【マガジン・復刻版】
Feb 4th 2008, I will issue the 1000th celebrated magazine with my honor. I started this magazine on June 6th 2001 and since then I have published my magazines twice and three times (later) per week. It has been a long way to come up here. I just remember one day I thought while I was writing articles like this: “Shall I be on this world when I issu the 1000th magazine?” Yes, I am still alive! I can see, I can think, I can hear and I am alive. What else can I ask the world more? Here on this occasion I would like to express my greatest thanks to all of these readers and people who have supported me in the past. Thank you very much! Here I would like to introduce some of my magazines which I issued more than 6 years ago.
+++++++++++++++++
2008年の2月1日、私の電子
マガジンは、999号を迎えます。
次回、2月4日、1000号を迎えます。
遠い道のりでした。
いつだったか、1000号の発行日を
計算しながら、「それまで生きているだろうか」
と考えたことがあります。
しかし私は、生きています。
こうして元気に生きています。
目も見える。
音も聞こえる。
体も動く。
健康です!
みなさん、ありがとうございました。
第1号~は、Eマガの過去版のほうに
収録されています。興味をもってくださる
人がいれば、どうか、また目を通して
みてください。
今回は、その復刻版を改めて読みなおし
ながら、自分なりのコメントを書き添えて
みたいと思います。
++++++++++++++++++
http://www.emaga.com/bn/list.cgi?code=hhayashi2
++++++++++++++++++
彡彡人ミミ 彡彡彡彡彡
| ⌒ ⌒ | MM ⌒ ⌒ MM
q 0―0 MMMMM ∩ ∩ MM m
(″ ▽ M ⌒ ⌒ M″ v ゛)/ ̄)
凸/Σ▽乃q ・ ・ p ̄Σ▽乃 ̄` /
\ /(″ ▽ ゛)\ 厂 ̄
===○=======○====
子育て最前線の育児論
================
2001年6月6日号
by はやし浩司(ひろし)
トピックス
● はじめまして!
● 育児診断ができるぞ
● 子育て定期検診ができるぞ
● はやし浩司、ってどんな人?
● どんなことを考えている……?
●はじめまして!
今回から、E-マガジン、初登場です。よろしくお願いします。
子育ての最前線でがんばっている、お母さん、お父さんのためのマ
ガジンです。
この日本、エラーイ先生も、私のようなエラークない先生もいます。
どこが違う……かって?
エラーイ先生には、実戦経験がない。しかし私はいつも子育ての最
前線で、お母さんたちと戦ってきた。いわば、最前線の現場指揮官
というわけです。経験は豊富です。たいていの問題には、答えられ
ます。お助けできます。そんな私が皆さんのお役に、少しでもたて
ればと思い、このマガジンを発行することにしました。
はやし浩司
● 育児診断ができるぞ!
あなたは過保護ママ? 過干渉ママ? それとも溺愛ママ?
診断方法 …… http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/
の「子育て診断」→「過保護ママ?」を開いてみてください。
30項目の質問に答えるだけ(少したいへんかな?)。でも一度は診
断してみてください。わかっているようで、意外とわかっていないの
が、自分の子育てです。
● 子育て定期検診もできます!
あなたのお子さんは、園や学校から帰ってきたら、どこで疲れた心
と体を休めていますか。
あなたのいる前で、心と体を休めていればよし。しかし……。そん
な日常的な様子から、あなたの子育てを定期検診します。
検診方法 …… http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/
の「子育て診断」→「定期検診」を開いてみてください。
● はやし浩司って、どんな男?
現在、中日新聞で、子育て論を連載しています。2001年6月
で、もう丸4年になります(東海版、毎週土曜日朝刊)。
Http://www.chunichi-tokai.co.jp/education/child_world/
を開いてみてください。最近のコラム50作が、紹介されていま
す。決してあやしい男(あやしいかな?)ではありません。意外
とオーソドックス、正統派です。
☆ ただいま、会員募集中!(無料です!)
ただいまE-マガジンの会員を募集しています。毎回定期的に、み
なさんのところに、E-マガジンセンターから、このようなマガジ
ンが送られてきます。どうか、ご登録ください。
無料です。一切、負担はありません。かつ、E-マガジンのもろもろ
の子育て情報を、無料で手に入れることができます。
会員登録のしかた ……
(1)下をクリックする
http://www.emaga.com/
(2)E-マガジンの画面が出てくる。
(3)右上の「検索」で、「最前線」と記入して、検索をクリック!
(4)私のE-マガジンが紹介されていますから、そこで購読を登録!
では、皆さんのご来訪をお待ちしています!
