Education in Front-Line and Essays by Hiroshi Hayashi (はやし浩司)

(Mr.) Hiroshi Hayashi, a professional writer who has written more than 30 his own books on Education, Chinese Medical science and Religion in Japan. My web-site is: http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/ Please don't hesitate to visit my web-site, which is always welcome!!

Friday, November 28, 2008

*To look after our Parents

【親の介護】

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白い薄日の下を、鉛色の雲が、気ぜわしく流れる。
庭の木々が、冬の冷気にさらされ、ときおりザザーッと、音をたてる。
見ると、落ち葉が雨に地面にペッタリと張りついている。
昨夜の雨は、かなり激しかったようだ。
青木の下に無造作に置いてある鉢が、なみなみと水を蓄えていた。

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●介護

老人の事故死が、けっこうあるという。
1週間ほど前、そんな記事が新聞に載っていた。
ベッドの手すりの間に、首や体をはさまれて死ぬ人もいるという。
私はその記事を読んで、即座に母のことを思い出した。
私も「あわや!」というような事故を、3度経験している。

現在、家庭で老人を介護している人も多いと思うので、そのときの
様子を書き止めておきたい。

(1) 母が私の家に来たとき、私は母の部屋に、塩化ビニール製の
パイプを、20~30本ほど、取りつけた。
母は、何かにつかまれば、まだ歩ける状態だった。
ベッドからポータブルトイレへ。
ベッドからソファへ、と。
歩行訓練用のパイプも取りつけた。
塩化ビニールのパイプは、芯は鉄製だが、外は塩化ビニール
でおおわれている。
接着剤で、自由自在に、自分の好きなように工作できる。
が、ある夜のこと。

たまたま家にいた長男が、母の部屋の前を通ると、「助けてくれ」
という声を聞いた。
長男が戸をあけてみると、母は、ベッドとポータブルトイレの間の
パイプに首をはさんで、ほぼ逆さまになっていたという。
長男が見つけたからよかったようなもの。
もしあと1~2時間、発見が遅れていたら、母は、そのとき
死んでいたかもしれない。

(2) 2度目も同じような状況だった。
母は、パイプにつかまれば、何とか立つことができたが、
ペタリと床に座り込んでしまうと、自分では立ち上がることが
できなかった。
やはりある夜のこと。
今度は私が母の部屋の前を通り過ぎると、「起こしてくれ」という
声が聞こえてきた。
いつだったかは忘れたが、寒い夜のことだった。
もしあのときも、朝までそれを知らないでいたら、母は死んで
いたかもしれない。

で、(1)のときもそうだったが、そういう緊急時のため、
無線で作動するスイッチを、首にかけていたのだが、そういうとき
ほど、母は、それがあることを忘れてしまっていた。
一方、たいした用もないときほど、そのスイッチを押したりした。

(3) 3度目は、ワイフが発見した。
母は、昼間は静かにベッドで横になっていることが多かったが、
夜になるとあちこちを歩き回った。
部屋の隅に大きなダンボール箱が置いてあった。
母の衣類がそこに入っていた。
母は、その中の衣類を取ろうとしたのだろう。
ワイフが見たとき、母は、頭を下にして、ダンボール箱の中に
さかさまになっていた。

こうした事故が重なると、介護をするほうも、こわくなる。
そのつど、あれこれと配置を変えたり、安全策を講じたりした。
が、母のつぎの事故が、予想できなくなった。

(1) 夜中に動き回ることが多い。
(2) 緊急連絡用のベルは、あまり役に立たない。
(3) 行動が予測不可能。

●家庭での介護は無理

ケアマネ(ケア・マネージャー)に相談すると、「そうなったら、
添い寝しかありませんね」と言われた。
しかし実際には、添い寝は不可能だった。
それには、こんな事情がある。

どういうわけか、母と、犬のハナの相性がたいへん悪かった。
母がカーテンを開けるたびに、庭先からワンワンと大声で吠えた。
が、母は母で、まだ世も開けやらぬ早朝から動き出す。
これでは近所迷惑、ということで、私たちは母の部屋の電気は、
一日中、つけっぱなしにしておくことにした。
そうすれば、早朝にカーテンを開けることはないと思った。
この方法は、うまくいった。
やがて母は、カーテンを開けなくなった。

そんな部屋で添い寝はできない。
かといって、そのときすでに、パイプの助けなしでは、母は
自分では用を足すこともできなくなっていた。

で、私たちの出した結論は、こうだった。
「家庭での介護は、無理」と。

便の始末と食事の世話まではできるが、入浴となると、かなり
たいへん。
もっとも入浴については、ディサービスを利用して、センターで
してもらっていたので、私たちは何もしなかった。
今では、車椅子に座ったまま、入浴できる。
ほとんどのセンターは、そんな設備を整えている。

母は6か月間、私の家にいたあと、特別養護老人ホームへ入居した。
一年中、冷暖房完備。
まさに至れり尽くせりの環境だった。
そういう環境を知って、それまでの私の家の介護設備が、(設備と
言えるものかどうかは知らないが)、いかに貧弱なものであるかを、
思い知らされた。

たとえばやがて母は、嚥下(えんげ)障害を起こすようになった。
食べたものが逆流して、喉につまったり、食べたものが肺のほうに
入ったりした。
食べたものが肺のほうに入れば、肺炎になる。
それで死ぬ老人も多いと聞く。

もしあのまま私が家で介護をしていたら、母は、そのあと、数か月を
待たずして死んでいたかもしれない。
センターでの介護を見ながら、何度も、私はそれを思い知らされた。
つまり、老人の介護は、プロに任せるのが、いちばんよい。

●生かされているだけ?

が、ここで大きな疑問をもつようになった。
「母にとっては、どちらが幸福なのか」と。

母の立場に、自分を置いてみると、それがわかる。

私なら、たとえ事故で死ぬことになろうとも、自分の家で死にたい。
あるいは家族のいる家で死にたい。
センターはここにも書いたように、至れり尽くせりの環境だが、
しかしそこで長生きすることが、はたして母には幸福なことか、と。

ワイフはああいう性格だから、「私もこういう環境の中で
老後を送れたら、いいわあ」と、そのつど言った。
しかし私はそれには、同意しなかった。

「生きる」というよりは、「生かされているだけ」。
私にはそんな感じがしてならなかった。
つまり「生きる」ということは、もっと別のことだと、私は考えた。
仮に私が母の立場だったら、こう言ったにちがいない。
「もういいから、私を殺してくれ」と。

つまり事故死であるにせよ、そういう状態になったら、その前に、
死んだも同然。
N市に住む学生時代の友人は、電話で私にこう言った。
「あのなあ、林君、自分で飯が食えなくなったら、人間はおしまいだよ。
そうなったら、オレはさっさと死ぬよ」と。

しかし生きるのもたいへんだが、死ぬのもたいへん。
生きたくても生きられない人は、ゴマンといる。
が、死にたくても死ねない人も、これまたゴマンといる。
なかなかうまくいかないのが、世の常、人の常。

センターの母は、孤独だったと思う。
いつしか私たちの、見舞いも、週2、3回から、週に1回程度に
なっていた。
あるいはそれ以下になったときもあった。
が、母のことはいつも気がかりだった。
日帰りの旅行をするときも、その前日には電話を入れ、容態を聞かねば
ならなかった。
仕事をしていても、いつなんどき、携帯電話が鳴るか、それが気になった。
結局、約2年間、母はこの浜松市にいたが、私たちが一泊の旅行をしたのは、
一度だけだった。
三男の大学の卒業式に、仙台市まで行ったのが、そのときだった。

●天命

が、私の母などは、まだ楽なほうだった。
病気らしい病気をもっていなかった。
腹に子どもの握りこぶしくらいの、動脈瘤があったが、老人なら、みな、
同じような動脈瘤をもっているという。

中には、暴力を振るったり、大声で家人を罵倒したりする老人もいるという。
認知症が加われば、さらに介護がむずかしくなる。
脳梗塞を起こしても。介護は、むずかしくなる。
で、私の結論は、こうだ。
「素人には、末期の老人介護は、無理というより、不可能」と。

もちろん中には、「老人だから、事故で死んでもしかたない」と考える
人もいるかもしれない。
私も他人の家族のことなら、そう考えるだろう。
しかし実際、それが自分の肉親となると、そうはいかない。
たとえ事故でも、後味の悪さが、残る。
またいくら母が安楽死を望んだとしても、私はぜったいに、それには
応じなかっただろう。

「いつかは死ぬだろう」とは覚悟していた。
「いつまでもこんな状態がつづくのもいやだ」と思ったことはある。
「早く母の介護から解放されたい」と願ったこともある。
しかしそれはあくまでも心の一部。
毎日、そう思ったり、願ったりしていたわけではない。

が、正直に告白するが、「長生きしてほしい」とは、あまり思わなかった。
それは私のためというよりは、母のためだった。
先ほども書いたように、そんなふうにただ生かされているだけなら、
私ならそれに耐えられなかっただろう。
ひとりポツンとテーブルの前に座っている母を見ながら、
「かわいそう」という思いが、日増しに強くなっていった。
「長生きしたところで、つらい思いをするのは、母」と。

そういう母だったが、08年の2月に脳梗塞を起こすまでは、
頭のほうはかなりしっかりしていた。
冗談も通じたし、昔の話も、よくした。
しかし一度、昏睡状態になり、救急車で大病院へ運ばれてからは、
それ以後、寝たきりになってしまった。

そうそう、その寝たきりについても、素人の介護は無理。
私の知人は、寝たきりの親を介護していたが、床ずれが悪化し、
その部分が腐ってしまったという。
そのため、ひどい悪臭が近所の家に届くほどになったという。

床ずれを防ぐためには、それなりに訓練を受けた看護士や介護士の
助けが必要である。

結局、その知人の親は、それからほどなくして、死んでしまったという。

●事故死

そんなわけで、私は、「夜、寝ている間に、父(母)は死にました」
という話を聞くたびに、ひょっとしたら事故で死んだのではないかと
思うようになった。

もちろん本当に、寝ている間に死んでいく人も多いだろう。
また事故で死んだからといって、その家の人たちを責めているのではない。
そういう事故も含めて、天命は天命。
寿命は寿命。
こればかりは、家族でもどうしようもない。
こと介護について言えば、一生懸命するとか、しないとか、
そういう問題ではない。

淡々とする。
やるべきことはやりながら、いつもそれでよしとする。
「孝行」という言葉で、自分を縛ると、かえって負担感がますだけ。

たとえば最初のころは、私たちも、母をセンターから連れ出し、
近くの公園や、山荘に連れていったりした。
しかし母は、そういったことを楽しむということは、もうなかった。
介護というのは、そういうもの。

……ということは、いつか私たち自身も、いつか介護される立場になる。
これには例外はない。
で、私は母の介護をしながら、いろいろと勉強をした。
そのひとつが、これ。

生きるのも、私ひとりなら、死ぬのも、私ひとり、ということ。
介護はそれ自体、家族に大きな負担をかける。
それを考えるなら、家族に過大な期待をもつのは、酷というもの。
センターへ入れるだけも、御の字。
仮に一度も見舞いに来なくても、私はだれもうらまないし、それを
悲しいことだとも思わない。
私のおかげで息子たちが安心して旅行へも行けないというのであれば、
反対に、念書を書き残してもよい。

「お前たちがいない間に、ぼくが死んでも、気にしないように」と。

そうそう、それから私が死んだら、センターから直接火葬場へ死体を
運んでくれればよい。
そのあとのことは、息子たちに任せる。
遺骨に私の魂など宿るはずはない。
またそんなものを、おおげさに大切にしなくてもよい。

私の魂は、今、こうして書いている文章の中にある。
もしできればいつか、年をとって、今の私と同じ年代になったら、
一文でもよいから、私が書き残したものを読んでほしい。
それが私にとって、何よりもすばらしい供養になる。

……話が脱線したが、介護といっても、自然体で臨めばよい。
そのときどきの自分の気持ちに、すなおに従ってすればよい。

最後に、私の母は、元気なころは、いつもこう言っていた。
「私が死んだら、葬式だけは、きちんと出してほしい」と。
そしてあちこちの葬式を見てきては、「あんなみじめな葬式はなかった」と、
よく批判したりした。

しかしそんな母だったが、この浜松市へ来てからは、まったくの別人に
なった。
私の家に来たとたん、すべてを受け入れ、すべてを許していた。
私たちのやり方に、一言すら、不平、不満を述べることはなかった。
「優等生」という言い方には語弊があるかもしれないが、優等生だった。
まったく手のかからない優等生だった。

だからここへ来てからの母なら、こう思っていたにちがいない。
「葬式? そんなもの、どうでもいい」と。

私たちは母の葬儀を内々で、質素に、それですませた。
私の親類とワイフの兄弟以外、だれにも知らせなかった。
全部で20~30人前後の、静かな葬儀だった。
若いころの母なら、「あんなみじめな葬儀はなかった」と、
それを批判しただろうが……。

Thursday, November 27, 2008

*Short Essays on Nov.28th

●資本主義

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38度線のすぐ北側に、開城工業団地
と呼ばれる工業団地がある。
韓国資本で建設された工業団地で、現在
数万人程度の北朝鮮の労働者が、そこで
働いている。

賃金は、日本円に換算して、月額1~2
万円程度という。

同じような労働環境なのだろうが、この日本では
その約15~20倍程度の賃金が支払われている。

単純に考えれば、不公平きわまりない……
ということになる。
(何も北朝鮮の労働者のために言っている
のではない。誤解のないように!)

しかしこれが資本主義の論理である。
日本では、1~2万円の給料では、とても
生活できない。
最低でも、20万円前後は必要である。
生活のレベルそのものが、ちがう。
が、逆の立場に立たされてみると、その
不公平感が怒りに変わるときもある。

その(怒り)を、アメリカへ行ったとき、
私は、アメリカの家を見て、感じた。

広さ、大きさはもとより、豪華さがちがった。
今にして思うと、それが今回のサブプライム・
ローン問題へとつながっていったわけだが、
ごくふつうの大卒の銀行マンでも、映画『ホーム・
アローン』に出てくるような大邸宅に住んでいたり
する。

ふつうの邸宅ではない。
玄関そのものが、ギャラリーのようになっている。
広さは、20畳前後はある。
地下にピンポンなどを楽しむ運動部屋、それに
客室などを備えた、豪華な家である。

私は近くにいたワイフに、こう言った。
「こんなお金があるなら、日本が買い支えているドルを、
少しは使わせてくれればいい」と。

日本が貯(た)めに貯めこんだドル建て外貨は、
言うなれば、塩漬けにされたアメリカ国債のようなもの。
当時(02年)、そのうちのたった5%を使っただけで、
つまり他の通貨に交換しただけで、アメリカ経済は
崩壊すると言われていた。
(結果的に見ると、そのころ崩壊していたほが、
こうまで傷口を大きくしないですんだのかも
しれない……。)

逆に言うと、アメリカ人たちは、日本人と
同じ労働環境の中で、少なくとも4、5倍程度の
給料を手にしていることになる。
その分だけ、よい生活をしていることになる。
(「4、5倍というのは、あくまでも家を見た
感じでの話だが……。)

この三者、つまり北朝鮮と日本、日本とアメリカを
並べてみると、資本主義の論理がよくわかる。
簡単に言えば、強い通貨をもっている国は、強い。
そうでない国は、そうでない。
仮に、今、1ドルが10円程度であったら、
どうだろうか。
日本は世界中から富を買いあさり、アメリカ人たち
が住んでいたような家を、日本中に建てることが
できる。

働く必要はない。
すべて外国への借金ですますことができる。
お金がなくなれば、印刷機を回せばよい。
世界中が、喜んでそれを貯めこんでくれる。

何といっても、1ドルが10円!
ガソリンだって、税金分をのぞけば、1リッター
あたり、現在の10分の1、つまり、
6円前後で買うことができる。
超大型車に乗っても、ガソリン代を気にする
必要はない。

一方、北朝鮮の札は、紙くず同然と言われている。
国際社会では、まったく通用しない。
為替レートそのものが、存在しない。
だから冒頭に書いたように、月額1~2万円程度の
給料ということになる。
が、この額にしても、北朝鮮では、破格の給料という。
平均的労働者の1か月の給料は、日本円に換算して、
1000円前後、あるいはそれ以下と言われている。

そこで強い通貨をもった国は、その通貨の価値を
維持しようとする。
強ければ強いほど、世界がそれを貯めこんでくれる。
が、この(強さ)を失ったとき、その国の経済は、崩壊する。
現在のアメリカが、その国ということになる。
日本もEUも、その国ということになる。

一方、弱い通貨をもった国は、相対的に(損)が、
大きくなる。

が、この問題は、ここで終わらない。
そのままその国の政情不安へとつながる。
タイの国際空港がデモ隊に占拠された。
インドでは連続爆破事件が起きた。
この1~2日だけを見ても、こんなニュースが、
縦つづけに、つづいている(08・11・27)。

貧しい国の中でも、さらに隅へと追いやられた
人たちが、そのエネルギーを爆発させる。
この先しばらく、つまり現在の経済的混乱が
落ち着くまで、こうした事件は、つぎつぎと
起こるだろう。

この極東アジアも、おかしい(?)。
とくに北朝鮮の動きが、おかしい(?)。

資本主義の論理は、たしかに矛盾だらけ。
それはわかるが、しかし今、ここでそれを問題にしても
意味はない。
とにかくアメリカには、再起してもらわねばならない。
日本も、がんばらなくてはいけない。
EUにしても、そうだ。

そうでないと、世界は、ほんとうにメチャメチャに
なってしまう。

(参考資料・以下、産経ニュースより)

2000年8月、北朝鮮の金xx総書記と韓国の現代グループの故TM会長が経済特別区「開城工業団地」開発で合意、03年3月に着工された。第一段階として、韓国土地公社と現代峨山が、総額2200億ウォン(約270億円)を投じ、07年までに100万坪(330万平方メートル)を工業用地として開発、繊維、衣類、電気、電子など韓国企業約250社を誘致する予定。12年には800万坪の工業団地と周辺の新都市など総計2000万坪を開発、2000社、70万人の大規模団地を造る。(産経ニュース・06年6月版より)


Hiroshi Hayashi++++++++NOV 08++++++++++はやし浩司

●過緊張

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目覚まし時計が鳴る前に目を覚ますような
人は、過緊張の状態にあるという。
「過緊張」という言葉は、今日、はじめて
知った。
それを知って、私はかなり、ショックを
受けた。
私はむしろ、それを自慢にしていた。
「ぼくには目覚まし時計は、必要ない」と。

一方、ワイフはどうかというと、これまた
のんきな性格で、いつも目覚まし時計が
鳴ってから、目を覚ます。
(ときどき寝過ごしてしまうこともある。)

過緊張は、神経症、不眠症などの不適応障害の
原因となりやすいという(某・ニュース・サイト)。
つまり悲しむべきことであって、自慢にするよう
なことではない、と。

子どもの世界には、過保護、過干渉、過関心という
のはある。
しかしそれにしても、過緊張とは……?

ほかに過心配、過不安、過依存、過嫉妬などなど。
いろいろ考えられる。
(しかしどういうとき、「過剰~~」といい、どういうとき
「過~~」というのか? 過保護とはいうが、過剰保護
とはいわない。過剰行動とはいうが、過行動とはいわない。)

要するに、人間というのは、のんびりと生きたほうが
よいということらしい。
万事、適当。
「まっ、いいじゃないか」という(いいかげんさ)が、
心に風を通す。

しかしこれは子育ての大鉄則でもある。
いつだったか、私は『まじめ5割、いいかげんさ5割』
という子育て格言を考えたことがある。

たとえば子どもを叱るときも、最後の最後まで
追いつめてはいけない。
あるところまできたら、さっと手を引く。
ものを教えるときも、そうだ。
子どもがそれを望んでいないのなら、適当なところで、
適当にやってすます。
こういうとき細かいことを言い過ぎると、子どもは
やる気そのものをなくしてしまう。

で、私のケース。

私は講演するときも、時間通り、ぴったりで
終わるのを得意としている。
講演をしながらも、別の脳みそで、時間を
計りながら、話す。
これは私の特技のようなもの。

しかしどうやら、それもまずいということらしい。
では、どうすればよいのか。
「過緊張」という言葉は、今日、はじめて知った。
つまりこの言葉をよく読むと、程度の問題という
ことがわかる。

「緊張するのは悪くない。しかしそれも度を超すと
よくない」と。

たとえば目覚ましをかけても、その目覚ましが
気になって熟睡できないとか、など。
そうなればそれを過緊張という。

ついでながら言うと、アルツハイマー病などになると、
時間の感覚がわからなくなるという。
ある著名な大学教授だが、講演などを予定よりも
はるかに早く終わってしまったり、
反対に時間を無視して話したりしていた。
それがその病気の初期症状だったということが、
あとになってわかったという。
そういうこともある。

だから目覚ましが鳴る前に目が覚めるといっても、
だからといって、それが悪いことだというふうには、
考えないほうがよい。

適度なストレスは、生活のスパイスとも言われている。
そのストレスがほどよい緊張感をもたらす。
それと同じように考えてよいのではないか。


●消えゆく自転車店

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街から1軒、また1軒と自転車店が消えていく。
かろうじて開いている店にしても、元気がない。
冬場になると、どの店も戸を閉めて、北風を
しのいでいる。

もしあのまま私が自転車屋の店主として
残っていたら……。
今ごろは、なすすべも知らず、暗い店の
中で、悶々としていたことだろう。

それを思うと、とても人ごとに思えない。

+++++++++++++++++++

私の実家も自転車店だったから、そのさみしさが、
痛いほど身にしみる。
「自転車ブームだから……」とはいうものの、
商品数、サービス面において、大型店には
かなわない。

昔、祖父が時計店から帰ってきて、私にこう言った。
「浩司、うちに並べてある自転車をすべて合わせても、
時計屋の陳列に並んでいる一皿分の時計にもならない」と。
自転車というのは、陳列するにも場所をとる。
小さな店だと、20~30台を並べるのがやっと。
祖父は、それを言った。

また少し前までは、技術面で、大型店といえども、
専門店にはかなわないと言われていた。
が、それも今は昔。

ここ3~4台は、私も大型店で自転車を購入している。
商品数はもちろんのこと、サービス面、技術面でも、
個人の自転車店のそれを、はるかに超えている。
パンクの修理にしても、どこで買った自転車であっても、
気持ちよくしてくれる。
(このH市には、『他店で買った自転車については、
パンクの修理をしません』という張り紙を出して
いる自転車店もあるぞ!)

値段はどうか?

先日駅前に、ビッグXXXという、電化製品の大型店が
オープンした。
行ってみると、中で自転車まで売っていた。
安い自転車もあったが、電動アシスト車など、
中には10~30万円もする自転車も並んでいた。
それを見たとき、「ああ、もうだめだ」と思った。
電動アシスト車にしても、街の自転車店で買うよりも、
1~2割は安い。
「高級自転車は専門店で」という常識も崩れた。

ところで私が子どものころは、商売といっても、
人と人のつながりの中で、成り立っていた。
ものを売り買いしながらも、そこには(つながり)が
あった。
またその(つながり)を無視しては、商売は、
成り立たなかった。
たとえば「あの人は、いつもうちの自転車を買って
くれるから、あの人の店で、テレビを買ってやろう」と。

多少、値段がほかよりも高くても、その人の店で、
テレビを買った。

が、今は、ちがう。
かえってこうした(つながり)を、わずらわしいと
思う人がふえてきた。
実は私もその1人ということになるが、なぜか?

それだけ人との(つながり)が、煩雑(はんざつ)に
なってきたということ。
いちいち(つながり)を考えていたら、息苦しく
なってしまう。
ビジネスはビジネスとして、ドライに割り切る。
その(わかりやすさ)が、大型店にはある。

とは言え、このさみしさは、いったいどこから来るのか。
言い換えると、私が子どものころ、祖父や父が
必死になって守ろうとしていたものは、何かということ。
まさかそういうものが、無駄だったとは、私には
とても書けない。

というのも、小売店というのは、基本的には、
問屋から物を買って、客にそれを売る。
それで成り立っている。
客の立場でいうなら、その物は、安ければ安いほどよい。

自転車店がほかの小売店とちがう点は、2つある。
ひとつは、自転車には定価がないということ。
昔から、オープン価格がふつうだった。
付属品によっても、値段が大きく変わる。
客によっては、ハンドルを換えたり、サドルを換えたりする。

さらに自転車店ごとに、特約店というのをもうけて、
わざと競争できないしくみを、守っていた。

もう一つは、汚れ仕事ということ。
自転車の一部をなおしただけで、手が油でベタベタになる。
それを嫌う人は、多い。
技術職とはいうものの、率直に言えば、たいした技術ではない。
今では自転車といっても、完成品のまま、問屋から運ばれてくる。

自転車店のあり方そのものが、大きく変わった。
その変化を乗り越えた店だけが、生き残る。
そうでない店は、街から消える。
しかし現実には、生き残ることは、不可能。
仮に生き残ったとしても、さらに大きな大型店が、
その向こうで待ち構えている。

こうして街から酒屋が消え、米屋が消えた。
洋服屋も消え、たばこ屋も消えた。
文房具屋も消え、肉屋も消えた。
時計屋も消え、菓子屋も消えた。
しかしそれは同時に街の文化が消えることを意味する。

いいのか?
これでいいのか?
あるいはそれに替わる、新しい文化が、今、どこかで
生まれつつあるのか。
そしてその文化とは、いったい、どういうものなのか。
今の私には、それがわからない。
わからないが、冒頭の話に戻る。

もしあのまま私が自転車屋の店主として
残っていたら……。
今ごろは、なすすべも知らず、暗い店の
中で、悶々としていたことだろう。

それを思うと、とても他人ごとには思えない。
がんばれ、自転車店!
負けるな、自転車店!

