Education in Front-Line and Essays by Hiroshi Hayashi (はやし浩司)

(Mr.) Hiroshi Hayashi, a professional writer who has written more than 30 his own books on Education, Chinese Medical science and Religion in Japan. My web-site is: http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/ Please don't hesitate to visit my web-site, which is always welcome!!

Wednesday, September 30, 2009

*How to scold Children

【子どもを叱る】

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総論

(1) 親子(母子)の密着度が強すぎる。
(2) 子どもを、1人の人格者として認めていない。
(3) 1人の人間(親であれ)、別の人間を叱るということは、
たいへんなことだという、自覚が乏しい。
(叱る側に、哲学、倫理、道徳観がなければならない。)

各論
(1) 威圧、恐怖感を与えない。
(2) 言うだけ言って、あとは時間を待つ
(3) 自分で考えさせる。

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●叱る

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子どもであれ、相手を「叱る」ということは、
たいへんなこと。
叱る側に、それなりの道徳、倫理、哲学が
なければならない。
しかもその道徳、倫理、哲学は、相手をはるかに
超えたものでなければならない。

自分の価値観を押し付けるため、あるいは自分の
思い通りに、相手を動かすために、相手を叱るというのは、
そもそも(叱る)範疇(はんちゅう)に入らない。
いわんや自分が感ずる不安や心配を解消するために、
相手を叱ってはいけない。

そういうのは、自分勝手という。
わがままという。

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●私のばあい

 簡単に言えば、私は忘れ物をしてきた生徒を、叱ったことがない。
ときどきはあるが、それでもめったにない。
理由は、簡単。
私自身がいつも忘れ物をするからである。

 同じようなことだが、こんなことがある。
よく子どもに向かって、「サイフを拾ったら、おうちの人か、交番に届けましょう」と
教える。
しかし私はそのたびに、どうも居心地が悪い。

 私は団塊の世代、第一号。
戦後のあのドサクサの中で生まれ育った。
家庭教育の「か」の字もないような時代だったといえる。
そういう時代だったから、たとえば道路にお金やサイフが落ちていたとしたら、
それは見つけた者のものだった。
走り寄っていって、「もら~い」と声をかければ、それで自分のものになった。

 そういう習慣が今でも、心のどこかに残っている。
一度身についた(悪)を、自分から消すのは容易なことではない。

 だから居心地が悪い。
実際、今でも、サイフを道路で拾ったりすると、かなり迷う。
迷いながら、近くの店か、交番に届ける。
この(迷い)は、60歳を過ぎた今も、消えない。
そんな私がどうして、子どもたちに向かって、堂々と、「拾ったサイフは、
交番へ届けましょう」と言うことができるだろうか。

●親の身勝手

 ほとんどの親は、ほとんどのばあい、自分の身勝手で、子どもを叱る。
たとえば自分では、信号無視、携帯電話をかけながら運転、駐車場でないところへ
駐車しておきながら、子どもに向かって、「ルールを守りなさい」は、ない。

 自分では一冊も本を読んだことさえないのに、子どもに向かって、「勉強しなさい」は、ない。

 ……となると、「しつけとは何か」と疑問に思う人も多いかと思う。
しかし(しつけ)は、叱って身につけさせるものではない。
(しつけ)は、子どもに親がその見本を見せるもの。
見せるだけでは足りない。
子どもの心や体の中に、しみこませておくもの。
その結果として、子どもは、(しつけられる)。

 親がぐうたらと、寝そべり、センベイを食べながら、「机に向かって、
姿勢を正しくして勉強しなさい」は、ない。

●子どもの人格

 私が子どものころでさえ、女性と子どもは、社会の外に置かれた。
「女・子ども」という言い方が、今でも、耳に残っている。
つまり「女や子どもは、相手にするな」と。

 戦後、女性の地位は確立したが、(それでも不十分だが……)、子どもだけは、
そのまま残された。
今でも、子どもは、(家族のモノ)、あるいは、(親のモノ)と考えている人は
少なくない。
子どもに向かって、「産んでやった」「育ててやった」という言葉をよく使う人は、
たいていこのタイプの親と考えてよい。
だから叱るときも、モノ扱い(?)。

 子どもの人格を認める前に、頭ごなしにガミガミと叱る親は、いくらでもいる。
人が見ている前で、ガミガミと叱る親は、いくらでもいる。
子どもの意見を聞くこともなく、ガミガミと叱る親は、いくらでもいる。
『ほめるのは公に、叱るのは密やかに』と言ったのは、シルスだが、子どもの
人格を平気で無視しながら、無視しているという意識さえない。

●日本人の民族性

 一般論として、日本人は、子どもを叱るのが、へた。
その原因の第一として、日本人がもつ民族性があげられる。

 先にも書いたように、この日本では、伝統的に、子どもは、家のモノ、
あるいは親のモノと考える。
つまりその分だけ、親子、とくに母子関係において、親子の密着度が強い。

たとえば私が教師という立場で、子どもを叱ったとする。
私は子どもを叱ったのだが、親は、自分が叱られたように感じてしまう。
さらには、自分の子育てそのものが、否定されたかのように感じてしまう。
この一体性が強いため、自分の子どもでありながら、自分の子どもを
客観的にながめて、子どもを叱ることができない。

●欧米では……

 一方、欧米では、もちろんイスラム教国でも、伝統的に子どもは神の子
として考える。
それが長い歴史の中で熟成され、独特の子ども観をつくりあげている。

つまりあくまでも比較論だが、欧米では、親と子どもの間に、まだ距離感がある。
そのひとつの例というわけではないが、私が子どものころには、たとえば家族の
中に障害をもった子どもが生まれたとすると、親は、それを「家の恥」と
考えた。
そういう障害をもった子どもを、世間から隠そうとした。

 今では、そんな愚かな親はいないが、しかしまったくそういう考え方が
なくなったというわけではない。
今も、日本は、その延長線上にある。

 つまりこうした日本人独特の民族性が、子どもの叱り方の中にも現れる。
それが、ぎこちなさとなって現れる。
子どもだけを見て、子どものために、子どもの人格を認めてしかるのではない。
ときとして、自分のために叱っているのか、子どものために叱っているのか、わからなくなる。
わかりやすく言えば、自信をもって、子どものために、子どもを叱ることができない。

●子どもを叱れない親

 実際、子どもが、小学校の高学年くらいになると、子どもを叱れない親が
続出する。
「子どもがこわい」という親がいる。
「子どもに嫌われたくない」という親もいる。
親が、子どもに依存性をもつと、さらに叱れなくなる。

 こうなってくると、子どもの問題というよりは、親の問題ということになる。
親自身の精神的な未熟さが原因ということになる。
子どもというのは、ある一定の年齢に達すると、(小学3、4年生前後)、親離れ
を始める。
その親離れを、うまく助けるのも、親の務めということになる。
が、このタイプの親は、それができない。
そればかりか、自分自身も、子離れできない。
そんな状態で、では、どうして親は、子どもを叱ることができるのかということに
なる。

●モンスターママ

 数日前、インターネット・サーフィンをしていたら、こんな記事が目についた。

 何でも自分の息子(中学生)が、万引きをして、店の責任者から、警察に通報された
ときのこと。
母親がその責任者に向かって、こう言ったという。
「いきなり警察に通報しなくてもいいではないか。まず子どもを諭すのが先だろ」と。
つまりその母親は、自分の子どもが万引きしたことよりも、店側が警察にそれを
通報したことを、怒った。

 何かがおかしい。
どこかが狂っている。
だから日本人は、子どもの叱り方がへたということになる。

●では、どうするか

(1) 自分の子どもといえども、1人の人間、もしくは、「友」として叱ること。
(2) 叱る側が、それなりの哲学や倫理感、道徳を確立すること。
(3) 親のエゴイズムに基づいて、子どもを叱らないこと。

 ……こう書くと、「それでは子どもを叱れない」と思う親もいるかもしれない。
そう、(叱る)ということは、それほどまでに、むずかしいことである。
その自覚こそが、子どもを叱るとき、何よりも重要ということになる。

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(補記)

●叱り方・ほめ方は、家庭教育の要(かなめ)

 子どもを叱るときの、最大のコツは、恐怖心を与えないこと。「威圧で閉じる子どもの耳」と考える。中に親に叱られながら、しおらしい様子をしている子どもがいるが、反省しているから、そうしているのではない。怖いからそうしているだけ。親が叱るほどには、効果は、ない。叱るときは、次のことを守る。

 (1)人がいうところでは、叱らない(子どもの自尊心を守るため)、(2)大声で怒鳴らない。そのかわり言うべきことは、繰り返し、しつこく言う。「子どもの脳は耳から遠い」と考える。聞いた説教が、脳に届くには、時間がかかる。(3)相手が幼児のばあいは、幼児の視線にまで、おとなの体を低くすること(威圧感を与えないため)。視線をはずさない(真剣であることを、子どもに伝えるため)。子どもの体を、しっかりと親の両手で、制止して、きちんとした言い方で話すこと。

にらむのはよいが、体罰は避ける。特に頭部への体罰は、タブー。体罰は与えるとしても、「お尻」と決めておく。実際、約50%の親が、何らかの形で、子どもに体罰を与えている。

 次に子どものほめ方。古代ローマの劇作家のシルスも、「忠告は秘かに、賞賛は公(おおやけ)に」と書いている。子どもをほめるときは、人前で、大声で、少しおおげさにほめること。そのとき頭をなでる、抱くなどのスキンシップを併用するとよい。そしてあとは繰り返しほめる。

特に子どもの、やさしさ、努力については、遠慮なくほめる。顔やスタイルについては、ほめないほうがよい。幼児期に一度、そちらのほうに関心が向くと、見てくれや、かっこうばかりを気にするようになる。実際、休み時間になると、化粧ばかりしていた女子中学生がいた。また「頭」については、ほめてよいときと、そうでないときがあるので、慎重にする。頭をほめすぎて、子どもがうぬぼれてしまったケースは、いくらでもある。

 叱り方、ほめ方と並んで重要なのが、「励まし」。すでに悩んだり、苦しんだり、さらにはがんばっている子どもに向かって、「がんばれ!」はタブー。ムダであるばかりか、かえって子どもからやる気を奪ってしまう。「やればできる」式の励まし、「こんなことでは!」式の、脅しもタブー。結果が悪くて、子どもが落ち込んでいるときはなおさら、そっと「あなたはよくがんばった」式の前向きの理解を示してあげる。

 叱り方、ほめ方は、家庭教育の要であることはまちがいない。

【コツ】

★子どもに恐怖心を与えないこと。
そのためには、

子どもの視線の位置に体を落とす。(おとなの姿勢を低くする。)
大声でどならない。そのかわり、言うべきことを繰り返し、しつこく言う。
体をしっかりと抱きながら叱る。
視線をはずさない。にらむのはよい。
息をふきかけながら叱る。
体罰は与えるとしても、「お尻」と決める。
叱っても、子どもの脳に届くのは、数日後と思うこと。
他人の前では、決して、叱らない。(自尊心を守るため。)
興奮状態になったら、手をひく。あきらめる。(叱ってもムダ。)

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子どもを叱るときは、

(1) 目線を子どもの高さにおく。
(2)子どもの体を、両手で固定する。
(3)子どもから視線をはずさない。
(4)繰り返し、言うべきことを言う。

また、
(1)子どもが興奮したら、中止する。
(2)子どもを威圧して、恐怖心を与えてはいけない。
(3)体罰は、最小限に。できればやめる。
(4)子どもが逃げ場へ逃げたら、追いかけてはいけない。
(5)人の前、兄弟、家族がいるところでは、叱らない。
(6)あとは、時間を待つ。
(7)しばらくして、子どもが叱った内容を守ったら、
「ほら、できるわね」と、必ずほめてしあげる。


Hiroshi Hayashi++++++++Oct.09+++++++++はやし浩司

*Bad Drinker

●9月30日(水曜日)

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今日で、9月もおしまい。
昨夕、G町の従兄弟が送ってくれた、鮎(あゆ)を、
塩焼きにして食べた。
「少し、塩をつけつぎたかな?」ということで、
今朝は、胃の中が、どうもすっきりしない。

いつもならご飯を1杯ですますところを、昨夕は、
2杯も食べてしまった。
で、その直後体重計を見たら、何と、61・5キロ!

たった1日で、1・5キロもふえてしまった。
怖しいことだ!
木曽川のタタリじゃア!

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●明日から10月

 明日から10月。
とくに大きな予定は、ない。
いくつか講演の仕事が入っている。
そのレジュメ(概要)を、今日中に作成しよう。

 それから秋田県のほうから講演依頼があった。
実のところ先月までは、遠方のは、すべて断ってきた。
が、今月から、心境が大きく変化した。

講演先で温泉に入る楽しみを、覚えてしまった。
それで変化した。
秋田といえば、湯沢温泉。
片道、7時間半の長旅になるが、かえってそれが楽しみ。
「講演をして、お金を稼ごう」という意識が、ほとんどなくなったせいもある。
かわって、「元気なうちに、できることをやっておこう」という意識が生まれた。

 だから秋田県へ行く。
最高の講演をしてくる。
浜松人の心意気を、見せてやる。
「やらまいか」ということで、喜んで引き受けた。


●ニッポン放送

 明日、ニッポン放送で、話す機会をもらった。
電話による応答番組だが、肝心のスタジオがない!
時間的に、市内の事務所を使うことになるが、目下、隣地は工事中。
終日、ユンボ類が、ガーガー、ゴーゴーと音を出している。

 雑音が入ってはいけない……ということで、昨日、炊事室を急きょ、スタジオに改造。
電話線を延長して、電話機を炊事室へ。
マットをドアにあてる。
昨日テストしてみたが、「これならいけるわ」とワイフ。

 全国放送。
あまり気負わないで、気楽に話そう。


●指が痛い!

 右手中指の先端がパンパンに腫れている。
ささくれを指でちぎったのが、悪かった。
中で化膿した。

 何とかこうしてごまかしてキーボードを叩いているが、痛い。
となりの薬指が軽くあたっただけで、キリキリと痛む。


Hiroshi Hayashi++++++++Sep.09+++++++++はやし浩司

●TK先生より

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4月に人工関節の手術を受けた。
そのTK先生から、メールが
届いていた。

今は、ニンジンジュースがよいとか。
さっそく我が家でも、昨日から、
ニンジン料理をふやした。

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林様:

膝の方は出来るだけ街まで歩くようにしています。往復して四、五千歩で一日に七,八千歩になっています。手術のお蔭で、歩く時の痛さはなくなりましたが、未だヨタヨタ歩きで、普段片道15分のところを23分ぐらいかかって、歩いています。普通になるまで一年はかかるそうです。しかし手術以前は歩くのが辛くて、歩かないと全身が老化しますので、先が短いのを承知でも、手術をしてよかったと思っています。

 この二ヶ月間始めたのは野菜の生ジュースです。夜ベッドに入るとしばらくして胃が痛くなり、睡眠剤を服用しても眠り難かったのですが、ある本に胃が良くない時はキャベツのジュースを飲めと書いてありましたので、(市販にキャベジンもありますが)、飲み始めましたら悪くないようです。

尤も眠くならないので睡眠薬を続けていますが。出来るだけ種類を違えて取り換えながらしていますが。その本の著者は毎日朝ニンジンのジュースを飲んで結構元気だと言っています。その人がスイスの病院に留学している時、その病院では世界中からの難病、奇病の患者がやって来るのに、毎朝ニンジンのジュースを飲ませていると言います。

何故ニンジンかと院長さんに聞きましたら、ニンジンにはすべての必要なビタミンとミネラルが含まれているから、との答えでした。リンゴ一つのコマ切れに野菜ジュースを加えてジューサーでジュウスを作り、それに、ニンジン二本のコマ切れを加えてジュースを作るのです。一つの例でしかありませんからあまり誇張することはいけないと思うのですが、生野菜ですから悪くはなさそうです。

ご招待のものもう少し待ってから、様子次第で決めます。差し当たり別に困っていませんから、面倒くさそうなのは億劫です。   お元気で。

TK

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●TK先生

 先生は、もう85歳になるのでは?
いまだに文科省や日本化学会の仕事で、あちこちを飛び回っている。
その間に原稿も書き、講演もしている。
その前向きな生き方は、いつも私に新鮮な驚きと喜びを与える。
そう、先生が後ろ向きになるのは、若くして亡くなった奥様の話と、やはり若くして亡くなった、三女のお嬢さんの話のときだけ。

 いつも日本の未来と日本の教育の心配ばかりしている。
その前向きのエネルギーのものすごさというか、生き方のすばらしさというか、世の老人たちは、みな、見習ったらよい。
もちろん私も見習っている。
若い時から、ずっと、見習っている。

 研究の分野では、すでに神の領域に入った人である。
先日も、水を光分解して、水素と酸素を取りだすニュースが世界中を駆け巡った。
かけた熱量よりも多くのエネルギーの水素と酸素に分離することができた。
その偉業を成し遂げたのが、先生の一番弟子と言われる、DI教授である。
先生は、いつもDI教授の自慢をしている。

 そのときもらったメールには、こうあった。

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林様:

太陽光を使って水を水素と酸素に分解する反応の世界のトップ研究者の一人は、私のインタビューの最後に載っている写真の中のDI君です。私の研究室にいたころからいわゆる「光触媒」の研究に打ち込んでいました。インチキ記事よりも私のホームページにDI君との共著があります。取り敢えずお知らせまで。

TK

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そこでその原稿をさがしてみた。
TK先生のHPに公開されているので、そのまま紹介させてもらう。

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【太陽エネルギーを用いる水からの水素製造】

DI  TK先生

化石資源の消費、枯渇からもたらされるエネルギー問題と二酸化炭素発生などによる地球環境問題は、我々が直面する深刻な課題である。これらの問題は、放っておけばいつか解決するという類のものではない。我々の生活に直結しており、我々自身で積極的に取りくんでいかねば決して解決しない問題である。この問題の本質は、現代の人類の生活が多量のエネルギーを消費する事によって維持されているという点である。しかも現在そのエネルギーを主に担っている化石資源は、有限な資源であり必ず枯渇するだけでなく、それを使い続ける事は地球環境を破壊する危険性が高い。

  もともと石油や石炭などの化石資源は、光合成によって固定された太陽エネルギーを何億年もかけて地球が蓄えてきたものであり、それとともにわれわれの住みやすい地球環境が形成されてきたはずである。我々はそのような地球が気の遠くなるような時間をかけてしまいこんできたエネルギーを「かってに」掘り出し、その大半を20世紀と21世紀のたった200年程度で使い切ってしまおうとしている。したがって現在の時代を後世になって振り返れば、人類史上あるいは地球史上極めて特異な浪費の時代と映っても不思議ではない。かけがえのない資源を使い切ってしまいつつある時代に生きる我々は、それについて微塵も罪の意識を持っていないが、少なくともわれわれにとっては地球環境を破壊しない永続的なエネルギー源を開発することは、後世の人々に対する重大な義務である。その為には、核融合反応や風力などいくつかの選択肢があろう。なかでも太陽エネルギーをベースにしたエネルギー供給システムは、枯渇の心配のない半永久的でクリーンな理想的なエネルギー源であろう。

  太陽光を利用する方法もいくつかの選択肢がある。例えば最も身近な例は太陽熱を利用した温水器である。また太陽電池を用いて電気エネルギーを得る方法も既に実用化している。しかし、これですぐにエネルギー問題が解決するわけでない事は誰でも実感している事であろう。

ここで太陽エネルギーの規模と問題点について少し考えてみる。太陽は、水素からヘリウムを合成する巨大な核融合反応炉であり、常時莫大なエネルギー(1.2 x 1034 J/年)を宇宙空間に放出している。その中の約百億分の一のエネルギーが地球に到達し、さらにその約半分(3.0 x 1024 J/年)が地上や海面に到達する。一方、人間が文明活動のために消費しているエネルギーは約3.0 x 1020 J/年であり、地球上に供給される太陽エネルギーの約0.01 %である。ちなみにそのうちの約0.1 %、3.0 x 1021 J/年、が光合成によって化学物質、食料などの化学エネルギーに変換されている。また、地球上にこれまで蓄えられた石油や石炭などの化石資源がもつエネルギー量は、もし地球上に降り注ぐ太陽エネルギーを全て固定したとすれば約10日分にすぎない。このように考えれば太陽エネルギーは我々の文明活動を維持するには十分な量であることがわかる。