+++++++++++++++++++++
以上が、第1号です。このときは、読者はゼロでした。
つづいて、第4号。このとき読者は、7人になって
いました。
+++++++++++++++++++++
彡彡人ミミ 彡彡彡彡彡
| ⌒ ⌒ | MM ⌒ ⌒ MM
q 0―0 MMMMM ∩ ∩ MM m
(″ ▽ M ⌒ ⌒ M″ v ゛)/ ̄)
凸/Σ▽乃q ・ ・ p ̄Σ▽乃 ̄` /
\ /(″ ▽ ゛)\ 厂 ̄
===○=======○====
子育て最前線の育児論
================
2001年7月6日号(004号)
by はやし浩司(ひろし)
★★★★★★★★
01-7-6号
★★★★★★★★
*************************
★静岡県教育委員会発行の、「ファミリス」に、9月号から
連載記事が載ります。どうかご覧になってください。
「教育委員会」というと、コワ~イイメージをもって
おられる方も多いと思いますが、私の記事は、きわめて
実用的です。楽しみにしておいてください。
★「別冊PHP」9月号(7・23発売)に特集記事が載ります。
どうかご覧になってください。
★「浜松百撰」で、子育て対談をします。7月24日予定ですので、
記事はそれ以後載ると思います。ご注目ください。
**************************
あなたの子育てをチェックしてみませんか?
お子さんのちょっとした、しぐさの中に、
実は重大な警告が隠されている……というようなことが
よくあります。
たとえば……
(机とお子さんの相性)
● お子さんが好きそうな食べ物や、おもちゃをそっと
机の上に置いてみてあげてください。
そのときお子さんが
(1) そのまま机に座って、食べ物を食べたり、おもちゃ
で遊んだりすれば、だいじょうぶ。
(2) しかしその食べ物やおもちゃを、別の場所に移動して
食べたり、遊んだりするようであれば、お子さんと
机の相性はよくないとみます。
長い間、相性の悪い机を使っていると、勉強嫌い……
ということにもなりかねませんので、ご注意ください。
● 同じように、たとえば親子の断絶なども、ちょっとした様子
から、その初期症状を知ることができます。
それをまとめたのが、「子育て診断」です。わかりやすい15項目に
してみましたので、どうかご活用ください。
詳しくは……
http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/
の中、
(育児診断)→(子育て危険度早期診断)をご覧になってください。
7月10日に、新居町教育委員会のほうで、講演をします。その席を
借りて、結果の集計をし、その結果は、また私のホームページのほうに
掲載しておきますので、11日以後、結果をお知りになりたい方は、どう
かまたご覧になってください。
**************************************
親子の断絶が始まるとき
● 最初は小さな亀裂
最初は、それは小さな亀裂で始まる。しかしそれに気づく親は少ない。「まさか……」「ま
だ何とかなる……」と思っているうちに、やがて互いの間の不協和音は大きくなる。そしてそれが、断絶へと進む……。
今、「父親を尊敬していない」と考えている中高校生は五五%もいる。「父親のようになりたくない」と思っている中高校生は七九%もいる(「青少年白書」平成十年)。が、この程度ならまだよいほうだ。親子といいながら会話もない。廊下ですれ違っても、目と目をそむけあう。まさに一触即発。親が何かを話しかけただけで、子どもは「ウッセー!」と。そこで親は親で、「親に向かって、何だ、その態度は!」となる。あとはいつもの大げんか!
……こう書くと、たいていの親はこう言う。「うちはだいじょうぶ」と。「私は子どもに感謝されているはず」と思っている親もいる。しかし本当にそうか。そこでこんなテスト。
あなたの子どもが、学校から帰ってきたら、どこで体を休めているか、それを観察してみてほしい。そのときあなたの子どもが、あなたのいるところで、あなたのことを気にしないで、体を休めているようであれば、それでよし。あなたと子どもの関係は良好とみてよい。しかし好んであなたの姿の見えないところで体を休めたり、あなたの姿を見ると、どこかへ逃げて行くようであれば、要注意。かなり反省したほうがよい。ちなみに中高校生の多くが、心が休まる場所としてあげたのが、(1)風呂の中、(2)トイレの中、それに(3)ふとんの中だそうだ(「学外研」九八年報告)。
● 断絶の三要素
親子を断絶させるものに、三つある。権威主義、相互不信、それにリズムの乱れ。「私は親だ」というのが権威主義。「子どものことは、私が一番よく知っている」という親ほど、あぶない。
この権威主義が強ければ強いほど、子どもは親の前では、仮面をかぶる。いい子ぶる。その分だけ、子どもの心は離れる。次に相互不信。「うちの子はすばらしい」という自信が、子どもを伸ばす。しかし親が「心配だ」「不安だ」と思っていると、それはそのまま子どもの心となる。人間の心は、鏡のようなもの。
イギリスの格言にも、「相手は、あなたが思っているように、あなたのことを思う」というのがある。つまりあなたが子どものことを「すばらしい子」と思っていると、あなたの子どもも、あなたを「すばらしい親」と思うようになる。そういう相互作用が、親子の間を密にする。が、そうでなければ、そうでなくなる。三つ目にリズム。あなたの子どもがまだヨチヨチ歩きをしていたころを思い出してみてほしい。そのときあなたは子どもの横か、うしろを歩いていただろうか。そうであれば、それでよし。しかしあなたが子どもの前を、子どもの手を引きながら、ぐいぐいと歩いていたとするなら、あなたと子どものリズムは、そのときから狂い始めていたとみる。
おけいこ塾でも何でも、あなたは子どもの意思を無視して、勝手に決めていたはずだ。やがてあなたは子どもと、こんな会話をするようになるかもしれない。親「あんたは誰のおかげでピアノがひけるようになったか、それがわかっているの! お母さんが高い月謝を払って、毎週ピアノ教室へ連れていってあげたからよ!」子「いつ誰が、そんなこと、あんたに頼んだ!」と。
権威主義は百害あって一利なし。頭ごなしの命令は、タブー。子どもを信じ、今日からでも遅くないから、子どものうしろを歩く。決して前を歩かない。アメリカでは、親子でも、「お前はパパに何をしてほしい」とか、「ママはぼくに何をしてほしい」と聞き合っている。そういう謙虚さが、子どもの心を開く。親子の断絶を防ぐ。
************************************
これからも、よろしくご購読ください。
はやし浩司
*************************************
(以下、003号です。)
まだの方はどうかお読みください。
朝晩は気持ちのよい日になりました。お元気ですか?