*Economy Crisis in South Korea

【日韓経済戦争・韓国12月危機】

+++++++++++++++++

9月危機をかろうじて乗り切った韓国。
しかしそれで危機は去ったわけではない。

が、このところ韓国系新聞を読むと、
調子のよい話ばかりがつづく。
「10月の経常収支が史上最大の黒字」(東亜N報)
とか何とか。
しかし内情は、かなりちがうようだ。
内情は、さらに悪化している。

+++++++++++++++++

先ごろ、新経済閣僚会議のメンバーが発表された。
世界から、20か国が集まる。
しかしその中に韓国の名前はなかった。
が、もしこれが昨年のことなら、韓国はそれに猛烈に
反発したことだろう。
「どうして世界第11位の貿易国を、仲間に
入れないのか!」と。
しかし今は、それどころではない。

月刊「FACTA」(ヤフー・ニュース版)には、
つぎのようにある(12月号)。

++++++++++以下、FACTAより、抜粋++++++++++++

……ウォン危機の底には、04年以来4年連続で赤字となり、資本割れが危惧されている中央銀行(韓国銀行)の苦境がある。03~05年にウォン高を抑えようと外為市場に介入、韓国銀行が通貨安定証券を発行して介入資金をまかない、その返済が年6兆~7兆ウォンに達して重圧となっているのだ。2120億ドルの外貨準備があると政府がいくら強調しても、ゴールドマン・サックスなどの先行き懸念が解けない。

++++++++++以上、FACTAより、抜粋++++++++++++

ここに出てくる「通貨安定証券」というのは、
韓国銀行が発行する証券、つまり「外国への借金」をいう。
日本でいえば、日銀が外国に借金をしているようなもの。
こういうことは日本では、考えられない。

その返済額が、年6~7兆ウォンもあるという(同)。
現在(11・28)、1ドル=0・001ウォンだから、
これで計算すると、6~7兆ウォンは、60~70億ドル
ということになる。

日本の借金もよく話題になるが、日本は外国に対しては、
借金をしていない。
国債にしても、外国人の持ち率は、5%前後と言われている。
つまりほとんどが、いわば、身内の借金。
しかも日本政府は、1000兆円近い借金をしながら、
その一方で、1000兆円近い国有財産を保有している。
加えて、日本人がもつ個人資産も、1000兆円以上ある。

日本にすれば、「たったの60~70億ドル」ということになるが、
日本と韓国では、経済規模そのものがちがう。

同じ月刊「FACTA」(ヤフー・ニュース版)は、つぎのように
書いている。

++++++++++以下、FACTAより、抜粋++++++++++++

暴落した韓国の通貨ウォンが、年末にかけて再び急落するという「12月危機説」が広がっている。10月28日に1ドル=1450ウォンと1年前に比べ40%以上も下げた翌日、中央銀行の韓国銀行とFRB(米連邦準備理事会)が最大300億ドルの通貨スワップ協定を結び、ようやく下げ止まった。しかし韓国の企業が保有するデリバティブ(金融派生商品)という時限爆弾があって、危機が再燃すれば国家が破産状態となる「アイスランドのアジア版」との観測が出ている……。

++++++++++以上、FACTAより、抜粋++++++++++++

97年の通貨危機のときは、日本は、当初アメリカの反対を押し切って、
総額500億ドルを用意し、(頼まれもしないうちから)、韓国の救済に走った。
IMFにも、まだ余力があった。

が、こうした(恩義)は、韓国には通用しない。
しないことは、その後の、金大中、ノ・ムヒョン政権の対日政策を
みればわかる。
現在のイ・ミョンバク政権も似たようなもの。

そこで韓国は、日本と中国を巻き込んで、スワップ協定を拡大しようと
している。
その財務相会議が、12月14日に開かれるという(同)。

ところで「スワップ協定」とは何か。
簡単に言えば、昔の「講」に似た、資金相互融通制度をいう。
為替相場が変動しても、元の為替相場で返済すればよいという
ところに、大きなメリットがある。
「現代用語の基礎知識」には、つぎのようにある。

『正式には相互通貨取決め(reciprocal currency arrangement)といい、中央銀行間で、自国通貨を相互に預け合うことをいう。あらかじめ枠だけを決めておき、必要なときには協定を発動して為替市場の介入などに必要な外貨を取得する。相互の借入れは短期間で、当初用いたのと同じ為替レートで返済される。アメリカの連邦準備制度は、ドル防衛資金調達のため世界の主要中央銀行とスワップ協定を締結、交換性停止まで大いに利用した。近年、アジア地域で域内金融協力の一環でこの種の取決めを拡大する動きが進行中』と。

が、そのスワップ協定に、先ごろ、韓国はとうとう手をつけ始めた。
さらに今日(28日)、「韓国の建設・エンジニアリング大手C&
グループの中核子会社2社は27日、債権者に債務再編を
申し入れると明らかにした」(ヤフー・ニュース)というニュースも
飛び込んできた。

「いよいよ……」という感じだが、この動きは加速することは
あっても、減速することはない。
あがけばあがくほど、その後の谷底は深くなる。
が、これだけは忘れてはいけない。

バブル経済崩壊後、日本がその後遺症に苦しんでいたころ、
韓国は、「これで日本はおしまい。韓国の時代がやってきた」と、
小おどりして喜んでいた。
毎朝、経済閣僚会議を開いて(毎朝だぞ!)、いかにすれば
日本を太平洋の向こうに叩き落とせるかを、それを画策していた。

民間レベルで日韓友好のために努力している人もいるにはいるが、
こと国際経済という立場でみるかぎり、韓国は、日本にとって、
「最悪の反日国家」(三橋貴明氏)であることには、ちがいない。

今度何かあっても、韓国をけっして安易に救済してはいけない。
日本よ、日本人よ、けっしてあの「97年の愚」を繰り返して
いけない。
この戦争に敗れたら、日本に未来はない。
竹島は独島になり、日本海は東海になる。
ついでに対馬すら、韓国領になるかもしれない。
朝鮮半島全体が、核兵器を備えた強大な軍事国家になることだって、
考えられる。

長期的な極東アジア情勢を見据えながら、
私たち日本人は韓国がどうあるべきかを考えなければならない。

負けるな、日本!
がんばれ、日本!

Wednesday, November 26, 2008

*School Refusal in Mass

●集団不登校(?)

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何があったのか?
何が起きているのか?
今、たいへん興味をそそられる事件が、これ。
モルダーとスカリー捜査官なら、すぐさま現地に飛び、
その捜査を始めると思う。

(このところ映画の見すぎで、ごめん!)

何でもN県のN市で、児童の集団不登校が
相次いでいるという。

+++++++++++++++

集団不登校?

毎日新聞から記事を抜粋させてもらう。

++++++++++以下、毎日新聞・08・11・25より+++++++++++

●不登校:なぜ?児童23人が「原因なく」 学校が出席を督促 
文科省「聞いたことがない」 

 N市の複数の公立小学校長が今月、登校していない児童13人の保護者に対し、異例の「出席督促書」を渡していたことがわかった。督促を指示した市教育委員会は「昨年末から、特定の地域を中心に、親の意思で通学させないケースが続出している」と説明する。一方、督促された親たちは「子供が行きたがらずに登校できないのであって、親の意思ではない」と話している。

 督促書(A4判1枚)は「○月○日から正当な理由がないのに欠席していますので、直ちに出席させるようN市立学校管理運営に関する規則第13条第2項により督促します」という内容。

 今月、市内の公立小学校に通う1~4年生計13人の保護者に届いた。うち1年生4人は、入学して一度も登校していないという。

 市教委によると、昨年12月から特定の地域を中心に「ホームスクーリング(自宅学習)をさせる」と親が申し出て、低学年の児童10人以上が登校しなくなった。2月初めには、就学通知が届いた新1年生の親からも同様の申し出があり、今年度には「原因がなく登校しない児童」が23人と倍増。事態を重視した市教委は、家庭訪問などで出席を促したが、「話し合いに応じる姿勢がない」と判断した保護者に限って、督促書を出した。

 学校教育法では、児童生徒の出席状況が良好でなく、保護者に出席させない正当な理由がない場合に督促できると定めている。だが、実際に督促書を出す例はほとんどないという。子供が登校したくてもできない「不登校」の場合は対象とならない。

 SM教育長は「異常な事態だ。親の考え方で公教育の機会を奪うのは許されないことを示し、少しでも子供の登校につながるよう願って督促を決めた」と話す。

 一方、督促書を受け取った母親は「子供が学校に行きたがらず、夜うなされたり、吐いたりを繰り返したので、仕方なく家で勉強している。学校が理解してくれず、つらい」と話す。別の母親は「友達関係をきっかけに、前から不登校ぎみだった。子供を理解しようと十分に働きかけもせず、なぜ突然こんな文書を出すのか」と不信感を強める。

 文部科学省初等中等教育企画課は、「子供がまとまって登校しなくなり、一度に督促したような例は聞いたことがない」と話している。

++++++++++以上、毎日新聞・08・11・25より+++++++++++

まず誤解しないでほしいのは、(1)子どもの教育権は、親に属するということ。
国ではない。
親である。
つぎに(2)義務教育の「義務」というのは、「その教育権を、国に委譲する義務がある」
という意味の義務である。
つまり、未成年者である子どもに、そもそも法的義務は存在しない。

だから子どもを学校に行かせないというのなら、(もしそうであるなら)、子どもをもつ
親の義務違反ということになる。
が、この義務違反には、とくに罰則規定はない。
義務に応ずるかどうかは、あくまでも親の判断による。

ついでながら、英語では義務教育を、「compulsory education(強制教育)」というが、
「強制」の程度は、国によって、異なる。
アメリカだけでも、学校へ通わないホームスクーラーは、推定で200万人を超えている。
子どもが学校へ行かないこと、あるいは親が子どもを学校へ行かせないことを、
「悪」と決めつけてはいけない。

そこでこうした問題が生ずる。
集団不登校の問題である。

気になるのは、記事の中の、「特定の地域を中心に」という部分と、「事態を重視した市教委は、家庭訪問などで出席を促したが、『話し合いに応じる姿勢がない』と判断した保護者に限って、督促書を出した」という部分。

教育委員会側も、かなりの努力をしているらしい。
それに対して、保護者側には、「話し合いの応ずる姿勢がない」とか。

さらにもう一点気になるのは、「子供が学校に行きたがらず、夜うなされたり、吐いたりを繰り返したので、仕方なく家で勉強している。学校が理解してくれず、つらい」という部分。

「夜うなされたり、吐いたりする」というのは、ただごとではない。
通常、私たちが考える(不登校)もしくは、(学校恐怖症)、あるいは(怠学)とは、少し内容がちがうようだ。
教育委員会にとっても、またそういった子どもをもつ親にとっても、これは深刻な問題である。

が、これ以上のコメントは、残念ながら、ここではできない。
情報が、あまりにも少なすぎる。

ただ最後の「こうした例は聞いたことがない」という部分には、「?」をつけたい。
こうした集団不登校事件は、過去にもあるにはあった。
裏で宗教(カルト)団体がからんでいたケースもあった。
で、この事件で、(「事件」というほど、大げさなものではないかもしれないが)、重要な
ポイントは、その集団不登校を起こしている保護者、あるいは子どもの間で、横の
連絡があるかないかということ。

その(連絡)があれば、「集団」ということになる。
その(連絡)がなければ、「集団」という言葉を使うのは、不適切である。
たまたまその地域で、不登校児が重なったというだけかもしれない。

あるいは「夜うなされたり、吐いたりする」という症状が、共通して現れて
いるのかどうか?
もし特定の地域で、子どもたちに、集団で同じような症状が出ているとすれば、
それこそ、その背後に何かあるはずである。

また不登校といっても、1人、2人……と周囲でつづくと、その連鎖反応が起きるという
ことも考えられる。
「あの子が行かないなら、うちの子も……」と。
そういうことも考えられなくはない。

どうであるにせよ、毎日新聞の記事になっているくらいだから、ふつうの不登校とは、
内容が異なると考えてよい。

何があったのか?
何が起きているのか?
今、ほんとうに興味をそそられる。

*Doeds the Blood Type affect hHuman Characters?

●またまた血液型問題

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いいかげんにしろ!

昨夜テレビを見ていたら、またまた血液型に
よる性格判断が話題になっていた。

4年前に書いた原稿があった。
それをそのまま!

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●BPOが「血液型を扱う番組」に要望
 BPO=放送倫理・番組向上機構の「放送と青少年に関する委員会」は、放送各社に対し、「血液型で人間の性格が規定される」という見方を助長しないよう要望した。

 青少年委員会では、血液型を扱う番組が増えていることについて、「科学的根拠が証明されていないにも関わらず、血液型で人を分類する考え方は、社会的差別に通じる危険がある」と指摘している。また、「血液型実験」と称して、子供が駆り出されるケースは「人道的に問題がある」としている。
 
 その上で、放送各社が「番組基準を守り、血液型で人間の性格が規定されるという見方を助長しないよう」要望、占いや霊感など、非科学的な事柄をあつかう番組でも、青少年への配慮を強めるよう要請した。(04年・12月8日)(以上、TBS・i・news)

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 児童虐待については、親自身に、何らかの、経済的困苦や、家庭問題、それに心の病気があることが多いということは、以前より、指摘されている。たとえば、「貧しい」ということは、それ自体が、社会的病理と考えてよい。が、しかし、それだけで、片づけてはいけない。

 私が知っている例でも、その両親(祖父母)のスネをかじり、借金まるけになりながらも、T社の大型ランドクルーザーに乗っていた父親がいた。「貧しい」というのは、金銭的な貧しさではなく、心の貧しさをいう。

 金銭的な貧しさは、得てして、心の貧しさを、引き起こしやすい。その結果として、そしてその一部として、親は、子どもを虐待するようになる。

 もっとも今、経済的なゆとりをもって生活して人は、何%いるのか? いや、(ゆとり)というのも、実は、その人の心構えによって決まるのでは……?

 正直に言うが、だれかに接待されたときは別として、私たち夫婦にしても、この10年以上、寿司屋で寿司を食べたことがない。寿司と言えば、回転寿司。それもたいていは、一皿105円の回転寿司である。

 しかし、食べたいときには、食べている。思い立ったときに、食べている。それが(ゆとり)というものではないか。(いつも2人で、合計8~9皿までと決めているが……。)

 ただこういうことは言える。いくら金銭的に貧しくても、心までは、貧しくしてはいけないということ。ある女性(80歳くらい)は、息子夫婦に、行楽地へ連れていってもらうたびに、何かの(盗み)をしてくるという。

 通りにある植木鉢や、置き物など。飲食店に寄っても、その店にそなえつけの、調味料入れや傘まで、もってくるという。そのため、息子夫婦は、目を離せないという。そういう女性を、心の貧しい人という。

 子どもを虐待する親というのは、そういう意味で、心の貧しい人と考えてよいのでは……。よくわからない部分もあるので、この先は、また別のところで、考えてみたい。

++++++++++++++++++++++++++++

 血液型については、もう何度も書いてきた。その結論も、少し前に書いた。

 問題は、「占いや霊感など、非科学的な事柄をあつかう番組でも、青少年への配慮を強めるよう要請した」(BPO)という部分。

 大賛成!、である。

 昨夜もテレビのチャンネルをかえていたら、その種の番組が、目に入った。1人の太った女性が、タレントたちの運勢を、占っていた。

 少し前には、霊媒師とか霊感師というのが、いた。さらに少し前には、どこかの寺の僧侶が、心霊写真なるものを、さかんに紹介していた。が、最近は、占い!

 もう、やめようよ、みなさん! もう少し、賢く、利口になろうよ! こんなことを繰りかえしていて、いったい、どうするのか! どうなるのか! 「あんたのうしろには、ヘビがいる」「あんたは、神を粗末にしている」などと言われて、ビクビクしたり、ギャーギャー騒いでいてよいのか!

 コメントする価値もないほど、バカげている。あまりにも、レベルが低すぎる。少なくとも、大のテレビ局が、最新の映像機器を使って流すような番組ではない。

 ……というような話を、先日、中学2年生のRさんにすると、Rさんは、こう言った。

 「先生、占いは、ちゃんと当たります!」と。

 そこで私は、「具現理論」について、話してやった。

●具現理論

 子どもは(もちろん、おとなも)、最初にこうだと思った状況を、自ら、つくりだしてしまうことがある。これを私は、勝手に、「具現理論」と呼んでいる。内心で思っていることを、自ら、無意識のうちにも、具体的に作りだしてしまうことをいう。いろいろな例がある。

 Aさん(高二女子)が、ある日、こう言った。「先生、私、明日、交通事故にあう」と。「どうして、そんなことがわかるの?」と聞くと、「私には、自分の未来が予言できる」と。

 で、それから数日後、見ると、Aさんは、顔の右半分、それから右腕にかけて包帯を巻いていた。私はAさんの話を忘れていたので、「どうしたの?」と聞くと、「自転車で走っていたら、うしろから自動車が来たので、それを避けようとしたら、体が塀にぶつかってしまった」と。

 このAさんのケースでは、自らに「交通事故を起こす」という暗示をかけ、そしてその暗示が、無意識のうちに、事故を引き起こしてしまったことになる。つまり無意識下の自分が、Aさん自身を裏からコントロールしたことになる。こうした例は多い。

 毎朝、携帯電話の占いを見てくる女性(二五歳くらい)がいる。「あんなものインチキだよ」と私が言うと、猛然と反発した。「ちゃんと、当たりますよ。不思議なくらいに!」と。彼女はいろいろな例をあげてくれたが、それもここでいう具現理論で説明できる。

 彼女の話によると、こういうことらしい。「今日は、ちょっとしたできごとがあるので、ものごとは控え目に」という占いが出たとする。「で、その占いにさからって、昼食に、おなかいっぱい、ピザを食べたら、とたんに、気持ち悪くなってしまった。控え目にしておかなかった、私が悪かった」と。

 しかしこの占いはおかしい。仮に昼食を控え目にして、体調がよければよいで、それでも、「当たった」ということになる。それにものごとは、何でも控え目程度のほうが、うまくいく。

つまり彼女は、「控え目にしなければならない」という暗示を自らにかけ、同時に、「それを守らなければ、何かおかしなことになる」という予備知識を与えてしまったことになる。あとは、「おかしなこと」という部分を、自ら、具体的に作りだしてしまったというわけである。

つまり占いが当たったわけではなく、自分をその占いに合わせて、つくってしまった。

 あなたは私の具現理論をどう思うだろうか。
(はやし浩司 具現理論 予言実現 予告実現 占い 血液型 BPO 放送倫理)

++++++++++++++++++

おまけに、昨年(03)書いた原稿を
添付しておきます。

++++++++++++++++++

●「ヤーイ、何も起きなかったぞ!」

 数年前、どこかの新興宗教団体が、全国各紙の一面を借り切って、「予言」なるものを載せた。「(その年の7月に)北朝鮮が戦争をしかけてくる」とか何とか。結果としてみると、まったくのデタラメだった。その前は、ノストラダムスの予言とか、富士山噴火の予言というのもあった。

しかしこういう予言など、当たるわけがない。もともと予言などというものは、どこかのあたまのおかしな人が、思いこみでするもの。

たとえばあるキリスト系宗教団体では、ことあるごとに終末論と神の降臨を唱え、「この信仰をしたものだけが、救われる」などと教えている。そこで調べてみると、こうした終末予言は、その宗教団体だけでも、過去、4、5回もなされていることがわかった。しかし、だ。一度だって、こうした予言が、当たったためしがない。

 で、疑問は、こういう人騒がせなことをさんざん言っておきながら、その責任を取った人が、なぜ一人もいないかということ。さらにその責任を追及した人もいない。それにさらなる疑問は、そういう予言がはずれても、「だまされた」と言って、その宗教団体(ほとんどはカルト)から離れた信者が、なぜいないかということ。中には、「私たちの信仰の力によって、終末を回避しました」などと、おめでたいことを言う宗教団体さえある。

 ごく最近では、真っ白な衣装に身を包んだ団体が、ある。去る5月15日(03年)に何かが起こるはずだったが、「少し延期された」(真っ白な衣装を着た団体のメンバーの一人の言葉)とのこと。が、今にいたるまで、何も起きていない。

「ヤーイ、何も起きなかったぞ!」と私は言いたいが、一言、つけ加えるなら、「馬鹿メ~」ということになる。もっともはじめから相手にしていなかったから、何も起きなかったからといって、どうということはない。

(仮に起きたとしても、それは予言が当たったというよりは、偶然そうなったと考えるのが正しい。まさか、こんどのSARS騒ぎが、その予言?)

 しかしそれにしても楽しい。あのノストラダムスには、私もひかかった。「1999年の7月」というのが、どこか信憑性(しんぴょうせい)を感じさせた。聞くところによると、あのノストラダムスの予言について本を10冊以上も書いた、Gという作家は、億単位のお金を稼いだという。世の中をあれだけ騒がせたのだから、謝罪の意味もこめて、その利益を、社会に還元すべきではないか……と考えるのは、はたして私だけなのだろうか。

 さてさて、これからも、この種類のインチキ予言は、つぎつぎと生まれてくるだろう。人々が不安になったとき、人々の心にスキ間ができたときなど。では、私たちは、どうしたらよいのか。

言うまでもなく、予言論は、運命論とペアになっている。個人の運命が集合されて、予言になる。つまりこうした予言にまどわされないためには、私たち一人ひとりが、自分を取り巻く運命論と戦うしかない。

 そんなわけで、『運命は偶然よりも、必然である』(「侏儒の言葉」)と説いた、芥川龍之介を、私は支持する。運命は、自分でつくるものということ。あるいは無数の偶然と確率によって、決まる。

百歩譲って、仮に運命があるとしても、最後の最後で、足をふんばって立つのは、私たち自身にほかならない。神や仏の意思ではない。私たち自身の意思だ。自由なる意思だ。そういう視点を見失ってはいけない。

 ところで学生のころ、こんな愚劣な会話をしたことがある。相手は、どこかのキリスト教系のカルト教団の信者だった。私が、「君は、ぼくの運命が決まっているというが、では、これからこのボールを、下へ落す。その運命も決まっていたのか」と聞くと、こう答えた。「そうだ。君が、ボールを落すという運命は、決まっていた」と。

私「では、ボールを落すのをやめた」
信「そのときは、落さないという運命になっていた」
私「では、やはり、落す」
信「やはり、落すという運命になっていた」
私「どっちだ?」
信「君こそ、どっちだ?」と。
(030520)

【追記】

 私はいつだったか、中田島の砂丘を歩きながら、学生時代の、あの会話を思い出したことがある。「君こそ、どっちだ?」と私に迫った、あの信者との会話である。

 浜松市の南に、日本三大砂丘の一つである、中田島砂丘がある。その砂丘の北側の端に立って海側を見ると、波打ち際は、はるか数百メートル先になる。

しかし、だ。この大宇宙には、無数の銀河系があり、それらの銀河系には、その砂丘の砂粒の数よりも多くの、星々があるという。私たちが「太陽」と呼ぶ星は、その中の一つにすぎない。地球は、その星にも数えられない、その太陽のまわりを回る、小さなゴミのようなものだという。

 一人の人間の価値は、この大宇宙よりも大きいとは言うが、しかし一方、宇宙から見る太陽の何と小さいことよ。仮にこの宇宙が、人知を超えた神々によって支配されているとしても、その神々は、果たしてこの地球など、相手にするかという問題がある。いわんや一人ひとりの人間の運命など、相手にするかという問題がある。さらにいわんや、地球上の生物の中で、人間だけに焦点をあてて、その人間の運命など、相手にするかという問題がある。

仮に私が、全宇宙を支配する神なら、そんな星粒の一つの太陽の、そのまた地球の、そのまた人間の、そのまた個人の運命など、相手にしない。それはたとえて言うなら、あなたの家の中の、チリ1個にはびこる、カビの運命を、あなたが相手にするようなもの。

……と、私は考えてしまう。現に、ユダヤ人の神である、キリストは、第二次大戦中、1000万人近いユダヤ人が殺されたにもかかわらず、何もしなかったではないか。殺されたユダヤ人の中には、それこそ命をかけて神に祈った人だって、いたはずである。つまりそういうことを考えていくと、「この信仰を信じた人だけが、神に救われる」と考えることの、おかしさが、あなたにもわかるはず。

 だからといって、私は宗教や信仰を否定するものではない。私が言いたいのは、宗教にせよ、信仰にせよ、「教え」に従ってするものであって、不可思議なスーパーパワーに従ってするものではないということ。

運命にせよ、予言にせよ、それらはもともと宗教や信仰とは関係ないものということになる。もしそういうスーパーパワーを売りものにする宗教団体があったら、まずインチキと疑ってかかってよい。

 ボールを落とすとか、落とさないとか、そんなささいなことにまで、運命など、あるはずはない。ボールを落とすとか落さないとかを決めるのは、私たち自身の意思である。自由なる、意思である。その「私」が集合されて、私の運命は決まる。
(はやし浩司 運命 予言 運命論 予言論)

*Self-respected Children

●自尊感情

+++++++++++++++++++++++++++++++++

『日本青少年研究所が02年11月にまとめた中学生の国際調査によると、「私は自分に大体満足している」と答えたのは米国が53.5%、中国も24.3%に上ったのに対し、日本は9.4%にとどまっていた。また、07年度の国の学力テストでも「自分には、よいところがあると思いますか」との質問に対し、都内の小学6年生の29.4%、中学3年生の39.6%が否定的な回答をしていた』(以上、毎日新聞の記事より・08・11・26)。

数字をもう一度、整理してみる。

「私は自分に大体満足している」と答えたのは、

アメリカ……53.5%
中国  ……24.3%
日本  …… 9.4%

「自分には、よいところがあると思いますか」という質問に対して、否定的な回答を
したのは、

都内の小学6年生……29.4%、
中学3年生   ……39.6%

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東京都教育委員会は来年度から、自分に自信の持てない子どもの自尊感情を高める指導方法について研究を始める方針を固めたという(毎日新聞※)。

しかしどうして今ごろ?、というのが、私の率直な感想。
つまりどうして今ごろ、「研究を始めるのか?」と。
こんなことは発達心理学を少しでも勉強してことがある人なら、みな、知っている。
つまり常識。
「自己の同一性」(アイデンティティ)という言葉を知らない人は、ない。
自尊感情にしても、やる気にしても、すべてこの自己の同一性で、決まる。

その自己の同一性について、

Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

●自己概念

 「自分は、人にどう思われているか」「他人から見たら、自分は、どう見えるか」「どんな人間に思われているか」。そういった自分自身の輪郭(りんかく)が、自己概念ということになる。

