人に、こんな人(50歳くらい)がいる。 ケチの上に、「超」がつくような人である。 娘が結婚したが、その引き出物として、100円ショップで買ってきた 家庭用品を5~6個ずつ、箱に入れて渡していた。 (100円ジョップの商品だぞ!) もちろん小銭に、うるさかった。 小さな菓子屋を経営していたが、妻などは、家政婦くらいにしか 考えていなかった。 すべての行為が、(金儲け)につながっていた。 またそういう目的のために、結婚したようなもの。 妻を使ったというより、こき使った。 そのため妻はやがて、うつ病になり、自殺未遂まで起こしている。 が、悲しいかな、それでその知人が、自分の愚かさに気づいたというわけではない。 妻は1か月ほど入院したのだが、入院費がもったいないという理由で、その知人は、 無理に退院させてしまった。 そのあとのことは知らないが、人づてに聞いたところでは、その知人はケチはケチだが、 ためこみ屋ではないとのこと。 家の中も、それなりに整頓されているとのこと。 しかしそれには、妻の努力があったようだ。 妻が、きれい好きだったということか。 加えてケチが転じて、その知人は、守銭奴になった。 何しろ子どもの学費すら、「もったいない」と言って、ケチったという。 これはあくまでも一般論だが、ためこみ屋の人は、ものを失うことに、強迫観念を もっていると考えられる。 あるいは時間に対して、異常なまでに執着し、そのため生活そのものが時刻表的 になることが多い。 これは乳幼児期における、神経質な排便指導が原因と言われている。 ●人は人 もっともそれでその知人がそれでよいというのなら、それでよい。 私のような他人が、とやかく言ってはならない。 またそんなことをすれば、それこそ、内政干渉。 しかしその知人は、私たちに大切な教訓を与えている。 つまり(私の中の私)である。 ためしにその知人に、こう言ってみたらどうだろうか。 「あなたはあなたですか?  あなたはあなたの中の、あなたでない部分に 操られているとは思いませんか?」と。 その知人は、まちがいなく、その質問に猛反発するにちがいない。 「私は私だ。私のことは、私がいちばんよく知っている」と。 しかしそうでないことは、ここまで読んでくれた人にはわかるはず。 その知人もまた、(私であって私でない部分)に操られているだけ。 原因はわからないが、いろいろ考えられる。 その知人は、4人いる兄弟姉妹の長男。 昔からの菓子屋。 父親は、道楽三昧(ざんまい)の遊び人だった。 母親は、近所でも有名なほど、勝気な人だった。 そのため長男のしつけには、ことさらきびしかったようだ。 そういう家庭環境の中で、その知人は、その知人のようになった。 言い換えると、自分を知ることは、それほどまでに難しいということ。 しかし知ろうと思えば、知ることは、けっして不可能ではないということ。 ●そこで(私) もしこの文章を読んでいる(あなた)が、ここでいう「ためこみ屋」で、 ケチであるなら、(つまりそういう症状が出ているなら)、一度、自分の心の中を のぞいてみるとよい。 あなたも、(私であって私でない部分)に気がつくはず。 そして……。 こうして(私)の中から、(私であって私でない部分)を、どんどんと取り除いて いく。 ちょうどたまねぎの皮をむくように、だ。 そして最後に残った部分が、(私)ということになる。 ただそのとき、恐らくあなたは、(私)がほとんどないことを知るかもしれない。 (私)というのは、たまねぎにたとえるなら、たまねぎの中心部にある、細くて 糸のようなもの。 あるいはもっと小さいかもしれない。 つまりそれくらい、(私)というのは、頼りない。 ●スズメはスズメ だから、さらに……。 ためしに、庭に遊ぶスズメを見てみたらよい。 スズメたちは、恐らく、「私は私」と思って行動しているつもりかもしれない。 しかし北海道のスズメも、沖縄のスズメも、スズメはスズメ。 どこかで連携しているというわけでもないのに、まったく同じような行動パターンで、 同じように行動している。 もちろんどこかで共通の教育を受けたということでもない。 が、同じ。 私たち人間から見れば、同じ。 つまり(私)というものが、どこにもない。 同じように、アメリカ人も日本人も、人間は人間。 それぞれ「私は私」と思って行動しているが、視点を変えれば、まったく同じような 行動パターンで、同じように行動している。 スズメの中に(私)がないように、実は、私の中にも、(私)というのは、ほとんどない。 「まったくない」とは思わないが、ほとんど、ない。 ●ある生徒 たとえばケチな人は、ケチであるということに気がつくか、どうか? 少し話はそれるが、私の生徒のことで、こんな経験をしたことがある。 ある生徒(高2男子)が、私にこう言った。 「生徒会の仕事をするようなヤツは、バカだ」と。 そこで私が理由をたずねると、こう言った。 「そんなことをしていたら、受験勉強ができなくなる」と。 私はその言葉を聞いて、しばらく考え込んでしまった。 たしかにその生徒の言っていることは正しい。 有名大学への進学を考えるなら、1時間でも、時間は惜しい。 生徒会の仕事をしていたら、勉強の時間が犠牲になる。 それはわかる。 しかしその生徒は、受験勉強という、もっと言えば、受験制度の中で、 踊らされているだけ。 もちろんその生徒は、それには気づいていない。 「私は私」と思って、自分で考え、自分で行動している。 さらに言えば、ではその生徒は、何のために勉強しているのか。 何のために高校へ通っているのか。 そういうことまで考えてしまう。 つまりこうした疑問は、そっくりそのままケチな人についても言える。 その知人は、何のためにお金をためているのか。 何のために生きているのか。 そういうことまで考えてしまう。 ●私を知る ではどうすれば、その知人は、どうして自分がそうであることを知ることができるか。 その方法はあるのか。 その知人のことを心配して、こう書いているのではない。 その知人は、その知人でよい。 しかしそれを考えることによって、私たちは自分を知る手がかりを得ることができる。 そのために、その方法を考える。 まず、その知人は、自分がケチであることを知らねばならない。 これが第一の関門。 しかし実際には、そういう人にかぎって、自分がケチとは思っていない。 「自分は堅実な人物」とか、「他人は浪費家」と思っている。 人生観、さらには哲学まで、その上に、作りあげてしまう。 さらに『類は友を呼ぶ』の諺(ことわざ)どおり、そういう人たちはそういう人たちで、 ひとつのグループを作ってしまう。 だからますます「私」がわからなくなってしまう。 言い換えると、私たち自身も、実は同じことをしているのに気がつく。 (私であって私でない部分)が中心にあって、そのまわりを、たまねぎの皮のような ものが、つぎつぎと重なっている。 そしてつきあう相手も、自分にとって居心地のよい人を選ぶ。 たとえば冒頭に書いたように、私自身はケチではないから、ケチな人間が好きではない。 ケチケチした人のそばにいるだけで、息苦しさを覚えることもある。 しかしそれは本当の(私)なのか? ケチに気づくことも難しいが、自分がケチでないことに気づくのも難しい。 どちらであるにせよ、どちらがよいということにもならない。 先の高校生について言うなら、現代という社会は、そのほうが、生きやすい。 たしかに「生徒会などをしているヤツは、バカだ」ということになる。 ●作られる(私) で、そういう自分であることに気がついたとする。 つぎに私たちは、いつ、どこで、どのようにしてそういう(私)ができたか、 それを知る。 これが第二の関門。 私はそのためには、精進(しょうじん)あるのみ、と考える。 昨日の私より、今日の私を賢くすることしか、方法はない。 人は、より賢くなって、それまでの自分が愚かだったことを知る。 専門家に相談するという方法もあるかもしれないが、そのレベルまで到達した 専門家をさがすのは、たいへん難しい。 へたをすれば、どこかのカルト教団の餌食(えじき)になるだけ。 占いや、占星術、さらにはスピリチュアルなどというわけのわからないものを、 押しつけられるだけ。 そこで精進。 つねに勉強し、つねに視野を広める。 手っ取り早い方法としては、心理学や哲学を学ぶという方法もある。 が、何よりも大切なことは、自分で考えるということ。 考える習慣を身につけること。 その習慣が、やがて(私)の発見へとつながっていく。 ●(私)を知るメリット もっとも(私)を知ったところで、それがどうした?、と考える人もいるかも しれない。 (私)を知ったところで、直接、何らかの利益につながるというわけではない。 しかし(私)を知ることによって、私たちは、そこに生きる意味を見出すことができる。 それがわからなければ、反対に、もう一度、庭に遊ぶスズメたちを思い浮かべて みればよい。 スズメはスズメ。 同じように、人間は人間。 もしそうなら、私たちはスズメと、どこもちがわないということになってしまう。 言い換えると、私たちは(私)を知ることによってのみ、生きる意味そのものを 知ることができる。 そこに生きる意味を見出すことができる。 (私)があって、私たちははじめて、生きることになる。 その実感を手に入れることになる。 そしてそれがわかれば、まさに『朝に知れば、夕べに死すも可なり』ということになる。 「朝に真理を発見できれば、夕方に死んでも悔いはない」という意味である。 もっと言えば、無益に100年生きるより、有益に1日を生きたほうが、よいという 意味である。 (私)を知るということは、そういうことをいう。 ●再び、「ためこみ屋」 「ためこみ屋」の人にしても、「ケチ」と周囲の人にうわさされるほどの人にしても、 何らかの心のキズをもった人と考えてよい。 またそう考えることによってのみ、そういう人たちを理解することができる。 (あえて理解してやる必要はないのかもしれないが……。) しかし先にも書いたように、あなたや私にしても、みな、何らかのキズをもっている。 キズをもっていない人は、いない。 ぜったいに、いない。 大切なことは、まずそのキズに気がつくこと。 そうでないと、あなたにしても、私にしても、いつまでもそのキズに振り回される ことになる。 同じことを繰り返しながら、繰り返しているという意識すらない。 ないまま、また同じことを繰り返す。 しかしそれこそ、貴重な人生、なかんずく(命)を無駄にしていることになる。 (はやし浩司 Hiroshi Hayashi 林浩司 教育 子育て 育児 評論 ためこみ屋 ケチ ケチ論 肛門期 フロイト はやし浩司 私論 私を知る) Hiroshi Hayashi+++++++July. 2012++++++はやし浩司・林浩司 【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□ Hiroshi Hayashi++++++++++++はやし浩司 昨日(7月27日)、宝島09月号を買う。 「最新・日本のタブー」(580円)。 最近になく衝撃的な雑誌・・・の一言に尽きる。 すごい! 読む込めば読み込むほど、(矛盾)が、怒涛のごとく押し寄せてくる。 日本の社会全体に深く蔓延する、巨大な矛盾。 一読者の立場でいうなら、どこからどう判断したらよいのか、それすら、わからない。 ひとつずつを、テーマとして取り上げていたら、1年はかかる。 消化するのに、1年はかかる。 それが「最新、日本のタブー」。 一読し、ゾッとしない人はいないだろう。 Hiroshi Hayashi++++++++++++はやし浩司 ●福島産のコメ  「やはりそうだったのか」というのが、私の感想。 『・・・最近の例では、福島県産のコメです。 放射能によって汚染されたというイメージがついたため、そのままでは売れません。 が、外食産業には流通しています。 このばあい、放射能検査をされても高い数値が出ないように、他県産のコメと混ぜて卸されていることが多いですね。 また水産物では、異型のものを専門に扱っている業者もある。 たとえば背骨が曲がったり、網ずれによって、傷がついてしまった魚などです』(P035)と。  ここに「外食産業」とあるが、私が調べた範囲でも、大手のホテル、旅館では、多くが「東北産のコメ」を使っていることがわかっている(静岡県)。 ●福島県の汚染度  その福島県の汚染度についても、言及している。  東北地方を中心に、がん保険加入者がふえているという。 それに触れながら、『原因とされるのは、もちろん、福島原発から漏れつづける放射能だ。 福島県内では、7月(2012年)に入っても、毎時35マイクロシーベルトと、1日の平常値から約500倍もの放射線量を観測中。 この高放射線量が将来的ながんの発症リスクを・・・』(024P)と。  ちなみに、この浜松市内で、私が測定している範囲では、晴天日には、0・05~0・06マイクロシーベルト。 降雨時には、0・1~0・15マイクロ・シーベルト前後。  福島原発の放射能汚染は、今の、今もつづいている。 が、それを伝えるマスコミの姿勢にも、鋭い追跡がつづく。 ●10万人のデモ  この日本で、デモが起きること自体、珍しい。 「モノ言わぬ従順な民」。 それが日本人。  高校生でも、事実上、政治活動は、「禁止」されている。 生徒会どうしのつながり、連絡、共闘すら、許されていない。 そういう中で生まれ育った、現在の30~50代の人たちが、立ち上がった。  それが「総理官邸前デモ」。 が、マスコミ各社(とくにテレビ局)は、そのデモについて、ほとんど報道しなかった。 こうある。 『総理官邸前で3月29日から始まった原発再稼働反対の抗議活動は、1万人を突破した6月22日まで、ほとんど報道されることはなかった。 それはいったい、なぜなのか?』(P009)と。  知らなかった。 この私でさえ、デモがあったのは、1~2日程度と思っていた。 実際には、3月29日から始まっていた。  「最新、日本のタブー」は、4~5枚の写真を紹介している。 で、それを見ただけでも、「10万人」という数字は、けっして大げさな数字でないことがわかる。 もっと多いかもしれない。 ●特殊タブー  産業界とマスコミ・・・。 電力業界とマスコミにしても、その底辺で深く結びついている。 ・・・ということが、「最新、日本のタブー」を読んでもよくわかる。 しかし今では、こんなことは常識。  私がそれを最初に感じたのは、35歳くらいのときのこと。 私はある雑誌社(育児雑誌)から原稿依頼を受けた。 その中で、一部、「紙おむつ」の弊害を書いた。 (あくまでも一部。) 当時、幼稚園を中心として、ふつうでは理解できない現象が起きつつあった。 排尿感覚がないまま、漏らしてしまう子どもがいた。 あるいは正常に、排尿できない。 が、紙おむつを当ててあげると、排尿ができる、など。  が、その原稿は、編集部のほうで、カットされてしまった。 理由は、出版後にわかった。 なんとその雑誌の後半部には、紙おむつ会社の大きなコマーシャルが載っていた。  また、こんなこともあった。 ある宗教団体の告発本を出したことがある。 が、その本は、初版本を、わずか2~3週間で売り切ったにもかかわらず、増刷がかからなかった。 理由はわからなかった。 わからなかったが、そのちょうど半年後、その出版社は、その宗教団体の「長」の本を出版した。  新聞社とて、無罪ではない。 その宗教団体にしても、全国で、各地の新聞社の印刷機を借りて、自前の機関紙を発行している。 印刷機を貸している新聞社は、当然のことながら、その宗教団体への批判を避ける。  ・・・というようなことが、この日本では、常識化し、体質化している。 原子力行政についても、同じ。 「最新、日本のタブー」の中にも、こうある。 『(週刊新潮が)、原発事故後に、集中砲火を浴びつづける東京電力を、奇妙なほどに叩かないのも、話題になっている』(P027)と。  その一方で、逆に東京電力を徹底的に擁護したのが、週刊ポスト誌。 こうある。 『原発危険を煽(あお)る、メディアの嘘を報じつづけ、部数を落としたとされる、週刊ポスト・・・』(P027)と。  裏で何かあったのか。 それとも何もなかったのか。 しかしあの時点で、そして現在の今でも、「原発の危険」を「煽り」と説くのには、無理がある。 なぜ週刊ポスト誌だけは、「メディアの嘘」を書きつづけ、結果として、原発事故を守った(?)のか。 ●国会議員  国会議員ですら、アテにならない。 こんな記述も見られる。 『「私の地域では、医師会主導で児童の甲状腺への影響を調べました。 しかし、実施に際し、一部議員が猛抗議。 議員が住民の健康調査に反対するなんて、不思議に思うかもしれませんが、彼らの支持母体がJA(農業協同組合)だったのです」。  つまり検査により、放射能の影響がハッキリすれば、農・畜産物の出荷販売ができなくなります。 農家が大打撃を受ける。 そうでなくても、検査の実施自体が風評被害を呼ぶことをJAは懸念し、足場が揺らぐことを恐れた議員もまた、それに乗ったのだ』(P026)と。  あのね・・・被害が、実際に出てくるのは、2013年3年以後~。 あのチェルノブイリでも、被害が出始めたのが、2年後。 10年後にピークを迎え、30年近くたった今でも、世代を超えて、その後遺症に苦しんでいる。  まだ1年ちょっとしかたっていない今の段階で、「安全宣言」を出す方がおかしい。 狂っている。 数日前も、福島県産のモモを、野田総理大臣が、鼻の下を長くしながら、ほおばっていた。 「おいしいです」と。 両横には、ピンク色の着物を着た女性が2人、立っていた。 ●風評被害?  私たちは、マスコミによって、明らかに洗脳されている。 で、そのマスコミを裏から操り、私たちをロボット化しているのが、「金権」という魔物。言いかえると、マスコミ自体も、「利潤を追求する、企業集団」に過ぎない。 正義や道徳を期待するほうが、おかしい。 無理。  ならば私たちは少ない情報をもとに、自ら防衛するしかない。 身を守る。 その第一の力が、「思考力」ということになる。  が、今は、時代が変わった。 こうして私のように、地方に住む、1市民ですら、情報を発信し、それに自分の意見を乗せることができるようになった。 より多くの人たちが、こうした形で立ちあがれば、この日本に潜む(矛盾)を、解決できる。 そのヒントをくれた、「最新、日本のタブー」には、感謝したい。 久々に、頭の中がスッキリした。 一読を勧める。 (はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW はやし浩司 宝島 最新、日本のタブー 風評被害 福島県産 農産物)2012/07/28記 Hiroshi Hayashi+++++July.2012+++++はやし浩司 ☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆  はやし浩司のホームページ http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/ ☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆ *********************************** このマガジンがお役にたてそうな人が、あなたのまわりにいませんか? よろしかったら、どうか、このマガジンのことを、お友だちの方に 話していただけませんか? よろしくお願いします。              はやし浩司 *********************************** ■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■   まぐまぐプレミア版(有料版)のお申し込みは…… http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/page141.html ■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■                       .   *※※ .※※  ***※ .*※※…※}※**    . **++ ※)) . {※}※※ / . ※*… /mQQQm .**/| |Q ⌒ ⌒ Q  Bye! .  = | QQ ∩ ∩ QQ    .       m\ ▽ /m~= ○ .       ○ ~~~\\// .================================= .みなさん、次号で、またお会いしましょう! .=================================

Mystery of Indian Head in Canada (カナダのインディアンの頭の謎)

(51)Mystery of Indian Head, Canada インディアンの頭の謎by Hiroshi Hayashi p15 http://youtu.be/SNbQeO6spMQ There is a beautiful carving in Canada, called "Indian Head". Some people say that this is just a look like but I never hesitate to say that this was carved by someone else than humans, or Aliens. Here I show the evidence and I believe you may accept the fact and you will become convinced of it, too. What is he looking at? Why is he there? You will know the answer. Open your mind and accept the facts and then you will know more about yourselves. Hiroshi Hayashi Hamamatsu Japan カナダカナダに「インディアンの頭」と呼ばれる、すばらしい彫刻があります。 このビデオはそれについてのものです。 まさに謎の頭・・・と書きたいところですが、謎でも何でもありません。 さあ、あなたも心を開いて、そこにある事実を受け入れてみませんか。 私たち人間だけが、「知的動物?」と考えるほうが、おかしいのです。 今回で、その証明も、51回目になります。 img836 Indian Head Canada Mystery of Ancient Civilizations 古代文明の謎 謎の古代文明 カナダ インディアンの頭 はやし浩司 Hiroshi Hayashi Hamamatsu Japan Indian's in North America ミステリー

Friday, September 28, 2012

アタカマ巨人の謎(mystery of Atacama Giant)

(50)Mystery of Atacama Giant(アタカマ巨人の謎) There is a largest line picture in Atacama and it is called "Atakcama Giant". This video is about the Giant and it is just a directuion sign which shows the way to go. I show this fact with evidence and you will know it. Thus the Atacama Giant, UFO Launch Pad , Nazca and Tiwanacu are closely connected with Lines. 「アタカマの巨人」と言われる地上絵があります。 その地上絵についての謎解きです。 で謎は簡単に解けましたが、さらなる謎は、どうしてこんなところに隣接して、2つの地上絵(方向指示)があるかということです。 それについて考えてみます。称して「異星人の故郷探し」。 このあたりにきわめて重要な拠点があることまでは、わかりました。 もちろん遺跡とかそういうものではありません。 人間には知られたくない拠点です。 さらに点と線をつないでいけば、その正体もやがて明らかになることでしょう。 どうか、お楽しみに! http://youtu.be/rImQQ5Dp8Kw img835 (Atacama Giant Tiwanacu Nazca UFO Launch Pad Cerro Chajra Orkho Bolivia Chille Peruアタカマの巨人 謎のアタカマ巨人 アタカマの巨人の謎 UFOの発射台 ティワナク ナスカ 謎の地上絵 謎の点と線 古代文明 古代文明をつなぐ謎の点と線 Mystery of Ancient Civilizations 古代文明の謎 異星人の拠点 エイリアンの住みか 神々の故郷 Mystery of Line Pictures 謎の地上絵 はやし浩司 浜松  ティワナク アタカマの地上絵)2012/09/29記