「はやし浩司のホームページ」が、またまた充実しました。
また、ぜひ、ご覧になってください。
はやし浩司(ひろし)
*********************************
ホームページに、またまた新しいコーナーが、新登場!
● お子さん向けの、「読んでね」コーナー
● 「子どもチェックシート」
**********************************
(近況ニュース)
★ 6月29日(金曜日)午前10時~より、静岡県教育委員会主催の
「教育講演会」で、基調講演をいたします。
場所:可美総合センターにて
(午後からは、パネルディスカッションを予定しています)
お申し込みは …… 053-458-7304です。
★ 「別冊PHP」9月号 (7月23日発売)増刊号にて、
「子どもをほめるコツ・しかるコツ」の特集記事を書かせてもらいました。
ぜひ、書店で、お買い求めください。
************************************
中日新聞(東海版)では、
「乱舞するイメージ」を書きました。
Http://www.chunichi-tokai.co.jp/education/child_world/
を、ご覧ください。
右脳教育への疑問を、この記事の中に織り込みました。
なお新聞のほうは、「人間は考えるアシ」を掲載してもらいました。
インターネットでは、6月22日以後、紹介されます。よろしく!
*********************************
「読んでね」コーナーは、直接お子さんに呼びかけるコーナーです。
お子さんが、読んでくださることを願っています。
対象年齢は、小4~中学生を考えて、書きました。
賢明な人、愚(おろ)かな人
賢明な人はね、なくす前に、その価値に気づくんだよ。
しかしね、愚かな人は、なくしてから、その価値に気づくんだよ。
たとえば健康。たとえば時間。たとえば家族。
それからね、愚かな人とは、つきあってはダメだよ。
愚かな人とつきあっていると、君たちまで、愚かになるよ。
いいかな。
自分よりすぐれている人を見つけて、
その人をいつも目標にするといいよ。
賢明な人はね、いつも自分より、より賢明な人をみつけて、
自分の力のないことを、嘆くのさ。
愚かな人はね、いつも自分より、より愚かな人をみつけて、
それで自分をなぐさめるのさ。
それからね、賢明な人は、愚かな人を相手にしない。
でもね愚かな人は、賢明な人に、あれこれ文句を言ってくる。
自分が愚かだとわかっていないからね。
だからちょうど、図書館で本を選ぶように、
君たちも、友や仲間を選ぶんだよ。
これはとても大切なことだよ。
++++++++++++++++++++
バカな人
ついでにね、
「フォレスト・ガンプ」という映画の中で、
フォレストのお母さんが、こう言うよ。
「バカなことをする人を、バカと言うのよ。頭じゃ、ないのよ」と、ね。
いい映画だから、一度は見てごらん。
いいかな。バカなことをする人を、バカというんだよ。
勉強ができないとか、成績が悪いとか、そういうことではないよ。
バカなことをする人を、バカというんだよ。
タバコを吸ったり、バイクで夜中に騒いだり、
ゴミを平気で捨てたり、道路にツバをはいたり、
人をキズつけるようなことを平気で言う人を
バカって、いうんだよ。
人をいじめたり、いやがらせをしたり、仲間ハズレをしたりして
おもしろがっている人を、バカっていうんだよ。
君は、そのバカな人ではないんだよ。
だってね、
この文章を読んでね、バカの本当の意味がわかったからね。
+++++++++++++++++++
相手のこと
イギリスのことわざに、ね、
「相手は、自分が相手を思うように、自分を思う」というのが、あるよ。
つまりね、
君が、AさんならAさんを、「いい人だ」と思っていると、
Aさんも、君のことを、「いい人だ」と思っているということ。
君が、AさんならAさんを、「いやな人だ」と思っていると、
Aさんも、君のことを、「いやな人だ」と思っているということ。
そういう意味でね、人間の心は、カガミのようなものだね。
だからね、みんなと仲よくしたかったら、みんなのことを「いい人だ」と
思うようにするといいよ。そうするとね、みんなも、君のことを
「いい人だ」と思うようになるよ。やってみたら?
