Education in Front-Line and Essays by Hiroshi Hayashi (はやし浩司)

(Mr.) Hiroshi Hayashi, a professional writer who has written more than 30 his own books on Education, Chinese Medical science and Religion in Japan. My web-site is: http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/ Please don't hesitate to visit my web-site, which is always welcome!!

Thursday, July 31, 2008

*Divorce

●7月31日、木曜日(July 31st, 2008)

●金魚の糞(ふん)

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昨日は、いろいろあって、合計で10キロ
前後、歩いた。
今日も、いろいろあって、合計で、5キロ
前後、歩いた。
歩いていると、頭の中のモヤモヤが消えるから
不思議である。

ワイフは、「そんなことをしていると、倒れる
わよ」と言う。
私はそれに答えて、こう言う。
「一度、ぶっ倒れるまで歩いてみたい」と。
しかし夏の炎天下を歩くのは、危険である。
靴の底が焼けるように熱くなる。
汗も枯れて、意識がぼんやりとしてくる。

そんなわけで、私は徘徊する老人の気持ちが
よくわかる。
私の兄も、グループホームへ入る前、たびたび
自転車に乗って、あちこちを徘徊した。

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●徘徊

痴呆老人の中には、徘徊する人が多い。
M氏もそうだった。
当時、85歳くらいだった。
家の高い塀を乗り越えて、外へ出て行ってしまったりした。

M氏のばあい、その数年前、脳梗塞を起こしている。
そのため方向感覚がなくなり、自宅へ帰る道を忘れてしまったという。
徘徊が始まったのは、そのころだという。
M氏の妻が、「どこへ行きたいの?」と聞いたことがあるという。
M氏は、「群馬の実家に帰りたい」と答えたという。

いくら何でも、浜松市から群馬県のO市までは、歩いては行けない。
行けないが、認知症が始まると、そういう判断もできなくなるらしい。

で、徘徊だが、私も、痴呆老人になれば、まちがいなく徘徊をするようになるだろう。
(歩くことの快感)を知っている。
歩いていると、悲しみやさみしさを、忘れることができる。
身のまわりのわずらわしさから、解放される。
さらに歩いていると、たぶん、脳の中にモルヒネ系のホルモンが分泌されるのだろう。
甘い陶酔感を覚えることもある。

●K氏のケース

たまたま昨日、群馬県に住んでいる、K氏という人から、相談のメールが届いた。
年齢は、私と同じ、60歳だという。
私は最近、ときどき離婚問題について書く。
それについて、「同感です」と。

K氏も(?)、見た目には、仲のよい夫婦で通っているという。
56歳でリストラされ、それ以後は、近くの公的な娯楽施設で、窓口業務をしている。
勤務時間は楽で、午前10時ごろ出勤。
いつも午後5時前には、帰宅している。
(それまでは、セブン・イレブン・・・つまり午前7時出勤、午後11時帰宅。)
つまり妻と過ごす時間が、それまでの「2倍以上」(K氏談)になった。

が、そのころから妻との関係が、おかしくなり始めたという。

「ふだんは、やさしい女性だと思うのですが、何かあると、すかさず私を否定します。
私がすることは、何もかも、気に食わないみたいです。
私がタンスから赤いシャツを取り出すと、『それはダメ!』とか、
あるいは風呂に入ろうとすると、『まだ早いでしょ』とか。

そのときの目つきというか、表情は、私を完全に軽蔑しきっているのですね。
瞬間のことですが、それが私の脳裏にピタリと張りついてしまうのです。
息子の前で、『パパは、金魚の糞よ』と言われたことがあります。
妻が『金魚』で、私は、妻の『糞』というわけです」と。

で、現在、K氏は離婚の準備をしているが、それすらも、妻に見透かされてしまっているという。
「どうせ、あんたなんかに、離婚できないわよ」と。

「先日もそこまで言うなら、アパートを借りて、出て行くと言ってやったのですが、妻は、平然と、『借りらア・・・』と答えました」と。
(以上、M氏からのメールを要約。)

●たがいの欲求不満

妻は結婚と同時に、それまでのキャリアを失う。
それから生まれる欲求不満には、相当なものがある。
一方、夫は、結婚と同時に、家族の犠牲になる。
犠牲になっていると気づかないまま、犠牲になる。

が、子育てが終わり、ほっとしたところへ、突然、(老後)がやってくる。
そのとき、良好な夫婦関係、親子関係ができあがっていればよし。
が、そうでないとき、「犠牲」という言葉が、重く、自分にのしかかってくる。
「私は、今まで、何をしてきたのだろう?」と。

実は、この私とて、ワイフとの関係を支え、家族を維持するのに、精一杯。
たとえて言うなら、波打ち際に作った、砂上の楼閣のようなもの。
繰りかえしやってくる波で、楼閣が削られるたびに、懸命にそれを修復する。
手を抜いたとたん、楼閣は、根底から崩れさっていく。
あとはその繰りかえし。
その恐怖との闘い。
「家族」「家庭」と言いながら、心の休まる日は、ほとんどない。

だから私は、歩く?
歩きながら、わずらわしいことを忘れる?

恐らく徘徊する老人も、自分を追いかけてくる何かから逃れるため、歩きつづける?
その証拠に、徘徊する老人は、そのあたりをぐるぐる回るというよりは、前へ前へと、歩きつづける。

幼児にも似たような現象が見られることがある。
同じ「家出」でも、目的が感じられる家出は、それほど心配しなくてもよい。
しかし一方向に、どんどんと歩いていく家出は、警戒したほうがよい。
かばんの中に、ありとあらゆるものを、手当たり次第、詰めて、家出する。
(これに対して、目的のある家出は、その目的に合わせたものをかばんに詰めて、家出する。)
こうした家出を繰りかえす子どもは、家庭のあり方を猛省する。

私はワイフに、どこか冗談ぽく、「ぶっ倒れるまで歩いてみたい」と言うが、それは本心かもしれない。
「死んでもかまわない」という思いが、そこにある。
徘徊する老人がそこまで考えているかどうかはわからない。
しかし動物の中には、どんどんと歩きつづけて、最後には海の中へ集団で入っていくのもいる。
人間にも、そういう原始的な習性があるのかもしれない。
認知症になると、管理能力が極端に低下する。
それで原始的な習性が、表に出てくる(?)。

つまりそこまで理解できるようになったということは、私も、その(仲間)に入りつつあるということか。

なお離婚について言えば、何も民法に書き並べてある離婚事由だけが、離婚理由ではない。
K氏のようなケースもある。
ただK氏のことはメール以上のことについては、わからないが、私の印象では、K氏は、離婚しないと思う。

(離婚したい)という思いと、(実際に離婚する)ということの間には、大きな距離がある。
ものすごいエネルギーが必要である。
そのエネルギーがまだ足りない。
K氏が言っている程度では、離婚できない。
だから離婚しない。

K氏へ、

また何かあれば、メールをください。
書くことで、自分の胸のうちがスッキリすることもあります。
私はいつもそうしています。

●付記

家庭内別居をするようになったら、あぶない?
心が通い合わなくなる。
とたん夫婦関係は冷却化する。
顔を合わせても、あいさつだけ。

口論もなければ、喧嘩もない。
一見、平和な家庭になる。

しかし人はこういう状態に、それほど長くは耐えられない。
そのうち相手の息をかぐだけでも、不愉快になる。
そばにいると思うだけで、うさん臭くなる。

本来なら、そうなる前に、たがいに修復すればよい。
しかしそこに至るまで、たがいに、つっぱってしまう。
意地を張る。
がんこになる。
「私はあやまらない」
「ぼくは悪くない」と。

で、一気に、家庭内別居となる。

が、この段階で、「それでもいい」と、同居をつづける夫婦も少なくない。
たがいに、それを割り切る。
中には、「子どもが大学を卒業するまで」とか何とか、何かの目標を
作って、がんばっている人もいる。
しかし人間関係は、目標どおりには、いかない。
何かのきっかけで、夫婦関係は、そのまま崩壊する。

……あとは、お決まりのコースをたどって、離婚。

夫婦といっても、所詮、他人と他人。
その(他人)を感じたら、夫婦も、おしまい。

Wednesday, July 30, 2008

*Independence and Self-Control

【自立と自律】(分科会、レジュメ)

●自立と依存

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自立と依存は、相克(そうこく)関係にある。
「相克」というのは、「相対立した」という意味。
自立性の強い子どもは、依存性が弱い。
自立性の弱い子どもは、依存性が強い。

一方依存性には、相互作用がある。
たとえば子どもの依存性と、親の依存性の間には、
相互作用がある。

一方的に子どもが依存性をもつようになるわけではない。
子どもの依存性に甘い環境が、子どもの依存性を強くする。
わかりやすく言えば、子どもの依存性は、親で決まるということ。

たとえばよく「うちの子は、甘えん坊で……」とこぼす親がいる。
が、実は、そういうふうに甘えさせているのは、親自身ということになる。
たいていのばあい、親自身も、依存性が強い。

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たとえばM氏夫婦を見てみよう。
M氏が、ある日、こんな話をしてくれた。

「私の妻は、病気になったりすると、自分でさっさと病院へ行き、診察を受けたりしています。
私に病気のことを、相談することは、めったにありません。
しかし私は、病院が好きではありません。
かなり症状が悪くならないと、病院へは行きません。
だから病気へ行くときは、妻にせかされて行きます。
そんなわけで、たいていいつも妻がついてきてくれます」と。

ひとりで病院へ行く、M氏の妻。
たいへん自立心の強い女性ということになる。
一方、ひとりでは病院へ行けない夫。
たいへん自立心が弱い男性ということになる。

M氏は、こうも言った。
「妻は、6人兄弟の真ん中くらいでした。
子どものころから、何でも自分でしていたのですね。
が、私はひとり息子。
祖父母、両親に溺愛されて育ちました」と。

が、ここで誤解してはいけないのは、だからといって、M氏が依存性の強い男性と考えてはいけない。
(えてして、「自立心が弱い」というと、どこかナヨナヨして、ハキのない人を想像しがちだが……。)
M氏は、現在、小さいながらも、コンピュータを使ったデザイン事務所を経営している。

これは夫婦のばあいだが、親子となると、少し事情が変わってくる。

親子のばあい、依存性というのは相互的なもので、親の依存性が強いと、子どももまた依存性が強くなる。
たとえば「うちの子は、甘えん坊で困ります」とこぼす母親がいる。
しかしそういうふうに甘えん坊にしているのは、実は、母親自身ということになる。
母親自身も、依存性が強く、その分だけ、どうしても子どもの依存性に甘くなる。

「うちの子は、甘えん坊で困ります」と一方でこぼしながら、実は、子どもが「ママ、ママ」と自分に甘えてくるのを、その母親は喜んでいる。

あるいは(家庭の基準)そのものが、ちがうときがある。

ある家庭では、子ども(幼稚園児)に、生活のほとんどを任せている。
そればかりか、父親がサラリーマン、母親が商店を経営しているため、スーパーでの買い物など、雑務のほとんどは、その子どもの仕事ということになっている。
が、母親はいつも、こうこぼしている。
「うちの子は、何もしてくれないのですよ」と。

一方、ベタベタの親子関係を作りながら、それが「ふつう」と思っている親もいる。
T君は、現在小学6年生だが、母親といっしょに床で寝ている。
一度父親のほうから、「(そういう関係は)おかしいから、先生のほうから何とか言ってください」という相談を受けたことがある。
が、母親は、そういう関係を、(理想的な親子関係)と思っている。

だから子どもの自立を考えるときは、その基準がどこにあるかを、まず知らなければならない。
さらに言えば、こと依存性の強い子どものばあい、子どもだけを問題にしても、意味はない。
ほとんどのばあい、親自身も、依存性が強い。

そんなわけで、子どもの自立を考えたら、まず、親自身がその手本を見せるという意味で、親自身が自立する。
その結果として、子どもは、自立心の旺盛な子どもになる。

さらに言えば、この自立と依存性の問題には、民族性がからんでくることがある。
一般的には、日本人のように農耕文化圏の民族は相互依存性が強く、欧米人のように牧畜文化圏の民族は、自立心が旺盛と考えてよい。

ただ誤解していけないのは、自立心は旺盛であればあるほどよいかというと、そうでもないようだ。

オーストラリアの友人(M大教授)が、こんな話をしてくれた。

「オーストラリアの学校では、子どもの自立を第一に考えて教育する。
それはそれでよいのかもしれないが、それがオーストラリアでは、大企業が育たない理由のひとつになっている」と。

●自立と自律

自立は常に、依存性と対比して考えられるのに対して、自律は、あくまでもその人個人の、セルフ・コントロールの問題ということになる。

さらに自律心は、人格の完成度(ピーター・サロベイ、「EQ論」)を知るための、ひとつの大切なバロメーターにもなっている。

自律心の強い子どもは、それだけ人格の完成度が高いということになる。
そうでない子どもは、それだけ人格の完成度が低いということになる。
ものの考え方が、享楽的で、刹那的。
誘惑にも弱い。

その自律をコントロールするのが、脳の中でも、前頭前野ということが、最近の研究でわかってきた。
自分の思考や行動を律するための、高度な知的判断は、この前頭前野でなされる。
(反対に、この部分が、何らかの損傷を受けたりすると、人は自分を律することができなくなると言われている。)

さらに言えば、この自律心は、0歳から始まる乳児期に決定されると考えてよい。
私はこのことを、2匹の犬を飼ってみて、知った。

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6年前に、それについて書いた原稿が
ありますので、紹介します。

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●教育を通して自分を知る

 教育のおもしろさ。それは子どもを通して、自分自身を知るところにある。たとえば、私の家には二匹の犬がいる。一匹は捨て犬で、保健所で処分される寸前のものをもらってきた。これをA犬とする。もう一匹は愛犬家のもとで、ていねいに育てられた。生後二か月くらいしてからもらってきた。これをB犬とする。

 まずA犬。静かでおとなしい。いつも人の顔色ばかりうかがっている。私の家に来て、一二年にもなろうというのに、いまだに私たちの見ているところでは、餌を食べない。愛想はいいが、決して心を許さない。その上、ずる賢く、庭の門をあけておこうものなら、すぐ遊びに行ってしまう。そして腹が減るまで、戻ってこない。もちろん番犬にはならない。見知らぬ人が庭の中に入ってきても、シッポを振ってそれを喜ぶ。

 一方B犬は、態度が大きい。寝そべっているところに近づいても、知らぬフリをして、そのまま寝そべっている。庭で放し飼いにしているのだが、一日中、悪さばかりしている。おかげで植木鉢は全滅。小さな木はことごとく、根こそぎ抜かれてしまった。しかしその割には、人間には忠実で、門をあけておいても、外へは出ていかない。見知らぬ人が入ってこようものなら、けたたましく吠える。

●人間も犬も同じ

 ……と書いて、実は人間も犬と同じと言ったらよいのか、あるいは犬も人間と同じと言ったらよいのか、どちらにせよ同じようなことが、人間の子どもにも言える。いろいろ誤解を生ずるので、ここでは詳しく書けないが、性格というのは、一度できあがると、それ以後、なかなか変わらないということ。A犬は、人間にたとえるなら、育児拒否、無視、親の冷淡を経験した犬。心に大きなキズを負っている。

一方B犬は、愛情豊かな家庭で、ふつうに育った犬。一見、愛想は悪いが、人間に心を許すことを知っている。だから人間に甘えるときは、心底うれしそうな様子でそうする。つまり人間を信頼している。幸福か不幸かということになれば、A犬は不幸な犬だし、B犬は幸福な犬だ。人間の子どもにも同じようなことが言える。

●施設で育てられた子ども

 たとえば施設児と呼ばれる子どもがいる。生後まもなくから施設などに預けられた子どもをいう。このタイプの子どもは愛情不足が原因で、独特の症状を示すことが知られている。感情の動きが平坦になる、心が冷たい、知育の発達が遅れがちになる、貧乏ゆすりなどのクセがつきやすい(長畑正道氏)など。

が、何といっても最大の特徴は、愛想がよくなるということ。相手にへつらう、相手に合わせて自分の心を偽る、相手の顔色をうかがって行動する、など。一見、表情は明るく快活だが、そのくせ相手に心を許さない。許さない分だけ、心はさみしい。あるいは「いい人」という仮面をかぶり、無理をする。そのため精神的に疲れやすい。

●施設児的な私

実はこの私も、結構、人に愛想がよい。「あなたは商人の子どもだから」とよく言われるが、どうもそれだけではなさそうだ。相手の心に取り入るのがうまい。相手が喜ぶように、自分をごまかす。茶化す。そのくせ誰かに裏切られそうになると、先に自分のほうから離れてしまう。

つまり私は、かなり不幸な幼児期を過ごしている。当時は戦後の混乱期で、皆、そうだったと言えばそうだった。親は親で、食べていくだけで精一杯。教育の「キ」の字もない時代だった。……と書いて、ここに教育のおもしろさがある。他人の子どもを分析していくと、自分の姿が見えてくる。「私」という人間が、いつどうして今のような私になったか、それがわかってくる。私が私であって、私でない部分だ。私は施設児の問題を考えているとき、それはそのまま私自身の問題であることに気づいた。

●まず自分に気づく

 読者の皆さんの中には、不幸にして不幸な家庭に育った人も多いはずだ。家庭崩壊、家庭不和、育児拒否、親の暴力に虐待、冷淡に無視、放任、親との離別など。しかしそれが問題ではない。問題はそういう不幸な家庭で育ちながら、自分自身の心のキズに気づかないことだ。たいていの人はそれに気づかないまま、自分の中の自分でない部分に振り回されてしまう。そして同じ失敗を繰り返す。それだけではない。同じキズを今度はあなたから、あなたの子どもへと伝えてしまう。心のキズというのはそういうもので、世代から世代へと伝播しやすい。

が、しかしこの問題だけは、それに気づくだけでも、大半は解決する。私のばあいも、ゆがんだ自分自身を、別の目で客観的に見ることによって、自分をコントロールすることができるようになった。「ああ、これは本当の自分ではないぞ」「私は今、無理をしているぞ」「仮面をかぶっているぞ」「もっと相手に心を許そう」と。そのつどいろいろ考える。つまり子どもを指導しながら、結局は自分を指導する。そこに教育の本当のおもしろさがある。あなたも一度自分の心の中を旅してみるとよい。
(02-11-7)

● いつも同じパターンで、同じような失敗を繰り返すというのであれば、勇気を出して、自分の過去をのぞいてみよう。何かがあるはずである。問題はそういう過去があるということではなく、そういう過去があることに気づかないまま、それに引き回されることである。またこの問題は、それに気づくだけでも、問題のほとんどは解決したとみる。あとは時間の問題。

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心理学の世界には、「基本的信頼関係」という言葉がある。
この「基本的信頼関係」の中には、「基本的自律心」という意味も含まれる。

心豊かで、愛情をたっぷりと受けて育てられた子どもは、それだけ自律心が、強いということになる。

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 Hiroshi Hayashi education essayist writer Japanese essayist 自立 自律 子どもの自立
子供の自律)

*Short Essays

【7月30日・雑感集】(今日から9月号)
(Short Essay on July 39th)

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このところ曜日をよくまちがえる。
ボケのせい?
それとも暑さのせい?

体をだるく感ずる分だけ、集中力が
つづかない。
しかし今日も、はじまった!

がんばろう!
がんばるしかない!

+++++++++++++++++

●賢い子ども

A君(小6)とB君(小6)が、夏休みの宿題をもって、私の教室へ来た。
算数の宿題で、全体で、30ページほどのもの。
2ページごとに、(1)(2)(3)……と、(15)まで、番号がつけられていた。

A君は、すでに(8)まで家ですましてきた。
だからA君は、(9)からスタート。
B君は、まったくやっていなかった。
だからB君は、(1)からスタート。

が、最初からB君は、やる気満々といった感じだった。
「1時間で、すませてやる!」と、宣言した。

私「わかった、じゃあ、1時間ですませてみろ。
君が1時間ですませたら、みんなに、来週は、アイスクリームをご馳走しよう」
B「ようし、やってやる!」
私(A君に向かって……)「だけどB君、君も、1時間ですませてしまいなよ。途中でB君に追い抜かれたら、君のアイスクリームは、なしだよ」
A「ゲーッ!」と。

ということで、A君とB君は、猛烈な勢いで、宿題に取り組み始めた。
が、算数の力では、A君はB君にかなわない。
B君は、学校でもトップクラスを走っている。

やがて差が縮まってきた。

A君……(11)、(12)……
B君……(10)(11)……と。

あと少しでB君がA君を追い抜くかなと思ったそのとき、B君が、機転をきかした。
(12)になる一歩手前で、いきなり、B君は、(15)の最後からやり始めた。
その宿題の最後のページである。

そして(15)(14)……と、進み始めた。

ほかの子どもたちも、自分たちのアイスクリームがかかっているから、ハラハラしながら、B君を見つめている。
が、やがて、(13)あたりで、A君とB君が、交差した。

ナルホド!