では、なぜ太陽エネルギーの利用が未だに不十分なのであろうか。理由は太陽光が地球全体に降り注ぐエネルギーであることである。したがって太陽光から文明活動を維持するための十分なエネルギーを取り出すためには数十万km2(日本の面積程度)に展開できる光エネルギーの変換方法を開発しなければならない。ただしこの面積は地球上に存在する砂漠の面積のほんの数%程度であることを考えれば我々は十分な広さの候補地を持っていることになる。その様な広大な面積に対応できる可能性をもつ方法の一つが人工光合成型の水分解による水素製造である。もし太陽光と水から水素を大規模に生産できれば人類は太陽エネルギーを一次エネルギー源とする真にクリーンで再生可能なエネルギーシステムを手にすることができる。水素の重要性は、最近の燃料電池の活発な開発競争にも見られる様に今後ますます大きくなってくることは間違いない。しかしながら現在用いられている水素は化石資源(石油や天然ガス)の改質によって得られるものがほとんどである。これは水素生成時に二酸化炭素を発生するのみでなく、明らかに有限な資源であり環境問題やエネルギー問題の本質的な解決にはならない。

もし、太陽光の中の波長が600nmより短い部分(可視光、紫外光)を用いて、量子収率30%で、1年程度安定に水を分解できる光触媒系が実現すると、わが国の標準的な日照条件下1km2当たり1時間に約15,000 m3(標準状態)の水素が発生する。この時の太陽エネルギー全体の中で水素発生に用いられる変換効率は約3%程度であるが、この水素生成速度は現在工業的にメタンから水素を生成する標準的なリフォーマーの能力に匹敵する。したがってこの目標が達成されれば研究室段階の基礎研究から太陽光による水からの水素製造が実用化に向けた開発研究の段階に移行すると考えられる。

現在、水を水素と酸素に分解するための光触媒系として実現しているのは、固体光触媒を用いた反応系だけである。他にも人工光合成の研究は数多く行われているが、以下、不均一系光触媒系に話を限定する。水を水素と酸素に分解する為に必要な熱力学的条件は、光触媒として用いる半導体あるいは絶縁体の伝導帯の下端と価電子帯の上端がH+/HおよびO2/OH-の二つの酸化還元電位をはさむような状況にあればよい。個々の電子のエネルギーに換算すると、1.23 eVのエネルギーを化学エネルギーに変換すればよい。また、光のエネルギーで1.23 eVは波長に換算するとほぼ1000 nmであり、近赤外光の領域である。つまり、全ての可視光領域(400nm ~ 800nm)の光が原理的には水分解反応に利用できる。ただしこれらの条件はあくまで熱力学的な平衡の議論から導かれるものであるから、実際に反応を十分な速さで進行させるためには活性化エネルギー(電気化学的な言葉でいえば過電圧)を考慮する必要があるので、光のエネルギーとして2 eV程度(光の波長で600nm程度)が現実的には必要であろう。

固体酸化物を用いた水の光分解は、1970年頃光電気化学的な方法によって世界に先駆けて我が国で初めて報告され、本多―藤嶋効果と呼ばれている。この実験では二酸化チタン(ルチル型)の電極に光をあて、生成した正孔を用いて水を酸化し酸素を生成し、電子は外部回路を通して白金電極に導き水素イオンを還元し水素を発生させた。このような水の光分解の研究は、その後粒径がミクロンオーダー以下の微粒子の光触媒を用いた研究に発展した。微粒子光触媒の場合、励起した電子と正孔が再結合などにより失活する前に表面あるいは反応場に到達できるだけの寿命があればよい。さらに微粒子光触媒の場合、通常電極としては用いることが困難な材料群でも使用できるメリットがあるため、多くの新しい物質の研究が進んでいる。現在では紫外光を用いる水の分解反応は50%を超える量子収率で実現できる。

しかしながら太陽光は550nm付近に極大波長をもち、可視光から赤外光領域に広がる幅広い分布をもっているが、紫外光領域にはほんの数%しかエネルギー分布がない。つまり太陽光を用いて水を分解するためには可視光領域の光を十分に利用できる光触媒を開発することが必要である。しかしながら、これまでに開発された水を効率よく分解できる光触媒は全て紫外光領域の光あるいはほんの少しの可視光領域で働くものである。

  最近になって新しく可能性のある物質群が見出され始めている。それらは、d0型の遷移金属カチオンを含み、アニオンにO2-だけでなくS2-イオンやN3-イオンをもつ材料群である。例えばSm2Ti2O5S2やTa3N5、LaTiO2Nなどのようなものであり、オキシサルファイド、ナイトライド、オキシナイトライドと呼ばれる物質群である。これらの材料では価電子帯の上端はO2p軌道よりも高いポテンシャルエネルギーを持ったS3p軌道やN2p軌道でできている。しかし、このような物質はまだ調製が容易ではないが、酸化剤や還元剤の存在下では水素や酸素を安定に生成することが確認されており、これまで見出されていなかった、600nm付近までの可視光を用いて水を分解できるポテンシャルを持った安定な物質群であることがわかってきた。したがって、このような物質の調製法の開発および類似化合物の探索によって、太陽光を用いる水からの水素生成が、近い将来実現する可能性も十分にある状況になっている。安価で安定な光触媒を広い面積にわたって水と接触させて太陽光を受けることにより、充分の量の水素を得るのも夢ではない。 このような触媒の開発に成功し、大規模な応用が可能となれば、21世紀の人類が直面する大きな課題であるエネルギー問題と環境問題に化学の力で本質的な解決を与える可能性がある。

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●水を分解

 水を酸素と水素に分解すれば、人類は、無尽蔵かつクリーンなエネルギーを手にすることができるようになる。
夢のような話だが、今、その実現に向けて、研究が一歩ずつ進んでいる。
「20~30人規模の大がかりな研究チームを作ってがんばっているので、成果が出るのは時間の問題です」と、TK先生が話してくれたのを、覚えている。

 もしそれが成功し、実用化されたら、ノーベル賞ですら、ダース単位で与えられる。
同時に、世界の政治地図も一変するだろう。
「産油国」という言葉すら、消える。
少なくとも排気ガスによる地球温暖化の問題も解決される。
クリーンな光エネルギーによって、深夜の野菜栽培も可能になる、などなど。
私たちの生活環境は、劇的に変化する。
「太陽光を使って、水を分解する」という話は、そういう話である。


Hiroshi Hayashi++++++++Sep.09+++++++++はやし浩司

●酒乱

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私の父がそうだったが、酒が入ると、人が変わった。
ふだんは静かなおとなしい人だった。
が、今から思うと、それがよくなかった。
つまりその分だけ、心の中に別室を作ってしまった。

心理学の世界には、「抑圧」という言葉がある。
防衛機制のひとつにもなっている。
つまり人は何か、不愉快なことが慢性的につづくと、
心の中に別室を作り、その中に、それを押し込んでしまう。
そうして心の平和を保とうとする。
「心の別室」という言葉は、私が考えた言葉だが、
「抑圧」という現象を説明するのには、たいへん便利な
言葉である。

こうして人は、自分の心が崩壊したり、傷ついたりするのを防ぐ。
だから「防衛機制」という。

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●心の別室

 できるなら、心の別室は作らない方がよい。
そのつど、自分を、素直に外へ吐き出すのがよい。
いやだったら、はっきりと「いや」と言うなど。
が、それができないと、心の中に別室を作り、その中に、不愉快なことや、不平、不満を押し込んでしまう。

 そのため、見た目には、心は落ち着く。
しかしそれで問題が解決するわけではない。
折に触れて、「お前は、あのとき!」と、心の別室にあったものが、外に向かって爆発する。
この爆発がこわい。

●上書きのない世界

 抑圧され、心の別室に入った、不平や不満は、いわば心の世界から隔離された状態になる。
だからワープロの世界でいうような、(上書き)という現象が起きない。
その間に、いくら楽しい思い出があったとしても、一度爆発すると、そのまま過去へと戻ってしまう。

 それこそ10年前、20年前にあったできごとを、つい先頃のことのように思い出して、爆発する。
子どもの世界でも、よく見られる現象である。

 たとえば高校3年生の男子が、母親に向かってこう叫ぶ。

「お前は、あのとき、オレに、こう言って、みなの前で恥をかかせた!」と。

 母親が恥をかかせたのが、10年前であっても、またそれ以後、いくら楽しい思い出があったとしても、心の別室に入った思い出は、影響を受けない。
そのまま(時)を超えて、外に出てくる。

●時間のない世界

 そういう点では、心の別室では、時間は止まったままになる。
止まったまま、時間が、そこで固定される。
だからふつうなら、とっくの昔に忘れてしまってよいようなことを蒸し返して、爆発させる。
「お前は、あのとき!」と。

 私の父がそうだった。
酒が入ると別人のようになり、暴れ、大声で叫んだ。
そして10年前、20年前の話を思い出して、母を責めた。
こんなことがあった。

●父の心

 母がはじめて父と、母の実家へ行ったときのこと。
道の向こうから、母の友人が数人、並んでやってきた。
そのとき母は、何を考え、何を感じたかは知らないが、父に向かってこう言ったという。

 「ちょっと隠れていて!」と。
母は父を、橋のたもとにある竹やぶに、父を押し倒した。
父は言われるまま、(多分、訳も分からず)、竹やぶの中に身を潜めた。

 が、それが父には、よほど、くやしかったのだろう。
それ以後、5年とか、10年を経て、父は酒を飲むたびに、それを怒った。

「お前は、あのとき、オレを竹やぶに突き倒した!」と。

 母は母で、気位の高い人だったから、やせて細い父を、恥ずかしく思ったのかもしれない。
母は、よく「かっぷく」という言葉を使った。
太り気味で、腹の出た人を、「かっぷくのいい人」と言った。
母は、また、そういう人を好んだ。

●うつ病

 酒乱とうつ(鬱)は、たがいに深くからみあっている。
そのことは、うつ病の人が、緊張状態を爆発させる状態を見ると、よくわかる。
そのときも、(もちろん酒は入っていなくても)、心の別室にたまった、不平や不満が、同じような形で爆発する。

 うつ病も初期の段階では、心の緊張感が取れず、ささいなことにこだわり、悶々と悩んだりする。
そこへ不安や心配が入り込んでくると、心の状態は、一気に不安定になり、爆発する。
「爆発」というより、錯乱状態になる。

 大声で叫び、ものを投げつける。
ものを壊す。

 私の父も、ひどいときには、食卓に並んだ食事類を、食卓ごとすべて土間に投げ捨ててしまった。
ガラスを割ったり、障子やふすまを破ったりするようなことは、毎度のことだった。

 そういう父を、当時は理解できず、私はうらんだが、父は父で、大きな心の傷をもっていた。
父は、戦時中、出征先の台湾で、アメリカ軍と遭遇し、貫通銃創を受けている。
今にして思えば、その傷が、父をして、そうさせたのだと理解できる。

●子どもへの影響

 家庭騒動は、親の酒乱にかぎらず、子どもの心に大きな傷をつける。
恐怖、不安、心配……。
そんなどんな傷であるかは、私自身が、いちばんよく知っている。
子ども自身の心が、二重構造になる。

 いじけやすく、ひがみやすくなる。
何かいやなことがあると、やはり心の別室に入り、その中に閉じこもってしまう。
そして自分では望まない方向に自分を追いやってしまう。
ときとして、それが自虐行為につながることもある。
わざと罪のない人に、つらく当たったり、身近な人に冷たくしたりする。

 わかりやすく言えば、子どもの心から、すなおさが消える。
心の動きと、行動、表情が、不一致を起こすようになる。

 私のばあいも、子ども時代の私をよく知る人は、みな、こう言う。
「浩司は、明るくて、朗らかな子だった」と。

 しかしそれはウソ。
そう見せかけていただけ。
私は、そういう形で、いつも自分をごまかして生きていた。

●アルコール中毒

 そんなわけで、アルコール中毒と酒乱は分けて考える。
アルコール中毒イコール、酒乱というわけではない。
酒を飲んで、かえって明るく朗らかになる人は、いくらでもいる。

 しかしその中の一部の人が、(これはあくまでも私の推測だが)、うつ、もしくはうつ病と結びついて、酒乱になる。
だから治療となると、この2つは分けて考えたほうがよい。
さらに、私の父のケースのように、その背景に、何らかのトラウマが潜んでいることもある。
異常な恐怖体験が原因で、酒に溺れるようになることだってある。

●みんな十字架を背負っている

 先にも書いたが、私は、そういう父を、ある時期恨んだ。
父が死んだときも、涙は、一滴も出なかった。
しかし私自身が、40代、50代になると、父に対する考え方が変わった。
父が感じたであろう孤独、さみしさがよく理解できるようになった。
と、同時に、父に対する恨みも消えた。

 そんな私の心情を書いたのが、つぎの原稿。
54歳、つまり8年前に書いた原稿である。

++++++++++++++++

●心のキズ

 私の父はふだんは、学者肌の、もの静かな人だった。しかし酒を飲むと、人が変わった。今でいう、アルコール依存症だったのか? 3~4日ごとに酒を飲んでは、家の中で暴れた。大声を出して母を殴ったり、蹴ったりしたこともある。あるいは用意してあった食事をすべて、ひっくり返したこともある。

私と六歳年上の姉は、そのたびに2階の奥にある物干し台に身を潜め、私は「姉ちゃん、こわいよオ、姉ちゃん、こわいよオ」と泣いた。

 何らかの恐怖体験が、心のキズとなる。そしてそのキズは、皮膚についた切りキズのように、一度つくと、消えることはない。そしてそのキズは、何らかの形で、その人に影響を与える。が、問題は、キズがあるということではなく、そのキズに気づかないまま、そのキズに振り回されることである。

たとえば私は子どものころから、夜がこわかった。今でも精神状態が不安定になると、夜がこわくて、ひとりで寝られない。あるいは岐阜の実家へ帰るのが、今でも苦痛でならない。帰ると決めると、その数日前から何とも言えない憂うつ感に襲われる。しかしそういう自分の理由が、長い間わからなかった。

もう少し若いころは、そういう自分を心のどこかで感じながらも、気力でカバーしてしまった。
が、50歳も過ぎるころになると、自分の姿がよく見えてくる。見えてくると同時に、「なぜ、自分がそうなのか」ということがわかってくる。

 私は子どものころ、夜がくるのがこわかった。「今夜も父は酒を飲んでくるのだろうか」と、そんなことを心配していた。また私の家庭はそんなわけで、「家庭」としての機能を果たしていな
かった。家族がいっしょにお茶を飲むなどという雰囲気は、どこにもなかった。だから私はいつも、さみしい気持ちを紛らわすため、祖父のふとんの中や、母のふとんの中で寝た。それに私は中学生のとき、猛烈に勉強したが、勉強が好きだからしたわけではない。母に、「勉強しなければ、自転車屋を継げ」といつも、おどされていたからだ。つまりそういう「過去」が、今の私をつくった。

 よく「子どもの心にキズをつけてしまったようだ。心のキズは消えるか」という質問を受ける。が、キズなどというのは、消えない。消えるものではない。恐らく死ぬまで残る。ただこういうことは言える。心のキズは、なおそうと思わないこと。忘れること。それに触れないようにすること。
さらに同じようなキズは、繰り返しつくらないこと。つくればつくるほど、かさぶたをめくるようにして、キズ口は深くなる。

私のばあいも、あの恐怖体験が一度だけだったら、こうまで苦しまなかっただろうと思う。しかし父は、先にも書いたように、3~4日ごとに酒を飲んで暴れた。だから54歳になった今でも、そのときの体験が、フラッシュバックとなって私を襲うことがある。「姉ちゃん、こわいよオ、姉ちゃん、こわいよオ」と体を震わせて、ふとんの中で泣くことがある。54歳になった今でも、だ。心のキズというのは、そういうものだ。決して安易に考えてはいけない。

++++++++++++++++++++++

●父のうしろ姿(中日新聞に書いたコラムより)

 私の実家は、昔からの自転車屋とはいえ、私が中学生になるころには、斜陽の一途。私の父は、ふだんは静かな人だったが、酒を飲むと人が変わった。二、三日おきに近所の酒屋で酒を飲み、そして暴れた。大声をあげて、ものを投げつけた。そんなわけで私には、つらい毎日だった。プライドはズタズタにされた。友人と一緒に学校から帰ってくるときも、家が近づくと、あれこれと口実を作っては、その友人と別れた。父はよく酒を飲んでフラフラと通りを歩いていた。それを友人に見せることは、私にはできなかった。

 その私も五二歳。一人、二人と息子を送り出し、今は三男が、高校三年生になった。のんきな子どもだ。受験も押し迫っているというのに、友だちを二〇人も呼んで、パーティを開くという。「がんばろう会だ」という。土曜日の午後で、私と女房は、三男のために台所を片づけた。
片づけながら、ふと三男にこう聞いた。「お前は、このうちに友だちを呼んでも、恥ずかしくないか」と。すると三男は、「どうして?」と聞いた。理由など言っても、三男には理解できないだろう。私には私なりのわだかまりがある。私は高校生のとき、そういうことをしたくても、できなかった。友だちの家に行っても、いつも肩身の狭い思いをしていた。「今度、はやしの家で集まろう」と言われたら、私は何と答えればよいのだ。父が壊した障子のさんや、ふすまの戸を、どうやって隠せばよいのだ。

 私は父をうらんだ。父は私が三〇歳になる少し前に死んだが、涙は出なかった。母ですら、どこか生き生きとして見えた。ただ姉だけは、さめざめと泣いていた。私にはそれが奇異な感じがした。が、その思いは、私の年齢とともに変わってきた。四〇歳を過ぎるころになると、その当時の父の悲しみや苦しみが、理解できるようになった。

商売べたの父。いや、父だって必死だった。近くに大型スーパーができたときも、父は「Jストアよりも安いものもあります」と、どこか的はずれな広告を、店先のガラス戸に張りつけていた。「よそで買った自転車でも、パンクの修理をさせていただきます」という広告を張りつけたこともある。しかもそのJストアに自転車を並べていたのが、父の実弟、つまり私の叔父だった※。叔父は父とは違って、商売がうまかった。父は口にこそ出さなかったが、よほどくやしかったのだろう。戦争の後遺症もあった。父はますます酒に溺れていった。

 同じ親でありながら、父親は孤独な存在だ。前を向いて走ることだけを求められる。だからうしろが見えない。見えないから、子どもたちの心がわからない。ある日気がついてみたら、うしろには誰もいない。そんなことも多い。ただ私のばあい、孤独の耐え方を知っている。父がそれを教えてくれた。客がいない日は、いつも父は丸い火鉢に身をかがめて、暖をとっていた。あるいは油で汚れた作業台に向かって、黙々と何かを書いていた。そのときの父の気持ちを思いやると、今、私が感じている孤独など、何でもない。

 私と女房は、その夜は家を離れることにした。私たちがいないほうが、三男も気が楽だろう。いそいそと身じたくを整えていると、三男がうしろから、ふとこう言った。「パパ、ありがとう」と。そのとき私はどこかで、死んだ父が、ニコッと笑ったような気がした。

(注※)この部分について、その実弟の長男、つまり私の従兄から、「事実と違う」という電話をもらった。「その店に自転車を並べたのは、父ではなく、私だ」と。しかし私はその叔父が好きだったし、ここにこう書いたからといって、叔父や従兄弟をどうこう思っているのではない。別のところでも書いたが、そういう宿命は、商売をする人にはいつもついて回る。だれがよい人で、だれが悪い人と書いているのではない。ただしその従兄に関しては、以後、印象は、180度変わった。以後、断絶した。誤解のないように。


Hiroshi Hayashi++++++++Sep.09+++++++++はやし浩司

Tuesday, September 29, 2009

*Letters from Listeners

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*Going Back Home

●帰すう本能(The Last Home)

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晩期の高齢者たちは、ほとんど例外なく、みな、こう言う。
「~~へ帰りたい」と。

母もそうだったし、兄もそうだった。
母は、自分が生まれ育った、K村の実家に、
兄は、やはり自分が生まれ育った、M町の実家に。
それぞれが、「帰りたい」と、よく言った。

私の30年来の友人も、昨年(08年)に亡くなったが、
その友人も、九州の実家に帰りたいと、いつも言っていた。

こうしたことから、みな、人は死が近づくと、自分の
生まれ育った実家に帰りたがるようになると考えてよい。
それをそのまま「帰すう本能」と断言してよいかどうかは、
私にもわからない。

あえて言えば、正確には、「原点回帰」ということか。
しかしこんな言葉は、私が考えたもので、辞書にはない。

つまり「死ぬ」ということは、(生まれる前の状態)に戻ること。
だから死が近づけば近づくほど、人はみな、原点に回帰するようになる。
その願望が強くなる。

原点で安らかな死を迎えるために……。

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●私の場合は、どうか?

 私もあと10~15年もすると、そうした老人の仲間入りをする。
これは可能性の問題ではない。
確実性の問題である。
そのときうまく特別養護老人ホームに入居できればよし。
そうでなければ、独居老人となり、毎日悶々とした孤独感と闘いながら、暗い日々を送ることになる。

 そのときのこと。
私は、どこへ帰りたいと言うだろうか?