++++++++++++++++++++
家庭
君は、どこで心を休めているのかな?
家の中。そう家の中だよね。
でも、その家の中のどこかな?
居間かな? 台所かな?
「トイレの中」と言った人もいたよ。
「お風呂の中」と言った人もいたよ。
あるいは「ふとんの中」と言った人もいたよ。
でもね、もし君が、家族のいる、
みんなの中が、一番安心できるとしたら、
それはすばらしいことだよ。
君は、すばらしい家族をもっているということ。
うらやましい、ね。
もしそうなら、君は、君の家族を、
大切にしたらいいよ。
自信をもって、ね。
(ほか、30項目)続きはホームページで
http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/
**********************************
この1~4号のころは、まさに手探りの状態でした。(当然ですが……。)「書いても、はたして読んでくれる人がいるだろうか」と、そんな不安ばかり、先に立ったのを覚えています。
もっとも、そのころは、(遊び)のつもりでした。本気で書くようになったのは、ずっとあとになってからのことです。1000号を意識するようになったのは、さらにあとになってからのことです。
毎号、1~2人と読者がふえていくのは、ほんとうに励みになりました。その新しく読者になってくれた人をがっかりさせたくないという思いが、私の書く原動力になりました。そんな思いが、この1~4号を読むと、6年6か月という年月を超えて、私の心の中によみがえってきます。
文もどこかいいかげんで、自己宣伝ばかり。あのころの私は、それでもインターネットの未来を信じて、電子マガジンの発行を始めました。「本を書くより、インターネットだ」とです。
2003年以後は、一冊も、本を書いていないのは、そのためです。
結果として、それがよかったのか、悪かったのか、まだよくわかりません。この間、もちろん収入は、ほとんどありませんでした。またマガジンを出したからといって、世間的に注目されるということもありませんでした。
インターネットの世界は、まあ、こんなものですね。
しかし現在、マガジン、HP、BLOGなどを含めますと、月に約10万件のアクセスがあります。10万件ですよ!
重複している人も多いかと思いますが、それでも、月に10万人の人たちが、「はやし浩司の文章」に触れてくれています。世間的な評価は別として、これはものすごいことです。書籍ではとても、まねのできないことです。
が、その(ものすごさ)にしても、肌で実感するということはありません。そこは電子の世界ですね。数字だけが、勝手にひとり歩きしているといった感じです。一方、原稿を書いている私は、丘の上から、空に向かって話しているようなものです。そこに読者の方がいるとしても、その姿はまったく見えません。本のように、モノとして残るということもありません。
そういう意味では、おかしな、ほんとうにおかしな世界です。
2月4日、ささやかですが、今までのよき協力者であり、理解者であったワイフと2人で、どこかのレストランで祝杯をあげます。
何がうれしいかといって、今、現実に、こうして元気でものを考え、ものを書けることくらい、うれしいことはありません。
1000号までつづけてくることができたのは、賛助会のみなさん、まぐプレの読者のみなさん、それに、わかば医院のみなさんの暖かい励ましがあったからです。この場で、厚くお礼を申し上げます。
なお1001号からは、さらに、(1)英文をふやして外国に向けて、自分の意見を発表していく、(2)USTREAMなどのサービスを利用して、動画と音声を多用していく……などとうことを考えています。
以上ですが、これからも、よろしくお願いします。
長い間のご購読、ありがとうございました。
2008年1月8日記 はやし浩司
+++++++++++++++++
以下、読者が100人を超えたときの
号です。
日付を見ると、11月23日になって
います。
第1号から、5か月もかかりました。
+++++++++++++++++
彡彡人ミミ 彡彡彡彡彡
| ⌒ ⌒ | MM ⌒ ⌒ MM
q 0―0 MMMMM ∩ ∩ MM m
(″ ▽ M ⌒ ⌒ M″ v ゛)/ ̄)
凸/Σ▽乃q ・ ・ p ̄Σ▽乃 ̄` /
\ /(″ ▽ ゛)\ 厂 ̄
===○=======○====KW(8)
子育て最前線の育児論
================
★★★★★★★★
01-11-23号(15)
★★★★★★★★
by はやし浩司(ひろし)
http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/
********************************
ウィルス対策について……
http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/
の「トップページ」より、「ウィルス対策」をご覧ください。
どうか安心して、このサイトをお楽しみください。
********************************
文字化けして、お読みになりにくい点がありましたら、
http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/
より、(マガジン読者)のコーナーへおいでください。少しだけ読みやすくしてあります。
********************************
今回も、マガジンをご愛読くださり、感謝しています。ありがとうございます!