こうすれば、B君は、A君を追い抜いたことにはならない。
しかもA君は、宣言どおり、宿題をすべてすますことができる。

あと1、2分でレッスンがおしまいというところで、B君が叫んだ。
「終わったア!」と。
ほかの子どもたちも、「やったア!」と。
A君だけは、どこか心配そうに、「ぼくも、アイス、もらえる?」と。

私「もらえるよ。だって、B君は、君を追い抜いてはいないからね」
A「そうだね」
私「B君はね、うしろからやって、君と出会ったことになる。
追い抜いたのじゃ、ない。
出会ったんだ」と。

改めて私はB君の賢さに、驚いた。


●『マンデラの名もなき看守』

昨夜、仕事からの帰りに、深夜劇場に足を運んだ。
見たのは、『マンデラの名もなき看守』。
あのネルソン・マンデラの獄中生活を描いた作品である。
(ネルソン・マンデラ……南アフリカ初の、全体選挙で選ばれた黒人大統領。)

星は、3つの、★★★。

どこかN・マンデラに遠慮したような映画だった。
娯楽映画というよりは、どこかプロパガンダ的?
そのため星は、3つ。

私はあの映画を見ながら、昔、M物産という会社にいたときのことを思い出していた。
私は、南アフリカとオーストラリアが担当地域だった。

その南アフリカから出張で帰ってきた上司が、私にこう言った。
「日本人は、(オナラブル・白人)と呼ばれていてね、日本人だけは、白人と同等の扱いだった」と。
「オナラブル」というのは、「名誉(=例外)」という意味である。
しかしバスに乗っても、レストランへ入っても、落ち着かなかったという。
そこでその上司は、JALからもらったカバンを、いつも胸の前にぶらさげて歩いていたという。

(当時は、JALに乗ると、赤い日の丸が描かれた、バッグがもらえた。)

アパルトヘイト(人種差別政策)の不快感は、それを経験したものでないとわからない。今でこそ、若い人たちは、我が物顔で、世界中をかっ歩しているが、私たちの時代は、そうではなかった。
白人の国へ行くと、どこでも、その(偏見=プレジュディス)を感じた。
相手の国の人から見れば、日本人もアジア人も、同じ。
区別のしようがない。

N・マンデラのすごいところは、そのつど、おいしい妥協策を示されたにもかかわらず、いっさい、それに応じなかったところ。
最後の最後まで、妥協しなかった。
そして最後は、南アフリカの大統領にまでなった!


●ボケのはじまり

++++++++++++++

ボケのはじまりには、視野が狭くなる(?)。
いろいろな人を見ていると、そんな感じがする。
そのことにハマると、それしか見えなくなる。
融通性が消える。
思考の柔軟性が消える。
そのため、初期のころには、家族との衝突が
ひんぱんに起こるようになる?

++++++++++++++

私も、私のワイフも、どこか、あぶない?
ともにこのところ、融通性を失ってきたように感ずる。
がんこになった。
機転がきかなくなった。
臨機応変にものごとに対処することができなくなった。

つまり脳みそ全体が、硬くなってきたように感ずる。
(こういうばあいは、「固く」と書くのか?)

一般的に言えば、家庭に閉じ込められた主婦というのは、欲求不満のかたまりとみてよい。
ほとんどの女性は、結婚することによって、それまでのキャリアを放棄する。
「したいこともせず」「やりたいこともできず」という状態で、やがて子育てという重労働を課せられる。

最近の若い妻たちは、自分なりに生活を楽しむことができるようになった。
しかし私たちの時代には、そうではなかった。
問答無用式にというか、否応なしに、家庭に閉じ込められた。
家庭といっても、実際には、狭いアパート。

つまり私たちの年代の女性たちは、多かれ少なかれ、不完全燃焼症候群のかたまりとみてよい。
子育てが終わった女性なら。なおさらである。

で、私のワイフもそうで、何かあると、その(憎しみ)を真正面から、私にぶつけてくる。
私が何をしても、また何を言っても、それに対して拒絶反応を示すことがある。
ときどき、「この人は、本当に私を憎んでいるのだなあ」と思うときがある。

が、それに最近、加齢的な問題が加わってきたように思う(?)。
それが冒頭に書いた、ボケの問題である。
視野が狭くなってきた(?)。

ささいな、どうでもよいような問題についても、ときどき、私にからんでくるときがある。
が、本人には、その自覚がない。
私が何かのことでワイフに注意すると、ワイフは、すかさず。「あなただって……!」とやり返してくる。
ほかに、たとえば昨夜も、私が戸棚からパンを取り出して、それを食べようとしたときのこと。
横からワイフが、すかさず、「それはH(=息子)のよ!」と言った。
言い方にもいろいろあるのだろうが、ワイフのそれは、いつもストレート!
ほかにもパンはあったので、私はそちらを食べたが、ワイフはワイフで、そのパンを、息子のものと決めていたようである。

こうした頭の硬さは、私の世代の人間には、だれにでも見られるものなのか。
それともボケの始まりなのか。
私にはよくわからないが、ここしばらくは、要観察といったところか?

ときどきやりにくく感ずることがある。
ホント!


●日韓関係

日韓関係が、予想以上に今、悪化している。
日本側はともかくも、韓国側の反日感情のもりあがりには、ものすごいものがある。
原因は竹島問題だが、ここにきてアメリカ側が、「竹島は無人の島(だからどの国のものでもない)」と言い出したから、さあ、たいへん。
アメリカに攻撃の矛先を向けるかと思っていたら、「日本がそういうふうにアメリカに言わせるよう、工作をした」と。

韓国という国は、(そして北朝鮮も)、不完全燃焼症候群、被害妄想、それに欲求不満のかたまりとみてよい。

「自分たちの手で独立を成し遂げることができなかった」というのが、不完全燃焼症候群につながっている。
「日本ごときの国に、植民地にされた」というのが、被害妄想につながっている。
そして「何をしても、日本に負ける」というのが、欲求不満につながっている。

日本は日本で反省すべき点は多い。
しかしそれはそれ。
それにも、限度というものがある。
つまりだからといって、韓国が(北朝鮮が)、日本に対して、何をしても許されると考えるのは、正しくない。

今回の反日感情の盛り上がりにしても、そうだ。
自分たちは、さんざん、やりたい放題のことをしておきながら、日本が、教科書に、「竹島は日本の領土である」と書いただけで、大騒ぎ!
あろうことか、今度は、「対馬は韓国の領土である」とまで、言い出した。

(「対馬」を、「ツ・シマ」と読むのは、日本語なのか、それとも韓国語なのか?)

ともあれ、こうした動きをしっかりと日本は、胸に留めておくべき。
とくに、日本のS社よ、よく覚えておくべき。
つぎつぎと日本の先端技術を韓国に売り飛ばし、最後は、日本の企業連合の反対を押し切って、有機液晶技術まで、売り飛ばしてしまった。

この日本には、韓国の産業スパイたちが、全国津々浦々、村レベルにまで入り込んでいることを忘れてはいけない。

が、同時に、韓国経済は、火の車。
つい先週も、多額債務者のために、日本でいう「徳政令」のような政策を発表した(08年7月)。
一世帯あたり、平均、約600万円(日本円)を上回る負債をかかえている。
そういう人たちが、年率約50%(法定)の利息を払っている。
(闇金融では、100~200%と言われている。)

仮に50%としても、利息だけで。毎年、300万円!
そのこともあって、毎年、1万数千社の個人企業が姿を消している。
つまり現在の韓国にとって、反日運動は、損になることはあっても、得になることは何もない。

いざというとき、泣きつくことができるのは、この日本だけ。
日本をおいて、ほかにない。
ないが、日本よ、日本人よ、今度は、バカなことをしてはいけない。

97年に韓国がデフォルト(債務不履行)したとき、頼まれもしないうちから、日本は、韓国に援助の手を差しのべた。
アメリカの反対を押し切ってまで、だ。
その額、400~500億ドルとも言われている。
が、韓国は、それに対して、感謝の「か」の字もしていない。

彼らの論理によれば、「韓国をデフォルトに追い込んだのは、日本」ということになる。
(こういうのを被害妄想というが……。)

最近にいたっては、「日本には全額、借金は返した」と、ふんぞり返っている。

本来なら、日本の銀行各社が、韓国の銀行の支配権(経営権)を握ってもおかしくはなかったのだが、韓国政府は、それを嫌った。
そのため韓国の銀行のほとんどは、現在、アメリカの銀行の支配下にある。

というわけで、日韓経済戦争は、水面下で、今の今も、熾烈な戦いを繰り広げている。
勝つか、負けるか。

韓国政府は昨年(07年)、アジアでも最大級の揚陸艦を建造した。
その名もズバリ、「独島」。
ワーワー騒いで、ものごとをなし崩し的に既成事実化していく。
自分たちは、そうとは思っていないだろうが、外から見ていると、韓国も北朝鮮も、精神構造は同じ。

どうしてあの2つの国は、こうまで(思い込み)がはげしいのだろう?
……ということで、今日の日韓経済戦争の話は、おしまい。

がんばれ、日本!
負けるな、日本!

(付記)そんな中、韓国軍は、7月末、大規模な軍事演習にうって出た。
聯合ニュースは、つぎのように伝える。

「訓練には海軍の3000トン級駆逐艦など艦艇6隻、海上哨戒機、対潜ヘリと空軍のF15K戦闘機2機、海洋警察の警備艇2隻が参加。日本海側から竹島に接近する国籍不明船をキャッチし、海空両面作戦で追い返すというシナリオで実施された」と。


●究極の採決

仮に、あなたが宇宙人だったとする。
月の内部に住んでいる、宇宙人だったとする。
高度な理性と知性を、兼ね備えた宇宙人だったとする。

過去、20万年近く、あなたの祖先たちは、その月の内部で、静かに生活してきた。
今もあなたは、その月の内部で静かに暮らしている。

もちろん娯楽がないわけではない。
最大の娯楽は、地球人の目を通して、地球人の生活を楽しむこと。
地球人になりきって、地球人とともに、地球人の生活を楽しむこと。
もちろんその気になれば、火星や金星など、ほかの惑星への観光旅行もできる。
少したいへんだが、太陽系の外に飛び出すこともできる。

が、このところその地球の様子が、おかしくなってきた。
「地球温暖化」という問題である。
このまま放っておけば、地球も、やがて火星のようになってしまうかもしれない。
となると、ひとつ深刻な問題が生まれてくる。

あなたは食糧の多くを、その地球に頼っている。
地球の海から採取するコンブ系の食物は、あなたの主要食物のひとつになっている。
ほかにも代替食物がないわけではないが、月を現在の月の位置に(置いた)のも、もとはといえば、その食糧確保が目的だった。

そこであなたは会議に召集された。
で、今日の議題は、「地球人たちを、存続させるべきか、否か」である。
その席で、その採決が行われる。

もちろんその中間的な方法もないわけではない。
一部の地球人を、選択的に存続させる。
地球人を再改良する。
が、全体として、「どうするか?」と。

もしあなたがその宇宙人なら、どういう採決をくだすであろうか。

「地球のことは、地球人に任せて、最後の最後まで、静かに見守る」か、
それとも「地球を地球人の手から奪うため、地球人たちを抹殺する」か。

もしあなたがその宇宙人なら、どういう採決をくだすであろうか。

……というのは、あくまでもSF(サイエンス・フィクション)の世界の話。
ハリー・ポッターの世界の話と同じ。
しかしこの問題は、人間世界のすばらしさ、愚かさを同時に考えるには、すばらしいテーマである。

「私たち人間は、どうすれば存続するに値する生き物になれるか」
「私たち人間が、原罪的にもっている愚かさとは何か」と。

もし今夜も、月を空に見ることができたら、私もその月を見ながら、この問題を考えてみたい。
地球人の運命は、清き、あなたの一票にかかっている!

*Short Essays

●身辺整理

どこかの旧家のように、代々、子孫がその家を引き継ぐということであれば、私が今、考えているような問題は、起きない。
(だからといって、それがうらやましいわけではないが……。誤解のないように!)

しかし私の家のばあい、私の代で、すべてが終わる。
息子たちは息子たちで、勝手に生きていけばよい。
私は私で、それまで勝手に生きる。

となると、現在住んでいる家や、財産は、どうなるのか?
どうしたらよいのか?
(処理の仕方をまちがえると、息子たちの関係がバラバラになってしまうし……。)

先日、私の知人が他界した。
彼は巨億の遺産とともに、6畳間いっぱいの書籍を残した。
自費出版だが、その知人が書き残した本も、10冊近く、ある。
原稿となると、その数十倍以上は、ある。

土地や建物、証券や現金などの遺産はともかくも、私は、「あの本や原稿はどうなったのだろう?」とときどき、考える。
(とくに諸橋先生が書いた、大辞典はどうなったのだろう?)
それにその知人は、晩年になってからは、世界中を旅していた。
あちこちで買い集めたみやげものが、棚に、無数に並んでいた。
(その知人は、細工のこまかい、小物を買い集めるのが趣味のようだった。)
「あのみやげ類も、どうなったのだろう?」と。

先日、盆供養に行ってきたが、奥さんとは、そんな話はしなかった。
しなかったが、気になった。

というのも、この問題は、「では、私はどうすればいいか」という問題と重なる。
数ではその知人には及ばないが、私にも、無数の書籍がある。
過去の思い出とつながる品々も多い。
土地も家も、自分名義のものがある。
書いた原稿は、この10年間だけでも、2万枚を楽に超える。
「そういうものは、どうなるのだろう?」と。

……というわけでもないが、このところ、どこへ行っても、みやげと言えば、食べ物ばかり。
知人の趣味をよく知っていたので、何かの小物を買うということは、まず、ない。
「ああいうものは、買っても、結局は無駄になるだけ」と。
問題は、原稿である。

私は、「私の墓は、原稿」と思っている。
野原の石に、私の魂は、ない。
またそんなところに、私の魂を置いても、意味はない。
少し前まで、「私の墓は、私の本」と思っていたが、そのあとインターネットという、とんでもない怪物が現れた。
「やがて第二の産業革命と呼ばれるようになるだろう」と言われているが、私は100%、その意見に同意する。

書いたものは、インターネット上に、どんどんと公開していく。
読んでくれる人がいても、いなくても、私には関係ない。
読んでくれる人がいればうれしいが、読んでくれなくても、かまわない。
で、「私の魂とは何か」と聞かれれば、それは(私の思い)ということになる。
骨や灰などに、自分の思いをこめることはできない。

……ということで、このところ自分の身辺整理を考えることが、多くなった。
「まだ先のことではないか」と思う人もいるかもしれないが、身辺整理といっても、まだ10年や20年はかかるかもしれない。
そのうち頭のほうが、ボケてしまうかもしれない。
そうなれば、そこで身辺整理は、おしまい。
だから時間との勝負。

手始めに、子どもたち(生徒たち)に、自分が集めた小物類を、渡している。
(先日、タイで買ってきた、純金の仏像を渡しそうになったこともあるが、これは直前でやめた。これは余談!)

あとは、息子たちや孫たちに、いろいろな機会を通して、そのつど渡そうと考えているが、それはもう少し先になりそう。

そうそう、そのうち、「ネット墓地」というサービスも始まるかもしれない。
生前に、その人の記録や業績、作品などを、すべて「墓地」として収録しておく。
遺族たちは、そのつどその墓地を訪れて、故人を偲ぶ。

しかしこういうサービスは、半永久的なものが望ましいという点で、公的な機関が管理するのがよい。
どこかの寺や教会がしてもよい。
もしそういうサービスが始まれば、私はまっさきに加入うるだろう。

これも余談。

(補記)
もうひとつ真剣に考えていることが、ある。
いつか自分が死ぬとき、(死ぬ前でもよいが)、私は自分の生涯のすべてを、たとえば、USBメモリーのようなものに残し、それをほしい人に、渡したい。
今は、USBメモリーにしても、2GBのもので、2000~3000円はするが、そのうち、10GBのもので、500円以下になるかもしれない。

10年後には、100GB~1TBのものもできるようになるかもしれない。
そうなれば、原稿はもちろん、過去の写真すべてを収録することができる。
が、大きさは、神社でもらうお守り程度。
あるいはもっと小さくなるだろう。
「何かあったら、このUSBメモリーを開いて見てください」と。
つまりそれが私の遺品ということになる。
位牌でもよい。

想像するだけでも、楽しい!


●HP 2133

ヒューレッド・パッカード社の、ミニ・パソコンを買って、ちょうど1か月になる。
今のところ、まだ気に入っている。
が、使い勝手はあまりよくない。
英語式キーボードのため、日本語ワードが、たいへん使いにくい。
記号の位置と、キーの表示が一致しない。
「enter」キーが小さく、やや下方にあるため、打ち(打鍵)ミスが多い。
さらにキーがすべすべしていて、しかもピッチが浅く、ソフト。
バンバンとキーを叩くことに慣れている私には、まるでかゆいところを、羽か何かにさわられているような感じ。
つまり、「歯がゆい」。

もう少し、クリック感を強くしてくれないと、キーとキーがくっついている分だけ、叩きミスが多い。

そこで家の中で使うときは、USB接続の外付けキーボードを接続して、使用している。
これは日本語式キーボードだから、通常のデスクトップと同じようにして使える。

が、何と言っても、画面が小さい。
8・5インチしかない。
そこでこのHP2133専用の老眼鏡を用意し、それを使っている。

まあ、近く、このミニ・パソコンは、息子に払い下げるつもり。
そこで今、新しく狙っているのは、MSI社のU100。
白モデルが、M社から8月に発売になる。
ただ残念なのは、バッテリーのもちが、2時間弱程度とか。
実際には、カタログ値の70%ということだから、1時間40分程度しかもたない。

バッテリーを使っている人ならみな知っていると思うが、バッテリーが、残りの10%とか、20分以下になってくると、落ち着いて作業ができなくなる。
実際、 HP2133のばあい、10%以下になると、警告文が出て、そのまま自動終了してしまう。

そんなわけで、U100については、買うとしても、予備のバッテリーを同時に購入するしかない。
(その点、HP2133には、2本のバッテリーが付属していた。
合計で、7時間あまり、連続使用ができる。)

さあ、どうしようか?
目下、あれこれと迷っている。


●バッテリー

そのバッテリーだが、このところどんなカタログにも、「バッテリーは消耗品です」と書いてある。
つまり使えば使うほど、性能が落ちてくるということ。
そこで雑誌などを読むと、こうある。

「バッテリーを長くもたせるには、(1)満タン(=100%充電)にしないこと。(2)長期に渡って使わないときは、10~20%前後の充電にして保存すること。(3)自然放電を防ぐため、サランラップなどでしっかりと密封しておくとよい、(4)使う直前になって、90%前後まで充電するとよい」(某パソコン雑誌)と。

しかし10年前には、私は、それを知らなかった。
ノートパソコンにしても、バッテリーを装着したまま、いつも使っていた。
そのため、数か月もしないうちに、バッテリーとしての機能を果たさなくなってしまった。
無知だった。
で、新しいバッテリーを繰り返し購入したが、値段も、結構高かった。
1個2万円前後はしたかな?

そんなわけで、今は、しっかりとバッテリーを本体からはずして、使っている。
余計なことかもしれないが、ノート型パソコンを使っている人は、この原則を、しっかりと守ったほうがよい。


●帰宅拒否

私は子どものころ、帰宅拒否児だった。
それに気づいたのは、自分が35歳も過ぎたころのことだったが、ともかくも、そうだった。

が、今でもその亡霊が、私の中に残っている。
何か仕事でいやなことがあると、「逃げ出したい」というよりは、「家に帰りたくない」という思いが、顔を出す。
家がいやというのではなく、仕事で何かいやなことがあったりすると、そうなる。

で、そういうときは、街道沿いのパソコンショップや、書店で、1~3時間、過ごして帰る。
義兄たちの家に、寄ることもある。
しかし実際には、そういうときというのは、あまり人にも会いたくない。

で、ワイフが心配するといけないから、一応電話をすることにしている。
ひどいときには、そのままどこかのホテルにでも泊まりたい気分。
が、ひとりで泊まるのも、さみしい。
で、「こういうとき、愛人でもいたらなあ」と思うときがある。
そばにいて、話し相手になってくれるだけでよい。
(そういう点では、私も、かなりマザコン的?
情緒が不安定になると、そうなりやすい?)
が、残念ながら、そういう便利な人はいない。

だからパソコンショップに寄ったり、書店に寄ったりする、となる。

で、数日前も、こんな男性の手記を、何かの本で読んだ。
その男性は、リストラか何かで、職を失ったのだが、そのことを家族には話さず、(=話せず)、毎日、それまでどおり、会社に出勤するフリを繰り返していたという。
その間、公園で時間をつぶしたり、映画を見たりしていたという。


私には、その男性の気持ちがよくわかる。
たいへんよくわかる。
私も仕事をしていて、いやな気分になることは多い。
この仕事は、「教育」とはいうものの、その底流では、おとなたちのどす黒い欲望が渦を巻いている。
そういう渦に、ときとして、こちらが望まなくても、巻き込まれてしまう。

そういうとき、家に帰りたくなくなる。
考えてみれば、これはおもしろい心理ではないか。
どうしてだろう?

単純に考えれば、仕事で不愉快なことがあれば、家に戻って、家族とともに、その疲れを癒せばよいということになる。
が、実際には、それができない。

私自身に自閉傾向があるせいか?
悩みや苦しみがあると、それを内へ内へとためこんでしまう。
つまりその分だけ、自分の心を開放することができない?
だからそれが帰宅拒否へと、つながっていく(?)。

もちろん帰宅拒否をしたからといって、問題が解決するわけではない。
ときには、かえって落ち込んでしまうこともある。
最終的には、ワイフに、「あのなア……」と、話すことで、気分が楽になる。
が、そこまで自分をもっていくのが、たいへん。
何かしら負けを認めるようで、つらい。
自分の無能、無価値ぶりを、さらけ出すようなもの。
おそらく、会社へ行くフリをして家を出る男性も、同じような心理状態ではないか。
私ももし、同じような状況に立たされたら、同じようなことをするだろうと思う。

ワイフといっても、こと今の私がしている仕事については、まったくの部外者。
教育の経験も、ほとんどない。
「あなたの気持ち、よくわかる」とは言ってくれるが、本当のところ、何もわかっていない。
だから一方的に私がグチを言い、ワイフが聞き役に回るということになる。

……実は、昨日も、そういう状態になった。
いやな気分だったから、深夜劇場に足を運んだ。

*About Loneliness

●孤独(Loneliness)&孤独論(About Loneliness)

+++++++++++++++++

孤独の恐ろしさは、それを経験した者でないと
わからない。
仏教の世界では、「無間地獄」ともいう。
つまり、地獄のひとつ。
地獄そのもの。
私もそう思う。

The terror of Loneliness is the one which could be understood only by those people who have experienced. In Buddhism world the loneliness is defined as the most terrible hell, to which I agree.