 理屈どおりに考えれば、私は、生まれ育ったM町の実家に帰りたいと言い出すにちがいない。
記憶というのは、新しいものほど、脳から消えていく。
そのためM町の記憶しか残らなければ、そうなる。
が、私は子どものころから、あのM町が、嫌いだった。
今でも、嫌い。
そんな私でも、その年齢になったら、「M町に戻りたい」と言いだすようになるのだろうか。

●放浪者

 私は基本的には、放浪者。
ずっと放浪生活をつづけてきた。
夢の中に出てくる私は、いつも、あちこちをさまよい歩いている。
電車に乗って家に帰るといっても、今、住んでいるこの浜松市ではない。
この家でもない。
もちろん実家のあるM町でもない。

 ときどき「これが私の家」と思って帰ってくる家にしても、今のこの家ではない。
どういうわけか、大きな、ときには、大豪邸のような家である。
庭も広い。
何百坪もあるような家。
見たこともない家なのに、どういうわけか、「私の家」という親近感を覚える。
で、たいていそのまま、目が覚める。

 が、夢の中に出てくる家は、そのつど、いつもちがう。

 つぎにまた見るときは、今度は別の家が、夢の中に出てきたりする。
つまり私は基本的には、放浪者。
無宿者。
根なし草。

●M町の実家

 が、ここ5、6年は、ときどき、M町の実家が夢の中に出てくることがある。
表の店先のほうから中へ入ると、そこに母がいたり、兄がいたりする。
祖父や、祖母がいたりすることもある。

 先日は、家に入ると、親戚中の人たちが集まっていた。
みんな、ニコニコと笑っていた。
もちろんいちばん喜んでくれるのが、私の母で、「ただいま!」と声をかけると、うれしそうに笑う。
兄も笑う。
が、私は、実家ではいつも客人。
みなは、私を客人として迎えてくれる。
私の実家なのだが、実家意識は、ほとんど、ない。

●徘徊老人

 こう考えていくと、私はどうなるのか、見当がつかない。
認知症になり、特別養護老人センターに入居したとする。
そんなとき、私は、どこへ帰りたいと言うだろうか。
それをワイフに話すと、ワイフは、こう言った。

「あなたは、まちがいなく、徘徊老人になるわよ」と。

 つまりあてもなく、あちこちをトボトボと歩き回る老人になる、と。
そうかもしれない。
そうでないかもしれない。
しかしその可能性は、たいへん高い。

 先にあげた友人にしても、九州出身だったが、いつも浜松市内を徘徊していた。
距離が遠いから、まさか九州まで歩いて帰るということはなかった。
しかし気持の上では、九州まで歩いて帰るつもりではなかったか。
今にして思うと、友人のそのときの気持ちが、よく理解できる。

●さて、あなたはどうか?

 さて、あなたはどうか?
そういう状況になったとき、あなたなら、どこへ帰りたいと言いだすだろうか。
たいていの人は、自分が生まれ育った実家ということになる。
確たる統計があるわけではないが、90%以上の人が、そうなるのではないか。

 が、残り10%前後の人は、帰るアテもなく、浮浪者のように、そのあたりをさまよい歩く。

ところで徘徊する老人は多いが、そういう老人をつかまえて、「どこへ帰るの?」と聞くと、ほとんどが、「うちへ帰る」と答えるという。
たぶん、私も、「うちへ帰る」と答えるだろうが、その「うち(=家)」とは、どこのことを言うのだろうか。

 帰りたい家があり、その家が、あなたをいつまでも暖かく迎えてくれるようなら、そんなすばらしいことはない。
しかし現実には、住む人の代もかわり、家そのものもないケースも多い。

 こう考えただけでも、老後のさみしさというか、悲哀が、しみじみとよくわかる。
「老人になることで、いいことは何もない」。
そう断言してもよい。
そういう時代が、私のばあいも、もうすぐそこまで来ている。

(付記)

 最近、ワイフとよく話し合うのが、「終(つい)の棲家」。
で、結論は、終の棲家は、この家の庭の中に建てよう、である。
街の中のマンションも考えた。
病院やショッピングセンターに近いところも考えた。
しかし、私たちの終の棲家は、どうやらこのまま、この場所になりそう。

 今、別のところに移り住んでも、私たちは、そこには、もうなじめないだろう。
頭の働きが鈍くなってきたら、きっと私も、今のこの家に帰りたいと、だだをこねるようになるだろう。

 だったら、終の棲家は、ここにするしかない。
・・・というのが、今の私たちの結論になりつつある。

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW 終の棲家 帰すう本能 帰趨本能 徘徊 徘徊老人)

Monday, September 28, 2009

*A Talk on the Radio

●ニッポン放送「石原良純のピーカン子育て日和」

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10月1日(木曜日)午後2:15~ごろから、
ニッポン放送「石原良純のピーカン子育て日和」
にて、「子どもの叱り方」について話します。
興味のある方は、どうか、聴いてください。

+++++++++++++++++++++

●12月13日・秋田県・秋田県庁で講演します。
10:00~12:00ごろです。

読者の中で、秋田県の方がいらっしゃれば、ご一報
ください。
招待いたします。

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*Children who can't read Letters

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.こんにちは!  (″ ▽ ゛)○   
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子育て最前線の育児論byはやし浩司   09年 9月 30日
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【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●識字障害(失読症・ディスクレシア)(文字の読めない子ども、20人に1人!)

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文字を読めない子どもがいる。
何とか読むことはできても、意味や内容を理解
できない。

学習障害児の1様態として考えられている。

日本人のばあい、全体の5%(アメリカ人は全体の10%)いる
と言われている(NHKオンライン)

インターネットを使って、「識字能力」を調べてみた。

++++++++++++++++++++

●ウィキペディア百科事典より

 ウィキペディア百科事典には、つぎのようにある。

『……知的能力及び一般的な学習能力の脳内プロセスに特に異常がないにもかかわらず、
書かれた文字を読むことができない、読めてもその意味が分からない(文字と意味両方と
もそれぞれ単独には理解できていることに注意)などの症状が現れる。逆に意図した言葉
を正確に文字に表すことができなくなる「書字表出障害(ディスグラフィア、Dysgraphia)」
を伴うこともある。また簡単な計算ができない「計算障害」を伴うことも多い。左脳内の
文字と意味の相関関係を司る特殊なプロセスに何らかの障害が発生していると考えられて
いるが、はっきりした原因はまだ突き止められていない。なお家族性の発症例も古くから
知られており、遺伝マーカーとの関連に関する研究も行われている』(以上、ウィキペディ
ア百科事典より)。

●NHKオンラインより

 NHKオンラインのHPには、「日本でも5%もいることがわかってきた」という。

『……会話能力にも問題はなく、しかも眼に異常があるわけでもないのに、文章を読むの
に著しい困難を抱える人たちがいる。読字障害だ。この障害が見つかったのは、19世紀
末の英国。数字の「7」は読めるのに「seven」を見せると読めない中学生が見つかった。
当時は、まれなケースと思われていたが、英米では人口の10%、日本では5%もいること
が判ってきた。最新の研究によって読字障害の人は一般の人と、脳での情報処理の仕方が
異なることが明らかになってきた。通常、情報を統合する領域で文字を自動処理している
が、読字障害の人は文字処理をスムーズにできないのである。人類が文字を使い始めてわ
ずか5千年、この時間の短さ故、脳は十分に文字を処理できるよう適応しきれていないの
である』(NHKオンライン)。

●Yahoo・知恵袋より

 識字能力といっても、内容はさまざまに分類される。

『……日本語で失読症と翻訳されている言葉には、Alexia(アレクシア)とDyslexia(デ
ィスレクシア)の2つがあります。

 まず、Alexia(アレクシア)からご説明します。英語版のWikipediaからの引用
http://en.wikipedia.org/wiki/Alexia_(disorder)をご覧下さい。後天的な脳障害にて、言語機
能のうち、「読む」能力が選択的に障害された状態です。失語症の特殊なタイプと考えられ
ています。

 Dyslexia(ディスレクシア)については、こちら
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%87%E3%82%A3%E3%82%B9%E3%83%AC%E...
をご参照下さい。ディスレクシアは学習障害の一種であり、失読症、難読症、識字障害、
読字障害ともいう、と説明されています。アメリカ合衆国では人口の約15%がディスレク
シアと言われています。トム・クルーズがディスレクシアを抱えていたことを告白したこ
とも、人々の関心を呼び起こした原因となっています。

 国際Dyslexia協会のホームページ
http://square.umin.ac.jp/LDDX/newpage106htm.htmもお読みください。先天性、後天性
の読み書き障害の違いについて、説明されています。ちなみに、この協会ではディスレク
シアを発達性読み書き障害と表記しています。

 Alexia(失読症)、Aphasia(失語症)に使用されているA-は、否定の意味を示す接頭語
です。Apraxia(失行症)、Agnosia(失認症)も全く同じです。これら高次脳機能障害に使
用されている用語は、学問的にも行政的にも、ほぼ確立しています。

 一方、Dyslexia(ディスレクシア)やDysmetria(測定障害)で使われているDys-は、
同じ接頭語でも困難であることを示しています。このため、日本語の訳語でも、「〜障害」
と表記されることが多いようです。

 既にAlexiaを失読症と翻訳している現状を考えると、ディスレクシアを失読症と表記す
ることは妥当ではなく、難読症、ないし、識字障害、読字障害と表記すべきでしょう。さ
らに言うと、代表的な学習障害であるという意味を強調するために、国際Dyslexia協会が
使用している発達性読み書き障害という用語の方が意味が明快です。いずれにせよ、ディ
スレクシアをどう表記するかについては、関係学会の調整が必要です。それまでの間は、
ディスレクシア(難読症)と併記するなどの工夫をするしかないでしょう』(Yahoo・知恵
袋より)。

●発達障害の救急箱HPより

 日本でも有名人の中に、識字障害の人がいると言われている。
故岡本太郎氏や、タレントの黒柳徹子氏らの実名があげられている。

『……ディスレクシア(ディスレキシア)とされる芸能人、有名人
• 岡本太郎(おかもとたろう)
• 黒柳徹子(くろやなぎてつこ)
http://www.laqoo.net/hattatu/dyslexia.html』(発達障害の救急箱HP)。

++++++++++++++++++++

●識字障害(Dyslexia)

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ほぼ20年ぶりに、ある家族を訪問してみた。
どこか雰囲気がおかしい。
見慣れた家庭の様子とは、どこかちがう。
が、そのときは気がつかなかった。

で、その1年後、再びその家庭を訪問してみて、
私は知った。
その家には、本という本、雑誌にいたるまで、
それがまったくなかった!

+++++++++++++++

●文章を読めない人たち

 その家族……Y家としておく。
私の遠い親戚にあたる。
そのY家の息子(高校3年生)が、引きこもり状態になってしまったという。
相談があった。
そこで私は、資料を、30~40ページあまりプリントアウトし、それを直接
Y家の人に届けることにした。

 Y家は、見慣れた家庭の雰囲気とは、どこかちがっていた。
どこかちがうということはわかったが、理由がわからなかった。
が、2度目に訪問してみて、気がついた。

 本がない!
本という本が、ない!
雑誌も、ない!
新聞はあったようだが、読んだ形跡がほとんど、ない!
食卓のある居間には、大きなテレビがあった。
ふつうなら、そのあたりに、何冊か本が並んでいる。
それもなかった!

●「私、そんなもん、読んでもわかりません!」

 異変はつづいた。
食卓のある居間で待っていると、そこへYさん(妻)がやってきた。
で、簡単なあいさつをして、私がカバンの中から、プリントアウトした資料を
見せようとしたその瞬間のこと。
Yさんが、突然パニック状態になり、書類のたばを見ることもなく、それを
片手で払いのけてしまった。
「私、そんなもん、読んでもわかりません!」と。

 「引きこもりに関する資料ですが……」と、それを集めてYさんに再び
見せようとすると、Yさんは、そのまま、席を立ってしまった。

 異様な行動だった。
文字というより、書類の束(たば)に、拒絶反応を示した。
そのとき私の脳裏を、「識字障害」という言葉が横切った。

 たいへん珍しいケースだが、Y家では、夫のY氏も、妻のYさんも、
その識字障害者だった。
……というより、若い時より(文字を読まない)→(ますます読めなくなる)の
悪循環の中で、文字から遠ざかってしまった。

ついでにいうと、引きこもりを起こした息子にも、その傾向が見られた。
その少し前、「英語が苦手」「英語の単語をまったく覚えられない」という話を
聞いていた。

●識字障害

 識字障害といっても、

『日本語で失読症と翻訳されている言葉には、Alexia(アレクシア)とDyslexia(ディス
レクシア)の2つがあります。……ディスレクシアは学習障害の一種であり、失読症、難
読症、識字障害、読字障害ともいう』(ヤフー知恵袋)とある。

 つまり失語症といっても、

(Alexiaアレクシア)……後天的な脳障害にて、言語機能のうち、「読む」能力が選
択的に障害された状態。
(Dyslexiaディスクレシア)……学習障害の1つ。
に分類される。

 さらにディスクレシアといっても、

(1) 書かれた文字を読むことができない、
(2) 読めてもその意味が分からない
(3) (文字と意味両方ともそれぞれ単独には理解できていることに注意)
(4) 逆に意図した言葉を正確に文字に表すことができなくなる「書字表出障害(ディス
グラフィア、Dysgraphia)」を伴うこともある。
(5) また簡単な計算ができない「計算障害」を伴うことも多い。(以上、ウィキペディア
百科事典より)というように分類される。

●Y家のばあい

 Yさんにしても、簡単な手紙の読み書きくらいはできる。
実際、手紙をもらったことがある。
また自分たちがそうであることを自覚しているためか、(とりつくろい)が、たいへん
うまい。

 その場をたいへんうまく、とりつくろう。

 同じ日、こんなことがあった。
私がたまたま実母の介護のことで困っていたので、そのことをふと漏らすと、Yさんは、
「いい資料がある」と言って、奥のほうから、小冊子をもってきてくれた。
Yさん自身も、ボランティアだが、近所の老人の世話をしていた。

 が、Yさんはポンとその資料をテーブルの上に置くと、そのままどこかへ行ってしま
った。
「今、しかけた仕事があるから……」と。

 Yさんの説明を期待していたが、私はその資料を、最初からすべて読むハメになった。

●早期発見、訓練こそが、大切

 「5%~10%」という数字には、驚く。
私も子どもたちの指導を通して、「文章を読めない子ども」というのは、数多く
経験してきた。
さらに「英語の単語を覚えられない」という子どもも、経験してきた。
しかしそれらの子どもが、脳の機能そのものに問題があり、さらにその数が、
20人に1人以上もいるというということまでは知らなかった。
(程度の差もあるだろうから、軽度の子どもも含めれば、数はもっと多い。)

 原因としては、人間の脳が、まだそこまで進化していないということが考え
られる。
文字の発明は、紀元前3500年前後までさかのぼることができる。
が、文字が一般社会に普及し始めたのは、ここ数百年のことである。
脳の機能が、こと文字の発達に、追いついていないということは、じゅうぶん
考えられる。

 が、(機能)の問題であるだけに、早期に発見し、適切に対処すれば、改善の
余地は大いにありということになる。

 現に黒柳徹子氏などは、本まで書いている。

 今、その研究と対策が、始まったばかりということになる。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 
BW はやし浩司 識字障害 文字を読めない子ども 難読症 はやし浩司 文盲 失読  
Alexia(アレクシア) Dyslexia(ディスレクシア))


【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

休みます。

【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●自分の中のバカとの戦い

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長野県に住む大学の同窓生と、しばらく電話で話す。
その同窓生が、こんな話をしてくれた。

その同窓生は、2年前、父親を亡くした。
で、昨年、一周忌の法要をした。
その法要でのこと。

同窓生は、法要を簡単にすますつもりでいた。
が、当日、親戚同士が連絡を取り合い、なんと25人前後の
人たちが集まってしまったという。

同窓生の姉に、1人、節介好きの人がいて、その女性が
みなに連絡したという。
同窓生は、かなり怒っていた。

++++++++++++++++++++

●儀式論

 愛知県や岐阜県では、冠婚葬祭を派手にする。
が、「長野県もそうだ」と。
一方、この静岡県(西部)では、全体的に質素。

 それについて、長野県に住む同窓生は、冒頭に書いたようなことを話してくれた。
で、私が、「どういうやり方をすれば、みんなが満足するのか」と聞くと、
こう言った。

「ああいう連中は、どんなやり方をしても、満足しねえだろうね」と。

 そこでしばらく、たがいに儀式論について、話し合った。

 儀式は生活につきもの。
その儀式には、たいてい「形」がある。
形を決めておけば、あとが、楽。
何も考えず、過去を踏襲すればよい。

 で、「ふつうはどんなやり方をするのか?」と聞くと、こう教えてくれた。
「このあたりでは、仏壇の前で僧侶による読経法要が済むと、みなで墓参りを
する。そのあと、どこかの料亭を借りて、飲み食いをする」と。

●変わる時代

私「しかしそれぞれの家庭には、それぞれの事情というものがあるだろ?」
友「あっても、関係ねえな」
私「関係ないって?」
友「形が決まっているからな」
私「それで君は、どうした?」
友「あんなくだらねえこと、やらなかったよ」と。

 時代はたしかに変わりつつある。
が、それよりも問題なのは、同窓生の親類の1人が、こう言ったということ。

「あいつ(=同窓生のこと)は、大学で法学まで学んだのに、常識が備わっていない。
いくら偉そうなことを言っても、そんな常識も知らねえのは、人間のクズ」と。

 その話を、同窓生の姉が、同窓生に伝えたという。
同窓生が、姉を非難したときのことだった。
「私はいいけど、みんなが陰でなんて言っているか、あなたは知っているの!」と。

●アラ探し

 私ももうすぐ、母と兄の一周忌の法要をする。
連絡したのは、実姉のみ。
たぶん姉のことだから、喪主の私をさておいて、同じようにあちこちに連絡するだろう。
姉は、姉の常識(?)に従って行動する。

 同窓生の姉も、そして私の姉も、(伝統)という(鎧(よろい))を身につけているから、
強い。
その伝統を破るのは、簡単なことではない。
よい例が、地域の(祭り)。
祭りというのは、作るのは簡単。
しかし一度、できあがってしまうと、今度は、変えるのはむずかしい。
(形)の上に、また別の(形)ができてしまう。

 そういう(形)に抵抗を示すと、それだけで(変わり者)というレッテルを張られて
しまう。
先の同窓生も、そう見られているという。

私「大学で教育を受けたというと、そういうのが教育と、みな、思うからね」
友「学歴コンプレックスの裏返しではないかなあ・・・」
私「そういう面もあるよな」
友「あいつら、何かにつけて、オレのアラ探しをするからな」
私「そうそう、ぼくもそうだ。先日も、ぼくに向かって、『偉そうなこと言うな』と
言った人もいたぞ」
友「そりゃあ、ちょっと、ひでえな~」と。

●同じ長野県でも・・・

 もう一人、長野県には同窓生がいる。
彼は長野市から、車で1時間ほどの町に住んでいる。
その町では、「質素運動」というのが、10年以上も前から進められているという。
香典の額にしても、1世帯当たり、一律に1000円と決められているという。
香典袋にしても、市役所のほうで、販売しているという。

 また寺が出す戒名にしても、一律、同名、同額に決められているという。

 同じ長野県でも、地域によって、みな、それぞれとのこと。
私が「長野市のA君の話とは、だいぶちがうな?」と言うと、その同窓生は、
「ああ、あそこは派手だからな。ここは貧乏村なんだよな」と。

 これはあくまでも補足。

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi
Hayashi 林浩司 BW 法事 儀式 一周忌の法要)


Hiroshi Hayashi++++++++AUG.09+++++++++はやし浩司

【TK先生からのメール】

林様:

今度はよく見られました。 大変な重労働でしたね。 梯子や脚立から落ちたりしな
いよう十分に気をつけて下さい。 それにしても切った木はどのように片つけるのでしょ
うか。 昔のようにたき火もできないし、細かく切って袋に入れる作業もそれこそ大変で
はないかと想像しています。 御苦労様でした。

私はビニルのひもが早く回って雑草や芝刈りが精いっぱいです。 それにしても最初
に除草機を動かすには私の力では動かないので、介護の人が来たときに引っ張って動かし
てもらいます。 もっと簡単なものがないかと気にしています。 一人住まいで庭の手入
れが精一杯です。

来月は理科大の卒業生が20人あまり「先生の庭の除草に来ますが、まさか偉くなっ
た弟子に除草でもないし、一仕事です。 芝生よりも雑草の方が元気良く増えますから。 
何時まで管理ができるか、先が思いやられます。 未だ老化など全然考えない貴方には分
からない心境ですけれど。 その一週間後には例の「サロン・ド・タマル」があり、結構
忙しいです。 皆よく来てくれると有難く思っています。 こんなこと全く例外的なこと
だとよく言われます。

私の化学会の「インタビュー」(写真入りもお送りしましたっけ)が思いの外、評判
になって「現在の日本の教育は危機状態である」と日本化学会の会長さんをはじめ、幾人
もの連中が相談を始めています。 もう私のような老人が出る幕ではないし、出来るだけ
控えたく思っていますが、来月に開かれる化学会の「顧問会」(会長経験者敬の集まり)に
は主題の一つになりそうで迷っています。

くれぐれもお元気で。

TKより

++++++++++++以上、TK先生からのメール+++++++++++++++

 「老化?」。
私よりTK先生の方が、若い!
毎月のように、多くの弟子や研究者が、先生のもとを訪れている。
東大でも、教授になった弟子の数がいちばん多いのが、TK先生である。
以前、「総理大臣が(自宅まで)あいさつに来ました」と、話してくれたこともある。
少し前までは、天皇陛下のテニス仲間でもあった。
(この3月に人工関節にしてからは、テニスの話は聞いていない。)

 80歳を過ぎても、外国の文献を翻訳し、出版している。
そういう人物を、「若い」という。

 私の親類などは、まだ60代なのに、一周忌だの、三周忌だのと、墓参りや法事
ばかりを一生懸命している。
そればかりにこだわっている。
その(ちがい)というか(落差)を覚えるたびに、「老後って何?」と考えさせられる。

 TK先生には、とてもかなわないが、目標はTK先生。
生きざまをまねしたい!
私は死ぬまで、ヤンング・オールド・マンを貫くぞ!