Thursday, September 27, 2012

神々の住むところ

(49)異星人の残した道路標識 A road sign drawn by aliens and its proof. Sep. 28th 2012 by Hiroshi Hayashi http://youtu.be/KpNuw1761M0 (This is a story about a mystery of a Road Sign in the mountains, not on the beach, not in the ruins. The sign is in the far remoted place in the mountai. First when I found this sign in the mountains, I thought it was a kind of a graffiti, drawn by someoen for fu. But I was wrong. The road sign shows a very important place on the earth for THEM. The Road Sign is highly-calculated by SOMEONE mathemetically. This is the story about it and at the end of this video I am sure that you are also convinced of the fact. An I at last have found THEIR home land. There should be something around here. Hiroshi Hayashi Japan. 別の場所を調べているとき、偶然にもこの道路標識を発見しました。 私は最初、それを何かの落書きと思いました。しかしそれは間違いでした。 たいへん高度に、数学的に計算された標識だったのです。 で、謎は、どうしてそんな標識を山の中に作ったかですね。 で、その中に、二重で囲まれた人を見つけました。 その絵の中に、重大なヒントが隠されているように思いました。 このビデオは、その謎についてのものです。はやし浩司 転作、転用、盗作、流用は厳禁です。どうかお守りください。 よろしくお願いします。 All ideas belong solely to Hiroshi Hayashi, Japan. No one is allowed to use my ideas in this video, for which I need your cooperations. Thank you. (Mystery of Road Sign in the mountains. Aliens' homeland Base 異星人の故郷 神々の故郷 Mysteries of Ancient Civilizations by Hiroshi Hayashi Hamamatsu Japan 古代文明の謎 謎の古代文明 異星人の謎 はやし浩司 謎の異星人 神々の基地 異星人の基地 Aliens' Base on the earth UFO Launch Pad in Bolivia Chille Nazca Peru Mystery of Nazca 浜松 はやし浩司) Hiroshi Hayashi+++++++Sep. 2012++++++はやし浩司・林浩司 ☆☆☆この電子マガジンは、購読を登録した方のみに、配信しています☆☆☆ .  mQQQm             . Q ⌒ ⌒ Q  ♪♪♪……   .QQ ∩ ∩ QQ          . m\ ▽ /m 彡彡ミミ     .  /~~~\  ⌒ ⌒      . みなさん、   o o β        .こんにちは!  (″ ▽ ゛)○   .        =∞=  //  (BW公開教室・まぐまぐプレミアム読者のみなさんへ)    http://hiroshihayashi4.ninja-web.net/ □■□□□□□□□□□□□□□■□ =================  子育て最前線の育児論byはやし浩司   2012年 9月 28日 □■□□□□□□□□□□□□□■□ ================= ★ ★★HTML版★★★ HTML(カラー・写真版)を用意しました。 どうか、お楽しみください。(↓をクリックしてみてください。) ************************ http://bwhayashi2.fc2web.com/page005.html メルマガ(6万3000誌)の中で、2008年度、メルマガ・オブ・ザ・イヤーに 選ばれました! 【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□ 【今週のBW教室より】2012/07/26 ●年長児のお話作り ●小2児に棒グラフを教える Hiroshi Hayashi+++++++July. 2012++++++はやし浩司・林浩司 ●Pippi(ぼたんインコ)のしつけ Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司 Pippiが、このところ、ものを鋭くかむようになった。 とくに私たちの肩にやってきて、耳たぶをかむ。 これがかなり痛い。 (中には、耳たぶを食いちぎるぼたんインコもいるとか。) 危険度があがった……ということで、ワイフも息子も、Pippiが、肩にあがったとたん、耳たぶをかまれないように、警戒態勢。 注意するようになった。 Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司 ●無駄な行為  ぼたんインコもそうだし、また乳幼児期の子どもも、そうである。 この時期のインコも子どもも、無駄なことはしない。 何かをするときには、かならず、理由がある。 あるいは、そういう行為をするには、そこに至るプロセスがある。  その理由やプロセスを無視し、いきなり叱っても意味はない。 ないばかりか、かえって症状を悪化させる。  たとえばPippiは、書斎と廊下の間を、何度も行ったり来たりする。 そのとき、ときどき私の手元に戻ってきては、いきなり指を強くかむ。 ギリギリと強くかむ。 これは欲求不満によるもの。 廊下の窓からは、外の景色がよく見える。 そこからはスズメや、ハトが庭で遊んでいる様子が、よく見える。 それを見ると、Pippiは、かなり興奮状態になる。 私の指を強くかむのは、そのとき。 ●耳たぶ  耳たぶをかむという行為にしてもそうだ。 私たちは耳たぶをかまれると、痛いという不快感が先にくる。 冷静に考える余裕はない。 が、よくよく観察すると、Pippiは、それを遊びのつもりでしているのがわかる。 私たちが痛がっているということが、理解できない。 「痛い、痛い」と手でPippiを肩からおろす。 すかさずPippiは肩までやってきて、また耳たぶをかむ。  つまり耳たぶをかむのは、「遊んでほしい」という意思表示。 そのために、耳たぶをかむ。  また私たちが「痛い!」と言って反応するのを、Pippiは、遊んでもらっていると誤解する……ようだ。  だからそういうときは、根気よく、叱るしかない。 強く息を吹きかけながら、「痛いだろ」と強く、にらみつける。 体罰は、もちろんタブー。 体罰を加えても、それが何を意味するのか、Pippiには、理解できない。 (=理解できるはずもない。)  体罰を加えれば、かえって人間を恐れるようになる。 で、それでも耳たぶをかじるようであれば、そのまま鳥かごの中に入れる。 「禁錮、3時間!」とか、何とか私は言う。  で、3時間くらいしたところで、鳥かごから出してやる。 たいていおだやかで、やさしいPippiに、戻っている。 ●人間の子ども  人間の子どもも、同じ。 子どもに何かの症状が出たら、その理由、原因、プロセスをさぐる。 先にも書いたように、「何もない」ということは、こと幼児に関して言えば、ない! かならず、ある!  そうした理由、原因、プロセスを無視して、(しつけ)なるものをしても意味はない。 たとえばこんな例で考えてみよう。 ●「がまんしてください」  X君(年中児・4歳)という子どもがいた。 知的な遅れが目立った。 レッスンの間も、焦点の定まらない目つきで、ボーッとしていた。 先生との応答も、かみ合わなかった。 数の問題を出しても、思いついた数字を口にするだけ。 あとはゲラゲラとわらいこけていた。  そういうX君を母親は見ながら、かなり気をもんだらしい。 が、先生は、こう言った。 「がまんしてください」と。  というのも、この時期、発達曲線は、みな同じではない。 早熟的に発達する子どももいれば、そうでない子どももいる。 大切なことは、その子どもを楽しませること。 「楽しい」という思いが、好奇心を伸す。 学習意欲を育てる。 ●LD児  で、何とか小学校入学前には、それが目立たない子どもになった。 そのままだったら、LD児と診断されたかもしれない。 が、ここからが、よくあるケース。  何か問題のある子どもが、(ふつう)になっても、親は、「よくなった」とは思わない。 それが当たり前と考える。 あるいは中には、「何も効果がなかった」と言う親さえいる。 「2年間、通いましたが、効果がありませでした」と。  数値で表現するのは、適切ではないかもしれない。 が、数値で表現してみると、こうなる。  X君は、平均児を(5)とすると、(3)前後の力しかなかった。 それが入学前に(5ー)になった。 ほかの子どもたちは(6)(7)の能力を示すようになった。 が、親はそれを喜ぶ前に、「うちの子は、やればできるはず」と思うようになった。 とたん、塾づけ。 週に3か所、4時間も通うようになった。 とたん、オーバーヒート。  目をまばたきするチックが現れた。 食後、ときどき嘔吐することもあった。 で、眼科へ連れていくと、「過負担(塾)が原因です」と。 X君が、小学3年生になったときのことだった。 ●徐々に減らす  こういうケースのばあい、おけいこ塾にしても、負担にしても、少しずつ減らすのがよい。 ……というケースは、私は何十例も経験している。 いきなりゼロにすると、あとあと立ち直れなくなる。 「また何かをさせよう」としても、子どもは、拒絶反応に似た症状を示すようになる。  が、X君の母親は、すべてを、や・め・た!  で、しばらくは、穏やかな日々がつづいた。 チックの症状は残ったが、ほかの神経症的な症状は軽くなった。 母親は、喜んだ。 が、同時に、X君は、まったく勉強をしなくなってしまった。 宿題すら、手をつけようとしなくなってしまった。 3年になってから買ったワークブックは、そのままほこりをかぶるようになった。  とたん、母親に今度は、あせりが始まった。 「このままでは、うちの子は、遅れてしまう!」と。  ……ついでに言うと、こうしたケースでは、徐々に、少しずつ負担をふやすのがよい。 が、X君の母親には、それを理解するだけの知的能力がなかった。 過干渉的で、すべてをその母親が取り仕切っていた。 ●学校恐怖症  ジョンソンの学校恐怖症を、この日本で最初に紹介したのは、この私である。 こんなことを自慢しても、どうしようもないが、最近では、不登校イコール、学校恐怖症と考える人が多くなった。 「恐怖症」に準じて考える。  学校恐怖症については、たびたび書いてきた。 原稿を探してみる。 Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司 【子どもが恐怖症になるとき】 ●まさに九死に一生  先日私は、交通事故で、あやうく死にかけた。 九死に一生とは、まさにあのこと。 今、こうして文を書いているのが、不思議なくらいだ。 が、それはそれとして、そのあと、妙な現象が現れた。 夜、自転車に乗っていたのだが、すれ違う自動車が、すべて私に向かって走ってくるように感じた。 私は少し走っては自転車からおり、少し走ってはまた、自転車からおりた。こわかった ……。恐怖症である。子どもはふとしたきっかけで、この恐怖症になりやすい。たとえば以前、 『学校の怪談』というドラマがはやったことがある。 そのとき「小学校へ行きたくない」と言う園児が続出した。 あるいは私の住む家の近くの湖で水死体があがったことがある。 その直後から、その近くの小学校でも、「こわいから学校へ行きたくない」という子どもが続出した。 これは単なる恐怖心だが、それが高じて、精神面、身体面に影響が出ることがある。 それが恐怖症だが、この恐怖症は子どものばあい、何に対して恐怖心をいだくかによって、ふつう、次の三つに分けて考える。 (1)対人(集団)恐怖症……子ども、特に幼児のばあい、新しい人の出会いや環境に、ある程度の警戒心をもつことは、むしろ正常な反応とみる。 知恵の発達がおくれぎみの子どもや、注意力が欠如している子どもほど、周囲に対して、無警戒、無頓着で、はじめて行ったような場所でも、わがもの顔で騒いだりする。 が、反対にその警戒心が、一定の限度を超えると、人前に出ると、声が出なくなる(失語症)、顔が赤くなる(赤面症)、冷や汗をかく、幼稚園や学校がこわくて行けなくなる(学校恐怖症)などの症状が表れる。 さらに症状がこじれると、外出できない、人と会えない、人と話せないなどの症状が表れることもある。 (2)場面恐怖症……その場面になると、極度の緊張状態になることをいう。 エレベーターに乗れない(閉所恐怖症)、鉄棒に登れない(高所恐怖症)などがある。 これはある子ども(小一男児)のケースだが、毎朝学校へ行く時刻になると、いつもメソメソし始めるという。 親から相談があったので調べてみると、原因はどうやら学校へ行くとちゅうにある、トンネルらしいということがわかった。 その子どもは閉所恐怖症だった。 実は私も子どものころ、暗いトイレでは、こわくて用を足すことができなかった。 それと関係があるかどうかは知らないが、今でも窮屈なトンネルなどに入ったりすると、ぞっとするような恐怖感を覚える。 (3)そのほかの恐怖症……動物や虫をこわがる(動物恐怖症)、死や幽霊、お化けをこわがる、先のとがったものをこわがる(先端恐怖症)などもある。 動物のお面をかぶって見せただけで、ワーッと泣き出す「お面恐怖症」の子どもは、一五人に一人はいる(年中児)。 ただ子どものばあい、恐怖症といってもばくぜんとしたものであり、問いただしてもなかなか原因がわからないことが多い。 また症状も、そのとき出るというよりも、その前後に出ることが多い。 これも私のことだが、私は三〇歳になる少し前、羽田空港で飛行機事故を経験した。 そのためそれ以来、ひどい飛行機恐怖症になってしまった。 何とか飛行機には乗ることはできるが、いつも現地ではひどい不眠症になってしまう。「 生きて帰れるだろうか」という不安が不眠症の原因になる。 また一度恐怖症になると、その恐怖症はそのつど姿を変えていろいろな症状となって表れる。 高所恐怖症になったり、閉所恐怖症になったりする。 脳の中にそういう思考回路ができるためと考えるとわかりやすい。 私のケースでは、幼いころの閉所恐怖症が飛行機恐怖症になり、そして今回の自動車恐怖症となったと考えられる。 ●忘れるのが一番  子ども自身の力でコントロールできないから、恐怖症という。 そのため説教したり、叱っても意味がない。 一般に「心」の問題は、一年単位、二年単位で考える。子どもの立場で、子どもの視点で、子どもの心を考える。無理な誘導や強引な押しつけは、タブー。無理をすればするほど、逆効果。 ますます子どもはものごとをこわがるようになる。 いわば心が熱を出したと思い、できるだけそのことを忘れさせるような環境を用意する。 症状だけをみると、神経症と区別がつきにくい。 私のばあいも、その事故から数日間は、車の速度が五〇キロ前後を超えると、目が回るような状態になってしまった。 「気のせいだ」とはわかっていても、あとで見ると、手のひらがびっしょりと汗をかいていた。 が、少しずつ自分をスピードに慣れさせ、何度も自分に、「こわくない」と言いきかせることで、克服することができた。 いや、今でもときどき、あのときの模様を思い出すと、夜中でも興奮状態になってしまう。 恐怖症というのはそういうもので、自分の理性や道理ではどうにもならない。 そういう前提で、子どもの恐怖症には対処する。 (付記) ●不登校と怠学 不登校は広い意味で、恐怖症(対人恐怖症など)の一つと考えられているが、恐怖症とは区別する。 この不登校のうち、行為障害に近い不登校を怠学という。 うつ病の一つと考える学者もいる。 不安障害(不安神経症)が、その根底にあって、不登校の原因となると考えるとわかりやすい。 Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司 ●子どもの不登校を防ぐ法(前兆を見落とすな!) 子どもが学校恐怖症になるとき ●四つの段階論  同じ不登校といっても、症状や様子はさまざま(※)。 私の二男はひどい花粉症で、睡眠不足からか、毎年春先になると不登校を繰り返した。 が、その中でも恐怖症の症状を見せるケースを、「学校恐怖症」(A・M・ジョンソン)、行為障害に近い不登校を「怠学(truancy)」といって区別している。 これらの不登校は、症状と経過から、次の三つの段階に分けて考える(長崎大・中根允文氏)。 心気的時期、登校時パニック時期、自閉的時期。 もう少しわかりやすくすると、 次のようになる。 (1)前兆期……登校時刻の前になると、腹痛、頭痛、脚痛、倦怠感、吐き気、気分の悪さを訴える。 症状は午前中に重く、午後に軽快し、夜になると、「明日は学校へ行く」などと、明るい声で答えたりする。 これを症状の日内変動という。 理由を聞くと、「A君がいじめる」などと言ったりする。 そこでA君を排除すると、今度は「B君がいじめる」と言い出したりする。 理由となる原因(ターゲット)が、そのつど移動するのが特徴。 (2)パニック期……攻撃的に登校を拒否する。 親が無理に車に乗せようとしたりすると、狂ったように暴れ、それに抵抗する。 が、親があきらめ、「もう今日は休んでもいい」などと言ったりすると、一転、症状が消滅する。 ある母親は、こう言った。「学校から帰ってくる車の中では、鼻歌まで歌っていました」と。 (3)自閉期……自分のカラにこもる。 特定の仲間とは遊んだりするが、心の中はいつも緊張状態にあり、ささいなことで激怒したり、暴れたりする(感情障害)。 この段階で回避性障害(人と会うことを避ける)、不安障害(非現実的な不安感をもつ。おののく)の症状を示すこともある。こうした状態が、数か月から数年続く。 ④回復期……断続的に外の世界と接触をもつようになり、登校できるようになる。 週に一日~二日、月に一週~二週登校できるようになり、序々にその期間が長くなる。 (なおこの「回復期」は、私が付け足した。) ●前兆をいかにとらえるか  要はいかに(1)の前兆期をとらえ、この段階で適切な措置をとるかということ。 たいていの親はひととおり病院通いをしたあと、「気のせい」と片づけて、無理をする。 この無理が症状を悪化させ、(2)のパニック期を招く。 この段階でも、もし親が無理をせず、「そうね、誰だって学校へ行きたくないときもあるわよ」と言えば、その後の症状は軽くすむ。 一般にこの恐怖症も含めて、子どもの心の問題は、今の状態をより悪くしないことだけを考える。 なおそうと無理をすればするほど、症状はこじれる。悪化する。  (付記) ※……不登校の態様は、一般に、この日本では、(1)学校生活起因型、(2)遊び非行型、(3)無気力型、(4)不安など情緒混乱型、(5)意図的拒否型、(6)複合型に区分して考えられている。  またその原因については、(1)学校生活起因型(友人や教師との関係、学業不振、部活動など不適応、学校の決まりなどの問題、進級・転入問題など)、(2)家庭生活起因型(生活環境の変化、親子関係、家庭内不和)、(3)本人起因型(病気など)に区分して考えられている(「日本教育新聞社」まとめ)。 ●学校恐怖症は対人障害の一つ   こうした恐怖症ははやい子どもで、満四~五歳から表れる。 乳幼児期は、主に泣き叫ぶ、睡眠障害などの心身症状が主体だが、小学低学年にかけてこれに対人障害による症状が加わるようになる(西ドイツ、G・ニッセンほか)。 集団や人ごみをこわがるなどの対人恐怖症もこの時期に表れる。ここでいう学校恐怖症はあくまでもその一つと考える。 (参考) ●ジョンソンの「学校恐怖症」 「登校拒否」という言葉は、イギリスのI・T・ブロードウィンが、一九三二年に最初に使い、一九四一年にアメリカのA・M・ジョンソンが、「学校恐怖症」と命名したことに始まる。 ジョンソンは、「学校恐怖症」を、(1)心気的時期、(2)登校時のパニック時期(3)自閉期の三期に分けて、学校恐怖症を考えた。 私はそれをさらに四期に分け、次のようにした。 症状は、 第一期・不調期登校時刻になると、身体的不調を訴える。 頭痛や腹痛、脚痛、吐き気、気分の悪さ、朝寝坊、寝ぼけ、疲れ、倦怠感など。 午前中は症状が重く、午後は軽くなり、夕方になると静かに収まってくる。 床につく前に親が、「明日は学校へ行くの?」と聞くと、明るい声で「行く」と答えたりする。 この段階で、親が学校へ行きたがらない理由を聞くと、「A君がいじめるから」とか言ったりする。 そこでA君を排除すると、今度は「B君がいじめるから」と言い出したりする。 ターゲット(原因とする人や理由)がそのつど移動するのが特徴である。 第二期・パニック期登校時刻になるとパニック状態になり、はげしく抵抗したり、泣き叫んだりする。親が無理に学校へ連れていこうとすると、狂人のように暴れたりする。 しかしいったん学校へ行かなくてもよいとわかると、一転して今度は別人のように静かで穏やかな表情を見せる。 あまりの変わりように、たいていの親は、「これが同じ子どもか?」と思うことが多い。 第三期・自閉期親が学校へ行かせるのをあきらめ、子どももそれに慣れてくると、子どもは自分の世界に閉じこもるようになる。 暴力、暴言などの攻撃的態度は減り、見た目には穏やかな状態になり、落ちつく。 ただ心の緊張感は残り、親の不用意な言葉などで、突発的に激怒したり、暴れたりすることはある。 気を許した友人とは、限られた場所では遊ぶものの、その範囲や遊びは限定される。 この状態で症状は数か月から数年という単位で、一進一退を繰り返す。 第四期・回復期少しずつ友人との交際を始めたり、外へ遊びに行くようになる。数日学校行っては休むというようなことを、断続的に繰り返したあと、やがて登校できるようになる。 ●学校恐怖症の対処のしかた  第一期で注意しなければならないのは、本文の中でも書いたが、たいていの親はこの段階で、「わがまま」とか「気のせい」とか決めつけ、その前兆症状を見落としてしまうことである。 あるいは子どもの言う理由(ターゲット)に振り回され、もっと奥底にある子どもの(心の問題)を見落としてしまう。 しかしこのタイプの子どもが不登校児になるのは、第二期の対処のまずさによることが多い。 ある母親はトイレの中に逃げ込んだ息子(小一児)を外へ出すため、ドライバーでドアをはずした。 そして泣き叫んで暴れる子どもを無理やり車に乗せると、そのまま学校へ連れていった。 その母親は「このまま不登校児になったらたいへん」という恐怖心から、子どもをはげしく叱り続けた。 が、こうした衝撃は、たった一度でも、それが大きければ大きいほど、子どもの心に取り返しがつかないほど大きなキズを残す。 もしこの段階で、親が、「そうね、誰だって学校へ行きたくないときもあるわね。今日は休んで好きなことをしたら」と言ったら、症状はそれほど重くならなくてすむかもしれない。  また第三期においても、鉄則は、ただ一つ。 なおそうと思わないこと。 私がある母親に、「三か月間は何も言ってはいけません。何もしてはいけません。子どもがしたいようにさせなさい」と言ったときのこと。母親は一度はそれに納得したようだった。しかし一週間もたたないうちに電話がかかってきて、「今日、学校へ連れていってみましたが、やっぱりダメでした」と。 親にすれば一か月どころか、一週間でも長い。 気持ちはわかるが、こういうことを繰り返しているうちに、症状はますますこじれる。  第三期に入ったら、(1)学校は行かねばならないところという呪縛から、親自身が抜けること。 (2)前にも書いたように、今の状態をより悪くしなことだけを考えて、子どもの様子をみる。 (3)最低でも三か月は何も言わない、何もしないこと。子どもが退屈をもてあまし、身をもてあますまで、何も言わない、何もしないこと。 (4)生活態度(部屋や服装)が乱れて、だらしなくなっても、何も言わない、何もしないこと。特に子どもが引きこもる様子を見せたら、そうする。 よく子どもが部屋にいない間に、子どもの部屋の掃除をする親もいるが、こうした行為も避ける。  要は子どものリズムで考えるということ。あるいは子どもの視点で、子どもの立場で考えること。 そういう謙虚な姿勢が、このタイプの子どもの不登校を未然に防ぎ、立ちなおりを早くする。 ●不登校は不利なことばかりではない  一方、こうした不登校児について、不登校を経験した子どもたち側からの調査もなされている。 文部科学省がした「不登校に関する実態調査」(二〇〇一年)によれば、「中学で不登校児だったものの、成人後に『マイナスではなかった』と振り返っている人が、四割もいる」という(不登校はマイナスではないと答えた人、三九%、マイナスだったと答えた人、二四%)。 そして学校へ行かなくなった理由として、 友人関係     ……四五% 教師との関係   ……二一% クラブ・部活動  ……一七% 転向などでなじめず……一四%と、その多くが、学校生活の問題をあげている。 Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司  この診断表を見てもわかるように、X君は第一期にあった。 つぎのパニック期(第二期)を経て、不登校状態(第三期)になるのは、時間の問題だった。 事実、そのあと、X君は第三期に入り、そのまま不登校児になってしまった。 が、母親は、今でもこう言っている。 「幼児期に無理な学習をさせたのが、原因です」と。  ……というようなケースは、多い。 本当に多い。 言い換えると、教える側の私たちは、そういうことも予想した上で、子どもを指導する。 親を指導する。 で、たいていの親はそれを理解し、何をすべきか、何をしてはいけないかを、判断する。 が、中には、それが判断できない親(母親)もいる。  もしX君の母親が早い段階で、X君の能力を的確に判断していたら……。 X君の母親が、あるところで、満足していたら……。 X君の母親が「やればできるはず」と、X君を追い立てなかったら……。 X君の母親が、少しずつ、子どもの気持ちを確かめながら負担を減らしていたら……。 X君の母親がもう少し知的能力の高い人であったら……。 X君は、不登校児にならなくて、すんだはず。 (こう書くからといって、不登校児がみな、そうであるということではない。 不登校児になるには、様々な原因や理由がある。 もちろん心の病気がからんでいることも多い。 ここで書いているのは、そのうちのひとつに過ぎない。どうか、誤解のないように!) ●不登校  X君の母親が、再びX君を私のところへ連れてきたのは、その数か月のことだった。 それについて書いた原稿も、どこかにあるはず。 なお内容は、少し変えてある。 Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司 ●親の心   子どもの心に何か問題が起きたとする。 するとたいていの親は、それをなおそうとする。 「まだ何とかなる」「そんなはずはない」と考える。が、原因が自分にあると考える親は、まずいない。 しかも心の問題は外からは見えないため、これまたほんとどの親は、「気のせいだ」「心は気のもちようだ」と軽く考える。 しかしこうした誤解が、やがて悪循環を招き、少しずつだが時間をかけて、にっちもさっちもいかなくなる。  S君(年長児)の症状は、軽いチックではじまった。 そこで母親はそれを何度となくうるさく注意した。が、チックはやがて階段をのぼるようにトントンと悪化した。症状も大きくなり、複数のチックを同時に併発するようになった。 母親はますます子どもを叱った。しかしこれがまずかった。 S君は真夜中に、はげしいけいれん状のチックを繰り返すようになった。一度は救急車まで呼んだ。 しかし親は、自分に原因があるとは決して思わなかった。 R君の母親は、見るからに神経質そうな母親だった。話し方もせっかちで、人の話をまったく聞こうとしなかった。  やがてS君と母親はお決まりの病院めぐり。 あちこちで検査を受けては落胆したり、一抹の希望をもったりした。 S君が幼稚園へ行きたくないと言い出すと、それはますますエスカレートした。が、病院めぐりをすればするほど、S君の症状は悪化した。 母親はあとになってこう言った。 「あのまま不登校児になったらどうしようと、そればかりが心配でした」と。が、結局S君はそのまま不登校児になった。 1年生のときも、2年生のときも、ほとんど学校へは行かなかった。 私にも相談があったので、「3か月は何も言ってはいけません。S君の好きなようにさせなさい」と言ったが、母親にしてみれば、一か月だって長い。 そのつど学校へS君をひっぱっていった。 さらに病院めぐりをするようになると、もう私のアドバイスなど聞かなかった。 こうなると、私としては指導の方法はない。 さらに病院で処方される「わけのわからない薬」を飲むようになると、S君の症状は一時的には快方に向かったが、しかしそれはあくまでも一時的。そのあと薬の反作用で、症状はますますわけのわからないものになっていった。  ……というような話はいくらでもある。 親というのは、結局は行き着くところまで自分で行くしかない。 冷たい言い方だが、これは子育てにまつわる宿命のようなもの。その途中で私のようなものがいくらアドバイスしても、意味がない。指導する側にしてみれば、そういうむなしさがいつもついて回る。これもやはり宿命のようなもの。 Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司 ●「無知は罪悪である」  こと子育てに関して言うなら、「無知は罪悪である」。 「知らなかった」では、すまされない。 とは書きつつも、みな、どんな親でも最初は「無知」の状態から始める。 それはそれでしかたのないこと。  そこで「勉強」ということになる。 が、構える必要はない。 風通しのよい家庭環境にし、ほかの父母との情報交換ができるようにすればよい。 とくに1~2年、年上の子どもをもつ親たちと親しくなるのがよい。 けっして、殻やカプセルにこもってはいけない。  ……ということで、またまた同じことを書き始めたので、今日はここまで。 (はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW はやし浩司 幼児教室 育児 教育論 Japan はやし浩司 親の無知 罪悪論 風通しのよい子育て はやし浩司 不登校児 はやし浩司 ジョンソン 学校恐怖症 はやし浩司 恐怖症 神経症的な症状)2012/07/26 Hiroshi Hayashi+++++++July. 2012++++++はやし浩司・林浩司 【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□ 休みます。 【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□ 【人来たりて、また去る……ジャン・ダルジー】 ●年長児(長さの勉強)  今日は自分の制作したビデオを見ながら、 こんなふうふに感じました。 「人、来たりて、また去る」(ジャン・ダルジー)と。 そんな私の気持ちを、このビデオを通して、みなさんに お伝えできれば、うれしいです。 はやし浩司 2012/07/27 ●31年ぶりの約束  ちょうど三十一年前の卒業アルバムに、私はこう書いた。「二〇〇一年一月二日、午後一時二分に、(金沢の)石川門の前で君を待つ」と。それを書いたとき、私は半ば冗談のつもりだった。当時の私は二十二歳。ちょうどアーサー・クラーク原作の「二〇〇一年宇宙の旅」という映画が話題になっていたころでもある。私にとっては、三十一年後の自分というのは、宇宙の旅と同じくらい、「ありえない未来」だった。  しかし、その三十一年が過ぎた。一月一日に金沢駅におりたつと、体を突き刺すような冷たい雨が降っていた。「冬の金沢はいつもこうだ」と言うと、女房が体を震わせた。とたん、無数の思い出がどっと頭の中を襲った。話したいことはいっぱいあるはずなのに、言葉にならない。細い路地をいくつか抜けて、やがて近江町市場のアーケード通りに出た。いつもなら海産物を売るおやじの声で、にぎやかなところだ。が、その日は休み。「初売りは五日から」という張り紙が、うらめしい。カニの臭いだけが、強く鼻をついた。  自分の書いたメモが、気になり始めたのは数年前からだった。それまで、アルバムを見ることも、ほとんどなかった。研究室の本棚の前で、精一杯の虚勢をはって、学者然として写真におさまっている自分が、どこかいやだった。しかし二〇〇一年が近づくにつれて、その日が私の心に重くのしかかるようになった。アルバムにメモを書いた日が「入り口」とするなら、その日は「出口」ということか。しかし振り返ってみると、その入り口と出口が、一つのドアでしかない。その間に無数の思い出があるはずなのに、それがない。人生という部屋に入ってみたら、そこがそのまま出口だった。そんな感じで三十一年が過ぎてしまった。  「どうしてあなたは金沢へ来たの?」と女房が聞いた。「…自分に対する責任のようなものだ」と私。あのメモを書いたとき、心のどこかで、「二〇〇一年まで私は生きているだろうか」と思ったのを覚えている。が、その私が生きている。生きてきた。時の流れは、時に美しく、そして時に物悲しい。フランスの詩人、ジャン・ダルジーは、かつてこう歌った。「♪人来たりて、また去る…」と。部分的にしか覚えていないが、続く一節はこうだった。「♪かくして私の、あなたの、彼の、彼女の、そして彼らの人生が流れる。あたかも何ごともなかったかのように…」と。何かをしたようで、結局は、私は何もできなかった。時の流れは風のようなものだ。どこからともなく吹いてきて、またどこかへと去っていく。つかむこともできない。握ったと思っても、そのまま指の間から漏れていく。  翌一月二日も、朝からみぞれまじりの激しい雨が降っていた。私たちは兼六園の通りにある茶屋で昼食をとり、そして一時少し前にそこを出た。が、茶屋を出ると、雨がやんでいた。そこから石川門までは、歩いて数分もない。歩いて、私たちは石川門の下に立った。「今、何時だ」と聞くと、女房が時計を見ながら「一時よ…」と。私はもう一度石川門の下で足をふんばってみた。「ここに立っている」という実感がほしかった。学生時代、四年間通り抜けた石川門だ。と、そのとき、橋の中ほどから二人の男が笑いながらやってくるのに気がついた。同時にうしろから声をかける男がいた。それにもう一人…! そのとたん、私の目から、とめどもなく涙があふれ出した。 (はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW はやし浩司 幼児教室 育児 教育論 Japan はやし浩司 ジャン・ダルジー) Hiroshi Hayashi+++++++July. 2012++++++はやし浩司・林浩司 【大物タイプvs小粒タイプ】 Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司 高校2年生のクラス。 4人+1人の生徒が、来ている。 4人は、高校2年生。 残りの1人は、中学3年生。 中学3年生の子ども(女子)は、言うなれば見習い。 高校生の間に座らせることによって、(勉強癖)を、見習う。 もらう。 勉強癖のない子どもには、この方法がもっとも効果的。 『子どもの先生は子ども』 子育てを考える、大鉄則。 Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司 ●小銭を稼いで、大志を捨てる その4人の高校生のうち、1人(男子)の様子が、少し変化してきた。 近くのファーストフード店で、アルバイトをするようになってからのこと。 教室の月謝を、自分が受け取る(時間給)で割るようになった。 ときどき、ふと、「もったいない」という言葉を使うようになった。 こういう現象を、『小銭を稼いで、大志を捨てる』という。 高校生の間で、よく見られる現象である。 ●弱化の原理  原因は、弱化の原理。 脳の奥深くで、自分を(負の方向)に引く……そんな力が働いている。 たいていは、何か大きなつまずきがあったことなどが原因で、そうなる。 小学校の入試、あるいは中学校の入試で失敗した、など。 それがトラウマとなり、心の奥に潜む。 そのつど顔を出し、その子どもを(負の方向)に引っ張る。 平たく言えば、一度、自信をなくした子どもに、自信を取り戻すのは、容易なことではない。  その子ども(A君とする)のばあいは、何が原因なのかは、私にはわからない。 恐らく本人にも、わかっていない。 それだけに、その子どもから、原因を取り除くのは、むずかしい。 不可能とさえ断言してよい。 ●前向きに進む子ども  4人のうち、その生徒をのぞいて、3人、医師をめざしている。 うち2人は、父親も医師。 もう1人(男子)は、残りの2人の影響を大きく受けた。 くわえてその男子は、スポーツマン。 1年のときから、正選手として活躍している。 インターハイへの出場を、もくろんでいる。  「君も医者になったら?」と言うと、いつも「ぼくは、科学者のほうがいい」と。 が、内心では、医師をめざしている。 ●大志  小銭で、大志を捨てる子どももいれば、大志を大志と意識しないまま、大志に向かって進む子どももいる。 (医師にはることが、大志と、私は書いているのではない。誤解のないように!) 自ら小さくなっていく子どももいれば、自ら大きくなっていく子どももいる。  まずいのは、小銭の計算に振り回されること。 だからといって、小銭を粗末にしてよいと書いているのではない。 小銭にうるさいということは、万事に、ケチで、ため込み屋。 小さな世界で、こじんまりと生きる。 無難で安易な道を選ぶ。 総じてみれば、長男、長女に多い。 生活態度が、防衛的。 「小銭を大切にする」というのは、そういう意味。 ●おとなの世界  おとなの世界は、そういった子どもたちの(結果)ということになる。 さらに50代、60代の人たちは、その(結果)ということになる。 私がいちばん嫌うのは、自分では何もしなかった人が、他人を笑うこと。 他人の失敗を、ことさら大げさに、取りあげる。 「だからあいつは、ダメなんだよ」とか。  昔は、そういう人を「小市民」と呼んだ。 私の知人にもいる。 いつだったか、私にこう言った。 「はやし君、50歳を過ぎたら、生活をコンパクトにしなさいよ」と。  コンパクト?  どうしてこの私がコンパクトに生きなければ、ならないのか? 死ぬまでが人生。 少なくとも、死ぬまで、私たちは生きている。 (……とは書きつつも、「そうかなア?」と迷う部分もないわけではないが……。)  その知人が、何かをした人なら、私も納得する。 しかしその知人は、大きな楽器工場で、生涯、社員として過ごした。 (社員が小市民というわけではない。そうでない人も多い。誤解のないように!) そんな人が、そう言う。 ●親の生き様  大きな子どもにするかどうか。 それを決めるのは、親の生き様による。 学校でもないし、教育でもないし、教師でもない。 ただひとつ気になることはある。  大志を隠しもっている子どもは、同時に広く、世界に目を向けている。 先に書いたインターハイをめざしている子どもは、世界で活躍するスポーツ選手に詳しい。 先日も、こう言った。 「野茂(ピッチャー)は、日本の球団をやめ、アメリカへ渡ったんだよ。 年俸も10分の1になったんだよ。 野茂が、つまりプロ野球の世界に、新しい道を作った」と。  そうでない子どもは、そうでない。 世界が小さい。 話すことといえば、ゲームのことだけ。 「ゲームがなかったら、ぼくは1日で、気が狂う」などと、平気で言ったりする。 そこにあるものを、自分の世界に引き込むだけ。 自分で作ろうとしない。 音楽にしても、聞くだけ。 スポーツにしても、見るだけ。 本にしても、読むだけ。 ゲームにしても、楽しむだけ。  「ゲーム言語を覚えて、自分でゲームで作ってみたら?」と聞いても、「むずかしそうだから、いやだ」と。 万事、自分が安易にできる範囲で、できることとしかしない。 が、これでは、外の世界を見ることができない。 ●損をする人生  つづきとして書きたいことは、山のようにある。 またそれについては、たびたび書いてきた。 が、結論として言えることは、『ケチは人を小さくする』。  が、誤解してはいけない。 (ケチ)と(質素)は、別。 ここでいう(ケチ)というのは、たとえば小銭を惜しんで、自分に投資しない人のことをいう。 ●2つのタイプ  この時期に、子どもたちは、大きく2つの道に分かれていく。 より大きくなっていく子ども。 より小さくなっていく子ども。  特徴としては、より大きくなっていく子どもは・・・、 (1)失敗を楽しむ (2)挑戦的 (3)多芸多才 (4)情報に敏感で、即応していく (5)おおらかで、スケールが大きい (6)受験勉強を肯定的にとらえる 反対に小さくなっていく子どもは・・・ (1)他人の失敗を笑う (2)保守的 (3)趣味が単一化している (4)思考回路が固定化している (5)ケチ (6)社会的に通用しない価値観をもつ ●私たちの問題  結果は・・・と書くまでもない。 こうした生きざまは、40代ごろになると、結果として現れてくる。 50代になると、さらにはっきりしてくる。 で、それはそのまま人生の密度として、はね返ってくる。  ・・・もっとも、人生の密度というのは、その人にはわからない。 10年1律に生きている人でも、「私は濃い人生を送っている」と言う人がいる。 反対に、きわめて密度の濃い人生を送りながら、「さらに・・・」と考えている人もいる。 さらに言えば、人というのは、自分にとって都合の悪い情報を遠ざけようとする傾向がある。  たとえば人生の密度の薄い人は、濃い人を避ける。 自分の人生の(薄さ)を知ることは、不愉快なことでもある。 敗北感が、自己否定につながることもある。 だから避ける。 つまり小さく生きている人は、小さく生きているどうしで集まり、細々と自分をなぐさめあって生きている。 今の私がそうかもしれないし、あなたもそうかもしれない。  どうであれ、その分かれ道は、中学から高校にかけて、やってくる。  言いかえると、そのころ、それまでの(育て方)の(結果)がやってくる。 ●A君  あるとき、A君は、こう言った。 見習いに入ってきた、中学3年生の女子について、「先生、月謝の無駄だよ」と。  その女子は、ほとんど勉強らしい勉強をしなかった。 それでそのクラスに入れた。 私「どうして?」 A「たった1問を解くのに、30分もかかっている・・・」 私「それがその子の力なんだから、しかたないよ」 A「1問で、エエ~と、1500円かア」と。  月謝を時間割にして計算した。 私「あのね、もし、君が自分のことで同じように考えているなら、ぼくの教室をやめてもいいよ」 A「どうして?」 私「ものを習うというのは、何も、知識を得るためだけではない」 A「・・・」 私「あの女の子は、君たちから勉強癖をもらうために、この教室にいるんだよ」 A「勉強なんて、自分ですればいい。ただだから・・・」 私「・・・そうかな? 本当にそうかな?」と。  「A君は、近く私の教室をやめていくだろうな」と感じた。 が、それはA君には言わなかった。 (はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW はやし浩司 大きく伸びる子ども 小さくなる子ども ケチな子ども) Hiroshi Hayashi+++++++July. 2012++++++はやし浩司・林浩司 ☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆  はやし浩司のホームページ http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/ ☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆ ■□コマーシャル★★★★★★コマーシャル□■ 【BW生・募集中!】  (案内書の請求)    http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/page228.html  (教室の案内)     http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/page025.html ●小学生以上の方も、どうか、一度、お問い合わせください。 ■□コマーシャル★★★★★★コマーシャル□■ *********************************** このマガジンがお役にたてそうな人が、あなたのまわりにいませんか? よろしかったら、どうか、このマガジンのことを、お友だちの方に 話していただけませんか? よろしくお願いします。              はやし浩司 *********************************** ■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■   まぐまぐプレミア版(有料版)のお申し込みは…… http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/page141.html ■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■                       .   *※※ .※※  ***※ .*※※…※}※**    . **++ ※)) . {※}※※ / . ※*… /mQQQm .**/| |Q ⌒ ⌒ Q  Bye! .  = | QQ ∩ ∩ QQ    .       m\ ▽ /m~= ○ .       ○ ~~~\\// .================================= .みなさん、次号で、またお会いしましょう! .=================================