+++++++++++++++++

だれにも愛されない。
だれにも求められない。
だれにも相手にされない。

心を開いて話す相手もいない。
相談にのってくれる人もいない。
信じられる人もいない。

そこにポツンとたたずむのは、自分ひとりだけ。
まわりを見ても、そこにいるのは、
他人、そしてまた、他人。

+++++++++++++++++

孤独は無間地獄。
それを疑う人はいない。
あのイエス・キリストだって、孤独と闘ったという。
マザーテレサだって、孤独の恐ろしさを語っている。

言うなれば、生きるということは、孤独の連続。
その孤独と闘うことが、生きるということになる。
言い換えると、孤独こそが、私たちの真の敵ということになるし、その孤独に敗れたとき、私たちの人生も、そこで終わる。

が、中には、「私は孤独ではない」と言う人もいるかもしれない。
しかしそういう人でも、そのほとんどは、今、そこにある孤独に気づかないまま、その日、その日を、ごまかしながら生きているだけ。
孤独の意味すらわかっていない。

たとえば家族といっしょに旅行をする。
友といっしょに酒を飲んで騒ぐ。
ベッドの上で、裸になって抱きあう。

しかしそんな方法で、孤独を癒すことはできない。
孤独を忘れることはできるかもしれないが、孤独と決別することはできない。
孤独は、いつも私たちのそばにいて、私たちの心の隙間を、虎視眈々とねらっている。
そしてひとたび、あなたがそのワナにかかると、容赦なく、あなたに襲いかかってくる。

では、どうしたらよいのか。
どうすれば、人は、この孤独から解放されるのか。
その方法として、儒教では「仁」を説く。
仏教では、「慈悲」を説く。
キリスト教では、「愛」を説く。
それが何であれ、これだけは、確かである。

人は、ひとり、つまり孤独なままでは、生きていかれないということ。
孤独の火に焼かれるくらいなら、だれだって望んで死を選ぶだろう。

では、どうしたらよいのか。
どうすれば、私たちは、孤独から解放されるのか。
どうすれば、私たちは、真の自由を手にすることができるのか。

しかしその道は、遠い。
キリスト教でも、「真理=自由」であり、「自由=真理」であると説く。
私のような凡人が、ここらで逆立ちをして見せたところで、そんな真理にたどりつけるわけがない。

しかしこういうことは言える。

孤独を知ってはじめて、私たちは生きる目的を知る。
意味を知る。
孤独が人生の終わりを告げるのではなく、孤独が人生の入り口を教える。
孤独なら孤独でよい。
その恐ろしさを知ったら、つぎにそういう状況になったときのことを考えて、準備する。
それがそのまま生きる意味につながる。

私にしても、無数の親たちと出会い、同じ数だけの子どもたちと出会ってきた。
しかし今に残っている親や、子どもは、ほとんどいない。
ゼロと言ってもよい。
友にしてもそうだし、家族にしてもそうだ。
孤独を乾いた砂漠にたとえるなら、今まで私がしてきたことは、コップいっぱいの水にもならない。
そんな水で、どうして砂漠のような孤独を癒すことができるというのか。

「仁」とは、何か。
「慈悲」とは、何か。
「愛」とは、何か。

たとえば私のワイフにしても、息子たちにしても、私という夫や、私という親がもっているだろう「呪縛」から、解放してやることこそが、仁であり、慈悲であり、愛ではないのか。

ワイフにしても、(ワイフは、それを望んでいないとは言うが)、私が離婚してやれば、どんなにか、気が楽になることだろう。
息子たちにしても、ひょっとしたら、私という(存在)がないほうが、よいのかもしれない。
私は亭主関白だし、それに、悪玉親意識も強い。

で、その引き換えに、私自身は無間地獄の中をさまようことになるが、それこそ、まさに自業自得というもの。
結果、「死」という選択肢を選んだとしても、それもまた、まさに自業自得というもの。
そういう意味では、私は敗残者。
失敗者。
負け犬。

私は孤独というものが、いつもそこにあることを知りつつ、その孤独と闘うことすらしてこなかった。
ちょうど酒飲みが酒を飲んで、自分をごまかしてきたように、私は私で、その日の刹那的な楽しみで、自分をごまかしてきた。

もっとひどいことに、そこに孤独な人がいるときでさえ、見て見ぬフリをしてきた。
ときにそういう人を、人生の失敗者をあざ笑った。

が、今、そのツケが、自分のところに回りつつある。
今度は、私がその孤独という無間地獄の中で、もがき、苦しみ始めている。
生きる目的さえ、見失い始めている。

そうでないというなら、いつか、(かならずその日はやってくるだろうが)、
たとえばワイフが先に死に、友たちが先に死に、さらに息子たちが私の手の届かないところにいってしまったようなとき、私は、その孤独に耐えられるだろうか。

その答は、「NO!」。
私にはその孤独には、耐えられないだろう。
その自信も、ない。
まったく、ない。

そんな弱い私を、ゆいいつ支えてくれるものがあるとするなら、それが宗教ということになる。
が、今さらそれを信じたところで、神や仏は、こう言うにちがいない。

「今まで、さんざん、勝手なことをしておきながら、何を今さら!」と。

私は神や仏にすら、見放されている。
私のような人間を相手にする神や仏など、いるはずもない。

……ということで、私は、今日もがんばるしかない。
健康だし、頭のほうも、まだ何とか動いている。
「今日こそは、何かをしてみよう」と。
いつか襲いくる、孤独と立ち向かうために!

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 孤独 孤独論)

Tuesday, July 29, 2008

*My Aplozise and a Warning to UFO Problems

【読者のみなさんへ、お詫びと、警告】(My Aologizes and a Warning to my Readers)
This is a Warning Message to my Readers regarding on the UFO problems.
Here I receive a message from a friend of mine who lives in Australia
about the website, from which I quoted some informations on UFO’s.

++++++++++++++++++++

●読者のみなさんへ、

ここ数日、UFO問題についての原稿を書いて
います。
その中で、私は、あるウェブサイトに載っていた、
いくつかの資料を、参考として引用しました。

そのウェブサイトについて、オーストラリアの
友人のDK氏より、つぎのような警告文が届きました。

+++++++++++++

Hiroshi,

This website is produced by the Rxxxxx religion which is a dangerous
group. The leader is a Frenchman. Be careful of them.

ヒロシへ、

(君が引用している)このウェブサイトは、Rxxxxx 宗教と呼ばれる、
危険な団体です。リーダーは、フランス人です。彼らには注意しなさい。

+++++++++++++

UFO研究団体の多くは、宗教団体を形成し、それらの中には「カルト」と呼ばれる、狂信的な団体もあります。

UFO問題を考えるときは、読者のみなさんも、この種のサイトには、くれぐれもご注意ください。

私もあちこちのサイトから安易に引用したりするのを、今後、慎むことにします。
ここにおわび申し上げます。
すみませんでした。

はやし浩司

Monday, July 28, 2008

*The Secret of New-born Babies

【新生児の謎】

●人間の脳の大きさは、母体の産道(骨盤)の大きさに比例する

+++++++++++++++++

進化の過程で、人間の脳は、より
大きくなってきた。

350万年前の猿人(アウストラロピテクス) ……約 375cc
190万年前の原人(ホモハビリス)     ……約 750cc
150万年前の人間の祖先(ホモエレクゥス) ……約 950cc
25万年前の人間、現代人(ホモサピュエンス)……約1500cc
(現代人の平均的脳容積           ……約1600cc)
(参考、チンパンジーの脳容量……約350~400cc)
(出典:別冊日経サイエンス、「るい・NETWORK」)

+++++++++++++++++

胎児は母体の産道(骨盤の間)をくぐり抜けて、生まれる。
そのときもし胎児の頭の大きさが、産道よりも大きければ、胎児は、母胎の産道をくぐり抜けることができない。

だから『人間の脳の大きさは、母体の産道の大きさに比例する』。

胎児の頭が大きくなればなるほど、母体の産道の直径は大きくなければならない。
もし胎児が産道をくぐり抜けることができなければ、胎児が死ぬか、反対に母親が死ぬかのどちらかになる。
が、反対に、母体の産道が大きくなればなるほど、胎児の頭も大きくなるかといえば、それは言えない。

たとえば人間以外のほかの動物のばあい、頭よりも体のほうが大きい。
またその多くは、2体以上の子どもを出産する。
頭の大きさが問題になることは、ない。
つまりほかの動物のばあい、母体の産道の大きさは、頭というより、体の大きさによって決まる。(その反対でもよいが……)。

が、人間だけは、いびつなまでに、頭だけが大きい。
なぜか?

●頭を大きくするために

人間の脳を、今以上に大きくするためには、母体の産道を大きくするか、胎児そのものを、人工胎盤で育てるしかない。
よくSF映画の中にも、そういうシーンが出てくる。
大きな水槽の中で、胎児が人工飼育(?)されているシーンである。

水槽の中に胎児が浮かび、へその緒は、水槽外の栄養補給装置とつながっている。

この方法であれば、胎児は何の制約も受けず、自分の頭、つまり脳を大きくすることができる。いくら大きくなっても、出産時の問題は起きない。

「あれはSF映画の中の話」と思う人もいるかもしれないが、現在の科学技術だけをもってしても、けっして、不可能ではない。
現在でも、一度体外に取り出した女性の卵子に、人工授精させ、再び母体に戻すという方法は、ごくふつうのこととしてなされている。
あと50~100年もすれば、こうした方法、つまり人工胎盤を用いた育児法が、ごくふつうのこととしてなされるようになるかもしれない。

●2つの問題

が、ここで2つの問題が起きる。
厳密には、3つの問題ということになるが、3つ目は、このつぎに書く。

ひとつは、こうして生まれた子どもは、頭が大きくなった分だけ、つぎの代からは、自然分娩による出産がむずかしくなるだろうということ。
代を重ねれば重ねるほど、むずかしくなるかもしれない。

「ぼくは人工胎盤で生まれたから、ぼくの子どもも、人工胎盤で育てる」と。
そう主張する子どもがふえることも考えられる。

もうひとつの問題は、『頭が大きくなればなるほど、脳の活動は鈍くなる』ということ。

脳というのは、コンピュータの構造に似ている。
とはいうものの、シナプス間の信号伝達は、電気的信号ではなく、化学反応によってなされる。
この(化学反応)という部分で、脳は大きくなればなるほど、信号伝達の速度が遅くなる。
言いかえると、脳は小さければ小さいほど、信号伝達の速度が速い。
このことは昆虫などの小動物を見ればわかる。
こうした小動物は、知的活動は別として、人間には考えられないような速い動きをしてみせる。

つまり頭を大きくすることによって、より高度な知的活動ができるようになる反面、たとえば運動能力をともなう作業的な活動になると、かえって遅くなってしまう可能性がある。
歩くときも、ノソノソとした動きになるかしれない。
ひょっとしたら、頭の反応も鈍くなるかもしれない。

これら2つの問題は、克服できない問題ではない。
が、もうひとつ、深刻な問題がある。

●豊かな感情は人間の財産

人工胎盤で育てられた子どもは、はたして人間的な感情をもつだろうか?

豊かな感情は、安定した母子関係の中ではぐくまれる……というのが、現在の常識である。
とくに生後直後から、満2歳前後までに、その子どもの感情、つまり情緒的発達は完成される。

しかし胎児のばあいは、どうだろうか。
胎児は母親の母体内にいる間、母親の愛情を感ずることはないのだろうか。

が、これについては、「感じている」と考えるのが、自然である。
最近の研究によれば、誕生直後の新生児ですら、実は母親に向かって(働きかけ)を行っていることがわかってきた。
たとえば新生児は新生児で、本能的な部分で、自らの(かわいさ)を演出することによって、親の愛情を自分に引きつけようとする。
つまり新生児の側からも、働きかけがあるということになる。
それまでは、たとえば愛情表現にしても、母親から新生児への一方的なものと考えられてきた。
「母親から新生児への働きかけはあっても、新生児からの働きかけはない」と。

母親から新生児へ、新生児から母親へ。
こうした相互の(働きかけ)を、「ミューチュアル・アタッチメント(Mutual Attachment)」という。

が、その「ミューチュアル・アタッチメント」が、誕生直後から始まると考えるのには、無理がある。
あらゆる生物は、もちろん人間もだが、その成長過程において、連続性を維持しながら成長する。
誕生と同時に、突然、「ミューチュアル・アタッチメント」が始まるというわけではない。
胎児は胎児であるときから、「ミューチュアル・アタッチメント」は始めていると考えるのが、自然である。

となると、人工胎盤のばあい、胎児は、その「ミューチュアル・アタッチメント」が、できないということになる。
人工胎盤の中の胎児は、暗くて冷たい、孤独な世界でもがき、苦しむということになる。
いくら働きかけをしても、それに応えてくれる母親は、そこにいない!

仮に100歩譲って、何とか情緒面の問題を克服して誕生したとしても、今度は、そういう子どもに対して、卵子の提供者でしかない母親が、母親としてのじゅうぶんな愛情を感ずることができるかどうかという問題もある。

母親は10か月という長い期間、自分の胎内で子どもを育てるうちに、母親としての愛情を自覚する。
あるいは出産の苦しみをとおして、その愛情を倍加させる。
もちろん夫の役割も無視できない。
妻の出産を喜ぶ夫。
そういう姿を見て、母親である妻は、さらに子どもへの愛情を倍加させる。

こうしたプロセスを省略した子どもが、はたして、感情豊かな子どもに成長するかどうかということになると、あ・や・し・い。

●人間の脳

ところで進化の過程で、人間の脳は、より大きくなってきたと言われている。

ちなみに、猿人、原人、旧人、新人、現代人の脳容積はつぎのようになっている。

350万年前の猿人(アウストラロピテクス) ……約 375cc
190万年前の原人(ホモハビリス)     ……約 750cc
150万年前の人間の祖先(ホモエレクトゥス)……約 950cc
25万年前の人間、現代人(ホモサピュエンス)……約1500cc
(現代人の平均的脳容積           ……約1600cc)
(参考、チンパンジーの脳容積……約350~400cc)
(出典:別冊日経サイエンス、「るい・NETWORK」)

ここで私は、「進化」という言葉を使ったが、実のところ現代人の祖先というのは、定かではない。
ただ言えることは、人間(ヒト)は、猿(サル)から進化したのではないということ。
反対に、たとえばチンパンジーにしても、やがて人間のように進化するということは、ありえない。
人間は、人間。
猿は、猿。
それぞれが、完成された個体である。

もちろん人間がここまで進化する過程の中では、猿人→原人→旧人→新人のそれぞれの段階で、無数の新種が生まれ、そして絶滅していった。
たとえばよく知られた例として、ネアンデルタール人がいる。
ネアンデルタール人は、人間の祖先であるホモサピエンスとそれほど能力的には差がなかったものの、今から1万数千年前に、絶滅している。

●未熟化する新生児

仮に産道の大きさはそのままで、胎児の頭だけが大きくなったら、どうなるか。
先にも書いたように、胎児は、母親の産道をくぐり抜けることができなくなる。
そうなれば母体である母親が死ぬか、胎児が死ぬかの、どちらかしかない。

が、ほかに方法がないわけではない。

胎児の頭がまだ、産道をくぐり抜けることができる大きさの段階で、出産するという方法である。
つまり新生児としては未熟だが、その段階で母体から離され、そのあと、母体の外で育てる。
現に新生児の体重は、3200グラム弱(平均)とされているが、(平均体重は、この10年、年々減少傾向にあるが……)、その1か月後には、体重は、約1・5倍に増加する。
2か月で2倍になる新生児も少なくない。

つまり人間の子どもの出産は、きわめて微妙な時期を選んでなされることが、これでわかる。
もし出産時が、1か月早ければ、新生児は、特別な介護なくしては生きていくことすらむずかしい。
一方、もし1か月遅ければ、体重が増加し、ついで頭も大きくなり、出産そのものがむずかしくなる。

ちょうどよいころに、ちょうどよい、……というギリギリのところで母親は子どもを出産する。子どもは、うまく産道をくぐり抜ける。

が、疑問は、残る。

なぜ人間だけが、こうまで未熟な状態で、母体から生まれるのか、という疑問である。
新生児のばあい、少なくとも生後6か月まで、保護者による手厚い保護がないかぎり、自分で生きていくことはおろか、動き回ることすら、できない。

●進化論への疑問

ここにも書いたように、人間は人間として、今に見る人間に進化した。
「今の今も進化しつづけている」と説く人もいるが、反対に、「同時に退化しつづけている」と説く人もいる。

突然変異というのは、まさに両刃の剣。
突然変異によって進化することもあるが、それまでの重要な遺伝子を喪失することもある。
つまり進化と退化は、相互に関連し合いながら、同時進行的に進むと考えてよい。

が、それはさておき、人間が今に見る人間になるについて、「ダーウィン的な進化論では説明できない進化」と説く学者も少なくない。

進化論の世界では、「10万年に1回の、ささいな変化」でも、「突然変異」とみるのだそうだ。
が、こと人間に関していえば、ほぼ20万年単位で「大・突然変異」を繰りかえし、今に見る人間になった。

たとえば「人類の祖先は、420万年前からずっと二足歩行していたにもかかわらず、350万年前の猿人の脳容量は、ほとんどチンパンジーと変わっていない」(「るい・NETWORK・生物史」)そうだ。

「二足歩行するようになったから、脳容積が大きくなった」という従来の常識にも、よくよく考えてみればおかしいということになる。

そこで現われたのが、「作為説」。
「つまり人間は、その進化の過程で、何ものかによって、作為的に改良された」という説である。

この説を説く学者も少なくない。

『……スミソニアン協会の著名な生物学者オースチン・H・クラーク氏は、進化論についてこう述べています。

「人間が下等な生命形態から、段階的に発達してきたという証拠はない。いかなる形においても人間をサルに関連づけるものは何もない。人間は突然に、今日と同じ形で出現した」』(指摘:「宇宙GOGO」HPより)と。

「なぜ人間だけが、こうまで未熟な状態で、母体から生まれるのか」という疑問についても、未熟なまま生まれるというように、だれかによって操作されたとも、考えられなくはない。

そのだれかとは、だれか?

このあたりから、話が、SF的になる。
あるいはどこか宗教的になる。
実際、こうした説に基づいて活動しているカルト教団もある。
だから私の話は、ここまで。

この先のことは、皆さんの判断に任せるが、UFOが存在し、当然、宇宙人が存在するというこになれば、私たち人間が、その宇宙人によって何らかの(作為的な改良)を受けたことがあるのではないかと考えても、おかしくない。

とくに(脳)については、そうである。
なぜ私たちの脳は、こうまで飛躍的に進化してしまったのか?
わずか5500年以前には、私たちは火の使い方すら知らない新石器人間であったことを考えるなら、この疑いは大きくなることはあっても、小さくなることはない。

(注)自分で読み返しても、稚拙な内容の文章だと思う。
文章もへたくそだし、つっこみも甘い。
が、私はここを出発点として、さらにこの問題について、考えてみたい。

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 Hiroshi Hayashi education essayist writer Japanese essayist 産道 胎児の大きさ 胎児の頭 人間の脳)

*Whatever they say, I SAW it!

c81

*Edgar Michelle's Statement on UFO's

++++++++++以下、時事通信より+++++++++++++

【ニューヨーク 25日時事】米航空宇宙局(NASA)の元宇宙飛行士が英国の音楽専門ラジオ局のインタビューで、政府は宇宙人の存在を隠ぺいしていると発言。米英メディアが相次いで報じる騒ぎに発展した。

 この元宇宙飛行士は、1971年に打ち上げられたアポロ14号の元乗組員、エドガー・ミッチェル氏(77)。

 同氏は23日の放送で、政府は過去60年にわたり宇宙人の存在を隠してきたが、「われわれのうちの何人かは一部情報について説明を受ける幸運に浴した」と説明。宇宙人は「奇妙で小さな人々」と呼ばれているなどと語った。(ヤフー・ニュースより転載) 

++++++++++以上、時事通信より+++++++++++++

この記事の信憑性を確かめることにした。
が、それは今日(7月25日)、オーストラリアの友人が送ってくれた情報の中に、含まれていた。

それをそのまま紹介する。
訳は急いで私がつけたが、あえて、原文に忠実に訳してみた。
(荒っぽい訳なので、後日、改めて訳し直してみたい。)

++++++++++++++以下、NEW.COM.AUより+++++++++

FORMER NASA astronaut and moon-walker Dr Edgar Mitchell - a veteran of the Apollo 14 mission - has stunningly claimed aliens exist.
月面歩行者であり、元NASAのベテラン宇宙飛行士である、エドガー・ミシェル博士(アポロ14号のベテラン飛行士)が、「宇宙人は存在する」と強く主張した。

And he says extra-terrestrials have visited Earth on several occasions - but the alien contact has been repeatedly covered up by governments for six decades.
彼が言うには、外惑星人は、地球を、何度かに渡って訪問しているとのこと。しかし宇宙人とのコンタクト(接触)は、この60年間、政府によって繰り返し、隠蔽されてきた、という。

Dr Mitchell, 77, said during a radio interview that sources at the space agency who had had contact with aliens described the beings as 'little people who look strange to us.'
77歳のミシェル博士は、ラジオ・インタビューの中で、宇宙人と接触したことのある宇宙局(の係官)は、その生き物を、『ワレワレには奇妙に見える小さな人々』と表現したと語った。