(追記)
栗の木を切った様子は、YOUTUBEにアプロード済み。
「hiroshihayashi」で検索してくださると、お楽しみいただけます。)

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 
BW はやし浩司 老後 ヤングオールドマン Young Old Man ヤング・オールド・マン)

【はやし浩司よりTK先生へ】

お元気そうですね!!!

よかった!!!!

切り取った木は、そのまま裏山の空き地に投げ捨てていきます。
1~2年もすると、木は枯れ、やがて土に返っていきます。
その土を取りだし、一度、日干しにしたあと、今度は肥料にします。
リサイクルです。
日干しにするのは、虫の卵がいっぱい入っているからです。

私も何度か、草刈りに行ってあげようかと思いましたが、
もともと草刈りはへたです。
最近は、山荘周辺の200~400メートル前後の道の両側まで
草刈りをしています。
このあたりも高齢化が進み、草を刈る人が、年々少なくなってきました。

しかしよい運動になります。
汗をかくのは、よいことです。
それに楽しいです。

たしかに化学は嫌い……という高校生がふえています。
ほとんどがそうではないかな?
どうして?、と聞くと、必ず返ってくる言葉が、「暗記がめんどう」と。
みな、暗記科目と誤解しています。
この誤解を解くのがむずかしいですね。
古い切り傷のかさぶたのように、固まっていますから……。

コンピュータゲームで、そういう楽しいゲームはできないものでしょうか?

たとえば、新型放射線シールド物質の作り方……とか何とか?
分子を合成して、合成たんぱくをつくろうというのでもよいかもしれません。
ゲーム化してしまうのです。

私も現役時代だったら、(つまり教材屋時代の私だったら)、どこかへ
話をもちかけて、ゲーム化したかもしれません。

今日は8時間たっぷり眠りました。
朝の風も気持ち良く、すがすがしい気分です。

今朝も始まりました。
がんばります!
メール、ありがとうございました。

はやし浩司


Hiroshi Hayashi++++++++AUG.09+++++++++はやし浩司

●映画『ハリーポッター』(A Half Blood Prince)

++++++++++++++++++

昨夜、日曜日の夜ということで、深夜劇場へと足を運んだ。
観たのは、『ハリーポッター』(A Half Blood Prince)。

くだらないというか、まったく、意味のない映画。
星など、つけようもない。
しかしあえてつければ、1つ。★。

よくもまあ、あのようなアホな映画をつくるものだ。
むしろ、そちらのほうに感心した。

ひとつの魔法が生まれると、今度はそれを打ち消す魔法が生まれる。
別のところでは有効だった魔法が、今度は無効。
あるいは魔法を使えば簡単に解決できるような場面でも、あえて
使わなかったり……。

マッチ・ポンプ映画というか、矛盾だらけ映画。
哲学もゼロ。
感動もゼロ。

結局、ダラダラと話がつづいて、何一つ問題を
解決しないまま、そこで終わり。
「次回へつづく」と。

私は字幕版のほうを見たが、英語は、シェークスピア的な
格調高いもの。
字幕の方では、それがうまく表現されていなかった。
残念と言えば残念ということになるが、言い換えると、
とってつけたような表現、もしくは美辞麗句のかたまり。
そんな英語だった。

まねをして書いてみよう。

「脳を腐らせる愚作。
革命的なほどまでに空漠とした作品。
しばし、睡魔をともなった不可抗力的なあくびに、
心を奪われる」。

どうしてあんな映画が、(作品が)、世界的な作品(?)
なのか。
観終わったあと、改めて、それを確認した。

劇場を出るとき、ワイフと、「Hachi」にすればよかったと、
何度も言いあった。

++++++++++++++++++++

● 8月24日

●いなくなったミツバチ

++++++++++++++++++++

「ミツバチがいなくなった」とは、よく聞く。
新聞やテレビでも、よく報道されている。
しかしそれが私の家の庭でも、そうなるとは
思ってもいなかった。
また私の家には、関係のない話だと思っていた。

++++++++++++++++++++

 最後に見たのは、1か月以上も前のこと。
7月のはじめごろではなかったか。
そのころ、畑のナスにうどん粉病が発生するようになった。
そこで私は、殺虫剤と殺菌剤を混合した、スプレー式の農薬を買ってきた。
かなり強力な農薬だった。
例年なら、赤虫など、いろいろな虫がキュウリの葉を食べた。
が、今年は虫がつかなかった。
同時に、ミツバチも来なくなった。

 ミツバチといっても、私が見たのは1匹だけだった。
そのミツバチが、忙しそうにあちこちを飛び回っていた。

 畑に異変が起きたのは、そのあとのことだった。

 4月に一度、いんげん豆の苗を、5本ほど植えた。
それはよく実をつけた。
 つづいて6月ごろ、もう一度、いんげん豆の苗を、5本ほど植えた。
肥料がよかったのか、6月に植えた苗は、すくすくと成長し、あっという間に、
私の身の丈を超えた。
が、苗は葉をつけるだけ。
どんどん大きくなるだけ。
今にいたるまで、まったく実をつけない!

 例年だと、このやり方で、今ごろは食卓にいんげん豆の料理が、毎晩のように並ぶ。
が、今年は、ゼロ。
いんげん豆の収穫は、ゼロ。

 「おかしい」と思った。
ワイフも、「おかしい」と言った。
で、そのうち、「そう言えば、ミツバチを見ない」と、たがいに言い出した。

●殺虫剤

 5、6年前から、ハチ退治用の殺虫剤が店に並ぶようになった。
私もスズメバチ退治用に、何度か使ったことがある。
が、である。

 最近、近くの大型ドラグストアへ行ってみて、驚いた。
種類と数が、ものすごくふえていた。
ズラリとふえていた。
「飛距離、7メートル」「直射噴射」「一網打尽」とかなど。
それぞれが殺虫剤の特徴を、競っていた。

 このことと、ミツバチが減ったこととの間に、因果関係があるとは、断言できない。
しかしみなが、平気で、また簡単にハチを殺すようになったのは、事実。
その中には、ミツバチも含まれているかもしれない。

●食糧危機

 「ミツバチがいなくなったら、つぎにやってくるのは、食料危機」。
専門家たちは、そう警告している。
残された方法は、人口受粉だが、そんなことをしても、追いつくはずがない。
農家の人自身が、「不可能」(テレビ報道)と断言している。

 一方、ミツバチがいなくなったのは、地球温暖化と関係していると説く人もいる。
どういう連続性をもってそうなるのかは、私にもよくわからない。
それに温暖化の影響は、ミツバチだけに及んでいるのではない。
私たちの生活の、ありとあらゆる部分に及んでいる。
そしてそれは、年を追うごとに、深刻化している。
ミツバチがいなくなった結果として、食糧危機がやってきたとしても、それは地球
温暖化の一部にすぎない。

 現に、世界中で地球温暖化による、農地の砂漠化が進んでいる。
極地方では凍土も溶け出し、今後、大量のメタンガスが発生することも予想されている。
そうなれば、地球温暖化は、ますます加速される。
ミツバチどころではない、ということになる。

●不測の事態

 不測の事態が、また別の不測の事態を生む。
人間の想像力にも限界がある。
こうしてやがて世界中が、不測地獄へと陥っていく。
最近耳にした新しい話としては、こんなのがある。
地球温暖化が進んで、海の底を流れる海流の流れまで、変わってきたという。
そのためプランクトンの発生地や量が、大きく影響を受け始めているという。
もちろんこのことは、魚などの海洋生物にも、深刻な影響を与える。

 ほかにもたとえば、今からたった10年前でもよいが、ミツバチへの影響を予想した
学者はいただろうか?

●では、どうするか

 スズメバチなどはしかたないとしても、ハチ退治用の殺虫剤を使うにしても、
それなりの注意書きは必要ではないか。
「直接的な害がないばあいは、ミツバチ退治などには、使用しないでください」程度の
ことは書いてのでは……。
農薬の使いすぎは、各方面で問題になっているが、家庭においても、最小限にしたい。

 ところで、こんな話もある。

 もし、アリがいなくなったら、やがて人類は滅亡するだろうと言われている。
アリは、地上の掃除人。
その掃除人がいなくなることになる。

 さらに今日、こんな不気味な話を聞いた。
静岡県と言えば、お茶の産地。
そのお茶の産地から、夏のセミの声が消えて、久しいという。
原因は、言わずと知れた、農薬。

 また私の家の近辺から、スズメが消えた。
消えたというより、本当に少なくなった。
10年前の、10分の1以下になった。
あるいはそれ以下になった。
だれかがどこかで、スズメを殺している(?)。

 「とりあえず自分さえよければ……」という考え方を、みなが捨てないかぎり、
そのつぎに待っているのは、私たち自身の滅亡ということになる。

(付記)

 私自身は、人類の滅亡は、……というより、地球の火星化は、もう避けられないもので
はないかと思っている。
私たちの努力で、その時期を遅らせることはできても、止めることはできない。
100年後はよくても、200年後のことはわからない。

問題はそれをどう防ぐかではなく、そこに至る地獄を、人類はどう処理するか、である。
それこそ、どんなはげしいSF映画ですらも描ききれないような地獄絵図が、繰り広げ
られるようになるはず。

 そのとき、私たちはいかにして、自分を守り、自分を支えるか。
その哲学というか、倫理観をどうもつか。
この際、宗教観でもよい。

 その構築を同時進行の形で、推し進めないと、それこそ人類は、たいへんなことになる。
(悲観的な見方で、ゴメン!)


はやし浩司+++++++++Aug 09+++++++++++Hiroshi Hayashi

●総選挙

 8月30日、衆議院議員選挙がある。
おおかたの予想では、自民党の大敗北。
民主党の、大躍進。
「自民党は、このまま滅亡するだろう」とさえ、言われている。

 で、不動表層の1人として、意見を一言。

 こういうとき、浮動票層の人たちには、絶妙のバランス感覚が
働く。
いわゆる「判官びいき」(=弱者にひいき)が働く。
しかし今回は、どういうわけか、働かない。
自民党がどうのこうのという問題ではない。
私たちは、あのAS首相だけには、勝たせたくない。
いい気にさせたくない。

 が、肝心のAS首相自身は、まるで自分のことがわかっていない。
ますますいい気になって、はしゃいでいる(?)。
だからどうせやるなら、徹底的に……となる。
つまり徹底的に、反ASで、固まる。

 自民党は大敗北したのち、その歴史の幕を閉じる。
分裂、結合、新党結成、吸収、合併を繰り返しながら、消滅する。
が、これだけは忘れてはいけない。

 その責任は、あのAS首相にある。
だから今ごろ自民党支持者や議員たちは、こう思っているはず。
「選挙が終わったら、アイツを袋叩きにしてやる」と。
私も、今度だけは、ただではすまないと思う。


Hiroshi Hayashi++++++++AUG.09+++++++++はやし浩司

【TK先生からの追伸】

(TK先生について原稿を書いたときには、かならずTK先生に
その内容をすべて送付するようにしている。
内容について、まちがいを指摘してもらうためである。)

林様:

化学はコンピュータの時代になると、「暗記モノ」から「探究的思考力を鍛える科学
の一分野」になりつつあります。 加速度的に変化が速くなる時代をリードできるのは創
造力の問題です。 教師が自分で考えないから生徒はその背を見て教わるのです。 かわ
いそうに。 いい知恵があったら教えて下さい。

TK


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話していただけませんか?

よろしくお願いします。              はやし浩司

Sunday, September 27, 2009

*Farewell to my Home Town

●決別

++++++++++++++++++++++++

すでに、5、6年前のこと。
すでに心に、そう決めていた。
私は、母が死に、兄が死に、実家を片づけたら、
古里のM町からは縁を切ろうと。

だから兄が死に、母が死んだときも、その一方で、
「あと少しのがまん」と、自分で、自分に言って聞かせた。
もちろんだからといって、兄や母の死を喜んだというわけではない。
待ち望んでいたというのでもない。

母や兄と言うよりは、「実家」。
つまり私にとって、実家は、それほどまでに重いものだった。
この60年間、1日とて、心の晴れた日はなかった。
そうでない人には、信じられないような話かもしれないが、
私には、そうだった。

が、昨年の8月、兄が他界した。
つづいて10月、母が他界した。
葬儀だ、法事だと、あわただしく日々が過ぎた。
が、それも一段落すると、私は、すぐ実家の売却を計画した。
そのときすでに空家になって、5年になっていた。
M町の中でも、一等地(?)にあるということで、税金の負担も大きかった。
といっても、私はその税金を、30年以上、払いつづけてきた。
今さら負担という負担ではなかったが、放っておいても、朽ちるだけ。
おまけに市の伝統的建造物に指定され、壊したり、改築することもできなかった。

私は、親類には、ハガキで、こう知らせた。
「母の一周忌前後には、実家を売却を予定します。あらかじめご了承ください」と。
母の四九日の法要の連絡のときのことである。

+++++++++++++++++++++++++

●心の整理

 数年単位の、時間が必要である。
心の整理が必要である。
「今日決めたから、明日、売却」というわけにはいかない。
古い柱、一本一本に、思い出がしみ込んでいる。
一歩、外に出れば、街の人たちの顔もある。
みな、顔なじみ。
「縁を切る」というのは、そういう人たちとの決別も意味する。

●決別

 こう書くと「決別まで……!」と驚く人も多いかもしれない。
しかしあの街には、私のゴミのようなものが、山のようにたまっている。
母の時代から、私は、あの街では、悪者だった。

「親を捨て、浜松の女性と結婚した」
「親の財産を、全部、自分のものにした」
「勝手に仏壇を、浜松に移した」
「親の葬儀を浜松でした」などなど。

 先日も実家へ帰り、近くの店に宅配便を届けたときも、その店の女性にこう言われた。
「あなた、親類の断りもなく、仏壇を浜松へ移したんだってねエ……」と。
イヤミたっぷりの、不愉快な言い方だった。
その言葉を聞いたとき、M町への思いが、ふっ切れた。

●売却

 実家の売却は、簡単なものだった。
買い主がお膳立てしてくれた銀行にみなが集まり、そこで書類に判を押して、それでおしまい。
買い主の女性が、何度も「ありがとうございます」と頭をさげるほど、格安の価格だった。
が、価格など、問題ではない。

 あの実家に貢いだ現金だけでも、その20倍以上はある。
が、それよりも、私の人生の大半は、あの実家のために犠牲になってしまった。
そうした(損害?)と比べたら、家の価格など、何でもない。
今さら、わずかな金額を手にして、それでどうなる?
私の心が、どう癒される?
私の人生が、どう戻ってくる?

●離縁

 「縁を切るというのは、こういうことだね」と、ワイフに話した。
心の中を、からっぽにする。
未練を残さない。
あっても、きれいさっぱり、それを忘れる。
掃除をして、心の外に掃き出す。

 私はその日、家の中に残っていた家財道具を、道路に並べた。
ビニールシートを敷き、その上に並べた。
花瓶、火鉢、食器類、掛け軸、棚、電気製品、家具などなど。
本うるしの漆器も数百個あったが、それも並べた。
で、ゆっくりと張り紙をした。

「長い間、お世話になりました。
使っていただけるものがあれば、どうぞ、使ってください。
ご自由に、お持ち帰りください」と。

 やがてすぐ、何10人もの人たちが集まり、それぞれが、それぞれを家にもって帰った。
中には、漆器類を、袋につめて帰る人もいた。

●未練

 少しおおげさな言い方になるかもしれないが、人は、死ぬときも、そうではないか。
つまり心の整理をする。
未練を消す。
心がきれいさっぱりしたところで、この世に別れを告げる。
「告げる」といっても、相手はいない。
自分の心に告げる。

 一方、「私」にこだわっているかぎり、平安な日々はやってこない。
「私の財産」「私の地位」「私の名誉」と。
そういうものをすべて捨てる。
捨てて、身のまわりから、何もかも消す。
そのとき人は、さばさばとした気持ちで、「死」を、迎え入れることができる。

●9月3日

 翌朝、長良川のほとりにある緑風荘という旅館で一泊したあと、そのまま浜松へ帰ってきた。
一度、実家に立ち寄り、「最後に……」と思って、外から実家をながめた。
実家は、そのままそこにあった。

 父が手作りで書いた看板だけが、強く印象に残った。
「林自転車店」と、それにはあった。
「家は残るとしても、看板はどうなるんだろう?」とふと、そんなことを考えた。
が、長くはつづかなかった。
私とワイフは、ほとんど立ち止まることなく、そのまま駅の方に向かって歩き出した。

 ゆるい坂道だった。
白い朝日が、まぶしかった。

私「二度と、この町に来ることはないね」
ワ「二度と……?」
私「何か、特別な用事でもないかぎりね……。でも、もう来ないよ」と。

 すべてが終わった。
本当に、すべてが終わった。
2009年9月3日のことだった。


Hiroshi Hayashi++++++++Sep.09+++++++++はやし浩司

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子育て最前線の育児論byはやし浩司   09年 9月 28日
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【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

休みます。

【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●無意識下の変化

++++++++++++++++++++

意識できるから、「意識」という。
意識できないから、「無意識」という。
しかし私は考える。
その意識できない部分にある無意識を、なんとか意識できないか、と。
が、ここでまた別の矛盾にぶつかってしまう。

いくら無意識でも、意識したとたん、それは無意識では
なくなってしまう。
意識である、
そしてさらにその奥に、無意識の世界が広がる。
しかもその世界は、意識の世界より、何十万倍も広い。

そうなれば、さらにその奥にある無意識に向かって、
進む。

ということは、意識・無意識の問題は、レベルの問題
ということになる。
探検にたとえるまでもない。
きわめて表層的な意識だけの世界で生きている人もいる。
しかし一方、本来、無意識の世界にまで深く立ち入って、
それを意識して生きている人もいる。

では、どうすれば、無意識の世界まで奥深く立ち入って、
私は、さらに「私」を知ることができるか。

++++++++++++++++++++

●無意識下の世界

 無意識の世界が、具現化して表れるのが「夢」ということになる(フロイト)。
その夢を分析すれば、無意識下の(意識)が、何をどのように考えているかが
わかるという。

●今朝の夢

 今朝、こんな夢を見た。
寝起きの夢である。
そのとき私は、ワイフとどこかの田舎道を歩いていた。
舗装もしてないような、土むき出しの、でこぼこ道だった。
道も、まっすぐではなく、農家の間をぬうような、曲がりくねった道だった。

 私は近くにいた人に、こう聞いた。
「豊橋へ行くのは、どう行けばいいですか」と。
その人はていねいに教えてくれたが、そちらに方向には、道らしい道はなかった。
そこで私は反対側にある、浜松市への方向を聞いた。

 浜松市への道は、やはりでこぼこ道だったが、わかりやすかった。
私とワイフは、道に沿って歩いた。
しばらくすると、バス停があった。
近くに、駄菓子屋もあった。
私とワイフは、バスを待った。