 この自己概念は、正確であればあるほどよい。

 しかし人間というのは、身勝手なもの。自分では、自分のよい面しか、見ようとしない。悪い面については、目を閉じる。あるいは人のせいにする。

 一方、他人というのは、その人の悪い面を見ながら、その人を判断する。そのため(自分がそうであると思っている)姿と、(他人がそうであると思っている)姿とは、大きくズレる。

 こんなことがあった。

 ワイフの父親(私の義父)の法事でのこと。ワイフの兄弟たちが、私にこう言った。

 「浩司(私)さん、晃子(私のワイフ)だから、あんたの妻が務まったのよ」と。

 つまり私のワイフのような、辛抱(しんぼう)強い女性だったから、私のような短気な夫の妻として、いることができた。ほかの女性だったら、とっくの昔に離婚していた、と。

 事実、その通りだから、反論のしようがない。

 で、そのあとのこと。私はすかさず、こう言った。「どんな女性でも、ぼくの妻になれば、すばらしい女性になりますよ」と。

 ここで自己概念という言葉が、出てくる。

 私は、私のことを「すばらしい男性」と思っている。(当然だ!)だから「私のそばにいれば、どんな女性でも、すばらしい女性になる」と。そういう思いで、そう言った。

 しかしワイフの兄弟たちは、そうではなかった。私のそばで苦労をしているワイフの姿しか、知らない。だから「苦労をさせられたから、すばらしい女性になった」と。だから、笑った。そしてその意識の違いがわかったから、私も笑った。

 みんないい人たちだ。だからみんな、大声で、笑った。

 ……という話からもわかるように、自己概念ほど、いいかげんなものはない。そこで、私たちはいつも、その自己概念を、他人の目の中で、修正しなければならない。「他人の目を気にせよ」というのではない。「他人から見たら、自分はどう見えるか」、それをいつも正確にとらえていく必要があるということ。

 その自己概念が、狂えば狂うほど、その人は、他人の世界から、遊離してしまう。

 その遊離する原因としては、つぎのようなものがある。

(1) 自己過大評価……だれかに親切にしてやったとすると、それを過大に評価する。
(2) 責任転嫁……失敗したりすると、自分の責任というよりは、他人のせいにする。
(3) 自己盲目化……自分の欠点には、目を閉じる。自分のよい面だけを見ようとする。
(4) 自己孤立化……居心地のよい世界だけで住もうとする。そのため孤立化しやすい。
(5) 脳の老化……他者に対する関心度や繊細度が弱くなってくる。ボケも含まれる。

 しかしこの自己概念を正確にもつ方法がある。それは他人の心の中に一度、自分を置き、その他人の目を通して、自分の姿を見るという方法である。

 たとえばある人と対峙してすわったようなとき、その人の心の中に一度、自分を置いてみる。そして「今、どんなふうに見えるだろうか」と、頭の中で想像してみる。意外と簡単なので、少し訓練すれば、だれにでもできるようになる。

 もちろん家庭という場でも、この自己概念は、たいへん重要である。

 あなたは夫(妻)から見て、どんな妻(夫)だろうか。さらに、あなたは、子どもから見て、どんな母親(父親)だろうか。それを正確に知るのは、夫婦断絶、親子断絶を防ぐためにも、重要なことである。

 ひょっとしたら、あなたは「よき妻(夫)であり、よき母親(父親)である」と、思いこんでいるだけかもしれない。どうか、ご注意!
(はやし浩司 自己概念 (はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 自己概念 現実自己 アイデンティティ)

Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

●自分を知る

 自分の中には、(自分で知っている部分)と、(自分では気がつかない部分)がある。

 同じように、自分の中には、(他人が知っている部分)と、(他人が知らない部分)がある。

 この中で、(自分でも気がつかない部分)と、(他人が知らない部分)が、「自分の盲点」ということになる(「ジョー・ハリー・ウインドウ」理論)。

 (他人が知っていて、自分では知らない部分)については、その他人と親しくなることによって、知ることができる。そのため、つまり自分をより深く知るためには、いろいろな人と、広く交際するのがよい。その人が、いろいろ教えてくれる(※)。

 問題は、ここでいう(盲点)である。

 しかし広く心理学の世界では、自分をよりよく知れば知るほど、この(盲点)は、小さくなると考えられている。言いかえると、人格の完成度の高い人ほど、この(盲点)が小さいということになる。(必ずしも、そうとは言えない面があるかもしれないが……。)

 このことは、そのまま、子どもの能力についても言える。

 幼児をもつほとんどの親は、「子どもは、その環境の中で、ふさわしい教育を受ければ、みんな、勉強ができるようになる」と考えている。

 しかし、はっきり言おう。子どもの能力は、決して、平等ではない。中に平等論を説く人もいるが、それは、「いろいろな分野で、さまざまな能力について、平等」という意味である。

 が、こと学習的な能力ということになると、決して、平等ではない。

 その(差)は、学年を追うごとに、顕著になってくる。ほとんど何も教えなくても、こちらが教えたいことを、スイスイと理解していく子どももいれば、何度教えても、ザルで水をすくうような感じの子どももいる。

 そういう子どもの能力について、(子ども自身が知らない部分)と、(親自身が気がついていない部分)が、ここでいう(盲点)ということになる。

 子どもの学習能力が、ふつうの子どもよりも劣っているいるということを、親自身が気がついていれば、まだ教え方もある。指導のし方もある。しかし、親自身がそれに気がついていないときは、指導のし方そのものが、ない。

 親は、「やればできるはず」「うちの子は、まだ伸びるはず」と、子どもをせきたてる。そして私に向っては、「もっとしぼってほしい」「もっとやらせてほしい」と迫る。そして子どもが逆立ちしてもできないような難解なワークブックを子どもに与え、「しなさい!」と言う。私に向っては、「できるようにしてほしい」と言う。

 こうした無理が、ますます子どもを勉強から、遠ざける。もちろん成績は、ますますさがる。

 言いかえると、賢い親ほど、その(盲点)が小さく、そうでない親ほど、その(盲点)が大きいということになる。そして(盲点)が大きければ大きいほど、家庭教育が、ちぐはぐになりやすいということになる。子育てで失敗しやすいということになる。

 自分のことを正しく知るのも難しいが、自分の子どものことを正しく知るのは、さらにむずかしい。……というようなことを考えながら、あなたの子どもを、一度、見つめなおしてみてはどうだろうか。

(注※)

 (自分では気がつかない部分)で、(他人が知っている部分)については、その人と親しくなることで、それを知ることができる。

 そこで登場するのが、「自己開示」。わかりやすく言えば、「心を開く」ということ。もっと言えば、「自分をさらけ出す」ということ。しかし実際には、これはむずかしい。それができる人は、ごく自然な形で、それができる。そうでない人は、そうでない。

 が、とりあえず(失礼!)は、あなたの夫(妻)、もしくは、子どもに対して、それをしてみる。コツは、何を言われても、それを聞くだけの寛容の精神をもつこと。批判されるたびに、カリカリしていたのでは、相手も、それについて、話せなくなる。

 一般論として、自己愛者ほど、自己中心性が強く、他人の批判を受けいれない。批判されただけで、狂乱状態になる人さえいる。

Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

【私らしく生きるために……】

●不適応障害

 「私は私」と、自分に自信をもって、生活している人は、いったい、どれだけいるだろうか。実際には、少ないのでは……。

+++++++++++++++++

 「私は、こうでなければならない」「こうであるべきだ」という輪郭(りんかく)を、「自己概念」という。

 しかし、現実には、そうはいかない。いかないことが多い。現実の自分は、自分が描く理想像とは、ほど遠い。そういうことはよくある。

 その現実の自分を、「現実自己」という。

 この(自己概念)と(現実自己)が、一致していれば、その人は、「私は私」と、自分を確信することができる。自分の道を、進むべき道として、自信をもって、進むことができる。そうでなければ、そうでない。

不安定な自分をかかえ、そのつど、道に迷ったり、悩んだりする。が、それだけではすまない。心の状態も、きわめて不安定になる。

++++++++++++++++++

 Aさん(女性)は、財産家の両親をもつ、夫のB氏と結婚したつもりだった。B氏の両親は、その地域でも、昔からの土地持ちという話を聞いていた。

 が、実際には、B家は、借金だらけ。しかも大半の土地は、すでに他人のものになっていた。ここでAさんの夢は、大きく崩れた。

 Aさんは、B氏の夫として、そして良家の奥様として、優雅な生活を設計していた。とたん、つまり、そういう現実を目の前につきつけられたとき、Aさんの情緒は、きわめて不安定になった。

 良家の奥様にもなりきれず、さりとて、商家のおかみさんにも、なりきれず……。

 毎晩のように、夫と、はげしい夫婦げんかを繰りかえした。

 ……というような例は、多い。似たようなケースは、子どもの世界でも、よく起こる。

 (こうでなければならない自分=自己概念)と(現実の自分=現実自己)。その両者がうまくかみあえば、それなりに、子どもというのは、落ちついた様子を見せる。

 しかし(こうでなければならない自分)と(現実の自分)が、大きく食い違ったとき、そこで不適応症状が現れる。

 不適応症状として代表的なものが、心の緊張感である。心はいつも緊張した状態になり、ささいなことで、カッとなって暴れたり、反対に、極度に落ちこんだりするようになる。

 私も、高校2年から3年にかけて、進学指導の担任教師に、強引に、文科系の学部へと、進学先を強引に変えられてしまったことがある。それまでは、工学部の建築学科を志望していたのだが、それが、文学部へ。大転身である!

 その時点で、私は、それまで描いていた人生設計を、すべて、ご破算にしなければならななかった。私は、あのときの苦しみを、今でも、忘れない。

……ということで、典型的な例で、考えてみよう。

 Cさん(中2.女子)は、子どものころから、蝶よ、花よと、目一杯、甘やかされて育てられた。夏休みや冬休みになると、毎年のように家族とともに、海外旅行を繰りかえした。

 が、容姿はあまりよくなかった。学校でも、ほとんどといってよいほど、目だたない存在だった。その上、学業の成績も、かんばしくなかった。で、そんなとき、その学校でも、進学指導の三者面談が、始まった。

 最初に指導の担任が示した学校は、Cさんの希望とは、ほど遠い、Dランクの学校だった。「今の成績では、ここしか入るところがない」と、言われた。Cさんは、Cさんなりに、がんばっているつもりだった。が、同席した母親は、そのあとCさんを、はげしく叱った。

 それまでにも、親子の間に、大きなモヤモヤ(確執)があったのかもしれない。その数日後、Cさんは塾の帰りにコンビニに寄り、門限を破った。そしてあとは、お決まりの非行コース。

 (夜遊び)→(外泊)→(家出)と。

 中学3年生になるころには、Cさんは、何人かの男とセックスまでするようになっていた。こうなると、もう勉強どころではなくなる。かろうじて学校には通っていたが、授業中でも、先生に叱られたりすると、プイと、外に出ていってしまうこともある。

 このCさんのケースでも、(Cさんが子どものころから夢見ていた自分の将来)と、(現実の自分)との間が、大きく食い違っているのがわかる。この際、その理由や原因など、どうでもよい。ともかくも、食い違ってしまった。

 ここで、心理学でいう、(不適応障害)が始まる。

 「私はすばらしい人間のはずだ」と、思いこむCさん。しかし現実には、だれも、すばらしいとは思ってくれない。

 「本当の私は、そんな家出を繰りかえすような、できそこないではないはず」と、自分を否定するCさん。しかし現実には、ズルズルと、自分の望む方向とは別の方向に入っていてしまう。

 こうなると、Cさんの生活そのものが、何がなんだかわからなくなってしまう。それはたとえて言うなら、毎日、サラ金の借金取りに追い立てられる、多重債務者のようなものではないか。

 一日とて、安心して、落ちついた日を過ごすことができなくなる。

 当然のことながら、Cさんも、ささいなことで、カッとキレやすくなった。今ではもう、父親ですら、Cさんには何も言えない状態だという。

日本語には、『地に足のついた生活』という言葉がある。これを子どもの世界について言いかえると、子どもは、その地についた子どもにしなければならない。(こうでなければならない自分)と(現実の自分)が一致した子どもにしなければならない。

 得てして、親の高望み、過剰期待は、この両者を遊離させる。そして結局は、子どもの心をバラバラにしてしまう。大切なことは、あるがままの子どもを認め、そのあるがままに育てていくということ。子どもの側の立場でいうなら、子どもがいつも自分らしさを保っている状態をいう。

 具体的には、「もっとがんばれ!」ではなく、「あなたは、よくがんばっている。無理をしなくていい」という育て方をいう。

子どもの不適応障害を、決して軽く考えてはいけない。

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 「私らしく生きる……」「私は私」と言うためには、まず、その前提として、(こうでなければならない自分=自己概念)と(現実の自分=現実自己)、その両者を、うまくかみあわせなければならない。

 簡単な方法としては、まず、自分のしたいことをする、ということ。その中から、生きがいを見つけ、その目標に向って、進んでいくということ。

 子どもも、またしかり。子どものしたいこと、つまり夢や希望によく耳を傾け、その夢や希望にそって、子どもに目的をもたせていく。子どもを伸ばすということは、そういうことをいう。
(はやし浩司 子どもの不適応障害 子どもの不適応障害 現実自己 自己概念)

(注)役割混乱による、不適応障害も、少なくない。

Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

この日本には、子どもたちに用意された道が、一本しかないということ。
すべての問題の根源はここにある。

一人の人間が、子どもからおとなになる過程において、子ども自身が選べる
道が、もっとたくさんあってもよいのではないか。

たとえばドイツやイタリアでは、中学生たちはたいてい午前中だけで授業を
終え、それぞれがみな、クラブに通っている。
その費用は、(チャイルド・マネー)として、国から支給されている(ドイツ)。

東京都教育委員会は、「脳科学の専門家と連携して」、その方法を探るという。
すごいことだと思うが、これは脳科学の問題ではない。
制度の問題である。

今の制度では、(ものを考えない、従順な子ども)のみが、受験競争を勝ち抜く
ことができる。
その異常さに、まずみなが先に気がついたらよい。

(注※)(以下、毎日新聞の記事より)東京都教育委員会は来年度から、自分に自信の持てない子どもの自尊感情を高める指導方法について研究を始める方針を固めた。日本の子どもは最近の学力テストや国際調査で自己肯定感が低いことが分かっている。いじめや不登校など教育問題の根底にも子どもの自尊心が少ない点があるともみられ、向上策の開発に着手する。

 都教委の計画では、都教職員研修センター(文京区)と大学が共同研究を進める。脳科学などの専門家と連携し、子どもにどのような働きかけをすれば自尊感情が高まるかを探る。さらに小学校1校を研究協力校に指定し、児童の意識調査を行い、指導方法を実証する。事業費として400万円を要求している。

 日本青少年研究所が02年11月にまとめた中学生の国際調査によると、「私は自分に大体満足している」と答えたのは米国が53.5%、中国も24.3%に上ったのに対し、日本は9.4%にとどまっていた。また、07年度の国の学力テストでも「自分には、よいところがあると思いますか」との質問に対し、都内の小学6年生の29.4%、中学3年生の39.6%が否定的な回答をしていた。

 都教委の担当者は「子どもに自信が育つ核心の部分をできるだけ解明し、いろいろな手立てで働きかけられるようにしていきたい」と話している(以上、毎日新聞の記事より)。

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司
自尊感情 やる気)


Hiroshi Hayashi++++++++Nov. 08++++++++++はやし浩司

Tuesday, November 25, 2008

*Hyper-Active Children

子どもの多動性を考える法(バイタリティを信じろ!)
子どもの多動性を考えるとき
●抑えがきかない子ども 
 集中力欠如型多動性児(ADHD児)と言われるタイプの子どもがいる。無遠慮(隣の家へあがりこんで、勝手に冷蔵庫の中の物を食べる)、無警戒(塀の中にいる飼い犬に手を出して、かまれる)、無頓着(一階の屋根の上から下へ飛びおりる)などの特徴がある。ふつう意味のないことをペラペラとしゃべり続ける、多弁性をともなう。が、何といっても最大の特徴は、抑えがきかないということ。強く制止しても、その場だけの効果しかない。一分もしないうちに、また騒ぎだす。たいていは乳幼児期からきびしいしつけを受けているため、叱られるということに対して免疫性ができている。それがますます指導を難しくする。
 このタイプの子どもの指導でたいへんなのは、「秩序」そのものを破壊してしまうこと。勝手に騒いで、授業をメチャメチャにしてしまう。それだけではない。その子どもだけを集中的に指導していると、ほかの子どもたちが神経質になってしまう。私もこんな失敗をしたことがある。その子ども(年長男児)を何とか抑えようと四苦八苦していたのだが、ふと横を見ると、隣の女の子が涙ぐんでいた。「どうしたの?」と聞くと、小さい声で、「先生がこわい……」と。
●DSM・Ⅳのマニュアルより
 出現率は、小学校の低学年児では、二〇人に一人ぐらいだが、症状にも軽重があり、その傾向のある子どもまで含めると、一〇人に一人ぐらいの割合で経験する。学習面での特徴としては、①ここにあげた多動性(めまぐるしく動き回る)のほか、②注意力持続困難(注意力が散漫で、先生の話が聞けない。集中できない。根気が続かない)、③衝動性(衝動的行為が多く、突発的に叫んだり暴れたりする)があげられている(アメリカ、障害児診断マニュアル、DSM・Ⅳより)。
●「ママのパンティね、花柄パンティよ!」
 能力的には、遅れが目立つ子どもが約七割、ある特定の分野に、ふつう程度以上の能力を見せる子どもが約三割と私はみている。が、問題はそのことではなく、親自身にその自覚がほとんどないということ。このタイプの子どもは、乳幼児期には、何ごとにつけ天衣無縫。言うことなすこと活発で、そのためほとんどの親は、自分の子どもをむしろ優秀な子どもと誤解する。これがまた指導を難しくする。Mさん(年中児)もそうだった。赤ちゃんのときから、柱にヒモでつながれて育った。そのMさん、参観日のとき、突然、「今日のママのパンティね、花柄パンティよ!」と叫んだ。言ってよいことと悪いことの区別がつかない。が、Mさんの母親は、遊戯会の日まで、天才児と信じていた。その遊戯会でのこと。Mさんは、一人だけ皆から離れて、舞台の前で、ほかの子どもたちに向かって、アッカンベーを繰り返した。そこで私に相談があったので、私は、Mさんが、活発型遅進児の疑いがあると告げた。もう二五年近くも前のことで、当時は多動児という言葉すら、まだ一般的ではなかった。その説明をすると、母親はその場で泣き崩れてしまった。
●教師の経験や技量は関係ない
 脳の機能変調説が有力で、アメリカでは別の施設に移した上で、薬物治療までしている。しかし効果は一時的。たとえば「リタリン」という薬を与えて治療しているそうだが、その薬にしても、三~四時間しか効果がないといわれている。この日本でも薬物療法をするところがふえてはいるが、現場指導が中心。たとえばこの静岡県では、現場の教師に指導が任されている。補助教員や学校ボランティアの付き添いを制度化している市町村もあるが、しかしこの方法では、おのずと限界がある。仮にこのタイプの子どもが、一クラス(三五名)に二~三名もいると、先にも書いたように、クラスそのものがメチャメチャになってしまう。これには教師の経験や技量は、あまり関係ない。
●もちまえのバイタリティが、よい作用に!
 ……こう書くと、このタイプの子どもには未来はない、ということになるが、そうではない。小学三、四年生を過ぎると、それ以後は、自分で自分をコントロールするようになる。騒々しさは残ることは多いが、見た目にはわかりにくくなる。持ち前のバイタリティが、よい方向に作用することもある。集団教育になじまないというだけで、それを除けば子どもとしては、まったく問題はない。つまりそういう視点に立って、仮にここでいうような症状があっても、乳幼児期は、それ以上に、症状をこじらせないことに心がける。こじらせればこじらせるほど、その分、立ちなおりが遅れる。

(付記)
●読者からの抗議
 この原稿を新聞で発表した直後、一人の母親から、猛烈な抗議の電話をもらった。長い電話だった。内容は次のようなものだった。「私の子ども(小四男児)は多動児だ」、「多動児を一方的に悪いと決めつけないでほしい」、「先生がたの熱心な指導で、改善している」、「そういう先生の熱意と努力を、あなたは無視している」、「だから文中の『教師の技量や経験は、あまり関係ない』という個所を訂正してほしい」と。
 誤解があるといけないので、申し添えるが、私は三〇歳のときから四〇歳になるまで、毎年二~四人のこのタイプの子どもを預かって指導したことがある。私のほうから頼んで教室に来てもらったこともあり、費用は一円も受け取っていない。そういう経験の上で、この文を書いた。確かに新聞紙上では、あちこちを切りつめて発表したので、こまかい点では配慮が足りなかった。それについては、その母親に謝った。
●誰がそう診断したか?
 しかしここで一つの大きな疑問にぶつかる。その母親は、「私の子どもは多動児だ」と言ったが、誰がそのような診断をしたかという疑問である。学校の教師でないことは確かだ。どこかの医療機関が診断したとしても、まだADHD児の診断基準すら確立されていないこの日本で、どうやって診断したというのだろうか。多動性があるからといって、多動児ということにはならない。風邪をひけば熱が出るが、熱があるからといって風邪とは限らない。それと同じ理屈だ。私も親や子どもの前で、多動児という言葉を使ったことは一度もない。
●知らぬフリをして教えるのが教育
 教育にははっきりわからなくてもよいことは山ほどある。またわかっていても、知らぬフリをして教えるということもある。病気の世界では、まず診断名をくだし、つづいてその診断名にもとづいて治療を開始する。しかし教育の世界では、診断名をくだすこと自体、ありえない。治療法もないのに、診断名だけをくだすことは許されないのだ。それにそもそも教育は治療ではない。また治療であってはならない。仮に一つのクラスが多動性児によって混乱したとしても、教育者が考えるべきことは、クラスの立てなおしであって、その子どもの治療ではない。ただ親が、こうした資料をもとに、それとなく自分の子どもがそうではないかと知ることは必要である。そしてそういう知識をもとに、それぞれの専門機関に相談してみることは必要である。ここに書いたことは、そういう目的で使ってほしい。

(参考)
●多動児の診断基準
 多動児(集中力欠如型多動性児、ADHD児)の診断基準は、二〇〇一年の春、厚生労働省の研究班が国立精神神経センター上林靖子氏ら委託して、そのひな型が作成されたばかりで、先にも書いたように、いまだこの日本には、多動児の診断基準はないというのが正しい。つまり正確には、この日本には多動児という子どもは存在しないということになる。一般に多動児というときは、落ちつきなく動き回るという多動性のある子どもをいうことになる。そういう意味では、活発型の自閉症児なども多動児ということになるが、ここでは区別して考える。
(チェック項目)










10
11 行動が幼い
注意が続かない
落ちつきがない
混乱する
考えにふける
衝動的
神経質
体がひきつる
成績が悪い
不器用
一点をみつめる
 ちなみに厚生労働省がまとめた診断基準(親と教師向けの「子どもの行動チェックリスト」)は、次のようになっている。









たいへんまたはよくあてはまる……2点、
ややまたは時々あてはまる  ……1点、
当てはまらない       ……0点として、
男子で4~15歳児のばあい、
12点以上は障害があることを意味する「臨床域」、
9~11点が「境界域」、
8点以下なら「正常」
●私の診断基準
この診断基準で一番気になるところは、「抑え」について触れられていない点である。多動児が多動児であるのは、抑え、つまり指導による制止がきかない点である。教師による抑えがきけば、多動児は多動児でないということになる。一方、過剰行動性のある子どもは行動が突発的に過剰になるというだけで、抑えがきく。その抑えがきくという点で、多動児と区別される。また活発型の自閉症児について言えば、多動性はあくまでも随伴的な症状でしかない。
私は次のようなチェックリストを考えた。







(チェック項目)










10
11 抑えがきかない
言動に秩序感がない
他人に無遠慮、無頓着
雑然とした騒々しさがある
注意力が散漫
行動が突発的で衝動的
視線が定まらない
情報の吸収性がない(注)
鋭いひらめきと愚鈍性
論理的な思考ができない
1思考力が弱い










(注)情報を常に自分から他人に向けてのみ発信する。他人の情報を吸収しない。

*Juvenile delinquency

子どもの欲求不満を防ぐ法(スキンシップでなおせ!)
子どもが欲求不満になるとき
●欲求不満の三タイプ
 子どもは自分の欲求が満たされないと、欲求不満を起こす。この欲求不満に対する反応は、ふつう、次の三つに分けて考える。
①攻撃・暴力タイプ
 欲求不満やストレスが、日常的にたまると、子どもは攻撃的になる。心はいつも緊張状態にあり、ささいなことでカッとなって、暴れたり叫んだりする。私が「このグラフは正確でないから、かきなおしてほしい」と話しかけただけで、ギャーと叫んで私に飛びかかってきた小学生(小四男児)がいた。あるいは私が、「今日は元気?」と声をかけて肩をたたいた瞬間、「このヘンタイ野郎!」と私を足げりにした女の子(小五)もいた。こうした攻撃性は、表に出るタイプ(喧嘩する、暴力を振るう、暴言を吐く)と、裏に隠れてするタイプ(弱い者をいじめる、動物を虐待する)に分けて考える。
②退行・依存タイプ
 ぐずったり、赤ちゃんぽくなったり(退行性)、あるいは誰かに依存しようとする(依存性)。このタイプの子どもは、理由もなくグズグズしたり、甘えたりする。母親がそれを叱れば叱るほど、症状が悪化するのが特徴で、そのため親が子どもをもてあますケースが多い。
③固着・執着タイプ
 ある特定の「物」にこだわったり(固着性)、あるいはささいなことを気にして、悶々と悩んだりする(執着性)。ある男の子(年長児)は、毛布の切れ端をいつも大切に持ち歩いていた。最近多く見られるのが、おとなになりたがらない子どもたち。赤ちゃんがえりならぬ、幼児がえりを起こす。ある男の子(小五)は、幼児期に読んでいたマンガの本をボロボロになっても、まだ大切そうにカバンの中に入れていた。そこで私が、「これは何?」と声をかけると、その子どもはこう言った。「どうチェ、読んでは、ダメだというんでチョ。読んでは、ダメだというんでチョ」と。子どもの未来を日常的におどしたり、上の兄や姉のはげしい受験勉強を見て育ったりすると、子どもは幼児がえりを起こしやすくなる。
 またある特定のものに依存するのは、心にたまった欲求不満をまぎらわすためにする行為と考えるとわかりやすい。これを代償行為というが、よく知られている代償行為に、指しゃぶり、爪かみ、髪いじりなどがある。別のところで何らかの快感を覚えることで、自分の欲求不満を解消しようとする。
●欲求不満は愛情不足
 子どもがこうした欲求不満症状を示したら、まず親子の愛情問題を疑ってみる。子どもというのは、親や家族の絶対的な愛情の中で、心をはぐくむ。ここでいう「絶対的」というのは、「疑いをいだかない」という意味。その愛情に「ゆらぎ」を感じたとき、子どもの心は不安定になる。ある子ども(小一男児)はそれまでは両親の間で、川の字になって寝ていた。が、小学校に入ったということで、別の部屋で寝るようになった。とたん、ここでいう欲求不満症状を示した。その子どものケースでは、目つきが鋭くなるなどの、いわゆるツッパリ症状が出てきた。子どもなりに、親の愛がどこかでゆらいだのを感じたのかもしれない。母親は「そんなことで……」と言ったが、再び川の字になって寝るようになったら、症状はウソのように消えた。
●濃厚なスキンシップが有効
 一般的には、子どもの欲求不満には、スキンシップが、たいへん効果的である。ぐずったり、わけのわからないことをネチネチと言いだしたら、思いきって子どもを抱いてみる。最初は抵抗するような様子を見せるかもしれないが、やがて静かに落ちつく。あとはカルシウム分、マグネシウム分の多い食生活に心がける。
 なおスキンシップについてだが、日本人は、国際的な基準からしても、そのスキンシップそのものの量が、たいへん少ない。欧米人のばあいは、親子でも日常的にベタベタしている。よく「子どもを抱くと、子どもに抱きグセがつかないか?」と心配する人がいるが、日本人のばあい、その心配はまずない。そのスキンシップには、不思議な力がある。魔法の力といってもよい。子どもの欲求不満症状が見られたら、スキンシップを濃厚にしてみる。それでたいていの問題は解決する。