Wednesday, September 26, 2012

異星人の足跡(1Aliens’ Footprints)

【謎の地上絵+三叉の大燭台】Mystery of Strange Line Pictures and Grand Candlesticks ●謎の地上絵 謎の地上絵には、ちゃんとした意味がありました。 しかも異星人によって描かれていました。 その説明と証拠を提示します。 I found very strange Line Pictures in Chili while I was examining the Spot ,called "UFO's Launch Pad in Bolivia. This is the video about the strange pictures on the ground. I thought that they were Line Pictures drawn by people of that district for fu, but I wasu wrong. Soon I found that they were drawn by very intellectual people, or Aliens. Here is an evidence that proves what I am saying here to be true. ボリビアの「UFOの発射台」を調べているとき、群前チリで、奇妙な地上絵を発見しました。世界でもほとんど知られていない地上絵です。最初、私はそれをだれかの落書きと思いましたが、それがとんでもないまちがいであることに気がつきました。確実に、きわめて高度な知的能力をもった人たち、つまり異星人によって描かれたことがわかりました。その証拠をここに提示します。 img802 img801 img800 (異星人の描いた絵 チリの謎の絵 三叉の大燭台 Grand Candlesticks in Peru Great Mystery of Line pictures Chili Mysteries Ancient Civilizations 古代文明 謎の古代文明 ナスカ UFOの発射台 はやし浩司 Hiroshi Hayashi UFO Launch Pad Bolivia 謎の地上絵 地上絵の謎 Hamamatsu Japan Sep 26th 2012 Evidence Aliens line 異星人の証拠 異星人の足跡)

Tuesday, September 25, 2012

ボリビアのUFO発射台(UFO Launch Pad in Bolivia)