He said supposedly real-life ET's were similar to the traditional image of a small frame, large eyes and head.
ミシェル博士は、本物のETは、小さな体の、大きな目と頭をもった、あのよく知られている(=伝統的な)イメージに似ていると思っていると語った。

Chillingly, he claimed our technology is "not nearly as sophisticated" as theirs and "had they been hostile", he warned "we would be been gone by now".
ミシェル博士は、ワレワレ人間の技術力は、彼らのものととても同程度のものではなく、「もし彼らが敵対的であるなら、人類は、今ごろは絶滅していただろう」と、警告した。

Dr Mitchell, along with with Apollo 14 commander Alan Shepard, holds the record for the longest ever moon walk, at nine hours and 17 minutes following their 1971 mission.
ミシェル博士は、アポロ14号のアラン・シェパード船長とともに、1971年のミッションでは、9時間17分の最長月面歩行をしたという記録を保持している。

"I happen to have been privileged enough to be in on the fact that we've been visited on this planet and the UFO phenomena is real," Dr Mitchell said.
ミシェル博士は、「ワレワレは宇宙人によってこの惑星を訪問され、またUFO現象は事実であるという事実に関して、それをじゅうぶん知りうる立場にあるという特権を、私はたまたまもった」

"It's been well covered up by all our governments for the last 60 years or so, but slowly it's leaked out and some of us have been privileged to have been briefed on some of it.
「過去60年間、私たち政府すべてによって、それは隠蔽されつづけてきた。しかし少しずつ、外に漏れてきた。そしてワレワレの中の何人かは、それらのいくらかの部分について、述べるという特権を与えられた」

"I've been in military and intelligence circles, who know that beneath the surface of what has been public knowledge, yes - we have been visited. Reading the papers recently, it's been happening quite a bit."
「私は軍と情報部に属してきた。軍と情報局は、一般的に知られているその表面下で、(そうだとも)、ワレワレは訪問を受けていたということを知っている。最近の新聞を読めば、それがたいへんしばしば起きてきたということがわかる」と。

Dr Mitchell, who has a Bachelor of Science degree in aeronautical engineering and a Doctor of Science degree in Aeronautics and Astronautics claimed Roswell was real and similar alien visits continue to be investigated.
ミシェル博士、つまり航空工学分野の科学学士号、ならびに、航空力学ならびに宇宙船学の博士号をもっているが、ロズウェルは現実にあったと主張し、同様の宇宙人の訪問は、調査されていると語った。

He told the astonished Kerrang! radio host Nick Margerrison: "This is really starting to open up. I think we're headed for real disclosure and some serious organisations are moving in that direction."
ミシェル博士は、驚いているケラング・ラジオ局のホストである、ニック・マーゲリソンにこう語った。「これは情報開示の第一歩であり、私たちがその開示の先頭にいる。いくつかの重要な組織が、その方向で動きつつある」と。

Mr Margerrison said: "I thought I'd stumbled on some sort of astronaut humour but he was absolutely serious that aliens are definitely out there and there's no debating it."
マーゲリソンは、語った。「私は宇宙船乗組員のユーモアと思ったが、(ミシェル博士は)、まったく真剣だった。彼は宇宙人は、確実にそこにいて、議論の余地はないと語った」と。

Officials from NASA, however, were quick to play the comments down.
しかしNASAの高官はすかさず、つぎのようなコメントを発表した。

In a statement, a spokesman said: "NASA does not track UFOs. NASA is not involved in any sort of cover up about alien life on this planet or anywhere in the universe.
その中で、スポークスマンは、「NASAは、UFOの存在を確認していない。NASAは、この惑星上の宇宙生命体について、この惑星においても、また宇宙においても、どこでも、いかなる隠蔽にも関与していない」。

'Dr Mitchell is a great American, but we do not share his opinions on this issue.'
「ミシェル博士は、偉大なアメリカ人だが、ワレワレ(=NASA)は、この問題について、彼の意見と共にすることはない」と。

++++++++++++++++++以上、NEW.COM.AUより++++++++

+++++++++以下、オーストラリアUFO研究団体のHPより++
A RECENT spate of UFO sightings around the world has believers in a frenzy, but even the inside scoop from a former astronaut is not enough to sway the sceptics.
Yesterday, aliens popped up in the news again as NASA sought to distance itself from former Apollo 14 astronaut Edgar Mitchell who claimed extra-terrestrials have been coming to visit for decades.

Dr Mitchell, 77, said governments had been covering it up for 60 years.

“I've been in military and intelligence circles, who know that beneath the surface of what has been public knowledge, yes - we have been visited. Reading the papers recently, it's been happening quite a bit,” he said.

Dr Mitchell's former bosses were quick to distance themselves from the renewed buzz.
“NASA does not track UFOs. NASA is not involved in any sort of cover up about alien life on this planet or anywhere in the universe,” the agency said.
But the Australian Skeptics were not impressed by what Dr Mitchell - or anyone else - thought they saw.  Skeptic spokesman Barry Williams said today the truth was closer to home: it's all in your head, and you're wrong.
“We love mysteries and we love solving them, just look at how popular crime fiction and crime TV shows are,” Mr Williams said. “The brain needs to find answers, it can’t stand not knowing, so it comes to an explanation and quite often it’s wrong.”

+++++++++以下、オーストラリアUFO研究団体のHPより++

Sunday, July 27, 2008

*Take-shima Island *6-nation conference

(今日・あれこれ)(7月28日)

++++++++++++++++

ここ数日、UFOについて考えている。
と、同時に、「自分はとんでもないことを
書いている」という気分から、抜け出る
ことができない。

向こう岸の見えない、湖に飛び込んだ
ような気分とでも書くべきか?

つかみどろこがない。
直接、そうした問題と取り組んでいる
わけでもない。
ゆいいつの接点は、かつて、巨大なUFO
を見たことがあるというだけ。

まるで雲をつかむような話というのは、
こういうことを言うのか。

しかしこれは重大な問題と言ってもよい。

もし月が空洞で、人工的に建造された
宇宙船であるとするなら、人間の
歴史そのものがひっくり返ってしまう。
過去のありとあらゆる出来ごとが、すべて
UFO現象と関連づけて考えられるように
なるかもしれない。

そうなったときの混乱と騒動には、
想像を絶するものがある。
その前に、人間は、そうした混乱と
騒動に耐えることができるだろうか。

++++++++++++++++

●気分転換

……ということで、今朝は、少しUFO問題から、離れてみたい。
で、今、興味があるのが、「竹島(独島)問題」。
それに「6か国協議の行方」。

●最悪の反日国家

韓国政府は今度、竹島を刷り込んだ記念切手を発行することにしたそうだ。
韓国政府がどんな切手を発行しようが、日本の知ったことではない。
が、どこまで日本を挑発したら、気が済むのだろう。
しかもその図柄というのは、古い地図(古地図)のものだというが、元の
地図の、その写本のほうの地図のものだという。
元の地図には、竹島(独島)が載っていないからだという。
(……ということは、自ら、竹島は、韓国の領土ではなかったということを、証明する
ようなものではないのか。論理的に考えれば、そうなる。)

彼らが、「竹島(独島)は韓国の領土である」と主張する、最大の根拠が、古地図は古地図
でも、その写本では、話にならない。
ならないばかりか、今度は、対抗策として、「対馬は韓国の領土だ」と言い出した。

いわく「対馬は韓国領説に、歴史的根拠あり」(朝鮮N報、社説、08・7・27)と。

フ~~~ン?

おまけに数日前の韓国の新聞には、こうあった。
「日本政府は、(竹島問題についての)歴史的資料を、隠ぺいしている」と。

フ~~~ン?

さらに「日本は、地域紛争の火種を残すことに懸命である」とも。
「日本はいつか、竹島を理由に、地域紛争をしかけてくるはず」とでも言いたげな
論調である。

そこで朝鮮N報は、「独島:韓日戦わば」という長文の特集記事まで載せている(7・27)。
日本と韓国の兵力の差を紹介しながら、「半日で、独島は占領される」とか、何とか。
まるで臨戦気分?

フ~~~ン?

ところで現在、日本と韓国の間の、交流事業が、ほとんど中断している。
この静岡県でも、毎年、日本と韓国の子どもたちが、サッカーの交流試合をしていた。
が、それも韓国側の一方的な通告で、中止!

フ~~~ン?

韓国は、やはり韓国。
大統領が替わったくらいでは、何も変わらない。
最悪の反日国家?
それが韓国の実像ということになる。


●6か国協議

どうやらアメリカは、北朝鮮を、核保有国として認める方向で動いているようである。
日本にとっては、とんでもない話だが、アメリカにとっては、なんでもない。
視点をワシントンに置いてみればわかる。

アメリカにとって、アジアの最大の脅威といえば、北朝鮮ではない。
中国である。
中国の核兵器とミサイルである。
その数、数百発とも、数千発とも言われている。
北朝鮮が、8発くらい核兵器をもったところで、どうということはない。
(大切なことは、その8発を、北朝鮮内にとどめておくこと。
北朝鮮の核兵器がテロリストたちに渡ったら、それこそ、たいへんなことになる。
だから「拡散の防止」ということについては、アメリカは神経質になっている。)
次期大統領と目されているオバマ氏も、そんなようなことを演説の中で、ふと臭わした(08年7月末)。

で、今、核の検証問題で、米朝会談は山場を迎えつつある。
「検証を具体化せよ」と迫るアメリカ。
「テロ支援国指定解除が先」とがんばる北朝鮮。

しかしこういうのを、茶番劇という。
冷静に考えてみよう。

「テロ支援国家指定」が解除されたところで、何も変わらない。
言うなれば、ラベルのようなもの。
ラベルをはがしたところで、それで世界が、それに追従するわけではない。
そのことを北朝鮮は、百も承知のはず。

つまりどうでもよい、ささいな問題にこだわりながら、ああでもない、こうでもないと
難グセをつける。
それが北朝鮮のやり方。
先のB銀行問題を例にあげるまでもない。

あのときも、「B銀行に凍結されている資金を解除せよ」と北朝鮮はがんばった。
で、アメリカは、北朝鮮の言いなりになって、それを解除した。
北朝鮮は、現金をいつでも引き出せる状態になった。
が、北朝鮮は、現金を引き出さないばかりか、「もっと、自由に送金できるようにせよ」と
言い出した。

しかしいくらアメリカでも、それはできない。
それを判断するのは、世界の銀行各社。
それぞれの銀行が、「北朝鮮の資金は扱いたくない」と言えば、それまで。
事実、現在、北朝鮮の資金を扱う銀行は、皆無。
みんな、いやがっている。
中国の銀行だって、いやがっている。
というわけで、資金の凍結は解除されたが、状況は以前のまま。

同じように、テロ支援国指定が解除されても、それで世界が動くということは、
ありえない。

「アメリカが解除したのだから、もうだいじょうぶ」と、北朝鮮と交易を開始する
国はない。
つまり、北朝鮮は、理由にもならない理由をこじつけて、ダダをこねているだけ。
もっとはっきり言えば、「テロ支援国解除」などという問題は、もともと北朝鮮にとって
は、どうでもよい話。

むしろ、北朝鮮は、アメリカが、解除を延期するのを望んでいる(?)。
そうなれば、まさに、それこそ、北朝鮮の思うツボ。

「アメリカが約束を破った」とか何とか言って、大騒ぎすることができる。
さらにさらに時間を稼ぐことができる。

が、ひとり、そんな事情も理解できず、孤軍奮闘している人がいる。
北朝鮮の言い分を真に受けて、交渉をつづけている人がいる。
国務次官補のC・ヒル氏である。

どうしてあの人は、こんな簡単なことがわからないのだろう?
金xxの手の上で、ただ踊らされているだけ?
私には、ただのおバカにしか見えない(失礼!)。

ここまで書いたところで、朝食。
その席で、ワイフが私にこう聞いた。

「どうして北朝鮮は、B銀行から、資金を引き出さないのかしら?」と。

北朝鮮は、その気にさえなれば、いつでもB銀行から、現金を引き出せるはず。
その現金をカバンに詰めて、北朝鮮へもって帰ることもできるはず。
しかしどういうわけか、北朝鮮は、その資金をB銀行に預けたまま。
預けたままで、「外国の銀行に、自由に送金できるようにしろ」と、アメリカに迫っている。

が、これには理由がある。

私「簡単に言えば、もともと偽札(にせさつ)だからさ」
ワ「どういうこと?」
私「いいか、これはあくまでもぼくの推理によるものだけど、B銀行のトップと、北朝鮮のトップが、グルだったということ」
ワ「……?」
私「ある日、北朝鮮が、10億ドルの偽札をB銀行に持ちこんできた。B銀行はそれが偽札であることを知っていた。そこでその偽札を使えるようにするためには、一度、その偽札を洗浄(ローンダリング)する必要があった」

ワ「どうやって、洗浄するの?」
私「簡単だよ。一度そのお金を、外国のどこかの銀行へ送金すればいい。たとえば日本の三菱銀行なら、三菱銀行でもいい。で、一度三菱銀行に送金したあと、そこで現金を引き出す。三菱銀行には、偽札はないからね。今度は、再び、その現金をカバンか何かに詰めて、B銀行へもってくる。それで洗浄は、完了」
ワ「往復するだけでいいの?」
私「そう」
ワ「でも、B銀行は、どうやって、儲けるの?」
私「最初の段階で、10億ドルのうちから、たとえば5億ドルを自分のものとすることもできる。あるいは洗浄が終わったあと、手数料として、5億ドル分を自分のものとすることもできる」

ワ「B銀行は、どうしたのかしら?」
私「あくまでもこれはぼくの推理だけど、恐らく洗浄が終わったあと、手数料を受けとるつもりではなかったのかな。が、その洗浄が、うまくいかなかった。だからB銀行としても、額面どおりの現金を、北朝鮮に払い戻すことができないでいる」
ワ「北朝鮮に払えば、その分だけ、B銀行の損失ということになるわね。まさか偽札のまま、払い戻すというわけにはいかないから……」
私「そう。だから今でも、北朝鮮の資金は、B銀行に預けられたまま……ということになっている」と。

何からなにまで、訳のわからない国、それが北朝鮮ということになる。
まともな常識が通ずる国ではない。

*Someone lives in the Moon(1)

【月は、巨大な宇宙船か?】

● 『月の先住者』(Secrets of our Spaceship Moon)
written by Don Wilson 昭和58年発刊、たま出版)  

++++++++++++++++++H.Hayashi

ドン・ウィルソン著、『月の先住者』という本を
読み直す。
昭和58年7月発刊、ということだから、今から約
24年前の本ということになる。
私が36歳のときである。

月にまつわる謎は多い。
その謎について書かれた本だと思えばよい。

++++++++++++++++++H.Hayashi

 ドン・ウィルソン著、『月の先住者』という本を読み直す。原題は、『Secrets of the Spaceship Moon』である。「宇宙船、月の秘密」と訳せる。

 この本の中では、各章ごと冒頭で、月にまつわる謎を、箇条書きにしてある。

 全体では19章。339ページ。文字が小さいから、かなりボリュームのある本と思ってもらえばよい。

 その中のいくつかを紹介する。

+++++++++++

● 第7章 月軌道を決定した動力

次の疑問点について考えてみたい。

○ NASAは、月がなぜ地球の衛星となったかを、最大の疑問としている。
○ あるノーベル科学賞受賞者の告白のように、月の起源や地球の衛星となった理由について、「どう説明してもありえない」と述べているのは、なざだろう。
○ NASAの科学者が、「月は存在しないといったほうが説明しやすい」と発言した真意は?
○ なぜ今日の科学者は、起源を説明できないからといって、月は存在しない、などと提議するのか。
○ 科学者の中には月を、「自然のなせる宇宙のいたずら」とし、月が地球の衛星にしては大きすぎると主張しているのは、なぜだろう。
○ 現在定説となっている、“自然捕獲説”でさえ、一般の科学者は充分に説明できないのだろうか。
○ 天文力学の権威者でさえ、地球の引力が月を引き寄せたことを「不可能」「とてもありえない」としているのは、なぜか。
○ 月の軌道が正確であるはずなのに、自然に地球の衛星となったと説明できない理由は?
○ 天文学者の中には、「ある力が月を地球の軌道に乗せた」という者もいる。「ある力」とはいったい、何なのか。
○ なぜ月の公転面は、太陽とまったく同じ公転面に配置され、月食が起きる位置にあるのか。
○ 月が信じられないほど正確な位置にあるということはわかっているが、“月宇宙船説”以外の方法ではその理由が説明できないのは、なぜだろう。
○ 天文力学の知識や月計画による実際の研究成果によって、月が地球の軌道に「乗せられ」「操縦されている」と説明されることになるのだろうか。

++++++++以上、「月の先住者」より、転載++++++++++

 わかりやすく説明しよう。

 まず、夜の空に輝く、月を見てほしい。あの月は、地球の周囲を、(1)ほぼ真円に近い軌道上を、回っている。
 つぎにあの月は、(2)地球から見ると、太陽とほぼ同じ大きさに見える。もちろん太陽のほうがはるかに大きいが、(みかけの大きさ)は、ほぼ同じ。だから、皆既月食、皆既日食を、数年おきに、世界のどこかで観測することができる。
 さらにあの月の(3)公転面は、太陽の公転面とまったく、同じである。

 ほかにも(4)月の自転周期と公転周期が、1秒の狂いもなく、一致しているということもある。だから月は、地球に対して、(月の表側)だけを見せ、いわゆる(月の裏側)を、見せることはない。(私たちは、常に、月の表側のみを見ていることになる。)

 こうした月の存在について、現在の今も、(1)捕獲説と、(2)地球からの分離説、さらには(3)隕石の衝突説などが、意見を戦わせている。(最近の学説によれば、太古の昔、地球に隕石が衝突し、その衝撃で飛び出した地球の一部が、月になったというのが、定説になりつつある。)

 しかしこの説に従っても、なぜ月の軌道が、真円に近いのか。月の(みかけの大きさ)が、太陽と同じなのか。さらに月の公転面が太陽の公転面と一致しているのかということは、説明できない。

 偶然というには、あまりにも偶然すぎるのである。

 もちろん「捕獲説」にしても、大きな矛盾がある。「太古の昔、月が遠い別の天体からやってきて、地球の重力によって捕獲された」という説である。しかしならばその軌道面は、楕円形になるはず。ぜったいに、真円にはならない。

 そこで「乗せられた」という説が出てくる。
 
 太古の昔、月は、だれかによって、その位置に、「乗せられた」と。つまり月自体が、巨大な宇宙船というわけである。

 そこでこの説を補完するのが、『月内部、空洞説』である。つづく第8章の冒頭には、つぎのようにある。

++++++++++++++

 ……さらにじれったい疑問を投げかけてみよう。

○ 月の不思議な密度は、月が空洞であるどのような証拠になるか。
○ なぜ英国天文学協会。月面課の主任を努めた、“月の権威”が、「何もかもが、月の20~30マイル下が空洞であると示しているようだ」と結論したのか。
○ なぜ有能な第一線の科学者たちが、自然の衛星は空洞であるはずがない、という意見で一致しているのか。では、月が空洞だというのは、人工的だからだ、とはいえないのか。
○ NASA の第一線の科学者によるアポロ計画以前の研究は、なぜ月の動きが空洞の球体みたいだと結論したのか。
○ 重力場の研究は、月が空洞であるという裏づけにはなりえないのか。なぜこの結果が驚くべきものなのか。
○ 宇宙飛行士が持ち帰った、“月の石”は、月が空洞であると、どう説明しているのか。
○ 人工的に作られた月面地震(月着陸船やロケットなどによる)の時、月はなぜゴングのように4時間も鳴りつづけたのか。このことが、どうして空洞の球体であることを説明しているか。
○ 米国の宇宙局が、月内部が巨大な空洞であるかもしれないと、秘密裡に調査を行ったのは、どういう証拠があってのことだろうか。
○ 月の密度が一番高いのは、月面近くである(月が空洞であるという証拠)という月の研究(質量の中心運動)は認められなかったのか。このような科学的証拠が、宇宙船説を引き起こさなかったのか。
○ 数々の証拠がどのように“空洞の月”を証明しているのか?