子どもの非行を防ぐ法(無理、強制は避けろ!)
子どもが非行に走るとき  
●日々の生活の積み重ねで決まる
 よい子(?)も、そうでない子(?)も、大きな違いがあるようで、それほど違いはない。日々の生活の積み重ねで、よい子はよい子になり、そうでない子はそうでなくなる。たとえば非行。盗み、いじめ、暴力、喫煙、性犯罪、集団非行など。親が「うちの子に限って……」「まさか……」と思っているうちに、子どもは非行に走るようになる。しかもある日、突然に、だ。それはちょうど、ものが臨界点を超えて、突然、爆発するのに似ている。
●こぼれた水は戻らない
 子どもは、なだらかな坂をのぼるように成長するのではない。ちょうど階段をトントンとのぼるように成長する。子どもが悪くなるときも、そうだ。(悪くなる)→(何とかしようと親があせる)→(さらに悪くなる)の悪循環の中で、子どもは、トントンと悪くなる。その一つが、非行。暴力、暴行、窃盗、万引き、性行為、飲酒、喫煙、集団非行、夜遊び、外泊、家出など。最初は、遠慮がちに、しかも隠れて悪いことをしていた子どもでも、(叱られる)→(居なおる)→(さらに叱られる)の悪循環を繰り返すうちに、ますます非行に走るようになる。この段階で親がすべきことは、「それ以上、症状を悪化させないこと」だが、親にはそれがわからない。「なおそう」とか、「元に戻そう」とする。しかし一度、盆からこぼれた水は、簡単には戻らない。が、親は、無理に無理を重ねる……。
●症状は一挙に悪化する
 子どもが非行に走るようになると、独特の症状を見せるようになる。脳の機能そのものが、変調すると考えるとわかりやすい。「心の病気」ととらえる人もいる。実際アメリカでは、非行少年に対して薬物療法をしているところもある。それはともかくも前兆がないわけではない。その一つ、生活習慣がだらしなくなる。たとえば目標や規則が守れない(貯金を使ってしまう。時間にルーズになる)、自己中心的(ゲームに負けると怒る。わがままで自分勝手)になり、無礼、無作法な態度(おとなをなめるような言動、暴言)が目立つようになる。この段階で家庭騒動、家庭崩壊など、子どもを取り巻く環境が不安定になると、症状は一挙に悪化する。
●特徴
 その特徴としては、①拒否的態度(「ジュースを飲むか?」と声をかけても、即座に、「イラネエ~」と拒否する。意識的に拒否するというよりは、条件反射的に拒否する)、②破滅的態度(ものの考え方が、投げやりになり、他人に対するやさしさや思いやりが消える。無感動、無関心になる。他人への迷惑に無頓着になる。バイクの騒音を注意しても、それが理解できない)、③自閉的態度(自分のカラに閉じこもり、独自の価値観を先鋭化する。「死」「命」「殺」などという、どこか悪魔的な言葉に鋭い反応を示すようになる。「家族が迷惑すれば、結局はあなたも損なのだ」と話しても、このタイプの子どもにはそれが理解できない。親のサイフからお金を抜き取って、それを使い込むなど)、④野獣的態度(行動が動物的になり、動作も、目つきが鋭くなり、肩をいからせて歩くようになる。考え方も、直感的、直情的になり、「文句のあるヤツは、ぶっ殺せ」式の、短絡したものの考え方をするようになる)など。心の中はいつも緊張状態にあって、ささいなことで激怒したり、キレやすくなる。また一度激怒したり、キレたりすると、感情をコントロールできなくなることが多い。
●プラス型とマイナス型
 もっともこうした症状が「表」に出る子どもは、まだよいほうだ。中には「内」にこもる子どもがいる。前者をプラス型というなら、後者はマイナス型ということになる。威圧的な家庭環境、親の過干渉、過関心が日常的に続くと、子どもの心は閉塞的になり、マイナス型になる。家の中に引きこもったり、陰湿ないじめや、動物への虐待などを日常的に繰り返したりする。妄想をもちやすく、ものの考え方が極端になりやすい。私がA君(小一)に、「ブランコを横取りされました。そういうときあなたはどうしますか」と聞いたときのこと。A君はこうつぶやいた。「そういうヤツは、ぶん殴ってやればいい。どうせ口で言ってもわかんねえ」と。
●家庭生活の猛省を!
 こうした症状が見られたら、できるだけ初期の段階で、親は家庭のあり方を猛省しなければならない。しかしこれが難しい。たいていの親は原因を外へ求めようとする。「友だちが悪い」「うちの子は、そそのかされているだけ」と。しかし反省すべきは、まず家庭のあり方である。で、このタイプの親は、大きく次の二つのタイプに分けることができる。
①エリートタイプ……一つは、エリート意識が強く、他人の話に耳を傾けないタイプ。独断意識が強い(※)。このタイプの親は、私のような立場の者がアドバイスしても、ムダ。「子どものことは私が一番よく知っている」という確信のもと、その返す刀で、相手に向かっては、「あなたには本当のことがわかっていない」と、はねのけてしまう。本来そうならないためにも、ほかの父母との交流を多くして、風通しをよくしなければならない。が、その交流もしない。あるいはしても形式的。見栄、メンツ、世間体を優先させてしまう。
②無責任タイプ……もう一つは、無責任で無教養なタイプ。その自覚がないだけではなく、さらに強制的に子どもをなおそうとする。暴力を加えることも多い。家庭の秩序そのものが、崩壊している。ある中学校の校長は私にこう言った。「本当はこのタイプの親ほど、懇談会などにも出席してほしいのですが、このタイプの親ほど来てくれません」と。子育てそのものから逃げてしまう。あるいは子どもの言いなりになってしまう。あとはこの悪循環。盲目的な溺愛が、子どもの変化を見落としてしまうこともある。私が「どうもよくない遊びをしているようですよ」と話したとき、「私では何も言えません。先生のほうから言ってください」と頼んできた母親もいた。
●最後の「糸」を切らない
 家族でも先生でも、誰かと一本の「糸」で結ばれている子どもは、非行に走る一歩手前で、自分をコントロールすることができる。が、その糸が切れたとき、あるいは子どもが「切れた(捨てられた)」と感じたとき、子どもの非行は一挙に加速する。だから子どもの心がゆがみ始めたら(そう感じたら)、なおさら、その糸を大切にする。「どんなことがあっても、私はあなたを愛していますからね」「どんなことがあっても、私はあなたのそばにいますからね」という姿勢を、徹底的に貫く。
子どもというのは、自分を信じてくれる人の前では、自分のよい面を見せようとする。そういう性質をうまく使って、子どもを非行から立ちなおらせる。そのためにも最後の「糸」は切ってはいけない。切れば切ったで、ちょうど糸の切れた凧のように、子どもは心のより所をなくしてしまう。そしてここが重要だが、このタイプの子どもは、「なおそう」とは思わないこと。現在の症状を今より悪化させないことだけを考えて、時間をかけて様子をみる。
 一般に、この非行も含めて、「心の問題」は、一年単位(一年でも短いほうだが……)で、その推移を見守る。無理をすれば、「以前のほうが症状が軽かった」ということを繰り返しながら、症状はさらにドロ沼化する。そしてその分、子どもの立ちなおりは遅れる。

※……特に最近の傾向として、「①外からとくに指摘される外形的問題は見られない、②親は高学歴で経済的に安定している、③教育熱心で学校にも協力的である、④親の過保護、過度の期待が潜在している」(日本教育新聞社・教育ファイル)ということも指摘されている。

(参考)
●ふえる「いきなり型」の非行
 二〇〇一年度版『青少年白書』によれば、「最近の少年非行の特徴として、凶悪犯で検挙された少年のうち、過去に非行歴のない少年が全体の約半数を占めている」という。白書はそれについて、「一見おとなしくて目立たない『ふつうの子』が、内面に不満やストレスを抱え、それが爆発して起きる『いきなり型』の非行が新たに生じてきている」と分析している。
 そして最近の非行少年の共通点として、①自己中心的な価値観をもち、規範意識や被害者に対する贖罪感(罪をあがなう意識)が低い、②コミュニケーション能力が低いことをあげている。その要因としては、「少年の内面的な特徴について、対人関係がうまく結べないことをあげ、パソコンや携帯電話の普及で、性や暴力に関する有害情報に接しやすい環境になっている」と、パソコンや携帯電話の弊害を指摘している。ちなみに浜松市の西隣に湖西市という人口が四万人の町がある。その町の高校三年生に聞いてみたところ、二クラス計七二人のうち、携帯電話を持っていないのは、五人のみだそうだ(二〇〇一年一一月)。普及率は、九四%ということになる。「携帯電話を持っていない人はどういう人か」と質問すると、「友だちがいないヤツ」「変わり者」「つきあいの悪いヤツ」という答が返ってきた。

*Active Children

子どもの能力を伸ばす法(プラスの暗示をかけろ!)
子どもが伸びるとき
●伸びる子どもの四条件
 伸びる子どもには、次の四つの特徴がある。①好奇心が旺盛、②忍耐力がある、③生活力がある、④思考が柔軟(頭がやわらかい)。
①好奇心……好奇心が旺盛かどうかは、一人で遊ばせてみるとわかる。旺盛な子どもは、身のまわりから次々といろいろな遊びを発見したり、作り出したりする。趣味も広く、多芸多才。友だちの数も多く、相手を選ばない。数才年上の友だちもいれば、年下の友だちもいる。何か新しい遊びを提案したりすると、「やる!」とか「やりたい!」とか言って、食いついてくる。反対に好奇心が弱い子どもは、一人で遊ばせても、「退屈~ウ」とか、「もうおうちへ帰ろ~ウ」とか言ったりする。
②忍耐力……よく誤解されるが、釣りやゲームなど、好きなことを一日中しているからといって、忍耐力のある子どもということにはならない。子どもにとって忍耐力というのは、「いやなことをする力」のことをいう。たとえばあなたの子どもに、掃除や洗濯を手伝わせてみてほしい。そういう仕事でもいやがらずにするようであれば、あなたの子どもは忍耐力のある子どもということになる。あるいは欲望をコントロールする力といってもよい。目の前にほしいものがあっても、手を出さないなど。こんな子ども(小三女児)がいた。たまたまバス停で会ったので、「缶ジュースを買ってあげようか?」と声をかけると、こう言った。「これから家で食事をするからいいです」と。こういう子どもを忍耐力のある子どもという。この忍耐力がないと、子どもは学習面でも、(しない)→(できない)→(いやがる)→(ますますできない)の悪循環の中で、伸び悩む。
③生活力……ある男の子(年長児)は、親が急用で家をあけなければならなくなったとき、妹の世話から食事の用意、戸じまり、消灯など、家事をすべて一人でしたという。親は「やらせればできるもんですね」と笑っていたが、そういう子どもを生活力のある子どもという。エマーソン(アメリカの詩人、「自然論」の著者、一八〇三~八二)も、『教育に秘法があるとするなら、それは生活を尊重することである』と書いている。
④思考が柔軟……思考が柔軟な子どもは、臨機応変にものごとに対処できる。同じいたずらでも、このタイプの子どものいたずらは、どこかほのぼのとした温もりがある。食パンをくりぬいてトンネルごっこ。スリッパをつなげて電車ごっこなど。反対に頭のかたい子どもは、一度「カラ」にこもると、そこから抜け出ることができない。ある子ども(小三男児)は、いつも自分の座る席が決まっていて、その席でないと、どうしても座ろうとしなかった。
 一般論として、「がんこ」は、子どもの成長にとって好ましいものではない。かたくなになる、意固地になる、融通がきかないなど。子どもからハツラツとした表情が消え、動作や感情表現が、どこか不自然になることが多い。教える側から見ると、どこか心に膜がかかったような状態になり、子どもの心がつかみにくくなる。
●子どもを伸ばすために
子どもを伸ばす最大の秘訣は、常に「あなたは、どんどん伸びている」という、プラスの暗示をかけること。そのためにも、子どもはいつもほめる。子どもを自慢する。ウソでもよいから、「あなたは去年(この前)より、ずっとすばらしい子になった」を繰り返す。もしあなたが、「うちの子は悪くなっている」と感じているなら、なおさら、そうする。まずいのは「あなたはダメになる」式のマイナスの暗示をかけてしまうこと。とくに「あなたはやっぱりダメな子ね」式の、その子どもの人格の核に触れるような「格」攻撃は、タブー中のタブー。
その上で、①あなた自身が、自分の世界を広め、その世界に子どもを引き込むようにする(好奇心をますため)。また②「子どもは使えば使うほどいい子になる」と考え、家事の手伝いはさせる。「子どもに楽をさせることが親の愛」と誤解しているようなら、そういう誤解は捨てる(忍耐力や生活力をつけるため)。そして③子どもの頭をやわらかくするためには、生活の場では、「アレッ!」と思うような意外性を大切にする。よく「転勤族の子どもは頭がいい」と言われるのは、それだけ刺激が多いことによる。マンネリ化した単調な生活は、子どもの知恵の発達のためには、好ましい環境とは言えない。


子どもの心を安定させる法(原因を家庭の中に求めろ!)
子どもの心が不安定になるとき 
●情緒が不安定な子ども
 子どもの成長は、次の四つをみる。①精神の完成度、②情緒の安定度、③知育の発達度、それに④運動能力。このうち情緒の安定度は、子どもが肉体的に疲れていると思われるときをみて、判断する。運動会や遠足のあと、など。そういうときでも、ぐずり、ふさぎ込み、不機嫌、無口(以上、マイナス型)、あるいは、暴言、暴力、イライラ、激怒(以上、プラス型)がなければ、情緒が安定した子どもとみる。子どもは、肉体的に疲れたときは、「疲れた」とは言わない。「眠い」と言う。子どもが「疲れた」というときは、神経的な疲れを疑う。子どもはこの神経的な疲れにたいへん弱い。それこそ日中、五~一〇分、神経をつかっただけで、ヘトヘトに疲れてしまう。
●情緒不安とは……?
 外部の刺激に左右され、そのたびに精神的に動揺することを情緒不安という。二~四歳の第一反抗期、思春期の第二反抗期に、とくに子どもは動揺しやすくなる。
 その情緒が不安定な子どもは、神経がたえず緊張状態にあることが知られている。気を許さない、気を抜かない、周囲に気をつかう、他人の目を気にする、よい子ぶるなど。その緊張状態の中に、不安が入り込むと、その不安を解消しようと、一挙に緊張感が高まり、情緒が不安定になる。症状が進むと、周囲に溶け込めず、引きこもったり、怠学、不登校を起こしたり(マイナス型)、反対に攻撃的、暴力的になり、突発的に興奮して暴れたりする(プラス型)。表情にだまされてはいけない。柔和な表情をしながら、不安定な子どもはいくらでもいる。このタイプの子どもは、ささいなことがきっかけで、激変する。母親が、「ピアノのレッスンをしようね」と言っただけで、激怒し、母親に包丁を投げつけた子ども(年長女児)がいた。また集団的な非行行動をとったり、慢性的な下痢、腹痛、体の不調を訴えることもある。
●原因の多くは異常な体験
 原因としては、乳幼児期の何らかの異常な体験が引き金になることが多い。たとえば親自身の情緒不安のほか、親の放任的態度、無教養で無責任な子育て、神経質な子育て、家庭騒動、家庭不和、何らかの恐怖体験など。ある子ども(五歳男児)は、たった一度だが、祖父にはげしく叱られたのが原因で、自閉傾向(人と心が通い合わない状態)を示すようになった。また別の子ども(三歳男児)は、母親が入院している間、祖母に預けられたことが原因で、分離不安(親の姿が見えないと混乱状態になる)になってしまった。
 ふつう子どもの情緒不安は、神経症による症状をともなうことが多い。ここにあげた体の不調のほか、たとえば夜驚、夢中遊行、かん黙、自閉、吃音(どもり)、髪いじり、指しゃぶり、チック、爪かみ、物かみ、疑惑症(臭いかぎ、手洗いぐせ)、かみつき、歯ぎしり、強迫傾向、潔癖症、嫌悪症、対人恐怖症、虚言、収集癖、無関心、無感動、緩慢行動、夜尿症、頻尿症など。
●原因は、家庭に!
 子どもの情緒が不安定になると、たいていの親は原因さがしを、外の世界に求める。しかしまず反省すべきは、家庭である。強度の過干渉(子どもにガミガミと押しつける)、過関心(子どもの側からみて神経質で、気が抜けない環境)、家庭不和(不安定な家庭環境、愛情不足、家庭崩壊、暴力、虐待)、威圧的な家庭環境など。夫婦喧嘩もある一定のワク内でなされているなら、子どもにはそれほど大きな影響を与えない。が、そのワクを越えると、大きな影響を与える。子どもは愛情の変化には、とくに敏感に反応する。
 子どもが小学生になったら、家庭は、「体を休め、疲れた心をいやす、いこいの場」でなければならない。アメリカの随筆家のソロー(一八一七~六二)も、『ビロードのクッションの上より、カボチャの頭』と書いている。人というのは、高価なビロードのクッションの上に座るよりも、カボチャの頭の上に座ったほうが気が休まるという意味だが、多くの母親にはそれがわからない。わからないまま、家庭を「しつけの場」と位置づける。学校という「しごきの場」で、いいかげん疲れてきた子どもに対して、家の中でも「勉強しなさい」と子どもを追いまくる。「宿題は終わったの」「テストは何点だったの」「こんなことでは、いい高校へ入れない」と。これでは子どもの心は休まらない。
●子どもの情緒を安定させるために
 子どもの情緒が不安定になったら、スキンシップをより濃厚にし、温かい語りかけを大切にする。叱ったり、冷たく突き放すのは、かえって情緒を不安定にする。一番よい方法は、子どもがひとりで誰にも干渉されず、のんびりとくつろげるような時間と場所をもてるようにすること。親があれこれ気をつかうのは、かえって逆効果。
 ほかにカルシウムやマグネシウム分の多い食生活に心がける。とくにカルシウムは天然の精神安定剤と呼ばれている。戦前までは、日本では精神安定剤として使われていた。錠剤で与えるという方法もあるが、牛乳や煮干など、食品として与えるほうがよいことは言うまでもない。なお情緒というのは一度不安定になると、その症状は数か月から数年単位で推移する。親があせって何とかしようと思えば思うほど、ふつう子どもの情緒は不安定になる。また一度不安定になった心は、そんなに簡単にはなおらない。今の状態をより悪くしないことだけを考えながら、子どものリズムに合わせた生活に心がける。

(参考)
●子どもの神経症について
心理的な要因が原因で、精神的、身体的な面で起こる機能的障害を、神経症という。子どもの神経症は、精神面、身体面、行動面の三つの分野に分けて考える。
①精神面の神経症……精神面で起こる神経症には、恐怖症(ものごとを恐れる)、強迫症状(周囲の者には理解できないものに対して、おののく、こわがる)、不安症状(理由もなく悩む)、抑うつ感(ふさぎ込む)など。混乱してわけのわからないことを言ってグズグズしたり、反対に大声をあげて、突発的に叫んだり、暴れたりすることもある。
②身体面の神経症……夜驚症(夜中に狂人的な声をはりあげて混乱状態になる)、夜尿症、頻尿症(頻繁にトイレへ行く)、睡眠障害(寝ない、早朝覚醒、寝言)、嘔吐、下痢、便秘、発熱、喘息、頭痛、腹痛、チック、遺尿(その意識がないまま漏らす)など。一般的には精神面での神経症に先立って、身体面での神経症が起こることが多く、身体面での神経症を黄信号ととらえて警戒する。
③行動面の神経症……神経症が慢性化したりすると、さまざまな不適応症状となって行動面に表れてくる。不登校もその一つということになるが、その前の段階として、無気力、怠学、無関心、無感動、食欲不振、引きこもり、拒食などが断続的に起こるようになる。パンツ一枚で出歩くなど、生活習慣がだらしなくなることもある。

*As to Self in Children

子どもの自我を伸ばす法(自我をつぶすな!)
子どもの自我がつぶれるとき
●フロイトの自我論 
フロイトの自我論は有名だ。それを子どもに当てはめてみると……。
 自我が強い子どもは、生活態度が攻撃的(「やる」「やりたい」という言葉をよく口にする)、ものの考え方が現実的(頼れるのは自分だけという考え方をする)、創造的(将来に向かって展望をもつ。目的意識がはっきりしている。目標がある)、自制心が強く、善悪の判断に従って行動できる。
 反対に自我の弱い子どもは、ものごとに対して防衛的(「いやだ」「つまらない」という言葉をよく口にする)、考え方が非現実的(空想にふけったり、神秘的な力にあこがれたり、まじないや占いにこる)、一時的な快楽を求める傾向が強く、ルールが守れない、衝動的な行動が多くなる。たとえばほしいものがあると、それにブレーキをかけることができない、など。
 一般論として、自我が強い子どもは、たくましい。「この子はこういう子どもだ」という、つかみどころが、はっきりとしている。生活力も旺盛で、何かにつけ、前向きに伸びていく。反対に自我の弱い子どもは、優柔不断。どこかぐずぐずした感じになる。何を考えているかわからない子どもといった感じになる。
●自我は引き出す
その自我は、伸ばす、伸ばさないという視点からではなく、引き出す、つぶすという視点から考える。つまりどんな子どもでも、自我は平等に備わっているとみる。子どもというのは、あるべき環境の中で、あるがままに育てれば、その自我は強くなる。反対に、威圧的な過干渉(親の価値観を押しつける。親があらかじめ想定した設計図に子どもを当てはめようとする)、過関心(子どもの側からみて息の抜けない環境)、さらには恐怖(暴力や虐待)が日常化すると、子どもの自我はつぶれる。そしてここが重要だが自我は一度つぶれると、以後、修復するのがたいへん難しい。たとえば幼児期に一度ナヨナヨしてしまうと、その影響は一生続く。とくに乳幼児から満四~五歳にかけての時期が重要である。
●要は子どもを信ずる
 人間は、ほかの動物と同様、数一〇万年という長い年月を、こうして生きのびてきた。その過程の中でも、難しい理論が先にあって、親は子どもを育ててきたわけではない。こうした本質は、この百年くらいで変わっていない。子育ても変わっていない。変わったと思うほうがおかしい。要は子ども自身がもつ「力」を信じて、それをいかにして引き出していくかということ。子育ての原点はここにある。

(参考)
●フロイトの自我論
 フロイト(オーストリアの心理学者、一八五六~一九三九)は、自我の強弱によって、人の様子は大きく変わるという。それを子どもに当てはめて考えてみたのが、次の表である。