(47)ボリビアの「UFO発射台」(UFO Launch Pad in Bolivia) UFO Launch Pad in Bolivia.(ボリビアのUFO発射台)。 There is a very strange rock, called "Launch Pad for UFO's". This is the short story about it. And I find some Line Pictures, about 660km away from that place. ボリビアに「UFOの発射台」と呼ばれる奇妙な岩がある。それについて調べてみた。 古代文明をつなぐ謎の点と線。今回は、「お遊び」。 http://youtu.be/66l1JaBGQHI (UFOの発射台 ボリビア UFO Launch Pad Bolivia 古代文明 謎の点と線 はやし浩司 Hiroshi Hayashi 謎の地上絵 Launch Pad for UFO UFO 発射台 ボリビア 謎の岩 ミステリー)2012/09/26記 Hiroshi Hayashi+++++++Sep. 2012++++++はやし浩司・林浩司 ★ ★ ★ ☆☆☆この電子マガジンは、購読を登録した方のみに、配信しています☆☆☆ .  mQQQm             . Q ⌒ ⌒ Q  ♪♪♪……    .QQ ∩ ∩ QQ          . m\ ▽ /m 彡彡ミミ       .  /~~~\  ⌒ ⌒       . みなさん、   o o β       .こんにちは!  (″ ▽ ゛)○    .        =∞=  //  (BW公開教室・まぐまぐプレミアム読者のみなさんへ)    http://hiroshihayashi4.ninja-web.net/ □■□□□□□□□□□□□□□■□ =================  子育て最前線の育児論byはやし浩司   2011年 9月 26日 □■□□□□□□□□□□□□□■□ ================= ★ ★★HTML版★★★ HTML(カラー・写真版)を用意しました。 どうか、お楽しみください。(↓をクリックしてみてください。) ************************ http://bwhayashi2.fc2web.com/page006.html メルマガ(6万3000誌)の中で、2008年度、メルマガ・オブ・ザ・イヤーに 選ばれました! 【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□ 【年長児にお話作りを教える】  7月23日は、年長児を対象に、「お話しづくり」を学習しました。 Hiroshi Hayashi+++++++July. 2012++++++はやし浩司・林浩司 【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□ 【夏休み&いじめ対策】 ●あなたの子どもは、だいじょうぶ? (安心度・チェックテスト) (1)部活、クラブ活動などに、出かけるときの様子       明るい声で元気よく行く・・・3点       いつも同じように出かけて行く・・・2点       どこか暗い雰囲気・・・1点       時間ギリギリまで行こうとしない・・・0点 (2)友だちについての話題をもちかけたとき       あれこれと友だちの様子を楽しそうに話してくれる・・・3点       聞いたことについては、あれこれと話してくれる・・・2点       「うん」「まあまあ」というような、あいまいな返事が多い・・・1点       話したがらないし、聞いても何も答えない・・・0点 (3)夢と希望、それに目的について話題にしたとき       「あれをしたい」「これをしたい」と明確に言う・・・3点       夢や希望はあるようだが、形がはっきりしない・・・2点       毎日が惰性で動いているよう・・・1点       否定的な返事が多く、何をしても自信がなさそう・・・0点 (4)心や体の変調はみられませんか       健康で、ハツラツとし、とくに何もないよう・・・3点       ときどき体の不調を訴えることはある・・・2点       慢性的に、不眠、けん怠感、食欲不振、腹痛を訴える・・・1点       このところ急速に落ち込んできたような印象をもつ・・・0点 (5)「死」「死ぬ」という言葉にどのように反応しますか       そういった言葉を口にしても、笑い飛ばす・・・3点       「死」というものを、自分と切り離して考えている・・・2点       「死」を身近で考えているような雰囲気がある・・・1点       表情が暗くなったり、何を考えているかわからない・・・0点  このテストでは、平均点を10点前後(中学生)に想定しました。 10点以上であれば、あなたの子どもは、それなりに学生生活を前向きにとらえていると考えてください。  なお点数が低いからといって、いじめられているということにはなりません。 思春期というのは、まさに怒涛のごとく(思い)が子どもを襲います。 その中で、子どもは思い、悩み、自分の進むべき道をさがします。 Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司 (家庭の安心度) (1)あなたの子どもには、家庭の中に逃げ場がありますか       決まった逃げ場があり、いつもそこで心を休めている・・・3点       とくに決まった逃げ場はないが、ひとりになることが多い・・・2点       友だちの家に出かけたり、家の外で気晴らしをする・・・1点       夜遊び、外泊をする。あるいは部屋に引きこもる・・・0点 (2)外から返ってきたとき、あなたの子どもは・・・       あなた(親)のいる前でも大きな態度で自分勝手なことをする・・・3点       あなたを見ると、どこかうるさそうな顔をする・・・2点       あなたの姿を見ると、そそくさと、その場を離れる・・・1点       家族との接触をいやがり、話しかけても何も答えない・・・0点 (3)あなたの子どもは、キレやすく、興奮しやすいですか       いつもなごやかな雰囲気で、性格は穏やか・・・3点       生活は平凡で、なにごともなく過ぎていくよう・・・2点       あなた(親)の言葉に敏感に反応し、怒ったりする・・・1点       突発的にキレたり、ときに大声を出し錯乱状態になる・・・0点 (4)子どもの目で見て、あなたの家庭は、どのようですか       静かで落ち着いた家庭・・・3点       不安なことも多いが、自分では平均的と思う・・・2点       よく騒動も起きる。夫婦仲もあまりよくない・・・1点       はげしい夫婦喧嘩やがつづく。家族の心はバラバラ・・・0点 (5)家族旅行などを提案してみたときの様子       子どもの方から、あれこれ希望を出したりする・・・3点       親が行けば、付いてくるといったふう・・・2点       行きたがらない。会話に乗ってこない・・・1点       そういった提案を持ち出す雰囲気さえない・・・0点  小学3年生(ちょうど親離れを始めるじき)を過ぎたら、「家庭は癒しの場」と心得えてください。 子どもはその家庭の中で、羽を伸ばし、疲れた心を癒します。 なお情緒不安というのは、「心の緊張感が取れない状態」を言います。 家庭はその緊張感を緩める場所ということになります。 Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司 【いじめを知る、5つの方法】  いじめられている子どもでも、それを親に伝えるケースは、10%もないと言われています。 ほとんどの子どもは、いじめられてもそれを自分の心の中にしまってしまいます。 いじめの問題のむずかしさは、ここにあります。 (1)子どものことは、子どもの友だちに聞く  あなたの子どもを積極的に家に呼び、いっしょに遊ぶ機会をふやしてみてください。 あるいはほかの親と親しくなり、自分の子どもについて聞くのもよいでしょう。 大切なことは、風通しのよい人間関係をつくること。 情報は、そういったところから、あなたの耳に入ってきます。 (2)先生に対して、聞き上手になること  先生にとっていちばん話しにくいのは、すぐカリカリする母親です。 先生「最近、顔色がよくわりませんが」 母親「うちではふつうです」 先生「成績がさがってきたようですが」 母親「塾では、いい成績を取っています」と。  こういうときは、自分の子どもでも他人の子どもと思い、一歩引き下がる。 自分の子どもを、客観的に見るようにする。 「己の子どもを知るは賢い父親だ」(「ベニスの商人」)と言ったのはシェークスピアですが、それくらい自分の子どものことを知るのは、むずかしい。 「子どものことは私がいちばんよく知っている」と言う親ほど、自分の子どものことを知らないものです。 (3)いちばん近くにいる友だち(?)を疑う  いじめる側の子どもは、急速にあなたの子どもに接近してきます。 「このところA君からの電話が多くなった」とか、「Bさんが、やたらと遊びにくるようになった」というときは、要注意。 接近しながら、こちらの動きをさぐろうとします。 その友だちが家に来たとき、あなたの子どもがうれしそうに振る舞えば、それでよし。 そうでなければ、相手の子どもの動向に注意します。 (4)心が悪魔的になる  抑圧感が慢性的につづくと、子どもの心は悪魔的になります。 イギリスの教育格言にも、『抑圧は悪魔をつくる』というのがあります。 たとえばガイコツや戦争の絵を好んで描くようになったり、「血」「死」「殺」といった言葉に鋭く反応するようになったりします。  この時期、子どもの心は全体的に悪魔的になります。 受験競争が影響していることは言うまでもありません。 が、それ以上に悪魔的になってきたら、何が子どもの心を抑圧しているか、さぐってみてください。 (5)こまかい配慮(相談)が消える  いじめを受けるようになると、その子どもにとっては、それが(すべて)になります。 学校での勉強や成績、宿題、家庭内での問題などは、その子どもにとっては、どうでもよくなってしまうというわけです。 万事に投げやり的になり、抑圧的な症状(急にふさぎ込んだり、ものごとにこだわったり、ふとしたきっかけで暗く沈むなど)があれば、要注意。 この段階になると、神経症的な症状も出てきます。 Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司 【いじめっ子の4タイプ】  いじめっ子には、4タイプがあります。 それぞれの子どもに応じて対処しましょう。 (1)親分タイプ  いじめの中心的な存在で、たいてい親分・子分関係を作ります。 その親分となるタイプです。 暴力的で威圧的な子どもばかりとはかぎりません。 表ではよい子ぶり、勉強や運動面で、よい成績を示す子どもも少なくありません。 知的ないじめ、集団による組織的ないじめが特徴です。 仮面をかぶり、先生の前ではいい子ぶったりします。 「無視」「仲間はずれ」「いじわる」などを主にします。 (2)子分タイプ  このタイプの子どもは、いじめられるのがこわく、いじめのグループに入ることによって、身の安全をはかります。 いじめられていやな思いをした子どもほど、そうなりますが、親分になって友だちをいじめる度胸はありません。 命令に従い、こそこそと隠れていじめを繰り返すという特徴があります。 (3)攻撃型タイプ  このタイプの子どもは、ほかの子どもに恐れられるのが、「自分の顔」と考えます。 いじめ方が暴力的、攻撃的になるのが特徴です。 肩をいからせて歩く、言動が粗放になるなど、ツッパリ症状が出てきます。 存在感が大きく、おおっぴらに、相手に罵声を浴びせかけたり、暴力を振るったりします。 (4)陰湿タイプ  たいていは単独。 女子に多いタイプ。 嫉妬が原因で、相手をいじめます。 もの隠し、悪口など。 「モマシ」という手法もよく使います。 たいていその子どもの近くにいて、陰湿ないじめを執拗に繰り返します。 Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司 ●もしあなたの子どもに、いじめの心配ができたら……  あなたの子どもが、どうもいじめをするような悪いグループに入っていると感じたら、鉄則はひとつ。 『友を責めるな、行為を責めろ』(イギリスの教育格言)、です。  子どもに、「A君は悪い子だから、つきあってはダメ」と言うのは、子どもに、「友を取るか、親を取るか」の二者択一を迫るようなもの。 子ども自身も相手の子どもから、ますます逃れられなくなってしまいます。 またそのとき、あなたの子どもがあなたを取ればよし。 しかしそうでなければ、あなたと子どもの間には大きな亀裂が入ることになります。  友だちというのは、その子どもにとっては、子どもの人格そのものだからです。 友を捨てろというのは、子どもの人格を否定することに等しい。 たとえいじめっ子でも、です。 あなたが友だちを責めれば責めるほど、あなたの子どもは窮地に立たされることになります。。 そういう状態に子どもを追い込むことは、たいへんまずい、ですね。 ではどうするか。  こういうケースでは、行為を責める。 またその範囲でおさめる。 「友だちからお金を取ることは悪い」「弱い子どもに暴力を振るうのはよくない」「陰に隠れてずるいことをするのは、悪い」とか、など。  コツは、決して友だちの名前を出さないようにすること。 子ども自身に判断させるようにしむける。 そしてあとは時を待つ。……と書くだけだと、イギリスの格言の受け売りで終わってしまいます。 そこで私はもう一歩、この格言を前に進める。そしてこんな格言を作りました。 『行為を責めて、友をほめろ』と。  子どもというのは自分を信じてくれる人の前では、よい自分を見せようとする。 そういう子どもの性質を利用して、まず相手の友だちをほめる。 「あなたの友だちのB君、あの子はユーモアがあっておもしろい子ね」とか。 「あなたの友だちのB君って、いい子ね。このプレゼントをもっていってあげてね」とか。 そういう言葉はあなたの子どもを介して、必ず相手の子どもに伝わる。 そしてそれを知った相手の子どもは、あなたの期待にこたえようと、あなたの前ではよい自分を演ずるようになる。  つまりあなたは相手の子どもを、あなたの子どもを通して遠隔操作するわけですが、これは子育ての中でも高等技術に属します。 ただし一言。  よく「うちの子は悪くない。友だちが悪いだけだ。友だちに誘われただけだ」と言う親がいます。 しかし『類は友を呼ぶ』の諺どおり、こういうケースではまず自分の子どもを疑ってみること。 祭で酒を飲んで補導された中学生がいました。 親は「誘われただけだ」と泣いて弁解していたが、調べてみると、その子どもが主犯格だった。……というようなケースは、よくあります。  自分の子どもを疑うのはつらいことですが、「友が悪い」と思ったら、「原因は自分の子ども」と思うこと。 だからよけいに、友を責めても意味がないということになります。 何でもない格言のようだが、さすが教育先進国イギリス!、と思わせるような、名格言ですね。 Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司 ●あなたの子どもがいじめを受けていると感じたら (参考) 【滋賀県大津市での、中2男子の自殺問題について考える】 ●強力な負のエネルギー  自殺するには、それなりの強力な負のエネルギーが必要。 「必要」という言い方も変だが、簡単にはできない。 言い換えると、その中学生は、かなり追い込まれていた。 繰り返し襲い来る絶望感の中で、負のエネルギーを増大させていった。 つまりその中学生は、それほどまでに悩み、苦しんでいた。 その結果として、不幸にも、「自殺」という方法を選んだ。 その子どもの、そのときの気持ちを思いやるに、心の痛まない人はいない。 ●大津市での事件  で、テレビやネット、新聞などの報道を読みながら、最初に私はこう思った。 「これはいじめではなく、犯罪行為だ」と。 つまり当初から、教育レベルの問題ではなく、警察レベルの問題である、と。 事実、こうした問題が起きたばあい、アメリカやオーストラリア、それに欧米では、即、警察が介入してくる。 教育制度のちがいも、大きい。 さらに言えば、教育に対する親たちの意識も、ちがう。 ●家出も学校の責任?  たとえば子どもが家出をしたとする。 小学生でも中学生でもよい。 そういうとき、この日本では、親たちはまず学校に連絡する。 担任の電話番号がわかっていれば、担任の教師に電話をする。  一方、欧米では、即、警察に電話する。 学校ではない。 警察である。 欧米の学校では、教師たちは、教室内の事件(学校内ではなく、教室内!)については、その教室の教師が、全責任を負う。 が、生徒が一歩、教室を出れば、教師には、いっさい責任はない。 大病院の医療制度を思い浮かべればよい。 医師は、診察室での行為、治療、助言については、すべての責任を負う。 しかし患者が一歩、診察室の外に出れば、医師は、いっさい関係ない。 患者がどこで何をしようが、関係ない。 欧米、とくにカナダの学校は、そういうシステムになっている。  いわんや学校外での事件については、学校側には、いっさいの責任はない。 何か事件が起きても、責任を問われることはない。 が、この日本では、子どもが家出をしただけでも、親たちは、まず学校に連絡する。 なぜか? この意識のちがいは、大きい。 ●学校は絶対  その中2の男子は、日常的に、いじめを受けていたという。 親たちも、自分の子どもがいじめを受けているのを知っていたという。 子どもも、ときどき「学校へ行きたくない」と漏らしていたという。 学校に対して、何らかの対策を取るよう、相談もしていたという。    が、私はここで最初の疑問にぶつかる。 ただこう書くからといって、けっして、その親を責めているのではない。 が、欧米なら、(少なくともアメリカやオーストラリアなら)、そういう話を親が知ったら、まず子どもをして、学校を休ませる。 もとから「学校とは行かねばならないところ」という意識が薄い。  が、この日本では、事情がかなり異なる。 最近も、こんなことがあった。 ●拒食症  ある子ども(小1女児)が、学校で給食を食べなくなってしまった。 病院へ連れて行くと、「拒食症」と診断された。 神経症的な症状のひとつである。 ジョンソンの学校恐怖症の診断基準に照らし合わせるなら、第1段階。 つまりこうした症状が重なり、それが限界に達したとき、第2段階の「パニック期」に突入する。 たいていそのまま第3期、つまり不登校期に入る。  こういうケースのばあい、原因探しをしても、意味はない。 ともかくも、そのあと医師が出した結論は、こうだった。 「すべてのおけいこごとを、やめなさい」と。 医師は、おけいこごとからくる過負担が、拒食症の原因と考えた。 あるいはそれによって、過負担を少しでも減らし、子どもの心の緊張感をやわらげようとした。  その話を聞いたとき、私は即、こう考えた。 話がアベコベ、と。 「こういうばあい、オーストラリア人の友人ならどうするだろうか」と。 あるいは「息子(アメリカ在住)なら、どうするだろうか」と。  学校という場で、拒食症になったら、原因は学校にある。 おけいこごとは遠因かもしれないが、直接的な原因ではない。 オーストラリアの友人や、私の息子なら、学校を休ませる。 学校に相談するとしても、そのあと。 (PTAが、教師の人事権をもつ国(学校)も多い。)  が、日本人は、「学校とは行かねばならないところ」という大前提で、ものを考える。 子どもに何か神経症的な症状が出ても、「原因は学校にあるはずがない」という大前提で、ものを考える。 (医師のような高学歴者ほど、そのように考える傾向が強い。)  が、中には、この私のように、集団が苦手な子どもだっているはず。 回避性障害や対人恐怖症の子どもだって、いるはず。 そういうことをいっさい無視して、「おけいこごとはすべてやめなさい」は、ない。 実際、その子どもは、そのあと、おけいこごとをすべてやめてしまった。 ●事なかれ主義?  滋賀県大津市での事件を追いかけてみていると、親のみならず、マスコミにも、似たような意識を感ずる。 みな、「学校とは行かねばならないところ」と考えている。 それを大前提に、今回の自殺問題を考えている。 ある新聞は、こう書いている。 「学校側の事なかれ主義ばかりが目立つ」と。  本当にそうか? そう考えてよいのか? 「事なかれ」とは言うが、学校の教師の多忙さは、想像を絶する。 体力の消耗もふつうではない。 活発盛りの子どもを、30~35人も相手にすれば、ふつうの人でも1~2時間でヘトヘトになる。 ●重労働  繰り返す。  学校、とくに小中学校の教師の忙しさは、ふつうではない。 空き時間にしても、文科省のカリキュラム通りに指導していたら、週に2~3時間もない。 (週に、だぞ!) だからどこの中学校でも、今では授業中は、職員室に教師はほとんどいない。  一方、相手は育ち盛りの中学生。 まさに発情期の子どもたち。 そういう子どもたちを相手に、授業をする。 1人や2人ではない。 30~35人! それがいかに重労働であるかは、外の世界の人には、理解できない。 たとえば女性教師のばあい、50歳を過ぎると、たいてい退職していく。 体力的な限界が、理由と考えてよい。 ある小学校の校長は、こう話してくれた。 「たとえば水泳指導がひとつのきっかけになることが多いですね」と。 つまり水泳指導ができなくなったとき、退職していく、と。 ●いじめ  さらに言えば、学校の教師が子どもたちのいじめを把握するのは、現実には不可能。 教師の前でいじめをする子どもはいない。 教師のいないところで、する。 「指導不足」とか、「監督不行届」という言葉も見える。 その上、(いじめ)と(ふざけ)、さらに(遊び)の境界は、きわめてあいまい。 ベテランの教師でも、見分けるのは、不可能。 今回の事件でも、(いじめ)がつぎつぎと発覚しているが、それはあとになってはじめて、わかること。 「そう言えば、いじめがあった」と。  さらに教師が現場へかけつけたとしても、いじめられた子どもが、「いじめられています」などとは、ぜったいに言わない。 仕返しを恐れる。 今回の事件でも、一度は、教師が現場へかけつけている。 そのときの様子について、TBS-iは、こんな記事も載せている。 『……滋賀県大津市で男子生徒が自殺した問題で、自殺の6日前、学校側が別の生徒から「男子生徒がいじめられている」と報告を受けたものの、「けんか」と判断していたことが分かりました。  大津市教育委員会によりますと、男子生徒が自殺した6日前、担任の教師が、「トイレで男子生徒がいじめられている」と別の生徒から連絡を受けました。 教師がトイレにかけつけ男子生徒から話を聞いたところ、男子生徒は「大丈夫」と答えたということです。 学校側はその後、教員らで対応を話し合いましたが、男子生徒と同級生による「けんか」と結論づけたということです。  「いじめであるという認識は持っていなかった。 通報者はそういった形(いじめ)で言ってきたが、当事者に聞いていくなかで、けんかだと判断した」(男子生徒が通っていた中学校の校長)  校長は、「私どもの対応は不十分であったと認めざるを得ない」と述べました』(以上、TBS-iより、2012年7月15日)と。 ●犯罪行為  ……こう書くからといって、いじめた子どもを擁護しているのではない。 いじめは、避けられないと書いているのでもない。 先ほども書いたように、今回の事件は、(いじめ)ではなく、(いじめ)の範囲を超えた、(犯罪)。 「犯罪的な行為」ではなく、「犯罪」。 犯罪そのもの。 責められるべきは、いじめを繰り返した子どもたち。 その監督責任のある、親たち。 刑事罰を受けてもおかしくない。 それをさておいて、「学校は何をしていた!」は、ない。  率直に言えば、学校の責任を追及するにも、限度があるということ。 さらに言えば、こうした(いじめ)の背景には、現在の(学校制度)そのものがもつ、制度的疲労がある。 仮にこうした(いじめ)まで学校側の責任となると、現在の制度と人員では、対処は不可能。 さらにそこまで子どもたちを管理してよいかという問題もある。 ●アメリカでは……  アメリカでは、(ニュージーランドもそうだが)、子どもたちは、1時間ごとに、教室を移動する。 たとえば生物の時間には、生物の教室に、地理の時間には、地理の教室に。 日本でいう担任制度というのは、ない。  その移動時間。 5分しかない。 たったの5分。 だからアメリカでは、終業ベルなると、廊下は、戦場のようなあわただしさになる。 で、私がなぜ「たったの5分しかないのか?」と聞くと、ニュージーランドから来た留学生(当時、大学生)は、こう教えてくれた。 「生徒どうしの接触時間をなくすため」と。  そして子どもたちは、学校の門をくぐったとたん、学校との関係をすべて切る。 門から出たら、親の責任になる。 どんな事故が起きても、親の責任になる。 学校ではなく、親の責任。  これに対して、この日本では、子どもが「行ってきます!」と言って、家を出た瞬間から、学校の責任になる。 法律上は、そうなっている。 たとえば帰校時に、子どもどうしで何かのトラブルがあったとする。 喧嘩なら、喧嘩でもよい。 で、子どもがケガをしたりすると、親は、即、学校に電話する。 中には校長室へ駆け込む親もいる。 「ちゃんと指導してほしい」と。 つまり、ここに無理がある。 ●いじめ  繰り返す。 陰湿ないじめを繰り返し、別の子どもを自殺に追い込んだ子どもは、それなりの刑事罰を受けるべきである。 (もちろんそれを判断するのは、学校ではなく、警察。) もちろんこの年代の子ども(=18歳未満の子ども)は、少年法の適応を受ける。 収監ではなく保護、刑罰ではなく更正教育。 それが少年法の骨子だが、それを逸脱したばあいには、刑事罰の領域に入る。 (少年法は、量刑の軽減を規定しているが、刑事罰までは否定していない。 たとえば、「死刑をもって処断すべき場合は無期刑にしなければならないとする」など。)  今回の事件が、それに相当するかどうかは、今の段階ではわからない。 過去の事例をみると、少年院送致程度で終わる可能性は高い。 しかしそれでは、被害者の親はもちろん、世間一般は、納得しないだろう。 ●法的合理性  ともあれ、すべての責任を学校に求めるのは、現実問題として、合理性に欠ける。 「法的合理性」という言葉を使ってもよい。 学校の教師が、直接的にいじめに加担したとか、教唆したというのであれば、話は別。 さらに言えば、こうした(いじめ)の背景には、抑圧された子どもたちの(ゆがんだ心理状態)がある。  たとえば子どもは受験期にさしかかると、(ちょうどそのころ発情期に重なるのは、まことにもって悲劇的でもあるが)、心が別人のように殺伐としてくる。 加害者と呼ばれる子どもたちにしても、ひょっとしたらそういう社会的環境の犠牲者かもしれない。 (だからといって、こうしたいじめを正当化することはできないが……。)  要するに私が言いたいことは、つぎのこと。  日本人も、もうそろそろ、学校絶対主義、学校万能主義という幻想から、目を覚ますべきときに来ているのではないかということ。 学校といっても、中身は、教師というサラリーマン(サラリーマンが悪いというのではない。誤解のないように!)。 その教師に、神に近い監督義務、指導責任を求めるのは、もとから無理がある。 つまりこれが私が先に書いた、「制度的疲労」ということになる。 ●学校以外の選択肢  さらに言えば、現在のように、学校を離れて道はなく、学校以外に子どもたちの進むべき道に選択肢がないというのは、どう考えてもおかしい。 文科省が、すべての子どもを管理している。 そのほうが異常であることに、親も、マスコミも、そして医療関係者、警察も気づくべきときに来ているのではないのか。  ドイツ(中学校)では、子どもたちはたいてい午前中で授業を終え、あとはそれぞれがクラブに通っている。 サイクリングクラブ、水泳クラブ、各種語学クラブ、科学クラブ、テニスクラブ……などなど。 フランスでも、イタリアでも、そうである。 最近聞いた話では、オランダでも、そうである。 仮に学校で子どもが拒食症になったとしても、「クラブをすべてやめなさい」と言う、アホな医師は、少なくともドイツにはいない。 「学校を休みなさい」とは言うだろうが、「クラブをすべてやめなさい」とは言わない。  もちろん学内での犯罪行為も多いが、あればあったで、即、パトカーが突入してくる。 子ども自身が、学校内部から、警察を呼ぶことも多い。  言うまでもなく、学校は、「教育」をするところ。 病院が病気を治すように、教育をするところ。 それを生活指導から道徳、はては親の教育まで受けもつから、話がおかしくなる。 だから学校の教師は、そのつど責任を問われる。 「何をしていたんだ!」と。 ●方法  何とも言えないやりきれなさを覚えるのは、私だけだろうか。 まず第一に、学校の教師たちも、すべてを背負い込まないで、こう叫んだらどうだろうか。 「すべてを管理することは不可能です」と。 「私たちにもできることと、できないことがあります」と。  第二に、その一方で、親やマスコミも、学校万能主義をそろそろ捨てるべきときにきている。 「何でもかんでも、学校」という考え方には、無理がある。 とくに今回のような犯罪が起きたばあいは、そうである。 監督や対応、指導が不十分と、学校を責めるのは簡単。 しかし現実問題として、そこまで監督、対応、指導するのは、不可能。 そもそもそれだけの「時間」がない。 が、もしそこまで監督、対応、指導せよというのなら、教育権の強化しかない。 専門の担当教師を増員するしかない。 警察官による巡回も、許すしかない。 ほかにたとえば小中学校でも、「自宅待機処分」「登校停止処分」「警察への通報」。 さらには「退学、転校処分」を可能にする、とか。 そういう権限を、学校側に与える。 ●校長の自殺  ……たまたま昨日も、どこかの校長が、自殺した。 理由はまだはっきりしていないが、いじめ問題がからんでいる可能性が高いという。 その一方で、S市では、いじめを苦にして、1人の中学生が飛び降り自殺(?)を試みたというニュースも伝わってきている。  Yahoo・Newsは、つぎのように伝える。 『 S県S市の中学校で、いじめを受けていた男子生徒が校舎から飛び降りて大けがをした問題で、学校側は21日に緊急の保護者会を開きました。  被害生徒が通う中学校の校長は、つぎのように述べている。 「これまでの私たちのいろいろな教育活動が不十分であることから、こういう問題になっている。足元から見つめ直していきたい」  中学校によりますと、保護者会には約400人が出席し、「校長の認識が甘い」などといった批判も相次いだということです。  出席した保護者は、「(学校側は)いじめかどうか、まだはっきりと分かっていなかった感じ」「まだ納得していない保護者もいた」と。  保護者会に出席した被害生徒の母親は、「学校側は事実をすべて話してくれなかった」と不信感をあらわにしています』(以上、Yahoo・Newsより)と。  なおアメリカでは、ホームスクーラーが100万人を超え、今では200万人を超えている。 そうした子どもたちのために、州政府は、ホームスクール児ために教師まで派遣している。 「いいじゃないの、学校なんて。行きたくなければ行かなければ。その分、自分で勉強しなさいね」と。 日本も、そうした制度を考えるべき時期に来ているのでは? つまりそういう意識を、親や教師がもたないかぎり、こうした不幸な事件は、いつまでもつづく。 ●(補記)  たまたま先週のこと。 ある中学生(中1女子)が、こう言った。 「うちのクラスのM君ね、毎日、コンちゃん(=コンドーム)を学校へもってくるよ。今日はね、ラブホテルのポイントカードをもってきて、みんなに見せていた」と。  高校生がコンドームをもっているというのは、よく聞く話。 放課後の部室は、ラブホテルのようと、みな言っている。 しかしそれが今では、さらに低年齢化した。 中学1年生!  私はその翌日、その学校に通報した。 生活指導の教師と、10分ほど、話した。 もちろん学校側の指導を責めたのではない。 責めても、意味はない。 ただこうした生徒が1人でもいると、1~2年後には、多くの子どもたちがその影響を受けることになる。  たとえば市内のX中学校では、毎年、2~3人の女子中学生が、中絶手術を受けているという(X中学生活指導担当教師弁)。 が、この数とて、まさに氷山の一角。 今、この段階で、そのM君(発達心理学の世界では、「アジテーター」(扇動者)と呼ぶ)を、適切に指導することにより、そうした被害者を、少なくすることができる。  ほかにも生徒の家出、外泊、万引きなどなど……。 学校の教師がかかえる問題は、山のようにある。 いじめ問題は、その中のひとつにすぎない。  なお教育評論家のO氏は、今回の滋賀県大津市での中学生の自殺問題に触れ、H大学での講演会で、つぎのように述べたという。 「教育委員会に責任がある」「教師がもっと自由に教育できるようにすべき」(報道)と。 そういう意見もあるだろう。 が、私には、的をはずれているようにしか思えない。 もっとはっきり言えば、トンチンカン。  以上、どこか学校側を擁護するようなエッセーを書いた。 あまりにも学校側ばかりを責める報道ばかりがつづく。 自殺した子どもの立場で考えると、どうしてもそうなる。 その心情は、冒頭にも書いたように、よく理解できる。 が、学校側を責めるだけでは、こうした問題は解決しない。 それを伝えたくて、このエッセーを書いた。 (はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW はやし浩司 幼児教室 育児 教育論 Japan はやし浩司 中学生の自殺 いじめ問題 はやし浩司 いじめによる自殺 学校側の対応 はやし浩司 制度的疲労) 2012/07/22 Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司 ●神経症的な症状について (M様へ) http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/page080.html  神経症については、このページをご覧下さい。 なお現在は「神経症」という言葉は使わないで、「神経症的な症状」という言葉を使います。 どうかお気をつけください。 Hiroshi Hayashi+++++++July. 2012++++++はやし浩司・林浩司 【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□ 休みます。 ☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆  はやし浩司のホームページ http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/ ☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆ ■□コマーシャル★★★★★★コマーシャル□■ 【BW生・募集中!】  (案内書の請求)    http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/page228.html  (教室の案内)     http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/page025.html ●小学生以上の方も、どうか、一度、お問い合わせください。 ■□コマーシャル★★★★★★コマーシャル□■ *********************************** このマガジンがお役にたてそうな人が、あなたのまわりにいませんか? よろしかったら、どうか、このマガジンのことを、お友だちの方に 話していただけませんか? よろしくお願いします。              はやし浩司 *********************************** ■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■   まぐまぐプレミア版(有料版)のお申し込みは…… http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/page141.html ■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■                       .   *※※ .※※  ***※ .*※※…※}※**    . **++ ※)) . {※}※※ / . ※*… /mQQQm .**/| |Q ⌒ ⌒ Q  Bye! .  = | QQ ∩ ∩ QQ    .       m\ ▽ /m~= ○ .       ○ ~~~\\// .================================= .みなさん、次号で、またお会いしましょう! .=================================