それでは、ここでショッキングな証拠を提示することにしよう……。

++++++++以上、「月の先住者」より、転載++++++++++

 簡単に言えば、月の内部は空洞であり、おかしなことに、つまり常識に反して、月の外郭部ほど、密度が高く、重金属でおおわれているということ。

 ……こう書くと、「月は巨大な岩石のかたまりではないか。宇宙船という(船)と考えるには、無理がある」と考える人がいるかもしれない。
仮に巨大な宇宙船であるとしても、それは映画、『スター・ウォーズ』に出てくる、デス・スターのようなものではないか、と。

 しかし残念ながら、宇宙を航行するとき、もっとも安全な乗り物といえば、それなりの大きさの隕石や衛星をくりぬいた船ということになる。
外壁を、厚い岩石で覆われているため、小さな隕石程度の衝突では、びくともしない。
が、何よりもすばらしいことに、危険な放射線類から、乗り組員を守ってくれる。
仮に映画『スター・トレック』に出てくる、エンタープライズ号のような宇宙船だったら、隕石の衝突や放射線類から、乗り組み員を守ることはできない。

 では、動力源は何か。

 これも隕石や衛星をくりぬいた宇宙船であれば、方法は簡単。
緻密に計算をしながら、その上のどこかで、何かを爆発させればよい。
それでその宇宙船は、その反動によって、目的の方向に向かって、まっしぐらに進んでいく。
もちろん宇宙船を止めるときには、その反対のことをすればよい。

 こうして考えて見ると、月が宇宙船であっても、なんらおかしくはない。
ないばかりか、実に精巧、かつ科学的に作られた乗り物ということになる。

 ちなみに月空洞説を裏付ける、ひとつの事実を紹介しよう。

 「月に人類が到達する以前解明されていたのは、『月の密度は地球の半分くらいだ』ということぐらいだった。実際、月の密度は、地球の約6割だった。月の土、1立方センチメートルと、地球の土1立方センチメートルでは、地球の方が、約2倍も重いということだ」(同書、111P)と。

 言い換えると、月の内部の40%は、空洞ということになる。

+++++++++++++++

 改めて『月の先住者』を読んで、私は、ふと、こう思った。
「私はこの24年間、何をしていたのか」と。

 この地球には、いろいろな問題がある。
教育問題からはじまって、時事、環境、宗教、哲学、医学問題などなど。
しかし私たちが住む、この地球のそばに宇宙人がいて、それが月に住んでいるかもしれないという話については、ほとんど考えてこなかった。

 さらにとても残念なことに、この日本では、UFO問題にしても、幽霊や心霊と同格の、「超常現象」として位置づけられている。
そのためこの日本では、「UFOを見た」というだけで、奇人、変人扱いされる。

 しかしUFOは、「科学」である。少なくとも科学的に解明されうる世界の乗り物である。また科学の対象と考えて、なんらおかしくない。
それを一部の良識派(?)と呼ばれる科学者たちは、UFOを否定することによって、自分たちの良識性を誇張する。
 
 が、もしいつか、(やがてその日は来るだろうが)、UFOなるものが、その姿を私たちの前に姿を現したとき、そういった人たちは、どう自分たちの(非良識性)を弁解するのだろうか。

 私とて、「見たものは見た」というだけで、どれだけ、白い目で見られたことか!
これからも、自分が納得するまで、この問題を追求してみたい。

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 UFO 超常現象 はやし浩司 月空洞説 月宇宙船説)

(付記)

私とワイフが見たUFO と同じものを見た人が、この浜松に、2人いる。
BT氏(男性、現在54歳)と、その弟氏である。
見た時期と、飛んでくる方向はちがったが、ほとんど同型のUFOである。
私が私の見たUFOについて中日新聞に書いたのを、BT氏が読んだ。
それで知り合いになった。

そのBT氏と、今夜(7月27日)、電話で、1時間ほど、話す。
私はこう言った。

「私は、あのUFOを見て以来、ずっと、自分の中のもう一人の自分と闘わねば
なりませんでした。
『私が見たのは、幻覚だ、夢だ、見まちがいだ』と言う私自身。
しかし一方で、『見たものは見た』とがんばる私自身。
ときに、『見たものは見た』という私自身が負けそうになりましたが、そういうとき、ワイフが、『私も見た』と言のです。
それでまた話が、振り出しにもどってしまう……。
毎回、その繰り返し。
記憶も、時間とともに、どこか薄れてきます。
もし見たのが私ひとりだけだったら、私はもう一人の自分に負けてしまっていたかもしれません。
今ごろは、『やっぱり、あれは幻覚だったのだ』と、自分を納得させてしまっていたでしょう。
私は死ぬまでに、何としても、あの夜に見たものが何であるか、それに決着をつけておきたいのです」と。

BT氏についても、事情は同じ。
BT氏もこう言った。
「私も弟と2人で見ました。私も、もし私ひとりだけで見ていたら、今ごろは、『やっぱり
あれは夢だったのだ』と自分を納得させてしまっていたでしょう」と。

しかしE・ミシェル博士の言葉で、私は、救われた。
肩の荷がはずされたというか、スーッと心が軽くなるのを感じた。
と、同時に、大きな使命感のようなものを覚えた。

私ももう60歳。
世間に遠慮しなければならない年齢ではない。
書きたいことを、書く。
伝えたいことを、伝える。
私のことを、奇人だとか、変人だとか、そういうふうに思いたければ思うがよい。

……しかし、この爆発的なエネルギーはどこから生まれてくるのか。
つい先日まで、私はものを書くということそのものに、嫌気すら覚えていた。
その私が、何かに取りつかれたように、今、こうして文章をたたいている。

……で、この話とは別に、私には、こんな奇妙な体験がある。
それについて書く前に、この話に出てくる、DK君について書いておく。

DK君は、現在、オーストラリアのM大学で、教授職級の地位にいる。
そのDK君が、この2月に日本へ、娘さんといっしょに、来た。
そしてあの日のことについて、話し合った。
DK君も、あの日のことをよく覚えていた。
そしてその話になると、「ヒロシは、その話をよくするが、たしかに、あの日のことは、
理解できない」と言った。

当時の私たちは、UFOについて、ほとんど興味はなかった。
知識もなかった。
(アダムスキー型のUFOについては、俗説程度には、知っていたが……。)
いわんや、それがUFO現象と関係あるなどとは、思ってもみなかった。
「アダプション(誘拐)」という言葉にしても、それを耳にしたのは、それから
10年以上もたってからのことである。

以前書いた原稿を、そのまま紹介する。

*Someone lives in the Moon(2)

●造反したのは、E・ミシェル博士だけではなかった!

+++++++++++++++++++

月表面のみならず、この地球上でも、
またその間の宇宙空間においてでさえも、
今までに厖大な数の、UFO目撃例が
ある。

しかしどういうわけか、NASAは、それら
すべてを否定している。

UFOに関する情報は、NASAの中でも、
極秘中の極秘、最高度のトップ・シークレット
扱いということは、容易に推察できる。
が、今回、E・ミシェル博士は、あえて、その
暴露戦術に、うって出た。

が、ほかにも、いた。

「月面に9番目に人類として足跡を残した、宇宙飛行士のジョン・アームストロングは、
月でのUFOの存在について、こう語った。『もし君が(UFOが)存在しないと思うなら、勝ち目のない勝負をしているようなものだ』と。

また同じく宇宙飛行士のユージン・サーナンは、『UFOは、どこか他の文明から来たと信じている』といっている」(以上、「月の先住者」)と。

E・ミシェル博士自身の言葉も、収録してある。

「月での6番目の人類となった宇宙飛行士、エドワード・ミッチェル(本書では、「ミチェル」となっている)は、UFOについて、こう述べている。『UFOに関して、あとわからないのは、どこからやってきたのか、ということだけだ』」と。

 私は、月での不可思議現象を、ひとつずつ、検証してみたい。
が、その中でも、とくに私の注意をひいてやまないのが、『オニール橋』である。
私は子どものころ、(小学3年生前後ではあなかったかと思うが、記憶は定かではない)、
何かの博覧会で、そのオニール橋について知った。

 そこには大きなパネルで、月のクレーターからクレーターにまたがってかかる、巨大な
岩石のアーチが描かれていた。
見た感じは、大きな洞窟のような感じだった。
子どもが泥で作る、橋のようなものを想像すればよい。
が、そのオニール橋はその後、その場所から、こつ然と姿を消す。
一説によれば、巨大なUFOが、2つのクレーターの山の上にまたがって、着陸していた
ということだが、真偽のほどはわからない。

「月の先住者」のなかにも、そのオニール橋に触れた箇所がある。
それをそのまま紹介する。

「……そのころのもっとも驚くべき記事は、ニューヨーク・ヘラルド・トリビューン紙の
科学部門編集者であった、ジョン・オニール氏が、1954年に危難の海に、巨大な橋のような建築物が見えると発表したときだった。

 おもしろいことには、他の著名な天文学者にも各自の望遠鏡で、その橋らしきものが確認されたことだった。ある者は、その橋は全長12マイル(約20キロ)にも達するといった。

 はたしてその(橋)が建築物であったのか、それとも単に自然のなせる技だったのだろうか。英国の有名な天文学者である、H・P・ウィルキンス博士(英国天文学協会、月面課主任)は、BBCのラジオ番組の中で、『(橋)らしきものは、建造物のようだ』(『UFOの陰謀』、ドナルド・キーホー、1975)と発言した。

 さらにその番組で、『建造物とは具体的にどういうことなのですか』と質問され、『つまり、それは技術的に作られたものだということです』と答えている。

 そしてその(橋)は地面に影を落としていて、外観もふつうの(橋)のようだと付け加えた。
またこの月の権威者は、『橋の下に太陽光が差し込んでいるのさえ、よく見える』と述べ、人々をびっくりさせた。

 このラジオ番組の中で、ウィルキンス博士は、この(橋)が、『自然にできたものである』とは一度も言わないばかりか、『人工のものらしい』と、何度も述べたのだった。

 危難の海自体、かつて何度もよく観察され、研究されつくした場所だけに、以前この(橋)が存在しなかったことは事実である。
そればかりか、この(橋)は近年になって、他の惑星の人類(?)によって建設された可能性が大となった。

 他にも、たくさん、知的生物によって、四角形、あるいは三角形の壁状のものや、ドームのようなものでさえ造られつづけ、どこからともなく現れては消えた……」(同書、P17~18)と。

 現在の今、そのオニール橋なるものは、存在しない。
また1954年に発見されたというのだから、私が、満7歳のときのことである。
私がどこかの博覧会で、その橋の想像図を見たのは、その直後のことということになる。

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 UFO 月面 危機の海 オニール橋)


Hiroshi Hayashi++++++++July 08++++++++++はやし浩司

●月は、巨大なUFO?

 このところ毎晩、眠る前に、「月の先住者」(ドン・ウィルソン著・たま出版)を読んでいる。かなり前に買った本だが、それが結構、おもしろい。なかなかよく書けている。要するに、月には、謎が多いということ。そしてその謎を集約していくと、月は、巨大なUFOということになる、という。

 私が子どものころには、月の危難の海というところに、オニール橋というのがあった。オニール(ニューヨーク・ヘラルド・トリビューン紙の科学部長であったJ・J・オニール)という科学者が発見したから、「オニール橋」というようになった(一九五三年七月)。どこかの科学博覧会に行ったら、その想像図まで展示してあった。一つの峰からつぎの峰にまたがるような、端から橋まで、二〇キロもあるような橋だったという。

 が、そんな橋が、月の上にあること自体、おかしなことだった。しかもそんな橋が、それまで発見されなかったことも、おかしなことだった。それまでに、無数の天文学者が、望遠鏡で月をのぞいていたはずである。

 しかし、最大の謎は、その後まもなく、そのオニール橋が、その場所から消えたということ。なぜか。その本によれば、あくまでも、その本によればの話だが、それは巨大なUFOだったという。(ありえる!)

 そこでインターネットを使って、オニール橋を調べてみた。ヤフーの検索エンジンを使って、「月 オニール」で検索してみると、いくつか出てきた。結局、オニール橋は、一部の研究者の「見まちがい」ということで、公式には処理されているようだ。(残念!)

 私自身は、信じているとかいないとかいうレベルを超えて、UFOの存在は、確信している。ワイフと私は、巨大なUFOを目撃している。私たちが見たのは、幅が数キロもあるような巨大なものだった。だからオニール橋が、巨大なUFOだったとしても、驚かない。

 しかしこういうのを、私たちの世界では、「ロマン」という。つまり、「夢物語」。だからといって、どうということもないし、また何ができるということでもない。またそれを基盤に、何かをすることもない。ただの夢物語。しかし心地よい夢を誘うには、この種の話が、一番。おもしろい。楽しい。それはちょうど、子どもたちが、かぐや姫の話を聞いて、夜の空に、ファンタジックな夢をはせるのと同じようなものではないか。

 興味のある人は、その本を読んでみるとよい。しかしあまりハマらないように! UFOの情報は、インターネットで簡単に手に入るが、そのほとんどのサイトは、どこかの狂信的なグループ(カルト)が、運営している。じゅうぶん注意されたし。
(030702)

Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

●UFO

Have you ever seen an UFO? My wife and I did. It was a midnight after 12:00 o’clock. We were walking in a narrow street near our flat. It was a huge one, which might be 2 or 3 kilometers in width. Of course it was not a plane. It was so huge. Then if someone asks me if I believe in UFO’s, I would say, “Yes”. These days at the Parliament House of Japan, some congressmen discuss about UFO’s in the public. Does this have something to do with “Kaguya”, a Japanese moon-search rocket? Kaguya is now on the orbit of the moon, taking photos from the space. I hope the government show us everything about the Moon. Some scientists as well as people say that the Moon is a giant space-craft for the aliens. Do you think so too?

+++++++++++++++++

このところ、国会議員たちが、「UFO」
という言葉を、よく口にする。

国会という、公式の場でも、この問題
が取りあげられた(07年12月)。

一応、政府見解は、「存在しない」だが、
一部の議員たちは、「信じている」、「いる
と思う」などと発言している。

こうした一連の発言は、日本が打ちあげた
月探査衛星「かぐや」と、どこかでつながって
いるのではないだろうか?

「かぐや」は、とんでもない映像を地球へ
送り届けてきた(?)。

「とんでもない」というのは、「ありえない」
という意味であり、私はそれがUFOであって
も、少しも、おかしいとは思わない。

アポロ宇宙船で、月の裏側に回ったある宇宙
飛行士は、こう言ったという。

「まるでラッシュ・アワーのように、UFO
が飛び交っている!」と。

+++++++++++++++++++

 月の内部には、巨大な空間がある。その中心部では、プラズマの人工太陽が、さんさんと輝いている。月の内側に住む住人たちは、地球人の私たちと同じような生活をしている。

 一見、荒唐無稽(むけい)のような話だが、こうした説を信じている人は多い。科学者の中にも、いる。たとえば私が子どものころには、月には、オニール橋※というのがあった。「オニール」というのは、その橋を発見した人物の名前である。

 オニールは、ある日、望遠鏡で月を見ていたとき、斜め方向からの太陽光線を浴びて、そこに橋のような影ができているのを発見した。それでそれを「オニール橋」と名づけた。

 私はその橋のことを、どこかの博覧会に行ったときに知った。巨大なアーチ型の橋で、全長はたしか、20キロ近くあると聞いたのを記憶している。

 しかし、だ。今、同じところをさがしても、その橋はない。「ない」というより、「消えた」。今にして思えば、その橋というのは、山から山へと、ちょうどそれらにまたがるように着陸していたUFOではなかったかと思う。

 私自身も、巨大なUFOを目撃している。ブーメラン型のUFOである。全長が2~3キロはあったかと思う。あるいはもっと長かったかもしれない。よく「葉巻型UFO」が話題になるが、葉巻型UFOともなると、全長が20~30キロもあるという。

 こういう話を聞くと、月へのロマンが、かぎりなく、ふくらむ。

 月の住人たちは、どこから来たのか?
 月の住人たちは、何をしているのか?
 月の住人たちは、地球人の私たちを、どうしようとしているのか?

 あの月をくりぬいて住むほどの宇宙人だから、かなり頭のよい人たちとみてよい。私たち人間より、ひょっとしたら、何千年も、何万年も進化しているかもしれない。あのUFOにしても、光速に近いスピードで、宇宙空間を自由自在に動き回れるという。

 私が見たUFOにしても、空にそのまま溶け込むかのようにして、消えていった・・・。

 「かぐや」は、どんな映像を送ってきているのか? その一部は、インターネット上でも公開されているが、どれも高・高度からのものでしかない。私(=私たち)が見たいのは、もっと低高度で撮った、倍率の高い写真である。
 
 そこには、月に住む住人たちの、その直接的な証拠が写っているかもしれない。どうかウソ隠しなく、(=修正しないで)、すべての写真を公開してほしい。

(注※)(月探査情報ステーションの公式HPより、転載)

オニール橋事件を振り返ってみます。1953年7月、ニューヨーク・ヘラルド・トリビューン紙の科学部長であったJ・J・オニール氏は、月面の「危難の海」の西側に人工的に作られた橋のようなものを発見したと発表しました。この橋は二つの峰をまたぐような形で、20kmにもおよび、日没時には観測できましたが、日の出の時には見えなかった、ということです。

同年8月、英国天文学協会の月研究部長だったH・P・ウィルキンス氏らも同じ構造を確認したと発表しました。しかし、その後この構造は観測できなくなり、見まちがいだったのではないかという批判が起こりました。ウィルキンス氏はその批判に抗議し、月研究部長を辞任したそうです。

当時、オニール橋はかなりの話題を呼び、一部UFO研究家などからは巨大なUFOが一時的に着陸していたのではという推測もされたそうです(以上、「月探査情報ステーションの公式HP」より)。

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 Hiroshi Hayashi education essayist writer Japanese essayist UFO オニール オニール橋)

*Someone lives in the Moon(3)

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オニール橋と並んで、私が発見した
月の2つのクレーターについて。

++++++++++++++++

●月の不思議

 月の南極の写真を見ていたときのこと。ちょうど南極付近に、きれいな円形の二つのクレーターがある。「きれいな」と書いたが、実際には、真円である。まるでコンパスで描いたような真円である。

 そこで二つのクレーターの直径を調べてみた。パソコンの画面上での測定なので、その点は不正確かもしれないが、それでも、一方は、3・2センチ。もう一方も、3・2センチ! 実際の直径は、数一〇キロはあるのもかもしれない。しかしその大きさが、ピタリと一致した!

 しかしこんなことが、実際、ありえるのだろうか。

 もともとこのあたりには、人工的な構造物がたくさん見られ、UFO研究家の間でも、よく話題になるところである。実際、その二つのクレーターの周囲には、これまた謎に満ちた影がたくさん写っている。

 そこでさらに調べてみると……というのも、おかしな言い方だが、ともかくも、あちこちのサイトを開いてみると、こうした構造物があるのは、月だけではないことがわかった。火星はもちろん、水星や、金星にもある。エウロパやエロスにもある。つまりいたるところにある。

 こうした写真は、アメリカのNASAから漏れ出たものである。一説によると、月だけでも、NASAは、数一〇万枚の写真をもっているという。公開されているのは、そのうちの数パーセントにすぎないという。しかも、何かつごうの悪い写真は、修整されたりしているという。しかし、クレーターまでは、消せない。それが、ここに書いた、二つのクレーターである。

【写真に興味のある人は、私のホームページから、(右下・ビデオであいさつ)→(動画コーナー)へと進んでみてほしい。一覧表の中から、月のクレーターを選んでクリックすれば、その写真を見ていただける。】

●下からの視点、上からの視点

 地球上にいて、それこそ地上のカビのような存在でしかない私。その私がはいつくばって東洋医学の勉強をした。その私が、天を見あげながら、「ひょっとしたら……」と考える。

 一方、宇宙には、すでに無数のエイリアンたちがいて、惑星間を回りながら、好き勝手なことをしている。中には、月そのものが、巨大なUFOだと主張する科学者さえいる。

 もちろん私は、宇宙から地球を見ることはできない。しかし頭の中で想像することはできる。そしてこれはあくまで、その想像によるものだが、もし私がエイリアンなら、人間の改造など、何でもない。それこそ、朝飯前? 小学生が電池をつないで、モーターを回すくらい簡単なことだ。

 この二つの視点……つまり下から天をみあげる視点と、天から人間を見る視点の二つが、合体したとき、何となく、この問題の謎が解けるような気がする。「この問題」というのは、まさに「人間に、約五五〇〇年前に起きた変化」ということになる。

 その五五〇〇年前を境に、先に書いたように、人間は、飛躍的に進化する。しかもその変化は、メチャメチャ。その一つが、少し前に書いた、『黄帝内経』である。黄帝というのは、司馬遷の「史記」の冒頭を飾る、中国の聖王だが、だからといって、黄帝内経が、黄帝の時代に書かれたものと言っているのではない。

 中国では古来より、過去の偉人になぞらえて、自説を権威づけするという手法が、一般的になされてきた。黄帝内経は、そうして生まれたという説もある。しかし同時期、メソポタミアで起きたことが、そののち、アッシリア物語として記録され、さらにそれが母体となって旧約聖書が生まれている。黄帝内経が、黄帝とまったく関係がないとは、私には、どうしても思われない。

●秋の夜のロマン

 あるとき、何らかの理由で、人間が、エイリアンたちによって、改造された。今でいう、遺伝子工学を使った方法だったかもしれない。

 そして人間は、原始人から、今でいう人間に改造された。理由はわからない。あるいはエイリアンの気まぐれだったかもしれない。とりあえずエイリアンたちが選んだ原始人は黄河流域に住んでいた原始人と、チグリス川、ユーフラテス川流域に住んでいた原始人である。

 改造された原始人は、もうつぎの世代には、今でいう現代人とほとんど違わない知的能力をもつようになった。そこでエイリアンたちは、人間を教育することにした。言葉を教え、文字を教えた。証拠がないわけではない。

 中国に残る甲骨文字と、メソポタミアに残る楔形(くさびがた)文字は、たいへんよく似ている。形だけではない。

 中国では、「帝」を、「*」(この形に似た甲骨文字)と書き、今でも「di」と発音する。「天から来た、神」という意味である。一方、メソポタミアでは、「神」を、同じく、「*」(この形に似た楔形文字)と書き、「dingir」と発音した。星という意味と、神という意味である。メソポタミアでは、神(エホバ)は、星から来たと信じられていた。(詳しくは、私が書いた本「目で見る漢方診断」(飛鳥新社)を読んでいただきたい。)

 つまり黄河文明でも、メソポタミア文明でも、神は「*」。発音も、同じだったということ。が、これだけではない。言葉の使い方まで、同じだった。

 古代中国では、「帝堯(ぎょう)」「帝舜(しゅん)」というように、「位」を、先につけて呼ぶならわしがあった。(今では、反対に「~~帝」とあとにつける。)メソポタミアでも、「dingir ~~」というように、先につけて呼んでいた。(英語国などでも、位名を先に言う。)

 こうして今に見る人間が生まれたわけだが、それがはたして人間にとって幸福なことだったのかどうかということになると、私にも、よくわからない。

 知的な意味では、たしかに人間は飛躍的に進化した。しかしここでも、「だからどうなの?」という部分がない。ないまま進化してしまった。それはたとえて言うなら、まさにそこらのサルに知恵だけ与えたようなものである。

 わかりやすく言えば、原始的で未発達な脳の部分と、高度に知的な脳の部分が、同居することになってしまった。人間は、そのとたん、きわめてアンバランスな生物になってしまった。人間がもつ、諸悪の根源は、すべてここにある?