 しばらくすると、バスがやってきた。
見ると「豊橋行き」とあった。
私とワイフは、バスに乗った。
が、どうも様子がおかしい。

 「今、何年ですか?」と聞くと、前に座った客が、「昭和20年です」と答えた。
とたん、今、もっているお金が使えるだろうか、それが心配になった。
私は、昭和20年ごろのお金は、もっていなかった。
最近のお金を出せば、ニセコインと思われるにちがいない。

 そこで目が覚めた。

●夢判断

 私は、自分が見た夢を、どのように判断すればよいのか。
夢と言えば、私のばあい、ほとんどが旅行をしている夢。
たいていはバスや電車に乗る夢。
そこから家に向かって、帰る夢。

 慢性的な不安神経症(パニック障害)が、基礎にあると考えられる。

 で、今回は、昭和20年。
これには最近見た、テレビのドキュメンタリー映画が影響しているようだ。
あるいは私はSF映画を、好んで見る。
その影響もあるかもしれない。

 バスの運賃については、バスに乗るたびに、小銭の心配をする。
それが夢の中にも、出てきた。

 しかし農道にしても、あのバスにしても、いかにも昭和20年ごろのものという
感じがした。
それは私が子どものころ、どこかで見た農道が、記憶の中に残っているものと思われる。

●根なし草

 こうした夢と、私の無意識とどう結びつけたらよいのか。
ひとつ気になる点があるとするなら、私が見る夢は、ここにも書いたように、いつも旅行
をしている夢。
旅行を楽しんでいる夢というよりは、「家に帰る」という夢。

 私はいつもどこかに住みながら、(そこ)を、定住の場所とは考えていない。
あるいはふつうの人ならみな、もっているだろう安定した(故郷感)をもっていない。
私にとって、(故郷)というのは、そういうもの。
子どものころから、実家のあるあの(故郷)が、いやでいやで、たまらなかった。
つまり私は、「根なし草」。
心の拠りどころをもっていない。
それがそのまま夢の中に、現れてくる。

 私が日常的に感じている、不安感、さらに言えば、孤独感の原因も、どうやらその
あたりにある。
そしてそれがそのつど、姿、形を変えて、私の生きざまに大きな影響を与えている。

●末那識(まなしき)

 こうして私は、無意識下の「私」について、ひとつの手がかりを得たことになる。
無意識下にも、「私」がいて、それがいつも私を、「下」から操っている。
・・・と考えなおしてみると、あのジークムント・フロイトという人は、ものすごく頭の
よい人だったということがわかる。

 もっとも仏教の世界でも、同じようなことを言っている。
「末那識」(まなしき)という言葉もある。

「末那識」について書いた原稿をさがしてみる。

++++++++++++++++++++++++はやし浩司

●愛他的自己愛者(偽善者)

+++++++++++++++++

私の知人に、こんな女性(当時55歳くらい)がいた。
その女性は、何でも、ボランティア活動として、近所の
独居老人の世話をして回っているという。
そういう話を、その女性から直接、聞いた。

「どんなことをしているのですか?」と聞くと、
その女性は、ことこまかに、あれこれと説明してくれた。
で、あるとき、こんな会話をしたのを覚えている。

私がその話に少なからず感動し、「すばらしいことです」と
言ったときのこと。
その女性は、さらにこう言った。
「いえいえ、私なんか、何でもありません。
私の友人のHさんなんかは、独居老人の入浴を手伝っていますよ。
でね、入浴中に、老人が、便をもらすこともあるそうです。
が、Hさんは、そうした便を、手ですくって、外へ捨てていますよ」と。

さらに驚いたことに、話を聞くと、そのHさんというのは、まだ
20代の後半の男性と言った!

私は当時、この話を聞いて、心底、感動し、エッセーも書き残した。

しかし、である。
どうも、この話は、おかしい。
どこか、へん。

+++++++++++++++++++

その人が善行をなすには、その人自身を支える、(周囲文化)というものが必要である。
たとえば自動車産業というものを考えてみよう。
自動車産業が生まれるためには、それを支える周辺の技術、研究、環境が必要である。
人材ももちろん、育成しなければならない。
そういった(周囲)もないまま、自動車産業だけが、忽然(こつぜん)と、
姿を現すということはありえない。

そこで私は、その女性の周辺に興味をもつようになった。
どういう生い立ちで、どういう人生を送ってきたか、などなど。
またその女性を支えている哲学は何か、とも。

しかし、である。
それから5、6年になるが、どこをどうつついても、その(周囲文化)というものが、
浮かび上がってこない。
それなりの基礎があったとか、経験があったとかいうなら、まだ話がわかる。
また会話をしていて、それなりの(深み)を感ずるというのなら、まだ話がわかる。
しかしそういうものが、まったく、ない。
だいたい、本を読んだことさえないという。
音楽も絵画もたしなまない。

そのうち私は、「どうしてそんな女性が、ボランティア活動?」と、疑問に思うように
なった。
が、やがていろいろな情報が入ってくるようになった。

その女性は、ケチの上に、「超」が三つも四つも重なるような女性である。
子どもの教育費すら、惜しんで出さなかったという。
2人の娘がいたが、「大学を出すと、遠くの男と結婚するから」という理由で、
娘たちには、大学へは行かせなかった。
が、世間体だけは人一倍気にしていた。
見栄っぱりで、虚栄心が強かった。
が、決定的だったのは、その女性が、一方でボランティア活動を他人に吹聴しながら、
その前後から始まった実父の介護では、虐待に近いことをしていたということ。

この話を、私はあるケアマネ(ケア・マネージャー)をしている人から聞いた。
そのときには、「ヘエ~、あの女性がですか……」と言ったきり、言葉が詰まってしまった。

つまりその女性は、ボランティア活動を、自分を飾るための道具として利用していただけ。
口もうまい。
言葉も巧み。
それとなく会話の中に、自分の善行を織り交ぜながら、相手を煙に巻く。
結果として、他人に、自分はすばらしい人間と思わせる。

「明日、町内の会合があるそうですが、私は行けません。
主人に代わりに行ってもらいます。
私には、一人、近所で、気になっている老人がいますので、その人を見回って
あげなければなりません。
かわいそうな人でね。
子どもは1人いるのですが、数年に1、2度、やってくるかどうかという人です。
あわれなもんです。
先日も、何かの書類が必要だというので、その老人のために、私は半日かけて
書類を集めてやりました」とか、何とか。

つまり一貫性がない。

そこまで親身になって独居老人の世話をしているというのなら、それなりの一貫性が
なければならない。
その一貫性が、こちら側に伝わってこなければならない。
さらに言えば、そこに至るまでのプロセスに、(自然さ)がなければならない。

たとえば以前、ある大学の教授の家を訪問したときのこと。
たまたまそこに、カンボジアの難民キャンプから帰ってきたばかりという女性がいた。
その女性は、左手を怪(けが)したとかで、まだ大きな包帯を幾重にも巻いていた。
「暴動に巻きこまれて、怪我をしました」「それで休暇をもらって、日本へ帰ってきて
います」ということだった。

そういう女性と話していると、(自然さ)を感ずる。
深い人間愛というか、人間味を感ずる。
哲学や人生観を感ずる。
どこにもスキがない。
私がここでいう(一貫性)というのは、それをいう。

で、私たちの世界では、先に書いたような女性のことを、「愛他的自己愛者」、つまり、
「偽善者」という。
もっとも軽蔑すべき人間ということになる。
なるが、先に書いたケアマネの人は、こう言って教えてくれた。

「そういう女性だとわかっていますが、そういう人でも、何かと助かっています」と。
偽善がときには、真善になるということもあるということか。
私には、とてもマネできないことだが……。


Hiroshi Hayashi++++++++JAN. 09++++++++++++はやし浩司

【末那識(まなしき)】

●偽善

 他人のために、善行をほどこすことは、気持ちがよい。
楽しい。
そう感ずる人は、多い。
俗にいう、「世話好きな人」というのは、そういう人をいう。
しかしそういう人が、本当に他人のことを思いやって、そうしているかと言えば、それは
どうか?

実は、自分のためにしているだけ……というケースも、少なくない。

このタイプの人は、いつも、心のどこかで、たいていは無意識のまま、計算しながら行動
する。
「こうすれば、他人から、いい人に思われるだろう」「こうすれば、他人に感謝されるだろ
う」と。
さらには、「やってあげるのだから、いつか、そのお返しをしてもらえるだろう」と。

心理学の世界でも、こういう心理的動作を、愛他的自己愛という。
自分をよく見せるために、他人を愛しているフリをしてみせることをいう。
しかしフリは、フリ。
中身がない。仏教の世界にも、末那識(まなしき)という言葉がある。
無意識下のエゴイズムをいう。わかりやすく言えば、偽善。

 人間には、表に現われたエゴイズム(自分勝手)と、自分では意識しない、隠されたエ
ゴイズムがある。
表に現れたエゴイズムは、わかりやすい。自分でも、それを意識することができる。

 しかし、この自分では意識しない、隠されたエゴイズムは、そうでない。
その人の心を、裏から操る。
そういう隠されたエゴイズムを、末那識というが、仏教の世界では、この末那識を、強く
戒める。

 で、日本では、「自己愛」というと、どこか「自分を大切にする人」と考えられがちであ
る。しかしそれは誤解。自己愛は、軽蔑すべきものであって、決して、ほめたたえるべき
ものではない。

 わかりやすく言えば、自己中心性が、極端なまでに肥大化した状態を、「自己愛」という。
どこまでも自分勝手でわがまま。
「この世界は、私を中心にして回っている」と錯覚する。「大切なのは、私だけ。あとは、
野となれ、山となれ」と。

 その自己愛が基本にあって、自己愛者は、自分を飾るため、善人ぶることがある。繰り
かえしになるが、それが愛他的自己愛。つまり、偽善。

 こんな例がある。

●恩着せ

 そのときその男性は、24歳。その日の食費にも、ことかくような貧しい生活をしてい
た。

 その男性から、相談を受けたXさん(女性、40歳くらい)がいた。その男性と、たま
たま知りあいだった、そこでXさんは、その男性を、ある陶芸家に紹介した。
町の中で、クラブ制の窯(かま)をもっていた。
教室を開いていた。その男性は、その陶芸家の助手として働くようになった。

 が、それがその男性の登竜門になった。その男性は、思わぬ才能を発揮して、あれよ、
あれよと思う間に、賞という賞を総なめにするようになった。20年後には、陶芸家とし
て、全国に、名を知られるようになった。

 その男性について、Xさんは、会う人ごとに、こう言っている。

 「あの陶芸家は、私が育ててやった」「私が口をきいてやっていなければ、今でも、貧乏
なままのはず」「私が才能をみつけてやった」と。
そして私にも、こう言った。

 「恩知らずとは、ああいう人のことを言うのね。あれだけの金持ちになっても、私には
1円もくれない。あいさつにもこない。盆暮れのつけ届けさえくれない」と。

 わかるだろうか?

 このXさんは、親切な人だった。そこでその男性を、知りあいの陶芸家に紹介した。
が、その親切は、ある意味で、計算されたものだった。
本当に親切であったから、Xさんは、その男性を、陶芸家に紹介したわけではなかった。
それに一言、つけ加えるなら、その男性が、著名な陶芸家になったのは、あくまでもその
男性自身の才能と努力によるもの。

 ここに末那識(まなしき)がある。

●愛他的自己愛

 この末那識は、ちょっとしたことで、嫉妬、ねたみ、ひがみに変化しやすい。
Xさんが、「恩知らず」とその男性を、非難する背景には、それがある。そこで仏教の世界
では、末那識つまり、自分の心の奥底に潜んで、人間を裏から操(あやつ)るエゴイズム
を、問題にする。

 心理学の世界では、愛他的自己愛というが、いろいろな特徴がある。ここに書いたのは、
偽善者の特徴と言いかえてもよい。

(1)行動がどこか不自然で、ぎこちない。
(2)行動がおおげさで、演技ぽい。
(3)行動が、全体に、恩着せがましい。
(4)自分をよく見せようと、ことさら強調する。
(5)他人の目を、強く意識し、世間体を気にする。
(6)行動が、計算づく。損得計算をいつもしている。
(7)裏切られるとわかると(?)、逆襲しやすい。
(8)他人をねたみやすく、嫉妬しやすい。
(9)他人の不幸をことさら笑い、話の種にする。

 こんな例もある。同じ介護指導員をしている、私の姉から聞いた話である。

●Yさんの仮面

 Yさん(60歳、女性)は、老人介護の指導員として、近所の老人家庭を回っていた。
介護士の資格はもっていなかったから、そのため、無料のボランティア活動である。

 とくにひとり住まいの老人の家庭は、数日ごとに、見舞って、あれこれ世話を焼いてい
た。
もともと世話好きな人ということもあった。

 やがてYさんは、町役場の担当の職員とも対等に話ができるほどまでの立場を、自分の
ものにした。
そして市から、介護指導員として、表彰状を受けるまでになった。

 だからといって、Yさんが、偽善者というわけではない。
またYさんを、非難しているわけでもない。仮に偽善者であっても、そのYさんに助けら
れ、励まされた人は、多い。
またYさんのような親切は、心のかわいたこの社会では、一輪の花のように、美しく見え
る。

 が、Yさんは、実は、そうした老人のために、指導員をしているのではなかった。
またそれを生きがいにしていたわけでもない。
Yさんは、「自分が、いい人間に思われることだけ」を考えながら、介護の指導員として活
動していた。

 みなから、「Yさんは、いい人だ」と言われるために、だ。Yさんにしてみれば、それほ
ど、心地よい世界は、なかった。

 しかしやがて、そのYさんの仮面が、はがれる日がやってきた。

 Yさんが、実父の介護をするようになったのである。

実父は、元気な人だったが、脳梗塞(こうそく)を起こしてしまった。
トイレや風呂くらいは、何とか自分で行けたが、それ以外は、寝たきりに近い状態になっ
てしまった。
年齢は、73歳(当時)。

 最初は、Yさんは、このときとばかり、介護を始めたが、それが1か月もたたないうち
に、今度は、実父を虐待するようになった。
風呂の中で、実父が、大便をもらしたのがきっかけだった。

 Yさんは、激怒して、実父に、バスタブを自分で洗わせた。
実父に対する、執拗な虐待が始まったのは、それからのことだった。

 食事を与えない。与えても、少量にする。
同じものしか与えない。初夏の汗ばむような日になりかけていたが、窓を、開けさせない。
風呂に入らせない。
実父が腹痛や、頭痛を訴えても、病院へ連れていかない、など。

 こうした事実から、介護指導員として活動していたときの、Yさんは、いわば仮面をか
ぶっていたことがわかったという。
ケアマネの人は、こう言った。

 「他人の世話をするのは、遊びでもできるけど、身内の世話となるいと、そうはいかな
いからね」と。

●子育ての世界でも

 親子の間でも、偽善がはびこることがある。無条件の愛とか、無償の愛とかはいうが、
しかしそこに打算が入ることは、少なくない。

 よい例が、「産んでやった」「育ててやった」「言葉を教えてやった」という、あの言葉で
ある。
昔風の、親意識の強い人ほど、この言葉をよく使う。

 中には、子どもに、そのつど、恩を着せながら、その返礼を求めていく親がいる。
子どもを1人の人間としてみるのではなく、「モノ」あるいは、「財産」、さらには、「ペッ
ト」としてみる。
またさらには、「奴隷」のように考えている親さえいる。

 息子(当時29歳)が、新築の家を購入したとき、その息子に向って、「親よりいい生活
をするのは、許せない」「親の家を、建てなおすのが先だろ」と、怒った母親さえいた。

 あるいは結婚して家を離れた娘(27歳)に、こう言った母親もいた。

 「親を捨てて、好きな男と結婚して、それでもお前は幸せになれると思うのか」「死んで
も墓の中から、お前を、のろい殺してやる」と。

 そうでない親には、信じがたい話かもしれないが、事実である。
私たちは、ともすれば、「親だから、まさかそこまではしないだろう」という幻想をもちや
すい。
しかしこうした(ダカラ論)ほど、あてにならないものはない。

 親にもいろいろある。

 もっとも、こうしたケースは、稀(まれ)。
しかしそれに近い、代償的過保護となると、「あの人も……」「この人も……」というほど、
多い。

●代償的過保護

 代償的過保護……。ふつう「過保護」というときは、その奥に、親の深い愛情がある。
愛情が基盤にあって、親は、子どもを過保護にする。

しかし代償的過保護というときは、その愛情が希薄。あるいはそれがない。「子どもを自分
の支配下において、自分の思いどおりにしたい」という過保護を、代償的過保護という。

 見た目には、過保護も、代償的過保護も、よく似ている。
しかし大きくちがう点は、代償的過保護では、親が子どもを、自分の不安や心配を解消す
る道具として、利用すること。
子どもが、自分の支配圏の外に出るのを、許さない。よくある例は、子どもの受験勉強に
狂奔する母親たちである。

 「子どものため」を口にしながら、その実、子どものことなど、ほとんど考えていない。
人格さえ認めていないことが多い。
自分の果たせなかった夢や希望を、子どもに強要することもある。
世間的な見得、メンツにこだわることもある。

 代償的過保護では、親が子どもの前に立つことはあっても、そのうしろにいるはずの、
子どもの姿が見えてこない。

 つまりこれも、広い意味での、末那識(まなしき)ということになる。
子どもに対する偽善といってもよい。
勉強をいやがる息子に、こう言った母親がいた。

 「今は、わからないかもしれないけど、いつか、あなたは私に感謝する日がやってくる
わよ。SS中学に合格すれば、いいのよ。お母さんは、あなたのために、勉強を強いてい
るのよ。わかっているの?」と。

●教育の世界でも

 教育の世界には、偽善が多い。
偽善だらけといってもよい。
教育システムそのものが、そうなっている。

 その元凶は「受験競争」ということになるが、それはさておき、子どもの教育を、教育
という原点から考えている親は、いったい、何%いるだろうか。
教師は、いったい、何%いるだろうか。

 教育そのものが、受験によって得る欲得の、その追求の場になっている。
教育イコール、進学。
進学イコール、教育というわけである。

さらに私立中学や高校などにいたっては、「進学率」こそが、その学校の実績となっている。
今でも夏目漱石の「坊ちゃん」の世界が、そのまま生きている。
数年前も、関東地方を中心にした、私立中高校の入学案内書を見たが、どれも例外なく、
その進学率を誇っていた。

 SS大学……5人
 SA大学……12人
 AA大学……24人、と。

 中には、付録として、どこか遠慮がちに別紙に刷りこんでいる案内書もあったが、良心
的であるから、そうしているのではない。
毎年、その別紙だけは、案内書とは分けて印刷しているために、そうなっている。

 この傾向は、私が住む、地方都市のH市でも、同じ。
どの私立中高校も、進学のための特別クラスを編成して、親のニーズに答えようとしてい
る。

 で、さらにその元凶はいえば、日本にはびこる、職業による身分差別意識と、それに不
公平感である。
それらについては、すでにたびたび書いてきたのでここでは省略するが、ともかくも、偽
善だらけ。

 つまりこうした教育のあり方も、仏教でいう、末那識(まなしき)のなせるわざと考え
てよい。

●結論

 私たちには、たしかに表の顔と、裏の顔がある。
文明という、つまりそれまでの人間が経験しなかった、社会的変化が、人間をして、そう
させたとも考えられる。

 このことは、庭で遊ぶスズメたちを見ていると、わかる。
スズメたちの世界は、実に単純、わかりやすい。礼節も文化もない。
スズメたちは、「生命」まるだしの世界で、生きている。

 それがよいとか、はたまた、私たちが営む文明生活が悪いとか、そういうことを言って
いるのではない。

 私たち人間は、いつしか、自分の心の奥底に潜む本性を覆(おお)い隠しながら、他方
で、(人間らしさ)を追求してきた。
偽善にせよ、愛他的自己愛にせよ、そして末那識にせよ、人間がそれをもつようになった
のは、その結果とも言える。

 そこで大切なことは、まず、そういう私たち人間に、気づくこと。
「私は私であるか」と問うてみるのもよい。
「私は本当に善人であるか」と問うてみるのもよい。あなたという親について言うなら、「本
当に、子どものことを考え、子どものために教育を考えているか」と問うてみるのもよ
い。

 こうした作業は、結局は、あなた自身のためでもある。あなたが、本当のあなたを知り、
ついで、あなたが「私」を取りもどすためでもある。

 さらにつけたせば、文明は、いつも善ばかりとはかぎらない。
悪もある。その悪が、ゴミのように、文明にまとわりついている。それを払いのけて生き
るのも、文明人の心構えの一つということになる。
(はやし浩司 末那識 自己愛 偽善 愛他的自己愛 愛他的自己像 私論)
(050304)