Monday, September 24, 2012

(46)Mystery of Ancient Japan (Izumo-Taisha)謎の出雲大社

【謎の出雲大社、出雲大社の謎】byはやし浩司(46号+44号) 【Mystery of Izumo-Taisha、Japan】 http://youtu.be/GDqKoua8p14 Mystery of Izumo-Taisha. In Japan we have two major Shrines, one is Izumo Major Shrine and another one is Ise Major Shrine. This is a video about the both, which are connected to each other closely and intellectually. I hereby in this video they are so with evidence. And moreover, Gods and Buddhism are also closely connected with other ancient civilizations of the world. This is a very important story and then I made this video very preciseky with the at most care. 出雲大社に関する謎です。 出雲大社は、伊勢神宮と密接につながっていました。 そればかりか、出雲大社は、世界の謎の点と線と、密接につながっていました。前回44号につづいて、46号を送ります。 まったく予想外の展開に、驚いています。私自身も、こんな結果になるとは、思っていませんでした。これを「偶然」と片付けるには、無理があります。 どうかご覧の上、ご自身で確認してみてください。 なお転作、盗作、流用は、禁止です。ご理解の上、ご協力ください。 img782 img779 (出雲大社 出雲大社の謎 謎の出雲大社 伊勢神宮 仁徳陵 高野山 比叡山 天台宗 真言宗 謎 ミステリー Mystery of Izumo Taisha Japanese Major shrines Mystery of Japanese old legend Mystery of God in Japan Mystery of ancient civilixations 古代文明 日本の古代文明の謎 謎の日本古代文明 はやし浩司 古代文明 Hiroshi Hayashi Hamamatsu Japan はやし浩司 出雲大社)2012/09/25記 Hiroshi Hayashi+++++++Sep. 2012++++++はやし浩司・林浩司