*School Refusal

子どもの不登校を防ぐ法(前兆を見落とすな!)
子どもが学校恐怖症になるとき
●四つの段階論  同じ不登校(school refusal)といっても、症状や様子はさまざま(※)。私の二男はひどい花粉症で、睡眠不足からか、毎年春先になると不登校を繰り返した。が、その中でも恐怖症の症状を見せるケースを、「学校恐怖症」、行為障害に近い不登校を「怠学(truancy)」といって区別している。これらの不登校は、症状と経過から、三つの段階に分けて考える(A・M・ジョンソン)。心気的時期、登校時パニック時期、それに自閉的時期。これに回復期を加え、もう少しわかりやすくしたのが次である。 ①前兆期……登校時刻の前になると、頭痛、腹痛、脚痛、朝寝坊、寝ぼけ、疲れ、倦怠感、吐き気、気分の悪さなどの身体的不調を訴える。症状は午前中に重く、午後に軽快し、夜になると、「明日は学校へ行くよ」などと、明るい声で答えたりする。これを症状の日内変動という。学校へ行きたがらない理由を聞くと、「A君がいじめる」などと言ったりする。そこでA君を排除すると、今度は「B君がいじめる」と言いだしたりする。理由となる原因(ターゲット)が、そのつど移動するのが特徴。 ②パニック期……攻撃的に登校を拒否する。親が無理に車に乗せようとしたりすると、狂ったように暴れ、それに抵抗する。が、親があきらめ、「もう今日は休んでもいい」などと言うと、一転、症状が消滅する。ある母親は、こう言った。「学校から帰ってくる車の中では、鼻歌まで歌っていました」と。たいていの親はそのあまりの変わりように驚いて、「これが同じ子どもか」と思うことが多い。 ③自閉期……自分のカラにこもる。特定の仲間とは遊んだりする。暴力、暴言などの攻撃的態度は減り、見た目には穏やかな状態になり、落ちつく。ただ心の緊張感は残り、どこかピリピリした感じは続く。そのため親の不用意な言葉などで、突発的に激怒したり、暴れたりすることはある(感情障害)。この段階で回避性障害(人と会うことを避ける)、不安障害(非現実的な不安感をもつ。おののく)の症状を示すこともある。が、ふだんの生活を見る限り、ごくふつうの子どもといった感じがするため、たいていの親は、自分の子どもをどうとらえたらよいのか、わからなくなってしまうことが多い。こうした状態が、数か月から数年続く。 ④回復期……外の世界と接触をもつようになり、少しずつ友人との交際を始めたり、外へ遊びに行くようになる。数日学校行っては休むというようなことを、断続的に繰り返したあと、やがて登校できるようになる。日に一~二時間、週に一日~二日、月に一週~二週登校できるようになり、序々にその期間が長くなる。
●前兆をいかにとらえるか  要はいかに①の前兆期をとらえ、この段階で適切な措置をとるかということ。たいていの親はひととおり病院通いをしたあと、「気のせい」と片づけて、無理をする。この無理が症状を悪化させ、②のパニック期を招く。この段階でも、もし親が無理をせず、「そうね、誰だって学校へ行きたくないときもあるわよ」と言えば、その後の症状は軽くすむ。一般にこの恐怖症も含めて、子どもの心の問題は、今の状態をより悪くしないことだけを考える。なおそうと無理をすればするほど、症状はこじれる。悪化する。 

※……不登校の態様は、一般に教育現場では、①学校生活起因型、②遊び非行型、③無気力型、④不安など情緒混乱型、⑤意図的拒否型、⑥複合型に区分して考えられている。
 またその原因については、①学校生活起因型(友人や教師との関係、学業不振、部活動など不適応、学校の決まりなどの問題、進級・転入問題など)、②家庭生活起因型(生活環境の変化、親子関係、家庭内不和)、③本人起因型(病気など)に区分して考えられている(「日本教育新聞社」まとめ)。しかしこれらの区分のし方は、あくまでも教育者の目を通して、子どもを外の世界から見た区分のし方でしかない。

(参考)
●学校恐怖症は対人障害の一つ 
 こうした恐怖症は、はやい子どもで、満四~五歳から表れる。乳幼児期は、主に泣き叫ぶ、睡眠障害などの心身症状が主体だが、小学低学年にかけてこれに対人障害による症状が加わるようになる(西ドイツ、G・ニッセンほか)。集団や人ごみをこわがるなどの対人恐怖症もこの時期に表れる。ここでいう学校恐怖症はあくまでもその一つと考える。
●ジョンソンの「学校恐怖症」
「登校拒否」(school refusal)という言葉は、イギリスのI・T・ブロードウィンが、一九三二年に最初に使い、一九四一年にアメリカのA・M・ジョンソンが、「学校恐怖症」と命名したことに始まる。ジョンソンは、「学校恐怖症」を、(1)心気的時期、(2)登校時のパニック時期(3)自閉期の三期に分けて、学校恐怖症を考えた。
●学校恐怖症の対処のし方
 第一期で注意しなければならないのは、本文の中にも書いたように、たいていの親はこの段階で、「わがまま」とか「気のせい」とか決めつけ、その前兆症状を見落としてしまうことである。あるいは子どもの言う理由(ターゲット)に振り回され、もっと奥底にある子どもの心の問題を見落としてしまう。しかしこのタイプの子どもが不登校児になるのは、第二期の対処のまずさによることが多い。ある母親はトイレの中に逃げ込んだ息子(小一児)を外へ出すため、ドライバーでドアをはずした。そして泣き叫んで暴れる子どもを無理やり車に乗せると、そのまま学校へ連れていった。その母親は「このまま不登校児になったらたいへん」という恐怖心から、子どもをはげしく叱り続けた。が、こうした衝撃は、たった一度でも、それが大きければ大きいほど、子どもの心に取り返しがつかないほど大きなキズを残す。もしこの段階で、親が、「そうね、誰だって学校へ行きたくないときもあるわね。今日は休んで好きなことをしたら」と言ったら、症状はそれほど重くならなくてすむかもしれない。
 また第三期においても、鉄則は、ただ一つ。なおそうと思わないこと。私がある母親に、「三か月間は何も言ってはいけません。何もしてはいけません。子どもがしたいようにさせなさい」と言ったときのこと。母親は一度はそれに納得したようだった。しかし一週間もたたないうちに電話がかかってきて、「今日、学校へ連れていってみましたが、やっぱりダメでした」と。親にすれば一か月どころか、一週間でも長い。気持ちはわかるが、こういうことを繰り返しているうちに、症状はますますこじれる。
 第三期に入ったら、①学校は行かねばならないところという呪縛から、親自身が抜けること。②前にも書いたように、子どもの心の問題は、今の状態をより悪くしないことだけを考えて、子どもの様子をみる。③最低でも三か月は何も言わない、何もしないこと。子どもが退屈をもてあまし、身をもてあますまで、何も言わない、何もしないこと。④生活態度(部屋や服装)が乱れて、だらしなくなっても、何も言わない、何もしないこと。とくに子どもが引きこもる様子を見せたら、そうする。よく子どもが部屋にいない間に、子どもの部屋の掃除をする親もいるが、こうした行為も避ける。
 回復期に向かう前兆としては、①穏やかな会話ができるようになる、②生活にリズムができ、寝起きが規則正しくなる、③子どもがヒマをもてあますようになる、④家族がいてもいなくいても、それを気にせず、自分のことができるようになるなどがある。こうした様子が見られたら、回復期は近いとみてよい。
 要は子どものリズムで考えること。あるいは子どもの視点で、子どもの立場で考えること。そういう謙虚な姿勢が、このタイプの子どもの不登校を未然に防ぎ、立ちなおりを早くする。
●不登校は不利なことばかりではない
 一方、こうした不登校児について、不登校を経験した子どもたち側からの調査もなされている。文部科学省がした「不登校に関する実態調査」(二〇〇一年)によれば、「中学で不登校児だったものの、成人後に『マイナスではなかった』と振り返っている人が、四割もいる」という。不登校はマイナスではないと答えた人、三九%、マイナスだったと答えた人、二四%など。そして学校へ行かなくなった理由として、
友人関係     ……四五%
教師との関係   ……二一%
クラブ・部活動  ……一七%
転校などでなじめず……一四%と、その多くが、学校生活の問題をあげている。  


子どもを穏やかな子どもにする法(食生活に気をつけろ!)
子どもがキレるとき
●躁状態における錯乱状態 
 子どもたち(小三児)を並べて、順に答案に丸をつけていたときのこと。それまでF君は、まったく目立たないほど、静かだった。が、あと一人でF君というそのとき、F君が突然、暴れ出した。突然というより、激変に近いものだった。ギャーという声を出したかと思うと、周囲にあった机とイスを足でけって、ひっくり返した。瞬間私は彼の目を見たが、それは恐ろしいほど冷たく、すごんでいた……。
 キレる状態は、心理学の世界では、「躁(そう)状態における精神錯乱」(長崎大・中根允文氏ほか)と位置づけられている。躁うつ病を定型化したのはクレペリン(ドイツの医学者・一八五六~一九二六)だが、一般的には躁状態とうつ状態はペアで考えられている。周期性をもって交互に、あるいはケースによっては、重複して起こることが多い。それはそれとして、このキレた状態になると、子どもは突発的に凶暴になったり、大声でわめいたりする。(これに対して若い人の間では、ただ単に、激怒した状態、あるいは怒りが充満した状態を、「キレる」と言うことが多い。ここでは区別して考える。)
●心の緊張状態が原因
 よく子どもの情緒が不安定になると、その不安定の状態そのものを問題にする人がいる。しかしそれはあくまでも表面的な症状にすぎない。情緒が不安定な子どもは、その根底に心の緊張状態があるとみる。その緊張状態の中に、不安が入り込むと、その不安を解消しようと、一挙に緊張感が高まり、情緒が不安定になる。先のF君のケースでも、「問題が解けなかった」という思いが、彼を緊張させた。そういう緊張状態のところに、「先生に何かを言われるのではないか」という不安が入りこんで、一挙に情緒が不安定になった。言いかえると、このタイプの子どもは、いつも心が緊張状態にある。気を抜かない。気を許さない。周囲に気をつかうなど。表情にだまされてはいけない。柔和でおだやかな表情をしながら、その裏で心をゆがめる子どもは少なくない。これを心理学の世界では、「遊離」と呼んでいる。一度こういう状態になると、「何を考えているかわからない子ども」といった感じになる。 
●すなおな子ども論
 従順で、おとなしい子どもを、すなおな子どもと考えている人は多い。しかしそれは誤解。教育、なかんずく幼児教育の世界では、心(情意)と表情が一致している子どもを、すなおな子どもという。うれしいときには、うれしそうな表情をする。悲しいときには悲しそうな表情をする。不愉快なときは、不愉快そうな顔をする。そういう子どもをすなおな子どもという。しかし心と表情が遊離すると、それがチグハグになる。ブランコを横取りされても、ニコニコ笑ってみせたり、いやなことがあっても、黙ってそれに従ったりするなど。中に従順な子どもを、「よくできた子ども」と考える人もいるが、それも誤解。この時期、よくできた子どもというのは、いない。つまり「いい子」ぶっているだけ。このタイプの子どもは大きなストレスを心の中でため、ためた分だけ、別のところで心をゆがめる。よく知られた例としては、家庭内暴力を起こす子どもがいる。このタイプの子どもは、外の世界では借りてきたネコの子のようにおとなしい。
●おだやかな生活を旨とする
 キレるタイプの子どもは、不安状態の中に子どもを追い込まないように、穏やかな生活を何よりも大切にする。乱暴な指導になじまない。あとは情緒が不安定な子どもに準じて、①濃厚なスキンシップをふやし、②食生活の面で、子どもの心を落ちつかせる。カルシウム、マグネシウム分の多い食生活に心がけ、リン酸食品をひかえる(※)。リン酸は、せっかく摂取したカルシウムをリン酸カルシウムとして、体外へ排出してしまう。もちろんストレスの原因(ストレッサー)があれば、それを除去し、心の負担を軽くすることも忘れてはならない。

※……今ではリン酸(塩)はあらゆる食品に含まれている。たとえば、ハム、ソーセージ(弾力性を出し、歯ごたえをよくするため)、アイスクリーム(ねっとりとした粘り気を出し、溶けても流れず、味にまる味をつけるため)、インスタントラーメン(やわらかくした上、グニャグニャせず、歯ごたえをよくするため)、プリン(味にまる味をつけ、色を保つため)、コーラ飲料(風味をおだやかにし、特有の味を出すため)、粉末飲料(お湯や水で溶いたりこねたりするとき、水によく溶けるようにするため)など(以上、川島四郎氏)。
●人工的に調合するのは、不必要
ついでながら、W・ダフティという学者はこう言っている。「自然が必要にして十分な食物を生み出しているのだから、われわれの食物をすべて人工的に調合しようなどということは、不必要なことである」と。つまりフード・ビジネスが、精製された砂糖や炭水化物にさまざまな添加物を加えた食品(ジャンク・フード)をつくりあげ、それが人間を台なしにしているというのだ。「(ジャンクフードは)疲労、神経のイライラ、抑うつ、不安、甘いものへの依存性、アルコール処理不能、アレルギーなどの原因になっている」とも。

*Speaking Disorder

子どもの自慰に対処する法(罪悪感をもたせるな!)
子どもが自慰をするとき
●ある母親からの質問
 ある母親からこんな相談が寄せられた。いわく、「私が居間で昼寝をしていたときのこと。六歳になった息子が、そっと体を私の腰にすりよせてきました。小さいながらもペニスが固くなっているのがわかりました。やめさせたかったのですが、そうすれば息子のプライドをキズつけるように感じたので、そのまま黙ってウソ寝をしていました。こういうとき、どう対処したらいいのでしょうか」(三二歳母親)と。
●罪悪感をもたせないように
 フロイトは幼児の性欲について、次の三段階に分けている。①口唇期……口の中にいろいろなものを入れて快感を覚える。②肛門期……排便、排尿の快感がきっかけとなって肛門に興味を示したり、そこをいじったりする。③男根期……満四歳くらいから、性器に特別の関心をもつようになる。
 自慰に限らず、子どもがふつうでない行為を、習慣的に繰り返すときは、まず心の中のストレス(生理的ひずみ)を疑ってみる。子どもはストレスを解消するために、何らかの代わりの行為をする。これを代償行為という。指しゃぶり、爪かみ、髪いじり、体ゆすり、手洗いグセなど。自慰もその一つと考える。つまりこういう行為が日常的に見られたら、子どもの周辺にそのストレスの原因(ストレッサー)となっているものがないかをさぐってみる。ふつう何らかの情緒不安症状(ふさぎ込み、ぐずぐず、イライラ、気分のムラ、気難しい、興奮、衝動行為、暴力、暴言)をともなうことが多い。そのため頭ごなしの禁止命令は意味がないだけではなく、かえって症状を悪化させることもあるので注意する。
●スキンシップは大切に
 さらに幼児のばあい、接触願望としての自慰もある。幼児は肌をすり合わせることにより、自分の情緒を調整しようとする。反対にこのスキンシップが不足すると、情緒が不安定になり、情緒障害や精神不安の遠因となることもある。子どもが理由もなくぐずったり、訳のわからないことを言って、親をてこずらせるようなときは、そっと子どもを抱いてみるとよい。最初は抵抗するそぶりを見せるかもしれないが、やがて静かに落ちつく。
 この相談のケースでは、親は子どもに遠慮する必要はない。いやだったらいやだと言い、サラッと受け流すようにする。罪悪感をもたせないようにするのがコツ。
 一般論として、男児の性教育は父親に、女児の性教育は母親に任すとよい。異性だとどうしても、そこにとまどいが生まれ、そのとまどいが、子どもの異性観や性意識をゆがめることがある。


子どもの発語障害を考える法(発音教育をせよ!)
子どもの発語障害を考えるとき 
●発音教育をしないのは日本だけ 
 世界広しといえども、幼児期に発音教育をしないのは、日本ぐらいなものではないか。私が生まれ育った岐阜県の美濃地方では、「鮎(あゆ)」を、「エエ」と発音する。「よい味」を、「エエ・エジ」と発音する。だから、「この鮎は、よい味だ」と言うときは、「このエエうァ、エエ・エジやナモ」と言う。方言が悪いというのではないが、こういう発音を日常的にしていて、それを正しい文に書けと言われても、できるものではない。そんなわけで私は小学生のころ、作文が大の苦手だった。子どもながらに苦労したのを、記憶のどこかで覚えている。まだある。この日本では幼児の発音に甘く、子どもが「デンチャ(電車)」「シュジュメ(すずめ)」と発音しても、それをかえって、「かわいい言い方」と、許してしまう。
● 幼児の発語障害
 「発語障害」というときは、構音障害(発音、発語障害)、吃音障害(どもる)、音声障害(ダミ声、鼻声、かすれ声)、それに発音器官に器質的な障害があるばあい(口蓋裂)などを総称していう。しかし現場で「発語障害」というときは、この中の構音障害をいう。たとえば「机」を「チュクエ」、「学校」を「ガッコ」、「バッタ」を「バタ」と言うなど。言葉の一部の音を変えたり、ぬかしたりする。口唇、歯列、舌などの器官を総称して、構音器官という。この構音器官に機能的な障害があると、子どもはここにあげたように独特の発音をするようになる。幼児は、サ行(猿→シャル)、ザ行(ぞうり→ジョーリ)、ラ行(ロケット→ドケット)が苦手だが、これらが正しく発音できれば、よしとする。さらに発音するとき、舌の位置がずれると、サ行がシャ音化(魚→シャカナ)したり、同じくサ行がチャ音化(魚→チャカナ)したりする。ほかにラ行がダ音化することもある。「ラジオ」を「ダジオ」と言うのがそれである。満五歳を一つの目安として、それまでに正しい発音ができるようにする。
●なおしにくい「カ」行障害児
 以上は比較的なおしやすい構音障害だが、なおしにくいのもある。カ行をタ音化するカ行障害(五個→ドト)などは、指導が難しく、なおすのに数年かかることもある。五、六歳児についていえば、全体の五%前後にその傾向がみられる。しかしあまり神経質に指導すると、子どもが自信をなくしたり、さらに失語症になったりするから注意する。少し古い資料だが、アメリカ言語聴覚学会の報告によれば、指導が必要な構音障害児の出現率は、三%とされる(一九五一年)。症状にも軽重があり、ふつう児との線引きも難しいが、その傾向のある子どもまで含めると、「つ」を「チュ」と発音するケースが、約二〇%。何らかの指導が必要と思われる幼児は、約五~一〇%というのが、私の実感である。
●幼児期から発音教育を!
 こういう発語障害をふせぐためには、子どもが言葉を話すようになったら、息を子どもの顔に吹きかけながら、口の動きを正確にしてみせるとよい。幼児語(自動車→ブーブー、電車→ゴーゴー)などは、かえって発語の発達を遅らせることになるので、注意する。言葉の発達そのものを遅らせることもある。ある男の子(年長児)は、「三輪車」を「シャーシャー」、「押す」を「ドウドウ」と言っていた。だから、「三輪車を押す」は、「シャーシャー、ドウドウ」と。が、それでも発語障害が残ってしまったら……。各市町村の保険センター、もしくは教育委員会に相談窓口があるので、そちらへ問い合わせてみるとよい。

●子どもの発語診断
○この診断シートによって、幼児の発語(発音)の発達程度が診断できます。
【診断方法】
(1)おうちの方が、(もとの言葉)を、ゆっくりと発音してみせ、続いて、子どもに、それを復唱させて診断します。
(2)このとき、子どもがどんな発音をしても、それについてとやかく言ってはいけません。子どもの発音を聞き、その評価にあてはまる個所(欄)に○をつけてください。

*Seperation Anxiety

こわがる子どもを考える法(恐怖症を軽く考えるな!)
子どもが恐怖症になるとき
●九死に一生
 先日私は、交通事故で、あやうく死にかけた。九死に一生とは、まさにあのこと。今、こうして文を書いているのが、不思議なくらいだ。が、それはそれとして、そのあと、妙な現象が現れた。夜、自転車に乗っていたのだが、すれ違う自動車が、すべて私に向かって走ってくるように感じた。私は少し走っては自転車からおり、少し走ってはまた、自転車からおりた。こわかった……。恐怖症である。子どもはふとしたきっかけで、この恐怖症になりやすい。
 たとえば以前、『学校の怪談』というドラマがはやったことがある。そのとき「小学校へ行きたくない」と言う園児が続出した。あるいは私の住む家の近くの湖で水死体があがったことがある。その直後から、その近くの小学校でも、「こわいから学校へ行きたくない」という子どもが続出した。これは単なる恐怖心だが、それが高じて、精神面、身体面に影響が出ることがある。それが恐怖症だが、この恐怖症は子どものばあい、何に対して恐怖心をいだくかによって、ふつう、次の三つに分けて考える。
①対人(集団)恐怖症……子ども、とくに幼児のばあい、新しい人の出会いや環境に、ある程度の警戒心をもつことは、むしろ正常な反応とみる。知恵の発達がおくれぎみの子どもや、注意力が欠如している子どもほど、周囲に対して、無警戒、無頓着で、はじめて行ったような場所でも、わがもの顔で騒いだりする。が、反対にその警戒心が、一定の限度を超えると、人前に出ると、声が出なくなる(失語症)、顔が赤くなる(赤面症)、冷や汗をかく、幼稚園や学校がこわくて行けなくなる(学校恐怖症)などの症状が表れる。さらに症状がこじれると、外出できない、人と会えない、人と話せないなどの症状が表れることもある。
②場面恐怖症……その場面になると、極度の緊張状態になることをいう。エレベーターに乗れない(閉所恐怖症)、鉄棒に登れない(高所恐怖症)などがある。これはある子ども(小一男児)のケースだが、毎朝学校へ行く時刻になると、いつもメソメソし始めるという。親から相談があったので調べてみると、原因はどうやら学校へ行くとちゅうにある、トンネルらしいということがわかった。その子どもは閉所恐怖症だった。実は私も子どものころ、暗いトイレでは用を足すことができなかった。それと関係があるかどうかは知らないが、今でも窮屈なトンネルなどに入ったりすると、ぞっとするような恐怖感を覚える。
③そのほかの恐怖症……動物や虫をこわがる(動物恐怖症)、死や幽霊、お化けをこわがる、先のとがったものをこわがる(先端恐怖症)などもある。何かのお面をかぶって見せただけで、ワーッと泣き出す「お面恐怖症」の子どもは、一五人に一人はいる(年中児)。ただ子どものばあい、恐怖症といってもばくぜんとしたものであり、問いただしてもなかなか原因がわからないことが多い。また症状も、そのとき出るというよりも、その前後に出ることが多い。これも私のことだが、私は三〇歳になる少し前、羽田空港で飛行機事故を経験した。そのためそれ以来、ひどい飛行機恐怖症になってしまった。何とか飛行機には乗ることはできるが、いつも現地ではひどい不眠症になってしまう。「生きて帰れるだろうか」という不安が不眠症の原因になる。また一度恐怖症になると、その恐怖症はそのつど姿を変えていろいろな症状となって表れる。高所恐怖症になったり、閉所恐怖症になったりする。脳の中にそういう回路(パターン)ができるためと考えるとわかりやすい。私のケースでは、幼いころの閉所恐怖症が飛行機恐怖症になり、そして今回の自動車恐怖症となったと考えられる。
●忘れるのが一番
 子ども自身の力でコントロールできないから、恐怖症という。そのため説教したり、叱っても意味がない。一般に「心」の問題は、一年単位、二年単位で考える。子どもの立場で、子どもの視点で、子どもの心を考える。無理な誘導や強引な押しつけは、タブー。無理をすればするほど、逆効果。ますます子どもはものごとをこわがるようになる。いわば心が熱を出したと思い、できるだけそのことを忘れさせるようにする。症状だけをみると、神経症と区別がつきにくい。私のときも、その事故から数日間は、車の速度が五〇キロ前後を超えると、目が回るような状態になってしまった。「気のせいだ」とはわかっていても、あとで見ると、手のひらがびっしょりと汗をかいていた。が、少しずつ自分をスピードに慣れさせ、何度も自分に、「こわくない」と言いきかせることで、克服することができた。いや、今でもときどき、あのときの模様を思い出すと、夜中でも興奮状態になってしまう。恐怖症というのはそういうもので、自分の理性や道理ではどうにもならない。そういう前提で、子どもの恐怖症には対処する。

(付記)
●不登校と怠学
不登校は広い意味で、恐怖症(対人恐怖症など)の一つと考えられているが、恐怖症とは区別する。この不登校のうち、行為障害に近い不登校を怠学という。うつ病の一つと考える学者もいる。不安障害(不安神経症)が、その根底にあって、不登校の原因となると考えるとわかりやすい。


子どもの分離不安を考える法(症状に注意せよ!)
子どもが分離不安になるとき
●親子のきずなに感動した!?     
 ある女性週刊誌の子育てコラム欄に、こんな手記が載っていた。日本でもよく知られたコラムニストの書いたものだが、いわく、「うちの娘(三歳)をはじめて幼稚園へ連れていったときのこと。娘ははげしく泣きじゃくり、私との別れに抵抗した。私はそれを見て、親子の絆の深さに感動した」と。そのコラムニストは、ワーワーと泣き叫ぶ子どもを見て、「親子の絆の深さ」に感動したと言うのだ。とんでもない! ほかにもあれこれ症状が書かれていたが、それはまさしく分離不安の症状。「別れをつらがって泣く子どもの姿」では、ない。
●分離不安は不安発作
 分離不安。親の姿が見えなくなると、発作的に混乱して、泣き叫んだり暴れたりする。大声をあげて泣き叫ぶタイプ(プラス型)と、思考そのものが混乱状態になり、オドオドするタイプ(マイナス型)に分けて考える。似たようなタイプの子どもに、単独では行動ができない子ども(孤立恐怖)もいるが、それはともかくも、分離不安の子どもは多い。四~六歳児についていうなら、一五~二〇人に一人くらいの割合で経験する。親が子どもの見える範囲内にいるうちは、静かに落ちついている。が、親の姿が見えなくなったとたん、ギャーッと、ものすごい声をはりあげて、そのあとを追いかけたりする。
●過去に何らかの事件
 原因は……、というより、分離不安の子どもをみていくと、必ずといってよいほど、そのきっかけとなった事件が、過去にあるのがわかる。はげしい家庭内騒動、離婚騒動など。母親が病気で入院したことや、置き去り、迷子を経験して、分離不安になった子どももいる。さらには育児拒否、冷淡、無視、親の暴力、下の子どもが生まれたことが引き金となった例もある。子どもの側からみて、「捨てられるのでは……」という被害妄想が、分離不安の原因と考えるとわかりやすい。無意識下で起こる現象であるため、叱ったりしても意味がない。表面的な症状だけを見て、「集団生活になれていないため」とか、「わがまま」とか考える人もいるが、無理をすればかえって症状をこじらせてしまう。いや、実際には無理に引き離せば混乱状態になるものの、しばらくするとやがて静かに収まることが多い。しかしそれで分離不安がなおるのではない。「もぐる」のである。一度キズついた心は、そんなに簡単になおらない。この分離不安についても、そのつど繰り返し症状が表れる。
●鉄則は無理をしない
 こうした症状が出てきたら、鉄則はただ一つ。無理をしない。その場ではやさしくていねいに説得を繰り返す。まさに根気との勝負ということになるが、これが難しい。現場で、そういう親子を観察すると、たいてい親のほうが短気で、顔をしかめて子どもを叱ったり、怒ったりしているのがわかる。「いいかげんにしなさい」「私はもう行きますからね!」と。こういう親子のリズムの乱れが、症状を悪化させる。子どもはますます強く被害妄想をもつようになる。分離不安を神経症の一つに分類している学者も多い(牧田清志氏ほか)。
 分離不安は四~五歳をピークとして、症状は急速に収まっていく。しかしここに書いたように、一度キズついた心は、簡単にはなおらない。ある母親はこう言った。「今でも、夫の帰宅が予定より遅くなっただけで、言いようのない不安発作に襲われます」と。姿や形を変えて、おとなになってからも症状が表れることがある。