 ……これが私の考える、秋の大ロマンである。もちろん、ロマン。SF(科学空想)。しかしそんなことを考えながら天の星々を見ていると、不思議な気分に襲われる。どんどんと自分が小さくなっていく一方で、それとは反比例して、どんどんと自分が大きくなっていく。「人間は宇宙のカビ」と思う一方で、「人間は宇宙の創造主」と思う。相矛盾した自分が、かぎりなく自分の中で、ウズを巻く。

 あさって(二七日)も、天気がよければ、望遠鏡で、月をのぞくつもり。山荘から見る夜空は、どこまでも明るい。
(030925)

*True Love

●真の愛

 「子育てが生きがい」という人は多い。明けても暮れても、頭の中は、子どものことば
かり。しかしそういう人は、子どもの奴隷になっているだけ。親は親で、それで構わない
かもしれないが、それから受ける子どもの負担感には、相当なものがある。
 あるときある中学生は、母親に向かって、こう叫んだという。「お母さん、ぼくのことは
もういいから、お母さんはお母さんで、自分の人生を生きてよ!」と。
 親が子どもに感ずる愛には、三種類ある。(1)本能的な愛、(2)代償的愛、そして(3)
真の愛。本能的な愛というには、赤子のオギャーオギャーと泣くのを聞いたときに、親が
感ずるような愛をいう。親はその声を聞くと、いたたまれない気持ちになる。
 代償的愛というのは、いわば「愛ももどきの愛」をいう。子どもを自分の支配下におい
て、自分の思いどおりにしたいという愛をいう。親自身の情緒的欠陥、精神的未熟性が、
その背景にあることが多い。
 たとえば子どもの受験競争に狂奔する親というのは、「子どもを愛している」とは言うも
のの、その実、自分勝手な愛を、子どもに押しつけているだけ。自分が感ずる不安や心配
を解消するための道具とて、子どもを利用しているだけ。
 では、真の愛とは何か。…実は、「愛」ほど、実感しにくい感情はない。何かあったとき
に、顔を出すことはあるが、日ごろは、「平凡」の中に、埋もれてしまっている。が、真の
愛を知る方法はないわけではない。『許して、忘れる』。つまりその度量の深さで、真の愛
の深さを知ることができる。
 『許して、忘れる』というのは、英語では、「FOR・GIVE & FOR・GET」という。こ
の単語をよく見ればわかるように、「FOR・GIVE(許す)」は、「与えるため」とも訳せる。
同じように「FOR・GET(忘れる)」は、「得るため」とも訳せる。つまり『許して、忘れ
る』は、「子どもに愛を与えるために許し、子どもから愛を得るために忘れる」ということ
になる。その度量の深さによって、真の愛が決まる。
 が、誤解してはいけないのは、「許して、忘れる」と言っても、子どもに好き勝手なこと
をさせろという意味ではない。子どもがどんな子どもであっても、その苦しみや悲しみを
共有し、それを許し、忘れるということ。
 親は子どもを産むことで親になるが、真の愛にたどりつく道は、遠い。険しい。何度も
道に迷いながら、ときに袋小路に入って、もがく。苦しむ。「ああ、もうだめだ」と思うこ
ともある。
 そういう幾多の山を越え、谷を越えて、やがて親は、真の親にたどりつく。そのときの
言葉が、これ。『許して、忘れる』。いつかあなたも子育てで行きづまりを感ずることがあ
る。そんなとき、この言葉を、思い出してみてほしい。あなたはその先に、「真の愛」を見
出すはず。心が救われるはず。

Saturday, July 26, 2008

*UFO is Real!

● 多治見で39度!

++++++++++++++++++H.Hayashi

今日(7月25日)、岐阜県多治見市で、最高気温39・0度を記録した。
猛烈な暑さである。
この浜松市でも、37・5度!
ちょうどその時刻に、私とワイフは、街中を歩いていた。
乾いた、肌を貫くような白い太陽光が、容赦なく天から降っていた。
「暑い」というよりは、「熱い」。
そんな感じだった。
私とワイフは、駐車しておいた車に飛び乗ると、クーラーをガンガンと
回した。

++++++++++++++++++H.Hayashi

● 宇宙人(ET)の話、PART2

●人間と宇宙人

昨日、久しぶりにUFOの話を、書いた。
あえて言うなら、「夏の夜のロマン」というところか。
UFOについて書けば、かえって変人扱いされるだけ。
「君は教育評論家を名乗っているのだから、そういうことを書くのは、
やめたほうがいい」と忠告してくれた人もいた。

が、あのE・ミシェル元宇宙飛行士が、「UFO現象は、現実(real)である」
「宇宙人(ET)は存在する(real)」と断言した。

久々に、胸の内がスカッとする、ビッグ・ニュースである。

しかし問題がないわけではない。
私はかねてから、こう書いてきた。
「宇宙人がおおっぴらに、人間の前に姿を現すのは、人類最期のときである」と。
宇宙人にしても、自ら身を隠す必要がある間は、身を隠す。
少なくとも、存在を明らかにする必要がないときは、身を隠す。
あえて地球人である人間を、混乱させる必要はない。

それは自然動物園を守る、管理者の心理に共通する。
動物園内の動物は、できるだけそっとしておいてやるのがよい。
自然動物保護の世界には、『暖かい無視』という言葉さえある。
あれこれ人間が手出しするのは、最低限がよいという意味である。

しかしもし動物園の中が混乱し始めたとしたらどうだろうか。
動物たちがともに殺しあったり、施設を勝手に破壊し始めたとしたら……。
当然のことながら、自然動物園の管理者たちは、園の中に割って入り、動物たちを
隔離したり、保護したりするだろう。

それだけではない。

宇宙人にしても、この地球が、太陽系の中でも、食糧が確保できるゆいいつの惑星と
考えてよい。
一説によれば、宇宙人たちは、海草を中心とする、ヨード系の食物を口にしている
と言われている。
地球の温暖化が進んで、そうした食物の確保がむずかしくなるということになれば、
彼らにとっても、重大問題ということになる。
だまって見過ごすわけにはいかない。

●どこに住んでいるか?

すでに40年ほど前から、『月空洞説』(「月の先住者たち」)というのがあった。
旧ソ連の2人の科学者が言い出した説だが、根拠はいろいろある。
その第一は、月が体積に比して、比重が軽すぎるということ。
また月全体がまるで釣鐘のようになっていて、人工的に起こした地震波が、
いつまでも月の表面を伝わるなどの現象がみられる、など。

この月空洞説に、UFO基地説に重ね合わせてみると、今まで合点のいかなかった
ことが、頭の中ですっきりする。
ジグソーパズルをしていて、コマがぴったり重なったときのような気分である。

一方、宇宙人にしても、月の内部ほど、快適な居住空間はない。

重力は、地球の6分の1、あるいは場所によっては、それ以下。
(だから穴を掘るのも、楽?)
太陽からの有害な放射線は、月の厚い岩石が防いでくれる。
一見荒唐無稽な話に聞こえるかもしれないが、考えれば考えるほど、つじつまが
合ってくる。

事実、アポロ飛行士の中には、月のクレーターの間から出入りするUFOを
目撃した人もいるという。
さらに太古の昔、チベットには、天に使者に連れられて、月の内部の世界を見たという
伝説まで残っている。
私たちが今に見る、絵曼荼羅は、その月の内部の世界を表現したものだと説く研究家も
いる。

今の段階では、すべて風説ということになっているがUFOの存在が
確認され、宇宙人の存在が確認されれば、そのひとつひとつが、人類の
歴史をひっくり返すような(事実)となって、表に出てくる。

アメリカのNASAが心配するまでもなく、人間に与える衝撃には、はかり
しれないものがある。

●人類は、宇宙人の子孫なのか?

若いころ中国に伝わる『黄帝内経(こうていだいけい)』という本を調べているとき、
そのとほうもない科学性に驚いたことがある。
「地球は球である」「地球は虚空の宇宙を回転しながら浮かんでいる」という記述にも
出会った。
(詳しくは、私のHP上で紹介。)

宇宙人がそこにいたとするなら、当然のことながら、私たちは常に、宇宙人の監視と
指導を受けてきたと考えるのが、自然である。
(そうでないと考えるのは、その数百倍も、不自然である。)

「指導」といっても、直接的な会話によるものもあっただろうが、もう少し高度な
立場では、たとえば遺伝子操作による人間の改造も、考えられる。
直接人間の脳みその中に、情報チップを埋め込むという方法も、あるだろう。
「将来的にはそういう方法も可能になる」と、あのホーキング博士も書いている。

少なくとも、今から5500年前を境として、人類は、それまでの新石器時代から、
青銅器、鉄器時代へと、飛躍的に進化している。
このころ、黄河文明が生まれ、チグリス・ユーフラテス文明生まれた。
文字の発明も、このころと考えてよい。
で、先にあげた「黄帝内経」の「黄帝」というのは、司馬遷の「史記」の第1ページ目を
飾る黄帝である。

●超高度な文明?

宇宙人がもっている技術力は、人間のそれをはるかに超えたものと考えるのが自然である。
すでに数十世紀にわたって、このあたりの宇宙を自由に航行していたであろうということ。
それだけでも、彼らのものすごさがわかる。
私とワイフが目撃した巨大なUFOしても、頭上にきたあとは、猛スピードで、
東の空に消えていった。
まるで空に溶け込むかのように、だ。

人間が乗っている飛行機とは、比べものにならない。

一方、今、私たちが最先端の技術として手にしている、コンピュータ技術、遺伝子工学、
宇宙工学などにしても、この半世紀の歴史しかない。
おそらく宇宙人の目に映る人間は、チンパンジーか何かのようではないか。

E・ミッシェル博士が指摘するまでもなく、「もし彼らが敵対的であるなら、人類は
とっくの昔に、滅びていただろう」ということになる。
考えるだけでも恐ろしいことだが、宇宙人がその気にさえなったら、人類など、
部屋の中のハエを殺虫剤で殺すほど簡単に、殺してしまうかもしれない。

● なぜ、今なのか?

しかしなぜ、今なのか?
5500年前から人類にかかわってきたとしても、彼らはけっして、その姿を
おおっぴらに、私たちの前に現すことはなかった。
が、なぜ、今なのか?

E・ミッシェル博士は「さらに重大な開示が予定されている」と述べている。
言葉通りに解釈すれば、もっとはっきりとした証拠なり事実が示されるということに
なる。

だとすると、さらに「なぜ、今なのか?」という疑問が膨らんでくる。

が、今さら、言うまでもない。
この問題は、地球温暖化と、深くかかわりあっている。
現在考えられている対策がすべて実行されたとしても、2100年までには、日本の
気温についてだけをみても、4~5度も上昇するという。

中には、「たった4~5度?」と思う人もいるかもしれないが、4~5度もあがれば、
真冬でも、現在の夏のような気候になる。
地球温暖化の影響は、赤道付近よりも、南北の極地方、また季節で言えば、寒い冬の
ほうに、より大きく現れる。

が、そこで地球温暖化が止まるわけではない。
2100年以後も、また2200年以後も、つづく。
2300年以後もつづく。

そのとき、地球は、どうなっているか?

地球温暖化の問題よりも、私は人類の精神の荒廃のほうを危惧する。
自暴自棄になった人々が、それこそどんなことをしでかすようになるか、
私はそれを心配する。
それこそ地獄絵図そのままの世界が、そのまま具現化される。

●宇宙人の視点で……

そんなとき、もしあなたが宇宙人なら、どうするだろうか?
それをだまって見ているだろうか。
それとも、人間の世界に、積極的に介入していくだろうか。

人間の私が、自分たちの心理状態を基本に、彼らの心を推し量るのは正しくない。
彼らは、私たち人間とはまったくちがった、思考回路をもっている。
感情の中身もちがうだろう。
精神構造もちがうだろう。
ひょっとしたら、人間がもっているような、喜怒哀楽の感情はないかもしれない。
あるいは反対に、たいへん愛情深く、慈愛に満ちた生物かもしれない。

ひょっとしたら、旧約聖書の中に出てくる、「ソドムとゴモラ」のように、
一気に、人間を焼き払ってしまうかもしれない。

が、反対に、ひょっとしたら人間の愚かさを指摘し、人間を指導し、
さらには地球温暖化防止のための知識を分け与えてくれるかもしれない。
が、そこまで期待できるかどうかというと、それはむずかしい。
反対の立場で、「私たち人間は、生き延びる価値があるかどうか」ということを
考えみれば、それがわかる。

あるいは、あなたならどうだろうか。
だれかに、「あなたは生き延びる価値があるかどうか」と聞かれたら、
あなたは何と答えるだろうか。

●宇宙人の限界

が、宇宙人が、全知全能かというと、私は、そうは思わない。
絶対的な(数)、つまり人口そのものが少ないということも考えられる。
あるいは、宇宙人と呼ばれる(人)は、実は(人)ではない可能性もある。

もっとメカニックな、つまり人間が手にした人工知能のかたまりのようであるかも
しれない。

……と書くと、「あのグレイは何か?」と思う人もいるかもしれない。
あのグレイ(本物かどうかは別として)、どこか人間的な体をしている。
しかしあのグレイをもって、宇宙人とするには、少し、無理がある。
私は、親分格の宇宙人は、もっと別の場所にいるのではないかと思っている。
別の場所にいて、グレイのような手下を、ロボットのようにして使っている?

つまりこのあたりに、宇宙人のもつ力の限界がある。
「なぜ人間の前に姿を現さないのか?」という問題にしても、単純に考えれば、
「それができないから」ということになる。
その(できない)部分が、そのまま彼らの(限界)ということになる。

●事実の一端

E・ミシェル博士のような人の発言を聞いて、私は、ほっとしている。
「いつか、そういう人が現れて、真実を語ってくれるだろう」とは思っていた。
しかしその一方で、「私が生きている間に、それをしてくれるだろうか」という
不安もあった。

「間に合った」という言い方は、どこかおかしいかもしれないが、間に合った。
あの夜以来、ずっと私とワイフは考えてきた。
ときどき「夢だった」と、自分にそう思い込ませようとしたこともある。
しかし私たちの結論は、いつも同じだった。
「見たものは、見た」。

そこで私はいつしか、「自分が死ぬまでに、あの夜見たUFOの正体を知りたい」
と思うようになった。
E・ミシェル博士の発言は、その一端を、私につかませてくれたことになる。
「私は、やはり、見たのだ」と。

●心の準備

この先、E・ミシェル博士が語っているように、「さらに重大な(serious)な発表」
がつづくかどうか、今の私にはわからない。
しかしそれよりも重要なことは、そういう発表があるという前提で、私たち自身が、
それに備えて、心の準備をしておくということ。

これは映画の中の話ではない。
現実の話である。

もし宇宙人の存在が確実になったとしたら、宗教はもちろん、歴史すらも、その
根底からひっくり返ることになる。
そうした混乱に、人間は、どう対処したらよいのか。
また対処できるだけの度量はあるのか。
これはあくまでも仮定の話だが、仮に、(あくまでも仮に)、あのイエス・キリスト
ですら、宇宙人とかかわりをもっていたとしたら、それだけで、キリスト教その
ものが、ひっくり返ってしまう。

「今までの歴史は何だったのか」ということにもなるだろう。
あるいは今の今、神に救いを求めている人もいるはず。
そういう人たちは、信仰の基盤を、根元から破壊されてしまうことにもなりかねない。
この問題だけは、「宇宙人がいます」「はい、そうですか」というレベルで片づけられ
るような、単純なものではない。

夏の夜、あなたも、あの月を見ながら、そんなことを考えてみるとよい。
そこには、とてつもないほど壮大なロマンが隠されている。

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 Hiroshi Hayashi education essayist writer Japanese essayist 壮大なロマン

Friday, July 25, 2008

*Japan Has Changed!

●幸せに慣れた者は、不幸の意味がわからない

+++++++++++++++++++++

時代は変わった。
若者たちも変わった。
ものの考え方も、変わった。

+++++++++++++++++++++

最近の若い人たちは、「ぼくたちは不幸だった」と言う。
これだけ恵まれた世界に住みながらも、そう言う。
「こんな世の中、生まれてこなければよかった」と言った若者もいた。
心のすみに、そういういじけた心を閉じこめておく、牢屋のようなものがあるらしい。
何かの口論になったようなとき、そういう言葉が、ふと口から漏れる。

そういう言葉を聞くたびに、私はこう思う。
「何が、不幸だ」「不幸の意味も知らないくせに」と。

私たちが子どものころには、家族旅行などという言葉すら、なかった。
私の家が特別というわけでもないが、私の家族が家族旅行なるものをしたのは、
私が小学4年生のときが、はじめて。
数えてみれば、たったの1度だけ。
それも行った先は、伊勢。
その伊勢で、父は酒をあおってしまい、旅館で、大暴れ。
私たちは泊まることもなく、そのまま夜中に、家に帰ってきてしまった。
無惨な、あまりにも無惨な、家族旅行だった。

しかし私は親たちに向かって、「不幸だった」とか、「生まれてこなければよかった」などと、言ったことはない。
そういう発想そのものが、私たちにはなかった。

日本が今にみるような豊かな国になったのは、ここ20~30年のこと。
不幸と言えば、それ以前の日本がどういう国であったかを知らないことほど、不幸なことはない。
「今の状態」を当たり前と思うあまり、そこにある「幸福」に気づかない。

食事を口にすることができる。
寝泊まりする家がある。
洗濯された服が、そこにある。

今では高校生でも、親に感謝しながら高校に通っている子どもは、ゼロ。
大学生にしても、口では「ありがとう」とはいうものの、本当に感謝しているかどうかとなると、疑わしい。
「高校へ行くのは、当たり前」「大学へ行くのは、当たり前」という前提で、ものを考える。
へたに、「進学をあきらめてくれ」などと親が言おうものなら、即座に子どものほうが、それに反発する。

私は私で、生きていくだけで、精一杯だった。
それこそ身を粉にして働いた。
ある時期は、休みは、月に1度しかなかった。
今の若い人たちは、そういう(過去の現実)を知らない。

だからこう言った若者がいた。
「ぼくのおやじは、金儲けばかりしていた」と。
そこで私が、「君たちが大学へ行くのだって、お金がかかったんだよ」と言うと、こう反論する。

「子どものときから、勉強、勉強と、勉強で追われた。その責任を取るのは、親の義務」と。

もし当時、当時の日本人が、アメリカ人のような父親、たとえば『名犬ラッシー』に出てくるような父親を演じていたら、その翌年には、一家心中……ということになっていたかもしれない。
そういう過去の(現実)が、まったくわかっていない。

だからある日、私は自分がしてきたことが、バカらしく思えたことがある。

私の時代には、息子というのは、収入の半分を、実家へ仕送りするというのが、ひとつの習わしになっていた。
みながみなではないが、私の周囲にも、同じようなことをしている人が、何人か、いた。
盆や正月には実家へ帰り、親に金銭を渡したり、贈り物をするという習慣も残っていた。

が、今では、それが逆転している。
親のほうが息子や娘、それに孫に金銭を渡したり、贈り物をしている!
いろいろな調査結果を見ても、「将来、親のめんどうをみる」と考えている子どもは、40%もいない。
「めんどうをみる」という意味すら、わかっていない。
へたにそういう話題をもちだすと、「そんなのは親の責任」と言われそう。
つまり死ぬのも、私たち自身の責任で死ねということか。

その点、私のワイフなんかは、ずいぶんと前に、割り切ってしまっている。
たとえば私が息子たちにいくらかの金銭を渡すたびに、「そんなことはしなくてもいい」と、ブレーキをかける。

とは言うものの、息子たちから何かの贈り物が届くというのは、うれしいもの。
三男は大学生のころから、旅の先々から、その土地の名物を送ってくれる。
その三男が、おととい、電話で、こう言った。

「パパ、NAPA(=アメリカ)での訓練が終わったら、1か月、休暇がもらえる。いっしょに旅行に行こう」と。

うれしかった。
楽しみがふえた。

私たちには、その「幸福」が、よくわかる。
身にしみる。

ワイフはさっそく、旅行先を選び始めた。

*Aliens are defenitely out there! (Part2)

【宇宙人は、存在する!】(改)(Aliens are definitely out there!)

Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

驚くべきニュースが、伝えられた。
時事通信、7月25日、ニューヨーク発は、
つぎのように伝える。
その記事を、そのまま紹介する。
まさに驚愕すべきニュースである。

Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

++++++++++以下、時事通信より+++++++++++++

【ニューヨーク 25日時事】米航空宇宙局(NASA)の元宇宙飛行士が英国の音楽専門ラジオ局のインタビューで、政府は宇宙人の存在を隠ぺいしていると発言。米英メディアが相次いで報じる騒ぎに発展した。

 この元宇宙飛行士は、1971年に打ち上げられたアポロ14号の元乗組員、エドガー・ミッチェル氏(77)。

 同氏は23日の放送で、政府は過去60年にわたり宇宙人の存在を隠してきたが、「われわれのうちの何人かは一部情報について説明を受ける幸運に浴した」と説明。宇宙人は「奇妙で小さな人々」と呼ばれているなどと語った。(ヤフー・ニュースより転載) 

++++++++++以上、時事通信より+++++++++++++

この記事の信憑性を確かめることにした。
が、それは今日(7月25日)、オーストラリアの友人が送ってくれた情報の中に、含まれていた。

それをそのまま紹介する。
訳は急いで私がつけたが、あえて、原文に忠実に訳してみた。
(荒っぽい訳なので、後日、改めて訳し直してみたい。)

++++++++++++++以下、NEW.COM.AUより+++++++++

FORMER NASA astronaut and moon-walker Dr Edgar Mitchell - a veteran of the Apollo 14 mission - has stunningly claimed aliens exist.
月面歩行者であり、元NASAのベテラン宇宙飛行士である、エドガー・ミシェル博士(アポロ14号のベテラン飛行士)が、「宇宙人は存在する」と強く主張した。

And he says extra-terrestrials have visited Earth on several occasions - but the alien contact has been repeatedly covered up by governments for six decades.
彼が言うには、外惑星人は、地球を、何度かに渡って訪問しているとのこと。しかし宇宙人とのコンタクト(接触)は、この60年間、政府によって繰り返し、隠蔽されてきた、という。

Dr Mitchell, 77, said during a radio interview that sources at the space agency who had had contact with aliens described the beings as 'little people who look strange to us.'
77歳のミシェル博士は、ラジオ・インタビューの中で、宇宙人と接触したことのある宇宙局(の係官)は、その生き物を、『ワレワレには奇妙に見える小さな人々』と表現したと語った。

He said supposedly real-life ET's were similar to the traditional image of a small frame, large eyes and head.
ミシェル博士は、本物のETは、小さな体の、大きな目と頭をもった、あのよく知られている(=伝統的な)イメージに似ていると思っていると語った。

Chillingly, he claimed our technology is "not nearly as sophisticated" as theirs and "had they been hostile", he warned "we would be been gone by now".
ミシェル博士は、ワレワレ人間の技術力は、彼らのものととても同程度のものではなく、「もし彼らが敵対的であるなら、人類は、今ごろは絶滅していただろう」と、警告した。

Dr Mitchell, along with with Apollo 14 commander Alan Shepard, holds the record for the longest ever moon walk, at nine hours and 17 minutes following their 1971 mission.
ミシェル博士は、アポロ14号のアラン・シェパード船長とともに、1971年のミッションでは、9時間17分の最長月面歩行をしたという記録を保持している。

"I happen to have been privileged enough to be in on the fact that we've been visited on this planet and the UFO phenomena is real," Dr Mitchell said.
ミシェル博士は、「ワレワレは宇宙人によってこの惑星を訪問され、またUFO現象は事実であるという事実に関して、それをじゅうぶん知りうる立場にあるという特権を、私はたまたまもった」

"It's been well covered up by all our governments for the last 60 years or so, but slowly it's leaked out and some of us have been privileged to have been briefed on some of it.
「過去60年間、私たち政府すべてによって、それは隠蔽されつづけてきた。しかし少しずつ、外に漏れてきた。そしてワレワレの中の何人かは、それらのいくらかの部分について、述べるという特権を与えられた」

"I've been in military and intelligence circles, who know that beneath the surface of what has been public knowledge, yes - we have been visited. Reading the papers recently, it's been happening quite a bit."
「私は軍と情報部に属してきた。軍と情報局は、一般的に知られているその表面下で、(そうだとも)、ワレワレは訪問を受けていたということを知っている。最近の新聞を読めば、それがたいへんしばしば起きてきたということがわかる」と。

Dr Mitchell, who has a Bachelor of Science degree in aeronautical engineering and a Doctor of Science degree in Aeronautics and Astronautics claimed Roswell was real and similar alien visits continue to be investigated.
ミシェル博士、つまり航空工学分野の科学学士号、ならびに、航空力学ならびに宇宙船学の博士号をもっているが、ロズウェルは現実にあったと主張し、同様の宇宙人の訪問は、調査されていると語った。

He told the astonished Kerrang! radio host Nick Margerrison: "This is really starting to open up. I think we're headed for real disclosure and some serious organisations are moving in that direction."
ミシェル博士は、驚いているケラング・ラジオ局のホストである、ニック・マーゲリソンにこう語った。「これは情報開示の第一歩であり、私たちがその開示の先頭にいる。いくつかの重要な組織が、その方向で動きつつある」と。

Mr Margerrison said: "I thought I'd stumbled on some sort of astronaut humour but he was absolutely serious that aliens are definitely out there and there's no debating it."
マーゲリソンは、語った。「私は宇宙船乗組員のユーモアと思ったが、(ミシェル博士は)、まったく真剣だった。彼は宇宙人は、確実にそこにいて、議論の余地はないと語った」と。

Officials from NASA, however, were quick to play the comments down.
しかしNASAの高官はすかさず、つぎのようなコメントを発表した。

In a statement, a spokesman said: "NASA does not track UFOs. NASA is not involved in any sort of cover up about alien life on this planet or anywhere in the universe.
その中で、スポークスマンは、「NASAは、UFOの存在を確認していない。NASAは、この惑星上の宇宙生命体について、この惑星においても、また宇宙においても、どこでも、いかなる隠蔽にも関与していない」。

'Dr Mitchell is a great American, but we do not share his opinions on this issue.'
「ミシェル博士は、偉大なアメリカ人だが、ワレワレ(=NASA)は、この問題について、彼の意見と共にすることはない」と。

++++++++++++++++++以上、NEW.COM.AUより++++++++

+++++++++以下、オーストラリアUFO研究団体のHPより++
A RECENT spate of UFO sightings around the world has believers in a frenzy, but even the inside scoop from a former astronaut is not enough to sway the sceptics.
Yesterday, aliens popped up in the news again as NASA sought to distance itself from former Apollo 14 astronaut Edgar Mitchell who claimed extra-terrestrials have been coming to visit for decades.

Dr Mitchell, 77, said governments had been covering it up for 60 years.

“I've been in military and intelligence circles, who know that beneath the surface of what has been public knowledge, yes - we have been visited. Reading the papers recently, it's been happening quite a bit,” he said.

Dr Mitchell's former bosses were quick to distance themselves from the renewed buzz.
“NASA does not track UFOs. NASA is not involved in any sort of cover up about alien life on this planet or anywhere in the universe,” the agency said.
But the Australian Skeptics were not impressed by what Dr Mitchell - or anyone else - thought they saw.  Skeptic spokesman Barry Williams said today the truth was closer to home: it's all in your head, and you're wrong.
“We love mysteries and we love solving them, just look at how popular crime fiction and crime TV shows are,” Mr Williams said. “The brain needs to find answers, it can’t stand not knowing, so it comes to an explanation and quite often it’s wrong.”

+++++++++以下、オーストラリアUFO研究団体のHPより++

+++++++++++++++はやし浩司

しかし私はこの記事を読んだとき、肩から、スーッと力が抜けていくのを感じた。
「やはり、そうだったのだ」と。

私とワイフは、35年近くの前の夜のこと、散歩中に、巨大なUFOを目撃している。
以来、「あの夜、私たちが見たものは何だったのか」と、それをずっと考えてきた。
が、「考える」といっても、相手は、煙のような存在。
手でつかまえようとしても、いつもそのままどこかへ消えてしまう。
この35年間、その歯がゆさとの闘いだった。

しかしとうとう、告白者が現れた。
アポロ14号の元乗組員、エドガー・ミッシェル氏である。
これ以上の証言者が、ほかにいるだろうか。

しかも、60年前といえば、「1947年のロズウェル事件」と、重なる。
60年前、アメリカのロズウェルというところに、UFOが墜落している。
エドガー・ミッシェル氏がいう「60年前」と、「1947年のロズウェル事件」とを結びつけるのは、まだ早計かもしれない。
しかしほかに結びつく話が、ない。

で、「奇妙で小さな人々」とは、どんな人々をいうのか。
ロズウェルでのUFO墜落事件では、「グレイ」とそののち呼ばれるようになった、小さな体の宇宙人が、アメリカ軍によって収容されている。
エドガー・ミシェル氏が言うところの、「小さな人々」というのは、その「グレイ」のことをさすのか。

今のところ詳細は不明だが、エドガー・ミッシェル氏の勇気に、敬意を表したい。
おそらくこれからしばらくの間、エドガー・ミシェル氏は、アメリカ政府内の、そのスジに人たちによる、猛攻撃にさらされるにちがいない。
ばあいによっては、逮捕、投獄されるかもしれない。
しかしそんなことをすれば、かえってエドガー・ミシェル氏の正当性が、証明されるようなもの。

……私は何度も、この記事を読みなおした。
「UFOを見た」というだけで、この日本では、奇人扱いされる。
しかし見たものは、見た。
記憶の中で、もう何千回も、反復してみたが、見たものは見た。
たったそれだけのことだが、そのつど、同時に私は、(私のワイフもそうだろうが……)、自分の脳みそを疑わねばならなかった。

が、この記事で、私はその重圧感から、解放された。
「やはり、そうだったのか」と。

私たちがあの夜見たものは、やはりUFOだった。
宇宙人が操縦する、UFOだった。
今まで、私やワイフを奇人扱いしてきた者どもよ、悔しかったら、この記事を自分で読んでみることだ!

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 Hiroshi Hayashi education essayist writer Japanese essayist 宇宙人 宇宙人は存在した アポロ14号 エドガー・ミシェル Dr Edgar Mitchell ET ALIEN エイリアン ロズウェル グレイ 宇宙人 はやし浩司)

++++++++++++++++

私たちが見たUFOについて書いた
記事がつぎのものです。
地元の中日新聞に掲載してもらいました。

++++++++++++++++

●見たぞ、巨大なUFO!

 見たものは見た。巨大なUFO、だ。ハバが一、二キロはあった。しかも私と女房の二人で、それを見た。見たことにはまちがいないのだが、何しろ二十五年近くも前のことで「ひょっとしたら…」という迷いはある。が、その後、何回となく女房と確かめあったが、いつも結論は同じ。「まちがいなく、あれはUFOだった」。

 その夜、私たちは、いつものようにアパートの近くを散歩していた。時刻は真夜中の十二時を過ぎていた。そのときだ。何の気なしに空を見上げると、淡いだいだい色の丸いものが、並んで飛んでいるのがわかった。私は最初、それをヨタカか何かの鳥が並んで飛んでいるのだと思った。そう思って、その数をゆっくりと数えはじめた。

あとで聞くと女房も同じことをしていたという。が、それを五、六個まで数えたとき、私は背筋が凍りつくのを覚えた。その丸いものを囲むように、夜空よりさらに黒い「く」の字型の物体がそこに現れたからだ。私がヨタカだと思ったのは、その物体の窓らしきものだった。「ああ」と声を出すと、その物体は突然速度をあげ、反対の方向に、音もなく飛び去っていった。

 翌朝一番に浜松の航空自衛隊に電話をした。その物体が基地のほうから飛んできたからだ。が、どの部署に電話をかけても「そういう報告はありません」と。もちろん私もそれがUFOとは思っていなかった。私の知っていたUFOは、いわゆるアダムスキー型のもので、UFOに、まさかそれほどまでに巨大なものがあるとは思ってもみなかった。が、このことを矢追純一氏(UFO研究家)に話すと、矢追氏は袋いっぱいのUFOの写真を届けてくれた。

当時私はアルバイトで、日本テレビの「11PM」という番組の企画を手伝っていた。矢追氏はその番組のディレクターをしていた。あのユリ・ゲラーを日本へ連れてきた人でもある。私と女房はその中の一枚の写真に釘づけになった。私たちが見たのと、まったく同じ形のUFOがあったからだ。

 宇宙人がいるかいないかということになれば、私はいると思う。人間だけが宇宙の生物と考えるのは、人間だけが地球上の生物と考えるくらい、おかしなことだ。そしてその宇宙人(多分、そうなのだろうが…)が、UFOに乗って地球へやってきてもおかしくはない。

もしあの夜見たものが、目の錯覚だとか、飛行機の見まちがいだとか言う人がいたら、私はその人と闘う。闘っても意味がないが、闘う。私はウソを書いてまで、このコラム欄を汚したくないし、第一ウソということになれば、私は女房の信頼を失うことになる。

 …とまあ、教育コラムの中で、とんでもないことを書いてしまった。この話をすると、「君は教育評論家を名乗っているのだから、そういう話はしないほうがよい。君の資質が疑われる」と言う人もいる。しかし私はそういうふうにワクで判断されるのが、好きではない。文を書くといっても、教育評論だけではない。小説もエッセイも実用書も書く。ノンフィクションも得意な分野だ。東洋医学に関する本も三冊書いたし、宗教論に関する本も五冊書いた。うち四冊は中国語にも翻訳されている。

 そんなわけで私は、いつも「教育」というカベを超えた教育論を考えている。たとえばこの世界では、UFOについて語るのはタブーになっている。だからこそあえて、私はそれについて書いてみた。

(補記1)

私とワイフの見たUFOは、いわゆる「ブーメラン型」のもので、後に、アリゾナ州のフェニックスで目撃されたUFOと同型のものと思われる。

しかし喜んでばかりは、いられない。
UFOが公然と語られるようになり、それを操縦する宇宙人の存在が明らかになるということは、それだけ人類滅亡の危機が迫っていることを示す。

いつだったかこれについて詳しく書いたことがあるが、人類に希望があるかぎり、宇宙人は、人類の前に姿を現すことはない。

しかしその希望がなくなったとき、宇宙人は、自らの姿を、私たち地球人の前に現すであろう。
そのことは、宇宙人という外惑星人に視点を置いてみるとわかる。
近い将来、絶滅するとわかっている地球人に対して、どうして自分たちの存在を隠さなければならないのか。

言うまでもなく、地球温暖化(Global Warming)の問題は、それほどまでに深刻になりつつあるということ。
2100年までに、地球の平均気温は、4~6度も上昇するというが、しかし気温上昇が、2100年で止まるわけではない。
仮にここで今、化石燃料の使用を停止したところで、その後も、不測の事態がさらなる不測の事態を招き、地球の平均気温は、さらに上昇する。
2200年までに、さらに4~6度(この数字とて、控えめなものだが……)上昇すると考えるのは、甘い。
一説によると、その後、地球の平均気温は、二次曲線的に上昇し、最終的には、400度Cにまで上昇するという。

私が「地球火星化」という言葉を使うのは、そのためである。
そう、まさに地球は、火星化する。

エドガー・ミシェル博士の告白を、「希望」ととるか、それとも「絶望」ととるか。
とても残念なことだが、私は、「絶望」ととる。

(補記2)

宇宙人の存在が、ここまで確定的に断言されると、つぎに私たちは、こう考える。
「では、現在、エイリアンたちは、どこに住んでいるか」「またどんな生き物なのか」と。

これについては、すでに多くの研究家たちが、つぎのような推論をくだしている。

(1) 彼らは、月などの衛星内部をくりぬいて、その中に居住している。

ほかにも、火星や木星の衛星が考えられている。
地球へ自由にやってくることからもわかるように、彼らは、すでに地球上の細菌やウィルスに対して、免疫性をもっているか、あるいは人間の兄弟的存在であると考えてよい。

地球上で二足歩行できるということであれば、彼らが住む居住空間の重力は、この地球とほとんど変わらないということになる。
少なくとも、無重力状態ではないらしい。

(2) 地球よりは弱い重力の世界で、そこは薄暗い空間である。

巨大な目と瞳をもっているということから、(あくまでも人間と比較しての話だが……)、かなり暗い空間に住んでいるものと想像される。
恐らく地球の夜程度の光があれば、あたかも私たちが日中に、景色を見るように、夜の景色を見ることができるはず。
反対に、日中は、光がまぶしくて、何も見えないかもしれない。
そのため眼球に直接張りつける、黒いサン・スクリーンのようなものを、装着している。

また頭が巨大であることから、人間のように、母体の産道を通り抜けて生まれるタイプの生物ではないらしい。
恐らく体外受精による、人工胎盤によって育成されるタイプの生物と考えてよい。

(3)性格はきわめて温厚で、平和的である。

エドガー・ミシェル博士も述べているように、「もし彼らが人類に対して敵対的であるなら、人類は、とっくの昔に絶滅していただろう」ということになる。
またそうであるからこそ、彼らもまた、ここまで進化するにまで、存在することができた。
仮に人間のように、好戦的で、挑発的であったとしたら、宇宙人といえども、その進化の過程で、戦争を繰りかえし、絶滅していたはずである。

が、これから先のことはわからない。
「このまま地球人を生かしておいたら、人類どころか、地球そのものが、火星化してしまう」とわかれば、宇宙人のほうも、遠慮していないだろう。
私の印象では、この太陽系の中で、彼らの食糧を生産できるのは、この地球だけということになる。
地球が火星化すれば、彼らとて、絶滅の危機に直面することになる。

彼らが公然とその姿を、地球人の前にさらけ出したとき、すなわちそのときこそが、地球人の最期ということになる。

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 Hiroshi Hayashi education essayist writer Japanese essayist エイリアン ET 宇宙人)

+Aliens are defenitely out there with us (part2)

【宇宙人は、存在した!】(Aliens are definitely out there!)

Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

驚くべきニュースが、伝えられた。
時事通信、7月25日、ニューヨーク発は、
つぎのように伝える。
その記事を、そのまま紹介する。
まさに驚愕すべきニュースである。

Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

++++++++++以下、時事通信より+++++++++++++

【ニューヨーク 25日時事】米航空宇宙局(NASA)の元宇宙飛行士が英国の音楽専門ラジオ局のインタビューで、政府は宇宙人の存在を隠ぺいしていると発言。米英メディアが相次いで報じる騒ぎに発展した。

 この元宇宙飛行士は、1971年に打ち上げられたアポロ14号の元乗組員、エドガー・ミッチェル氏(77)。

 同氏は23日の放送で、政府は過去60年にわたり宇宙人の存在を隠してきたが、「われわれのうちの何人かは一部情報について説明を受ける幸運に浴した」と説明。宇宙人は「奇妙で小さな人々」と呼ばれているなどと語った。(ヤフー・ニュースより転載) 

++++++++++以上、時事通信より+++++++++++++

この記事の信憑性を確かめることにした。
が、それは今日(7月25日)、オーストラリアの友人が送ってくれた情報の中に、含まれていた。

それをそのまま紹介する。
訳は急いで私がつけたが、あえて、原文に忠実に訳してみた。
(荒っぽい訳なので、後日、改めて訳し直してみたい。)

++++++++++++++以下、NEW.COM.AUより+++++++++
FORMER NASA astronaut and moon-walker Dr Edgar Mitchell - a veteran of the Apollo 14 mission - has stunningly claimed aliens exist.
月面歩行者であり、元NASAの宇宙飛行士である、エドガー・ミシェル博士(アポロ14号のベテラン飛行士)が、「宇宙人は存在する」と主張した。
And he says extra-terrestrials have visited Earth on several occasions - but the alien contact has been repeatedly covered up by governments for six decades.
彼が言うには、外惑星人は、地球を、何度かに渡って訪問しているとのこと。しかし宇宙人とのコンタクト(接触)は、この60年間、政府によって繰り返し、隠蔽されてきた、と。

Dr Mitchell, 77, said during a radio interview that sources at the space agency who had had contact with aliens described the beings as 'little people who look strange to us.'
77歳のミシェル博士は、ラジオ・インタビューの中で、宇宙人と接触したことのある宇宙局(の係官)は、その生き物を、『ワレワレには奇妙に見える小さな人々』と表現したと言った。

He said supposedly real-life ET's were similar to the traditional image of a small frame, large eyes and head.
ミシェル博士は、ETは、小さな体の、大きな目と頭をもった、よく知られている(=伝統的な)イメージに似ていると思っていると言った。

Chillingly, he claimed our technology is "not nearly as sophisticated" as theirs and "had they been hostile", he warned "we would be been gone by now".
ミシェル博士は、ワレワレ人間の技術力は、彼らのものほど進化していず、「もし彼らが敵対的であるなら、人間は、今ごろ絶滅していただろう」と、警告した。

Dr Mitchell, along with with Apollo 14 commander Alan Shepard, holds the record for the longest ever moon walk, at nine hours and 17 minutes following their 1971 mission.
ミシェル博士は、アポロ14号のアラン・シェパード船長とともに、1971年のミッションでは、9時間17分の月面歩行をしたという記録を保持している。

"I happen to have been privileged enough to be in on the fact that we've been visited on this planet and the UFO phenomena is real," Dr Mitchell said.
ミシェル博士は、「ワレワレは宇宙人によってこの惑星を訪問され、UFO現象は事実であるという事実に関して、それを明らかにする特権を、私はたまたまもった」と言った。

"It's been well covered up by all our governments for the last 60 years or so, but slowly it's leaked out and some of us have been privileged to have been briefed on some of it.
過去60年間、私たち政府すべてによって、それは隠蔽されつづけてきた。しかし少しずつ、外に漏れてきた。そしてワレワレの中の何人かは、それらのいくらかの部分について、述べるという特権を与えられた。

"I've been in military and intelligence circles, who know that beneath the surface of what has been public knowledge, yes - we have been visited. Reading the papers recently, it's been happening quite a bit."
私は軍と情報部に属してきた。軍と情報局は、一般的な知識の表面下で、ワレワレは訪問を受けていたということを知っている。新聞を読めば、それがたいへんよく起きてきたということがわかる。

Dr Mitchell, who has a Bachelor of Science degree in aeronautical engineering and a Doctor of Science degree in Aeronautics and Astronautics claimed Roswell was real and similar alien visits continue to be investigated.
ミシェル博士、つまり宇宙工学分野の科学学士号、ならびに、宇宙船ならびに宇宙船学の博士号は、ロズウェルは現実にあったと主張し、同様の宇宙人の訪問は、ひきつづき調査されていると言った。

He told the astonished Kerrang! radio host Nick Margerrison: "This is really starting to open up. I think we're headed for real disclosure and some serious organisations are moving in that direction."
ミシェル博士は、驚いているラジオ局のホストである、ニック・マーゲリソンにこう言った。「これは開示の第一歩であり、私たちがその開示の先頭にいる。いくつかの重要な組織が、その方向で動きつつある」と。

Mr Margerrison said: "I thought I'd stumbled on some sort of astronaut humour but he was absolutely serious that aliens are definitely out there and there's no debating it."
マーゲリソンは、言った。「私は宇宙船乗組員のユーモアと思ったが、(ミシェル博士は)、まったく真剣だった。彼は宇宙人は、確実にそこにいて、議論の余地はないと言った」と。

Officials from NASA, however, were quick to play the comments down.
NASAはすかさず、つぎのようなコメントを発表した。

In a statement, a spokesman said: "NASA does not track UFOs. NASA is not involved in any sort of cover up about alien life on this planet or anywhere in the universe.
その中で、スポークスマンは、「NASAは、UFOに関知していない。NASAは、この惑星上の宇宙生命体について、この惑星においても、また宇宙においても、どこでも、いかなる隠蔽にも関与していない。

'Dr Mitchell is a great American, but we do not share his opinions on this issue.'
ミシェル博士は、偉大なアメリカ人だが、ワレワレ(=NASA)は、この問題について、彼の意見と共にすることはない」と。

++++++++++++++++++以上、NEW.COM.AUより++++++++

+++++++++以下、オーストラリアUFO研究団体のHPより++
A RECENT spate of UFO sightings around the world has believers in a frenzy, but even the inside scoop from a former astronaut is not enough to sway the sceptics.
Yesterday, aliens popped up in the news again as NASA sought to distance itself from former Apollo 14 astronaut Edgar Mitchell who claimed extra-terrestrials have been coming to visit for decades.