Sunday, September 23, 2012

平坦化する心

(45号)ナスカの謎(Mysteries in Ancient Civilizations, 謎の点と線) (45)More and more mysteries come out in Nazca, Peru. This is the one. For example there is the Grand Cross in Nazca. In this video I extend the horizontal line to to east, to find what is there. Nowadays only Pyramids in Giza are so well-known, but I am sure that real ancient cultures are not there in Pyramids, but in some ruins near the Pyramids, since the Pyramids are only land-marks. I have found some very sophisticated ruins on the Line from Nazca to Africa. This is the video abou it. ナスカの謎はつきません。今回は大十字架(私は「グランドクロス」と呼んでいますが、その大十字架の横線について調べてみました。 (縦線は、まっすぐテオティワカンにつながっていることは、すでに検証済み。) 何が出てくるか、どうかお楽しみに! ・・・というか、エジプトといえば、ピラミッドだけがよく知られていますが、ピラミッドというのは、ただの標識にすぎません。 本当の古代文化は、ピラミッドにではなく、もっと別のところにあるのではないでしょうか。 このビデオは、それについてのものです。はやし浩司 2012年9月24日 Sep 24th 2012 無断盗作、厳禁でご覧ください。No one is allowed to steal my ideas in any case, for which I need your cooperation. Thank you! http://youtu.be/T3ECKdAHTis (skull in Peru ペルーの頭蓋骨 エジプトのギザ エジプト ナスカ ナスカの大十字架 grand cross in Nazca 謎の十字架 Mystery of Grand Cross in Nazca Hiroshi Hayashi Mysteries of Ancient Civilizaions 謎の古代文明 謎のエジプト文明 ナスカの地上絵 謎の線 Mystery of the Lines in Nazca はやし浩司 古代文明の謎 謎の点と線 Nazca Nasca Teotihuacan Giza) Hiroshi Hayashi+++++++Sep. 2012++++++はやし浩司・林浩司 ☆☆☆この電子マガジンは、購読を登録した方のみに、配信しています☆☆☆ .  mQQQm            . Q ⌒ ⌒ Q  ♪♪♪……    .QQ ∩ ∩ QQ         . m\ ▽ /m 彡彡ミミ       .  /~~~\  ⌒ ⌒       . みなさん、   o o β        .こんにちは!  (″ ▽ ゛)○  http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/   .        =∞=  // (奇数月用) (BW公開教室・まぐまぐプレミアム読者のみなさんへ)    http://hiroshihayashi4.ninja-web.net/ □■□□□□□□□□□□□□□■□ =================  子育て最前線の育児論byはやし浩司   2012年 9月 24日 □■□□□□□□□□□□□□□■□ ================= ★ ★★HTML版★★★ HTML(カラー・写真版)を用意しました。 どうか、お楽しみください。(↓をクリックしてみてください。) ************************ http://bwhayashi2.fc2web.com/page007.html メルマガ(6万3000誌)の中で、2008年度、メルマガ・オブ・ザ・イヤーに 選ばれました! 【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□ 【滋賀県大津市での、中2男子の自殺問題について考える】 ●強力な負のエネルギー  自殺するには、それなりの強力な負のエネルギーが必要。 「必要」という言い方も変だが、簡単にはできない。 言い換えると、その中学生は、かなり追い込まれていた。 繰り返し襲い来る絶望感の中で、負のエネルギーを増大させていった。 つまりその中学生は、それほどまでに悩み、苦しんでいた。 その結果として、不幸にも、「自殺」という方法を選んだ。 その子どもの、そのときの気持ちを思いやるに、心の痛まない人はいない。 ●大津市での事件  で、テレビやネット、新聞などの報道を読みながら、最初に私はこう思った。 「これはいじめではなく、犯罪行為だ」と。 つまり当初から、教育レベルの問題ではなく、警察レベルの問題である、と。 事実、こうした問題が起きたばあい、アメリカやオーストラリア、それに欧米では、即、警察が介入してくる。 教育制度のちがいも、大きい。 さらに言えば、教育に対する親たちの意識も、ちがう。 ●家出も学校の責任?  たとえば子どもが家出をしたとする。 小学生でも中学生でもよい。 そういうとき、この日本では、親たちはまず学校に連絡する。 担任の電話番号がわかっていれば、担任の教師に電話をする。  一方、欧米では、即、警察に電話する。 学校ではない。 警察である。 欧米の学校では、教師たちは、教室内の事件(学校内ではなく、教室内!)については、その教室の教師が、全責任を負う。 が、生徒が一歩、教室を出れば、教師には、いっさい責任はない。 大病院の医療制度を思い浮かべればよい。 医師は、診察室での行為、治療、助言については、すべての責任を負う。 しかし患者が一歩、診察室の外に出れば、医師は、いっさい関係ない。 患者がどこで何をしようが、関係ない。 欧米、とくにカナダの学校は、そういうシステムになっている。  いわんや学校外での事件については、学校側には、いっさいの責任はない。 何か事件が起きても、責任を問われることはない。 が、この日本では、子どもが家出をしただけでも、親たちは、まず学校に連絡する。 なぜか? この意識のちがいは、大きい。 ●学校は絶対  その中2の男子は、日常的に、いじめを受けていたという。 親たちも、自分の子どもがいじめを受けているのを知っていたという。 子どもも、ときどき「学校へ行きたくない」と漏らしていたという。 学校に対して、何らかの対策を取るよう、相談もしていたという。    が、私はここで最初の疑問にぶつかる。 ただこう書くからといって、けっして、その親を責めているのではない。 が、欧米なら、(少なくともアメリカやオーストラリアなら)、そういう話を親が知ったら、まず子どもをして、学校を休ませる。 もとから「学校とは行かねばならないところ」という意識が薄い。  が、この日本では、事情がかなり異なる。 最近も、こんなことがあった。 ●拒食症  ある子ども(小1女児)が、学校で給食を食べなくなってしまった。 病院へ連れて行くと、「拒食症」と診断された。 神経症的な症状のひとつである。 ジョンソンの学校恐怖症の診断基準に照らし合わせるなら、第1段階。 つまりこうした症状が重なり、それが限界に達したとき、第2段階の「パニック期」に突入する。 たいていそのまま第3期、つまり不登校期に入る。  こういうケースのばあい、原因探しをしても、意味はない。 ともかくも、そのあと医師が出した結論は、こうだった。 「すべてのおけいこごとを、やめなさい」と。 医師は、おけいこごとからくる過負担が、拒食症の原因と考えた。 あるいはそれによって、過負担を少しでも減らし、子どもの心の緊張感をやわらげようとした。  その話を聞いたとき、私は即、こう考えた。 話がアベコベ、と。 「こういうばあい、オーストラリア人の友人ならどうするだろうか」と。 あるいは「息子(アメリカ在住)なら、どうするだろうか」と。  学校という場で、拒食症になったら、原因は学校にある。 おけいこごとは遠因かもしれないが、直接的な原因ではない。 オーストラリアの友人や、私の息子なら、学校を休ませる。 学校に相談するとしても、そのあと。 (PTAが、教師の人事権をもつ国(学校)も多い。)  が、日本人は、「学校とは行かねばならないところ」という大前提で、ものを考える。 子どもに何か神経症的な症状が出ても、「原因は学校にあるはずがない」という大前提で、ものを考える。 (医師のような高学歴者ほど、そのように考える傾向が強い。)  が、中には、この私のように、集団が苦手な子どもだっているはず。 回避性障害や対人恐怖症の子どもだって、いるはず。 そういうことをいっさい無視して、「おけいこごとはすべてやめなさい」は、ない。 実際、その子どもは、そのあと、おけいこごとをすべてやめてしまった。 ●事なかれ主義?  滋賀県大津市での事件を追いかけてみていると、親のみならず、マスコミにも、似たような意識を感ずる。 みな、「学校とは行かねばならないところ」と考えている。 それを大前提に、今回の自殺問題を考えている。 ある新聞は、こう書いている。 「学校側の事なかれ主義ばかりが目立つ」と。  本当にそうか? そう考えてよいのか? 「事なかれ」とは言うが、学校の教師の多忙さは、想像を絶する。 体力の消耗もふつうではない。 活発盛りの子どもを、30~35人も相手にすれば、ふつうの人でも1~2時間でヘトヘトになる。 ●重労働  繰り返す。  学校、とくに小中学校の教師の忙しさは、ふつうではない。 空き時間にしても、文科省のカリキュラム通りに指導していたら、週に2~3時間もない。 (週に、だぞ!) だからどこの中学校でも、今では授業中は、職員室に教師はほとんどいない。  一方、相手は育ち盛りの中学生。 まさに発情期の子どもたち。 そういう子どもたちを相手に、授業をする。 1人や2人ではない。 30~35人! それがいかに重労働であるかは、外の世界の人には、理解できない。 たとえば女性教師のばあい、50歳を過ぎると、たいてい退職していく。 体力的な限界が、理由と考えてよい。 ある小学校の校長は、こう話してくれた。 「たとえば水泳指導がひとつのきっかけになることが多いですね」と。 つまり水泳指導ができなくなったとき、退職していく、と。 ●いじめ  さらに言えば、学校の教師が子どもたちのいじめを把握するのは、現実には不可能。 教師の前でいじめをする子どもはいない。 教師のいないところで、する。 「指導不足」とか、「監督不行届」という言葉も見える。 その上、(いじめ)と(ふざけ)、さらに(遊び)の境界は、きわめてあいまい。 ベテランの教師でも、見分けるのは、不可能。 今回の事件でも、(いじめ)がつぎつぎと発覚しているが、それはあとになってはじめて、わかること。 「そう言えば、いじめがあった」と。  さらに教師が現場へかけつけたとしても、いじめられた子どもが、「いじめられています」などとは、ぜったいに言わない。 仕返しを恐れる。 今回の事件でも、一度は、教師が現場へかけつけている。 そのときの様子について、TBS-iは、こんな記事も載せている。 『……滋賀県大津市で男子生徒が自殺した問題で、自殺の6日前、学校側が別の生徒から「男子生徒がいじめられている」と報告を受けたものの、「けんか」と判断していたことが分かりました。  大津市教育委員会によりますと、男子生徒が自殺した6日前、担任の教師が、「トイレで男子生徒がいじめられている」と別の生徒から連絡を受けました。 教師がトイレにかけつけ男子生徒から話を聞いたところ、男子生徒は「大丈夫」と答えたということです。 学校側はその後、教員らで対応を話し合いましたが、男子生徒と同級生による「けんか」と結論づけたということです。  「いじめであるという認識は持っていなかった。 通報者はそういった形(いじめ)で言ってきたが、当事者に聞いていくなかで、けんかだと判断した」(男子生徒が通っていた中学校の校長)  校長は、「私どもの対応は不十分であったと認めざるを得ない」と述べました』(以上、TBS-iより、2012年7月15日)と。 ●犯罪行為  ……こう書くからといって、いじめた子どもを擁護しているのではない。 いじめは、避けられないと書いているのでもない。 先ほども書いたように、今回の事件は、(いじめ)ではなく、(いじめ)の範囲を超えた、(犯罪)。 「犯罪的な行為」ではなく、「犯罪」。 犯罪そのもの。 責められるべきは、いじめを繰り返した子どもたち。 その監督責任のある、親たち。 刑事罰を受けてもおかしくない。 それをさておいて、「学校は何をしていた!」は、ない。  率直に言えば、学校の責任を追及するにも、限度があるということ。 さらに言えば、こうした(いじめ)の背景には、現在の(学校制度)そのものがもつ、制度的疲労がある。 仮にこうした(いじめ)まで学校側の責任となると、現在の制度と人員では、対処は不可能。 さらにそこまで子どもたちを管理してよいかという問題もある。 ●アメリカでは……  アメリカでは、(ニュージーランドもそうだが)、子どもたちは、1時間ごとに、教室を移動する。 たとえば生物の時間には、生物の教室に、地理の時間には、地理の教室に。 日本でいう担任制度というのは、ない。  その移動時間。 5分しかない。 たったの5分。 だからアメリカでは、終業ベルなると、廊下は、戦場のようなあわただしさになる。 で、私がなぜ「たったの5分しかないのか?」と聞くと、ニュージーランドから来た留学生(当時、大学生)は、こう教えてくれた。 「生徒どうしの接触時間をなくすため」と。  そして子どもたちは、学校の門をくぐったとたん、学校との関係をすべて切る。 門から出たら、親の責任になる。 どんな事故が起きても、親の責任になる。 学校ではなく、親の責任。  これに対して、この日本では、子どもが「行ってきます!」と言って、家を出た瞬間から、学校の責任になる。 法律上は、そうなっている。 たとえば帰校時に、子どもどうしで何かのトラブルがあったとする。 喧嘩なら、喧嘩でもよい。 で、子どもがケガをしたりすると、親は、即、学校に電話する。 中には校長室へ駆け込む親もいる。 「ちゃんと指導してほしい」と。 つまり、ここに無理がある。 ●いじめ  繰り返す。 陰湿ないじめを繰り返し、別の子どもを自殺に追い込んだ子どもは、それなりの刑事罰を受けるべきである。 (もちろんそれを判断するのは、学校ではなく、警察。) もちろんこの年代の子ども(=18歳未満の子ども)は、少年法の適応を受ける。 収監ではなく保護、刑罰ではなく更正教育。 それが少年法の骨子だが、それを逸脱したばあいには、刑事罰の領域に入る。 (少年法は、量刑の軽減を規定しているが、刑事罰までは否定していない。 たとえば、「死刑をもって処断すべき場合は無期刑にしなければならないとする」など。)  今回の事件が、それに相当するかどうかは、今の段階ではわからない。 過去の事例をみると、少年院送致程度で終わる可能性は高い。 しかしそれでは、被害者の親はもちろん、世間一般は、納得しないだろう。 ●法的合理性  ともあれ、すべての責任を学校に求めるのは、現実問題として、合理性に欠ける。 「法的合理性」という言葉を使ってもよい。 学校の教師が、直接的にいじめに加担したとか、教唆したというのであれば、話は別。 さらに言えば、こうした(いじめ)の背景には、抑圧された子どもたちの(ゆがんだ心理状態)がある。  たとえば子どもは受験期にさしかかると、(ちょうどそのころ発情期に重なるのは、まことにもって悲劇的でもあるが)、心が別人のように殺伐としてくる。 加害者と呼ばれる子どもたちにしても、ひょっとしたらそういう社会的環境の犠牲者かもしれない。 (だからといって、こうしたいじめを正当化することはできないが……。)  要するに私が言いたいことは、つぎのこと。  日本人も、もうそろそろ、学校絶対主義、学校万能主義という幻想から、目を覚ますべきときに来ているのではないかということ。 学校といっても、中身は、教師というサラリーマン(サラリーマンが悪いというのではない。誤解のないように!)。 その教師に、神に近い監督義務、指導責任を求めるのは、もとから無理がある。 つまりこれが私が先に書いた、「制度的疲労」ということになる。 ●学校以外の選択肢  さらに言えば、現在のように、学校を離れて道はなく、学校以外に子どもたちの進むべき道に選択肢がないというのは、どう考えてもおかしい。 文科省が、すべての子どもを管理している。 そのほうが異常であることに、親も、マスコミも、そして医療関係者、警察も気づくべきときに来ているのではないのか。  ドイツ(中学校)では、子どもたちはたいてい午前中で授業を終え、あとはそれぞれがクラブに通っている。 サイクリングクラブ、水泳クラブ、各種語学クラブ、科学クラブ……などなど。 フランスでも、イタリアでも、そうである。 仮に学校で子どもが拒食症になったとしても、「クラブをすべてやめなさい」と言う、アホな医師は、少なくともドイツにはいない。 「学校を休みなさい」とは言うだろうが、「クラブをすべてやめなさい」とは言わない。  もちろん学内での犯罪行為も多いが、あればあったで、即、パトカーが突入してくる。 子ども自身が、学校内部から、警察を呼ぶことも多い。  言うまでもなく、学校は、「教育」をするところ。 病院が病気を治すように、教育をするところ。 それを生活指導から道徳、はては親の教育まで受けもつから、話がおかしくなる。 だから学校の教師は、そのつど責任を問われる。 「何をしていたんだ!」と。 ●方法  何とも言えないやりきれなさを覚えるのは、私だけだろうか。 まず第一に、学校の教師たちも、すべてを背負い込まないで、こう叫んだらどうだろうか。 「すべてを管理することは不可能です」と。 「私たちにもできることと、できないことがあります」と。  第二に、その一方で、親やマスコミも、学校万能主義をそろそろ捨てるべきときにきている。 「何でもかんでも、学校」という考え方には、無理がある。 とくに今回のような犯罪が起きたばあいは、そうである。 監督や対応、指導が不十分と、学校を責めるのは簡単。 しかし現実問題として、そこまで監督、対応、指導するのは、不可能。 そもそもそれだけの「時間」がない。 が、もしそこまで監督、対応、指導せよというのなら、教育権の強化しかない。 専門の担当教師を増員するしかない。 警察官による巡回も、許すしかない。 ほかにたとえば小中学校でも、「自宅待機処分」「登校停止処分」「警察への通報」。 さらには「退学、転校処分」を可能にする、とか。 そういう権限を、学校側に与える。 ●校長の自殺  ……たまたま昨日も、どこかの校長が、自殺した。 理由はまだはっきりしていないが、いじめ問題がからんでいる可能性が高いという。 その一方で、S市では、いじめを苦にして、1人の中学生が飛び降り自殺(?)を試みたというニュースも伝わってきている。  Yahoo・Newsは、つぎのように伝える。 『 S県S市の中学校で、いじめを受けていた男子生徒が校舎から飛び降りて大けがをした問題で、学校側は21日に緊急の保護者会を開きました。  被害生徒が通う中学校の校長は、つぎのように述べている。 「これまでの私たちのいろいろな教育活動が不十分であることから、こういう問題になっている。足元から見つめ直していきたい」  中学校によりますと、保護者会には約400人が出席し、「校長の認識が甘い」などといった批判も相次いだということです。  出席した保護者は、「(学校側は)いじめかどうか、まだはっきりと分かっていなかった感じ」「まだ納得していない保護者もいた」と。  保護者会に出席した被害生徒の母親は、「学校側は事実をすべて話してくれなかった」と不信感をあらわにしています』(以上、Yahoo・Newsより)と。  なおアメリカでは、ホームスクーラーが100万人を超え、今では200万人を超えている。 そうした子どもたちのために、州政府は、ホームスクール児ために教師まで派遣している。 「いいじゃないの、学校なんて。行きたくなければ行かなければ。その分、自分で勉強しなさいね」と。 日本も、そうした制度を考えるべき時期に来ているのでは? つまりそういう意識を、親や教師がもたないかぎり、こうした不幸な事件は、いつまでもつづく。 ●(補記)  たまたま先週のこと。 ある中学生(中1女子)が、こう言った。 「うちのクラスのM君ね、毎日、コンちゃん(=コンドーム)を学校へもってくるよ。今日はね、ラブホテルのポイントカードをもってきて、みんなに見せていた」と。  高校生がコンドームをもっているというのは、よく聞く話。 放課後の部室は、ラブホテルのようと、みな言っている。 しかしそれが今では、さらに低年齢化した。 中学1年生!  私はその翌日、その学校に通報した。 生活指導の教師と、10分ほど、話した。 もちろん学校側の指導を責めたのではない。 責めても、意味はない。 ただこうした生徒が1人でもいると、1~2年後には、多くの子どもたちがその影響を受けることになる。  たとえば市内のX中学校では、毎年、2~3人の女子中学生が、中絶手術を受けているという(X中学生活指導担当教師弁)。 が、この数とて、まさに氷山の一角。 今、この段階で、そのM君(発達心理学の世界では、「アジテーター」(扇動者)と呼ぶ)を、適切に指導することにより、そうした被害者を、少なくすることができる。  ほかにも生徒の家出、外泊、万引きなどなど……。 学校の教師がかかえる問題は、山のようにある。 いじめ問題は、その中のひとつにすぎない。  なお教育評論家のO氏は、今回の滋賀県大津市での中学生の自殺問題に触れ、H大学での講演会で、つぎのように述べたという。 「教育委員会に責任がある」「教師がもっと自由に教育できるようにすべき」(報道)と。 そういう意見もあるだろう。 が、私には、的をはずれているようにしか思えない。 もっとはっきり言えば、トンチンカン。  以上、どこか学校側を擁護するようなエッセーを書いた。 あまりにも学校側ばかりを責める報道ばかりがつづく。 自殺した子どもの立場で考えると、どうしてもそうなる。 その心情は、冒頭にも書いたように、よく理解できる。 が、学校側を責めるだけでは、こうした問題は解決しない。 それを伝えたくて、このエッセーを書いた。 (はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW はやし浩司 幼児教室 育児 教育論 Japan はやし浩司 中学生の自殺 いじめ問題 はやし浩司 いじめによる自殺 学校側の対応 はやし浩司 制度的疲労) 2012/07/22 Hiroshi Hayashi+++++++July. 2012++++++はやし浩司・林浩司 【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□ 【平坦化する人の心】 Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司 久しぶりに、市内(浜松市肴町→田町)の繁華街を歩いてみた。 JR浜松駅から、5~10分の距離である。 大通りから、中通へ。 その間に、車がやっと入れるほどの小通りもある。 が、驚いた。 「テナント募集」の看板が、あちこちにかかげられていた。 シャッターを下ろした店も多い。 荒れた姿をさらしている空き店舗もあった。 夜逃げでもしたか。 そんな感じだった。 さらに……。 すでに更地になり、駐車場になっているところもあった。 「こんなひどい状況とは知らなかった」と私。 「ひどいわね」とワイフ。 店だけではない。 目を少し上に向けると、空き室の張り紙をしたビルも目立つ。 「市内で、30%が空き室になっている」という話は聞いていた。 が、実感としては、50%。 いったい、この日本はどうなってしまったのか? この浜松は、どうなってしまったのか? Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司 ●文化の「根」  町の活気を維持するのは、商店主たちである。 地元で、店を構える商店主たちである。 デパートやスーパー、それに大型店ではない。 サラリーマンとして働く、店員たちには、「根」をおろす力はない。 商店主たちである。 商店主たちが、その地域に「根」をおろし、ついで「文化」の花を咲かせる。 この「根」こそが大切。  が、その商店主たちが、どんどんと姿を消している。 シャッター街を例にあげるまでもない。 客にとっては、買い物のしやすい街になるかもしれない。 明るく広い店内。 冷暖房もきいている。 目が合えば、「いらっしゃいませ」とていねいに、おじぎもしてくれる。 が、何か、おかしい。 何か、足りない。 何かが、欠けている。 その欠けた部分が、「地域文化」ということになる。 ●祭り  祭りを例にあげて考えてみよう。 たとえばこの浜松市には、凧(たこ)祭りという、東海地方では最大級の祭りがある。 毎年40~50万人の見物客が集まる。 この凧祭りは別として、ほかにも、いろいろな祭りがある。 が、どれもパッとしない。 言うなれば、お役人が企画したような官製の祭り。 中には、「サンバ祭り」というのもある。 ブラジルのカーニバルを、ミニチュア化したような祭りである。    が、私ですら、見に行ったことがない。 それにもし私のワイフが、その祭りに参加すると言ったら、……というか、参加しない。 ハンカチより小さな水着を身に着け、街中を歩く。 スケベな連中には楽しい祭りかもしれない。 しかしそんな祭りに、「根」など、生えるわけがない。  ほかにも、「がんこ祭り」というのもある。 全国から、踊り好きの人たちが集まり、それぞれの踊りを披露する。 が、これも官製。 この祭りにも、「根」がない。 「がんこ」というのは、浜松弁で、「大きい」とか、「強い」とかを意味する。  「根」が生えるためには、その地域の、「下」からの盛りあがりが重要。 近所の人たちが集まり、踊りの練習をする。 その練習の輪が大きくなって、町内の人たち全体が動く。 それが「祭り」となっていく。 その原動力となるのが、「根」。 ●平坦化  かくして祭りでさえも、平坦化した。 凧祭りにしても、役人による規制、規制、また規制で、今ではまったくおもしろくない。 昔の凧祭りを知っている人なら、なおさらそう思うだろう。 今では、それぞれの町内が発行するワッペンを購入し、ちょうちんをもたないと、道路を歩くことさえできない。 練り(行進)にしても、世話役が先導し、コースそのものが決められている。 だれかが笛を吹いたら行進し、まただれかが笛を吹いたら、停止する。  が、40年前はちがった。 それぞれの町内の練り隊が、随所で衝突した。 怒号と罵声が飛び交い、人の湯気があたりを包んだ。 そのあと、救急車が、何台も狂ったように走り回った。 そのころの祭りを、「犬」にたとえるなら、現在の祭りは、「ウサギ」。 さらにそれ以前の祭りは、「野獣」だった……という。 ●季節感  こうして文化そのものが、平坦化した。 ついでに季節感も平坦化した。 先ほども、ワイフとこんな話をした。 「ぼくたちは、寿司といっても、正月しか食べられなかった」と。  が、今はちがう。 毎日でも食べられる。 それに冬場でも、スイカが食べられる。 夏場でも、ミカンが食べられる。 ●人間関係  ついでに言えば、人間関係も、平坦化した。 親戚づきあい、近所づきあい、それに親子関係など。 そうした現象を、多くの人は、「都会的」という言葉を使って、説明する。 「進歩」とか、「近代化」とかいう言葉を使う人もいる。 が、都会的って、何?  日本人は、戦後のあの高度成長期の流れの中で、自ら「根」を切ってしまった。 「都会的」という言葉の中で、自分を見失ってしまった。 それを「善」とするあまり、大切なもの、大切にしなければならないもの、それまで大切にしてきたものを、切り捨ててしまった。 たとえば親子関係にしても、今では、子どもの方が親に向かって、「縁を切る時代」になった。 『親の恩も遺産次第』という言葉も聞かれる。 想像で書いているのではない。 R25がした調査結果を、もう一度ここで読んでみてほしい。 この調査結果には、考えさせられた。 Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司 **********以下、R25の調査結果より*********** R25が首都圏・愛知・大阪に住む25歳から34歳の男性300人に実施したアンケートでは、「社会人になって(就職した後)、親からお小遣いをもらったことはありますか?」の問いに対し、「今も継続的にもらっている」が3%、「今もたまにもらっている」が11.3%、「以前にもらったことはあるが、今はもらっていない」が30%、「もらったことはない」が55.7%となっている。  「今も継続的にもらっている」「今もたまにもらっている」と回答した人に「どれくらいの頻度で、お小遣いをもらっていますか?」と聞いたところ、最も多かったのは「月に1回程度」(27.9%)。以下、「4~6カ月に1回程度」(23.3%)、「2~3カ月に1回程度」(18.6%)、「7~12カ月に1回程度」(18.6%)となっており、わずか1名ながら「毎週もらう」との回答もあった。 「1回にもらう金額」については「1万円以上~2万円未満」が最も多く44.2%。 以下、「1万円未満」(27.9%)、「2万円以上~3万円未満」(18.6%)と、3万円未満との回答が合計90.7%を占めているが、なかには「7万円以上~10万円未満」(4.7%)、10万円以上(2.3%)とかなり親に依存している人も。 ちなみに、親から援助してもらったお金をどのように使っているのかというと「食費」(48.8%)や「交際費」(44.2%)「レジャー費」(37.2%)といった回答が多かった。  このように、社会人になっても親の財布をアテにして生計を維持している若者は少なからず存在する模様。 なんだか情けないような気もするが、彼らにも彼らなりの言い分があるようだ。 ★「時々もらうものに対しては、親が子どもに威厳を保ちたいような感情があるので、喜んでもらっている感じです」(34歳男性) ★「社会人たるもの、必要な資金は自分で調達するべきだが、親の好意に甘えるのも時には必要。親もそれで喜んでくれるのであればなおさら」(28歳男性) ★「こちらから欲しいと言って貰う訳ではないし、これはこれでいいかと」(26歳男性) ★「極力避けたいが、キャッシングとか利用するよりはいいかなと思う」(34歳男性) ★「家族によって違うとは思うが、援助したりされたりすることで繋がりを持っていたいと思う」(26歳男性) ★「ちゃんと働いていて、さらに親から貰えるならいいと思う。使われなかったものは多くの場合、遺産として自分のところに最終的に入ってくるので、いつもらうのかという話」(29歳男性)  とくに多かったのは金銭の授受によって、別々に暮らす親子のつながりが生まれるという意見。 実際、援助することに喜びを感じる親は少なくないため、仕送りを受け取ることが親孝行になるとの考えもあるようだ。  また、仕送りではなく、別の形で親から資金援助を受ける人も少なくない。 例えば人生の節目である結婚に際し、費用を親・親族から援助してもらった人は75.8%。 援助額の平均は196.9万円となっている(ゼクシィ「結婚トレンド調査2011」より)。 また、新居を建てる際には54%の人が親・親族からの資金援助を受けており、そのうち1500万円以上の援助を受けた割合は11.4%にも上る(SUUMO「住居に関するアンケート2011」より)。 **********以上、R25の調査結果より*********** Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司 ●若者たちの言い分  若者たちには若者たちの言い分というものがある。 「お金をもらってやるのが、親孝行」とか、「どうせ遺産でもらうのだから」とか、など。 上述(★)印のところを、もう一度、読んでみてほしい。 現在、親子の関係も、ここまで平坦化している。 ……と書いても、これは脳のCPUの問題。 平坦化した時代に、平坦化した人間関係しか知らない人に、平坦化を説明しても、意味はない。 理解すらできない。 それが(当たり前)という世界に生きている。 が、その一方で、みながみな、そうええはない。 ここ1週間、私は2組の親子に出会った。 実に温もりのある、2組の親子である。 (1) 歯科医院    その歯科医院には、大先生と呼ばれる70歳前後の医師と、30歳前後の医師がいる。 大先生は、父親、30歳前後の意思は、その娘。 受け付けは、その大先生の三女が受け持っている。 その間を行き来し、看護師をしているのが、母親。 家族経営。  みなが、実に楽しそう。 和気あいあいといった雰囲気。 (2) 日本料理店    その店は、明治以来の店という。 何代目かは知らないが、現在は、60歳前後の父親が経営している。 家族は、上から長女、長男、二女。 長男は、京都での長い修行を終え、最近、その店で父親を手伝うようになったという。  私とワイフが行くと、長女と次女、それに母親が、その店を手伝っていた。 小さな日本料理店だったが、そうした団結心は、そのまま料理に表現されていた。 端に並べるような目立たない器(うつわ)ですら、ピアピカに磨かれていた。  少なくはなったが、そういう形で、親子関係を大切にしている家族もある。 ●孤独死  話はぐんと暗くなる。  この先、孤独死、無縁死は、当たり前。 私たちの世代は、まだよいほう。 2050年……つまり今から、38年後。 逆算すると、後期高齢者と言われるのが、75歳。 75-38=37歳。 現在、37歳の人たちが、75歳前後になるころの話である。 そのころになると、老人1人に対して、実労働者は、たったの1・2人になるという。 いろいろ対策は考えられてはいるが、そうなったら、介護制度そのものが崩壊する。 (すでに崩壊し始めているが……。)  が、そんな状況でも、社会に(温もり)があれば、まだよい。 温もりが、人と人をつなぐ。 たとえ孤独死であっても、無縁死であっても、心安らかに死を迎えることができる。 が、そうでなければ、そうでない。 つまり平坦社会においては、結局はそれに苦しむのは、その人、当人ということになる。 ●教室で  今夜、高校生たちと、こんな会話をした。  「ぼくが子どものころは、親父は店先で、客と将棋を指していた」と。 高「仕事は?」 私「客を待たせていたよ」 高「待っていてくれたの?」 私「そうだ。そこへ別の客が来ると、その客まで、将棋に加わった」 高「怒らなかったの?」 私「怒る人はいなかったね」と。  私の実家は、自転車屋だった。 道路へ自転車を並べても、怒る人はいなかった。 道路そのものが、仕事の場であり、ついでに言えば、子どもの遊び場だった。 が、今は、ちがう。 どうちがうかは、みなさん、ご存知の通り。  こんな話をすると、1人の生徒が、こう言った。 「じゃあ、先生、将棋をしてみようよ」と。 ●殺風景な光景  その前に、こんな話もした。 繁華街の一角には、大手進学塾のビルがいくつか並んでいた。 外からのぞくと、スーツに身を包んだ社員たちが、パソコンを相手に、何やら仕事をしていた。 隣の部屋が、学生たちの談話室になっていた。 そこでは4~5人ずつくらいのグループに分かれ、学生たちが何やら話しこんでいた。 全部で、40~50人くらいは、いただろうか。  見るからに殺風景な光景だった。 味も素っ気もない……。 すべてが事務的。 そんな光景だった。  その話をしたときのことだった。 1人の生徒が、こう言った。 「じゃあ、先生、将棋をしてみようよ」と。  一瞬迷ったが、私は、こう答えた。 「そうだな……。塾で、将棋かア……。いいねエ」と。 ●時間的パラドックス    私は将棋盤を持ち出すと、1人の生徒と将棋を始めた。 私「時間的パラドックスという言葉があるよ」 高「何、それ?」 私「いいか、こうして将棋を指して、時間を無駄にするだろ」 高「うん、無駄だ……」 私「ところがね、そういう時間のほうが、あとあと記憶の中に、長く残るというわけ」 高「思い出にもなるしね」 私「そう、それを時間的パラドックスという」と。  高校生たちは、恐らく、私のところで勉強したことは、すべて忘れる。 が、将棋を指したことは忘れない。 無駄にした時間ほど、無駄にならない(?)。 ●温もり  温もりというのは、心のすき間から生まれる。 去年、オーストラリアへ行ったときのこと。 こんなことがあった。  メルボルン市(オーストラリア)で、オーバーランド号という列車に乗った。 アデレード行きの長距離列車である。 で、その列車が、メルボルンから1時間半ほどのところにある、ジーロンという町 に着いた。 予定より、20分も早く着いた。 そのとき車内アナウンスが流れた。 「20分早く着いた。ここで客が17人乗ることになっている。 その客を待つ」と。  しばらくすると、何人かの客が、プラットフォームを歩いていくのが見えた。 それがその17人の客だった。 その直後、また車内アナウンス。 「客が乗ったので、出発します」と。  ご存知のように、日本では、ぜったいにありえない光景である。 私はその「不完全さ」に、たまらないほどの「温もり」を覚えた。 ●温もり  この先、ここでいう平坦化は、ますます進むだろう。 すべてがさらに合理的、事務的になる。 よい例が、ファーストフードの店。 客は、空腹感を満たすことだけを考え、店に入る。 店員との人間関係など、結びようがない。 店員にしても、定期的に、店から店へと移動していく。  さらにそれが進んだのが、新幹線の駅であり、空港ということになる。 それらしいサービスもしてくれるが、そのサービスそのものが、平坦化している。 冷たい。 どこまでも冷たい。  だから……先に書いた歯科医院へ入ったとき。 先に書いた日本料理店へ入ったとき。 私は言いようのない、温もりを覚えた。 ●進む平坦化  個人商店が、つぎつぎと姿を消す。 もともと大型店には、勝ち目はない。 年中無休。 夜、9時まで営業。 宣伝の仕方まで、戦略的。 組織的。  が、その一方で、社会はさらに平坦化する。 人々の心も平坦化する。 教育の世界とて、例外ではない。 この静岡県でも、たとえば子どもが学校でケガをしたとする。  そのとき首から上のケガは、教師が一度、かならず医院へ連れていくことになっている。 そのあと、その子どもといっしょに家庭まで行き、ケガの説明をすることになっている。 それがマニュアル化されている。 私が子どものころには、そんなケガは日常茶飯事。 教師はもちろん、親たちも、何も問題にしなかった。  心のすき間が、ますます小さく、ぎこちないものになっている。 ●すき間を大切に  平坦化を防ぐためには、心のすき間を広くする。 もっとわかりやすく言えば、(いいかげんさ)を大切にする。 またそれを許容する、心の度量を広くする。  ……とは言いつつも、生徒の1人と将棋を指しながら、こうも考えた。  「10年来のつきあいのある生徒だからいいようなものの、もしこれが進学塾だったら、即、クビだろうな」と。 「学校の教師でも、クビになるかもしれない」とも。 「教師が授業中に、生徒と将棋を指して、サボっていた」とか、何とか。  ……しかしそれにしても、どうして日本の社会は、こうまでギスギスになってしまったのか。 余裕がないというか、余裕を認めない。 認めないばかりか、余裕のある人を、異端視する。 排斥する。  その結果が今。  駅前には、また別の大きなデパートができた。 もうひとつ、別の大きなデパートも建設中。 この先すぐ、シャッターを下ろす商店は、ますますふえるはず。 地域の根は切られ、社会はますます殺伐としたものになる。 人の心も、ますます殺伐としたものになる。 (浜松市の行政担当のみなさんへ)  「町の活性化」という言葉をよく耳にする。 しかし町の活性化は、個人の商店主によって生み出される。 また個人の商店主を忘れて、町の活性化はない。  その個人商店主たちを生かさないで、何が町の活性化? 私も、その個人商店の出身だが、私が知るかぎり、行政による保護、補助など、聞いたことがない。 受けたことがない。 考えてみれば、行政そのものが、平坦化している。 すべてが事務的になってきている。 それについては、また別の機会に考えてみたい。 (はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW はやし浩司 幼児教室 育児 教育論 Japan はやし浩司 平坦化 地域文化 平坦化 個人商店主 個人事業 地域文化の根 はやし浩司 大型店 シャッター街) 2012/07/22 Hiroshi Hayashi+++++++July. 2012++++++はやし浩司・林浩司 【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□ 休みます。 ☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆  はやし浩司のホームページ http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/ ☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆ ■□コマーシャル★★★★★★コマーシャル□■ 【BW生・募集中!】  (案内書の請求)    http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/page228.html  (教室の案内)     http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/page025.html ●小学生以上の方も、どうか、一度、お問い合わせください。 ■□コマーシャル★★★★★★コマーシャル□■ *********************************** このマガジンがお役にたてそうな人が、あなたのまわりにいませんか? よろしかったら、どうか、このマガジンのことを、お友だちの方に 話していただけませんか? よろしくお願いします。              はやし浩司 *********************************** ■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■   まぐまぐプレミア版(有料版)のお申し込みは…… http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/page141.html ■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■                       .   *※※ .※※  ***※ .*※※…※}※**    . **++ ※)) . {※}※※ / . ※*… /mQQQm .**/| |Q ⌒ ⌒ Q  Bye! .  = | QQ ∩ ∩ QQ    .       m\ ▽ /m~= ○ .       ○ ~~~\\// .================================= .みなさん、次号で、またお会いしましょう! .=================================

平坦化する心+(45)ナスカの謎

(45号)ナスカの謎(Mysteries in Ancient Civilizations, 謎の点と線) (45)More and more mysteries come out in Nazca, Peru. This is the one. For example there is the Grand Cross in Nazca. In this video I extend the horizontal line to to east, to find what is there. Nowadays only Pyramids in Giza are so well-known, but I am sure that real ancient cultures are not there in Pyramids, but in some ruins near the Pyramids, since the Pyramids are only land-marks. I have found some very sophisticated ruins on the Line from Nazca to Africa. This is the video abou it. ナスカの謎はつきません。今回は大十字架(私は「グランドクロス」と呼んでいますが、その大十字架の横線について調べてみました。 (縦線は、まっすぐテオティワカンにつながっていることは、すでに検証済み。) 何が出てくるか、どうかお楽しみに! ・・・というか、エジプトといえば、ピラミッドだけがよく知られていますが、ピラミッドというのは、ただの標識にすぎません。 本当の古代文化は、ピラミッドにではなく、もっと別のところにあるのではないでしょうか。 このビデオは、それについてのものです。はやし浩司 2012年9月24日 Sep 24th 2012 無断盗作、厳禁でご覧ください。No one is allowed to steal my ideas in any case, for which I need your cooperation. Thank you! http://youtu.be/T3ECKdAHTis (skull in Peru ペルーの頭蓋骨 エジプトのギザ エジプト ナスカ ナスカの大十字架 grand cross in Nazca 謎の十字架 Mystery of Grand Cross in Nazca Hiroshi Hayashi Mysteries of Ancient Civilizaions 謎の古代文明 謎のエジプト文明 ナスカの地上絵 謎の線 Mystery of the Lines in Nazca はやし浩司 古代文明の謎 謎の点と線 Nazca Nasca Teotihuacan Giza)