********************************
メニュー
(1)よい幼稚園の選び方
(2)よい先生の見分け方(子どもとの相性を知る)
(3)教育者の美談にだまされない法
(4)子どもを本好きにする法(子どもの方向性を知る)
********************************
来春、リヨン社から新しい本を出します。よろしくお願いします。
********************************
あなたは、目上の人でも、目下の人でも、同じような電話をかけていますか?
権威主義的なものの考え方をする人、つまり無意識のうちにも、人間の上下関係を
つくる人は、目上の人に対する態度と、目下の人に対する態度が、まるで違います。
そんなことを書いたのが、「親子の関係がぎくしゃくするとき」です。どうか
お読みください。
*********************************
●よい幼稚園を選ぶ法(先生を見て選べ!)
親が幼稚園を選ぶとき
●「どこの幼稚園がいいですか?」
「どこの幼稚園がいいですか」という問い合わせが、ときどきある。私のばあい、立場上、具体的に幼稚園の名前を出すということはできない。しかしよい幼稚園を選ぶポイントはある。
その一。まず園長を見る。園長が運動服でも着て、園児の中で汗をかいている幼稚園はすばらしい。理由がある。教育というのは、手をかけようと思えば、どこまでも手がかけられる。反面、手を抜こうと思えば、いくらでも抜ける。しかし園長が率先して教育の中に飛び込んでくるような幼稚園では、現場の先生は手を抜くことができない。
次に、幼稚園は子どもの視点で見る。たとえばピカピカにみがかれた、汚れ一つない幼稚園は、親には受けがよい。しかしそれは子どもの世界ではない。よい幼稚園というのは、園舎のあちこちに子どもの臭いがする。落書きがあったり、いたずらをしたあとが残っていたりする。そういう臭いがする幼稚園は、よい幼稚園ということになる。
そして三つ目のポイントは、哲学があるかどうかということ。富士宮市にR幼稚園というのがある。その幼稚園では、独自に玄米食の給食をしている。給食の時間になると、子どもたちが「♪カメカメカメよ、カメさんよ」と歌を歌いながら、玄米を懸命にかみながら食べている。大阪市のI幼稚園の園長は、ものを大切にするという意図から、いつもヨレヨレのスーツを着ている。浜松市のK幼稚園では、無数の動物を飼っている。私が見に行ったときも、アヒルの子どもが生まれて、子どもたちはワイワイと喜んでいた。そういう幼稚園は、すばらしい。
●幼稚園は先生を見て選ぶ
が、何といっても最大のポイントは、現場の先生だ。先生が生き生きと活動している幼稚園は、すばらしい。よい幼稚園には活気がある。先生もハツラツとしている。明るい声が飛び交っている。静岡市の郊外にR幼稚園という幼稚園がある。その職員室でお茶を飲んでいたときのこと。若い先生たちが、大きな声で、「今日の資料できていますかア!」「ハイ、できてるわよ!」と、皆が声をかけあっていた。そういう幼稚園は、すばらしい。
「先生」というには、「先に生き生きとするから先生」、……というのは、こじつけだが、しかし先生と言うのは、そうでなくてはいけない。その活気の中に、子どもたちが巻き込まれていく。あるいは先生が庭にいたりすると、子どもたちが、先生のまわりに集まってくる。先生に飛びついたりして、楽しそうにはしゃいでいる。そういう幼稚園はすばらしい。子どもと先生の関係を、外から観察してみるとそれがわかる。
もちろんあまり推薦できない幼稚園もある。経営第一主義の幼稚園だ。それを感じたら、子どもをやらないほうがよい。こういう幼稚園はやることだけはどこか派手だが、一本スジが通っていない。それについてはここにはこの程度しか書けないが、要するにここに書いたすばらしい幼稚園の、反対の幼稚園だと思えばよい。
●メリハリのある授業がよい授業
また先生のよしあしは、メリハリのある授業ができるかどうかでみる。発言のときになると、子どもたちが自由かったつに意見を言い、作業のときになると、シーンと静まりかえる。しっかりとした口調で、テキパキと指導を進める。
そういう授業のできる先生はすばらしい。が、一番のポイントは、子ども好きの先生かどうかということ。教えることを楽しんでいるかどうかでみる。子どもが何かを失敗したときの様子をみれば、それがわかる。先生が子どもを叱るときでも、子ども好きの先生だとどこかなごやかな雰囲気になる。そうでない先生は、ピリピリとした雰囲気になる。
……とまあ、偉そうなことを書いてしまったが、許してほしい。園長や現場の先生なら、私のような人間にこういうことを言われると、頭にカチンとくるものだ。「教育は権威だ」「運動着など着られるか」と言う園長もいるにはいる。そういう気持ちはよくわかる。一応ここでは、私は常識的なことを書いた。あくまでも一つの参考になればよい。
***********************************
●子どもと先生の相性を見分ける法(休み時間を観察せよ!)