(付記)
●分離不安は小児うつ病?
子どもは離乳期に入ると、母親から身体的に分離し始め、父親や周囲の者との心理的つながりを求めるようになる。自我の芽生え、自立心、道徳的善悪の意識などがこの時期に始まる。そしてさらに三歳前後になると、母親から心理的にも分離しようとするが、この時期に、母子の間に問題があると、この心理的分離がスムーズにいかず、分離不安を起こすと考えられている(クラウスほか)。小児うつ病の一形態と考える学者も多い。症状がこじれると、慢性的な発熱、情緒不安症状、さらには神経症による諸症状を示すこともある。

*nervous Children

悪循環から抜け出る法(身勝手を捨てろ!)
教師が子育ての宿命を感ずるとき
●かん黙児の子ども
 かん黙児の子ども(年長女児)がいた。症状は一進一退。少しよくなると親は無理をする。その無理がまた、症状を悪化させる。私はその子どもを一年間にわたって、指導した。指導といっても、母親と一緒に、教室の中に座ってもらっていただけだが、それでも、結構、神経をつかう。疲れる。このタイプの子どもは、神経が繊細で、乱暴な指導がなじまない。が、その年の年末になり、就学前の健康診断を受けることになった。が、その母親が考えたことは、「いかにして、その健康診断をくぐり抜けるか」ということ。そしてそのあと、私にこう相談してきた。「心理療法士にかかっていると言えば、学校でも、ふつう学級に入れてもらえます。ですから心理療法士にかかることにしました。ついては先生(私)のところにもいると、パニックになってしまいますので、今日限りでやめます」と。「何がパニックになるのですか」と私が聞くと、「指導者が二人では、私の頭が混乱します」と。
●経過は一年単位でみる
 かん黙児に限らず、子どもの情緒障害は、より症状が重くなってはじめて、前の症状が軽かったことに気づく。あとはその繰り返し。私が「三か月は何も言ってはいけません。何も手伝ってはいけません。子どもと視線を合わせてもいけません」と言った。が、親には一か月でも長い。一週間でも長い。そういう気持ちはわかるが、私の目を盗んでは、子どもにちょっかいを出す。一度親子の間にパイプ(依存心)ができてしまうと、それを切るのは、たいへん難しい。情緒障害は、半年、あるいは一年単位でみる。「半年前とくらべて、どうだったか」「一年前は、どうだったか」と。一か月や二か月で、症状が改善するということは、ありえない。が、親にはそれもわからない。最初の段階で、無理をする。時に強く叱ったり、怒ったりする。あるいは太いパイプを作ってしまう。初期の段階で、つまり症状が軽い段階で、それに気づき、適切な処置をすれば、「障害」という言葉を使うこともないまま終わる。が、私はその母親の話を聞いたとき、別のことを考えていた。
●「そんな冷たいこと言わないでください!」
 はじめて母親がその子どもを連れてきたとき、私はその瞬間にその子どもがかん黙児とわかった。母親も、それを気づいていたはずだ。しかし母親は、それを懸命に隠しながら、「音楽教室ではふつうです」「幼稚園ではふつうです」と言っていた。それが今度は、「心理療法士にかかっていると言えば、学校でも、ふつう学級に入れてもらえます」と。母親自身が、子どもを受け入れていない。そういう状態になってもまだ、メンツにこだわっている。もうこうなると、私に指導できることは何もない。私が「わかりました。ご自分で判断なさってください」と言うと、母親は突然取り乱して、こう叫んだ。「そんな冷たいこと言わないでください! 私を突き放すようなことを言わないでください!」と。
●親は自分で失敗して気づく
 子どもの情緒障害の原因のほとんどは、家庭にある。親を責めているのではない。たいていの親は、その知識がないまま、それを「よかれ」と思って無理をする。この無理が、症状を悪化させる。それはまさに泥沼の悪循環。そして気がついたときには、にっちもさっちもいかない状態になっている。つまり親自身が自分で失敗して、その失敗に気づくしかない。確かに冷たい言い方だが、子育てというのはそういうもの。子育てには、そういう宿命が、いつもついて回る。

(参考)
●かん黙児
 かん黙児……家の中などではふつうに話したり騒いだりすることはできても、場面が変わると貝殻を閉ざしたかのように、かん黙してしまう子どもを、かん黙児という。通常の学習環境での指導が困難なかん黙児は、小学生で一〇〇〇人中、四人(〇・三八%)、中学生で一〇〇〇人中、三人(〇・二九%)と言われているが、実際にはその傾向のある子どもまで含めると、二〇人に一人以上は経験する。
 ある特定の場面になるとかん黙するタイプ(場面かん黙)と、場面に関係なくかん黙する、全かん黙に分けて考えるが、ほかにある特定の条件が重なるとかん黙してしまうタイプの子どもや、気分的な要素に左右されてかん黙してしまう子どももいる。順に子どもを当てて意見を述べさせるようなとき、ふとしたきっかけでかん黙してしまうなど。
 一般的には無言を守り対人関係を避けることにより、自分の保身をはかるために、子どもはかん黙すると考えられている。これを防衛機制という。幼稚園や保育園へ入園したときをきっかけとして発症することが多く、過度の身体的緊張がその背景にあると言われている。
 かん黙状態になると、体をこわばらせる、視線をそらす(あるいはじっと相手をみつめる)、口をキッと結ぶ。あるいは反対に柔和な笑みを浮かべたまま、かん黙する子どももいる。心と感情表現が遊離したために起こる現象と考えるとわかりやすい。
かん黙児の指導で難しいのは、親にその理解がないこと。幼稚園などでその症状が出たりすると、たいていの親は、「先生の指導が悪い」「集団に慣れていないため」「友だちづきあいがヘタ」とか言う。「内弁慶なだけ」と言う人もいる。そして子どもに向かっては、「話しなさい」「どうしてハキハキしないの!」と叱る。しかし子どものかん黙は、脳の機能障害によるもので、子どもの力ではどうにもならない。またそういう前提で対処しなければならない。


神経質な子どもに対処する法(性質を見ぬけ!)
子どもが神経質になるとき
●敏感(神経質)な子ども 
 A子さん(年長児)は、見るからに繊細な感じのする子どもだった。人前に出るとオドオドし、その上、恥ずかしがり屋だった。母親はそういうA子さんをはがゆく思っていた。そして私に、「何とかもっとハキハキする子どもにならないものか」と相談してきた。
 心理反応が過剰な子どもを、敏感児という。ふつう「神経質な子」というときは、この敏感児をいうが、その程度がさらに超えた子どもを、過敏児という。敏感児と過敏児を合わせると、全体の約三〇%の子どもが、そうであるとみる。一般的には、精神的過敏児と身体的過敏児に分けて考える。心に反応が現れる子どもを、精神的過敏児。アレルギーや腹痛、頭痛、下痢、便秘など、身体に反応が現れる子どもを、身体的過敏児という。A子さんは、まさにその精神的過敏児だった。
●過敏児
 このタイプの子どもは、①感受性と反応性が強く、デリケートな印象を与える。おとなの指示に対して、ピリピリと反応するため、痛々しく感じたりする。②耐久性にもろく、ちょっとしたことで泣き出したり、キズついたりしやすい。③過敏であるがために、環境になじまず、不適応を起こしやすい。集団生活になじめないのも、その一つ。そのため体質的疾患(自家中毒、ぜん息、じんましん)や、神経症を併発しやすい。④症状は、一過性、反復性など、定型がない。そのときは何でもなく、あとになってから症状が出ることもある(参考、高木俊一郎氏)。A子さんのケースでも、A子さんは原因不明の発熱に悩まされていた。
●子どもを認め、受け入れる
 結論から先に言えば、敏感児であるにせよ、鈍感児であるにせよ、それは子どもがもって生まれた性質であり、なおそうと思っても、なおるものではないということ。無理をすればかえって逆効果。症状が重くなってしまう。が、悪いことばかりではない。敏感児について言えば、その繊細な感覚のため、芸術やある特殊な分野で、並はずれた才能を見せることがある。ほかの子どもなら見落としてしまうようなことでも、しっかりと見ることができる。ただ精神的な疲労に弱く、日中、ほんの一〇数分でも緊張させると、それだけで神経疲れを起こしてしまう。一般的には集団行動や社会行動が苦手なので、そういう前提で理解してあげる。
●一見鈍感児なのだが……
 ……というようなことは、教育心理学の辞典にも書いてある。が、こんなタイプの子どももいる。見た目には鈍感児(いわゆる「フーテンの寅さん」タイプ)だが、たいへん繊細な感覚をもった子どもである。つい油断して冗談を言い合っていたりすると、思わぬところでその子どもの心にキズをつけてしまう。ワイワイとふざけているから、「ママのおっぱいを飲んでいるなら、ふざけていていい」と言ったりすると、家へ帰ってから、親に、「先生にバカにされた」と泣いてみせたりする。このタイプの子どもは、繊細な感覚をもちつつも、それを茶化すことにより、その場をごまかそうとする。心の防御作用と言えるもので、表面的にはヘラヘラしていても、心はいつも緊張状態にある。先生の一言が思わぬ方向へと進み、大事件となるのは、たいていこのタイプと言ってよい。その子ども(年長児)のときも、夜になってから、親から猛烈な抗議の電話がかかってきた。「母親のおっぱいを飲んでいるとかいないとか、そういうことで息子に恥をかかせるとは、どういうことですか!」と。敏感かどうかということは、必ずしも外見からだけではわからない。

(参考)
●過敏児と鈍感児
 過敏児と対照的な位置にいるのが、鈍感児(知的な意味で、鈍感というのではない)。ふつうこの両者は対比して考える。

*ticks

子どものウソをつぶす法(過干渉を避けろ!)
子どもがウソをつくとき
●ウソにもいろいろ
 ウソをウソとして自覚しながら言うウソ「虚言」と、あたかも空想の世界にいるかのようにしてつくウソ「空想的虚言」は、区別して考える。
 虚言というのは、自己防衛(言い逃れ、言いわけ、自己正当化など)、あるいは自己顕示(誇示、吹聴、自慢、見栄など)のためにつくウソをいう。子ども自身にウソをついているという自覚がある。母「誰、ここにあったお菓子を食べたのは?」、子「ぼくじゃないよ」、母「手を見せなさい」、子「何もついてないよ。ちゃんと手を洗ったから……」と。
 同じようなウソだが、思い込みの強い子どもは、思い込んだことを本気で信じてウソをつく。「昨日、通りを歩いたら、幽霊を見た」とか、「屋上にUFOが着陸した」というのがそれ。その思い込みがさらに激しく、現実と空想の区別がつかなくなってしまった状態を、空想的虚言という。こんなことがあった。
●空想の世界に生きる子ども
 ある日突然、一人の母親から電話がかかってきた。そしてこう言った。「うちの子(年長男児)が手に大きなアザをつくってきました。子どもに話を聞くと、あなたにつねられたと言うではありませんか。どうしてそういうことをするのですか。あなたは体罰反対ではなかったのですか!」と。ものすごい剣幕だった。が、私には思い当たることがない。そこで「知りません」と言うと、その母親は、「どうしてそういうウソを言うのですか。相手が子どもだと思って、いいかげんなことを言ってもらっては困ります!」と。
 その翌日その子どもと会ったので、それとなく話を聞くと、「(幼稚園からの)帰りのバスの中で、A君につねられた」と。そのあと聞きもしないのに、ことこまかに話をつなげた。が、そのあとA君に聞くと、A君も「知らない……」と。結局その子どもは、何らかの理由で母親の注意をそらすために、自分でわざとアザをつくったらしい……、ということになった。こんなこともあった。
●「お前は自分の生徒を疑うのか!」
 ある日、一人の女の子(小四)が、私のところへきてこう言った。「集金のお金を、バスの中で落とした」と。そこでカバンの中をもう一度調べさせると、集金の袋と一緒に入っていたはずの明細書だけはカバンの中に残っていた。明細書だけ残して、お金だけを落とすということは、常識では考えられなかった。そこでその落としたときの様子をたずねると、その女の子は無表情のまま、やはりことこまかに話をつなげた。「バスが急にとまったとき体が前に倒れて、それでそのときカバンがほとんど逆さまになり、お金を落とした」と。しかし落としたときの様子を覚えているというのもおかしい。落としたなら落としたで、そのとき拾えばよかった……?
 で、この話はそれで終わったが、その数日後、その女の子の妹(小二)からこんな話を聞いた。何でもその女の子が、親に隠れて高価な人形を買ったというのだ。値段を聞くと、落としたという金額とほぼ一致していた。が、この事件だけではなかった。そのほかにもおかしなことがたびたび続いた。「宿題ができなかった」と言ったときも、「忘れ物をした」と言ったときも、そのつど、どこかつじつまが合わなかった。そこで私は意を決して、その女の子の家に行き、父親にその女の子の問題を伝えることにした。が、私の話を半分も聞かないうちに父親は激怒して、こう叫んだ。「君は、自分の生徒を疑うのか!」と。そのときはじめてその女の子が、奥の部屋に隠れて立っているのがわかった。「まずい」と思ったが、目と目があったその瞬間、その女の子はニヤリと笑った。
ほかに私の印象に残っているケースでは、「私はイタリアの女王!」と言い張って、一歩も引きさがらなかった、オーストラリア人の女の子(六歳)がいた。「イタリアには女王はいないよ」といくら話しても、その女の子は「私は女王!」と言いつづけていた。
●空中の楼閣に住まわすな
 イギリスの格言に、『子どもが空中の楼閣を想像するのはかまわないが、そこに住まわせてはならない』というのがある。子どもがあれこれ空想するのは自由だが、しかしその空想の世界にハマるようであれば、注意せよという意味である。このタイプの子どもは、現実と空想の間に垣根がなくなってしまい、現実の世界に空想をもちこんだり、反対に、空想の世界に限りないリアリティをもちこんだりする。そして一度、虚構の世界をつくりあげると、それがあたかも現実であるかのように、まさに「ああ言えばこう言う」式のウソを、シャーシャーとつく。ウソをウソと自覚しないのが、その特徴である。
●ウソは、静かに問いつめる
 子どものウソは、静かに問いつめてつぶす。「なぜ」「どうして」を繰り返しながら、最後は、「もうウソは言わないこと」ですます。必要以上に子どもを責めたり、はげしく叱れば叱るほど、子どもはますますウソがうまくなる。
 問題は空想的虚言だが、このタイプの子どもは、親の前や外の世界では、むしろ「できのいい子」という印象を与えることが多い。ただ子どもらしいハツラツとした表情が消え、教える側から見ると、心のどこかに膜がかかっているようになる。いわゆる「何を考えているかわからない子ども」といった感じになる。
 こうした空想的虚言を子どもの中に感じたら、子どもの心を開放させることを第一に考える。原因の第一は、強圧的な家庭環境にあると考えて、親子関係のあり方そのものを反省する。とくにこのタイプの子どものばあい、強く叱れば叱るほど、虚構の世界に子どもをやってしまうことになるから注意する。


子どものチックを考える法(クセと誤解するな!)
子どもがチックになるとき
●チックの子ども 
 チックと呼ばれる、よく知られた症状がある。幼児の一〇人に一人ぐらいの割合で経験する。「筋肉の習慣性れん縮」とも呼ばれ、筋肉の無目的な運動のことをいう。子どもの意思とは無関係に起こる。時と場所を選ばないのが特徴で、これをチックの不随意性という。たいていは首から上に症状が出る。首をギクギクと動かす、目をまばたきさせる、眼球をクルクル動かす、咳払いをする、のどをウッウッとうならせるなど。つばを吐く、つばをそでにこすりつけるというのもある。上体をグイグイと動かしたり、さらにひどくなると全身がけいれん状態になり、呼吸困難におちいることもある。稀に数種類のチックを、同時に発症することもある。七~八歳をピークとして発症するが、おかしな行為をするなと感じたら、このチックを疑ってみる。症状は千差万別で、そのためたいていの親は、それを「変なクセ」と誤解する。しかしチックはクセではない。だから注意をしたり、叱っても意味がない。ないだけではなく、親が神経質になればなるほど、症状はひどくなる。
●回り道をして賢くなる?
 ……というようなことは、私たちの世界では常識中の常識なのだが、どんな親も、親になったときから、すべてを一から始める。チックを知らないからといって、恥じることはない。ただ子育てには謙虚であってほしい。あなたは何でも知っているつもりかもしれないが、知らないことのほうが多い。こんな子ども(年長女児)がいた。その子どもは、母親が何度注意をしても、つばを服のそでにこすりつけていた。そのため、服のそでは、唾液でベタベタ。そこで私はその母親に、「チックです」と告げたが、母親は私の言うことなど信じなかった。病院へ連れていき、脳波検査をした上、脳のCTスキャンまでとって調べた。異常など見つかるはずはない。そのあともう一度、私に相談があった。親というのはそういうもので、それぞれが回り道をしながら、一つずつ賢くなっていく。
●原因は神経質な子育て
 原因は神経質な子育て。親の拘束的(子どもをしばりつける)かつ権威主義的な過干渉(「親の言うことを聞きなさい」式に、親の価値観を一方的に押しつける)、あるいは親の完ぺき主義(こまかいことまできちんとさせる)などがある。子どもの側からみて息が抜けない環境が、子どもの心をふさぐ。一般的には一人っ子に多いとされるのは、それだけ親の関心が子どもに集中するため。しかもその原因のほとんどは、親自身にある。が、それも親にはわからない。完ぺきであることを、理想的な親の姿であると誤解している。あるいは「自分はふつうだ」と思い込んでいる。その誤解や思い込みが強ければ強いほど、人の話に耳を傾けない。それがますます子育てを独善的なものにする。が、それで悲劇は終わらない。
チックはいわば、黄信号。その症状が進むと、神経症、さらには情緒障害、さらにひどくなると、精神障害にすらなりかねない。が、子どもの心の問題は、より悪くなってから、前の症状が軽かったことに気づく。親はそのときの症状だけをみて、子どもをなおそうとするが、そういう近視眼的なものの見方が、かえって症状を悪化させる。そしてあとは底無しの悪循環。
●症状はすぐには消えない
 チックについて言うなら、仮に親が猛省したとしても、症状だけはそれ以後もしばらく残る。子どもによっては数年、あるいはもっと長く続く。クセとして定着してしまうこともある。おとなでもチック症状をみせる人は、いくらでもいる。日本を代表するような有名人でも、ときどき眼球をクルクルさせたり、首を不自然に回したりする人はいくらでもいる。心というのはそういうもので、一度キズがつくと、なかなかなおらない。

(参考)
●チックの症状
 チックの症状は、千差万別だが、たいていは首から上の頭部に症状が表れる。ふつうでないと思われるようなクセが続いたら、このチックを疑ってみる。

*Burnt-Out

子どもの心が燃え尽きるとき

●「助けてほしい」   
 ある夜遅く、突然、電話がかかってきた。受話器を取ると、相手の母親はこう言った。「先生、助けてほしい。うちの息子(高二)が、勉強しなくなってしまった。家庭教師でも何でもいいから、してほしい」と。浜松市内でも一番と目されている進学校のA高校のばあい、一年生で、一クラス中、二~三人。二年生で、五~六人が、燃え尽き症候群に襲われているという(B教師談)。一クラス四〇名だから、一〇%以上の子どもが、燃え尽きているということになる。この数を多いとみるか、少ないとみるか?
●燃え尽きる子ども
 原因の第一は、家庭教育の失敗。「勉強しろ、勉強しろ」と追いたてられた子どもが、やっとのことで目的を果たしたとたん、燃え尽きることが多い。気が弱くなる、ふさぎ込む、意欲の減退、朝起きられない、自責の念が強くなる、自信がなくなるなどの症状のほか、それが進むと、強い虚脱感と疲労感を訴えるようになる。概してまじめで、従順な子どもほど、そうなりやすい。で、一度そうなると、その症状は数年単位で推移する。脳の機能そのものが変調する。ほとんどの親は、ことの深刻さに気づかない。気づかないまま、次の無理をする。これが悪循環となって、症状はさらに悪化する。その母親は、「このままではうちの子は、大学へ進学できなくなってしまう」と泣き崩れていたが、その程度ですめば、まだよいほうだ。
●原因は家庭、そして親
 親の過関心と過干渉がその背景にあるが、さらにその原因はと言えば、親自身の不安神経症などがある。親が自分で不安になるのは、親の勝手だが、その不安をそのまま子どもにぶつけてしまう。「今、勉強しなければ、うちの子はダメになってしまう!」と。そして子どもに対して、しすぎるほどしてしまう。ある母親は、毎晩、子ども(中三男子)に、つきっきりで勉強を教えた。いや、教えるというよりは、ガミガミ、キリキリと、子どもを叱り続けた。子どもは子どもで、高校へ行けなくなるという恐怖から、それに従った。が、それにも限界がある。言われたことはしたが、効果はゼロ。だから母親は、ますますあせった。あとでその母親は、こう述懐する。「無理をしているという思いはありました。が、すべて子どものためだと信じ、目的の高校へ入れば、それで万事解決すると思っていました。子どもも私に感謝してくれると思っていました」と。
●休養を大切に
 教育は失敗してみて、はじめて失敗だったと気づく。その前の段階で、私のような立場の者が、あれこれとアドバイスをしてもムダ。中には、「他人の子どものことだから、何とでも言えますよ」と、怒ってしまった親もいる。私が、「進学はあきらめたほうがよい」と言ったときのことだ。そして無理に無理を重ねる。が、さらに親というのは、身勝手なものだ。子どもがそういう状態になっても、たいていの親は自分の非を認めない。「先生の指導が悪い」とか、「学校が合っていない」とか言いだす。「わかっていたら、どうしてもっとしっかりと、アドバイスしてくれなかったのだ」と、私に食ってかかってきた父親もいた。
 一度こうした症状を示したら、休息と休養に心がける。「高校ぐらい出ておかないと」式の脅しや、「がんばればできる」式の励ましは禁物。今よりも症状を悪化させないことだけを考えながら、一にがまん、二にがまん。あとは静かに「子どものやる気」が回復するのを待つ。


子どもを溺愛児にしない法(溺愛を誤解するな!)
親が愛に溺れるとき 
●溺愛は、愛ではない
 溺愛は愛ではない。代償的愛という。いわば自分の心のすき間を埋めるための、自分勝手な愛のことだと思えばよい。この溺愛がふつうの愛と違う点は、①親子の間にカベがないこと。こんなことがあった。
参観授業でのこと。A君(年長児)がB君(年長児)に向かって、「バカ!」と言ったときのことである。その直後、うしろに並んでいた母親たちの間から、「バカとは、何よ!」という声が聞こえてきた。またこんな例も。ある母親が私のところにやってきて、こう言った。「先生、私、娘(年中児)が、風邪で幼稚園を休んでくれると、うれしいのです。一日中、娘の世話ができると思うと、うれしいのです。それにね、先生、私、主人なんかいてもいなくても、どちらでもいいような気がします。娘さえ、いてくれれば。それでね、先生、私、異常でしょうか?」と。私はしばらく考えてこう答えた。「異常です」と。
ほかに中学三年の息子が初恋をしたことについて、激しく嫉妬した母親もいた。ふつうの嫉妬ではない。その母親は、相手の女の子の写真を私の前に並べながら、人目もはばからず、大声で泣き叫んだ。「こんな女のどこがいいのですか!」と。
 次に②溺愛する親は、その溺愛を、えてして「親の深い愛」と誤解する。ある高校の山岳部の懇談会で、先生が親たちに向かって、「皆さんは、お子さんが汚した登山靴をどうしていますか」と聞いたときのこと。それに答えて一人の母親がまっ先に手をあげて、こう言った。「この靴が息子を無事、私のところに返してくれたのだと思うと、ただただいとおしくて、頬ずりしています!」と。
●精神的な弱さが原因
 親が溺愛に走る背景には、親自身の精神的な弱さと、情緒的な欠陥がある。それがたとえば生活への不安や、夫への満たされない愛、あるいは子どもの事故や病気が引き金となって、親は溺愛に走るようになる。が、溺愛に走るのは親の勝手だとしても、その影響は、子どもに表れる。子どもはいわゆる溺愛児と呼ばれる子どもになる。特徴としては、①幼児性の持続(年齢に比して幼い感じがする)、②退行的になる(目標や規則が守れず、自己中心的になる)、③服従的になりやすい(依存心が強く、わがままな反面、優柔不断)、④柔和でおとなしく、満足げでハキがなくなる。ちょうど膝に抱かれたペットのように見えることから、私は勝手にペット児(失礼!)と呼んでいるが、そういった感じになる。が、それで悲劇が終わるわけではない。
●子どもはカラを脱ぎながら成長する
 子どもというのは、その年齢ごとに、ちょうど昆虫がカラを脱ぐようにして成長する。たとえば子どもには、満四・五歳から五・五歳にかけて、たいへん生意気になる時期がある。この時期を中間反抗期と呼ぶ人もいる。この時期を境に、子どもは幼児期から少年少女期へと移行する。しかし溺愛児にはそれがない。ないまま、大きくなる。そしてある時、そのカラを一挙に脱ごうとする。が、簡単には脱げない。たいてい激しい家庭内騒動をともなう。子「こんなオレにしたのは、お前だろ!」、母「ごめんなさア~イ。お母さんが悪かったア~!」と。しかし子どもの成長ということを考えるなら、むしろこちらのほうが望ましい。カラをうまく脱げない子どもは、超マザコンタイプのまま、体だけはおとなになる。昔、「冬彦さん」(テレビドラマ「ずっとあなたが好きだった」の主人公)という男性がいたが、そうなる。
●生きがいを別に
 この溺愛を防ぐためには、親自身が子どもから目を離さなければならない。しかし実際には難しい。このタイプの親ほど、「子離れをしよう」とあせればあせるほど、子育てのアリ地獄へと落ちていく……。では、どうするか。親自身が、子育てとは別に、別の場所で生きがいを求める。ボランティア活動でも、仕事でも。子育て以外に、没頭できるものを別に求める。ある母親は手芸の店を開いた。また別の母親は、医療事務の講師を始めた。そういう形で、その結果として、子どもから離れる。子どもを忘れ、ついで子育てを忘れる。 