天照大神の話は本当だったbyはやし浩司

(44)天照大神は実在した!(Japanese Gods were existed!) 天照大神は実際に存在した。・・・決して意図的に私の目的のために誘導したのではなく、私もこういう結果になるとは、予想もしていませんでした。 作り話では、ここまで位置を正確に決めることはできません。 (私自身は、今回こうして「事実」を知るまで、天照大神を信じていませんでした。) 仁徳陵をはさんで、九州の高千穂と恵那山が、90度の角度で一直線につながったとき、私はたいへん驚きました。 そのあと、私は日本の神々が、けっして空想上の存在ではなかったということを知りました。 In Japan we have Shintoism, in which they expalin that this world was created by Gods but I did not believe the story. Here is a short video which explains about Japanese Shintoism, which is true, I am sure now and you may, too. This is very surprising and it brings me an unexpected result. img779 Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司 http://youtu.be/VhYZxlddCUI (日本の神 天照大神 存在の証明 日本の神教 神道 伊勢神宮の謎 謎の神 謎の天照大神 恵那山 高千穂 天岩戸 謎の点と線 日本の古代文明 高野山の謎 比叡山の謎 謎の高野山 謎の比叡山 亀ヶ岡土偶 遮光器土偶 仁徳陵 謎の仁徳陵 はやし浩司 Hiroshi Hayashi Japanese shintoism Shintoism Mystery of Shintoism Hiroshi Hayashi Hamamatsu Japan 真言宗 天台宗 謎の宗教)2012/09/23記 Hiroshi Hayashi+++++++Sep. 2012++++++はやし浩司・林浩司

Friday, September 21, 2012

謎の古墳群(宮崎県西都市)byはやし浩司Mystery of Tomb Mounds in Saito-city

(43)謎の西都市、謎の古墳群(Mystery of Saito-city, Japan)2012/09/22記 (43)This is a short story of Saito-city Tomb Mounds in Japan. The Tomb Mounds are closely connected with other ancient civilizations, as well as Nintoku Tomb Mound, Osaka, Japan. Here is the evidence, (43)宮崎県の西都市にある古墳群は、仁徳陵のみならず、世界の古代文明と密接につながっていました。ここにその証拠を提示します。 http://youtu.be/ubCNtk2tN6I (資料) img778 (西都市 古墳群 謎の古墳群 謎の西都市 西都市の古墳群 ミステリー 西都市のミステリー 西都市の謎 Saito-city Mystery of Ancient civilizations Miyazaki Tomb mounds in 古墳群の謎を解く 仁徳陵との関係 謎の点と線 Mystery of Japan Saito-city はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW はやし浩司 幼児教室 育児 教育論 Japan はやし浩司 ) Hiroshi Hayashi+++++++Sep. 2012++++++はやし浩司・林浩司

(42+41)Mystery in Nazca(ナスカの謎)

(42+41)【ナスカ平原の謎】(線は何のため? 地上絵は何のため?) Mystery of Lines and Line Pictures in Nazca. What for did they draw such lines and pictures? Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司 Mystery of Lines in Nazca. What are the Lines there? This is the video which explains what they are. The important thing is that you use your own common sense and think things with the common sense. Then you will be able to see what you you can't see before. Open your mindand accept the facts lying in front of you. ナスカの線、地上絵は何なのか。何のためにあるのか。それを説明します。 さあ、あなたも心を開き、そこにある事実を受け入れてみませんか。最初は勇気がいりますが、そうすれば、それまで見えなかったものが、見えてくるようになります。 ナスカの線は、天体観測のためのものなどではありません。それをこのビデオの中で説明します。どこのだれが、10キロもの長い線を引いて、春分や夏至の日を知ろうとするものですか? ものごとは常識で考えましょう。 また地上絵は、目的地を示す、絵文字と考えています。まだ例は少ないですが、やがてそれも明らかになるでしょう。 Sep 20th 2012 Japan (42+41) (資料) img769 img770 img771 img772 (Nazca line pictures ナスカ 地上絵 線の謎 Nazca Palenque Monte Alban Teotihuacan Mystery of Lines in Hiroshi Hayashi Hamamatsu Japan はやし浩司 浜松 Answer to the questions line pictures ペルー 絵文字 目的地を示す絵文字 常識的古代文明論 謎の古代文明 Ancient Civilizations Nasca Nasuka 2012/09/21記) Hiroshi Hayashi+++++++Sep. 2012++++++はやし浩司・林浩司

Thursday, September 20, 2012

ナスカのミステリー(Mystery of Lines and Line Pictures)

(41)【ナスカ平原の謎】(線は何のため? 地上絵は何のため?) Mystery of Lines and Line Pictures in Nazca. What for did they draw such lines and pictures? Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司 (41)Mystery of Lines in Nazca. What are the Lines there? This is the video which explains what they are. The important thing is that you use your own common sense and think things with the common sense. Then you will be able to see what you you can't see before. Open your mindand accept the facts lying in front of you. ナスカの線、地上絵は何なのか。何のためにあるのか。それを説明します。 さあ、あなたも心を開き、そこにある事実を受け入れてみませんか。最初は勇気がいりますが、そうすれば、それまで見えなかったものが、見えてくるようになります。 ナスカの線は、天体観測のためのものなどではありません。それをこのビデオの中で説明します。どこのだれが、10キロもの長い線を引いて、春分や夏至の日を知ろうとするものですか? ものごとは常識で考えましょう。 また地上絵は、目的地を示す、絵文字と考えています。まだ例は少ないですが、やがてそれも明らかになるでしょう。 Sep 20th 2012 Japan (資料) img769 img770 img771 img772 (Nazca line pictures ナスカ 地上絵 線の謎 Nazca Palenque Monte Alban Teotihuacan Mystery of Lines in Hiroshi Hayashi Hamamatsu Japan はやし浩司 浜松 Answer to the questions line pictures ペルー 絵文字 目的地を示す絵文字 常識的古代文明論 謎の古代文明 Ancient Civilizations Nasca Nasuka 2012/09/21記) Hiroshi Hayashi+++++++Sep. 2012++++++はやし浩司・林浩司

子育て相談(2例)