【補記】

●みんなで偽善者を排斥しよう。偽善者は、そこらの犯罪者やペテン師より、さらに始末
が悪い

++++++++++++++++++

もう1作、見つかったので、
そのまま紹介します。

++++++++++++++++++

●仏教聖典
(Buddah’s Teaching)

仏教伝道協会発行の「仏教聖典」を座右の書とするようになって、そろそろ1年になる。
この本は、どこの旅館やホテルにも置いてある。そこでこの本のことを知った。
一度、あるホテルのマネージャーに売ってくれないかと頼んだことがあるが、断られた。
そこで協会のほうへ直接注文して、取り寄せた。料金は後払いでよいということだった。

内容については、私のBLOGやマガジンのほうでも、たびたび、
引用させてもらっている。

まず「因縁(いんねん)」について……。

因と縁のことを、「因縁」という。
因とは、結果を生じさせる直接的原因。縁とは、それを助ける外的条件である。
あらゆるものは、因縁によって生滅するので、このことを「因縁所生」などという。
この道理をすなおに受け入れることが、仏教に入る大切な条件とされる。
世間では転用して、悪い意味に用いられることもあるが、本来の意味を逸脱したもので
あるから、注意を要する。
なお縁起というばあいも、同様である。(同書、P318)

+++++++++++++++++

仏教聖典、いわく、

『この人間世界は苦しみに満ちている。
生も苦しみであり、老いも、病も、死も、みな苦しみである。
怨みのあるものと会わなければならないことも、
愛するものと別れなければならないことも、
また求めて得られないことも苦しみである。
まことに執着(しゅうじゃく)を離れない人生は、すべて苦しみである。
これを苦しみの真理、「苦諦(くたい)」という』(P42)

こうした苦しみが起こる原因として、仏教は、「集諦(じったい)」をあげる。
つまりは、人間の欲望のこと。この欲望が、さまざまに姿を変えて、苦しみの原因となる。

では、どうするか。

この苦しみを滅ぼすために、仏教では、8つの正しい道を教える。
いわゆる「八正道」をいう。

正見、正思惟、正語、正業、正命、正精進、正念、正定の8つをもって、八正道という。

(1) 正見 ……正しい見解
(2) 正思惟……正しい思い
(3) 正語 ……正しい言葉
(4) 正業 ……正しい行い
(5) 正命 ……正しい生活
(6) 正精進……正しい努力
(7) 正念 ……正しい記憶
(8) 正定 ……正しい心の統一(同書)をいう。

仏教聖典には、こうある。

『これらの真理を人はしっかりと身につけなければならない。
というのは、この世は苦しみに満ちていて、この苦しみから逃れようとするものは、
だれでも煩悩を断ち切らなければならないからである。
煩悩と苦しみのなくなった境地は、さとりによってのみ、到達し得る。
さとりはこの8つの正しい道によってのみ、達し得られる(同書、P43)。

以前、「空」について書いたことがある。

+++++++++++++++

●すべて「空」

 大乗仏教といえば、「空(くう)」。この空の思想が、大乗仏教の根幹をなしているといっ
ても過言ではない。つまり、この世のすべてのものは、幻想にすぎなく、実体のあるもの
は、何もない、と。

 この話は、どこか、映画、『マトリックス』の世界と似ている。あるいは、コンピュータ
の中の世界かもしれない。

 たとえば今、目の前に、コンピュータの画面がある。しかしそれを見ているのは、私の
目。そのキーボードに触れているのは、私の手の指、ということになる。そしてその画面
には、ただの光の信号が集合されているだけ。

 私たちはそれを見て、感動し、ときに怒りを覚えたりする。

 しかし目から入ってくる視覚的刺激も、指で触れる触覚的刺激も、すべて神経を介在し
て、脳に伝えられた信号にすぎない。「ある」と思うから、そこにあるだけ(?)。

 こうした「空」の思想を完成したのは、実は、釈迦ではない。釈迦滅後、数百年後を経
て、紀元後200年ごろ、竜樹(りゅうじゅ)という人によって、完成されたと言われて
いる。釈迦の生誕年については、諸説があるが、日本では、紀元前463年ごろとされて
いる。

 ということは、私たちが現在、「大乗仏教」と呼んでいるところのものは、釈迦滅後、6
00年以上もたってから、その形ができたということになる。そのころ、般若経や法華経
などの、大乗経典も、できあがっている。

 しかし竜樹の知恵を借りるまでもなく、私もこのところ、すべてのものは、空ではない
かと思い始めている。私という存在にしても、実体があると思っているだけで、実は、ひ
ょっとしたら、何もないのではないか、と。

 たとえば、ゆっくりと呼吸に合わせて上下するこの体にしても、ときどき、どうしてこ
れが私なのかと思ってしまう。

 同じように、意識にしても、いつも、私というより、私でないものによって、動かされ
ている。仏教でも、そういった意識を、末那識(まなしき)、さらにその奥深くにあるもの
を、阿頼那識(あらやしき)と呼んでいる。心理学でいう、無意識、もしくは深層心理と、
同じに考えてよいのでは(?)。

 こう考えていくと、肉体にせよ、精神にせよ、「私」である部分というのは、ほんの限ら
れた部分でしかないことがわかる。いくら「私は私だ」と声高に叫んでみても、だれかに、
「本当にそうか?」と聞かれたら、「私」そのものが、しぼんでしまう。

 さらに、生前の自分、死後の自分を思いやるとよい。生前の自分は、どこにいたのか。
億年の億倍の過去の間、私は、どこにいたのか。そしてもし私が死ねば、私は灰となって、
この大地に消える。と、同時に、この宇宙もろとも、すべてのものが、私とともに消える。

 そんなわけで、「すべてが空」と言われても、今の私は、すなおに、「そうだろうな」と
思ってしまう。ただ、誤解しないでほしいのは、だからといって、すべてのものが無意味
であるとか、虚(むな)しいとか言っているのではない。私が言いたいのは、その逆。

 私たちの(命)は、あまりにも、無意味で、虚しいものに毒されているのではないかと
いうこと。私であって、私でないものに、振りまわされているのではないかということ。
そういうものに振りまわされれば振りまわされるほど、私たちは、自分の時間を、無駄に
することになる。

●自分をみがく

 そこで仏教では、修行を重んじる。その方法として、たとえば、八正道(はっしょうど
う)がある。これについては、すでに何度も書いてきたので、ここでは省略する。正見、
正思惟、正語、正業、正命、正精進、正念、正定の8つをもって、八正道という。

 が、それでは足りないとして生まれたのが、六波羅密ということになる。六波羅密では、
布施、持戒、忍辱、精進、善定、知恵を、6つの徳目と位置づける。

 八正道が、どちらかというと、自己鍛錬のための修行法であるのに対して、六波羅密は、
「布施」という項目があることからもわかるように、より利他的である。

 しかし私は、こうしてものごとを、教条的に分類して考えるのは、あまり好きではない。
こうした教条で、すべてが語りつくされるとは思わないし、逆に、それ以外の、ものの考
え方が否定されてしまうという危険性もある。「まあ、そういう考え方もあるのだな」とい
う程度で、よいのではないか。

 で、仏教では、「修行」という言葉をよく使う。で、その修行には、いろいろあるらしい。
中には、わざと体や心を痛めつけてするものもあるという。怠(なま)けた体には、そう
いう修行も必要かもしれない。しかし、私は、ごめん。

 大切なことは、ごくふつうの人間として、ごくふつうの生活をし、その生活を通して、
その中で、自分をみがいていくことではないか。悩んだり、苦しんだりしながらして、自
分をみがいていくことではないか。奇をてらった修行をしたからといって、その人の人格
が高邁(こうまい)になるとか、そういうことはありえない。

 その一例というわけでもないが、よい例が、カルト教団の信者たちである。信者になっ
たとたん、どこか世離れしたような笑みを浮かべて、さも自分は、すぐれた人物ですとい
うような雰囲気を漂わせる。「お前たち、凡人とは、ちがうのだ」と。

 だから私たちは、もっと自由に考えればよい。八正道や、六波羅密も参考にしながら、
私たちは、私たちで、それ以上のものを、考えればよい。こうした言葉の遊び(失礼!)
に、こだわる必要はない。少なくとも、今は、そういう時代ではない。

 私たちは、懸命に考えながら生きる。それが正しいとか、まちがっているとか、そんな
ことを考える必要はない。その結果として、失敗もするだろう。ヘマもするだろう。まち
がったこともするかもしれない。

 しかしそれが人間ではないか。不完全で未熟かもしれないが、自分の足で立つところに、
「私」がいる。無数のドラマもそこから生まれるし、そのドラマにこそ、人間が人間とし
て、生きる意味がある。

 今は、この程度のことしかわからない。このつづきは、もう少し頭を冷やしてから、考
えてみたい。
(050925記)
(はやし浩司 八正道 六波羅密 竜樹 大乗仏教 末那識 阿頼那識)

++++++++++++++++

八正道の中でも、私は、正精進こそが、
もっとも重要だと思う。

とくに、今の私のように、健康で、何一つ
不自由のない生活をしているものにとっては、
そうである。

けっして今の状況を、怠惰に過ごしてはいけない。
時間にはかぎりがあり、人生にも、それゆえに
限界がある。

それこそ死を宣告されてから、悟りを求めても、
遅いということ。

たとえば肺ガンを宣告されてから、タバコをやめたり、
胃ガンを宣告されてから、飲酒をやめても、遅い。

健康であるなら、さらに今の生活が満ち足りたものであるなら、
なおさら、私たちは、精進に精進を重ねる。

一瞬、一秒たりとも、無駄にできる時間はない。
また無駄にしてはいけない。

正精進について書いた原稿がある。
一部内容がダブるが、許してほしい。

++++++++++++++++++++

●正精進

 釈迦の教えを、もっともわかりやすくまとめたのが、「八正道(はっしょうどう)」とい
うことになる。仏の道に至る、修行の基本と考えると、わかりやすい。

 が、ここでいう「正」は、「正しい」という意味ではない。釈迦が説いた「正」は、「中
正」の「正」である。つまり八正道というのは、「八つの中正なる修行の道」という意味で
ある。

 怠惰な修行もいけないが、さりとて、メチャメチャにきびしい修行も、いけない。「ほど
ほど」が、何ごとにおいても、好ましいということになる。が、しかし、いいかげんとい
う意味でもない。

 で、その八正道とは、(1)正見、(2)正思惟、(3)正語、(4)正業、(5)正命、(6)
正念、(7)正精進(8)正定、をいう。広辞苑には、「すなわち、正しい見解、決意、言
葉、行為、生活、努力、思念、瞑想」とある。

 このうち、私は、とくに(8)の正精進を、第一に考える。釈迦が説いた精進というの
は、日々の絶えまない努力と、真理への探究心をいう。そこには、いつも、追いつめられ
たような緊迫感がともなう。その緊迫感を大切にする。

 ゴールは、ない。死ぬまで、努力に努力を重ねる。それが精進である。で、その精進に
ついても、やはり、「ほどほどの精進」が、好ましいということになる。少なくとも、釈迦
は、そう説いている。

 方法としては、いつも新しいことに興味をもち、探究心を忘れない。努力する。がんば
る。が、そのつど、音楽を聞いたり、絵画を見たり、本を読んだりする。が、何よりも重
要なのは、自分の頭で、自分で考えること。「考える」という行為をしないと、せっかく得
た情報も、穴のあいたバケツから水がこぼれるように、どこかへこぼれてしまう。

 しかし何度も書いてきたが、考えるという行為には、ある種の苦痛がともなう。寒い朝
に、ジョギングに行く前に感ずるような苦痛である。だからたいていの人は、無意識のう
ちにも、考えるという行為を避けようとする。

 このことは、子どもたちを見るとわかる。何かの数学パズルを出してやったとき、「や
る!」「やりたい!」と食いついてくる子どももいれば、逃げ腰になる子どももいる。中に
は、となりの子どもの答をこっそりと、盗み見する子どももいる。

 子どもだから、考えるのが好きと決めてかかるのは、誤解である。そしてやがて、その
考えるという行為は、その人の習慣となって、定着する。

 考えることが好きな人は、それだけで、それを意識しなくても、釈迦が説く精進を、生
活の中でしていることになる。そうでない人は、そうでない。そしてそういう習慣のちが
いが、10年、20年、さらには30年と、積もりに積もって、大きな差となって現れる。

 ただ、ここで大きな問題にぶつかる。利口な人からは、バカな人がわかる。賢い人から
は、愚かな人がわかる。考える人からは、考えない人がわかる。しかしバカな人からは、
利口な人がわからない。愚かな人からは、賢い人がわからない。考えない人からは、考え
る人がわからない。

 日光に住む野猿にしても、野猿たちは、自分たちは、人間より、劣っているとは思って
いないだろう。ひょっとしたら、人間のほうを、バカだと思っているかもしれない。エサ
をよこせと、キーキーと人間を威嚇している姿を見ると、そう感ずる。

 つまりここでいう「差」というのは、あくまでも、利口な人、賢い人、考える人が、心
の中で感ずる差のことをいう。

 さて、そこで釈迦は、「中正」という言葉を使った。何はともあれ、私は、この言葉を、
カルト教団で、信者の獲得に狂奔している信者の方に、わかってもらいたい。彼らは、「自
分たちは絶対正しい」という信念のもと、その返す刀で、「あなたはまちがっている」と、
相手を切って捨てる。

 こうした急進性、ごう慢性、狂信性は、そもそも釈迦が説く「中正」とは、異質のもの
である。とくに原理主義にこだわり、コチコチの頭になっている人ほど、注意したらよい。
(はやし浩司 八正道 精進 正精進)

【補足】

 子どもの教育について言えば、いかにすれば、考えることが好きな子どもにするか。そ
れが、一つの重要なポイントということになる。要するに「考えることを楽しむ子ども」
にすればよい。

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 
Hiroshi Hayashi education essayist writer Japanese essayist 正見、正思惟、正語、正業、
正命、正精進、正念、正定の8つをもって、八正道 仏教聖典 はやし浩司)


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●猿・害

++++++++++++++++++++

山荘の近くに、山猿が出没するようになった。
昨年の秋くらいからのことである。
山荘の、山ひとつ隔てた奥では、現在、第二東名
の工事が急ピッチで進んでいる。
おそらくそこを追われた山猿たちである。

いろいろないたずらをする。
雨どいを壊す、テレビのアンテナを折る。
電話線を切る、など。

で、昨日、ワイフが「見て!」と言ったので
そちらを見ると、山猿が5、6匹いた。
まだ青い栗を食べていた。

身近にあった空のペットボトルをパンパンと
叩きながら、大声で、ワーッと叫んでやった。
山猿たちは、それほどあわてるといったふうでも
なく、悠然と、その場を去っていった。

親子連れだった。

++++++++++++++++++++++++

●栗の木

 そこで今日、栗の木を切ることにした。
電動のチェーンソーをもってきて、先の細い枝から切り落としていった。
ウィーン、バサバサ……。
ギギーン、バサバサ……。

 落ちた枝を、ワイフが下で集める。
それを見ながら、上から木を落とす。

 30分もすると、乾いた夏の日差しを受けて、全身から汗が噴き出すのがわかった。
気持ちよかった。
こうした作業をいやがる人も多いが、私は好き。
楽しい。
憎き山猿の顔を思い出しながら。やがて太い枝を切り落とす。
それが終われば、栗の木は、丸裸。

 (このときの様子は、ビデオに収録。
YOUTUBEにアップロード済み。)

 枝を片付けると、栗の実が、かなりの数、地面に落ちていた。
ワイフがそれを集める。
「あとでガソリンをかけておくよ」と私。

 餌があるから、山猿がやってくる。
餌がなければ、やってこない。

 時期をみて、サクランボの木も切るつもり。
柿の木と、桃の木も切るつもり。
これらの木は、みな、実はなるが、私たちは食べたことがない。
食べる前に、鳥や山猿が来て、みな、食べてしまう。
だから、切る。

 こうした山の中では、畑作は無理。
「ニンニクくらいしか、できないよ」と、隣の農家の女性が話してくれたのを思い出す。
言い忘れたが、このあたりでは、イノシシも出る。
ほかにハクビシン、イタチ、モグラ、タヌキ……。
みな、いる。
最近は、イノシシの害もふえてきた。
山荘の近くにも、何頭か住んでいる。

 本当のことを言うと、私には、それが楽しい。
イノシシと見たときも、ハクビシンを見たときも、うれしかった。
昨日、山猿を見たときも、実は、うれしかった。
こういうことがあるから、山荘ライフは、やめられない。

 が、その私が栗の木を切る。
矛盾しているようだが、これは山荘を守るため。
これ以上、壊されたら、たまらない。
だから栗の木を切る。
山猿には悪いが、(本当のところ、「悪い」とは、まったく思っていない)、
ここは心を鬼にするしかない。

 本音を言えば。山猿も楽しいが、その対策を考えるのも、これまた楽しい。
山荘ライフの醍醐味は、ここにある。

私「あいつら、がっかりするだろうね」
ワ「仕返し、しないかしら?」
私「ハハハ、そんなことしたら、今度は有刺鉄線を張り巡らせてやる」
ワ「それはかわいそうよ」
私「わかっている……」と。

 結構、重労働だった。
あとで体重計に乗ってみたら、58・7キロ!
ここ30年で、最低記録。
汗をかいた分だけ、体重が減った。

 山荘からの帰り道、自衛隊の基地の近くにある、カレー店で、私は、
夏野菜カレーを食べた。
おいしかった。
水を、ガブガブと飲みながら……。


Hiroshi Hayashi++++++++AUG.09+++++++++はやし浩司

●8月25日

++++++++++++++++++

今朝は、8時間、たっぷりと眠った。
眠る前、SPという女性専用の精神安定剤を
半分、舌の先で溶かしてのむ。
(通常は1錠、もしくは2錠が適量だそうだ。)

それをのむと、朝までぐっすりと眠られる。

で、起きてパソコンに電源を入れる。
TK先生(恩師)からのメールが届いていた。
今日は、そのメールを読むところから
始まった。

昨日、山荘の栗の木を切った。
そのとき撮ったビデオを、先生に送った。
その返事。

++++++++++++++++++

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*Mind Energy

●エネルギー

++++++++++++++++++

大学時代の友人のこと。
数か月前、その友人が、
交通事故訴訟で、やっと結審を迎えた。
長い裁判だった。
4~5年もかかった。
本来なら、もっと早く片づくべき裁判
だった。
が、保険会社がごねた。

この不況下ということもある。
保険会社は、支払い保険金をできるだけ安く
すませようする(?)。
そこで結果的には、裁判は、東京高裁にまで
もちこまれた。

しかし裁判をつづけるにも、それなりの
エネルギーがいる。
長くて、苦しい闘いがつづく。
いくら「勝つ」とわかっている裁判でも、
「裁判をする」ということ自体、不愉快。
裁判所へ足を運ぶということだけでも、
たいへん。
気が滅入る。
膨大なエネルギーを消耗する。
その日が来るたびに、重苦しい気分に
包まれる。

++++++++++++++++++

●不正の追及

 正義を貫くには、それほどの努力はいらない。
それなりに自分を守れば、それですむ。
たいへんはたいへんだが、しかし悪の追及と比べたら、何でもない。
とくに力関係に差があるときは、そうである。

 たとえば(個人)と(組織)。
個人が、組織の悪と対峙したようなばあいを考えてみよう。
個人のもつ財力、人脈には限界がある。
一方、組織には、財力も人脈もある。
冒頭に書いた友人の交通事故裁判にしても、そうだ。

 訴えるのは、個人。
相手は巨大組織。

 地裁という下級審においても、3~4年の歳月を要した。
裁判をつづけながら、友人は、その一方で、週に3~4回、病院へ通わねばならなかった。
「首の骨のズレは、交通事故によるものではない。老化によるもの」というのが、保険会社の言い分だった。
ほかにもいろいろある。
いろいろあって、そのつど難ぐせをつけ、保険会社は、保険金の支払いをしぶった。

 保険会社という大企業にとっては、裁判といっても、事務手続きのひとつにすぎない。
しかし被害者である個人にとっては、そうではない。
そうでないことは、裁判を経験したことがある人なら、みな、知っている。
裁判でなくても、家庭裁判所の調停でもよい。
あのイヤ~ナ気分には、独特のものがある。

●トラブル

 それがどんなトラブルであるにせよ、人は、できるだけトラブルに巻き込まれるのを避けようとする。
わずらわしい。
本当に、わずらわしい。
いわんや、裁判をや!