子どもがよい先生を見分けるとき
●よい先生VS悪い先生
私のような、もともと性格のゆがんだ男が、かろうじて「まとも?」でいられるのは、「教える」という立場にあるからだ。子ども、なかんずく幼児に接していると、その純粋さに毎日のように心を洗われる。何かトラブルがあって、気分が滅入っているときでも、子どもたちと接したとたん、それが吹っ飛んでしまう。よく「仕事のストレス」を問題にする人がいる。しかし私のばあい、職場そのものが、ストレス解消の場となっている。
●「子ども的」ということ
その子どもたちと接していると、ものの考え方が、どうしても子ども的になる。しかし誤解しないでほしい。「子ども的」というのは、幼稚という意味ではない。子どもは確かに知識は乏しく、未経験だが、決して、幼稚ではない。むしろ人間は、おとなになるにつれて、多くの雑音の中で、自分を見失っていく。醜くなる人だっている。
「子ども的である」ということは、何ら恥ずべきことではない。特に私のばあい、若いときから、いろいろな世界をのぞいてきた。教育の世界や出版界はもちろんのこと、翻訳や通訳の世界も経験した。いくつかの会社の貿易業務を手伝ったり、医学の世界をかいま見たこともある。しかしこれだけは言える。園や学校の先生には、心のゆがんだ人は、まずいないということ。少なくとも、ほかの世界よりは、はるかに少ない。
●目線が子どもと同じ高さ?
そこで「よい先生」論である。いろいろな先生に会ってきたが、目線が子どもと同じ高さにいる先生もいる。が、中には上から子どもを見おろしている先生もいる。このタイプの先生は妙に権威主義的で、いばっている。そういう先生は、そういう先生なりに、「教育」を考えてそうしているのだろうが、しかしすばらしい世界を、ムダにしている。それはちょうど美しい花を見て、それを美しいと感動する前に、花の品種改良を考えるようなものだ。昔、こんな先生がいた。ことあるごとに、「親のしつけがなっていない」「あの子は問題児」とこぼす先生である。決して悪い先生ではないが、しかしこういう先生に出会うと、子どもから明るさが消える。
そこで子どもと先生の相性があっているかどうかを見分ける、簡単な方法……。子どもに紙とクレヨンを渡して、「園の先生と遊んでいるところをかいてね」と指示する。そのとき子どもがあれこれ先生の話をしながら、楽しそうに絵をかけばよし。そうでなく、子どもが暗い表情になったり、絵をかきたがらないようであれば、子どもと先生の相性は、よくないとみる。もしそうであれば、この時期はできるだけ早い機会に、園長なら園長に相談して、子どもと先生の関係を調整したほうがよい。
(参考)
●教師の外部評価制
教師の指導力を、地域住民がチェックするという「外部評価制」が、二〇〇二年度より東京都品川区で実施されることになった。評価結果は項目ごとに四段階で示され、年度末に公表し、学校選びの目安にしようというもの。一つの自治体が小中学校に外部評価を導入するのはたいへん珍しい。学校そのものを外部のきびしい目にさらすことで、学校改革を促す試みとして、今注目されている。
品川区には現在、公立小中学校は五八校あるが、各学校ごとに保護者と地域の住人数一〇人に「評価モニター」を委託し、月に一度以上学校を訪れてもらい、一年間かけて学校の様子を評価してもらおうというもの。具体的には、(1)教員の指導が行き届いているか、(2)いじめなどで子どもが不当な扱いを受けていないか、(3)学校の方針は妥当かなど、約二〇項目についてA~Dの四段階で評価する。結果は品川区のホームページで公表し、区が新入生に配る学校案内にも掲載されるという。また評価の低かった項目については、各学校に改善計画を提出させ、評価結果とあわせて公表するという。
●私の経験から……
「古い体質をなかなか変えようとしない学校教育を改善するには効果的」(若月秀夫教育長)ということだが、私ももう二〇年近く前に、浜松市内の小学校について、学校に対する評価を調査したことがある。しかしその結果、(1)評価は、複数の学校を相互に比較してはじめて可能。(2)客観的評価は、たいへん難しいの二点で、「この種の調査は、あまり意味がない」という結論を出したことがある。その学校しか知らない父母や子どもに、「あなたの学校をどう思いますか」と質問しても、その質問自体にあまり意味がないということ。
そこで県外からの転校生や、兄弟で別々の学校に通っている子どもやその父母に聞き取り調査をしてみたが、今度はサンプル数そのものが少なくて、「結果」と言えるほどまでに集計できなかった。さらに親の評価はたいへん主観的なもので、「友だち先生」をよい先生とする親もいれば、悪いとする親もいる。また同じ先生でも、比較的勉強がよくできる子どもの親はよい先生と評価し、勉強ができない子どもの親は悪い先生と評価するということもわかった。品川区のお手並みを拝見したい。
************************************
●教育者の美談にだまされない法(美談にだまされるな!)