Dr Mitchell, 77, said governments had been covering it up for 60 years.

“I've been in military and intelligence circles, who know that beneath the surface of what has been public knowledge, yes - we have been visited. Reading the papers recently, it's been happening quite a bit,” he said.

Dr Mitchell's former bosses were quick to distance themselves from the renewed buzz.
“NASA does not track UFOs. NASA is not involved in any sort of cover up about alien life on this planet or anywhere in the universe,” the agency said.
But the Australian Skeptics were not impressed by what Dr Mitchell - or anyone else - thought they saw.  Skeptic spokesman Barry Williams said today the truth was closer to home: it's all in your head, and you're wrong.
“We love mysteries and we love solving them, just look at how popular crime fiction and crime TV shows are,” Mr Williams said. “The brain needs to find answers, it can’t stand not knowing, so it comes to an explanation and quite often it’s wrong.”

+++++++++以下、オーストラリアUFO研究団体のHPより++

+++++++++++++++++++

しかし私はこの記事を読んだとき、肩から、スーッと力が抜けていくのを感じた。
「やはり、そうだったのだ」と。

私とワイフは、35年近くの前の夜のこと、散歩中に、巨大なUFOを目撃している。
以来、「あの夜、私たちが見たものは何だったのか」と、それをずっと考えてきた。
が、「考える」といっても、相手は、煙のような存在。
手でつかまえようとしても、いつもそのままどこかへ消えてしまう。
この35年間、その歯がゆさとの闘いだった。

しかしとうとう、告白者が現れた。
アポロ14号の元乗組員、エドガー・ミッシェル氏である。
これ以上の証言者が、ほかにいるだろうか。

しかも、60年前といえば、「1947年のロズウェル事件」と、重なる。
60年前、アメリカのロズウェルというところに、UFOが墜落している。
エドガー・ミッシェル氏がいう「60年前」と、「1947年のロズウェル事件」とを結びつけるのは、まだ早計かもしれない。
しかしほかに結びつく話が、ない。

で、「奇妙で小さな人々」とは、どんな人々をいうのか。
ロズウェルでのUFO墜落事件では、「グレイ」とそののち呼ばれるようになった、小さな体の宇宙人が、アメリカ軍によって収容されている。
エドガー・ミシェル氏が言うところの、「小さな人々」というのは、その「グレイ」のことをさすのか。

今のところ詳細は不明だが、エドガー・ミッシェル氏の勇気に、敬意を表したい。
おそらくこれからしばらくの間、エドガー・ミシェル氏は、アメリカ政府内の、そのスジに人たちによる、猛攻撃にさらされるにちがいない。
ばあいによっては、逮捕、投獄されるかもしれない。
しかしそんなことをすれば、かえってエドガー・ミシェル氏の正当性が、証明されるようなもの。

……私は何度も、この記事を読みなおした。
「UFOを見た」というだけで、この日本では、奇人扱いされる。
しかし見たものは、見た。
記憶の中で、もう何千回も、反復してみたが、見たものは見た。
たったそれだけのことだが、そのつど、同時に私は、(私のワイフもそうだろうが……)、自分の脳みそを疑わねばならなかった。

が、この記事で、私はその重圧感から、解放された。
「やはり、そうだったのか」と。

私たちがあの夜見たものは、やはりUFOだった。
宇宙人が操縦する、UFOだった。
今まで、私やワイフを奇人扱いしてきた者どもよ、悔しかったら、この記事を自分で読んでみることだ!

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 Hiroshi Hayashi education essayist writer Japanese essayist 宇宙人 宇宙人は存在した アポロ14号 エドガー・ミシェル マイケル ET ALIEN エイリアン ロズウェル グレイ 宇宙人 はやし浩司)

*Aliens are defenitely out there!

【宇宙人は、存在した!】(Aliens are definitely out there!)

Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

驚くべきニュースが、伝えられた。
時事通信、7月25日、ニューヨーク発は、
つぎのように伝える。
その記事を、そのまま紹介する。
まさに驚愕すべきニュースである。

Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

++++++++++以下、時事通信より+++++++++++++

【ニューヨーク 25日時事】米航空宇宙局(NASA)の元宇宙飛行士が英国の音楽専門ラジオ局のインタビューで、政府は宇宙人の存在を隠ぺいしていると発言。米英メディアが相次いで報じる騒ぎに発展した。

 この元宇宙飛行士は、1971年に打ち上げられたアポロ14号の元乗組員、エドガー・ミッチェル氏(77)。

 同氏は23日の放送で、政府は過去60年にわたり宇宙人の存在を隠してきたが、「われわれのうちの何人かは一部情報について説明を受ける幸運に浴した」と説明。宇宙人は「奇妙で小さな人々」と呼ばれているなどと語った。(ヤフー・ニュースより転載) 

++++++++++以上、時事通信より+++++++++++++

この記事の信憑性を確かめることにした。
が、それは今日(7月25日)、オーストラリアの友人が送ってくれた情報の中に、含まれていた。

それをそのまま紹介する。
訳は急いで私がつけたが、あえて、原文に忠実に訳してみた。
(荒っぽい訳なので、後日、改めて訳し直してみたい。)

++++++++++++++以下、NEW.COM.AUより+++++++++
FORMER NASA astronaut and moon-walker Dr Edgar Mitchell - a veteran of the Apollo 14 mission - has stunningly claimed aliens exist.
月面歩行者であり、元NASAの宇宙飛行士である、エドガー・ミシェル博士(アポロ14号のベテラン飛行士)が、「宇宙人は存在する」と主張した。
And he says extra-terrestrials have visited Earth on several occasions - but the alien contact has been repeatedly covered up by governments for six decades.
彼が言うには、外惑星人は、地球を、何度かに渡って訪問しているとのこと。しかし宇宙人とのコンタクト(接触)は、この60年間、政府によって繰り返し、隠蔽されてきた、と。

Dr Mitchell, 77, said during a radio interview that sources at the space agency who had had contact with aliens described the beings as 'little people who look strange to us.'
77歳のミシェル博士は、ラジオ・インタビューの中で、宇宙人と接触したことのある宇宙局(の係官)は、その生き物を、『ワレワレには奇妙に見える小さな人々』と表現したと言った。

He said supposedly real-life ET's were similar to the traditional image of a small frame, large eyes and head.
ミシェル博士は、ETは、小さな体の、大きな目と頭をもった、よく知られている(=伝統的な)イメージに似ていると思っていると言った。

Chillingly, he claimed our technology is "not nearly as sophisticated" as theirs and "had they been hostile", he warned "we would be been gone by now".
ミシェル博士は、ワレワレ人間の技術力は、彼らのものほど進化していず、「もし彼らが敵対的であるなら、人間は、今ごろ絶滅していただろう」と、警告した。

Dr Mitchell, along with with Apollo 14 commander Alan Shepard, holds the record for the longest ever moon walk, at nine hours and 17 minutes following their 1971 mission.
ミシェル博士は、アポロ14号のアラン・シェパード船長とともに、1971年のミッションでは、9時間17分の月面歩行をしたという記録を保持している。

"I happen to have been privileged enough to be in on the fact that we've been visited on this planet and the UFO phenomena is real," Dr Mitchell said.
ミシェル博士は、「ワレワレは宇宙人によってこの惑星を訪問され、UFO現象は事実であるという事実に関して、それを明らかにする特権を、私はたまたまもった」と言った。

"It's been well covered up by all our governments for the last 60 years or so, but slowly it's leaked out and some of us have been privileged to have been briefed on some of it.
過去60年間、私たち政府すべてによって、それは隠蔽されつづけてきた。しかし少しずつ、外に漏れてきた。そしてワレワレの中の何人かは、それらのいくらかの部分について、述べるという特権を与えられた。

"I've been in military and intelligence circles, who know that beneath the surface of what has been public knowledge, yes - we have been visited. Reading the papers recently, it's been happening quite a bit."
私は軍と情報部に属してきた。軍と情報局は、一般的な知識の表面下で、ワレワレは訪問を受けていたということを知っている。新聞を読めば、それがたいへんよく起きてきたということがわかる。

Dr Mitchell, who has a Bachelor of Science degree in aeronautical engineering and a Doctor of Science degree in Aeronautics and Astronautics claimed Roswell was real and similar alien visits continue to be investigated.
ミシェル博士、つまり宇宙工学分野の科学学士号、ならびに、宇宙船ならびに宇宙船学の博士号は、ロズウェルは現実にあったと主張し、同様の宇宙人の訪問は、ひきつづき調査されていると言った。

He told the astonished Kerrang! radio host Nick Margerrison: "This is really starting to open up. I think we're headed for real disclosure and some serious organisations are moving in that direction."
ミシェル博士は、驚いているラジオ局のホストである、ニック・マーゲリソンにこう言った。「これは開示の第一歩であり、私たちがその開示の先頭にいる。いくつかの重要な組織が、その方向で動きつつある」と。

Mr Margerrison said: "I thought I'd stumbled on some sort of astronaut humour but he was absolutely serious that aliens are definitely out there and there's no debating it."
マーゲリソンは、言った。「私は宇宙船乗組員のユーモアと思ったが、(ミシェル博士は)、まったく真剣だった。彼は宇宙人は、確実にそこにいて、議論の余地はないと言った」と。

Officials from NASA, however, were quick to play the comments down.
NASAはすかさず、つぎのようなコメントを発表した。

In a statement, a spokesman said: "NASA does not track UFOs. NASA is not involved in any sort of cover up about alien life on this planet or anywhere in the universe.
その中で、スポークスマンは、「NASAは、UFOに関知していない。NASAは、この惑星上の宇宙生命体について、この惑星においても、また宇宙においても、どこでも、いかなる隠蔽にも関与していない。

'Dr Mitchell is a great American, but we do not share his opinions on this issue.'
ミシェル博士は、偉大なアメリカ人だが、ワレワレ(=NASA)は、この問題について、彼の意見と共にすることはない」と。

++++++++++++++++++以上、NEW.COM.AUより++++++++

+++++++++以下、オーストラリアUFO研究団体のHPより++
A RECENT spate of UFO sightings around the world has believers in a frenzy, but even the inside scoop from a former astronaut is not enough to sway the sceptics.
Yesterday, aliens popped up in the news again as NASA sought to distance itself from former Apollo 14 astronaut Edgar Mitchell who claimed extra-terrestrials have been coming to visit for decades.

Dr Mitchell, 77, said governments had been covering it up for 60 years.

“I've been in military and intelligence circles, who know that beneath the surface of what has been public knowledge, yes - we have been visited. Reading the papers recently, it's been happening quite a bit,” he said.

Dr Mitchell's former bosses were quick to distance themselves from the renewed buzz.
“NASA does not track UFOs. NASA is not involved in any sort of cover up about alien life on this planet or anywhere in the universe,” the agency said.
But the Australian Skeptics were not impressed by what Dr Mitchell - or anyone else - thought they saw.  Skeptic spokesman Barry Williams said today the truth was closer to home: it's all in your head, and you're wrong.
“We love mysteries and we love solving them, just look at how popular crime fiction and crime TV shows are,” Mr Williams said. “The brain needs to find answers, it can’t stand not knowing, so it comes to an explanation and quite often it’s wrong.”

+++++++++以下、オーストラリアUFO研究団体のHPより++

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しかし私はこの記事を読んだとき、肩から、スーッと力が抜けていくのを感じた。
「やはり、そうだったのだ」と。

私とワイフは、35年近くの前の夜のこと、散歩中に、巨大なUFOを目撃している。
以来、「あの夜、私たちが見たものは何だったのか」と、それをずっと考えてきた。
が、「考える」といっても、相手は、煙のような存在。
手でつかまえようとしても、いつもそのままどこかへ消えてしまう。
この35年間、その歯がゆさとの闘いだった。

しかしとうとう、告白者が現れた。
アポロ14号の元乗組員、エドガー・ミッシェル氏である。
これ以上の証言者が、ほかにいるだろうか。

しかも、60年前といえば、「1947年のロズウェル事件」と、重なる。
60年前、アメリカのロズウェルというところに、UFOが墜落している。
エドガー・ミッシェル氏がいう「60年前」と、「1947年のロズウェル事件」とを結びつけるのは、まだ早計かもしれない。
しかしほかに結びつく話が、ない。

で、「奇妙で小さな人々」とは、どんな人々をいうのか。
ロズウェルでのUFO墜落事件では、「グレイ」とそののち呼ばれるようになった、小さな体の宇宙人が、アメリカ軍によって収容されている。
エドガー・ミシェル氏が言うところの、「小さな人々」というのは、その「グレイ」のことをさすのか。

今のところ詳細は不明だが、エドガー・ミッシェル氏の勇気に、敬意を表したい。
おそらくこれからしばらくの間、エドガー・ミシェル氏は、アメリカ政府内の、そのスジに人たちによる、猛攻撃にさらされるにちがいない。
ばあいによっては、逮捕、投獄されるかもしれない。
しかしそんなことをすれば、かえってエドガー・ミシェル氏の正当性が、証明されるようなもの。

……私は何度も、この記事を読みなおした。
「UFOを見た」というだけで、この日本では、奇人扱いされる。
しかし見たものは、見た。
記憶の中で、もう何千回も、反復してみたが、見たものは見た。
たったそれだけのことだが、そのつど、同時に私は、(私のワイフもそうだろうが……)、自分の脳みそを疑わねばならなかった。

が、この記事で、私はその重圧感から、解放された。
「やはり、そうだったのか」と。

私たちがあの夜見たものは、やはりUFOだった。
宇宙人が操縦する、UFOだった。
今まで、私やワイフを奇人扱いしてきた者どもよ、悔しかったら、この記事を自分で読んでみることだ!

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 Hiroshi Hayashi education essayist writer Japanese essayist 宇宙人 宇宙人は存在した アポロ14号 エドガー・ミシェル マイケル ET ALIEN エイリアン ロズウェル グレイ 宇宙人 はやし浩司)

Thursday, July 24, 2008

*July 25th 2008

●7月25日(金曜日)

++++++++++++++++

久々に、書斎に、もどった。
昨日までは、新しく買ったノートパソコンを手に、
あちこちの部屋を移動しながら、原稿を書いていた。

やはり、原稿を書くには、この部屋がいちばん、よい。
このデスクトップがいちばん、よい。
電源を入れて、1~2分後には、ビスタで作業ができる。

++++++++++++++++

●K国の核開発問題

シンガポールで行われていた、ASEAN地域フォーラム
(ARF)閣僚会議が、7月24日、終わった。
期間中、米朝の外務大臣どうしが、秘密会談を行ったようだ。
しかし結果は、「不発」。
拉致問題についても、ゼロ声明。
「K国の核計画申告書の検証の重要性を強調する議長声明を採択した」
(TBS)程度で終わってしまった。

来月8月11日に、K国のテロ国家指定解除が発効する。
それまでに核計画申告書の検証作業が具体化する予定だが、
このままでは、むずかしい。
K国は、さらにああでもない、こうでもないと、難グセをつけて、
引き延ばし戦術に出てくるはず。

期間中、C・ライス国務長官が、日本の高村外務大臣に、「検証
作業の具体化を急ぐよう、K国圧力をかけてほしい」という
要請があったという。

しかしC・ライスさんよ、今ごろ気がついても、遅い!
拉致問題を棚上げし、既存核兵器を切り離し、その上、検証作業
メンバーから日本をはずした。
何もかも、K国の言いなり。
原油もあげた、食糧もあげた、時間もあげた、音楽もあげた……。
しかしK国がしたのは、すでにジャンク・ヤード化していた冷却塔を
爆破しただけ。
あなたはK国に、完全に、ナメられている。


●調査書改ざん

TBS―iニュースは、つぎのように伝える。

++++++++++++++++++++++++++++++

静岡県H市にある県立高校で、大学受験する生徒2人の調査書が改ざんされた問題で、県の教育委員会は、当時の校長を虚偽公文書作成などの疑いで警察に刑事告発しました。

(中略)

 この問題はT林業の教師4人が。去年卒業した2人の生徒について、推薦入試を受ける際の基準を満たすよう、大学に提出する調査書の成績を改ざんしていたもので、4人は懲戒処分を受けています。

 静岡県の教育委員会は、4人の話などから、当時の校長の働きかけで改ざんが行われたと判断し、今月24日に虚偽の公文書作成などの疑いで警察に告発し、受理されました。

+++++以上、TBS-iニュースより+++++++++++

ニュースの記事だけでは、調査書のどの部分を、どのように「改ざん」したかまでは、わからない。
成績という数字だけの改ざんなのか、それとも、活動記録という記録の改ざんなのか。
雰囲気としては、「数字」の改ざんであったように感ずる。
そこでここでは、あくまでも、「数字の改ざん」という前提で、考えてみたい。

たとえばアメリカなどでは、いくら成績がよくても、成績だけでは、ハーバード大学などの名門校には入学できない。
人物像、性格、人間性などを総合的に判断した、学校長などの推薦文がなければ、入学できない。
この「推薦文」にあたる部分が、この日本には、ない。
成績一辺倒というか、数字一辺倒。
(人物評価欄というのは、あるにはあるが……。しかしそれは各大学でも、形式的なものとしかとらえていない。)

そこで今では、テストの点数だけで、成績をつけるということは、あまりしない。
「頭の中で、その子どもの印象を思い浮かべながら、成績をつける」(某、中学校教師談)という方法が、一般化している。
さらに、小学校レベルでは、「あっちの子の成績をさげて、こっちの子の成績に上乗せする」ということが、ごく当たり前のこととしてなされているという。
そういう話を、うわさとして聞いている。

ただ今回の事件は、校長が指示して(?)、4人の教員がそれに応じて動き、懲戒処分を受けているという点で、きわだっている。
不正は不正なのだから、どこかで歯止めをかけておかないと、調査書そのものが、さらに形骸化してしまう。
だから「事件」になったのだろう。

しかし教育には、ハンドルの(遊び)のような部分が、必要である。
わかりやすく言えば、「まあ、いいじゃないか」という、おおらかさである。
(たとえば、成績はあまりあがらなくても、がんばったという姿勢が見られたら、その子どもを励ますという意味で、成績をあげたりする、など。)
その(遊び)の中で、子どもは自ら、伸びていく。
ギスギスは、かえって子どもの伸びる芽を摘んでしまう。

調査書改ざんを擁護するつもりは、まったくない。
ないが、しかしこの事件は、大分県で起きた、教員不正採用試験とは、まったく異質のものである。

要するに、「推薦」という部分を、「数字」ではなく、もっと別の方法で表現できないかということ。
そうすれば、「推薦入学制度」も、もっと実のあるものになっていくと思う。
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 Hiroshi Hayashi education essayist writer Japanese essayist 調査書改竄 改ざん)


●鮎

先日、あるところで、ある料理を食べた。
「料理」と言えるようなものか、どうかは、わからない。

看板には、「ジャンボエビフライ、牛肉ステーキ、鮎の塩焼き、食べ放題」とあった。

しかし入ってみて、驚いた。
食べ始めてみて、驚いた。

まず、(1)ジャンボエビフライ。……というのは、まっかなウソ。
コロモだけがやたらと厚く、中のエビは、ヒモのように長く伸ばされていた。
(コロモの暑さは、1センチ程度。その中のエビは、太くても5~8ミリ。)

つづいて(2)ステーキ。どれも硬くて、歯が立たなかった。

が、最悪なのは、(3)鮎の塩焼き。

私は子どものころから川魚を食べ慣れているから、そうでもなかったが、ワイフには、ちがった。
あの川魚独特の生臭さは、海の魚には、ない。
人によっては、ムッとするような臭い。
おまけにあの、ヌルヌル感。
それだけで食欲をなくす人も多いはず。

それを丸いコンロの上で、いっしょに、焼く。
言い忘れたが、「塩焼き」と言いながら、鮎には、塩がまぶしてなかった。
そういう生の鮎が、金属製のトレイの中に、串をさして並べてあるだけ!

私はいろいろな料理を食べてきたが、あれほどまでに最悪の料理を食べたことがない。

ほかの客たちは、鮎の焼き方もわからないから、コンロの上に、そのまま置いた。
そのため皮だけが真っ黒にこげ、中は、生焼き。
口に入れたとたん、ゲーゲーと、口から吐き出している客もいた。

あとで聞いたら、店員に抗議した人もいたとか。

それにしても、ひどい料理だった。