 私も、20年近く前、貸金の返還請求というのをしたことがある。
たいした額ではなかったが、相手の男の不誠実な態度が許せなかった。
それで最終的には、民事調停ということになったが、あのとき感じた、イヤ~ナ気分は、今でも忘れない。

 それを知っているから、友人も、さぞかし不愉快な思いをしたにちがいない。
その友人は、こう言っている。

「林君、保険に入るとしても、民間の保険会社とは契約してはいけないよ。
公的な機関の保険に加入したほうがいいよ」と。

 私も、それまでに、30年近く民間の生命保険会社と契約を結んでいたが、10年ほど前、解約した。
一度、何かのことで保険金を請求しようと電話を入れたら、窓口の女子店員に、門残払いをされてしまった。
私の話すら、じゅうぶんに聞いてくれなかった。
「病気になり、後遺障害が残ったら、保険金の支払いの対象になるとあるではないか」と迫ったが、だめだった。
相手にされなかった。

 不信感がつのり、そのまま解約。

 それにしても、裁判だけで、4~5年。
最後は、東京高裁!
こんなバカげた保険会社が、どこにある!

 そうそう友人は、こうも言った。

「あいつら、とにかく保険金を払わない。
だから『裁判で争おう』と、しっかりと言うことだ。
そうすれば、払ってくれる」と。


●本漆(ほんうるし)

 実家を処分したとき、古い家財が、ごっそりと出てきた。
その中でも、価値があると思われるのは、本漆(ほんうるし)の食器類。
たいはんは、近所の人たちに無料で分けてやった。
残ったのは、この浜松へ持ち帰った。
が、何と言っても量が多い。

 そこで毎晩のように、仲のよいいとこたちに電話をかけ、それを分けてやっている。
みんな、喜んでくれている。

で、昨夜、改めて箱を見たら、「大正11年」と書いてあった。
今から100年近くも前の漆器である。
「古いもの」とは思っていたが、そこまで古いとは、思っていなかった。

 ズシリと重い。
塗りが厚いので、深みがまるでちがう。
しかも本漆。
スポンジで洗っただけで、そのまま新品のような光沢を放つ。

Saturday, September 26, 2009

*Sep 27th 2009

●ルーム・ウォーカー

毎日、40~50分は、ルーム、ウォーカーで、歩いている。
当初は、10分とか、1キロに設定していたが、
最近は、20分とか、2キロに設定している。
(使用時間か、距離数で設定できるようになっている。)
それはそれでよいのだが、……というか、やはり
20分はしないと、汗は出てこない。
有酸素運動ということになれば、20分以上は、したほうがよい。
10月からは、1回につき、30分に挑戦してみる。

ところが、である。
予期しなかった現象が出てきた。
伏兵というのである。

実は、昨日、道路を歩いていて、2度もころびそうになった。
一度は、階段を上がるとき。
もう一度は、何と、深々としたジュータンの上を歩くとき。

理由はやはり、ルーム・ウォーカーにあることがわかった。
ルーム・ウォーカーでは、歩くとき、膝をほとんどあげないで歩く。
(いざり歩き)というか、足裏をベルトにほとんどこすりつけるようにして歩く。
それがクセになり、そのままの歩き方で、道路を歩く。
ちょっとしたことで、つまずくようになった(?)。

そこで私は考えた。

ルーム・ウォーカーに、ハードル競技のような、小さなハードルをとりつけることにした。
足でひっかけてもよいように、厚紙のようなものでつくればよい。
まだ実行していないが、このあと朝食が終わったら、さっそく、やってみよう。
そうすれば歩くのに合わせて、膝をあげるようになる。

うまくいけばよいのだが……。
ところでその分だけ、このところサイクリングをする回数が減っている。
居間でいつでも運動ができる……という思いが、サイクリングを減らす理由になっている。
便利なことはよいのだが、ルーム・ウォーカーにも、いろいろ問題があるようだ。


●ミニパソコン

 ミニパソコンを、現在、3台使っている。
HP社のもの、MSI社のもの、それにACER社のもの。
それぞれに一長一短があって、どれがよいということにはならない。
が、今の私には、ACER社のものが、いちばん使い勝手がよい。
「ASPIRE ONE」という機種である。

 ただし画面が8インチしかない。
で、現在、10インチのものに交換しようしている。
が、どこの店も、「下取りはしません」とのこと。
しかたないので、ネットで、新しいのを注文しようと考えている。
価格は、どんどんさがって、今では、3万4000円前後。
最初に買ったときの、約半額!
どうしようか?

 
●芝生

 秋になったせいなのか、芝生の一部が枯れ始めた。
水不足かもしれない。
この数か月間で、まとまった雨が降ったのは、2回だけ。
これでは芝生も、根を張ることさえできない。

 で、昨日、近くの店で、肥料を買ってきた。
全体にまいて、その上にたっぷりと水をかけてやった。
今は、その芝生の先端に、無数の種らしきものができている。
そのため芝刈り機で、芝を刈ることもできない。
今しばらく様子を見て、……つまりもう少し芝が伸びるのを見届けてから、芝を刈るつもり。


●ハトの巣

 居間の前の栗の木に、ドバトが巣を作り始めた。
が、今朝見たら、巣は、からっぽ!
「どうしたんだろ?」とワイフに話しかけたら、ワイフが、「リスよ」と。

 リスが出没するようになって、もう10年近くになる。
当初は、餌まで買ってきて歓迎したが、それはまちがいだった。
リスのおかげで、野鳥が巣を作らなくなってしまった。

 前にも書いたが、リスは、地上のネズミ。
長いシッポの生えた、ネズミ。
あんなリスを見て、「あら、かわいい」と喜んでいる人の気がしれない。

(今日は9月27日、日曜日)


Hiroshi Hayashi++++++++Sep.09+++++++++はやし浩司

Thursday, September 24, 2009

*Magazine dated Sep 25th

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子育て最前線の育児論byはやし浩司   09年 9月 25日
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http://bwhayashi2.fc2web.com/page013.html

メルマガ(6万3000誌)の中で、2008年度、メルマガ・オブ・ザ・イヤーに
選ばれました!

【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●クレヨンしんちゃん

++++++++++++++++++

ある高校生から、掲示板のほうに、
こんな書きこみがあった。

【Tさんより、はやし浩司へ】

私は、高校2年生の遠山です。
今私は放送部に所属しています。
毎年秋のアナウンス大会では、「自分の住んでいる県または市について」という題で
原稿を書いています。そこで今年は私が住んでいる埼玉県の話ということで春日部市が
舞台になっているクレヨンしんちゃんについて書こうと思っています。

理由は、私自身が昔からしんちゃんが好きだという気持ちもあるのですが、しんちゃんの
育児教育についてテレビで目にしたからです。この大会の原稿というのは、ただ単に地元
話題を書くだけではなく、その話題の内容を含めて日本の社会のありかたなど、誰が聞いてもためになる話であったり、理解され受け入れてくれる話でなければいけないのです。

私は、クレヨンしんちゃんの面白さ以外の意味をこの年になって初めて知りました。この
しんちゃんのもうひとつの意味をみんなに知って欲しい(特に同年代の人に)と思ってい
ます。

もしよければはやし先生にクレヨンしんちゃんの親と子の関係の良さと、現代の日本の教
育との関係などについてお答えいただければと思っております。

せっかくの子供の教育についてのご相談の場所においてこのような質問をし、大変申し訳
ございません。是非ともお答えのほうよろしくお願いいたします。

【はやし浩司より、Tさんへ】

 クレヨンしんちゃんについては、大きな誤解があります。
テレビのアニメ番組について、「子どもに見せたくない番組」のワーストワンに
あげられることもしばしばです。

 しかしもしあなたが、コミック本のほうの、Vol.1~12前後まで読まれたら、印象は
大きく変わるでしょう。
そういう点では、テレビのアニメ番組のほうは、ギャグ化され、しんのすけ君の悪い面ば
かりが、おもしろおかしく、誇張されすぎています。
とても残念に思っています。

 いくつか、よい点をあげてみます。

(1)最近、しんのすけ君のようなたくましい男児が、減っている。(男児の女児化が問題
になって、すでに20年以上になる。母親中心の育児環境が、男児の女児化を促進
してしまった。)
(2)みさえさんの育児観がすばらしい。(夫に対しても、しんのすけ君に対しても、全幅
に心を開いている。基本的信頼関係の構築という点では、世の母親たちは、おおい
にに見習うべき。言い換えると、心を閉ざした育児ほど、子どもに悪影響を与える
ものはない。)
(3)育児のたいへんさをうまく表現している。(育児は、それ自体重労働。たいへんな重
労働。それを世の男性諸君は、知らなさすぎる。『男は仕事、女は家庭、育児』と安
易に考えすぎている。)
(4)みさえさんの生きざまは、新しい母親像の見本。(とくに新潟と九州の父親とのやり
取りが、おもしろい。相手が舅(しゅうと)といっても、遠慮する必要はない。今、
舅、姑との確執問題で悩んでいる若い母親が多い。おおいに参考にしたらよい。)
(5)友だち親子。(みさえやヒロシは、しんのすけを、1人の人間として、その人格を尊
重している。こうした育児観は日本人にはないもの。つまり日本の親たちは、「友」
として子どもの横に立つという習慣をもっていない。そういう点で、野原家の育児
論は、参考になる。
(6)子どもらしい性への疑問と関心。(コミック本のほうでは、しんのすけ君の、性への
疑問と関心が、実にうまく生き生きと描かれている。Vol1~12あたりまでは、臼井
家族の実体験的なコミックと考えてよい。私も幼児を教えて40年以上になるが、
読んでいて、違和感がないのは、そのため。ただし繰り返すが、テレビのアニメ番
組のほうは、たしかによくない。制作を担当しているプロダクションが勝手に料理
しすぎているためでは!)

 ほかにもいろいろよい点はたくさんあります。
小生の「野原家の育児論」を参考にしてください。
なおこの文中では、急いで書いたため、固有名詞、名前など、まちがっているところがあ
るかもしれません。
(はやし浩司曰く……)と断りを入れてくださるなら、ここに書いた原稿を、自由に使っ
ていただいて、結構です。

参考……
http://shizuoka.cool.ne.jp/bwhayashi/page065.html

 では、はやし浩司

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 
BW はやし浩司 クレヨンしんちゃん・野原家の子育て論)


【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【たぬき村】(改作・追加)

●あいさつ

++++++++++++++++++

ムカ~シ(昔)といっても、今の時代だが、
あるところに、「たぬき村」という村があった。……ある。

そこでは、何が本当で、何がウソか、まったくわからない。
虚々実々。
たとえば村の人たちの交わすあいさつにしても、こうだ。

「よお、うちで、昼飯でも食っていかんけエ?」と声をかける。
これに答えて、声をかけられたほうは、
「悪いのオ、今、食べてきたところでのオ」と。

昼飯を誘う方も、本気で誘っているのではない。
形だけ。
本気で、「昼飯を食っていけ」と言っているのではない。
あくまでもあいさつ。

言われたほうも、それをよく承知している。
いくら空腹でも、そう答える。
「食べてきたところでのオ」と。

そのあたりでは、どこの家も、昼は茶漬けですますという習慣がある。
食事らしい食事を用意している家など、ない。
本当に相手が、「食べていこうか」などとでも答えたら、さあ、たいへん。
上を下をの、大騒ぎになる。

で、たぬき村。
その物語。
始まり、始まり……。

++++++++++++++++++

●村の習慣

 うまいものは、隠れて食べる。
まずいものは、隠して食べる。
食べ方は同じだが、中身がちがう。

 うまいものを食べているのを知られると、「ぜいたく」と叱られる。
まずいものを食べているのを知られると、「貧乏」と笑われる。
だからうまいものは、隠れて食べる。
まずいものは、隠して食べる。
それがその村の習慣。

みながそうしているから、ひとりだけ別行動と言うわけにはいかない。
別行動をしたとたん、「変わり者」というレッテルを張られる。
さらにさからえば、あの恐ろしい「村八分」。
村八分が待っている!

●詮索

 村の人たちは、詮索しあって生きている。
「他人の不幸話ほど、おもしろいものはない」と、だれも、口にこそ出しては言わないが、
みな、そう思っている。
 で、ひとたび、どこかの家で不幸な話があると、またたく間に、村中に広がる。

「ああ、あわれや、あわれや……。Aさんとこの息子は、傷害事件を起こし、今度
高校を退学になったそうや……。ああ、あわれや。かわいそうや」と。

 ときに涙声になるが、もちろん、涙は一滴も出ない。
あるいはよく使う言葉が、これ。

「ここだけの話ですがね……」
「あの人の悪口だけは言いたくないのですがね……」
「私はどちらでもいいと思っているのですが、村の人ほかのたちは、
何と言いますかねエ……」と。

●相対的価値観

 だからたぬき村の人たちは、たがいの家の内情を、たいへんよく知っている。
昔から『米櫃(びつ)の中の、米の数まで知っている』というが、それはけっして
おおげさな言い方ではない。
それこそ息子や娘たちの給料の明細まで、知っている。
 現金収入、アルバイト収入、副収入……。
すべて知っている。

 そしてたぬき村での幸福感は、相対的なもの。
「他人より、よい生活ができれば、リッチ、幸福」
「他人より、悪い生活になれば、プア、不幸」と。

 だから隣人の生活が気になる。
気になってしかたない。
そして最後は、こうなる。

『みんなで渡れば怖くない』
『出る釘は打たれる』
『渡る世間は、鬼ばかり』と。

 それがたぬき村の処世術。

●ドロドロした人間関係

 年功序列、上下意識、権威主義、家父長意識、加えて「家」意識。
たぬき村には、みな、残っている。
封建時代の邑(むら)意識が、そのまま、残っている。
しっかりと残っている。
たぬき村には、「正直」「誠実」という言葉は、ない。
あるとすれば……、

『小悪を暴露して、大悪を隠す』
『小善をなして、善人ぶる』
『建前で本音を隠す』などなど。

 ついでに『面従腹背』というのもある。
表面的にはにこやかにつきあいながら、裏で足を引きあう。
のどかな、のどかな、どこまでも牧歌的な温もりのする世界だが、
その皮を一枚むけば、そこにあるのはドロドロした人関係。
それが底なしに渦巻いている。

●嫉妬と見栄

 たぬき村の人は、概して言えば、嫉妬深い。
それが先に書いた、足の引きあいということになる。
驚くなかれ、たぬき村では、「香典抜き」は、日常茶飯事。

 だれかが亡くなって葬式になったとする。
で、そういうとき、香典を、ぜったいに村の人に預けてはいけない。
頼んでもいけない。
3万円の香典が、1万円に化けるなどということは、当たり前。
中には、香典そのものをかすめてしまう人もいる。

 遠方に住む親類からの送金については、なおさらである。
……こんなことを書くと、「そんなことをすれば、すぐバレてしまうでしょう」
と思う人もいるかもしれない。

 しかしそこはたぬき村。
香典抜きをするにしても、たがいの微妙な人間関係を知り尽くした上でする。
たがいに連絡を取り合うことはないだろうということを知り尽くした上で、それを
する。

●口がうまい

 たぬき村の人は、口がうまい。
お世辞、へつらい、おじょうずは、日常の会話。

「あなたが今度、祭の役人に加わってくださったら、みんな、喜びますよ。
なんといっても、あなたがこの村の立役者ですから」と。
で、その人がその気になって祭の会合に出ても、その話はいっさい、なし。
どこかみな、シラーとしている。

 が、こんな程度のことで、腹を立てていたら、村の人たちとのつきあいはできない。
「そういうもの」と割り切ってつきあうしかない。
だから会合に誘ってくれた人には、こう言って言い返す。

「みんな楽しそうですね。いい雰囲気です。何といっても、祭は祭りですから……」と。
ついでにカラ笑いをしてみせる。
カラカラと豪快に、カラ笑いをしてみせるほど、よい。

●新しく薬局が開店

 そんな村に大異変が起きた。
「田舎暮らし」キャンペーンとかなんとかに踊らされた、1人の都会人が、
その村に移住してきた。
村のはずれに、薬局を開いた。
元、薬剤師の男性だった。

 その男性は、近所のあちこちを回り、それなりに礼を尽くした。
しかし開店当日から、客はゼロ。
あの手この手で、宣伝に努めたが、(もちろん価格も安くしたが……)、
客はゼロ。

 それもそのはず。
その村には、もう一軒、薬局というより、昔からの小さな薬屋があった。
その薬屋の経営者が、その村でも長老格の親分だった。

 村の人たちは、無言の圧力を感じて、新しい薬局へ入ることができなかった。

●浜松市

 日本もまだまだ、広い。
つまい地域によっては、こうしたウソがまったく通用しない地域もある。

 たとえば私が現在住んでいる浜松市の人たちは、ものの考え方がストレート。
もの売買でも、駆け引きをしない。
ものを買うとき、それを値切る人はいない。
口もへただし、おじょうずも言わない。

 私もこの町に住んで40年近くになる。
当初はあれこれ、戸惑ったこともあるが、今は、この町が好き。
すがすがしさを覚える。
この町では、なにかにつけ、相手が言った通りのことをすればよい。
私の義兄、義姉にしても、みな、そうだ。
私のワイフなど、とくにそうだ。

 また同じ「村」といっても、浜松市周辺の村々は、たいへんわかりやすい。
ときに、それを冷たく感ずることもあるが、そのほうが気が楽。
そんなある日、ワイフと私が、たぬき村にある、一軒の家に一泊することになった。

●タクシー

 ある出版社の編集部長の紹介で、M氏という人の家に一泊することになった。
編集部長の母親の実家だった。
「その村のレポートを書いてほしい」と頼まれて、一泊することになった。

 が、居心地はよくなかった。
で、朝になって帰る支度をしているときのこと。
私がM氏の妻に、こう頼んだ。
「今なら10時ごろの電車に間に合いますから、タクシーを呼んでくれませんか」と。
たぬき村から、JRのN駅までは、車でちょうど1時間。
帰り支度をしていると、そこでM氏がやってきた。
そして私にこう言った。

 「なあ、あんたさん、そのタクシー代、私にくれんかね?
私が駅まで送ってやるに」と。

 この言葉には、言いようのない不快感を覚えた。
タクシー代といっても、8000円前後。
そのタクシー代を、「くれんかね?」と。
私は、その申し出を、ていねいに断った。

そうそう、その朝、こんなこともあった。

「電車の時刻もあるから、私は、朝食は結構ですと断った。
しかし、である。
さあ、M氏の家を出ようとすると、そこに朝食が用意してあった。

 私が「朝食は食べないと言ったつもりですが……」と言うと、M氏の
妻(50歳くらい)はこう言った。
「まあ、そんなこと言わんでもいいから、食べていきなさい。
また来てもらわねばならなんから」と。

 一事が万事というか、たぬき村では、日本語が通じない。
みな、それぞれが、自分流のやり方で動いてしまう。

「この村の人たちは、何を考えているか、さっぱりわからない」と。
私はふと、タクシーの中で、そう漏らした。

 そう、まったくわからない。
だから「たぬき村」。

●相づち

 たぬき村では、相手が何を言っても、相づちだけは打ってはいけない。
相づちを打てば、今度は、あなたが言ったこととして、他人に話が伝わってしまう。

 たとえばMさんが、あなたにこう言ったとする。
「Xさんって、ずるい人よ」と。
それに応えて、あなたが、「そうよ」と言ったら、さあたいへん。
収拾がつかなくなってしまう。
今度は、Mさんは、あなたが言った言葉として、みなに知らせてしまう。

 あなたが、「Xさんって、ずるい人よ」と言っていた、と。

 だからだれかの悪口を聞いても、たぬき村の人たちは、意味のわからない笑みか、
フフフと笑って、すます。
否定することもできない。
否定すれば、相手の気分を害する。
気分を害すれば、どこでどのようにまた、あなたの悪口を言われるか、わかったものでは
ない。

 ここが重要な点だから、もう一度、書いておく。
だれかが、だれかの悪口を言っても、あなたはその場は笑ってごまかす!

●たぬき村をつなぐもの

 そんなたぬき村だが、なぜか、結束力は固い。
それもそのはず、みなが、何らかの形で、姻戚関係にある。
A氏の妻は、B氏の妹。
B氏の母親は、C氏の弟。
C氏の弟の娘は、Dさんの嫁・・・、と。

 人間関係だけではない。
土地関係も、これまた複雑に入り組んでいる。

 A氏の宅地の一角に、B氏名義の土地がある。
そのB氏名義の土地の、そのまた中に、C氏名義の土地がある。

 中には、代々放置され、今ではだれの土地かわからないものもある。
登記簿を調べても、3代前のG氏のもの。
G氏の子孫は、みな、たぬき村を離れて、今では、連絡先すらわからない・・・、と。

 こういう関係だから、たがいにいがみあいながらも、それでいて、なんとなくみな、
仲よく暮らしている。
それがたぬき村。

●村祭り

 たぬき村の人口については、よく知らない。
近くの新聞販売店の店主に聞いてみたところ、新聞の配達部数は、45部だそうだ。
それを3倍して、約150人というところか。

 たったの45軒。
あるいは45世帯。
そんな小さな村だが、いちばんの重要ごとは、秋の祭り。
村の予算の8割を、一夜の祭りのために使ってしまうというから、すごい!