教育者が美談を口にするとき
●どこかおかしい美談
美しい話だが、よく考えてみるとおかしいというような話は、教育の世界には多い。こんな話がある。
あるテレビタレントがアフリカへ行ったときのこと。物乞いの子どもがその人のところにやってきて、「あなたのもっているペンをくれ」と頼んだという。理由を聞くと、「ぼくはそのペンで勉強をして、この国を救う立派な人間になりたい」と。そのタレントは、感きわまった様子で、ほとんど涙ながらにこの話をしていた(二〇〇〇年夏、H市での教育講演)。しかしこの話はどこかおかしい。だいたい「国を救う」という高邁な精神をもっている子どもが、「ペンをくれ」などと、物乞いなどするだろうか。仮にペンを手に入れても、インクの補充はどうするのか。「だから日本の子どもたちよ、豊かであることに感謝せよ」ということを、そのタレントは言いたかったのだろうが、この話はどこか不自然である。こんな事実もある。
一五年ほど前のこと。K県の私塾連盟の有志が、トラック一杯の学用品を、インド洋にあるS国に送ったことがある。で、その二年後、その文房具がどう使われているか、二人の教師が見に行った。が、それらの文房具はほとんど手つかずのまま、倉庫に眠っていたという。理由を聞くと、その学校の先生はこう言った。「父親の一日の給料よりも高価なノートや鉛筆を、どうして子どもに渡せますか」と。「石版にチョークのほうが、使いやすいです」とも。そういう話ならわかるが、「立派な人間になりたい」とは?
そうそう似たような話だが、昔、『いっぱいのかけそば』という話もあった。しかしこの話もおかしい。貧しい親子が、一杯のかけそばを分けあって食べたという、あの話である。国会でも取りあげられ、その後、映画にもなった。しかし私がその場にいた親なら、かけそばには箸をつけない。「私はいいから、お前たちだけで食べろ」と言って、週刊誌でも読んでいる。私には私の生きる誇りというものがある。その誇りを捨てたら、私はおしまい。親としての私もおしまい。またこんな話も……。
●「ぼくのために負けてくれ」
運動会でのこと。これから一〇〇メートル走というときのこと。横に並んだB君(小二)が、A君にこう言った。「お願いだから、ぼくのために負けてくれ。でないと、ぼくはママに叱られる」と。そこでA君は最初はB君のうしろを走ったが、わざと負ければ、かえってB君のためにならない思い、途中から本気で走ってB君を追い抜き、B君に勝った、と。ある著名な教育家が、ある雑誌の巻頭で披露していた話だが、この話は、視点そのものがおかしい。その教育者は、二人の会話をどうやって知ったというのだろうか。それに教えたことのある人ならすぐわかるが、こういう高度な判断能力は、小学二年生には、まだない。仮にあったとしても、あの騒々しい運動会で、どうやってそれができたというのだろうか。さらに、こんな話も……。
●こんな美談も……
ある小学校教師が一時間目の授業に顔を出したときのこと。小学一年生の生徒たちが、「先生の顔はおかしい」と言った。そこでその教師が鏡を見ると、確かにへんな顔をしていた。原因は、その前の職員会議だった。その会議で不愉快な思いをしたのが、そのまま顔に出ていた。そこでその教師は、三〇分間ほど、近くのたんぼのあぜ道を歩いて気分を取りなおし、そして再び授業に臨んだという。その教師は、「そういうことまでして、私は子どもたちの前に立つときは心を整えた」とテレビで話していたが、この話もおかしい。その三〇分間だが、子どもたちはどこで何をしていたというのだろうか。その教師の話だと、子どもたちは教室に残されたままだったということになるのだが……?
教育を語る者は、いつも美しい話をしたがる。しかしその美しい話には、じゅうぶん注意したらよい。こうした美しい話のほとんどは、ウソか作り話。中身のない教育者ほど、こうした美しい話で自分の説話を飾りたがる。
************************************
●子どもを本好きにする法(方向性は図書館で知れ!)