☆☆☆この電子マガジンは、購読を登録した方のみに、配信しています☆☆☆ .  mQQQm             . Q ⌒ ⌒ Q  ♪♪♪……    .QQ ∩ ∩ QQ          . m\ ▽ /m 彡彡ミミ       .  /~~~\  ⌒ ⌒       . みなさん、   o o β        .こんにちは!  (″ ▽ ゛)○   .        =∞=  //  (BW公開教室・まぐまぐプレミアム読者のみなさんへ)    http://hiroshihayashi4.ninja-web.net/ □■□□□□□□□□□□□□□■□ =================  子育て最前線の育児論byはやし浩司   2012年9月21日 □■□□□□□□□□□□□□□■□ ================= ★ ★★HTML版★★★ HTML(カラー・写真版)を用意しました。 どうか、お楽しみください。(↓をクリックしてみてください。) ************************ http://bwhayashi2.fc2web.com/page008.html メルマガ(6万3000誌)の中で、2008年度、メルマガ・オブ・ザ・イヤーに 選ばれました! 【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□ 【子育て相談・2例】 ●17日、18日に、掲示板の方で、子育て相談を2例受けた。 Hiroshi Hayashi+++++++July. 2012++++++はやし浩司・林浩司 [投稿日時]2012年 7月18日(水) [題名]5歳娘の行動のこと [投稿者]MK 先生はじめまして。 年中5歳娘のことで相談をさせて下さい。 娘は一人っ子です。今年の4月から初めて保育園に通園し始めました。 引っ付き虫だった娘は、当然4月は「ママ、さみしいよー」と泣きながら通園してました。 私の姿が見えなくなると友達とニコニコあそんでたみたいです。 5、6月は「ママが帰るとさみしいよー」と、少しぐずって言ってましたが、だんだん泣かないで通園できていました。 7月に入ってからまた泣きながらの通園がはじまりました。 帰宅後、「ママ、○○はオシッコでるから、お水飲まない」と言ったり、今オシッコ行ったから寝てる時はおもらししないよね?、と聞いたり、もらしたらどうしよう・・・、今○○がこれ触った手でお友達触ってもどうにもならない?  大丈夫?、と先の心配ばかりしています。 いつもと少し違うなと感じ始めました。 いつ手洗ったりトイレいったらいいかわからない・・・と。 「夏は暑いから汗でるからたくさんお水飲んで大丈夫よ。 おもらししたって大丈夫だよ、心配ないよー」と、その都度言いました。 ちなみに一度もおもらしした事はないです。 保育園のお友達がもらしたのを見て心配になったのかなと思いましたが、それもなさそうです。 とにかく色んな事が心配になってきたみたいで、担任の先生に相談しました。 娘の保育園は年長10人位年中児、6人の縦割りクラスです。 先生も娘のことを気にかけて下さりました。 年長さんや年中さんなので自主性を求めるために少しずつ「手洗ってきなさい、トイレ行ってきて下さい・・・」を言うのを減らしてきました。 だからまだ3か月しか園生活していない娘さんは不安になったのではないかな、とのことでした。 実際、先生が○○ちゃんは言った方がいい?、と尋ねられたところ、娘はそっちがいいと答えたそうです。 それから少し落ち着くかな、と思ってましたが、それに加えて手を洗わないと心配と言い出したり、床触ったから洗ってくるといいだしたりします。 「耳の所触ったけどお友達触ってもどうにもならない?」と、すべてが不安になりだしました。 「大丈夫大丈夫それ位で皆どうもならないよー」と、私が言いますが、心配不安の様子。 おとといは、朝から着替える時、頭から服を被った時に、よだれがついたから着替える!!」、大丈夫よと言ってもカーっとなって我を通すだけです。 足で踏んだから汚いからこの服は洗って!!と言ったり、なだめようと抱っこしようとしたら、「ママ汚いの触ったから今は触らないで・・・」と。 さすがにこの言葉に私は泣きたくなりました。 主人が帰ってきても「パパお仕事して洋服汚れてるけど、抱っこしたからパジャマ着替える・・・」とか。 手におえない位にグズることがありどうしようもなくなってしまいます。 抱きしめたくても汚れてる、と言われたりしてできない時はどうしたら良いでしょうか? 娘の気が済むようにあれもこれも着替えを気の済むようさせるべきですか? どうしたらイイかわからない時があります。 時折、自分の手が床に付かないように手を挙げてるような時もあります。 通園時、靴のテープも朝は触りたがらなくて困りました。 お迎えの時は自分で履いてました。 保育園ではお利口にしすぎてるのかな?、と先生がおっしゃってました。 自宅ではママが困ると分かるからチョット気に食わないと行動づるのかなともおっしゃってました。 3か月通園して廻りの子は慣れてるから何でも出来るし指示されないと不安になるし張りつめた気持ちが破裂してしまったのかな。。。 かんしゃく時、私には気に食わないと、足で弱めに蹴ったりもしてきました。 先生、抱きたくても触れない時、着替えると泣き喚く時とかどのように対処したらよいでしょうか? 汚れを気にし過ぎないで今までの娘に戻るにはどうしたらよいでしょうか? これまで寝るとき保育園に行くときなど「、ママ大好き~。チユとしたりギュっとだきしめたりしてました。 昨夜も添い寝してると娘からチユとしてきました。 ホント難しいです。 どういう時に機嫌損ねるか分からないし対処できない時もあって・・・。 先生ニコニコの気にし過ぎない娘にまた戻れるようになれますか。 宜しくお願い致します。 Hiroshi Hayashi+++++++July. 2012++++++はやし浩司・林浩司 [題名]3歳児(男児)が荒れはじめました [投稿者]高齢出産の母 (以下、KRさん) 4か月前から3歳半の息子が少しずつ荒れ始めました。 先生がお書きになっている幼児の神経症の症状がいくつもみられます。 明るく活発で無鉄砲な反面、利口で神経質な性質の子供です。 緊張しやすいですが、直接的な態度には表しません。 幼稚園入園や海外滞在、おむつトレーニングなどが重なり、荒れた行動→方々から感情的に叱られることも多々あり、神経が疲労してしまったのかと思います。 幼稚園では真面目な児童のようです(過剰適応気味)。 母親の私自身は長く精神不安をかかえており、父親はストレス状態にあり、息子には不安定な家庭環境を与えてしまいました。 自我がめばえてからは本人の主張が強いあまりに、私は言いなりになっていることが多く、甘えの欲求にも応えようとしてきました。 父親は筋違いの厳格さなどもあり、ちぐはぐな躾だったのかもしれません。 息子は好奇心が旺盛で、人と関わりたい、注目を集めたい、褒められたい、などの欲求が強く、最近では自分の欲求が満たされなかったり、自分の思う通りに相手が動いてくれないと、かんしゃくを起したり、暴力で訴えたりします。 神経が衰弱しているため、ストレスは避けたいところですが、自己形成の時期であるため思い通りにさせてはいけないと、ジレンマに陥っています。 大切な年齢ですので、ぜひ先生からアドバイスをいただきたく存じます。 Hiroshi Hayashi+++++++July. 2012++++++はやし浩司・林浩司 【はやし浩司より、MKさん、KRさんへ】  回答が長くなりそうなので、掲示板ではなく、BLOGのほうで、書いてみたいと思います。 今しばらくお待ちください。 明日(7月20日朝)は、時間ができそうなので、そのとき考えてみます。 ともに「神経症的な症状」ですね。 基本的には、不安先行型の子育て、心配先行型の子育てが、基本的な原因と考えてください。 母親自身の「心」をそっくりそのまま受け継いでしまっているというわけです。 つまり「何をしても心配だ」式の子育てを、恐らく妊娠時からしてしまったというわけです。 そういう点で、「基本的信頼関係」の構築に、失敗したとみます。  で、こうした神経症的な症状を見せる子ども(チック~夜尿症~潔癖症など)は、珍しくありません。 私がどこかの小学校で調査した、調査結果もありますので、また明日にでも、BLOGのほうで紹介します。  では、今日は、これで失礼します。 Hiroshi Hayashi+++++++July. 2012++++++はやし浩司・林浩司 【雑感・あれこれ】(2012年7月18日記) ●梅雨明け  昨日(7月17日)、梅雨が明けた。 長くつづいた曇り空が、一転、澄んだ青空に変わった。 気温は、30度前後。 自転車で走る。 半時間も走ると、全身がさわやかな汗に包まれる。 家に入る。 頭から水をかぶり、扇風機に当たる。 その爽快感がたまらない。 ●台風  台風X号が、九州の西を北上している。 気象庁の天気図を見る。 どうやら北朝鮮へ。 ピョンヤンの直撃コース。 台風から伸びる雨雲が、すでに朝鮮半島を覆っている。 が、こう書くからといって、北朝鮮のことを心配しているのではない。 「かわいそうだ」とは、思うが、そこまで。  降らなければ大干ばつ。 降れば大洪水。 今度の台風が、金正恩政権の命取りになるかもしれない。 問題は、そのあと。 静かに崩壊してくれれば、それでよい。 そうでなければ、そうでない。 それを思うと、気分が重くなる。 ●懇談会  今朝、父母懇談会をもった。 その中で、こう言った。 「受験競争を子どもに強いることは、虐待です」と。  昔、ベッドから引きずり出されていた子ども(小5男児)がいた。 その子どもは、毎日、5ページ、問題集を解くことになっていた。 その日のノルマ(問題集)をしていないと、引きずり出された。 話を聞くと、母親はこう言った。 「父親は、毎晩夜遅く帰ってきます。午前1時とか、2時になることもあります。そのあと息子の問題集をチェックし、ノルマを果たしていないと、息子をベッドから引きずり出し、勉強をさせています」と。  これを「虐待」と言わずして、何と言う?  が、親たちには、その意識はない。 「子どものため」と、思い込んでいる。 子どものためと思いながら、子どもを虐待している。  当然、子どもの心はゆがむ。 傷つく。 最近の研究によれば、脳(扁桃核)に、本当に傷がつくという。 目に見える物理的な傷である。 子どもの心も、親から離れる。  ……という話は、すでにどこかで書いた。 懇談会では、その話をした。 「受験競争は避けては通れない道かもしれませんが、やり方をまちがえないように!」と。 ●眠い  今、この文章を、歯科医院の待合室で書いている。 私が5人目だったが、今、2人が、診療室に入っている。 たった今、85歳前後の女性が、診療室から出てきた。 骨と皮だけ。 ガリガリにやせている。 動作も鈍い。  よい医師を見つけるのは、たいへんむずかしい。 よい友だちを見つけるのと同じくらい、むずかしい。 方法がないわけではない。 その地域の、信頼のおける友人か、知人に聞くとよい。 年配の人であればあるほど、よい。  で、この医院の名前は、金原歯科医院。 浜松市の鴨江町にある。 (元裁判所前。一本、道を入ったところにあるので、通りからは見えません。そのあたりでお聞きになると、よいでしょう。予約制ではなく、たいてい1回の治療で、すべて終わります。) 今日で、3度目。 「いい医院」と確信がもてたので、実名をここに書く。 (今まで、30年以上通ったK医院は、去年の終わりごろ、廃業した。)  みなさんも、もし歯科医院選びで迷ったら、金原歯科医院にしてみてはどうでしょうか。 私はこの目と、歯で、しっかりとそれを確かめました。 私が保証します。 ●イノシシ  このところカメラをいつも、ぶらさげている。 どこへ行くにも、ぶらさげている。 パナソニックのGF5。 すごいカメラ。 が、すご過ぎる。  その瞬間、ふつうの写真を撮るのがむずかしい。 あれこれと操作している間に、シャッターチャンスを逃してしまう。  そこで今夜、車の中で、(ふつうの写真)が撮れるように設定しなおした。 「できれば、UFOを撮りたい」と。  が、山荘の入り口を入ったところで、ワイフがふつうでない声を張りあげた。 「すわっ、UFOか!」と思った。 が、見ると、車のライトに照らされて、イノシシの子ども。 4頭!  手に構えていたカメラをそちらに向け、シャッターを切る。 このタイミングのよさ。 ややピンボケだが、そこそこの写真が撮れた。 「UFOのほうが、よかった」と私。 ●タヌキ  イノシシの話をしていたら、ワイフがこう言った。 「昨日、うち(浜松市内の自宅)の庭をタヌキが歩いていたってエ」と。 私「タヌキ?」 ワ「そう、S(息子)が、見たってエ」 私「ネコの見まちがいじゃあないのか?」 ワ「タヌキだってエ……」と。  ハクビシンは毎年、やってくる。 子連れでやってくる。 ほかにイタチも出る。 ヘビもいる。 サルも出る。 アライグマも出たことがある。  リスは、いつもいる。 野鳥については、フクロウをはじめ、キツツキも出る。 スズメはもちろん、ホウジロ、ウグイス、メジロ……。 ツグミ、ムクドリ、ヒヨドリ、山鳩、サギ、モズ……など。 ほかに名前のわからない鳥、数種類。 我が家は自然動物園のよう?  一方、山荘のほうでは、これまた別の野鳥がやってくる。 私が好きなのは、ホトトギス。 ほかにもあるが、ここには書ききれない。 そう言えば、キジを見かけなくなった。 ウズラも、ここ数年、見ていない。 コジュケイは、健在。 ときどき、チョットコイ、チョットコイと大きな声を張りあげる。  が、今夜はイノシシ。 こういうことがあるから、山の生活は楽しい。 (はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW はやし浩司 幼児教室 育児 教育論 Japan はやし浩司 金原歯科医院 鴨江 元裁判所前) Hiroshi Hayashi+++++++July. 2012++++++はやし浩司・林浩司 【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□ 【子育て相談】(幼児の神経症的な症状について) Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司 ●7月19日のBW幼児教室(年中児、小2児、小3児クラス)  勉強は楽しもう! 楽しく学ぶ子は、よく学ぶ、ですよ! (1)年中児(お話作り) (2)小2児(棒グラフ) (3)小3児(棒グラフ) Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司 [投稿日時]2012年 7月18日(水) [題名]5歳娘の行動のこと [投稿者]MK 先生はじめまして。 年中5歳娘のことで相談をさせて下さい。 娘は一人っ子です。今年の4月から初めて保育園に通園し始めました。 引っ付き虫だった娘は、当然4月は「ママ、さみしいよー」と泣きながら通園していました。 私の姿が見えなくなると友達とニコニコあそんでいたみたいです。 5、6月は「ママが帰るとさみしいよ~」と、少しぐずって言っていましたが、だんだん泣かないで通園できていました。 7月に入ってからまた泣きながらの通園がはじまりました。 帰宅後、「ママ、○○はオシッコでるから、お水飲まない」と言ったり、今オシッコ行ったから寝てる時はおもらししないよね?、と聞いたり、もらしたらどうしよう・・・、今○○がこれ触った手でお友達触ってもどうにもならない?  大丈夫?、と先の心配ばかりしています。 いつもと少し違うなと感じ始めました。 いつ手を洗ったりトイレいったらいいかわからない・・・と。 「夏は暑いから汗でるから、たくさんお水飲んで大丈夫よ。 おもらししたって大丈夫だよ、心配ないよー」と、その都度言いました。 ちなみに一度もおもらしした事はないです。 保育園のお友達がもらしたのを見て心配になったのかなと思いましたが、それもなさそうです。 とにかく色んな事が心配になってきたみたいで、担任の先生に相談しました。 娘の保育園は、年長10人位年中児6人の、縦割りクラスです。 先生も娘のことを気にかけて下さりました。 年長さんや年中さんなので、自主性を求めるために、少しずつ「手洗ってきなさい、トイレ行ってきて下さい・・・」を言うのを減らしてきました。 だからまだ3か月しか園生活していない娘さんは、不安になったのではないかな、とのことでした。 実際、先生が○○ちゃんは行った方がいい?、と尋ねられたところ、娘はそっちがいいと答えたそうです。 それから少し落ち着くかな、と思っていましたが、それに加えて手を洗わないと心配と言い出したり、床触ったから洗ってくると言いだしたりします。 「耳の所触ったけどお友達触ってもどうにもならない?」と、すべてが不安になりだしました。 「大丈夫大丈夫、それ位で皆どうもならないよ~」と、私が言いますが、心配不安の様子。 おとといは、朝から着替える時、頭から服を被った時に、よだれがついたから着替える!!」、大丈夫よと言ってもカーっとなって我を通すだけです。 足で踏んだから汚いからこの服は洗って!!と言ったり、なだめようと抱っこしようとしたら、「ママ汚いの触ったから今は触らないで・・・」と。 さすがにこの言葉に私は泣きたくなりました。 主人が帰ってきても「パパお仕事して洋服汚れてるけど、抱っこしたからパジャマ着替える・・・」とか。 手におえない位にグズることがあり、どうしようもなくなってしまいます。 抱きしめたくても汚れている、と言われたりしてできない時はどうしたら良いでしょうか? 娘の気が済むように、あれもこれも着替えを気の済むようさせるべきですか? どうしたらよいかわからない時があります。 時折、自分の手が床に付かないように手を挙げてるような時もあります。 通園時、靴のテープも朝は触りたがらなくて困りました。 お迎えの時は自分で履いてました。 保育園ではお利口にしすぎてるのかな?、と先生がおっしゃってました。 自宅ではママが困ると分かるから、チョット気に食わないと行動するのかなともおっしゃってました。 3か月通園して廻りの子は慣れているから何でも出来るし、指示されないと不安になるし、張りつめた気持ちが破裂してしまったのかな。。。 かんしゃく時、私には気に食わないと、足で弱めに蹴ったりもしてきました。 先生、抱きたくても触れない時、着替えると泣き喚く時とか、どのように対処したらよいでしょうか? 汚れを気にし過ぎないで今までの娘に戻るにはどうしたらよいでしょうか? これまで寝るとき保育園に行くときなど、「ママ大好き~。チユとしたりギュっとだきしめたりしていました。 昨夜も添い寝していると、娘からチユとしてきました。 ホント難しいです。 どういう時に機嫌損ねるか分からないし対処できない時もあって・・・。 先生ニコニコの気にし過ぎない娘にまた戻れるようになれますか。 宜しくお願い致します。 Hiroshi Hayashi+++++++July. 2012++++++はやし浩司・林浩司 [題名]3歳児(男児)が荒れはじめました [投稿者]高齢出産の母 (以下、KRさん) 4か月前から3歳半の息子が少しずつ荒れ始めました。 先生がお書きになっている幼児の神経症の症状がいくつもみられます。 明るく活発で無鉄砲な反面、利口で神経質な性質の子供です。 緊張しやすいですが、直接的な態度には表しません。 幼稚園入園や海外滞在、おむつトレーニングなどが重なり、荒れた行動→方々から感情的に叱られることも多々あり、神経が疲労してしまったのかと思います。 幼稚園では真面目な児童のようです(過剰適応気味)。 母親の私自身は長く精神不安をかかえており、父親はストレス状態にあり、息子には不安定な家庭環境を与えてしまいました。 自我がめばえてからは本人の主張が強いあまりに、私は言いなりになっていることが多く、甘えの欲求にも応えようとしてきました。 父親は筋違いの厳格さなどもあり、ちぐはぐな躾だったのかもしれません。 息子は好奇心が旺盛で、人と関わりたい、注目を集めたい、褒められたい、などの欲求が強く、最近では自分の欲求が満たされなかったり、自分の思う通りに相手が動いてくれないと、かんしゃくを起したり、暴力で訴えたりします。 神経が衰弱しているため、ストレスは避けたいところですが、自己形成の時期であるため思い通りにさせてはいけないと、ジレンマに陥っています。 大切な年齢ですので、ぜひ先生からアドバイスをいただきたく存じます。 Hiroshi Hayashi+++++++July. 2012++++++はやし浩司・林浩司 【はやし浩司より、MKさん、KRさんへ】  回答が長くなりそうなので、掲示板ではなく、BLOGのほうで、私の考えを書いてみたいと思います。 今しばらくお待ちください。 明日(7月20日朝)は、時間ができそうなので、そのとき考えてみます。 ともに「神経症的な症状」ですね。 基本的には、不安先行型の子育て、心配先行型の子育てが、基本的な原因と考えてください。 母親自身の「心」をそっくりそのまま受け継いでしまっているというわけです。 つまり「何をしても心配だ」式の子育てを、恐らく妊娠時からしてしまったというわけです。 そういう点で、「基本的信頼関係」の構築に、失敗したとみます。  で、こうした神経症的な症状を見せる子ども(チック~夜尿症~潔癖症など)は、珍しくありません。 私がどこかの小学校で調査した、調査結果もありますので、また明日にでも、BLOGのほうで紹介します。  では、今日は、これで失礼します。 Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司 ●神経症的な症状  子どもの神経症的な症状(以下、神経症)を考えるとき、第一に重要なことは、つぎのことです。 (1) 子どもは家族の代表    子どもに何かの症状(神経症にかぎらない)が現れると、親は、子どもだけを見て、子どもをなおそうとする。 しかし反省すべきは、親自身ということになる。 親の育児観、育児姿勢、育児態度。 『子どもは家族の代表』というのが、今では常識的な考え方になっています。 つまり子どもの問題は、家族の問題というわけです。  ……と書くと、たいへんの親は、「私は問題ない」「私はふつう」と答えます。 が、この「私は……」というのが、曲者。 本当に「私」がわかっている親は、(親にかぎらないが)、ほとんどいない。 反対に言うと、「私のことは自分がいちばんよく知っている」と言う親ほど、自分のことがわかっていない。  で、親は、常に自分を「善」とし、原因を外の世界に向かって求める。 「幼稚園が悪い」「先生が悪い」と。 「~~があったから、こうなった」「~~があったから、こうなった」と。  しかし先にも書いたように、子どもが神経症になる背景には、親の育児観が大きく影響している。 心配先行型、不安先行型、さらには子どもの側からみて、愛情飢餓など。 母子間の基本的信頼関係の構築に失敗すると、子どもは常に不安と心配の渦の中で、もがくようになる。 母子分離不安も、そのひとつ。 親の姿が見えなくなっただけで、ギャーと錯乱状態になって、親のあとを追いかけたりする。 (あるいは極度な不安状態になり、オドオドする。)  親は「私は子どもを愛している」などと言うが、たとえば、母親がたった3日間、病院に入院しただけで、母子分離不安になった子どもがいる。 遊園地で迷子になっただけで、母子分離不安になった子どもがいる。  原因はさまざまであり、「いつの間にか、そうなってしまった」というケースも多い。 (2) 二番底論    神経症は、それにつづく別の症状をともなうことが多い。 ジョンソンの学校恐怖症論によれば、不登校に先立つ前兆症状として現れることもある。 つまり「なおそう」と思わないこと。 「今の状況を、より悪くしないこと」だけを考えて、対処する。 なおそうと考え、(治そうでも直そうもよいが)、無理をすればするほど、「まだ前の方がよかった……」ということを繰り返しながら、症状は悪化する。  とくに神経症は、不登校の前兆として現れることが多い。 原因のわからない腹痛、下痢、頭痛、ぐずりなどが慢性的につづいたら、要注意。 「家庭は憩いの場」と考え、こまごまとしたしつけなどは、控える。  またひとつの症状が、別の症状を引き起こすということも多い。 ふつう神経症では、複数の症状が、同時進行の形で現れる。 (チック、夜尿症、潔癖症、不潔嫌悪症……など。)  これを私は、「二番底」と呼んでいる。 が、そこで止まるわけではない。 対処の仕方によっては、三番底、四番底へと向かう。 子どもの問題には、すべて、この二番底、三番底……がある。 「今が、最悪」とは思わないこと。 (3) 症状は半年単位でみる    神経症は、環境を改善したからといって、すぐ消えるわけではない。 半年単位で様子を見る。 チックにしても、症状が消えるまでに、半年はかかる。 おとなになってからも残ることがある。 クセとして定着するからである。 (どこかの知事が目をまばたきしたり、有名なタレントが不自然に首を振るのは、原因はチックと考えてよい。)  ほかの神経症にしても、……たとえば頻尿症、夜尿症にしても、ばあいによっては、1~2年かかることもある。  こうした神経症は、脳内ホルモンのバランスが崩れて起こることが多い。 さらに潔癖症、不潔嫌悪症(手洗いグセ)などは、「こだわり」とみる。 小児うつ病と診断されることもある。 叱って治るような問題ではない。 自然治癒力により改善されるまでには、数か月~かかる。    子どもの心の問題は、総じて、そういう視点で考える。 なお九州大学の吉田敬子氏は、「うつ病の種は、乳幼児期に作られる」と説く。 「この時期に、母子間の基本的信頼関係の構築に失敗すると、おとなになってから、うつ病を発症しやすい」と。  「何をしても許される」「何をしても許す」というたがいの信頼関係が、子どもの心の発育には、絶対条件ということになる。 「絶対的」というのは、「疑いを抱かない」という意味。  つぎの相談は、愛情飢餓により、神経症を発症した例である。 Hiroshi Hayashi+++++++July. 2012++++++はやし浩司・林浩司 【子どもの心の奥にあるもの】(2008年10月21日記) Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司 よく誤解されるが、情緒不安というのは、情緒が不安定になることではない。 (心の緊張感)がとれないことを、情緒不安という。 心が緊張しているとき、不安や心配ごとがあると、心は一気に不安定になる。 結果として情緒は不安定になる。 つまり情緒不安というのは、(心の緊張感)がとれない、その結果として現れる症状をいう。 子どもの情緒不安を感じたら、まず、心の緊張感が、いつ、どのように発生し、どのように作用しているかを、観察する。 慢性化すれば、神経症(症状は千差万別)を発症するようになる。 疑惑症、嫌悪症、潔癖症なども、そのひとつ。 対処法としては、(心の緊張感)をほぐすことを第一に考える。 Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司 【AKさんより、はやし浩司へ】  6歳の娘と、4歳の息子がいます。6歳の娘についての、相談です。 長女はいい子で優しく素直な子です。神経質で、きっちりしている(言いつけを守る)ところもあります。 5歳くらいまで母子分離不安が強く近所で多数の子供たちと遊ぶと、うちの子はなかなか私から離れず、みんなの中に入って行くのを尻込みするタイプでした。 何か心にストレスを感じるとすぐ身体症状が出る子で、幼稚園入園後半年で円形脱毛になり、年長に上がった時に神経因性頻尿になりました。 いずれもたくさん構ってあげたりスキンシップや気分転換させると自然に治りました。  今困っている症状は、手を洗っても汚れがついている気がする。 その手で蛇口を触れない(蛇口をずっと長いこと洗います)。 手に触れるものや口に入れるもの全てにおいて清潔か、触っても大丈夫かの確認を何度もする。 チック(目をぱちぱちする)です。 手洗いに関しては、私が指摘したせいか本人も自覚してしまってつらがっています。 手洗いの際私が手を包み込んで一緒に洗うと、ましなようです。  弟の方はマイペースで長女のようにきっちりせず、のびのびしています。 母親に対する独占欲が強く長女といつも私を取り合う感じです。 3歳頃まで泣きひきつけがひどく、あまり泣かせないようにしてきたからか、長女は我慢をすることも多かったと思います。 次男出産後1年半は保育所に預けていました。  私自身にも問題があります。 一度火がつくと自分でもコントロールできない程激しく叱ってしまうのです。 私の母親が普段は優しく愛情深いのですが、怒るとすごくこわく、いわゆるヒステリータイプで、毎日夫婦喧嘩の声(母の怒った声)に子供の頃から心が休まらない家庭でした。 母の顔色を伺いながら生きてきた自分を考え、自分は絶対そんな思いは子供にさせまいと思い続けて母親になりましたが、時々自分の中に母親の影をみることがあります。  特に生理前などはイライラが強く、子供にきつく怒ってしまいます。 その度に自己嫌悪に陥り反省し、よし明日からはとがんばるのですが、1ヶ月くらいたったある日それまでの努力を自分で台無しにするような怒り方をして、また反省し繰り返しです。 こんな自分も嫌です。 どうにかして治したいのですが。 夫に私がきつく怒りすぎて子供が萎縮していると指摘を受けました。  今回長女の強迫的な行動におろおろし、いろいろ調べたところ、はやし先生の相談者に対するアドバイスを読み、今まで長女は繊細であれこれ困ったことが起きるなと思っていたのは、すべて私が原因だったのでは?、と思いました。 長女に対して今最大限のスキンシップをはかるようにしていますが、このまま続けて行けば良くなるでしょうか?  ひどい時は10分おきくらいに、「足を触ったかもしれないけどその手を舐めたかもしれないけど大丈夫?」といった質問を繰り返したり、手洗い場で「洗っても洗っても汚れてるみたいな気がする」と泣いている娘をみると、早く治してあげたくて受診させたほうがいいのかと悩んでいます。  主人は自分の実家で気分転換させたら?、といいます。(主人の実家は長女びいきで行くといつも娘の表情が穏やかでわがまま言い放題、のびのびしています。) 先生、どうか返答は遅くても構いません。 是非アドバイスをお願いします。 私自身はメールアドレスを持っていないので主人の名前で出しています。 (相談者・AK)  【はやし浩司よりAKさんへ】  まずAKさん、あなた自身の心が、なぜいつも緊張状態にあるかを、静かに観察してみてください。 いつもピリピリしているというようであれば、そのもとになっている、原因をさぐります。 (こういうケースでは、親の方が、神経症的な症状を示していることが多いです。 ピリピリとした育児姿勢、過干渉、過関心など。 親がそういう状態で、どうして子どもの神経症がなおるかということになります。)  私の印象では、AKさん自身が、心を開けない人のように思います。 他人の前に出ると、緊張してしまうとか、(結果的に疲れやすい)、仮面をかぶってしまうとか、そういう状態ではないかと思います。  さらにその原因はといえば、AKさん自身の母子関係にあります。 AKさんと、AKさんの母親との関係です。 AKさん自身も、子どものころ、(いい子)ぶることで、いつも自分をごまかしていた。 現在のあなたの長女のように、です。  で、相談の件ですが、年齢的に、つまり2歳下の弟がいるということですから、長女は、まだ人見知り、後追いのはげしかったころ、下の弟が生まれたことになります。 下の弟が生まれたことによって、大きな愛情の変化を感じたと思われます。 対処の仕方を誤ると、赤ちゃん返りという症状が生まれます。  長女は、現在も、その(赤ちゃん返り)の流れの中にあると思ってください。  子どもというのは、環境の変化にはたいへんタフですが、愛情の変化には、敏感に反応します。 親は「平等にかわいがっている」と言いますが、子どもには、そういった論理は通用しません。 あなたの夫が、ある日突然、愛人を家に連れ込んできたようなばあいを、想像してみてください。  もうおわかりかと思いますが、長女は、慢性的な愛情飢餓状態にあると考えて対処します。 濃密なスキンシップ、添い寝、手つなぎなど、こまめに実行してみてください。 ポイントは、『求めてきたときが、与えどき』です。  長女のほうから、スキンシップを求めてきたようなときは、すかさず、(すかさず、です)、それに応じてあげます。 「あとでね……」「忙しいから……」は、禁句です。 ほんの数分、応じてあげるだけで、子どもは、落ちつくはずです。  ほかに食生活にこころがけてみてください。 CA、MG、Kの多い食生活(=海産物中心の献立)にするだけでも、かなり効果があります。 (薬物に頼るのは、この時期、勧めません。) とくにCAの多い食生活を大切にしてみてください。 市販の子ども用錠剤なども、効果的です。 (薬局へ行くと、高価な錠剤を勧めますが、安いものもあります。 安いのでも効果は同じです。服用量を注意して、与えます。) 私自身も、心の緊張感がほぐれないときは、CAの錠剤をバリバリと口の中で割ってのんだりしています。 ほかにハーブ系の錠剤をのむこともあります。 (子どもに与える量については、専門家とよく相談してください。)  偏食、とくに白砂糖の多い食品は、避けます。 (家庭では、精製してない黒砂糖を料理に使うとよいでしょう。) 家庭生活の要(かなめ)は、子どもの側からみて、(心の休まる)環境です。 長女は、おそらく外の世界(幼稚園など)では、いい子ぶることで、自分の立場を保持しているはずです。 つまりそれだけ神経疲れを起こしやすいということです。 ですからその反動として、家の中で、ぞんざいな態度、横柄な態度を見せるかもしれませんが、そこは許してやってください。 「うちの子は、外でがんばっているから、家の中ではこうなのだ」と、です。  6歳ともなると、(家)は、(しつけの場)ではなく、(憩いの場)とならなくてはいけません。 疲れた心を休める場所です。 手洗いグセについては、『暖かい無視』に心がけます。 心の緊張感(わだかまり、こだわり)がほぐれてくれば、自然になおります。 親がカリカリすればするほど、逆効果です。 なお子どもの神経症については、私のHP→(ここが子育て最前線)→(子ども診断)→(神経症)に収録してありますから、参考にしてください。 http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/page080.html で、問題は、AKさん、あなた自身です。  遠くは、あなたとあなたの母親との関係にまで、原因がさかのぼります。 あなた自身が、全幅に、あなたの母親に受け入れてもらえなかった……。 それが今、あなたの対人関係(もちろん子どもに対しても)に、影響を与えています。 さみしがり屋で孤独なくせに、しかし集団の中に入っていくと、すぐ神経づかれを起こしてしまう、と。 他人を信ずることができない……つまり、他人に心を開くことができない。 自分をつくってしまう。ありのままをさらけ出すことができない、など。 (あるいは何かの原因で、長女を愛することができないのかもしれませんね。 「長女を愛しなければならない」「しかしどうも好きになれない」と、AKさん自身が、心の中で葛藤しているということも考えられます。 あなた自身も、親に愛されていなかった……。 その世代連鎖が、今もつづいている可能性も否定できません。)  ともかくも、こうした緊張感が、ちょっとしたきっかけで、爆発してしまう。 長女に対して、です。  症状としては、AKさん自身が、(うつ病質)であると考えられますが、専門的な判断は、ドクターにしてもらってください。 同時にAKさん自身も、CAの多い食生活に心がけてみてください。 ほとんどの親は、子どもに、ふつうでない症状が現れると、子どもに原因を求め、子どもを治そうとか、直そうとか考えます。 しかし子どもは、(家族の代表)でしかありません。 幸いなことに、AKさんは、今、それに気づきつつあります。 つまりすでに問題は、半分以上、解決したということです。  あとは、長女のよいところだけを見て、長女といっしょに、もう一度人生を楽しむつもりで、子育てをすればよいでしょう。 あるいはもうそろそろ長女から離れ、あなた自身が自分でしたいことをすべき時期に来ているかもしれません。 夫の実家でめんどうをみてくれるというのですから、そういう場をうまく利用して、あなたはあなたで、好き勝手なことをすればよいのです。  また、子どもを愛せないなら愛せないで、気負うことはありません。 実際そうした母親は、7~10%はいます。 まず、あるがままの、自然体で、子どもに接することを大切にします。 「親だから……」と気負ってはいけないということです。 (メールによれば、AKさんは、かなり親意識の強い方のようですから……。) 子どもの「友」になることだけを考えて対処します。  どうであるにせよ、症状としては、この時期、たいへん多いですから、あまり深刻に考えないこと。 ただし環境を改善したとしても、すぐには症状は消えません。 あせらないこと。チックにしても、家庭環境が改善されても、ばあいによっては、そのあと、数年つづくこともあります。 (手洗いグセは、比較的早く、症状は消えます。) 詳しくは、「はやし浩司 神経症」「はやし浩司 手洗いグセ」で、検索してみてください。 またAKさん自身の問題は、「はやし浩司 基本的信頼関係」が、参考になると思います。 (はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 Hiroshi Hayashi 子どもの神経症 手洗いグセ はやし浩司 不潔嫌悪症 潔癖症 はやし浩司 神経症的な症状)  Hiroshi Hayashi+++++++July. 2012++++++はやし浩司・林浩司 ●神経症  子どもの側に立って、考える……これが大鉄則です。 子どもが手を洗ったら、それを「おかしい」と思うのではなく、「そうね」と理解してあげる。 子どもが納得するまで、子どもに手を洗わせる。 あるいは親もいっしょに、手を洗う。 「あなた、おかしいわよ」と、無理にやめさせても意味はない。 かえって症状を悪化させる。  先にも書いたように、こうした情緒不安症状は、心の緊張感が取れないことに起因する。 従って、家庭での指導の第一は、「心の緊張感をほぐすこと」。 やりたいようにさせ、温かい無視に徹する。 過関心、過干渉は、タブー。 子どもの側から見て、親の視線を感じないようにする。 親の姿を見て、どこかへ逃げていくようであれば、最悪の家庭環境と考えてよい。  保育園や幼稚園での生活が、神経疲労を起こしているようなら、ときにはズル休みもしながら、心の調整をする。 いやがって泣く子どもを、無理矢理バスに押し込めるような行為は、「虐待」と考えてよい。 (日本人には、そういう意識はないが……。) カナダでは、保育時間も親が決める。 オーストラリアでは、週3回(たとえば月・水・金だけ)という幼稚園もある。 またアメリカでは、公立小学校でも、4歳児から預かるところが多い。 世界の幼児教育は、もっとフレキシブル。  「ズル休みをしながら、適当に行けばいい」などと私が言うと、多くの親は驚くが、それこそまさに世界の非常識。 もう少し気楽に考えてもよいのではないか。 たとえば40年前には、1~2年保育が主流だった。 5%の子どもは幼稚園へ行かないで、小学校へ入学していった。 現在のように、3~4年保育が主流になったのは、ごく最近のこと。 その分だけ、子どもの学力が向上したという話は聞いていない。 (少し過激な意見で、ごめん!) ●親の意識  まず親の意識改革をする。 方法は簡単。 もっと気楽に! 肩の力を抜く!  子どもの症状もさることながら、母親たちの対処の仕方を読んでいると、私のほうまで気が滅入ってきます。 子どものやりたいようにさせ、いっしょにつきあってやる。 あとはハハハと笑ってすます。  たとえばよくある夜尿症にしても、子どもはそういうものと考え、やりたいようにさせる。 「漏らしても無視。漏らさなかったら、ほめる」です。 あとはあきらめる。 で、子どもというのは不思議なもので、親があきらめたとたん、いつの間にか、夜尿症がなおってしまう。  それをカリカリと、夜中に起こしてトイレへ連れて行くようなことをするから、かえって症状が長引いてしまう。 子どもも、ますます神経質になる。 ●心の緊張感を取る  子どもの行為にいちいちカリカリしないこと。 そのかわり、先に書いた、「絶対的な安心感」で、子どもを包む。 添い寝、手つなぎ、抱っこ、いっしょの入浴など……。 まさに根気比べということになります。  今では、心の緊張感をほぐすためのよい薬もあります。 小児科で相談すれば、処方してもらえますが、この時期は、あまりお勧めしません。 とくに脳内ホルモンをいじる薬物は、お勧めしません。 子ども自身がもつ自然治癒力を大切にします。 と、同時に、もう一度、「子どもは家族の代表」という言葉を、思い浮かべてください。 まず何よりも重要なのか、家庭環境の見直しです。  私のHPのどこかに、「ママ診断」がありますから、どうか一度、自己診断をしてみてください。  で、最後に一言。  とは書きつつも、子どもの神経症は、珍しくありません。 つまり心の病気です。 が、あまり深刻に考えないこと。 ほとんどの子どもが一度は経験する、はしかのようなものです。 「いつの間にかなおってしまった」というのが、神経症(神経症的な症状)です。 (軽いものでは、指しゃぶり、髪いじりなどがあります。 ざっと数えただけでも、下の表ほども、いろいろな症状があります。) 「自己形成」という言葉が出てきましたが、この問題とは、まったく異質のものです。 切り離して考えてください。  全体的には、園の先生に相談しながら、そのつど反省すべき点は反省しながら対処していけばよいかと思います。 (参考までに) ●ママ診断 http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/page288.html ●神経症(子どもの神経症的な症状) http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/page080.html img152 img153 (はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW はやし浩司 幼児教室 育児 教育論 Japan はやし浩司 子どもの神経症 神経症的な症状 潔癖症 不潔嫌悪症ほか) Hiroshi Hayashi+++++++July. 2012++++++はやし浩司・林浩司 【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□ 休みます。 ☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆  はやし浩司のホームページ http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/ ☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆ ■□コマーシャル★★★★★★コマーシャル□■ 【BW生・募集中!】  (案内書の請求)    http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/page228.html  (教室の案内)     http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/page025.html ●小学生以上の方も、どうか、一度、お問い合わせください。 ■□コマーシャル★★★★★★コマーシャル□■ *********************************** このマガジンがお役にたてそうな人が、あなたのまわりにいませんか? よろしかったら、どうか、このマガジンのことを、お友だちの方に 話していただけませんか? よろしくお願いします。              はやし浩司 *********************************** ■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■   まぐまぐプレミア版(有料版)のお申し込みは…… http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/page141.html ■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■                       .   *※※ .※※  ***※ .*※※…※}※**    . **++ ※)) . {※}※※ / . ※*… /mQQQm .**/| |Q ⌒ ⌒ Q  Bye! .  = | QQ ∩ ∩ QQ    .       m\ ▽ /m~= ○ .       ○ ~~~\\// .================================= .みなさん、次号で、またお会いしましょう! .=================================