*Too much protection

親が子どもに手をかけすぎるとき

●「どうして泣かすのですか!」 
 年中児でも、あと片づけのできない子どもは、一〇人のうち、二、三人はいる。皆が道具をバッグの中にしまうときでも、ただ立っているだけ。あるいはプリントでも力まかせに、バッグの中に押し込むだけ。しかも恐ろしく時間がかかる。「しまう」という言葉の意味すら理解できない。そういうとき私がすべきことはただ一つ。片づけが終わるまで、ただひたすら、じっと待つ。
S君もそうだった。私が身振り手振りでそれを促していると、そのうちメソメソと泣き出してしまった。こういうとき、子どもの涙にだまされてはいけない。このタイプの子どもは泣くことによって、その場から逃げようとする。誰かに助けてもらおうとする。しかしその日は運の悪いことに、たまたまS君の母親が教室の外で待っていた。母親は泣き声を聞きつけると部屋の中へ飛び込んできて、こう言った。「どうしてうちの子を泣かすのですか!」と。ていねいな言い方だったが、すご味のある声だった。
●親が先生に指導のポイント
 原因は手のかけすぎ。S君のケースでは、祖父母と、それに母親の三人が、S君の世話をしていた。裕福な家庭で、しかも一人っ子。ミルクをこぼしても、誰かが横からサッとふいてくれるような環境だった。しかしこのタイプの母親に、手のかけすぎを指摘しても、意味がない。第一に、その意識がない。「私は子どもにとって、必要なことをしているだけ」と考えている。あるいは子どもに楽をさせるのが、親の愛だと誤解している。手をかけることが、親の生きがいになっているケースもある。中には子どもが小学校に入学したとき、先生に「指導のポイント」を書いて渡した母親すらいた。(親が先生に、だ!)「うちの子は、こうこうこういう子ですから、こういうときには、こう指導してください」と。
●泣き明かした母親
 あるいは息子(小六)が修学旅行に行った夜、泣き明かした母親もいた。私が「どうしてですか」と聞くと、「うちの子はああいう子どもだから、皆にいじめられているのではないかと、心配で心配で……」と。それだけではない。私のような指導をする教師を、「乱暴だ」「不親切だ」と、反対に遠ざけてしまう。S君のケースでは、片づけを手伝ってやらなかった私に、かえって不満をもったらしい。そのあと母親は私には目もくれず、子どもの手を引いて教室から出ていってしまった。こういうケースは今、本当に多い。そうそう先日も埼玉県のある私立幼稚園で講演をしたときのこと。そこの園長が、こんなことを話してくれた。「今では、給食もレストラン感覚で用意してあげないと、親は満足しないのですよ」と。こんなこともあった。
●「先生、こわい!」
 中学生たちをキャンプに連れていったときのこと。たき火の火が大きくなったとき、あわてて逃げてきた男子中学生がいた。「先生、こわい!」と。私は子どものときから、ワンパク少年だった。喧嘩をしても負けたことがない。他人に手伝ってもらうのが、何よりもいやだった。今でも、そうだ。そういう私にとっては、このタイプの子どもは、どうにもこうにも私のリズムに合わない。このタイプの子どもに接すると、「どう指導するか」ということよりも、「何も指導しないほうが、かえってこの子どものためにはいいのではないか」と、そんなことまで考えてしまう。
●自分勝手でわがまま
 手をかけすぎると、自分勝手でわがままな子どもになる。幼児性が持続し、人格の「核」形成そのものが遅れる。子どもはその年齢になると、その年齢にふさわしい「核」ができる。教える側から見ると、「この子はこういう子だという、つかみどころ」ができる。が、その「核」の形成が遅れる。
 子育ての第一目標は、子どもをたくましく自立させること。この一語に尽きる。しかしこのタイプの子どもは、(親が手をかける)→(ひ弱になる)→(ますます手をかける)の悪循環の中で、ますますひ弱になっていく。昔から過保護児のことを「温室育ち」というが、まさに温室の中だけで育ったような感じになる。人間が本来もっているはずの野性臭そのものがない。そのため温室の外へ出ると、「すぐ風邪をひく」。キズつきやすく、くじけやすい。ほかに依存性が強い(自立した行動ができない。ひとりでは何もできない)、金銭感覚にうとい(損得の判断ができない。高価なものでも、平気で友だちにあげてしまう)、善悪の判断が鈍い(悪に対する抵抗力が弱く、誘惑に弱い)、自制心に欠ける(好きな食べ物を際限なく食べる。薬のトローチを食べてしまう)、目標やルールが守れないなど、溺愛児に似た特徴もある。
●「心配」が過保護の原因
 親が子どもを過保護にする背景には、何らかの「心配」が原因になっていることが多い。そしてその心配の内容に応じて、過保護の形も変わってくる。食事面で過保護にするケース、運動面で過保護にするケースなどがある。
 しかし何といっても、子どもに悪い影響を与えるのは、精神面での過保護である。「近所のA君は悪い子だから、一緒に遊んではダメ」「公園の砂場には、いじめっ子がいるから、公園へ行ってはダメ」などと、子どもの世界を、外の世界から隔離してしまう。そしておとなの世界だけで、子育てをしてしまう。本来子どもというのは、外の世界でもまれながら、成長し、たくましくなる。が、精神面で過保護にすると、その成長そのものが、阻害される。
 そんなわけで子どもへの過保護を感じたら、まずその原因、つまり何が心配で過保護にしているかをさぐる。それをしないと、結局はいつまでたっても、その「心配の種」に振り回されることになる。
●じょうずに手を抜く
 要するに子育てで手を抜くことを恐れてはいけない。手を抜けば抜くほど、もちろんじょうずにだが、子どもに自立心が育つ。私が作った格言だが、こんなのがある。
『何でも半分』……これは子どもにしてあげることは、何でも半分でやめ、残りの半分は自分でさせるという意味。靴下でも片方だけをはかせて、もう片方は自分ではかせるなど。
『あと一歩、その手前でやめる』……これも同じような意味だが、子どもに何かをしてあげるにしても、やりすぎてはいけないという意味。「あと少し」というところでやめる。同じく靴下でたとえて言うなら、とちゅうまではかせて、あとは自分ではかせるなど。
●子どもはカラを脱ぎながら成長する
 子どもというのは、成長の段階で、そのつどカラを脱ぐようにして大きくなる。とくに満四・五歳から五・五歳にかけての時期は、幼児期から少年少女期への移行期にあたる。この時期、子どもは何かにつけて生意気になり、言葉も乱暴になる。友だちとの交際範囲も急速に広がり、社会性も身につく。またそれが子どものあるべき姿ということになる。が、その時期に溺愛と過保護が続くと、子どもはそのカラを脱げないまま、体だけが大きくなる。たいていは、ものわかりのよい「いい子」のまま通り過ぎてしまう。これがいけない。それはちょうど借金のようなもので、あとになればなるほど利息がふくらみ、返済がたいへんになる。同じようにカラを脱ぐべきときに脱がなかった子どもほど、何かにつけ、あとあと育てるのがたいへんになる。
 いろいろまとまりのない話になってしまったが、手のかけすぎは、かえって子どものためにならない。これは子どもを育てるときの常識である。

Monday, November 24, 2008

*Tattlers

●ショック!

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昨日、高校2年の数学の問題が、できなかった。
数2Aの問題である。

簡単な確率の問題だった。
ショックだった。
今日、書店で、もう一度数学の参考書を買い求
め、勉強しなおすことにした。

生徒には、「ごめんね」とだけ謝ったが、実に
情けない話。

実のところ、私は高校生には英語は教えて
きたが、数学は、ここ25年以上、教えていない。
しかし……。

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【問】
コインを投げて、4回、表が出たら、そこでコインを投げるのをやめる。
6回目にコインを投げるのをやめる確率は、何分の1か。

最初は、「何だ、こんな簡単な問題」と内心では思った。
5回までに3回表が出る確率を求め、それに2分の1をかければよい。
ところが、ここで頭の中が混乱してしまった。

1回ずつコインを投げなくても、5個のコインを同時に投げて、3個が表になる確率
を求めればよいのでは、と考えてしまった。
そこで計算してみると、……答が合わない!

1回ずつコインを5回投げるのと、5個のコインを同時に投げるのとでは、
どこがどうちがうのか?
考えているうちに頭の中がモヤモヤしてきた。
わからなくなってしまった。

私の脳みそについて、かなり老化が進んでいるのがわかる。
こんな程度の問題なら、公式を使わなくても、常識としてできるはず。
悔しさだけが残った。

見ると、その生徒(女子)も、目に涙を浮かべているではないか。
私が「ごめんね」と言うと、その生徒も、「私も悔しい」と。

で、今日から数学の勉強のしなおし。
空き時間に近くの書店で参考書を1冊、買ってくる。


Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

●「もます」

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この世界には「もます」という言葉があるそうだ。
それぞれの間で告げ口を繰り返し、たがいの間の
もめごとを増幅させる。

知らなかった。

あとでワイフに聞くと、「女性特有の言葉じゃないかしら」
とのこと。

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「あのAさんが、あなたのことを、こう言っていましたよ」とか何とか言って、
あなたに告げ口をする。
それを聞いて、あなたは怒る。
Aさんのことを、悪く思うようになる。

一方、そのAさんに対しては、逆の告げ口をする。
つまりこうしてたがいの(もめごと)を増幅する。

「もます」というのは、「もめごとを増す」という意味か?
ついでながら広辞苑で調べてみたが、「もます」という言葉は見当たらなかった。

フ~~ン。

で、私も最近、その(もます)を経験した。
もます人は、実に言葉巧みに、相手の心を誘導する。
何かの世間話をしながら、その間に、チョンチョンと、告げ口を混ぜる。
言われた方(=私)は、そのときはそのまま聞き流すが、しばらくすると、ムラムラと
怒りが湧いてくる。

「あのAが、そんなことを言っていたのか!」と。

しかしそれこそ、その人の術にはまったことになる。
で、そのことをある人(女性)に話したら、その人がこう教えてくれた。
「先生は、もまされたのね」と。

私「何ですか、もまされた、というのは?」
女「あら、『もます』という言葉を知らないのですか?」
私「知りません。はじめて聞きました」
女「先生は、きっと、いい世界だけで生きてきたのですね」
私「ハア~~~?」と。

女性の職場などでは、この(もます)が、日常的に行き交(か)っているという。
そのため職場を追われた女性も、多いとか。

私も基本的には告げ口は嫌い。
生徒が何かのことで告げ口をしてきても、すかさず追い払うようにしている。
しかしその告げ口をうまく利用して、人間関係を破壊するのを楽しんでいる人もいる。
気をつけよう!

Sunday, November 23, 2008

*Two Me's in myself

●2人の私

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私の中には、たしかに2人の(私)がいる。
その2人が、いつも交互に顔を出す。

先日も、DVDを返しに行ったときのこと、
逆走してきた車に、あやうくぶつけられそうに
なった。

そのとき、「あんな奴は、強制収容所送りだ」
と叫んだ(私)。
実際、ワイフの横で、そう叫んだ。

が、すかさずもう一人の(私)が顔を出し、
「あんな奴、相手にするな。どこの世界にも
バカはいる」と、私をたしなめた。

ここで「強制収容所」という言葉が出てきたのは、
K国の金XXの影響によるもの。
先の(私)は、心のどこかで、金XXというより、
スーパー権力者にあこがれを抱いているのかも
しれない。

ともかくも、そういうわけで、2人、いる。

で、そのことをワイフに話すと、ワイフは、
こう言った。

「私には、そういうことはないわ」と。

私「ほんとうに、ないのか?」
ワ「ないわ。私は、いつも1人よ」
私「じゃあ、ああいうとき、どう考えるの?」
ワ「あぶないとは思うわ。でも、それだけ」
私「ぶっ殺してやるとか、そういうふうには思わないのか?」
ワ「思わないわね」

私「でも、ぼくの中には2人、いる」
ワ「そういうことも、私にはないわ」
私「ほんとうにないのか?」
ワ「あなただけよ、きっと……」
私「じゃあ、ぼくだけがおかしいのかなあ?」
ワ「そうよ、あなたは、おかしいわよ」と。

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●どうして2人の私が……?

どうして私の中に2人の(私)がいるかについては、いろいろな原因が考えられる。
それについては前にも書いてきたので、ここでは省略する。

しかし時として、その2人の(私)が、頭の中ではげしく葛藤する。
俗にいう「迷う」というのとは、訳がちがう。
(そう言えば、私のワイフは、服などを選ぶとき、よく迷う。
ときに1着の服を決めるのに、1時間ほども時間がかかるときがある。
これはどういう現象と理解してよいのか?)

攻撃的で孤独に強い私。……これを(私A)とする。
弱気でやさしい私。……これを(私B)とする。

全体のバランスでみると、(私A)は、瞬間、もしくは、
何か事件などが起きたときなどに顔を出す。
ふだんは、(私B)が優勢で、(私A)が顔を出すことはない。
ふつう(私A)が顔を出すのは、(怒り)を覚えたとき。
(私A)が優勢になって、(私B)が隅に追いやられることもある。

が、それは私だけの現象で、ワイフには、それがないという。

ウ~~~ン……。

ということは、私は、人格障害者なのか?
しかし教科書で知る多重人格者とも、ちがうようだ。

ウ~~~ン……。

怒ったようなとき、だれでも、別人格者になるような気もするのだが……?
よい例が、酒を飲んで、まったく別の人間になる人もいる。
私の父がそうだった。
ふだんは静かでおとなしい人だった。
学者タイプの人だった。
しかし酒が入ると、そのまま別人になった。
大声を出して暴れたり、ものを破壊したりした。

……ということは、私は父のシャドウを引き継いでしまったのか?

こうした現象は、私が書く文章にも、見られるかもしれない。
とくに時事問題、国際問題、カルト問題について書くときは、私はきわめて攻撃的な
文章を書く。
しかし一方、心の問題、子育ての問題、教育問題について書くときは、控え目で、
穏やかな文章を書く。

そこで一度、ここで実験をしてみる。
(私A)(私B)のそれぞれと、その双方が混在しているときの(私)の、3種類の
(私)になって、文章を書いてみる。

+++++++++++++++
(私A)

何が反日だ!
何が反米だ!
自由主義貿易圏に身を置きながら、反日、反米を唱えれば、自ら自分の首を
絞(し)めるようなもの。
今朝の為替レートは、1ドル=1494ウォンだぞ!
サブプライム問題が起きたとき、君たちは何と書いていた。
「この問題は、韓国には波及しない」と。
さらにウォン安に向かうと、「輸出に有利になる」と喜んでいた。
しかし輸出先そのものが、なくなってしまった。
9月危機は乗り越えた。
しかし11月危機は、どうか?
さらに来年3月は、どうか?
私たち日本人の知ったことではないが、日本あっての韓国。
それをもっと素直に認めろ。

(私B)

大切なのは、相互の理解と友好。
誤解があれば、誤解を解けばよい。
その努力は忘れてはいけない。
それがわからなければ、地球を、宇宙から見てみればよい。
どういがみあったところで、地球は、宇宙のゴミ。
そのゴミの中の小さな国どうしが争って、どうなる?
どうする?

やがてこのアジアも、EUのように、統合される日がやってくる。
またそうでないと、アジアそのものが、総崩れになってしまう。
韓国が困っていたら、助けてやればよい。
裏切られても、裏切られても、じっとがまん。
それ以上のことを、日本は、あの植民地時代にしてしまった。

韓国のデフォルト(債務不履行)は時間の問題だが、今こそ、
日本は暖かい支援の気持ちを伝えておくべきではないのか。

(私A)+(私B)

反日を唱えるのも結構だが、少し冷静になってほしい。
たかが竹島問題程度のことで、軍事衝突するのもバカげている。
私たち日本人は、この問題を、国際裁判所のような場所で、公式に話しあおうと、
何度も提案しているではないか。
どうして君たちは、それに応じようとしないのか?
それとも何か、つごうの悪いことでもあるというのか?
このままでは韓国経済は、崩壊する。
そのことを今、一番強く肌で感じているのは、君たちのほうではないのか。
今、ここで韓国経済が崩壊すれば、そのときこそ、K国は、待ってましたとばかり、
君たちの国に攻撃をしかけてくるだろう。
そうなれば、竹島どころか、韓半島の全部を、あの独裁者に占領されることになる。
「同胞だから、そこまでしない」と考えるのは、どうかな。
すでに相手は、あなたたちのことを、同胞とはみていない。
どうしてそんなことがわからないのか。
君たちが、それでも反日を唱えるなら、日本だって、選択肢がなくなってしまう。
「韓国崩壊、やむなし」と。
反日・嫌韓は、その双方にとっても、悲しむべきことだと思う。
思うが、私たちは、嫌韓を今しばらく、貫くしかない。

+++++++++++++++++

同じ問題でも、(私A)で考えるのと、(私B)で考えるのとでは、雰囲気が
まるで変わってしまう。
考えてみれば、これは恐ろしいことではないか?

私のような(力)のない人間だから問題はないが、もし同じことが権力者の頭の
中で起きているとしたら、そのつど、政治の向きが180度、変わってしまう。
一説によると、あのドイツのヒットラーでさえ、本当は芸術を愛好した、気の弱い、
やさしい人だったという。
私たちが知るヒットラーは、私でいう(私A)のみが、極端に肥大化した人間
だったかもしれない。

ただ幸いなことに、私のばあい、(私A)が顔を出すのは、先にも書いたように、
(怒り)を感じたときだけ。
もしそうでなければ、私の人格はとっくの昔にバラバラになって、崩壊していた
かもしれない。

*Hideyo Noguchi's Mother

【野口英世の母】

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親子の間の依存性を考えるテーマとして、
野口英世の母をあげてみます。

02年に書いた原稿です。
どこか過激かな(?)と思う部分も
ないわけではありませんが、
もう一度、ここに掲載してみます。

野口英世の母は、ほんとうにすばらしい
母親であったのか?

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●母シカの手紙

 2004年に新千円札が発行されるという。それに、野口英世の肖像がのるという。そういう人物の母親を批判するのも、勇気がいることだが、しかし……。

 野口英世が、アメリカで研究生活をしているとき、母シカは、野口英世にあてて、こんな手紙を書いている。

 「おまイの しせにわ みなたまけました……(中略)……はやくきてくたされ いつくるトおせてくたされ わてもねむられません」(1912年(明治四五年)1月23日)(福島県耶麻郡猪苗代町・「野口英世記念館パンフレット」より)

 この母シカの手紙について、「野口英世の母が書いた手紙はあまりにも有名で、母が子を思う気持ちがにじみ出た素晴らしい手紙として広く知られています」(新鶴村役場・企画開発課パンフ)というのが、おおかたの見方である。母シカは、同じ手紙の中で、「わたしも、こころぼそくありまする。どうかはやくかえってくだされ……かえってくだされ」と懇願している。
 これに対して、野口英世は、1912年2月22日に返事を書いている。「シカの家の窮状や帰国の要請に対して、英世としてはすぐにも帰国したいが、世界の野口となって日本やアメリカを代表している立場にあるのでそれもかなわないが、家の窮状を解決することなどを切々と書いています」(福島県耶麻郡猪苗代町・野口英世記念館)ということだそうだ。

 ここが重要なところだから、もう一度、野口英世と母シカのやり取りを整理してみよう。

 アメリカで研究生活をしている野口英世に、母シカは、(1)そのさみしさに耐えかねて、手紙を書いた。内容は、(2)生活の窮状を訴え、(3)早く帰ってきてくれと懇願するものであった。

 それに対して野口英世は返事を書いて、(1)「日本とアメリカを代表する立場だから、すぐには帰れない」、(2)「帰ったら、窮状を打開するため、何とかする」と、答えている。

しかし、だ。いくらそういう時代だったとはいえ、またそういう状況だったとはいえ、親が子どもに、こんな手紙など書くものだろうか。それがわからなければ、反対の立場で考えてみればよい。あなたのところにある日、あなたの母親から手紙が届いた。それには切々と、家の窮状を訴え、ついで「帰ってきてくれ」と書いてあったとする。もしあなたがこんな手紙を手にしたら、あなたはきっと自分の研究も、落ちついてできなくなってしまうかもしれない。

●ベタベタの依存心

 日本人は子育てをしながら、無意識のうちにも、子どもに恩を着せてしまう。「産んでやった」「育ててやった」と。一方、子どもは子どもで、やはり無意識のうちにも、「産んでもらった」「育ててもらった」と、恩を着せられる。たがいにベタベタの依存心で、もちつもたれつの関係になる。そういう子育てを評して、あるアメリカ人の教育家は、こう言った。「日本人ほど、子どもに依存心をもたせることに無頓着な民族はいない」と。

 そこでもう一度、母シカの手紙を読んでみよう。母シカは、「いつ帰ってくるか、教えてください。私は夜も眠られない。心細いので、早く帰ってきてください。早く帰ってきてください」と。

 この手紙から感ずる母シカは、人生の先輩者である親というより、子離れできない、未熟な親でしかない。親としての尊厳もなければ、自覚もない。母シカがそのとき、病気か何かで伏せっていたのならまだしも、母シカがそうであったという記録はどこにもない。事実、野口英世記念館には、野口英世がそのあと帰国後にとった写真が飾ってあるが、いっしょに写っている母シカは、どこから見ても元気そうである。

 ……と書くと、猛反発を買うかもしれない。先にも書いたように、「母が子を思う気持ちがにじみ出た素晴らしい手紙」というのが、日本の通説になっているからである。いや、私も昔、学生のころ、この話を何かの本で読んだときには、涙をこぼした。しかし今、自分が親になってみると、この考え方は変わった。それを話す前に、自分のことを書いておく。

●私のこと

 私は23、4歳のときから、収入の約半分を、岐阜県の実家に仕送りしてきた。今のワイフといっしょに生活するようになったころも、毎月3万円の仕送りを欠かしたことがない。大卒の初任給が6~7万円という時代だった。が、それだけではない。

母は私のところへ遊びにきては、そのつど私からお金を受け取っていった。長男が生まれたときも、母は私たちの住むアパートにやってきて、当時のお金で20万円近くをもって帰った。母にしてみれば、それは子どもとしての当然の行為だった。(だからといって、母を責めているのではない。それが当時の常識だったし、私もその常識にしばられて、だれに命令されるわけでもなく、自らそうしていた。)

しかしそれは同時に、私にとっては、過大な負担だった。私が27歳ごろのときから、実家での法事の費用なども、すべて私が負担するようになった。ハンパな額ではない。土地柄、そういう行事だけは、派手にする。たいていは近所の料亭を借りきってする。その額が、20~30万円。そのたびに、私は貯金通帳がカラになったのを覚えている。

 そういう母の、……というより、当時の常識は、いったい、どこからきたのか。これについてはまた別のところで考えることにして、私はそれから生ずる、経済的重圧感というよりは、社会的重圧感に、いやというほど、苦しめられた。「子どもは親のめんどうをみるのは当たり前」「子どもは先祖を供養するのは当たり前」「親は絶対」「親に心配かける子どもは、親不孝者」などなど。

私の母が、私に直接、それを求めたということはない。ないが、間接的にいつも私はその重圧感を感じていた。たとえば当時のおとなたちは、日常的につぎのような話し方をしていた。「あそこの息子は、親不孝の、ひどい息子だ。正月に遊びにきても、親に小遣いすら渡さなかった」「あそこの息子は、親孝行のいい息子だ。今度、親の家を建て替えてやったそうだ」と。それは、今から思えば、まるで真綿で首をジワジワとしめるようなやり方だった。

 こういう自分の経験から、私は、自分が親になった今、自分の息子たちにだけは、私が感じた重圧感だけは感じさせたくないと思うようになった。よく「林は、親孝行を否定するのか」とか言う人がいある。「あなたはそれでも日本人ですか」と言ってきた女性もいた。しかしこれは誤解である。誤解であることをわかってほしかったから、私の過去を正直に書いた。
 
●本当にすばらしい手紙?

 で、野口英世の母シカについて。私の常識がおかしいのか、どんな角度から母シカの手紙を読んでも、私はその手紙が、「母が子を思う気持ちがにじみ出た素晴らしい手紙」とは、思えない。そればかりか、親ならこんなことを書くべきではないとさえ、思い始めている。そこでもう一度、母シカの気持ちを察してみることにする。

 母シカは野口英世を、それこそ女手ひとつで懸命に育てた。当時は、私が子どものころよりもはるかに、封建意識の強い時代だった。しかも福島県の山村である。恐らく母シカは、「子どもが親のめんどうをみるのは当たり前」と、無意識であるにせよ、強くそれを思っていたに違いない。

だから親もとを離れて、アメリカで暮らす野口英世そのものを理解できなかったのだろう。文字の読み書きもできなかったというから、野口英世の仕事がどういうものかさえ、理解できなかったかもしれない。一方、野口英世は野口英世で、それを裏返す形で、「子どもが親のめんどうをみるのは当たり前」と感じていたに違いない。野口英世が母シカにあてた手紙は、まさにそうした板ばさみの状態の中から生まれたと考えられる。

 どうも、奥歯にものがはさまったような言い方になってしまった。本当のところ、こうした評論のし方は、私のやり方ではない。しかし野口英世という、日本を代表する偉人の、その母親を批判するということは、慎重の上にも、慎重でなければならない。現に今、その母シカをたたえる団体が存在している。母シカを批判するということは、そうした人たちの神経を逆なですることにもなる。だからここでは、私は結論として、つぎのようにしか、書けない。

 私が母シカなら、野口英世には、こう書いた。「帰ってくるな。どんなことがあっても、帰ってくるな。仕事を成就するまでは帰ってくるな。家の心配などしなくてもいい。親孝行など考えなくてもいい。私は私で元気でやるから、心配するな」と。それが無理なら、「元気か?」と様子を聞くだけの手紙でもよかった。あるいはあなたなら、どんな手紙を書くだろうか。一度母シカの気持ちになって考えてみてほしい。
(02-8-2)

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司
野口英世 シカ はやし浩司 依存性 相互依存 恩着せ 親の恩着せ)

●カルト抜き

●カルト抜き

 子どもが不登校的な症状を見せたりすると、たいていの親は、その瞬間、パニック状態になる。その気持ちは、よくわかる。そして自分が感じた不安や心配を、直接、子どもにぶつけてしまう。

 「学校へ行きなさい!」「いやだア!」と。

 ときに親は、子どもをはげしく叱ったりする。しかし親のこの一撃が、子どもの症状を、決定的なまでに、悪化させる。しかし親には、その自覚がない。「子どもが学校へ行かなくなってしまったら、どうしよう……」と、そんなことばかりを、先に考える。

 では、どうするか? ……ということを書いても、意味がない。親の根底に、学歴信仰、学校神話が残っているかぎり、この問題は解決しない。子どもは、親の不安や心配を敏感に感じとってしまう。いくら、親が、口先で、「学校へ行きたくなければ、行かなくてもいいのよ」と言ったところで、意味はない。

 子どもは、親の心の奥の部分、つまりシャドウを読んでしまう。

 つまりそのシャドウを消さないかぎり、この問題は、解決しない。それを、「カルト抜き」という。学歴信仰というカルトを抜く。

 ところで、あの忌まわしい事件を引き起こしたO真理教というカルト教団が、またまた活動を活発化させているという。そういうニュースを見たりすると、たいていの人は、こう思うにちがいない。「私は、ちがう」「私には、関係ない」「私は、カルトなど信仰していない」と。

 しかし本当にそうだろうか? そう言い切ることができるだろうか?