子どもの方向性を知るとき
●図書館でわかる子どもの方向性
子どもの方向性を知るには、図書館へ連れて行けばよい。数時間、図書館の中で自由に遊ばせてみればよい。そしてそのあと、子どもがどんな本を読んでいるかを観察してみる。サッカーが好きな子どもは、サッカーの本を読む。動物が好きな子どもは、動物の本を読む。そのとき子どもが読んでいる本が、その子どもの方向性である。その方向性にすなおに従えば、子どもは本が好きになる。さからえば、本が嫌いになる。無理をすれば子どもの伸びる「芽」そのものをつぶすことにもなりかねない。ここでいくつかのコツがある。
●無理をしない
まず子どもに与える本は、その年齢よりも、一~二年、レベルをさげる。親というのは、どうしても無理をする傾向がある。六歳の子どもには、七歳用の本を与えようとする。七歳の子どもには、八歳用の本を与えようとする。この小さな無理が、子どもから本を遠ざける。そこで「うちの子どもはどうも本が好きではないようだ」と感じたら、思いきってレベルをさげる。本の選択は、子どもに任す。こういう親がいた。本屋で子どもに、「好きな本を一冊買ってあげる」と言っておきながら、子どもが何か本をもってくると、「こんな本はダメ。もっといい本にしなさい」と。こういう身勝手さが、子どもから本から遠ざける。
●動機づけを大切に
次に本を与えるときは、まず親が読んでみせる。読むフリでもよい。そして親自身が子どもの前で感動してみせる。「この本はおもしろいわ」とか。これは本に限らない。子どもに何かものを与えるときは、それなりのお膳立てをする。これを動機づけという。本のばあいだと、子どもをひざに抱いて、少しだけでもその本を読んであげるとよい。この動機づけがうまくいくと、あとは子どもは自分で伸びる。そうでなければそうでない。この動機づけのよしあしで、その後の子どもの取り組み方は、まったく違ってくる。まずいのは、買ってきた本を袋に入れたまま、子どもにポイと渡すような行為。子どもは読む意欲そのものをなくしてしまう。無理や強制がよくないことは、言うまでもない。
●文字を音にかえているだけ?
なお年中児ともなると、本をスラスラと読む子どもが現れる。親は「うちの子どもは国語力があるはず」と喜ぶが、たいていは文字を音にかえているだけ。内容はまったく理解していない。親「うさぎさんは、どこへ行ったのかな」、子「……わかんない」、親「うさぎさんは誰に会ったのかな?」、子「……わかんない」と。もしそうであれば子どもが本を読んだら、一ページごとに質問してみるとよい。「うさぎさんは、どこへ行きましたか」「うさぎさんは、誰に会いましたか」と。あるいは本を読み終えたら、その内容について絵をかかせるとよい。読解力のある子どもは、一枚の絵だけで、全体のストーリーがわかるような絵をかく。そうでない子どもは、ある部分だけにこだわった絵をかく。なお読解力のある子どもは、一ページを読むごとに深く考える様子をみせたり、そのつど挿し絵を見ながら読む。本の読み方としては、そのほうが好ましいことは言うまでもない。
●文字の使命は心を伝えること
最後に、作文を好きにさせるためには、こまかいルール(文法)はうるさく言わないこと。誤字、脱字についても同じ。要は意味が伝わればよしとする。そういうおおらかさが子どもを文字好きにする。が、日本人はどうしても「型」にこだわりやすい。書き順もそうだが、文法もそうだ。接続詞という言葉こそ使わないが、小学二年生から、その接続詞の使い方を学ぶ。こういうことばかりに神経質になるから、子どもは作文が嫌いになる。小学校の高学年児で、作文が好きと言う子どもは、五人に一人もいない。大嫌いと言う子どもは、五人に三人はいる。
(付記)
●私の記事への反論
「一ページごとに質問してみるとよい」という考えに対して、「子どもに本を読んであげるときには、途中で、あれこれ質問してはいけない。作者の意図をそこなう」「本というのは言葉の流れや、文のリズムを味わうものだ」という意見をもらった。図書館などで、子どもたちに本の読み聞かせをしている人からだった。
私もそう思う。それはそれだが、しかし実際には、幼児を知らない児童文学者という人も多い。そういう人は、自分の本の中で、幼児が知るはずもないというような言葉を平気で並べる。たとえばある幼児向けの本の中には、次のような言葉があった。「かわべの ほとりで、 ひとりの つりびとが うつら うつらと つりいとを たれたまま、 まどろんでいた」と。この中だけでも、幼児には理解ができそうもないと思われる言葉が、「川辺」「釣り人」「うつら」「釣り糸」「まどろむ」と続く。こうした言葉の説明を説明したり、問いかけたりすることは、決してその本の「よさ」をそこなうものではない。が、それだけではない。意味のわからない言葉から受けるストレスは相当なものだ。パソコンを相手にしていると、そういう場面によく出あう。「TIFFファイル(インターネットファックスファイル)を、EASYFAXPRO2001EXのファックスビューワーに関連付けますか」などという表示が突然出てきたりすると、パソコン歴三〇年以上の私ですら、いまだにドキッとする。あくまでも子どもの立場で考えたらよい。