 打ち上げ花火、弁当の配布、餅まき・・・と。
その祭りで演じられる神楽舞(かぐらまい)は、300年の歴史があるとか。
テレビや新聞でも、ときどき紹介される。
そのこともあって、たぬき村の人たちは、その祭りをやめるにやめられない。
「祭りは、村の顔」。

 負担も大きい。
村会費(積立金)だけでも、一世帯あたり、毎月、1万5000円。
共働き、兼業農家の世帯は、2万円。
若い人たちの間では、「やめよう」という意見も出ている。
しかし60歳以上の、「長老」と呼ばれる人たちが、それを許さない。

 見栄だけは張る。
張って張って、張りまくる。
それがたぬき村。

●たぬき

 たぬきといっても、(善良なたぬき)もいれば、(腹黒いたぬき)もいる。
が、その差は、紙一重。
(善良なたぬき)といっても、これまた演技。
善良なたぬきと思っていると、それが別のところでは、腹黒いたぬきに変身したりする。
腹黒いたぬきも、それなりに善良なたぬきを演ずることもある。
が、概して言えば、たぬきはたぬき。

『小悪を暴露して、大悪を隠す』
『慇懃(いんぎん)無礼で証拠を残さない』
『連絡を取り継がない』などなど。
話のすりかえ、とぼけ、ごまかしなどは、日常茶飯事。

 一本筋の通った文化性がない。
いつもあたりをキョロキョロを見回しながら、様子をうかがう。
様子をうかがいながら、自分の行動を決める。
だからたぬき村の人たちは、なによりも世間体を気にする。
とくに冠婚葬祭を気にする。

 もちろん派手であればあるほど、よい。
派手であればあるほど、その家の「力」と評価される。
たぬき村での地位も高くなる。

 たぬき村……どこの村の話ということではない。
たぬき村は、どこにでもある。
あなたの近くにもある。

●報復

 こんなことがあった。
ある日Hさん(50歳・女性)の家に電話があった。
Hさんは、留守だった。
で、電話をかけたIさん(50歳・女性)が、伝言を残した。
「風邪だと聞いていたけど、お元気ですか?」と。

 Hさんは、伝言を聞いたが、それには返事をしなかった。
たいした内容の電話ではないと思った。
というより、夜も遅かったので、その電話のことは忘れた。

 が、それから1か月ほどたったある日のこと。
Iさんが、こんな話をしているのを耳にした。
なんでもIさんが、その年に初盆を迎える世帯の人たちのために、世話役を
決めようと、Hさんに相談した。
が、Hさんが、それを無視した、と。

 Hさんは、そこではじめて世話役の話を知った。
が、Iさんから、そんな相談を受けたこともない。
Hさんに、そのことで、それとなく抗議すると、Iさんは、こう言った。
「あら、話しませんでした。留守だったので、留守番電話に伝言を入れておいたのですが
・・・」と。

 たぬき村では、電話をもらったら、必ず、返事をしなければならない。
無視すれば、かならずなんらかの報復を受ける。

●上下意識

 たぬき村の最大の特徴は、上下意識。
上下意識というか、上下関係。
それが年齢に応じて、きびしく決められている。

 たった1歳でも、年長は年長。
年下のものは、年長者に、ぜったい服従。
苦言を口にすることすら、許されない。
そんなわけで、もっとも力のあるのは、村で、「長老」と呼ばれている人たち。
現在、80歳以上の老人が、5人もいる。
1人をのぞいた、残りの4人が、村を取り仕切っている。
1人というのは、村でもつまはじき者。
若い時から、詐欺まがいの仕事ばかりしていた。

 その上下関係のワクの中で、妻や子どもたちの地位や立場も決まる。
村の会合でも、その序列に従って男たちは席につき、女たちは、男たちに給仕する。
序列の低い女たちは、裏方。
序列の高い女たちは、席に出て、茶をくんだり、酒をついだりする。

●「住んでみたいわ」

 そんなたぬき村が、地方局だが、テレビに紹介されたことがある。
2人の旅行者が、あちこちの村を訪れ、いろいろと村の話を聞くという番組だった。
そのときは、たぬき村が選ばれた。
たぬき村の人たちは、みな緊張した。

 結局、その相手は、たぬき村のK氏(44歳)がすることになった。
K氏だけが、学卒、つまり大学を出ていた。

 で、その日はやってきた。
橋を渡って2人の旅行者が村に入る。
それをK氏が迎える。
しばらく村の案内をしたあと、村の人たちが作った山菜料理をみなで食べる。
そういう段取りだった。

 が、突然、旅行者兼レポーターの若い女性が、こう言った。
台本にはないセリフだった。

「すばらしいところですね。緑が多くて、空気がおいしいわ。私、こんなところに
住んでみたい。私のような者でも、住めますか」と。

 K氏は落ち着いた声で、こう答えた。
「ええ・・・住めますよ」と。
 しかしそれを聞いたたぬき村の人たちは、みな、こう言って吐き捨てた。
「こいつはターケぬかせ!」と。
たぬき村では、「愚か者」をさして、「ターケ」という。
つまり、レポーターの若い女性をさして、「バカぬかせ」と言った。

●よそ者

 たぬき村では、外の世界から入ってきた人のことを、「よそ者」と呼ぶ。
しかし「よそ者」というのは、ただのよそ者ではない。
たぬき村では、3代住んで、はじめて仲間という掟(おきて)がある。
それまでは、村八分。
葬儀を除いて、村の行事には参加させてもらえない。

 最近はこの掟も少しは緩んだと聞いているが、しかし3代。
水は、村の中心にある神社、(「お宮様」と彼らは呼んでいるが・・・)、その神社の
横から出ている湧水を分け合って使っている。
3代も住まないと、その水すら、分けてもらえない。

 それまでは井戸の水。
農薬の混ざった井戸の水。

 たぬき村の住人は、こう言った。
「この村で迎えられるのは、元校長格の学校の先生、医者、あるいは芸術家のような
変わり者」と。

 「元サラリーマンはどうですか?」と聞くと、その人は、こう言った。
「そんな人は、住めません」と。

 実際、戦後、たぬき村に移住してきたのは、1人だけ。
しばらく薬局を経営していたが、2年後にはまた、元の都会へと戻っていった。
その男の話は、もう少しあとに書く。

●本音と建前

 たぬき村の人たちは、本音を言わない。
すべてが建前だけで動く。
そのため、一皮むけば、その下でどす黒い、いがみあいが渦を巻いている。

 足の引き合いは、日常茶飯事。
そのためほかの世界では見られない珍現象が、よく起きる。

 たとえばいくら急病でも、救急車は呼ばない。
呼べば、村の話題になるだけ。
そういうこともあって、たぬき村では、葬式が、なによりも重大事。
ある男性は、はからずもこう言った。
「あいつが死ぬのを見届けないかぎり、おれは死なない」と。

 あるいはこう言った男性もいた。
「こいつはオレより年上だから、オレより先に死ぬんだなと思ったら、気が楽に
なった」と。

 最終的な人間関係は、葬式によって結論づけられる。
だから葬式ほど、虚々実々の駆け引きがなされる場も、ない。
悲しくもないのに、悲しそうな顔をする。
うれしいのに、悲しそうな顔をする。

 そうそう実の兄が死んだとき、葬式の場で、大声で泣いてみせた女性もいた。
それまでさんざん兄を虐待しておきながら、である。

●みな、武藤

 どこの村にも、そうした話はあるが、たぬき村にもある。
たぬき村は、その昔、○○藩の家老を出した、由緒ある村ということになっていた。
そのこともあって、明治になって名字をもつことが許されるようになると、たぬき村の
人たちは、みな、「武藤」姓を名乗るようになった。

 たぬき村では、1軒をのぞいて、みな、「武藤」。
1軒というのは、昔からの庄屋で、その家だけは、江戸時代の昔から、「泉谷」という
姓を名乗っていた。
 しかし今は、その泉谷家は戦後の農地解放で田畑のほとんどを失い、落ちぶれてしま
った。

 ・・・それはともかくも、たぬき村では、みな、名前のほうで、たがいに呼び合って
いる。
しかも難解な名前が多い。
辞書が手元にあっても、その読み方すらわからない。
たとえば・・・といって、ここに名前を出すわけにはいかない。
創作で適当な名前を書くことも、できなくはないが、しかし私の創作力にも限界がある。
たぬき村の人たちの名前は、私の創作力を超えている。

●では、どうするか?

 たぬき村は、相手を知り尽くせば、それなりにおもしろい。
「日本にも、こういうところが残っているのだなあ」と、ときに、感心することもある。
が、鉄則は、ただひとつ。

 いつもどこかで一線を引いてつきあうこと。
けっして深入りしてはいけない。
巻き込まれてはいけない。
動物園で動物を観察するようなつもりで、観察する。

 というのも、たぬき村の人たちは、自分たちは、それでも(まとも)と思い込んでいる。
外の世界を知らない。
だから自分たちが、(標準)と思い込んでいる。
もちろん自分たちが、(たぬき)とは思っていない。
すべてがそういう尺度で動いている。

 だから、説教したり、説明したりしても、無駄。
言うだけ無駄。
反対に、「あなたには義理人情というものが、わからないのですか」とやり返されてしまう。
200年、300年とつづいた、伝統ある(?)村の意識は、そうは簡単には変えられ
ない。

 そうそう先に薬局を出した男性の話を書いた。
これは私が当事者から直接聞いた、実話である。
「薬局」、つまり「薬屋」というのも、本当の話である。

 で、その男性は、こう考えていた。

「1年ほど薬局を経営してみて、それが軌道に乗ったら、都会に住む家族を呼び寄せよう」
と。
しかし1年を待たずして、薬局は閉店。
つぎには日雇いの労働者となって、工事現場で働くようになった。
が、やがてそれも限界に来た。
その男性は、薬局と自宅を売り払い、さらにその1年後、再び、都会へ逆戻り。

 で、私には、こう言った。
「たぬき村には、もうこりごり。二度と、あんなところへは行きたくありません」と。

 たぬき村とは、そんな村をいう。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hay
ashi 林浩司 BW はやし浩司 たぬき村 タヌキ村 邑意識 邑物語)


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●メタ認知能力(Metacognitive Ability)

+++++++++++++++++++++

「メタ認知能力」?
私は新しい概念に出あったりすると、
それが何であるかを知るために、ときどき
こういう手法をもちいる。

(メタ認知能力のすぐれた人)を想定する。
一方で、(メタ認知能力に欠ける人)を想定する。
その両者を比較する。
比較して、その(ちがい)を洗い出す。

この手法は、教室でもよく使う。
たとえば(問題のある子ども)がいたとする。
そういうときは、(問題のない子ども)と比較しながら、
その(ちがい)を洗い出す。

++++++++++++++++++++++

●メタ認知能力のある人

 「メタ認知能力」とは何か?
実のところ、私にもよくわからない。
だから私なりの解釈を加えてみる。
が、私の解釈が正しいとはかぎらない。
実のところ、意識に関する概念は、どれもむずかしい。
意識そのものが、漠然としている。
概念としては理解できるが、そこまで。
たとえば「潜在意識」というものにしても、概念としては理解できるが、
どれが潜在意識で、どれがそうでないかというと、それがよくわからない。
「これが潜在意識」とわかったとたん、それは潜在意識ではなくなる。
「意識」ということになる。

そういう前提で、つまりまちがっているかもしれないという前提で、
私なりに、メタ認知能力について、書いてみる。
だからここに書くことが、「メタ認知能力」というわけではない。

●私の性質

 たとえば私は、ひねくれやすい性質をもっている。
子どものころからずっとそうで、それには私の乳幼児期の育児環境が大きく影響して
いる。
こんなことがあった。

 小学2年生のときのことだった。
その日、私は弁当を忘れた。
母が作り忘れた。
で、担任の先生が、自分の弁当箱のフタに、みなから少しずつごはんとおかずを
集めてくれた。
それを私にくれた。
しかし私は、それを食べなかった。
食べられなかった。
がんとして、それを拒否した。

 ふつうなら、みなの好意をそのまま受け入れて、「ありがとう」と言ってたべるだろう。
心がすなおに育っている子どもなら、そうする。
が、私には、それができなかった。
 今でも、それが残っている。

●分離不安症?

 弁当を食べなかったのは、私の(がんこさ)だったかもしれない。
プライドが許さなかったのかもしれない。
が、こういう例で説明すれば、もう少しよく、私のゆがんだ性質を、
わかってもらえるかもしれない。

 たとえば私は子どものころから、ひとりで寝るのが苦手だった。
若いころは、それなりに気力で自分を支えたが、結婚してからは、がくんと
弱くなってしまった。
以来、ワイフとは、いつも床を同じくして、眠っている。
が、これにも私の生い立ちが関係している。

 で、そういう中にありながら、私はそれを心のどこかで(引け目)に感じている。
ときどきワイフも、そういう言う。
「あなたは、おとなの分離不安症よね」と。

 だからたとえば、ワイフが先に、さっさと床に入ってしまったようなときなど、
あのひねくれやすい症状が顔を出す。
置いてきぼりをくらったかのような、怒りを覚える。
そしてこう思う。
「だれがあんなヤツと、いっしょに寝てやるか!」と。

 私は、書斎の横にある部屋で、ひとりで寝る。
そういう私を心配して、ワイフがやってきて、こう言う。
「何をいじけているの! 早く寝なさいよ」と。
私はワイフの言葉にせかされ、いそいそと寝床に入っていく……。

●ひねくれ症状

 実はつい先日も、そういう状況になった。
が、そのときはちがった。
私は「メタ認識能力」という言葉を知っていた。
で、それを自分に応用してみた。

 ワイフは、先に床に入った。
私が部屋に入ると、すでに寝息をたてて眠っていた。
それを見て、またまたあのひねくれ症状が出てきた。

 で、そのとき私はその(症状)がどこから出てくるかを、自分で観察してみた。
が、不思議なことに、本当に不思議なことに、観察し始めたとたん、それが
パーッと、霧のように散ってしまった。

 これには驚いた。
もともと(ひねくれ症状)には、実体がない。
本来の(私)の上に、雲のように、おおいかぶさっているだけ。
理屈があるわけでもない。
理由などない。
私は「ナ~ンだ、こんなものか」と思いながら、いつものように寝床に入った。

●メタ認知能力のない子ども

 が、もしメタ認識能力がなかったら、どうなるか。
(この解釈は、最初に断ったように、私独自の解釈で、正しいとはかぎらない。)
外部に表象される意識だけが、(意識)ということになる。
そして結果的には、その意識だけに振り回されることになる。

 こうした現象は、子どもの世界でも、ときどき観察される。
算数という勉強に当てはめて、考えてみる。

 たとえば何かの問題を解かせると、中に、こう聞いてくる子どもがいる。
「先生、これ足し算の問題? それとも引き算の問題?」と。

 もう少し学年が大きくなってくると、こう聞いてくる子どもがいる。
「先生、割り算でするの? それとも掛け算でするの?」と。

 こうした子どもたちには、問題の中の数字しか目にとまらない。
数字だけ見、それを加工して、答を出そうとする。

 同じようにおとなたちにしても、その場だけの状況に応じて、
ものごとを判断しようとする。
そういうおとなは、多い。
このタイプのおとなは、何かあるとアタフタするだけ。
あとは取り越し苦労とヌカ喜び。
それを繰り返す。

●ある女性

 こんなことがあった。
ある女性(当時、65歳くらい)がいた。
90歳近い母親を介護していた。
その母親について、「夏場になると、老臭がひどくて困る」と。

 そこで私はつぎのように提案してみた。
「換気扇をつけたらどうでしょう」→「それを取りつける、穴がない」
「穴を開ければいいですよ」→「そういう道具がない」
「大きなドリルであけます。電気屋に相談すれば、貸してくれますよ」→「家に傷を
つけたくない」
「換気扇があれば、何かと便利です。家の湿気も取ります」→「うちは湿気ません」と。

 こういう意味のない押し問答がいつまでも、つづいた。
つまりその女性の頭の中には、(老臭)という問題しかなかった。
「だからどうしたらいいのか」と、考えることすらできなかった。
で、この女性の思考回路は、先に「先生、これ足し算の問題? それとも引き算の問題?」
と聞いた小学生の思考回路と、どこもちがわない。

 が、メタ認識能力というときは、さらにその先をいう。
もしその女性が、「なぜ、自分が老臭を嫌うという意識をもつのか」という心の深い部分
にまでメスを入れていたら、もう少し介護の仕方も変わっていたのではないか。

 つまりその女性にとっては、親の介護そのものが負担だった。
そこに至る理由はいろいろあるだろう。
私のような部外者の知るところではない。
それが形を変えて、「老臭」につながった。
だから最初から、その女性にしてみれば、老臭など、どうでもよかった。
「介護はたいへんだ」ということを他人に訴えるための、口実にすぎなかった。
ただの愚痴にすぎなかった。

 だから私があれこれと解決策を示しても、その女性はそれには応じてこなかった。
ああでもない、こうでもないと、別の理由をこじつけては、それに反論した。

 メタ認知能力がないと、自分を客観的に観察する能力すら、失う。
そこにある問題に気づくこともなく、あわてふためく。

●ちがい

 こうして考えていくと、メタ認知能力のある・なしを、比較することができる。
(かっこ)内は、メタ認知能力がない人ということになる。

(1)自分を客観的に評価できる。(視野が狭くなる。)
(2)自分の未来を、予想することができる。(その場だけのことしかわからない。)
(3)問題解決の技法を、すみやかに見つけることができる。(あたふたするだけ。)
(4)解決方法を、多角的に見つけることができる。(ひとつの方法にこだわる。)
(5)新しい問題に対して、チャレンジする。(できることしか、しない。)
(6)感情のコントロールができる。(感情的になりやすい。)
(7)臨機応変に環境に適応できる。(不適応症状を示しやすい。)
(8)人間的な豊かさ、深みがある。(全体に浅はかな印象を与える。)
(9)心に余裕があり、おおらか。(心に余裕がなく、セカセカしている。)

 このメタ認知能力は、「訓練によってのみ、伸ばすことができる」(ブラウン、フラベル)
という。
そのためには、まず、メタ認知能力というものがどういうものであるかを知らなければ
ならない。

 わかりやすく言えば、「意識を意識化する」。
今、自分がもっている意識を、別の意識で客観的に知る。
それによって、メタ認知能力を身につけることができる。

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi
Hayashi 林浩司 BW メタ認知能力 Metacognitive Ability メタ認識 メタ認知)

(補記)

 私たちがもっている「意識」ほど、不可解で、いいかげんなものはない。
「私は私」と思う意識にしても、そうだ。
どこからどこまでが「私」かとなると、それがわからない。

 最近の大脳生理学によれば、私たちの意識ですらも、脳の別のところであらかじめ
作られるということまで、わかってきた。
それが無意識の段階から、意識の段階まであがってきて、私たちはそのとき、
それを自分の意識として自覚する。
そしてそれを「私」という。

 わかりやすい例でいえば、女性が化粧をするのも、男性がかっこよく見せようとする
のも、結局は、性的エネルギー(フロイト)が、裏からその人を操っているからにほか
ならない。
当の本人は、「私の意思で化粧している」「ぼくの意思でかっこよくしている」と思って
いるかもしれない。
が、実のところ心の奥深くから湧きおこる、性的エネルギーに操られているだけ。

 私たちが意識として意識できる部分というのは、脳の中でも、ほんの一部にすぎない。
一説によれば、数10万分の1とも言われている。
そのほかの意識は、無意識の世界で、私たちを内側から操っている。

 となると、メタ認知能力の重要性がますますクローズアップされてくる。
私たちの(意識)を、その奥にある意識でもって、客観的に観察、判断、さらには
コントロールする。

 こうした能力は、ほかの動物たちにはない能力とみてよい。
ほかの動物たちは、意識される意識のみに従って、行動している。
が、人間はちがう。
意識される意識を、べつの意識で観察、判断、さらにはコントロールする。
つまりそれこそが、人間と、他の動物たちを隔てる壁ということになる。

●補記

 ここに書いたことは、まちがっているかもしれない。
(多分、まちがっている。)
しかし考えるテーマとしては、おもしろい。
もし「私」を、別の「私」によって、知ることができたら、これほど楽しいことはない。
言うなれば、心の鏡のようなもの。
その鏡に自分の心を映して、自分の心を知る。
心がどんな顔をしているかが、それでわかる。

 まだまだ、このつづきを考えてみたい。


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