 実は、学歴信仰というのは、立派な、カルトである。ただ日本中の親たちがそのカルトを信仰しているから、自分ではわからないだけ。日本から一歩、外に出てみると、それがよくわかる。

 つまりそのカルトを抜かないかぎり、ここでいう不登校の問題は解決しない。仮に、子どもが、午前中だけでも、学校へ通うようになると、親は、こう言う。「何とか、給食までいっしょに、食べるようになってほしい」と。さらに給食までいっしょに食べるようになると、今度は、「午後まで勉強するようになってほしい」と。

 逆のこともある。

 今にも不登校児になりそうな子どもがいた。小学2年生の男の子だった。その子どもは、そのとき、それでも何とか、学校へは行った。しかし午前中の1、2時間は、保健室や理科室で、時間を過ごした。

 やっと元気になるのは、3、4時間目くらいからで、ときには、昼休みに時間になってから、教室へもどっていった。

 それについて母親から、「どうすればいいでしょう」という相談があった。が、私は、こう言った。

 「細い糸かもしれませんが、それを切ってはいけない。お母さんは、子どもを『なおそう』としているが、なおそうなどと思ってはいけない。現状維持だけを考えてください」と。

 こうした問題には、必ず、二番底、三番底がある。親は、そのときの状態を最悪と思うかもしれないが、その最悪の下には、まだ別の「底」がある。この段階で無理をすれば、その二番底、三番底へ落ちてしまう。

母親「では、どうすればいいのでしょうか?」
私「よくがんばっているわねと、ほめてあげてください」
母親「ほめるんですか?」
私「子どもの立場で考えてみてください。行きたくない学校へ、重い足を引きずりながら、行っているのですよ。子どもはそのつらい気持ちと、毎日、戦っているのです。だから、ほめるのです」

母親「でも、このままでは、うちの子は、ダメになってしまいます」
私「何が、ダメになるのですか。何も、ダメなんかには、なりませんよ」
母親「学校へ行かなくなってしまったら、どうするのですか?」
私「いいじゃないですか。そうなっても。お母さんが、あれこれクヨクヨと心配している分だけ、子どもの心は不安定になります。不登校が不登校として、長引いてしまいます。子どもが、その気持ちを感じ取ってしまうからです」と。

 そこで親は、心底、こう思わなければならない。「いいのよ、学校なんて、行きたくなければ行かなくても!」と。口先だけではいけない。心底、そう思わなければならない。そのために、ここでいうカルト抜きをする。とたん、子どもの表情は明るくなる。そしてしばらく時間をおいたあと、また学校へ行くようになる。前に、『あきらめは、悟りの境地』というエッセーを書いた。これも、その悟りの境地のひとつということになる。

【付記】

 邪悪な「学歴信仰」を隠しながら、子どもに、「勉強しなさい」と言っても、子どもは、勉強しない。子どもは、親の、心の奥底、つまりは、下心を読んでしまう。

 教育の世界でも、同じようなことが起きることがある。

 ある進学塾の講師は、こう言った。「生徒というのは、いくらいい大学へ入っても、進学塾へは、礼にはこないものですよ」「結婚式などに招待されるケースは、1000に1つもありません」と。

 当然である。親も子どもも、進学塾の講師の下心を、進学塾に通っているときから、すでに見抜いている。

 「教室」という場所でも、教える側は、「無私」でなければならない。そこにほんの少しでも、雑音が入ると、やがて子どもは、教師の指導に従わなくなる。1年や2年なら、何とかごまかすことはできるが、3年、4年となると、そうはいかない。

 昔、月謝袋を、つめ先で、ポンとはじいて、「先生、あんたのほしいのは、これだろ」と言った高校生がいた。私はその場で、即刻、その子どもを、退塾させたが、今から思えば、その子どもの言ったことは、正しかった。当時の私は、経営を第一に考えて、仕事をしていた。彼は、その私の心を見抜いていた。
(はやし浩司 不登校 学歴信仰 カルト抜き シャドウ 細い糸 二番底)

*Mother Complex

●隠れマザコン

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子どものマザコン、つまりマザコン性
について。

ベタベタの親子関係は、決して好ましい
ものではない。

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 マザコンタイプの子どもは、(おとなもそうだが)、いつも自分の母親が、完ぺきな母親であることを、求める。(だから、「マザー・コンプレックス」という。)そのため、母親の、ささいなまちがいさえも許さない。ほんの少しでも、自分が正しいと思ったことに反したことを母親がしたりすると、それを怒ったり、ときに、ふてくされたりする。

 自分は、完全に愛されているのだという安心感。
 自分は、何をしても許されるのだという安心感。
 自分は、いつでも、どこでも、母親の関心の的でなければならない。

 言うなれば、幼稚な自己中心性そのもののことだが、いつもその安心感を、母親に求める。そしてそれがないと、安心できない。

 この状態は、結婚してからも、つづく。そしてその対象が、母親から、妻へ移動することはある。

(女性にもマザコンは、多い。女性のばあいは、そのまま母親に対して、マザコンを維持することが多い。しかも女性のマザコン、これを「隠れマザコン」と言うが、女性のマザコンは、男性のそれより、はるかに強烈になりやすい。ただ女性と女性との関係であるという点で、外からは、わかりにくい。)

 A君(小3)は、学校のテストなどで、よい点をとってきたりすると、すぐ母親に見せていた。そういう形で、一度は、母親に評価されないと、満足しなかった。そのとき母親が、何かのことで、A君を無視したような態度をとったりすると、とたんA君は、母親に対して、すねたり、いじけたりした。そしてその状態が、ばあいによっては、1、2時間もつづくこともあった。

 母親自身が、A君が、マザコンであることに気づいていなかった。つまり母親自身が、ベタベタの母子関係をつくりながら、それに気づいていなかった。

 こういうケースのばあい、本来なら、父親が、母子の間に、割って入らなければならない。でないと、子どもは、そのまま、マザコンを持続してしまう。が、不幸なことに、A君の父親は、その数年前から、単身赴任で、インドに赴任していた。ますますA君は、マザコンになっていった。

 母子関係が、正常に分離できていない。そのため、弊害は、そのあとになってから起こる。男子のばあいだと、おとなになり、結婚してから、起こる。男性のばあいは、このタイプの男性は、一般論として、浮気しやすくなると言われている。目の前の妻という女性に、満足できないからである。

 ある男性(映画監督)は、エッセーの中で、堂々とこう書いていた。「男性は、いつも永遠のマドンナを求めて、さまよい歩くものです」と。これは、つまり自ら、「私はマザコンです」と告白しているようなものである。

 男児にしても、女児にしても、子どもがマザコンになってよいことは、何もない。そのマザコンを是正するのが、父親の役目ということになる。もっとも父親が、マザコンのばあいは、どうしようもないが……。

*I used to be a mother-complex.

●私もマザコンだった!

こう書く私も、実は、若いころは、マザコンだった。
30歳を過ぎて、ワイフにそれを指摘されるまで、気がつかなかった。

自分がマザコンであるかどうかは、自分がそうでなくなったときにしか、わからない。
「私は親孝行のいい息子」と、思いこむことで、それを片づけてしまう。
あるいは「私の親は、それに値するすばらしい母親である」と、それを片づけてしまう。

ある男性は結婚するとき、「親孝行をする」を、相手の女性に条件として押しつけたという。
あるいは嫁・姑戦争が激しくなったとき、自分の妻に向って、「私は母をとる。お前の
ほうが出て行け」と言った男性もいる。

私も、そういう男性に近かったかも(?)。

自分からマザコン性を抜くのは、容易なことではない。
脳の、それこそ神経生理のもっとも基本的な部分にまで、刷り込みがなされている。
一度乳幼児期にマザコンになり、また成長過程でそれが修正されないと、男性は、
(もちろん女性も)、マザコンになる。

女性のマザコンを、私は「隠れマザコン」と呼んでいる。
さらに一歩話を進めると、実は、ファザコンと呼ばれる人も多い。
たいていは「親絶対教」の信者で、父親を同じように絶対視する。

「親を尊敬する」というのと、「親を盲目的に信仰する」というのは、
まったく別。
親といえども、ときとして子どもの批判の対象になることもある。
また批判されても、文句は言わない。

子どもというのはいつも、親を踏み台にして、さらに先へと前に進んでいく。
あなたの子どもが親不幸になったからといって、嘆くことはない。
あなたはあなた。
子どもは子ども。
それがいやなら、あなたも、親ではなく、一人の人間として子どもに尊敬される
よう、心がければよい。

「私は親だ」「親に向かって、何だ!」などと親風を吹かしているようでは、
あなたの住む世界は、小さい。
そういうくだらない親意識は、できるだけ早く捨てること。
親子の間にキレツを入れることはあっても、たがいを結ぶ絆(きずな)になることは、
ぜったいにない!

*Mother Complex Songs in Japan


【日本社会・母系社会?】

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日本は、概して言えば、奈良時代の昔から
母系社会。
母親の存在が、大きい。

その代表的なものが、「母さんの歌」。
それに森Sが歌う、「おふくろさん」など。

どうして父親を賛歌した歌がないのか?

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子どもの心をつかむ法(恩を着せるな!)

子どもの心が離れるとき 

●フリーハンドの人生 

 「たった一度しかない人生だから、あなたはあなたの人生を、思う存分生きなさい。前向きに生きなさい。あなたの人生は、あなたのもの。家の心配? ……そんなことは考えなくていい。親孝行? ……そんなことは考えなくていい」と、一度はフリーハンドの形で子どもに子どもの人生を手渡してこそ、親は親としての義務を果たしたことになる。子どもを「家」や、安易な孝行論でしばってはいけない。負担に思わせるのも、期待するのも、いけない。もちろん子どもがそのあと自分で考え、家のことを心配したり、親に孝行をするというのであれば、それは子どもの勝手。子どもの問題。

●本当にすばらしい母親?

 日本人は無意識のうちにも、子どもを育てながら、子どもに、「産んでやった」「育ててやった」と、恩を着せてしまう。子どもは子どもで、「産んでもらった」「育ててもらった」と、恩を着せられてしまう。

 以前、NHKの番組に『母を語る』というのがあった。その中で日本を代表する演歌歌手のI氏が、涙ながらに、切々と母への恩を語っていた(二〇〇〇年夏)。「私は母の女手一つで、育てられました。その母に恩返しをしたい一心で、東京へ出て歌手になりました」と。はじめ私は、I氏の母親はすばらしい人だと思っていた。I氏もそう話していた。しかしそのうちI氏の母親が、本当にすばらしい親なのかどうか、私にはわからなくなってしまった。五〇歳も過ぎたI氏に、そこまで思わせてよいものか。I氏をそこまで追いつめてよいものか。ひょっとしたら、I氏の母親はI氏を育てながら、無意識のうちにも、I氏に恩を着せてしまったのかもしれない。

●子離れできない親、親離れできない子

 日本人は子育てをしながら、子どもに献身的になることを美徳とする。もう少しわかりやすく言うと、子どものために犠牲になる姿を、子どもの前で平気で見せる。そしてごく当然のこととして、子どもにそれを負担に思わせてしまう。その一例が、『かあさんの歌』である。「♪かあさんは、夜なべをして……」という、あの歌である。戦後の歌声運動の中で大ヒットした歌だが、しかしこの歌ほど、お涙ちょうだい、恩着せがましい歌はない。窪田聡という人が作詞した『かあさんの歌』は、三番まであるが、それぞれ三、四行目はかっこ付きになっている。つまりこの部分は、母からの手紙の引用ということになっている。それを並べてみる。

「♪木枯らし吹いちゃ冷たかろうて。せっせと編んだだよ」
「♪おとうは土間で藁打ち仕事。お前もがんばれよ」
「♪根雪もとけりゃもうすぐ春だで。畑が待ってるよ」

 しかしあなたが息子であるにせよ娘であるにせよ、親からこんな手紙をもらったら、あなたはどう感ずるだろうか。あなたは心配になり、羽ばたける羽も、安心して羽ばたけなくなってしまうに違いない。

●「今夜も居間で俳句づくり」

 親が子どもに手紙を書くとしたら、仮にそうではあっても、「とうさんとお煎べいを食べながら、手袋を編んだよ。楽しかったよ」「とうさんは今夜も居間で俳句づくり。新聞にもときどき載るよ」「春になれば、村の旅行会があるからさ。温泉へ行ってくるからね」である。そう書くべきである。

つまり「かあさんの歌」には、子離れできない親、親離れできない子どもの心情が、綿々と織り込まれている! ……と考えていたら、こんな子ども(中二男子)がいた。自分のことを言うのに、「D家(け)は……」と、「家」をつけるのである。そこで私が、「そういう言い方はよせ」と言うと、「ぼくはD家の跡取り息子だから」と。私はこの「跡取り」という言葉を、四〇年ぶりに聞いた。今でもそういう言葉を使う人は、いるにはいる。

●うしろ姿の押し売りはしない

 子育ての第一の目標は、子どもを自立させること。それには親自身も自立しなければならない。そのため親は、子どもの前では、気高く生きる。前向きに生きる。そういう姿勢が、子どもに安心感を与え、子どもを伸ばす。親子のきずなも、それで深まる。子どもを育てるために苦労している姿。生活を維持するために苦労している姿。そういうのを日本では「親のうしろ姿」というが、そのうしろ姿を子どもに押し売りしてはいけない。押し売りすればするほど、子どもの心はあなたから離れる。 

 ……と書くと、「君の考え方は、ヘンに欧米かぶれしている。親孝行論は日本人がもつ美徳の一つだ。日本のよさまで君は否定するのか」と言う人がいる。しかし事実は逆だ。こんな調査結果がある。平成六年に総理府がした調査だが、「どんなことをしてでも親を養う」と答えた日本の若者はたったの、二三%(三年後の平成九年には一九%にまで低下)しかいない。自由意識の強いフランスでさえ五九%。イギリスで四六%。あのアメリカでは、何と六三%である(※)。欧米の人ほど、親子関係が希薄というのは、誤解である。今、日本は、大きな転換期にきているとみるべきではないのか。

●親も前向きに生きる

 繰り返すが、子どもの人生は子どものものであって、誰のものでもない。もちろん親のものでもない。一見ドライな言い方に聞こえるかもしれないが、それは結局は自分のためでもある。私たちは親という立場にはあっても、自分の人生を前向きに生きる。生きなければならない。親のために犠牲になるのも、子どものために犠牲になるのも、それは美徳ではない。あなたの親もそれを望まないだろう。いや、昔の日本人は子どもにそれを求めた。が、これからの考え方ではない。あくまでもフリーハンド、である。ある母親は息子にこう言った。「私は私で、懸命に生きる。あなたはあなたで、懸命に生きなさい」と。子育ての基本は、ここにある。

※……ほかに、「どんなことをしてでも、親を養う」と答えた若者の割合(総理府調査・平成6年)は、次のようになっている。
 フィリッピン ……81%(11か国中、最高)
 韓国     ……67%
 タイ     ……59%
 ドイツ    ……38%
 スウェーデン ……37%

 日本の若者のうち、66%は、「生活力に応じて(親を)養う」と答えている。これを裏から読むと、「生活力がなければ、養わない」ということになるのだが……。 


Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

●日本の常識、世界の非常識

● 「水戸黄門」論……日本型権威主義の象徴が、あの「水戸黄門」。あの時代、何がまちがっているかといっても、身分制度(封建制度)ほどまちがっているものはない。その身分制度という(巨悪)にどっぷりとつかりながら、正義を説くほうがおかしい。日本人は、その「おかしさ」がわからないほどまで、この権威主義的なものの考え方を好む。葵の紋章を見せつけて、人をひれ伏せさせる前に、その矛盾に、水戸黄門は気づくべきではないのか。仮に水戸黄門が悪いことをしようとしたら、どんなことでもできる。それこそ19歳の舞妓を、「仕事のこやし」(人間国宝と言われる人物の言葉。不倫が発覚したとき、そう言って居直った)と称して、手玉にして遊ぶこともできる。

● 「釣りバカ日誌」論……男どうしで休日を過ごす。それがあのドラマの基本になっている。その背景にあるのが、「男は仕事、女は家庭」。その延長線上で、「遊ぶときも、女は関係なし」と。しかしこれこそまさに、世界の非常識。オーストラリアでも、夫たちが仕事の同僚と飲み食い(パーティ)をするときは、妻の同伴が原則である。いわんや休日を、夫たちだけで過ごすということは、ありえない。そんなことをすれば、即、離婚事由。「仕事第一主義社会」が生んだ、ゆがんだ男性観が、その基本にあるとみる。

● 「森S一のおふくろさん」論……夜空を見あげて、大のおとなが、「ママー、ママー」と泣く民族は、世界広しといえども、そうはいない。あの歌の中に出てくる母親は、たしかにすばらしい人だ。しかしすばらしすぎる。「人の傘になれ」とその母親は教えたというが、こうした美化論にはじゅうぶん注意したほうがよい。マザコン型の人ほど、親を徹底的に美化することで、自分のマザコン性を正当化する傾向が強い。

●「かあさんの歌」論……窪田S氏作詞の原詩のほうでは、歌の中央部(3行目と4行目)は、かっこ(「」)つきになっている。「♪木枯らし吹いちゃ冷たかろうて。せっせと編んだだよ」「♪おとうは土間で藁打ち仕事。お前もがんばれよ」「♪根雪もとけりゃもうすぐ春だで。畑が待ってるよ」と。しかしこれほど、恩着せがましく、お涙ちょうだいの歌はない。親が子どもに手紙を書くとしたら、「♪村の祭に行ったら、手袋を売っていたよ。あんたに似合うと思ったから、買っておいたよ」「♪おとうは居間で俳句づくり。新聞にもときどき載るよ」「♪春になったら、村のみんなと温泉に行ってくるよ」だ。

● 「内助の功」論……封建時代の出世主義社会では、「内助の功」という言葉が好んで用いられた。しかしこの言葉ほど、女性を蔑視した言葉もない。どう蔑視しているかは、もう論ずるまでもない。しかし問題は、女性自身がそれを受け入れているケースが多いということ。約23%の女性が、「それでいい」と答えている※。決して男性だけの問題ではないようだ。

※……全国家庭動向調査(厚生省98)によれば、「夫も家事や育児を平等に負担すべきだ」という考えに反対した人が、23・3%もいることがわかった。

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 要するに、いまだに、日本人は、あの封建時代の亡霊を、ひきずっているということ。身分制度という亡霊である。世の中には、その封建時代を美化し、たたえる人も少なくないが、本当にそんな世界が理想の世界なのか、またあるべき世界なのか、もう一度、冷静に考えなおしてみてほしい。
(はやし浩司 権威主義 権威主義者 親子の亀裂 断絶)


Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

●依存心をつける子育て

 森Sの歌う歌に、『おふくろさん』がある。よい歌だ。あの歌を聞きながら、涙を流す人も多い。しかし……。

 「溺愛児」というときには、二つのタイプを考える。親が子どもを溺愛して生まれる溺愛児。それはよく知られているが、もう一つのタイプがある。

親を溺愛する溺愛児というのが、それ。簡単に言えば、親離れできない子どもということになるが、その根は深い。

Nさん(女性)は、60歳を過ぎても、「お母さん、お母さん」と言って、実家に入りびたりになっている。親のめんどうをあれこれみている。親から見れば、孝行娘ということになる。Nさん自身も、そう言われるのを喜んでいる。いわく、「年老いた母の姿を見ると、つらくてなりません。もし魔法の力が私にあるなら、母を50歳若くしてあげたい」と。

 話は飛ぶが、日本人ほど子どもに依存心をつけさせることに、無関心な民族はないとよく言われる。欧米人の子育てとどこがどう違うかを書くと、それだけで1冊の本になってしまう。

が、あえて言えば、日本人は昔から無意識のうちにも、子どもを自分に手なずけるようにして子どもを育てる。それは野生の鳥をカゴの中に飼い、手なずける方法に似ている。「親は一番大切な存在だ」とか、あるいは「親がいるから、あなたは生きていかれるのだ」とかいうようなことを、繰り返し繰り返し子どもに教える。教えるというより、子どもの体に染み込ませる。

そして反対に、独立心が旺盛で、親を親とも思わない子どもを、「鬼っ子」として嫌う。あるいは親不孝者として、排斥する。こうして日本では、親に対してベタベタの依存心をもった子どもが生まれる。が、それは多分に原始的でもある。少なくとも欧米的ではない。あるいはあなたはよい歳をして、「♪おふくろさんよ、おふくろさんよ……」と涙を流している欧米人が想像できるだろうか。

むしろ現実は反対で、欧米人、特にアングロサクソン系のアメリカ人は、子どもを自立させることを、子育ての最大の目標にしている。生後まもなくから、寝室そのものまで別にするのがふつうだ。親子という上下意識がないのはもちろんのこと、子どもが赤ん坊のときから、「私は私、あなたはあなた」というものの考え方を徹底する。たとえ親子でも、「私の人生は私のものだから、子どもにじゃまされたくない」と考える。

こうした親子関係がよいか悪いかについては、議論もあろうかと思う。日本人は日本人だし、欧米人は欧米人だ。「♪いつかは世のため、人のため……」と歌う日本人のほうが、実は私も心情的には、親近感を覚える。しかしこれだけはここに書いておきたい。

親思いのあなた。親は絶対だと思うあなた。親の恩に報いることを、人生の最大の目標にしているあなた。そういうあなたの「思い」は、乳幼児期に親によって作られたものだということ。しかもそれを作ったのは、あなたの親自身であり、その親も、日本という風土の中で作られた子育て法に従っただけに過ぎないということ。

言いかえると、あなたの「思い」の中には、日本というこの国の、子育て観が脈々と流れている。それを知るのも、子育てのおもしろさの一つかもしれない。さて、もう一度、『おふくろさん』を歌ってみてほしい。歌の感じが前とは少し違うはずだ。

Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

●子育ての原点

 スズメは、ヒヨドリが来ても逃げない。ヤマバトが来ても逃げない。しかしモズが来ると、一斉に逃げる。モズは肉食だ。しかしではなぜ、スズメは、そんなことを知っているのか。それは本能によるものなのか。それとも学習によるものなのか。

 スズメは子育てをする一時期を除いて、集団行動をする。それはよく知られた習性だが、子育てのときもそうだ。子スズメたちは、いつも親スズメのあとをついて飛ぶ。そして親スズメに習って、エサの取り方や食べ方を学ぶ。そのときのことだ。

モズが来ると、親スズメがまず逃げる。そしてそれを追いかけるようにして、子スズメも逃げる。スズメたちがモズから逃げるのは、本能によるものではなく、学習によるものだ。本能によるものなら、親スズメと同時か、場合によっては、親スズメより先に逃げるはずである。

 実は「子育て」の原点はここにある。教育の原点と言ってもよい。親は子どもを育てながら、まず命を守る方法を教える。危険なものと、そうでないものを教える。将来生きていくために必要な知識を、子どもたちに教える。経験を伝えることもある。子どもたちは、そういう知識や経験を武器として、自分たちの世代を生きる。

そして親になったとき、自分たちが教えられたようにして、次の世代に知識や経験を伝える。

が、この図式通りいかないところが、人間の世界だ。そしてこの図式通りでないところに、子育てのゆがみ、さらに教育のゆがみがある。その第一。

たとえば今の日本の子どもたちは、家事をほとんど手伝わない。すべき家事すら、ない。洗濯は全自動の洗濯機。料理も大半が、電子レンジで温めればすんでしまう。水は水道、ガスはガス管から運ばれる。掃除も、掃除機ですんでしまう。幼稚園児に、「水はどこから来ますか」と質問すると、「蛇口!」と答える。

同じように野菜はスーパー、電気は電線となる。便利になったことはよいことだが、その便利さに慣れるあまり、「生きることの基本」を忘れてしまっている。そして他方で、必要でもないような知識を、人間形成に必要不可欠な知識と錯覚する。よい例が一次方程式だ。二次方程式だ。私など文科系の大学を出たこともあって、大学を卒業してから今にいたるまで、二次方程式はおろか、一次方程式すら日常生活で使ったことは、ただの一度もない。

さらに高校二年で微分や三角関数を学ぶ。三年では三角関数の微分まで学ぶ。もうこうなると、教えている私のほうがバカバカしくなる。こんな知識が一体、何の役にたつというのか。こうした事実をとらえて、私の知人はこう言った。「今の教育には矛盾と錯覚が満々ている」(学外研・I氏)と。

 教育、教育と身構えるから、話がおかしくなる。しかし子どもたちが自立できるように、私たちが得た知識や経験を、子どもたちに伝えるのが教育。そしてそれを組織的に、かつ効率よく、かたよりなく教えてくれるのが学校と考えれば、話がスッキリする。子育てだってそうだ。

将来、子どもたちが温かい家庭を築き、そしてそれにふさわしい親として子育てができるようにするのが、子育て。そういうふうに考えて子育てをすれば、話がスッキリする。
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 子どもの自立 自立 自立する子供)